[2052] 【2046回 全国の駅弁】 2010-01-23 (Sat)

電車の旅をして、私は何が楽しみかと言うと温泉や宿のご馳走もさることながら「駅弁」を食べることも楽しみのひとつです。皆様はいかがでしょうか。碓氷峠の「峠の釜飯」を現地で買い損ねてから、電車の中の吊り宣伝が妙に気になり、出掛けたついでに阪神百貨店8階の催し会場に行ってみました。

阪神百貨店では「全国有名駅弁とうまいもんまつり」が催されています。47都道府県の駅弁、ご当地グルメ、スイーツなどおいしいものがいっぱいのイベントの様です。あまりの人垣で探すのも大変のため係員をつかまえて「碓氷峠の峠の釜飯はどのあたり?」と聞くと、場所を指さし「多分売り切れていると思います」だって。それでもその場所に行くと「お客様、「峠の釜飯」は開店と同時に並んで頂き整理券を発行して、200個限りのお買い求めとなります」だって。ほかの駅弁は山の様に残っているのに、人気の駅弁は「売り切れ」の張り紙ばかりでした。

「全国有名駅弁とうまいもんまつり」は阪神百貨店8Fで1月26日までやっているそうですよ。並んででも買いますか?私はあきらめました。昔の旅は駅構内に首に箱をぶらさげて「べんとう〜弁当はいかがですか〜」列車の窓を開けたり、列車から飛び降りてあわてて買ったものです。今は新幹線の発達で新幹線のホームの売店には駅弁が沢山売られていて昔の情緒を楽しむ風景はなくなっているように思います。

青春18キップを使い「駅弁ツアー」もおもしろそうですよね。好みの駅弁を食べるために列車に乗るのも贅沢な時間の使い方ですねぇ。とりあえず私は「峠の釜飯」を買いに碓氷峠まで「発車〜オーライ〜」


[2051] 【2045回 南海電車の車掌もどきになって】 2010-01-22 (Fri)

コートもいらないくらいのポカポカ陽気の1月20日、新今宮発10時57分発、区間急行「みさき公園」行きの列車に乗りました。行き先は「箱作駅」所要時間は1時間、ちょっとした一人旅です。特急「サザン」に乗ると早く到着しすぎるし、特急料金も別払いのため、のんびりと楽しむことにしました。今日は皆様を私が車掌になった気分でご案内致しましょう。JRと違い車掌さんが親切です。例えば「つぎは〜○○駅です。○○駅の次は△△駅に止まりま〜す」と、たえず2つの駅を案内してくれます。

「新今宮駅」を出発し、次の停車駅は「天下茶屋駅」、「堺駅」、「羽衣駅」この羽衣駅で下車すると立ったまんま入浴する温泉がありました。知らずに入ると溺れそうになったよ(笑)でも今は閉鎖になってしまいました。羽衣駅の次は「泉大津駅」、次は「春木駅」この春木駅は1926年大阪で初めての競馬が開催された地。大阪府は一旦開催を許可したものの間もなく取り消され、僅か一回の開催に終りました。1927年、地方競馬規則の施行で大阪府に一ヶ所の競馬場の設置が認められ、泉南郡畜産組合(現岸和田市)での開催を出願しましたが、泉南郡畜産組合は「牛畜産を目的とした組合で馬は扱っていない」という理由で当初は認められず、長い年月を経て1928年11月春木競馬場が開設されましたが、1971年競馬場廃止を公約に掲げて当選した革新系の黒田了一府知事の元で春木競馬廃止が決定してしまいました。

その春木駅を過ぎ次の停車駅は「岸和田駅」です。ここで関西空港行きのラピート待ちのため長い時間停車、ラピートを見送る際に「なるほど一度は乗ってみたくなるスタイルだわ、かず君が乗りた〜いって言うはずや」と独り言。だんじり祭で有名な岸和田の町も今は静かでした。岸和田だんじり祭の日程は9月第1日曜日は試験曳き、9月 第3金曜日 試験曳き 、9月 第3土曜日は宵宮、9月 第3日曜日 本宮となっているそうです。この町の出身者は「だんじり休暇」を取り若者達が熱く燃えるのだそうです。

進行方向右側に、見覚えのある小さくてかわいいお城「岸和田城」を眺めながら次の駅は「貝塚駅」です。電車で降り立ったことはありませんが、故一刀水の眠る墓地がこの駅に降りるとあります。「泉佐野駅」を過ぎると各駅停車となり「羽倉崎」「吉見ノ里」「岡田浦」「樽井駅」「尾崎駅」「鳥取の荘」「箱作駅」やっと到着です。あ〜あ乗った!乗った!

この地に大切な施設訪問の用事があり、遠路のため、ほとんど1日を費やしてしまいました。気が付くと昼食を食べてないことに気が付き午後3時すぎにコンビニに立ち寄り電車を待つ駅構内でパンをかじりました。食堂、レストランなんぞ見あたりません。往路は気が付かなかったのですが箱作駅は駅の中で上り、下りを利用することができません。和歌山行き方面の改札をくぐると和歌山行きだけの利用となります。なんば行き方面の改札をくぐってしまうと和歌山方面の電車に乗るためには一度改札を出てからもう一度入り直すのです。先日ICOCAを買ったので和歌山行きの改札に間違って入ったため(これって誰でも間違うよ!)出直そうとしたらピンポン、ピンポンと警報がなるのですが駅員もいないし大変でした。乗り越えるしかないかと思っていたら、やっと「ご用の方はこのボタンを」を見つけ無事なんば方面の構内に入ることができました。3月の卒業式にもう一度訪問するので今度は間違わないようにしたいと思っています。

今日は南海電車の「還暦車掌」のご案内で箱作までをご案内させていただきました〜!


[2050] 【2044回 秦万里子コンサート】 2010-01-21 (Thu)

秦万里子コンサートに行って来ました!99.9%が女性の観客。秦万里子さんは、ただのおばさんなのですがグランドピアノの前に座ると「ピアニスト&歌手」に早変わりです。あまり美人でないところが女性ファンの多いところでしょうか。何かとても安心するのです。今夜だけヴァイオリンの真部祐とのジョイントコンサートで聴き応えのある愉快なコンサートでした。

まずヴァイオリンで奏でる「六甲おろし」で観客の私達を惹きつけて「さぁみなさんご一緒に!」の合図でみんなで大合唱。最初のヴァイオリンの部分は静かに聴きましたよ。演奏者へのマナーですからね。

会場のみんなとジャンケンをして勝ち残った最後の人にインタビューをし即興で歌を作り披露してくれるのです。最後の勝者は白髪の75歳くらいのおばあちゃんでした。いい思い出になったことでしょう。私は2回戦くらいでジャンケンに負けちゃいました。残念!

男性には魅力がないかもしれませんが、主婦の日常の事を歌にして、ありふれた毎日だけど喜怒哀楽がある出来事を歌詞にするから全国の主婦達から共感の嵐だそうです。「半径5メートルをハッピーに」がキャッチフレーズの様です。

うんうん、わかるよ。あるある。そんなこと。舞台と客席が一体化して、人の心にそっと寄り添うような歌の魅力あふれる一風変わったコンサートでした。機会があればみなさまもぜひ一度どうぞ!(秦万里子さんが出演されたはなまるマーケットなどのTV番組などにも出演していたそうです)


[2049] 【2043回 母と子の交通安全此花大会】 2010-01-20 (Wed)

昨日の19日は「母と子の交通安全クラブ此花大会」というのがあり推進委員のひとりとして出席させていただきました。此花区の保育園や幼稚園の来年1年生になる5歳児を招待しての大会です。300人はいるでしょうか。(少子化と言ってもおるで〜いっぱい!)座席が足りなくなり1つの椅子に2人で坐ってもらいました。どの子も「は〜い」とおりこうさんに協力をしてくれます。

婦警さんによる交通安全の「ぬいぐるみ劇」や信号を守る基本的なお約束を小学校に入る前にきちんとお話してくれました。子供達を教育する前に信号無視をする大人達の教育が必要ではありませんか?!子供達が見ている前では、どんなに短い信号でも、車が来なくてもお手本を見せましょう。幼稚園の送迎に信号無視をするお母さん!事故に遭いますよ!

300人もいると子供達はワイワイガヤガヤと騒ぎますが「静かにしてね」と司会者が言うとちゃ〜んと言うことを聞いてくれました。どの幼稚園、保育園の子供達も、とてもおりこうさんです。

交通安全のお話の時間が過ぎると大阪府警本部音楽隊による演奏がはじまりました。「ドレミの歌」「森のくまさん」「大きな古時計」「アンパンマンのマーチ」などを演奏してくれました。トランペットやクラリネット、ホルンなどの楽器の紹介もあり大人も充分楽しめました。司会者が「この曲を知っている子は一緒に歌ってもいいですよ」と言うと会場いっぱいにかわいい大きな声が響きました。幼稚園が違っても「歌」は共通のお友達の様です。それまでは演奏を静かに聴いて、「どうぞ」の合図で大合唱です。

演奏者へのマナーをきちんと守ってくれていました。例えば、やまたび倶楽部さんでもユカイナを吹いているときは静かに聞いてあげるのがマナーなんだと5歳の子供達に教えてもらいました。ユカイナ演奏がまだ不安定なのに先に先に歌われると狂っちゃうよ〜(今度から気を付けま〜す)


[2048] 【2042回 音羽山・醍醐山登山】 2010-01-19 (Tue)

24日の音羽山・醍醐山登山の集合駅「大谷駅」ではお出迎えをすべく早めに行きますので集合場所のご心配には及びません。大谷駅めがけておいでください。お待ち致しております。早めに行かれて蝉丸神社を参拝される方のために少しご案内をしておきます。

★逢坂関は歌枕としても知られ、百人一首でも二つの歌で詠まれています。

●これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
『これがまさにあの、行く人も帰る人も(畿内から東国へ出て行く人も、関まで旅人を見送って都へ帰る人も)人々が別れを繰り返す一方では、出逢いもまた繰り返す、知っている同士も、知らない同士も逢坂の関』 
                  蝉丸(せみまろ)

●夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言(第六十二番)

★蝉丸神社の説明
琵琶法師を祀った音曲芸道の神社です。
境内に入るとすぐに、紀貫之が
「逢坂の/関の清水にかげ見えて/今やひくらん/望月の駒」と和歌に詠んだ「せきのしみづ」の泉と石碑が目につきます。
こぢんまりとした拝殿の横には、「時雨燈籠」と呼ばれる六角形の石灯籠があり、国の重要文化財に指定されています。

関蝉丸は、百人一首にある
「これやこの/ゆくもかえるも/わかれては/知るも知らぬも/逢坂の関」の和歌で知られる平安時代の歌人です。
彼は琵琶の名手としても有名で、世阿弥の謡曲『蝉丸』にも登場しています。

関蝉丸神社は、上社、下社、分社の3つがありますが、一般に関蝉丸神社といえば、この下社を指します。もともとの祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、嵯峨天皇でしたが、後に蝉丸も歌舞音曲の神として合祀されるようになり、音楽に関わる人々の信仰を集めています。

【謡曲『蝉丸』】
 延喜帝(えんぎてい)の皇子であった蝉丸は、幼少の頃から盲目で、逢坂山に捨てられました。一方、蝉丸の姉である逆髪(さかがみ)も前世の業が深く、狂女となり徘徊していました。逢坂山で孤独の身を琵琶を弾じて慰めていた蝉丸は、偶然琵琶の音を聞いてやってきた逆髪(さかがみ)と再会。お互いの運命を嘆き合いつつも、逆髪(さかがみ)は心を残しながら別れていきます。
逢坂の関は平安期、現在の「岐阜県 不破の関」、「三重県 鈴鹿の関」 と共に、三関をなしていました。
京都から東へ抜ける幹線路に位置しており、現在に於いても国道1号線が通り、古今を通じて大動脈の峠越えになっています。

関所のあった頃はたくさんの人達が逢坂山を越えて行ったようですが、今は国道1号線となり、毎日相当な数の車が通ります。

以上が当日の朝、説明をしようとおもっていたくだりです。


[2047] 【2041回 プライベートのスノーシュー】 2010-01-19 (Tue)

17日の箕面勝尾寺登山の翌日はスノーシューを背負い比良レジャー号に乗りマキノ駅に降りていました。体調も天気もすこぶる快調、快晴です。マキノスキー場の横を通り赤坂山をめざします。標高800メートルばかしの山ではありますがスノーシュー無しではとても歩けません。詳しくはレポートと写真で見て頂きますね。お尻で滑るソリも楽しかったですよ〜!

去年1度も履いてなかったスノーシューは、歩き始めは少し重く感じましたが、すぐに感を取り戻し快適に頂上を踏むことができました。頂上には高島トレイルの標識があり、あらためて高島トレイルのコースの素晴らしさを感じました。ただここまでの電車代が高く「青春18キップ」や「1日乗り放題乗車券」などを利用してのスノーシューとなります。まあ雪を求めて行くのですから市内に近いところに降り積もっているはずはありませんが財布に羽根が生えているようでしたよ。

高島トレイルは電車やバスを利用しても完歩することができず「秘境トレイル」と言っても過言ではありません。それ故にマイクロバスでしか実施できないコースとなります。このコースはまだ俗化されていないということになります。自家用車で行ったとしても登山口に車を置いて下山口は、はるか遠くになってしまいます。もうマイクロバスしか方法はないのです。「参加費高いなぁ」そんな声も聞こえないではありませんが大型バス、中型バス、マイクロバスの代金に大きな差はありません。差があるのは高速代が大型か中型かの違いだけとなってしまいます。少しでも安く、それでいて安全性も考え「MKタクシー」のマイクロバスにお願いしようかと考えています。参加人数が15人いれば(勿論満席が一番の理想です)マイクロバスの有り難さがよ〜くわかって頂けると思います。

ゴール地点には「さらさの湯」と言う温泉があり、冷えた身体を、ほこほこしてくれました。大阪駅でちょっと一杯ひっかれて(酒飲みみたいでしょ?)楽しい1日を終えることが出来ました。


[2046] 【2040回 今年はじめての登山】 2010-01-17 (Sun)

「なめたらいかんぜよ箕面のお山!なめたらいかんぜよやまたび倶楽部のコース!」ハハハハ何が楽々コースなのっ!?

みなさん誰もが「箕面のお山」をなめていましたね。結構きつかったでしょ?勝尾寺までが案外ラクチンコースだったので午後からも、み〜んなラクチンだと思っていたにちがいありません。きつい登り坂、「自然研究路4号」何だか意味のわからない名称の東海自然歩道を登ったり、下ったり、おもしろかったね。レポートを仕上げました。写真と合体してアップしますので楽しみにしていて下さいね。

出発前に私がかねてより実行したかった「共通装備の分担」
が実現できました。これはパーティを組み、登山を実行する時は絶対に必要なことなのです。北岳バツトレスに参加した時、新米の私であっても「平等」な荷物の分担でした。同じ目的地に行くために必要な装備です。今後もリーダーは当たり前の様にみんなの前に荷物を出して「よろしく」と言う習慣をつけてください。よろしく。そして我々の荷物もコンパクトに小分けし、いかなる緊急事態が発生した場合でも荷物の分担がスムーズに行われるように時々リュックの公開をしたいと思っています(米穀通帳やライブドアの株券が入っているのでは・・・・?

勝尾寺を巻くように下っていくと園地の森という野外活動センターがあります。少し早い時間ではありますが昼食タイムとなりました。温かくて最高の「芝生レストラン」で昼食を終えた後は、ワンポイントレッスン「チャリ袋を使った手の吊り方」と「三角巾を使った捻挫の処置」を勉強しました。脱臼体験者の私が患者となり(そうだと思った〜生々しいよね。)聞くだけでなくて積極的に反復していくことが大切だと痛感しました。昼食の歌は「たきび」と「冬景色」です。季節に合った、場所に合った歌を探しますので、今年もよろしくおつき合い下さいね。

途中、腕章を巻いた山岳会らしき集団に出合いました。道の両端をいっぱい使い通路をも阻み、食事をしていました。私達の姿を見て「あっすみません。弁当食べるのなら場所を譲りますよ」と長老がトップを歩く私に言いましたので「場所を譲らなくても結構ですが通路は空けてください」と言い残し、思わず証拠写真を撮ってもらいました。その集団の前を通過してモニュメントのある場所で休憩していると、その集団が昼食を終えて降りてきました。私達は片側に通路を充分あけて休憩していたのがわかってくれたのでしょうか。サスケ先生曰く「そんなことがわかるくらいなら、あんな休憩の仕方はしないよ」ほんと。その通りです。

出発時には「箕面スパーガーデンの100円エレベーターには乗らずに歩こうぜ」の勢いの良い合い言葉も、箕面のお山をなめていたことと、ビールの泡が脳裏にチラつき、何のためらいもなく全員100円エレベーターに乗っちまっただ〜

箕面スパーガーデンは私にとって「ウオーク」との出合いの場です。平成10年ドシャブリの箕面ウオークがあったからこそ今の私があると懐かしく思い出すことができました。入浴後はスパーガーデンの3階で新年会となりました。「かんぱ〜い!」アドベンチャーさんのアドバイスのおかげで「500円入浴券」を前日に梅田まで買いに行きましたのでみんなに喜んでもらうことができました。また時々こんな飲み会したいよね。

「なめたらいかんぜよ箕面のお山!なめたらいかんぜよやまたび倶楽部のコース」ほんまきつかったわ〜


[2045] 【2039回 阪神大震災から15年】 2010-01-16 (Sat)

明日1月17日は阪神大震災発生から15年という月日が過ぎていました。15年と言えば、あの年にオギャーと生まれた子供達は中学3年生になっているということになります。私も震災の翌日、ミニバイクにまたがり神戸市中央区国香通りに住む後輩を捜しに何時間もかけて走りました。戦争の爪痕は知らないまでも、同じ状態ではなかったかと思うぐらい、恐ろしい景色でした。岡山からの帰りの電車の窓から神戸の町を見て「み〜んな青い屋根じゃった」とポチの父親がつぶやいたことを思いだしています。ひん曲がった高速道路のセンターラインの下をくぐり、食料と簡易カイロ、飲料水の差し入れをしました。酔っぱらいが私の荷物を物色していたので「こんな時に酒など飲んでからにっ!」と一喝しましたが、飲まずにはいられなかったのではないでしょうか。

15年も経つと町並みは復興したように見えますが家族を失った人々にとって復興は永遠にありません。それでも亡くなった家族の分も生きようと頑張ってきたに違いありません。15歳の少年達は震災の語り継ぎは学校の先生の役割が大きいといいます。そして当時から今の場所に住んで居る人達は1割にしか満たないそうです。

私の知り合いのご老人も仮設住宅から西宮市営住宅に転居していますが自宅にいる時は就寝時でも、絶対に施錠はしないで過ごしているそうです。高齢なので中で倒れていたり、空き巣の怖さより地震の体験から、自宅から抜け出せない恐怖の方が大きいと力無く笑っています。時々自宅を訪問して声をかけていますが身よりのない高齢者の人達の不安は計り知れません。

震災後は、私の家では、部屋の中にあった本箱は廊下に出しました。孫達が泊まっていて、本箱の下敷きになったりしたら大変です。部屋の中には倒れてこない家具のみにしています。

「おかん大丈夫か?」札幌に住んでいた長男からの電話のベルも、停電のためよく聞こえず、震えながら夜明けを待った日を思いだしています。


[2044] 【2038回 12回目のリハビリ】 2010-01-15 (Fri)

今日で12回目のリハビリとなりました。前回あたりから筋をきっちりと伸ばすリハビリのため、少々痛みが伴います。左手は何と言うこともない仕草なのに右手で同じ動作をすると痛いのです。リハビリの先生はやさしく励まし続けて下さいますので嫌がらずにキッチリと通っています。(ちょっと若くて男前)

リハビリ用のやわらかいゴムも購入してテレビを見ながらでもリハビリが出来るようになりました。しかし「自習」というのは、エエ加減なところもあって自分に優しくてなかなか病院に通う様な効果が期待できません。日常生活には支障をきたさないまでに回復してきましたが「岩を登る」となると、もう少しリハビリが必要の様です。

家にあるジャングルジムを使って、腕に体重をかけたりして涙ぐましい訓練(自分で言うか〜)を続けています。スノーシューのストックは何とか使えるのではないでしょうか。しかし人混みの中で、行き交う人と肩をぶつけないように気を付ける様にしています。

もう少しだね。もう少しでリハビリも終わり「無罪放免」だね。無罪放免になったら参加者募集して「快気祝い!岩登り!」したいね。(だ〜れも集まらなかったら困るね〜黙って行こうっと!)今までは先のことが考えられなかったのですが最近の痛みに耐えるリハビリに移行してから希望がもてるようになりました。しかし人間のからだって1ケ月固定しただけでほんとに動かなくなってしまうのですね。くろねこさんちのダーリンも私と同じ時期に、お怪我をしてたけど「無罪放免」してもらったのかしら?


[2043] 【2037回 登山届け係バトンタッチ】 2010-01-14 (Thu)

やまたび倶楽部の登山届けは従来は例会毎にリーダーが関係各署に提出をしていましたが今年からは姫が担当を引き受けることになりました。1月17日の箕面・勝尾寺コースは既に箕面警察に提出致しました。大阪府警に問い合わせてメールでの送信受信は可能かどうか問い合わせましたが受診のアドレスの持ち合わせがないそうです。府民の要望が多ければ今後は検討しますとのことで従来通り郵送することとなりました。

比良駅などの様に登山届けのボックスを完備していれば別ですがほとんどは登山口か下山口の管轄警察に提出するシステムとなっています。「登山届けを提出せずに富士山登山」がマスコミにクローズアップされてから、やまたび倶楽部も徹底して提出をすることに決めました。

やまたび倶楽部の参加状況が締め切られた後に「参考計画書」を印刷し、所轄の警察に郵送します。住所、氏名、生年月日、緊急連絡先を記入しています。個人情報云々と騒ぎますが万一予定を過ぎても戻らない場合が発生すれば提出した登山計画書に基づき警察が動いてくれることになります。

戻ってからは「下山報告書」を郵送で提出します。そんなわけでリーダーが参加状況の締め切り日を設定していますが実施日までに到着するには4〜5日の猶予はどうしても必要になってきます。

家族にも「行き先」をハッキリ告げてお出かけ下さい。「どこか山に行くと言ってましたがまだ戻りません」と捜索願を出したとして、探すまでに時間がかかります。時間がかかっても判明すればいいですが携帯電話の電波から逆探知などしなければならない場合、助かる命も助からない場合があるかも知れません。

まぁこんな面倒な手続きをリーダーが今までしていたとはつゆ知らずでした。今年からは姫が及ばずながらお手伝い致します。ハイ。

皆様も個人で行かれる時も登山口か下山口の警察署に提出してからお出かけ下さいね。私は連泊で登山に出掛ける時には嫁2人に行き先と日程をメールで知らせます。日帰りの例会時は黒板にコース予定を書いて出掛けます。日帰りもすべて連絡をすると「またぁ?」と言われそうでねハハハ
年間予定表は誰でも目に触れるところに貼っています。
「お母さんの行き先がわかりませんが戻っていないのです」ではあまりに格好悪いでしょ?念には念をと言うことで安心して登山を楽しみましょう。


[2042] 【2036回 ほんの少しだけど雪が降ってるよ〜】 2010-01-13 (Wed)

雪が降っています。最高気温6℃。西の風 やや強くコートの襟を立て猫の様に背中を丸めて、それでも雪って大好きなので外を歩き回っています。まるで子供みたいでしょ?今頃、琵琶湖バレイ、樹氷の三峰山は、積雪が多く、私達の訪れを待っているのではないでしょうか?早速、天井裏からスノーシューを出してみました。準備万端です。

私がスノーシューの楽しさを覚えたのは朽木村にソリ遊びに行ったときでした。姪っ子の子供達と名称は定かではないが「観光協会自然の家」で「カンジキ」を無料貸し出しをしており、それを履いて山の中へペタペタと歩いたのがスノーシューにはまった第一歩だった様に思います。スノーシューレンタル料2000円(相場)を5〜6回払うことを思えばとマイスノーシューを買うことを決断し、平成15年3月には釜トンネルを抜け上高地まで歩きました。現地案内人も「滅多にない晴天」と驚くほどの天候に恵まれて、スノーシューの楽しさを味わいました。それから毎年、蒜山や大山、乗鞍から西穂高、蔵王、それ以外も日帰りであちらこちらを楽しみました。もうスノーシューの原価償却はとっくの昔に終えています。朽木でソリ遊びを楽しんだ帰りは朽木村にある「てんぐの湯」天狗の鼻をした温泉で朽木の山々を眺め風が奏でる木の音や草花の香り、鳥の鳴き声を堪能しました。それと途中の朝市で食べる「十六汁」は旨かったなぁ。
「おばちゃん、この美味しい十六汁の中味は何?」
「4×4はなんぼじゃ?」
「シシ、ジュウロクでしょ」
「そうじゃシシじゃ。イノシシじゃ。この地方ではジュウロク汁ちゅうんや」
そんな現地のおばあちゃんとの会話も楽しみのひとつでした。雪を見ながらそんな昔の事を思いだしていました。

外出から戻りコタツに入り年末に頂いた喪中はガキを見ながら、寒中見舞いのハガキを書いています。大切なご家族を亡くした悲しみを私が出す1枚のハガキで癒せるとは思いませんが、年賀状を出せなかった代わりとして投函致しました。同級生も一人欠け、二人欠けの寂しい便りもありました。自分ではまだ若いと思っていてもリハビリ室で見る高齢者の姿や、同級生の訃報も聞くと「今日一日を楽しむ」ことの大切さを痛感しています。


[2041] 【2036回 箕面初歩きのトレーニング】 2010-01-12 (Tue)

1月17日は箕面から勝尾寺ウオークとなっています。バスを降りたらいつものようにコース説明とストレッチを入念にして出発となりますが、かねてより私の希望だった「荷物分担」の訓練をしたいとリーダーに申し出ています。勿論皆様の協力を得ての話ですが。

赤木沢遡行を終え長くてつらい草原歩きの時にポチがへばりました。身内のことゆえに私が2個のリュックをシュリンゲで巻き付け、登山道に出るまでの途中を背負いました。いまだから言えますが「リュック2個はつらい」です。ならば中味を参加者全員で分担してはどうかとこの事があってから考えていました。そうするには

●参加者の皆様のご理解とご協力がいる(自分の荷物だけで精一杯?)
●分担するには自分の荷物をいつもこまめにまとめておく必要がある。

体力低下者のリュックは弁当、お茶、行動食だけを詰め本人に背負わす。こうすれば本人も空身でなく、心理的負担にはならないのではないでしょうか。リーダーの指示に「大丈夫ですから」と遠慮をしない訓練も必要です。(お互い様精神、仲間精神)ゴールをして荷物を返却した時に「ありがとう」と、みんなにまとめて言えば良いようにしたいです。
今後の山行時においてリーダーの「荷物分担!」の声が掛かったら箕面初歩きの体験を生かしたいと切望している今日この頃であります。

そんなわけで1月17日の輝かしい「やまたび倶楽部」の初歩きにはリーダーの荷物を分担してもらいたいと考えています。ひとり1s増くらいになると思いますがリュックに少し余裕の荷詰めでお出かけ下さると有り難いです。

★勝尾寺の予備知識★
勝尾寺は、應頂山 勝尾寺(おうちょうざん かつおうじ)が正式名称です。本尊には十一面千手観世音菩薩が祀られておるそうです(有料)双子の兄弟、藤原善仲と善算が727年に庵を結び修行しているとき、一人の修行者「開成皇子」に出会いました。
藤原兄弟は般若経の書写を開成皇子に託し、相次いで世を去りました。開成皇子は775年に書写を完成し、堂を建てて経を納め、十一面千手観世音菩薩を安置し、この寺を『弥勒寺』と命名したそうです。その後、清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたことから、寺の法力が王に勝ったということで、天皇が『弥勒寺』を『勝王寺』に改名したといわれています。しかし、寺側はあまりにも畏れ多いとして、『王』を『尾』に変え『勝尾寺』としたと伝えられています。


[2040] 【2034回 ト★ラ★ウ★マ】 2010-01-10 (Sun)

「トラウマ」の語源を辞書で引いてみました『心理的に大きな打撃を与え、その影響が長く残るような体験。精神的外傷、外傷体験』とあります。

じつは昨日7sのリュックを背負い、歩けたことに気を良くして、今日も、もう少し荷を増やし山登りに行ってきました。午前中は太陽も差し汗ばむほどで「正月にたるんだ肉体」が少し引き締まるような勘違いをしながら、お弁当を食べ、下りの道にさしかかりました。自然歩道と言うわりには少し標識が少ないなぁと思いながらも、しっかりと付いた踏み跡もあり、テープの道標を頼りに、どんどこ、どんどこと下っていきました。

すると突然、右側は落ちれば谷筋に落下、道と言えば傾斜のきつい崩壊した細い道に、さしかかりました。いつもならヒョイヒョイと難なく通り過ぎてしまうのですが足がすくんで瞬間的に、妙義山での事故の事が脳裏に浮かび、足が一歩も前に出なくなってしまいました。ジョンが「戻れ!引き返せ!」と私の心理的異常に気が付き、叫ぶのですが戻ることも出来ずブルブルと震えさえ感じられました。

やっとのことで危険箇所を引き戻りシュリンゲを腰に巻き、カラビナを使って(ホラ犯人が腰にヒモをつけて引っ張られてる格好)ビレイをしてもらいました。信じられない出来事です。その後シュリンゲを付けると安心したのかスクッと立ち何とかその場を脱出することができました。今日はジョンの術後のリハビリと言うことで付添役のはずが、とんだ手間を取らせてしまいました。ポチは貧血が解消したこともありトットコトットコ先を歩いており3人で来ているのに、1人歩きのおじさんと2人のコンビの山行みたいになってしまいました(ジョンのお目玉落ちるで〜きっと。)

一般登山においてもカラビナ、シュリンゲの携行が必需品であることを再確認しました。尚、今日の道はコースからはずれており、軌道修正後は、この道を通ることなく安全な登山道があることを確認致しました。

とにかく脳ミソが「そこは、こわいよ!」を指令し私の行く手を阻みます。ハチキン美智子は一体どこに行ったのでしょうか?情けなくて家路に戻る足も重く、「トラウマ」からの脱出はできるのでしょうか。。。。とても不安です。


[2039] 【2033回 リュック背負えたよ〜】 2010-01-09 (Sat)

10月31日に負傷して以来、右肩にかかる負担は禁止をされていました。リハビリ回数は10回にもおよび、なおまだ続行を強いられています。傍目には「完治」と思えても左手との比較をすると右手を肩以上に挙げると痛みが発生します。孫が「婆ちゃんバンザイできる?」できないと言うと「じゃあトコトコやって見て!」と言います。トコトコとは壁伝いにするリハビリでいきなりバンザイはできませんが壁を利用してならトコトコと出来るのです。そんな大人の話を耳にしたに違い有りません。

リハビリのストレスから脱したいと怪我後はじめてリュックに負荷をかけて(但し7s)歩いてきました。戻ってきても肩に痛みはありません。序々に回復に向かっていることが自分でもわかり嬉しくなりました。そして今日の失敗です。それは

寒いといけないので靴下を家庭用と言うか、ぬくぬくふかふかの素材を履いて登山靴を履きました。平地は平気でしたが登り道になると靴と靴下とが滑るのです。そしてぬくぬくふかふかすぎて汗ばんできて、気持ち悪くなってきました。「水虫になりそう〜」そう言いながら休憩の時に靴を脱ぎ、足を風に当てました。

登山用の靴下は普段の靴下に比べて高価ですが、「高価には高価の効果」があるのです。登山靴を履く時は「登山用靴下」をお勧めします。目的にあった製造法をしているに違い有りません。私の登山靴下には「R、L」と刺繍がしてあります。その通り履かないとどうなるのかはまだ試したことはありませんが、今度ミズノに言ったら聞いてきたいと思っています。登山の時は登山用靴下、家庭にいる時は家庭用靴下と区別して履きたいと痛感しました。


[2038] 【2032回 山での命令系統】 2010-01-08 (Fri)

ご存じのテレビドラマ「紫門一鬼シリーズ」で白馬岳をテーマにドラマが展開されていました。紫門一鬼が6人のパーティを白馬に案内すると言う設定でしたがメンバーの一人に捻挫らしき負傷者が出て手当をするので残りの人達には、すぐ先の二股を「右」に10分ほど先に行ったところに展望台があるのでそこで待つようにと指示をし負傷者の足の手当をするのです。二股に来たとき故意に道標が書き換えられてはいたのですがリーダーが「右」と言ったにもかかわらずメンバーが何の迷いもなく「左」を取り進んでいきます。しかし展望台はなく1時間以上も歩いてしまい、やっと道迷いに気が付きました。「二股まで引き返そう」と言う人と「このまま進もう」と言う人で意見が相違し、みんなバラバラに行動を起こし事故に遭遇するという内容でした。

サスペンスドラマですので道標が故意に書き換えられていましたが、自分たちの山行にも、これに近い事が発生しないでもありません。リーダーが負傷する場合も想定しなければなりません。そんな時はどうするのか、やまたび倶楽部の今年の課題の様に思います。「そんな危険を予想してるなら、行かなきぁいいのに」山登りをしない周りの人は必ずひとりはそう言います。そう言うのではなくて安全に登山を楽しむためにトレーニングをして行きませんか?

自主トレーニングと言いながら納山祭から以降歩いていません。ねこちゃんから「初登りはいずこへ?」とメールをもらってハッと気が付きました。ちょっと腹回りに肉も付いてきたしね。天気がよければ有馬越え行こうかしらと思ったりしています。山登りとしては、どこにも行けてはいませんが主婦にとって家の中をドタバタと2階や3階に駆け上ったり駆け下りたり正月は結構なトレーニングですよね。屋久島に行くためのトレーニングは「自主トレ」なので計画を立てて体力をつけないといけないなぁとつくづく思っています。


[2037] 【2031回 息子からのお年玉】 2010-01-07 (Thu)

「秦万里子コンサートチケットをゲット」
息子からお年玉をもらい、コンサートのチケツトを購入することに決めました。1月21日の昼の部は完売で、夜の部のチケットを何とか手に入れました。「それより姫、秦万里子って何者?」そう聞かれるかも知れませんね。テレビでふと目にしたコンサート風景で衝撃的な印象を持ち「続きが聴きたい、生で聴いてみたい」と思い検索に検索を重ね、やっとチケツトをゲットしました。

●秦万里子さんについて
1956年生まれ、.現在コンサート活動のかたわら、幼稚園や大学で音楽の楽しさを伝授。
子供が3歳になったのをきっかけに、音楽活動を再開。2001年より身近な題材を自らピアノを弾きながら歌うようになる。『半径5メートル物語』でメジャーデビュー。
「主婦たちへの応援歌」をリリース。

2008年4月、TBSラジオ主催『赤坂に主婦大集合 ?今夜はあなたが主役?』では74名のコーラス隊「エプロンズ」と共に赤坂BLITZの舞台に立ちに、超満員のコンサートで大成功を収める。以後、独自の練習方法でコーラスを指導し、一緒に舞台に立つというコンサートを各地で開催し、活動している。 2009年までに、全国17か所にコーラス隊が生まれている。

とにかく変わったコンサートで、驚きと笑いと感動を求めて聴きに行きたいと思っています。1月21日は既に満席の様ですが機会があればぜひ!下記は秦万里子さんのホームページです。コンサート予定が載っていると思います

    http://www.hatamariko.com/


[2036] 【2030回 やまたびの記念品贈呈方法】 2010-01-07 (Thu)

やまたび倶楽部が結成されてからカラーの参加シールをお渡ししています。シールはご当地イラスト入りで一目でどこに行った時のものかわかるようにしています。いままでの記念品は下記の通りです。

●1冊目 やまたび倶楽部の名札
●2冊目 赤い救急用品鞄
●3冊目 ミニショルダーバック
●4冊目 ミズノ万能袋
●5冊目 バンダナ

今まで参加シール証1冊が満杯になったらお渡し致ししている記念品の数々です。人によって3冊目までの人や4冊目までの人、また5冊目ももらい済みの人がいるのではないでしょうか。京都トレイルの最終の時と納山祭の時に説明を致しましたが5冊目のバンダナが終了した時点から後は「シール終了証3冊」になるまで(つまり6冊目から8冊目になるまで)各自で保管して頂き、3冊貯まった時点で、少しレベルアップした記念品をお渡ししたいと考えて皆様の同意を得ることができました。5冊目のバンダナを受理するまでは今まで通り1冊が満杯になったらご提出お願いします。

ラミネート加工された参加シール証は、記念品をもらうだけでなく、いままでの山行の記録として、思い出として大切に、時々出しては「ああ〜あの時はこんなことがあったなぁ」「この時は弁当忘れてたわぁ」などと回想することができます。私は机の上の透明シートの下に並べていつでも眺められる状態にして楽しんでいます。

アドベンチャーさんや、正ちゃんはこのシールを、貼るでもなく捨てるでもなく扱っていた様ですが、みんなの記念品贈呈を見て、あわてて大切に扱う様になったようですよ。(笑)頑張って追いついて下さいね。

昔、けんぽれんの「100キロ歩こう」のバッジをリュックに付けて歩いていたら「すごいっ!100キロも歩くのですか?」とよく電車の中で聞かれたものです。一度に100キロを歩くのではないことを説明したり、バッジでリュックが重くなってきたので外しましたが結構楽しんで集めていた時代がありました。やまたびシールも同じく結構楽しみながら集めることができます。

5月からスタートの「高島トレイル」の記念品とシール台紙は別枠で全踏破のあかつきには豪華な記念品を検討しています。勿論12回と言う長いシリーズになりますので1〜2回の欠席の場合もお渡し出来るように考えています。但し「高島トレイル」については従来の台紙ではなく専用台紙に貼っていただくことになります。

何はともあれ「元気で山登りができる事」を目標に今年もみんなで頑張りましょう!


