[2199] 【2273回 高島トレイル打ち合わせ】 2010-07-05 (Mon)

前夜発の高島トレイルV「抜土〜水坂峠」の打ち合わせを登山用品の店に寝袋を買いに来られたオリオンさんと合流し、下記の様に打ち合わせをすることができました。当日、オリオン号に乗られたら誰かに声に出して読み上げてもらうことにしました。(その時は他の皆さんは、ご静粛にね)

●集合 オリオン号 午前9時00分阪急石橋駅
     四万十 号  午前8時45分此花出発

●合流地点(道の駅・朽木本陣)

@前回ゴールした抜土には午後2時までには到着したいです。前回、通過した時に「行ってみたいなぁ」と呟いた在原そばを昼食に頂くってのはどうでしょうか。ここは有名な在原業平ゆかりの地でもあり、茅葺きの里でも有名です。資料によれば在原そば520円だそうです。0740-28-0814(11時開店)

A抜土到着後、荷物を降ろしたら2台の車はすぐデポ先の水坂峠(みさかとうげ)に向けて出発します。その際にゴール後の着替えを忘れずにオリオン号に乗せて下さい。キャンプ地へ戻るのは四万十号のみです。(デポ時間は往復2時間)

B抜土に残ったメンバーは夕食の用意、テントの用意などをします。テントの割り当ては全員が揃ってから、リーダーが指示しますが、くろねこさんは四万十号の中で寝てもらいます

C夕食用のカレーは仕上げて冷凍した物を持参します。鍋に入れて温めてください。ライスについては8合炊いてきています。現地では翌日の昼用のおにぎりのために、新たに8合炊いてもらいます。(4合炊き×2回)

D翌日の起床は5時。出発は6時です。テントを片づけるのは一人で出来ないので、みんなでしますが、後の細々した片づけはポチさんに任せて、少しでも早く出発し、ゆっくりと無理の無い登山を致しましょう。

Eもう一度申し上げます。ゴール後の着替えは、みなさんは、このままオリオン号に残すと、積み忘れがないと思います。(時間的な事もあり「てんくう温泉」に入浴するかどうかは不明)

F四万十号は片づけ終了後、大阪へむけて戻ります。自宅で荷物の整理等をすませ、皆さんが石橋駅に到着の時間を見計らって、荷物をお返しに再び石橋駅付近で合流致します。

G現地での買い物は、福井名物焼き鯖、福井名物らっきょ、めざし。夕食、朝食、昼食ここまでの買い物は参加費に含まれています。

行動食を補充する人は、道の駅「くつき本陣」でご購入ください。オリオン号が早く到着しても、栃餅を買い占めないで下さいね。1つだけジョンの分残しておいてください。

土曜日の昼食代、アルコール、栃餅、草餅は各自負担して下さい。まあこんなところでしょうか。


[2198] 【2272回 久しぶりのキャンプの荷物】 2010-07-05 (Mon)

まだ少し早いけれど、17日からのキャンプの道具をガレージの中2階から出してみました。今回は水場も近いことから、割り箸、紙皿は一切使わないで環境にやさしいキャンプをしようと考えています。高校1年生になった姪っ子の子供達を(総勢15人ほど)毎年キャンプに連れて行くために使った荷物が結構あるのです。そうかと言って孫達を連れていくにはまだ早いような、でも喜ぶだろうなぁと思いながらガレージいっぱいに広げました。

テント2張り(あと2張りはジョン手配)、タープ1張り、コンロ、鍋、飯盒鍋、ブルーシート、水入れ、人数分の食器類(カレー皿、スプーン。箸、お椀、小皿)、洗剤スポンジ、サランラップ、炭などです。積み込み前にチェックシートを照合しながら確認します。あとは出発前に食材を購入して準備万端〜と言ったところでしょうか。

高島トレイルの道中に「在原そば」の幟旗がいつも気になっていました。今回こそは時間が許せば昼食にぜひ立ち寄ってみたいと思っています。

マキノの奥に「在原の里」と呼ばれる地域があるがあまり知られていません。車をデポするのに何度も通過はしていますが時間に限りがあるので立ち寄ってはいませんが、資料によると、なかなか歴史的な、茅葺き集落の様です。ぜひ奥に入ってみませんか?

在原の里は、今でもかやぶきの民家が残る集落で、集落入り口にある「在原そば」は手作りそばの味が非常に旨いそうです。軽く歩いて30分程度の集落らしいですが、皆実際に住んでいる家なので、あまり迷惑な行為はしないように見学しませんか。冬はまた雪景色がすばらしいと絶賛されています。

在原業平(ありわらのなりひら)、平城天皇・桓武天皇の孫にあたり、従四位上右近衛権中将美濃権守。しかし、貴族・官僚としての業平よりも、歌人としてあまりにも有名です。
その在原業平終焉の地とされる場所がここ高島市マキノにあります。

在原のかやぶき集落は京都の美山ほどの規模ではありませんが、訪れる観光客もなくひっそりとしていて、それがまたいい感じだそうです。でも、ここは生活の場ですので、写真を撮るのにも注意が必要です。畑や民家の庭先に入り込んだりしない、会話は最小限で、出会った方には挨拶を、このくらいは気をつけたいものです。

在原そば(年中無休11時〜16時まで)
電話番号 0740−28−0814  520円!


[2197] 【2271回 あほかっ!】 2010-07-04 (Sun)

梅田の登山用品の店のワゴンの中に「富士山グッズ」なるものが売っています。手に取る気もありませんが、(でも中味はチェック済み)多分酸素ボンベとスパッツ、ヘッドランプなどをセットにしてあり「これがあれば富士山登れますよ〜」みたいなキャッチフレーズでした。以前は「貴方も劔岳へ」と書かれていました。

7月3日読売新聞で「手ぶら思いつきで富士登山、助けて」の記事に目がとまりました。
7月2日夜の9時45分頃、富士山の8合目付近にいるという男性から「一人で富士山に登ったがライトを持っておらず、暗くて道がわからない。怖いので助けてほしい」と119番があったそうです。静岡県警富士宮署などの山岳救助隊員6人が出動し、午後11時半頃、6合目(標高2490メートル)まで自力で下りてきた男性を保護したそうですが何とも、はた迷惑な話だと思いませんか!。

静岡県警富士宮署の発表によると、東京都の男性(22歳)。2日午後5時頃、静岡県側の富士宮口5合目から入山し、9合目(3460メートル)付近まで登ったところで断念して下山を始めたが、暗くなったため携帯電話で救助を求めたという。男性は長袖のカッターシャツにジーパン、スニーカーの軽装。食料や装備もなく、手ぶらだった。富士山は1日に山開きしましたが、6合目付近の気温は2度。男性は登山歴もなく、「思いつきで登ってしまった」と反省した様子だという。同署は「人騒がせな話。一歩間違えば命にかかわる。夏山でも装備はしっかりしてほしい」と訴えているといいます。こんな無謀な人のために多くの人が振り回されてしまいました。この男、名前が明かされていませんが、名前も住所も公表し、恥を書き厳重に処罰をされてもいいのではないかと腹立たしい思いでいっぱいです。

店の商品を「売らんかな」精神で、初心者にこの装備があれば富士山や劔岳に行けますよみたいな安易な誇張宣伝は、自粛し、「富士山に行くなら当店主催の登山教室に入門しませんか?」とまずそこから出発して欲しいものであります。9年ほど昔、団体登山で御嶽山登山をしたことがありました。参加者の中に足を骨折しリハビリ半ばであると想定できる人をジョンと数人の協力者で担ぎ上げた経験があります。今なら「その足では登山は無理です」と言えますが、その頃はそんな権限も力もなく、ただフォローに回りましたが、早くに下山した多くの人達は1時間以上もバスの中で待つ結果になったことがありました。

ホームグランドでもある六甲山へも必ずヘッドランプ、雨具、非常食、ツエルトはリュックの中に忍ばせたいものです。追い抜かれる時にウエストポーチだけの人もいて、どこまで行くのかと聞くと「有馬まで」と答えます。「水は雨ケ峠で飲めるし」と付け加えてサッサと行かれる70歳代のお爺さんもいます。


[2196] 【2270回 一体どこに何が置いてあるのやら】 2010-07-03 (Sat)

梅田にある登山用品の店が1ケ月間の改装期間を経て再びオープンしました。一体どこに何が置いてあるのやらわけがわかりません。「えらい変わったねぇ、変わってないのは店員さんだけやなぁ!」と店員さんに語りかける姫。防水スプレーが通常価格800余円が380円(100本限りか何か数量限定しているけど、絶対あれは客寄せで無くなったら奥から出してくるねんで〜)そんな商法に乗っかり、とりあえず2本防水スプレーを買ってしまいました。それに今、来店すると500円券がもらえるというキャッチフレーズにも、ついつい乗っかかりました。(きっと私だけと違うよね〜)

かねてより軽いテントが欲しかったので、出来れば青森行きに間に合うように、割り引きセールの間にと思い、出掛けることにしました。「AIR RAIZ2」(フライシートはオレンジ色) 重さにして1550c大枚をはたくことになりました。しかし考え様によれば、山小屋で泊まったとして、1泊8000円を2人で16000円、3泊したと思い、テント泊にすれば減価償却が出来ます。そう思えば、5泊する青森から戻るとテントが買えるという計算になります。それどころか、お釣りまで出る計算ですなぁ。あとはこのテント専用に「アンダーシート」が販売されているらしいですからポチに説明書を朗読しておきました。(どこの家でも市場の買い物は妻が担当、家庭用品以外出費については夫である大黒柱が支払う仕組みですよねぇ)

青森行き行程の中で、八甲田山の登山が危ぶまれていましたが、入山禁止が7月2日に解除となり登山可能となりホッとしています。「八甲田山周辺 有毒ガス発生中」ということでロープウエイ乗り場と酸ヶ湯温泉フロントに情報提供をお願いしていたのです。下山したキャンプ地、あるいは次に登る山の麓でテントを張り、洗濯物はコインランドリーを探し、待ち時間を利用して温泉に浸かる。食事は贅沢せず土地の名物が食べられれば上等、たどり着けないときはお粥をすすろうと言うことにしています。どこかで津軽三味線の音色が聞けたらいいなぁ〜!

購入したテントのシームシーリング(縫製部の防水加工)をするため、家の中にテントを張り、今夜はそのままにしておきます。今夜、孫達が来たら大変だ〜。新幹線のテントにもう飽きがきているので新しいオモチャだと勘違いし、大はしゃぎするに違い有りません。クワバラ、クワバラ。


[2195] 【2269回 映画 心のリレー】 2010-07-03 (Sat)

落語家「桂あやめ」の話の後に「心のリレー」という映画がありました。7月は「社会を明るくする運動月間」ということで、より多くの人にこの運動を知って貰うための広報映画でした。

社会の中で立ち直りを目指す「更生保護」、その活動には、保護司や更生保護女性会など、沢山の人達がかかわっています。信じてくれる人がいること、必要とされる場所があること、それは更生にとって大きな支えとなります。更生保護は社会に暮らす人達が関わることで叶えられる取り組みなんです。それを知ってもらうための映画でした。

『罪を犯して保護観察付きとなった少年が協力雇用主のところで新聞配達の仕事につきます。店主はこのことを知っていますが他の従業員は保護観察中であることを知りません。職場の先輩が、早く仕事を覚えてもらうために、かなり厳しく指導をし、配達漏れのクレーム処理などで少しいらだち始めました。そんな時、店主と保護司の電話のやりとりで少年が保護観察中であることを他の従業員が知ることとなりました。店主に「何であんな奴を雇ったんですか!一緒に仕事はできない!と詰め寄るところへ外出先から戻った少年が立ち聞きをしてしまい、自暴自棄になり店を飛び出してしまいました。

夜の町をさまよっていて酔っぱらいにからまれ、今にも相手を殴ろうとするところへ職場の先輩が通りかかり、「土下座をすれば警察に言わず許してやる」と言う酔っぱらいの言葉に、何のためらいもなく頭を地面にすりつけ謝り続けました。日頃厳しくて自分は嫌われていると思っていた少年は、自分のために土下座をしてくれた先輩に礼を言い何故そこまでしてくれるのかと聞いたところ、じつは自分も昔、少年と同じ経験があるのだと言ったのです。行方を捜していた店主や従業員のもとへ帰り、店主に詰め寄った同僚の頭は、丸坊主に刈られていて反省の度合いが伝わり、その後は新聞配達の仕事に誇りを持ち仲間と雇用主のおかげで立ち直った』と言う映画でした。

成人の人が罪を償い更生するには「働く場所」がとても大切になってきます。働いて賃金を得ないと生きていけない、働く所がないのでまた罪を繰り返す事があるのですが、「協力雇用主」とは、事情を理解した上で自分の会社や店に雇い入れてくれる事業主のことを言います。この制度を理解して頂き、更生への道へ手をさしのべて頂ければ犯罪も減るのではないでしょうか。そして雇い入れてもらった本人も、その善意に報いるべく、少々のことでは根を上げない根性も必要ではないでしょうか。


[2194] 【2268回 師匠と弟子】 2010-07-02 (Fri)

7月1日、此花会館(梅香殿)で、落語家の桂あやめさんを迎え「笑いによるコミュニケーション」という題目で講演がありました。その後は「心のリレー」と言う罪を犯した青年が立ち直るまでを描いた映画があり、私は講師の桂あやめさんにお茶の接待をするという係で出掛けました。「此花だより」で区民に周知徹底していたことと、講師が著名人だとドッと出席者が増えます。この日も用意した180席の椅子が足りず大慌てをする嬉しい誤算もありました。何事もマイナスに考えずいつも笑いに変えて生きていけば何とかなると言う話を、おもしろおかしく60分に渡り聞くことができました。

まず何故、落語家になったのかから話が始まり、寄席が好きで子供の頃から近くに寄席があれば、いつも聞きに出掛けていたそうです。男性の客の多い中に、若い女性が、しかも前の方で熱心に聞いていたことから壇上の落語家達からも「またあの子来てたで〜」と話題になるほどだったそうです。落語家の中でも、桂小文枝(素人名人会の審査員をしていた人、現在は桂文枝を襲名)の落語が好きで高校生の頃、弟子入りを頼もうと楽屋に行きチャンスをねらっていたそうです。客席にいつも聞きに来ている若い女の子の印象が桂小文枝にもあったため「お客さん」として気軽に話かけてくれたそうです。

ある日、桂小文枝の家を訪ねて「弟子にして下さい」と言うと「弟子は取らんのや。まあ高校卒業したら、またおいで」と体裁良く断られたそうです。その時目にしたのが、ガレージの中にホコリまみれのりっぱな車を見つけ、しばらく動かしていないことを目ざとく見つけたそうです。「師匠は車には乗らないのですか?」と聞くと「車はあるけど運転手がおらんのや〜」と、その時、よっしゃ〜!これやっ!とひらめいたそうです。

18歳となり免許が取得できる年齢になると、すぐさま17日間の合宿免許に飛びつきました。グスグスしていると「運転手はもう見つかったさかい、あんたはいらん」と言われるかも知れないと、島根県の合宿教習所に行ったそうです。「対向車なし、信号なし、歩行者なし」のナイナイづくしで見事(?)免許を取得し、再び桂小文枝の家を訪れたそうです。あまりの熱意に「ほんなら明日からおいで」と言うことになり神戸の自宅から大阪の師匠の家に運転手として入ることになり、初心者マークを2枚持参したのですが師匠の奥さんが「危のおて2枚では足りん」と合計4枚を貼り付けて走ることになったそうです。

島根県では体験しなかった高速道路の車線変更におびえ、その度に師匠が後ろの窓を開けて後続車両に「すんまへ〜ん。わて落語家の桂小文枝だんねん、すんまへんが入れておくれやす」と叫んでくれたそうです。車庫入れもできないので雨の日などは師匠が車から出て「オーライ、オーライ」と誘導してくれて車庫入れが出来たときは師匠は雨でずぶ濡れだったそうです。付き人時代を3年勤め、やっと落語の勉強をさせてもらい現在の桂あやめさんがあるのだそうです。

現在のあやめさんがあるのは桂小文枝師匠の「人を育てる」という素晴らしい才能、素質の元にあるように思います。そしてチャンスを物にするための本人の努力も、忍耐もいると感じさせられました。

桂あやめとして少し名前が売れ始めた頃、強盗に入られ首を絞められるという被害に遭ったことがありましたよね。みなさんのご記憶の中にもあると思います。所属する吉本興業はこの時「よっしゃ!こいつを全国的に売り出すチャンスや!」と首にコルセットを巻いたままで記者会見の仕事を大阪、東京、名古屋と話があれば、どこへでも行かせたそうです。

「あのぉ全治10日間って言われてるし、首痛いんですが・・・」
「ええ。ええ。ええで〜。その首の白いそれがええんやがな〜」とマイナスをプラスに変えたと言う話でした
   (おあとがよろしいようで)


[2193] 【2267回 早くも7月になりました】 2010-07-01 (Thu)

7月になりました!暑いはずです。梅雨明けも間もなくだと思います。過日、高島トレイル「U」で蜂刺されに使ったリムーバーの消毒は、看護師だった嫁に聞くとキッチンハイターで消毒すればいいと言うことで熱湯で洗いその後キッチンハイターに浸け消毒完了しました。

高島トレイル「V」の「 抜土〜水坂峠 」はアプローチの関係で前夜にテント泊をし、午前6時から抜土を出発することになりました。最初の計画から、大幅に変更となりますが、これも下見をした結果、アプローチの無駄を排除し、かつ、みんなの体力の負担の少ない方法ということで了解をしてもらうことになりました。山の20qはかなりの距離かと想像しますが「ゆっくり歩き、しっかり足を上げて」を合い言葉に、スタートからゴールまで忠実に守れば大丈夫だと考えています。こうなるとお天気は「曇りのちミストサウナのの雨」を希望します。(ハハハ)高島トレイルの大幅な変更で帰着日の翌日に予定している青森行きに少々、無理が生じますが、運転を交代しながら、予定通り出発することにしました(正直・・かなりハード〜!)

高島トレイル「V」はテント泊と言うことで共通備品として準備をしなければならなくなりました。

●炊飯用鍋
●ブルーシート(小)
●水入れ
●食器類(環境に配慮して使い捨て皿等は使わない)
●コンロ・炭・網など

個人装備としては思いつくままに書きました。参考にして下さい。
●寝袋
●つっかけ(スリッパ)→テント泊の必需品です。
●着替え(オリオン号へ残す)→入浴するしないに関わらず汗のついた衣服を着替えましょう
●洗面用具・日焼け止め、虫除けなど
●行動食・飲料水など、

さながら屋久島の予行練習の様ですね。個人装備としては実施後、不要だったもの、不足だったものをお知らせしますので屋久島行きの参考にして頂けたらと思います。

食材の買い物としては
無洗米・サランラップ・おにぎりパック・梅干し、たくあん・味噌・塩、たまご、などでしょうか。夕食のカレーと、ごはんは出発前に仕上げておきますので、現地では温めるだけで結構です。到着後は翌日の朝と昼の弁当の用意をしなければなりません。みんな分担して働きましょう。そう言えば有峰の森でも、暗闇の中でみんな手際よく準備しましたよね。あの時のおにぎりはおいしかったです〜。

前夜テント泊のアルコールについては、翌日の山行に支障のない量で、各自でご用意お願いします。共同装備の買い物にアルコールを含まないのは、万一事故などがあった場合、「会で用意したアルコールを飲み過ぎて事故に遭遇」ということでリーダーが責任追及をされる事があります。現実に他の山の会でアルコールに関する事故が起きています。ご理解のほどよろしく。

栃餅、草餅は各自購入してください。とありますが、どっちでもええけど、下見の時1パック買い求め完食し、あまりの美味しさに、わざわざUターンし買い戻りましたが残念無念の「売り切れ〜」で後悔が残っている様子です。私は栃餅のアンコ入りをお願いしますね(自分で買えっちゅうのっ!)


[2192] 【2266回 従兄弟の死】 2010-06-30 (Wed)

久しぶりに姉から電話があり、私と同年齢の鹿児島に住む従兄弟が病気で他界したという知らせをもらいました。兄である故一刀水の葬儀の時も入退院を繰り返していて葬儀に参列できませんでした。普段あまり行き来していない親戚ではありますが、亡くなったという知らせを聞くと、やはり寂しいですね。

会社の人達や、警察所属団体の人達と出会うと「退職後も少しも変わりませんね」と言われると嬉しくなります。そしてその言葉は私の好きな言葉となりました。退職して主婦になりきると老けた感じがするのではと、いつも「それなりに」気を付けてはいます。元気があるうちに行きたい山には積極的に登りたいと、過日、ブナ美林を歩きながらくろねこさんと話をしたことがありました。「姫さんは、ま〜だ、ま〜だ若いよ〜!10年は大丈夫よ!」と太鼓判を押してもらいました。うれしかったなぁ。先輩である、くろねこさんが私達と一緒に現役で歩いておられることが私の理想とする姿かも知れません。そしてまた、よし枝ちゃんと言う先輩も、お琴の趣味やボランティアに、人生を輝かしている様子が、お手本となり、とても励みになります。

ポチが心臓手術で生き返った後「これからはおまけの命だから」とアウトドアーに引っ張り込みました。最初のきっかけは、しぶしぶであっても、今が共通ならばいいのではないかと満足しています。ただ少々、頑固だから、おヘソの磁石が、ちと、みんなと違い少し曲がっている時もありますが、これは仲間のみんな次第で正しい方向を向くことができますので、みんな〜!よろしくね!

そんなわけでと言うわけではありませんが(どっちやね〜ん!)初めて自分で東北の行きたい山を決め、スケジュールを決めました。最初のきっかけは、美空ひばりの「お岩木山のてっぺんから綿みてぇなリンゴの花が〜」の歌詞につられたんです。難易度も勿論調べました。しかし八甲田山については、有毒ガス発生事故以来、入山禁止という話も耳に入ってきました。それに出発前日には高島トレイルパートVがテント泊で実施と決まりました。

ポチは青森に向けて日々トレーニングに出掛け、火曜日も「有馬に下山」と下山報告がありました。まあ登山禁止なら酸ヶ湯温泉でも楽しんでこようと思っています。パワフル全開婆に番犬達は少しビビッていますが・・・


[2191] 【2265回 赤坂山頂上でのアクシデント】 2010-06-29 (Tue)

高島トレイルパートUを終えた「姫のおうち」に少し思わせぶりな、小説なら「次回に続く」みたいな書き方をしました(笑)レポートには詳しく書きましたが、じつは赤坂山の頂上で「蜂刺され事件」があったんです。

お昼は赤坂山頂上で食べようよと言うことにしてリュックから弁当ボックスを出し、既に座って弁当を広げた人もいました。時間は12時15分、「痛いっ!やられたっ!」ジョンの声に振り向くと右手親指を蜂に刺されてしまったのです。すぐさま姫のリュックの外ポケットからインセクト・ポイズン・リムーバーを取り出しました。救急道具は、とっさに取り出せないと用を足さないためリュックの外ポケットに入れていて今回は役に立ちました。

リムーバーで、吸い出そうとしましたが刺された場所が指先なのでなかなかうまく行きません。次の手としてはカッターナイフで切開しようと言うことになりました。ジョンは「蜂刺されより、姫にカッターで切られた傷口の方が痛かった〜!」と言われましたが、流血するまでカッターの刃を深く入れ、毒素を絞り出しました。その後、再度リムーバーを使い吸いだしたところシビレがスーッと引いて楽になった様子でした。シビレの取れたところで毒素が抜けたと判断し、飲料用の水で消毒し、抗菌性物質を含むドルマイコーチ軟膏を塗り、バンドエイドで処置完了。まだブーンブーンと不気味な襲撃音を立てて旋回しているため、急遽赤坂山頂上での昼食を中止し、粟柄越え分岐まで下がり安全な場所で弁当を広げました。

手の甲とか、腕とかの平な面を刺してくれればリムーバーだけで処置ができたのですが蜂の事情もあって親指の先に止まってでは、なかなかむずかしいですね。赤とんぼの歌に「♪♪とまっているよ竿の先〜」ってフレーズがありますが大事に至らなかったから冗談めいて書いていますが、一時は、緊張の糸がピーンと張られた感じがしました。

それにしてもクライミング中もジョンが刺され、今回もジョンが刺されました。(と言うことはねジョンと山歩きすれば蜂除けになるってか〜)お大事にねぇ。


[2190] 【2264回 天気よすぎる〜】 2010-06-28 (Mon)

日曜日の高島トレイルで曇り空を見上げ「な〜んにも見えやしない」とぼやいてしまいましたが本日の暑さだと、誰かが熱射病で倒れているかもしれません。曇り空で何も見えなくても、倒れるよりはましでしょう。急に暑くなり身体がまだ「夏仕様」に切り替えができていません。

高島トレイルでは、そう暑くはなかったですが行動食に助けられました。私は今回は「トマト・アメリカンチェリー・メロン・ゆで卵・キャラメル」を用意しました。出発前にジョンが「血糖値が下がってる〜」と言うことでメロン(夕張メロンではありません。1玉300円程度の水気の多い物)を2切れほど食べたら元気がでたといいます。あとは休憩毎にトマトであったり、チェリーを2粒3粒頬張りました。いつもはオレンジやキューリ、リンゴを用意するのですが、前日の雨で買い物に出られず、好みの行動食ではありませんでしたが何よりもみずみずしい事が一番の様に思います。

28日は守口に月曜日だけ出張で診察をしている整体師のところへ、零君と零君ママとで出掛けました。名塩からは、ももちゃんママが車を運転して病院の中で合流です。朝一番ということもあって比較的空いていたため「どこかへ行こう」と言うことになりいくつか候補地が上がりましたが子供達の「スカイパークがいい〜!」に決定し伊丹にあるスカイパークへ向けて車を走らせることとなりました。

守口から高速道路に乗り、空港線に乗るのですが環状線への車線変更で譲ってくれない車両の多さに、度肝を抜かれ、冷や汗タラ〜リでしたが無事スカイパークに到着しました。おりからの暑さで家族連れは噴水近くに集まっており、水しぶきを浴びながら、最後はシャツもズボンも脱ぎ捨てて涼を求めて大はしゃぎでした。見守る保護者は炎天下の中で暑さにやられグッタリ〜赤ちゃんの航大くんは婆ちゃんの腕の中でス〜ヤスヤ、日陰は風がありまだましでした。

これが昨日の高島トレイルだったらと思うとゾッとします。曇りでええんです。雨さえ降ってなければ、いいえ、雨もまた涼しいと思えば苦になりません。視界がゼロだなんてわがまますぎます。無事に完歩できればええんです。ほんま今日は暑かったです。


[2189] 【2263回 な〜んにも見えやしない高島トレイル U】 2010-06-27 (Sun)

6月27日(日曜日)高島トレイル「パートU」に行ってきました。梅雨空の中、雨こそは降らなかったものの霧に包まれ、山頂からは日本海と琵琶湖が望めるはずでしたが、な〜んにも見えませんでした。

オリオンさんの車の提供のおかげと、ポチの協力のもとに車をゴールまで回送し待機(工事中のバリケードはうまく通過できゴールの抜土まで来れたのか心配で胃が痛くなりました)

赤坂山の頂上では、アクシデントがありましたが午後3時40分、ほぼ予定通りに抜土に到着しました。人の気配で「お〜い、お〜い」と呼ぶポチの声が出迎えてくれたときは安堵したのか、ドッと疲れが噴き出しました。

詳しいレポートは後日のお楽しみ。


[2188] 【2262回 後輩との再会】 2010-06-26 (Sat)

かねてより「再会」の約束をしており、24日その日がやって来ました。会社の定時に合わせて午後5時30分、四貫島商店街で合流、お目当ての店に足を急がせました。いつもは満席状態で賑やかなのに、何故か、その日は2つのテーブルに客が座っているだけ。客側の私達にとっては「空いててラッキー〜!」なのです。

この店の特徴は「フリードリンク、」「スープ&パン&サラダ食べ放題」が付いていて、メーンのスパゲティやオムライスを注文すると、あとは自由にドリンク、スープ、パン、サラダをお代わりができて、とてもお得な満腹感を味わえる、四貫島の様な場末(失礼)でもお洒落で女性に人気があり、いつも店の前で待ち時間があるのが特徴でした。

ところが、ところがであります。このフリードリンクのシステムは、店の特徴であり、期間限定ではなかったはずなのに終了しましたとの事。サラダバーがあった辺りは、ドリンクバーのみ。しかも「380円の有料」と変わってしまっていました。このフリードリンク、サラダバーを四貫島でも味わえるお洒落な店として楽しむために選んだのに、ちょっと調子抜け。「いつからこのシステムに変わったの?」と聞くと6月6日からだと言う。この店は開店してまだ1年にも経たないのに何度も、改装している。最初に大盤振る舞い状態でオープンし、客が長居をし続け、回転が悪く、度々サービス内容を変更している。四貫島の客層はそんなところ敏感だから「お徳」でなければさっさと鞍替えをしてしまいます。だから今日みたいに空きテーブルが多いんや〜

かと言って、出るに出れずで利用しましたが2時間半もお喋りをしていました。会社のこと、結婚の事、年金の事(将来、貰えるのかなぁと言う若者代表の不安)、など、随分お喋りの花が満開となりました。こんな長居をする客ばかりだから店の回転が悪いのか、わかるような気もします。次はどんなサービスが減るのかしら(もう利用することはないと思うけど)

商売は難しい!サービス過剰では客は多いが儲けどころか赤字覚悟となる。儲けを重視すると、客数が減る、客が来ない。やっぱり、口コミで「あの店は美味しい!」と宣伝してもらい、店の特徴「美味しさ、スタッフの感じ良さ」等を売り物にして行かなければ、生き延びてはいけないのでしょう。

そしてこの日の支払いは後輩達からご馳走になる羽目になってしまいました。レジでお勘定のシートの争奪合戦となりましたが「やぶれる〜」寸前で私が手を離してしまいました。「いつもご馳走になってばかりやから、明日給料日ですし〜」の言葉に、ついつい甘えてしまいました。でもとても、うれしかったです。

口コミで思い出す、私のお気に入りの焼鳥屋が港区にあります。ここには予約制度もなく、開店と同時にドッと客が押しかけ、表で並ぶことが何度もある。一旦椅子に座った客は2時間ぐらいは帰ろうとしない。店の中には椅子が長々と並べられており、順番待ちの客がすわり、じっと客が帰るのを待っています。他に焼鳥屋は何軒もあるのですが、名物の手羽先が食べられるのなら、待つのは苦になりません。さながら回転寿司の順番待ちと同じ状態であります。

待ち時間を覚悟で「焼き鳥と言えば弁天町〜!」を合い言葉にノコノコやって来ます。もしこの書き込みを丹波の息子が読んだら行きたくってムズムズしているに違いありません。何故なら私が嫁と利用した時、偶然にも丹波の息子も順番待ちの列にいたのです。彼もまたここが好きなのです。

表通りから2筋も住宅街に入り場所も悪いのに何故こんなに流行っているのか・・・やはり口コミの評判は驚きの商売繁盛に繋がるのであ〜る


[2187] 【2261回 植木鉢の手入れ】 2010-06-25 (Fri)

24日の木曜日は、どこかへ出掛けたい気分の梅雨の合間の晴天でしたが、前日の雨量から考えると、地獄谷の水量も多く危険、どこの登山道も濡れてぬかるみ、落ち葉を踏むと危険、と想定し、おとなしく花壇の掃除をすることにしました。

小さなプランターにキュウリを植え、既に3本の収穫を得ました。それとは別に、大きなプランターにナスビ2本とトマトを仲良く植えましたが、この仲良くが命取りとなり、今年はナスビが1個もなりません。去年は「ナスビの花に無駄花はない」と言うくらい豊作で、ひと夏ナスは自家製で間に合いました。去年の豊作を知るご近所さんが、今年はみんな真似をして、トマト、ナス、キューリなどを植えて楽しんでおられます。「ナスビは他の物と一緒に植えてはダメよ」とうららちゃんに教えて貰ったときは、既に事遅しで大きく成長していたため植え替えも出来ずに今日まできてしまいました。

近所のおじさんが近づいてきて「今日は山には行かんのかいなぁ?」と声をかけてくれました。このおじさんは花博士でご自宅の花も見事に育てていることから、ナスビの実がならないことを話すと「そりゃあいかん。ナスビはタツプリ水が欲しい植物、トマトは葉がチリチリと枯れるが如く水を嫌う植物。そんなもんを一緒に植えたらいかん家庭内離婚みたいや〜!」「じゃあ来年は別々に植えるわ」と言うと「きっと来年になったら忘れてるで〜」とオチまで行って去っていきました。

夫婦も仲が悪くても、惰性や世間体で、何とか一緒に住んでいるのに、ナスビとトマトも何とか、相手を尊重し合って、実ってくれればと願っています。(もう手遅れかな)そう言えばトマトのアイコも去年は豊作で2人では食べきれないほどに収穫しましたが、今年は実のつきが少なすぎる感じがします。やっぱりナスビとトマトの相性は最悪のようです。でも今、抜くには、かわいそうすぎるので7月20日の青森行きまで、せっせと水やりを続けてあげようと思っています。

夫が定年退職をして「田舎に帰り、農業でもしようと思う」と言う夫婦をテレビで見たことがありますが農業でもの「でも」は作物達に大変失礼な言葉の様に思います。若い頃に、経験があったとしても土を作り、畝をつくり、作物の種を蒔く。それから成長を見守りながら、適時、肥料をやり、日照りに悩んだかと思えば、多量の雨に作物を腐らせることもあります。自分たちの食べる分を楽しみながら作るのであればまだしも、それを生活の糧にするには経験不足がのしかかってきます。農業とは、そんなに甘いものではないと思います。

私は幼い頃、お米以外は、自分の家で食べる野菜は自分の家で作る、つまり自給自足の生活をしていました。収穫前のとうもろこしが台風でなぎ倒されたり、スイカ畑が水に浸かりプッカプッカと浮いて流れたりしました。しかし狸やイノシシなどの獣にもっていかれることはありませんでした。まだ山の中に獣たちの食べ物が豊富にあったということでしょうか。

六甲横池でイノシシに襲われたと言う人の話を聞きました。「シッシッ」と追っ払うと、すぐ退散していきますが、すぐまた、力を蓄えて次に現れたときは加速して突進してくるらしいです。男性の人でも恐ろしい思いをするのですから、か弱い私達女性や子供達だと耐えれないかもしれませんね。野生動物に餌を与えない、これが鉄則です。ついついかわいそうと思い、弁当の残り物を与えている風景を見ると、知らないひとでも「そばの看板読めないのかなぁ?日本語で書いてるんやけど!」とやんわり(どこがじゃ!)注意をします


[2186] 【2260回 梅雨の季節と水虫】 2010-06-24 (Thu)

水虫は男性に多いと言うことでしたが、この頃では女性にも多く見られるようになったそうです。そもそも水虫は田圃の水中に菌が住み着いており、その中に足を入れて作業していて菌が付着したため水虫という名前がつけられたのだそうです。足に住み着いた細菌が汗を分解し臭いを発生するために「足くさ〜っ!」と言われたり、水虫の原因になるそうです。女性に水虫が増えたのはストッキングを履くため、15度以上の温度と高い湿度で繁殖をする原因を作っているのだそうです。

これらを防ぐには入浴時に、使い古しの歯ブラシに歯磨き粉(ケンマ剤が含まれているので)をつけ、指と指の間や足の裏を洗うと(1週間に1回でOK)、1ケ月で効果が現れるそうです。

履いた靴は、すぐゲタ箱に収納せず、風通しの良い場所で、脱ぎっぱなし状態で2〜3日置き、それからゲタ箱に収納するようにしましょう。表面上、治った様に見える水虫も角質が入れ替わる1ケ月は注意が必要です。余分な角質はこまめに取り除きましょう。
(女性の水虫は乾燥形)、(男性の水虫はジメジメ形)

「開帳足」ってご存知ですか。足の指が開かないので蒸れて水虫の原因になります。外反母趾や内反母趾を招く原因にもなります。長時間のハイヒールや、幅が広すぎる靴は更に足が広がるので靴を選ぶ時は、誰かが足をグッと握っていてくれる感じぐらいが好ましいそうです。

では自分の足が「開帳足」かどうかを調べるのは、足の指の中指の付け根あたりに「マメ」や「タコ」があるかどうか調べて見てください。それと足の指が開かない、歩いていて足の裏が痛くなる。などを調べて見て下さい。

(予防)
足のアーチを支えるために筋肉を鍛える。椅子に座り「グーチョキパー」の運動をすると開帳足が改善されるそうです。5本指の靴下は指と指を離すのにいいかもね。でもねぇ、5本指の靴下履いてお座敷に上がれない気がしませんか?なんかまだ認知されてないと言うか・・・・登山靴売り場で「山の靴下5本指」ってみたことないですよね?沢用の5本指靴下は売ってるけどね。薄手の5本指の靴下と2枚併用してアルプス行こうか?(靴の中で滑る?かな→ためしてガッテン〜)


[2185] 【2259回 山の話の仲間入り】 2010-06-23 (Wed)

山の話ばかりする会合に出席しました。山岳会メンバーだから、山の話をするのは当たり前なんですが、みんな登山歴の経験豊富です。ヒマラヤの麓など海外に出掛けた話には私自身が行ってないし、行くチャンスもない(まだ日本の未踏の山がいっぱいあるし〜)と思うので、あまり興味はありませんでしたが、日本の山々の話が出たとき、自分もその山の事が想像できると言うことにうれしさを感じました。ましてや自分自身も登ったことがある山の話の時は、大きくうなづき話に聞き入っていました。劔?白馬?白山?槍?行った!行った〜!武勇伝を聞きながら、水戸黄門ではありませんが、私にも「北鎌尾根から槍ヶ岳、穂高縦走」の紋所があることが心の中で心地よく輝いています。

山岳会に新しく入部してくる人が「登山を始めるきっかけ」は、やはり「槍ヶ岳や劔岳に登ってみたい」ということで夏山登山教室に参加をされるのだそうです。槍ヶ岳や劔岳が圧倒的人気だそうです。この山々に登れるための訓練なら惜しまないで参加をされるみたいです。ただ「会員に限る」という条件があり、我々の様な一般は残念ながら受講することができません。

仕事を持っている人達が多いことから、土日、祝日を利用して、さまざまな工夫をされています。前夜に出発して高速道路のサービスエリアにテント泊をし、早朝からクライミングに挑むことはザラで、登山も前夜発サービスエリア泊は当たり前の旅程の様です。サンデー毎日の私は、できるならば平日の山小屋の混雑のない時期に行きたいと思うように変わってきつつありますが、活気のある話に羨ましさを覚えずにはいられませんでした。そう言えば前夜発で山行を終え、月曜日の早朝着で戻り、そのまま出勤したこともありました。若かったなぁ〜!

今年はポチがサンデー毎日の仲間入りをしたこともあって、青森、屋久島と長旅の計画を予定しています。「思い立ったが吉日」とばかり遊ぶことばかりを考えています。何よりもそれが40年も勤めた自分への、ご褒美だと言い聞かせて納得しています。時間があれば日々トレーニングをと・・・!


[2184] 【2258回 テレビで見た屋久島情報】 2010-06-22 (Tue)

屋久島の日程の中に1日だけ予備日を設定しなければならないでしょう。大雨などで予定が変更になった場合にこの予備日を使用する予定です。1ケ月の間に35日間も雨が降るというジンクスを変えることができたら、この予備日を「屋久島観光」に充当できるのではないかと考えたりしています。丁度そんな時に、テレビ番組で美しい屋久島情報を放映しており、ウミガメの産卵が見れるということで躍り上がりました・・・が私達の行く季節ではなくガッカリ〜!7月頃までだそうです。(カメヘン!カメヘン!カメにも産卵の予定ちっゆもんがあるやろぅ〜)

屋久島には数多くの温泉があり、その中に平内海中温泉という温泉があります。平内海中温泉とは、その名のとおり海の中に湧く温泉で、干潮前後の3時間のみ入浴できるという、屋久島の名物温泉のうちのひとつ。入ってみた〜い!
水着不可、足湯不可、「ド混浴の露天風呂」なので、女性が入るにはかなり厳しい状況の温泉ですがバスタオルを巻けば入れるのではないかなぁ。みんなで入れば怖くない!期待しています。この温泉は、たまにツアー団体が見学に来るらしく、運悪くそれに、かち合ってしまったら、さらし者になるよ!出るに出れないよ〜。だけど、せっかく訪れたからには、女性でも勇気を出して、ぜひチャレンジしてみるべきだと思いませんか?(思わないかぁ)こんな温泉には、ほんとになかなか入れません。屋久島の大自然を満喫できる、海の中の超ステキな温泉に入ってみたい!

参加者10人の希望を叶えてもらえるとしてひとりづつ希望を言っておくのもまた楽しいね。貸し切りジャンボタクシーの運転手さんに希望箇所を渡して1日かけて廻ってもらうってのは、どうかしら?叶えてくれても、叶えられなくてもドキドキわくわく楽しいね。私は平内海中温泉〜!そうそう干潮前後の3時間のみ入浴可能。志納金100円ね。

屋久島登山でよくある質問を観光協会が回答していました。参考になればと思います。

(質問1)縄文杉・宮之浦岳日帰り登山に必要な服装は?
(回答1)上下別の雨具、夏以外は薄手のセーターなどの防寒着、保温性のあるもの

(質問2)縄文杉・宮之浦岳日帰り登山に必要な持ち物は?
(回答2)リュック、軍手・タオル・ハンカチ・ロールペーパー
    水筒(500ccのペットボトルでよい。水場はたくさんある。)
    行動食(チョコレート・あめ玉など)

(質問3)縄文杉・宮之浦岳日帰り登山に必要な体力、年齢は?
(回答3)普通以上の体力があれば行けます。小学3年生以上ならば大丈夫です。

(質問4)一般的な登山ルートは?
(回答4)荒川登山口−縄文杉往復(日帰り)
    淀川登山口−宮之浦岳往復(日帰り)
    淀川登山口−宮之浦岳−縄文杉−荒川登山口(山中1泊)
    白谷雲水峡−縄文杉往復(山中1泊、日帰り)

(質問5)水場はありますか?
(回答5)たくさんあります。上部に登山道のない沢はほとんど飲用できます。

(質問6)山小屋はどんな小屋ですか?
(回答6)すべて無人の避難小屋で管理人・電話はありません。
    水場・トイレは近くにあります。

(質問7)電話はありますか?携帯電話は通じますか?
(回答7)ヤクスギランド・荒川分かれに公衆電話があります。縄文杉デッキ、宮之浦岳等の山頂、稜線上では携帯電話が通じる所もあります

(質問8)タクシーは登山口で乗れますか?
(回答8)登山口でタクシーに乗るには、予約が必要です。白谷雲水峡やヤクスギランドから乗るのにも予約が必要です。

(質問9)ヤマヒルが出るらしいですが?熊や毒蛇はいますか?
(回答9)ヤマヒルは島西部の登山道とヤクスギランド上部には出ます。雨天時は要注意。熊はいません。ヤマカガシ、マムシはいますが滅多に出ません。ハブはいません。

(質問10)空港周辺でガスカートリッジは買えますか?
(回答10)空港内の売店にて購入できます。安房、宮之浦地区でも購入できます。

みなさまへの、ご案内はいまリーダーが作成中です。いましばらくお待ち下さいね。


[2183] 【2257回 八甲田山中、有毒ガス発生】 2010-06-21 (Mon)

産経新聞朝刊を見て驚きました。7月20日から出掛けようとしている八甲田山で有毒ガスによる死者がでたとのこと。現地まで行き「入山禁止」等の看板があれば勇気ある撤退も想定して旅程を組まなければと思っています。以前、酸ケ湯温泉に行ったときも周りには硫黄の臭いがたちこめていました。風の方向次第では息苦しく感じたことがありました。

『6月20日、青森市の酸ケ湯温泉付近の八甲田山中で、山菜採りに来ていた男女3人が倒れていると119番通報があった。青森県警によると、中学2年(13)の死亡が現場で確認された。現場は、硫黄泉がわき出る地獄沼から徒歩で約30分登った地点。周囲には硫黄臭が立ち込めており、県警は火山性の有毒ガスが発生した可能性があるとみて、詳しい状況を調べている。』 (産経新聞抜粋記事)

恒例の家族行事で酸ケ湯温泉に出掛けての痛ましい事故となりました。本当にお気の毒なことです。

「入山禁止」の看板によく似た話で「姫のおうち2255回」に書きましたが、高島トレイルのコースで「工事中」の看板があった事を書きました。月曜日の朝、看板に書いてあった工事請負会社に電話をしたところ「日曜日の工事はしていない。通行可能です」と言うことでした。これで下見をしたことが無駄ではなくてホッとしています。参加者の皆様には、安心して「黒河峠〜抜土」まで快適な尾根コースを歩いて頂けることとなりました。スノーシューで雪に埋もれていた赤坂峠を初夏の風を受けながら、寒風(ここは寒い風が吹くのかしら?)コースを楽しみましょう!

勿論!下山した抜土では、ポチドライバーが皆さんの無事下山を首をなが〜くして待ってもらえる事となりました。よかった!よかった!但し、温泉入浴は時間的に無理かもしれませんが、汗ばんだ登山服の着替えは、どっちみっち、要るから、車の中に残しておきましょうね。


[2182] 【2256回 父の日?そんなんあったん?」 2010-06-20 (Sun)

母の日は全国に名を轟ろかせていますが、ついつい父の日は忘れがち(だって我が家の理想の父親像がピーンとこないも〜ん)一体だれが決めたんやろ?

父の日は毎年6月の第3日曜日(今年は6月20日)、起源はアメリカ。アメリカ・ワシントン州の『J.B.ドット夫人』が教会の牧師にお願いして、亡き父の誕生月6月に、父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われています。当時すでに母の日が始まっていたため、ドット夫人は父の日もあるべきだと考え「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったといわれています。

ドット夫人が幼い頃、南北戦争が勃発。父が召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てていました。父親が戦争から戻ってまもなく母親は過労がもとで病死。以来、父親が男手ひとつで男の子5人とドット夫人を育てあげました。南北戦争後の悲劇の時代、辛く貧しい時代にもかかわらず、再婚もせずに生涯にわたって子供たちのために働き続けた父親に、彼女は父の日を提唱することで、その絶え間ない父の努力と深い愛情に感謝したいと思ったのだそうです。父の日の花は「白いバラ」というのが一般的。これはドット婦人が、父親の墓前に白いバラを供えたからとされています。

これはとてもいいお話ですね。再婚もせずに6人の子供を育てた父親に「父の日」というプレゼントをしたドット夫人は素晴らしいですね。しかし日本では、やれネクタイだの、やれベルトだのとデパート商戦に乗っかり本当に心から感謝をしているのかどうか?。プレゼントよりも、父の日には父のパンツもシャツも娘と同じ洗濯機で洗ってやってください。父の日だけは「臭い、汚い」と嫌わないでやって下さい。そしてお父さん!お父さんも娘にそう言われない様な清潔なお父さんになってください。お願いしますよ。

私の父は、酔っぱらうと、よく母を困らせていました。だけども50歳を過ぎてから生まれた私をとてもよくかわいがってくれ川漁にはいつも連れて行ってくれました。「お前が男やったらのぉ」父の口癖でした。父に感謝をするとしたら、親が亡くなった後も非行に走ったりせず、少々の逆境に負けない気丈なDNAを残してくれたことでしょうか。

(父の日の感想は私個人の感想です、念のため。皆様はとても素敵な父の日を祝ってもらっていることだと思います)

ポチは、2人の嫁に「お父さん、お父さん」と言って、よくしてもらって幸せそうです。ロッジから戻ると零ファミリーからプレゼントが届いていました。名塩ファミリーは、後日届くそうで、この日は元気な子供達のメッセージをもらいました。昔は息子達からは幼稚園で作った「肩たたき券」や「お手伝い券」などをもらっていました(ポチッ!お父さんらしい事しいや〜)


[2181] 【2255回 高島トレイルの下見】 2010-06-19 (Sat)

「問題山積み・・・高島トレイル」それでも元気に実行!

