[1610] 【1623回 3億2千万円をロト6で当てた男】 2008-08-29 (Fri)

テレビドラマで同じタイトルのドラマが放映されていたと思いますがこれは実際に有った本当の話です。本人が喋っていたので、私が当たった時のためにメモりました。(ロト6を買ってへんのに当たるか〜っ!)

久慈六郎さん42歳独身(クジとロト6をもじっての仮名)ロト6の当選発表の日はインターネットで照合していました。ある日インターネット画面と手元のロト6の券を照合したら「きたーっ!」と叫んだそうです。3億2千万円当たっていたのです。それまでは会社に勤務し年収320万円、ポロアパートに住む独身男性でした。当選手続きを終えたとき「その日から読む本」という本を銀行から手渡されたそうです。喜びも束の間で当選したことを誰にも喋れないストレスがたまり夜な夜な酒場をうろついたり、海外旅行に行ったりしてお金を使っていたんだそうです。

ある日、会社に生命保険会社の女性から保険の勧誘を受けたんだそうです。「保険には入る必要がない」と断ると理由を聞きたがるので、ついつい3億2千万円の通帳を見せたのだそうです。そうしたら、その女性の態度が一変し、日頃から好意を持っていたため、海外旅行に誘うとアッサリついてきたんだそうです。おまけに性病まで移されたと言います。その頃、株のブームだったので、つい手を出し2億円の損失をし、どんどん減っていくお金に恐怖にうなされる毎日だつたと言います。占い師に見て貰うと「金運の顔相はあるが身に付かない相をしている」といわれたそうです。

外人パブのホステスに3億2千万が当たったことを言うと「祖国の家族が金に困っている」等と何度も無心をされ、その都度払っていたそうです。舞い上がり、豪遊し、投資し現在は9600万円しか残っていないそうです。ではお金とは何ですかと言う問いに「人生の歩んでいく上の便利な道具」と答えていました。ただひとつ親孝行をしたのは病院に入院中の母親に設備の良い病院へ移って治療をしてもらったと言っていました。

当選したことを言ってはいけません。いままでの生活のリズムを崩してはいけませんと銀行から貰った「その日から読む本」に書いていたのだそうですが当選したことを誰にも言えないストレスは想像もできない重圧なんだそうです。さて私がロト6で3億2千万当たったらどうするでしょう?。。。。考えたこともありませんが、きっと誰にでも当選したことをお喋りすることだけは間違いないと思います。ハハハ


[1609] 【1622回 ヘリコプター救助費用】 2008-08-28 (Thu)

「山の事故の値段はいったいいくら?」
山で事故・遭難にあったらどのくらいの費用が掛かるのでしょう?
(民間ヘリコプターによる救助)
1.北アルプス遭対協出動費
  @隊員出動手当(1名)            30,000円
  A同上者の保険料               19,000円
2.ヘリコプターチャーター代        1,050,000円
3.事故現場での協力者への謝礼         83,748円
  ・救出時に使用したロープ、カラビナ、スリング、シュラフカバーなど。
             ▲救助費用合計 1,182,748円

★ 具体的な遭難救助における民間ヘリコプターの料金(東邦航空・松本営業所)
 @チャーター料    511,500円/時間(遭難現場での救助作業料金) 
 A空輸料       467,900円/時間
 Bスタンバイ料    300,000円/件
 C滞留料       297,000円/時間
 D夜間滞留料     71,700円/泊
               ▲救助費用合計  1,648,100円 

★民間ヘリコプターを使わずに救助された時・・・・北八ヶ岳遭難救助費用明細 (1998.2)
  @隊員出動手当(15名分) 30,000×15名=450,000円
  A同上者の冬期危険手当  10,000×15名=150,000円
  B指揮者手当(7名分)     10,000×7名= 70,000円
  C保険料                       84,420円
  D救助使用装備品(破損・消耗)購入費用       80,000円
  E諸経費                     130,000円
  F通信費                       5,000円
  G食事代(行動食を含む)               70,000円
 2.勤労者山岳連盟救助隊出動費(12名出動)
   @交通費・燃料費 (東京〜八ヶ岳)         88,143円
   A装備・食費・宿泊費               129,064円
   B救助隊日当(8名分) 5,000円×8名×2日= 80,000円
 3.関係者への謝礼                   44,993円
             ▲救助費用合計1,381,620円

消防・防災ヘリは出動費用が税金ですから遭難者側の負担は消耗品程度の請求のみです。機内には救急車並みの医療器具も備えることが可能です。ただし公共のヘリコプターですから天候や山の遭難場所によっては無理に救助は行いませんし、山岳救助に長けた民間のパイロットのような高度な運転・収容・搬送技術が期待できません。怪我の症状が深刻で一刻も早い怪我人の搬送が望まれる場合は民間のヘリコプターに依頼するようになります。

そう言えば白馬岳でヘリコプターを要請した時も松本県警のヘリコプターは他へ出動していたため民間でもいいかと尋ねられました。体力消耗者(この時は負傷者ではない)にその旨伝え高額の費用がかかることを確認して承諾を得た事を思い出しました。あの場面に遭遇したならば「費用はいくらかかってもいいからへりに乗せて〜」と思うのではないでしょうか。
中高年の登山者の中には怪我をして動けないにもかかわらず民間のヘリコプターが救助に来ると搭乗拒否をする怪我人もいるそうです。(なんちゅうこっちゃ!でも現実です)



[1608] 【1621回 水の事故】 2008-08-27 (Wed)

■この夏の水難事故の要因・原因■
今年8/11〜17日の1週間で水の事故で亡くなった人は何と45人だそうです。最近の自己では安全だと思っていた河川敷での水死事故も痛ましかったですね。水難事故がおきてしまったら、おぼれている人を発見した場合、どうすればいいのでしょうか?

(1)  大きな声で付近の人たちに知らせて下さい。
(2)  すみやかに消防へ通報(119番通報)をして下さい。
(3) 浮き輪等があれば近くに投げる。棒などがあれば差し伸べる。ペツトボトルや   シュリンゲにくくりつけて投げても、リュックを浮き輪のかわりにも出来ます。
(4) 二次災害の発生危険があるので、泳いで助けることはしない。 (川の流れは予測が付きません。自分の泳力を過信しすぎないで下さい。)
(5)  助け出せた場合、すみやかに応急手当を実施する。  
(6)  応急手当の知識を身につける。
 「救命講習」を受講して、普段から心肺蘇生法(心臓マッサージ・人工呼吸)等の応急手当ができるようにしておく。

ここでも「応急手当」の必要性が出てきました。救命講習をあまり頻繁(1年に1回なんだけどなぁ)にすると「またか〜」と態度や顔に出される時があり蘇生人形の借出手続きや運搬や返却や講習カードの発行などに携わっていると、空しくてガッカリすることが多く、そんな時は今後自分から「救命救急の講習をしてはどうか」と提案することはよそうと思います。個人で所轄の消防署で受講していただけるのが最適ですが、「自分のために応急処置の出来る人」を一人でも多く認識してもらうための意識付けにはグループでの取り組みが安全で万一の時にも大変力強いです。野次馬の中から「一歩」足を前に出す勇気を備え付けるためには何度も繰り返してトレーニングをする必要性があります。

例えば穂高岳でパートナーと二人だけの山行だったとします。私が呼吸がなくなりパートナーナーが応急手当が出来れば命は助かります。その反対にパートナーの呼吸がなくなり、私が応急手当の知識がない場合、ただオロオロとするだけでパートナーは命の危険にさらされることになります。これが4人パーティの場合は3人が応急手当の経験があれば断片的でも交代交替で応急手当を実施することができます。1.2.3.4.5と心臓マッサージの数を声に出して数えてもらう協力だけでも大助かりです。救急車の出動もタクシー代わりに利用する人が多くなっている現在、救急車不足で本当に必要な人のために出動できなくなりつつあります。ならば尚のこと私達に出来ることを積極的にしようではありませんか!(ちょっと選挙の演説っぽくなってごめんなさいね)下記は日赤のホームページです。

http://www.jrc.or.jp/safety/water/index.html


[1607] 【1620回 山で見つけるレリーフ】 2008-08-26 (Tue)

甲斐駒岳のことを調べていたら「竹沢長衛さんのレリーフ」が紹介されていました。登山をする前にこの人の事を調べて見ました。竹沢長衛さん(1889〜1958年)は、南アルプス北部の開拓に尽力された方だそうです。多くのルートを切り開き、山小屋を造り、案内人組合を結成し、遭難者の救助にあたるなど、その遺徳は毎年7月の「長衛祭」で今も偲ばれています。その長衛さんの言葉の中に『帰れる処までしか、行っちゃいけないよ』と言われていたそうです。単純な言葉のようで、奥が深い。山を知り尽くしているひと、多くの遭難者を見ているひとが伝えるメッセージだと思います。

難易度の高い登山だけでなく、山を歩くすべてのひとに必要な心構えだと思いませんか。「行ける処まで」を基準に山歩きをして、出来れば「戻れる体力を残して」と付け加えて登山をすれば楽しくなること間違いなし。まだ見ぬ場所、訪れたことのある山々であっても四季を変え、同行する仲間が違えば山の味わいもまた違います。安全に下山できる時間的余裕と体力を犠牲にしていないか、どこまでなら、帰ることができるか、それを間違えない山歩きをしたいと思う。「あ〜しんどかった」ではなく「あ〜来てよかった」と言える様になりたいです。

竹沢長衛さんが亡くなられた後に造られたレリーフは、甲斐駒岳に向かう北沢峠の北沢長衛小屋の近くにあるそうです。そう言えば大天井岳途中に小林喜作さんのレリーフがありました。

「小林喜作の命の水」
小林喜作と言う人は、子供の頃、水晶の小屋に入り、山の師匠に就いて仕事を手伝っていたそうです。ある時師匠が、喜作と遭難者の捜索に行った時の事を思い出しながら、「ここらに、命の水場があるから覚えておけ。」と這松の中を指差して言ったそうです。こんな稜線近くの、しかもびっしりと生えた這松の中に?と、不思議に思い、尚も師匠の話を聞いていると、その頃は、遭難者を発見しても、今のように大掛かりな捜索組織もなく、益してやヘリコプターが飛ぶこともない為、大きな山岳会にでも所属していなければ、その遺体はその場で荼毘に付されるのが通例で、この遭難者の遺体も、例外ではなかったようです。また、ご存知の通り、この辺りの這松群は背が高く、場所によっては人の背丈より高い事もあり、見晴らしも悪く、その為に方向を失い遭難するケースもあったと聞きます。這松の中で遺体を見つけた喜作とその師匠は、「稜線まであと少しだったのにな。」とか、話しながらその場所を苦労して切り開いたそうです。ちょうど一畳位か少し広めの長方形に、また荼毘に付す為、松脂を伝って燃え広がらないようにびっしりとはびこった根までもしっかりと掘り下げたそうです。その後、遺体を焼き、お骨を持ち帰ったと言います。 その時、喜作がポツッと「水場ができるな。」と言い、案の定、暫くして雨水がたまり長方形の小さな池が出来たそうです。

更にその師匠は続けて、「ここらで迷った時や、水のない時は、この場所を思い出せよ。それから、霧の時『おーい、おーい。』って言う方には行っちゃいかんぞ。『おーい。』って言うのは大抵、人じゃあない。『おーい。』って答えるのも良くない。呼ばれて帰って来れんくなる。答えるときは『ヤッホー。』って言え。人なら、『ヤッホー。』って返ってくるからな。」と、そのような事を言ったそうです。 這松は成長が遅いので、今でもその池はきっとまだ残っているだろうと、話してくれました。


[1606] 【1619回 とさ千里】 2008-08-25 (Mon)

日曜日は雨かと思っていましたら何と太陽がガンガン照りつけていましたので「秘密のコース」を歩いて涼しさを満喫しました。危険ではありましたがポチが尾を振るのでぶらりと出かけるのもなかなかいいものですね。

話しは変わって「とさ千里」というお店に以前から行きたいと思っており、カーナビをセットして出かけることにしました。国立循環器センターの看板が見えましたのでまもなくだろうと思っていましたら「とさ千里」と書いた旗が風に揺られて手招きをしていました。なつかしい品物は勿論ですが高知弁が飛び交い店の人も買い物客も土佐の人達が多いのには驚きました。店の外ではあまごの塩焼きや地鶏の炭火焼きなどがあり思わずお腹がグーッ。(ブログにあまごにかぶりつくポチを載せましたワン)

店の中にはなつかしい品物が「あるわ。あるわ」これもあれもとカゴに入れると驚くほどの金額となりました。イタドリの塩漬け540円(たっか〜!高知の道の駅では100円で売ってるよ)ハス(りゅうきゅう)も100円でありました。子供の頃に食べた懐かしいポン菓子などの駄菓子もありました。土佐の寿司を探しましたが見あたりません。店のおばちゃんが「何さがしちゅうが?」と聞くので「コブの巻いたのと卵の巻いたのと」の寿司を探していると答えると「それは無いがよ」と言うのでいなりずしを買って帰りました。土佐のイナリズシの具は柚酢、白ゴマと色々入っているのが特徴です。スーパーと違って対人のお店では売り子の人との会話が楽しい。厨房の奥の方で土佐出身のおばちゃんが、せっせとちらし寿司を作っているのが見えます。商品には生産者の名前と賞味期限が書いてありましたがちらし寿司の生産者は「とさ千里」となっていました。

「わんぱく柚子ジュース」と言うジュースの名前がかわいらしいので買って飲むと、これがまたゆずの味がして美味しいこと!あとは米やら味噌やら鰹節やら買い込んで戻ってきました。「ばんぼ」は残念ながらありませんでした。


[1605] 【1618回 また北アルプスで滑落事故】 2008-08-23 (Sat)

私達がザイルでしっかりと結んで通過した奥穂高岳から西穂高岳の逆のコースで22日バランスをくずした人が死亡したニュースがありました。一般登山道であってもザイルで結んだ方が安全だということは一目瞭然です。新聞には天候の事は書いていませんが、私達がザイルで通過していた時も不思議な目つき、冷ややかな顔つきで見る人がいました。また「マァ〜いいですねぇ固く結ばれてて〜私達も結ばれたいわ〜」と冷やかしたおばはんグルーブもいました(うららちゃんが会話を交わした西穂高山荘14時到着のおばはん連中)

北鎌尾根ではお互いがザイルを結んでいなかったら一度づつ命を捨てていたか大けがをしたかの場面に遭遇しています。冷ややかに笑ったおばはん連中はハーネスこそしていましたがロープを携帯しているのかいないのか、あるいはガイドらしき男性のリュックに入れていて怪我をしたらハーネスにかけて引き上げるのか知りませんが常識のない連中の話を書き忘れていましたので追加しておきます。

(サイケイ新聞8/23朝刊より抜粋)
22日午前10時25分頃岐阜県高山市の北アルプス・西穂高岳から奥穂高岳に向け縦走中の三重県伊賀市の41歳の男性がバランスを崩して滑落したと、一緒に登山をしていた友人から110番があった。岐阜県警のヘリコプターが稜線から200メートル下の岩場で倒れている男性を発見。山岳警備隊が現場で死亡を確認した。

ああ、あのあたりか、そういえばおっかなびっくりの場所があったと想像できる箇所が何カ所か浮かんできます。死亡された方がどのような装備であったのかわかりませんが、少なくともこの間、縦走路を行き交う多くの人達の中にヘルメットをかぶったり、ザイルの準備をしていた人達には会っていません。

やまたび倶楽部では目指す山が決まった時からトレーニングを何度も重ね特訓がはじまります。高さへの慣れ、岩場への慣れ、荷物の重さへの慣れなど参加する人達で都合のつく限りイメージトレーニングも含めて実行しています。歩行の順番も決めます。サスケチームも槍ケ岳登山を実行するにあたり同級生の方達をトレーニングに誘っておられます。やまたび倶楽部のみなさん!やまたび倶楽部意外で登山をされる時は自分自身の命を守るために怪我をしないためにトレーニングをして下さい。シュリンゲとカラビナは常時リュックに装着し、危険と思ったときは人が何と言おうと安全のために木の枝、突起した岩などにかけて安全通過をしてください。

西穂高岳からの下りでジョンが突然「ザイル解除しよう」と言いました。「何で?」と聞くと一般登山道路だからもう大丈夫だろうとの事でした。しかし5日間も山中を歩いて疲労も大きく、おまけに下りときています。「あかん、あかん危ないわ。膝のバネもバカになってるしシュリンゲでもいいから結んでおこう」とお願いしてシュリンゲを2本ハーネスに結びました。案の定、ロープウエイ山頂駅までの石ころ道で私が1回、ジョンが1回つまづきシュリンゲがなければ前に大きく転倒していました。転倒してアバラ骨を折った苦い経験がありますので用心深さが身に付いた様です。


[1604] 【1617回 今日は処暑。もう秋やね。】 2008-08-23 (Sat)

二十四節気の第14節目で、太陽の黄経が150度の時点に来たことを示すのだそうです。たしか去年も同じ事を書いたような気がします(処女と違うで〜処暑やで〜って)

綿の花が咲き始め、ヒグラシが盛んに鳴き、所によってはまだ暑さが残る季節でもありますが、暑さもようやく峠を越す頃で、穀物が最も大切な成長期を迎える時期に台風が発生し始める頃でもあることから、十分なる注意喚起をしています。

今年の台風は、すでに11号まで発生しており二百十日、二百二十日と登山も含めて多いに注意が必要なシーズンとなります。(台風12号は、香港におり、この台風は、23日には熱帯低気圧に変わる見込みです)

故郷四万十川では台風は川底の掃除をしてくれる大切な掃除機の役割をします。幾たびかの水害で橋が流され、やがて人々の知恵で完成した沈下橋ゆえに、今では橋が流されることもなく四万十川の清き流れも保たれることになります。ポスターなどでお馴染みの佐田の沈下橋には台風襲来で水位がここまでやって来たと言う看板が取り付けてあるので、四万十川を訪れたときは確認をしてみてください。何と恐ろしい高さまで水がきたものかとさぞ驚かれることと思います。

何でも、ほどほどが一番よろしいですわな。山小屋では雨水は天水とも言い、貴重な水となります。私自身を含め、都会から来た登山者はそんな苦労を知らず「街仕様」のまま蛇口をひねりっぱなしで水を使うことがあります。飲料水不足に泣いた今回の北鎌尾根登山でも、突然降ってきたヒョウの水滴も天水となり我々にパワーをもたらしてくれました。大天井ヒュッテでは何qも下の雪解け水から流れ落ちる水をポンプで汲み上げ宿泊者の飲み水や食事用の水の補給としているそうです。穀物の成長も、鉢植えのナスビの苗も恵みの雨水を得て実りの秋を迎えます。稲穂もたわわにおじぎをしているのでしょうか?里山歩きで秋を感じませんか?曼珠沙華もみたいよね!


[1603] 【1616回 ゴロゴロ、ピカリ雷事故】 2008-08-22 (Fri)

雷による死傷事故について調べて見ました。北鎌尾根で雷に遭遇したため今後の参考にしたいと考えまとめたものです。負傷については、一時的な軽度のしびれから重体まで含みます。落雷人身事故がどのような状況で起きているのか、どこが危ないのか、知っていただけたらと思います。

@2008/8/14 長野県小谷村
小蓮華山 登山 朝日岳から白馬大池に向け2人で登山中、小蓮華山付近に落雷。1人負傷。

A2008/8/9 静岡県富士宮市
富士山 登山 2人で富士山頂に向け登山していたが、1人は途中で下山。雹を伴う雷雨の中、富士宮口登山道6合目〜新7合目間を登山中に落雷。1人死亡。5〜6m後ろを歩いていた別のパーティーは無事。この日、富士山頂は、1時間も降り続いた雹で白くなった。

B2008/8/9 東京都八王子市
高尾山 登山 山頂から約300m下った森林の中の登山道で落雷に撃たれ、3m下の崖に転落。1人負傷。

C2008/8/6 長野県駒ヶ根市
檜尾岳 登山 2人のパーティーで雷鳴が聞こえる中、千畳敷から南に縦走登山中、檜尾岳北側尾根に落雷。1人死亡。4m後ろを歩いていた1人負傷。

D2008/7/27 長野県白馬村
白馬岳 登山 6人のパーティーで白馬大池から白馬岳に登山中、落雷。2人が手足のしびれで一時動けず。負傷者を残して救助を求めている間に、負傷者が移動し、一時行方不明。

E2007/8/19 大分県由布市
由布岳 登山 単独で由布岳登山中、山頂から100m程度下ったところで、目前の3〜4mに落雷。地面を伝わった雷で、1人負傷。

F2007/7/30 奈良県天川村
大峰山系狼平 登山 大学のワンダーフォーゲル部の8人が弥山から頂仙岳へ早朝の登山中、狼平で雷雨になり、雨宿り中の木に落雷。3人負傷。

G2006/4/25 東京都奥多摩町本仁田山
登山 午前中、本仁田山の大休場尾根(920m)に落雷。川苔山を目指し登山中の1人死亡、1人負傷。激しい雷雨の中、雨具を着るために大きな木の下にいた。死亡したのは、ヒマラヤ・マナスルを西壁から登頂した経験を持つベテランの登山家。雷注意報が前日夕刻から継続して発表されていた。

H2005/5/21 北海道上川町烏帽子山
登山 大雪山系烏帽子山頂上付近に落雷。登山客1人が負傷。

I2004/7/24 福島県檜枝岐村
帝釈山 登山 雷鳴が聞こえたので、切り通し状の窪地になっている岩場に避難したが、避難した岩上の木に落雷。1人死亡、6人負傷。

J2004/7/24 長野県穂高町
大天井岳 登山 登山中に落雷。1人意識不明の重体。

K2002/8/2 長野県長谷村
塩見岳 登山 登山ガイドが同行した旅行会社企画の登山ツアー。 塩見岳方面から本谷山へ登りかける稜線で、遠雷が聞こえていた中、雨が降ってきたので、高さ3〜4mの木の周りに集まり、雨合羽を着ている最中、木に落雷。1人死亡、4人負傷。

L1998/8/28 長野県安曇村
槍ヶ岳 登山 槍ヶ岳山頂付近で落雷。はしごから10m転落し、1人負傷。

M1998/8/28 長野県穂高町
燕岳 登山 燕岳山頂付近で落雷。1人死亡、1人負傷。

N1992/11/1 神奈川県伊勢原市 大山 ハイキング 大山の尾根筋の見晴台にある、避雷針の無い木造あずま屋に落雷。雨宿りしていた約25人の内、1人死亡、10人負傷。

O1990/6/24 長野県大町市
仏崎観音寺裏岩場 登山 岩登りの練習中、岩場と斜面の間にある林で雨宿り中、直径30cmの松に落雷。2人死亡。落雷ではね飛ばされ、50m転落して1人負傷。(落雷による死者の1人も50m転落。)

P1989/5/3 長野県穂高町
大天井岳 登山 大天井岳山頂付近で降雪の中、落雷。1人死亡。

Q1979/8/6槍ヶ岳
登山 槍ヶ岳頂上付近で落雷。4人死傷。

R1967/8/1西穂高岳独標
登山 雷鳴を聞いて避難中の松本深志高校のパーティーが、西穂高岳独標付近を通過中、落雷。11人死亡、13人負傷。(日本最悪の雷惨事)


危険箇所として大きな木の下は言うまでもありませんが岩場も雷が走ります。くぼみをみつけて避難をする必要があります。北鎌尾根での雷の襲来時は岩場に這いつくばりましたが岩を雷音が伝って来たときには生きた心地はしませんでした。常日頃からカミナリのこわい私にとって「私のヘソでよければ差し上げます。なにとぞ、お命だけは!」そんなうわごとをつぶやいていたと思います。




[1602] 【1615回 忙しいのは重々承知なれど。。。。西穂山荘さんよ〜!】 2008-08-21 (Thu)

8月11日、奥穂高山荘を出て奥穂高頂上からお互いのパートナー同士ロープで繋ぎました。勿論ヘルメットもかぶっています。これは滑落を防止し安全に楽しく穂高を縦走するためです。多分我々パーティだけがこの様な装備だったのではないかと思います。案の定その日のニュースでは滑落や落石のニュースが入っておりました。白馬岳では落石による死亡者まで出ていたようです。11日はサスケパーティは西穂山荘に宿泊予約をいれており、我々は何としても最終のロープウエイに乗り風呂に入りたいという様に希望が二分したため馬の背からは別行動をとることにしました。お互いに充分気をつけて安全に行こうという硬い約束を交わし、出発当初は前後待ったりしながら進んでいましたが西穂山荘組と新穂高麓組と別行動を割り切りジャンダルムを通過致しました。西穂高岳頂上で長めの休憩をとり、昼食も食べ、(ミカンの缶詰はうまかった〜)西穂山荘前2時15分、ロープウエイ頂上駅着3時30分。午後3時45分のロープウエイの切符を手に入れました。「岩海苔だけは買いたい!」ロープウエイ頂上駅限定の岩海苔はここでしか購入することが出来ません。これがまた岩くらげと山椒が入りコリコリと美味なんです。

やっとの思いで岩海苔も購入し、新穂高麓駅まで戻り、民宿を探し当てた頃、うららちゃんの携帯、サスケ先生の携帯に電話をかけますが電波状態が良くありません。ならばと固定電話から西穂山荘に電話をかけサスケ先生達が到着したかどうか尋ねました。ところがどうでしょう!「お客様の個人情報に係わることはお教えできません」とキッパリと断られてしまいました。私達は安否を気遣って電話をかけているのであって、もし到着しておらず万一の事があれば西穂山荘にも責任が発生しますよと言うと、やっと重い腰をあげて「伝言ならできます」と対応が変わりました。(最初からそう言えよ!)

それからしばらくして、うららちゃんからのメールを受信する事ができました「6時に西穂山荘到着」とありホッと胸をなで下ろしました。先生のレポートを拝読すると西穂山荘へは途中で「遅くなりますが必ず行きますから」と電話をしたと書いてあります。宿泊受付係員は10名も20名もいるはずもなく、横のコミュニケーションさえ、うまく取れていれば「先ほど遅れますがと、ご本人から電話がありました」と伝えてくれてもよさそうな気もします。これも個人情報とやらなのか!

翌日、高山行きのバスで合流した時に、この話しをすると「いいえ、そんな伝言聞いていません」とのことでした。南岳山荘に電話をした時は「槍ケ岳で5時を過ぎ、到底今日は南岳山荘にはたどり着かない事を伝言してほしい」と言うと南岳山荘の予約をキャンセルしたことで機嫌が悪かったイメージはあったものの、うららちゃん達に伝言は伝わっていました。それに比べると大天井ヒュッテの小池さんはなんと心温かい人だったんでしょうか。宿泊者全員に山の話し、天気の話しなどをして早朝にもかかわらず見送りにまで出て下さいました。「ぜひもう一度訪れてみたい小屋は?」と聞かれると迷わず「大天井ヒュッテです」と答えます。揚げたてのトンカツの美味しかったこと!

小屋によって食事が異なるように小屋の人間も異なるようです。ジョンが後書きとして書いてありますが「山小屋で働くアルバイト君達よ、もっと商売をしているという事を身につけてほしい」と苦言を呈していましたがその態度だと穂高が泣くよ〜!

携帯電話が通じなくても「メール機能」は通信出来る場合があります。連絡は山小屋をあてにせず自分達で努力をする事が必要かもしれません(但し大天井ヒュッテの小池さんは除く)


[1601] 【1614回 「白馬岳の大雪渓で土砂崩れ」】 2008-08-20 (Wed)

長野県警大町署に19日午後4時10分ごろ入った連絡によると、長野県白馬村の北アルプス白馬岳(2932メートル)中腹の大雪渓上部付近の登山道(大雪渓ルート)で、土砂が幅約30メートル、長さ約70メートルにわたって崩落したと報じられていました。丁度私達が葱平(ねぶかっぴら)で休憩を取っていた場所の下あたりではないかと思われます。現場付近で登山用リュックサックが見つかり、連絡が取れない登山者が2人(行方不明になっているのは男性ガイドと女性登山客)。白馬山荘に宿泊の予約をしていたのですが到着していない様子。  

現場は標高2300〜2400メートルの通称葱平付近。積雪があり、土砂は南側にある杓子岳(2812メートル)方面から崩れました。見つかったリュックにはガイドの名前が書いてあったそうです。現場は、夏場でも残雪上を歩けるルートとして人気があり私達も歩きましたよね。3年前にも、ほぼ同じ場所で大規模な土砂崩落事故があり、2人が死傷しています。

長野地方気象台によると、現場に近い観測地点の村役場は19日午前8時の降り始めから午後3時までの雨量は61ミリを観測。現場付近は午前中激しく降っていましたが、午後2時過ぎに小康状態になり、午後4時ごろには日差しが出ていたそうです。

昨日の書き込みで、雨水は天水である、でも「ホドホドがよろしい」と書いたばかりです。7時間も降り続いた後、地盤が緩み土砂崩れとなったと素人の私でさえも想像する事ができます。私が北鎌尾根で体験した雨とヒョウも突然襲来して来て、雨具を装着する時間もスパッツを履く時間も与えない位の激しい降り方でした。リュックのフタをあけると同時にヒョウが混入してしまいました。その時は、わずか1時間の降雨でしたが、この調子で8時から3時まで降り続けると大変なことになることは想像できます。白馬岳登山の時にヘリコプターを要請し負傷者を乗せた後の帰り道は危険なためにすでに封鎖され「秋道」へと誘導されたことを思い出しました。あれは7月の事でしたから、今年は何故8月の現在「秋道」を歩かさなかったのでしょか疑問が残ります。白馬岳は日本三大雪渓のひとつと人気が高いものの、危険と隣り合わせであるということを再認識しなくてはなりません。

★山の事故は安全と思われているところでも何が起きるか分かりません。山の高い低いも関係ありません。登山は常に危険と隣り合わせであることを改めて強く思い知らされた事故でした 。連絡の取れないお二人の無事を心から祈っていましたが夕刊を見ると、ご遺体で見つかったそうです。残念!

  


[1600] 【1613回 一度も根を上げられなかった北鎌尾根】 2008-08-19 (Tue)

2メートルずり落ちようが、腕が血だらけ傷だらけになろうが、暑かろうが、ひもじかろうが今回だけは一度も「根」をあげなかった自分に驚いています。この場所で「根」をあげたら命取りになるといつも自分に言い聞かせて緊張の糸をほぐしたのはロープウエイに乗れた瞬間でした。日本三急登(北アルプス烏帽子岳へのブナ立尾根、南アルプス甲斐駒岳への里戸尾根)のひとつといわれる合戦小屋までは暑さも加算され、つらく長い道のりではありましたが行動食のキューリ、ゼリーなどに助けられ何よりも合戦小屋でスイカを頬張った時の事を例えで言えば、車が突然ガソリン切れをしJAFへ電話をしようと思った途端ガソリンスタンドを見つけた状態で、へばった身体も物を食べると言う行為で活力を得ることができるのです。何時の場合も「食べる」と言うことは疲労回復への近道です。とりわけ「ごはん源」は絶対必要だと痛感しました。冷凍おにぎりを常温で携帯してはどうなのでしょうか。(誰か知ってたら教えてくださ〜い)山中6日ともなると生ものの携帯がむずかしく日が経つに連れ行動食が貧祖になってきます。重たくても「みかん、リンゴ、トマト、キューリ」などが最適だとつくづく感じました。数日間、岩場を駈け上っていましたので指先の指紋部分がツルツルになり消えてしまいました。おまけに今日は小指を除く両手の指先の皮が剥けかけています。腕の皮もポロポロ剥けて汚い〜

これからの登山は今回の体験をもとにして行動食の選択をしたいと思います。こまめに食べられる小さなおにぎりを休憩毎に頬張ることもバテない方法かも知れません。色々試してみて良い食材を見つけたら教えて下さい。参考にさせていただきたいと思います。

話しは変わりますが、生命保険会社のご婦人が駅の下りの階段でつまづき、その時は恰好悪さも手伝って「大丈夫です」と言い、そのまま会社に出勤したのですが翌日蒲団から起きあがれず誰にも手助けしてもらえず(独り暮らし)這うようにして救急車を呼び診察をしてもらったら脊髄損傷で3ケ月入院されていたと言います。どこかの誰かも、つまづいてアバラ骨を骨折していましたがそれ位で済んだと喜ばなければなりません。この頃は町の中を歩くとき、わずかの段差でもつまづく傾向にあります。足は意識して上に高くあげて歩きましょう。これが習慣付くと片足に体重を乗せて、次の一歩が容易に出て山登りも快適にできるのではないでしょうか。さぁサスケ先生の穂高縦走レポートそろそろUPできた頃かな?また別の目線からウオッチングしておられると思います。皆様もご自身のレポートを書き上げてミニ作家になりませんか。やまたび倶楽部には「仲間紹介」というコーナーがあり皆様のレポートをお待ちしています。詳しくはやまたび事務局ジョン編集長へお問い合わせ下さい。

追伸)無事帰ってきたことを息子に報告すると「御巣高山のように毎年山に登りお参りするのはしんどいので命を落とす時は低い山にしてくれ」と言います。何という息子でしょうか。これが愛情表現なのでしょうか・・・・(笑)


[1599] 【1612回 今日から仕事です】 2008-08-18 (Mon)

11日間の大型の夏休みを終え今日から出勤となりました。残すところあと退職まで75日となりました。(カウントダウンしなくっちゃあね。カウントダウンと言えば栗焼酎のカウントダウンも管理人さんに依頼済みなんですが・・・・)栗焼酎をどこで飲むのか皆さんと相談しなくてはと思っています。今回の登山は還暦記念ということで思い切って長い夏休みをもらい実行することができました。見守って下さった仲間の皆様、槍の穂先で応援してくれたパーティや合流できなかったパーティもいました。見守ってくれた家族、わざわざ引っ越し先の西宮名塩からナスビの水やりに来てくれた、ももちゃんファミリー、函館からエールを送ってくれた零ファミリー。勿論命がけで同行してくれたパートナーにも感謝をしています。勿の論★論★ジョンの職場の協力にも感謝しています。多くの応援隊があったればこその無事帰還だと思います。何よりも天候が安定していたことが救いでした。途中の雷とヒョウは「山をなめるなよ天候が悪いとこんなもんじゃないぞ」と今後の山行に警鐘を鳴らしてくれたのだと戻った今では感謝しています。

北鎌のコル付近でやっとこさでテントを張れる場所を見つけても周囲を見回すと「うんこ」の山・・・・思わずゲェッ。自然現象だから仕方がないにしても後から歩く人、或いは後から使用する人が不愉快に思わない配慮をしなければ山男、山女とは言えないでしょ?「道のど真ん中に何でうんこするんやろ!」って言うと「安全だからだろう」との事。でも常識の持ち合わせの無い人は登山しちゃダメだよ〜。暗い夜道だと完全に踏んでるよ!私なんか槍ケ岳に行く途中、ひょっとしたら滑落するかも知れない場所で、シュリンゲでビレイしてもらっておしっこしたよ〜(サスケ先生が反対側から丸見えやって笑ってましたっけ)

大天井ヒュッテの小池さんのホームページ見て頂きましたか?北鎌尾根編の中の「2003.7.16北鎌のペンキ消し」を読んで下さい。心ない登山者のマーキングを消すご苦労が写真入りで載っています。マーク通りに行くと大変危険な箇所に出るのだそうです。何のためにマーキングしたのか、いたずらか、下見マークか、それにしても200個以上のマークがあったと言います。山小屋到着が遅れる登山者の連絡を同行者から聞き、小池さんが迎えに行って下さりあまりの遅い足運びに負ぶって小屋に到着しても本人からの感謝の言葉はあったもののリーダーからの感謝の念が薄かったことが書いていました。やまたび倶楽部の講座の教材に使わせていただけそうな内容ばかりです。ぜひご覧下さい。アドレスは前回にも載せましたたが://www.mcci.or.jp/www/otenjyo/です  

ところで北鎌尾根行きにポチの30g用のリュックを借用して行きました。北鎌尾根の藪漕ぎで両方のポケットがズタズタになり底部分も破れかけていました。「北鎌尾根記念」と言うことで新調(正しい日本語を使うと代替え弁償)しちゃいました。9月のダイトレでデビューします!


[1598] 【1611回 大天井ヒュッテの小池さん 】 2008-08-17 (Sun)

8月7日の宿泊先の大天井ヒュッテに到着すると、人の良さそうな「小池さん」と言う責任者の方の出迎えをうけました。この方はDVDの「北鎌尾根」の制作に携わった方で画面にも登場されている方です。

早朝の出発を告げると「では出発しやすい入り口付近にしましょう」との配慮を頂き、「夕食はトンカツですが豚が苦手ならば魚にしますよ」と山小屋とも思えない行き届いたサービスを受けました。小池さんは夕食の時は全員にお天気のこと、高山植物のこと、山の話をしてくださりその場にいた登山者に一体感を感じさせて下さいました。

北鎌尾根入りの朝「気を付けて」とお見送りをうけたので無事踏破出来たことを大天井ヒュッテの小池さんにお礼メールを送信しましたら、今日早速にお返事を頂きました。「装備も万全で安心はしていましたがおめでとう」と言うコメントでした。そしてDVDの中で「二股に来たら右」との解説のために道迷いの人がこの頃多いことを私のメールで知ったとも書いてありました。

山男「小池さん」の苦労と大天井ヒュッテのこと下記アドレスからご覧頂けます。無謀な登山者に対しての警鐘も高らかに鳴らしていますので参考にしていただけたらと思います。

大天井ヒュッテのホームページは下記から

 http://www.mcci.or.jp/www/otenjyo/

このページの「山小屋だより」です。明日は我が身と注意をしなくてはと思う項目もあります。「北鎌尾根便り」も、次回北鎌を目指す場合はとても参考になります。


[1597] 【1610回 新たなる自分を見つける登山を終えて】 2008-08-16 (Sat)

長い夏休みを頂きありがとうございました。

8月6日夜から12日まで中房温泉からスタートし、北鎌尾根、槍から穂高縦走を楽しんで参りました。「楽しんで」というには少しウソがありますが登山を終えた今だから言えるのかも知れません。お陰様で天候は出発前の予想どおり、すべて「晴れ」でした。(ただし瞬間的に雷とヒョウに襲われましたが)

「北鎌尾根に行く」と決めてから里山歩き、クライミング、地獄谷の鬼の特訓(ゲートロック、ホワイトフェース、ブラックフェース、A懸垂、キャッスルウオールをクライミングをしながら1日間で制覇)、沢登り等々、1年間隠れトレーニングを積み重ねて参りましたが、まだまだ経験が足りず、北鎌尾根に入ると重い荷物は岩場の上での風でバランスをくずし滑落の危険があり、充分すぎると過信していた水は途中でなくなり、行動食はあるものの喉を通らなくなり、このままだと「死ぬかも」と言う危機感も瞬間にではありましたが味わいました。しかし、お互いがパートナーを信じ槍の穂先を目指し、しかも独標では雷とヒョウの同行やむなくゴロゴロと言えば岩場に伏せ、合羽に降り積もったヒョウをかき集めて喉の渇きを潤すという体験をしました。

独標で無線を通じて仲間の声が聞こえた時は「助かったんや!」とすこし大袈裟ではありますが、そう感じました。北鎌尾根を抜けると、あとは穂高縦走を楽しむことができました。目の前で起きた落石事故の恐ろしさ、北鎌尾根で自分たちが起こしたザレバの崩落など危険と隣り合わせではありますが天候にめぐまれアルプスを満喫できたことに感謝しています。レポートもまもなく皆様にご披露できると思います。楽しみに待っていてくださいね。

★ねこちゃんのアドバイスどおり今回は「けんか」はしなかったよ〜!


[1596] 【1609回 8月6日〜17日まで夏休みを頂きます】 2008-08-05 (Tue)

「8月6日〜17日まで夏休みを頂きます」

夏休みを頂くために8月6日〜17日まで書き込みをお休みさせて頂きます。ご愛読頂いている皆様の「箸休め」ってとこでよろしくご了承お願いします。39年会社勤めをしてから初めての長期休暇の許可をもらいました。(但し産休は除く)私の後任の社員も仕事を覚えてくれたので業務の支障もなく、定年退職前の最後のご褒美として上司が許可印を押して下さったものと思います。

私の山登りの日程ですが

●8月 6日(曇り) さわやか信州号で大阪を出発します
●8月 7日(晴れ) 中房登山口〜燕山荘通過(大天井ヒュッテ泊)
●8月 8日(快晴) 北鎌平(ビバーク)
●8月 9日(晴れ) 北鎌平〜槍ヶ岳山頂通過〜(南岳山荘泊)
●8月10日(晴れ) 南岳山荘〜大キレット〜北穂高〜涸沢〜(奥穂高山荘泊)
●8月11日(晴れ) ジャンダルム〜天狗岳〜(西穂高山荘泊)
●8月12日(曇り) 新穂高から大阪へむけて

となります。難所は8月8日の北鎌平を抜けるコースかと思います。天候によっては予定通りに行かない場合もありますが、判断を誤ることなく、無理のない山行でありたいと思います。最終のリュックの重さ60.0s(ごめん、ごめん体重+リュック9.0sでした)戻ったときの体重がどう変化しているか楽しみですがジョン曰く「山から降りたら太ってるぞ」の言葉にドキッと反応してしまいました。途中南岳山荘で合流する予定のサスケ先生達との再会も楽しみのひとつです。合戦小屋名物の「スイカ」も、昔、燕山へ登ったときは季節はずれで食べる事が出来ませんでしたが今回は絶対食べます!どんだけ高くても食べる!

では行ってきます。みなさまも暑さに負けずお身体ご自愛下さい。穂高縦走レポートを楽しみに待っててくださいね。


[1595] 【1608回 夏太りは秋になっても痩せません】 2008-08-04 (Mon)

「夏ヤセ」と言う言葉は昔、冷房の無い時代のことで今は死語の様です。冷房のおかげで食欲が落ちない、体温調整のための汗もかかないとなり二大肥満の原因の「食べ過ぎ、運動不足」で夏太りの原因となるそうです。ビール200CCはごはん一膳に匹敵します。暑い日中は食欲がありませんが夕方はビールもうまいしドカ食いし脂肪を蓄える原因となるようです。夏太り撃退法としては

@食生活を改善
A果物は間食には不向き(結構カロリーがあるそうです)
B寝る前に体重計に乗る習慣をつける
C前日より体重が増えた時は何が原因か蒲団の中で考え次の日に同じ事を繰り返さない (ビール2杯を一杯に、アイスを2個を1個に減らす 等)

万歩計は1週間単位で目標を決め(35,000歩が理想)目標に達っしない時は週末に残りの歩数を歩くことにすれば「あ〜あ今日は1万歩あるかれへんかったわ〜」とストレスが残るよりも週単位の方が目標達成の充実感を味わうことができます。歩く時は水分補給を早い目に摂取してください。「わかってるって」と言われそうですが熱中症にかからないためにも夏のウオークは命取りにならないように気を付けましょう。

去年までは想像も出来なかったことですが「水中ウオーク」は暑さを知りません。IVVはありませんが熱中症の心配はありません。それどころか涼しすぎて太陽が恋しくなるほどです。岩登りをマスターしたあとは「沢登り」が待っています。滝の流れに身を任せ(うん??どこかで聞いたセリフだね)暑くなったらジャボンと滝壺に浸かり、しばし猛暑から回避します。こんなおもろいこと何故今まで教えてくれなかったのかとリーダーに聞くと「ものには順番がありクライミングのノウハウを覚えたからこそ誘えるのだ」とのこと。ごもっとも。ごもっとも。

沢登りは基本的には下りは登山道を歩いて下ります。しかし登山道が途中で途絶えたときは登ってきた滝を下ることもあります。その時はクライムダウン、懸垂下降などクライミングで知り得た技術を頭脳の引き出しから小出しにして使います。ある時はオーバーハングで空中に出るときもあります。「恐いっ!」何てことを言っていると水に濡れたロープが切断される危険性があります。一刻も早く正確な手順で降りなければなりません。滝登りは水で濡れた岩場を通過しますのでズルズルと滑り落ちることがあります。着地した時バランスを崩して後ろに倒れないように次を登る人は倒れたときのサポートの出来るように待機します。いずれにしても単独では実施できずパートナーが必要なのが「沢のぼり」の様です。

お盆が過ぎたら講座が開催されると思います。講座が終わり、いざ沢登りと言うときは「沢手袋と沢靴」を準備して頂いた方が安全です。これは私自身が地下足袋に草鞋で経験して実感したことです。それ以外の道具はクライミングの「ハーネス、ATC、カラビナ、シュリンゲ」があれば充分楽しんで頂けます。10月ぐらいまで楽しめるそうですのでチャンスはまだまだ残っています。

    乞うご期待!


