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●第3日目 (5月2日・日曜日)
 
 行者還り避難小屋〜一ノ垰〜橡ノ鼻〜聖宝ノ宿跡〜弥山〜八経ヶ岳〜明星ヶ岳〜五鈷峰〜楊枝ノ宿小屋
今日は快晴。昨日とうって変わってよい天気です。皆さんが早々と出発される中、私たちは余裕をもって出発しました。後に残るのは同室だった美馬市の青年と名張の先生の二人です。
出発前、上がり框に置いたJONのザックが倒れ、もう少しでクッキング中の名張の先生に大火傷を負わせてしまうところでした。申し訳ありませんでした。
「倒れそうな気がしたから横に避けてたよ」 そうおっしゃる笑顔に助けられました。
「お先に出発します。また追い越してください」 残るお二方に声をかけて表に出ると、空は真っ青、今日一日の好天を約束してくれているようです。
行者小屋を午前6時に出発し、今日はてごわい弥山への登りが最大の挑戦となります。
北斜面のため残雪も多く残っているに違いありません。スワミベルト、カラビナ、シュリンゲの準備をして肩に食い込むリュックの重さに耐えながらのスタートです。
「一歩足を前に踏み出せば 一歩熊野に近づいてるぞっ」
ジョンの言葉を励みに、まずは弥山(1895b)を目指して歩きます。
▲名張の先生に別れを告げて ▲小屋を出れば外は快晴 ▲奥駈道は人も少な
▲前には八経ヶ岳、弥山の山容がデンと構えています ▲振り返れば行者還岳が聳えています
一ノ垰避難小屋…小屋の中のほうがもっと危険だあ▼
▲大峰奥駈道は良い道です   ▲小谷林道分岐です
出発して2時間。8時ごろ小谷林道の分岐辺りで、美馬市の青年が軽く抜いていきます。
「若い人は足取りも軽やかですねえ」 足元を見れば地下足袋姿 「えっ。地下足袋ですか。昨日の大普賢の残雪は辛くなかったですか」
「山仕事をしているもので地下足袋のほうが歩きやすいんですよ。昨日は登山靴で歩きました。さすが地下足袋では辛いもので」
「もうお目にかかれないでしょうが、お気をつけてね」 「頑張ってください」 僅かな会話で別れましたが嬉しいひと時でした。 
▲大峰山奥駈道 ▲行者還トンネル西口分岐 ▲弁天の森
▲大峰山奥駈道 ▲聖宝ノ宿跡
▲八経ヶ岳、弥山の山容がグンと近づいてきます…もう春なのにこの辺りはまだまだ冬の様相です
▲弥山直下は雪が残り、木組みの階段が続きます
▲弥山小屋に到着です ▲小屋前で名張の先生と
弥山小屋は大峰山系唯一の有人小屋で食事付き宿泊が出来るためツアー客やハイカーなどの利用も多く、行者還トンネル西口分岐を過ぎると行き交う人が急に増えてきました。弥山への急斜面は残雪がありアイゼンを履くほどではありませんがキックステップをしっかり踏みしめながら登っていきます。弥山小屋に到着です。「いま何時?」何度となく時計を見るのですが電池切れで2人とも機能していないことに気が付きました。時間はカメラに付いている時計が頼りです。弥山小屋でお茶が購入できると思っていたのですが宿泊者のみへの販売の様で途方に暮れていると、弥山小屋に宿泊すると言う名張のお医者さんが到着されました。
「追いつかれてしまいましたね」
「のぼりで見えていたのですが追いつけませんでした。今日はここで泊まることにします。休養日です。ただ予約をしていないので泊めてくれればの話ですが。一応聞いてきますわ」
「すみませんが、泊まれるようでしたら、これでお茶とジュースを買ってきてもらえませんか?宿泊者にしか販売していただけないようですので」千円札二枚を渡し、何と失礼なことにパシリに使っちゃいました。ごめんなさい。先生は気軽に引き受けてくださいました。
飲みながら会話を進めていると 
「空き缶も捨ててあげるよ」 
重ね重ねの心遣いを受け、感激の連続です。元気回復、意気揚々と八経ケ岳へと向かいました。
 ▲八経ヶ岳から弥山を振り返る
 ▲大峰山系北部の峰々
八経ケ岳(1915b)は、百名山大峰山の最高峰で近畿の最高地点でもあります。 八経ケ岳へへ向かって歩を進めていると、天満のSさんと八尾のシェフさんが道を譲ってくださいました。今回の山行で初めてのことです。普段から足の遅い私たちにとってびっくりするような出来事です。
丁重にお礼を言って八経ケ岳へ登り返していきます。コルからの登りは残雪が1bはあるかも知れない状態です。踏み跡に足を重ねながら歩いていきますが、体重の重さと荷物の重さで、ところどころゆるんでいてズボッ。立て直すのに苦労の連続。やっとの思いで八経ケ岳頂上を踏むことができました。
