[1905] 【1899回 雨また雨の比叡飯室谷】 2009-07-27 (Mon)

7月26日、天気予報は雨、きっと降るだろう、絶対降るだろうと覚悟の出発でJR比叡山坂本駅に到着しました。比叡山を見上げると、今にも雨が落ちてきそうですが出発時点ではお日様もお出迎えです。ストレッチも済ませ午前9時50分比叡山坂本駅前を出発しました。

途中まで照りつける太陽で、すでに汗が噴き出てきて自動販売機に走りました。用意した飲料水が不足ということになりかねません。予備に買いましたが、500グラム増えただけでリュックがドシンと重く感じました。大きな杉の木を目印に参道近道にやっとたどりつきました。ここまでで約50分が経過しています。充分な休憩を取り、山道への心の準備も出来、いざ出発しようと言うときに無情で大粒の雨が落ちてきました。とりあえず合羽を着ないで様子を見ることにしましたが30分も経たない時点で合羽を着ることにしました。

急な雨に、いかに早く合羽を着るかも勉強のひとつです。だんだん雨がひどくなり登山道は小さな川と化してしまいました。登山靴で小川の中を歩いているのと同じ状態です。しかも天神祭の太鼓に負けぬ位の音で雷まで鳴ってきました。雨の登山は体力も消耗し、加えて合羽のズボンで膝が思うように曲がりません。早い目に短い休憩をひんぱんに取り飯室不動堂に到着しました。千日回峰を3回も実施された酒井あじゃり様がいらっしゃるという飯室不動堂ではありますが偉大なお人故に我々はお目通りができるはずもありません。

大雨の中、九十九折れに続く横川中道の道は千日回峰のための道で、険しくもあり、またおごそかでもある道で我々は誰も不平不満を言わず歩くことに専念しました。1時間半ほど登ると、いきなりアルファルトの道に出ました「出たよ〜」と後ろに叫ぶと心なしか足取りが軽やかになった様な気がしました。しばらく下って行くと横川中道に到着です。

まぁ!どうしたことでしょう。今までの大雨が止み、薄日まで差してきました。「神様のお恵み」と感謝をし、お昼ご飯をいただきました。

ドシャブリにもかかわらず昼食時間だけは太陽の恵みを与えてもらいました。午後の出発時はまた大粒の雨の下山となりました。大宮谷林道を歩くのですが対向者もひとりもいなく、また車は通行禁止の道につき快適に、、少し早足ではありましたがタイヤの輪だちが川と化した道をリズミカルに進んでいきました。(但し落石には充分注意が必要)

濁流の音を聞きながら、緑の木々のささやきを聞きながら、1本杉の分岐までは休憩なしに歩き続けました。ところがとうしたことでしょう。休憩地点の1本杉に来ると雨がピタリと止んだではありませんか。不思議な光景に無神論者でさえも「神」の存在を感じずにはいられませんでした。1本杉を囲んで「別れの1本杉」「琵琶湖周航のうた」を歌いました。あとすこし下れば、比叡の町に降りてきます。木立の隙間から時々見える琵琶湖の水面には太陽が当たり美しい光景をみせてくれていました。

降ったり、降られたり(降ってばかりの意味)のコースではありましたが、みなさん上手に雨の中を歩き、休憩し、行動食も取り、勿論、水分補給も出来て、トレーニングではありませんでしたが良いコースでした。午後3時43分JR比叡山坂本駅発には乗ることができました。詳しいレポートは「山登りコーナーにアップします」


[1904] 【1898回 地上デジタル放送】 2009-07-25 (Sat)

私の町には高層住宅の「高見フローラルタウン」という大阪市都市整備局住宅が群れをなして建っています。そのため電波障害が発生し「共同アンテナ」なるものを設置してもらっています。この度、地上デジタル放送への移行に伴い、前回同様、大阪市に置いて工事を実施してもらいたいと隣組一同で申し入れをしていました。こういうことは個人で交渉しない方がベスト!&チョッキ!

この度、地上デジタル対策工事については費用の発生は必要なく、隣組一同が工事をしてもらえることになり、本日午後から工事に入りました。夕方になって我が家は月曜日の工事になることが判明し了解しました。(断ると、後日、自分ですることになるかも知れないのでおとなしくハイって言いました)今後の管理一切も責任を持って実施してくれるとのことでした。但しNHKの受信料は個人負担ですって・・当たり前のことやね。

私の家の周囲は行き止まりの私有地につき車3台駐車し、電線を道路一杯に伸ばしても交通傷害にならず工事がし易いとのことでした。あとは・・・テレビを交換するだけやけど、これは誰が負担するのやら????

明日は「雨」覚悟の千日回峰の道を歩きます。決して「沢歩き」ではありません。楽々コースの山里歩きです。雨を恐れず、雨の正しい歩き方、ストックの付き方、悪路の下り方を勉強すると思えば、雨もまた楽しいですよ〜(ごめん。また強がり言っちゃった〜)


[1903] 【1897回 南アルプスの余韻】 2009-07-24 (Fri)

南アルプス麓のみらい塾でカブトムシを買い損ねました。「帰りに買おう」と心に決めていたのですが、バスが出発してから仲間がカブトムシのカゴを持っているのを見てハッと気が付きましたが後の祭りでした。おみやげに零くんとももちゃんかー君にあげるのではなく、婆ちゃんちに来た時に一緒に楽しもうと思っていたのです。生き物をみやげにあげると「留守をする時に困る」と息子に言われているので婆ちゃんちで飼うつもりだったんです。亀ちゃんちのカブトムシはみらい塾で買ったので「みらい君」と名前を付けたとか・・・・メルヘンですねぇ。

じつは南アルプスから戻った日、零くんから電話があり「ボクネ、ナガノニ、イッテタンダヨ」「えーっ?!婆ちゃんもナガノのお山に登ってて雨が降ってきて濡れたよ」と言うと「ボクハ、ホテルダカラダイジョウブ」何と行き先が同じ方面だったんですね。零ママに電話を代わり道路渋滞状況を聞くと、夕方だったため渋滞で、大変だったそうです。我々は時間が早かったので助かりましたね。やはり「高速道路どこまで行っても千円」は影響が大きい様です。

雨で登頂できなかったため「リベンジしたいね」と言う声が聞こえてきます。どなたかが「リベンジしませんか?」と計画を立てて下さればいいですね。乞うご期待?かな。

バスの中でお話をしましたが今後は下山して宿泊をするのではなくて、山頂付近にある山小屋めがけて、ゆっくり登り、宿泊、そして翌日ゆっくりと下山するのが今後の課題の様に思います。仙丈岳に向かう途中に「馬の背ヒュッテ」もあり「仙丈小屋」もあります。しかし休日はなかなか予約が困難で、今後は平日の利用も今後の課題となります。お仕事現役の方は有給休暇を貯めておいてくださいね。

去年プライベートで今年と同じコースを登りました。お天気は「快晴」でした。双子山からは北岳も見え、今回、引き返した駒津峰から先は花崗岩の風化した砂礫帯で山全体が白く太陽に反射してまばゆく光っている甲斐駒岳となるのです。少しクライミングテクニックを使いながら楽しく登れました。翌日の仙丈岳は頂上から見るカールも美しく、秋にはまた違った装いを見せてくれるのではないでしょうか。

リベンジする時は、大平山荘前でバスを下りて最初に仙丈岳に挑む方が楽ですね。(今回はこのコースの山小屋の予約ができませんでした) 仙丈岳は仙丈小屋に泊まる方法をとり、小屋に到着すると、リュックを置き、散策気分で仙丈岳頂上を踏みます。翌日また頂上を踏むことになりますが美しいものは何度見てもいいでしょ。

下りてきて長衛荘に泊まり、翌日荷物は長衛荘に預け、サブリュックで甲斐駒岳に登るってのはいかがでしょうか?個人的に行かれる方の参考になるでしょうか?
欲張らず仙丈岳だけ、甲斐駒岳だけと2回に分けて登る方法もあります。北海道遭難事故の教訓で、天候が悪ければ延泊し天気回復を待つ方法も加齢に伴い、これからは考慮にいれていかなければいけませんね。今回、途中まで登っていますので、イメージが沸き、今回よりも快適に山頂が踏めるのではないでしょうか。山は天候次第ですね。何度登っても、季節が違い、仲間と一緒なら、素敵な南アルプスですね。


[1902] 【1896回 皆既日食騒ぎ】 2009-07-23 (Thu)

日本の陸地では46年ぶり、継続時間が今世紀最長だった昨日の7月22日の皆既日食。買い物途中で一瞬空が暗くなりました。船の上では幸運にも光り輝くダイヤモンドリングが見れた観測者がいた一方、土砂降りの雨に見舞われたツアー客もいた。それでも天文ファンらは、それぞれの感じ方で楽しんだようです。

6分25秒間の皆既日食を楽しめるはずだった悪石島。梅雨も明け、晴れた空を期待していた人々を待っていたのは、まさかの雨と雷鳴だったそうです。天体ファンのひとりは「遠征費や機材などに、マンションを優に買えるくらいの金額をつぎ込んだ」のだそうだ。

悪石島の名前の由来は、島のあちこちに石があり、崖から落ちてきそうだからや、平家の落人が、追手が来たがらないような名を付けたなど諸説あるそうです。なるほどだから悪石島なんて名前なんですね。

悪石島へ行こうと思うと鹿児島本港南埠頭から十島村営フェリーで11時間。「やすら浜港」に寄港する。運航は週2便のみ。皆既日食観測のために島の人口の4倍以上となる約400人の観測者が殺到したそうです。テント泊で34万円以上のツアーでの参加する者もいたそうです。島にある5軒の民宿には合わせても66名の収容能力しかなく水の確保なども懸念された。島では宿泊場所として学校の体育館やテントの利用、飲料水はJTの協力を得て島外からミネラルウォーターなどを持ち込むなどの対応を行いました。

日食の当日、悪石島では朝から大雨が降り、雷鳴も響き渡り竜巻の恐れもあったため小中学校の校庭で日食の観測をしていた観光客らに対して旅行会社によって屋内への避難も呼びかけられた。さんざんだねぇ。

我々は自分の命を守るためにクライミングに必要な道具、あるいは沢登りに必要な道具を買いそろえるが、気が付くとマンションを優に買える金額ほどではありません。お洋服を買ったつもりで、美味しいお食事会に行ったつもりで安全のために投資してきました。適材適所でなるほどと納得する道具ばかりです。

私のところは2人分だから・・・衝動買いをしないように考えて買い物をするようにしています。退職してからは不思議なことに、お洋服やハイヒールなど欲しいと思わなくなりました。靴なら登山靴、お洋服なら登山用服。帽子なんて頭ひとつしかないのに沢山ありすぎ〜(帽子だけは衝動買いハハハ)



[1901] 【1895回 北海道の山岳事故を自分なりに分析】 2009-07-22 (Wed)

大雪山の遭難事故で、企画会社が「登山実施はガイドの判断」と責任転嫁。悪天候時のマニアルも無かった様子。その結果18人が遭難しました。『「大雪山旭岳からトムラウシ山縦走」コースは、ツアー会社の体力基準で、星5つ中、4つで上から2番目の難易度が高いツアーだったそうです。会社によると、ツアーに参加するには、70歳以下で、かつ過去1年間にこの会社の星3つ以上のツアーに参加していることが条件で「やや健脚コース」としており、事前の体調管理と準備不足にならないよう注意がうながされていた。
こうしたツアーは最近の登山ブームもあって中高年に人気が高く、遭難した登山客の大半は50歳〜60歳代で占められていた。今回のツアーには同社と契約を結ぶ32〜61歳の3人の男性ガイドが同行。うち2人は名古屋と広島のガイドで、現地ガイドは1人だった。』

上記は新聞からの抜粋記事です。亡くなられた方には、山を愛する同志として心からお悔やみを申し上げます。難易度が2番目に高いコースであれば防寒着などのチェックはしたのか(新聞によると確認せずと記している)また参加者が「荷物チェックなどはなかった」と話している。しかし、チェックをされるまでもなく自己責任において準備をすべきだと思うが死者に鞭打つ発言となるのでこれ以上は差し控えたい。夏用のシャツで北海道の山を登ろうとすることがいかに無茶なのか、南アルプスでの強風雨に遭遇した私達ならわかる。わかっただけでも甲斐駒、仙丈岳ヘトライし引き返したことの意義は充分にあると思いませんか?

1日の歩行距離の長さ、緊急時の延泊などの予備日がない、帰りの飛行機の便が決まっている、会社側は「悪天候の場合は引き返すのも選択肢のひとつであってよかったかも」と弁明しているが「引き返すべき」が正しいのではないでしょうか。

私達も2泊目の山小屋には、悪天候で引き返したために正午過ぎに到着しました。チェックインの時も快く対応をしてくれました(乾燥室は欲しいよね)。3日目のバスは16時を予約していましたが午前中の乗車となりバス会社に交渉すると事情をよく把握してくれて、列の最前列に案内してくれた。栗焼酎の宿は建物が離れにあると言うことと団体で貸し切りだったことも幸いして快く受け入れてくれました。

アクシデント時はこちらの困った状態を正直に相手に理解してもらうことが大切です。北海道ツアーの添乗員も、悪天候の中、進んでいけばどうなるか客に危機感と誠意をもって話しをしたのでしょうか。

私は過去に夏の燕岳でツアーの人達と前後を一緒に登ることになりました。雨が降り、透明の簡易合羽の人、傘をさしている人、スニーカーの人を見ました。添乗員が雨のためここからは先に進めませんと説明すると「金を払っているのだから連れていけ」と無茶を言っているのをこの耳でしっかりと聞いたことがあります。また白馬岳でもジョンリーダーに「あんたらスタッフが連れて登ってくれるんとちゃうのんか」と言い、挙げ句の果てにヘリコプター物語となったことも体験しました。

そんなこんなで山登りは、気心の知れた仲間と、しっかりしたリーダーと行くことが「生きて帰れる登山」だと教訓として、しっかりと自分に置き換えて、今後も山登り、沢登り、岩登りを楽しみたいと思います。


[1900] 【1894回 下山後の後かたづけ】 2009-07-21 (Tue)

現役の頃、いつもなら旅行や登山の後は必ずその日のうちに片づけて会社に出勤していました。毎日日曜日の現在でも、その習慣は変わらず、戻りて延々と洗濯機を回し続けました。二人分ですから一度や二度では終了いたしません。それからパソコンに向かってレポートを書き上げたら午後12時近くになってしまいました。皆様から頂いた「感想文」も活字にしました。よっしゃ!編集局のジョンに送信済みで〜す。

本日の天気を見たら、沖縄以外はすべて雨マークがついていました。午後からは雷のおまけ付きの様です。そう考えれば山行途中の雨は、まだ「小降り」だったかも知れませんね。北海道の山岳事故は低体温症による死だったようです。私も、やまたび倶楽部で槍ケ岳に登ったときに経験しました。雨に濡れてしまい小屋に戻り、着替えても歯がガタガタ震え悪寒が身体全体を襲います。小屋でなく外であの状態に陥ると1時間で死の境をさまようことになると実感しています。

甲斐駒岳の途中、駒津峰で風雨にさらされながら更に頂上にむけて進んでいたら低体温症で苦しむ仲間が何人も出たのではないでしょうか。人ごとではありません。私でさえも、リーダーでさえもその可能性があります。

私達は目的の山を決めると「これでもか、これでもか」と言うほどトレーニングを重ねて山行に向けて準備を重ねていきます。その間に個人の持つ体力、技術、性格などがお互いに分かり合えていくのです。北海道の山岳事故は全国から募集をかけたツアーであったため事前のトレーニングは個人任せであったのではないでしょうか。装備についても徹底されていたとは思えません。私達は荷物のチェックから行動食の中身まで公開し「そんなこと言われなくてもわかってるわ」と言われるほどに万全を尽くします。私達はツアーではなくてパーティなのです。

(追記)私の2匹の番犬が、みらい塾で大暴れしました。あれは飼い主である私の監督不行届であり、皆様にも恐怖を味わわせてしまいました。2匹と飼い主で、しこりの残らぬ様話し合い、狂犬病の予防注射も接種致しました。お騒がせして申し訳ありませんでした。栗焼酎に免じてお許しください。


[1899] 【1893回 下山報告】 2009-07-20 (Mon)

痛ましい北海道山岳事故は、山行途中のニュースで知りました。残念ながら18日甲斐駒岳、19日仙丈岳の頂上は悪天候のため踏むことができませんでした。しかし24名の勇気ある決断で無事、下山することができました。

勇気ある決断をした褒美として「温泉」と「24人のためのハープコンサート」「栗焼酎パーティ」で盛り上がりました。頂上を踏めず「残念」とマイナスに取るか、「山は逃げはしない、また行こう」とプラスにとるかは個人差がありますが、今回の24人は「また行こう」と固く友情を深めたと信じています。

そりゃあ天気にこしたことはありません。「雨もまた自然」と強がりを言うより晴れた方がいいに決まっています。でも「生きて帰る」ことの方がどれほどに大切か今回の夏山登山参加者24名、固いちぎりを結びました。

みんな無事に家路につきました。詳しくは後日のレポートをご期待下さい。


[1898] 【1892回 夏山登山 まであと1日】 2009-07-16 (Thu)

いよいよあす出発

いつものところから午前7時30分に発車〜!
10分前には到着する様に余裕を持ってご集合下さいね。みらい塾での着替え以外はリュックに詰めて、バスの中で履くスリッパがあれば楽チンかもね。マイコップお忘れなくね。

え〜と、え〜とそれから・・・まるで遠足に出かける前みたいですね。皆さんとバスで遠出するのは白山登山、燕岳登山以来ですものね。たっぷりとトレーニングを終了し、楽しい山行になること間違いなしです。旅先でのリーダーとの「恒例の喧嘩」は慎みます。ハイ。意見の相違が出たとしても山のリーダーは一人です。これが事故のない楽しい旅の秘訣です。

いまからイタドリの仕上げをしてバスの中での酒の肴にしてもらいたいと思います。おっとと!酒は自前だよ!姫のサービスは肴だけだよ。大量なので何度かに分けて炊かなくちゃあね。私が意気がるほど、うまいものではありませんが春の風物詩として、季節限定を楽しませてくれたお礼です。(会社の息子や娘の分は勿論、冷凍室に残しています)

そんなわけで7月17日から20日まで夏山登山「甲斐駒岳&仙丈岳いってきま〜す。その間「姫のおうち」は夏休みとさせて頂きます。戻りましたら、たっぷりと夏山情報をお届けできると思います。

ドタキャンをされた正ちゃんが残念がって、仲間を失ったことに歯ぎしりをして、お寝小便するくらい楽しい旅にしましょうね。ハハハ




[1897] 【1891回 夏山登山 まであと2日】 2009-07-15 (Wed)

いよいよあと2日!

「水を飲むタイミング」
健康に良い水を飲むタイミングは「1時間にコップ1杯づつ」で、朝起きた時、入浴前、寝る前、夜中トイレに起きた時などだそうです。1日1.1gから2.6gが理想で常温より少し冷たい位がいいそうです。水分不足は脳梗塞や脱水症状を引き起こす原因となりますので、介護中の高齢者には特に気を配る必要があります。

冷房の中にいると室内が乾燥しているのでのどの渇きを感じる前に1時間にコップ1杯を目途に給水補給して下さい。登山においては50分経過すると休憩を取っていますが、この時は「ゴクンゴクン」と大量に飲み、50分の歩行中はチョロチョロと少しづつ給水補給をして下さい。のどが渇きを訴える前に飲むことが必要で、渇きを覚えてから飲んでも遅いです。

リュックの肩掛けヒモを利用して百円均一ショップでペットボトルにセットしチョロチョロと飲むストロー付き器具が売っています。上手に活用しリュックを降ろさなくても飲める方法を考えてみましょう。ポチの実験によるとある人がペットボトル4分の1を飲む間に一度も給水しなかったことが判明しました。理由は「飲む時間がなかった」「飲むと列から遅れる」などなど苦しい言い訳・・・だからヘバルのだ〜

また美容のためにも給水補給は大切で肌の新陳代謝に影響してきますので女性は特に気を付けましょう。

水には硬水と軟水があり用途に応じて飲むようにして下さい。私が子供の頃は遠足に行くときだけ兵隊さんの持つ様な水筒を持たせてもらいました。日常は谷川の水、四万十川の水、よその家の井戸水とそこら中に飲み水の宝庫がありました。大腸菌だの何だのと、誰もうるさく言わず、そのかわり学校でチョコ味の虫下しを配布され食べた覚えがあります。

畑にある物は、川の水でサッと洗い口にします。木の枝に実るヤマモモやビワはもぎ取りそのまま食べたりしました。「洗わんとバイキンがついてる」なんて母親から注意されたことはありません。しかし今は農薬問題があり、自然児の私には少々、肩の凝る思いがします。



[1896] 【1891回 夏山登山まであと3日】 2009-07-14 (Tue)

いよいよあと3日!

南アルプスは、長野県、山梨県、静岡県の3県にまたがり3000m峰13座を有する広大な山脈である日本最高所の峠といわれる三伏峠を境に北部と南部にわけられています。北部には甲斐駒、仙丈、北岳、間ノ岳、塩見岳、南部には荒川、赤石、聖、上河内、光岳などの峰々が連なっていて、山腹を豊かな原生林に覆われた山容の山が多いそうです。

双子山から駒津峰コースを登ると、双子山を経て標高2750メートルの駒津峰に到着です。ここからの展望は360度の大パノラマで富士山、北岳、仙丈岳、槍ケ岳もくっきりと見ることができます。ここまで登って来た者への最高のご褒美でしょうか。

駒津峰にはリュックが沢山置いてあり、甲斐駒ヶ岳へはサブリュックに水と行動食のみで登る人が多い様です。しかし私達は長衛荘に荷物を預けたりしましたのでそのまま進むことになるでしょう。甲斐駒岳は花崗岩の風化した砂礫帯で山全体が白く太陽に反射してまばゆく光っていることでしょう。

甲斐駒ヶ岳の頂上を踏んだあとは長衛荘にむけて下山となります。預けた荷物を引き取り、少し下った所にある大平山荘(おおだいらさかそう)に向けて歩いていきます。2泊目の宿に到着です。

大平山荘への到着にはあまり時間を気にしなくてもいいのですが翌日の仙丈岳登山を終えて北沢峠のバス停には何としても午後4時の最終便に間に合わなければなりません。バスの中でご案内しますが、「1班」、「2班」、「お先へ」の3グループを編成し、余裕を持って出発し途中で合流し頂上を踏んでいただこうかと考えています。

2日目の19日の夜は、「みらい塾」のおとまりです。温泉ではありませんがお風呂のご馳走が待っています。勿論、栗焼酎もね。今朝、四万十から電話があって「今日、発送したけんねぇ、みんなで楽しんで下さいや」と言葉を添えて頂きました。


[1895] 【1890回 夏山登山まであと4日】 2009-07-13 (Mon)

いよいよ夏山へ出発間近となってきました。カウント大好きのみっちゃんが、またまたカウント開始しました〜。あと4日を残すのみとなりました。みなさん準備はOKですか?

去年、甲斐駒に行ったとき、どうしても山小屋「長衛荘」に泊まりたい気持ちが大きかったものの「満室」でやむなくバスで麓まで降りてきて、飛び込みで見つけた民宿「みらい塾」飛び込みの割りには素敵な蔵宿でした。そんなご縁があって今年は「長衛荘」に予約ができました。受付開始日に既に「満室」と言われ、それはどういうシステムなのかと詰め寄り、やっと勝ち取った山小屋「長衛荘」村営バスで降りたその地が山小屋なんです。

長衛荘は、北沢峠にある山小屋で、標高2,036メートルの地に建っており収容人員140人、周辺では一番大きい山小屋で、峠北の高台にあります。甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳登山の起点となるため旅行社が全部買い切るケースが多いです。また竹沢長衛ゆかりの小屋としても有名。

竹沢長衛さんは、明治22年に伊那市長谷に生まれ、南アルプスの仙丈ケ岳を一般の人が親しんで登れるようにと登山道や山小屋を作り、昭和33年に69歳で亡くなりました。
長衛さんの娘さんは「4歳ごろから背負子にぶら下がって山に連れて行ってもらった。山小屋の仕事は、怒られながら覚えていった記憶がある」と思い出を話していました。
林道バス乗り場となっている仙流荘には、展示コーナーがあり営業時間内に見学することができますが今回は、多分時間的余裕はないと思います。あると言うことだけ知っておきたいと思います。

2泊目の太平山荘は仙丈岳へのアプローチが非常に良くて山小屋自身の特徴はあまりありませんがとにかく仙丈岳に取り付くには最高の場所にあります。


[1894] 【1889回 比叡・飯室山の下見】 2009-07-12 (Sun)

後回しにしていて下見が出来ていない7月26日(日)比叡・飯室山へ出かけることにしました。ポチの登山靴を足慣らしする目的も兼ねていますし、ポチのヘバリチェックも兼ねています。本番よりも30分早くJR比叡坂本駅をスタートしました。途中に京阪電車「坂本駅」があり、京阪を利用する人は京阪坂本駅でもいいと言うことにしようと打ち合わせをしながら歩を進めていきます。

「登山靴の履き心地はどや?」ジョンがたずねます。
「バッチリで快適ですわ」とポチが答えていますが、それもそのはずいまスタートしたばかりなんですから。このコースは登山口までのアプローチが長く、比叡の町中を歩きます。高野山とはまた違った神秘的な空気が漂っています。神社の鳥居をくぐったり、住宅街を歩いたりと、ゆったりとした登り坂をかなり長い時間歩いていきます。

突然大きな杉の木立の間に「参道近道」の看板を見つけました。見落とすと大回りをすることになります。駅からすでに約50分が過ぎています。ここで最初の休憩を取ることにしました。さあ山道へと出発で〜す。土のジュータンを敷き詰めた、やまたびさんの大好きな道です。出発から1時間30分ほどで「比叡・飯室不動堂」に到着しました。ここには千日回峰を何と3回もお勤めされた偉いお坊様がいらっしゃる場所なんです。

ポチも快適に歩いてはいますが、休憩時間ばかり気にして、かなり下見の邪魔をしてくれます。お昼を過ぎると横川中道に到着しました。ここにはトイレもありベンチもあるため昼食場所には最適です。
「ここには犬の糞がないから安心やね」
「狸の糞なら落ちているかも知れんなぁ」と砂利の上に腰を下ろしベンチをテーブルにしてお弁当を広げたらジョンが目で合図をしてきます。振り向くと「犬」がシッポをふりふり悠々と歩いていました。

昼食場所の横川中道では、コーラスは無理のため、下りの一本杉分岐で休憩時に歌うことにしました。ひらめいた曲目はヒ・ミ・ツです。(当日までに曲目をズバリ当てた人には賞品あり)

午後からは「大宮谷林道」を歩きます。下りばかりの道で、少々、登り道が恋しくなるほどでした。大宮谷林道は落石が多く、ここだけは「山側」ではなく「山側を避けて」歩いてもらいます。出口のゲートには午後2時過ぎに到着、比叡坂本駅には2時30分ゴールとなります。

本番はこのタイムスケジュールより30分遅れでスタートとなりますが、まあ午後3時には電車に乗れるでしょう。

町中にはない、荘厳としたコースで身の引き締まる思いが致しました。暑さも谷川の水の音で消され、すがすがしい思いでした。ストックし必需品です。


[1893] 【1888回 夏山への準備】 2009-07-11 (Sat)

夏山までの出発に1週間を残すばかりとなりました。そこで、ボチボチ準備にとりかかるべく、まずポチの登山靴のチェックをしました。常々「何かゴムが剥がれてるみたい」と言ってたのが気に掛かり割り箸をクグッーと割れ目に入れてみたらパックリと口を開ける寸前、人間で言うと癌宣告を受けた状態となりました。修理に出しても、甲斐駒には到底、間に合いません。

清水の舞台から飛び降りたつもりで新しい登山靴を買いに出かけることにしました。好○山○は大勢の客でごったがえしレジは長蛇の列をなしています。「一体今日は何事なんですか」と店のスタッフに聞くと「1割引のセール中」とのことでした。「SIRIO」の軽い登山靴が見つかり購入しました。大蔵省はポチのためソッと買い物かごに「カラビナ3個」忍ばせておきました。会計を済ませて首を傾けていましたが、知らん顔をして出て来ましたが・・・(きっと気が付いてるとは思います)

山小屋、バス会社等に最終の連絡を済ませました。あとは四万十の(株)無手無冠に電話をいれて栗焼酎の発送が済んだかどうか確認をとるだけとなりました。

あとは天気の心配だけ。きっと天気になるよね。!


[1892] 【1887回 トマトとの会話】 2009-07-10 (Fri)

強風で3度も倒れたトマトの鉢を3階のサンルームに持ってあがりました。カラスの被害も安心です。近所のおじさんが「トマトは葉がチリチリに枯れる寸前まで水をやってはいけないよ」と言われたことを守り、葉はチリチリですが実は青から赤に変わりながら生き生きしています。

「ねぇ採って〜まだあるよ〜」
トマトちゃんが私に毎朝ささやきます。
「ダメ!まだ頬っぺが赤くないよ。またこんどね」
そんなささやきをトマトにすれば翌日はポッと赤く染まっています。
少し収穫が遅れるとトマトは怒こり頬にヒビを入れみっちゃんを困らせます。
トマトの名前は「アイコ」面長の美人の品種です。ひと枝に葡萄の房の様に10個以上の小さな黄色の花をつけ、やがて実をつけます。「大きくなぁ〜れ!」と水をやれば期待に応えて背伸びをしてくれました。

近所の人達も立ち止まり「よく育ってるねぇ」と声をかけてくれます。あまりにみんなが褒めてくれるので背伸びをしすぎて少しの風にも耐えられなくなり、すぐ倒れてしまいます。みっちゃんは「あんたは朝礼中に倒れる子供みたいにひ弱やなぁ」と皮肉をいいながら水や肥料をくれます。「ひどい!大きくなぁれって言うから大きくなったら倒れるな!だってサ!

朝顔の手を買ってきてくれてグルグル巻きにして倒れにくくしてくれました。でも、
「この鉢は窮屈なんだよなぁ。来年はもっと大きな鉢に植えてよね。」
お友達のナスビ君は1階のガレージの前におり、毎朝、毎晩雨の日も水をもらいよく実を付けています。
「ここの主人は、いつもリュック背負って出かけるから寂しいんだよ」そう言いながら赤く色づくトマトのアイコであります。今日はトマトとの会話を書きました。いま苦境に立たされている恩人が、仲間が「バカバカしい」と少しフッって笑ってくれたらと思い擬人法を用いました。

二人暮らしの我が家では食べきれないほどのトマトが実をつけています。(10日の朝の収穫はブログに掲載)


[1891] 【1886回 美味しい麦茶の作り方】 2009-07-08 (Wed)

夏の定番は麦茶を香ばしくすっきりとした味でカフェインなどの刺激物を含まず、昔懐かしい麦茶の入れ方を試してみませんか?ミネラルたっぷりの麦茶は熱中症に最適です。

パックに水を入れるだけの今の麦茶は、とても便利ですが、麦を煎って粒を煮出しして作った昔の麦茶とは味も香りも違います。

【作り方】
パックに湯をかけ、1分間蒸らす。お湯はパックがひたる程度、中の粒が膨らむのに必要な量でOKです。水1gを入れて1時間浸しておくとできあがりです。濃い目が好きな人は長くても2時間以内で取り出しましょう。最後にインスタントコーヒーをひとつまみ入れます。

「うっそ〜」と言うくらい昔懐かしい麦茶のできあがり。だまされたと思って実験してみましょう。

夏山に行くときはお茶と万が一の消毒にも役立つ水も用意すれば飲んでよし、消毒してよしとなります。麦茶もいきなり携行するのではなく、家でまず実験してみて「こりゃ旨い!」と思ったらぜひ登山のお供にしてやって下さい。


[1890] 【1885回 こ の は な 】 2009-07-07 (Tue)

USJを此花区に誘致した時「此花区」が賑々しく脚光を浴びました。今回は大火災でまた此花区の名前が全国区に広まりました。東京の厚生年金基金の方や健保組合の人達からも見舞いメールが届いていました。今日もまだ商店街入り口はマスコミ、警察署、消防署の人達が出入りしていました。

41年前、犯人が生まれた時に両親は「素直な子に育つ様に」と命名したに違いありません。バチ当たりと言うか親不孝と言うか、世間を騒がして、無関係の人を巻き込んで、どこに怒りの矛先を持っていけばいいのか腹立たしく思います。マスコミはパチンコ店内の死亡者、負傷者の事ばかりを報道していますが、階上で営業する学習塾、針灸医院、歯科医院、モデルルームなども大きな被害を受けていることを現実として知ってほしいです。一体どこが責任を取ってくれるのか自分ことの様に腹立たしく、心が痛みます。

パチンコ店から400bのワンルームマンションを探しました。梅香の交差点を渡り消防署の真ん前、区役所前にある「メゾン○○」のマンションに行き着きました。ここは以前私が勤めていた会社が社宅として借り入れており、いまでも「かまぼこてっちゃん」が住んでいます。昼休みに、ひょんなことで忘れ物を取りに帰った「かまぼこてっちゃん」と出会い「やあやあ」と挨拶を交わしました。「ボクの住んでるマンションに犯人が住んでいるのですよ」待ち受けた報道陣に取り囲まれて大変そうでしたが、そのまま見捨てて此花会館梅香殿へ行きました。

梅香殿では保護司会主催の「社会を明るくする運動」の活動で講演と映画、講演はもとNHKアナウンサーで「寺谷一紀」さんの「これで貴方も言葉の達人。必ず上手くなる話し方講座」でした。いまもフリーアナウンサーとして活躍しているだけの事はあって声量、話術は人を吸い込むほどの魅力にあふれていました。どこかの社長さんにも聞かせてあげたかったなぁ。NHKの仲間で「旧中山道」を「いちにちじゅう、やまみち」ととちった事や宝石店に泥棒が入り「ダイヤモンド」が盗まれたのを「ダイナマイト」と勘違いして3回も連呼した話しなどおもしろおかしい講演でした。

寺谷一紀さんのホームページはhttp://teratani.seesaa.net


[1889] 【1884回 コマ無し自転車】 2009-07-06 (Mon)

ももちゃんママから携帯の動画で「ももちゃんがコマ無し自転車に乗れました」とホヤホヤのニュースを届けてくれました。右にフ〜ラフラ、左にフ〜ラフラしつつ、ちゃ〜んとペタル漕いでいます。零ちっちも後に続けですね。かー君は今までコマ付きのももちゃんの自転車を借りて乗っていたのですが今日からはコマが無いので乗れなくなりました。動画の中の声で「か〜し〜て!次はかー君!」と聞こえてきます。三輪車じゃ物足りない様です。(かー君の自転車も買わなきゃいけないかな?まだ早いかな?)

夕食後、電話をかけて「コマ無し自転車乗れる様になってよかったね」と褒めてあげると「ハイッ!」と元気な声。ところが、まだ話しの途中なのにプツンと切れてしまいました。再び電話で話をすると「かー君が電話を切った〜」と泣きじゃくるももちゃん。話しを変えて、婆ちゃんのお魚は元気かと聞くとヤツデに食べられてしまったそうです(アッチャー!)

5日に「夏山トレーニング箕面」に参加出来なかった参加者の皆様には、本日資料を郵送させて頂きました。上手に荷造りをして軽くして登りましょうね。忘れちやならない物は机の隅などに置き前々日くらいにリュックに詰めることにします。リュックに出したり、入れたりも、上手に荷造りするために練習になりますけれどね。ポチのリュックの中から「ノコギリ」は抜き取りました。一体どこでノコギリ使うつもりなのでしょうか。それよりも何よりも「リュック」は忘れずに携行しましょうね。

4日の沢登りの時、忘れていたリュックは玄関先にありました。家を最終出たのはポチです。私には何の関係もありましぇ〜ん。自己責任ちゅうところでしょうか。

夏山登山の持ち物に名前や目印があるかどうか今一度確認してみましょう。登山中に落ちているのは「手袋」「タオル」などです。手袋にはゴムをつけておくと便利ですよ。タオルは両端を安全ピンなどで止めておくといいですね。落ちていても環境に悪く、高価な物でも山では「ゴミ」ですからね。


[1888] 【1883回 夏山トレーニングE】 2009-07-06 (Mon)

今日は夏山トレーニングの最後となりました「箕面山登山とミーティングの日」です。 阪急電車・箕面線 箕面駅に降り立つと立派な七夕飾りが出迎えてくれます。此処で記念写真をということになりみんなは織姫と彦星になった気分でパチリッ!

箕面滝道を通り、ようらく園地までをハイキングし甲斐駒&仙丈岳の打ち合わせに時間を費やすことにしました。阪急箕面駅は昨年、リーダーが「目が霞む」と訴えた記念(?)の場所です。

午前9時、参加者が全員集合しましたのでストレッチを終えて、風に揺れる大きな七夕飾りに見送られて出発です。箕面公園滝道を通り30分ほど歩いて最初の休憩地でトイレ休憩を取りました。ここから山中に入るとトイレがないため、少し早めの休憩です。夏とは言え滝道は渓流を吹き上げる風で涼しく、快適に歩を進めます。今日もリードは姫、夏山トレーニングのリードは全て任されているため頑張って最後のリードをしていきます。滝道はいつもより人は少ないものの、やはり此処は人気コース、この時間だというのに多くの人が下ってきます。擦れ違いざまに爽やかな声でご挨拶。足取りも軽やかに滝道を上がります。

紅葉の名所の箕面の滝にはシーズンオフのため、滝には行かず三国岳の方へと向かいます。「劔岳・点の記」の映画を観て三角点の設立の苦労を知ったため三国岳(395.8b)ではみんなでそっと触れて見ました。腰掛けたりはもう致しません。
今までとは違った三角点とのふれあいです。「今日はハイキング」と申しましたが、これがなかなかのきつい上り坂があり蒸し暑さも手伝って結構大変な山登りでした。お昼前には昼食場所の「ようらく園地」に到着です。

時間もまだ11時と早いため甲斐駒&仙丈岳のミーティングを先に済ますことにしました。リーダーが用意したスケジュール表の読み合わせの後に質問のある人はと言うことで荷物に関すること、歩行時間に関することなど積極的な質問が飛び交いました。

これで甲斐駒&仙丈岳のトレーニング6回全て終了しました。あとは本番の天気を祈るのみです。午後は下りばかりの道のりで、途中で石黒パパの冷たい紅茶を全員でおいしくご馳走になりました。重さにして3sを余分に背負って登っていたのですね。ありがとうございました。
紅茶をご馳走になった後はハート広場を通り、桜広場を通り箕面商店街に戻ってきました。ゴールは午後2時30分だったと思います。

6回の夏山トレーニングで、体力に自信のついた人はトレーニング効果があったと言うことになります。まだ体力に不安があったとしても、あまり気にしないで、色々工夫をして頂上を踏んで頂くようにしたいと思います。但し天候不良等で希望通りにならない事もありますがその時はご勘弁をお願いします。

最後に小さな声でエイエイオーやって帰ろうとなり、皆でそっと手を寄せて、「エイエイオー」。最後のオーの声の大きかったこと。びっくりしたなあ…もう。気合い充分やね。

安全で事故の無いように、楽しい山行となるよう皆様のご協力を宜しくお願い致します。では7月17日にお会いしましょう!!。


[1887] 【1882回 沢レンジャー In 上山谷】 2009-07-05 (Sun)

前日の大雨で滝の水量が気に掛かりました「ええいっ行ってみて沢に入ることができなければ温泉でも入って帰ろう」と開き直り「四万十号」と「サスケ号」はそれぞれの参加者を乗せて現地集合「滝畑ダム駐車場」めざして走りました。時間差10分ほどで2台が合流、準備をする間、いつになく水の音がゴオゴオとしており水量の多さを予告しています。「あれっ?あれっ?ない!ない!オレのリュック〜」突然ポチが青ざめて叫びます。貧血気味だから余計に青く見えましたよ。理由を聞くとリュックが無いといいます。順序だてて聞いて見ると、どうも自宅の玄関先に置き忘れているようです。弁当、おやつ、お茶、すべてリュックの中で、仕方がないので売店でパンを買い、とうとう身ひとつで出発する羽目になりました。うららちゃん曰く「ポチさん体調不良なので、姫さんのリュックに2人分入ってるのかと思ってたわ〜」ヘルメット、くつしたスパッツに続き今日はリュックの忘れ物です。(あきれた〜)※みーんな年やから、間違っても自分を忘れんようにしようなー。

「水量が多いかも知れんが、とにかく入渓して見よう」 あじさい寺よりも美しく咲いている色とりどりの紫陽花の前で出発前の記念撮影をして、いきなり川向こうに渡らなければなりません。今日は沢レンジャー隊に新入隊者2名がおり、さぞびっくりしたことと思います。「濡れるかも知れない」ではなくて「水の中に入っていく」状態ですので、覚悟ができたのかパシャパシャと列を作って遅れることなく進んできます。後ろを振り返ると橋の上から見物人が10人ほど不思議そうに私達を眺めていました。

次は入渓してすぐの2メートルの滝に出合います。初参加の人は少しためらいがちでルートを見極めているうちに、別のグループ4〜5人がやってきましたので、先に行って貰うことにしました。挨拶もなく無言の通過です。
「最近の若いモンは…。なんて言うけど、山で出会う若い岳人はちゃんと挨拶してくれる。山では挨拶も出来ん年寄りのほうが、多いかも知れんなあ。岩や沢をやってる人の中には自分を特別な登山者やと思ってる人もいるらしいけど、そんなんにならんとこな…」とはジョンの弁。

気を取り直して2メートル、3メートルと無数の滝登りを楽しみました。最初はロープでつながれていたおっかなびっくりの初心者(本当はコンティニュアスと言うんですけどね)も中間あたりでロープ無しで平気に滝登りをしています「クライミングを学んでて役に立つわ」と、こわがるどころが楽しんでいるではありませんか。

どの滝あたりだったでしょうか、とにかく水量は半端ではなく手を置く所も足を置く所も、はっきりしていたのですが、あまりの水量に押し流され一度姫が滝壺に落ちてしまいました。頭からスッポリ水没したのです。「大丈夫か」 の声にやっと我にもどり別ルートから這い上がりました。寒くて唇が震えていましたが、上がってしまえばジョンがすぐに 「ビレイして」 休憩なんかさせてくれません。逆らうこともできません。その声になんとか気合を入れて回復し、ロープで確保しながら後続者の安全を確保します。 その後も、休憩もとらずに必死に登り続けました。

「いったい、いま何時なんやろうか」と思った時は12時はとっくに過ぎていました。一つの滝が終わったらロープを片づけ、この滝を登り終わったら休憩があるだろうと思っていたら「もう充分休憩したやろ?行くで〜」「うっそ〜私休憩してないも〜ん、お茶かて一滴も飲む間なかったわ」 とリーダーに訴えましたが、更に次なる滝に向けて突進です。
充分休憩したのは上で後続者を待ってた人たちや、下で順番を待ってた人たちで、下でカラビナのセットをしていたポチやサスケさん、上でビレイをしていた姫やジョンはそんな余裕はありません。

いくつかの滝を越えて 「腹へった!」 やっとのことでおやつタイムを取ることができました。わざわざ持ってきたトウモロコシやバナナがやっと口の中に入ります…美味しーい。
雨の影響か流木が流れを堰き止めた箇所が多くありましたが、その流木に助けられて滝を登れた場面もいくつかありました。沢に入ったら何でも利用して安全策を構じなくっちゃ。

小さいけど深い滝壷をヘツってゴルジュに入るとこれが最後という大きな滝にでました。今回の上山谷で一番の核心部と言えるでしょう。樋状2メートルの滝を左からへつり、更に7メートルもあるクラックが待っています。ここには巻き道が無いので登りきらなければなりません。みんなに緊張が走ります。

まずリーダーが登ります。いつもならカムを一つしか入れませんが今日は二箇所に入れています。ちょっと疲れが来ているのかもしれません。上がって確保のセットをします。その後をロープで確保してもらいながら、少し時間はかかりましたが、無事に全員登り切ることができました。何とも言いようのない達成感と感動で空腹を忘れていました。

午後3時、昼食とも、夕食とも言えない「3時の弁当」をみんなでワイワイガヤガヤ言いながらいただきました。ウオークなら、苦情のひとつやふたつは届いている事と思います。食事が終わると、早々とリュックを背負います。
「そんなに慌てんとゆっくりしていいよ」
「リュック背負わんと寒いねん」
そんなこんなで一気に下山することにしました。午後4時30分駐車場でミーティングをし連続ではありますが、明日は箕面のトレーニングが待っていますのでよろしくとお別れの挨拶を済ませ2台の車は上山谷を後にしたのであります。

「明日は箕面の滝はパスしような…滝もこんなに登ったら食傷気味や」 そんなこと言う奴誰や。(姫に決まってるやろ〜)


[1886] 【1881回 あと1回クライミング講習あるんだけど・・・】 2009-07-03 (Fri)

クライミング講座第2期生の終了があと1回、2名の受講者が未受講のため「すべて終了」となっていません。梅雨に入り雨も多いことから地団駄を踏んでいるのが現状です。第1期生の時は日程が先に決まっており、その日が都合が悪くても次に進んでいたように思います。そのことを考えると第2期生は、とても恵まれていて幸せだと思います。第1期生のサポートもあり順調に進んでいたのですが、天候不良には勝てないですねぇ。甲斐駒&仙丈岳登山までに後1回、何とか都合をつけて「すべて終了」となる様に期待しています。

そして1期生、2期生合同で今後はやまたび倶楽部を母体とした「どんぐりの背くらべ倶楽部」として楽しいクライミングを、まだ未知の岩場に挑戦したいと希望しています。「まだ姫には雪彦山は無理だ」とずーっと言われ続けてきました。この間、別の山岳会の欠員で雪彦山に挑んだとき、ジョンが言う「まだお前には無理だ」と言った意味がよ〜く理解できました。今までに体験した事のない恐怖でした。受講生が「こわいです!」と言ったとき「大丈夫、絶対落ちないから」と慰めていましたが、自分が体験して初めてみなさんの気持ちがわかった気がします。

講習を終了し、芦屋ロックガーデンの岩場を楽しくクライミングが出来れば幸せです。(時々アルパインルートも連れてって欲しいなぁ)安全な中高年のクライミングを楽しみ、未知の岩場にも行きたいと思っています。駅集合でなくても「今日はキャッスルで」「次はブラックフェイスで」「今日は蓬莱峡の大屏風で」なんて待ち合わせ、格好いいじやありませんか。

第2期生のある人が、毎年梅の実を採るのにおっかにびっくりで収穫していたのですが、クライミング講座を受けてから、平気で梅の実が収穫できたと喜んでいました。

クライミングは岩登りが目的ではありません。3000b級の山の通過を安全にするために訓練を受けたのです。南アルプスが山開きをしたその日に鋸岳で滑落し大怪我をしたと報道されていました。やまたび倶楽部はクライミング講座を受けていない人にも必ずトレーニングを積み重ねて頂き、会員全員で安全な登山を楽しんで頂いています。


[1885] 【1880回 洗濯漕の洗濯】 2009-07-02 (Thu)

今日は久しぶりに何の予定もないために洗濯槽の洗剤を買い、洗濯機を洗濯しました。(衣類を洗ったのではありません)洗濯物は何もいれず、水を満タンに入れ、洗剤を入れてから10分待ちます。説明書によると、ぬるま湯がいいと言うことで風呂の残り湯を使うことにしました。それからフルコースをセットし終了したので洗濯槽の中を覗くと、真っ黒なゴミがまだ付着しています。更にもう一度フルコースをセットしピッカピカの洗濯槽に蘇りました。その後、ポチルームのベットがきしむと文句を言うので(文句言う前に自分で直せよ〜)ベツトを分解して「5−56」を吹きかけました。ついでに姫ちゃんベットも点検。よ〜しッ!異常な〜し!