[1594] 【1607回 地元の祭りに大集合】 2008-08-02 (Sat)

姪の娘がイギリスのホームスティから戻り、みやげを届けるという知らせがはいりました。7月31日は烏の宮神社の本宮祭りです。多くの出店が出ることから、孫の零くん母子も集合して久しぶりの夕食会となりました。零くんは9日から函館のばあちゃんのところに親子3人で帰省し、しばらく会えなくなるので、しっかりと触れ合いました。

昼休みに買い物をすませていたので5時になると超特急で夕食の支度にとりかかります。姪の料理のリクエストもありバタバタと忙しくはありましたが、何とか夕食の時間に間に合い、ポチも帰宅したところで「かんぱ〜い」まずはイギリスの話に花が咲きます。子供の頃から私の家に泊まりにきてはキャンプに行ったり、雪あそびに行ったりして我が家の孫と同じ気持ちで成長を見守りました。いまでは高校1年生になりたくましくなりました。

土曜日はヒミツのお出かけを済ませ、夜はジョンが訪問して北鎌尾根行きの荷物のチェックです。全て単品で荷物の重さを計り、携帯コンロも重たいので鍋料理に使う「固形燃料」を代用することにしました。着替えも、こまめに沢の水で洗濯することに決め最小限(不足気味)に押さえました。

なんとかジョンの荷物が11.5キロ。私達が9キロ。工夫によって2キロは減りました。すごいっ!重たい荷物を背負って自慢する人がよくいますが荷物は軽いに限ります。重くていいのは「思い出」だけです。みなさんももう一度チェックしてみてください。たとえば少しでも軽い下着にするために百均のパンツにする。行動食をいれるランチバックはビニールにする。などの軽量化をもう一度工夫してみてください。「使うかも知れない」ものは後回しにして「絶対に使う」ものから優先順位をつけて、自分の許容重量で荷造りをして下さい。きっと楽しい旅になると思います。


[1593] 【1606回 PLの花火】 2008-08-01 (Fri)

「1年前の今日」
去年の8月1日は忠太郎のはからいで「やまたび倶楽部ご一行様」でPLの花火を観賞にいきました。お昼の2時か3時に富田林の駅に集合し夜まで待機です。沿道にはすでに場所取りをしている観客が多いこと・・・あとで合流するサスケ先生が私達を見つけることができるかどうか心配した事が思い出されてきました。そのPLの花火が「10万発から2万発に減少か、夜空の大輪は2分咲きか」と言う新聞の見出しに注目しました。規模が小さくなったのかという問い合わせが殺到したそうです。

PL教団によると花火の量と規模は去年と変わらないのですが「上空で炸裂した花火の数から、打ち上げる筒の数に改めた」のだそうです。なぜ改めたのかと言うと「打上時間が1時間なのに、本当に10万発も打上げられるのか」とか「誇大宣伝ではないか」との指摘が寄せられたのだそうです。ならば「より厳密に数え方を変えた」のだそうです。

例えば1つの大玉を打上、上空で100個の小さな玉が広がった場合「100発」とカウントしていましたが今年からは打ち上げた筒数で「1発」となります。花火の数だけを求めて見物客が押し寄せ、万が一事故につながってはと心配したのだそうです。もともとはPL教団の教祖のみたまに世界平和を祈念するために打ち上げたもので規模を競うものではないし花火自体の美しさを見れれば夏の風物詩として感動するのではないでしょうか。

私達もPL花火の美しさには酔いしれましたが帰りの電車にうんざりしました。帰宅した時は8月2日になっていましたものね。今度行くときは寝袋持参で忠太郎ホームに泊まるぐらいの覚悟で行きましょうか?淀川の花火は8月9日です。私は穂高に出かけて留守にしていますが「花火観賞一等席」の秘密のスポツトを既にみなさまにお教えしていますので各自でどうぞお楽しみ下さい。「玉〜や!!」そんな声が響くことでしょう、お天気でありますように!!

♪♪ドンと なった 花火だきれいだな  空いっぱいに 広がった  しだれやなぎが 広がった

♪♪ドンと なった 何百 赤い星 一度に かわって 青い星 も一度 かわって金の星


[1592] 【1605回 山の事故多発のニュース】 2008-07-31 (Thu)

7月30日北アルプスで3日間に3人が死亡、長野県警は登山者に遭難多発で注意呼び掛けています。北アルプスの穂高連峰周辺で27日から29日にかけて滑落などで3人が死亡するなど、夏山シーズンに入ってから県内では異常ともいえるハイペースで山岳遭難が発生しており、県警が登山者に注意を呼びかけているそうです。

29日午前7時ごろ、北アルプス・涸沢岳(3110b)の山頂近くで、60歳の男性が、斜面を約150メートル滑落。捜索隊のヘリコプターに収容されたが、全身を強く打っており死亡が確認された。当時現場付近は晴れていたが、強風だったといいます。 また、27日は前穂高岳(3090b)で54歳の男性が落石に遭い死亡。28日に奥穂高岳(3190b)でも、高校の山岳部員を引率していた41歳の男性教諭が滑落し死亡したといいます。

松本県警によると、夏山シーズンに入った今月28日現在だけで30件の山岳遭難が発生。「疲労が蓄積しての転倒、天候の急変に伴う遭難が目立つ」として、登山ルート上にある山小屋でのこまめな気象状況などの情報収集や無理のない計画での登山を呼びかけている。また、好天が続くとみられることから「山の上でも十分な熱中症対策を心がけてほしい」としています。

こんなニュースを聞くと、ポチがいの一番に敏感に反応します。「おいおい大丈夫か?」大丈夫かって、人事ではありません。ひとりひとりが体力も登山技術も自信過剰になることなく、真剣に登らなければなりません。北釜尾根でビバークを2日間しなければならないかも知れません。(予定は1泊)天候もそうですが自身の体力と睨み合わせながら無理のない登山企画を立てたつもりです。しかし山を熟知した人が「北鎌尾根は50歳で登る山とはちゃうぞ」と警鐘を鳴らしたそうです。この言葉を謙虚に受け止め安全に無事に下山出来ますよう出発前の準備、ミーティング、荷物のチェックをしたいと考えています。


[1591] 【1604回 お見舞いの手紙】 2008-07-30 (Wed)

ポチのおば様が入院したと聞き、駆けつけてから1週間が過ぎようとしています。伺ったときには筆談で何とか意思が通じたのですが病人の負担はかなり大きいと思いました。そこで一方通行ではありますがその後の見舞いは「手紙」と言う方法をとりました。看病に付いている家族に気分の良さそうな時に、読んでもらうのです。1通目は平素のご無沙汰を詫びて、私達家族の近況を知らせました。とてもよろこんでくれたと電話をもらいました。今日はおば様との思い出を書きました。ポチママが病気の時、このおば様も一緒に看病に来てくれたり、花見に行ったり温泉旅行も同行してくれました。そんな思い出を書きポストに投函しました。何度も病室に駆けつけるには少し気がかりな症状のため「見守り」の見舞いとしました。これはサスケ先生がご入院されていた時に「お見舞いメール」と言う方法を病院が受け付けていたことからヒントを得ました。病人は脳の刺激もいります。問いかけにうなづいたり、首を振ったりではなくて、脳に刺激を与えた方が記憶がとぎれなくて言いように思います。(但し症状によりますので誰でも適用というわけではありません)

丁度、同じ時期にアドベンチャーさんのお母さんと、ねこちゃんのお父さんが入院しているとの事ですので、普段照れくさくて感謝の言葉なんかかけれなくても手紙でなら書くことができるかも知れません。アドベンチャーさん!お袋さんへお手紙はいかがですか。アドベンチャーさんはバスウオークに行った先々でもお袋にと新鮮な野菜をみやげに買うほどの親孝行な方ですから普段から感謝の言葉言うてるかもね。(この頃のみやげは酒が多いぞ!)ねこちゃん!お父さんに「山好きの娘に育ててくれてありがとう」って今まで行った山々の話しをしてあげてください。きっと喜んで下さると思います。

結婚式での花嫁からご両親へむけての「手紙」でも胸にジーンとくるものがあります。相手に語りかける様に手紙をかくのもいいものですね。電話やメールが発達した世の中でも私は手書きの手紙が好きですね。字がヘタでも温もりがありますものね・・・・




[1590] 【1603回 サスケとうららのテクテク日誌で感じたこと】 2008-07-29 (Tue)

ロックガーデンでサスケ先生が熱中症と思われる青年と出合った事が書かれていました。この青年は幸運にもサスケ先生と巡り会ったことで命拾いをしたのではないでしょうか。冷やす場所は先生のおっしゃる通りの場所や脇の下も効果があります。オリオンさんのお友達も白馬を目指していて途中で苦しくなり「大丈夫。少し休んでから行くから」と言ったと想像できます。きっと山小屋を目前にしていたため同行者に気を使ったのでしょう、その場所で苦しんでいるのを後続の登山者によって緊急処置をとってもらいましたが残念にも息耐えたと聞きます。私達が白馬に行ったときみんなで献花させていただき追悼歌をうたいましたね。覚えておいででしょうか。ロックガーデンのこの青年も「大丈夫」と言ったところで誰かが残るべきだと思います。それくらいの基本は学んでいると思います。この青年は気の毒だけど今年の白馬は断念し、来年に再挑戦したほうがよさそうですね。(それを見極める指導者も現場を見てないので○歩協の二の舞にならなければいいのですが)

去年、私が槍ケ岳で低温症で苦しんでいる最中にジョンに聞きました。「もし明日までに回復しないときは私はどうなるの?」「残して帰る」と言いました。但しポチを付き添いに残すと言われた言葉に不安で不安で、何が何でも回復してみんなと同じ行動を取らなくてはと必死の思いでした。その必死さが伝わったのでしょうか。翌朝は何事も無かったようにケロリと元気に下山することができました。本人の「大丈夫だ」の中には

@本当の大丈夫
A迷惑をかけたくない大丈夫

があると思います。迷惑をかけたくない大丈夫は更に仲間に迷惑をかけることになります。こんな時はリーダーの指示に従いましょう。軽装でロックガーデンぐらいと舐めていたら大変な惨事になります。歩けの途中でも熱中症でぐったりとした人を見かけ、引き返すように言いますが 10人中9人までは「大丈夫ですゴールできます」と頑張りをみせます。この頑張りをスタッフは制止できず更にまた迷惑をかける結果になります。「引き返してはいかがですか」ではなくて「引き返せ」と言う命令系統をハッキリさすことで事故を未然に防げます。

熱中症もさることながら水の事故も恐ろしい。沢登りであのような急激な雨で増水したらと思うと恐ろしさで身体が震えます。昨日、痛ましい事故の起こった神戸・都賀川でライブカメラに映っていた増水の様子は衝撃的でした。地元の人の話によると都賀川は別名「暴れ川」と呼ばれていたそうです。私の育った四万十川でも上流の西土佐村で雨が降ればすぐに沈下橋は水面に沈んでしまいます。西土佐の親類からの電話で「こっちに雨が降ったけん、もうじき、そこの沈下橋が浸かるけん気をつけたや」電話を切ると、見る見る間に橋の上を濁流がすざまじい勢いで流れていきます。そんな恐ろしい事が日常茶飯事起こるのです。

京都府相楽郡の笠置という所でキャンプをした時の事です。「上流で雨が降ったらしい。テントを移動しよう」と素早い処置をしたために難を逃れました。「これくらい大丈夫」と移動をしなかった人達はテントが水に浸かりあわてて移動をする羽目になったことがあります。私の幼なじみは夏休みに浜辺でテントを張りキャンプを楽しんでいたところ大波に寝込みを襲われ帰らぬ人となりました。テントも指定されてところ以外で張ると事故に遭遇してしまいます。土左衛門で発見された幼なじみの顔は大きく膨れあがり痛ましい姿でした。



[1589] 【1602回 北鎌尾根への挑戦】 2008-07-28 (Mon)

槍ガ岳を「日本のマッターホルン」と呼ぶ人がいます。去年、槍の頂上でヌッと岩場から出てこられた方が北鎌尾根を指さし、あそこから来たとさりげなく言いました。すごいっ!「私も行ってみたい」と口に出してしまいました。「じゃあ来年来ようか?」いとも簡単に返事が返ってきましたのでその気になりました。サスケ先生が同窓会で槍に行くとの話しを小耳にはさみ「じゃあその時、私は北鎌から先生と出会いましょう」と言うと「体力があれば来てごらん。槍で待ってるよ」そんなメッセージを頂きました。それから資料を調べたりDVDを見たりして北鎌尾根を研究し、北鎌尾根に震え上がりました。まず登山道がない、12時間歩き続けるだけの体力の保有者でないと無理、ビバークを余儀なくされる等、「山の総合力」をきわめた者だけに許されるコースだと書いてあります。これはいつもの登山とは違うぞ。息子達にもスケジュール表を渡し、自己責任において実行することを告げました。告げたのはいいけれど行けるのかと言う不安が大きくなってきました。折から白山のトレーニングがはじまり軽いリュックが売り物の私が、その頃から珍しく10キロを背負って白山トレーニングに挑みました。

「北鎌OK」のサインがでたのは中山寺トレーニングを終えた時だったと思います。北鎌尾根はロープでビレイをしながらの登山となるため最高人数2〜3人という、きわめてプライベートな登山です。ビバーク1泊を予定していますが体力の消耗が多ければ2泊になる事も想定しなければなりません。共同装備にはテント、寝袋、自炊用食糧、多めの水などが通常の荷物に加わります。ズボンの換えもハカリに掛け軽い方を選びます。汗くさい汚れ物は途中の沢から流れる水で洗い、リュックに掛けて歩いている間に乾燥させようと思っています。山中5泊ですが着替えはパンツ5枚と帰りの温泉入浴の分1回のみ。行動食の食パンは牛乳パックに入れ、使い終わった牛乳パックは燃料として使います。ミカンは皮を剥いてラップに包みます。山小屋泊の時は考えもしなかった工夫をしなければなりません。ロッククライミングを始めていたからこそOKの出るコースだと痛感しています。

いま私の部屋はリュックに詰める前の荷物で一杯になっています。気が付いたものを部屋に集めておいて最終の荷詰めは8月3日の日曜日にしようと思っています。どうしても必要なものから詰めては計量し、抜いては計量しを繰り返します。あとは天気次第で予定通りに通過できるかどうかにかかってきます。山の女神に北鎌尾根の通過だけは雨を降らさぬように祈っておきたいと思います。

とにかく今まで学んだことを無駄にせず、無事に戻りここに「北鎌尾根レポート」が書けてみなさんの感動を得られるように、そして来年同じコースを挑戦される方のためにどこがつらくでどこが楽しいか、しっかりと記録を取っておきたいと思います。その時は再び私も同行させていただきたいと思います。


[1588] 【1601回 沢登りの魅力】 2008-07-27 (Sun)

クライミングを始めてしばらくしてからジョンが「沢登り連れてったろか?」と盛んに誘う時期がありました。「えーっ沢なんて嫌や」「夏のアスファルトの上を歩いているよりずっとエエのに」「自分だけ行っておいで」そんな会話がありました。今年の夏もまた同じ会話があり少し気持ちが傾いたのは「リトル比良」の滝見台から見た滝を登るというのに心がときめいたのです。

「姫の滝登り」ってレポートにありましたがまず装備について聞きました。ロッククライミングの装備が既に整っているため「沢靴」があればいいと言います。続くかどうかわからないのに沢靴を買って投資するのも抵抗がありましたので地下足袋とわら草履の出で立ちでよければ参加すると答えました。地下足袋は○歩協ウオークで使用した物があります。わら草履も馬籠街道を合羽からげて三度笠で歩いた時のものがあります。

道具は伊達に金をかけておらず「沢靴」と「わら草履」の差はすぐに出てきました。水の流れにわら草履はゆるんだり、ぬけかけたりするのです。ジョンは必死で「わら草履スタイルには勝てないなぁ」と慰めてくれますが少々複雑な気持ちでした。すぐに購入することは簡単なことですがポチが「水アレルギー」で病弱のため子供の頃からプールも入ったことがないと言います。私だけ「沢登り行ってくるわ」というわけにもいきません。ここが我慢のしどころです。

「どうやった?」と自宅に帰ると沢登りの感想を聞きますので楽しかったことを告げ沢登りを終え下山時の足が痛く沢靴の仲間より、かなり離れてしまったことなどを話しました「沢靴が欲しい」なんてことは一言も言いませんでした。

白山を終えた27日の日曜日「沢靴買いに行こうか」とポチが言いました。「ええよ、あんたが沢登りを一緒にするんなら買い揃えてもいいけど私一人だとわら草履でエエわ」「そんなこと言わんと今から行こうワシもやってみたくなったわ」そんなこんなで「姫ブログ」に載せましたが沢登りに必要な道具一式買いそろえました。ポチの気持ちが動いたのはサスケ先生の「沢登り」のスライドショーを見たからだと思います。

滝に向かって道なき道をまっすぐに登るなんて、いままで信じられませんでした。クライミングの基礎をマスターしていれば滝登りも別世界ではありません。沢には決められたルートがなく、自分の技量や仲間の技量などでコースを決め自己責任において楽しむスポーツの様に思います。暑くなつたら滝壺に身体を沈めます。汗まみれで歩くより快適です。まだ周りの景色を見るほど余裕がありませんが10月ぐらいまで楽しめるそうですのでポチが新しい靴を履いて沢登りデビューをする日も近いことと思います。

但し、ロッククライミングでも最初は「講座」からはじまりました。沢も同じく「沢とはなんぞや」から入門し、そののちに滝に入る方が指導しやすいそうです。ほとんどが車で行ってそこから滝に取り付きます。「やまたび車規約」を適用し、車の提供者に負担がいかない配慮も必要です。そして装備にも少しお金がかかりますが「沢靴」「沢用手袋」は必需品だと痛感します。(地下足袋を買ってワラ草履を買うのであれば沢靴を買う方をお勧めします)


[1587] 【1600回 山小屋と避難小屋】 2008-07-26 (Sat)

山小屋とは、山(山頂、稜線、峠、麓など)にある宿泊施設であると辞書に書いてありました。日本最大の大きさを誇る白馬山荘にも泊まったし、山は日本一でも小屋は日本最下位の富士山の山小屋も泊まりました。狭さで言えば白馬大池がピカ一でしょうか。1畳4〜5人と壮絶な狭さです。山小屋の目的は「夜露をしのげ、寒さに耐えれば良し」としなければならないことは頭ではよく判っています。贅沢を言っているようでは岳人にはほど遠いと言われそうですが白馬山荘の次の日が白馬大池でしたからよけいに狭さが目立ちました。

富士山八合目の小屋を利用するとき案内人が「リュックは胸の位置にかかえてどうぞ」と言います。何のこっちゃと思いながら指示通りにするとリュックが枕と化し、横たわるように促されます。しかも前後の人とは足、頭、足、頭とまるでイワシの串刺し状態で横になるのです。白馬大池はまだましだという事になります。寝苦しくて、寝返りをうち、もとに戻ろうとすると、もうそのスペースはありません。仕方がないので横を向いたまま、両側の人が寝返りするのを待ちスペースを盗むしかありませんでした。トイレは。。。。。汚くて使えませんでした。富士山の名誉のためにこれ以上は書かないでおきます。世界遺産に登録してもらえるには山小屋、トイレなどの環境を整えないと到底無理でしょう。

山小屋には「小屋」のほかに「ヒュッテ」「山荘」「ロッジ」などがあります。ただし、必ずしも山小屋であるとは限りません。登山口の山小屋の中には、その後の山麓地域の観光開発により、一般の旅館になったものの、名称は「○○小屋」のままのところもあります。また温泉を持つ山小屋の中には「みくりが池温泉」などと言うところもあります。(但しみくりが池温泉は山小屋ではありません)避難小屋の場合は、基本的に「○○避難小屋」と名乗ることになっているのだそうです。

避難小屋には緊急避難専用の小屋と、自炊・寝具持参の宿泊を念頭に置いた小屋があるそうです。緊急避難専用の小屋は、雷や大雨等で一時的に避難することを念頭に作られており、トイレも水場もない小屋もあります。坊がつるで風雨を避け「坊がつる讃歌」を歌った小屋が、まさに緊急避難小屋だったんでしょうね。

「山小屋にお風呂はありますか?」よくある質問です。気持ちはわかるけど「無い」と覚悟をして下さい。露天風呂の温泉から日の出が眺められる貴重な山小屋『白馬鑓温泉』などは例外中の例外です。坊がつるで利用した法華院温泉も温泉はよかったけれどロッジタイプの粗末な部屋で、しかも風で窓ガラスが割れるという惨事に遭遇したこともありました。

じゃあ従業員は何十日も風呂に入らないのかというと従業員用の風呂はほぼ全ての山小屋にあるそうですが、水の貴重な山小屋では従業員の入浴も制限されると言います。

「もう一度訪れてみたい小屋は?」と聞かれると冬の徳沢園と答えたい。もういちどスノーシューを履いて上高地へいってみようかな?


[1586] 【1599回 こだわりの下山後の温泉入浴】 2008-07-25 (Fri)

バスウオークで帰りに温泉に入る事を絶対条件としたのは、何を隠そう私です。「温泉のないところはコース設定をしない、行かない」と平成17年まではジョンと姫で頑張り続けました。(某協会)参加される方も「お風呂が楽しみ〜」と耳元で囁く声が心地よい。やまたびの登山も例外ではなく昨年の槍ヶ岳下山後、入浴時間がないと言うのに「せめて片足だけでもチャポーンと浸かりたい」とバスを待たせたことがありました。此花の警察の研修会では「入浴可」と説明があったのでみなさんが昼食時の酒盛りをしている間に入浴をしていたら施設のおかみさんが「あのぉ〜バスが出るって言うてはりますが」と湯舟の中まで呼びに来られた話は警察の部会の中では有名な話です。名誉のために弁解しておきますが出発時間を過ぎていたのではなく酒盛りが早く終わっただけなんですよ。

白山を下山した後に入浴したのは「白峰温泉総湯」建物は古く歴史を感じました。(2003年に温泉として認可?)泉質はナトリウム炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性温泉) で効能は神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺など。飲用としては慢性消化器病・糖尿病・痛風・肝臓病などに効果があるといいます(何やそれやったら入る前に言うてくれ〜)湯は無色透明だけれどもかなりツルツル感が味わえ別名「つるつる温泉」とか「絹肌の湯」などと言われていて、なるほどツルツル感は最高でした。お風呂研究家として言わせてもらえれば「露天風呂」の無いのはとても残念です。しかし隣接する場所にりっぱな温泉が20年10月にはオープンすると完成予想図が貼られていました。この小さな町に、こんなにもりっぱな入浴施設がいるのでしょうか?と思いきやスキーシーズンになると沢山の利用者が押しかけてくるのだそうです。それにしてもこの町には「うどん屋もネェ」「そば屋もネェ」。「喫茶店もネェ」空きっ腹を満たしてくれそうな店は米汁と麦の汁を売る店しかないという素朴な町でした。320円という入浴料は良心的で、8月1日からは370円に値上げされるそうですが、新しい施設になってもこの価格を守り続けてほしいです。私達旅行者は一度きりの利用なので高くてもいいですが、地元の人達には370円で入浴し続けることの出来るよう願っています。素朴の町を代表するように、小学生達が白山まつりを盛り上げようと炎天下にもかかわらず音楽隊として頑張る姿には感動するものがありました。

みなさ〜ん!1丁600円の硬豆腐と油揚げのお味はどうでしたか?




[1585] 【1598回 白山の星座】 2008-07-24 (Thu)

白山の夜空に輝く星達。山小屋の消灯を過ぎた8時30分過ぎから空を見上げ続けました。皆さんは登山靴を履いて星空のショーに出かたそうですが、私はスリッパのある方向から外に出ました。周りにはやまたびのメンバーは見あたりませんでした。資料を手元にしても老眼のため見えませんので自分だけの星の図鑑を頭の中で広げました。まず人工衛星でしょうか。クルクルと廻る物体がありました。夕日の沈む方向からして東の空はこっちかなと目安をつけて、明るい3つの星が大きな直角三角形を作っているのを探します?あったあった。小さな三角形を想像してはいけませんと出かける前に勉強をしましたので迷うことなく見つけました。これは「夏の大三角」と呼ばれ,夏の間一晩中見えている目印だそうです。うれしくなって「♪♪星の降る夜はあなたとふたり〜で踊ろうよ〜♪♪」おっ今は一人かと口ずさみながら、こと座のベガ、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、これだけ解れば上等だ〜い。

ところで、ベガは七夕の織姫星,アルタイルは七夕の彦星です。ちゃんと天の川を挟んで光っていました。ベガが一番の輝きを放っています。やまたびのベカちゃんも輝いているかしら?デネブやアルタイルは1等星ですが,ベガはそれより明るい0等星の輝きを持っているのです。あとは柄杓の形を探し「あ〜あきれいだこと。お〜お寒い」と独り言。

南の空を見てみると赤っぽい星が見えました。これは、さそり座のアンタレス。「♪♪そうよ〜私はサソリ座のおんな〜♪♪」またまた口ずさみながら次の星を探しました。アンタレスを含むさそり座は,最もわかりやすい星座の一つだそうです。アンタレスの前後に大きなSの字を描くように星が連なっているか探しました。しっぽを折り曲げハサミを振りかざしたサソリの姿に見えるらしいですが、あったあった。しっぽのあたりに仲良く並んだ2等星と3等星があり「猫の目」って言うらしいのですがやまたびのねこちゃんは星のショーに参加しているのかしらね?まあるくなって寝てた様な気もしますニャン。

星の名前が間違っているかも知れませんが、ひとりでも結構楽しめました。もっと防寒対策をして出れば良かったと後悔しました。懐中電灯も持たずに出ましたので帰りは、つまずかないように用心しながら山小屋に戻りました。白山まで来れたからこその星達との出逢いです。






[1584] 【1597回 北野病院へ駆けつける】 2008-07-23 (Wed)

昨夜ポチの親類から電話がかかり(ポチの母の妹が・・・)「とっちゃんと美智子さんだけには知らせておくわ」と意味深な電話でしたので夕方駆けつけました。お腹に管を入れて喋れないほどだというので花籠を持参しましたら、この頃の病院は「お花はダメ」なんですね。花のアレルギーの患者さんもいるからと詰め所で断られました。私が入院していた千船病院はお花大歓迎でしたよ。

廊下には息子や娘孫達も集まり私達の来るのを待っていました。「お姉ちゃんはきっと来てくれると思っていたの」お姉ちゃんとは私のことです。手を握ると握り返す力もなく片目だけ開けてくれました。そしてゆっくりと両目をあけ、もう一度固い握手をして再会を喜びます。

娘にホワイトボードを持ってこさせ、孫は何人か?たくちやんは?まー君は?と息子達の事を案じてくれました。元気にしていることを伝えると大きくうなずき、今までのご無沙汰を詫び、一心寺にお参りをしていると言うと「そんなところまでいかんでも心の中で手をあわせても通じるよ。あんたはよう尽くしてくれた」とたどたどしくありますが力強く書いてくれました。筆談というのはかなり労力を使うため、早々に引き上げてきましたが、あの元気印のおばさんがと目を耳を疑いました。ポチのお母さん!まだ迎えに来んといてや!

11月になったら仕事も辞めるので、ゆっくり話をしましょうと言うと、安心したようにうつらうつらと眠りにつきました。そして家に戻りお手紙を掻くことにしました。いままでお世話になったこと、これからの希望などを綴り、その日のうちに速達で娘さんの家に届くように投函しました。筆談は疲れるけど手紙ならと考えた次第です。


[1583] 【1596回 行っちゃったよ〜】 2008-07-22 (Tue)

朝、出勤の時に、アリさんマークの車が、ももちゃんのマンションの下に駐車されていて見覚えのある荷物がどんどこ運ばれて行ってます。月曜日は、(しかも連休明けは)なおさら休めないので昼休みにバイクを走らせました。お茶と軽食の差し入れです。昼過ぎには行っちゃった〜。夜、息子からのメールで「ありがとうな。何とか布団を敷くだけのスペースができたよ。距離は遠くなるけど気持ちは近くなる気がする」だって・・・・・慰めてくれてるんでしょう。寂しい〜

今夜は白山の反省会&打ち上げ&北鎌尾根の試写会をしていました。ももちゃん達がいなくなった寂しさがまぎれてよかったです。ジョンが「どのあたりか?」と息子達の新居を聞きましたがサツパリわからんのです。西宮名塩ということだけしかわからんのです。ハハハええ加減な親でっしゃろ?

★「白山レポート」は未熟ながら早いのだけが取り柄で書き終わりました。明日、校正して、アツプ出来ると思います。楽しみにまた覗いてみて下さい


[1582] 【1595回 お別れパーティ】 2008-07-18 (Fri)

「7月18日お別れパーティ」

今日は、7月22日にももちゃん一家が西宮名塩へ転居するためお別れ食事会をしました。本当は我が家でと考えていましたが19日から白山に出かけるために時間がとれず、結局、ももちゃんちでお別れパーティをすることになりました。零くん達も一緒です。久しぶりに3人の孫に会ったら大きくなっていました。びっくりです。

ももちゃんが産まれて、あれよあれよと子育てを見守り、次にかーくんが産まれて、ももちゃんの保育所のお迎えを担当し、スープの覚めないいつでも会える距離にいて、お互いが安心していました。息子家族が旅行に行ったときは帰宅日にはおにぎりとおかずをして届けたり、私が山に行ったときは冷蔵庫に買い物を詰めたくれたり、花の水をやってくれたりと、とてもいい距離と、いい関係で過ごしてきました。ももちゃん達も「高見の婆ちゃんち」は遊園地と間違えているのかご機嫌で遊びにきてくれました。近くにいても会わない時の方が多いのですが、それでも近くにいるだけで安心でした。家に帰ると息子が黙ってパソコンのプリンターを買いセツトしてくれていました。11月になつたら欲しいと言っていたので旅立つ前にセツトしてくれた様です。

正月に西宮名塩の土地を見せに連れて行かれた時、息子に「何で〜?こんな所に?」って言ってしまいました。その場所を批判しているのではなく此花界隈で探してはどうかと、まだ今なら間に合うと言いました。しかしアトピーの嫁にはこの環境がいいのだと言われ、もう遠くになることを淋しがるのはよそうと思いました。零くんの函館のおばあちゃんのことを考えると辛抱しなくてはいけませんね。ももちゃんに「さびしいよ〜エーンエーン」と泣き真似をすると「電車できたらいいやんか〜ももちゃんのお家に泊めたるから泣かんといて〜」と慰められました。今日は保育所のお友達ともお別れをしてきたそうです。

零くんは引っ越しの事情は理解できないものの、ももちゃんとかーくんと一緒に遊べることで、とてもはしゃいでいます。私はやっぱり何か心が晴れません。淋しいです。引っ越しも業者に一任すると全〜部手間入らずで転出と転入を引き受けてくれるため昔の様に引っ越し手伝いもいらないそうです。22日は平日のため見送りもできません。新しい土地で家族が力を合わせて出発してくれることを祈りつつ、私も白山へ旅立ちたいと思います。

「姫のお城」は7月19日から21日までお休みさせて頂きます。白山情報待ってて下さいね。お城の見回りは勿論!眼鏡ライダーさんと忠太郎にお願いしますよ!



[1581] 【1594回 夏祭り本番だね】 2008-07-16 (Wed)

今朝、今年初めて近くの神社「烏の宮」近くの公園で蝉の集団合唱を聞きました。梅雨明け宣言も間け「あ〜夏到来だな」そんな感じがしました。そう言えば夏祭りの寄付集めが来たり、太鼓の練習の音が響いてきました。また早くも熱中症で入院というニュースも入っています。そう言えば急にあちこちの集会所でお葬式も多くなってきました。会社の隣に集会所があり出棺を待つマイクロバスが我が社のビルの前に駐車する回数も、やたら多くなってきた気がします。自分がいま元気で白山行きの準備の出来る我が身がとても有り難く感じる今日この頃でございます。

夏祭りと言えば大阪で一番早いのが「愛染さん」です。「愛染さんじゃ〜、ほっえっかっごぉ。べっぴんさんじゃ、ほっえっかっごぉ、商売繁盛ほっえっかっごぉ」のかけ声とともにパレードをする映像がテレビから流れてくるのが有名です。何年か前までは北新地の芸者さんが色っぽく乗り込んでいたそうです。そして勝鬘院(しょうまんいん)の境内には有名な「愛染かつら」の花が咲いているのだそうです。桂の木の側の説明板には『愛染かつら 樹齢数百年といわれる巨大な桂の樹は大阪大空襲で表面が焼けましたが、こうして生き残りました。それにノウゼンカズラのツルが絡みつき一体となった姿は男性的な大樹の桂に寄り添う女性的なカズラとしてみられ男女の縁を結ぶ霊木として祀られるようになりました』と記されています。ウオーキングで立ち寄ってはいますが、ゆっくりと歴史を見たり、ヒモ解く時間などはなく、ただ、ただ歩くだけでしたので退職したらゆっくりと散策しながら自分の目で確かめてみたいと思います。

♪♪は〜なも嵐も踏み越えて〜行くが男の生きる道〜♪♪ の歌も有るように昭和10年代は上原謙と田中絹代、20年代は鶴田浩二と京マチ子、30年代には吉田照雄と岡田茉莉子「愛染かつら」の映画も大ヒットしたそうです。私が見たのは吉田照雄と岡田茉莉子の映画でした。大きな桂の木に寄り添ったナース役の岡田茉莉子と医師役の吉田照雄の姿は乙女心を揺さぶりました。愛染さんが終わると天神祭、そして住吉祭へとつながり大阪の夏は始まるのであります。

★一番の祭が愛染さんの「あい」、最後は住吉神社の「すみ」で「あいすみません」と祭の順番を覚えたそうです。勝鬘院(しょうまんいん)の中に若く細い桂の木が1本あるのは俳優の吉田照雄さんが植えたものだそうです。


[1580] 【1593回 クーラーボックスの一人旅 】 2008-07-15 (Tue)

駅のベンチで快速列車待ちをしていましたが、あまりの暑さに「京田辺行き」の普通列車の中の冷房を目当てに車内の椅子に腰をかけました。向かいのホームに高槻行きの快速が来たため、あわてて乗り換えた途端、途中で「あっ」と気が付きました。「しまった〜」とは思いましたが、どうせ出て来るわけないわとあきらめていました。幸いな事にタッパーウエアーの弁当箱はリュックの中に入れてて無事です。

物を大切にすることが身に染み付いている精でしょうか、気になり「JRお忘れ物センター」に忘れ物登録を済ませしばらく経つと早々と携帯が鳴りました。「京田辺駅ですがお忘れ物の登録がありました品物が見つかりました」何と素早い処置でしょうか。それから形、色、中味等々詳しく聞かれました。「あのぉ上蓋に名前が入っていませんかぁ?」「ちょっと待って下さい。あっありました迷子札と書いてありますが」と笑います。そうなんですクーラーボックスが迷子になっちゃって。。。。。

京田辺駅まで取りにいくのは遠すぎるため、最寄り駅「海老江駅」まで護送(?)をお願いしました。おまけに中味のゴミも捨てておきましたからというお話しでした。以前にもサイフを座席に置き忘れましたが特徴のあるサイフだったため(紫色でリュックサックの形をしている)届け出をした後、すぐに手元に戻ることができました。忘れ物なんてした事が無かったのに、やはり年には勝てませんなぁ。「ところであんた誰だっけ?」と言うことの無いように、日々脳トレをしておかなければなりませんね。皆様もお気を付けてください。

忘れたのが12日の土曜日、手元に戻ったのが15日の火曜日と対応の早さに感謝しています。おまけに中に入っていたゼリーやチューチューなどのゴミは腐敗するからと廃却してくれたいました。身分を証明する物を提示してサインをして無事もどり、一人旅で疲れただろうと洗濯機に入れてやりれました。(それって消毒ちゃうん〜?)

戻り着いた記念写真を「姫ブログ」に載せました。


[1579] 【1592回 白山パッキング講習終了しました】 2008-07-14 (Mon)

白山の本番もあと1週間と迫り荷詰め講習と言うことでリュックサックの中味についてリーダーの指導がありました。みんな「ひょっとしたら中味見られるかも知れない」と想像していたのか、常日頃からそうなのかわかりませんが随分ときれいにパッキングが出来ていました。(よしよし)みんなそれぞれに工夫をしていて、とても参考になりました。私は今まで姑さんをあちこちの温泉に連れて行ったときの温泉の濡れタオル入れを利用してテプラで表に中身を表示しました。万一私が開けられないときが発生しても誰でもが中身を見ないでもよくわかるようにしました。「着替え」とだけ表示せずに「第1日目」「第2日目」と表示することで山の下、山の上で着る物を分けています。

行動食は参考になりましたでしょうか。「自分が食べたい物」を基準にしてあとは少しバランスを考えてみました。あれでは2日間は足りなさそうです。くろねこかあさんの真似をして生の果物も買い足したいと思います。口当たりの良いのが一番ですものね。色々みなさんの物を見ながら参考にしたいと思います。午後からの「救命講習」はもう既に知り渡っていて今回は必要なかったようですね。ごめんなさい。私がリーダーにお願いしたのですがでしゃばって反省しています。そんな中、新規を含む5名の方が更新をして頂きました。ありがとうございました。救命救急が必要な場面に遭遇したら「やじ馬の中から一歩前進」をお願いします。しないよりした方がいいのですから、ぜひ!勇気を出してお願いします。

焼き肉パーティも盛り上がり楽しかったですね。お肉も余るかと心配しましたが足りない心配をした方が良いくらいでしたね。あっ、それから残った酒類はバスに積み込みますので心配しないで下さいね。決してネコババはしませんよ〜

じつはねあの日、舞子に住む従兄弟が亡くなり通夜があったんです。一刀水の弟で私が高知から大阪に出て来たときに親切にしてもらったんです。入鷹(いりたか)って言うんですが68歳になっても「いりたか兄ちゃん」でした。月曜日は野辺の送りに行ってきましたが私のために入鷹兄ちゃんは(勝手にそう思っているんです)白山行きにかからないように少し早めに逝ったのかと手を合わしました。他の従兄弟達も「次はオレの番や、私の番や」と言い合っていましたが、そんな人に限って長生きするんだから〜!遺言で「骨の一部は庭先に、一部は須磨の海に、残りは故郷鹿児島の墓に入れてほしい」と他の従兄弟に頼んで逝ったそうです。通夜から戻ったら23時を過ぎていました。なが〜い1日でした。


[1578] 【1591回 肉屋の特売に並んだよ〜 】 2008-07-12 (Sat)

日曜日の夕方、偶然にもサスケ先生とうららちやんが駐車場に置いている新車を取りに来られたとの事でバツタリと出会いました(さては先生金曜日酔っぱらいましたね。飲んだら乗るな・・・その方が安全だけどね)

肉屋に並ぶと言うと、うららちゃんが一緒に付き合って下さいました。この店は夕方の5時から6時までの1時間限定の特売の店なんです。5時5分前にレジを通過すると定価で売り5時ジャストだと大売り出しになる此花では有名な店なんです。(残念ながら明日は休業なのでミーティングの帰りに買えないね)4時45分に行くとすでに長い行列が二列。一列は焼肉用、もう一列はそれ意外の肉の特売用です。

焼き肉の列に並び5時が来ると「らっしゃい!らっしゃい!まけるよ〜まけるよ〜」と幟をたてて呼び込み開始です。私達の前の人はキロ単位で注文をしていきます。「生レバー終了〜」えっ今はじまったばかりなのに?先の人が買い占めていくので売り切れです。私達の分が売り切れはしないかドキドキしながら順番を待ち、やっとのことで無事買うことができました。その足で八百屋に行きます。昨日注文しておいたので行ってみると「あ〜重たいからね、会社に配達してあげたよ。それからとうもろこしと椎茸がメモから抜けていたので追加しといたよ〜」八百屋で支払いを済ませ、ビールを買って会社に行きました。

金曜日の定時後に会場設定はすませていましたので冷蔵庫に材料を入れるやいなやすぐに帰ってきました。待てよ!!追加のトウモロコシはゆがいておかないと、すぐには使えないなと思い家に持ち帰りました。3本をいくら小さく切っても参加人数には足りません(当たり前やな)またジャスコにでかけて追加のとうもろこしを買い2度目のゆがきを始めました。イタドリもと思いましたが最近「またか〜」と思われるくらい頻繁なので飽きられると思い季節はずれまで冷凍しておきます。

明日は新客「くろねこかあさん」を加えて楽しいパーティ致しましょうね。ビールや肉には限りがありますがキャベツは、ぎょうさんありますから遠慮せずに食べてください。ハイ!忠太郎焼き肉パーテイだけでも来れるといいのにね。


[1577] 【1590回 熱中症】 2008-07-10 (Thu)

「熱中症、水分の取り方」については師匠欄で専門的にご記入されているのでここでは蛇足になりますが私が実践していることを少し書いてみたいと思います。

●熱中症が心配な季節となりました。水分補給と糖分補給と塩分補給をバランスよく取ることで熱中症を予防することができます。「のどが乾いてから飲む」では遅いのです。この頃、やまたび倶楽部ではペットポトルをリュックの外側(胸付近)に付けストローの様な吸い口をつけて飲む方法が流行っています(??)40分あるいは50分歩いて休憩時間にまとめて水分補給するよりチビチビと歩きながら吸い上げて飲む方が効果的です。100円均一の店で吸い口を売っていますのでお試しください。いつだったかリーダーがミッキーマウスの吸い口を付けていて笑ったことがありましたがアレ落としたんだって・・・・

もうひとつお勧めがあります。おしぼりを冷凍しておき持参します。昼食時間にはほどよく解けて首、顔、などを拭くことで気持ち良いし熱中症の予防にもなります。凍ったペットボトルを時々首や脇の下に充てる方法もあります。また帽子をかぶり続けることで熱中症を引き起こす原因のひとつにもなりますので木陰や風の吹く箇所では帽子を持ち上げて頭皮にも風を送ってください。ヘルメットの人も休憩時は一度頭からはずして風をあててあげてください。ポチさんは頭皮に直射日光が当たるので、充分に気を付けて下さい。

自宅に帰りお肌の手入れも忘れないでください。キューリのパックなどをしてお手当をおわすれなく。但しお顔のパックに使ったキューリは酢の物などに使わないようにお願いします。赤味がかっている時は軽い火傷状態なのでお手入れも慎重にお願いします。日焼け止めクリームは必須です。皮膚癌予防にもなりますし、帰ってからヒリヒリと痛いのは避けたいですよね。UVカット素材の衣服を着用し夏でも快適な登山をしましょう。雪焼けの恐ろしさは立山で体験しました。あれは火傷です。アドベンチャーさん!お母さんから日焼け止めもらって下さいね。サスケ先生!白山に登る前にお鼻のお手入れをお願いします。

まあ雨の心配をするよりは日焼け対策をワイワイガヤガヤする方が希望があっていいですね。またテルテル坊主を作りましょうか〜。くろねこかあさんの元気さには驚きました。「ついていけるかしら?」なんて謙遜のお言葉がありましたが何の何の私達より健脚だったじゃありませんか?やはり日々トレーニングしている方はお強いですね。私も階段トレーニング欠かさず行っています。ただ階段を登るのではなくて片足に体重をためてゆっくりと山歩きをして職場に上がります。白山でへばらないように日々頑張っています。


[1576] 【1589回 蚊 】 2008-07-09 (Wed)

虫がブ〜ンブ〜ンと飛んでくるので「虫偏に文」と書いて「蚊」なんです。ほんまの話でっせ〜。去年までは6月から9月までが蚊の発生する時期だったんですが地球温暖化の影響なのでしょうか今年は5月から10月と長く生息しています。蚊に刺される期間が長いということです。蚊にさされると何故かゆいのかと言いますと蚊は人間を刺すときに唾液を出して刺し、人間の体内で異物と感じアレルギー反応を起こしてかゆくなるのです。

●蚊に刺されやすい人
@呼吸(二酸化炭素)の量の多い人
A年寄りより若い人が刺されやすい
B体温の高い人が刺されやすい
C汗をかいている人、臭いのある人
Dからだの表面積の広い人
E日に焼けた人(黒色に反応)

●蚊の特徴
成虫の寿命は1ケ月
メスだけが血を吸い、満腹になると産卵に入る
一生に4〜5回産卵(寿命が1ケ月なので1週間毎?)
2〜3ミリグラムの蚊の体重と同じだけ血を吸う
(体重以上吸うと重くて飛べない)

●さされないための予防
防虫スプレー
うちわ(蚊は風に弱い)歩きながらパタパタOK

●発生源を絶つ
ボウフラは一握りの水溜まりがあれば成虫になるので植木鉢の受け皿や雨上がりのタイヤの下などこまめに掃除をしてください。勿論網戸のホツレを直すこともお願いします。刺されてもかかないで下さい。(マラリヤ、日本脳炎の危険性あり)


[1575] 【1588回 風が吹いても痛いの? 】 2008-07-08 (Tue)

痛風は「風が吹いても痛い病気」と聞いたことがあります。足が腫れて歩けないと言う人を見たこともあります。実際に経験した人いますでしょうか?尿酸、尿酸ってよく聞く言葉ですが尿酸って一体何なのと聞かれると「う〜ん」とわかったようでわからないのです。プリン体は肝臓で代謝されおしっこにでます。尿酸が多すぎると結晶化して関節のあちこちにたまり痛風となるようです。痛風は男性に多くその率は何と99%で10人に1人が痛風にかかっていると言っても過言ではありません。尿酸値が多いと痛風の他に、尿路結石、腎不全、尿毒症、動脈硬化とさまざまな病気の引き金になるようです。レバー、白子、背の青い魚、カツオ、マグロなどにプリン体は多く含まれていますので食べ過ぎないようにしましょう。

男性99%の数字には飲酒が原因している様です。 焼酎、ブランデーなど薄めて飲むアルコールよりもビール、紹興酒は痛風を自分で招いているようなものだそうです。(武田尾で1杯300円だからと3杯飲んだ人いましたよ〜)背の青い魚、レバーって身体に良いといわれている食物ですが「カロリーオーバー」がダメという事なんです。しっかり水分を取って身体の中に老廃物を溜めないようにおしっこに流しましょう。海草類、野菜を多くとると尿をアルカリに変えてくれるのでしっかりと夏野菜を食べましょう。運動も激しい運動をすれば「乳酸」がたまるので適度な運動(休みの日に家でゴロゴロするのはもってのほかと言う事かしら?)

