「遅ればせの初歩きin中山最高峰」
昨年の初歩きは熊野古道のスタートでした。熊野古道シリーズ25回、大阪あそ歩シリーズ18回とよく歩いたものです。しかし今年はボランティア事務所への仕事も増え、毎日の様に会議、会議、その合間を縫って互礼会・・・松の内が開けた13日、やっとのことで初歩きの日程確保~!突然のお誘いに仲間の皆様からは「用事あり~」無理もありません。ポッチーが「わしも行こうかなぁ」って・・・そりゃ冗談でしょ!つい先日、骨髄移植を終えたばかりなのに!「元気になったかも知れない」と言う気持ちは、よ~くわかるのですがお留守番を頼んででかけました。
中山最高峰は、標高478mの山でハイカーでも簡単に登ることができます。中山寺は聖徳太子が建立した日本最初の観音霊場で産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めました。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされています。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として全国に知られています。山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれています。
中山寺駅から中山観音さんへ向かう途中、住宅の庭に置かれていた「つくばい」の水が凍っていました…寒ぶッ!
正月3ケ日も済み、成人式も済んだこの日の境内は静かです。時折リュックを背負った人たちがポツリポツリと登山口にむかって歩いていく姿が見受けられます。本殿の前で家内安全、無病息災を願って手を合わせました。世の中の妊婦さんがどうぞ無事に出産を終えられますように、そして産んだ以上は大切に育てて欲しいと願いました。
2~3日前の寒波の影響で標高478mと言えども、ひょっとして凍結しているかも知れないと軽アイゼンを携行し「沢コース」に入りました。沢コースは岩場や細い道があり危険ではありますが、変化に富んでいるので、お気に入りのコースです。ツツジの頃は東尾根コースと決めています。

参拝を終えて境内を抜け、「 おくのいん坂」の道標を過ぎ、梅林の中を通過しますが蕾も硬く、春はまだ遠そうです。右に東尾根、左はシンボル広場となっており今回は左のシンボル広場を取り、「沢コース」を行くことにして小さな橋を渡りました
 卜部左近のお墓
この五輪の塔は卜部左近のお墓です。左近は慶長・元和の頃(1596年~1623年)、播州三木の儒学者でした。信仰心熱き左近は一家を上げて33ケ所観音霊場を巡拝することを決意し、元和2年(1616年)に中山寺に詣でました。旧暦の7月9日新暦では8月9日の夜半のことです。左近は、本堂参篭中に、西国三十三箇所の観音がここに集まり、当山ご本尊・中山観音が金の鍵をもって、極楽浄土の門の扉を開くのを見るという奇端に出会いました。目の当たりに極楽浄土を拝観できた左近は、中山観音が極楽の鍵をお持ちであるということとその功徳力に心打たれ、この地に草庵を結びました。左近は家族とともにこの地に永住して、寛永十一年七月十五日、七十七歳で極楽往生を遂げたと伝えられています。

ご詠歌に
極楽の東門開く 観世音 われを忘れて たのみこそすれ
木製地水ダム
しばらく歩くと見覚えのある木製地水ダムがお目見えしました。木製地水ダムとは
①コンクリートや鉄などの限りある資源の節約をします。
②二酸化炭素を長期間保存して地球温暖化を防止します。
③荒廃していた森林が間伐されてよみがえります。
④水辺の生物の生きる環境を保存します。
至る所に大小さまざまな木製地水ダムが設置されています。ところどころ雪が残り池には氷が張っていました。「石を投げて!」凍っている瞬間をカメラに収めたいらしいのですが池まで石が届きません。「女の子だもん・・・投げられない」と降参しました。太陽が当たって輝いているところはアイスバーンとなっています。
ジョンが「腹減った~休憩しようか?」と言ったので陽だまりを見つけておむすび1個を頬張りました。後ろから何人か追い抜いて行きましたが、水の流れや奇岩を見つけたり噴水の様な岩場を見つけたり、滝もどきを見つけたりと楽しみながら歩いておられるのでしょうか。脇目も振らずに急ぎ足で通過していかれるので勿体ないなぁ。
アイゼンを装着するほどではないため正しい山歩きのステップを踏み合流点に到着しました。合流点直前のきつくて長い木製の階段は凍結していました。思わずお助け
ロープを掴んだほどでした。下りに使うと、とても危険です(私達は清荒神に抜けるので、往路には使用しません)
正午前には、中山最高峰に到着です。頂上には高齢者グループが昼食を取っていました。三角点にビニールを敷き、腰かけている人がいたので写真撮影をするため移動してもらいました。三角点に座るなんて登山者とも思えません。リーダーさんはしっかりマナーを教えて下さいね。(心の声)