第1回目のファンファーレ高々とスタートしたもののアプローチには、問題点が多く、ルートに取り付くために2時間歩いたり、滋賀県から入って福井県に下りるアプローチもあるため、第2回目を目前にして車で下見をするために午前7時四万十号はまたまた湖西道路に向けて走りました。バックミュージックは「琵琶湖哀歌」まだ姫はすこぶる元気の様子です。

ポチが調べたと言う石田川ダムへの林道は途中で鉄製の施錠がされていて、やむなくUターンをする羽目になりました。林道とは、途中で通行止めが常識の様です。そのため1時間のロスではありましたが、本番でなくて幸いでした。

スノーシューで行ったことのある、処女湖を下り27号線小浜に向けて軌道修正をしました。道を間違えても、悪路を走っても、途中の道の駅で福井名物の「焼き鯖」を買うことは忘れませんでした。昼食は第2回目のゴールの抜土の予定で、粟柄ー河内谷線入り口に到着。

すると不吉な立て看板が立っていました。「5/15〜6/30まで工事のため通行禁止」とあります。我々がここを通過するのは6/27で工事の真っ只中と言うことになります。

車が入れる箇所で降車し、道路いっぱいに停めている工事用ダンプの横を通り、抜土まで歩いて距離を測ろうということになりました。30分ほど歩いたところに「粟柄関所跡」の碑があり「大谷登山口まで8.2q、滋賀県境まで8.3q」と看板があり、距離が判明したことから引き返すことにしました。

@工事終了の6/30以降に日程を変更するか
A工事関係者に掛け合い通過させてもらうか

ダメモトで交渉し、その結果みなさんに相談しようと言うことになりました。何とか、ルート上を楽しく歩いてもらい、1分でも短いアプローチを考えながら帰る道すがら、頭上にモリアオガエルの卵を1個、2個、3個・・・地面には猿のウンチが1山、2山、3山・・・数えればきりがありません(笑)川に目をやるとヘビの様に蛇行して水量豊か耳川、緑色の芝草の中を、お尻の白い毛を揺らしながら日本鹿が飛ぶように駈けていきました。すごいっ!野坂山地!心労もすっ飛びました。

渓流の里まで戻り、弁当を広げました。途中で買った福井名物の焼き鯖、撒山で採ったワラビの天麩羅と撒山産の破竹の煮物、卵焼き、函館の鮭と五穀米など豪華弁当(?)で、高島トレイルの道のりは遠く厳しいけれども、遠く厳しいからこそ達成感があるのではと希望を捨てずに突き進むことにしました。これも福井の焼き鯖効果でしょうか。とても前向きです。

ここまで来たならもう一踏ん張りと言うことになり、さらに秋までのコースの「横谷峠」まで走りました。これで車のデポ場所が確認出来て、ひとまず安心できます。

帰り道、燃料補給を済ませ、道の駅「朽木市場」で栃餅と近江米を買い、大阪に戻り着いたのが午後6時。何と述べ11時間も行ったり来たりしたことになります。アプローチは問題山積みではありますが登山のコースは最適に相違ありません。今日出会った、モリアオガエルは巣立っているかも知れませんが、猿軍団や日本鹿に出会えることを期待しています。


[2180] 【2254回 暑さ対策をしっかりと】 2010-06-18 (Fri)

6月17日の「撒山から安土城跡」のウオークで、余りの暑さに「雨の方がいい」なんて言いましたが、今朝の雨を見ていると、やっぱり降らない方がいいに決まっています。ときおり吹いてくるそよ風は、暑いからこそのご馳走で、合羽で蒸す状態だと、そよ風をそよ風と感じられないと思います。やっぱり、昨日は降らなくて良かったです。

暑さ対策の濡れタオルを1年ぶりに使用しました。(手軽で便利な冷却スカーフ)途中で水分補給をしてやるとゴールまで首筋が冷たくて気持ちがよかったです。帽子もかぶっているだけで冷蔵庫みたいに涼しい〜って商品はないものでしょうかね。

お出かけが晴天であったことから合羽の手入れも省けました。昨日採った「ワラビ」と「破竹」の料理をして撒山と安土を振り返っています。それにしてもみなさん「お出かけ切符」をうまく工夫されて購入されているのには感心しました。ある人は出発地点から到着地点までの路線を表に書き「ここからここまでは私鉄」「ここからはJR」「これは昼特キップ」「回数券」と見事なほどに使い分けをされていました。昨日の様に片道2千円を超す運賃の場合はチケット屋で購入する方法もあります。参加者でまとめて回数券という方法もあります。遠くへ出掛ける時の「じょうずなキップの買い方」をお昼の講習に取り入れてもいいですね。

暑さ対策のために、お茶や水も、そろそろ凍らせて持ち歩きたいものです。ポチはこの頃、ポットの中に氷を詰めて持ち歩いています。歩いていて、つらくなったら氷を1粒かじるのだそうです。それならば味付き氷(製氷器にジュースやコーラを凍らせる)はいかが?アイス売り場で味付き氷も売っていますよ。夏の暑い時の弁当は茶漬けもいいですよ。どんなに暑くて食欲がなくても茶漬けならお腹に流し込めるでしょ。食べないとバテが来るしね。行動食は、トマト、オレンジ、キューリなどの生の野菜や果物もいいですね。アミノバイタル、ツムラ68もお忘れなくね。

みなさん!これからの登山やウオークは熱中症に気を付けてお出かけ下さい。


[2179] 【2253回 ピクニック例会】 2010-06-17 (Thu)

しばらく歩いていない人のためには絶好の「ピクニックウオーク」繖山(きぬがさやま)から安土山ということになりました。お久しぶりぶりのお二人さんも軽やかに歩き始めました。

と思いきや、いきなりの長〜い階段が続き、奇しくもリーダーが一番に体調不良を訴えました。それもそのはず外気温は30度を超しています。「今日のコースは山ではなく、ピクニックだからね」と言って出発したばかりですのに。

JR安土駅を出発し、ふら〜り、ふら〜りのピクニックモードで写真を撮ったり、地図の勉強をしたりと、少し繖山
を舐めていたようです。長い階段も、さることながら暑くってたまりません。今日は無風状態で「高島トレイルの雨が恋しいよ〜」と誰かが叫んでいました。

観音正寺を過ぎ、繖山の頂上に行く途中、雑草を刈るボランティアのおじさんに出会いました。そのおじさんがポチの声に聞き覚えがあると話をしてこられました。「えーっ!いやーっ?ごきげんさん!」なんとポチが勤めていた会社の先輩だったのです。家がこの近くで雑草刈りのボランティアをしているのだとか・・こんな山奥で知り合いに出会うなんてビックリ〜!

昼食の後は「今日は暑いので熱中症の手当の仕方を勉強しよう」突然ビニールシートを広げ、講習と言うよりは抜き打ちテストをしてもらった気分です。みんな真剣に取り組みました。これからは充分水分をとり熱中症にかからないでおきましょうね。

あまりの暑さに安土城跡へは行かず(それに拝観料がいるらしいし)タニシのいる田圃や稲の苗が水に揺れる様を眺めながらゴールの安土駅に戻ってきました。参加者全員「あのまま安土城跡に登っていたら熱中症にかかっていたかも知れない」とゴール後、着替えを終えビールやアイスクリームで喉を潤し、車中の人となりました。

詳細は後日、写真とセツトし、アップ致します。乞うご期待


[2178] 【2252回 登って&歩いて気が付いたこと】 2010-06-16 (Wed)

「第1回高島トレイル・愛発越ー黒河峠」を登って&歩いて感じたことを「びわ湖高島観光協会」に投稿しました。早速下記の様なお返事を頂きました。

『高島へお越しいただきありがとうございます。
また、この度は高島トレイルに関する貴重なご意見をいただきありがとうございます。 高島トレイル運営協議会担当者にも報告させていただきました。
ご意見いただきましたこと、おっしゃる通りですので今後のトレイル整備・管理の面において努力しますとのことですのでどうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
       社団法人 びわ湖高島観光協会 事務局』

私の投稿した内容は
@スキー場を上り詰めたところ山への取り付きの看板(ラミネート)が地面に落ちていて、しかも何か文字を書いているのですが雨で消えて読めません。

A黄色いテープが道標となっていますが長さが短かったり、長かったりと美観を損ねます。雨風できっとちぎれるのではないでしょうか。それと肝心の分岐点で「はて右か左か」と迷ったときテープが見あたりません

B木製の看板もところどころにありましたが少なすぎます。壊れている箇所もあります。経費節約も理解できますが「高島トレイル」と銘打っているのですから、もう少しお金をかけてください

C文句をつけているのではありません。我々は大阪、京都、兵庫とトレイルを歩いていて京都トレイルの様にりっぱな看板を要求しているのではなく、主催者の方達は地方から来る登山者の立場に立っていないということです。しかし自然は私達を受け入れてくれ空木の花が満開で、天気ならば見晴らしもよかっただろうと次への期待をもたせてくれました。次からも大変楽しみにしています。

私達は、12回分割と1年をかけて歩くからこそ、他府県から来た者の意見も大切ではないかと投稿した次第です。これで時々スタッフがコースを歩いて、看板の修繕や、道標のテープの補強などに努力をして下さると期待をしています。

●とにかくアプローチが大変!黒河峠のあの場所に車を駐車しないで、林道を延々と歩いた人のブログを読みました。ブナ林の快適登山を終えての林道歩きはつらかったそうです。本当に、あの場所に停めて頂いたオリオン号様々ですっ!

アプローチが大変だから、なかなか取り付けないから、また感動も大きいのでしょうね。ねぇ皆様〜!今度の黒河峠からのコース最高らしいですので、「お試し参加」はいかがですか?まだまだ座席に余裕ありですよ。


[2177] 【2251回 合羽とリュックのご入浴】 2010-06-15 (Tue)

高島トレイルを終えた後、温泉に入り戻ってきているので、その夜の内風呂は不要なのですが、雨に濡れた合羽、リュックの洗濯のために、浴槽にお湯を張りました。合羽を洗濯機で洗うと言う方法もあるそうですが、私はまだ一度も洗濯機に入れたことはありません。入浴済みのお湯に浸けて、足や手で汗と汚れを押し洗いするのです。

高島トレイルでは小さな葉っ葉やお昼に座った場所の木々のクズなどが付いており、お湯の色も、見る見るうちに汚くなってきました。「こんなに汚れてるんや〜」何度かすすいだ後、リュックも浴槽につけて、足で踏んで肩パットや背中のパットの汗を絞り出しました。スパッツ、登山靴の紐と靴底ソールはネットに入れて洗濯機に放り込みました。

合羽は水切りのために浴槽の淵に掛けて翌朝を待ち、裏にして半日、表にして半日、陰干しをして乾燥したことを確認したら、防水スプレーをかけて、また半日かけて陰干し完了。これで木曜日の織山に間に合いそうです。

ポチが屋久島行きまでに新しい合羽を欲しがります。最近の合羽は上下別カラーで、いかにも新製品とわかる合羽をみなさんが着ているので欲しいのでしょう。しかし手入れがいいのか(笑)どこも破れてませんし、色の汚れもありません。「物を大切にする」子供の頃からそう躾られてきていますので、ポチの言い分ばかりを聞いてられませ〜ん。但し、機能性が衰えてきて、身体に水がしみてきたら買い換える必要はあるかと思いますが、いまのところ大丈夫です!

登山を初めて間もない頃、大山登山に行った時のことです。雨に遭い、市販の農作業用の合羽(8000円位)を着たところ、雨には対応できましたが、体の中は汗でズブヌレになっていたことがありました。空気が抜けないため汗で濡れてしまったのです。「こんなんだったら合羽を着ないで雨に濡れてるのと同じやっ!」と思って、今の登山仕様の「空気は通すが雨は通さない合羽」に買い換えました。やはり道具というものは、適材適所だと痛感したにが〜い体験があります。


[2176] 【2250回 屋久島の準備そろそろ】 2010-06-14 (Mon)

先週の金曜日のことです。「今日はジット君なのかなぁ?」と聞くと「いや今日はムービーくんや」と「地獄谷から有馬に行く」とのことで出掛けました。さすが土曜日の城山から岩梯子は「高島トレイルのための休養」とついてきませんでしたが・・・。「ジット君」は嵩高いから主婦にとって天敵です。ウオーキング協会の行事にに一人歩きの男性が多いのはそんな理由もあるのではないでしょうか(笑)勿論「健康のため」と歩いている人もいるとは思いますが。

随分、暑くなってきましたので水分補給をしっかり取り、塩分も糖分もとりながら長期登山ができる身体作りを心がけて行きたいと思っています。(今のところ思うだけ・・・)行動食の中にキューリとゼリーをしのばせる季節となりました。乾燥したものより生ものが美味しく感じられる季節到来ですね。

長期の登山については、息子夫婦へ山行予定表を郵送することにしています。1泊や2泊なら行き先を自宅の黒板に貼っておけばいいかもしれませんが、東北の長旅や屋久島の長旅などは詳細を知らせるようにしています。

夏山登山の案内もまだなんですが、屋久島は予約事項が沢山あるため、そろそろ準備にとりかからなければなりません。10月ってアッと言う間に到来しそうです。飛行機のキップは旅行会社に依頼をしていますが、宿は一軒家を借り切ることにしました。太郎小屋で時間もまだ早いうちから、隣の人に「うるさい」と文句を言われたらしいので、今回は少々騒いでも隣室を気にせず過ごせるように考えました。一軒家なので洗濯機も、物干しも、冷蔵庫も付いています。洗濯機は全自動なのか二層式なのか行ってみないと大きさはわかりません。みんなで一緒に能率よく洗濯機を使えば、荷物の軽減にもなりそうです。誰かのパンツと私のTバックが絡まないように「洗濯ネット」を用意していただこうと考えています。但し天候次第で乾かない場合もあるので、着替えはちょっといるかなぁ。一軒家なので修学旅行の様な楽しさが味わえるかも知れませんね。

早朝出発では、バスで移動するのも困難となり、移動はすべてジャンボタクシーをと考えています。宿を探したり、タクシー会社に折衝したりと、なかなか手間取りますが、ひとつづつ解決すると前に進んだ、うれしい気分になります。

「会社行事は『実施する』と決めた日からスタート」と今まで、取り組んできました。特に運動会等は色々制作しなければならない道具があったりするので職場毎に工夫をするのも大変楽しかったものです。仕事以外に意外な器用さを発揮して「万年幹事」に任命した若者もいました。

会社行事でも、登山パーティでも「参加をしてくれる人がいる」これが一番大切なことです。いくらりっぱな企画をしても運動会に参加者が少ないことほど力の抜けることはありません。屋久島も、もう少し煮詰まりましたら、参加者の皆様に集まって頂き、あるいはテント泊の予行練習を兼ねて当日と同じ荷物を背負って、近場の山へ行けるといいですね。但し、その時は車からすぐのキャンプ場を探します。


[2175] 【2249回 高島トレイルスタート!】 2010-06-13 (Sun)

零ちっちと作ったテルテル坊主の効果も薄く、小雨の降る中ではありましたが、高島トレイル第1回がスタート致しました。福井県と滋賀県の国境と言うことで国境スキー場「ポイント0」からスタートしました。先客の彦根から来たと言う男性4人組は、もうすでに黒河峠に車をデポして来たと、今にも出発しそうなところへ私達が到着しました。

「車を駐車するところがありませんよ。よかったら私達の車の横に停めますか?」と、わざわざ駐車スペースを作って譲ってくれました。フロントガラスに落ちていた雨も私達が出発する頃には雨も止み、私達の車も1台は黒河峠にデポに出発。戻ってくる車を待つこと40分。午前10時にスタートとなりました。

いざ出発と言うことになり、みんなくろねこ隊長の後に続き、いきなりのスキー場の滑走路は、きつ〜い!上り坂。ウオーミングアップの歩く距離もなく、山登りで一番嫌なパターンです。しかし稜線歩きは、琵琶湖を眺めながらブナ林の中を出たり入ったり、原子力発電の電波塔が立ち並ぶ中、乗鞍岳(865.2b)の三角点を踏み、降り始めた小降りの雨の対応の合羽を身につけ、「マイナスイオンいっぱい〜」と強がりながら楽しい高島トレイルの幕開けとなりました(結果的には太陽が照らずで「へばり」なし)

ゴール後はデポしておいた車に全員乗り、スタート地点に駐車していた車の回収に行き「マキノ高原さらさ」で温泉に浸かり、気持ちの良いスタートを切ることができました。第二回目は、これまた最高のコースですよ!休まないで来て下さいね。2回目が初参加の方、大歓迎します。ここだけの話、次回の黒河峠から赤坂山、寒風のコースが一番最高なんだそうですよ。!

詳しくは後日レポートに写真を組み合わせアップ致します。乞うご期待ください。


[2174] 【2248回 新しい岩を発見】 2010-06-12 (Sat)

天気もよいことから本日のトレーニングコースを芦屋の「城山から岩梯子」ときめました。滝の茶屋に行く途中右手に「城山へ」と看板を見ながら地獄谷に行くのですが今日はその看板を右折しました。2009年10月に、やまたびでも一度、城山から岩梯子まで行っているのです。いつも、このコースは登山者が少なくて快適コースです。

出発から1時間も経たないうちに鷹尾山(263b)に到着しました。前回は、ここでみんな写真を撮ったり衣服調整をしたり、そうそう健太くんも参加していましたね。同じ場所に立つとあの時のことが懐かしく思い浮かんできました。

岩梯子を登り、リュックの通過できない七右衛門嵒をくぐり、荒地山の頂上を踏まずに、岩梯子の右を下りました。そしてブラックフェイスの岩壁の中を登攀し、しばしブラックフェイスの頂上で風に吹かれながら地図を広げて位置の確認をする事にしました。遠くに見える神戸の港は少し霞みがかかっています。海に浮かぶ船は動いているのか動いていないのかわからないほど、ゆっくりと白波を立てて進んでいる様です。

ブラックフェイスからテーブルロックという新しい岩の上に降りることにしました。名前の通り大きなテーブルの様にまっすぐで、たいらな岩です。ここで早めの昼食。あとは道畦谷を降下し、宝泉水を通り動物霊園の前に出ました。

そうそう、動物霊園で思い出したのですが岩梯子の手前でビーグル犬(混血犬)に出合いました。「えっ?あんたひとりなの?」「ワンッ!」なるほどワンだからひとりか〜

でも飼い主らしい人は誰もいなくて、どうなるんやろうかあの犬・・・・

岩梯子をハイキングモードで来た、ご婦人2人が前を登っていました。そのうちのひとりがどうしても岩場を通過できません。後ろに私の気配を感じたのか「お先にどうぞ」と言うことで先を譲ってもらいました。先に登った婦人が「あんた〜!その人が登れてるんやから、あんたも登れるやろ?はよおいで〜!」おいおいそれはないやろ〜。靴はと言うとウオーキングシューズでした。「お気をつけてね!」と先を急ぎましたが大丈夫だったんでしょうか。

私達が岩梯子を楽々と登れるまでには、みんなで何度もトレーニングをしています。前の人が行けたから後ろの人も行けるとは限りません。何か六甲をなめられてる気がしてなりませんでした。

12時には阪急芦屋川駅近くに戻っていて、時間も早いことからJR尼崎駅で途中下車して「あま湯」で汗を流して帰りました。やっぱり登山の後は温泉と生ビールに限りますね!


[2173] 【2247回 癒しの唱歌】 2010-06-11 (Fri)

唱歌を歌わなくなって久しくなりますが、先日、零を連れてロックガーデンに行く途中、車の中で「とけいのうた」を何故か口ずさみました。

♪♪
コチコチ カッチン おとけいさん
コチコチ カッチン うごいてる
こどもの はりと おとなの はりと
こんにちは さようなら
コチコチ カッチン さようなら

コチコチ カッチン おとけいさん
コチコチ カッチン うごいてる
こどもが ピョコリ おとなが ピョコリ
こんにちは さようなら
コチコチ カッチン さようなら

長い針と短い針が重なり、離れていく様子が、とても楽しげに歌詞ににじみ出ています。いまは、若いお母さん自身が童謡を口ずさまなくなりつつあるので、せっかく幼稚園で習った歌も忘れがちになるのだそうです。童謡・唱歌は我々の年代では十八番!しっかりと歌ってあげたいと思い、四万十号に「童謡の本」を乗せました。何故なら姫婆ちゃんは歌詞をでたらめに歌い孫達から「そうちゃうで〜!」と度々指摘を受けるのです。歌うなら正確に歌ってあげたいと思っています。

●下記のアドレスはメロディ付き童謡のサイトです。参考にどうぞ

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html


[2172] 【2246回 再 会 】 2010-06-10 (Thu)

1年ぶりにある会合の総会に出席することにしました。退職して2年が経過するので、そろそろ引き時かなと思うのですが、12年前の発足当時のメンバーということでお誘いを頂くと、ついつい出掛けて行ってしまいます。M部会長が退任される時は私も引き際よろしく消えてしまう所存です。

お偉い方から「キュウキョ ケッセキ シカイシンコウ タノム」今時に珍しい電報のようなメールをもらいました。最初からの策略か、本当に急遽なのか疑いつつも、安請け合いをしてしまいました。出席者の皆様の協力を得て無事総会・懇親会を終了することができました。この会議には私の勤めていた会社の後輩も出席していて、久しぶりに会社のこと、仲間のことなど、みんなで頑張っている様子を聞く事ができました。

私ともうひとり退職された方が名誉顧問として出席されていますが、その方は定年後にチェロを習い、サイクリングを趣味として逞しく日焼けをされていました。チェロも人前で聞かせるほどになったとか、一度聞いてみたいものです。定年後に趣味を探して挑戦された様子で、生き生きとされていました。が、しかし、but、この方も奥様からは「ジッとちゃん」とか「パナシくん」とかの愛称でよばれているそうです。意味をたずねると家で何もしないで「じっとしている」か、何かをすれば「水を出しっぱなし」「電気をつけっぱなし」「服を脱ぎっぱなし」の「パナシくん」になるのだそうです。嫌みのきつ〜い内容でも「ジッとちゃん」とか「パナシくん」とかの愛称で皮肉られると、笑いが起こり、けんかにはなりませんね。非常に参考になりました。

1本締めの後、お決まりコースは「二次会はカラオケ」と決まっています。椅子もないほどにみんなギュウギュウ片寄せ合って、すし詰め状態です。進行係は常任の方がいて、まんべんなくお勧め上手をしてくれてM部会長を除く全員が、自慢の喉を披露しておられました。私は「パナシくん」と「荒城の月」を二部合唱してカラオケ点数「92点」と言う高得点を頂いちゃいました。でも最後まで「95点」の得点の人には勝てませんでした。何を隠そう!95点を出したのは「南国土佐を後にして」を歌ったオイラ!


[2171] 【2245回 高島トレイルいよいよ出発間近】 2010-06-09 (Wed)

大阪ダイヤモンドトレイル、京都トレイル、六甲山縦走と「大阪・京都・兵庫」を制覇したら、もう高島トレイルに行くしかありません。観光協会は『ようこそ高島トレイルへ』と銘打ってはいるもののバスの便が、すこぶる悪く、秋には高島トレイル利用客用として日曜日のみバス運行予定があるらしいですが電車とバスの連絡も悪く、1日1便でその時間に乗り遅れたら大変です。そんなこんなで『タクシーをご利用下さい』とのこと。そんな秘境に我々は足を踏み込もうとしています。

記念の第一歩は6月13日の日曜日。天気は限りなく鉛色。(我が家の動くテルテル坊主をブログに載せました)

現地集合JR湖西線近江高島駅集合のツアーで行けば、交通費以外に8500円の参加料が必要で、かなり高額な出費となってしまいます。高島トレイルは、その尾根に取り付くためには、どうしても車が必要となり、下山ポイントに1台デポし、もう1台でスタート地点からスタートし、終了後スタート地の車を回収するという方法がベストだろうと考え実行します。ポチが「人数すくなかったら1台で行けるやろ?」といいますが参加者が2名であっても車は2台必要になるのです。2回目、3回目からの参加も大いに歓迎ですので、ふるってご参加下さい。「このコースだけ歩きたい」とおっしゃる方も大歓迎です。琵琶湖を眼下に歩いてみませんか。
記念の第一回目に一人でも多くと、個別にお誘いメールやら電話をしましたが皆さんそれぞれにご予定があるようです。

マキノの愛発越から今津を経て朽木の三国岳に至る80qに及ぶ中央分水嶺のトレイルで、,京の都に近い事もあり“若狭越”と呼ばれる12の古道が分水嶺を越え、トレイル上には12の名山と12の峠があります。

●12の名山
@乗鞍岳865.2m、A三国山876.3m、B赤坂山823.8m、C大谷山813.9m、D大御影山 950.1m、E三重嶽974.1m、F武奈ケ嶽865m、G二の谷山608.2m、H行者山586m、I駒ガ岳780.1m、J百里ガ岳931.3m、K三国岳 959m

●12の峠
@愛発越、A黒河峠、B粟柄越、C抜土、D近江坂、E水坂峠、
F椋川小原越、G駒ヶ越、H池河内越、I木地山峠、J根来坂、Kナベクボ峠

これを12回に分けて楽しもうと言う計画です。スノーシューで赤坂山に行った時、雪に埋もれた「高島・・・」の看板も、今度はくっきりと見えることでしょう。楽しみです。


[2170] 【2244回 auの請求書】 2010-06-08 (Tue)

「auの請求書が変わる」
そんな封書が舞い込んできました。エコ対策なのでしょうか。

2010年9月からau携帯電話の請求書が「紙請求書」から「WEB de 請求書」に変わるそうです。今まで通りの「紙請求書」を希望の場合は有料になり1請求書あたり52円かかるといいます。1ケ月52円ということは1年で624円、10年生きるとして6240円。う〜ん、カラビナが買えるぞ。パソコン登録をすると1回線あたり21円(2回線だから42円)割引があるといいます。1年で504円、10年で5040円割引になります。

細かい計算ですがパソコン登録をするだけならと、マニュアルを片手に汗ダクダクになりながら画面に沿って進んでいくのですが、なかなかうまくいきません。22時までならオペレーターによる案内もしてくれると言うので画面をひろげて、オペレーターに誘導されながら30分もかけてやっと登録を完了しました。

まぁ何とオペレーターの親切なこと!そう言う教育を受けているのでしょうか気長に対応をしてくれたことに感謝を申し上げ電話を切りました。

au携帯をお使いの皆様、登録は済みましたか?パソコンへの登録、携帯電話への登録が選択できるシステムになっていますが結構大変でした〜。

しかし9月以降「紙請求書」を要求しない場合は明細書無しで口座から自動引き落としされてしまうのは、ちょっと不安なものがあります。通話料いくらで、メール料いくら使ってと納得してからの引き落としなら文句なしですよね。

それにしても自宅の固定電話の利用が、ほとんど基本料金だけになってしまいました。NTTが「もっとお安くなる方法があります」と宣伝してきますがインターホンと受電専用ですと言うと、あきらめて電話を切ってしまわれます。

私の住んでいた土佐の高知の昭和30年代は電話は村長さんの家にだけあり有線で呼び出しをしていました。ピンポンパーンと有線開始の音がすると、何をしていても手を止めて、集中して聞いたものです。お通夜や、お葬式の通知も有線で流れてきていました。大阪に来て自宅に電話が付くと、とても金持ちになった様な、裕福になった様な気分になったものです。

いまは猫も杓子も携帯を持ち、行動をお互いが把握していて、都合の良いような、悪いような・・・そう言えばロックガーデンの風吹岩で見かけた猫も携帯電話持っていましたわ(そんなわけあるかっ〜!)

●(おまけ)

「猫も杓子も」→「禰子も釈子も」
★神官の長を神主といいます。その神主の下の位を禰宜(ねぎ)といいます。そして禰宜の子孫を禰子(ねこ)といいます。

★仏弟子を釈子(しゃくし)といいます。お釈迦さまの弟子、お釈迦さまの教えを受け継ぐ者という意味です。

「猫も杓子も」はもと「禰子も釈子も」であったといわれます。つまり、お釈迦さまの弟子も、神様の弟子も、みんないっしょにと言うことてす。これから転じて「どんなものも、みなすべて」の意味になったのです。

禰子の字が難しいためでしょうか、ニャンとも理由は分かりませんが、いつのまにか猫としゃもじに化けてしまいました。


[2169] 【2243回 むずむず脚症候群】 2010-06-07 (Mon)

例年だと6月6日は入梅らしいのですが、今年は少しズレているそうです。週末の天気は悪そうですが梅雨時に雨をこわがっていては外出することができません。雨対策をしっかり取りおでかけしませんか。(低体温症人間の姫が言うのもおかしいですね)

「むずむず脚症候群」・・・そもそも、こんな名前の病気があること自体知りませんでした。脚の不快感で寝れない、じっと座っているときや横になっている時に、脚に不快感が起こり、「脚を動かしたい」と感じる。この不快感は「むずむずする」「虫が這っている」「ピクピクする」「ほてる」「いたい」「かゆい」「電流が流れる様だ」など、さまざまな言葉で表現されています。この病気は徐々に進行していくと言われており、一般の方はもちろん医師の間でもまだあまり知られていないため、自分の症状が病気であると気づいていない場合や、病院に行っても医師に理解してもらえないことも少なくないそうです。患者さんの中には「足はいらんから、とにかく、ぐっすり眠らせてくれ〜」と訴える人もいるそうです。

●予防法はあるのでしょうか
まずは生活習慣を見直すことにより、症状の改善が期待できます。 コーヒー・紅茶・緑茶などに含まれるカフェインは脚の不快感を強くするだけでなく、眠りを浅くすることがあるので、できるだけ控えるようにしましょう。アルコールや過度の喫煙も症状を悪化させることが知られています。

●鉄分不足も原因のひとつ
鉄分不足も原因のひとつにあげられていますので、鉄分豊富なレバーやホウレンソウ、あさり、いわしなどを積極的に取りいれ、バランスの良い食事を心がけましょう。また、サプリメントで鉄分を補給することも効果的です。また、就寝前にストレッチやマッサージなどで筋肉をほぐすことも効果があるそうです。

●では何科へ行けばいいの?
まずは、睡眠専門医、神経内科医に相談しましょう。むずむず脚症候群は、筋肉や皮膚の病気ではありません。中枢神経に関係する病気ですから、睡眠専門医あるいは神経内科医に相談しましょう。

しかし、しかしです、世の中には色々な名前の病気があるのですね。「亭主げんきで留守がいい」が大変喜ばれますが「亭主病気で家におる」なんて言われないように、定年退職をされた世の男性諸君!(ポチだけかも・・・)生き甲斐を見つけてくださいね。


[2168] 【2242回 地獄谷】 2010-06-06 (Sun)

昨日の「へばり」のショックで眠れず、深夜にデパスを服用し、珍しく午前8時過ぎまで寝てしまいました。朝起きてメールを見ると今日の予定が変更になっていました。相棒も昨日の私の「ヘバリ」で消化不良を起こしているのでしょう。ポチはすでに地獄谷にむけてトレーニングに出発した様子です。「おいてけぼり」はないよなぁと思い阪神淀川駅から芦屋に向かいました。駅前広場にも数人の待ち合わせの人達がいましたが、途中の公園では団体さんがミーティングをしておられました。この団体の前を歩くのも、後ろを歩くのも大変と城山コース分岐点までを、ぶっとばし、滝の茶屋に到着、ここで一服。滝の茶屋付近では若者達が出発の準備をしており、お先に失礼とばかりに地獄谷コースに入りました。今日は水量も少なくて歩きやすそうです。

沢登りのリベンジトレーニングと自分にハッパをかけ、いざ水しぶきの中へ。比良山系の水温とはくらべものにならず高く、時間も午前10時ということで低体温症の心配はなさそうです。途中で中年の男性に先を譲り、続いて登って来た短パンで腕ムキムキにストック2本の、やや若めの男性と一緒に登る格好になりました。この人は荒地山で水を汲んで帰るらしいです(荒地山にそんな場所ありましたっけ?)

小便小僧の水辺に真新しい供花があり、誰かここで亡くなったんでしょうか?それとも故人がこのコースが好きだったんでしょうか?それにしても少し不気味でした。

小便小僧を過ぎ、堰堤に降りたところで、若者に先を譲り、前回マーキングした箇所を確認していきました。だって前回、ポチが道迷いしたって言うじゃないですか、どこで間違ったのか調べながらマークの確認をしましたがしっかりとマークは付いています。念のため風吹岩に直登する箇所にケルンを作っておきました。後ろに人の気配を感じて振り向くと、先に行ったはずの若者が何故か私の後ろに歩いています。
「どうしたのですか?」と聞くと「道迷いしました」とのこと。道迷いはポチだけじゃなかったんですね。堰堤を降りて、さらに登って行くと大きな滝と小さな滝にでるのですが、小さな滝は登攀し、すぐカニの横ばい状態で移動する箇所を、そのまままっすぐ上に登り藪漕ぎして修正したと、苦笑いをしていました。まぁまだ時間も早いですからね。

風吹岩到着が11時20分、ここでしばし休憩して、おにぎりでも食べることにしました。おにぎりだけしかありませんが、時折吹いてくれる風がごちそうとなり、もうこれが最後よと言わんばかりに岩の割れ目に咲くツツジが食後のフルーツとなり心地よい贅沢な自分だけの時間を過ごすことができました。そうそう、野良猫が2匹出迎えてくれました。零ちっちがいたら「誰のおうちのネコ?」って聞かれそうです。こんな高い場所で生きていけるのですね。登山者がお弁当を分けてくれるのでしょうか、まるまると太っていました。

「ここをゴールとします!救急の講座を受ける人は〜!」と女性の声が響き、ドッと団体さんの到着です。朝、公園でミーティングをしていた人達の様です。昼食場所の岩のレストランの場所をその方達に譲り、阪急岡本駅に通じるコースを、ゆっくりと下山することができました。自宅に帰るとポチはすでに帰宅しており、お風呂の用意をしてくれていましたので、ジャポ〜ンと浸かり、ビールを飲み、充実した1日に感謝を告げた次第です。おつかれさまでした〜!


[2167] 【2241回 沢のぼり無念のリタイヤ】 2010-06-05 (Sat)

自宅を午前6時に出発しガリバー青少年旅行村到着は午前8時すぎ、すでにガリバー村の駐車場のおじさんはスタンバイをして入場料の徴収作業にとりかかっていました。「沢登りです」と告げると無料で指定された駐車場にとめさせていただけます。ありがたや、ありがたやです。(2年前は人数分払ってたよなぁ)

ガリバー青少年旅行村はJR近江高島駅から鴨川に沿って約13kmの所にあり、比良山系の武奈ケ岳(1214.4m)北部に 広がる緑豊かなレクリエーション施設。この施設の命名は、悲劇の将軍足利義輝といわれ、部下のクーデターで、近江の国に逃れ、比良・北小松で、遊んだときに命名したと伝えられています。

やっと修繕の出来た代替え品(新品)の沢靴を昨夜から水に浸し準備万端整えて、沢登りの出で立ちも整い、「八淵の滝」を登るべく入渓点までの急な上り坂を登っていきました。第1歩の片足を水に浸け「さぶ〜!冷た〜!」これが第一歩、第一声です。2009年6月6日には獅子ケ谷に入渓しているのですから寒さもすぐなれるだろうと入っていきました。八淵の滝は「魚止の淵」「障子ガ淵」「唐戸の淵」「大摺鉢」「小摺鉢」「屏風ガ淵」「貴船ガ淵」「七編返し淵」の八っつの滝から成る比良山系でも有名な沢登りルートで、シーズンになると滝の下で順番待ちをするほど賑わいますが今日は誰も入渓者はいない模様です。

しかし水量は半端じゃなく魚止の淵は登れそうにありません。1年ぶりとあって水が何となく怖く感じてしまいました。時間も早い事と、水の冷たさに身体が震え、軽度の低体温症状態になり「ギブアップ」を申し出ました。足が全然あがらず鎖場でも2度ほど休憩をしなければ登山道にでれないほどになり大摺鉢を目前にして、あえなく、リタイヤすることにしました。

これ以上無理をして進むと多分、怪我をしていたと思います。勇気ある撤退ということで心残りはありますが「水量も多いことだし」と自分に納得をさせ駐車場に戻りました。ショックはショックですが・・・!

駐車場を出てから帰り道、いつものコース入浴施設「比良とぴあ」に立ち寄ることにしました。入浴後、広場のテーブル&ベンチをかりて弁当をひろげました。この場所に、つい最近、熊が出たということであちこちに張り紙をして注意を促していました。「熊に出合ったらどうするか」「死んだ振り」なんてジョークを飛ばす元気も今日はありません。正しくは熊に背を向けないで、熊の顔をしっかり見て、目は合わさず、後ずさり状態で逃げるのです。人間も怖いですが、熊も怖いから襲ってくるのです。

「比良とぴあ」の売店で「蕗」の束を見つけ、「蕗の佃煮」を作ろうと、ありったけを購入してきました。破竹も買ったよ。お風呂に入り、弁当やレーションを食べたことで、身体も少し楽になりました。でもこんなこと初めてでショックも大きかったですが、水量か゜減る頃にリベンジしたいと思っています。去年、入渓したときの楽しげなレポートを読み返し、今日の無念さを沈めているところです。

琵琶湖湖畔も美しく、思わず「♪♪遠くかすむは彦根城 波にくれゆく竹生島 三井の晩鐘音たえて なにすすりなく浜千鳥♪♪」を口ずさめるほどに体力は回復していました。


[2166] 【2240回 零くんの初登山】 2010-06-04 (Fri)

5月30日、ロックガーデンA懸岩で、小学校1年生の女の子が岩登りをしていたのを見て婆ちゃんの心が動きました。
「ももちゃんと零くんにはいきなりA懸岩は無理やろうなぁ」
「子供用のハーネス高いやろなぁ」そんな独り言をつぶやいていると「ただいま戻りました!」元気な零ママの声です。4月29日から北海道に里帰りをしていたのですが先日大阪に戻ってきた様です。おみやげがあると言うので再会することにしました。しかし零君が、もぞもぞばかりして、ちっとも顔を出してくれません。どうしたのかと聞くとママが「バリカンで切りすぎちゃったので怒ってるの〜!」とマルコメの味噌の宣伝坊やみたいな零君が顔を出しました。「プッ!」と吹き出しそうになるのを我慢して「よく似合ってるよ、夏だからね涼しくていいよ」と慰めましたが零にしたら何とも収まりません。爺ちゃんが地獄谷に行く用意をしていたので「お山に行こうか?」と言うと「うん。行く」とやっとご機嫌が直りました

(マルコメ零の写真はブログに載せました)

車のパンク修理(結果的にはタイヤ交換となりました)も終えて芦屋の滝の茶屋に到着したのが11時前でした。登山者もなく、団体さんもいなくてロックガーデンは静かで貸し切り状態、ふとホワイトフェイスに目をやると男性が一人クライミングの練習をしていました。まさかっ〜うちのメンバーさんではないでしょうね。「ヤッホーッ!」と声かけしましたが、ノーヘル&半ズボン姿でしたので「メンバー外の若者」と判断することにしました。

腰にシュリンゲを巻き、逆転防止用に肩からもシュリンゲを掛け、さあ出発です。岩場もこわがらずに楽しげに登りました。爺ちゃんが手とり足とり、うるさく教えているのですが、あんまり聞いている様子はなく、(教え方ヘタ〜ッ!)子供の感で上手に手足をつかって登攀していきます。ママの方が心配でしたが今日の目標のA鉄塔まできましたので休憩をして折り返そうとすると「まだ登りたい」と言うので鉄塔の左側に格好の岩場があり支点を取る大きな木もあることから、岩登りをさすことにしました。ス〜イ、ス〜イとキャッキャッ言いながら登っていきます。下降動作はちょっとむつかしそうですがそれでも3〜4回繰り返していました。

下の堰堤の水場にはイノシシの親子(ウリ坊4頭)が遊びにきていて大喜びです。「婆ちゃんここは動物園?」ハハハ参った、参った〜。

滅多に昼寝をしないらしいのですが車に乗った途端に疲れたのか眠ってしまいました。いままで使ったことのない神経を使ったからでしょうか。でもカッパ寿司の前では起きたよ〜!


[2165] 【2239回 ベットのきしみ】 2010-06-03 (Thu)

我が家の家具も住人も老いぼれてきました。むかし息子がどこからか持ち込んだ安物のパイプベットがギシッギシッと音を立てて眠れないとポチが訴え新しいベツトが欲しいと言います「いっそ介護ベット買おうか?」と言うと、それにはまだ早いらしい・・・・

どうせ捨てるならと時間をもてあましている身、ベットを分解してみたら、ベットの下に当てている板が真っ二つに割れていました。これがギシッギシッの原因の様です。「あと10年も使わないんやから暇に任して修理したらどう?」と言うことになりコーナンに出掛けていきました。側にいると口もでるし手も出るしで見えないところへ非難することにしました。今日は、これで1日が消化できそうです。

今は大型ゴミの収集日がありません。不要なベットなどを回収して貰うときは

@粗大ゴミ収集受付センターへ電話(大阪市は0120−79−0053)
A不要品名を告げると「回収番号」と「料金」と「回収日」が通知されます
ちなみに簡易ベット1000円、マットレス700円
B郵便局やコンビニで「リサイクル券」を購入します。
C回収日の朝9時までに不要品にリサイクル券を貼り「回収番号」を記入します

と手続きもややこしい。昔は「大型ゴミの日」がありタタミやタンス、フトンなどが山積みされて車が通れない風景があちこちで発生していました。またリヤカー付き自転車で不要品回収のおじさん達が掘り出し物を探していました。なつかしい光景です。現在は手続きがややこしくなったのと有料ということもあって、山中に投げ捨てる不届き者がいたりします。登山中、何でこんな山奥に洗濯機が?と驚きと怒りが湧き出すこともしばしばです。

それで、それで、ベットは直ったのか心配でしょ?何とかギシッ、ギシッという音は消えたそうです。あと10年ガンバレ!ベット君!!


[2164] 【2238回 子供手当】 2010-06-02 (Wed)

「子ども手当」支給開始。問題点も山積みですが、とりあえず貰った人はうれしい!

6月1日から支給される「子ども手当」。中学生以下の子供1人当たりに月額1万3000円が支給、大阪府知事の橋下さんちには7人の子供がいると言う。13000円×7人=おっと9万千円も毎月入ってくるんですね。1年で1,092,000円かぁ〜何か変だよね〜もっと有効な使い道ないのかなぁ。子供のいない家庭には残酷な制度だね。

「孫手当」なんてのがあれば笑いが止まらない・・・だって爺ちゃん婆ちゃんも、孫に対して何かと物いりだもんね。ももちゃんちは3人だから貰ったら、スイミングの月謝とピアノ教室の月謝に変身するのかな〜?じゃあ生まれたての航大くんの分は?

そう言えば「特別給付金」って全国民にバラまいたけど、何に使ったか覚えていますか。アッと言う間に消えた気がします。子供手当をもらったら「貯金する」と答えた人が多くいました。赤字国債を発行してまで支給するのだからそれはないよね。何かご機嫌取り政策みたいで私は同意できないね。

親からの幼児虐待を受けて施設で生活する子供達の「子供手当」は虐待をした親もとに入るそうです。何か間違っている気がします。滋賀県では子供が外国にいるため受給資格がないと言われ窓口で大暴れして逮捕された人もいました。問題は山積み〜。

「子供手当」で浮き足だっていますが、「児童手当」はなくなります。児童手当は月に1万円だったので、子供手当てに変わって、毎月3000円増ってことになります。大騒ぎしている割には、収支の面では大したことがないように思います。(児童手当は小学校卒業まで、子供手当ては中学校卒業まで)となっていますが、これも「ハトポッポ政権」が変わればどうなりますことか。

まあそんなあぶく銭は当てにせず、自分たちで働いた生活費の中でしっかりと躾の行き届いた人にやさしい子供を育てることに専念して下さい。


[2163] 【2237回 今日から夏モード】 2010-06-01 (Tue)

今日から6月衣替え、小学校の子供達も半袖姿で元気よく通学して行きました。会社も今日から衣替えのはずです。冷房も今日から解禁となります。冷やしすぎないように気をつけたいものです。外から戻った営業マン達は入室した途端の「ヒヤッ!」っとがたまらないご馳走です。かたや事務職は終日、冷えた中で働き続けるのですから「冷房病」なるものも発生します。地球温暖化対策として「冷房の適温は28℃、暖房は18℃」と言われています。

事務所衛生基準規則というのがあって(第五条)
●事業者は、空気調和設備、又は機械換気設備を設けている場合は、室に供給される空気が、室の気温が17度以上28度以下、湿度が40%以上70%以下になるように努めなければならない。 とあります。

しかし近年はコンピューターの集約箇所(サーバー部屋)の温度が上がりすぎて過去にサーバーがパンクし、何百万円も修繕費がかかったことがありました。原因を調べてみとる室温の異常上昇ということもあって6月1日を待たず「人間よりも機械」優先で冷房が作動しはじめています。昔は製造部門がビルの隣に共存していた時は「現場が扇風機を使用しはじめた時からビルは冷房開始」としていました。ずいぶん事務職からクレームが届いたものです。しかし集中管理箱にロックをし、徹底して「暖房」→「冷房」に切り替えませんでした。

山歩きをするようになってから、尾根筋を吹き抜ける風に幸せを感じて、人工的な冷房が身体になじまないようになってきました(年のせい?)汗をポタポタ落として登る途中で、何ともいいようのない、そよ風が吹いてくれたときは帽子を取り、ため息をつき「きっもち〜い〜い!」と誰に言うでなく独り言をつぶやいています。

今はまだ窓を開ければ快眠ですが、もう少しして「暑い、暑い」を連発するようになれば風呂上がりは冷房の効いた部屋がいいねぇ。蒲団をガバッとかぶり冷房の効いた部屋で朝まで熟睡が好きです!


[2162] 【2236回 新しい息吹き】 2010-05-31 (Mon)

昨日忘れ物をした芦屋の地獄谷に車で行くことにしました。平日で滝の茶屋付近の駐車場はガラガラだと思いこんでいたら、なんと「満車」みんなが縦列駐車している中で1台だけ横向きに停めている迷惑な車があるために、はみ出してしまっているのです。仕方がないので少し下に停めて、リュックも背負わず、ヘルメットと登山靴という装備だけで行くことにしました。滝の茶屋は休日、上の茶屋も何やら修繕作業をしているだけで客はいません。地獄谷は昨日より水嵩が引いており登山靴がビショ濡れになることはありませんでした。

と・・思ったら、最初の取り付き地点の、いつも足を置くところは水の中、そこしか置く所が見あたりません。やっぱり登山靴とズボンの裾は濡れちゃいました。

★ご報告「忘れ物」はありました。★

A懸岩の崩落は、ゲートロックと同じく、自然のままで修繕する予定などないのではないでしょうか。昨日もスニーカーにデイバックの出で立ちで地獄谷を下る人が2名いましたが、滑ったり、転んだりはしなかったんでしょうか。気になるところです。今後、軽装で入山し事故が多発すれば「地獄谷は崩落と事故多発地域のために閉鎖」となるかも知れません。そうなったら寂しいよね〜!