話しは変わりますが、やっと毛虫にやられた腕が治りましたが身体のどこかに異常がある時って気分が滅入ってしまいます。虫にさされただけでかゆくってどうしょうもなくイライラしたりします。痛風も、アトピーも、腰痛も治療をしつつ、自然の中で暑さを感じつつ汗を流し(暑すぎはゴメンやけど)病気を乗り越えることが必要かと思います。今のポチからは想像もできませんが子供の頃は体育の授業は一度も受けたことがなく(プールにも入った事がないらしい)成人して心臓の手術を受けた後は「おまけの人生」と諦めの境地に立ち、ウオークや登山を始めました。今ではロッククライミングも平気です。あのまま「病気」の肩書きを背負ったままだったらと思うとゾッとします。家族も巻き込んで暗い人生だったかと思います。家に残して行くと「今どこや?遅いのぉ」と私の行動まで制限されることになります。いまこうして皆様と白山に向けてのトレーニングに前向きに取り組み、リーダーの指示通りリュックの中に水を入れ重さに耐えている姿を見て久々に(何年ぶりかしら?)誉めてやりたいと思いました。このまま頑張れるなら白山登山を終え槍の穂先で「やぁやぁ」と知り合いに会えるかも知れません。アドベンチャーさんと剱で出会ったように・・・

追伸)尿酸について記入間違いがあればサスケ先生修正して下さい。お願いします


[1574] 【1587回 七 夕 】 2008-07-07 (Mon)

七夕は次男(ももちゃんち)の結婚記念日。今年で6年を迎えられることになります。「年老いて結婚記念日を忘れたらあかんので7月7日の七夕に決めた」6年前にそんな言葉を聞いた様な記憶があります。ちなみに7月1日から長男は転勤辞令が出て京都勤務になったそうです。

竹に短冊を下げ、星に願いをかけた思い出は、誰にでもある懐かしい思い出ではないでしょうか。以前は会社でも七夕飾りをしていましたが今は竹を送ってくれる社員も定年退職をしてしまい、いつの間にか消滅してしまいました。旧暦を使っていた時代に設定した7月7日をそのまま現代の暦の日付に移したため、この日は梅雨の最中になり、現実にはめったに星を見ることはできません。七夕でせっかく星に寄せようとした関心を、その夜に裏切られてしまうのは残念なことです。(今年はどうかな??)

お天気ならば、天の川に隔てられた牽牛星、織女星を探しながら星空を仰ぎ1年に1度の逢瀬物語を語りたいですね。そんなメルヘンだ〜い〜す〜き!四貫島商店街のアーケードに大きな笹飾りが飾ってあります。7月13日のパッキング講習の時もまだあるかと思いますので見てやって下さい「心の病気が治ります様に」「おいしゃさんになれますように」「サッカー選手になれますように」「ケーキ屋さんになりたい」「ケータイをかってほしい」など子供達の願い事を書いています。その中でも「心の病気」にはドキッとさせられました。

天の川に隔てられている織女星と牽牛星が1年に1回だけ会うことができるという伝説は、ロマンチックで人の心をひきつけます。しかし、そのために、国立天文台には「牽牛と織女が近付くのは何時ころですか、ぜひ見たいのです」といった問い合わせがよくあるそうです。そのたびに担当者は「この話は伝説であり、実際に二つの星が近付くのではありません」と説明しなければならないそうです。

私の子供時代はたしか8月が七夕でした。庭先に大きな竹を2本立て、その年に採れた「とうもろこし、キューリ、ナスビ」などを2本の竹の間の縄に吊し豊作を祝います。父親がナスビで馬か牛か作ってくれ「お父ちゃんすご〜い」と関心したことがあります。物語から想像してあれは「牛」だった様です。孫達は保育所で七夕飾りを楽しむため婆ちゃんの出番はなさそうです。




[1573] 【1586回 白山トレーニング終了〜】 2008-07-07 (Mon)

今日は、白山登山トレーニングの4回目です。これでいよいよ本番の「白山」が目前となりました。土曜日は19度の世界で「さぶ〜さぶ〜」と叫んでいましたのに今日はうってかわって猛暑です。滝登りどころか滝の汗。

阪急中山寺駅に着くとOAさんが「上でみんな待ってまっせ」と誘導をしてくれていました。駅前の小さな隙間でミーティング、今日の先頭はくろねこさん、横川さん、タイムキーパーはもちろん!マーちゃんです。アンカーはジョンリーダー。今日の私は自由に歩いても良いとのことで久しぶりに前の方を歩きます。後ろからサスケ先生が「姫パッキングがうまくなったね」とほめて下さいました。うれしかったです。このコースはくろねこさんの散歩コースらしいですニャン。

40分に5分の間隔で歩いていきます。岩場に照りつける暑さで軽い熱中症状態のため普段よりよけいに水分と塩分の補給が必要です。塩だけを舐めるよりは「えだ豆」「キューリ」などと一緒に休憩毎に食べる方が元気が出そうですよ。一度試してみてください。

中山連山は春の頃に下見で来ていますがこれが同じコースかと思うほどしんどいです。途中で体調不良者1名が出て引き返してもらうことにしました。引率にはお医者様をお願いしましたので安心して我々は予定通り進むことにしました。

ゴルフ場の合間を抜けるように岩場の通過やアツプダウンもあり、かなり距離が長く感じます。40分の後の休憩が待ち遠しくてなりません。それほどに暑いということです。帽子の下から玉のような汗が地面に落ちています。どの仲間の顔もヘトヘトの顔色の様です。

やっとのことで中山最高峰に到着です。先客もいてわずかな隙間を利用して昼食タイムです。しばらくするとガヤガヤと声がします。何事かと振り向くとなんとアドベンチャーさんでした。1時間半遅れの10時30分に山本駅を出発したそうですが若さ故にアッと云う間に追いつかれてしまいました。途中で出会った体調不良者の様子もうかがえて安心し午後からは一緒に歩くことにしました。何せ白山のリーダーさんですからね!頼もしい限りです。お昼の歌は「山のロザリア」「高原列車は行く」と廃線の中尾トンネルの悲しい物語を皆様にご紹介しました。トンネルウオークをするときは尊い命が失われたということを知って歩いてほしいと思います。別のグループのおばさん達もコーラスに参加してくれました。山ではみんな友達なんですね。

午後からは一度、車道に出て再び急な坂道を上ります。車のスピードがかなり出ていてここでもOAさんが誘導してくれました。あっそうそう白山行きの寸志まで頂きました。ありがとうございました。ここから大峰山にむけていきます。風もありません。まるで「白山に行くならこれくらい頑張らんといかんぞ」と自然界にためされているような気もします。桜の園付近で(15時41分)メールが鳴り「元気になり今ビールを飲んでいます〜!」と書いてありましたのですぐ電話をかけると元気な声でしたので安心しました。

桜の園から旧福知山線廃線跡のトンネルを2ケ所通過し武田尾駅の手前のトイレの横の広場でゴールとしました。パッキング講習に参加できない人もいますので行動食のことやら荷詰めのことやら話して解散としました。私はここでまたまたパンツからブラジャーからすべて着替え(パンツはお漏らしをした様に汗で濡れていました)スッキリしたところで「ビール」ののれんが目に入りしかも「阪神タイガースが勝ったのでジョッキー300円」の看板に惚れて店の中へ入りました。入り口には先に帰ったはずの、やまたび倶楽部の皆さんが店の外でジョッキーを傾けていました。300円のビールとおつまみと何故かぜんざいまで頼んでほろ酔い加減で電車にノリ、アドヘンチャーさんと宝塚で別れあとは意識がありません。靖子ちゃんに「海老江ですよ〜」と起こしてもらわなければきっと終点まで行ってたと思います。靖子ちゃん起きててくれてありがとう!ほんま助かりました。

昨日は沢の中でヘロヘロ、今日は山の中でヘロヘロ。しかし平均年齢60歳は元気です!あとは白山で天気に恵まれることを願っています!「あまりトレーニングに参加できていないから・・・」とよし枝ちゃんから謙虚なお言葉を頂きましたが回数ではありません。白山に行きたいという前向きな気持ちが登山成功につながるのです。自信をもって楽しくいきましょうね。


[1572] 【1585回 60歳の初体験・・でも・・ヘロヘロ】 2008-07-05 (Sat)

プライベートで「沢登り」にでかけました。先週行ったリトル比良の「ガリバー村」から沢に入ります。大阪の温度は33度と聞きました。沢の中は19度と寒さを感じるくらいです。装備は岩登りとさほどかわりませんが靴だけは「沢登り用靴」を用意しなければなりません。しかし野のものとも山のものともわかりませんので、私だけ自宅にある地下足袋とわら草履という出で立ちで沢の中にはいることにしました。昔はこのスタイルが主流だったそうですが今は時代が進み沢靴なるものが流行しているようです。

「まず水の温度に慣れろ」そう言われてもなかなか足元を濡らす気にはなれません。やっとの思いでそーっと水の中に入ります。「キャー冷た〜」水温19度ですから当たり前です。芦屋の地獄谷に水量が多く流れている程度と聞いていましたが、何の何の滝登りはあるし滝壺では胸まで浸かる場面も出てくる始末です。

不思議なことに水になれると大して寒さは感じなくなりました。凍らしたお茶よりも温かいお茶が欲しかったと後悔をしながら、様々な滝を登っていきます。途中で滝の写真を撮影中の芸術家もどきに出会ったくらいでロッククライミングの岩場の様な混雑はありません。

「エーッ!?ここを登るの〜出来ません!登れません!」と言ってはみても途中でやめて迂回する道はなく、ただひたすら滝登りをするしかありません。「魚止めの滝」で岩を取り巻きながら滝壺を泳ぎ岩にとりつきます。ロツククライミングを習得していたからこそ出来る技だと思います。「太陽が恋しいよ〜」と温もりを求めますが水温19度、外気温22度なので寒くなってきました。ここで昼食タイムとなりました。

午後からはカミナリがゴロゴロと不気味な音をさせていましたが、ひたすら滝登りや水中ウオークをしてゴールの丸太橋まですすみます。登り始めが午前9時、ゴールが午後4時ですから、述べ8時間も水に浸かっていたことになります。手袋をはずすとふやけてシワだらけになっていました。勿論足も同じ状態です。8時間かけての登った道を、たったの1時間で降りてきました。寒く冷えた身体を温泉に浸かり帰ってきました。

初めての事をするには勇気がいります。しかし背中を押してもらえればチャンスは逃がさないで挑戦したいと思っています。もっと暑くてたまらない時期に、滝泳ぎが快適な頃にまた行きたいと思っています。

大阪近辺でこんなにも美しい滝があることに感動を覚えました。日本百選には選ばれていないかもしれませんが60歳の感動をプレゼントしてくれた比良山系の滝に感謝しています。


[1571] 【1584回 初めての体験って?】 2008-07-04 (Fri)

人間この世に産まれてから初めての体験って何回あるのかと考えてみました。
@産声をあげてこの世に誕生
A食い初め。初歩き
B小学、中学、高校、大学入学
C結婚&shoya
D就職 「この間に初ゴルフ、初山登り、初○○と多趣味の部類を深めて行く」

と何かと「初」が多いと思います。子育て時代はお金にも時間にも余裕がなくて還暦を迎える頃になってやっと時間と少しばかりのお金の余裕ができて、さて何をしようかと考えた時「一人では何もはじめられない」ことに気が付くのは私だけでしょうか。ゴルフにしても相手がいるし(一人でも出来るのかなぁ未知の世界だからわかりません)ウオークとて一人で歩くより多くの仲間と歩く方が愉快だから○○歩け歩け協会なるものが全国に存在するのだと思います。登山も一人では危険が伴うけれども気の合う仲間達と行くと安全で楽しいと思うに違いありません。

ならばロッククライミングはどうでしょうか?
地獄谷で出会った我が社の川内さんではなく、地獄谷で初めて出会った「かわうちさん」は、いつもクライミングをしたいと思っていてもチャンスがなかったと我々のクライミングを羨ましげに眺めておられました。やまたびの仲間達の中には「この年になって岩登りをするなんて」と驚いているかもしれませんがご家族の方がもっと驚いているのかも知れません。「おかん狂ったかな?」なんてね。私は息子達には常々両親の納得の上で何事も挑戦している事で、万が一事故に遭ったとしても所属団体やリーダーに責任追及はしてはならないと話しをしています。理解しているかどうかは別としてPL法には遵守していると思います。

ロッククライミングも事故のないように二重、三重の安全策を取りながら実施をしています。それでもケガをするときは慣れてきたが故の気のゆるみ、防ぐことの出来ない岩の突然の崩落などがあるかも知れません。しかし岩場だけでなく歩いていても車に乗っていても、会社の机に座っていても防ぐことの出来ない突然の出来事はあります。この前ポチがリトル比良からの帰りに家の鍵を無くしました。家の前で「アレッアレッ」ばかり言い、どこを探しても鍵が見あたりません。天然ポッチーのためにこんな事もあろうかと某場所に予備キーを隠していたのでとりあえず家には入りました。大事な鍵を大事に扱わないからだと小言を言うと「お前が小さなバックにしろと言わなければこんなことにはならなかった」といいます。御着集合のトレーニングの時にウエストポーチも体力消耗になる。歩き始めたらリュックに入れるか小さなバックにするようにジョンと二人して確かに言いました。しかし鍵を失ったこととは全然関係のない事だと思います。責任転嫁もいいとこです。

家族に理解をしてもらっている様であっても、どこでどう豹変するかわかりません。日頃から家族とコミュニケーションを密にして頂いて「自己責任においての行動」であるということを常に確認しておく必要があるように思います。私はこのサイトを通じて息子達に「母の青春は今だ」「父は今、命耐えたとしても後悔はせず満足であった」ということを書き残しておきたいと思います。

(まとめ)
何かを始める時、少しでも「やってみたい」と思ったら躊躇せず体験して、それから決めてはどうでしょうかと言うことを言いたかったんですが伝わりましたかしら?


[1570] 【1583回 暑い、とにかく暑い】 2008-07-03 (Thu)

3日午前10時を過ぎた当たりからグ〜ンと外気温が上がり目の前がクラクラします。朝10時だと言うのに30度は越えていそうです。これが某月某日のクライミングの日だったら、多分岩場に取り付く前にダウンしていたと思います。岩は太陽で灼けヘルメットの下から流れる汗を想像すると某月某日は、川の流れとほどよい風が吹き、日陰もあり暑さを感じることはなく絶好のクライミング日和でした。ただ岩場のてっぺんに鎮座するリーダーは「暑い〜!登ってくる時、水を持ってきてくれ〜!」と叫びペツトボトルをズボンポケットに入れた靖ちゃんがズボンから伝わる冷凍水に「お〜冷た〜」と声をあげながらリーダーに無事配達完了。次は姫がペットボトルをシュリンゲに巻き付け背中に背負い登って行きました。岩場の上と下では温度差がかなり有ったようです。(冬場の岩場は、これがまたさぶいのよ〜クライミングの順番待ちの寒さに耐えるためにダウン買ったんだから〜)

午前10時からの「社会を明るくする運動」は今年で58回を迎えました。区長の挨拶で「活動中に日射病で倒れないように」と挨拶をされておられましたが今日の暑さを物語っているようです。30分ほどの活動時間ではありましたが衣服からはみ出している「首、腕、顔」は軽い火傷状態です(オーバーではありません)「社会を明るくする運動」とは社会には様々なきっかけで立ち直ることの出来た人が沢山暮らしています。私達の暮らす地域から犯罪や非行をなくすために、普段の生活の中で、できることを探してみよう、地域の人との絆を強くしようと国とボランティアが力を合わせ犯罪や非行を予防し過ちを犯した人の立ち直りを地域社会の中で助けていく運動なのです。立ち直ろうとする石を受け入れ、過ちを繰り返さないようにサポートするための運動なんです。更正への希望は地域の皆様の「おかえり」から始まるとも言われています。

新聞やテレビで事件が報道されない日はありません。先日電車の中で通学途中の女子学生が4人掛けの椅子に2人で足を広げて座っていました。それを遠巻きにするように言葉を掛ける大人もいませんし見て見ぬふりです(この頃は、うかつに声をかけると刺される恐れもありますよね)私は彼女たちの前に立って「座りたいんだけどそっちへ寄ってほしい」旨を伝えました。「アッ!」そんな返事と同時に席をきちんと座り直してくれました。このまま黙っていたら同じ事が繰り返されるに違い有りません。また近くのジャスコの広場でふざけているのか集団暴行をしているのか判断がむずかしい男の子達がいました。「ちょっと〜ちょっと〜遊んでるの〜?いじめてるの?どっち?」と声をかけると蜘蛛の巣を散らしたように散らばって消えました。地域の人達も「見て見ぬふり」が犯罪を大きくすることもあるという事を知ってほしいです。自分の身の危険を感じるほどではなくて近所のおばさん的声かけは皆様の協力が必要だと思っています。


[1569] 【1582回 救急車をタクシー代わり】 2008-07-01 (Tue)

実際にあったあきれた話しです。
@救急車が好きだから出動要請をした
A救急車の要請があり現場にいくと青年が立っており「俺のギターを聞いてくれ」と言う
B土日祭日の診察可能な耳鼻科の問い合わせが多い
C救急車の要請で出動したら玄関先に妊婦が立っていて入院の荷物をもち「病院までお願いします」と言った
D靴摺れ、ひやけ、入浴中に耳に水が入って眠れない。
もっとひどいのはペットが心肺停止した。ペットも家族の一員なので救急車を呼ぶという人が380人中49人もいたそうです。さらに救急車を要請したら消防自動車が先に到着してあとから救急車がくるというケースもあるそうです。札幌や鹿児島などは救急車が出てしまいやむなく消防自動車を出動させたという事例もあるそうです。これは早急に条例をつくる必要があり本当に必要な人が利用できない状態が頻繁に起こっているのです。イタズラで119番をすれば30万円の罰金となります。

7月13日に救命救急の話しもすることになりました。期限の切れる寸前の方は受講できますので「受講カード」を当日ご持参下さい。来年は時間をじっくりかけて(約3時間)私達が消防署へ出向いて行って受講してはどうかと考えています。

●救命救急
●発熱したとき
●けいれんが起こったとき
●呼吸困難なとき
●胸痛が起こったとき
●腹痛が起こったとき
●やけど
●ケガ    
などについて山中で起こりうる症状についてみんなで考えてみたいと思っています。


[1568] 【1581回 夏祭り到来!】 2008-07-01 (Tue)

夏祭りのトップをきって6月30日「愛染まつり」がはじまりました。あ〜あ夏なんだなぁ、そして住吉大社の祭りが夏の終わりを告げるとともに秋の訪れを知らせてくれる。

大阪三大夏祭りのひとつ、愛敬・人気・縁結びの神、愛染さん(勝鬘院)の夏祭り。紅白の布と愛染かつらの花などの造花で飾った宝恵駕籠(ほえかご)に、浴衣姿の愛染娘たちを乗せて、「愛染さんじゃ〜!ホ・エ・カッ・ゴ〜!」の掛け声とともに谷町筋を練り歩く宝恵かパレードが人気。


●愛染まつりに関する7つのお話いくつ知ってましたか?

@日本最古の夏祭、593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りとして知られています。一般に6月30日の「夏越しの大祭」以降に行われるお祭りを夏祭りと呼んでいます。

A大阪3大夏祭り (なにわさんだいなつまつり)
住吉大社、天神祭に並び、大阪三大夏祭りの一つとして、古くから親しまれています。
 
B「あいすみません」 昔から、関西の夏祭りは、「愛染まつり」に始まって、いくつもの祭が行われ、住吉大社で締めくくると言われています。これを「あい(愛)すみ(住)ません」と語呂合わせして覚えます。

C夏越しの大祭 (なごしのたいさい)
夏に向けて疫病が流行るということで、昔の人は6月30日に夏に負けないように(病気にかからないように)と願いを込めて、「夏越(なご)しのお祓(はら)い」を行い、その風習を現在まで受け継いでいるのが、「愛染まつり」なのです。

D毎年6月30日には、総本山四天王寺の高徳僧侶の皆さんが大集結し、重要文化財の多宝塔にて法要を行います。

E浴衣祭 (ゆかたまつり)
「愛染まつり」は、関西で一番最初に浴衣を着る夏祭りとして知られています。 

F宝恵駕籠 (ほえかご)
宝恵かごの名前の由来は、江戸時代の年号「宝永(ほうえい)」です。「愛染まつり」の一大イベントともなっている宝恵かごパレードは、この宝永年間に芸妓(芸者さん)が駕籠に乗って愛染堂にお参りに来ていたのを再現しています。
十数年前までは愛染娘ではなく、実際に北新地や今里の芸者さん達が宝恵かごに乗ってパレードしていました。

★★かけ声は「愛染さんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪
べっぴんさんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪ 商売繁盛、ほぉ・えっ・かぁ〜・ごっ♪

この掛け声は平成13年より、
「21世紀に残したい大阪の音風景」に選定されてます。     


[1567] 【1580回 白山トレーニング第3回終わったよ】 2008-06-29 (Sun)

「高っかいなあ〜電車賃!」そのU

「リトル比良」和洋折衷の地名に何となくユーモアを感じます。7時45分の列車に乗り込み近江高島駅へと向かいます。途中の車窓から琵琶湖を見ながら霞のかかった山へ自然と目がいきます。「今日は途中で降られるなぁ」そんな予感のする空でした。近江高島駅で出発前のミーティング(地図を忘れてごめんなさい。オリオンさん地図のフォローありがとう)各自でストレッチを済ませ、9時15分(予定9時00分)いざ出発です。町中を通り抜けると「リトル比良」の道しるべがありました。音羽登山口9時35分(予定9時20分)突然白い大きな岩山に出くわします。白坂という看板を目にしました10時10分(予定9時50分)の通過です。岳山からオーム岩に到着です。12時00分(予定11時40分)丁度オーム岩の上で昼食タイムとなりました。風がありませんが照りつける太陽はどこかに雲隠れし代わりに雨雲がポツリポツリと雨粒を落とし始めました。「やばいぞ」朝のいや〜な感が当たりお昼の歌もそこそこに12時30分には出発することとなりました。

今日は40分歩いて5分休憩です。タイムキーパーはヒロリン。トップはサスケ先生、アンカーはひろこちゃんです。

岩阿砂利山686.4メートルここの通過が13時30分(予定13時15分)朝の出発の遅れをずーっとひきづっている様ですが足並みはみんな揃っています。トレーニングの成果がボチボチ出始めているのでしょうか。いい感じです。寒風峠15時05分(予定14時15分)ここら当たりで雨足が強くなったため合羽を装着することにしました。いかに短時間で濡れずに済むか実践した気がします。ここで40分の遅れとなりました。

涼峠15時35分(予定14時45分)、滝見台16時00分(予定15時20分)ゴールの北小松駅には16時40分(予定16時20分)到着となり予定時間よりわずか20分おくれでした。崩落した石橋で現地講習があると聞いていたので楽しみにしていたのですが雨のためか通過。すでに到着した人達は駅構内で着替えが始まっており私も前回の教訓を生かしパンツにブラジャーと全て着替えてスッキリしました。列車の中はみんな座席に座れた様子です。登山のあとの列車は特急か急行か快速かではなく「座れるかどうか」で判断したいと思っています

★今回の課題は「みんなの広場」に書きました。皆様のご意見を聞かせてください。


[1566] 【1579回 琵琶湖哀歌】 2008-06-26 (Thu)

あれは太平洋戦争へ突入する直前の昭和16年4月6日、四校(現在の金沢大学)ボート部が大溝沖で遭難したのです。琵琶湖史上最大の悲劇でした。四校ボート部は全国大会制覇を目指し、練習に明け暮れる毎日でした。合宿最後の仕上げは4月4日からの琵琶湖周航だったのです。石山をスタートしたボート部員達は、夕方今津港にオールをあげました。翌5日は休養、そして悲劇の訪れる6日の早朝、四校ボート部は死への旅立ちをしていったのです。朝方は比較的穏やかでした。しかし今津港の漁師達は後に、しけることを予期してか出発を延期するように説得したのだそうです。それにもかかわらず彼らはそれを振り切って漕ぎ出して行ったのです。

琵琶湖の恐ろしさが彼らにはわからなかったのでしょうか。そして彼らは突然襲ってきた吹雪混じりのしけで、湖中に呑まれてしまったのです。おりしも※比良八荒の荒れじまいの時期だったのです。後にこの悲劇を哀れんで「琵琶湖哀歌」がつくられたと言われています

※ 比良八荒とは
比良おろしは、滋賀県の比良山地東麓に吹く局地風。毎年3月26日に行われる天台宗の行事「比良八講」の前後に吹くものを比良八講荒れじまい、または比良八荒と呼び、本格的な春の訪れを告げる風とされています。

「琵琶湖哀歌のうた」
遠くかすむは 彦根城 波に暮れゆく 竹生島
三井の晩鐘 音絶えて なにすすり泣く 浜千鳥

瀬田の唐橋 漕ぎぬけて 夕陽の湖に 出で行きし
雄々しき姿よ 今いずこ ああ青春の 唄のこえ

比良の白雪 溶けるとも 風まだ寒き 志賀の浦
オールそろえて さらばぞと しぶきに消えし 若人よ

君は湖の子 かねてより 覚悟は胸の 波まくら
小松ケ原の 紅椿 御霊を守れ 湖の上

漕艇部の部員11人の悲惨な遭難事故を悼んで作られた歌であります。リトル比良へのトレーニングの時に哀悼の意を表してみんなで歌いたいと思っています。ちなみに「琵琶湖周航の歌」も用意しました。混乱しないでね(私が一番危ないかな)雨が降っても歌うよ



[1565] 【1578回 りゅうきゅうの酢の物】 2008-06-25 (Wed)

ブログで写真を紹介したこともあると思いますが高知特産物である通称ハス「りゅうきゅう」をジョンと里香ちゃんを迎えて酢の物にするために丸坊主にしました。食感は「合格」と判定していただきましたが翌日、勤務から帰ると近所のおばさん達で井戸端会議が開催されていました。どうも私の帰りを待っていた様子です。「何かあったの?」と尋ねると「大変やわ〜見て!この葉っぱ、昨日までイキイキと大きくなっていたのに誰かに切られてるよっ!」「誰〜こんなんするの〜ナスビも減ってるし〜」思わずプッと吹き出しました。「あっごめんごめん心配させて。あれね昨夜酢の物にして食べたの。ナスビも3個収穫して漬け物にしたの。犯人は私です」な〜んや!と言うことになり解散しましたが近所のおばさん達との日頃のコミュニケーションも出来ていて、留守中の出来事を知らせて頂いてありがたいと思っています。

ハスの話に戻ります。以前「やまたび倶楽部」で四万十へ行った際に途中の道の駅「かわうそ市」でハスを百円で売ってたの覚えていますか。ズイキは茎が赤いけれどハスの茎は青く土佐ではどこの家の自宅でも庭先に植えて、酢の物、煮物、みそ汁などに使用します。突然訪問すると「何ちゃあないけんどハスの酢の物でも」とチリメンジャコと混ぜて食卓に出てきます。食べ方は皮を剥き笹掻きにして塩もみし水にさらします。あとはキュウリと同じ料理方法でタコでもジャコでも何でも合うと思いますが私は「鯖のみそ煮」の缶詰を利用します。一度ためしてください。キューリとは違った食感です。都会では刺身の剣に出ることもありますがスーパーではあまり出回っておりません。大阪千里に土佐市場があると聞きましたので探して訪れるとハスもあるかも知れませんね。

子供の頃の食生活は「買う」のではなくて「自分で作る、探す」だった様に思います。牛肉の偽造、残り物の再利用と一体何を信用して食べたらええねんという時代になっていますが冷蔵庫のない時代、自分の目と鼻と口で確認して賞味期限も消費期限も関係のない世界で育ちました。にわとりの卵に糞が付いていても「汚い」と思ったことはありません。産み立てだから糞も付くんや、それほどに新鮮なんやと変に納得したものです。

フキもイタドリも生きている状態で自分が採取するのですから「新鮮」です。カボチャも今はニュージランド産が多い中、自分の家で種を蒔き、育て、食することのできたことが今は宝物のように思えます。「おい美智子!いくぞっ!」父親が生きていた時はうなぎ漁や手長海老漁の仕掛けによく小舟に乗って連れて行ってもらいました。ある時山へ行こうということになり(登山ではありません。山芋堀りです)山芋を掘るのに時間がかかりすぎて「なぁお父ちゃんまだかーっまだかーっ」と言うと「美智子はねばりのない子じゃけん山芋食うてねばり強くなれっ!」と言われ、やっと収穫の出来た山芋をすり鉢ですり、干した鮎を混ぜ、汁をいれながらトロロ汁を作ります。私の役目はすりこぎ棒を廻す係です。完成したら麦ご飯にかけて食べました。私はこのヌルヌルの食感が嫌いでしたが目を閉じて一気に流し込みました。「これを食べたら粘り強くなるんやて」

60歳になったいま成果がでているのやらどうや・・・・・


[1564] 【1577回 夢に出た尉と姥】 2008-06-23 (Mon)

日曜日ベットの上でゴロゴロとしていたためか寝付きが悪く、珍しく夢を見ました。その夢は土曜日に宝殿駅で見た「尉と姥」の夢だったのです。おだやかな顔つきで私達を迎えてくれたのです。(見てない人がいたら怒っこるで〜)「尉と姥」について調べて見ました。宝殿駅以外でも高砂市の公共施設のいたるところで素材の異なる「尉と姥」に出会えると思います。

●「お前百まで わしゃ九十九まで」で知られる尉と姥は兵庫県高砂市が発祥の地です。尉の持つ熊手(九十九まで)は、福の象徴である松葉をかき集める道具として、縁起物にはなくてはならないモノであるし、姥の持つ箒(掃くハク=百)は、清める意味と厄を払う呪術的意味があり、厄を払い福を招き寄せる事を表し、和合長寿を祈っているのだそうです。 相生の松は、縁結びの象徴で高砂神社にあるそうです。相生松は、根は一つなのですが、幹が雌雄二つに分かれている珍しい松で、一つの幹は海辺に生える『黒松』、もう片方は山に生える『赤松』で種類も違うし、植生地も違います。生まれた環境などは関係なく縁のある人との『出会い』を表しているのだそうです。松の様子を『相(あい)ともに生まれ、生きて老いるまで』と表したことから『相生松』と名づけられたそうです。松葉は枯れて落ちても離れないため、境内に落ちている松葉を持ち帰ると、縁結びのご利益があるとされています。

ここからはサスケ先生の、お能の世界。白山のバスの中でぜひ続きをお願いします。

●世阿弥作の能。住吉(すみのえ)の松と高砂の松が夫婦であるという伝説を素材とし、常盤の松に象徴される国と民の繁栄、天下泰平を主題とする。肥後の国の神主、友成は京に上る途中播磨の国、高砂の浦に立ち寄り、そこで熊手を持った尉(じょう=老爺)と杉箒(すぎぼうき)を持った姥(うば=老女)に出会いました。

友成が、尉と姥に「高砂と住の江(住吉)の松は離れた場所に植わっているのになぜ相生の松というのか」と尋ねると、「尉は住吉の住人、姥は高砂の住人である。遠く離れて住むとも夫婦の心は通い合う。非情の松にさえ相生の名はある。まして人間の夫婦においても松と共に相生の夫婦となるものである」と答えました。友成に促され、尉と姥は相生の松、高砂の松にまつわる物語、松のめでたさを語り、御代の栄えをたたえる。

やがて、尉と姥は自分たちは高砂・住の江の松の精が夫婦となって現れたのだと告げ、友成は二人に誘われ、舟で住吉へと向かう。「高砂や この浦船に帆をあげて この浦船に帆をあげて 月諸共に出で汐(しお)の 波の淡路の島陰や 遠く鳴尾の沖すぎて はや住の江に着きにけり はや住の江に着きにけり」



[1563] 【1576回 昨日のトレーニングが雨だったらゾッ】 2008-06-22 (Sun)

土曜日「ゴールまで雨は大丈夫!」と根拠はないけど願い事としてみなさんに伝えました。あと少しでゴールの宝殿駅という手前で頭にポツリと雨粒が落ちてきました。みなさんが自動販売機に群がっていたときでした。「ヤバッ!雨や!あと少しなのに急ごう!」ポチに曲がり角に立ってもらって自動販売機グループの誘導を依頼しました。先頭グループは駅に急ぎました。結果的にはポツポツと2〜3粒程度で雨に遭わずに帰宅するまでは雨には遭わずでしたが、今朝の雨は半端の量ではありませんでした。午前2時過ぎに雨の音で目が覚めて今日がトレーニングの日だったらと思うとゾッとしたり昨日で良かったと胸をなで下ろしたりしています。

「雨もまた自然。山行には突然降る雨もあるのでそれも訓練」とは言いますが、降らぬにこしたことはありません。昨日のコースは特に岩場歩きが多かったのでコース変更も余儀なくされたと思います。今日の雨は心穏やかに「よく降るねぇ」で済ますことができ一歩も外出せず休養をとることができました。サンルームには昨日の洗濯物が所狭しと干してあります。

昨日ゴールして着替えようかと思いつつもブラジャーを持参していないことに気が付きました。勿論ブラジャーからグッショリ濡れていますので着替えるのであれば全部着替えたいのです。男性は「尉と姥」の碑の前で裸体をさらけ出しています。女性はトイレで着替えた様子です。皆さんブラジャーも取り替えたのでしょうか。準備がいいですねぇ。

大阪行きの電車が入り全員座って帰ることができました。電車の中で「着替えたいなあ」と言うことになりブラジャーの取り替えがないことを話すと「ノーブラ」を提案されました。そうやなぁ。その手があるわなぁ。ということでオリオンさんが通路を挟んで隣の席に座って居ましたが、手早く着替えました。オリオンさん気が付いていましたか?28日の着替えはパンツからブラジャーから一式いれて行きま〜す。絞れば汗がしたたり落ちるほどの汗でしたが速乾性の衣服につき、さほど気にならずにいましたが、さすが汗くさい匂いでみなさんに迷惑かけちゃいけないと思い電車の中で着替えました(ノーブラの方が迷惑じゃ〜)


[1562] 【1575回 白山トレーニング第2回終わったよ】】 2008-06-22 (Sun)

「高っかいなあ〜電車賃!」

JR御着駅集合のため大阪駅で切符を買うことにしました帰りの宝殿から大阪までもついでに買い求めました「2720円です」「えっ?」思わず聞き返しました。「お一人様2720円でございます」今度はハッキリ聞こえました。聞こえなかったための「えっ?」ではなく高額のため確認の「エッ?」だったんですが駅員に値切れるわけもなく素直に支払い「姫路行き」の列車の人となりました。途中で仲間にメールをすると同じ列車に乗っているということで乗換駅の加古川で「やぁ、やぁ、やぁ」とご挨拶をすませました。

御着駅に着くとすでに到着していた仲間もいました。広場を利用して朝の挨拶とストレツチとコース説明です。出発時間は午前9時10分です。しばらく車道を歩き続けます。お天気ですか?勿論ゴールするまでは降りません。そう言い切ってしまいましたが空は鉛色で、既にスパッツや合羽のズボンを装着している人もいます。今日のコースは雨が降ると岩場が多いため滑る危険性98%あります。スタート時は何とか降らずに深志野登山口に入りました。50分進んで10分休憩です。山神社岩場にさしかかると「キャーこわい」と声が聞こえましたが決して怖いのではなくてウオークではあり得ない岩場を楽しんでいる弾んだ声でした。さすがロッククライミング体験講習の効果は出ている様子です。桶居山をすぎたあたりで射的場からの不気味な音が聞こえてきます。飛んでこない事はわかっていても早く通過したい気持ちで足は自然と速くなりました。50分を過ぎたところで水分補給と雨具の装着をしている人には脱いでもらいました。湿度100%で立っているだけでも帽子の隙間から汗がにじみ出て地面にポタポタと落ちています。太陽は、ときおり薄日がさすくらいですがかなり暑いです。山行の半袖は危険のため長袖を着用していますが暑さには勝てず腕まくりしている人も見受けられます。私は毛虫対策でしっかりと長袖、手袋をしています。

鷹の巣山を過ぎ順調に列は続いていますが空腹のため少し馬力が落ちてきました。リーダーはもう少し先に進みたい様子でしたが「この辺りで昼食を取らないとバテます」と連絡をし、岩場を腰掛けにめいめいにお弁当を広げます。冷蔵庫に用意をしていたお茶漬け用の漬け物を忘れ、シャケと梅干しだけの品祖な弁当となりました。ゴメン。我々の行動が見えている様なグットタイミングで、うららちゃんから激励の電話を頂きみなさまに伝言しました。ありがとうございました。

お昼の歌は「山男の歌」「青葉の笛」です。青葉の笛はここ兵庫の歌ですが、知らない人が多く青葉の笛の説明文を裏に添付してあるのでぜひ覚えて下さい。うらがなしい良い歌です。♪いちの谷の〜いくさやぶれ〜打たれし平家の〜公達哀れ〜♪またどこかでチャンスがあれば歌いましょう。今日のワンポイントレッスンは岩場の歩き方と靖子ちやんによる「使わない時のステッキの持ち方」でした。

弁当をたべたおかげで元気回復し足並みもそろい高御位山頂上に立ちました。ここはやまたび倶楽部最初の頃に曽根駅から訪れたことのあるコースです。「出来れば手を使わないで岩場歩きを楽しみましょう」と声をかけると、おっかなびっくりの人は誰もいなくなり背筋を伸ばして上手に岩場を渡り歩くことができるようになりました。お見事!