ついでにレースのカーテンを外しピッカピカに蘇った洗濯機に入れて洗濯をしました。カーテンは外して見ると結構黒ずんでいますよね。え〜い、ついでに家中のカーテン全部、外して洗っちゃえ〜。ということで梅雨の合間の天気をねらって大掃除もどきになってしまいました。

夏場と言えば「素麺」が人気ですが食べ方にも色々ありテレビでレシピを紹介していたので一度試してみたいと思います。
●素麺とは太さ1.3ミリ以下
●冷麦とは1.3〜1.7ミリ未満
●うどんとは1.7ミリ以上

★釜玉素麺の食べ方は、湯がいた素麺を水で洗わず、熱いまま器に入れ卵を落とし薬味の鰹節、ネギを入れ醤油をかけて混ぜ、頂きます。

★豆乳素麺の食べ方は、豆乳の中にめんつゆを混ぜて冷やし、水で洗った素麺を入れキューリやしいたけなどお好みをトッピングして、頂きます。

私は醤油をかける方が好きです。昔キャンプの帰り道に、きれいな川を見つけ昼食に素麺をゆがいて食べようと言うことになりました。どうせなら風流に「流し素麺」で食べようと言うことになり素麺を川の流れに持っていき、みんなで素麺を食べるのですが、うまく口に運ぶことができません。「これって流し素麺じゃなくて素麺流しやんか〜」そうなんです。素麺は川の流れにさらわれて流れて行きました。夏の懐かしい義兄との思い出です。(流れを堰き止めるべきでしたね。ハハハ)

私の母も素麺が大好きでした。寿司桶に水をはりその中に素麺を入れ、色づいたほうずきを見ながら縁側の涼み台の上で頂くのですが、母は右手に箸を持ち、左手でだしの器を持ち左手の人差し指と中指の間を器用に使い素麺の水切りをしてツルツルと美味しそうに頂くのです。私が季節を問わず素麺を家に置くのは、そんな母の面影が偲べるからかも知れません。

しばらく冷麺はいややとおっしゃるサスケ先生!では素麺はいかがですか?(笑)


[1884] 【1879回 暑いねぇ】 2009-07-01 (Wed)

焼けつくような暑さ。
岩登りしてたら「石焼きビビンバ」になってたやろうなぁ。ウオークやったらアスファルトの熱で熱中症の人が出たかも知れんなぁ。
里山歩きなら、う〜ん、土の道や木立の中は案外涼しく、時折吹いてくる風に「あぁい〜い気持ちっ!ビールよりも、ずっとエエわぁ」と言いながらゴールしたら自動販売機に走りプッシュ〜とビール飲んでるやろなぁ。

会社勤めの頃はトイレ以外は全館冷房中で快適でした。現在、自宅では夏は暖房、冬は冷房状態で、今は汗タラタラです。しかし暑さへの覚悟が出来れば、それなりに服装も工夫し、袖無し、短パンとエコスタイルで動けばそう暑さも気になりません。寝るときは保冷枕を使うとスーッと眠りにつくことができます。60歳を過ぎると冷房が身体にきつく感じる様になりました。

午後から梅香殿で研修があり出かけてました。会場は冷房がガンガンかかっていて、外から入った最初は汗がひき快適でした。しかし20分もすると足下が寒くて、トイレ休憩時に担当者に言うと温度調節がむずかしいとのことでした。幸いカーディガンを持参していたので足に巻き付けて4時までの2時間を耐えました。

5時からは西九条駅で「社会を明るくする運動」の街頭運動だったため、時間がくるまで(暖を取るため)西九条界隈を散歩しました。阪神電車がなんばまで開通したことで少しは活気が出たかと思いましたが西九条小学校横にあったコンビニは閉店になっておりました。やはり通過点でしかなかったのでしょうか。

空を見上げると、不気味な鉛色で今にも雨が降りそうな中、区長はじめ保護司会のメンバーで空を気にしながらの活動となりました。今日は地元の中学校の生徒会の生徒5人も参加です。街頭活動を終え、スーパーに立ち寄り、急いで自宅に戻り、ドアを閉めた途端、サザーッと大雨。間一髪セーフッ!


[1883] 【1878回 仲間への檄】 2009-06-30 (Tue)

以前勤めていた会社で健保組合関係の仲間に、一大事が勃発しました。第二部上場の一流企業の取締役をしていたのですが、ある日突然解任されたといいます。取締役が総会に於いて解任ということは翌日から退職ということなんです。この企業は業績不良で事業所を閉鎖し売却。百名いた社員は解雇ということになったそうです。この責任を取らされた様です。ある日取締役会で「会社を再興するための決意を新たにするために取締役全員「退職届」を書いて提出し、誠意のあるところを見せててくれたまえ」ということで社長みずから退職届を残りの5人の取締役に提示したそうです。事の流れ上、逆らえなくて右にならえをしたそうですが、ある日5人の中から2名分の退職届けが受理されてしまっていたそうです。何度も社長に直接談判したらしいですが「覆水盆に返らず」で取り合ってもらえず6月26日の株主総会で解任が受理されてしまいました。

奇しくもこの会社の株をポチが保有しており株主総会の案内が届きました。私が総会に出席し、理不尽な取締役解任、代表者はどんな責任を取ったのかを質問をしようと決意して、本人にその旨伝えましたが、心の整理がついたのか「気持ちだけありがとう」と心なしか力の弱い声でした。私達健保時代の仲間達は、いま何が出来るのかと思っていたら、本人から「29日から無職。何も考えずに一杯飲みたいなぁ」と言うことになり、仲間が集まり本日「おつかれさま会」をすることにしました。御年57歳、まだ若いいでしょ?でもね再就職には57歳はちょっときついのよね。

今日は、慰めや愚痴話しではなくて「羽ばたけ57歳」の背中を、後押ししてあげることができたらと出かけることにしました。「劔岳・点の記」の映画の中でも組織の醜さを指摘しました。部下や後輩の功績は上司あるいは先輩の誇りとして喜ぶことこそ若者が育成されていくのです。未踏の地だと思っていたら先人が先に劔岳に登頂していたと聞き、死にものぐるいで山頂に到着したにもかかわらず「なかったことにしてくれ」なんて勝手すぎるというかサラリーマンの切なさが伝わってきました。

でも全てが吹っ切れたのか、苦悩の後にそう決意したのか、わかりませんが案外サバサバとしており仲間一同安心しました。


[1882] 【1877回 ひんけつ】 2009-06-29 (Mon)

金欠ではありません。貧血です。貧血は女性に多く見られますが、めまい、立ちくらみがすると「貧血やなぁ」と言いますが貧血だけでなく、飲酒や入浴後にも起こる症状なので即貧血とは言えません。赤血球のヘモグロビンが減少する時、貧血症状がでます。自覚症状としては「動悸」「息切れ」「倦怠感」「耳鳴り」「顔色が悪い」などです。

鉄欠乏貧血は食事を注意し、ほうれん草、鮎、豚レバー、煮干し、ひじき、しじみ、大豆を摂取し、その中でもレモンは強い見方だと言われています。悪性貧血は癌(大腸癌、膀胱癌)の疑いがあり、素人判断せず、根本的治療をする必要があります。

そんなわけでポチの貧血は大腸癌の精密検査を受けることとなりました。しかし本人がこれだけ疲労感を訴えているにもかかわらず「検査は8月」とか。緊急に検査をしてもらい食事療法とともに投薬治療が受けられたら、もっと早くに楽になると思うのですが。

私にまだ懐かしい生理があった頃(笑)、貧血気味だと言うことで投薬治療を受けました。その後救急車で搬送された時「こんなになるまで放置してからに〜!」と医者に叱られました。貧血の原因を検査せずに投薬治療をした結果だったと今思うとそう考えられます。そう思うと、ポチの主治医は投薬を希望する患者に「検査をしてからでないと処方箋は出せない」と言うのが正しいのかもしれません。しゃあけど、はよう〜何とかしてよ〜!

今日は朝から、サスケクリニックに治療に伺い、その足で区役所の会議に出席しました。「酒類、煙草、成人向け雑誌、有機溶剤」について販売店を廻り、未成年への販売禁止を協力してもらうのです。茂ちゃんと奥田さんもおり、甲斐駒、仙丈岳の打ち合わせとなりました。ドタキャンしないでよね〜!


[1881] 【1876回 一心寺へのお参り】 2009-06-28 (Sun)

ポチファミリー全員集合(零ファミリー3人)(ももファミリー4人)合計9人で一心寺に集合しポチの両親のために読経をあげてもらうことにしました。今日ばかりは何の予定も入れずに一心寺行きと強く心に決めました。

午前10時20分に、零くん一家とともに出発し、午前11時、西宮名塩からの、ももちゃん一家と一心寺で合流しました。今日は納骨の人達が多く受け付けで長蛇の列、受け付けを済ませて本堂に入ると、更にあの広い本堂は座る場所がないほどにギッシリと人混みで埋まっていました。順番が来るまでに小一時間ほど待ったでしょうか。その間小さな孫達はおとなしく良い子にしてくれて助かりました。ちいさなかー君が「久田さ〜んって呼ぶの?」と聞き、みんなを笑わせてくれました。

間もなくして、かーくんの言う通り「久田さ〜ん」と順番を呼ばれみんなで焼香を済ませ婆ちゃんちで昼食を食べることにしました。久しぶりの集合とあって孫達は食事もせずに遊びに夢中です。大人が先に精進揚げもどきの母の手作り料理に舌鼓を打ちました。広島から戻った、ももちゃんパパは日帰りで今夜また広島に帰ると言います。大切な休日をありがとう。

「さあ、ごはんを食べたよい子を連れてトイザラスに行こうかなぁ」と言うと、遊びに夢中の孫達は、我れ先に食事を平らげました。行った先は、トイザラスではなく梅田のヨドバシカメラでしたが、5階がオモチャ売り場となっており多くの人達でごったがえしていました。

ももちゃんは「メルちゃんのお洋服と靴」零くんは「トミカのガソリンスタンド」かー君は「ラピート」みんなそれぞれにお気に入りのオモチャを手にしました。ももちゃんママは零君にお誕生日のプレゼントを買ってくれました。孫達には一心寺でよい子にしてくれてたご褒美であることを告げ、また自宅まで送ってもらうことになりました。

帰宅後、山の様にたまった台所の洗い物は、ポチがきれいに片づけてくれていました。(めっずらしい〜)朝が早かったので、ちょっと疲れて、少し昼寝して、また夕食の用意にとりかかるとしましょうか。ポチの両親も一度も見ることが叶わなかった、ひ孫達の成長を喜んでくれていることと思います。

今日は息子達に「母からの伝言」と事実上の遺言ノートを手渡しました。私が亡くなったあとの社会保険庁や基金への死亡通知先であるとか、墓地は不用であるとか、形見分けであるとか、あとでみんながバタバタと困らないように、母の自筆で心をこめて書き留めました。病気であれ、山岳事故であれ、誰をも恨まず母は幸せであったことを強調して書き記しました。

何と言っても「残ったポチ」をどうするのかを、嫁達が困らぬ様に克明に書きました。「一人で生きていける」と・・・・・(ポチは病気の王様ですが先に逝くことはないと思います。)


[1880] 【1875回 楽々コースの交野山登山】 2009-06-27 (Sat)

今日のコース「交野山」、町の名前は「かたの」、山の名前は「こうのさん」で、わずか10qの距離で急ぎ足で登れば、お昼には出発点にもどりそうな楽々コースであるため途中の木製階段を利用してトレーニングや交野山の大きな岩を利用してのトレーニングを組み込み、いつもと違う山歩きを考えました。

朝、乗り込む電車の座席に、横たわる若者が海老江駅のホームから確認することができ、傍に行くと「ちょっと!あんた!公共の乗り物でなんちゅう格好してんの?」と姫が注意を、しかねないため同じ車両ではありますが、少し場所をずらして座りました。偶然にも同じ車両にはオリオンさんも乗り合わせていました。

乗り降りする乗客もこの若者を遠巻きする格好で無視をしていましたが、次に気が付くと座席から落ちて通路に寝ころんでいました。大阪天満宮駅で降りた乗客が「病人がいる」と通報したのか10人近い駅員が出てきて「大丈夫ですか」、「救急車を呼びましょうか」と大騒ぎしていました。常々「見て、聞いて、感じて」と救命救急講習で言ってる通り、この若者に顔を近づけて、吐く息を確認すれば酔っぱらいか、病人かすぐわかるはずです。病人でない証拠に靴も履かずに電車に乗っていました。おかげで臨時停車のため津田駅には、かなり遅れて到着しました。やまたび倶楽部のほとんどの人が同じ電車に乗っていたのですね。

津田駅を出発し町中を歩き墓所の中を通り、第二京阪道路の工事中の高架下をくぐって、交野山への登り口にさしかかります。今日のトップは千恵ちゃんです。地元民だからこそわかる複雑な道でした。下見の時にお知らせしましたが10分ほど藪漕ぎをして、あとは杉の木立の中を快適に歩いていきます。

1時間も歩かないうちに、尾根筋に上がります。そこにはりっぱな木製のテラスが設えてあり最高の見晴台です。ここで長めの休憩をしました。そこから歩くこと5分で国見山(286.5b)です。ここは見晴らしもよく、いにしえの戦の要衝であったことが伺えます。さすが国見山。

ここで「沢レンジャー隊」に入部予定のやっちゃんとベガさんが「地下足袋」体験のため登山靴を脱ぎ地下足袋で歩くことになりました。二人とも結構お気に入りの様子で「軽いわ〜歩きやすいわ〜」といいながら歩いています。この調子なら沢登りも楽しんでもらえそうです。(重たい思いをして地下足袋、持参したかいがありました)

白旗池の手前にトンネルがあり下見の時に「山の中のシンフォニーホール」と決めていましたので、お昼の歌とは別に歌詞を用意してみんなで歌ってもらいました。ひばりちゃんの、「あの丘越えて」で「♪ヤッホー♪ヤッホー♪」がとても美しく、トンネル効果も抜群で、いつもより素晴らしい歌声でした。(う〜ん満足、満足)

白旗池では野鳥観察や資料館も見学し交野山に向かいます。途中にささゆりの群生地がありましたが下見の時は堅いつぼみで、本番では残念な事に待っていてはくれず散り急いでいました。頂上の手前にさしかかると長い長い階段があり、ここで全員でローリングステップの練習をしました。上り坂にとても有効で、最初はロボットの様にきごちないけれども自然と慣れてきます。ガンバレ!

やがて交野山(344b)に到着です。大きな石に登ると六甲山、五月山、箕面、竜王山、ポンポン山が見えます。昼食は山頂付近のベンチに腰を下ろしました。荷物を置いて、すぐ下にある三宝荒神様にお参りしたり、全員でロープを使いながら岩からのくだり方なども練習しました。

お昼の歌は「ああそれなのに」と「線路は続くよどこまでも」でしたが「今日のこの歌の基準は何なの?」の質問に答えが見つかりませんでした。これでも結構、選曲には苦労しているんだけどなぁ。

午後からは、下るだけで「バテポチ」も今日は元気で、ホイホイ歩いている様子です。下り終わったところに源氏の滝があり今日は滝修行をしている信者さんはいませんでしたがマイナスイオンをいっぱい吸い込んで、元気をもらってゴールである「津田駅」まで戻ってきました。途中に「夜泣き石」がありましたが、この物語については、少し長いお話となりますので、甲斐駒岳行きのバスの中でお話することにします。乞うご期待ということでね。
JONが言うのよね 『夜中に石が泣いたら、うるそうて寝られへん…』

楽々コースのため、早い時間に帰りの電車に乗ることができました。津田駅から乗り、星田駅で降りた、しのぶちゃんに手を振り、電車が出た途端「あっ」と大きな驚きの声を出したお二人さん!降りるのを忘れましたね。だってお話が弾んでいましたものね。無理ないよ〜でも「姫さん〜!言ってよね〜!」って言われても、どこの駅で降りるか知らないんだも〜ん。朝もそんな事があったなんて知らなかったなぁ(ヘヘヘヘ)。


[1879] 【1874回 劔岳・点の記の映画を観て】 2009-06-26 (Fri)

いつから映画って観てないのかなあ、前から5列目のEー13。映画館って指定席だっけ。途中からでも入れるんじゃあなかったけ。今日は2本立とちゃうんだっけ。わー今の映画館っておしっこ臭くない。へー新しいことばっかりやー。
少女時代の美智子ちゃんに戻って、大きな目を更に大きく円あるくして、きょろきょろ。大きなスクリーンやナあ。最近映画館は入場者が少ないって言うけど、後ろを向いたら、あ〜満員やー。
少し前の席かもしれないけど迫力有るやろうなあ。予告編に引き続き…。わー。東映のマークも昔とはちゃう。
上映になるとさらにスクリーンが拡がりその迫力は 「テレビとはちゃうなぁ」

以下、感想を簡単に。 

ヴァイオリンの音響効果に感動で身震いがしました。陸軍測量部と日本山岳会との初登頂をめぐる先陣争いがうまく進展して観る者の心を引きつけました。

組織とはいつの世にも部下の功績を認めようとせず、劔岳登頂の連絡を受けたにもかかわらず、その功績を無い物にしようとしましたが、測量手は、そんなことにはもろともせず現地案内人と感動の山頂を踏むシーンに日本山岳会との手旗信号でお互いを称え合うシーンに二度目の涙を流しました。一度目は劔岳への道案内をする父を反対する息子が託した手紙、いつ読むのかしら、いいえ読まなくても内容はわかっているので、胸熱くなり涙があふれました。山頂で三角点見つけても、こんなに大切に接したことがあるだろうか。昨年は雄山の三角点の近くで雪に埋まりスノーボーダーに助けてもらったし、有る山では食事の腰掛にもしちゃった。
ゴメン…今後は三角点を見つけたら、先人達の苦労に感謝をすることにしよう。

ピッケルも無い、登山靴も無い、アイゼンもない明治時代に日本地図を作るために苦労して劔岳に登る男達の物語ではありましたが、女達の控えめな存在が心に残ります。現地案内人の妻のセリフが、あったような、なかったような、それでいて心に残ります。劔岳の山頂を踏んだのは男達ではありますが家を守り、夫の無事を祈った妻達も、同じ思いで山頂を踏んだのではないでしょうか。

「点の記」とは三角点の記録と言う意味だそうです。劔岳のカニノタテバイもカニノヨコバイもクライミングを学んでいたからこそ不安はなかったですが、スクリーンの様に吹雪いたらと思うと自然の恐ろしさを再認識させられました。滑落シーンがありましたが「アッ」と思わず声がでるほど迫力がありました。雪崩シーンも「早く、早く」まるで自分が雪に埋まっている様な気がして息苦しささえ感じました。隊員達が真っ白い雪の中をトラバースする場面の美しさ、これはテレビでは味わえないね。岩場を裸足で駆け上るシーンは今ならクライミングシューズを履いてビレイをしてもらってと現代と結びつけると映像の中の凄さが伝わってきて感動を越え、恐ろしさを感じずにはいられません。

最後の「なかまたち」の中で出演者の名前や施設の名前が列記された中で「奥飛騨熊牧場」の名前があったのには笑いました。雪渓に出没し鉄砲で撃たれたシーンに出演したのでしょうか。


[1878] 【1873回 久しぶりの映画】 2009-06-25 (Thu)

映画なんて久しぶり。仕事をしていた時は土日はほとんど山かウオーク。「映画を観に行かなくてもすぐテレビで放映されるしね」なんて慰めながら最後に映画を観たのは「植村直己物語」だったかな(ふ〜る〜)退職した今でこそ平日の混雑のない時間帯にと出かけられる様になりました。


感想文はあとでアップ致します。


まずは座席指定であることに驚きました(ふ〜る〜)。私のイメージではいつでも入場できて、観たところから観たところまで自由だったはずですが、今では総入れ替え(ふ〜る〜)もう時代についていけません。

「剣岳・点の記」は劔に登った者も、今から登ろうとする者も、足腰が衰えて登ることのできない者にも感動を与えてくれました。やはりテレビでは味わえないスクリーンの迫力はたまりません。これからはもっと映画に行こうっと!

幼い頃は映画館のない田舎でしたので公民館が映画館と変身し、ご近所お誘いあわせの上、見に行ったものでした。「キューポラのある街」なんてあったなぁ。中村市まで出ると映画館もあり、時々、見に行くこともありました。映画館の入り口には「椎の実」が煎って売っていて、それも楽しみのひとつでした。

原作を読んで、映画を観る。映画を観て原作を読む。いずれも楽しさを2倍にしてくれます。私は「孤高の人」を読んで北鎌尾根に行きたいと思ったくらいですから小説や映画の影響は大きいですよね。

もう一度、劔岳挑戦しましょうか。少し雪が残っている時になんて無茶かしらね。


[1877] 【1872回 甲斐駒へ向けての準備】 2009-06-24 (Wed)

午前中にサスケクリニックに伺い「歯の定期検診」を受けました。今以上に歯磨き&マッサージを続けないと「入れ歯」になるよとアドバイスを受けました。「8020」つまり、80歳時に自分の歯が20本を目標に頑張ります!

午後は此花区役所にて「エコ会議」に出席しました。ほとんどが女性会(昔の婦人会)、老人会、地域活動の人達で、私なんぞ、お呼びでない様に感じているのですがメンバーに任命されている以上、区民である以上、少しでも此花区の環境がよくなればと耳を傾けました。

エコ会議から戻って、机の一部を「甲斐駒行き」のスペースとして小さな場所を作りました。個人装備ではなくてバスの中で使う共通装備などを、思いつく時にそのスペースにまとめ置きをするのです。個人の持ち物は、ご案内のチラシに沿ってチェックしていきます。とりあえす今回、初参加3人のバスの中のコップを用意しました。他の皆様にはすでにお渡し済みですから必ず持参してくれると思っています。

バスの中だけでなく最終日の「みらい塾」ではマイコップを宿に持ち込み焼酎で乾杯する時に使います。忘れると栗焼酎が飲めないかも知れないと思って必ず持参して下さいね。(笑)四万十市に貯蔵中の栗焼酎は「みらい塾」に直送してもらえる様に交渉しました。バスの中で割れてしまっては「水の泡」じゃなくて「焼酎の泡」ですものね。

夏山トレーニングの最終日「箕面ウオーク」でもお願いするつもりですが、皆様もお家のどこかに「甲斐駒スペース」を作り少しづつ準備を進めてくださいね。それと「ご入金」も箕面トレーニングにはお願いしますね。


[1876] 【1871回 父の日】 2009-06-22 (Mon)

母の日ほど世間が騒がしくなく21日の父の日は、我が家でも静かに過ぎ去っていくと思っていました。どうせ愛宕山に出かけて留守ですから息子達が来ても誰もおりませんけどね。

愛宕山登山が終わり自宅に戻ると花束とプレゼントの袋が置いてありました。零ママからのプレゼントです。ももママからはメッセージが届き28日の法事の時にプレゼントを用意していますからとのことでした。ポチの鼻の下もビロ〜ンと伸びていました。私は生まれて一度も父の日を祝ったことがありません。昔はそんな行事はなかったように思うのですがねぇ。

零ママは母の日には函館でしたので母の日のプレゼントも入っていました。かわいい見立てのズボンでしたが、悲しいことにウエストが入りません。言うべきか言わざるべきか悩みましたが「クシャミをすると破れそうなの。サイズ交換できるかなぁ」と嫁姑で遠慮のない会話ができることを幸せに感じます。

今日は終日烈しい雨が降ったり、止んだりで愛宕山登山の日でなくて良かったと思っています。天気が悪くても合羽やスパッツなどを洗いサンルームは洗濯物で一杯となりました。そして夕方からの大雨と突風でトマトの鉢がまたまた倒れてしまいました。ずぶぬれになりながら玄関の中へ入れて、今後はサンルームで育てることにしました。


[1875] 【1870回 夏山登山トレーニングCに、行ってきました。】 2009-06-22 (Mon)

「きついで〜えらいで〜の愛宕山登山」

愛宕山は京都で一番高い山。保津川下りの途中で前になり、後ろになり、いつも勇姿を観光客に披露してくれていて、いつかは登る事になるだろうなぁという期待と予感は常にありました。ねこちゃんのホームグランドでもあるので下見の同行をお願いしようと思っていましたが、石川県七尾に帰省中で、あまり負担をかけてもいけないと私達だけで下見を終えました。今回は表参道コースは下りに廻し、空也滝を見て月輪寺コースを選びました。今日は白山登山からの1年ぶりの「しのぶちゃん」も参加してくれました。

天気予報は「雨」。もう覚悟はできていましたので阪急嵐山駅で合羽とスパッツを身につけて清滝行きのバス停がある京福電車嵐山駅まで歩きバスに乗りました。この時は烈しい雨模様、でも清滝に到着した時は小雨に変わっていました。 「おひさまが照ると暑いし、雨は丁度いいお湿りだね」 強がりとも思える発言にみんなが 「そうそう、その通り」 と雨も何のそので、バス停から渡猿橋を渡り東海自然歩道に入る月輪寺コースに進進みます。雨の精で道路に沢ガニが出てきており 「踏まないように」 とか 「唐揚げにすると美味しい」 とか 「松葉をハサミに挟んでいるのでマツバガニ〜」 とみんな快調な滑り出しの様です。

空也滝は分岐から往復20分で手軽に行けることからマイナスイオンを浴びに行くことにしました。雨で敷石が滑りやすく「滑らない様に歩くこともトレーニングの一部です」といいながら歩きます。空也の滝は行場でもあり、まさに霊場という感じ、神秘的な滝を見物することができました。マイナスイオンと滝の飛沫を体いっぱいに浴び、記念写真を撮って、空也滝を折り返し月輪寺への道に軌道修正し、登りばかりの長い道のりを、ゆっくりと進みます。出発前にリーダーが「トツプの速度は一定してきており決して早くはありません。遅れた時は自分が遅いと思い、トップに追いつく気持ちも必要です」と檄を飛ばしました。

月輪寺の中間地点で休憩をとり、合羽を脱いだり、水分補給、行動食を食べて順調に月輪寺に向かいます。
ねこちゃん情報によると月輪寺の関係者は非常に神経質で静かに通過しないと叱られるとのことで、寺の敷地内に明智光秀お手植えの天然記念物「石楠花」があることを事前に説明し、そっと静かに通過しました。通過後に立ったままの休憩方法(ストックでリュックの重さを軽減し休憩する歩荷スタイル)を体験したりしながら登っていきます。月輪寺を過ぎると唯一、くだり道に出合いホッとしたのもつかの間で、林道分岐までは、ほとんど登りばかりの道のりです。

濡れ落ち葉の道は膝には優しいものの、その下に岩が隠れていたときなど、僅かだがツルッと滑ります。そんな道をバランスを崩さないように一歩一歩刻んで行きます。こんな練習を積んでおくと甲斐駒ケ岳の岩場が濡れていたとしても難なく対処できるでしょう。時々後ろのほうで
「キャッ」「オッ」などと声が聞こえてきます。
「滑って立て直しているな」と感じながらも後ろを振り向くこともせず、ただひたすらに歩を進めます。
今度はトップの私が悲鳴を上げる 「ぎゃぁぁぁぁ〜」 滑ったのではありません、ガマガエルを見てしまったのです。そんなに驚くことは無いのですが、遠い昔鳥取の三徳山の投入堂に行った時、カエルを踏んで瀕死の重傷を負わせてしまったことが脳裏をよぎります。
もう15年は経ったでしょうか、未だに踏んだときの 『ムング』 といった軟らかい感触は足裏に残っているし、後ろ足を伸ばして引きずりながら、前足だけで草むらに逃げ込んだ姿は忘れられません。あの時のカエルさんごめんなさい。

今日のテーマは「体力づくり」「レスキューポイントの設置について」です。体力作りは今日のコースをゴールできれば合格です。レスキューポイントは木立が覆い被さりヘリコプターの救護ポイントを探すことができないため急遽「体調不良者あり」をテーマにみんなで自主的な救護体制の実地訓練をすることにしました。播磨アルプスで体験したことを実行しようと言う手はずです。

体調不良者はポチ、リーダーと淳ちゃんが付き添います。オリオンさんはポチのリュックを持ってくれました。これはみんな素早くて、自主的な行動です。後の人を率いて姫がトップで愛宕神社下にある「登山者休憩所」を目指します。登山者休憩所に案内した後、姫は急ぎ足で引き返しオリオンさんの持ってくれているポチのリュックを背負い休憩所に引き返します。その間にみなさんは愛宕山神社の境内にある「山頂」を踏みに出発しました。ポチ達の遅れの時間は、わずか5分ほどでしょうか。昼食を食べると回復し午後からは、少し遅れ気味ではありましたが元気よく下山しました。
体調不良者をポチと見立てたのではなく、実際の体調不良だったんです(笑)でもみんな機敏に動き、播磨フルプスでの教訓はりっぱに生きていました。ポチへの課題は多くて、まず医師による治療が必要だと痛感しています。

午後からは下り坂ばかりで、長くてつらい階段の道のりばかりでした。5合目の休憩所でお昼の歌「しずかな湖畔」と「山寺の和尚さん」を歌いました。歌い終えたところに小さな子供達が見えたので、もう一度「山寺の和尚さん」を歌いました。この頃の子供が唱歌離れをしていると言うことから、すこし親たちへの刺激にもなればと思ったのです。

ひたすらにくだり、お助け水のところでタオルを濡らし、汗をぬぐい、顔も洗い、水を飲んだところで一気に清滝バス停までゴールしました。時間は午後4時を廻っていたと思います。バス待ち時間に着替えを済ませ、サッパリとしたところでバスに乗り、阪急嵐山駅前で下車、ミーティングを済ませ解散となりました。解散と言っても同じ電車に乗るのですが、けじめですからね。桂駅で「準急」と「急行」がホームに入りましたがポチとジョンと姫の3人は「座って帰れる準急」を選び、他の人達は「座れなくても一刻も早く帰宅出来る急行」を選びました。ホームを挟んで手を振り27日の再会を約束しました。


[1874] 【1874回 雨のトレーニング】 2009-06-20 (Sat)

どうも明日の愛宕山は「雨」の様です。堂満岳でも雨に遭いましたが、アルプスを登山中では1日目は快晴であっても2日目は雨模様という場合があります。トレーニングですから、さまざまな事を想定して体験を重ねておくと、いざと言うときに役立つのではないでしょうか。雨を嫌がらずに来て下さいね。

私のとりあえずは、明日は「お茶漬け弁当」はやめて、おにぎにしようと思っています。でも昼食場所には、りっぱな屋根付きの大きな「登山者休憩所」がありますので「お茶漬け弁当」でもいいかも知れませんね。

リュックの中は、朝から降っていなければ、合羽を一番上に入れます。着替えも勿論持参してゴールのバスの中もしくは嵐山駅の隅っこで着替えたいと思います。

行動食も「太らない食材」を考えて持って行きます。と言ってもキューリやみかんですから、あまり影響はないと思います。

京都で一番高い山「愛宕山924メートル」。お伊勢さんへ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参りと言われるくらい京都の人達から親しまれているそうです。(特に7月31日の千日詣りは有名だそうです)

とにかく雨でも体力トレーニング、晴れてもトレーニングです。ポチも、播磨アルプスでの、くろねこさん達の頑張りに奮い立ったようで明日は参加の決めたようです。どこが原因でへばるのか徹底的に見守りながら分析したいと思います。分析ができたら、いかに快適に山登りができるかを一緒に考えて行こうと思います(しおらしいでしょ)

そうでないと私までもが出かける事ができなくなってしまいそうです。「遅かったなぁ」「ワシのメシは」「また出かけるのか」この3拍子を連発すれば、私を「山好き仲間の登山倶楽部」からひきづり降ろすことは簡単です。

そうならないために愛宕山と箕面のトレーニングは気合いを入れて参加をしようと思っています(ちょっとオーバーかな)



[1873] 【1873回 地域活動とポチ】 2009-06-18 (Thu)

今日は午後から此花警察署の方達と「迷惑駐車キャンペーン」にでかけました。日差しのきつい中、違法駐車にステッカーを貼っていきます。ドライバーがもどり文句を言おうものなら警察官が後ろからヌッと制服制圧します。駐車違反取締員制度がスタートした頃は、ゼロ状態であった路上駐車も、慣れてくるとまた元通りにかえりつつあります。(でも今日は違法駐車は少なかったです)

此花の古い民家が取り壊されたあとはコイン駐車場と変わり、町の至る所に手軽に駐車場をみつけることができます。駐車場があっても「ちょっとだけだから」と路上駐車が増えています。京都のクライミングポイント「金比羅山」も今までは神社境内付近に駐車ができましたが最近では「クライマーの皆様へ」と立て看板が立っていて有料駐車場が出来ていました。私達利用者もその方が安心なんですがね。

ねこちゃんのホームグランドでもある「愛宕山登山」いよいよ日曜日実施となりました。ねこちゃんが七尾に帰っている間、梅雨空の晴れた日を縫って、下見を済ませました。
「愛宕山はしんどい、きつい」誰に聞いてもそう感想を述べられます。きっと「表参道コース」だと私達でも同じ弱音を吐いたことでしょう。でもご安心あれ。今回は往路を「月輪寺コース」、復路を「表参道コース」と致しました。申し込みまだの方はどうぞ競ってご参加下さい。体調不良で欠席中のポチが80%ほど愛宕山登山の「参加」に傾いています。あと一押しです。

なぜ80%まで傾いたのかと申しますと夏山登山の「宝殿〜御着」の皆様の頑張りの成果のレポートと写真を見て奮い立った様です。帰宅後「どうやった?」と聞きましたので、それぞれが場面場面でスピードダウンはしたもののエンジン停止では無かったこと。ガソリン給油の如く、行動食やお弁当を食べて、全員揃ってゴール出来、満足したことを話しました。私とてゴールした時は「いっぱい、いっぱいの体力」だったことを話して、家で静養していても体力強化には繋がらぬ事を話し合いました。 期待できるかも・・・

行動食は、この間の宝殿駅で披露した通り、いいえ、あれ以上の行動食を持ち、休憩毎にたっぷり食べて元気に乗り切りましょう。「オレンジ、りんご、キューリ、あんぱん、冷たく冷やしたゼリー、バナナ」などです。行動食の量が多いか少ないかの判断は「元気でゴールできたかどうか」で決めたいと思います。なぁ〜みんな〜愛宕山は「宝殿〜御着」よりラクチンだよ〜


[1872] 【1872回 芦屋ロックガーデンで道迷いの原因は「落書き」】 2009-06-17 (Wed)

「登山コース上に勝手に矢印。迷うハイカー続出六甲山系」と6月11日のニュースで報道されていました。そう言えばブラックフェイスにクライミング講座に出かけたとき、赤のスプレーで荒地山の「荒」と矢印が書かれたコンクリートを発見しました。その日、私達が苦心してつけた「ブラツクフェイス」「キャッスルウオール」の看板も外されていました。私達が付けた看板は救護のために場所を特定できればと思ってつけたのですが「ミソもクソも一緒」にされて撤収された様です。

兵庫県芦屋市付近の六甲山系の登山コースで、道しるべに従っているはずなのに、いつの間にか山中に迷い込むハイカーが増えており、ごく一部の登山者が勝手に山道わきの岩や石に、矢印などの目印をつけているためだそうです。赤や緑の塗料が100カ所近くに吹き付けられており、地元の登山会のメンバーらはカンカンに怒っている。(ほんまや!)

スプレーの目印があるのは、芦屋市の高座の滝や荒地山。都会の近くでありながら本格的な山の雰囲気が味わえることから、山歩きコースとして人気が高く「やまたび倶楽部」のホームグランドと言っても過言ではありません。

芦屋市内の登山家が山に入った時、ちょうどスプレーを吹き付けていた人を発見したそうです。神戸市内の男性(77歳)で、「迷いやすいので自分の好きなコースの多くの場所に印を付けた。反省している」と謝罪したという。

芦屋市は、できるだけ環境に害を与えない薬品で消すことを検討していますが、完全に元通りにするのは難しいといいます。目印のせいで道に迷うハイカーも増えています。

もともとロックガーデンや荒地山周辺は登山のベテランでも迷いやすい場所として知られています。岩がむき出しで人が通るのがやっとという険しい所が多く、分かれ道もたくさんあります。

「迷わないように」と、地元の登山家らで作る芦屋登山会は3月下旬、荒地山周辺に木製の道しるべや案内板を設置したばかりだったが、塗料はその上にも吹き付けられていました。危険なだけでなくせっかくの景観も台無し。常識外れの人の行為でみんなが迷惑しますよね。赤や緑などの塗料の目印には気をつけて下さいね。


[1871] 【1871回 零くん5歳】 2009-06-16 (Tue)

忘れ物を探しに高天神社に行くために車を使いました。いま我が家のガレージ付近は、えらいことになっているのです。「朝顔にツルベを取られる」ではありませんが大きく育ったトマトとナスの鉢が5つ、ガレージ入り口に鎮座しています。もうすぐ収穫時期を迎えますので車よりトマトとナスビ最優先なんです。

そんなわけで、せっかく苦労して車を出しましたので、夕方零くんに「お誕生日おめでとう」コールをするために電話をしました。6月15日に満五歳を迎えたのです。普通の子供なら当たり前の事であっても、1200cの零くん誕生の日のことを思うと、有り難くって医療の進歩に感謝せずにはいられない日なんです。

「ばあちゃんちに行きたい」の言葉に車を走らせ、誕生日プレゼントに購入した自転車を車に乗せコーナンに車を停め、近くの公園に行きました。もう随分上手に乗れる様になっています。(コマはまだ付いています)しばらく遊んで「ケーキ屋さんのケーキがなくなっちゃう」と言う理由を無理矢理つけて公園を後にしました。

サスケクリニック前の美味しいケーキ屋さんで小さなケーキとローソクを5本買い、零くんを自宅に送り届けるつもりでした。自宅前に着くと「ボクは降りないよ。ばあちゃんがママにケーキですって言って来てね」?????私の家に行くつもりのようです。

夕方6時からは大切なご用があるから大きな針と小さな針が「気をつけ」したら帰る事を約束して、連れて帰りました。ナスビの収穫時期でしたので初物に零くんがハサミを入れ、燕岳登山中に水やりをしてくれたお隣さんにまずは進呈、その後は我が家で頂くことにします。零くんちのトマトは赤く色づき、お弁当に毎日入っているそうです。

スーパーで買えば5個入りパックで298円と安い品物ではありますが、自分が育てたという満足感で美味しさも倍増です。来年はもっと工夫して風ごときに倒されない工夫をして収穫を楽しみたいと思います。

話しは変わりますが(よ〜ぉ変わるなぁ)
寝苦しい夜や睡眠の浅い人はぜひお試し下さい。氷枕ではありませんが冷凍室で凍らせた「ゼリー状枕」を使用して眠るのです。夜中のトイレも起きないくらい熟睡することができます。息子が残して行った物で、どこで購入したかわかりませんが、多分薬局にあると思います。カチンコチンに凍っていても頭部への支障はタオル1枚巻けば快適な睡眠を取ることができます。うちの番犬用に2個、探したいと思います。


[1870] 【1870回 卵が先か鶏が先か】 2009-06-15 (Mon)

「オイラ、沢に忘れ物をしたみたい・・・でもいいヨ、諦めるから」そう聞いたのは宝殿駅へ行く電車の中でした。「エッ?ヘルメットに続き何を忘れたの?」と聞くとスパッツ、沢靴の紐、沢手袋、シュリンゲらしいです。原価計算をすると有に1万円以上を超えています。「よっしゃ月曜日取りに行こう」と言うと、古くて価値がないから、もうええと言います。「ほんなら私が、四万十号のカーナビを頼りに行って来てあげるわ」

日曜日は播磨の山々を駆けめぐっていましたので、その話しはそれっきりになっていました。月曜日の朝は前日の疲労感もなく「矢田寺のあじさいを見に行き、帰りに忘れ物を取りに寄ってくるわ。ついでに田中の柿の葉すしも買いたいし」と言うと「オイラも行く〜」「行く、行くってほんまかいな?」

柿の葉すしで釣ると簡単に「オイラ」もついてきました。高天神社駐車場に四万十号を停め、滝入り口まで行きましたら「ありました〜」その様子はブログをご覧下さい。

親切な人もいるものですね。忘れ物のシャツを持ち帰る者もいますが、きちんと網目にかけてくれていました。もっとも中身を見て、値打ちがあるとは思えないほど、ドロドロで思わず「証拠写真撮って〜」と叫びました。よかった。よかった。登山の途中で休憩場所を離れる時は「ストックの忘れ物はありませんか〜?」と声をかけてから出発するようにしています。みなさんも休憩場所を離れるときは充分注意してくださいね。首にかけたタオルや、手袋も要注意ですね。

忘れ物が主たる用件だったのですが「あじさい寺に寄って帰ろう。あじさいを見に来たと思えば、そんなに恐縮せんでええやろ?」やさしい姫の一言に救われたジョンでありました

矢田山・金剛山寺は通称矢田寺、またの名を「あじさい寺」として有名で日曜日には観光客でごったがえして駐車場は長蛇の列だったらしいです。なるほど沢山の色とりどりのあじさいが見事に咲いていましたが、所々に貼られていた美しいポスターはきっと合成だね。あれは。(どこ探してもポスターの様な美しい場所あらへんよ〜)

帰り道に「柿の葉すし」の旗が風にはためいており「鯖だけの柿の葉すし」と、よもぎ餅を買い求め美味しく頂きました。

【追伸】
これを読んだポチが「柿の葉すしはどこ?」と言います。「えっ?みやげなんか無いよ〜暑いので腐るやろ。鯖は食中毒起こすと大変やからね」と言うと「柿の葉すしは保存食ちゃうんか?」だって!そんな口を聞く元気あれば歩けるんちゃうん!?み〜んな頑張ってるで〜!



[1869] 【1869回 夏山登山トレーニングCに、行ってきました。 】 2009-06-15 (Mon)

JR宝殿駅9時集合で、夏山トレーニングCが実施されました。今回は前回の逆コースの設定で宝殿の町外れに有る石切り場からあがります。夏日で暑さが予想されるため水も多めに携帯するようにリーダーからアドバイスがありました。行動食も夏山登山の参考にしてもらうため、キューリ、りんご、オレンジと工夫の数々を皆さんに見てもらいました。今日初めて参加の人がいるので皆さんに紹介して仲良く出発することにしました。山道に入るまではジョンが先導しますが山道に入ると私がトップを歩くことになりました。「距離が長いので、とにかく、ゆっくり」と自分に言い聞かせ、時々、後ろを振り返り列がとぎれていないかを確認します。とぎれている時は少しゆっくり目で歩き調整します。
今日も「孤独のトップ」の始まりです。(緊張するなぁ)。
ジョンは言います 「これぐらいのリードが出来なくて何がクライマーやねん。これぐらいでけへんと、バットレスもゴジラの背も無い。気合を入れてやれ。今までと同じ速度で問題ないが、今日は暑そうやから今まで以上に後ろに注意して。しんどい人もでるやろうけど、体を苛めに来てるんやから、皆も頑張ってついて来るやろ。あかんかったら言っていつでも俺が代わるから」 励ましか、こき下ろしかわからんけど、とにかく檄が飛んできます。

宝殿の住宅地を過ぎる頃目前に岩山が見えてきます。あの裾が今日のトレーニングの始まりです。 北山分岐、神吉分岐、西山分岐を通り、高御位山にさしかかった時、体調不良を訴える人が出ました。昨年末に手術をした人です。体力不足からくるバテのようでした。水分は充分に摂っているようなので3kgほど荷物を軽くして速度をおとして山行してもらうことにしました。近くにいた人達にリュックの中身を分担してもらいリュックの荷重を少なくすると何とか軌道修正。続いてもう一人体調不良の人がでました。暑さがアクシデントを引き起こしている様です。出発前にアミノバイタルを服用されたようだったが再度服用してもらいました。
ザックを預かりゆっくりと上がってもらい、山頂に着いたころにはペースを取り戻されたようでした。バテた人の救護方法も実践で学ぶことができました。

高御位山の従走路のトレーニングはアップダウンの連続のため体の使い方が悪いとバテに繋がります。そのためにトレーニングをしているのですから。バテを見せないように一生懸命歩いている方もいらっしゃいますが、息遣い、足の上げ方、姿勢の崩れ方などからリーダーが判断してその都度速度をコントロールしています。

姫 「この速度で早くないですか」
JON 「大丈夫、早くない。半分以上の人はついて歩いてる、姿勢も乱れてない。早くは無い大丈夫。この速度を保っていたら回復する人は次第にペースが戻ってくるバテている人は遅くするとだんだん遅れてくるから頑張ってもらおう。これ以上遅くすると、今大丈夫な人がペースを狂わせて遅くなり全員がダメになってしまう。今のリズムを刻んで」
リーダーの言うとおり同じ速度を保ちながら高御位山の山頂を目指しました。

全員揃って、高御位山頂上にある神社で昼食をとりました。昼食を食べると午前中体調不良の人達も元気に午後の出発ができそうです。頂上の広場を利用してお昼の歌「蛍」「夏は来ぬ」を歌い今回のトレーニングテーマである「レスキュー傷病者の搬送」を実際に簡易担架を使ってヘリコプターの救助ポイントまで搬送することにしました。担架に乗る人はいままで「体重の軽い人」と決まっていたのですが、必ずしも軽い人が搬送されるとは限りません。そこで52sの私が担架の上に乗りました。「重っ〜」誰がそうつぶやいた様に聞こえましたよ。

他の見学者もいて、なかなか登山途中にこのような講習をしてくれるリーダーはいないと思います。初めて参加の人も「やまたび倶楽部なら安心して参加させてもらえる」そう思ったに違いありません。それにしてもリーダーのリュックの中には共同装備が沢山入っているのに、いつもながら驚きました。でも本当に傷病者が出たら大変です。

ウオーキング協会に所属していたときは毎回のように手当てにあたっていました。熱中症、転倒による裂傷、捻挫、足の攣り、バテ、二日酔い、数えあげればキリがありません。山行中自分がどんな状態にあるかを確認しながら歩いてください。山では絶対に傷病者を出さないことです。

午後からもアップダウンが続き鷹ノ巣山のそばを通り、下の射撃場からはクレー射撃の音がして、玉は届くはずがないのですが何となく不気味で早くこの音から逃げ出したいと言う気持ちになりました。

傷病者をレスキューポイントまで背負い搬送 緊急時ビバーグをしたり救助を待つときにツエルトを使います。

途中の広場を利用して、見通しの良いヘリコプター救助場所まで負傷者背負う訓練もしました。参加者はロープで負傷者を背負った人を前から引っ張ります。みんなの歩調が合わなければうまくいきません。背負われている方も背負う方も必死です。よその人が通過したなら「講習中」とは思わないほど迫力がありました。

桶居山を目前にして「リタイヤ」の申し出がありましたが、リタイヤのコースもかなり厳しく、何とか最後まで同行することに納得してもらいました。長くて、暑くて、つらい道のりを経てまもなく深志野登山口というところで、大粒の雨が降ってきましたが誰も合羽を着る様子もなく(汗で濡れてるし、今更合羽なんてと言う気持ちもありました)深志野登山口に出た時には、幸運にも雨は止んでいました。

出発前にみなさんに見てもらった行動食「多すぎる」と思ったかも知れませんが、決して多くはありませんでした。休憩毎に上手に食べて、体力の維持に役立ちました。残ったのはバナナだけでした。そのバナナも列車の中で美味しく頂きました。

17時30分JR御着駅にゴールです。みんなよく頑張りました。バテたからと自信喪失はしないでください。そのためのトレーニングなのですからね。甲斐駒も仙丈岳も今日ほどきつくありません。アルプスというムードと涼しい気温が山頂を踏む感動を約束してくれること間違いなしです。参加することに意義があるのです。

「ごちゃくにとうちやく〜」


[1868] 【1868回 快適な沢登りに行ってきました!】 2009-06-14 (Sun)

13日は梅雨の合間の絶好の沢登り日和、勿論お天気は晴れ。大阪駅集合でオリオン号に同乗させて頂き、一路金剛系高天谷へと向かいました。田植えの終わった水田が少し気が早くもありますが黄金色の秋の実りを想像させてくれました。この風景こそが癒しのひとときなのです。高天彦神社に到着すると、小さな駐車場はすでに満杯になっておりましたがラッキーな事に紫陽花見物にきた近所の人が帰るところでした。この神社は紫陽花で有名らしくマイクロバスで見物に来られていました。

身支度を整え午前9時30分、高天滝めがけてほどよい登り坂をウオーミングアップを兼ねて歩きます。

いきなり6メートルの高天滝のお目見えです。これは登ることができませんので右から高巻きします。
あとは2メートル、3メートルの小さな滝が10数個あり変化に富んだ滝登りを楽しむことができました。
おおきく地盤が崩落し岩や樹木が沢筋を遮断しているところは危険なため急ぎ足で通過します。私は逃げ足が早いのか、振り返ると、まだ誰も登ってきていないようです。無事危険場所を通過して、初めての休憩を取ることにしました。ここでロープに等間隔にコブを作るロープの勉強をしました。実践が伴っているのでみんな覚えが早いです(忘れるのも早いよ〜)

この沢は都心から多くの時間を費やすことなく入渓出来るため多くの沢師に好まれているところでもあります。小滝がおおくどんどん直登していけますが所々にロープを掛けたほうが良いところがあり、また直登を避けて草付を高巻いたりします。二箇所の堰堤がありますが、いずれも土砂で埋まっていて流れが澱んでいないため案外綺麗です。

谷の中では色色な光景にめぐり合うことができます。荒々しい岩盤の中に小さな可憐な花を見つけたり、苔むした朽ちた倒木もその一つです。草鞋や沢靴など滑りにくい履物を履き、ロープやカラビナなどの登攀用具を身につけると独特な世界に分け入ることが出来るのです。

丁度中間地点あたりで昼食を取ることにしました。水も冷たくなく、太陽も暑くもなく、何度も申し上げますが絶好の沢日和でした。

途中10メートルの滝で一度登ったのですが懸垂下降を楽しもうと言うことになり、一人づつ滝の中を懸垂下降で降り、プルージックで登ります。水しぶきを浴びながら岩場とは違ったスリルがありました。もうこれが最後かと思うところに15メートル、10メートルの2段の滝が待ち受けていました。ロープで確保しながら安全に沢登りを堪能することができました。

沢登りの最後は登山道に出るために、藪漕ぎは当たり前らしいです。きついきつい斜面の藪漕ぎも楽しく、郵便道にやっと出たときはヘロヘロでしたが快い疲れと60才過ぎての挑戦が妙に愉快で足取りも軽やかに駐車場に戻りつきました。時間も3時と早いことから近くの温泉に入って帰ろうと言うことになりました。入浴料500円、石けんもシャンプーも付いていて大きな露天風呂もあり温泉として「合格」でした。今日はバラ湯もありバラの花びらの浮かび優雅な気分に浸ることができました。

夕方からミニ同窓会もどきがあるために大阪駅解散ではなくて此花廻りをお願いして、おかげさまで外出の準備も余裕をもってすることができました。



[1867] 【1867回 空調機のお手入れは済みましたか?】 2009-06-12 (Fri)

梅雨に入り、灼熱とまではいきませんが暑い日がやってさそうです。そろそろ冷房の準備をしなければなりませんね。ついでに押入の湿気取り剤の入れ替えもしなくっちゃあね。

@まず安全のためにコンセントを抜きましょう。
Aフィルターをはずして風呂場に持ち込み熱めのシャワーをかけてカビを殺します。
B落ちにくい汚れは使い古したハブラシを使って丁寧に洗いましょう。
C洗ったら外に干します。すぐ装着しないでくださいね。
D乾燥を待つ間に雑巾を使ってフィルターの周りを丁寧に掃除しましょう
Eフィルターが乾いたら装着して「送風」を30分かけましょう。

これで年間720円の節約で10年で7200円節約できます。クライミングシュース片足買えますよ〜 (残りの片足を買うまで10年かかりますがその年には腰が曲がってクライミングは不可能でしょう!)

