[2347] 【2422回 あけましておめでとう】 2011-01-05 (Wed)

「あけましておめでとうございます。今年もよろしく!」

2011年、平成23年、昭和があれば昭和86年、大正があれば大正100が幕を開けました。旧年は政治不安、天候不良による大きな被害と暗いニュースが続きましたが、自分なりに幸せ探しをして満足のいく1年であったと、笑顔で振り返っています。正月は何もせずどこかの温泉に浸りながらゆっくりとしたいと願いつつ「正月は親元に集合〜!」と号令をかけている手前、粛々と三が日を過ごしました。元旦は我が家に集合し年始交換。二日目は実家となる姉の家に集合し総勢22人で年始の挨拶と言うか、お年玉交換会。三日目は門戸厄神まで此花から歩いて参拝。

改めまして、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

会社勤めであれば、今日は初出で互いに挨拶を交わしたり、企業同士なら、互礼会で挨拶を交わし、新しい1年に期待をします。私の今年の目標は「欲張らず、謙虚に!」です。周囲は私のことを「自分が中心でないと機嫌が悪く、とても人に従うような謙虚さはない」と評価されることがあります。遠からず当たっていると思います。しかしそれは企業で働いていた時の会社員としてのプライドが、そうさせたと思っています。他の社員からなめられないように背伸びしたかも知れません。しかし今は卒業した身、今年は梅花藻の様に、浮き草の様に、ふ〜らふらと流れに逆らわずに生きて見たいと思ったりもしますが無理かな?

新年早々、暗い話で恐縮ですが、冬山はいかに危険か気合いを入れるため書きました。

『12月28日午前7時ごろ、東京都の33歳の男性の父親から「登山に出掛けた息子と連絡が取れない」と那須塩原署に届け出がありました。午後1時10分ごろ、福島県西郷村の旭岳南側の坊主沼近くで、男性がテント内にいるのを福島県消防防災ヘリコプターが発見しましたが、収容先の病院で死亡が確認された。凍死とみられる。警察によると、男性は22日、那須町湯本からソロで朝日岳に入山し、24日に下山予定だったそうです』

道路の凍結による車両事故、雪崩による山岳事故、健康過信による思いがけない病気など自分をとりまく環境には危険がいっぱい!「登れるだろう、このくらいの痛みなら大丈夫だろう」ではなく「登れないかも知れない、どこか病気かも知れない」という「かもしれない」と言う気持ちを持ち、元気な新年のスタートを切りたいと思っています。




[2346] 【2421回 1年を振り返って】 2010-12-28 (Tue)

「総まとめ」

舞台で言えば一旦降ろした幕をもう一度開けることになります。「アンコール!」「カーテンコール!」なんて格好の良いものではありませんが、思いつくままに、自分のために、1年を振り返ることにしました。

●1月
勝尾時寺から箕面ウオークで我が倶楽部の幕を開け、1年無事故で山登りが出来ますようにと、門前の外から祈願しました。音羽山と後醍醐登山では京阪大谷駅前の有名な鰻屋が妙に気に掛かりました。いまも気に掛かっています。

●2月
樹氷の金剛山、赤坂山スノーシュー、八ヶ岳夏沢鉱泉スノーシューと季節限定のイベントを楽しみました。前年の夏に起きた北海道トムラウシ遭難事故のシンポジウムが神戸王寺動物園会館であると聞き、参考のために受講しました。

●3月
丹波篠山白髪山やポンポン山の春の息吹を体で感じることができました。3月末日でポチが定年の定年退職となりました。

●4月
4人目の孫の誕生で西宮名塩に泊まり込み、1ケ月間出張育児補助にでかけました。併せてポチのノラクラ人生が始まりました。(これが厄介〜!)

●5月
故郷四万十市に姉と墓参りに帰り、恩師や従姉妹達の年老いた姿を見て、寂しさをみやげにもらって帰阪しました。中山連峰のツツジは遅かったね。

●6月
高島トレイルのスタートです。7分割・80qの意気込みは全員凄かったです。アクセスの悪さ故の素晴らしいコースも感動の連続でした。

●7月
プライベートで滋賀県獅子ケ谷の沢登りの途中で左肩を脱臼、2週間後に予定していた東北登山をやむなく2週間ずらしてもらいました。大丈夫かと言う声よりも「またぁ〜!」の声の方が大きかったです。

●8月
延期となっていた東北5座行きましたねぇ〜。プライベート登山のため、日数や費用など気にすることなく自由奔放に旅を楽しみました。月山頂上で遭遇した台風も今となれば懐かしい思い出です。

●9月
常念岳登山。天候が、やや不安定の中ではありましたが360度の大パノラマを堪能しました。前日に近くのホテルで宿泊しラクチン登山。我々の年では夜行便利用は体力的に無理であることを再認識しました。

●10月
屋久島登山。山は勿論素晴らしかったのは言うまでもありませんが、世界遺産の島をまるごと満喫しました。林芙美子の「1ケ月に35日間雨が降る」の一説が身にしみました。

●11月
警察のイベントに参加し、方面大会、府下大会での、まさかの優勝を2度も味わい、近畿大会までコマを進めることとなりました。

●12月京都国際ホテルで納山祭
「男はじゅんちゃんの如く、女はくろねこさんの如く」元気で今の体力を維持し、登山を楽しもうと決意を固め意義ある納山祭で倶楽部の幕を降ろしました。

1年を振り返ると「え〜っ、これって、今年のことだったのか〜?」と思うほど記憶が遠いものもありますが、季節毎に時間を上手に使っている様に感じています。同じ年代の人たちと比べてみると、やや年齢よりも若く生きていられてるかなと言うのが自分勝手な自分への評価です。(笑)


[2345] 【2420回 年末年始のお休み】 2010-12-26 (Sun)

  年末年始のお休みを頂きます。

「12月27日から1月4日」まで書き込みをお休みとさせて頂きます。

今年も一年間、よく書き続けました。そしてよくご覧下さいました。ありがとうございました。訪問者のカウント数が私の励みとなり、山登りでの体験談や、町並みで起きた事、ある時はつぶやき等を書きつづりました。振り返ると「しょうもない内容」の時も多々あります。(ごめんなさい)

でもここに書くことによって皆様と繋がっていると思えることが私の喜びです。今年最後の「しょうもない出来事」を書いて2010年の書き込みに幕を降ろしたいと思います。

●右手親指の第1関節に「イボ」が飛び出ていて不便に感じだして、かれこれ40年以上になります。ペンや箸を持つとき違和感がある程度で痛みもなく、他の人の目に触れることもありません。孫達が手をつないだとき「これな〜に?」と言うくらいでしょうか。

ところが屋久島から戻ったころから大きく腫れて痛みを感じるようになりました。ペンを持つのも食事の時の箸の上げ下ろしにも不自由になってきたのです。仕方なく、形成外科に行き診察を受けました。「悪性かどうかは組織を検査してみないとわからないが切開して縫合して10日間ほどしてから抜糸となります。どうされますか?」

「どうされますか?」と聞くと言うことは、どっちでもええんやと判断し「少し考えさせて下さい」と這々の体で診察室を出ました。屋久島で雨にばかり遭っていたので、手がふやけた様で腫れが出たのだと考えて2〜3日が過ぎました。やがて少し腫れが引き、違和感がもとに戻った気がしました。

「ポロリッ!」嘘のような本当の話で、ある日イボが根っこからポロリと落ちてしまいました。(こぶとりじいさんの話みたいでしょ)医師に切開すると言われてイボが自ら自滅したのでしょうか。まさにこれが「イボコロリ!」

その後、何度も手の甲の親指をさすってみますが、ポコッと飛び出していたところに跡形こそありますがきれいになりました。そんな馬鹿なと思われる方は私と右手を繋ぎませんか(笑)ここにイボがあったんだという跡形は残っていますのでお見せしますよ。(見たないわ〜!ってか?)これが2010年の私の「垢落とし」ならぬ「イボコロリ」のお話でした。悪い出来事を全てコロリと落とし、輝かしい新年が迎えられそうです。

人と人のつながりは心で繋がっているものだと信じています。いま、何か様々な事情があったとしても、またいつかスーッと自然に戻ることができる、それが心と心の繋がりだと思って信じています。私は人の縁は限りなく大切にしたいと思っています。

みなさまどうぞ良き新年をお迎え下さい。そして新年も旧年同様よろしくおつきあいのほどお願いします。ありがとうございました。


[2344] 【2419回 本年の歩き納め】 2010-12-25 (Sat)

寒さ厳しい今日、芦屋地獄谷を歩くことにしました。来週は何もしないにしても「気分は年末」につき、今年の歩き納めと決め、お気に入りコースの地獄谷を選びました。阪急芦屋川駅には、道に溢れんばかりの団体が集合していました(リーダーさん!その人数なら少し先にある公園の方がいいですよ!)と声をかけたくなるほどの人数です。1班から3班までに分かれて中央陵を歩くらしいです。

滝の茶屋を過ぎ、高座の滝前にも多くの団体が通路をふさいでいましたが、かき分けてお稲荷様に挨拶を済ませ地獄谷に降りました。先客に若い女性が2人いてストレッチ中です。どうも荷物から見て、冬山登山訓練の様です。私達が先に登りはじめましたが、ジョンが2人の腕前を後ろから見たいと言うことで途中で先を譲りました。

地獄谷には、ほとんど水が流れていません。小便小僧もおしっこをしたくても出ない状態です。地獄谷の中で小休止をしていると、ソロのおじさんがやって来たので先を譲りました。すると途中でピラーロックへ行く道と風吹き岩に行く道に分かれている箇所があり、そのおじさんはピラーロックへ行く道を選びましたがすぐ引き返してきました。

「どちらに行かれるつもりですか?」と聞くと「風吹岩に行きたい」との事でしたので方向を修正してあげて我々も風吹岩に登りました。登り初めてから約1時間で到着となりました。

「粉雪が降ってるよ〜!ホワイトクリスマスや〜!」なんかとても嬉しくなりました。六甲の山に雪が降り始めたのです。寒いはずです。最初は糸の様な小さな雪も大粒の雪も混じり一時空が真っ白になりました。

風吹岩から本山駅に出るコースで、一度も通ったことのないヒミツコースを歩くことにしました。ここはジョンの所属する山岳会が読図ハイキングをするコースらしく、それを逆にくだろうと言うことになりました。風吹岩は大勢の人たちで、ごったがえしていましたのに、ここは人っこひとり会いません。時々沢下りのような迷路もあり「おっとっと」の場面もありましたが無事下山しました。

六甲の道はコースが多くて迷い込んだら迷路ゲームの様です。

JR岡本駅近くで雪が沢山舞い始めました。「やっぱり正月前はこうでなくっちゃあ」と言いながら、寒さで首をすっこめて歩かないと風邪をひきそうです。電車がホームに入ったのが見えましたので駅の階段を走って登り「駆け込み乗車」ちゅうもんをしてしまいました。(ハァハァ息が・・・)

多分今年はこれで歩き納め、登り納めかと思います。事故もなく、元気で無事1年を登山三昧できたことをうれしく思った次第です。

(表紙の写真は本年の「歩き納め」の地獄谷から岡本へ帰る途中です)


[2343] 【2418回 道路はもう年末の混雑が始まっています】 2010-12-24 (Fri)

「あわてんぼうのサンタさん」がやって来るというので、お泊まりに来ているチビちゃん達が、我が家の1階、2階、3階を走り回り、足の踏み場もないくらい散らかっています。階段から落ちないように、後ろから押さないようにだけ注意して自由に遊ばせています。さながら保育所の預かり保育モードです。23日の夜にサンタさんがそっとやって来て4人分の(ひとりは赤ちゃん)プレゼントを置いてお空へ帰っていったのだそうです。それとサンタは透明人間なんだそうです。(こどもの話)

午前10時、家の中は散らかり放題散らかった状態で西宮名塩に送って帰ることにしました。途中にある「伊丹スカイパーク」へ立ち寄り、思いっきり遊ばすことにしました。「お腹すいた〜」を合い言葉にスカイパークを後にして、お蕎麦屋さんにはいりました。子供でも大人の分量をきれいにペロリ。業平の蕎麦だと残していたかも知れませんね。

名塩からの帰り渋滞に巻き込まれました。午後3時に出たにもかかわらず此花に戻ると午後5時30分を過ぎていました。何と2時間30分もかかったのです。勿論阪神高速道路も長い長い渋滞が続いています。

もう年末年始は、車で出かけることは控えようと思いました。年末の買い物は「バイク」が一番みたいです。車の陰から自転車が横切り、直進のバイクと接触寸前を目の前で見てしまいました。とてもこわかったです。みなさんも気を付けて下さいね。

飲酒運転は論外ですが、歩いていても、自転車に乗っていても、風の強い日は工事現場からトタンなどが落ちることでもあります。ドライバーは渋滞にイラだっています。みなさんも事故に遭わないようにしましょうね。


[2342] 【2417回 サンタさんは来るのかな?】 2010-12-23 (Thu)

モモチャン 「ばぁちゃんちにサンタさんが来るかも知れないね」
バアチャン 「来るかもしれないなぁ。ベランダにサンタさんの手紙吊ってあるからね」
事前にリサーチ済みの葉書を吊しているのです。
「じゃあお泊まりに行ってサンタさんにプレゼントもらう〜」ももちゃん達が、姫の家にいないとサンタさんに素通りされると思ったのか 23日の夜はお泊まりということになりました。(零ファミリーは旅行中)

プレゼントの品々は事前に往復葉書に婆ちゃんちの住所なら連絡のつくサンタさん宛に、それぞれが欲しいものを書いて返信葉書が返ってきていますのでプレゼントの選択に困ることはありません。

★零くんはN−ストライク バレルブレイク×2
★ももちゃんはワンワンコレクションセット
★かずくんはプラレール積み卸しステーション
★こうちゃんはウオークライトベビー

これらの品は、簡単に見つけられないので、葉書を持ってトイザラスに行き「これを揃えて下さい」と言うとアッという間に希望の品をそろえてくれました。

さてさて、今夜は子供達が寝静まった頃、プレゼントをベランダに並べておいて、明日の朝の驚く顔が楽しみです。去年までは「姫サンタ」でしたが「サンタさんの髪の毛がクルクルっと、婆ちゃんみたいにパーマがかかっていたよ」と言われて、あ〜あ、サンタに扮するにはもう限界だなと悟り、今年から、よい子でいると寝ている間にソッとプレゼントを持ってきてくれるバージョンに変更しました。

私達の子供の時代には想像もしなかったクリスマスのイベントですが、街もテレビも、こうもクリスマスを取り上げると無視もできません。プレゼントは「真心がいちばん」と思えるには60歳を過ぎないと通用しないのでしょうかねぇ。

(誰ですか〜!?60歳過ぎてもプレゼント受付中って言う人は!)


[2341] 【2416回 ふたたび京都へ】 2010-12-22 (Wed)

納山祭で日曜日と月曜日に京都にいてましたのに、水曜日の今日も、また京都にきています。今日はJR京都駅から地下鉄に乗り換えて、京都御所の向いにある京都府警本部を訪問しました。今日の京都は月曜日のポカポカ陽気とは違い、前日の雨のせいで、しっとりとしています。

「京都府警教育技能コンクール」の近畿大会に進出するチームを選出する競技の見学です。強いて言えば2月にある近畿大会の京都代表の手応えを拝見するためです。大阪もそうでしたが京都もまた熱のこもったチームが多く手強さをヒシヒシと感じました。京都府は宇治署や亀岡署、京丹後署と範囲も広く、趣向を凝らした熱戦でした。今日の優勝チームが2月に私達と一緒に再び発表することとなるのです。

「高齢者向け」がテーマですから、一言一言を大切に、高齢者に語りかけるように、ゆっくりと丁寧に全力を尽くそうと決意を新たにいたしました。

帰りの電車はサラリーマンの帰宅ラッシュとかち合い、大阪まで立ったまんまでした。みんな通勤ラッシュにもまれながら、こんな思いで働いているんですね。心から「ごくろうさま」と申し上げたいと思いました。


[2340] 【2415回 高島トレイルの記念品】 2010-12-21 (Tue)

我が倶楽部の納山祭も無事済んで、レポートのアップも完了して、一息を入れているところです。「そやっ!記念品もらってたっけなぁ」バックの中をゴソゴソと探していたら、ありました、ありました。りっぱな記念品です。バンダナにするには大きくて、風呂敷にするにはちょっと小さくて、う〜ん!考えたあげく折り目のしわをきれいにアイロンで伸ばし、壁掛けにすることにしました(ブログに写真掲載)

残念ながら風邪引きで欠席となったアッコちゃんに手紙を書き記念品を郵送しました。東京の太くて強い絆の知人にも、お礼の手紙と京都の土産を郵送しておきました。

納山祭の宴会の席で、コース設定の苦労や、写真撮影の苦労や、レポートを書く苦労などを話していたら「参加する、うちらがいてるから成り立つんやで〜」全くその通りです。ハイ!この事はいつも忘れてことはありません。ハイ!

記念品を自分の部屋の壁掛けスタイルにしたことで毎日目にすることができます。あ〜あ、ここは雨だったとか、ここは登りが苦しかったとか、ここでキャンプしたとか色々楽しめて退屈しません。なかなか良い記念品でしたね。

「いつか使うかも知れない」と押入に入れている俗に言う「いらんもん」の整理をぼつぼつ始めました。年末にかけての大掃除は私はしません(日常しているから必要ないと言うのが私の言い訳パターンです)ポチが散らかさなければ家具の少ない家ですから整理整頓は出来ているはずなんです。その「はず」が大きく狂うから困ってしまうのです。(笑)

過日、孫が来ていて、私達には、ごく普通の会話だったんですが「オネガイダカラ、ケンカシナイデ!ボク、カナシクナルカラ・・・」って言われたことがあります。ハッとなりました。日常会話が6歳の子供から見たら、ケンカしているみたいに聞こえるんですね。深く反省しました。と言うことは、この子の家では、こんな荒立たしい夫婦の会話は子供の前ではないと言うことなんやと、変なところで安心したりしました。


[2339] 【2414回 納山祭盛会でした】 2010-12-20 (Mon)

「京都国際ホテルに於いて納山祭」ちょっとかっこいいでしょ?今日ばかりはリュック無しで歩けるよと思いきや、みんなリュックさ・・・タウンリュックって言うのかしら。小さなリュックが背中にちょこんと。私は手提げカバンだったけどなんだか片手が疲れちゃいました。みんながリュックにした理由がわかったわ。

詳しくはレポートで報告しますが、ちょっとしたご縁があって京都国際ホテル利用可能ということで納山祭り会場と決定しました。中味は忘年会みたいなもんですが、一応真面目な勉強会もして、あとは楽しい宴会をと言う主旨にピッタリでした。欲張りを言うとホテルに大きなお風呂が欲しいよね。

加齢に伴う体力の低下はジョン自身の事として強く訴えていました。みんな右にならえ、後に続けで無理のない、それでいて遭難しないための技術向上もして行こうと力強いシュプレヒコールあり!

私は今、退職して時間はタップリある生活をしていますので、行きたい場所であれば、いつでも、どこでへも参加したいと考えています。 とりあえず夫婦の間では「行かんとき!」だとか「危ないから止めとき!」などの相手の行動に「待った」をかけることのないように約束しました。(させましたが正解かな?)

いずれにしても「2年さきは加齢で足が動かないかも知れない」という場合も想定して、そのときは「温泉めぐり」に切り替えるなど年相応に楽しみたいと思います。

長男が北海道に住んでいた時に私の誕生日のプレゼントと一緒に入っていた手紙を今でも大切に保存しているのですが、私が「いましか出来ないことをしなさい」と手紙を書いた事がありました。その返事です。

『「いましか出来んことを・・・」と言うのは何も僕だけに当てはまることではありません。これからも末永く健康でいてほしいと願うのは当然ですが長生きするだけでなく自分の時間を大切にして、充実した余生を、お送り下さい。お父さんにも、そうお伝え下さい』

そうなんです。長生きが目的ではなく、いかに充実した余生を送るかで、あとから長生きは付いてくるのです。そう思いませんか?そう思って来年の我が倶楽部の行事にも、クライミングにも沢登りにもパワフルに「いましかできないこと」に挑戦しよう!1年のしめくくりの会に参加してそう感じた次第です。だって私はパワフルおばさんだもんね(笑)


[2338] 【2413回 高っ〜! 】 2010-12-18 (Sat)

「冬春イベントのご案内」というパンフレツトがMベルから送付されてきました。会員登録をされていたら、きっと皆様のご自宅にも送られていると思います。スノーシュー、テレマークスキー、クライミング、サイクリング、トレッキング、海外ツアーと種別されていました。とりわけ興味のあるスノーシューやクライミングは、どのコースがお勧めなのか丁寧に読むことにしました。

●スノーシュー
北海道、関東、北陸・中部は、かなり遠いので近畿・中国地方を見てみました。
マキノ高原6500円、赤坂山10000円、載ってる〜載ってる〜。鳥取大山13000円、美山町9800円、美方高原24800円、峰山高原6500円などのコースが紹介されていました。
それにしても参加費が高っ〜!

●クライミング
こちらも関東、高知などの岩場もあり近畿では兵庫の烏帽子岩8000円、不動岩8000円、こちらも高っ〜!

●トレッキング
京都一周トレイルや大阪ダイヤモンドトレイルなどもあり、いずれも参加費5500円から7500円となっていました。笑えたのが武庫川廃線ウオークの参加費が4500円、えっ〜何で、そんだけいるの?荒地山から風吹き岩が6000円、どひゃ〜っ!何をどう教えてくれるのか一度参加してスパイしてみたい気もしますが、いやいや、勿体ない〜!(山ガール達がイケメンのスタツフについて、ワぁアぁ、キャーキャー言いながらの「初めての登山」代金なのでしょうか)

私が他の山岳会にも、入会したいと相談した時、師匠曰く「山岳会で教える全ての事はわが倶楽部で教えている。いいやそれ以上の事を教えている。今更、何故入会する必要があるのか」なあ〜るほど。覚えの悪いのは私側に問題があるはず。身近に技術的に優れた師匠がいながら、その技術を習得できないのは私にセンスがないのかも知れません。どうしても苦手なのは明日の講習のレシピでもある「地図読み」なのです。トホホ

昔、会社勤めした時に、お客様が西九条駅から電話をして来られて、「御社に行くにはどのようにして行けばいいのか?」と聞かれる事が度々ありました。教えたものの到着までが心配で玄関前まで迎えに出たことが何度ありました。私が教えた客はいつも迷いながら到着するという噂がながれ「道はみっちゃんに聞くな」が笑い話になっていたことがありました。まだその頃は若くてピチピチギャルで少々の失敗は笑って許されていましたが、どうも今でも、苦手の様です。


[2337] 【2413回】 2010-12-18 (Sat)

「高っ〜」

「冬春イベントのご案内」というパンフレツトがMベルから送付されてきました。会員登録をされていたら、きっと皆様のご自宅にも送られていると思います。スノーシュー、テレマークスキー、クライミング、サイクリング、トレッキング、海外ツアーと種別されていました。とりわけ興味のあるスノーシューやクライミングは、どのコースがお勧めなのか丁寧に読むことにしました。

●スノーシュー
北海道、関東、北陸・中部は、かなり遠いので近畿・中国地方を見てみました。
マキノ高原6500円、赤坂山10000円、載ってる〜載ってる〜。鳥取大山13000円、美山町9800円、美方高原24800円、峰山高原6500円などのコースが紹介されていました。
それにしても参加費が高っ〜!

●クライミング
こちらも関東、高知などの岩場もあり近畿では兵庫の烏帽子岩8000円、不動岩8000円、こちらも高っ〜!

●トレッキング
京都一周トレイルや大阪ダイヤモンドトレイルなどもあり、いずれも参加費5500円から7500円となっていました。笑えたのが武庫川廃線ウオークの参加費が4500円、えっ〜何で、そんだけいるの?荒地山から風吹き岩が6000円、どひゃ〜っ!何をどう教えてくれるのか一度参加してスパイしてみたい気もしますが、いやいや、勿体ない〜!(山ガール達がイケメンのスタツフについて、ワぁアぁ、キャーキャー言いながらの「初めての登山」代金なのでしょうか)

私が他の山岳会にも、入会したいと相談した時、師匠曰く「山岳会で教える全ての事はわが倶楽部で教えている。いいやそれ以上の事を教えている。今更、何故入会する必要があるのか」なあ〜るほど。覚えの悪いのは私側に問題があるはず。身近に技術的に優れた師匠がいながら、その技術を習得できないのは私にセンスがないのかも知れません。どうしても苦手なのは明日の講習のレシピでもある「地図読み」なのです。トホホ

昔、会社勤めした時に、お客様が西九条駅から電話をして来られて、「御社に行くにはどのようにして行けばいいのか?」と聞かれる事が度々ありました。教えたものの到着までが心配で玄関前まで迎えに出たことが何度ありました。私が教えた客はいつも迷いながら到着するという噂がながれ「道はみっちゃんに聞くな」が笑い話になっていたことがありました。まだその頃は若くてピチピチギャルで少々の失敗は笑って許されていましたが
、どうも今でも、苦手の様です。


[2336] 【2412回 パワフルおばさん】 2010-12-17 (Fri)

17日の朝の気温は3度、昨日と違い、風がないのが救いです。でも寒いです!前日、芦屋地獄谷ホワイトフェイスに久しぶりのロッククライミングに行きましたが、今日だと太陽の当たる部分はポカポカ陽気みたいです。

昨夜、登攀道具の整理をしていたら、テープシュリンゲが2本足りないことに気が付きました。師匠が持って帰ってくれているかと思ったりもしましたが午後9時は既に夢の中の習慣ありと聞いていたため確認の電話をせずに、どこで使ったかを思い出すことにしました。そう言えばビレイをする時に木に巻き、自己ビレイロープとして使ったことを思い出しました。

「1本2500円として、2本で5000円かぁ〜!勿体ないし、それに忘れた場所がわかっているなら取りにいくべし」と自分に言い聞かせました。忘れ物は自己責任ゆえに、一人で行こう。そう決めました。

「そや!オープンカーで行こう!」(車は点検のため自動車会社へ)午前9時には2号線上を走っていました。外気温3度は、オープンカーには冷たすぎます。途中でバイクを停め、防寒対策として合羽を出して着ることにしました。知り合いに会ったとしても、サングラスしてヘルメットかぶったら、私であることに気が付きはすまい。と体裁格好よりも寒さ対策を重視しました。いつも車で通過するより、2倍の距離と時間を感じます。これやったら電車で来た方が良かったかな、車が戻るまで待ってたらよかったかなと思ったりもしましたが、時間が経てば、忘れ物が無くなる場合もあるためバイクで行くことにしたのです。

武庫川を越える頃には「え〜!まだ武庫川なの?」とため息が出るほどでした。見覚えのある芦屋の黒壁の家を発見し右折するとまもなく、阪急芦屋川駅です。10時をとっくに回っているため、待ち合わせの人はひとりもいません。リュックを背負ったロックガーデン行きの人も一人もいません。そのかわり、滝までの散歩を終えた人たちが下り始めていました。

「ひとりでいっては行けない」と言う倶楽部の掟を、ほんの少し破って地獄谷に入るのですから怪我をしない様に、ほぼ四つん這い状態で谷を登っていきました。最初の滝を見つけましたのでここを目印に道なきザレ場を駆け上っていくと、昨日のゲレンデに到着しました。

「ないっ!」一瞬、そう思いましたが草と、石と土に一体化しており気づきにくく「せっかく来たのに〜」と独り言を言いながら、昨日使った場所を丁寧に見渡してみました。「あった、あった」思わず証拠写真を撮り、肩にかけて折り返しました。本当は地獄谷を登り風吹き岩まで行きたかったのですが、2月のコンクール前に脱臼したら、洒落にならないどころか、笑い者になってしまいます。慎重に地獄谷を抜けました。お稲荷様に手を合わせ、再びバイクにまたがり此花方面へ。往路と違い温度も上がってきたため復路は苦にはなりませんでした。今回のことを教訓に忘れ物をしないように注意します。
  
(ブログに写真掲載)

教訓
●テープシュリンゲを新規購入する時は派手な色を選らぶ
●指差し声出し点検の容量で、その場を退出するときには登攀器具の忘れ物はないか声に出して確認する。
●出かける前に登攀器具の数を決めておき、終了時にチェックする。


[2335] 【2411回 久しぶりのロッククライミング】 2010-12-16 (Thu)

春の頃からいままで訳あって(もうバレてるよね。右肩の脱臼で〜す)クライミングを楽しむことができませんでした。過日、大きなイベントが無事終了した喜びを、ぜひ岩肌に触れて、登って、降りてみたいと、鉛色の空にもかかわらず午前8時に芦屋ホワイトフェイスのゲレンデへと出かけることになりました。

久しぶりに訪れる地獄谷は秋から冬への準備がすでに完了していました。地獄谷に流れる水はすべて乾き、水の無い谷を歩くこととなりました。しかし、ところどころに水たまりが残っていて、何とその中にメダカの様な小さな魚が何匹も泳いでいました。早く雨が降って水量が増えないと、乾涸らびて死んじゃうよ〜!