ここで茂ちゃんが夕方の会議のために別行動をすることとなりました。予定時間より1時間遅れているため会議に間に合わない可能性が出てきたためです。茂ちゃんを見送り、下りのコースを慎重に降りていきます。スッテ〜ンコロリの人も何人か出てきました。疲れが足に出てき始めたのか足を吊らせる人もでてきました。50分進んで7分休憩(午後は遅れているため休憩は7分に変更)をとりながら西山分岐、神吉分岐、北山分岐と通過していきます。「まだ登るんですか〜」目の前に見える山を指さして質問が飛びます。いえいえ、もう下るだけですよ。山を全てクリアして石切場あたりでトップを歩くポチの両足が吊りました。そばにあった石に腰をかけて処置をします。その間もみんな黙々と通過していきます。大丈夫かと声をかける元気も失っている様子です。スプレーを振り付けて何とか復活、みんなの後を追います。15分ほど歩くと駅が見えてきました。宝殿駅です。やっとゴールです。時間は午後5時になってしまいました。駅前に有名な「尉と姥」が建っています。

「尉と姥」について
婚儀の際に同じみ「尉と姥」は高砂市が発祥の地。その昔神社の境内に一夜のうちに1本の根から雄雌の幹が左右に分かれた和生の松が生えその根から尉と姥が現れ『われわれはイザナギイザナミの神である。今よりこの地に神霊を宿し世に夫婦の道を示さん』と告げたことから「縁結び」に夫婦和合の象徴として信仰を集め人々に親しまれるようになったものです。(この写真は姫ブログに掲載しました)

本日の教訓
@水分は500_gのペットボトル3本では不足である
A足吊り予防に塩分はしっかりと補給する
B行動食は水分を含んだもの
●(生のキューリに塩)→口当たりよく塩分補給の一石二丁
●(冷凍チューチュー)→孫が食べるアレアレ
●(プチトマト、プラム)→あっさりしてて食べ心地良し
●(ゼリー類)→疲れてくると口当りと糖分補給に良い
●アミノバイタルを飲む人は昼食後が効果的

他にもあると思いますが行動食は人が食べている時はのぞいて色々研究してみて下さいね(人の分は不要、自分の分だけ持参)水分は冷凍したものも混ぜておくと午後からは溶けて美味しくいただけます。




[1561] 【1574回 10年周年を祝う会】 2008-06-20 (Fri)

今日は私の所属する警察の部会の10周年記念総会の日です。ホテル大阪ベイタワー5階桜の間で総会をし、22階の白雲の間で式典が開催されます。通常総会で利用している会場と違いホテルとなると気の引き締まる思いがします。第2部の懇親会を私が進行係を仰せつかり来賓の紹介、余興、カラオケ、豪華賞品付きのクイズなど盛りだくさんの内容で「きてよかった」そう言ってもらえるようにと工夫をしています。

余興の衣装は「やまたび」で使った衣装すべてを持参します。(笑)。部会長の車で迎えにきてもらって堂々の会場入り(入り口で刀の持ち込みにストップがかかりませんように)となります。サスケ先生の提案する「年に一度のバカ騒ぎパーティ」ではありませんが10周年というお祭りなので少し皆様に羽目をはずしてもらいます。出演者はすでに立候補があり(半強制だけど)バッチリです。誰も引き受けなかったら私がやるしかない!そんな決意で出発します。

カラオケ券を配り、ひとり1枚書いてもらい透明の投票ボックスにいれてもらいます。誰が当たるかはわかりませんが不平の出ないように時間の許す限り歌ってもらいます。私?私は本日の司会進行係ですから出れないでしょ?でもこれがやるんだなぁ。(オッホッホッ)その間は交通課長用に司会進行シナリオ書いているので私の出番だけピンチヒッターしてもらいまっ!本人は会場に到着まで知りませんよ。だからと言って逮捕しないでね。10周年のお祭りだからいいじゃ〜ん。私の歌は「お祭りマンボ」本日のイベントにふさわしいでしょ。せっかく出席したのですから楽しい思いをして帰ってもらいたいのと現役でお手伝いできるのは今回が最後だからね。あとは生涯「名誉顧問」って肩書きもらっちゃったけど企業を去るときは名誉顧問も去るに限ります。「あんた誰?」移動の激しい警察だもん、引き際が大事。クイズの豪華賞品はすべて部会長のポケットマネーから出ています。毎度毎度、自腹を切ってもらって申し訳なく思っていますがプレゼントがあると言うことはうれしいものです。

やまたびのシールも満杯になるとプレゼントが貰えると思うと貼るのも楽しみですものね。やまたびの10周年か〜!2004年平成16年11月にやまたび倶楽部が発足したということはあと6年・・・・・み〜んな古希を迎えて腰も曲げて「ジョンじい〜さんや〜姫ばあさんや〜」となっているのでしょうね。喜寿を迎え、たとえ山に登れなくなったとしても「生きていようね」。生きていれば井戸端会議で茶も飲めるしね。話題は「入れ歯について」サスケ講師出番ですよ〜キャハッハッハッ


[1560] 【1573回 毛虫にやられた〜】 2008-06-19 (Thu)

「毛虫は風に乗って」

何か映画の題名の様ですが直接毛虫に刺されなくても風に乗ってさされることもあるらしいです。その証拠に私の左腕13箇所の噛まれたあとがあります。右手は無惨に赤く腫れています。美馬っちは目と足がえらいことになっていました。私はかゆくなったら「血のにじむまで掻きむしり、最後はバッテン印で終わる」タイプのためひどい手になっています。(たで食う虫も好きずき?)ホワイトフェイスでクライミングにロープにも毛虫が群がっていました。きっとあの中の一匹なんだろうね。

ケムシ(毛虫)は、チョウやガの幼虫のうち、毛やトゲが生えているもの。特にガ類の幼虫で毛が多いものを指す場合が多い。ドクガ科では、目立つ長い毛は無毒であり、有毒な毛は非常に短く、束になっていて、長い毛の合間に規則的に配列している。肉眼では毛が生えているようには見えず、むしろビロード状の斑紋があるように見える。個々の毛もほとんど粉のようにしか見えない。これを毒針毛(どくしんもう)と呼んでいる。毒針毛は抜けやすく、皮膚につくと刺さって皮内で壊れ、内部に封じ込められていたヒスタミンなどを放出するため、長い間かゆみに苛まれる。しゃあからかゆいんやなぁ。氷上の工場では作業中に襟首から入り、ひどく腫れて病院に行ったという話しもあります。

毛虫は見かけが派手で、刺すものもあり、また作物や果樹、庭木を食い荒らすものもあるから、人からの評価は非常によろしくない。葉桜見物では、毛虫がごちそうの上に降ってきたり、目の前に降ってきたりして嫌がられる事がしばしばある。一般になじみがあるのは、庭木の葉を食い荒らす上に毒があるドクガ類、マツカレハなどである。

予防としては半袖を避け(私は長袖でも刺されました)生身をさらさないで歩くことが大切です。あまりひどいときは皮膚科にかかり塗り薬を処方してもらってください。山歩きから帰ったら衣服は下着とは別に洗う方がよいと資料に書いていました。ご参考までに。


[1559] 【1572回 気象病と季節病】 2008-06-19 (Thu)

梅雨のこの時期「だるい。朝起きるとムクんでいる」ことはありませんか?低気圧が近づくと身体にも変化が生じるのだそうです。低気圧になると身体にかかる圧力が減り、細胞がむくみ血行不良になり病気にかかりやすくなったり持病の悪化が目立つのだそうです。ぜんそくの発作が増えるのもこの時期だそうです(ぜんそくの発作って冬だけと違うのですね)ヒスタミンが放出されぜんそく、アトピー、じんま疹が悪化するのだそうです。カビの発生や低気圧の精でアトピーが急激に悪化することも多いそうです。

また「古傷が痛む」のもこの梅雨の時期で、やはり低気圧が原因しているのだと言います。気温の変化も身体に変化をもたらし、昼間暑くて、夜寒い時は自立神経のバランスをくずしてしまいます。何となく身体の調子が悪いのはこの精のようです。

「冬季うつ病」という病気があるそうです。日射量の低下で、脳の中のセロトニンの生産が低下し脳の働きが低下します。そして「うつ病」となるのです。この時期、身体がムクむ人は余分な水分を摂っている可能性があります。余分な塩分、余分な水分はとらないようにしましょう。自立神経を正常にさせるには「入浴」だそうです。お風呂に入って心身ともにリラックスしましょう。季節病としては「プール熱、ヘルパンギーナ、手足口病、食中毒」などがあります。特に食中毒は下痢、嘔吐から来る脱水症状に充分気をつけてください。

低気圧、つまり雨が降ると運動をせず家でゴロゴロすることが多いと思いますが雨の日こそ適度の運動が必要なんです。と言うことはダイトレの雨は理にかなったウオークなんですね。ねこちゃん!雨を嫌わないで来てニャン!

子供の頃「青梅はひとつだけにしとき。2つ食べるとチフスにかかって死ぬ」と母親に言われました。ひとつだけなら大粒な梅をとよ〜く吟味して食べたものです。「2個以上は食べたらいかん」とは言わず「2個食べたら死ぬ」と言われて忠実に言いつけを守りました。今思うとそうでも言わないと何個でも食べてお腹をこわすからだったんですね。しかし今は酸っぱすぎて青梅はかじれません。せいぜい梅酒に浸かった梅ぐらいでしょうか。


[1558] 【1571回 社歴を語る】 2008-06-17 (Tue)

16日に新入社員を2名中途採用し氷上工場より本社にて研修を行いました。その際に会社の歴史を語れということで私がその役目を仰せつかりました。60年の人生のうち39年間をこの会社でお世話になっているのですから語れるだろうと言うことなのでしょうか。せっかく頂いたチャンスですから私が愛した会社を語りました。

まず会社の良さを肌で感じれる様になるには3年かかること。3年かかってどうしても肌に合わぬ時は先輩に相談すること。配置転換等々の道があり退職は最後の手段であること。

設立当初の説明、昭和25年に襲来したジェーン台風が当社に景気高揚の風を運んだこと。テレビ番組のアツプダウンスイズの上昇下降の椅子は当社の製品であったこと。HPM(社マーク)の由来などを熱っぽく語ったつもりです。同席した氷上総務の者が「ボクが入社した時には、こんな良い話をしてもらえなかった」とぼやいていましたが彼に今後入社した者には会社の歴史を語れるように資料を進呈しておきました。よろしく。

質疑応答の時「ボク久田さんを知っています。ウオーキングをされているのですね。ホームページで見ました」との事。アドレスも知らないのにどうして見たのかと訊ねると会社名で検索をすると私のコーナーも出てくるのだそうです。

この会話でこの新入社員との距離が縮まったことは言うまでも有りません。仕事を覚える前に人になれる方がスムーズに仕事が出来ます。コミュニケーション不足が呟かれますが、こんな些細な会話から人間の輪は大きく膨らんでいくのではないでしょうか。


[1557] 【1570回 新聞記者からの電話】 2008-06-16 (Mon)

電話のベルが鳴りました。この頃携帯電話が普及したため家の固定電話は滅多に鳴りませんので何事かと出てみると○△新聞記者からの電話でした。
「おめでとうございます。ぜひご感想を一言!」と迫ります。宝くじも買っていないし殺人犯の通報の百万円も確定していないし何がおめでとうなんやろか?

「あのぉ何がおめでとうなんでしょうか?」
「いえいえ隠さなくてもちゃんと調べてますから」
「ですから何のことかサッパリわかりません」と間違い電話ではないかと聞くと「久田さんですよねっ?!」どうも間違いではなさそうなのです。
「このたびオセロの松嶋尚美さんとご結婚とのこと感想を」
「???????」
「ヒサダトシヒロさんのお家ですよね?」
「違います。うちのヒサダトシノブさんは61歳です」
「失礼しました。間違いました」

そして6月16日の朝刊を見ると「オセロ松嶋さん結婚」と報道されていました。どうでもいい話ですが、あの記者のスクープを我先にしとめたような勢いのよい電話に笑えました。

年寄りの「振り込め詐欺」の手口も「あっおばあちやん(男がでたらおじいちゃん)ボクやけど」と言った途端、「あ〜あ○○ちゃんか?」と孫の名前を口にして相手の思うツボにはまります。昨日の電話も「おめでとうございます」に「ありがとうございます」と反応していたら会話はまだ続いていたと思います。顔の見えない電話では「かかって来た電話は慎重にこちらの情報はたやすく流さない。かけた時は「相手の名前をまず確認する」ことが必要になってくると思います。ときどきメールでも発信者を知っているため受信したものの間違いメールと気付かずチンプンカンプンの時があります。これもまた慎重に!


[1556] 【1569回 行ってきました!白トレ!】 2008-06-14 (Sat)

白トレっちゅうたかて白いトレパンとは違います「白山登山トレーニング縮めて白トレ」です。阪急芦屋川駅にはほとんどの参加者がすでに集合していました。私達3人はJRから移動しますのでギリギリの到着となりました。「おまたせしました」と言いながらまずトイレに駆け込みます。ダイトレで8日に会ったばかりの仲間達と、しのぶちやん、昭ちゃん、よし枝ちゃ夫婦です。残念ながら、うららちゃんとオリオンさんは欠席。おっと〜OAさんもまーちゃんもいなかっったなぁ。

朝の挨拶をすませ本日のコースは混雑が予想されるために2班に分けることにしました。先頭はサスケ先生、2班の先頭はポチにと指名がありましたが1班と2班の間を常に5メートル間隔をおくことがむずかしいため(すぐ前に詰めるクセが車の運転であるため)2班の先頭は姫が、タイムキーパーはきくちゃん、アンカーは美馬っち。

オリオンさんが準備体操の大切さを教えてくれたので、それぞれが足を中心にストレツチをすませ高座の滝まで進みました。もう汗はしっかりとかいています。お地蔵様に「行ってきます」と挨拶をすませ堰堤で小休止となりました。堰堤に着くまえにポチが胸に入れていたペットボトルを落としてしまいました。それを拾うために上から下に向けて手を伸ばしていましたが危険きわまりない行為です。落とし物をう拾う時は下にまわって取ってください。リュックの重さに降られて人間が落下することもあります。九州の阿蘇でジョンがカメラのリュックに降られ、あわや落下寸前を私がくいとめたことがありました。ジョンにとって私は命の恩人ですキャハハハハ

ロックガーデンから第一鉄塔を通り風吹き岩方面の道をいく予定で地図をかきましたが混雑が予想されるためイノシシロードに変更しました。川の流れを聞きながら、ときおり吹いてくるさわやかな風に心地よく足が進みます。50分歩いて7分休憩。このタイムはやまたびで定着した様子です。きくちゃんが「時間です」を告げると広い場所をさがして7分の休憩をとりました。

私はこの休憩で「生のキューリ」をかじり空腹と水分を補います。一度みなさんもためしてください。ゴルフ場の扉あたりにさしかかると他のハイカー達が多くなってきました。しかし我々は2班に分けているため何の問題もなく対向者をかわすことができます。二度目の休憩ではプラムをかじりました。甘酸っぱくて口当たりがよくて元気回復です。あとは一軒茶屋まで頑張って行き、昼食タイムとなります。私はこの一軒茶屋付近がトイレの悪臭が風向きによってどこに腰を下ろしても匂ってくるため、とても嫌いでここで昼食をとることを反対しました。みんなも同じ思いだったのか既にサスケ先生が「下の方に神社跡がある」ということでもう少し下ったところの神社跡で昼食をとることができました。やまたび倶楽部の貸し切りです。

昼食のあとは「荷詰め講習」となりました。リーダーのリュックの中身を全部出して上手な荷物の作り方を勉強しました。それにしても共通の道具の多いこと・・・突然「姫のリュックの中身もあけていいか?」と言うことになり「悪い荷詰め」の見本となりました。パンツもブラジャーも小袋に入れててよかったわ〜

お昼の歌は場違いではありましたが「丘を越えて」「学生時代の喫茶店」青春が同じなのでみんな歌えるでしょと思っていたのですが「姫と私の青春時代はちがうで〜」と若干1名訂正がはいりました。ごめん。

午後からは下りが多くあとは有馬温泉に向けてひたすら忍耐強く歩いていくだけです。有馬のビールが恋しいのか急に早足になった先頭とリーダーに向かって2班全員が「早いぞ〜」と叫びました。この下りを大切にし、きちんと足運びをしないと膝を悪くしてしまいます。だいたい足を痛める時は下りなんです。軌道修正ありがとうございました。

虫地獄を出たところで「ゴール」となりました。なぜなら有馬と聞けば温泉でしょう。日本三名湯を指をくわえて見送るわけにはいきません。私は一人でも入るつもりで着替えを持参していましたが7名の賛同者がいらして「かんぽの宿」に向かいました。他の皆様とはバイバイ!

ところが「かんぽの宿」は7月31日まで工事中で入浴できません。ならばと言うことで「銀の湯」に入ることにしました。受付の後ろの棚に脱衣所の鍵が沢山入っていましたので「よっしゃ〜空いている」と判断し550円支払い、温泉を堪能しました。「気持ちいいですねぇ。やっぱり温泉はいいですね。ところでジョンさん今度の21日は温泉あるのかな?」との質問に「調べておきます」だって。ほんまに調べてや〜。

みなさまお疲れ様でした!!




[1555] 【1568回 リュックの荷物は8キロ】 2008-06-13 (Fri)

「荷物は8キロ!」この頃でかける時には口癖のように自分に言い聞かせ、リュックを背負います。勿論きちんとヘルスメーターで計量します。過日6/8ダイトレ3回目の金剛山頂上の公園で美馬っちに「姫〜この頃やたら重い荷物背負ってるやんか〜!」と言われました。美馬っち!気が付いていてくれたのですね。美馬っちは細い身体に似合わずいつも重い荷物を背負っています。リュックの中には「鍋、釜、米に米穀通帳」の一式が入っていそうな位に重いです。

そうなんです。2泊〜3泊の山行に必要な荷物に耐えられる様トレーニングしているのです。いままでは「より軽く、よりコンパクトに」と工夫をしていたのですが「8キロ」と覚悟を決めてからは荷物の重さが気にならなくなりました。不必要な物は入れていませんが「ゴール後風呂に入るかも知れない」ので着替え一式。無線3個も使っても使わなくてもリュックに入れるようになりました。「重いから」と我慢していたリンゴやキューリなど重い行動食(たいしたことないってか?そんなことあらへんで。この小さな寄せ集めがすぐに1キロになるんやで〜)も、お茶漬け用弁当箱も、せっせとリュックにつめつめしていけるようになりました。美味しいおやつは皆様にもお裾分けしたいのですが「自分の分は自分で」とせっかく行動食の勉強が身に付いたのですから失礼しています。(それでええんやで〜)

ちなみに明日の弁当3個については6月8日に採ったイタドリを炊いて、シシャモを焼いて 白いご飯の上に大きな梅干しを1個乗せて、野沢菜をお茶漬け用に持って行こうと思っています。おやつはリンゴとキューリ、それにゼリーを冷やして行きたいと思います。この頃は甘いおやつよりも水分を含んだ喉の通りの良いおやつが好きです。(弁当3個を私が持つんとちゃうで〜それぞれに持つんやで〜)

まず最初の休憩でキューリを3分の一かじります。その次はリンゴをかじります。次の休憩で冷たいゼリーを食べるとまもなく昼食タイムとなるでしょう。初めの休憩では次のおやつの準備をして、出やすい上蓋に入れ替えています。こうしておくと到着が遅くても充分おやつを楽しむことができます。イタドリ食べたい人はお昼に側に寄ってきてや〜


[1554] 【1567回 子供の防犯対策】 2008-06-13 (Fri)

子供というよりお孫さん達の安全対策としてお考え頂けるとうれしいです。

@自転車の防犯対策で危険なのはどっち
( )防犯登録をする
(○)住所名前を自転車に書く
      ↓
住所名前を明記すると犯人に「どうぞ」と言ってる様なもの

A「知らない人について行ってはいけません」と親が言うのは安全か?
  ●危険です。では知っている人ならついて行ってもいいと子供が判断してしまいます。

B子供に鍵を持たせる場合
●ランドセルの外側につけない。親が留守をしていることを知らせているようなものです。

Cエレベーター内で安全な場所はどこでしょうか
 ( )防犯カメラの下
 (○)行先表示のパネルの下
      ↓
いつ何時でも非常ボタンが押せる様、近くの階に逃げられるようパネル近くに立たせましょう。

Dひとりで帰宅後、玄関先ですることは
 ( )素早く中に入る
 (○)「ただいま」と声をだして入る
      ↓
誰もいなくても、あたかもママがいるようなそぶりをさす

E子供だけの留守番の時電話が鳴ったら
 ( )出させない
 (○)出させる
      ↓
「ママ〜電話だよ」とママがいなくても電話口に聞こえる様に言わせる

F鍵のかけかた
 (○)ドアロックのみ
 ( )ドアロックとチェーンをする
      ↓
犯人が家の中に潜んでいるかもしれないのでチェーンはしない

最近学校の登下校時に子供達を見守っている老人クラブの活躍が目立ちます。私が子育て時代には子供達の間で「おトラばあさん」と言う虎の様に吠えるおばあちゃんがいましたが結構助かっていましたが今は「うちの子に何言うんですか?」って叱られそうですね。


[1553] 【1566回 女子社員とお好み焼き】 2008-06-11 (Wed)

いろいろあってね、じゃあ〜お好み焼きでも行くかということになり10日午後5時のベルを待ちダッシュで帰りました。サスケクリニックを真っ直ぐ梅香町に行く筋にお好み焼き屋があります。四貫島にもテレビでお馴染みの店がありますがジョンさんがお好み焼きを食べた後に腹痛を起こしてからその店には行くことはなくなりました。目的の梅香の店の前までいくとシャッターが降りています。「やっ!休みやんかー」私達と同じようにこの店を訪れた老夫婦も「休みか〜しゃないなあほんなら風○屋にいこか?」「あのぉ私達もその風○屋について行っていいですか」そこは大阪のおばちゃんです。「ついと〜いで」と快く引き受けてくれました。

おばちゃんは自転車。私達は徒歩のため、おばちゃんの自転車のスピードについて行けるはずがありません。そこは大阪のおっちゃんです。曲がり角が来たら手を振って「こっちやで〜」の合図をしてくれます。3回ほど曲がったところで目的地到着です。店の中は満席状態でしたが私達用にテーブルを空けてくれた先客がいて何とか座ることができました。

「とりあえず焼きそば大盛」その後「豚玉焼きとネギ豚焼きと広島焼き」を頼みビールで乾杯をしました。「いろいろあるけど頑張ろう!」そんな決意にも似た乾杯でした。
ひっきりなしにお客の出入りがあり、それもそのはず、どれを食べても美味しいのです。その後も満腹になるどころかまだ入りそうで隣のテーブルを見たら何やら美味そうなメニューが鉄板の上に置かれていました。お店のおばちゃんを呼び「あのぉ隣の人と同じメニューをお願いします」と小声で言うと大きな声で「ソバメシ一丁!」ってカウンターの中に向けて叫びました(そんな大声あげんでも・・・)

もうこれ以上は食べれません状態で店を出て、来た道とは別の場所へ出てしまいました。何のことはありません。千鳥橋駅からまっーすぐ春日出プールの方へ歩いた場所でした。あんなに3回も曲がらんでもシャッターの降りていた店からバックすれば良かったのにと思いましたが「あ〜と〜の〜ま〜つ〜り」。時間はまだ午後6時を過ぎたところでスーパーで買い物を済ませポチの食事の準備にとりかかるのですが、自分が満腹の時はなかなか台所に立つ気がしないのです。サスケ先生のお師匠様のお弟子さんのお話の様に「食事にしますか」「お風呂にしますか」「それともムニャムニャ」

「み〜ん〜な済ましてきた!」って言ってくれないかなぁ。


[1552] 【1565回 崩落されたゲートロック】 2008-06-10 (Tue)

サスケ先生の写真を見て、あの日自分の目で見た現場が再現できました。まだ崩落して時間が経過していないことは石の色からして読みとれました。「恐い!一刻も早くこの場所から立ち去らねば!」そう叫びました。いつも荷物を広げ丸太に腰をかけ弁当をひろげた場所はあとかたもありません。いつ落ちたのだろう?雨の最中なのか?雨の後なのか?雨の後、天気になってからの瞬間の出来事で有れば犠牲者が必ず出たことでしょう。しかし7日のあの状態にもかかわらずロープを張ってクライミングをしていた人がいると言うから驚きと言うかキチガイじみている。正気の沙汰とは思えない。そんな集団に加入していなくて良かったとつくづく思っています。

ゲートロックの上段から「ロープダウン」と叫びロープを投げて、いつもひっかかっていた木も根こそぎ倒れています。大きな岩がゴロゴロと落ちて地獄谷の川の流れでやっと止まっていました。おそろしい光景です。ゲートロックは初体験をするのには絶好の場所だったんですが、しばらくは近寄らない方がいいかと思います。クライミングをする時、いつも気をつけているのは「通過するハイカーの通路を邪魔しない」「岩場から離れた場所に荷物を置く」を心がけています。通路を邪魔しないはマナーの問題で、岩場から離れるのは安全確保のためです。

ロッククライミングを始めた頃、岩場の名前を口にしてもどこがどこだかさっぱり判らず何故看板がないのかと不思議に思っていました。しかし「一流のクライマー達」は看板がなくても岩場を知っていることが誇りだったようです。しかし緊急の時、自分の居場所がわからないと言うこともあるため「看板つけよう」と思い立ちました。私達が付けた『「ゲートロック」山岳救助のための呼称』の看板は無事にあるのでしょうか。この間はあまりの驚きにそこまで確認することができませんでした。あの危険な岩のかたまりは国土交通省あたりが整理してくれるのでしょうか。それともあのままなのでしょうか。気にかかるところです。


[1551] 【1564回 第4回ダイトレに向けて】 2008-06-09 (Mon)

下見をしておきながら、ひょんなことで(ポチの道迷い)第3回のダイトレと第4回のダイトレの接点がなくなってしまいました。帰ってからお灸はすえましたが酔っぱらっていたため効果ないようです。皆様にご負担頂くロープウエイ代の事を考えると心が痛みます。何とか割引はないものかと調べましたが25名以上でないと10%割引の対象となりません。ロープウエイの事務所に電話で問い合わせによるとJAFの割引も無いそうです。あとはよみうりカード(?)が使えますが本人だけだそうです。困ったね・・・

他に何か割引方法があれば教えていただけませんか?(但し歩いて登るはダメ)

せっかく乗るのですからロープウエイ6分間の旅のご案内をさせて頂きます。金剛山ロープウェイは、村営ロープウェイとして昭和41年4月に開通しました。全長1323m、高低差267m、複線交走式普通索道、運転速度は毎秒5mです。標高975mの金剛山駅まで、わずか6分で到着します。 澄んだ空気と四季折々の花々、杉木立など自然がいっぱいです。「ここが大阪?」と思わず言いたくなるほど自然を堪能できます。 ロープウェイからの眺望もまた格別です。我々登山家(笑)はロープウエイを利用することをためらいがちですが、第4回のダイトレにはぜひ金剛山ロープウェイに乗り6分間700円、1分間に直すと117円、1秒で約2円となります。

富田林のバスは〜値段が〜♪耳について鼻歌に出よる〜

4回目の季節は9月で紅葉にも樹氷にも早いしね・・・ごめんね。



[1550] 【1563回 ダイトレ3回目終了】 2008-06-08 (Sun)

ダイトレ「水越峠から千早峠」のコース無事終了しました。天気予報では「雨」そんな天気予報のため自宅から雨具を装着して来た人もいましたが大きく外れて「はれ」ラッキーとしかいいようがありません。「ダイトレはいつも雨」そんな陰の声も聞こえていましたので、とにかく昼迄は降らないでと願っていました。「ダイトレはいつも雨」を吹き飛ばしたよっ!

早朝の富田林駅には眼鏡ライダーさんが「はるかのひまわりの種」を持ってきてくださいました。幼稚園にも植えたい、近所の老人クラブにもと大変人気でした。はるかのひまわりの趣旨を説明して大切に育てて下さることでしよう。ありがとうございました。

そしてもう一人了子ちゃんも還暦の会のお礼ということで、わざわざご挨拶に来てくれました。頂いた飴みんなでおいしく頂きました。ありがとうございました。忠太郎にメールをしたらお仕事だって!

水越峠でミーティングをし今回初登場の政吉っつあんを紹介し、総勢18名で楽しく金剛山めがけてスタートしました。木立の中は、涼しい風が吹き、さわやかな初夏の香りと時折差す日差しが「ゴールまでは雨の心配はいらんで〜」と語りかけてくれているようでまぶしかったです。50分歩いて7分休憩、タイムキーパーのまーちゃんが正確に時間を知らせてくれるので、とても歩きやすかったです。対向者とのすれ違いのマナーもやまたびクラブはバッチリで狭い道でも何の心配もありません。

下見の時は雪に埋もれていた公園の芝生の上で昼食となりました。めいめいが広い公園を自由に昼食をとります。初参加の政吉っつあんが気にかかりそばに呼び寄せて声の届く範囲で楽しく昼食をとりました。売店には「ソフトクリーム」の看板あり。若干1名反応する人あり。

以前は別の集団で人数が多すぎてバラバラのコーラスでしたが今回から場所さえ許すなら「車座」になって歌いたいと思っていました。今日は絶好の場所の様なのでみんなで輪になってさわやかなコーラスができたと大満足しています。そのままの姿勢をキープしてミーティングに入りました。なかなかいい感じでしょ?リーダーさん!今日の様子覚えておいてて下さいね。

午後からのコースはミステイクが発生しダイトレコースではない道を通過してしまいました。次回はロープウエイでつなげたいと思います。ご迷惑をおかけ致しました。言い訳がましいのですがダイトレコースで帰った場合、次回は同じ道を1時間以上も戻ることになります。ロープウエイを利用する方が無駄のない次回へのつなぎになるのではと思ってどうぞお許しを願いたいと思います。

富田林駅で解散後温泉組5名は以前PL花火で通った見覚えのある道を通り温泉に浸かりました。汗だくだったのでとても気持ちよく足腰の痛みも和らぎました。海水の温泉がありアトピーや皮膚の炎症に効果があるそうです。そしてそしてまたまた温泉でサスケ先生のおもしろい話があったそうです。続きは白山のバスの中で披露して頂きましょう。お楽しみに!


[1549] 【1562回 クライミングの体験講習】 2008-06-07 (Sat)

「見学だけでもいいよ」そんなキャッチフレーズで体験者も含めて14名の方がクライミング講習のために集合しました。私達は師匠の家を6時に出発し皆様より一足お先に岩場の確保とロープの準備をするために「ゲートロック」に向かいます。昨日の雨の精か地獄谷の水量は大変多くゴォーゴォーと音を立てて流れていました。夏の暑さには、いかにも涼しげです。

そして、次の瞬間言葉を失いました。目的地の「ゲートロック」入り口が落石で崩壊しているのです。我々3人は真下まで行ってみましたがとても講習の出来る場所ではなく危険を感じるため急遽「ホワイトフェイス」に場所を変更しました。雨で地盤がゆるんでいて、いつまた落石事故が発生するかわかりません。サスケ副師匠に場所を変更したことを電話で告げ電車組にもその事を告げました。

早朝のためホワイトフェイスに人影はありません。すぐロープを張り、クライミングの練習を始めました。皆さんが到着するまでに「勘の鈍り」を取り戻しておかなければと思ったからです。案の定、中間から上の岩場では右足なのか左足なのかパニック症候群にかかり頭打ちをしました。やっとの思いで岩場の頂上に達した頃、サスケ副師匠とうららちゃんが到着しました。岩場全体を使い初心者用と体験者用の2本のロープを垂らします。準備が出来た頃参加者全員集合となりました。

ミーティングで注意事項(体験者のお節介禁止令も含む)を伝え早速岩場にとりつきます。岩場に「恐怖を覚える組」と、「できるかも組」(結果的に男女別になりました)に分かれ体験者がそれぞれにサポートします。「こ〜わ〜い」そうつぶやく初心者の皆様、私達も最初はそうでした。何でしんどい思いをして岩場になんかへばりつくんや?!そう尻込みしたのは初回だけだった様な記憶があります。「右足はここ、違う違うもう少し右」などと初心者が怖がらないようにサポートします。上り下りを3回するうちに最初に怖がっていた人もスーイスイと出来るようになりました。もうみんな汗びっしょりです。身体全体がこんなにも緊張することが遊びの中であるということを体験してもらいました。

少し早めの昼食の間、私はクライミングをさせてもらえることになりました。今日はサポート係なので諦めていたのですが「昼休み」を利用して登らせてもらいます。朝の緊張もほぐれ何とか勘を取り戻すことが出来大好きな懸垂下降で降下終了。午後の講座は「恐怖を覚える組」のメンバーさんも岩場に取り付きました。

「こわい」と感じたのは最初だけであとは楽しみながら登っていく余裕の笑顔が出て来ました。向かい側のロックガーデンを歩くハイカー達が「ヤッホー」「落ちないでね〜」と声を張り上げて応援してくれました。体験者も自分たちの持ち場でお手伝いをし、スムーズに講習が終わりに近づいた頃、初体験のねこちゃんが「もう一度挑戦」と意欲を出して何と何と頂上までクライミングすることができました。おどろき〜です。深っちもこわがりさんではありますが何の何の岩場が恋人の様にスーイスーイです。石さんご夫婦も、松ちゃんご夫婦もオリオンさんも私達が半年かかって成し遂げた技を初回でやってのけました。素晴らしいことです。みなさんのがんばりに脱帽。そして拍手です。

3000メートル級の山々を駆けめぐるとき、必ず難所に遭遇します。そんな時は今日の勇気を思い出して見て下さい。きっと楽しい山行となるでしょう。サポートをして下さった体験者の皆様ごくろうさまでした。私もバタンキューです。

でも楽しかったです。また行きましょうね!


[1548] 【1561回 メタボ〜メタボ】 2008-06-05 (Thu)

最近、メタボメタボって合い言葉の様に耳に入ってくるけど正式には「メタボリックシンドローム」と言います。メタボの境界線はヘソの下(下過ぎないでね)サイズ女性90センチ、男性85センチといわれています。少し厳しいんじゃないのと言う声もあがってはいます。紳士服業界で男性のウエスト85センチのズボンが飛ぶように売れている現実からしてみると、ほとんどの人がメタボじゃないでしょうか。まず海老の様に身体を丸めてお腹をつまんでみて下さい。特に女性の方はつまめますよね(姫を標準にするんじゃないよ〜)このつまめるぜい肉はメタボの心配はありません。二段腹、三段腹でも心配はいりません。メタボとはつまめないぜい肉つまり内蔵に付くぜい肉のことをいいます。では今から生活習慣のチェックをしたいと思います。画面をみながら一体いくつ該当しているかメモをして見て下さい。では始めます。
( )1年以上継続している運動週間(1回30分以上の運動を週2回)がない
( )1日の歩行時間は1時間未満である
( )仕事はデスクワーク中心、あまり身体を動かさない
( )なるべくエレベーターやエスカレーターを使う
( )乗り物でもなるべく座ろうとする
( )休日は家の中でゴロゴロしていることが多い
( )運動が好きでない/苦手である
( )徒歩15分の距離なら、乗り物を利用する
( )朝食を抜くことが多い
( )食事の時間がずれることが多い
( )夜遅く食事をすることが多い
( )味の濃いものや脂濃いものが好きである
( )野菜や海草類はあまり食べない
( )お菓子やジュースなど毎日食べたりする
( )「早食い」「ながら食い」をよくする
( )つい満腹になるまで食べてしまう
( )睡眠不足気味である
( )タバコを吸つている
( )職場や家庭でストレスを感じることが多い
( )現在、趣味と言えるものがない

さあいくつ該当しましたか。まず該当した数を5倍してください。(例えば5該当ならば5倍して25となります)5倍して出して数字を100から引いて下さい。あなたの理想の健康状態を100点とすると、今の健康状態は何点でしょうか 。採点によって自分の目標を立ててみましょう。「痩せたら元気になる」「家族が喜ぶ」「身体が軽くなると活動的になる」「キレイになる」「昔のズボンがはける」ために目標を立てて実行しませんか。例えば「買い物は自転車を使わない」「ビールを減らす」「ウオーキングの時間をあと10分延ばす」など身近で実行できやすい取り組みをしてみたらメタボの方がサヨナラしてくれるのではないでしょうか。私は「乗り物ではなるべく座ろうとする」に大きな●をつけました。


[1547] 【1560回 白山のクロユリ 2008-06-04 (Wed)

「白山の追加編」
ジョンリーダーがオリオンさんから借用した「白山のビデオ」は7月13日のパッキング講習の時にみんなで観賞出来ると楽しみにしています。そのビデオの中に「クロユリの話しがあるよ」とオリオンさんに教えてもらいました。平成4年に白山国立公園指定30周年を記念して制定された白山のシンボルマークのデザインには、クロユリが用いられています。♪♪黒百合は〜恋の花〜♪♪あれは白百合ですが白山はクロユリの宝庫、しかも我々が登拝する期間がクロユリの花盛りだそうです。うららガーデンにも咲いていると紹介してもらいましたが白山一面にクロユリが待ち受けてくれているようで楽しみがまたひとつ増えましたね。

●白山のクロユリ伝説」
白山は、養老元年(717年)泰澄大師によって開山された信仰の山です。開山には次の伝説があります。泰澄は、夢告を受けると、イザナギノミコトであり妙理大菩薩である女神の導きによって白山に登拝しました。そして頂上の池で一心に祈っていると、九頭龍王が出現し、まもなく十一面観音に変身したといいます。白山のお花畑の特徴は、量の豊富さと、草丈が高いことです。飛騨山脈などでは、目立たないクロユリも多く、たくさんの花を付けています。室道で白山のバッジを買うと、クロユリがデザインしてありました。ハイマツの群落もよく発達していて、ハクサンシャクナゲも混じっています。白山のクロユリには、次のような話が伝わっています。

「戦国時代、越中富山城主の佐々成政は、白山千蛇ヶ池のクロユリを秀吉の北の政所に献上しました。ところが、北の政所だけに献上したことが淀君に知られました。淀君は、白山からたくさんクロユリを集めてこれみよがしに珍しくないと言ったそうです。佐々成政は、これがもとで失脚したということです。いかにもありそうな話です。

白百合と違って背丈も短いので見逃さないように、そして登山靴を踏みつけることのないようにしたいと思います。トレーニングを終えると、あとはお天気だけが頼みの綱ですね。み〜ん〜な〜テルテル坊主を作りましょうね。


[1546] 【1559回 頻尿について悩んでいませんか?】 2008-06-03 (Tue)

昔、某ウオーキング協会の女性副会長さんで私達3人が好んでその女性のために「憧れのパシリ」をしていた方がいました。その方は看護婦として海外にも派遣されたというベテランの看護婦さんで手術室に入ると6時間も7時間もトイレに行けない状態が常時発生するため、いつの間にかおしっこに行きたいという間隔がなくなったと申されてウオーキングのスタートからゴールまでほとんどトイレに行くことはありませんでした(今頃どうしているのかしら?)

頻尿は異常を知らせるサインで3400万人(40代で5割)の人が頻尿の悩みを抱えているそうです。昼間の時間に8回以上トイレに通えば「頻尿」といえるそうですが回数が多いと言うことに困っていなければ何の問題もありません。血液がドロドロになるから水は大いに飲みなさいと言うことで飲水過剰になっている場合もあります。飲み過ぎはよくありません。私がウオークの広報係をしている時に「最初の尿意はがまんをして次の尿意で満タン放出してくださ〜い」と言ったのをご記憶でしょうか。

頻尿を予防するのに「最初の尿意を我慢すること」と大阪中央病院の医師が言っておられました。我慢をすることで膀胱炎の心配をする人がいますが膀胱炎の心配はありません。最初の尿意でトイレに行くと「初期尿意排尿習慣」になるそうです。頻尿から男性は前立腺肥大症になることがあります。女性は骨盤の底がゆるんできていることがあります。これは体操で治すことができます。肛門と膣に力をいれ1〜5まで数え、ゆるめたりしめたりしてください。電車に乗ってもできますし人に見つかることはありませんので女性の皆様ぜひお試し下さい。

(頻尿チェック)
@ おしっこを出す時「いきむ」必要がある
A おしっこの勢いが弱い
B 尿の出が途中でとぎれる
C 残尿感がある
D 2時間以内に次の尿意がやってくる
E 我慢することがつらい
F 夜間に目が覚める

該当する数が多いと前立腺肥大の疑いがありますので診察を受けてみる必要があるかもしれません。前立腺肥大を放置しておくと「前立腺癌」に進行してしまいます。義兄をこの病気で亡くしていますので手遅れにならないうちにぜひ受診してみて下さい。


[1545] 【1558回 ガイドもどきピンチッ】 2008-06-02 (Mon)

6月1日から道路交通法が改正されました。改正の内容については1537回でお知らせした通りです。観光バスの後部座席もシートベルトを着用しなければならなくなりました。(バスの中で酒を酌み交わすために中座してもダメヨ)私の友達でバスの中でシートベルトをしたためにトイレ休憩の時に「何で?何で立たれへんの?」って大騒ぎしたらしいです(姫の友達はこんなんばっかりか〜?)主には自転車の改正が大きいのですが(1537回参照)ガイドさんの後ろ向きの案内もダメと発表がありました。「皆様右に見えますのが〜」と言った案内も進行方向に向かって、しかも座ったまんまで、更にシートベルトをしなければ走行できなくなりました。最初は「義務」から始まり、いずれは徹底することになるでしょう。

6月1日から着用が義務化された後部座席のシートベルト。天皇皇后両陛下は着用免除。選挙カーも公益目的のため免除。バスガイドは後ろを向いての観光ガイドはできなくなりました。後部座席のシートベルト着用が免除されるのは、けがや障害、著しい肥満、妊婦や選挙カーなど。12歳未満の子供は三分の二人分で換算するため3人分のベルトがある後部座席でも大人一人と子供3人の場合や子供4人の場合はベルトが足りないため免除となります。

バスガイトとのコミュニケーションを売り物にしている東京ハトバスではサービスの低下になると頭を抱えているようです。そんなわけで白山行きのバスの中では「ガイドもどき」の説明も「リーダー挨拶」もすべて進行方向に向かったまんまということになりそうです。

自転車の並行や携帯電話、傘を差しての片手運転、ウオークマン等は当然禁止すべきだと思いますがガイドさんの案内までもとは想像していませんでした。しかし若い新米ガイドはこの法改正によってカンニングペーパーをチラチラ見なくても、堂々と見られるわけですから、きっと救われることでしょう。しかし吉良上野介を「よしら・・・うえのかい」なんてことの内容に読めない字は事前にフリガナを打つくらいの指導はしててほしいです。特に歴史上人物の名前は歴史の詳しい人が聞くとすぐ間違いが指摘されます。大阪府歩け歩け協会のバスウオークでガイドを使わなくなったのは、この「よしら事件」の直後でした。それにガイド無しの方がバス料金割安となるのです。ベテランガイドさんも沢山いらっしゃるのですがイメージを崩すと復活するのに時間がかかります。

疑問)と言うことは補助席は今後一切使えないということですよね。調べてみよう(補助席にシートベルトついてへんと思う)


[1544] 【1557回 盛り上がった古希・還暦の会】 2008-06-02 (Mon)

衣装は、どうせ誰も着ないかもしれない・・・どうしようか、持参すべきかしないべきか、いやいや、うららちゃんが「みんなの広場」で反応して下さっていたからと思い直し大きな衣装バックと大鍋を車で運びました。近所の手前、三度笠も刀もちょっと格好悪いしね。ぜんざいのなべを助手席で持ちながら「ブレーキ踏むな!いっちょらいが汚れる!」と叫びながらわずか100メートル先の会場へと運びました。イタドリは談山神社で採った物を料理しました。

結果は衣装があったからこその大賑わいであったと労力を惜しまなかったことにホッとしています。まずは休日にもかかわらず快く会場を提供してくれた「志な川」さんに感謝をしたいと思います(こんなんやったら過去にも借りたらよかったわ〜)そして大切な休日をこのパーティのために参加して頂いた皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

予定メンバーから永田千恵子さんと眼鏡ライダーさんが欠席(ライダーさん!またまたイタドリ食べ損ねたね!)総勢23名パワー全開の中年達!酸欠で倒れる人が出るのではと思うくらい熱気でムンムンしてて冷房も効果無し。

リーダーの開会挨拶後、パイロット三浦氏の乾杯の発声でファンファーレは鳴り響きました。今日は私から盛り上げなくっちゃあという意識があり早々にドレスに着替え「月がとっても青いから」を歌いました。今日は全員に楽しんでもらうためカラオケ券を一人2枚配り譲渡禁止(但し無理強いはしない事)と決めたんです。ご協力ありがとう。

あとは堰を切ったように衣装が飛び交います。旅姿三人男は股旅姿のサスケ先生、よぉ似合っていましたなぁ。衣装は腰に巻いたり、頭に巻いたり大活躍。トイレの中で出番を待ちくたびれた人もいましたなぁ。最後はよし枝ちやん指導の河内音頭、これがないとやまたびのパーティは終了できません。あれもこれも他のお客様に気を遣わないで騒げたからの賜でもありました。お祝いの美酒、赤飯、了子料理ありがとうございました。ごちそうさまでした。カメラマンで動いて下さった皆様も、い〜い仕事してましたなぁ。写真楽しみにしています。「志な川」のお客さんの「よっちやん」日曜返上で、にわかマスターしてくれてた人もいましたなぁ。最後はサスケマスターも増えていましたっけ。ほんま久々に大声出して笑いました。来年の還暦の会も、いまから楽しみですね。(近いと衣装、大鍋何でも持ち運べるで〜)

最後の感謝の言葉・・・・60年を振り返ると波瀾万丈すぎて、私がくじけずに生きてこれた応援歌「人生の並木道」を歌うと、子供の頃大阪へ旅立つ日の朝、ホームには鷲羽3号の列車が停まり、泣く泣く中村駅で親戚や恩師や友達と別れたつら〜い場面が歌詞とともに浮かんできて、せっかく楽しく盛り上がつたパーティやったのに涙流してしもうたわ。かんにんなぁ。あれは悲しい涙とちゃうで。よう頑張り続けて、そしてみんなに祝福してもろうてうれしかったんやでー。さすがに3番あたりから歌えんようになりました。4番は全員で歌ってもろてありがとうな。私はこの歌は滅多に歌わないんだけど昨日は特別や。堪忍して下さいね。

片づけ終わっての帰り道で近所のおばさんに「いまお父さんが三度笠持って帰っていかはったよ〜今日はなにごとがあったん?」なんやバレてんかー!


