[1463] 【1477回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズその@)】 2008-03-06 (Thu)

夏山を「白山」と決めました。決めたって言ったかて、私ひとりの好みで決めたわけではありません。民主主義の世の中ですから多数決というか満場一致で決めました。旅は「決めた」時から始まりだと思っています。白山がどんな山なのか、高山植物はどんな花が咲いているのでしょうか。動物達はどんな動物がいるのでしょうか。夏の気温は何度なのか、それによって持参する荷物がかわります。そんなわけで本日より「白山シリーズ」をお届けすることにしました。みなさまと一緒に白山の旅にいざ出発で〜す。

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズその@)
富士山、立山と並び「日本の三名山」に名前を連ねる白山(はくさん)は「越のしらやま」「越のしらね」と呼び親しまれていました。北陸は、かっては「越の国」でありそこにそびえる白き山という意味です。

もみぢ葉もましろに霜のおける朝は 越のしらねぞ思ひやらるる

これは和泉式部の和歌ですが、霜の白さから白山を想い起こしたという歌だそうです。白山は1年の大半を通じて雪をいただく姿を眺められる山。標高は2702bで本州には富士山をはじめ3000bを越える山が沢山あるにもかかわらず、そのほとんどが白山より積雪量が少ないのです。

それは白山が日本海に近いところに位置していることが大きな要因となっています。西高東低の気圧配置によって大陸で発生した冷たい季節風は、日本海を渡るとき、冬でも暖かい対馬海流の上空で熱と水蒸気をたっぷりもらい、上昇気流を発生しながら日本列島に向かいます。この季節風はまともに白山にぶつかることでさらに上昇し、水分のほとんどが上空で冷やされ氷結し、白山に大量の雪を降らせます。室堂付近での積雪は7〜8bといわれています。



[1462] 【1476回 ひな祭りと吉報】 2008-03-03 (Mon)

3月3日の今日はひな祭りですが昔は旧暦の4月におこなっていたそうです。3月に桃が咲くには、ちと早すぎますものね。菱餅の色は上から桃色、白、緑となっておりそれぞれに意味があります。

菱餅には薬功があり、ピンクの桃の花には便秘、みどりは母子草を使い咳止め効果、白の菱の実には整腸剤の効き目があったそうです。3月3日には桃の花が咲いていなくて桜の花びら(塩漬け)を代用していたそうです。

またおひなさま飾りをお母さんと一緒に出したり、しまったりすることでガラス越の見るだけよりもさわる方が母性本能を育む効果があるそうです。子供の成長に合わせて、せっかく買ってあげても「めんどくさい」と出さないでいると母性本能が欠如するかもしれません。めんどうがらず飾ってあげてくださいね。

今日は公立高校の合格発表の日、姪の子のトモちゃんも無事合格。それから私のボーイフレンドも「さくや此花高校」の第一期生となりました。み〜ん〜なおめでとう!。春はいい知らせが舞い込んでいいねえ〜


[1461] 【1475回 ダイヤモンドトレールの下見第2弾】 2008-03-02 (Sun)

(ポチの座頭市ウオーク)
ダイヤモンドトレール(通称ダイトレ)の第2弾の下見です。この間の続きで平石峠から水越峠へ向かうべく1日にたった1便しかないバス9時50分発に乗るために近鉄富田林駅にいきました。ところが、ところがです。出発前に金剛自動車というバス会社に電話をして調査したにもかかわらず8時50分発だったことが判明しました。もうバスはありません。肩の力が抜け調査不足であったことを反省しましたが、あれほど「休日ダイヤを教えて」と確認したのに平日ダイヤを教えてくれたようです。腹立たしく思いつつも「あとのまつり」

目の前に「水越峠行き」のバスが出発間近で停まっています。「よっしゃコースを変えよう!いずれ下見をするんだから順番が変わってもいい」との師匠の判断で第3番目のコースの下見をすることとなりました。午前9時50分発で30分ほどバスに揺られると水越峠終点です。

金剛山を登山をする人達のマイカーがバスの行く手を遮ります。狭い道路にもかかわらず違法駐車の列で思うようにバスが走れません。(駐禁のおっちゃん、ここに来たら稼げるぜ)登山道入り口らしい道に下見のシールを貼らしてもらい前進します。時間が10時30分ということもあって下山してくる人達も沢山います。みんな手にアイゼンを持っています。やはりアイゼンがいるのか?

登山道に入ってまもなく雪道にさしかかりました。リュックからアイゼン出しかけると、師匠が「何しとーんねん?」とけげんな顔。「いやいや凍結しているからアイゼンを装着するんやんか」「あかん。今日はアイゼンをはかずに雪の中を歩くトレーニングをする。アイゼンは使わんと行こう」と言います。前回の教訓でストツクは持参していましたのでストックを使い、ポチをトップに歩いてもらうことにしました。

出発してしばらくすると「座頭市が登山をしているような格好」でヘッピリ腰のポチの後ろ姿がおかしくて大笑いをしていると下山してきた、登山は素人っぽい老人が「アイゼン履いていても滑るで〜」とジロジロと我々の足元を見て通り過ぎていきました。アイゼン履いてても滑るのに、お前らはアイゼンも履かんとアホかと言わんばかりの言い方です。アイゼンを履かずに急な階段を登ります。
「靴の内側を蹴るように、インサイドステップで登るように12本爪アイゼンのトレーニングをしたんやからこのくらいの道は大丈夫。恐わがらんと行け」
「前爪を2本で歩く様な気持ちでフロントを蹴りこんで登れ」
「ここでは靴底全面を押し付けつてフラットフィッティングで」
と指導してもらいながら進みます。なんとか転倒することなく、だんだん慣れてスムーズに登れるようになりました。

金剛山到着までの道はすべて雪と氷で、真剣に一歩一歩進むため全身が汗びっしょりです。あまりの真剣さに、距離も疲れも気にならず、いつになく真剣に50分進み、5分休憩を繰り返しながら登りました。12時30分には頂上の分岐点に到着しました。昼食をとりロープウエイ駅前を通過すると子供連れのソリ遊びを楽しむ人達で大にぎわい。ソリ遊びにはもってこいの場所です。

下りは登り以上に滑りやすく危険も伴います。座頭市も真剣に「おっと」とか「うわーっ」とか叫びながら下っています。「黙って降りろっ!」師匠の檄が飛びます。50分進んで5分休憩を繰り返している間に、はるか向こうに雪景色の大峰山が見えました。眼下の川も美しいラインを醸し出しています。紀ノ川でしょうか。今日のゴールは「久留野峠」なんですが時間も早く体力も余裕があるため、千早峠まで延長することにしました。南の斜面は雪は少ないのですが溶けて余呉湖のドロ道を再現したような悪路となりました。

千早峠にゴールしたのは2時45分。それからさらに45分かけてバス乗り場まで歩きます。丁度クールダウンに最適です(ちょっと強がりかな。本音はまだ歩くんかいな〜)3時40分のバスに乗ることができました。不思議なことに第1弾の下見の様な疲れはありません。きっと雪が私達に夢を与えてくれたのだと思います。今日が土曜日なら、明日はソリを持ってもう一度いきたい気持ちです。(残念ながら明日は月曜日じゃ)予定のコースではなかったとは言え金剛山の雪景色に出会えて素敵な休日を過ごすことができました。

今日のコースを皆様とご一緒する時は6月になると思います。もうアイゼンは必要ないと思いますが、いかなる環境に遭遇しようとも、それに対応することができると山歩きも楽しいものだと体感しました。

まもなくスケジュール表完成です。乞うご期待!!


[1460] 【1474回 白内障の検眼】 2008-03-01 (Sat)

上司が残りの右目の手術を終え、仮退院の許可がおりたため病院へ迎えに行きました。帰りに野田阪神にあるメガネ屋に立ち寄り「仮メガネ」を作ると言うのです。3日ほど前に上司の依頼を受けて3月4日に退院して視力の落ち着くまでの2〜3ケ月までの間、仮メガネを作るとしたら何日でできあがるのかと質問していたのです。1日もメガネ無しでは生活できないそうです。

「お電話をしていた者ですが」とメガネ屋に行くと「あ〜先日お電話を頂いた姫様ですね。3月4日のご退院ではなかったのですか」と電話をしたことを覚えてくれていました。(感心、感心)検眼を終え、お店の方は「2〜3ケ月経つと視力が安定し、今の度数では合わなくなりますので2〜3000円ほどの安物にしておいてはどうですか」とこれもまた親切な対応。

何でも高価な品を売らんかなの商売が多い中で親切な対応に感心しました。商売とはこうあるべきだと上司に話すと「うんうん」と満足げな返事。いままで牛乳瓶の底のような度のきついレンズ(片目5万円×2とフレーム3万円)のメガネを買っていたので安いメガネを勧めるスタッフの対応に驚きが隠せない様子でした。

「視力が安定したら正式のメガネを買いに必ず伺いますから」とお礼を言い、自宅前まで送り届けました。大切な休日を費やしましたがメガネ屋のスタツフのおかげで何かとてもいい勉強をして「得」をした気分です。


[1459] 【1473回 近所からのSOS】 2008-02-29 (Fri)

近所のたこ焼き屋(「あほや」とちゃうで〜)の息子がガラスの破片が足にささったと大騒ぎをしているところに遭遇しました。子供達だけで留守番をしていて11才の兄と8才の弟が兄弟げんかとなり、弟が兄に対して「回し蹴り」の技をかけることになったそうです。この子達は兄弟そろって空手を習っており、どうも空手の技を喧嘩に流用したらしいのです。

兄は弟の回し蹴りをとっさに避けたため弟はドアのガラスに足を直撃してガラスがささったのです。母親がかけつけた時は足にガラスがささったままで出血も止まらず救急車を呼びました。ところが、これまた救急車の受け入れ先に1時間以上もかかり、やっと○○病院に搬送されました。全身麻酔ののち午前2時までかかり手術が終わったそうです。

しかし小さなガラスの破片がまだ残っているために翌日、再手術が必要との医師の言葉に、昨夜の苦しむ我が子の姿を思い出し「小さな破片の入ったままでいいです」と言ったとのこと。子供の体内はガラスの破片を「異物」と筋肉が認知し肉をかぶせる仕組みになっているとか・・・本当かなぁ?

私の息子も小さいとき、夏休みや冬休みには、よく兄弟げんかをして弟の方が泣きじゃくりながら会社に電話をしてきていました。会社の誰もいない部屋へ移動し「お兄ちゃんに電話を替わりなさい!」とお説教したり、また弟の方に電話をしてなだめたりしたことを思い出しました。働きながら子育てをすることがいかに大変だったか、若かったから出来たのでしょうね。医者に駆け込むような喧嘩やけがはありませんでしたが「手加減」ということをこの頃の子供は知らないようです。ガキ大将が君臨していた頃は「いじめ」も無かったように記憶しています。


[1458] 【1472回 人恋しい老婆】 2008-02-27 (Wed)

老婆と言うても決して私のことではありません。屯鶴峰にいく時の近鉄電車準急に乗った時のことです。急行待ちで長く電車が止まっていたとき、向かいに80歳を過ぎたであろうおばあちやんが乗ってきました。食用油の大瓶と野菜の入った買い物袋を重そうにさげていました。私の番犬たちは見て見ぬふりをしていましたが、私が「おばあちゃん重そうな荷物やねぇ」と声をかけた途端、矢継ぎ早に話しかけてきました。「あんたらどこに行くのか?葛城山か?名札ついてるけどどこかで待ち合わせか?など堰を切ったように話しかけてきました。

あ〜あこのおばあちゃん寂しいんやなぁと下車するまで話し相手をさせてもらいましたが一人暮らしなのかなぁ。嫁とうまいこといってるのんかなぁ(大きなお世話やな)

定年になったら近所の老人憩いの家を警察の人と回って交通安全の話をする仕事引き受けようかな。そしてみんなで唱歌を歌って楽しいかも知れませんね。電車の中でおばあちゃんにヒントをもらった様でうれしかったです。いつか自分も通る道・・・・住み心地の良い地域にしとかなくっちゃあと思ったりもします。ポチの父が転倒して大腿骨を骨折したとき医者が「完治までの3ケ月、入院している間にボケるよ」と言われました。ポチの父は入院後アッというまに骨折とは別の原因で他界してしまいました。私が10年で体験したウオークが老人の「段差でこける」ことを防止できるのであれば喜んでお手伝いがしたいと思っています。鼻歌を歌いながら、足を高くあげて段差を意識して楽しく歩くって素敵だしょ?


[1457] 【1471回 マスク美人】 2008-02-26 (Tue)

自分の事を「美人」って言っちゃあ笑われるかも知れません。ハハハ。じつは私、昨日から風邪引いて、鼻ズルズル、咳コンコンで毎日業務連絡のために、入院中の上司の病院に通うのに支障をきたすためマスクを買いました。マスクをして鏡を覗くと顔が半分隠れてしまうためか、何かキュートな自分が鏡の向こうにいます。「あ〜ぁ顔を半分隠せばまだいけるじゃん」そんな独り言を言いながら、この光景、子供の時に見たよなあと思い出しました。

7歳年上の姉の授業が終わるまで姉の教室の前で待って一緒に1時間以上かけて家に帰るのです。「まだかなぁ、まだ終わらないのかなあ」とつま先立ちして、教室のガラスに顔をすり寄せて姉を探します。すると姉の同級生が「おい!フクロウがきちょるぞ!」と姉に教えてくれるのです。目だけ左右に動かせてギョロギョロするので、いつの間にか私のあだ名は「フクロウ」だったのですね。

学校が終わり家路に向けて帰るのですが7歳も小さい私のことなんか眼中になく、友達と勢いよく走ったりしながら帰る姉の姿を見失うまいと必死で後を追います。山里歩きでポチが最近トツプを歩かすと後ろを振り向かずおかまいなしに歩く姿によく似ています。後ろを歩く人への配慮が足りない。幼い妹への配慮が足りない、どうも姉とポチは「おなじ穴のムジナ」の様です。

母親に「お姉ちゃんは私を置いて走って帰った」ことをチクリ、姉を叱る母の後ろでアカンベーしていたこともありました。マスクの中の自分の後ろにフクロウの自分が重なって見えました。でもマスクって苦しいね。看護師さんて一日中マスクしてえらいね。酸素の不足した金魚みたいに苦しいよ〜


[1456] 【1470回 皆様をお誘いするための準備】 2008-02-24 (Sun)

かねてより行ってみたいと思っていた「屯鶴峰」へ出かけました。印象がよかったら師匠に取り入れてもらい、皆様をご案内したい・・・そんな気持ちから。

「守口線が雪で閉鎖」のニュースを聞き外を覗きました。雪です。サンルームからお向かいの屋根を見ると真っ白に雪が積もっています。でもお弁当もできたし、とにかく出かけようと師匠のケツ(はしたな〜)をたたきました。俗に言う「下見」なので皆様への声かけはせず本番を楽しみにしていただきたいと思います。

ダイヤモンドトレイルと銘打って、街の観光協会が大々的に宣伝をしています。まずは屯鶴峰からスタートをします。ところが登山口がわからず1時間以上もロスをしてしまいました。やっと登山口を見つけ軌道修正することができました。登山道をしばらく歩くと最初の目的地「屯鶴峰」がドーンと目の前に現れます。圧巻です。さながら六甲山の「蓬莱峡」を連想。岩場を利用して初心者のロッククライミングの練習をしているグループもいました「初★心★者★でしたハイ」

屯鶴峰を下りると僅かな時間でダイヤモンドトレール北口に到着。ここから二上山雌岳のコルをめがけてまっしぐらです。お昼前コルに到着。昼食後二上山の茶店にたちより「力餅」や「きなこ餅」「甘酒」を頂き岩橋山へと向かいます。ここからは昨年の夏「槍ヶ岳」に向けてのトレーニングで歩いたコースですが季節がかわると違った景色を楽しむことができました。途中、ポチがハーハーゼーゼー言い出したので楽々コースを急遽作り、平石峠から平石バス停へ近道を下山させることにしました。私達は予定通り岩橋山めがけて急登します。何故ここに時間を書くかといいますと、平石発から富田林行、1日にたった1便のバスの時刻が15時45分なんです。

岩橋山へ向かう登山道は、ところどころ雪が残りアイスバーンになっていました。アイゼンは持参していましたが時間が押し迫っていることと、大丈夫だろうとの判断で慎重に一歩一歩進みます。14時40分岩橋山です。登りの階段が氷結していたため思わぬ時間を食ってしまいました。岩橋山の頂上で水分補給をしてあとは一気に下ります。岩橋のコル14時50分。ダイヤモンドトレールを右に折れ、あとは平石めがけて急ぐのみです。あのバスに乗り遅れたら8キロメートルの道のりを富田林まで徒歩となります(トホホで済む話ではありません)

ポチから「平石バス停到着」のメールが入ります。ポチはすでにバス停に到着している模様です。ここで二人は重大なミスを犯してしまいました。林道に下りたところが右も左も同じように下がっています。右側は道がまた登っていくように見えます。「ここは左や」左側に進みます。そして5分後道は急に上り始めます。間違いでした。「あそこは右やったんや」急いで引き返さなければなりません。「もうあかん!8キロ歩こう」そう決めて軌道修正しましたが何とかバスに乗りたいのです。丁度、関西電力の送電線監視の車が来てバス停までの時間を訪ねましたら「それは無理でしょう」と言われました。「うちの家、お宅の電気使ったってるお客さんやで。バス停まで送って」とは、さすがの私も言えませんでした。

無理を無理でなくするのが我々だとお互いが慰め合い、走って走って走り抜きました。あと5分しかありません。やっと民家が見えてきたのでポチに「バスを停めておいて!もうすぐ着くから!」と頼みましたが当てになりません。多分時間が来れば発車するでしょう。集落に入って、遠くで手を振るポチの姿を確認したのが2分前。もうバスはエンジンをかけて待っています。やっとのことで乗り込み思わず私は「発車オーライ!」と大声をだしてしまいました。運転手さんがミラー越しに笑っています。

そうや富田林は忠太郎の家の近所や、呼び出そうとバスの中から電話をしました「6時まで仕事」だそうです。ほんまかうそかわかりませんが師匠は「うそや!かわいい彼女と一緒だ」だと言いました。ポチも「うそや」と言い切りました。私は忠太郎を信じたいと思います(しゃあけどゴルフ場は雪でクローズとちゃうのかな?)


[1455] 【1469回 春一番が吹いたよ】 2008-02-23 (Sat)

春一番が吹きました。スーパーの前に停めている自転車が将棋倒しの様にバタバタと倒れています。みぞれでしょうか風に混じって斜めに降り注いできます。近くにあるスーパーが2月25日付けで閉店するので(福島区のコーナンに隣接する阪急オアシス)何でも1割引というチラシを見て買い物に出かけました。店内には新しい品物はなく「在庫処分」の札があちこちにかかっています。最終の25日は「2割引」らしいですよ!(ローカルニュースでごめんね)

2月21日に白内障の手術を済ませた上司が仮出所(ちゃうちゃう仮退院やで)のため休日ではありますが、病院へ迎えにいく役目を仰せつかりました。まずは右目、来週左目の手術を受けるそうです。隣の部屋の人は手術の後、ばい菌が入り、再手術をするという話が聞こえてきました。ポチが網膜剥離の手術をした時、小さかった息子達を集めて「お父さんの目が見えなくなるかも知れない」と家族会議を開いたことを思い出しました。上司には「白内障は「へ」でもない手術」と安心さすために言っていましたが、どんな手術でも危険がともなうことを実感しました。

ヘレンケラーではありませんが、目、耳、口とある中で目は命がある限り正常であってほしい箇所です。勿論全部正常であってほしいのは当たり前ですが神様が私達に目、耳、口、の中で何かを捧げてほしいと言ったとき、耳ならば筆談で、口ならば手話で補うことができます。しかし目が見えないと生きていく上に大きな支障をきたします。

この上司の母上が以前、入院されていた時、高齢だからと手術をしなかったために視力を失い「いまは昼間か夜か」と尋ねておられたことがありました。枕元で唱歌を歌ってさしあげると「明日も来て下さいねヘルパーさん!」と言った最期のことばが忘れられません。(去年12月に101歳で他界)


[1454] 【1468回 イタドリウオークの予告】 2008-02-23 (Sat)

(あくまでも予定ですが)
4月19日(土曜日)あたりにイタドリ採りにいきたいなあ。場所は忘れもしません。あまりの多さに座り込んで採取した秘密のあの場所です。(具体的に言わんと行かれへん?)JR桜井駅から談山神社までバスで行き、散りかけの桜の下で花見弁当を広げます。その下り道にイタドリを採取しながらというのはどうでしようか?一昨年は登りをエンヤコラショと歩いて、楽な下りをバスに乗りましたね。目的はイタドリ採取ですから登り道はバスを利用します。膝のリハビリ中の「よし○ちゃん」も大丈夫行けますよ。コースはあってないようなものものですが石舞台、橘寺を通りゴールは橿原神宮駅。季節限定イタドリ姫が張り切る季節です。冷凍室を空にしとかなくっちゃあね。採ったイタドリは全部回収して、それから均等に配分します。

(料理方法)
@そのまま塩をつけて食べてもOKですが、せいぜい1本がやっとだと思います。だって別名を「酢かんぽ」って言うくらいですから酸っぱいのなんの!

A皮をむいて適当な大きさに折ったイタドリを熱湯の中に瞬間に漬け酢っぱ味をぬきます。瞬時ですぞ瞬時。長く熱湯の中に付けておくとフニャフニャ(誰かみた〜い!)になるので要注意。その後はたっぷりの水にしばらく漬けて下さい

B長期保存は皮を剥いて、適当な長さに折り、たっぷりの塩をまぶし冷凍室で保存します。結構水分が出てきますので保存袋は二重、三重にして下さい。季節はずれに食べるときは1〜2日前に塩抜きをして下さい。塩抜きをしたイタドリはゆがかないで下さい。ゴマ油を使用し薄揚げをからませます。姫の必殺技は、ここでカツオダシを1袋いれてその後、砂糖と醤油で味付けをします。火をとめる瞬間にもう一度ゴマ油をタラ〜リ。はい出来上がり。シャキシャキ感を失わないようにしてくださいね。

(かげの声)
みんなが上手に作れる様になったら季節限定イタドリ姫のお呼びがかからなくなるなぁ。でも故郷の味を一人でも多くの仲間達に知ってもらいたいと思っています。私の幼き頃の思い出です。お付き合い下さる方は予定あけといてくださいね。新学期がはじまり家庭訪問が始まる頃、担任の先生が家を訪れます。家庭訪問を終えて先生が帰るときは、どこの家も「何もありませんけんど」とイタドリの束をプレゼントします。どの家も同じことを繰り返します。都会育ちの先生は食べる方法も知らず困惑したと笑って話てくれました。この先生の笑顔もあと何年見ることができるのでしょうか。御年80歳を迎えます。




[1453] 【1467回 初体験そのU】 2008-02-22 (Fri)

●初体験そのU
出入橋まで出かけた帰りのことです。あまりの寒さに出入橋からタクシーを利用しました。「此花区まで」と言うと、気の良い運転手さんは2月9日の突然の雪についておしゃべり
をしてくれました。その日はタクシー事故も多かったこと、歩いている人もスッテンコロリンであつたことなどを話し続けているうちに降車場所にたどり着きました。運転手さんが「あっしまった」「どうされたんですか」「メーターを倒すのを忘れていましたんや」と空車の状態で走っていることに気が付かれました。おまけに小型タクシーのために基本料金も550円です。出入り橋から乗ったのは間違いないのでお支払いしますと言ったのですが「基本料金だけで結構です」とのこと。「やったー徳をしたぞ」とほくそ笑む私と「寒い中あんまり気の毒じゃ」と哀れむ私が葛藤しまして結局は「お釣りは結構です」と大判振る舞いをしました。私にとっては初体験でありました。


●(おまけの話)「あるあるそんな話し」
公務で銀行に行ったときのことです。用事を済ませ歩いていると、最近新しくできた「あほか」と言う名前のたこ焼きの看板を見ながら「ふざけた名前やな」と笑いながら信号を渡りました。商店街にさしかかるとき「あっ!」っと驚きの声を出してしまいました。何としたことでしょう!自転車で行ったのに銀行の前に忘れてきたことに気が付いたのです!信号を戻り、ふと目をやると「あほか」の看板がさっきよりも大きな文字(そう感じただけ)で見えました。ほんまに「あほか」ですなぁ

最近特に、物忘れがひどいため人にものを頼まれたら手のひらに書くようにしています。手のひらはメモ用紙が無いときは結構良質のメモ用紙となります。但し手洗いする時は気を付けてや〜消えるで〜



[1452] 【1466回 再婚した気分です】 2008-02-21 (Thu)

10年間の集大成と60歳の節目を迎えて、なんだか再婚した気分です(今度はポチちゃうで〜)自由に書き、少し皆様に「ホッ」として頂けたらと頑張りたいと思います。

●初体験(そのT)
「ひめのおうち」が再婚したのをきっかけに初体験を!
阪神百貨店からJR大阪駅中央に向かう階段付近に「串カツ」ののれんが垂れているのをご存知でしょうか?以前より「一度いってみたいなぁ」と話していましたので正ちゃん達と勇気を出して立ち寄ることにしました。店の前にいくともうすでに満席です。満席と言ったって椅子があるわけではありません。「立ち席」が満席なんです。

ところが、呼び込みのアンちゃんと目が合い「らっしゃい!何人かな?」とすばやく声をかけられました。「よ・・よ・・4人ですが満席なんでまた来ます」と言うやいなや「ヘイッ!4人さんご来店!ハイハイみなさん右肩入れて〜!」とすでに食べているお客様に正面から横に向くようにお願いをしました。お客様も心得たもので串を口にくわえたままハーイ右斜めッ!

「コインロッカーに大きなリュック預けて来ますわ」と逃げ腰の我々を見て「ほんなら人質置いてってやーせっかくスペース空けてくれたんやさかい」と正ちゃんが拉致されてもう生ビールが運ばれてきました。コインロッカーは口実で帰る算段をしていた私達でありましたが正ちゃんが拉致されたのでは仕方ありません。覚悟を決めて右肩入れてのれんをくぐりました。

もうここは別世界です。オーダーした串カツやビールは手際よく運ばれてきます。目の前にぶら下がる奇妙なタオルも隣の人を見ていれば、油の手を拭くタオルだということがわかりました。ほんま活気的な店です。呼び込みのアンちゃんといい、中で働く人といい抜群のチームワークで客に串をすすめます。「揚げたてやで〜今食べたらおいしいで〜」ポチと正ちゃんがすぐ食い付きます。私は「えーとっえーとっ」と考えているうちに後ろはもう順番を待つ客で列ができています。支払いも一人一人皿単位で計算を済ませ、呼び込みのアンちゃんが見張ってくれてた重いリュックを担ぎ、それぞれの家路へと帰っていきました。また行こうっと!




[1451] 【1465回 60歳の憂鬱】 2008-02-05 (Tue)

最近「ひめのおうち」の書き込みが出来ないでいます。ネタが無いというか、あっても書けないというか、もしも私が作家だったら「筆の進まない時期」なのかも知れません。少し考えるところがあって自分の中で「これでいいのか!」「これじゃいかんやろっ!」と悩んでいるのです。(私でも悩むことあるんです)沢山のご愛読者の方から「病気ですか?」と激励のメールを頂きましたので支離滅裂ながら書き込みをしている次第です。

旅先の宿泊施設で酒の勢いを借りて愚痴を吐きましたので少し軽くなりました。自然の雄大さを目の当たりにしたら些細な事で悩んでいる自分が小っちゃく感じるのです。定年を迎え、今からが自由の身のはずが何でこんなところで足踏みしているのでしょうか。「人生は前進あるのみ」なんて元気な事を言っていたのですがやっぱり60歳という声を聞くと臆病になるのでしょうか。

私の尊敬する方が「65歳までにあの山、この山に登りたい。65歳を過ぎて、体力が減り登れなくなったら遠くから山を眺めたい」とおっしゃっておられました。私もトレーニングを重ね、背後霊の様に、くっつき虫で「あの山、この山」について登りたいと思います。そもそも大阪府歩け歩け協会の会員になったきっかけは、現在の間見会長が「夏山は私のサービス精神で連れて行ってあげる」と力強くおっしゃったのが入会のきっかけだったのです。しかし白馬岳の出来事があってから方針が変わったのか去年は山登りはなかったなぁ(天城越えも楽しかったけどね)会長がまた山に連れて行ってくれると信じています。(そう言えばあの時、救助のお世話になった会員さんにお礼申し上げてくれたかなぁ)

白山、宮浦岳、燧ヶ岳、再び槍ケ岳に行ってみたいなぁ。槍ヶ岳は天気の良い日にね。(定年になって毎日サンデーになったら今度は天気が良くなるまで何泊も山小屋で待つぞー)


[1450] 【1464回 60歳の準備そのT】 2008-01-30 (Wed)

今日は「腹部エコー」を予約していましたので病院に行きました。エコーの部屋は数年前に緊急手術をした際に、私の腹部エコーを診た医者が救急車を呼び走り回ったあのおぞましい記憶が甦りました。

今日はどこが悪いというわけではなく還暦前の「検査」だけなんですが緊張感が走ります。「あ〜ヘソゴマ取ってて良かったわ〜」城崎温泉でヘソゴマ取った甲斐がありました。その時の様子を思い出して、ひとり天井をみながらほくそ笑みながら検査が始まりました。検査とは言え腹黒さまで撮影されるのではないかとヒヤヒヤしながらの30分間でした。看護師さんが「ハーイ息を大きく吸って息を止めて〜ハーイ楽にして〜」と3回ほど続きます。言われるがままにしていますと2回目にいくら待っても「楽にして〜」と言ってくれません。手足をバタバタさせてサインを送ると「あっごめんなさい!楽にして〜」だって(怒るでほんま)

検査が終わると診察室に行き結果を聞きます「異常なし」。血圧も正常値でウオーク効果は出ていました。1月は環状線ウオーク以来例会がありませんが自分なりに意識をして歩いています。階段も「山歩き」を励行しています。「何してはるのですか?」けげんそうな顔で社員が聞きますが「追い越して先に行ってよ」と階段の隅に寄ります。毎日の積み重ねは、いつかどこかで効果が出るはずです。

「体重を片足にためて次ぎの一歩」これが私の今の目標です。ウオークで坂道がきたらチェンジを切り替える如くゆっくりと登りましょう。と言っても先頭集団を歩けない私には犬の遠吠えでしかありませんが膝を悪くしてからでは遅すぎます。みなさん!今年の目標は「平地歩きと山里歩きの使い分け」。そして楽しいウオークを致しましょうね。



[1449] 【1463回 我が家に無いものは現金とファックス(笑)】 2008-01-29 (Tue)

我が家を建て替えたとき、世間がいまほどにファックスが普及していなくて不自由も感じず電話を壁掛け式に設置しました。1階から2階にいるポチ、3階の息子達の部屋の全室を一斉に呼び「ごはん出来たよ〜」と呼べる優れものではありますが今は全室を呼ぶほどの家族もなくこの機能は死んでいます。狭い我が家のスペースに電話台を置くと子供達が体当たりして怪我をするほどの小さな我が家なんです。セールスの電話で「ファックスはございますか?」時々そう聞かれることがあります。「PCならありますが」と答えると先方にPCが無い様子でどっちもどっちかなぁ。(そんなとこで張り合うなよ!)

現在は、たいていの用事は携帯電話や携帯メールで済ますことができますが、訃報であるとか会議の知らせであるとかはファックスの方が便利かと思います。今は会社で受信することができますが退職後はPCアドレスの方へお願いしたいと思います。

過日、息子からもらったお年玉で「机」を買いました。小さな机ですが定年後の私の勉強机となります。ピカピカの1年生の様にうれしくてたまりません。しかしポチの組立につき、いささか揺れや歪みがございます。ファイルを入れたらバラバラになりそうです。会社の机の中を再現して引き出しも同じように中味を詰めました。39年間という長い年月、1日のほとんどを机に座っての生活でしたので、ある朝からフッとなくなったら病気になりそうです。せめて机の再現をと思って購入しました。(何と愚かなとお笑い下され)



[1448] 【1462回 一日だけの相撲ファン】 2008-01-28 (Mon)

久しぶりに休日を自宅ですごしました。いつもはゆっくり座って相撲の取り組みなんぞ観戦したことはありませんが昨日は掘り炬燵に入りゴロリと横になりながら相撲観戦となりました。おっと!ゴロ寝で観戦しちゃあいられません。正座して生唾を飲み込みながら東の横綱白鵬と西の横綱朝青龍の取り組みを見守りました。視聴率34.1%。にらみ合いを重ね、最初に目をはずしたのは朝青龍でした。この瞬間、相撲音痴の私でさえも「あっ負けるかも」と予想してしまう出来事でした。この取り組みに関しては、何度も同じニュースが流れるので、ひつこくは語りませんが一体、白鵬はこの15日間でいくら稼いだか調べてみました。

●賞金1000万円
●賞金幟279本で15,345,000円(1幟は5万5千円で計算します)
●本場所特別手当20万円

           合計25,545,000円です。
副賞としては
●ガソリン1年分
●ビール1年分
●米2トンとチャンコ汁1トン
●ティセット(何やろかこれは)
●ワンカップ1年分
●トロフィいっぱい分の干し椎茸
●宮崎牛1頭と季節の野菜等1年分

去年は視聴率21.5%(今場所は34.1パーセント)
去年のスポーツ紙の取り上げは1紙(今年は17紙)





[1447] 【1461回 骨折は完治しました】 2008-01-23 (Wed)

11月23日にアバラ骨を骨折し何度か病院に通っていました。本日自分の中で「うん今日が最後と言ってもらえるな」そんな期待を胸に診察前にレントゲンを撮り診察室に入りました。診察室にさきほど撮影したばかりの3枚のレントゲン写真が貼り付けられており「どこが骨折部分かわからなくなっているので本日で終了!」と言っていただきました。「また何かあったらいらっしゃい。でももう来ない方がいいけどね」と笑っておられました。「先生もうどんな運動をしても大丈夫ですか?」と尋ねると「落ちんようにね」と。

と言うことで皆様にご心配していただきましたが完治ということでご報告させていただきます。ご心配かけてすみませんでした。そしてありがとうございました。

骨折の件があってから、「迫り来る60歳」を考えるようになりました。そこで在職中に人間ドックを受診することに致しました。時は4月21日!(討ち入りじゃあるまいし)基準ドックに「脳」「子宮癌」「乳癌」のオプションを付けます。この病院は胃カメラを「鼻」から実施するらしく、少しびびっています。退職後の定期検診は「誕生日」を自分の定期健康診断の日と決め、早期発見、早期治療に努めて、元気なプチシルバーライフを楽しみたいと思っています。




[1446] 【1460回 キリスト教葬送式に参列して】 2008-01-22 (Tue)

日頃は仏式の葬式の多い中(たまには神式もある)今日は隣組の79才になるおじさんの野辺の送りに行ってきました。毎日、外観ばかりを見ており中に入ったのは初めてでした。ちょっと珍しいのでここで紹介したいと思います。

受付を済ませ葬式屋ではなく、信者さん達がお手伝いをしておられ、勧められるままに教会の中の椅子に座ります。親戚、知り合いのの他にこの教会を利用している信者さん達が目立ちます。祭壇は故人の写真とお花だけでお供え物も祭壇飾りもありません。時間がくると牧師さんが前に立ち、賛歌を歌うように一同にうながします。そして聖書の朗読があり故人が神に召されたことをみんなに告げます。通夜の席では息子さんが「親父」を語ります。葬式の日は嫁が追憶として「おじいちゃん」を語ります。不思議なことに故人を知らなくても人間像が浮かび上がってきます。そして牧師による故人の略歴を語り、賛歌を歌います。2曲目の賛歌は故人の愛唱歌だつたそうです。最期のお別れは「飾花葬送」で参加者全員の前で棺のふたがあけられお別れをします。

宗派が色々あるのでそれぞれの特徴があっていいと思うのですが、キリスト教葬送式には市会議員も代表焼香も堅苦しいことは一切ありません。すべて故人中心にお別れの儀式が進んでいきます。黄色のバラの花を1本頂き献花台にたむけます。後ろからみていると信者の人と信者でない人がすぐわかります。日頃の習慣で手を胸のあたりで合わせお見送りしているのが「非信者」、首を深くうなだれて腰の高さに手を合わせているのが「信者」さんの様です。あまり泣き崩れる親族もいらっしゃいません。きっと神に召されたという天国に行けばイエスキリストに会えるからだと言います。

「80年間の人生ごくろうさまでした」と労いのお言葉をかけお見送りをしました。




[1445] 【1459回 仲間と歩く」「仲間と登る】 2008-01-21 (Mon)

ブラリと一人で公園を散歩、あるいはもっと大きく琵琶湖一周を一人で成し遂げた快挙などウオーキングにはさまざまなスタイルがあります。団体歩行や町中を歩くのは苦手な人は一人で里山歩きを楽しんで頂いても新発見があると思います。一人だからこそ地元の人達に声をかけたり、かけられたり車や電車では味わえない、歩いているからこそ味わえるご馳走ではないかと思います。団体歩行と言っても先頭集団と最後尾集団では歩く速度も違うし、到着時間も違うので「連帯意識」には欠けるかも知れません。しかし昼食時には必ず全員一緒に食事をする時間を持ち時々歌を歌うこともあります。これで「一緒に歩こう。歩いた」の連帯感は生まれてきます。

これが「登山」となると話しは違ってきます。「単独登山禁止」これは私達山仲間の中での合い言葉です。5〜6人ほどで山を登ったとしても先頭は、たえず後ろに目配りをし、後ろはまた先頭の姿を見失わないように同じ歩速で進みます。決して前に追いつこうなんて考えはいらないのです。それをすると途中で疲れが倍増します。自分のペースで離れずくっつかずが理想です。間隔を狭くすることで前を行く人のリュックが当たり転落という危険も出てきます。ステッキが触れて怪我をする場合もあります。ましてや今からはアイゼンなどを装着すれば前との間隔をとらないと大変危険です。休憩の時は自分だけではなく仲間への気配りを忘れない。自分だけ遅れない。自分だけ早く行かない。ないないずくめだけれどこれが守られないとパーティを組む必要性がなくなってきます。「いいですよ〜!一人でどこでも行きますから、行けますから」と豪語する人に限って他力本願的なところがあります。

漫画で「岳」という本の話しの中で途中で知り合った仲間が体力不足で動けなくなり「若い貴方が下山して助けを求めに行って下さい」というシーンがあり救助隊を連れて戻った時にはその老人達はテントの中で死亡していたという話しがありました。途中で捻挫したり負傷した仲間がいて、担ぎ下ろすには無理があると判断したときはリーダーの指示のもと救助のための役割分担を追わねばなりません。体力があるからと言って、一人で後ろも顧みないで下山していたら、救助のための分担もでぎず「仲間」とは言えなくなります。

