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『ここは大阪・泉南市の 熊野街道 信達宿(しんだちしゅく)その昔、大坂・天満橋から熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に通じる熊野街道の宿場町でした。 その前は紀伊に通ずる南海道と呼ばれていました。九百年前ごろから甦りの地「熊野詣」が盛んになりました。京から大坂を経て白河上皇以後
歴代上皇・法皇の熊野参詣の宿舎(御所)が置かれ、信達郷御所村とも呼ばれていました。泉南市内には熊野九十九王子のうち、厩戸王子・信達王子・長岡王子がありました。江戸時代には紀州街道と呼ばれ、紀州公が参勤交代で江戸に向かった折の最初の宿場でした。 街道には本陣跡があり、徳川吉宗公の遺品等が今も保存されています。梶本家も屋号を”油新”といい、江戸時代には旅籠をしながら油類を商っていました。
当家先代の梶本昌弘さんが、丹精込めて育てた1本の野田藤(樹齢42年)が四方八方に蔓を伸ばし、花房4万を超えるほどになりました』 |
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