[1543] 【1556回 夏の歌を探しています】 2008-05-31 (Sat)

ダイトレで歌う(6月8日)歌を探していますが夏のイメージ「夏の思い出」が浮かんできました。夏の思い出と言えば水芭蕉ですよね。水芭蕉の花言葉は「美しい思い出」。
北国では雪解けとともに春を告げる花として愛されていますが、この歌に歌われた群馬県、福島県、新潟県の3つの県境にある尾瀬ヶ原では5月下旬から6月中旬が見頃です。

作詞者は江間章子、作曲は中田喜直。夏をテーマにした曲の代表作といえそうですが、作曲者は特にこの歌には忘れられない母との思い出があるとか。当時新進作曲家と名を上げていたころ。まだ尾瀬の地を訪れたことはなく、イメージだけですらすらと曲想がわき、かんたんに作曲してしまいました。ところが「できたできた」と喜ぶ作曲者の横にいた母親の「ちょっとお粗末なんじゃないの」というキツイ一言で、はっとしたそうです。確かにまだまだ直す点があるのを認め、大幅に書き直したのだそうです。例えば「遠い空」のメロディが、「といーそら」に聞こえるといった部分がありました。後にも先にも母から曲作りで注意されたのはこの1曲だけだったとか。この曲が生まれたお手柄はやはり母によるもの、と印税を亡くなるまでプレゼントしつづけたそうです。

この歌のイメージは菅原洋一の印象が深いのですが、いちばん最初に歌ったのはシャンソンの石井好子だそうです。作曲家の音楽学校時代の1年先輩で「憧れの人」であった石井好子に、作曲家自身が依頼したのだとか。この曲は「母の思い出」の歌であると同時に、「若い憧れの思い出」でもあったようです。

歌によって一躍人気観光地となった尾瀬ですが、昭和30年代頃から起こった観光ブームで、ゴミが散乱、湿地は踏みつけられ、大きな環境問題となりました。地元にとって観光も大切な経済の資源だけれども、自然はもっとかけがえない地球の資源である、とさまざまな人がたちあがり、尾瀬保護財団もできました。現在では、ゴミ持ち帰り運動や自動車規制などが推進され、美しい尾瀬が戻ってきているようです。自然を守るのも、破壊するのも人間ということでしょうか。

そんな背景を思い浮かべながら「夏の思い出」を歌ってみたら今までと違った歌になるのではないでしょうか。「せーのーハイ!」

♪♪夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空〜
霧のなかに うかびくる〜やさしい影 野の小径〜
水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている水のほとり〜石楠花色に たそがれる  はるかな尾瀬 遠い空♪♪

(ちょっと音はずれてる人もいるけど、まっいいか〜)



[1542] 【1555回 ファイバーCフードって知ってる?】 2008-05-30 (Fri)

ウルトラCではありません。ファイバーCです。ファイバーCフードという言葉を最近聞くようになりました。ファイバーCとは、ビタミンCと食物繊維と同時に摂取する事で、この2大栄養素を同時に摂取するとビタミンCの効果が高く発揮されるという結果が出ているそうです。

この頃は紫外線がとても気になる季節となりました。潜在シミという顔の表面には出ていないシミが4〜5年先には、りっぱなシミとなって出て来るのです。朝の植木への水まきやゴミだし、そして洗濯物を干したりの家事をスッピンでしていませんか?お出かけの時にだけ日焼け止めをしても手遅れです。とりあえず化粧する時間のない時は日焼け止めだけでも入念にムラなく塗ってから家事をしましょう。

ファイバーCフードのメカニズムはシンプルで、有害物質を吸着し排出する効果のある食物繊維を摂取することで腸がキレイになるります。それにより栄養素の吸収率が高まり、ビタミンCの効果も高く発揮されるというもの。それによって、ビタミンCの効果としてあげられる「毛穴・しみ・乾燥肌」などの肌トラブルが改善される効果も高まるというのです。

火を使わない簡単レシピでファイバーCフードカルパッチョを試してみませんか?まず材料はお刺身とサラダパック(野菜なら冷蔵庫にあるもの何でもOK)季節の果物、これが材料です。大きめのお皿の上に塩胡椒をふりかけます。その上にお刺身を並べ野菜果物をきれいに並べて最後にまた塩胡椒をふりかけて出来上がり。ドレッシングは使いません。果物からでる甘酸っぱさがドレッシングの代わりをしてくれるそうです。但し私はまだ試していませんので失敗しても私の責任ではありませかので予めご了承ください。(笑)


[1541] 【1554回 古希の会の準備】 2008-05-30 (Fri)

会場となるオーナーが家に来まして「ひばりちゃん〜料理何にしようか悩んでるねん」と上がり込みました。「あ〜私もお願いと打ち合わせに参上しないといけないなと思っていたの」と話をしている中で会費には場所の提供代金も含まれているので、あまり気にしなくてもいいと言っておきました。

おでんと巻きずしと酢の物と、おかきにピーナツ、右のポッケにチョコレートと、あとはイタドリを持ち込むから「あっそうや塩抜きしとかなくっちゃあ」話の途中で冷凍室からイタドリを出し大鍋に塩抜きの用意をしました。もう少しで忘れるところでした。酒はあびるほど出してもらうこと、時間は一応3時間と言ってるが盛り上がった時は延長もあることなどを打ち合わせしておきました。何か食べたい物のリクエストがあれば・・・ま、反応ないかも知れませんね!「何でもいいよ」そんな気持ちで参加して頂ければ幸いです。

私は今回はゲストだから、どんな工夫をして下さるのかとても楽しみです。ゲストはゲストらしく、ししゃり出ないで飲んで喰って大いにさわぎましょう。衣装を見ていたらバスウオーク毎に衣装を買ったり、作ったりして思い出がいっぱいつまっています。赤い毛氈がでてきました。これは忠太郎が山賊に扮して歩いたときのふんどしやな。これは会場に持っていこか・・・・


[1540] 【1553回 船場吉兆と山のキッチョウ】 2008-05-29 (Thu)

船場吉兆が閉店したと言うニュースを聞き、一度も訪れたことのない高級料亭の話だからどうでもいい話ですが会見で見た「ささやきおかみ」が「うつむきおかみ」に変身していました。客側が残した料理を「これもったいないので包んでもらえませんか?」と聞くと100%の店が「生ものはお持ち帰りできかねます」と食中毒の心配をして断るが吉兆は「次のお客様にお出しますのでお持ち帰りできません」だったということか。

ダイトレのコースは山間部が多く鳥のさえずりを聞いて歩くことが多いです。「ホーホケキョ」とうぐいすの声は何とも春らしくて清々しい気持ちにさせてくれます。時々「キッチョウ、キッチョウ」と鳴く鳥がいます。「ほほぉお前は吉兆の宣伝鳥か」と今までは笑い話で済ませていましたが今度その鳴き声を聞いたらどんな反応をするのかなぁ・・・・まぁ鳥に責任はないので自然の中で鳴く鳥の声を聞ける幸せということで通過することにしましょうか。


[1539] 【1552回 大歩協から抹殺された「姫のおうち」】 2008-05-25 (Sun)

2月の総会を最後に「姫のおうち」の書き込みを終了しました。1000回以上を越え自分でもよく書き続けたなと自己満足もしました。内容はともかく1000回と言うと3年以上パソコンに向かっていたことになります。ウオーカー広場で「季節限定イタドリ姫よ歩きを忘れたのか」と呼びかけてもらって、いつものクセで反応しかけそうになるのをグッと我慢して今日にいたりました。

ポチが「おい!大歩協からお前が消えたぞ!」言葉足らずというか何と言うかあわててパソコンをつけ久々に大阪府歩け歩け協会のホームページを開けてみました。
「ほんまや!ないわっ!」
姫のベージがそっくりと抹消となっています。書き込みのないページは、さっさと消え失せろと言うことでしょうか。寂しくも何ともありませんが驚いたのは事実です。

書き込みをして反応がないということほど寂しいことはありません。「クライミングに行きたいよ〜」と書けばきっとリーダーが「よっしゃ」とか「ダメ」とか書き込みをしてくれると思い込んでいました。仲間が「私もいきたいよ〜」と話の輪が広まると信じていました。築城記念パーティであんなに沢山のみなさんが駆けつけてきてくれたのですから殺風景な「広場」を盛り上げてもらえると信じていました。しかし何の反応もないのでクライミングはあきらめることにしました。ザンネン!


[1538] 【1551回 クライミングに行きたいよ〜】 2008-05-23 (Fri)

去年の11月にアバラ骨を骨折以来、クライミングから遠ざかっています。高校入学の記念にボーイフレンドを連れてゲートロックへ行き、アイゼントレーニングでゲートロックへ行ったきりです。この頃では、クライミングの道具が腐ってきつつあります。冬の時期はクライミングは出来ませんが京都の金比羅山や屏風岩が懐かしいです。いえいえ連れて行ってくれと言ってるのではありません。間隔が伸びたなぁと思っているだけです。

7月は白山の予定がびっしり入っています。まず体力作りが最優先ではありますがね行きたいなあ!!!行きたいなあと言うまでになるには、長〜い月日と訓練の繰り返しの日々が続きました。何でここが登れないのだろうか。何で手が届かないのだろうかと悔しく思った日々もありました。クライミングが役立ったのは槍ヶ岳や剱山に登ったとき岩場を怖がらずに登ったり、下ったりできたことでしょうか。

第二期生の募集をして中高年のクライマーをもっと増やしましょう!


[1537] 【1550回 さあ白山への申し込みをしよう】 2008-05-23 (Fri)

『「行きたい」そう決心したときから旅は始まる』が私の持論です。会社の総務係をしていると社員旅行の取り組みは1年前から始まります。まず行き先の方向付けをし社員からアンケートを取ります。全員が参加意欲をそそるにはこの「アンケート」が大切なんです。自分たちで行き先を決められるという気分から「参加しよう」と奮い立たせることが大切です。

職場から旅行委員を選任し、部屋割り、宴会でのアトラクション、賞品、参加品など数回に渡って会議をします。参加費については旅行積立貯金をしていますので自己負担金はゼロ(途中入社の人は別)で旅行を楽しむことができます。

以前にも書きましたが私の企画は「夜行列車、フェリー」が、こよなく好きで長い移動時間の中で工場と本社と支店の親睦の花が咲きます。花が咲き過ぎて船長さんに注意されたり、停車中の真夜中のプラツトホームを徘徊する酔っぱらいを連れ戻したりと大変な労力がいりますが全て私の人生の肥やしになっていて一度も「いや」と感じたことはありません。

夜の宴会はそりゃ凄いですよ。各職場で練習してきた「出し物」を披露し優勝をねらうのです。仲居さんが仲居の仕事をしなくなる瞬間です。みんな仕事を忘れて舞台上を見学するのです。旅行を終えると不思議な連帯感が生まれています。これが「旅の良さ」だと思います。

「夏の白山登山」もアッという間にやってきます。リーダーが言いました。「あんたはいつも何かトラブルを起こしているよなぁ」そこで回想して見ましたら、まず剱ケ岳でポチの歩行態度についてリーダーと衝突。槍ケ岳で低体温症でダウン。白馬大池小屋での部屋割りトラブル(これは大歩協)うんうんほんまや。そのたびに同行者に不快な思いをさせているなぁ。それに気が付いているのに素直に謝れない。情けない!春の立山登山はセーフ。そんなトラブル発生を思い出していたら、今度こそ同じ事を繰り返さないで、肩の力を抜いて、参加者の気持ちになって山を楽しめたらいいなぁと思っています。


[1536] 【1549回 白山を楽しむために】 2008-05-22 (Thu)


『ラスト』

白山シリーズは今回で終了です。最後の締めくくりは大好きな温泉についてです。(着替えはバスの中に置いておく)

● 白峰温泉は日本三名山のひとつ「白山」がある石川県南部の白峰村に湧く温泉です。この温泉は国内でも極めて珍しい純重曹泉ということで、山間のひっそりとした村なのですがけっこう人気のある温泉地です。温泉街にはいくつかのホテルや旅館、民宿などがあり、それなりに温泉街を形成していますが、その中心にあるのが公衆浴場の「総湯」です。「総湯」には残念ながら露天はありません。
(当日この総湯に入るかどうかはドライバーさんと決めますが全体の泉質は同じです)

客層はほとんど地元の方のような感じですが、外観は小さな民族資料館のような印象をうけるなど、観光客にも受け入れられるような工夫がされているようです。中央の入口を入ったすぐの受付で料金を払うと、右側が女湯、左側が男湯の入口になっています。(サスケ先生!ジョン!間違うでないぞ!)脱衣所には鍵付きの木造ロッカーと、有料の貴重品用コインロッカーが並んでいます。

脱衣スペースの中央にはイスとテーブルが設置してあるなど、わりと広い感じがします。浴室はタイル張りのシンプルな内湯のみで、中央壁側に大きな湯舟があり、その湯舟が左右に区切られています。片方は腰下ぐらいの深さでもう片方は膝上ぐらいの深さですが気泡浴が付いていました。洗い場は浴室を取り囲むように壁側に並んでいます。

シャンプーや石鹸などは常備されていないので各自用意しましょう。湯舟へは中央の石組みの湯口から湯が注がれています。湯は無色透明だけれどもかなりツルツル感が味わえる特徴的な湯です。別名「つるつる温泉」とか「絹肌の湯」などと言われているそうですが、なるほどこれほどまでのツルツル感はなかなか味わえないだろうと思いました。
石鹸水の中に入っているというよりは、まるで体の表面が溶けていくような気分になるのでした。ついついその気持ちよさにまったりして湯に浸かっていると、かなりの温熱効果もあるようで玉のような汗も吹き出てきます。温泉から出た後も体はポカポカするし肌もツルツルとしていて、いつまでも余韻の楽しめる温泉なのです。





[1535] 【1548回 白山を楽しむために】 2008-05-21 (Wed)

『その7』

●白山に「お花畑」があるって本当でしょうか?
白山と言えば「花」といわれることくらい、高山植物の宝庫として知られ、花好きな登山者にとって人気の山です。その理由は「ハクサン」と名の付く植物が多くあり、あちこちに美しい「お花畑」が見られるからです。「お花畑」と言っても栽培されているわけではなく、同じ種類や同じ環境に生育する植物がかたまって生え、それらが一斉に開花するため、そう呼ばれるようになったのです。
ハクサンは乾燥する岩場や岩くずの荒原、雪解け水に潤される斜面や湿地など、多様な植物の生育環境に恵まれ、また多量の積雪があることから、標高が低い割に数多くの高山植物が群生しています。厳しい環境に生きる高山植物は強いといわれがちですが、実際は環境の変化や、踏みつけに弱いのです。また近年、オオバコなどの平地の雑草が増えています。登山者の靴に種がついて広がったもので、高山植物への影響が心配されています。

●ハクサンの名が付く植物
ハクサンチドリ、ハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンイチゲなど18種、御前峰にちなんだ「ゴゼンタチバナ」と言ったものもあり山の名前を冠にした植物の名前の数では日本一の多さを誇っています。

※白山では絶対に自然植物に手を触れないでください。採取したら法によって罰せられます。

●白山でみられる動物達
オコジョ、イワヒバリ、ベニトカゲ、アズミトガリネズミ、ホシガラス、メボソムシクイ、ハクサンクロナガオサムシ、アキアカなど

●白山の概要
最高峰の御前峰(標高2,702m)・剣ヶ峰(2,677m)・大汝峰(2,684m)の「白山三峰」を中心として、周辺の山峰の総称でございます。そのため厳密に、現在の県境には、石川・福井・岐阜・富山にまたがっています。また、別山・三ノ峰を加えて「白山五峰」とも申します。 北陸地方の中では標高の高い山であるため、他の山では残雪が消えた季節でも「白い」山として遠方からでも一目で判明できる山である。

日本ではこれより西には2000m以上の山がないため、2,000m超級の高山として最西端の山となる。 大山 剣が峰1739m 石鎚山1982m

これでだいたい白山について勉強できましたね。明日は最終として帰りに入る温泉についてお話しましょう。白峰温泉は石鹸、シャンプ、リンスがついていない様子なので用心のために1回分だけ使えるトラベル用の物をご持参下さいね。


[1534] 【1547回 白山を楽しむために】 2008-05-20 (Tue)


『その6』

火口湖のひとつの千蛇ケ池には泰澄大師が麓の人々に危害を加えていた千匹の毒蛇をこの池の中に封じ込め、蛇が出ないようにと雪でフタをし、もし雪が解けて蛇がでるようなことになれば、池の上に岩が落ち、再び蛇が閉じこめられようにしたという伝説が残っています。今も池を見おろすようにそびえる「御宝庫」がその岩だと言われています。
白山市尾添の岩間温泉から山道を進むと、突起物の上部から熱湯が噴き出す景観と出会います。これが国の特別天然記念物の「岩間いわまの噴泉塔群」です。湯に含まれる石灰質分が長年にわたって塔状に形成されたもので、高さが1〜2メートルになることもあります。山のエネルギーを実感できる岩間の噴泉塔群は、白山が今も生きていることを教えてくれます。

●頂上に登って実感する感動
白山には、さまざまな魅力がありますが、なかでも最大の魅力自分の足で頂上にたどりついた時に味わう感動でしょう。目の前に広がる山並み、夜になると満天の星空には美しい天の川が輝き、人工衛星が移動していく様子が肉眼でもはっきりと見ることができます。こうして感動を味わうと白山を登ってきた疲れや苦労も吹き飛んでしまうはずです。さらに白山の頂上では、もうひとつ神秘的な現象を体験できるかも知れません。それが「ブロッケン現象」です。ブロッケン現象とは太陽を背にして立った時、自分の陰が前方の霧に巨大に映り、その周囲に色のついた光輪が見える科学現象です。ドイツのブロッケン山でよく発生したことからこの名称がついたと言われています。山頂でみる朝日を「ご来光」といいます。白山比盗_社では「お日の出」といいます。白山の夜が明ける時、ひときわ厳粛な雰囲気に包まれます。


[1533] 【1546回 白山を楽しむために】 2008-05-19 (Mon)


『その5』

この頃、白山の「御前峰」「大汝峰」「別山」の山頂にはそれぞれ十一面観音、阿弥陀如来、聖観音が祀られるようになり、神は仏の仮り姿であるという「本地垂迹説」の考えが広まりました。その後1868年神仏集合の廃止によりまして「加賀一宮」として尊崇され「シラヤマさん」として親しまれた白山本宮は「白山比盗_社」に名称を改め、「白山比淘蜷_」「いざなぎのかみ」「いざなみのかみ」をご神体とし全国に役3000社ある白山神社の総本宮として白山信仰の中心をになっています。

★白山へ登ることを昔から「登拝する」といいます

●白山はまた噴火するのでしょうか?

山頂には翠ケ池などの火口湖が見られ、白山が比較的新しい火山であることがわかります。白山が火山活動を開始したのは、いまから30〜40万年前のことで、当時は尾添尾根(おぞうおね)の加賀室かがむろ跡付近を中心に噴火していたと考えられています。その後、およそ10〜14万年前に活動場所を大汝峰おおなんじがみね北東の地獄谷へと移動し、この頃は現在の白山よりも標高が高く、ゆうに3000メートルを越えていたと推定されます。現在の山頂部が噴火を始めたのは、いまからおよそ3〜4万年前のこと。その間、古い時代に形成された火山は浸食でほぼ消滅し、今日では見ることができません。

白山の最後の噴火は、1659年です。これまでの調査で過去約3000年の間、平均するとおよそ430年に一度の割合で火山活動があったとされています。白山は将来において火山活動を再開する可能性をひめた山ですが、現在のところ噴火を予測させるような観測データは確認されていません。山頂部には、翠ケ池みどりがいけ、千蛇ケ池せんじゃがいけなど大小7つの池がありますが、そのほとんどが火山活動で穴が開き。水がたまった火口湖です。現在の山頂部は今から約1万1千年の間に少なくとも16回の噴火があつたといわれており、中でも一番大きい火口湖である翠ケ池は、1042年の噴火でできたとの記録が残されています。


[1532] 【1545回 白山を楽しむために】 2008-05-19 (Mon)


『その4』

いよいよ白山についてご説明しましょう。
★ 富士山、立山と並び「日本三霊山」に名を連ねる白山は、奈良、平安時代の都人から「越しのしらやま」「越しのしらね」と呼ばれ、親しまれていました。北陸はかつて「越しの国」でありそこにそびえる白き山という意味でございます。この言葉は枕詞(まくらことば)として和歌に用いられ、たとえば平安時代の女流歌人「和泉式部」は

「もみぢ葉も ましろに霜のおける朝は 
          越しのしらねぞ思ひ やらるる」
これは霜の白さから白山を想い起こしたという意味です

高い山が付近にない、都人にとって、比叡山のさらに北東に位置し、初夏まで優雅に雪をいただく白山はあこがれの山でございました。「白い山」を意味するヨーロッパのモンブランやヒマラヤのダウラギリ、そして「雪を頂いた山」を意味するアメリカのシェラ、ネバダと同様、雪が輝く白い山は、どの国、どの民族でもあこがれの対象だったのです。万葉の時代は「しらやま」と詠まれ山の名前も本来はシラヤマでしたが江戸時代の1661年以降「ハクサン」と音読みし現在では「しらやまひめじんじゃ」の呼び名や地名の一部にシラヤマと呼ぶ習慣が残っています。

●白山に積雪が多いのはなぜなのでしょうか

一年の大半を通して雪をいただく姿を眺められる白山。山頂の標高は2702メートルで本州には富士山をはじめ3000メートル級を越える山が沢山あるにもかかわらず、そのほとんどが白山より積雪量が少ないのです。それは白山が日本海に近いところに位置していることが大きな要因になっています。冬、西高東低の気圧配置によって大陸で発生した冷たい季節風は、日本海を渡る時、冬でも暖かい対馬海流の上空で熱と水蒸気をたっぷりもらい、上昇気流を発生しながら日本列島に向かいます。この季節風は、まともに白山にぶつかることで、さらに上昇し、そして水分のほとんどが上空で冷やされ氷結し、白山に大量の雪を降らせます。室堂付近での積雪は7〜8メートルといわれています。

1962年(昭和37年)に指定されました白山国立公園は、白山の主峰御前峰を中心とする面積4万7700ヘクタヘルの山岳公園で、石川県、富山県、福井県、岐阜県の4県にまたがり、2000メートル級の山々が続いています。白山の山頂部は、最高峰の「御前峰標高2702メートル」をはじめ「大汝峰標高2684メートル」、「剣ケ峰標高2677メートル」などから成り立っており、白山という場合、この山頂部を中心とした全体をさすのが一般的です。

●白山はなぜ信仰の対象となったのでしょうか
あらゆる自然現象への恐れと経緯から、いにしえの人々にとって白山は、神として象徴的な存在だつたと考えられます。稲作が盛んになると、稲作に不可欠な水の源である白山は、水を司る神として、あがめられるようになりました。また白山は海上から見る指標として、航海と漁業の守護神でもあったのです。やがて密教や自然崇拝などを統合した修験道が盛んになると白山をとりまく加賀(石川)、越前(福井)、美濃(岐阜)の各地に白山信仰の拠点が造られ、そこから山頂へ登拝するための道である「禅定道」が開かれました。修験僧や登拝者はここから白山頂上を目指したそうです。


[1531] 【1544回 白山を楽しむために】 2008-05-18 (Sun)


『その3』

「白山」と言ってイメージに浮かぶのは、勿論霊峰「白山」でありますが白山と言えばスーパー林道が有名ではないでしょうか。白山の北側を石川県白山市尾添(おぞう)から中宮を経て岐阜県白川郷へと通じる全長33.3キロメートル。幅6.5メートルの完全舗装された有料道路であります。冬の間は閉ざされておりまして6月上旬から開通しております。

●白山スーパー林道はとおりません

●白山スーパー林道には見どころがイッパイあります。次回通る時のためにご案内だけ致します。

■ 滝と温泉のご紹介です。
@ 「しりたか滝」 しりたか山を源流とする蛇谷へ入って見る最初の滝で、急峻な山とその間に見える滝の白絹を練るような静かな流れに特徴があります。
 
A 「赤石(あかち)の滝」 昔、金を採掘した所で、ベニ石(赤石)がいぼ状に岩についているところからこの名前がついています。また、増水すると三味線の糸のように水流が3本に分かれることから、別名「三味線の滝」とも呼ばれています。
 
B 岩底(かまそこ)の滝 滝の上に大木をも沈めてしまう底無しといわれている釜型をした淵があることからこの名前が付いています。また、この上流には樹齢500年をこす大欅おおけやきが茂っています。
 
C「 かもしか滝(五色滝)」 この周辺は天然記念物のニホンカモシカの生息密度が日本一といわれるところからこの名前が付いています。滝が5段になっていて「五色の滝」「五重の滝」とも呼ばれます。滝水が飛び跳ねているところがおもしろい特徴です。

D 「姥ヶ滝・親谷の湯」 親谷の湯は川底から出る温泉を利用した露天風呂となっており、遊歩道が整備されています。向かいには老婆が白髪を振り乱しているように流れ落ちる姥ヶ滝が眺められます。

E「水法の滝」 2号トンネルの出口頭上にある雄大な滝で、男性的な姿と姥ヶ滝と対面しているため、姥に対して「尉ヶ滝」とも呼ばれています。

F「ふくべの大滝」 落差86mといわれる豪壮な蛇谷隋一の大滝で、時にはその水しぶきが道路をおおうこともあります。

以上がスーパ林道を通った場合、車窓から飛び込んでくる景色です。スーパー林道は冬の間は閉鎖され裾野にある合掌作りの白川郷の家並みは幻想的な美しさを秘めています。宿泊をした時に朝食の付き出しに「イタドリ」が出されていました。「まぁ懐かしいイタドリ!」と、どのご馳走よりも早く箸をつけると旅館のおかみさんが「イタドリを解って下さるお客さんはあなたがはじめてです」と感激してくれて、私だけイタドリのおかわりを出してくれたことがありました。
「きつい山だけでなくやさしい場所」というご希望もありましたので、いずれここへもご案内したいと思っています。ハイ。


[1530] 【1543回 白山を楽しむために】 2008-05-17 (Sat)

『その2』

途中で立ち寄る恐竜博物館のご案内を致しましょう。立ち寄り先は福井県立恐竜博物館です。

福井県は、平成元年(1989年)から勝山市北谷で恐竜化石調査事業を実施し、数多くの恐竜化石を発見してきました。この成果をもとに、「恐竜」を主軸に据えた国内最大級の地質・古生物学博物館として、福井県恐竜博物館は平成12年(2000年)7月14日にオープンしました。

日本の恐竜化石の約8割を発掘し、フクイラプトルやフクイサウルスの国内初の全身骨格復元など大きな成果を上げた恐竜化石調査事業のほかに、海外研究機関との研究提携・交流や教育普及活動にも積極的に取り組んでまいりました。今後も、日本、ひいては東アジア地域の恐竜学術研究を推進する拠点として、「恐竜」という親しみやすい素材を中心に、地球史全体を体系的に学習できる展示を目指してまいります。また、大人から子どもまで、さらに研究成果の先端的な情報を提供してまいります。福井県立恐竜博物館は、恐竜に関する資料を展示した、恐竜に関する国内最大級の博物館です。銀色に光るドーム型内部にある展示室は、「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」の3つのゾーンから構成されています。

4,500uという広大な展示室には、30体以上もの恐竜骨格をはじめとして千数百もの標本の数々、大型復元ジオラマや映像などをご覧になることができます。子供から大人まで楽しんで学習できる、また研究者も満足できる学術的に裏付けされた展示をめざしております。

3日目の昼食は白山室堂のレストランでも取っていただけますし各自行動食で済ませていただいても結構です。各自に800円お渡しします。レストランのラーメン、カレー、うどんは各800円のようです。





[1529] 【1542回 白山を楽しむために】 2008-05-16 (Fri)

今日から貸し切りバスで行く「がいどもどき」の虎の巻を一足早く皆様にご披露して白山を快適な登山の旅としたいと思います。バスに乗っている気分で〜はじまり〜はじまり〜

『その1』

やまたび倶楽部の皆様バスでのお出かけはお久しぶりでございます。平成19年の9月に槍ヶ岳へ出かけて以来だと記憶しております。今日から2泊3日間どうぞよろしくお願い致します。

最初に大切な伝達事項を申し上げます。私が「お口のチャック開いてよし」というまで私語は慎んで頂きたいと思います。コース的なご質問については、のちほどリーダーの挨拶の後にお伺い致します。ではお口チャックスタート!

バスは名神高速道路を通りまして北陸自動車道を走ります。福井県立「恐竜博物館」に立ち寄りまして博物館の見学と昼食を自由に取って頂きます。ここを午後2時に出発致しましてバスは一路、白峰温泉「永井旅館」へと向かいます。ここは山小屋ではありません。従いまして結構なお値段に驚きます。お値段の分、温泉に何度も入り「もとをとって下さい」麓の旅館で温泉を楽しんでいただこうと思っております。

翌日は午前7時30分に我々を乗せてきてくれたバスに乗りまして別当出合登山口まで送って頂きます。登山口で降りる際には、21日、最後の日の白峰温泉での入浴の着替えはバスの「網棚」に残していただいて結構です。いま私が「網棚」と申しましたのには理由がございまして、帰りの座席は若干変更しております。座席や前のポケットにはお荷物を残さないようにお願いします。永井旅館では熱いお茶、お湯は無料で自由にポットに入れて頂けます。

20日の昼食のご用意のない方は途中のサービスエリアで行動食に代わる物をご購入下さい。20日の別当出合い登山口は午前8時には登り始めたいと思っております。2日のお宿の室堂山荘へは午後1時ごろ到着をする予定です。

チェックインのあと、2日目のお部屋割等をご案内を致しますので到着後はバラバラにならず、そのまま団体行動をお願い致します。お部屋のご案内が終わりましたら、夕食までの時間を自由に取っていただいて結構ですが必ずグループで行動してください。(夕食の時間も現地到着後でないと現段階では不明)
3日目のペッドボトル等へのお湯、お茶は1gまで200円と有料でございます。

●食事のこと
7/19(第1日目)昼は恐竜博物館付近で各自
7/19(第1日目)夜は永井旅館の食事付き
7/20(第2日目)朝は永井旅館の食事付き
7/20(第2日目)昼は各自持参の行動食
7/20(第2日目)夜は白山室堂の食事付き
7/21(第3日目)朝は白山室堂の食事付き
7/21(第3日目)昼は現金支給(白山室堂の食堂で)

(つづきは明日ね)


[1528] 【1541回 新聞で見た記事から】 2008-05-16 (Fri)

ノンフィクション作家の久田恵さん(親戚ではありません)の文章が今朝のサンケイ新聞に書かれてあり、いま自分も同じ境遇なので興味をそそられました。)

夫が定年を迎えたら、夫は故郷で空き家になった実家で田舎暮らしをしたいと切に願っていたそうです。妻は「そんなこととんでもない」って。夫には懐かしくても妻には愛着もないし、不便だしと言うと夫は不便さこそが素晴らしいと譲らない、そこで熟年離婚かと議論を続けていたら成人した息子が「簡単じゃん!夫婦別々に暮らせばいいじゃん!」と提案したそうです。妻も同じ事を思っていたが、妻がこの事を切り出せばキレる夫でも、息子の提案には聞く耳を持ったそうです。

現在この夫婦は別々の生活を楽しんでいるらしいですが、まず田舎で住む実家が残っていたこと。別々の生活ができる経済的なゆとりがあることなど我々とは別の世界の話の様ですが、自分に置き換えて空想するだけでもおもしろいかな。

私はこれほど故郷を恋しく思っていても、定年後故郷で住みたいとは思いません。故郷には幼少の頃の楽しい思い出もいっぱい詰まっていますが、その倍ほど貧しかった少女時代が思い浮かんできます。今は廃屋になっている病院の看護婦寮の前を通過するだけで「早く通り過ぎてほしい」と願うほど今もつらい。ここでの生活は「歯を食いしばって生きた時代」と言っても過言ではありません。コツコツと小銭を蓄えたのは(決して大金ではありませんよ)この時代に戻りたくないという教訓みたいなものが心の中にいつも住んでいます。もし心の中が消しゴムで消せるなら、このひもじかった時代を消したいと思っています。

いままで自由がなく我慢して生活してきたのであれば60歳の旅立ちで夫から解放されたい(ポチ聞いとるか〜?)今後は自分の事は、楽しみながら自分で出来るように妻の行動をいちいちチェックしないような心にゆとりのある生活を送ってほしいと願っています。

「じゅんちゃんで〜す」さんが男の料理教室に目覚めたと聞きました。何と素晴らしいことでしょうか。長い単身赴任生活を終え、いま奥様と共通の趣味を持ち、寄り添いながら楽しく過ごしつつも、自分のしたいことを見つけて挑戦する、これこそが「お互いの自由を尊重する」生き方だと思います。定年をむかえているご夫婦さん!あなたのお家の話聞かせてね。(但し忠ちゃんの生活は参考にならんよ〜)


[1527] 【1540回 白山への心準備】 2008-05-15 (Thu)

一生懸命、白山について勉強をはじめました。これをバスの中だけの説明にするより(だってあんまり聞いてくれてへんから)ここに書けば、参加するみなさんが白山について楽しい勉強ができるのではないかと頑張ってまとめています。同時に白山観光協会にパンフレットを葉書で28名分要求しました。電話で申し込むと必ず「2〜3部ならお送りできますが・・」と言われるため葉書で「先日お電話した折りにご了解頂いています」と書いて投函しました。キャハハハハ

この間の雨のダイトレで感じたのですがリュックの中に物を詰める時、途中で使う順番にうまく詰め込むと短時間で、しかも雨の場合は立ったまんまで手軽く物が出せるのではないでしょうか。私の荷造りの方法です。

@まずその日の天気予報を聞き「晴天」の予報の時は雨具はリュックの一番下にいれます。
A着替えなどもゴール後の入浴に使用する場合、これもリュックの下の方にいれます。
B救急セットは、真ん中に入れ、すぐ出る所を確保します。
C行動食、昼食は上蓋のチャックを利用します。(休憩時には次に口にする物を出しやすい場所に移動しておきます)
Dツムラ68などの薬は一服はポケットの中、一服は上蓋の中にいれます(ポケット分を飲んだら上蓋の分をポケットに入れ替えます)
E無線などすぐ使うものはリュックの一番上を利用します。
Fお茶や水はリュックの外ポケットと胸ポケットを利用。
Gサイフ、ハンカチ、配布シール等はポシェットにいれ肩からぶら下げます。どこに入れたか「アレ?アレ?」と探す小物類は肩からぶらさげるに限ります。

ポシェットは、歩き始めると邪魔になるので本体のリュックに詰め込みます。私は自分の荷物だけでフーフー言っていますが共同装備を持って下さる方達のご苦労は計り知れません。山登りには「歩荷さんが欲しい」と冗談を言っていましたがこのごろは心を改めて白山行き、北鎌行きに耐えれる体力作りのために荷物も「それなり」に重くして階段登りを励行して日々努力をしています。「合格」すると更なる山に参加できるチャンスがあるからです。

フツーの人は努力をしていることを隠すものですが私は公言することにより、自分を追いつめて達成するパーターンですのであえて公言しました。もし参考になるのであれば、今まで深く考えないでリュックの荷詰めをしていたとしたら、少し工夫をして頂くと5分の休憩でも充分対処できるようになります。以前にポチが「ワシが休憩しようとしたらお前らは、もう出発する!まだ何も喰う手てへんのに!」と文句を垂れたことがあります。これは常々工夫をしているかいないかの差が出てきた結果だと思います。

荷物の中で何が重たいかと言うとジョンの「チップの入って無いカメラ」と姫の「使わない無線」は重いで〜す。雨の場合、水漏れが心配で(1台3万円×3台)リュックから出せないので〜す。今からの行動食はキューリの出番ですかね?


[1526] 【1539回 姫にもこわいものあり】 2008-05-14 (Wed)

夜中じゅう、鳴り響くカミナリの音、たまらなく耳について眠れません。午前2時30分過ぎにやっと音量が小さくなったあたりからウトウトすることができました。カミナリの音を聞くと子供の頃に受けた「カミナリは怖い」が身体にしみついていて音とともに蘇ってくるのです。

お転婆だった私に良薬だったのでしょうか、それとも野原で遊ぶ危険性を察知して、手っ取り早く恐ろしがらせたのでしょうか、母親は「雷はこわい」と私のド頭にインプツトしていました。とにかくカミナリが鳴ると今でも耳栓をします。耳栓の無いときは人差し指を耳に突っ込み揺らします。こうすると恐怖から少し解放されるのです。

夏の暑い日の午後、四万十川の川の中で遊んでいると、ゴロゴロといや〜な音がし始めました。ポツポツと雨が落ちてきます。家から裸で泳ぎに行きますので脱いだ着衣が濡れる心配はありません。「カミナリや〜いぬるで〜」コレは土佐弁で帰ると言う意味です。帰る時のスタイルはヘソを押さえて各自自宅へ走ります。

「お母ちゃん!早よう蚊帳吊ってやぁ!」と言うと7歳上の姉もカミナリを恐れて、すでに座敷の真ん中に蚊帳が吊ってありました。「ミチコ早よう!入り!」遊ぶ時は、いつもいじわるな姉ですがこんな時はとても親切で妹思いになるのです。お互いがヘソをしっかりと押さえています。夏なのに布団を頭からすっぽりかぶっていても暑くありません。むしろ背筋の寒さで冷房が効いている具合です。

いまどき、こんな話をして子供達が信じてくれるのでしょうか。婆ちゃん、あれは電気だと諭されるような気がします。しかし登山でのカミナリは恐ろしいことだと「やまたび倶楽部」のホームページにも記されています。町はずれの大木の下で雨宿りをしていた親子が落雷で死亡したというニュースも耳にしました。岩場もカミナリの通り道だということを知らねばなりません。何よりも登山中にカミナリと遭遇したら安全な場所へ逃避することを自分の知識の中に入れておかねばなりません。

夏山登山にむけてトレーニングが始まりますがカミナリ、日射病などの予期せぬ出来事もあることを知り、安全な白山登拝をしたいと思っています。いま白山のガイドもどきを作成中です。「参加する」と決めた時からすでに登山は始まっています。登る山がどんないわれがあるのか知った方が山は、より楽しく登ることができます。まとまりましたらシリーズで掲載したいと思っています。乞うご期待下さい。

「白山登拝」・・・・ヒントです。


[1525] 【1538回 さ〜む〜い〜よ〜】 2008-05-13 (Tue)

何だろうかこの寒さ・・・・
連休まえに掘り炬燵を仕舞いカーテンも布団も夏仕様に変えてしまったあとのこの寒さ。北海道では「雪」が降っているそうです。台風と低気圧の精らしいですが家の中はどこにいても寒い。家の外も風があり寒い。衣替えした冬の衣類をまた取り出して夏服の上に重ね着をして風邪の悪化を防ぎました。咳も止まらんなぁ。

5/10のダイトレウオークで雨に濡れた参加者の皆様〜!風邪は大丈夫ですか?あの日使ったレイン用品全て(スパッツ、ザックカバー、傘、靴、合羽)に防水スプレーを振りました。この間の雨の中で一番「ちめた〜い」と感じたのは手だったことと思います。勿論オーバーミントを携帯されている方は完璧です。しかし緊急用としては台所で使うゴムの手袋でも充分「手袋を濡らさない役目」を果たしてくれます。但し低山の場合の緊急処置ですのでそこのところよろしく。

私は紫外線カットの指先のない夏物薄手をはめていました。途中でビショ濡れになりましたので替えの手袋に交換しました。交換用の手袋を1組余分に入れたとてリュックの重みにあまり影響を及ぼしませんので、台所ゴム手袋、交換用手袋などみなさま自身が工夫して寒さをしのいで下さい。

(この間の帰りに好日山荘に立ち寄りオーバーミントを購入された方〜手をあげて〜)あっそうか地下鉄に乗られたので自宅直行だったかな?