地獄谷入り口のゲートロックの崩壊は、訪れるたびに進み、景色がいつも変わっています。ホワイトフェイスは閑散としており「貸し切り状態」でした。枝が伸びて、ロープ操作の妨げになりそうです。太陽が照れば暖かくなるのですが、寒くてとてもジャンバーを脱げる状態ではありませんでした。ジャンバーの上にハーネスをつけ、師匠に「半年ぶりなので忘れているかもしれないのでおてやわらかに!」と牽制球を直球で投げておきました(笑)

「エイトだけはしっかり結べよ!命かかってるかなら!」そんな師匠の声が飛び、早く懸垂下降がしたいと言う思いで、胸はワクワクとしてきました。懸垂下降をするためには頂上まで登らねばなりません。(当たり前かっあ〜)しかし、しかしなのです。半年間、岩にとりついていないと身体機能が低下していて、なかなかうまく登攀できません。「まっ1本目は負けといたろか」そして2本、3本と回数を重ねていくうちに、少しづつ感を取り戻していきました。左肩も完全に治っているのかスムーズに登れるようになりました。

向かい側のロックガーデンからこちらに向かって「ヤッホーッ!ヤッホーッ!」と大きな声がしています。滅多に反応しない師匠が私をビレイしている最中、大きな声で「お〜い、お〜い」と応えていました。かなり珍しいことです。平日にもかかわらずロックガーデンには多くのハイカー達が訪れていました。

ホワイトフェイス頂上では、シングルのロープを繋ぎ合わせてダブルにする方法(忘れてなかったので怒られずに済みました)、撤収時の懸垂下降など、記憶の回路を呼び起こすことができました。頂上は想像を絶する風が吹き、「これ以上すると風邪を引く」と言うことになり、久しぶりのロッククライミングを終了することにしました。以前、寒さに震えた蓬莱峡の大屏風岩の頂上を思い出すほどの寒さでした。

岩場を掴む手はとても冷たくて、これからは、ポカポカと暖かい日を確認してから出かける必要がありそうです。しばらく冬眠していたクライミングへの心が、やっと今日目覚めたと思ったら、またなが〜い冬の訪れとなりそうです。

「次はアイゼンを履いて、雪山トレーニングをしよう!」ということになり本日のクライミングは怪我もなく無事終了しました。久しぶりに疲れましたが気分は爽快です(そうかい、そうかい)

(ブログに写真掲載)


[2334] 【2410回 年末は無事故で!】 2010-12-15 (Wed)

「飲酒運転はダメですよ」

忘年会シーズンとなり「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな」の標語が、耳にタコのできるほど聞いているとは思いますが、後を絶たないのが「飲酒運転」です。

体重60sの体内のアルコール滞留時間の目安はいったいどれくらいなのでしょうか。アルコールは抜けている様で、まだ抜けていません。

●日本酒3合またはビール(中)3本・・・・15時間
●日本酒1合またはビール(中)1本・・・・ 5時間

飲酒後に睡眠や風呂に入ったからといっても翌朝はまだ二日酔いの状態の可能性があるそうです。深酒をした翌朝は、運転を控えましょう。

夜中の2時に酔っぱらって帰ったご主人を、翌朝8時に車で出かける時には、まだ滞留時間の範囲のため、飲酒運転で出かけたことになります。この場合、奥様にも責任がありますよ。ビール1本で酔っぱらうことはないと思いますので15時間が経過していないときは「アンタ、今日は電車で行きなはれ!」と愛の一言をかけてあげて下さい。

昔、会社勤めの頃、深酒をしたと思われる社員が出勤してきました。本人は前夜の酒だから大きな顔をしていますがエレベーターの中で、酒の匂いがプンプンしていました。それに「おっ♪はっ♪よっ♪〜」と、やけに朗らかで間違いなく「二日酔い状態」でした。目は赤く充血し、私が「ウサギみたいやで」と注意すると「オレ♪ウサギみたいにかわいいてかっ?」あかん!完全にまだ酔っぱらっている〜。他の社員に見つかる前に「午前中休暇届け」を提出させ、寮で酔いを覚まさせたことがあります。車の運転だと完全に飲酒運転状態です。

若い時とは違い、加齢に伴い、アルコールの滞留時間が想像以上に長くなっていることを今一度ご確認して頂きたいと思います。車で出かけて、急遽忘年会に参加する場合は「車は置いて電車で帰る」または「代行運転を頼む」で事故のない家族に迷惑のかからない年末をお過ごし下さい。タクシー代金を支払ったとしても、飲酒運転で事故を起こすことを思うと安全で安心です。

「飲酒運転は絶対にしないで下さい」
「飲酒運転は絶対にさせない下さい」


[2333] 【2409回 オファあり】 2010-12-14 (Tue)

「地域での発表」

月曜日、此花署の朝礼にて、署長から表彰状と優勝旗の授与式があり出席しました。その後、署長室でコーヒーを頂き、私の相棒の婦警さんは「署長室でコーヒーなんて!は・じ・め・て」と喜んでいました。またこの署長が登山が趣味とのことで話しが弾み、ご自身が撮影されたと言う白馬岳からのパネルも見せて頂きました。白馬岳で救助ヘリを要請した話もしました。しかし署長と言う役職上、なかなか登山もままならぬらしいです。大会当日のビデオも頂きました。バスウオークでもあれば皆様にご披露致しますね(多分人数が集まらんけど・・・ネ)

安全教育技能コンクールは、此花地区代表なので、ひとりでも多くの此花区民の皆様に見ていただければと思っていた矢先、そのチャンスが、14日に実現。こんなに早くやってきたのです。

安全教育コンクールの一場面に「梅香山813メートル」のくだりがあります。43号線と交差する此花で一番大きな交差点での交通事故の説明のくだりは此花区民なら、更に関心を持って聞いてもらえると思っていました。2月の近畿大会までの間に、高齢者の交通事故防止に役立つならば、此花区内なら、いつでもどこでも披露したいと言う気持ちです。(そうすれば練習にもなるしね )

今日の会場は此花区春日出にある此花郵便局本局の会場で安全講習を受ける局員の皆様が相手です。郵便物の配達等でバイクに乗っていると高齢者の「あっ!あぶない!」と言う場面に、これまで何度も遭遇しているに違い有りません。高齢者の特徴「車はこないだろう」と言う心の油断を加害者にならないために、少しでもお役に立てたらと思います。
「車は来るかもしれない」と言う気持ちをご家族に話して頂ければ今日の集いは意義あるものに変わると思います。

みんな梅香山の場面では大爆笑をしてくださいました。やっぱり、地元ですね。元気をもらいました。


[2332] 【2408回 うれしい仲間!】 2010-12-13 (Mon)

拝啓 じゅんちゃん様

何度もメールしてお誘いするのも、しつこすぎると自粛していたら、何とうれしい、今日、じゅんちゃんの参加が目に入りました。

『高島トレイルに不参加で、少し肩身が狭いですが、一年の締めくくりに参加させていただきます。よろしくお願いします。 遅くなり申し訳ありません。』

何と謙虚なお言葉なんでしょうか。納山祭のスタート時に、ほんの少しの間時間を頂き、高島トレイルの記念品授与式をさせてもらいますが、その後は常念岳のスライドや地図の見方のスライドなんです。あとは「飲み食い会」となります。

高島トレイルもバスであれば参加してもらえたのですが、人数が集まらず、とうとう自家用車になり、申し訳ないのはこちらの方です。本当にごめんなさいね。

じゅんちゃんの歳まで(ごめん〜)山に登り続けられるのが私達の憧れなんですよ。「憧れの君」が来なくては寂しいじゃあありませんか。正ちゃんなんて1年間、顔を見たことがないけれど飲み会と聞きつけて駆けつけてくれます。肩身が狭いなんて言わないで下さい。楽しい酒盛りにしましょうね。

先斗町で芸者さんをあげてとは行きませんが、そこは私達でがまんしていただき(がまん出来るか〜って若干1名暴れそうですね)

阪急京都線烏丸駅西改札口で午前11時にお待ちしています。って言うか私達阪急電車との相性が悪く、乗り換えがうまく行かない時が多々あります。でも遅れないように行きますね。では、奥様によろしく。


[2331] 【2407回 ふたたび寒風から大谷山】 2010-12-12 (Sun)

高島トレイルを終えて「もう一度行ってみたいコース」としてあがった寒風から大谷山。スノーシューにも最適コースかと雪用のシールを貼りながら歩きました。

今日は晴天とは行きませんでしたが、朝は虹が出て、おまけに琵琶湖もよくみえて素晴らしい景色でした。「アイゼン」も用意して行こうと言うことになりリュックの中に8本爪アイゼンを入れましたが、あいにく使うことはありませんでした。

大谷山へ行く登山道には雪が積もり、サクサクと真っ白な雪を踏みながら山登りを楽しみました。時々鹿の足跡と糞が落ちていましたが出会う人影もなく、久々の「登山気分」を味わうことができました。(ほんま〜ひさびさや〜)

午後3時には下山をし、マキノ名物のメタセコイア並木を歩き「さらさ温泉駐車場」に戻りつきました。今日は渋滞にも遭わずスムーズに大阪まで帰ることができました。オリオン号に感謝です。勿論オリオンドライバーにも更に感謝!です

(ブログに薄化粧の寒風から大谷山風景を掲載しました)


[2330] 【2406回 またまた優勝しちゃいました】 2010-12-11 (Sat)

大阪府警の主催する「安全教育技能コンクール府下大会」で、またまた優勝しちゃいました。驚きです!。感激です!。

大阪府警64署の中から勝ち抜き此花署が優勝したのです。どうしましょう!正直そんな気持ちです。講評の中に「今までは此花代表であったが、次回の大会は大阪府警を代表しての出場になるので更に頑張って下さい」との言葉がありました。

優勝の陰には出場選手以外に沢山の方々の協力が、あったればこそだと思っています。シナリオを書いて下さった方、「どや?」とポケットに2本の缶コーヒーを入れては声をかけて下さったり、いつも練習風景をメモに取り、アドバイスをくれたり、忘れてはならないのが小道具作りを協力してくれたり多くの方達の応援があったればこその優勝でした。

審査を待つ間の警察音楽隊のミニコンサートにやっと緊張がほぐれはしたものの「もうあかん!優勝するはずがない3位で名前を呼ばれなかったらあきらめよう」と思っていました。そして「入賞だけがコンクールちゃう。ここにこうして出たことに意義があるんや」と自分に言い聞かせていました。しかし「ひょっとして・・・」と言う気持ちも隠せず息苦しい時間が過ぎていきました。

結果はどうであれ「ごくろうさん会」は、するよと出発前から言っていただいていました。万が一、入賞しなくて落ち込んでも「ごくろうさん会」なら傷付かないだろうと言う配慮だったと思います。

そして成績発表のときがやってきました。「ただいまから成績発表を行います。第3位寝屋川署、第2位東署」と言われたときには私達の首は重く下に垂れ下がっていました。「やっぱりあかんかったね」そんな合図を互いに送りながら、早くこの場から逃げたいと思っていた瞬間「優勝此花署」うっそ〜信じられない〜!!此花応援席を振り向くと、惜しみない拍手とともに指導に当たって下さった主任が泣いていました。私達もこみあげる涙と鼻水を拭きもせず、感動の表彰台の上に登りました。

表彰状の授与と優勝旗の授与が終わると「受賞者は、まわれ右をして観客の方を向いて一礼!」もうこのときは涙で人がいるのか、いないのか、わかりませんでした。カメラのフラッシュも心地よく、少し弱音を吐いた自分を消しゴムで消したい様な気持ちになりました。

63歳になろうとしている現在で、こんなに華やかな場面が来るなんて想像もしませんでした。「やったよ〜!すごいやろ〜」と素直に喜びたいと思いました。

優勝旗を授与し此花警察に戻ったら、すでに陽は落ちていて、玄関には「優勝おめでとう!」と二人の名前が書いてある大きな立て看板が目に入りました。やっと止まった涙が再び溢れ、更に署内に残っている署員の皆様が玄関両脇に総立ちして待っていて下さり、大きな拍手で迎えてくれました。こんな感激は北鎌尾根から槍ケ岳の祠の上に出た時以来でした。

署内で優勝旗の披露の後に、「ごくろうさん会」は「優勝祝賀会」に変更となり美味しいお酒で話しが盛り上がったことは言うまでもありません。千鳥橋を千鳥足で帰らないように、こんどはタクシーを利用して帰宅し、長かった感動の1日に幕が下りました。月曜日は朝礼で表彰状を受け取ります。

次は2011年2月10日の近畿大会に向けて、大阪府警代表として出場することとなりました。


[2329] 【2405回 山から木枯らし吹いてきた】 2010-12-10 (Fri)

強風の9日、ジャスコ前に駐輪していた自転車がバッタバッタと将棋倒しで倒れていました。この強風の中、ママチャリの後ろに小さな子供が乗ったまま!。

「危ない!」すぐさまバイクを停め、ママチャリの子供を降ろし、保護者が戻るのを待ちました。母親らしき人物が店から出てきて、自転車から降りている我が子を、けげんそうに見ながら近づいてきました。「いらんことしてくれてからに〜!」と言わんばかりの顔つきでした。「風が強いし、子供さんを自転車に残したまま買い物に行くと危ないですよ」と言うと「わかってます!」と言われました。まぁ常識のある母親は自転車に子供を残して買い物には行かんわなぁ!開いた口が開いたまんま、舞い落ちてきた落ち葉が口の中にはいりそうでした(笑)

9日は金剛山では、うっすらと雪化粧をしたそうです。とうとう冬がやってきましたね。8合目の金剛山ロープウエイ金剛山駅では氷点下1度、積雪1aを記録したんですって。12日の寒風は寒い風が吹くかもしれませんね。防寒対策しっかりとして行きましょうね。

バイクに乗ってて、初めて手が冷たいと感じ、あわててバイク用の手袋の用意をしました。暖房も今まではコタツだけで充分でしたが今日はエアコンのフィルターを掃除し、いつでも使えるように、冬支度をしました。

これが本当の例年の寒さなのでしょうが、ポカポカと暖かかったので師走であることも忘れかけてしまうほどでした。大掃除もしなくっちゃあ、正月の準備もしなくっちゃあと気があせります。

みなさまも、どうぞお風邪など引かれませぬようにしてくださいね。車に乗るときはこれからは「年末取り締まり強化」に突入しました。お酒を飲む日は電車でお出かけ下さい。当たり前のことですが、まだまだ飲酒運転事故は減りません。

「飲んだら乗るな!乗るなら飲むなですよ!」






[2328] 【2404回 エビゾー】 2010-12-09 (Thu)

テレビの、どのチャンネルを回しても「エビゾー」の事が報道されている今日この頃、92分間の記者会見のセリフを全部、頭の中で暗記し、頭の下げ方から、謝罪の言い回しまで見る者にお芝居を見ているように「ふ〜ん、そうだったのか」と、変に納得させられる部分もありましたが、やっぱり役者さんですものね。それも、歌舞伎役者だもん。観客の心をつかむ言い回しは本職だもんね。ほんまはどうなんやろ?

わずか10分の芝居のセリフに、あたふたとしている自分が、少し滑稽にさえ見えてきました。「そこは感情を込めて」「ちがう、ちがう」と言われて「そんなら自分で演じて見せてよ!」と言いたいところをグッと我慢して日々練習を重ねています。時間に制限があると言うことがこんなにストレスになるんですね。

結婚式で仲人さんが、挨拶に50分間かかった事があるそうです。その方が法事に参列して、またまたま挨拶が永すぎて困ったと言う話がありました。公式の挨拶は所定の時間がきたらコンクール会場みたいに「チーン」と鳴らせられるといいですね。(でも、こんな人はチーンが鳴っても喋り続けるよ、きっと)

ひとつ嘘をつくと、また嘘で塗り固めなければならなくなります。「酔っていたので記憶がございません」と何度も繰り返していましたが「殴ってはいません、灰皿に酒を入れたりはしていません」と自分の弁護する部分は、ちゃ〜んと覚えてるって、そんな都合のよい酔っぱらいいるのかしら?

とにかく立会人を混じえて、両者で当日の再現をするしか解決方法はありませんよね。


[2327] 【2403回 いよいよ大掃除シーズン】 2010-12-08 (Wed)

近所で網戸と障子をはずし洗っている家がありました。ああもうそんなシーズンなんだなと、押し迫る年の瀬を感じずにはおれません。会社のご用納めではブラインドを外し道路で洗う社員、車を洗車する社員、それでも仕事をする空気を読めない社員、机の上に山積みにされた書類も、結局は紐掛けして倉庫にお蔵入りの社員などの年末の風物詩も懐かしいです。最近では「洗車はガソリンスタンドで、ブラインドは暖かくなってから」と変化しつつあるように感じます。

大掃除の6つのラクラクアイテム
@ 雑巾
A 歯ブラシ
B 酢(米酢)
C アクリル毛糸
D 重曹
E 石鹸
この6つのアイテムがあれば部屋中がピッカピカとなるそうです。お試しあ〜れ!

●水道蛇口のカラン
カランのくもりは、お酢とアクリルの毛糸タワシを使ってこすってください。

●風呂床の黒ずみ
重曹をふりかけてアクリル毛糸タワシで擦って下さい。

●網戸の掃除
雑巾と水で薄めた重曹を使い、小さく切った雑巾でなぞるだけできれいになります。但し拭くときは一方通行で。隅々は綿棒も便利です。

●キッチンのギドギド汚れ
お風呂で小さくなった石鹸をカッターでけずり、60℃のお湯で溶かし、上澄みを使います。

五徳は石鹸水と重曹を混ぜて、スーパーの袋に水を入れ30分間、漬け置きしてからこすって下さい。

●キッチンの水周り
アクリル毛糸タワシと酢水を使います。排水溝は重曹と酢水を流し、しばらくフタをしておきます。しばらくして熱湯を回し入れ、その後水をタップリ流して下さい。

●トイレ
歯ブラシと薄めた酢を使います。特にウオシュレットの伸縮ホースは、トイレットペーパーを巻き付けその上に酢水を掛けて洗って下さい。

汚れが落ちれば気分も爽快となります(そうかい!そうかい!言うてる間があったら手を動かし〜!)


[2326] 【2402回 愉快な酒盛り】 2010-12-07 (Tue)

コンク-ルの祝賀会があり、みんなで当日のこと等、振り返りながら、愉快な酒盛りでした。話が弾むにつれ、口元に運ぶ酒もふえて、グルグル、クラクラ。あらーーーーー
円ひろしの歌ではありませんが「まわってまわって〜飛んで飛んで〜」状態でした。…そこまで飲むなー

西九条から「千鳥橋」を千鳥足でフラフラ歩いていると何やらピカピカと輝く光につられ「森巣橋」まで来ちゃいました。
ピカピカと輝いていたのは工事現場に作られた大きなクリスマスツリ-でした。酔いが回っていたので二重三重に見え、より美しく感じました。

これを作った工事現場のおじさん達ありがとう。

公園で酔いをさましながら家に辿りつきました。
襲われなくって良かった。…誰が襲うかーあほー!


[2325] 【2401回 最後の紅葉楽しみました】 2010-12-05 (Sun)

おそらく今年最後の紅葉・・・但し箕面の滝周辺は2〜3日前の強風で全部散っていました。滝よりさらに奥に行くと「有りましたよ!残っていましたよ!」美しい紅葉を堪能しました。

12月5日の例会「2010最終トレッキング・箕面の森散策」はポカポカ陽気に恵まれて最高の紅葉狩りができました。テレビで12月初旬まで滝周辺は紅葉が楽しめると報道していましたが、思いがけない突風でみごとな禿げ山となっていました。滝に通じる道は関係者が、落ち葉を掃き集め箕面川に流していました。

人影もまばらかと思いきや「紅葉がまだ残っているかも知れない」と期待をする人たちが大勢、滝に向かって登っていました。

これで最後ね。もう良いよね。そんな満足感いっぱいの例会でした。何故ならば私達は美しい「残り紅葉」を堪能できたんですもの。

桜公園付近では、箕面名物のお猿の群れにも出会うことができました。「お猿の篭屋でほいさっさ」みたいに楽々コースではありませんでしたが「箕面のお山をなめんなよ!」と言わんばかりのお猿たちの「キイ〜キイ〜キイ!」の大合唱も聞けて、心晴れ晴れの箕面ウオークでした。

詳しくは後日アップのレポートをご覧下さい。


[2324] 【2400回 優勝しましたっ!】 2010-12-04 (Sat)

11月10日から土・日・祝日を除く毎日、ある時は午前中であったり、ある時は午後であったりと毎日練習に励みました。「一体何を練習したのか」と言うと、婦警さんと地域の推進委員とがコンビを組み、高齢者の交通事故防止をテーマとする「交通安全教育技能コンクール」と言うイベントに出場するための練習です。

シナリオは8ページに及び、セリフあり、仕草ありで審査員や他部署の方達の前で、他の警察署と競い合うのです。去年は審査の仕組み等も知らず、「ナスがママでキューリがパパ」モードで気楽にやっていましたが、今年は2年目とあって周囲の気合いも違います。毎日、交通課のトップの指導のもとに、ああでもない、こうでもないと練習に励み続けました。大根を持ったまま立っていれば、まさに「大根役者」です。

練習から2週間過ぎた11月26日と12月1日には此花署朝礼の後に、お披露目となりました。私は署員の顔も、ほとんど知らないのでいつも通りの練習モードですが相棒の婦警さんの緊張の度合いは凄かったです。署長、副署長はじめ幹部がズラリと並ぶ前での演技ですから緊張も理解できます。

そして12月3日、本番の日がとうとうやってきました。場所は大阪城のよく見渡せる府警本部の9階。出場順番は2番目です。(第1方面区13署)去年は休憩をはさんでの出番でしたので、苦痛を伴う長い時間が過ぎましたが、今回は早い出番の抽選を引き当てました。舞台道具一式をかかえて舞台の上にあがりました。審査時間は10分間です。準備に3分、演技10分を越えると減点、勿論9分30秒以内でも減点。9分30秒から10分の間に、高齢者の交通事故防止を訴えなければなりません。9分58秒と言う、きわどいところで演技終了。13署が終わり成績発表となりました。

「3位曾根崎署、2位東署、優勝此花署!」その瞬間、コンビを組んだ婦警さんと「信じられないっ!」と耳を疑いました。ほんとに優勝したんです。此花署に戻り付いたのは、日もくれた午後6時を回っていました。署内に残る方達の温かい拍手で迎えられ、思わず感動の涙でうるみました。会社を退職して、しばらく緊張も感動も忘れかけていましたので後輩を指導する先輩婦警さんの情熱や、演じる婦警さんの喜びはここに表現することができません。

終わった〜!終わったよ〜!「優勝!」もうこれで来年は出場しなくて済みます。(優勝した警察官と推進委員は、次回から出場できなくなるシステムです)来年は他の推進委員の方が私の味わった胃痛を伴う、慣れない演技に挑戦です。来年は「ガンバレっ!」って声援する側に回ることが出来ます。バスの中や、宴会の席で愉快に喋ったり、歌ったりと違い、ほんま大変でした。応援をして頂いた方々に心よりお礼申し上げたいと思います

しかし喜ぶのはまだ早い!のです。12月10日には府下大会が待っているのです。また月曜日から特訓が始まります。また1週間、胃痛を伴う緊張の連続が続きます。(ブログに共演者掲載)


[2323] 【2399回 いよいよ今日なのです】 2010-12-03 (Fri)

「何がいよいよやねん!」そう言われそうですが、今の段階で結果が出ていないのでここに書くことができません。まあ「お受験」みたいなもんやと想像して下さい。

「ほんなら書くなやっ!」
「アホッ!ここに書いたら応援してくれる人がいるかも知れんやろ?」
「他力本願でどうするねん。大丈夫やって!」

まるで手の平に【の】の字を書いて飲み込むんと同じ気持ちです。
私だけではありません、コンビを組む婦警さんとの意気ぴったりでないといけないのです。婦警さんの2歳の子供さん、風邪で熱出しているんやて、かわいそうに・・・ママ頑張ってるからね!

11月10日から始まった、特訓につぐ特訓の成果を演じる日がやってきました。私達の練習にいつも監督として付き添って下さった方々、道具作りに休み返上で手伝って下さった方々、また「どやっ?」と言いながら練習風景を見に来て下さった方のジャンバーのポケットには温かい缶コーヒーの差し入れが、いつも入っていました。

そんな皆様のご期待に添えるよう本日は全てを出し切ってきます。詳しくは明日の「優勝しましたっ!」あるいは「2位でしたっ!」のご報告を待ってて下さい。入賞しなかった時はソッと別の話題を・・・・そんなことにならない様に、「行ってきます!」


[2322] 【2398回 カレンダー】 2010-12-02 (Thu)

12月に入ったばかりだと言うのに、自宅近くのスーパーの入り口には「鏡餅、昆布」などの正月用品のコーナーがドーンと大きくスペースを取っているのに驚きました。今までは気にもせず餅などを購入していましたが「切り餅特許騒動」の後だけに手に取り、まじまじと特許の切り口を眺めて「な〜るほど」その横にはクリスマス用品も負けずとズラリ。
  せからしいぃ〜!

翌年の卓上カレンダーは既に購入して、家族の誕生日や息子達の結婚記念日、親の祥月命日などを記入して忘れないようにしています。大きなカレンダーも欲しいのですが退職してしまうと、なかなか入手できません。本屋に行けば売っている様なので予定のギッシリ書き込める、できれば2ケ月対応の文字だけのカレンダーを探すつもりです。

会社関係のカレンダーも不況が影響してか、頂く本数が減ったそうです。会社で、もらうカレンダーは大きなダンボール箱に総務でまとめて預かり、事前の選り好みを御法度とし、年末に職場代表を一同に呼び、職場に掛ける本数と自宅用を自由に選んでもらいました。それでも余る時は「ご自由にお持ち帰り下さい」と書いて業者の方達にもわけたものでした。

景色を描いた物、格言などを書いた物、いろいろ工夫して作成しておられ苦労が伺えます。欲しい側もさまざまで景色付きが好きな者、文字だけが欲しい者と、バランス良くうまくさばけていたものです。私は「文字のみ」で予定が書き込める物が好きです。

いまでも業者の方が自宅に送ってくださる方がいて、重宝に使わせていただいています。


[2321] 【2397回 雪崩ビーコン】 2010-12-01 (Wed)

11月30日午前8時55分頃、富山県立山町の北アルプスの室堂平にある通称・雪の大谷(標高約2400メートル)南側の国見岳斜面で、スノーボードとスキーで訪れていた男性6人が雪崩に巻き込まれたと、グループの男性から、立山町消防署に119番があったそうです。

立山黒部アルペンルート・大谷付近で起きた雪崩は、巻き込まれた6人のうち5人が死傷する大事故となりました。古い雪の上に積もった新雪が崩れる「表層雪崩」が起きたとみられ、県警山岳警備隊は「雪が積もっていれば、どこでも雪崩が起きるリスクはある」と注意を促しています。雪崩に巻き込まれた6人は友人同士で、5人は会社の同僚。スキーとスノーボードを楽しむため室堂ターミナルの南西約500メートルの斜面を登る途中、雪崩に遭ったそうです。携帯電話で119番したのは31歳の男性。38歳28歳が雪からはい出たそうです。けがのなかった男性は「上が明るかったので自力ではい出た」と話し、その後、雪から体が半分出ていた男性を助け出したという。

しかし、通報時にはまだ3人が雪に埋もれていた。いち早く救助に駆けつけたのが、ターミナルで雪崩を目撃した立山黒部観光の職員の方達だそうです。協力して3人のうち2人を救出。午前9時50分に県警山岳警備隊が到着した時、既に約15人が現場にいたという。県警も「適切な対応をしてもらった。ありがたい」と感謝する。

6人は全員、体に巻き付けて使う「雪崩ビーコン」を持参していた。安価なものでも1台2万〜3万円するが、遭難現場では雪中から発信される周波数を他のビーコンで検知し、捜索する。亡くなった32歳の男性も、山岳警備隊がビーコンで居場所を特定し、救出した。現場の雪の状態は「新雪が降り積もってすぐの晴れ間だったため、雪面は不安定で危険な日だった。滑るのには気持ちがいいが、注意が必要だ」と話す。

●ビーコン
ビーコンとは雪崩で埋没した人を探し出す無線機のことです。ビーコンは埋没した人と探し出す人の双方がもっていなければなりません。ビーコンには電波送信モードと電波受信モードがあります。雪山に入る際は、パーティ全員が電波送信モードにします。そしてパーティの誰かが雪崩にあってしまったとすると、残りの人はビーコンを電波受信モードとして埋没した人の持つビーコンから発信される電波を受信し、埋没者を探しあてます。

つまりビーコンは雪崩にあって初めて使う道具であって、使わない(雪崩にあわない)ようにするにすることが重要です。かといって、ただ持っているだけで、雪崩にあって初めて使うのではいけません。雪崩が発生し、埋没してしまった場合、一般に15分以内に掘り出さないと、生存の可能性が大幅に薄れてしまうといわれています。

雪崩発生後、ビーコンを準備し、雪で足場の悪い中埋没者の位置をプローブで特定し、スコップで掘り出す。これを15分以内で行うというのは、練習をしていなければ到底無理です。ビーコンから発信される電波は周波数457kHzと世界的に統一されています。ですからパーティのみんなが同じメーカーの同じ機種でなければならないということはないそうです。

ビーコンからの電波はまっすぐの発信ではなく、楕円状に発信されます。ですから、電波の強い方向を頼りに埋没者を探すと最短距離でまっすぐいきつくのではなく、ぐるっと回って行き着きます。ビーコンからの電波を受信できる範囲は50m〜100mぐらいです。それより遠くまで流されている場合は、捉えることができないそうです。

また、電波は約1秒間隔で発信されているので、ビーコンを早く振り回しても、うまく電波を捉えることができません。このような電波の癖を頭にいれた上で練習を重ね、ビーコンの扱いに慣れておくことが、早く埋没者を探すのに非常に重要だそうです。

私のレベルでは雪山の技術は無いと言うことで春を待たねばなりません。(但しスノーシューは別ですよ〜。行くで〜!)


[2320] 【2396回 年末年始のイベント】 2010-11-30 (Tue)

「クリスマスパーティをしよう」と言うと決まって「俺はクリスチャンではない日本人だ」が口癖だった義兄の一刀水、今年もそのクリスマスシーズンがやってきました。不景気だと言うにもかかわらず、街はいつもと変わらない風景だし、デパートのおせちの予約が(5万円相当)ほぼ受付完了するところもあるといいます。私の子供時代はクリスマスなんて騒がなかったし、勿論プレゼントなどの習慣もありませんでした。かと言って、自分が子育て時代はサンタさんの話をし、こっそりと枕元にプレゼントを置き、子供達の喜ぶ顔がとても楽しみだったものです。その息子達も、もう40歳と36歳。

プレゼントの伝統は何故か孫達に引き継がれ、サンタさんがやってくるのを心待ちしています。去年までは「姫サンタ」でごまかしていましたが、来年小学校に入学しようかと言う子に見破られては、夢がぶち壊れると思い今年は、姫婆の家にも寝ている間に、サンタがくるかも知れないから欲しい物があれば葉書に書いて送ってねと往復葉書を投函しておきました。さてさて何がお望みかな?それよりも希望の品が探せるかどうかも問題で〜す。

「おせち」も、正月2日からスーパーが開くのなら、何も買いだめしなくても平常通りに生活をすればいいものを、ついつい、正月用の買い物に走ってしまいます。私は母から『おせちの重箱は正月3ケ日、台所に立たなくても、いつでも食事が出来るようお母さん達に楽をしてもらうためにある。正月の3日間に金を使うと1年中、金が出て行くことになる』と聞きました。なるほど3ケ日はお重箱を、つっついてお母さんは楽ができるんやと思いきや、お客さんが来るたびにお酒の澗をするために、台所に立つ母の姿がありました。(正月は女の地獄やで〜!)