▲左から八尾のシェフさん・天満の澤森さん、静岡のイヴさん ▲静岡のハイカーさんに姫のアドレスを撮影して頂いている一コマです 
ここで素敵な出会いに遭遇することができました。先に着いていた静岡のイヴさんと天満のSさんがなんと生年月日が一緒だったのです。
どんなタイミングで話し合ったのかは解りません、たぶん
「お年はいくつですか」 「63です。22年のクリスマス・イヴ生まれです」
「え-。奇遇ですねぇ。僕も昭和22年12月24日生まれです。同じ生年月日の人に初めて出会いましたわ」 「僕も初めてです。そうですか。嬉しいですねえ。」
「どちらからお見えですか」 「私は静岡です」
「僕は大阪からです」 「この年になって嬉しいことですわ」
二人はガッチリ握手を交わし、めぐり合いを楽しんでおられました。
私達はひと足先に出発しました。荷物が重く合い言葉は「きついなぁ、重いなぁ」ばかりです。中途半端に「奥駈道に行こう」と言って通過できるコースでないことをひしひしと感じつつ、だからと言って中断することも出来ず、ひたすら熊野本宮大社目指すしかありません。
今夜は深山小屋まで行きたいのですが疲労が増してきており、手前にある楊枝ノ宿小屋を利用することにしました。
▲明星ヶ岳西面 ▲奥駈道は快適
▲舟ノ垰
▲迷い平 ▲五鈷峰
▲五鈷峰近くの悪場を通過中…天満の澤森さんに撮影していただきました
▲小屋直前の分岐 …ここを降りたら楊枝ノ宿小屋
 ▲今夜のお宿 楊枝ノ宿避難小屋  ▲偶然お目にかかりました 岳友・ヤマナカさんとはやしさん
楊枝ノ宿小屋に到着です。
「こんにちは!やっと到着しました。2人よろしく!」と声を掛けると「2階があいてますよ」との返事。また2階かぁ〜。そうなんです。先に到着した方達は2階に通じる垂直のハシゴを敬遠されるのです。
私達のヘルメット姿を見た方が「あっ!」と絶句されました。何とジョンの所属する山岳会の仲間が2人、食事の準備をされていました。「やあやあご機嫌さん」と挨拶を交わし、ひとまず2階へシュリンゲとカラビナを使いリュックを引っ張り上げました。2階には天満のSさんと八尾のシェフさんがいてレストラン並みの食材と酒肴品で祝杯をあげているところでした。その後、一人、二人と増え、最終は通路も使い2階は7人、1階は15人ほどが利用することとなりました。落ち着いたところで山岳会の林さん、山中さんとで奇遇な出会いを喜び、明日は一緒に釈迦岳に登ろうと言うことになりました。
 ▲姫 & JON ▲弥山小屋で八尾のシェフさんの武勇伝…さすが名シェフ
携行している醤油が少なかったため弥山小屋に調達に行った時のお話です。インターネットの情報ではあまり良い書き込みをされていない小屋のため、恐る恐る入って行ったようです。
「醤油をこれに一杯分けて頂けないでしょうか」
「いいですよ」 快く受け入れてくださり、差し出した醤油ビンを一杯にして返してくださったそうです
「おいくらですか」 いいですよ…の言葉を期待しながら尋ねると 「200円です」とのこと
わーよかった。偶然にも100円玉2枚握り締めていました。良かった。
弥山小屋で醤油を調達…シェフさん それはシェフとして立派な武勇伝ですよ。周りにいた人全員拍手喝采でした。 弥山小屋のご主人良い人なんや。
事件は夜に起こりました。
さあ寝ようかと言うことになり寝袋に入ると、月の輪熊の遠吠えの様なイビキが聞こえてくるではありませんか。
誘眠剤を飲んでも効果なし、もう辛抱の限界が来て、ヘッドライトを顔に当てて 「横を向いて寝て下さい!」 と3回もお願いし、身体を揺することとなりました。翌朝 「人間とは思えないイビキですね。貴方は小屋利用ではなく、テント利用の方がいいですよ」 と言うとスミマセンはなく
「やっぱり〜っ!」だって。後日談になりますが天満のSさんはこのイビキ男と50センチしか離れてなくて、夜中にイビキを録音されて本人に朝、聞かせて病院で治療が必要だとアドバイスをしたそうです。
第3日目 5月2日・月曜日 楊枝ノ宿小屋 泊
JONの一言
奥駈道は静かで良いのですが、行者還トンネル西口から弥山の間はツアーの参加者やハイカーが多く歩きにくかったです。こちらは登り向こうは下りの状態でも平気で突っ込んでくる人もいらっしゃいました。もう少し山を知ってマナーを守ってから入山してほしいですね。
 文:美智子姫  
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