明日は姫は、沢登りに出かけますが体調不良のポチさんのトレーニングに空調機の手入れは最適の仕事でしょ?。家には全部で5台あるので、気合い入れて、手抜きしないで下さいね〜。戻ったらチェックするよ〜。

土曜日は沢登りに行ってきます。日曜日は宝殿駅集合の夏山トレーニングですね。初めての参加者の方がいらっしゃいますので「行動食」の説明を出発前にしてもらいます。はじめにしないと、だんだん食べて減ってしまうのでね。みなさんも質問事項があれば遠慮しないでリーダーに投げかけて下さいね。

話は変わって、大阪市もやっと「定額給付金」の振り込み案内が届きました。確認に行ってこなくっちゃあね(郵便局振り込みは何故か遅れるんだそうです。)


[1866] 【1866回 愛宕山登山 下見報告】 2009-06-11 (Thu)

6月21日(日)実施の夏山トレーニングD 阪急嵐山線 嵐山駅 9時集合の下見に行ってきました。

梅雨に入り前日はドシャ降りではありましたが11日(木曜日)は曇りのち晴れの予報を信じて阪急電車「桂駅」乗り換え、嵐山駅に到着しました。

渡月橋を渡ると「美空ひばり館」が建っています。早朝のためまだ締まっていましたが後ろ髪引かれる思いで「清滝行き」のバスに乗りました。(行きたかったなぁ!)
【JON:後ろ髪ひかれるやなくて 『みだれ髪』 ちゃうんか】

バスの終点「清滝」をスタートすると懐かしい「京トレ北山94番」の看板を見つけました。秋にはここら辺までやってくるのですね。「愛宕山登山入り口」の大きな看板を横目に「丹波散策の道」を歩き始めることにしました。登山口はいきなり長い階段の様なので帰り道に利用することにして杉の木立と川のせせらぎを聞きながら標高924メートルの愛宕山を目指します。

愛宕山は、京都市の北西にあり、山頂には、
『お伊勢さんへ七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り』と歌われている、火伏の神様として信仰を集めている愛宕神社があります。

30分も歩くと空也瀧入り口の看板があり往復20分の道のりにつきマイナスイオンを吸いに瀧見物もしようと言うことになりました。なかなか有名な瀧の様で行者修行にも使用されている神聖な場所の雰囲気がありました。

ふたたび月輪寺方面に足を向け、ただひたすら登り坂ばかりを約1時間進むと月輪寺に到着します。途中「つらくとも こらえて登れ皆の衆 大師聖人にあうと思えば」の標語に元気をもらいます。

月輪寺には明智光秀がお手植えしたという巨大な天然記念物の石楠花の木があり花の頃に訪れたかったと少々残念に思いました。12時には愛宕神社に到着です。
頂上は愛宕神社の中にあるため神殿をお詣りすることによって頂上制覇ということになります。

三角点は別の場所にありましたが崩落しかけていて立ち入り禁止のロープがしてありました。

広場で昼食、雨の場合は「登山者休憩所」を使わせていただきましょう。午後からの復路は下りばかりです。必ずストックをご持参下さい。

大杉大神を過ぎると5合目休憩所がありますので、ここで休憩をして、あとは一気に清滝バス停まで下っていきます。バスの便もよく早い時間に嵐山まで帰れると思います。

絶好のトレーニングコースです。今まで参加出来なかった人はぜひ「愛宕山コース」もしくは「箕面コース」にご参加下さい。きっと夏山への自信につながると思います。愛宕山は3時間で頂上を踏むことができます。あわてず急がす自分の体力を測るのに最適なお勧めコースです。

下り道で中年のおじさんがエッチラオッチラ今にも倒れそうに歩いているのに道を譲ろうとしません。それどころか私達がお助け水のあるあたりで休憩をするとノロノロと歩き、私達が歩き出すとまた速度をあげて行きます。きっと、いっぱいいっぱいの体力だけれども譲ることによって自分の体力の無さを知られてしまうことが嫌だったようです。少し威嚇しながら(笑)降りてきました。


[1865] 【1865回 ガッツのある同級生】 2009-06-10 (Wed)

高校の同級生が北海道で登山中にスノーボーと激突し再起不能かと思われる事故に遭い入院したと言う話しを、ここで書いたと記憶しています。北海道での長い闘病生活の後、自宅のある尼崎の病院に転院し、リハビリを続けやっと職場復帰しました。1年経過をしたので再度、北海道の病院に行き足に埋め込んだボルトを抜く手術を終え、今では金剛山、有馬越えもクリアしたと弾む声で電話をもらいました。

彼曰く「還暦を過ぎて仕事も大事やけど、ゆっくり人生大事に楽しく生きた方がエエ」医師も驚くほどの回復はこの前向きの姿勢がパワーになったのかも知れません。還暦を迎え人それぞれにひとつぐらい「病気」は持っています。まあ名刺みたいなもんですね(病名を肩書きに名刺作ったらおもろいやろね。今度バスの中でやったろ〜ハハハ)

その病気と、どう関わっていくのかが残された人生の「苦」となるか「楽」となるかの分かれ道になってきます。私の同級生は片足不自由になって好きな登山ができないかも知れないと一時は落ち込んだそうです。しかし元気な足が、もう1本あるんやから何とかなるとリハビリを続けて登山と言う生き甲斐と人生を取り戻したようです。

ポチの母が「余命もうあと2〜3日」と言われてから自宅に帰れと病院に言われ泣く泣く強制退院させられました。その時はとても病院を恨めしく思いましたが結果は40日以上の楽しい自宅生活を送り最期を迎えることができました。いまでは強制退院させて頂いたことに感謝しています。

「病気に負ける」か、それとも「病気に勝つ」かは家族の理解も勿論ですが自分自身がどう生きたいのかだと思います。

昨日ポチが健康診断の結果をもらってきて、あまりにあちこち故障なのでショックを受けてしばらく「やまたび倶楽部休養宣言」をしました。体重(67s→61s)も気になるようです。結婚以来、ほら腎臓だ、ほら心臓だ、次は網膜剥離だ白内障だと家族は振り回されてきましたが、その都度息子達と結束を固くして、何を聞いても「医療の発達」を信じて驚くことはありませんでした。ただポチの母は心臓手術の後ICUでポチと面会して気絶してしまいましたが・・・。

もうこれ以上悪くなる臓器はありません。「病気に勝つ」かどうかは自分自身との闘いです。勿論、治療はしなければなりませんが病気に負けたらいけません。いつも前向きに生きていかないと残りの人生が泣くよ〜!


[1864] 【1864回 あれっ?ポチさんが写ってへん?!】 2009-06-09 (Tue)

7日に実施された夏山トレーニングB芦屋から有馬温泉のレポートの写真を見て気が付かれた方もいらっしゃったかと思いますが集合写真からポチが消えています。消えていると言うか最初から写っていないのです。じゃあ参加してないのかと言うとそうでもないんです。「ほんなら何やねん?はよ言えや!」

阪急芦屋川駅広場ではちゃ〜んとポチはワンワン吠えていたのです。しかもトップの命を受けて元気に出発しました。日曜日のロックガーデンは車も通れないほどの登山者で道をふさぎ、心なしかトップの足が速かったです。(車でいえばスピード違反状態)高座の滝までの上り坂の30分は登山前の「ウオーミングアップ」としてゆっくりと身体を慣らして登らなければ地獄谷コースも中央稜コースもつらい道のりとなります。

堰堤でミーティングの時は、ポチは人の3倍ほど汗をかいていました。「長袖から半袖に着替えたら?」とアドバイスを受けたのですが「虫に刺されるから」とそのまま長袖のまま魚屋道を通りゴルフ場横から一軒茶屋を目指すことにしました。

雨ケ峠の水飲み場でポチがタオルを水に濡らし汗を拭いているときの顔色は青ざめていました。貧血の精だと思います。「あと少しであづまやだから休憩しよう」と言う手前で自らリタイヤ宣言をして「有馬返し」ならぬ「雨ケ峠返し」と言う新しいコースを作ってしまいました。私達参加者も高座の滝までの速歩に対して「早いよ」「もっとスピート落として」とアドバイスしなかった事に反省をしなければなりません。

当日歩くコースをイメージして体力の配分をうまくする方法を取得しなければなりません。トレーニング中ですのでリタイヤも有りだと思います。これが南アルプスだったらリタイヤの人に付添者をつけなければならなくなります。私達は白馬岳のヘリコプター騒動で学んだはずです。「この見知らぬ参加者のために白馬岳の山頂を踏まず下山するのは嫌だ」と。

トレーニング中に自分の体力配分を考え、行動食をうまく採り、衣類の調整も上手にして快適に登山を目指して下さい。私達やまたび倶楽部は「ただ歩くだけ」「早く登るだけ」の会ではありません。中高年の安全登山なのです。

「雨ケ峠返し」の新コースから折り返したポチは風吹き岩で偶然にアドベンチャーさんとバッタリ出会ったそうです。弁当も食べず、夕食も食べずに寝ていましたので、よほど体調が悪かったようです。だからと言って「しんどいから不参加」ではトレーニングになりません。前回のしんどさの原因を究明し夏山トレーニングCは距離も長いですから工夫してチャレンジして下さい。

私達がアドベンチャーさんと合流した時、彼が言いました「ポチさんはトツプを任されると張り切りすぎるからねぇ。槍ケ岳の時もそうでしたよ。前半でぶっ飛ばし、後半でダウンしてましたよ」と。アドベンチャーさんは普段あまり参加しないのに冷静によく観察していますこと。

暑さ対策にスイミングで使う「クールタオル」を購入しました。スポンジの様なタオルで、それを二等分し真ん中で縫い合わせし、タオルとして、首の冷蔵庫として使用することができます。


[1863] 【1863回 今日は私は『うん送屋』】 2009-06-08 (Mon)

県立尼○病院へポチの「検便」を運びました。まさに「うん送屋」とはこの事ですよね。病院の中はマスクをかけた人も少なくインフルエンザ騒ぎが峠を越えたことが伺えます。

つい先日、以前在籍していた会の総会があり出席させていただいた時の話しです。現役ではない私に第二部懇親会の進行係を命令されました。乾杯のあと懇親会が宴たけなわになった頃を見計らい、クイズをするのが恒例なのです。やさしくて愉快な問題でないと盛り上がらないため、夜遅くまでクイズの問題を作り、ポチに投げかけました。スーッと答えることができたら採用、う〜んとうなれば没にしました。(このクイズは甲斐駒のバスの中で使うよ。)

アルコールが、ほどよくまわったところでクイズがはじまり、5人づつ前に出てもらうのです。その5人に問題を出し、わかれば挙手してもらうのです。賞品はM部会長のポケットマネーでベルト、ネクタイ、サイフと全員に渡せる数を用意してもらいました。M部会長はお腹も少々メタポですが気前もメタボ(太っ腹)です。

「与作が木を切っていたとき、おかあは何をしていましたか?」これが問題で答えは「ハタを織っていた」で答えた人は好きな賞品をもらえるのです。賞品をもらって帰れると思うと大間違いで北島三郎の「与作」を歌ってもらうのです。そうすると、きまって「歌詞があれば歌えますが」と歌詞がないと決め込み、断りの弁を述べます。そこで歌詞を差し出し大笑い。やっと歌う気になって「♪よ〜さくは木を〜切る♪〜ヘイ・・」ここで「もうやめろ」の大拍手が起こり、更に大爆笑というわけです。署長にも同じ事をしました。ゴメンナサイ。(でも終始、笑顔でうれしそうでしたよ)

退職し、現役を離れて久しく、署長の前ということもあり、緊張はありましたが、始まってしまえばこちらのペースにみんなを巻き込めばしめたものです。企業代表で1名の参加は隣同士の顔なじみの人がいません。全体で進行すれば一人参加も退屈しないと考えています。

バスウオークでもそうですが、来て頂いた人をいかに楽しいバスの中にするか工夫しました。「歩きに行くのだからそこまでしなくていい。バスの中は静かな方がいい」と以前スタッフの人に嫌みを言われました。しかし、めげることなく私流で永く「ガイドもどき」をさせて頂きました。そんなこんなも突然の進行係を仰せつかってもひるまないのかも知れませんね。


[1862] 【1862 夏山トレーニング 芦屋から有馬温泉】 2009-06-07 (Sun)

6月7日(日)は夏山トレーニングB『芦屋川から有馬温泉』へのコースで体力作りと救命救急法と怪我の応急手当の講習をする予定で午前9時、阪急芦屋川に集合しました。

過日、サスケ先生達が出合ったジョンの山岳会が今日もまた同じ人数で広場に集合していました。今日は城山コースらしく私達とは別コースのため、何とか混雑は避けられそうです。
他の団体も多く、高座の滝までラッシュのために、人垣を縫って速歩で堰堤まで移動しました。登山をするにしてはかなり早い速度で、みんなヘロヘロです。

なぜかホラ吹きがおり(ホラ貝を吹く人)その音色に苦笑しました。苦笑したと言うことは音がはずれて聞くに忍びないということです。(笑)そのホラ吹きは「ワシのホラ貝でイノシシがみんな逃げてゆく」な〜るほど人間だけでなくイノシシまでもが迷惑をしていると言うことなのですね。

第一堰堤でしばらく休憩。休憩をしながら中央稜に眼をやると大勢の登山者が登って行きます。
「この先の岩場は大渋滞やナ」
休憩の後は、中央稜コースは混雑が予想されるため堰堤から高座谷を中央稜との十字路を目指して進みます。

このルートは人数も少なく静かな山行が楽しめそうです。都会の喧騒を逃れるように山に逃げ込んでいるのに、この騒々しさでは、休日は町のほうが静かかもしれません。

十字路を目前にしたとき
「風吹岩あたりも混雑をしているかも知れないのでだるま岩から魚屋道に抜けよう」
魚屋道を通りゴルフ場横から一軒茶屋を目指すことにしました。

これが良かったのか悪かったのか、途中から「藪漕ぎ」です。「何事も訓練」みなさん優しく「藪漕ぎ」に付き合ってくださいました。
10分ほど藪を漕いで横池北側辺りで魚屋道に合流。

雨ケ峠で韓国のグループが休憩中で、水の補給しておりました。外国の方達にも人気のコースなんですね

東お多福分岐11時30分、あと1時間も歩けば一軒茶屋に到着するはずです。その前に七曲がりの苦しい急な上り坂があり、気合いをいれて登ります。

この場所は以前、やまたび倶楽部で訪れたとき雨ケ峠で雨に遭い合羽の持ち合わせがなかった私はレジャーシートをかぶり「夜桜お七」となって頂上を目指した事を思い出しました。雨具を持たず六甲を訪れた私への神の戒めであったと思っています。今日は雨に遭わずに済みました。勿論、合羽は携行していますよ。 (ジョンの声:ツエルトもね)

この辺りで大阪大学ワンゲル部の若者グループとすれ違いました。20s以上の荷物を背負って歩いておられましたが、マナーもよく、とても良い感じの青年達でした。

12時40分一軒茶屋に到着です。沢山の人が弁当を広げていました。空き地をみつけて昼食を取ることにしましたが、思いの外、寒くて震えるほどでした。あまりの寒さに20分でもう我慢の限界、13時00分スタートすることにしました。
有馬への下山道は足も軽やかに13時40分には、もうあづま屋に到着しました。

ここで石黒パパのリュックの中から大量の冷えた紅茶が振る舞われ、重たい道中を思うと心から、感謝を申し上げ、みんなでご馳走になりました。紅茶のほどよい甘さが疲れをふっ飛ばせてくれて美味しかったです。

休憩の後、この場所で本日の講習テーマ「救命救急」を実施することにしました。救命講習の後は続いて、三角巾を使って打撲の手当、止血方法とみんな熱心に耳を傾けて登山のみならず大変勉強になりました。そこへ!なんと!「アドベンチャ〜参上」となりました。偶然かと思いきや、朝寝坊をして2時間遅れで芦屋川に降り立ったといいます。夏山登山への参加の固い約束をして、一緒に下山をしました。虫地獄到着14時40分ゴールです。

有馬温泉はインフルエンザ騒ぎのあおりを受け、客足に大打撃を受けたらしく虫地獄で旅館の番頭さんが温泉入浴のチラシを配布していました。
私が番頭さんなら、旅館の車を廻して「どうぞ温泉へお入り下さい。皆様をお送りいたします」とマイクロバスの手配をします。登山者は下山の汗を流したいに違いありません。迎えの車があれば、ほとんどの人が入浴すること間違いなしです。いまいち大変さが伝わって来ませんでした。

解散後、せっかく出会ったアドベンチャーさんと乾杯をしようと言うことになり居酒屋に入り、積もる話しに花が咲きました。帰りは宝塚までバスを利用し、阪急組、JR組とそれぞれに分かれて家路に向かいました。


[1861] 【1861回 比良山系獅子ケ谷へ沢登り】 2009-06-06 (Sat)

6月6日(土)大阪此花を7時50分、サスケ号で出発し、 比良山系獅子ケ谷に沢登りに出かけました。天気は薄曇りで比良地方はひょっとして雨模様を思わせるどんよりとした空です。「どうせ水の中に入って濡れるんやからええがな」そうそう、みんな納得です。水量が増えるほどの雨ならば避難することも覚悟をして「比良元気村」駐車場に到着しました。午前9時10分です。サスケ号が最後の駐車スペースを利用しました。すでに先客が大勢いて、今にも出発をしようとしていました。登山かクライミングか判断できませんがとにかく大勢です。

私達も出発準備を済ませ、午前9時30分、いよいよ出発です。岩登り体験コース「西谷山」は谷歩きで今日は本格的な「沢歩き」です。初心者が今日、沢デビューします。水は冷たいかと思いきや、思ったほどではありません。それどころかサスケ先生は「暑〜っ」と水の中にはまりに行く姿も見受けられました。初心者を真ん中にはさみ、滑らぬ様に注意をしながら水の中を歩きます。今日は沢靴を履いていますので水の中を好んで歩くことができます。

40メートルの獅子岩では多くの人達がクライミングの講習を受けているようです。外人さんも多くいます。「こんにちは」と挨拶を交わしながら横をすり抜け、沢沿いを高巻きしたり、水の中を歩いたり、写真を撮ったりと時間を忘れてはしゃぎながら歩いていきました。ウオークと違い、とにかく暑さは感じられず涼しいです。朝の曇り空が薄日が差すほどに変わり、雨の心配はありません。(ラッキー!)

名瀑「揚梅の滝」にでました。45メートルの揚梅の滝(雄滝)は水しぶきをあげ美しく滝壺に落ちていました。比良随一の名瀑として有名です。しばし休憩をとり、さらに小さな滝をいくつも登り終了点である目印の「落ちた石橋」を発見しました。名残惜しいですがここで沢登りのゴールとなります。

お弁当を食べ、身繕いを整え、登山道を利用して下山することにしました。腕時計や携帯電話が水没する危険を逃れるため車に残してきたため、時間がわかりません。腹時計も弁当を食べた後では、あてになりません。ゆっくりと下山し、車に戻って時間を確認すると、午後1時30分でした。「まだ早いので温泉入って帰ろう」と言うことになり、帰り道にある温泉に立ち寄り、冷えた身体を暖め、汗を流し、渋滞のない間に大阪に戻ることができました。

はじめて参加した人の感想は「いきなりの岩と水量の多さに足がすくみました。普段クライミングをやっていたので、そう恐怖感がなかった。今後も続けたい。楽しすぎて気を抜いた途端、ズルッと滑りました。やっと慣れた頃にはゴールでした」

そして去年から始めた沢の先輩は「1年ぶりに水の中に入り、足もとに不安がありましたが、すぐにコツが蘇ってきました。水は冷たいが登り始めると暑くなりジャボーンと水浴びをしました。気持ち良かった〜」と余裕のコメントを頂きました。【ブログに写真を載せました】

冷たさも 登る熱気に ここちよし  詠み人 サスケ





[1860] 【1860回 えっ?き、き、きたしんち??】 2009-06-05 (Fri)

北海道にやっと春が到来、ライラックの花が満開だとテレビで映していました。ライラックの花は細長いあじさいの様ですね。この花の花びらは4枚ですが中に5枚の花びらをつけた物もあり「ラッキーライラック」として人気を集めているようです。大阪の今日は「リラ冷え」でさ〜む〜いね。

ジャスコが6月1日から「レジ袋はいりますか?いりませんか?」と客に尋ねるようになりました。張り紙を読むと「マイバック」を持参すれば「一会計につき2円」の値引きをするとのシステムの様です。しかも11月までの限定版なので、おそらくその先は「レジ袋は有料です」に変わるに違いありません。みなさまの地域のジャスコはいかがですか?

過日、六甲方面からの帰りJR東西線を利用しました。ジョンも一緒です。お互い疲れていたのでしょう。無言で、うつらうつらして眠ってしまいました。「次は〜みてじま〜」あっ次の駅だから眠っちゃいけないなと横に座るジョンを見たら、細い目をパッチリ開けていたので、安心して、また眠ってしまいました。

「次は〜きたしんち〜きたしんち〜」二人ともガバッと飛び起き、向かい側からきた新三田行きに飛び乗りました。「なぁ、もう眠らんとこなぁ」「そやなぁまた芦屋まで行ってもうたらシャレにならんわ」酔っぱらいが終電車間近に行ったり来たりは聞いたことがありますが、こんな昼間から・・・・トホホでした。

今日5日は警察の部会の総会があり私も招待を受けましたので夕方から出かけてきます。前日に交通安全峡から突然メールがあり「懇親会の進行係よろしく」との事。招待客が進行係はないやろと思いながら、強引に押しつけられた時の用意に遅くまで「楽しい資料作り」に勤しんだ次第です。盛り上がるといいなぁ。

明日は比良方面に沢登りに行ってきます。沢登り時のお茶は常温もしくは温かいお茶がいいですね。行動食も普段の歩きの時とは違う「冷たくないもの」を用意しようと思っています。


[1859] 【1859回 今日はジョンの目完治の日】 2009-06-04 (Thu)

今年の2月、まだジョンの目の病状の行く末が見えないまま、やまたび倶楽部を3月から活動再開しようと言うことになりサスケクリニックに診察に伺った時、予定表を広げました。サスケ先生が手帳を出して来られて「重複している日はおまへんわ。ところで6月4日のこれは何でっか?」とカレンダーを指さし質問をしました。6月4日には「完治日」と記入してありました。

「これは目が完治する日ですわぁ」ジョン自身がこの日を完治日と決めていたようです。

ほんでもって今日がその6月4日。目の症状を聞くと、いまだ複視状態は治ってはいない様子ですが日常生活には支障をきたさないまでに回復したと言います。欲張らず本人の「完治日」の今日を心から祝福したいです。

本来ならばウエディングケーキほどの大きなケーキを届けたいのは山々ですが「糖尿もどき」と言うことで甘い物は差し控えさせていただきました。気持ちだけ届きましたでしょうか?(気持ちだけでは腹の足しにならんてか?)

「一病息災」という言葉があります。もっと重症で、もっと大変で闘っている人達が沢山います。今日偶然にも電車を降りると前を小学高学年の少年と母親が歩いていました。少年は酸素ボンベを引き鼻から管を通しています。「ねぇお母さん、東京に行ったらどうする?」「そうねえ、何がしたいかで決まるけどジズニーシーへ行きたいね」「ぼくは新幹線に乗り冒険がしたい」と言う会話でした。少年の容態では遠くへは、ままならぬ様で、せめて東京までの新幹線の冒険を楽しみたいと言う会話でした。

ジョンの場合、登山も再開する事が出来、岩登りも沢登りも元気に復活しました。少々の不安はあるものの、今日の少年の姿を見たら、病気と一緒に生きて行く方法もあるか、と心に余裕を持ってほしいと思います。やまたび倶楽部みんなで応援しているよ。

★★以上!ザイルパートナーからのはなむけでした。○○歳、おめでとう!!★★

病気つながりで、うちのポチも昨日定期検診のために病院に行くと貧血がひどく数値を見た医師が驚き、日常生活に支障はないかと聞かれ「そう言えば、山登りをしていると今までしなかった息切れがするんです。でもみんなが(妻が)根性無しと言うので頑張って付いて行ってます」と言うと緊急に貧血の検査をするらしく、この美しい姫にポチの「検便」を尼崎の病院に届けろと言います。ほんまくっさい話しでしょ?!


[1858] 【1858回 クライミング講座inブラックフェイス】 2009-06-03 (Wed)

6月2日(火曜日)クライミング講座実施のために阪急芦屋川駅集合となりました。ねこちゃんが電車1本遅れたと言うメールをもらい、到着を待って出発しました。今日の岩場は「ブラックフェイス」です。ゲートロック(現在は崩落のため使用不可)、A懸垂岩やホワイトフェイスと違い、岩場に取り付くまでに時間がかかります。ねこちゃん曰く「この道を歩いているだけで充分トレーニングになる。今日はクライミングをしなくても勉強になったわ〜」本当にその通りで、岩場を抜け、堰堤を越え、木の根をまたぎ、更にまた岩場をまたぐを繰り返しながらブラックフェイスの頂上までリュックを背負って上がり準備をして懸垂下降からトレーニングのスタートとしました。私達が取り付けた岩場の名称看板が何者かによって外されていました(誰だろうか?結構便利だったのにね)今日は60メートルロープ持参の師匠の荷物は17s、30メートルロープ持参の姫の荷物は13.5sです。

受講生の動きをチェックしながら、プルージックで登攀、懸垂下降を何度も繰り返しました。ロープの操作もほとんど受講生だけで出来るほどに上達していきます。この岩場の難所は一番下の取り付き部分にあります。「ズルッ、ズルッ」何度も滑りながら、足と手の置く位置を自分で探しながら、2回目、3回目とうまくなっていきます。頂上に達した満足感と、時折吹き抜ける心地のよい風が何とも言えないご褒美です。

一通り上昇下降を済ませたところで、お弁当となり、午後も同じ練習を何度も繰り返しました。今日は技術の向上が主たるトレーニングの様です。懸垂下降時の「悪い姿勢」「良い姿勢」を見本に試みましたが、横で同時に懸垂して見せてほしいと言う要望を受けて、師匠がロープにぶら下がります。受講生はねこちゃん。懸垂下降をしながら手取り足取り指導を受けながら「終了〜」のゴングが鳴ったのは何と午後4時を過ぎていました。

あまりに熱心にトレーニングをしたためと、夏日で天候も良く、時間が経つのを忘れていました。この講習をもってキクちゃんが卒業です。残りの受講生2名は、あと1回残すのみとなりました。荷物を片づけ城山コースへ向けで下山するつもりが途中で何としたことか道迷いをしてしまいました。今までに見たことのない堰堤が前に立ちふさがり、苔の生えた岩場が不気味にそそり立っています。「今、何時?」師匠にあせりの声が走ります。午後5時を過ぎています。よく見ると短い間隔で赤いテープの目印があり、すぐ軌道修正することができましたが、あわや「暗闇のロックガーデン」を味わうところでした。それにしても至る所に無数の道があるものですね。(懐中電灯、ツエルトは持参してたかな?)

動物霊園に出たのが午後6時。芦屋では初めての遅い時間です。ブラックフェイスは取り付きまでに時間がかかりますので9時集合ではなくて8時集合がいいのではないかと話し合いました(その通りですね)あと1回の講習を終えると、その後は1期生、2期生によるクライミングを楽しんで頂くことになります。場所によってはロープ設置組は先発隊として1時間早いスタート、後続組はみんなが揃ったところで出発するのが理想ではないかと思います。そして定額給付金が入ったらクライミングシューズを買って下さい。登山靴と違い、今まで苦労して岩場にへばりついていた事が嘘のようにスムーズに登れます。まさにクライミングシューズは「魔法のシューズ」です。

私は今回履いていたズボンが妙に膝が曲がらず、とても苦労しました。クライミングに適したズボンはジャージの様な伸縮性の良い物に限りますね。家に戻りこのズボンの膝下をハサミでチョキンと切り、半ズボンにしちゃいました。


[1857] 【1857 雪彦山地蔵岳東稜ノーマルルート登攀】 2009-06-03 (Wed)

30日、西山谷の沢登りを終えてホームページ用レポートを作成中の午後10時前、ジョンからの電話がありました。「明日何か予定ある?」どうしたことかと聞くと、ジョンが所属している山岳会のメンバーが雪彦山で岩登りを予定してたんやけど、予定していたパートナーが急遽欠席のため女性のクライマーを探しているので行くかとのことでした。西山谷の沢登りで少々疲れていたため31日は自宅にて休養をしようと思っていたのですが「雪彦山」と聞いて「行くとも!行くとも!」と訳のわからないまま返事をしてしまいました。勿論ポチにはお留守番をしてもらわねばなりません。

コースは「雪彦山地蔵岳東稜ノーマルルート」とのことホームページで検索をしたところ、とても私の手におえる代物ではありません。「返事をしたけど自信ないからやめるわ〜」とも言えず不安な朝を迎えました。
外は雨が降っています。「やった〜!クライミングは雨の場合中止や!」と思ってジョンに電話をすると
「大丈夫、雪彦山までいって岩場が濡れていたら雪彦温泉にでも入って帰ろう。とにかく待ち合わせ場所のJR六甲道駅まで行こう。」とのこと、「あかん逃げられへん」
雨の中、傘をさしてクライミングギアのいっぱい入った重いザックを背負って、JR東西線の海老江駅を目指します。

神戸に入っても雨がシトシト降っています。朝7時、JR六甲道駅にジョンの所属するメンバー村上さんが車で迎えに来てくれました。挨拶を済ませ六甲トンネル、六甲北道路から神戸三田ICへ、そこで中国自動車道に乗り継ぎ、福崎インターを出て一路雪彦山を目指します。

山届けを出して賀野神社上部の車置場(公園横に路上駐車)で身支度を整え、出発したのが午前9時。ここから20分ほどで岩場の取り付きに到着だそうですが1時間さまよっても、1時間30分さまよっても到着できません。道に迷ったらしく雨に濡れた道なき道を藪漕ぎ、一つ間違えば崖下に転落するような危険箇所の連続を通過。途中で出会った若者二人も迷っている様子。やっとのことで岩場の取り付きにたどり着きました。

雨上がりで湿気も多く右足をヒルにかまれているのに気が付きました。丁度、時を同じくしてON薬品に勤務の好青年2人もクライミングに来ており挨拶を交わします。その青年もヒルにやられて足は血だらけになっていました。私達の方が準備が出来ていたため先にスタートすることになりました。1時間以上道迷いしたために、(おかげでというべきか)岩は完全に乾いていました。

見上げると今まで見たことの無いような岩壁が立ちはだかっています。思わず、ゾクッ!岩の取り付きが午前11時08分、驚きのロスタイムではありますが3時間で雪彦山地蔵岳に到着する予定で「東陵ノーマルルート」をスタートしました。リードはすべてジョンの所属する山岳会の女性でこの会ではこの女性のことを「クライミングの天才」と呼んでいるそうです。

山頂まで260メートルを通常は8ピッチで登るのですが、私達は60mロープを使うことから1Pと2Pを同時に通過してしまうので全7ピッチで切っていきます。下から見上げると、いままでに対面したことのない大きな岩が目の前にドデーンとそそり立っています。少しひるみますが、ここまで来て登らずに帰っては北鎌尾根に行ったことが帳消しになると奮い立ち、最初は「トレース」という方法でジョンの登ったすぐあとからついてのぼりました。1ピツチ(50b)、2ピッチ(30b)と難なくクリアできたのですが3ピッチ(45b)に立ちふさがる傾斜の強いチムニーの中に入り込み身動きができなくなりました。体制を立て直すために3ピツチの下に戻ると若者が「リュックも靴の一部だと思いリュックをスリスリしながら頑張って下さい」と応援してくれました。

「ありがとう!頑張るね」勇気が沸いてきて何とか3ピッチをクリアすることができました。すると急にお腹が空いてきて「頂上でお昼って聞いたけど待てません。お弁当にしたいです」と訴えて3ピッチの上で弁当を広げることにしました。4ピッチはコンティニュアスで少し余裕ができ恐怖感が消えました。5ピッチ(45b)、は遭難碑の有る馬の背、6ピツチ(70メートルのコンティニュアンス)を難なく終え、残るは最後の7ピッチ(30b)に挑むことになりました。

ジョンが出発前に「う〜ん7ピッチ目が行けるかなぁ」とつぶやいたのが少し気がかりでしたが、高さへの恐怖を初めて味わいました。「こわいです!。テンションかけてください!。ロープを持ってもいいですか?」どうしようもない状態になりビレイをしている村上さんに声をかけました。上にいる人影は全く見えません。見えるのは、そそり立つ岩場しか見えないのです。

7ピッチ目で後続のON薬品の若者に先を譲り、しばし登攀を見学させてもらいました。それは見事でした。若いと言うことと、センスが良いと言うことが紙面で伝えられないことがもどかしいです。

姫が悪戦苦闘を終えて頂上に到着し全てを終了した時、先着のON薬品の若者が見守隊で待っていてくれ感動しました。山頂からは一般登山道をくだるのですが雨で濡れた道は「これでもか」と言わんばかりに私達を苦しめます。普段は古いロープは持たないようにと指導を受けているのですが、今日ばかりはジョンが先頭を切って古いロープや鎖をしっかり持ち、それでもスルッズルッと滑りながら、やっとの思いで、駐車場までたどり着きました。

時間はすでに4時をすぎていました。

荷物の整理は車の中でということにして、あわてて神戸にむけてかえりかけた、その時、ワイパーを廻しても視界が遮られるほどの夕立が襲来し、クライミング中の雨でなかったことに安堵しました。車の中で左手指の間にヒルを発見し「ジョンさん取って!取って!」と叫ぶとカメラを構えるではありませんか!「何してんの?!写真を撮るんとちゃう、ヒルを指から取ってちゅうてんのや〜」姫に吸い付いたヒルは、まるまると太り、車外に放り出されてしまいました。 なかなか出血が止まりませんでした。

六甲道におりた頃には雨も上がり、この近くにポチの大好きな温泉「六甲乙女の湯」があることを思い出して、温泉の前で下車。ヒルが身体に付いているかも知れないと思っていたらジョンの靴下の中から、まるまると太ったヒルがポロリと落ちたそうです。

雪彦山地蔵岳東陵ノーマルルートは私に更なる闘志を奮い立たせてくれた岩場でした。それにしても山岳会の村上さんは凄かった!やはり「天才」なのかも知れません。帰りはJR六甲道駅から海老江駅に戻り、自宅到着は8時を過ぎていました。


[1856] 【1856回 交野山の下見】 2009-06-01 (Mon)

連日の様にリュックを背負って朝も早くから出かけています。終戦の時代なら、さながら「買い出し」スタイルでしょうか。近所のおばさんが「今日もまた?」と半ばあきれ顔で見送ってくれます。今日は6月27日の津田駅集合の交野山の下見に行ってきました。

JR学園都市線の津田駅に午前9時、本番の集合に合わせてスタートしました。町の名前は「かたのし」、山の名前は「こうのさん」です。町中を20分も歩けば、すぐに山道にはいります。最初は少し、うっそうとしていますがすぐに杉の木立が続き、土の匂いのするコースに取り付くことができます。入り口付近だけではありますが、雑草が生い茂っているので半袖ではなくて長袖を着用してほしいと思います。途中に木の階段があり「ローリングステップ」をみんなで練習するのに最適の場所です。リーダーにその旨伝えています。

出発から、1時間ほどで休憩場所のテラスに到着します。見晴らしもよく、吹く風が心地よいです。休憩を終えて下り坂が続き、出発して、わずか1時間で国見山(286.5b)に到着します。わずか286メートルほどではありますが舐めてはいけません。ストックを持参の上、膝のサポートをお願いします。「枚方野外センター」の矢印に沿って歩いていくとトンネルがあり、このトンネルの出口付近でコーラスを試みたいと思います。シンフォニーホールの様な響きが得られる事、間違いなしです。トンネルを抜けたら待機してて下さいね。あわてて行かないで下さいね。

白旗池の横を通り交野山頂上(330b)に向かいます。あと少しで頂上と言う手前に、長くて急な上り坂があります。ローリングステップの実践をぜひこの長くて急な上り坂で試して見て下さい。ササユリの群生地もあり、本番時には咲いているかも知れません。楽しみです。

順調に行けば、頂上には出発から2時間ほどで到着します。短くて楽なコースですのでトレーニング等も組み込み楽しい山行にしたいと考えています。山頂には大きな岩場があり三宝荒神様が祀られていました。ここで長めの昼食タイムとなります。

昼食が終わると、あとは下り坂ばかりですが膝痛を起こさないためにも私は「ストック」を持参したいと思います。せせらぎの道と名前をつけているだけあってせせらぎの音を聞きながら滝修行の場所である「源氏の滝」にでます。丁度5〜6人の滝修行の方達がいて1時間見学をしました。カメラを向けると「あなた達には見えませんが、すでに神様が降りてこられています。カメラはご遠慮下さい」とのことでした。本番で滝修行をしている場合は静かに見学するか、それとも通過するか選択せねばなりません。ここには不動尊、地蔵尊、役行者を祀っているそうです。

ゴールは出発と同じJR津田駅となります。今日は滝修行を見学していたので2時前になりましたが、本番では1時過ぎには到着できるかと思っています。しかし階段トレーニングや岩場トレーニングをしていたら、やはり2時頃になるでしょうか。

交野市にこんな素敵なコースがあるなんて、早く皆様を案内したいで〜す。


[1855] 【1855回 沢登りの第一歩 in「西山谷」】 2009-05-30 (Sat)

「岩登り」の講座が終了できたことで次ぎのステップの「沢登り」に進むことができました。今日は「バージンロードin西山谷の沢登り」を満喫すべく阪神御影駅を集合場所としました。阪急電車利用の人も多く阪神御影駅と渦森台4丁目集合と柔軟な対応をしました。しかし、あっこちゃんは阪神電車と阪急電車を勘違いをし急遽タクシーにて「阪急御影駅」から渦森台4丁目に急ぎました。その結果一番乗りだった様です。

天気もよく渦森台の住宅街を抜けて千丈谷方面の看板に沿って進み、西山谷の取り付き辺りに広場を見つけてミーティングを済ませ、ハーネスやスワミベルトを装着しロープも用意して西山谷へと入っていきました。水量もまあまあ多く初めての沢登りを体験するには、もってこいの沢だと言えるのではないでしょうか。人もまばらで単独行の老人と若いアベック1組が追い抜いて行きました。滝にはそれぞれ名前が付けられており、「小滝」「ふるさとの滝」、「西山大滝」、「二条の滝」、「ソーメン滝」、「愛情の滝」などがありました。それぞれの滝に到着しない間は、名前から滝の模様を想像し、マイナスイオンを身体いっぱいに浴び、何と心地の良い遡行なのでしょうか。至る所に堰堤があり、行く手をはばまれ高巻くのですが、それもまた楽しい遡行となりました。とにかく涼しいのはあたりまえ。最初は登山靴が濡れるのをかばって石を飛んだりしていましたが、サスケ先生が水の流れにゴボッゴボッと入っていきます。一番安全な足運びで「何のためのゴアテックスや。手入れしとるんやさかい大丈夫」その言葉を合図にみんな水の中を怖がらなくなりました。水の中を歩くことで、のどが乾くことを忘れていますが水分補給の休憩を取ると、のどが乾いていることに気が付きます。

予定では「愛情の滝」で昼食予定でしたが、そこに行き着く手前で昼食場所に最適の広場を見つけました。時間は午前11時30分。少し早いですが小腹も減ってきました。女性陣が声をそろえてリーダーに「腹へった〜飯くわせ〜」コールを連呼しました。「じゃあここで飯にしますか」と言うことで美味しくお弁当を頂きました。

危険箇所を通過する時はロープで確保したり、堰堤横を降りる時にはロアダウンや懸垂下降もして、日頃学んだ技術を大いに活用することができました。ソーメン滝の登りで足を滑らせバランスを崩した人もいましたがリーダーが引っ張り上げ難を逃れることができました。

愛情の滝の看板には(あなた一筋・・)なんて粋な言葉が書かれてあり疲れがふっ飛びました。愛情の滝が過ぎると後は急な登り坂を上り詰め、犬の鳴き声でゴールが近いことを感じ取ることができました。アスファルトの道に(天狗橋付近)に出たのが午後2時丁度でした。

車道を歩きながら、いまは寂れた感じの大手企業の保養地のそばを通り、六甲ケーブル乗り場に到着しました。女性軍はトイレにかけ込み濡れた衣服を着替えサッパリし、男性軍はケーブルの待合室でそのまま着替え、午後2時40分のケーブルに乗り下山することとなりました。下山中のケーブルの中から黄色い花が咲いているとアナウンスがありましたが誰一人として名前を聞き漏らしていたため、降車時に係員に確認したところ「 ジャケツイバラ」(蛇結茨と書きます)だそうです。枝が蔓状で、鋭い鉤爪状の棘が付いています。これで他の木や植物に這い登るのだそうです。黄色い花をつけていました。阪神御影駅行きのバスに乗り、阪急組は途中で、阪神組は終点までいき、おっと、徒歩組の元気印もいましたよ。

大阪に戻ると夕立が降っていた様子で地面に水たまりができていました。私達は雨にも濡れずでしたが滝には濡れて靴もズボンもビショビショではありましたが初めての沢登りを満喫しました。沢靴を用意して頂ければ更なる美しい沢に出会えることでしょう。給付金が入ったら沢靴をいかがでしょうか(えっ?もう使いましたか)

沢登りの途中、日赤パトロール救助プレートがかかっていました。今日も単独で入る老人をみかけましたが万が一足を滑らせたらと思うと恐ろしい気分になりました。

「 登り来て 新緑の木立 深呼吸」   詠み人  サスケ


[1854] 【1854回 めまぐるしい商店街】 2009-05-29 (Fri)

月末に一度だけ、四貫島商店街まで出かける用があり、今日出かけて驚きました。今までも古くからの漬け物屋が野菜屋に変わったりしていましたが、花屋のあとにタコ焼き屋、呉服屋のあとに接骨院とめまぐるしい変わりようであります。接骨院はいまでも商店街の中に乱立しています。それだけ年寄りが増えたということでしょうか。おどろきです。

「アレッひばりちゃん今日は休み?」八百屋の兄ちゃんが聞きます。「ず〜っと毎日休みやねん」「ほんなら、ここへ来て手伝ってよ〜店に立ってるだけていいから」アホな・・・もう働くのは卒業したんやで〜。  明日の沢登りのレーションを買うために饅頭屋に立ち寄りました。「アラッ会社は今日はお休み?」もう面倒くさいので笑ってごまかしました。まだ住まいである高見より勤め先の四貫島の方が顔が売れているみたいですね。ハハハ

商売も大変。無職も大変。勤め人も自宅待機があったりして大変。岩登りも大変。沢登りも大変。み〜ん〜な大変。でもね、与えられた人生に逆らわず、毎日充実してに生きていくのもいいものですよ。会社で嫌な事があれば休日は山登りをして見て!自然の中で暑く辛い登りの隙間から、ご褒美の風が吹いてきて、幸せを感じることができる心の余裕ができるよ。山はいいよ〜!

