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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 
75. 一ノ瀬王子ー76. 鮎川王子
タイム
田辺駅10:00⇒(タクシーで闘鶏神社に立ち寄り稲葉根王子)11:17⇒ 興禅寺(だるま寺)12:17-12:28⇒一ノ瀬王子13:05⇒. 鮎川王子14:11
⇒山の家・夢木楽17:10(宿泊)
▲紀勢本線・紀伊田辺駅 田辺は植芝盛平生誕の地です ▲武蔵坊弁慶の立像
始発電車に近い時間の西九条発の午前6時30分和歌山行に乗りました。ウッチー会長は前回と同じく新今宮に前夜泊です。新今宮駅から他のメンバーが乗り込み合流です。2泊3日の装備ですので少々リュックが重たそうです。和歌山駅で、きのくに線に乗り換え紀伊田辺駅に到着したのが午前10時。駅前に停まるタクシーに乗りました。途中にある闘鶏神社に立ち寄って貰いました。『闘鶏神社源平合戦の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。』
再びタクシーに乗り前回のゴール地点の稲葉根王子に向かいました。ここからスタートし最終ゴールの熊野本宮へ向かいます。
▲闘鶏神社
稲葉根公園にある古木のモニュメントを撮影し、昼食を済ませて「いざ出陣」です。富田川の川岸には水垢離場(みずごりば)跡があったそうです。熊野九十九王子のうちでも格式の高い稲葉根王子の水垢離場から見る麦粉森の朝日は、古戦場や棚田、日本一大きい白いだるま坐像や町の人々の暮らしを照らす幸せの夜明けと言われ「和歌山県朝日夕陽百選」のモニュメントもあり道路の上から眺めながら夕日を想像して通過しました。
   
 ▲稲葉根王子公園で早めの昼食を摂り滝尻に向けて出発です
▲増水時は水流の中に潜り、流されないように設計されている「潜水橋」です
▲柳谷弘法大師
土手沿いに進み、道標に従って冨田川沿いを下り潜水橋(畑山橋)を渡りました。川が増水すると川に沈んで通れなくなる橋です。高知県四万十市では「沈下橋」として有名です。あちこちに点在するため池を見ながら、1時間ほどで興禅寺(別名だるま寺)に到着しました。
『興禅寺は、臨済宗妙心寺派に属する寺院で、聖観世音菩薩立像<町指定文化財>をはじめ、興禅寺文書と呼ばれる古文書類が百点余りあり、この他多くの町指定文化財を有しています。庭園も回遊式ですばらしく、境内隣接地には1973年に建立された日本一の白いだるま座像があり、別名「だるま寺」と呼ばれています』
▲水琴窟 ▲円形門
目の前にだるま像の後ろ姿が飛び込んできて端正に手入れされた立派な興禅寺の境内を散策しました。境内には水琴窟があるはずなのですが見当たりません。寺の関係者を見つけ水琴窟はどこにあるのかと聞くと案内してくれました。探しても見つかるはずがありません。建物の中に有ったのです。登山靴を脱ぎ、しばし水琴窟の癒しの音色を聞きながら心清くなった気分でした。
干支のお地蔵さま
 午  未  申 酉   戌
▲興禅寺 (だるま寺) 
▲ここも紀伊山地の霊場と参詣道に列記された熊野古道です…地元の方達が整備をされていました。
興禅寺を出ると、畦道を通りわずかな時間で大きな楠の下の小さな社の75番「一ノ瀬王子」に到着しました。