話は変わりますが3月の大雨強風で鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れてしまったニュースはみなさんの知るところですよね。その後どうなったのか心配で調べてみましたら、倒れた大木から、新芽がだいぶ生えてきたそうです。幹を輪切りにした方からも新芽が出てきたそうです。何百年先にはもとの大銀杏となるのでしょうか。

貴船神社にも樹齢700年の杉や連理の杉がありご神木として崇められていました。「連理」とは別々の木が重なってひとつになる。夫婦、男女の仲むつまじいことを言うのだそうです。杉と楓の和合は、とても珍しいそうです。紅葉の頃、みなさんと一緒に行きたいですね。



[2161] 【2235回 A懸岩が大変!】 2010-05-30 (Sun)

貴船から戻った翌日、地獄谷に入りました。水量は先週の大雨の影響でズブ濡れで通過することとなりました。最初に濡れてしまえばあとは、こわいものなしで小便小僧まで登りA懸岩に出ました。何と先週の大雨でA懸岩の半分が崩落していました。丁度、私達がクライミングをする時、お弁当を広げる場所、岩場に向かって左側の丁度真ん中あたりに小さな木があり、それにヌンチャクをかけるあたりも崩れて見るかげもありません。A懸岩は真ん中の1ケ所しかクライミングができなくなっています。自然の破壊力の恐ろしさを垣間見ました。

(ブログに崩壊の様子の写真を載せました)

休憩していると、品の良いご老人と小学校1年生の女の子がクライミングにやって来て「ついこの間来たときはどうもなかった」との話でしたので、きっと貴船、鞍馬ウオークを中止した日の大雨で崩れたんだと思います。おじいちゃんがA懸岩の上から支点を作りに行ってる間に、その女の子と話しをしました。
「どこから来たの?」
「芦屋」
「電車を降りた駅じゃなくて、どこに住んでいるの?」
「芦屋」
そうか・・・この子は芦屋の子なんや。だから、あのおじいちゃん、とても品がよさそうなんや。おばあちゃんもクライミングをするし、従姉妹も一緒にするのだそうです。ス〜イ、スイと登攀し懸垂下降まではいきませんでしたがクライムダウンの姿勢もサマになっていました。

中央稜の岩場では70人ほどの団体の「夏山教室」が開かれており、中高年のみなさんが、熱心に岩場の歩き方を学んでおられました。夏山教室で受講された方を対象に槍ヶ岳登山に行かれるとか。

帰りに、いつも電車の中から見ている「あま湯」に入り汗を流して帰宅となりました。鞍馬温泉の露天風呂と変わりないほどの値段でした。「あま湯」に行くときは朝から夕方まで利用し、何度も入浴すれば「減価償却」できます。浴衣やムームー貸してくれるよ。

家に帰り、リュックを整理していると地獄谷に忘れ物をしたことが判明しました。今から取りに行くわけにも行かず、明日、ふたたび回収にいってきま〜す。

(陰の声)
ガソリン代使って取りにいく代物かよ〜と言われましたが、山の中での忘れ物は環境汚染につながります。忘れ物を思い出したら、わずかな品でも取りに行きたいです。姫シール貼っているから、残しておいてね〜!但し、明日はリュックなしで行ってきます。


[2160] 【2234回 貴船から鞍馬コースリベンジ】 2010-05-29 (Sat)

5月だと言うのに4月初旬の気温で少し肌寒さを感じる5月最終の土曜日、やっぱり諦めきれなくて、京阪電車出町柳駅8時30分に降り立ちました。天気はすがすがしい晴れ模様、歩くのに丁度良い気温です。

京阪電鉄「出町柳駅」で叡山鉄道に乗り「二の瀬駅」で下車、いよいよ歩き始めることとなりました。秋だと紅葉のトンネルで人もごったがえすのですが、今はシーズンオフなので静かに歩くことができました。ニノ瀬駅から、ニノ瀬ユリ、貴船山、更に滝谷峠、奥貴船橋、貴船神社、鞍馬寺の山門、鞍馬駅ゴールと決めています。「二ノ瀬ユリ」の「ユリ」は百合の花が群生しているのかと思っていましたが、「ゆっくりと長く続く登り坂」の意味だったことが現地の看板で解りました。

二の瀬駅から1時間ほど歩くと京都トレイルで歩いたことのある、夜泣き峠の分岐点にでます。夜泣峠の由来は「幼き惟喬親王(これたかしんのう)が、母とともにこの峠を越えて貴船に向かおうとしていましたが、日が暮れて峠で夜を過ごすことになり、峠の地蔵に祈ったら泣きやんだ」ことから夜泣峠と名前がついたそうです。今回は分岐を通過するのみとなりました。

貴船山(699.8メートル)の三角点を撫で、谷筋を降り滝谷峠へと登り返すことにしました。水の流れる谷筋を抜け、林道にでたところで弁当を食べることにしました。今日の弁当はカレー。(弁当にカレーってか〜!これが案外いけるのよね〜)滝谷峠へ行く道には、かって繁栄したであろう山荘の廃屋や、ヘビ2匹の出迎えもありました。

青い空に緑の木立、白く咲く「うつぎ 」の花がとても美しく咲いていました。ピンクの「谷うつぎ」もきれいでしたよ。水の流れや、苔むした岩を見て「まるでミニ奥入瀬渓谷みたいやなぁ」夏によし、秋更に良しのコースです。

貴船神社は、京都府京都市左京区にある神社で日本全国に約450社ある貴船神社の総本社であります。思った以上に時間がかかり、貴船神社で、すでに午後3時となってしまい鞍馬山は次回のお楽しみにということにしました。山行距離12q、山を登ったり、降りたりの12qは、かなりハードな気もしましたが、周りの景色が励みになり快い疲れは残りましたが大雨の貴船は中止にして良かったと思っています。登山道が全て川と化し、大変な悪路となるところでした。1週間過ぎた今日もまだ、ぬかるんだ箇所も多く、水の中を通過する箇所も沢山あり、結構楽しかったです。

(次回の参考)

●鞍馬温泉は、四季の美しい風情を楽しみながら、寛いでいただける天然硫黄温泉。山ふところに抱かれた露天風呂は、ちょっとした秘湯の趣き。目前に広がる山の眺めに、心ほどける一時を味わうことができます。泉質は単純硫化水素泉、効能は神経痛、糖尿病、腰痛に効くという。しかし料金は驚くほど高い。入浴料金2500円(露天風呂のみ1100円)

●貴船名物の川床は、準備は出来ているものの、客はまばら。きっとまだ寒いのとちゃうのかしら?以外と若者が多かったです。
川床弁当5800円(入浴料込み)
川床会席9300円(入浴料込み)
川床地鶏水炊き又は鴨鍋9300円(入浴料込み)と、この料金設定は、殿方が、かわいい女性を連れてお忍びでやってくるところかな。(ハハハ)               

●日帰り入浴で最高800円までが「相場」だと思っていて、入浴する時の基準にしています。故郷にある四万十温泉は600円ですが石鹸、タオルの装備がありません。タオルや石鹸は客に持ってきてもらい、低料金で何度も利用してもらえるようにとの説明でした。な〜るほど〜。六甲保塁岩からの帰りの「乙女の湯」は銭湯と同じ金額で、りっぱな温泉です。私の愛車の四万十号の中には、いつでも、どこでも温泉入浴できるように、タオル、石鹸、シャンプーを乗せています。


[2159] 【2233回 産休突入】 2010-05-29 (Sat)

なつかしい言葉です「産休〜!」
昭和45年と、昭和49年に私も取得させてもらいました。その頃は知識も乏しくギリギリまで出勤すれば「合計で産前産後6週間分」と思いこんでおり、出産直前まで勤務していて、産前の休暇はとれませんでした。正確には現在は出産日を産後と数え労働基準法で「産前6週間、産後8週間」となっているはずです(双子はまた別扱い)だから予定日から逆算して42日前からお休みを頂けるのです。

以前勤めていた会社に、出産前の後輩がいて、5月末日をもって産休に入ると言うことで、「産休前お食事会」に私も参加させて頂くことにしました。本人には私が出席することを内緒にしてもらいました。何故なら、私の退職送別会の時に感動した「思いがけない人との出会い」を彼女にも味わってもらいたかったからなのです。みんな約束を守ってくれて、驚きの再会となりました。彼女とは退職後も度々会っていますが、他のメンバーは退職以来の人達もいます。「元気してましたか?」「お久しぶり〜」お互い挨拶を交わし宴は盛り上がりました。彼女は私が新人研修をした最後のメンバーかもしれません。何でも素直に聞いてくれて会社行事にはとても協力的で私の右腕的存在で大変助かりました。

彼女が入社した15年前、彼女の歓迎会があり一次会、二次会とするうちに「あのぉ終電車がなくなりましたぁ」と言うことになって、私がお母さんに電話をし、入社早々配慮が足りなかった事を詫び、外泊許可を得て、私の家に泊まることになりました。まだあと何人か一緒に泊まったと思います。朝は弁当を作り、朝食を食べ、みんなで出勤したことがありました。いまとなっては楽しい思い出です。

会社がコンピューター化していく中で若者は学校で学び、その上覚えが早く、我々年寄りだけがついていけずにオロオロしていたときがありました。彼女に「パソコン教えて」とお願いして手取り足取り教えてもらったものです。パソコンの使える今の私があるのは彼女のおかげです。

「女の大役」が待っていること、しかし「案ずるより産むが安し」であること、心に余裕をもって子育てすること、行き詰まったらいつでもSOS発信をすることなどを約束して花束を渡して、お別れしました。赤ちゃんを抱いた彼女の姿を想像するだけで幸せな気分になりました。

私の参加をみんな温かく受け入れてくれてありがとう!


[2158] 【2232回 遠足の付添】 2010-05-27 (Thu)

「園児ひとりに保護者ひとり」安全のためにそんな規定があり、幼稚園の遠足があるということで年長組をママ、年少組を婆が担当。保護者のひとりとして、西宮名塩駅に集合となりました。クラス別に集合して北伊丹にある西猪名公園にでかけるのです。なるほど年長組と年少組は同じ行き先でも行動は別々になり、「園児一人につき保護者ひとり」が納得できました。海老江から集合場所の名塩に行く途中の伊丹駅で、踏み切りに飛び込んだ人がいて急停車となり、大幅に到着が遅れましたが、何とかセーフ!間に合いました。

雨上がりの27日は肌寒く4月上旬の気温だといいます。こどもたちは電車が珍しいのか喜んで、でも静かに「生瀬」「宝塚」「中山」「川西池田」「北伊丹」を空席があっても座らずによい子にしていました。公園ではクラス写真、自由遊び、クラスでの集い、弁当、現地解散です。弁当もクラス単位で食べて、父兄間の親睦を深めるのが目的だそうです。

昔、私も経験があるのですが子供達にとっては楽しい遠足でも、勤めている父兄にとっては会社を休むということに大変、苦慮したことが度々ありました。かと言って子供に寂しい思いをさせられなくて遠慮しながら会社を休みました。ましてや「現地解散」などでは保護者が参加していなくては子供を自宅に連れて帰ることもできなくなります。預けっぱなしではなくて時と場合には愛情いっぱい注いで下さいと言うことなんでしょうか。私が子育ての時には育児経験もなく若いという事もあって心に余裕がなく自分の感情が優先していたようにも思います。今なら、周りの状況もしっかりと見ることができるのですが。

働きながら子育てをする人に対しては、会社の制度、上司、仲間の理解が必要となります。「お互い様だから」と気持ちよく休ませてあげたいですね。休んだ方も感謝の気持ちを忘れないで欲しいです。

過日、呼吸の止まった小児を救急車で搬送したことを書きました。昨日、その子供と母親がいたので「元気になったのね、心配してたんよ〜、あの日か翌日でも、報告してもらえると思って待っていたのよ」と言うと「どこの誰かわからなかったので〜ェ、探していたんですけど〜オ」なるほど普段のつきあいはないけど、隣近所の人に昨日のおばさんは誰って聞けばすぐわかるのにと思いながら、そこをグッと我慢して、元気を取り戻した子供の笑顔を見ることが出来てホッとしました。


[2157] 【2231回 登山中の事故】 2010-05-26 (Wed)

『5月22日午前9時35分ごろ、群馬県下仁田町上小坂の妙義山(標高1104メートル)を登山中の64歳の女性が、岩場で滑落、約80メートル下の岩で全身を強く打ち即死した。県警富岡署によると、山頂付近の通称「コブ岩」をロープを使って約5メートル下りる途中、ロープから手が離れたという。登山歴は5〜6年で、仲間5人と入山していた。』

私が落石を避けて脱臼をした山がこの事故のあった妙義山でした。思い起こすと岩場の多い山だったなぁ。
白雲山、金洞山、金鶏山の三つの山からなる妙義山は、四国小豆島の寒霞渓、九州大分の耶馬溪と並んで日本三大奇勝の一つと云われ、登山者から憧れられていました。奇岩、奇石が織成す大自然の造形美は見る者に深い感銘を与えてくれる妙義山。残念ながら裏妙義山は、怪我のため途中で断念し、観光旅行となってしまったのが、とても心残りです。

報道には「ロープから手が離れた」と書いてありましたが、岩場の登攀に手袋の着用はどうだったのかとか、雨上がりで濡れていたとか、詳しい事故の様子が知りたいと、いつも思っています。登山白書などには、事故があったこと、死亡か怪我か等は掲載されていますが、何故、どうして、などの同行者から聞き得た情報の記載がなく事故予防の参考にしたいのに・・・といつも思ってしまいます。

「そんな危険ならば山に行かなければ良いのに」と助言してくれた知人が、先日スーパーの入り口の段差につまずいて捻挫し、松葉杖をついています。家の中にトラックが突っ込んで来る災難も万に一つですがあったり、ホームで電車を待っていて車が突っ込んできて、母親を亡くした社員もいました。登山は自己責任において登れば、素晴らしい世界が待っています。やめられませんなぁ。


[2156] 【2230回 うつ病にならないようにする方法】 2010-05-25 (Tue)


定年退職をした、サラリーマン男性がかかる病気に「うつ病・躁うつ病」があるという話があります。あるテレビ番組で「うつ病になりやすい人の特徴」が紹介されていました。
●真面目で責任感が強い人
●内省的な人(自分自身の心のはたらきや状態をかえりみる)
●心配性で物事を何でも悪い方向へ考えてしまう人
●几帳面な人
といった項目が上がっていましたがみなさんには該当する項目はありますか?

何か趣味を持てばいい(既に趣味のある人はラッキー)と、ほとんどの人がアドバイスをしてくれます。しかし、例えばゴルフが趣味の人でも、毎日するわけには行かず、山が趣味とて毎日山登りも出来るはずがありません。第一、資金の調達がむずかしくなってきます。

今のところまだ、ポチがうつ病じゃないかと疑ったことはありませんが、近い将来、「ひょっとして」と気にならないわけではありません。まぁ真面目だけど責任感がなく、几帳面とはほど遠く、物事を自分の都合の良い方に考える等々ですから「アルツ」には、なっても「うつ」にはならないかなぁと楽観視しています。

『自分だけは大丈夫』と思っている人が危ないと聞くこともありますが、残りの人生を、おもしろおかしく、一生「うつ」などを患わずに済ませたいものです。「ところであんた誰だっけ?」と質問した時は「あ〜あ、とうとう壊れたね」と思ってやって下さい。

楽観的で何でも前向きに考えて、失敗しても大笑いして済ませる事のできる人たちと一緒にいると、「こんなに大変なことでも、こういう風に受け止めればいいんだ」と学ぶことができます。真面目な人は、いったん高い目標を立てると最後まで頑張ってしまいます。適当に済ませることができず、「できなくてもいいや、しゃあない」と、なかなか思うことができません。「なんとかしてやり遂げないといけない」と自分を追い込んでしまうのです。

「ぼちぼち」とは、関西弁のうまい表現ですが、「人生ぼちぼち」いきたいですね。


[2155] 【2229回 大雨予報には勝てず】 2010-05-24 (Mon)

参加者がたとえ私と2匹の番犬のみであっても、今回は絶対に中止にせずに実行しようと心に誓っていましたが、雨脚の強さと貴船の木の根道は滑りやすいということでやむなく中止をせざるを得なくなりました。5名いた参加者も直前になり「雨模様のため欠席」「風邪ひきのため欠席」という連絡が入り、結局予想通り、私と番犬2匹だけとなりました。私達だけなら雨の日に行かなくても平日の天気の日に貴船コースへ行こうと言うことにした次第です。天気回復したら
「お〜い!今日はエエ天気やど〜!」
「ほんなら貴船コース行こか!」てな調子です。

中止となり、ならばと言うことで23日の日曜日は姫の家にてロープワークをすることにしました。3階の姫の部屋はロープやカラビナ、シュリンゲなどが所狭しと並んでいます。土曜日に新規購入した沢用ロープ(9o×50メートル)を半分に切断し、末端処理もしました。これで今年の沢の準備は完了しましたが、さてさて参加者のみなさんの反応はいかがなものなんでしょうか?私も沢靴が届いていませんのでチョッと焦っています。

ロープワークも初心に返り、エイトノット、プルージック、半マスト、インクノット、うさぎの耳、パーセル(これは初めて)、カラビナスルー、カラビナ2丁かけ、草付きトラバース、などの練習の他、沢などを大勢で通過を想定し、部屋にロープを張り巡らせて、リードはランニングビレー、セカンドはクリップをしながら、真ん中はカラビナスルーで通過、ラストから2番手はクリップ解除とカラビナスルーで通過などのトレーニングをしました。この日の学習が全部、頭に入ってるかと言えば疑問ですが復習を繰り返しながらマスターしていきたいと思っています。

今後の私の課題は「支点の作り方」です。リードをして登攀しない限り、支点作りにかかわりはなく、リードするにはまだまだ腕も技術がついて行きません。しかし目標は少し上位を目指し、私も少しは知っておきたいのです。支点作りは、岩場によって全て方法が違います。立っている大木を使ったり、頑丈な岩場を使ったり、先人が作った金具を利用したりとさまざまな方法があります。そんな私でも、A懸岩だけは支点が出来るようになりました。「A懸岩は簡単や」と言うことなかれ!この操作を間違えば落下してしまうのですから慎重にしなければなりません。

「ロープ結んで〜!」去年の2月に 箱館山と淡海湖に行ったとき、リーダーが雪面の下から叫びました。ロープ結んでったってどうすればいいのかオロオロするばかりでしたが「ロープを結べ言うたらエイトノットに決まってるやろ!」と叱られました。とっさの時いかにロープ操作が上手くできるのかが危険を回避する大切な事だと痛感しました。ロープさばきも、ロープが長ければ長いほどたるんでしまい、うまくいきません。何度も何度も練習を繰り返しました。

練習を終え、食事をしながら、最近ことごとく参加者の集まらない例会に存続を危ぶむ意見が飛び交いました。加齢なのか、行事が重なってるのか、それとも倶楽部に魅力がないのか、何か他に原因があるのか、それぞれが真面目な意見をぶつけ合い、その結果、結論としてこのまま「がんばろう」と言うことになり存続を誓い合いました。

時々参加してくれる茂ちゃんと、此花区の某会合で出合い「近所の人が六甲登山に参加しててリーダーが落ちて、ヘリコプターを要請をし救助されたが、どうも死亡したらしい。やまたび倶楽部は訓練の積み重ねもしているし、慎重だし、参加してても安心だよね!」と安全重視の我がやまたび倶楽部を褒めてくれ、とても嬉しく思いました。中高年の安全登山がトレードマークのため、日々の訓練の積み重ねが、現在のやまたび倶楽部を作っているかと思うと、このまま空中分解するのは惜しい〜よね。(何とかガンバロー!)     


[2154] 【2228回 山行中のトイレ事情】 2010-05-23 (Sun)

芦屋地獄谷の新コースで風吹岩の真下に出るコースがあります。沢筋を終え風吹岩に向けて急な直登を最後の力をふりしぼって登っていくのですが、不思議と「しんどい」と思ったことはありません。歌の文句にあるように「♪この坂を越えたなら〜しあわせが待っている〜」状態になるからです。風吹岩に到着したら時間が早くても、遅くても、なが〜い休憩に入れるのです。風吹岩で腰を下ろしているハイカー達が足下の濡れた我々を見つけて「どこから来たのですか?」と言わんばかりに不思議な目でジロジロ見られるのも、ちょっとした快感です。

しかし困ったことがひとつあります。風吹岩にあと一歩というところに、すこし広いスペースがあり、どうもみんなのトイレの場所となっているようです。六甲山は雨が多いため臭いは残っていませんがチィッシュがあちこちに残っていて不愉快に感じて、息を止めて急ぎ足でその場を抜けています。

山でのトイレは自然現象のため仕方のないことです。男性諸君はどこでも用がたせますが女性はそうもいきません。人様に迷惑にならないように登山道から離れてお花摘みをしますが「落とし紙」は、山のマナーとして持ち帰るようにやまたび倶楽部では周知徹底しています。私達の中では、チィッシュは水に溶けず土に還りませんので使用禁止です。チィッシュペーパーをトイレの中に流すとパイプ詰まりの原因になります。

ではどうしているのかと言うと、家で使用しているトイレットペーパーの残りが少なくなった状態を利用するのです。芯を抜きリュックに常時携帯します。トイレットペーパーならば水に溶けますので、よしんば、山に残したとしても土に還ります。しかしそれには長い年月がかかりますので、自分で始末をして持ち帰りするのがマナーと言えるのではないでしょうか。ポケットに小さなビニール袋を持っていて、それに入れて封をきちんとしておけば臭いも気になりません。テント泊で食事の際に出た汁はトイレットペーパーに浸ませて持ち帰ります。

東京の人気スポットである600メートル級の「高尾山」には10カ所以上のトイレが設置されており、海外からの観光客にも人気の山と聞いています。新宿から京王線特急で50分足らず。都心にもっとも近い位置で登山が楽しめる高尾山ではありますが、ハイキングではなく登山として認識し、装備はきちんとして出掛けてほしいと関係者らは呼びかけている様です。富士山のトイレ事情は最悪で世界遺産に認定されない理由のひとつとして衛生面があげられています。富士のお山は遠くから眺めるお山〜。

山に住む動物の糞は登山道のしかも岩や石の上にしているのがよく見かけられます。動物の糞なので「汚い」という感覚はなく「何の糞だろうか?」と想像したくなります。風雨にさらされて食べた木の実だけが残っている時もあります。岩や石の上で糞をするのはシッポが地面について濡れないように工夫しているのだそうです(ふ〜ん)


[2153] 【2227回 小児の人命救助】 2010-05-22 (Sat)

5月21日金曜日午後4時20分頃のことです。ブログに載せる登山靴の写真を外で撮っていたら、近所の人の泣き叫ぶ声がしました。見ると3歳位の男の子を母親と思われる人とお婆ちゃんらしき人が抱いて、泣き叫びながら揺すっています。近所づきあいはないお家なんですが緊急事態の様子で、駆け寄りました。

「何か飲み込んだの?」
「いいえ、息をしていないのです」瞬間的に呼吸停止をした様です。子供の名前を呼びながら頭を揺すっています。私はと言うと、早めの入浴を済ませ、髪の毛を乾かすためにタオルを頭に巻いていましたので、とっさに地面にタオルで枕を作り、お母さんから子供を受け取りました。なるほど息をしている様子はありません。

「お母さん!貴方の泣き叫ぶ声が子供にとって不安なんです!静かにしてっ!」となだめ額に手を当てると温もりを感じることができます。「みて!きいて!かんじて!」と応急手当の時を思い出し、自分に言い聞かせ人工呼吸までには至ってないことが感じ取ることができました。「救急車は呼んだの?」呼んだといいます。「じゃあ保険証とお金と着替えを持ってきてっ!」オロオロする母親に指示をして、回復体位で寝かせました。すると気道確保が出来たため「ピクッ!」っと動きました。それから呼吸を感じ取ることができました。「ボク〜もうすぐブーブーが来るからね。お母さんとおばあちゃんといっしょにのろうね。ホラありさんもきたよ〜」丁度アリが這ってきたのでかまれては大変と潰しました(アリさんごめん)救急車が来るまで子供にずっと話しかけ続けました。

まもなくして救急隊員がやって来ました。「呼吸は回復しました。回復体位をとりました。あとはよろしく」そう伝達して私の役目は終わったため家に入りかけました。後ろで救急隊員が「保険証、お金、着替えは持っていますか?」とたずねていました。「あの人に言われて持ってきました」多分私を指さしているのでしょう。

お母さんの慌てた声は、子供にとって「ボク大丈夫なのに、お母さんの声聞いたら大丈夫じゃなくなったよ〜」の心境だと思います。私も長男が3歳の頃、熱性けいれんを何度か起こしましたので、このまま死ぬんじゃないかとオロオロしますが安静にすることが大切です。ましてや頭を振り続けるなんて、もってのほかです。

救命救急の講習を何度もしていますが小児についてはあまりしていません。ここでみなさんと一緒に私自身も復習したいと思います。まず乳児とは1歳未満、小児とは1歳から8歳未満を言います。ほとんど成人と同じ心肺蘇生法をするのですが押さえる手の形が違います。

●乳児は「指2本で押す」深さは胸の厚さの3分の1で人工呼吸2:胸骨圧迫30を繰り返します。
●小児は「片手で押す」深さは胸の厚さの3分の1で人工呼吸2:胸骨圧迫30を繰り返します。

今日はAEDを使用するには至りませんでしたが乳児には使用できません。小児には使えますがその時は小児用パットを使ってください。(なければ大人用でも可)みなさんも頭の中でイメージトレーニングをしてみて下さい。家にぬいぐるみなどがあれば、それを使ってやってみてはいかがでしょうか?

さてさて様態が落ち着いたその後、「その節はどうも」と様子を知らせに来てくださるのでしょうか?元気に走り回る子供を2〜3日うちに見ることができますように。かかりつけの病院があるという話でしたので何か持病がある様にも思います。何はともあれ息を吹き返したときの感動は、生涯忘れることはないでしょう。


[2152] 【2226回 雨の多い季節になりますね】 2010-05-21 (Fri)

梅雨入りの声も間近になりました。これからの山行は「雨もまた良し」のつもりで嫌がらずに参加したいと思っています。ただ朝の出発時から雨が降っていると二の足を踏むのは仕方ありませんね。でもその気持ちを跳ねのけて「エイッエイッオーッ!」と出掛けてみれば雨もまた良しではありますまいか。

トムラウシ山事故のセミナーに参加したり、後に「低体温症について」の本を取り寄せたり調べてみると雨や風で体温を奪われないようにする工夫が必要であることを再認識致しました。いかに敏速に濡れた衣服を交換するか、雨の時期を迎えて考えてみたいと思います。

雨のトレーニング教訓としては
@着替えはリュックに必ず携帯すること(ビニールなどに入れて)
A霞みがかかって視界が悪くなる場合があるので前の人の姿が見える範囲で歩くこと
B万が一、雨で山中に待機する場合があるので各自でツエルトは携帯すること

雨の場合、下り道は特に足が速くなり、後ろの人との間隔が伸びて見えなくなるときがあります。トップの足が速ければ、2番を歩く人がブレーキ役となりましょう。また後続の人達も「早い」と感じたら、その事をトップに伝達せねばなりません。登りも下りも同じペースで歩き切れば余計な体力を消耗しなくてすむと常に思っております。きつい登りでハアハアゼェゼエ言ってはみても、稜線に出て平坦な道になると、いままでのハアハアゼェゼェを取り返さないと、と勢いよく歩きますが、稜線の平坦な道こそ、登りの疲労を回復する絶好の時間なのです。平坦な道をゆっくり歩くことできつい登りの疲労を解消し、また次に訪れるであろう登り道に備えられるのだと思っております。(一刻も早くゴールして濡れた衣服を交換したい気持ちもよ〜くわかります)

雨の日の濡れた「手」はどうしているのでしょうか?普通の手袋だと水が浸みてきますよね。最初の頃は台所で使うゴム手袋を持参していましたが他の人達とマッチせずで、すぐやめました(笑)現在ではオーバーグローブの中に100円の軍手を併用して使おうと合羽と一緒に携帯していますが、仙丈岳登山の時、使い方を間違えて雨水が手袋の中に入ったことがあります。オーバーグローブは合羽の下にはめるのですよね?
(師匠!使い方間違っていたらご指摘下さい。)


[2151] 【2225回 皆さん!覚えていますか?】 2010-05-20 (Thu)

『有峰文化村の河原です。
昨年の出会いは今も鮮明に浮かんできております。
次週 有峰にいきます。
一般の方々は6月1日 林道オープンの予定です。
昨年 ロッジで音楽会有難かったです。
今年は聞き役に回りたく思います。
有峰の自然が皆様方を待ってくれております。』
            
            有峰文化村 指導員 河原芳博

昨年の9月、赤木沢遡行の途中、富山県折立キャンプ場をめざしていましたが、大降りの雨にテント泊を断念し、急遽、有峰ビジターセンターに相談、その時の窓口だ対応して下さった方が、有峰文化村指導員の河原芳博様でした。役所特有の杓子定規さもなく、困っている私達の立場に立って「先客もいるし、事前予約がないといかんのやけど」と言いながらも、私達の困った状態を察して頂き、役所としては珍しい臨機応変の対応をして頂きました。

河原様の特別な取り計らいで、有峰湖畔の「冷夕谷(つべただに)キャンプ場」のロッジをお借りすることができました。灯りはトイレのみという自然を満喫でき、雨露風がしのげて、あの時の私達にとっては上高地の「帝国ホテル」級のロッジでした。

私達が赤木沢遡行を語るとき忘れてはならないのが、有峰で受けたご恩だと思います。テントを張った後に雨に遭うのではなくて、どしゃ降りの中でのテントを張るには大降りすぎて、人数も多かったし、テント泊の経験もない人もいましたし、本当に有り難かったです。そして今も私達の事を忘れずに「みなさんとの出会いは鮮明に覚えています。」と言って下さっています。

有峰の森は春を迎えたそうです。道中で見かけたお猿さんはどうしているのかしら?河原様のオカリナ演奏に耳を傾けながら、ご飯が炊け、やがて、すき焼きが出来、鯵の塩焼きが出来、仲間と交わした一杯のビールは美味しかったなぁ!赤木沢のレポートを読み返してみましたが、すごいところに行ったんだという実感がいまでも蘇ります。

有峰文化村指導員の河原芳博様!赤木沢を思い出す時、いつも貴方から受けたご恩は忘れません。参加をされた皆さん!忘れないでおきましょうね!


[2150] 【2224回 沢靴情報(そのU)】 2010-05-19 (Wed)

姫 様

『この度はご迷惑おかけしております。
また御返信をいただきまして、誠にありがとうございます。
弊社側の事情で新製品デリバリーが遅れておりますことを重ねてお詫び申し上げます。

手直し後の新製品には不良はございませんのでご安心くださいませ。また納期に関しましても生産担当者に確認いたしまして6月6日御使用予定までに間に合うよう手配させていただきます。(国内入荷は5月27日頃を予定しております。)
お届けが大変遅くなりますことを重ねてお詫び申し上げます。

手配完了次第店舗よりお客様宅へ直送させていただきます。
ご迷惑とご心配おかけしておりますことを重ねてお詫び申し上げます。簡単ではございますがご案内とさせていただきます。』だって〜!!

メイドインジャパンじゃなく国外だったんやね。この際、そんなこと、どうでもいいけど6月6日に間に合わなかったら、monto-bellの店の前で座り込みしなくっちゃあね。去年の9月に修理出したんだからね。翌年の2010年の4月に新製品が出るので代替えすると回答があったものの、2010年5月になっても途中経過なし。こちらから問い合わせると上記の様に回答があるというシステムで、売れてるメーカーさんは違うね。創業者はもっと謙虚やったと思うで〜

私も以前、製造メーカーに勤務していましたが、自社で作った製品に不具合が生じると関係者はすっ飛んで原因究明に走り回り、信頼回復のために、お客様を怒らせないように誠意を持って対応したよね。たかが沢靴と言うことなかれ。消費者は怖いよ〜!

沢登りのズンとなりました。少し水の中は寒いかなと思うのは最初だけで、一度濡れてしまうと平気で、あとは水の中の方が暖かいくらいです。比良山系にはいくつもの沢があり大小さまざまな滝が流れています。おっかなびっくりもまた感動と変わり、夏場の暑い時期は最高のウオーターウオークです。

うららちゃんが、参加をためらっているとか・・そりゃあ無理ないよね。吉野へ行ったり、地域の仕事をしたり、愛するサスケ先生の看病をしたりで、たまには大の字になって寝そべって休みたいよね〜。でも行こうよ〜!


[2149] 【2223回 手作り味噌の完成!】 2010-05-18 (Tue)

17日の月曜日は地獄谷巡りの後遺症の足痛もなく、快適な朝を迎えました。ゲートロックやホワイトフェイスの近くを歩くと、「そう言えば今年はまだロッククライミングしてなかったよなぁ」と思い、師匠に「クライミングもしたいね」とお願いめいたハッパをかけておきました。きっと「脱臼して昨日まで痛い痛い言うてたんちゃうんか?」って言われそうですね。(笑)

私達のクライミングの目的は3000メートル級の山を通過する時、岩場の前でひるまないための訓練で、決してむずかしい岩場を制覇することを目的としていません。「まだ同じ岩場を這うてんの〜?」と言われるかもしれませんが、私はどこの岩場でも岩に取り付ければ満足だと思っています。また自分が岩場を指定したところで登攀できるはずもなく高望みをするつもりはありません。楽しくクライミングができ、懸垂下降が1メートルでも長く出来る所であれば幸せです。

クライミングを「私にはできへんわ」と言うかもしれませんが、初体験、大いに歓迎ですので、見学のつもりでお誘いがあれば、ぜひやってみてください。ロープできちんと結ばれていますのでズルッと足を滑らすことはあっても、落下することはありません。最初は、道具はこちらで用意しますよ。「やって見よう」と思ったら、少し道具に投資をしてもらわないといけませんが、これも安全確保のためです。私も最初はハーネスも買わず、シュリンゲを代用しました。続くかどうかわからないのに投資はできないですものね。「こりゃおもろい!」となった段階で少しづつ道具を揃えて行きました。今では道具を並べて見ているだけでも楽しくなっちゃいます。ポチには、いつお誘いがあってもいいようにロープワークを復習し「えーっと?どうやったかなぁ?」と言うことの無い様にテレビを見ながらでも、練習をするようにアドバイスをしています。

話は変わりますが、2月に仕込んでおいた味噌の出来具合を見たら、完全に熟成していたので、ちえちゃんせんせぇに報告、お陰様でとお礼を申し上げました。百均ショップで容器を買い、何個かに分け冷蔵庫で保存しています。春、夏の味噌の仕込みはキッチンの流し台の下などの冷所で1〜2ケ月ほど保管し、熟成後は冷蔵庫で保管します。秋、冬の仕込みは暖かい部屋の高い所で3ケ月ほど保管し熟成させます。私は冬場の2月16日に仕込みましたので冷蔵庫の上で保管し、5月16日に熟成となりました。途中、何度となく様子をみましたが心配されていたカビも発生せず、とてもきれいな味噌が仕上がりました。食べたい量だけ、時々品種を変えて、スーパーで買って食べるのが常でしたが、たまには時間に任せて「こだわりの主婦の楽しみ」を味わいたいと教えてもらいました。味噌そのものもですが、工程も結構気がかりで楽しむことができました。


[2148] 【2222回 行くど〜青森へ】 2010-05-17 (Mon)

すでに春の訪れも終わり山菜採りのシーズンも終わりました。今年も山菜取りに出掛けて行方不明のニュースが後を絶ちませんでした。イタドリや蕗などは道路から近くにありますがキノコやタラの芽などは山の奥に入らなければ採れない山菜もあり、楽しいはずの山菜採りが、悲しい結果にならないよう十分注意して行動したいと人ごとではない気分でニュースを見ていました。(採取禁止区域には立ち入らないこと)

山菜採りに行く時は、行き先、帰宅時間等を家族等に伝えておく事は当然ですが、行方不明にならないためには、単独行動は避けて、複数で行動し、声の聞こえる範囲内で採取することが大切です。

★万が一の行方不明に備えては
@水・食料等を必ず携帯すること。
A携帯電話等を携帯すること。
B笛など音の出る物(仲間や捜索隊に位置を知らせるため)を携帯すること。
C服装は、目立つ色(蛍光色等)のものとし、合羽やツエルトを持参する。

★万が一行方不明になった場合
@むやみに歩き回らないで、体力を温存すること。
A付近に、空から発見しやすいような開けた場所があれば、その場でじっとしている。

過日、蕗摘みに出掛けたとき、蕗摘みに熱中して仲間の姿が見えない時がありました。「お〜い、お〜い」と声を出して確認したり、毎年出掛けていて「うららちゃんのお山」いうこともあり安全ではありましたが、山菜取りで命を落とす人も少なくありません。

帰りの車の中で、青森の登山の話をした時に「どの山を登るの?」と聞かれて、どうしても5座のうちの1座を思い出すことができませんでした。「アルツハイマー症候群」かと笑いましたが、思い出せなかった山は「鳥海山」でした。まず行きたい山を決め、せっかくだから近隣に鎮座する山々を無理のない日程で登ろうとしています。

その@●八甲田山(1584b青森県) 7月20日火曜日(所要時間4時間40分)
そのA● 岩木山 (1625b青森県) 7月21日水曜日(所要時間6時間20分)
そのB● 白神岳(1235b青森県) 7月22日木曜日(所要時間6時間50分)
そのC● 鳥海山 ( 2236b秋田県)7月23日金曜日(所要時間7時間00分)
そのD● 月 山 (1984b山形県) 7月24日土曜日(所要時間3時間20分)

月山を下山後大阪へ向けて戻ってきます。すべてテント泊のケチケチ登山の予定ですが、飛び込みでどこかの宿に1泊ぐらい豪華に宿泊する予定にしています。(豪華ったって民宿よ〜)国会を賑やかしている「高速代1000円効果」はまだ続投しているのでしょうか。政権交代がささやかれる中で微妙な時期の出発となります。屋久島の予行練習にどなたか、ご一緒に行きませんか?

計画するだけでも胸がわくわくして気分はすでにお岩木山のてっぺんで「♪♪りんご〜のはなびらが〜♪♪」と歌っています。


[2147] 【2221回 高島トレイルはぐれ組】 2010-05-16 (Sun)

16日の今日は、高島トレイルの第1回目を予定変更したために、ポッカリと予定が空白になりました。危ぶまれていた雨模様も高島トレイルと同じ様に順延みたいで日曜日の今日は快晴です。「じゃあ、高島トレイルあぶれ組でどこかへ行こう」と言うことになり、オリオンさんを誘って芦屋地獄谷を歩くことにしました。詳しいレポートは写真とともにアップしますので乞うご期待下さい。

もう外は初夏の装いです。しっかりと日焼け止め対策が必要です。日焼け止めクリームは勿論ですが目を保護するためにサングラスも必需品です。お昼には日焼け止めクリームを塗り直しましょう。水分も多めに持参しましょう。

これからの弁当は何と言っても「お茶漬け」暑くて、喉を通らなくても食べないと、体力が持ちません。お茶漬けなら、何とか押し込んで食べることができます。行動食もキューリのシーズンです。りんご、ミカンも欲しいですね。休憩毎に行動食を食べると元気がでます。

暑い夏場の例会は、少し控えていますが、みなさまのご要望があれば、どんな山へも出向いていきます。ぜひ「こんな山行こうよ!」と提案していただければと思っています。

イタドリシーズンは幕をおろしました。これからは落ち着いて山歩きができそうです(ヘッヘッヘ〜)冷凍庫にイッパイ産地の違うイタドリが入っています。またどこかで皆様のお口に入る時がありましたら、ご馳走したいと思っています

(カゲの声)
イタドリがご馳走ってか〜?あれは草じゃ!

そんなことはありません。私にとってイタドリは、幼くして亡くなった母との大切な思い出なんです。貧しくて、食べる物に困って「みちこ山へ行こうか」と出掛けて見れば、故郷の山々はイタドリ、蕗、タラの芽、細くて野に生えている持ち主のない破竹(筍の一種)などの山菜の宝庫。それを採りに行き、母と縁側で皮を剥いたり、茹でたりと、なつかしいのです。それを配偶者は「もうエエ加減にせぇ」と言いました。これは再びやって来る春が来ても、忘れることはないでしょう!


[2146] 【2220回 お宮参り】 2010-05-15 (Sat)

4月9日に誕生した4人目の孫の航大のお宮参りのため名塩に出向きました。氏神様は「名塩八幡神社」1日と15日は氏子さん達によって清掃が行われている様で境内には多くのご老人達がいました。神主さんは隣町で地鎮祭があるとかで予定時間より大幅に遅れて戻ってこられましたが、丁寧な祝詞をあげてもらいました。

お宮参りは、赤ちゃんの誕生を祝う行事の一つです。生後1ヵ月頃の都合の良い日を選んで神社に参拝し、赤ちゃんの誕生を祝い健康と長寿を祈ります。正式には男の子は生後31日目、女の子は生後32日目ですが、天候や休日等の都合に合わせパパが広島から戻れる日、ママの実家の爺婆の都合の良い日、そしてパパの実家の爺婆の都合の良い日と言うことで大安の15日となりました。

名塩八幡神社の運営は神主を置くのではなく、60歳以上の男子の氏子から選ばれた3人の宮守(みやもり)によって執行されており今日も神主さんの他に、宮守の方も出席して下さいました。しかし、明治40年の法令施行に伴い、以後、神事は有馬稲荷神社神官によって行われているそうです

この鎮守の森は、信仰の対象として村人達に守られ雑木林の多い原始の森に近い原形を残しています。ところが残念な事に中国道が作られる折、山中から山裾のこの森に至る斜面の中間を深く削り取ってしまいました。その結果、山頂からの水路が遮断され、取り残された森の将来が不安視されているそうです。

15日は氏子さん達が総出されており、賑やかに神事を最後まで見守って下さいました。名塩と言うところは8つの村から成り立っており、地元の人達が伝統を大切に守っておられました。帰りにはお守りやお供えの鯛を頂き、嫁が悪戦苦闘の末、何とか塩焼きにこぎつけたと帰宅後。「レンジの窓から見える鯛がこわい!」とメールをもらいました

(ブログに宮参りの写真載せました)


[2145] 【2219回 高島トレイルへの参加のお誘い】 2010-05-14 (Fri)

2008年に大阪ダイヤモンドトレイルを制覇し、2009年、京都トレイルを制覇しました。じやあ2010年はどこにするかと申せば「高島トレイル」ということになりました。ただ「秘境」と言われるところは交通の便が悪くなり、マイクロバスか自家用車でということになります。マイクロバスを借りるには今回の様に人数が少ない場合は「ドエライ赤字」となり、ジョンと姫が心中をせねばなりません。初回から恐ろしくて予約ができませんでした。(結果・・予約してなくってよかったよ〜生きてるもんなぁ!)

6月13日に第1回目(愛発越〜黒川峠)を仕切直し、ファンファーレ高らかに、満席で出発できたらと願っています。 マキノの愛発越(あらちごえ)から今津の山並を経て、朽木の三国岳へ至る80kmに及ぶ道は、日本列島の日本海側と太平洋側を区切る中央分水嶺の中央部にあって、四季折々を楽しめて、とても貴重なコースといえるのではないでしょうか。琵琶湖と若狭湾を望みながら、このトレイルが中央分水嶺であることを学びながら楽しみ回を進めていけます。初回を歩いたら2回目、3回目は自然に「歩きたい!」と思ってもらえると思います。ぜひとも多くの皆様にご参加して頂きたいと思います。ジョンさん!くろねこさんはあと一押し「ニャ〜オ〜ン」ですよ!

愛発越、黒河越、粟柄越、抜土、近江坂、水坂峠、搦谷越・小原越、駒ヶ越、池河内越、木地山峠、根来坂、ナベクボ峠は、自然と人間の共生の営みが今まで続いてきたことを肌で感じ取ることができるのではないでしょうか。自然の森を歩くと、木の妖精に励まされているようで心なごみます。高島トレイルには、乗鞍岳、三国山・赤坂山、大谷山、大御影山、三重嶽、武奈ヶ嶽、二の谷山、行者山、駒ケ岳、百里ヶ岳、三国峠、三国岳といった山々があります。こうした名山に登りながらトレイルを歩くのは楽しく、意義深いことです。

単独ではなかなか行くことができない「秘境」です。ぜひ初回のファンファーレを一緒に鳴らしましょう
 


[2144] 【2218回 悲鳴をあげだした登山靴】 2010-05-13 (Thu)

冬用の登山靴は「清水の舞台」から飛び降りたつもりで新調しました。しかし雪山以外の常々に履く登山靴が最近、見た目にも機能的にも悲鳴をあげはじめました。昨日の中山最高峰を歩いたとき、少しのぬかるみを歩いただけで靴下が濡れてしまいました。これはあかんな・・そう思い、今日、ポイントが4倍になると言う葉書を握りしめて、好日山荘に出向きました。5月31日で改装のために閉店し6月下旬頃に新装オープンするそうです。

ワゴンの上には、値引き商品が沢山並んでいました。登山靴は外反母趾にやさしい幅広の靴をえらび、予算より大幅に安かったため、寝袋の下に敷く、エアーマットも購入することにしました。レジに並び、4倍ポイントの葉書を出すと、明日の5月14日からだと言います。今日だと通常のポイントだとのことで、交渉上手の姫ではありますがコンピューター操作を前にしては、負けてしまい「取り置き」処置をしてもらい、明日再び訪れることにしました。

「何やその位のことで〜」と言われるかもしれませんが、目的は4倍ポイントだからと出掛けたのですから、目的を達成せずに帰るわけにはいきません。明日は好日山荘まで歩いていけば健康にもいいし、ポイントも4倍つくし、一石二鳥です。

登山用品で何か買い足しの品があれば明日から5月末まで「4倍ポイント」の特典付きのため、掘り出し物があるかも知れませんよ。何かお買い得があるかも知れませんね。但し衝動買いはしないでくださいね。

去年の10月、鳳凰三山に登った時、テント泊を楽しみました、夜中に寒さに震え、エアーマットがあれば良かったと思った経験から、思い切ってマットを買った次第です。将来元気であれば、何度かテント泊を楽しめば、減価償却ができます。そう言いながら、ハンドバックや洋服、あるいは通販での買い物は、気前よく買ってしまうのに、登山道具は「あと何回使う?使える?」とためらいます。命を守ってくれる道具ですから思い切って、買っちゃおう!としばらく山登りをしていない寂しさをまぎらわすために衝動買いしちゃいました(アッチャ〜!)

現在の靴は平成18年7月、白馬岳登山の時に新調し、一度靴底を張り替えています。ほぼ毎回の山行に同行しており、再び靴底は丸〜くなり、おまけに外反母趾の左側は表皮が薄く、今にも破れそうになっています。まあこれだけ履けば「天寿全う」でしょうねぇ。ありがとうの言葉を添えてお蔵入りとすることにします。

(減価償却計算)

購入価格 30000÷4年=1年で7500円
年間 7500÷12ケ月=1ケ月625円
1ケ月 625÷月2回=312円

登山道具を購入するとき、一度に支出する金額は高くても、こうして計算をすると、喫茶店のモーニング代金ほどになることが解ります。ましてや安全に山行できるのですから、ありがたいですよね。


[2143] 【2217回 山本〜中山最高峰〜武田尾】 2010-05-12 (Wed)

降るでなく、照るでなく、風は時折、汗をかいたときだけ吹いてくれ、ちょっと吹きすぎて弁当を広げた頃は、ちと寒く感じたけど、午後からの下りを、ぶっ飛ばして温もりを回復しツツジは私達と同様「姥ツツジ」・・しかし、しかし見事な藤の花が武庫川沿いのせせらぎの音とマッチして素晴らし過ぎました。

くろねこリーダーの見事な案内で、長丁場も「桜の園」じゃなくって「なんのその!」トンネルの中もくろねこさんの懐中電灯に救われました。一郎ちゃんの「ハアハアゼェゼェ」も少なくなり快適な足運びでした。

武田尾駅でゴールして解散後、ちょっと寄り道をして「イタドリ」を採りました。両手で抱えるほど採れたんですよ。ポチが「エエ加減にせぇ」といいながらリュック番をしてくれたので、ジョンの付添で姫はまたまたイタドリ採りを楽しみました。

電車の中で、中高年のおばさんが「あらぁ!懐かしい!イタドリ〜!」とうらやんでいました。もう季節も初夏だから、今日が最後かしら???いえいえ高島トレイルコースにあるかしら?楽しみです。

(今日のレポートは後日、写真とセットでご覧頂きます。乞うご期待!)