また頭の痛いのは、お年玉。正月にはどこの家にも年始の挨拶に行きたくない気持ちの独身方達の気持ち、よ〜くわかりますよ!そのお年玉の相場って気になりますよね。

幼児には本と服、小学生3000円、中学生5000円、高校生1万円が我が家の相場です。ではお年玉の卒業はいつなのでしょうか?世間では
・高校卒業・・・28%
・20歳・・・・・15%
・大学卒業・・・57% らしいですが、自分の子供達が貰っていた時期までは「お返し」の気持ちで、大学卒業までは「応援支援金」ってことだと思っています。

お年玉で気をつけている事

●「親が見ている前で渡す」
●「ポチ袋に名前を書く」
・ポチ袋に名前の他にひとこと添える。
・自分の名前、相手の名前を書く。
●「お礼を言わせる」
・もらったら「ありがとうごさいます」と言わせる
・もらったその場で開封させない

クリスマスもお年玉も子供達にとっては大イベントです。もらう方も、あげる方も気持ち良くできたらいいですね。


[2319] 【2395回 レシートの大切さ】 2010-11-29 (Mon)

毎日のスーパーの買い物のレシートはみなさんどうされていますか?

私は家計簿もつけたことが無く、もらったレシートは店内のゴミ箱に捨てて帰ってくるのが常の行動なんですが昨日は何故かポケットに入れて持ち帰っていました。これは無意識の行動です。

料理にとりかかり、サラダに入れるハムが無いのに気が付きました。たしかに買ったはずなんです。「そやっ!今日はレシートがあるはず」とポケットの中を調べると、確かに日本ハム398円と記録してあります。「398円かぁ。これを賃金に換えるとどのくらい働くんやろ?」と考えながら、とりあえずスーパーに電話をすることにしました。

「タダイマデンワガ、コミアッテイマス。オカケナオシクダサイ」なんとふざけた事を!一般消費者相手のスーパーが電話が混み合っているってどういう状況なんや〜と思いつつ、再びスーパーへ足を運びました。

これこれしかじかでと説明をすると「お預かりしています。レシートをご提示下さい」とのことでした。多分、マイバックに入れるときに、台の上に置き忘れたのだと思っています。398円分、レシートをゴミ箱に捨てていたら戻ってこない品物でした。

洋服などを購入するときはサイズが合わなくて、後日交換という場合もあるのでレシートは家まで持ち帰りますが日常の買い物では、ほとんど持ち帰る習慣がありませんでした。今回のことを教訓に「レシートは家まで持ち帰る」習慣を身につけたいと思います。


[2318] 【2394回 六甲全山縦走】 2010-11-28 (Sun)

トラ吉衛門さんが六甲全山縦走を1日で成し遂げる(おめでとうございます!)という快挙をされたことから自分たちの六甲全山縦走足跡をたどってみることにしました。

「歩くスポーツの祭典」と銘打ち、53qの道のりを1日で歩くと言う六甲全山縦走大会は毎年11月の第2日曜と11月23日に行われています。午前5時にスタートの火蓋は切られ午後10時40分に幕が降ろされます。(トラ吉衛門さんは10時38分。このリミット2分は凄い!)それ以後の到着は選外という結果となります。しかし最後まで歩き通すと言うことが目的であれば午後10時40分を過ぎても到着を待ち、心からの拍手を送りたい、そんな気持ちにさせられます。

私達の「六甲全山縦走の記録」
その@ 2006.10月 塩 屋〜妙法寺10.2q22名
そのA 2007.03月 妙法寺〜新神戸14.3q16名
そのB 2007.04月 新神戸〜記念碑 9.3q16名
そのC 2007.05月 記念碑〜宝塚 19.2q18名

私も四万十川ウオーク42.195qにチャレンジし、中村市長(現在の四万十市長)の「中村の美しい風景をユックリ楽しみ満喫して下さい」の言葉通り、ビデオやカメラ、時にはイタドリまで採りながら昼食場所まで余裕で到着しました。しかし午後からは、だんだん通過する歩行者の姿が見られなくなり不思議に思っていましたら「時間切れ」で回収車に回収されて後ろには誰もいなくなってしまったのです。

「急ごう!」そんな号令をかけたのはゴールに近い赤い具同橋のたもとでした。「棄権されますか?」広報車からマイクを通じて私達に呼びかけています。「大丈夫です。少し遊び過ぎただけですから」そう言いつつゴール会場に着いたときは「時、既に遅し」で大会本部のテントを撤収しているところでした。歩き切ったことの喜びの方が大きくて、間に合わなかったことの悔いはありませんでした。しかし「表彰状はお渡ししますから取りに来て下さい」と受付の方の言葉でしたが「いいえ、時間内にゴールしていませんので結構です」とご辞退申し上げトイレに駆け込み戻って見るとポチが何と表彰状をもらっているではありませんか!「何で貰うの?そんなにズルしてまで貰う値打ちは無い!」と憤慨したことを思い出しました。

四万十ウオークにはフォトコンテストもあり、我々の写した写真が入賞したと後日連絡があり、賞金の2万円を受け取りに中村まで帰ると費用もかかることから恩師に代理出席を頼みました。「いつも表彰状を渡す側じゃけん、貰う側になると照れてしもうた〜」そんな恩師から届いた2万円でスノーシューバック3個を買った思い出があります。そのフォト写真は翌年のパンフレットの表紙を飾っていました。懐かしい思い出です。


[2317] 【2393回 まもなく師走】 2010-11-27 (Sat)

まもなく12月、外はポカポカと11月下旬とは思えないほどの暖かさです。落ち葉が風に舞う姿は美しいと思ってみてもアルファルトの上の吹き溜まりに落ち葉がゴミと化しているのを見ると、朽木の山の中で舞い落ち、腐葉土として役立つ落ち葉の幸せなこと・・・とつい感傷的になりました。(似合わないよね)

今年の後半は高島トレイルで始まり、高島トレイルで終わった様な気がします。電車の利用が不可能なことから、車での山行となり参加者も固定してしまいました。雪の赤坂山スノーシュー、夏沢鉱泉と根石岳スノーシュー、樹氷の金剛山も楽しみました。春は列車脱線事故メモリアルウオークにも、みなさんにご無理を頼んで協力してもらいました。春のつつじのマウンテン中山、近場の能勢もこんなに素敵なコースがあるとは知りませんでした。秋には錦秋の常念岳登山、世界遺産の屋久島も訪れました。プライベートでは東北の山めぐりも忘れられない思い出となりました。

大きな病気や怪我もなく(?)、つつがなく(あ〜東北で噛まれたツツガ虫思い出した〜)1年が幕を降ろそうとしています。自分の好きなことが出来る幸せを、ひしひしと噛みしめています。配偶者が病気で寝込んでいても、家族に病人がいても、思い通りの山行はできないと思います。ましてや自分自身が足腰が自由に動かないと「行きたい」という気持ちが失せてしまいます。2009年10月、登山中に右腕の脱臼という怪我をして、また2010年6月にも左腕脱臼というアクシデントに見舞われました「脱臼はクセになるからね」そう慰めてはくれますが同じ腕ではないのです。(笑)これも加齢による身体能力の低下もあるし、慣れによる注意力散漫も原因だと教訓として受け止めています。

古い記録写真を眺めていると「みんな若い!」それに経験を積むたびに装備が「山男、山女」らしくなっていっています。懐かしくて全部読み返してしまいました。


[2316] 【2392回 知ってた〜?こんな名の職業】 2010-11-25 (Thu)

「葬祭ディレクター」

職業にも色々ありますが「葬祭ディレクター」というのがあるそうです。1級、2級と資格制度もあるそうですが私は初耳です。

いままで葬式屋は通夜の手配や、お坊様の手配、告別式進行係、火葬場への手配などのをしていましたが、これが資格制度を敷き、呼び名も、これらの仕事を総称して「葬祭ディレクター」と言うのだそうです。四貫島にある葬式屋さんも資格を取れば葬祭ディレクターなのか?と少々笑いました(ごめん)

☆近年の葬式であった珍事な出来事とは

●出棺前に「やめて〜!」と出棺を嫌がり家族が泣きつく
●香典が集まった頃、借金取りが来る
●通夜の席に愛人が来て本妻が「この泥棒猫!」とののしる
●故人の集合写真から遺影を引き延ばしたら隣の写真の人を引き延ばした
●火葬場が漏電が原因で火事になった

☆この頃の葬祭演出の人気ランキング
 第3位 メモリアルDVDを流す
 第2位 故人の思い入れのある曲を流す
 第1位 死化粧をする(映画おくりびとの影響とか)

☆葬祭ディレクターの職業病
 第5位 電話の音に敏感になる
 第4位 人が死んでも悲しめない
 第3位 お寺や神社の前を通ると一礼する
 第2位 家族を遺族、祝電を弔電と言う
 第1位 土・日よりも友引が気になる

しかし、この頃では故人の遺志で香典辞退(日本には香典返しという、ややこしい複雑なしきたりがあり、このわずらわしさから逃れるために故人の遺志というより家族の意志で辞退している様子がある)。この点では田舎の方が進化しているかもしれません。香典返しは一切なし!なのです。

家族葬も最近では、よく耳にするようになってきました。ひっそりと身内だけで葬儀を済ませ、その後、故人を知る人へ葉書で知らせるシンプルで形式にとらわれず家族にも負担のかからない形が好まれるようになってきた様ですね。

これは余談ですが1年足らずで離婚をした高倉健さんは江利チエミさんの祥月命日には毎年、お供えのお線香を送っているそうです。


[2315] 【2391回 柿 】 2010-11-24 (Wed)

秋の味覚には、栗、イチジク、柿などがありますが私は柿が大好きで、幼い頃の思い出も沢山あります。自宅には、こましな池があり、その上を覆う様に柿の枝が伸びていました。父親が接ぎ木をするものですから枝によって渋かったりゴマの入った甘柿であったりしました。熟したと思われる柿を木からもぎ取るのではなく、爪で少し傷をつけて甘いか渋いか見極めてから食べました。渋柿は傷付いたまま木に残しておくとそこから腐りはじめてすぐにバレてしまいます。小さな山柿には持ち主がなく、動物とそばを通る人間との取り合いとなります。山柿はすべて渋柿で、家に持ち帰り皮を剥き、吊し柿にしてもらうのです。もう1本、家の坂道に背丈の高い甘い柿の木がありました。木の上の方はほとんどカラスのエサになってしまうのですが母親が竹の先にエビタマを取り付けて、真っ赤に熟した手の平に乗せると崩れてしまいそうな「熟し柿」を美味しそうに食べていました。「お前も食べるか?」と必ず聞いてくれましたがズルズルとすする音が何故か鼻水の様で気持ち悪く「いらん」と答えていました。母親との思い出は薄く消え失せそうですが、柿を美味しそうに食べる顔は今でも思い浮かべることができます。

「柿が赤くなると、医者が青くなる」と、昔のことわざにあるように秋になって、色づいた栄養のある柿を食べるようになると、病人がたちまち少なくなってしまうから、医者は大変困ったという意味です。英語でもKaKi≠ニいう言葉は、"神から与えられた食べ物"という意味が有るほどです。

柿には(富有)や(次郎)のように種がなくても甘い「完全甘柿」と、(禅寺丸)や(筆柿)のように種が有ればその周りはゴマが入って甘くなりますが、種がない部分は渋い「不完全甘柿」、種が有ってもなくても渋い「完全渋柿」が有りますが、本来はすべての柿が渋のもとであるタンニンを持っており、渋い物だったようです

ビタミンCを多く含み、ビタミンK、B1、B2、カロチン、タンニン、ミネラルなどを多く含んでいるため栄養価が高く、柿を食べると風邪を引かないといわれます。ビタミンCとタンニンが血液中のアルコール分を外へ排出してくれるので、柿に含まれる豊富なカリウムの利尿作用のおかげともいわれています。そんなことから「二日酔いには柿を食べると良い」とも言われています。

昔々、鳥取に住む悪ガキが渋柿を早く熟さすために米びつに入れていて、入れたことを忘れてしまい米びつの中ではじけてしまいお母さんにこっぴどく叱られたそうです。柿には色々な思い出があり「九度山ウオークに行って柿買いに行こうか〜」とまで言い出す始末ですが膝痛が治らねばねぇ〜


[2314] 【2390回 骨休め】 2010-11-23 (Tue)

雨上がりの勤労感謝の日、どこに行こうかと思案するもののジョンが高島トレイルで痛めた左膝が悪化傾向にありビッコを引くほど。併せて私も12月3日の大事なコンクールを控えているため、怪我などのないようにと無難なコースの尼崎のスーパー銭湯に行くことにしました。山々の紅葉は美しいだろうと想像しましたが12月5日には箕面に行くことになっていますのでそれまで紅葉は「おあずけ」!

箕面と言う地は色々な出来事が重なる地で、

● 私がウオークを始めた最初のきっかけは箕面
● ジョンが目の病気を訴えたのも箕面
● みまっちが術後回復しての第一歩も箕面

と、まあ色々な思い出のある箕面ですが箕面大滝は「日本の滝百選」に選定されている落差33bの大滝。その流れ落ちる滝の姿が、農具の「箕」に似ていることから、箕面滝と呼ばれるようになり、地名の由来もここから来ていると言われています。この滝は四季折々に応じて美しく変化しますが、特に秋は燃えたつ紅葉に、滝の音が冴えわたり、秋涼爽快、我を忘れるほどの見事さだそうです。

箕面といえば猿。野生なので、いたずらもしてきます。食べ物がない時は、ての平を猿に向け「もう何もあらへん」と関西弁で言わないと通じません。ビニール袋は襲われる原因のひとつです。

しかし、滝を見物する人・ひと・ヒト、混雑の覚悟はいります。肩が当たったり正面衝突もどきは覚悟をしていかなければなりません。12月5日は沿道の紅葉は散り急いでいるかもしれませんが滝周辺は、まだ望みはありそうですよ。なんのアトラクションもありませんが、自然のすごさに感動、入場料不要にさらに感動。

そして箕面と言えば「もみじてんぷら」ですね。1年以上塩漬けしたもみじを揚げたもので1年中売られてます。美味しいかどうかは、人それぞれに感じることですが、箕面を語るのであれば1葉ぐらいは食べとかないとね。買いたそうに油の鍋を覗くと「どうぞ」って試食させてくれますよ。「帰りに買うね」とその場を猿(ちゃうちゃう去る)のもコツのひとつ(笑)

追伸)
11/23午後7時のNHKニュースでやってましたが箕面の滝の紅葉の見頃は、まだまだ今からですって!12月の初旬まで楽しめるそうですよ!箕面ウオークまで待ってくれそうですね。みなさ〜ん!行こうね!


[2313] 【2389回 落ち葉がハラハラと・・・】 2010-11-22 (Mon)

♪落ち葉の舞い散る停車場で〜悲しい女のふきだまり〜♪

この歌は青春時代の秋の頃、よく口ずさんだ奥村チヨさんの歌ですが、「いま歌わんといつ歌うねん」の勢いで毎日、外に出て落ち葉を見ると口ずさんでいます。

きれいに色づいた落ち葉が風に舞い、足元に積もった落ち葉がカサカサと乾いた音を立てていたのに、昨夜の雨で足にまとわりついてしまい濡れ落ち葉となってしまいました。

遠くに紅葉狩りに出かけなくても、我が町の銀杏並木も美しく色づいています。あまりの美しさに、落ち葉を拾ってノートにはさみました。何か乙女時代を思い出しました。(そんな時代もあったのです)

「12/5例会箕面のウオーク」に出かけたら坂道で吊し柿を売っているはずだから買おうかな。紅葉のテンプラも1枚だけ食べたいな。栗はめんどくさいな(焼き栗は歓迎)等々、秋は山の実りも沢山あり、山歩きも楽しいものですね。

こどもの頃、父親の後について「山芋堀り」に山に入るのですが大きな穴を深く深く掘るのです。「そんなに掘るがぁ?」と聞くと「山芋を折らんように掘るためにはこうするんじゃ」と大きな穴の中から掘り起こした山芋の小さいこと・・・穴を元通りに埋め、その夜は、トロロかけご飯となります。すり鉢を出して父親がすりこぎを回し、私はだし汁をすりこぎに少しずつかけてトロロ作りに励みます。麦ご飯の上にかけるトロロはとても美味しいらしいですが私はこのトロトロの食感が好きではありません。だから生卵の白身も食べれません。

登山中に黄色く色づいた山芋の葉を見ると懐かしい故郷の光景が目に浮かんできます。キノコとの出会いも沢山ありますが「毒かも知れない」と手に取ることはありません。紫色をした「アケビ」を見つけることは難しいですね。

山は登山者にやさしくもあり、危険でもあります。熊の被害もあちこちで出ています。単独の時は熊鈴も必要です。但し人とすれ違うときは熊鈴は手でそっと押さえて通過しましょう。


[2312] 【2388回 喪中葉書】 2010-11-21 (Sun)

この時期になると喪中葉書が舞い込んで来て「え〜っあの方、亡くなったんや」とか「まだ若かったのに〜」とか考えることが多くなりました。喪中葉書をもらったら年賀状を出さない方がいいとか、いやいやこちらからは出してもエエとか色々違うアドバイスがあり迷ってしまいます。そこで今日は調べてみました。

●喪中・年賀欠礼状(喪中はがき)は、1年以内に近親者に不幸があったときに、年賀状の交換を辞退する旨を伝える書状です。一般に、忌明けまでの期間(仏式で49日または35日、神式で50日)を忌中、死後の一年間を喪中としています。喪中の家では祝い事を慎み、正月行事も行いません。年賀状の送付も慎む習慣があります。

●仕事上のお付き合いで故人と面識のない方や、気遣いをさせたくない相手には喪中を知らせずに、平年通り年賀状を送ることもあります。

●「自分は年賀状を出すのを控えても、先方からは年賀状を受け取りたい」ときは、喪中はがきを送らずに年賀状を頂き、寒中見舞いで喪中欠礼した旨を伝えることもあります。

●年賀状の投函と行き違いになり、年内に喪中であることがわかったときは、すぐにお詫びの連絡を入れましょう。松が明けた後(1月7日過ぎ)にあらためて、寒中見舞いなどでお悔やみを兼ねた書状を出しましょう。年賀状を送った相手から、年明け後に寒中見舞いなどで喪中の旨を知らされたときは、すぐにお悔やみとお詫びを兼ねた書状で返信しましょう。

●故人に年賀状が届いたら、亡くなった旨の連絡が行き届かなかった非礼を詫び、故人とのお付き合いに感謝する言葉などを添えた返事を出しましょう。松が明けてから、寒中見舞いや挨拶状として送ります。

●出し忘れてしまった人などから年賀状が届いたときは、返事を書かないことがもっとも失礼にあたります。松の内(1月7日まで)に届くのであれば年賀状として返信します。松の内に間に合わなければ、寒中見舞いを出します。

●年賀状の発送が遅れた理由を書く必要はありません。頂いた年賀状に対するお礼の気持ちを添えますが、目上の人などにはかえって失礼になるからと、普通の年賀状として書く方が良いともいわれます。

以上が喪中葉書についての対応の仕方です。私は喪中葉書を頂いたり、喪中だとわかっているときは、松の内があけたら「寒中見舞い」を出すようにしています。


[2311] 【2387回 冬に向けての登山】 2010-11-20 (Sat)

これからの登山は、秋の紅葉シーズン、というか初冬に近い冷え込みになる時もあります。秋山は、日中温かくても夕方や夜間はぐーっと冷え込みます。天候の急変により“雪”となることもあります。装備をきちんと準備し、近郊の日帰りだとしても防寒対策を怠ることなく出かけたいですね。もうアルプスは私達の技術では手にはおえません。スノーシューで楽しめる山を探して、またひとつ楽しい思い出を残したいですね。

私達も今までよく体験したのですが、日中、高速を車で移動し、夜間は車中で仮眠する。次の日の早朝から登山開始するというパターンが常でした。しかし加齢に伴い、前日は近くの宿泊場所でゆっくりと休養して体力を保ち、翌朝に登るのが理想になってきました。登山の途中、山小屋を見つけたら宿泊し、ゆっくり登山を楽しむというパターンもありかなと思ったりします。余分に宿泊をするために費用もかさみますが、安全な登山をモットーとするならば、登山前日は無理のない移動方法がよいと、つくづく思うようになりました。やっぱり体力的に「老齢」を認めざるを得ないのですかねぇ。資料によると、車中泊をして登山中に、突然倒れて行動不能となるケースが散見されているそうです。 また、持病が悪化して行動不能となる遭難も発生しているそうです。

「自然体験活動」で登山やアウトドアーに関するクイズのサイトを見つけました。楽しそうにので、みなさんもいかがですか。いくつ正解がでたでしょうか?

  http://www.jon.gr.jp/qq/

『自然体験活動での危険に対する注意事項、注意した方がいい動植物、ケガ・キズの応急手当の方法などのクイズにチャレンジして、あなたも自然体験活動QQレスキュー隊の隊員になりませんか?』こんな見出しでスタートします。なかなかおもしろいですよ

「★いますぐクイズにチャレンジする★」をクリックしてからスタートです。



[2310] 【2386回 なんで京都国際ホテルなん?】 2010-11-19 (Fri)

●「納会の場所を決定するまで」

納会の場所を二条城の前にある京都国際ホテルときめました。

「え〜っ!高いんとちゃうん〜?」そう思っていただけるかと思いますが夕食費を含む5000円で参加していただくことができます。但し朝食はバイキングでオプションとなります。(千円ぐらいかな)どこかの居酒屋で忘年会をしたとしても会費は8000円を下回りません。あまり飲まない我々にとって、また年金生活者の我々にとって、安いにこしたことはありません。

恒例の納会場所の生駒「なるかわの森ログハウス」を予定していましたが、あいにく希望日程が空いていなくて予約が取れませんでした。イチローちゃんが納会で、お茶のお点前を披露してくれると提案して下さいましたが、「病気になり無理」と断りの電話を頂きました。ならばスパッと頭を切り換えてホテルって洒落込もうかと言う提案をしました。

「予約が取れるもんなら取ってみぃや」そんないきさつがあり、悪戦苦闘の末、京都国際ホテルということにさせて頂きました。宴会場を使うわけでも、レストランを利用するわけでも、大浴場があるわけでもありません。京都の食材を買い込み、「和気あいあい食事会」をしようとしています。そのかわりコンパニオンは多数、参加してもらえますので華やいだ空気は任せておいて下さい。

京都国際ホテルの目の前に、二条城がそびえており、翌朝は散策も可能です。登山やウオークとはかけ離れていますが、たまには毛並みの違うイベントもいいのではと企画致しました。

まだ予定がきまらない方は、選択の箇所に「まだわからない」と言う項目があります。行きたいけど日程調整中の場合は、とりあえず「まだわからない」の意思表示をしていただけると有り難いです。すでに行けないと言うことが決まっている時は「不参加」と参加状況に書き込みをお願いします。

また京都国際ホテル近辺で「ここはお勧めよ」と言う場所があれば、ぜひ教えて下さい。一応太秦映画村ってことにしていますが臨機応変に、皆様のご意見になびける余裕ありです。


[2309] 【2385回 市バスの事故に乗り合わせ】 2010-11-18 (Thu)

所用があり玉川経由大阪行きのバスに乗る機会がありました。野田のバス停手前で、四つ角で仕事をしている会社があり、リフトに乗り、いつも荷物を運搬しているのです。いつも歩道を占領していて歩く時は車道に、はみ出て通過をしなければならない状態で仕事をしている会社です。

バスの車内で、体に感じる衝撃があり接触事故を起こしたことがわかりました。運転手さんが「お客様すみませんが交通事故のために全員下車をして頂き、後ろのバスに乗り換えて下さい」と申し訳なさそうにマイクで放送しています。乗客は全員降車した途端、リフトを運転していた会社員が「オレは停まっていたのに何で当たってくるねんっ!」とえらい剣幕でバスに乗り込み、バスのドライバーに詰め寄りました。

冷静に見ても、四つ角で我が物顔をして歩道も車道も会社の物として使用している会社が悪いに決まっています。見ればリフトにナンバーもついていません。公道を走れないリフトです。降り際にバスの運転手さんに「乗客の意見が必要ならばいつでも協力しますよ」と連絡先のメモを渡して、後ろから来たバスに乗り換えました。本当は警察の事故処置車両が来るまで待っていてあげたかったのですが要請がなく野次馬と思われても嫌だし、その場を離れましたが、あの後どうなったのでしょうか?管轄は福島警察の様です。

この事故はリフトには(バスには)「当たらないだろう」とお互いが思いこんだことも原因の様に思います。座席に空席はなく立っている乗客もいましたので、さぞびっくりした事と思います。乗客を安全に目的地に降ろすことが目的ですから、原因がどっちにあろうとも「だろう」の危険を目の当たりにしました。こわかった〜よ。


[2308] 【2384回 我が家の冬支度】 2010-11-17 (Wed)

朝夕めっきりと寒くなりました。あちこちの山々で初霜や初冠雪の便りも届き始めました。冬山登山は技術的に無理な私達は、しばらく冬眠状態となりました。近場の低山を楽しみながら、あとはスノーシューが出来るほどに沢山降りだすと、またまた出番がやって来ます。

我が家も今日はコタツを出すことにしました。12月3日までは多忙のため、それ以後にしたかったのですが、寒さに勝てずバタバタとブツブツ言いながらテーブルを片づけて、掘り炬燵の準備となりました。

夏用のジュータンはコインランドリーに持っていき洗濯です。コインランドリーに行くのは屋久島以来ですが待ち時間を利用して壁に貼ってあるお知らせなどの張り紙をみていましたら「故障したら弁償してもらいます」の内容が書いてありましたわっ!屋久島のあの時の事を思い浮かべてしまいました。(笑)

子供達が小さかった頃「今日は衣替えの日」と宣言して部屋中にブリキ缶の衣装缶を並べ、樟脳を入れ替え、冬物を出して夏物を仕舞う行事がありました。着物は虫干しをし、これがまたなかなか大変でした。いつの頃かブリキ缶の衣装缶は消え、プラスチィックの引き出し付きのケースが押し入れに収まり、昔の様に衣替えの日なんて決めなくても簡単に各自が好きなときに衣替えをするようになりました。

そう多くはない登山用の服などは上下を回転さすことによって「衣替え完了」です。2年、袖を通さない服があれば、今後もう着ることはないと思って処分しちゃうとスッキリしますが「ああこれはあの時に買った服や〜」と言い始めたら押入は満タンとなります。「1枚買ったら、1枚捨てる」

登山靴も買った時の値段を思うと、なかなか捨て切れません。新調すると言うことは、今の靴に不具合が生じたから買うのですから古い靴は「捨てる!」一番良いのは処分する靴を履いて靴屋に行き、帰りには新しい靴を履いて帰る。これが理想的でゲタ箱もスッキリ!