▲75番 一ノ瀬王子
▲富田川に架かる加茂橋を渡る ▲地主神社
   ▲平賀三郎の墓と千人供養塔  ▲花折地藏尊
76番 鮎川王子 ▲ひとやすみ
▲住吉神社とオガタマの木
太陽が反射して富田川の川底がとてもまぶしく美しい。しばらく行くと庚申塔がありました。いくつもの橋を渡り76番「鮎川王子」跡に到着です。休憩所もあったので衣類調整と、しばしの休憩を取りました。歩いてきた道に戻り目新しい大塔村製の熊野古道の道標を発見しました。田辺市から大塔村にバトンタッチしたことが一目でわかります。
  道標に誘われるように歩いて行くと神社らしい森が見えてきて、住吉神社に到着です。ここには鮎川王子が合祀されているとの事なのでお参りして行くことにしました。住吉神社本殿の脇に鮎川王子の社がありました。坂を上って行くと潜水橋が見えました。増水時は橋の上を水が越しますので通行不能になります。
▲御所平
集落を抜けて行くと、「御所平」です。後白河法皇の頓宮(仮の御所)があったそうです。薬師堂もすぐそばにありました。ここで宿泊先から電話がかかり「いまどこを歩いていますか?」と問い合わせがありました。目印になる「御所平」を伝えると迎えに来てくれると言います。ラッキーっ!(と言うのも宿は、かなり熊野古道から離れているのです)もとに戻り川沿いに歩いて行くと藤原定家の歌碑と大塔村村長の石碑がありました。
▲お薬師さんと庚申さん
道行く先々にイタドリ(和歌山ではゴンパチ)が採りごろとなっており、すかさず頂きながら歩きました。
▲のごし橋橋畔 藤原定家の歌碑
▲いよいよ2016年に世界遺産追加登録された 『北郡越え』 に入っていきます
舗装道路から、いきなり富田川の崖を歩くような道になり、途中に道祖神と庚申塚の祠がありました。ここからは、かなり険しい道になってきました。対岸に見える集落は鮎川温泉、念仏淵の説明文もありました。念仏淵とは『後白河法皇が持病の頭痛で困っていた時、夢枕に熊野の神があらわれ、前世のどくろが富田川に沈んでいてどくろに松の根が入り、水の流れに松の根が揺れてそのたびに法皇の頭が痛むので供養するようおつげがあった。富田川を探すとどくろがみつかり、祈祷するとすっかり頭痛は治った。それ以降どくろがみつかった淵で熊野詣での人々が念仏を唱えると仏(ふつ)仏(ふつ)と淵の底から仏様の名が聞こえてくることから念仏淵の名前がついた』・・・ということです。
川沿いの壁の道を行くと沢にかかる橋もありオオウナギ生息地域指定限界の碑がたっていました。日本では数少ないダムの無い河川として知られる「富田川(とんだがわ)」には、全長2メートル、体重20kgにも達する「オオウナギ」が棲むという伝説めいた話があります。
▲ここで  『北郡越え』 は終了です
 ここから九十九折れの急な登りとなり、峠に着くと石仏鎮座していました。峠からは富田川の流れが見え赤い吊り橋が見えています。いまから清姫の墓に向かいます。熊野古道らしい風景に満足しながら歩を進めていきました。近くに感じていた吊り橋までは結構な距離があり、歩くたびに揺れてスリル満点でした。
▲中地地区の氏神様 ▲北郡吊橋
▲北郡吊橋 ▲北郡吊橋
吊橋を渡り石段を上ると清姫の墓があり清姫堂もありました。 
▲清姫の墓所 ▲清姫の里の伝説
清姫の墓『鐘の中に隠れた修行僧安珍を大蛇になった清姫が恋の炎で焼き殺してしまう、女の情念の凄さを語った「娘道成寺」の主人公清姫は、熊野街道の宿場町真砂の庄司の娘。たまたま泊った旅の修行僧安珍に恋をしてしまったが、安珍は修行の身を理由に清姫から逃げる。その結果がこの恐ろしい物語。でも、土地の人たちは清姫をそんな恐ろしい女に仕立ててはいない。男にだまされて身を投げて死んだかわいそうな娘だという。姫がよく泳いでいた清姫淵のそばに石塔と板碑がある』
▲清姫茶屋 ▲滝尻へ急ぎます
国道を歩いているとハザードランプを点滅させながら走って来る車を見つけました。宿からのお迎えの車です。一度に5人乗れませんので男性に先に乗って貰い女性たちはゴンパチ採りをしながらトンネルの手前で折り返して来た車に乗り、山の家・夢木楽に午後17時10分到着です。
▲今夜のお宿は 鍛冶屋川口からほど近い 『夢木楽』さん です
お風呂に入り鍋料理を突っつきながら熊野の語り部だと言う主から「熊野まんだら」の説明をして頂きました。
夕食の後は昼間歩きながら収穫した『ゴンパチ』の皮むきです。宿のご主人のおっしゃるには世界遺産の中でも山菜の収穫は大丈夫だそうです。ゴンパチもOKとのことでした。ゴンパチは夏になったら枯れ木になって美観を損ないますからね。
 MEMO  
天王寺から紀伊田辺2590円
紀伊田辺駅から稲葉根王子までタクシー4020円(ひとり804円)
夢木楽(宿泊)7000円(朝食付き宿泊=4500円、入浴=500円、夕食=1500円、弁当=500円)
 文:美智子姫  
 
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