[2035] 【2029回 また山の事故】 2010-01-06 (Wed)

連日の様に山岳事故の報道がされている中、6日産経新聞からの抜粋です。

『35歳の男性2人が年末に奈良県の大峰山に出掛けたまま行方がわからなくなって捜索していた吉野署が5日奈良県下北村前鬼の前鬼川沿いの斜面で一人を保護し、その近くで、もう一人の遺体を発見した。保護された男性は全身打撲の重傷、発見時、水や食料はほとんど持っておらず、約1週間川の中の水を飲んでしのいだという。
吉野署によると、2人は友人で12月29日「雪のあるところに行く」と行ってでかけた後、連絡がとれなくなっていた。1月4日に2人の家族から自宅近くの八尾署に捜索願が出ており2人の携帯電話の電波状況を調べたところ、下北山村内で感知し、吉野署に捜索を依頼した。4日午後10時頃下北山村前鬼の林道で二人の乗った軽自動車を発見。吉野署は2人が散策中に斜面から滑り落ちた可能性があるとみている。現場は景勝地として知られる不動七重の滝から西へ約1.5キロ』

この事故を教訓にするならば
@家族にきちんと行き先を鮮明に告げる
A登山計画書の提出(一体何泊の予定だったんだろうか)
B装備は万全だったのだろうか
C大峰山についての知識を習得して家族にも詳細を説明
Dあやふやな登山であれば家族がストップをかける

35歳という体力もあるため私達の様に中高年の登山とは違うとは言え、遭難事故が発生すると、どこかに問題はなかったのかとすぐ自分たちに置き換えてしまいます。後日「山岳事故トピックス」等に事故分析が掲載されるとは思います


[2034] 【2028回 うれしい誤算】 2010-01-05 (Tue)

「ドサッ」元旦の朝、バイクの音とともに年賀状がポストに入った音を確認し、あわてて取りに出ました。元旦の朝、お正月を感じるのは、何と言ってもお雑煮と年賀状です。「うんうん元気なんやぁ」「え〜っもうこんなに大きくなって」「あっこの人出してへんわぁ」と1枚1枚のハガキにコメントをし「出した人」「出してない人」と分類をしてみました。

大変だぁ40枚ほど年賀状が足りないわ!元旦の朝、此花の郵便局(本局)に行き「インクジェット写真用」を購入しました。が、待てよ、印刷はどうするねんなぁ?緊急ということでジョン印刷所から原稿をパソコンにもらい自分で印刷をすることにしました。時間はかかるもののきれいに出来上がりました。やれやれこれで3日には相手に届くはずと安心したのも束の間、2日にもまたドカッと年賀状が配達されました。また郵便局に走り追加年賀状を購入しました。そして自宅で印刷しコメントを書き投函終了しました。

このうれしい誤算は退職した会社の方達やOBの方達が多かったこと、ウオーキングをお休み中にもかかわらず「この頃お会いしないけどどうしたの?」と言う問い合わせを兼ねた内容が多かったのです。来年は今年いただいた方達には元旦に到着するように投函したいと思います。そして余分の年賀状も手元に置いておくことを、正月早々2回も郵便局に走ったことで学習しました。

恩師から毎年、年賀状が届いているのに今年は届いていません。心配になって電話をかけました。「先生、元気しちょるが?」「ハイ元気ですよ美智子さんは?手が震えて字が書けんようになって」との事で、元気ならいいんだけれどと電話を切りました。今年こそ帰らないと、もう先生とそう度々会えなくなる日も近い様な気がしました。私の年に20歳を加算すれば恩師の年ですから82歳。。。。。私が非行に走らず、今日あるのはこの恩師がいればこそなんです。

年賀状はさまざまな思いを目覚めさせてくれます。だから年賀状大好きなんです。

後日落ち着いてから繰り返し読むとまた感動が湧いてきます。どの年賀状にも私とその人との繋がりがあります。顔は見えないけれど1枚のハガキが心を届けてくれます。私の年賀状も相手にその様に伝わっているとうれしいです。その年の一番心に残っているシーンを写真にして作成します。「元気やで」が黙っていても伝わるように(誰ですか〜三角巾姿の方がいいって言うのは)

後は、松飾りが明けてから「寒中見舞い」を出したいと思います。


[2033] 【2027回 安否が気遣われる山岳事故】 2010-01-04 (Mon)

●奥穂高岳(3190b)付近で遭難した神戸市の3人は下山予定日になっても下山しないことから所属する山岳会からの通報で遭難が判明。山岳会のメンバーが現場に出向き2400b付近でテントを発見しましたが、3人の姿は見つからなかったそうです。3人は無線機や携帯電話を持っていますが不通状態。4日からヘリコプターで捜索を行うそうです。

●北アルプス寺地山(1996b)を登山中の7人から大雪で身動きができなくなったと携帯電話で救助を求めてきたそうです。吹雪の悪天候に加え、登山口付近には3bの積雪があるため岐阜県警は4日早朝から入山し救助に向かってくれるそうです。7人の人達は1週間分の食料を持っているといいます。

新年早々の心配なニュースですが天候の急変、積雪など予想以上の気象の変動にベテランと言えども遭難に巻き込まれることがあるのです。私のレベルでは冬の北アルプスにはとてもアタック出来ませんが、冬山の訓練があれば受けて見たいと思ったりします。携帯電話の通話可能地域であれば救助が要請できますがバッテリー切れ、圏外などで思い通りにはいかないのが現実です。

私達の今後の山行の場合、メンバーの一人は電源を切り送信専用にしておけばバッテリー切れは免れるのではないでしょうか。「au」「ドコモ」「ソフトバンク」など機種が違う場合は、どの電話かが通話でき利用方法が広がります。

納山祭の「なるかわの森」では携帯電話は圏外となり、道迷いの正ちゃんの電話(ソフトバンク)が辛うじて通話可能で姫の携帯(au)に正ちゃんからの着信履歴があり、公衆電話からかけ直し誘導することができました。着信履歴があれば公衆電話からかけ直す方法もありますが2000bの山頂では不可能な話です。とすれば、リーダーが話していた衛星電話が、将来は必需品になってくるのかも知れません。(良いのはわかっているのですが経費が高いので・・・・でも命には変えられませんよね)


[2032] 【2026回 新年のご挨拶】 2010-01-03 (Sun)

あけましておめでとうございます。輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。良きに付け、悪しきに付けの古い年とはサッパリとおさらばをし、気分も新たに新年を迎えることができました。今年の抱負は「与えてもらったチャンスは逃がさず、健康で怪我のない登山」です。

元旦の第一部は、息子達が集合し、2階の床が抜けやしないかと思うほどの賑やかな幕開けでした。息子夫婦2組と孫3人が揃いポチは「此の世に未練はない」とご満悦。(どうぞどうぞ安心してやぁ〜)かずくんが少しコンコンと咳をして風邪気味で、夜はやはり高熱が出たみたいです。第二部はジョンさんを招き、やまたび談義で夜の更けるまで語り合いました。

二日は故一刀水の家に行き年始の挨拶を済ませ神棚に「漆黒の日々」を掲載し始めたことを報告しました。一刀水の孫達も、高校受験の子、大学を目指す子とそれぞれが大きく成長をして「みっちゃんのおばちゃ〜ん」とお泊まりに来ていたことがウソのように思えてなりません。その子達がいまは私の孫の面倒を見てくれる年となりました。私が年を取るのが早いはずです。

三日はポチの崇拝する金光寺「門戸厄神」に初詣に行き、その足で梅田に出ましたが今年はまだ晴れ着姿のお嬢様達の姿を見ることはできませんでした。(ひとりもいないよ〜)紀伊国屋、モンベルへ立ち寄りましたが正月3ケ日に浪費をすると1年間浪費グセがつくと言う母の言葉を思い出して「見るだけ」にして戻りました。今年は福袋への熱も上がらずでおとなしい3ケ日を終えることとなりました。門戸厄神の境内の中でポチが古い御札を返納している間に、モウモウと線香の煙が立ち上がる中、ジョンに「脱腸の回復が一日も早く治りますように」と煙を脱腸付近に当てていましたら、側にいたおじさんが「元気になるといいですなぁ」とケラケラと笑っています。ん?おじさん場所を間違っていませんか?思わずジョンとそのおじさんから離れました。今年もこんな調子で笑いの1年が過ぎるのでしょうか。

お正月に楽しみと言えば何と言っても年賀状です。年末に書くのもしんどいですが貰った時のうれしさを思うと住所を書きながら相手の顔を思い浮かべながら乱筆ではありますが手書きを終え投函致しました。退職した会社関係、得意先関係、ウオーク関係、登山関係、同窓生関係、地域関係、その他とインデックスで分類し何度も拝見しながら楽しんでいます。

ところでみなさん「インクジェッシ紙写真用」の存在をご存知でしょうか?インクジェット紙(50円)は広く一般に周知されていますがインクジェット紙写真用(60円)は写真やイラストなどを使用するときは光沢がありとてもきれいな仕上がりになります。お手元に姫のハガキをお持ちの方はインクジェット紙のハガキと光沢を比べてみてください。但し10円高くはなりますが、お勧めですよ。来年はぜひ!(おっと〜今新年が始まったところだよ〜)


[2031] 【2025回 2009年を振り返って】 2009-12-27 (Sun)

(12/28〜1/3まで「姫のおうち」は年末年始休暇を頂きます)

★2009年を振り返って★

2009年(平成21年)はNPOで行われたリーダーの「復帰宣言」 からやまたび倶楽部はスタート致しました。この年は積雪もなくスノーシューを計画していたとしても実行を断念をせざるを得ない暖冬の幕明けでした。兵庫県六甲縦走を終え、大阪の山々の縦走を終え、今年は京都の山々を縦走する「京都トレイル」のスタートです。前半コースはリーダーのリハビリも兼ねての下見を終えコースの良さの手応えを感じたものでした。

新規のクライミング受講生を募集し、登山中に、いかに岩場を安全に通過するかを身を持って体験してもらい、訓練を続けました。最初はおっかなびっくりの人もいましたがルールさえ守れば楽しくて安全であると言うことを体感してもらえたと思います。時を同じくして「沢登り教室」も始め、水中ウオーキングのおもしろさを教えてもらいました。

夏山を「甲斐駒岳&仙丈岳」と決め、それに伴い6回の夏山トニングを実施致しました。甲斐駒岳&仙丈岳は残念ながら雨と仲良しになり、いずれの山頂も踏むことはありませんでしたが次なる希望に繋げて、麓の「みらい塾」にて還暦のために4年と数ヶ月間、熟成させた栗焼酎パーティを実施し、囲炉裏を囲んでのハープとユカイナ演奏と洒落こみました。この時点で山頂を踏めなかった事への残念さは薄らいだのではないでしょうか。

沢登りの講習、トレーニングを終え、黒部川・奥の廊下と言われる赤木沢遡行を実施致しました。時折つらい山行もありましたが、つらいかったからこその達成感や充実感は言葉では表現出来ないほどの思い出を作ることができました。あの雲上の楽園と言われる黒部・赤木沢に行ってきたのだと言う喜びと感動は今でも昨日の事のように鮮明に浮かんできます。

プライベートでは「前穂・北尾根、ゴジラの背中」「北岳バットレス」など自分の技術では絶対に無理だと言うコースではありましたが、山岳会のベテランの人達にサポートをしてもらったり、最高のザイルパートナーの指導のもとに忘れられない山行となりました。来年は加齢による体力低下で行けないかも知れないと思いながらの挑戦でした。

バスで行く篠山・小金岳は急遽マイカー2台に変更となりましたが紅葉の美しさにうっとりする登山となりました。12月には6回に分割した京都トレイルの最終回を迎え、これで兵庫、大阪、京都の山々を、くまなく歩いたことになりました。いよいよ次は滋賀県の山々を歩く計画を立てています。

納山祭は生駒山「なるかわの森」を宿泊地と決め、先発組、後発組と、それぞれが合流し美しい夜景を見ながらの楽しい忘年会となりました。毎年、場所を同じくすることで、あとからやって来る人達が合流しやすいと言うメリットがあります。マンネリ化しないよう注意をすれば、「納山祭は、なるかわの森で」が合い言葉でもいいような気がするのは私だけでしょうか。準備をする者にとって「前回に準ずる」はとても楽なんですがね。

何はともあれ1年間の充実したスケジュールを終了し、限りなく土の道を歩き続けました。アスファルト道でビルの谷間の汚れた空気を避け、自然の道を歩いていると、いつも元気をもらえる気がしました。山の中の、うっそうとした木々との出合いや、時折吹いてくれるそよ風との会話も楽しい気分にさせてくれました。鳥の声、野草の出迎えも愛おしく感じることができました。

全ての行事を終え、リーダーは身体のオーバーホールを実施いたしました。本人曰く「病気に始まり、病気に終わった」との事ですが、60歳を越えると何かしら身体に異変が起きてきます。この異変に早く気が付くかどうかで今後の人生の明暗が決まると思っています。私もそう言いながら過去に正月に肋骨2本骨折し年末にふたたび肋骨2本骨折と言う「骨太人生」を経験したことがあります。しかし回復は年のわりに早く、健康な体に産んでくれた両親に「ありがとう」と空に向かって手を合わせて、言った様に記憶しています。私達には歩ける足があります。岩をつかめる手があります。こんな幸せなことはありません。

そして、そして、今は10月末日に脱臼をしてしまった後遺症に悩みつつ年を明けることになりました。「気をつけろよ」と言うサインだと真摯に受け止めています。更に更に練習を重ね、教わったことを忘れずに、基本を忠実に守り、充実した60歳代を過ごしていけたらと思います。一人では何も楽しいことは生まれません。また一人で山は行ってはいけないのです。指導者がいるからこそ、仲間がいるからこその安全登山だと痛感しています。

もしも妙義山の脱臼事故がソロだったとしたら、下山はおろか、救助の要請すらできず、その場を通過するかもしれない登山者をひたすら待ち続け、万が一通過者がいない場合は「死」をも覚悟をせねばならないところでした。同行者がいたからこその脱出できたと痛感しています。

先日、目の前で老婆がパターンとつまづいて転けました。「大丈夫ですか?」と抱き起こしましたが「ここの段差に気が付かず転けました」と言っておられましたが、高齢者に人気の手押し車を押していて足下が見えなかったと思います。いつでも、どんな時でも事故は起こると思っていないといけません。「明日は我が身」と心に誓い、新年も元気で仲間のみなさまと一緒に歩きたいと思っています。

1年を通じて「姫のおうち」を訪問して頂き、ありがとうございました。温かいメッセージもありがとうございました。新年も、身近なホットなニュースを、おもしろおかしく届けていけたらと思っています。「姫のおうち」を読みながら「そりゃちゃうで〜」「その通り」「ふむふむ」「笑かしよるなぁ」「アホちゃうか」など、皆様が画面を見て、笑っていただけたらと思っています。

新年早々から新しく「姫の図書館」を開設する予定です。一人の人間が死を宣告されてから、どのように周りとかかわって、この世を去って行ったのかを綴ってみたいと思っています。どうか皆様、よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。


[2030] 【2024回 久しぶりのロープの手触り】 2009-12-26 (Sat)

今日は、煮しめを炊くには早すぎるし、大掃除をするには、また年末までに汚される・・・そんな思いで今日は、コタツに入りながら、納山祭の途中で習った「ウサギの耳」手法のおさらいをすることとなりました。年末のクソ忙しい時に!と思うかもしれませんがロープ操作は使わないと「アレッアレッ?どうやったかいなぁ!」状態になります。

そこでポチを相手に「あれやってごらん、これやってごらん」と自分への復習も兼ねてロープワークをしました。時々「ちゃうちゃう〜!」そんな叫び声も発したりしましたよ。リーダーでさえ、いまだにロープの結び方を復習と言うか確認をするんだそうです。

懸垂下降時のバックアップ、セルフビレイは安全のため必ずしなければなりません。そう言えば大好きな懸垂下降しばらくしていないなぁ。リハビリが終わったら行きたいなぁ。

リハビリのつもりで右手だけでカラビナ操作の練習をしています。納山祭の途中のトレーニングでリーダーに「みんなカラビナ操作がヘタです!。片手で操作出来るようにもっと練習を!」と言われたばかりでした。いつも身近に置いて、テレビを見る時間を利用して、春のクライミングに向けて練習を積み上げたいと思っています。

妙義山で脱臼の事故を起こしてしまったので、安全について語る資格がないと言う人もいるかも知れませんが、私的には、日頃訓練をしていたからこそ、あれくらいの怪我で済んだと思うようにしています。いつも前向き!これが私のトレードマーク(笑)


[2029] 【2023回 新年を迎える準備】 2009-12-25 (Fri)

今日はリハビリ第7回目。少しづつ回復に向かっていると理学療法士さんに褒めてもらいました。(家にリバビリの道具作ってるんですもの成果がなくっちゃあね)。外はポカポカ陽気でジャンバーを脱いで歩くほどでした。

あまりに暖かいので、洗車をしようと掃除機を充電し脚立に乗り洗車をしました。右手のリハビリにもなるし一石二鳥です。外回りの掃除を済ませガスレンジ周りの掃除も済ませちゃいました。バイクでコーナンに走り、レンジの下の敷物などを買い新旧の交換をしました。

そうそうバイクの話ですが、また災難に遭っちゃいました。駐輪場に停めてある私の愛車のキーボックスに爪楊枝の様な物を突っ込まれていたのです。ハンドルキーがかかっていたので盗むまでには至らなかった様子ですが、それでもエンジンはかかりません。軽トラックでバイクを運んでもらい良心的なバイク屋さんだったためキーボックス毎交換せずに、分解して爪楊枝の様な異物を取り除いてもらえました。

どうも、私のバイクはスピードが出る車種らしく、少年達の盗みのターゲットになるらしいです。何とか防衛戦を張らなくっちゃあ・・・!ほんま憎たらしい限りです。

そして夕方はポチの部屋にカーテンを吊るべくドライバーを廻しますが、この右手では痛くて、力が入りません。ポチにさせろって?ポチにさせると家が傷だらけになっちゃいますよ〜!

ちょっとだけ我が家にも新年の気配が訪れてきました。皆様も、きっとご多忙のことでしょう。主婦だけでなく男性の皆様も適材適所で働いてくださいね。



[2028] 【2022回 2010年の運勢はいかに】 2009-12-24 (Thu)

2010年「七赤金星」の運勢いかに?

●1月 新年早々運気は旺盛となり明るい気分で過ごせます。魅力ある会話と笑顔で人間関係も豊かになるが出費や誘惑に注意。

●2月 予期せぬ出来事や疾病などで、生活リズムが乱される恐れ有り。万事手綱を引き締め、手早い的確な処理で大難も小難に。

●3月 そつのない言動で、大抵の事は順調に運ぶ月。渋滞があつても短期を起こさぬゆとりが大事。ベストを尽くし好機を待つ

●4月 過去の実績が評価され対人面が拡大の予感。目標決めたら全力投球を。未知の分野にも挑戦し知識を増やすこと。

●5月 情報運が活発化。耳寄りな話に縁があり。何事も勇気と実行力が吉を招く。

●6月 順調に見えても手を広げれば失敗もある月。新規事や不慣れな事への冒険は控えて賢明。無駄な動きをなくし慎重に進め。

●7月 努力相応の実りもあるが、事を急ぐと挫折や波乱で築きあげたものが崩れる恐れあり。焦りや無理押しは厳禁。事故に注意。

●8月 人間関係の輪が広がり絆も深まる楽しい月。人の誘い多く身辺賑わう分、折り目正しく礼儀と節度を守ること。

●9月 変化変動の月を迎える。仕事面や家庭内、また転勤転居などの環境的な変化があるが、現状を維持して時機到来を待つこと。

●10月 運気は好転。自分の持ち味を生かしたアイデアが評価を得て、日の目を見ることもあるが、自惚れからの独走は慎むこと。

●11月 思い通りに力が発揮出来ずストレスの溜まる月。対人運でも神経を使う事が多くなる。新規事や大事は見送り退守せよ。

●12月 低め安定の運気。師走ムードに流されて目先の利欲や冒険心に走れば、目標はさらに遠のく。何事も確実的確にこなすこと。

以上は昭和23年生まれ、昭和14年生まれの人の運勢です。ご自分の運勢を知りたい方は何年生まれかを教えてね。


[2027] 【2021回 リーダーの病気】 2009-12-23 (Wed)

リーダー「ジョン」の2009年は病気に始まり病気に終わりました。65年間も生きていると、どこかしら悪くなるものです。納山祭の宴の最中にテーマソングまで歌って場を盛り上げていましたが、とても痛かったのではないかと想像します。そうでないと翌日、正ちゃんにリュックを預けるはずがありません。しかし「早期発見」で、本人も「手術の決心」が早く、お陰様で1日で帰宅することができました。納山祭に参加されていた皆様が、ご心配していただいていることと思いましたので本人になりかわり、年の離れた妹が容態をお知らせ致します。

(手術の写真はブログを参照下さい)

●9時15分 鼡形ヘルニア手術開始、
●11時48分 手術を終え、病室に戻る。
●15時00分 水分補給許可あり。
●16時30分 ベットより起きあがり歩行可能。
●17時00分 帰宅許可

あとは、「日にち薬」と申しますか、年末年始に、しっかりと静養され、健康な2010年でありますように、やまたび倶楽部一同心からお祈り申し上げます。


[2026] 【2020回 これからに向けて】 2009-12-22 (Tue)

★納山祭「なるかわの森」の帰路、下り坂で枯れ葉が邪魔をしてツルツル(ポチさんではありません)ズルッと滑っていた人が居たように思います。私も脱臼後、下り道がとても臆病になり「へっぴり腰」になっているのが自分でもよくわかります。今までは登りであろうと、下りであろうと、背筋を伸ばして歩いて、いつ写真に写っても良いように(笑)歩いていました。リハビリが終わるまではまだ脱臼後遺症が消えないのでしょうかね?

@急斜面でも靴底全体を常に着地させると滑りにくい。
A草付、樹林帯、雪面のいずれであろうと、急斜面では、なるべく垂直に身体を起こして歩く。
B滑らぬ様にと斜面側に身体を傾けると、かえって滑り、バランスを崩す原因となります。

もうすぐスノーシューの季節となります。去年「雪の講座」がお流れとなりましたので勉強のチャンスがあればよろしく!

ポチに買ってもらった冬用の登山靴を「なるかわの森」に履いて行きました。本番で履いて、靴擦れをしないようにするための「ためし履き」です。さすが「雪用、冬用」とあって確かに温かいです。温かすぎて水虫になりそうでした(笑)白馬岳行きに新調した靴は外反母趾で皮1枚にすり切れてしまっていますが、私にはやっぱり愛着があって好きです。

本当の履き方は2足あれば交互に履くのが靴の寿命のためにいいそうですが、なにせ登山靴は高価ですからね。1足履いて、潰れたら買うしか私にはできません。サンタさんを待ってみようかしら?

サンタさんと言えば、もうすぐ「姫サンタ」の季節です。サスケ先生のアドバイスで今年は白い眉も作りました。勿論プレゼントはサンタ様宛のハガキが届いていますのでバッチリ用意ができました。クリスマスイヴが楽しみです。ところで大人のクリスマスはあるのかしら?(だ〜れクルシミマスって言ってる人は!)

そう言えば亡き一刀水兄貴に「なぁクリスマス会しようよ」と言うと、決まって「ワシは日本人で神教なのでそんなもんはせんでエエ!」ってはねのけられたことがありましたなぁ。


[2025] 【2019回 富士山遭難事故】 2009-12-20 (Sun)

あの加藤文太郎でさえ富士山の強風をどこの山よりも恐れていたと記されています。納山祭から戻ると悲しい遭難のニュースが流れていました。以下抜粋記事から。

『富士山遭難、片山さん同行2人死亡確認。
元F1レーサーの片山右京さんなどが富士山で遭難した事故で、19日昼すぎに残る2人が発見され、死亡が確認されました。 死亡が確認されたのは片山右京さんの事務所のスタッフで、東京都八王子市の男性(43歳)と神奈川県横浜市の男性(34歳)の2人で、死因は凍死でした。

片山右京さんは18日に無事保護されましたが、残る2人は静岡県警が19日朝から捜索をしていました。県警は正午過ぎに標高2800メートルの富士山6合目付近で2人を発見し、ヘリで収容しましたが、午後7時過ぎに2人の死亡が確認されました。今回の登山は、来年2月からの南極行きに備えるための高地トレーニングでしたが、南極行きは中止となりました。』

43歳の男性は登山歴20年のベテラン、34歳の男性は5年の登山歴、右京さんは平成9年にレーサーを引退してから登山を始め、登山歴12年だそうです。吹き飛ばされたテントで死亡した2人は同じテント、右京さんは一人用のテントで生死の分かれ道となりました。

富士山の突風はテントを人間もろとも持ち上げる威力があり登山家達の間でも恐れられています。亡くなった人は勿論ですが同行した右京さんも、つらい思いをしているかと思うと山を愛する者(ド素人の私ではありますが)として、亡くなったお2人には心から哀悼の意を表し、右京さんには1日も早い立ち直りを祈っています。


[2024] 【2018回 楽しかった納山祭終わったよ】 2009-12-19 (Sat)

1泊2日で行われた納山祭は、お天気に恵まれて、無事終了することができました。楽しい内容は写真とともに後日レポートをアップしますので、楽しみに待っていて下さい。

「ただ山を登るだけではない」「ただ遊ぶだけではない」と登山中に「ミニ講座」を実施しながら「やまたび倶楽部」での山行では、一度も事故や怪我人を出してはいません(姫の脱臼事故はやまたび倶楽部行事外)これは参加者の皆様が「中高年の登山中の事故」を明日は我が身と受け止め講座の内容を、しっかりと守って下さったからだと感謝しています。

「山登りはするけれどクライミングはしない」と思っていた人がいたとしたら、今回、途中で実施した危険箇所の通過トレーニングでいつも目の前に迫る危険について理解していただけたと思います。危険箇所をより安全に通過してこそ楽しい山登りがてきます。

来年も盛り沢山のスケジュールを計画しておりますが「参加者の皆様あってのやまたび倶楽部」です。今年はリーダーが「病で始まって、病で幕を閉じる」状態でしたが、皆様も健康に注意をして頂きながら、新しい年も仲良く、楽しく里山歩きや高山登山を目指して行きましょう。年越しにはまだ日がありますが、一応やまたび倶楽部の年越しはこの納山祭を以て、終了致しました。1年間のご参加、ご協力に心からお礼申し上げます。

★残った食材や、おやつは「お楽しみクジ」を作りみんなで分配しました。朝の早出組の5人の方には当たらずでしたがごめんなさいね。残り物クジも遊び心があってなかなか楽しいものですねぇ。

    ありがとうございました。

【来年のために】

@サランラップを忘れないで買う
A帰る日の昼食は、途中で食べられる「弁当」がよいかな
B場所にもよりますが「なるかわの森」に限っては「食材配送車」が1台あれば大助かりかなぁ。だって宿泊地にはビールの自動販売機がないんですもの・・・大変なのね。


[2023] 【2017回 納山祭りにいってきま〜す】 2009-12-18 (Fri)

平成21年度納山祭にふさわしく「きびし〜い寒さ」
の中、生駒山麓「なるかわの森」に1泊2日で行って
きます。バンガロー2棟を借り切り「忘年会」を兼ねて
鍋を囲みます。瓢箪山駅付近で買い物を済ませ、途中で
講座に適当な場所を見つけて「中高年の安全登山」のお
さらいをします。「寒いのにはよ〜バンガローに行こう」
って言わないで下さいね。

だってチェックインは15時ですから。

今年を振り返り、また来年を夢見て、平均年齢○○歳の
にぎやかな仲間が鍋をつっつきます。遅れて来る人が
到着の度に「乾杯」のやり直しをして楽しい夜を約束
します。

ではいってきま〜す。


[2022] 【2016回 救急安心センターの存在】 2009-12-17 (Thu)

昨日はリハビリのつらさに少し弱音を吐いてしまいました。(リハビリの回復状況の写真をブログに載せました)しかしリハビリの部屋で一生懸命「歩ける様になる」ことを頑張り続けている人や、意識がなくても足を上げ、手を挙げて床擦れ防止に努力をされている人達がいます。それを思うと、あと2ケ月で全快を保証されているのですから弱音なんぞ吐いてはいられません。

私は群馬県で救急車のお世話になってしまいましたが、「タクシー代わり」に救急車を呼ぶ(ほんの一部の人ですが)軽症の人が52.1%もいるそうです。救急車を呼ぶほどではないが、いつもと様子が違う、夜中だし、どこの病院に行けばいいのかと悩んだことはありませんか?大阪消防局の中に「救急安心センター」という部署があり24時間受付してくれ、看護師、医師も待機してくれて相談にのってくれるそうです。

 『♯7119もしくは06−6582−7119』

大阪府以外の人も利用できますが、相談にはのりますが医療機関の紹介はできないそうです。電話をかける時は落ち着いて怪我や痛みの「部位」を正確に伝え、出血があるか、意識があるか等を伝えます。救急車が必要と判断した場合はそのまま救急車の手配をしてもらえるそうです。

私の息子が幼なかった頃、オモチャゲームの小さなゴルフボールを鼻の穴に突っ込みオロオロしたことがあります。鼻血は出るし腫れてくるしで消防署に耳鼻科の救急病院をたずねたことがあります。しかし耳鼻科の救急病院はなく、仕方がないのでゴルフパターを思いつき、耳かきでほじりだしたことがあります。いま孫が同じ目に遭ったとしたら、とてもとても出来ない処置です。また甥が小さい時は母親の内職のメダルを飲み込み病院へ行きましたが何も入ってないとの事で一度帰されました。しかし母親は絶対に飲み込んだと言い張り、同じメダルを手に握り、救急病院に駆け込み、レントゲンを撮ると胃の中にメダルがあり洗浄処置をして無事取り出した事もありました。

孫が来て、小さなボールやおはじきなどで遊ぶ時は必ず数を数えるようにしています。そしてお片づけの時も数を一緒に数えて終わりにするようにしています。


[2021] 【2015回 リハビリ5回目】 2009-12-16 (Wed)

今日は、整形外科の診察後、リハビリを受けました。今日で5回目です。医師は2週間で10度の角度の回復が見られ、この調子でリハビリを頑張るようにとのことでした。今日からリハビリの時間が倍になった気がします。理学療法士さんは、私が手を上げようとするのを力を加えて邪魔します。それに耐えて力をつけていくと言う治療法です。額には汗がビッショリとわき出ています。少しハードになってきてリハビリが終わると疲労感でいっぱいになります。日々努力あるのみです。

三角巾が取れると、みんな治ったと思ってくれます。家族でさえも「完治」したと勘違いをし、また元のように家事に見向きもしなくなります。でも苦しいのは今からのリハビリなのですが外見的には「どこも悪くないやんか〜」状態で戸惑うこともあります。これを乗り切らないとクライミングへの復帰は出来ません。あせる気持ちもありますがどうにもなりません。

(回復のきざしの写真、ブログに載せました)


[2020] 【2014回 此花正蓮寺川】 2009-12-15 (Tue)

過日、正蓮寺川の埋め立て工事を見て「長い間、工事しているが、これは一体どうなるんや?」と隣の福島区の住民に聞かれました。此花区民として即答が出来なくて「大助・花子」の大助の様に「アノ〜その〜知らんわぁ」と答えたことがありました。此花区民として恥ずかしい思いをしましたので資料で調べました。

『正蓮寺川は、阪神高速道路株式会社が進めている阪神高速5号湾岸線と3号神戸線とを結ぶ、延長5.7キロメートルの自動車専用道路「淀川左岸線1期」の整備に合わせて、正蓮寺川の陸地化を行い、大阪市、大阪府が協力して、将来的には公園や歩行者専用道路などが整備される計画になっています。

この事業により、ゆとりと潤いのある空間が生まれるとともに、災害時の避難場所が確保され、生活の快適性と安全性の向上につながります。淀川左岸線の工事は島屋付近では進捗率50%を越えるなど順調に進んでおり、平成25年の春完成を目標にしています。』

ちゅうわけですわ。自動車専用道路の排ガスをシャットアウトするために走行部分を囲ってしまい、その上の2階部分公園などに有効利用しようとしているのです。街が綺麗になるとともに区民もレベルアップして、自転車のマナー(商店街のど真ん中に停める自転車なんとかして〜)、パチンコ屋前、コンビニ前などの無謀駐輪ひどすぎます。無料駐輪場をあちこちに作れば、綺麗な街になるのではないかと期待しています。歩行者(例会時のウオーカーも含めて)もダラダラと道幅いっぱいに広がらず、携帯をしながら歩いたりせず、背筋を伸ばして歩くことに熱中すれば、此花区で最も多い、「自転車と歩行者との事故」も減るのではないかと思っています。

いろいろな情報を満載している「もぐらハウス」一度足を運んで見たいと思います。もぐらハウスは此花区島屋2丁目(島屋交差点の北西)にあり、午前10時〜12時まで。休館日は水曜日・日曜祝日です

(今日の此花)
  冬の寒い風が吹いているというのに
  やたらめったら年寄りが多い
  なぜ?なぜ?
  そうか〜今日は年金の振込日なんだぁ
  ゾロゾロゾロゾロ
  銀行の器械の前はなが〜い行列
  「ちょっとすみません〜」と銀行係員を呼ぶ
  「混んでんだからちゃっちゃとやってよ〜」
  そう思いながら「明日は我が身」と苦笑い
  そう言う私も年金の振り込み確認だぁ
  やだ、やだ、次からは15日は外そう! 


[2019] 【2013回 苦しかった求職活動】 2009-12-14 (Mon)

私の18歳の友達がアルバイトを求めて大変苦労をしていました。今まで、何もかもが中途半端で生きてきたことを悔やんでいましたが前を向いて歩くしかありません。半年近く激励をし続けて、やっと今日、うれしい知らせが届きました。「バイト決まったんです」と喜んで報告をしてくれました。私の口利きと言うこともあって、少々の辛いことや、対人関係でつまづいたぐらいで辞めないことを約束しました。

私が就職する時は会社のドアにベニア板で「事務員募集」と書いてありました。職安に行くまでもなく、人手不足で面談が終わると「では明日からでも」と即決でした。本採用になるまでの試用期間中は猫をかぶった様におとなしくしていたものです。

先輩の愛のムチは厳しく、泣いて帰ったこともありましたが1年毎にたくましくなり、精神的にも強くなりました。人が嫌だとか、仕事が嫌とか、それは贅沢と言うものでした。姑の口利きで入社した手前「辞めたいのです」と言えず、とうとう39年間も勤め続けてきました。

バイトとは言え、採用して貰ったことに感謝をし、誠心誠意働いてもらわなければなりません。雇用先の社長に礼を言うと「今、この業界は大変厳しい現状が続いております。本人にとっては厳しいかも知れませんが弱気が出れば励ましてあげて下さい」とありがたいお言葉を頂きました。

「転職したい!」と思ってみたとて、世間は甘くありません。今はじっと耐えて、自分の能力を磨き、羽ばたける日がくるのを、じっと待つのです。待っている間に、力がついてきて、「転職したい」と言う気持ちが、どこかへ飛んで行ってしまうのです。


[2018] 【2012回 平均年齢65歳忘年会】 2009-12-13 (Sun)

土曜日の夕方から、以前勤めていた会社の忘年会のご案内を頂いたので出掛けてきました。丁度スケジュールも空いていたため喜んで参上いたしました。千鳥橋高架下の居酒屋前で「やあやあ!」の挨拶だけで長らくご無沙汰の時間は埋まりました。

現役の社員、既に退職した元社員、場内協力社員など懐かしい顔ぶれでしたが平均年齢にして65歳以上という後期高齢者の集まりでした。(ハハハ)会社の愚痴は言わないというルールのもと、会社の将来性についてや、あとは年金、病気の話が中心でした。

まず「通風」、「糖尿病」、「膝痛、腰痛」と闘病生活の日々を語ります。私も参加者の中で一番の若手のため、持病の話題は有りませんが「退職後の華麗なる生活」について語りました。働き続けて、退職して、いざ時間が出来たとき、足も腰も動かなくなることの無いように、若者へのバトンタツチの大切さに警鐘を鳴らしました。昔の慰安旅行と言えば、このメンバーが居ないと宴会が盛り上がらなかったこと、キャンプ、運動会と「久田のねえちゃん」に利用されたことなど時間の過ぎゆくのを忘れてしまうほどでした。そう言えば青年部のキャンプなのですが釜でご飯を炊く技術がないため、おじさん連中を、半分強制的に誘い「飯炊き係」をしてもらったことがありました。

宴会で若者が多いと鍋の食材が残ることはありませんが、今回のメンバーは鍋にたどり着くまでに満腹を訴え、ほとんどの人が鍋に箸が突っ込むことはありませんでした。店の人が、見るに見かねて参加人数分をタッパーに入れて持ち帰らせてくれました。糖尿病が気に掛かり食材に遠慮がちな者や、痛風で酒の量が気になる者などのため減るはずがありません。

会社の全盛期時代をくぐり抜けた者同士の乾杯は、なつかしくもあり、またこの1年の間の物故者への哀悼の意を捧げ、次に会う時、欠ける人が出なければいいがと(冗談の様な本音の様な)別れを告げました。


[2017] 【2011回 忘年会シーズンを迎えて】 2009-12-12 (Sat)

今年の流行語大賞は「新」、2位は「薬」、3位は「政」で過去最高の16万の応募があった中から選ばれたそうです。

年末になり「忘年会」シーズンとなってきました。現職時代は職場別、企業別、団体別など断れない事情もあり結構スケジュールが詰まっていたものですが、退職し主婦業となってからは、本当に出席したい時にだけ顔出しができるので中味も濃く楽しみも大きいものです。「飲み放題」という宴会コースもあり「飲め!吐け!飲め!吐け!」と先輩が後輩を、あおり、街路樹に寄り添い見苦しい場面をテレビでこの時期よく見る度に「自分の適量」を知ることが大切だとそんな人達に警告したい気分になります。

現在、国内にはアルコール依存症患者の人約80万人、隠れアルコール依存症の人は450万人にもいると言われています。私の後輩も、昔、キッチンドリンカーで飲むと関東から長距離電話をしてきて、1時間はグダグダと愚痴をこぼして泣いていた女性がいました。それこそ最初は、なだめすかして慰めていましたが最終的には「しっかりしぃや!それで子育て出来ると思ってるんか!」と一喝して台所から酒類を全て捨てさせて立ち直ったケースがありました。(現在は良い母親しています)

アルコール依存の初期の人は、ストレスでお酒を飲んでしまうのですが、重症になってくるといつでも、かつでも何らかの理由をつけて酒を飲むようになります。飲酒を注意すると相手の目を盗んで飲んでしまい、完全な依存症になってしまいます。依存症になると酒を飲んでの暴言や暴力、セクハラ、遅刻、無断欠勤など、社会人として人間として欠落して行きます。酒を飲んで「覚えがない」と記憶をなくすような飲み方をすると、脳の神経細胞が傷ついたり死んだりして、アルコール中毒患者のレッテルを張られてしまいます。

●飲む前にチーズを食べたり、牛乳を飲む?
「飲む前に乳製品を摂取すると、胃に粘膜が張られて二日酔いしにくくなる」という人がいますが医学的根拠はありません。酒だけを飲まず酒の肴とともに、ゆっくりと飲みましょう。(飲み放題だからとガバガバ飲まない)

●二日酔い対策
もし二日酔いになってしまった場合は、水分を十分にとってたくさん汗をかくのがおすすめ。汗をかいて代謝をあげると血液の循環がよくなり、血中に残っているアルコール成分を分解しやすくなります。(迎い酒なんてとんでもないよ)

●自分の適量を知る
人によって違いますが資料によると、日本酒で1日3合以上を超えると健康障害が表れるといわれています。「百薬の長」と呼ばれるのは、1日1合。1日1合ですぞ!

