2016
●第1日目 7月21日(木曜日) 晴れ 大阪~遠山郷へ移動日
「あと4座・・・」考えてみればアクセスの難儀な南アルプスだけを残してしまいました。打ち上げ山行の「利尻岳」の予定も組みました。体力も年々落ちてきています。今年中に行っておきたいと焦りもあり、7月に「光岳・聖岳」、8月に「間ノ岳・塩見岳」、9月に利尻岳へのリベンジを以て日本百名山の目的を達成さそうと計画しました。人はみな「百名山終わったら死ぬで〜!」と、からかいます。この年にして目標を持てたことに幸せを感じます。2014年7月北海道の山々を一緒に登ったポッチーは病のため途中から見守り隊となり、留守番隊となりました。ポッチーの思いも担いで日本百名山達成したいと思います。6回のトレーニングを積み重ねてやっとこの日を迎えることができました。「歩けるだろうか?」の一抹の不安は残るものの、今迄96座を乗り越えてきたのだから大丈夫と自分自身の背中を押しました。利用する登山口への道が崩落して通行止めだとか入山禁止だとかの情報が入ってきましたが気永く観光協会へ問い合わせを続け「易老渡登山口」まで許可を得たタクシーが通過出来る事を知りました。いよいよ出発日を迎えようとした3日前に、同行予定のウッチー会長が怪我のため参加出来なくなると言うアクシデントに見舞われました。一時は落ち込みましたが「僕の分も頑張って!」と励まされ、出発日を迎えました。ウッチー会長は、毎日気象情報を送信しサポート隊をして下さいました。宇都宮チームとは「梨元ていしゃ場」の駐車場で合流することになっています。
午前7時、赤いホンダフィットで大阪を出発。早朝のため、まだ太陽は出ておらず暑さ知らずで快適に走行。名神高速「養老S・A」で運転交代。車窓から見上げる空には白い雲がポッカリと浮かんでいます。揖斐川、木曽川、長良川の三川を越え小牧ジャンクションで中央道に移行、恵那山トンネルをくぐり、飯田山本出口を出ました。日本百名山の中でも今回の聖岳・光岳は大阪から近いほうです。
外気温は29度、天竜川を渡り、JR飯田線の平岡駅に到着しました。ここで昼食です。信州名産のおばけの様な大きな「ていざ茄子」の定食です。旨いっ。
平岡駅、龍泉閣は南アルプス登山の基地です。マイカー利用でない方は、ここからタクシーで易老渡まで入ります
梨元ていしゃ場はひっそりとしていました。かつて活躍した森林軌道車も動体保存されていました
少し休憩して大鹿村方面を見学しようと車を北に向けて30分ほど走らせましたが、行けども、行けども谷間の道には町らしきものや店はなく住居がポツンと点在するほどでした。ほどほどに偵察をあきらめ、来た道を再び南へ走らせこん夜の車中泊の場所になる「梨元ていしゃ場」の前を通過して、遠山郷のスーパーで夕食用の買い物をしました。なぜか夕食の食材とは無関係の「とち餅」も混じっていました。(笑)
スーパーと目と鼻の先にある遠山郷「かぐらの湯」は定休日のため止む無くJR平岡駅に併設されている温泉に行きましたが「4時から」と看板がかかっており別の温泉を求めて彷徨いました。「おきよめの湯」が有ることを知り、行くことにしました。細くて曲がりくねった道を15分ほど走ると道は更に細くなり対向車と出合うとバックをしなくてはならないほどの道でした。苦労して探し求めた温泉「おもてなしの湯」は泉質もよく明日からのきつくて厳しい山行に効果がありそうな気がしました。入浴と夕食の買い物を済ませ車中泊予定地の「梨元ていしゃ場」まで戻ってくると1台の軽トラがやってきました。地元の老人会の方の様で、保存している古い機関車を見せてあげると鍵を開けてくれました。更に丁寧に説明までして頂きました。梨元ていしゃ場は1944年に運行開始した遠山森林鉄道の停車場が有ったところです。最盛期には総延長36.5キロの路線、機関車7両、貨車242両、人貨輸送車5両があったとの事です。1973年、トラック輸送に代えられて姿を消したようです。
 遠山川にかかるコンクリート橋
遠山郷のかくらの湯をはじめとする施設は、この日定休日のためひっそりとしていました
町おこしになればと地域の皆様の熱意で再び活気づき梨元ていしゃ場も賑わいを取り戻す日がやってくることを心から願っています。車内に1匹の蚊が舞い込み睡眠の邪魔をされてしまい、仕方がないのでタオルケットと枕を抱えバス停の建物に引っ越ししたりして、なかなか寝付かれない夜でした。ウトウトとした頃、話し声で目が覚めると宇都宮チームの到着でした。たしか午前2時を過ぎていたと思います。頑張って寝よう、4時半にはタクシーが到着します。
文:美智子姫