歩けを一緒にするなら、また山を一緒に登るなら「仲間」全員が愉快に下山したいと思います。そのためにはどんな努力、配慮が必要なのか考えねばなりません。私は負けず嫌いで(仕事も遊びも)訓練等が自分の都合で参加できなかったとしたら次回までには同じラインに立ちたいと考え、そのためにはどんな努力が必要なのか考えます。そこまでシャカリキにならんでもいいのではと思うかもしれませんが、同じ仲間として(夫婦でも恋人でも)同じ力の方が指導しやすいし次ぎのステップが踏みやすいのではないかと思います。

人間の能力には個人差があります。
「最初から出来る人」
「努力をしたから出来る人」
「努力をしたけど出来ない人」
「努力をしないで出来ない人」とあれば「努力をしないで出来ない人」が一番怠け者の様に思います。まだ今からでも遅くはありません。前向きな取り組みは仲間に「ガンバレよ」と応援の声をかけてもらえます。それをしない人は「やっぱりなぁあれじゃあ出来るはずがないわ」と酒の肴にされること間違いなしです。努力をしても出来ない時は仲間全員でサポートをしてくれるでしょうし、しなくてはなりません。それが出来ないグループならリーダーも仲間も勿論自分自身も「仲間」でいる意味がないと思います。

今日は少し辛口、皮肉に聞こえるかも知れませんが、この頃のマナーの低下した団体歩行で街行く人々から罵声を浴びさせられないためにどうしたら良いのか私自身が考えたいと思っています。



[1444] 【1458回 新春の行事の出初め式】 2008-01-19 (Sat)

「出初め式」
此花の自衛消防の出初め式があり会社から「自衛消防徒歩隊」を出動させました。此花区の大手企業は企業の消防車を出動させます。化学車あり、ハシゴ車あり維持費も大変だろうなぁと小企業の当社はつぶやきます。式典は消防自動車のお披露目から始まり、徒歩部隊の行進、国旗掲揚、そして何と言っても長かったのは来賓の皆様のご挨拶・・・・
仮設テントの中には此花区の保育園児達が招待され毛布にくるまって放水を今か今かと待っています。聞こえないけどきっと先生達は「もう少し待ってね。あのおじさんの挨拶が終わったらネ」と言ってると思うのですが来賓は人を変え何人も何人も挨拶が続きます。おとなしく待ててえらかったね。

やっと「放水準備ーッ」の声とともに上空には消防局のヘリコプーターが寒空に舞い、やっと子供達の元気な歓声が聞こえてきました。「よーいっ始め!」の号令とともに放水が始まり本日のクライマックスを迎えます。去年までは色とりどりの放水や消防音楽隊の演奏などがありましたが今年は無し。ここにも不景気の風が吹いているのでしょうか(そんなはずあらへんやろ!)今日は風もなくお日様も照り、日だまりはポカポカ陽気で保育園児達もよかったね。みんなで「火の用心」をして火災のない安全、安心の街にしたいものです。

話しは変わって「柿ピー」の話しをしてもいいですか?
私は柿ピーが大好きであります。「柿ピー」は正確には「柿の種とピーナッツを約七対三で混ぜたもの」だそうですが、ビールやお酒の「おつまみ」としては最もポピュラーなものだと思っています。できれば七対三ではなくて三対七で混ぜた柿ピーが欲しいのですが、そんな人のために柿の種とピーナツを別売して自分の好みで食べるという人もいるそうです。

私は柿ピーが大好きと申し上げましたが正確には「柿ピーの中のピーナツ」が大好きなんです。夏の暑い時のウオークの休憩中などでは塩分補給と空腹を満たしてくれるため重宝する行動食だと思っています。過日「みなさんもどうぞ」と柿ピーをテーブルの上に出しました。もうすでに柿ピーの中のピーナツは私が平らげており柿の種だけが残った状態です。私と同じ好みの方がいらして「こんなんいらんわ返すわ」と柿の種が返品となって帰ってきて笑っちゃいました。するとその方の奥様が「私は柿の種の方が好き」とおっしゃられました。と言うことはこのご夫婦が柿ピーを食べるときは、うまく消費できるっちゅうわけですね。何と便利なんでしょう。私が柿ピーを買うとお付きのワンちゃん達は恐怖でおののきます「あのピーナツの無い柿の種、絶対オイラ達に喰えって言うてくるぜ」ハーイ正解!遠慮せんと食べて頂戴ね。ある人はいいました。「そんなんするんやったらピーナツだけを買えばいいのに」と。これは素人の考えです。あの柿の種の醤油味が微妙にピーナツにからまって「ピーナツだけのピーナツ味」とは異なるんです。柿ピーをホームページで検索してみて下さい。こだわりの柿ピーが紹介されています。




[1443] 【1457回 ブルブルブルッ山から木枯らし降りてきた〜よ】 2008-01-17 (Thu)

寒いねっ!今日はウイークデーの日で誰か書き込みしてくれるといいね。楽しみに待っています。ところで「大阪市のゴミ収集が変わったよ」

今日は、職場の近所のゴミ収集日でした。チンコロチンコロと音楽が流れ、ゴミ収集車の帰った後に、銀行に行く用事があり外にでました。何度か広報誌で「黒のゴミ袋は回収不可能」と書いていましたが、見事「黒」のゴミだけ残して帰っています。黒の袋には「このゴミは回収できません」というシールを貼っていました。紙製のお買い物袋にいれて捨てたゴミも同様にシールが貼られて残されていました。ご自分の家のゴミだと気づき再度透明(半透明も可)に入れ直して捨てるにこしたことはありませんが「知らん顔」したらどうなるのでしょうか?よその地区なので「心配ご無用」かも知れませんね。

ダンボール箱や買い物袋に入れて出しても残されるということは、ダンボールは潰して、紙製の買い物袋に入れては出さないを地区のみんなと話し合って徹底しないと、これから夏場になるとトラブルが発生しそうです。特にお年寄りだけで住んでいる家には、お隣同志、声かけあって環境問題に協力していただきましょう。

正月のテレビ番組で政治家のえらい先生が「分別ゴミをしているのは市民だけだ」と豪語して出演者のひんしゅくを買っていました。その政治家曰く「集めたゴミを焼却する時は何もかも一緒に焼却しているんだ。だから俺は分別しないで出しているんだ」こんな政治家やめてもらいましょ!!

私が子供の頃は米びつ(土佐ではソウケと言います)にこびりついたごはんは池にうかべて鯉につっいてもらいます。(池の中に漬けて不衛生だという感覚はなかった)野菜のゴミは畑に持っていきます。紙は平たく伸ばしてトイレで使える物は使います。習字の練習用の紙は新聞紙でした。真っ黒になるまで練習し、提出分だけ真っ白い半紙を使います。半紙に書くだけで上達したと勘違いしていましたねぇ。その他に出たゴミは庭先で焚き火の材料となっていました。今ほど包装にプラスティックを使っていませんでしたので地球にやさしい生活をしていたんですね。





[1442] 【1456回 男性諸君!まだあきらめるには早いよ】 2008-01-16 (Wed)

アナウンサー「山本文郎通称ブンさん」73才。すでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、つい最近30才年の離れた若い女性と再婚をされました。まずは「勇気あるご結婚おめでとうございます」と申し上げたいと思います。73才のブンさんは毎朝、新聞を開くと「死亡欄」ばかり気になる年頃だとご本人がおっしゃっていました。友達は「おい夜の生活は大丈夫なのか?」と心配をしてくれるそうですが「大きなお世話で、大丈夫」なんだそうです。但し子供を作ることは犯罪に近いので子作りは制限をするそうです。

11年前の1月1日に奥様の「明子さん」を亡くされてから再び人生の花が咲いたそうです。再婚相手の女性とは14年前に、この方の結婚式の司会を引き受けたことから始まります。毎年ご夫婦連名で年賀状が届いていたのですが平成18年の年賀状に「子供二人と3人暮らしの生活になりました」と書いてあったので、慰めようと思い、食事に誘い再会したそうです。その時の女性の感想は「おっ!いい女に成長したな」と感じたそうです。十朱幸代似の中学生と小学生の男の子の母親でスポーツインストラクターの資格を持つ女性だそうです。

亡くなった奥様には亭主関白だったそうです。自宅で脳梗塞で倒れ、救急車の中で意識も薄れる中、奥様は「私はあなたに何をしてあげたらいいの?」と最期のことばだったそうです。奥様が旅立たれた後は一人で起きて、一人で支度をして、食事の世話は46才の息子の嫁がしてくれてはいたものの、空しい毎日だったといいます。そんな時に「1通の年賀状」が人生を変えました。交際から2ケ月後に女性の方から「一緒に生活してもらえないでしょうか。将来は私が介護してさしあげます」と言う「介護」という言葉に結婚を決意したといいます。

反対意見はなかったかという質問に、「周囲は籍をいれることを反対しました。私が死んだ後に息子達との内輪もめが心配だという友人の声もありました」そのことを彼女に言うと「私はそんなことは要求しません!」ときっぱりと言い切りましたので入籍をすることにしたそうです。

夫婦生活の事に話しを戻しますが「本当に大丈夫なんですか」という質問に「毎晩は無理」と笑う73才のブンさんの笑顔がありました。65才で一度ガクッときましたが又甦ってきたそうです。世の男性諸君!諦めないでブンさんを見習って下さい。(ハハハ)

「新しい家族と生きていく」という希望を得て、糖尿病の持病があるのでカロリーを守り、もうちょっと元気で生きておこうと決心されたそうです。



[1441] 【1455回 今日15日は小正月です】 2008-01-15 (Tue)

小正月は女性の骨休みの日として女正月とも言われています。松の内が明けると「松がとれる」と言われ、お正月気分から抜けるようにいろいろな行事が待っています。まず七草がゆ。お正月のごちそうを食べ過ぎた胃腸を休めるために春の七草を入れたかゆをいただきます。そして1月11日には鏡餅をいただく鏡開き。

●小正月とは
小正月は旧暦の正月にあたり、1年の最初の満月にあたる1月15日とされていました。太陽暦が用いられるようになり、元日を中心とする「大正月(おおしょうがつ)」15日を「小正月(こしょうがつ)」と呼ばれるようになりました。小正月は女正月と言って、地方によっては女性の骨休みの日とされています。暮れから正月にかけて忙しく働いた主婦をせめて1日でも家事から解放してあげようとねぎらう意味でこう呼ばれたとも言われています。

玄関先に飾った注連縄をはずし、正月気分を一掃してまた1年しっかりと働きましょう。お仕事を卒業された方は趣味に生きましょう。健康で歩けること、健康で山登りが出来ることが何よりも幸せなことです。どこが痛くても、どこが悪くても、本人も家族も周りも憂鬱なものです。年賀状のお年玉ハガキの発表も今夜の夕刊に発表されるはずです。宝グジのように郵便局に持参して機械にかければ「当たり」「ハズレ」がわかると便利ですのにね。

お年玉ハガキの抽選会は1月27日です。以前は、たしか成人の日には抽選会があったはずなのに郵便局では小正月の済んだ今も「年賀ハガキ」が販売されています。そのため抽選日が、だんだん遅くなっていくらしいです。あたった気分で賞品のご紹介をしましょう。

●1等:
選べる海外旅行、ハイビジョン液晶テレビ、ノートパソコン+デジタルオーディオプレーヤー、ウォーターオーブン

●2等:
デジタルカメラ、空気清浄機、デジタルオーディオプレーヤー、家庭用ゲーム機、高級調理器

●3等:
選べる有名ブランド食材

●4等:
お年玉切手シート

まあ多分、きっと、絶対、おそらく「切手シート」やろな・・・





[1440] 【1454回 欲しい物をゲットした喜び】 2008-01-14 (Mon)

私はタバコを吸うわけでもなく、喫茶店に入り浸ることもなく、パチンコ狂いするわけでもなく酒におぼれることもありません。まぁ一般的な主婦と自負しています。家庭のやりくりも買いたい物もポチに制限されることもなく自由に買えるのですが、ここに来て毎日ストレス症候群が襲いかかっていました。お仲間のお医者様に診断してもらったところ「ポチさんは相当の頑固者だ」という診断結果が出たんです。

春先の立山登山に行こうと言うことで12本のアイゼンとピッケルを使ってのトレーニングの開始となりました。「寒いから、こわいから、危険だから」と何度説得してもガンと首を縦に振りません。「ならば私だけ行くから」と言ってもOKが出ません。とうとう初回のトレーニングに遅れをとってしまいました。人を変え、あの手この手で誘うのですが、やさしそうに見えるこの男!結構頑固者!

それを押して買うことも、行くことも出来るのですが一緒に同じ空気を吸おうと思っていますから立山行きは、いよいよ断念か・・・95%そう思っていました。

1月13日、私に逆風が吹いて来たのです。子年生まれの年女に幸運の風が吹き始めたのです!足は好日山荘のある大阪駅前3ビル方向に向かいます。「どこ行くねん?」「蔵王のパンフレツトがこの辺りにあるらしいわ」これはほんまです。探し続けましたがパンフレットの置いてある場所にたどり着くことができませんでした。地下から階上にあがると「あらっ?好日山荘やん?」せっかく(?)だから入ってみよかと言うことになりました。ポチに抵抗の姿はありません。

最初は登山靴の防水スプレーを買い、店員さんに「ピッケル2本欲しいのですが」と言いポチの顔を見るとフツーの表情です。店員さんがポチに身長を聞き長さ調整をしてくれています「儂はこっちの方がいいですわ」とこう来ました。「今日は丁度登山靴を履いていますから、12本爪のアイゼンも合わせて下さい」と私が言うとポチは椅子にすわり登山靴を調整してもらっています。「うん?寒いから、怖いから危険だからはどこ行ったの?!」私と友人は鳩が豆鉄砲をくらった気分でしばらく言葉が出てきませんでした。

すぐお友達にメールしました。「いま好日山荘です。ピッケルとアイゼン買いました」するとすぐ返信があり「それはよかったです。ポチさんの分も買ったのですか?」「勿論2人分買いました。財布は空っぽになりましたが気分爽快です」と一緒に行ける喜びをメールで分かち合いました。

(教訓です)
何事もあきらめることなく、同じ空気を吸うことの大切さを説得しこれからの人生に冒険と野望が老後の張り合いになる事。心臓病という病気を盾にしないで、そんな病気を持っていることを忘れる様な人生を生きること。(但し私は常に介護者であるということを忘れない)

ピッケルはエアテックニュークラシック、エアテックニューマテック」アイゼンは「ネパールSA、ブルンバSA」


[1439] 【1453回 ヘソのゴマ】 2008-01-12 (Sat)

ギャハッハッハッハッ!先に大笑いしてから書き込むことに致します。私のヘソの形は「出べそ」の反対で「ひっこみベソ」です。昭和45年長男出産の時に、お産婆さんが「おヘソのゴマを掃除しておきましたよ」そして昭和49年次男出産の時もきれいに掃除をしてもらいました。入浴中にきちんとゴマ掃除をするのですが、母親が「ヘソのゴマを取ると腹痛を起こすからさわるな」と言われていましたので親の遺言と思い「へっこみベソ」のゴマと共存してまいりました。

50歳を過ぎたとき、義兄一刀水達と雲仙温泉に出かけたとき、温泉の効用でヘソのゴマがポロリと取れました。その大きかったこと!これはポチ達に見せないといけないと湯船のフチに鎮座させ湯船に浸かりました。ところが私が湯船に入ったため、お湯はあふれ、展示用のヘソゴマは掛け流しの湯とともに排水溝へ流れてしまいました。

そして最近の出来事です。城崎温泉でのこと。お風呂に何度もはいるうちに、またまた大きなヘソゴマ(今回は無理矢理引っ張り出したんですが)が取れました。気持ちい〜い!。母親は腹痛を起こすと言うけれどもヘソは清潔に保ちたいと思い、常に掃除し続けています。ハイ。

(おまけ)
温泉の浴衣に着替え何度目かの入浴で、たまたま一人入浴をしていました。あとからご婦人5〜6人が入ってこられ「お先に」と湯船を出て浴衣を着ました。大きな声では言えませんが(小さな声では聞こえない)私は入浴時は「ノー下着」の習慣があり脱衣カゴの浴衣をきたら、何とパンティが入っていました。きゃ!これは人の浴衣なんやとおもったんですがそのまま逃げるようにして部屋に戻りました。だって温泉宿の共通の浴衣だからどれでも一緒でしょと思ったわけです。

でも後から出た人はパンティだけ残った脱衣カゴに卒倒したのではないでしょうか・・・・ごめんなさいね


[1438] 【1452回 ウオーカー広場の怪奇現象】 2008-01-10 (Thu)

自宅のパソコンはまず「迷惑メールの削除」から作業がはじまります。正月に息子にこの迷惑メールをシャットアウトをしてもらう作業をしてもらったら「全部シャツトアウト」のロックがかかり発信したはずのメールが届かないというクレームがあり、転送に転送を重ねて、なんとか発信してもらうことができました。息子を呼び、もとにもどしてもらい今は何とか正常に動いていますが、それにしても「Hメール」の多いこと!

ウオーカー広場にとてつもなく古い日付の文章の下に「迷惑メール」がぶら下がっているのを見たことがありますよね?管理人の里香ちゃんが迷惑メールの管理をしてくれているので滅多に表面に出ることはありませんがセキュルティがしっかりしているので敵も考え、古い文章の下に「返信」を装ってぶら下がってきます。

日付を見れば「迷惑メール」とすぐわかります。決して反応しないでくださいね。

環状線ウオークレポートはオリオンさんから写真を提供して頂いてレポートらしくなりました。アンカー目線からのレポートですので全体が描けていませんが、あれで精一杯なんです。南大阪歩け歩け協会のアンカーをして頂いた方達に印刷をしてお礼状書かなくっちゃあね。やっと歩いた私を前になり、後ろになりサポートし続けて下さったお二人に感謝しなくてはなりません。でもいい思い出になりました。


[1437] 【1451回 やっぱ・・・手土産は最高やね】 2008-01-09 (Wed)

ちょっと複雑な頼み事がありまして、顔の見えない電話ではラチがあかないので大阪駅前第4ビルまでバイクをぶっ飛ばしました。担当者はハトが豆鉄砲を食らったような顔で「お電話でよろしかったですのに」と恐縮する。すかさず「本日は、折り入ってのお願い事ですので伺いました」と素早く土産の包みをソーッと出しました。「いえいえお客様にこの様にしていただいた事はいままでありませんので」と硬く固辞されていましたが、そこは日本語の巧みさで「まあ、まあ」と押し切ることに成功しました。

かなりの時間を費やして、ひっくり返しようのない決定事項を担当者の機転で何とかこちらのお願い事を聞いてもらうことができました。このことをすぐに携帯で報告をした帰りのバイクの弾むこと!弾むこと!ミラーで確認したらパトカーがスピード出し過ぎをいつ停止をかけようかと迷っていた時に信号待ち(助かりました〜)

物をもらって何かを頼む、頼まれると言うのは決して良いこととは思ってはいませんが、担当者のお骨折り(骨折ちゃうでー)で何とかしてもらった時は、茶菓子ぐらいは罪には問われないと思いませんか?おかげで私の願い事を叶えて頂きました。 今夜はおかげで爆睡できそうでチュー。

●教訓
「ややこしい話は電話ではあかん。顔を突き合わして誠心誠意話せば、何とかなる」


[1436] 【1450回 ネズミ年の話】 2008-01-08 (Tue)

子年の雑学

むかしむかし、神様が動物達に言いました。1月1日に競争を行い、1位から12位の動物の1年の大将にしてやろうと。すると牛は、自分は足が遅いからと、前日にスタートしました。運良く1番でゴールに近づくことができました。ところがねずみが牛の背中に乗っていて、ゴール直前で飛び降りて1等になってしまいました。牛は2番となりました。

そうしたことから、十二支は「子」から始まり牛(丑」が2番目になりました。ところで競争には猫も参加しようとしていたのですが、ずるいネズミが競争の日を1月2日だと教えました。そのため、猫のゴールは遅れて13位に。結局十二支に入ることができなかったそうです。

●84歳の子年の運勢
家族や社会との穏やかな交流が吉を呼びます。特に 今年は吉凶が半々です。常に平常心、人々との和を大切にして下さい

●72歳の子年の運勢
他人と自分とが、お互いバランスよくあってこその人生。特に周囲の影響を受け易い年であると同時に影響を与えやすい年でもあります。孤立しないためにも平常心での行動が大切です

●60歳の子年の運勢
あせりは禁物です。一歩一歩着実に歩み、ひとつの人生の仕上げに向かいましょう。また次ぎのステツプへの準備期間でもあります。用意周到な計画と着 実な歩みが、将来にもうひとつ花を咲かせます

●48歳の子年の運勢
分をわきまえることが、何よりも大切です。地道な努力こそ成功への近道です。良いことと悪い子とが半々に起こる可能性もあります。何事もこだわりを持ちすぎないことが大切です。

●36歳の子年の運勢
よくも悪しくも周囲からの影響を受けてしまう1年です。行き過ぎは禁物となります。逆に自分の行動 が周囲に与える影響も大きくなりますから、ときに は後ろへさがることも必要。人とのあつれきはなる べく避けるようにしたほうがいいでしょう

●24歳の子年の運勢
短気は損気とわきまえて下さい。今年は準備期間だととらえ、まずは自分自身を磨くこと。遠回りでもそれが一番近道となります



[1435] 【1449回 環状線一周ウオーク】 2008-01-08 (Tue)

例年にないポカポカ陽気で集合場所のスカイビルの野外でも寒さは感じない。新春の大イベントで準備する側も参加する側も華やいだ心であちこちで新春のご挨拶がはじまりました。東京から夜行バスで到着したという方もいて大阪環状線一周ウオークの人気が伺えます。

参加総数1200人。スカイビルのフロアーも広場も人、人、人で埋まりました。いつもなら出発式を待たずにスタートをする人もいるのですが今年から出発式を済ませてからの第1番目のチェックポイントが、ここスカイビルにありました。「どちらの方向から出発?」とスタートの方向を聞くウオーカー。混雑を懸念して、のらりくらりと返答をしているとスタッフがスタンプ押印用のテーブルを準備し始めました。すると大波が押し寄せたように流れがテーブルに向けて動き始めました。「押さないで下さい」「競争ではありません」必死に叫び、なんとか波は静まりました。

出発式もいつになく大勢の皆様の参加で無事終了しスタンプを押した人から順次スタートとなりました。「この環状線ウオークにだけは絶対参加したいんだよ。年だからあとは近所を散歩程度さ」と品の良い白髪の紳士が言葉をかけて下さいました。この方とは大阪府歩け歩け協会が「立山登山」を実施した時に若さムンムンで歩いておられた方です。

奥様が膝を痛めておられるので妻が参加したかったという心をリュックに詰めてご主人が参加されておられた方もいらっしゃいました。久々にみる仲良しコンビも半周でゴールされており思わず一緒に記念写真をとったりもしました。

午後からは健脚組となったのか、やたら速度があがります。アンカーがついて歩くのに必死です。安治川隧道あたりにきたら地元ということもあって距離が読めるため少し楽になりました。あと2キロ、あと1キロと本部と連絡をとりながらゴールにちかづきました。いつもはお迎え隊として拍手を送る側なんですが今日はアンカーですから拍手を受ける側になりました。南大阪歩け歩け協会の皆様が寒空の中、建物の外で出迎えて下さいました。いままで「痛かった、苦しかった27キロ」がうその様に消えました。不思議です。フロアーの中もスタツフ一同が出迎えてくれました。

アンカーとしての役割は初めての体験でしたが南大阪歩け歩け協会様のスタツフの皆様の全面的な協力のおかげで何とか任務を果たすことができました。環状線ウオークは、やはり新春の企画が最高!人との出会い!町並みの新たな発見!新春の息吹!ありがとうございました。

「詳しいレポートは環状線ウオークのコーナーに掲載予定です。しばらくお待ち下さい」


[1434] 【1448回 気分も新たに2008年!】 2008-01-05 (Sat)

あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。平成20年1月5日(土)本日から出勤となり「おいでやす東海道57次」にも出席することができませんでした。

大晦日の夕方には突風が吹き、みぞれが舞い、ブルブルと震えましたが新年はおだやかな3ケ日であった様に思います。私にとっては今年は節目の年、4月には還暦を迎えます。還暦は子供に返るとも言われております。正月の古きよき、しきたりを若い嫁に伝承しつつ無事新年を迎えることができました。(ちと大袈裟ですかな)

息子達の年賀状に「お父さん、お母さんが元気でいてくれることが私達にとって幸せです」と書いてありました。これにはふか〜い意味がこめられており「おとんにおかんが寝込むと病院だの介護だのと俺達の生活のペースが狂うので頼むから元気でいてくれ」という意味だと受け止めました。ならば子守りだの何だのと気にせずに岩や山や歩きや氷上ウオーク(兵庫県の氷上ちゃうでアイスバーンのことやで)も楽しみたいと思います。

昨年は骨折ではじまり骨折で終わりましたのでポチが「いまが文句のいいどきや」とばかりに、ああだこうだと説教がましく言ってきますが、そんなことでめげないで、私は私の道を自由に生きたいと決意致しました。今まで時間と環境に縛られていたのですから、これからは羽ばたきたい!(それ以上羽ばたいたら落ちるかも)もう保護者はいらんでー。

それから私の定年は平成20年10月31日付けと決定いたしました。有終の美が飾れるように精一杯働いて卒業式を迎えたいと思っています。年頭にあたって私の決意表明をさせていただきます。今年もよろしくお願いしますね。



[1433] 【1447回 1年を振り返って】 2007-12-27 (Thu)

「2007年最後の書き込み」
書き込む私も、開けて読む皆様方も、あわただしい無年末年始に突入のため2007年はこれが最後の書き込みとなりました。1年間ご愛読と励ましのお言葉ありがとうございました。2008年もさらなる飛躍(年女だっせー)を致す所存でございます。どうぞよろしくご指導ください。

大阪府歩け歩け協会の行事には出来るだけ月2回は参加したつもりです。しかし仕事上どうしても行事と重なり満足にスタッフができたかと言うと毎回参加されているスタツフからは苦情がでるのではと懸念します。家事、地域活動、家族付き合いなどを考えると月2回以上の参加はとても続かないと考え役員のトップと担当の方にはお詫びをして「公園シリーズ」はお休みさせていただきました。ご理解を頂きました役員の皆様、担当者様ありがとうございました。

私のプライベートタイムの1年を振り返ってみました。

●1月は 第13回環状線ウオークの出発式に肋骨2本骨折し、賑々しい新年の幕開けとなりました。このため比良山にスノーシューに行く予定を涙ながらに見送る結果となりました

●2月は3人目の孫が誕生しました。お宮参りまでの1ケ月あまりを「婆業」に専念しました

●3月はロッククライミングがおもしろくてたまりません。芦屋はもとより金比羅山、蓬莱峡と大阪府歩け歩け協会の行事のない合間を縫って、意欲的にトレーニングをしました。

●4月は59歳の誕生日を迎え「いよいよ定年か・・」
私の定年退職をめぐって伝統ある協力会社の親睦会が解散という悲しい出来事がありました。また上司が原因不明の病気で入院し会社と病院を業務連絡で44日間も通い続けました。

●5月は棚田の田植え。ももちゃん一家が参加して「こんな楽しいことはない」とえらいお気に入りで稲刈りも必ず参加と張り切っていました。

●6月は夏山「剱ケ岳」「槍ヶ岳」にむけて地獄の特訓がはじまりました。白馬岳の教訓が無駄にならぬように取り組みました。

●7月はプライベートで木曽駒岳をめざすはずが台風でやむを得ず中止となりました。

●8月はPL花火観賞、剱ケ岳登山成功。クライミング特訓の成果があり楽しい山行となりました。

●9月は天城峠バスウオークの衣装作りに明け暮れました

●10月は稲刈り。和泉弥生ツーデーで2日間スタッフをしました。

●11月はももちゃんの七五三。おべべを着るのを嫌がり大人は汗たらーりタラーリ 。24日に再び肋骨2本骨折

●12月は骨折の翌日の石川県小松行きは断念するも種子島、鳥取とコルセットを巻き付けて行動したがために26日の診察に於いても現在完治せず・・・トホホ

健康であること。仲間がいっぱい増えたこと。家族も仲良く(ポチとの仲は、まあまあ)お互いの生活を堅実に前進していること。私の事を心配してくれる友がいること。これが2007年の私の財産です。これに利子をつけるか、減らすかは、私の年女としての来年にかかっています。60歳の道の岐路に立たされ、どう進もうか悩んでいますが、悔いのない人生にしたいと思っています。

ありがとう!みんな!ありがとう!これからもよろしく!ほんまありがとう!


「ひめのおうち」平成19年12月28日〜平成20年1月6日まで年末年始のお休みを頂きます



[1432] 【1447回 骨の診察】 2007-12-26 (Wed)

今日は3回目の骨診察日でした。診察前にレントゲンを撮り診察室に入ります。途中で此花消防署長と出会い、納会の蘇生人形と除細動器を借用したお礼を述べて消防署長は内科診察室へお入りになられ、私は整形外科の前で待ちます。

「久保さ〜ん、久保美智子さ〜ん!」「久保田さ〜ん久保田美智子さ〜ん!」ああまた間違えているわ!久保さんでも久保田さんでもなく「久田やっちゅうねん」と独り言を言いながら診察室に入ります。「どうですか」と聞くので「はいもう完全に治りました」と言うとレントゲン写真をみながら「う〜ん完全ではないけどボチボチ運動してもいいですよ。運動して1ケ月後にもう一度来診して下さい」とのことでした。骨折した部分がレントゲンでハツキリわかると言うことは完全にくっついていないのだそうです。骨折の数日後に種子島へ出張したり、鳥取に行ったりしたため、治りが遅れているのかも知れません(先生には内緒にしています)

私的にはもう治っていると思っています。皆様にご心配おかけ致しました。ありがとうございました。28日の大掃除だけは「おさぼりモード」で勘弁してもらおうと思っています。



(予告)
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[1431] 【1446回 大根の漬け物】 2007-12-25 (Tue)

得意先のおじさまから沢山の大根をいただきました。もう1日早ければ「大根セリ市」でも開けたのだが、さてどうしたものかと思案し、結局漬け物にすることにしました。

@皮を剥いた大根6キログラム(約6本)
A砂糖1キログラム
B塩240グラム
C酢240グラム(CC)

材料はこれだけ。タッパーにいれてみたが6キログラムが入りきらない。そこでナイロン袋を利用して材料をぶち込みました。まな板で平行を保ち、漬け物石のかわりにタツパーに水を満タンいれてのせ会社に出勤しました。帰ってみたら平行を保っていたはずのまな板が「はよ〜何とかしてくれ〜」と言わんばかりに傾いていました。

そうなんです。たった1日でとてもいい感じに水分が出ていたのです。水分を出したら3分の1の量になりましたのでタツパーにもどします。ためしに1個切って「つまみ食い」してみました。おいしい!ですよ。とても。皆様もぜひ試して見て下さい。漬け物石がなくても、漬け物樽がなくてもできます。

大根6キログラムは多すぎますので2キログラムにした場合は調味料も3倍にへらして見て下さい。私でも、うまくいったのですから。ぜひ!

(予告)
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[1430] 【1445回 手作り忘年会】 2007-12-24 (Mon)

クリスマスイブの24日「手作り忘年会」をすることとなりました。ポチが唐突に「忘年会をしなければならない!」とえらい強引に何度も提案をするものですから、行きつけの店を何軒も探しました。ポチが言うには条件があって「安くて、美味しく食事ができてカラオケ付きで最後は河内音頭が踊れるスペースがある店」だそうです。

あちこちを探し回りましたが結果的に、条件を満たしてくれる店が見あたらず結局ホールを借りて自分たちで料理をしてカラオケも借りて来てセットし楽しむことにしました。集合の後に男性チームは飲み物担当に、女性チームは買い物担当に手分けして効率よく有効に時間を使い1時間で「乾杯」にまでたどり着くことができました。(皆さん手際がいいーっ!)

飲み食いしながら、1年を振り返って、それぞれが思い出を語ったり、思わず感無量で涙ぐむ方もいたり、来年の抱負を語ったり、それはそれは楽しい時間であったと自負しております。ところどころに工夫が凝らしてあり、一人の人が矢継ぎ早にカラオケを歌わないように「譲渡禁止カラオケ券」を発行して満遍なくカラオケも楽しめました。(しかし気合いを入れて作ったプログラムが片づけの折りには、沢山ゴミに捨てられておりガツカリしました。。。。。)

「和菓子争奪合戦」と称して人数分より1個少ないまんじゅうをめぐって真剣勝負のジャンケンをしたり河内音頭でホールを賑やかな輪を作ったりと11時すぎから5時までの長時間を年の瀬の慌ただしさを感じることなく楽しむことができました。お金さえ出せば「上げ膳据え膳」の世の中ではありますが手作り忘年会も結構楽しいですよ。

料理とは全〜然関係のないところでカッターナイフで指を切り(削いだという表現の方がいいかも)大量の出血をしてしまいました。しかしご安心あ〜れ。白髭先生がすぐ処置をして下さり化膿止めまで手当をして下さいました。念のために申し上げておきますが指を削いだのは私ではありませんからハイ

帰り道に福引き券がポケツトに入っているのに気が付き、時間切れ3分前に「セーフッ!」でジャラジャラを楽しみました。「待って〜!あと2人来るから福引きさして〜」と商店街をダツシュで走りながら「あっ肋骨治っているわ〜」と久しぶりに走れたことに感激しました。昨日も27キロ、しかも先頭グループについて平気で歩けたことから考えると26日のレントゲン検査の日は「ハイ完治しました。これで診察終了です」って言って下さるお医者様の顔が目に見えるようです。年頭の環状線ウオークでアバラを骨折し年末に肋骨を骨折し、散々な1年であった様な印象ではありますが「これくらいの骨折で済んだ」ことに感謝し、新年は「年女」として人生最高の船出ができる気が致します。

(予告)
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[1429] 【1444回 やっと年賀状書きスタート】 2007-12-22 (Sat)


郵便ポストが「年賀状」「年賀状以外」と分別されたときから毎日、「書かなくては・・!」と気合いだけは充分にあるのですが「よっしゃ明日から絶対や!」と毎日自分に甘い日々を送っていました。

元旦の朝の年賀状の喜びを考えると、出す方も何とか元旦に間に合わせたいと思っています。メールやパソコンでの賀状が流行しているとは言え、私は宛名を書きながら、その人の顔を思い浮かべて書くのが好きです。驚いたのは同級生の訃報を知らせる喪中ハガキでした。まだ若いのに!と思いつつも「明日は我が身か」と肝に命じ人生を楽しまねばと思っています。「今年は喪中だけどアンタとこの年賀状は頂戴な」と追書きがしてあるのもあります。どうせ出すなら元旦にドサッと舞い込む中の1枚であってほしいと書き続けています。この連休は雨模様につき「年賀状書き」にはもってこいの天気です。まだ書いていない人がんばってね。25日までの投函であれば元旦配達だそうです。

しかし、いまやっと30枚ほど書き終えたところです。あとはまた明日。。。。

(予告)
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[1428] 【1443回 冬至???】 2007-12-19 (Wed)

商店街の八百屋の兄ちゃんが「柚子湯にえ〜えゆずやで、カボチャも北海道産やで買うて〜」と言うから、てっきり今夜が冬至と思っていたら、何のことはない22日(土曜日)が冬至だそうです。せっかく買ったので新鮮なうちに冬至のおまじないをしたいと思います。(ポチには今夜が冬至だと言うことにしとこ。。。)

「年末年始の防犯対策」
泥棒達は環境の整った所(盗みに入りやすいと言う意味)を選らんで侵入しています。玄関の鍵は施錠されているが2階の窓は施錠されてなく、室外機を利用して簡単に侵入されてしまいます。ロックのかかっていない郵便箱から電話番号などを盗み見たり、表札から家族構成を知り得たりします。

独り暮らしの女性は家の近くのコンビニを利用するので、後をついて行けば簡単に自宅を探り当てることができます。洗濯物を干すのでも「男性の下着や靴下」をダミーで干すといいでしょう。泥棒用語に「アタリ」と言う言葉があります。これは「チャイム」を鳴らして留守かどうか確かめてから侵入のだそうです。

雨戸、新聞受け、電気の点灯、ガレージに車が無いことも長期の留守を察知するのに良い材料だそうです。防犯カメラを玄関に取り付けるだけでなく庭などの死角にも設置する方が安全です。泥棒の侵入の手口は「ガラス破り」がもっとも多いです。網入りガラスと防犯ガラスを、ごっちゃにしている人がいますが網入りガラスは防犯用にはなりません。

御庭のある方は「防犯砂利」という砂利が販売されています。人が歩くと家の中にいてもすぐわかるほど音がします。高価なものではありませんので、ぜひ庭に敷き詰めてはいかがでしょうか。年末年始、ぶっそうな犯罪が増えてきました。どうぞ皆様の工夫で被害に遭わないようにしていただきたいと思います。


(予告)
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[1427] 【1442回 鍋奉行】 2007-12-16 (Sun)

「鍋奉行」を辞書で引いてみました(鍋料理を食べるとき、材料を入れる順序や食べ頃などをあれこれと指図する人)とあります。私は宴会の席で鍋の時はなるべく野菜や魚等の大皿のそばには座らない様にしています。家で主婦をして、外出先でも主婦をしたくないからです。したくないと言えば「ずぼら」の様に聞こえますが人それぞれに色々流派があるので我々新米はそっと座ってひたすら煮えるのを待つ方が居心地がいいのです。あるお寺の住職さんは鍋の時、女性を上手に間引き座らせます。最初は理解できなかったのですが、よくよく考えると鍋の前には必ず女性が配置されています(笑)

先日「あんこう鍋パーティ」があり材料を切ったり並べたりは主婦である我々がしたのですが、いざ鍋が沸騰となると「お奉行様」がやってきて、我々主婦の前であざやかな手さばきで、「まずはあんこうの肝からね。次ぎはこのヌルヌルとした部分を入れてさあ身を入れ、野菜をいれ、いざフターッ」お見事!