●お酒と薬
お酒を飲んでいる最中に風邪薬を飲んだり、お酒を飲んだあとに眠れず睡眠薬を飲むと、意識が、もうろうとなり、危険です。大量のアルコールを飲んでいる際は、肝障害を起こして死亡することさえあるそうです。お酒を飲んだ時は睡眠薬を飲まないで下さいね。薬を飲むときは、アルコールが抜けてから服用するようにしましょう。

とにもかくにも酒は「愉快な仲間と愉快に飲む」ことが最低条件の様に思います。私は酒は強くありません。(これはほんまです)しかし飲まずに愉快に騒ぐことは出来ますしカラムこともできます(こっわ〜!)

同席した人を不愉快にさせない酒で、忘年会や新年会を楽しんで下さい。私の父は日本酒大好きで記念写真を撮ると言えば必ず一升瓶をそばに置いていました。飲むと自転車を道路脇に停め、田圃の中で寝ており、近所の人の通報で幼い私が迎えに行っていました。母親に暴力を振るうこともあり、そんな時はきまって私が仲に入り「お父ちゃん、もうやめて〜!」と泣き叫ぶのです。だから今でも愉快に飲む酒は歓迎ですが「カラムーチョ酒」や「愚痴っぽい酒」は大嫌いなんです。


[2016] 【2010回 USJイルミネーション&パレード】 2009-12-11 (Fri)

「かにづくし」バスツアーから帰った昨夜の夕食後、朝飲み忘れの薬を飲んで寝ることにしました。アデラントとテノーミンと言う降圧剤の薬で利尿効果があるんですが、就寝中の12時、2時、4時と尿意をもよおし3回も起きざるを得ない結果となりました。薬の処方はきちんと守りましょうね。

そして今日はリハビリ第4回目。メニューも少しづつ新しくなり、使用器具も、さまざま取り入れてくれます。
握力の回復はリハビリ開始時(13)、本日は(17)。手の上がる角度は当初(75度)、本日は(90度)と明るいきざしが見えてきました。自宅でも日々リハビリをするようにしたいと思います。

夕方からは警察関係の会議があり、いまだに名誉顧問として扱ってくれるため、住友電○様まで出掛けました。西九条から車で来るM会長が大日本塗料様に立ち寄り、千鳥橋前で私を拾って乗せてくれる事になっています。しかし以前は、車内の話しに夢中になり、うっかりと千鳥橋停車を忘れて、頭をかきかきUターンして戻って来たことがあります。今日は覚えておいでだろうか?そんな不安を持ちながらリハビリ用の右手を左手で支えながら大きく挙げてストップしてもらうことができました。

住友電○様で会議を終えた後は社用車のマイクロバスでユニバーサルの点灯式に参加しました。会員の中にユニバーサルさんも加入しており、特別の配慮をいただいた様子です。しかしアベック(古い言い回しやなぁ)でもなく60歳を既に到達した紳士達の集団、しかも姫おばさんが加わってのパレード見学は、他の方達から見ると異様なんでしょうね (場違い〜)パレードは一度は見ておきたいと思うほど豪華で、暖かい日ぜひ行ってみて下さい。パレード開始は平日は午後7時30分から、土日は午後8時からだそうです。アトラクションのひとつ「スバイダーマン」に全員で参加することになり立体メガネをかけて乗るのですが最初から最後まで怖くて目を閉じていました。「あんたにも怖いもんあったんかいなぁ」とおじさん達に言われてしまいました。こわかった〜!

私が以前から注目しているのは住友電○の社用車のマイクロバスです。社員の送迎用に使用しているのですが地域住民のために有料でマイクロバスを借用できないか打診したことがありました。答えは「NO」でした。当たり前ですが、ひょっとしてと思ってね。やまたび倶楽部の山行に最適なんですけどね。高島トレイルのマイクロバスの手配に参加者数の予想がつかないのでちょっと不安なんです。


[2015] 【2009回 久美浜へ温泉療養】 2009-12-10 (Thu)

「雨かも知れない」の10日、プライベートのグループで「サンケイ旅行会」のツアーに乗っかって丹後・久美浜「かにづくし」に行ってきました。いつもバスの中で、ああだこうだとウロウロと動き廻りますが今日は完全に「お客様」で座っておれます。大阪駅前7時15分出発後天王寺駅前でお客を乗せて合計20人(28人乗り)で出発となりました。ところが・・・・

出発をして間もなく「車酔いをする」という後部座席の客が出て来ました。「な〜にぃ?バス旅行に車酔いてか?!」と思いながらも添乗員がうろたえて「どなたか酔い止めの薬を持っていませんか?」とマイクを通して、訊ねるも、だ〜れも持っていません。持っていませんし、ちょっとみんな呆れている様子です。私が見かねて「高速道路の入り口の事務所に立ち寄れば薬はもらえますよ」とアドバイスし、私が前から2番目の席を譲りますと申し出ました。後ろの客にその旨を伝えに添乗員がいきましたが「このままでいいです」と動こうとしません。ドライバーさんが「今から車酔いだと和田山から地道の悪路になるから、前の席に移らないと困ります」と言うと、では今から降ろしてくれと言うことになり、結局、中国道池田の入り口でキャンセルし下車されることになりました。19人での出発変更になりました。前代未聞の出来事に将来のやまたび倶楽部のバスツアーの参考にしたいとメモを取った次第です。(普段は車酔いしないので申し込んだが今日だけ体調不良かしらね!)

アクシデントがあったものの順調に渋滞もなく高速を走り家具の町、和田山から地道を走り、養父町までやってきました。以前この道を皇太子殿下が通る事となった時、鯉が尾を向けていては失礼だと言うことになり、あわてて鯉の向きが変わったと言う大きな鯉のオブジェを見ながら昼前には久美浜温泉・湯元館に到着しました。部屋にはカニづくしが並べられており満腹状態で、あとは時間の許す限り温泉に浸かることにしました。リハビリを兼ねていましたので、湯当たり寸前まで入っていました(笑)
(カニはブログに載せました)

帰りには酒造会社の見学(試飲あり)やコウノトリ郷公園に立ち寄り雨に遭わずに帰り着くことができました。今回、感じたことは、別々のグループの寄せ集めなので、やまたび倶楽部の様に「一体感」はなく、それぞれが口々に、のべつ無く喋り、うるさいとも言えず、かと言って眠ることもできず、大変なバスの中でした。「貸し切り」の楽しさを改めて実感しました。それにしても狭い車内での「度の過ぎたお喋り」に効く薬はないものでしょうか?


[2014] 【2008回 リバビリ第3回目】 2009-12-09 (Wed)

今日はサスケクリニックへの診察とリハビリ日となり時間を気にしながら千鳥橋を歩いていると、昔に定年になった藤井さんと出会いました。「久しぶりやなぁ、独立して仕事してるって?」誰がそんなこと言うたんやろ!!「主婦、主婦!」「似合わんなぁ〜」そんな会話をしながら時間ばかり気に掛かり、とても久しぶりだったんですが「じゃあまたね」と別れてサスケクリニックに急ぎました。治療を終えると、その足でリハビリの病院へ行き自宅にリハビリの装置を作ったことを話すと「あまりあせらないでください。先生から2週間の間は、やさしいリハビリメニューをするように言われています」とのことで、今日はニギニギを5分、寝た状態で両手を組み頭の上まで持ち上げる訓練をしました。立っていると思う様にあがらない右手も寝ると簡単に上がるのですね。

午後から師匠も「○ッ○ョ」が痛いし仕事にならんとのことで「カラオケ」に行くことにしました。昼間なのでがガ〜ラガラ。1時間二人で歌い続けました。疲れました!

師匠は
●古城(82点)
●東京見物(82点)
●旅姿三人男(80点)
●赤い夕陽(83点)
●一本刀土俵入り(85点)
●嵯峨野さやさ(85点)
●足摺岬(81点)
●武田節(81点)以上8曲歌い上げました。

姫は声の調子がわるく、4曲でタイムオーバー
●夢一夜(85点)
●ゆうべの秘密(88点)
●ろくでなし(84点)
●岸壁の母(85点)

(調子の悪い時は、美空ひばりの歌は歌わないことにしています。だってひばりちゃんに悪いも〜ん)


[2013] 【2007回 来年の予定表】 2009-12-08 (Tue)

2010年の「やまたび倶楽部」の年間予定表が完成し、京都トレイル最終回の5日に参加された方達にお渡し致しました。あと納山祭の時に、まだお渡していない方にもお渡し致します。手に取って見て頂くとよくわかって貰えると思いますが、アスファルトでない土の道を歩くことを基本に工夫をこらしたスケジュール表になっているかと思います。

シリーズものでは「兵庫県」「大阪府」「京都府」を終え、いよいよ滋賀県中央分水嶺「高島トレイル」へと足を伸ばすこととなりました。距離が遠くなることでアクセスが非常に悪くなり電車代、バス代(実際はバスは運行していません)も高くなり、マイクロバスを使用して12回分割(2010年度は9回まで)で実施することとなりました。京都トレイルの様に大勢の参加者があればマイクロバスも可能なのですが少ないと予算的にちょっと大変かも知れません。どうぞみなさま 「兵庫県」「大阪府」「京都府」の次は「滋賀県」を制覇しようと気合いをいれて頂き琵琶湖を見下ろすコースを楽しみませんか。高島トレイル12回については全回参加の気持ちはあっても急遽の用事が入る可能性があり、そこは柔軟に対応するとリーダーが説明されておりました。(全回参加賞とそれ以外も思案中)

実際に私も嫁の出産で参加が危ぶまれること間違いなしです。が、、しかし、イタドリの時期だけは孫を背中にくっつけてでも採りたいと思っています。季節限定だからね。そう言えば京都トレイル最終コースにも大きな親木があったよね。来年の春はきっと大きなイタドリがニョキニョキだよ〜

夏山登山は奥穂岳か蝶ケ岳、常念岳を検討しています。どの山にしても、一度行った山であっても、やまたび倶楽部の仲間達と行けるなら一緒に行きたいと思っています。季節によって、天候によって、仲間によって、同じ山でも違う顔を見せてくれます。そんなドキドキさが好きです。但し、怪我をしないことが原則だけどね。

予定表の10月に屋久島登山が掲載されています。6泊7日の予定で、縄文杉は勿論ですが宮之浦岳、本富岳、太忠岳、愛子岳のいずれかなど予定しています。1年のうち半分以上が雨という土地柄につき、雨との闘いになるかも知れません。私も一度ツアーで行ったことがありますが、縄文杉ランドあたりだけの観光ツアーで「今度来る時は宮之浦登山ね」と心に決めて帰ってきました。いずれにしても「登山貯金」をまめに積み立てて、元気で登れる期間は、今のパワーのままは、そう長くないと思いますので「行きたいときに行く」を来年のモットーに生きて行こうと思っています!!


[2012] 【2006回 冬への模様替え】 2009-12-07 (Mon)

昨日の日曜日、ジョンさんに手伝ってもらってテーブルから掘り炬燵に模様替えをしました。私の趣味の中に「模様替え」があり身体の中がムズムズしてきたため、玄関周りの模様替えをすることにしました。月曜日、ポチが出勤するのを待って(居ると邪魔!)開始しました。まず四万十川の栗焼酎の壺なんですが捨てるには忍びなく、そうと言って口が小さいため傘立てにもならずで厄介者になっていました。そこで「花瓶」に変身さすことにしました。捨てられなくて良かったね。居場所を見つけて、生まれ変わりました。

今は故人となった自動車教習所の教官からプレゼントしてもらった信楽焼の傘立ては「ピッケル、ステッキ」入れになりました。傘立てはガレージに移動し、雨の時だけ玄関の中に入れることにしました。スッキリ!(ブログに載せました)

年末までにまだまだ整理できる場所があるはずです。1日に1ケ所を目標に模様替えをしていけるとストレス解消になっていいですね。それが済むと、いよいよ年賀状の作成に突入で〜す。

今日は初冬らしく寒い風が吹いてきました。京都で歌った「♪♪遠い山から吹いて来る こ寒い風にゆれながら けだかく きよくにおう花 きれいな野菊 うすむらさきよ♪♪」がピッタンコになりましたね。

ももちゃんが新型インフルエンザにかかりました。かずくんはまだ大丈夫の様子ですが熱、嘔吐と苦しそうだと言います。早く元気になって「ばあちゃん〜!」と元気な声が聞きたいものです。皆様も風邪には充分、気を付けて下さいね。


[2011] 【2005回 温泉療養と自宅のリハビリ器具】 2009-12-06 (Sun)

ハチキンブログに載せましたが我が家にリハビリ器具を作ってもらいました。病院で使っている器具を真似て、カラビナとロープを使って階段を利用して病院の器具と同じ効果の性能を持っています。日々努力が肝心なのでリハビリに通わない日は家で頑張ろうと思っています。

午後からは「雪山用登山靴」を買いに好日山荘にでかけ、帰りに港区にある「天然温泉テルメ」に温泉療養に行くことにしました。私のためだけでなくジョンの「○ッ○ョ治療」も兼ねていたのです。この温泉は銭湯並みの金額で、塩化物ナトリウム強塩温泉で五十肩、うちみ、くじき、疲労回復、冷え性、慢性皮膚病などに効果があるそうです。2年前にはなかった露天風呂が新設されており、ちょっとぬるめの湯で、ゆっくりじっくりと入浴することができました。

すぐ斜め前には「かみがき」の焼鳥屋があり立ち寄らずに帰るわけにはいきません。チッチ、チッチと鳥が呼んでいます。しかし店内は満席でしばらく順番待ちをすることにしました。いつ来ても満席で、いつ食べても、ここの手羽先は天下一品です。もう食べれないと言う位まで食べて、満足の行く1日でした。

★ジョンの病気の「「○ッ○ョ」はクイズではありませんので、回答して頂いても、お問い合わせ頂いても、記念品等はございませんし、個人情報保護の関係上、お答えもできません。但し納山祭で発表があるかと思いますので、どうぞふるってご参加下さいませ。(キャッハッハッハッハ)


[2010] 【2004回 京都トレイル完結!】 2009-12-05 (Sat)

右手も左手も自由に、そして姫の背中には1ケ月ぶりのリュックが鎮座していました。もっとも中味はか〜るいけどね。

京都トレイルのスタートは3月から始まり、4月、5月、夏の暑さを避けて10月、11月、そして12月 と6回に分割して実施しました。今日がその最終日でした。阪急嵐山駅は小雨が降り「あ〜あ愛宕山登山の時もここで合羽着たよなぁ」と苦笑いしながら、雨にもかかわらず本年度最多人数の参加者の皆様に感謝の言葉を述べ、6回全部参加された方に記念品の贈呈をしました。何と11人もの方が完歩です!

やまたび倶楽部も、次年度に向けて、飛躍して行こうと考え
午前中のトップを淳ちゃんにお願いして、午後は実ちゃんにお願いして、リズミカルに清滝川そして桂川に沿って里山歩きを楽しみました。さすがに今日は紅葉は色あせていましたが地面に舞い落ちた紅葉のじゅうたんは素敵でした。

昼頃には雨も止み、時折、薄日も差して午後の松尾山登山では汗ばむほどでした。12キロ弱のコースをみんなで和気あいあいと、嵯峨野の町並みも散策できて、山有り、川有り、竹林沿いありの変化に富んだコースにみんな「よかったねぇ。雨もまたいいねぇ」と大満足でした。ゴール後、駅に向かう途中のコンビニでそれぞれビールやジュースやお茶などで「京都トレイル完結」の乾杯をして納山祭に参加される方は「じやあまたね」と、今日が今年最後の参加の方には「ちょっと早いけど来年もよろしく」と挨拶を交わし、年間予定表もお渡しして、名残惜しい別れとなりました。

【京都トレイルの記念品はブログに載せました】

【詳細は写真とセット後のレポートをお楽しみに】


[2009] 【2003回 リハビリ第2回目】 2009-12-04 (Fri)

リハビリ2回目の今日も、同じ理療法士さんにお願いすることができました。前回よりどの位回復しているか、まず、手の上がり具合を調べます。「前回より10度ほど回復していますよ」と、順調に回復をしている様子です。頭上にロープに滑車がついて右手で左手を引っ張り上げる器具などを使いリハビリに励みました。自分でも腕が軽くなった気分がしました。

三角巾が取れてどんなに便利になったことでしょう。大手を振って歩けることの幸せ(何か刑を終えて出所した人みたいやね)を感じています。今日からサラダ300c摂取作りも再開です。カット野菜の鍋料理も、もうおしまいです。

どれが不便だったかと言うと
●歯磨き(左手では、うまく磨けません)
●右耳の掃除(毎日ほじらないと気が済まないのでゴロゴロ言うてました)
●トイレ(パンツが、ズボンが右側だけうまく上がりません)
●食事(茶碗にフォークでは美味しさ半減)
●着替え(前開きの物限定)などなど
日頃何気なくやっていた炊事、洗濯、掃除の不便さはもとより両手の有り難さをヒシヒシと感じました。もう随分昔に、労災事故で右手を怪我し1年以上も苦しい思いをした丹波の息子の気持ちが、今回の私は、たかが脱臼でしたが、少しわかった気がします。入院中ず〜っと「この大怪我は、もとに戻るのだろうか」と言う不安に悩み続けた時に私の力の足りなさが退職をした今になってわかるとは・・・ 病人や怪我人にはやさしく接したいと痛感しました。

話しは変わって(よぉ変わるでしょ)2歳のかずくんの頭髪が「ゲジゲジ」になっているのを見つけました。どうしたのかと聞くと「ママ〜!カミキッテモイイ〜?」と聞くのでいいよと答えたそうです。振り向くと「紙」ではなくて「髪」だったそうです。うそみたいな本当の話です。さすがポチの孫やね。お正月までに、もとに戻るといいんだけどね。

(今日のリハビリ写真風景はブログに載せました)


[2008] 【2002回 研修会に行ってました。】 2009-12-03 (Thu)

また今日も雨模様・・・5日の最後の紅葉狩り大丈夫かしらね?嵐山から苔寺にむけて最高の山歩きなのにね。散るのは仕方ないけど、降らないで〜!そんな祈りに似た気持ちで空を見上げています。雨の中、天王寺夕陽丘まで保護司研修にでかけていました。この年になると、もう頭にあんまり詰め込んでも、右から左なんだけどなぁ・・・・

クリスマスに向けて3枚のハガキを作成しました。サンタクロースさん宛のハガキです。住所が「ポチ爺さん方」なので、早速2枚届きました。「仮面ライダーの変身ベルト」とプリキュアのぬいぐるみ」だそうです(零くんは思案中とか)今年は眉毛つけてバレ無いように行かないとね。

暖冬とは言え、寒がりの方にとっては肩の凝る季節となりましたね。冷え性には
@低血圧タイプ
A貧血タイプ
Bホルモンアンバランスタイプ
C自立神経失調タイプ
D病気によるもの
に分けられます。どれか思い当たるタイプはありますか?ストレスと自律神経は隣同士にあり、ストレスをためると、不眠、肩こりの原因になります。予防としては身体を暖めるといいのですが
@ひざかけ、足マットなどを使用する
A肩と首を温かくして寝る
Bぬるま湯で20〜30分半身浴の入浴する
Cテレビを見ながら手足の運動(手足のグッパーをする)

そして寝るときは「靴下は履かない」ですよ。冷え性と入眠とどちらを優先するかむずかしいかしらね?


[2007] 【2001回 新たなる旅立ち】 2009-12-02 (Wed)

みなさまからの熱い「2000回達成お祝いメール」を頂き、昨日は、とてもいい気分に浸っていました。色々ありましたが「自分に正直に一生懸命」に生きてさえいれば何かいいことがあると言うことも実感しました。背伸びせず頑張っていきますのでよろしくお願いしますね。

新たなる旅立ちの日に「三角巾が取れました!」の報告です。今日も診察に行って三角巾が取れなければ「暴れてやろう(笑)」と思っていましたら「今日からリハビリをしましょう」と言って頂きました。2階のリハビリ室の前で待っていましたら中にいる患者さん達は一人で歩けない人、意識障害のある人達ばかりでした。それでも若い理学療法士の皆さんは気長く、やさしく声をかけて気の遠くなる様なリハビリを続けていました。

やがて私の順番が来ました。担当の理学療法士さんが決まり、今後ずっとこの方が私のリハビリの担当の様です(前回と比較するのにスタッフが、その都度、替わっていたら治療にならないのでしょうね)1ケ月も固定していた手がどの位まで上がるのか、握力の左右の差はどの位、落ちているのかなどを調べて、あげて、ひねって、痛みを感じない所までの指圧療法やマッサージ療法などを取り入れてリハビリの初回は終わりました。「肩に力が入りすぎて治療になりません」と何度も注意されたのですが緊張してと言うか何と言うか、手をあげるのに肩がついてくるという「こっけい」な状態だった模様です。あせらないで頑張ります!

リハビリのしすぎもいけないらしく「ほどほどに2ケ月かけて万歳ができるまで」がんばりましょう!

(三角巾の取れた写真をブログに載せました。色々ご心配頂きありがとうございました。)


[2006] 【2000回 達成しました。】 2009-12-01 (Tue)

ついに2000回達成することが出来ました。
簡単ですが特集記事を掲載しましたのでご覧頂ければ幸いです。

http://www.hime8kin.net/091130hime2000.html


[2005] 【1999回 無痛整体を初体験】 2009-11-30 (Mon)


【1999回 あと1回で2000回!】

初めての整体体験をしてきました。ももちゃんのママの勧めで、守口市にある産婦人科に一緒に行きました。ここは月に2回、妊婦さんのための「無痛整体」をやっており、ここでお産をした妊婦から、生まれた子供達の「かんの虫」「成長」など話しを聞いてあげながら「お灸治療」と併用してリラックス治療を行っているそうです。住之江の南港に医院を開設してはいるのですが待ち時間が長く妊婦や子供達には無理のため、月に2回出向いての治療をしているらしいです。

「ダメもと」で半信半疑ではありましたが、せっかく親切に声をかけてもらったので、地下鉄東梅田で合流し「守口駅」で下車しました。産婦人科の診察室は1階にあり無痛整体は2階の大部屋にあり子供達が遊んでいたり赤ちゃんが泣き叫んでいたりの部屋の真ん中に、おフトンを1枚敷いてモグサの大きな箱があるだけの診察でした。

診察中は、色々、妊婦の悩み相談を聞きながら「ここ痛いんとちゃうの?」的に問診をされそこに大きなモグサをすえるのです。10日も予定日が遅れている妊婦に触診し「今夜陣痛がくるよ」って・・・ほんまかしらね。

子供が騒いでいても、泣いていてもお構いなしで「心のセラピー」を求めてやって来ているのかも知れません。ももちゃんママが終わり、ももちやんが終わり、かずくんも終わり、いよいよ姫婆ちゃんの番となりました。子供達も「されるがまま」におとなしいもんです。

「お母さん!脱臼なんてまだ若い証拠ですね!」からはじまり驚いた顔をすると「枯れ木はポキッと折れるでしょ?まだ若い木、生きてる木はポキッと折れずにグニャッとなる。このグニャが人間の身体の脱臼なんです」思わず納得せずにはいられませんでした。

今夜は入浴禁止だといいます。


[2004] 【1998回 紅葉の見納めウオーク?いやいや来週まだあるよ!】 2009-11-29 (Sun)


【2000回まであと 2回】

昨夜は丹波の息子達と「わけありの祝杯」で大いに盛り上がり、その後大阪の娘達も合流し、カラオケボックスで1曲も歌わず熱く、会社の将来について、真剣に語り明かしました。みんな終電車に間に合ったかな?

翌日の日曜日の午前6時30分には東西線海老江駅にいました。京阪電車「出町柳駅」午前8時集合とあって到着はギリギリタイムとなりました。

第4回のゴールである「山幸橋」に向けてバスは走り出しました。天気予報では「雨かも」なんてエエ加減な予報でしたが、とりあえずは「天気で合羽要らず」でスタートすることができました。今日は「北山コース55番」から「北山コース94番」までを歩きます。今日も私はリュック無しの三角巾で固定した状態での参加となりました。そんなにまでして参加しなくてもと思っている人にとってはご迷惑なことでしょうね。全回、ゴールの「山行橋」のバスに乗り遅れそうになり昼食もそこそこで全員で走ったことを思い出しました。そう言えば、お昼の歌もバス停で歌いましたっけ。

歩きやすい落ち葉の道のゆるやかな登りや下りを楽しみながら、全ての道に落ち葉のじゅうたんが敷かれています。心地よく歩いているていると、ちょっと「オシッコタイム」をとりたくなり、列より少し離れました。後ろから誰も歩いて来ないのを確認して、さあと思いきや、何と山の中に自転車3台の若者達が通過しようとして「あわや」のところで何とか無事、事なきを得ました(危なかったよ〜)

沢の池(北山コース83番)で昼食タイムをとることにしました。寒くもなく降るでなく、沢の池の水面には色とりどりの紅葉が映り、水の色はコバルトブルーの光を放っていました。水面をバックに記念撮影を済ませ、お昼の歌「寒い朝」と「冬の星座」を歌いました。水面に響いてなのか、いままでで一番美しく歌声がこだましていました。

午後からは北山杉の木立の中を、時折、木立の合間から京都の町並みが見え隠れし、太陽が当たっていたら、もつと素晴らしい景色なのかも知れません。とにかく最後の紅葉狩りを味わいながら「土曜日も嵐山集合だから、またきっと見れるね」と言いながらゴールとなりました。

詳しくは後日レポートをアップしますのでご覧下さい


[2003] 【1997回 高速道路SA・PA】 2009-11-28 (Sat)

【2000回まであと 3回】

最近「千円効果」で遠出をする機会が多くなったことと思います。サービスエリアとパーキングエリアの違いはわかっているようでゴチャ混ぜになっているときがあります。今日はJAFの資料からSAとPAを区別してみたいと思います。

●PA「パーキングエリア」
15q以上の間隔で設置されておりトイレ、売店(軽食)があります。

●SA「サービスエリア」
50q以上の間隔で設置されており、トイレ、売店(軽食)、レストラン、給油所があります。SAにはインフォメーションコーナーがあり、渋滞情報などがわかるほか、地図入りの情報誌が入手できるので長距離の時はSAを利用する方が便利です。

●HO「ハイウエイオアシス」
SA、PAに隣接して作られた公園や娯楽施設などのことをいいます。SA、PA直結の駐車場があり、高速道路を降りずに利用できます。

いままで無意識に(尿意に任せて)利用していたSAやPAも設備の中味を知ることによって、あらかじめ走行時間(ナビ案内嬢は2時間で休憩をとるように勧めています)を決めて給油所のあるSAを利用する様にしたいと思います。

2台で移動するときは「無線」を1台づつ持参して、情報交換すれば、相手の車がいまどこを走っているのか、緊急連絡があれば敏速に通信することができます。(通信が入ったら、ちょっとだけお喋りはやめてね)

SA、PAで休憩中、車の中で仮眠する方法以外に簡易テントを空きスペースに素早くセツトし背中を伸ばして寝る方法もありますが、これはちょっと心臓に「毛」が生えていないと出来ない様に思います。


[2002] 【1996回 寸劇無事終了しました】 2009-11-27 (Fri)

【2000回まであと 4回】

「今日はコンクールと違い採点されることがありませんので伸び伸びと演じて下さい」と交通課長より前置きをいただいたので、イベントに参加されたお年寄りの笑顔を期待して、はちゃけることにしました。

まず私の鼻歌まじりの「♪♪秋の夕日照る山紅葉〜♪♪」で登場することにしました。ざわめいた会場が一瞬シーンとしたのが心地よかったです。イベントに参加された観客は「ふれあい喫茶」にコーヒーを飲みに来た客と想定し、町会長さんが交通事故に遭い入院した話しをします。そこで、せっかく集まってもらったので警察の人を呼んで交通事故防止の話しをしてもらおうという事になり婦警さんの登場となるわけです。此花区内の今年に入ってからの事故数、怪我人数を発表し、そのほとんどが道路横断中の高齢者であることを知らせます。

そして実験に入ります。

観客の中から手を挙げてもらって「歩行テスト」に協力してもらえる人を募りますが「サクラ」を用意していますので、その「サクラ」に、いち早く手を挙げてもらって私と2人で笛の合図でまずは、ポールからポールの間を歩いたつもりでゴールしたと思う時間に手をあげるのです。(決して脱臼した左手は挙げないこと)そして実際に歩行テストとなるわけですが、想像と違い実際の歩行は以外と時間がかかることを高齢者の方に理解してもらいます。この誤差が何を意味しているのかを説明するのです。ポールからポールまでの距離はきちんと片側2車線ずつの道路幅に設定していますので信号を渡るとき、大丈夫まだ渡れると思っていても、この実験で絶対に無理は禁物ということを理解して貰います。

時速60qで走る車は1秒間に17b進み、わずか5秒の差であっても間に合わず、事故に遇うことをわかってもらいます。急げば渡れると言う考えを排除してもらうために一生懸命ジョークを交えながら訴えていきます。次は小道具の乗った自転車の登場となるのです。前カゴには「ひったくり防止カバー」がついていることを婦警さんに褒めて貰います。これは大阪のおばちゃんの必需品だからと荷台の特価品のトイレットペーパーや前カゴの大根をちらつかせるのです。自転車は高齢者の足代わりとなっていることから正しい自転車の乗り方をもう一度知ってもらいます。自転車には反射板をつけ、夜はライトをつけて乗る、服装は目立つ色を着ることなどを、会話をしながら、私の身体に反射材のベルトやタスキをかけていきます。ここからは私のセリフは終わり自由に舞台の上で動き回ることができます。

会場の電気を消して舞台の上の私の身体は反射板でキラキラと光っている様です。婦警さんが舞台の上に戻るまでの40秒間かかりますので、何か喋れと言うことなので「人生で初めてスポツトライトを当ててもらいました。私、山本富士子さんみたい〜?」ここでドッと笑いをもらえるのです。ちなみにコンクールの時は吉永小百合でしたが今回は高齢者なので山本富士子にしました。

そして最後は「まみむめも」を使って、みんなに声を出して連呼してもらいます。

ま=待つ→「待つ〜!」
み=見る→「見る〜!」
む=無理をしない→「無理をしない〜!」
め=目立つ→「目立つ!〜」
も=もう一度確認する→「もう一度確認する〜!」

みなさんが交通事故に遭わないように時々「まみむめも」を思い出して下さいということで締めくくり、大阪のおばちゃんと婦警さんの「寸劇10分」は幕を下ろしたのです。
(ブログにピンボケ写真ですが掲載しています)


[2001] 【1995回 寸劇の小道具】 2009-11-26 (Thu)

【2000回まであと 5回】

27日の秘密の再演「交通安全教育コンクール」の自転車に付ける小道具を準備することにしました。「自転車を愛用する大阪のおばさん」が私の役ですので自転車の荷台には大きなトイレットペーパーをくくりつけ、前カゴにはカゴからはみ出す見栄えの良いもの「フランスパン、白ネギ、大根、かぶら」などを用意することにしました。

ところがフランスパンを探して高見のパン屋に行くと「短い」のです。四貫島に行くと、これも長さがいまいち私のイメージと合致しません。ええ〜いっ暇だからこのままバスに乗って梅田まで行っちゃえと阪神百貨店までフランスパンを求めて行ってきました。手間暇を惜しまなければ、こだわりのフランスパンをゲットすることができました。

「まずは小道具、衣装から」カラオケでもそうですが衣装や小道具の力を借りると、気持ちが大きくなり、まるで自分がスターになったような錯覚になります。そう言えばバスウオークの時にはテーマに合った衣装を作ってもらって珍道中しましたっけ〜(時々バカ騒ぎしましょうね)

今日、梅田行きの市バスに乗った時のことです。運転手さんが安全のために吊り革を持つ様にアナウンスしています。まぁブレーキの踏み方がひどいこと、ひどいこと、「カックン、カックン」と発車する度に前後の揺れが半端じゃなかったです。座席に座っていた中年の男性が私に席を譲ろうとしてくれました。(三角巾で手を吊っているので身体の不自由な人に思えたみたいです)「ありがとうございます。足は至って元気ですので大丈夫すと丁重にお断りしましたが「このバスひどいね」と座っていても大変だったようです。


[2000] 【1994回 リハーサルはバッチリ!】 2009-11-25 (Wed)

【2000回まであと 6回】

過日「交通安全教育コンクール」で惜しくも入賞はできなかったものの、好評で再び出演する機会が27日にやってきました。今日はそのリハーサルと言うことで署の方へ出掛けていきました。「お久しぶりです〜」相棒の婦警さんや指導係の方と「戦友」の様な懐かしい挨拶を交わし、早速リハーサルに入りました。

不思議なもので右から左に忘れ去られたと思っていたセリフがお互いにポンポンとスムーズに出て指定時間内にリハーサルを終えることが出来ました。今回はコンクールでないことから、お互いの気持ちがリラックスして出来映えは上々です(この間もそんな事言うてたやんか〜)みなさんに見てもらえないのが残念です(キャハハハ場所・時間などは秘密で〜す)

夕方、比叡山に一緒に登った「ミセス奥Oさん」がご主人様から私の怪我の事を聞き、驚いて訪ねてこられました。比叡山登山以来、登山に自信がなくなったと言います。そう言えばゴアの合羽を買いに一緒に行こうねと約束したままでした。「自信がない」ことについてはジョンがマンションの5階までの階段を朝夕上り下りすれば、りっぱなトレーニングになるからとアドバイスしておられました。「守っていますか?」と確認し、いまからでも間に合うから日々トレーニングをして下さいと伝えておきました。

ポチが貧血が原因で(?)体力低下した時も会社の階段の上り下りをアドバイスしました。それを守ったのと投薬の成果が実り、この頃は少し回復した模様です。しかし「休憩はまだか」と「あと頂上までどのくらいか」と聞くのは変わりません。下りは先頭を歩かすと、姿が見えないほど飛ばして降りていきます。ポチの登山のポジションは「真ん中」!

将来、やまたび倶楽部の例会で同じ道を戻るコースの時があれば、コース上に印をつけながら戻る訓練をしてほしいと思っています。地図を見ながら歩き、印を付けながら歩く訓練ができると技術向上になりますものね。私が苦手なだけでみなさんには必要ないかも知れませんね。


[1999] 【1993回 チエちゃんとの会話】 2009-11-24 (Tue)

【2000回まであと 7回】

21日の小金ケ岳の時の外車「四万十号」の中の会話です。
「姫、夏に、みらい塾でサスケ先生に歯磨きの仕方を教えてもらったよね」
「そうそう、酔っぱらっていても真面目にみんな聞いてたね」
「その後、姫が歯ブラシを風呂場に持ち込んで、温もっている間磨くって言ってたよね」
「その通り、私は毎晩、飛び散っても誰にも迷惑をかけない風呂場で温もっている間中、歯磨きしてるねん」
「私もその話しを聞いてから、真似しててね、この間近所の歯医者さんへ行ったとき褒められたんよ」

やまたび倶楽部は酔っぱらっていても、ためになる話ししてくれるよ。怪我をした時、ジャンバーで三角巾作る方法も教えてくれるよ。歩いていても、ごはんを食べていても、酒を飲んでいても、めっちゃ勉強になります。机に向かって真剣に聞いたことは、案外右から左に流れてしまうけど遊びながら学んだことは、しっかりと身に付いていますね。

ジョンの山岳会の方がやまたび倶楽部の「昼の歌」をとても不思議がります。なるほど初めての人には、一体、何をしているのか、何故合唱なのか不思議なのでしょうね。この年になるとカラオケで演歌を歌っても「童謡・唱歌」を歌うことは皆無に近いです。最初のきっかけは、有馬富士に登ったとき紅葉の美しさに感動して、みんなで歌おうと言うことになり、歌詞カードがなくても歌えたのです。心に残る歌を歌い繋ぎたいという思いから続いています。

さてさてと・・・ポチに歯磨き講習をせなあかんのんやけど一緒に風呂に入って教えるのいややなぁ〜。覗かれるんもいややなぁ〜。しゃあない!表に出てガレージで講習会するかっ!


[1998] 【1992回 仲人さんの1周忌】 2009-11-23 (Mon)


【2000回まであと 8回】

今日は私達の仲人さんの(姑の妹)の1周忌法要でした。去年、癌の末期と告げられ、お見舞いに行ったことが昨日の様に思い浮かびます。筆談でしか対話できない中にあり、私の息子達が元気にしているかどうか心配してくれました。後日息子達が見舞いに伺うと、目を細めて我が子の成長の様に喜んでくれたものです。惜しい叔母を亡くしたものです。

帰ってから、久しぶりに三角巾を外し、なるべく肩を上げないようにして台所に立ちました。だいぶ回復良好の様子です。29日の京都トレイルにはまだ外せませんが、丹波の名峰の様に岩登りもないことから、大丈夫と参加を楽しみにしています。

京都トレイルもあと2回を残すのみとなりました。全回制覇の方達もいたり、途中用事で、やむなく欠席の人もいますが京都の紅葉を楽しんでいただけるのではないでしょうか。

新インフルエンザにかからぬように注意をして元気に年を越しましょう!