社歴の浅い者は昔の話しを聞く事を「自分には関係ない、古くさい」と嫌がります。そんなことはありません。今、給料がもらえているのは創業者のおかげです。先輩達の技術のイロハを受け継いだからこそ生きていけるのです。会社を批判するのならば自分がソッと負け犬の様に出ていけばいい。誰も引き留める者はおりますまい。周りを巻き込んでワァワァ騒ぐことなかれ!

八百屋も呉服屋も鉄工所も、歴史のある時代があったことを忘れてはいけません。そう思います。


[1853] 【1853回 インフルエンザの影響】 2009-05-28 (Thu)

インフルエンザの影響で世間が騒ぎ休校が実施されていましたが、25日からは学校が再開されました。臨時休校の影響を受けて、6月の創立記念日も授業があり、夏休みにも食い込むと昨日我が家に来た高校生は嘆いていました。驚いたことに幼稚園児にも影響しているのです。

昨日、名塩のももちゃんちへ行くと「ばあちゃん親子遠足ごっこしよう〜」と言います。鬼ごっこやかくれんぼなら聞いた事がありますが親子遠足ってか〜と様子を見ていると、子供部屋にシートを敷き詰めて水筒とおやつを広げ「みなさん、手を洗って、お口グチュグチュして、さあ頂きましょう」と、ももちゃん先生が号令をかけます。

聞くところによると、予定していた親子遠足がインフルエンザ騒ぎで中止になったんだそうです。子供の心にも陰を落としているのですね。

有馬温泉ではインフルエンザの影響で宿泊客の予約のキャンセルが続き4億円の損失で大きな打撃をうけたそうです。活気をとりもどそうと観光協会が「笑う有馬に福来たる」と題したキャンペーンを始めたそうです。有馬の湯でウイルスを死滅させてやりたいぐらい、つらい日々が続いているそうです。外湯の「銀の湯」「金の湯」では無料で開放してくれるそうです。そう言えば6月7日夏山トレーニングBは有馬がゴールでしたよね。やった〜!と喜んだのもつかの間、このキャンペーンは6月5日までだそうです。残!念!

夏山トレーニングBは体力作りを主としています。歩く距離が長いので、体力の配分、上手な行動食の取り方、ストックの上手な使い方等を学びつつ、快適なトレーニングを終えたいと思います。

私の行動食の工夫
●ペットボトル2本とポカリのチュウブタイプ1個
●冷凍したペットボトルに濡れたおしぼりを巻き付ける(弁当時に冷えたおしぼりとして使えます)
●弁当は茶漬け(疲れすぎるとおにぎりも、のどに入りづらい。お茶漬けならサーラサラ)
●キューリ(1本を半分に切って食べる時に塩付け)
●ジャムパン1個(パワーが弱くなったら歩きながら食べます)
●りんご3分の一(1個を3人で分けるからね)
●柿ピー(小袋。ほどよい塩分補給に)
●キャラメル3粒(糖分の補給に)

以上で有馬ウオークを乗り切ります。参考になるかどうかわかりませんがチョイスしたり省いたりで、うまく携帯してください。あくまでも「自分」の分だけです。


[1852] 【1852回 ロープの手入れ】 2009-05-27 (Wed)

誰しもが、日焼けしたお肌の手入れは忘れずにしていると思います。クライミングで使用したロープもまたお肌の手入れ同様にメンテが必要なんです。

10.3o×30メートルのマイロープを持つようになってから、クライミングで使用した日は、まずホコリを落とし、熱いお湯を含んだタオルを固く絞り30メートル分を拭いていきます。その後乾いたタオルでもう一度拭き、陰干しをして収納します。そして何度か使用した後には風呂場に持ち込み、洗剤を含んだお湯の中で押し洗いをし、すすぎ、その後リンス液を含ませ水分を抜きます。水分が抜けたところで日陰(ガレージの中)で何日も乾燥させるのです。(直射日光の当たる場所と明るい場所で干すのは厳禁)

いままで師匠やサスケ先生がロープを持参して下さっていても「いつも申し訳ない」とは思ってみても、どんな手入れをしているのかまでは気にしたことがありませんでした。しかも30メートルではなく60メートルのロープの手入れは大変だったことと思います。

マイロープを持つ様になってから、お二人のご苦労が身にしみて理解できるようになりました。岩場でマイロープを靴で踏まれた時、まるで自分が踏まれた様に「痛いッ!」そんな心の叫びさえ発する様に思えます。「ロープは踏まない」これはクライミングの基本です。ロープの寿命を縮めるからです。懸垂下降時、ATCに装着し易くするためにロープを靴で「踏む」のではなくそっと「押さえる」のです。

クライミングを終了し、ロープをいざリュックに収納しようと思っても入りきらない場合が度々あります。出かけるときはきちんと時間をかけて隙間をうまく利用して荷造り上手で出発します。しかし終了した後はシュリンゲやハーネスを無造作に入れるのでリュックに入らなくなるのです。それとA懸垂岩から第一鉄塔へ上がるあの急な坂道がハアハアゼエゼエなんです。最近はロープだけ肩掛けにして帰ることにしています。この方がリュックも軽く感じるのです。

13s・・・この重さを背負ってバランスよく平気で歩けないと、ゴシラの背もバットレスも不合格なのだそうです。夏山トレーニングAのB懸尾根の時、ロクちゃんが「姫は昔はそんな重い荷物背負われへんかったのに」と鋭い指摘を受けました。全くその通りです。日々訓練の賜です。(10sだといいなぁ)
 


[1851] 【1851回 クライミング講座修了しました。】  2009-05-27 (Wed)

火曜日の5月26日A懸垂岩でクライミング講座を行いました。阪急芦屋川駅9時集合で、ぞくぞくと参加者の皆様が集まってこられました。休日は待ち合わせの登山者でごったがえしている駅前広場も平日ということで静かな待ち合わせ風景です。某さんが真新しいリュックを背負って笑顔でやってこられました。みんながリュックに黒だかりとなり、蜂の巣を突っついた様です。背負ってみたり、中を開けてみせてもらったりしていました。荷造りもバッチリの様です。すごい進歩ですね。

駅から歩いて5分も歩かないうちに、若い男女3人組のうちの一人が靴擦れで立ち往生しています。おばさま族の我々は冷ややかな目で「こんなところで、もう靴擦れかよ〜。」
「それにパンプスみたいな靴でロックガーデンに失礼とちゃうか〜?!」音声では聞こえませんでしたが赤外線で見たとしたら異口同音に、そう思っていたと思います。(理工系は弱いけど赤外線で音声見えるのかよー)
私は「山を舐めるなよ」そう思っていました。しかしジョンは歩み寄り、うららちゃんの救急箱から絆創膏やバンドエイドをもらい手当をしてあげました。
「ありがとうございます」
「いいえ困っている時はお互い様」
とかなんとか言っちゃって〜!
いやいや、月初めの燕岳でJONはボロ靴に足を噛まれ、やっちゃんは新品の靴に足を噛まれたばかり。
「ほうって行ける訳ないやろう」
「しかしあの若者達やまたび倶楽部に勧誘してきっちりと山を教えておくべきやったなあ」とJONの弁。「JONもサスケちゃんも何を教えるか解かったもんや無い」そう思ったのは私だけでは無いはずです。

地獄谷入り口ででハーネスを付け、登攀用具を腰に着けヘルメットを被ると、これで立派なクライマーです。ロープを出してA懸垂岩に向けて進んでいきます。危ない箇所はロープで確保し、時間はかかりますが安全第一で「小便滝」に出ました。今日はA懸尾根を通らずにそのままA懸垂岩まで沢筋をゆっくり登っていきました。到着した時は正午前になっていました。

しかしこの場所は帰りのバスの時間を気にすることもいらず気の済むまでトレーニングに励むことができます。姫が支点を作るためにリードで岩にとりつきました。ロープが張られてないと言うことは緊張につぐ緊張です。初めてリーダーやサスケ先生のご苦労が理解できた気がします。その後、全員が上昇下降を繰り返し昼食と致しました。

午後からもロープ2本を効率よく使い懸垂下降、プルージックやオートブロック、フレンチノットを使い、バックアップの練習。何故このバックアップが必要なのかを現場で座学も取り入れながらシステムの理解をしていきます。2時間もすれば、ロープが空いていても、体力に限界が来たのか誰も登る気配がなくなりました。それもそのはず午前中に1回、午後から3回は上昇下降を繰り返しています。

最近懸垂下降中の事故が多いため各方面でバックアップの仕方や下降器のハイポジションシステムなど研究されています。今回は下降器のハイポジションシステムを練習してみましたが、緩傾斜においてはロープの繰り出しが悪い、キンクしたロープがATC直上でロープがクロスする場合など問題点が見つかりました。セットの仕方が悪いと考えられますので、速やかなセットを練習する必要があるようです。
今回は教えるほうも教えられるほうも何となくサマになってきたようです。

「今日はここまで」ということになり帰り支度をしていたら、イケメンの外人さんと女性がクライミングをするために、やってきました。「クライミング イズ エンド」
通じたかどうかわかりませんがとりあえず中学生の頃に習った単語を並べます。この外人さん日本語ペラペラでした。(笑)
クライミングをするのに、どこがお勧め岩なのかをたずねておられてジョンが色々と興味の沸きそうな岩場を紹介していました。「この近くではホワイトフェース、尾根に上がって谷を越えた向うに有るキャッスルウオール、その近くに有るブラックフェース、この近辺はそんなところです。」
帰り道は、第一鉄塔にあがり高座の滝にかえりました。茶店あたりで、トイレ休憩とミーティングをしていると某さんがみかんをみんなに配ってくれました。「このみかんはこの間の荷物チェックの時のみかんです。今日は皮を剥いて、ラップで小分けしてきたのでみなさんどうぞ」拍手喝采でした。荷作りも歩き方も、行動食も我々のアドバイスを素直に聞き入れてくれて、暑かったけどすがすがしい一日でした。
「第二期の岩登り講座もあと2回です。今回は追加講座を4回もやるため大変ですが、サポーターがよくやってくれるので楽なもんや」JONはそう言っています。

やまたび倶楽部の岩登り講座はフリークライミングを目的としているのではなくあくまで安全な登山を楽しめるために行っています。昨年槍ヶ岳の山頂で中年のリーダーらしき女性が仲間に言っていました。「子供達が『お母さん、危ないことはしないで』って言うもんで私は岩登りはしない…」
北鎌から上がった私達を見てそう言っていました。たぶん岩登りが出来ないことを仲間達に自己弁護をしていたのでしょう。でも岩の経験もなしに槍ヶ岳の頂上に来るより、基本に忠実に岩登りをマスターして、ロープで確保しながら北鎌尾根を上がるほうが安全と言えるのではないでしょうか。

今まではこの岩場も通行路として使われていませんでしたが、今では難なく歩いています。こんなところが恐がらずに歩けるようになると国内におけるほとんどの登山道が安心して歩けます。頑張って安全登山に努めてください。


[1850] 【1850回 夏山トレーニングA】 2009-05-24 (Sun)

雨を覚悟の夏山トレーニングAでしたが照りもせず降りもせずの絶好のトレーニング日和で、受講生6人で楽しく実技トレーニングを終了することができました。

いつもは地獄谷に降りて、帰り道に中央稜を利用するコースが常なのですが、今日は、やまたび倶楽部ではめずらしいロックガーデン中央稜を登るコースです。堰堤でミーティングをしていると子育て中と思われるママさんイノシシが散歩していました。思わず

「ロックガーデン名物のイノシシや〜写真!写真!」

どっちがイノシシかわかりません。(証拠写真はブログで見てね)

人の流れも「雨かも」で、出足が鈍く、混雑する様子もありません。天気のみならずインフルエンザの影響で子供達が自宅待機の影響もあると思います。

途中の岩場を利用して何度も上り下りの訓練をします。休日のロックガーデンとは思えないほど静かで、トレーニングに、もってこいの状況でした。
第一鉄塔からA懸垂岩に向けて下っていきます。
A懸垂岩に近づくとヘルメットを被った団体がA懸垂岩に群がっていました。初歩のそのまた初歩の訓練の様子で低い位置でカニ歩きの練習を40人くらいでしていました。

足早にA懸垂岩を通過し、B懸尾根をピラーロックに向かいます。ザレ場の歩き方で登るときには靴の内側に力を入れるインサイドステップ。下りは靴の外側に力を入れるアウトサイドステップステップを繰り返し練習。足場の悪い箇所を利用してシュリンゲの使い方、引き上げ方を全員で何度も繰り返します。太陽も出てなくて紫外線もきつく感じず熱心に練習が続きました。(暑いとへばるよ、きっと)

「飯にしよう」と言ったのがピラーロックのザレ場。丁度12時。腹時計とピッタリと合っています。しばらくすると若い美人女性2人が道に迷った様子で「あの〜ロックガーデンへ行きたいのですが」とジョンさんに聞きます。

「このあたり一帯がロックガーデンですよ」

とにやけた返事をしています。その後、親切に中央稜に行く道を教えて見送ってあげていました。中高年のおばさんが聞けば「あっち」と指さすことでしょう。(笑)

昼食後もザレ場の足の運び方を何度も練習し、クロスステップを練習しました。傾斜がきつい場合に有効なステップです。

その後、某さんのリュックの中身点検をすることにしました。ご本人も嫌がらずシートの上にリュックの中身を全部出してくれました。「あら探し」ではなくて荷造りの勉強ですので念のため。リュックの中身を見て一人づつ感想を述べました

@みかんが丸ごと入っているが今後は皮を剥き、一口サイズにラップに包む
Aポケットチィッシュが沢山出てきたが多くて2個もあれば充分
B飴は1袋でなく自分のたべる個数のみ(3個もあれば充分)
C合羽、スパッツはリュックの大きさにきちんとジッパーを閉じてたたむ
全体的に行動食が多すぎるという結論に達しました。今後の参考のために姫のリュックの中身も出しましたが何度も勉強し叱られているので「合格」靴洗いのタワシがぶら下げてあるのを笑われてしまいました。

某さんが前屈みで歩くのは、現在のリュックの精かも知れないと言うことになり、帰り道、姫のリュック、JONのリュックを交換して背負い機能性の良いリュックであることを体感してもらいました。するとどうでしょう、姿勢が治り、スムーズな足運びで下ることができました。帰りに早速、梅田に立ち寄りハーネスもリュックも買うそうです。

みんな受講するたびに上達していくので、とてもうれしいです。
今日はポチも何事もなくホッ!


[1849] 【1849回 沢登りの座学】 2009-05-23 (Sat)

夏にむけて「沢登り」を楽しむために、まずは「沢登りとは何か」から入門するために、市毛良枝さんの出演するビデオ鑑賞をしたのちに座学にはいりました。全く未知の世界の人、去年少しだけ体験した人もいましたが初心に戻り、新鮮に勉強に取り組みました。岩登りも、沢登りも3000メートル級の山では、出合うことがあります。知っていれば通過時にあわてないで済みます。ビデオを見た感想をまたお友達に広めて頂き、来たる5月30日(土曜日)の沢歩きに参加してみましょう。登山靴とヘルメットがあれば楽々と通過できます。

5月30日に参加をしてみて「うん、これならいける」と感じて頂けたら一緒に沢登りを楽しみましょう。「百聞は一見」という言葉もあるように冷房付きウオークをぜひ皆様にお勧めしたいと思います。

去年のことを思い出しました。「沢に連れてったろか?」「えーっ濡れるんやろ?」そう言いながら未知の世界に興味があり、ついて行きました。ポチは「絶対いやや」と言うことになり留守番隊となりました。初体験をされたサスケ先生が「こんなおもろいことポチさんじぇったいに、したらあかん」と書き込み、参加意欲をそそりました。二度目から同行したのですが「これはオモロイ、涼しい、次はどこ?どこ?いつ?」とはまってしまいました。

三点確保をきちんと守り、リーダーの指示に従えば安全に沢登りを楽しむことができます。私は子供の頃は夏は雨の日以外は、ほとんど四万十川に浸かっていました。遊園地もなく、動物園もない田舎の生活は「春はイタドリ」「夏は川」「秋は木の実採り」「冬は野鳥採り」(冬の野鳥採りは現在は禁止されていのす。)それから何十年も自然とたわむれることなく生きて参りましたが60歳を過ぎて子供の頃の遊びに再挑戦することの出来る幸せを感じています。

今夜は広島から戻る息子が宿泊希望(素泊まり宿泊費免除)の連絡があり「明日は、おかんは留守やけどいいの?」とメールをすると蒲団さえ用意してくれれば良いとのことで、では行ってくるとしましょうか。コースはやまたび倶楽部18番の「高座の滝からA懸垂岩」のコースです。


[1848] 【1848回 日焼け対策はバッチリ?】 2009-05-23 (Sat)

晴天の日より、曇りの日の方が紫外線が多いことはご存知だと思いますが、男性の皆さんも、勿論女性の皆さんも日焼け対策はバッチリですか?塗る量は適正ですか?

クリーム状のものなら「大きな真珠2個分」
液体状のものなら「1円玉2枚分」が適量です。汗をぬぐったら効果は消えますので、すぐ塗り直す必要があります。日傘をさすと紫外線を半分にカットしてくれるそうですが登山に日傘はねぇ。夏でも長袖を着用しましょう。男性の方でシミやイボが出来るのは日焼け対策を怠った結果です。

いま、スプレータイプの日焼け止めがあるらしいですので買い求めリュックに入れておくと便利ですね。探してこよ〜っと。

今年のサラリーマン川柳の作品から

● 胸よりも 前に出るなと 腹に言う
● 久しぶり ハローワークで 同窓会
● 羞恥心 なくした妻は ポーニョポニョ
● 「おかえり」の 笑顔のために 仕事する


[1847] 【1847回 久しぶりの休日】 2009-05-22 (Fri)

「サンデー毎日だろうが〜」と言われそうですが、毎日なにかしら用事があり終日、家に居ることは滅多にありません。今日は天気も悪いし、外出の予定もありませんでしたが、ふと、零ちっちの誕生日プレゼントを買いに行こうと思いつきました。6月15日が満5歳の誕生日ですが6月の土日は婆ちゃんの予定が全部埋まっているのです。それに函館から戻ってから、ゆっくり会っていません。

4時の保育所の終わるのを待って都島にあるトイザラスに出かけました。途中で「あっ〜この道はトイザラスと違う〜」と言いました。いつも住之江のトイザラスに行くらしく、道が違うと言うのです。「婆ちゃんのトイザラスはこっちなの」と説得して20分ほどで到着しました。

自転車売り場に行くも、お目当てのオモチャがあるらしく試乗するのもイヤで心ここにあらずと言った感じです。結局、ママと婆ちゃんが見立てて自転車を決めました。零ちっちのお目当てのオモチャは800円の戦車の様です。レジを通り戦車にはシールを貼ってもらい自転車の整備点検のために30分ほど時間待ちをすることにしました。

しばらくして気が付くと零ちっちの手にあるはずのシールを貼った戦車がありません。零ちっちに聞いても「知らない、わかんない」といいます。

ママと婆ちゃんで大探しをしたのですが見つかりません。せっかく代金払ったのに・・・。「零くん、戦車がかくれんぼしたねぇ〜婆ちゃんと探しに行こうか?」と言うと「うん」と言って、零ちっちが私の手を引いて足早に戦車を吊っていた場所まで連れて行きます。「あのね、ボク戦車いらないの。だから返してこれがほしいの」と小さなミニカーを持ってきました。

このミニカーは、いつだったか温泉に行ったとき、温泉の中に落としてしまったのだそうです。同じミニカーがあったので思わず戦車を返してしまつたようです。「オモチャは1つだけ」と言われているらしくこの様なことになりました。

自転車を買いに行ったのですが、自転車には見向きもしませんでした。帰りに車に入れようとしたらハンドルがひっかかってしまいました。零ちっちが叫びます「自転車が痛いって言ってるよ〜。もっとやさしくしてよ〜」

子供の心は60歳の婆ちゃんには驚きと感動で想像もできません。つかれました!(試運転中の写真はブログに掲載しました)


[1846] 【1846回 中年女性に多い「変形性膝関節症」】 2009-05-21 (Thu)

中高年になってひざが痛くなる病気はいくつかありますが、その中で一番多いのは「変形性膝関節症」だそうです。ひざが痛いと歩いたり日常動作などもつらく、悩んでいる人はとても多いのです。特に女性は台所仕事での膝の酷使や、閉経後の女性ホルモンの影響で膝痛を訴える中高年女性が多くなっています。「閉経、若い時に膝を怪我をする、オー脚、太め、遺伝」などが原因と言われています。テレビを見ていると膝ベルトのコマーシャルやサポーターなどの宣伝が多いですね。コマーシャルに踊らされることなくトレーニングをすれば痛みが軽減出来る方法がありますよ。

膝痛の方は「がまんしない。あきらめない」で下さい。予防方法のひとつとして「正しい食生活をする」ことだそうです。「えーっ?膝痛に食生活?」と思うかも知れませんが、バランスの良い食生活をすることが膝痛の予防になるのだそうです。水中ウオーキング、風呂の中でストレッチ、椅子に座ってストレッチなどで予防できるのですが何と言ってもお勧めが「階段ウオーキング」です。但し下りは膝の負担になるので運動には取り入れないで(登ったら降りないとあかん。どないすんねんと屁理屈言わないでネ)、下りは手すりなどを利用したりストックを使って膝を守って下さい。スーパーの上り階段を利用して下りはエスカレーターでもいいですね。

階段を逆「ハ」の字で自分自身がバレリーナーになったつもりで一歩づつ踏みしめてトレーニングをしてみることだそうです。後ろから誰かに見られていると思うと自然に背筋が伸びて、良い姿勢で歩けますよね。あれと一緒です。

今、私達は正しいストックの使い方、正しい山歩き等のトレーニングを始めています。生まれてからハイハイが出来て、ヨチヨチ歩きが出来る頃から「歩く」と言うことが無意識の行為で行われていますが「登る」「下る」と意識をして歩いたり登ったりしたことがあまりありません。いいチャンスですから「夏山トレーニング」に参加しませんか。5月24日はやまたび倶楽部18番コース「芦屋川駅〜高座の滝〜中央稜〜第一鉄塔〜A懸垂岩〜B懸尾根〜ピラーロック〜高座の滝〜芦屋川駅」でトレーニングを行います。

ポチは夏山登山のリュックの重さ「12s」をリーダーから課題を与えられました。ペットポトルに水を入れ、きっちり12sにしてスタートします。体力が続かない場合はペツトボトルの水を捨てて軽量化すれば良いことですので頑張ってもらいたいと思っています。番犬が飼い主について行けないと言うことは飼い主がアルプスを目指せないことになります。「そんなかわいそうな、冷たい嫁や」と言わないで下さい。山に入れば夫婦ではなく「山仲間」で他人なんですからね。

昔の私は、こよなく小さなリュックが好きで、入りきらない荷物はジョンとポチに振り分けて持ってもらいながらウオークをしていました。誰かが体調不良になったら、その人の荷物を背負う係と称していましたがアルプスを目指すにはリュックはせめて20g10sを背負えねば連れていけないと言われ、それから簡単な里山歩きにも大きなリュックを背負い練習を積み重ねました。いままでのミニリュックから、いきなり大きなリュックになったので最初はつらかったです。そして目指す山を「北鎌尾根」と決めたとき12sの荷物が平気で背負える様になりました。全く平気かと言われれば、軽いにこしたことはありません。しかし山の途中でのアクシデントを考えたとき、命を守る重量として、いまでは納得をして背負っています。ちなみにクライミングの時は13.5s、ちびこい私にとってこれが限界です。必要最小限の荷造りの方法も勉強したいと思っています。しかし雨の日の登山に着替えの持ち合わせのないポチには参った〜参った〜(夫婦であっても旅立ちの荷物は自分でする事。妻の責任ではな〜いぞ!)万一遭難した場合の待機にはツエルトに2人は入れません。



[1845] 【1845回 病院の中もインフルエンザ騒動】 2009-05-20 (Wed)

今日はジョンの診察日のために都島の病院へ出かけました。地下鉄の中はマスク姿の人ばかりです。病院の入り口には異様なテントが張られていました。テントには(発熱ふりわけ外来受付)の看板が吊ってあり、入り口には高熱を感知する器具が置いてあり、看護師によるアルコール消毒を受けて診察の手続きに行きます。病院通路からレストランに向かうドアはインフルエンザのために閉鎖したことの張り紙がしてありました。

患者さんの人数も少ない様に思います。「病院で感染さされたらえらいこっちゃ」と思っているのかも知りません。診察室の前でいつもなら1時間以上も待つのですが、今日は5分ほどで「ジョンさ〜ん」と順番が回ってきました。「おはようございます。今日はすいてますねぇ」と言うと昨日あたりから患者数が激変しているのだそうです。物々しい玄関の様子を話すと「入院患者を守るための処置です」と先生がおっしゃいました。なるほど。診察を終え、薬局に行くと「マスク売り切れ」の張り紙がしてありました。

町から子供達が消えました。休校により、働いているお母さん達は大変だと思います。実家の親に来てもらったりベビーシッターを依頼したりご主人と交代で会社を休んだりして切り抜いているようです。早く鎮静すればいいですね。

  「こわがらず、されどあにどらず」ですね。


[1844] 【1844回 岩登り講座 蓬莱峡】 2009-05-20 (Wed)

予定表では21日木曜日のクライミング講座は雨の予報のため本日19日の火曜日に変更、実施しました。
集合場所はJR宝塚駅前「阪急バス・蓬莱峡経由有馬温泉行き」のバス停の前です。到着すると1台早いバス、8時30分発が出発寸前でエンジンの音を轟かせていました。
「ねぇこのバスに乗り、先にロープの準備をしたらロス時間がなくていいよねぇ」と話していたら、遙か彼方からマーちゃんがやってきました。マーちゃんに事情を説明し、後を託して1台早いバスに乗ることにしました。
「下車場所は座頭谷だからね」そう言い置いてバスに乗り込みました。

蓬莱峡の岩場に人影はなく小屏風と向かいの岩場の2ケ所に30mロープを張り終えた頃、わいわいと仲間達の声がしてきました。「きたきた!ロープ張りが間に合って良かったね」
クライミングが今日初めてというマーちゃんが心なしか緊張で顔がこわばっているみたいです。シュリンゲでハーネスの代用品を作り、まずは大屏風岩横の壁をプルージックでの上がり降りを数回してもらいました。
靖ちゃんには物足りないトレーニングだと思いましたが最初は全員、同じ動作を繰り返しました。まあウオーミングアップです。バスを1台遅らせてロクちゃんも参加です。病気あがりでありながら「参加しよう」という前向きの姿勢には脱帽です。

身体が慣れたところで靖ちゃんには小屏風に移動してもらい何度かクライミングを楽しんでもらいました。サポート係の私もjunkoちゃんも交代で小屏風を楽しみました。今日はとても効率よく回転でき初参加のマーちゃんも小屏風に挑戦することができました。「怖さ知らず」とはマーちゃんにピッタリの言葉で、ズルッと落ちても怖がる様子も見せず、どんどこ登っていきます。
「きくちゃんが小屏風岩に登ってロアダウンできたら昼飯や〜!」
リーダーがプレッシャーをかけたため、きくちゃんハッスルしちゃって見事、登り切りロアダウンを完了しました。

約束通り昼食時間です。時間にして11時40分。

午後からは懸垂下降、靖ちゃんにはビレイを重点的にしてしてもらい、他のメンバーも、個人個人に合った練習方法をとりました。とりわけ靖ちゃんのビレイは「合格」お見事でした。
マーちゃんも次回までにハーネスを買う気になり「やる気満々」です。
きくちゃんも安定したクライミングができるようになりました。
ロクちゃんは「今日は見学だけ」と言うのを姫が「ハーネスを付けたり、外したりするのも練習のうち」と無理矢理ATCやカラビナを付けさせて、「つけたら、せっかくだから登って見る?」と勧めると何と小屏風岩をりっぱに登り終えることができました。感が取り戻せたみたいで、お見事です!
リーダーが時折岩の上から
「よっしゃー今の手の使い方は非常に良い」
「ビレイの位置は動かないで、上で位置決めしてロアダウンの姿勢をつくるから」
下では面白いJONも何故だか静か。マーちゃんがバランスを崩したときも「最初はそんなもんや、すぐに上手になる」
そんな言葉しか発しません。後で聞くと
「そんなに言っても今すぐに出来るわけや無い」
JONの言葉とも思えませんが、まあ安全に楽しく出来れば良いと言うことでしょうか。

充分すぎるほどの練習を重ね、体力的にも限界に達したため14時59分のバスで帰ることにしました。
今日は前回に比べて受講生も少なく、とりわけ先発隊の朝のロープ張りが効果があった様です。

片づけをしてバス停でミーティングと記念撮影を済ませ蓬莱峡のトレーニングを楽しく、中身の濃い1日を終えることがきました。

受講生も勉強!
サポート係もこれもまた勉強!
勿論、師匠も勉強!です。
与えられたチャンスを有効に活用出来ること、これが上達するポイントだと思います。


[1843] 【1843回 洗濯日和】 2009-05-18 (Mon)

土曜日、日曜日と雨のウオークとなりました。月曜日の今日は、うってかわっての洗濯日和。洗いました〜!「定年退職したら家で何をしますか?」退職前に決まって聞かれていました。いつもこう応えていました。「今までのように、夜遅く洗濯したり、雨が降っていても洗濯したりの生活から卒業して、天気が良いから洗濯をすると言うごく当たり前の主婦業がしたいのです」まさに今日は念願の洗濯日和です。

登山靴の手入れをしながら3回洗濯機を回しました。昨夜、合羽、スパッツ、ゴアの手袋を風呂場に持ち込みました。残り湯で雨具を洗いました。水切りをしてたので朝は1階の裏で陰干しをしました。乾けば防水スプレー処理をします。洗濯機が止まる度に3階に干しに上がり、また降りてと結構、良い運動です。

函館に里帰りしていた零ちっちが帰ってきたので、預かっていたプランター5個(トマト、キューリ、ナスビ、イチゴ、アスパラ、ほうれん草、ピーマンが植わっています)が大きくなりすぎて3回往復しました。自宅の近くに大きな新しいコインランドリーが出来たので零ちっちの家の毛布を預かり洗濯をしました。コインランドリーで待つ事30分、その間は車の中の掃除をして待つことにしました。

帰りにスーパーに立ち寄り、戻ったら正午を過ぎていました。午後からは明日のクライミング(木曜日の予定が雨模様のため急遽明日に変になりました)の用意をして夕暮れ時を迎えました。

2日連続で雨の中を歩くと「雨の種類」が気になりました。演歌の世界でよく「そぼ降る雨」っ使われますが、どんな雨 なのでしょうか。調べて見ました。『 雨がしょぼしょぼと降る』のがそぼふる雨だそうです。

木々の青葉からしたたり落ちる水滴を時雨に見立てたことばに「青時雨」と言うのがあり、青葉若葉のころの時雨のような通り雨のことを言います。時雨は、本来は冬の季語ですが、青葉の「青」を頭につけ、夏の雨の意としています。「目に青葉」といわれる初夏は、青葉若葉がひときわ美しく際立つ季節。雨や霧や朝霧にぬれた木々の若葉の美しさが目に浮かぶことば。詠み人サスケ先生の世界でしょうねぇ。

(おまけ)
糖尿もどきベジタブルの配達を終えての帰り道、ジャスコの前で老人がバタッっと倒れました。足がもつれた感じでした。「大丈夫ですか」と顔を近づけるとプーンと酒臭い息をはいていました。「何や、昼間から酔っぱらいか」と思いましたが通行人は横目で見て通るだけで自転車にでも接触すれば自転車の人が気の毒だと思い「さぁ私の首に手を回して、自分で立ち上がるんやで。せ〜のぉ」やっとのことで起きあがりましたが立てません。何とか花壇の縁に腰をかけさせて家族に迎えに来てもらうように話しましたが首を横に振ります。「酔っぱらいすぎて怒られるんかな?」どうも当たりの様です。ジャスコに入り、事情を説明し紙コップに水をもらい「ほら、これで酔いをさまして」老人は「ありがと。ありがと」と私の手を握って離しません。買い物袋の中を覗くと巻きずしと総菜が入っていました。ひょっとしたら独居老人かも知れませんね。

自宅に帰ったものの気になって、またジャスコ前に出かけてみました。座っていた老人の姿は無く無事に家に着いたものと判断してホッと一息で〜す。


[1842] 【1842回 しっぽりと登る雨の堂満岳】 2009-05-18 (Mon)

「間違いなく全国的に雨」昨日に引き続き雨模様の山登りとなりました。琵琶湖湖西線の湖西レジャー号 大阪駅発7時45分発2両目の車内で集合です。比良駅下車時には雨がポツポツと降っている様子な のでプラットホームで雨具を装着し簡単なストレツチを済ませ堂満岳(標高1,057m)に登ります 。別名は近江八景の「比良の暮雪」にちなみ暮雪山とも言われています。比良山地の稜線が琵琶湖寄りに張り出したところにあり、山麓や琵琶湖の対岸からよく目立ち電車を降りてからも「あれや、あれや」と目的の山を指差すことができます。今日は雨で悪路のため往復とも同じ登山道を通ること となりました。 比良駅前のうどん屋のおばちゃんが客の勧誘のために私達に「帰りに寄ってね」と声 をかけてくれました。さてさてゴールして寄るかどうかは・・・・

湖西道路を横断し別荘地前を通過します。別荘地とは名ばかりで荒れ果てた別荘ばかりで羨ましい 気分にもならず、夜はさぞ寂しげだろうと思うばかりでした。しばらく行くと「ノタノホリ」と言う池に出合います。標高約450mの地点のノタノホリの池にはモリアオガエルが生息していることで有名 です。急斜面が続き足場も沢登りを想像させるような水の流れる谷を石を飛び交わしながら登っていきます 。雨は烈しくもなく、おだやかでもなく、同じ降水量で我々をまるで試すように、時折「比良八荒」という突風が吹いて、行く手を阻みます。この頃になると足並みも乱れてきて、すでに頂上を踏む人 、あと少しで頂上と言う人に分かれてしまいました。到着した者から昼食をとることにしました。雨 と風の中でおにぎりを頬張ります。頂上には大きなホンシャクナゲの木がありましたが、お世辞にも 「満開」とは言えませんでした。わずかに咲いたホンシャクナゲの花びらも雨で地面にたたきつけられていました。

琵琶湖に浮かぶボートさえも「比良八荒」が吹けば転覆するという突風を今日は体験できました。琵琶湖哀歌にもある様に「瀬田の唐橋漕ぎぬけて夕日の湖に出で行きし雄々しき姿今いずこ」そしてまた「比良の白雪溶けるとも風まだ寒き志賀の浦オールそろえてさらばぞとしぶきに消えし若人よ」と ボートの転覆で逝った若者への鎮魂歌が有名であります

今日もまた雨のために昼の歌が歌えませんでした「青い山脈」「琵琶湖周航の歌」だったんですが残念でした。

全員が頂上を踏み、昼食もそこそこに、寒さが増してきたので早々に下山することにしました。いつもの事ながら下山は足取りも早く、雨のため登山道には小さな小川がいくつも出来ており、まるで小川の中を歩いている様な悪路と化していましたので滑らぬように配慮をしながら下山することになり ました。足並みのバラツキはノタリホリで列詰め休憩をしてもらうことにしました。待っている間に池の中の小さなオオサンショウウオを見つけ、実ちゃんが手の平に乗せて見せてくれました。みんな 感動した後は、そっと池に返してあげました

湖西道路を渡り駅に向かう田圃の中には田植えの終わった苗が雨に打たれて力強く揺られていました。比良駅前まで帰ってくると、うどん屋のおばちゃんが「おかえり。待ってたよ。寄って行ってよ〜 」とお誘いを受けましたが、一刻も早く、濡れた合羽を脱ぎたくて、誘いを断ってプラツトホームに上がりました。(ごめんね、うどん屋のおばちゃん)


「堂満や 風吹き渡り 新緑の  緑の香り 吹き払いけり」    詠み人サスケ

(雨のトレーニング教訓)
●着替えはリュックに必ず携帯すること
●霞みがかかって視界が悪くなる場合があるので前の人の姿が見える範囲で歩くこと
●万が一、雨で山中に待機する場合があるので各自でツエルトは携帯すること



[1841] 【1841 やっぱり雨。京都トレイルB終わったよ。】 2009-05-17 (Sun)

「天気予報は雨.。雨なら中止にすれば良いのに何と参加者22名。まあ高山にて雨に遭うことはあります。
「今日は雨のトレーニングやぁ〜」そう自分に言い聞かせ雨具の用意をリュックの一番上に入れて用意万端OK。豆ご飯おにぎりを3個づつ作り、行動食はウエストポーチに入れました。雨対策バッチリです。
京阪本線:出町柳駅集合ということで、集合時間の9時前にはぞくぞくと参加者の皆様がやってこられました。オリオンさんの時刻表情報が徹底していたのでしょう。皆さん同じ列車から出て参りました。
午前9時を合図に叡山電鉄でロープウエイ乗り場に移動しました。全員座席に座ることができましたが、私は携帯電話がかかり車外で話しを済ませ、戻ってきたら座る場所がありません。「ここへおいで」とみんなお尻を少しづつ寄せてくれて無事、私も座ることができました。狭い空間をみんなが協力したら一人分の空間が出来たのには驚きました。ありがとうね。


比叡山ケーブル駅からのスタートで今日は「北山コース」の「1」から「24」の戸寺までを歩く予定です。曇り空ではありますが暑くもなく、雨も降らずで快適なスタートを切りました。もう何年も使っていないスキー場のリフトの側を通り、急な上り坂にさしかかりました。ゆっくり、確実な足運びをと気にかけながら進んでいくと「つつじ丘」と言う地名のところにさしかかりました。「なんや、たったこんだけかいなぁ?葛城山とえらい違いやなぁ」と言うや否や、山一面に赤、白、ピンクのつつじが満開となって私達を迎えてくれました。「みんなで写真撮ろう!」美しいつつじをバックに記念撮影です。

雲行きが怪しくなり、スタートして1時間が過ぎた頃ポツポツと雨が落ちてきました。トイレ休憩をかねて合羽の準備にとりかかりました。みなさん素早い行動で普段のトレーニングの成果が出ているようです。山の中で雨に遭遇した場合は、いかに早く合羽を身につけ、疲労から身を守れるかにかかってきます。全員合格ですね。水分補給も行動食も万事済ませました。横高山(標高767メートル)へは急な登りとなり一歩づつ木の根っこにつまづかないように気をつけて頂上を踏みます。「第一関門突破ですよ〜」先頭が叫びます。雨でもやっていて何となく美しい景色です。続いて水井山(標高794.1メートル)に到着しました。「第二関門突破〜」ここからは下りになりますが雨で濡れていて、おまけに木の根が道を阻みます。
「滑らないように気をつけてくださいね」後ろに伝達をしてもらいながら危険回避をして仰木峠(標高573メートル)まで降りてきました。この峠は滋賀県や京都にお嫁に行くときに通った峠であると説明看板がかかっていました。「みなさんもお嫁に行く時の気持ちになって」と言うと「お〜そ〜手遅れや」雨の中、立ったままで休憩を取り、あと30分ほど(本当は50分くらいでした)でゴールですよと案内して下りの道をゆっくり歩んでいきました。突然、保護色の蛙が飛び出してきて、山々に悲鳴が轟きました。蛙の出現に動転したのかトップを歩く姫が「三千院」方向にどんどこどんどこ進んでいきます。無理ありません。大きな道をそのまま進んで行きたくなる道だったんです。


間違いを指摘され軌道修正し、細くて、悪路の急な下り道を30分以上かけて降りていきました。ここも「第四関門」だったのかも知れません。車道と民家が見え始めて本日のゴール「戸寺」に到着です。雨の中。みなさんよく頑張りました。今日のコースは千日かいほうの、あじゃり様がお通りになるコースが含まれており、土深い、足にやさしいコースでした。バス停で合羽を脱ぎ、出町柳経由JR京都駅に向かうバスに揺られ、明日もまた雨の中の登山に備えるため足早に帰宅となりました。お昼の歌は雨のため中止。

この後、私は番犬を連れて、以前クライミングで訪れたことのある金毘羅山の麓まで歩き、季節限定「番外編」のイタドリを見つけて、ほくほく顔で家にたどりつきました。


[1840] 【1850回 雨のトレーニングになるかも】 2009-05-15 (Fri)

明日16日は「雨模様」かも知れないとの予想です。翌日の17日も同じ予報が報道されています。3000メートル級の登山中に雨や風に出合うことは覚悟をしなければなりません。午前中の快晴も午後3時を過ぎると暗い雲に覆われ雨に遭遇することは日常だとおもわなければなりません。「山の天気は変わりやすい」と言うことで山小屋には3時には到着するスケジュールを組んで出発するのです。

私は北鎌尾根でヒョウに降られました。その後、大粒の雨と雷に遭い九死に一生を得た経験をしました。いま太陽が出ていたのにと思うとパラパラパラとヒョウが降りました。水分を飲み干していましたので合羽でヒョウを掻き集め、のどの渇きを潤しました。あの時は、恵みの雨に変わったのです。

明日も明後日も「雨模様」ではありますが、丁度雨のトレーニングが出来るとプラスに考えれば、楽しく雨の準備をしていこうと思います。(葛城山頂の雨は冷たく震えたよね)まず、お弁当は食べやすいおにぎりにします。私達は、いつもお茶漬け弁当ですが雨のお茶漬けはちょっとね〜。立ったまんま食べられる工夫をしていきたいと思います。明日の昼食場所に「あづまや」はありません。最悪は歩きながら食べられる工夫を、例えばバナナやおにぎりや、パン。ミカンは皮を剥き一口サイズに。雨の比叡山も素敵ですよ。きっと。

朝、雨が降ってない場合はリュックの一番上に合羽やスパッツを入れ、すぐ雨の対応が出来る様にしましょう。いかに短時間で雨具の用意ができるかのトレーニングだと思えばいいですね。登山靴を履いたまま合羽のズボンを履くときは、スーパーのレジ袋を靴にかぶせて履けばいいと聞きました。忘れてはいけないので合羽の中にレジ袋を入れておきたいと思います。

ここで中断して階下へレジ袋を取りにいきました(笑!だって忘れるんだもんね)

では、雨に恐れることなくご参加頂けますようにお願いしますね。(と言いながら降らないにこしたことはないと思っています)テルテル坊主作ろう〜っと!