食べる間も鍋の中に細心の注意をしながら、みんなが箸休めをしないように段取りよく采配をし、雑炊もこだわりがあるようでアッと言う間に美味しい雑炊の出来上がりとなりました。「もう喰えまへん」と言っていた人も、あまりの美味しそうな雑炊を見て、また箸が動きます。

これ以上は食べれないとなったとき、鍋奉行様はテーブルの上をサッと手際よく片づけてゴミ処理を始めました。お片づけまでするお奉行様は初めてです。我々足軽どもはカラオケ三昧で満腹のお腹をすこ〜し減らしました。別腹に投入する「ぜんざい」の入るところを作るための運動です。大阪府歩け歩け協会のお昼の歌で、消費カロリーを申し上げるのですが多分8.8カロリーは消費したはずです。

お片づけも手際よく、ほろ酔い加減で駅までの道のりを歩いたのですが冬空の寒い風も心地よく、充実した忘年会となりました。ポチが酔っぱらいすぎて千鳥橋を千鳥足で家路につきました。シメジを2袋購入したのに準備の段階で1袋しかないのに気が付きました。買い物班がボケたのかと思いきや、翌日車の中から「シメジ」が出てきました。

翌朝カラオケルームの持ち主に鍵を返し楽しかった事を告げると「またいつでもどうぞ」との事。「ほんなら合い鍵くれ〜」ハハハ

(予告)
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[1426] 【1441回 風邪とインフルエンザの違い】 2007-12-14 (Fri)

●風邪感染のメカニズム
次のうち風邪がうつる恐れのあるのはどれでしょうか
( )他人の持った受話器で電話をかけた
( )回覧で回ってきた書類を読んだ
( )飲み会で同僚とお互い酌をした
( )カラオケボックスでマイクを持って歌った

じつはこれら全てに感染の危険性があります。風邪とは飛沫感染する病気です。飛沫とは、咳やくしゃみの時に空気中に飛ぶウイルス粒子を含んだ、気道からの粘液粒子のことをいいます。咳やくしゃみをした人が触れたものについてはこの飛沫が付着しているため、自分の手についた飛沫を吸い込むと感染する可能性があるのです。

●ウイルスを寄せ付けない工夫をしましょう
風邪予防における手洗いの目的は、手に付着したウイルス粒子を含む飛沫を落とすには、自宅に入る前の手洗いが理想的です。しかし外出時の公共の場所での手洗いは、ドアノブや蛇口の栓などにウイルスが付着している可能性が高く、風邪予防を考えると、これらに手を触れない工夫をする必要があります。現実的な対策として、帰宅したら一番に手洗いをしましょう。手にウイルスがついても、吸い込む前に落とせば問題ありません。ただし手ふき用のタオルからウイルスが感染することもあるので注意しましょう。

風邪が流行る時期には、予防のためにマスクを付ける人も多いと思います。市販のマスクはウイルスそのものは通してしまいますがウイルスを含んだ飛沫は通しませんので風邪予防の有効な手段といえます。一度使ったマスクを何度も使うと感染の可能性を広げてしまうためマスクは使い捨てのものが良いそうです。

●風邪と混同しやすいインフルエンザ
毎年流行するインフルエンザ。咳やくしゃみの呼吸器症状のほかに、高熱がでたり、寒気を感じたり、関節が痛くなってきた場合はインフルエンザの疑いがあります。風邪と似た症状が出るため、症状が悪化するまで気付かないケースがありますが、発熱を押さえようと解熱剤を使用すると、かえって病期を長引かせ胃しまう危険性があります。

病院では、インフルエンザの疑いのある患者を対象に、感染を迅速検査を行った上で抗インフルエンザ薬を処方する事が出来ます。但し発熱している期間を短くする薬なので、発熱後3日を過ぎると通常は投薬を行いません。早めに受診して正しい処置をうけるようにしましょう。

「引いたな」と思った時は速く直す方法は勿論ですが「人に移さない」配慮がいります。無理をしないで職場や学校も休んで静養してはいかがでしょうか。お大事に!


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[1425] 【1440回 平地歩きと山里歩き】 2007-12-12 (Wed)

車の免許を取得するときに、いまほどオートマが流行していない時でしたので「坂道発進」が苦手で苦手で「よっしゃー教習所を卒業したら、こんな坂道あるはずがない!」とやっとの思いで免許所得したのが45歳ぐらいのときでした。

「免許とれたので今、手続き中、車を門真まで持ってきて〜」と免許証に湯気が出ている状態で路上を走りました。何となんと坂道だらけで門真から此花に戻るまでエンストを何度したことでしょう。「チェンジは生卵だと思いそっと握れ」という教官の声を思い出し、汗びっしょりで何とか無事家路に到着しました。

ウオーキングでも同じことが言えるのですが「平道」の時は平道に合った歩き方、上り坂には上り坂に合った歩き方があると思います。とにかく参加者の皆様が「速さ」を要求される昨今、スタツフである我々がチェンジを切り替えて適切な歩き方の見本を見せなければ「エンジン故障」となります。

紅葉の宇治ウオークの時です。坂道にさしかかるので私はチェンジを切り替えました。その横を平地歩きと同じ速度で通り抜けるみなさまの速いこと。私は登山歩き(ナンバ歩きの様な格好)に切り替えて同じ歩幅を保ち、余裕で坂道を切り抜けました。登り終えたところで「休憩〜!」の指示があり、この日のリーダーがへばってしまいました(笑)よほど坂道が堪えた様子です。

登り終えたところで「休憩」よりも、歩く速度を変える、つまりチェンジの切り替えが必要だと痛感しました。前を走る車がスピード違反をしても自分は安全運転をするように、上り坂になればご自分でチェンジの切り替えを致しましょう。そうすれば膝を痛めることなく快適なウオークをし「あ〜楽しかった!また参加しよう!」と思ってもらえるはずです。
この間まで元気に歩いていた人が膝を痛めて病院通いをし、挙げ句の果てに補助器具を使用しなければ歩けなくなった人もいるのではないでしょうか。生きている間、足にはお世話にならなければなりません。2本の大切な足、労ってあげましょう。

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[1424] 【1439回 2週間目の診察日】 2007-12-10 (Mon)

12月24日に骨折して本日2回目の診察日となりました。まずレントゲンを撮り診察室に入ります。「絶対よくなってるよ、ハイもう来なくていいよ」そう言われることをイメージしてドアをあけます。先生が「どうですか」と尋ねるので「大分よくなりましたハイ」といいましたら「アラーッこの間は1本骨折といいましたが2本骨折ですね」どういうこっちゃと説明を求めると、前回の撮影箇所と今回の撮影箇所が微妙に角度が変化していて、第7本目と第8本目が折れていることが判明したといいます。

寝起きが痛いというと「当たり前」だそうです。痛み止め2週間分と膏薬タツプリの処方箋出してもらい少し気分の重くなった身体をひきづりながら戻りました。年内にもう一度診察をするらしいです。これだけで済んでよかったと自分に思いこませています。

昨日のウオークの例会時のミーティングで今年の感想を述べる時がありました「年始めに骨折し、年末に骨折しえらい1年でした」と挨拶を述べました。明日はももパパが誕生日のため、今夜あたり電話してみようかな?電話では骨折はバレないよなぁ

午後は氷上工場へ行きました。「氷の上」と書くだけあって吐く息も白く肌に刺すような寒さを感じます。「こんにちは寒くなったね」工場の中に入り、一人一人声をかけます。「久田はんは温い日を選んで来よるなぁ」と笑う。いつもはもつと寒いということか・・・福利厚生施設としてペンション「いのしし」が隣接していますが隣の敷地で飼育されている猪もブーブーブーと早く喰ってくれとせがんでいるのか、それとも喰われるのが嫌で鳴いているのか、あまりの臭さに判断するのがむつかしいほどでした。

(予告)
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[1423] 【1438回 湯治治療】 2007-12-08 (Sat)

入浴料2400円。常々私は800円以上の温泉には入浴しないと徹底しています。しかし2400円ポーンと支払って朝の10時から午後3時まで湯治治療をしてきました。

(湯治ウオーク)
実施日は12月8日(土曜日)集合時間は午前10時。参加者はポチ。参加費は入浴料2400円と昼食代ほか諸々。「そんなにじらさんと、どこへ行ったのかはよ〜言えよ!」といわれそうですね。場所は有馬温泉の日帰り入浴専門の「太閤の湯」です。道中はいつもロッククライミングでトレーニングに訪れる馴染みの風景を通り、有馬に到着です。

12/2の鳥取バスウオークの時に温泉に入った際、骨折の痛みが和らいだ気分でした。温泉の効用が骨折にとてもよく効くのではないかと思い、家でウジウジしているのなら温泉にでも行こうかと言うことになりました。

2400円の価値は充分にあります。ぜひ皆様もお出かけ頂くために詳しくごあんないしましょう。まず代金を支払うとロッカールームで温泉着に着替え館内の買い物は現金ではなくリストバンドでバーコードを通します。レストランも自動販売機もおみやげも全てリストバンドで可能です。

まず私は3階にある「女湯」に入ります。露天風呂には金泉、銀泉、サウナ、五右衛門風呂、など豊富な種類と広い露天風呂が時間も早いので貸し切り状態でした。露天風呂を楽しんだあと、三田牛で昼食です。食後またまた入浴し「天下の湯(金、銀混合泉)を楽しみます。その後抹茶オーレと白玉おぜんざいでお茶タイム。更にもう一度温泉につかります。そして今度は「ねねのおくつろぎ処」でお昼寝です。肋骨を骨折してからベットのクッションに不都合を感じていましたがタタミの硬い感触が心地よくグーグーと寝息まで出る有様です。ポチを残して最後の温泉につかります。温泉治療とはよく言ったもので不思議と効果を肌で感じることができました。

「帰るで!」とやっと腰をあげたのは午後3時を回っていました。まあよく浸かったものです。2400円ちっとも高くありません。残念だったのは今回露天風呂に熱中しすぎて「岩盤浴」に入るきっかけを失いました。次回にはぜひと思っています。岩盤浴は友人達と気ままに入れる混浴です(勿論着衣有り)極上の癒しが体験できるそうです。近々またいきたいものです。ご一緒しませんか〜!

詳しい情報は「太閤の湯」でアクセスして下さい。


[1422] 【1437回 夜間のヘッドライトはロービーム】 2007-12-06 (Thu)

ウオーカーの皆様に車の話は余分かも知れませんが、それでも車も利用すると思いますので年末の事故防止に役立てて頂ければうれしいです。

車で夜間走行する時「ロービーム」ですか?それとも「ハイビーム」ですか?大阪市内では、車両の走行台数が多いため、ほとんどロービームで走行していることと思います。しかし「夜間走行時のライト点灯の原則はハイビーム」が基本です。対向車や先行車がいる、あるいは自転車が向かってくる場合はその時だけロービームにして下さい。何も障害がなければハイビームにして走って下さい。

ハイビームは100メートル先の障害物を発見できることになっています。ロービームは「すれ違いビーム」とも呼ばれ、ライトの照らす方向が下向きとなり、対向車や先行車を幻惑しないように40メートル先までしか照らさないようになっています。

ハイビームはロービームでは見えない所まで光りが行き届き、危険予知が可能で安全運転に役立つのではないでしょうか。いままでは車側のお話でした。いまからはウオーカー側のお話です。

夜間の歩行の服の色って考えて外出していますか?多分、昼間着用していた服をそのまま来て無意識に出かけていると思います。黒色、紺色などの服は危険です。明るい色の服に着替えて外出しましょう。自転車の人もそうです。ほとんどの自転車は無灯火で、しかも歩道をチリリンチリリンとベルを鳴らして走ってきますが自転車の人も明るい色の服を着て外出しましょう。

12月1日から31日まで年末の交通事故防止運動が展開されています。春の交通安全、秋の交通安全ほどに認識がないですが、年末の交通事故防止運動をやっています。事故に遭わないように、つまづかないように足はしっかりと上げて、段差には充分気を付けましょう。私の様に不注意で肋骨を折ることもあります。身体が動かないと、心まで歪んできます。健康な時には何ともない出来事もイライラしてきます。これが交通事故を引き起こす原因となります。

クワバラ、クワバラ!


[1421] 【1436回 鳥取砂丘と鳥取城跡バスウオーク】 2007-12-03 (Mon)

行ってきました鳥取へ!。

平成14年10月27日にバスウオークで訪れた雨と風の鳥取砂丘。しかし、それはそれ、これはこれ。残念ながらバス2台には至らなかったのですが補助席も使って満席の1台は、雰囲気もよく、皆様がとても好意的でスタッフのお手伝いをしていても心地よかったです。

今回のバスウオークをフランス料理にたとえて「鳥取城跡は前菜、砂丘はメーンのお肉、温泉は食後のデザートです」と申し上げました。我ながらうまく例えたものだとうれしかったです。少し前菜のボリュームが多かったのと、お肉が小さかった様に思いますが、帰りのバスはデザートのあとのカフェ気分の様に、歌と手拍子でバスの窓は熱気で曇りました。大重ドライバーが「なんぼ曇り止めの装置を使っても消えない」と四苦八苦していました。ハハハ

到着は大阪駅20時ジャスト。渋滞もなくスムーズに帰れました。途中の名塩のトイレ休憩の立ち寄り指示を出すのを忘れるほどに盛り上がっていました。って言うか「時間短縮」のために、わざとドライバーと相談して通過しました。みなさまのバスの中での貴重なご意見は必ず次回に反映させていただきます。スタツフ一同そう感じて更に楽しいバスウオークを目指して頑張ることでしょう。

何よりも皆様が参加をしてくださるということが「バスウオーク成功の秘訣」です。本日よりまた次回のバスウオークのネタ探しに精進いたします。ハイ


[1420] 【1435回 紅葉真っ盛りの空中ウオーク】 2007-12-01 (Sat)

11/30午後、取締役の父上の訃報を受け、急遽、種子島まで行くことになりました。5年前伊丹から種子島の直行便に乗り「遺書もどき」まで書いた怖〜い体験があるため今回は鹿児島空港経由となりました。アクセスが悪く30日の最終便で鹿児島泊、翌朝種子島へ移動しました。鹿児島空港から見えるなだらかな裾野の霧島連山が朝の挨拶をしてくれました。

10列の窓側、プロペラが舞い、離陸とともに車輪が閉じられた。つまり羽の上の座席ということなんです。空から見下ろす海に浮かぶ船は白くラインを引き、山の頂の雲は、まるで噴火の煙の様に見え、山々は紅葉が美しい。日の当たり具合で濃淡がくっきり浮かび25分間のフライトはあっという間に鉄砲の島「種子島」に到着しました。

「何かちゃう!」5年前は取締役の家まで徒歩で30分ほどで到着したはずなのに町並みがまるで違う。タクシーの運転手さんによると2年前に新空港ができて移転したのだといいます。時間もあるし歩きますというと「無理!2時間では着かない」といいます。仕方がないのでタクシーを利用しました。道中、何故こんな不便な所に空港が移転したのかと問うと「島民はみんな反対したのだがえらい議員さんかなんかの山と土地がこの地にあり結局、空港が移転した」らしいです。島に不似合いなりっぱすぎる大きな道路に、ここにも税金の無駄遣いを垣間見た気がしました。島民が豊かに暮らせてこそではないでしょうか。

告別式が終わり帰りの飛行場までのバスもタクシーも時間が合わず利用する手段がないので、時間もたつぷりあるためウオークで帰ろうと決めました。道路標識に従って歩いていると庭の手入れをしていたおじいさんと目が合い「こんにちは」と挨拶を交わしました。空港まで歩くのだというと「そんな無茶な!」と笑われましたが、ではとサヨナラを言い、また歩き始めました。「プップー」とトラックのクラクションがなったので急いで端によけました。「乗って!空港まで送ってくよ。車汚いけどね」トラックの座席はドロで汚れてはいましたが、おじさんの顔は輝いて見えました。サトウキビ畑の間トラックで走り抜けながら埼玉に住んでいたが両親の世話をするために種子島に戻ったことを話してくださいました。島の人の希望や温もりを政治家の私利私欲のために潰すなんて許さない!おじさんありがとう。

飛行機の中から見る種子島はそんな、おどろおどろした事は映し出さず鹿児島の海の色を「青」と表すと、種子島の海の色は「碧」でした。「ノンちゃん雲に乗る」や美空ひばりの「あおいお空にポッカリと、白く浮かんだ綿の雲〜私に羽があつたなら〜あそこに飛んでいきたいな〜」そんな歌が歌いたくなるような空中散歩でした。

肋骨の痛みは相変わらずですがサスケ先生とうららちゃんが仇討ちに行って下さり「憎っくき枝」を切り落として下さったと聞き、素敵なお見舞いをプレゼントしていただいた気分です。明日はバスウオーク・・歩けなくてもガイドもどきは頑張ってしたいと思っています。行ってきま〜す。


[1419] 【1434回 冬を迎える大台ヶ原】 2007-11-28 (Wed)

大台ヶ原・・・ここは大阪府歩け歩け協会が初めてバスウオークを実施した記念の場所であります。その大台ヶ原が入山制限をしてから3ケ月が経ちました。

大台ヶ原(1695メートル)に一足早い冬がやってきました。人の出入りを拒む厳しい顔の大台ヶ原は東と西に分かれています。東大台ケ原はハイカーに人気で、年間20万人の人々が訪れるといいます。街中を歩くように、ペット禁止にもかかわらずペットを持ち込む人もあとを立たないといいます。一方、西大台ヶ原は5000ミリの降水量で有名。ゆっくりと成長し大きな森を育つための苔の多い場所として知られています。

入山者が多いと苔を踏み荒らすため苔が減るので何とか豊かな自然を取り戻したいとの思いから考えついたのが9月からの入山制限でした。西大台ケ原に入山する人は講習を受け、許可をもらい靴の裏も外来種を持ち込まないために洗浄します。平日は30人、休日は50人の制限で少しづつ効果が出てきたと言います。いままでは2504人であった入山者が452人となり森の住人達は自由に生きていけるといいます。しかし今までの姿をどの程度復活することができるかまったくわからないと関係者は小さな命の存在を静かに見守りたいと思います。

大台ヶ原などへの自然へのやさしさもさることながら都会の雑踏の中では人への優しさが問われます。今日バスに乗る用事があり空席があったので優先座席を避けて座りました。次の停車場から少し年配の方が乗ってこられ私の前に立ち、当然代わってくれるであろう態度を示されました。普段なら「どうぞ」と代わるのですが「只今骨折中」の看板を首からぶら下げていないため相手の方には通じません。仕方がないので「どっこらしょ!うんこらしょ!」と腰を持ち上げて代わってさしあげましたが、ウオーキングに来られている方達よりも、う〜んと若い(65〜70歳前)人なので、立っていられるでしょ!甘えないで!といいたいです。私の考えが間違っているのでしょうか。しばらくはタクシーを利用することにしました。



[1418] 【1433回 ロープが飛んだ!姫が飛んだ!】 2007-11-24 (Sat)

3連休の穏やかな連休の谷間の24日、私は午前6時40分にはすでに芦屋ロックガーデンにいました。吐く息は白く、真冬のような寒さを感じつつも、高座の滝を過ぎた頃は汗ばむので、そのまま重い荷物をしょってキャッスルウオールへ足を運びました。人っ子一人、イノシシ一匹通っていません。案の定、もう汗ばんでいます。

クライミングの準備をしていると仲間達がそれぞれに集まり「おはようさん」と言うことになりました。準備も出来て高さ30メートルの岩場への上昇、降下の訓練がはじまりました。今日は若いお嬢さんの美里ちゃんも久々に参加です。「こ〜わ〜い」と我々が言おうものなら「何がこわいんじゃ!のぼれ!」と檄が飛ぶのに若いお嬢さんが「こ〜わ〜い!岩に足がはさまり抜けません〜」と叫ぶと、どれどれと救助に向かいます。(えらい違いじゃの〜笑)

午前10時になる頃「蒸かし芋」のい匂いがしてきました。山の中なので錯覚かと思いきや、鍋釜、水、さつま芋をさげてきてくれた仲間からの差し入れでした。寒空の中でほこほこと暖かい芋がフランス料理よりも豪華に見えました。落ち葉の舞い散る日だまりでいただきました。美味しかったです。

懸垂下降でのアクシデントに供えて救助方法の講習を受けていたその時、クライミングとは全然無関係の場所の木の根っこにつまづき、はるか向こうに人間一人飛びました。まるでコント55号の「飛びます!飛びます!」の様でした。誰が飛んだかって?私です!しばらく息が出来ず目の前が真っ白に(真っ黒かも)なりましたが1分後にやっと正常な息づかいが出来るようになりました。私にとって、5分いいえ10分ほどの長い時間のように思えました。ここで、ついでに応急処置の勉強です。湿布薬を貼り、痛み止めを飲み、急遽クライミングは「見学」となりました。ストレス残る〜

午後からは痛みも和らぎ何とか通常の息づかいもできるほどに回復し、午後のレッスンが始まりました。常々ロープを落下さすことがあるので気を付けるように言われていたのですが机上の座学だけでは理解不能のこともあります。今日は実際にロープを落とし、どうして回収すればいいのかリーダーが見本を示しました。30メートルの岩場の上には3人が取り残され、下には4人が待機します。ああでもないこうでもないとアクシデントの対応に冷静さを失わない事、人の行動を批判しないことなどを学びました。

リュックの背負えない「負傷者姫」の荷物を分散して持っていただき高座の滝までたどりつきました。いつも帰りにはお稲荷様の前で「今日も一日無事でした。ありがとうございました」とお礼を言うのですが、今日は「お稲荷様のおかげで大した怪我にならず歩いて帰れました。ありがとうございました」と言って帰宅しました。

みんなに心配かけました。アバラは正月に、肋骨は年末にと大変な1年の様ですが来年は「年女」いまのうちに疫病神をお払い箱しておかなくてはね。では午後6時、ベツトに入らさせていただきます。お休み!。お大事に!。ありがとう!。


[1417] 【1432回 紅葉狩り】 2007-11-23 (Fri)

オヤジ狩りではありませんぞ。紅葉狩りに行ってきました。大阪府歩け歩け協会の悠遊コースで宇治からスタートをして宇治に戻ってくると言うコースです。宇治川に映る紅葉を右岸と左岸から楽しむことができました。

今年の紅葉は、葉が縮れ、落ち葉を拾っても、あまり美しくないと聞いていましたが、なかなかどうして、風にハラハラと舞い散る落ち葉は美しく「♪落ち葉の〜舞い散る停車場は〜♪」と鼻歌まで出て快適なウオークをさせて頂きました。

宇治川の流れも、鴨の羽ばたきも(誰ですか鴨鍋やなんて言うのは)白サギの舞も京都の風情を醸し出していました。街行く人も、みな上品で、「おいでやす」そんなお店の人達の京都弁が心地よい響きで染み渡ってきます。

「姫ひさしぶり!」そんな声に振り向くと、環状線ウオーク以来の知り合いの方でした。白馬岳に誘ったら「登山靴を捨てちゃった〜」と日に焼けた人の良さそうな笑顔が似合っていた方でした。今日もまた素敵な笑顔です。それから昔、大阪府歩け歩け協会のスタツフをなさっていた方も「よう!元気そうやな!」と声をかけて下さいました。

別離もありますが思いがけない出会いもあり、いつも新鮮な気分でウオークに出かけることができます。「今日の歌は何?」この言葉も私にとっては励みになります。歌を始めた最初の頃からするとすごい進歩です。選曲にも力がはいります。

ここを訪れて下さる皆様!季節に合った楽しい歌があれば教えて下さい。もうすぐ「♪きたかぜふきぬく〜寒い朝も〜心ひとつで〜♪」と歌う日がすぐにやってきます。若者とカラオケに行くとさっぱりわけがわかりません。やたら歌詞が多く、やたら叫び、やたら高低のないお経の様な歌を熱唱します。若者もまた私達の年代の歌を「しんきくさ〜」と言うでしょう。しかし唱歌は年齢に関係なく、みんなで共通できる日本の宝物だと思いませんか?!


[1416] 【1431回 ブランコが公園から消えた!?】 2007-11-20 (Tue)

大阪府歩け歩け協会は今までに8回「公園シリーズ」を実施しました。大阪府の公園に立ち寄り公園の持つ特色(ある時はバラであったり、菖蒲であったりサクラであったり)を楽しんでこられたことと思います。以前に「公園からゴミ箱が消えた」ことを書きました。家庭のゴミを不法投棄したり、溢れるゴミが環境にも悪いのかも知れません。

公園シリーズの参加スタンプをお持ちのご参加の皆様!公園からブランコが消えているのに気が付かれましたか?撤収がまだのところはグルングルンと支柱に巻き付けて使用不可能にしています。最初はいたずらでしているのかと思いきや、そうではなかったようです。此花の公園のブランコの撤収はほぼ終了しました。

小学校の高学年の子供達が思い切り、ブランコをこいでいる真後ろ、あるいは正面に「ブランコ乗りたいよ〜」と近寄る小さな子供を想像してください。「危ないっ!」と声をかけたところで急に停止できず大怪我をすることがあったかも知れません。私の家の中にジャングルジムが置いてあるのですが3歳の零くんと2歳のももちゃんが「じゅんばん、じゅんばん」と仲良くすべっていたのは初めだけで遊びに熱中すると前からルール違反をしてよじ登ってきます。順番を守らない子には、容赦なくドーンと突き飛ばします。家の中でも、爺、婆が見ていてもこんな危険なことがあるのです。ましてやブランコに乗りたい一心だとしたら揺れていようがいまいがブランコに駆け寄るのではないでしょうか。そんなことを想定して公園からブランコが消えたのかも知れません。

私が子供の頃は公園もなく家の裏山全部が「自然公園」でした。木の枝を利用してバスごっこしたりターザンごっこしたり退屈をしたことはありません。かくれんぼに熱中してて姉が子守中の私を木にくくりつけてそのまま帰ったこともありました。私の家は小高い丘の上にあり、かなりきつい斜面がありました。丁度ネーブルの木の枝がブランコに最適な枝振りをしていて父親が私のために私設ブランコを作ってくれました。ブランコと言っても木の枝に縄をくくりつけお尻の部分は廃材を使った粗末なものでした。しかし「みっちゃんくへ行くとブランコで遊べる」と友達が喜んで寄ってきたものです。

ある日、いつもの様にブランコで遊んでいたらブツチーン!と切れてしまい(枝が折れたのかも知れません)私は斜面を転がり前歯を折ってしまいました。田舎の歯医者さんですので、このかわいい女の子の将来を考えず(というか保険適用範囲で治したものですから)銀歯を装着し、笑うと銀歯が、もろに見えて恥ずかしかったことを思い出しました。結婚後サスケクリニックを見つけ、歯のオーバーホールをして終了の間際、おもむろにサスケ先生が手鏡を渡してくれました。「気になるやろその銀歯?白い歯に換えようか?大きな口あけて笑えるようになるよ」そうおっしゃって下さって私の醜い真正面の銀歯は白い義歯と交換してもらうことができました。

「ブランコ」でこんな思い出語れるのは私ぐらいかな?歯っ歯っ歯っ〜!


[1415] 【1430回 木枯らし1号】 2007-11-19 (Mon)

11月は、日に日に気温が下がり、冬の足音が聞こえてくる頃。立冬も済み暦の上では冬の始まり。そう、季節はもう冬なのです。

冬の便りとも言えるのが「木枯らし1号」。11月18日にこの1号が大阪を吹き荒れました。ももちゃんが言いました「お外の葉っぱが、ゆ〜らゆ〜ら揺れてるから公園に行けないの」お熱が39度あるので自宅待機の様です。木枯らしとは、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北よりの強風のことで、木を吹き枯らすということからきた呼び名です。まさに冬の使者!

ちなみに、凩(こがらし)という字は日本で作られた漢字で、風の省略形と「木」の二文字を結合して、それらの意味をあわせた会意文字と言われるものですがなんとなく愛着が沸くと思いませんか。

そもそも、木枯らし1号の発表は正式な観測情報ではなく、季節現象としてお知らせしている情報らしい。「木枯らし1号」は気象庁が考えた言葉で、その言葉の歴史はまだ浅く、30年そこらだとか。それでも広く知られているのは日本人が季節ネタ好きだからかな。「梅雨入り・明け」「さくら開花」「春一番」……発表のたび、みんな大騒ぎ。そんな日本っていいな、って思う。

ウオークも集合時間にブルブル震えてても、歩きだすとポカポカと人の温もりの様に暖かくなります。今年もあとわずかの行事しか残っていませんが、大晦日に「今年も元気で、よ〜歩いたなぁ」と振り返ることのできるよう頑張りましょう。


[1414] 【1429回 お大事に★ウオーク復帰待っていますよ】 2007-11-16 (Fri)

今日は私の大切なお得意様の奥様の話です。ある日突然ウオークに目覚め大阪府歩け歩け協会の「公園シリーズ」のパート7までを歩かれて最後の「パート8」を目前にして病魔が襲ってきたそうです。私は自慢じゃないけど公園シリーズは「パート8」だけ参加しました。私の方は、この奥様との面識はない(奥様の方は環状線ウオークの時にアバラ骨が折れた瞬間と渡船めぐりで私を認識済みらしい)

ご主人様にお願いして、いつかぜひご対面をと約束をしました。そんなわけで8回の完歩に「おめでとう」を言うつもりで初めて公園シリーズ「パート8」に参加してこのご対面を心待ちしていました。探しても探しても、とうとうお会いできずで寂しい思いをしたものです。ご主人様に「お会いできなかったことを残念に思いました」と伝えましたら「いま入院している」との事でびっくり!!

「歩けるようになるのかしら?」と不安げな言葉をご主人様に投げかけたそうです。ふと7年前の自分が緊急入院して手術を受けた事を思い出しました。「歩ける」ということがこんなにも大切で楽しみで意義があるということを健康な時には気が付きませんでした。入院中に病院の近くを大阪府歩け歩けの例会がありウオークされていて窓から外を眺め、うらやましいやら、悔しいやらでジダンダを踏んだ覚えがあります。

それからは、あせらずに序々に回復し(丁度、伊能忠敬ウオークが大阪を通過しジープで応援しましたが揺れる度に傷口の痛かったこと!いま思い出してもお〜イタタッ)歩くのは勿論、今はクライミングや3000メートル級の山も平気になりました。だから奥様もまた元気に歩くことができるようになりますよ。この思いが伝わるかどうかわかりませんが心からお見舞いを申し上げたいと思います。私の「パート8」の参加シールお見舞いに差し上げて素敵な完歩のバッジをプレゼントしたいのですが「不正」でもらったバッジは輝きませんからね。(それに協会のチェック厳しいしね・・笑)

退院して復帰されても、無理をして、すぐ歩かないで下さいね。少しづつご主人に付き添ってもらって序々に復帰してくださいませ。ご対面出来る日を一日千秋の思いで待っています。人間一生歩かなければいけないのですから、今は足の保養と思って少し歩くのを辛抱してください、。いずれ名乗りをあげていただいて一緒に歩ける日を楽しみにしています。   お大事に!


[1413] 【1428回 とうとうババシャツを着用か】 2007-11-16 (Fri)

コンコンコンと咳がとまりません。まるで背中にコンギツネを負んぶしているようです。しかし自慢ではありませんが私はババシャツなる物をいままで着用したことがありません。持ってもいません。真冬でもブラジャーの上にスリップのみです(誰〜想像しているのは!)更衣室でも女子社員に「エーッこの寒いのにシャツ着てないんですか」と言われ続けてきました。monbelの速乾性という半袖の下着は登山用に持ってはいますが登山に出かけるときしか着用しません。

ところがところがです・・・還暦を迎えようかと言う昨今、ババシャツが恋しいと思うようになってきました。家中を探してもありませんのでユニクロでいま洒落た下着をCMでやっていますので買おうかな?と思う今日この頃です。それだけ外気が寒くなったと言うことでしょうか。

話しは変わって11/14の新聞に「濱口梧陵さん」のことが全紙面を費やして掲載されていました。私はこの濱口梧陵さんが私財「銀94貫」を投じて作られた偉大な「広村堤防」を何時の日かウオークしたいと思っています。過日消防署の皆様と訪れた時は「津波の勉強」が目的でしたのでウオーカーとしてはあの「広村堤防」を歩けなかったことが心残りでたまりません。長さはたったの600メートルですので「あっ」という間にゴールするとは思いますが歴史を感じながら歩いてみたいです。(銀94貫って今の貨幣でどんだけ〜?)

昭和21年の「昭和南海大震災」の津波ではこの「広村堤防」がなかったら村は全滅だったと言います。「梧陵さんのおかげ」とこの地に住む人達は今でも小さな子供から年寄りまで尊敬しています。「安政の大地震1854年」の時、梧陵さんは津波の危険を感じて広八幡神社に住民を避難させました。暗闇の中、大切な稲むらに火をつけて避難誘導の方向を示されました。暗黒の中で、もがく人々に勇気づけた希望の灯だったのです。

11/3は安政の大津波で犠牲になった人の霊を慰めるために「津波祭」が明治36年に始まって今年で105回も続いているというから凄い。この日は地元の小学校、中学校の生徒が堤防に集い、土を盛ったんだそうです。子供達は「広村堤防は世界一です。みんなすぐ駆け上がれるし、松が濁流物を妨げ、圧死を防いでくれる。命を救う堤防なんや。地域の誇り、日本の誇りなんや」と濱口梧陵さんの話しを誇らしげに語るのだそうです。

(参考)稲むらの火祭り
10月20日町役場前で点火された松明の大行列は、夜のとばりの中、堤防に沿って進み、やがて広八幡神社まで行進するのだそうです。来年は行こうっと!



[1412] 【1427回 安芸の宮島の鹿も大変だって】 2007-11-13 (Tue)

午後6時30分から3時間の「心肺蘇生法の講習」に参加していま戻りました。お腹ペコペコです。人工呼吸が省略だとの噂でしたが、とんでもない話です。詳しくは納会の講習時にお話したいと思います。

広島県の安芸の宮島と鹿は切っても切れない間柄であります。観光客は鹿も含めて「安芸の宮島」を求めて訪れるらしいです。マナーの無い観光客は「エサを与えないで下さい」と書いた看板のそばでエサを与えていました。山に帰らなくてもエサが貰える、貰えないときは売店のお土産品に手を出す、観光客の弁当に飛びかかる、ゴミ箱をあさる、の繰り返しだそうです。私も安芸の宮島でエサ用の「鹿煎餅」を購入した途端、どこからか鹿の大群がやって来て押し倒されてしまったことがあります。この間も能勢の棚田の収穫祭の帰りに立ち寄った府民牧場で同じ様なことがあり零くんも、ももちゃんも大泣きしてしまいました。アヒルのエサを買った途端、羊の群れが飛びかかってきたのです。その夜は零くんも、ももちゃんも思い出してか夜泣きをしたそうです。

安芸の宮島で死亡した鹿の胃袋を解剖して開けて見ると「布切れ、ナイロンの紐、ビニール袋」が大量に出てきたそうです。どうすればいいのでしょうか?簡単なことです「エサを与えない」「ゴミを捨てない」観光客が、たったこれだけのことを守ってくれれば鹿は死なずに済むのです。山に帰り自分で採取したエサを食べれば死ぬこともないのです。鹿が土産物に手を出さなくて済むのです。ウオーカーのマナーについて意見交換をしましたが観光客もマナーを守っていない人が沢山います。

納会で訪れるであろう箕面の滝も猿がいたずらをして困っていると報じていました。車の中にまで入ってきて食べ物をあさる、紙袋を見るとエサと勘違いして襲ってくるなど、あんなかわいい仕草をするお猿が邪魔者扱いにされてしまっています。箕面の滝付近は猿の居住区なんです。そこへ人間が侵入して行って動物の世界をおびやかしているのです。私の岩のトレーニング場の芦屋ロックガーデンにも季節によっては子連れのイノシシと出会うことが頻繁にあります。びっくりささぬように、そっと足音をしのばせてその場を去ることにしています。だって猪突猛進!こわいよ〜




[1411] 【1426回 そっそっそんな無茶な!!】 2007-11-11 (Sun)

「もっと尻をへっこませろーっ!」30メートルはあろう岩の下からリーダーの指示が飛びます。「すいませーん!岩に腹がついちゃって尻をへっこめることができませーん」

芦屋ロックガーデンキャッスルウオールでのロッククライミングでの出来事です。まだ夜も明け切らない午前6時から車を走らせます。高座の滝で老人達のラジオ体操が終わったのかゾロゾロと降りてくる人達と出会います。「おはようございます」見知らぬ人達ではありますが朝の挨拶はさわやかで気持ちがいいですね。

駐車場に車を留め、クライミングの道具の入ったリュックはやたらと重く、一歩一歩ゆっくりとしか進めません。岩場の練習をするときはこの登り道がストレッチと同じ役割をします。紅葉にはほど遠い山々の中に立ち枯れした松の木が哀れさを誘います。いつも流れている水も枯れていて水たまりもありません。イノシシも朝寝をしているのか出くわすこともありません。

やっとの思いでキャッスルウオールの下に到着しました。ハイキングでここを通過する時、時々クライミングをしていた人達を目にすることがありましたが「何とおっそろしい事をする人達だ」と冷ややかな目で見て通っていましたが、まさか今、自分が岩の魅力に取り付かれようとは想像もしませんでした。

最初のきっかけはアルプス「剱岳、槍ケ岳」を目指すにはクライミングの体験が必要ということからスタートしました。ウオークと違って道具を揃えるのに費用がかなりかかります。最初はハーネス、カラビナ、シュリンゲと少しづつ揃えて行きます。もういまでは腰に装着した道具だけ見るといっぱしのクライマースタイルです(ギャハハッハ)

わずかしかない岩のくびれに手や足をかけて高さ30メートルの岩場に登ります。ビルで言うと8階の高さです。途中で足や手をすべらしてロープに宙吊りになることもしばしばですが最初の訓練で「落ちる練習」をしていますので怖くないと言ったらうそになりますがロープがあるから安心なんです。

のぼりかけた時、かなり低い位置だったんですが足を滑らせて振り子の様に岩場を左右に走ることとなりました。私がロープの流れに逆らってのぼっていたための衝撃のようです。全てが真剣で、すべてがいつも新鮮です。日曜日は通過するギャラリーが多いために土曜日の練習となりますが今日も3〜4組ほどのマナーの良いギャラリーが通過しました。

いつだったかのギャラリーは昔クライミングをしていたと話し始め、下から「右、右、もっと右ちゅうねん」と指示をする通過者もいます。公共の場をお借りしての出来事ですので「うるさい!あっち行け!」とも言えずつらい思いをすることもあります。ここでも「マナー」の有無によって快適な1日をすごせるかどうかが問われることとなります。


[1410] 【1425回 これこそがウオーカー広場!】 2007-11-09 (Fri)

私が「大旗の後ろで足踏まれた」の話が端を発し、桃太郎さんが3月の「奈良大文字火床と奥山めぐり」で体験されたことを書き込んで下さいました。そしてサスケ先生が今後のウオークの方法についてアドバイスして下さいました。更に桃太郎さんが解りやすい事例とともに解決の糸口を提案して下さいました。そしてそして澤田さんからのご自身の苦い思い出と近況について書いて下さっています。文章の最後は「組織委員の皆様、あきらめることなく正しいウオーキングを確立してください。」と大阪府歩け歩け協会に熱いエールを送っていただきました。会長、副会長他スタッフ一同、皆様の温かい提案、励ましを受けて、さらなる楽しく正しい歩きを目指して努力致します。貴重なご意見ありがとうございました。

ひとつのテーマで全国のウオーカー広場の皆様が、それぞれに意見を出し合って頂き「そうか!そう言う考えもあるのかぁ!」と参考にして頂ければ楽しい意義深いウオークになると思います。グループで山登りに行き、昼ご飯を食べ終わると、リーダーの合図で昼食に利用した割り箸を持って座っていた付近のゴミ拾いをします。そんなグループもあるかと思えば休憩したであろう場所にグレープフルーツの皮を丸々1個分(4切れ)を平気で残して行ったグループもいます。走って行けば、まだ間に合うのであれば走って行って「お忘れ物ですよ」と渡したい気分になります。

昔はミカンの皮などは「自然に返す」とか言って平気で放かしていたことがあります(ごめんなさい)公園シリーズでお気づきの方もいるかと思いますが、ほとんどの公園からゴミ箱が撤収されました。家庭用のゴミを捨てに来る者が居るからかも知れません。溢れて周辺にこぼれたゴミは美観と環境に悪いですものね。11/4の公園シリーズ第8回ウオークの帰りの西九条バス停でのこと。どこからかおじいさんがビニール袋にいれたゴミをコンビニのゴミ箱に捨てに来ました。後ろ姿を追って行くとなんと宝くじ売り場のおじい(さんは省略)だったんです。多分コンビニの店員は気付いてないと思いますが日常の行動だと思います。「こんな所の宝クジなんか当たるはずないわ」と言うとポチ曰く「ロトシックスだから、そんなの関係な〜い」だって!!