[1997] 【1991回 納山祭には空のリュック背負って来てね】 2009-11-22 (Sun)

【2000回まであと 9回】

やまたび倶楽部の行事もあと3回を残すのみとなりました。2010年の予定表も完成しました。12月5日の京都トレイル「最終」と12月18日の納山祭りの日にお渡し致します。みなさまも大変お忙しい日々を送っていらっしゃる様子で、だんだん参加人数にムラが出て来て中型バスを借りて出掛ける事は無理になりつつあります。マイクロバスも考えてみたりしますが、なかなか思う様にいきません。(中型バスもマイクロバスも貸切価格はほぼ同額)よしんば、「リーダーとサブリーダーしか参加者がいない日があっても頑張ろうなっ!」と慰め合っています。個人では、なかなか行きにくいコースを工夫しています。新年もふるってご参加をお願いします。予定表をもらったらカレンダーに書き込んでおいて頂けるとうれしいです。来年は「屋久島登山」も予定していますよ。

12月18日の納山祭りは、駅に集合していただいたら、まず買い物をすることになりますので空のリュック(必要な物最小限のみ)に食材を均等に分担して頂きますので、そのおつもりでお願いします。

もう納山祭りは始まっています。楽しんで頂くために役割分担を決めておきたいと思います。例えば
●購入食材分担係
●ダッチオーブン買物係
●飲物購入係
●鍋材料係
●カレーライス係
●調味料係
●果物、つまみ係

などなどに分けておけば買い忘れや、後ろからゾロゾロ隊がなくなると思います。そしてレジで集合して支払いをするのです。勿論購入メモのたたき台は全員にお渡し致します。先発隊全員に役割ありますよ〜。

食事の準備はみんなで楽しくやりましょう。食事開始時間はサスケ先生が到着したらスタートです。アドベンチャーさんと正ちゃんの分「食べ残り」ではなくて最初から取り分けておいて「二人鍋」を楽しんでいただきます。その時はみんなホスト、ホステス役になりますからね。勿論ダッチオーブン料理も冷めててもいいから正ちゃんとアドベンチャーさんの分も「取り置き」することを覚えてて下さいね。昔、一刀水が生きていた頃、よく姉の家に集合して夕食をともにすることがありました。バイト先から帰った長男の食事はと言うと「食べ残り」だったんです。その後私がいる食事会の時は、先に「取り置き」しておきました。バイトから帰った彼の感動の「お〜っ!」の声を思い出します。

食後はユカイナ発表会で幕を開け、1年間の思い出をひとりづつ語っていただきます。何が心に残ったか(ダメだった事でもOK)語ってもらいますね。

就寝は「男組棟」と「女組棟」に分かれます。間違いが起きたら困るからね(???)
翌朝、朝食が済んだらサスケ先生とうららちゃんは診察がありますので車でご出勤をお見送りします。都合があってサスケ先生の車に同乗させて頂く人は、ご遠慮なくどうぞ〜(あと3席余裕あり)

食後は「なるかわの森」を散策して、昼食のカレーライスを食べてから、片づけ、掃除を済ませ歩いて下山します。まあこんな予定かな?(まだまだ参加空席ありま〜す。)


[1996] 【1990回 一度で二度美味しい筱見48滝から小金ケ岳登山】 2009-11-21 (Sat)

【2000回まであと10回】

参加人数が少なくて、バスウオークには至りませんでしたが、内容の濃い登山でした。「筱見48滝」は以前ウオークの団体で来た場所で「次は小金ケ岳まで行きたいね」を実現することができました。天気は晴天とは言えませんでしたが、薄日がさし紅葉狩りには絶好の日和となりました。

「その手では筱見48滝から小金ケ岳登山は無理やろ?」ジョンからそんな打診を受けましたが「大丈夫!この間の妙義山からの下山に比べたら行ける!」と言ったものの、いざ登り始めると滝近くは石が滑り、岩場は鎖がかかっておりジョンにシュリンゲをかけてもらい手間をとらせることとなり、自分のわがままで参加をしたものの迷惑をかける登山となりました。しかし障害者をフォローして登る訓練だと思えば技術向上になるかなぁとプラス志向に考えて、下りを中心にフォローしてもらうことにしました。この間の怪我からか、恐怖心がまだあり、下りは、なかなか足が前に進まない状態も度々ありました。

第一部の「筱見48滝」を終え、続いて第二部の小金ケ岳へと向かいます。お昼の歌は「ふたたび紅葉」と「思い出」です。「ふたたび紅葉」は前回も歌ったのでそう名付けました。この歌は、いま歌わないと冬には歌えないでしょ?だからね。そのかわり篠山バージョンなんです。

♪♪
滝の流れに 水音聴いて 
紅葉散りゆく ハラハラヒラリ
丹波篠山 やまがの猿も
今日はせっせと 冬支度 ♪♪

小金ケ岳(725メートル)はアップダウンを数え切れないほど繰り返し(GPSで回数確認依頼中)「ちょっと小金ケ岳を舐めてかかってたなぁ」と言うほど、そりゃあもう、「あの山、この山、越えて、はるか遠くに小金ケ岳」と言いたくなるほどでした。午後2時30分小金ケ岳到着、山頂にはりっぱなモニュメントがあり記念撮影をすることにしました。ここで雨がポツリと落ち雲行きもあやしくなってきました。この場所まで雨が降らずに待っていてくれたことに感謝をし、雨具を着て下山することにしましたが10分も経たない間に雨は止んでくれました。

ゴールの後は「草山温泉・観音湯」に入ることにしました。
私は片手が不自由なため背中を流してもらったり、服を着せてもらったりの至れり尽くせりの至福のひとときでした。(但しこれは女湯での話)
人の温もりと、お湯の温もりと、紅葉の美しさで今日の登山は「一度で二度美味しい思いをしました」来年の春には、この続きを登り「篠山連山走破」しようということになりました。詳しくはレポートを乞うご期待!


[1995] 【1989回 言葉の持つ意味】 2009-11-20 (Fri)

【2000回まであと11回】

水曜日に整形外科の診察を待つ時に看護婦さんが患者さんに向かって「先生がジュータイでもう少しお待ち下さい」と言っているのを耳にしました。この高齢の患者さんはポカ〜ンと口をあけて意味不明の表情をしておられました。もっと親切に言葉を発しないと、場所が病院だけに「重体」なのかと思っちゃいますよ〜

「先生は道路の渋滞でまだ到着せず」が正しい表現だと思うのですが日本語は聴くと見るとでは大違いがありますね。私は今、あえて「看護婦さん」と書きました。「婦長さん」のことをいまは「師長さん」と言うのだそうです。「シチョーさん」市長なのかと、ついつい勘違いしてしまいます。

そもそも女性の職場に男性が登用される様になったため「看護師」と改正されたそうですが、女は看護婦、男は看護師でよかったんではないかと思ったりします。

看護婦→看護師
婦長→師長
保母→保育士
父兄参観→父母参観→保護者参観

長く使い慣れた言葉が、だんだんと「えっ?」っと聞き直さないといけなくなりましたね。クレパスの「肌色」は人種差別の問題がからみ「うすだいだい色」と改められたそうですよ。孫に「婆ちゃん、うすだいだいいろ取って〜」って言われてオロオロしないようにしないとね(暮らしにくいなぁ)


[1994] 【1988回 再演が決まったものの・・・ 】 2009-11-19 (Thu)

【2000回まであと12回】

「交通教育コンクール」の選に漏れたにもかかわらず私達の演技の「再演」が決まったそうです。うれしいようなうれしくないような複雑な気持ちです。本番が済んだら右から左にセリフが抜けてしまってて、いちからの出直しです。しかし、しかしです。この三角巾の手はどうしょう?!

交通事故防止の話しなので自転車から転倒したことにしようか、それとも車に引かれそうになったことにしようか、だからみなさんも気を付けてにしようか、いずれにしてもシナリオの書き直しをしてもらわないといけませんねぇ。三角巾は、もう外してもいいんとちゃうん?そんな憂鬱な気持ちでです。外は良い天気だというのにまったく〜!

整形外科医の言うことにゃ、骨の仕組みは「20歳まで」と「20歳から死ぬまで」の2種類に分けられて21歳であろうが61歳であろうが痛めた骨の回復は同じだと言います。うっそぉ〜21歳と61歳が一緒だなんて〜!「今大事にしないとバンザイしてもまた脱臼してクセになるよ」とも言われました。誰か「肩脱臼」の先輩さんがいらっしゃったらアドバイスおねがいします。よろしく。

怪我をしてから今日で20日が来ようとしています。ポチが「もういい加減に動けるのとちゃうか〜?」と言いはしないかとヒヤヒヤドキドキですが、今回は目の前での事故のためか、まだやさしくしてくれます(いつまで続くかしらね)片手で出来る家事は、しっかりやっています。が、なかなか不自由ですね。


[1993] 【1987回 まだあかんわぁ〜 】 2009-11-18 (Wed)

【2000回まであと13回】

2週間目の診察で今日は三角巾が取れて、その足でリハビリかぁと自分で計画を立てて診察に臨みました。ところが・・ところがです。「あと2週間は固定を続けて下さい」えっ?何で?怪我をしてから2週間でリハビリって言ったじゃん〜先生曰く「20歳までは若くて治りも早いが、20歳を過ぎたらみんな治り具合は一緒です。もう少し我慢をするように」とのことでした。ショック!です。足取りも重く帰ってきました。

ところが、ところが梅田の本屋でジョンが片足ダチョウの様に、急に足の筋が吊ったのか歩けなくなりました。「どうぞ私の肩にお手を!」と言いたいところですが三角巾で吊った肩を貸すわけにはいかんし、あわてました。不用意な姿勢は、予期しない痛みをともないます。みなさん気をつけて下さいね。

ところで急に寒くなってきましたね。
冬の快適睡眠の資料を見ていましたら下記のことがわかりました。もう既にわかり切っているとは思いますがご参考にね。

●寝室の温度管理は18℃〜23℃に設定します。就寝する1時間前ぐらいから暖めるといいそうです。厚手のカーテンも効果があります。ベツトやフトンは窓から離すことが理想です。

●体温が下がると、脳が低下して入眠できます。手足は熱を逃がすことで眠りにつけます(足は温めないで)

●掛け布団を2枚重ねるよりは敷き布団を2枚(マット+敷きフトン)

そんなわけで2000回の記念行事は「三角巾がはずれました」なのでしょうか。何か寂しいね。


[1992] 【1986回 あるみかんさんからの礼状】 2009-11-17 (Tue)

【2000回まであと14回】


あるみかんさんから、お礼のメールが届きましたのでご披露致します。

久田美智子様

今日は朝からこちらは雪です。。。。こんなにも早い時期に雪だなんて驚きです。
先日は我々のコンサートにお越し下さいまして、ありがとうございました。今回は私はユカイナを持っていかなかったので、ありがたい久田さんのアンコールにお答えできず申し訳ありませんでした。またお近くでの演奏がありましたら、ご連絡致しますので、どうぞよろしくお願い致します。お孫さん、印象にのこったのはニンジンだったのですね。とても嬉しいです。

それからユカイナを今でも楽しんで吹いて下さっているのですね。なかなかいい音を出すまでには、練習が必要かと思うのですが、個人個人の練習もとても大切ですが、みなさんと合わせながら、楽しく練習も、張り合いになりますし、同じ音を出そうという気持ちも出てきます。そうすることによって、きっといい音を出す吹き方が見つかるのではないかと・・・・そんな風におもいますが、いかがでしょうか?私もまだまだ練習が必要でして、この冬は、練習と曲作りを頑張ろうと思っています(今現在)何事も楽しく、明るく(笑顔で)が一番長く続きますし、私が一番大切に考えていることです。そして感謝の気持ちを常に心に置き、これからもっともっとあるみかんを充実させていけたらな〜と思っています。これからもどうぞよろしくお願い致します。

皆様に、くれぐれもよろしくお伝え下さいませ。(追っかけ大歓迎でございます)(*^_^*)
そして、また長谷へのお越しをお待ちしております。ありがとうございました。


葦笛工房・北原有・美香
kyu@kyube-arumikan.com
http://www.kyube-arumikan.com
http://blog.livedoor.jp/almikan/


[1991] 【1985回 自転車捕物帖】 2009-11-16 (Mon)


【2000回まであと15回】

私の知り合いの女子高校生が自転車を盗まれたと私のところに報告に来てくれました。とりあえず近くの交番に行き「盗難届」を出すことを勧めました。それはもう済んだそうです。過去に私がバイクを盗まれた事を話したことがあり、きっと相談に来てくれたのだと思います。何かアドバイスをしてもらえると思ったんだと思います。

盗難届を出しても警察は探してはくれないこと、自分で駅やスーパーなどの駐車場を探して見ることなどをアドバイスし、月曜日の昼に私も春日出、四貫島方面を探して歩きました。初めてのバイト料で買った通学用の自転車だと言います。自転車を探していると、千鳥橋やコンビニの前の、まぁ放置自転車の多いこと!

午後3時、ピンポ〜ンが鳴りました。出てみると昨日の彼女です。うれしそうな笑顔で「ありましたっ!」と盗難に遭った自転車を見せに来てくれたのです。えらいっ!自力で探したみたいです。バイクを自分で見つけた時の興奮と今の彼女の興奮は同じだと思い、私までうれしかったです。

淀川駅の有料駐車場にあったそうです。多分移動用に「一寸拝借」したのでしょう。どこも破損されることなく見つかって幸いでした。「多分、○○だと思う」と犯人らしき人物の事を言うので「証拠もないし、無茶をして怪我をしてはつまらないから止めるように」と諭しました。納得したようです。

それにしてもバイク、自転車、車までも簡単に盗難に遭うことがあります。みなさんも二重、三重の防犯対策をしっかりとして下さいね。


[1990] 【1984回 行ってきました「びっくり箱コンサート」】 2009-11-15 (Sun)

【2000回まであと16回】

羽曳野市で開催された、長野県長谷村「みらい塾」つながりの「あるみかんびっくり箱コンサート」に行ってきました。零パパは今日は高校時代の友達と外出と言うこともあって、零ママと零くん、ジョン、ポチ、姫で出掛けました。全員乗ったところで「い〜ち、に〜、さ〜ん」と零くんが人数を数え始めました。なるほど軽自動車ですので定員オーバーではありますが、「零君は0.5人前でしょ!と大笑いをしながらカーナビ任せで会場へ向かいます。会場が確認できたところで、昼食をゆっくりと食べようと言うことになりました。
都合よく大漁旗のなびく寿司屋さんがあり、そこに入ることにしました。零くんは「いくら、イカ」などが大好きで大人の分量をペロリ〜。

開演が近づくと近所の子供達や子供会の父兄達がゾロゾロと集まってきました。私達は楽屋を訪れ「私達の事覚えていますか?」と聞くと「覚えていますとも!」と挨拶を交わしました。気が付くと、くろねこさんと、ゴードちゃんもお見えになっていらっしゃいました。遠路をごくろうさまです。

最初は零くんが、薄暗い会場の中に入るのを嫌がりましたが、何とかごまかして一番前の席に座らせました。開演直後は大人向けの演奏でしたが、すぐに、びっくり箱を使っての子供のための演奏になりましたので、零君もおとなしく、1曲終わる度に大きな拍手を送っていました。使用楽器は「にんじん、ちくわ、鼻笛、サルバンドとオカリナ」など笑いの中に楽しい時間が過ぎていきました。

アンコール曲の「竹田の子守歌」を要請しましたが専用楽器の用意がないということで「夕焼けこやけ」を演奏してくれました。(この曲を聴きに行ったのに、まことに残念っ!)

子供向けということもあって「みらい塾」での囲炉裏音響効果の様な素敵さには欠けましたが(会場が少し音響効果等に問題あり)心を癒してくれるには充分でした。演奏終了後、外は冷たい風が吹いており、くろねこさん達と、お別れし、寄り道もせずに帰ってきました。


[1989] 【1983回 温泉療養に行こう】 2009-11-14 (Sat)


【2000回まであと17回】

神戸市中央区脇浜海岸通りにある「HATなぎさの湯」へ、リハビリを兼ねて行こうということになりジョンとポチの3人で出掛けました。脱臼から2週間が経過しようとしており18日にはレントゲンの結果、リハビリに入ります。少しずつ筋を動かしておかないと筋が固まってしまうらしく、ぬるま湯にゆっくりと浸かり温泉療養と洒落込みました。最初は有馬温泉と思っていましたが、金の湯にも銀の湯にも露天風呂がないために初めての「なぎさの湯」に行くことにしました。

ナビを設定するも新しい施設らしく案内がスムーズに行きません。何度も電話番号、施設名、住所で入れ直し、やっと目的地に到着しました。この温泉は、神戸中央区脇浜通りにあり神戸港を一望する天然温泉です。

泉質はナトリウム−炭酸水素塩、塩化物泉で一般的に美人の湯と呼ばれています。神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え性に効果があり入浴料金は800円です。

露天風呂からは神戸港が一望でき、ぬるめの湯(42.5℃)に右手をゆっくりと湯になじませマッサージをしました。少し自分でも伸びた様な気分になり、何度が出たり入ったりして久しぶりに「風呂に入ったぞ〜」という気分となりました。(風呂上がりのスッピンはブログに掲載しました)

元気な時だときっとリュックを担いで、どこかに歩きに行ってると思いますが、今日はのんびりと風呂屋へ・・・・
たまにはいいものですね。


[1988] 【1982回 倉敷へ研修旅行】 2009-11-12 (Thu)

【2000回まであと18回】

11月11日水曜日は倉敷方面へ「研修旅行」となりました。朝から大粒の雨が降っていましたが「倉敷美観地区」は雨の方が趣があるのではと期待してバスに乗りました。バス乗車定員は28名、私達がいつも利用する「中型バス」です。地域推進委員さんが9名と此花署から2名の11名が今回の研修メンバーです。バスの中を見ると後部座席がサロンカー設定可能になっていました。座席を数えると11座席、これは帰りの親睦を深めるのに都合がいいと添乗員さんにお願いしてサロンカータイプにしていただきました。このバスは「MKタクシー」のバス部門でガイドさんが乗っていません。1週間程まえに此花署の方から「たのむで〜」と依頼を受け、慌ててガイドもどきの準備をしました。勿論バス到着クイズも季節の歌も準備しました。バス到着クイズの用紙の下に「心に残る歌を教えて下さい」と書いてみなさんに渡しました。三木サービスエリアで全員回収〜。

一昨年の研修会の前日に肋骨2本を折り、研修会を欠席したことをみんな覚えていて「今度は手かいな〜かなわんなぁ」と言われてしまいました。過日の交通教育コンクールの応援を頂いたことへのお礼、惜しくも選に漏れたことのお詫びを申し上げ湾岸線から倉敷に向かって渋滞もなく順調にバスは走っていきました。車窓から見える山々は美しく色付いて「大原美術館みたいにもきれいやね」と言うほどでした。

今日のガイドもどきは地名にちなんだ案内を工夫して説明するのですが、参加者の方達は、70余年を生きてこられた方達ばかりですので物知り故に結構やりにくかったです。まずは大阪は池田の猪買いの話しをしました。淋病に悩む男が丼池の甚兵衛さんに相談にやってきて猪の肉がよく効くということで池田の狩人をたずね、新しい肉が欲しいので猪撃ちに行こうと頼み込みました。山に行き、猪を発見し、狙いを定め男は横から、「わあ、さぞ猪の肉うまいやろなあ」「帰ったら一杯やろ」「米炊いてんか」「酒あるか」「オスとメスどちらがうまいか」などと色々と、くだらない事を質問しました。しまいには狙い通り撃って倒した猪を、「あの猪は新しいか」と聞く始末。頭に来た猟師は猪を鉄砲の台尻でぶったたきました。猪は鉄砲の音で目を廻していただけであったため、そのはずみで目を覚まして逃げていってしまいました。「どうじゃ。客人。あの通り新しい。」という落語でお馴染みのお話で間もなく神戸の町並みが見えてきました。

神戸は平成7年1月17日5時46分、阪神地域および淡路島北部で大きな被害を受けた話しを抜きには語ることは出来ません。平成21年のいま、神戸の町は再び生き返り、活気づいてまいりました。しかし、家族を失った方達の悲しみは消えることなく天災の恐ろしさを背負って、今日も頑張って生きていらっしゃることと思います。

そして須磨浦の標識が見えたら一ノ谷の合戦のお話をしました。源の義経の率いる源軍団による一ノ谷の「さか落とし」に破れた平家の若武者、紅顔の美少年、平敦盛の話しをして、いきなり「青葉の笛」をしっとり(?)と歌わせていただきました。

明石と言えば明石大橋ですが標準時子午線の町としての明石を説明、三木は「刃物の町」として有名であること、播州三木打刃物には鋸、のみ、鉋、小刀 が有名だと説明するとトイレ休憩時に「鎌」を購入してこられた方がいました。

小野市はそろばんの町、日本にソロバンが伝わったのは1444年頃、中国商人が通商取引のため、我が国に伝えたと言われています。なぜ播州地方にそろばんが伝わったのかは1580年豊臣秀吉が、小野市の隣町三木市の三木城を攻略した際、戦火を逃れた住民の一部が大津方面に避難をし、そこでソロバンの製法を習得し、三木市に帰郷後、製造を始めたのが、播州ソロバンの起源だと言われております。はじめは、三木市中心に製造されていましたが、周辺地域に伝わるにつれて、小野市に中心が移っていったという伝説を説明しました。参加人数は少ないのですがみなさん熱心に聞いて下さっていました。

高砂市は「尉と姥」のいわれや、国宝姫路城の説明など、退屈をしないように時々みなさんと歌を歌いながら播州皿屋敷「お菊井戸」のお話しをしました。そして龍野の「赤とんぼ」のお話は資料を見ないでも説明できる唯一の私の得意とするところです(笑)話しが終わると「赤とんぼ」をみんなで歌いました。三木露風と親戚筋にあたるという方がいて驚きました。

★戸に立ちて母を恋ひつつ百五十里 水のあなたを慕はしと見ぬ
★吾れや七つ母と添寝の夢や夢 十とせは情知らずに過ぎぬ
★母こひし竹の花咲く山の日は うづら追ひたる ふるさとの家

三木露風が母への思いを詠った心に響く私の好きな詩です。

いよいよ赤穂浪士の話しに突入で、ここは、へたな説明よりも「刃傷松の廊下」をセリフを主に熱唱しました(ハハハ)
そして倉敷美観地区でみやげに迷ったら「むらすずめ」をどうぞと説明すると何と全員が「むらすずめ」を買い込んでいました〜(あんたは、むらすずめの回し者か?)

食事を済ませ大原美術館を見学し午後3時、大阪へ向けて帰ることとなりました。雨もあがり帰りのバスの中は後部座席の「サロン」の部分だけを利用し、到着クイズ用紙に書き込んでもらった「思い出の歌の思い出話」をして頂き、カラオケで歌ってもらいました。誰ひとり眠る人もなく(正式には眠ることが出来ず)愉快なバスツアーであったのではないかと思っていますが、この会では初めてのガイドもどきでしたので皆さんの感想も後日また聞きたいと思います


[1987] 【1981回 心のこもった贈り物】 2009-11-10 (Tue)

【2000回まであと19回】

今日は保育園から戻った零くんがやってきました。三角巾で吊った片手を見て「かわいそう」と撫でてくれました(撫でたら痛いって言えず・・・)夕方宅配便が届きました。吉野名物の柿の葉ずしが届いたのです。すぐお礼の電話をし(ブログに写真掲載。零くんも好物で、すぐ食べていました)美味しく頂きました。片手が不自由なので柿の葉ずしなら片手で食べられるでしょとのやさしいお言葉。そう言えば食事が美味しくない、箸が使えないとダメだと書いちゃいました。柿の葉ずしのおかげで今夜は美味しく久しぶりに満腹感を味わいました。フォークで刺身をつっついても、餃子をつっついても違和感がありました。おいしかったです。勿論、妙義山下山時、同じつらい思いをしてもらったジョンの家にも届けました。二人とも柿の葉ずしは大好物ですから。ご馳走様でした!

話しは変わりますが、広島から戻ったももちゃんのパパからメールがきました。『ママは怪我の事何も言ってなかったけど、家に帰るなり二人が飛んできて「ばあちゃんなぁ、落ちてなぁ、包帯してなぁ救急車乗ってんで〜」と報告をしたらしく大丈夫なのか、無事ならそれで良し、次も気を付けていってらっしゃい』と結んでいました。ママには内緒にしててねと口止めしていましたが、子供達の口に戸はたてられませんでした。内緒ねって言ったところで「ばあちやんがなぁ、ないしょって言うてたけどなぁ落ちてなぁ。。。。」となるはずです。参った、参った。


[1986] 【1980回 記念式典に出席して】 2009-11-09 (Mon)

【2000回まであと20回】

「更正保護制度施行60周年記念大阪大会」が中之島の国際会議場で行われました。私も表彰対象となっているため、おめかしをして三角巾を隠すために大きなストールをかけて会場へ行きました。広い会場は同じ地域の人達が「席取り」をしていて空いているのにハンカチが置いてあったり、カバンが置いてあったりして不愉快なために2階席へと移動しました。地域からの出席人数がわかっているのですから座席指定するべきです!2階席から見下ろすと此花区の保護司さんがチラホラ座っていました。市によってはマイクロバスや大型バスを国際会議場に横付けしています。財源が裕福な市とそうでない市の違いがよくわかりました。

開会の辞のあと物故保護司(現役で任期途中でなくなったり名誉保護司さんのこと)さんの追悼式と献花の儀式があり黙祷をささげました。ところがバカタレがいて黙祷の最中に携帯電話が鳴ったのです。しかも「六甲おろし」ほんま常識のない奴がおるもんですわ。司会者が開会前に何度も注意していましたのにね。みんなも気を付けようね。

平松市長が大阪市政について30分ほど記念講演をされていましたが、いまいち伝わってこなかったなぁ。

2部の表彰式典には橋下府知事も壇上に来られており、国歌斉唱に続いて天皇陛下も来られて(来てへん!来てへん!)スクリーンからお言葉奉読されておられました。各団体の祝辞が浪々と流れる中、橋下府知事だけは、原稿を持たず弁護士時代に少年犯罪に力を注いだことを熱く話しておられました。とてもわかりやすく、やっぱり熱いなぁ

閉会後の会場の混雑が予想されるため少し早めに会場をあとにしました。


[1985] 【1979回】片手で里山歩き 2009-11-08 (Sun)

〈2000回まであと21回〉カウントダウン開始〜

土曜日は、宝塚「知るべ岩」のバス停で降りて、見覚えのある蓬莱峡を、かすめて堰堤沿いに歩いていきました。片手が固定されているので参加を懸念もしてみましたが妙義山の下りが降りられたのだから案ずることはあるまいと腰にスワミベルトを付けカラビナ、シュリンゲをシッポの様に付けて急な下り対策をして出掛けることにしました。インターネットを見た人は「大丈夫〜?」それ以外の人は「どうしたの?」が朝の挨拶となりました。

とにかく最後まで歩けたことに感謝です。右手が使えないと不便なことは
@トイレから出て、きちんとパンツやズボンが上げられない
Aバソコンのキーボードが使いにくい
B食事が不自由で箸が使えないと美味しくない
C洗濯物が取り込む事は出来るが干せない
D歯磨きが不自由・・・まだまだあるね

しかし神様は2つあるものがひとつ不自由になったとき五体満足であることを感謝させるための修行をさせて下さる気が致します。いまがその修行中の様ですね。


[1984] 【1978回 2000回まであと少し】 2009-11-06 (Fri)

くろねこさんのご指摘を受けて調べて見ると「1972回」が「1672回」と勘違いして記入し続けていました。そう言えば「有馬三山」登山の時に「2000回まであと少しですね」とくろねこさんから励ましの声をかけてもらったんです。カウント大好きの私ですのにうかつでした。くろねこさんのおかげで軌道修正できホッとしました。あと27回・・・花火でも打ち上げましょうか!但し夏のあまりの線香花火だけどネ!

今日は午前6時44分初の新三田行きの電車に乗り西宮名塩で下車、阪急バス「名塩南台巡回バス」に乗りました。乗ったのはいいのですが停留所名がわかりません。幸いに乗客は私一人だったため運転手さんに親切に教えてもらいました。約束した午前8時30分には、ももちゃんちに到着。ももちゃんママが病院勤務のため私が2歳のかずくんとお留守番をすることになつていたのです。

脱臼の前からの約束でしたので勤務に支障をきたすわけにはいきません。ももちゃんの幼稚園バスを見送り公園で、しばし自転車で遊ぶことにしました。ももちゃんちは全て坂道で下り道は自転車の速度を止めるのに苦労します。かと言って上り道は「こがれ〜へ〜ん」と前に進まないことを訴えます。片手を固定している私にとって大変な労働でした。

自転車遊びに飽きてクライミングを教えることにしました。最初は登れなかったんですがコツを教えると簡単によじ登ることができました。興味を示したのか「もう一回」「もう一回」とこれも大変。(ブログに写真掲載)

ももちゃんが幼稚園から帰るのを公園で待ってその足でヤマハのピアノ教室に同行しました。かずくんもおとなしく聞いていました。夕食はレストランで済まして西宮名塩駅まで送ってもらうことにしました。すると、ももちゃんが「今日は婆ちゃんとぜ〜んぜ〜ん遊んでへん!お家へ行こう」と言い出しました。外は5時過ぎだというのに薄暗く、ああだこうだと言い訳を言い、無罪放免となりました。

あれから車の中で大騒ぎしたのではないでしょうか・・・


[1983] 【1977回 あとかたづけ】 2009-11-05 (Thu)

忘れないうちにと、左手だけで、やっとレポートを書き上げました。ジョンの写真とセットが完成しましたらアップできると思います。

救急病院から電話があり支払額が10,570円だとの事でしたので銀行から振り込み支払いを済ませました。併せてお世話になった病院の先生とスタッフの皆様、3名の救急隊の方達、国民宿舎の皆様にお礼のメールやらファックスを送信しました。これで一安心することができます。

救急隊の方との話しの中でタクシーがわりに利用されては困りますが今回の様に呼ばなければならないときに遠慮することはない、病院も救急車だから受け入れしてくれる場合が多く、ましてや大阪市民に群馬県の病院情報はわかるはずがない。遠慮しないで下さいとやさしいお言葉でした。

過日、私の家の近くのお好み焼き屋で、酔っぱらい同志がけんかとなり、表に出てけんかの続きがはじまりました。ついはずみで片方が転倒し後頭部を打撲したため店のママが救急車を呼びました。深夜の出来事でしたが窓からずーっと見ていたのです。出動要請があれば応えなければなりません。「乗る。乗らない」で10分以上押し問答の末、乗らずにまた店に入っていきました。此花区には24時間受け入れてくれる病院があります。酔っぱらいの喧嘩で、歩けるのであれば、店のママがタクシーで病院まで連れて行けばいいものをと思いました。

★奇しくも裏妙義山系で救助訓練が11月5日に行われました。松井田町の裏妙義山系で、市遭難者救援隊の山岳救助訓練が行われたそうです。
救援隊は地元山岳会や消防松井田分署、松井田署などで組織している。裏妙義山系は標高は低いものの険しい岩場が多く、転落や滑落事故が多いことから、入山者の増える紅葉の秋と新緑の春の年二回行っているそうです。

国民宿舎・裏妙義など各登山口で入山者に登山カードの記入を呼び掛けた後、隊員約四十人が高さ約八十メートルの岩壁で垂直登山や懸垂降下などを実施。県防災ヘリコプターも出動して救助訓練も行われました。とにかく凄い山です。 


[1982] 【1976回 妙義山でのアクシデント】 2009-11-04 (Wed)

妙義山相馬岳で落石を避けて不覚にも右肩を脱臼してしまうという事故に遭いました。何度も「ラクーッ!ラクーッ!」の声が響き「一体どんな歩き方しとるんじゃあ!」とジョンが大声をあげるほどでした。しかし、何をどう言ったとしても「自己責任100%」の怪我だと思っています。怪我の後、どう処置をするか、したかが私にとっての教訓だと思うことにして痛みから逃れるようにしています。今日は大阪暁明館病院整形外科の診察を受けました。2週間の固定、あとはリハビリだそうです。右手を固定すると、こうしてキーボードをたたくのも不自由です。

今回の教訓で、ぜひ皆様にも実行してほしい点が2つあります。@いま保険証は家族単位でひとりづつの保険証が発行されていると思います。宿泊登山の時は原本を必ず携行して下さい。勿論、普段のウオークにも持ってもらえれば言うことはありません。私の様に「支払いは後日でよろしい」と言う病院ばかりではないように思います。
A三角巾はいつもリュックに入れておく

私は三角巾をいつもリュックにいれているのに今回に限り家に残してしまいました。今まで携行していた事が何の役にもたたなかったということです。

私の苦い体験をご参考にしていただき楽しい山行を!!


[1981] 【1975回 冬が来る前に】 2009-10-30 (Fri)

10月31日は39年間勤め上げた会社を定年退職した日です。早いもので1周年記念となりました。 「辞めたら退屈するで〜」という友人の声に、いかに過ごそうかと思っていましたが、私の退職を「待ってましたっ!」とばかりにジョンが「復視」というやっかいな病気にかかり通院補助41回を同行したり、体力回復ウオークを毎日10キロ以上しているとジョンのおかげで「たいくつ病」にかからずに済みました。

仕事をしていたら不可能な「お泊まり保育」も嫁のつわりのひどい時は手助けすることができました。山もクライミングも沢も「平日」に自由に羽ばたき「アッ」と言う間の1年でした。その間、後輩達のお誘いを受け楽しい、お茶会も出来、会社の情報も聞くことができました。人生において、最も充実した1年でした。ほんま楽しかったです。

「まだ働けるやろ」そう言ってもらいましたが惜しまれているうちが花で、主婦業という未知の世界にも就職したかったんです。お給料こそ出ませんが家事労働は大変な労働です。手を抜こうと思えば抜けますが、ここもあそこもと自分で仕事を探せば、限りなく見つかるものです。評価してくれる課長も社長もいませんが、それなりに楽しい主婦業です。

♪♪冬がくる前に もう一度登りたい♪♪

「かみふうせん」の歌ではありませんが今夜から妙義山と谷川岳に行ってきます。ポチが起きるなり「大荒れの天気らしいぞ」と騒いでいますが、今回は宿もちゃんと予約ができていますので、雨ならば温泉三昧ということで、とにかく出発します。

そんなわけで10月31日から11月3日まで「ひめのおうち」はお休みさせていただきます。
(よぉ〜休むおうちじゃのぉ〜)


[1980] 【1974回 奇跡の生還 】 2009-10-29 (Thu)

八丈島沖で見つかった転覆した漁船の中に4日ぶりに3人の生存者がいたそうです。台風20号の影響で捜索も一時打ち切られました。転覆時、体力に自信のある船長達5人を乗せた救命ボートが見つかりボートの中には船長のみ残り死亡していたといいます。
あとの4人はまだ行方不明中(救命胴着の着用なし)
転覆した船の中には高齢者と経験の浅い船員達が船室に残り奇跡の生還を果たしました。

4つの奇跡
@空気だまりがあった
A体温の維持ができた
B転覆するも沈没していない
C仲間がいた

これを山の遭難に置き換えて教訓にできたらと思っています。山で遭難した場合、体温の維持も大切だし、仲間がいれば励まし合って救助を待つことができる。ヘリコプターの捜索も、天候と時間に左右されます。安全な場所を探し、じっとビバークする知恵も備えていなければならないと思いました。

やまたび倶楽部での山行は必ず「登山届け」「下山届け」をインターネット上で所轄の警察署に送信したり、直接登山届け箱に入れたりしています。プライベートでの登山も必ず登山届けを提出して下さい。勿論家族にも行き先、宿泊先、帰着日を告げて下さい。もし万一の時にどこに連絡すればいいのかわかりません。

私の場合、私だけが山行の場合はポチに工程表を黒板に貼り付けて行き、下山したら必ず「下山した」ことを報告します。そのあと温泉に寄ろうが、食事をしようが、渋滞があろうが「安全圏内」として連絡はしません。二人ででかける時は二人の息子の嫁に留守をする旨をメールし詳しい行程は黒板に貼り付けて出掛けることにしています。そして帰ったときは、わずかなみやげを用意して「下山報告」をするようにしています。

「そんなにまでしなくても」とおっしゃるかも知れませんがつまづいて骨折や、下山し安心のアスファルト上での転倒骨折もあります。安全対策は二重、三重に!!

海の事故だからと思わず、山の事故だったとしたらと今一度安全登山について考えてみたいと思いました。


[1979] 【1973回 長谷村みらい塾だより】 2009-10-28 (Wed)

甲斐駒、仙丈岳の麓、長谷村の「みらい塾」での24人のためのユカイナとハープのコンサート覚えておいででしょうか。「11月に羽曳野に行きます」ということでしたが下記のとおり日程が決まったとのお知らせを頂きました。スケジュール表を見ると、やまたび倶楽部の例会の予定もありません。ぜひみんなで応援に行きませんか?チケットの購入方法等はいまから調べます。取り急ぎお知らせ致します。予定あけておいて下さいね〜

姫さまへ

その節はありがとうございました。
11/15の羽曳野でのコンサートの詳細が決まりましたのでまた皆様お誘い合わせの上お越し下さいますよう、
お待ち申し上げております。葦笛工房・北原有

◆あるみかん びっくり箱コンサート
11/15(日)14:00 綾南の森公民館
近鉄南大阪線高鷲駅より徒歩10分
   (羽曳野市島泉8-8-1)料金1500円

(問) 南河内こどもステーション072-957-1114

人と人のつながりは旅先であったり、山の中であったり、電車の中であったりします。不愉快な時もあれば、清々しい時もあります。みらい塾での「あるみかん」さんとの出会いは予定しなかったものの「24人のためのコンサート」として今年の素敵な、人と人の繋がりになりました。ぜひコンサートに行ってみたいとカレンダーに「あるみかん」と記入しました。ポチが帰ったらきっと「この日はアルミ缶の回収日か?」って聞くだろうなぁ(笑)


[1978] 【1972回 うれしい知らせ】 2009-10-27 (Tue)

私が所属している(ほとんど参加はしていませんが)ウオークキング協会のお友達から電話を頂きました。10日ほど前のウオークで心肺停止の人が出て「池○さん」というスタッフが蘇生の心臓マッサージを実施したそうです。救急車が到着し、病院に搬送され、今ではベツトから起きて歩ける状態にまで回復しているそうです。今日、「池○さん」は消防署から表彰状と盾を受理されたそうです。何故そのことを私にご報告をしてくれたかと言うと・・・・

毎年12月の納会で私は救命救急普及員ということで会員のみなさまに救命救急の大切さを訴え続けてきました。野次馬の群れから「勇気の一歩」を踏み出すことで、人の命を救える場合があることを説明しました。舞台の上で人形を使って普及活動をいたしました。

その講習を受けて下さった中の一人が「池○さん」だったんだそうです。この事をぜひ私に報告したくて表彰を受けたその足でウオークの事務所を訪れてくれたそうです。たまたま火曜日のスタッフの機転で我が家に電話がかかりました。表彰されたうれしさと、私にどうしてもお礼が言いたいとのご本人の意向だったそうです。直接お話しをしましたが、わかりやすい講習だったので落ち着いて実施できたと何度も何度もお礼を言ってくださいました。

聞けば看護師をしているとか、それならばぜひ救命救急普及員の資格を取り、一人でも多くの方に蘇生方法を伝授してくだされば私が籍を置いていた間にしたことが生かされると思います。バスの中の案内も、お昼の歌も、納会時の救命救急講習も独自で生み出したアイデアではありましたが同性のスタッフの中には快く思ってない人が多かった様に肌で感じていました。(目立つな!ってことでしょうね)

今日はとてもいいお話を聞かせていただきました。心肺停止の人が目の前にいたときは勇気を出して出来ることをして下さい。全部できなくても人工呼吸3回と心臓マッサージ30回を覚えていれば誰かが手をさしのべてくれます。

合い言葉は「野次馬の中から一歩前進」です。講習を受けていただいていれば勇気を持って実施できます。


[1977] 【1971回 シットリと秋雨・・・】 2009-10-27 (Tue)

月曜日の朝、雨の音がリズミカルに聞こえました。予定のない日の雨は受け入れることができるんですね。稲刈り前の農家やイベントを予定している人達にとってはドキドキの雨ですね。有馬三山では雨による落葉で地面を一段と鮮やかに敷き詰めているのでしょうね。

月曜日は終日パソコンの前に坐り、とうとう買い物にも行きませんでした。倉敷までの道中案内シナリオを頼まれて悪戦苦闘していたのです。冷蔵庫を開けると、零ママからもらった熱海のおみやげの干物や、しじみ、野菜室にはソーセージ、キャベツ、玉葱、ピーマンと揃っています。雨の日の月曜日は冷蔵庫の掃除の日と決め、食材をすべて使い果たすことにしました。残るは缶ビール、バター、冷凍室にはイタドリ、アイスしか入っていません。使いさしの「めんつゆ、タレ類、ドレッシング」なども、ぜ〜んぶ処分しちゃいました。スッキリ〜!スッキリ〜!