[1839] 【1849回 免許更新】 2009-05-14 (Thu)

北海道ではライラックの咲く頃の朝の冷えを「リラ冷え」と言うそうです。今朝はまさしく「リラ冷え」状態でした。そう言えば函館に里帰り中の零くんが土曜日に大阪着との連絡がありました。戻ったら函館と違い、夏日で驚くだろうなぁ。それよりも預かっているキューリとナスビとトマトに花が咲き実をつけました。早くしないと大きくなりすぎて運べなくなるよ〜

午後からは免許更新に出かけました。馴染みのおまわりさんが「ここへ来るっちゅうことは、違反がおますなぁ?」そうなんですバイクでスピード違反しちゃったんです。(違反の無い人は講習なし)1時間の講習を終え新しい免許証をもらいました。6月1日以降ならICチップ入りになるそうですが私の場合は本籍表示もあるとチップ入りではありません。変更されている箇所と言えば今まで「普通車」のところに丸印が入っていたりですが今回からは「中型車は中型車8tに限る」って書いてありました。

講習時「万一事故を起こした場合の連絡方法」のひとつとして事故現場の場所がわからない場合は交通標識の棒のところに水色の番号表示がしてあるそうです。その番号を言えばコンピューターで場所が判明でまるのだそうです。

帰り道に確かめたら、ありました、ありました。昔は電柱の番号を目印にと言ってましたが道路標識にも番号表示があるそうです。ためしに確認しておいて下さい。でも違反や事故はしない方がいいのですよ(ブロク参照)




[1838] 【1848回 岩登り講座 蓬莱峡】 2009-05-13 (Wed)

前夜の烈しい雨も明け方にはあがり、太陽の恵みを受けて濡れた岩場はきっと乾いているだろうと期待して集合場所のJR宝塚駅前「阪急バス・蓬莱峡経由有馬温泉行き」に乗り込みました。既に参加者の皆様の一部はバスの中に乗り込み笑顔で迎えてくれました。まずは燕岳参加のお礼を申し上げて9時20分発までバスの中で待つことになりました。今日は参加者数が多いため、サスケ先生も参加して下さいます。若先生に診察を任せて後は「ほうれんそう」つまり、「報告、連絡、相談」を受ければ万事よしとなり平日の参加もOKのご様子に今日はとても助かりました。ありがとうございました。

生瀬橋バス停留所で、もうひとりの参加者を乗せ「座頭谷」で下車します。平日なのでだれもいないだろうと思いきや、団体が1グループ、2人組がアイゼントレーニングを実施していました。私達の今日の予定は小屏風の登攀とロアーダウン、午後は大屏風40メートルの登攀と懸垂下降を繰り返し第2期生の講習終了となります(一部受講生の残あり。続けて講習しますからね)

大屏風ではプルージックで確保して登攀しました。ビレイヤーに確保してもらうトップロープ方式と違い、滑ればプルージックの長さ分とメインロープの伸び分だけ落下することになります。大屏風をプルージックとは!と思ったのですが、恐怖も勉強のうちだと思い、みんな真剣でした。60メートルのロープを2本垂らし、繰り返し練習に励みました。

1本のロープに最後の登攀者、もう1本にサスケ先生が「見守り隊」として登攀してもらいました。必死に努力している姿が下から伺えます。岩場を3分の1過ぎたあたりで「ガンバレコール」を送り、仲間達の黄色い声援も手伝って見事に攀りきることができました。声援の拍手が新緑の蓬莱峡に鳴り響きました。

大屏風には過日、転落死した人への花が手向けてあり、少し気持ちがブルーになりましたが、安全第一を合い言葉にみんな見事な登攀と懸垂下降でした。これでアルプスの岩場も自信を持って登山することができます。おめでとうございます。

小屏風岩で、少しの時間でしたが「ビレイ」の体験もして頂きました。これはお互いが信頼関係のもとに安全に登攀をする大切な行動です。いきなり上手なロープ操作など出来るはずがありません。回を重ねるごとに上手になっていきますのでシステムを確実に覚え、操作を確実にこなし、クライマーの依頼があったら喜んでビレイをしてください。

クライミング中、周りの人達のおしゃべりが、どれほど災いとなるか向かい側の壁で練習する団体の雑音で感じていただけたのではないでしょうか。

私がクライミングを始めた当初、ビレイヤーが周りの人と話をしていたのが登攀中の私の耳に入ってきました。私が落下するかも知れないのに、おしゃべりだなんてと思い「私のビレイを真剣にしてくれているのですか!?」と叫んだ事がありました。不安と恐怖で必死に登攀しています。足の置き場や手の位置など教えてあげたいのは山々ですがリーダーの指示がなければ黙って見守るのが安全なクライミングだと思います。

少しブランクがあると腕が鈍ります。時々クライミングのお誘いをしますので、ぜひご参加下さい。ロープの切れ端は居間の片隅に置き、毎日「エイトノットはローマ字のエル2回」と呪文の様に練習して下さい。ビレイも今日は基礎入門であったかと思います。回数を重ねていれば、マスターできます。だって1期生の私達も最初は「ビレイは出来ません!」と怖がっていたんですもの。それが回数を重ねているうちに、み〜んな出来る様になったんです。

今日も「打ち上げ」のビールで乾杯をしたかったのですが途中で1名(今回の卒業生)が帰宅したあとでしたので、またあらためて「卒業クライミング」楽しみにしてて下さいね。

★★60歳を過ぎて、こんな楽しいこと覚えて、しあわせ〜!★★


[1837] 【1847回 あかん!あかん!】 2009-05-12 (Tue)

「何があかん、あかんねん?」これは見出しでみんなを引き寄せる書き方です。たいした事はありません。みんなが「なんのこっちゃ?」と振り向いて下さればいいのです。昨日、燕岳の荷物(ロープとアイゼン)をリーダーの事務所に持参すべく福島区まで歩きました。歩くのは20qでも平気なんですが、脳のモードが「町歩き」のために30度を超える暑さに、さすがの私も参りました。自宅に戻り羽毛蒲団を陰干ししシーツを洗い、糊付けして夏布団と入れ替えました。私の定年後の暮らしで念願であった「天気がいいからフトンでも干そうか〜」が実現できたのです。

そして夜を迎えました。暑くて窓を開けたまま、その上、ヘソを出したままだったのでしょうか、朝「ハッ、ハッ、ハックッション、クッション」と鼻風邪を引いたみたいです。あかん、あかん、まだフトンの衣替えは早いですよ(ここでタイトルの意味が判明)と言ってピーンと痛いほどに糊付け仕上げをした蒲団を、また出して寝る手間を考えると「ハッ、ハッ、ハックッション、クッション」の方がまだいいかな(笑)今夜も寒ければツエルトでも出して寝ます。

明日の13日はロッククライミングの日。岩に登れば風邪なんて治るね、きっと。明日は第2期生の方達の「卒業クランミング」、途中でお休みした人も順次追いついてもらいますから安心して下さい。明日はサスケ講師も参加して頂きますので、それぞれに合ったトレーニングが出来ると思います。

蓬莱峡の大屏風岩は60bのロープを使用しての懸垂下降ができるので胸がワクワクします。あんなに苦労して時間をかけて登っても「アッ」と言う間に懸垂下降で降りてしまいます。過日、A懸垂岩をアイゼントレーニングした際に、リーダーからクライミングの事故が多発しているので懸垂下降時は必ず「バックアップ」を取ることと言われました。ハイ。そうします。何事も安全が第一ですからね。

夜に雨が降る予報ですが朝方には止む予定です。蓬莱峡は岩場の日当たりがいいので私達が到着時には岩場は乾燥していると思います。日焼け止めをしっかり「厚め」に塗り参加して下さい。


[1836] 【1846回 ゴールデンウイーク中の山岳事故】 2009-05-11 (Mon)

私達の「春山登山燕岳」は晴天と言う強い味方があったことで事故も無く全員無事に戻ることができました。初心者であってもベテランであっても「悪天候」は殺意さえ感じます。
春山登山者数は、北アルプス槍・穂高方面4400人、後立山方面2600人、中央アルプス700人、南アルプス700人、八ケ岳連峰1800人など計1万4000人。ゴールデンウイーク中の山の事故を書き出してみました。

●5月6日/後立山連峰・鹿島槍ケ岳 」
富山県境にある北アルプス後立山連峰・鹿島槍ケ岳(標高2889メートル)を登山中の大阪のグループから「リーダーの男性が(富山側に)滑落した」と長野県警大町署に届け出があった。富山県警黒部署によると、鹿島槍ケ岳頂上付近で滑落死

●5月4日/槍ヶ岳北鎌尾根
北アルプスに入山し、北鎌尾根を登山して上高地に下山する予定であった50歳代の女性と40歳代の男性の2人が、下山予定の7日を過ぎても戻らないと山岳会関係者から救助要請がありました。

●5月4日/ 中央アルプス 空木岳
中央アルプス空木岳小地獄尾根付近で男性が滑落。県警ヘリで収容しましたが、脳挫傷で死亡しているのが確認されました。

●5月4日/ 滑落:北アルプス五竜岳
富山、長野県境の北アルプス・五竜岳(標高2814メートル)山頂付近で登山中に滑落。富山県警がヘリで捜索、遺体を確認した。全身を強く打ったとみられる。「がれきの斜面を後ろ向きで下りている際、バランスを失って落ちたようだ」

●5月8日/赤石岳に登山の28歳男性戻らず…南アルプス
南アルプスへ登山に入った予定になっても下山しないと、椹島(さわらじま)(静岡市)の山小屋から静岡県警地域課に7日夕、通報があった。静岡中央署山岳遭難救助隊が8日、捜索を開始した。同署の調べでは、3〜6日の予定で南アルプス赤石岳(標高3120メートル)に入った。入山口近くの駐車場には車が止まったままになっていた。

●5月8日/岐阜県恵那山に登山の43歳男性
岐阜県中津川市の恵那山(2191メートル)で登山、5日早朝から行方不明となり、岐阜県警中津川署と長野県警で捜索している。中津川署によると、携帯電話で110番し「下山途中に道に迷った」と通報。5日午前5時半にも「体調はいいが携帯の電池が切れる」と110番通報したが、その後連絡が取れなくなった。水と携行食料を持っているが、寝袋などの装備はないという。

● 5月6日/尾瀬35歳男性、遺体で発見 
群馬県片品村戸倉の尾瀬国立公園で、ハイキングをしていた男性(35)が行方不明となっていた遭難事故で、県警沼田署は6日、男性を遺体で発見したと発表した。同署によると、発見現場は登山道から数百メートル離れ、付近には約1メートルの積雪があったといい、道に迷ったとみられる。遺体に目立った外傷はないという。

●5月4日/富士山で不明の慶大教授64歳、スキー板発見 捜索は中断。富士山で3日、スキー登山中に行方不明になった 。静岡県警は4日、7.5合目(標高約3000メートル)付近で教授のものとみられるスキー板1本とスキー帽を発見した。天候悪化で捜索は午後4時で終了。

● 5月3日/北アルプス遭難
岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂(かんさか)の北アルプス抜戸(ぬけど)岳(標高2812メートル)で昨年12月27日、登山者2人が雪崩に巻き込まれて行方不明になった遭難事故で、静岡山岳会会員が2日、同岳東側斜面(標高約1500メートル)で男性1人の遺体を発見した。

●5月1日/木曽前岳で滑落、大阪の男性死亡
1日午後2時15分ごろ、長野県の中央アルプス木曽前岳西側の沢筋(標高2400メートル付近)で、県警ヘリが、倒れている人を発見、病院に運んだが既に死亡していた。
県警によると、4月29日から1泊2日の予定で木曽駒ケ岳(標高2956メートル)の登山に向かった。木曽前岳の山頂付近から約400メートル滑落したとみられる。天候は良かったが山頂には積雪があったという。

●5月1日/ 65歳男女死亡 
北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889メートル)で男女2人が遭難、女性が死亡した事故で、長野県警は4月30日、雪庇(せっぴ)の割れ目で見つかっていた男性を県警ヘリコプターなどで収容した。男性は既に死亡していた。大町署によると凍死とみられ、同署は遭難の経緯を調べている。

●4月29日/北アルプスの府立大山岳部遭難山岳部3人死亡
府立大(左京区)山岳部の男女3人が北アルプス後立山連峰・鳴沢岳(標高2641メートル)で遭難した事故で、ベテランの遭難に違和感を示した。悪天候の予報はあったが登山を実行。


[1835] 【1845回 夏山トレーニング その@】 2009-05-10 (Sun)

夏日の今日10日、甲斐駒岳と仙丈岳に向けての夏山トレーニングg@がスタートしました。今日は「ブランクのある人、不安のある人」用にプログラムを組みました。受講生6人とリーダーの合計7人で芦屋川駅〜動物霊園〜宝泉水〜道畦北尾根〜荒地山手前で昼食を取り、そこから折り返し同じ道を引き返しました。今日のコースは、荒地山〜中央稜から高座の滝に戻るつもりでしたが、ことのほかトレーニング向きのコースで同じ道を折り返すことにしました。きっと荒地山〜中央稜〜高座の滝は大勢の人達で賑わい、歩くことがやっとで対向者の回避に時間がかかり実践勉強は出来なかったと思います。今日のコースは登山者も少なくトレーニングには、もってこいでした。トレーニングは

●ストックの使い方
●歩き方(ストライド歩法)
●休憩の取り方
●下りの小刻み歩行
●悪場の歩き方
●シュリンゲによる引き上げ方法

などの内容の濃いトレーニングでした。座学も勿論必要ですが、みなさん口々に「実践につながり受講して良かった」と喜んでもらえました。いつもストツクを無意識に使っていると思いますが、今日は間違ったストックの着地位置をマンツーマンで指導を受け「使用前」「使用後」の如く、下山時にはとてもスマートにストックをついておられたのが印象的でした。

最初は動物霊園のそばの川の流れを利用してストライド歩法のトレーニングをしました。最初は川にはまりそうでしたがバランスが取れると、みなさん上手にストライド歩法をマスターしていました。「さあ行くか」と登山準備をしているとき、ずいぶん早足で通過した中高年のおじさんがいました。30分ほど先のベンチで上半身裸になり肩で息をし休憩していました。私達は「うさぎとカメ」のカメ状態で、ゆっくりと登っていきましたが、誰ひとり息を切らす者もなく、中高年のおじさんは私達の先を歩くことはありませんでした。「ゆっくり、正確な足運びで歩く」と言うことが疲労を少なくし余裕で頂上をめざすことができると言うことを実践で学びました。

岩場、急な登り。ザレ場などの適材適所が来たらストップをしてリーダーが見本を見せて受講生が実践する動作を繰り返しました。今日のトレーニングはとても得をした気分でした。「みんなベテランなんだから今更、歩けのトレーニングなんて」と思わないで毎年実施してもらい楽しい山歩きが出来たらいいと思っています。

帰りは芦屋川駅近くの居酒屋でまだ第1回目にもかかわらず「打ち上げ」の乾杯をしました。生ビールの美味しかったこと!とりわけ今日のトレーニングの成果を次ぎに繋げようと酔っぱらい同士ではありましたが固く誓い合いました(笑)


[1834] 【1844回 西宮名塩坂道ウオーク】 2009-05-09 (Sat)

「ばあちゃん遊びに行っていいですか〜?」ももちゃんからの電話です。ママが美容院に行くのに婆ちゃんの家で遊ぶか、ももちゃんちで遊んで待つかどちらでも良いとのことでした。息子が引っ越しをしてから車以外で行った事が無く、今日は電車で行こうと言うことになりました。お迎えはいらない、歩いて時間を計りたいからと嫁の申し出を断りました。

西宮名塩駅を降りバスターミナルをぐるりと周り「尼子谷」交差点から緩やかな坂道が延々と続きます。外気温29.0度くらいあったのではないでしょうか。30分かけてやっと、ももちゃんちに到着です。○○台とつけば高い丘の上にあると相場は決まっていますが車だと何と言うこともない坂道ですが、暑さも手伝ってかなりつらいです。「今日は歩こう」と脳に指令を出さずに「今日は孫達のところへ」と脳の指令が出されたのかも知れません。

ママが美容室から戻って夕食を一緒にどうぞと言うことになりました。明日は母の日です。明日の都合を聞かれたのですがトレーニングがあるので断ると、それでは今日と言うことになったのです。母の日のカーネーションと真心のこもった夕食をご馳走になりました。子供達も外でままごとや、おにごっこ、フラフープ、縄跳びと盛りだくさんに遊び疲れて、食事が終わると、お目目は上と下が、もうくっつきかけていましたので、車で送るというのを断り、帰りも歩いて帰ることにしました。帰りは15分で駅に到着することができました。膝を曲げて外灯とポチの自家発電を頼りに何とか無事駅に到着しました。

燕岳でもそうでしたが登りの苦労を考えると下りは膝の負担もなく登りの所要時間の半分で下山できます。しかし危険性については下山の方が非常に大きいです。慎重に慎重に下山しましょう。たかが町中の歩きですが、いつも足の訴えを察知して大事にならないようにしたいものです。

復習のため夏山トレーニング@が楽しみです。


[1833] 【1843回 さぁ!次は夏山に向けて!】 2009-05-08 (Fri)

春山が終わったばかりだと言うのに、すでに夏山登山に向けて準備を始めました。貸し切りバスOK、第1日目の宿「長衛荘」OK、第2日目の宿「大平荘」OK、第3日目の「みらい塾」も勿論OK、養命酒工場見学の予約完了、おっと〜村営バスの確認がまだだと言う事に気が付き伊那村営バス会社に電話をしました。28人乗りバスで最終発車が午後2時10分だそうです。

高速道路の現在の異常な状態を説明し、何とか時間が過ぎた場合の対処をして頂くようにねばりました。南アルプスの麓にも休日の高速道路の渋滞は周知されているようで「お察し致します。では臨時便を出しましょう」と約束をしてもらいました。ついでに帰りの日程も伝えて遅れない様に下山はしますが臨時便のご配慮をと言うことで了承をしてもらいました。担当者の名前も聞いたし、万一、聞いてないと言われたときのために手帳にメモりました。うれしくなってリーダーにすぐ報告しました。これで全ての予約の必要な手配は全て終わりました。あとは皆様のご参加を待つだけとなりました。出発日は平日!渋滞とは無関係〜ラッキーだと思いませんか!

夏山のトレーニングは全コース無理でも6回実施しますので何度かご参加下さい。トレーニングと言うことでスタート前や昼の時間を利用してテーマに沿った「座学」を実施します。

ゴールデンウイークで多くの登山者が転落死をしています。総勢で11名の死亡事故発生です。昨晩なんか姉が電話を掛けてきて「みっちゃん生きてたんか〜?」だって。山の事故のニュースを見て電話をかけてきたらしいです。「私らは訓練に訓練を重ねて行ってるから大丈夫!」プツリと私の方から電話を切ってやりました。

とは言ったものの夏山のトレーニングは慎重にし、楽しい山行にしなければと改めて思いました。南アルプスは、長野県、山梨県、静岡県の3県にまたがり3000m峰13座を有する広大な山脈である日本最高所の峠といわれる三伏峠を境に、北部と南部にわけられています。北部には甲斐駒、仙丈、北岳、間ノ岳、塩見岳、南部には荒川、赤石、聖、上河内、光岳などの峰々が連なっていて、山腹を豊かな原生林に覆われた山容の山が多いそうです。お花畑の満開のようですね。白山のお花畑の感動が蘇ってきます。楽しみですね。


[1832] 【1842回 日焼け対策】 2009-05-07 (Thu)

春山登山「燕岳」のレポートが写真と合体できましたのでアップしました。表紙の「山登り」をクリックして頂き、「春山登山燕岳」にピカピカマークが点滅していますので参加されて方は勿論楽しかった思い出として、またお留守番の方は私達の足取りをご覧頂けたら幸せに感じております。
【前編】&【後編】&【感想文】と分けています。

春が過ぎると「やってきました!」紫外線対策のシーズンが。今回の参加者10名については出発前に「日焼け止めをちゃんと塗ってから登山して下さいね。塗らずに行った人は火傷状態で真っ赤な顔で下山していますから」駐車場となる国民宿舎の番人のアドバイスがあったため入念に防止対策をしてから登りました。2日目もみんなしっかりと塗っていたため日焼けで悩む事はありませんでした(ジョンは銀行強盗スタイル)それぞれの悩みに合ったスタイルで日焼けを逃れることが出来ました。アドベンチャーさんが日焼けで悩んでおられたのでこれからの対策も含めて・・・・・

●日焼け止めクリームの適正量は「厚塗り」と覚えて下さい
日焼け止めクリームの効果の強さを示すSPF値。その表示どおりに紫外線保護効果を発揮させるには、1センチ四方当たり手指2本分ほどのクリームをたっぷりと塗らなければなりません。盛夏に向け、日焼けによる熱傷(やけど)を防ぐためには、クリーム厚塗りで白っぽくなるのも仕方ないように思います。購入時、表示をよく見ると「白くならない」と書いてあるのもあります。去年の残りは効果が薄れていますので去年の分は手や首などの体に塗り今年の分は新しい物を使って下さい。塗り忘れた時は誰が持っているはずです「誰か日焼け止め貸して〜」と声をかけて下さい。

日焼け止めのポイントは塗る場所と量の二つ。実際には厚塗りは嫌がられ、半分量しか塗らない場合があると思います。最初に半分量を塗ったなら、その後30分以内に同量をもう一度塗るようにして下さい。日焼け止め効果は2時間が限度と言われています。途中で塗るのは困難としても、お弁当を食べたら日焼け止めを塗りなおすことも必要だと思います。

日焼け止め対策をしないで紫外線に当たり続けると「皮膚癌」を引き起こしたりシミの原因になります。これは女性だけの問題ではなく、男性もお手入れをお願いします。ジョンさんのように暑くなければ「目刺し防」を利用する方法もいいと思います。

そして、そして、そしてです。家に戻ると必ず日焼けのお手入れをしてください。日焼けは軽い火傷ですから手当が必要です。化粧水、乳液、パックなど簡単なのはキューリを薄く切って顔にパックするのもいいのではないでしょうか(その後キューリは酢の物に使わないでくださいね)


[1831] 【1841回 燕岳登山を終えて】 2009-05-06 (Wed)

5日のこどもの日は、ほとんど終日、燕岳のレポート作成に費やしました。人間の記憶は時間が経つ毎に消えていくので早くまとめて作成するのがミソです。写真と合体の上、近日中にアップします。乞うご期待下さいね。

燕岳の下山時、もうすぐ登山口に到着と言う第1ベンチ付近で登山者とすれ違いました。もうヘロヘロ状態で疲れ切っています。「えっ?ここで、もうヘロヘロ?今日中に頂上に到着するのかしら?」と心配せずにはいられない人が何人かいました。登山口から、わずか40分登ったあたりですので山小屋を間近にしてヘロヘロとはちょっと事情が違います。

●最初から、よほど早足でウオークの速度で登ってきた。
●体力にそぐわない登山
●荷物の不適切な過重

そんな原因が考えられます。その登山者は、スタートから、わずか40分の第1ベンチで息を切らして汗を流していました。燕山荘のオーナーの話しの中に「汗をかかないで登山をする事」とありました。汗をかかないでおこうと思うと、充分な水分補給、衣類の適正さ、速度、があると思います。合戦小屋で飲み物を販売していた若者達が、ヘロヘロ登山者を見て「その状態で頂上は無理です。下山して下さい」と言える権限があれば危険回避ができますが山岳救助隊からの委託がなければそれもむずかしい様です。

私達が頂上にまもなく到達しようとした時、ソロのお爺さんがそれこそ酔っぱらい状態(身体に障害があるのであればごめんなさい。ならばソロはダメよ)で下山していました。無事に下山できたのでしょうか心配です。

尾瀬の歩荷さんを想像するほどの大きなリュックを背負い歯を食いしばる思いで登って行く人もいました。こんな人に交差する時の挨拶は私はしないでおきます。まして10人の団体が口々に「コンニチハ!」と声を掛けると10回「コンニチハ」を連呼しなければなりません。相手が気持良く挨拶をしてくれた場合は別ですが団体ならば代表で挨拶をすればいいと思っています。私はトツプを歩く時、道を譲ってくれた人には「10人通していただきますね」と人数を明確にするようにしています。ましてや「おっ!イケメンの兄ちゃんや〜」などの品の無い冷やかし言葉はやめましょう。

合戦小屋で休憩中に「おいヘルメットをかぶっている奴がいるぞ」と笑った人達がいたそうてす。直接私の耳に入っていれば絶対に抗議しています。ヘルメットをかぶっている事で誰に迷惑をかけたのでしょうか。リーダーは言います。「ヘルメットをかぶっていれば落石時に自分が助かるのは勿論だが、石を落として人も加害者にならずに済む」全くその通りです。(私もヘルメット派ですが下山時は日焼けが気になりかぶらずにいました。ゴメンナサイ。ヘルメットに長いツバはないかしらね)

必要以上のおしゃべりは体力を消耗します。しゃべっている人だけの問題ではなく相づちを打つ人にも、会話が耳に入って来る人にも、迷惑がかかることを充分認識しましょう。但し美しい景色を見て感歎の会話や体調不良の会話は大いに歓迎します。

暑くなってきました。これからの登山はこまめな水分補給が必要です。ペットボトルはリュックに入れずにすぐ飲める状態を工夫しましょう。百円均一でペットボトルの「ストロー式飲み口」を売っています。チビチビと水分の補給をし、休憩時にゴクゴクと飲みましょう。「はじめチョロチョロ、中パツパ」ではありませんが「いつもチョロチョロ、中ゴックン」で暑さに負けないウオークをしましょうね。


[1830] 【1840回 リーダーからのお褒めの言葉】 2009-05-05 (Tue)

「しごきの成果でてたよ」これは、みんなの広場に書き込まれていたリーダーからのメッセージです。( No.1167)

『日々訓練を続けていたローリングステップ。ほぼ完成に近づいていました。もう4年ほど前になるでしょうか、初心者のための山登り講座で、ショートステップとローリングステップの大切さを皆さんにお話ししました。ショートステップそれなりにやっておられる方もあるようですが、ローリングステップは受け入れてもらえませんでした。

それを姫が一昨年の槍ヶ岳登山のトレーニング『葛城山登山』の時から取り組みはじめたように記憶しています。あれから約二年、最初は滑稽な歩き方でしたが、日々良くなってきました。昨年、北鎌槍穂縦走のとき合戦尾根でまあまあ歩けているように感じました。今年に入って京トレで威力を発揮しだしたと思います。

特に今回は雪山でもありどう歩くのか興味がありましたが最高のステップを刻んでいたのではないでしょうか。たぶんあの日燕岳に登っていた数百人の登山者の中でローリングステップを刻んでいた人は一人もいなかったはずです、批判する登山者も多いでしょうが、自信をもって更に磨きをかけてください。』

滅多に褒めることのないリーダーですが、今回は「よくやった」と声をかけてもらいました。ポチがへばっていましたので胃痛がするほどに精神的な負担がのしかかっていましたがこれでスキッとした気分です。人のパワーをもらえるわけではありません。自分の体力を頂上までに分散し難なくゴールをし、睡眠を取り体力回復後に下山する。これが楽しかったと言える山行だと思います。

楽々に登れるならこんな感動はありません。つらくて一歩が鉄の重りのついた足の様に進みづらい中、ゴールするからこそ、あの感動が得られるのだと思います。


[1829] 【1839回 ただいま〜】 2009-05-04 (Mon)

ただいま〜!

燕岳から全員無事戻って参りました。
天候に恵まれたのがまず第一!参加者のチームワークが良かったことが第二!楽しい山行でありました。大成功でした。「高速代どこまで行っても1000円」の大きな渋滞に巻き込まれることなく、4日の夕暮れ時には大阪着!詳しくは「春の山燕岳」のレポートを近々完成させますのでご覧下さい。

●5月2日の新聞では68歳の寝屋川市の男性が木曽駒岳(2956b)で滑落死
●5月4日の新聞では53歳の石川県の女性が五竜岳(2814b)で滑落死

と痛ましいニュースが載っていました。下界で「春山」と言えども、山頂では「冬山」決して油断せず一歩、一歩確実に下山するようにとの燕山荘のオーナーの話しが浮かんできました。下山時は尻スキーをしながらと浅はかな考えをしていた自分が恥ずかしくなりました。亡くなられた方達へのご冥福を祈りつつ、全員無事に戻れたことに感謝したいと思います。

★楽しかった様子は後日になりますが今日はちょこっとだけブログでご覧頂きましょう★


[1828] 【1838回 燕岳の荷物】 2009-04-30 (Thu)

11s。これは燕岳へのリュックの重量です。これに明日お湯を入れたポットを入れるので11sは越えてしまいます。隙間を利用してリュックが左右に傾かないように靴下などの小間物を詰めて近所を歩いてみました。大丈夫!歩けそうです。行動食は
●バナナ2本
●パン(ミニパン5個)
●魚肉ウインナ2本
●柿の種(小)1袋
●甘納豆(小)3袋
●甘栗(小)1袋
●コーンスープと卵スープ 格1袋
2日の朝はリュックに入れずにおにぎり2個と目刺しにします。これくらいあれば空腹に耐えることができると思います。「疲れた時は甘い物」と言う山の掟を守り、北鎌尾根では最後の豪華食事と決め込み、ザイルパートナーと行動食を全部出し合いました。何と二人とも甘い物ばかり残り何も手が出ませんでした。そこで学習したのが「柿の種」です。ほどよく塩加減もあり北鎌尾根の二の舞は避けれると思います。

燕岳の荷物ができたので正午からは、昨日摘んできた蕗の佃煮を煮始めました。最初強火であとはコトコトと教えてもらいましたのでレシピ通り炊くことにしました。あんなにあった蕗が煮詰めて行くと半分、いいえ3分1に目減りしてしまいました。高速代とガソリン代と人件費を使ってでも摘む価値は充分あります。これは私のロマンです。青春です。郷愁です。おいしく炊けますように!

「谷の瀬に 座して蕗摘む 故郷の
   
     母の背中を 思ひ出しつつ」

5月1日〜5月4日まで春山登山に行ってきます。京大生の遭難事故があったばかりなので「気を付けて」と言う声も大きく感じます。全員が力をあわせて事故の無いように行ってきます。何せ11sの荷物を背負っています。多分、先頭を歩くことになると思いますが「遅いぞ〜はよ〜歩け〜」って言わないで下さいね。

ゆっくり、ゆっくり、へばらずに、目指すはスイスの景色の燕岳 ついたらビールを飲まずに頂上へ、三度目の正直だもん三角点を踏んでから生ビールで乾杯ね!(ケーキとコーピは抜群の味。でもいちごミルクはまずいよ〜)

★5/1〜5/4までブログお休みいただきます。


[1827] 【1837回 蕗採り&イタドリ】 2009-04-29 (Wed)

春に別れを告げるべく今日はドライブと洒落込みました。ドライブと言ってもちゃ〜んとした目的を持ったドライブです。三重県に近い奈良県御杖村に my mountain(自転車ちゃうで〜ご自分の山)を持つお友達のお誘いで、その山に生える蕗採りにでかけることになりました。お弁当と長靴、お百姓帽子(ブログ参考)とてもお似合いなファッションです。(笑)

こんな田舎にっ!と思うほど立派な小学校の裏から山へ登ります。檜の幹を鹿がかじるとのことで鹿避けの網をくぐり20分も歩くと水辺に蕗の葉が太陽にあたり美しく輝いていました。少しこぶりではありますが佃煮にするには丁度の大きさです。蕗の側にしゃがみこみ採っては葉をちぎり袋に入れていきます。「慣れた手つきじゃのぉ」と声がかかりましたが無意識のうちに子供の頃の蕗摘みを身体が覚えていたのです。

子供の頃、蕗の時期になると母親と蕗摘みにでかけました。水の流れる場所に群生し、だれのものでもなく自然の恵みとして自由に採取できるのです。沢山採ってきて、釜戸でゆがきます。湯がき終えると皮を剥き、適当な束(計りなど無いので目分量)を作り、中村の市場に持っていくのです。一束いくらだったか記憶にありませんが、その売り上げ金の中からソロバンの月謝代をもらいました。学校へ行くと蕗のアクで手は真っ黒になってなかなか洗っても落ちず、少女の心を痛めたものです。

蕗もイタドリも母との思い出が詰まっており、他に母と過ごした思い出がないため、この時期は必要以上にはしゃいでしまいます。「季節限定イタドリ姫」なんて名乗り、今年も春を満喫しました。あとは何か行事があるたびにイタドリ料理(と言ってもワンパターン)をみんなに披露する楽しみを味わうのです。

蕗摘みが終わったあとは勿論ラストチャンスのイタドリを見つけるのです。「あっ」とか「ある〜」とか悲鳴をあげるとブレーキを踏み、時々車を停めて頂き、またまたゲットすることができました。豚ウイルスは恐ろしい伝染病ですが「イタドリ病」の伝染は、かわゆいものではないでしょうか。もう冷凍室が満室でもう満足、満足です。ご協力ありがとうございました。

御杖村で採った蕗は2s。蕗の掃除が終わり、一晩あく抜きをした後に佃煮を作ります。これはイタドリほど自信がなく、料理の師匠に手ほどきを受けながら炊きたいと思います。


[1826] 【1836回 登山の前に思うこと】 2009-04-28 (Tue)

燕岳登山を前にして「縁起でもない言わないんといて!」って言われそうですが準備万端整えて楽しい山行になるための「お守り」と思っていただければと思っています。昨日も大学生が遭難に遭うと言うニュースが入っていました。

「遭難」とは、読んで字の如く、「難」に「遭う」と言う事です。山に行ったまま帰ってこないのは、登山者に帰れない理由があるからです。死亡は最悪の状態ですが、低い山であっても、帰ることができない何らかの理由が発生し、救助隊の力を借りなければならない状況に陥った時、それが「遭難」です。

@死亡
転倒し頭蓋骨陥没、心筋梗塞などの病気、崖から滑落等々です。
A道迷い
濃霧などの自然条件と、本人のうっかりミスで道に迷います。道迷い後、日没になってしまったら帰ることはできません。暗闇の中、道がなければ行動することができないからです。(ツエルトがあれば命は助かります)
B負傷
足の骨折、強度の捻挫で歩けなくなった時です。

「うんうん、ありそうだ」と納得して頂けるはずです。遭難とひくとちにいっても、「本当にお気の毒だった」というものから、「準備不足にもほどがある!」と周りに叱られてしまうようなものまで、様々です。時々山の中で行き交う時にコンビニに行くのと変わらないような格好の人と出会います。相手は我々を見て「こんな低山でおっくうな格好をしてからに〜」と思われているかも知れません。「若いし、体力あるし、平気平気!」 では山の神の怒りに触れてしまいます。遭難は、自分だけで済む話ではないのです。

やまたび倶楽部は山行が決まったら、トレーニングを必要以上に組み込みます。ステッキの使い方、休憩の取り方、救急方法など多方面に勉強をして安全な登山を実施すべく参加者全員が努力をしています。トレーニングは、つらくても本番の感動を充分に味わって頂くためです。いかなる山行も自己責任に於いて行動していることを日頃から家族に伝えておくことも必要です。

梅田のスポーツ用品店「mon○○」の店で中年のおじさんがハーネスを購入のために店員のアドバイスを受けていました。聞き耳を立てると「知り合いのコレ(ハーネスを指して)を借りていたが大きくて抜けそうなので。あっコレ(カラビナを指して)も下さい」と言っていましたが大丈夫かいなぁと心配になる様な光景でした。良い指導者について怪我の無いようにクライミングをしてねと祈らずにはおられませんでした。


[1825] 【1835回 燕岳への荷造り】 2009-04-27 (Mon)

燕岳に行くための荷物の準備をすることにしました。まず思いついた必要な物を1ケ所にまとめて置くことから始めます。一番いいのは、やまたび倶楽部から発行されている「必需品リスト」を参考にするのが正しいやり方だと思います。それを赤ペンで準備した物から印をつけていきます。常備薬は慌てるとつい忘れてしまいます。頭に浮かんだものから1ケ所にまとめてリストを消していく方法もあります。
「参加します」と行った瞬間から旅はスタートしているのです。荷造りも楽しい旅のひとつです。リストでわからない物があれば遠慮なくリーダーに電話で聞いてみましょう。

●下山して宿泊する有明荘の着替えは車に置いていきますので別の手提げに用意します。スニーカーも忘れずにね。登山靴から開放されて帰りの車の中は楽ですよ。
●洗面用品と化粧品(日焼け止め程度の薄化粧用)
●ツエルト(まさかの時の待機用)
●手袋、オーバー手袋(濡れた時の替えは必需品)
●合羽とスパッツ(アイゼンをつけるとすぐスパッツがつけられるよう上の方に入れる)
●アイゼン、ピッケル(ピッケルの無い人はストック必需品)
●フリース(私はフリースは持たずダウンジャンバーで代用)
●靴下(手袋同様濡れた時の必需品)
●サングラス、ゴーグル(ゴーグルは吹雪けばの緊急用)
●帽子、目刺し帽(目刺し帽はタオルでも代用可)
●ヘッドランプ
●免許証(交代ドライバー時必要です)
●着替えの下着(山小屋に乾燥室があるためパンツのみ)
●救急用品
●スワミベルト、カラビナ、シュリンゲ、ヘルメット(あれば持参して下さい)

あとは行動食の用意です。勿論お茶も持ちます(500ミリml2本とポカリパック1パック)
下山したら有明荘の夕食が待っていますので栄養失調になる心配はいりません。ただ空腹で歩けないことのないように簡単なパンや魚肉ウインナ、やカロリーメイトなどを準備します。2日の朝は出発の時におにぎりを用意しても腐る心配はありません。出発の日にお湯をポットに入れて行きますのでコーンスープ等準備すれば身体が温まっていいかも知れませんね。

荷物が重すぎて体力の消耗に拍車をかけない工夫が要ります。パンツだけは履き替えたいと思いますが(笑)1日間や2日間くらい着替えなくても大丈夫です。これはくろねこかあさんから伝授した秘訣です。いつもひょうひょうと登るくろねこかあさんの荷物の必需品は着替よりも「柑橘類」だそうです。私も見習って荷物の軽量化を工夫し、ひょうひょうと登れるようにしたいと思います。

さぁ!あとは天気になるのを祈るだけね!


[1824] 【1834回 カウントダウンもなく61歳!】 2009-04-27 (Mon)

4月26日は61歳の誕生日。去年の還暦のカウントダウンの様に、賑々しさも無く、静かに迎えました。60歳からの折り返しと考え自分の中では「59歳」になったつもりです。

朝から台風の様な強くて寒い風が吹き荒れています。風に倒されては大変とナスビとトマトの苗木に添え木をし直し、正午にやってくるという、ももちゃん一家を迎える準備にとりかかりました。広島から戻ったパパも一緒にお誕生日を祝ってくれるのだそうです。零ちっち一家は函館の法事に参列のために里帰り中です。

「もうすぐ着くよ〜」携帯に、ももちゃんから電話がはいりました。宝塚あたりは渋滞が予想され地道を走ってきたそうです。高速千円効果はこんな所にも影響しているんですね。まもなく、ももちゃんとかず君、パパ、ママが到着です。「おめでとう!」名塩の自宅の庭に咲いていたと言うチューリップを花束にして好日山荘の袋を贈呈されました。「好日山荘大好き!」ママの見立てのかわいいピンクのシャツが入っていました。

前日に風船アドバルーンのプレゼントを頂きそれを見た子供達は食事もしないでキャーキャーワァワァ大喜びです。触ってみたり天井に飛ばしてみたりで大喜びでした。子供達が遊びに夢中の間に大人はゆっくりと食事を済ませました。食後はケーキカットです。大きなローソクが6本と小さなローソクが1本・・・まさに61歳で〜す(59歳ちゃうんかいなぁ)

「そろそろ帰るよ」と帰り支度が始まった頃、ももちゃんが「まだ帰りたくな〜い」とベソをかきました。婆ちゃんにとってはうれしい現象です。ではとパパ達は近くのコーナンに行き、ももちゃんとかくれんぼや探検ごっこ、パソコンから流れる童謡を熱唱してくれたりして買い物中のパパ達の帰りを待ちました。

みんなを見送り、片づけも終わり、遅目の昼寝をしてしまいました。クライミングよりも疲れて居るかも知れませんがアッと言う間の時間でした。楽しい時間は何でこうにも早く時を刻むのでしょうか・・・・

今日からは61歳の第一歩を歩んで行きます。


[1823] 【1833回 雨の中を走る四万十号】 2009-04-25 (Sat)

くろねこさんからイタドリ情報をメールで頂きました。26日の日曜日は息子達が集合のため土曜日の今日「雨が上がれば」と言うハッキリしないお返事をして、くろねこさんを困らせたことと思います。出かけるに出かけられないだろうなぁと思いつつ外を見ると小雨に変わっていました。「2時に此花を出ますっ!」雨上がりにイタドリ採りの場合は長靴は高知県人の常識(キャハハ)ブログを見て下さい。いつも登山靴姿ですが長靴姿もなかなかでしょ。

川西・猪名川178号線を走り「サンマルクけやき坂」を目印にカーナビに託して目的地に到着しました。くろねこさんは颯爽とバイクに乗りやってこられました。ここで四万十号に乗り込んで頂き、目的地へ。何と昨日下見をして下さり私のために採らずに残して下さったそうです。たかがイタドリ、されどイタドリです。イタドリは私達に友情を深める役割をもしてくれました。

あとわずかの季節限定をこんなにも楽しんでいいのでしょうか?もう冷凍室も一杯になりつつあります。やまたび倶楽部の栗焼酎パーティの酒の肴に決定〜!氷上の息子達にも、大阪の娘達にも、私の姪にも、里香ちゃんにも・・・・あ〜あみんなの食べた時の感想を聞くのが今から楽しみです。

くろねこさんが近くをウオークをしている途中、イタドリを採るハイカーと出会い「出身地は高知ですね」と声をかけると何故わかったのかと不思議がったと言う話しを聞きました。ハハハ高知出身の人はイタドリを見て採らずに帰る事は決してないと言うことです。


ながながとイタドリ談義におつき合い頂きありがとうございました。ひょっとしたら29日に最後の出会いがあるかもしれません。採るど〜。剥くど〜。


[1822] 【1832回 栗焼酎は甲斐駒仙丈岳で】 2009-04-24 (Fri)

夏山のご案内が出来るようになりました。まず山小屋の電話受付開始を待って「イの一番」に申し込みました。申し込んだのですが早くも「満室」の愛想の無い回答、それから延々と20分以上交渉し続けました。「予約開始前から予約を受け付けているのではありませんか?」「食堂でも廊下でも、どこでもいいですから25名泊めて下さい」あまりのしつこさに、とうとう「予約受付OK」となりました。きっと根負けして旅行社用の枠を譲ってくれたのだと思います。

去年、私とポチが泊まった感動の「みらい塾」は、ひょっとしてテレビなどでご覧になったかと思いますが観光バスでバラ園の見学や白壁の民宿と言うことで脚光を浴び、なかなか予約が取れないところです。その人気のみらい塾の「山ぼうし」と「夢ゆり草」 ともに予約受付OK」これで栗焼酎を飲む場所が決まりました。ご参加の皆様と山の話しを肴に栗焼酎を飲みたいと企画致しました。ぜひ一緒に飲みましょう!!「みらい塾」は蔵を借り切りますので飲めや歌えのどんちゃん騒ぎもできます。みらい塾のホームページアドレスです。私の説明より、ここを見て頂いた方がいいでしょ。

http://www1.inacatv.ne.jp/~ichinoha/shisetsu/index.html

栗焼酎は私の還暦の記念として故郷に帰った時に申し込みました。注文から受け取りまでに40010時間かかると言うことで去年の還暦の日には間に合いませんでした。無事に定年退職をさせて頂きましたので遅ればせの祝杯をして頂きます。

バスの予約、宿の確保ができた事で本日皆様にご案内のポスターを見て頂けることとなりました。南アルプスの女王と言われる「仙丈岳」と甲斐駒岳、どうぞ皆様、お友達をお誘い合わせの上、ご参加のほどよろしくお願い致します。

★★山小屋予約時に「25名、間違いなく行きます」と強気の発言をしてしまいました。★★


[1821] 【1831回 クライミング講習終了〜】 2009-04-23 (Thu)

クライミング講習のため阪急芦屋川で集合の靖子ちゃんと真知子さんを乗せ芦屋ロックガーデンの地獄谷からアイゼンを履き、A懸岩でまずクライミングのトレーニングをしました。電話で依頼のあった真知子さんのアイゼンを調整完了。
真知子さんは何十年か前に地獄谷に来たことがあるといいながら「山姥」の如く地獄谷を歩きます。へっちゃらの様子です。「私はクライミングはしません」と最初から言ってたので無理強いはいけないと思って「見学」と言うことにしました。しかし今日の地獄谷は薄寒くじっとしていたら震えてしまうほどでした。「どう、暖まるからやってみる?」と言うと寒さに耐えきれず「するっ!」とやる気満々。

靖子ちゃんの上達は目を丸くするほどで装備装着もほとんど一人で出来るようになっています。靖子ちゃんはA懸垂岩を3カ所全てクリアできました。真知子さんの亡き夫もクライマーで仲間を家に連れて来てはクライミングの話しばかりしていたそうです。「たのし〜いっ!はじめてダンナの気持ちが理解できたわ〜!」「じゃあ帰ったら仏様に「生きている間に理解できなくてごめんね」と謝っときな〜」「うん。そうするわ」何ともいい話しでしょ?

震えながら昼食を済ませ、凍らしたお茶は減らずでアイゼンをつけたままピラーロックで訓練を続けました。師匠の歩荷は17s、私は11sを背負っています。荷物に振られたら大変と一歩づつ慎重に進みます。日曜日の混雑から見ると今日は茶店も閉まっていると人にも会うことはありません。ただ講習らしき一組(2名)が先になり、後になり同じコースを通過していただけでした。

阪急芦屋川で靖子ちゃんと真知子さんと別れ、四万十号は帰り道の反対方向である六甲山頂へ向けて走りました。「えらい年とったアベックのドライブやなぁ。しかもイタドリ採りとは・・・」ブログの写真の通り満足の行く収穫がありました。まんぞ〜く!






[1820] 【1830回 沢の講習のご案内】 2009-04-22 (Wed)

5月23日(土)沢の講習を行います。女優の市毛良江さんが楽しそうに沢を登るビデオを見て頂き、夏の暑い時期は沢沿いのウオークと洒落込みます。還暦を過ぎて新しいことに挑戦するゾクゾクとするこのときめきをみんなと一緒に味わいたいと思います。去年、「沢に行こうか」と誘われた時、ポチは頑なに断りました。「ワシは泳げない、水に濡れるのはイヤだ。何もわざわざ濡れてまで歩かなくても・・」とそりゃあ猛反対をしました。

そんなわけで最初はポチはお留守番をしてもらいました。流れる水の音は涼しげで、水は外気温のけだるい暑さを消してくれ最初は「キャ冷たい〜」なんて言っていましたが暑さに耐えられないと自らが水の中にジャッポ〜ン!あ〜あポチも連れて来てあげたかったと思いながら沢登りの初体験を楽しみました。帰る途中で夕食がてらにうどん屋へ立ち寄り空腹を満たしました。そこへポチから携帯に電話があり、心配したのか「今どこ?ワシの飯は?」「いま私達は沢登りを満喫し豪華な飛騨牛を食べているところ。もう少し遅くなります。何か適当に食べてて」

この飛騨牛が効いたのか、留守番はかなわんと思ったのか2回目からはついて来るようになりました。「おもろいやんか、滝の中を泳ぐのかと思ったら水のそばを歩くだけやんか。夏は沢歩きに限る」と絶賛するように変わりました。その変わりように私達の方が驚いた次第です。

そんなわけで、とりあえず「沢の講習」を全員で受けて見ませんか?ビデオを見て頂いて、師匠の座学を受けるだけでも楽しいと思います。決して無茶なことはしません。何故ならみんな同じ年代だからね(笑)

まだ先の話しですが、京都トレイルの時にでもポチに沢の感想を聞いてみて下さいね。夏場のウオークでも汗をかくことを知りません。最初は登山靴で楽しく沢のそばを歩きます。


[1819] 【1829回 お父ちゃんの祥月命日】 2009-04-21 (Tue)

今日4月21日は私のお父ちゃんの祥月命日。仕事をしていた時は夜に姉の家に行ったりしていましたが今年はサンデー毎日のため姉の都合を聞き、午前中に鴻池新田に行くことにしました。午前8時15分鴻池新田の店はまだどこも開いていません。神式のため榊が欲しいのですがコンビニにあろうはずもありません。

姪の祥子の息子が近々修学旅行に行くとイタドリ採りに参加の折りに話していたので「お小遣い」を持参することにしました。参加できなかった姪の理恵の息子も同い年のため2人分用意しました(エエおばちゃんやろ?)多分留守だろうと思いつつもチャイムを鳴らしてみたら祥子が出勤前の壁塗り中の顔で出てきました。「わっおばけ〜」

2人分を預けて姉の家に急ぎます。榊は新しく替えてあり、お供え物もそこそこありホッとしました。来年ポチの退職後に四万十に帰り父と母の法事をしてはどうかと提案がありました。私に依存はありませんが、きちんと予算立てして親類に迷惑をかけないように配慮したいと思っています。

縁側に座った父が「美智子、今日は筍ごはんを・・・・」会話がとぎれたので「お父ちゃん筍がとうしたが?」と聞くと後ろ向けに倒れ息絶えていました。あっけない最期で涙も出ませんでした。食べたいと思っていた筍ごはんを毎年祥月命日にお供えして食い物の無念の無い様にと手を合わせました。

「美智子イタドリ採りにいけへん?信貴山にあるらしいよ」と姉がいいます。「もう今年も沢山採ったよ。今日、持って来たのでお父ちゃんに料理したって」談山神社で採ったイタドリを神棚に供えました。私達にだけ通じるお供えものです。(笑)


[1818] 【1828回 今日もイタドリ採り】 2009-04-20 (Mon)

ポチが出勤後の午前7時、どうもムズムズして仕方がありません。去年大量に採ったイタドリの場所が頭に浮かんで気になって仕方がありません。あのまま放置したら、ただの古木になってしまいます。海老江駅から電車に乗り某駅に降り立ちました。今日はひとりです。無かったら行ったことを内緒にしようと思っていました。土地音痴の私がハッキリと去年の場所を覚えておりました。集団で生えていたんです。ひとりでおおはしゃぎしてリュックに詰めました。すぐに一杯になりました(ブログに写真掲載)

電車を待つホームで地元の人に料理方法を聞かれましたがのらりくらりと「知らない」ことにしました。キャハハハ教えたら来年地元の人に持って行かれちゃうよ〜。私は自分が食べたいわけではありません。ただ懐かしいだけなのです。ポキッポキッと大はしゃぎで採る快感は何とも言えません。

姪からのメールです

★今日はイタドリ採り楽しかったわ〜。お父ちゃんとの思い出の中にはいつも、みっちゃんのおばちゃんとイタドリ採りをしている、うれしそうなお父ちゃんがいます。イタドリは私にとっても宝物。おばちゃんほどにうまく料理出来へんと思うけど頑張るわ。もう足パンパンやわ〜。普段いかに運動不足かってことやな   祥子

★ブログの写真見たで〜。いい笑顔や〜イタドリを見ると昔から少女の様な瞳になってるで〜ご馳走してくれるの待ってるわ   理恵

ねっ、ねっ、こんなにあっちもこっちもイタドリのご馳走待ってくれている息子や娘がいるんだもん、まだまだ採って冷凍室満杯にしなくっちぁね。

昨日うちの番犬達が「高速代とガソリン代使って労力を時間計算したらこのイタドリは高くつくなぁ」と夢の無い現実的な発言がありました。しばらくドックフードはおあずけですな。
(ニャンとかワンとか言うてみい〜!)