[1409] 【1424回 メタボリックシンドロームから回避しましょう】 2007-11-08 (Thu)

メタポリックシンドロームについては「bP396回」で書きましたのでここでは省略します。男性ウエスト85センチ以上、女性90センチ以上が危険ラインだということだけ思い出して下さい。

●早食いはダメ
食事を初めてから、脳が「もうお腹イッパイだよ〜」という信号をだすまでに20分以上かかるので、早食いだと信号が出る前に食べ過ぎてしまいます

●まとめ食いはダメ
食事時間が不規則で、一度にまとめて沢山食べるとエネルギーが大幅に過剰になって、脂肪として蓄積されやすくなります。1日3食、食事の時間もスケジュールに入れましょう

●夜食はダメ
寝ている間はエネルギーの消費が少ないので、就寝前に食事をとると太りやすいのです。食事は就寝の2〜3時間前に済ませましょう。「 手軽に食べられる物は置かない。歯を磨いたり、本を読むなど好きなことをして気をそらしましょう」

●朝食抜きはダメ
朝は1日で1番体温が低く、エネルギーが消費されにくい状態です。朝食を抜くとエネルギー代謝が上がらず、脂肪が消費されません。時間のない人は(もっと早く起きなさ〜い)簡単な朝食「牛乳+バナナ」「チーズ+野菜ジュース」「シリアル+牛乳+ヨーグルト」など簡単でも栄養価の高い朝食をとってから会社や学校に「いってらっしゃ〜い」ですね。

●禁煙
喫煙者にとっては、何かと肩身の狭い思いをしている人が多いかと思います。でもやめられないんですよね。たばこの害は血管の収縮、血管がつまる、血圧上昇、LDLコレステロールの増加があります。(それでもやめられないんですよねぇ)禁煙のポイントは喫煙に関する物を置かない、吸いたくなったら他の事をする、誘惑の多い場所には行かない、気張らず「あと1日・・・あと1週間」とやり過ごす、つい吸ってしまってもあきらめないでね。

●禁酒  
過剰飲酒は血流量が増え、心臓の負担が大きくなって血圧があがる、エネルギーが過剰になり高脂血症や糖尿病になる、肝臓がアルコール分解で忙しく、脂肪が後回しになって肝臓に蓄積していきます。これからの季節は何と言っても鍋!に日本酒、おでん!に酎ハイと「たまりません、やめられません」の世界だと思います。ではこれだけは守っていただきたいと思います。

@人と談笑しながら飲む(ひとりで暗い酒を飲むなってこと)
A食べずに飲まない(胃を保護してから飲む)
B自分の適量を知っておく(電柱の影でゲロしている女はみっともないよ)
C週に2日は休肝日をつくる(なが〜くお酒を飲むためにはこれしかないです)

これに併せて運動もしていただきたいのですが、勿論大阪府歩け歩け協会のウオークに参加して有酸素運動をお願いしますよ。但しマナーを守ってくださいね。お願いよ。



[1408] 【1423回 ヒャッ!としました】 2007-11-07 (Wed)

11/6 午前10時すぎ「ドンッ!」と言う身体に感じる揺れが2度ほどしました。すぐフロアーのドアを開け、入り口を確保、館内放送でエレベーターの使用中止を促しました。阪神大震災の時の恐ろしい体験が甦り、胸がドキドキしました。幸いな事にその後の揺れは感じられませんでしたが「天災は忘れた頃にやってくる」と言います。

震源地は奈良県で「震度3」、此花区は「震度1」と発表されていましたがグラグラッという感じの揺れではなくて阪神大震災の時のようなドンッと突き上げるような揺れでした。近鉄南大阪線、奈良線、生駒線も徐行運転が続いていたといいます。安全が第一です。

こわかったです。阪神大震災の時、ラジオを聞こうにも停電で電池も探せずで暗闇の中で不安な夜明けを待ちました。もう一度防災についての心構えを、しっかりと認識しなおして見ようと思いました。

私の母は、私が中学1年生の時に他界しましたが小さい頃の母の言葉、仕草はちゃんと覚えています。夜。寝間に入るとき私が脱ぎ捨てた服をたたみながら「地震が来たときに、すぐ逃げれるように脱いだ服はきちんとたたんで寝る」土間に左右に散らばった履き物を直しながら「火事の時これでは逃げ遅れる」と納得のいく能書きを言って躾としていました。いまでも母の教えは生きています。



[1407] 【1422回 30キロ歩き抜いた黄金の脚】 2007-11-05 (Mon)

「何を30キロぐらいでオーバーな!」そんな声覚悟の上で書いています。今までの私の最高記録は四万十川ウオーク42.195キロですがフリーウオークだったため、長距離の悲壮感はありませんでした。故郷の懐かしい景色に浸りすぎて、タイムオーバーのため役場の車に回収寸前であったことが思い出されます。ゴール手前の四万十川の堤防を「ようがんばった〜」と泣きながら回収車にも乗らずゴールした時、肩を抱き合ってうれし泣きしたものです。あれからは少し体力も出来て、今だったらあの頃よりは快適に歩けるのではと思ったりもしています。公園シリーズ第8回30キロコースは靱公園で先頭大旗の騎手という仕事がなければ途中でくじけていたかも知れません。

八幡屋公園で最後のトイレ休憩の後にコースリーダーが「よっしゃ、ちょっとスピート出すけどついてこれるか?」と聞いてきたときは思わず反射的に「大丈夫ですよ」と答えてしまいました。ほんまに大丈夫かいなと自問自答しながらもゴールまでの距離が目測でき不思議と快適に歩くことができました。そして今朝も「アイタッタ病」に悩まされることなく会社に来ることができました。

ウオークではズボンを履いているとわかりませんが「細い足だね」とみなさんが誉めて下さるその裏には「ようそんな太い身体をその足が支えているなぁ」と思われているに違いないと思っています。私の父親は男でありながら、スネ毛もなく、とてもきれいな足をしていました。父親に似ているところはこの黄金の足2本しかありません。昨日も入浴後「まぁよう頑張ったこと!」と自分の足を誉めてやりました(笑)

途中で車椅子に乗った人と介護の人に何組も出会いましたが「歩ける」ということが当たり前の私達と違って、あの方達は「うらやましい」そんな羨望の眼差しではないかと思います。昔のことですが生駒ウオークの時、車から出てこられた足の不自由なおじいさんが「私の分も歩いて下さい。気を付けて」と声をかけて下さったことがあり、胸にジーンとくるものがありました。「歩けることが幸せ」と純粋な気持ちになって歩けたら、前の人の足を踏んづけてまでも吾れ先にという気持ちは消えてしまうのではないでしょうか。

秋の景色を楽しみ、やがてくる冬の季節を感じながら風情を味わうウオークこそ大阪府歩け歩け協会の歩けだと信じています。私は時々お休みをさせて頂く不良スタツフですが参加したときは、人と人のふれあいがたまらなく好きです。



[1406] 【1421回 計画変更でガクッ!】 2007-11-02 (Fri)

「磐船神社よりも、もっといいとこへ行こう」と言うことから連休は今年最後の山へ登り、山小屋かテントで過ごそうと計画中でしたが、相棒が忙しいらしく実現できませんでした。山小屋でポチの61歳の誕生日を迎えるつもりで、すっかりその気になっていたポチが落ち込んでいるので今日はご機嫌とりのケーキを買って帰ることにしました。サスケクリニックの向かいに美味しいケーキ屋を見つけたのです。

「あっこのケーキを下さい」
「ローソクはお付けしますか」
「そうですね3本もあればいいです」
「プレートもお付けしましょうか」
「ではポチって書いて下さい」
「かしこまりました。かわいいワンちゃんなんでしょうね」
「えっ?ポチは犬ではありません。主人です」
「ご、ご、ごめんなさい」
謝らなくてもいいのですよ。何ともややこしいプレートを頼んだものです。


[1405] 【1420回 「運動器不安定症」って知っていますか?】 2007-11-01 (Thu)

身体が思うように動かない、、病気ではないのですがちょっとした事で足腰が弱ったと感じることってありませんか?運動器不安定症は首から下の臓器を除く全部にあてはまるのだそうです。転んで骨折が原因で介護が必要になることもあります。女性は特に加齢に伴う骨粗そう症の危険性が高まってきます。子供の頃の食生活や運動も大きく影響してくるそうです。朝礼で長く立っていられない、ジベタリアン(コンビニの前や駅で地べたに座る若者の事)が多いのも気になります。

●セルフチェック
@開眼片脚起立(バランス)片目を閉じで片足で立つ訓練をします
A3bタイムド・アップ・アンド・ゴー
3bを歩いて折り返す。11秒以内でゴールできればOK

一度骨折等をすると高齢者の方は「閉じこもり」の傾向があり運動不足に加えて精神面も弱くなり病気を引き起こします。

●予防
ダイナミックフラミンゴ療法
1分間片足を30センチあげて立つ練習をすると1時間歩く事と同じパワーが養えるといいます。またタタミに寝て片足を5〜10センチあげて訓練をしてください。現代は、お年寄りにやさしくない環境が増えています。ウオーカーの皆様には心配はないと思いますが、ご家族の皆様の中で少し「閉じこもり」傾向にある方がいたら、ぜひ一緒に励ましながら「転ばない」人生を歩んで行きましょう

良いことはみなさん簡単に言ってくれますが、要は「続ける」ことが大切だと思います。人の真似ではなくて自分で見つけ出した健康法も結構いいものですよ。私も初志貫くべしと思いウオークを続けています。おかげさまでやっとこの頃成果らしきものが見えて来たように思います。


[1404] 【1419回 痩せるメモ帳】 2007-10-31 (Wed)

体重117sの49歳の男性が食べた物をメモ帳に記入するだけで1年間で65sのダイエットに成功したという話しを聞きました。「ほんまかいな!」誰もがきっとそう思われることと思います。

宇宙へ飛び立つロケットに見立てたダイエット方法です
@助走の部(5ケ月間)
食べた物を時間とともにメモに残します。食べるのを止めるのではなく量を半分にするか2日に1回に減らさなくてはとメモが教えてくれるようになるそうです。

A離陸の部(3ケ月間)
ただ食べた物をメモしていた段階から、食べた物のカロリーを書き込み、毎日体重を計ります。体重を知ることはダイエットへの近道だといいます。太った人に体重を聞くと「○○sぐらい」とはっきり言わないのが特徴だそうです。

B上昇の部(4ケ月間)
1日の総カロリーを設定します。1500カロリー内に設定しましょう。失敗は「メモを書くことをやめること」だそうです。停滞期が必ずやって来ますがその時はウオーキングや満腹になる前に食べることをやめる方法を併用して下さい。

この方法はリバウンドがないそうです。太っている人は「太り続ける努力を、知らず知らずのうちにしてきている」結果だともいいます。「人間は見た目じゃなくて中味が大切」と言いますが、見た目が変われば中味もかわるそうです。

1年間で52s痩せた人の話は説得力ありますが117sの体重保持者だったことが私に言わせると異常ではないかと思っています。危険なのは「食べないで痩せる」ことだと思います。最近の小学生は朝食抜きの子供が多いと新聞に出ていましたが1時限目の授業から元気溌剌と勉強できる環境を作ってあげられる大人でありたいと思っています。

ウオークに参加の方達に不思議と太っている人はいません(ごめん。一人だけ見たことがあるわー)歩いた結果痩せたのか、歩いているから太らないのかわかりませんが身体にいいことは間違いありません。ただがむしゃらに歩くのは楽しくありませんから四季の移り変わりや町並みを楽しみながら身体も心もスマートになりたいですね。

収穫祭の日に長谷の棚田歩きの団体を見た息子に「おかんもこんな歩き方してるんか?」と言われたと書きましたよね。すぐ反論できなかったことが悔しいです。車の音がしているにもかかわらず両方に散らばる(どちらか一方にもっとしっかり除けてよ)。ひどい人は無視して歩き続ける、(あんたの耳は難聴か?)クラクション鳴らすと恐い顔してにらみつける、(ミラーでその顔見せたろか?)こんな場面を息子や嫁や孫達に見せたことで、おかんのウオークそのものが否定された気がしてなりません。大阪府歩け歩け協会の行事ではこんなことないよと、なんですぐ反論しなかったんでしょうか(守れてない時があるのでじっと耐えていました)


[1403] 【1418回 御福餅よお前もか】 2007-10-31 (Wed)

伊勢名物の「赤福」の不祥事から後、御福餅が脚光を浴び、売れに売れていたといいます。「類似品」だといつだったか申し上げたと思いますが包装紙も中身もそっくりでよく堂々と商売ができるものだと常々感心していました。(ポチが赤福と間違えて御福を買ってきて怒った事があります)

しかし皮肉な事に赤福の閉店の影響で笑いが止まらないほどの売れ行きだったといいます。いつも赤福の陰で店頭に並んでいたあの御福餅が。真面目な商いをしていたならば伊勢名物は「♪御福餅でいいじゃないか〜♪」と言われるほどになること間違いなしのチャンス到来でしたのに。またまた賞味期限の偽装だとか・・・・御福よお前もか!

自分の家に持ち帰った後の賞味期限を過ぎた物については自己責任で文句は言わない。建築物もNOVAも食材も出るわ出るわの不祥事、しかもすべて内部告発が発端となっています。

私の家で買い置きしていた手洗いの詰め替えパックを使おうと思った時、何と中身がなくなっていました。蒸発したのかなぁと思い、原因を調べてもらおうとお客様苦情係に郵送しました。すると電話がかかってきて実験の結果、小さな穴があいていて漏れたのだといいます。まず保管していた場所が漏れた液で汚れていませんかと気遣ってくれ、気が付かなかった事を告げました。

その後、切手と代替え品と実験報告書、今後更に研究を重ねると書いてありました。とても敏速で的確な処置だと感心しました。今回の対応の良さを受けて、今までどこのメーカーでも良くて目に入る物を購入していましたが今後はライオンの「キレイキレイ」を探して買おうと思いました。

一般の人を対象にする時は「偽装」なんてもってのほかで消費者の質問、苦情にも納得いく処置をするべきで赤福も御福餅も伊勢から消えてしまっても仕方がないかと思っています。赤福の柔らかいアンコと餅のコンビが好きだっただけに残念でたまりませんが、万一復活したとしても絶対もう買わないと思います。アンコの波は五十鈴川のさざ波をイメージしていたと言うのに、五十鈴川までもがとばっちりを受けた気がしてなりません。


[1402] 【1417回 棚田の収穫祭】 2007-10-29 (Mon)

「公園シリーズ」の例会をお休みさせていただいての新米の引き取りに(収穫祭)行くこととなりました。スタツフの皆様ごめんなさいね。ウオークレポートお願いしますね。

前日の雨とは、うって変わって秋晴れの晴天、風もなく日差しもやさしく、まさに収穫日和です。サスケ先生とうららちゃんは、すでに現地に到着している様子ですが私達は一庫ダムあたりで渋滞に遭い、なかなか到着できません。当初の収穫祭は稲刈りと同日にしていたので一度で済みましたが今は農家毎にイベントを実施するようになりました。狭い道路に道いっぱいに広がって歩くウオークの団体に息子が切れて、とうとうクラクションを鳴らしました。

「おかんらもこんな歩き方してるんか?」鋭い質問です。本当にひどい集団でした。先頭旗等がなかったので小さな団体だと思いますが「人の振り見て我がふり直せ」です。やっとの事で駐車場到着です。もう車をとめるスペースもないほどに人の群れです。お餅の列、猪汁の列と大にぎわいです。

お餅の列に並んでいたのですが「わら草履作り」をしていると小耳に挟み、そちらへ急行しました。なつかしい風景です。じつは父親亡き後母親が生活のために「炭俵」を作る内職をしており、夜な夜なワラを濡らし、たたき、編む、の行程を子供の時にじっと見て育ちました。「おかあちゃんまだ寝んが?」「これを仕上げたら寝るけん美智子は先に寝間に入っちょりや」そんな会話があったと、うっすら記憶に残っています。ワラを6本手に取り手のひらで「より」を作ります。ヒョイヒョイヒョイと完成です。四苦八苦されていたサスケ先生が「ホーッ」と褒めて下さいました。しかし初体験のサスケ先生もすぐにマスターしそばにいた子供達に指導をするまでになりました(すごい!)話は変わりますがいまテレビで「歌姫」というドラマが放映されています。(金曜日の午後10時から4チャンネル)土佐清水が舞台でなつかしい土佐弁がドラマ全体からポンポン飛び出して、まるで中村に帰郷したみたいで欠かさずみています。

嫁の洋子ちゃんが「わら草履作り」をしたいと次男と共に必死です。その間赤ん坊の子守りと走り回る零くんとももちゃんを追っかけます。石垣をみたら登りたがる零くんに付き添っていたポチが悲鳴をあげました。怪我かとおもいきや、マムシが出没したらしいです。農園主に言って退治したマムシは次の瞬間網の上で焼かれていました(蒲焼き)

田圃の中に転び顔からドロだらけの零は真っ裸で走り回ります。慎重派の長男が来ていたら大変なことになっていたと思います。手から血も出ていましたが純ママが「大丈夫よ」と言うので安心です。この素晴らしい環境を味わえることが故郷のない孫達にとって婆からのプレゼントだと思っています。

やっとわら草履ができあがり「芋掘り」会場へ移動です。サスケ先生の畝も我が家の孫達に解放していただきました。ツルの下から大きな大きなサツマイモが出て来ます。蒸かしイモしか知らない孫達は、目をシロクロしてまるで運動会の綱引きの様にイモ引きを楽しんでいます。零はイモとは関係なくスコップを持って土いじりをして遊んでいます。イモ堀りを終え、ここでサスケ先生達とお別れして次なるイベント会場「府民牧場」へ行き残り、のパワーを使い果たして帰路につきました。  つ〜か〜れ〜た!


[1401] 【1416回 亀の早朝ウオーク】 2007-10-25 (Thu)

今朝のバイクで出勤時、道路に異様な固まりを見ました。石だとバイクが転倒するので徐行して、よくよく見ると何と首をもちあげた大きな亀ではありませんか。しかも道路のど真ん中にです。どこかで飼っていた亀が逃げ出したのか、捨ておれたのかわかりません。(かぼちゃの丸ごとくらいの大きさです)

このままでは車に引かれてしまいます、かと言って出勤前だしと困り、高見交番にかけよりました。しかし朝の巡回なのか不在です。また亀のところまで戻るとダンプカー(助手付き)がやってきました。思わず「ストップ」をかけて事情を説明し助手席のあんちゃんに降りて来てもらい「あとは頼んだでー」と声をかけ、公園で朝から酒を飲んで雑談しているおじいさん達に「持ち主探したってなー」と会社へ急ぎました。

CMにも「亀は置いて行きなさい!亀は!」とありますが、まさか道路の真ん中でウオーク中の亀に出会うとは思ってもみませんでした。矢印もないし、スタツフも立っていないしゴールもどこかわかりません。逃げたのであれば自己責任ですが、捨てられたのであればかわいそうでなりません。高見交番で飼われていたらいいのですが、帰りに立ち寄ってみようと思います。

朝はそんなことがあり、夜は大阪府歩け歩け協会10月の運営委員会の日です。ポチから好日山荘に立ち寄り「ヌンチャク」を買うようにお金を預かってきました。安〜いの買って手数料もらわなくっちゃあ(お釣りをごまかすということかいなぁ?)

会議内容は平成20年度の年間予定表の完成へ向けてです。ほとんど仕上がっているのですが念入りにチェックをします。よその協会と重複しないように(と言っても日曜日は4回と決まっているのでなかなか難しいですね)、日本ウオーキング協会の行事との兼ね合い、バスウオークと来年も、盛りだくさんのウオークが楽しんでいただけるのではと思っています。
            ↓
ところが・・・ところが・・・・誰もいません!
会議はいつも「最終の木曜日」というキャッチフレーズを私が思い込んで会議場所に行ったのですが(結果は26日の金曜日の勘違いでした)そのまま家に帰る気もせず知人の家に立ち寄りましたが、ここもまた留守。せっかく夕食を一緒にしようと思っていたのにね。今日はどうも三隣亡!

人生、ひとつしかない生身、スケジュールに無理をしないで楽しくウオークに参加して頂き、家族行事も大切に、プライベート行事も楽しみつつ、満遍なく、こなして頂きたいと思っています。スタッフとしては「あてにならぬ奴」だとは思いますが少し遅咲きの「青春謳歌」で行こうと、朝の亀を見て思った次第です。

「もしもし 亀よ亀さんよ のろまな人生いいけれど 道の真ん中あぶないよ 人生ゆっくり 楽しんで 私に対しての 教訓か」



[1400] 【1415回 秋はやっぱり黒豆の枝豆でキューッと!】 2007-10-25 (Thu)

丹波篠山の黒豆の枝豆を購入してきました。そう言えば篠山四十八滝バスウオークの時はバス2台、100人で枝豆買い物ツアーをしましたね。またまたその季節がやって来たということですね。来年のバスウオークの希望に「篠山四十八滝」を提案していますが、さあ採用してもらえるのでしょうかね(多分無理?!)ほこほこ、ぷくぷく、もっちりとビールのあてにはたまりません。飲み助でない私が言うのですから太鼓判!

しかし大阪のスーパでも「丹波の黒豆」と称して店頭にならんでいます。鮮度命の黒豆がほんまかいなと疑い、私は大阪では買ったことがありません。篠山の隣の氷上町の人でも「土が違うさかいなぁ」と篠山の土に一歩も二歩も譲っています。丹波の土で育てるから「丹波の黒豆」なんです。いま産地偽装で食の世界は揺れ動いていますがサスケ先生ではありませんが「自分の目と舌」で確かめるしかありませんね。

バスウオーク効果は現地まで足を運び、現地の「道の駅」などで買い物をして現地にも現金の潤いを置きみやげにして、我々も新鮮な食材を頂いて帰る。これもまたバスウオークの楽しみ方ではないでしょうか。

鳥取バスウオークが12月2日にありますが鳥取と言えば「梨とらっきょうと長芋」季節的に無い物もありますが現地での買い物もまた楽しいものです(誰ですか鳥取と言えばラクダだと言う人は!)ラクダのじゅんちゃんに会えるかなあ


[1399] 【1414回 芦屋ロックガーデン】 2007-10-23 (Tue)

サンケイ新聞に「芦屋ロックガーデン」のことが紹介されていました。近代登山発祥の地として名高い「芦屋ロックガーデン」1年間で何十回訪れるのでしょうか。ある時はトレーニングを目的に、またある時はぶらりとお散歩(ちょっときついお散歩やな)コースに最適であります。芦屋に住居をかまえる知人は「子供の頃の遊び場」だと話してくれました。3000メートル級の登山を目指すときは最低5回は訓練に入ることもあります。登山とハイキングのすべてを味わう事のできる山場は全国でもロックガーデン以外には無いという人もいます。今年は剱岳と槍ヶ岳に行くために10回以上は通いました。大きな荷物を背負って自分にとって難関な山への挑戦を前に心を鍛えに行きました。

芦屋ロックガーデンの名付け親は「藤木九三氏」そう言えば槍ヶ岳の帰りにも彼に出会ったなぁ(本物ちゃうで〜レリーフやでぇ)「A懸垂」「B懸垂」「ゲートロック」に「ホワイトフェイス」「ブラックフェイス」「キャッスルウオール」など暗号の様な岩場が点在していますが、不思議なことに看板がなくても知る人ぞ知る。最初は歯を噛みそうな名前でも何十回も行けば自然と覚えて、この頃では「ではキャッスルウオール前で集合」と平気で号令をかけたり、かけられたりで、最近は駅で集合して集団で移動することはあまりなくなりました。

しかし素晴らしい場所ではありますが団体登山には不向きです。何故ならばトイレもなく、危険がゴロゴロしています。道に迷うこともしばしばで、行方不明者の白骨も見つかったりする場所だそうです(私は白骨には遭遇したことはありません)なので一人で行くことは絶対にしないでおきましょう。危険と言えば、過日の私の体験ですが、訓練を終えてヘルメットはリュックにぶら下げて、まもなく出口と言うところでフッと気を抜いたのでしょうか、回転レシーブのような転落をしてしまいました。頭も強く打ちましたが外傷もなく、向こう脛を怪我しただけで済みましたがロックガーデンに入る時、特に地獄谷に入るときはヘルメットを着用しましょう。もっていてかぶらないなんて事の無いようにしましょう。(私のこっちゃで〜)

危険がゴロゴロと申しましたが小学生の遠足でロックガーデンから風吹き岩のコースは人気があります。私達が岩場に取り付いていると「ヤッホー何してるのー?!」と向かい側から子供達のかわいい声がすることもしばしば。A懸垂あたりから大阪湾が一望できるので一度ぜひ訪れてください。と言うのは表向きで本当はあまり人に入ってもらわずに自分達だけで楽しみたい「秘密基地」の感覚もあるのが正直なところなんです。でも独り占めするには勿体ないし、かと言ってマナー違反をされると岩場が崩壊します。

「自然を大切に出来るひとだけどうぞ」これが本音でしょうかね。


[1398] 【1413回 第9回和泉弥生ロマン・ツーデーマーチ】 2007-10-22 (Mon)

秋も深まって、あちこちで紅葉が待ち望まれる今日この頃であります。「第9回和泉弥生ロマン・ツーデーマーチ」が10月20日(土)と21日(日)の2日間、泉北高速「和泉中央駅」集合で開催されました。前日の19日(金)はドシャブリの大雨のため会場はぬかるみ、準備に大わらわだった様子です。本番の2日間は晴天にめぐまれ10キロコース、20キロコース、40キロコースと自分の体力に応じて選んで歩きます。事前申し込みや当日申し込みと自由に参加でき主催者は和泉市商店連合会となっています。大阪府の5つのウオーキング協会がスタッフを出してサポートすることとなり、珍しく私も参加です。(せっかくお声をかけていただいたのでたまには協力したいなぁと思い張り切って参加しましたよ)

私の立ち番は10キロと20キロコースが通過する「松尾寺」。和泉市のワゴン車に揺られ8時半にはスタンバイOKです。ここを通過する足の速い人が10時30分だそうですので2時間待ちとなります。その間に松尾寺付近を散策して資料あつめです。何をしゃべるねん?って思うでしょう?このお寺は由緒があり一ノ谷の合戦で戦死した人々の首を源義経がこの寺に送り葬った首堂(こうべどう)がありました。

通過者に「ごくろうさま」の声をかけ松尾寺でチェックポイントがあること、給水ポイントであることなどを説明し首堂の話しをしました。熱心に首を傾けてくれる人、うなづきつつも足早に松尾寺の階段に向かう人など色々です。子供達には、やけに受けて「首をどうやって運んだのか」「首から血は流れたのか」とか質問攻めにあいました。普段のウオークでは味わえない貴重な体験だとおもしろかったです。10キロのアンカーと20キロのアンカーが通過したら、あとはゴールの和泉中央駅に向かって自由歩行となりました。ポチの立ち番である「梨本池出口」まで移動し昼食を交代で食べます。

歩行中に会社の上司から携帯に連絡がはいり上司の母親が死亡したので21日の通夜と22日の告別式の受付を頼まれました。101歳ということで天寿全うされたのですが、やはり寂しいものです。耳元で歌を歌うと一緒に歌い帰り際に「ヘルパーさん明日も来てや〜」と私をヘルパーさんと間違えた、あのかわいいおばあちゃんです。

2日目の21日の役割は「8キロコースのアンカー」です。家族連れ、子供会、バスでの団体参加となんか今日も楽しいことがありそうなメンバーであります。子供達は最初は元気でいいのですがお昼前のチェックポイント前になるとダラダラとお母さんが困っている様子。どんぐりころころの歌やウルトラマンの歌を歌いながらお弁当タイムにありつけました。この8キロは団体歩行なので12時出発ということで40分間ほどゆっくりできそうです。ここでは地元商店街の皆様がお茶やジュースの接待とハーブ茶をご馳走して下さいました。

12時を待たずにドンドコドンドコ歩いて行かれます。出発前にあれほど説明したにもかかわらず歩いて行くひとがあとを絶ちません。「11時45分に出発してはどうか」とバスで参加して来たリーダーがやって来ましたが「12時出発」を先頭のスタツフが再度お話しました。

その結果、少し空気がおかしくなったのでおしゃべり姫が登場して「早く出発したいお気持ちは充分わかりますが小さな子供達はいま到着したばかりです。どうか、この子供達に歩く楽しみを皆様が教えてあげてください。12時出発にご協力をお願いします!」と、説明し、やっとの事でご理解していただけました。そして我々もバスで皆様の故郷の生石高原に行ってきた事、素晴らしい故郷をお持ちで羨ましいとお話をすると途端におだやかな顔つきに戻りホッ。

午後の出発をアンカーは定刻通り守りスタートしてしばらくすると本部から携帯電話で「昼食場所に8名ほど残っている人がいるらしい」ということで、こりゃ大変だとアンカーが引き返します。すると子供5人に母親3人が歩いてきます。

「確認して出発したのですが、ごめんね。ところで何処にいたのかなぁ?」と質問するとドングリ拾いに山の中に入っていたとの事。そりゃ見落としても当たり前だと納得し光明池のまわりを子供達と楽しくゴールに向けて歩きます。ゴールの手前で、またまたダラダラと歩くのでなだめすかし走りっこしたり、ナゾナゾしたり歌を歌ったりしてやっとゴールしました。25キロ、20キロの皆様のお迎え隊の仕事も残っているのですが、今から通夜ということもあって自宅に急ぎます。何とか間に合いそうです。

通夜を済ませ、顔見知りの故人とご対面しましたら、胸元にかわいい「こけし」を抱いておられました。「ああ故人が大切にしていたこけしなんや」と思って見ましたが、何となく気になり家に戻り、暦をみましたら告別式の日が「友引」だったんです。そのための「こけし」だったんですね。長い闘病生活から解放されたのか、おだやかな顔で薄化粧をしておられ口元は笑みを浮かべているように見えました。明治、大正、昭和、平成を生きた故人に心から哀悼の意を表したいと思います 
                        (合掌)




[1397] 【1412回 秋ナス三昧】 2007-10-16 (Tue)

和歌山のおいやんから頂いたナスを今夜、頂くことにしました。とにかく「でっかい」のです。おすそ分けをしたいのですが、ちょっとナスの器量がよくないのです。市場やスーパーに並んでいるナスに比べると「ぶさいく」なんです。しかし皮をぶ厚く剥くと支障がないことは間違いなしです。

まず一品目は●焼き茄子、次は●ナスのみそ汁、次は●ナスの漬け物、気合いの入ったのは●ナスの田楽です。   

一富士、二鷹、三茄子と言いますが、一茄子、二茄子、三も茄子(関係なかったかな)。

お勧めなのがナスの田楽です。嫁の純ちゃんから奥飛騨のみやげに朴葉みそをもらっていたのを思い出しました。フライパンにたっぷりの油を敷き、小判方に切ったナスを並べ、少し焦げ目の付くほどに焼き、朴葉みそを絡まします。これが美味しい。

あ〜あ明日もまたナスビだよ〜ん。明日はナスの中をくり抜いて中に牛ミンチをつめて砂糖と醤油と酒で味付けをしょうかな。まだ美味しい料理方法あれば教えてくださ〜い。私的には「焼き茄子」が一番好きなんです。食べながら愉快な和歌山のおいやんを思い出しています。もうバイクの方向指示器は修理したのかなぁ。気になります。ハハハ


[1396] 【1411回 ショック!】 2007-10-15 (Mon)

昭和44年の今月今夜、今の会社に入社して一日を終えての夕げの時に姑はやさしく聞いてくれました「美智子さん、会社は勤まりそう?」「一日ではわかりません」と答えたいところをぐっと堪え「はいお義母さんが紹介してくれた会社ですから大丈夫です」と答えて辛抱に辛抱を重ね、はや38年が経過しました。来年の春には定年を迎えます。

昨日のバスウオークから戻り、ことのほか、ぐったりと疲れていましたので右足の靴は和歌山の生石高原方面、左足の靴は奈良の曽爾高原方面に脱ぎ捨てて荷物もそのままにして、1階にだらりと寝込んでしまいました。1年に1回あるかないかのぐうたらな態度だと自分でも思います。

そんな時、ポチが階下に来て「何や!だらしないなあ」とつぶやきました。生まれて初めて人から「だらしない」と言われました。私がポチには何度もそう言ったことがありますが自分自身が言われたのは初めてです。しかもポチに言われて。。。。ショックです。それほどにしんどかったんですがねぇ。家に帰ってホッとしたのもあります。湯上がりに飲んだビールが回ってきたのもあります。心地よいしんどさてした。まぁいろいろね。

いつもしない行動をして横になっている時は「よほどしんどいんやなぁ」と思うのが普通の人。「だらしない」と言うのは思いやりのない人。もっとやさしい人なら「儂が片づけておくから、先に休みなさい」というのではありますまいか。

まあ期待する方が無理な話なんでしょうか。しかし月曜日にはシャンと立ち直り会社に出勤することができました。ハイ
私の体調不良は突然にやってきて急速に回復します。槍ヶ岳の山小屋でも発熱と悪寒が続きましが、翌朝の出発時にはケロッとしていました。だいたいはギリギリまで我慢しているのですが「しんどい」と横になる時は本当にしんどい時なんです。理解してほしいなぁ〜!


[1395] 【1410回 和歌山県有田市へ】 2007-10-10 (Wed)

今日は消防署の施設見学会と言うことで和歌山県有田市にある「稲むらの火の館」に津波防災教育に行ってきました。奇しくも10/14バスウオークで行くところとほとんど同じコースです。ガイドもどきの勉強とばかりプロのガイドさんの一言一句聞き逃すまいとメモをとり続けます(バス酔いしちゃったよ)

それよりも何よりも「一人で参加しても決して退屈しない工夫」これが大阪府歩け協会の醍醐味であると思っています。今日は各企業から代表で参加ですから誰も顔見知りの人がいません。早朝から会社に出て仕事を済ませて集合時間ぎりぎりに行ってみるとバスの座席がほとんど埋まっています(大歩協の座席指定はgood)前方は消防署の方達で占領していて後ろの方しか空いていません。「すみません。ここよろしいですか?」と尋ねてから腰をおろします。

ずーっと沈黙のままバスは湾岸線を走ります。窓側なら外でも見れますが通路側なので、何となく目線の置き場がありません。ガイドさんが案内をしない時は目をつむって眠ったふりをするしかありません。こちらから話しかけても隣の方は短い会話しか戻ってきません。

バスウオークで一人で参加した方の気持ちが初めてわかりました。「静かなバスがエエ」と私の乗るバスを敬遠する人がいても、めげずに、にぎやかに進行した方が「一人参加の方達」のためには楽しいと言うことがわかりました。今日は施設見学よりもバスの中での過ごし方を勉強した気分です。

施設見学先の事も少し書くね。「稲むらの火の館」は消防署の関係だけあって津波の話です。和歌山県広川町に濱口梧稜さんという偉大な人がいたそうです。津波が予測されていて村人を守るために大切な稲束に火をつけて真っ暗な中、避難場所を松明の明かりで誘導し村人を救ったそうです。そののち私財を投げ打って大がかりな堤防を作ったという話。昭和の初めの国語の教科書には載っていたそうです。この続きは10/14のバスウオークで。。。。。ネ


[1394] 【1409回 今はもう秋誰もいない海】 2007-10-09 (Tue)

もう棚田はすっかり秋で、目の前を赤とんぼが乱舞しています。そして草むらから飛び出してきたのはコオロギ達でした。おっかなびっくりの小さな子供達に見せてやろうと、手の平に乗せて「これがトンボでこれがコオロギ」と説明しますが身体は後退し硬直しています。なぁるほど!絵本の中のトンボさんしか知らないですものね。他にも蛙やカマキリやバッタもいます。秋空を仰ぐと栗がイガから顔をのぞかせています。車の中にあったカゴの中にドングリと栗を拾っていれますがドングリだけがカゴの中の住民としてクリは何故がポイッと捨てられてしまいます。理由を聞くと「きらい!」そうか、あまり絵本の中に登場しないクリさんは嫌われてしまったようです。

コスモスが風に揺られて心地よさそうです。子供達はキャッキャッと言いながらコスモス畑の中を走り回ります。地主に暗黙の了解を得てコスモスを1輪2輪といただきました。紙コップに水をいれてお昼のテーブルの上に飾ります。風に誘われて、フランス料理と日本料理のい〜い臭いがしてきました。お互いが持ち寄ったご馳走の準備が整った様です。腹時計も丁度12時をさしたようです。「お父様、お母様、給食を作って下さった皆様(覚えていないので中略)残さず、こぼさず、よく噛んで いただきま〜す」と幼稚園の儀式に全員が参加しておいしいおいしい食事会がはじまりました。

「米買ったほうが安いで〜」と言います。その通りです。1年間のレンタル料を思うとスーパーの米が安いと思います。しかしこの自然をも含めた値段だとしたらどうでしょうか。棚田のサービス(連絡等も含めて)が年々低下して行く中で「もうこれっきり」と思いつつも何故か心が惹かれます。丁度昼ご飯を食べている最中に大勢のウオーカー達が通り抜けていきました。大阪の見覚えのある団体ではありませんでしたが「日生中央駅」から歩いて来たと言っておられました。このコースは最高ではありますが団体で通過するには地元住民の理解が求められません。ましてや春は蕗、秋は栗などの豊富な作物を「見るだけ」で通過するとは思われません。案の定ウオーカーの中に栗の木を揺すっている人がいました。

この美しい棚田に入る時はマナーを守れる人に限ります。



[1393] 【1408回 あっ今日は歌があるで〜】 2007-10-06 (Sat)

午前7時27分、西九条を発車して、奈良駅で乗り換え、加茂駅到着。これが10/6日のウオークの集合場所であります。空の雲はすっかり「秋」。しかし日差しは「夏」のように暑い。加茂の駅に来られた参加者の方が私の姿を見て「あっ今日は歌があるゾ。おはよう!」そんな朝の挨拶をして下さいました。

「9/23彼岸花の咲く飛鳥ウオーク」を急用で休み、天城越えバスウオーク以来の参加となりました。電車の窓からはニュースで言ってたとおり黄金色の稲穂と曼珠沙華の紅が美しい。9/23用意した長崎物語の歌を、そのままひっさげて加茂駅に到着しました。ほとんどのスタツフが同じ電車に乗り合わせており、前夜ポチが「7時27分は早すぎる」とブツブツ文句を言っていましたが何も早くないことが証明されました。(それにしてもスタツフも参加者も早いよ〜)

詳しくは「ウオークレポート」に書き込むことにしましたのでご覧いただきたいと思います。里山歩きは都会の中と違って、季節を味わえてリラックスすることができました。加えて10/14のバスウオークのお誘いをトイレ休憩、昼休みを利用してお誘いした結果、5名の方の追加がありました。ありがとうございます。

午後のウオークの途中で、女性の参加者の靴底がパクッと開きました。今日はアンカーを担当していましたので包帯で応急処置をして難なくゴールがきましたが「すみません、ご迷惑かけて」とおっしゃいましたので「包帯は怪我をした時に使う物、今日は靴の怪我ですから気にしないで下さい」と談笑しながら曼珠沙華ウオークを堪能することができました。

参加者の皆様をお見送りした後に、スタッフミーティングを行い、本日のコース、誘導に問題点はなかったかを話し合い、その後ウオーカー広場の「磐木様」の書き込みについて全員にコピーを渡し、周知徹底し、更に「安全で楽しいウオーク」に向けて努力をしようと決起致しました。


[1392] 【1407回 ○○記念日】 2007-10-05 (Fri)

「今日はサラダ記念日」ちゃう、ちゃう結婚記念日であります。さりとてポチが覚えているはずもなくこの書き込みを読んで「エーッ今日だったかー?朝言うてくれたらケーキでも買ってきたのに!」こんな言葉が返ってくるはずです。(腹立たしい!)我が家の冷蔵庫でもあるジャスコは夜中の12時まで開いてるちゅうねん。買うて来る気があれば今からでも間に合うちゅうねん!