旅先からの土産物はお菓子などもいいですが、干物などをいただくと何か助かっちゃいますよね。貰ってうれしいと言うことは、差し上げても喜ばれると言うことでしょうかね。そう言いながらも土佐のみやげは「筏羊羹」、倉敷は「むらすずめ」福井は「羽二重餅」と、やはり甘いお菓子が定番となります。

零ママが北海道に里帰りした際、沢山のおみやげ類を買ってきてくれます。最近では遠慮のないところで「北海道の塩鮭」だけでいいよと言っちゃいました。あつかましいかも知れませんが、これがまた美味しいのです。注文を受けてから塩漬けして後日送ってくれるのだそうです。お弁当に最高!

妙義山と谷川岳の準備も着々と進んでいます。トマの耳(入り口の意味)、オキの耳(奥という意味)などを調べて楽しんでいます。忘れ物のないようにメモに書き出して、前日に車に積み込みます。11月1日の「国民宿舎裏妙義」も11月2日の「湯の陣」も、インターネツト上では「満室」となっていましたが、諦めずに電話をすると何と空室ありなんです。おかげでうまく予約が取れました。インターネット情報が満室であっても電話で確認したほうがいいですよ〜今回は山小屋泊はやめて温泉三昧にしました。


[1976] 【1970回 番犬2匹との珍道中に決定!】 2009-10-25 (Sun)

【1967回 谷川岳&妙義山と行きませんか?】と呼びかけましたが、急なお誘いのために25日の例会時に、どなたも希望者がいませんでした。ジョン、ポチ、姫の3人で行ってきます。下記日程は、どなたかが別の日に出掛ける時があれば参考にしてくださ〜い。

10月30日(金)夜9時出発

10月31日(土)朝 7時00分 妙義山登山開始
         昼12時00分 ゴール
         夕 5時00分 駐車場到着(★テント泊)

11月1日(日)朝7時00分  裏妙義山登山開始
      ★国民宿舎「裏妙義」か確水峠くつろぎの里へ泊

11月2日(月)水上インターから2時間かけて谷川岳登山へ移動。谷川岳登山「厳剛新道〜トマの耳〜オキの耳〜天神平〜ロープウエイで下山」         ★民宿泊

11月3日(火)午後出発し、大阪へ

11月2日はポチの63歳の誕生日につき、民宿で盛大に祝宴を上げたいと思います。(但し、文句を言わず、無事歩けた時はの条件付き)

天気と相談しながらになりますが、今年最後のイベントとして行って参ります。妙義山あたりは、まだ紅葉真っ盛りだと思います。ポチは今日の有馬三山での紅葉の美しさに心が動いたそうです。「姫の登山病」の治療も兼ねて、いってきま〜す。   


[1975] 【1969回 三峰山(三畝山)下見登山】 2009-10-24 (Sat)

23日のコンクールの疲れを癒そうとスノーシューの下見がてらに「霧氷で有名な三峰山」に登ってきました。標高わずか1235メートル、誰でも気軽に登ることの出来る美しい山です。

ナビの案内で高速道路は「法隆寺」を出て、奈良県御杖村の「みつえ青少年旅行村」を通り過ぎたところに登山口があり車は簡易保険融資施設の横に駐車し午前9時30分過ぎに登山開始です。

杉並木の中、地面には落ち葉を敷き詰めた様なジュータンに、思わず寝っ転がって喜びを表しました。 (ブログに写真を載せています。ご覧下さいね)2時間もかからないうちに標高1235メートルの三峰山頂上に11時にはもう到着です。勿論三角点にもタッチしました。

頂上は鳥瞰室生火山群(ちょうかんむろうかざんぐん)、左から古光山(952.7)、倶留尊山(1037.6)、伊賀上野街が見え、大洞(1013.0)、右端に尼ケ岳(957.7)絶景です。冬になると美しい霧氷がつきとても美しく輝くそうです。冬になるのが待ち遠しいです。下り道で大きなドングリを沢山拾い、零くんと、ももちゃんと、かずくんのおみやげにしました。

帰り道に曽爾高原で温泉に入ろうと車を廻しましたが「ススキ祭り」とやらで満杯のため、草餅だけを買い再び法隆寺から大阪へ向けて戻ってきました。途中で柿の葉寿司をかったり、沿道で柿を買ったり、明日の弁当の採れ採れ野菜を買ったりと久しぶりのドライブも兼ねてのストレス解消の登山でした。ポチは歯の治療のためにお留守番ですが、霧氷を見に連れていくからね。

(今日の様子はブログの写真を見て下さいね)


[1974] 【1968回 入賞ならずの交通安全教育コンクール】 2009-10-23 (Fri)

ほぼ2週間をかけて練習を重ね、婦警さんとのチームワークもバッチリで「交通安全教育コンクール」の本番に挑みました。交通課長、係長、主任の付添のもとに府警本部9階の会場に到着しました。午前9時には此花署全体朝礼の前で披露し(おまわりさんて百人以上もいるんですねビックリ〜)みなさんに送り出してもらいました。

私達の出番は7番目、大阪のおばちゃんを演じる私はエプロン姿に何故かモンペ姿、頭には三角巾を付け自転車の荷台にはトイレットペーパーをくくりつけ、前カゴには引ったくり防止のカバーをつけ、フランスパンと白ネギ、大根をはみ出させバッチリの小道具で客席の爆笑も心地の良い反響でした。審査結果が出るまでの30分の休憩中には、よその署から「此花には勝てんなぁ」とか「此花が優勝やな」とかの声を聞いてきたそうで、いつか私達もその気になって「祝賀会しようね」とお祝いムードで結果発表を待ちました。

しかし審査員の目は厳しく賞をもらうには至らない次選でした。巨人は一位にならなければ二位もベベタも一緒だと言いますが悔しいです。私は今回限りですが婦警さんは二位までに入ると、かなり「箔が付く」のだそうです。地域推進委員の私達の採点は採点基準には入らずあくまでも署員のみの採点だそうです。(どうりで一位になったところは「棒読み」や「カンニングペーパーあり」でも入賞したんや)ほんなら何で推進委員をからませるねん!!

前評判が良かっただけに、みんな納得がいかず大きなストレスとなって午後6時過ぎに此花署に戻りました。

此花署の玄関に足を一歩いれると署長、副署長をはじめ大勢の署員の方々が玄関の両サイドに立ち、大きな拍手で「ごくろうさんでした」と声をかけて下さいました。「力及ばずですみませんでした」と深々と頭を下げると婦警さんが感極まり大泣きをしてしまったんです。私も思わずもらい泣き!。

悔いが無いと言えばウソになりますがコンクールにむけての2週間は真剣に取り組みました。
「また来年頑張ります」と悔し涙を出す、婦警さんは今夜はこのまま当直勤務だとか。小道具に使ったフランスパンを「今夜の夜食にどうぞ」と言うと、やっと笑顔が戻りました。選には漏れましたが私達の練習に毎日付き合って下さった関係者の皆様に感謝をし今日の拍手を忘れないでおこうねとお別れの握手をして家路につきました。

なんだか疲れて、もう市場に買い物に行く元気もありません。


[1973] 【1967回 谷川岳&妙義山と行きませんか?】 2009-10-22 (Thu)

ポチがどうしても谷川岳に行きたいと言うことで、ならば隣接する妙義山登山も併せて11月末の連休を利用する計画を立ててポチに見せたところ「行くと言った覚えはない」とか「寒いから春にしよう」とか意味不明を言い始めました。(すわっ!認知症か〜)資料によると谷川岳と妙義山はいまが紅葉のオンパレード、有峰湖畔の紅葉便りが私の心に火をつけ、もういてもたってもいられなくなる「アルプス病ならぬ登山病」が勃発しました。11月1日から3日に実行決定!(10月31日からでもOKだけどね)

妙義山と谷川岳が、どんなに素晴らしいところか披露してポチが「行く!行く!」と気が変わることを祈りながら、それでも行かない時でも、私は行くからね。この時期は妙義山の紅葉祭りがあるんですって。

★谷川岳
谷川岳は群馬・新潟の県境にある三国山脈の山で、頂部は二峰に分かれており、それぞれ「トマの耳・標高1,977m」、「オキの耳・標高1,963m」と呼ばれています。日本百名山の一つですが標高もあまり高くなく、気軽に登山が楽しめそうですね。谷川だけと言う名の山はなく、周囲の万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などを総じて谷川連峰というのだそうです。これらのすべての山の総称が「谷川岳」と呼ばれています。
谷川岳の標高は2,000mにも満たないのですが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多い。谷川岳は遭難の多い「魔の山」として知られていることも事実です。

★妙義山           
妙義山は、赤城山、榛名山とともに上毛三山に数えられ、群馬を代表する山の1つです。また、日本三大奇勝の1つとして荒々しい岩肌が創り出す自然景観の美しさが特徴です。
妙義山は、いくつもの峰々の総称で、金洞山、白雲山、金鶏山を通称「表妙義」と言い、谷急山、丁須の頭、御岳等を通称「裏妙義」と呼んでいます。

妙義山の標高は、白雲山相馬岳の1,104mが最高峰で、金洞山東岳が1,094mです。標高は、高くないですが関東平野を見下ろす景色はとても爽快です。

妙義山には、気軽に登れる「石門めぐり」、十分に自然を満喫できる「関東ふれあいの道」そして体力と経験と度胸が必要な「山頂縦走」と登山コースがあります。

もし参加希望の方がいらっしゃいましたら「有馬三山」の時にリーダーに声をかけて下さい。車中泊1泊、宿に1泊の予定です。参加費用は実費にリーダーのガイド料を頂きます(金額は不明ですが紅葉の終わらない晴天の続く、いまのうちに行きたいよね〜)レッツゴー!!
 




[1972] 【1966回 こだわりの包装紙】 2009-10-20 (Tue)

お誕生日プレゼントの包装紙についてサスケ&うららちゃんの「テクテク日誌」に書いてあり、私にも長年こだわりつづけた包装紙物語があり「うんうんその通り」とうなづいてしまいました。見栄なのかも知れませんが・・・

会社の永年勤続表彰が稲荷際と時を同じくして毎年実施されており、私は表彰該当者に予算を告げ希望の品物を聞きデパートに発注をかけ、粛々と式典を執り行ってきました。ある時は「香の器」であったり「自転車」であったり「洗濯機」であったり中には「母のハンドバック」というのもありました。自分の永年勤続に母への贈り物という青年のために気合いを入れて探したこともありました。デパートの包装紙をかけ上のしに勤続年数を書くと、とてもりっぱな贈り物となり、贈る会社側も、受け取る社員側も満足の行く行事でした。洗濯機などの重量感のある品物は目録を渡し、表彰日の翌日に直接自宅に配達してもらいました。

ある年のことです。「デパートは高いのでディスカウントショップで買えば?」と言う総務の青年の提案の声が上がりました。私は即「バッタ屋で貴重な記念品を買うわけにはいかん」と却下しました。品物に何気なくかかっている包装紙で中味がどう変わるねんと思うかも知れませんが、変わるのです。記念品ですから!私が退職の時も、このこだわりについては、しかと説明し引き継ぎをしました。私がいなくなった今も伝統が引き継がれていると聞き安心しました。

取引先でもそうですが「安ければどこでも良い」と言う買い付けをしていると後で泣きを見ることになります。昔からの絆で「少し高いが、丁寧で安心した品物の納品」の方がクレームの無い機械を作り出しお客様に「あの会社の品物は一流品」と思っていただけると思っています。「安物買いの銭失い」にならないように注意してほしいと退職した今も熱いエールを送り続けています。

亡き姑が市場に行き、同じ品物で高い品と安い品があり、どちらを買おうか迷ったときは高い方を買いなさい。ダテに高い値段をつけてはいない、と言うのが姑の口癖でした。私的には少しでも安い方がいいかと思っても反発できず姑の言いつけを守って買い物をしてきました。いまでも迷った時はその言葉を思い出します。高けりゃ良いと言うのではなく同じ製品に違う価格を付けているのは、それなりに理由があると言うことです。

コンビニが出来ると小売店が消え、大型スーパーが出来ると小さなスーパーが閉店する。近所にあったとても便利な小型スーパーはシャッター商店街に拍車をかけています。同じ業種の店や針灸院などは開店基準に「何q以上距離を置く」という掟がいるのではないかと思うほど乱立しています。何気なく掛かっている包装紙にも、とても奥深い意味があるということを今後も大切にしたいと思っています。


[1971] 【1965回 バスから自動車に変更】 2009-10-19 (Mon)

11月21日のやまたび名「 篠見四十八滝から小金ヶ岳登山」はマイクロバス利用の予定でしたが参加者が少ないため乗用車で行くことにしました。参加申し出の方達にも了解をいただきました。オリオン号(7人定員)と四万十号(4人)で出発します。現在8人の申し込みがありますので、あと3名は参加可能となります。ふるってご参加下さい。参加希望の方は直接ジョンリーダーにね!

ねこちゃ〜ん!いかがかな!ニャンとか都合つけて行こうよ〜!おっかな橋も、ちゅめたい水もないよ〜!

今日の午後から毎日1週間、此花署詣となります。交通安全教育コンクールと言うのがあって府内の警察署20署が舞台にたって制限時間内で演技をし、審査を受けるというものだそうです。制限時間が短くても、オーバーしても減点らしいです。去年までは署員だけて行っていたのですが今年から地域推進委員1名と婦警1名と言うことになったんだそうです。(それで何で私なんやの〜?)

私的には「自由に演じてくれ」が希望なのですがシナリオを渡されてセリフ覚えに毎日悪戦苦闘をしています。大阪のおばちゃんを演じるので「地でいける」と言われながらセリフを噛み恥をさらしながらの1週間になりそうです。ちょっと一杯入りバックミュージックが入ると、なめらかなんですがね〜。憂鬱な1週間になりそうです。

(追伸)
でもね・・・一生懸命のあとは道場の中に拍手が沸くんです。トチっても「次に頑張れば」と演技監督のやさしい声に励まされて、だんだん自信に似た物が沸いてきました。心に余裕が出てきたのか大阪のおばちゃんの自転車のカゴからはみ出す品物を楽しみながら考える余裕が出てきたのです。えーっと「長いフランスパン」に「東京ネギ」「ごぼう」「大根」まだあったら教えてくださ〜い。


[1970] 【1964回 じてんちゃかって〜】 2009-10-18 (Sun)

電話口で悲鳴にも似た、泣き声にも似た、2歳のかずくんからの電話でした。「ばあちゃ〜ん、じてんちゃかって〜!」どうしたのかと事情を聞くと「ももちゃんがじてんしゃかしてくれへん〜かずくんのじてんしゃがない〜」パパに電話を替わって説明をしてもらいました。ももちゃんの駒無し自転車に再び駒をつけて、かず君に乗せたら上手に乗り始め、それからというもの1台の自転車を2人で奪い合いがはじまったと笑います。3歳のお誕生日に自転車をプレゼントしようと思っていたのですが少し前倒しで18日の日曜日の昼下がりに伊丹駅で合流し伊丹にあるトイザラスに行きました。子供の成長は早いもので、特に2番目の子供は何をするにしても上の兄姉を真似るので早いですね。(ブログに写真掲載)

お昼前には零くんファミリーが熱海旅行のおみやげを持参してくれると言うので、久しぶりに家で待機することとなりました。零くんがパパとママの結婚式の写真を見て「ボクが写ってないのでさびしい〜」と涙をポロリと流します。感性豊かな子(?)に育ってくれていることに姫婆としては大変うれしく想う今日この頃であります。

私が子供の時は「おさがり」がおきまりでした。6歳年の差の姉のお古ばかりを着ていた記憶があります。それでもお正月の晴れ着だけは母が夜なべで新しく縫ってくれました。南天模様の晴れ着は今は宴会用のおべべに使っていますが、一針一針に母への想いが蘇り、鼻メガネをかけた母の顔が浮かんできます。自転車は大人用の自転車を身体を斜めにしながら乗り回していました。交通量も少なく(そりゃ荷馬車が通っていたんですものね)倒れても道路脇の溝か田圃の中で怪我をすることはありませんでした。そのかわりドロンコでしたね。

おもちゃのトイザラスに行くと豪華なおもちゃが並んではいますが、親子で手作りのおもちゃを期待するのは昔人間なのでしょうか?時代の逆走でしょうか?

逆走は逆走でも82歳のおじいちゃんが道を間違えて高速道路を逆走したと新聞に掲載されていました。82歳にもなったらもう運転免許証は「返還の義務」がいるのではありませんか?正常に走行していた人が死亡したり怪我を負うなんてどこか間違っていませんか?18歳にならないと免許が取得できないのでしたら75歳になったら「免許証返還」を義務付けないと交通安全、事故防止をいくら唱えても事故は減らないように思います(えっ75歳はまだ若い?)


[1969] 【1963回 納山祭りへのお誘い】 2009-10-17 (Sat)

17日の土曜日は芦屋川から初めての城山コースを登りました。高座の滝に行く途中「城山コース」と書いた看板は知っていたのですが実際に歩くのは初めてでした。とても良いコースで今回参加できなかった方に、ぜひお勧めします。岩梯子も久しぶりでとても新鮮でした。最初の頃はおっかなびっくりで岩にしがみついていましたが今日は全員が平気で登ることができました。経験を積み上げるということは素晴らしい成果が出るんですね。

城山公園までもどりミーティングをし、雨で歌えなかったお昼の歌「銀色の道」と故郷の空」を歌い、珍しく早い時間の解散となりました。解散してから思ったのですが、みんなで一杯飲みたかったね〜。

一杯飲みたかったで思い出しましたが12月18日〜19日の納山祭りのご案内を近日中に致します。1ケ月前に会場への前納金(参加費は当日で可)を入金しなければなりません。早い目に皆様への出欠をお聞きすると思います。まだ先のことですので予定が不確定かとは思いますが「行きたい」「わからない」「行けない」のお返事をしてやって下さい。お願いします。都心で忘年会をするより安くつくし、終電車の心配もないし、夜通し気兼ねなく1年を振り返ることができるし、寝たい人は自由に寝れるし、麓でみんなで買い物をし「おじん&おばんの自炊生活」を楽しみませんか?

仕事の都合で日々の例会に参加していなくても、1年に1回「冬の七夕」で逢瀬を楽しみませんか〜コンパニオンもいっぱい来ます。待っていますよ〜

(歩く距離はあまりありません。ゆっくりと歩きますので、よし枝ちゃん、了子ちゃんも大丈夫ですよ〜)


[1968] 【1962回 アルプスの季節は秋から冬へ】 2009-10-16 (Fri)

やまたび倶楽部のホームページの季節が変わりましたね!春のスノーシュー「雪の燕岳」が表紙の写真に模様替えとなりました。アルプスも冬山装備の時期になりましたね。アイゼンやスノーシューを使う日も間近でしょう。家を出るまでは寒くてためらうことがあっても、一歩雪の上を踏むと心が弾みます。ポカポカと身体も心も温もると、ジャンバーを脱ぎ、子供の様にはしゃぎたくなります。雪はメルヘンの世界へ案内をしてくれます。

私の子供の頃の故郷(高知)は滅多に雪が降ったり、積もったりすることはありませんでした。珍しく積雪があるとバスが止まり町から通勤する先生達が学校に来れなくなり休校となります。今の様に防寒着も整っていなくても外に出てミカン箱にヒモをつけて堤防の斜面を利用してソリ遊びをした思い出があります。スノーシューに必ずソリを持参するのは、そんな子供の頃を思い出したいのかも知れませんね。とにかくソリ大好き〜です。

雪遊びの後は「アカギレ」の手入れです。父親が熱した火箸にメンソレタームをつけアカギレに擦り込んでくれるのです。ジャンバーは母の作ってくれた「綿入れの半天」。見た目は寒そうですが母の温もりは人一倍ありましたよ。

話しは変わって・・・
私は買い物を済ませてたらレシートはスーパーのゴミ箱に捨てる習慣があります。今日は何故か珍しく袋の中に入れて持ち帰りました。明日の行動食用にオレンジを剥いたところ中味が腐っていました。レシートと腐ったオレンジを持ってスーパーに交換に行くことにしましょう!(腐ったオレンジブログに載せました)


[1967] 【1961回 葛城山登山道が通行禁止?】 2009-10-15 (Thu)

15日の産経新聞の記事から引用しました

『大阪府と奈良県にまたがり、近畿の代表的ハイキングコースとして人気がある葛城山(959・7メートル)の奈良県側登山道が、今月初旬の台風18号による暴風雨によっていたる所で寸断され壊滅的な被害に遭っていることが14日、分かった。道を管理する御所市は「早急に県や国に対策を要望したい」としているが、被害は登山道全域に及び、全容把握も困難な状況で復旧の見込みはたっていない。

葛城山は金剛生駒紀泉国定公園の指定区域内にあり、ツツジやススキの大群落、霧氷の美しさなどで知られる。登山道にはロープウエーが並走しているほか、登山口には市などが運営する約600台収容の駐車場も完備。気軽にさまざまな楽しみ方のできるコースとして人気があり、市によると登山道だけで年間約22〜23万人が利用するという。

市が台風18号通過後の今月8日午後に調査したところ、全長約3・2キロの登山道のいたるところで、崩落した土砂や倒木が道をふさいだり、路肩がえぐられたりしているのを確認。中腹部では、道がほぼ消失して担当職員が遭難しかけた場所もあったという。山肌のところどころには亀裂も入り、「今後も雨が降ればさらに崩落する可能性がある」という』


市は、ただちに登山道を通行禁止にするとともに対策を検討。しかし復旧は大金がかかり市だけでは無理と判断し、県や国に支援を求めていく方針を固めたそうです。葛城山へハイキングを予定されている方は「通行禁止」にご注意を!


[1966] 【1960回 無罪放免】 2009-10-14 (Wed)

「今日で無罪放免にしてあげましょう」これは今日ジョンの付添で病院に行ったときの主治医の言葉です。「ややこしい患者ですみませんでした」歳の離れた妹として丁寧に頭を下げ診察室を出ました。去年の12月から受診していた神経内科も眼科に続いて解放されたのです。内科(糖尿系)の結果は、鳳凰三山登山中に薬を服用しなかったため検査結果があまりよくなくて、まだ続投となりましたが、とりあえずトンネルの出口が見えた気がしました。神経内科の先生が「またいらっしゃいというのもおかしいかな?」と初めて笑顔を見せて下さいました。医師としてもひとりの患者が巣立って行くのはうれしいのでしょうねぇ。

午後からは警察の講堂で「交通安全教育コンクール」の演技指導を受け、何度も何度もやり直し、台本を見ないでの演技に緊張し、いつもの自分がどうしても出せません(台本がなくアドリブの方がいいのにね)その間、入れ替わり立ち替わり署員の皆様が見学にこられて尚更緊張でヘトヘトです。

「慣れないことをする」のは疲れますね。慣れないことを「慣れる」に変えるには大変な努力が必要です。私とコンビを組む婦警さんは徹夜で練習をし、制限時間内に終了できるように努力をしたそうです。人が寝ている時間にも努力の積み重ねをする姿に、私が足を引っ張るわけにはいかず、負けずに練習をするしかありません。だれか〜助けて〜!


[1965] 【1959回 山は天気と仲間次第】 2009-10-13 (Tue)

10日の土曜日、西宮名塩に住む、ももちゃんの運動会を終えての昼食の時、今から南アルプスへ向けての出発を告げ、ももちゃん邸に嫁のご両親を残して名塩を出ました。おりからの3連休とあって宝塚付近は渋滞中。何とか自宅に戻ると、午後4時を過ぎていました。集合は4時30分のため此花のサスケ駐車場へ汗をかきかき到着〜

10月9日付けの「1957回 夏山最後の鳳凰三山へ」をご愛読下さったサスケ先生とうららちゃんが「行く!行く!」と手をあげて下り、今回のパーティは5名ということで結成され登山届けを作成致しました。

(詳細は近日中にレポート&写真でご覧いただく予定です)

出発から帰着まで秋晴れの晴天に恵まれ、テント泊の荷物が重かったものの「登山&キャンプ&滝めぐり&晩秋の紅葉」を満喫することができました。10月9日に「台風一過は天気よし」と勝手に決め、もう翌日には出発で、あわただしくもありましたが、感動も大きかったです。

登山道具一式を同じ場所に収納しておけば、急な山行でも忘れ物がなく便利です。どこに行く場合でも戻ったら、小物類などリュックの中に入れっぱなしにせず、空の状態にしておき、その日に合ったリュックが決まれば、小物の引き出しそのままリュックの前に置き必要な物を詰めるのがミソです。

今回のポチの山行荷物は私がチェックをして「これでよし」状態にしていくましたのにテントの中に広げて見ると知らない間に詰めたであろう不必要な衣類が沢山入っていました。山岳会の人達の「不必要な着替えは持参しない」を教訓にしたはずなのに信じられません!

例えば私は合羽を最大利用しフリースを1枚入れれば良しと思っていました。ところがポチは「フリース、ヤッケ、厚手ジャンパー」とヒマラヤにでも行く様な出で立ちでした。少し歩けば暑くて頭から湯気を出しています。そりゃあ体力も消耗するわ〜!ジョンのアドバイスで「上着ばかり持たずフリースのズボンを1枚入れる事」

もうアルプスは冬支度をし始めています。これからの登山は充分な気象チェックと山行にふさわしい装備を準備の上、お出かけ頂きたいと思います。皆様も私達と同じ様に楽しい山行でありますように!!


[1964] 【1958回 ももちゃんの運動会&鳳凰三山】 2009-10-10 (Sat)

名塩に住む、ももちゃんの運動会の日です。昨日電話をすると「多分、ももちゃんが一等だと思うよ。見にきてね」何と一等をねらっているらしい。まさかの時の対策で「途中で転んでも泣かないで最後まで走るんやで。ももちゃんがんば〜れ〜って大きな声出して応援してるからね」そう言いつつベランダにタオルで作ったテルテル坊主を吊しました。運動会の天気と、その後に鳳凰三山に向けての山行も天気に恵まれますようにと、とびきり大きなテルテル坊主です。

10/10〜10/12までポチも連れて留守にします。
レポートはまた戻ってからのお楽しみということで、では、いってきま〜す。!


[1963] 【1957回 夏山最後の鳳凰三山へ】 2009-10-09 (Fri)

北岳バットレスから見た鳳凰三山に魅了され「行きたい」と言う気持ちが心の隅にずーっとありました。しかし土曜日は、ももちやんの運動会の応援に行きたい「ばあちゃん!お靴も小さいのを履き、いちばんになるから見に来てね!」と約束を交わしたのです。行きたいと思う鳳凰山は山梨県の赤石山脈(南アルプス)北部の地蔵ヶ岳(2,764m)、観音ヶ岳(2,840m)、薬師ヶ岳(2,780m)の三つの山の総称を鳳凰三山と呼ばれていて日本百名山に数えられています。

南御室小屋 (みなみおむろごや) には、テント張りも可能でテント機材を背負いテント泊を予定しています。万一天候不良で小屋にかけ込む場合も11月末日まで営業しているため安心であります。

青木鉱泉駐車場からおもしろいネイミングのドンドコ沢を経て地蔵岳、観音岳、薬師岳、そして青木鉱泉駐車場に戻るコースなのかしら?それとも・・と空想を広げて楽しんでいます。鳳凰山のシンボル、地蔵岳のオベリスクも目に浮かびます。

青木鉱泉の湯は一見無色透明無味無臭、飲むとしっかりした鉄泉の味わい、浴後さっぱりして、遠赤外線効果か本当によく温まりまるそうです。ゆっくり温泉を味わう時間があるといいなぁ。

台風一過のあとの天気は安定しています。急な山行決定だけど、いま出発しないと、新雪が降り出すと私の技術では登れなくなってしまいます。今日は荷作りしなくっちゃあね!

「ピンポーン」ホームページかき込み中に誰かが来た様子でドアを開けると故郷恩師からの贈り物でした。この季節高知名産の「新高梨」がとても美味しいんです。新高梨の名前の由来は、新潟県の梨と高知県の梨を、かけあわせて栽培されていることで、2県の頭文字から新高梨と呼ばれています。

早速、恩師に礼の電話をかけました。いつも奥様が電話口に出るのですが今日は珍しく恩師が直接出ました。梨の礼を述べ「お元気ですか」と言うと「いかんちや!病院に行っても予約しちゅうのに1時間も待たすけん、もんてきた」といいます。「今日は、歳は聞かんがかな?」と少しおどけた調子で聞きます。(いつも私が先生に何歳になったのかと挨拶がわりに聞くから先手を打たれた様です)「私の歳に20を足すと先生の歳でしょ」と言うと「よくできました!。算数の成績は5!」と笑います。先生にとって私は、いつまでたっても「鼻垂れみっちゃん」のイメージのままの様です。

少し元気が薄くなった(この表現がピッタリなんです。)気がします。お元気なうちに帰って親孝行ならぬ恩師孝行をしたいものです。

(新高梨は孫の頭ほど大きくブログに写真載せました)


[1962] 【1956回 おめでとうジョン〜!】 2009-10-08 (Thu)

今日はジョンの大阪市立総合センター眼科診察の日です。台風の余波を受けていつも満杯の待合室はガ〜ラガラ。「今日は台風の影響で年寄りが出足をにぶってるみたいね。診察の順番早く来そう」そう言いながら受付を済ませ、テレビの台風情報を見ながら、のんびりと待つことにしました。しかし患者の姿は、まばらなのに30分経っても順番がやって来ません。「忘れられてるかも?」そんな私達の不安を知ってか知らずか眼科の待合室に向けて館内放送が始まりました。

「○○先生は只今、午前9時の患者様を診察中、△△先生は9時30分の患者様診察中、××先生は10時の患者様を診察中です。いましばらくお待ち下さい」

ジョンの主治医は10時30分現在でまだ9時30分の患者さんを診察中の様です。1時間30分を過ぎた頃「ジョンさ〜んどうぞ」と看護師の案内のあったのは11時30分を過ぎていました。眼科は受診前に検眼やら視力検査やら出たり入ったり、ややこしいので眼科の診察だけは、歳の離れた妹は待合室で待つことにしています。

「どうだった?」
「もうエエんやて!オシマイ!」うれしそうにそう報告を受けました。去年の11月23日に異常を訴え、12月1日に眼科受診から10ケ月余り、長かった〜!でもようやく眼科が卒業できました。おめでとう。

「おい!みっちゃん!卒業記念に鳳凰三山に行こうか?」突然の話しです。ポチもまだ知りません。会社から帰り驚くことでしょう。北岳バットレスの帰りに私達を見送ってくれた雪の様に白く輝く鳳凰三山が印象的で「つぎに来たいね」とつぶやきはしましたが明後日だって〜!

台風も過ぎたし、紅葉もきれいだし、キャンプ場には温泉も隣接しているらしいです。温泉があると聞き「行こう!!」そう決めました。

ジョンの眼科卒業記念と、歳の離れた妹への慰労も兼ねての鳳凰三山登山です。来週の診察は神経内科と、内科(糖尿病)で、ここも卒業できたら、また記念山行となるのでしょうか?でもアルプスはもうすぐ冬だしねぇ。

♪♪冬が来る前に もう一度 山登り♪♪


[1961] 【1955回 小松基地】 2009-10-07 (Wed)

午前7時45分西九条駅を小松基地へ向けて貸し切りバスが出発しました。此花安全運転管理者部会の研修です。会社を退職したのに何で?と思うかもしれませんが「名誉顧問」として在籍させていただいているのです。里帰りをした様な、懐かしい顔ぶれで、皆さんが温かく迎えてくれました。会社の後輩とバスの座席を並べて近況報告をお互いが交換しあいました。彼女とは仕事の引き継ぎで色々同じ時間を過ごしましたが、のんびりとバスに揺られるのは初めてです。随分と成長を感じて頼もしく、うれしく感じました。

『小松基地は昭和36年に開設された日本海側唯一の戦闘機部隊が所属する基地で我が国の空の守りを固めるため、日夜訓練に励んでいます。小松基地と日本海を隔てた諸外国との位置は近く、航空機で約1時間の距離にあり、この状況からも小松基地の果たす役割は大きさが理解頂けると思います。小松基地は対領空侵犯処置の任務を与えられ、主に日本海正面における国籍不明機の警戒に当たっています。』

以上の説明を受けた後、「F−15戦闘機」と「T−4中等練習機」の飛び立つ姿を見学できたのです。おりからの台風接近で展望台の上は風が強く、戦闘機のエンジンの耳をつんざく様な音を背に記念撮影を済ませました。(寒かったよ〜)

小松基地の見学を終え、山代温泉ホテル「瑠璃光」で遅い昼食の膳を囲みました。司会者が「久田さんが風呂に行かないように見張って下さい。」とマイクで言ってましたが、ここまで来て温泉に入れないなんて〜!温泉好きの私には通用しないでしょ。

カラオケが始まった頃を見計らって、後輩とスーッと抜けて温泉に浸かってきました。時間も早いと言うこともあって「貸し切り」でした。入浴後、宴会中の部屋へまたソーッと帰り席につくと「あっ!戻ってきました!戻ってきました!トリを飾ってもらいましょう!」と罰ゲームのようなカラオケではありましたが、虚空蔵山ウオークの時に歌うことの出来なかった「長崎物語」を熱唱しちゃいました。

大阪の台風が気になるためトイレ休憩も短めに取り北陸自動車道小松ICから米原JCT、名神高速を経て到着場所の西九条駅高架下に予定より30分早い20時00分に到着しました。会社を退職した現在も、お誘いの声をかけてもらえることに幸せを感じています。


[1960] 【1954回 来年の予定表作りと勘違い待合せ】 2009-10-06 (Tue)

4日の日曜日はどこにも出掛けず終日、我が家で「2010年間予定表」を作成するためのたたき台を作る作業を行いました。資料を部屋中に広げ、季節にあったジャンルに分け(例えば雪、花、岩、沢、)方向付けをします。活動曜日決めで「あっちたてればこっちたたず」でかなり苦闘しました。クライミングについては土曜日、日曜日は岩場の混雑が予想されるために全面的に避けました。まだまだ、たたき台ですので今後も悩みながら更に、よりよいものへと完成させて行きたいと思っています。いまなら変更可能ですのでみなさまのご意見も聞かせて下されば前進、更に前進なんですけどね。(私ごとですが来年の4月、5月はお産の手伝いでお休みいただく事になるかも知れません)

5日の月曜日、久しぶりに零ママとランチを一緒にするために11時30分に待ち合わせをしました。場所はサスケクリニックの前のケーキ屋の2階のスパゲティ店です。ここからはサスケ先生が診察しているお姿がよ〜く見えます(見えるはずない!)11時40分になっても零ママが来ません。ひょっとして500円ハンバーグの店に間違って行ったんじゃあないかと携帯に電話し「もう家を出ましたか?」と聞くと「は〜い出ました」との返事でした。間もなく到着と思いきや11時50分になってもまだなので「一体いまどこにいるの?」と聞くと「お店の中にいま〜す」え〜っ!!上と下で30分以上も待ち続けていたことになります。「ごめんね」「ごめんなさい」とお互いが謝り、やっとランチにありつくことが出来ました。

「確認は わかっていても もういちど 」

午後から警察に出向いて「交通安全教育技能コンクール」の打ち合わせをしてきました。
10月某日(詳細を書けば冷やかしに来られたら困っちゃうでしょ)大阪府警察本部で府下全部の警察署から「交通安全」をテーマとして、婦警さん1名と地域推進委員(姫)1名で交通安全についての啓発発表するらしいです。私が「らしい」という表現をするときは自信がない証拠です。交通係長が「頑張って!此花署にかかっているから!。いつもの通りにしてくれたらエエねん」と肩をたたいて励ましてくれましたが、シナリオが渡され与えられた時間は10分間で超過時間はマイナスで審査されるというのです。こんな緊張久々です〜。どうしようか〜

結婚40周年記念(ルビー婚)に、ルビーならぬ「鍋」を買いました。ルビーを買っても、今までの様に、お出かけする機会もなく、クライミングに指輪は不似合いのため、古くなった鍋を買い換えることにしました。まだ使用出来る物を買い換えるのは「清水の舞台」から飛び降りるほど勇気がいります(笑)

★鍋はブログに載せました(大層な奴っちゃなぁ)


[1959] 【1953回 40年目の結婚記念日】 2009-10-05 (Mon)

今日は私達の結婚記念日「ルビー婚式」です。早朝、忠太郎からの「おめでとうメール」で気が付きました。忘れていたのです。忠太郎さんありがとう。多分夕方になっても思い出すことはなかったでしょう。それくらい長くて遠い苦難の道のりでした(笑)もうこうなったら死ぬまで付き合うしかありませんね。だって姑さんの遺言なんですものね。

此花区の梅香殿という結婚式場が設立されて間もなくの挙式でした。私の友達も多く出席したいということになり「実行委員」などというお世話係を作り、友達には祝いはいらないが会費はもらうと言う、昭和44年当時では斬新な会費制の結婚式でした。まぁ同窓会の延長の様なものでした。式と披露宴の写真は舅の同僚が撮ってくれるということで任せていましたが、これがまた全て写ってないと言うハプニングがあり、おかげで結婚式の写真は式場が撮った金屏風の前の写真だけしかありません。記念撮影をする時、1歳の甥っ子がうんちを漏らし「臭いは写らへん」と言う一刀水の一言で、くっ〜さ〜い記念撮影となりました。当時出席してくれた親戚のほとんどは、あの世に逝っており、時の長さを感じています。

新婚生活はポチの両親、兄、弟と同居の生活でした。両親との生活はまあいいとして兄、弟との同居なんて現代の若者なら息の詰まる毎日だと思います。私は姑に和裁を習っており職場から帰り、夕食を終えると、裁ち台を出してせっせと着物の仕立てをしていました。不平不満を言わず、純情な嫁だったように思います。「家に主婦は2人は要らない」と言う事もあって仕事は結婚後も出産後も続けました。この姑がいてくれたからこそ今の私があると思います。いま息子達から育児の手伝い要求があれば姑が私にしてくれたことと同じぐらいの愛情を注ぎたいと思っています。

ポチとの今後の生活は「お互いの生活を干渉せず」が私の願いです。干渉しないという事と勝手をしてもいいということは別ですから、ここらへんの手綱の引き締めは更に強くしないとと感じています。ちなみに記念日の一覧です。

5周年:木婚式
10周年:アルミ婚式、錫婚式
15周年:水晶婚式
20周年:磁器婚式、陶器婚式
25周年:銀婚式
30周年:真珠婚式
35周年:珊瑚婚式
40周年:ルビー婚式
45周年:サファイア婚式
50周年:金婚式
55周年:エメラルド婚式
60周年:ダイヤモンド婚式
75周年:プラチナ婚式


[1958] 【1952回 京都トレイル後半突入】 2009-10-04 (Sun)

京都トレイル6回は、夏迄に3回、冬までに3回と分割し、猛暑を避けた中高年の身体にやさしい分割を工夫しています。10月3日の土曜日には京都トレイル後半に突入しました。季節的にも丁度コスモスの咲く頃と重なり快適な里山歩きができました。詳しくは写真と合体後のレポートをご覧頂くとして、あわただしく過ぎて行った昨日の足取りを思い浮かべてみました。

「だんだん遠くなってきたなぁ」とまず感じます。京都駅9時集合でバスで移動して、歩き始めが10時20分は少しスタート時間が遅い気がします。バス乗車時間1時間が、京都市内を通過するため予想以上に渋滞にひっかかりました。この渋滞20分間が最後まで尾を引く結果となりました。

私を含めたみんなの後ろ姿を写真でじっくりと見てみたら、身体が前傾しすぎているように思います。苦しくて急な坂道のためでしょうか?。身体が前傾することで足腰に負担がかかります。3000メートル級の高い山だとリュックに負荷がかかり大変つらい山行となります。普段の里山歩きでもまっすぐに歩を進めるトレーニングが必要だと痛感しました。

「いつも誰かに見られている」そんなモデルのような意識で歩けば前傾は治ると思います。一度モデルになった気分で歩を進めてみませんか?