[2142] 【2216回 6/6沢登りに間に合うかしら?】 2010-05-11 (Tue)

●モンベル様より姫様へ

平素より弊社製品をご愛用いただきまして、誠にありがとうございます。またこの度は弊社修理サポート部、GARE梅田店でご対応に不備がありましたことを深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ござませんでした。

お客様からお預かりいたしましたメール本分がSPAMフォルダーに自動振り分けされていたためお客様のメールを拝見出来ておりませんでした。ご迷惑おかけしましたことを重ねてお詫び申し上げます。

お客様よりお預かりのサワートクルーザーでございますが、本日5/11(火)店に確認をいたしましたところ現在代替品発送の手配をしております。 しかしながら誠に申し訳ございませんが新製品サワークルーザーでございますが生産上の事情より足首ステッチ部分に不良が発覚いたしまして、現在生産工場におきまして修正作業を行っているとのことで予定といたしましては5/27(木)国内納入予定、デリバリーは6月初旬になるとの生産担当者からの回答をいただきました。お客様にはご迷惑と長期間お待たせするかたちとなってしまい、
誠に申し訳ございません。 

店より発送の準備が整いましたら 私カスタマーサービス風間より、メールでご案内申し上げます。いずれにいたしましてもこの度はご対応が大変遅くなりご迷惑おかけしましたことをねてお詫び申し上げます。 ご不明な点等ございましたらご遠慮なくカスタマーサービス風間までお申し付けくださいませ。簡単ではございますがご報告とさせていただきます。ご迷惑おかけし、誠に申し訳ございませんでした。
               モンベルカスタマーサービス 

●姫様よりモンベル様へ

ご回答承りました。しかし、SPAMフォルダーに自動振り云々は私には何ら関係のない理由です。(二度目のメールだけ届いていたのも不可解ですね。)

不良品を頂戴いたしましても、また同じクレームとなるため、待ちますが6月6日には、滋賀県の獅子ケ谷にて今年初めての沢登りを実施致します。

万一、それに間に合わないときは23.0センチの沢靴をレンタルお願いします。私が「修理」を依頼した沢靴でも無いよりはましですので、それでもかまいません。但し沢仲間達には対応の遅さや、新製品がまた不良品であるという事を説明せねばなりません。

発送の準備が整ったら、直接、自宅へ発送をお願いします。それならば、何とか6月6日に間に合うのではないでしょうか?誠意のある対応をお願い致します。


[2141] 【2215回 荷造りクッションのプチプチ】 2010-05-11 (Tue)

故郷に帰ったとき、従姉妹の家で荷造り用のクッション「プチプチ」が枕の大きさで筒状になって何個も転がっているのを見つけました。
「恵子姉ちゃん、これはなあに?」
「これはねぇ、悲しい話よ」と妹一家の壮絶な介護の話を聞かされました。

私が10歳の頃にお嫁に行った従姉妹のミー姉ちゃんの旦那様は12歳年上の少し頭の禿かかった新郎でした。ミー姉ちゃんは従姉妹の中で一番美しくて化粧品レディとして白衣が似合い、美しく輝いていました。(薬局に勤めていたので白衣だったと思います)子供心に、何で、もっと若くて男前のおんちゃんの家に嫁がないのかと不思議に思ったことを覚えています。田舎の嫁入りには子供が晴れ着を着てお嫁さんの手を引き輿入れをする習慣があります。その輿入れに私が選ばれてミー姉ちゃんの手を引いて荷物と一緒にシャナリ、シャナリと歩いて新郎の家に入りました。

12歳も年上の新郎の家は資産家で、今思えば「玉の輿」だったんだと理解ができますが、その頃はミー姉ちゃんを禿げかけた新郎に、盗まれた気がして、あまり良い印象ではありませんでした。いまミー姉ちゃんは70歳、旦那様は82歳。その旦那様が痴呆症にかかり、えらい苦労の日々を過ごしているとのこと。そんなミー姉ちゃんを見るのもつらく、今回の帰省では寄らずに帰ってきました。

恵子姉ちゃんの話によると「トイレに行きたい」と言うので連れて行くと「誰かが入っちょる」と風呂場や庭先で用を足したり、痴呆症の症状が出て大変な毎日だそうです。「1日ぐらい代わっちゃるけん言うたや」と妹であるミー姉ちゃんに言うと「代わってもらうがは、うれしいけんど、身体の楽さが身について、後がこわいけん一人でかまんがよ」と旦那様の世話を続けているそうです。つらくて泣きたくなる時は荷造り用の「プチプチ」をひとつづつ潰してストレスを解消しているのだそうです。恵子姉ちゃんが、時々訪れては、増え続ける「プチプチ」の枕の様な筒を持って帰ってあげるのだそうです。私もその「プチプチ」の筒を、ほどいて見せてもらいましたが、潰し残しはひとつもないくらい見事に潰れていました。

その話を聞いた私の姉が、自治会で老人介護の話をするときに使いたいと、「プチプチ」の筒を1個もらって帰ってきましたが、ちゃんと正しく説明が出来るのかと疑問に思っています。ただ「かわいそうに」で済まされる話ではありません。ひとりで絶え続けなければならない痴呆症の介護の話が、いずれ我が身に置き換えた時、ミー姉ちゃんの様に出来るのかと思うと、とても不安に思います。

成人した子供が3人いますが、いずれも高知市内に居を構え、家族を持ち、親のために仕事も捨て、家族共々生活を変えることはできないのだと思います。行政にSOSを求めてはと思いますが、資産家という誇りの部分だけはボケておらず、世間にさらされることを拒絶するのだそうです。


[2140] 【2214回 蕗摘み】 2010-05-10 (Mon)

5月3日に蕗摘みに連れて行ってもらい、先日は故郷四万十市中村で沢山みつけました。いままではイタドリだけを採取し蕗には目もくれなかったのですが「うららレシピ」をもらってから蕗も春の味と認識するようになりました。

四万十市中村の勝間と言う地域から更に奥に勝間川と言うところがあります。道幅は狭く、対向車両がきたら、どちらかが(腕の良い方かな)、車が交わせる場所までバックしなければならない「日本のチベット」の様なところです。昔大阪から移り住んだ親戚の嫁が、保育所へ子供を預けに行く途中、対向車を避けるために寄りすぎて落下し、大怪我をしたことを知っています。幸いに大木にひっかかり命に別状はなく大怪我で済みましたが、そんな恐ろしい道路を雨の中ハンドルを握りました。カーブミラーを確認しつつ、クラクションを鳴らしつつ、進んでいると美味しそうな蕗に出会えました。「帰りに摘もう!」

勝間川には私の叔母の家があり今は従姉妹(95歳)が、ゆずを作りながら生計を立てています。車の免許は息子に剥奪(本人の弁)されたので健康維持のために、ゆず山を登ったり下ったりしているそうです。私達は休日でも農作業の手をとめることはできませんので、そこそこに引き上げて蕗摘みを楽しみました。人通りはほとんどありませんが道路より上の部分の清潔な物ばかりを摘み取ります。

取っても、取っても沢山あり、姉は大きな蕗ばかりをねらって取ります。炊いて店の「付き出し」にするのだそうです。私は佃煮にしようと思っていますので小さな蕗ばかりを摘み取ります。ホテルに戻り軍手をはめ、蕗の掃除にとりかかりました。産毛を取り除き、ナイロン袋に水をいれあく抜きをすることにしました。大阪に戻れば、すぐ炊ける状態にして、中村の町を散策しました。

従姉妹の言う「皮を剥かんでもかまんちや。太いけんど柔らかいけんねぇ、皮を剥かんと煮いたちや」その言葉を信じてかなり大きな蕗も、そのまま炊くことにしました。

日曜日の朝から大鍋でじっくり炊きました。1本、1本に故郷の匂いが染みこんでいるのかと思うと、愛おしくてたまりません。炊くこと3時間、「うららレシピ」のおかげで今年も美味しい蕗の佃煮の完成です。しばらく山にでかける時にはお弁当のお供になりそうです。


[2139] 【2213回 故郷の恩師】 2010-05-09 (Sun)

私が小学校を卒業時の担任の先生は82歳になっていました。いつも「何歳になったんですか?」と聞くと「美智子さんの年に20ばあ足すと私の年よ」といたずらっぽく答えてくれます。久しぶりにお会いしたら、少し言葉がしゃべりにくくなった以外はお元気そうで安心しました。

「ひとりでもんたが?」
「いえ姉と主人も一緒です」とホテルに残してきた事を話しました。

先生のお宅は、以前は、庭の小さな池には鯉が泳ぎ、植木が苔むしていたのですが、今は池には水もなく泳ぐ鯉もおらず庭は荒れ放題で、応接間に案内されたのですがプーンと動物特有の匂いがして息を瞬間止めました。飼い主には気が付かないのですが動物の独特の匂いです。椅子に坐り、本棚に目をやると教師生活40数年の中での卒業生の写真(私の卒業した年の卒業写真)が、大きく大きく引き延ばされて飾られていました。

「いずれ、どの子が美智子さんか、わからんようになるけん」だから飾ってあると言います。「奥様はお元気ですか?」そう言えば先ほどから姿が見えません。そのかわり居間の当たりから大音響のテレビの声が聞こえてきます。「よいよ、ボケてねぇ、いかんがよ」そう言えば部屋もしばらく掃除が出来てない様子が伺えます。

「先生、私が中村に帰る楽しみは先生に会えるからなんです。元気でいてもらわないと中村に帰る楽しみがなくなります」と言いながら、元気なうちに形見分けを欲しいと言うと、何でも欲しい物を持って帰りなさいと言います。本棚を見ると私の著書「仰げば尊し」が目に止まりました。
「先生、あの本をもらいたい」
「自分の本を何故ほしいが?」
「裏表紙に今日会えた記念日として先生のサインをもらいたいのです」

最近は手がしびれて年賀状も書かなくなり、季節ごとに送っていた故郷小包も宛名書きが不自由で送ることができないと聞いていましたので直筆で「美智子さんへ柳川 通」とサインをもらいました。あの達筆な、あの習字の先生が、震える手で一字、一字丁寧に書いてくれました。「私は毎日、暇人になっちょるけん、近くに住んでいたら毎日通って掃除と洗濯、食事のお手伝いするのにね」先生の目から涙がこぼれ落ち、私もまた言葉につまり、しばし沈黙の時が流れました。

話は尽きないのですが、再会を約束して、おいとまをすることにしました。「会うて帰るかえ?」奥様に会うて帰るかと聞かれたので「ぜひ」と居間に通してもらいました。こんにちはと挨拶をするも、どこの誰なのかわらないといいます。長く教職に就いていたので「シャン」とはしておられるのですが身の回りのこと、記憶の回路が故障をしている様子が伺えます。座椅子の回りには食べ残しの弁当が2個と新しい弁当が2個並んでいました。昼の弁当と夕食用の弁当の様で、食事はすべて弁当だと言います。

先生には息子が二人います。ひとりは車で10分ほどのところに家を構え、現在は校長先生になっていると言う長男夫婦と高知市内に住むと言う次男夫婦がいますが、どちらも年老いた両親を訪ねている様子はありません。「先生、お嫁さんに週に一度ぐらい来てもらったらどうなんですか?」と言うと笑いながら首を横に振り「なんちゃあ、せんけんねぇ」何もしないので、来ても、来なくても同じだと言うのです。帰りは駐車場まで見送ってもらう道すがら、先生の手を握ると、小学校時代と同じ温もりが伝わってきます。この温もりがいつ冷たい手と変わるのかと思うと涙がとまりませんでした。

『先生!ボケんようにしててや!「あんた誰?」って言われると悲しくなるけん』、すると、いたずらっぽく「あんた誰やったかね?」と冗談を言って見送ってくれました。次に帰るとき、現在の元気な姿が見られますようにと祈るような気持ちで、ホテルに戻りました。

私が貧乏のどん底にいた時、習字用の半紙が買えず、新聞紙で練習を続けていたら「清書にはこれを使いや」と真っ白い半紙を下さいました。帳面が最後のページになると新しい帳面や消しゴムを下さいました。友達が「みっちゃんは先生にひいきされちょる」とからかった時、くやしくて雨上がりの水たまりに友達を突き落としてしまった時、先生に職員室に呼ばれ「くやしかったら、勉強を1番になったや!」と言われ、それからは誰にも負けまいと勉学に励み、片親であると言う劣等感からも脱し、卒業の時は答辞を読ませてもらうことができました。まさに私にとって「人生の恩師」だと思っています。

わかれを惜しみ 振り向けば 手を振る恩師は 小さく見えて


[2138] 【2212回 ただいま帰りました】 2010-05-08 (Sat)

5月5日午後8時、姉を乗せて東大阪市鴻池新田をスタートしました。行き先は「四万十市」休日高速代1000円を利用して墓参りに行くことになったのです。勿論、帰りも1000円効果に乗っかり大阪へ戻る予定で出発しました。宿泊先は親戚の家ではなく、中村駅の近くの「サンルート中村」に2泊の予定です。

燃料満タンにしてナビをセット、明石大橋を渡り、淡路島から徳島自動車道、高知自動車道を通って故郷入りをすることにしました。途中何度か休憩を取り、順調に走行していましたがアクシデント(その1)が発生しました。給油しようにもスタンドが閉まっているのです。最終地点の須崎まで燃料切れの恐れがあるため、急遽、高知インターで出て、中村方面に走行中に1軒だけ灯りがついているガソリンスタンドを見つけました。神の助けとばかりに給油を済ませ地道をひたすら走ることになりました。時間的には最終のインターまで20分ほどしか差がありません。

いままで後部座席で寝ていた姉が、ガソリンスタンドを探す気配に起きてしまい狭い車内が何となく複雑な空気になってしまいました。(朝まで静かに寝とれ〜っちゅうの!)そしてアクシデント(その2)はナビが指定した大正町経由の439号線が途中、土砂崩れのため通行止めとなっていたのです。土砂崩れの現場に遭遇しなくて良かったといいながらも、40分ほどかけて窪川町まで引き返しました。ロスタイムは1時間以上です。地道のため通行止めの表示もなく、雨降りの真夜中の走行は不気味な気配が漂っていました。

窪川から軌道修正をして、見慣れた海辺の道を走り、中村の町を通過したのは6日の午前3時すぎでした。墓地のある場所で夜明けまで仮眠し、長靴に合羽に鎌やノコギリの勇ましい格好に変身し、荒れ放題と覚悟をしていたのですが、案外雑草もなくスムーズに墓掃除を終えることができました。

ほどよい時間を見計らって親戚の家に挨拶回りにでかけました。突然の訪問にびっくりして「前もって知らせてくれればご馳走の用意ができたのに・・・」と社交辞令の家もあれば、お茶菓子の出る家もあったり、私達が来ていることを聞きつけて駆けつけてくれた親戚もいたり、さまざまで愉快でした。2泊の予定のため、親戚回りを半分残し、ゆっくりと四万十温泉「平和な湯」に浸かり夕食は故郷の味を堪能しました。ホテル「サンルート中村」は駅には近いのですが中村の中心部からは離れており、部屋でくつろぐしか方法はありませんでした。

翌日の7日は四万十川沿いにある従姉妹達の家を回ることにしました。外は小雨が降っています。突然の訪問にもかかわらず歓迎をしてくれ、午後からは中村の家でご馳走作って待っているので、どこの家でもご馳走にならずに帰ってこいとの嬉しい言葉を受け、もう一人の従姉妹も80歳で一人暮らしをしており、元気、元気でした。更に奥地にある従姉妹の家に行くと、御年95歳らしくまだ運転できる、いやもう無理だと、息子と大喧嘩をしてやっと免許証を返納したとか(もっと早くとりあげんと〜!)少し痴呆が始まっており、「誰がわかっちょるがか?」と息子が聞けば「美智子はわかるけんど、もう一人はわからん」と言われ、姉がガクッと来ていました(笑)

帰り道、やわらかくて美味しそうな蕗を見つけ沢山収穫をすることができました。土佐名物のカンタロウはブログに載せましたが、雨が降るとゾロゾロと道路に出てきて気持ち悪いです。イタドリも見つけましたが収穫したイタドリは姉に譲り塩を持参していましたので、ホテルで皮を剥くことにしました。蕗も掃除をし、ナイロン袋に水を入れ、あく抜き作業をしておくことにしました。中村の町でご馳走を作ってくれて待っていてくれる従姉妹の家に立ち寄り、鮎の塩焼きと四万十川の手長エビをご馳走になりました。話は尽きないのですが、少し早めに切り上げて私は恩師を訪ねることにしました。夜は再び四万十温泉「平和の湯」、その後はイタドリの皮むきと蕗の掃除の内職有り。

(恩師については次回に書きます)

最終日の7日は午前7時のバイキング朝食を済ませ、須崎にある道の駅「かわうその里」で、なつかしい「バンボ」を探しましたが見つからず、類似品の故郷のおはぎを買いました。外のベンチでペロリと食べ、また店に戻り夕方まで腐らないか尋ねると「大丈夫」とのことでしたので3個ほど追加で購入しました。

高知自動車道を経て徳島自動車道にさしかかると、、姉が「トイレ」に行きたいと言い出して、滅多に停まらない「阿波PA」に停車しました。看板によると天下の奇勝で天然記念物の「土柱」に歩いて10分とあります。何度が立ち寄ったことはあるのですが行ってみようと言うことになり車をパーキングに置いたまま、歩いて土柱に行くことにしました。

三大土柱
@イタリアのチロルの土柱
Aアメリカのロッキーの土柱
B日本の阿波の土柱

130万年前の氷河時代に堆積した扇状地が、その後隆起し、雨水の浸食作用を受けて形状された雄大な自然の芸術品で、土柱の真上を歩くこともでき、高いところが平気な割りには下を覗くとお尻がゾクッとしたりします。

旅行でもなく、単なる墓参りではありましたが徳島自動車道と高知自動車道、片道合計2000円で中村まで行くことができました。6月以降はどうなることやら・・・


[2137] 【2211回 初節句】 2010-05-05 (Wed)

4月9日に誕生した航大くんが初節句を迎えました。「ました」と申し上げましたが、とりたてて何をするわけではありません。今は産後の日も浅いことから、静かに静養が一番だと駆けつけるのをやめました。かずくんの時の鯉のぼりはあるし、兜は「場所取るし〜」「じゃあパパママに一任〜!」と言うことにしました。

誕生後に初めて迎える初節句では無事の成長を祈願して、女の子は3月3日の桃の節句・ひなまつりに、男の子は5月5日の端午の節句に内輪でお祝いをする習慣があります。
本来は、女の子には「ひな壇」を、男の子には「武者飾り」や「鯉のぼり」(高知ではフラフの幟を贈ります)を、母親方の実家から贈るのが習わしですが、地方によっては男の子第一子に限り父方の実家から贈るとか、父親が婿養子の場合は父方の実家より贈るという地方もあるようです。まあそんな硬いことはどっちでもいいのですが、要は無事の成長を祈願すればいいということでしょう。

現在では飾るスペースの問題等もあり簡素化されつつありますが形にとらわれず祝ってあげられたらと思っています。幸いに息子達も形式にこだわらない方なので助かります。昔甥っ子に男の子が生まれ、鯉のぼりを買って欲しいと要求されました。一刀水爺は「そんなもん〜いるか〜」の精神でした。そこへ息子(私にとっては甥っ子)から一刀水に電話があり「自分ちの家だけに鯉のぼりが泳いでいない。隣より大きい鯉のぼりを買ってくれ!」と言われたと私に相談がありました。相談を受けたと言うことは、叔母として何とかしてやってくれと言うことで、すぐ日本橋に走り、大きくて、金ぴかの鯉のぼりをプレゼントしたことを思い出します。

かずくんは鯉のぼりを見上げて「パパ〜ママ〜」と手を振ります。今まではマンション住まいだったため小振りの鯉のぼりですが、名塩の家なら、もう少し大きい物を買ってやればよかったなぁと今では後悔しています。

  ♪♪やねよりたかい こいのぼり
    おおきいひごいは おかあさん
    ちいさいまごいは こどもたち
    おもしろそうに およいでる

早朝から、毛布2枚、コタツ敷き、掛けの合計4枚を車に積み、コインランドリーへいきました。早朝とあって、どの機械も使用できました。しかしタッチの差で、続々と毛布の洗濯に来る人が絶えません。晴天と連休最後ということもあって、思いは皆同じなんですね。早起きして行ってよかった〜。

★今夜から高知に墓参りに帰ってきます。6日、7日と中村泊で8日には戻ってまいります。


[2136] 【2210回 久々の地獄谷】 2010-05-04 (Tue)

うららちゃんのお山で採取した蕗を煮ている最中に師匠から地獄谷のお誘いがありました。「う〜ん完成するまでに時間がかかるので淀川駅9時集合なら行けるよ」と言うことになり9時淀川駅を出発し、芦屋川に向かいました。いつもより1時間も遅いため、広場に登山者は、ほとんどいなかったのですが子供達を連れた家族連れが多く見受けられました。「まぁ地獄谷に行けば混雑も緩和するやろぅ」

滝の茶屋を過ぎ、地獄谷の大木がボキッと根元から折れ、ゲートロックは更に崩壊していました。水の量も多く、感を取り戻すのに時間がかかりましたが、途中「こんな人達が地獄谷を歩いていいのかしら?」と思うようなウオーカーの人達が多く見受けられました。「先に行ってもらおう」リーダー格の人が私達に先を譲ってくれます。いつも先を譲ってばかりなので、とても良い気分です。地獄谷を歩くのならばヘルメットは着用したいですね。

ウオーカーの人達は、滝に直面すると立ち往生してばかり「ストックついてここは登れませんよ」思わずささやいちゃいました。ギャラリーが多いと、師匠も私も張り切ってスムーズに登れます。今日は小便小僧の滝からさらに谷筋を登り、風吹岩に出るコースを取りました。風吹岩は、腰を下ろす場所がないくらいの人でいっぱいです。ざっと100人はいるのではないでしょうか。

ほとんどが家族連れの人達ばかり、中にはスカートにパンプスと言う姿もありました(ちょっとその格好は六甲山に失礼じゃないですか〜)山には山に適した服装がいいですね。自分たちの座る場所を見つけて11時半と少し早めではありましたが昼食を取りました。

風吹岩から阪急岡本駅にでる初めてのコースを歩くことにしました。横池には蓮が浮かび、傍らで弁当を広げる姿があちこちで見受けられました。やまたび倶楽部も地獄谷や有馬に抜けるコースは度々歩いていますが、このコースは初めてで、ほとんど人に会うこともなく、とても新鮮です。下り道も過ぎの木立が多く、夏場でも快適に歩くことができます。(これからの有馬返しは暑いよ。このコースお勧めですよ)

トレーニングには最適で、滝登りあり、急な登り有り、下り有りで変化に富んだ心地よいコースです。但し慣れたコースと言うことで、気を抜くと足を滑らせて大怪我につながります。いつも慎重に気合いを入れて通過しましょう。今からの水の中は涼しくて気持ちいいですよ。ぜひ!次回ご一緒に!

そう言えば、もう「沢登り」のシーズン到来ですね。私の沢靴、なしのつぶてのモンベルさんに問い合わせてみなくっちゃあ〜!


[2135] 【2209回 今日は蕗摘み】 2010-05-03 (Mon)


「 目に青葉、山ほととぎす初鰹」

江戸時代の俳人、山口素堂の名句ですが、こんな句がピッタリの5月3日のお空は晴天なり。桜が散ったと思ったら、もう青々とした若葉の季節。爽やかで、きらきらした陽射しを感じさせる陽気です。

鰹の初物を手に入れるのに、一匹2両もの大金を払ったそうです。(今のお金でおよそ10万円!)
「女房を質に入れても初鰹」なんて狂歌もあって庶民も初鰹を楽しみにしていた様子が伺えます。それにしても四万十川のほとりで食べた焼きたての鰹のタタキは美味しすぎたなぁ〜
「婿殿を 四万十に残してもよし 初鰹」どやこの句?

昔の人は「初物を食べると75日長生きする」と信じられていて、とにかく人より早く初物を食べたことが自慢だったようです。

そんな五月晴れの今日は曽爾高原近くの「御杖村」という場所に、蕗摘みに連れて行っていただきました。高速道路はゴールデンウイークの影響は少々ありましたが、順調に車は走り、見覚えのある、お山に到着しました。春先の寒さがたたってか去年ほど蕗は顔を出してはいませんでしたが、去年成功した佃煮作りに挑戦することができます。

御杖村ではまだ桜の花が残っており、その下でお昼ご飯をいただきました。頬をなでる風は、妙に心地よく、もう少し歩いてみようと言うことで近くの山歩きをすることにしました。桜峠には伊勢本街道の看板が立っており、昔の人達はお伊勢詣りにこの道をワラジを履いて歩いたことがわかりました。

帰り道にイタドリを見つけるべく、イタドリの匂いがすると「停めて!!」の連発で、かなり高い位置のイタドリも平気でよじ登り1回分の収穫がありました。(こんな所でクライミングが役立つのかなぁ)


[2134] 【2208回 車の中の忘れ物】 2010-05-02 (Sun)

車の中を掃除していたら、かわいい帽子が出てきました「あっちゃ〜ももちゃんの幼稚園の帽子や〜」探していては大変と、とりあえず電話をかけて、連休明けの登園日に間に合うように持参しようと思ったのですが「待てよ、名塩へ行く道は連休で超混雑かも知れない」と思い直し、宅配便にして送ることにしました。「帽子がな〜い」と6日の朝に泣かれるところでした。うっかりしていました。

今日は、のんびりと植木の手入れをし、コーナンで茄子、キュウーリ、トマトの苗木を買ってきました。トマトの品種「アイコ」は品切れで仕方がないので黄色のアイコにしました。でもやっぱりトマトは赤くないとねぇ。(留守をするときはお隣さんに水やりを依頼しなくっちゃあ)

零くん達は津軽海峡を越え、今頃は函館の実家に到着しているのでしょうか。昨日届いた写メールでは「道の駅・発祥の地」の看板の前で微笑む零くんの姿がありました。道の駅・発祥の地と言えば、道の駅豊栄(みちのえきとよさか)は、新潟県新潟市北区木崎字切尾山の国道7号新新バイパス上にある道の駅で、日本で初めて一般道に設置されたパーキングエリアで、日本の「道の駅 発祥の地」に認定されています。

そう言えば、イタドリ採りの帰りに立ち寄った場所は、(篠山でヘシコを焼いてもらった道の駅と紹介)道の駅に認定してもらうことが出来ず、建物はリッパなのですが立ち寄る客が少なくて店舗の撤退が相次ぎ、現在ではJA経営の店のみとなり、かなりさびれていました。ヘシコのおじさんに聞くと「道路から少し離れているため認定されない」のだそうです。道の駅として認定されると客の数も増え、にぎやかになるのにね、残念ですこと!




[2133] 【2207回 季節限定イタドリ姫】 2010-05-01 (Sat)

最近にしては珍しく登山等の大型連休の予定がありません。まぁ混雑の真っ只中を動かなくても、サンデー毎日の身、平日に動けばいいかとのんびりと過ごすことにしました。息子が北海道の大学に行っていた間は、大阪へ向けて帰省する息子が、母の手料理が恋しかろうと、じっと家で待機していたためゴールデンウイークに出掛けたことはありませんでした。しかし息子は帰省しても友人達と出掛けてしまい、母の手料理を食べる回数も減り、いつも待ちぼうけでした。それでも「待つ」楽しみがありました。その息子家族は今は北海道の嫁の実家へむけて車を走らせています)

4月30日は最後の名塩での生活のため思い出作りのカラオケに行くことにしました(本当は赤ちゃんとママをゆっくりお昼寝さすため)ももちゃんとかずくんを連れて宝塚のカラオケ店に行くと、条例とかで「親権者でないと入室できません。保護者ではだめです」と断られ、キッズルーム完備の別のカラオケ店に行きました。子供達の大好きな歌でスマップの「世界にひとつだけの花」を3回も4回も熱唱しエネルギーを消費し尽くした段階で自宅に戻ると、既に5時を過ぎていました。それからまた「イタドリの冒険しよう!」と自転車で走り回り午後8時にはとっくに「おねむ」の世界に入り、私が帰ったことは知らないと思います。

今日は何を隠そう!今年最初で最後のイタドリ姫の登場となりました。篠山の小金岳登山の時に「メッコ」をつけておいたのです。ブログにも写真を載せましたが大量に採ることができました。MANZOKU!マンゾク!満足!まんぞく!で〜す。お陰様で冷凍室が潤いました。それに今年は姪っ子から優れものの「イタドリ皮むき器」をプレゼントしてもらい、使いたくてうずうずしていました。本当に優れもの物で一気に皮が剥けるので、イタドリファンの仲間へプレゼントすべく、問い合わせ中です。来年には使ってもらえそうかな?

我が家はと言うと、1ケ月近く家を空けていたわりには室内もきれいに掃除が行き届いており大掃除入らずのため、心置きおきなく、久々に出掛けることができました。お昼は道の駅で「ヘシコ」や「キス」を焼いてもらい豪華な昼食となりました。

1ケ月の留守番生活で、ポチが「お前がいなくてもオレは一人で何でも出来るぞ!生きていけるぞ!」という言動がチラチラしていますが主婦歴何十年を侮ってはいけません。無償の労働「主婦」と言う職業はそんなに甘くなく、幅ひろく奥深いのです。

忠太郎のお誕生日メッセージに「やっとポチがハイハイ出来るくらいに成長したね。やっと独り立ちしそうな姫さんボチボチ気楽にエンジョイライフを!」と言って下さいましたが首輪のはずれた番犬みたいで、まだまだ調教が必要みたいです。

(イタドリの収穫はブログに載せました)


[2132] 【2206回 拝啓 母上様へ】 2010-04-30 (Fri)

お母さんへ

『約1ケ月の長い間、慣れないお家や名塩の土地で、子供達や私のお世話をありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。

産後、ゆっくりさせてもらって体の方も順調に回復してきています。ゴールデンウイークが明ければ復帰できる体力もついてきました。子供達も新学期を平静と変わらず迎えることが出来て、お母さんのご協力とご理解があってのこととありがたく思います。

航大も順調に成長していることをうれしく思います。これからもスクスク3人が育っていくように、大らかに子育てをする!と誓ってやっていきたいです。

以前のように、家も近くないので、名塩まで来ていただくことが大変だと気になっています。

いつもお母さんの「喜んで!」の言葉に甘えさせてもらってすいません。これからも何かとお母さんをお呼びするかも知れませんがよろしくお願いします。

3度目の出産は初めて名塩でのこととなりましたが豪華な産院「サンタクルス宝塚」で過ごせたこと、お母さんのサポートで何ひとつ心配することなく、この1ケ月を過ごさせてもらって本当にありがとうございました。

この付近にもイタドリがあったり、新たな発見も教えてもらって、一緒に過ごせた時間が楽しかったです。いつもいてくれたお母さんがいないのは淋しくなりますが、ひとまず頑張ります!子供達も待っているので、又いつでも来て下さいね。』

4月30日の名塩最後の夜にもらった、嫁からの感動の手紙です。振り返れば、私が長男、次男を出産した遠い昔、お姑さんにしてもらったことを、自分の出来る範囲で今、私が嫁にしているだけのことなんですよね。次の時代へのバトンタツチは「自分がしてもらって嬉しかったこと」を人にすれば、まあるく収まるのです。

パパが広島勤務なので大変だけどガンバレ!


[2131] 【2205回 メモリアルウオーク事務局からの通信】 2010-04-30 (Fri)

4月24日、皆様にご協力頂いて実施することができました、メモリアルウオークの事務局の方からメールをいただきましたのでご披露させていただきます。


「空色の会」中島です。
昨日は、メモリアルウオークの参加ありがとうございました。主催者スタッフとも感謝しております。

本日も、朝から尼崎での追悼慰霊式や「追悼と安全のつどい」に参加してバタバタとした一日でした。

今年の4月25日で5年が過ぎ、私たち負傷者と家族等も一歩一歩づつ前へ進んでくる事ができました。

私の妻も当日、3両目に乗車していて負傷しました。
おかげさまで、元の生活を取り戻すことができ、メモリアルウオークの全行程も歩けるようになりました。

この事故は、決して私たちだけの問題ではなく日ごろ、鉄道を利用する皆さんが巻き込まれたかも知れない、大きな社会の問題だと思っております。
皆さんと語らい歩き、犠牲になられた方々を一緒に追悼すると共に、事故を振り返り、みんなで安全への思いを伝えて行きたいとの趣旨で開催しました。

私たちも、歩き終わってから、みなさんと歩くことができて
良かったとの感想を持ちました。本当に良い時間が過ごせたと思っております。一緒に参加してくださった皆様方にもにもよろしくお伝えください。

早々のホームページへの掲載ありがとうございます。
きれいにまとめあげられていて、読みやすいですね。

ホームページの岩場の写真を見せてもらいました。
本格的な登山をされておられるようですね。
くれぐれも事故のないように、山を楽しんでください。

以上の内容でした。来年もあれば、ぜひ参加したいと思っております。


[2130] 【2204回 一時、自宅に戻ってきました】 2010-04-28 (Wed)

★大事な用事があるため、一時自宅に戻りました。今夜は自宅泊まりです。

お祭り大好きの私にとって誕生日のカウントダウンができなかった事が少々寂しく感じます。また「季節限定イタドリ姫」の出番もなく春が過ぎました。(今年は天候の異常で例会を中止にしたことは正解でした)いつの間にか、季節は大空に鯉のぼりが泳ぐ候と移り変わっていました。来年からはイタドリピクニックは、やまたび倶楽部として実施しないと言うことになりそうです。私が騒ぐほど、みなさんはイタドリ教の信者様ではなさそうなのと、案外、料理法を知ってしまえば、どこでも各自で見つけられることでしょう。私的には、みんなとワイワイガヤガヤ言いながら、それこそお祭り気分で楽しめればと、この季節になると郷愁も加わり子供の様にはしゃぎたくなるのです。

ももちゃんちの近くに名塩ゴルフセンターと言うところがあります。ジョンの「名塩にもイタドリあるやろ?」の言葉に動かされて、子供達が幼稚園から帰った雨の午後、「探検しに行こう!」と2人を車に乗せ、名塩ゴルフセンター方面に走りました。「私道につき駐停車禁止」の看板を横目に探していると「あったよ〜」初イタドリ〜!子供達を車に残し傘をさしていては邪魔になるため、雨に濡れながら1回分の料理の量を採ることができました。

この日は、慣れない幼稚園生活で疲れがでたのか、かずくんは車の中で眠ってしまいました。季節限定イタドリ姫に火が付き、名塩の坂道を走ると小高い丘の様な、空き地の様な場所に出て、イタドリの匂いがします。絶対ある!と、寝ているかずくんを車に残し、ももちゃんと空き地に入り込みました。雨が降ってなければ、もっと採れたのですが残念です。家に戻り、子供達と皮を剥き、塩漬けをして2日後には食卓に並びました。名塩産のイタドリは、とても美味しかったです。ママが「ご近所さんにも分けてあげたい」との要望で、冷凍室のイタドリは再度、料理をしてお裾分けができると思います。

今年は異常気象でイタドリも芽を出すのが遅く、まだチャンスがありそうです。くろねこさんちあたりも匂うよ〜!冷凍室は、まだまだ空っぽだよ〜!採ったのを人様から貰うのではなく「自分で見つけて採り、人に食べてもらう」これが土佐流のイタドリっちゅうもんです。(たいそうな奴っちゃなあ)


[2129] 【2203回 メモリアルウオークに参加して】 2010-04-24 (Sat)

「みなさん4月24日って空いてますか〜?」そんな呼びかけで4月24日の土曜日JR塚口駅で「やまたび集合」し、みんな揃って上坂部西公園芝生広場へと移動しました。多くの報道カメラマンが待機しており、写真やインタビューに対応することとなりました。

JR福知山線列車事故から5年を迎え、最近では毎日の様に、遺族の方々や今もなお後遺症に苦しむ方達の苦悩の日々を報道し続けています。今回のウオークの目的は、被害者の真の回復と事故の風化防止を願いつつ、安全で安心な社会作りへの思いを新たにするメモリアルウオークと言うことで、事故のあった路線に沿って、みんなで歩き、たどり着けなかった多くの思いを届けようと言う趣旨から、ぜひ参加をしたいと思った次第です。仲間への呼びかけもさることながら、定員百名に到達するまえに参加枠を確保したいと思い、申し込みをすることとなりました。最初の15名には到底及びませんでしたが、趣旨を理解してくださり、協力をいただけた仲間達と歩いてまいりました。

コースとしては、上坂部西公園芝生広場から出発し産業道路を南下、主催者が用意してくれた献花を事故現場で手向け、「命」の菜花畑を経てJR尼崎駅までの4q、2時間のコースです。今年も現場近くの菜の花畑に花で描かれた「命」の文字が浮かび上がり、風に揺れる黄色い菜の花は、付近を通りかかる人々に失われた命の尊さを訴えかけていましたが、残念な事に菜の花のシーズンは済み、その代わりブロッコリーでハッキリと「命」とわかる追悼文字が浮かび上がっていました。この菜の花畑は、近くの74歳の農業を営む男性が、事故が起きた5年前の4月25日、現場での救助活動を目撃。「遺族や負傷者の方々を元気づけたい」と一昨年5月、所有する畑に菜の花で文字を描こうと思いついたそうです。

主催者は「空色の会JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」、後援は「思いをつなぐ連絡会2010」

私達は福知山線を利用して登山に出掛けることも多く、事故のあったマンションあたりで車両が減速して通過する度に心の中で手を合わせてご冥福を祈っていました。ふせぎようのない、持って行く先のない怒りにも似た心境と、ひょっとして私が、仲間が乗り合わせていたかも知れないという不安もあります。事故現場で花を手向け、亡くなった人々の痛かったであろう、苦しかったであろうの声を忘れることのないようにしたいと思います。

JRの歴代トップが起訴されていましたが今までの体制から脱し(運転手と車掌は面識もなく乗車前の打ち合わせもないらしい)安全な運行をしてもらいたいと思わずにはいられません。事故当時は「先頭車両は危ない」ということで後部車両を選んで乗車していましたが5年も経つと、そんな事は忘れて空席を求めて先頭車両に乗ることも日常となっています。


[2128] 【2202回 サンデー毎日のポチ】 2010-04-24 (Sat)

最近「ポチはどうしてる?」多くの方々からそう聞かれます。ごもっとも、ごもっとも。会社人間が仕事を辞めたら、テレビの守りか、寝るか、飲むか、で家族からは粗大ゴミ扱いにされる状況を自分で作ってしまいます。趣味のある人は時間を有効利用できるでしょう。

4月1日からポチとの約束事としては

@起床と同時に、いつでも出掛けられるように着替えておく(パジャマのままで居ない)
Aお互いの行動を干渉しない(どこ行くの?何時に帰るの?は聞かない)
B昼食はお互い自由 (メシメシと言わない)
C誰に尋ねられても有意義な時間を過ごす(アルツハイマーが進行するよ)

あまり難しい事は要求せず、私の退職後の優雅だった2年間が大きく変わらないように、最低限の取り決めをしました。料理も危なかしい包丁から料理バサミに持ち替え、いまのところ楽しんで頑張っています。(姫が名塩泊まりの間に成長したよ)

そんな中、芦屋から「有馬越え」と「有馬返し」をした様子です。(1週間に1度、有馬越えをしたらと提案はしましたが有馬返しは提案していませんでした)単独行動なので「下山報告」は必ずするように厳しく言いました。
 
 7時44分 阪神淀川駅
 8時34分 阪急芦屋駅通過
 9時20分 滝の茶屋通過
10時00分 風吹き岩通過
10時36分 水飲み場通過
11時56分 一軒茶屋到着
13時00分 有馬到着(折り返し)
14時35分 一軒茶屋到着
17時00分 滝の茶屋到着
17時30分 阪急芦屋駅通過
18時30分 阪神淀川駅

過日に「雨ケ峠返し」をしてのけた頃から見ると体力が復活してきた様にも思います。体力と技術も鍛錬して、苦痛でない山登りが実行できたらいいと思っています。とにかく座って休憩をとらないトレーニングをして縦走に耐えられるだけの体力がつけば、どんな山にも挑戦できるのではないかとハッパをかけておきました。(本音としては単独行動は禁止だよと言いながら、いつも付き合わされると大変なので、気を付けて行っておいでと見送ることにしています。)

体力もさることながら、性格も治してほしいよね。年を重ねると「かわいい爺ちゃん」でいることが条件になってきます。「儂は誰の世話にもならず一人で生きて行ける」なんて事を言ったり、顔に出したりすると嫁に嫌われるよ。


[2127] 【2201回 た★だ★い★ま★】 2010-04-23 (Fri)

「1週間のご無沙汰です」これは故玉置宏さんの名ゼリフでしたが少しパクり「2週間のご無沙汰です」姫のおうちのお休みを頂いてありがとうございました。まだ私にも婆業で役に立つ事があったんだと嬉しく思っております。

名塩南台という場所は車がなければ、運転が出来なければ、ニッチモサッチも行かない場所であると言うことを痛感致しました。商業的なブースは禁止ということで自動販売機や小売りの店等はありません。買い物に行くには名塩駅までバスに乗るか車かしか身動きが取れません。幼稚園の送迎も、買い物も、ここに住む奥様方はペーパードライバーであっても、すぐに上達しそうです。するはずです。その代わり、自転車と言う乗り物に1台も合いません。それもそのはず下り道はよくても、きつい登り道はとてもとても自転車ではつらすぎます。違法駐輪は1台もなく、自転車に乗った人をみかけることはありません。驚きです。

だから環境に良いこの場所に引っ越して来たと言う幼稚園のママさんもいます。とにかく慣れないハイテク家事に最初は、ただオロオロするばかりでしたがママが入院とあっては頑張るしかありません。2日経ち、3日経つと何とか家事がサマになってきました。心配の種は熱帯魚を死なせない事と植木を枯らさないようにと神経を使いました。退院までどちらも健在でホッ!

しばらく時間に追われる生活から遠のいていましたので朝起きて、食事の用意をし、なかなか起きてくれない年少組のかずくんを起こし幼稚園に送るまで大仕事、洗濯機を廻しておいて幼稚園バスに乗る場所まで車で送り、バイバイしたら、その足で名塩駅にあるスーパーに買い物に行き、戻って洗濯を干す。昼食の段取りをしているとアラームが鳴り、もう、お迎えの時間なんです。「ただいま」の声と同時に「赤ちゃんだっこ〜」と二人で赤ちゃんの争奪がはじまります。あっそうそう赤ちゃんの名前は「航大(こうた)」と命名しました。

あとはご想像にお任せしますが赤ちゃんは「動くオモチャ」状態です。出産の翌日にはママが平気で歩いているのにもオドロキです。私は陣痛が3日間続き、挙げ句の果てに帝王切開でしたから、この度の安産の驚きは人の倍かも知れません。(今回は20分間のスピード出産)60歳を過ぎると赤ちゃんをお風呂に入れるのも危なかしいし、かと言ってオッパイも出ない(当たり前やナ!)あまり役に立ったとは言えないかも知れません。とにかく上の二人が赤ちゃんに触りたくて、かまいたくて仕方がないのを、要求通りに受け入れて自然に接しているパパとママが偉い!婆はヒヤヒヤドキドキ・・・

ももちゃんとかずくんが、赤ちゃんのお口に、かわりばんこに、指を入れるので私が「ダメダメ〜赤ちゃんが痛いって言ってるよ」と言うと「婆ちゃん嫌い〜」って言われちゃいました(笑)

驚きはもうひとつ、留守の間ポチが快適な自炊生活を楽しんでいたということです。外食はしない、出来合物は買わないに徹し、時々、有馬返しをしてのけたらしいです。(やればできるじゃん!)何かとても楽しかったらしいです。信じられない事ですが本当みたいです。(ひょっとして髪の長〜い腰の曲がった彼女でも連れ込んでいたのかしら?それもOKよ!)みんなから定年後は何をするのか、趣味を持ちや〜と言われていましたがちょっと以外でした。掃除も出来ていて障子のサンに手をこすって検査してみましたが行き届いていました。

「なせばなるなさねばならぬ何事も」でしょうか!

土曜日夜から再び、名塩滞在となります。


[2126] 【2200回 次男に三子、男の子誕生】 2010-04-09 (Fri)

「姫婆は、しばらく西宮名塩にいます」

ももちゃんとかずくんのママに赤ちゃんが生まれました。2800cの男の子です。
母子ともに元気です。名塩の滞在は2週間ほどの予定です。

そんなわけでJR福知山事故追悼ウオークは名塩から参加します。4月24日12時50分、JR塚口駅西口でお会いしましょう。一人でも多くの方に献花していただけたらと思っています。

すみませんがしばらくの間「姫のおうち」の書き込みをお休みさせて頂きます。
また自宅に戻りましたら、頑張って書き込みします。登山お誘い下さいね。クライミングもよろしく。では行ってきま〜す。

 (息子の家にはじめてのお泊まりです。ドキドキするわ〜)


[2125] 【2119回 お岩木山に登る理由】 2010-04-08 (Thu)

♪ りんご追分 ♪

リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に 月夜に そっと えええ・・・

つがる娘は ないたとさ つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが 風に散ったよな あああ・・・・

「お岩木山のてっぺんを 綿みてえな白い雲が ポッカリポッカリ流れて行き
桃の花が咲き 桜が咲き そいから早咲きの リンゴの花ッコが咲く頃は
おら達の一番楽しい季節だなや だどもじっぱり無情の雨っこさ降って
白え花びらを散らすころ おら あのころ東京さで死んだ お母ちゃんのことを思い出しておら・・・おら・・・」

「ひばり」と言えば、りんご追分、「りんご追分」と言えばひばり。この歌は昭和27年の映画「りんご園の少女」の挿入歌なのです。当時70万枚のヒットソングとして爆発的な人気があったそうです。「りんご追分」について有名な話があり、舞台やテレビでは色々な曲をアレンジして歌っていましたが「りんご追分」だけは手を加えずに歌い通したと言われています。ひばりちゃんが吹き込みをした頃の声の質、高低が、晩年も全く変わらなかったと「音声研究所」の驚くべき結果がひばりちゃんが死後に発表されたりもしました。中学生の少女がこれほどまで見事に情緒たっぷりと歌い上げる、まさしく天才そのもの!。ひばりちゃんの歌で「津軽のふるさと」も大好きな曲で、夕暮れの中で津軽の故郷を想う歌は、津軽を自分の故郷に置き換えて歌っても感動の一曲となります。

お岩木山のてっぺんに私も登ってみたいと青森の山々を登る気になったのです。ならば八甲田山も白神岳も、欲張りついでに月山も鳥海山もと計画はアドバルーンの様に膨れあがりつつあります。岩木山頂上で「リンゴ追分け」を赤ペラで歌える様に練習しとこ〜っと!