女性は「○○記念日」をとても大切にします。大切な人の誕生日、子供の誕生日、入社した日、孫の誕生日等々、覚えきれないときはカレンダーに明記しておく。昭和44年10月5日。当時では珍しい「会費制結婚式」でした。会費制と言っても会費をもらったのは友人関係だけで親戚縁者は会費は頂いていません。まだひんしゅくを買う時代でしたから。友達同士で実行委員なんてのがいて、まるで同窓会の延長みたいな結婚式でした。

それから10日後に今の会社に入社して、舅姑、兄弟との同居で新婚生活が始まり、会社も仕事も新米で、息を抜く間がありませんでした。しかし「一生懸命さと若さ」で何とか乗り切り、長男次男が生まれ、ポチが入院したり退院したり、手術したりとまあ波瀾万丈の38年間でありました。一度だけ実家である姉のところに帰りましたが姉に諭されて舞い戻りました。それからの私の泣く場所は「トイレの中」となり実家に弱音をはくことは一度もありませんでした。

ポチの母上はまれに見るやさしい人で、この姑がいなかったら今の私はいません。近所の人の誰もが口を揃えて言うほどの素晴らしい姑で、もしポチが姑よりも先に、あの世に逝ったとしても、この母だけは生涯なかよく暮らしたいといつも思っていました。


[1391] 【1406回 話題の社会保険庁】 2007-10-04 (Thu)

今日は、今話題の「社会保険事務所」で社会保険委員会があり出席しました。3階で会議を終え1階におりてビックリ仰天!年金相談者が急増したのか今まで5席くらいだった待合い用の椅子が横3列縦6列に増えているではありませんか!社保庁の不審がつのり自分の年金を調べに来る人が多くなったのでしょう。

今後年金を受けられる方は35歳、45歳、58歳で通知が届くようになります。但し平成20年の6月から10月を目途だそうです。私の様に来年60歳を迎える人は60歳到達の3ケ月前にコンピューター打ちされた「裁定請求書」が自宅に届きます。手回しよく早めに住民票だの何だのと取り寄せても無駄になりますよ。60歳の誕生日を過ぎた日の物でないといけません。収入があって支給停止がわかっていても、とりあえず60歳になったら手続きしておいた方がいいですよ。

ありゃりゃ!そんな事、書かなくてもウオーカーの皆様はみ〜んな年金もらっている人達ばかりでしたね。こりゃまた失礼!この間、会長に冗談で69歳はまだヒヨコだと言われました。じゃあ私は卵かな?いやいや卵の前の卵子かも・・・(ハハハ)

長期間働いている私には「長期特例」という制度が該当され、この制度に乗っかり60歳から年金がもらえるはずなんですが・・・何と6ケ月足りません。ショックです。寝込みそうです。


[1390] 【1405回 救命救急方法の変更】 2007-10-04 (Thu)

突然意識を失って倒れた人を蘇生させるための応急手当は、心臓マッサージだけで効果があり、従来勧められてきた人工呼吸は必要ないことが、日本救急医学会関東地方会の研究班の調査で分かったと報じられていました。すでに皆様もご承知のニュースだとは思います。

緊急の場合救急車の到着までを、そばにいた人の蘇生措置が大きな役割を果たします。大阪府歩け歩け協会では会員向けの納会時にこの事をみんなで勉強しています。

そばに人がいる状態で突然心臓が止まって倒れ、救急車で病院に運ばれた18歳以上の患者4068人を調べたそうです。そばにいた人から人工呼吸と心臓マッサージを受けた患者が712人で、心臓マッサージだけを受けた患者は439人。救急隊到着まで蘇生措置を受けなかった患者が2917人だったそうです。

「人工呼吸は不要」との結果について、「呼吸が止まっても12分程度は血液中の酸素濃度がそれほど下がらないことや、心臓マッサージの際の胸の動きで、空気が肺に送り込まれることなどが考えられる」と話しています。

AED(自動体外式除細動器)の普及も多くなり公共施設のみならず、あちこちで目にするようになりました。勇気を持ってAEDが使える様になるには、救命講習や、日々の訓練だと思います。私は「人工呼吸不要」の講習を受けたいと早速申し込みました。

此花消防署 11月13日(火曜日)18時30分〜21時までです。みなさまもお近くの消防署に問い合わせてみてください。1ケ月に1度は開催しているはずです。また団体で受けたい時にはいつでも出張しますとのことでした。但し受講に要する時間は、2時間半はかかります。



[1389] 【1404回 曼珠沙華は今が見頃】 2007-10-02 (Tue)

♪紅い〜花なら〜曼珠沙華〜♪と彼岸花が咲く頃になるとこの歌が鼻歌で出てきます。彼岸の頃に咲くから「彼岸花」と命名されたのですが今年は季候が不安定で彼岸の頃は硬い蕾だったようです。しかし今になって黄金色に垂れ下がる稲穂と深紅の曼珠沙華が美しいとニュースで報じられていました。私が子供の頃は学校帰りに棒切れを探し、曼珠沙華の花をメッタ切りしたものです。母親から曼珠沙華の花は毒花だから家に持ち帰ってはいけないと言われていたので、毒ならば退治しなければと花の首をチャンチャンバラバラと切り倒していました。高知では別名「チャンチャンバラの花」と言われていました。(ハハハ)

前回9/23の例会で曼珠沙華の歌を用意したにもかかわらず、孫の運動会で不参加となり歌集がゴミとなるところでした。10/7の例会に使えそうですね。咲き終わっていたとしても「秋の風物詩」として歌いましょうね。ご協力よ・ろ・し・く!


10/1日は会社の行事が立て込んでおりトイレに行く時間もないほど多忙で10/2は後かたづけに追われていました。やっと今日ゆっくりトイレに行く時間も取れてホッと一息つくことができました。多忙な日々が続くと歯茎が腫れ、サスケ診療所に駆け込む羽目になりました。「今度は腫れが引いたら抜くよ!」と言われました。さすがお医者さんです。患者が抜歯を嫌がっていることを察知して「悪あがきやけど今度腫れるまで様子を見ようか?」なんと神様の様な一言です。

先生の気が変わらぬうちに、早く診療所を出ないと「やっぱり今から抜こう!」と言われそうなのであわてて帰りました(笑)歯は命・・・・みなさんも充分に注意して下さいね!


[1388] 【1403回 お見事!回転レシーブ!】 2007-09-30 (Sun)

過日下り坂を歩いていて、見事な転がり方をしてしまいました。もう出口が見えていて「最後まで気を抜かん様に!」とお節介な声をだして数分後、ズルズルッ、ゴーン、アイテテテと相成りました。怪我はと言うと右足の出血と腫れ、左手人差し指の打撲、左大腿骨の打撲である。ゴーンは石に頭をぶちつけた音である。子供のころから鍛えている石頭故に脳みそは無事。あまりに無様な姿故に格好が悪く、痛みを堪えて車の運転をするが右足の腫れが気になる。その日の夕方、孫のももちゃんのお泊まりの日だったので忙しさに気がまぎれて翌朝には、さっさと治っていました。

頭から逆さまに落ち、一度停まったのですがそれからまたゴロゴロ・・・・

ウオークでも怪我をするのは危険箇所は無事通過し、あと少しでゴールと言う時に怪我が発生します。なぜかと言うと「気を抜く」からだと思います。最後まで気を抜かずゴールしましょう。私が身をもって体験しました。痛いで〜す。

それから家の中でも、洗濯物などをかかえて3階から階下へトントントンとリズムよく降りたと思っていたら1段だけ残っていたということありませんか?(あるある〜)加齢に伴う症状ではなくて「気を抜いた」証拠だと思います。マンションに住む孫のももちゃんは日常生活で階段を使いません。もうひとりの孫の零くんは日常生活で階段を使います。我が家に二人が合流したときは零くんは「トントントン」、ももちゃんは「そろ〜り、そろ〜り」です。でも落ちる可能性のあるのは零くんの方です。まぁ男の子、女の子ということもあるでしょうけどね。

この小さな子供の例を見てもウオークでの「危険箇所通過」ではみなさん緊張していますのでほとんど怪我はありません。ホッとした瞬間の心の隙間に怪我が飛び込んで来るみたいです。回転レシーブ転倒も決して気を抜いたつもりはありませんでしたが通い慣れた道ということで「なめてた」気がして反省しています。ハイ


[1387] 【1402回 だめ虎・・それでも六甲おろしは歌いたい】 2007-09-28 (Fri)

サスケ先生が阪神タイガースについて熱く語っておられました。成績の悪いときは焼酎を飲みながら「行けー行けー行けっちゅうねん!」勝っているときは「ヨッシャーその調子や!」と焼酎を飲むグラスがすすみます(どっちかにせんと身体壊しますよ・・・)

あるデパートの外商社員が商談に訪れて「係長さん、私は阪神が優勝したら法人外商部はぜー〜んいん売り場に応援に行きまんねん。しゃーさかいに電話をかけて頂いてもおりまへんさかいな。」こんな強気発言をした方がいます。27日にこの方が納品に来たので、ちょっと冷やかしてやりました。「アレッ?納品は宅配便で良かったのに。売り場の応援で忙しいのと違いますか?」「いやーその話しはせんといておくんなさい」ほんなら最初から話すなーっ!優勝の文字の入った商品はお蔵入りだそうです。優勝の文字のないものは「感謝セール」で使うそうです。どっちにしても売るんやんか・・・

私は星野監督の時代が好きでした。虎のマークを見ると血が騒ぎますが、星野時代に球場に、せっせと応援に通った情熱はどこかへ行ってしまいました。9回で同点になって延長戦まで行ってるのに、なんでもう一踏ん張りしないのでしょうか。悔しい!!私も焼酎が飲めたら絶対いまごろ「トラ」になっているはずです。(トラはトラでも婆トラでっせー)



[1386] 【1401回 ゲロゲロゲロゲロ】 2007-09-26 (Wed)

「ゲロッゲロッゲロッー」
「雨も降らんのに雨蛙か?」
「そんなかわいいもんじゃないよ。あれは食用ガエルだ」
「ゲロッゲロッゲロッー」
「どこから聞こえて来るか探して見ようよ」
「あっあの内視鏡って書いてある部屋からだよ」

そうなんです。今日は胃カメラの日で朝から憂鬱だったんです。今回で3回目なんですが何度受診しても、ちっとも楽になりません。去年は待ち時間が長すぎてその間に不安がアドバルーンの様に大きく膨らみ血圧が上がり胃の動きを緩くする皮下注射が打てませんでした。会社にもどり、そのことを先方に抗議すると「善処します」とさっそくに回答を頂きました。(ほんまかいな)そんな気持ちでした。そして今日を迎えました。

善処されていま〜す!びっくりしました。去年までは当日の胃カメラの人を全部、朝の8時30分に集合させ先着順に検査をします。長く待つ人で軽く2時間待ちでした。ところが今回から3段階に(8時30分、9時15分、10時)分かれていて待ち時間ゼロ。その分、血圧も安定していて今日は皮下注射も打つことができました。

「先生、先に謝っておきますが、私は人一倍ゲーッゲーッがひどく検査に支障をきたしたらごめんなさいね」「大丈夫みんな同じだから、さあ始めるよ。肩の力をぬいて〜目はあけたままね〜」「管を入れますよ〜。そうそう上手ですよ。ヨダレは出していいよ。うんうん今一番苦しい所は通過したよ」「あっ去年の腫瘍がなくなっていますね」と逐一状況を説明してくれます。一番苦しい所を通過したと聞いた途端、うれしくてヨダレではなくて涙がでました。「あれっ変な所からヨダレが出てますねぇ。さあ終わりましたよ。空気を抜いて終わりですよ」検査の間中、先生の声が神様からの声の様に聞こえました。平気な人はモニターを覗くと言いますが私にはとてもそんな事はできません。時間にしてわずか20分くらいでしたが1時間にも2時間にも思えてなりませんでした。



[1385] 【1400回 六甲山で不明の64歳男性、8日ぶりに無事発見】 2007-09-25 (Tue)

兵庫県の六甲山(931メートル)に9月16日、登山に向かったまま行方不明になっていた64歳の男性が24日、山頂から南西に約4キロ離れた神戸市東灘区の霊園内を歩いているところを、墓参りに来た人に発見された。東灘署などによると、右腕にかすり傷がある程度で命に別条はなく、同市内の病院に数日間入院予定だそうです。

調べでは、24日午後5時40分ごろ、同区の住吉霊園に墓参りにきていた35歳の男性に、杖をついて歩いてきた男性が名前を名乗り「今日は何日ですか。数日間何も食べていません」などと話したそうです。墓参りの男性が110番通報し、東灘署員が無事保護したそうです。墓参りの人がいるなんてお彼岸でよかったですよね〜。

病院で面会した家族によると、食料をほとんど持っておらず、谷川の水を飲んでしのいでいたそうです。衰弱している様子で、家族に「ごめんな、ありがとう」と繰り返し話したといいます。この男性は16日午前10時ごろ、家族に「六甲山に登山に行く」と伝えて出かけたまま帰らず、家族が17日午前1時半ごろ尼崎南署に捜索願を出しました。県警は同日から、ヘリコプターを出動させ、連日約60人態勢で捜索していました。命をお金で買うことはできませんが山岳保険に加入していなければ多額の捜索費用がかかってきます。ちなみに私は家族へ迷惑をかけないためにヘリコプター救助も可能な山岳保険に加入しています。私も一度ひとりで高座の滝から地獄谷を歩いたことがありますが仲間からのきつ〜いお灸をすえられてから単独行動はやめました。

私達はよくトレーニングに六甲山を使います。無数に道があり、正規のルートだと思いこんで進んでいくとまた枝の様に道があり、何が何だかわからなくなってパニックを起こしてしまいます。六甲山と言えど「装備」と「行動食」を持つようにトレーニングを積んできました。この男性は奇跡的に8日間食糧のかわりに谷川の水を飲んで生き延びた様ですが、単独で六甲に入るのは危険です。家族も「六甲山に登山に行く」と言った段階で「危険だからダメ」と止めるべきです。

ロッククライミングをするときの理想の最低人数は「3人」だと思っています。一人が登り、一人がビレイをしている時に事故に遭った場合、ビレイをする人は動けませんから残りの一人が救助を求めに走る。だから3人が理想です。3人以上の大勢で行くときは順番がなかなか廻ってこなくて少しストレスが残りますが、人がクライミングしている姿を見るのも上達のポイントです。

ウオークでも暑い時はアスファルトは避けて、木陰のコースで10キロまでが理想です。参加者の年齢から見ても熱中症で倒れる危険性は大いにあります。今年の体育祭では高校生が熱中症で救急車に運ばれているそうです。9月の終わりがこんなにも暑いとは誰もが予想できなかったのでしょう。「大事の前の小事」で済むことを祈ります。


[1384] 【1399回 年間予定表会議】 2007-09-22 (Sat)

21日(金)は大歩協のスタツフ会議でした。来年の年間計画表を作成するためにスタッフ一同知恵を出し合い「コースが偏っていないか」「悠遊コース家族向けか」「定例会向けか」「ウイークデー向け」かを話し合います。7月と8月は熱中症の恐れがあるため、どのコースも「10キロ迄」を徹底しました。一人でも熱中症で倒れたらそれこそ大変です。大阪府歩け歩け協会のモットー「地球にやさしく、人にやさしく」を守ります。

悠遊、定例、ウイークデーに加えて「熊野」「公園シリーズ」と今年に劣らぬ実施回数の多さに驚きも感じますが、出来るときに出来ることをお手伝いできればと考えています。メーンタイトル、500選、JR関係を討議していると、あっという間に午後9時になりました。会議室はレンタル会場なので時間厳守。解散!

帰宅する途中で空腹であるのに気が付きました。グーッってお腹が鳴ったのです。こりゃあいかんと食料を買い込み帰宅したら10時前でした。戻ると嫁の純ちゃんから連絡があり23日は零ちっちの運動会なので見に来て欲しいとの事・・・ありゃりゃ!「紅い〜花なら〜曼珠沙華〜」の歌集も用意していたのに初孫初運動会なのでゴメン!休ませてーッ!(スタッフの代わりはいます。しかし婆ちゃんの代わりはいません。だから許して〜ネ)

追伸)天城越えのレポートが完成しました。自分で言うのも何ですが両面ビッシリの力作です。(笑)写真も沢山挿入されています。まもなくホームページにもアップされるはずです。乞うご期待下さい。


[1383] 【1398回 しばらくお休みさせていただきありがとうネ】 2007-09-19 (Wed)

「子供じみたテルテル坊主ではありますが」

私は会社の行事をする時はきまって天気になりますようにとヒッソリとテルテル坊主を吊り、曇りでもいいから降らないでほしいと願っています。子供の頃は父親のゲタを飛ばしては天気予報を調べたり、蛙に託したり、まあメルヘンと言うか幼稚と言うか「降らないでほしい」と念じるだけよりも何か形にした方が効果があるような気がします。

去年の白馬岳の時はバスの中にのっぺらぼうのテルテル坊主を吊り、天気で帰れた時には目、鼻、口を書きこみましょうと参加者全員で楽しみました。「アホなことして」と中には笑う人もいると思います。原始的なので当然です。気象予報士が「雨」と予報をすれば高確率であたるのですからね。

槍ヶ岳3180メートルもまた下界の天気と違い、数分で霧、風、雨が発生します。穂先に向けて出発する時は雨具もいらぬほど晴れていても頂上を踏み、山小屋へ帰るまでに大粒の雨の洗礼を受けました。まるで「お前らにまだ槍からの全貌は勿体ない。もう一度出直しておいで!」と言わんばかりの雨に遭いました。願い事を聞いてくれないテルテル坊主なら捨て子しちゃえと山小屋の乾燥室に叩き捨てました。

ところが翌日の朝、何と捨て子のテルテル坊主が私の手元に帰ってきました!!魂が入っていたのでしょうか(笑)それからはリュックに付けて下山まで仲良く一緒に歩き、新穂高の温泉にも連れて行き、お役目ごくろうさんと解体すれば1本のタオルに変身します。何とテルテル坊主の材料はタオルだったんです。帰りの車の中では雑巾として働いてくれました。ハハハ


[1382] 【1397回 天気予報とにらめっこ】 2007-09-14 (Fri)

「ダルマさん、ダルマさんにらめっこしましょ〜笑ったら負けよ」こんなわらべうたがありましたが最近はあまり聞かなくなりましたね。私の孫達に、にらめっこごっこをすると大変です「もう一回、もう一回」と婆ちゃんの顔が引きつるまでアンコールがあります。にらめっこの顔がおもしろいらしです。(そのままでもおもろいってか?)

いま私は週末の天気とにらめっこしています。気合いで雨マークを吹き飛ばそうと神経を集中させています。雨対策の準備万端を整えてさえいれば「お気の毒だから」と雨も遥か彼方に飛んで行くでしょう。

台風で命を落とされたり家屋が被害に遭った人のことを思えば歩いて濡れるぐらい「自然の摂理」とあきらめましょう。しかし無駄な抵抗であっても「テルテル坊主」を吊ったりゲタをひっくり返したりと古き良き思い出は60歳を迎える今になっても忘れないでいたいと思います。そんなわけで明日、明後日、明々後日のために大きなテルテル坊主を作りました。

そう言えば白馬岳の時もバスの中に吊って行きましたっけ。おかげさまで天気に恵まれました。そうや。今度もそうしょうっと!!


[1381] 【1396回 検査項目の増えた健康診断】 2007-09-11 (Tue)

今日は本社の健康診断の日です。明日は早朝の6時出発で氷上工場へ行き、健康診断です。今年から35歳以上の人には「メタボリックシンドローム」という長ったらしい名前の検査項目が追加されました。来年からは義務付けされるそうです。

メタボリックは「代謝」、シンドロームは「症候群」の意味で内臓脂肪型症候群とも言われる複合生活習慣病のことです。検査数値が「ちょっと高め」であっても、いくつかの項目で重なると危険度が高まること、特に血中脂質や血糖値に悪影響を与える元凶は「内臓脂肪」で、これを減らさない限り生活習慣病の改善は難しく、心筋梗塞や脳卒中などの危険性が著しく高いそうです。

では、メタボリックシンドロームの診断基準値を書いておきますので、ご自分であるいは家族の人に計って貰って下さい。計り方ですが「立ったまま軽く息を吐き、ヘソあたりを計ります。脂肪質がつきすぎてヘソが下に移動している人は、肋骨と骨盤の間を計って下さい。

ウエストサイズ(男性)85センチ以上
ウエストサイズ(女性)90センチ以上

●危険スタイル「りんご型」
腹部に脂肪がつき、皮膚はあまりつまめない。中年以降の男性に多い。閉経以降の女性も注意

●危険スタイル「洋なし型」
腰などの下半身に脂肪が付く。皮膚をつまむとかなり厚みがある。女性に多い。

●内臓脂肪が多い人に共通する傾向
食事は満足するまで食べる。緑黄色野菜が嫌い。よく間食をする。アイスクリームが好き

内臓脂肪が増えすぎると善玉が分泌されなくなり、悪玉が分泌されます。悪玉が分泌され続けると、少しづつ余分な脂肪が増え、血糖値が上がり、血管が狭まり、放っておくと高脂血症、糖尿病へと進行していきます。それぞれの検査数値が、それほど高くなくても重なると危険が大きい理由は、このメカニズムにあるわけです。

●メタボリックシンドロームからの脱出
@早食いはダメ
Aまとめ食いはダメ
B夜食はダメ
C朝食抜きはダメ
Dウオーキングをする
E筋肉を増やす
Fたばこをやめる。節酒をする

さあ今からメージャーを出しておヘソ周りを計ってみましょう!何pありましたか?


[1380] 【1395回 旅の疲れも癒えて】 2007-09-10 (Mon)

9月7日夜から天城越えのバスウオークに行って参りました。台風9号の影響でやきもきしましたが雨具を使うことなく無事戻ることができました。参加していただいた皆様は勿論ですがサポートして頂いた皆様にも厚くお礼申し上げます。詳しいレポートはいま作成中で、いずれ「特別例会」のコーナーで見て頂けると思います。いましばらくお待ち下さい。

旅を終えて思うのですが「旅」とは自分が参加しようと意志を固めた日から、すでに始まっているのだと思います。天城地方の地図を見たり、川端康成の「伊豆の踊子」を読んで下調べをしたりしていますと「うん?踊り子?」と自分があたかも踊り子であるような楽しい雰囲気になってきたら、もう大変です。草鞋や赤い腰巻きやコスチュームを連想し踊り子が背負っている太鼓は師匠に泣きつき作ってもらいました。おべべも、帯も買い準備が整い当日を待ちます。

スタッフは一人で参加されて初参加の方もいらっしゃいますので入念に打ち合わせをして楽しい旅になるように心がけています。そして90%以上左右されるのが「お天気」です。折しも台風が伊豆諸島に上陸という予報を追っかけるようにして出発したのですから行くところどころに「台風の爪痕」が矢印のかわりに置きみやげとして発見するという箇所が至るところにありました。

浄蓮の滝や河津七滝などは水量も多く迫力がありました。昔同じ地を訪れたことがありますが季節が違ったり、同行するメンバーによって異なった印象があるのに驚きました。熱川温泉は新珠美千代と富士真奈美の「細腕繁盛記」の舞台となったところでフロントの人も「あの頃は賑やかな町だったんですが・・・」と閑散としたいまを嘆いておられました。

しかし私達が利用した宿は、建物は古びて補修もせずのため、お世辞にもりっぱとは言えませんが太田道灌が名付け親だという熱川温泉の泉質は誇れる温泉だと応援しておきましょう。一晩で帰るのはもったいない気がしてなりません。観光客を相手というよりも、負傷したスポーツ選手の湯治場として注目を浴びているようです。


[1379] 【1394回 「雨」に左右されて】 2007-09-05 (Wed)

長くサラリーマン生活をしていて直接の企画担当者として野外で行われる行事において「天気」は95パーセント成功の鍵を握ると言っても過言ではありません。ウオークにおいても出発して途中で降られる雨については「まぁ仕方ないか」と半ば諦めもつきますが、朝からの雨だと出足が鈍ります。ましてや一般参加の方達は「雨なら中止かも知れない、やめとこう」となるはずです。その証拠に雨の例会は参加人数に大きく影響します。私のウオークとの出会いは「ドシャブリウオーク」でした。こんなドシャブリならきっと中止だろうと当時の主催者「けんぽれん」に問い合わせすると「台風以外は実施しますよ」とのことで半信半疑で参加してみれば、何と箕面の滝に向かってドシャブリにもかかわらず千人を超す参加者で道路が埋め尽くされていました。温泉大好き派としてはウオークのあとに箕面スパーガーデンに入ろうと思う下心で大雨にもかかわらず参加し現在に至っています。

「雨もまた自然」と言った人がいますが降らないにこした事はありません。我々都会で生活する者にとっては「自分にとって徳か損か」で雨を嫌います。しかし農作物を作る人達にとって雨は大切な宝物なのです。そう言えば能勢棚田の私の稲は育っているのかしら? 最近では降りすぎによる洪水被害が発生しています。降りすぎも困ります。7日夜からの天城越えバスウオークも台風接近(しかも伊豆半島上陸)で気が気ではありませんが静岡地方の天気予報を見ますと6日は大荒れではありますが8日、9日は台風は過ぎ去っています。大丈夫です。そう信じて踊り子衣装の準備を進めています。

しかしこれが登山であるならば緊急会議を開き対策を練る必要性があります。去年の白馬岳がそうでした。台風ではなかったのですが例年にない異常の長雨で地盤が緩み「危険」と察知し、早めの順延を参加者に連絡をしました。その結果、日程が変更になったために参加が出来なくなった方もいます(申し訳ありません)その反対に日程を変更したために参加できるようになった人もいました。早めの正しい判断で白馬岳は快晴にて登頂を果たすことができました。

登山の場合はリーダーの判断に絶対服従で、逆らうことは命をも落とすことになります。私は「坊がつる讃歌」で有名な九重連山に登ったときに目の前に山頂を見ながら「暴風雨のために危険が伴い下山します」とリーダーの判断が下されました。待避小屋で歌った「坊がつる讃歌」の仲間達との歌声は今も耳に残っています。ロープに身体を縛り、みんなで声を掛け合いながら安全下山を遂げたときは山頂を踏んだ時以上の感動と清々しい気分でした。「風が息をする」ことも知りました。この体験も白馬岳での救助の体験も今後の私にとって貴重なパワーとなることは間違いありません。今も「坊がつる讃歌」を口ずさむと風雨のシーンが甦ってきます。


[1378] 【1393回 天城越えウオークの8日、9日は台風は大丈夫、天気は曇り!】 2007-09-04 (Tue)


ウオーカー広場にも同じことを書き込みました。 9月4日午前11時発表の天気予報です。台風EYE(アイ) 台風9号が発生しました。

「伊豆南の海上では、今日昼過ぎから風が強くなり、また、伊豆では昼過ぎから、中部南、遠州南では、夕方からうねりを伴い波が高くなるでしょう。強風や高波に注意して下さい。))東海地方は、高気圧に覆われています。このため、東海地方は概ね晴れていますが、沿岸部では曇っている所もあります。静岡県の今日(4日)は、高気圧に覆われるため概ね晴れますが、湿った空気が流れ込む影響で曇る所があるでしょう。明日は、概ね曇りで、日中晴れる所もありますが、台風第9号が接近する影響で湿った空気が流れ込むため、伊豆では朝晩を中心に雨の降る所があるでしょう。その他の地方では明け方にかけ雨の降る所もあるでしょう。」

これは9月4日の天気予報でバスウオークの日は「くもり」です。よしんば雨が降ったとしても踊り子達もまた雨の中を歩いたかも知れません。お申し込みを頂いた皆様!どうぞご心配なく!但し9月6日(木)は暴風雨でしょう。台風9号は我々の到着するまで待つこともなく過ぎ去り、7日と8日は曇り空となる予報です。 お天気屋のみっちゃんより

(お天気屋と言うても機嫌がコロコロ変わるお天気屋ではありません。みっちゃんの天気予報は案外当たるのです。運動会の前日、グランドに水溜まりが出来ても、途中でドシャ降りになって誰もが開催不可能と判断しても「15分で止みます」とアナウンスしたら、本当に15分で止み、楽しい運動会ができたのです。)だから・・・大丈夫ですよ!


[1377] 【1392回 ウオークでも行動食の習慣をつけたい】 2007-09-03 (Mon)

登山での食事の取り方、昼食時間を取らず歩きながら短い休憩に食べる、つまり行動食なるものをトレーニングで6回にわたり実践し、あとは槍ケ岳へ向けて快晴を祈るのみとなりました。ゴミが少なくて、カロリーがほどほどで、力が湧いてきて、と仲間達の行動食をもチラチラと盗み見て参考にしながら第1日目、2日目、3日目と袋に表記して持参しようと思っています。例えば腐るかもしれないゆで卵は第1日目、心配のないソーセージーは3日目とそれぞれを、おいしく頂けるように工夫をしないと最初の日に美味しい物を全部食べてしまいそうな番犬がおるので分けて持たさねばなりません。そうなると3日目は行動食がなくなり口からヨダレをたらしながら噛みつかれては大変です。(猪に何か食べ物くれーってお尻つっつかれたよー)

ウオークの時は、だいたいお弁当以外はあまりおやつを持っていません。皆さんは「飴」をよくご持参されていますね。「自分だけでは食べにくい」「スタツフでありながら」という気持ちもどこかにありました。しかし渡船ウオークの時の休憩時にキューリをかじった時の美味しかったこと!ウオークでも適度のおやつをお勧めします。体力のへばりは食べ物を口にすると不思議と元気がでます。これは行動食からの教訓です。体力はさまざまですからお腹の空き具合もさまざまです。誰に遠慮がいるものかと今度から平気で休憩時間に食べようと思います。

「飴」が悪いと言っているのではなくお昼の弁当までのつなぎにエネルギーを追加した方が快適に歩くことができます。「自分だけ食べて」とか「人にあげないといかんし」とかの考えは6回のトレーニングを終えて考えの中から捨てました。最後のトレーニングの行動食は「キューリ、おにぎり2個、ちくわ1本、バナナ1本、梨半分」で下山時には完食しました。これで適度の量であったことが証明されました。ところがところがです。我が家の番犬は「おにぎり2個、ちくわ半分」残して帰ってきています。一体何を食べたのかと聞くとバナナと梨だけの様です。「次の休憩にはこれを食べよう」と頭に入れてリュックサックの出しやすい位置に入れ、短い休憩時間を有効に利用しないと体力が消耗します。私の食べる基準は「重たいものから胃袋へ」です。おにぎり1個胃袋に入れると、その分リュックが軽くなります。な〜んやおにぎり1個ぐらいでと言いますが3000メートル級の山登りには50cでも工夫が必要なんです。




[1376] 【1391回 伊豆の踊子のイメージを崩さぬように】 2007-08-31 (Fri)

9月の7日夜から大阪府歩け歩け協会の特別例会「天城越えバスウオーク」に行ってきます。いつの頃からかバスウオークでご当地の扮装をして世間様をお騒がせし先頭を歩くことが恒例になってしまいました。多分一番初めは平成14年第9回目の「赤とんぼの里龍野」でヘルメットに赤とんぼをつけて皆さんから笑いをいただきました。「記念撮影するからヘルメツト貸して〜」ひっぱりダコのヘルメットでした。これに気をよくして 中仙道から妻籠ウオークは合羽からげて三度笠の出で立ちで町を練り歩きました。観光協会からの回し者と間違えられたり鯖街道ウオークでは参加者全員に鯖のオブジェをつけてもらい歩いたものです。鯖売りのおばちゃんに「その鯖置いてけ」と哀願される一コマもありました。店に飾っておくのだそうです。また鈴鹿峠から関宿では三度笠、鳥追い、山賊とキャストも増え大歩協名物になりました。岡山の吹矢ふるさと村ではみなさんで卒業式もしましたっけ。伊勢神宮では弥次さん喜多さんにも扮装し、やんややんやの喝采を浴びました。

今回は川端康成の小説伊豆の踊子「高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけ、朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。」のくだりを忠実に再現したいと思っています。もちろん踊り子も準備していますよ〜。踊り子の衣装もさることながら資料を見ると赤いおこしの上には黄八丈を着て(さすがこの季節、袷は暑いので代用品)に太鼓を背負い(この太鼓作りが大変なのであります)本物は高価で重い。ならば作るしかないかと言うことで製作をしてもらいました。本日りっぱな太鼓が出来上がり納品をしていただきました。音はでませんが芸の細かいところでバチまでついています。(制作費はへそくりで何とか捻出します)

残念なことにカメラマンの随行がありません。参加者の皆様にだけ送る夏の思い出です。空席1つあり。いかがですか?私が天城に行っている間は、どなたさまもおとなしく岩などにへばりつかないように家でおねんねしててください。


[1375] 【1390回 真夜中の模様替え】 2007-08-31 (Fri)

午前2時ふと目がさめました。目が覚めたというよりも、深い眠りについていなかったように思います。お目々パッチリで眠れません。こんな時は無理に眠ろうとせず、シャキッと起きるしかありません。若い頃は一来潮たびに(なっつかし〜)模様替えをしていましたが、ここんとこ久々です(来潮ではありませんぞ。模様替えですぞ)まず3階の押入の物を全部出してふき掃除しました。そして1階に置いてあるロッククライミングBOXをえんやこらと3階まで運びます。夜中ですので暑さも和らぎ廊下を歩いていても苦になりません。

ああでもないこあでもない、待てよこれは何が入っていたのかと箱を取り出しては、しばし思い出にふけります。1本のビデオテープがポロリと落ちました。姪の子供達とキャンプに行ったときのものでそれを見ながら片づけの手は休めません。

午前3時をまわり何とかお気に入りの整理整頓ができたようです。汗をかいてしまったのでシャワーを浴びに階下におりたのですが、今度はロッククライミングBOXを置いてあった場所を掃除機をかけてスッキリ!狭い我が家ですので、どう模様替えしようと大して変わりませんがストレス解消には、真夜中の模様替えは最高です。誰も手伝ってくれないかわりに誰も口出ししません。自由自在に楽しむことができました。

そして夜が白々と明ける頃、やっと1時間ほど熟睡できて出勤することとなりました。今日は居眠り運転予防のため車の運転は控えておきます。


[1374] 【1389回 今週は更年期障害と鬱病モード】 2007-08-29 (Wed)

何故かお相撲さんの朝青龍と一緒で気分が滅入ります。食欲もなく意欲もありません。早く涼しくならないとね。

「いのち短し 恋しや 蝉の声」

毎朝、毎朝「うるっさー!」と独り言を言いながら公園の蝉に向かってブツブツ言っていましたのに、29日(水曜日大安)朝7時過ぎ、いつもの公園の前を通ると一匹の蝉の鳴き声もしません。はかない命、子孫を残して絶えたのでしょう。そう言えば渡船ウオークで天保山の公園を抜ける階段に蝉の死骸が足を置く場所がないほどに落ちていました。私のお知り会いに「公坊」という俳人がいます。今から世に出ようとする期待の星ですが良い句を献上してくださることを期待しています。弟子の句です

「静けさや 鳴きやむ蝉で 涼を知る」

(奇遇の話)
渡船ウオークで私のすぐ後ろにお二人の女性の姿。私が2班のアンカーだから「うん?2班にはいなかったし、3班の方ですか?」と声をかけると集合時間を10時と勘違いされて(誰しも一度や二度や三度は経験済み)甚兵衛渡船場を飛び越えて大正区役所めがけて合流できたそうです。アッパレ!普通はあきらめてUターンをするのが常ですが第2の乗船場所の落合上渡船場からは無事楽しんでいただけたご様子です。(暑さは大歩協の責任外につき勘弁して下さいね)

ここからが「奇遇」の話しに入ります。このお二人は何と私がお世話になっている健保組合の関連会社の役員の奥様とお嬢様だったんです。私は顔を知るよしもありませんが(多分次回お会いしても顔は解りません。すみませんがお声をかけて下さいネ)ご自宅に帰られてから「環状線ウオークで突然消えた人がいた」とご主人に話しをされたそうです。そうなんです。私がアバラ骨骨折の姫なんです。帽子に久田美智子と書いた名札を付けていましたので環状線ウオークでの出来事を思い出されたご様子です。

人間のつながりはどこでどうあるかわかりません。失礼はなかったか振り返りつつも私側になくても相手側にはあったかも知れません。今、どこの協会でも歩行途中の障害保険の関係で(特に熱中症事故)正しい参加者氏名を把握しなければなりません。参加費をお支払いいただいてお昼に地図を渡すべく事務局のスタツフが必死で探していましたが、もらって頂いたのか、気になります。渡船マップは甚兵衛の渡しで配布していましたので配布洩れがありましたら、その旨言って下さいね。事務所に予備がありますのでお届け致します。

10月14日バスウオーク「生石高原」ご主人様もご一緒にいかがですか?秋のススキの穂が奏でる「高原の狂想曲」ご一緒にいかがですか。30日は大阪府歩け歩け協会運営委員会です。より楽しい企画をお届けするために、「侃々諤々」言ってきま〜す。


[1373] 【1388回 平成20年1月から大阪市は変わる?!】 2007-08-28 (Tue)

「大阪市が変わる」と言ってもゴミ袋の話しなんですけどね。平成20年1月から「中味の見えるごみ袋での排出」となるそうです。みなさん〜!ご自宅に残っている黒色や水色のゴミ袋は早い時期に消費して下さい。平成20年1月を過ぎて中味の見えない袋で出した場合は収拾せずに残して行くそうですよ。残った黒、水色のゴミ袋は扇風機を巻いたり、ストーブを巻いたりと、もっぱら別の用途でしか使えなくなります。ほんなら製造しなければいいのにと思うのは私だけでしょうか。。。。。

質問)なぜ中味の見えるゴミ袋に変えるのですか
回答)袋の中味が見えることにより分別ゴミの意識が促され、ゴミの減量・リサイクル が促進されます。また危険物の混入による収集作業中の事故防止になります。

質問)使用できるゴミ袋はどういうものですか
回答)透明、または半透明で中味の見える物です。ダンボール箱でゴミを出された場合は収集できません。

質問)スーパー、コンビニ等でもらった袋は使用できますか
回答)中味の見える袋であれば使用できます。

質問)人に見られたくないものはどのようにして出しますか
回答)小袋などに包んでから、中味の見えるゴミ袋に入れて出してください。

と言うことらしいです。缶ビールを購入した際、空き箱を利用してゴミを捨てていましたがそれもダメということになります。空き箱は小さく折り曲げて透明の袋に入れて排出ということになりますね。会社も4月から大阪市の指導のもと4ケ月経過した現在、分別ゴミにやっと慣れました。時々ネコがゴミ袋をあさって散らかったゴミを片づけることがあるのですが、まぁ何でも入っていますよ。缶から瓶から台所生ゴミからマヨネーズの容器まで分別の悪い見本みたいなゴミを出す家庭もあります。「見つからなければいいか」と思っているその心が地球破壊につながるのです。



[1372] 【1387回 あわや!交通事故】 2007-08-27 (Mon)

ウオーくレポートのコーナーに26日の「渡船ウオーク」の模様を書き込みました。ご覧頂けるとうれしいです。残念にも出席できなかった方は、涼しくなってから出かけて見て下さい。新しい大阪を発見できますよ。渡船場にある事務所で「マップ下さい」と言うと大阪に残る8箇所の渡船場のりっぱな説明書がもらえます。大阪に残る渡船場は利用者が少なくなると「廃止」に追い込まれる羽目に陥ります。大阪府歩け歩け協会は地域の皆様に協力して、利用者数をグーンと増加させていただきました。 ハハハ

27日月曜日、午後2時からの警察の会議に出席すべく自転車にて走行中(此花署の別館は一方通行が多いためバイクではなく自転車)またまた赤い車(郵便車)と衝突しかけました。この間は会社の前でバイク事故、今日は車と私・・・・郵便屋さん!10月1日からの民営化で少しあわてていますかな?私の運動神経は捨てたものではなく衝突しても転倒は免れました。オットットットでバランスを崩すことなく自転車が傾いただけで済みました。ドライバーが「大丈夫ですか?」と窓越しに声をかけてきました。「大丈夫ですが一旦停止の道路ですが止まりましたか?」「ハイ徐行しました」おいおい!徐行と一旦停止は違いますよ。私が転倒していたら救急車を呼んで大事になっていましたよ。「ここは一旦停止道路でホイールが止まる状態でないといけません。怪我がなくてよかったですが気をつけてください」と明日は我が身かもしれませんので、そのまま会議に出席しました。

会議終了後、交通課の人にその話しをすると「運のいい人や」と一笑されました。ドライバーが運がいいのか私が運がいいのか聞いてくるのを忘れましたが剱岳の断崖絶壁でも「うん」のいい人だったので多分私のことをからかって言ってたのだと思います。

日頃ロッククライミングやウオークで足腰は鍛えているつもりです。どんな時でも日頃の訓練が役立ちます。この頃は槍ケ岳に向けてエレベーターはほとんど使いません。ローリング歩きで各部署に移動します。そんな地味でささいな積み重ねが今日の衝突を防げたのかもしれません。しかし戻ってから右腕に電気が走ったように痛みます。転倒を防ぐために、どこかに普段使わない力がかかったのでしょうか!皆様も10月1日までは「赤い車」にご注意遊ばせ!