[2307] 【2383回 危険な落ち葉のジュータン】 2010-11-16 (Tue)

紅葉真っ盛りの今の時期にアスファルトと違い、土の上にフッカフカの、落ち葉のジュウタンが敷き詰められており情緒たっぷりで気持ちのいいものです。しかしこれは平地での事。落ち葉が敷き詰められた場所というのは、ほとんどが山の中。急な上りは落ち葉とともにズルッ!急な下りはもっと危険でズルッズルッ!と容赦なく滑ります。

車でいう車間距離をあけてなければ前の人に覆い被さる様な滑リ方をする時もあります。急な登りや、急な下りの時は「前の人が滑るかも知れない」と充分な間隔をあけましょう。尻餅などはまだ軽い方で「あ〜あびっくりしたぁ」で済みますが、リーダーの口癖の「まくれ込むなよ!」は擦り傷だけではすまなくなります。脱臼体験者の私としては、下りの、片手で木を持ち体が先行する箇所は恐怖です。自然とへっぴり腰になったりして速度がグ〜ンと落ちてしまいます。体は完治していても脳がまた思い出させてしまいます。二度脱臼をしていますので、木の枝を極力持たないために、「おばさん座り方法」で下りの高い段差をかわします。後ろから見ていると「間抜けな降り方」に見えるかもしれませんが、安全で足にやさしくとても楽なのです。この方法は「膝が笑う」のを防いでくれる気がしています。高い段差をドーンと着地すると膝の負担が大きくなり膝の大笑いを引き起こしかねません。下りで「おばさん座り方法」一度試してみてください。

登山中に登山靴の靴底をチェックしたことがありますか?じつは土の性質にもよりますが粘土質の登山道があれば休憩時間を利用して、靴底チェックが必要です。ある時ズルッと滑り尻餅をついた人がいました。「なんでやろう?靴のエッジが効かんなぁ、靴底取り替え時期かなぁ」と言っておられて、靴底を見てみることにしました。何と靴底の溝という溝を粘土質の土がガムを詰めた様に埋まってしまっていました。落ちていた枯れ枝を使い、丁寧に剥がして怪我をせずに済みましたが、想像もしなかった事だけに、良い勉強をしたと思っています。

何と言っても、こんな時の危険を回避してくれるのが「ストック」です。リュックに差しているのであれば最初から使った方が足の負担が軽減します。「痛くなったら使うねん」これはよくウオーキングの時に聞いたセリフですが、谷川岳救助隊の人たちは2本ストックを利用して救助活動をしています。「人を助けに現場に行くとき、まず自分の安全が大切ですから」と言っておられたのが印象に残っています。

「ストックはなんか年寄りの杖みたいだから・・・」大丈夫ですよ。もう充分みんな年寄りなんですから。(笑)

2本ストックを上手に使いこなすためには常時使って慣れておかないとストックを持つことで、そちらにばかり神経が集中したりします。正しい使い方で足の一部として快適に歩けるといいですね。


[2306] 【2382回 高島トレイル80q制覇〜!】 2010-11-14 (Sun)

やったよ!やったよ!やったよ!
高島トレイル80qおまけの経ケ岳まで登っちゃいました。なんでそうなるのっ?!はたまた「あっ登山靴がないっ?!」(ほなどうすんねんなぁ〜)最終回の物語は盛りだくさんです。レポートをお楽しみに!(近日中にアップします)

とにかく想像を絶する紅葉の美しさに酔いしれて、もう御手洗渓谷にはいかなくていい!とまで言い出す始末です(笑)
全回訪れた時は、まだ紅葉も早く感じたのですが今日は「いまが旬」朽木生杉の休憩舎の前には駐車スペースがないほどでした。みんな美しい紅葉を求めてきた人ばかり。落ち葉のジュータンの上を歩き、頭の上からはハラハラと舞い落ちる落葉が、「幸せの肩たたき」をしてくれたようなメルヘンの世界に運んで来くれ、胸が熱くなり心も癒してくれました。

それでも高島トレイルを歩く人は少なく2〜3組のグループに出会っただけでした。同じ道を引き返す人が多く、やはり車2台でと言うのは、なかなかむづかしいみたいですね。それを、ガイド無しで、成し遂げた我々倶楽部は凄いっ!(これは高島トレイルを知る他の人達の評価)

「黄色の絵の具がなくなるよ〜っ」そんな、うれしい悲鳴が聞こえるほど真っ黄色に山は色づいていました。寒さ対策をしっかりとと予告していましたが、とても温かくって暑くて、半袖でも充分でした。

6月から6ケ月かけての高島トレイルは、私達参加者全員に希望と充実感を与えてくれました。参加して下さった皆様どうもありがとうございました。オリオンさん!車の提供ありがとうございました。ポチさん、車の提供と回送係ありがとう。

おかげさまで全コース雨あり天気ありと四季折々を堪能させていただきました。高島観光協会の皆様にも感謝申し上げます。高島トレイルの最終コース「地蔵峠〜三国岳・朽木桑原」はトレイルリボンが経が岳方面の下りで初めて目にするほど皆無状態で何か事情でもあるのかと思うほどでした。三国岳山頂で休憩するグループも「歩きにくい!テープが無くて道迷いばかりした!」とこぼしていました。

レポートが完成したら観光協会様にこの事を伝え、より安全なルートに改善が必要なことを提言したいと思っています。地図に名所を表記するならば、実際の場所に立て看板は必要です。「茶屋跡」の貧祖な看板には失笑させられました。


[2305] 【2381回 安全教育技能コンクール】 2010-11-13 (Sat)

去年、惜しくも選外に漏れて泣いた府下の警察官と推進委員とのコンクールの時期が、またやってきました。10日に署で打ち合わせがあり11日から、ほぼ毎日練習を積み重ねます。2年前に仕事を離れてから、緊張する場面が少なくなり、コンクール出場はとても胸がときめきます。「ときめく」と言う表現は正しくありませんね。胸がドキドキ、ザワザワするのです。まず7ページに渡るシナリオを暗記せねばなりません。女優志望ならともかく、どうも苦手分野の様です。年々物覚えが悪くなるのを自覚せねばなりません。スポットが当たるとアドリブが出て度胸はありそうですが、それはカラオケの時だけ・・・(そんな事あるかいって言わないで下さい。真剣に悩んでいる今日この頃です)

3位以下の選外だと何もなりません。今年は優勝まで行かなくても3位入賞までには入りたいですね。舞台で使う小道具作りは着々と進んでいると言うのに、まるで大助花子の大助の様に「ア・ワ・ワ、ア・ワ・ワ」と言うばかりです。12月3日の本番まで眠れぬ夜が続きます。

会社の慰安旅行で、カラオケだけでは芸が無いと言うことになり、職場別にチームを作り、宴会の席の舞台上で色々趣向を凝らしたことがあります。出演は苦手だけど小道具係は任せといてと言う者や、やたらと手先の器用な者、仕事では見抜くことの出来ない人間味が出て楽しかったことを思い出しました。しかしみんな熱が入りすぎて順番を待つ間も廊下に出て、最後の仕上げをするグループが多く、観客がまばらであったことから次の年からこの企画はボツになりました(はっやぁ〜笑)

慰安旅行も、長引く不景気の影響で、最近では中止となり、仕事以外で社員が一同に集まることも少なくなりました。また世代の違いでテーマパークを希望する若者と、観光派の中高年派とに分かれてしまい、宴会で酒を酌み交わす事を目的にした社員旅行の中味を検討しなければならない時代になったのかも知れませんね。

コンクールも入選することにばかり気を取られないで、聞いて下さった会場の皆さんが「よかったよ」と言ってもらえればいいのではと思ってはいますが、制限時間10分間、早すぎてもダメ、タイムオーバーもダメとなかなか審査の壁は頑丈のようです。


[2304] 【2380回 携帯電話の機種変更】 2010-11-12 (Fri)

毎月の様に「あなたの携帯の機種は、まもなく使えなります」と言う連絡が入ってきました。ある日バツテリーの交換をしようと販売店に行くと、よくまあこんな古い機種をお使いでと言わんばかりに丁寧に応対をしてくれました。私も負けておらず「屋久島ではドコモはかかるが、この会社の携帯は使い物にならんかったよ〜」と、ちょっと嫌みを吐いちゃいました。

そもそも何故、会社都合で機種変更が必要なのか、会社にとってのメリット、デメリットは何なのかを質問すると、古い機種は携帯会社もコストがかかり、客も基本料金が高くて不利益のため、今なら交換してくれる客には特別価格で新しい携帯を交換してもらうのだと言います。(ちなみに交換すると現在の基本料金2100円が780円になるとか)ポイントも沢山あることからバッテリーを購入せず、新しい携帯に機種変更することにしました。窓口支払い金額はゼロ円でした。(何か得した気分です)

防水バッチリ、使用方法も以前と類似しており、あまり戸惑わなくて済みそうです。これで受信した写メールが「容量が違うので受信できません」と言う不便さも解消です。着信音にはこだわりがあり美空ひばりの「お祭りマンボ」が希望だと言うと「お時間がかかります」とのことでした。希望が叶うのであれば時間がかかってもいいと携帯を預けて買い物に行くことにしました。

しばらくして戻ると「これでよろしいでしょうか?」と、お祭りマンボを鳴らしてくれました。♪♪「わたしのとなりのおじさんは〜♪♪しばらくは受信があってもメロディが終わるまで電話に出ないかもしれません。みなさま、ちょっと長めに鳴らして下さいね。

機種変更となつたことから、またはじめから説明書を見ながら「ああでもない、こうでもない」と苦労をしなければなりません。でも赤外線送受信が出来るようになりましたよ。


[2303] 【2379回 お年玉記念切手シート】 2010-11-11 (Thu)

年賀葉書お年玉の当選で切手シートをもらうと、大切に全部ファイルに整理し保存していました。しかし41円だとか62円だとか中途半端で、ファイルしていても今後使いずらく熱心な収集マニアでもないことから整理をして使用し易い切手に交換しようと思い立ちました。驚いたことに年代によって郵便切手の変動が大きく違うのです。

昭和47年〜51年までは10円
昭和52年〜56年までは20円
昭和57年〜62年までは40円
昭和63年〜平成2年までは60円
平成2年から平成6年までは62円
平成7年以降は80円

交換希望の切手シートが175枚、金額にして8268円が本箱に眠っていたことになります。これを1枚につき手数料5円、合計875円を支払い、よく使う切手と交換してもらいました。郵便局の窓口さんが汗をタ〜ラタラ出して数えていました(笑)切手収集家でもないのに何故、こうも貯めていたのかわかりませんが40年の間に8倍も値上がりしていることに驚きました。

昔から価格に変動があまりないのは玉子かも知れません。1個20円も出せばいまでも生み立ての玉子(?)を買うことができます。昔、田舎では病人の見舞いと言えば玉子でした。菓子箱の中に、もみ殻を敷き詰め、その中に玉子が立てて入れてありました。「滋養をつけてはよう良くなりなさいや」この滋養と言う言葉が今でも記憶に残っています。

この時代の見舞いと言えば、玉子、その次はバナナでした。あ〜あ私も入院してバナナを食べたいと、ほんの一瞬思ったことがありました。バチが当たったのかその後盲腸で入院することになりましたが母の背中に入院用の布団袋が覆い被さり、8000円の入院費に奔走していたことを思うとバナナが食べたいから入院したいと思った自分がとても恥ずかしくなりました。

屋久島のバナナを見て、食べて、遠い昔のことを思い出してしまいました。だから・・・また注文しちゃいました。(笑)


[2302] 【2378回 故郷便り】 2010-11-10 (Wed)

11月9日は「119救急の日」と設定され、みんなで救命救急などの必要性の再認識をする日だったそうです。ハチに刺されても、捻挫をしても、脱臼しても医師よりも早く治療が可能なのは一緒に行動をする仲間です。だれでも、どこででも、応急処置ができる道具を持っていれば、一緒に行動してて、とても安心できます。そんな事を思い出させてくれる「119」の日でした。

そんな日の夜明け、故郷の恩師の夢をみました。恩師が私に向かって「おいで、おいで」と手招きをしている夢です。目覚めて、妙に気に掛かり、恩師の家に電話をかけてみました。電話口には若い女性の声がして、あれっ!間違ったかなと思い、思わず、無言で切ってしまいました(ごめん)

電話番号をしっかりと見直し、再びかけることにしました。先ほどと同じ女性が出て、電話口で恩師を呼ぶ声がしています。「先生いまのだ〜れ?」と聞くと「ヘルパーさんじゃ。女房の世話に毎日来てもらいよる」との事。そう言えば春に帰省したときに、奥様の様子が大変そうな兆しはあったのです。

「先生もう82歳を過ぎちょるけん、車に乗るのはやめたや」
「車がないと、どこにも行けん」
と弱々しく笑う恩師の声には、もう昔の様なハリはありませんでした。いつも親類の家を周り、わずかな時間で途中、恩師宅に立ち寄っていますが今度は、まっしぐらに恩師の家だけに帰省し、掃除と台所の手伝いを、せめて2日でも3日でもしたいと考えています。私には時間は死ぬほどあるのです。両親を亡くした後、非行に走らず成長したのは、この恩師の励ましがあったればこそなんです。恩師宅に泊まる部屋はあるかと聞くと「なんぼでもある」と笑っていました。

電話を切った後、隣町に住むと言う面識のある長男の家に手紙を出しました。万が一、恩師に何かあったら私にも知らせて欲しいこと、無礼な願いではあるが、元気ないまなら許してもらいたいことを書き投函しました。


[2301] 【2377回 暖房器具がいるね〜】 2010-11-09 (Tue)

クリスマスソングを流しながら、灯油売りのトラックが周回する季節となりました。併せて消防自動車の出動も多くなる季節です。悲惨な火災のニュースを見るたびに「自分の家からは絶対出火しない」そう固く誓う今日この頃です。火災でもっとも多いのが「眠っていて気づかなかった」と逃げ遅れるのが、60%、しかも65歳以上の高齢者が多いそうです。もうすぐ私もその高齢者の歳に近づいてきました。「逃げよう」と脳に指令はいくものの、煙に巻かれて体が動かなくなり焼死するのがもっとも多いそうです。

平成23年5月31日までに「火災警報器設置」が義務化されます。現在新築中の家は必ず取り付けなければ認可がおりないそうです。過日、私の家にも設置勧誘がありましたが、いきなりの訪問で「お安くしときまっせ」と言われても、本当に適切な業者なのかどうか不安が大きく断りました。よく消化器の押し売りや、粉末交換だと言ってだまされるケースが多いでしょ。それにこの頃、家にいると、株の勧誘や、金の売買や、産地の特産物のセールスや葬式の式場見学の電話までもがあり日々閉口しています。オレオレ詐欺の電話だけはまだ受けたことがありません。

火災警報器には「煙関知式」と「熱関知式」があり、寝室などは煙関知式、台所は熱関知式の使い分けがよさそうです。それよりも優れているのは「連動式感知器」で、これは火元で関知すると、設置している各部屋に速やかに知らせてくれ工事も不用で取り付けも簡単だそうです。

23年5月31日までに、消防署の講習に参加し(講習があると仮定して)、「適切な業者選び」からしたいと考えています。


[2300] 【2376回 奈良・大峰山系で遭難】 2010-11-08 (Mon)

『11月6日、奈良県下北村の大峰山系で京都の男性(54歳)が遭難した事故で県警吉野署は翌日の7日、ヘリコプターに手を振る男性を発見し無事保護。同署によると、この男性は道に迷って山中で一夜を過ごし飴とゼリーでしのいだと言う』

これは8日のサンケイ新聞朝刊の記事です。この記事を見て私だったらどうするか(どうなるか)考えさせられました。私は何日間もの宿泊を伴う山行の時は息子達家族に日程を告げて出かけています。その時は「無事下山」の報告を必ずいれています。しかし日帰りだとか1泊だけの登山などは告げていません。もしこの男性の様に道迷いしたとして夜の明けるまで待機するだけの体力も食料もツエルトもある場合「遭難」と騒がれずに済む気がします。しかしポチが留守番をしていて、夜になっても帰ってこない場合、きっと警察に「遭難かも知れない」と相談に行き、捜索となるかも知れません。携帯電話で連絡がつく場合は、きちんと装備が整っていることや、食料があることを告げて家族に安心さすことも必要だなと思いました。この男性自身がSOSを発進したのか、家族が連絡したのか記事には詳細が書かれていませんが、暗くなったらヘリコプターは飛ばないし、捜索隊も二次事故を避けて、夜明けを待ってからの捜索になると思います。

怪我をしていれば一刻も早くと思いますが道迷いなら、じっと動かず安全な場所で夜の明けるのを待つのがいいのかも知れません。仲間がいれば色々話しをしたり、歌を歌ったりして励まし合い、夜が明けとともに、出来れば自力で下山したいものですね。イノシシや熊の襲撃に遭わないことを祈りながら不安な一夜を過ごすことになるでしょうね。日帰りでもこんな事故があるのですから、ヘッドライトとツエルトの必要性を痛感しました。

「飴とゼリー」で飢えをしのいだとありますが「行動食」と「非常食」の違いを教えられた気がします。私のリュックの中には、たえず「飴、塩、ぶどう糖の小袋」が入っています。その他にはクッキーだとかウインナー、パンだとかも入れる様にしています。「日帰りにそんなに沢山、行動食いるか〜」と笑われたこともありましたが、万一食べ物で一人だけ生き抜けるとしたら私かも知れません(ハッハッハッ)

山行が終わり車の中で残った行動食を食べるときの幸せ感は高級料理なみのご馳走です。


[2299] 【2375回 いよいよ年賀状・・・の準備か〜】 2010-11-07 (Sun)

郵便局に行くと「年賀状のご購入はお済みですか」とか、郵便物の配達員の人が「年賀状はいかがですか?」と熱心に勧誘して下さり、住所録の整理をしなくっちゃあと、まだ11月に入ったばかりだと言うのに、少しあせりはじめました。

「表書きは自筆で」が私のモットーでしたが、頂いた年賀状の90%以上がパソコンを利用していることに気が付きました。車も「オートマでなくミッションに限る」と、いまだにこだわっている人と、よく似ているなぁと一人で苦笑しています。

毛筆で1枚1枚書ければパソコンを頼りにしなくてもいいのですが、退職してから文字を書くことが減り、更に携帯メールの普及でヘタクソに拍車をかけはじめたのに気が付きました。(もともとヘタか〜)文字はヘタでも、丁寧に書き続けていれば何とか形になり、読む人にも慣れが生じてバランスが取れてくるものですが、こうも書かなくなるとねぇ。

来年の賀状から、私のところでも宛名書きをパソコンに手伝ってもらおうかと思案しているところです。

会社では随分前から得意先も含めて「社内間の虚礼廃止」と通達を出し経費削減に努めてきました。年末に配布していた住所録も「個人情報がナンタラカンタラ」と廃止になりました。(何でもかんでも個人情報って言うな!って感じ)なるほど年末年始の休みが終わればまた顔を合わせるのですから通達に従う人もいます。が、1年間指導を受けてありがとう、来年も指導よろしくと自分の中で敬う気持ちのある人へは年始のご挨拶は欠かせないと思っています。

故郷に80歳を過ぎた小学校時代の恩師がいます。年齢を聞くと「みちこさんの歳に20を加算すればいい」が口癖です。季節の故郷便の宛名書きの文字が心なしか小刻みに震えて書かれているのが気にかかります。「手が震えてもう字も書んようになったけん年賀状も出せん様になったがよ」そう言えば去年の年賀状を調べて見たら先生からの賀状が見あたりません。「ええがよ、私が元気でいるよと言う知らせみたいなもんじゃけん」と言うと電話の向こうで「20も若いけん、当たり前じゃ〜」と笑う恩師の姿が手に取るように見えました。

掃除の合間に賀状を見れば
  手が止まり、心は賀状の相手に飛んでいく
        あの人いまごろどうしているのかしら

たった1枚の葉書ではありますが大切に相手のことを思い、たとえ宛名書きがパソコンの世話になろうとも、一筆書き加えてから投函したいと考えています。
        


[2298] 【2375回 屋久島の青いバナナ】 2010-11-06 (Sat)

「いつになったら食べられるの?」そう言いつつも、もぎたての青い切り売りバナナを買ってきました。今日で10日目、山の紅葉の様に黄色く色づき、1本食べて見ることにしました。ホッペが落ちてしまいそうです!顎がはずれそうです!。美味しいっ!スーパーには無い味です。青いバナナをかじった孫達よ!今が食べ頃だよ〜!

産地にしかないものを楽しむのも旅の醍醐味だと思うのですが、屋久島から戻って10日間も、熟成をじっと待っていたのですから食べるのが勿体ない気もします。お土産品を戻ってきてから調べても手遅れの気もしますが屋久島名産を調べてみました。

●ウコン→ 春ウコン、秋ウコン。宴会の前にウコンドリンクを飲むと二日酔いしないそうですよ。

●フルーツ類→ たんかん・ぽんかん、パッションフルーツ等の入ったジャムやジュース等。

●竹炭食材→ 古来より整腸剤として利用されてきた竹炭を使用した食品の数々。

●お菓子→ 黒砂糖のお菓子やたんかん風味の商品もあります。

●鮮魚→ 新鮮な飛魚・サバ等鮮魚のスリ身が豊富に。

●お茶・紅茶→ 大自然の恵みをいっぱいに浴びた、香ばしいお茶・紅茶など。

●水→ 豊かな大地に育まれた、大自然から造り出された天然の屋久島縄文水を。

●工芸品→ 屋久島縄文杉のぬくもりが伝わる、美しく心安らぐ工芸品。

●酒→ 屋久島産の焼酎「三岳」「愛子」など、貴重な本格焼酎。

さて皆様は何種類の屋久島名物をゲットされたでしょうか?


【ブログに使用前、使用後モードのバナナを掲載しました】


[2297] 【2374回 一足お先に、オリオンさん高島トレイルゴール】 2010-11-05 (Fri)

11月4日(木曜日)オリオンさんが高島トレイル最終コース「地蔵峠〜朽木桑原」を完歩されました。おめでとうございます。

オリオンさんは、常念岳登山の時にご親戚の方のご訃報のお知らせがありましたが参列できず、戻りてお参りをされたとお聞き致しました。その方の49日法要が高島トレイル最終回の11月14日と重なり、トレイルの参加を欠席と言う事態になりました。残念ではありますが止む得ない事情と、日程変更も考えましたが参加者の皆様のご都合がつきませんでした。ならば一足お先にとオリオンさんが最終コース「地蔵峠〜朽木桑原」を歩くと言うことで私達が「付き添い、車搬送係」としてお供をしてまいりました。

オリオンさん抜きで「山帰来」での宿泊付き祝杯会は出来ないと判断し、日帰り登山をすることに変更しました。(祝杯は全員揃う日にしましょう)。オリオン号が欠席と言うことで、当日は四万十号とレンタカーを借りての実施となります。従いまして集合場所は「石橋駅」から「庄内駅」と変更になりました。時間は午前6時30分出発です。(靖ちゃんは、深草午前7時)時間が早いのは、秋の日暮れが早く、山の3時、4時はすでに薄暗く、安全に歩行できるために朝の出発を早くすることにしました。ご協力よろしく。実施にあたり

@必ずストックを持参して下さい。(急な下り坂があります)
Aヘッドランプを必ず、ご持参下さい(万が一、日暮れになった場合ヘッドランプなしでは歩けません)
B三角巾をご持参下さい(万が一、暗くなりかけたら「三角巾」を腰に巻く事で明るさを保つことができます)
C朽木の朝は外気温3℃と寒いです。重ね着できて、歩いていても脱いだり着たりできる衣類を、ご持参下さい

★蛍光反射板を警察から貰っていますので1枚づつ皆様にお渡し致します。リュックに取り付け、安全に充分気を配りながらゴールしたいと思います。

★当日のトイレ休憩は出発点の休憩舎で速やかに済ませ1分でも大切にして出発したいと思います。
 
 名 称 予定時間   11/4実施タイム
●休憩舎 ★9;00  ★ 9;00
●地蔵峠 ★10;00 ★9;35
●カベヨシ★11;40 ★10;16
●岩谷峠 ★13;10 ★11;40
●三国岳 ★14;20 ★12;50
●朽木桑原★16;20 ★14;25

山は美しく色づきかけています。楽しみにしていてくださいね。お風呂の用意もお願いします。(到着時間次第で利用)


[2296] 【2373回 整理整頓】 2010-11-04 (Thu)

職場で、みんなで何かしようと言うときテーマが決まらない時に、必ず掲げられるのが「整理整頓」となります。職場でも、家庭でも整理整頓は共同生活をする上において、同じ価値観でいなければなりません。片方が散らかしっぱなしでも、片方が神経質なほどきれい好きでもうまく調和が取れません。特に共通の道具は使いっぱなしでは他の人が困ってしまいます。使ったその手で片づけるのが一番良いのです。

昔、私の知人で、とにかく机の中はきちんと整理整頓されてないと気が済まない、名刺などが曲がっているのは嫌いで真っ直ぐでないと気になると言う人がいました。そのため机の中は両面テープで固定されており、引き出しを出したり閉めたりしても、動かず、曲がらない様に工夫をしていました。飲み屋に行くと、酔いが廻ってくると汚れが気になるのか、テーブルの上を拭きまくるのです。「そこまでしなくても」と思うこともしばしばありました。きれい好きな配偶者は共同生活をしていて便利な様にも思いますが窮屈〜かも知れませんね。だって主婦の出番がなくなるのですものね。ほどほどですね〜。

会社で机の上に書類が山積みになっている人がいます。まず全部捨ててしまって下さい。きっと下の方にある書類は何の書類なのかわかっていません。多分、年末の大掃除の時にはゴミとなることでしょう。「片づけ上手は捨て上手」私はそう思っています。

主婦は美しい包装紙や袋を「何かに使える」と思って保存します。時には使える場合もありますが、ほとんどまとめて捨てる方が多いと思います。このごろの袋は殺風景な「好○山荘」なるお店の袋が多くなってきました。「いつかは使える」と思って残しておいたのですが、山の様にたまってきたので新聞回収に出しました。

そうそう、屋久島のスーパーで買い物をしたら「袋代5円頂きます」って言われました。大阪だとマイ袋を持参したら2円引きですが屋久島は5円、環境に随分気遣っていると思いませんか?物が壊れたら買い直す・・・これ以外は新しく物を買わない事にすれば「整理整頓」バッチリですね〜


[2295] 【2372回 拝啓・まつばんだ交通・堤殿】 2010-11-03 (Wed)

屋久島まつばんだ交通 堤 様

大阪の中高年グループの久田です。10月21日から27日までの屋久島山行中、大変お世話になりありがとうございました。今回の屋久島登山については堤さんのアドバイスがなければ、到底、宮之浦岳を制覇することはできませんでした。

屋久島空港に着いたとき、我々グループの名前を書いたプラカードと、堤さんの笑顔で出迎えを受けてから帰るまで心のこもった応援を受け続けていた様に思います。

「近くを通ったから」と言っては、お天気の情報を教えて下さいました。帰る日には「気を付けて」と立ち寄って下さいました。事前に、まつばんだ交通様にお知らせしておいたスケジュールは悪天候のためにメッタメッタに変更となりましたが、堤さんのアドバイスや、ご親切に感謝を申し上げます。

連日の雨で少し気持ちも暗くなるところでしたが、島内観光、太忠岳、モッチョム岳、宮之浦岳、平内海中温泉と予定していた希望の箇所すべてを満喫し、屋久島の思い出をいっぱい詰め込んだレポートも書き上げ、ささやかな祝杯をあげています。

漁港で買い求めた「トッピーのミンチ」を鍋にして舌鼓を打つ者、ハンバーグにした者、青いバナナの色づくのを待つ者と屋久島名産に浸っています。

堤さんの屋久島を愛する島民として、まつばんだ交通を代表する優秀な社員として、また、ひとりの人間としてのやさしさを感じずにはいられません。到着した日、お弁当片手に淀川小屋まで行く予定でした。「はい、そうですか。ではお送りしましょう」これでも、りっぱに仕事を成し遂げてはいるのですが、地元の人としての天気予報をアドバイスして頂き、あの日に宮之浦岳は無理だと提言して下さいました。また私達も素直に聞き入れ、予定を変更したことが今回の屋久島登山の成功であったと思っています。

新高塚小屋には、雨の中を突っ込んで4日間も小屋に滞在せざるを得なくなり、食料不足に不安な日々を送った人のメッセージが残っていました。私達にとって屋久島の印象がよかったのは堤さんのおかげだと参加者全員が思っております。

レポートを同封させて頂きます。会社でホームページが閲覧できる様でしたら鮮明に見て頂けると思います。「屋久島7日間の旅」を書いています。ぜひご覧下さい。アドレスは下記の通りです。
http://www.hime8kin.net/2010sankokiroku/101021osaka-yaku.html

それと、同封の大阪の味は私達の、ほんのお礼の気持ちです。お召し上がりいただけるとうれしいです。
最後になりましたが「まつばんだ交通谷口様」にもよろしくお礼を申し上げてください。実施日まで色々とメールで相談をしたり、予定変更したりでお世話になりました。

ではお元気でお仕事にお励み下さい。ありがとうございました。       中高年安全登山グループ・久田美智子


[2294] 【2371回 屋久島から戻りて 最終 】 2010-11-02 (Tue)

「屋久島名物・トッピー」

屋久島名物と言えば「屋久杉細工」がもっとも多いかと思います。屋久杉の端切れを工芸用品として加工しお土産品として売っていました。黒砂糖、焼酎の三岳、色々ある中で飛び魚「トッピー」の看板があちこちで見受けられました。私達も自炊する中でハンバーグやみそ汁にして食べて、その美味に感銘したものです。「みやげはこれやな」そう決めて漁港まで歩いて買い求めてきた次第です。

飛び魚はいったい何メートル海面を飛ぶと思いますか?
驚いたことになんと最長で300メートルも飛ぶんだそうです。屋久島は飛び魚の漁で日本一です。特に島の東部にある安房港では年間1000トンの水揚げがあります。

日本の近海には30種類前後の飛び魚が回遊しているといわれ、その多くが屋久島を通過します。飛び魚にとって屋久島沖は欠かせない通り道になっているわけです。

漁礁は島から40q以内で黒潮の流れにのって生息しています。 青トビ(カラストビウオ)セミトビ(アヤトビウオ)など、季節ごとに違った飛び魚が捕れ、一年を通じて漁が行われます。

飛び魚は非常に運動能力の高い魚で海面から3mくらいの所を300mくらい飛びます。島ではふんだんに取れる飛び魚をいろいろな料理で楽しみます。特に人気があるのが新鮮な刺身やお寿司です。弾力があってあっさりしておいしいです。

身がしまっていて、ぷりぷりとした食感が味を引き立てます。飛び魚をつかったさまざまな加工品も売られています。すり身にしたものや飛び魚ラーメンなども見られます。

種子屋久近海では通年を通して大小いろいろな種類が漁獲され, 全国で水揚げされるトビウオの約2割が鹿児島県産であり、そのうち約7割が屋久島産です。

脂肪が少なく、高タンパク低カロリーの優良食材。刺身・塩焼・唐揚げ・干物・すり身で食べられ、 すり身で作られる「つきあげ」も美味です。

お取り寄せもできます。私達が買ってきたトッピーの包装紙に製造者が書いてありました。お取り寄せできるかもしれませんので問い合わせてみてはいかがでしょうか。

屋久島漁業協同組合(特産物加工販売センター)
鹿児島県熊毛郡屋久島町安房410-155
電話・FAX 0997−46−2323

あごふりかけ(あごが落ちるほどおいしいから名前がついたそうです)これもまた美味しい!です
松和物産(株)
鹿児島市小松原1-9-10
電話・0992−60−6300

●レポートがアップされるまでの間「おみやげ話」として6回に渡り書きました。いまレポートがアップ出来たことで屋久島のおはなしに幕を降ろしたいと思います。

【ブログ写真は宮之浦岳山頂と屋久島空港を掲載】


[2293] 【2370回 屋久島から戻りて D 】 2010-11-01 (Mon)

「屋久島のヒル」

ヤクシマ名物は屋久杉だけではありませんでした。昼間の散策時にどこで連れて帰ってきたのかポチの足の指の間に「ヤクシマヒル」がくっついて来ました。風呂に入っても仲良くくっつき、夕食時も延々と、ま〜ず〜いポチの血を吸い続けていたのです。近畿地方で見るヒルの色とは全く別で、どす黒く寒気のする生き物でした。ヒルと気が付いてから、大あわてしているポチの姿をみんなに見せてあげたかったです。しかし、昼間に「ポチさん何か足についているよ」と散策レディ達に指摘をされていたらしいのですが、本人にその記憶がなかったらしいです。まっ、屋久島に行ってヤクシマヒルに吸い付かれるのも思い出のひとつ〜

「ヤクシマヒル」は永田歩道、花山歩道、西部林道沿いに多く生息します。生息地は川沿い、湿地帯とは限らず、尾根筋にもいます。乾燥している時は表面積を小さくして乾燥に耐えるため球状になっており、落ち葉の下に潜み、雨の前後に活発に活動します。