三角点で「デンの記撮影」を終え、昼食は奥の院で取ることにして、もと来た道を合流点まで引き返しました。アイスバーンで怖くて、真ん中を避けて、草の生えた片隅ばかりを選んで歩きました。凍るなら凍る、積雪なら積雪とハッキリして貰った方が歩きやすいのですが・・・誰に言えばいいのでしょうか(笑)
中山寺奥の院
合流点から奥の院へと下りました。奥の院までの道もアイスバーンでとても神経を使いながら歩くので、ふくらはぎがパンパンに張っていました。奥の院到着後はお賽銭を入れてそれぞれがお願い事をしました。それから残りのおにぎりを頬張り、しばし休憩です。

奥の院には「大悲水」と呼ばれる湧水があり、大岩・白鳥石の下から湧出していることから別名「白鳥石の水」とも呼ばれています。「生水で飲用は不可」との立て札がありますが、奥の院へ訪れる参拝者やハイカーはここでのどを潤して行くらしいです。(湧水は、ここが湧出点の湧水のようです)
自然が見せる「氷のアート」です
あとは、ひたすら清荒神さんの参道へ向けて歩きます。奥の院から開拓された広い道をしばらく歩いて行くと「清荒神はこちら」と看板が出てきました。再び山道に入り岩のゴロゴロした道を下り墓所が見えてきました。「登山者のトイレ禁止」と書いてある墓所です。墓所を過ぎると清荒神の駐車場が見えてきました。「ト・ト・トイレ行きたい!」と駐車場のトイレに駆け込みました。まずはトイレを済ませ清荒神さんへの屋台の続く道を下見をしながら歩きます。ここには姫の大好きな「岩納豆」があるはずです。
がれ場を下るとハイキング道も終わりです。ここから清荒神さんへの参道に入っていきます
清荒神さんにもお賽銭をはずみ、帰り道「山クラゲ・切り干し大根、干し芋」などの買い物をしてお目当ての岩納豆屋の前に到着しました。4~5人の客が帰るのを待って交渉開始「おっちゃん黒い豆ばっかりの豆板選んでくれるの?」小さい声で聞いてみました。するとおっちゃんは「お客さんの要望には応えますよ~」と太っ腹の答えで本来はダメだと思うのですが交渉成立しました。買いましたよ~!嬉しいねっ!あとは清荒神駅から阪急・梅田に出て帰宅しました。
「これで熊野古道大辺路歩く自信できたど~!」  はて、さて・・いつから歩くのでしょうか?
 姫の感想
いやぁ去年、網笠山登ったきりで平地ばかり歩いていて久しぶりの山歩き大丈夫かなと思いましたが・・・何とかジョンも私も大丈夫でした。これで自信が取り戻せた気がします。それにしてもみなさん山歩きの速度が平地と同じ速度なのでびっくりします。とても私達は速度に追いつけません。そんなに急いでどうするのでしょうかね。登山は山小屋に到着する時間を決めたらその時間までを有効に使って、あわてず、急がず、景色を楽しみ、風を感じ、写真を撮ったり撮られたりと楽しみたいものです。大好きな岩納豆がゲット出来て嬉しいです。だぁいすき~!
 文:美智子姫 
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう