音羽山から醍醐山  「音羽山山頂にて 新幹線の音羽山トンネルは みんなの股の下」
1月もあと残りわずかと言う24日の日曜日、音羽山から醍醐山登山のために京阪電車大谷駅に降り立ちました。大谷駅前は狭くてトイレも無いため、ポチの誘導で到着した人達から順に蝉丸神社を過ぎたところにある「逢坂の関」で待機して頂くこととなりました。箕面の勝尾寺でお会いした人には「おはようございます。今日も元気で歩こうね」今日が今年初めての人には「今年もよろしく」の挨拶を交わします。百人一首ゆかりの地とあって、オリオンさんが百人一首のカルタを持ってきてくれました。
それを手にサスケ先生に
●清少納言の
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」の解釈をしてもらいました。サスケ先生曰く
『宵のうちにちょっと用事思い出してん言うて帰ってもた男がまだ夜の明けやらんうちに戻って来て、「清少納言はん、あんたみたいにようもの知ってるお人やったらむかし秦の国で捕まった孟嘗君が函谷関(一番鶏が鳴いたら門を開く)を鶏の物真似で開かせて夜が明けへんうちに逃げ仰せはったちゅう故事を知らへんはずはおまへんやろ、
「コケコッコー」早よこの門開けておくんなはれ。ふん、どっか他の女のとこ行ってきてまだし足らんからいうてワテとこ戻って来て、まだ夜も明けへんうちにこわ色出しても函谷関ならいざ知らず
(逢瀬を楽しも言うたかて)逢坂の関(私の家の門)は開けまへんで。ワテにもプライドちゅうもんがありまっさかいに!この男は時の大納言藤原行成でよそで浮気をした帰りはともかくコケコッコーは本当の話しです。行成(こうぜい)、藤原佐理(さり)、小野道風(とうふう)は三跡と言われた筆の達人。もう少し古くは空海、嵯峨天皇、橘逸勢(はやなり)が三筆。清少納言は中宮定子(ていし)に仕え、紫式部が仕えたのは道長の娘ではあっても当時は女御彰子だったので清少納言は紫式部を見下していたと古典で習った覚えがあります。中宮は皇后、女御は側女にすぎませんから。でも定子は早くに死に、彰子の子(道長の孫)が後一条天皇になるのです。』と愉快な、それでいて歴史に忠実な説明をうけみんな拍手喝采でした。ありがとうございました。
●関蝉丸の
「これやこの ゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも逢坂の関」これも百人一首では有名で
 『これがまさにあの、行く人も帰る人も(畿内から東国へ出て行く人も、関まで旅人を見送って都へ帰る人も)人々が別れを繰り返す一方では、出逢いもまた繰り返す、知っている同士も、知らない同士も逢坂の関』となるのではないでしょうか。
蝉丸神社 車石(牛車をひくための石の轍)
逢坂山水準点  峠のレリーフ 
コース説明とストレッチを済ませ、今日も共通装備を分担して、9時15分には出発することとなりましたが、大谷駅を出てすぐのところにある蝉丸神社は琵琶法師を祀った音曲芸道の神社として有名のためコースを一部変更して蝉丸神社を通り、音羽山に向かうことにしました。国の重要文化財に指定されている、「時雨燈籠」と呼ばれる六角形の重厚な石灯籠は下社にあり残念ながら今日は見学することができませんでした。蝉丸神社を通り、逢坂の関のすぐ上を回り歩道橋を渡ります。目の前にはいきなり長い長い階段が見えてきました。
「いきなり階段かよぉ」と独り言を言って覚悟を決めてローリングステップでゆっくりと登っていきます。「ナンバ歩き」をする人もいたようです。とにかくゆっくり登っていきます。長い階段を登り切ったところで衣類調整の休憩をとりました。いきなりの上り階段で息も上がり気味でしたので30分経過地点でのミニ休憩となりました。このあたりの落ち葉には朴葉が多く含まれています。
いきなりの長い上り階段で驚きましたが出発して1時間半ほどで音羽山(593b)の山頂に到着です。音羽山は大津市と京都市の境にあり、新幹線の「音羽山トンネル」の真上にあり、頂上からは眼下に琵琶湖を見下ろし、雪化粧をした比良山や蓬莱山を眺めることができました。突然、姫が「ここは真下に新幹線のトンネルが通っているので、みんなで記念に人間トンネルを作ろう」と呼びかけ苦笑しながらも、みんな協力して下さいました。展望を楽しんだ後は牛尾観音めがけて下り道を進んでいきます。今日は下見の時のように道間違えは致しません。ラクチン〜ラクチン。ハイ!