京都トレイル第4回目は、ひとりの登山者に出会ったきりであとは私達の貸し切りコースでした。こんな良いコースなのにだれも歩いていないのが不思議です。貸し切りコースのために、道を譲ったりせず余分な時間を費やさずに済みました。昨日は道を譲ったりしていたらバスには乗れてないと思います。だって6分前に到着なんですものね。

次回の第5回目は山幸橋からのスタートです。次回の入り口も確認できました。
京阪 出町柳駅 午前8時00分集合 8時10分発車に時刻変更されていますのでご注意ください。
真っ赤に染まった紅葉が楽しめるでしょうか。それとももう落葉しているでしょうか。そんなこんなを考えるのも、また楽しいですね。

12月の納山祭りは道場近辺と決め、昨日発表しました。歩き終えた後に「神戸セミナーハウス」で忘年会を実施しようと言う計画です。土曜日都合の悪い方もいらっしゃいますので少し気にかかりますが予定表通りと言うことで、後でかけつけて頂けるとうれしいです。神戸セミナーハウスはログハウス形式の宿泊施設があり(カラオケは無いよ〜)ここで飲んで、食って、語り明かそうということで12月19日〜20日ということになりました。皆さん!今からスケジュール調整よろしく!


[1957] 【1951回 訴えてやる〜】 2009-10-02 (Fri)

何年か前、社員のご家族の葬儀に参列したとき、種子島より持ち帰った蘇鉄がポチの手によって無惨な姿になっていることに気が付き、大喧嘩となりました。花に水もやったことのない者が勝手なことをしていいのでしょうか!昔も一度ありました。立替前の家の玄関先にアーチ型にしたバラの花が無惨に切られていたことがあります。いつも私のいない間を縫ってコソコソとやってしまうのです。

「私に怒られると言うことがわからへんかったん?」
「怒られると思っていなかった」そんなことはありません。たかが植木ですが、それぞれに思い出があるのです。玄関先にあるハスは故郷高知からもらった大切なもの、ガレージ入り口にある観音竹は、亡きポチの母上がくれたもの、それぞれに思い出があるのです。

それを「葉が伸びすぎて邪魔だから」と持ち主の許可もなくポチと同じ様にハゲ坊主にされてしまいました。本当に腹立たしいったらありゃしない!!(ブログにハゲ鉢掲載)今夜はサスケ診療所行きだから、先生!ポチの歯をぜ〜んぶ抜いちゃってください。

夫婦でも、親子でも、嫁姑でも、それぞれに価値観が違います。行動を起こしてしまって元に戻らないものは尚更のこと、お互いが声を掛け合う必要はあると思います。今日の私の心は、うっそうと曇った空の様です。

やけ酒ならぬやけ歌です。

赤い蘇鉄の 実も熟れる頃
加那も年頃 加那も年頃 大島育ち

黒潮黒髪 女身ぬかなしゃ
想い真胸に 想い真胸に 織る島紬

あ〜あ!蘇鉄の歌を歌うたとて そなたはもとに戻りゃせぬ


[1956] 【1950回 ためしてがっテン情報】 2009-10-01 (Thu)

今日は30日の「ためしてガッテン」情報からです。みなさんも関心のあるテーマでしたのでご覧になった事とは思いますが、テレビを見ながらメモっていましたのでおさらいしましょう。

「街の殺し屋スズメバチ」
去年、クマによる死亡者は3人、ヘビによる死亡者4人、ハチによる死亡者15人だったそうです。1984年はハチの死亡者は78人だったそうです。

キイロスズメバチ、オオスズメバチ、コガタスズメバチこの3種類が私達が恐れるハチの種類です。(昔の歌にあったよね )
♪ハチのムサシは 死んだのさ 畑の日だまり 土の上 
遠い山奥 麦の穂がキラキラゆれてる 午後でした 
ハチのムサシは 向こう見ず真赤に燃えてるお日様に 
試合をいどんで 負けたのさ 焼かれて落ちて 死んだのさハチのムサシは 死んだのさ(思い出して歌えましたか?)

ハチの巣に2メートル近く近づいた場合、ハチは刺すだけでなく、人間の身体にぶち当たり、香水に似た臭いを付けて仲間に敵が来たことを知らせ「ハチの巣を突っついた」様な攻撃してきます。スズメバチの攻撃は人間を襲うの理由は大事な巣を守るために捨て身の攻撃をするのだそうです。2度目に刺されたときはアナフィラキーショクで30分から1時間の間に窒息死するという恐ろしい結末です。

「刺されないための予防」
●黒い服は着ない(白い服に白い帽子)
●ハチと遭遇したら動かないでじっとしている(追い払わない)
●虫除けスプレーは効果なし(ハチは捨て身で巣を守るのでスプレー効果無し)

「ハチと遭遇したら」
ソーッと身をかがめ、ゆっくりと後ずさりして逃げる。但しからだに当たって毒液を振りまかれたと感じたら、いちもくさんに逃げて下さい。

「刺されたら」
刺された箇所を絞り、冷やして病院に行って下さい

大学教授は最後にハチの立場に立って、自然界の害虫を食べてくれ、私達人間の役に立ってくれていることも忘れないで下さいとの事でした。


[1955] 【1949回 夏から秋へのバトンタッチ】 2009-09-30 (Wed)

9月も今日で終わり・・・早かったよねぇ。スーパーに入ると冷房が、やけに身体に堪えます。夏山シーズンが終わり、秋の紅葉を求めてアルプスはラッシュ状態だと報道されていました。綺麗でしょうねぇ。秋山は、日中温かくても夜間はぐ〜っと冷え込みます。また、天候の急変により雪となることもあります。

●最近の山岳事故における原因
@ 持病が悪化?〜登山前に医師の診察を〜
高血圧等の持病のある登山者が、登山中に倒れたり、行動不能となるケースが目立ちます。入山前には、病院等で診察を受けるか医師に相談する等、体調管理を万全にして登山しましょう。

A高齢層の遭難が多発〜余裕のある日程〜
今年の夏山では、60歳以上の高齢層の遭難が全体の5割を超え、年々増加傾向にあります。気持ちは若くても、体力やバランス感覚は年齢とともに確実に低下していますので、この点を自覚した余裕のある日程で登山しましょう。

B単独登山はリスクが大きい〜パーティを組んで〜
単独登山のリスクについては、様々な意見がありますが、今年も単独登山者の死亡・行方不明が数多く発生しています。単独登山は、疲労や怪我等で行動できなくなった場合、助けを呼ぶことができず、最悪のケースに至ることがありますので、なるべくパーティを組んで登山しましょう。

C気象情報を確認して行動〜下界とは2ヶ月の差〜
今年の夏も落雷による遭難が発生しています。
秋山では、天候の急変により、雪が降り「冬山」に変わることもあります。 登山前には、気象情報を確認して行動しましょう。

●山岳遭難を未然に防ぐには
里山と違い、高い山ほどさまざまな危険があり、注意・装備も必要になります。でかける前は装備品が万全かパーティで確認しあうことも大切です

●山で遭難した場合の対応
「遭難した!助かるためにどうする?」では、道に迷った際に「尾根に登って救助を待つ」、「捜索ヘリから発見できるよう、上空の見通しの良い場所を選ぶ」などを知識として持ちましょう。

●救助を求めるサイン
ヤッケ・雨具などを片手に持って上空に向かって大きく円を描く。乗務員が確認できる位置まで近づいたら、大きく上下に振る。

遭難時以外は遭難者との区別が付かなくなるため、登山中に警察ヘリや防災ヘリを見かけたときに、手を振って挨拶したり、ヘリコプターに向かって帽子、タオル、ヤッケなど振らないようにしましょう。

●ヘリに救助を求めるサイン
救助に伴う費用と保険
山岳事故の際、捜索隊の活動やヘリコプター出動など、救助に伴う費用は本人や親族に請求されることがあるが非常に高額であるといわれる。山岳保険には加入していますか?いまいちどご確認下さい。

救助を要請したヘリコプターも、いつでもどこにでも飛んできてはくれません。気象次第、日暮れ時などの条件によって、翌日の朝を待っての救助となるときもあります。防寒対策もしっかりとしておかねばなりません。


[1954] 【1948回 秋の全国交通安全運動】 2009-09-29 (Tue)

平成21年秋の全国交通安全運動が9月21日から30日までの10日間実施されており、29日は推進委員の当番で午前8時より街頭キャンペーンのために千鳥橋の交差点に立ちました。おりから登校時間や出勤時間と重なり、去年まで在籍していた会社の懐かしい人達と朝の挨拶を交わすことができました。ちょっと太めになってる人、美貌に磨きをかけた人、相変わらずギリギリ出勤の人と10ケ月のブランクを感じさせない新鮮な出会いでした。

今年の全国重点は
(1) 全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
(2) 夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
(3) 飲酒運転の根絶

特に自転車に重点を於いており、自転車の乗り方講習や、正しい乗り方のコンクールまで実施されています。自転車に乗らず歩くことが健康の原点なんですが、乗るならば事故の無いように乗りたいですよね。

●自転車は車道の左側端に寄って通行しなければなりません。(右側通行は禁止です。)
●道路を横断するときは、運転者が自分に気付いているか確認しましょう。
●夕暮れ時や夜間の歩行は明るく目立つ服装や、反射材を活用しましょう。

保育園に子供を送る若いお母さん!赤信号で横断歩道を渡ると、貴方の大切な子供が「赤は渡れ」なのかと勘違いしちゃいますよ。

飲酒運転は前日に飲んだアルコールが残っているときはりっぱな「飲酒運転」になります。飲む時間と飲む量を考えて二日酔いに注意しましょう。二日酔いで酒の臭いプンプンさせて仕事をするなんてサラリーマン失格ですよ! 

昔、私の故郷で1日に2〜3台しか通らない様な道路で自動車事故に遭い親戚の少年が亡くなりました。こんなに交通量が少ないのに何故?って嘆き悲しみました。「大丈夫」という心の隙間に事故が進入してきます。玄関から一歩出れば、戻ってくるまで緊張し続けましょうね。


[1953] 【1947回 私ね、北岳バットレスに行ってました】 2009-09-28 (Mon)

降って沸いたとは今回の北岳バットレス行きの様な事をいうのでしょうか?

1年前から「行きたいなぁ」「まだ無理や」と言われ続けてきました。ひょんなことから女性クライマーに空きができ(6人用テントに野獣男4人に女性1人じゃあねぇ・・・)

そんなわけで今までの登山経歴(北鎌尾根山行の評価)が紋所となって参加資格を得ました。ももちゃんのママのつわりは、パパが広島から帰れることとなり「行っておいで」と送り出してもらいました。くわしいレポートは下記アドレスからご覧頂けます。

http://www.yamatabiclub.net/sankokiroku/090920kitadake4one1.html

山行が決定してまず驚いたことは徹底したトレーニング、リュックの重量、役割分担、共同装備などの全てに於いてチームワークが良く、最初は私の入る余地がないほどでした。しかし、ひょうひょうとした会長がいい味を出していて心が安らぎました。いつの間にか仲間入りが出来て心地よい山行となり無事バットレス登攀を終了しました。

山小屋泊は荷物が少なくて楽ではありますが混雑時、隣の人とフトンを共用することを思うとテント泊は快適です。20s以上あるリュックの中には「着替え」は入っていません。私が「着替えをしたいのでテントの中しばらく借ります」入ってこないでと言う意味もこめてそう話しましたところ「エッ?着替えるってか?!」驚きとあきれた声で言われました。登攀道具、共同装備などの必要最小限の荷物だけで20sを越えてしまうのです。着替えは必要なしであることを学びました。そう言えば、くろねこさんも徹底していましたよね。

交通安全協会専務が「北岳バットレスはカモシカしか歩かず、人間の歩くところではない」と北岳登山の時に思ったといいます。私の思いはレポートにたっぷり書き込みました。「山登り」でクリックして頂き{北岳バットレス第4尾根主稜登攀」でご覧下さい。


[1952] 【1946回 ポチトレ】 2009-09-27 (Sun)

予定が何もない27日の日曜日、ポチトレを思いつきました。
@地獄谷を歩きA懸垂でクライミング(A懸垂のリードなら姫も出来る)
A京都トレイルの下見
B有馬返し

ポチは何を思ったのかBの有馬返しを選択しました。はは〜ん、有馬越えと勘違いしているらしいです。有馬越えは過日、実施しましたので体力が戻りつつある現在、多分、楽だと判断したようです。私のリュックには負荷をかけ、ポチのリュックは必要最小限の物を入れ、自宅を午前6時30分に出ました。「有馬越えは昼頃にはもう到着するのに早すぎるなぁ」とブツブツ呟いていましたが、無視をして高座の滝のお稲荷さんに「今日は有馬に行ってまた戻ってきますから祠の扉を閉めないで待ってて下さいね」と声に出して手を合わしました。この時のポチの驚いた顔、写真に撮ってブログに載せればよかったですね。

かなり抵抗していましたが、「体力的に無理なら有馬で温泉に入ればいい。但し、私は戻ってくるからね。でも、やまたび倶楽部では一人はダメってことになってるし〜」と説得し、シブシブついてきました。以前の体力低下時にはA鉄塔あたりでヘロヘロでしたが今日の足取りはなかなか調子がいい様子です。歩いている途中で二人連れのおばさんに声を掛けられ、どこまで行くのかと質問があったので「有馬返し」だと答えると「えっ〜うっそぅ?」と信じていない様子でした。登りの七曲がりで私達が追い越したあと行方知れずとなっていたのですが、折り返しの「稲荷神社近道→」の看板あたりで向こうから声をかけてくれました。「有馬返しって本当だったんですね。私達、絶対無理やと言うてたんです。疑ってごめんなさい」と私達の知らないところで噂話に花が咲いていた様子でした。折り返しの道は六甲最高峰を踏んだ「有馬越え」の人達のラッシュで、おまけに道幅が狭く、思うように登れませんでした。「登り優先」って知ってるのかしら?

その後で、おじさんの大声で怒鳴る声がして足を止めると、一人歩きのおばさんが近道をしようと道ではない道に入り「あんたらがそんなところを歩くから山が崩れて行くんや!戻れっ!ちゃんと道を歩け!」と叫んでいた一場面もありました。

(有馬返しの参考タイムです)

●07時30分 阪急芦屋川駅前スタート
●08時40分 風吹岩通過(5分休憩)
●09時40分 雨ケ峠通過(5分休憩)
●10時45分 一軒茶屋到着(かき氷10分)
●12時10分 虫地獄到着(ブログ写真撮影5分)
(折り返し)
●途中の東屋で弁当タイム(10分)
●13時40分 一軒茶屋到着(みぞれ金時10分)
●14時50分 雨ケ峠通過(5分休憩)
●15時40分 風吹岩通過
●16時30分 阪急芦屋川駅到着

★証拠の写真、ブログに載せました。


[1951] 【1945回 零くんの運動会】 2009-09-26 (Sat)

「どうせ爺婆は土曜日、日曜日は山登りだし・・」と決めてかかり、前の晩に「明日は零の運動会」の知らせを受けました。ポチ爺は19日の土曜日は出勤日(祭日のある週は勤務日)のため、姫婆だけが応援にでかけました。「午前中には終わるから」ということで弁当も作らず手ぶらで応援にいきました。

まず、どの子が自分の孫なのか探さなければなりません。グランドにいるはずのパパもママの携帯電話も繋がりません。「年中組」であることは間違いないので、その中の一番かわいい子を探しました(婆バカ)いました〜!いました〜!。姫婆の顔を見つけると、うれしそうにポーズを取ってはしゃいでいました。

保育所の開会式らしく、挨拶は短めで、保育園のうたと体操が済むと園児達は、すぐテントの下へ移動します。小学校の校庭を借りているのですが今年は紫外線対策でレンタルテントを6張りも増やし日射病対策をとっていました。外気温は真夏並みで30度は超えています。

3歳児の演技で足の不自由な女の子がカケッコに参加をしていました。補助器を使い、先生の手を借りてやっと前に進んでいました。応援席からガンバレコールの手拍子が鳴り響きゴールテープを切った時、グランドいっぱいの拍手が沸き起こり、その時の女の子の笑顔に思わず涙がこぼれました。ゴールテープを切る瞬間、付添の先生が手を離しました。ひとりでゴールできたと言う喜びと、みんなと同じ思い出が作れてよかったね。

4歳児のカケッコはコーナーを廻って80メートルを力走します。零君の応援には手に汗握り、最後まで力強く走ったことを褒めてやりました。順位は3位です。

午前中の競技で年中組さんはおしまいのため、みんなで零くんのおうちでお昼ご飯を食べることにしました。「お寿司でも買って行こうか?」と言うと零ママが「用意していますから」と言うことで、おじゃま虫することにしました。テーブルの上には早朝から作ったであろうご馳走が重箱の中に詰めてあり、美味しく頂きました。自分が作るのもいいですが嫁に作ってもらうのもいいもんですね。

「たかが保育園の運動会」と思うでしょうが芦屋から荒地山を往復したほどの疲労感がありました。当日の天候をにらみながら準備した関係者の方達の苦労も、自分が長年会社の運動会を企画運営した経験があるだけによ〜くわかります。伝統ある我が社の運動会の灯もどうやら消えそう・・・・

泣いて走らない子、応援席が気になり演技に集中出来ない子とさまざまなドラマがありましたが、元気で人並みに走り、笑えることの幸せを婆の立場として満足した一日でありました。(ブログに写真掲載)


[1950] 【1944回 里山歩きのリュックの重さ】 2009-09-25 (Fri)

赤木沢遡行で、「へばり」を出してから、ポチのリュックの中味を点検するようにしています。まず救急用品は同じ物を2個持つ必要がないのでポチの分は省略(但し単独歩行時はこの限りにあらず)。リュックの中にのノコギリも見つけ取り上げました。(どこで使うねん?)チッシュも3個も入っていましたので、1個だけ・・・・とわずかな小物でも集めて計量してみると1sもあります。リュックの風袋も里山歩きにふさわしい大きさの方が楽です。そんな細かな工夫をして23日の虚空蔵山に参加しました。リュックの中味は「合羽、ツエルト、懐中電灯、行動食、水、弁当、着替え」

コース距離が短かったこともありますが「へばり」を出さずに元気に歩いていました。貧血治療の効果が出て来始めたのかも知れません。とにかく、歩き始めの体温調整が非常にヘタです。休憩まで、どんなに汗をかいていても脱ごうとしません。歩きながら、列に遅れることなく脱衣できる訓練が必要かも知れません。

個人で行くときは「ちょっと待って、服脱ぐわ〜」と気ままにできますが団体歩行では、そうも行きません。出発時に少しヒヤリとする位の服装が良いように思います。最近は最初だけ30分歩いて5分休憩を取っています。その30分の間に汗をボトボトかくということは「着過ぎ」か「厚すぎる素材」だと思います。

「1枚脱げば?」と言うと「これ以上脱げない」と言うポチがいます。全身を見回すと手袋、首タオル、ボタンを全部かけていたりで工夫する余地はいっぱいあります。手袋を外すだけでスキッとさわやかになる時があります。これからは気候もよくなり暑さでダウンということはあまりなくなると思いますがもう一工夫欲しいですね。

登山中に水不足が原因なのか唇が荒れて、翌日は、笑うと割れる様にとても痛く感じた経験があります。水はリュックを降ろさないでも飲める工夫も必要ですね。虚空蔵山の下山中にポカリスエットの入ったドリンク袋を拾いました。私達の前に4人歩いていた人達だと思います。その場に置いてもゴミだし、追いつけば落とし物として届けてあげられるしと思い草野駅まで持参しました。

途中で水分補給をしようにも落としてしまったらどうすることもできません。真夏だと命取りになりかねません。あの道は狭くて、木立も出っ張っていましたのできっと木の枝にひっかかりリュックのポケットから落ちたのだと思います。「明日は我が身」とならないようにカラビナ等で固定したいと思います。


[1949] 【1943回 修学旅行のおみやげ】 2009-09-22 (Tue)

姪っ子の子供達が東北に修学旅行に行き、みっちゃんのおばちゃんにおみやげを買ってきてくれたそうです。かわいいじゃありませんか?何度か電話をくれたのですが入れ違いばかりで、やっと今日、手元に届けてくれることとなりました。「賞味期限が今日までなんだけど」と言う晟一郎君のみやげは東北名産の「ずんだ餅」、康弘君のみやげは南部鉄器の呼び鈴でした。「ずんだ餅」はその場で開封し、みんなで頂きました。南部鉄器はポチを呼ぶのに最適〜(笑)

姪っ子の子供達3人が幼少の頃は、いつも3人で泊まりに来たり2本しかない私の手を奪い合ったり、フトンに入り隣に誰が寝るかいつも、もめて必ず一人がベソをかいた懐かしい思い出を語りました。女の子の智美ちゃんは外国に永住したいと将来を語ってくれました。晟一郎君は器械体操の選手に、康弘君は「しまった聞くの忘れた〜」3人とも、まっすぐに成長してくれたいることがうれしいです。

3人が私の肩たたきをしてくれました。「コリコリ音がしてるよ」「15sのリュックを背負ったりするからね」と言いながら、ゆったりとした時間を過ごすことができました。


[1948] 【1942回 秋の全国交通安全】 2009-09-18 (Fri)

9月21日から9月30日までの10日間「秋の全国交通安全運動」が実施されます。この期間はスピード違反はもとより、シートベルト、走行中の携帯電話の使用などの取り締まりが強化されることとなります。期間中だけ気を付けても効果はありませんが、特に気を付けるようにして下さい。午後から区民総決起集会に出席してきました。

ポチの会社で「インフルエンザにかかった者は出社に及ばす」というお触れが出て厚生労働省発行の「受診と療養の手引き」をもらってきました。

★質問/新型インフルエンザに感染すると重症になるのか
☆回答/そんなことはありませんが持病のある方が感染すると重症化するリスクが高いと言われています
●慢性呼吸器疾患
●慢性心疾患
●糖尿病などの代謝性疾患
●腎機能傷害
●ステロイド内服などによる免疫機能不全
更に妊婦、幼児、高齢者も気を付けましょう

★質問/熱が出ていて咳もある場合、病院に行った方がいいのか
☆回答/必ず行く必要はなく、自宅にある常備薬などで出来ます。但し持病のある方は早めに医師に相談して下さい。
「小児の場合」
● 呼吸が速い、息苦しそう
●顔色が悪い(土気色、青白い)
●嘔吐と下痢が続いている
●落ち着きがない、遊ばない、反応がにぶい
●病状が長引いて悪化してきた

「大人の場合」
●呼吸困難または息切れがある
●胸の痛みが続いている
●嘔吐や吐き気が続いている
●3日以上、発熱が続いている
● 病状が長引いて悪化してきた

受診する場合は、必ず電話で症状を訴え、発熱患者対応の入り口から入ります。発熱患者の診療がどこにあるかわからないときは、保健所に電話をして聞きましょう。電話をしないで直接受信はしないこと。


[1947] 【1941回 気になる台風】 2009-09-17 (Thu)

9月の大型連休の天気が気に掛かります。

現在、近づいている、台風14号は、発達しながら日本の南を北西に進んでいます。17日(木)以降は、沖縄〜関東の太平洋沿岸でうねりが心配です。その後、台風はだんだん進路を北に変えていきます。進路次第では大型連休に本州に影響する可能性もあるといいます。(あっちゃ〜!)

この時期、子供達の運動会や課外授業など、天気に左右される行事が多くなってきます。登山の計画があれば尚更、気にかかります。360度のパノラマを期待していても霞みがかった頂上からは何も見えないこともあります。それどころか強風で途中から引き返す場合も出て来ます。甲斐駒岳&仙丈岳はまさに「視界ゼロ、登頂断念」の最悪の天気でした。しかし再び、訪れることがあるだろうと言う期待を残して、登り切れなかった山頂を夢みて次の機会を待つとしましょうか。

「せっかく、ここまで来たんだから」と強行に登山を続行すると事故に繋がります。健康で命あればまたチャンスはやってきます。しかし山小屋に乾燥室がないというのはお粗末ですね。「合羽は軒下に干して下さい」と、某山小屋で言われました。「えっ軒下って、外は雨が降ってるんですけど」と思わず言いたくなりました(言っちゃいました〜)

隣接する山小屋がある場合、予約の時に確認をする必要がありますね。でも立地条件の良い場所は、必ず宿泊者が来ると思っているから結構、傲慢なんですよね。

立地条件が良くて、設備も整っているのが北沢峠に立つ「長衛荘」。だから人気で、いつ予約の依頼をしても「すみません満室です」と言うことになります。ところが平日に行くことによって楽々と部屋の確保が出来ることが多いです。登山は「体力の限界でもう今回限り」とつぶやく人もいます。しかし安心して下さい。みんな同じ思いをしています。3000メートルを越す登山で、楽々と行ける山なんてどこ探してもありませんし、感動を得ることが少なくなってきます。

すこし参加費がかさみ、日程が長くなりますが、山小屋を見つけたら宿泊するのもいいですね。例えば仙丈岳の場合、バスで移動して長衛荘泊まり、次の日を仙丈小屋で泊まり、天気がよければリュックを置いて頂上まで散歩気分。翌朝はまた頂上を踏み、下山したところで宿泊。夕げと朝げの仙丈岳も素敵でしょうね。

もう夜行で移動するのは体力的につらくなりましたよね。

山は天気に限ります。



[1946] 【1940回 モン○ルよりの回答がありました】 2009-09-15 (Tue)

平素より弊社製品をご愛用いただきまして、誠にありがとうございます。またこの度は製品の不具合に関しましてご連絡が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

お問い合わせいただきましたサワートレッカーに関しましては弊社モンベルクラブGARE大阪店よりお預かりいたしました現品の到着次第 原因の究明とご対応をご連絡差し上げます。(お持込いただきまして、お手間おかけしましたことを深くお詫び申し上げます。)

また「糸切れ」に関しましては現品の状態を確認しない限り明確な原因は断言出来ませんが「糸切れ」の多くは沢登中の糸部分を無意識に岩と擦ることで糸を切ってしまうケースが多いのが特徴です。(本来はこの場所は擦らないことが前提で縫製しております。)こちらは無償にて糸切れ部分の補修修理を承っております。(期間は2週間程度でございます。)

ソールの痛み・劣化に関しましては接着部分が経年劣化することで剥がれる場合がございますが、ご購入時期、製造時期の特定等ご確認させていただきます。

アウトレット品でご購入された場合、製造期が古いものがあり、ご購入時に店舗のものより劣化の危険性についてご説明させていただいておりますが、ご購入日より日数が経っていない場合や、事前に店舗の者より説明がなされていなかった場合は無償でリソールさせていただきます。

以上、簡単ではございますがご報告とさせていただきます。この度はご連絡が遅くなりましたことを重ねてお詫び申し上げます。またご不明な点等ございましたらご遠慮なくお問いわせくださいませ。ありがとうございました。

★みなさまも一度沢靴のチェックをお願いします。


[1945] 【1939回 この日はダメ曜日】 2009-09-15 (Tue)

加齢に伴い、職場を勇退したり、世代交代したりと、土曜日、日曜日以外でも自由に時間を利用することができる様になってきました。かえって土日は孫が学校休みだから出られない、介護施設の土・日営業がないので平日の方が便利等、山小屋の週末の混雑はすでにご存知の通りで、畳1枚をもらうのに苦労を重ねてきました。

やまたび倶楽部の来年の行事をどう展開していくのか考える季節となってきました。「この曜日はどうしても避けてほしい曜日」のある方がいたらリーダーの耳に入れておいて下さいね。またぜひお勧めのコースがあればご一報下さいね。

平日の活動であれば山小屋も空いているし、岩場も占領できます。(同じ思いの中高年でいっぱいだったりして〜!)里山歩きが終わった後で、いちどみんなで話し合いをしてみたいですね。

涼しくなってきた今からは里山歩きのシーズンとなりました。秋の味覚が山に溢れ、風が秋を感じさせてくれます。山の味覚を収穫してはいけませんが目で楽しむことは法に触れませんものね。昔、ウオーキング中に栗畑の中に入り、落ちた栗の実を拾ったり、キウイをもぎ取ったりした人の腕には「指導員」の腕章が巻いてあったことがありました。

無人の柿売り場・・・農家の人がお客様を信頼しての無人販売を裏切らないようにしたいです。そう言えば九度山駅を降りたとき、美味しそうな柿が無人販売されていました。喉から手が出るほど欲しかったのですが20q歩くことを思えばリュックの重さが気になり「あ・と・で〜」と諦めましたが、後にも先にも柿の販売はその箇所にしかありませんでした。

山は赤く色付き始めました。まもなく京都トレイルの後半が始まります。素敵な自然との出合いが楽しみですね。いつの日も、やまたび倶楽部の活動日は「晴れ」でありますように!!





[1944] 【1938回 沢靴の修理いやいや交換希望】 2009-09-14 (Mon)

家の掃除を済ませ、モン○ルに沢靴の修理を依頼すべく出かけることにしました。同じ頻度で使用し正常な形のポチの沢靴と、お肌に合わない化粧品を使った後の様な姫の沢靴を比較してもらおうと2足持参することにしました。(姫の悲惨な沢靴の状態はブログの写真を参照下さい)

「姫のおうち1937回」を読んだジョンから電話があり「ロッジに用事があるのでオイラも行く」と言うことで淀川駅と野田駅で同じ電車に乗り込み、モン○ルに到着しました。すると時を同じくして深っちと「あら〜まぁ〜!」とご対面。店の人はまるで私達が示し合わせたように感じても不思議ではないくらい時間差はありませんでした。

まず、さりげなくモン○ルの社長がテレビ出演されていた事、山仲間と立ち上げた商売が成功した事などを社交辞令。そして、深っちの沢靴から説明し「修理をさせて頂きます」と言うので「修理ではなく、交換希望ね」と側から出しゃばりました。(やさしい口調よ〜)

そして姫の沢靴の説明にかかりました。ポチの正常な沢靴を出して、洗い方、乾し方、保存方法ともに2足が同じ条件で有ることをスタツフに理解してもらいました。その後、本題に入り「化粧負けで肌荒れ状態の沢靴」がとても可愛そうなことを説明し、できれば「交換希望」であることを告げました。「この製品を見て、モン○ルの社長がどういうか見せてみて。善処してね、善処よ!」やさしくそう言い置いて、店の前で深っちと別れました。

偶然でしたが同じ日の、同じ時間に、同じ製品を持ち込むこともあるんですね。どんな回答が出てくるかわかりませんが、少しでも疑問がある時は相談された方がいいですよ。文句を言うのではなくて、あくまでも「相談」ですよ。「相談」


[1943] 【1937回 婆守りの2日間】 2009-09-13 (Sun)

土曜日、日曜日と3人の孫がお泊まりで我が家にきておりました。土曜日に名塩まで迎えに行き車の中で「ないしょの話」と「ふたあつ」と言う歌を歌いました。2歳のかずくんが興味を示し「おっぱいの歌、もう1回歌って〜もう1回」とせがみます。

ふたあつ ふたあつ なんでしょね
お目々がいちに ふたつでしょ
お耳もほらね ふたつでしょ

ふたあつ ふたあつ まだあって
お手々がいちに ふたつでしょ
あんよもほらね ふたつでしょ

まだまだいいもの なんでしょか
まあるいあれよ かあさんの
おっぱいほらね ふたつでしょ

家に着いた頃は全部おぼえて一人で口ずさんでいました。お風呂に入ってからも「♪オッパイほらね〜♪」と歌っていました。そう言えば姪っ子の子供にキャンプに行く車の中で「クラリネットがこわれちゃった」の歌を歌うと擬音が気に入りすぐ覚えたことがあります。この年頃に素敵な童謡を沢山おぼえさしてやりたいと思っています。

ミニカー大好きの零くんの話しの中に「パパの車はキューブだけど、ぼくが大きくなったらスポーツカーに乗るの」と言うので婆ちゃんも乗せて欲しいと頼みました。「う〜ん」と悩むので理由を聞くと「ボクが運転するでしょ、横には、ももちゃんが乗るでしょ。後ろはかずくんとパパとママだから婆ちゃんはお留守番」だそうです。そっか〜(苦笑)

交通科学館に行くとき「危ないのでみんな手をつないで」と言うと婆ちゃんの手に3人がむらがります。「誰か爺ちゃんと、お手々つないで〜」と言うと「いやっ!」理由を聞こうと思いましたが爺ちゃんが傷つくといけないので子供達には聞けませんでした。きっと「アレダメ、コレダメ」と言いながらゴロリゴロリ寝て子供達の相手をしないのでだと想像がつきます。そのくせ警察ごっこや怪獣ごっこの時は「爺ちゃ〜ん!爺ちゃ〜ん!」と仲良しなんです。何故かって??犯人役や悪い怪獣役がいるからなんです。

なんだかんだとアッと言う間の1泊2日が過ぎました。明日は大掃除して、メールで苦情を伝達しているモン○ルに沢靴のクレームに行ってこようっと。


[1942] 【1936回 悲惨・・・救助ヘリの脱落】 2009-09-12 (Sat)

登山の途中、ヘリコプターの音をよく耳にします。「あっまたどこかで事故やな」と思ってみたり、時には山小屋への荷物の搬送であったりします。私も白馬山登山途中で民間のヘリコプターに救助を求めた経験があり、負傷者を乗せるまでの大変な苦労を目の当たりにしています。「歩けなくなったらヘリを呼んだらエエ!」とんでもない!、怪我ならば止む得ませんがヘリコプターはタクシーとは違うのです。そんな中、悲惨な事故が発生しました。

9月11日午後3時20分ごろ、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂の北アルプス奥穂高岳の岩場で、県防災ヘリ「若鮎2号」が急病人の救助活動中に墜落、炎上し、搭乗していた県防災航空センター職員3人が遺体で見つかりました。県などによると、ヘリのテールローター(回転尾翼)が岩場に衝突し、ヘリは約400メートル下へ墜落したといい、県警が高山署に捜査本部を設置し、事故原因を調べているそうです。

県によると、搭乗していたのは操縦士(57歳)、整備士、(47歳)、副隊長(34歳)。3人のご遺体は、墜落現場からさらに100〜150メートル下の岩場で県警ヘリに収容されました。急病となった男性(64歳)も遺体で収容されました。

岐阜県や県警によると、11日午後1時半ごろ、「男性が急病で倒れた」と登山パーティーから地元消防に連絡があり、若鮎2号は同2時10分ごろにヘリポートを離陸、操縦士ら3人と山岳警備隊員2名で現場に向かいました。しかし地上に降りた山岳警備隊員ら2人が男性の遺体を発見し、ヘリから垂らしたロープに遺体の収容袋をくくりつけようとしたところ、ヘリが岩盤に衝突、墜落したといいます。当時、現場には霧が出ていたという。
       (合掌)


[1941] 【1935回 やまたび倶楽部のチームプレー】 2009-09-11 (Fri)

朝夕は、めっきり秋らしくなってきました。
赤木沢&薬師岳の写真のUSBメモリーをオリオンさんがサスケ先生のお家に自転車で運んでくれました。それをサスケ先生に此花のサスケクリニックまで運んで頂き、姫がそれを頂きに行きました。そして最終は姫からジョンの手に、しかとバトンタッチ致しました。今夜からジョンの眠れぬ夜が続くことでしょう(そのかわり昼寝しているよ〜)

こうして沢山の人達の協力によって「思い出アルバム」は完成するのです。勿論モデルがいないとアルバムは作れませんので、参加者10名が主役ではありますがアルバム完成を楽しみに待っていたいと思います。今までのようにプリントした写真をアルバムに貼ったりしなくていいので絵本の様に見たり、見せたりすることができます。整理できていないプリントの多いこと・・・・

8日のNHKニュースで此花パチンコ店の火災現場を、此花警察の指導の様子などが報道されていました。サスケクリニックの看板も大きく写っていましたね。出火場所である1階は改装工事中で2階部分まで工事用シートがスッポリ覆い被さっています。4階の会社は此花警察の近くのビルに来週引っ越しをするそうです。バス停でその会社の社長に会い「あんたとこの近くに引っ越しすることになったわ。よろしく。」と言います。私が以前勤めていた場所の近くに貸しビルはありません。よくよく聞いてみたら私が「此花交通安全協会の社員」だと勘違いしていたらしいです。警察の会合で大きな顔をしていたからでしょうね。きっと。

改装から初めてサスケクリニックを訪れました。USBメモリーを受け取りに行くためだったんですが、もう火災時の煙の臭いは全くしていませんでした。それどころか改装お祝いの蘭の花が優雅に置かれ、まるでホテルの様でした。
新しくなったピンクの診察台・・・座ってみたいなぁ。
広くて明るくなった自動ドアを入ると車椅子でも受診出来るように段差がなくなっており「先生、私も車椅子で来ますね」と言うとサスケ先生が「姫が車椅子に乗る姿なんて想像でけへんわ」と豪快に笑って見送って下さいました。

足腰鍛えて、死ぬまで山登りしていたいですね。(但し山の事故で死ぬのではありませんよ〜 )

過日、老人クラブのみなさんに「正しい自転車の乗り方講習会」というのに、お手伝いも兼ねて参加してきました。暑い中、佐○急便のトラックの協力を得て、右左折時の前輪、後輪のしくみを説明するのですが、まぁ人の話を聞かない人達の多いこと!何しに来てるねんとあきれるくらいでした。

人が説明をしている時は、口をチャックして、周りを巻き込まないで黙って「聞く」姿勢はいつでも、どんな時でも身につけたいですね。お年寄りに自転車の乗り方を講習するのではなくて「自転車に乗らないで歩く」ことを指導した方が、健康にも、交通事故防止にもなると思うのですか。いかが?