体長2〜3a、褐色、黒褐色で細く体前後端吸盤を持ち、頭部に口、後部に肛門があります。動物や人の気配を感じると、落ち葉などに吸盤で体を固定して立ち、かすかに左右にゆれて獲物を待ちます。パーティなどでは先頭より2〜3番目の人が被害に遭う場合が多いそうです。

動きはシャクトリ虫に似て、落ち葉から素早く足下に移り、衣類の隙間から進入して吸血します。吸血時の痛みは感じず、体長の3〜5倍に膨張したヒルは、皮膚から離れ逃げます。ヒルには血液凝固防止物質のヒルジンが含まれているので、吸血されると30分ほど出血が止まりません。休憩時や帰宅したあと、衣類に血がついているのに気が付き被害を知ることがあります。吸血後2〜3日で傷口がふくれ、かゆみをもよおし、人によっては1ケ月もかゆみが続きます。地元の人が山に入るときは「樟脳」を使っているそうです。

防止策としては、まず足下の乾燥状態を保つことが大切です。しかし雨の日はそれは不可能で、防虫スプレーを足下に吹き付け、靴の中、靴下、ズボン、スパッツにまで充分防虫スプレーをすることが必要です。なおヒルはアルカリには弱いそうです。

下記アドレスはグロテスクなヤクシマヒルの写真です
  http://f32.jp/613/post_54.html

【今日の写真は縄文杉とヤクシカとの出会いを掲載】


[2292] 【2369回 屋久島から戻りて C 】 2010-10-31 (Sun)

「山は天気に限る」

屋久島登山を終えて、ひしひしと感じるのは「登山は天気の日に限る」、これは当たり前の事ですが、出発時に天気であっても午後になると雲行きが怪しくなるのは山の常。天気予報をしっかり聞いていても山小屋に到着する頃は必ずガスに包まれてしまいます。今回初めて無人小屋を利用して思ったのですが最低必要な荷物って何だろうと考えました。有人小屋だと乾燥室があり心配はないのですが、私達が到着した小屋の中に、大雨で4日間も閉じこめられて動けず、かと言って食料がだんだん心細くなってきて、危険を承知で大雨の中、出発せざるを得ないと書いてありました。小屋を後にする人たちがクッキーであったり、パンであったりを分け与えてくれたため4日間も小屋に滞在できたのだと感謝の言葉を添えていました。小屋を後にする人たちも、決して多くはない食料の中から、山を愛する同じ仲間として助け合う気持ちがあったのだと思います。私がその場にいたとしても飴1個であっても、ミカン半分であっても「どうぞ」と渡していると思います。この方のメッセージから「行動食」とは別に「非常食」が必要であることを痛感致しました。

雨や霧で濡れた衣類はすぐ小屋に着くと着替える。勿論パンツもです。「パンツはどこで履き替えたらいいの?」そんなこと言ってる場合ではありません。仲間に人垣を作ってもらったり、隠れたりせず自然に堂々と着替えはできるものです。だ〜れも見たりしませんし、見てくれません(笑)乾いた衣類として今回私は、ダウンもフリースも持たず、保温性抜群の防寒肌着の上下と靴下、パンツのみ持参しました。朝になったら乾いた衣類を脱ぎ、まさかの時のために防水袋に入れてリュックに直しておきました。途中で寒さに震えるような事があれば下着を重ね着として使うつもりでした。濡れた衣類や合羽は翌日また来て出かけます。歩いているうちに、だんだん乾いてくるのです。新聞紙も必需品です。もし靴が濡れていたら新聞紙を丸めて突っ込んでおけば少しはましになります。小屋の床が雨漏りで濡れていたら、新聞紙を敷くことによってマットや、寝袋を濡らさずに済みます。小屋で履くスリッパも軽い物を持参したいです。今回の小屋には先客が残したスリッパが沢山ありましたが、なければトイレに行くにも、水汲みに行くにも、濡れた登山靴を履いていかなければなりません。

今回助けられたのは、どこでも水飲み場があるということです。至る所に、滝の様に流れる水は屋久島名水と言われ、登山者の喉を潤してくれました。ペットボトル1本あれば、どこでも補充でき、そのおかげで荷物をペットボトル3本分(1500c)軽くすることができました。

行動食のベストは甘い物は少しにして、重たくても、リンゴ、ミカン、フルーツゼリーなどの水分の多い食べ物が喉越しが良くて体力がつくように思いました。魚肉ウインナーは行動食や非常食に最適ですが、普通のウインナーはビールのあてにはいいのですが少し塩辛くて喉が渇きます。

リュツクの中を包む防水用品としては音の出ない防水袋を使用した方が他の登山者の迷惑にならずに済みます。急に用を思い立ちリュックを開けるたびに、カサカサと音がするナイロン袋やチャリ袋は寝静まったときにうるさくて耳障りです。周囲の状況を、よく把握して小屋を利用したいものです。仙丈岳登山で立ち寄った「馬の背ヒュッテ」はリュックは階下に置き、寝室となる2階にはリュックは持ち上がらないシステムになっています。ちなみに私は温泉でもらうビニール袋(あまり音は出ない)を利用しています。

【ブログには千尋の滝を掲載】


[2291] 【2368回 屋久島から戻りて B 】 2010-10-30 (Sat)

「青いバナナ」

屋久島のパイン直売所からパイナップルと、木からもぎたてのバナナを、それぞれの孫達に直送しました。

「ばぁちゃんから青いバナナ送ってきたよ」
「食べたい〜食べたい〜」
「かたいよ〜っ」
「まずいよ〜っ」
あ〜あ、ばあちゃんの点数さがったかな。
帰ってから電話をして「青いバナナは赤ちゃんだから黄色くなるまで待ってね」そう言おうと思っていたのに・・・・

別の孫は「青いバナナは食べられない」とパインに夢中だったそうです。

パイン工場でのパイナップルは試食を仕損ねたのですが、買って帰り食べてみたところ「こりゃ!うまい!」と飛び上がるほどではありませんでした。ポチの言うには「屋久島で試食で食べた方がうまかった」そうです。

お土産物に旨い物なしと言いますがトッピーのハンバーグだけは別格で美味しかったです。10箱も買いましたが、ご近所様に配ると、まだ足りないくらいでした。(買い占めれば良かったなぁ)

登山の時は観光ではないので無事に帰ることが土産と、自分の中で決めていて「土産は無し」と思っていても、長い日程だと心配しているだろうなぁと思うと、ついついお土産物に手が出ちゃいます。今回はトッピーのふりかけと、トッピーのミンチと、何故か黒豚のチップスと黒砂糖と、焼酎の三岳とパイナップル&青いバナナを買いました。(トッピーとは屋久島地方では飛び魚のことを言います)

えらい買い込んだものでしょ?でもね、いつも、ご近所さんから、お土産の頂き物ばかりしているので、このときとばかりと買い込んじゃいました。土産の基本は、自分が味見をして美味しかった物がベストだと思います。

●四万十川のほとりで焼きたての鰹のたたきを食べて、美味しいっ!って言うことで買って帰ると、そうでもなかった。(現地で食べるに限る)

●四万十川名物と言えば「筏羊羹」これしかない!
(いやな甘みはなく、故郷を語るにはこれしかない)

●穂高のロープウエイ山上駅で「ここにしかない」と言う岩海苔のあまりのおいしさに自宅に帰ってから工場に電話して取り寄せました
(コリコリとこりゃ旨いよ)

●北海道の嫁が里帰りした時に買ってきてくれる塩鮭。魚屋で生の鮭から塩漬けをしてもらう味は大阪にはない
(最近では現金を渡して注文してもらっている)

ま、そんなこんなで、土産物を買うのも、貰うのも楽しいものです。宮之浦岳登攀記念に屋久杉で作った手鏡を大切に使うことにしました。少々、曲がった顔もシミも世界遺産が隠してくれそうです(そんなわけないか〜)

【今日のブログ写真は万代杉を掲載】


[2290] 【2367回 屋久島から戻りて A 】 2010-10-29 (Fri)

「初めての避難小屋泊まり」

山小屋は何度となく経験したことがありますが無人の小屋は初めての事でした。私の脳裏にあるのは北海道トムラウシで避難小屋の場所取りをする旅行会社のガイドの姿でした。もし満員だった場合は、天気ならば外にテントを張ろう、雨ならば小屋の片隅で座ってでも夜を明かそうと相談していましたが、前日に天候不良で飛行機が飛んでいないことから島内に登山者は少ないだろうと、判断してテントは宿に置いて行くことにしました。

混雑をしていた縄文杉を過ぎたあたりから誰も人の気配がしなくなりました。新高塚小屋へ行く道すがら、ヤクシカやヤクザルに出会い、名も無き杉達も何千年もの間、この屋久島で堂々と生き続けていた様子が心に伝わってきました。「さすが〜世界遺産!」と何度叫んだことでしょうか。新高塚小屋は頻繁に利用されていることからカビの臭いや不潔感もなく、わりとスンナリと受け入れることができました。ただ雨ばかりの屋久島ですからところどころ雨漏りの跡があり、そこを避けて自分たちのスペースを陣取ることから始めました。4日間も雨で小屋に缶詰状態だった人のメッセージも残っていました。今日は私達が一番乗りです。時間は午後1時。到着と同時に雨が降り始めました。

小屋の入り口には先客が残して行ったであろうスリッパが5〜6足、クリーニングハンガーも沢山ありました。入り口には登山に出かけているのか残置なのか不明のシート1枚が敷かれていました。我々グループが寝るには丁度のスペースなのですが、もし戻って来て「そこはオレの場所や」と言われても困るので奥の仕切を最小限のスペースで確保しました。その後ジャジャ降りの雨の中、やって来たのは広島グループの3人。聞くところによると10人で山行中だが足の速い3人が先行して(俗に言う場所取り)到着したのだと言います。その後、東京の銀行勤めの青年が宮之浦岳からズブ濡れで到着。ひとりで歩いて誰とも会わず人恋しいのですと親しく話しかけてきました。靴から水道をひねったような雨水をいっぱい出していたため、持っていた新聞紙をその青年の靴の中に入れるよう差し出しました。この青年はパンとおにぎりしか持っておらず寒さを回避するために我々と一緒に夕食のカレーと、朝食の温かい紅茶を振る舞うこととなりました。(温かい食べ物の装備もしてね〜)

やがて遅れていた広島グループも到着し小屋は賑やかになりました。小屋の入り口に合羽を、所狭しと吊って乾かしていたのですが、後から到着したガイドらしき人が「通路に干してはダメだ」と私に向かって怖い顔で言いました。「私達は雨に遭っていません。干した人に声をかけてきます」と言うと「では通路から移動しておきますのでその事を伝えて下さい。」と今度は穏やかな表情で。(うん、うん、ここは通路なんや)

それぞれのグループが夕食をとり、就寝することとなりましたが小屋の番人である「ヒメネズミ」がリュックや登山靴を食い荒らすと言うことでメンバーが怖がっていましたが朝になってもヒメネズミの被害はなく、夜明けとともに、霧の中を出発することにしました。

初めての小屋泊まりは、お互いのルールを守れば意外と快適であると言うことがわかりました。残置されたスリッパ、ハンガーはとても役立ちましたが、出来れば自分で持って来た物は自分で持ち帰れば小屋は清潔で、次の利用者が快適であることもわかりました。便利であると思われるスリッパもハンガーもやがては朽ち果ててしまうとゴミと化してしまうのです。水場、トイレも完備されており時折ヤクシカの啼く声も聞こえ素敵な避難小屋でした。 【ブログ写真は海中温泉を掲載しました】


[2289] 【2366回 屋久島から戻りて @ 】 2010-10-28 (Thu)

「南国から戻ると冬模様・・・・」

夏布団のまま震える思いで朝を迎えました。何と大阪の寒いこと・・・北の国では積雪もあったとかで驚いています。山の様な洗濯物と闘い、登山靴に感謝のブラシを当て、リュックに大役ごくろうさまと、ぬるま湯につけ、やっと一息つける状態になり、こうしてキーボードに触れています。

戻りて、メールを見れば「奄美大島は大荒れと言うに大丈夫か?」の内容がほとんどでした。奄美大島の皆様には本当にお気の毒な大きな被害でしたが屋久島は300qも離れていることから、平静な日々を過ごすことができました。

平静な日々と申しましても、雨の洗礼を受け世界遺産を守り抜くには、この雨無しでは成し得ないことを、島外から訪れた私達にいやと言うほど知らしめて、その後、晴天のご褒美を頂いた次第です。

大阪に戻る最終日、民宿の入り口の戸を開けると「ヒューッ!ヒューッ!」と言う強い風が吹いています。テレビのニュースでは台風が接近していて、どうも奄美、屋久島地方を直撃かと報道をしていました。丁度、民宿の方が通りかかりましたので「飛行機飛ぶのでしょうかねぇ?」と聞くと、笑いながら「こんくらいでは大丈夫!飛ぶよ!」と聞き少し安心しました。迎えのタクシーで空港まで行くと台風情報が張り出されていて「屋久島ー鹿児島便は欠航」とありましたが「屋久島ー大阪便」については「条件付き」となっていました。

ん?と言うことは、着陸する飛行機が到着しない限り大阪には戻ることができないっちゅうことか?と「なぁ、なぁ飛行機が飛べへんかったらどうする?」「民宿に戻るしかないやろ!」何日間、缶詰状態になるのか、仕事や予定のある人はどうなるのかと悩んでいたら目の前に74人乗り飛行機が到着しました。「よっしゃ〜!これで予定通り、帰れるぞ〜」タラップを降りる乗客の数を数えると24人・・・

屋久島は無限大の魅力のある山々が沢山ありますが、島のガイドをつけて登山する人が圧倒的です。世界遺産と言うこともあるのか、案内板は少なく、ガイド業の仕事が成り立つ仕組みになっている様です。トロッコ道で前を歩く人が突然立ち止まりガイドの説明を聞くグループに、通路をふさがれ戸惑いましたが、縄文杉への魅力を求める人が多いということだけは伝わってきました。これから屋久島を訪れようと思う人たちへのアドバイスとしては、「タクシー代金が思いのほか必要」と言うことです。目的地についたら必ず帰りの予約もしておくことが必要です。電話は圏外で〜す。

宮之浦登山を終え淀川登山口に到着した時、我々は予約しておいた迎えのタクシーに乗ることができましたが、後から降りてきたグループはバスの最終にも乗り遅れタクシーも呼べずで通りかかったガイドさんに、タクシー会社への連絡を頼んでいました。

卒業論文の様に頭を悩ます・・・旅レポート・・待っててくださいね。【ブログに写真を順次紹介していきます。見て下さいね】



[2288] 【2365回 ただいま〜屋久島から戻りましたよ〜】 2010-10-27 (Wed)

10月21日から27日まで屋久島登山に出かけていましたが、全ての山行(予備日の愛子岳は登らず)27日12時45分着の飛行機で全員怪我もなく、無事戻りました。ひと月に35日も雨が降ると言うだけのことあって、ずーと、ずーと、ずーと雨ばかりでしたが25日26日とは屋久島でも久々の晴天となり縄文杉から宮之浦岳まで縦走してまいりました。帰りは台風の影響で「条件付き飛行」ではありましたが、無事戻ることができました。詳しくはレポートで(少し時間がかかります)

驚いたことに1週間、南国に滞在している間に大阪はすっかり冬支度になっていました。屋久島では半袖で、それでも暑く感じたのですが、思わず飛行機の中でダウンを羽織る仲間もいました。


[2287] 【2364回 秋休みをいただきます】 2010-10-20 (Wed)

★10月21日から27日まで「秋休み」をいただきます★

樹齢3000年以上、太古よりひっそりと息づく縄文杉や洋上のアルプスといわれる宮之浦岳、屋久島へ命の洗濯に出かけてきます。1年365日、雨だと言う屋久島、はてさてどうなりますことやら。天気予報士も顔負けの「姫天気」の効果があればいいのですが!

●10月21日・木曜日 伊丹空港〜屋久島空港〜宿〜淀川登山口(小屋泊)

●10月22日・金曜日 淀川避難小屋〜宮之浦岳(1936b)(小屋泊)

●10月23日・土曜日 新高塚小屋を出発、屋久島の心臓部、縄文杉との出会い

●10月24日・日曜日 本富岳の予定です。

●10月25日・月曜日 屋久杉ランド登山口〜太忠岳

●10月26日・火曜日 愛子岳登山

●10月27日目・水曜日 帰着日 屋久島空港〜伊丹空港

では、よろしくお留守番のほどお願いします。「お土産話」楽しみにしてて下さいね


[2286] 【2363回 観光モードで御在所へ】 2010-10-20 (Wed)

10月19日、御在所へ研修会旅行となり参加をしました。昔ロープウエイを利用してニホンカモシカを見にきたことがあります。スニーカーで周辺を散策した時の景色が蘇りました。今回はロープウエイとリフトを利用しアッという間に頂上に到着です。約12分間の空中散歩を終えるとロープウエイ山頂駅に到着です。ここからは自由行動となり、私は更にリフトに乗り継ぎ、標高1212メートルの地にある御在所岳の一等三角点に触れてきました(デンの記の撮影者はおらず)。望湖台と名付けられた展望台からは琵琶湖が見えるらしいですが今日は天気は良いものの霞の中でしたが裾野にむけて美しい紅葉を見ることができました。思わず「琵琶湖周航の歌」を口ずさむと観光客のおばさんが「そこの岩の上でもう一回歌うてえなぁ!」と、切り立った危ない岩の上を指さされて大笑い(危ないがなぁ!)

ロープウエイの中から登山道を見下ろすと、何人かが登っており、こちらに向けて手を振っていました。あ〜!いつもは私達が登山道から手を振っているんだなぁと手を振りかえし、逆パターンを楽しみました。2009年9月北岳バットレス登攀のためのトレーニングで御在所岳藤内壁に行ったことがあります。景色は全く別世界ではありますが岩峰群と紅葉がとても美しく後輩と四方山話をしながら有意義な時間を過ごしました。岩場を見ると体がムズムズしてきました。

日本のロープウエイのベスト10(乗車時間の長い順)
1位 24分 箱根ロープウエイ ●304メートル
2位 14分 蔵王ロープウエイ ●806b
3位 12分 御在所ロープウエイ●800メートル
4位 11分 新穂高ロープウエイ●1039メートル
5位 10分 八甲田ロープウエイ●650メートル
5位 10分 谷川岳ロープウエイ●573メートル
6位 07分30秒 駒ケ岳ロープウエイ●950メートル
7位 07分 層雲峡ロープウエイ●630メートル
7位 07分 立山ロープウエイ●488メートル
8位 05分 寒霞渓ロープウエイ●317メートル


[2285] 【2362回 救助ヘリの有料化 その4】 2010-10-20 (Wed)

●『自己責任なき山歩きの横行を許すな!救助費の自己負担を検討せよ!』(最終回)

昔は気概のある登山者が多かったから、救助隊員も「アマったれるんじゃない!。自力で下りてこい!」ぐらいのことを平気で言っていたといいます。白馬岳でヘリの要請をした時、現に私もそう言われました。冷静に考えると全くその通りで、募集に応募してきた人たちを、トレーニングもせずに連れてあがること事態が問題だったのです。体力不足で歩けなくなった参加者に、下山を促すと「スタッフのあんたらぁが連れて行ってくれるのと違うのか!」と険しい表情さえされたのです。白馬岳への厳しい雪渓を、自力で歩けない参加者を、ロープをかけて登る苦労を理解してくれているのは、あの時、我々に手を差し伸べてくれた、わが倶楽部のメンバーだけではないでしょうか。

しかし、時代は変わり、登山者の気質も変わりました。もし今「アマったれるんじゃない!。自力で下りてこい!」と言ったなら、たぶん訴えられると思います。いくら安易な救助要請に思えたとしても、なにかあったときの責任を考えてしまうのが今という時代です。まして警察官や消防隊員には、人の命を守る・救うという“使命”があるからなのです。
救助要請があった以上、原則的に救助隊員は出動していかなければならないのです。

そもそも登山というのは、誰かに強要されて行なうものではなく、自分が登りたいから登るという、あくまでも自発的な行為であるはず、すべての行動いっさいに自分で責任を負うのは当然で、救助を行なうのが民間であれ行政であれ、その救助費用は遭難者の自己負担にすべきだとの動きになってきつつあります。但し登山者が遭難死の場合、残る家族に経済的負担が大きく支払い不可能の場合は「適応外」という道も残しての有料化への検討だそうです。

そこで大事になってくるのが山岳保険です。救助に何日も要していた昔は「遭難すると家がつぶれる」などと言われておりましたが、現在の救助費用は、捜索が長引かないかぎりだいたい100万円以内で収まっており、個人での支払いが決して無理な金額ではありません。最低限の捜索救助費用を補償する山岳保険の年間保険料は5千円前後といわれています。登山靴や雨具に数万円のお金をかけられるのだから、山岳保険を登山に必要な装備のひとつと考えれば、安いものです。私は更新時、少し保険料を上乗せして「日帰り治療」も保証範囲の保険に変更しました。おかげで肩脱臼で通院をした時には適応され助かりました。(怪我をしない事が前提ですが・・・)

救助費用を自己負担とし、山岳保険への加入が登山者の義務となれば、なにより「登山は自己責任で」という意識が高まるようになり、安易な救助要請も確実に減ります。もちろん反対意見もあるでしょうし、解決すべき問題も少なくないと思います。しかし、今、急務とされているのは“連れられ登山”に慣らされてしまっている登山者に自立を促すことであり、救助費用の有料化は、ショック療法みたいなものだと行政は強気です。資料に基づき、体験も交えて書いてきましたが、これから登山をしようと思う人、現在、登山を楽しんでいる人に少しでも役立ちましたでしょうか?これらのことに充分配慮して、あと何年、元気に山登りが出来るかわかりませんが、我々の倶楽部には70歳を過ぎてもアルプスを駆けめぐっている諸先輩がいらっしゃいます。私が70歳すぎて同じことができるかと言えば、それは未知の世界です。しかし目標となる元気な先輩を見習って、まだまだ・・・・!元気ですよ!

これからも仲間の皆様と一緒に日本の山々を楽しみましょう。    (4回シリーズは今日で完結です)


[2284] 【2361回 救助ヘリの有料化 その3】 2010-10-19 (Tue)

●『自己責任なき山歩きの横行を許すな!救助費の自己負担を検討せよ!』(その3)


事故が起きた地域や事故の状況にもよりますが、現在は警察か消防防災の行政ヘリコプターが救助に向かうケースが多くなっています。ただ、どちらのヘリコプターも山岳救助以外のパトロールや捜査、災害対策、広報活動などの用途に使われることも多く、また定期点検や整備も行なわなければならないので、遭難事故が起きたときに必ず出動できるとはかぎりません。そんなときは警察と消防が連携をとり合って、飛べるほうのヘリコプターを飛ばすことになります。

「タダの行政ヘリ」と言いますが決して無料ではありません。
そこで気になるのが救助費用について現行の救助体制では、警察、消防、自衛隊のヘリコプターや救助隊員が出動したときには、その活動は任務の一環とされるため、救助費用が当事者に請求されることはありません。しかし、民間のヘリコプターや救助隊員が出動したとなると、その費用は遭難者本人もしくはその家族が負担しなければならなくなります。救助費用の目安は、ヘリコプターのフライトが1時間あたり50万〜60万円、救助隊員の日当が1人1日3万〜5万円前後といったところです。「民間ヘリなら救助はけっこうです」そんなことを平気で言う遭難者にでも、救いの手をさしのべなければならないのが悔しくてたまりません。

現在の登山者は、行政ヘリコプターが救助を行なえば費用はタダで、民間ヘリコプターが出動すると救助費用がかかってくることを知っています。だから救助を要請するときに、「県警ヘリで救助してください」と指定してくる遭難者もいるといいます。もちろん、状況によってどこのヘリコプターを使うかは違ってくるので、遭難者がそれを指定することはできません。「民間ヘリコプターが来るなら救助はけっこうです」と言われたケースも過去にあったそうですが、とんでもない話です。

行政ヘリコプターや救助隊が出動したときでも実際は人件費や燃料代などがかかっているわけで、諸々の費用を含めた経費は、民間の救助隊が出動した際の額とほぼ同じぐらいだと考えられています。それを遭難者側が負担するのではなく、県と国の税金でまかなわれているだけの話なのです。

昨年の遭難件数が最も多かった長野県警では、昨年度の県警ヘリコプターの運用予算は2億9100万円。このうち機体の整備費および燃料費の一部にあたる3200万円は国から補助されているので、2億5900万円が県の負担となる。ちなみに昨年度の出動回数は353回で、うち山岳遭難救助・捜索での出動は128回。単純に計算してみておよそ9390万円の救助費用が長野県の税金から支払われていることになります。

遭難者の救助にあたっては、一律に救助費用がかかってくるのに、行政の救助隊が出たら国や地元自治体の税金でまかなわれ、民間救助隊の場合には当事者の負担になるというのは、たしかに不公平感が強い。長野県を例に出せば、昨年の遭難者のうち83%が県外の人であった。「他県から遊びにきて遭難した人を助けるために、なんで地元の税金が使われなければならないんだ」という声が上がるのも無理のない話ですよね。

この問題を初めて公に取り上げたのは前T長野県知事で、行政ヘリコプターによる山岳遭難救助の有料化をぶち上げましたが、知事選での落選後いつの間にか立ち消えになってしまったそうです。今度は富山県警が行政ヘリコプターの有料化を示唆する見解を示しているそうです。ヘリコプターの有料化については私個人としては賛同します。そのかわり「山岳保険」をしっかり掛けておきたいと思います。


[2283] 【2360回 救助ヘリの有料化 その2】 2010-10-18 (Mon)

●『自己責任なき山歩きの横行を許すな!救助費の自己負担を検討せよ!』 (その2)


増加傾向がいっこうに衰えそうにないのが遭難事故。登山時の事故だけではなく、山菜・キノコ採り、渓流釣り、観光、狩猟、作業の際に起きています。とくに「山菜・キノコ採り」が占める割合はかなり大きく、山菜・キノコめがけて、どんどん奥に突っ込み道迷いや滑落などに陥るのでしょうか。

中高年の登山ブームの始まりとともに急増した遭難事故の主役は、やはり中高年層。
中高年層の遭難事故のなかでも高齢者の事故が目立つようになってきているのは、「若い頃、登山に熱中したことがある」から、自分の体力を過信しすぎて暴走し、挙げ句の果てに自爆するということになるのでしょうか。昭和20、21、22、23年生まれの「ベビーブーム」と言われた人たちが定年を迎えたことも中高年の登山者が増えた原因でもありそうですね。なぜならば、私のその口だから・・・・

中高年層の登山ブームは、すっかり定着しました。最近では「山ガール」が脚光を浴び、まずファッションから若者の心を惹きつけ、若者の間に登山・アウトドアブームが広がりつつあり、以前と比べると山で若者を見かける機会が多くなっているのも事実です。登山中にすれ違うと、思わず「お洒落〜」と振り向くこともしばしば。しかし、山における中高年登山者の存在感はいまだ圧倒的で、どの山に行っても元気な姿ばかりが際立っていま
す。

昔は、山というのは若者たちの独壇場でした。彼らは仲間とともに山岳会を結成し、先鋭的な登攀へと情熱を駆り立てて、登山の多様化も進み、アイスクライミング、雪山登山、沢登り、縦走、ピークハント、ハイキングなど、思い思いの楽しみ方で山と親しむようになりました。ところが、時代の流れとともに、徐々に若者の登山離れが進み、登山には「キツい」「汚い」「危険」の3Kのイメージがつきまとうようになり、体育会的な上下関係が敬遠されるようになったこともあり、高校・大学山岳部や社会人山岳会は、衰退の一途をたどっていきクラブ活動も下火あるいは廃部になる学校もあったようです。

若者に代わって山の世界に流れ込んできたのが、中高年世代。忙しい盛りを過ぎたサラリーマンが、あるいは子育てを終えた主婦が、余裕のできた時間とお金で「これからは自分の好きなことをやっていこう」と考えたときに、敷居が低そうに見える登山が格好のターゲットになりました。(ハハハ・・私もその口や〜)

しかし、そこに大きな落とし穴があり、山にはたくさんのリスクが潜んでいて、一瞬の不注意や油断が命取りになってしまうこと、よって山に登るにはそれ相応の知識と技術と体力が必要になってくることを、にわか登山者の人たちは理解していなかったようです。中高年層は山岳会等の組織に属することを嫌い、見よう見まねで山に登りはじめ、遭難事故が急増していったのだそうです。

現在の登山者の多くは、ツアー会社等に連れて行ってもらう“連れられ登山者”と言われているそうです。北海道のトムラウシ事故ではスタッフ同士も初顔合わせで、何の事前打ち合わせもなかったというお粗末ぶりでした。山製品を販売する店先には「富士山に行こうセット」「劔岳に行こうセット」なるものをワゴンの上に乗せ、これだけ買えば誰でも富士山や劔岳に行けるよと安易に登山を勧誘して初心者に勘違いを起こさせているのではと思います。

遭難事故が起きたときに救助活動に当たるのは、主に警察、消防、民間救助隊の3つの組織です。大きな遭難事故の場合は、これに自衛隊が加わることもあります。一般的な遭難事故では、原則的に警察が救助活動の指揮を執ることになるが、救助要請の第一報が消防に入れば、最初から消防が救助に当たる場合もある。

救助要請が入ると、まずどのように救助を行なうかが検討される。ヘリコプターでの救助が可能なのか、不可能なときはどう対処するか、民間や消防の救助隊員に応援を求めるかなど、いろいろなことを検討したうえで最善の方法を選択するわけです。
救助活動自体も、原則的には警察の救助隊が主体となって行なわれますが、それもケースバイケースで、人気の高い山岳地を抱えるエリアでは、古くから民間救助隊が組織されており、その実力には警察や消防の救助隊も一目置いています。事故の状況によっては、警察からの要請を受けて民間救助隊員だけで救助を行なう場合もあります。

現代の山岳遭難救助は、機動力に優れたヘリコプターなくしては語れません。山麓から歩いて現場へ向かい、遭難者を担いで下ろしていた時代は、救助に数日間かかるのも当たり前、それがヘリコプターを使えばわずかな時間で救助ができます。救助隊員や遭難者にかかる負担は比べものにならないほど少なくてすみ、遭難者の生存率も、ヘリコプターのおかげで格段に高まっています。


[2282] 【2360回 救助ヘリの有料化 その1】 2010-10-17 (Sun)

行政ヘリコプターに関して有料化を提案する中で、現在の中高年の登山ブームに関しての資料を入手しました。4回に分けて (その1)

●『自己責任なき山歩きの横行を許すな!救助費の自己負担を検討せよ!』

救助ヘリコプターをタクシー代わりに呼びつける安易な救助要請が増えていることから有料化への提案が議会に出されているらしいです。「救助費を自己負担させれば、自覚を持った登山者が増え、遭難も減るはずだ」この考えが有料化への提案となったようです。

【事例1】
今年の2月、東京近郊のハイキングエリアとして人気の高い箱根の金時山〜明神ヶ岳のコースを歩いていた60歳代の男女3人パーティが、携帯電話で救助を求めてきた。誰かがケガをしたわけではなく、道に迷ったわけでもない。ただ雪が深いため思うように歩けず、日暮れも迫ってきたので救助を要請したのであった。

【事例2】
夜10時ごろ、北アルプスの岳沢あたりから「疲れて動けない。暗くて道がわからない」という救助要請があり、救助隊員が「そこでビバークして明るくなるのを待て」と指示すると、「だったらけっこうです。自分で歩きます」と言って電話を切られたという。

【事例3】
要請を受けて救助隊員が現場に向かおうとしたら、登山口で自力下山してきたそのパーティとばったり出くわし、「遅いよ!」と言われ、救助要請をキャンセルされたこともあったそうだ。丹沢方面を管轄する救助隊の隊員は、「ヘッドランプひとつ持っていたら、出動しなくてすむ事例がいっぱいある」と言って嘆いていた。

こんな事例ばかりだと、本当に救助を必要な人も十把一絡げにされ「またっ!中高年かよぉ!」と言われがち。とくに最近は、安易な救助要請の問題がず〜っと、くすぶり続けています。昔の山男達の間には「救助を要請するのは恥。山は自分の足で登って自分の足で下りてくるもの」という認識がありました。ちょっとや、そっとのケガで救助を要請するなんてことは考えられず、這ってでも自力で下りてきたものでした。

最近では、「登山は自己責任である」という大前提が通用しない時代となりました。行政ヘリコプターがタダであることを誰もが知っているうえ、携帯電話の普及によってすぐに連絡がとれることから、大したケガでもないのに、まるでタクシーを呼ぶような感覚で救助を要請してしまう。救助費用を税金から捻出することに対して反発が強まっているのは、ここがネックになっているのです。

増加傾向がいっこうに衰えそうにないのが遭難事故。警察庁が発表している、山岳遭難事故の統計によると、中高年の登山ブームが始まる以前は遭難発生件数および遭難者数ともにほぼ横ばい状態に推移していたのに、1990年初頭以降は急カーブを描いて増え続けているそうです。(この20年ほどでおよそ3倍にも増加)

もっとも、この統計には登山時の事故だけではなく、山菜・キノコ採り、渓流釣り、観光、狩猟、作業の際に起きた事故も計上されています。とくに「山菜・キノコ採り」が占める割合はかなり大きく、山菜・キノコめがけて、どんどん奥に突っ込み道迷いや滑落などに陥るのでしょうか。


[2281] 【2359回 あっぱれっ!33人!】 2010-10-16 (Sat)

チリ北部のサンホセ鉱山落盤事故で、地下700メートルに69日間閉じこめられていた33人の作業員の人たちが救出される様子をテレビで終始見守っていました。フェニックスを引き上げたり下ろしたりの巻き上げ機も、昔勤めていた会社で取り扱っていた製品のため関心があり「33人全員引き上げるまでロープがからまったり故障しないでよ!」そんな気持ちで見守りました。

33人の中のひとりが「我々のそばには悪魔と神がいたが、我々は神の手を決して離さず、神もまた我々を見放さなかった」とうれしさを表現されていました。当初はフェニックスの近くでは大統領と家族1名だけが出迎え、残りの家族は少し離れた施設の中で対面する予定だったそうです。しかし最初の引き上げ者の息子(7歳の少年)が「パパをここで待ちたい!」と大統領に直訴したそうです。大統領はこの少年の直訴に心を動かされフェニックスのそばで迎えることになったそうです。(大統領はフェニックスのそばで33人すべてを出迎えたのではなく最初の何人かと最後の何人かを出迎え、中間で救出された人たちには大統領の出迎えはなかった。地下で大統領に迎えてもらえると期待していた人もいたと言うのに!)