[1817] 【1827回 初めての登山の背中を押して】 2009-04-19 (Sun)

初めての登山をすると言う若者のトレーニングを引き受けて19日午前9時、阪急芦屋川駅に立ちました。午前6時半に氷上を出発したと言う若者を迎えて、いつもの駐車場に車を停めようとしましたが既に満車。Uターンをして少し下に停めました。ゾロゾロと登山者がひっきりなしに登ってきます。ゴールデンウイークに向けてアイゼントレーニングの団体が大勢、地獄谷に流れていきました。

「あっ〜」突然、氷上の若者が声を出しました。「弁当を買うのを忘れました」今日はトレーニングなのと、茶店が幸いに開いていたのでパンを買うことができましたが、命にかかわることを、しかと説明し、パン3個はあまりにかわいそうなので私のおにぎり1個とパン1個を交換しました。

地獄谷通過の混雑を避けるためホワイトフェイスで軽くウオーミングアップをするつもりでロープの準備をしていたら、後から2名アイゼントレーニングの人がロープを垂らします。熟練者の様に見受けられました。ラッシュが過ぎた様子なので氷上の青年にアイゼンを装着し、いよいよ地獄谷を歩くことにしました。初めてのアイゼン装着の様ですが若いと言うことは凄いことで初心者にもかかわらずアイゼンで地獄谷を平気で登ります。足幅が大きいこと、足の着地など細かな指導が師匠から飛びます。

A懸岩はトレーニングの中高年が鈴なりです。ザレ場もアイゼンを履いてトレーニングの中高年が鈴なり、今日はどの場所も銀座並の人ヒトひとで驚きました。下りはお昼を過ぎているにもかかわらず登ってくるファミリーで一方通行にしてほしい様な状態で突っ込んできます。人混みにギブアップ!

氷上の若者にはA懸岩の通路にリュックを置いた団体を指し、通路に荷物は置かない、交差する登山者を避ける時は山側にリュックも山側にを教え、下りは膝を少し曲げて下ることなどの初歩的なことではありますが大切な事を身を持って体験してもらいました。装備はとりあえず合羽の購入をすること、あとはポチの持っているアイゼン(8本爪)、スパッツなどを貸与しました。もし今回の山行で興味が沸いた時は少しづつ揃えていけばいいことをアドバイスしました。登山靴を購入しておりどこで買ったのかと聞くと「なんとか日和って店です」「エッ?何とかひより?それ好日山荘って店じゃないの?」持っていたメンバーズカードでその店が「好日山荘三木店」であることがわかりました(笑)

阪急芦屋川駅で若者と別れ、そのまま金剛山ロープウエイ乗り場まで車を走らせイタドリを採りに行きました。笑っちゃうでしょ。昨日あんなに採れたのにね。でも季節限定だから今しかないのです。もう4〜5日もすると手遅れになるのです。少しですが採取できました。車の中で皮剥きを済ませ夕食は回転寿司の「スシロー」へ。ここも地獄谷に負けないほどの順番待ちをするヒトでごったがえししていました。

「あの〜順番待ちの名前を書く用紙はどこですか」と店員に聞くと、今は機械を用い「人数とテーブルかカウンターか」のボタンを押せば番号札が出てくるので順番待ちの名前を書く必要はないのだそうです。恥かいちゃった〜!あまり回転寿司を利用することがなかったのでとても時代遅れの姫の様でダメージはきつかったです。

冷凍室のイタドリの袋に「金剛山」と印をして、めまぐるしかつた今日1日に感謝をしました。氷上の息子にも、本社の娘にも早く食べさしてあげたいよ〜。

今日は暑さの精もあって少々つかれました〜。


[1816] 【1826回 私の季節がやってきた〜】 2009-04-18 (Sat)

JR桜井駅9時過ぎ参加予定の皆様のお顔がズラリと並びました。うららちゃんは吉野から車で談山神社で合流です。ハルタ君と言う4歳のお友達とママも特別参加をして下さいました。もうすぐバスが来ると言う時間に携帯が鳴りました。「おばちゃんどこにいるの?」姪の祥子が近鉄の桜井駅にいるとの連絡です。「JRやJRや、早ようバスが来る」あわてて合流し無事バスに乗りました。今年で3回目、今年はイタドリに興味を失せたのか7名の参加(いえいえ人数ではありませんぞ)

談山神社でうららちゃん達と合流、バスを降りた途端に草餅を頬張ります。談山神社前の店先ではコンニャクの串差し田楽を私以外ほとんど全員がムシャムシャ(私はコンニャクアレルギー)しばらく歩くと去年ゲットした地点でまずというかやっぱりと言うか姫が1級品を2本ゲット。さすがイタドリ姫!

桜こそ散っていましたが萌葱色の山々と雨上がりの美味しい空気はピクニック気分満点、子供達とかけっこをしたりしながら「零も連れて来てあげたかったなぁ」と思ったりしました。談山神社から桜井に下る道すがら「あるわ、あるわ」の大騒ぎ。「あった〜」「アッタ〜」大はしゃぎしながら急な山の斜面を駆け上ります。「日頃のクライミングが役に立つわ〜」「そんなことをするためにクライミングを教えたのではありません」と師匠の声。

イタドリは前日に全てを採り終えたとしても、次の日はまた新たな芽を出して山菜取りを楽しむことができます。小さなイタドリは次の人のために残して帰るのがイタドリ採りのルールなのです。山の様なイタドリではありますが重さも疲れも空腹も感じることはありません。去年お弁当を広げた場所に今年もお弁当を広げました。大人11人、子供3人、赤ちゃん1人合計15人でワイワイガヤガヤ楽しい昼食タイムです。慧くんと光ちやんとハルタ君のお歌のショーもあり楽しかったです。採ったイタドリは、うららちゃんちの車に乗せてもらって午後からは身軽にハイキングモードで初夏の風を受けて下ります。「♪屋根よ〜り高いコイノボリ♪」思わず口ずさみました。

「キャ〜ヘビッ!」ヘビの方がびっくりして隠れてしまいました。よし枝ちゃんは3匹も見たそうです。「もうイタドリは沢山採れたので今からは採りません」とイタドリ姫が宣言をしましたが、そんなわけありません。「あった〜祥子ちゃんホラホラもっと右や〜そこそこ」うるさいったらありゃしない。

桜井の駅に到着して車に預けてたイタドリを各自がリュックにしまい込みました。かなりの量です。うれしい反面、皮剥きの事を考えると足取りが重くなりますが季節限定を味わえた事がうれしいです。故郷の匂いがして、母の姿が目に浮かんで来て感無量でした。長谷pon一家とお別れして自宅に帰り
「イタドリの皮剥きが終わるまで夕食はおあずけ作戦」が大成功しジョンは皮剥き手伝いを、ポチは塩を買いにジャスコへと走ってくれました。2時間あまりで皮剥き終了!あとはビールで乾杯!姪の祥子は足がパンパンに腫れたと電話がありました。(日頃いかに歩いてないかと言うことです)

あまりの大量に大鍋に入らず、大きなビニール袋の中にイタドリと塩を入れ、大きく振り回しました。食事の後に見ると、いいあんばいに塩が周り、半分以下の量になっていました。このまま明日まで置いて、翌日に水分を捨てて、後は食べやすい分量を小袋に分け冷凍室に入れて保存します。食べる時は塩抜きが必要ですので2〜3日前に塩抜きをして下さい。

以上イタドリウオークの報告でした。沢山採れたので今年はこれで大満足と申し上げましたが塩が効き、量が半分に減ったことで再度、どこかへ採りに行こうと密かにたくらんでいます。金剛山のロープウエイ乗り場周辺にもあったなぁ・・六甲山頂にもあったけどあそこのイタドリは赤味が多くまずそうだったなぁ・・へへへもう一度、どこかへ・・・私はサンデー毎日の身、カーナビも付いてるしね。


[1815] 【1825回 7人のイタドリウオーク】 2009-04-17 (Fri)

明日18日(土曜日)のイタドリウオークの登録は、たったの7人だけの様子で、ちと寂しいかなって感じです。イタドリごときで電車代とバス代使ってまで無理は言えないですね。懐かしいと思うのは私が幼少時代に春の風物詩として育ったからでしょうね。明日集合場所にいつもの仲間の皆様が7人以上いてくれればうれしいのですが・・・

明日のおやつを買いに午前10時前に四貫島のサスケクリニックの下を歩いていたら、後ろからご出勤のサスケ先生に出会いました。「早くからどこ行くの?」「買い物に」と言えばいいものを「駄菓子買いに」と返答してしまいましたが、先生理解してもらえましたでしょうか?まっ明日になると「ははあんあの時の買い物はこれか〜」ってわかってもらえるでしょ。きっと。

午後からは近所の人が関電病院に入院とのことなので出入橋の「きんつば」を買い見舞いに行きました。この頃見舞い用の生花は禁止されています。花粉症患者対策の様です。部屋番号を聞くと「たった今退院されました」とのことでした。仕方がないので自宅へ行くと足の骨折とやらでボルトを入れる手術をしたもののボルトが不具合で二度に渡る手術を終え1ケ月ぶりに退院できたといいますが足はパンパンに腫れ上がっていました。大丈夫なんかしら?

午後4時は保育所に零ちっちのお迎えに純ママについて行きました。23日から函館に里帰りをするので、しばらく会えません。近くにいて、いつもいつも会うわけではありませんがバイクを走らせばいつでも会えると言うのと函館では婆ちゃんの気持ちの中に何か寂しさが募ります。

「ママはお家にいてて」と婆ちゃんと零ちっちだけで公園に遊びにいきました。あとは此花を巡回する赤バスに乗り楽しく遊びました。公園で雀とハトが大きな木のお家に帰るまで遊びました。「トリさんは暗くなるとお目目が見えなくなるからね」「どうして?」「どうして?」がいま大好きの様です。


[1814] 【1824回 京都トレイルいよいよ北山コースへ】 2009-04-16 (Thu)

京都トレイル第2回目のゴール間近がきつい上り坂であったことから第3回目がどうなのか心配の声が聞こえてきます。

まず距離は9.8qです。次回は出町柳駅で集合し比叡ケーブル山頂駅から北山コースの「1番」からスタートします。第3回目のゴールは「23番」の戸寺までとなります。戸寺はロッククライミングのアルパインで金比羅山に行くときに利用したバス停に出ます。23番までの標識を数えて行くのも楽しみ方のひとつですね。

「きついか?」と聞かれますと上り下りはあります。横高山(767b)水井山(794.1b)仰木峠(573b)を尾根伝いに登ったり、下ったりの変化に富んだコースだとご想像下さい。5月の新緑を身体に受けて、そよ風がきっと私達を応援してくれますよ。ゆっくり一歩づつ進んでいきます。荷物を工夫して、水分は多めに、エネルギーとなる行動食もこまめに取れば快適コースのはずです。

下見の時、地面にはまだ雪が残っていました。銀閣寺から戸寺までを無茶と言えば無茶で2回分のコースを歩きました。ジョンは病み上がりのリバビリ中で体力的には大層きつかったと思います。しかし「きつい」と身を持って体験したからこそ「銀閣寺〜戸寺コース」は消えたのです。

「キリの良いところまで歩こう」と無茶をすると後に続かず楽しさも半減します。「何が何でも」ではなく歩こうとするその地の空気と自然の恵みを感じながら仲間と歩くことに意義があるのだと思います。暑い、つらい、しんどいも思い出のひとつです。

しかしゴール近くは何故いつもあんなにしんどいのでしょうか。金剛山にも「心臓破りの坂道」があります。「これを登ったらおしまいやで〜そらっ!ガンバレよ!」と言われているようで歯をくいしばって登ることが、しばしばあります。しかしそれはすぐ達成感に変わり感動となります。

私が以前、勤めていた会社の若者が5月の連休に西穂高に登るといいます。初めての登山の様で色々とアドバイスを求めてきますので19日の日曜日に一緒に地獄谷を歩くことにしました。登山靴での足の運び方、山の楽しみ、危険も合わせて師匠に指導を乞うことにしました。初めての登山を正しく、そして「山は楽しい!また登りたい!」そんな印象を体感してもらうために少々ハードなトレーニングになるかも知れませんが命を落とさないためにしっかりと覚えてもらおうと思っています。山をなめたらいかん。

過日、同じ町内に住む51歳の女性が唐松岳で滑落死した事故では彼女はベテラン中のベテランだったと聞いています。(今年はそんなわけで唐松岳にはよう行かんのです)昨日のクライミングで「クライミングをするためにクライミングを学ぶのではなく、登山をするためにクライミング技術を身につけるのです」と言った昭子ちゃんの言葉がとても印象に残りました。

5月の連休に燕岳に行くことにしました。今回で3回目ですが頂上で見るスイスの様な景色が忘れられません。3回目と言っても頂上はまだ一度も踏んでいないのです。第1回目は感動のあまり燕山荘でビールで乾杯し酔いがまわって山の斜面で昼寝をしている間に仲間達は頂上へ行きました。第2回目は北鎌尾根へ行く途中で、心は燕山頂には無かった様です(言い訳すると天候悪しだったの)だから今回はビールは飲みません。ちゃんと頂上を踏むよ。

山小屋のオーナーの奏でる4メートルのホルン楽しみにしてて下さいね。


[1813] 【1823回 クライミング】 2009-04-15 (Wed)

4月15日3名の受講生が無事「岩登り講座ホワイトフェイスB 3−1」講習終了しました。 但し雨上がりのため岩場を「A懸岩」に変更しました。

阪急芦屋川9時、3名の受講生と合流し、姫のベンツ「四万十号」に定員オーバーではありますが駐車場まで走ります。先週の桜並木は一変し、花びらは落ち、葉のみとなり、まもなく到来する毛虫の木と化していました。地獄谷でミーティング、予定のホワイトフェイスは昨日の雨で乾きが悪く危険のためA懸岩に変更したことを告げました。雨の後とあって水量も多かったのですが、みなさんロープ無しでス〜イスイと地獄谷を登っていきます。いつも休憩する地点で今日もリュックを降ろして休憩し、そばにある岩を使ってミニ座学とミニ実技を勉強しました。

今日は地獄谷は静かで雨上がりの若葉は美しく、満開のつつじは青空の隙間から紅色がまぶしくて、桜の花びらのじゅうたんの上を歓声をあげながら歩きます。師匠が「ここで写真撮って」とオリオンさんに依頼する場面が何カ所もあり、それほどに美しい光景であった様です。

小便小僧の滝の看板が見あたりません。誰かが持ち去った様ですが何のために?壊れたのであれば残骸が残っているはずですが杭のみ残っています。不思議です。A懸岩に出る途中、受講生の安全を確保するためにロープを出して通過しました。「こういう時にクライミングをしておれば何もためらわずにロープがなくても持ち合わせのシュリンゲで通過が出来る」と師匠が現場で指導していきます。

芦屋の町並みもとてもきれいです。汚れた空気は昨日の雨で一掃されたのでしょう。とにかく、つつじがきれいすぎます。A懸岩に到着後、30メートルのロープを2本垂らし、登っては少し休憩し、懸垂下降を繰り返します。2度目は少し足場を変更して練習します。

昼食後も意欲的に練習を重ねました。受講生にクライミングシューズ(ねこちゃん曰く魔法の靴)を貸与して岩場を楽しんでもらいました。おっかなびっくりの深っちは怖がることを知りません。昭子ちゃんもお茶の子さ〜いさい。オリオンさんについては何の問題もありません。「もういいです」と受講生からの申し出で午後2時に下山することにしました。

人数が少ないので練習が沢山できることもあり、少々つかれたのかも知れません。第一鉄塔に上がり、つつじの見納めをし、怪我もなく無事、阪急芦屋川駅に戻りました。お風呂にゆっくり浸かり足と手のメンテをしっかりして下さいね。お疲れ様でした。


[1812] 【1822回 春に終わりを告げる雨】 2009-04-14 (Tue)

★花散らしの雨★

今日は全国的に雨マークが付いており天気予報が的中しました。明日のクライミングの岩場は乾くのだろうかと心配しながらもホワイトフェイスは日当たり良好の岩場に付き安心しつつ、リュックにロープなどの荷物の準備をしています。

昨日、ナスビとトマトの苗を買って植えましたので今日の雨でしっかりと根付いてくれると楽しみがまたひとつ増えました(苗の写真ブログに掲載)

今日の雨で背割り堤の桜も京都の桜も散ったことでしょう。これからの山々はつつじが咲き、新緑の芽が私達を出迎えてくれるでしょう。今日の雨でイタドリもグーンと伸びたことでしょう。タラの芽やイタドリにとって恵みの雨でありますように!

今日は時間があったので衣替えをしました。去年着用しなかった衣類は不要物として処分しました。新調した枚数だけ捨てていけば押入が山の様にならずに済みますが、これがなかなか愛着があって捨てられない物ばかりで困ります。子供達が小さい時は「衣装替えの日」なるものを作って全員で押し入れからアルミ缶の衣装箱を出して「要る、要らない」と大騒ぎしたものですが、今はポチと二人だけの生活で、それに衣装ケースも合理的になり引き出しだけ引っ張り出せば用が足りるようになりました。

「季節の衣類3枚」もあれば生きて行けそうです。その反面山の衣類入れはどんどこ増えて行きます。ポチも会社勤めが終わったら(まもなく終わります)不要になった背広にネクタイ絞めてクライミングしているかも知れませんね(笑)

とにかく加齢に伴い、あまり地味な服装はせず、いつもこざっぱりと小綺麗にして、嫁に嫌われない様にしましょう。(嫁って私の事ではありません。息子の配偶者の事です)


[1811] 【1821回 家庭菜園】 2009-04-13 (Mon)

嫁の純ちゃんと買い物の後、ナスビとトマトの苗を買いました。トマトはうらら菜園の園長さんのアドバイス通り「アイコ」と言う少し細長い品種のトマトです。去年はナスビが豊作で一度も市場で買うことはありませんでした。今年も沢山花をつけてくれるといいなぁ。純ちゃんちも昨日買ったらしいのでどちらが先に実を付けるか競争しなくっちゃあね。

買い物から帰ると、我が家のプラスティックのゴミだけ何故か集荷されていませんでした。何かの手違いだと思いバイクにゴミ袋を載せて収集車を追っかけましたがどこにも見あたりません。仕方がないので清掃局に電話を入れ、明日の生ゴミと一緒に出していいかと丁寧にたずねました。「いいですよ」と言えば、では何故分別をする意味があるのかと食い下がろうとしましたが30分もしない間に再収集に来てくれました。さ★す★が!

夏場のゴミを1週間も残しておくにはつらいものがあります。収集係の人も何か考え事をしていたとは思いますが苦情処理は速いほどいいですね。会社の製品も誠意を持って製造していても単純なミスが発生することがあります。そんな時、言い訳をするのではなく、とりあえず客先に出向き、お詫びをし、不良箇所を直す。その後、何故クレームが発生したのか原因追及をし、同じ過ちを繰り返さないことが大切だと思います。

明日はしっぽりと雨模様、ナスビとトマトの苗にとっては恵みの雨となりそうです。


[1810] 【1820回 京都トレイル第2回目終了〜】 2009-04-12 (Sun)

ぐっと気温が上昇する中、「蹴上げから比叡山」までの第2回目のコースが終了しました。詳細は写真の提供を受けて、レポートをまとめて、サスケ先生の詩も載せて「山登り」に掲載します。しばらくお待ち下さいね。

「暑かった」の一言に尽きましたね。でも夏仕様のお茶の対応や行動食など、みなさん万全を尽くして下さって乗り切りましたね〜14.3q。平地と違って、アップダウンの盛りだくさん付きだもの、値打ちですよね。みなさん自信を持って下さいね。同じ歩調でトップを歩いたつもりでしたが、最後の最後「73-1」あたりから少し列に乱れが生じました。リーダーに列詰め休憩の打診をしましたが「今とまると坂道でエンジンを切るが如く、次の一歩につながらない。このままゴールに進みリュックを降ろして迎えに行こう」と言うことになりました。アンカーとの連絡も無線故障で出来ずごめんなさいね。

それにしても山の中から自転車の多かったのには驚きましたね。「前から自〜転〜車〜!」私の叫びをだれ一人として最初は信じて無かったと思います。「またまた冗談言うて〜」と思ったことでしょう。自転車で通過の若者達に贈るエールが素敵でしたね。「前から自転車〜」は本当だったでしょ?

私の今日の行動食を紹介しますね。
●シャーベット状にしたグレープフルーツ
●トマトまるのまま
●生キューリ1本
●リンゴ3分の1
●ミニアンパン1個

くろねこかあさんの「柑橘類は必需品」を真似して夏場はなるべく生の果実を持つようにしています。お茶は半分凍らせて半分普通のお茶をいれて2本(200CC)持ちました休憩毎に少しづつ食べて出町柳駅では完食しました。参考になるかどうかわかりませんが参考にして下さい。

同期生の「君の名は真知子」さんに親切に声をかけて頂いてありがとうございました。去年、山男のご主人を病気で亡くし悲しみのどん底にいて、やっと這い上がり、山に行きたいと元気を取り戻したばかりです。また時々ご一緒するかと思いますがどうぞよろしく。但し決して姫の学生時代の事を聞かないようにして下さい(笑)

山の中で、縞ヘビ、ヤモリ(トカゲ?)見っけ〜


[1809] 【1819回 氷上と大阪の合同花見】 2009-04-11 (Sat)

「氷上の息子」より桜便りの書き込みをもらいました。一緒に花見したいね、大阪に出ておいで〜、氷上においで〜とメール交信の結果(大阪3対氷上2)で大阪に出てきてもらうことにしました。積もる話しに花が咲き、ビールのジョッキ、酎ハイのジョッキが何杯行き交ったか定かではありません。開店に陣取った席は「あのぅラストオーダーですが」と催促を受けるまでバロメーターは上がりっぱなし!支払った金額が何と34500円。よく食ったし、よく飲んだ。2時間遅れてきた氷上の息子は勘定の時は「割り勘」となって少々気の毒な気もしました。西九条で別れましたが、氷上の息子達は「福島へ行くで〜」とまだ元気いっぱいの様子でした。次は氷上のペンション「いのしし」での再会を約束。

翌日の11日は地獄谷へアイゼントレーニングに行くことにしました。先週満開だった芦屋川にかかる桜並木は「葉桜」となり見頃を過ぎていました。阪急芦屋川駅には、ことのほか登山者が多く、しかも「歩荷スタイル」の人が目立ち、地獄谷へ集団で降りていかれました。地獄谷の広場でミーティングしている間にサッと先を急ぎました。まさかホワイトフェイスには行かないまでも地獄谷ラッシュを早く抜けたいのです。春山訓練に当日と同じ重量のリュックを背負い地獄谷をアイゼンを履いて歩くのだそうです。駐車場もほとんど満員状態でした。今日は人出が多いみたいです。

私達はホワイトフェイスにロープを垂らすことができました。リュックの加重は姫は10s、師匠は13s、ポチは(??不明)頭から汗が噴き出してきます。師匠がアイゼンを履いてリードで上がります。時々「ガリガリ」とアイゼンで岩をこする音がします。2倍以上の神経が張りつめている様です。クライミングシューズで1回、登山靴で1回、アイゼンで2回を平等に練習しました。私が途中でギブアップを申し出ると、ポチが「ワシは行くぞ」と変に張り切っています。私がリタイヤしたのでえらい張り切っている様子です。

少しドタバタとしましたがホワイトフェイスの上までアイゼンで登り切りました。涙こそ出ませんでしたが悔しい思いで、このまま帰ったら、夢の中に出てきそうです。「もう1回ビレイお願いします」ということで何とか私も上までやっとのことで登ることができました。もうヘロヘロです。

更にアイゼンを履き、ピッケルを使い地獄谷を登り第一鉄塔を巻き帰路につきました。明日の京都トレイルもあるし全力投球寸前で余裕をもって戻りました。

でもヘロヘロ〜

明日の京都トレイルに姫の高校の同級生も参加させていただきます。君の名は「真知子」さんです。よろしくね


[1808] 【1818回 春の全国交通安全運動】 2009-04-10 (Fri)

10日午前10時すぎ、ユニバーサルジャパンの前の道路を一車線封鎖して大がかりなシートベルト着用のキャンペーンを行いました。既に、トラック部会、安全管理者部会、推進委員の役員の皆様は所定場所に集合をしていました。私は今日は推進委員として参加しました。此花署の車に乗せて頂いてUSJ前へ到着。車線を封鎖し「止まれ」の旗を振りシートベルト着用を促します。さすが交通安全週間中とあってシートベルト着用は100%完璧でした。いつもf通行者に対してのキャンペーンなのですが今日は車を相手に啓発運動をしました。大型のトラックの運転席はビルの2階建ての様に大きく高く、私にはドライバーに手渡すムグッズが届きません。今日は笑顔を振りまくだけにしました。(年はいってるが紅一点だよ〜ん)

1時間ほどで終わり、その帰りに区役所に行きETCの手続きを済ませてきました。軽自動車で遠出はないと思いますが、どこまで走っても千円の仲間入りをすることができました。

平成21年6月1日から交通ルールが変わります。75歳以上の更新については、講習予備検査、高齢者講習が義務づけられます。動体視力や夜間視力など加齢にともないにぶくなってきています。75歳は「返納しよう」と決心するチャンスかも知れませんね。今日も「止まれ」の合図に反応が鈍いのは高齢のドライバーでした。

ドライバーが運転中は、みだりに話しかけたり、おしゃべりしない方が快適に運転が出来ます。但し夜間の運転は、眠気に誘われたりするので助手席に座っている人はドライバーの話し相手になってあげる配慮も必要ではないでしょうか。話しかけたり、物を食べたり、ガムを噛んだりすることも眠気がさめる方法ではないでしょうか。


[1807] 【1817回 これからの暑さにむけてのウオーク】 2009-04-09 (Thu)

今日はジョンの診察日のために都島の病院まで付添いました。往路は地下鉄を利用しましたが復路は徒歩で12キロ毛馬閘門の桜のトンネルの下を歩きました。ときおり春風に乗って桜の花びらが舞い落ちて髪の毛に止まります。ホコリと言えばホコリですがとても風情がありました。ハラハラと舞い散る桜は土曜日、日曜日まで待ってくれそうもありません(京都の蹴上げは大丈夫)毎年、こんなにゆっくり桜のトンネルを歩くことがありませんでしたが今年は時間に任せてゆっくりと散りゆく桜を楽しむ事ができました。

12qと言えば、かなりのウオークの距離です。毛馬閘門から堤防沿いに此花まで歩いて帰りますので日陰はなく、夏を思わせる暑さです。中津を過ぎたあたりで、とうとう暑さに負けて「アイスキャンデー」を求めてコンビニに飛び込みました。おいしかった〜!救われた〜!

みなさ〜ん!12日の京都トレイルは暑さ対策を万全にして来て下さいね。冬用の帽子は夏用に交換して下さい。お茶は半分凍らせておくといいかも知れません(1本まるまる凍らすと解けないかも知れませんよ)服装も前あきでいつでもファスナーを開けると涼しい風が入る服装がいいかと思います。ちなみに今日の最高気温は25.9度です。暑いはずです。

12キロb歩いて帰ると久しぶりにヘロヘロになりました。今日は病院モードで、よっしゃ〜歩くぞと言うモードではなかったからかも知れません。これからのウオークは水分多めにお願いします。

あっそうそうジョンの眼科検診の結果ですが医師も驚くほど回復しているそうです。眼科の医師が、さも自分が治した様に喜んでいたのがおかしかったです。努力したのはジョンだっちゅうねん。眼科の先生は「まぁ日にち薬や」と言っただけやんか〜!でも患者が回復の兆しを見せたとき、担当医として喜んでくれたんでしょうね。次は最終検診10月だって。よかった!よかった!これで「春の雪山」の企画、前に進められますね。

追伸)日焼け止めクリームも塗ってね。去年の残りはボディ用に使い、顔は今年用に新品を買ってください。去年の分は効果が低下しています。

(毛馬の桜並木ブログに載せました)


[1806] 【1816回 春の全国交通安全運動に参加 】 2009-04-08 (Wed)

午前8時、此花千鳥橋付近で「春の全国交通安全運動」の啓発キャンペーンに立ちました。丁度、以前勤めていた会社のみんなが出勤して行く時間なので、この間の夜桜見物のお礼を述べて「いってらっしゃ〜い」を見送りました。ピカピカの1年生も集団登校で前を通ります。元気な声で「おはようございます!」と挨拶をしてくれます。そう言えば今日から新学期なんですね。

四菱京東UUU銀行の窓口の女性達も前を通ります。啓発用のチィッシュを渡そうとすると嫌な顔をして遠のいて行きました。いらないならいらないと手で少し合図すれば済むものを銀行の中でふりまく笑顔はニセモノなんかと腹立たしい思いをしました。自分の居住区でなくても窓口で働いていることで顔は知られているのですから、もう少し対応の仕方がありそうなものを・・・ブツブツ・・・

私は常日頃、信号待ちなどでビラを配る人がいたら、一応受け取ります。見る、見ない、利用する、しないは二の次で、とりあえずもらうことにしています。何故なら自分がその立場に立ったとき、受け取り拒否をされると、とても悲しい思いをするからです。その反対に「もう1個ちょうだい」と言う人もいますが、より多くの人に交通安全の意義を知ってもらうために1個を差し上げます。

その後免許証の切り替え手続きに行きました。「5年後は年寄りの仲間入りなので免許証を返納しないといけないね」と言うと「今でも充分年寄りの仲間だよ」と笑われました。バイクの盗難を自らが探した事も耳に入っていたらしく「警官の制服あげようか」とまで言われました。ほんま今思ってもあれは運が良かったとしかいいようがありません。

今日は久しぶりに春風に誘われて、快適にバイクに乗り走り回りました。盗難に遭ったときは、もう乗らないでおこうと思いましたが、こんな便利な乗り物、きちんと安全を守りまだまだ乗れますよ。

もう外は初夏の感じです。


[1805] 【1815回 楽しみにしていた10000回】 2009-04-07 (Tue)


9957回目あたりから「10000回書き込み記念」を予告していましたが、残念ながら名乗り出てもらえませんでした。私が10001回目で開けたのですが、その前の人って、もしかしたらエッチないたずらメールの人物なのかもしれません。残念!無念!

私は、ことのほかカウントダウンが好きで誕生日、定年退職日、還暦と、その日の来るのを楽しみにしています。「だからどうなの?」って言われるかもしれませんが当日だけでなくその日が来るのを楽しみたいのです。私が生まれた日のことは亡くなった義兄の一刀水がよく話しをしてくれました。「お前は紅葉の木の下で泣いていたのでお母さんがかわいそうにと拾ってきたんやで〜」もっともらしい口調で話しをするので信じていた幼い自分がかわいく感じます。いま、ももちゃんや零くんにこの話しをしたら「ちゃうで〜ママのお腹の中からやで〜」と言われそう・・

誕生日、結婚記念日、とみなさまは何か改まってお祝いしますか?プレゼントより、その日を覚えていてくれた事に感謝をしたいですね。「妻の誕生日には年の数の紅いバラの花を」とおっしゃるやまたび会員さんはいらっしゃいませんよね?枯れるバラよりも、カラビナの方がエエと言われますよ(笑)

ポチの誕生日に私は改まって贈り物はしないのですが、お嫁ちゃん2人が、ポチにと見立ててくれたスポーツ着がハイカラで「馬子に衣装」でとても感謝しています。私達が選ぶと年相応の色になりますが、お嫁ちゃんの選ぶ色は若くて鮮やかな物が多いです。しかしそれを着こなせないでいるポチがもどかしい。襟はキリリと、背筋はピーンと、せめて写真を撮る時くらいは気にして欲しいです。

昔、次男がランドセルがお古だと友達に冷やかされた時、担任の先生はクラス会を開き、古くても物を大事にすることの大切さ、古くても洗濯の効いた清潔さの方が新しいランドセルよりも、新しい制服よりも、とても価値があることを話してくれました(いつも長男のおさがりだったんです)

これから夏に向けての着替えは「着替えました」と人目でわかる派手な色をポチには持たせることにしました。加齢臭だの何だのと言われないうちに手を打ちたいと思います。





[1804] 【1814回 もうすぐイタドリシーズン】 2009-04-06 (Mon)

梅が散り、桃が咲き、桜が散ると「イタドリ」の時期になります。この頃になるとウオークしてても、目は180度、いいえ360度イタドリの古木に目が行きます。昨日の段階でイタドリは「まだ〜だよ」の様です。私の家の近くの料理屋さんにイタドリの話しをしたら「見たことも食べたこともない」とのことでしたので料理のプロに差し出すのも何ですがと前置きをしてイタドリと薄揚げをゴマ油で炒めて試食してもらいました。お世辞も混じっているとは思いますが「またお願いします。美味しかったです」と言ってもらいました。そう言えば勤めていた会社の女子社員も待っていてくれるし「寺ちゃん」も待っていてくれるし、今年は張り切って採取しなければと思っています。くろねこかあさ〜んち鶯谷のイチドリ情報はどんなですかねぇ?

話しは変わって、この頃ウオークでトップを歩くことが多くなり、後ろの人達への気配りが出来ているかどうかが心配の種になっています。距離を競い合うウオークではないので、ゆっくりとバランスの良いウオークを実施するためにタイムを計り50分歩けば7〜8分水分補給をし次に進むことにしています。歩き始めは「30分で衣類調整」も必要かなと思っています。駅でブルッと寒くて震えても20分経過すると体脂肪が燃えてきてジャンバーが不要になってきます。

休憩毎に「パン、バナナ、おにぎり」などエネルギーに変わる物を食べてください。しんどさが減少します。京都トレイルは2回目からは山道に入ります。ゆっくり進みますが時々口の中へエネルギーを補給してください。リュックに入れておくと、改まった休憩時しか食べることができません。ポシェットかジャンバーのポケットにいれて食べてみてはいかがでしょうか。

いままでは「誰も食べてないし・・・」と周りへの遠慮があり、なかなか自分だけ食べることができなかったのですが、やまたびでは「行動食」をみんなで勉強してからは、人の事を気にしないで食べることが出来るようになっています。せっかく用意した行動食をポチは持ち帰ることが多かったです。「5分間の休憩では食べられない」と文句をいいます。そんなことはありません。次はこれを食べようと準備をしておけば1分間もあれば食べられます。

これからは暑さとの闘いになってきます。いま気候のよい時に行動食を巧みに食べられる方法を取得してください。またキューリをかじる季節がやってきましたね。


[1803] 【1813回 お花見ウオーク】 2009-04-04 (Sat)

風邪の咳が気に掛かりながらも4月4日午前7時45分の東西線に乗り片町線(愛称 学園都市線)「大住駅」に降り立ちました。同じ車両に乗り合わせた人達と朝の挨拶を交わします。ここは都会から随分と離れて田園風景が目立ちます。

参加メンバーが揃ったところで大住駅を出発し、踏切を渡るとすぐに桜並木が現れました。八分咲きと言ったところでしょうか。日本人はこよなく桜を愛していることがよ〜くわかります。新木津川橋を渡り木津川に沿ってゆっくりと歩いていきます。今日は「お花見」が目的で距離を競い合うウオークではないため、春の風を体いっぱいに味わいながら歩きました。1時間ほどで「木津川流橋」に到着です。トイレ休憩も含めて長目の休憩を取り、あづまやにリュックを置き、流れ橋を往復することにしました。ここは日本で一番長い木製の橋だそうです。時代劇の撮影によく使われたと説明書きがしてありました。あづまやの中に一人の老人がいて、まさかとは思いますが、リュック見張り番として姫が残りました。

木津川流れ橋を後にして少し雲行きが怪しくなってきてポツリ、ポツリといや〜な雨が落ちてきました。「濡れると風邪を引くので傘を準備しましょう」合羽を着るほどの雨ではありません。降ったり、止んだりしています。木津川大橋を渡り京阪電車の赤い鉄橋が見えてきました。「背割り堤はもうすぐですよ」この頃になると雨は上がっていましたが空には雨雲が低く垂れていました。「昼食をしている最中に雨が降るとやだなぁ。御幸橋の橋の下で弁当を食べながら対岸の桜見物をしたいのだが」とリーダーに申し出てOKをもらいました。一番よく見える場所で、しかも雨がしのげる場所に大きなシート2枚広げ車座に座り楽しい昼食タイムとなりました。御幸橋を見上げるとみんな傘をさしています(よかった〜)

焼酎もみんなに行き渡り「さあ歌でも歌おうか」と言うことになり「春の小川」「花」「春のうた」の3曲を楽しく歌いました。食事も終わり御幸橋を渡り八幡背割り堤の花のトンネルをくぐりました。満開とは行かないまでも雨のおかげで人でも少なく、ゆっくりと1.2qの花トンネルを歩いて楽しむことが出来ました。「ソメイヨシノ」とかかれた銘板をくくりつけているのはヒモでなくて針金でなくてバネ式の素材で木の幹が大きく成長しても食い込まないように工夫されていました。途中で何故かピョンピョンとうさぎが・・・?

堤防の下の駐車場にはたこ焼き、みかん、飲み物などのテントが準備されていましたが誰も立ち寄る気配はありません。天気が悪いのと、場所がいまいちなのと、みんな飲み物も食べ物も売るほど持参しているので開店休業の様です。トイレも沢山準備されており、みんなが気を付けて清潔に使えば悪臭に、えづくことはありません。

1.2qの桜のトンネルを最後まで歩き折り返しは堤防の下を通って下から桜見物をしました。花のトンネルとはまた別の味わいがあり枝が堤にそって大手を広げている様な美しい風景でした。雨だからこそシットリとした美しさを醸し出している様な気がしました。


[1802] 【1812回 夜桜見物】 2009-04-03 (Fri)

3日の午後から「全国春の交通安全決起集会」が実施され四貫島商店街を「咲くや此花高校」の吹奏楽部の皆さんとパレードをしました。事前にパレードがあることを知ってか、いつもは通行しづらい商店街の陳列が引っ込められていました(いつもこの位引っ込んでくれればいいのにね)パレードの曲目は阪神タイガースの応援歌です。さすがおおさか!此花区長も此花警察署長も4月1日付けで新任です

平成21年6月1日からの改正道路交通法
@講習予備検査(認知機能検査)導入75歳以上対象
A高齢者講習を受講できる期間の延長(3ケ月→6ケ月)
B運転免許の欠格期間の延長
C酒気帯び運転の基礎点数の引き上げ
C運転免許証をICカード化します

現行免許証との違いは
@免許証の表面に本籍は記載されません
AICチップチップが内蔵されます
Bサイズは現行と同じですが0.26ミリ暑くなります

夕方からは会社の近くの公園で毎年恒例の花見をするのですが今年もするから、ぜひ参加してと、うれしいお誘いを受けました。昼休みを利用して桜の木の下に場所取りをし、夕方、車で荷物を運んだそうです(うん、うん、ちゃんと学習できてるやないの)開始時間までに来ない人は置いといて、まずはかんぱ〜い!日本酒にワインに焼酎にビールと盛りだくさん。おでんの鍋もほどよく温まってきました。夜桜には温い物が一番です。ブルーシート1枚に25名が所狭しと座っています。

新入社員研修にでかけた4月1日に入り立ての新入社員も合流して途中から「新入社員歓迎会」となりました。ほんならいままでのんは何やと聞くと「いままでは花見、今からは歓迎会」だそうです。先輩達と仲良くなるには酒の席が一番ですよ。暖かくして来て下さいとの後輩のメールに山ほど衣類を持参していたので何とか寒さはしのげました。

新入社員の女子が帰ることになり、私が千鳥橋まで送っていくついでに「お先に失礼」ということにしました。明日のウオークもあるし、今から帰ってタケノコゆがかなくてはなりません。和気あいあいの愉快な花見でした。誘ってくれてありがとう!(ブログに写真載せました)


[1801] 【1811回 おとまり】 2009-04-03 (Fri)

春休みになったらお泊まりに行きたいという、ももちゃんのたっての希望を叶えるために、4月1日、車をヤマダ電機駐車場に停めて東西線海老江駅で出迎えました。私の姿を見つけると「ばぁち〜ゃん!」と二人で走ってきました。つい最近会ったように思いますが大きくなった様に思います。ママは改札を出ないでそのままバイバイをします。1年前は「マ〜マ〜」とベソをかいていた、かーくんは「バイバイ」と元気よく手を振っています。その足で零くんも迎えに行きました。

いつものパターンですがおもちゃを出して仲良く遊んだり、おままごとをしたりで先導権はももちゃんがとっている様子です。「零くんがパパでももちゃんがママなぁ。かずくんはあっちで遊んでてな〜」「会社に行ってきま〜す」サラリーマンごっこの様です。けんかになってもどちらの見方もしません(だって嫌われるの嫌ですもの)

3時頃に突然に爺ちゃんが戻ってきました。この日は定期検診の日で早く帰れたらしく3人の孫達が「じいちゃ〜ん」と走り寄りました。私が子育ての真っ最中の時(爺ちゃんは子育て隊員から除名のため)こんなに慕ってもらったことがないのか目をまあるくして喜んでいました。

食事も以前の様にこぼさなくなりとても楽になりました。何でも食べると3人が1番を競います。零くんはお泊まりはいやらしく外が暗くなってから送っていきます。まだ帰りたくないらしく、かと言ってお泊まりは不安らしく後ろ髪引かれる思いでバイバイをしました。風呂に入り、歯磨きをみんなでしてお布団に入ると、かーくんが「ばあちゃん、ゆりかごのうたうたって〜」どうも子守歌の様です。

♪ゆりかごのうたをカナリヤがうたうよ ねんねこ〜ねんねこ ねんねこよ♪♪

2〜3回繰り返すと二人とも眠ってしまいました。昼間の遊び疲れがでたのでしょうか。時間はまだ午後9時を過ぎたばかりだと言うのに私もそのまま眠ってしまいました。

翌朝「婆ちゃん、おしっこ〜」ももちゃんの声で目が覚めました。ごはん、着替えをしてジャスコのマクドナルドに行き郵便局へのおつかいも強い風にもかかわらず元気についてきました。突然に、ももちゃんが「あっ昔この公園に来たことあるわ〜」4歳の子供の口から昔って言葉が妙におかしくて笑えました。西宮に引っ越しをする前に、よく遊んでいた公園でしばらく遊び、また海老江駅まで送っていきました。ママが電車でお迎えのため、プラットホームまで連れていきバイバイをすることとなりました。

たった2日間でしたが子守は大変な重労働であることを体験しました。私は姑さんに2人の子供を預けて仕事を続けることが出来たおかげで今の幸せな生活があると思っています。たつた2日間で根をあげてはバチが当たりますね。


[1800] 【1810回 住職様より荷物にならないおみやげ】 2009-03-30 (Mon)

高野山巡りの2日間は朝夕を除けば(夕方は2.8度)とてもポカポカ陽気で汗ばむほどでした。詳しいレポートは目下作成中ですのでいましばらくお待ち下さいね。

高野山遍照尊院のご住職様から頂いたお話です。
朝6時から本堂で読経が始まりました。空気がピーンと張りつめています。読経が済み「寒い中よくぞお詣り下さいました。荷物にならないお話をぜひお持ち帰り下さいと前置きをして下記の詩を2度繰り返されました。

『世の中は「こそ」の二の字のおきどころ
   おさまるも「こそ」みだるるもこそ』

この意味を嫁姑の関係で説明すると
★「うちのお姑さんが元気で頑張ってくだされば「こそ」お出かけさせてもらえます。
★私がこのやりにくい家計を切り盛りできたれば「こそ」お姑さんはお出かけできる。

「こそ」を自分に使うか相手に使うかで意味が逆転すると言うことを教えてくださいました。翌日の女人道の会話は「こそ」を使いながら一生懸命楽しく歩きました。

★リーダーが復帰してくれたから「こそ」ウオークが再開でき高野山巡りができる。
★家族が元気でいてくれるから「こそ」ウオークに参加できる。などなどご自分で作ってみて下さいね


[1799] 【1809回 3/28〜3/29は高野山】 2009-03-27 (Fri)

明日28日と29日は高野山に行って来ます。弘法大師がご母堂様の没後に建立したという慈尊院に、一月に9回参ってことから九度山という地名がついたそうです。(九度山駅に説明看板があります)柿の季節なら、山々は柿色に輝き、たわわに実った枝は「重たいやよ〜早く食べておくれ〜」と言わんばかりです。残念ながらシーズンオフなので柿は実っていませんが下見の時は無人販売所で柿が売っていましたが18qを歩くには重すぎるため心を残しつつ買わずに進みました。(柿の季節は日暮れが早いため春先にしました)

コースの途中には弘法大師が建立したした二ツ鳥居が出迎えてくれます。ここで昼食場所にしたいのですが、もう少し歩くとトイレがありますので時間が少々ずれてもそこまですすみたいと思っています。高野山は聖地と言われていますので、マナーよく歩きましょう。

そして何よりも楽しみなのは「宿坊泊」です。一度も体験したことがありませんのでとてもうれしいです。修学旅行の前日みたいです。翌日はバスで「女人道入り口」で下車し、弘法大師をお詣りするために女性はここを歩いたそうです(変なの。女性蔑視だよ〜)昔の女性達が、遠回りをしてでもお詣りをしたい気持ちを歩きながら体験できるといいですね。

女人道は奥の院前が終点です。ここからは高野三山にむけて歩きます。御廟へのお詣りはゴールをしてからみんなでお詣りしたいと思います。摩尼山(1004メートル)、楊柳橋(1008.5メートル、転軸山915メートル)を登れます。おみやげは何と言っても「護摩豆腐」沢山のビュースポツトが至るところにあり桜もチラホラ咲いて居るかも知れませんね。

高野山は寒いところです。今日でさえ大阪に居てもブルッと震えてしまいます。前あきで温度調整のしやすい服装がいいですね。そんなわけで明日と明後日は書き込みできませんので宜しく

★お泊まりは千手院でお泊まりです


[1798] 【1808回 岩登り講座実技その2】 2009-03-27 (Fri)

平日ではありますが26日(木曜日)ロッククライミング講習を無事終了しました。「今日は姫がリードで行くんやで!」朝から脅しに似た師匠の声にひびりました。今日の受講生は茂ちゃんと茂ちゃんの友達の尺八の先生です。同じ地区なので車に同乗してもらい高座の滝の駐車場まで行きました。

地獄谷の入り口でヘルメット、ハーネスを装着し、危険箇所はロープで安全確保します。師匠が尺八先生を、私が茂ちゃんをロープで結びます。予定の場所をA懸垂岩に代えました。尺八先生も茂ちゃんも山に慣れておりなかなか腕の良い生徒さんでした。(但しエイトノットの結び方から教えると時間がかかるのでロープの先はダブルエイトノットで結び、カラビナに掛ける方法をとりました)

リードとは世にも恐ろしい、無茶苦茶神経のいる作業です。頼りのロープはまだ張られていないので失敗するとヌンチャクをかけた地点の下まで落下してしまいます。
教科書を見ると「最後に掛けた ヌンチャクから今居る距離の倍+衝撃によるロープの延び」だそうです。ロープはびゅ〜んと伸びますので、その分も落下します。足下から上へ持ち上げられたハーネスのビレイループとロープの結び目までの長さも加算されるそうです。いずれにしても近い日程で第1期生のクライミングを要望し、その時はまたご指導を仰ぎたいと思います。