[2124] 【2118回 交通事故に遭わないために】 2010-04-07 (Wed)

6日の火曜日、「春の全国交通安全運動」此花区民総決起集会が区民ホールで開かれ、行って参りました。会場の中は地域のみなさんに混じって総勢20名ほどの制服を着たギャルの集団がひときわ目立ちました。引率者に安全運転管理者部会で見覚えのある人がいたので事情を聞いて見ると「4月に入社のバスガイドの研修生です」とのことです。バスガイドと交通安全を結びつけた社員教育の一環だそうです。それにしても20名とは何と景気のよい会社でしょう。それとも新旧の入れ替わりが烈しいのかな?阪神淡路大震災の時、高速道路で危機一髪のところで停車したあのヒョウ(犬かな)マークのバス会社の人達でした。1年経つとりっぱにバスガイドとして独り立ちするのでしょうね。決して吉良上野介を「よしら うえのすけ」などと間違わないように、ふりがなを付けて覚えて下さいね。名誉のために言いますが「よしら うえのすけ」と案内したのは、この会社のガイドではありませんよ。

パレードの先頭は昇陽高等学校(旧淀ノ水高等学校)のブラスバンド部の皆さん、その後ろに府会、市会の議員さん、町会のお偉い人達が続きます。王様の様な制帽をかぶっているのはライオンズの会長さんの様です。私達も推進委員の制服を着用です。四貫島商店街は中央に自転車を停める悪い習慣があります。しかし今日はパレードの通達があったのか1台の駐輪もありません。驚いたことに通路に山ほどはみ出している商品も心なしか少し引っ込めている様子です。こうして見ると商店街も広いよね。商店街のマナー向上に役立つならば、パレードも抜き打ちに度々するのもいいかな(笑)

四貫島商店街から住吉商店街に渡る交差点は一時、歩行者専用にして、パレードが信号で中断しないように警察官が操作しています。お仕事中のトラックドライバーさんに気の毒な様な気もしましたが、このわずかな時間を待つ、心の余裕がないと事故につながります。「警告・ヒヤリ・ハット」の映画が上映されましたが、車だけでなく、参加された高齢者のみなさんが気をつけてくれれば事故は減ります。

「点滅信号を渡ると危ないよ」と言うと「わては昔からこうして渡ってまんねん」と言います。いえいえ昨日のお婆ちゃんではないのです。昨日より今日は確実に老化は進行しているんですよ。大きな交差点では真ん中の安全地帯で一息つくぐらいの気持ちで渡ってほしいです。映画を見て、交通事故の恐ろしさがわかったら、実践してもらえるといいのですが・・・・


[2123] 【2117回 今日から春の全国交通安全週間です】 2010-04-06 (Tue)

平成22年「春の全国交通安全運動」が始まりました。期間は
4月6日(火)から15日(木)までの10日間です。

○全国重点として
・子どもと高齢者の交通事故防止
・全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
・自転車の安全利用の推進
・飲酒運転の根絶

○大阪重点としては
・自動二輪車・原付の交通事故防止
・めいわく駐車・放置自転車の追放 です。大阪版を作らなければならないほど放置自転車とめいわく駐車は大阪の悪名を全国に轟かせています。午後から交通安全決起大会があるため出掛け、パレードを見送りたいと思っています。安全週間の時だけ注意するのではなくて、家を出たら四方八方に注意のアンテナを張り巡らせて交通事故に遭わない、また事故を起こさないでいたいと思っています。

姫のスローガン
●横断歩道を後ろからチロリン、チロリンと我が物顔でベルを鳴らすのはや〜め〜て〜
●歩行者も自転車専用道路歩かんといて〜!
●子供連れの若いママさん!信号守らんといかんよ!
●駐輪場の無いところへは健康のため、自転車に乗らない生活しようよ〜

「漆黒の日々」もすでに14話が登場となりました。14話は一刀水の葬送曲のくだりだったので久しぶりにテープを聞くことにしました。
【月の法善寺横町】【男の一生】【南国土佐を後にして】等、本人の好きな曲を苦労して隠し撮りしたことが思い出されました。勘の良い兄貴のことだから、遺作だと、ひょっとして知っていたのではないか、でもまさか葬送曲だとは思ってもみないと思います。こんなこと考えるのは姫ぐらいしかいないし・・・・

今聞いても生きている様で「お前はアホか」と照れ笑いをしている顔が目に浮かんできます。一刀水も編集が終わった曲を聴きながら「儂が死んだらこれをかけて送ってくれや」と言うほど気にいっていましたた。時々音程がはずれていて、プッと今でも吹き出してしまいます。

私もこんな素敵な葬送曲を作ってほしいなぁ!自分で作るしかないかなぁ(笑)気分が陽気な時の歌声は聴いていても心が弾みます。私の時は美空ひばりオンリーで暗い曲や寂しい曲はダメ!「お祭りマンボ」「関東春雨傘」「乱れ髪」「素敵なランデブー」「あの丘越えて」などで、葬式が終わり、霊柩車が見えなくなってもまだ会場には、しつこく歌が流れ続けているのがいいなぁ〜(死んでからも、しつこいなぁ〜)


[2122] 【2116回 サスケ先生の応急処置】 2010-04-05 (Mon)

「みんなの広場」のサスケ先生の書き込みを拝見して、頭の中で同じ行動を想像をしてみました。

電車の中で「野次馬より一歩前進」ができたことに大きな拍手を送りたいと思います。芦屋ロックガーデンでも怪我人へのサポートをされたことがありましたよね。流石は医療にたずさわるだけのことがあって、勇気もですが適切な処置がされていて同行者はとても安心する事と思います。

在職中に「救命救急普及員」の講習を受け、ウオーキング協会の納会時には此花区の消防署から蘇生人形や、AEDを借りて講習をしたことが何度かあります。(続行しているのかしら?)ひとりでも多くの人に普及することにより、行事等での不慮の事故に多くの人が携われるようにしていた方がとても安心できます。

サスケ先生は電車の中で目の前の人が倒れたため、意識があったので回復体位をとり救急隊の到着を待ったそうです。その時「動かしたらあかん」と言った人がいたそうですが、その声に憶することなく、回復体位を行動することができた様子に「アッパレ」と申し上げたいと思います。(後ろでゴチャゴチャ言うんだったら救助の手助けしてよね〜)

私が妙義山で脱臼事故に遭ったときも必死で手当をするリーダーの横を「パトロール隊」の腕章を巻いた人が通り過ぎていきました。この場合は「何か手伝えることはありませんか?」と声掛けをしてもらいたいですよね。みなさんも事故の現場を目にしたら「自分に出来ることは何か」を考えてください。そして行動に移して下さい。

直接、救命救急に携わらなくても、人垣を作り野次馬から負傷者を守ることもできます。AEDを探しに行くこともできます。救急車の誘導もできます。それぞれ日頃訓練で築き上げたことを実践に移せるよう、イメージトレーニングをお願いしますね。

私がいくら救命救急を知っていても、自分のために救命処置をすることはできません。ならば、登山の仲間達全員が、ところどころでもいい、心臓マッサージを交代で引き受けられるようにしてもらえば、私の命は助かるのです。

「みて、きいて、かんじて」
目で傷病者の胸の動きを見て、耳で呼吸の音を聞いて、ほおで傷病者の息を感じて、反応の無いときはただちに人工呼吸、心臓マッサージを行ってください。消防署救急隊員が到着するまで、やめないで下さい。但し息を吹き返したときは、回復体位を取り、励ましてあげて下さい。「処置ではなく手当を」が赤十字の尊い教えです。




[2121] 【2115回 西宮名塩にて】 2010-04-04 (Sun)

嫁の陣痛が来るかも知れないということで終日、西宮名塩の家で過ごすことにしました。道中は桜が満開なのにゴザを敷いた花見客が誰もいません。生瀬あたりからリュックを背負った家族連れが歩いています。きっと廃線ウオークを楽しむのでしょうか。名塩の高台からは六甲がよ〜く見えています。

もういつ生まれても準備万端整った状態で、入院中、留守を預かるための「主婦の引き継ぎ」を受けます。我が家と違い全てがハイテクで戸惑いながらもしっかりと何がどこにあるのかを教えてもらいます。忘れそうなのが熱帯魚の餌やりです。「忘れそう〜」と悲鳴をあげると、ももちゃんが「ももちゃん達がごはんを食べてると、お魚もご飯欲しいよ〜って上に浮いてくるから大丈夫」と励ましてくれました。

しばらく大阪勤務のパパの帰り時間を見計らって帰ることにしました。福知山から宝塚に通じる道路は、ゴルフ帰りの車で夕方になると大変渋滞しています。そこで蓬莱峡へ寄り道をすることにしました。座頭谷のクライミングへの道に車を停め、川越えにイタドリを探そうと思いついたのです。しかし水量が多く、いつも渡る飛び石は水没していましたのであきらめて帰る道すがら、かわいそうに思ったのかニョキニョキと小さなイタドリを4〜5本見つけました(ブログに掲載)また人のいない蓬莱峡は一人で歩くにはとても不気味でした。

11日のイタドリウオークは少人数のために中止になりましたが、よしんば行ったとしても、いつもの様に大量に採れなかったと思います。最近の異常気象で芽を出すのが遅れているようです。1年ぶりのイタドリとの再会になつかしいのと、まだ早いよとお伝えするために、こんな小さなイタドリを採取してきました。(ゴメンネ)



[2120] 【2114回 追悼ウオークの記事】 2010-04-03 (Sat)

4月3日産経新聞夕刊に「命の尊さ・くっきりと」の記事に目がとまりました。4月24日参加を呼びかけているウオークの途中で、この場所を通過します。

『兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故から25日で5年となるのを前に、今年も現場近くの菜の花畑に花で描かれた「命」の文字が浮かび上がった。風に揺れる黄色い菜の花は、付近を通りかかる人々に失われた命の尊さを訴えかけている。近くの農業、松本三千男さん(74)は事故が起きた5年前の4月25日、現場での救助活動を目撃。「遺族や負傷者の方々を元気づけたい」と一昨年5月、所有する畑に菜の花で文字を描こうと思いついたという。

近くを通る福知山線の車窓からも見える畑に昨秋、種をまいた菜の花は、今が満開。25日を待たずに散ってしまうが、入れ替わるようにブロッコリーが黄色い花を咲かせるという。松本さんは「命の尊さを忘れてほしくない。自分が生きている限り続けたい」と話している。』

菜の花畑に浮かび上がった「命」の文字。JR福知山線の乗客らにも、命の大切さを訴え、そして私も命の大切さを肌で感じてみたいと思っています。

それにしても寒いですね。名塩では最近、雪が降り庭先のブランコの雪を集めて食べたと言ってました。桜も「わぁ〜きれい!」と言った感じの咲き方ではないですね。私の近くの家にも桜が咲いていますが風に乗ってハラリホラリと舞い散り道路を白く染めています。花見には、もう少し暖かい日差しがほしいですね。今年は「季節限定イタドリ姫」も、寒くて、いつが採りどきか悩んでしまい、イタドリ姫も開店休業みたいです。


[2119] 【2113回 登山計画書の苦労を知る】 2010-04-02 (Fri)

やまたび倶楽部で完成した登山計画書に便乗して参加するスタイルが私の中でマンネリ化したため、計画書作成の苦労を知るためもあって7月に行こうとしている青森県「八甲田山」「岩木山」「白神山地」山形県「月山」、秋田県「鳥海山」の登山計画書を作成中です。まず高速料金1000円ポッキリに乗るための日程の設定から始めました(民社党次第で6月から変更あり?)

地図を部屋一杯に広げ、効率よく登るための工夫をしなければなりません。(無理をせず1日1座)車を回収のため駐車場までのバスの時間等を調べたりしていますが、こりゃあ大変な作業です。夏山、スノーシュー、沢登り、ところどころの交渉役は手伝ってはいますが行程全部をつなぎ合わせることのリーダーの大変さがよ〜く解りました。

自分で調べることで実際の登山になると経路が頭の中に入っていて便利であるということもよくわかります。何故ならば何度も何度も同じ事を調べているのですからね。「定年になって時間がタツプリあるでしょう」と冷やかされることがありますが得手不得手があり、なかなかはかどりません。

こうなったら最後まで完成させて「よく調べたなぁ」と言って貰えるようにしたいと思っています。ほとんどはテント泊ですが最後の夜は豪華山小屋に泊まろうと思っています(ん?山小屋に豪華さはあったかな)車回収用のバスの運行路線がなくてタクシー会社に料金を尋ねたら1万5千円と言われてびっくりし、即、コースを変更しました。(笑)

青森は故一刀水と行った思い出の地です。奥入瀬渓谷を散策して出口に来たとき、姉が「なぁなぁ奥入瀬渓谷はまだかぁ?」と聞かれたのにはガックリしました。旅に出るときは少しぐらい予備知識を持って行ってほしいです。山もしかりです。あの時の費用は、たしかポチの永年勤続のお金で行ったとおもいますが「奥入瀬渓谷はどこ?」って言われると無駄なお金使ったなぁとつぶやかずにはいられませんでした。


[2118] 【2112回 追悼ウオークへのお誘い】 2010-04-01 (Thu)

「みなさん4月24日って空いてますか〜?」

JR福知山線列車事故から5年を迎えました。被害者の真の回復と事故の風化防止を願いつつ、安全で安心な社会作りへの思いを新たにするメモリアルウオークに参加しませんか?事故のあった路線に沿って、みんなで歩き、たどり着けなかった多くの思いを届けませんか?募集人数はわずか100名限りですので先手を打ち15人予約完了しています。

◇開催日  平成22年4月24日(土曜日)
◇集合時間 午後1時 (12時50分駅に集合)
◇集合場所 上坂部西講演芝生広場
◇最寄り駅 JR塚口駅西口で待合後集合場所へ移動
◇参加費  無料
◇歩行距離 約4q 2時間

「コース」
上坂部西講演芝生広場→産業道路を南下→事故現場で献花→「命」の菜花畑を経てJR尼崎駅まで
●献花の花は主催者が用意してくれます。

●15名に達しない人数は変更の必要があるため参加をして頂ける方は「みんなの広場」に「行くよ」の書き込みを4月10日までにお願いしますね。


[2117] 【2111回 第2幕から第3幕へ】 2010-03-31 (Wed)

平成22年3月31日、この日、我が家の大黒柱は定年の定年を迎えることとなりました。

思い起こせば平成4年6月8日、9時間あまりをかけての「大動脈弁閉鎖不全症」の手術を受け、後遺症として右手のシビレは残るものの、闘病生活の後、普通の生活に戻り会社にも復帰することができました。その後も網膜剥離、白内障などの病気と仲良く付き合い、身体障害3級の認定を受けつつも登山、クライミング、沢登りと「言わなきゃわかんねぇ」程の元気な日々を送っております。

3年前に60歳定年を迎え更に3年と4ケ月の勤務を終え、本日人生の第2幕を下ろすこととなりました。第1幕は心臓手術の時に下ろしています。2人の息子を前に「父親に万一の事があったとしても大学までは母親がしっかり働いて行く事ができるから安心して勉学に励むように」と覚悟をしたことを思い出しました。しかし第1幕は下ろしたものの元気復活で母子して誓い合ったことは無駄となった様です(笑)第1幕を下ろしてからの術後は「おまけの人生」で、出世欲も失せ気楽に人生を謳歌し、「真面目だけが取り柄」で働いてきました。しかしおとなしい反面、頑固きわまりない人格は皆様ご存じの通りです。

最終日には会社の前に花束を持って行ってあげようかと思っています。しかしそんな空気をキャッチしてか「挨拶が済むと早引きする」と言って家を出ました。喋らず黙っているとスーツ姿の後ろ姿は何か紳士に見えるから不思議です。

明日からはカッターシャツのアイロンもいらん、背広もいらん、靴磨きもいらん、ビジネス鞄の中のライブドアの株券もいらん(どうするんやろ?リュックに詰め替えるんかなぁ)明日から第3幕が上がるのですが、難儀なことに監督は決まっているのに、シナリオが完成されていないのです。

一足先に定年となられた我が仲間の淳ちゃん先輩から、色々と聞いてはいましたが、さてさて・・・ どうなりますことやら。手始めに私が嫁のお産の手伝いで、西宮に滞在する2週間余りの間は、「掃除」、「洗濯」、「炊事」、「廻して頂戴回覧版」などの日常生活を、やって貰おうと思っています。

『お互いの行動を干渉せず、他力本願から自力本願へと行き方を変えると、また楽しい人生が送れるのではないでしょうか。』


[2116] 【2110回 二上山登山のお誘い】 2010-03-30 (Tue)

ポンポン山登山を終えた時点の二上山の参加者は、たったの3人。一体どうなることかと思いながら広報活動をすることにしました。3人だけでも行くで〜(中将餅買いにね)

桜の花便りも開花直前の寒波の戻りで、なかなか「満開」とはいきません。二上山はダイトレ第1回目(平成20年4月29日)の関屋駅〜 屯鶴峰〜二上山〜平石峠のトレッキングの時に二上山をかすめて通過しました。今回は雄岳、雌岳とも頂上をきっちりと踏みたいと思っています。

二上山を「生の世界と死の世界をわける結界」といったのは作家の五木寛之氏。山を越えると、そこは聖徳太子ゆかりの大阪・太子町で、古代陵墓や古墳群がひしめきます。大和の人々にとって、文字通り山の向こうは「死者の国」であったといいます。「二上山の彼方に沈む夕陽を眺めれば、きっと理屈でない浄土がわかるだろう」と語っていて興味深く思います。実際、二上山雄岳の頂上近くには墓があります。謀反の罪で死んだ悲劇の皇子「大津皇子」とされ、姉の大伯皇女の万葉集の歌が有名です。あ〜あ語り部のサスケ先生がいらっしゃらないのが残念〜

何と言っても楽しみなのはゴールの当麻寺の中将餅!4月と言えばよもぎの旬の時期で、さぞかし美味しいことでしょう。よもぎが出そう、いえいえよだれが出そうです。中将餅(よもぎ餅)は葛城の里に昔から伝わる掌大のあんつけ餅を一口の大きさにし、ぼたんの花びらを型どったものです。よもぎの香りと甘味を押さえた独特のあんとの調和はたまりませんなぁ。

団子の話が先になりましたが、二上山は奈良と大阪の境界をなし、雄岳(517m)、雌岳(474m)二つの峰をもつことからこの名があります。古くは「ふたかみやま」と呼ばれ山容の美しさ、神秘なたたずまいは神のいます山として神聖視されてきた。夕日が二峰の間に沈むさまがとりわけすばらしく「夕日の名山」とも称えられています。雄岳山頂は有料となりますが今回は有料でも行ってみたいで〜す。山頂の桜は私達を迎える頃、満開となるでしょう!(願望であって事実ではない)みなさんのご参加をお待ちしています!


[2115] 【2109回 リュックの中味&重量】 2010-03-29 (Mon)

「一体何が入ってるねん?」私のリュックを持ち上げてみてそんな風に言われることが度々あります。そこでリュックの中味を計測して見ることにしました。

1.0s ★合羽
0.5s ★救急用品
0.3s ★カラビナ類
0.5s ★着替え
0.8s ★救助マット&サラシ
0.2s ★ツエルト
0.4s ★懐中電灯他小物
0.2s ★非常食
1.4s ★風袋    合計5.3s

常にこの荷物はリュックの中にはいっていることになります。後は食料、飲料水、季節によってはダウンなどの防寒着などを詰めると9.0s〜10.0sになるのです。こうして見てみると、ひとつひとつの重量はたいしたことはなくてもリュックの中に詰めてしまうと5s以上になってしまいます。

「今日は天気もよさそうだから合羽を持たずに出掛けよう」と六甲山登山をした時のことです。名前の如く、雨ケ峠あたりからポツリポツリと雨が落ちてきて、七曲がりあたりでは大粒の雨が降り始めました。他の参加者の方達は合羽と傘を併用し雨対策バッチリです。ところが家に雨具を置いてきた私だけビショ濡れになって、シートをかぶり列の後ろをトボトボと歩いた経験があります。山の天気は変わりやすいということは百も承知の上で、してはならないことをしてしまったんです。これは低体温症を引き起こす原因にもなります。リュックの中には、弁当を忘れても必ず合羽は入れておきましょう(そう言えば、弁当忘れてきた人もいたよね〜)

「今日はプライベートの登山だから」と三角巾等の救急袋を車に残して脱臼事故を起こした事もありました。三角巾を残したとて、どのくらい荷物が軽くなるのでしょうか。これは「気のゆるみ」としか言いようがありません。

リュックの中は、ほとんどが緊急用品なので使わない方が良いのですが妙義山での体験から「5.3sの中味」は必ず携帯するようにしています。今は右肩が完全でないので荷重がかかると、つらい時もありますが、これも日々解決していくと思っています。アルプスなどの高山に登るときは寝袋や共同装備も追加となりますので、日々の一般登山の時から歩荷訓練だと思い、荷物を苦にしないように心がけたいと思っています。こんな気持ちになるには、何度も失敗を繰り返し、頭を打ち、長い年月がかかっています。

今後の課題は風袋1.4sのリュックを0.5sのリュックに変えることにあるかなぁ!


[2114] 【2108回 ポンポン山登山】 2010-03-28 (Sun)

3月28日(日曜日)阪急組、JR組ともスムーズに善峰寺行きのバスに乗り善峰寺終点で下車しトップを淳ちゃんにお願いして下見とは別コースの釈迦岳(631.4b)経由のポンポン山登山となりました。あっそうそう三つの寺も詣でます。

お天気は限りなく怪しい曇り空です。ゴールまでもってくれればいいと念じながら善峰寺境内の中の遊龍松を、遠く彼方から眺め釈迦岳へ向かいます。ほどよい汗がにじみ、やがてこぼれ落ちるほどの汗をかいています。

ポンポン山は、正式の名前を「加茂勢山」、頂上近くで、足踏みするとポンポンと鳴った事から、ポンポン山と名前が付いたそうです。正午前にはポンポン山の頂上を踏むことができました。三角点を愛おしく撫で、お弁当を食べ、地図の勉強もして午後の出発となりました。

しばらく下ると「高槻の古木」を通過あたりから、雨粒が木立に当たり音を立てていますが体に感じる雨はあまりありませんでした。「高槻の古木」の中は空洞かも知れないと思えるほど古く、鎌倉の大銀杏の木の様にならなければいいのには思ってしまいました。

雨に押されて足早に下山すると、本山寺に到着です。ここにはきれいなトイレがあり利用させて頂きました。合羽を着る者、傘を出す者とそれぞれが雨対策をしましたが、ほんのわずかの時間で太陽のお目見えとなりました。本山寺の鳥居には不思議な12本の樒「勧請掛」がぶら下がっており資料を基にみなさんに由来を説明しました。

往古よりこの注連縄の12筋の長短を持って、翌年の社会情勢、農作物の出来映え、物価の高低を暗示するというものです。更に下山すること1時間あまり。神峰山寺到着。

今日のコースからは外れていますが「福寿草」の自生地があるそうです。しかし、心無いハイカー達の盗採を防ぐため場所は明確にされていません。福寿草が自生しているあたりにはロープが張ってあり、入口では監視委員が数名いて、書類に住所、名前を書いてから入るのだそうです。

詳しいレポートは あ★と★で★乞うご期待。


[2113] 【2107回 JR福知山線脱線事故 】 2010-03-27 (Sat)

JR福知山線脱線事故は、2005年(平成17年)4月25日午前9時19分頃に西日本旅客鉄道の福知山線塚口駅 - 尼崎駅間で発生し、運転士と乗客、合わせて107名の死者を出した列車脱線事故である。誕生日を翌日に迎えての事故だったので鮮明に覚えています。このニュースをいち早く耳にしたのはトラックの中から流れるラジオからでした。会社の運動会の道具をレンタル会社に受け取りに行く途中で「えらいこっちゃなぁ」とカトチャンペッ君とラジオに聞き入ったものでした。翌日に運動会を予定しており、社員や家族や、得意先の皆さんが乗車していなければいいがと案じたものでした。白髪岳の帰りの電車の中から廃虚となったマンションの事後現場を見ながら「まだ終わってないな」と感じながら戻ってきました。

JR福知山線脱線事故で、1年遅はしたものの怪我を克服し、無事卒業した同志社大学生の晴れ姿が報道されていました。負傷者 562人の人達の中には今も後遺症と闘っている方達も沢山いると聞きます。 口の中のガラスの破片を取り出すのにボールペンで取り出した話もしたことがあります。JR福知山線脱線事故を風化させることなく気を引き締めて乗客の安全を守り続けてほしいものです。1両目の乗車は危ないと恐れた我々も、その事を忘れかけています。

そんな中で「4.25忘れられない追悼ウオーク」があると知りました。先着100名が参加をしてJR塚口駅をスタート、事故現場で献花し、追悼のために植えられた菜の花で「命」という畑の横を通り尼崎までの4キロを2時間かけて歩くのだそうです。私も参加したいなぁと思い15名枠を申し込みをしています。野次馬的ではなくて、事故現場に行ってみたいと思っていたのです。もし参加OKが来たら個人的に参加される人いますか?(参加費無料です)主催者側からの回答があれば、その旨この欄に載せます。

路線バス等がやむを得ない状況でブレーキを踏み、立っている客に衝撃がかかるのは仕方ないことだと理解できます。しかし決められたレールの上を運転するのに立っていられないほどのブレーキをかけたり、駅で後戻り停車をするのは「運転の未熟」ではないのでしょうか?もっと訓練期間を取り、合格ラインに達した後も定期的に指導してほしいと思います。 


[2112] 【2106回 後輩からの贈り物】 2010-03-26 (Fri)

ホワイトフェイスを登攀する私のブログを見て後輩から連絡がありました。もうすぐ産休に入るし、お食事を一緒にしませんかというお誘いでした。「よろこんで」そう返信して、25日の午後5時半、四貫島で待ち合わせをしました。お目当ての店はスーパーの跡地に開店した四貫島では珍しい粋なスパゲティのお店です。一度行って気に入りましたので水曜日の定休日を避けての木曜日に行ったのに何故か「定休日」でした。なぬ〜っ!店の中から人の気配がして「すみません改装中なので臨時休業させていただいています。」

この店は噂によると、サラダバイキングやドリンクバイキングが人気すぎて、客の回転が悪く、(長居しすぎ)お店的には赤字続きであるそうです。まだ開店して1年もたたないのに改装って・・・そんなところを改善されるのでしょうか?時間制にしないと同じことになるで〜四貫島にマッチした店にしてや〜

ならば2軒目ということでサスケクリニックの前のスパゲティ屋に行くことにしました。「すみません午後2時でスパゲティメニューは終わりです。」しゃあないなぁ。後輩が西九条に向けて帰るので、じゃあと言うことで西九条の食材を島原地方直送の店へいきました。「よかった〜お客だれもいないよ」すると中から「スミマセン今日は貸し切りなんです〜」あっちゃ〜

もう知っている店は限界に到達しました。フラリフラリと歩いていると、おじさんで満杯の居酒屋でカウンター席が2席だけ空いているのが外からガラス越しに見えました。「今日はここにするかぁ」ということで4軒目にやっと腰を下ろすことができました。

昔の妊婦としての体験談や、出産までに避けたい家事の種類、産前・産後の休暇の取得についてなど積もる話で盛り上がりました。子育ての不安は出産の先輩や、旦那様の兄妹達に相談したり、協力してもらって「マタニティブルー」にかからないようにアドバイスをしました。2年というブランクを感じない後輩との会話に「また会おうね」とお互い約束をして自宅に戻るとまだ午後8時になっていませんでした。もう10時を過ぎているのかと思うほど、お喋りしたんだけどなぁ

「今日は脱臼の快気祝いということで私にご馳走させて下さい」と後輩の申し出に、お言葉に甘えてご馳走になることにしました。ごちそうさまでした。

●マタニティブルーとは
出産という大仕事をなしとげて幸せな気分のはずなのに、なぜか悲しくなったり、涙が出たりするのが、マタニティブルーです。原因としては

@ホルモンのバランスが原因。出産を境にして、いままで盛んに分泌されていた女性ホルモンが急激に低下し、ホルモンの状態がガラリと変わるため、自律神経系に影響し、感情の変化として本人の自覚のあるなしにかかわらずあらわれます。そのほかにも、分娩や慣れていない育児の疲れ、睡眠不足、家でひとり育児にとり組まなければならない孤独感や不安などのストレスが重なり、感情が不安定になるのです。主な症状は、情緒の不安定で、不眠や食欲不振、軽いウツ状態になったりもします。夕方になるとわけもなく涙が出てしまう人もいます。

しかし、ピークは産後2〜3日目で、産後1カ月くらいになれば消えていきます。これはめずらしいことではなく、多くの女性がマタニティブルーの経験をしているものです。特に、性格的に責任感の強い人や完壁主義の人は、マタニティブルーになりやすく、育児ノイローゼに移行することもありますが、まずは、妊娠中のつわりと同様、生理的に働くものと考えてほしいです。不安になって当然!無理しすぎないで

●マタニティブルー解消法
育児をひとりで完壁にこなさなきゃと思っても、それはなかなか無理なこと。あまり堅苦しく考えてしまうと、不安やあせりでどうしても精神的に落ち込んでいつか身体的にも精神的にもダウンしてしまいます。無事出産をなしとげたのですから、のんびりかまえて、思い切って家事は手を抜きましょう。少しぐらい赤ちゃんが決まった時間におっぱいを飲まなくてもご機嫌ならだいじょうぶ。あまり神経質にならず、おおらかな気持ちを持つように心がけましょう。 「お願いね」とダーリンに頼みましょう。なによりもたいせつなのは、夫の協力。

●夫婦のコミュニケーションをとろう
育児はふたりでしていくものなのですから、なるべく夫と話をする時間をつくるようにして。夫のいたわりの言葉があればなによりもうれしいものですよね。話し相手になってもらうだけでも、気持ちが楽になるはずです。天気のいい日は外に出てみましょう。
生まれたばかりの赤ちゃんがいると、なかなか外出できませんが、少しの時間だけ赤ちゃんを家族にお願いして、ひとりで散歩や買い物に出かけてみると、いいストレス発散ができそう。預かる婆ちゃんもうれしいものですよ。

「オレは外で働いて稼いでるんや!子育ては母親の仕事や!」と言ってきた親父はもうすでにお爺ちゃん世代ですね。


[2111] 【2105回 ポンポン山登山へのお誘い】 2010-03-25 (Thu)

雨ばかりの週明けとなりました。木曜日の午前中もまだ雨が残るそうです。28日のポンポン山登山の雨は心配ありません。少し肌寒さを感じる程ですが、歩き始めるとすぐに汗ばんで来ますよ。でもお天気でもスパッツは、リュックのすぐ出る所に入れておきましょう。

さてさて集合場所ですが下見の時に判明したのですが善峰寺行きのバスはJR駅で乗客を乗せてから阪急の東向日駅に回ります。JR、阪急いずれからでも乗車OKです。

★★JR利用の場合 片道540円 

方法@ 【乗り換え無し】

●8時11分 大阪駅発 
●8時15分 新大阪発 
●8時28分 千里丘発 
●8時36分 高槻発  
●8時50分 向日町着→9時14分発の善峰寺行きのバスに乗車

方法A 【乗り換え有り】 新快速野洲行

●8時15分 大阪駅発 
●8時36分 高槻発 普通京都行に乗換え
●8時49分 向日町着→9時14分発の善峰寺行きのバスに乗車


★★阪急の場合 片道360円 

方法@ 準急河原町行【乗り換え無し】

●8時11分発 阪急梅田 準急河原町行
●8時15分発 十 三
●8時57分着 東向日→9時21分発の善峰寺行きのバスに乗車

方法A【茨木駅乗り換え有り】

●8時15分発 阪急梅田
●8時57分着 東向日→9時21分発の善峰寺行きのバスに乗車

方法B 快速急行河原町行【茨木駅乗り換え有り】

●8時15分発 阪急梅田
●8時18分発 十 三
●8時35分発 茨木市 
●8時57分着 東向日→9時21分発の善峰寺行きのバスに乗車


阪急電車情報はオリオンさんから提供していただきました。
阪急とJRとではえらい運賃に差があるのですね。

@バスに「座りたい」を選ぶ人は少々運賃が高くてもJR。
A少々の間がまんすればバスは座れなくてもだんぜん運賃の安い阪急を。
いずれかをお選び下さい。


[2110] 【2104回 イチローちゃんからの感想文ゲット】 2010-03-24 (Wed)

現在、やまたび倶楽部では私の他に参加者の感想文をお願いしています。「え〜っ!」「書けないよ〜!」「プレッシャー!」と皆様、謙遜されますが、出来上がった文章はなかなかのものです。私なんかより、ずっと情緒があり、この頃では山行を終えたあとの楽しみのひとつとなりました。

「うまく書けない」と異口同音の答えが返ってきます。うまく書けなくていいのです。入山から下山の長い時間の中で一番感じたこと「ひとつ」に集中して書いて頂けたらと思います。行程については、姫が毎回マンネリ化しつつも、早いだけが特徴と満足して書いていますので、コース毎の感想は省いて、一番心に残ったことを書き出して下さればいいのです。

今回は珍しい参加者(ごめんなさいね。もうすぐ町会役員の仕事が任期満了らしく、これからは度々参加して下さるそうです)のイチローちゃんにお願いしました。最初はやはり「エーッ」っておっしゃってましたが「久保君に報告書のつもりで」とお願いすると、何ともう24日にはメールで感想文を頂きました。イチローちゃんらしい文章で、思わずプッと楽しくて笑える文面もあります。

文章の中に「皆さんの顔は判るけどまだ名前が判らないので姫殿ご教示下さい。」と言うくだりがあります。ハッと気が付きました。我々には何でもないことでもイチローちゃん苦労をされていたんだなぁと反省しております。名札は皆さんそれぞれ付けておられますがミーティングの時に自己紹介をすればよかったと思っています。私達はひとりだけ覚えればいいのですがイチローちゃんは7人を覚えるの大変なんですね。しかも、ジョンだの、ポチだのカメだの、くろねこだのと動物が出たかと思えばオリオンって星座が現れたりで(笑)

みなさんも、久しぶりの方が参加された時は「自己紹介しましょ」と覚えてて下さいね。ジョンはステロイド治療の後に物覚えがトーンと悪くなったと自負しています。が、しかし
それは加齢によるものだと思いますが、とにかくみんなに協力してもらいましょう。(笑)
やまたび倶楽部のホームページはみんなで運営していきましょう!


[2109] 【2103回 昨日を振り返り】 2010-03-23 (Tue)

今日の雨が、昨日の白髪岳&松尾山でなくてよかったと胸をなで下ろしています。もし途中で雨が降ってきたとしたら、始終ロープでの安全確保が必要であったと思います。白髪岳&松尾山は、低山だけど高山の持つ要素(岩場、鎖、ロープ、急な下り等)を持ち合わせており、トレーニングにふさわしい山でした。また地元の人達がやさしい!道で出会う人達(ほとんどが高齢者)は、人なつこい笑顔で「き〜つけて〜」。帰り道に出会うと「おかえり」と声をかけてくれます。

多紀アルプスが雑誌などに紹介される様になってから、古市駅周辺も登山者が増えたそうですので、住山集落の人達は訪れる我々を「よお来なすったねぇ」とやさしく迎えてくれるのでしょう。それ故にゴミを落としたり、畑の物を失敬したり、絶対してはいけないと心に強く誓いました。昔ウオークの途中、畑のキウイを平気でもぎ取っている人を見ました。私達は名前も知らないその男のことを「キウイドロボー」とあだ名を付けました。あとでわかったんですが別の団体に所属するスタッフで「指導員」の腕章をつけていました。指導員があきれてしまいます。

帰り道におばあちゃんが、リュウキンカ(立金花)を、惜しげもなくみんなにプレゼントしてくれました。ビオラも鉢ごとどうぞと言ってくれました。22日の登山は、ただ山に登るというだけではなくて「人の温もり」を存分に味わえた、心がほっこりする登山だったように思います。リュウキンカが育つ度に、きっとおばあちゃんを思い出すことでしょう。

白髪岳登山中、私のすぐ後ろで、一郎ちゃんの青息吐息が聞こえました。リュックを降ろすと背中は汗でビッショリと濡れていました。急な登り道を終え、平地になったとき、大きな息で二酸化炭素を、思い切り、はき出し、新鮮な空気を肺の中に取り込むのです。一郎ちゃんにこの事を伝えて実践してもらうことにしました。すると息づかいがやさしくなり、「ちょっと、ましになった」と言い、すぐに克服することができました。やまたび倶楽部に通っていると、知らず知らずのうちに体力の基本が身に付き、青息吐息が聞こえなくなること間違いなしです。「しんどいから、もう止めや」と思うか「いつかこのしんどさが快感に変わる」と思うか、私達も最初は「荷物は軽い方がいい」「なるべく平地に近い里山歩きがいい」などと言っていた時期がありましたが、いまではみんな平気になっちゃいました。


[2108] 【2102回 白髪岳&松尾山登山】 2010-03-22 (Mon)

「地図読みをしますからコンパスを持参して下さい」やまたびの掲示板にその様に書き込みがされていましたので、みんな準備をしての参加となりました。一郎ちゃんは姫と共同で使いました。

丹波富士とも言われる美しいやま白髪山(721b)JR福知山線の古市駅からのスタートとなりました。丹波の息子にも連絡して一緒に登ればよかったと、ちょっと残念!

無名峰が多く、知名度の低い兵庫丹波の中にあって、白髪岳は多紀アルプス(三尾山・三嶽・小金ヶ岳)がガイドブックにも紹介されたことから、白髪岳への登山者の姿を見る事が多くなったそうです。2〜3日前の強風にやられたのか登山道が寸断されているところがあり、不動滝あたりでは視界さえさえぎります。

低い山でこそ、色々な訓練が試みることができます。地図読みも度々、立ち止まり勉強します。ツクシやフキノトウも見つけました。「帰りに摘もうね」と約束をして登山道へ入ります。姫の目はイタドリを見つけるのに必死でしたが、季節的にまだ早い様ですが、親木をみつけましたので、きっとまた来ます。来たいと思っています。

「恋しくば 尋ねても来ん 白髪岳 隠れはあらじ 住山の里」平家の尼 蓮司

しばらく歩くと白髪岳の雄大で堂々たる山容が飛び込んできます。今日は地図の勉強も兼ねており、目標物があれば立ち止まってコンパスを出して北はあっちだ、こっちだと参加人数は少ないのに賑やかなこと・・・・い〜い勉強会です。地図読みに熱中しずぎて「つばきの森」まで寄り道しちゃいましたよ(笑)

岩峰ではミニクライミングを楽しみました。白髪岳到着は12時10分。到着して驚いたことに「三角点」に鍋が乗っかっており、我々が三角点を大事にしていることを説明し鍋を移動して貰いました。(昔の私達もそんな体験していましたが劔岳・点の記を鑑賞してからは尊い三角点として大切にしています)

食後は「住山の鹿物語」を朗読をし、訪れた土地のゆかりを味わいました。お天気よし、コースよしで、昨日の黄砂が嘘の様で、最高の登山日和となりました。頂上でも地図の見方の勉強を熱心にし、本日の2座目の頂である松尾山(685b)には午後13時40分到着、ここでも地図の勉強をしました。北はどっちやと騒いでいた最初と違い、みんな少し理解した様子で地図読みも楽しくなってきた様子です。松尾山からは下り道ばかりでロープが張り巡らされていて、結構滑りやすくみんなに注意を促して安全に下ることに集中して下っていきました。倒木で登山道は遮断され不動滝では滝を眺めることすら出来ないほど荒れ果てていました。

大きさの違う石を3種類ほど拾い、大きさによって落石時の「ラク〜ッ!」の声のトーンが違うことをみんなで実験しました。不動滝で最後の休憩を取り、朝、通過した住山地区まで戻ってきました。オリオンさんが急用があるため登山口で早めのミーティングを済ませ、オリオンさんを見送りました。私達は朝みつけておいたツクシとフキノトウを採るため寄り道をしながら山菜摘みを楽しみました。イタドリはまだまだ芽も出ておらず、「季節限定イタドリ姫」の出番はまだ早い様です。帰り道の民家のおばあちゃんの家に見事なリュウキンカ(立金花)が咲いており見とれていたら「持って帰るかね?」と庭先から鍬を持ち出して、おしげもなく1株、2株と、栄養いっぱいの土とともにビオラも頂いて帰ることにしました。「大事に育てるからね、ありがとう」と丁寧にお礼を言い、古市駅近くの踏切のところまで戻ってきました。踏切の遮断機が降りて、たしかこの電車にオリオンさんが乗っているはずです。車内からオリオンさんが見えましたので、大きく手を振りお別れをしました。16時37分の電車に乗り楽しかった1日に幕を下ろしました。

白髪山山頂も松尾山も携帯電話の通話可能地域でした。



[2107] 【2101回 アイガー北壁】 2010-03-21 (Sun)

「アイガー北壁」映画鑑賞しました。

1930年代「ヨーロッパの最後の難所」と言われたアイガー北壁(別名を殺人の壁ともいう)
伝説の登山家トニー・クルツの死闘が、70年の時を経て、いま壮大に蘇る。彼に奪いかかった過酷な運命はいかに・・・「劔岳・点の記」を見た後はこの映画も観なくっちゃあと大阪スカイビル3階の「シネ・リーブル梅田」に出掛けてきました。

上映時間は11;45分、14;20分、16;35分、19:00分で私達は11時45分の上映を観ることにしました。ほぼ満席です。登山はいつも「生きて還る」帰ることが条件で家族は送り出してくれます。またその期待に応えなければなりません。

ベルリン・オリンピックが開催された1936年の夏。ナチス政府は、ドイツ国家の優越性を世界に誇示するために、ドイツ人クライマーがアイガー北壁の初登攀者になることを強く望んでいました。「劔岳・点の記」にも似たような話がありましたね。アイガー北壁初登攀をめざす男たちの生死を賭けた闘いを描く冒険映画でまるで主人公になったが如く、食い入るように観てしましました。

雲ひとつない満月の夜、足元さえ見えない濃霧、容赦なく吹きつける極寒の猛吹雪。目まぐるしく変化する山の表情を前にして、己の知識と経験、そして肉体を頼りに頂上を目指す。しかし、当時の装備では気まぐれな風雪に対抗するには十分とはいえず、挑戦者たちは無残にも命を落としてしまいます。垂直に切り立った絶壁で重力を克服し、氷と雪と風がもたらす最悪のコンディションと戦い、凍傷の痛みに耐え、それでもわずかな生存への望みをかけるクライマーたちの姿が生々しく再現されていました。
嵐に見舞われた北壁での登攀、墜落シーンの迫力など、山岳映画として極めて完成度の高い大傑作!!人間の思惑など無情にはねのける、そんな自然の力を圧倒的な迫力で描き切っていました。

「行けるかも知れない」なんてレベルの話ではなくて、雲の上の出来事として、傍観するだけですが迫力ありました。


[2106] 【2100回 ヨーロッパアルプス】 2010-03-21 (Sun)

「アルプス」と言う新聞の文字に極度に反応してしまい、20日夜のNHK番組を観ることにしました。

●モンブラン(4810b)
決してお菓子のモンプランではありません。標高4810メートルにそびえ立つあの雄大な山、別名を「悪魔の住家」とも呼ばれている山、モンブラン。子供連れでも簡単に近づくことができるのです。テレビを観て思ったのですが、時々「モンブランまで行ってきたわ〜」と話をする人がいます。凄いっ!羨ましい〜この人にそんな登山技術があったのかと尊敬することがありますが「観光」としてなら、お金さえあれば誰でも簡単に行けるのです。

標高2800メートルの位置までロープウエイを利用し、ミディ針峰を眼下に見ながら、約20分で山頂駅に到着します。ここからエレベーターに乗り換え3842メートル地点まで老若男女誰でも気軽に登ることができるというものです。但し3842メートルの地点から4810メートルの頂上までは氷河トレッキングとなるのです。但し専門ガイドは必ず同行しなければなりません。雪に隠れたクレバスはガイド無しでは、とても進んでいくことは無理の様子でした。

ガイドと一口に言いますが北海道トムラウシの様に世間から批判されなければならないお粗末きわまりないガイドもいます。いいえ、あれは旅行会社の経営方針が利益を求めすぎていたための事故でガイドも、もっとレベルアップ教育を受けていれば世間から認めてもらえるはずです。その後あのガイド達がどうなったのか知りたいところです。技術向上に日々訓練を重ね、プロとして再び、あの様なことの無いように体験を武器にして頑張ってほしいです。

ヨーロツパアルプスのガイドは「国立登山学校」を卒業しないとガイドにはなれません。救助訓練ができないとガイドにはなれないのです。訓練でクレバスに落ちた人を滑車を使い15分以内で救助しなければならない等の訓練を終え、国家試験に挑むのです。ちなみにモンブランのガイド料は1泊2日のノーマルタイプでおよそ10万円だそうです。

6月から8月の間に2万5千人が訪れる「グーテ小屋」があるのですが、予約の取れない小屋として有名だそうです。フランス語のモンブランとは白い山という意味です。

●マッターホルン (4478b)
ピラミッド型のどこか日本の槍ヶ岳にも似た素晴らしい山の麓には「アルプ」という牧草地が広がる緑の草原で、エーデルワイスも咲き、マーモットやアイベックなど日本ではあまり聞き慣れない動物たちが緑の草原を駆けめぐっているのだそうです。リッフュルゼ湖に写る「逆さマッターホルン」を眺めながらの周遊トレッキングもあるようです。運が良ければアルプスの少女ハイジにも会えるかもしれませんね。
マッターホルンの意味は「牧草地の山」

19世紀の頃、初登頂を競い合う争いが起こりました。マッターホルン登頂は、めまぐるしく変化する天気に悩まされ続けていました。ある時イギリス人のエドワードという版画家がマッターホルンに魅せられ版画よりも登山をするようになったそうです。南西陵から7回にも登頂を試みましたが、すべて失敗したそうです。マッターホルンには横筋がいくつも
ついていることを版画を作る時に感じていたそうです。版画家ならではの感覚で察知し南西陵をあきらめ、北東陵から8回目の登頂を試みました。1865年7月13日、7人の仲間と登山開始です。

1865年7月14日13時40分初登頂成功!!

ところが7人が下山をしはじめた時、一人が後を滑らせて滑落、ザイルで結ばれていた残りの6人も転落。太さ10ミリの麻縄は岩角で切断されてしまいました。(生還者3名)、栄光が悲劇として幕を閉じたのであります。


[2105] 【2099回 地図読みの予習】 2010-03-20 (Sat)

八ヶ岳山行中に、参加者の中から「地図読みを教えて欲しい」との要望を受けました。根石岳を下山し、オーレン小屋での休憩の時、時間もタップリあったことから簡単な地図読み講座を開きました。そう言えば私も地図が読めない〜(何年歩いてるんや!そうかウオークでは旗の後ろについて歩けば、迷わずゴールできるし読めなくて当たり前やな)ということになり梅田のジュンク堂書店で地図を購入し勉強をすることにしました。梅田から淀川沿いに歩いて帰りながら、めぼしい標識を見つけたら地図を広げてコンパスを当てます。

淀川沿いは風速8メートル(姫の体感)なまぬるい風が強く吹いています。野球少年達の自転車は、ことごとく倒れてしまっています(ブログ写真参照)ひょっとしたら倒れることを想定して最初から倒して駐輪しているのかも知れません。ジョンさんが帽子を飛ばしてしまい、きくちゃん2号に認定されました。堤防の下でしたので危険な箇所ではなく、無事手元に戻ってきましたが、かぶった帽子が飛ばされるほどのかなり強い風です。

一度に「完全マスター」というわけにはいきませんがコンパスを少し使える様になりました。今更使えないこと、今更地図が読めないことが言い出せないでいたのですが「聞くは一時の恥」で教えてほしいと正直に話しをしました。
ジョンさんがいま「地図読み教室」をしてくれる段取りをしています。もう一度初心に返り楽しく勉強しましょうよ。ねっ!