[1371] 【1386回 青春18キップとは何ぞいな?】 2007-08-25 (Sat)

18歳は忘れるくらい昔に過ぎているのになぜか「青春18きっぷ」

ひまはあるけど金はない、ふらりと列車に乗って日帰り旅行を楽しみたい、心が青春している 等の方達のために利用できるのが「青春18キップ」私も来年定年を迎えたら、きままに18キップで一人旅をしてみたいと思っています。では利用方法はどうすればいいのかしら?

●青春18きっぷって?
「青春18きっぷ」とは、JR全線の普通列車に1日乗り放題の乗車券が5回分セットになったものです。たとえば5人いっしょに使えば1日で一気に使い切ることもできますし、1人で、ちまちま5日間使うこともできます。利用期間内であれば、たとえば毎週土曜に1回ずつ使うなど、利用する日が飛び飛びになってもOKです。青春18きっぷは常に売られているわけではなく、春、夏、冬の年3回、学校の休暇に合わせて発売されます。利用期間は各シーズンともそれぞれ1カ月半程度で、1枚(5日分)11500円です。1日=24時間、青春18きっぷの1回分は0時から翌日の0時まで有効です。ただし列車の中で日が変わるときは、日が変わってから最初に停車する駅まで有効です。また、東京・大阪の都心近くに限り、0時を過ぎても終電までは前日のきっぷが有効です。

●安い!
このきっぷの特長はとにかく安いことです。1日あたり2300円で、いくら乗っても同額なので、遠くまで行けば行くほどお得です。快速列車などにも乗れますし、夜行の普通列車も少数ながらあるので、1日あればけっこうな距離を移動できるものです。このきっぷによる東京〜大阪の移動は意外に人気があります。但し子供用はなし

●もうちょっと詳しく
発売期間と利用できる期間
「発売期間」と「利用できる期間」が異なることに注意してください。特にシーズン最後の10日間は、きっぷが利用できるのに新規に買うことはできないので要注意です。(?)

春:発売期間 2/20〜3/31、利用できる期間 3/ 1〜4/10
夏:発売期間 7/ 1〜8/31、利用できる期間 7/20〜9/10
冬:発売期間12/ 1〜1/10、利用できる期間12/10〜1/20

●日付印が重要
青春18きっぷには日付を記入する欄が5カ所あり、1カ所が1回分に対応します。きっぷを使う日には、改札か車内で人数分の日付印を押印してもらいます。 日付が入っていないと、きっぷを持っていないのと同じことになりますので、無人駅から乗るとき、夜行列車に乗るときなどには、できるだけ早く日付を入れてもらいましょう。

●事前記入も可能
日付は乗車日以前に入れてもらうこともできるので、心配性の人は前もって頼むのもいいでしょう。ただ、旅行中止などがあると逆に面倒なので、特に事情がなければ当日記入でいいでしょう。

●乗れるもの、乗れないもの
青春18きっぷは普通列車専用の乗車券です。普通列車の普通車自由席には、青春18きっぷだけで乗ることができます。普通列車の中にも、乗車券のほかに料金が必要なものがありますが、そうした列車・施設のうち、以下のものは料金を別に支払えば青春18きっぷで利用可能です。普通列車専用なので急行列車(特急も含む)には乗れません。また、普通列車でもグリーン車の指定席や寝台車には乗れません。ここでいう「乗れません」の意味は、「急行券やグリーン券などを買っても乗れない」ということです。もちろん、さらに乗車券を追加して買えば乗れますが、乗車券まで買うなら、別に青春18きっぷを持っていなくても同じことです。

●普通列車とは?
運賃や料金を考えるうえでの「普通列車」とは、急行券(特急券)のいらない列車のことです。いわゆる各駅停車のほかに、快速、新快速、特別快速なども普通列車に含まれます。各駅停車以外に乗れないというわけではないのでご安心を。

●ばらしては使えません
青春18きっぷは5回分がセットになっていますが、1回分ずつ切り離せるわけではなく、 5回分が1枚のきっぷにまとまっています。券はあくまで1枚です。

●別行動は不可能
このような形態なので、1枚のきっぷを2人以上で使うときには要注意です。たとえば3人で旅行するときには、1枚の青春18きっぷの3回分を同時に使うことができます。が、きっぷの実体が1枚しかないので、その3人は同一の行動をとる必要があります。3人の家が離れていて、どこかの駅で待ち合わせるようなときには、家の最寄り駅から待ち合わせ場所までの間は、きっぷの現物を持っている人しか青春18きっぷを利用できません。

●合流・離脱時には
グループに新たなメンバーを加えたり、だれかと別れたりするときには、原則として全員がいったん改札を出る必要があります。

●ばら売りは困難
1回ずつ切り離せないので「ばら売り」はそれなりに困難です。しかし実際には1シーズンに5回分も使わないという人が多いでしょう。現状、この問題を解決する主な方法は、原始的ですが「人脈」です。

●きっぷが余ったときは、まず友人、知人から買い手を探してみましょう。「1日1000円で買わない?」などと、ある程度「値引き」すれば買い手がつく場合も多いでしょう。ただ、自分がきっぷを使う期間には相手がきっぷを使えないので、「何回分をいつ、だれに譲るか」という計画は早めに立てておくのが賢明です。

●ところで、年齢制限は?
最後によくある質問ですが、利用者に年齢制限はありません。JRの話では、利用できるのは「心が青春してる人」だそうです。

★ながながと書きましたが「心が青春している人」ここが私のお気に入り文章です。




[1370] 【1385回 涙ぐましい「女の又に力】 2007-08-24 (Fri)

私が息子に連れて行ってもらった「長渕剛コンサート」。最初は「おかん、座って見てるだけでええで」そう言いつつもみんな総立ちなんです。つられて立ったのですが背が低くて長渕剛が見られません。息子がマンガの本を5〜6冊積み上げて身長を伸ばしてくれました。次の年は40センチ位の箱を作ってもらいました。リュックの中に入れてコンサート会場の入り口で荷物検査を受けて・・・・息子が結婚するまでは、おかんもついて行ってました。美空ひばりが一番すきですが長渕剛の歌もなかなかうまいもんです(うそで〜すっ)

息子が結婚して7年経ちますがその箱は7年もの長い間、ベランダに放置されていました。ところが剱岳から戻った翌日からその箱が部屋の中に置かれています。鶴の機織りをそーっとのぞき見る様に覗いてみましたら、ポチがサスケ先生の教えどおり階段をイメージして上ったり、下りたりトレーニングしています。涙ぐましい女の又に力じゃなかった「努力」です。

明日は夕方涼しくなったら舞洲に向けて散歩しながら、頑なに拒否し続けたツーストツクの訓練をしようと思っています。上手にならなくっても努力をする姿勢は見ていてもいいものです。槍ケ岳を快適に登ることができるための努力です。うん。


[1369] 【1384回 本日は処暑なり】 2007-08-23 (Thu)

「処暑」だれですか「しょじょ」と濁って読むのは?!
暦どおり?昨晩の雷と大雨で猛暑が一服、久々に熱帯夜から解放されたような気がします。外の植木達も私がやる水まきの水よりも自然の恵みの雨の方が、すみずみまで行き届いて良いらしい。

今日は(しょしょ)。「暑さが峠を越えて後退しはじめるころ」という意味があります。立秋のあと 15日目だそうですが気象的には秋らしく涼しくなるが、秋暑といわれる暑さが3、4日急にぶりかえすことがあるといいます。「もう夏休みの終りも近い」皆様のお孫さんたちは宿題や、夏の自由研究は大丈夫でしょうか。(夏の自由研究は爺、婆の仕事?)

● 秋の蝉 壁に命名の札ふえる    黄石
● 村ごとに なまりことなる蕃ざくろ  月城
● 福木の実 転げる首里の石畳    朝珍
● クロトンの 艶増す日なり秋の虹   奈江
● 秋つばめ 団地の影の幾何図形   礁湖
● 夜を徹し 雷鳴響き処暑を呼び    公一

いずれも処暑の頃を詠った詩だそうです。

今朝環状線が落雷事故でストップした。社員の半数はこの事故に巻き込まれて出勤の足に影響しています。聞くところによると西九条を目の前にして電車がストツプし、すし詰め状態の立ったまま 30分も缶詰状態であったという。またある者は野田駅から会社に向けて歩き始めたが道を間違えて2号線に出てしまい引き返して歩いていると環状線が動いていたなどなど我が社の被害は大きい。桜島付近で落雷のため火災が発生したのが原因であるらしいが天災とは恐いものである。

お昼に、山のお友達と久しぶりに食事をして機関銃の様に私がおしゃべりの銃をむけたが聞き上手の山の友はやさしい微笑み返しで聞いてくれました。おかげで剱ケ岳病は完治しました。ハイ



[1368] 【1383回 野球は9回からはじまる・・・ほんまやっ!】 2007-08-23 (Thu)

♪雲は湧き 光あふれて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ まなじりは 歓呼に答え いさぎよし 微笑む希望 ああ 栄冠は 君に輝く♪

「がばいぞ!佐賀北!」
第89回全国高校野球選手権大会の優勝は広島の広陵に逆転勝ちをした佐賀北に決定しました。公立高校の優勝は11年ぶりとか。広陵高校に4点をも取られ誰もが「負けた」そう諦めかけた8回で満塁ホームランをかっ飛ばした。

「野球は9回からはじまるんや。最後まで応援して六甲おろしを歌おうぜ!」いつも自分を励まして負けると明日があるさと自らを慰めている自分がいます。高校野球に出る少年達は一握りの可能性にかけて汗を流します。

優勝した佐賀北も、準優勝の広陵も、出場した多くの選手達も、そして出場こそ叶わなかったものの感動を与えてくれた全国の野球少年達に心から拍手を送りたい。よ〜ぉ頑張ったね!!

22日夜の9時すぎ、耳をつんざくような雷の音と水道の栓を全開したような雨の音で階下へ避難した。私はどうもこの雷が苦手で(子供の頃に親から雷がヘソを盗りに来ると脅された頃から)少しでも音が小さくなる階下へ逃げ込みました。「あっこれで少しは涼しくなるなぁ」蝉達はこの雨をどのようにして逃れているのでしょうか。明日の朝公園の横を通過するときに蝉に聞いてみようかな。


[1367] 【1382回 世界遺産 石見銀山】 2007-08-21 (Tue)

世界遺産となった石見銀山は14世紀頃の発見と伝えられており、16世紀初頭になって東アジアから伝来した精錬技術「灰吹法(はいふきほう)」より、本格的な開発が始まったとされています。17世紀前半には海外にも輸出され、石見銀山が佐摩村にあったことから「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれていました。現在は「龍源寺間歩」の一部が一般公開されており、当時の面影を知ることができます。

石見銀山の外郭町として栄えた大森町は、銀の採掘が隆盛を極めた江戸時代の面影が残り、武家屋敷や商家が街道沿いに軒を並べています。これらは当時の身分や職種によって建築様式に違いがあるため、変化に富んだ景観が特徴です。また、周辺にある温泉津温泉(ゆのつおんせん)は薬効の高い湯治場として知られ、現在でも人気の高い温泉地です。石見銀山遺跡が存在する地域は大きく分けて、大森ゾーンと銀山ゾーンそして周辺ゾーンの3つに分けることができます。

●大森ゾーンは代官所前から羅漢寺までの町並みをさします。
●銀山ゾーンは蔵泉寺口番所から龍源寺間歩までの区域です。
●周辺ゾーンには、銀の積み出しや資材の輸送に使われた港や街道、銀山争奪にかかわる城跡などが存在しています。

石見銀山は、鎌倉時代末期の1309年発見され、本格的な開発は1526年から、17世紀にかけて最盛期を迎えました。銀の産出が減ったあと近代には銅山として稼働しましたが、1923年(大正12年)に閉山となりました。その後、大規模な採掘や開発が行なわれなかったため、16世紀から20世紀初頭にかけての多くの遺跡がきわめて良い状態で保存されています。遺跡の一部は日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44)に国指定史跡となりました。さらに、当時の柵内(さくのうち)と呼ばれた銀山一帯には、寺社や民家が残り、往時の繁栄のなごりをみせています。また、銀山の繁栄と共に成立し栄えた銀山・大森の町並みも、江戸時代末の面影をそのまま伝えており、1987年(昭和62)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

来年の大阪府歩け歩け協会の特別例会にどうかしら?





[1366] 【1381回 郵便屋さん同士の事故】 2007-08-20 (Mon)

今日の昼過ぎ会社のビルの下で鈍い音がした。窓際(席が窓側であって窓際族ではない)の社員が事故を知らせてくれた。安全運転管理者としてすぐ階下へ飛んでいきました。

郵便局のトレードマークである真っ赤なバイクが3台。一人のズボンが破れて怪我をしている。警察へ電話をする人、怪我をしてうづくまる人、職場である郵便局へ電話をする人と動きはバラバラではあるがソツのない連絡をされている。(事故の訓練が行き届いている様子)警察が到着するまで猛暑を避けて、会社のロビーに入ってもらって治療をすることにしました。かなりの出血である。「すみません」と恐縮するが「お互い様ですから」と手当の手の動きは止めないでいると警察が到着しました。2台目のバイクの人は大腿部を打撲している様子。

警察官が「えーっと調書とらせてもらうよ。住所は?西宮の警察官と違って、さすが「此花区」という漢字は知っていた。運転していた人の名前は?「○○イサムです」「イサムっどう書くの?」「またの下にちから」キャーッ出たゾー!又のしたに力書いてどうすんねん!またのしたにちからと言うたら「勇」じゃろーが!

事故の原因は当社のガレージから徐行しながら出庫する際、一番前を走っていたバイクが急ブレーキをかけ二番目のバイクが気づくのが遅れて前のバイクと当社の車に接触して転倒、3台目はセーフ。○○勇ちゃんの名誉のためにも言っておきますが当社は被害者側になると思います。うん。絶対そうや!

郵便局の事故担当係が飛んできて、配達先へ行く郵便物を他のバイクに載せ換えて遅れのないように処置をし、あとは現場の状況を事細かく聞いて帰っていかれました。怪我をした人お大事に!

ウオークでもそうですが黄色の点滅で前の人につられて走る人をよく見かけますが(信号無視はもっとひどい)黄色は「止まれ」ですからね。怪我をして痛い目をするのはあなた自身ですよ。信号は守ってくださいね。ウオーカーのマナーが問われる昨今「ひとりぐらいエエじゃろ」が集団ですると大阪府内の団体歩行禁止令なんてのが発令されるかも知れませんよ。

「狭い日本 そんなに急いで 何処へ行く」


[1365] 【1380回 蝉の声が秋モードに変わったよ】 2007-08-20 (Mon)

「山寺や石にしみつく蝉の声」

松尾芭蕉の句に読まれるくらい日本人と身近な存在の蝉、芭蕉が蝉の声を聞き、夏の風流を感じていたのかは定かではありませんが、やはり「真夏」に「蝉」というのはどうしても切れないものですね。子供の頃は昆虫網をもって蝉とりに出かけませんでしたか?捕まえるのを失敗しておしっこをかけられた人も多いはずです。

蝉は7年も土の中で幼虫時代を過ごし、地上に上がって成虫となります。約300個の卵から成虫になれるのは極一部だけなのに寿命は2週間しかありません。なんともはかないものです。蝉はその間に子孫を残さねばならず、あの声はいわゆる「求愛」のためのものなのです。(うるさいなんて言ってごめんなさいね)

蝉の種類は日本が世界で一番多いそうです。

アブラゼミの鳴き声→ジージリジリジリ
クマゼミの鳴き声→シャーシャー
ヒグラシの鳴き声→カナカナカナ
ミンミンゼミの鳴き声→ミーンミンミンミン
ツクツクボウシの鳴き声→ツクツクボーシツクツクボーシ

今朝あたりから変わった蝉の鳴き声はどれでしょうか?


[1364] 【1379回 熱中症で死亡者続出】 2007-08-18 (Sat)

猛暑が続く関東地方で16日夕から夜にかけ、埼玉県と茨城県で4人が熱中症のため死亡したそうです。埼玉県では、深谷市の女性(38)、さいたま市北区の女性(84)、川越市の女性(86)が、いずれも16日夕方から夜にかけ、自宅内で倒れているところを発見され、病院に搬送されたが死亡が確認されました。さいたま県では40・9度の国内最高気温を記録したそうです。また、茨城県牛久市でも16日午後9時30分ごろ、自宅の庭で女性(90)が倒れているのを、家族が発見。死亡が確認されました。東京都渋谷区でも2人死亡しており熱中症の可能性があるといいます。こうしてみると高齢の方ばかりかと思いきや、38歳の方も死亡していますので、その日の体調などで年齢に関係なく熱中症にかかる危険性があるということがわかりました。また今日は比良山系に登山中の19歳の大学生が熱中症で死亡したそうです。

子供の頃、お昼ご飯を食べたら強制的に昼寝をさせられた記憶があります。「遊びに行きたい!」と言っても「いかん!」この一言でした。理由を説明された覚えはありませんが昼間の暑さで脳がやられると母親が取った処置の様に思います。今朝のテレビで高校野球を早朝野球かナイターにしないと選手も応援席も熱中症でやられるよとコメントしていた人がいましたが、どうぞ事故の無いように祈っています。今日のトンネルウオークは無事ゴールしたのでしょうか?参加された方で書き込みをして頂ける方がいらっしゃいましたらどうぞ実況中継をお願いしますね。


[1363] 【1378回 あっちっちっち!】 2007-08-17 (Fri)

立秋がすぎたというのに40度を超す暑さで、ジリジリと皮膚を刺す気配です。まさかーっこんな日にウオークをしているのではあるまいなぁ、下見をしているのではあるまいなぁ?もしスケジュール上でそうなっていたとしても中止するか、中止が無理ならコースを短縮して実施すべきだと思います。私は11日から16日まで夏休みを取り、外気温10度の世界におりました。7日ぶりに出勤してみると何もかもが新鮮ではありますが、とにかく暑い。止むを得ず郵便局まで外出しましたが暑すぎて息苦しい。

行動食にキューリが良いと自分の体験上から言ったことがあります。キューリや瓜は身体の中から冷やす効果があり、夏場の食べ物には最適であると書かれてありました。口当たりもよく、適度に塩分も取れ、水分補給と塩分補給とクールダウンに一石三丁の効果がありそうです?ぜひウオークの昼食時に試してみてはどうでしょうか(カマキリちゃうでと怒らないでよね)

ウオークの途中、水分を含んだ帽子をかぶって「涼しいよ」と見せてくれた人がいましたが首に巻く保冷剤と同種の暑さを避ける襟巻きがあるとか・・・・首筋を日焼けで軽度の火傷状態にしている人を見ました。とにかく男性も女性も直射日光は身体に毒です。明日の廃線ウオークはトンネルの中を歩くので涼しいかと思いますが、皆様それぞれに工夫をしてUVカットの素材を着用してください。

クラッときたら早い目に自分で処置をしましょう。首の後ろ、脇の下、股の付け根を冷やします。ペッドボトルを冷凍して持参の方はミニタオルを濡らしてペツトボトルに巻き付けましょう。できればペットボトルはリュックに差さずウエストかリュックの前に掛け、いつでもどこでもこまめに水分補給できる体制を取ってください。ストレッチが終わり、いざ出発という時には多めの水分をグイグイっと飲んで、歩き始めたらチビチビとこまめに飲んで下さい。トイレ休憩の時にリュックの中から取りだして飲んだりは決してしないでください。間に合いませんよ。

明日18日は残念ながら出勤日となります。どうぞ皆様熱中症に充分お気を付けてウオークに参加してください


[1362] 【1377回 夏休みでリフレッシュ】 2007-08-16 (Thu)

来年の定年後は毎日が日曜日で、夏休み、と思うと会社人間としての最後の夏休みを有意義に過ごしました。今までは北海道から帰省する息子のために母として過ごし、姑や舅の居るときは嫁として過ごしていました。そんな環境から卒業したいまは自由に自分の時間を過ごせる事に「しあわせ」を感じています。いまが青春!そんな気分で夏休みをすごさせていただきました。

夜半に車で富山方面に向けて出発、山小屋2泊の行程です。立山に到着した途端に仲間の携帯が鳴り、親戚の不幸を知らされるというアクシデント(その1)がありました。午前5時41分の富山行きの電車に乗り無念の大阪行きの電車を見送ります。午前6時始発のケーブルに乗り立山から美女平行きのバスに乗り換えます。目的は「剱岳登山」

立山には大歩協、義兄、社員旅行と3度も訪れていますが、いつも吹雪か雨でこんな美しい青空に恵まれたのは今回が初めてです。残雪が山肌を美しく彩って迎えてくれます。雄山は大阪府歩け歩け協会で訪れたことのある山でお祓いの宮司さんの声を聞きながら通過し、いくつかの山を乗り越え、宿となる剣山荘をめがけます。かなり長いコースで山小屋が見えた途端に身体から力が抜けて私一人だけ休憩をとる羽目になりました(アクシデントその2)

台風か雪の重みで倒れたため建て替えたという真新しい山小屋は寝具も床も廊下も新しく、おまけにシャワーが使えるというご褒美までついていました。何よりのご馳走です。ビールを飲む者、シャワーに入る者、写真を撮る者と夕食までの時間を自由に過ごします。山小屋の夜は早く、満点の星を掛け布団にして誘眠剤の力を借りて深い眠りにつきました。

第2日目は一服剱、剱岳山頂、カニのヨコバイ、カニのタテバイと名前の通りカニさんにならないと通過できない狭い岩場の危険場所を通過します。2週間前には落下して死亡者が出たと言います。「これが剱や!」と武者震いしました。決して安易に参加できる山ではありません。剱に登るイメージトレーニングをした者のみ登れる山だと痛感しました。下りでポチが心臓に故障ありと訴え仲間のペースをくずしてしまい、その事が原因で姫とリーダーとの衝突がありました。リーダーと姫との中では日常茶飯事ですが他の仲間を巻き込んでのトラブルは初めてです。(トラブルその3)山小屋に到着すると何と何と「アドベンチャーさん」と逢ったではありませんか!これは凄い偶然です。


第3日目。太陽は私達を見捨てません。快晴の山は蒼く雲は眼下で白く、山肌は木立の緑と残雪の白さで感動の360度の大パノラマのスクリーンのひとりじめです。雷鳥沢からみくりが池温泉へ向けて下山体制となります。目に映るものすべて美しく感動の3日間でした。3日分の垢を落とし、石けんの懐かしさに触れ、久しぶりのご馳走「うどん。ラーメン、カレー」などに舌鼓を打ちます。立山へ到着後、無念の帰阪を余儀なくされた仲間へみやげを買い大阪へ向けて車を走らせますが渋滞もなくスムーズに戻ることができました。

★エピローグ
私だけが元気でもいかんと言うこと、ポチも同じ体力がなければ山は楽しめないということ、私だけが参加しても「帰りが遅い」「また出かけるのか」「もうやめとけ」などの言葉を聞くとストレスとなることなどを考えると、体力のある人達との山行は、みんなの足をひっぱるので今後はそれも考慮にいれて、それをも許容範囲として同行を許可してくれることを出発前にリーダーと同行者に確認と許可をもらってからでないと無理であると言うことが剱の教訓として脳裏に刻んでおかなければならないと思っています。


[1361] 【1376回 夏休み突入前の長編ラブレター】 2007-08-09 (Thu)

「高校野球の入場行進曲」
私が昨日歌詞を載せたのは「栄冠は君に輝く」という歌でした。歌ってみていただけたでしょうか?では歴代にどんな歌が行進曲として使われていたでしょうか。調べてみました。

第79回 平成19年(2007) 宙船(そらふね) TOKIO
第78回 平成18年(2006) 青春アミーゴ   修二と彰
第77回 平成17年(2005) 君こそスターだサザンオールスタズ
第76回 平成16年(2004) 世界に一つだけの花 SMAP
第75回 平成15年(2003) 大きな古時計 平井堅
第74回 平成14年(2002) 明日があるさ 坂本九、ウルフルズ
第73回 平成13年(2001) TSUNAMI /イエスタデイ(メドレー)
第72回 平成12年(2000) First Love 宇多田ヒカル
第71回 平成11年(1999) 長い間  Kiroro 
第70回 平成10年(1998) 硝子の少年  KinKi Kids 
第69回 平成9年(1997) これが私の生きる道 Puffy
第68回 平成8年(1996) TOMORROW   岡本真夜
第67回 平成7年(1995) がんばりましょう SMAP
第66回 平成6年(1994) 負けないで ZARD
第65回 平成5年(1993) 今ありて (3代目大会歌) 阿久悠作詞、谷村新司作曲
第64回 平成4年(1992) どんなときも 槇原敬之
第63回 平成3年(1991) おどるポンポコリン B.B.クイーンズ
第62回 平成2年(1990) 約束  相川恵理 
第61回 平成元年(1989) パラダイス銀河 光GENJI
第60回 昭和63年(1988) 夢冒険 酒井法子
第59回 昭和62年(1987) CHA−CHA−CHA 石井明美
第58回 昭和61年(1986) 青春 岩崎良美
第57回 昭和60年(1985) 星屑のステージ チェッカーズ
第56回 昭和59年(1984) CAT'S EYE 杏里
第55回 昭和58年(1983) 聖母たちのララバイ 岩崎宏美
第54回 昭和57年(1982) ルビーの指環 寺尾聰
第53回 昭和56年(1981) 青い珊瑚礁 松田聖子
第52回 昭和55年(1980) YOUNG MAN(Y.M.C.A.) 西城秀樹
第51回 昭和54年(1979) 季節の中で 松山千春
第50回 昭和53年(1978) 愛のメモリー 松崎しげる
第49回 昭和52年(1977) ビューティフルサンデー 田中星児
第48回 昭和51年(1976) センチメンタル 岩崎宏美
第47回 昭和50年(1975) おかあさん 森昌子
第46回 昭和49年(1974) 草原の輝き アグネス・チャン
第45回 昭和48年(1973) 虹をわたって 天地真理
第44回 昭和47年(1972) また逢う日まで 尾崎紀世彦
第43回 昭和46年(1971) 希望 岸洋子
第42回 昭和45年(1970) 世界の国からこんにちは 三波春夫
第41回 昭和44年(1969) 三百六十五歩のマーチ 水前寺清子
第40回 昭和43年(1968) 世界は二人のために 佐良直美
第39回 昭和42年(1967) 世界の国からこんにちは 三波春夫
第38回 昭和41年(1966) 友達 坂本九
第37回 昭和40年(1965) 幸せなら手をたたこう 坂本九
第36回 昭和39年(1964) こんにちは赤ちゃん 梓みちよ
第35回 昭和38年(1963) いつでも夢を 橋幸夫&吉永小百合
第34回 昭和37年(1962) 上を向いて歩こう
第33回 昭和36年(1961) バッファロー大隊マーチ
第32回 昭和35年(1960) 誕生日
第31回 昭和34年(1959) 皇太子のタンゴ
第30回 昭和33年(1958) クワイ河マーチ
第29回 昭和32年(1957) 緑のこだま
第28回 昭和31年(1956) 雷神
第27回 昭和30年(1955) セントルイスブルース
第26回 昭和29年(1954) 錨をあげて
第25回 昭和28年(1953) 黄色いリボン
第24回 昭和27年(1952) 君が代マーチ
第23回 昭和26年(1951) スポーツショー
第22回 昭和25年(1950) ハイスクール
第21回選 昭和24年(1949) 異国の丘 中村耕造&竹山逸郎
第20回 昭和23年(1948) 鐘の鳴る丘 川田正子
第19回 昭和22年(1947) 剣と槍
(1942年〜1946年 第2次世界大戦のため中断)
第18回昭和16年(1941) 国民進軍歌 徳山lほか
第17回昭和15年(1940) 紀元二千六百年奉祝歌
第16回 昭和14年(1939) 大陸行進曲 徳山lほか
第15回 昭和13年(1938) 愛国行進曲
第14回 昭和12年(1937) 陽は舞いおどる甲子園
第13回 昭和11年(1936) 陽は舞いおどる甲子園
第12回 昭和10年(1935) 陽は舞いおどる甲子園
第11回昭和9年(1934) 陽は舞いおどる甲子園
第10回 昭和8年(1933) 青年
第9回 昭和7年(1932) 爆弾三勇士の歌
第8回 昭和6年(1931) 初代大会歌
第7回 昭和5年(1930) われら戦友
第6回 昭和4年(1929) 観兵式行進曲
第5回 昭和3年(1928) モン・パリ、バレンシアほか
第4回 昭和2年(1927) なし
第3回 大正15年(1926) 親しき戦友
第2回 大正14年(1925) カレドニアンマーチ
第1回 大正13年(1924) 双頭の鷲の旗の下、星条旗よ永遠なれ

★ひまな奴だとお笑い下され。何となくその時代が解るような気がしませんか?歌にはドラマがあります。この曲が流れるとこのシーンが甦ることもあると思います。

では夏休み行ってきま〜す!!




[1360] 【1375回 甲子園の仲間達】 2007-08-08 (Wed)

お昼のテレビで開会式の光景を見て、口元の動かない球児達にかわり私は歌った「きみが〜よは千代に八千代に〜」と・・・消防の出初め式でも君が代の曲は流れるが誰も歌いません。私は仮設テントの中で一人美しい声(?)で歌います。この光景私と同じ思いで開会式をご覧になった人がいてホッとしました。その名をサスケ!

春の高校野球大会では浩太くんという青年の応援に燃えました。夏は残念ながら出場ならずだった様ですが、甲子園に出なくても青春の思い出には変わりありません。家族や友達、地域の皆さん、そしてお爺ちゃんのメル友達が燃えたことも忘れないでほしいです。

いつも行進曲として流れてはいますが歌って見て下さい。勇気のでる歌詞と曲です

雲は湧(わ)き 光あふれて 天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ まなじりは 歓呼に答え いさぎよし 微笑む希望 ああ 栄冠は 君に輝く

風を打ち 大地を蹴りて 悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ 一球に 一打にかけて 青春の 讃歌を綴れ
ああ 栄冠は 君に輝く

空を切る 球の命に 通うもの 美しく匂える健康
若人よ いざ 緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす
感激を 目蓋(まぶた)に描け ああ 栄冠は 君に輝く

正々堂々と闘ってくれ〜!