[1940] 【1934回 旅の余韻】 2009-09-10 (Thu)

赤木沢遡行の5日間に渡るレポートを書き終え、ホッと安堵したのも束の間「そうやっ!感想文やっ!」とまたまたパソコンの前に座りました。レポートと感想文はまた別の話ですからね。第1日目の有峰湖のキャンプ場でオカリナ演奏をして頂いた方からメールを頂きましたので皆様にご披露申し上げます。

久田 美智子様

心のこもったメールを拝受しました。
この仕事に従事していることに喜びを感じるときでもあります。皆様の笑顔が今も思い出すことができます。
20代〜30代のとき皆様の故郷におりました。当初言葉使いで苦労したことを想いだしておりました。
時をへて仲間いりできるようになってきました。当方の人間形成に一番影響を受けたときでもありました。

これから有峰は紅葉の季節です。色の変化、そして心の変化があるときです。皆様とお会いできるのを楽しみにしております。    
           有峰森林文化村 指導員 河原芳博

人と人のふれあいは、少しの手間をかければ通じるものですね。仕事だからと割り切れば礼状も、礼状の返信も不要かも知れませんが、あの雨の中の対応とオカリナ演奏を思うと、心が動きますね。みんなの笑顔が思い出してもらえるそうですよ。きっとすき焼きを作る皆さんの顔は少年少女の様に輝いていたんでしょうね(もっとも電気がなくて暗闇だったけど・・・)

山小屋でも、「どちらからですか?」「どちらへ行かれるのですか?」と自然に声をかけたくなる素敵な方がいます。ちょっとした挨拶を交わすことで、道迷いに気づいたり、途中で声をかけあったりと都会の雑踏の中では考えもつかないことばかりです。自然の力の素晴らしさを感じます。


[1939] 【1933回 無事に下山して思うこと】 2009-09-09 (Wed)

山小屋で西穂高岳の滑落事故で男性が死亡のニュースを耳にしました。9月4日午後2時35分ごろ、長野、岐阜県境にある北アルプス・西穂高岳(標高2909メートル)の山頂付近の稜線から、名古屋市の男性(35歳)が滑落したと同行者から110番がありました。防災ヘリが登山道から約50メートル下で倒れている男性を発見し、5日朝に救助しましたが、既に頭を強打して死亡していたそうです。長野県警松本署によると、登山仲間と8人で4日に岐阜県側から入山、5日に長野県側の上高地へ下山する予定だったそうです。事故当時の天気は、悪かったそうです。

私達の赤木沢遡行の成功は何と言っても天気が良かったことだと思います。日頃のトレーニングも勿論、チームワークの良さも成功には欠かせません。「危ないぞ!気を付けて!」リーダーが危険箇所を警告をすれば、一瞬緊張が走りますが安全に徹して危険箇所を通過していきました。

雨が降り、増水すれば楽しいはずの赤木沢遡行は危険で苦しい遡行となったはずです。草原歩きは長くてつらかったかと思いますが、終わってみれば楽しい思い出の方が大きいね。

洗濯の取り入れも終わり、沢の道具については「また来年ね」と感謝の声をかけて収納しました。ウオーキングはリュックさえあればどこでも行けますが、岩や沢は少し経費をかけて安全装備を用意して頂かなければなりません。私達も2年かけてひとつづつ揃えていきました。贅沢品ではなく命を守るための装備と言う健康であればこその投資です。

10月になったら、クライミングも再開するそうです。今度からは講習ではなくて「クライミングを楽しむ」事ができます。エイトノットの結び方、忘れないで下さいね。右手だけでカラビナの装着が簡単に出来るように練習しましょうね。

(と言いながら、私自身も日々トレーニングをしている次第です)


[1938] 【1932回 有峰湖へのお礼の言葉】 2009-09-08 (Tue)

有峰森林文化村 河原芳博様

おはようございます。私は大雨の日の9月3日夕方、身体障害者を含む10人で突然にお伺いしました久田美智子と申します。9月7日「赤木沢遡行&薬師岳登山」の山行を終えて全員無事に帰阪致しました。

当初の計画では登山口に近い「折立キャンプ場」に設営する予定でしたがゲートをくぐりますと、かなり大粒の雨となり有峰ハウスの門戸をたたきました。しかし満室ということでビジターセンターに相談すればと言うアドバイスを頂き、窓口担当の河原様にお目通りとなった次第です。

規則では1週間前からの予約でないと利用できないと言う説明を受け、しかも先客が居るとのことで途方にくれていました。当初からテントのつもりでしたので健常者は覚悟していましたが身障者2名を雨に濡らすわけにも行かず、しつこくお願いしてしまいました。河原様の臨機応変な窓口対応、それに加えての上司の方の寛大さに心よりお礼申し上げます。

「身障者を山に連れてこなくても・・・」と言う者もいます。しかし自然の素晴らしさを健常者と同じ目線で味わってもらいたい、そのためには、みんなで力を合わせてサポートをするのが私達のモットーなんです。雨をしのぐことが出来、先客様も快く同室を理解して頂き、森の響き「オカリナ」の演奏をも聴かせて頂くことが出来ました。

薬師岳頂上から見る、有峰湖は、空の青さと湖の碧さと森の緑と調和して美しく輝いておりました。次回は有峰の森に訪れて「遊んで、泊まって、学んで、歩いて、癒されて」みたいと一同思っております。その時は、またオカリナ演奏をお聴かせ下さい。

遅ればせながら、無事の帰阪と、真心対応のお礼を申し上げたくてメールをさせていただきました。
ありがとうございました。皆様のご健康をお祈り申し上げます。             9/8やまたび倶楽部一同

★久田美智子 様
心温まるお礼のメールを拝見し、嬉しく読まさせていただきました。有峰の自然に対する描写が素晴らしい文章で表現されており、大変嬉しく思っております。
この有峰の立派な自然を守り・育て・後世に残してまいりたいと考えておりますので、今後ともご指導・ご協力をお願いいたします。皆様のお越しを心からお待ちしております。
荻沢明夫(河原が休暇中ですので、先ず荻沢が返事をいたしました。)


[1937] 【1931回 雲上の楽園】 2009-09-07 (Mon)

雲上の楽園とも言われる「黒部川・赤木沢遡行」全員無事に戻ってきました。滑ったり、こけたり、すりむいたりとアクシデントもありましたが「勲章!勲章!」素敵な山行でした。

オプションの「薬師岳登山」も3グループに分かれて、それぞれが堪能しました。下山後はアルプスの山麓でケビン泊(ログハウスの様な家)でみんなでご馳走を作り、翌日は称名滝見物、氷見漁港での魚三昧と「どえらい盛りだくさんの旅」でした。

詳しくはレポートに書きますが、何せ5日間の出来事を書き綴りますので時間を下さいね。

とにかく「た〜だ〜い〜ま〜」を言いたくてね。!!


[1936] 【1930回 後輩達とお好み焼き】 2009-09-02 (Wed)

以前、勤めていた会社の後輩達から「お好み焼き食べに行きませんか?」とうれしいお誘いを受けました。退職して、かれこれ10ケ月が経過し、一度同じメンバーでお好み焼きを食べに行き、思い出話しに花を咲かせました。再びお誘いを受けた事に喜びを感じつつ集合場所へ。

ともにサスケクリニックの患者達につき、まずビルを見上げて「大変だったでしょうねぇ」と挨拶代わりの言葉を交わし、目的のお好み焼き屋へ行きました。(また閉まってる〜)じゃあもう一軒違う店へと移動しました。お好み焼き屋というのは、お喋りをするのには適した場所で、焼き上がるまでの時間を走馬燈のように、会社の事、仕事の事、人間関係の事、社内行事のことなどを話しました。

「どんなに人間関係がつらくとも退職しない事、いま退職しても次の就職先は無い、会社が崩壊しない限り、辛いことは自分で乗り切り、強くなる事、仕事のプロになれば人間関係は問題にならなくなる事」などを先輩だったことをいいことに演説した形になってしまいました。

迷える子羊たちよ!仕事のノウハウは引き継ぎをしたはず。あとは自信をもって人に左右されることなく、信念をもって対処すべし!近隣の人々を大切にし、ある時は社員の心の中に突っ込んで行くこと!退職した身ではありますが、山の上から、岩場の上から、沢の中から見守り続けていますぞ!

鉄板の上のお好み焼きを食べ尽くし、満腹になっても、後から駆けつけるはずの男性が来ないため、場所を「フラカッソ」に移動し、その後合流、違う話題の花が咲き、またの再会を約束して別れました。

ドタキャン正ちゃんからの預かり物があったので赤木沢のキャンプ場に持っていきま〜すね。

9月3日から9月7日まで「黒部上流・赤木沢遡行」に行ってきます。ひめのおうちはお休みとなります。

それにしてもすっご〜い荷物です。寝袋5個に鍋釜&テント。まるで家出荷物です。サスケ先生の車に荷物を全部乗せてもらったら、人間がはみでちゃうよ〜


[1935] 【1929回 ハンドバックをリュックに持ち替えて】 2009-09-01 (Tue)

私のハンドバック好きは有名で「バックを持つ手は2本じゃろが〜」と言われても、ハンドバック、書類カバン、ショルダーバックと数知れず、長いサラリーマン時代に買い続けました。「誕生日に何が欲しい?」と聞かれると「ハンドバック」と答えていました。最後に手にしたのは退職時にS生命の営業の方からの「退職記念」のバックでした。

私が購入する品物は、プランド物ではなく、デザインが気に入り、予算内で買える範囲ですので何個持とうとかわいらしいものです。現在は飛行機の中のカタログで買った黒のリュックバック(バックの様でリュックなの)を愛用しています。

ところがこの頃はハンドバックを持って外出するところが無くなり、もっぱらリュックサックにばかり目がいきます。岩場でリュックがつっかえて四苦八苦したと書きましたよね。今日「ロッ○」に行き、重さ500グラムと言う軽量のリュックを見つけました。今使用している私のクライミングリュックは2.0sですから、お茶3本が余分に入ることになります。

ロッ○の店員さんに「ちょっと30分ほどキープしててね」と言い残し好日○○に足を運びました。同じ品物があり値段も同じで、他にクライミング専用のリュックが見あたりませんでしたので、またロッ○に戻り買っちゃいましたよ〜!

メイドインアチャラ製で、完全防水が施されており、雨カバーも要らない、天蓋もない、へんてこりんな形ですが、とても気に入っています。水に濡れないと言うことから沢登りにも適しているかも知れません。これで私の宝物のリュックがまたひとつ増えました。

ブログにリュックの写真載せました。


[1934] 【1928回 リュックの風袋】 2009-08-31 (Mon)

「何とか荷物を減らす工夫を」と登山にでかける時に悩むのは私だけではないと思います。ところがリュックの重さを気にしたことはありますか?クライミングのギヤーを入れ、ロープを入れるリュックはこれだと決めているリュックがあります。2層式でおまけにプクッとしたポケットが重なるようについています。バスや電車を降りてすぐの岩場では何とも感じないのですが岩場までの取り付きが遠いと、ついつい荷物の重さにブツブツと文句を言いたくなります。

このプクッとしたポケットが、小さなスペースをくぐり抜ける時邪魔になり、「ニッチもサッチモ」いかなくなるのです。リュックはシンプルイズベストに限りますね。

リュックを計りにかけてみました。2層式&ブクッとしたポケット付きのリュックは何と2.0sありました。たちなみに普段使用のリュックは1.0s。ペットポトル2本分も風袋が違うことが判明しました(もっと早く気づけよ〜)テントの中に荷物をデポし、サブリュックで必要なものだけ入れて登攀する場合、風袋の軽いリュックがあればいいですね。欲しいなぁ〜(欲しいなあと言うことは次の報告は買いましたかな?)

話しは変わって長谷のみらい塾で聞いたハープ&ユカイナの演奏会の件の問い合わせをしました。以下がその返信内容です。ちなみに、みらい塾のホームページには私達のレポートが紹介されています。みらい塾で検索し「宿泊人のつぶやきの番外編」をご覧ください。来年の予約とあるのは、サスケ先生達の同期の会のことです。

姫様、メールをありがとうございました。
みらい塾ではあるみかんお聞き頂きまして感謝申し上げます。来年も早予約を頂いたそうで嬉しく存じます。
11月羽曳野はまだ詳細が決定していません。
まだ実現するかも確定はしていないのですが、
決まり次第おしらせします。またお会いできれば良いですね。  葦笛工房・北原有


[1933] 【1927回 京都トレイル後半に突入】 2009-08-28 (Fri)

10月3日、京都トレイルCがスタートをします。暑い夏場を避けて季節は春から秋になりました。夏山登山の甲斐駒&仙状岳&みらい塾でのハープとユカイナの演奏で竹田の子守歌を聴き涙があふれました。この歌のもつ、うら悲しさは一体何なのかと調べてみたくなり、またみなさんで歌ってみたくなりました。京都地方の民謡と言うことで京都トレイルCの時の歌集に決定させて頂きました

「竹田の子守り唄」京都府民謡

@守(も)りもいやがる 盆からさきにゃ
 雪もちらつくし 子も泣くし

A盆が来たとて 何うれしかろ
 かたびらはなし 帯(おび)はなし

Bこの子よう泣く 守りをばいじる
 守りも一日 やせるやら

Cはよも行きたや この在所(ざいしょ)こえて
 向うに見えるは 親の家(うち)

A番の歌詞の「かたびらはなし 帯はなし」帷子(かたびら)とは とは、古くは装束をつけるとき、汗とりとして着たもので、生絹(すずし)・練り絹(ねりぎぬ)または麻糸で織った布で、色は白が正式だが紅帷子も用いられていたといいます。江戸時代には、夏の単衣で麻製の着物をさす。お盆が来たからというて新しいおべべが着れるわけもないしと言う意味でしょうかね

★この曲は京都、大阪の複数の被差別部落に伝わる守り子歌として歌い継がれてきました。
注目された、そもそものきっかけは住井すゑの『橋のない川』が舞台化される際、音楽担当者が被差別部落の一つである京都の竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもので、それが竹田地区の部落解放同盟の合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手たちにも広まったと考えられています。音楽担当者が採集したのが、たまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされました。それ以前には題名がついてなかったそうです。

しかし被差別部落絡みの楽曲であった為に日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」(封印作品)として長い間封印されることになりました。1990年代に封印は緩和され、多くの歌手によってカバーされ聴く人に感動を与えてくれています。そう言う背景を知った上で歌うと、また違う味が出てくると思います。


[1932] 【1926回 孫★嫁★姑 の伊勢志摩の旅】 2009-08-27 (Thu)

最初の予定では零くんも一緒に行く予定だったんですが、東北旅行に出かけた零君ファミリーは、ついつい青函トンネルを渡りママの故郷である函館入りしちゃいました。それで急遽、ももちゃん達とだけで行くことになりました。「伊勢ライナー〜!」どこで覚えたか知りませんが、かずくんが伊勢ライナーに乗りたがり大人2人、子供席も切符を購入しました。「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と電車の音に合わせてごきげんです。2時間で「鵜方駅」に到着です。そこからホテルまでは送迎バスとホテル専用のお船に乗りかえて行きます。「アジアン風」が売り物の、若者向けの洒落たホテルで子供用のプールがついていたためチェックインまでの待ち時間に早速プールに入りました。
「お母さん、水着持ってますか?」と嫁の洋子ちゃん。
「え〜っ?この年で水着なんて〜泳がないよ〜」と言うと、ママが水着に着替え子供達に付き添いました。私はプールサイドでカメラマンです。ところが「キャーッ!つめたいです〜」お腹の赤ちゃんにさわるといけないのですぐに水からあがってきました。かずくんが浮き輪のバランスを崩したのを見て姫婆はザブンと服を来たままプールに飛び込みました。
「お母さん、寒くないですか?」
「大丈夫よ、沢登りだと思えば服のまま水に入るんだからね」

しばらくの間、プールで遊び、冷えた身体をすぐ横にある露天風呂であたため、脱水機で姫婆の衣服を乾燥させ、また着て、ホテルにもどりチェックインを済ませました。アジアン風のホテルは3階建てで部屋数はあまりなく、知る人ぞ知る的な穴場で海に面して建っています。海水浴場もありますがクラゲの心配があるため貝殻拾いにでかけました。打ち寄せて返す波うちぎわで遊んでいると、少し濡れて、もう少し濡れて、やっぱりズブ濡れになり、帰り際には足湯に入り、またまたビチョビチョになりました。

夕食は子供連れと言う配慮からかおもちゃ付きの個室で、少々騒いでも他のお客様にご迷惑がかからないようになっています。「浜辺に出るとスペイン村の花火が見れますよ」との案内を受け、夕食後、浜辺に出て花火鑑賞もでき、持参した線香花火も楽しむことができました。突然、海水が浜辺を越しそうになり「津波かもっ!」と思っていたらジェットスキーかモーターボートかが猛スピードで通り過ぎて行き、停泊中の小舟が転覆寸前の様に揺れていたのです。これにはおどろきました。

「お母さん、エステに行ってきてもいいですか」と言うことになり、子供達とお留守番がてらに部屋についている露天風呂でしばらく遊びました。「ホテル はいふう」は全室に露天風呂が付いていたのです。

翌朝5時すぎに目が覚め、部屋の露天風呂につかり朝日の昇るのをみました。やがてみんなが目を覚まし露天風呂はプールと化しました。部屋の露天風呂は小さな子供連れにとってクラゲの心配もいらないし、ブールの様に寒くないし一石二鳥ですね。

朝食を済ませチェックアウトを済ませ、午前10時の船に乗り、鵜方から鳥羽駅で途中下車し、鳥羽水族館へいくことにしました。既に切符は鵜方から大阪難波まで購入していたのですが鵜方から鳥羽、鳥羽から大阪難波までに変更して貰いました。普通電車だと鳥羽まで1時間以上かかります。特急なら15分ほどで到着の様です。

近鉄特急は全席が座席指定ですが、「え〜い乗っちゃえ〜」と言うことになり名古屋行き特急に乗り込み空席に座りました。特急券は鳥羽から大阪難波までしか発行してもらっていないため、やはり車掌が廻ってきてバレてしまいました。「特急券代金を払って下さい」と言うことになりました。最初は購入していたが途中下車により何故か消えたことを、これこれしかじか「弱々しく」説明したら車掌は「じゅあ今回は結構です」との事。ありがとさ〜ん。

鳥羽駅から10分ほどで鳥羽水族館に到着しました。「大人2人、幼児1人」と入場券を買おうとすると後ろから嫁が「お母さんシニア割引ありますよ」え〜っ?私ってシニアなの?ショックではありますが、安くなるならばとシニアの紋所を使いました。アシカショーとペンギン、ペリカンの行進を見て、ジュゴンを見て、帰りも伊勢ライナーに乗り大阪に向かいます。日頃は、車で移動の多い、ももちゃん達は電車がうれしいらしく、キャッキャッと騒ぎます。突然後ろのおじさんが大きな声で「ハッ ハッ ハックション!」とクシャミをしたから、もう大変です。笑いの虫が爆発して、ももちゃんとかずくんが大声で笑い出し止まりません。仕方ないので強制昼寝をさせて、何とか無事大阪難波に到着し、地下鉄、東西線を乗り継ぎ西宮名塩へと帰っていきました。

子供達にとって良い思い出ができたことでしょう。できれば次は零くんも一緒に、そしてまだ見ぬ未来の孫ちゃんも一緒に行けたらいいなぁと姫婆は思った次第です。
(ブログに写真を掲載しました)


[1931] 【1925回 すっかり秋ですね】 2009-08-27 (Thu)

「外が騒々しい」と言う表現は、よく使いますが「外が静か」という表現がピッタリの朝を迎えました。そうなんです。蝉の声がピタリと消えたみたいですよ。そして学校は今日から2学期がはじまりました(インフルエンザで休校になった影響)

電車から見る黄金色に光る稲穂は収穫間近、ススキの穂も風に揺れていました。山栗の毬も秋風を誘います。

沢登りの季節を終え、これからは里山歩きの快適な季節となってきます。さあ、みなさんっ!でかけましょう!そんなかけ声をかけたくなりますね。

30日の投票日は外出の予定がありますので、今日は不在投票に出かけようと思っています。政治への不満を嘆く前にまず国民としての義務を果たすことが先決ですからね。

それにしても夏山の事故多かったですね。記憶に新しいのは北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で8人が凍死した事故でした。遭難した旅行会社主催の18人のツアー客らは、同じ避難小屋からほぼ同時刻に出発して無事故で下山したパーティーに比べ、前日に3倍近い距離を歩いていたことが、道警への取材でわかったそうです。

前日もひどい雨で登山道はぬかるみや水たまりが多く、ツアー客は体力を消耗したとみられ、道警は、蓄積した疲労が遭難を誘発した可能性があるとみて、生死を分けた二つのパーティーの行動を比較して捜査したそうです。

道警によると、無事故で下山したのは静岡県の山岳会に所属するパーティーは登山初日から雨天となり、その後も悪天候が予想されたため、予備日を使って1日あたりの移動距離を短縮し、体力を温存すべきだと判断。宿泊する山小屋も3カ所で3泊に増やしたという。

道警によると、15日の移動距離は、静岡県のパーティーが約6キロ、遭難したツアーは約16キロ。道警は、疲労が翌日の事故に影響した可能性があるとみています。静岡県のパーティーは翌朝、遭難したパーティーから約10分遅れで出発したが、数時間後に追い越していたといいます。

私達も加齢に伴い「1回1座の登山」として欲張らず山小屋を見つけたら宿泊するぐらいの時間のゆとりをもって山行して行けば、楽しいゆとりのある「やまたび倶楽部」となることでしょう。


[1930] 【1924回 もう一度夏休みくださ〜い】 2009-08-24 (Mon)

ももママが産婦人科の検診ということで名塩駅に、ももちャんとかずくんを迎えにいき今夜はお泊まりです(ママもお泊まりです)
明日から伊勢志摩へ息子抜き、爺抜きの「嫁姑孫旅行」に行ってきます。

名塩駅で二人を引き取り、海老江の駅から高見の自宅までの距離を歩くことになりました。大人でもかなりの距離です。2歳のかずくんが抱っこ〜と言うかもしれないと心配していたのですが、黙って歩いてくれました。横をかすめて走る自転車のスピードに危険を感じたため「自転車がきたら動かずストップね」と言うと二人とも、しっかりと守ってくれました。左右に動いて自転車に当たると大変です。名塩の家は坂の上にあるため車が多いようで自転車の怖さを、しかと植え付けておきました。

途中で福島区役所があり涼みがてらに中に入りました。ロビーにロボットが置いてあり信号色3色のボタンを自由に押してもいいように書いてありました。かずくんが押すと「あそんでくれてありがとう」とロボットが喋り、動くのです。ももちゃんと二人で競争でロボットと遊び始めました。受付のおじさんが「こんなに喜んでくれる子供は初めてです」だって。お近くの方はぜひどうぞ!

次の立ち寄り先は「まさるちゃん」のお店です。あいにくサスケ診療所の仕事で留守でしたが、大きな、大きなお腹の金魚に目をパチクリして、また歩き始めました。途中で、ヤクルトおばさんの自転車を見つけ、喉の潤しをさせねば脱水症状になるとヤクルトを買い与えました。木陰で飲んでいるとネコジャラシを見つけ花束の様にして持ち帰りました。

またまた途中のコーナン横の公園に立ち寄りプランコや滑り台などを楽しみ、やっと高見のジャスコのネオンを見つけたときには、ホッとして時間を見ると2時間もかかっていることに気が付きました。

ぬるめの風呂に入れ、汗を流し、またパワー全開で、疲れるということを知らない様です。2階は足の置き場もないほどにオモチャで一杯ですが、「片づけができないと、明日、伊勢ライナーに乗れないね」と言うと、アッと言う間に片づけが終わりました。いま午後9時を廻ったところですが、さすがにもう眠ったようです。登山のトレーニングだと思えばドンマイ、ドンマイ!

そんなこんなでね明日と明後日は伊勢志摩に海水浴の付添に行ってきます。息子から身重の妻に二人の子供の面倒は大変だから、おかんに白羽の矢が立った様です。ハイ。


[1929] 【1923回 次回の登山の参考になれば】 2009-08-23 (Sun)

登山の後は、苦にはなりませんが荷物の片づけが大変です。特に雨に降られた後の荷物は全てが湿気ムンムンで風呂場の中は合羽とリュックがプカプカと浮かんでいます。今回は四万十号で行きましたので、洗車から始めました。日頃、やまたび倶楽部で車を提供して下さっている方へのご苦労と感謝を感じつつ「よ〜走ってくれたなぁ。ベンツも軽自動車も目的地到着は一緒やなぁ」と愛車を褒めてやりました。リュックの中で今回使用しなかった物は「ツエルト」でした。ツエルトを使う場面に遭遇しなかったことに喜びを感じています。

着替えを減らしても「からだふきふき濡れタオル」は必需品です。汗くさい臭いを一蹴してくれます。速乾性シャツなら、身体を拭いている間に再着用することができ荷物を軽量することが出来ます。

「ツムラ68」と「アミノバイタル」は余分に持ちましょう。登山途中で、疲れを感じた時と夕食後に飲んでおくと翌日の山行がとても楽です。また翌日に履く靴下は、早朝出発の暗闇で探さなくてもいいようにズボンのポケットに入れておくと便利です。私の靴下は「右」「左」と書いてあるため明るいうちにズボンの右、左に入れておきます。

ビニール袋のガサゴソ、ガサゴソは厳禁です。山小屋ではビニール袋に変わる物を用意して持参しましょう(ちなみにスーパのレジ付近にロール状でおいてあるビニール袋は音がしません)私はスーパーのロール状の袋を利用しキューリやリンゴなど全ての食材をビニール袋に包み、食べ終えるとそのままゴミ袋として活用しています。

リュックの中の荷物は「使う順番」に入れると便利です。天気予報で雨が懸念されるときは合羽は上の方に入れておきます。「雨だ〜合羽装着〜」となってからリュックから出すのが、もたついては身体が濡れてしまいます。いかに早く着れるかが勝負です。行動食は1回分は天蓋に入れておきます。わずかな休憩で素早く食べるにはリュックの中から出していては「しゅっぱ〜つ」となってしまいます。但しプライベートでの山行時は時間を気にせずに食べて下さいね。

上高地のバスは車内座席シートが濡れてしまうので「雨具は脱いてくださ〜い」と言われます。時間があれば事前に脱いでおきましょう。私は土産物店に入って出てきたらバスが目の前にいました。乗ろうとすると「合羽を脱げ」とのこと。当たり前の事ではありますが急ぐと登山靴がひっかかり、なかなか脱げません。靴をスッポリと覆う便利なビニール袋も持ってはいるのですがエンジンをふかし、まさに出ようとするバスを前にしたら落ち着いて何も出来なくなってしまいます。

今回7時間以上を快適に歩けたコツとしては「休憩時に座らない」ことだった様に思います。昼弁当を食べる時以外は座らず休憩したのですが、とても楽だったように思います。

以上、参考にもならない話しではありますが皆様が登山に行かれる時に思い出して頂けたらと思います。


[1928] 【1922回 た★だ★い★ま★〜】 2009-08-22 (Sat)

夏休みを頂き、ありがとうございました。

ゴジラの背中より、槍ケ岳、富士山、南アルプス、八ヶ岳、常念岳、大天井岳、ジャンダルムの大パノラマを堪能してまいりました。

山は天気に限ります!!。

かと言っても、前触れもなく、容赦なく降るのが「山の天気」というものでしょうか。

今回も雨のくやしさを思い知らされました。
今、やまたび倶楽部で流行中の「リベンジ」とやらに乗っかってまたのチャンスを伺いましょうか。

それまでに体力を付けて、荷造り上手になって、待つとしましょうか。

登山紀行は後日写真とともにアップします。とりあえずブログに写真掲載しました。


[1927] 【1921回 姫の夏休み】 2009-08-17 (Mon)

天気も安定して来ました。ムズムズとしていた山登りのムシが一気に爆発しました。と言うことで、
8/18〜8/22まで「ひめのおうち」夏休みとさせて頂きます。

★サスケ先生&うららちゃんは唐松岳、五竜岳へ
★アドベンチャーさんは黒部の高天原温泉へ
★ねこちゃんは常念、蝶ケ岳へ
★ジョンさんは源治郎尾根へ
★くろねこさんもアルプスかな?

う〜ん。いいなぁ!いいなあ!みんな、それぞれプライベート登山!そうや、こうしちゃあいられねぇ。私も大きなリュック背負って出かけるとするか〜
来春は出産で(私が産むわけではありませんが)一段と忙しくなりそうです。いま行っとかなくっちゃあ〜!


行き先は「前穂・北尾根」。それではいってきま〜す。


[1926] 【1920回 2010年兄貴に!】 2009-08-16 (Sun)

ももちゃんファミリーがお昼にやって来ると言う知らせを受けて、簡単な昼食を準備して待つことにしました。ゆで卵が好きなので卵の殻にアンパンマンを書いて並べておきました。そう言えば会社の運動会で、ゆで卵100個に女子社員が我が家に泊まり込みでイラストを書いたことがあったっけなぁ〜

車から降りたかずくんのTシャツに「2010年兄貴に!」と書いてあるのが目に入りました。
ひょっとしてひょっと?
「かずくん、お兄ちゃんになるの?」
「う ん」ほんまかいなと半信半疑でママに聞いてみました。「来年の4月が予定日です」

何はともあれ、お目出度いことなので乾杯をして4人目の孫の誕生を心待ちする姫婆でありました。

夕方に零パパと合流して「地デジ対応テレビ」を購入して来て取り付けてもらいました。物を移動する度にホコリまみれで、汗ダクダクになりながら掃除ばかりの一日を過ごしました。

さあ!世間は明日から盆休みを終え、仕事に戻ります。北海道まで車で行った零パパは混雑もなく無事戻れた様です。長旅ゆえに、零ちっちとママは、函館に残してきたと話していました。混雑の網目をくぐって北海道まで車とは・・・・勇気あるなぁ。


[1925] 【1919回 悲しい劔岳のクライミング事故】 2009-08-15 (Sat)

またもや悲しい山の事故が耳に入ってきました。今年は映画「劔岳・点の記」の影響もあって「ネコもしゃくし」も劔岳に憧れ、登山用品店には「劔に行きませんか?」と言うポスターまで貼っています。劔岳に行くにはどのくらいの技術がいるのかは表示されず、あたかも、装備を買い揃えたら誰でも容易に参加できそうなポスターが、訪れるたびに気がかりでした。

「8月14日、剱岳で男性2人転落、1人死亡」

14日午前10時40分頃、富山県立山町の北アルプス・剱岳(2999メートル)で、ロッククライミングをしていた男性(36歳)と、もう一人の男性(36歳)が約50メートル下の岩場に転落したそうです。富山県消防防災ヘリが2人を救出しましたが、頭を強く打って死亡し、もう一人は右足の骨を折る重傷を負ったそうです。上市署の発表によると、現場は剱岳北東約2600メートル付近にあるチンネ岩場で、2人がルートを変更しようと横に移動中、誤って転落したとみられる。

幸いにも、わが倶楽部には30代の若者は在籍していないので該当せずということで胸をなでおろしました。もう少し詳しい事故の内容「なぜ、どうして、どのようにして」が知りたいです。そうすることによって私達がクライミングを実施する時に参考となるのです。「落ちました。死にました」では防止対策が練ることができません。

まだ時間が経過していないので、そのあたりの調査が不明なのかも知れませんが、クライミングを愛する一人として、心から哀悼の意を表したいと思います。

今日は、お盆と言うこともあって、瓜破のポチの叔母の初盆のお参りにでかけました。75歳の叔父は息子も娘も近くにいるのですが、気楽な一人暮らしをしており亡き妻をしっかりと守っておりました。府営住宅に住んでいるのですが、高齢者向け建築なのか、家の中が全てバリヤフリーとなっており、慣れない私はバリヤフリーにつまづいてしまいました。(笑)

その後は私の実家に行きました。仏様が家に帰ってきている時期だと言うのに、姉は留守で、姪に鍵をあけてもらい一刀水のお参りを済ませました。姪達とにぎやかに故人の思い出話に花を咲かせることができてよかったです。


[1924] 【1918回 ポチの有馬越えリペンジ】 2009-08-14 (Fri)

6月に実施された、甲斐駒&仙丈岳行きのトレーニング「有馬越え」でポチが雨ケ峠の手前でリタイヤすると言うことがあったのをみなさん覚えておいででしょうか?本人が貧血だと言うことでしたので、そうだったんでしょう。その後の検査等で異常が見つからず今日に至っていました。9月の赤木沢行きを控えて、私なりに気になっており、今日また雨ケ峠越えをするならば、不参加を思案せねばならないと思い、ポチに打診しました。「行こう」と言うことになり午前7時20分発の淀川駅から阪神芦屋駅に向かいました。登山客のラッシュに合うこともなくロックガーデンから風吹岩経由、雨ケ峠、有馬コースを歩くことにしました。

今日の風は秋を思わせるほどの快適さで、クーラーの中にいる様な、そんな心地よさを感じました。
30分歩いて5分休憩(但し、座って休憩はしない事)で歩き始めましたが50分歩いて10分休憩よりも身体のリズムが良さそうです。ドタッと座って休憩すると最初の一歩が重たくてリズムが取れないことも体感しました。30分歩いての休憩は「休憩はまだか?」と言う暇も無いくらい休憩ばかりの様に感じます。追い越して行く人達の服装を鮮明にメモをしてどこで休憩して、また追いつかれるか書き留めました。結果としては一軒茶屋に到着したのはポチと私の方が早く「うさぎとカメ物語やなぁ」と言うことになりました。

ポチは歩き始めの1時間ほどが、心臓の動悸が激しく顔色も青白く感じましたが1時間を過ぎると普通の状態に戻っていました。団体歩行では、今日の様に行きませんが甲斐駒の「先発隊」の様にリズムを掴むまでの猶予時間がいるように感じました。下記のタイムをリーダーがどのように判断されるかわかりませんがとりあえず明記させて頂きます。

●午前7時20分阪神淀川駅発
●9時00分第一鉄塔到着
●9時40分風吹岩到着
●10時20分水飲み場到着(ポチがリタイヤした場所)
●12時00分一軒茶屋到着(20分間の弁当タイム)
●13時30分有馬稲荷神社境内着
  〜 金の湯に入浴 〜
●神鉄電車にて新開地〜淀川16時30分

もうすぐゴールという手前で「有馬温泉近道」と言う大きな看板を見つけました。有馬稲荷境内に出る道で以前も通過したことがあります。「今日は近道を行こう」と言うことになりましたが、何と、何と、悪路ですぞ。そして境内からの長い長い階段は膝に悪いですぞ「急がば回れ」これじゃ、これじゃ。

金の湯(650円)に入浴して汗を流しサッパリと。しかし湯温42度は(熱っ〜)露天風呂が欲しいよね。今度からは露天風呂のある風呂を探して入りたいと思います。
有馬の町は盆休みのためか人影が少なく閑古鳥が鳴きそうでした。いつも利用するバスは渋滞が予測されるため、神鉄電車にて新開地経由、阪神電車淀川駅到着が16時30分と中味の充実した「リベンジコース」でした。これで赤木沢参加できそうです。

★証拠写真はブログに載せました。


[1923] 【1917回 しずかな盆休み】 2009-08-13 (Thu)

今日からポチも盆休みに突入しました。嵩高いと言うか何と言うか・・・・来年の4月から毎日こうなのかと思うとゾッとします。零ファミリーは「どこまで行っても高速千円」を利用して東北地方へ旅立っていましたが昨日、嫁からのメールで「青函トンネル渡っちゃいました〜」函館まで車で行くつもりのようです。ももファミリーは広島のパパと合流後島根地方へと旅立ちました。

二家族とも戻れば伊勢志摩へ一緒に行こうと言うことが決定しました。8月25日と26日出かけてきます。息子達を抜きに「嫁・姑旅行」です。盆休みも終わり、おまけに平日とあれば少しは電車も空いているかしら??

それにしても高速道路の渋滞は半端じゃありませんね。9日の日曜日、名塩から帰りに交通事故を見ました。事故の知らせを受けたパトカーと救急車が高速道路上を走り現場では乗用車が2台、トラックが1台、ワゴン車が1台、乗用車はグシャグシャで、きっと怪我人がいただろうと想像できます。

家族が車で遠出をした時は「下山報告」じゃなかった「帰宅報告」を欲しいものですね。私達が山に出かけるとき、通常の日帰り登山については息子達に知らせていません。が、黒板には行き先と帰宅予定時間き書いて出かけています。今は携帯電話の普及で何らかの事故に遭遇しても連絡が取れます。宿泊登山については緊急連絡先として息子達の名前を書いていますので出発日と帰宅日は連絡を入れる様にしています。

8月12日には北アルプス槍ケ岳で、男女2人が滑落死と報道されていました。下記はニュース抜粋

『11日午後5時45分ごろ、北アルプス槍ケ岳の北鎌尾根独標(2899メートル)付近で男女2人が滑落した、と同行の男性から110番通報があった。同日午後7時前、長野県警のヘリコプターが尾根の下約50メートルから京都市女性(29歳)を、12日午前9時半ごろには、さらに約150メートル下で石川県の男性(51歳)をそれぞれ遺体で収容した。県警大町署の発表によると、3人は10日から2泊3日の予定で、岐阜県の新穂高温泉から入山し、槍ケ岳に向かう途中だったという。』

天候については何も触れていませんが最近の天候は崩れやすいため、出かける前には充分な気象情報を得て、途中で引き返す覚悟も備えて、出かけたいと思います。


[1922] 【1916回 疲労回復には模様替えが効果的】 2009-08-12 (Wed)

11日の静岡地震の際、大阪も震度3で大きく揺れました。3階で寝ていた孫達の頭上にはガラス戸の本箱が鎮座しており、あわててフトンを安全な場所に移動をしました。昨夜はデパスの助けを借りて熟睡し、ももママの運転する車も無事広島に到着したといいます。(母は強しですなぁ)

名塩に送って帰る途中、阪神高速の池田付近でワイパーが効かないほどの大雨に遭遇しました。大人なら「バケツをひっくり返した様な雨」と表現するのですが5歳の子供は「車がつぶれるよ〜」と怖がりました。一瞬の出来事で宝塚にさしかかったときには既に太陽さえも出ていました。この頃の天候は一体どうなっているのでしょうか?

2日ぶりの熟睡を取った朝は気分も爽快で、早速、模様替えの構想を練っています。狭い家の中ですから、何をどう動かしても大して変わらないのですが、それでも模様替えは楽しくて大好きです。大きな本箱を移動するときにはポチがいてくれた方がいいのですが、一言、二言、文句を言うので今まで模様替えはポチが出かけてからする事にしています。重たくても、苦労してでもポチがいない方がスムーズに終わるのです。(家具の下にマットを敷き引っ張れば百人力なのサ)

静岡地震の時のあの「本箱ヒヤリ」を解消するために、片づけも兼ねて大移動をします。片づけの最中に、本箱の中から古い年賀状の束が出てきて、手が止まりました。なつかしい方達からもあり、既に他界された方もいます。ポストカードでもらった年賀状は子供達の成長の過程がよ〜くわかります。

ついでにポチの部屋もさわっちゃえ〜。何でも突っ込む事が片づけと思っているポチ、タンスの引き出しの下の物を出すときは上の物をグチャグチャにして引っ張り出す(そっと持ち上げて出したらたらどうなんや〜!)使った引き出しは最後まで閉めない・・・・誰か調教していただける方はいませんか〜?