「あっマメマワシや!」淀川でツクシ摘みをしている人達の間からマメマワシが飛び立ちました。マメマワシとは「イカル」のことで、スズメ目アトリ科の鳥類。木の実を、くちばしで廻したり転がしたりするため、古くは「マメマワシ」や「マメコロガシ」、木の実を好んで食べるため「まめうまし」、「豆割り」などと呼ばれた鳥です。イカルという名の由来は、奈良県の斑鳩とも、鳴き声が「イカルコキー」と聞こえるからとも言われていますが、どっちが本当かさだかではありません。

しばらく進むとデッカイ望遠カメラを覗くおじさん達に出会いました。レンズの先を追うとサンケイ新聞ビルの方向です。普段はあまり人に尋ねることの嫌いなジョンさんが、めずらくし何を撮っているのかとたずねると、ぶっきらぼうに「チョウゲンボウ」と答えました。

チョウゲンボウは漢字で「長元坊」と書きます。タカ目ハヤブサ科に分類される鳥類の一種で、小型のハヤブサ類。別名馬糞鷹(まぐそだか)ともいうそうです。人に尋ねることの嫌いなジョンさんが「レンズ覗かせて〜」と頼んでいたので、よほど珍しい鳥なんでしょうね。

淀川駅まで戻り、駅の開かずのシャッターの話題になりました。ジョンが
「あのシャッターの所は何をするつもりやったんかなぁ?。淀川の駅が出来てから一度も開いたことがないわ」
「あれはなドックフード店でも出すつもりやったんと違うの?」
「??????」
「ごめん、ごめん、ドッグフードやのうて、ファーストフードの間違いや」


[2104] 【2098回 夜間巡視と鴨ロース】 2010-03-19 (Fri)

タイトルだけで想像すれば「夜間巡視をした後、打ち上げで鴨ロースでも喰うたんかいなぁ?」とお思いでしょうが全く別の話なんです(笑)

●夜間巡視編
午後7時30分から冬季夜間巡視活動があり参加してまいりました。コンビニの前でヤンキー坐りして、たむろしている子供達の姿が驚くことに姿を消していました。よい子になったのか、別の場所に移ったのかわかりませんが、季節的に寒いと言うこともあって、家庭に帰っているのだとしたら喜ばしい事です。補導をして親に引き取りに来てもらうと「家にいるとばかり・・・家から出て行ったことを知りませんでした。」お父さん、お母さん、しっかり育てて下さいね。

●次は鴨ロース編
18日付の「うららとサスケのテクテク日誌」を拝見しながら蕎麦屋でのことを思い出しながら「そうや!、その通り!」とご馳走になったことを棚上げして、ごもっともとうなずいてしまいました。

JR芦屋付近に行列のできる餃子の美味しい店があるということでテクテクと歩いて店先まできましたら時間が午後3時ということもあって「支度中」の看板が目に入いりました。じゃあ次回のお楽しみということでJR芦屋駅のすぐそばのそばやさん(?)に飛び込みました。「とりあえず生ビール3杯」と堰を切って注文をされたのは先生!ググッと見事な一気飲みをされました。(一度でいいからあんな風に美味しそうに飲み干してみたい〜)

泡で喉が消毒された後、メニューをみながら、みんなでつっついて食べれる酒の肴になる、串カツ、おでん、唐揚げの注文をしました。詳細はサスケ先生の「テクテク日誌」をご覧頂くとよ〜くわかりますが、それらの品は夕方メニューで午後3時では、出来ないといいます。「今の時間はこのメニューからお選び下さい」って言うか、昼のメニュー表と夜のメニュー表を制作時点で分けとけよといいたいところでした。(ざあます芦屋につきグッと我慢)

「お客様、唐揚げはできませんが、唐揚げ定食ならできます」なぬ〜っ!!唐揚げ定食って唐揚げにみそ汁がついてるだけで、素材は一緒やんか〜「ほんなら蕎麦でエエわ、蕎麦もビールの肴になるし」と、やさしい言葉で注文をしたのはサスケ先生でした。そんな客とウエイトレスの空気を察知したのか、店の代表者からのサービスだと言う「厚切りの鴨のロース」が6枚喧嘩をしないように出て来ました。

「ケンミンショー」というテレビの番組で、東京の人達には信じられない事らしいですが、大阪の人達はレジで「ありがとう。ご馳走様、おいしかったよ、また来るわ」のいずれかの言葉を店の人に言ってから去るらしいですが、あの日も見事全部言って店を出ました。あれで鴨ロースが出てこなかったら店の評価はクグーンとレベルが下がっていたと思います。

今度クライミングで芦屋に行く時、餃子屋が休みの時は迷わず、蕎麦屋の、のれんをくぐってみようと思っています。そしてあの時の鴨ロースの味と社長の心意気を褒めてあげようと思っています。(帰りしなではあかんヨ、店に入ったらすぐやで)ほんならまた鴨ロース6枚出てくるかも知れません(薄くていいよ〜)


[2103] 【2097回 5ケ月ぶりのクライミング】 2010-03-18 (Thu)

10月31日に脱臼してから今日までクライミングの出来る状態ではありませんでした。いまでも両手を上げて「万歳」するのに少し違和感があります。しかし「クライミングが一番のリハビリ」と言う師匠の言葉に大きくうなづき、本日ホワイトフェイスとA懸岩を登りました。

平日とあってどの岩場も貸し切り状態で、「ヘタクソ〜」等という心無いギャラリーもいなくて存分に楽しみました。クライミングのお誘いが直前になってしまいましたが「天気ならばGO!」と言うことでジョン、サスケ先生、姫の3人で、タツプリとトレーニングすることができました。

最初のホワイトフェイスの初回を「姫、行きなさい」ということで格好だけは一人前に岩肌に取り付きました。
「キャー〜こわいよ〜」
「落ちる、落ちる、クライムダウンして〜」
「あかん、ヌンチャクを持って登ってもいいですか〜」
「腕がにぶってるわ〜ショックやわ〜」
色々叫びながらも、どうにかゴールすることができました。2回目は初回より少し早く登れました。3回目は勘を取り戻して何とか自信喪失にはならずに済みました。サスケ先生も3回、師匠も3回登り12時を回ったため食事を済ませてから、A懸岩に移動です。地獄谷は水量が多く、水の中をゴボッゴボッと登っていきました。「久しぶりなので、ちょっとしんどいなぁ」3人とも同じ思いでA懸垂に到着です。

姫とサスケ先生が1回づつリードの練習をしたところで無情の雨がポツリポツリ落ちて来ました「今日は木曜日やもんなぁ」ロープも雨を含んでかなり重たくなってきました。早々に引き上げることにしてA鉄塔から中央稜を下り、ロックガーデン入り口の滝の茶屋に着いたのは午後3時すぎでした。

随分「ヘタクソ」になっていました。ショック!!しばらくクライミングをしてないだけでこんなにヘタクソになるのでしょうか?クライミングが無くても自宅でテレビを見ながらロープの操作を繰り返していないと緊急時に「忘れてる〜」ってことになりかねません。そういいながら私も「アレッ?アレッ?」って戸惑う場面もありました。クライミングは岩を楽しむだけではなく、危険箇所通過のため、高い山の岩場を安全に通過するために日々訓練をしています。チャンスがあればぜひトレーニングに参加お願いします。過日も「処女湖」で、緊急にロープが必要となりました。ロープさばきは一人より二人、二人より三人と人数が多いほど助かります。

初めての方は見学も可、クライミングを始めている方は、さらに技術に磨きをかけて下さい。今日の私の様にならないためにも、気候もよくなってきましたので、ぜひご参加して下さいますように、よろしくお願いします。


[2102] 【2096回 東洋医学治療】 2010-03-17 (Wed)

孫の零ちっちのアトピーがひどく保育園も3週間ほど休んでいます。小学校に入るまでに何とか治すまで行かなくても症状が軽くなればとパパとママの希望する「ステロイドを断ち漢方治療」の方向付けに一役お手伝いすることにしました。お手伝いと言っても車を運転するだけですけどね。

煎じ薬を扱える公立病院は数える程しか無く、保険外生薬を含む漢方処方については尼崎にあることを知っていましたので迷わず診察を受けることにしました。
漢方薬がもつ三つの力すなわち、
@病み疲れた身体を元気にさせる力
A身体のなかの余分なものを追い出してすっきりさせる力
B身体の代謝全般を整える力
によって、体調全般をまとめてよくすることにあります。

漢方薬は、一人ひとりの様々な症状に対してきめ細かく対応できる治療法だと言われています。具体的に病名を挙げると、アトピー性皮膚炎・アレルギー性鼻炎などのアレルギー疾患、気管支喘息・肺気腫・慢性気管支炎などの呼吸器疾患、慢性関節リウマチをはじめとする膠原病、変形性関節症・座骨神経痛などの整形外科疾患、月経不順・月経痛・子宮筋腫・子宮内膜症などの婦人科疾患、高血圧・糖尿病・脳血管障害の再発予防・肝炎・腎炎・不眠症・めまい・冷え性等の自律神経失調症・皮膚科疾患など多彩であると資料に書いてありました。

まずは皮膚科を受診し、その後カルテが東洋医学科に廻され診察を受けることになりました。皮膚科では、やはりステロイド投薬しかないとの事でした。東洋医学科で漢方薬の処方箋をもらい、隣接する東洋医学研究所で塗り薬をもらい、車道を越え表通りの横に漢方薬専門の薬局があり、ドアを開けると「センブリ」の匂いがプーンとしてきました。入浴の時に煎じていれる薬草や、飲み薬の薬草をもらったとき、零ママの顔色がパァーッと明るくなったように感じました。気分的にいままでの治療と変わったことで安堵感が出たのかもしれません。

私達が子供の頃、アトピーってありましたかしらね?なかった気がします。ボリボリと体をかく零の手を他に熱中させようとすると「ばあちゃんのいじわる〜」って言われました。代わってやれるものなら・・・・と思わずにはいられませんでした。


[2101] 【2095回 政府管掌と組合健保】 2010-03-16 (Tue)

「国民健康保険と組合健康保険」

3月31日付でポチが「定年の定年退職」をすることとなりました。その後2年間だけ現在の組合健康保険に加入できる「任意継続」という制度があります。がそれには加入せずず、国民健康保険に切り替えることにしました。「本当にそれでいいのですか?」と念押しをされたそうですが昔の様に組合健保と国民健康保険の差がほとんどありません。生まれてはじめて国民健康保険に加入し、ポチの被扶養者となるのが何か「養ってもらってる」って感じがして仕方がないのですが、それぞれが個別に保険料を支払うことを考えると「我慢〜我慢!」

●国民健康保険とは、安心して医療を受けられるように、加入者(被保険者)が保険料を出し合い、 病気やけがをしたときに、医療費の支払いをする相互扶助の制度です。加入者の住んでいる市区町村と国保組合が保険者です。

●健康保険組合とは、業務外の病気・けが、および出産、死亡による不時の出費にそなえて、民間企業に働く人が収入に応じて保険料を出しあい、これに事業主も負担して、いざというときに必要な医療や手当金を支給して、生活の安定を図ることを目的としています。

健康保険組合の全盛期は、本人の窓口負担ゼロ(国保3割負担)がありました。会社行事でボーリングや運動会をした時は「体育補助」として一人2000円、慰安旅行にいけば「保養所補助」として一人2000円、それ以外には、1年2回家庭常備薬の配布がありました。しかし去年から、健保組合の累計赤字で、すべての補助金がゼロとなってしまいました。(単独組合で黒字経営の組合は、色々なメリットが続投されて居るようです。)

「病気なんかしないから保険証なんていらない」って、保険料が高くてそう思った経験が一度くらいはあるのではないでしょうか?診察の際、保険証がなく全額負担すると、目から火花が飛び散るくらい高額となります。保険証は万一に備えてのお守りみたいなものですから絶対に必要だと思っています。今まで給料から天引きの習慣があるため納付金を忘れないようにしないといけないと思っています。

ちなみに群馬県の妙義山登山中、脱臼治療の際、保険証不携帯(コピーは通用しなかった)で3万5千円以上かかっていました。医師が「登山中にこんな大金、持ってないよね?大阪に戻ってから振り込みでいいよ」って言って下さり、そのまま旅を続けることができましたが公立病院でなくて、個人病院だと、そうはいかなかったかも知れません。そうなれば宿泊費も支払えず、旅を中断して帰ってこなければならなかったと思います。最近は「一人一枚」の保険証が発行されています。宿泊登山の場合は特に荷物の中に保険証原本を携帯しなければと思っています。

4月1日からは「被扶養者」の国民健康保険証になるんやね・・・・


[2100] 【2094回 家庭でのクリーニング】 2010-03-15 (Mon)

春になると使わなくなった冬の衣類の洗濯が始まります。ポチは4月から、カッターシャツも背広もコートも不要の生活になるため、念入りに、しかも自宅でクリーニングをしようと思っています。その時、洗剤選びが必要になってきますが普段の洗剤とおしゃれ洗い洗剤、ダウン専用洗剤(好日山荘で購入)と素材に合わせて選びます。ダウン洗いはお湯やお風呂の残り湯は使わない様にします。ダウンは冬の間、お世話になりましたので丁寧に押し洗いの洗濯をしたいと思います。

●家でのダウンの洗濯(ダウン専用洗剤を使用)
ダウンは、もともと水鳥の毛ですから水に強く、汚れた部分の袖口や襟部分を「もむ」。その後、折りたたみネットにいれ、重しの代わりにバスタオルも一緒にネットにいれます。15分〜20分浸け置きし、押し洗いを済ませてすすぎも終わったら、洗濯機で脱水します(20秒、30秒ほど)その後、裾や襟を持って振り廻しする。その後陰干しし、乾いたら、強めに振り廻すようにして完成させます。
ダウンは、寒い冬に大活躍。収納前に汚れをしっかり落としてケアすれば、来シーズンも気持ちよく着られます。こんなに主婦がみ〜んな、洗濯上手になったらクリーニング業界は痛手やね〜専門的なサイトを見つけました。一度訪れてみてください。

私が子供の頃にはダウンなどの素材は皆無でした。「ネルのハンテン」が主流で、今のジャンバーの代わりでしょうか。現在のフリースの先祖はネルかもしれませんね。洋服の素材は貧祖でも寒さにおじけることなく外で遊び回り、手袋もなく、手はアカギレで腫れ上がり、薬といったら外傷はほとんど赤チンかメンターム。内服薬はほとんど正露丸。これで、たいがいの病気は克服してきました。夏に、背中いっぱいにアセモが出来た時などは父親が口に含んだ日本酒を霧吹き状態で背中に吹き付けられました。でもほとんどは「ゴックン」と父親ののど元に入っていたと思います。アセモが治っても「美智子〜はよぉ来い!」と母親の目を盗んではアセモ治療をしてくれていました。

出血止めは「オバコの葉」を揉み、傷口に当てて止血をしたり、水泳中に耳に水が入ると「雪の下の葉」を絞り耳に流し込みました。医学的にどうなのかわかりませんが「病は気から」で手当をしてもらったら治った気がしていました。その時の母親の手の温もり・・・いまでも温かく思い出します。

下記アドレスはライオンのホームページです。せんたく情報が載っています。

http://lifeon.lion.co.jp/washing/


[2099] 【2093回 ポンポン山】 2010-03-14 (Sun)

「ポンポコリンのポンッ!」と狸が出てきそうな山「ポンポン山」の下見に3月13日(土曜日)出掛けてきました。下見には、淳ちゃんのコース案内のご協力を得て、本番と同じ阪急東向日駅前を発車する、午前9時21分発の「善峰寺行き」のバスに乗り込みました。驚いたことに到着したバスは、すでに座席は埋まり、立っている人が沢山います。これはJR東向日駅が始発のため、JRを利用する乗客で満席となってしまっているのです。これならばJRの方が便利な人はJRを利用して頂きバスに座っていただいてもいいのではないかと思ったりもしました。JR利用の「席取り名人の姫」でもさすがに阪急東向日駅から乗車の人の席取りはできません。悪しからずご了承ください。JR、阪急いずれの場合でも9時21分の善峰寺行きに乗って下さいね。

ポンポン山は、正式の名前を「加茂勢山かもせやま」と言い、京都府京都市西京区と大阪府高槻市の境界に位置する標高678.7mの山で、西京区及び高槻市の最高峰であります。名前の由来は、頂上近くで、足踏みするとポンポンと鳴った事から、ポンポン山と名前が付いたそうです。ポンポンと鳴る理由は、頂上の真下に空洞が有って、足踏みすると空洞の空気が振動して、ポンポンと鳴るのだそうです。私も実験してみましたが成果なしでした。(笑)

善峰寺バス停には、大型バスを貸し切り、50人ばかりの団体登山者がいて小雨のため合羽を着ようか着まいか迷っている様子で、こともあろうにジョンに「合羽を着た方がいいですか?」どうもスタッフと間違われた様ですが、自分の管理の出来てない人に答える気もせず黙っていたそうです。しばらく「合羽どうしょう〜」とうるさく騒いでいたため早々にその場所を離れました(結構、うっとしかったです)

善峰寺には、樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることから「遊龍松」という有名な松がありますが拝観料が必要です。全長54bあったのですが、松食い虫の被害により平成6年15mあまり切断されたそうです。 当日、入るかどうかはリーダーが皆様に相談すると思います。

ポンポン山で何と「木の実さん」に出会いました。お久しぶり〜!の挨拶を交わし再会を喜び合いました。ウオーキングに行かなくなって2年ほど経過していますが、海外旅行をされた都度、おみやげや絵はがきを頂き本当に感謝しています。お会いできてうれしかったです。夏の暑い日、ポンポン山ウオークの時、参加者が本山寺でバッタリと倒れ救護に周り、そのまま下山して、私もジョンも頂上を踏んでいなかったんです。

釈迦岳コースと杉谷コースがありますが我々は「杉谷コース」を選びました。急なアスファルトの道をしばらく登っていき、こんな所に集落があるのかと思うような場所に5〜6軒ほどの「杉谷地区」があり、その先から、いよいよ山道に入っていくのです。
1時間余りで、ポンポン山の頂上に到着することができます。今日は千客万来で混み合ってくる予感がするので(朝の50名の団体さん)、行動食を食べた後、本山寺へむけて出発しました。お弁当休憩はわずかな広場を見つけて「高槻の古木」付近で食べることにしました。午後は1時間ほどかけて下山すると、本山寺に到着です。ここにはきれいなトイレがあります。更に1時間下山し神峰山寺到着。バス停までの道をクールダウンしながら移動しJR高槻駅に到着しました。午後3時には名残惜しいけれども淳ちゃんとお別れです。1日お世話になっちゃいました。ありがとうございました。

(参考)
@前日に雨が降ったりした場合、天気でも、ぬかるみの山道が続く恐れがあります。バスを降りたらスパッツを装着した方がいいと思います。(今日は靴もズボンもドロドロです)

Aストックは必携。登り道より下り道がきついため、ストックがあった方が楽々と下れます。


[2098] 【2092回 どうして山へ・・・?】 2010-03-13 (Sat)

「どうして、しんどい思いまでして山に登るのですか」と聞かれました。「山登り症候群」これが私の病名かも知れません(笑)きっと病気です。目標とする山の頂きを踏み、いえいえ天候等で頂上を踏むことが出来なくても、準備をして登る気になる事の方が大事だと思います。その過程で樹林帯があり、花が咲き、滝にしたたる水で英気を養い、動物の糞や足跡で存在を知る。願わくば三角点にキスをできればこんなに幸せなことはありません。がむしゃらに頂上をめざしているわけではないのですが、やっぱり三角点には触れて下山したいとは思います。できればの話で絶対ではありません。絶対と思うと事故に繋がります。

「行こう」と決めた日から山登りは、始まっているのです。空想するのに経費はかかりません。「どうして山に登るのか?」と聞く人を一度、素敵な山に案内して感動をプレゼントしたいと思ってみたりもしますが、ウオークの様に靴とリュックさえあれば「行ってみようよ」と誰でもと言うわけにはいきません。安全のための道具への投資を、少しばかりしていただかないといけません。

八ヶ岳夏沢鉱泉の談話の中で、やまたびの参加人数を増やす手段として「新聞に募集してはどうか」と提案がありましたが、即、却下されました。「どんな人かわからん人とは一緒に山に登れない」との事、それもそうです。北海道トムラウシ登山ではガイドの名前も参加者同士の名前も、ましてや体力度合いも知らないままだったんですからね。下山後警察に事情を聞かれて初めて名前を知ったそうです。

根石岳へ向けてのカラビナスルーでアンザイレンも仲間だからこそ出来た事で、知らない同志だと「人が転倒するために自分が犠牲になるのはいや」と思うかもしれません。ツアーでは「アンザイレン」は出来ないと思います。そう思うと、仲間意識は「宝物」の様に思います。ツアー登山すべてを否定するのではありませんが安易に乗っかるのは「危険というリスク」も、リュックの中に入れてから参加をしなければならないと思っています。

いつだったかポチと甲斐駒&仙丈岳に出掛けたとき、プライベートということもあり、「馬の背ヒュッテ」で泊まろうと言うことになりました。その日は仙丈岳から北沢峠に降りて泊まる手はずでしたが、予定を変更して馬の背泊まりとなりました。やむなくその日は私ひとりで仙丈岳の頂きを踏みました。その日、馬の背ヒュッテより上の小屋の「仙丈小屋」を利用したツアー客がいました。頂上へ向かう途中、「道を譲らない」「道幅いっぱい歩行」「スニーカー装備」「ビニール合羽着用」と呆れて物が言えないお客様達をガイド2〜3人で冗談を交わしながら登っていました。天候がよかったから事故らなかったけれど、それを旅行会社が容認していることに問題があります。頂上に着いてもワイワイガヤガヤ所狭しとリュックを広げ、うれしいのはわかるけど・・・と思っていたら「シャッター押してもらえませんか〜」だって!(あの写真・・・キャハハ!撮れてないと思うよ。きっと)

やまたび教訓
「誰かれとなくシャッター押しをお願いすると大変ですよ〜!オリオンさんの三脚にお願いしましょう。そしてオリオンさんがリュックに三脚を仕舞うのを見届けてから出発の号令かけましょう。オリオンさん!いつもカメラや三脚の出し入れで感謝しています。」


[2097] 【2091回 男性の育児休暇取得】 2010-03-12 (Fri)

私が子育て時代はこのような制度はありませんでした。現在はローンや教育費などの生活を守るために、子供を保育所に預けて働くお母さんは多くなりました。ハシカ、風疹、水疱瘡など長く治療がかかる時、勤めはじめたばかりの会社は休めないし、休んだ後、出勤すると「当てにならないのでもう出てこなくても良い」と言われたりすると報道されていました。実家も遠いし、保育所の順番待ちも含めて、困っている働くお母さんが沢山います。そんな中、1日4000円(経営する病院が費用を補填してくれる)で病気の子供達を預かってくれる「病育室」が設置されているところもあり、症状が悪くなると隣接する病院で診察を受けることができるそうです。でもこれはほんの一部です。

東京都文京区区長(男性44歳)は第一子が生まれて「自分が率先して育児休暇を取れば男性諸君も取りやすくなる」として2週間の育児休暇を取ることにしたそうです。「父として育児の喜びや大変さを楽しみたい。男性職員の後押しをしたい」と言っておられるそうですが民間企業ではこんな理解は100%無理!要求があれば与えなければならないと就業規則ではなっていますが実際は「絵に描いた餅」であります。

それよりも母親の産前産後休暇のあと託児所や保育所に預けられる様になるまでの間、気兼ねなく育児休暇を取得できる様に周りが配慮してくれる方が、女性としては望ましい限りです。「育児の大変さを楽しみたい」?そんな簡単なものではありません。夜泣きをすれば「うるさい」と言わんばかりに無言の寝返りをする、育児は母親がするものだと思っている私達60歳時代の男性にとって、家事や育児の手伝いをする息子を見て「情けない」と思ったことが一度ぐらいあるのではないでしょうか。夫婦が助け合って家事も育児も共同でしてこそ、良い子が育ちます。躾の一環にもなります。

私が39年間も連続して勤務できたのはポチの母上のおかげです。母上は着物教室の和裁を請け負い、自宅で仕立てていました。長男を出産した時、「また暇ができたら縫えばいいから勤めを続けなさい」と幼稚園に行くまでの4年間、和裁の仕事をプッツリと辞めてくれました。4年後に次男が生まれたときも同じで本当に感謝しています。母上のお陰で仕事も休むことなく続けてこれました。協力してくれる人がいれば若いお母さんは働き続けることができるのです。そう言いながらも、この年になると、時々のお預かりは、楽しみで出来ても、毎日の子守は、体力もそうですが、育て方も違うため、預ける方も預かる方も不安があるのではないでしょうか。

「育児休暇」を取得できる職場は、限られた公務員ならではの特産物の様に思います。公務員でも休めない職場も山の様にあります。この制度が中小企業に浸透するには私達が生きている間の話ではないような気がします。

ガンバレ!子育て中のお母さん!悩みを一人で抱え込まずSOSの発信してよね。
一応先輩だからね(たよりな〜いけどね)


[2096] 【2090回 丹波の名峰 白髪岳ご参加へのお誘い】 2010-03-11 (Thu)

八ヶ岳から戻り、やっと今日あたり洗濯物を収納している頃かと思います。22日(日曜日)には白髪岳から松尾山への山登りがあります。「参加状況」を拝見しましたが「さっびし〜い」限りです。参加しようかどうか迷っていらっしゃるのかも知れませんね。ここは広報係がしっかりとしなくっちゃあね。

「丹波富士」とも言われる美しいやま白髪山(721b)JR福知山線の古市駅からのスタートと予定となります。東西線経由だと乗り換えなしに行くには海老江駅発7時48分に乗り、尼崎発7時58分、川西池田発8時19分、宝塚発8時17分、下車駅は8時50分となります。途中でみんなこの電車で合流できるといいですね。阪急組さんはオリオンさんが調べてくれますよきっと。午前9時00分集合ですから丁度ね。

目指す白髪山は「近畿100山」や「関西100山」にも選ばれ「ふるさと富士、丹波富士」の愛称で親しまれています。標高こそ721メートルではありますが、なかなか趣のある山の様ですよ。ゆっくりと登っていきましょ!低い山でこそ、色々な訓練が試みることができます。岩場通過もあるようですので夏山の訓練に、もってこいかも知れませんね。とにかく、ゆっくり登ります。白髪岳から松尾山(687b)を目指し、振り向くと丹波富士が美しい姿をみせてくれるはずです。よしんば雨が降ったとしても「雨の訓練」が出来ると思いますよ。

恋しくば 尋ねても来ん 白髪岳 隠れはあらじ 住山の里(詠み人 平家の尼 蓮司)

南峰から松尾山本峰の鞍部途中には千年杉(樹齢数100年)の巨木が有って根元付近から二本に分かれて突っ立っています。もともと二本の仲の良い夫婦杉なんでしょう。「三体の石仏」や「不動滝」を通り、またもとの登山口に戻ってきます。住山の集落を通る時、何か丹波名物が買えるかも知れませんね。楽しみです。

何より楽しみなのは、またみなさんと一緒に山登りできるってことかしらね。では一人でも多くの方の「参加状況」楽しみに待っていま〜す。


[2095] 【2089回 日本列島大荒れフルッブルッ!】 2010-03-10 (Wed)

10日の正午過ぎ、ヒョウが降りました。強い風(大きな枝が揺れてたので10bかな)傘も思うようにさせませんでした。福知山から帰る車は全てタイヤチェックをされ高速道路にもかかわらず時速30qでしか三田周辺までは走れなかったそうです。

雪も各地に沢山降り、1週間ずらせば八ヶ岳の雪は最高だったかも知れませんね。雪上車の乗り心地も最高だったかも知れません。その代わり強風の根石岳は暴風となり登頂を断念せねばならなかったかも知れません。偶然、私達と日程をわずかにずらして、やまたびの進ちゃんがスキーに出掛けたそうですが「暴風雨でスキー場がクローズ」でスキーも出来ず戻ってこられたそうです。そう考えると、やまたびの日程は、「ベスト登山日」だったのでしょうね。

日本列島は低気圧が発達しながら関東沖から三陸沖へ北上した影響で、全国的に風が強く、広い範囲で雨や雪が降りました。気象庁によると、低気圧はさらに発達しながら北海道の東海上へ進む見込み。北海道と東北では11日も暴風や大雪、高波に警戒が必要といいます。山の事故がなければいいのですが・・・・

春の嵐が猛威を振るって、地球の異変を感じています。ビニールハウスの被害も、街路樹の倒木も、高速道路の閉鎖も大変!たいへん!チリの大地震といい、津波といい、今日の雪といい、どうなっているのでしょうね。

今日は私と1年間付き合ってきた高校生とお別れの日。本当は晴れやかな日なんです。でも、彼女が言いました。「もう来なくていいのでうれしい気もしますが、なんだか寂しいです。また来てもいいですか?携帯の番号消さないで持ってていいですか?」途端に涙が、ぶぁ〜っとあふれ出ました。彼女の大きな目にも涙があふれ、思わず抱き寄せました。

新しい旅立ちの日です。沢山のいい思い出を作り、いい友達を作り、悔いのない青春を送ってくれることを祈っています。春は旅立ちの華やかな行事が目白押し。卒業、入学、合格、入社、おっと〜お産もあるでよ〜

(おまけ)目白押しの意味
多くのものが込み合って並ぶことをいいます。小鳥のメジロの習性から生じた言葉です。鳥のメジロは秋から冬には群れをなして気にとまる性質があり、メジロが押し合いへし合い気にとまることを「目白の押し合い」といっていたそうです。


[2094] 【2088回 ダイエットは女性の永遠のテーマ】 2010-03-09 (Tue)

「痩せるよ!」と報道されたら、スーパーからバナナが消えた!なんて話がありましたね。努力をせずに痩せられるなら、世の中から肥満は消えるはずです。太めの芸能人が痩せたら、すぐ「ダイエット本」を出して女性の関心を惑わします。私は報道等に惑わされたりはしませんが「痩せたい」は永遠のテーマだと思っています。あと5s体重が軽くなればクライミングの時に楽だろうなぁとか、昔、着ていたスーツが着れるかもとか思うことはありますが無理な食事制限はしたくないのです。(豆腐だけで3食とか、サプリメント重視とか、コンニャク三昧だとか)美味しいものは美味しくいただきたい。

同じ料理でもカロリーの高い料理方法は避けたりの努力は主婦として知っておきたいと思っています。義兄一刀水が言いました「太るじゃ何じゃ言うて、食いたい物が食えて、何を贅沢言うとんじゃ〜ワシの子供の頃はなぁ〜」ああ〜また長い話が始まった〜と逃げる準備をしたことを、なつかしく思い出しました。一刀水の小説「漆黒の日々」も、もう「第10話」に突入していますね。ご覧頂いて感謝しています。

ローストンカツ(693)キロカロリー
一口トンカツ (740) 〃

ゴ マ油(111)キロカロリー
オリーブ油(111) 〃

ポテトサラダ(224)キロカロリー
フライドポテト(112) 〃
ベイクドポテト(143) 〃

醤油ラーメン(420)キロカロリー
ポークカレー(697)  〃
明太子スパゲティ(521)〃

ほんの一例ですが食材の持つカロリーは同じでも料理方法によって消費カロリーが違います。子供の頃は、山で採れた物、畑で採れた物、川で獲れた物しか口に入ることはありませんでした。足りない食材もあったかも知れませんが病気知らずで大きくなったものです。やっぱり自然に優るものはありませんね。


[2093] 【2087回 整骨院が流行るわけ】 2010-03-07 (Sun)

此花区には、やたら整骨院が多いです。店舗を改装しているなぁと思うと改装後は必ずと言っていいほど「整骨院」を開業しています。特に四貫島の商店街は軒を連ねています。そう言いながら、じつは私も3月2日に近くの整骨院の門をくぐりました。脱臼した右手のリハビリが終了したものの、六甲山お多福山の雪道の下りで、転倒して右肘をついてから、どうも右腕が「重たい」と感じていたのです。以前、会社総務で健康管理の仕事をしていた時、健保組合からいつも整骨院の調査表が来ていて、あまり良い印象は持っていなかったのですが、生まれてはじめての整骨院です。

ドアを開けると「道場」の様な広い部屋に、いくつも治療用のベットやマットが置いてあり、体育会系の整体師(理学療法士?」さんが3人と受付嬢が一人いました。訪れる人はほとんどが「老人」です。時折、赤ちゃんを連れた若いお母さんも訪れます。おんぶや抱っこで肩こりがひどくてと言っていました。ドアを開けて入ってきた患者(?)の名前を覚えていて「○○さん、お見えです〜!」いらっしゃいませと言わんばかりの大きな声で迎えてくれます。処置中の整体師(理学療法士?)に患者の来院を告げます。老人は自分の名前を覚えていたもらえたことに大変嬉しい表情を示します。

治療中は世間話をうれしそうにして、その間、整体師(理学療法士?)は、じっと聞きながら、丁寧に相手をしています。自分を覚えていてくれて、話し相手をしてくれて、肩凝りも治してくれて、1回の治療が500円ですから、心の癒しに整骨院に通い続けている様な気がしました。「また明日もね」と言われると生き甲斐ができたと通い続けるのではないでしょうか。私の初診の時に説明もなく、サインをするように1枚の書類を提示されました。「よく読んでからでないと」と書類を熟読してからサインをしましたが、健保組合が整骨院を対象に調査をしてくる原因は、ここにあるんではないかとふと感じました。

またいつぞやは、大阪暁明館病院の待合室で私に話しかけてきた、おばあちゃんがいました。千鳥橋から春日出までのタクシー代が高いとか安いとか(基本料金内なのにね)嫁が隣に住んでいるが、いつも外食ばかりで、おばあちゃんが息子の好きな煮物を持って行っても食べているのか、ひょっとしたら嫁が捨ててるかも知れないといいます。黙って「そうなんですか〜」と聞いていましたが「おばあちゃん!人に物をあげたときは、先方はよろこんで食べてくれたと思うこと。そう思われないなら持っていかないこと!そんな被害妄想的だと、自分で病気を作ってるみたいなもんですよ。自分の楽しみを見つけたら、もっと楽しい人生が送れますよ。今度から千鳥橋からなら丁度運動のつもりで歩いてみたらどうですか!でも車に注意してね!」とやさしく(ほんまやで〜)言うと、拝むようにして「ありがとさん」とお辞儀をしてくれました。さみしいんやで〜お年寄りって。話し相手が欲しいんやで〜。そんな気がしました。私もいつかほんまの「姫婆」になるんやね。


[2092] 【2086回 八ケ岳・夏沢鉱泉から無事帰ってきました】 2010-03-07 (Sun)

「木曜日は雨かも・・・」そんな不安を蹴散らすために「テルテル坊主」まで吊り2泊3日の予定で「八ケ岳・夏沢鉱泉」向けて出発しました。移動日の木曜日は、やっぱり雨模様です。今回は何と言っても、山小屋に温泉が湧いていると言うこと、雪上車で山小屋まで送迎してもらえるということで、誰でも無理なく参加できることをキャッチフレーズに14名の仲間達と楽しい旅をすることが出来ました。

3月5日(金曜日)、山小屋のスタッフに「今日の天気はどうですか?」と尋ねると「ご自分で感じて下さい」と空を指す。(あ〜曇りのち曇りかぁ)夏沢鉱泉から根石岳に向けて出発、途中「楽々コースもあり」で最初の目的地「オーレン小屋」で休憩をとりました。みんな元気な顔、顔、顔。すると、どうでしょう!途中から、太陽がほほえみかけ、やがては、青空までもが出迎えてくれました。本日は「快晴なり」「快晴ですよみなさん!」

楽々コース結成も不要なくらい元気の様子で、これならば頂上も踏めるかも知れないねと思いながら、万が一の「道標リボン」を、やや多めにつけて行きました。途中で楽々コースが引き返す時のおまじないです。

箕冠山に着いてもみんなの体力は「余裕のよっちゃん」すごい!根石岳まで行けるぞ!。箕冠山にリュックをデポして空身で根石岳に登ろうというてはずをとりました。八ヶ岳で一番強い風が吹く箇所として有名なんです。ロープのトップはサスケ先生に結び、最後のロープは姫に結び、その間にみんながカラビナを通します。「一蓮托生」とはこの事で、仲間全員の体を1本のロープで繋ぎ、根石岳の強風から転倒、滑落を予防するために行動や運命を共にすることにしました。風速は18bほどを体感しましたが瞬間最大風速は30bあるのではないでしょうか。

下山コースは根石岳から夏沢峠、オーレン小屋、夏沢鉱泉のルートで、今年は最後かもしれない雪遊びを存分に楽しみました。夏沢鉱泉が間もなく見えるという箇所に来て、道標テープを回収しようと思った瞬間、スノーシューごと、左足がズボッと埋まってしまい抜くことができませんでした。掘っても掘っても、上から雪が落ちて来ます。こんな場合も想定して、脱出するにはどうすればいいか実験すればよかったね。

(こんなこともあるよという見本でブログに写真を載せています。笑ってやってください。)

先に到着した仲間達が「姫はどうしたの?」とサスケ先生に尋ねたところ「御姫様は埋まっておられます」と言ったそうです(笑)山小屋でソリを借りて、テカテカに凍り付いた下り斜面を何度も何度も滑り楽しみました。金メダルは酔っぱらい運転のサスケ先生。銀メダルは小屋をも壊す勢いで滑走した靖ちゃん。銅メダルはお尻の重さでうまくカーブを切り滑走した喜久ちゃん〜!でしたぁ。

3月6日(土曜日)は小雨が降り、私達と入れ替わりに宿泊する30名の登山者達に、昨日快晴で登れたことが、とても申し訳なく思えます。雪上車に乗り、「おやじの橋」でライトバンに乗り換え、バスを待つ間に、観光目玉も何もない茅野の町で時間を潰し、大阪に向けて帰ってきました。

「路線バス」と「貸切バス」の違いを目の当たりにしました。やはり貸し切りバスは楽しい、今後の山行は、是が非でも人数を集めて「やまたび専用バス」で行きたい!そうすれば用意した歌集も紙クズにせず楽しめたし、少々おしゃべりが弾んでも「貸し切りの良さ」に酔いしれて楽しい車内であったろうと、全員、そう思ったに違いありません。

「気を付けて行ってらっしゃい」と家族や仲間に見送られての山行、おかげさまで無事戻りました。詳細レポートは後日、写真とともにアツプします。「乞うご期待!」


[2091] 【2085回 富山県警山岳救助隊】 2010-03-03 (Wed)

3月2日午後10時からのNHK番組「山岳救助の命綱は想像力」多くの皆様がご覧になられたことと思います。山岳救助のスペシャリスト富山県警山岳警備隊。危険な山として知られる劔岳周辺のパトロールを続ける、雲上のレスキュー隊、職業は「山岳救助隊」山田智敏さん(39歳)を中心に隊員のみなさんの活躍にスポツトを当てておられました。

いつか昔、どこかの山で「滑落するならば長野県側ではなく、富山県側に落ちると必ず助かるらしいよ」と話していると、すぐそばに「長野県警救助隊」と腕章を巻いている隊員数人と出合いハッとなったことがあります。(聞こえてないよねゴメンね)それほどに富山県警山岳警備隊は凄いという話は登山者の間では有名でした。昨日の番組を見て、これほどに過酷な訓練を続けているからなのかと深く感動しました。

「救助は想像力」と山田智敏隊長は言いました。先回りして、次に何をするのか考えながら進まないといけないと言います。肉体を酷使しながら、頭で考える。「山の前では謙虚であれ」

ある日、一服劔で滑落したと言う山小屋からの連絡が入り、出動準備をします。夫婦で登山中の妻が滑落し意識がないと言います。山田隊長は各方面に連絡をするとともに「だんなさんはどこにいるか?」と山小屋に問いかけます。常に「想像せよ、先を読め」を信念としていて、だんなさんが滑落した妻の側まで降りたりすると二重災害になると考えたのです。幸いに登山道に立ちすくむ、だんなさんを確保することができました。

滑落現場に到着するとまず、自分の安全の確保をし、遭難者の確認をし声かけをします。遭難者の手を取り、脈拍を取りながら体に触れる事で遭難者は大きな安心を得るそうです。次に遭難者の確保をし止血、骨折等の手当をしてヘリコプターの到着を待ちます。悪天候でヘリコプターが出動出来ないときは、隊員達で8時間もかかる雪渓の登山道を下ったり、登ったり、命がけの救助が始まります。山田隊長自身も、救助ロープを引きながら隊員達に声をかけ気合いを入れ、励まします。

山田隊長をこれほどまでにしたのは「山は怖いぞ」「山を知れ」と教えてくれた山の先輩の言葉に、休日は山を歩き、雪渓の様子、崩落した道の点検などの勉強を積み重ねていきました。目の前の一歩に全力を尽くし、いまでは「先の読める救助隊長」と言われるまでとなったそうです。ヘリコプターに遭難者をバトンタツチした後は隊員に向けて労をねぎらい「おかげさま!おかげさま!」と言ってたのがとても印象的でした。山がそこにある限り、隊員達の救助は続きます。

「重くても、重くない!」
「つらくてもつらくない!」
「寒くても寒くない!」

番組を見ながらの記憶のため全部は把握できていませんが、あとは皆様自身が胸の奥深くに刻んでいらっしゃることと思います。

★★3月4日〜6日まで「やまたび倶楽部八ヶ岳夏沢鉱泉スノーシュー」に行ってきます。3日間のお休みをいただきます。では元気にいってきま〜す。★★


[2090] 【2084回 「トムラウシ遭難事故のシンポジウム」 最終編】 2010-03-03 (Wed)

トムラウシ遭難事故の死亡原因は夏にもかかわらず「低体温症」でした。どのようにしたら低体温症を予防できるのでしょうか。楽しい登山が悲しい記憶にならないように、しっかり基本的な知識を身につけていきたいと思います。

●熱の喪失
@ 風
風がある場合は対流が生じ、この対流は温度差と空気の動く速度によってきまる。熱の喪失量は風速の2乗に比例するといいます。

A 濡れ
遭難者が搬送された病院では、搬送された全員が下着まで、ずぶ濡れで体が冷え切っていて体温が10度しかない人もいたそうです。皮膚上の1cの水の蒸発で580iの熱が奪われるそうです。

B 低温
雨が降れば夏であっても気温がさがります。ましてや北海道では風も加わり想像以上の低温となります。「北海道の山は夏でも寒い!」生死を分けた衣類の違いは、
(生存者)全員が強い雨にうたれても雨を通過しにくい防寒機能のある厚手の上着を着用。
(凍死者)凍死したツアー客7人全員が、防寒、防水機能が低い薄いウインドブレーカーなどしか着用していなかった。

C 接触物(岩、地面)
直接接触している物質に熱が移る。
岩石、氷、金属、地面。水の伝導率は空気の240倍。ストック。

●行動食
人間が貯蔵できるグリコーゲン、通常は摂取カロリーの60%(2000i×0.6=1600i)1600iしか肝臓と筋肉に貯蔵できない。従って登山中は繰り返し、繰り返し行動中に摂取することが必要となるのです。生存者の言葉「みんな疲れている様でしたが、こんな時こそ栄養を補給して体力を維持しなければ大変な事になると思いました。」また別の人は「カロリーメイトや魚肉ソーセージ、きな粉棒、アミノバイタルなどを口にした」そうです。

★低体温症の5つの原因
@悪天候
A風雨にさらされない状態のビバーク
B不十分な衣服、濡れた衣服
C疲労
D経験不足、トレーニング不足

★低体温症の予防としては
@衣類(こまめな着脱、着替え、雨具)
A水分(温かい飲料、意識的に摂取)
B栄養(炭水化物、タンパク質)
Cビバーク(勇気ある撤退)
D低体温症の早期発見(歩行緩慢、無関心、記憶低下、震え、眠け)
Eくっつき合う(人間同士で体温を保つ)

【以上は、シンポジウムでの苫小牧東病院副院長の講演資料より】


[2089] 【2083回 「トムラウシ遭難事故のシンポジウム」続編そのU】 2010-03-02 (Tue)

シンポジウムに出席して、頂いた分厚い資料を読めば読むほど、怒りに似たものが爆発しそうになってきます。「絶対にツアー登山だけは行かんとこ!、ねこちゃんにもアドバイスせなあかんな!」いまの私の正直な気持ちです。ツアー登山とパーティ登山とでは雲泥の差があると思います。トムラウシ登山2泊3日の参加費152,000円ちなみにガイドの日当11,500円、トムラウシのツアー登山には3人のガイドがいたそうですが3人の意思疎通はなく参加者の名前も、参加者同志で名前も知らない状態だったそうです。途中で人数が足りなくても(遅れてても)リーダーに伝える事もなかったそうです。せめて名札ぐらいいるんじやないのっ!