[1359] 【1374回 ひめのおうちの夏休みのお知らせ】 2007-08-07 (Tue)

ひめのおうちへご訪問頂きありがとうございます。
8月10日から8月15日まで夏休みをとらせていただきます。どこへ行くあてもない身ではありますが、「いっちょまえ」に夏休みが欲しいのです。夏山か海か墓参りかを済ませ4、リフレッシュしてもどって参ります。留守中、私のかわりに、みなさまの書き込みを楽しみにしています。

♪麦わら帽子は もうきえた たんぼの蛙は もうきえた
それでも待ってる 夏休み 姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない それでも待ってる 夏休み

♪♪絵日記つけてた 夏休み 花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み 畑のとんぼは どこ行った
あの時 逃がして あげたのに ひとりで待ってた 夏休み

すいかを食べてた 夏休み 水まきしたっけ 夏休み


[1358] 【1373回 ガソリン値上がり】 2007-08-06 (Mon)

「燃料節約7ケ条」
こうもガソリンが値上がりすると自分の足が一番安くつくウオークがいいのかしら?でも遠くへ行きたい、夜中に走りたいと思う時もあります。そんな時は車しか使えない場合もあります。そこでお勧め7ケ条を伝授しましょう。私の知人にガソリンスタンドの経営者がいますが「値上がりしても儲かりません」とのことですので知人に成り代わり弁明しておきます。あとは賢く節約するしかありませんね。

●その@ガソリンは満タンにせず20gくらいをマメに給油する
(車両重量が重いと燃料がかかります)
●そのAタイヤは太い物より細いタイヤを使用しましょう
(設置面積が少ない方が良い)
●そのBトランクの中の余分な荷物は大敵です
(ゴルフバックが入れっぱなしになっていませんか)
●そのCアクセルは慎重に
(急発進は余分な燃料がいります)
●そのDレンタカーを借りるときは車の色は黒より白にする
(黒は太陽を吸収しやすくエアコンの負担が大きい)
●そのE自然の風で燃料の節約をする
(外気が涼しいのに、ついついクーラーをつけていませんか)
●そのFETC利用時は「早起きは3文の徳」
(夜中に走ったり早朝走ったりするとETCの割引もあります)

グループでマイカーを出してもらって夜中に移動する時も、所有者にお願いしてETCを使わしてもらいましょう。帰着後に下記のアドレスに車番とカード番号、利用した日付をいれれば利用金額が出てきますので精算も簡単です。(どこかへ出かける時は相談してみよっと)

   http://www.etc-user.jp/

利用方法は@ETC利用明細書発行→A同意する→B利用した日付を選択→C車両番号、カード番号を入力→D検索。これでいつ何処を何時に走ったか詳しくわかります。




[1357] 【1372回 なんとな〜く、なんとな〜く】 2007-08-06 (Mon)

庭先のナスビを2つつまんで漬け物にしました。真ん中に包丁で切り目を入れて塩もみします。10分もすれば塩抜きをしておかかをたっぷりかけて頂きます。暑い夏の、何にも勝るご馳走です。週末は久々に予定のない休日を迎えました。日曜日の夕方は好日山荘に行き「ツーストック」を購入しました。クッションが効いているかどうかを入念に調べ購入しました。私の場合、1本のストックは右肩だけが疲れてしまいます。かと言って左肩でストックはうまく使えません。2本をうまく使えるように練習もしなくてはと思っています(葛城山中で拾ったストックを持ち帰り際に2本でついていたらツーストツクの良さがわかりました)なんとな〜く、なんとな〜く、すごすのもいいものですね。

4日の夕方は大阪府歩け歩け協会のコース設定委員会3回シリーズの第1回目の会議の日でしたが欠席をしました。第2回目が平日のために仕事のある私は出席できません。中途半端に口出しして混乱させても無責任な話と考えたからなんです。優れたスタツフが沢山いるから私が欠席したくらいで何の支障もありません。ハイ。

4日の夜に家が揺るぎました。地震か?何度もドーンドーンと揺れます。なんの事はありません。「平成よどがわ花火」が開催されていたのでした。昔、大阪府歩け歩け協会のサンセットと淀川花火をセットにしてウオークを企画、実施したことがありました。ビュースポツトはそれはそれは特等席に大満足していただけましたが帰りの野田阪神駅に出るまでに大混乱で予想以上に時間がかかったことがありました。

花火ウオークは「解散後、みれたら良い。解散したのだから帰りは自由よ」こんな甘いものではありません。不特定多数の皆様の安全を守るには花火ウオークは危険です。その翌年海遊館の花火を対岸の桜島からみた時は駅も近いし大層喜んでいただけました。しかし不景気でその花火も中止となり残念なことです。

今年は花火を我慢して新潟の地震対策費用として寄付をしてもらえたら、ほんまもんの花火は見えずとも私達の心には大輪の心の花火が咲いたことでしょう。


[1356] 【1371回 バス停に立ち寄らないバス!】 2007-08-02 (Thu)

7月30日の事。大阪府歩け歩け協会の会議(難波OCAT於いて)に出席すべく此花千鳥橋のバス停でバスを待っていました。「まもなく来ます」のテロップが流れすぐ近くで「野田阪神行き」のバスを確認しました。これに乗れば6時からの会議にまにあいそうです。(私は会議に遅刻されるのも、するのも大嫌い。間に合わないなら最初から欠席する主義なんです。遅れて行くと必ず進行係が遅刻者に最初から説明する。無駄なことをさせては気の毒なので欠席するのです)

ところがどうしたことでしょうか!?バス停に近寄らず3車線の右側を走り始めました。「何じゃこれはー!」会議に遅刻しそうなのでタクシーに乗ることにしましたがどうにも合点がいきません。「運転手さん前のバスを追っかけて!」まるで刑事ドラマの様でしょ。近ずいたところで車番を控えました。よっしゃー明日電話で尋ねてみようっと。

大阪市交通局のホームページに「お客様の声」というコーナーがありましたので、こうこうしかじかと書き込みました。そして8月2日、酉島バス営業所の担当者から電話があり、ご指摘を受けた件をドライバーに聞くと満員のため停車せずに通過した。車外マイクを利用して待っていたお客様に伝えたそうでとの回答でした。(3車線の右側を走っておいてそれはないじゃろぅ)(満員ってか?4〜5人しか立ってる人はおらんかった)

私はドライバーを個人攻撃するために書き込みをしたのではありません。車内でどんな緊急事項がおきたのか知りたいだけなんです。千鳥橋のバス停に近づいてマイクでその旨を案内したと言い張るのなら「ちょっと待て」になるし、正直にうっかりしてバス停に立ち寄らなかった事を認めれば「そうですか」で終わります。

また明日、担当者と上司とドライバーで話し合い返事をくれるそうです。タクシー代まで出して車番を控えるために追跡までしてアホみたいと笑うかもしれませんが暑い中、目の前にやっと来たバスがバス停に立ち寄らずに通過したとしたら、それはバスではありません。タクシー代を支払っても不思議と思うことは解決しておかなければ消化不良になります。


[1355] 【1370回 悲しい夏休み、水の事故相次ぐ】 2007-08-02 (Thu)

8月1日産経新聞朝刊で四万十川で二人の子供がおぼれて(11歳と10歳)亡くなったと報じられていました。滋賀県から体験学習で訪れ一人の引率者が監視し残りの引率者はテントの設営に従事していたといいます。水の流れは上から見る(ゆるやかでおだやかに見える)のと実際に足をつけて(きつい流れに足を取られる)感じるのでは違うことを知らなければなりません。カヌーをしてキャンプしての楽しい企画が山盛りだったはずです。テント設営もまだの何の体験もないままに尊い命を落としてしまいました。そしてこのキャンプ企画は即中止となったそうです。

水温の冷たさは想像以上です。最初は「つ〜め〜たー!」と気持ちの良い歓声をあげると思いますが、プールに慣れていて川の水に慣れていないとまず水温にびっくりします。そしてプールにはない流れが川にはあります。けっこうきつい流れですよ。私は四万十川を語るとき「母なる川」と書きます。それは子供の時から水温にも、流れにも慣れていて静かな時も荒れる時も知っているからです。母親の顔色を見る様に川の顔色を見て「今日は遊んでも大丈夫かな」と川に問い、川遊びをしたものです。川は生きているのです。

私の仲間のホームページに吉野川で子供を水遊びさしている写真を見ました。2人の子供を浮き輪で遊ばせているのですが(ライフジャケット着用の上)母親もちゃんと救命着を着用して遊ばせているのです。万一に備えての水遊びをさす基本の姿に感心しました。この方もきっと吉野川の特徴を知り尽くしているのだと思います。子供の動きは大人の想像以上の動きをします。

私にまだ孫のいない頃、姪の子供3人を弁天町にあるプールに連れて行ったときのことです。引率者は私とポチの2名。最初はキャーキャーと浅いところで泳いでいたのですが突然に三方に分かれて走り出しました。不意をつかれてどの子を助けに行ったか覚えていませんが(書かない方が姪に怒られなくて済む)度肝をぬかれたことがありました。水遊びは子供の数と引率者の数は同数が望ましいです。お盆休みでお孫さん達が帰省してくるかと思います。

ウオーカーの皆様!熱射病から身を守るため、食事の箸休め状態でお盆休みのこの季節はウオークをお休みしてファミリー孝行をしてください。そしてご家族の皆様も充分気を付けて事故のないようにお願いします。



[1354] 【1369回 祭りだ〜まつりだ〜マツリだよ】 2007-07-31 (Tue)

「1215年4月、村と港の繁栄を祈念し、伝法村の中心に傳母頭神社として御鎮座されたが、1592年2月豊臣秀吉瀬戸内より日本海へ渡航に際し御神前に祈願せしとこと御社殿奥の森より三足の鴉が出現、渡海の安全守護他瑞兆を示さんとの神告があり、お告げ通り無事平安に帰国を果たした。秀吉この事大いに感激し神社名を以後「鴉宮」に改めよとの命名、自ら鴉の巣を成しているところ、すなわち森地に御遷宮したと伝う。」これが此花区伝法町の鴉宮の由来です。

今日と明日賑やかにお祭りが行われます。小さな町ではありますが今宵だけはどっと人が押し寄せてきます。朝からハッピ姿のチビちゃん達が元気よく走り回っています。そして明日はPLの花火、天気晴朗ドカーンと夜空に美しく舞い上がる事でしょう。富田林に住む友達からメールが来て明日8月1日は午後から会社をお休みすると言います。「花火見に行くの?」と聞くと「そんな優雅なものではありません!家に帰れなくなるのです、電車に乗れなくなるのです」そううか・・・・ ほな私も行って見よか!

白浜の海辺で何とも間の空く花火がドーンと打ち上げられているそうです。ホテルのイベントで打ち上げられているのですが「みっちゃんお誕生日おめでとう!ドーン」「結婚記念日おめでとう!ドーン」「愛しているよ!ドーン」と間の空く時間はお客様のメッセージを読み上げている瞬間なのだそうです。夏らしいイベントですね。私が上げてもらうとしたらメッセージは「槍の上でアルペン踊りを踊るぞ!ドーン」かな。(その前に、へばるなよ)

♪♪どんと なった花火だ  きれいだな 空いっぱいに
  ひろがった しだれやなぎが  ひろがった

♪♪どんと なった何百  赤い星 一度に かわって
  青い星 も一度 かわって  金の星



[1353] 【1368回 今日は運営委員会でした】 2007-07-30 (Mon)

今夜は難波で大阪府歩け歩け協会の運営委員会の会議の日です。平成19年がやっと半年過ぎたばかりだと言うのに、もう平成20年の年間予定表の骨組みの話し合いをしました。「もう」と書きましたが皆様に12月に予定表をお渡しするには丁度いい案配なんです。お天気に左右されるのは仕方ないとしても、コースは適切だったか、年間の実施回数は多くないか、夏場の距離は適切かなどと中身の濃い会議でした。

「いってきま〜す」しばらくの間、零ちっちとお別れです。保育園が夏休みに入り、函館のおばあちゃんちへ純ママと二人でお里帰りです。私が「サビシイヨ〜」と言うと「サビシクナイヨ〜アノネ飛行機に乗るの」と心は早々と函館へ飛び立っている様子です。パパはお盆休みの後に函館へお迎えに行きます。「バイバイしたらパパは泣くの?」とか「パパかわいそうネ」などと知っている言葉を並べ立てて、よくおしゃべりをします。函館は朝夕は寒いと言い大阪の猛暑の中にいると羨ましい限りです。

私の実家は(と言っても、姉の家)鴻池新田にあり近すぎるため、お泊まりをして帰ることはありませんでした。一度でいいから、上げ膳据え膳を体験したいと思っていましたが姉の所も小さな子供が3人もいて、とてもくつろげる状態ではありませんでした。お泊まりで親子で受け入れてくれるご両親がいる方は、このことに感謝をしなければなりませんよね。

お盆に、どっと故郷の親許へ帰るのも良いですけれど家を守っている兄嫁あるいは弟の嫁さんに対して感謝の気持ちを形で表さないといけないと思います。「ありがとう」だけでは軽すぎます。少しばかりの菓子折さげて大きな顔して家族大移動。「実家だから当然」とそれこそ上げ膳据え膳で、兄嫁や弟の嫁をメイドさんの様にこき使い、帰る時は車のトランクが自動で開くほどにパンパンに土産の米や野菜や果物を詰め込む。作物を育てた者の身になれば少しは遠慮と言うものもあるだろうと思うほど根こそぎ持ち帰り台風のように去っていくのではありますまいか?

しかし両親だけで暮らしているのであれば話しは別になります。両親は息子や娘のためにおみやげを山の様に用意して、喜ぶ顔が見たいのであります。もらって帰るのも一種の親孝行という場合もあります。じゃあお盆に世話になったので後日兄嫁や弟の嫁を都会の自宅に招いて労をねぎらうかと言うとそれはなく、また年末年始になるとドカッと里帰りが始まります。

「みっちゃん、だらしいちや〜」と毎年そんなつぶやきを便りでよこす幼なじみがいます。(土佐弁で疲れるという意味)


[1352] 【1367回 高槻から山崎まで15キロ】 2007-07-29 (Sun)

7月29日(日)例会実施の日、とにかく暑い!暑い!の一言です。「おはよう」の後に「暑いなぁ」が必ず付録のようについて来ます。JR高槻駅から集合場所の上宮天満宮まではスタツフが誘導をして、約10分くらいかかります。JRふれあいと、歩きたくなる道のコースとあって400人を超す大人数の方が参加されていました。

高槻市立公園墓地(みなさん下見でっか?そんなアホな!)を経て山間部へと入ります。私は今まではお昼の弁当と少しのおやつだったんですが行動食を研究してから、持参する物が変わり、休憩毎に少しづつおやつを頬張るようになりました。そのおかげで、へばらずに何とか、ついて行けました。(今回は冷凍みかん、フルーツ類)

金竜寺、昼食場所の若山神社に到着までに2ケ所のビュースポットがあり天気もよく木々の合間から見おろす景色は素晴らしい眺めでした。木立の中とあってアップダウンはあるものの、風が心地よくアルファルトから解放された土の道で大満足。階段も多く、ローリング歩きの練習には、もってこいのコースです。この山間部だけなら夏でも歓迎されるコースです。

お昼のうたは「村祭り」と「大楠公」で、歌う前に「桜井の別れ」についてお話をさせていただきました。みなさんから拍手と「な〜るほど」と物語と歌詞の意味がわかり、改めて楠正成の偉大さを再確認していただきました。午後は下り坂ばかりで滑らないように充分気を付けていただきながら水無瀬神宮までくだり、名水「離宮の水」でのどを潤し最後の力を振り絞り、やっとの思いでJR山崎駅でゴールです。(水無瀬神宮からゴールまでのアスファルトは暑くて、息苦しくてつらかったです。)7歳の男の子達も最後まで元気に歩きゴールでスタツフの拍手に大喜びしていました。

PS)今回へばった人は水分補給、塩分摂取、風通しのよい服装、靴などに問題がなかったか研究をしてください。我々スタッフとして、暑い夏のウオークにコース、距離に問題が無かったか研究致します。

(桜井の別れ)
楠正成は湊川出陣に当たり、桜井駅において11歳の正行に「どこまでも天皇をお守りせよ。それが父への孝行になるのだ」と言い残し出陣しました。

足利尊氏に破れた父正成の首が届けられた時、後を追って自決しようとした正行は母に「父上の遺訓を忘れたか」と懇々と諭しました。1348年1月5日、足利尊氏の腹心高師直の率いる8万の兵に対して楠正行は3千の兵を率い四条畷において迎え討ち、先陣を打ち破ったものの多勢に無勢では何ともしがたく後方との連絡を絶たれ、深野池の東北・葦の繁れるところで弟正時と差し違えて自決して果てました。正行は23歳であったといいます。

四条畷の決戦に先立ち、死を決意し正行は天皇に会い、最後の別れを告げました。天皇から「無駄死にをしないように」と諭された正行は感激で涙を流し、京都如意輪堂に一族143名の名前を留め自生の歌を残しました。

「かえらじと かねて思へば あずさ弓 なき数に入る 名をぞとどむる」

★★楠木正成のお話の中で読者の方から下記の通りご指導を頂きました。訂正させていただきます。すぐ反応を頂けると言うことはいつも読んで頂いていると言うことで感謝。感謝です。

「楠木正行が辞世を矢じりで刻んだのは奈良吉野の如意輪寺の本堂 (如意輪堂)の門扉です。 一族143名の過去帳と遺髪をやはり如意輪寺へ奉納しています。別れを告げたのは南朝の後村上天皇です。 きっと天皇→京都→京都のお寺という勘違いでしょうね。私は吉野出身ですからすぐわかりました。」



[1351] 【1366回 生きる証はニオイ】 2007-07-28 (Sat)

世界のエベレスト(8848メートル)に行くには一体どのくらいの費用がかかるのでしようか。山の高さと同じくらい800万円の高額費用がかかるそうです。

ヒマラヤ登山を経験した人が必ず持参するものがあるらしいです。それは「香りの缶詰」だそうです。ヒマラヤには匂いがなく精神的においつめられていく中で生きて帰ろうと思うためには「香り」が必需品なんだそうです。私は臭いに人よりも敏感で(異常かも)特にトイレの悪臭には閉口します。六甲山一軒茶屋のトイレに立ち寄りましたが建物の外から、すでに異様な臭いがして嘔吐をもよおし、用を足すことができませんでした。(男性の立ちションがうらやましぃ〜)

姪っ子達とキャンプに行く途中、トイレ休憩をしたのですがそこでも、えづいてしまい、外で待つ姪っ子達が「便所の中に熊がいて吠えてる〜」と笑われたことがありました。ミルクを吐いた臭いで一緒に吐いたこともあります。ヒマラヤの話しに戻りますが、無臭の中で登り続けていると、汗の臭いも、靴下の臭いも懐かしい「生きている」と言う香りだそうです。(ほんとかなぁ)

あまり神経質になっても困りますが他人に迷惑のかからない細やかさはほしいですね。また反対に香水の匂いが悪臭となる時もあります。部屋に立ち寄り用事を済ませて退出しているのですが換気扇を廻してもしばらく香水の匂いだけが残ります。風になびきながらフーッと通り過ぎるオーデコロンくらいなら我慢できますが仕事場に香水は不要です。

万一、海外旅行のチャンスがあったとしても、おみやげに「香水」だけは買って帰らないでおこうと心に決めています。各個人の香りを他人が押しつけることはしたくないしね。


[1350] 【1365回 栗焼酎と筏羊羹】 2007-07-27 (Fri)

栗焼酎が3年を待たずとも飲めることになりました。詳しくは大阪府歩け歩け協会のホームページをご覧下さい。私の故郷中村市に「右城松風堂」という和菓子の老舗があります。故郷に帰るといつも購入してくる「筏羊羹」の製造元で石鎚山登山の時も皆様に宣伝したかと思います。急になつかしくなりました。

北海道なら「白い恋人」、長崎なら「福砂屋のカステラ」、松山なら「タルト」とお気に入りのおみやげがあります。しかし近年はお菓子よりもおかずになるもの(明太子、ちくわ、いくら、魚の開きetc)に目がいくようになりました(年かなぁ)そして一度死ぬまえに食べてみたいのが北海道の「デン助西瓜」。あの黒光りのした西瓜の中味はいったいどんな色と味なのでしょうか。割ってみたい、食べてみたいです。

右城松風堂のインターネットを見てびっくりしたのですが私の同級生が代表者になっていました。中学1年生の同級生なんですが、腰まである長い髪を三つ編みにして目の大きな「あきさん」という子がいたのです。中学校の1年の2学期には、私は大阪へ転校しましたが、しばらくバスケット部で仲良しだったんです。なんとその子(子と言っても同級生なので60歳間近よ)が社長してるんです。郁ちゃんの栗焼酎を四万十川ウオークで飲むのなら、ぜひ訪れてみたいと思います。そのあきさんから「大好きな中村の町も随分と変わってきましたが、私達は昔のままホンワカと暮らしています。最近では四万十川の風景がコマーシャルに使われるようですが又機会を作ってぜひお帰り下さい」とお手紙を頂きました。



[1349] 【1364回 グットアイデア靴下も手も一緒!】 2007-07-26 (Thu)

タイトルだけでは何のこっちゃー!?と思われる事でしょう。じつは冷房対策なんです。私の勤務する総務室はパソコンを操作する机が窓際の机にあり冷房の風が窓に当たって右手にまともにあたります。長袖にすると外へ出たときに暑いし、かと言って温度を上げると暑いし何か対策はないものかと考えていました。

冬に使用していたレッグウオーマー(ハイソックスタイプなんですが足首のない物)に着眼し洗濯したレッグウオーマーをしてみたら、何とこれが最高!素材は毛糸で保温性抜群だし外へ出るときはスポッと腕から抜いて行けばいいし冷房対策には優れものです。

今は見かけなくなりましたが役場の窓口のおじさんやおばさんが腕カバーしていたスタイルです。何か自分で考案した新製品の様で気に入っています。お勤めの方で腕が冷える人はためしてみてください。かと言ってそんなにガンガン冷房を効かしているわけではありません。「健康にやさしく、環境にやさしい省エネ温度28度」を守っていてもガラス窓から跳ね返る空気は冷たすぎます。(時々25度の時もあるコレ内緒)

ジャ○○と言うスーパーは食品を腐らさないためにガンガンに冷房を効かせています。店内に入った瞬間は「気持ちい〜い」と思いますが買い物が済まない間に体の芯から冷えてしまいます。人間よりも商品大事なんだと思っちゃいます。小さな子供連れのお母さんジャ○○へ買い物に行くときは薄手のカーディガンをご持参して自己防衛して下さいね。

歩いて、汗出して、その後に飲む冷た〜いビールは最高ですよね。自然が一番!冷房が堪えるなんてなかったのに、やっぱり還暦が近づくと年寄りモードに変化して行くのでしょうか?山間部に吹く風はウオーカーや登山者にとって最高の贈り物ですね。また出かけなくっちゃあね。



[1348] 【1363回 歩く、登る速度について】 2007-07-25 (Wed)

ウオークや登山で速度については個人差があるかと思いますが共通することは「目的地まで快適に到着する」ことだと私は考えます。前に遅れを取らぬように急いで歩いて、前がつかえて止まって、また歩く、また止まるは疲労度が増すばかりか快適ではありません。

むかし富士山に登った時の話しです。富士山の先立ちさんが私を見つけて「君、君、早いよ。もっとゆっくり登りなさい」と注意を受けました。その横を別の団体が通り抜けていきましたが先立ちさんは「心配しないで、すぐに追いつくからサ。うさぎとカメだよ」と自信満々に話しをされました。

案の定、途中で休憩をとっていたのですが疲労感でいっぱいの顔つきです。我々の先立ちさんは休むことはしないで、のろまなカメ状態で8合目の小屋までを悠々と登っていくことができました。な〜るほど、うさぎとカメとはよく言ったものです。

ゆっくりと自分に合った同じペースで一歩一歩、歩くことによって余分な体力をつかわないで済んだのです。「ちょっとスローだな」と思う時もあるかも知れませんが高い山ほどゆっくりと、靴のサイズだけ進むトレーニングを重ねて頂き、快適なウオークや登山を楽しんで下さい。

富士山のご来光を見て下山中、ザレ場ばかりで快適ではなく、おまけに「膝が笑う」どころか「膝の大爆笑」状態で一歩も前に進めなくなったとき、馬が待機していたのです。車の場所まであと一息だと言うのに膝が痛くて進めません。「すみません乗馬代金はいくらですか?」と尋ねると「1万円」と言われました。1万円と聞いた途端にスムーズに足が前に出たではありませんか。しばらく馬糞をよけながら歩いていましたが、もうあかん状態になりました。今度は馬車の待機です。「おっちゃん馬車代はいくら?」と聞くと「千円」と答えました。えっ?馬車に乗ったかですって?乗りますかいなぁ。歩きましたよ。ちゃんと2本の足でゴールしましたよ。そして富士山は下から眺めてこその日本一の山であることを知りました。

大阪のおばちゃんは、如何なる場合でも、ちゃんと値段を聞いて、その上で身体に言い聞かせて、また歩きよるわ。 よ〜できてるなぁ!


[1347] 【1362回 梅雨空け宣言!】 2007-07-24 (Tue)

大阪にも、やっと梅雨明け宣言が出されました。公園の蝉たちも「いまが旬」とばかりに鳴き叫んでいます。公園のそばに家を建てなくてよかったと思う今日この頃です。

夏休みに入り、子供の水の事故が増え、痛ましいニュースを聞かなくてはならない季節となりました。私達が子供の頃とは違った救命方法が出されていますのでご参考になればと思います。

●水の事故、貴方はその時どうしますか
水の事故はプールや海で起きる事故よりも、服を着たままの遭難事故が全体の8割を占めています。ボールが川に落ちた、帽子が海に流されたことが原因で服を着たまま水の事故にあった場合は

@無理に泳がない(着衣泳方法と言って衣服に浮力があるので靴も服も脱がさないで浮く訓練を日頃からさせておく)私達が子供の頃はおぼれたら重たくなるから靴や服を脱ぎなさいと言ってた様に思いますがこれは間違いだと発表されているそうです。

A助けを求めるために手を振ったり大声をださない
泳げない子供が手を振ることでバランスをくずしてしまいます。また大声を出すことで 肺に空気が入るので黙ってただ浮いているだけを日頃からプールの授業等でプロの指導者のもとで訓練をさす。(教師ではない訓練を受けた指導員)

学校のプールで服をきたまま泳ぐことに慣れさせることが必要だそうですが、悲しいことに学校の先生に、その知識がないので専門の指導員に教えて貰うことが大切だそうです。服も靴も浮き輪の代わりをしますので、万一おぼれても服と靴は身につけたまま救助を待ってください。

「着衣泳」とあるので服をきたまま泳ぐのかと思いがちですが「着衣浮」と訂正してもいいぐらい、泳がないで浮くのだそうです。

●水に落ちた子供を見つけたら貴方はどうしますか
素人が助けようと水に入るのは大変危険です。助けられるのは訓練をしたプロだけです。しかし助けるための努力は必要です。浮き輪に成りそうな物(ペットボトル、ランドセル、バケツ、チャリ袋)などを見つけて放り投げてやりましょう。水族館のラッコが貝を食べるときの恰好を想像してください。あの姿で浮いていれば必ず助かります。

海水浴場でビーチサンダルを履いていますが靴をはかして泳がせる方がいいそうです(サンダルは脱げると浮力がゼロ)

子供の頃にお母ちゃんが川に洗濯に来たときシーツなどの大きな洗濯物を借りて大きく膨らませてつかまり、泳いで遊んでいませんでしたか。浮き輪なんて買ってもらえないので川で遊ぶのであればどんなにちいさい子でも「泳げる」事が条件になってきます。そしていつの間にか上手にス〜イス〜イと泳げるようになったのです。母なる川「四万十川」は子供達をいつもやさしく、そして自然の恐ろしさを教えつつ見守ってくれていましたし今も見守り続けていると思います。



[1346] 【1361回 山の中で拾った登山用ステッキ】 2007-07-23 (Mon)

山の中の急な上り坂でズボッと地面に突き刺してあるステッキを見つけました。あ〜この坂道で一息ついて忘れて行った物だとすぐに判明しました。そのまま置いてても引き返してはこないだろう。登山中にハンカチやタオルを落として、よく木の枝に引っかけているがあれも美観を損なうシロモノである。

よく見るとステッキに電話番号と名前が書いてありました。持って帰って着払いで送ってあげようと考えて持ち帰ることにしました。途中は自分の持っているステッキと拾得物でツーストックです。初めてツーストツクで歩いたのですが1本で歩いた時の右肩だけが痛い症状がありません。うんこれはいいかも知れない。槍ヶ岳は2本ステッキで行こう!そう思いました。

23日月曜日、持ち主に電話をすると本人が出てきて「あーっ見つかりましたか。忘れた事に気が付いたのだが引き返す体力を考えるとそのまま放置した。新しい物を購入したので処分してください」と丁寧に礼を述べられて申し訳なさそうに、いらないと言います。

どうしたものか・・・私が貰うには杖の先端にクッションがなく利用価値が低いなぁと考えていたら、上司が椎間板ヘルニアで歩行に支障をきたしているので、いつかこのステッキが必要となる日が近い将来にやって来るはず、それまで私が預かっておくことにしました。

そこで皆様!持ち物には名前書いていると思いますが昨日の状態で名前だけでは届けることができません。電話番号と苗字さえあれば問い合わせすることができます。住所氏名と詳細は個人保護法等で不必要かと思いますが、電話番号はグッドアイデアですね。

いつだったか西穂高山荘でスパッツを忘れました。山小屋で探してもらうように依頼をすると「犬の名前のスバッツならお預かりしています」との事。それそれそれやがなぁポチって書いて合ったので無事手元にもどることができました。山小屋に大切に吊した懐中電灯、風呂場にメガネ、玄関先でステッキやスパッツなど忘れ物には充分気を付けてください。電話番号と名前をもう一度確認してみませんか?



[1345] 【1360回 サンセット雨にも遭わずホッ】 2007-07-22 (Sun)

前日の大雨に「くそーっ!」なんて書いてしまって久しぶりに会った仲間が「姫の気合いに何としても参加しなくては」と思い来ましたよと固い握手ではじまりました。太陽こそ顔をだしていませんが雨は彼方向こうに飛んでいってくれました。

下見の時に打ち合わせをした通り集合場所の公園まではスタッフの配置をきめ細かにして参加者が迷うことはありませんでした。今日のコース途中の見所は何もありません。コース説明も熱中症についてと天城越えの宣伝、そうそうツルミちゃんが「景気づけに365歩体操しようよ」と提案してくれて♪し〜あ〜わ〜せは歩いてこない〜♪と愉快なスタートを切ることが出来ました。

大野川緑道の入り口のコンビニで「小腹対策タイム」、空も心なしか明るくなってきました。ひょっとしたら夕日がみれるかも知れません。歩行者専用道路につき、車も自転車も通ることなく快適に進んでいます。「速度はこの程度でいいですか〜?」と無線で聞くと「OKOK」の返事。しかし、トイレ休憩場所で「ちょっと早い」と言われチェンジを切り替え減速し、まもなくすると視界が変わりました。

福漁港に出たのです。対岸は見覚えのある此花界隈、「あれがUSJ、向こうがゴミ焼却工場」と案内をしながら本日のビュースポットの「矢倉公園」に到着です。眺めの休憩に弁当ゃ、おやつをひろげて海をながめます。滅多にない景色です。

今日の歌手は「やっちゃん」です。夕焼けとんび、さすらい、真っ赤な太陽、ぎんぎんぎらぎらと4曲、みんなで楽しく歌うことができまのした。参加者にも出て来てもらって歌ってもらいました。ご協力ありがとう。

太陽との対面は無理と判断して日の入りより30分早く折り返してきました。背中から「また夕日見においでよ」といわんばかりに心地よい風が吹いてきました。今日の参加者の感想です

「排気ガスのない素敵なコースでした」
「IVVがゴールでという作戦もあって何度も歩いているけどこんな突堤まで来たのは、はじめてよかった〜」
「歌もはじめて。楽しかった。またね」

帰りの電車が混雑するため「西九条周りは300円」「尼崎周りは230円」と書いた看板を持つ看板娘(大歩協に娘はおらんぞ)の案内のおかげで上り、下りに分散して無事サンセットウオークが終了致しました。


[1344] 【1359回 くっそー!クッソー!】 2007-07-20 (Fri)

今日は「熱中症」について書き込みをしようと張り切っていたのに、なんじゃーこの大雨は!シトシトどころかジャージャーと大降りやっ!あれだけ新潟地方にだけは降らさないでと願っていたのに、くっそー!言葉使いは悪いけどほんまにそう思わずにはいられない。サンルームに「てるてる坊主」を吊ってみました。明日のサンセットどうなるんやろ・・・
枚方が雨というジンクスどころかサンセットは雨という前例を作ったみたいや!もうサンセツトの担当は今回限りにしよう。晴れたらまた受け持ってもいいかな・・いやいややめとこ。

「熱中症は予防が肝心です」
梅雨開けの気温の上昇とともに、熱中症患者が急増するシーズンとなってきました。発病した時はまずカラダを冷やす(首筋、脇、足の付け根など)なによりも大切なのは予防!

昔は「暑気」と称されていたと思いますが現代では熱中症、過度の体温上昇や脱水が原因で、筋肉のけいれんやめまい、顔面蒼白、手のしびれ、意識障害からひどいときは「死」に至ることもあるという恐ろしい症状です。湿度の高い時は発汗作用がしにくく体温上昇の原因となります。

予防はカラダを動かす前に250〜500ミリリットルの水分をとる。ウオーク中は30分〜1時間に飲水休憩を取り、毎回200〜500ミリリットル程度の水分を摂取した方がいいといいます。(単純計算で、1時間ごとに500ミリリットルとしたら6時間歩く時は3000ミリリットルを補給ということになります。)

衣服は吸湿性、通気性のよいものを選び帽子は必需品。1時間以上のウオークなどをする時はエネルギー補給として4〜8パーセント程度の糖分を含んだ飲料が有効だといいます。と言うことはウオークで集合場所でのコース説明やストレッチが終わったら200ミリリットルの水分を補給して歩いた方がいいということになります。汗で塩分が流出していますので梅干しや岩塩などで塩分の補給も忘れないでください。

亡くなった一刀水兄貴がアブダビに出張中に日陰と言えばコンビナートの煙突の影しかなくて、とうとう倒れてしまいました。入院先で言葉が通じずアタフタしていたら原因は汗をかきすぎて塩分不足で倒れたのだという話しを思い出しました。私は生のキューリをナイロン袋にいれ塩を少々ふりかけて持ち歩く様にしています。水分と塩分と空腹が満たせて一石三丁だと思っていますが、みなさまはどうでしょうか。
             


[1343] 【1358回 全国の自動車メーカーが生産中止】 2007-07-20 (Fri)

新潟県の地震による影響でトヨタ、日産、マツダ、スズキ、などの12の大手自動車会社が生産中止となったと報道されていました。12社とも「在庫ゼロ」「発注1社集中」などのコスト低減を徹底していたことが裏目にでたらしいです。

我が社も製造メーカーで全国の顧客が新潟の部品メーカー会社の様に、信頼される製品を生み出したい、そうする事によって社員に希望と将来の夢が語れるのではないかと、ふとそう考えると、ため息がでます。

大手12社は社員を10〜20人(トヨタは330人派遣)新潟の部品メーカーに応援に出向させて1日も早い復旧に全力を注ぐといいます。ピストンリングの生産がカローラ、シビック、マーチ、パジェロの生産に危機を与える、すごい会社だ!!

皮肉にも今日夕方から新潟地方は雨だといいます。せめて雨よ!降らないでやってくれ!サンセットウオークが雨かもと嘆いていた自分が、いかにちっちゃな心であったか反省しています。サンセツトが雨だったとしても溶けるわけでもなく生死にかかわることでもない。「生きていく」ことに何の影響も及ぼさない。どうぞ新潟地方だけ、予報が外れて雨は降らないでほしいと切望しています。


[1342] 【1357回 川端康成「伊豆の踊子」第一章(そのX)】 2007-07-18 (Wed)

ももちゃんちの金魚は今日も無事元気でした。19日夜に戻ってきますのでやれやれです。犬や猫、植木などが気がかりで長く家を空けれない人もいるのでしょうね。故郷の恩師も「猫がおるけん」と旅行に出かけられない様子。そう言えば台風は大丈夫だったのか電話をしなくっちゃあね。

伊豆の踊子の最終編です。読んで頂いてありがとうございました。

【雨足が細くなって、峰が明るんで来た。もう十分も待てばきれいに晴れ上がると、しきりに引き止められたけれども、じっとすわっていられなかった。

「爺さん、お大事になさいよ。寒くなりますからね。」と私は心から言って立ち上がった。爺さんは黄色い眼を重そうに動かしてかすかにうなずいた。

「旦那さま、旦那さま。」と叫びながら婆さんが追っかけて来た。「こんなにいただいてはもったいのうございます。申しわけございません。」

そして私のカバンを抱きかかえて渡そうとせずに、いくら断わってもその辺まで送ると言って承知しなかった。一町ばかりもちょこちょこついて来て、同じことを繰り返していた。
「もったいのうごさいます。お粗末いたしました。お顔をよく覚えております。今度お通りの時にお礼をいたします。この次もきっとお立ち寄り下さいまし。お忘れはいたしません。」

私は五十銭銀貨を一枚置いただけだったので、痛く驚いて涙がこぼれそうに感じているのだったが、踊子に早く追いつきたいものだから、婆さんのよろよろした足取りが迷惑でもあった。とうとう峠のトンネルまで来てしまった。

「どうもありがとう。お爺さんが一人だから帰ってあげて下さい。」と私が言うと、婆さんはやっとのことでカバンを離した。

暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。
                        (完)

★さあこれが伊豆へ出かけるきっかけになって頂ければ幸いです。例会毎に受け付けをしております。またホームページで申し込み用紙を印刷して頂き、振り込みをして頂くこともできます。では!


[1341] 【1356回 川端康成「伊豆の踊子」第一章(そのW)】 2007-07-17 (Tue)

ももちやんちの金魚は今日も元気に私の行くのを待っていました。餌をやると、うれしそうに尾を振り餌に飛びつきます。どうぞ持ち主が戻るまで元気でいておくれ〜

伊豆の踊子の続編です。

【私は婆さんに答える言葉もなく、囲炉裏の上にうつむいていた。山を越える自動車が家を揺すぶった。秋でもこんなに寒い、そしてまもなく雪に染まる峠を、なぜこの爺さんはおりないのだろうと考えていた。私の着物から湯気が立って、頭が痛むほど火が強かった。婆さんは店に出て旅芸人の女と話していた。

「そうかねえ。この前連れていた子がもうこんなになったのかい。いい娘になって、お前さんも結構だよ。こんなにきれいになったのかねえ。女の子は早いもんだよ。」

小一時間経つと、旅芸人たちが出立つらしい物音が聞こえて来た。私も落ち着いている場合ではないのだが、胸騒ぎするばかりで立ち上がる勇気が出なかった。旅慣れたと言っても女の足だから、十町や二十町遅れたって一走りに追いつけると思いながら、炉のそばでいらいらしていた。しかし踊子たちがそばにいなくなると、かえって私の空想は解き放たれたように生き生きと踊り始めた。彼らを送り出して来た婆さん
に聞いた。

「あの芸人は今夜どこで泊まるんでしょう。」

「あんな者、どこで泊まるやらわかるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか。」

はなはだしい軽べつを含んだ婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ、と思ったほど私をあおり立てた。】

(明日につづく)



[1340] 【1355回 川端康成「伊豆の踊子」第一章(そのV)】 2007-07-17 (Tue)

台風の過ぎ去るのを待って、ももちゃん一家が旅にでました。「お母さん、金魚とお花の世話をお願いします」と言われ「喜んで引き受けた〜」とは言ったものの金魚が万一死んだら・・・何処に売っているか調べました。近くのコーナンの熱帯魚コーナーに売っていることを確認して  
ホッ!「いってらっし〜ゃい」

「伊豆の踊り子のつづきです」

【その部屋は炉が切ってあって、障子をあけると強い火気が流れて来た。私は敷居ぎわに立って躊躇した。水死人のように全身青ぶくれの爺さんが炉端にあぐらをかいているのだ。瞳まで黄色く腐ったような目を物うげに私の方へ向けた。身
の回りに古手紙や紙袋の山を築いて、その紙くずのなかに埋もれていると言ってもよかった。とうてい生物と思えない山の怪奇を眺めたまま、私は棒立ちになった。

「こんなお恥ずかしい姿をお見せいたしまして・・・・。でも、うちのじじいでございますからご心配なさいますな。お見苦しくても、動けないのでございますから、このままで堪忍してやって下さいまし。」

そう断ってから、婆さんが話したところによると爺さんは長年中風を煩って、全身が不随になってしまっているのだそうだ。紙の山は、諸国から中風の療法を教えて来た手紙や、諸国から取り寄せた中風の薬の袋なのである。爺さんは峠を越える旅人から聞いたり、新聞の広告を見たりすると、その一つをも漏らさずに、全国から中風の療法を聞き、売薬を求めたのだそうだ。そして、それらの手紙や紙袋を一つも捨てずに身の回りに置いて眺めながら暮らして来たのだそうだ。長年の間にそれが古ぼけた反古の山を築いたのだそうだ。】

明日へつづく


[1339] 【1354回 六甲おとめ塚温泉】 2007-07-16 (Mon)

その昔、この界隈に兎原処女(うないおとめ)という美しい女性がおりました。そこに二人の男性が求愛をしましたが、彼女はどちらを選ぶことなく姿を消してしまいます。後を追った二人の男性も二度とこの地に戻ることはなかつたといいます。この伝説が元となってこの付近に位置する処女塚古墳にちなみ六甲おとめ塚温泉というのがあります。

入浴料は天然温泉なのに380円。但し石けんやシャンプーリンスなどはありません。駐車場も第一、第二、第三と数多くありうれしい。風呂場も3階建ての構造となっており、露天風呂もあり地下800メートルよりふんだんに吹き出る41.1度の温泉です。

岩場のトレーニングに行った帰りには(車で行ったときに限る)必ず立ち寄り汗を流して帰ります。今度はお友達にも教えて一緒に天然温泉を楽しみたいと思っています。

神戸市灘区徳井町3-4-14「六甲おとめ塚温泉」078-851-2228


[1338] 【1353回 川端康成「伊豆の踊子」第一章(そのU)】 2007-07-15 (Sun)

【踊子は17くらいに見えた。私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵型のりりしい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。髪を豊かに誇張して描いた、稗史的な娘の絵姿のような感じだった。踊子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡温泉の印半纏(はんてん)を着た二十五六の男がいた。

私はそれまでにこの踊子を二度見ているのだった。最初は私が湯ヶ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女が三人だったが、踊子は太鼓をさげていた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った。それから、湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流しが来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰をおろして一心に見ていた。あの日が修善寺で今夜が
湯ヶ島なら、明日は天城を南に越えて湯ヶ野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが、雨宿りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから私はどぎまぎしてしまったのだ。

まもなく、茶屋の婆さんが私の別の部屋へ案内してくれた。平常使わないらしく戸や障子がなかった。下をのぞくと美しい谷が目の届かないほど深かった。私は膚に粟粒をこしらえ、かちかちと歯を鳴らして身震いした。茶を入れに来た婆さんに、寒いというと、「おや、だんな様おぬれになってるじゃございませんか。こちらでしばらくおあたりなさいまし、さあ、お召しものをお乾かしなさいまし。」と、手を取るようにして、自分たちの居間へ誘ってくれた。

(明日につづく)    


[1337] 【1353回 川端康成「伊豆の踊子」第一章(そのT)】 2007-07-14 (Sat)

例会ごとに「天城越え」の夏の特別例会バスウオークのチラシを配布させていただいています。「歩きたくなる道」にも認定されていてビュースポットも沢山あると聞いています。今日から5回シリーズで川端康成の「伊豆の踊り子」をご紹介させていただきます。

【道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどり着いてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。突っ立っている私を見た踊子がすぐに自分の座布団をはずして、裏返しにそばに置いた。

「ええ・・・・。」とだけ言って、私はその上に腰をおろした。坂道を走った息切れと驚きとで、「ありがとう。」という言葉が喉にひっかかって出なかったのだ。踊子とま近に向かい合ったので、私はあわてて袂から煙草を取り出した。踊子がまだ連れの女の前の煙草盆を引き寄せて私に近くしてくれた。やっぱり私は黙っていた】

(明日につづく)


[1336] 【1352回 台風のためにスッポリ空いた休暇】 2007-07-13 (Fri)

予定していた「お出かけ」を台風4号接近のために中止としました。勇気ある決断だと納得しています。ももちゃん一家は日曜日から石垣島へ旅行だとか、大丈夫かいなぁ?台風であっても「せっかく予定したのだから何としても行こう」これが中高年の山の事故を引き起こす主たる原因なんですね。荷物も出来たし、気合いも充分入っていても自然を甘く見ちゃあいけません。元気でいれば「また」と言う事もあります。

私は去年♪♪人〜みな〜花に酔う〜ときも〜♪♪の「ぼうがつる讃歌」で有名な九重連山に行ったとき、吹き飛ばされる寸前の強風に遭いました。山男の歌の「山で吹かれりゃ若後家さんになる」の意味がこの体験で理解できました。一瞬の出来事で命を落とすことになります。風も息をしており吐く時は地面に這い、吸う時に少しずつ前進しました。登山前にロープやシュリンゲで身体を確保したトレーニングを済ませていたからこそ無事通過できたと胸をなでおろした思い出が甦っています。頂上を目前にして「又来るからね」と言い、引き返せるだけの心の余裕が必要だと、この時痛感しました。坊がつる名物のミヤマキリシマには数え切れない「尺取り虫」が生息しており登山者に退治をお願いする看板が自然破壊を物語っていました。

この連休に花火大会など予定している所も可愛そうですね。順延だといいのですが中止というところもあるらしいです。1年かけて準備に携わった者としては諦めきれないと思います。渇水になげいていても洪水はむごすぎるし、自然の恐ろしさはいくつになっても恐いですね。私の故郷は台風の通り道。すぐ停電になるのでローソクにおにぎり、缶詰は必需品。「台風」と聞いただけでどの家庭もすぐ準備します。父親が亡くなってからは近所の親戚の人が台風の夜には泊まりにきてくれました。ガシャン!瓦が落ちて割れる音がしたかと思うと窓がガタガタと震動します。蚊帳の中で耳栓をして台風の通り過ぎるのを待った夜の長いこと。ご丁寧にどの台風も全部高知県に上陸してくさる!(下さるの間違いではありません)

台風の去ったあとは増水した川に網を入れ川上に向かって歩くだけで魚が沢山とれました。遊びと夕食のおかずと一石二鳥です。何がうれしいかと言うと「休校」です。町から通勤してくる先生が道路が水没して学校にこれないのです。「次ぎの日も水没してくれないかなぁ」生徒みんなの願いもむなしく道路の水はきれいに引いていました。チャンチャン!