救出2人目の人が「我々は俳優でも芸人でもなく鉱山労働者である!」と叫んでいました。これは救出後に、ふりかかってくるであろうマスメディアへの対応・批判などに対しての牽制球の様に思われます。33人が結束して69日間を耐え抜いたのに、地上に戻ると金銭がからんでインタビューや出版、映画出演など鉱山労働者としてではない生活に舞い踊るまいと言う固い決意の様なものが伝わりました。おもしろおかしく報道されることに対してやりきれなかったのだと思います。(愛人問題とて、離婚の許されないお国柄で、妻とは2年も前から別居しており愛人と言うにはちと・・・違うような気がしますが)

死亡者を出さず全員救出できたことは大変喜ばしいことだと思います。700メートルの地底で69日間も、33人をたばねたリーダーは、故大沢親分の言葉を借り「あっぱれ!」ですね。それぞれの特技、特徴を生かし、役割分担をし、食料の配分も采配し、救出の順番も誰もが「我れ先に!」とパニックにならないようリーダーシップをとっていたと言います。「あっぱれ!」

りっぱな指導者がいたからこそ全員、命を落とさずに生還できました。これを企業に教訓として置き換えて見ました。能力のある管理職がいれば企業は必ず立ち直ります。社外のコンサル等の力を借りても所詮、それはコンサルの「商売」です。自分の会社は自分たちで守る、社員もまた能力のある管理職の下で働くことが将来有望であるということです。


[2280] 【2358回 あの北岳バットレスが!】 2010-10-15 (Fri)

2009年9月に北岳バットレス第4尾根主稜登攀をしました。あのクライマーの憧れの岩壁「北岳バットレス」がえらいことになってしまいました。以下は資料抜粋

『南アルプス・北岳の落石死亡事故:原因「第4尾根」の一部崩壊による入山自粛

南アルプスの北岳(3193メートル)東側にある大岩壁「北岳バットレス」で10日夜に起きた男性登山者の落石死亡事故は、ロッククライミングの人気ルート「第4尾根」の一部が崩落したことが原因とみられることが分かった。現在も落石が続く危険な状態で、南アルプスで山岳救助に取り組む「大久保基金の会」などは、バットレスへの入山自粛を呼びかけている。

崩落は10日夜にクライミングの終着点に近い標高2950メートル付近の「枯れ木のテラス」直下で発生したという。チャート岩と呼ばれる固い岩質の壁が、縦30メートル、幅40メートル、奥行き20メートルにわたり崩れ落ちた。

落石は標高差約450メートルの第4尾根下部にまで届いており、他のクライミングルートにも石が堆積している。テラス下の岩は今後も崩落の危険があり、13日には崩落現場付近まで登った登山者3人が立ち往生し、県消防防災ヘリで救助された。 第4尾根は夏場には全国から登山者が集まり、順番待ちになるほどだが、清水さんは「来春の雪解けで4尾根の石がどれほど下まで落ちるか様子を見守る必要がある。今年の登攀は危険すぎるので絶対やめてほしい」と話している』

六甲芦屋のゲートロックが崩落したのは随分以前のことになりますが、北岳バットレスは縦30メートル、幅40メートル、奥行き20メートルという、とてつもなく大きな岩と言うより山が、もげた状態で、ピンが抜けたとか、登攀に失敗したとか言う以前の問題で、登攀通過したこともある場所だけに鳥肌がたちました。(キャッスルウオールの大きさです)


[2279] 【2357回 高島トレイル(完結コース)へのご案内 】 2010-10-15 (Fri)

6月から始まった高島トレイルが、7回目を迎えることとなり、とうとう11月14日で最終を迎えることになりました。起点から80qゴールテープをみなさんと一緒に切りましょうね。高島トレイル観光協会の方がゴールテープ持って待っててくれないかなぁ(そんなはずないか!)

生杉と芦生を結ぶ古道、芦生の森原生エリアを名残惜しみつつ心に刻みつつ、芦生の森原生林最高峰三国岳で雄叫びをあげ朽木桑原でコール!80kmを完歩したことになります。

本来ならば大阪に向けて帰るべきなのですが「ごくろうさま&打ち上げ会」として地域の交流館「山帰来」で宿泊をする企画となりました。テント泊をとも思いましたが寒さが気になるのと、永きに渡り高島の地を歩かせていただいたお礼に地域にも少し恩返しができればと、地域の交流館「山帰来」にお世話になることにしました。みんなで楽しみましょう。宿泊後は翌日の15日月曜日朝、出発して大阪に帰ってきます。

スタートの地蔵峠に行く朝、「山帰来」に立ち寄り、食材をおろして地蔵峠から朽木桑原橋まで元気に歩きたいと思っています。メニューは「○○鍋」を予定しています。ご希望の「○○」がありましたら、ご一報下さい(ジョン希望の河豚鍋は予算上、却下!。猪鍋は猪を自分で捕って来てネ)楽しい宴にしましょうね。勿論!酒もタップリ!コンパニオンもいっぱい!(eiko&kazuko&hiroなど選り取り見取り〜)

今回が初参加の方も大いに歓迎です!。最終回の初参加でも、充分高島トレイルを堪能していただけるはずです。途中から参加した方達も、勿論!大いに歓迎です。


[2278] 【2356回 北岳で落石がテント直撃、死亡】 2010-10-14 (Thu)

『10月11日午前10時半頃、山梨県南アルプス市の北岳の標高2700メートル地点の岩壁で、落石に当たって負傷していた42歳の男性を県防災ヘリが発見。この男性は内臓損傷による出血性ショックで死亡した。南アルプス署によると、10日午後9時半頃、発見現場付近でテントを張って宿泊していたところ、テントに落石が当たり、登山仲間の男性が110番した。死亡した男性は9日から、仲間の男性と2人で入山していたという。』

なんと恐ろしい事故なのでしょうか。テントを張った場所は落石を充分想定して、安全な場所に張っていたはずなんですが、それでも事故は起きてしまいました。テントの中で寝ている2人のうちの1人が死亡、助かった仲間の男性の心中を思うと声も出ません。気の毒というにはあまりにも大きい悲しみではないでしょうか。

過去に北鎌尾根から槍ケ岳コースを登ったとき、ゴツゴツする岩場のそばで、テントを張ることになりました。「落石は大丈夫か、風の向きは、テント毎、落下しはしないか」等と工夫をしました。寝返りを打ったらテントごと落下するのではないかと思うほど狭くて危険な場所しかテントを張れない場合もあるのです。

万が一、私に落石が当たり死亡したとしても、ザイルパートナーは動揺を押し殺し、冷静に救助の手を呼べると思います。電話も通じず、視界も悪い北鎌尾根から這いずり出すには相当の登山技術と、忍耐力がいると思います。ではザイルパートナーに落石があったとしたら、私には北鎌尾根から這い出す技術も忍耐力もなく、落石で大怪我(あるいは死亡)をしたザイルパートナーの傍らで、私もまた死を待つことになるかも知れません。

同行した仲間に万が一があったとしても、また私に万が一があったとしても、山行実施した時点で「自己責任」において行動を共にしています。不幸にして死亡したとしても家族は生き延びた同行者に対して、絶対に責任追及をしたりすべきではありません。「そんなことは当たり前や!」いまは冷静だから、笑ってそう言えますが、配偶者は理解していても、息子達や娘達から冷たい視線が降り注ぐかも知れません。常々、その事を家族で話題にして「自己責任」において、好きな山で散ったのだと意思統一をすることが必要かも知れませんね。

私は唐松岳で遭難死した方の告別式に行ったことがあります。車椅子に座った年老いたお母さんの姿が悲しみを誘いました。心が痛みました。山行を同行した仲間も参列していて、その人の話を聞くことができましたが「あんなに技術的にすぐれた人だったのに何故!滑落なんてしたのか!」と嘆いていました。それほどに山の事故は突然襲来してくるのです。


[2277] 【2355回 姫っ!きれいねっ!】 2010-10-13 (Wed)

「姫っ!きれいねっ!」高島トレイルを終えた林道での出来事です。「えっ?私そんなに今日はきれい?」と聞き直すと「いややなぁ〜、姫とちゃうわ〜合羽のズボンに跳ね上げが全然ないからきれいやって言うたんや〜!」「な〜んやそうか〜。自分で言うのもへんやけど、ほんまに汚れてないねぇ」他の人たちのドロドロになった合羽のズボンと自分のズボンを見比べました。意識して歩いたわけではありませんが一目瞭然です。ポチの合羽ズボンもドロドロです(あ〜っ!帰ってからの手入れ大変やなぁ)どんな歩き方したら、あんなにドロドロになるんやろうと不思議なくらいです。(この時スパッツは合羽の下に装着)

帰りに温泉に入って帰りましたので、その夜は入浴は省略なのですが、合羽とリュックのために浴槽にお湯をはりました。ドロをあらかじめ落として浴槽の中で洗いました。洗っても、洗っても・・・しつこい汚れでした。スパッツは衣類を傷めないために合羽ズボンの上に装着する方法と、雨で靴を濡らさないために合羽ズボンの下に装着する方法があります。(私はズボンの上に装着派)

ドロ合羽の洗濯の苦労の末、良い方法を思いついたのです。ウオーキングを始めた頃に使っていた短いスパッツが押し入れに眠っていることを思い出しました。「そうや!短いスパッツを合羽ズボンの下に装着し登山靴の濡れを防ぎ、長いスパッツは衣類の汚れ防止に使えばいいわぁ!」改めて買う必要もありませんが押入で眠っているスパッツの再利用ができてよかったです。(でもどんな風に歩けば、あんなに汚れるのか不思議)

合羽スボンは雨に濡れるのを防ぐための物ですから、ドロに汚れるのは合羽ズボンの役目かもしれません。ぬかるんだ下り道で、うっかりと滑って尻餅をついた場合、ドロだらけになりますが、ちゃ〜んと役目を果たしてくれています。そんな時は感謝の気持ちをこめて洗ってあげたいと思います。最近、新調した高価な合羽なので手入れも慎重で〜す。防水スプレーもしてあげてね。リュックやリュックカバー、、スパッツにも時々、防水スプレー吹いてあげてね。

これからの季節、雨だけではなく防寒対策として合羽が役に立ちます。「晴れてるから今日は合羽はいらんな」と家に残して行く事なかれ。合羽はリュックの中の必需品!


[2276] 【2354回 遺体が発見されました】 2010-10-12 (Tue)

北鎌尾根で行方不明になった方の情報収集を、わが倶楽部でもしたことをご記憶でしょうか。残念ではありますが、9月26日、ご遺体で発見されたそうです。別件で遭難救助活動中の警察ヘリにより偶然発見に至ったようです。ザックと上半身衣類と胸部の遺骨の一部が警察により回収されました。

北鎌尾根左俣に誤って入り、途中方向の違いに気づき天狗の腰掛に向かう枝沢に入り、その途中でクレバス・シュルンドに滑落したものと見られています。ザックは無傷ですが、中まで泥が入っているところを見ると、長い間、雪の下に埋もれていたことが想定されます。

莫大な救助費用がかかることから、所属する山岳会が、捜索支援募金を募り、630万円ほどのカンパが集ったそうです。これらのお金は捜索用ヘリ(\500,000/1時間)の手配、捜索人員(\50,000/1人)の手配など、捜索費用に用いたそうです。

ヘリコプターチャーター費 140万円
無線機レンタル費 4万2千円 
リーフレット印刷費 1万1千円
捜索人員雇用費 48万円 
捜索交通費 11万円
捜索宿泊費 9万8千円
捜索通信費 7千円
捜索備品購入費 8千円 などの費用がかかったそうです。

11日付けのサンケイ新聞にレジャーの必需品として「山岳保険」の必要性を記事にしていました。今後の山行に参考になればと思い抜粋させていただきました。

●まず忘れてはならないのは「携帯電話は未使用時はオフ」にしておいて下さい。遭難現場から救助を要請するのに携帯電話が役立ちます。山岳地帯では電波状態が悪く通話不通となることが多く、バツテリーの残量をチェックし、必要で無いときは電源をオフにしておくことが肝心です。救助要請しても、はるか上空のヘリコプターからは遭難者は米粒ほどにしか見えないため
@レスキューシートを頭上で振り回す
A発煙筒をたいて煙で知らせる
Bカメラのフラッシュで知らせる  
などがあります。私は共同装備として、常時レスキューシートは携帯しています。
(衛星電話が一番いいのですが維持費が高いため、多くは普及していないようです)

●中高年の山岳遭難が増加する中で捜索費用をカバーする山岳保険が注目を集めているそうです。山岳遭難者の目的別遭難は
(登山55.9)、(ハイキング5.8)、(スキー登山2.7)(沢登り1.6)、(岩登り1.0)、(キノコ山菜摂り23.0)、(渓流釣り1.3)、(作業1.9)、(観光3.0)、(写真撮影1.3)、(山岳信仰0.9)などです

●行政ヘリは税金で充当されるため遭難者に救助費請求されることはありませんが、民間ヘリの場合数百万円かかります。「警察や消防による救助」を指定することは受け入れられるはずもありません。身勝手な登山者が増えていることため「タクシー感覚」でヘリを呼びつける場合もあり捜索・救助費用をめぐりトラブルになることもあるそうです。ハイキング感覚で登れる山であっても突発的な怪我や病気、体調不良によって動けなくなれば救助隊のお世話にならざるを得ません。わが倶楽部でも保険更新時に案内を出すと「体力的に山は登れなくなったのでウオーキングに専念し、山岳保険の更新はしません」と言った人がいますが、なかなかどうして、ウオーキングでも救助要請が必要になる場合もあります。もう一度ご自分のかけている山岳保険の確認や見直しが必要ではないでしょうか。

●白馬岳で参加者の中の一人の体力不足者が出てヘリコプター要請を経験したことがあります。まず県警は「貴方達が連れて登ったのですから、貴方達で連れて下山努力をして下さい」と言います。歩けないことを告げると、体力のない人を何故白馬岳に連れて来たのかと、長い時間叱責され続けます。その間に県警は、タクシーがわりに要請をしているのではないかと探りを入れてきます。その後、ヘリの手配となるのですが「では行政へりは出ているので、民間ヘリを飛ばす。費用は○○円かかるがいいのか」と確認をされます。その時、私は個人負担もあり得ることから、後々トラブルになっては困ると体調不良者本人に「○○円かかるそうです。貴方が支払うことになりますがいいですか?」と聞き、OKをもらってからヘリを飛ばしてもらったことがあります。意識がない場合は別として、意識がある場合は百万単位で費用がかかることを知らせてあげることも必要だと痛感します。と言うか、登山にいくまでの知識として捜索費用が多額にかかることを認識しておかなければならないと思っています。


[2275] 【2353回 高島トレイルに行ってきました】 2010-10-11 (Mon)

前日のドシャ降り雨で、朽木の山々はきれいに洗われ、透き通るような秋の気配でした。

天候は「合羽を脱いだり、着たり、着たりの霧雨模様」です。太陽も時々お茶目に出てくれますが、またすぐ霧雨と変わり結局、寒さも手伝ってゴール手前まで、合羽を手放せない一日となってしまいました。しかし、朽木の山のキノコ達と妖精達は私達に感動の秋を体感させてくれました。

前回ゴールし今回の出発点の「おにゅう峠」に続く道路は、アスファルト工事も半分終えて、車に振動と砂ホコリをまき散らすことなく、あっという間に標高820bの地まで運んでくれることになりました。私達はアスファルト舗装を喜びましたが、モトクロスのバイクでやって来た若者は「おもしろさ半減」だと悪路だった頃を懐かしんでいました。

出発の準備をしていると、突然雲行きが怪しくなり、霧雨が降ってきて、あわててお地蔵様の館を借りて、合羽を装着することになりました。「途中で雨になるより最初から準備ができてよかったやんか〜」何と明るく、前向きな発想なのでしょうか。

「いざ出発!」とみんな元気に登ったり、下ったりと「ストック命」の状態がなが〜く続き、少々太股の筋肉が異変を起こすほどでしたが、霧雨にあった森の妖精達は美しく私達をブナの世界に案内してくれて、落ち葉のジュータンと苔むした木の根が共存し「また来たいよ」と思うほどでした。不思議と頂上を踏む時には、霧雨はやみ視界が広がりワイワイガヤガヤと楽しい山行でした。途中で出会った2人組も高島トレイルを楽しんでいたようですが、車のデポの手段が出来ずで、もと来た道を帰るのだと、私達の縦走を羨む様子でした。(ほんま、ここは高島市のイベントに参加するか、2台の車がないと難しいコースです)ゴールの地蔵峠にさしかかる手前で琵琶湖がクッキリと見えました。イワカガミが花の時期を終え霧雨に濡れた苔はとても美しく、きのこが沢山映えています。「まるでキノコウオークやなぁ」と言いながらカメラに納めていきますが、食べられるのか毒なのかサッパリわかりません。素人はキノコには手を出さない方がいいですね。

デポをしている場所近くの休憩舎ではおじさん達が鍋を囲んで酒盛りをしている様で、若い私達の通るのを見て(ど・こ・が?)「キノコ持って帰り〜!うまいで〜!」ナラシメジ(?)だそうでみそ汁に入れると美味しいそうです。ごちそうさま〜(毒キノコじゃないよね)

ブナ美林は、とても雨が似合います。妖精の様なブナの木々達も、根を張る苔達も、倒木さえも蘇る様な不思議な世界に私達を案内してくれました。感動の1日をありがとう!

詳細は、後日レポートで!


[2274] 【2352回 もの忘れと認知症】 2010-10-10 (Sun)

ひとごとではありません。私達にもすぐそこまでやってきています。人の名前が思い出せないなんて事はありませんか?これは加齢による症状で抜け落ちた記憶は戻ります。主婦で同じ料理が毎日続いたり、レジの支払いで数字の計算ができなくなると、認知症の疑いがあります。脳に障害が起こり記憶力、判断力が失われて行きます。抜け落ちた記憶は戻りません。

@アルツハイマー
ろれつがまわらなくなる。少し前の記憶がなくなる。昔の記憶はしっかりと覚えている。

Aレビー小体型認知症
おこりっぽくなる。

B脳血管性認知症
食べ物が飲み込みにくい等の体に症状が出る

いずれの症状にしても自覚症状よりも先に、周囲の人たちが「おかしいね」と気が付くことがあります。私の住む町に、飛行機に手を振り、ゴミを人の家の玄関に捨てる等の症状が目立ち、思い切って家族にそのことを告げました。家族はちっとも気が付かずで驚いていましたが、私達の助言を素直に聞き、医師の診察を受け、早期発見が効果を発揮し投薬で完治しました。

それとなくではあっても「おたくの奥さん少し変ですよ」と言われれば「そんな事はありません!大きなお世話です!放っといてくれ!」と言われる場合もあると思います。認めたくない気持ちは、よ〜くわかります。日頃の行動をきちんと把握しておけば、家族の間で早期発見につながるのではないだしょうか。男性に多いのは定年退職して趣味もなく家でゴロゴロ無気力になり、脳への刺激がなくなると認知症になりやすいそうですよ。

それにしても会話の中に「ほらほら」「あれあれ」「あっち、こっち」など抽象的な表現が多くなったと思いませんか?でもこれは加齢による「もの忘れ症候群」なので時間をかけると思い出します。いつまでも元気でいるためには、仲間と自然の中を歩き、岩を見ればどこをどうして登るのか、下り道にさしかかると、どうすれば安全に通過できるかと脳を使い認知症にかからないようにしたいものです。

「ところであんただれだっけ?」お互い、そう言ったり、言われたりしないようにしましょうね。

(おまけ)
一度盗難に遭った、私の愛車のミニバイクには、ひったくり防止カバーをつけています。久々に四貫島の商店街を押していると果物屋のおじさんが「姉ちゃん!もうそのカバー、はずしやぁ!あかんて〜!ほんま!」と腹立たしそうに笑いながら話しかけてきました。黒と黄色の縞模様、言わずと知れた「阪神タイガース」模様で、しかもタイガースマークも付いています。「そやけど好きやねん。外されへんわ〜」と答えて帰ってきました。認知症が進み、いつの日かタイガースファンであったことも忘れてしまう日がやってくるのでしょうか?
(タイガースファンであったことを忘れても、六甲おろしは歌えるで〜)


[2273] 【2351回 肉を食わせろ事件】 2010-10-09 (Sat)

8月にプライベートで東北の山々を登った時のことでした。キャンプ場の質素な食事に、他の2名は、山の食事は、こんなもんやと納得していましたが、若干1名だけ「肉を食わせろ〜!」と発狂しかけたことがありました(笑)3人の山行でもこうなのですから、8人で避難小屋2泊となると、ひとりでも「こんな食事かよ〜」と口に出すとチームワークが乱れてしまいます。テントや避難小屋泊りの場合は「なるだけ軽く、なるだけゴミを出さない」食材を選ぶことからはじまります。使い終わったアルファ米のパックの中にゴミをコンパクトに詰めてリュックに入る様工夫が必要です。こうすればリュックの外にゴミをぶら下げたりしなくてすみます。よくウオーキングの人たちが昼食で使用した弁当の殻をリュックの外にブラリブラリと吊って歩いていて、あわよくば公園のゴミ箱に捨てたいと狙っています。200人から歩く人達の半分が同じ考えだとして公園のゴミ箱はパンクしてしまいます。(この頃では公園のゴミ箱は撤収されてしまいました)。リュックの外にゴミを吊る、あれはアスファルト歩きだから出来る技で、山の中は小枝や倒木などに、ひっかかり藪漕ぎを、するかもしれません。そんなときリュックからビニール袋が離れてしまい、山にゴミを残すことになります。(悪気はありません。だってリュックから離れたことに気がつかないんですもの)特に多いのがリュックの横に入れていたペットボトルの落下です。(あるある〜見たことある〜)

比叡山の宿坊に泊まったとき、お坊様が食事前におっしゃいました。「味の濃淡を言わず、品の多少を言わず、ではいただきましょう」出されたものは、文句を言わず、残さず、ありがたく食べて下さいということでしょう。隣の人をみると、タクアンを、ひと切れ残し、最後にごはん茶碗にお茶を注ぎ、残しておいたタクアンで米粒を洗い落とし「ご馳走様でした」と比叡山式食事マナーを身につけていました。(私も真似をしようにもタクアン食べた後やしなぁ〜)

避難小屋での食事は、生ものは担いであがれませんので、朝食は、お粥とインスタントみそ汁に漬け物、昼は赤飯のアルファ米、魚肉ソーセージ、めざし、夕食はインスタントカレーや缶詰をと思っています。決して「肉が出ない!」と駄々をこねないで下さいね。(笑)ご馳走は、樹齢3000年以上、ひっそりと息づく縄文杉や洋上のアルプスといわれる宮之浦岳があれば満腹になりませんか?

私は子供の頃、夏休みになると旅行気分で40日間を、四万十川上流に住む叔母の家で過ごしました。母親が荷物の中に、大好物の砂糖を忍ばせてくれました。もしおかずが気に入らない事があれば、ごはんに砂糖をかけて食べろとの母親の言葉です。(だから虫歯が多かったんか〜)山小屋での食事が不安な方は「マイおかず」を持って来て下さっても結構ですよ。決して人の物を欲しがったりしませんから(笑)

その代わりと言っては何ですが最終日はパーティメニューを予約しています。ビール、屋久島焼酎(?)等のアルコールもたっぷりあります。最終日には、みんなで屋久島登山の成功を祝って乾杯しましょうね。みなさんのお知恵を拝借していいメニューがあれば、どしどし言って下さい。今ならまだ間に合います。よろしく!


[2272] 【2350回 どうしても入りたい日本の名湯&秘湯】 2010-10-08 (Fri)

屋久島の海中温泉「平内海中温泉」が日本の秘湯として紹介されていたテレビ番組があり、釘付けとなりました。ジョンから「屋久島やってるで〜」とメールがあり「見てるよ、絶対入りたい」と返事しました。「了解しました」と返信をもらいましたので期待してますよ〜。!平内海中温泉は、潮の干満によって1日のうち2時間しか入浴できないのですが近くに百円で入れる温泉もあるそうで、今からとても楽しみにしています。但し太陽の下、混浴で水着禁止ですからバスタオルを持参しないと軽犯罪法で捕まりそうですね。(誰が見るか〜ですって?)

第6位に新潟県の白馬岳蓮華温泉、この温泉は上杉謙信が発見したと言われています。ウオーキング協会で行った、あの悪夢の様な「白馬岳救助登山」の帰り、ここも入りましたね。本当は山の中に自然の露天風呂がいくつかあったのですが時間切れで入れませんでした。残念!

秋田県ランプの湯として有名な乳頭温泉「鶴の湯」行ってみたいですね。宮城県の鬼首(おにこうべ)温泉、流れ出る川が滝壺温泉として人気みたいです。そのほか群馬県の薬師温泉、北海道の丸駒温泉などが紹介されておりました。

名湯としては、第3位は大分県の別府温泉、2位は兵庫県の有馬温泉、1位は♪♪草津よいとこ一度はおいで〜♪♪と歌にもある群馬県の草津温泉でした。やっぱりね。でもあそこの湯は、湯もみ歌があるくらいだから熱いよ。こうして見ると名湯は全部制覇していますが秘湯はまだ行ってないところが多かったです。昔は温泉が目的で観光モードで行きましたが、今では近くに登れる山があるかどうかで行き先が決まります。秋田県のランプの湯はこの間近くを通過しましたのに・・・残念なことをしました。やはり事前リサーチと「行きたい」と言う意思表示は大事ですね。リュック背負って、えんやこらと何時間もかけて登り入浴する温泉探さなくっちゃあ〜

姫の意思表示をしま〜す「屋久島の平内海中温泉はいりたいで〜す」
みなさんも意思表示をしてみてはいかがですか(希望と実現は別ですので、そこんとこよろしく!)