やまたび倶楽部では初参加の方を必ずみんなに紹介します。その時、参加者全員の自己紹介もします。初参加者の方が全員覚えきれるはずはありませんがニックネームで紹介すればインパクトがあり山行中に覚えて貰えるかも知れません。ごく当たり前として行われていることが大切なんですね。山行が終われば必ずミーティングもします。

トムラウシ登山の出発直後に、すでに嘔吐を繰り返す女性もいたそうです。何の手当もせずに山行を続行しています。しかしこのシンポジウムは、旅行会社やガイドを非難するためのものではなく、同じ過ちを起こさないための前向きのシンポジウムのため、事実関係を伝え、受講したそれぞれの山岳会や所属を持たない個人の登山者に、事故防止を考えてもらうための、じつにレベルの高い内容でした。

わが師匠はいいます「登山者は70%がヘンコツ者と思っても過言ではない」うんうん。うなづけるかも知れないよ。どの時点で遭難と警察に連絡すべきか、何故今回は救助の連絡が遅れたか、(携帯電話通話可能地帯)ガイド自身が倒れた場合はどうするか課題は沢山あります。今回は一人のガイドだけがコースを熟知していて、あとの2人は初めてのコースという事でしたが「引率者はコースが初心者であっても、登山の初心者であってはならない」と旅行会社のマニュアルには明記しています。

やまたび倶楽部は時折、抜き打ちにリュックの中味を公開してもらうことがあります。不要な物を持参してはいないか、コンパクトにまとめているかを、みんなで勉強する場合があります。但しリュックの中味公開は強制ではなく自主的に協力をしてもらえる人が手を挙げるのです。手を挙げるということは中味を見られても自信がある証拠ですから、本当は手を挙げない人の中味が見たいのですけどね。みんなで、そんな地道な勉強の積み重ねをしているということです。

私はこのシンポジウムで「申込者が、体力的に参加不可能だと判断した時、拒否しますか?拒否できますか?」と質問をしてみました。少し間があきましたが「事前にアンケートに回答してもらっていますのでお断りする場合もあります」との回答でした。申込者が体力の無いのを隠して、どうしてもトムラウシ登山に行きたいので山歴や経験年数などにうその記述があったらどうするのでしょうか。白馬岳登山の時、参加者の事前のトレーニングを実施して体力度合いを見たいとジョンが申し出たら「そんな事したら客が減る」とアッサリ言われてしまいました。そして恐れていた、あの白馬岳事件の結末が待っていたのです。

私は今回のシンポジウムに出席して、旅行社が募集するツアーには怖くて参加できない気がしてきました。(但し、真面目で真剣に取り組んでいる旅行社も数多くある)幸いに私には、やまたび倶楽部という世間には知られていないけれども「技術・経験・仲間意識・リーダーシップ」の豊富な倶楽部があり、こんな幸せなことはありません。今回の八ヶ岳スノーシューを除いて(今回は自主トレ)必ず3〜4回のトレーニングを積み上げてから目標の山に登ります。気心も知れて、力量も把握できて、名前もわかって、性格もわかっての理想的にパーティだと思っています。

ガイドの意思疎通がないと指摘されていましたが、私とジョンも意見の食い違いが度々あり、参加者の皆様に不愉快な思いをさせて、その都度深く反省をしています。部屋割りであったり休憩場所であったり、ささいな事ではありますが、山行中の張りつめたストレスがはじけてしまうための喧嘩ですが、現在は山行中では、御法度とし他の皆様に迷惑のかからないように、帰宅後に烈しいミーティングをすることにしています。(笑)

登山者自身、体調不良を感じたら、遠慮せずに申し出ることも大切だと思っています。仲間の体調不良も感じ取れる様、普段の里山歩きで「元気な時の仲間」「体調不良の時の仲間」の顔色が読みとれる様にしたいと思います。私は山の中に入ると、ドン亀の様に歩行が遅くなります。「ゆっくり・息があがらぬ様」を心がけています。人から少し遅れることもありますが決して体調不良ではありません。私の標準歩行なのです。登りで少し息が上がりかけていたとしても、稜線に出て平道となっても、この速度は変えることはありません。平地の間に息を整えているのです。そして次の登りまでに体力を整えるのです。途中の休憩は「座らないで、立ったまま」取る様にしています。ドカッと腰を下ろしてしまうと、その時は楽でも、次の足が重くてたまりません。

今回の講師である苫小牧東病院副院長もおっしゃっていました。今回の参加者が『休憩をしたところで体が一気に冷え込みました。腕で押さえても、止まらないほどに全身が震え、歯がガチガチ鳴った。四つんばいで歩き、やがて記憶をなくしどこで倒れたか記憶がない』の事例を話て、休憩後の歩き始めの注意が必要と訴えておられました。

今回の様なリスクの覚悟も無く、死んでしまったことが気の毒で仕方ありません。こういう天候で行動すると低体温のリスクがある、死ぬかも知れないという覚悟もなく死んで行かれたことに憤りを感じ、亡くなられた方には心から哀悼の意を表したいと思います(合掌)


[2088] 【2082回 「トムラウシ遭難事故のシンポジウム」続編そのT】 2010-03-01 (Mon)

生存者の方が「雨なのに速度は速く、休憩時間5分ではフリースを着るか、水を飲むかのどちらかで、両方は無理だった人がいた」とおっしゃっていました。生存者の方はまずフリースを着て寒さ対策をし、歩きながら給水をしたそうです。そして木道を過ぎると、みんな勝手に歩き出していたそうです。そして避難小屋に同じ会社の次のパーティのためにテントを置き、更に場所取りのためにシェルパー一人を配置させたと言う驚きの事実が判明しました。少ないガイド人数にもかかわらず論外の処置、しかもツアーでありながら避難小屋の場所取りをするなんてあきれてしまいました。

私達も体験したことがありますが、暴風雨などの場合は5分以上の休憩は逆に寒さが増してきて早く歩き出したい気分になります。しかし、メンバーの一人がまだリュックの準備ができてない場合は、悪条件の中でもパーティは待つ事になります。いかに早く行動するかは日頃の訓練の積み重ねが必要かと思います。私は行動食は雨蓋にいれ、休憩時、短時間でいち早く口に運べる様にしています。

苫小牧東病院の副院長は「糖分は普通貯金だと思え。常に出し入れが可能で、登山開始から、ず〜っと糖分をとり続けても摂りすぎではない。これはバテない登山の秘訣です」とおっしゃっておられました。休憩時に雨蓋から出して食べたのでは疲労回復に役立つのが遅いそうです。ポケットやウエストポーチなどに飴やチョコなどの糖分を入れ、常に口にいれることが望ましいとのことでした。

風速についても、常日頃から覚えておいてほしいと苫小牧東病院副院長は言います「5bは小さな木の枝が揺れ、10bは大きな枝が揺れる、15bでは幹が揺れ、20bでは人間は立っていられない」まだまだ沢山いいお話をされていましたが思い出すのに時間がかかります(笑)

ポチは右手が少し不自由なため、「リュックの開け閉めが趣味族」に部類されます。次に何を使いそうなのか予想をしてリュックの一番上に収納しておきたいと思います。例えば(当たり前のことですが)昼食が済めば、弁当の空箱はリュックの一番下へ。雨が降りそうな時は合羽を一番上に移動しておきます。初めの休憩で行動食を食べながら、次に食べる物を出しやすい場所へ移動しておきます。「休憩時間が短く、行動食を食べる間がなかった」とよく家に戻ってから残った物を出していた時がありました。食べてないから「へばる」のです。「必要ないなら持っていかなくても良い」と言ったら、それ以後は余った行動食をポチも、ジョンも電車の中で食べているのを見つけたことがあります。(残すと叱られるから〜!そりゃ意味がちがうよ〜)

普段の登山時から訓練をしておけば暴風雨になっても慌てないですみます。リュックの中味を全部に近い状態で出しているポチを横目にみながら「また〜やっとるわ〜」とあきれています。手伝うことは簡単なことですが山に入れば夫婦であっても生死を分けるときは共倒れすることなく「自分」が生き延びねばなりません。生き延びるには、常々、人の教えを守り、効率のよい荷詰めをしなければなりません。行動食と非常食の違いも今一度考えてみたいと思います。

生存者の方が「5分では休憩が短い」とおっしゃっておられましたので、みんなで「休憩時間5分」について考えてみませんか?


[2087] 【2081回 トムラウシ山遭難事故シンポジウムに参加】 2010-02-28 (Sun)

北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141b)で去年の7月、ツアー登山参加者とガイド計8人が死亡した遭難事故に関するシンポジウムが27日、神戸市灘区で開かれると、うららちゃんに教えてもらいました。事故をめぐって公開の場で討論が行われたのは初めてとあって9人のパネリストに、生存者の男性(66歳)、山岳団体や我々の様な個人参加など約200人の参加者を交えて討議が行われました。午後1時から始まったシンポジウムは2部構成で、途中15分間のトイレ休憩をはさみ何と午後5時30分閉会となりました。前から二列に席を確保しパネラーの顔がよく見えるところに座ることが出来ました。会場は、パネラーと参加者で白熱した意見が飛び交っていました。残念だったのは主催した旅行会社関係の出席がなかった事でした(責任追及の場ではないのですから、きちんと事実を伝えてもらいたかったと思います)パネラーの皆様は下記の通り

●岳人編集部 岩城史枝
●関西大学教授、IMSAR・J会長 青山千影
●元・気象庁山岳部 城所邦夫
●苫小牧東病院副院長 船木上総
●アルパインツアーサービス代表 黒川恵
●日本山岳ガイド協会 磯野剛太
●弁護士 溝手靖史
●日本山岳遭難対策委員長 西内博

開会挨拶の後、生還者の愛知県の男性(66歳)が「私の記録」と題して当時の状況を報告されました。「ツアー登山は客同士も初対面でコミュニケーションが難しい。ガイドの判断がすべてだが自分の命は自分で守らないといけない。今思えば、亡くなった方は、調子が悪くても何も言わなかったんだな(言い出せなかった)、と思う」と振り返りました。

続いて事故原因の検討と再発防止を観点に、ツアー会社とガイドなどの問題点や改善策を討議。事故では夏山で短時間に8人もの人が低体温症で死亡したことが注目されましたが、船木上総・苫小牧東病院副院長は事故当日、出発から約3時間後に、すでに足下がふらついていた人がいたことを挙げて「この時点で低体温症にかかっていた」と指摘、対応の遅れが凍死につながったと指摘しました。この船木先生の話がとても関心深いもので1時間でも聞いていたい気がしましたが制限時間を知らせるジャッジが連打し、とても心残りでした。内容も勿論ですが、喋り方の上手なパネラーは素敵ですね。山と渓谷から「凍る体」という著書もあるそうで、低体温症について詳しく書かれているそうです。

会場からはガイドの判断に関する疑問の声が多く、山岳ツアー会社は「本格的に登山をやった人が設立したツアー会社は国内にわずか数社しかない」と話し、日本山岳ガイド協会理事長も「きちんと研修を受けたレベルのガイドは650人程度なのに、ツアーや学校登山、市民団体などの引率者を含めると5000人ぐらいがガイド業をしている」と実態を紹介されていました。

トムラウシ遭難事故のツアーは東京のツアー会社が企画。55〜69歳の15人をガイド3人が引率し、2泊3日で40数キロを縦走する計画だったが、暴風雨に見舞われた最終日、客7人とガイド1人が凍死しました。生存者は言いました「ガイドが若いので、とても足が早く、中高年の参加者の中には、ついていけない人もいてバラつきがあった。中高年には中高年のガイドが望ましい」と語っておられたのが印象的でした。

参加者サイドからの今後の課題としては

@おまかせ意識「連れてってもらう」からの脱出
A登山能力、技術の向上
B体調管理
C自己責任の再考
D装備・服装・レーションの再考

15人のパーティを組みながら、自己紹介もなかったと言う生存者の方の言葉を借りるなら、体調が悪かろうと、解るよしもなく「大丈夫?」の声かけすらできずガイドへの報告も出来ず体調の悪い人が、増えていったという現状を知り、わがやまたび倶楽部への教訓 となり、実のあるシンポジウムであったと思っています。資料1冊予備がありますので八ヶ岳登山に持参します。みんなで回覧していただければと思っています。

(追記)苫小牧東病院副院長の船木上総(ふなきかずさ)先生が、 フランスのモンブランでスキー滑降中にクレバスに落下し 16時間も宙吊りになった後に救助された経験から書かれた、 「凍る体」という本が山と渓谷社より発行されています。


[2086] 【2080回 働く女性へのエール】 2010-02-27 (Sat)

『“寿退社”はもう古い!? 「結婚や出産を機に仕事を辞めたい」わずか5% 』こんな見出しが目にとまりました。

現在の仕事に満足している人はどのくらいいるのでしょうか。「今の仕事への満足度」について、「満足」と「まあまあ満足」と答えた人は合わせて59.6%だそうです。これに対し「不満」「ちょっと不満」は37.2%で、6割の人が満足していることがわかります。

また、結婚・出産は仕事を、「辞めたい」という人はわずか5%。「ずっと仕事を続けたい」が49.7%、「いったん仕事を辞め、落ち着いたらまた働きたい」人が31.7%と、8割以上の女性が結婚や出産をしても仕事を続けたいと回答しています。未婚女性に限っても「仕事を辞めたい」と答えた人は約7%で、“寿退社”を考えている人は少ないようです。

一方で、「転職は考えていない」という人は4割弱で、将来的な転職も含めると6割以上が転職を考えていることがわかりました。いまは終身雇用制が廃れ、20代の人の転職意欲が高く、約75%の人が転職を考えていると回答しているそうです。

私は学校を卒業して44年間働き続けました。このうち最終就職の会社に39年間もいました。その間、町工場では取得しにくい状況下にあった女子の生理休暇を率先して取得しました。また会社設立いらい初めてという「産前・産後休暇」も第一号として不動のものにしました。結婚したら退職するのが当たり前という事例を破り、産前・産後休暇の第二号、三号も続きました。結婚後も続けて働く女子への理解も深まっていきました。「嫁を働かして、お前の亭主、甲斐性がないのぉ」そんな冷ややかな言葉も聞きました。(現代ではりっぱなセクハラ)臨月の夏、まだ会社の天井には扇風機が舞い、冷房のない時代に役員室にだけ冷房設備がついていました。重役さんが役員室と事務所の窓を開放し「大きなお腹だから暑いやろ?ちょっとは涼しい風が行くか?」とやさしい言葉をかけてもらったこともありました。

いまは転職も、ままならぬ時代となりました。「転職先が見つからないので今のまま」は困りますが、どこで歯を食いしばっても同じなら、もう少し同じところで頑張ってみようと思って欲しい、そうすれば明るい将来が見えてくるはずです。与えられた仕事ではなく、自分で開拓して行ってほしいと思っています。「オレが経営者なら」この気持ちさえあれば社員の待遇は、きっと改善されるはずです。

現在では私の時代にはなかった、「育児休暇」の制度があります。産前・産後休暇のあと、続けて取得することができます。育児休暇中は無給ですが職場復帰をするためには非常によい制度です。その間に保育所に預けて勤めるも良し、母親に専念するも良しで早急に結論を出さずともいいのではないでしょうか。働く女性!働くお母さん!ガンバレ!


[2085] 【2079回 嫁の誕生日】 2010-02-26 (Fri)

2月25日は、零ママの純ちゃんの「3?回目」のお誕生日です。近くに住んでいてても婆ちやんが多忙で、なかなか会えずなので1週間前に「お誕生日の日は一緒に過ごそう」と約束をしました。「うれしいです。楽しみにしています!」と返事も返ってきました。25日の早朝、忠太郎メールが入り純ちゃんのお誕生日の、お祝いメッセージを頂きました。忠太郎は知り合いの誕生日を全部カレンダーに記憶をしていて、こうして当日うれしいメッセージを送信してきてくれるのです。

思えば8年前、長男が函館勤務の時に純ちゃんを紹介され、母ひとり子ひとり、しかも北海道から!と驚いたことを思い出します。トントンと話がまとまり結納を持参する事となりました。空港のトイレに結納金の入ったバックをドアに掛けたまま出てきました。しばらくして真っ青になり走って戻ってみたら「あ・り・ま・し・た!」函館行きの搭乗口は空港の一番、隅っこにあり利用者が少ないことから難を逃れたのだと思っています。やがて息子は大阪に転勤となり、新婚生活は此花区でスタート、函館のお母さんが、よく手放して下さったと感謝しています。「私の誕生日の日は、いつも雪が降り吹雪いているのに今日は春の様ですね」と純ちゃんがなつかしい故郷の函館時代を振り返りました。

友達も、知り合いもいない大阪で、息子だけが頼りで(婆は会社勤務で役立たず)一度だけ働きたいと言ったこともありましたが、安月給のクセに息子がガンとして専業主婦を希望しました。嫁からの話によると、自分が小さい時、母が働いていて寂しい思いをしたので、やがて母になったとき、同じ思いをさせたくないと言ったらしいです。働き続けた母親から言わしてもらうと、時代に逆走している様にも思いますが、嫁はそれをきちんと守ってくれて、息子も大事にしてくれて、零ちっちもよい子に育ててくれて母として姑として、婆として、こんなにうれしい事はありません。そんな感謝の気持ちをあらわす2月25日なんです。「嫁姑が うまくいくのも 当たり前田のクラッカー〜」我が家には嫁姑の、もめごとはありません(2人の嫁が、できた嫁だからだって?そうかも知れません。きっとそうだと太鼓腹判!じゃなくて太鼓判!)

25日に「クライミング」のお誘いを頂き、心がグラッ、グラッと震度6ぐらい大きく揺れましたが、先約だった嫁との約束を優先しました。また次の機会に声をかけていただけたらと、お誘い頂いたことに感謝しています。が、しかし、but、いきなりホワイトフェイスの岩場に登れるだろうかと不安の心がよぎります。脱臼をしてから4ケ月ほどクライミングに行っていません。復帰はA懸垂からスタートして、自信を取り戻して、それからでないと無理の様な・・・・


[2084] 【2078回 トムラウシ山遭難事故のシンポジュウム】 2010-02-25 (Thu)

うららちゃんの情報で、北海道トムラウシ山遭難事故のシンポジュウムが27日の土曜日に、あるとの情報を得て、ぜひ行ってみようと思っています。

北海道トムラウシ山遭難事故は、どのようにして起こったのか、回避はできなかったのか、パーティーの事前のトレーニングはあったのか、パーティメンバーの横の繋がりはあったのか、有識者はどのように考えているのか、生存者も参加してとのことなので、余計に関心が深まります。

遭難事故のニュースは耳にしますが、どんな状態で発生したのか、救助を待つ間、どのようにして待機していたのか?、あるいは自力下山したのか?、その時当事者は?、同行者は?と次回の事故防止に役立つ情報は入ってきません。私が知りたいのは、その事故を教訓にして事故防止に繋げたいのです。当事者批判ではなく、事実が知りたいのですが、山岳白書にも事故発生件数は明確にしていますが「どうして事故が起きたのか、避けられたのか」が明記されていません。

「では妙義山での脱臼事故の場合を言うて見よ!」と言われるかも知れませんが 「妙義山のセルフレスキュー」としてホームページ上に赤裸々に報告しています。読んで頂いた人、それぞれで自分なら、あんな場合どうすれば良いかを考えて頂けたらと言う思いからの「骨付きレポート」なんです。(笑)

私は妙義山事故で『落石をしない歩き方、加害者にならない歩き方』を教訓にしました。今回は「落石を避けて」が引き金でしたが自己責任だと痛感しています。反対に私の落とした石で他の人が怪我をした場合を想像すると、自分が脱臼の痛みに耐えれば良いで済んだ事に安堵せずにはいられません。

2008年8月、サスケ先生とうららちやんの「槍・穂高縦走」の時のことでした。その日は南岳小屋を出発して大キレット、長谷川ピーク、飛騨泣きを通過し、穂高岳山荘北穂高北面を登っている時、大きな落石の音を聞いたそうです。後から登って来た人に落石の事故があった事を知らされたそうですが、この時うららちゃんは、心ない登山者に「あんた達が落としたんではないですか」と言われたそうです。失礼なっ!私達やまたび倶楽部は落石をしない歩き方をちゃんとマスターしていますと言ってやれば良かったのにと後で聞いただけでも腹立たしい出来事がありました。

そんな体験もあって、今後の登山のために参考になる話が聞けるかも知れないと期待して、27日午後1時からの神戸市の王子動物園ホールでのシンポジウムに行ってみたいと思っています。阪神淀川駅を11時30分の電車に乗れば、岩屋駅に12時13分に着きます。王子動物園に一番近いのはJR、次は阪急、一番遠いのは阪神なんですが、自宅に近いのは淀川駅となります。

王子動物園が確認できたら「ぞうさん弁当」でも食べましょうか。興味のある方がいれば会場で合流しませんか?


[2083] 【2077回 もうすぐ八ヶ岳へ出発】 2010-02-24 (Wed)

●知ってると楽しい八ヶ岳情報

八ヶ岳連峰は夏沢峠を境に南側を南八ヶ岳(狭義の八ヶ岳)、北側を北八ヶ岳と呼び、私達の目指す根石岳はこの北八ヶ岳の最南端に位置しています。
3月5日は、無理をしないと言うことで 「らくらくコース」を設定します。体力に合わせて無理のない「折り返しコース」を作りました。引率はポチが自ら手をあげてくれました。地図を見ていると、オーレン小屋までは、往復同じ道につき、ここを目標にゆっくりと楽しんでください。道標のリボンをつけて行きますので、道迷いはないと思います。リボンが落ちないように、しっかり付けて行きますね。

オーレン小屋の目の前には、名水「オーレン強清水(こわしみず)」が、自然の湧き水として一年中こんこんと流れています。ぜひペットボトルを持参し、残っていた水を捨ててでも「オーレンの強清水」をご馳走になりましょう。ここから上は有料になるそうですので、根石岳を目指す人は、名水の補給をお願いします。

オーレン小屋で休憩をして、道標のリボンを頼りに先に戻ったら温泉に浸かっててください。温泉は秘湯系、湯色は茶褐色、泉質は硫黄泉、効能は胃腸病、糖尿病、皮膚病、神経痛、リューマチ。夏沢鉱泉は2060b、ちなみに日本最高所の温泉は、標高2430bに位置する立山黒部アルペンルートのみくりが池温泉です。
(入ったことあるよね 〜!)

「らくらくコース」で体力にまだ余裕がある場合は、(但しチームで話し合い同じ行動を取る)頂上までトレッキングした人達の復路となる樹林帯コースを、ゆっくりと散策し、頂上チームと合流したところで引き返すと言う方法もあります。但し、他の踏み跡がなければ危険なので無理をしないで下さいね。とにかく臨機応変に楽しみましょうね!

昔から湯に入れば病はたちまち全快し、「医者いらず」の名湯として多くの人々から湯治の湯として親しんでいるそうです。

夏沢鉱泉は標高 2060bの高所にあり、前は夏沢渓谷の流れが爽やかで・高山植物やシラビソの豊かな原生林に囲まれ、遠く北アルプスの『槍ヶ岳』や『穂高連峰』を望むことができるロケーションの良いところに建つ山小屋です。お天気だといいですね。大丈夫「やまたび日和ですよ、きっと」

「山行計画書」は24日付けで長野警察本部・茅野警察署に届け出を終了いたしました。


[2082] 【2076回 桜の木にムイムイ!】 2010-02-23 (Tue)

22日月曜日は午後から高槻市奈佐原というところにある高槻市なのに何故か「大阪市立阿武山学院」という児童自立支援施設の見学会にでかけました。大型バスに、20人ばかりの参加者で、半分以上の空席が勿体なく「お〜い茅野経由で空いてる席を、やまたび倶楽部に貸してくれ〜」そんな感じの車内でした。此花区役所を12時30分に出発しサスケクリニックの下を通り、ジョン通りを通過、ジョンの姿を確認したので、車内から手を振るも反応なし。フィルムが貼られているため車外から中は伺えないようになっているらしいです。

阪神高速福島入り口から名神に入り茨城出口を出て定刻の13時30分に奈佐原地区に到着しました。阿武山学院は、子供達が将来健全で、豊かな人生ができるよう全人格にわたる教育を展開している施設です。生活指導、学習指導、体育指導、クラブ活動の4本を柱に児童相談所を経由して入園してきます。中で働く職員の皆様は寮長、寮母が夫婦制で家庭的な雰囲気の中で「育ち直しの教育」に情熱を傾けておられました。親の虐待に遭い、親元を離れて暮らす方が幸せな子供達もいますが、決してそれは自然の形ではなく、親子で寄り添って暮らすことが人間として、やがては少年達が親となったときの戸惑いがないように「普通の生活」を営なんで欲しいと痛感いたしました。

庭には水仙が咲き誇り、大きな桜の木には硬い蕾が春を待っていました。桜の花が終わると「ムイムイ」が発生しますが、これも自然のなりゆきで、土も木も花も、季節の移ろいを感じさせる教材になっているように思います。この学園を巣立つ時、庭には桜が咲いていたなぁ、と振り返って退寮して行った生徒達も多くいたことでしょう。

♪♪桜の花が大きく育つとき、ぼくらもみんな大きくなった〜♪♪
これは昔のテレビドラマの主題歌です。孤児院で暮らす子供達が、自分たちで植樹した桜の木の下で、つらくなると庭の桜を見上げ、くじけそうになる心を癒してもらうというドラマでしたが、いま現実に再現されたような気がしました。

幼児虐待は周りの人がSOSのサインを出しても、市民の虐待通報で、一時的にパトカーが来ても、根本的な解決方法にはなりません。昔体験したことですが、児童相談所に於いては「虐待を受けている子供と貴方の関係は?他人ですか?それでは動けません。ご家族の方から連絡をして貰って下さい!」家族の者が虐待をしているのですから矛盾していると言うと「母親の虐待なら父親がいるはず。父親から連絡をさせてください」そんなやりとりをしたことがあります。見るに見かねて通報しても杓子定規でなかなか動いてはくれませんでした。その間に虐待はエスカレートして行きました。でも現在は、こんなことは無いと信じています。


[2081] 【2075回 八ヶ岳出発まで、あと10日】 2010-02-21 (Sun)

八ヶ岳スノーシュー出発まで、あと10日となりました。2週間を切りましたので、既にキャンセル料の発生枠に突入しています。参加者の皆様が、万一、不参加となられたときはキャンセルに係る費用は頂戴することになります。「ドタキャン王子様」は当日まで会費の納入はなく直前に「すんまへん!仕事が入って〜!」と、いとも簡単にキャンセルのメールがはいります。入金がないため、それまでにかかった諸費用を会費から差し引くことができず、いつも同期の桜が負担していました。そして次に会った時は「やぁやぁ!」で済まされてしまいます。でもどこか憎めない奴なんです〜。

藤田まことさん(76歳)の訃報が入りました。
藤田まことさんといえば、「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎が私の中の藤田まことさんですが、今の人達は「必殺シリーズの中村主水」が目に浮かぶことでしょう。私の中ではコメディアン、今の人の中では役者さんですよね。心より哀悼の意を表したいと思います。数々の当たり役で活躍する一方、若いころは「キタの(南都)雄二、ミナミの藤田(まこと)、東西南北藤山寛美」と大阪の繁華街で称されるほど遊び、それを芸の肥やしにしていたそうです。晩年は病気との闘いの様子でした。

私がOL時代(20歳ぐらい)、土佐堀にある会社に勤務していた頃、お昼休みを利用してフェスティバルホールで公開放送中の「てなもんや三度笠」と「スチャラカ社員」を毎回見に行ってました。「俺がこんなに強いのは当たり前田のクラッカー」と言ってから番組がスタートするんです。水戸黄門の葵の紋と同じ効果です。白木みのるさんとのコンビも絶妙でした。追悼コメントに白木みのるさんが出ていましたが昔の面影はなかったなぁ。そう考えると藤田まことさんは昔の面影そのままで、ちょっと亡くなった義兄の面影をチラつかせる私の好きな役者さんでした。

OL時代、食堂でお昼ごはんを済ませ12時15分から45分までの公開録画を見て、走って会社に戻る。午後1時からの仕事には充分間に合っていました。曜日は忘れましたが「てなもんや三度笠」と「スチャラカ社員」のある日は欠かさず見に走っていました。若かりし頃のなつかしい思い出です。いまだと並んだり、整理券がいるだのややこしい時代ですが、あの頃は観客を掻き集めるのに必死の様子でした。待ち時間に拍手の仕方、笑い方などの協力を要請されたものです。


[2080] 【2074回 はずさんといて〜】 2010-02-20 (Sat)

箱館山スノーシューでの教訓が2つばかりあることに、レポートを作成してて気が付きました。ひとつは道標のリボン、もうひとつはロープワーク。

●道標のリボン
同じ道を引き返す時は吹雪を想定して道標のリボンを付けて行きました。前夜に降り積もった雪でウサギの足跡以外、踏み跡がないため万が一を想定します。両方に木立がある場合は省略してもよしと言うことでしたのでカーブする毎にしるしを付けていきました。天気もよいし道迷いすることはありませんでしたが、帰り道に前を歩くポチが親切にリボンを外して行ったのです。「アレッこの当たりも付けたはずなのに外れて飛んだのかなぁ」と思ったりしていると、どうも前を歩くポチが外して歩いた様子です。今回は天気がよくて風もなく笑い話で済みましたが、「はずさんといて〜」が理解でき、参加した人達への意志の統一に役立ちました。「アンカーが通過するまで外さないで下さい。そのための道標なんですから」い〜い勉強をしました。

●ロープワーク
処女湖に降りたジョンを引き上げるときのロープ手順も雪でロープがダンゴになったり、ロッククライミングではこんな場面なかったしと思ったりして、意外と時間がかかってしまいました。セット完了した時には、急斜面で待機するジョンがすぐ真下まで登って来ていたのには笑いましたが、あの場面の復習(カラビナ1個で出来る方法があるらしい)をぜひ学習したいと思っています。家でロープを垂らして、あの場面を思い出してやったりもしていますが正しい方法をぜひマスターしたいです。ゴンドラを降りてから、バス停で1時間あまりあったのに、何故その事が思い浮かばなかったのか悔しいです。そうすれば参加者全員で危機管理も含めて仲間意識が深まった様に思います。残念!

「安全なところまで登って休憩してて下さい」と言いましたが、あの場合シュリンゲとカラビナをみんなが提供できる体制を取って待機してもらうことが大切だとも思いました。サスケ先生が「姫!シュリンゲ貸して!」と言われた時、リュックの中に投げ入れたことを後悔しました。あの場合1分でも早く先生に手渡せる様にしておかなければならなかったのです。(言い訳;カラビナを提供した後にリュックの中に)

出発時に「姫、ロープ持てるか?」とジョンがロープを私に委ねたときに、すぐスワミベルトを装着しました。ロープがいるかもと言うことは危険箇所があるかもと思ったからです。スワミベルトにカラビナをかけシュリンゲも肩掛けしておくべきでした。これも反省。

やまたび倶楽部がクライミングを始めたのは「高い山の危険箇所の安全な通過」のためだと講習で学びました。あの岩場、この岩場と岩登りを中心に楽しむ方法もありますが私達は危険箇所の通過のためのクライミナグを学んだということを処女湖を目の前にして、改めて考えさせられました。「GIGI持って来たらよかったな〜」そう呟くと「道具がなくともカラビナ1個で何とかせなあかんのんや」その言葉が心に響きます。(処女は色んなことを体験して大人になるんやね)

(教訓)
スワミベルト、カラビナ、シュリンゲは常時必需品


[2079] 【2073回 見逃さないで!認知症のサイン】 2010-02-19 (Fri)

( )物忘れがはげしい
( )人の顔と名前が一致しない
( )約束を忘れてしまう
( )車の運転でヒヤッとすることが増えた
( )計算力が衰えた

さて貴方は何個当てはまりましたか?認知症とは、記憶力などの障害が現れ、日常生活や社会生活が困難になる状態をいいます。私達も無関心ではいられない症状です。「アルツハイマー型認知症」と「脳血管性認知症」があるそうですが、はっきりとした病因がいまだに不明だそうです。

どの病気もそうですが、早期診断・早期発見が認知症において重要なカギを握るといえるのではないでしょうか。「あの人、この頃ちょっと変だなぁ?」と気が付いたら、そっと教えてあげるのもひとつの早期発見になるのではないでしょうか。

「ほらあの人、あの人、え〜と誰だったかなぁ」と会話の中で、なかなか名前が出てこなかったり、3階にあがったのだけれども、何を取りに行ったのか用事が思い出せなかったりすることがあります。これも認知症と無関係では無いように思います。

元気な時に行きたいところに行って、楽しい時間をすごせば認知症になるのを遅らせるのではないでしょうか。デイサービスの施設などで、認知症の治療に「唱歌」を取り入れるところが多いそうです。声に出してみんなで歌うと脳に刺激を与えて、効果があるそうです。と言うことは「お昼の歌」も、まんざら無駄ではないのですね。

昔、ウオークの会でスタッフに「歩けに歌なんかいらん」と、味噌クソに言われ、その上、絶対にお昼の歌に参加しないスタッフ(ほんの一部)もいましたが、中止すると負けたことになるので持続しつづけました。喜んでくれる人もいましたから、心ない中傷にも耐えられたのです。

ももちゃんが「♪うさぎ〜おいし〜かのやま〜♪」を2番まで上手に歌います。どこで習ったのか聞くと、幼稚園で保護者参観の時に親に歌って聞かせるために、おけいこをしたそうです。歌詞の意味はわからないと思いますが、じっと聞いていてジーンときますね。


[2078] 【2072回 琵琶湖→箱館山スノーシュー】 2010-02-18 (Thu)

2月18日(木曜日)1週間順延になっていました琵琶湖バレイのスノーシューを実施する事にしました。天気予報によると曇りのち雨の様子ではありましたが、前日の午後4時にトップ会議を行い「行く事に決定しよう」ということになりました。大阪駅7時47分発の比良レジャー号後ろ2両目に乗る約束をして、尼崎駅、大阪駅、高槻駅とそれぞれが乗り込み参加者全員が同じ車両に乗ることができました。今日は平日のため「志賀駅」には停車しないため「堅田駅」で乗り換る予定で、車窓から蓬莱山に目をやると雪が少なく小女郎池への道がぬかるみになっている恐れがあるため車中で意見の統一をし、急遽行き先を「箱館山」に変更することになりました。

近江今津駅午前9時19分着、箱館山行きの小さなバスに乗り、箱館山ゴンドラ乗り場に到着しました。往復のチケットを購入し乗り場に並ぶこととなりましたが最後に購入したオリオンさんが「300円の割引があるで〜」の情報に「300円ぐらいエエやんか〜」のジョンの言葉に逆らい、全員チケット売り場に戻り交渉し、300円の割引を受けることができました。(窓口の人によってサービスが違うのは問題やで〜)

冬場はスキー場として有名な箱館山(690b)ですが、夏にはゆり園となります。8人乗りゴンドラに全員乗り込んだと思ったら、オリオンさんがいません。後発のアベックと一緒にお邪魔虫として乗っているようです。乗車前にゴンドラのキップを失い探していたらしいです。ゲレンデではスキーやスノーボードが思い思いのシュプールを描きながら何度もコースを下り、またリフトに乗る。いくら滑っても滑り足りないかのようなその姿からは、若者のウインタースポーツに対する熱い気持ちが伝わってくるようでした。

詳しいレポートは後日、写真とセットしアップ致します。


[2077] 【2071回 確定申告】 2010-02-17 (Wed)

確定申告の受付がはじまりました。サラリーマン時代には想像もしなかった手続きです。退職年度はサラリーマン時代がかぶっていましたので会社に相談しながら申告手続きをしました。でも今回からは年金収入だけの申告につき、手引きを見ながら何とか完成させ2月16日の受付日最初に持参しました。(何でもイチバンが好き〜)未記入や、添付書類不足もなく、「ハシモトはん」の言葉を借りると「パーフェクト」でした。
確定申告をして税金が戻る可能性があるのは下記の3通り。

@医療費の支払い額が10万円以上
A住宅購入
B年末調整後に子供が生まれた

●控除の対象になるのは
金歯、歯の矯正、マッサージ、松葉杖購入、介護のおむつ、医療のタクシー
●控除の対象にならないのは
歯のホワイトニング、人間ドック、入院個室代、差額ベット代、通院時の自家用ガソリン

医療費の申告は所得の多い人がまとめて申告した方がお特です。妻の病院代は妻の申告書で、夫は夫でと分けない方が戻ってくる金額が多くなります。人生の先輩の皆様は既に「そんな事知ってる」ことばかりだと思いますが、手引きの中から引用しました。

しかし我々が、わずかな額なのに、こんなに正直に申告しているのに、億と言う金額を「見つかったら追徴金を払えばいい」と思っている、えらい政治家のおっちゃんがいるということが許せませんよね。お母様から毎月5千万円をもらっているという桁外れの代表もいましたね。5千円とちがいますよ、5千万円!!少し「欲ぼけマネー麻痺」という病気にかかっていませんか?しかも重病〜

いままでの様に、毎月給料をもらっていた時と違い、年金は2ケ月に1度の振り込みとなっています。2回に分けて引き出す方法と、1度に全部引き出す方法があります。私は1度に全額引き出します(千円未満は残します)「偶数月」「奇数月」「あまり」の封筒を用意して、現金を2等分し封筒に入れておきます。偶数月には偶数月の封筒の中から使っていきます。足りなくなったからと言って奇数月の封筒に手をつけることは、御法度にしています。奇数月がきて、偶数月の封筒の中に現金が残っていれば「あまり」の封筒に移し替えてキープしておきます。八ヶ岳登山参加費用や大きな買い物などをする時には、この「あまり」の封筒の中から充当するようにしています。何せ44年間も毎月給料をもらっていた身なので、収入の無い奇数月がとても寂しいのです。その寂しさを解消するための苦肉の策です。(笑)


[2076] 【2070回 おみその学校】 2010-02-16 (Tue)

「おみその学校」ってどんな学校かと思うでしょうが「手作り味噌」をキャッチフレーズとしており、大豆とこうじを混ぜ合わせて、こだわりの味噌を作ろうという味噌醤油会社の宣伝に乗っかったということです。楽しそうでしょ?今まで会社勤めをしていると、こんな機会に恵まれることがなく「主婦」になったという実感も味わいたかったのかも知れませんね。持ち帰りが10sになるということで車で出掛けることにしました。カーナビをセットし約1時間で無事到着です。

講習会場はやまたび倶楽部のちえちゃんちです。講師はシワトリ姉妹のお姉ちゃんの方。挨拶もそこそこに手作り味噌の講習を受けることとなりました。

蒸煮スリ大豆4sと乾燥こうじ4s(出来上がりは10s)をていねいに混ぜ合わせ密閉容器にスキ間がないように押し込み3ケ月待つと美味しい味噌の完成だそうです。講習が完了して容器にいれて見ると何と愛おしい味噌に変わりました。5月の完成が待ち遠しいです。

子供の頃、味噌はみそ汁に使うだけでなく、りっぱなおかずとしての一品でした。味噌を炒め、その中にネギと卵をいれて食べたり、味噌に干した鮎を混ぜて炊きたての白いごはんに乗せて食べました。他に何もおかずらしきものはなかったんですが満足な夕餉でした。もぎたてのキューリの先をチョッとかじり味噌の中にググーっとつっこみ「もろきゅう」として食べたり・・・そんななつかしい味になるといいなぁ

「おみその学校」の授業風景写真はブログに載せました。

興味のある方は「おみその学校」のアドレスです     

http://www.k-miso.co.jp


[2075] 【2069回 変わりゆく此花区】 2010-02-15 (Mon)

此花区西九条に「北市民病院」という病院があります。いままでは多くの区民が利用していましたが今年の4月に閉院することになったそうです。経営悪化?、医師不足?、老朽化?など理由は複雑ですが公募で決定した病院「大阪暁明館病院」が北市民病院を継承することになったと広報誌が区民にお知らせ版を出しています。

「2次救急医療」「小児・産婦人科医療」「終末期医療」なども行う病床数482床の新病院が平成25年4月に開院となりそうです。平成23年4月から平成25年3月の新病院建設工事の間の2年間、近隣の薬剤調整薬局や花屋さんなど、病院を取り巻く商売をしている人達はどうなるんでしょう。今治療にかかっている患者さん達はどうすればいいのでしょう。病院がひとつ閉院になるということは患者さんの環境が違ってくるだけでなく、共存していた周辺の地域の人達も戸惑ってしまうのではないでしょうか?新しい病院が開院されるまでの2年間、何とか、地域が元気でいてほしいと願わずにはいられません。

北市民病院すぐそばにある西九条公園には約140本の梅が植えてあり、20種類の品種、「古城」、「寒紅梅」などが美しい花を咲かせ、大阪城公園に見劣らない美しい花を咲かせてくれます。北市民病院に入院中の患者さん達も窓から見下ろして楽しんでいましたのに残念です。

広報誌には現在の大阪暁明病院はどうなるのかということには触れていません。私達の知りたいことはまだまだ沢山あります。


[2074] 【2068回 樹氷の金剛山登山】 2010-02-14 (Sun)

大阪で一番高い山「金剛山」、去年はダイヤモンドトレイルで通過をしました。2月14日、富田林駅8時20分のバスを待つ列が膨れあがり、みんな季節限定の「樹氷」見物の様です。

行き先は終点の「水越峠」。「ダイトレで通ったよね」と言いましたが、みんなもうすっかり忘れているみたいです。今日は業務用無線をレンタルしていてテストをしながら登ることとなりました。「感度良好〜」鮮明に無線から声が届いてきます。

ところどころに霜柱が張っていてザクッザクッとメロディを奏で冬の道に季節感をたっぷりと味わうことができました。私達の前を、雨も降らんのにリュックに雨カバーを装着し、腰にはナタをつけた大男2人がきつい階段を嫌って道無き道を平気で登っていきます。こんな登山者がいるから山が破壊されて行くのです。ジョンは距離を離して無線の電波テストをするために少し先を登っています。感度はとてもいいのですが値段が高くて、手が出る代物ではありません。

長くてきつい階段を登り切ると稜線に出て、大和三山をくっきりと見ることができます。通称「心臓破りの丘」を登り切ると景色が一変しました。「ウワーッ!樹氷が見えます!早く!早く!」みんなを急がせて美しい樹氷と対面です。
森林浴の森100選に選ばれている金剛山の冬の風物詩といえば“樹氷”です。空からはポロポロと氷の固まりが落ちてきます。温度が上がりブナの木に付いた樹氷が溶けて落ちているのです。地面には氷の結晶がじゅうたんのように敷き詰められていてとても美しいです。雪とはまた別の感動があります。

午後からのトツプは金剛山に詳しいサスケ先生にバトンタッチをして、下りばかりの道ではありましたが、これもまたきつい階段を下りていきました。途中でシジュウガラの餌場を発見し、サスケ先生がご馳走を餌場に置きましたが、残念ながら待てども飛んでくることはありませんでした。

午後から歩き出して、1時間ほどで民家が見えてきました。バス停の手前でサスケ先生に大きな太鼓饅頭を買っていただき、全員ご馳走になりました。おいしかったです。ごちそうさまでした。ここには有名な豆腐屋さんがあり、みんなが夕食用に買い込みました。


[2073] 【2067回 遅ればせの新年会】 2010-02-13 (Sat)

『延び延びになっていた新年会??(今頃やけども)を
2月13日(土) 定時後、ペンション「いのしし」にて
開催したいと考えておりますので予定しておいて下さい。』

何を隠そう、新年会が2月にまで延びたのは私のせいなんです。1月に候補の日を頂いたのですが私の都合が悪く、今年は諦めるから私のことを気にしないで実施して下さいと伝えたのですが、ぜひ一緒に出来る日をとの熱いエールをいただきました。退職してから2年が経とうとしているのですが若者達のやさしい気持ちに心が動き、土曜日の午後から丹波篠山まで出掛けることにしました。私のベンツで凍結が心配ではありましたが、出掛ける日の朝、道路情報の連絡を受け、安心してでかけることができました。

ペンション「いのしし」の名付け親は私です。福利厚生施設の窓を開ければ、イノシシの悪臭で鼻が曲がるほど臭いです。冬はいいのですが夏は窓を開けることが出来ず最悪でした。みんなで利用する部屋にクーラーを付け、窓さえ開けなければ快適なことを社員に位置づけるために「ペンションいのしし」と名付けました。飲み会の後、飲酒で帰れない人のためにフトンや寝袋なども用意しました。「ペンションいのしし」は私と運動会で共に汗を流したスタツフ達の絆です。いのししの看板は、ジョンさんに泣きつき安く作ってもらいました。(看板の写真はブログに載せました)

夕方5時からの宴会で丹波篠山を後にしたのが午後10時、大阪に戻ったのが11時30分、日曜日は金剛山登山で西九条午前6時45分。何とも元気な老婆ですこと!!

アイゼンとピッケル??用意しましたよ〜。弁当忘れても六甲での恐ろしい体験が生きています。ちゃ〜んと準備でけてまっせ〜。

退職してから2年が経っても声をかけてくれる者がいれば「2年間ウオークに参加していないので理事から降りてもらいます」と言う団体もあります。当たり前っちゃあ当たり前ですが何とも複雑です。受けた電話ではありましたが、その電話を借りて「スタッフは75歳定年制を引く」「会長職を2年間の間に4人の副会長のひとりに引き継ぐ」ことを提案しました。加齢のスタッフに付添のスタッフがいるなんて信じられません。「辞めたいんですわぁ」と言いながら、しがみついている人があわれにも思えました。白馬岳でのジョンの功績を無視したどころか厄介者扱いにしたため、私もウオークの足が遠のいたのですが、そのおかげで登山技術の勉強をさせていただき、岩登りも、沢登りも教えて頂き、背中を押してもらえたことに感謝をしています。尊い仲間も沢山出来たことが私の宝物!


[2072] 【2066回 延期してよかった琵琶湖スノーシュー】 2010-02-12 (Fri)

琵琶湖スノーシュー実施予定日(11日)前日夕方から、強い雨が降り続いていました。ところが翌朝は「くもり」、雨が降っていないので複雑な気持ちになりましたが滋賀県方面は荒れ模様、午後からは大阪も強い雨となりました。よかった〜これで、延期したことが心から納得されました。

花形だったスノーシューの熱も少し下火になったのか、都合がつかなくなったのか、加齢に伴い寒さに弱くなったのか人数が集まらなくなってきました。昔はバス1台チャーターしてワイワイガヤガヤ楽しんだものですが。

「季節限定」は字の通り、その時期にしか味わうことのできないものばかりです。雪も氷も(雨だけは避けたいね)自然に逆らわず季節を楽しみたいと思っています。もうすぐ土手にはツクシが出たり、梅の香りが漂い、桜や桃が楽しめます。山の上から見下ろす景色も華やかになってきます。サスケ先生の2/8の「テクテク日誌」に書いてありましたが、『登山は10kgの荷物をしょって8時間行動すれば5000〜7000Kcal消費する』との朗報を得て、楽しみながら山登りをすることができます。

「季節限定」で忘れてはならないのが「イタドリ採り」があります。過日、初対面の女性が土佐出身と言うことでイタドリ談義に花が咲きました。イタドリの話をして通じなければ土佐の人とは言えません(笑)ほとんどの人が子供の頃に「なま」で食べた事を話してくれます。私も家を出るとき塩をランドセルに忍ばせ、学校帰りに喉が渇くとイタドリをポキッっと折り塩をつけて食べたものです。

大阪に住む様になってから山里で見つけたイタドリに郷愁を覚え、仲間に広めました。大量に採った時の保存方法も伝授し、行事がある度にタッパに入れて「美味しい」の強要をしました。ハハハ

「山菜採り禁止」の看板があるところは気をつけてくださいね。イタドリがどうこうではなくて、山の形成が崩れやすい場所や、山全体が保護地区になっている場合もあります。


[2071] 【2065回 サクラサク】 2010-02-11 (Thu)

新聞やテレビで、ほのぼのとしてニュースが伝えられました。みなさんもご存知で感動したことと思います。(産経新聞より抜粋)

「300キロヒッチハイク受験」
埼玉県の15歳の女子中学生が日本航空石川高校を受験するため試験場の輪島に向かう途中、大雪による列車運休で足止めされたため母親と2人で300キロあまりをヒッチハイクし試験会場にたどり着きました。学校側は「欠席だと思っていたので驚いた。根性ある生徒だ。大事に育てて行きたい」と目を細めたと言います。

ヒッチハイクを決めた母子はガソリンスタンドなどでトラックの運転手さん達に声をかけ、長岡市から輪島市まで300キロあまりをヒッチハイクし試験開始10分前に会場に滑りこめたそうです。新潟県内まで乗せてくれたトラックの運転手さんは最初は金沢までの約束でしたが、事情を知り、「うちも同い年の受験生の娘がいるから」と学校の正門前まで送り届けてくれたそうです。

入試の作文は偶然にも「私が感動したこと」この生徒は運転手さんに助けられたことを書き綴りました。入試の結果は「サクラサク」早速運転手さんを探し出し、合格の報告をしたそうです。いい話で熱いものがこみあげてきます。この運転手さんの娘さんも、きっと合格しますように!そう祈っています。

いつか訓練を終え、将来この生徒の操縦する飛行機にトラックの運転手さんを招待し、「あの時があったから今の私がいます。今日は私にハンドルを握らせて下さい」と初フライトの夢を実現してほしいですね。この飛行機会社には10名の女性パイロットが乗務しているそうです。

それまでに健全な経営に立ち直っててや日本航空さん!