だれか〜遊んでよ〜!此花にカラオケボックス持ってる知り合いがいてるのでその部屋借りて「天城越え」でも練習すっかー!



[1335] 【1351回 高山病対策】 2007-07-13 (Fri)

★高山病対策には携帯用の「自分のための酸素ポンベ持参を!」

高山病は個人差が激しく、2000メートル程度の高度から認められるもので、今までよくしゃべっていたものが急に黙りこくなってくると危険信号だと思って下さい。生命に直接危険はありませんが悪くなるのか、良くなるのかのみきわめが大切です。普通はしばらく安静にしておけばよくなるし、しばらく酸素をかませれば楽になります。

症状ですが
●頭痛(なんとなく頭がおもい、頭をふると痛い)
●食欲減退、吐き気
●胸部の圧迫感(いくら息を吸っても胸がすっきりしない)
●顔や手のむくみ(まぶたが腫れる、手が握りにくい)
●放屁(気圧の低下で膨満感が強くなり、腸管内にガスが溜まる)
などの症状があります。じゃあそんな時はどうすればいいのでしょうか体を休めて低酸素状態に体を慣らすことが大切です。たいしたことはないと登り続けても決して良くなりません。軽度の頭痛なら軽い動作で呼吸が大きくなり症状が消える場合がありますが消えなければ安静を保ちます。寝て横になるより、軽く上体を上げたほうが呼吸は楽になります。

そして水分を沢山とりましょう。高い所では脱水が起こりやすく、ノドの渇きの感覚も鈍くなります。平地では普通の人は毎日約2gの水分を必要とします。高いところでは1日の水分必要量は4g越えることが多いです。自分の水分の摂取量が適当がどうかは「おしっこ」で判断できます。1日に少なくとも1.5リットルのおしっこの量が必要であるといわれています。特に女性はつい我慢しがちですので充分気をつけてください。高山病にかかったかなと判断した時はその場にとどまることをせず500メートル以上高度をさげて下さい。その場で回復を待つことはしないで下さい。それでも回復しない時はさらに500メートル以上高度をさげて見てください。高山病にかかった時のお話をしましたが予防すれば楽しい登山ができます。

@ ゆっくり登る。決して急がない。
A マイペースを守る。
B 水分を摂る、おしっこを出す。
C 自分自身の健康管理をする(平静の脈拍数や呼吸数を知る)
D 喫煙や飲酒は控える。
E 飴をなめたり生唾を飲み込んだりしながら外耳と内耳の気圧コントロールをする

バスやマイカーで現地まで来て、そこから登る時は最低1時間は休憩をとり、体を慣らすことが必要です。軽い頭痛、眠気、あくび程度の症状はたいていは誰でもでるものと思ってあきらめてください。高山病は気持ちのもちようで大きく左右されます。あまり心配するとそれが高山病を引き起こすこともありますので、こまめに水を摂る、マイペースで登る、などに注意をして頂ければ心配はいりません。

「私は高度に弱いの〜!」と思っている方は自分用の「酸素ボンベ」をリュックに入れてて下さいね。安くて軽いボンベがスボーツ店で売っています。お守りだと思って買って下さい。


[1334] 【1350回 もうすぐ民営化どうなる?かんぽの宿】 2007-07-11 (Wed)

平成19年10月1日日本郵政公社は民営化となります。すでに設立されている持株会社「日本郵政株式会社」の下に4つの事業会社が誕生します。

●郵便事業株式会社
●郵便局株式会社
●株式会社ゆうちょ銀行
●株式会社かんぽ生命保険

ほとんどの事業が今までとなんら変更なく利用できるらしい(ほな、今のままでエエんとちゃうの?)ですが私がよく利用する「かんぽの宿」は一体どうなるのでしょうか。

かんぽの宿は「日本郵政株式会社」が一般の旅館やホテルとして運営を引き継ぐそうです。いままでは簡保保険に加入していないと利用できない(安くならない)システムでしたが今後はどなたでも利用出来て、料金は現行水準を維持すると発表しています。何処の観光地へ行っても「かんぽの宿」は小高い山手にそびえ立っていました。低料金で、結構今まで利用してきましたので行く末が心配だったんです。これで今まで通りに利用できそうです。 (ホッ!)

奈良県十津川の「ある特定郵便局」は民営化に伴い「閉鎖」されるのではないかと心配しています。お年寄りの多いこの村では都会の何倍も郵便局を利用することがあり「閉鎖するのではないか」におびえています。この郵便局の土地は局長さんの所有で郵政公社より家賃を貰っているシステムだそうです。しかし最近では土地を売却して欲しいと再三の要求があるそうです。土地を手放してしまうと採算の合わない事業所として、閉鎖は目に見えているため、局長さんは村のために絶対手放さないと力強く語っておられました。たった1個の郵便物を車で30分以上かけて集配に行き800円〜1000円貰っていたら赤字には違いありませんが、それが郵便局の役目なんです。赤い自転車やバイクで「どう元気してる?」と尋ねる姿は郵便業務を越えた地域活動とも言えるのではないでしょうか。

頑張れ十津川の特定郵便局の地域のみなさん!!




[1333] 【1349回 ウオークや登山での行動食】 2007-07-10 (Tue)

ウオークの途中で体力を回復するのに適している食べ物は何か、私なりに研究したり、人が食べている物を盗み見たりしています。原則はたとえ夫婦であっても「人からもらわない、人にあげない」を参加者全員が守り抜くことに努力し、荷物の軽減に努める研究をしています(研究やて〜おおげさですね) しかしこの飴1個あれば命が助かるという場面に遭遇したとしたら「私の飴をあげるから貴方だけ助かって!」とは決していわないように思います。過日雨具を忘れたとき「自己責任」を貫きました。合羽と傘と両方持参の人は傘を貸してあげようかと声をかけてくれました。しかし山やウオークに行くのに雨具を準備してこないで、雨に遭えばどういう目に遭うかを寒さの中で体験しました。もう決して雨具を持たずに出かけることはないと思います。

行動食その@
バナナ1本/魚肉ウインナー1本/千鳥饅頭1個/ミニパンとホットケーキ

行動食そのA
バナナ1本/魚肉ウインナー1本/ミニメロンパン1個/みかん1個/栗饅頭

行動食そのB
バナナ1本/生キューリと塩/梅入りおにぎり/みかんのパック入り/枝豆少々

これがだいたい1回の分量の様に思います。ウインナーも普通のウインナーより魚肉ウインナーの方が水分の補給が少なくてすむみたいです。メロンパンは上あごにくっついて甘すぎます。やっぱりごはん系は何か欲しいですね。一度みなさんと行動食の発表会をしたいと思っています。

ウオークで「雨の場合の昼食時の屋根のある場所」を下見の時には重点をおいて探します。地形上どうしても無い時もあります。そんな時は、立ったままで食べられる「行動食」が威力を発揮するのです。今日は雨かも知れないと判断された時は上記の行動食を参考にしてみて下さい。屋根がなくても、歩きながらでも食べることができます。

六甲を栗まんじゅうを食べながら歩いていると下山中のおじさま達がうちわであおいでサービスしてくれました。すれ違いざまに「ほほ〜ん食事中でっかー?」とけげんな顔をされました。きっとお行儀の悪いお嬢様やなと思われて、行動食なるものの理解がしてもらえてないと思っています。(お嬢様ってだ〜れ?!)


[1332] 【1348回 丹波篠山弁当に舌鼓み】 2007-07-09 (Mon)

今日は篠山の工場へ行きました。土曜日はポチと二人で六甲の岩稜帯の下山トレーニング、日曜日は山また山のトレーニングでポチは少々朝から疲労困憊していました。(心臓に欠陥があると言うことを私が忘れている位だから仲間も忘れてるかも)連続の山歩きは少し無茶だったかも知れません。朝からリズムを取り戻すのに苦労しています。

少々足が痛みますが会社では、そうも言ってられません。篠山の工場へ行くことにしました。いつもはお昼は工場でみんなと一緒に食べるのですが、今日は途中の「西紀サービスエリア」で昼食を取ることにしました。なぜなら限定○○個の弁当があると知ったからなんです。

★おしながき★
野菜の猪肉(丹波で獲れた野生肉)
百日地鶏(照り焼き)
天然公魚(鮎の煮焼き)
市島桜卵(桜海老の彩り焼き)
今田の揚げ(稲荷仕立て、アスパラの天ぷら、大根若葉と百合根の豆腐仕立て)
丹波篠山(黒豆コロッケ、菊花蕉)
福住(幻の銀シャリの野沢菜和え)冷製茶碗蒸し、黒豆笹麸
柚子釜(ぜりー)

あ〜あ!お腹いっぱい!値段が知りたいでしょ。消費税込みで千円です。舞鶴方面に向かっての西紀サービスですからね。限定だからお早めに!


[1331] 【1347回 暴力追放対応10則】 2007-07-08 (Sun)

「暴力追放対応の10ケ条」です
@自分の会社の応接など自分に有利な場所を選ぶ
Aできるだけ相手より多い人数で対応する
B経営者を出さず応対担当者が行う
C相手がどこの誰かを必ず確認する
D用件や要求内容をハッキリと確認する
E録音、録画、メモにより正確に記録する
F念書や詫び状など、不必要な書類は書かない
G即答や安易な妥協はせず、解決を急がない
H暴力追放センターや警察、弁護士と早めに相談する
I埠頭な要求には、法的な対抗手段を講じる

暴追センター相談室 06-6946-8930
悪質商法110番 06-6941-4592
ストーカー110番06-6937-2110
大阪弁護士会 06-6364-1248

いま巷を芸能人だの、ボクサーだのが暴力団まがいのことをして問題になっています。上記の10ケ条は企業向けの内容ではありますが参考にしてもらえるかなと思い書きだしました。相手の暴言には丁寧に対応することが原則です。つられて暴言を吐くと「言葉のあげあし」を取られて本題から外れてしまい追い込まれることもあります。

企業の総会時期になると沢山の電話攻撃に遭います。入社38年目ではありますが、その筋から電話がかかると「申し訳ありません。私は入社して間もないので詳しい事はわかりません」と言うと、だいだい無言で電話を切るか「姉ちゃんに言うてもしゃあないわ!」とあきらめます。絶対に社長に取り次がない事です。白い靴に白い上下の背広来て肩をいからせ会社に来たときも動じることなく対応しました。相手も自分の恰好に「相手がビビれば金になる」と思ってしまいます。ヤーさんに「姐ちゃん!肝っ玉座っとんのー!」と誉められたことがあります(ハハハ)

(玉はないよ〜!)



[1330] 【1346回 さぁ明日はいよいよ七夕様】 2007-07-06 (Fri)

「七夕物語」を書き込み牽牛と織り姫の話がわかったところで7月7日をいよいよ迎えることとなりました。この日は我が家では次男が(ももパパ)「歳いってから結婚記念日を忘れないために」とこだわり7月7日に挙式をしてから5年。今回で「木婚式」を迎えます。みなさんはご自分の結婚記念日覚えていますか?(今日が何日だったかわからん?ですか)

覚えているだけでは女性は満足しませんよ!赤いバラとは言いませんが共に歩んだ日を振り返りやさしい言葉をかけてあげて下さい。「やさしい言葉ではお腹いっぱいにならへんわ〜」ごもっとも!私が子供の頃は七夕は旧暦で行います。庭先に大きな竹を2本立てて、その間に縄をかけます。縄の編み目を利用してナス、キュウリ、豆などを備えて豊作を神に感謝します。子供達はどの家を廻っても大きな「ばんぼ」をもらい七夕様を祝いました。「ばんぼ」とは都会風に言うと、きな粉のおはぎの大判です。願い事には「ソロバンが上手になりますように」とか「習字がうまくなりますように」とか自己中心的な内容ばかりでした。四貫島商店街の中の笹飾りには一体なにのお願い事を書いてあるのでしょうか。商店街を歩いてみました。もう少し下に掛けてくれるといいのですがチビの私には遠すぎて読みづらいです。

●お金持ちになりますように
●ケーキ屋さんになりたい
●サッカー選手になりたい
●野球が上手になりたい
●お友達が増えますように
●恐竜の化石が見てみたい

そんな短冊が飾ってありました。なんべんも言うけど飾ればエエちゅうもんとちゃいまっせー。ちゃんと読めるような高さに吊ってあげてやー。せっかく子供達の夢なんだから!



[1329] 【1345回 アルプス一万尺】 2007-07-05 (Thu)

夜明けの槍ヶ岳山頂(3180メートル)から残雪と山の地肌がシマウマ模様を織りなす黒部源流の山々がサンケイ新聞朝刊に載っていました。槍ヶ岳に番兵のようにそびえたつ「小槍」雪をも寄せ付けない槍。関心のある人はアルプス一万尺の歌を歌って下さい。

せーのっー!♪♪
★アルプス1万尺 小槍の上で アルペン踊りを 踊りましょう(ヘイ)
ランラララ ララララ ランラララ ラララ ランラララ ララララ ラララララ

★きのうみた夢でっかい小さい夢だよ 蚤(のみ)がリュックしょって 富士登山(ヘイ)

★1万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く(ヘイ)

標高は3030メートルでちょうど一万尺。しかし小槍の上に立てるのは岩登りのできるベテランのみだと書いてあります。(私では無理ってことか?)とても踊りなど出来るスペースはないといいます。その小槍の上で踊れないまでも「アルプス一万尺」の歌を歌いたい。そのためにクライミングの特訓を受けているのだから何としても登りたい。来年の正月の年賀状の構想はもう決めています。「小槍の上でアルペン踊り、還暦を迎える女 」ヨッシャー!決めた!

今しか出来ない3000b級の山登り。加齢に伴い行きたくても行けなくなる日が確実にやってくる。足腰がしゃんとしている時に行っておきたいと思っています。私の最大の弱点は荷物の重さにあります。赤ちゃんの10sは平気で抱っこできるのにリュックの5sは無理!(情けな〜いね)



[1328] 【1344回 七夕物語そのU】 2007-07-04 (Wed)

(七夕物語その2)
織女は牽牛と離れて暮すのがとても辛く涙にくれるばかりでしたが、父 天帝に背く(そむく)事もできず、牽牛に別れを告げると、うな垂れて天の川の東に帰って行きました。

それ以来、自分の行いを反省した織女は年に1度の牽牛との再会を励みに、以前のように機織りに精を出すようになりました。牽牛も勿論思いは同じ、働いて働いて...7月7日を待ちました。こうして、牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を待ちました。

ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡る事ができなくなります。川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織女を渡してはくれません。2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、お互いに切ない思いを交しながら川面を眺めて涙を流すのでした。

7月7日に雨が降れば...そんな2人を見かね何処からともなく「かささぎ」の群が飛んできて、天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。

本来の七夕は旧暦に祝われたもので、旧暦(2006年は7/31)だと、北東から南西の宵の空高く天の川が流れ、 その両側の岸辺にはべガ(織姫)とアルタイル(彦星)、天の川の川下には、 なかなか会えない2人の間を無情に通り過ぎる、連れない舟人にたとえられる上弦の月がかかり、 中国に古くから伝えられてきた七夕伝説の夜をみることができます。ベトナムでは「かささぎ」の代りにカラスがその役目を務めます。 ベトナムでは7月はカラスが飛び立つ月といい、飛び立ったカラスはそのまま銀河まで行って、 2人の為に橋になってやるのだと言われているそうです。

いかがでしたか?皆様のご存じの七夕物語とくらべてみて下さい。2007年7月7日はいかなる夜空になりますでしょうか。晴れると勿論、彦星と織り姫の再会は果たすことができます。雨でもかささぎが羽を広げてくれる、なんてメルヘンなんでしょうか・・



[1327] 【1343回 今夜から始まる七夕物語】 2007-07-03 (Tue)

7/3(七夕物語その1)

7月7日七夕の夜、天の川を隔てて輝く、 わし座 の1等星アルタイル(牽牛星けんぎゅうせい)彦星と こと座 の1等星べガ(織女星しょくじょせい)織姫が 1年に1度だけ逢うことを許された夜...。このお話は中国で生まれ日本に語り伝えられた伝説です。


夜空に輝く天の川のほとりに、天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女が住んで居ました。織女は、天を支配している父天帝の言いつけをよく守り、毎日機織りに精を出していました。織女の織る布はそれはみごとで、五色に光り輝き、季節の移り変わりと共に色どりを変える不思議な錦です。

天帝は娘の働きぶりに感心していましたが、年頃の娘なのにお化粧一つせず、恋をする暇もない娘を不憫に思い、天の川の西に住んでいる働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしました。こうして織女と牽牛の二人は、新しい生活を始めました。しかし、結婚してからの織女は牽牛(けんぎゅう)との暮しに夢中で毎日はしゃぎまわってばかり。機織りをすっかり止めてしまったのです。天帝も始めはこんな二人の様子を新婚だからと大目にみていましたが、いつまでもそんな有様が続くと眉をひそめざるを得ません。天帝はすっかり腹を立ててしまい、2人の所へ出向くと、「織女よ、はたを織ることが天職であることを忘れてしまったのか。心得違いをいつまでも放っておく訳にはいかない。再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出しなさい」更に付け加えて「心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら1年に1度、7月7日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と申し渡しました。



(つつぎは明日の夜ね)



[1326] 【1342回 槍ヶ岳の穂先を修理】 2007-06-28 (Thu)

6月28日サンケイ新聞朝刊の見出しに心が躍りました。去年の白馬岳に続く夏山登山の行き先を槍ケ岳と決めてからコツコツとタンス貯金をはじめたんです。なかなかたまりませ〜ん。(伊豆天城と槍ヶ岳に夫婦で行くと結構な経費がかかります。かと言ってポチを置いていくわけにも行かないしネ)

紙面には眼下に雪を残す大喰岳(おおばみだけ)、中岳など3000メートル級の山を望む岸壁に張り付くクライマーの姿が映し出されています。槍ヶ岳(3180メートル)の槍の穂先に設置されている鉄ハシゴや鎖を夏山シーズン前に修理をする作業の人の姿です。槍ヶ岳から焼岳まで、北アルプス南部の登山道の整備がはじまりました。

「夏に槍ヶ岳を訪問する時には新しい鎖に取り替えられているね」とうれしそうに報告すると、師匠曰く「何のために日々クライミングのトレーニングをしとんじゃー!鎖を持たずに登らんか〜い!」ごもっとも・・・・

ウオークの途中でも、よく見かけるロープや鎖。特にロープは雨風にさらされ強度がわかりません。古い既存のロープは持たずに先頭を行くスタッフがシュリンゲ等で足場を確保するのが一番安全です。「大丈夫」と思って全身を任せて切れたら怪我をする羽目になります。信じられるのは自分の持ち物だと思ってウオークの時でも「ロープシュリンゲ」と「カラビナ」は携帯してください。特に雨の日の勾配のある道に使用すると、とても安心して上り下りすることができます。私はいつも後ろを歩いていますが先頭で必要と思われたときは無線で「SOS」発進をお願いします。



[1325] 【1341回 食中毒に気をつけましょうね】 2007-06-27 (Wed)

梅雨といえば食中毒、食中毒と言えば梅雨、と切っても切れない仲のようです。ウオークの弁当にも一工夫が必要となってきます。おにぎりには「梅干し入り」を1個は持ってほしいですね。夏の弁当には「シンプルがベスト」

毎年、食中毒患者は2万〜3万人いると言われています。いま北海道のミンチ会社が問題になっていますが加工食品すべて「大丈夫か?」と疑いたくなります。梅雨時は気温が高いため細菌が繁殖しやすく(サルモネラ)(腸炎ビブリオ)(O−157)などによる食中毒が多いといわれています。生肉を食べないようにしましょう。腸炎ビブリオは魚介類におおいそうです。加熱して食べましょう。

症状としては、下痢、腹痛、熱などが現れてきます。健康な人は1週間ほどで完全治癒しますがO−157菌だけは放置すると死に至ることがあるそうです。O−157菌は、たった数個の菌で「ベロ毒素」なるものを出して腸を破ってしまう威力があります。

汚染された食品は勿論ですがO−157菌の場合は感染した人がトイレの洗浄レバーを操作した後に他の人が使い、手洗いが完全にされてなかった場合は次ぎの人も汚染されてしまいます。特に12歳以下の子供と高齢者は注意が必要です。

食中毒三原則
@菌を食品に「つけない」
A菌を食品に「増やさない」
B菌を食品に「残さない」

最高気温28度以上、最低気温21度以上、湿度70パーセントの時には「食中毒注意報」が出されているそうですがみなさん聞いたことありますか?

いずれにしても自分の身は自分で守るしかありません。ミンチ事件を教訓に素材を確かめて「シンプルイズベスト」で夏の食中毒をはね飛ばし快適な毎日を送ってくださいね。梅干しおにぎりは優れものです。



[1324] 【1340回 時計草】 2007-06-26 (Tue)

「トケイソウ(時計草)」

サスケとうららのテクテク日誌に訪問してサスケ先生の「10時10分30秒」に興味をそそられ調べてみました。珍しいお花なんですね。「時計草」でインターネットで検索すると出てきます。

時計草はブラジル原産だそうです。本当に時計の針のような花なんですね。う〜ん10時10分30秒とはうまく表現したものですね。英名はパッション・フラワーで雄しべの花柱をキリストに,副花冠を後光にたとえたものであるといいます。南アメリカを旅行中のスペインの宣教師たちが発見したときの印象から名付けられたものだということです。

しかしうらら菜園には何百種類の花や果実が植わっているのでしょうか。私の近所の人もキュウリのカーテンをしているおうちがあります。私も真似をしたいのですがガレージが開かなくなり、あさがおにつるべ取られ状態になりますので定年後に、裏の窓にキュウリのカーテンをしたいと思っています。その時はてほどきをよろしく。

ウオークの途中でも小さなスペースに鉢植えやプランターなどを利用して「ああ、ここの奥さんお花が好きなんや」と人目でわかるお家があります。珍しいお花も咲いています。ウオークを楽しむ途中で、町の風情も楽しみたいと思っています。「われ先に歩く」だけではなくマナーを守って楽しく歩きませんか?

9月に予定している「天城越えバスウオーク」のご案内板がもう少しで出来上がります。参加者の皆様に喜んで頂けるコースは既に決定しているのですが、少しでも皆様に安く参加して頂けるように最終チェックに入りました。もうしばらくお待ちください。ご案内が完成しましたら「伊豆の踊子」の小説を少しづつ書き込んで行き、参加意欲を沸き立たせたいと思っています。



[1323] 【1339回 さすが梅雨】 2007-06-25 (Mon)

日替わりメニューの様に雨と天気が交代にやってきます。6月の雨量としてはまだまだ降り足りないのだそうです。「雨が欲しいときは枚方へ行ってごらん」きっと降るよ(キャ怒られる〜)

ウオークの朝から覚悟の雨だと、あきらめがつきます。しかしウオークが初めての人、まだ慣れていない人は雨の朝はウオークに来るのを拒みます。待っても待ってもパラパラとはかない人影に肩がガックリと落ちてしまいます。歌集も半分以上破棄することもあります。雨ゆえに美しい紫陽花や緑の木々など見応えがあります。どうぞ雨を怖がらないでウオークに参加してください。雨もまた自然です。

四国が真夏になって水不足に泣くことのないように全国に満遍なく降ってほしいです。降りすぎて洪水や土砂災害はごめんです。子供のいる家では洗濯物が乾かず大変でしょうね。もう私達の年代になると「晴れれば洗濯、雨なら順延」と決めています。息子達が小さい時は大雨でも1日2回は洗濯機が廻っていました。いまは乾燥機なんて便利なものがあるから、関係ないかなぁ。

私の幼少時代(アンブレーラー時代ではなく、こうもり傘時代)今ほどに折りたたみ傘もなく合羽もなく学校帰りに雨に遭うと誰の家の軒下でも雨宿りをさせてもらいました。またある時は時々通過する自動車に手をあげると家のある集落まで乗せてもらえました。誘拐の心配なんぞしたこともありません。最悪何もなければ土佐名物の「蓮の葉」を1本失敬して傘のかわりにして家路へと急ぎました。

土佐名物の蓮はどの家庭にも庭先に植えてあり(ズイキとは違います)茎を酢の物、みそ汁の具、刺身の剣にしたりと重宝し、ときには傘の代わりもするという優れものであります。もうすこししたら土佐の道の駅「かわうそ」から取り寄せて故郷の味を楽しもうと思っています。(皮を剥き、塩もみをし水であらい三杯酢とサバのみそ缶を混ぜて食べると最高!)何せ1束100円で送料が500円なので道の駅の係員が「なんぼ言うても勿体ないけん、500円の送料を超えない範囲で蓮を入れちょきましょうか?」と問い合わせがあります。土佐の人間はやさしい〜

太陽の恵み、雨の恵み、どちらもありがたく さずかりものだと感謝しています。ハイ。


[1322] 【1338回 伊豆の踊子】 2007-06-24 (Sun)

「天城越え」でサスケ先生を混乱させてしまったので今日は「踊り子」の歌を歌ってみてください。三浦洸一さんの歌。

さよならも 言えず 泣いている 私の踊子よああ船が出る
天城峠で 会うた日は 絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた 赤い袖に 白い雨

月のきれいな 伊豆の宿 紅いろの 灯に
かざす扇 舞いすがた細い指の なつかしさ

さよならも 言えず 泣いている 私の踊子よああ船が出る

下田街道 海を見て 目をあげた 前髪の
ちいさな櫛も 忘られぬ 伊豆の旅よ さようなら♪

今日カラオケで探しましたがみつかりませんでした。「天城峠」はまだご披露できる段階ではありません。目下練習中!今日は「歌を忘れたひばりちゃん」でした。


[1321] 【1337回 この頃見かけなくなった物】 2007-06-24 (Sun)

●役場の人がしていた黒い腕カバー(いかにも仕事してますーって感じの人いてたよね)
●赤ちゃんの布おムツ(昔はタコの足で外によく干していましたよね)
●インク壷と吸い取り紙の台(ゆ〜らゆ〜らの半円形の形をしたもの)
●おんぶ紐

まだあるとおもうのですが思い出せません。昔はおムツを干していれば「あ〜あそこの娘さんお産で帰ってきてるんやなぁ」とか「このお家赤ちゃんいるんや」とか想像できましたが紙オムツではねぇ。役所の人の腕カバーは、いかにも「仕事してます」の象徴みたいでした。赤ちゃんのおんぶ紐もおんぶしているお母さんをみかけません。抱っこ紐はみかけますがお母さんがつまずいて転倒したらとヒヤヒヤします。うちの洋子ちゃんはももちゃんを自転車に乗せ、抱っこ紐でかー君を抱き走っています。たくましいったらありゃしない。

でも私も若かりし頃は自転車の後ろに長男を乗せ、前に次男を乗せ、雨の日は傘をさして(今は道路交通法違反で罰金です)四貫島の商店街の中で雨に濡れた長男を着替えさせてお迎えバスに乗せ、次男はポチのママに預けて出勤しました。いま私が嫁達の手助けできる事は定年までは何もなく心苦しいです。(定年後もきっと忙しい婆様だと思います)

みなさんも思い出したら教えてくださいね。またバスの中のネタに使いたいと思います。


[1320] 【1336回 日中は充分運動し、夜はしっかり睡眠をとりましょう】 2007-06-23 (Sat)

地球の1日は24時間。私達人間のリズムは25時間(知ってました?)この1時間のずれを巻き戻して24時間の周期にあわせているのが脳の中にある「体内時計」です。この体内時計を毎日きちんと巻き戻すためには太陽の光が必要です。私の仲間にトンネルの中で仕事をしており「涼しいで〜」と言ってる人がいますが、この仲間のために休日は太陽の恵みが必要なことを書きたいと思います。仕事場まで4キロの道のりを往復し毎日合計10キロも歩いているらしいです。(トンネルの中で愛用のバイクはあかんでー)

朝起きてまず太陽の光をあびましょう。これで体内時計がリセットされるはずです。体内時計がリセットされた時間から15〜16時間後には眠気がきます。上手な睡眠をとるためには、朝はいつも決まった時間に起きて太陽の光を浴び、日中は充分な活動をし、眠くなってからふとんにはいることが最大のポイントです。朝起きて庭先に出て、太陽にむかって「あ〜あ」と腕を伸ばし背伸びをしているイラストをよく見かけますが体内時計のリセットなんですね。きっと。

私は59年生きてきて2年ほど前から朝まで眠れなかったことが何度かありました。寝よう寝ようとすると余計に目が覚めて夜中にメールをしたら、相手も眠れずにいて何時間も深夜のメールを飛び交わしたこともあります。しかしだいたいは眠れないという悩みはない方です
●立山連峰の雪渓を寝ながら歩いたことがある
●立山で間見会長が山の説明中、ステッキの上に顎を乗せ熟睡したことがある
●ビデオ編集のお手伝い中、机の椅子にまぁるくなって熟睡したことがある
まだあると思いますがとにかく寝付きは良い方です。しかし、うたた寝をしていてテレビを消されると即目が覚めるということは、熟睡ではなくやはり「うたた寝」なんですね

山小屋での宿泊の時はお友達から「導眠剤」をもらい常備薬として携行していますが、朝になっても目覚めなかったらどうしょうと心配で飲んだことはありません。まぁお守りみたいなものですね。「人のイビキが気になって眠れない」と言う人ほど早くからイビキをかいて寝ていますわよ。山小屋や社員旅行などの団体の時は、いかに早く先に熟睡するかで勝負が決まってきます。ほどよいお酒なら誘眠剤になるかもね


[1319] 【1335回 ナスビとウオークの水分補給】 2007-06-22 (Fri)

昨日帰宅したらナスビが大きなおじぎをして「もうあかん水分補給してくれ〜!」と言わんばかりに訴えてきました。とるものもとりあえず、あふれんばかりの水を補給しました。しかしすぐに回復は無理です。朝はあんなに元気だったので水やりは夕方でエエかと思っていたのですが全然元気がなく脱水症状です。ウオークの時は「早い目の水分補給をしてください。しんどくなってからの水分補給では間に合いません」と言っていたことを思い出し、きっとこのナスビもウオーカーと同じなんやと反省しています。(わしらをナスビと一緒にすなって怒らんとってね)

「まだ大丈夫や、のど渇いてへんわ」と水分補給を省略したら大変なことになります。リュックの横にいれている場合は休憩時にリュックを下ろしてからでないと水分の補給ができませんよね。いまから暑くなるウオークに向かっての提言です。「水やお茶はいつでも利用できるウエストにつける」これなら歩きながら、こまめに水分補給ができます。ペットボトル入れで肩掛けになったのもあります。とにかくリュックから切り離して使えるタイプがいいです。

ご夫婦で、お友達同志で歩くときは隣の人のリュックに自分のお茶をいれて、お友達の分を自分のリュックにいれて歩くと言う手もあります。一列歩行の時は少し不便ですが、それ以外はスムーズに水分補給ができます。一度試してみてください。ご夫婦で参加してても別々にウオーク(別に仲が悪いのではなくスタッフしているとそんな場合もあります)される方は適用外です。

朝方の4時にトイレに起きて、ナスビを診察に行きました。なんと復活していました。おまけに幸いな事に本日は雨、完全復活しているはずです。今日は2個目のナスビを収穫してカレーライスの中に使おうと思っています。3個目の収穫は旅行中の零くんが戻ったときにもぎ取らせてやろうと楽しみに育てています。

しつこいようですが水分補給は「喉の渇き」を感じる前ですよ!(ナスビの教訓より)


[1318] 【1334回 京都嵐山の美空ひばり館」が来春再オープンの朗報】 2007-06-21 (Thu)

自称「此花のひばりちゃん」と言われ、こよなくひばりの歌が大好きな私は嵐山のひばり館が去年の11月に閉鎖という報道を目にし、一末の寂しさをおぼえました。ここは平成6年3月(ひばりちゃんの死後5年)地元の観光会社が開館し、舞台衣装やひばりちゃんの生涯を振り返る映像コーナーなどがあり人気がありましたがファンの高齢化(私のことか!?)や団体客の落ち込みで閉館せざるを得なかったそうです。

ひばりプロダクションの加藤和也社長は「ファンとの交流の場をなくしてはならない」と生誕70周年記念事業として再開を決定したそうです。ひばりちゃんも生きていればもう70歳なんやなぁ。いつだったかカラオケで「ひばりちゃんの歌意外は歌うことを禁止」をして遊んだことがありました。またみんなで歌いたいなぁ

話しはかわりますが石川さゆりの「天城越え」のCD入手しました。波賀、若桜のバスウオークの中で「天城越えがうまく歌えるようになったら伊豆行き参加します」と言い切ったため特訓です。今夜からまたお風呂の時間が長くなるだろうなぁ

♪天城越え♪

隠しきれない 移り香が いつしかあなたに 浸みついた 誰かに盗られる くらいなら あなたを 殺していいですか寝乱れて 隠れ宿 九十九折り 浄蓮の滝 舞い上がり 揺れ墜ちる肩の向こうに あなた 山が燃える 何があってももういいの くらくら燃える 火をくぐり あなたと越えたい 天城越え〜

口を開けば 別れると 刺さったまんまの 割れ硝子ふたりで居たって 寒いけど 嘘でも抱かれりゃ あたたかいわさび沢 隠れ径 小夜時雨 寒天橋 恨んでも 恨んでも 躯うらはら あなた 山が燃える 戻れなくても もういいのくらくら燃える 地を這って あなたと越えたい 天城越え〜

走り水 迷い恋 風の群れ 天城隧道 恨んでも 恨んでも躯うらはら あなた 山が燃える 戻れなくても もういいのくらくら燃える 地を這って あなたと越えたい 天城越え〜

九十九折り 浄蓮の滝 寒天橋 天城隧道み〜ん〜な歩くよ〜。





[1317] 【1333回 ナスビの収穫】 2007-06-19 (Tue)

雨のおかげでナスビが大きくなり収穫の時期を迎えました。散歩途中に立ち寄った「ももちゃん」にナスビの花を教え、ハサミで大きなナスビをチョッキンと切って収穫しました。ももちゃんには大きさの手頃がわかりません(あたりまえ)次ぎから次ぎへとチョッキンチョッキンとハサミで仕草をします。「これはまだ赤ちゃんだからもっと大きくなってからね」と言うと「かーくんも赤ちゃん?」何だかもう説明がつかないので「これは零くんのナスビね」と言うとやっとハサミを返してくれました。形もツヤも申し分ありません。おみそ汁に入れて食べてくれるでしょう。もうすぐプチトマトも色づきます。

私が子供の頃、家の裏に小さな二十世紀の梨の木がありました。梨が大きくなると父親が「美智子!採りに行くぞ!」と大きな「畚ふご」(縄でかごのように編んだ物を運搬する道具。もっことも言う)をかつぎ勇ましく梨の木の下まで行きます。「さあ取れ!」と父親が私にうながします。「お父ちゃん1個しかなっちょらんよ」と言うと「大きなふごを持ってきたけん来年はう〜んと実るぞ」と笑う。昔から不作の年には次ぎの年の豊作を祈って大きめの畚を持ち収穫すれば次ぎの年は畚いっぱい取れるという話しがありました。(知らんなぁ〜?)

そして翌年も翌々年も二十世紀梨は1個の梨しか収穫することはありませんでした。