[1524] 【1537回 6月1日からの自転車の法律】 2008-05-11 (Sun)

   自転車安全利用五則

1. 自転車は、車道が原則、歩道は例外
2. 車道は左側を通行
3. 歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行
4. 安全ルールを守る
 ○ 飲酒運転・二人乗り・並進の禁止
 ○ 夜間はライトを点灯
 ○ 交差点での信号遵守と一時停止・安全確認
5. 子どもはヘルメットを着用

〜 自転車の乗り方について 〜

1. 安全運転の義務
 道路及び交通等の状況に応じて、他人に危害を及ぼさない  ような速度と方法で運転し  なければなりません。
 【罰則】3ヶ月以下の懲役又は5万円以下の罰金
2. 夜間、前照灯及び尾灯の点灯
 夜間、自転車で道路を走るときは、前照灯及び尾灯
(又は反射器材)をつけなければなりません。
【罰則】5万円以下の罰金
3. 酒気帯び運転の禁止
 酒気を帯びて自転車を運転してはなりません。
 【罰則】5年以下の懲役又は100万円以下の罰金
(酒に酔った状態で運転した場合)
4. 二人乗りの禁止
自転車の二人乗りは、各都道府県公安委員会規則に基づ   き、 6歳未満の子供を乗せるなどの場合を除いて、原則として禁止されています。
【罰則】2万円以下の罰金又は科料
5. 並進の禁止
 「並進可」の標識があるところ以外では、並んで走っては なりません。
 【罰則】2万円以下の罰金又は科料

平成20年6月1日から施行されます。み〜んな当たり前のことですが事故があまりにも多発しているので6月1日から自動車と同じように罰則が付加されました。ご安全に!










[1523] 【1536回 ダイトレ第2回実施しました。】 2008-05-10 (Sat)

天気予報は「雨」ということでお昼の唄は「雨降りお月さま」と「チンカラ峠」を用意しました。合羽にスパッツは家から既に着用し晴れ間は期待しておりません。あわよくば昼食の時間だけ晴れてくれればいいなぁと思いつつ集合場所の富田林駅に向かいます。指定した電車は2本、バスの発車時刻に合わせてみなさんが集合してこられます。

「おはようございます。この間はどうも〜」立山参加のお礼を言いバスに乗り込みました。みんな雨対策はバッチリです。昨日までの夏日と、打って変わって冬の様な寒ささえ感じます。今朝のニュースで「高い山へ行く方は雪にご注意を」と言っていたのを思い出しました。ほんま寒いです。

ダイトレリーダーはポチ。今日はひとりでサッサと歩かず後ろを振り向きながら、ちゃんとリードができている様子です。私はアンカー(これにはふか〜いわけがあるのです)出発前に「今日はイタドリは採りません。持ち帰りません」と宣言しました。が、しかし、イタドリさんが「採って〜私を竹のようにしないで〜」と言えば採ろうと考えてアンカーにまわりました。淳子ちゃんがいいました。「姫、私ねイタドリに目覚めたの!この間食べたら美味しかったのよ!」イタドリファン一人ゲットしました。

淳子ちゃんが大切そうに竹のようになりかけのイタドリを1本見つけて持っています。よっしゃ!今日は淳子ちゃんのために採ろう!そう決めて太くて短い1級品のイタドリを2本、3本と見つけました。5本、6本とあるわあるわ。季節的にもうこれが最後のチャンスです。前を歩くナナちゃんも採りだしましたがイタドリを見つけるのは私の方が上手いよ。

イタドリの話ばかりじゃなかったね。ダイトレの話だね。第1回目にゴールをした場所(岩橋峠)まで1時間かけてまたもどり、やっと本日のコースを歩き始めます。雨は相変わらず止むと言うことを知りません。雲の上を歩いているように山々はかすんでいます。なが〜い階段の登りが果てしなく続きます。高さがチグハグなのと間隔が大きいのでとても登りにくいです。これは訓練だと思えば、なんのそのと思い、ゆっくりとローリング歩きで登ります。時々後ろから師匠の指導が入ります。1時間歩いて7分休憩(雨の場合10分の休憩は長すぎて身体が冷えます。5分だと短すぎます)ポチの「休憩しま〜す」の声に水分補給とおやつを口にします。

2回ほど休憩をして葛城山頂上に到着しました。手前のキャンプ場では先客が昼食を取っています。我々は食堂にはいりストーブを囲みます。きつねうどん550円を頼み、持参したおにぎりと一緒に頬張ります。ここの食堂の良いところは、お弁当持参してても気軽に快く利用させてくれるところです。朝から雨に濡れていた体を熱いお茶をもらい温めます。

午後の出発は葛城山名物のツツジ見物となりましたが、季節的に少し時期が早くツボミも多く雨にかすみ絶景はのぞめませんでしたが下りの道すがらに咲くツツジは桜の気品には負けますが懸命に咲こうとしている様子がうかがえます。葛城山のツツジを見て「やまが燃える」と言ったといいます。しかし残念ながら今日はその言葉は出てきませんでした。ミミズの死骸の多かったこと。踏みそうになりキャアキャアと騒ぎながらの下山です。

下り道は雨で土が濡れていて、とても滑りやすく「靴を信じて!」と師匠の声がこだまします。バスの時間があるので油断はできませんが安全に雨でも滑らない歩き方を学んだ気がします。まもなく水越峠、本日のゴールです。バス停に行く途中、道路脇に山積みに不法投棄されたゴミの山を見て悲しくなりました。こんな所に捨てにくるなら、わずかな金で済むのですから環境事業局に引き取ってもらえばいいものをと思いました。「大型ゴミ回収」が無くなってからの落とし物の様な気がします。

ゴールした後に「雨降りお月様」と「ちんから峠」の唄を歌いました。バス到着の富田林駅には吉野からの帰りの、うららちゃんが出迎えて下さり一緒に帰りました。本当はお風呂に入りたかったんですが、このまま自宅に帰ろうという多数決に押されて忠太郎情報を頂きながらも利用することが出来ませんでした。忠太郎ごめんね。やっぱり富田林は忠太郎がいないとまとまらんわ〜!

次回は私ひとりでも入るよ!みなさんダイトレコースはストック持参してくださいね。わざわざ買う必要はありませんが持っている方は、ぜひご持参下さい。ストックがあれば下りの足の負担が全然違います。それと本日「白山」のご案内パンフレットをお配り致しました。その中にトレーニングの日程を入れていますので、全部は無理としても、ご都合のつく時にご参加をお願いします。白山に快適に登れるように講習を交えて「歩き方、登り方」を勉強します。最終の白山パッキング講習は私が要求した手前、ぜひご参加をお願いします。終わったら6階ホールで焼き肉しようよ〜。


[1522] 【1535回 銀行強盗と郵便局へ】 2008-05-08 (Thu)

朝、やまたび倶楽部の口座の用事で、此花の郵便局へ行き(1回目)、その足で福島の郵便局へいきました(2回目)。いつもジョンリーダーを連れて顔の証明がないと引き出せないシステムのため、姫の顔でも引き出せるように変更手続きをとるためです。再び変更先の此花の郵便局へ行くも(3回目)「やまたび倶楽部規約」が無いということで出戻りました。あわてて規約をつくり、また此花の郵便局へ(4回目)行く羽目になりました。

この間に、うららちゃんからお昼のお誘いのメールをもらっていて、ざんね〜ん、気が付いたのは4度目の郵便局から戻った時でした。美味しいスパランチだったのにね。これにこりずにまた誘ってくださいね。

銀行強盗もどきのジョンも福島郵便局にで合流しましたが、ひょっとして郵便局強盗と見間違われないかとヒヤヒヤしました。サンスターを塗った顔・・・日焼けですごかったわ〜。触るとパンパンに腫れている様な、浮腫んでいるような、へ〜んな顔でした。

1日のうちに4度、郵便局に通いましたが、ややこしい手続きはその日のうちに済ませておくと郵便局の窓口の人も「あっあの人また来てる〜」と同じ人が対応してくれます。「まっええか明日にしようか」となるとまた最初から説明せねばなりません。バイクでひとっ飛びなので苦にはなりませんでしたが今後はジョンの顔パスが無くても、やまたび倶楽部のお金が出入金できることになりました。 

ウオーキング仲間からメールがあり、歩きすぎて(?)腰痛で自宅療養しているそうです。あの速度は多少なりとも身体に悪いのかもしれませんね。7月の白山行きを誘っていますので、それまでに完治するように檄を飛ばしておきました。集団歩行、集団登山では、正しい歩き方、登り方を身につけて、身体に負担をかけない歩き方、登り方をしたいものですね。中高年の楽しい歩きや登山がいつまでも持続出来ますように!           


[1521] 【1534回 紫外線とUV】 2008-05-07 (Wed)

私が大阪府歩け歩け協会の広報係(自称)だったころ申し込み受付を終えた参加者の皆様に「日焼け止め対策は万全ですか?2時間経つと効果は薄れます。昼食の後に必ず塗り直しましょう」と言い続けたのを覚えておいでですか?今回の立山では晴天に恵まれ日焼け止め対策を忘れた方達が、まるで銀行強盗の様に、また軽度の火傷の様に症状に苦しんでおられるそうで心からお見舞い申し上げます。我々女性の厚化粧はこんな時に役立ちます。(キャハハハハ)私も鼻のてっぺんの皮がはげました。日焼け止めを塗っていましたが汗でどうも効果が薄れた様です。鼻が高いという証拠ということでしょうか。
では今日は男性諸君に日焼け止めの講習をしましょう。

★UVとは?
ULTRAVIOLET RAYSの頭文字をとってUV。紫外線のことです。聞き慣れた言葉のようで詳しい事は、日焼けを気にする女性の方なら馴染みがあるかも知れませんが、男性の方はご存知ない方も多いと思いますので、ここで少し説明をしましょう。

まず、UVには大きく分けて@UVA、AUVBの2種類があります。
@のUVAは、光線の波長が長く、太陽の光を浴びた直後から人の皮膚を黒く焼かせるものです。
AのUVBは、光線の波長が短く、太陽の光を浴びると人の皮膚を赤く焼くもの。ひどい場合には水ぶくれを伴い、数日後には皮膚を黒くさせるものです。
また、UVA、UVBのどちらも肌の張りや弾力を低下させる作用があり、シミや免疫力の低下、そして皮膚ガンを起す可能性も報告され、問題となっています。

UVカットにも様々な商品があり、使用感や効果そして目的が異なりますが、その目安にして頂きたいのがパッケージに書かれている「SPF」や「PA」といった記号です。
この2つの記号が表すものは、

SPF・・・UVBの防止効果の指数 
PA・・・・UVAの防止効果の指数

SPFには「SPF15」や「SPF30」などと数字が書かれており、その数字が大きいほどUVカットの効果は高くなります。SPF15の場合、何も付けていない状態に比べ、日焼けするのに15倍の時間が必要である、ということです。
PAには「PA+」、「PA++」など、+の数字が書かれており、+の多いものほどUVカットの効果が高くなります。PA+の場合、何も防御しない場合に比べに日焼けするのに、2〜4倍の紫外線量が必要だという事です。私は「SPF50+」を探して購入します

これからのお出かけの時は奥様の日焼け止めクリーム(彼女の日焼け止めクリーム)をもらって塗ってください。ましてや半袖なんて自殺行為です。首もとも襟のあるシャツ、あまり首の広くあいてない物を着用しましょう。女性がよくお洒落タオルを首に巻いているのは首筋を紫外線から守る対策なのです。


[1520] 【1533回 連休最後の日】 2008-05-06 (Tue)

ゴールデンウイーク最後の日となりました。私にとっては会社人生最後のゴールデンウイークでした。11月1日からは毎日がゴールデンタイムとなります。函館に帰省した息子達が通夜に間に合ったのかなどを思いながら明日からの仕事への心構えをしました。(夜、息子から礼の電話がありました。勤務があるので自分だけ戻った様です)

カーテンやのれんの衣替え、洗面所の小物入れの整理(どうせすぐ散らかす番犬がいるので無駄骨かとは思いますが)午後からはコーナンにナスビの苗を買いに行き、鉢植えですが3本植えました。今年も豊作となるのでしょうか。(ナスビは雨の日も水やりが必要だそうですね)

最近の山の事故も多く、われわれは無事で戻れたことに大変感謝をしています。登山をする上での事前のトレーニングは体力増強は勿論ですが「気構え」をする上において大切だと思っています。丁度ダイトレの実施により夏の白山への気構えを参加者全員で一丸となってすることに意味があると思います。白山へ行く前に出発前の荷造り講習を開いてはどうかと思っています。定年前の今なら会社の6階ホール利用できます。(持参した行動食はお昼に頂くという計画はいかが?)この講習会は皆様の希望の声がなければ消滅します。希望がない場合は我が家でポチの荷造り特訓講習に切り替えます(ハハハ)
実現の暁には名付けて「白山を快適に登るための荷造り講習」広場に希望の声あれば聞かせて下さい。

◆5/1の事故
八ヶ岳で滑落、男性死亡4/30日午前10時半ごろ、八ヶ岳連峰赤岳(2899b)山頂近くで、東京都の会社員(57)が立場沢側へ約300b滑落、県警ヘリで茅野市内の病院に収容されたが、午後2時23分に死亡が確認された。同僚と2人で29日に入山し、30日下山する予定だった。

◆4/29の事故
北ア・五竜岳(2814b)に向かったままになっていた群馬県高崎市の男性(32)は28日午前8時すぎ、五竜岳山頂東側のがけ下約300bの雪の上に倒れているのを捜索中の県警ヘリが見つけ、収容された。頑などを強く打っており、既に死亡していた。この男性は東大スキー山岳部の監督。

◆4/13の事故
4/12日午後3時30ごろ、北アルプス爺ケ岳の扇沢で、山スキーで下山中だった東京都の男性(36)が雪崩に巻き込まれ、県警ヘリで松本市内の病院に運ばれたが、頭などを強く打っており、同五時半すぎに死亡が確認された。大町署の調べによると、3人で同日午後2時ごろ、爺ケ岳に向かう相原新道を登り始め、午後3時ごろから沢筋を滑っていた。雪崩の発生時、この男性は先頭にいたという。男性が持っていたビーコン(発信装置)で位置が分かり、同行した二人が雪の中から救出、110番通報した。山スキー歴は7、8年という。

まだ沢山の事故が発生し「あわや」と言うところで助かった人も沢山いるに違い有りません。ウオーク中であってもハチ刺されや、不慮の事故があります。一歩家を出たら充分な注意が必要であると言うことと、事故は自己責任において、決して引率者等を責めないということを家族の間で常々話し合っておかなければならないと思っています。


[1519] 【1532回 我が家のこどもの日】 2008-05-06 (Tue)

我が家のこどもの日は「留守をせず家で息子の帰りを待つ」事が慣習となっていました。北海道の大学で勉強する息子が連休を利用して大阪に戻るため、どこにも出かけず待っていました。久しぶりに大阪に戻った息子に母親の手料理を食べさしてあげようと思っていても友人と遊び回り家には寝るだけでしたがそれでも「親元に帰る」と言う実感はあったと思っています。

それぞれが別の家族を持った頃、やっとゴールデンウイークを味わうことができるようになりました。そして孫が生まれると子供日は「爺婆の家に集合」が慣習となりました。これは都合が悪ければ日程変更は可能なんですが今のところ5月5日は爺婆の家で集合ということにしています。

今年もそのつもりで準備をし、ちまきは四貫島のつるや、ケーキは西九条のケーキ屋とこだわりの店へバイクを走らせます。ご馳走は高価な食材は避け、子供の頃息子が「美味しい」と言って食べてくれた食材を探して「母の味」をプレゼントすることにしました。もうすぐ準備が完了という頃になって「北海道のおばあちゃん死亡」という連絡が入り急遽長男一家が北海道へ帰省することとなりました。嫁の純ちゃんのおばあちゃんで 90歳は過ぎていたのではないでしょうか。

連休のためチケットが取れません。「電車で帰る」といいますが北海道まで電車でかえれるのでしょうか?一体いつ着くのでしょうか?そうしていると羽田経由函館便が何とか取れたそうです。伊丹までおくり次男一家を迎え、すこし寂しいこどもの日をおくることとなりました。今回の主役は1歳のかずくんです。よちよち歩きをしながら滑り台にかけのぼり、ももちゃんがせっかく積み上げた積み木を崩しては叱られています。零くんのいないこどもの日でしたが3人とも健康でスクスクと育っていることが何よりのプレゼントだと思っています。

空に泳ぐ鯉のぼりの様に自由に、元気に、世界中の子供達が幸せでありますように!


[1518] 【1531回 春山登山いざ立山へ】 2008-05-05 (Mon)

「雪の立山に行ってみたい」サスケ先生の一言で今回の春山登山に15名がぶらさがりました。行きたいところがみんな同じだったと言うことなんでしょうか。立山行き高速バスの1ケ月前の予約開始日の午前9時、電話をかけましたが前日モードのテロツプ「本日の営業は終了しました」が流れます。しばらくして再度かけましたら15名だけ空席があるといいます。これが10分遅れたら全員が参加することが不可能だったんです。それくらい人気の夜行バスの様です。

夜行バスの座席は快適な構造になっており、リクライニングもほとんどベツト状態(ちとオーバーかな)まで倒れます。隣の人との感覚も充分あり肩がふれることはありません。誰かが「やまたびの貸し切りも夜行バスで行く時はこのタイプのバスにしたらどや?」といいます。単価が違うのですぞ。単価が!

立山の天候は「快晴」当初は12本アイゼン組と6本アイゼン組の2班に分かれ別行動をする予定でしたが雄大な立山の雪景色をみると「行けるところまで同じ行動をしよう」と言うことになりました。結果は同じ感動を味わえて良かったと思います。家族に「春の立山に登ったよ」と言うのと「雪の大谷を歩いたよ」と言うのではハクが違います。自分自身への誇りも違います。みんなよく頑張りましたね。

雪はあるものの半袖でも裸でも過ごせるくらい風もなく夏日がさしており、「一の越」で待機組も雄山組も快適な登山を堪能しました。夜は日本一高所の温泉(2400b)のみくりが池温泉で宿泊です。山では何と言ってもお風呂がご馳走で疲れた身体を癒すのには最高でした。次の日は雪の大谷ウオークを楽しみ再び富山駅から大阪へ向けてバスの旅となりました。

「雪の穴 片足埋まり 雪地獄 助け呼ぶ声 雄山にこだま」

(詳しい旅紀行は山登りコーナーにアツプしていますのでご覧下さい)


[1517] 【1530回 2〜3日留守にします】 2008-05-02 (Fri)

2日から4日まで立山登山のため留守にします。

昨夜は咳のためにほとんど睡眠が取れず朝方、うつらうつらしました。目を覚ますとポチがいません(ヤッター!家出か!)いやいやそんな度胸はありますまい。今日は通常勤務だったんです。我が社は29日から5月6日まで連休なんでみんなもそうなのかと勘違いをしていました。お仕事中の皆様ごくろうさまです。来年のゴールデンウイークは毎日がゴールデンなんやね。働いているからこそ、仕事があるから連休も値打ちなんやね。今年最後の連休しっかりと味わいたいと思います。

今夜から立山に行って来ます。昨夜からの風邪による熱は下がったものの頭がフラフラとしています。(大丈夫かいなぁ?)荷物も何とかできました。重さは9キロほどになりました。水と食料が多いので食べたり飲んだりすれば、だんだん軽くなるはずです。昨日から山の事故があちこちで起きていますので、慎重に山をなめずに行ってきます。楽しい山行となりますように!お留守をお守り隊の忠太郎さん!眼鏡ライダーさん!城下のみまわり頼みましたよ。

いってきま〜す


[1516] 【1529回 荷造り】 2008-05-01 (Thu)

雪の立山へ出発すべく荷造りを試みていますが、なかなかうまくまとまらず何度も何度もやり直してもうまく行かず、とうとう嫌気がさして部屋中、荷物を放り投げてしまいました。いらないものなんて何も入れてないし、共同装備の分担もない。しかし20gばかりのリュックではアイゼンいれて行動食いれて合羽いれて救急セット入れて、着替え入れては無理なのかも知れませんね。このリュックで穂高や北釜尾根から槍ケ岳などいけるはずも無いのかも知れません。一体みんなどんな工夫をしているのかしら?そんな憂鬱に拍車をかけるように雨がポツポツしてきました。えーっ立山は雨かよ〜

話は変わりますが、分別ゴミの収集がはじまってから我が家の一角(10軒分)意外から不法に分別をしないゴミが放棄されていることが判明しました。近所の奥様を集め、どうしたものかと知恵を出し合いましたがみなさんは不法投棄が誰なのか、どんな物が捨てられていたのかの説明が詳しすぎてなかなか前に進みません。私、午後から会社にいかなくてはなりませんのょ。

「班長さん!不法投棄の事実を環境事業局に説明し、まとめて置くから誰でもが投げ捨てていくのだから自分の家のゴミは自分の家の前に置く。行き止まりの私有道路にも集配車をいれてもらってはどうか」と提案しました。「でも・・・入ってくれないと思う」「それは次の段階だからとにかく丁重に困った声で相談してみたら」と言い置いて会社へいきました。夕方班長さんがきて「OKだそうです」よかった。よかった。いつも10軒分のゴミで車庫から車を出すたびに困っていたのですが一石二鳥で解決しました。

環境事業局もちゃ〜んと聞く耳を持ち合わせているんですね。とても助かりました。みんなで知恵を出し合えば何とかなりますよ。そんなことはどうでもいいけど立山何とか天気にしてよ〜!


[1515] 【1528回 エレベーターを使わない階段効果】 2008-04-30 (Wed)

3月の下旬に職場が2階から5階に変わりました。この日から「1日に2回は階段を利用する」と自分と約束をしました。朝のラジオ体操のためにまず1階に降ります。体操終了後みんなはエレベーターで職場に戻るのですが私は階段を利用します。最初はエレベーターを「開」にして私を待っていてくれた職場の仲間も、この頃はサッサとドアを締めて上がります。私が階段を利用することが定着した様です。午前中に1回、午後に1回と3回は階段利用をします。それも師匠直伝の「ローリング歩き」です。これは足に体重をためて上がるため膝への負担が軽くてすみます。ただ団体で階段を上るとき少し前との距離があいてしまいます。できれば全員が同じ歩きをしてもらうと私が遅れた様にみえないのですが(笑)決してへばっているのではありませんのでご安心を。昨日の遅れの犯人は「イタドリ」です。

この歩き方はすぐに身に付きません。師匠が教えても「歩きにくい」とまずみなさんが言います。何となくこっけいでスピードが遅くはなりますが昨日の様な長い階段では最適な歩き方だと思っています。紙面で説明するのは困難ですので今度リーダーに出会ったら教えてもらったらいかがですか。下りも片足に体重をためて降りると膝への負担がゼロです。ダイトレは結構なアップダウンなので参加者の皆様全員がこの歩き方をマスターして頂けると快適な登山ができ穂高縦走もら〜くらくかも知れませんよ。

ポチがDVDを見て穂高を安易に考えすぎています。昨日師匠が「ポチとパーティ組めるか?」と訊ねましたので「ポチとパーティは組めません」と言いました。過去の槍ケ岳、剱岳、乗鞍スノーシューなどの山行を見ていたら命を預けられないと思ったのです。息子や嫁や孫の顔を思い浮かべると、とてもとても・・・・・・

山でのリーダーの指示、命令は絶対服従だと思っています。「口答え」「言い訳」などをしないで従い、下山してからの反省会で「あの時の自分の思いはこうだった」と言うのには命がかかっていませんので笑い話となったり今後の課題となることでしょう。私も自分の体力にまだ少し余裕(但し行けるかも)がある間に日本の多くの山々に行ってみたいと思っています。

(ダイトレ終了後の家での会話)
ダイトレ1回目にポチがリーダーをしていて休憩時間が過ぎたら「いきま〜す」とサッサと進んでしまいました。「まだリュックを背負っていない人もいるので確認したらどうや」と言うと「常々、ワシがまだ行動食を喰うていても時間がきたらサッサと行くやないか」と言われました。それはプライベートの時で団体ではみんなの足並みも考えないといかん。そしたらバスに乗り遅れる。そしたらタイムウオツチなど必要ないと。これが口答えっちゅうもんです。

60分を目途に後ろは必死について行ってる場合もあります。昨日もポチがタイムウオツチのベルが鳴ったので広場を見つけて「休憩〜」と言うと「まだ進もうや」と言うたらしいです。お願いだから次回のリーダーさんが誰になるかわかりませんがリーダーが休憩の合図をしたらみんなで従いましょうよ!


[1514] 【1527回 第1回ダイトレ無事終了】 2008-04-29 (Tue)

季節限定「イタドリ姫」もそろそろ返上しなければと思いつつ4/29日関屋の駅から屯鶴峰〜平石峠までの第1回のダイトレを終了しました。初夏の兆しの中、大勢の参加者で駅構内は盛り上がりましたが、どこかのかしこそうなお坊ちゃま学校の小学1年生ぐらいの子供に「邪魔!」と言われ場所を移動してのミーティングとなりました。

最初は下見のコースとは全然別のコースを歩き出しました。あれ?とは思いましたがアンカーのため前に従うしかありませんでした。(たしか下見の時は線路に沿って歩いたはず)屯鶴峰に到着するまでの道はダンプの運転手に怒られながら何とか抜けることができました。側を通過したことはあるけれど初めてという人もいておっかなびっくりでワイワイガヤガヤ時間をかけて楽しみました。

午前10時、いよいよダイトレへの道にさしかかったときは誰かさんの手には「イタドリ」が束になっていました。この間あれほどに採ったのに季節限定だからみんなイタドリ採りを楽しみながらコースを進みます。忠太郎の「この調子だと平石峠のバスに乗り遅れるよ」とのアドバイスにみんな言うことを聞いて(ふり)1時間進んで5分休憩を守りながら二上山まで進みました。ここで昼食です。ポチとオリオンさんが峠の茶屋へ「力餅」を買いに行き全員にご馳走してくれました。(ごちそうさま。美味しかったよ」

午後からは下りがあるかと思えば急な階段の登りがあり何度かこれを繰り返しながら平石峠、岩橋山と予定通りのコースをこなしていきます、途中、未婚者か既婚者か不明のタバコをふかす女性に会い、こんな自然の中で煙害もないだろうと少し腹立たしく思いました。「ひとり女性が通ります〜」さっきのダバコの女性を先に通過さす作戦に出ました。しかしのらりくらりとあまり進まず「ハハーン道を知らないな」とすぐわかりました。我々は下見をしていますのでバス停も難なくわかりますが本日のリーダーのポチに「あのぉ道が解らないのです」と言ったそうです。鼻の下を長く伸ばしたポチは「では一緒にどうぞ」と言ったらしいです(プンプン)

1日1便しかないバスに20分の余裕で乗ることが出来ました。お昼に歌おうと用意をしていた歌集を思い出しバスを待つ時間を利用して「鯉のぼり」「茶摘み」を合唱しました。若葉が風に揺れながら、まるでタクトを振ってくれている様ない〜い気分になりました。帰り道の車窓から沢山の鯉のぼりが川の側で泳いでおり季節感を堪能し富田林駅に到着しました。すると忠太郎の奥様の了子ちゃんが我々を出迎えにきてくれていました。うれしかったわ〜。了子ちゃんありがとう。

次の集合場所のバス停をみなさんにご案内して第1回目のダイトレ登山(あれはウオークとは言わんよね)は無事終了しました。みなさ〜んお疲れ様でした。


[1513] 【1526回 社会保険庁】 2008-04-28 (Mon)

60歳を経過した本日、市岡社会保険庁へ手続きにいってきました。日頃社員の代理人として手続きをしてきましたのでミスもなく、スムースに受理していただきました。まだ会社勤めしているから、あるいは商売しているからではなくて60歳になったら手続きをしておく権利が発生したのです。但し住民票と謄本は60歳の誕生日を過ぎてからの日付でないと無効なんです。これから迎える人はご注意を。

2ケ月ほどで社会保険庁から書類がとどくそうです。でも驚いたことに年金の請求コーナーよりも「ねんきんダイヤル」の窓口の混みようはすごかったです。みんな何かしらの不安を持っているのですね。

とうとう私も年金グループに入っちゃった。。。。。


[1512] 【1525回 新たなる一歩】 2008-04-26 (Sat)

60歳の新たなる一歩を踏み出しました。昨日と何ら変わり映えのしない一歩でも心構えが違います。廻りに感謝をし、少し控えめに生きていこうと思います(でっでっ出来るかなぁ)年齢を記入するとき・・・・60歳って書けるかなぁ

年金の請求もしなくっちゃあ。今まで社員何十人もの年金請求をしてきたのでお手の物だと思いますが緊張します。60歳到達の仲間入りを肌で実感する瞬間です。

一心寺にお参りに行ってお舅さんとお姑さんに報告をしようと思います。貝塚の一刀水の墓に参って「感謝状」を読み上げ、その足で鴻池の姉のところへ行こう。そして故郷の土佐中村でひっそりと眠る両親に向かって手を合わせよう。そして夜は息子達が宴の用意をしてくれるといいます。

気負わないで自然体で生きていければいいなぁ。


[1511] 【1524回 60歳のカウントダウン】 2008-04-25 (Fri)

「ありがとう」
私を産んでくれたお父ちゃんお母ちゃん ありがとう
いつも故郷から見守ってくれた先生 ありがとう
お友達でいてくれた学生時代の友達 ありがとう
私の父と母になってくれたお舅さん、お姑さん ありがとう
私の子供として生まれてきてくれた息子達 ありがとう
私の息子の嫁になってくれた二人のお嫁ちゃん ありがとう
この世に私の孫達を誕生させてくれて ありがとう
仕事仲間も ありがとう。
山の仲間も ありがとう。
クライミング仲間も ありがとう。
ウオークでやさしい声をかけてくれた参加者の皆さん ありがとう
心ない書き込みに即反応しないように盾になってくれた先輩 ありがとう

何よりも番犬のジョンとポチに感謝しています。ありがとう
ポチは少々天然だけれども、活動的な私に活動的な旦那様は別離のはじまりだと思っています。術後のおまけの人生だから多くを期待しなければ まっ いいか

お姑さんの遺言を守りポチの骨は拾う覚悟です。(骨を拾ったあとの私の人生考えると楽しくってたまらんわ〜)

ジョンとは私の定年で仕事関係は断ち切れてしまいますが岩や山の部分で指導をしてもらいたいと思っています。三人四脚の姿勢は死ぬまで続くからね(逃げたらコワイよ〜)
まだまだお礼が言い足りないと思うのですが59歳の最後の日に多くの皆様に感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。そしてこれからもよろしく!


[1510] 【1523回 60歳のカウントダウン】 2008-04-24 (Thu)

「せーのぉ!あと2日」


60歳のカウントダウンもピリオドを打つ時期がやってきました。ご愛読いただきありがとうございました。一人で大きくなった様な顔をしていますが多くの人々の力を借りて今日の私があります。とりあえず姉に感謝状を贈りたいと考えました。

「感謝状」

姉上様

平成20年4月26日、無事に還暦を迎えることができました。心より感謝申し上げます。生まれ故郷の高知を離れ「人生の並木道」を応援歌に大阪の地で生活を始めることになりました。今は亡き一刀水兄と姉上によって幼き日の妹の成長に多大なるご尽力をくださいましてありがとうございました。当時は苦しい家計をやりくりされたことでしょう。夫婦水入らずということも無かったことでしょう。また親子だけの団欒ということも無かったであろうと今更ながらに思い出します。苦楽を共にし、お互いに涙した日もありましたが今では大切な思い出となりました。今の私があるのは一刀水兄と姉のお陰だと日々忘れるなく今日を迎えました。このご恩は一生忘れるものではありません。この感謝の気持ちを還暦を迎えるこの日にお伝えするとともに、金一封を添え感謝の意を表します。

             平成20年4月26日   妹

こんな感謝状を作りました。うまく言葉で伝えられない時の感謝状、贈る方も、もらう方も記念になります。ぜひ皆様もいかがですか。(実物は姫ブログに)


[1509] 【1522回 60歳のカウントダウン】 2008-04-23 (Wed)

「せーのぉ!あと3日」

私の性格は典型的なO型タイプです。O型の人に「そりゃちゃうやろ!姫だけやで〜」と言われるかも知れませんが。まぁ聞いてもらいましょう。小さなことにクヨクヨせずおおらかで嫌なことがあっても1日経つとまた新たな1日を送ることができます。そのくせ変にこだわりは人一倍で、筋の通らないことにはトコトンつっかかります。納得のいかないことは妥協しないことが多いです。周囲から「まぁええやないか」と諭される事もしばしば。そのくせ涙もろく情に深く、尽くすということも少々知っている。異性に甘えるということをしない(出来ない)男性とのつきあいも何故かいつも「戦友」のような「同胞」のような関係が長く続く。今も付き合っている市岡高校時代の友人は、ほとんど男性ばかりです。絶対に男女の間違いはない(ハハハ誰が間違うねん・・・と男性諸君)

会社では「鬼の久田」と言われ総務という立場上、人の嫌がることばかり引き受けて39年が過ぎました。しかし女子社員から母の日にカーネーションをもらったり結婚式で「会社の母」と言われると目をウルウルするちょっぴりやさしい自分もいます。孫達には満願の笑みで叱ったことはない。なぜならば「ばぁちゃん嫌い!」と言われるのを恐れるからである。甘えさすなと言うかも知れないが子育ては息子夫婦が一生懸命しているので私は見守るだけだと思っています。但し危険な時は勿論大声で叫びます。

自分の性格で嫌な部分を言えと言われると「女らしさの不足」だと思います。また自分の好きな部分と言われると「はちきんの部分」と言うでしょう。昔、姉と二人で故郷を捨てたにもかかわらずこの歳になると、こよなく故郷が恋しいのです。メールアドレスも「はちきん」が私のトレードマークとなっています。土佐では働き者で酒豪でべっぴんの総評を「はちきん」と言います。ほど遠いとはわかっていても私はこの「はちきん」と言う言葉が大好きです。アドレスで「8kin hime」と入れるたびに故郷が浮かび上がります。だから春のイタドリ採りは私の人生でとても大切なイベントなのです。そのイベントに多くの仲間が同行してくれることに心から感謝しています。イタドリは雑草だと言う人もいますが私にとって、夏を迎える前の大きな行事なんです。

こんな私ではありますが、どうぞ皆様今後もよろしくお付き合いくださいね。悪い時は陰でコソコソ言わず、面と向かってハツキリと言って下さい。その時は、きまづい思いをしても、けんかになっても、友情は深まるはずです。それがなが〜くお付き合いしていただける秘訣だと信じています。
           
       (本日の文面はすべて自称ですからね ヘヘヘ)


[1508] 【1521回 60歳のカウントダウン】 2008-04-22 (Tue)

「せーのぉ!あと4日」

私の性格は典型的なO型タイプです。O型の人に「そりゃちゃうやろ!姫だけやで〜」と言われるかも知れませんが。まぁ聞いてもらいましょう。小さなことにクヨクヨせずおおらかで嫌なことがあっても1日経つとまた新たな1日を送ることができます。そのくせ変にこだわりは人一倍で、筋の通らないことにはトコトンつっかかります。納得のいかないことは妥協しないことが多いです。周囲から「まぁええやないか」と諭される事もしばしば。そのくせ涙もろく情に深く、尽くすということも少々知っている。異性に甘えるということをしない(出来ない)男性とのつきあいも何故かいつも「戦友」のような「同胞」のような関係が長く続く。今も付き合っている市岡高校時代の友人は、ほとんど男性ばかりです。絶対に男女の間違いはない(ハハハ誰が間違うねん・・・と男性諸君)

会社では「鬼の久田」と言われ総務という立場上、人の嫌がることばかり引き受けて39年が過ぎました。しかし女子社員から母の日にカーネーションをもらったり結婚式で「会社の母」と言われると目をウルウルするちょっぴりやさしい自分もいます。孫達には満願の笑みで叱ったことはない。なぜならば「ばぁちゃん嫌い!」と言われるのを恐れるからである。甘えさすなと言うかも知れないが子育ては息子夫婦が一生懸命しているので私は見守るだけだと思っています。但し危険な時は勿論大声で叫びます。

自分の性格で嫌な部分を言えと言われると「女らしさの不足」だと思います。また自分の好きな部分と言われると「はちきんの部分」と言うでしょう。昔、姉と二人で故郷を捨てたにもかかわらずこの歳になると、こよなく故郷が恋しいのです。メールアドレスも「はちきん」が私のトレードマークとなっています。土佐では働き者で酒豪でべっぴんの総評を「はちきん」と言います。ほど遠いとはわかっていても私はこの「はちきん」と言う言葉が大好きです。アドレスで「8kin hime」と入れるたびに故郷が浮かび上がります。だから春のイタドリ採りは私の人生でとても大切なイベントなのです。そのイベントに多くの仲間が同行してくれることに心から感謝しています。イタドリは雑草だと言う人もいますが私にとって、夏を迎える前の大きな行事なんです。

こんな私ではありますが、どうぞ皆様今後もよろしくお付き合いくださいね。悪い時は陰でコソコソ言わず、面と向かってハツキリと言って下さい。その時は、きまづい思いをしても、けんかになっても、友情は深まるはずです。それがなが〜くお付き合いしていただける秘訣だと信じています。

           
      (本日の文面はすべて自称ですからね ヘヘヘ)


[1507] 【1520回 60歳のカウントダウン】 2008-04-21 (Mon)

【せーのぉ!あと5日】
本心は出来ればウオークもクライミングも山もみんなしたかったんです。でも三人四脚が崩れ、これからの人生これでいいのかと自問自答したとき「穴蔵からはい出るチャンスだ」と背中を押してもらいました。「応援するよ」仲間のやさしい声に60歳で新しい自分を見つける旅に出ることに決めました。もう私の中に迷いはありません。

ポチも理解してくれ、おっかなびっくりのクライミングも今では好きになりつつあります。サスケ先生に「新しいロープ使いましたか?」と聞かれ、しどろもどろでした。先生!ロープを買ったのは自分で使うのではなく(自分だけでは使えましぇーん)クライミンググループで使うのです。古くなったロープの交換品として出資したまでのことです。こわ〜い質問にポチが何と答えるか心配していましたが大介花子の大介みたいに「あの〜その〜」と答えていたので安心しました。ハハハ

春はイタドリウオーク、夏はビヤガーデンウオーク(どんなガーデンやろ?)、秋は山里ウオークで柿や椎茸を買い、冬は雪とたわむれる。スノーシューウオークはやまたびにしかない大人のロマンウオークだと自負しています。

お泊まりウオークでは宿屋にコンロと餅を焼く網と善哉を持ち込んで美味しく頂いたこともあります。勿論見つかったら禁止されるかも知れませんが、なんとなく冒険心も手伝ってイタズラをしたりします。舞台で使う衣装も、もうカバンからはみ出てしまうほど沢山になりました。還暦の会に持参しますのでみなさんで衣装を着て歌って下さい。大胆になれますよ。


[1506] 【1519回 60歳のカウントダウン】 2008-04-20 (Sun)

【60歳までにあと6日】

「ごくろうさまでした会」
警察関係の団体のメンバーが定年になると言うことで「お別れ会」を開催することになり4月18日福島区の某店を借り切り行われました。この店は定年退職されるメンバーが福島区に移転する前の西九条時代からひいきにしている店で気心が知れているからと言う指定がありました。気心が知れているなら、ついでに花束2人分を依頼し当日を迎えました。環状線福島駅ガード下が待ち合わせ場所です。すでに退職した元役員の企業OBも出席してくれました。店までおおよそ15分歩くのですが「お〜い歩くの早いぞ!」と大日本○料の顧問が後ろから叫びます。「私について歩いてくださ〜い。ビールが待っていますよ〜」やっぱ歩くと早足のクセがでるようですっていうか皆さんが遅すぎる〜!