[2070] 【2064回 昆布だし割り焼酎】 2010-02-10 (Wed)

過日に行われた「交通安全教育コンクール」のメンバーと慰労会もどきで再びお会いすることができました。「お久しぶり〜!今年もこのメンバーで行くからよろしくね!」映画で言うと原作者兼監督の女性が張りのある声をあげました。じつは別の会合ではありましたが「交通安全教育コンクール」のメンバーも同席というグッドアイデアで楽しい宴となりました。圧倒的な男性職場だからなのでしょうか、普段から飲み会ではこうなのでしょうか、婦警さんたちは機敏に立ち振る舞い、みなさんの焼酎お湯割り作りに協力してくれました。料理はチャンコ鍋で、継ぎ足し用の出し汁も、お湯と水と、梅干しと氷と、一緒に置いてありました。(このテーブルを想像してくださいね)

「お〜い!ヒサや〜ん!鍋の出し汁を追加してくれ〜」と言うことになり、私が出し汁のポツトを持っていくと若い方の婦警さんが「アッ!」っと口に手を当てて、硬直、顔は青ざめています。その表情を見て「えっ?ひょっとしてこれを焼酎お湯割りに使いました?」「・・・・」誰に作ってお渡したか、すぐ判明しましたので丁寧にお詫びをして新しく作り替えました。「すみませんでした〜!お味へんじゃなかったですか?」「うんちょっとな」やさしいじゃありませんか?おかしいなと思っていても、まさかまさかの出来事に黙っていてくれたんです。道理で口に運ぶ回数が遅いと思っていました。

いつもこの会は女性が私だけか、もう一人の女性との2人しかメンバーにおらずでしたが今回は婦警さんが2人参加していただいたことで場が和み、こんな失敗も「笑ってこらえて」もらえました。華やいで、ほのぼのとして、若いっていいなぁと羨ましく感じました。ところでみなさ〜ん!、「昆布だし味の焼酎」飲んだことありますか?どんな味がするか一度試してみて下さいませんか?我慢して飲めるのかどうか知りたいのです。

お酒を飲んで、出し汁の入った鍋の食材を口に運ぶのだから、胃の中に入ったら一緒ってか?アルコールのバロメーターが上がってきたら、何を混ぜて飲んでもわからないのでしょうか、サスケ先生の言葉を借りて、むべなるかな。


[2069] 【2063回 恐ろしかった装備不備の登山】 2010-02-09 (Tue)

2月7日の事です。
芦屋から雨ケ峠を越え七曲がりコースなら何の問題もなかったかもしれませんが、その日に限って東お多福コースを選びました。その前に有馬越えをしようと言うのにアイゼンもピッケルも持たずに入山すること自体が問題なのですが、それは滑って転んで、脱臼した右手に打撃を受けたことで学習しました。この腕の痛みが消えない限りまたリハビリに逆戻りかも知れません(快気祝いが早すぎたなぁ。快気祝いは忘れた頃にするという世間の風習は理にかなっていますね)

装備がなくて雪山に突入した時は、気が付いた時点で「引き返す勇気」が必要かと思います。入り口で雪ということは奥に入れば、更に高度を上げれば、もっと大変なことになります。師匠は言います。「今回はアイゼン・ストックいるよと言わなかったのは、いじわるではない。山の装備について自覚してもらうためだ」との事。ハイおっしゃる通りです。

雨ケ峠までは、いつもと何ら変わらない道のりでした。スニーカーの人もいましたし、雪山登山訓練のおじさんがフゥフゥ言いながら歩荷訓練をしていました。丁度横を通り過ぎた時ジョンが「何s背負っていますか?」と聞くと「50sです」、ご本人の申告だからそうなんでしょうが、雪山で50sの荷物を背負って歩いたら、いくらスノーシューを履いたとしても、ズボッっと埋まってしまうのではありませんか?まあ人の事を、とやかく言うつもりはありませんが、そんなさまざまな目的を持った人達が六甲では行き交っていると言う話であります。

雨ケ峠で休憩して、東お多福山とコースを決めた時も雪はなく、笹原を登って行って、はじめて雪景色と対面しました。そこで引き返せば良かったのですがフカフカと踏み跡のない雪でしたので、心が弾み「これくらいなら行ける」と、ついつい奥に突っ込んでしまいました。登りはまだしも下りは怖くて歩けません。アイゼンの威力を認めざるを得ませんでした。しかし後ろから追い抜いてゆくおじさん達の足許を見るとスニーカー姿で、走るように難なく通過して行きます。雪の面に長く足を置いておかない方が滑らないのかなと思ったりもしました。(小走り状態)

蛇谷北山付近では「雪山」一色となってしまいました。「引き返すも地獄、進むも地獄」状態となりましたが何とか車道にでることができ、途中で出会った人達もみんなアイゼンを履いていませんでした。持っていて履いてないのか、持ってないから履けないのかインタビューがしたかったです。一軒茶屋から有馬へり下りの道はそりゃあもう・・・・大変!でした!

一人で来たというおばさんに石の宝殿で出合いました「あのぉ〜一軒茶屋のトイレが凍って使えないって本当ですか?」と質問を受けました。「トイレならどこでも雪の中ですればいいですよ。但しペーパーは残さないで下さいね」と言うと「私そんな所でトイレできないです〜。お尻が寒いでしょ」『アホか〜凍ったトイレの中も、お花畑のトイレもお尻の寒いのは一緒じゃ〜!そんなんやったら山に来るな!』これは口に出しては言いませんでしたが私とおばさんの会話に、ポチもジョンも苦笑いしていましたので大便いやいや代弁しておきます。

一般登山で緊急の装備は、使わないで下山出来たことに安堵する物ばかりです。アイゼンがいるかなぁ、どうかなぁと迷った時は必ずリュックにいれておきたいと思います。ジョンに事前に「明日はアイゼン必要かなぁ?」と聞いたら「持っといた方がいいよ」と教えてくれたと思いますが「しかし、何年山登りしてるねん」と叱られそうで、自己管理の出来なかったことを反省し、今度からはちゃんとリュックに入れておきます。


[2068] 【2062回 土曜日の話】 2010-02-08 (Mon)

土曜日の話なんですけどね、朝食後もゴロゴロとベットから起きて来ないポチに呆れながら、4月から毎日こうなのかと少々、うんざり・・・「梅田まで歩いて行こう!」とやっとベットの子守から抜け、家をでることにしました。外は風がつめたく、思わずコートのエリを立て、首をすくめました。淀川駅の近くの橋の下で生活をしているブルーシートのおじさんもたき火を囲んでうづくまっている様子です。2号線を越え堤防沿いを歩いているとサッカーボールが飛んできました。この寒空でも子供達は練習をしているのかとボールを拾い、グランドのある川沿いを覗いてみました。子供達に混じってお母さん達も追っかけ状態で子供達と一緒に活動しています。お父さんも、青年達も元気いっぱいです。

しばらく歩くと、阪急電車が走っているのが見えました。ポチの言うには、阪急電車の陸橋を越えると行き過ぎになるらしく、途中から堤防沿いを歩くコースから町の中に変更しました。寒いけれども快適に歩いていたのですが信号待ちをしたり、自転車のベルを鳴らされたりでストレスの多いこと!こんな町中を歩くものではありませんね。

大阪スカイビルの下をくぐりヨドバシカメラの前を通過しました。前を見ると大阪駅の工事中の様子がうかがえます。人間を遠回りばかりさせての建設ではありますが完成時には、阪急百貨店本店、大丸梅田店、JR大阪三越伊勢丹、総称して「28階建てノースゲートビルディング」。百貨店の買い物は疲れるのか階毎に待合い用、休憩用のイスが置いてあってお父さん達が買い物中の奥様を待ったり、子連れの若いパパ達がママのなが〜い買い物にホトホト疲れ果てている様子が伺えます。この頃はデパートよりも好日山荘やロッジの方が何となく落ち着いて楽しむことができます。(デパートは高いよねっ)

せっかく来たので好日山荘に立ち寄り、登山用のブラジャーを購入しました。洗濯中にバストパットが片方なくなり代替え品を購入したのです。山小屋で前のファスナーをはずすだけで就寝できる登山用の優れものです。パットが外れない物を探しました。私が「M」サイズを手に取るとポチが「Lとちゃうんか?」失礼しちゃうわねぇ。胸の大きさには自信がある(笑)のですが厚みを見て言ったみたいですがMサイズでピッタリなんです〜!。


[2067] 【2061回 「六甲をなめるなよ!」ピッケル、アイゼンは常識の装備! 】 2010-02-07 (Sun)

「快気祝い」を自分自身がするというのもおかしな事ですが自主トレも含めて「有馬越え登山」をすることにしました。阪神淀川駅集合午前8時00分。ジョンとポチと姫の3人です。淀川駅でジョンのリュックにピッケルが装着されていることに気が付きました。「アレッ?いるのかな?」そんな軽い気持ちで勿論アイゼンも持たず阪急芦屋川駅の前を通過しました。今日は雪山登山のトレーニングの老人達が目立ちます(結構なお年寄りばかり)高座の滝までの道をダラダラと道いっぱいに広がりながらお喋りをしながら歩いていました。たまりかねたジョンが「飛ばすぞっ!」と、怒りに満ちて、勢いよく追い抜いて行きます。「みっちゃん、この速度についてこれるか〜?」「なんとか〜大丈夫!」急ぎ足で高座の滝茶屋までをいつもの半分の時間で到着しました。もうこの時点で汗ビッショリです。

ロックガーデンから中央稜のコースではなく、猪コースです(いつか、やまたびで有馬越えをする時、藪漕ぎをした道を選ぶことにしました。)ここからは私がトップを歩いていきます。今日は前回の様に、道迷いも、藪漕ぎはありません。このコースは、行き交う人も少なく、なかなか快適であります。

雨ケ峠で初めての休憩をとることにしました。各地に大雪をもたらした昨日までと違い、ポカポカと温かく、心も弾みます。いつもは七曲がりコースから一軒茶屋に出るのですが今日は「東お多福山」のコースをとることにしました。人影もまばらで、ところどころに雪が残っています。ところが蛇谷北山に近づくにつれ積雪が多くなってきました。あまり人に踏まれていないきれいな雪です。「エーッアイゼンいるの〜?」両脇の笹原の茎をしっかり持ちながらツルリンツルリンと大変なことになりました。ジョンがピッケルを姫に貸してくれましたがこの積雪は予想外で苦労しました。勿論装備不備の反省もしました。

上り道と平地は登山靴で強く踏み込むと何とか進めますが下りはヘッピリ腰になりながら、かなりの時間を費やし東お多福山(697メートル)に到着しました。こんなに素晴らしいコースがあったなんて知りませんでした。お昼は「石の宝殿」で雪のテーブルに、雪の椅子に腰掛けていただきました。(ブログに写真を載せました)

ここから更にまた恐ろしい下り道を下ったり、登ったりしながら一軒茶屋の、丁度六甲縦走道の入り口あたりに出ました。10分ほど車道を歩き一軒茶屋まで登り返し、有馬までの下り道をアイゼンもなしに歩けるのか審議した結果、凍結がないようだから行こうということになりました。

歩き慣れた下り道も真っ白に雪が積もり、ところどころ透明にテカっています。「気をつけろよ〜滑るぞ!」と言った瞬間ジョンがスッテンコロリ〜ン。姫も尻滑り状態で右手を思い切り打ってしまいましたが大丈夫の様です。ヘッピリ君のポチだけが滑ることもなく平気の様子。(あんだけ注意深くヘッピリ腰だと滑ることはないわなぁ)

午後2時40分、何とか虫地獄に到着しました。有馬温泉の湯は「かんぽの宿」に入浴して、今日は贅沢にも梅田行き特急バスに乗り快適に戻ってきました。快適にと言うのはちょっと嘘で、すぐ後ろの座席の韓国人の女性の携帯電話のうるさいこと!うるさいこと!2度ほど睨みを効かしましたが効果がなく名塩あたりから梅田に到着するまでの間ズーっと携帯で喋り続けていました。「日本に来たら、日本のルールを守りなさい!」下車時に捨てぜりふを吐いてやりましたが、我関せずでした。快適なはずのバス料金かえせ〜!

その後、居酒屋で快気祝いのご馳走を振る舞うことにし怪我の間「お風呂に入れてくれてありがとう。リハビリに同行してくれてありがとう。洗濯物を干してくれてありがとう」と2人に感謝の言葉を述べ、乾杯をしてホロ酔い気分で戻ってまいりました。

お多福山コースは来年の、やまたびコースにぜひお勧めです。この季節に行かれる方はピッケルとアイゼン必需品です。

●今日の反省
「六甲をなめるなよ!」ピッケル、アイゼンは常識の装備!


[2066] 【2060回 加入保険の再確認を】 2010-02-06 (Sat)

トヨタ「プリウス」のブレーキに関する故障問題は5歳の零くんをも悩ましています。「この車大丈夫?」何のことかサッパリ解らずにいると「ほら〜アクセル踏んでもダメって言ってるでしょ」ハハーン、トヨタ自動車のリコール・自主改修問題のことを言っているのだと理解できました。「婆ちゃんの車はスズキだから大丈夫よ。零くんのパパの車は大丈夫?」と聞くと「ニッサンのキューブだからプリウスじゃないから大丈夫」と返事がありました。男の子って車か電車には興味深いのですね。5歳の子をも関心持たせたトヨタは土俵際に追いこまれ、豊田社長が繰り返し唱えた「顧客第一」という原点回帰は、信頼回復の道しるべとなるのでしょうか。「信頼のおける製品作り」は製造業には、つきものの原点ともいえるのではないでしょうか。クレームが生じたら回収して修理すればいいでは、利益という神聖な水をザルで受ける様なものではないでしょうか。製造部門はこのクレームがなかったら賃金になって潤うと思い、非生産部門はクレームの起こらない環境作り(社員の健康、福利厚生等)に向けて努力をしたほしいと思います。

オートマの車がほとんどを占める現在ではありますが、昔、私はガソリンスタンド内で給油の順番を待っている時、アクセルとブレーキを踏み間違い信号機のボックスを大破したことがあります。保険会社が支払った金額は200万円を超えていました。「どんくさ〜!アクセルとブレーキを踏み間違いよってからに〜」と言われましたが、何故そうなったのか振り返っても冷静な判断ができませんでした。幸いにガソリンスタンド構内であったこともあって歩行者を事故に巻き込む事はありませんでしたが、あの時は「保険に加入しててよかった!」思いました。

保険の話のついでに、みなさま、ご自分がかけている保険はいつどんな時に対象となっているかご存知ですか?保険セールスレディの勧めるままに生命保険に加入し入院の時は対象になるくらいは周知していると思いますがそれ以外に対象になる場合もあるのです。保険契約をしたら、証書をよ〜く読んでおいてくださいね。せっかく対象となっていても本人が申請をしないことには保険金はもらえません。

私も目の下のホクロぐらいの大きさの水泡が気になり形成外科の診察を受けましたら何と目の廻りにだけできる悪性の癌だとわかりすぐ手術しました。その時医師が「癌保険かけてるか?証明書書いたるさかい出してみぃ。おりてくるで〜ぇ」と口は悪かったけど親切なお医者さんで助かりました。

パイロットMさんがウオーク中に足をくじき、その日は対したことがないと思いきや、翌日、足がパンパンに腫れ、病院に行くと捻挫ということでギブスをはめて不自由な生活を強いられているとのことでした。

みなさ〜ん!精神的には年齢より若いと自負していても身体的には年齢通りに年を重ねています。気を付けてくださいね。山を歩くときは、ウオーク歩きの様に急ぎ足じゃなく靴幅一個分を確実に、平地歩きの時は、慌てないで段差もあるし、石も転んでるよ。気をつけて回りの景色も楽しみながら楽しんでくださいね。


[2065] 【2059回 八ヶ岳情報の中間報告】 2010-02-05 (Fri)

朝青龍の引退のニュースで騒がしいですね。土俵下に落ちた力士に手をさしのべるどころか、更に突き落とす場面を何度も見ました。しかし両親の話をする時は、あの細い目から涙を出していましたね。ライバルの白鵬の目にも涙がこぼれ落ちていました。あの師匠につかなかったら、別の師匠であったら、品格の備わった力士になっていたのではないでしょうか。モンゴルから来た少年に「品格」を教えるのは親代わりの師匠の役割ではなかったのでしょうか。

企業でもそうですが、優秀な上司の下では優秀な人材の育成ができます。職場での協調性がなければ、どこかギスギスした関係が生じます。これは先輩、上司の責任で部下を育成していく。喧嘩両成敗のでき、後に尾を引かない指導ができる優秀な上司の下で働くことが、サラリーマンとして恵まれた道だと思います。勿論本人の努力は絶対必要ではありますが・・・。
まあ相撲界に話題を振りまいたことには間違いありませんが何とも問題の多い力士でした。小沢は〜ん!次はあんさんの番やで〜!

八ヶ岳夏沢鉱泉行きを決定して15名の参加者の方達がアッと言う間に「行くよ〜」と言って下さいました。温泉付き宿の予約も完了しました。茅野駅でバスを降りたら、雪上車で迎えに来て下さるとのことです。さて次はバスの予約と思い、バス会社に電話をすると「1ケ月前の前日、つまり2月3日午前8時から受け付けです」とのことでした。そこで節分の日の朝午前7時59分から電話をかけ始めて午前8時00分、交換手(アハハ今はオペレーターって言うんやね)が出ました。「恐れ入ります1ケ月前なので2月4日からの受付になります」この間のJR湖西線の切り離しの時もそうだったし、2月3日からの受付の時もきちんと復唱して確認しているにもかかわらず、こんないい加減な対応をしてくれる。担当者名を聞いてなかったこちらにも落ち度があるため仕方なく4日の朝、午前7時59分から電話をかけ始めました。

「とれました〜!」茅野までのバス座席予約できました。みなさ〜ん!、ご安心下さい。これで八ヶ岳夏沢鉱泉までの交通手段は安心することができます。後はお天気の心配のみとなりました。大丈夫ですよ「やまたび日和に間違いなし!」勿論帰りの便も予約出来たのですが、予約ができた事を確認したので、つい意地悪をして「帰りは3月6日なので1ケ月前の2月6日にならんと予約出来ないのとちゃうの〜?」って言っちゃいました。
(帰りの予約は行きの日を基準に予約ができるらしいです)

2月11日、2月14日の例会にご参加の時に、八ヶ岳の詳しい資料を持参させて頂きます。どちらもご欠席の場合は資料は郵送させていただきますね。

今はオペレーターと言う職種になっていますが私の若い頃は「電話交換手」と言う職種がありました。エレベーター嬢と並んで人気の職種でした。私も高校を卒業し、外資系の会社に入社し、「1時間電話交換手、1時間エレベーター係、1時間休憩」を繰り返す勤務内容でした。最初はとても新鮮でしたが、難関を突破して入社したにも関わらず、単純な仕事内容に不満を覚え始め、もっと実のある仕事がしたいと上司に訴えたことがあります。(入社仕立てなのに生意気〜!)上司は「入社したばかりは会社の事を知ってもらうために3ケ月毎に配置転換して全部署を体験してもらうため3ケ月だけ辛抱しなさい」と言われました。


[2064] 【2058回 たかが「ソリ」されど「ソリ」】 2010-02-04 (Thu)

いまの時期は、季節限定の雪のトレッキングを楽しんでいます。60歳を過ぎてこんなに楽しい毎日を送ってバチが当たらないかと思ったり、いままで働き続けたご褒美だとも思っています。(笑)私は雪のトレッキングの時には、必ず簡易ソリか子供用のソリを背中にくっつけて歩いています。人は「こどもみた〜い」と笑いますが、以前救助のために使ったことを思い出しました。

平成18年2月に「歩けの会」から大山にスノーシューツアーに行った時のことです。

桝水高原スキー場の上を通り一の沢で折り返して、桝水高原スキー場のゲレンデの北側を下るとき、参加者の一人が歩けなくなってしまいました。疲れか足を痛めたのか、はっきりしませんでしたが 傷病者は歩けないの一点張り、下りの急斜面をスノーシューを履いて降りることが不可能になってしまったのです。そこで役立ったのが姫の背中にくっついていた「ソリ」です。スキー場で子供達が乗って遊ぶあのビニール製のソリに体調不良者を乗せ 前舵係りを姫が、左右の舵係りをジョンとアドベンチャーさんがロープでしっかりと確保して降ろし始めました。ところが大変、アイスバーン状態のゲレンデはスノーシューは歯が噛んできいているものの ソリが全く安定しません。まっすぐに下に向かいたいのですが、少し左傾斜になっているだけでそちらにソリが流れます。『ちゃんと舵とれー』って言われるものの、私の非力では止まりません。ジョンもアドベンチャーさんも力はあるほうだと思うのですが、それでもズルズル引き込まれます。
少々大回りですが左傾斜に流されるまま降っていき傾斜が緩んだところで方向を定めて行きます。山岳救助隊が雪山でソリに傷病者を乗せて搬送するのに5〜6人携わっていますがそれぐらい大変でした。 この時にかかった力は想像を絶します。ソリは方向を定めず滑り落ちていきますので前で舵を取るのも大変な作業です。左右の人も人間一人乗せているために、かなりの力でセーブしながら降りたと思います。「こどもみた〜い」と笑われたソリが救助の道具になったんです。みんなの待つバスに遅れることなく到着することが出来ましたので、関わってなかった人からすると、半分笑い話になりましたが大変でした。

ソリの下にアイススケートの刃のようなものが付いていたらもう少し舵も安定するだろうと思った次第です。どうにかこうにか降ろしましたが滑っていくものを止めるのは大変なことでした。何かの折に一度訓練したいと思います。

31日の赤坂山でサスケ先生が下りでしゃがみ込んでしまいました。後ろから見ていて「やってもうたなぁ」捻挫か骨折かとドキドキしながら見ていましたがしばらくするとスッと立ち上がりました。「大丈夫ですか?」の問いかけに「大丈夫!」とのことでしたので大事に至りませんでしたが、あの時、脳裏に浮かんだのが大山でのソリの救助でした。簡易ソリも使って、ザックも使って、みんなの持っているシュリンゲを使って、と色々短い時間でしたが考えました。幸いに下りでしたので、滑りながらゴールできるかなと思ったりもしました。自分が妙義山で負傷しているので人一倍ナーバスになっていました。その後ジョンが右足と左足を開いた状態で木にぶつけて「ち〜ん」と言ったかどうかは聞こえませんでしたが怪我さえなければ雪の上は何でもありで楽しいですね。


[2063] 【2057回 脱臼治療から卒業しました】 2010-02-03 (Wed)

今日は節分。今年の恵方は「西南西」
「鬼は外、福は内」と豆をまき、イワシの頭を柊に刺し魔よけをする。巻き寿司の恵方巻は、節分に食べると縁起が良いとされて、スーパーの陳列棚は巻き寿司一色となっていました。「こんなに沢山誰が買うねん」と言うほどの山の様な巻き寿司でしたが、私のカゴにも入っていますわ。

これは近畿地方を中心とした風習であるらしいです。「丸かぶり寿司」や「恵方寿司」とも呼ばれ、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじりするのが習わしとされています。

恵方巻きブームのきっかけは関係業界の販売促進。商売繁盛や無病息災を願って七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶ等、7種類の具を入れることで福を食べるという意味があるとする説もあるそうです。

その節分の日、私にも「福」がやってきました。負傷日10月31日、1ケ月の固定を経て2ケ月のリハビリ。リハビリに16回通い、手厚い理学療法を受けることができました。自宅でのリハビリ方法もご指導して頂きました。理学療法士さんが体調不良の時は、きちんと私の治療の引き継ぎをして頂き、今では両手をあげてバンザイが出来るようになりました。

快気祝いに、ソリを3個も買っちゃいました!(ブログに写真)いつかマキノへ孫達を連れて行ってやりたいと思い「脱臼記念」に買いました。このソリ安物ですが、なかなか売ってないのです。(ブルーピーター、ジャスコ、コーナンどこにもなかったよ)今日は尼崎の「ニトリ」に行き購入しました。八ヶ岳にも持って行くど〜!(夏沢鉱泉でレンタルしてるっちゅう話ですがマイソリがええよ〜なぁ)

「福はうち、福はうち、神はうち」そんなうれしい日でした。


[2062] 【2056回 もう2月ですね】 2010-02-02 (Tue)

おやおや、もう2月!。月曜日はお天気を気にすることなく心おだやかに朝を迎えました。1月31日は最後の日曜日とあってマキノのゲレンデは子供連れの多かったこと!みんな戸締まりと火の元は大丈夫かな?

おでかけで気になるのが戸締まりや火の元です。「コタツは切ったかな」「暖房は切ったかな」と、登山靴を履いたにもかかわらず再確認のために登山靴を脱いだことも何度かあります。(結果的にはきちんと消してあるのですが一度気になりだしたら落ち着かなくなります)火の元については出掛ける前には必ず声に出して「ガスの元栓ヨシ、こたつヨシ、暖房ヨシ」と指さし点検をしています。戸締まりについてはロックは勿論していますが空き巣の方が手口が巧妙なので被害に遭うこともあるやも知れません。昔、ウオークの後、みんなで飲み会をして帰ってみたら空き巣に入られていたという人がいました。「あの時、飲み会に誘わなければ被害に遭わないで済んだかも知れない」と、しばらく落ち込んだ事もありました。そこで空き巣予防対策です。参考にして下さいね。

●空き巣が一番に探す場所
仏壇、サイドボード、レンジの魚焼き器、冷蔵庫、クローゼット

●空き巣が捜しにくい場所
高い位置にある台所の食器棚、ビデオテープの箱の中

空き巣は手間のかかる所を探すことを嫌がります。短時間で盗みに入りたいので手間のかかる隠し場所を嫌うのだそうです。空き巣に狙われにくい場所を、手間を惜しまず常時、変更することが効果的だそうです。またトイレ、風呂場などの小さな窓からでも簡単に出入りできるそうです。(窓枠ごと外す)電気のメーターの回り具合でも留守かどうか判断するらしいので出来れば、外から見えない鍵付きのボックスにした方が安全だそうです。

リサイクルの品物の中に百万円の束が見つかるというニュースを見たことがあります。あれはお年寄りがヘソクリを隠しすぎて、どこに隠したか忘れてしまうのではないでしょうか。同居人にはヘソクリの在処を教えておいた方がいいかも知れませんよ。(それじゃあヘソクリって言わないよ〜)留守の間にゴミ回収車に持っていかれたなんてことのないように財産は共有しましょうね。

最近、家の路地裏で子供達の姿を見るようになりました。3階の窓からソッと様子を伺っていると、車が出て空になった車庫の中でボール遊びをしているようです。時々ボールが思わぬ方向に飛び、路地裏に転がりこむのです。金網をよじ登り、室外機に乗り、植木鉢を踏み倒しボールを取りに来ていました。よ〜しっ!3階から1階に移動し次の進入を待ち、子供とボールを確保しました。ここは遊び場ではないこと、風呂の焚き付け口などの機械が所狭しと置いてあり危険であることを説明し、ボールが入ったら呼び鈴を押して家の人に取ってもらうように諭しました。そして近くに、りっぱな公園があることも説明しました。会社勤めしていた時には想像もしなかった「些細な出来事」がいっぱいです。子供達が入り込めると言うことは、空き巣も入れるということです。ポチが丸坊主にしたチクチクと痛い蘇鉄さえあれば、りっぱな防犯器具になったものを・・・・。


[2061] 【2055回 八ヶ岳夏沢鉱泉】 2010-02-01 (Mon)

「八ヶ岳夏沢鉱泉スノーシュートレッキングへの期待」

3月の初め頃なら、まだ産気づくこともあるまい(私ではありませんよ〜)と考え、3月4日から2泊で八ヶ岳へスノーシューを楽しむことにしました。皆様にもまもなくご案内できると思います。山小屋へ電話をして予約することができました。「何でこの小屋に宿泊する事を決めましたか?」オーナーが尋ねましたので「温泉があること、雪上車でお迎えに来て下さること」と答えました。電話の向こうで笑っているオーナーの顔が浮かび上がりました。2泊という贅沢なプランになったのは、もう夜行バスでの移動は加齢に伴いきつくなって来たこと、せっかく遠くまで出向いたのだから、思い出のページを増やしたいことが私の中にあります。万一、吹雪いてスノーシューができなかった場合でも、山小屋に温泉があれば、ゆっくり、のんびり仲間とともに過ごすことができます。

夏沢鉱泉ならば「ゆっくりのんびりコース」も設定でき、その日の体調に合わせて自由に選んで頂くことができます。小屋周辺でも充分楽しいスノーシューができます。温泉だけでなく、 太陽光・風力のハイブリッド発電システムも導入、 循環式の水洗トイレシステムを導入しています。お食事は冬期は、あたたかい鍋料理をメインにした手作り料理をお出してくれます。名物となっている美味しい味噌汁の味噌も、大豆から味噌まで自家製だそうです。料金は少し高いのですが、大阪風に言うと「充分にもとの取れる内容」だと太鼓判を押したいと思います。

スノーシュー、ストックのレンタルもしておりマイスノーシューの無い人も楽しめますしご相談頂ければ、やまたびで調達致します。コースも★夏沢鉱泉 周辺トレイル(初級)や★夏沢峠 往復(中級)、★根石岳・夏沢峠 周遊(中級)などバリエーション豊富で体力に合ったコースを楽しんで頂けます。雪深い夏沢鉱泉周辺の樹林帯をスノーシューで快適な春山の醍醐味を楽しませんか?おっと〜大事なことを忘れていました。部屋は個室 8部屋で他の団体さんと同じ部屋に詰め込みということはありません。お風呂は温泉で男女別ですが間違えて入らないでくださいね。石鹸・シャンプー使えますよ。常備しているかどうかは追々に調査しますからね。

世間では「あの世に金は持っていけない」と言いいます「オイラは、あの世に持って行く金がない」とジョンが冗談を言っていましたが、私達も何とかヤリクリを付けて60歳過ぎてから楽しめる「爺婆青春紀行」をやまたびの仲間と味わいたいとヘソクリを掻き集めています。まぁ何とかなるでしょう。雪は季節限定だからチャンスを逃がさず、みなさんご一緒したいで〜す。

2月3日午前8時、梅田阪急バスで座席予約をして参ります。お席が確保できましたら皆様に アタック〜!


[2060] 【2054回 雨に遭うたんとちゃうの?】 2010-01-31 (Sun)


「雨にも遭わず 風にも遭わず さりとて日焼けするほどの太陽にも遭わず」

31日(日曜日)のマキノ赤坂山のスノーシュートレッキングは、日程が二転三転しましたが多くの参加者の皆様を迎えることができました。日程が変更したことで天候も変更し、ちょっとだけ「ゴメンナサイ」の心が動きます。天気予報では午後からは「雨」、朝の段階で大阪や神戸は、もうすでに雨が降っているという情報も入ってきました。

JR比良レジュー号で尼崎から乗り込む人、大阪駅から乗り込む人、高槻駅から乗り込む人と乗り込む時こそバラバラではありましたが「後ろから2両目でみんなが合流いたしました。!」と思いきや、事前の調査にもかかわらず今津駅で切り離しが行われマキノ行きは前車両というアナウンスが流れました。放送を聞き尼崎の駅であわてて前に走りました。走りながらサスケ先生に連絡をして、大阪駅組みはこれでよし。しかしサスケ先生の姿は確認できたものの、しわとり姉妹ときくちゃんの姿がありません。

やっと、しわとり姉妹ときくちゃんの姿を見つけ、今津駅で切り離し車両となることを告げ、今津駅で車両を移動してもらうことにしました。次に高槻駅から乗車の淳ちゃんを探しましたが見つかりません。確認のために、よし枝ちゃんに電話をしたら、予定通り出掛けたとのことで前車両を探したら、サスケ先生の隣に座っていました。高槻駅での放送をしっかりと聞き、あわてて前の車両に移動したらしいです。さすが〜!やれやれ、これで参加予定者全員揃いました。車窓からの蓬莱山は、うっすらと薄化粧をしていたもののこの間より雪が少なく感じました。琵琶湖も霞みがかかっていましたが私達をやさしく迎えてくれました。昼迄、天気でいてくれますように!

「帰るまで雨は降らへんてっ!」姫の言葉がこわいものを感じます。そんな私達の願いを聞き入れてくれて一滴の雨に遭うこともなく家路に着くことができました。路面は雨の水たまりが光っていました。山はやっぱり天気やね。

途中、空が鉛色から少し日差しさえ感じ「雨さえ降らなければ良し」の精神で、みんな、うれしくて、楽しくて、笑顔いっぱいです。「来てよかったねぇ」やっぱり仲間は一人でも多い方が賑やかでいいですね。

「雨にも遭わず 風にも遭わず さりとて日焼けするほどの太陽にも遭わず 最高のスノーシュートレッキングでした」

今日もまたひとつ思い出ページが増えました。ありがとう。


[2059] 【2053回 生命の誕生】 2010-01-30 (Sat)

まもなくお産を迎える嫁に、出産入院中のお留守番のための台所のイロハを教わりました。調味料はここ、米はここ、ゴミ出しは何曜日、幼稚園のお迎えは何時、わずか1週間ではありますがお留守番ができるのかしらと不安は募ります。子供達を婆宅に連れてきて暮らすのは簡単なことなんですが、かずくんも春から幼稚園に通うためお休みさすわけには行きません。幸いな事に日常から、きちんと躾がされており子守で困ることはありません。これは婆宅のお泊まりで実践していますから大丈夫です。(4月のイタドリウオークは子連れで参加予定)

陣痛が来たらタクシーで宝塚の病院へ、私は此花から宝塚へむけて走り、病院で子供達を預かる事にしました。できれば広島からパパが帰っている時に陣痛が来てくれれば不安は消えるのですが、こればかりは「待った」がありません。お産の時間は潮の満ち引きが関係すると昔から言われています。もう遠い、遠い昔に経験したのですが安産を願うばかりです。

昭和45年11月10日未明、初産の陣痛らしき痛みがきました。ポチの母に付添ってもらい、かかりつけの病院に行きました。助産婦さんの診察で「まだまだ〜子宮が硬いよ!しっかり歩いておいで!」病院を追い返され、次第に朝より激痛が強くなりました。再び病院に行き診察を受けましたが「まだまだ」と同じ回答でした。翌日の11日入院となり陣痛誘発の点滴を受けましたが、いっこうに生まれる気配がありません。激痛はずっとあるため夜は他の妊婦さんが安眠できるようにとの事で、私は分娩室の横にある予備室に移動させられました。

陣痛があってから3日目の朝、助産婦から医師に容態が伝えられ、診察と検査が行われました。「ご主人を呼んで下さい。手術の用意を!」急にあわただしくなりました。どうも、へその緒を首に巻き付けており、赤ん坊の心臓の音が弱ってきたらしいのです。急遽帝王切開となり不眠と激痛の3日間を経て12日午前10時3100cの長男を出産した次第です。姑の言うことにゃ「こんな恐ろしいお産見たことがない」と震えていました。姑は3人の息子全部、産婆さんが到着した時には、子供は生まれていて、へその緒だけ切ってもらったそうです。その息子も、もう40歳を迎えます。(私が年をとるはずや〜)

いま妊娠中の後輩がいます。嫁と同じく無事に元気な子供が生まれるように祈っています。男性には味わうことの出来ない命がけのお産です。どうぞやさしい言葉をかけてあげて下さい。言葉だけでなくいたわりの行動も必要です。世間では虐待などと言う信じられない親の非人道的なことも報道されていますが、ぬくもりが伝わる子育てをすれば大きくなって非行に走ることはありません。ぬくもり・・・いい言葉ですね。


[2058] 【2052回 奇妙な目覚まし時計】 2010-01-29 (Fri)

断末魔の様な叫びで目が覚めました。時間は午前5時!耳を澄ませて聞いていると、サカリのついた猫の声でした。「もうっこんなに朝早くから〜っ!」と思いながら両手で耳栓をして、またベットに潜り込みました。すると1階の台所の窓が開く音がして「パシャーッ〜」と水の音がしました。それから断末魔の叫び声は聞こえなくなりました。ポチが猫に水をかけた様子です。猫には水はかかっていませんが退治は出来たようです。

私も猫好きなのですがポチが・・・だからポチが他界したらポチのかわりに猫を飼おうと思っています(早く猫飼いたいなぁ)雌猫のさかりは、妊娠するまで一定周期、エンドレスです。年間数十万匹の犬と猫が殺処分されています。ペットショップへ行く前に是非殺されていく子の里親になる事を考えてほしいと思います。

事情により犬 猫を飼う事が出来なくなってしまった際、捨て犬 捨て猫を保護した際は、保健所へ殺処分の持ち込みを行う前に、里親探し(飼い主探し)をしてください。人間の勝手でいらなくなったから保健所で殺処分ではかわいそうすぎます。

犬の糞にも閉口しちゃいます。私の近所の人で糞の処理袋は勿論ですがペットボトルを持ち歩いていて、マーキングの度にペットボトルの水をかけているのに感心しました。大抵の人は糞の始末はするがオシッコはそのままですものね。

淀川駅近くの下水道施設の塀越しに野良猫に定期的にエサ をやりにくるおばさんがいます。「そんなにかわいければ引き取ってあげれば?」と思います。先日、その施設側が立て看板をたてました「猫にエサをやらないでください。猫による施設配線に支障がきたし停電が発生します」今度、そのおばさんを見つけたら、私も注意をしてあげようと思っています。

ハトもしかりです。自転車のカゴにパンの耳を沢山積み、近くの公園のベンチに腰をかけハトにエサをあげている人がいます。近くの人達はハト糞公害で困っているというのに。私は知り合いが家を購入すると聞いたときは「公園の回りはやめとき!。夏は蝉の声に悩まされ、ハトの糞に悩まされるよ」とアドバイスをしています。

小鳥たちのように、食べ物がない間の冬の時期に庭の枝に飛んできては美しい声を聞かせてくれ、そのご褒美に少し餌をあげる自然との共存なら大歓迎ですね。

癒される動物であっても作物を荒らされる農家の人達の事を思うと「かわいいねぇ」で済まされない事ばかりです。山歩きでもそうですが、ルールを守って生きていきたいものです。



[2057] 【2051回 互礼会】 2010-01-28 (Thu)

「此花交通安全管理者・運行管理者部会」の互礼会、なんと長ったらしい団体名なんでしょうか。これが私の所属する団体、と言っても、退職の身ゆえにOBとして出席させていただいているのですけどね。27日にこの会の互礼会がありました。企業の安全管理者達が「今年もよろしく」とまとめて新年の挨拶を交わすのです。

ところが開催2日前になって緊急指令が入ってきまして、第U部の懇親会の司会を私にせよと言うことになりました。あわてましたぁ〜。署長も出席されるとあって、失礼のない内容の問題集で、それでもって愉快な問題を作るのに、ほぼ1日を費やしてしまいました。あ〜しんど。(納山祭でのジョンさんのテーマソング作る時は楽しく作れたのになぁ)

午後5時すぎ、M部会長が大日本塗料を回り、私をも迎えの車を廻してくれましたので同乗させていただきました。去年、小松空港へ研修に行ったときに会って以来の仲間達と再会、以前勤めていた会社の後輩とも再会することができました。会社の情報交換をし、世間話に花を咲かせアッと言う間に第U部に突入となりました。

第U部のクイズはM部会長のポケットマネーから全員に記念品があたります。まずは恒例の日付のゴロ合わせからスタートし、阪神ファンと自称する人達に前に出てもらいます。本当のファンかどうか調査するために「六甲おろし」を歌ってもらいました。この会場にはカラオケセットはありませんので赤ペラで歌ってもらうのです。(でも・歌えなかったよ〜!)署長も交通課長も、みんな前に引っ張り出して一芸を披露してもらいました。クイズも「滝廉太郎の代表作は」と質問し「荒城の月」と答えた人には記念品をお渡しするのですが、そのまま席に戻れるはずがありません。赤ペラで「荒城の月」を歌ってもらうのです。「歌詞がわからないし〜」とモジモジする人のために、歌詞カードはこちらで用意をします。ご当地クイズでは出身地の民謡を歌ってもらい参加者みんなで手拍子をして大爆笑、大盛り上がりでした。私のお役目果たせたかな?

近頃は宴会ではカラオケが無いと歌が歌えず盛り上がらないと思っていますが、昔の宴会の様に、手拍子をしながら、歌っている人以外も楽しめる「赤ペラ作戦」もいいものですね。以前、私がこの会の宴会で鴻池組のお偉さ様に赤ペラでシャンソンを歌わしたと評判のなりました。次回から辞退するかと思いきや、毎年シャンソンを歌って下さる様になりました。秘書の方が「この会で歌えるのを楽しみにしている様です。あちこちの会に出席していますが、この会が一番楽しそうです」と聞き、安堵したことがありましたが、その方もいまはご高齢でご勇退されました。そろそろ私も勇退やなぁ。

高齢って言うにはまだ若い 若いと言うにはほど遠い やっぱり中高年が似合ってる?


[2056] 【2050回 一人でも多くの人にスノーシューを!】 2010-01-27 (Wed)

18日、プライベートで訪れたマキノの「赤坂山」スノーシュー登山、あまりの素晴らしさに去年一度も実施されていな事情もあって、30日土曜日に再びみなさまをお誘いしてみました。皆様、それぞれにご都合がある中で「日曜日に変更してくれたら参加できるかも」という声を聞き、既に土曜日で申し込み済みの「淳ちゃん&実ちゃん」に日曜日の都合を聞くことにしました。このお二人の都合が悪ければ予定通り土曜日出発です。

朝、お二人に電話をかけると「日曜日でもいいですよ」との快諾を得て、それからジョンと手分けをして皆様にお誘いメールを発信しました。雪には限りが有ります。あのふかふかの雪が31日も、そのままで待っていてくれるかどうかはわかりませんが、祈る様な気持ちで31日(日曜日)実行と致しました。

じつは、日曜日の夕方、かずくんの3歳のお誕生会に誘われていたのですが、明日プレゼントを持参して、事情を説明して勘弁してもらうことにします。3月のももちゃんのお誕生日に、かずくんの分もお祝いすることにしましょう。

そんなこんなで予定変更で、あちこちお騒がせ致しておりますが、スノーシューが一度も実施されなかった去年の穴埋め(ジョンの病気)のつもりもありますので、ひとりでも多くの方に楽しんでもらいたいのです。赤坂山は、そうきつくもなく、温泉が目の前にあり、喜んで頂けること間違いなしと自負しております。

お天気?
勿論「2010やまたび日和」です。万が一、吹雪いていても、「あづまや」の中腹までを楽しんでいただけます。マイスノーシューをお持ちでない方はご一報ください。こちらで準備致します。よろしく!


[2055] 【2049回 リハビリ担当者代理】 2010-01-26 (Tue)

「リハビリの先生体調不良でお休み」

リハビリに通い始めて14回目の25日月曜日、いつもの私の担当の理学療法士さんの姿が見えません。私の姿を見つけて他の理学療法士さんが近づいて来ました。「担当者が体調不良で休みですので今日は私が代理で担当します」とのことでリハビリベットに横たわりました。リハビリを続けながら「すごい筋肉ですが何か運動されていますか?」と聞きながらカルテに目を落とし「あ〜あ、それで〜」と納得された感じでした。リハビリの原因が「山登り中」になっていたことから「実は私も山登りが好きなんです」と目を輝かして話しかけて下さいました。

お互いが今まで登った山々の話で盛り上がりました。本当に登山家なのか(疑ってゴメン)加藤文太郎の話をしてみたらすぐ北鎌尾根に話が続きました。ほんまもんやな。夏に登る予定の蝶ケ岳も素晴らしい山とのことで「やまたび倶楽部入部案内」の宣伝もしておきました。お休みが、なかなかまとめて取れないらしく、思った様に山にいけないことが悩みの様でした。そう思うと、いつでも出発できる私は幸せなんですね。北岳登山も体験された様で「バットレスの岩場にアリの様に這いずり上がる人を見ていましたが貴方もですか〜」と不思議なものを見るように見られちゃいました。

理学療法士さんによってリハビリの仕方が違います。いつもは道具を使って回復に向けて自らがトレーニングをしていきます。代理の理学療法士さんは30分間、ご自身の手を使って筋肉をほぐすリハビリをしてくれました。「ゴキッ、ゴキッ」とやたら音がします。「この音は何ですか?」「小さな筋肉が回復する音です」固定期間が1ケ月もあると大きな筋肉よりも小さな筋肉が回復するのが遅いらしいです。あとは自主トレをしっかり行い2月の診察で「無罪放免」と言われたいものです。

相手は老婆の急患など覚えていないかも知れませんが群馬県の救急車で搬送された富岡病院にも完治のお礼の手紙を書きたいなぁと思っています。あの時、あの名医がいなかったらと思うと私のことを覚えていようが、いまいが完治報告をしなくっちゃあと思っています。


[2054] 【2048回 人形展『故郷からの贈り物』】 2010-01-25 (Mon)

「故郷からの贈り物」このチラシに何となく郷愁を感じて、25日月曜日の午後、近鉄百貨店に出向きました。昨日の登山で、しわとり姉妹さんからチラシを頂き、私の母が生きていたとしたらこんな感じかな?と年老いた母の姿を想像するのですが、私が11歳の時に他界した母は、まだ60歳にはなっていなかった、つまり現在の私の年には母はもう天国へと旅立っていたことになります。そうかぁ〜私は母の年を越えたんだとチラシを見ながら想像が大きく膨らみました。

故郷高知は私のたからもの。鍬や鎌を持ち農道を歩く、朝は腰がピーンと伸びていたのに帰り道は曲がった腰に時々、にぎりこぶしをトントンと打ちながら、背伸びをして、畑に立ち寄り今夜のおかずの大根を1本引き抜いて「美智子〜もんたで〜」(帰ったよという意味)と土間を開ける母の姿を思い出しています。まさにそんな気分にさせてくれる今回の人形展でした。見るものの心を癒してくれる、この人形展で故郷を空想し、せちがらい今の世を嘆く「あ〜あ昔はよかった」と。

でも今だから良い物も沢山ありますよね。故郷の良さを心に持ちつつ現代のハイテク時代を生きようとするとボケるひまなどないほど色々なことに挑戦しなければなりません。学習しなければなりません。私は祖父母の存在を知りません。だから笑顔のおじいちゃんや姿が見えなくなるまで手を振るおばあちゃんの人形を見ると背中のぬくもりも、飛び込める胸も、素直に表現できないかも知れません。

いま「おばあちゃん」と呼ばれる立場の自分がいます。孫達との対面は両手をいっぱい広げてとにかく抱きしめてやります。「イタイヨ〜」と言われて初めて手をゆるめる自分がいます。私の幼い頃におばあちゃんがいたら、縁側で日差しを浴びながら芋の切り干し作りをしている傍らに坐り、かたっぱしから食べていると思います。サツマイモは保存食のため母がよく天日干しをしていました。半乾き状態の切り干し芋は柔らかくて甘くて美味しいんです。母は夕方、干し芋の入ったカゴを取り入れるとき「今日も頭の黒いカラスにやられた」と笑っていました。どうせ干して食べるのも、半生で食べるのも美智子なんだからと思っていたに違い有りません。

「脳が痛い」と言ったまま倒れてしまった母は再び目を開けることはありませんでした。今なら病院にもすぐ連れて行ってあげられるのに、いまなら手厚い看護をしてあげられるのに、「いまなら、いまなら」を考えさせられる人形作品展でした。    明日までだからね。


[2053] 【2047回 音羽山と醍醐山】 2010-01-24 (Sun)

1月24日の日曜日、音羽山から醍醐山登山のために京阪電車大谷駅に降り立ちました。大谷駅前は狭くてトイレも無いため、「逢坂の関」で集合です。
百人一首ゆかりの地と言うことで、オリオンさんがカルタを持ってきてくれました。
●関蝉丸
「これやこの ゆくもかえるも わかれては 知るも知らぬも逢坂の関」
●清少納言
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」

清少納言の解釈はサスケ先生に、愉快に、それでいて歴史に忠実な説明をうけみんな拍手喝采でした。ありがとうございました。

今日も「やまたび日和」です。出発まもなく、目の前にはいきなり長い長い階段が見えてきました。「いきなり階段かよぉ」と独り言を言って覚悟を決めてローリングステップでゆっくりと登っていきます。「ナンバ歩き」をする人もいたようです。

いきなりの長い上り階段で驚きましたが出発して1時間半ほどで音羽山(593b)の山頂に到着です。音羽山は大津市と京都市の境にあり、新幹線の「音羽山トンネル」の真上にあり、頂上からは眼下に琵琶湖を見下ろし、雪化粧をした比良山や蓬莱山を眺めることができました。突然、姫が「ここは真下に新幹線のトンネルが通っているので、みんなで記念に人間トンネルを作ろう」と呼びかけ苦笑しながらも、みんな協力して下さいました。展望を楽しんだ後は牛尾観音めがけて下り道を進んでいきます。今日は下見の時のように道間違えは致しません。ラクチン〜ラクチン。ハイ!

心地よい芝の道を下り、土の臭いを嗅ぎ、やがて眼下に赤い屋根が見え隠れするようになり牛尾観音を通過、「桜の馬場」で昼食です。温かい日差しの中、弁当をひろげました。アルプスなどの連泊登山の時の昼食は行動食で歩きながら済ませても近郊登山はやっぱり落ち着いて座って弁当食べたいで〜す。今日のワンポイントレッスンは「地図の見方」です。お昼の歌は(かあさんの歌)と(津軽海峡・冬景色)です。「何で海の歌やねん?」誰かがそんな質問をしていましたが(この選曲は、単純に冬景色の寒さが伝わり今の季節にマッチするからで〜す)ドンマイ、ドンマイ。

午後からは醍醐山へ向けて小さな橋を渡り、また山道へと入ります。しばらく行くとトンネルがありトツプを歩く姫の足がピタッと止まりました。「このトンネルの中で歌うとエコーが効くので素敵ですよ。ここでも歌おう」と言うのです。赤ペラで「ふるさと」を歌いました。とてもきれいな歌声でしたよ。

醍醐寺までの道のりも快適に、みんな好調なペースでゴールすることができました。30日のスノーシューのお誘いをして、それぞれ家路に向けて別れることとなりました。おつかれさまでした。