正蓮寺の川施餓鬼
8月25日 宵せがき
8月25日の宵せがきは、台風15号の余波をうけて、あいにくの雨模様のなか営まれました
8月26日 川施餓鬼
施餓鬼(せがき)とは、餓鬼道(がきどう)にあって飢えと渇きに苦しむ餓鬼に飲食を施し、仏に供養することによって餓鬼を救済し、自身も長寿することを願う仏事をいい、特に川辺で死者の霊を弔う施餓鬼を川施餓鬼という。川辺や船を用いて行われ、施餓鬼法要の後に、水死者の法名を記した経木(きょうぎ)や供物(くもつ)などを川に流すもの。
正蓮寺は寛永2年(1625)に開創された。寺伝では川施餓鬼は第七世寂行院日解上人(じゃっこういんにっかいしょうにん)が享保6年(1721)に始めたと伝える。『摂津名所図会大成(せっつめいしょずえたいせい)』(安政年間=1854~60)には
例年七月廿六には、当地正蓮寺といふ日蓮宗の寺院に施餓鬼の法会ありて、浪花中より宗門の男女、船にて群集して、いたって賑わし。是を伝法の施餓鬼とて、天神祭に彷彿たる舟行の大紋日也。 とあり、天神祭とならぶ夏の大きな祭となっていたことが分かる。
正蓮寺 本堂
現行の行事は8月26日に行われる。午前10時から新盆会特別法要がはじまる。続いて唱題(しょうだい)行進が行われ、塔婆(とうば)・経木供養、法話・説教、稚児大法要・焼香、練供養(ねりくよう)、船渡御(ふなとぎょ)、経木流しの順に行事が進行する。
伝法・正連寺川施餓鬼参拝会の信者ご一行様のご到着 お出迎えの御上人様
伝法・正連寺川施餓鬼参拝会の信者ご一行様の本堂参拝
 川 施 餓 鬼 法 要
日蓮聖人立像が納められた、お神輿は庫から本堂前に移されます
日蓮聖人立像 僧正の読経に続き練供養(ねりくよう)、船渡御(ふなとぎょ)へと移っていきます
午後3時頃から練供養をして乗船場(新淀川閘門繋船場(こうもんけいせんじょう))へ向かいます。行列は先見(せんけん)、金棒(かなぼう)、旗幡(はた)、纏(まとい)、稚児、御輿(みこし)、大太鼓、僧侶、団扇太鼓(うちわたいこ)、檀信徒の順に進みます。
日蓮聖人(にちれんしょうにん)立像を納めた御輿には多数の経木も納められています。
 強風に煽られる玄題旗とそれを立て直す世話人衆
繋船場に到着したお神輿は鴻運丸へ船乗り込みです
船の舳先(へさき)で御導師が読経をしながら経木を流されます
玄題旗(げんだいき)と吹き流しを立てた船団は新淀川の中央まで進み、先頭の船の舳先(へさき)で導師が読経をしながら経木を流し、それに合わせて参列者が御題目を唱えながら経木を流されます。

かつて正蓮寺川で行われていた川施餓鬼では、川の中に五色の幣(へい)を付けた笹、塔婆を立てた棚が数多く設けられたようです。
笹と精霊棚(しょうりょうだな)の前を船渡御の船列が進むというもので、多くの見物の船が出て大いに賑わったようです。

精霊棚は、昭和18年(1943)以降失われたようです。
さらに、地盤沈下によって橋の下を船が運航できなくなったので、昭和42年(1967)から新淀川に移動して行事が行われ今日に至っています。
 僧侶による読経が続きます  参列者が御題目を唱えながら経木を流します
日蓮聖人が萬霊供養のため、川まで出向く行事の形式をとり、諸霊を送り出す経木流しが組み合わされた盆行事であり、かつてはいくつかの寺院で行われていましたが、現在では正蓮寺のみになっているようです。
水都大阪らしい行事の遺風を今日に伝えています。新淀川閘門を入り、乗船場に戻ると川施餓鬼は終わります
 此花にこの様な伝統ある行事が残っていて、しかも現在も受け継がれていることに此花区民として誇りに感じました。
(日本三大施餓鬼のひとつだそうです)。私はこの日、正蓮寺の奥邨お上人様の命により写真係を仰せつかりました。
写真:美智子姫●●