やっとの思いでお店に到着。みなさんは通常この距離ならタクシーを利用する方達ばかりのようです。すでにお店には奥様同伴で本日のお客様が到着されていました。飲み会ではありますが、きちんと「開会の辞、会長挨拶、花束贈呈」と本日の進行役を仰せつかり進行シナリオに沿って進めていきます。定年退職のお二人に花束贈呈が終わり「では乾杯のご発声を」と言った時「ちょちょっと待ってください。もう一人花束を渡したい人がいます」と私の前に真っ赤なバラの花束が差し出されました。ハトが豆てっぽうを喰った様な顔をしていると「もう1週間もすればお誕生日のはず!おめでとうございます!」とのこと。ホームページのカウントダウンを読んだメンバーの一人からの提案と店のママの機転で花束がもうひとつ用意されていたんです。思いがけない花束贈呈にうれしかったです。(花束は姫ブログに載せました)

親睦を温めていると「こんばんわ〜久田さんおめでとう!」と梅田コマの出演を終えた吉本興業のポコポコパンチの島木穣二さんが駆けつけて下さいました。「あっ!でも今日は私の誕生会ではないんです!ようこそジョージ!」大拍手の中でズボンのポケットからテレビでお馴染みの灰皿を取り出してくれ頭へポコポコとギャグを初めてくれました。その後は写メールで撮影する人が大勢で私も1枚撮っちゃいました(姫ブログに投稿済み)
此花区高見でお店を出している息子さん夫婦も自分の店を閉めて母親の店を手伝いに来ています。此花区でコースを出してくれる貴重な店です。よろしければご紹介しますので言ってくださいね。

宴会中は一人一人マイクを廻し、「本日定年退職をするお二人のエピソード」とテーマを限定し楽しく宴をすすめていきました。「アレッ?今日は何の会だったっけ?」と考えさせられるほど趣旨とかけ離れた話題で盛り上がるのだけはよそうと考えていました。全員にマイクが廻り終え、対象者2名と奥様と店のママにもマイクを廻し時間はあっという間に過ぎていきました。「宴たけなわではありますがおひらきにしたいと思います。全員ご起立頂きご唱和下さい。「42年間警官一筋にありがとう!大日本○料の顧問!定年おめでとう!OBの皆さん駆けつけてくれてありがとう!ジョージさんありがとう!裏方で働くスタッフの皆さんありがとう!場所を提供してくれたママありがとう!」と参加者全員で雄叫びを上げ、島木穣二さんに1本締めをしてもらい宴の幕を下ろしました。


[1505] 【1518回 60歳のカウントダウン】 2008-04-19 (Sat)

【60歳までにあと7日】

季節限定イタドリ姫は今日は幸せいっぱいでした。談山神社から歩き始め売店を過ぎてすぐ「太くて短い」りっぱなイタドリを2本見つけました。「あった〜見つけた〜」斜面を駆け上がります。昨日からの雨で草は濡れ、靴もズボンも濡れながら最初の2本をゲットしました。「目ざといなぁ」とイタドリ姫は褒めてもらいました。これを皮切りにメンバーが次々に「あった〜見つけた〜」と歓声をあげます。前の人が見落としたイタドリを後ろの人がさらえます。今日はハセポンファミリーも特別参加というか「イタドリ運び隊」としてお願いしたのです。

「イタドリはどんなところにあるのですか?」と尋ねるので枯れた親木を見つけて根っこを見ると見つかると教えました。しばらくするとハセポンも見つけた様です。みんな少年少女に戻り誰もがイタドリの大収穫です。重くなると車に乗せてもらいまた見つけます。反対方向から大阪の大正区から来たという学生達と出会いました。「みなさん何を手にもっているのですか?」と聞くので「おばさん達ねぇイタドリ研究家なの。ほら車も帆走しているでしょ」と言うと「すごい〜頑張って下さい」とエールをもらいました。

お昼には、くろねこかあさんが自宅近くで収穫したというイタドリ料理を沢山ご馳走して下さいました。イタドリの煮物、ドレッシング和え、筍との煮物とメニューが豊富で、やっぱりイタドリ研究家と説明した通りでした。みんな感動し「ビールが欲しいなぁ」とくろねこかあさんの料理に舌鼓を打ちました。ごちそうさまでした。


午後の出発前に「早春賦」と「春の唄」を歌い再びイタドリ採りがはじまりました。下山しながら見つけると斜面を駆け上り少ない人には配分しみんな同じ量を持ち帰りました。帰りに阪急三番街の高速バス乗り場に行き、予約をしていた立山行きのバス乗車券を購入し自宅に戻るとすぐ皮を剥き始めました。2時間以上かかりましたが鍋一杯のイタドリが剥き上がりました。あ〜あ収穫するのは楽しいけど皮剥きは大変です。(ポチはたった1本の皮剥きもしないのでジャスコへ塩買いにおつかいに行かせました。あ〜うららちゃんがうらやましい!」)

今頃みんな皮を剥いているのでしょうか。それとも、もう剥き終わり晩酌の盃を傾けているのでしょうか。お疲れ様でした〜


[1504] 【1517回 60歳のカウントダウン】 2008-04-19 (Sat)

【60歳までにあと8日】
「ウオークをしていて一番辛かったこと」

ジョンとポチと三人四脚で始めたウオークでしたが、色々な事が積み重なり限界に達していたジョンは、ある日の出来事が原因でウオークを辞めるという事態が発生しました。忘れもしません。雨の笠置駅でのことです。この事については会長からの何の沙汰もなく日数がたてばまた戻って来るだろうと思っていたと思います。大岡裁きを期待していたのですがそれもありませんでした。しかしこの沙汰が無かったことが決定的となりジョンはウオークから離れて行きました。しかし行事予定の中には、私と二人で企画したウオークがまだいくつか残っており、辛い思いをひきづって参加し協力してくれました。その時はすでに会員として期限が切れてはいましたが「山岳アドバイザー」として1年間は会員扱いをすると言うことで会議で決定していました。しかし、けじめとしてジョンは「参加費500円」を支払い、それが「受理され」リーダーとして最後まで責任を果たしてくれました。私はこの「500円」の徴収に心を痛めました。こうしてウオークを離れ、山に岩にと我々とは別の世界を踏み始めたのです。歩くと言う同じ空気を吸えなくなったこの時がウオークを初めて一番悲しかった出来事でした。

尾瀬スノーシューだったと思います。私とジョンの企画でバスで尾瀬に行ったのですが帰り道に交通渋滞に遭い大阪着が終電車ギリギリというアクシデントに見舞われました。次の日の書き込みに「責任者は一体何を考えてるんや!」とお叱りをうけ次の例会時の日、私とジョンとで集合駅改札に並び、その時の参加者の顔を見ると深々と頭をさげお詫びをした事がありました。しかし書き込みとは反対に「ええ思い出をありがとう!」と感謝の言葉ばかり戻ってきて胸が熱くなった思い出がありました。人との出合いは、辛くて悲しいときもありますが出会えてよかったと思う方が多く私はパワーをもらっていた様に思います。ウオークでは別々の世界となりましたが仕事やプライベートでのお付き合いは続き「岩っておもろいの?」と聞いたのが始まりでロッククライミングをしようと言うことになりました。

「みなさ〜ん!ロッククライミングしませんか〜!」とお誘いし最初は全員でロープの結び方を勉強しました。今なら簡単に出来る「エイトノット結び」がその時はむずかしく感じました。次の段階で専門的な取り組みを募集したところ6名の受講生が名乗りを上げました。さあこれからロッククライミング未知の世界への挑戦です。尻込みをするポチをなだめすかし(残して行くとうるさいため)恐くないから、楽しいからと岩場へ連れ歩きました。今では少し「ドジな亀モード」ではありますがロッククライミングが楽しいという域に達したと思っています。先日も自らがロープを買いヘルメットを新調しました。サスケ先生の「当然ポチさんが持って歩くのですよね」の書き込みに、どう反応するかとても楽しみにしています(笑)

最初は抜け駆けで「ゲートロック」にいきました。最初はクライミングシューズではなくて登山靴を履いて練習です。何故抜け駆けをしたかと言いますとポチがどの程度なのか知っておく必要があったのです。私は昔お転婆だったから問題はありません。ポチの心臓の欠陥も気になります。有料の講習ですから他のメンバーと足並みが揃わなければ皆さんから苦情をもらうことになります。「おためし練習」の結果、まあこの程度ならみんなと一緒に大丈夫と判断して、いよいよロッククライミングが始まりました。私はこの時点でもウオークを重視し、絶対にクライミングの練習日をウオークと重複しないように強く強くお願いしてウオークとクライミングと山と楽しみ、嫁に「一体お母さんはいつ家におるのですか?」と尋ねられたこともあります。(ハハハ)


[1503] 【1516回 60歳のカウントダウン】 2008-04-17 (Thu)

【60歳までにあと9日】

59年と11ケ月と21日の間に一度だけ大きな病気をしました。7年前の秋の頃、朝起きると下腹が「シクシク」と痛い。今は懐かしい生理日だったんです(なっつかしい〜)午前中は何とか辛抱できたのですがどうもいつもの生理痛とは違うと直感し仕事を中断して近くの病院へ行くことにしました。しかし激痛で歩けません。かと言って救急車を呼ぶほどではありません。歩けないなら車で行こうと準備をしジョンがまだ四貫島の事務所だったため理由を告げ車を持ち帰ってもらうように頼みました。

大阪暁○○病院に着き受付を済ますとジョンは帰るつもりでいましたが、どうも様子がおかしいと待合室までついて来てくれました。苦痛で椅子に座ることも出来ず、あぶら汗を流している私を見て「おいコラこんなに痛がっているのに早よぅしたったらどうや!」と組長顔負けですごみました。ビビつた受付嬢から連絡をうけた看護婦(あの時代はまだ看護士でなくて看護婦)があわてました。「すぐ中に入ってください」診察後車、椅子が運ばれてきました。エコー検査のため2階へ移動してくれといいます。ジョンが少しでも早くエコー室へと急いだため「ちょっと〜!車椅子のスピード早すぎる!こわいやんか〜」と叫びました。ジョン!あの時はごめんな。

「うちでは処置が出来ません。病院の救急車で千舟の病院にいきます。もちろんドクターである私も付き添いします」これはえらいことになりそうだな。意識が遠のく中でひょっとしたら帰れんかも知れないなと不安がよぎりました。千舟の病院に着くとストレツチャーに載せ替えられ待合室の妊婦さんの間をつっ走ります。ジョンも同じようにつっ走りとても恥ずかしかったといいます。「すぐ手術です」という診断で検査をしていくと異常なほどの貧血で手術には耐えられないといいます。ジョンはここでポチの会社に電話をして入院の事実を伝えます。「またぁ〜冗談言うてからに〜ハハハ」と信じてもらえなかったといいます(どこまでノーテンキなんやろ)

個室に入れられ2週間安静が続きました。手術の前日先生が来て「ひばりちゃん、一度家に帰ってカラオケでも歌ってきますか?」あまりに落ち込んでいたための先生の配慮でしたが、帰るにも会社の事務服しかなく「退院後に思いっ切り歌いますから」と言ったものの「ん?何で?私がひばりちゃんって知ってるんかな?」

それもそのはず6月1日に還暦パーテイをするラウンジの娘がお産で同じ病院に入院していたのです。同姓同名の名札がかかっているので私だと知っていて先生に私のことを話ししていたから「ひばりちゃん」と言ったみたいです。納得。

まあそんなこんなで無事手術を終え40日間の永い闘病生活を終え生還しました。この間会社の女子事務員が毎日通ってくれ、ベツトの上で仕事の指示をしたことが昨日の様に思い浮かびます。

仕事は「二人作業」がのぞましい、どちらかが病気で休んでも仕事に影響のないように常に二人で仕事をして行ければと思いますが当社の様な小規模ではそれも無理。そしてあまり早くに後任が決まるとそれはそれで仕事が無くて大変(どっちやねん)今私は後任の女性の仕事の確認と、免許取り立ての彼女の運転する車の横に乗り一日も早く一人で乗れるように応援するのが私の仕事となっています。


[1502] 【1515回 60歳のカウントダウン】 2008-04-16 (Wed)

【60歳までにあと10日】

ウオークを始めたところで箸休めに入っていましたね。今日はその続きを!

歩けのきっかけは会社の健康保険組合の推薦による企業代表で「けんぽれん100キロ歩こう」に参加しはじめました。ゴール後にスフンプを押してもらい「けんぽれん」のバッヂを収集するのがおもしろくなりけっこう真面目に参加していました。大阪府歩け歩け協会主催で「立山登山」のチラシを目敏く見つけ参加することにし、その後は各種歩けの会に参加をしましたが自分にピッタリなのは大阪府歩け歩け協会と決め会員登録をしました。

それから10年間スタツフとして自分なりに頑張って参りました。頑張ったというのは自己評価で協会にとってどうであったかは、お誉めの言葉もお叱りの言葉も頂いたことがありませんのでわかりません。自分の中に眠っていた未知への可能性を発見してくれたのが、大阪府歩け歩け協会のバスウオークでした。ガイドを付けるとバスの価格がアップすることから「ガイド無し」が定着し、誰が言うでもなしにガイドもどきとして楽しい日々をおくりました。ある時は赤とんぼを頭に掲げ、ある時は三度笠、ある時は鳥追い姿、伊豆の踊子と、また鯖街道バスウオークでは参加された方を巻き込んで100匹の鯖を帽子に付けて歩いたこともありました。厚紙で100匹の鯖を切っていく作業はいまだから言うけどそりゃあ大変でした。でも一言「ごくろうさん。いいアイデアだね」そんな言葉をもらえると単純な私はうれしいのです。現地の鯖売りのおばちゃんに「その鯖売ってくれ」と言われて差し上げたことが楽しい思い出として残っています。

お昼のコーラスは秋の有馬富士方面のウオークの時に、あまりに美しい紅葉だったので「みんなで歌いましょう!」と歌集も無しで大合唱した時の歌声のきれいかったこと!この歌声がやみつきになり何度か歌集なしで歌いましたが参加者の中から「歌集がほしい」との要望に季節の歌を準備して毎回食後に歌っていた次第です。「ウオークに歌はいらん」と言う陰の声にもめげず100回以上続けました。「今日は何を歌ってくれるねん?」と楽しみにしてくれる参加者も出てきて「続けててよかった〜」とうれしかったです。

会社で取得した救命救急普及員が役立ち、納会ごとにみなさんと救命救急について講習をしました。皆様にお伝えするために事前に自分なりに勉強し消防署の講習に自主参加し、大変自分のためになりました。そんな機会を与えてくれた大阪府歩け歩け協会にはとても感謝しています。取得しても頭の中で考えるよりもその場で手当ができるかどうかが問われます。幸いにそのような現場に遭遇することなくいままで来ておりますが、そんな場面に遭遇したときは勇気をもって一歩前に進めすかどうかにかかってきます。

納会で講習を受けられた皆様の勇気ある一歩を期待しております。


[1501] 【1514回 60歳のカウントダウン】 2008-04-15 (Tue)

【60歳までにあと11日】

「出産10日前」→→私の出産ではありません。

昭和23年4月15日あたりになると母のお腹は風船の様に大きく膨らみ、今の様に出産前だからと言って、大事をとるという環境でもなく家事や畑仕事に精を出して日の暮れるまで働いていたにちがいありません。野良仕事の後、縁側に座り下腹に手をあてて「お〜しんど」とため息をついていた様な気がします。今のように新しいもので新生児の物を作るのではなくて、母のネルの寝間着をほどきおしめに作り直し、肌着もまた母の着古した物で代用したに違い有りません。貧しき家に生まれる子は自分の喰いぶちは自分で持って出てくると聞いたことがあります。私もその通りで母のおっぱいは噴水の如く吹き出ていたようです(故一刀水談)

その証拠に私は小学校1年生まで母のオッパイを吸っていました。授業参観で母が学校にきている時、友達が「みっちゃん帰ろ!」「待ってや〜今からおっぱい飲んでから」と参観に来た母のおっぱいを吸った記憶があります。まあ牛乳感覚とご理解下さい。そのおかげで私は59歳まで骨折をしたことがない位、骨には自信があったんです。(最近は骨折ばかりしていますが)

小学校までおっぱいかよ〜と笑う人もいるかもしれませんが、私にとって母の温もりを肌で感じれる唯一の思い出です。母は姉を産んでから7年間も子宝に恵まれませんでした。村人は私の出産を「うらなり」だと笑います。キューリは茎や幹が枯れてから思いがけず実が付くことがあるのだそうです。それを「うらなり」と田舎では言います。母の年を考えれば、まさにそのうらなりが私なんだそうです。そう言えば母は私を産んだ時45歳ぐらいだと聞いています。

母は自分の体力の限界を感じつつ生命の誕生の神秘に命を賭けたのかも知れません。もう私の産まれた時の事を知っていて話してくれる人はこの世にいなくなってしまいました。姉とて7歳で一部始終を覚えているはずがなく妹が出来たことで自分の立場が少し冷ややかなものになったことは感じていたと思います。山で遊んでいて木に私をくくりつけたまま(父親の兵児帯でおんぶをしていて、下ろしてからそのまま木にくくりつけた)忘れて帰ってしまったんだそうです。「美智子は?」「あっ山に忘れた!」バシッ!その瞬間、母のビンタが飛んできたらしいです。山に忘れられた私は泣くでなく、叫ぶでなく一人で機嫌よく遊んでいたといいます。人さらいや車の事故のない、自然の中でのびのび育ったおかげで悪い道にはまらずに済んだのかも知れません。

美輪明宏の「ヨイトマの唄」を歌うと母を思い出します。
26日は姉に「感謝状」を持参しようと思っています。







[1500] 【1513回 60歳のカウントダウン】 2008-04-14 (Mon)

【60歳までにあと12日】
「人のふり見て我がふり直せ」の教訓

自宅を8時30分に出発して東西線を乗り継ぎ阪急山本駅に到着しました。中山連山へ立山の自主トレを目的に歩きます。ここは岩場も多く胸がワクワクしたのは束の間で前方に40数名の団体と出くわしました。「いや〜な予感」です。混乱を避けるため長めの休憩を取り、再びあるきはじめましたが、すぐに追いついてしまいます。どうも新聞かチラシで募集した様で前と後ろだけ関係者っぽい方がいるみたいです。一人やっと通過できる細くて狭い道で、急ぐ旅でもないのでズーッと後ろをついて歩きます。後方の関係者の方は一般の我々が歩いているのは承知しています。しかし「よける、先に行かす」そう言うポケットは持ち合わせていないようです。ジョンが「言うなよ!怒るなよ!」と牽制球を投げてきましたのできちんと受け止めました。

30分以上経過したでしょうか。ジョンが切れました。「お宅ら、どこの団体ですか?何人参加ですか?」言葉は丁寧ですがジョンが怒った時は言葉はとても丁寧です。暗に先へ行かせろよと言わんばかりの血相でした。そしておばちゃんの会話は「晩のおかずは何にするのか」「山本の駅で降りて植木屋に行きたい」と山本連山のツツジの話しならともかく、ズーッと喋り続けます。途中で休憩の合図が合ったようで狭い道端に左右から足を投げ出して腰を下ろしています。

ジョンに言われた通り、おとなしく歩いていましたがこの場を通過するときに「通路に腰を下ろさない!片側に座る!これ山の常識!」と大きな独り言を言い、ストレスのたまる山歩きからやっとの思いで通過することができました。頂上で昼食をとり休憩をしていたのですが、またまたこの団体も、ここで昼食の様なので、すぐ下山にとりかかりました。
私達が山歩きをするときは、必ず相手を気遣う姿勢をやまたびクラブ全員でとっています

@対向者が来たら必要以上によける。(リュックが触れると事故になる場合もあります)
A後ろから通過者のある時は、こまめに交わす。(一度に全員交わす必要は無し)
B必要以上のおしゃべりはしない。(周囲にとっては雑音でしかない)
C リーダーの指示には絶対服従(時々、口答えして怒られているけど)

私達は、ごく普通のマナーだと思っていても、その日限りの集団であれば、あまりうるさく言わないのかも知れませんね。それにしても大変な団体でした。思わずウオーキングの団体歩行を思い出しました。ウオーキングの時はスタツフは必死にマナーを呼びかけていますが参加者の中の、ほんの一部の人が従ってくれないというストレスが毎回積み重なっていました。せっかくのツツジの美しさもトンネルも30分間のイライラの間だけふっトンでいました。来週が見ごろですって・・・いこか〜ICOKA〜な。


[1499] 【1512回 60歳のカウントダウン】 2008-04-13 (Sun)


【60歳までにあと12日】

看病の甲斐もなく姑はあの世へと旅立ちました。悲しすぎて虚脱感で何もする気がしませんが一人になった舅の世話があり悲しみに浸っているわけにも行かず、姑が亡くなってから8年間毎日食事の世話を続けて参りました。それが苦労ではありませんが、少ないレパートリーが辛かったですね。それでも「おいしい」と食べてくれて休日には旅行に行ったり、花見に行ったりと私達と一緒に元気で仲良くすごしていました。私の長男の結婚は姑の分も喜んでくれました。1年後に私の次男も結婚することになり舅は温水プールで足腰を鍛えると行って出かけた日、自転車から転倒し大腿骨骨折となり入院しました。それから1週間後あっけなくあの世に旅立ちました。本当に何とあっけないのでしょうか。生前中に医師に呼ばれ「3ケ月間入院している間に痴呆症になることがある。覚悟をするように」と言われ、これは会社を退職して舅の面倒をみる時期に入ったと覚悟をした途端の他界でした。

「おじいちゃんは私に会社を辞めて看病をさすのを気の毒がって死に急いだのかなぁ」と嘆いてみたりもしましたが親類の皆さんは「大往生だから。ありがとうよ」と行ってくれ1週間後の次男も結婚を延期することなく予定通り済ませました。「香典やら祝いやら忙しいのぉ」と親類のおじさんは笑います。80歳を過ぎての他界は、そう悲壮感は無い様子です。

ポチの両親を見送ったあとは、遅ればせの私の青春の到来となり「歩け歩け」の味を知り10年間続けることとなりました。


[1498] 【1512回 60歳のカウントダウン】 2008-04-12 (Sat)


【60歳までにあと13日】

私の60年間の振り返りを今日は箸休めとします。

今日は会社の後輩の結婚式に招待を受け京橋にある「ホテルモントレラ・スール大阪」に出向きました。屋外のチャペルか室内のチャペルか悩んでいて相談をうけていたので「バージンロードが長い方がいいのでは」とアドバイスをしました。バージンロードがとても長く花嫁の姿が参列者によく見えてかわいかったです。三三九度もいいけど、なんだかチャペル式の方が現代に似合っているかも知れませんね。

会社を結婚のために退職した元女子社員4名も出席しており、私を見つけて懐かしそうに寄ってきてくれてキャーキャーワァーワァーと昔ながらのおしゃべりを楽しみました。今と違ってチームワークがよくて退職後も子連れで鍋を突っつき合っているそうです。来賓の挨拶、スピーチと続き、時々友人が余興を披露して楽しい時間がすぎていきます。

花嫁のお色直しの時、司会者が「花嫁の希望で花嫁のお母様と会社のお母様でお色直しに行って頂きます」突然私の名前がアナウンスされました。同じテーブルの後輩から「キャーッ素敵やん〜」と歓声があがりせき立てられるように私は花嫁のもとに行き、花婿に代わってエスコートさせて頂きました。とても大切な役割を私にさせていただいたことで感動の涙が溢れます。

時を同じくして東京の品川プリンスホテルでは故一刀水の弟の娘の結婚式が行われました。癌におかされながらも歯を食いしばり今日までバージンロードを歩くことで生きる目標として生きてきた新婦の父へ、ありきたりな祝電ではなくて心のこもった私流のお祝い文とイラスト入りメッセージを「配達記録扱い」で送りました。挙式の前日式場に確認の電話をしたら「まだ到着していません」とのこと。これは大変と此花郵便局に問い合わせると「9日午前11時49分配達完了」との回答があり品川プリンスホテルは11日は終始大騒動をしたようです。

今夜新婦の父から「みっちゃんありがとう・・・・」あとは泣いて言葉にはなりませんでした。メッセージカードは無事ついていたようですねホツとしました。

この2組のカップルが末永く幸せでありますように心からお祈りしたいと思います。おめでとう!


[1497] 【1511回 60歳のカウントダウン】 2008-04-11 (Fri)

【60歳までにあと14日】

心臓手術の後に今度は「網膜剥離」で入院手術となりました。朝ポチが「目の中に犬の足跡みたいな黒い点が見える」と自覚症状を訴えます。それを聞いて「あっそれは、入院になると思うから用意するわ」と洗面道具、着替え、スリッパと身の回りの物を用意しました。心臓で入院したときのものをそのまま持参すればいいのです。案の定「即入院」となりました。砂の枕に固定されトイレも食事も天井を向いたまま。うなずくことも、ひげそりも禁止されています。またここで子供達をよび「今度こそあかんわ。でもお母さんが働いているから大丈夫だから」と動揺しないようになだめました。手術の結果、医学の進歩で視力は落ちたものの光を失わずに済みました。

ポチから自由を奪うなら、まず「お口」からお願いします。いらん事も言わないし、岩上りしている時も「アーッ!」とか「えっー!」とか不必要な言葉を発しないで済むからね。

それからずいぶん年月を経て姑の体調の異変に気が付きました。ポチに「お母さんの口臭が気になるんだけど胃が悪いのじゃないかなぁ。それとなく聞いてみてほして」と頼みました。ポチは「お袋!嫁がお袋の口が臭い言うてるぞ!」(アホ!そんなストレートな!私の立場がないやろっ!)ほんまに腹立たしいメッセンジャーおっさんですこと。母は怒る気力もなかったのでしょうか病院へ行くことを承知してくれました。多分自覚症状があったんだと思います。私の不注意で早期発見とはいかず、「もっと早く気が付いてあげていたら」・・・と悔やみます。一度目の手術は「黄疸がきついので簡単な手術だから」と母には嘘をつき、胃を3分の1ほど摘出しました。それから再び再発し医師からは「開腹してみますが手術の時間が短ければガンを取り除けなかったと諦めて下さい。」と宣告されました。

「神様どうぞ手術時間がシビレが切れるほど長くかかりますように」と祈りましたが手術中のランプはあっという間に終了を告げる様に消えてしまいました。医師からホスピス病院への転院を勧められたり、明日にも命が消えるので自宅で過ごす様に勧められましたので黄疸のきついことを近所に悟られないために夜間に姑を退院さすことにしました。医師は夜間の退院は前代未聞だとイエスといいませんが看護婦長は事情を理解してくれて退院の許可をもらうことができました。

会社の上司に「母の最期を見取るために長期休暇を欲しい」と申し出ましたが会社も困るため介護に必要な時間の外出許可が出て10時12時3時とオムツの取り替えや食事の準備に帰らせてもらえました。昼間は母の妹と舅の2人でみてもらいましたが母は私意外の者にオムツ交換を許すことはありませんでした。食事は親指大のおにぎりや、ままごとの様なおかずを「ひとくちだけ」と言うことで食べてもらううちにだんだん血色がよくなり食欲が回復してきました。夕食が終わると身体を拭き洗濯物を持ち帰り自宅についたら9時前でしたが、子供達はお腹をすかしていても、おばあちゃん優先の生活に文句一つ言わず40日あまりをこのパターンですごしました。休みの日はジョンさんの車で温泉に行きお風呂にはいることを唯一の楽しみとし、薬効を信じ、その時の母の喜ぶ顔がうれしくてたまりません。


[1496] 【1510回 60歳のカウントダウン】 2008-04-10 (Thu)

【60歳までにあと15日】

ポチとの出会いはお話しましたので今日はジョンさんとの出会いをお話ししましょう。ジョンさんは私の会社が取引する四貫島商店街の「ウオ○カメラ」というカメラ屋さんで働いていました。私はその頃、総務係でなくて検査係で勤務しており完成品の写真を撮り客先に送付する仕事も含まれておりました。何度かプリントをだしにいくうちに「まいど〜!」「おいど〜!」などと冗談を言い交わす様になるのに、そう時間はかかりませんでした。

それからジョンさんは友人とカメラ店を共同で開店し担当者として何かとジョンさんに助けてもらっていたので友人と経営する店の方に取引先を変更致しました。ある日、友人家族とジョン家族が鳥取に海水浴に行く予定になっていたんですがジョンの奥さんが急に都合が悪くなり「代わりに行くか?」と誘われ二つ返事でOKしたんです。

OKはしたもののポチは二人の息子を連れて子供会で淡路島にキャンプに行っていました。戻るのを待ってそのまま鳥取行きとなったんです。鳥取に到着するまでにひと泳ぎしようと車を沿道に止めみんなで海水浴を楽しんでいました。車に戻ると何と鍵穴を壊され車上荒らしに遭い荷物がほとんど盗まれていました。着替え、夏休みの宿題が盗まれました。現金は海水浴に持っていってたのでセーフ。ジョンさんの高価なカメラは無造作に黒いゴミ袋に入れていてゴミと間違われ、これもセーフ。

息子達は「やったー夏休みの宿題が盗まれたー。お母さん先生にちゃんと理由言うてな。ヤッターヤッター」と大喜びでした。

このことがあってから家族でお付き合いが始まりました。クリスマスの時は我が家にみんなが集合してパーティをしたりしました。それからジョンさんが西九条に独立し、その後四貫島に移転し、その都度会社もついて行った感じです。我が社が丹波篠山に移転した頃からデジカメ時代となり取引もあまりなくなりました。それでも今の事務所福島区に引っ越ししてもまだまだ取引は、細々ではありますが続いています。

姑が病気で余命がさほどないと言う事を聞いてからはジョンの、急死した母上に親孝行するが如くポチの母によくしてもらいました。ジョンはいままで乱暴な運転でしたが病人を温泉に連れて行く事になると、妙にやさしい運転に変わりました。姑が亡くなり舅との旅行の時も(8年間)一緒に出かけて楽しい思い出を山ほど作りました。

まだこのころはウオークを知らない時代ですから温泉場をハシゴして日本全国ほとんど回りました。一刀水も一緒でいつも5人で楽しい旅でした。私の姉は「忙しい忙しい」が口癖であまり行動は共にしなかったです。ジョンと私は愛とか恋とかは無縁の仲で、まあ戦友のような、知己朋友の様な間柄ですかねぇ。仲良しだけど、まあよくけんかもします。(知ってる〜知ってる〜サスケ先生の前でも大げんかしましたよね)夫婦なら夫婦喧嘩ですが私達は戦友喧嘩かな????


[1495] 【1509回 60歳のカウントダウン】 2008-04-09 (Wed)

【60歳までにあと16日】

「入院中やのに無謀なことして!」とポチの両親に叱られると覚悟をしていたのですが、あっさりとOKしてくれたのです。隣町の高見町に引っ越しして朝はママチャリの後ろと前に子供を乗せ、雨の日はこれに傘をさして姑の家までいきます。会社の人は「サーカス母ちゃんやな」と笑います。この6月1日からママチャリに子供は一人と限定されますが働くお母さんはママチャリで保育園に行かないとお仕事にいけないのです。政府は少子化をなげきながら、子供二人は乗せてはいけないのですねぇ。(裏技はひとり負んぶしてください)今はりっぱな子供を乗せる荷台が装着されていますが私の子育て時代は粗末な物でした。よく事故をおこさなかったと感心します。

平成4年、ポチが心臓の大手術を受けなければならなくなりました。2人の息子を呼び「お父さんが万一死んでもお母さんが働くから何の心配もいらんよ。大学まで行けばいいよ」と励ましました。昔私が大学進学をあきらめたあのつらい思いは子供にさせてはいけないと決心したんです。私は兄や姉に大学に行きたいとは口が裂けても言えませんでした。

ポチの手術終了後、集中治療室に入った姑はバタリと倒れてしまいました。ICUの息子の変わり果てた姿にショックを受けたようです(死んだのとちゃいますよ〜)管でつながれた息子がよほどかわいそうだったんでしょう。配偶者は事前に倒れない予行練習があったのです。そんなことで倒れていては子供2人育ててはいけません。幸いにも行きを吹き返し術前には想像もできなかつた山登りまで出来るようになるとは誰も思っていませんでしたる多分天国の姑が知ったら、もう一度バタリと倒れるかも知れませんね(もう倒れてるっちゅうねん)


[1494] 【1508回 60歳のカウントダウン】 2008-04-08 (Tue)

【60歳までにあと17日】

結婚と同時に今の会社に転職しました。「子供が出来るまでのほんの腰掛け」のつもりでした。1年後に第一子を身ごもり私が会社設立以来、最初の産前産後休暇を取得しました。産休も明ける頃、お姑さんが「私が子守り役引き受けるから仕事続けてもいいよ」と言ってくれ仕事は続けることにしました。家と会社の間はわずか1分。今のビルとは違い民家を改造した会社でしたのでおっぱいの時間になると窓ガラスをコンコンと叩き授乳のために家に帰っていました。

更に4年後、第二子を身ごもり、産休突入。今度ばかりは仕事をやめなきゃあなぁと思っていたら、長男が丁度幼稚園に入園の時期に入り「この子も見てあげるよ」と言ってくれ働く女性として仕事に意欲が出て来ました。この時期ポチが高熱が続き、近くの病院に行くと「寝冷え」と診断されましたが「そんなはずはない」と私が譲らず、別の病院に行くと「急性腎盂炎」で即入院を告げられました。これが最初の入院です。この時入院先からポチが大胆な行動をしでかしたのです。

「今の家は病気ばかりするために家を買う!」と突然に言いました。ローン会社へは入院していることを内緒にし姑の理解を得て、現在の家へ転居することにしました。「これで病気はしないぞ」そんなわけないじゃろと思いながらも兄と弟の同居生活から解放されることの方が優先しポチの無謀に賛成して引っ越すことにしました。


[1493] 【1507回 60歳のカウントダウン】 2008-04-07 (Mon)

【60歳までにあと18日】

最初は「西九条駅」までだった見送りが、京橋駅までとなり、鴻池新田までとなりました。島倉千代子の「送って行って送られて、そのまた帰りを送って行って♪」ではありませんが故一刀水が非常に厳しい人で門限を破るとポチが怒られることになりますので「清く正しく美しく」のつきあいが続きました。いつだったかポチ達とキャンプに行き、大雨に遭い、帰りにポチ宅に立ち寄りましたら、またまた暴風雨がはげしくなり姑が「今夜はここに泊まらせてはいかが?」と兄に交渉してくれましたが「タクシーで帰して下さい」と頑固。他の女性達は親の許可がおりて全部で5人くらい泊まったと思います。そんなわけで私だけ雨に濡れてかえりました。府営住宅の階段のところに兄が迎えに降りてきており友達はみんな泊まったことを告げると「親がある子と親のない子と一緒にしたらいかん!」と説教されました。しかしこの躾は、のちのち今の私を形成する上でとても大事な兄流の愛情だったみたいです。今は感謝しています。

居候生活に早くピリオドをつけたいという気持ちもあり「家付き、姑付き、兄弟付き」の結婚を選びました。姑が私を気に入ってくれ、私ももこの姑とならうまくやっていけると確信しムコ殿の選定はあったようななかったような・・・

このころポチの家には(隣近所み〜んな)湯沸かし器もなく、洗濯機もなく、勿論冷蔵庫もありませんでした。退職金代わりにもらった私の嫁入り道具は姑さんが大喜びをしてくれました。「身ひとつでおいで」の言葉に甘え、軽トラの上の電化製品以外は乗用車のトランクにスッポリと入る嫁入り道具しかありませんでした。

くみ取り式トイレを結婚式までに水洗トイレにするという約束を取り付け、両親、兄、弟との同居がはじまりました。「狭〜いながらも楽しい我が家〜♪」この歌には現実味がありませんでした。若いから、姑の指導も素直に聞き21歳のうら若き花嫁は、少しづつ主婦として成長していくのです。


[1492] 【1506回 60歳へのカウントダウン】 2008-04-07 (Mon)

【60歳までにあと19日】

高校卒業後、中○炉工業という会社に就職、ここは外資系で日本で一番最初に週給2日制を取り入れた一流企業でした。エレベーターガール、電話交換手を経て資料課に配属となりました。しかしこの会社は短大卒の女子が大半で高卒は冷遇され肩身が狭く、決して居心地のよい職場ではありませんでした。仕事内容も単純で物足りなくて高校時代の友達が小さな倉庫会社に勤めていて「仕事もおもしろいよ、うちの会社においでよ」という話しに乗り、入社試験を受けて苦労して入ったことを忘れアッサリと辞めることとなりました。

弁天町にある小さな倉庫会社を新たな働き場と決め、電話、注文書の発行、配車、請求書作成、集金、社長秘書と中○炉工業では体験できなかった充実した日々をすごすことができました。社長夫人による行儀作法(お茶、お華、料理)も有無を言わさず習得させられ月謝はちゃ〜んと給料天引きとなっておりました。その後、結婚のためこの会社を退職する際に社長から「福谷君の退職金はないなぁ」といわれ勤続年数が短いから当然と思っていたのですが軽トラの荷台に山積みされた電化製品の数々が私の退職金だったんです。この社長と夫人とは、結婚後もずーっと、お二人が亡くなるまでお付き合いをさせていただいていました。

お茶とお華、料理コースは一応終了し「和裁、洋裁」コースの選択を迫られました。私は「和裁コース」を選択し此花区で和裁のプロとして仕立物をしていたポチの母を師匠として会社が終わると「安治川隧道」を通り1週間に2日おけいこに通うことになりました。

最初は、運針、肌襦袢、長襦袢、浴衣とこなしていくうちに「晩ご飯一緒にどう?」ということになり、食べ物に釣られて夕食を頂くと午後9時すぎになり母親が「西九条まで送って行ったり〜」となり、その役目がポチだったわけです。


[1491] 【1505回 60歳へのカウントダウン】 2008-04-04 (Fri)

【60歳までにあと21日】

「大阪へ行こう」姉のこの言葉は兄が大阪で探していた住居が見つかり、姉との新婚生活の準備ができたという知らせの様です。ついていかないわけには行きません。中村の駅には親戚や友達が見送りに来てくれています。姉が「最初で最後の贅沢」と鷲宇3号の一等席(今で言うグリーン車)の切符を買ってくれました。座席にかかったシートが、やけに白かったこと。どこかの商店街から流れてくる「♪♪泣くな〜妹よ〜妹よなくな〜」のメロディのうら悲しかったこと・・・・中学校を2度転校し大阪市立港中学校へ転入しました。45人体制で24クラスのマンモス校です。それもそのはず昭和23年ネズミ年生まれはネズミ講の様に生徒が増えていました。田舎で成績が良くても都会では通用しません。言葉も生活習慣もついて行けずここで大きな挫折を味わうこととなりました。

姉達が新婚生活を送った家は文化住宅の2階で6畳と4.5畳に炊事場のついた小さなスイートルームでした。お邪魔虫ではありましたが心配ご無用、2人の姪が産まれています。学校へいきながら子育ても手伝い「遊びに行くときはどの子か連れていって〜」といわれる始末です。中学校を卒業し高校の同じ区内に進学することができました。姉たちの住まいがあまりに狭いということと、扶養家族に私がいるということで優先的に新築の府営住宅へ入居することができ東大阪市鴻池新田に転居し、ここでやっと人間らしい生活をすることができました。続いて甥も産まれ(がんばるの〜)広いと思っていた住まいも段々と狭く感じて、いつの間にか私の寝床は押入の中となりました。姪は羨ましがり私の部屋(?)に来たがりますが「ネズミがかじりに来るから」と寄せ付けなかったこともありました。(笑)

通学は環状線で京橋から片町線に乗り換えて鴻池新田まで帰るのですが友達と片町駅終点まで行き、折り返し電車に悠々と座って帰る技(つまりキセル)を使っていたある日、車掌が「乗車券を拝見しま〜す」と検札にやってきたではありませんか。モジモジしていると車掌が見抜き「学校名を言いなさい!」と恐い顔をして言いましたが最後まで「黙秘権」を使い罪の意識が無かったこと、今後は絶対にしないことを約束し大岡裁きを受けました。それからはギューギュー詰めでも立ったままでも規律正しく3年間電車通学を致しました。ハイ


[1490] 【1504回 60歳へのカウントダウン】 2008-04-03 (Thu)


【60歳までにあと23日】

母の初七日のために親戚が集まってきました。今風に葬儀の日に初七日の法要をする習慣はなく、きっちり7日目に行います。まず神主様(我が家は神式)のお祈りが終わると母が元気だった時の遺言の話になりました。親戚の中で力を持ったおんちゃんが議事進行役をまかされます。「イサヲ姉さんは生前一刀水と和子を結婚させたい言うちょったが反対するもんはおらんかい?」誰も異議申し立て者はおらず姉と兄は従兄弟同士の許嫁となりました。私もその方がいいと思いましたが幼い私に同意を求める大人は誰もいませんでした。

「次は美智子をどうするがか誰が意見があったら言うちょくれ」おじさんの家はお金もあるけん私を引き取ったらどうやねんと思いながら「孤児院」「親戚預け」の両方の選択となりました。姉が「美智子は私が育てますけん」びっくりしました。7歳年上だというても、今しがた、許嫁の話が出ていずれ結婚するかもしれんのに一時の感情でそんなこというたらいかんと心の中で必死に叫びましたが声には出ていません。出したら孤児院に行くかも知れないと言う不安があったからです。

それから生家をはなれ町の看護婦寮で姉との生活が始まりました。せっかく通い始めた中学校は1学期で転校する羽目になりました。制服を買い換えるお金もなく田舎の制服で転校先の学校へ通いました。看護婦寮に炊事場はなく病院の食事をお盆にのせて寮に持ち帰り二人で食べるのです。お給料をもらいたての月初めは2食分の食券を買えますが25日近くなるとひとつの給食を2人でつっつきます。婦長さんが「食欲がない」とよくお盆に乗った食事をくれました。島田洋七の「がばいばあちゃん」どころか私が最もひもじいと思って生きていた頃です。病院のお嬢さんが私と同級生で、ここのおばあちゃんが「福ちゃんも一緒に食べたや」とよく食事を食べさしてくださいました。みんなとても親切に育ててくださいました。看護婦の正子姉ちゃんは帰郷するたびに私を連れて帰り自分の母親のご馳走を食べさせてくれました。


貧しかったですがひねくれたり、いじけたりしたことはありません。勉強は「親がないからアホや」と言われるのが嫌でしっかりと勉強しました。恩師の柳川先生も陰になり日向になり応援してくださいました。人の温もりを人一倍もらった時期だった様に思います。そして中学2年生の時姉が「美智子!大阪に行こう!」と突然言い出したのです。


[1489] 【1503回 60歳へのカウントダウン】 2008-04-02 (Wed)


【60歳までにあと24日】

小学校4年生の春4月21日、父親が縁側で「今晩は筍ごはんが・・・・・・・」と話の途中で息絶えました。まるでドラマの様な出来事でした。脳卒中です。あわただしい葬儀は近所の人や親戚が集まり、私は人が来てくれたことがうれしくてたまりません。悲しいという感情に至るには、しばらくたって生活苦がはじまってからのことでした。公務員だった父の恩給は私が18歳の時まで支給されましたが母親はタンスの中の着物を米に替え、土方の仕事を男に混じって働きました。美輪明宏の「ヨイトマケの歌」はまさに私の母の姿だったのです。槍ヶ岳の帰りのバスの中で歌いましたが母の姿が浮かび涙がとまりませんでした。

「ソロバンが習いたい」「習字が習いたい」と言えば自分で働き月謝代を稼げといいます。山へ蕗を採りに行き、母親がゆがいてくれて皮を剥き町の市場に行けば現金をもらえます。川にコロバシをつけうなぎを取れば市場のおんちゃんが買いにきてくれます。それをソロバンと習字の月謝にするのです。担任の柳川先生(宇和島で長いこと待ってくれた先生)がそのことを知り放課後習字を教えてくれました。新聞紙で練習していた私に真っ白な半紙を下さいました。

その母も私が小学校を卒業してまもなく(中学1年の7月19日)働き過ぎで倒れ、1週間後に他界しました。病名は高血圧だと思います。町医者が駆けつけたときにはすでに意識はなく喉がゴロゴロと鳴っていたのを鮮明に覚えています。この1週間の看病中の私の役目は1時間かけて自転車で魚屋へ氷を買いにでかけます。7月の暑い中、1時間もかけて帰りつくと氷は半分に溶けて、姉にこじゃんと(大層)叱られました。そして戻ると川へ母のおしめを洗いにいきました。生き返ると信じて疑がいませんでした。

この時も近所の人や親戚が沢山あつまりましたが、通夜の席で田畑の豊作の話や自分の家の話で盛り上がり母親の事を話している様子がなく、子供心に悲しくて竹箒を振り回し「帰れ!帰れ!」と叫んだことを今は悔やんでいます。母は「巻かぬ種は生えない。お母さんが死んでも美智子達が困ったときにはきっとみんなが助けてくれる」と言い、自分が貧しいことを棚に上げて農家のおばさん達に尽くしていましたので「姉さん、姉さん」と近所の皆さんから慕われていたことは後で知りました。

この時一刀水はすでに大阪で働き、姉は高知市内で看護婦をしていましたので、さあこれから孤児ハッチとなったハチキン美智子はどうなるのでしょうか。


[1488] 【1502回 60歳へのカウントダウン】 2008-04-01 (Tue)

【60歳までにあと25日】

私が生まれた村のはずれに大きな紅葉の木がありました。枝の間に子供達4〜5人は座れる場所があり特等席として「早いもん勝ち」の絶好の遊び場でした。ある日、滅多に冗談を言わない一刀水兄が「お前はあの紅葉の木の枝にひっかかって泣いていたのでかわいそうだから拾ってきてやった」と言われて悲しくて大声で泣いたことがあります。辛いことがあると(あんまりつらい事もなかった様に思うが)紅葉の木の下に行っては感傷に浸ったものです。

オシベもメシベも知らない時代の話で、のどかでよかったなぁ。痴漢もセクハラもない、テレビの無い時代でそういう知識も遅れていたように思います。ハチキン娘として怖い物は無かったのですがカミナリだけは怖くてたまらなかった。いまだにカミナリは怖い。

夏の暑い日、夕立とともにカミナリが鳴った。ヘソを押さえ川からすぐあがり家に戻り母親に頼んで「蚊帳」を吊ってもらいフトンをかぶり夕立の過ぎ去るのを待った思い出があります。昔は地震、カミナリ、火事、親父と言われましたが今は親父はどうなっているのでしょうか。我が家では見つかりにくい捜し物の様です。(ハハハ)

孫の零が言います「パパ大好きだけどデコパッチンは嫌い!」どうも躾の一部にデコパッチンを使っているらしい。パパは大好きだけど怖いらしい。ももちゃんは「かわいいお洋服着てるね」と褒めると「パパに買うてもろてん」と言います。ハパを持ち上げている嫁の姿を垣間見る気がします。どの子も良い子に育っているようだ。嫁に感謝!