今更ながら師匠やサスケ先生のご苦労が身にしみてわかりました。無事落下することなく頂上に到着し、支点を取りGIGIで師匠が登ってきました。支点の取り方の確認の様です。「よっしゃ〜」

何度かトップロープで登り、ロアダウンで降りたり、クライムダウンで降りたりを繰り返し、午後2時過ぎに雲行きが怪しくなってきたので下山することにしました。尺八先生に感想を聞くと「岩のゴロゴロした所を歩くだけだとばかり思っていました。まさか氷壁の様なこんなサーカスの様な事をするとは夢にも思わなかった。なかなか体験できることではないため感謝しています」

あとはエイトノットの結び方を家でみっちりと練習してもらえばと思っています。師匠には季節も良いし、講習以外に第1期生の岩登りもしてほしいと希望をだしておきました。第1期生のみなさ〜ん。行ってみたい岩場を師匠の耳にいれておいてくださいね。




落ちる距離が間違っています
「最後に掛けた ヌンチャクから今居る距離の倍+衝
撃によるロープの延び」
と教科書には書かれていますが実際には下での確保が遅れるとその
分もプラスされます
また自分の足下から上へ持ち上げられたハーネスのビレイループと
ロープの結び目までの長さも加算されるはずです


[1797] 【1807回 桂冠の会】 2009-03-24 (Tue)

定年退職で公職を退き、第二の就職を祝う「桂冠の会」に出席のために23日は阪神電車「福島駅」に降り立ちました。待ち合わせはJR福島駅集合で私は会場までの引率係を仰せつかりました。ホテル阪神方向にむけて歩いていると振り袖姿や袴姿の若い女性が50人以上、ホテル阪神に吸い込まれるように出入りしていました。待ち合わせ時間にはまだ早いので、私も若者に混じってホテル阪神に入っちゃいました。

トイレで身繕いする女性に「今日は何の集いなんですか?」と聞くと歯科衛生士の卒業のパーティだと言います。これはサスケ先生に正確な情報を提供しなければと「本日の催し」という電光掲示板前までたどりつきました(お願いだから通路だけ空けてよね〜)『新大阪歯科衛生士4期生パーティ』と書いてありました。トイレでの会話は「ねぇねぇ○○ちゃん4月1日から働くの?」「私はまだ決まってな〜い」女の子を持つご両親様、頭の先から足の先まで合計いかほどの金額がかかっているのでしょうか(我が家には男の子しかいないので相場がわかりません)

その日はことのほか、強い風が吹き、成田空港では強風にあおられ飛行機事故が発生したほどでホテル阪神を出ると強風で寒くて仕方ありません。JR福島駅で集合し15分ほど歩いた会場まで早足で引率しました。到着すると「久田さん、はっや〜っ!付いて歩くのがやっとや〜。おかげで温もったけどね」意識はしていないのですが、どうもウオークのクセが出ている様子です。

定刻にスタート、挨拶、感謝状贈呈式、乾杯が済むとご馳走が次々に運ばれてきます。この店の料理は、あまり酒を飲まない女性陣に人気があり、真心を込めて作ってくれた料理を頂きながらカラオケも楽しめます。いつもだと一次会が終了し二次会に移動する場合、必ず一人か二人、抜けるため、食事をいただきながら歌える店ということでこの場所に決定したとあってだれも帰る(帰れない)人はおらず、食事の途中でありながら早々とマイクが廻って楽しげにカラオケもスタートしました。

酔いがほどよく廻ったことを確認した後、別室にて主役であるNさんを合羽からげて三度笠スタイルに早変わりさせ「まぶたの母」「中山道」などを歌ってはしゃぎまくりました。この会には真面目な司会進行係と二次会司会進行係、歌う人、踊る人等ちゃ〜んと役割分担が決まっているムッチャ楽しい会なんです。(自称)私は会社を卒業した身でありながら「名誉顧問」扱いをして頂きお誘いを頂けて本当に幸せだと思っています。

こうして食事会、カラオケと楽しく進行でき、第二の職場でも、ご活躍される事を祈念し「また逢う日まで」を全員で大合唱し「桂冠の会」は幕を閉じたのであります。

「もう60歳と思うか、まだ60歳と思うかで人生が変わる」安全協会の専務様の言葉でおひらきとなりました。


[1796] 【1806回 いまごろETC おくればせETC】 2009-03-23 (Mon)

「今頃何言うてんねん」そう言われる事でしょう。我が愛車は「ポチの紋所」が使えるため、今まで必要としていなくてETCの装備がついていませんでした。ところが最近の「高速通行代金1000円ポッキリ」はさすがの「ポチの紋所」よりも格安で、ここに来てETCを取り付けようと言うことになりました。今は5250円の割引がついているとあってオートバックス、自動車会社などETCの在庫が無く、3月31日までの割引期限に間に合いそうにありません。

そこで交渉屋の姫の出番です。ETC製造メーカーを調べ此花区に隣接する提携会社を紹介してもらいました。福島税務署のすぐそばに「在庫あり、取り付け可能」の会社をみつけたのです。今朝早速手続きに行ってきました。割引期限ギリギリセーフです。

ところが「クレジットカードが必要です」とのことで我が家にカード類が1枚もないことに気が付きました。私は元来「便利な銀行は蓄えが増えない」という考えを持っており、港区にしかない銀行で積み立てを始めたり、キャッシュカードが郵送されてきたらハサミを入れて廃却していました。面倒くささが貯金の貯まるコツだといまでも思っています。しかしここに来てETCを取り付けるには必ず必要と言うことで初めてキャッシュカードを作ることにしました。(アハハ時代遅れでしょ)

息子二人も母親の生き方を真似て、カード類は必要最低限にしているそうです。「いくらでも貸してくれる」「残金がないのに現金が出てくる銀行」これは危険です。欲しい物があれば現金を持参して買うが正しいと思っていたのですがこれが違う様です。クレジットカードを使うことでポイントが貯まって品物が購入できるのだそうです。

何はともあれ、「休日にどこまで走っても通行料1000円」にやっと乗っかることができました。


[1795] 【1805回 お彼岸】 2009-03-22 (Sun)

私の生家は神式のためにお葬式、お祀りの仕方が違います。いまは嫁ぎ先の仏式に従っていますが正式なお詣りではないと常々心からお詫びを申し上げています。「まず生きている人が幸せであること」と義兄が言っていましたのでそれに従ってきました。いつでもどこでも手を合わせ生きていることの幸せを感謝しています。欲を申せば孫達がスクスクと幸せに生きていられますようにとお願いすることもあります。

今日は零くん達と一心寺にお詣りに行って来ました。雨の合間を縫ってのお詣りです。天王寺の駅から人やら、車やら大混雑です。交通整理のお巡りさんやガードマンも出て、さすがお彼岸だなぁと感心させられます。

★仏式の正しい一般的なお墓参りのしかた★

1. お墓参りをするために、山門に入る前に一礼し、心をお静めください。

2. お墓参りの前に、正面のご本堂前に行き、両手を合わせ、一礼し、ご本尊に対し最低3回のお題目を唱え、感謝の言葉と本日の参拝の旨を申し上げます。

3. 庫裏(ご住職のいる処)に行きお墓参りの際のごあいさつ。そして樒・線香をお分けいただき、できれば布施行をさせていただきます。

4. お墓参りでは、まずお墓をきれいに清掃します。お水をたっぷりと供養してお墓参りをしてください。お水のかけ方は、本来はいちばん上からではなく、中段からお水をおかけするのが正式のお墓参りの方法です。

5. お墓参りが終わり、山門退出時は、清らかなる心にて暮らされることを誓い、一礼してください。

以上が正しいお詣りのしかたそうです。

(クライミング、湯快リゾートの写真ブログに掲載しました)


[1794] 【1804回 春の選抜高校野球】 2009-03-21 (Sat)

春の選抜高校野球大会第81回の開幕式と第1回戦をテレビ観戦しました。第59回選抜高校野球大会で息子の通う高校が出場しアルプス席に通ってから久しく高校野球の観戦をしていません。第1回戦の「金光大阪」に知り合いの子供が野球部に在籍しており、ベンチには入っていないのですが応援する気になりました。

「野球は9回から始まる」と誰かが言ったのですが今日の試合は本当にそう思いました。9回裏で9対9の同点となり延長戦に突入。延長12回戦の裏、倉敷工がサヨナラ打を放ち、金光大阪は涙をのみました。どちらの選手達にも拍手を送りたいほどの高校生らしい野球でした。

息子の在学中は第59回でしたがそのもっと以前(息子が4〜5歳の頃)故郷高知の中村高校が甲子園に出場したことがあります。1回戦で負けるであろうと思っていたら勝ち抜き準決勝戦まで残ったことがあります。選手達の滞在費の支援やアルプス席の切符の配布など近畿周辺のOB達は必死でかけづりまわりました。私の姉も中村高校のOBとして熱心に甲子園に通いました。勿論私も小さな子供を連れて、会社には「頭痛」と休暇を出してアルプス席に陣取りました。

テレビカメラに応援風景が映し出され、会社へ行くと「久田君、昨日は頭痛で休すんで甲子園かね?」と皮肉を言われたことがあります。この試合からプロ野球の人生を歩んだ選手もいます。何せ「中村高校ってどこにある?」と言われるくらい知名度も低いし、選手が補欠をいれて12人しかおらず「二十四の瞳中村高校」と報道されていたことを懐かしく思い出しました。

野球選手は勿論ですが、早朝練習のために朝食用弁当と昼食弁当2個を朝早くから作り、放課後の練習を終え、戻った子供の食事の世話、洗濯など大変な毎日だと言います。それも全て「甲子園に出たい」ためなのです。

金光大阪と倉敷岡山の試合終了後の明暗はクッキリと分かれ、喜び飛び上がる倉敷岡山ナインと悔し涙にくれる金光大阪ナインともに大きな拍手を送りたいと思います。「よく頑張ったね」今夜あたりどちらの高校も慰労会が行われていることでしょう。


[1793] 【1803回 山中温泉レポート】 2009-03-21 (Sat)

「湯快リゾート」テレビコマーシャルで馴染みの安く利用できる温泉地として「山中温泉」を選びました。平日なのでどこでも空き室があるだろうと思いきや、何と何とどこも満室。思いはみな同じなのでしょうか。大阪からのバスは満席のために京都駅からの利用と言うことでやっとのことで19日から20日予約ができました。

宿泊代金7800円、バス往復3000円ポッキリの湯快リゾート「山中温泉」をご案内しましょう。既にご利用された方もあるかも知れませんが、利用したことがないという想定で説明させて頂きます。

利用1週間前になると案内の手紙が届きます。案内に沿って京都駅に行くと、バスの運転手による座席案内があり定刻通り午前9時50分に出発です。賤ヶ岳SAでトイレ休憩を取り、山中グランドホテルで昼食をとり、このホテルを利用する人達は下車、私達の宿泊するホテル大黒屋に向かい、到着が午後2時となりました。

チェックインをすると鍵が渡され、一目山で無料のカラオケボックスの予約をします(ここがポイントです。のんびり申し込むと予約いっぱいで利用出来なくなるのでバスを降りるとすぐ申し込む)サイズ別に廊下に置いてある浴衣を取り、部屋に行きます。ドアを開け、部屋に入ると何と既にフトンが敷きつめてあります。「何か連れ込みホテルみたいやね」(行ったことあるんかいなぁ?)

フロントで説明を受けた書類をもとに、利用者全員にカラオケ利用時間、夕食時間、非常口、入浴利用時間、朝食時間を声を出して読み上げます。これは一人に責任を押しつけないために必要なミーティングです。お部屋に仲居さんも見ないため「チップ」の用意は不要です。自由と言えば自由ですが何か落ち着かないのも事実です。

温泉に浸かり、カラオケボックスに飲み物、つまみを持ち込みガンガン歌いまくりました。歌には色々思い出や物語があり歌うたびに映像となって心のスクリーンに映し出されるため、ときどき涙さえも出てきます。涙で歌えなくなったときは助っ人が応援をしながら夕食までの時間を有効に使いました。

夕食は「バイキング形式」です。品数と量はタツブリあるためゆっくりと頂けますが飲み物はもうカラオケボックスで充分飲んでいますのでここでは食事のみ(不足時は部屋に帰ってから飲み直します)カロリー計算は今日だけお休みしてストレスが残らないように自由に食べることにしました。

部屋に戻り、飲み会の続きをしながらウトウトしたりしゃべったりと「愉快な仲間と湯快リゾートやな」とシャレを飛ばしたりしながら明日の予定を決めます。ホテル発は午後2時50分なのでそれまでの時間を有効に利用するためにフロントで「お散歩号」という周遊バスがあることを知りました。一人300円で何回乗っても、どこでおりても、どこで乗っても自由だそうです。「よっしゃ明日はそれに決めた!」

翌朝は雨の音で目が覚めました。小さな雨ではありますが東北の地はまだ寒いです。宿の前から、かわいい周遊バスに乗り込みます。ガイドには地元のボランティアのおじさんが乗るっています。人の良さそうなおじさんで乗客は私達だけしかいませんので私が「降りるまででいいので山中節を歌ってくださいね」とお願いしました。最初の見物は「天覧の栢野の大杉です」樹齢2300年というりっぱな大杉には苔が生え雨の後なので美しさも最高です(でも・・でも・・男性が逆立ちしている様なフフフ)整理がついたらブログに写真載せるね。

約束通りにガイドのおじさんが山中節を歌ってくれました。私達だけで聞くのは勿体ないくらい情緒たっぷりのムードでした。次のバス停でビデオカメラを担いだ男性と他のお客様が乗り込んできました。ビデオを抱えた男性はガイドや外の景色にずーとカメラを回し続けています。私達は鶴仙渓遊歩道を利用するため、松尾芭蕉がここを訪れ「行脚の楽しみここにあり」と呼景勝地「芭蕉堂」から歩くためにバスを降りました。

「すみませ〜ん」後ろから男性の声がします。「私は○○テレビ局の者ですがバスに乗った感想をカメラに向かってお話してくれませんか」との事で、ひるむことなくカメラの前に向かい、「お国訛りは旅の思い出、歩いて山中温泉の良さを味わいたい」とお話をしました。(しかし、いつ放映されるのかなぁ?)

雨も上がり苔むした遊歩道は素晴らしい景観で、久しぶりに「写真撮って〜」とポーズをするほどでした。あやとり遊びをした時に出来る橋の形に似ているところから「あやとり橋」さらに進むとテレビドラマで有名になった「こおろぎ橋」など歩かなければ体験できない素敵なスポツトを満喫しました。「こおろぎ橋」のいわれは「高路危険橋」から訛って、こおろぎ橋となったとガイドのおじさんから聞きました(なるほど高路にある危険な橋かぁ)

ふたたびホテルにもどり帰りのバスを待つ間、無料の卓球を楽しんだり、あんま機を利用したり、野球観戦をしたり、ロビーで焼酎の瓶を出して酒盛りをしたりと有効に時間を費やしました。帰りのバスの中から見る伊吹山に雪はなく、セメント会社による砂利採取で山の形が無惨に崩れた伊吹山を見ながらて京都駅着19時30分。無事に湯快リゾートの旅を楽しみました。

(参考)
●7800円は所詮7800円であること
●自分たちで楽しみ方を工夫する事
●あまり大きな期待を持たないこと
●一切スタツフは干渉してこない

以上を了解した上で「湯快リゾート」を利用すれば安い値段で有名だった宿を(湯快リゾート経営になったにはそれなりの理由がある)利用することができます。但しバスに乗る場合、偶数利用でないと隣の席に知らない人が座る場合があります。


[1792] 【1802回 ロッククライミング講習終了】 2009-03-18 (Wed)

4月の天候だそうでポカポカ陽気の中、阪急芦屋川駅でクライミングの受講生を乗せ、茶店下の駐車場からスタートしました。師匠の荷物15s、姫の荷物10.6s、そんなに早くは歩けません。一歩、一歩踏みしめる様に奥高座の谷を歩きます。もう額からは汗が、したたり落ちています。今日の受講生は3名、丁度いい人数です。10時前には岩の下に到着しました。今日の講習場所は「ブラックフェイス」です。

3ピッチに分けて練習し、最初は師匠がリードで1ピッチ目の準備にとりかかり続いて姫がヌンチャクを回収しながら登ります。続いて師匠が下に降りて、受講生の装着に不具合がないかチェックをし姫が上でGIGIを使い受講生を引き上げます。みんな緊張して、エイトノットを忘れていたりで少し時間がかかりました。「エイトノットはローマ字のエルを書くように」と言うとみんなすぐ飲み込めました。みんなが第1ピッチに上がると、次は第2ピッチ、続いて第3ピッチと進みます。第3ピッチはむずかしく感じていましたがみんな上手に登ってこれました。感動の声をあげながら、はじめて神戸の町並みを見て「き〜れ〜い〜!」と心に余裕がでてきました。

30メートルのロープでは下まで懸垂下降は無理のため途中の棚まで2回に分けて懸垂の練習をしました。1時30分に、やっとこさ昼食タイムになりホッと一息つくのも、つかの間で午後の講習の開始です。トップロープで第1ピッチまでを右、左、真ん中と足場を変え3回ほど練習をしました。

今日の私はクライミングシューズを履いており「この靴履いて登ってみますか?魔法の靴で、どんな場所もオチャノコサイサイよ」と靴を貸してあげました。「ほんまや〜魔法や〜」と随分上手に登ることが出来ました。優秀な生徒3名でした。私も2本のロープでのGIGIの使い方(一度に2名を引き上げる方法)を勉強しました。

帰り道の受講生の足取りは軽やかで、師匠が「加減して歩いてくれ〜荷物が重いんや〜」と軽い悲鳴をあげます。私も弁当の重さは減ったものの、ズッシリと腰と肩に堪えています。車の場所に到着したのは午後4時を過ぎていました。阪急芦屋川駅と、東西線海老江駅で受講生を見送り帰宅したら午後5時を過ぎていました。まあ1日よく遊んだものです。熱中すると時間なんてわからなくなりますね。次の講習も今日の勢いで頑張って下さいね

★19日から20日の2日間は「湯快リゾート山中温泉の旅」に行くため姫のおうちはお休みさせて頂きます。


[1791] 【1801回 故郷の香り】 2009-03-17 (Tue)

故郷高知に住む親類から「土佐文旦」が送られてきました。これが届くと四万十川に春が訪れます。高知市から四万十市を走る国道沿いにピーチパラソルを広げ、バケツに入れた土佐文旦を売っているおばあちゃんの姿が増えます。国道沿いが黄色に変わると言っても言い過ぎではありません。赤ちゃんの頭よりも大きいみかんです。周りに人影も車もなく、どうして家路にたどり着けるのだろうと心配したことがあります。「日暮れになったら家の者が迎えに来てくれるけん」そう笑う老婆の姿は土佐の風物詩みたいです。文旦売りが終わると「アイスクリン」売りに変身します。(ブログに写真掲載)

文旦は皮が半分、実が半分、「剥いてくれたら食べる」という人が多い。土佐文旦の特徴は独特の芳香を放ち、爽やかな甘さと程よい酸味が織り成すハーモニーが味わえます。口の中へ入れると「プチッ!」と弾けて「ジュワー!」と広がります。まるで真珠のような果肉で美味しいです。5月になると小夏というみかんに変わります。

従姉妹の後を追うように恩師からも土佐文旦が届きます。そして、そして待ちに待ったイタドリ姫の季節になります。入学式の頃にはイタドリの芽がピョコッと出てくると思います。あっそうそう高野山町石道の頃、採れるかもしれないので塩を持って行こうっと。食べるのではなくて宿坊で皮を剥き、塩漬けして持ち帰るのです。いつだったかフロントに頼んでお汁茶碗に一杯塩をもらったことがあります。ビニール袋に皮を剥いたイタドリを入れ翌朝、水を捨てて持ち帰ります。

「季節限定イタドリ姫」今年もまた到来〜です。


[1790] 【1800回 琵琶湖疎水】 2009-03-16 (Mon)

京都トレイルで第1回目のゴールの琵琶湖疎水のことについて少し説明をさせて頂きます。京都の人は単に「疏水」と呼んだり、「京都疏水」と呼ぶ人もいます。

疏水は明治時代に琵琶湖から京都に引かれた水路です。船での運搬や発電、水道や灌漑用水などの目的で作られましたが、現在は京都市に上水を供給するのが主な目的となっています。はじめに掘られた大津市三保ヶ崎から京都市東山区蹴上までの水路を「第一疏水」、次いで掘られた先の水路にほぼ沿う全線暗渠のものを「第二疏水」、南禅寺境内を横切り哲学の道に沿って流れ高野川・賀茂川を横切って堀川に至るものを「疏水分線」、蹴上から出たあと南禅寺船溜を経て平安神宮の前を流れるものを「鴨東運河」と呼ぶそうです。、南禅寺境内の水路閣や哲学の道が観光名所となっていて多くの外国人が訪れています。下見の時に道迷いをして行き交う人に道を尋ねようとしても、ほとんど外人さんばかりでした。(日本の道を外人観光客に聞いたら恥やろ〜)

疏水は京都市民に水を供給するほか、水辺には憩いの場を作り出し、変わったところでは南禅寺界隈の庭園群に遣水を流すなどさまざまな形で利用されています。また疎水の流れの速いこと、誰か疎水でドロだらけの靴を洗いたいと言うてましたが、とんでもない。命がけ、いいえ流されると死に至ります。本来は昨日疎水で説明しようと資料を用意していましたが、チャンスを逃してしまいましたのでここで説明しました〜!。

★第一疏水
滋賀県大津市三保ヶ崎で琵琶湖南湖から取水されしばらくは開渠を流れ、大津市と京都市山科区の間はトンネルが開削されました。全長は8.7km、1890年に完成。

★第二疏水
取水口から蹴上出口まで完全な暗渠で、第一疏水にほぼ沿う形で作られました。こちらは全長7.4kmで、1912年に完成。

いずれにしても蹴上げの琵琶湖疎水は神秘的で観光スポツトとして人気のある場所でした。次回もお楽しみがあるといいね。きっとあるよ。



[1789] 【1799回 京都トレイル第1回終了】 2009-03-15 (Sun)

★第1回「稲荷〜蹴上げ」コース

前日の雨や強風がうそのように晴れて、今日は「やまたび日和」です。JR京都駅から奈良行きに乗り換え稲荷駅に午前8時40分位に到着しました。もう既に懐かしい顔ぶれも揃っていて、朝のご挨拶を済ませ、稲荷神社前のガードマンさんに、この地でストレッチをしても良いかと聞くと「どうぞご自由に」とのやさしいお言葉。通路を避けて、邪魔にならないスペースでストレッチをしてもらいました。2009年版から地図に歌集を織り込んでもらうことに交渉成立です。ザ・シンフォニーホールで大阪センチュリー交響楽団の素晴らしい演奏や歌を聴き、心に残る唱歌は、やはり歌いたいと切望したのです。季節の歌、心に残る歌、いいじゃありませんかねぇ。

下見を済ませていますのでコースに不安はありませんが、下見シールが剥がされていないかが心配でした。しかし撤収するのに苦労するほどしっかりとくっついていました。京都トレイルは1番から通し番号が打ってあり今日は33番の蹴上げまでの予定です。伏見稲荷大社で何やら熱心に祈願をするジョンの後ろ姿に見とれつつ、千本鳥居をくぐり三つ辻の茶店前を通過すると「1本200円」のお助け杖が売っていました。我々の中に購入する物は誰もいませんでしたが不思議なことに四つ辻茶店の前では「1本190円」でお助け杖が売られていたのには笑いました。(この10円の差は何やねん?)

階段を下りたり、橋を渡ったりしながら宮内庁の領域を歩かせて頂きます。ここには後堀河天皇、孝明天皇が、お隠れ遊ばしていらせられます(アイタッ舌噛んだわ〜)泉湧寺を通過し京トレ14番渋谷街道の看板を目印に進みます。19番の看板を通過するとき、トツプの姫に異変が起こりました。

突然「19の春」を口ずさみはじめたのです。

私があなたに惚れたのは
ちょうど十九の春でした
いまさら離縁というならば
もとの十九にしておくれ

「私かて19の春に戻して欲しいわ〜」女性の中から願望と言うか、無理難題というか、無茶と言うか、そんな悲鳴に近い声が聞こえてきて、大笑い。そんなこんなで19番の道迷いをしてしまいました。(ごめん)すぐ軌道修正できましたが、みんな和やかに、そして軽やかに、春の日差しを浴びて楽しく歩いています。やがて大きな将軍塚が見えてきました。昼食場所はもうすぐです。午前11時40分あづまやに到着です。

日差しを浴びながら弁当を広げたり、日差しを避けて、あづまやの中で広げたり、石の上に広げたりと自由にお昼を頂きました。その後「早春賦」「おぼろ月夜」を歌い「ワンポイントレッスンタイム」です。ステッキの悪い使い方、良い使い方の指導を受けます。何気なく使っていた人も「なるほど、なるほど」と今後のステッキの使用に役立つお話でした。記念撮影も済み、京都の町並みが全貌できる展望台でしばし憩いのひとときをすませ、さあ午後からの出発です。

午後のスタートのすぐだったと思いますが道路脇に脚立が放置されていました。そして木の枝からはヒモが垂れていました。一体何のために?だれがここに?と気味悪い思いで急いで通過しました。事件性は無いと思いますが、あまり気分の良いものではありませんでした。午後からは、ほとんど下り道ばかりですので1時間ほどで蹴上げに到着です。「33番−1」ここが第1回目の本日のゴールです。ここから琵琶湖疎水の船をみながら南禅寺にむけて散策となりました。

南禅寺から、くろねこかあさんと、オリオンさんの案内で「山の写真展」の鑑賞のために美術館に出向きました。みんなリュックを背負った団体のため、親切に受付の方がリュック置き場を作って下さり、身軽で、ゆっくりと楽しめました。雪の衣装をまとった美しい山。特に自分たちが登ったことのある山々は熱心に足を止めて鑑賞したのではないでしょうか。沢山の写真の中に1枚だけお名前の処に黒いリボンがしてあり受付で尋ねると亡くなった方の作品だそうです。「でも山で亡くなったのではなく病気ですよ」と付け加えておられました。私の印象は、やはり槍ヶ岳・・・・

美術館を出ると、三々五々に京阪、阪急、JRとそれぞれに別れました。私は京都行きのバスに乗りましたが、これがまた満員で、結構、缶詰状態で今日の登山よりもバスの中で疲れがドツト出ました。バスの中でストックのキャップを落とし、それを終点で気が付き運転手さんにお願いして探しましたら、ありました〜。買えば200円ほどなんですがね、掃除する人にとってはゴミだからね。

JR京都駅から姫路行きの快速電車に乗り尼崎経由東西線海老江まで、坐って帰ることができました。電車の中でポチが席替えを3回していました。私とジョンは補助席に座っていたのですが、ポチに理由を聞くと「隣のおじさんが臭くってたまらん」と席を移動したようです。ポチが移動した席に、事情を知らない女性が座ったのですが、次の駅を待たず、すぐ立って次ぎの車両へ移動していました。よっぽど臭かったんやね。

家に戻りすぐに「風呂、風呂、風呂や〜」と騒いでいました。汗で臭いのではなかったようです。どんな臭いか聞くと私まで臭くなるので聞けませんでした。丁度その頃、ももちゃんの4歳の誕生日の写メールが届き、臭い話しもシャンシャン終了〜(ブログに写真掲載。)

(教訓)これから夏に向かって汗をかきますので電車に乗る前には着替えるといいですね。


[1788] 【1798回 福ちゃ〜んの呼びかけに誘われて】 2009-03-14 (Sat)

土曜日の朝から本降りの雨が振っています。昨晩、広島から帰ったももちゃんパパが終電車に乗り遅れて、お泊まりにやってきました。3月15日は、ももちゃんの4歳の誕生日。あいにく日曜日のお誘いに参加できなくて(だって京都トレイルだもんね)ももパパを送りがてら1日早く誕生日会をすることとなりました。「ばぁちゃん遅い〜」そんな催促の電話をうけながら名塩まで出かけました。「まだ4歳とちゃうねん〜」もう1日残っていることを強調します。

お昼ご飯を囲み、夕方は市岡高校の同窓生による「打ち合わせの会」に誘われて港区夕凪町まででかけました。20年振りに出会った同級生達は頭は禿げて、あるいは白髪混じりになり還暦を迎えたのは自分だけでないことを実感しました。私の高校の時の呼び名は「福ちゃん」です。懐かしい響きです。苦学生だった頃を思い出し懐かしい思い出話に花が咲きます。話題は病気の事と年金の話し。でもみんな現役でバリバリ仕事をしている様子です。

同窓生の一人が卒業アルバムを持参しており、若かかりし日々を昨日のことの様に話しました。私はどうも堅物で近寄りがたく怖かったそうです。それもそのはず一刀水の監視のもとに清く正しく美しく学生時代を過ごしていたのです。「親のない子」がふしだらではいけないと言う厳しい躾のおかげで今の私がいます。

男性諸君は学生服を来て遊郭に行き、学生証を見せて割り引きしてくれと頼んだそうです(あきれ〜た)古きよき時代の話しですよね。明日、山登りがあるからと早々に引き上げましたが、学生時代の友人は上下関係がなく昔に戻れます。今日は同窓会ではありませんが、いつか同窓会を再開したいとみんなで願ってそれぞれが別れました。

戻ると故郷から土佐分担が届いており両親がいなくても、故郷からの荷物が届くことの幸せをかみしめています。


[1787] 【1797回 クライミングの道具GIGI】 2009-03-13 (Fri)

クライミングの道具で「GIGI」という器具があります。セカンドクライマーを引き上げる時に使います。トップで確保点まで登った後、支点にGIGIをセットして下のクライマーに「どうぞ」と声をかけます。このシステムは体重が70sであろうが80sであろうが女性でも難なく引き上げることができます。

ところが、ところがです。過日のA懸岩での出来事です。ジョンが恋に落ちました。(ちゃう、ちゃう変換ミスです)故意に落ちました。私のGIGIの操作のテストの様です。GIGIがうまくセットできていましたので私にかかるショックも無く「あっ落ちたわ〜」ぐらいの感覚でした。ところが「ロープゆるめて〜」と言われ慌てました。ロープはジョンの落下の荷重でGIGIに食い込み、どこをどう触ってもビクともしません。岩の下から「シュリンゲをGIGIのカラビナにかけて支点で折り返してビレイループにかける。確保しているロープにATCをセットしてその場に座れ〜!」何度も聞いているので言ってる意味はわかるのですが敏速にできません。

本番で足が岩から離れた場合、宙づり状態になっているため体重を利用して一刻も早くGIGIのセットを解除、ロープのテンションを解除し、ATCを利用して下にぶら下がっている人を安全な場所へ移動してもらわなければならないことを学びました。クライミングは奥が深いわぁ(でも1回では飲み込めてないのでまた教えて下さいね)

私の知り合いで「ゴールデンウイークを利用して、友達に立山に連れて行ってもらいます。登山靴は今から買います」とメールをくれた若者がいます。私のアドバイスとしては
@同行する友人の山行経験
A5月とは言え立山は12本爪アイゼンが必要
B事前の練習
C登山靴はハイカット
などをアドバイスをし、とにかく一度我々のトレーニングに地獄谷にいらっしゃいとお誘いをしておきました。地獄谷を難なくクリアし、アイゼンを装着してトレーニングをして、装備も私の持っている物で間に合うならば遠慮なく使ってほしいと思っています。唐松岳での事故の時「山が本当に好きなら生きて帰ってほしい」と言ってらした言葉が心に残ります。

「あっ」の一瞬が命取りとならないように、道具を正しく使えるようにしたいと思っています。ところで10.5×30bの「みっちゃんロープ」買っちゃった〜。クライミングの時は使っても使わなくてもリュックの中に入れて行動するようにとのリーダーのお言葉。「重い〜」慣れるしかないのね。使ったロープの手入れも今までリーダーやサスケ先生のご苦労も知らず使わせて頂いていましたが、「みっちゃんロープ」は自分で手入れをしなければいれません。まず乾燥したタオルでホコリを取り除き、熱湯につけたタオルを硬く絞り拭きます。その後、日の当たらない場所(蛍光灯の光もダメだって)で2〜3日、乾燥させてから収納します。


[1786] 【1796回 高っー!】 2009-03-12 (Thu)

山用品の店の「○○−bell」からカタログが送られてきました。ポチの目の触れないところに置いておかないと、またあれが欲しい、これがいいなあと見る物すべて手に入るように思っています。本当に必要な品なら、反対はしませんが持っていても使用できないものもあります。今自宅にあるクライミング用品を、いかに正確に、かつ敏速に使えるかが先決だと思いますよ。

そのカタログの中に近畿のハイキングの案内がありました。「○○−bell」の講師付きだと書いてあります。例えば現地集合現地解散で荒地山〜風吹岩6500円、武奈ヶ岳7500円などびっくりする様な参加費の値段でした。我々はリーダーに恵まれ、山の登り方、ルール、救急までも歩きながら学ぶことができます。

高い山についてはリーダーが一度は体験した箇所に我々を案内してくれます。昨日、好日山荘で雪山登山のビデオテープが放映されており、しばし鑑賞していました。凍結した山道の歩き方、ああこれは教えてもらったよな、下山時のロープでの確保、ああこれも習ったよな、とうなづける場面が多かったです。ただ時間が経つと「忘れている」ことが多く「この間教えたやろ!」って叱らないでほしいなぁと思っています。私はいま時、自宅に30メートルのロープを垂らし、通過時に使い終えて、移動時のロープの始末の仕方を復習しています。手が短いのと、だんだん重くなるので手の長さが違ってきてロープが一定の長さになりません。何度も何度も練習を積み重ねるしか上達への道はなさそうです。

今日は天気もいいので、ベランダからロープを垂らしGIGIの練習をしたいと思っています。(ここは行き止まりの道のため人通りはほとんどありません)3階から懸垂下降もできそうです(ハハハ)

好日山荘に「ダウン専用洗濯洗剤」が売り出されていました。買って使ってみましたが、なかなか良い製品です。もうそろそろ春になるのでそろそろダウンのお手入れをしてみてはいかがでしょうか(しかし寒の戻りがあるかも)


[1785] 【1795回 定期検診】 2009-03-11 (Wed)

今日は私の定期検診の日でした。どこが悪いかって?血圧が高く(今は運動の効果が出て130/80)2ケ月に一度検診を受けているのです。予約システムがうまく作動して、ほぼ時間通りに名前を呼んでくれます。「久田さ〜んどうぞ」看護師さんの声で診察室に入りました。先生が「生きていてよかった〜テレビを見て心配していたんですよ」どうも唐松岳登山に同じ町内なので同じパーティではないかと案じてくれていたそうです。診察を終え「くれぐれもお気を付けて」と声をかけて下さいました。何故、主治医が登山の事を知っているかと言いますと登山時に使う「ツムラ68」「誘眠剤デパス」の処方をお願いしたことがあるからです。

その足で眼科検診にも行くことにしました。平成12年に視力検査をしてから、とんとご無沙汰していたのです。「遠くがハッキリ見えて、近くもハッキリ見える視力」を希望すると「それは無理。どちらかを選んで」と言われました。遠近両用メガネは常時掛けると登山の時に汗をかいたりして不便のため「現状のまま」と言うことで帰ってきました。長く時間を費やしてしまったのに先生も看護師さんもやさしい対応でした。

眼科の先生が「あ〜あ貴方は平成12年に『6時から大切なイベントがあり司会をしなければなりません。何とか5時までに治して下さい!』とかけつけて来られた阪神○○機械の久田さんですね」と覚えておいて下さいました。次の日にお礼の言葉とイラストを書きファックスしたことも覚えていて下さいました。地域に根強く人気のある秘訣は、ここかな〜

その後好日山荘まで歩き、買い物と昼食を取り、また歩いて戻ってきました。午後からはポチが病院で心臓ホルダー装着日なので歩いて阪神大物駅にある病院まで迎えに行ったら、既に帰宅したあとでした。「滅多にしないことをするからや」と冷ややかな言葉でしたが、私達はトレーニングのためなので別に大きくショックを受けることもないしね〜(大物から淀川は電車利用)

少し早めの夕食となり新製品のビールで乾杯(プリン体カット、糖分カットのビール)

あっそうそう。好日山荘の前にある桜、満開でしたよ〜(ブログ参照)


[1784] 【1794回 私に1時間の休みを下さい】 2009-03-10 (Tue)

「私に1時間の休みを下さい。眠りたいのです」これはテレビドラマでの1シーンですが、身につまされる思いで見ました。痴呆症の姑が兄夫婦の家からやってきて、平穏だった一家が色々問題を巻き起こすというストーリでした。夫は仕事人間で妻と娘に母親を預けっぱなしで、妻の疲労がひましに蓄積され、妻が姑に対してつらくあたる日々が続く。そんな中、妻は姑の痴呆を否定せず、自分たちも痴呆の姑に合わして生きていくことを悟り、在宅介護が何とか軌道に乗り始めました。

仕事人間の夫が妻に深く感謝をし「オレに出来ることは何なのか教えてくれ」と言うと妻は「私に1時間の休みを下さい。眠りたいのです」「たった1時間でいいのか?」「ええ」そして妻は蓄積した疲労からか死んだ様に眠りました。夫は妻が1時間後にセットした目覚まし時計をリセットし慣れない家事をするという展開でした。

在宅介護は家族の協力、地域の協力がないと絶対に続かないと思います。一人で抱え込まず介護のプロを頼み、時々自分の時間を作ることが必要だと思いました。介護施設も3年待ち、5年待ちはザラで入居者が死亡したら次の入居が可能と言ったのが現状です。私の両親が生きていたとして介護が必要だった場合、仕事をやめて介護しただろうか、多分仕事を続けるために入院か施設のお世話になると思います。「介護休暇」なるものも会社にはありますが、はたして今の時代快く会社が承認してくれるかどうかと言うことも心配であります。

今私は介護をする側の話しをしていますが、10年経つとポチや私が「介護をされる側」になるかも知れません。その時は息子や嫁に迷惑を掛けないように、息子達の生活を振り回さないで、静かにかわいく介護を受けたいと思います。息子達もおじいちゃんやおばあちゃんや一刀水おっちゃんの看護を見ているので、そんなに乱暴には扱わないであろうと楽観しています。

まぁ今は元気で好きなことして、元気で歩ければ幸せかなと思っています。これから結婚しようとしている若者がいたら将来はお互いの親を介護することも想定して、その時は嫌がらず大切に扱ってあげてほしいと思います。決して「年寄りは汚い」「年寄りは臭い」などと言わないでほしいと思います。私達年寄りも気を付けますから。


[1783] 【1793回 フルンブルンい〜い音です】 2009-03-09 (Mon)

盗難に遭い、自らが探し、破壊された部分を修理に出していましたが今日やっと出来たという連絡をもらい引き取りに行きました。「ヘルメットは無事ですか?」「大丈夫。ホラ」と修理屋のおじさんが座席ボックスを開けてヘルメットを見せてくれました。「よかった〜大切に乗っていましたからね」と代金を支払い、此花署の前を周回し帰宅しました。(ブログ参照)

「ブルンブルン・・・」やっぱこの音たまりません。暴走族ではありませんがバイクは小回りが効いて便利です。この歳になって乗るなという警告なのかとも諦めても見ましたが、なかなか諦めることが出来ませんでした。安全な運転で快適な還暦ドライバーでいましょう。

私は盗難に遭った側ですが、反対の立場の人に聞くと「乗ってみたい車種のバイクであればハンドルロックをしてても簡単に盗める」そうです。最近、家の廻りに外灯がついたことで終始昼間の様に明るく、バイクを照らしているので目に付いたのでしょう。盗まれない方法を聞いたら「この機種はスピードが出るので無理っす」だって。

では目に触れないように、コーナンでバイクカバーを買い盗難防止に全力を注ぎました。簡単に盗めるということは犯罪者をひとり増やすということですから自分できちんと管理しなければと反省しています。


[1782] 【1792回 芦屋ロックガーデンは銀座の賑わい】 2009-03-08 (Sun)

私は銀座の賑わいは知りませんが、多分こんくらい賑やかなのではないかと想像ができるほどロックガーデンは家族連れ、ボーイスカウト、子供会などで賑わっています。「ヤッホー〜ヤッホー〜」という呼び声の中に「落ちろ〜!」そんな声も聞こえてきました。後を追いかけ「何をぬかすか!」
と泣かしてしまうには距離が離れています。あれは子供じゃなく保護者の責任です。(怒)

そうなんです。私達はホワイトフェイスに行っていました。冬枯れの下木々の合間からロックガーデンを登る人達の姿がよく見えます。「あっ!うららちゃんやっ!」沢山の人の中から確かに、うららちゃんの姿を発見したのです。唐松岳関係者の吉田さんといい、今日のうららちゃんといい、私には人を見つけるアンテナが付いている様です。ジョンもポチも「そんなアホな。見間違いや」と、せせら笑いをしました。

携帯電話で、うららちゃんの所在を確認しました。「もしもしおはようございます。今うららちゃんどこにいらっしゃいますか?」「おはようございます。今日はロックガーデンを登っています。今は第一鉄塔付近です」との事。やっぱり私が見たのはうららちゃんだったんです。慧くんか光ちゃんにシュリンゲをかけて登っていた姿が、うららちゃんだったんです。(せせら笑いした男性群はうなだれる〜)

ホワイトフェイスを楽しんだあと、A懸岩に移動しました。A懸岩到着が12時10分でした。ジョンはアイゼントレーニングを、私は支点の方法、ポチは上昇下降、それぞれが練習を繰り返しました。午後2時30分を過ぎたら、岩場は肌寒く感じてきましたので中央稜に廻り下山となりました。

ジョンは本格的な岩登りは3ケ月ぶりで、それまではちょこっとA懸岩を横目で通過したりC懸尾根を通過したりでしたが今日は少し本格的なトレーニングだったため、カラムーチョを飛び越えて「ヘロヘロ状態」になり、帰りの車の中では睡魔に襲われたのか爆睡していました。しかし食事の時間になると「おーっここはどこや〜?」と目覚めた様子。

平地、アップダウン、本格的岩場、全部クリアー「合格!」


[1781] 【1791回 感動の復帰宣言】 2009-03-07 (Sat)

今日3月7日はやまたび倶楽部のリーダーの「復活宣言日」でした。多くの会員の皆様が一同に集まり、借りた会場が熱気でムンムンして、窓を開放するほどでした。病気に負けず体力も衰えずのリーダーの努力に感謝状と記念品の贈呈があり乾杯となりました。皆様が持ち寄って下さった、山の様な差し入れの品で机の上は一杯になりました。感動の時間はアッと言う間に終了となりましたが意義のある会合であったと自負しています。

人が落ち込んでいるとき、そっとしている方がいい時もあります。出口が見えた時はみんなで賑やかに励ました方が完治にむけて早道と考えたんです。リーダーの挨拶の後、唐松岳での滑落事故の詳細を話して安全に充分、気をつけながら山を楽しもうということの意思確認をしました。とりあえず「ツエルト」の必要性を説き、重さを感じてもらいました。350グラムリュックの中が重くなります。(ツエルトは封筒型)

「そんな危険なところ行かないから」と私も思っていました。でも夫婦で六甲を歩き、道迷いした時、体力の消耗を考えると、朝まで、じっと待つことがないとは言えません。雨の降る日、足を骨折して救助隊が来るまでその場で待機するときツエルトをスッポリかぶり待つことで尊い命が救われるのです。「使わないのに」ポチはそう言いながら買ってくれました。ツエルトの様な緊急品、使わない方が幸せなのです。万一の場合が無いことの方が幸せなのです。

季節に似合う道を歩き、それでいて限りなく土の道を求め、登って下って、何かを見つけて、友との仲を深め、時には酒を酌み交い、時には季節の歌を歌い、元気をもらう。ある時は危険を想定して訓練を続け、夏が来るとアルプスを目指す。こんな中高年がいてもいいよね。


[1780] 【1790回 諦めないことの大切さ】 2009-03-07 (Sat)

6日は警察の推進委員会があり会議のあと、雑談会となりました。話は私のバイクの盗難の話になりました。「そやけど、よ〜ぉ自分で見つけたなぁ、刑事課もびっくりしていたよ」との事でした。私もそう思います。諦めないと言うことの素晴らしさを体感しました。「じゃあ新しいバイク買おうか」そう言ってしまえば簡単です。でも大切に乗っていましたので、まだまだ5年は乗れるはずです。5年経って盗難に遭った時は「加齢によりバイクは乗りません」と諦めます。いつだったか、くろねこかあさんがバイクに乗って柿を運んで来てくれたとき「格好いい〜」と思いましたもの。まだまだ乗りたいよ〜!。そんな思いでキーの破損修理に出しました。また戻ってきたら大切に事故に遭わないように乗ります。

諦めないと言うことは仕事においても言えることです。昔のことですが、女子社員の中で「いじめ」に似た事件が起きて「もう私、会社やめます」って私に泣きついた女子がいました。「やめる事は簡単なことだけど、今辞めると相手に負けるということやで。相手が辞めた次の日に退職届け出したらどう?見届けてからでも遅くはないよ」と慰めと言うか檄を飛ばしました。彼女は私のアドバイスを忠実に守ってくれて、相手の退職を見送り、その後明るさを取り戻し、結婚、お産寸前まで元気に明るく勤めてくれました。これも諦めなかった勝利だと思います。

ダイエツトもそうだと思います。途中でやめたくなる気持ちはよ〜くわかります。だってやめた方が楽だもんね。食べたい物食べて、メタボを受け入れての方が楽だもんね。(ナスがママならキューリがパパ状態)

この1ケ月、糖尿病食と向き合って見て(たった1ケ月だけどね)本人も大変だけど家族の支えがあることを忘れてはならないと思います。糖尿病食の勉強をする病院のカリキュラムがありますが、あれは家族も巻き込んで取り組まなければ絶対に改善されないと思います。過日、此花のクレオ会館での会議の途中で意識障害を起こして救急車で運ばれた人がいたそうです。(低血糖による意識障害)

まず元気でいること。病気をしたら放置せず治療をすること。運動が必要な時は一人でなく仲間を巻き込んで楽しくすること。途中で諦めないこと。

私が人生で唯一諦めたことはポチと同居していること〜!