会社勤めの頃の私の持論は「片づけ上手は捨て上手」とみんなに机の上の整理整頓をうるさく言ったものです。人に言うと言うことは、まず自分がきちんとしておかなければなりません。机の上に書類を山積みにして一体どこに何があるのかサッパリわからない人がいます。用済みのメモ書きを机の透明カバーに後生大事にしている人もいました。(済んだら捨てろ!)そんな人が「5S運動!整理整頓!」を掲げたとしても誰も言うことを聞きませんぞ。公言実行!ちなみにドタキャン正ちゃんの机の上の隙間はA4サイズの書類1枚やっと置けるスペースしかありません。

今日は何か楽しくなりそうな予感がします。ポチが戻って来る時間は「熟睡中。起こさないで下さい」の看板をドアに貼って寝てよう〜っと。


[1921] 【1915回 山岳事故続出】 2009-08-11 (Tue)

静岡の28歳の女性会社員が、北アルプス・前穂高岳で滑落死したというニュースが目に入ってきました。次なる目標は「前穂・北尾根」と決めていただけにショックである。ポチのブレーキがかからなければいいのだが・・・・

9日午前9時45分頃、長野県松本市安曇の北アルプス・前穂高岳(3090メートル)で、静岡市の会社員(28歳女性)が、約100メートル滑落し、頭を強く打って死亡したと言う。

松本署の発表によると、仲間8人で、7日に上高地から入山。9日朝に穂高岳山荘を出発し、奥穂高岳から前穂高岳を経由して、標高約2450メートル付近を下山中だったそうであります。

穂高岳は、飛騨山脈(北アルプス)にある標高3,190mの山で、日本第三位の高峰、日本百名山の一つ。やまたび倶楽部のテーマソング「穂高よさらば」でお馴染み。

奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳などの峰々からなる穂高連峰の総称。「北アルプスの盟主」と呼ばれています。

北は、大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なっています。途中、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場滝谷を擁しています。奥穂高岳より吊り尾根を経て、前穂高岳に至り、カールを下れば、上高地河童橋に至ります。

また井上靖の小説『氷壁』でも有名であります。

前穂高岳は、奥穂高岳と吊り尾根でつながる峰。標高3,090m。北方に北尾根が伸び、その西面には奥又白方面の岩場がある。また、北尾根の突端の峰を屏風の頭(2,570m)と呼び、その東北面が高度差1,000mの岩壁である屏風岩である。

イメージトレーニングはビデオで学習済み。天気の安定した、良い日を選び、いざ出発といきたいところであります。ちょっとでかすぎる夢かな!


[1920] 【1914回 我が家の豆台風】 2009-08-10 (Mon)

8月9日から2泊3日の予定で、ももちゃんと、かー君を預っています。ママの勤務の都合で婆守りとなりました。おりから土曜日の沢レンジャーで使ったロープを師匠に洗わすのも悪いと、たまには弟子の仕事として四万十号に乗せたまま預かりました。2本を洗ってリンスして陰干しが原則ではありますが毎日雨模様なのでサンルームに吊しております。

目ざとく見つけたチビちゃんがおもちゃの様にズルズルとロープを引っ張り、また干すと、また引っ張りで、仕方がないので姫ロープを出してやりました。綱引きをしたり、ジャングルジムに巻き付けたりと、まあ1日よく遊んでくれました。朝、目覚めるとすぐ「腹筋をする」と言い、足を高くあげ頭の下に手を回し、サマになる格好で腹筋を始めました。パパとの約束で毎日するのだそうです。2歳のかーくんも同じ様にしていました。かー君は、いつでもどこでも前転をするので要注意です。「婆ちゃんも腹筋してみぃ〜お腹が固くなるで〜」と言われ、ももちゃんが自慢げに固いお腹を見せてくれました。(そりゃ婆ちゃんのお腹はダブダフやで〜)2人とも、鉄棒大好きなのでロープにも関心があるのでしょうか。サスケ先生の様にロックガーデンに連れていけば喜ぶかもしれませんが、もうくたくたです。

2日目の月曜日は、雨の中、交通科学館にバスと電車を乗り継いで行き、帰りにジャスコに買い物に立ち寄りました。戻りて明るいうちに花火を済ませ、夕食、風呂と済ませて午後8時には、バタンキューしています。やれやれ・・・・

(おまけ)
午前3時、かーくんがあまりに寝返りを打つので、身体に触れると「熱い」熱が38.9度ある。預かっている薬箱のベラドーナとマーキュリーとやらを飲ませ快眠氷枕をして夜明けを待ちました。夜明けとともにママに連絡をすると「熱は出切るまで上がるが大丈夫」何とか昼まで乗り切りママにバトンタッチしなくっちゃあね。

30数年前の若かりし頃と違い、オロオロするばかりで、みっちゃん婆も、ヤキが回ったなぁ。トホホ・・・・そして地震を体感し孫をかかえて家具のない部屋に移動。そうだ本箱を移動して模様替えしようっと!


[1919] 【1913回 夢に出た「みっちゃん登っておいで」】 2009-08-09 (Sun)

「みっちゃん登っておいでっ!」そそり立つ岩場の上からジョンが叫ぶ夢をみました。そう言えばこの光景、現実にも有ったような。。。。それは8日の八淵の滝でのことでした。「障子の滝」という滝でのことであります、いつもは高巻きするのですが昨日初めてジョンがリードで登ることになりました。「雨に濡れてて、おまけにホールドが無いっ!落ちたら頭だけ受けてくれよ」そんな危険な場所、回避すればいいのではと思いつつ、滝壺の中でビレイをしました。カムの入る様な隙間もなく、古ぼけたピンず1個あるのみ(一体いつ使われたのだろうか)

でも、さすがリーダーです。華麗にとはいきませんでしたが無事、自己ビレイの取れる位置に到着しました。「ビレイ解除!」滝の音で声は、かき消されるものの、その時はハッキリと「ビレイ解除」の声が聞こえました。心に聞こえたのかも知れません。緊張が解ける瞬間です。

「みっちゃん登っておいで!」他の人達は高巻きの指示がでました。「ハイッ!」とは言ったもののリーダーがあれほどに苦戦して登った場所、いくらロープで安全確保されているとは言え、相当な覚悟がいります。「行きますっ!」と答えられるまでには少し時間がかかりました。滑落しても一番ショックの少ない場所にロープが降りているのですが、ハーネスとロープがどうしても斜め状態になり登ることができません。「ロープを岩場に沿わして、もっと左へっ!」と叫ぶのですが滝の音で聞こえません。

どうにか意志が通じて、やっと一歩が踏み出せました。次の二歩目は苔をつかみましたが根からガバッと抜けてしまいました。持つところが全然ありません。リーダーは「これは上がってこれないなぁ、ヌンチャクを一つ残置しないといけないなぁ」と考えていたそうです。

突然に目の前が明るくなり、わずかな岩場に手がかかりました。「行きますっ!」リーダーも私のヘルメットの頭が見えてホッとしたそうです。落ちたらロープが斜めになっている分だけ振られることになります。その時は顔を擦らぬ様に手でしっかりと保護して・・・と落ちる段取りを考えていました。

「よお頑張った。これなら前穂・北尾根にも行けるぞ」

そうかぁ、前穂・北尾根のテストをされていたのです。合格してよかったです。いつか今日の訓練が役立つ時がくると信じています。与えられたチャンスに感謝しています。


[1918] 【1912回 沢レンジャー】 2009-08-09 (Sun)

台風8号が石垣島付近で大暴れしている最中ではありましたが、急遽、沢レンジャー部隊は8月8日、比良山系八ケ淵の滝へむけて出発しました。今回はサスケ先生と、うららちゃんは唐松岳&五竜岳登山中のためお休みです。(と言うか知らない間に実施しました。ゴメンナサイ)

オリオン号は前回と同じメンバーを乗せてガリバー村駐車場へ、四万十号は姫、ポチ、ジョンの3人でガリバー村へ向かいます。前回は貴船の滝までの五分の一のところで水量が多く、リタイヤしていますので今回は予定通り進むことになりました。しかし現地に行き水量次第では変更もあると言うことを念頭にいれての遡行となります。メンバーみんな「沢レンジャー」に、はまった様子で声をかければ「OK」サインがすぐ返ってきます。

土曜日とあって「高速料金千円」効果なのか名神は午前7時30分頃には早くも渋滞となっておりガリバー村には、予定時間を大幅に遅れ10時20分到着となりました。ガリバー村駐車場で2台が合流し、朝の挨拶を済ませ、沢靴、スパッツ、ハーネス等を装着し沢登りの入り口までをウオーミングアップモードでゆっくりと歩いていきました。水量も問題なさそうです。初めて沢に入ると水の冷たさに驚くのですが慣れると、丘の上のウオークの暑さよりも快適でみんな「中高年のカッパ」みたいに水を見るとジャバジャバと入り込んで行きます。

楽しかった様子は写真とともにレポートでアップします。

丸太の橋が見えて来たら、ここで遡行終了となります。今までで一番遅い到着時刻です。「ゴールやっ!」と叫んだのは午後4時20分、駐車場へ着いたのが午後6時00分でした。6時間も水の中にいた計算になります。日没ばかり気にしての下山となりました。朝の渋滞を考えると帰りも、またまた渋滞に巻き込まれるために温泉にはいり食事も済ませることでみんなの意見が一致しました。温泉を出たのが午後8時を過ぎていました。

温泉に立ち寄ったことで、渋滞は解消され、快適に大阪に戻り付くことができました。

今回の反省
●ATCは必ず携行する
●ATCを落とさない方法を教科書を読んで勉強する
●いかなる時も懐中電灯は携行する
●カラビナを片手で上手に使える訓練をする

途中で出合った「水の中のカラス軍団」は下記の団体でした
http://www.fa2003.co.jp/shower/challenge/


[1917] 【1911回 沢レンジャーゲット!と新患者】 2009-08-07 (Fri)

本日、沢レンジャーの卵を見つけて、ふ化するまで暖かく抱いています。ハーネス、沢靴、スパッツ、手袋を揃えました。ハーネスはサイズがなくて登山用品店をハシゴしました。「キッズサイズは取り寄せる事は出来ますが返品できない」「細すぎてサイズが合わずあきまへんなぁ」やっと3軒目でピッタリのハーネスを見つけました。ネットで買うと言うのをストップしてもらった手前、少し気になっていましたが、良かったです〜!これで赤木沢行きの準備OKですね。

今日はポチは夏休みとかで午前10時をすぎると「出かけて来る」と行って外出しました。家にいたら嵩高いため行き先などは全然気にならず、外出の合間に掃除機をかけたり、片づけ物をしたりしていました。午前11時すぎに戻ってきて、どこに行ってたのかと聞くと
「サスケ先生とこ」
「えっ?何しに?先生は今日から唐松岳やで〜」
「知ってるよ。若先生がいてはるやんか」まぁ、そりゃそうやけど・・・・

休日以外で休みの時しか診察に伺うことが出来ないからと金曜日の今日、飛び込みで訪れた様子です。
「ポチさんやって知ってた?」
「それはわからん」
「問診票に紹介者の欄あったやろ?」
「うん。院長先生って書いたわ」
「えっ?私ちゃうん?」ちゃうらしいです。サスケ先生に口からの出血の話しをしたら「診察してあげる」と言ってもらったらしいのです。ほんなら院長先生の留守に行ったらあかんやろと思うのですが、若先生があとを任されているので何の問題もないとの話しをしてくれました。そりゃそうやけど・・・

持病の心臓病治療のため、毎朝ワッファリン3.5錠、服用していることを告げたそうですが、院長先生戻ったら驚くでしょうねぇ。


[1916] 【1910回 クライミング体験したいわぁ】 2009-08-06 (Thu)

私の近所の方の高校生のお嬢さんがクライミングをしてみたいと親に話したといいます。どこで聞いたのか私達がクライミングを楽しんでいる事を知り、その話をしてくれました。夏休みの体験にどうぞ、どうぞと返事をしておきました(勿論ジョンさん付添&了解済み)体験できることの幸せを味わってくれれば夏休みの思い出になると思います。

テレビなどで見て「うわぁ凄い!」と思ったのかもしれません。私達が練習場所として最初に選んだ場所は「ゲートロック」今は崩壊して危険のため、誰も近寄ってはいません。ホワイトフェイスは近くていいのですが初心者には少し登攀距離がありすぎます。ならばとA懸垂岩ならば、ホールドもしっかりしていてクライミングの楽しさを味わって頂けるのではないでしょうか。

但し、地獄谷からA懸垂岩にとりつくまで、いくつもの水の流れる岩場を通ります。危険場所はロープで安全確保します。保護者のお父様もご一緒にお誘いをしておきました。日程が合えばA懸垂岩で岩登りの体験ですね。

お金を出せば楽しい遊びがいっぱいありますが、一歩間違えば怪我をするかも知れないと言う恐怖感が「たかが岩遊び、されど岩遊び」でたまりません。私が最初に岩登りを体験したのは、ゲートロックでした。岩場に連れていかれ、下から見上げた時の、あの驚きを高校生にも体験して欲しいのです。

第一期生、第二期生とクライミングの募集をかけました。座学を終えいまでは恐怖どころか楽しささえ覚えられる様になりました。同じ岩場でも少し移動するだけで全然違ったコースになるのです。甲斐駒岳からの下山時「仙水峠」のあのゴロゴロ岩も平気になるのです。動く石は踏まない、石の上を飛ばないなどの夏山トレーニングの基礎を思い出して頂ければ悪路であっても慎重に安全に通過できるのではないでしょうか。

さてさて「行きます」と返事があるか「その日は用事があります」と行って来るのか・・・返事待ちで〜す。


[1915] 【1909回相次ぐ事故「六甲山」】 2009-08-05 (Wed)

昨日のテレビで六甲山の相次ぐ事故は何故起きるのか夕方の報道番組でアナウンサーが実際に六甲山に入っていくシーンがあり興味津々で見ていました。コースは「うすいもり〜標高769メートルの天狗岩の一般向けコース」です。まず雑草で道がわかりにくく、草を踏みはずすと崖下へ転落。(アナウンサーが確かに「ウスイモリ」と発言していたのですがジョンさん、そんな地名ありますか?)

去年の7月から8月の事故は453件で、そのうちの132件が転落、滑落による事故だそうです。
●滑落したらむやみに動かず救助を待つこと
●救助を待つには非常食や雨具、ツエルトは必需品であること。
●道迷いしたら下に降りずに、上の登山道に出る
●家族には必ずコースを伝えて下山予想時刻を告げる
●下山したら必ず「下山報告」をする
●ひとりで行かない

アナウンサーが滑落場所へハーネスをつけ、ロープで降りていきましたが、木が生い茂っており登山道から人影を確認できず、降りてしまえば同じ様な風景に方向を見失い、どうしていいかパニックになると話していました。

地獄谷は8月1日と2日の大雨で水量も多く、岩も滑りやすくなっています。「いつもは平気で通過できた地獄谷」でも気象の変化で変貌します。ゲートロックがその例で惜しい岩場を無くしたものです。A懸垂岩自体は大丈夫ですが周りの木立が折れ雨の多さを物語っているようです。

慣れたコースでも、一人で行かないで下さいね。もし行かれる時は、やまたびホームページでお誘いをかけてみて下さい。スケジュールが空いている人がいれば、ご一緒してくれるはずです。やまたびのホームグランドで事故が発生するのは悲しいですよね。イタズラ書きの矢印に惑わされることなく、しっかりとコースを頭の中に入れて午後3時には高座の滝の茶店には戻っていましょうね。山の日暮れは早いです。


[1914] 【1908回 沢レンジャーのズボンを買い求めて】 2009-08-04 (Tue)

8月1日の沢レンジャーの時、姫のズホンに目が行きました。「それいいなぁ、私の分も買うとってよ〜。出来たら七分じゃなくて長いのんがエエわ」「よっしゃ」と引き受けたものの、私が購入した店には既にありませんでした。近くのジャスコ、四貫島商店街とあちこち廻りましたがありませんでした。

ジョンの忘れ物を届けがてらに野田阪神まで足を伸ばすことにしました。私が購入した同列系の店がありひょっとしてと立ち寄ると、ありました〜!ハンガーにかかっている全てを買ってきました。余分はまた破れた時に使えます。(ひょっとして、うららちゃんもいるかもネ)

たかが「夏物ジャージズボン」ですが沢レンジャーの時は、惜しげもなく履けます。破れても千円です。クライミングの時は膝の伸縮が効きとても便利です。好日山荘で買った高価なズボンは岩や沢で破れると勿体ないです。残念ながら紳士物はありませんでした。この夏物ジャージは宿泊時の山小屋でも重宝し、何と言っても「軽い」です。

「よっしゃ」と安請け合いをして後悔していましたが、見つかってホッとしました。沢レンジャー女子部隊は揃いのジャージで、いざ出動〜か〜!

舞台衣装の洗濯が終わり、アイロンかけも終わり、さあガレージの中2階に片づけようとハシゴが掛けられる分だけ、車をガレージから出しました。笠と刀は簡単に収納完了です。次は衣装の入った重いバックを中2階に持ち上げるのですが三点確保してもなかなか持ち上がりません。あと一息なのに悔しいけれど、汗ポタポタで降ろすことも上げることもできなくなりました。

そこへバイクの音がして我が家に暑中はガキを配達の郵便屋さんがやってきました。「ちょっと〜すみませんがここまで来て〜」叫び声に似た声を上げると、郵便屋さんが何事かとガレージの中へやってきてくれました。下からバックを少し持ち上げてもらい、やっとのことで無事、もとの位置に収納できました。ヤレヤレです。

それにしても来年は、違う衣装を準備したいなぁ。歌に合わせた何かいい衣装を考えなくっちゃあ〜。古い着物を潰して十二単でも作ろうかしら?


[1913] 【1907回 パーティから一夜明けて】 2009-08-03 (Mon)

還暦の会のパーティから一夜明けて、衣装の洗濯をしましたが、さあこれをどこに干すか(笑)そうや、裏の物干しは人目につかんなぁ、ここに干そう。

楽しかったですね。楽しんで頂けましたね?朝、店のママから「ひばりちゃん手伝って〜」の電話を受け早朝より自宅に伺い、まずネギ切りを手伝いました。出来上がった料理をポチが車を出して店まで運び終え、テーブルの配列替えです。去年、カウンターにも人が座りバラバラに盛り上がりましたので今回はカウンターの椅子をシャットアウト作戦することを考えつきました。作戦は大成功!同じ楽しみを味わう時には、同じ話題で盛り上がるのがマナーという物ではないでしょうか。本来なら「うららちゃんと正ちゃん」が主役のためお二人のエピソードを中心に、輪を広げるのがベストなんですが、正ちやんに少しわだかまりがありました(正ちやんは何てことのない感情。私だけがこだわり)皮肉にも遅れて来た正ちゃんを私の真ん前の席にジョンが誘導したため、ムッとなり目も合わさず、席を替わりました。幸いにも一郎ちゃんの席を確保するために私が席を外した形になり誰も気づかなかったと思います。

人間は、2度、3度同じ事を平気でされると友情も薄くなり心が離れて行きます。仲間だと思うから、同期の桜だと思うからという熱い思いが裏切られたとき(本人にそんな気はサラサラありません)どうしようもない切なさがこみ上げて来ます。幸いにも、周りの方達からのお灸があり、私の怒りも大人げないなぁと反省し、岸壁の母からお祭りマンボと騒ぎすぎてしまいました。そんな自分との葛藤もあったんです。

「仕事の出来る人は遊びもできる」これはサラリーマン時代の私の持論でした。会社の行事に参加しない社員は仕事が出来たとしても、協調性がなく優秀な社員とは言えないと今でも思っています。人生にメリハリは必要です。山、沢、岩登り中であっても「ここ」と言うときにき真剣さを要求されます。決して遊びに浸っているわけではありません。遊びの中に生きる喜びや苦労を味わっていくのではないでしょうか?

会社で運動会の行事をすると決めた日から運動会は始まっているのです。準備の過程でリーダーシップの取れる人物かどうか見抜くことができて仕事へ繋がっていくのです。当日の天気を心配し道具作りに汗を流し、買い物に走る、この連帯感が必要なんです。昔、労災事故で長く休養していた社員がいました。丁度、運動会を間近に控えており「応援グッズ」の買い物に引っ張り出したことがあります。「休んでいても貴方が必要なんです」という思いを相手に伝えることが大切だと思っています。その思いが相手に伝わったとき「心」も繋がるのです。その絆は退職したいまでも、しっかりと繋がっています。正ちゃんにも、お金では買えない、仕事では味わえない、宝物の様な意義ある人生を送って欲しいから厳しく言うのであります。


[1912] 【1906回 盛り上がりすぎた還暦パーテイ】 2009-08-02 (Sun)

8月2日は、「うららちゃん」と「ドタキャンの正ちゃん」の還暦を祝う会ということで此花区の某場所を借り切り、にぎやかに定刻の12時00分にファンファーレを鳴らしました。去年も衣装を持参して盛り上がりすぎて「来年もここやね」と暗黙の了解みたいな約束が取り交わされており、私も衣装などの小道具を運ぶのに近くて好都合だったんです。

乾杯の発声が済むと、食って、食って、飲んで、飲んで(この間少しだけ静かでした)カラオケの皮切りは珍しくジョンさんで「旅姿三人男」だったと思います。せっかく股旅物の衣装があるのですからと着せ替え人形状態で変身していきみんなの拍手喝采を浴びました。トップというのは勇気がいるものです。

しばらくしてジョンが私の足下に気が付きました。私の今日のお履き物は地下足袋!です。昔私のガイドもどきのファンという方が手作りでプレゼントしてくれた貴重な地下足袋なんです。ということで地下足袋に似合う「岸壁の母」を熱唱?しました。あとは堰を切ったように歌が続きます。途中でユカイナの演奏を聴きました。甲斐駒&仙丈岳登山の時にアドベンチャーさんが買い、練習を重ねた成果を聞かせて頂きました。

楽しかった様子は、活字より写真を見て頂ければ「あ〜参加できずに残念やったなぁ」と思って頂けると思います。ドタキャン正ちゃんはみんなからお灸を据えられ私の怒りも、正ちゃんが扮装して歌うという罰ゲームもどきで勘弁してあげることにしました。
「正ちゃん!あんたが祝ってもらうんやから、もっと早く来ないといかんよ」
「ドタキャンはいかんよ。仕事もエエけど、友達なくすで〜」
「姫さんが怖いんか、おべっか使ってる〜」と散々いらわれていました。(あ〜あ。スーッとしたわ。みんなの代弁に感謝)

踊って、歌って、笑って、時間の経つのも忘れての大騒ぎ。最後にはきちんと、うららちゃんと正ちゃんから謝辞を頂き、やまたび倶楽部の歌「穂高よサラバ」を熱唱し、名残惜しいですが、解散、お別れとなりました。みなさ〜ん。盛り上げて頂いてありがとうございました!

来年は還暦の該当者ゼロ!そのかわり古希の該当者ワンサカサッサ!


[1911] 【1905回 沢レンジャー in 八ケ淵の滝】 2009-08-02 (Sun)

「滋賀県地方は大雨、雷雨注意報」を知りながら8月1日、沢登りのために滋賀県比良地方に行くことにしました。現地まで行き、水量が多ければ京都大原にある金比羅山にクライミングに行こうと言う2本立ての用意をしてサスケ号のお迎えを受けました。オリオン号とは現地のガリバー村で合流予定です。午前7時過ぎ、此花を出発し名神に乗りました。途中でオリオン号とは携帯電話で連絡を取りながら、湖西道路を出たところでオリオン号を待つことにしました。オリオン号は前を走る自衛隊のトラックを追い越すことができなかったため、少し時間差がありました。水量を確認するためにガリバー村を通過し鴨川の水量を確認しましたが、たいしたことはなさそうなので「沢レンジャー」部隊は予定通り、八ツ淵の滝登りを楽しむことにしました。全員の沢靴が揃ったところで沢靴の記念写真をパチリッ!(顔も入れてよね)

去年来たときは、ガリバー村の入口のゲートで駐車代を徴収していたのですが、今年は登山と沢登りについては無料とのことで指定の場所に駐車をし、2台が合流することができました。朝の挨拶を済ませ、沢靴、スパッツ、ハーネス等を装着し沢登りの入り口までゆっくりと歩いていきました。先客が一組ありましたが途中で出合うことはありませんでした。

「まず、手と足を濡らして水に慣らして〜」のリーダーの指示で水の中へ。「つ〜め〜た〜ッ!」と声をあげながらも、子供みたいにキャーキャー言いながらも、一度水に濡れてしまえば平気です。少し雨が降ってきた様ですが、へっちゃら、へっちゃら。滑らぬ様に、滝があれば小さくても滝登りを楽しみます。しばらく登っていくと「魚止の滝」に出ました。6メートルほどあるでしょうか。この滝は去年初めての沢レンジャー部隊となったとき、いきなり滝壺の中を泳ぐように岩に取り付いた思い出があります。この魚止の滝こそ60歳を過ぎてから「沢登りは楽しい」と体験させてくれた滝です。水量は多いものの「登るか?」のリーダーの声に「ハイ」と即回答しました。おっかないと思う人は滝を巻いて安全コースを登ります。ロープをかけてもらい安全対策を忘れることはありません。

サスケ先生と姫だけが体験かと思いきや、何とあと3人が順番待ちをしているではありませんか「大胆〜!」とリーダーが感じたそうですが、楽々と登ってきました。その後は鎖場を高巻きしたり障子の滝登りを楽しんでいるうちに、大粒の雨と雷が鳴ってきました。水量も多くなり、水の音が違ってきました。「やばい。早く抜けないと出れなくなるぞ」屏風岩を本日の最後の滝登りと決め下山することにしました。何と2回も挑戦した人もいました。私は滝壺の真ん中まで行き「おしっこ」タイムです(笑)サスケ先生に見つかりシャッターを押されたのにはドキッとしましたがバレるはずがありません。偶然です。

大摺鉢滝と貴船の滝を見学して早々に登山道を下山することにしました。途中までではありましたが堪能できたのではないでしょうか。雨と雷で参加者全員が危険を把握しました。登山道は滝の様に水が流れていますが沢靴を履いているので苦にはなりません。1時間もしないうちに、ガリバー村の建物が見えてきました。雨も上がりキャンプ場のテーブルと椅子を黙って借りてお弁当を広げました。いつもの昼食は、てんでばらばら自由に座るのですが今日は、ひとつのテーブルにみんな仲良く座り、美味しく頂きました。

車に戻り「比良とぴあ」で温泉入浴をし、休憩室でミーティングとなりました。赤木沢の打ち合わせも含み実のあるミーティングを済ませ、2台の車はここでお別れをすることになりました。サスケ先生が「姫、帰りは運転してみますか?」ご自分の大切な車を私に運転を任すとおっしゃるのです。赤木沢に向けての運転トレーニングも含んでおられる様子で、遠慮をせずに運転をさせて頂くことになりました。
「では明日の還暦パーティで再会しましょう」と手を振り、後ろの車を気にすることはなく、前の車を気にすることなく、お互いの車は大阪へ向けて走り始めました。

「あっ!」そう叫んだときには既に事遅しで、車は高速道路に乗りきれず、国道を走っていました。バックミラーで後ろを見ると、何とオリオン号も同じ方向に走ってくるではありませんか。「し〜らないっと!。解散した後だもんね、私には責任ないよ〜」と言いながら何とか軌道修正をし、無事高速道路に乗ることができました。「前の車トロトロ走りすぎ〜」「モタモタしてはよ〜入りよ〜」と独り言をいいながら、自分では快適にハンドルを握っていました。サスケ先生が「うららと姫とを前に乗せたらおもろいやろね」どうも、うららちゃんも私も車に乗ると性格が変わるみたい〜。

少しの渋滞はあったものの午後5時過ぎには大阪に戻ることができました。沢登りも運転も、めっちゃ楽しかったです。


[1910] 【1904回 まごもり】 2009-07-31 (Fri)

モモちゃんとかーくんのママが仕事のため(幼稚園夏休みのため)29日から31日までの2泊3日の間、婆ちゃんちでお泊まりすることになりました。大きな荷物のほとんどが着替えの様です。東西線「海老江駅」で婆ちゃんを見つけて走り寄ってきました。ヤマダ電機の駐車場でママとはバイバイです。去年はかーくんが、ママの後ろ姿にクスンクスン言ってましたが今年は元気よく「バ〜イバイ」し、成長の過程を垣間見ました。

夕方4時に零くんを迎えに行き、賑やかに3人で遊び、夕食を済ませ、保育園があるので零くんをお家まで送っていくことになりました。後部座席の3人の会話です。
「ももちゃん明日もきっと迎えに来てね」
「うん。いいよ。零くんもお泊まりすればいいねん」
「う〜んパパとママが寂しいって言うからね」
「じゃあおとまりでけへんの?」
「う〜ん。するする。絶対にお泊まりするから」
「約束やで」
「うん。わかった。じゃあ指切りげんまんしようか」
(かーくんはここで指切りげんまんの歌に参加)

そんなわけで30日は零くんもお泊まりすることになりました。水槽を家に買ってから、お魚に興味のある子供達をつれて昼間は海遊館に行きました。桜島に車を停め、渡船に乗ります。9時30分開館なんですが10分早く到着しました。もうすでに沢山の人達が並んでいました。さすが夏休み〜

子供達は終始ハイテンションで電話が鳴っても聞こえないほどでした。夕食を済ませ、風呂に入り、いよいよお休みタイムなのですがここからが大変です。3階の姫ルームのベットの下に蒲団を2枚敷き詰めてベットを空にしました。寝てて落ちたら大変ですからね。ところが零くんが、この空間を気に入り「シティホテルみたいや〜」って叫びベットを占領しました。残る2人もベットからジャンプしたり机の下に入って「タコ焼き屋さん」をしたり大人の想像を絶するパワーで、常に先導権は、ももちゃんが取り男の子を引き連れて遊んでいました。10時になったら寝るよと声をかけ婆ちゃんが先に眠った様です。ジャンプも10時になったら禁止令を出しました。

零くんの叱る様な涙声でハッと目を覚ましました。どうしたのかと聞くと、「ももちゃんもかーくんも婆ちゃんが10時になったらジャンプ禁止と言ったのに、目をつむって寝ようと言ったのに言うことを聞いてくれないの・・シクシク」これは大人の監督不行届でした。3匹のこぶたの本や他の絵本を3冊ほど読み、静かに、仲良く眠りにつくことができました。

たった3日間ではありましたが姑が私の息子達を長年の間、このようにして愛情を注いでくれたのかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。時間が来たら会社に行き、夕方の会社から戻るまで姑まかせであったことに、いまさらではありますが「お義母さんありがとう」と言わずにはいられません。

31日午前7時45分・・・3人とも就寝中〜。

(追伸)7月12日発信の「拝啓、大阪市平松長殿」の質問状の回答がやっと30日に届きました。敏速さに欠ける回答ではありましたが、内容については当事者の方に転送しました。


[1909] 【1903回 アドベンチャーさんへ。オカリナの回答です】 2009-07-29 (Wed)

久田様
購入ありがとうございます。
お答えいたします。ことばでわかるかどうかためしてみてください。

低音シの出し方
ドのかまえから、右手人差し指を前にスライドさせて吹き口の出口(気孔)を、半分くらいふさぐと出ます。

高音ミの出し方
手のひらで気孔の上部を覆います。
高音ファの出し方
ミの半分ほど覆います。

【より良い音を出すために】
ユカイナは信州の伊那で開発された木の笛です。「愉快伊那」「優歌伊那」の名称もあります。くるみ、桜、かえでなどの国産材や黒
檀、ローズウッドなどの銘木で作られています。四角に機械加工した物を張り合わせて作りますが、キットでも出来るのでユカイナ
作り教室も開催しています。自分で作り、彫刻なども出来るのが特徴です。
「ユカイナ(デカイナ)」「スーパーユカイナ」の2種があり音域はそれぞれ1オクターブ+1音、1オクターブ+3音ですが、特殊技
法によりさらに広い音域を出すことも出来ますし、半音もかなりの範囲で出すことが出来ます。
●息使いは低音が「強すぎず」、高音になるにつれてだんだん強くし
 ていくのがコツです。
●この楽器は指使いが組み合わせによるため、厳密には正確ではな
 い音があります。気になる場合は息の強さで調節して下さい。
●スーパーユカイナの特殊技法は難しく、音が不安定なため練習が
 必要です。
構え方を覚え、指使いを覚え、曲を吹けるようになったら、よりよい音を
出すために次の技法を覚えると良いでしょう。ここでは紙幅が足りませ
んので、専門書を参考にするか講習を受けることをお勧めします。
●腹式呼吸 息を吸ったときに胸ではなく腹部が膨らむ呼吸法
●タンギング 舌の先端を前歯の後ろに付け、tu又はteの発音で
音を出す。 
●ビブラート のどをふるわせて音に波を付ける。

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木彫香房  夢庵 (ゆめあん)
〒399−4431
長野県伊那市西春近下牧9244−1
加納 義晴
TEL 0265−72−8083
E-mail    kanou@janis.or.jp
夢庵HP     http://www.janis.or.jp/users/kanou/
ユカイナHP   http://www.yukaina-club.com/
ユカイナブログ http://blog.livedoor.jp/yukainaclub/
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[1908] 【1902回 地上デジタル対応工事完了】 2009-07-29 (Wed)

地上デジタル工事が27日の雨上がりの午後3時から着工となりました。まずは電柱から家までの配線工事を済ませ、室内工事へと移行されました。そのかたわら、ベイ・コミュニケーションズとか言う会社の営業マンが、24時間サービスの映画やスポーツが見れる(月額4080円)システムの導入を勧めてきました。「ほとんどの家が今回、取り付けられました」との事。我が家は24時間テレビにかじりつくことはなく天気の日はリュック担いで山に出かけるので、取り付け不要の回答をいたしました。「ほとんどの家が取り付けているのでアンタんちもどうや?」の説明が姫の気にさわった様です。

家の中で、テレビ設置が可能な箇所は6ケ所あり、すべてに地上デジタル対策の部品を取り付けていきます。分配器の場所がわからず天井裏に入ったり大変な作業です。これが自費負担だったとしたら一体いくら請求がくるのでしょうか、不安になります。その時です。別の工事スタッフが血相を変えて入ってきました。何やらヒソヒソ話しをしています。聞けば、次に予定している近所の家が「工事着工が遅い!」と怒っているらしいです。朝のドシャ雨で電気工事がストップしたことくらい理解してあげてよねと思いながら「私の家は外の工事が終わっているので暗くなっても工事ができるし、先にそちらに行ってあげてもいいよ。あっ!ちょっと待って!怒られる前に冷たいお茶飲んで行ってね」とお茶を振る舞うと一気に飲み干し、お代わりを入れてあげると美味しそうに飲んで怒りの家に飛んで行きました。

「中断してすみません。今日中には終わりますから」とすまなさそうに言います。正直に相手に事情を説明することで理解を得られ、その間、テレビの裏に積もったチリの掃除をしたり、ついでに模様替え(でた〜ッ!姫の18番ッ!)したりして、うまく時間をつぶしていると「すみませんでした」と工事スタッフが戻ってきました。最終が午後9時を廻っており「この人達残業手当つくのかしら?」と、ついつい昔の職業が出て苦笑・・・・

地上デジタル対策工事は終了しましたが、テレビは一体、いつ買い換えるのかしらね。


[1907] 【1901回 シンデレラのガラスの靴は沢靴だ〜】 2009-07-28 (Tue)

午前中はJR三田駅近くにある病院に見舞いに行く人(78歳)の付添のために阪神甲子園駅で待ち合わせをしました。病院に入院する人(74歳)、介護される人も介護する人も高齢で自分たちだけではどうにもならない岐路に立たされている様子。昔の知り合いの私を頼ってこられるのは、よほど困っているからだろうと察し、病院行きの荷物持ち手伝いました。

午後3時には梅田のモンベル前でシンデレラさんと待ち合わせのため三田からの帰り、そのまま梅田に向かいました。待ち合わせ時間より少し早いため、店内を物色しているとシンデレラさんのご到着で〜す。沢靴を試し履きするのですが、どうも足にそぐわないような表情を感じ取ることができました。
「サイズが大きいの?」
「靴下がぶ厚すぎるみたい」
モンベルには希望のサイズがなく取り寄せとなると金曜日の入荷になると言います。

さぁ交渉係の姫の出番です。まず沢靴のサイズがいつ来ても不揃いであること、沢靴の陳列がわかりにくいことを述べ「大阪のどの店舗にいけば23.0aのサイズがあるのか調べて下さい」と言うとコンピューターで調べたところ、「天王寺店にはあります」とのことでしたので、今からすぐ行くから取り置きしてもらうことを依頼して地下鉄に乗りました。天王寺店で試し履きをすると23.0aピッタリッ!来てよかったね。

沢レンジャーのシンデレラさん!。駅に降りてドシャ降りの雨だったら沢靴に履き替えて、おかえりなさい。そう挨拶を交わし自宅に戻りました。


[1906] 【1900回 不安定の気象情報】 2009-07-27 (Mon)

昨日も今日も不安定なスッキリしない天気が続いています。比叡・飯室谷からの下り道「大宮谷林道」でも至るところに「落石注意」の看板が設置されていました。上を見上げると木の根がむき出しになり、いつ落ちてもおかしくない箇所が沢山ありました。

九州や中国地方の集中豪雨は大きな被害を残し、今も危険にさらされている様子に胸を痛めております。埋もれた車から2人の遺体が出たという土砂崩れの九州自動車道、悲しいニュースが続きます。登山を計画している方は長期の天気予報とニラメッコして充分気を付けておでかけ下さい。

比叡・飯室谷で濡れたリュックや合羽、登山靴と洗濯物は山ほどあり、今日は午前中かけて片づけに時間を費やしてしまいました。それもそのはず、またまたズボンのポケットにチィッシュを入れていたらしく、もう大変!!誰って?!聞くまでもないでしょう。私のズボンや服にはポケットはありません。!紳士用の服には必要以上にポケットがあり、注意力散漫の者にとってポケットは不要です!

そんなわけで一度完了したはずの洗濯物をもう一度洗い直しました。合羽は昨夜、風呂の中で洗い終え、水切りを終えていましたのでガレージの中で陰干し、靴も陰干し中。リュックも風呂の残り湯で洗っちゃいました。

8月は熱中症の危険もあるため沢登りと還暦パーティ以外は活動も夏休みとなります。甲斐駒&仙丈岳の頂上を制覇していないのでジョンがアルバム作りに気弱になっていますが、何が、何が、思い出満載じゃありませんか!頂上制覇をハープ演奏に代えてアルバム作って欲しいです。決心がついたらお知らせ下さい。参加者の皆様に、お声をかけますからね。(但し8月2日の還暦パーティまでに決めてね)