[2271] 【2349回 ★屋久島の山小屋★ 】 2010-10-07 (Thu)

★屋久島の山小屋★

山小屋、テントでの宿泊は経験したことがありますが、まだ避難小屋で宿泊したことはありません。東北の鳥海山登山に挑むため、テント泊を予定していたのですが「全山テント禁止」と言われ避難小屋を見せてもらうことにしました。しかし中は荒れていて、いつ使ったのか想像もつかないほどでした。屋久島などは利用者が頻繁に出入りしているため、こんなことはないと思いますが避難小屋の資料がありましたので、ご紹介します。

『屋久島の山小屋は全て無人の避難小屋です。泊る場合には寝袋、マット、食料、ライト等を用意する必要があります。特に衣類、寝袋等は季節に応じたものを用意しましょう。
シーズン中は小屋が満員になりテントが必要な場合もあります。

★淀川小屋(よどごうごや)について
(標高1380m) 淀川登山口から1.5km、約40分のところにある、60人ほど泊れる木造の避難小屋です。水場はすぐ近くにあります。近くを流れる淀川はとても澄んでいて、周りの景色も幻想的です。トイレは小屋の近くに男女兼用が1つあります。

★新高塚小屋(しんたかつかごや)について
 宮之浦岳から2時間30分ほどのところにある、60人ほど泊れる木造の避難小屋です。水場はすぐ近くにあります。トイレは小屋の近くに男女兼用が1つあります。ここにはヤクシカがよく出てきますが、野生動物なので餌を与えないようにしましょう。』

★最終予定について(あくまでも予定で決定ではありませんが)
飛行機の時間が2時間も早くなったことから出発日に飛行場近くで、ボンベ等の買い物を済ませてから、待たせていたジャンボタクシーに乗り、一軒宿「チロル」に向かい、リュック以外の荷物をおろします。待たせているタクシーに再び飛び乗り、淀川登山口へ移動、避難小屋の淀川小屋(標高1380m)に泊まることになるかも知れません。次の日は予定通り新高塚小屋(標高1500m)に泊まりますので2日間の小屋泊まりとなるかも知れません。リュックの中には2日間の小屋泊まりの用意が必要となってきます。共同の食料はこちらで用意しますが荷物は分担してもらいます。但し体調不良の方は遠慮なく声をかけて下さい。ご協力よろしくお願いします。

ジョンテント、サスケテント、ポチテント、緊急用シート、サラシ、鍋や食材は淀川登山口で一同に広げ分担してもらうことになります。これを体験すると「山ボーイ&山ガール」の完成でしょうか。(自分の荷物プラス1.5s増)共同装備の荷物の分担は淀川登山口でお渡しします。天候がよければ少しでも宮之浦岳に近づいておく方が翌日の行程が楽と考えて現在試行錯誤中です。何せ1年のうちに365日雨だと言われる地方ですから。

とにかく秋の夕暮れは早いです。飛行場から一軒宿「チロル」への立ち寄りは「荷物を置くだけ」ですので、荷物を入れ替えたりする時間はありません。ひとり5分のロスタイムが8人ずれて取れば40分かかります。40分あれば淀川登山口から淀川避難小屋まで到着しちゃいます。

あくまでも色々ある方法を書いているのであって決定ではありませんが、リュックの荷詰めは「2日間山の中」というイメージを想定しておいてください。決定は直前にリーダーより「やまたび倶楽部BBS」に書き込みますので、出発前には必ず、ご確認をお願いします。


[2270] 【2348回 山たびを終えて ★そのF】 2010-10-06 (Wed)

お土産話 最終編 そのF今回不要だった荷物の色々

今回のリュックの重量は12s、左肩の不調もあり、私にしては工夫をして1s減らしました。水2g、合羽、フリース、防寒用下着上下、着替え一式、下着3組、共通装備用救急シート、共通装備用サラシ、救急セット、行動食(梨1個・リンゴ1個・みかん2個・ゼリー飴5個、フルーツゼリー1個、サンドイッチパン1包・ジャムバター・飴少々)あとはカラビナ、シュリンゲなどの必需品全ていれて12sとなったわけです。山行を終えて戻ってリュックの中を開けて使わなかった物が何なのかチェックしました。行動食については飴以外は全て完食で適量だったと思います。飴はのどが乾くので予備には持ちますが、余程のことがない限り口にしません。リンゴも梨も皮を剥いて行けば軽量かつゴミも出ないでしょうが2日間ともなると皮付きの方が鮮度が落ちなくていいと思いました。(洗っていたので皮ごと食べちゃいました)今回は寒くってフリースも着ましたし、防寒用下着上下は小屋でパジャマがわりに着用し、翌日はそのまま着用しました。下着(パンティ?ズロース?)は毎日取り替えましたが上着やズボンなどの着替え一式は手付かずで持って帰る羽目になりました。予定どおり徳沢園で宿泊し、入浴すれば着替えも全部使ったかもしれませんね。と言うことは着替えはなくてもいいと言うことになります。常念岳と蝶ケ岳の小屋には乾燥室が完備されており、濡れた衣類は翌日までには乾きます。荷物の軽量化を実施するならば「着の身、着のまま山行」がベストです。

さあ次は屋久島の準備ですね。屋久島の小屋は避難小屋ですので乾燥室はありません。登山靴が雨で濡れたら、新聞紙をリュックに入れておいて靴の中に丸めていれようと思っています。「よっしゃ〜これで荷物OK」おっとっと、安心しないでください。避難小屋で使う食材はみんなで分担します。しかし体調不良の人は遠慮なくその旨を申告してくださいね。

お土産話におつきあい下さいましたありがとうございました。小さなことでもコツコツとメモを取り、大きく膨らませて(嘘を書いているのではないですよ)、どこにでもある様な話題ではありましたが、書いていて、思い出し笑いもありで楽しかったです。ご覧いただきありがとうございました。


[2269] 【2347回 山たびを終えて ★そのE】 2010-10-05 (Tue)

お土産話 そのE山小屋の中の倶楽部名物「ロープ張り」

私達のリーダーは山小屋の中で衣服を吊ったりするのに救助用のロープを部屋の中に張り巡らせるのが得意技です。(笑)フックがない時は壁にできた穴をうまく利用して「マイフック」を差し込み、器用にロープを張り巡らせてくれます。乾燥室とはまた別にとても重宝で我々登山者は、いつも助かっているのです。

常念小屋でのことです。
レディスの部屋は早くから電気がともり、談話に花が咲いていました。ふとオリオンさんが男性部屋に戻り、電気がつかないことに気が付き「電球が切れてるみたい。係の人に言って電球もらってくるわ」と部屋を出ていきました。しかしお客様に電球を替えさすわけには行かないと、部屋まで係の人が来てくれたそうです。

無事に電気がともったはずですのに、オリオンさんが慌ててレディス部屋に駆け込んできました「どうしたん?電気はまだついてへんの?」「そ・そ・そうちゃうねん。電気はついたけど、ジョンさんがロープかけてるやろ、あれすぐはずして下さいって注意されたんや。後で見回りに来るかも知れんので早く撤収しよう」と慌てていました。

「プッ〜」って一同笑いを堪えきれず吹き出してしまいました。わが倶楽部名物のロープ゚張りは重宝しているのですがこの常念小屋では「禁止」笑っちゃいましたね〜。ジョンがあわててはずしにいきましたが、ご丁寧に穴ポコに「マイフック」をねじ込んでいました。しかも壁には大きな張り紙があって「カーテンレールに物を吊ったり、部屋にロープを張らないで下さい」って書いてありましたわ〜(ハッハッハッ)

全国の山小屋経営者にもの申す!
我々登山者は壁に衣服や帽子等ををかけるフックがほしいのだ!できれば収容人数分の簡易ハンガーも欲しいのだ!狭い部屋を有効利用しようと思えば壁にフックを!

そう言えば、どこかの山荘には、ヘルメットの置ける棚が端から端にあったよね。ヘルメットや帽子の中にズボンのポケットの中の小物を入れて整理整頓した覚えがあります。

それにしても二段ベットの下の段を利用するとき、入り口で一度は頭をぶつけます。入る時は気を付けているのですが、、出て行くとき「ゴツンッ!ゴツンッ!」って誰かれなしに頭を打っている光景が滑稽です。二段ベットの下をあてがわれたときはリボンテープを持参してヒラヒラさせて「危険」を脳に覚えてもらう方法もありますね。

この間の剣尾山登山の時に、トラ吉衛門さんが山小屋にまだ泊まったことがないと言う話があり「お勧めの小屋はどこですか」と聞かれました。私は「燕山荘、徳沢園」と答えましたが皆様が感じた素敵な小屋があればまた紹介してくださいね。「小屋良し、料理良し、清潔度良し、スタッフ良し」はどこですか〜?

次回はお土産話の最終 「今回不要だった荷物の色々」をお話をして常念岳のお話は終わりにします。


[2268] 【2346回 山たびを終えて ★そのD】 2010-10-04 (Mon)


お土産話 そのD眠れな〜い「デパスとロキソ」

蝶ケ岳ヒュッテでの一夜は毛布と布団を着ても寒くて眠れなかった様です。私も何故か目が冴えて眠れずにいました。夕食時、山行の成功を祝してビールで乾杯していたため誘眠剤「デパス」は飲まずに眠ることにしました。スーッ〜スーッ〜と早くも寝息をたてている人もいます。(うらやましい〜!)右や左に寝返りを打ってもなかなか眠くなりません。これはもう、誘眠剤の力を借りるしかないと思い、リュックの外に救急セットを吊っているので、みんなの睡眠を妨げずに手探りで何とか誘眠剤「デパス」を取り出すことに成功しました。「よっしゃ〜30分経ったら眠りにつけるぞ」この時、すでに午前2時を過ぎていました。それから薬が効いたのかウトウトと午前4時までの2時間眠れたようです。午前4時に起きてリュックを玄関前まで移動し身支度をしていたら、次々とみんなが起きてきました。

「天気よさそうですよっ!」非常灯の明かりを頼りに入念に日焼け止めを塗り、出発の準備を済ませました。そこで昨夜眠れなかったことを話しポケットの中に入れていたデパスの飲みカスを見てみたら、何とそれは「ロキソニン」と書いてありました。あっちゃあ!これじゃあ眠れないよなぁ〜!

私は山小屋泊の時だけ誘眠剤を使う様にしています。常用しているわけではありませんので効果は大きく、必ず眠れるのですが、膝痛の薬のロキソニンでは眠くならなかったようです。しかし昔、頭が痛いと訴える人に腹痛の薬を飲まして聞いたと言う話を聞いたことがありますので「病は気から」ではありませんが信じることから眠れるのかも知れませんね。


[2267] 【2345回 山たびを終えて ★そのC】 2010-10-03 (Sun)

お土産話 そのC バスの中の騒音「松本から多賀までの苦痛」

松本から大阪行きの私達のバス座席は前から二列目と三列目。四列目に深草で途中下車する京都在住のおばさん3人組が乗り込みました。一人は、ごく普通のおばさんです。残りの二人は乗るとすぐ、リクライニングシートを思い切り倒して雑談していました。「後ろのお客が乗り込んできたらどうするんやろ?直すんかなぁ?」「常識で考えたらわかるやろ!」ジョンにも相手にされませんでした。しかし、しかしなのです。松本インター停留所から五列目の乗客が乗ってきたにもかかわらず、シートはそのまま、会話の声も大きく、時々、嫌みで振り返るのですが全然眼中にない様です。他愛もない井戸端会議を延々と大声で松本から多賀インターまで、のべつ無く喋り続けているのです。「静かにして下さい」と言う口は持ち合わせていますが、狭い車内、しかも「みかんコロコロ事件」も記憶にあり、じっと我慢の子をしていました。前の座席の千恵ちゃんの顔を覗くと不快感あらわに眉がゆがんでいました。たまりかねて多賀で全員がトイレに降りたのを確認してから、ドライバーに「四列目の客の話し声をもう少し小さく喋る様に促してもらえませんか?」と頼むと「それとなくでいいですか?じつは・・・・ボク今日が初めての独り立ちデビューの日なんです」そうか、そうか、それじゃあ、あんまりきつくも言えないなぁと納得しました。

多賀インターを発車する際にドライバーが「他のお客様のご迷惑にならないようにお願いします。」と車内放送をしたのですが、それも耳に入らないほどの勢いで喋りまくっていて、聞いてない様子でした。もう我慢の限界です。「ちょっと〜!今ドライバーさんの言ったこと聞きましたか?!あれはあなた達2人に言ってるんですよ!」・・・・・・
それからは一言も喋らず(って言うか何かを食べてる時はおとなしいし、喋り疲れて寝ているみたい)快適な車内となり、名神深草バス停で降車するとき私に向かって「えらいおやかましいて〜すんません」と声をかけて降りていきました。まだ少し常識は残っている様です。追い打ちを掛けるように「次にバス旅行をする時には注意して下さいね」そんなわけで貸し切りバスの良さをメンバー全員がいやと言うほど体感した次第です。

大阪でドライバーさんに「おかげで多賀からは静かになりましたよ。ありがとう。お仕事頑張って下さいね」と声をかけてお別れしました。マイカーは自由で快適だけど運転に疲れるし、乗り合いバスは、乗り合わせた乗客次第だし・・・やっぱり貸切バスがいいよ〜!


[2266] 【2344回 山たびを終えて ★そのB】 2010-10-02 (Sat)

お土産話 B乗り合いバスのトランクの中の荷物

松本電鉄バス「上高地から新島々行き」のバスに乗り込む際に、バス案内人から「リュックにつけているストック、ペットボトルなどはトランクに入れずに車内に持ち込んでくださ〜い!」と説明がありました。ストックはリュックからはずれる恐れ、ペットボトルははじけて水漏れの原因になるからだと思います。「シンプル・イズ・ベスト」の状態でトランクに入れる様に指示がありました。「これは?これもダメ?これなら大丈夫?」と自分のリュックを見せて係員に質問攻めする場面もありましたが、とにかく主旨はリュックからはずれやすいものは全部取り外してほしいと言うことなんです。私のリュックには、緊急時すぐ使える様にと救急セットや、カラビナ、シュリンゲ等が付いていましたので全部はずしました。トランクルームへの出し入れは全てバス会社の担当者が行ってくれました。

では大阪ー松本間の路線バスはどうかと言うと、トランクルームの開閉のみドライバーがし、荷物の出し入れは乗客がするためストック等の規制はなく(自己責任に於いて)付けたまま預けることとなりました。私達は始発場所で乗ったためリュックが一番奥になってしまい、終点時では途中乗車の客の荷物が先に下ろされることになります。次回から乗り合いバスを利用する時は隅の方に縦一列にリュックを並べて入れるとスムーズに出すことができそうです。

トイレ休憩時に、よく「すみませ〜ん、リュックから出したい荷物があるのですが・・・」とドライバーさんの手をわずらわすことがありますが、できれば手荷物は小さな袋に入れて始発から終点までトランクは開けない方がいいのではと思ったりもします。これからの旅は車内の温度が微妙です。薄手のジャンバーなども手提げ袋に入れておけるといいですね。

何と言っても便利なのが「車内スリッパ」特に登山靴の場合は、発車すると、すぐに脱ぎたくなります。私は今回は、軽い百円スリッパを持参しましたが、それも荷物になると思う場合は、新聞紙2枚ほど手提げ袋にいれておくと足下に敷いておけるので便利です。しかしトイレに行くときにはまた登山靴を履くので、やっぱり百円スリッパは必携でしょうか?テント泊の時は絶対にスリッパはいります。テントの出入りにいちいち登山靴を履いていると面倒くさいです。

次回はCバスの中の騒音「松本から多賀までの苦痛」




[2265] 【2343回 山たびを終え て ★そのA】 2010-10-01 (Fri)

お土産話 そのA 山小屋のスタッフのイ・ロ・ハ

第1泊目はホテル、第2泊目は常念小屋の宿泊となりました。到着が早かったのと、小屋のお茶のサービスがありみんなでくつろぐことにしました。朝食バイキングの時に失敬した紅茶パックで紅茶を作り、みんなそれぞれにおやつを持参してきつかった登山道を振り返り、天候の変化に話が弾みました。私はリンゴを1個持ってきており、半分にカットをするために食堂に行き、小屋のスタッフに「包丁を貸してもらえませんか?」と聞くと「危険物なので貸与できません」な〜るほど。私が包丁を持ち逃げして強盗でも犯してしまうかも知れない危険性があるとしたらスタッフの対応は当たり前のことです。「じゃあお手数ですが半分に切ってくれませんか」と言うと「衛生上の問題で、それもできません」もうっ!バイトスタッフは臨機応変ができない!思いやりを身につけていないと言うかマニュアルに無い事は一切しないと言う徹底ぶりに、山小屋と言う特殊な職場で天候不良などの緊急事態に対応できるのだろうかと、ふと心配になりました。バイトにばかり任さないで責任者は常駐してほしいですよね。

第3泊目は蝶ケ岳ヒュッテ泊まりです。ここのスタッフには臨機応変派とマニュアル派の2種類のスタッフがいました。臨機応変派のスタッフは朝食弁当の内容変更を快諾してくれ、部屋への案内の時に、別の宿泊者が来た場合、同室にならないように配慮すると言ってくれました。

しかしマニュアル派のスタッフは、後の部屋掃除諸々を考えると同じ部屋に押し込んでおけばあとが楽と考え、宿泊者の気持ちなどは想定外で、単独行のおじさんを平気で同室に案内をしてきました。2人用の大きな敷きフトンに、仲間ならまだしも、どこの誰ともわからない人と一夜を過ごせますかってんだよ〜

姫が黙っているはずもなく臨機応変派のスタッフを探し、交渉をした結果「配慮不足ですみませんでした」と部屋を変えてくれました。単独で宿泊する人も、きっと「えらいところに泊まるんやなぁ」と少なからず思ったはずです。

山小屋は「雨、風がしのげて命ごいができれば良い」これが原則ではありますが、それは満室、悪天候の場合、ドッと宿泊者が押しかけて来た場合の事です。私達も白馬大池の小屋では「おたがいさま」の気持ちで満室の廊下にフトンを敷いて寝たこともあります。

山は私達を裏切らず、美しい光景を見せてくれます。しかし小屋で働く人間次第では山のイメージが悪くなる場合があります。宿泊する人間も、ゴミも残さず持ち帰り、食事も残さず頂くという最低限のマナーを守り素晴らしい思い出を増やしていけたらと思っています。

明日は「お土産話B乗り合いバスのトランクの中の荷物」


[2264] 【2342回 山たびを終え て ★その@】 2010-09-30 (Thu)

お土産話 その@

登山から戻り、一夜明け、目が覚めると雨の音がしています。今日の交通安全啓発運動は雨のため中止。もう一度ベットに潜り込み常念岳疲れを取ることにしました。予定が無いときの雨の音を静かに聞くと心が和むものですね。山小屋のトタンの屋根を打ち付ける音は、一滴一滴が心臓に突き刺さるものです。

レポートとは別に、今回の旅の思い出の中で印象に残ったことを「おみやげ話」として日替わりでお話したいと思います。

@松本と言えば、サリン事件の河野さんは、いま・・・
A山小屋のスタッフのイ・ロ・ハ
B乗り合いバスのトランクの中の荷物
Cバスの中の騒音「松本から多賀までの苦痛」
D眠れな〜い「デパスとロキソ」
E山小屋の中の倶楽部名物「ロープ張り」
F今回不要だった荷物の色々

では今日は第一話「お土産話その@★松本と言えば、サリン事件の河野さんは、いま・・・★


松本市と言って思い出すのは私の中では「松本の河野さん」です。1994年に発生した松本サリン事件の被害者の河野義行さんは今どうしていらっしゃるのだろうかと考えていたら偶然、宿泊先で新聞の地方版に目を通していたら松本さんの偶然記事が載っていました。

『サリンで意識不明になった妻澄子さんの3回忌を済ませ、南国で第二の人生を選んだ河野さんは、事件の区切りをつけ残りの人生をゆっくり過ごしたと、鹿児島市に移り住むことにしたそうです。警察やマスコミから一時、犯人扱いされた河野さんは、寝たきりになった澄子さんを介護しながら、犯罪被害者支援や冤罪などをテーマに全国で講演活動を続けています。今年の2月に還暦を迎え、5年、10年すれば身体が動かなくなる。元気なうちに人生を楽しみたいと趣味の釣りと写真に打ち込める場所として鹿児島に移住されたそうです。離島をすべて回りたい。まずは屋久島の縄文杉を、と意欲的です。妻が亡くなったことで事件は終わった』

ひょっとしたら、屋久島で河野さんに会えるかもしれませんね。


[2262] 【2341回 ただいま〜】 2010-09-29 (Wed)

常念岳&蝶ケ岳登山から戻りました。登山開始の前夜、激しい雨が降っていました。ホテルの一室で全員で会議、7人対1人で(ひとりって誰?)「止めようか」の意見が圧倒的でした。しかし雨が強く降るかも知れないと言うことだけなので(台風の様な警報が出ていない)再度、天気予報と睨めっこし「決行」を決断しました。

下界は強い雨でも雲の上はミストサウナの様な霧雨、その上、頂上に到着時には太陽まで出て「バンザ〜イ」三唱!
詳しくは、後日アップのレポートをご期待下さいね。

第1夜は安曇野のホテル
第2夜は常念岳小屋
第3夜は蝶が岳ヒュッテ

第3夜は上高地の徳沢園の予定でしたが、悪天候のため蝶が岳ヒュッテ泊りとなりました。しかし、この変更が、思いがけない幸運の女神の訪れとなり、天候に恵まれ、360度の大パノラマと出会うことができ素晴らしい山行となりました。明日から頑張ってレポートまとめますね。


[2261] 【2340回 リサイクル券】 2010-09-25 (Sat)

★「ひめのおうち」は9月26日〜29日までお休みさせていただきます★

9月26日から29日まで常念岳登山に出かけてきます。
紅葉には少し早いかと思いますが、行ってきま〜す。戻りましたら、山の様子をお知らせさせていただきますね。荷物も工夫に工夫を重ね、重量を700cも減らす事に成功しました。まずは古合羽分の150c。あとは山小屋で着るジャージ上下550cを防寒用の下着で代用できるため、リュックから「不要物」として置いて行くことにしました。これで700グラム軽くなりました。ラッキー!

話は変わりますが、さすがにアルプスの山々には不法投棄のゴミが捨てられているなんて悪態は見たことがありませんが、近くの登山道付近に、不法に捨てられたフトンや家電製品を見たことはありませんか?山の中に運ぶ罪悪感や、手間を考えたら「リサイクル券」を買って引き取ってもらえばいいのにと、ゴミを見るたびに腹立たしくなります。家具によっては、一体いくらかかるのか郵便局に行きリサイクル表を欲しいと言うと「お渡し分はないので見せるだけ」との事で、リサイクル代金がいくら費用がかかるのかメモって帰ってきました。行政も分別ゴミのパンフレットを何度も発行するのだったら、不法投棄された家電製品の引き取り価格がいくらなのかハッキリと市民に知らせる方がいいのではないかと思います。(不法投棄する奴はどんな手段でも捨てるか?)そう言えば昔は「大型ゴミの日」制度がありましたね。「え〜?これが部屋の中にあったん?」と思うようなオンボロのタタミやガタの来た茶箪笥などが道路の隅に山積みにされていましたっけ。あの制度は結構利用者が多かった様に思います。ここぞとばかり壊れた家電製品や自転車など、捨てたあとからリヤカーの拾い屋さんがきてバランス取れていたと思いますがねぇ。

郵便局に今後リサイクル券を購入に行く場合は「メーカー」と「大きさ」を調べていくと二度手間になりません。メーカーによって引き取り価格が微妙に違いますが参考にして下さい。新規購入時に電気屋に引き取ってもらうのも方法です。

(下記の値段は大阪市の場合・あくまでも参考価格)

【冷蔵庫の場合】170g以下 3780円、170g以上4830円
【洗濯機の場合】 2520円
【テレビの場合】15型以下 1785円、16型以上2835円
【エアコンの場合】2625円


[2260] 【2339回 ほんまもんの秋】 2010-09-24 (Fri)

ずいぶんと涼しくなりました。はじめて冷房をつけずに終日過ごすことができました。涼しいと言うよりは「肌寒い」って感じでしょうか。23日午前4時、耳をつんざくような雷の音で目が覚めました。続いて大きな雨の音・・夜明け前というのに、目が覚めて二度寝をすることができなくなってしまいました。テレビをつけると午前5時には既にニュースをやっています。天気予報は全国的に「雨」。久しぶりに映画でも見に行こうと言うことになり梅田ナビオ8階にある「TOHOシネマ」に『THE LAST MESSAGE 海猿』鑑賞に出かけることにしました。インターネットで9時20分から開演されると知り、大雨だから空いているだろうと、高をくくっていたら、何とすでに長蛇の列となっていました。60歳以上の割引を利用して切符を購入した後「あのぉ3Dのメガネはどこで借りればいいのですか?」と聞くと「ハァ?」と何か不思議な顔をされてしまいました。9時20分上映の海猿は3D対応ではなく普通上映だそうです。そこで3Dを楽しみにして来たので、チケットの交換をしてほしいと言うと「それはできません。一度発行したチケットはキャンセルも変更もできません」とケンモホロロ。

「知らなかったので何とかして」と哀願し、「今回かぎり、他言無用」と念を押され、いやな顔をされながら何とか、こちらの希望通りにチケットを変更してもらいました。9時20分からの上映ではなく、3Dは10時10分からなので近くの喫茶店で時間をつぶし、再び映画館に戻ってきたら、すでに入場ができることになっていました。入り口で3Dメガネを受け取り、「P−29」の座席をさがします。ちょうど真ん中の席で変更した甲斐があったというものです。

大人気シリーズの『海猿』が、続編を望むファンの声援に応えて復活! 劇場版第3弾『THE LAST MESSAGE 海猿』は、シリーズ初の3D上映とあって人気上々。海上に浮かぶ巨大天然ガスプラントで未曾有の大事故が発生。国家レベルの緊急事態に、仙崎大輔ら海上保安庁の潜水士たちが立ち向かう。主人公・大輔と妻・環菜にとっても最大の試練となった本作。テーマは「絶対にあきらめないで生きて帰ること」と、まあこんなあらすじでした。

帰りに思い切って、合羽を買い換えることにしました。今使っている合羽は10年以上も前に購入した物で、大切に使っていたため見映えも良く、洗濯機OKマークがついていても、風呂場に持ち込み、必ず手洗いしていましたので、まだまだ使用に耐えそうなのですが、東北登山の時の台風雨で、合羽の中に雨が浸みたことが教訓となり、対応年数は、とうに過ぎていると判断し、今買い換えておけば生涯使えるであろうと判断し「最後の買い物」と出資することにしました。しかし、高かったなぁ〜(ちなみに、古合羽650c、新合羽500c)

「メンテナンスについて」という説明書をもらってきました。あらためて再認識する必要がありそうです。

●購入したら使用前に撥水剤をスプレーする
●洗濯表示を必ず守る
●ぬるま湯で洗う(脱水機ダメ)
●すすぎは十二分にする
●ケア用品を利用(モンベルエコソープ550円)
●保管方法はたたんで収納よりも「ハンガーに吊す」方が良い

などなど。大切に使いたいと思います。


[2259] 【2338回 ためしてガッテン」試してみたら・・・・】 2010-09-23 (Thu)

演歌を歌いながら山登りをすると疲れ知らずで頂上を踏むことができるという番組が実験混じりでやっていて「なるほど〜なるほど」と受け止めて、うそかほんとか試してみる価値がありそうだと言うことで高島トレイル参加者の皆様にご協力をお願いして出発前にみんなに歌詞を渡しました。曲目は「くちなしの花」と「港町十三番地」の2曲です。最初の横谷峠の急登では歌を歌う余裕もなく一気に登りました。(本当はこの急登で実験してほしかったんだけどなぁ)稜線歩きになったとき、オリオンさんが「せっかく作ってきてくれたんやから歌おう」と「くちなしの花」を口ずさみ始めました。オリオンさんの前後を歩く人たちも同じように歌ってくれていましたが、どうも歌詞を見ながらは歩くのは危険だと言うことがわかりました。(そりゃそうやなぁ、足下見ないで歌詞みてたら危ないで〜)

実験の結果「歌詞カードなしでも歌える演歌」これが原則ということに達しました。昔、縫製の仕事をしていた私の友人は、あらゆる歌の1番から3番までの歌詞をすべて暗記して歌うことができました。「なんでそんなに知ってるの?」と聞くと、職場には、四六時中ラジオが流れ、流行歌ばかり聞こえてくるとのことでした。「いやでも覚えてしまうわ」と笑っていたことを思い出しました。いまやカラオケでは画面に歌詞がメロディに併せて色が変わり歌詞を覚えてなくても歌えるために、いざと言う時に赤ペラでは、口ずさめないのですね。

「ためしてガッテン」のスタッフも「ただし暗記している演歌に限る」と説明する必要があった気がします。しかし、たしかに演歌のリズムは一定の足運びを応援してくれます。あながし、でたらめを言ってると言うことはありませんでした。一人一曲、暗記している演歌があればそれに併せてみんなでリズムが取れるのですが・・・

そう言うことで、この実験は失敗でした〜。


[2258] 【2337回 屋久島情報そのD】 2010-09-22 (Wed)

●宮之浦岳

宮之浦岳(1936b)は、屋久島中央部にそびえる山で、九州地方の最高峰と言われており日本百名山のひとつです。山域は、ユネスコの世界遺産「屋久島」として登録されていて、 永田岳(1886b)、黒味岳(1831b)とで屋久島三山と言われています。宮之浦岳流水は名水百選に選定されていて美しい水が流れており、キャンプをしても水に困ることはなさそうです。宮之浦岳は、いくつかの資料で「西日本の最高峰」と言われていますが、正しくは四国の石鎚山(1982b) が西日本最高峰であることを四国県人としてここに書いておきます。 屋久島では、麓より見える山を「前岳」(モッチョム岳・愛子岳等)、麓より見えない山を「奥岳」と呼んでおり、宮之浦岳は奥岳の一峰で屋久島最高峰です。海岸沿いの人里からは、姿を望むことが出来ず、山の上か海上からしか見ることが出来ません。地質は花崗岩からなり、山上では侵食された奇岩が多く見られます。植生は山頂部は風衝草原で、その下に屋久杉の多い樹林帯が広がります。(風衝草原とは高山の中でも風あたりが強く、積雪の少ない尾根部のこと)宮之浦集落の山岳信仰(岳参り)の山として登られたので、「宮之浦岳」と名付けられました。。