[1779] 【1789回 唐松岳事故の告別式に参列】 2009-03-05 (Thu)

5日午前10時、サスケクリニックで治療を終え西九条にある「だんだん」という店の「手打ちそば」を食べにいくことにしました。「だんだん」とは島根の方言で「ありがとう」という意味です。朝の連続ドラマでみんな知ってますよね。夜は五島列島から直送された材料で多彩なメニューを出してくれる酒処となり安くて美味しくて焼酎の銘柄も多い店として私のリストの中にキープされています。昼間の手打ちそばは、まだ食べに行ったことがないため足を運ぶこととなりました。上品な店構えで接客に使っても恥をかかないお店です。そばを食べていると「やぁやぁ」と知り合いの人が入ってきました。(世間は狭いなあぁって言うか警察の部会で、この店を利用するのでこの方もお客様を連れて来たみたいよ〜)(ブログ参照)

午後1時半から、唐松岳で滑落して亡くなった「後藤真由美さん」の告別式に参列しました。面識はありませんが、アルプスの山々を愛する仲間として野辺の送りに行かせて頂きました。突然の訃報にもかかわらず職場の多くの皆様や学校給食の栄養士をされている関係で小学生の生徒代表もお見送りに来られていました。出棺を待つ間に関東弁をしゃべる初老の男性と肩を落とす女性がとても気に掛かりました。ひょっとして唐松岳に同行したメンバーではないかと直感したのです。(ブログ参照)

「あのぉ・・・お取り込み中申し訳ありませんが吉田喜一さんではありませんか?」突然自分の名前を呼ばれたことに驚きの表情です。「唐松岳にご一緒された方ですよね?」と聞くと「はいその通りです。私が吉田で、この方は私と下山した女性です」「大変でしたね。私も山が好きで人ごととは思えなくて」と話しが続きます。吉田喜一さんは自分の名前を知ってくれていて、唐松岳の事も充分にっている私に心を許して下さいました

「亡くなった真由美さんはベテランで、先を歩いていた(2番目)女性が滑落したことで、ひどく動揺し、つい足を滑らせてしまいました。強風でもなんでもありません。不運としか言いようがありません。」「ツエルトは携帯していましたか」「勿論です。しかし最初に滑落した女性はツエルトを持っていませんでした。が単独登山をしていて先に滑落していた男性がツエルトを持っていて2人とも助かりました」「みなさん東京、名古屋、大阪と住所がバラバラですがどういうご関係なんですか?」今考えると警察の尋問みたいですが、吉田喜一さんは堰を切ったように苦しい胸の内を話して下さいました。

「私達はヒマラヤ登山で仲良くなったんですよ。最初は浅間山へ行く予定をしていたのですが浅間山の噴火で唐松岳に行くことになったんですよ。ニレちゃんと真由美ちゃんはあの世でお互いの思いを遂げて仲良くしていることでしょう」と言っておられました。(ニレちゃんとは頂上付近で連絡係をしていて小屋に降りる途中滑落死亡した男性です。)

私が最後に「でも、これで山に行くことを諦めないで下さいね。どうぞ今後も真由美さん達を連れて登山をなさって下さい。お気を付けて」と言うと、私の手を強く握りしめ大粒の涙をながしながら火葬場へと向かわれました。先に吉田さんと下山した女性は憔悴して痛々しい姿でした。

喪主であるお兄さんの挨拶に、兄妹が疎遠になっていましたが多くの皆様にかわいがっていただいていたことがわかりました。しかし山を愛するならば何としても生きて帰ってきてほしかった!と・・・・合掌


[1778] 【1788回 えっ?救助されたんとちゃうの?】 2009-03-04 (Wed)

3月1日、唐松岳で遭難し足を骨折し身動きができなくなった此花区高見町(私と同じ町)の51歳の女性の家の前を通ってみると「喪中」の張り紙があり、曲がり角には「後藤家告別式」の案内板が出ていました。葬式会場に行ってみると遺影にはアルプスの頂上で撮影したと思われる大きな写真が黒いリボンで飾られていました。死因は「凍死」だそうです。この事故の話しは3月7日にリーダーが雪山の教訓として講義をされるそうです。

今日は1ケ月ぶりのジョンの診察日で、私も同行致しました。血液検査をし内科、神経内科と2ケ所の受診をし、すこぶる快調に回復していると医師から太鼓判を押して頂きました。

●血圧=134/80
●血糖値=99(以前は470)
●コレステロール=131(以前は230)
●中性脂肪=267(以前は400)
●ヘモグロビンA1C=6.7(以前は7.3)

コレステロールと中性脂肪については引き続き努力を続けると言うことで、あとは複視の回復のみとなりました。まぁ6月がご自身が立てた完治日ですから、あせらずにコツコツと努力あるのみということですね。1ケ月間の感想としては、いかに食生活を改善するか、いかに運動をするかが効果として現れることを学びました。

本日を以て「年の離れた妹役」と「鬼トレーナー」と「にわか栄養士」の役目を終了させてもらいます。あとは自分でし〜い〜や〜!(といいつつも妹もおかげ効果を頂けて健康体になったことに感謝していますよ)


[1777] 【1787回 眠っちゃならねえぜコンサート】 2009-03-03 (Tue)

訳ありコンサートのチケットが郵送されて来て、今日は雨の中、福島駅近くにある「ザ・シンフォニーホール」に出かけました。入り口で仲間達と合流するも、それぞれが奥様連れであったのと1階席、2階席と別れていたため、それぞれバラバラに鑑賞することとなりました。前回に書きましたが大阪府民の文化として設立(1990年 岸 昌 府知事時代)したはずの大阪センチュリー交響楽団が解散の危機に陥り「ガンバレ!大阪センチュリーコンサート」と言うことで今回のコンサートとなりました。

会場は応援する人達で埋め尽くされ満席、補助席、立ち見席いやいや立ち聞き席までも出ていました。音楽評論家の日下部吉彦さんや池辺晋一郎さんなど多彩なゲストも登場。
歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲
歌劇「椿姫よりさようなら過ぎ去った日よ」
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
歌劇「トスカより歌に生き、恋いに生き」
の4曲をソプラノ歌手が歌い、ボレロ、火の鳥など馴染みの曲もありアンコールが鳴りやまずザ・シンフォニーホールの舞台の灯りが消えたのは午後10時を回っていました。

文化施設の廃止・教育「改革」緊急財政、府庁舎移転、関空問題、御堂筋イルミネーションなど問題が山積みであります。その問題の渦中に大阪センチュリー交響楽団もいるということです。

舞台の上は入れ替わり立ち替わり楽団員60名はいたと思います。札幌、山形、仙台、千葉、東京、広島、九州などの楽団員も応援に駆けつけ総勢100名以上の圧巻コンサートでした。今夜は感動で眠れそうもありません。


[1776] 【1786回 高野三山と女人道】 2009-03-03 (Tue)

大阪は春を思わせるような気温の中、高野山に向かいました。橋本駅で乗り換え極楽橋に向かう車窓から外は雪模様であることを察知し、電車の中で雨合羽を着用しました。今日は宿坊には泊まりませんが、京阪神の小学生ならば、林間学校で訪れたことのある懐かしい場所であるはずです。私は高知産のため高野山の宿坊の体験はありません。

高野山駅に降り立つとブルッと震い上がりました。高野山の外気温はマイナス0.6度を表しています。バスに乗り「女人道」で下車し凍てついた道路を滑らぬ様に進みます。前日に雪が舞ったのかうっすらと雪化粧をしています。すべて土深い道を進みます。20分も進むとジャンパーは無用の物になるほど暑さを感じてきました。人っ子ひとり出会うことはありません。大門まで、およそ1時間、トイレ休憩をとり続きを歩きます。更に2時間ほどで奥の院ゴールです。

午後からは高野三山に挑戦です。摩仁山(1004b)、揚柳山(1009b)、転軸山(915b)を登ったり、下ったり、「全部合わせると富士山に登ってるみたいやね」と言うと「あっほっか〜!」と大笑いされました。そりゃそうや海抜ゼロから登ったんとちゃうからなぁ。雪の舞う高野三山は荘厳で仲間達を連れてきても喜んでもらえること間違いなしです。

宿坊を決めることはできませんでした。値段もピンからキリまであり、翌日の行程を考えると頭の痛い選択です。高野駅は凍てつく寒さで、そそくさとロープウエイに乗り込み、暖を取ろうとしましたが開放された入り口からは冷たい風が入り込んできます。橋本駅で急行なんば行きに乗り換え、あとはムニャムニャ〜と「な〜ん〜ば〜」の駅員さんの声で目覚めました。歩行距離は16〜18キロでしょうか。


[1775] 【1785回 春がきた】 2009-03-02 (Mon)

春を呼ぶ「お水取り」が3月1日に行われました。夜には二月堂の舞台に「お松明」が登場し荘厳な炎に参拝された人たちは喜んだそうです。そんなニュースの下の小さな欄に「大阪の女性ら2人北アルプスで滑落」と言う記事を目にしました。滑落した人の住所を見てビックリ!!此花区高見町とあります。

北アルプス唐松岳(2696b)の山頂付近で登山中の女性2人が滑落したと同じパーティの仲間が110番通報をしたそうです。51歳の此花区の女性は足の骨を折って身動き不能、もう一人の52歳の名古屋の女性の行方はわかっていないそうです。これだけの記事では、天候はどうだったのか、装備は、安全確保はしたかなどは不明ですが、明日は我が身と肝に銘じ無事を祈りたいと思います。

岩登りでも、沢登りでも、手間を惜しまず安全装置をしてから登り始める。これがやまたび倶楽部の鉄則です。トレッキングでも「危ない」と感じたら、自分のカラビナやシュリンゲを使って安全に通過をしたいものです。危険箇所でロープを準備してもらっても、自分の方にスワミベルトやシュリンゲの用意がなければ危険箇所の通過はできません。過日スワミベルトの携帯をしていなかったのですがシュリンゲを代用し無事に通過できた事がありました。

リュックの中にはスワミベルト、シュリンゲ、カラビナは自分を守るためにいつも忍ばせておきたいものです。何を隠そう・・・スワミベルトを携帯していなかったのは姫ちゃんで〜す。


[1774] 【1784回 大阪城梅林へ再び】 2009-03-01 (Sun)

久しぶりに朝寝をしました。退職以来はじめての出来事です。土曜日に「じゃあ明日は雨だしゆっくり休養日にするか〜」そんなジョンの言葉を真に受けて朝寝を決め込みましたら、何と、何とお日様がテカテカと照っているではありませんか。(さてはジョンは私達を巻いて、どこかへ行ったな。まあこれも元気になった証拠じゃのぉヨシヨシ)

遅い朝食を済ませ、昨日のうちに雪で濡れた道具類を洗っていたので、そう慌てることもなく過ごしていたら、零くんとママがやってきました。温泉旅行のおみやげを持ってきてくれたのでした。聞くとパパは特別出勤だといいます。テレビで大阪城の梅林が満開と報じており、函館出身の嫁は大阪城の中に、まだ行ったことがないと言います。

お天気もポカポカだし、じゃあ出かけるかぁと言うことになり府庁の駐車場に車を停めました。城内を一周する汽車ポッポの存在は知ってはいましたがウオーカーとして乗車することに抵抗がありました。しかし丁度いい具合に、今日は零ちっちがおるし、え〜い乗っちゃえと言うことで梅林前まで乗車しました。大人200円です。

梅林に降りると、風に乗って梅のいい香りがしてきます。嫁の純ちゃんも大喜びです。零ちっちも小走りでトット、トットと鎖を離した犬の様に喜び走り廻っています。心配性のパパがいないので自由にさせていました。天守閣に登り(ビル8階ですって)豊臣秀吉になった気分で城下を見下ろします。

帰りも、30分に1本だと言うのに、丁度いい具合に汽車ポッポが来て大手門まで乗ることにしました。今日は暖かいこともあって大勢の人混みで汽笛も普段の倍ほど鳴らしたそうで零ちっちも大層喜んでいました。いつもの事ですかママだけ自宅に送り、零ちっちだけ爺婆の家について来て、お外が暗くなるまで遊びました。(汽車ポッポの写真はブログに)


[1773] 【1783回 ジョントレ】 2009-03-01 (Sun)

前日のバイク盗難事件が一件落着したのと「平地、アップダウン」のトレーニングを終了し、残すは「雪道トレーニング」を残すのみとなりました。過日の武奈が岳行きは「体力に自信がない」と言うことで断念いたしました。雪解けの最後のチャンスの呼びかけに「行〜く〜よ」と快い返事。

アイゼンかスノーシューか迷いましたが「スノーシュー」を携帯することにしました。行き先はやまたびで2度行ったことのある「小女郎池」です。琵琶湖バレイの駐車場のロープウエイに近い場所はすでに埋め尽くされており、下の方しか駐車することができません。あとはシャトルバスで移動します。

琵琶湖バレイロープウエイは新しく大型が導入されており、待ち時間なしでピストン運転です。約4分で頂上駅に到着しました。ゲレンデは赤や白、黄色や青と色彩豊かな若者達の歓声がこだまし、入り口付近のキッズスペースではソリ遊びを楽しむ親子連れも沢山見受けられました。気温は17度(頂上ではありません。下の温度)と春に近いポカポカ陽気で半袖姿の人たちもいました。

そんな中、振り向けば「ヒマラヤ登山」でもする格好のポチがいます。ゴーグルをつけ、目刺し帽をかぶり、厚手のジャンバーを着ています。「暑くないの?」「いやいや丁度や」「ふ〜ん」少し小馬鹿にした会話をしながら登り始めました。金網で封鎖された横の斜面を通過するのですがスノーシューを履いているので、このまま通過は危険と判断しロープで安全確保をすることにしました。距離にしたらわずかです。リュックからロープを出すのも面倒なくらいです。しかし滑落すると500メートル下へ落下することとなります。

スワミベルトを装着し(持参していない者はシュリンゲを工夫)ロープで確保しながら、最後は懸垂下降で通過です。ロッククライミングを習得しておけば、こんなところでも役立つのかと初めて実践で役立ったことに喜びさえ感じました。頂上で小休止し行動食をこまめに口にします。やはり50分に一度は何か食べたほうがいいようです。今日の行動食は「バナナ、乾燥ブルーベリー、ミニクロワッサン、ジャコ、お菓子」です。(加藤文太郎を真似てジャコを携帯しましたが、どうも不評でした。(ハハハ)

頂上から見下ろす琵琶湖の美しいこと。水墨画の世界の様で、しばし見とれました。何と美しい!いままでは視界が悪くこのように美しい琵琶湖は初めてでした。遠くは雪の冠をかぶった白山までも見えました。小女郎池を目指す道には、ところどころしか積雪はなくドロ沼と化した悪道をひたすら下ります。池付近で昼食をとり、来た道を戻ります。

スノーボーをしていた若き女性が「どこまで歩かれたのですか?すごいお元気ですねぇ!」と声をかけてくれました。帰り道はスノーシューも外し、雪道の歩き方を学びながらロープウエイ乗り場まで帰ってきました。入り口付近で中年の男性が「ほほっうみなさんお元気ですなぁ」と我々の格好を見て感心されておりました。午後2時前という時間帯もあってロープウエイも待たずに乗れそうです。

いやいや待てよ、前の方が騒がしいぞと思い、覗いて見ると救護ベットに横たわる若者が付添者に囲まれてロープウエイを待っていました。そう言えば緊急車両のスノーバイクがサイレンを鳴らして走っていたのはこの若者を救出するためだったんですね。ロープウエイが到着しましたが、この負傷者と関係者のみを乗せて発車していきました。4分待てばすぐ次がやってきます。

シャトルバスに乗り、駐車場に戻ってきて、今日は時間も早いことだし風呂に行こうと言うことになりました。着替え一式風呂に行く用意はいつでもしています。10分も走ると馴染みの温泉に到着。汗を流し、和を深め、活力を補い、渋滞に遭うことなく無事家路に到着することができました。

リーダーの足取りは糸の切れたタコの様にスムーズで平地や山での「カラムーチョ」は一度も出ませんでした。雪は足にもやさしく、行きたいと言う気持ちを抑えるより、体力回復の特効薬となった様です。めでたし、めでたし。

(追伸)
ヒマラヤ登山の格好のポチさんは歩き始めて10分も経たない間に「あっ〜つ〜う」と脱いでいました。そこで教訓です。

@同行した人たちと同じ格好をするのが無難です。
Aスノーシューを、ひとりだけ履くと、その間、仲間を待たせることになります。暖かい時は待てても風が強い時は同行者に迷惑をかけます。装着することによって「滑らない歩き方」を学ぶことができなくなります(但しどうしても不安であればリーダーに相談する)


[1772] 【1782回 バイクが盗まれました!】 2009-02-27 (Fri)

27日午前11時30分まだ小雨が残っているためバイクで出かけるのを止めて、歩いて四貫島の銀行に行きました。用を済ませて買い物をして帰宅したのが12時30分、何か変です。ガレージの前に置いてあるバイクがありません。最初はどこかへ乗り忘れたのかと思いましたが、いやいや、まだそこまで、もうろくはしていないとバイクを購入した時の書類を持って、すぐ此花署へ走りました。バイクの盗難に遭ったのです。

よくよく考えれば高見交番でもよかったものの春日出にある此花本署には顔見知りの警察官が多数おられるため心強かったのかも知れません。高見交番は頭からすっ飛んでいました。まず交通課へ挨拶を済ませ、3階の刑事課へ案内をしてもらいました。昼休み中にもかかわらず事情を聞いてくれました。「お母さんのバイクですか」と私と同年代の刑事さんが聞きました。「私は久田と申します」ちょっとむっとして刑事さんにお母さん呼ばわりをしてほしくないことを強調しました。

車体番号、車番、時価にしていくらかヘルメットはいくらかと、通り一遍の質問をしながら書類を作成してくれました。途中、交通課の係長が様子を見に来てくれ「あとで下に寄ってね」と心配してくれました。こんな時はやさしいかけ声が心にしみます。刑事課では「多分出てこないと思いますが、1週間しても出て来ないときは、抹消届けをして下さい。税金がかかってくるからね」といいます。(でも、あきらめきれないなぁ)

購入してから、ずいぶん月日が経ち、価値的にはゼロに近いかもしれませんが、通勤や病院や、買い物や、震災の時もバイクで一人の女子社員を捜すことができた私にとっては大切な愛車でした。警察署を出てからも、どうしても諦めきれず、「まだ1時間しか経過していないため伝法町か高見町に必ずあるはず。キーはつけていないし、まだ改造はされていないはず」と自分を励まし、駐車しているバイクを、片っ端からのぞき込みながら2時間ほど探しました。もう足が棒の様で精神的にも落ち込み掛けていたその時・・・・!

「あった!」高見町の堤防の下に無造作に乗り捨てられていました。すぐ此花署の刑事課に電話をして「バイク見つけました。すぐきて下さい」というと「バイクを押して最寄りの交番に行って下さい」といいます。な〜に〜!!現場検証もしないで動かして交番に持って行けとはどういうことか!バイクごときで出動はできんと言うのか〜?「わかりました。では私は犯人がバイクを取りに来るまでここで見張ります。但し、犯人ともみ合いになり、私が怪我をする場合もあると言うことを事前にお伝えしておきます」と携帯を切りました。

折り返し携帯に着信があり「近くの交番の警察官を2名、出動させます。犯人を見つけるのは危険ですからやめて下さい」といい(最初からそう対処してくれればいいものを!)20分以上経過したのち自転車に乗って交番から警察官が2名やってきました。「キー穴が破壊されています」と報告し指紋採取がはじまりました。誰や!!私の大切なバイクを壊した者は!(鍵穴の壊されたバイクはブログに載せました)


[1771] 【1781回 百円野菜の効果】 2009-02-27 (Fri)

「色のついた野菜を1日300カロリーとりましょう」と言われています。300カロリーって一体どんだけ?って思っていましたが1日1800カロリー摂取を勉強していくうちに、だいたいこんくらいという目安が立つようになりました。最初は「新米栄養士もどき」ではありましたが病人が健康体に巣立った今、我々もその恩恵を受けた方が絶対からだにいいと考え、まず単身赴任中の息子に提案しました。時々メールで確認をすると「冷蔵庫に、おかんがテプラ貼って(月火水木金)って書いてあるから、ちゃんと食べてるよ」と答えが返ってきました。

スーパーでは曜日によって「野菜特価オール100円」と銘打って客寄せをしている日があります。キャベツであったりブロッコリーであったりしますが、ブログに載せている様なタッパーを買い1週間分作り置きします。野菜は新鮮な方が良いと言う方は面倒でも毎日作って頂くにこしたことはありません。また4日分でもいいかと思いますが鮮度は大丈夫です。

キャベツは軽く湯煎します。キューリと大根は生のまま、ブロッコリーやアスパラも湯煎、ミニトマト、スナックえんどうと色のついた野菜をバランスよくタッパーに入れます。この頃ジョンは「ブロッコリーはもう嫌」と言うのでハムに変えました。色々工夫するのも楽しいですし、今までこんなに野菜中心に食生活をしていなかったことに驚きを感じます。

100円の野菜を10種類買っても千円。これを5日で消費したとして1日200円、更にこれを3等分するのですから1日の野菜代金としては約70円ということになります。お金の問題ではなく、こんなに沢山の種類の野菜を食べることがないのでタッパーで保存の工夫に我々としては拍手です。

登山の時、こんな「うさぎさんの食事」ばかりでは「パワー不足」になることをジョンで実験済みです。俗に言うシャリバテ状態になり、その果てには「カラムーチョ」状態になるのです。そこで生み出した新案は「登山3日前からカロリー計算を無視して肉食」にして登山に備えます。医師に言わすと「アホ!」っていわれそうですがベットに横たわり安静にしての1800カロリーと、登山をしての1800カロリーとでは違って当たり前だと思います。下山後食べたのでは間に合いません。登山の時は甘い物も行動食として携帯し、体内から出した塩分の補給もしなくてはなりません。

7日にリーダーが行動食の事にも触れるかと思いますが、このコーナーをご覧頂く皆様にぜひ「姫流野菜タッパー」をおためし頂きたいのです。いままではマヨネーズやドレッシングたっぷりかけて頂いていた野菜も今は何もかけることなく、野菜の持つ味で充分美味しく頂くことができます。どうしても何か掛けたいときはポン酢にしています。独身寮に住む若者も試して欲しいなぁ。一人暮らしの女性の方もお肌ツルツルになりますよ。きっと。

今日は多くの野菜を「安く、手間いらずでたべる方法」を書きました。参考になりましたでしょうか?


[1770] 【1780回 ガンバレ大阪センチュリー交響楽団】 2009-02-26 (Thu)

在職時代に懇意にしていた大日本○料の方から1枚のチケットと便せん3枚に熱い思い(私に対してではなく大阪センチュリーに対して)が、したためられたお手紙が届きました。

創立20周年を迎えようとしている大阪センチュリー交響楽団は、大阪府が設立した府民のためのオーケストラです。2008年4月、橋下府政の改革プロジェクトチームからセンチュリー交響楽団への補助金を廃止すると言う意向が示され、このままだと存続が危ぶまれると言います。

急遽「大阪センチュリー交響楽団を応援する会」が立ち上がり107,036の署名が集まり、大阪府は条件付きながら「存続」を決めましたが、その条件とは「府民からの支援スキームの構築」だと言われています。

いま「センチュリー」が危ない。そんな理由で私のところへも1枚のチケットが送られてきたようです。懇意にしていた方は65歳を機にご勇退され、チェロを趣味とし天気の良い日はサイクリングに出かけている様子です。このチェロの先生が大阪センチュリー交響楽団に所属している様子でした。

奇しくも昼間のテレビで作曲家の服部良一先生の事が報じられていました。多くの歌を作り、戦争にかり出され、異国の地で聞いた曲は自分が作曲した山口淑子の歌う「蘇州夜曲」であったといいます。戦場での、すさんだ兵士の心を癒してくれたと綴っていました。「やまたび」のコーラスもやっぱり復活することにしました。地図の余白を利用すればいいと考えたのです。またみんなで協力お願いしますね。20年も続いた交響楽団の灯を「経費削減」だけの理由で消すことは貴重な文化の灯を消すことになります。これもリストラ?

「府民からの支援スキームの構築」で大阪府の補助金に頼らず、今回の様に草の根作戦で頑張れば一般市民の私達にも心動くものがあるのではないかと思っています。もっと府民の支援が得られるように「大阪センチュリー交響楽団ここにあり」の活動を楽団員みずからが動かないと府民には伝わりにくいと思います。

★大阪センチュリー交響楽団も頑張ってもらわないといけませんがわが「やまたび倶楽部」リーダーも頑張れ!今日はサスケクリニックに診察に行き職場に行くのを見送りました。サスケ院長先生が「ほぉ保護者も付いて来たか〜」と待合室で待つ姫に声をかけて下さいました。職場復帰!「存在」そのものが大切なんだからね。本日警察関係の営業を1件橋渡ししましたので、これを機にガンバレ!みなさんも仕事を探して声かけてあげてくださいね。これが何よりの妙薬〜!


[1769] 【1779回 形見の炊飯器】 2009-02-25 (Wed)

お嫁ちゃんの純ちゃんのお誕生日に「炊飯器」をプレゼントすることに決めていました。今日は本人を連れてそれを買いにでかけました。純ちゃんちの炊飯器は結婚する前の古い品で、息子が北海道の大学に通い自炊する時にとポチの母親(つまり息子にとって祖母)が贈ったものです。人一倍おばあちゃんっ子でしたので後生大事にしていました。結婚の時も、そのように嫁に説明したそうです。

息子の家に行くたびに、場違いの古い炊飯器を見ては「もうそろそろ買い換えてはどうか」と提案していたのですが「でも・・まだ使えますので」とけなげな返事でした。最近「おこげ」が出来るらしく息子の重い腰がやっとあがりつつあると言うことがバレンタインデーの日に判明しました。

「よっしゃ!誕生日プレゼントと言うことにして買いに行こう!」となったわけです。大型電気店に行くと迷わず決めました。きっと下見していたのだと思います。圧釜土鍋タイプで美味しいごはんが炊けそうです。(じつはポチに内緒で我が家の炊飯器も買い換えました。でもそんな事、気が付くはずがありません。だってご飯が美味しくなったこと気が付かないと思うから)

自宅に送り、帰ろうとすると零くんが「ばあちゃんちへ行きたい」といいます。雨も降るし外で遊べませんので6時までと言う約束で(6時に大事な仕事あり)我が家につれてきました。途中で雨にもかかわらず子供が自転車で飛び出してきました。「アッあぶないっ!」と叫び、零に車には充分に注意をするように言いました。すると「怒らないで〜。今のは婆ちゃんが悪いよ〜だって黄色の線を越えてたよ〜」

駐車車両を避けて少しだけ黄色の線を越えたことは認めます。しかし4歳の子がしっかりと見ていたとはお〜そ〜ろ〜し〜い〜!(零の写真ブログに載せました)


[1768] 【1778回 我が町此花】 2009-02-25 (Wed)

平成21年3月20日阪神電車なんば線がいよいよ開通致します。西九条と言う町は、いまひとつ鳴かず飛ばずの町でUSJの開幕によって何とか町の活性化に繋がると期待しつつも、単なる乗り換え通過駅として区民の期待を裏切りました。それどころか西九条駅で客待ちのタクシーの利用も激変しました。なぜならばゆめ咲線の増便により「安治川口駅」を利用している通勤客にとってタクシーを利用する必要がなくなったというわけです。そんなこんなで、なんば線開通にかける区民、とりわけ西九条の町民達、特に客商売の商店会のみなさんは生き残りをかけて必死です。

阪神西大阪線の「西九条駅」から近鉄奈良線「大阪難波駅」3.4qを結んで約5分間で走るそうです。尼崎駅から大阪難波駅まで乗り換え無しで行けるということになります。もう既に試運転は終了していると聞きます。今回新たに「九条駅」「ドーム駅」「櫻川駅」の3駅が新設となります。新路線の開通は新たな人の流れを生み、地域に活気をもたらしてくれると期待をしています。USJの時の様に「乗り換え通過駅」とならないように期待をしています。20日に乗ってみるとしよう。

現職を離れてはいますが通勤経路がこの阪神なんば線を利用した方が便利になると言う社員も出てくるかと思います。「変更したい」と申し出た時に、どう対処するか準備をしておく必要があります。「利用できない」とは言えないので、たとえば、いま支給している定期券の更新までは今の経路、もしくは差額を個人負担で経路変更する。次の更新時には本人の希望を聞いて対処する。その時の差額がどれくらいになるか(安くなる場合、高くなる場合)いずれにせよ通勤費は本人の所得額となり所得税がかかってくることも説明をしなければならない。

退職の身ゆえにそんな心配は、まっ いいか〜

今日はお嫁ちゃんの純ちゃんのお誕生日で、零くんも「飛び火」とやらで保育所を休んでいるので、昼食を一緒に食べて、お買い物に行こうと約束をしています。


[1767] 【1777回 無事抜糸】 2009-02-24 (Tue)

朝から雨模様。菜種梅雨って言うんだってね。今日は頬のおできの抜糸の日のために形成外科を受診しました。形成外科は以外と空いていてすぐ名前を呼ばれ診察室に入ります。わずかな傷ですが一応ベットに横たわり、処置をする音がしてアッという痛みが走りましたが「終わりましたよ」と言う声も早かったです。

肌色の絆創膏を貼り1ケ月はこのままで洗顔も化粧も気にせずしてもいいそうです。売店で絆創膏を買い、もしも剥がれた時は自分で張り直すのだそうです。早めの診察でよかったです。腫れて、膿を持ち始めたら完治に長い時間が経ってしまいます。「おかしいなと思ったら迷わず受診」

このオデキの切除手術のために血液検査をしました。検査結果表をもらったのですがコレステロールや血糖値、脂質などもすべて正常でした。これからは会社で受けていた健康診断がなくなったので誕生日を検診の日と決めて健康管理をしたいと思います。とりあえず今年の4月は異常無しのためパス〜

天気が悪いと知りつつ、息子が宿泊した時のシーツ一式を洗い、ベランダの干場は満員お礼です。またいつ「泊めて〜」と言ってくるかわかりませんので清潔にしておいてやりたいと思う母心、ポチと2人の生活も穏やかでいいのですがねたまに息子が帰って来てくれると言うのも、いいものですね。

長男が北海道勤務の時は5月の連休に帰省するため、どこにも出かけずに待っていたことがありました。「山に行こうよ」と誘われても断っていた時の事を思い出していました。息子達も今はそれぞれに自分の生活を持ち、1年に何度かしか顔を見ることがありませんが(電話してもお父んもお母んも留守ばかりだけど)親子というものはいいものですね。当たり前のことですが、ほんま。


[1766] 【1776回 地獄谷トレッキング】 2009-02-23 (Mon)

雨上がりの午前10時30分「地獄谷へ行こう」と誘いを受け、お茶と行動食のみを持ち阪神淀川駅で落ち合いました。阪神芦屋駅からJR芦屋の線路を越え、阪急芦屋川へ向かいます。今日は雨上がりで岩が滑るためクライミングの予定はありません。ジョンのトレーニングが目的です。地獄谷スタートが12時05分、いつもより随分遅い時間のスタートです。

地獄谷に降りると水量が多く、靴の中にすぐ水が入るありさまです。ゲートロックの場所は一分一秒でも早く通過します。大きな岩が落ちてきたら、ひとたまりもありません。滝の様な水量で「小便滝」もいままでに見たことのない様な多量の小便が流れ落ちています(ブログに掲載しました)

地獄谷〜A懸岩〜B懸尾根〜チョックストーン〜ピラーロック〜十字路〜高座谷〜キャッスルウオール西側〜岩梯子〜岩梯子東側〜ブラックフェイス〜荒地山分岐〜道畦北尾根〜宝泉水〜動物霊園〜阪神芦屋駅

これが、ざっと今日のコースです。「カラムーチョ、カラムーチョ」とジョンが叫びます。「ワシがヒーヒー言うてるから速度を落とせ」と言う合図です。ロープなどの安全装備をしていないため岩場は横目でチラリと眺めるだけで歩いたのですが久しぶりのコースもあり、とても愉快でした。(私も時々カラムーチョ)

道畦北尾根から下山する途中、驚きで声を失いました。先頭を姫が歩いていたのですが後ろを歩くジョンのところまで駆け上りました。「誰が倒れてる〜!」「何やて?」恐る恐る覗いてみました。「テントのカバーみたいやな」「人が中におるんとちゃうの?棒で突っついてみる?」「棒で突っついて弾力があれば一生恐ろしい思いをするぞ」と言うことで慌ててその場を走り抜けました。きっとあれは風に吹かれて飛んできたテントカバーやったんや、そう思うことにしました。

それからしばらくして本日初めての人間と出会いました。ゴルフクラブを持ち、ゴルフ用の靴を履いて、ベレー帽をかぶっていました。時間も午後3時を過ぎており声をかけました。「初めての登山でどこに行くかわからんけどとりあえず行ってきます」「日暮れまでには下山するようにして下さいね」と言い、別れました。しかし無茶な行動です。六甲山に失礼だと思いませんか。精通した方について何度も足を運んだとしても、一人で行動は危ないです。

今日はイノシシもかなりの数で出没し、道路は側面だけではなく真ん中もえぐれており、陥没状態の箇所が何カ所もありました。「イノシシ工事中」そんな感じでしたよ。

阪神芦屋駅に到着したのは午後5時・・・・ポチの夕飯に間に合うかなぁ。夕食の準備はジョンと慌てて買い物をし何とかポチの帰宅前に準備完了致しました(ホッ)

『 地獄谷  今日もへばって  地獄見た 』ジョンの作品です。


[1765] 【1775回 息子の里帰り】 2009-02-22 (Sun)

「土曜日の夜中に泊まりに行くからフトン敷いておいて」というメールを、ももちゃのパパからもらいました。広島に転勤中ですが大阪で会議があり夜、飲み会があり西宮名塩には帰れないのだそうです。結婚して今年の7月に7年になりますが初めてのお泊まりです。決して夫婦仲が悪いのではありません。息子なりの親孝行の様です。

朝、目覚めると1階に靴がありカバンや着替えが置いてありました。いつ戻ったのかわかりませんが、確かに2階で寝ているようです。いつもバタバタと気遣い無しに階段を上り下りしていますが、今日はソーッと行き来をしました。昼前にももちゃんとカーくんとママが車でパパをお迎えにやってきました。

「ばぁちゃん、お誕生日にピアノ買って〜」かねがね新居が落ち着いたらピアノもいいねと言っていたのを覚えていた様でお友達と一緒にピアノ教室に通うのだそうです。(買い物の様子はブログに掲載しました)既に下見を済ませていて今日はスポンサーを連れて行くだけのため早い買い物で助かりました。

かーくんは単語だけのおしゃべりしかできませんでしたが2つの単語を連ねてしゃべることができるようになり「ばあちゃん、こっちにおいで〜」でも不思議なことに「じいちゃん、こっちにおいで〜」はまだ言えない様です。

ピアノ購入後、息子に自宅まで送ってもらい、その後ジョンと合流し「やまたび談義」をおかずに夕食を囲みました。料理を作る方も食べる方も学習ができて来て、最近ではあまりメニューに苦労をすることがなくなりました。それにしても醤油、味噌、砂糖などの調味料の減り具合がわずかなため購入するペースがとてもゆっくりになりました。いかに今まで濃い味、甘さたっぷりだったかを体感しています。野菜そのものの持つ味が、こんなに素晴らしいものだったのか感動さえおぼえます。

これからはウオークの途中で「産地野菜」をみつけたら買うど〜!そう言えば昔バスウオークの度にアドベンチャーさんが野菜を買い込んでいたのが印象的でしたが、あの気持ちいまならよ〜くわかります。そう言えばアドベンチャーさんどうしているのかしらね?


[1764] 【1774回 となりのおじさん】 2009-02-21 (Sat)

2月20日からジョンが職場復帰しました。姫の鬼トレーナーと栄養士の仕事も終了の様です。嬉しいような、ポッカリ穴があいた様な、時間をもてあます気分です。ジョンが3ケ月ぶりに職場復帰して「いじめ」に遭っていないか、「お父ちゃん、ずーっと休んでていいよ」と言われてないか心配しています。会社では時折、厄介者扱いをする光景を目にすることがありました。ポチも心臓手術の後、長期間休んでいましたので、そんなつらい目に遭ったのかも知れません。病気になって相手の立場に立たないと苦しみやあせりは、なかなか理解できないものです。職場に出ているだけで社員の姿勢にハリが出て仕事の意欲も沸いてくるというものです。めげずにガンバレ!!(笑)

話しは変わって、となりのおじさんがビッコを引きながら歩いていて後ろから声をかけられました。「あんたは背筋が伸びてエエ歩き方してるなぁ。うらやましいわ。ワシは足が痛くてあかんわ〜」と嘆きます。糖尿病で片方の足が、とても痛くて歩行困難だそうです。「おっちゃん、杖ついたらどう?」と言うと「そんな年寄りの持つもん使えるかいなぁ!」と強い口調で若さを強調します。(70歳は過ぎてるで〜)

登山でも、ウオークでも、ステッキを使うことを「年寄りじみたスタイル」と勘違いするウオーカーが沢山います。リュックには突き刺さっているのですが使用はしていません。足が痛くなってから使おうと「お助け棒」のつもりなのかも知れません。自己管理なので携行しないよりはいいかも知れません。若者に山の中で出会うと2本のストックを格好よくついて行き交うことがしばしばあります。下り道は特に膝に負担がきます。岩場の通過は3点確保でステッキが不要の場合もありますが、私はスタートからステッキを利用したいと思っています。

ギックリ腰で針治療院から出て来た知り合いの居酒屋のママさんにバッタリと会いました。家並みの壁を伝いながら、這うようにして歩いていました。近所なのでクッション付きのステッキを貸してさしあげると「こんなにいい物があるんですね」と喜んでもらったことがあります。故一刀水兄が余命あとわずかと言う時に歩行困難となりクッション付きのステッキを買ってあげました。最初は「こんなもん!」とにくたらしい口をきいていましたが、出かける時はいつも愛用し、おかげで息を引き取る寸前まで、外の空気に触れ、温泉に出かけていくことができました。亡くなった後は義兄との思い出に「形見」として今は私が使っています。ステッキを使いながら義兄も一緒に歩いていると思っています。「一刀水」のシールは義兄との思い出なのでそのまま使っています。


[1763] 【1773回 JRからの回答がありました】 2009-02-20 (Fri)

2月14日のみどりの窓口にての社員のモラルについて苦情の提言をしました。(1767回拝啓JR西日本様)その回答が下記の様に届きました。

『いつもJR西日本をご利用いただきまして、ありがとうございます。また、ご連絡が遅くなりまして申し訳ございませんでした。

関係箇所からの報告に基づき、頂戴いたしましたご意見についてご回答させていただきます。
大阪駅で係員が不適切な対応をしたことにより、お客様には大変不愉快な思いをお掛けいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。大阪駅では、お客様に楽しい旅行をしていただくために、明るい笑顔で親切丁寧な応対を心掛けるように指導をいたしておりますが、至らない点がありました。

早速、本人には厳しく注意を行い今後の接客態度を改めるように指導を行いました。また、伏見稲荷の最寄り駅が稲荷駅であることを知らなかったことについては、本人の勉強不足でもあり、指導不足でありましたことを重ねてお詫び申し上げます。

再度このような事が無いように引き続き接客社員としての指導育成に努めてまいりますので、ご理解をお願いいたします。今後ともJR西日本をご利用いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。』

             西日本旅客鉄道株式会社
             JR西日本お客様センター
             お客様相談窓口責任者

決して個人攻撃をした意見ではありません。わからなかったら先輩や上司に聞く、お客様を待たせない工夫をするという接客指導が不足しているのです。JR西日本が事故のない、乗客にやさしい旅客鉄道であることを祈っています。


[1762] 【1772回 花見ウオークの下見12キロ】 2009-02-18 (Wed)

「ぜひ背割堤の花見をしたい」という希望を受けてコース作りのために学園都市線の大住駅に降り立ちました。大住駅と背割りの間に日本で最長の木製の橋があり、ぜひそこを通過して背割りの桜見物をと考えた次第です。お昼にゴールをしたのちは飲めや歌えのお花見に最適のコースを見つけました。あとは花の咲き具合とお天気にかかっています。

木津川の流れ橋は、あまりにも有名ですが、正式には「上津屋(こうづや)橋」の木造の橋で、全長は356.5メートルあります。ここをゆっくり往復(所要時間は10分間)するつもりです。増水時に水の抵抗を少なくするため、橋げたが浮いて流れるように設計されており、流された時には、つながれた鋼鉄のワイヤーで流されないようにしているのです。四万十川にかかる沈下橋と目的は同じで先人の知恵は同じだと感じました。

資料によると、この場所にはかつては、渡し舟があって、住民の往来や京田辺市大住の虚空蔵(こくぞう)さん参りに利用されていましたが、昭和26年に渡しが廃止され、この橋が架けられたそうです。これほど長い木造の橋は珍しく、テレビや映画の時代劇のロケがたびたび行われています。この橋を利用してバックに富士山を合成して清水の次郎長の映画も撮影されたそうです。なかなか見応えがありますよ。乞うご期待です。

花見はここでと場所を決め、今日は硬い蕾を見ながら弁当を広げました。コースの途中には茶畑が延々と広がり、比良山や愛宕山を遠くに見ながらゆっくりと、山歩きとは違う楽しみをして頂けることと思います。と言っても11〜12キロはあると思います。体内脂肪を燃やしながら頑張って歩きましょう。今日も鬼トレーナーはいい仕事をしましたよ〜


[1761] 【1771回 病院はしごウオーク】 2009-02-17 (Tue)

今日はハードなウオークはお休みで午前11時予約の形成外科へ行き、左頬の「おでき」の切除手術を受ける日のため、10時30分すぎに病院に行きました。「予約時間には少し早いのですが」と診察券を提出しました。他に患者さんもいなかったので血圧測定を済ませ診察室に入りました。手術用の帽子をかぶり診察台に寝ます。「麻酔を打ちますね」と先生の声。顔には大きな布がかぶされ、おできの周りをマーキングをし、麻酔を打つのですが痛いこと、痛いこと〜(術後の顔ブログへ)

切除手術は短時間で終了し、その足でジョンが歯医者さんの診察のため走りました。予約時間ギリギリで何とかセーフ。受付の方が「終わられたのですか?」と私の頬を気遣って下さいました。「いつもホームページ読んでますよ」と有り難い声援を頂きました。うれしいです。とても。

ジョンが治療を終え「麻酔がまだ効いてるねん」「ふう〜ん。腫れてるの?」「感覚ないねん」「ふう〜ん。何かへん」とジョンの顔を指さしギャハハハハと大笑いをし(中身は秘密だぁ)千鳥橋の歩道橋をどの様にして渡ったのか意識がないほど笑いました。(ブログ掲載)

笑いが収まり、そのまま福島税務署へ行き、確定申告をして来ました。税務署員は、親切でやさしい受け答えをしてくれ国民の義務を果たしてきました。帰りにスーパーに立ち寄り、夕食の買い物をしました。今夜のメニューは主菜は鳥の唐揚げ、副菜はサヤインゲンの卵とじ、もう一品はカボチャです。おまけとしてコンニャクの田楽も付けました。コンニャクはいくら食べてもカロリー計算外だとのことなのでね。

ポチがご帰還するまでの時間を、やまたびの予定表作成に費やし、あとわずかで完成となりました。明日、確認したいコースがひとつあるために出かける約束をして自宅送還となりました。

私が国民としての義務を果たしているにもかかわらず国会では某大臣(別に名前を隠しかばう必要はないなぁ中川大臣のことだよ〜)酔っていたなら「酔いが残ってました」とハッキリ言えばいいものを風邪薬だって?ばかばかしい!周りはどうしているのか!秘書などの取り巻きがいて中川大臣を記者会見に出さない方法もあっただろうに!病気にして世間に恥さらししなくてもよかろうものを!でも辞任したと言っても大臣の辞任だけで国会議員は続けるのか!今朝のニュースで「ガンバレ日本一!大丈夫!」と声援を送っていた声にテロップが流れて「妻の声」と流れていた。夫婦でバカか〜と苦笑せずにはいられない。交通標語ではありませんが「飲んで悪態を見せるなら、国会議員やめろ」


[1760] 【1770回 京都の山を駆けめぐり】 2009-02-16 (Mon)

天気予報は「寒くなる」が大当たりし、京都出町柳駅を降りたらブルッと身震いしました。今日は3月7日に発表する予定表の中のコースの下見です。今日は銀閣寺から戸寺までの約18キロを歩きます。全コースをどこで切るのか、どうすれば「あ〜楽しかった!次回も参加しよう!」と言ってもらえるように京都の見所もいっぱて盛り込みながら「ただ歩くだけ」には決してならないように工夫しながら歩きたいと思っています。やまたびでは「神戸の山」「大阪の山」を制覇しました。今年は「京都の山」を制覇することに決めました。

銀閣寺前は人力車の若いイケメンのお兄さん達が勧誘に寄ってきます。リュック背負ってるんだから乗るわけないでしょと心でつぶやきながら通過します。大阪では見られない人力車の光景と外人さんの多さに、やっぱ京都やなぁと感心しきり。前回終了した銀閣寺からスタートし北白川史跡と自然の道に入ります。少し寒く感じますが歩き始めると汗ばんできました。脂肪が燃え始めた様子です。

「京都一周トレイル」の看板に沿って軽やかに足が動きます。50分歩いて休憩を取り、行動食を口にします。ジョンの体力回復は目に見えてよくなってはいますが、時々行動食を入れないと体力が持ちません。カロリーを考えながらこまめに口にしながら写真撮影をしながら進んでいきます。

昼食の時、雪がチラチラと舞い始めました。弁当箱の上にチラチラと積もります。「雨の時のお弁当はお茶漬けだから、雪だとふりかけやなぁ」とロマンチックな話しをしたかと思うと、トイレ(お花畑)の時はお尻が風邪引くだの、にぎやかな下見ですこと。

比叡山は厳粛なコースなので静かに歩かせて頂きました。途中、あじゃり様が通る回峰行道も歩かせて頂きます。とにかく素晴らしいコースです。全回参加された方には素敵な記念品を差し上げたいと決めました(何にするかはまだ未定)

あまり詳しくここに書くと本番の楽しみがなくなるからここらへんでおしまい。。。後は参加してのお楽しみと言うことで。ね。今日のゴールは「戸寺」という村です。どこかで聞いたことがあるでしょ。ここはクライミング「金比羅山」に行くときに利用するバス停です。

ちょっと疲れました〜。ポチが野田阪神まで迎えの車を寄こしてくれて大助かりでした。


[1759] 【1769回 バレンタインデー】 2009-02-15 (Sun)

いつの頃からか、誰が作ったのか2月14日はバレンタインデ−であります。日頃、子育てで忙しい、お嫁ちゃん2人がポチ爺のために手作りチョコを下げてやってきてくれました。婆ちゃんは早朝から、ちらし寿司を作り、サラダ、酢の物、お吸い物、子供メニューのバンバーグと駆けずり回っています。ポチはちらし寿司を団扇であおいだだけの手伝いではありますが、本日の主役のために、まあ我慢、我慢。

「こんにちは!」元気な声がしました。名塩の嫁がワゴン車を運転して幼い子供2人乗せてやってきました。海老江の駅まで迎えに行くよと言ったのですが途中、立ち寄るところがあり運転してきた様子です。(こわっ〜)続いて零くんの家族も集合です。

挨拶もそこそこに2階へあがりたがります。ジャングルジムや、おもちゃがあるので2階で遊びたがるのですが、昼食の用意があるために2階の子守りはポチに任せて1階で昼食の準備にとりかかりました。するとすぐに、和君が泣いて降りてきました。爺ちゃんに叱られた様です。私の手を引き2階にいる爺ちゃんをやっつけろと言うので2階に上がりました。理由を聞くとオハジキを口に入れそうになったので叱ったそうです。このおはじきはジョンのリハビリ用のために買ったものですが小さな子供にはお菓子に見えたのでしょうか。

お嫁ちゃん達と楽しい時間が経過し、ジャスコに買い物に行き、いざ帰る時間になりました。零くんは「今来たばかりなのに」とだだをこねます。強引に爺ちゃの車に乗せ送っていきました。その後、ももちゃんちの車もお帰りの支度をして突風の様な賑やかな時間もアッという間に過ぎてしまいました。

山登りとは違った疲れが残りますが、子供達の成長と、息子夫婦が仲むつまじく生活をしている様子が垣間見れて、親としてはうれしい限りです。(ランチタイムの風景をブログに載せました)