[1487] 【1501回 60歳へのカウントダウン】 2008-03-31 (Mon)

【60歳までにあと26日】

私が生まれてから60歳という日を迎えるまでにあと26日となりました。

高知県中村市(現四万十市)で何cいいえ何匁で生まれたか知る人はいない。片卵巣だった母親が一刀水を養子に迎え、その後、姉が生まれ7年後に私が生まれました。父親はこのとき56歳だったと聞きます。参観日には「お前んとこはおじいちゃんがきちょるがか?」と同級生にからかわれ、その片っ端から、しばいて泣かした。それから友達の間で父親の歳をからかうものは誰一人としていなくなった。

春になるとイタドリをとり、夏は川で日暮れまで泳いだ。友達の唇が紫色になるのを確認したら、きっと自分も同じ色だろうと大きな岩の上にあがり太陽を浴びた。5時になると父親の笛の音が聞こえる。夕食の時間に間に合わないと何故か姉だけが叱られる。7歳年下の妹は難をのがれるのだ。

高知県の木「やまもも」の実をもぎ取り食べきれない実はポケットに入れる。家にかえると上着のポケットがやまもも色に染まり、この時だけは母親に叱られた。桑の実も食べたがさすがにポケットにいれることはなかった。ぐみの実もよそ様の庭先のものも頂いた。黙って頂いたのではない。「おばちゃんグイメもらうで〜」と断った。ただこの家のおばちゃんは、いつも土方に出ていて留守だった。

冬になるとクビッチョの仕掛けに山をかけずり上がった。木の枝を利用して雪でエサのない鳥を南天の実でおびき出し首を木の枝ではさむ(今は禁止だそうです)川に仕掛けをしうなぎや蟹を沢山とったものです。今はミミズをつかむことはできませんが子供の頃は平気でつかんではうなぎ採りのエサにしたものです。

生まれてから順序だてて書き込もうとしたのですが楽しかったことが先走り前後左右するかも知れません。明日は「紅葉の木」の話をします。


[1486] 【1500回 雨の中の桜の開花調査】 2008-03-30 (Sun)

東京上野公園の桜の満開を見て、大阪城はどうなのかと散歩がてらに出かけてみることにしました。家の近くの公園の桜は、今日の雨で散るのを恐れ8分咲きで雨に耐えています。散ることはありません。木によってはもう満開状態の桜もあります。午前10時30分に家を出て野田阪神を経て2号線を歩きます。造幣局の手前を曲がり大手前に出て大阪城に着いたのが11時30分。1時間で歩いたことになります。小雨がふる中で海外の観光客が多く、お城と桜の組み合わせが珍しいらしくカメラをかまえた人が目立ちます。

しかしまだ蕾が多く、花見をするにはすこし早い様です。有料の西の丸も立ち入り禁止ギリギリまで歩み寄りましたがまだまだです。見頃は4月の初旬から4月12日〜13日の様でした。風邪をひかぬよう花冷えのする日をさけて行ってくださいね。談山神社は丁度19日あたりが見頃ではないでしょうか(祈)

帰りは好日山荘をめがけて歩きました。ロープを購入するためです。今回はポチが購入し、ロッククライミング用に使っていただこうと思っています。ついでにゴムもかいました。(パンツのゴムではありません)手袋やピッケルの保護具に使います。

自宅に帰り着いてから休む間もなくコインランドリーに毛布3枚を持ち込み洗濯をしました。いつもは風呂の中でジャブジャブ足踏みをして洗うのですがコーナンの近くに清潔なコインランドリーを見つけ利用することにしました。30分ほどで3枚完成です。雨のためか利用客が少なくて時間待ちをする必要がありません。ここで師匠と待ち合わせをし遅い昼食を取ることにしました。最初はトンカツ屋を探しましたが店が休日のため次は洋食屋を探しましたが満杯です。結局ミスタードーナツでラーメンとドーナツを食べました。今日は雨のためかどこに行っても満席のようです。


[1485] 【1499回 ねぇみんなどう思う?その三 2008-03-29 (Sat)

千葉県の未解決殺人事件でキツネ目の特徴があるのに未だに捕まっていない事件があり、その人相に似た人物が四貫島商店街で買い物をしていると知人から携帯に電話がありバイクを飛ばしました。「て○だや」と書いてあるお店でいま買い物中であるといいます。その店に入り前から見ると、なるほど女装しているがよく似ていそうな気がします。善良な市民からの通報ということでとりあえず知人が警察に電話を入れました。身長を聞かれましたので知人が携帯をかけている間に私が店にはいり横に並び身長差から、だいたいの身長を知らせます。この知人は前日も見かけてマンションまで追跡し居所を警察に通報したといいます。間違いかどうかは警察が調べる仕事。我々は手配写真に似た人を見つけたという通報のみ行いました。さながら「銭形平次捕物帖」のような気がしました。この事件には賞金100万円がかけられています。

そう言えば江崎グリコの3億円事件の時に市民の通報で大迷惑をした人が身近にいることを思い出しました。何を隠そうジョンさんです。このころパーマをかけネガネをかけ手配写真に極似しており趣味や仕事などもかなりの率で紛らわしかったのは事実です。これも善良な市民の通報(近隣の人)だったそうです。ジョンは訪ねて来た警察官の調査に協力し、そんな大それたことをしでかす人物でないことが判明しましたが今日もその再現の様で知人にあまり深追いをしないように注意して家に戻りました。

こんな場面にであったことがありますか?


[1484] 【1498回 ねぇみんなどう思う?その二】 2008-03-28 (Fri)

さざれ石(細石)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもの。「石灰質角れき岩」とよばれる。石灰岩が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできる。

日本国国歌「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それが巌(いわお)となった状態のものが現在、さざれ石と呼ばれている。

「人生ひとりじゃないよ、一人の力なんて微々たるものだけど小石が集まったら大きな岩のかたまりになるんだよ」という、はなむけの意味もあり卒業式に君が代斉唱があると思っています。政治思想をここでは「無」にして。

どこかの中学校の卒業式で卒業式の開会の辞のあと君が代斉唱の場面になったら教師や生徒が着席をし国歌斉唱をしなかったそうで、残ったのはたったひとりの男子生徒と数人の教師だけだったと報じられていました。いま教育委員会で事前に指示をしていたかどうか調査しているそうです。

調査結果もきちんと報道してほしいものですね。


[1483] 【1497回 ねぇみんなどう思う?その一】 2008-03-26 (Wed)

今日、郵便局にいきました。その時、郵便局から手渡された封筒を見て、とても気にかかったことがあります。また私の「気にしすぎ症候群」かも知れません。民営化になってから郵便局の封筒に広告欄がつくようになりました。郵便局と言えば高齢者の方達が年金の出し入れに銀行よりもよく利用する機関です。

高齢者の利用の多い郵便局の広告欄が「自宅葬」「個人葬」「福祉葬」年中無休で24時間受付致しますとあります。何か気にかかりませんか?いくらスポンサーを募集したとは言え、不景気だと言ってもちょっと変じゃありませんか?葬儀社しかなかったのかなぁ?私の考え方がおかしいのかしら?

私は故一刀水兄の出棺の時に、本人がカラオケで歌った「南国土佐を後にして」を流してもらいました。生前中にカラオケボックスの録音機能付きの部屋を何度も利用して一刀水の歌だけを録音しました。勿論使用目的は「出棺時」に使うためです。今もそのテープは車の中で度々かけています。中でも土佐の歌「男の一生」のセリフ入り「おまんらぁなめたらいかんぜよ!」のくだりは最高!歌の出だしを1番から3番まで全部間違っていて、その小節が来たら、吹き出すような笑いは、まるで生きている兄貴の様に私の耳に入ってきます。

私の時は美空ひばりの「お祭りマンボ」でたのんまっせ〜


[1482] 【1496回 階段トレーニング】 2008-03-25 (Tue)

24日の月曜日から2階での業務を5階に移転しました。古巣に戻ったんですが別居生活が長かった精か、なんだか「再婚状態」です。後任の女性が仕事も覚えてくれて、いよいよ卒業かなと思ったりもします。今日は業者さんが慌てて訪問してきて「辞めるってか?」と息をきらしていました。定年退職だと告げるとホッとして「盛大に送別会しような!」と言ってくれました。しかし御年80歳のオーナーさんですから、きっと忘れているとは思います。しかしお気持ちは充分頂きました。うれしかったです。(それよりか生きててなぁ〜)

そんなわけで朝のラジオ体操が終わったら5階まで歩いています。ローリング歩きをして立山にむけて一石二鳥です。午前に1回、午後に1回を日課にして上り下りをしています。(していますったって今日が火曜日だからまだ2日目)でもここに公表したことで続投をしなくてはならなくなる効果を狙っています。ハハハ(そんなことせな守れないのかって?)
はいエレベーターの誘惑に弱いものでね。


[1481] 【1495回 久しぶりのクライミング】 2008-03-24 (Mon)

11月末日に下り道で転けてから(クライミング中に骨折したのではありません)23日の日曜日に久しぶりにクライミングを再開しました。岩場は温かく私達を迎えてくれましたが「慣れた場所だからとなめるなよ!」と言わんばかりに小石をパラパラと落とし、危険だけれども楽しいスポーツであることを岩が教えてくれます。

空は鉛色でいまにもポツポツ雨が落ちてきそうです。クライミングの道具は小物が結構あり、急な雨が落ちてきて荷物を間違えてリュックにいれても必ず自分のもとに戻るようにそれぞれがシールで印をしています。まずクライミングシューズで1回、登山靴で1回、そのあとはアイゼンを履いて登ります。

通い慣れた岩場ですがアイゼンを履くと感覚も緊張感も違います。「前爪を使って!岩に向かって足はまっすぐ!」と下から檄が飛びます。ロッククライミングの時の集合は駅ではなくて、その日の岩場で集合と決まっています。早く行ける者は先に行き、ロープの準備をします。だいたいこの作業に30分はかかります。自動車組と電車組になりますので都合の良い時間に集合してもらいます。

昨日も後から別のグループが来てアイゼントレーニングをしていました。私達は岩場を半分譲り、ビレイの足場も「こちらをどうぞ」と声をかけ自然を共有すべく譲り合います。この方達は、何度がアップダウンの練習の後にロープが回収され、早々と終了の様子です。上で回収作業の人はサスケコースで一度下に降りて、ふたたび登って来た様子です。(一声かけてくれれば私達のロープで懸垂下降させてあげたのに・・・)

静かに去りゆく2人組の背中に向かって岩場にかじりついていた姫から「さようなら!」とやさしく声をかけました。このさようならにはふか〜い意味があり「お先に!」の一声が掛けられないのかという皮肉が込められていました。サスケ先生とリーダーはそれを見抜いており先生には「そんなに神経のアンテナ張りつめていたらしんどいで〜もっとリラックスせなぁ」と言われました。おっしゃる通りですが職業病と言うかハチキンの性格というか・・・・・

挨拶やマナーなど最小限の事は見知らぬ人達へでもしたいものです。


[1480] 【1494回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのF)】 2008-03-23 (Sun)

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのF)
白山には、さまざまな魅力がありますが、なかでも最大の魅力は自分の足で頂上にたどり着いた時に味わう感動ではないでしょうか。目の前に広がる山並み、満天の星空には美しい天の川が輝き、人工衛星が移動していく様子が肉眼でハッキリ見えるそうです。こうした感動を味わうと、白山を登ってきた疲れや苦労も吹き飛んでしまうはずです。そしてそして、神秘的な現象「ブロッケン現象」も体験できるかも知れません。ブロッケン現象とは太陽を背にして立った時、自分の影が前方の霧に巨大に映り、その周囲に色のついた光輪が見える光学現象です。ドイツのブロッケン山でよく発生したことからこの名称がついたと言われています。白山山頂でもブロッケン現象が、しばしば見られます。山頂で見る朝日をご来光といいますが白山では「お日の出」といい、白山の夜が明ける時、ひときわ厳粛な雰囲気に包まれます。朝起きれない人は、その夜は眠らないで見て下さい。


さあこれで白山のこと、よ〜くわかりましたか?参加をするまえに予備知識としてこれだけ知っていたら登山も楽しくなります。続々と参加の意思が届いてきています。楽しい山行にしましょう!


[1479] 【1493回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのE)】 2008-03-21 (Fri)

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのF)
花が多いのはわかりました。では動物っているのかしらと知りたくなりませんか?
ハクサンは標高1600b以下に分布するブラ林から1600bから2400bの間のダケカンパ林、2400b以上にはハイマツ林と標高差と変化に富んだ地形を繁栄し、大変豊かな自然環境が保たれています。ハクサンの自然を表す時に「樹海美」があります。樹海美とはハクサンに今もなお広く残されたブナの原生林を指し、そこに生息する動物の種類の多いことは全国的にもよく知られています。ブラ林は雪崩防止や土砂流出防止の役目を果たし、自然のダムとなって雪解け水や雨水を蓄え、やがて大地を潤すとともに、その新芽や花や実はブナ林に生息する生き物たちの食べ物となります。

ハクサンは地形が険しい上、冬季には積雪によって、人間が簡単に近づける場所ではありません。こうしたことからハクサンは広範囲にわたり自然のままの森林が残り、ニホンカモシカ(特別天然記念物)ツキノワグマ、ニホンザル、イヌワシ(天然記念物)クマタカなどの野生動物にとって良好な生息環境となっています。白山は「野生動物の宝庫」でもあるのです。ほ乳類ではオコジョを初め16種類を数えます。すべての動物は長い冬をたくましく生きているのです。夏になるとニホンカモシカやキツネなども食べ物を求めて登山してきます。会えるといいね。


[1478] 【1492回 快眠のコツ】 2008-03-21 (Fri)

「快眠のコツ」
乗鞍岳スノーシューの宿泊先の枕が「硬くて、高くて」眠れず蒲団の外に掘り出して横を見たら同室のマーちゃんも同じ事をしていました。他の皆様は枕不眠はありませんでしたか?今オーダーメイドで自分だけの枕を作るというのが流行し、私もその枕を持っています。善し悪しは別として今日は「快眠のコツ」をお話したいと思います。

●寝てもすぐ目が覚める
●疲れがとれない。
●寝付けない
●眠れない

などの不眠が続くと、糖尿病ゃ高血圧の危険性が増すと言われています。朝起きて肩が痛いということはありませんか?40歳以降の女性に多い不眠症。睡眠は「長さではなく質」であると言われています。良質の睡眠とは「決まった時間に起きる、昼間起きて活動する」ことだそうです。寝返りを約30回ほどすることで昼間の疲れをリセットできるのだそうです。(私は寝返りをうつのは眠りが浅いと勘違いしていました)

そこで究極の枕をご紹介しましょう。古いタオルケットやバスタオルで枕をつくりましよう。タオルケットの端を揃えて肩に当ててください。だいたい4.5センチくらいの高さから自分にあった高さに調整していきます。
@凸凹がなく平行である
A頭が沈まない
B寝返りが楽にできる(15度くらいの傾斜)
こんな事に気を付けながら押入の中に仕舞っている古いタオルケットを利用して快眠を取って下さい。

富田林の誰かさんの様に手枕ばかりしていると、する方もされる方もお互いが疲れます。もう若くはないのですから今夜から手枕からタオルケット枕に替えてみてはいかがですか?おやすみなさいムニャムニャ

(追伸)私は歩きながらでも、話をしながらでも眠ることができます


[1477] 【1491回 このはなアートフェスタ】 2008-03-20 (Thu)

此花の町をアートで飾ろうという企画で公共施設の壁画に舞洲陶芸館で出た「浪速津焼き」の破片をもらい受け此花の「はな」をテーマに六軒家川堤防と区民ホールに多くの区民が携わり完成しました。おりからの雨で朝からのウオークは中止となりましたがホールでは平松市長を迎え(居眠り府会議員は今日は起きてたで〜)にぎやかに開会されました。

大阪んプラス・アンサンブルという社会人のアマチュアのバンドにより
●ワシントンポスト
●小さな世界
●サウンドオブミュージック(私のお気に入り、全ての山に登れ)
●世界に一つだけの花などを聴かせていただきました。

雨で中止となったウオークコースは六軒家堤防前からスタートし、白砂大神を通り住吉神社〜正蓮寺〜伝法港の鯨の壁画〜伝法の歴史ある町並み〜区民ホールがゴールのコースです。6月1日朝から歩いて午後還暦の会に参加ってのはどうかしら?

区民ホールの壁画ですがどこから見てもチューリップには見えないんだけどなぁ!岡本太郎画伯が「芸術とはそういうものだよ君!」ってきっと言われるでしょうね。

お彼岸ということもあって夕方からポチのパパとママにご挨拶に一心寺まで行って来ました。


[1476] 【1490回 桜便り】 2008-03-20 (Thu)

朝からしっかりと大粒の雨が降っています。まるで「これで冬は終わりだ。この雨が止むと春だよ」そんなお告げの雨の様に感じ取れます。

気象庁は19日、3回目の桜(ソメイヨシノ)の開花予想を発表した。今回初めて予想が出た東北地方と東日本では「平年より早い」、西日本では「平年並か早い見込み」となった。東京は前回(12日)発表では26日だったが23日に早まった。と予報されていました。開花宣言はどうでもいいけど談山神社お花見ウオークの頃は満開でいてよと祈りたくなります。

先週、車で通過した夙川の桜も蕾硬しというところでしょうか。4月のピカピカの1年生を迎えるころには地元の四貫島小学校の正門横の桜は見事な満開となります。遠い昔、孫の小学校入学を喜ぶ故一刀水が鴻池新田から孫の晴れ姿を見せたくて私を訪ねてきたことがあります。あまり喜怒哀楽を顔に出さない兄でしたが死期を予測していたのでしょうか。

あまりにきれいな桜なので四貫島小学校の桜をバックに写真を撮りました。満願の笑顔でした。それがまさか遺影になろうとは・・・いま一刀水の弟も癌に侵され4月12日の娘の結婚式には生きていたいと病院のベットの上で必死に頑張っています。もしこの世に神様のお助けが通ずるならば、娘と腕を組み、バージンロードを歩かせてやってほしい!そう祈らずにはいられません!

人の命には限りがあることは百も承知ですが「みっちゃん、オレもうあかんわ」と弱々しく語る従兄弟に「そんな弱気では娘の結婚式まで生きてられへんで。死んでしもたらバージンロード誰が手を引いてあげるの?!」と励まし檄を飛ばすと「そやな。もう少し頑張ってみるわ」と力なく手を握り返してくれました。娘の結婚式、ほらもうすぐそこまで来たよ。よう頑張ったと褒めてやりたいと思います。3日前は鹿児島に住む末の弟が病室に呼び寄せられました。


[1475] 【1489回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのD)】 2008-03-20 (Thu)

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのD)

白山市尾添の岩間温泉から山道を進むと、突起物の上部から熱湯が噴き出す景観と出会います。これが国の天然記念物「岩間の噴泉塔群」です。湯に含まれる石灰質が長年にわたって塔状に形成されたもので、高さが1〜2メートルになることもあるそうです。山のエネルギーを実感できる岩間の噴泉塔群は、白山が今も生きていることを教えてくれます(行きたい、見たい、入ってみたい)

白山と言えば「花」といわれるくらい、高山植物の宝庫として知られ、花好きな登山者にとって人気の山です。その理由は「ハクサン」と名の付く植物が多くあり、あちこちに美しい「お花畑」が見られるからです。「お花畑」と言っても栽培されているわけではなく、おなじ種類やおなじ環境に生育する植物が、かたまつて生え、それらが一斉に開花するためにそう呼ばれるようになったのです。ハクサンは乾燥する岩場や岩くずの荒原、雪解け水に潤される斜面や湿地など、多用な植物の生育環境に恵まれ、また多量の積雪があることから標高が低い割に数多くの高山植物が群生しています。厳しい環境に生きる高山植物は強いと思われがち実際は環境の変化や踏みつけに弱いのです。オオバコなどの平地の雑草が多くなったのは登山者の靴底に種がついて広がったもので、高山植物への影響が心配されています。「花の名山」である白山を私達が登るときはそんな事も気をつけましょうね。ハクサンと名前の付く植物はハクサンチドリ、ハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、ハクサンシャクナゲ、ハクサンイチゲなど18種類もあります。何でも「花」とひとくくりにするリーダーは別としてお花に関心のある人は小さな植物図鑑を持参するといいかも知れませんね


[1474] 【1488回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそC)】 2008-03-18 (Tue)

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのC)
山頂部には翠ケ池、千蛇ケ池など大小7つの湖がありますが、そのほとんどが火山活動で穴が開き、水がたまった火口湖です。現在の山頂部は今から約1万1千年の間に少なくても16回の噴火があつたといわれており、中でも一番大きい火口湖である翠ケ池は1042年の噴火でてきた記録がのこされています。火口湖のひとつの千蛇ケ池には泰澄大師(たいちょうたいし)が麓の人々に危害を与えていた千匹の毒蛇をこの池に封じ込め、蛇が出ないようにと雪でフタをし、もと雪が解けて蛇がでるようなことになれば、池の上に岩が落ち、再び蛇が閉じこめられるようにしたといあ伝説が残っています。(キャーッうちのリーダー蛇大好きよ〜)今も池を見おろすように聳える「御宝庫」がその岩だと言われています。

●春の全国交通安全週間が4月6日から15日までの10日間行われます。昨年の交通事故発生件数は174,262件で、そのうち2割が自転車事故だそうです。(24.7%増)平成20年6月20日から自転車の法改正がなされ新ルールとなります

まず自転車は「車」であることを再認識しましょう。自転車の特徴は下記の3点です
@免許証がいらない
A子供からお年寄りまで誰でも乗れる
B車の様に危機意識がない

自転車を正しく乗るには@車道の左側を走る。A歩道は歩行者優先。B飲酒は違法。C成人が自転車に乗せられる子供は6歳未満ひとり。D並進は違法です。E13歳未満の子供はヘルメット着用

正しく自転車に乗るには、まず体格に合っているかどうかサドルにまたがって足が地面についているかどうか確認して下さい。足が曲がってつきすぎても危険です。サドル調整をしましょう。そしてハンドルを握った時、少し前に腕が曲がるぐらいが良いそうです。

正しいサイズの自転車に乗ったら次のことを守りましょう。
@道路の真ん中を走らない
A横断歩道は2段階右折
B踏切は左右の安全を確認し、降りて押して渡る
C音楽プレイヤーなどは危険です
そして「かも知れない」出来事としては停車中のドアが急に開くかも知れない、駐車中の車のかげから人が飛び出してくるかもしれないことを予測して安全に乗りましょう。

私は踏切で一旦停止はしますが「降りて押して渡る」ことはしていませんでした。自転車のタイヤが線路にはさまることも過去の事故であったそうで今日からは必ず気をつけたいと思います。




[1473] 【1487回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのB)】 2008-03-17 (Mon)


あらゆる自然現象への恐れ、敬意から白山は神としての象徴的な存在だつたと言えます。稲作が盛んになると、稲作に不可欠な水の源である白山は、水を司る神として崇められるようになりました。また白山は海上から見る指標として、航海と漁業の守護神でもあつたのです。やがて宗教や自然崇拝などが統合した修験道が盛んになると白山をとりまく加賀(石川)、越前(福井)、美濃(岐阜)の各地に白山信仰の拠点が造られ、そこから山頂へ登拝するための道「禅定道ぜんじょうどう」が開かれました。

このころ白山の御前峰、大汝峰、別山の山頂には、それぞれ十一面観音、阿弥陀如来、聖観音が祀られようになり、神は仏の借りの姿であるという考え方が広まったそうです。白山にのぼることを「登拝する」といいます。

山頂には翠ケ池などの火口湖が見られ、白山が比較的新しい火山であることがわかります。白山が火山活動を開始したのは、今から30〜40万年前のことで、当時は尾添尾根の加賀室跡付近を中心に噴火していたと考えられます。その後、およそ10〜14万年前に活動場所を大汝峰北東東の地獄谷へと移動し、この頃は現在の白山より標高も高く3000bをゆうに越えていたと推定されます。現在の山頂部が噴火を始めたのは、いまからおよそ3〜4万年前の事です。

白山の最後の噴火は1659年です。これまでの調査で過去約3000年の間、平均すると430年に一度の割合で火山活動があつたとされています。白山は将来において火山活動を再開する可能性を秘めた山ですが、現在のところ噴火を予測させるような観測データは確認されていません。安心して登りましょう。(最後の噴火1659+430年=2089年あたりに噴火か?)


[1472] 【1486回 さようならブルートレイン・銀河】 2008-03-17 (Mon)

  3/15廃止!「さようならブルートレイン・銀河」

東京−大阪間を全席寝台で走る夜行列車が走る。その名も「銀河」。東京−大阪という新幹線が何十本も走るドル箱路線でブルートレインが生き残っているということ自体が不思議なことですが、乗ってみると新幹線が終わってから東京に帰る、大阪へ向かうときなどは大変便利です。正ちゃんはこの銀河の大得意様でしたよ。警笛の音、深い闇、ガタゴトとした揺れ、身体にその揺れが心地いい。東京駅に着くと東京支店の社員が出迎えてくれる。なんともいいようのない旅心地。

私はこよなく寝台列車が好きで社員旅行によく利用しました。東京へ行く時この「銀河」を利用しました。旅行社の人は「新幹線で3時間ですよ!」とけげんな顔をしますが社員のコミュニケーションを深めるためには絶好の社交場だったんです。その頃は人数も多く1車両半を借り切り、一般の方と同車両には管理職や酒を飲まないおとなしめの社員を配置しました。あとは飲めや叫べや自由で寝台列車を楽しみました。下段ではトランプ上段と下段の会話が届かないため手話で話しをしていた者もいました。列車が停車する毎に酔っぱらった社員がふらりフラリとホームを歩くため「この酔っ払いにはこの人」と係を決めていたこともあります。(笑)青森に行くときは「日本海」の寝台列車も利用しました。

2008年3月14日の運行をもってブルートレイン「銀河」は廃止されることになってしまいました。乗客数の激減による止む得ない処置だとは言え、鐵道ファンには寂しい限りですね



[1471] 【1485回 約束のロッククライミング】 2008-03-16 (Sun)

新・高校生のボーイフレンドとの約束のロッククライミングに出かけることにしました。自宅を午前7時発。目的地は芦屋のゲートロックです。いつも駐車する場所は近くの宿泊施設「悲尖閣」でイベントがあったのか満車状態ですが私のフェアレディは小型のため何とか駐車することができました。岩場の先客はありません。

エイトノットなどの仕組みは一応説明しましたが、今回限りの体験だけなので安全性を重視し装着などは手伝うことにしました。最初は師匠がリードで登り上のセットを完了しました。彼にロープをかけクライミングの開始です。上りはスムーズにのぼれロアダウンで下ることになりましたが「こわいっす!」と一歩も降りることができません。最初の体勢を作る段階で恐怖心が大きくなったようです。「無理っす!」とこわがったためクライムダウンで1回目の下降を終了しました。

次は11月の骨折以来の私が上り、ロアダウンで降ります。初っぱなは4ケ月のブランクを埋めるために懸垂下降でなく、慎重にロアダウンでカムバックです。つぎは彼がまた上ります。2回目もクライムダウンで下降。3回目は中間の棚から下は懸垂下降で見事おりることができました。4回目、5回目はビレイが間に合わないほどの上達で一番上から懸垂下降を2度楽しみました。
「おもしろいっす!」完全にはまったようです。

10時を過ぎるとインドア派4名(1名指導者、3名初心者)真ん中の棚にロープを張ります。しばらくすると12本爪のアイゼンとピッケルを装備した2人組が我々のロープをまたぎ通過しようとしました。アイゼンで落下すれば私達まで巻き添えに遭い大けがとなります。しばし休憩をすることにしました。(一声かけてよね〜)やっと通過したと思ったら別のアイゼントレーニングの2人組がやってきました。今日はどうも岩場はラッシュの様です。

充分楽しみ、これ以上すると疲労が増すと判断し上へ抜けることにしました。最後はリュックを背負って登ります。いつもホワイトフェイスに抜ける時は右へ曲がりますが今日は左へ曲がり「サスケコース」を降りてきました。帰りは回転寿司の「カッパ寿司」に立ち寄り腹ごしらえをし今日の予定を終了しました。

向かいのロックガーデンハイキングコースは銀座の様に混み合い「ヤッホー!ガンバレッ!」などの小学生のエールはうれしいもののリーダーとビレイの間の声が聞こえず大変でした。高校生では体験することのできないクライミングを体験できたことで、思い出と将来何かの希望につながってくれることを祈っています。野球少年なんですが野球とはまた違ったスポーツをあじわうことができ師匠の協力に感謝したいと思います。

(おまけ)
もどるとすぐ、ももちゃんが3歳のお誕生日に買った自転車にまたがりやってきました。ポチは今日は装備を借用したことから「見守り隊」でお留守番をしてもらったのですが、あさからずーっとベットの中の様子で「あんまり眠ると目が腐るで〜」というのを聞いていて早速ママに「じいちゃんの目は腐ってんねんて」だって。

(教訓)ロッククライミングは日曜日は混雑します。土曜日にした方がいいですよ。


[1470] 【1484回 姫城築城パーティ】 2008-03-14 (Fri)

3月15日金曜日友引です。ブルトレの下見の折り、富田林に向かうバスの中から地元である忠太郎に電話をし晩飯を一緒に食べようと交渉しました。しかし仕事のため交渉不成立。(ほんまに仕事かどうかは知らん)「ところで築城パーティはいつや?」ということになりました。忠太郎は多分ホームページが完成した記念と私が【歩くべきか歩かざるべきか】の岐路に立たされている心中を察知しワイワイガヤガヤ気晴らしが必要と考えてくれたのだと思います。次はサスケ先生の場所の提案があり「此花のカラオムルームどや?」これで場所決定!金曜日なら少しぐらい羽目をはずしたとて大丈夫と管理人さんが気合いを入れて企画書をばらまいてくれました。「いく〜行く〜いくとも!」と参加を申し出て下さる方がいてはじめてパーティが実現することとなりました。総勢15名のはずです。

13日にお善哉を炊き、鍋が出来るまでの間の酒のつまみに若牛蒡をゴマ油で炒め持ち込むことにしました。おにぎりは雑炊するも良し、かじるも良しで15個にぎりました。善哉は最後の締めに食べてもらいます。車にガスコンロ、鍋、まな板、包丁、折りたたみ椅子を積み込みました。朝、八百屋さんにメモを渡し「12時には取りに来るから用意しててね!絶対12時やで〜」と言っておいたら、何と会社まで野菜の配達をしてくれました。おかげでお昼休みを利用して準備することができました。あとは5時を過ぎて「安いで〜まけるで〜」の肉屋の行列に並び、公設市場へ移動し「タイムサービス」を待ちたいと思います。

パーティの開催時間は午後7時から。パーティの内容は本日参加された皆様から「一言コメント」をお願いして城下町を賑やかしていただきやんしょう。善哉はあまりに食材が多く誰も希望者がいなくて残念ながら「没」となりました。

鍋釜倉庫と化した車はそのまま置いて帰り、明朝引き取りに行きたいと思います。ご参加頂きました皆様!遠路はるばる築城祝いにかけつけて下さり心より感謝申し上げます。


[1469] 【1483回 卒業式に参列して】 2008-03-13 (Thu)

13日は此花区の某中学校の卒業式です。校長先生からのご招待を受けて出席することにしました。10時から開会式ですが9時30分には来て欲しいとのことです。PTAのお母様方に控え室に案内して頂き、コブ茶と紅白の上用饅頭がテーブルの上に置いてあります。甘党の私はすぐ手を伸ばしたいのですが9時30分という時間が戸惑いを覚えます(って言うか誰も手を出さないので食べにくかったんです)

式場に案内をされ、開会、国歌斉唱、校歌斉唱とスムーズに進行しています。控え室で校長先生がアクシデントには大きな広き心でとおっしゃっていたが静かに滞りなく進行しています。ただ服装に乱れがあり卒業式ぐらい靴はきちんと履きスカートにはアイロンをかけてほしいとは思ってみたりもします。きちんとしている生徒も多数いました。約40分かけて206人の卒業証書授与式が始まりました。女の子はスカート丈が短くて満足にお辞儀ができません。だってお辞儀するとパンツ丸見えなんですもの。

此花区の府会議員のセンセーが開会まもなく居眠りを始めました。来賓席の一番前で格好が悪くてたまりません。まさか椅子を蹴るわけにもいきません。いい加減に目を覚ますかと思いきや、別れの歌「蛍の光」を歌い出してやっと目覚ましました。「センセーやっと目が覚めましたか?お疲れですか、それとも寝不足ですか?緊張感がたりないですねぇ」と言うと「イヤーッ明日代表質問でゆうべ徹夜したんですよ」(そんないいわけ私に通用するはずないわ)

「生徒にそんな理由は通りませんよ。」と言い残して控え室に戻りました。控え室でも側によってきてまだ何か言い訳か説明がしたいらしい。私に指摘されたことがよほどショックらしかった。このセンセーを推薦した市会議員のセンセーがえらい恐縮していたのが印象的でした。(隣に座っているのだから仲間同士ツンツンして起こしてあげてはいかが?)

203名が進学、3名が就職を希望してそれぞれの道を歩み始めることとなります。これからは義務教育と違って自分の責任が求められる事になります。206名の卒業生達に心からおめでとうを言いたいと思います。「おめでとう!」

私のボーイフレンドも無事卒業を迎え、希望する高校へ入学が決まりました。合格したらクライミングに連れて行ってほしいと言ってたので約束を守りたいと思います。


[1468] 【1482回 42歳の野辺の送り】 2008-03-13 (Thu)

得意先の通夜式に堺市まで行って来ました。42歳、世間で言う厄年です。肝臓を患い6ケ月闘病生活を送ったものの急いで天国へ旅立っていきました。この方は我が社の協力会社の方で行事には父親にかわり、りっぱに2代目を継いでおられたのですが残念です。いつも「日焼けした笑顔」と思っていたのですが、肝臓独特の顔色だったのかもしれません。父親の肝臓を移植してもらい快方にむかっていたのですが合併症を併発し帰らぬ人となりました。

親族の焼香の時、母親が遺影に取りすがり泣き崩れました。7歳の息子をしっかり抱いた妻は、気丈に立礼にて弔問客に頭をさげていました。母親の涙は先立つ息子への切ない母の涙、幼子とこれからどうして生きようかと妻の涙、どちらも悲しみの深さは一緒です。読経が終わり住職さんが「人生は長く生きたかではなくて深く生きたかどうかである」と話をされ戒名のいわれを話してくださいました。

同行した購買係の社員と会社に戻るはずだったんですが氷上工場から弔問に来た車を見つけ「ボク・・家が宝塚ですから、こっちの車に乗って帰ってもいいっすか?」と聞くので「いいっすよ〜」と軽いノリで応えてしまいました。さあナビに案内されてエンジンをかけようとするとキーを差す穴がありません「お〜い穴が無い穴が〜!」すでに宝塚方面に帰るべく別の車に乗っていた社員が飛んできて説明をしてくれました。今風の車はキーはポケットにいれたままでボタンひとつ押せばエンジンがかかるそうです。走りだしたら操作は一緒ですがドキドキヒヤヒヤしながら無事会社に到着しました。

「しまったーっ!エンジンの切り方教えてもろうてへん!」


[1467] 【1481回 長野県からお荷物で〜す】 2008-03-12 (Wed)

「ピーンポーン」宅急便のおじさんが「長野からお荷物で〜す」と11日の夕方に荷物を届けてくれました。「あっそうや!ピッケルの忘れ物や」着払いのためお金と印鑑を持ち、急いで階下に降り荷物を受け取りました。ポチが帰宅するまで開封しませんでしたが、中には「靴」「ピッケル」が入っている様子です。荷物の中には丁寧にお手紙が添えてあり「宿泊をしてくれたことのお礼、お天気が良かったこと、皆様によろしく伝えてほしいこと」がかかれていました。短い文章ではありますが真心が伝わります。宿の夕食時、配膳係の女性に「素敵な声ですね」と褒めてさしあげましたが多分あの女性(あの宿の若女将かも)ではないでしょうか。靴も片方づつ丁寧に包装されていました。荷物を受け取った礼の電話はポチにさせましたが今日は大阪名物「岩おこし」とお礼の手紙を出したいと思っています。

さてさてポチの忘れ物で気が付いたのですが靴に「ポチ」と刺繍で名前入れていました。本人は登山靴を履いていましたのでウオーカーシューズを忘れたことを忘れていました(ややこしいなぁ)しかし靴に名前が入っていたことで「靴も忘れていますよ」と宿の方に教えてもらったんです(ドジ、マヌケ、ワンワン)

そこで皆様に提案です。目印のシールだけでは手元に帰ってこないことがあります。仲間同士で忘れ物があったとしたらシールでも充分わかるのですが駅、宿、ロープウエイ乗り場等で忘れ物をした場合、名前が書いてあれば、自分の物でなくても仲間の物であることがわかれば「は〜い私の物です」と代理で受け取ってあげることができます。テプラテープなどを使ってニックネームなどを明示してはいかがでしょうか。ピッケルを忘れたポチの二の舞にならないために(ならない、ならない、そんなマヌケ見たことないわ〜)もう一度持ち物を点検して見て下さい。なんならシールを格安で作る業者さんもご紹介しますよ!

私は持ち物には全て「姫」と書いてその上にピンクのシールを巻いています。どこかで「姫」と書いてある忘れ物があったら、どうぞお仲間の皆様!私にお届けください。その節は「岩おこし」をつけてお礼を申し上げたいと思います(笑)


[1466] 【1480回 乗鞍岳に行ってきました】 2008-03-10 (Mon)

ひょんな事から乗鞍岳へスノーシューへ行くことになりました。7日の夜から車で出かけることになりました。その晩に警察の会議があり会議の場所までポチに迎えにきてもらいました。二次会にひっぱりこまれない作戦です。山登りの荷造りも上手になりました。必要最小限、流動食もなかなかのものです(ヘヘヘ)

乗鞍高原駐車場に早朝到着し、「やまぼうし」という仮眠所で暖をとりました。そのつもりでしたがストーブが1台故障をしており寒くて震えているうちに夜明けを迎えました。午前8時30分のリフトに乗り「三本滝」へスノーシューで向かいます。蔵王の雪質とまた違って水分を含んだ雪のためスノーシューにへばりつきます。時々ストツクでカーンカーンと叩き落とします。ありました。ありました。三本滝は見事に凍っています。

「ビデオ持ってきたらよかったなぁ」そんな声も聞こえてきます。夜はドブロクで酒盛りをするつもりでしたが夜行で走り続けたものですから爆睡しちゃいました。ひょんなことで実現した乗鞍でしたが、またまた突如として「西穂高へ行こう」ということになりました。夏に訪れたことのある西穂高山荘は通年営業ということもあってSOSの効く安心できるコースです。

らくらくコースの人はこの山荘で暖かいコーヒーを飲みながら待ってもらいます。丸山までと決めて登り始めはしたものの独標(2701b)までと欲がでてアイゼンを踏みしめてのぼりました。多分2600b付近で「お〜い姫〜時間やから引き返せ〜」とリーダーの声がします。頂上まであと100メートル、時間にして30分ほどなんです。聞こえないふりをしてまだ登り続けていましたが今度は3人の声で「も〜ど〜れ〜」でUターンせざるをえませんでした。

下山道では「滑落停止」の訓練をしたり、立山へ安全にいくための登山のノウハウを教えてもらいました。帰り道には栃尾温泉で露天風呂で冷えた身体を暖めて日付のかわる頃に自宅に到着しました。

2日間、晴天に恵まれ楽しいスノーシューの旅でした。詳しいレポートは写真とともにアツプしますのでお楽しみに!


[1465] 【1479回 乗鞍岳が呼んでる〜!】 2008-03-07 (Fri)

ウオーキングのボーイフレンドからマルタ島に行ってきたというお手紙と写真とお土産を送ってもらいました。この方は海外での言葉の不自由さ、食べ物の不自由さを感じることなく遺跡や数奇な歴史に魅力を求めて度々海外を歩いておられます。行き先をどのようにして決められるのか、ツアーなのか今度再会したときにはお話を聞きたいと思っています。

白山シリーズを書きだした途端、乗鞍岳から「うちにもおいでよ〜雪もたっぷりあってスノーシューにはもってこいだでー」そんなお誘いを受けたためプライベート登山で今夜から行ってきます。車で行くために交代で運転しますが師匠用にムチと棒を用意しました。だつて眠りながら運転するんだものね〜。あっと感じたらムチでしばきます。おっとと思ったら棒でど頭を叩きます。安全運転で頼みまっせー

乗鞍岳は標高3026mの雲上世界。お花畑、大雪渓、ビックパノラマ。お花畑は雪に埋もれて今回は、おあずけ。お天気だといいなぁ。標高3026mの乗鞍岳山頂へは畳平から約1時間30分の登り。標高3000mを超える高所からの山岳眺望は圧倒的なスケールで迫ってくる。スノーシューとアイゼンとピッケルと装備は完璧です。今日は夕方から「おまわり会議」がありその後、二次会に引っ張られないようにするためにリュック一式の荷物を持参しました。言い訳ではなく本当に乗鞍岳に向けて出発するのだという証を見せれば、おまわりさんも無罪放免にしてくれると考えています。白山シリーズはそんなわけで9日に戻ってから書き込みします。いってきま〜す。


[1464] 【1478回 夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのA)】 2008-03-06 (Thu)

5日の夕刻から藍綬褒章受章パーティがあり私の担当は「司会係」でした。いつもの宴会がらみの司会はざっくばらんで少々間違っても笑ってごまかせるのですが今日ばかりはそうもいきません。司会進行マニュアルをつくり、文字も10.5ポイントから17.0ポイントまで拡大して読み違えのないようにしました。ご来賓の皆様が来られ、開会5分前になると胸の高鳴りが大きく鳴りはじめました。(大丈夫かなぁ)そんな不安がよぎります。何とか噛まずに乾杯まで進行し、あとは中締めまで仕事はありません。

「よぅやった」「今度も頼むで〜」とおだてられビールを注がれて酔っぱらってしまいました。中締めの時間がきてご案内をすると、この中締めの方の話しが長すぎる(おいおい万歳三唱だけ言うてくれたらいいのんやで〜)ここで自分の中に予想外の中締め係に呆れていてスキができてしまったのでしょう。その後に、いきなり締めの言葉に入ってしまいました。「みなさまお忘れ物のないように!」(アホか自分が何か言い忘れてるやろ!)そうなんです「おひらきのご挨拶」を紹介するのを忘れていることに気が付きました。ここはアクシデンに強い私です。めげずに「では最後になりましたが本日のおひらきのご発声を・・・・」と何とかごまかしました。この間違いに気が付いたのは出番を待つ「おひらき係」だったかも知れません。クワバラクワバラ。

●夏に行く山「白山」を知ろう(シリーズそのA)
昭和37年に指定された白山国立公園は、白山の主峰「御前峰」を中心とする山岳公園で石川県、富山県、岐阜県、福井県の4県にまたがっています(ここバスの中の試験に出るで〜)最高峰の御前峰(2702b)、大汝峰(2684b)、剣ケ峰(2677b)これら全体を白山といいます。

冬の時期白山頂上付近では一体どのくらいの気温になると思いますか?平均気温は2.1度、最低気温は1月でマイナス21.7度、最高気温は7月で22.4度、冬の寒さは大変厳しいですが夏は涼しく夜間や木陰に入ると寒さを感じるくらいで平地とは別世界といえます。登山シーズン(7月、8月)は平地と10度は違うそうです。