2009.12.01 
おかげさまで「姫のおうち」が2000回を迎えることが出来ました。これも偏に皆様方の御愛読と励ましのおかげと深く感謝しております。思えば、第1回目の書き込みは2001年10月4日でした。
「何故ウオーキングをするようになったのか」というタイトルでスタートしたように記憶しております。53歳の時です(若いなあ。)
テーマも決めず思いつくままに書き続け、ある時は読んでいただくのも恐縮するくらいの長編であり、またある時は10行にも満たない短文の時もありました。
長かったですが、平成21年12月1日に
2000回記念を迎えることができました。
ここまで続けてこれたのは、姿形は見えないけれども見て下さる方達がいるということが
強い励ましになりました。今もその気持ちは変わっていません。登山の例会報告やテレビで見た山岳事故、井戸端会議的なものもありましたが私にとって 「姫の人生の歩み」 そのものでした見て下さる方達がいるということが強い励ましになりました。今もその気持ちは変わっていません。登山の例会報告やテレビで見た山岳事故、井戸端会議的なものもありましたが私にとって 「姫の人生の歩み」 そのものでした
2001年の11月に義兄一刀水が前立腺癌で余命3年と宣告されてから見守隊として病状の一部始終をかき込み続けました。第186回のかき込みで 「花火はまっこときれいやのぉ、パッと咲いてパッと散りよる。ほんまに男の人生によぉ似ちょらあよぉ」 村田英雄の「男の一生」の大好きなセリフの如く2003年7月4日、71歳で永眠したことを忘れることはありません。
しばらくは、ウオーキングと登山とを平行しながら進んできましたが、平成18年7月に実施された白馬岳登山中の参加者の事故の救助に携わり、もっと山の事を知りたい、今の未熟さではダメだと考え、技術の向上を学びたくウオーキングの会を休会し登山のノウハウを
勉強することにしました。来る日も来る日も芦屋ロックガーデンの地獄谷を這いずり回り、体力と技術を磨き上げました。「登りたい山はどこ?」と聞かれて 「劔岳と槍ケ岳!」 と答えると、いまの登山技術じゃダメだと言われ、更なる訓練の日々が続きました。3000メートル級の山には必ず岩場があり、大雨になれば山が沢の様になることからロッククライミングと沢登りの訓練にも挑戦しました。
ルールさえ守ればザイルで確保されており危険はないことから 「中高年の安全登山」 を原則に仲間達とロッククライミング教室で学びました。その成果があって60歳の還暦記念に 「北鎌尾根から槍ケ岳・穂高縦走」 が実現出来たことに大きく自信がついた様に思います。今年は、本邦第二の高峰である北岳に派生するバットレスも登攀することができました。
水の流れている中を歩くなんて考えても見なかった沢登りの魅力にも、この歳になって取り憑かれたことに喜びを感じずにはいられません。比良山系や紀泉山地の沢を歩いて力をつけ、今年は黒部川上流域の奥ノ廊下と赤木沢を楽しんできました。
心肺蘇講習やクライミング、沢登りと数えたらきりがないほどの思い出を2000回に詰め込みました。その間、自分自身が肋骨を2本も折る怪我をしたこともありました。クライミング中ではなく、単なる歩行中の出来事で自分自身に緊張感が欠落していた結果だといまでも反省材料にしています。「姫のおかげで心肺蘇生法が役立ち人命救助が出来、消防署から
表彰されました」 と嬉しいニュースも届きました。つい最近には、群馬県の妙義山の最高峰・相馬岳の山頂付近で右肩脱臼という事故に遭いましたが、日頃訓練しているファーストエイド・セルフレスキューのおかげで、何とか自力下山することが出来ました。
加齢に伴い今まで以上に安全登山に気を付けなければならないと痛感しています。駅やスーパーの階段を登っていても、降りていても、平坦な都会の道を歩いていても転倒することはあります。そんな時、とっさにかわせる身のこなしがあれば大事に至ることはありません。々トレーニングを重ねながら、老いない体を保っていきたいと考えております。
3000回目は(1000回は平成18年3月達成)、たぶん3年先、ざっと65歳をめどに 「楽しい登山物語」 で話の花を咲かせることができたら、こんな幸せな事はないのではないかと思っています。
まず足腰、そして頭を老わすことなく、日々活気的に生きていけたらと思っています。 ありがとうございました。  
(2000回記念寄稿)