音羽山の直下を東海道新幹線の音羽山トンネルが抜けています。股の下かトンネルのある方向です。
大津市街と比良の山並み 比良山系・蓬莱山と打見山の遠望
心地よい芝の道を下り、土の臭いを嗅ぎ、やがて眼下に赤い屋根が見え隠れするようになりました。牛尾観音です。ここで列詰め休憩をしてみんなで揃って昼食場所の「桜の馬場」11時30分、到着です。
温かい日差しの中、弁当をひろげました。アルプスなどの連泊登山の時の昼食は行動食で歩きながら済ませても近郊登山はやっぱり落ち着いて座って弁当食べたいで〜す。昼食場所の桜の馬場には数十年の樹齢ですが、10年前までは町名にちなんで十数本ありましたが今は5〜6本に減ったそうです。しかし大きな木でたくさんの美しい花をつけます。梅にウグイスと言いますがこの近辺では桜にウグイスが鳴いているそうです。
今日のワンポイントレッスンは「地図の見方」です。お昼の歌は(かあさんの歌)と(津軽海峡・冬景色)です。「何で海の歌やねん?」誰かがそんな質問をしていましたが(この選曲は、単純に冬景色の寒さが伝わり今の季節にマッチするからで〜す)お昼の歌は、午後の気合いを入れるためと、食後の胃の体操と思って大きな声を出して歌って下さいね。
牛尾観音にお参りのあと桜の馬場で昼食とコーラスです
午後からは醍醐山へ向けて小さな橋を渡り、また山道へと入ります。しばらく行くとトンネルがありトツプを歩く姫の足がピタッと止まりました。「このトンネルの中で歌うとエコーが効くので素敵ですよ。ここでも歌おう」と言うのです。赤ペラで「ふるさと」を歌いました。とてもきれいな歌声でしたよ。1時間も歩かないうちに車道へと出てしばらく車道を下るように歩きます。道路右下に「横嶺峠のお地蔵さん」と書かれた看板が目に入りました。また目の前に「総本山 醍醐寺」からの大きなおふれが立ててありました。よく見ると最近のことではありますが醍醐山への道を封鎖すると言う内容でした。醍醐山へ登山をする人は女人堂まで降りて登り返せということのようです。横嶺峠のお地蔵さんの位置は450メートルほどのところにあるので、ほぼ降りてしまってまた醍醐山(454b)に登り返すには、かなりの体力が必要です。この醍醐山登山口を封鎖した原因としては拝観料問題がからんでいるようです。残念ですが私達の体力を考えると醍醐山の山頂は諦めて女人堂にむけて降りることになりました。やむなくコース変更です。1時間ほどで女人堂、醍醐寺に到着しました。「拝観料をいただくこととなりました」の最近立てたらしい大きな看板を恨めしく見ながらゴールである京都地下鉄「醍醐駅」に向かいました。
14時30分ゴールです。
30日(土曜日)の再び赤坂山スノーシューのお誘いをして解散いたしました。時間も、ほどほどに早く疲れてはいましたが充実した一日であったと満足をしています。おつかれさまでした!

文:久田美智子 写真提供:鹿島秀元

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