●縄文杉

縄文杉は、鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)に自生する最大級の屋久杉です。屋久杉を代表する古木として有名。1966年、屋久町役場の観光課長により発見され広く紹介されたと言います。発見当初は「大岩杉」と呼ばれていました。「縄文杉」という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がありますが自然の織りなす古木の美しさはどたらの説もうなづけます。

●千尋の滝・本富岳

千尋の滝は、落差約60メートルの滝で、滝の左側には巨大な花崗岩の一枚岩があります。標高270メートルに展望台があり、原集落と太平洋が一望できます。ここから登るモッチョム岳は、照葉樹林帯から杉樹林帯まですばらしい自然が残されています。本富岳(940b・モッチョム岳)は、944bと表記している資料もあります。屋久島の南部にある花崗岩からなる山なのです。モッチョムとは、地域の言葉で女性の秘部を表す言葉に由来すると言われています。日本一の陰陽山とも呼ばれ、山の西方からは陽、東方からは陰に例えられる姿を見ることができます。頂上巨岩の南側の岩陰には尾之間地区の岳参りの祠があり、この山が岳参りの「前岳」とされてきた歴史を持つことが分かります。北方の耳岳 (1,202m)、割石岳(1,410.2m)とともに尾之間三山に数えられます。

●屋久杉ランド

屋久杉ランドは、世界自然遺産に登録された、水と緑豊かな屋久島の大自然を舞台に、森林セラピー(癒し)効果を体感しながら、森の生態系、歴史、文化などをご紹介していきます。屋久島の魅力を十分に堪能しましょう。ここらあたりは観光モードで、屋久島の最高の場所で癒しという最高の贅沢を、五感を使って体感しましょう!
屋久杉の一つで、樹齢2000年とされる翁(おきな)杉(樹高23・7メートル、幹回り12・6メートル)が9月10日、倒れました。枯死していない屋久杉では、縄文杉の16・4メートルに次ぐ太さだった。高さ約3メートルの部分から折れ、幹が横倒しになっていた。上部が枯れて欠損し、幹の一部は空洞化していたが、倒れた原因は分からないそうです。

●愛子岳
愛子岳は屋久島北東部に位置し、麓の小瀬田の付近から綺麗に見えるピークです。山頂付近には花崗岩の岩場があり、麓からみると花崗岩が白く輝いて見える。また、宮之浦岳の山頂、ヤクスギランドへ至る県道沿いからも大変きれいに見えるピークが愛子岳なのです。

★★屋久島情報はこれでおわり★★


[2257] 【2336回 屋久島情報そのC】 2010-09-21 (Tue)

●予備日
お天気に左右されず、計画通りに山行が終了したとしたら、6日目は愛子岳または島内観光を予定しています。「どこに行きたい?」と聞かれれば間髪入れずに「平内海中温泉!」って答えようと思っています。(しかし、私が必ず、そう答えると思ってかどこに行きたいか聞いてくれないよ〜まっ!多数決になびくよ〜)

平内海中温泉は平内地方にある硫黄泉の混浴露天風呂で、海岸の磯に自然に沸き出た温泉です。磯のくぼみを浴槽用に少し深くした以外自然の地形をそのまま利用しています。
干潮時の前後2時間位しか入浴できません。資料によると、男女混浴ですが昔ながらの趣きのある風情がたまりません。海岸の岩場で入浴槽と掛湯の3つの浴槽がありちょっと熱めのお湯に満天の星を眺めながらの入浴は、最高で身も心もリフレッシュ、のんびりとした至福の時を過ごせます。地元の人たちも、自然いっぱいの海中温泉に浸かり仕事や一日の疲れをいやし、知人、友人、色々な人と語らい会う、そんなふうに温泉を楽しんでいます。(水着着用禁止。バスタオルOK)
 

●待ち合わせ場所
出発日の10月21日(木曜日)、「伊丹空港の北ターミナル」10時15分に集合して下さい。11時15分には離陸してしまいます。バスや電車と違い搭乗手続き等に時間がかかります。リュックの荷物預けの時間も必要です。余裕をもってお願いします。伊丹空港北ターミナルのソファのあるところで待っていただけるとうれしいです。

●ご案内状には12時集合の13時15分離陸としていますが10月からダイヤが改正になります。チケットの控えには「11時15分発」と明記しています。出発時間につきましては10月になってから旅行代理店及び航空会社に確認を取り、参加者の皆様にひとりひとりご連絡させていただきます。ご安心ください。

         ↓
★★確認が取れました。出発は11時15分間違いありません。集合は10時15分でお願いします★★

    


[2256] 【2335回 屋久島情報そのB】 2010-09-20 (Mon)

●台風は?

2002年は5月末、2003年も5月20日に台風が屋久島近海を通過しました。例年8月〜9月ぐらいが多いのですが、年平均3〜4個が接近、または上陸します。問題は通過日数。荒れ初めて通り過ぎるまで3日ほどかかります。飛行機はぎりぎりまで飛びますが、海の交通は少し早めに欠航し、通過後も再開が少し遅れます。

●南の島に雪が降る

宮之浦岳の初冠雪は11月20日頃ですが、近年は暖冬の影響か12月当初ぐらい。
ちょうど、1000m以上は紅葉が見られる頃です。降るときは雨と同じでドカ雪。初雪でも1日で1〜2mも積もります。踏み跡などはすぐに消えてしまいます。多いときは1日で3〜4mも積もりますので、山小屋などに閉じ込められてしまいます。
縄文杉や白谷雲水峡へ行けないことが年に2〜3回ほど、1〜2月始め頃にあります。

●屋久島での宿泊先設備
一軒宿を連続でまるまる借りています。登山に必要のない荷物は宿に置いていくことができます。キャリーバックで着替えなどを入れても大丈夫です(そう言えば歩けの会で上高地・徳沢園に宿泊する時にキャリーを引いて来た人がいましたね。1万円で歩荷さんを雇い運んでもらってましたっけ〜)

●宿泊先の設備は
○浴槽、○トイレ、○物干し場、○テレビ、○冷蔵庫、○ガスコンロ、
×炊飯器、×レンジ、○トースター、○包丁・まな板、○食器、○湯沸かしポット
○洗濯機、○バスタオル、○シャンプー、○リンス、×ビデオ、×電話、○冷暖房

●屋久島の「あし」
屋久島にはバスがありますが、とても、とても私達の要求の時間帯に運行しているバスはありません。清水の舞台から飛び降りたつもりで、空港までの送迎を含む全ての山行の送迎は、ジャンボタクシーを予約しています。乗り換えや乗り継ぎの心配はいりません。安心してくださいね。

★明日は予備日について


[2255] 【2334回 屋久島情報そのA】 2010-09-19 (Sun)

半端な雨ではありません。だからこそ縄文杉があれほどに美しいのです。雨だから登山を中止する?そんなことを言ってたら生涯屋久島登山は不可能です。どの位降るのか、どこで登山を中止し引き返すのかを知り屋久島に臨めばいいのではないでしょうか?決して無理はしない!これが原則です。

●雨の屋久島

屋久島には1ヶ月で35日雨が降ると言われています。ん?1ケ月は31日だからそれ以上?まぁ、そんくらい雨が降ると言うことでしょう。

林芙美子著の「浮雲」の最後は屋久島を舞台にしています。
「はア、1ヶ月、ほとんど雨ですな。屋久島は月のうち、35日は雨という位でございますからね。・・・・」

@どれだけ雨が降るのでしょう。比較年間降水量屋久島測候所(1979〜1990年)
屋久島(空港) 4306o
屋久島(南部) 3253o
那覇 1899o
大阪 1330o
種子島 2232o
東京 1444o
鹿児島 2224o
仙台 1250o
福岡 1727o
札幌 1074o

A何月が雨が少ない?
島の北半分では3、5、6月に雨が多く、12、1、7、8月に雨が少ない。
島の南半分では4、5、6月に雨が多く、12、1、2月及び10月に雨が少ない。
5月末〜7月初旬が梅雨。8月、9月は台風の影響が多い。

B山はどのくらいの雨?

屋久島の平地で2日に1日は雨、山では3日に2日は雨に遇うと思ったほうが良いようです。高所ほど雨の確立は高くなります。登山に雨合羽は欠かすことができず、1日の内でもどこかで雨に遇うという確立は高くなります。

しかし、時には下界は大雨でも、山頂では雨に遇わないことも珍しくありません。豪雨のときは大木の幹から滝が落ち、
登山道は川となり、「川の中をざぶざぶ歩く」状態になります。川は猛烈に氾濫し、渡渉どころではありません。でも、雨に遇わない屋久島登山もまた物足りないですね。気まぐれお天気には要注意を。

C登山中止の目安はどのくらいの雨?

大雨警報が出たらまず中止。アクセスの車道が通行止めになります。崖崩れや落石などの危険があるため通行止めになるのですが、場合によっては登山中に大雨警報が出されたりします。その時はできるだけ速やかに下山します。前日までの降雨量、当日の降雨量、増水や雷雨などの条件を考慮し、安全登山を心がけて下さい。

でも、雨だからと言って中止していたのでは山歩きはできません。安全を確保できれば、普通1日50mmぐらいの雨ではツアーは催行されています。

D島の半分は大雨、半分は快晴 !!

屋久島は小さな島ですが大きな天候変化をもった島です。雨が多いことは「虹」が多いこと。「虹の島」ですね。「島の半分はどしゃ降りなのに、島の反対半分は日焼けする快晴」
山が高くフェーン現象が起こるからですが、こんな屋久島の気象変化を楽しむのも面白いですね。島を一周したらよく出会うそうです。

★明日は台風情報をお知らせします


[2254] 【2333回 屋久島情報その@】 2010-09-18 (Sat)

常念岳から戻ってからスタートさせようと思っていましたが心はすでに屋久島に向いています(笑)荷物作りなどにお役立ていただけるとうれしいです。

まず気になるのが気象情報です。「屋久島って天気はどうなんだろう?」とても気になるところですね。

「山はどのくらいの寒さ?」
「どんな服装がいいの?」
今年の様に暑さが長引くと例年の気候も参考にならず予想がても難しいですね。例年の資料を目安に荷物作りをして下さいね。

●屋久島の気温

屋久島は山が高いため、南は屋久島から北は北海道までの気温変化を持っていると言われているそうです。最低気温は1月で3〜4度ぐらい。最高気温は8月で34度ぐらい。

@縄文杉(宮城県ぐらい)最低気温は1月で−5度ぐらい。
10月は12.7度ぐらい。

A宮之浦岳(北海道札幌ぐらい)最低気温は1月で−8度ぐらい。10月で10.1度くらい。

B花之江河(青森ぐらい)最低気温は1月で−6〜−7度ぐらい。10月は11.6度くらい。

C白谷雲水峡(北九州ぐらい)最低気温は1月で−1〜0度ぐらい。10月で17.6度くらい。

D屋久杉ランド(東京ぐらい)最低気温は1月で−2〜−3度ぐらい。10月で15.0度くらい。

★明日は屋久島の雨についてお知らせしますね。


[2253] 【2332回 秋の全国交通安全運動】 2010-09-17 (Fri)

9月21日から30日までの10日間「秋の全国交通安全運動」がはじまります。それにさきがけて此花区では17日に決起大会と表彰式が行われました。区長、警察、消防、府、市会議員、町会役員などが壇上に上がり、挨拶をするのですが、内容はみなさん一緒(かぶってまっせ〜)保育園園児達も来ていましたが、最後まで静かにいい子していました。挨拶はひとり3分までって決めたらどうかしら?ね。

今回は私は此花区民を代表して高らかに「安全宣言」をしました。そして府警本部と交通安全協会連盟による表彰もしてもらいました。 60歳すぎて表彰してもらえる機会はトーンとないと思っていましたので少し照れくさくも、うれしかったです。背筋がピーンと伸びた気分です。

秋の全国交通安全期間中のスローガン
●高齢者の交通事故防止
●夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
●全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
●飲酒運転の根絶

(大阪版)
自転車の安全利用の推進

反射材効果は結構ありますので、まず夜間は明るい服装に反射材をつけて歩きましょう。靴シール、自転車シールなどもあり、これから冬に向けて、日暮れも早くなることから事故の遭わない対策を各自でしっかりと致しましょう。

19時30分から、夜間巡視もあり各地域に分かれてコンビニ前、ジャスコ、マクドナルド、公園など、たむろしそうな所を巡回しましたが、ひとりも不良らしき子供達はいませんでした。(ホッ!)


[2252] 【2331回 常念岳の荷造り】 2010-09-16 (Thu)

昨日の芦屋地獄谷コースは、レポートにも詳しく書きましたが、やはりイノシシとの睨み合いとなりました。ブログにそのときのイノシシの写真を載せましたが、大きいでしょう?怖かったよ〜(詳しくはレポートで)

あと1週間に迫った常念岳の荷物をして見ることにしました。スケジュール表と共に持参すべき荷物類を丁寧に書き出してもらっていますのでチェックを入れながら30gのリュックに詰め込みました。あと、行動食を少しいれれば完成で、いまのところ11sを少し越えています。肩の調子が、いまいちなので12sまでで止めておきたいと思っています。

特別、何と言うて不要な物は入れていませんがズッシリと肩にかかる荷物は軽いにこしたことはありません。下着も軽い物、小銭はなるべく持たないなど工夫をすれば快適な山歩きができるでしょう。出発前に、もう一度、荷物を背負ってトレーニングをしてから、常念岳に挑みます。

お天気でありますように!
怪我を引き込んだり、巻き込まれたりありませんように!
病気など発生しませんように!
「ブジカエル」のお土産を持ち帰れることを祈りながらリュックから出したり、入れたりを楽しんでいます。


[2251] 【2330回 夏山も危険】 2010-09-14 (Tue)

私の中に「冬山は危険、夏山は安全」と言う安易な気持ちがどこかに潜んでいましたが今年の事故を見聞すると「冬も夏も危険」と思わなければならないようです。「夏山も危険」と思い直す事にしました。東北で見た若者のサンダル履きに合羽無しで登山する無謀者達は除き、いかなる時も「想定外」を想定し、万全の装備で山を楽しめたらと思っています。
(しかし・・・荷物は軽い方がいいけどね)

★夏山の危険★

●転倒・滑落の危険
転倒や滑落は雪渓の残るアルプスなどで頻繁に起こっています。

●道迷いの危険
雨の坊がつるで方向を失ったことがありました。

●落雷の危険
山の稜線に落雷すると雷の電流は稜線を這うように流れます。北鎌尾根での恐怖は生涯忘れることはありません。

●天候悪化の危険
急な天候の変化は精神的に余裕がなくなります。いかなる時も冷静にと言い聞かせています。

●低体温症と日射病
槍ヶ岳の山荘で、雨で濡れた身体が、ブルブルと震えて軽度の低体温症を体験したことがあります。

●落石の危険
妙義山で落石に遭い、それを避けるため肩脱臼をしたことがあります。

●水分不足に伴う脱水症状
喉が渇く前に水分補給。昔の登山では「我慢しろ」という指導がされていたが、水分補給は我慢せず、充分に摂らないと脱水症状を起こします。北鎌尾根でヒョウが降り、ヒョウを合羽で受けて飲んだことがあります。水不足は死を招きます。

落石事故で最近、富士山の新五合目で、キャンピングカーで寝ていたところ大きな落石が落ちてきてキャンピングカーを貫通してしまったという事故がありました。落石よけのフェンスがありましたが、全く意味がないほどの衝撃だったといいます。この落石により一人が亡くなっています。また逆に浮石を下に落としてしまうケースもあります。奥穂高〜西穂高のルートは非常に危険で、浮石だらけ、梯子や鎖場で落石が落ちてきたら逃げ場がありません。もし浮石をおとしてしまったら、大声で「らーく」と下の人に注意を促すことを忘れないでおきたいと思います。


[2250] 【2329回 ロックガーデンでイノシシ事故】 2010-09-14 (Tue)

見覚えのある風景がテレビ画面に映りました。あれはたしか芦屋ロックガーデンの第一鉄塔付近だと見ましたが、間違っていたらごめんなさいね。


『9月13日午前10時40分ごろ、兵庫県芦屋市と神戸市との市境に近い六甲山中の「ロックガーデン」付近で「イノシシに荷物を取られそうになり、背中を負傷した」と登山中の女性から119番通報があった。芦屋市消防本部によると、7人グループのうち2人が軽傷。一時、鉄塔に上って避難したが、救助隊員らと無事下山した。周辺で食べ物目当てのイノシシがリュックを襲うケースが多発している。』

この場所は何度となく通過する場所であり、風吹岩付近でもイノシシの親子連れを見ることも度々あります。

登山途中の看板には「エサを与えないで下さい」と書いてあります。勿論野生動物ですので土を掘り起こして、食べ物を見つけることが大事なことです。報道によると「エサを遠くへ投げて、その間に逃げろ」と言ってましたが、とっさの時はエサを与えて逃げろと言うことなんでしょうか。味をしめたイノシシはまた同じ事を繰り返すのではないでしょうか。人間もイノシシが怖いですが、イノシシも人間が怖いのです。うり坊を守るため必死なんでしょうか。

第一鉄塔には孫の零を連れて行ったことがあります。子供連れの場合、怪我をさせずに救出できるかと言うと、イノシシの威力には負けるかも知れません。第一鉄塔、風吹岩あたりでは腰を下ろしての休憩はしない方がいいのかもしれませんね。みなさんも気を付けてくださいね。

私は四万十と言う大自然の中で育ちましたが、動物におそわれたと言う経験はありません。山には豊富な木の実が、たわわにぶら下がっていました。野いちご、やまもも、ぐみ、山栗などがありました。芦屋のイノシシも山に食べ物さえあれば里に下りたり、人間に害を加えないはずです。堰堤でイノシシにエサを巻くハイカーを見かけますが、その行為がイノシシを凶暴にしてしまうのです。


[2249] 【2328回 ひょんな所での再会】 2010-09-13 (Mon)

青森行きで、お盆のお参りが今日になってしまいました。お彼岸前に、今日こそはぜひと思って天王寺の一心寺にお参りにでかけました。日差しは強いものの、吹く風は秋の気配です。もうすぐすると風が吹けば「おお、さぶ〜っ」って言う日もやってきそうですね。今年の四季は「春、夏、夏、冬」。

その一心寺で思いがけない人にバッタリ!出会いました。私が所属していたウオーク協会で、よく出会う、やぎの様な長い白ひげを蓄えたMさんでした。「お元気ですか?」「いや〜こりゃ、こりゃ〜姫さんも元気そうで」と、しばし懐かしい挨拶を交わしました。ウオークで見かけないことを残念に思っているとか・・今は登山を中心に余暇を過ごしていることを話して、お別れをしました。

ついでに貝塚の義兄の墓も行くこととなり今日は盆と彼岸を一緒にしたような墓巡りの一日でした。そんな折りに、姪から相談の電話があり、姪っ子がダンナの叔母が亡くなり、生花を飾るのに、誰に頼んでどのようにすればいいのか聞いてきました。依頼は葬儀屋にする事やダンナの兄弟で話し合い連名ですることを説明したのですが理解しがたいようなので「もし姫おばちゃんが死んだとしたら、あんただけが生花をしてくれるより姉弟3人の連名で費用の分担をしてくれた方が姫おばちゃん的にはうれしいよ」と言うと「よぉ〜わかったけど、おばちゃんが死ぬなんて縁起でもない例題出さんといて〜!」って言われちゃいました。(笑)

芸能人でもこのごろ、密葬、家族葬で済ます人が多くなってきました。私も会社を離れると見栄もいらないし、香典もご辞退の簡素な家族葬もいいかなって思っています。


[2248] 【2327回 大型バスもオートマの時代!】 2010-09-12 (Sun)

私はバスに乗って空席がなくて、立つ場合は、なるべく運転手さんの手さばきが見える場所を陣取ります。クラッチ操作をしなくなって久しいですが、バスの運転手さんの手さばきを見るのが何となく勉強してる感じがするのです。と言っても、今更チェンジ付きの車は、よう運転しませんが・・・

バスに乗ると、時々「ヘ、ヘ、ヘタクソ〜」と叫びたくなるような、急ブレーキ、急発進、ガガガガッと音を立てて、チェンジを切り替える運転手さんがいますが、降車まで事故らないでよと祈りたい時も度々あります。

そんな中、大型バスのオートマを見ました。ドライバーさんの左手は余裕に遊んでいます(ごめんチェンジを切り替えていないと言う意味です)降りるときに念には念を入れて「オートマなんですね?初めて見ました〜」と言うとニッコリと会釈をされました。これからは大型もオートマ時代なんですね。

四万十号は高島トレイルでバッテリー他、異常を訴えた後、夏バテ状態で、いま修理工場にドック入りしています。新車を買う余裕はありませんが、故障は直しておかなくてはいけません。見積もりをもらって愕然としています。お金が用意できないと四万十号を引き取りにいけません(ハッハッハッ〜)


[2247] 【2326回 百均の店の利用方法】 2010-09-11 (Sat)

百円均一商品通称「百均」の店には、どう見ても百円では制作できないであろう商品が多く並んでいます。私も時々便利に利用しています。特に袋物などはファスナーだけでも100円では完成しないであろうと思われる便利グッズが並んでいて、雑巾までも売っています。新学期になると必ず学校へ持参しなければにらない雑巾は、家で使い古したタオルにミシンを掛け、持たしたものでした。しかし今では3枚100円で売っているのには驚きました。

我が家で、10〜20年ぐらい使って随分古くなった洗濯ばさみを買い換えるため百均の店で同じ形のものを買いました。古い物も壊れているわけではありませんので同じように使っていましたが、おもしろいことに最近買った100円の洗濯ばさみが、ことごとく壊れて使えなくなってしまいました。「やっぱり100円だもんなぁ」と変に納得してしまいましたが、亡くなった姑がよく「買うときに、どちらにしようかと迷うことがあれば高い金額の方を買えば間違いがない」と教えてくれたことを思い出しました。買う時に安くても長持ちしないのであれば少し高くても「普通の店」で買った方が「安物買いの銭失い」にならずに済むような気がします。中には良い商品もありますので、客である私達が選択をして買うことが必要かと思います。(選択だけに洗濯バサミってか〜笑)

買い物は、思いついた物を衝動買いすると、あとで必ず不要になります。私の姪に、とにかくコーナンが大好きで買う物がなくてもブラ〜リブラリしている間に両手に一杯買い物をしてくる子がいます。あだ名を「コーナンのショーコ」と言います。家には小物があふれ、使わない物も多くホコリが積もっています。「○○を買うためにコーナンへ」と目的を持って行かないと衝動買いをしてしまいます。私は必要な買い物を、すぐ忘れてしまうのでメモに取ります。たいがい急がない物なのでメモがまとめまれば買い物をする様にしています。

家の中の隅に物を置いたり、押入に突っ込んだりも嫌いで、押入は誰に開けられても整理整頓されているのが好きです。孫が来て、おもちゃの入れてある押入れをガバッと開けてしまうので特に気を付けています。嫁に「お母さんとこの押入きれいですね」と言われたい〜そんな思いで、今日もタオルの引き出しと靴下の引き出しを整理することにしました。タオルは上から上から使うので下になっているタオルを上に回したり、靴下は夏物を前に冬物を後ろにと季節に応じて同じ引き出しでも入れ替えています。

しかし、使う人はそんな事には、おかまいなしで引っ張り出してグチャグチャにされてしまいます。(ほんまにっも〜っ!)


[2246] 【2325回 やっと秋らしく】 2010-09-10 (Fri)


「もう一度行ってみたい鳥海山」

姫のおうちの表紙の写真が衣替え、鳥海山の頂上へ向けての写真に変わっていて、またまたあの時の感動が思い出されてしまいました。ツツガ虫に噛まれた直後で顔は少しづつ腫れかけていますが、まだ耐えられないほどではありません(笑)しかし翌日はまだまだこんなものではありませんでした。月山と羽黒山はすべてサングラスで隠しています

その鳥海山は「あっ頂上や」と思ったところは頂上台地で、新山の頂上は後にある山のそのまた後ろの山だったんです。御室小屋の後ろから岩を、バランスをとって攀じ登ります「落ちたらどこまでも落ちるよ」そう言われて緊張したものです。「あと一歩がとうにもならん!」と、もがき苦しんでいたおじさんもいました。

新山には三つの穂先があります。「どうなってるのよこの山は?」 いったん登って奥の割れ目を目指して下ります。今までに訪れたことのない不思議な山でした。霧で一瞬だったんですが、感動の山頂を踏むことができました。ぜひまた行ってみたい、今度は御室小屋に泊まり、三つの穂先をハーネスを装着しロープで、出来れば懸垂下降も試みてみたい!写真でもおわかりですが全て岩盤からなりたっていて浮き石もあり「おっとっと」状態を楽しむことができます。

割れ目の下にある胎内くぐりはお化けが出そうで怖かったけど、出た途端大雪渓が待っていてくれて驚かされました。「いったいこの山どうなってんやろ?」何度もそうつぶやかずにはいられませんでした。今度行く時は虫さされ予防のベールをかぶって行こう!。

神を祀る山として気高く、いくつものコースがあり何度も楽しめる山だと思います。


[2245] 【2324回 小さな秋見〜つけた】 2010-09-09 (Thu)

近畿地方は、8月14日以来「猛暑日」が続いていましたが9月8日に、やっと猛暑日から脱出することができました。心なしか虫の音が大きくなったような気がします。いままでは朝起きて廊下に出るとムッとした暑さがありましたが今朝はそれも感じなくなっています。このまま涼しくなってくれるといいですね。

台風で被害を受けた地方はお気の毒としか申し上げようがありませんが、毎年繰り返される水害に、自治体の対策はないのでしょうか。滋賀県高島地方にも大雨洪水注意報が発令されておりましたが、あの林道は大丈夫なのかしらと気がかりです。

夏の疲労が秋を迎える頃、ドッと押し寄せてくる場合があります。特に暴飲暴食をされた方達にはそのツケがやってきますよ。会社勤めをしていると1年に1度、健康診断がありますが、サンデー毎日派は自主的に健診を受けるしかありません。体重が増えた減ったと騒いでいる間は大丈夫ですよ。生活習慣病を指摘される前に自分でコントロールしないとね。
そう言えばウオーカーや登山者やクライマーに肥満体の人はいませんねぇ。運動をして痩せたのか、それとも過激な運動について行けないのかどっち??

毎日の排尿の色、排便の色、硬さなど気に掛けておきましょう。早期発見につながります。

せっかく今まで一生懸命働いて来て、定年退職して、その後病気になると悲しすぎます。私は、山登りのチャンスがあれば出かけ、若者から声掛けしてもらえれば飲み会に参加し、少しだけ地域の活動に参加し、自由な人生を送りたいと思っています。(自由過ぎる?そんなことはありません)


[2244] 【2323回 登山で下りの人に距離を聞かない】 2010-09-08 (Wed)

「もう少しで頂上ですよ!」
「もう少しです。頑張って!」
「あとちょっとですよ!」

登山中に下山をする人にそんな声をかけてもらったことはありませんか?時にはこちらから下山中の人たちに「あとどのくらいで頂上ですか?」と、あまりのしんどさに聞くことがあるかと思いますが、下山中の人たちに聞くと全くあてにならないことがわかりました。私は「あとどのくらいですか?」と聞かれた時は「私達は下りでここまで○○分で降りてきました」とか「あと○○qくらいです」とか具体的に数字を言うようにしています。以前、京都トレイルを歩いていて、比叡山のロープウエイ乗り場を目指してのきつい登り道で、聞いてもいないのに、下山中のおせっかいおばさん2人組が「もうすぐですよ!ガンバレ」その言葉を真に受けて、登れども、登れども到着せず、その言葉が疲労度を増してしまったことがありました。

私が肩脱臼のリハビリに通っている時、理学療法士さんが「前回は腕が135度あがっていましたが今日の筋トレの成果で150度まで回復しています」と具体的に数字で説明して下さいました。180度手が上がれば「回復!リハビリ終了」ですから患者にも、とてもよくわかります。固定していた三角巾がはずれた当初は90度しか上がらなかったことを考えると150度はとても成果のある数字です。これを「だいぶ良くなりましたね」とか「前回より良くなっていますよ」では回復度合いがピーンとこないのですが具体的に数字を言ってもらうととても理解しやすいです。

私達も下山中に、登りの登山者にあまりエエ加減な情報を提供するのはやめにしたいと思います。情報提供するならば、正確かつ具体的にしましょうね。そして聞かれてもいない時は静かに「コンニチハ」の挨拶だけにして通過したいものです。そうは言いながら、笑顔で「どちらからですか?」などの会話は仲間意識が芽生えて楽しいものです。


[2243] 【2322回 オナラの原理】 2010-09-07 (Tue)

テレビで「おなら」について報道していました。

NASAで船内がおならによる爆発の可能性がないか研究しているそうです。おならの回数は1日5回から6回、量にして500ccから1000cc(と言うことは500_gのペッドボトル1本ってこと?)飲み込んだ空気と血液中のガスによっておならとなるのだそうです。胃で消化しきれなかった腸内細菌が発生、肉、脂肪の多い食物を食べた時、アンモニアやスカトールが発生し、くさ〜いおならが出るのだそうです。

人間は1000ppmの硫化水素が検出されたら死亡してしまいます。酸ヶ湯温泉付近でガスが発生して死亡した事故がありましたが、きっと1000ppm以上の有毒ガスが発生していたのでしょうね。おならを我慢すると便秘、肌荒れ、口臭、体臭、大腸ガンまで引き起こすことがあります。

●ではおならの臭いを消すことができるのでしょうか?
それは無理!です。でも減らすことはできるのです。悪玉菌と善玉菌はシーソーの様な役割のため、善玉菌を多く摂ることによっておならが臭くなくなるのです。肉を控え、食物繊維を多く摂ると臭くないおならと変化します。毎日、乳酸菌をとる、他にキムチ、味噌なども効果あり〜

●では音はどうでしょう?
音のコントロールは無理!だそうです。新婚時代ではないので、思い切り出して下さい。

●おならを減らすのは空気を吸い込みすぎない様、早食いをしない、炭酸飲料を多くとらない

●でも、でも
おならは健康のジグナルです。天皇陛下も総理大臣も人間だれしもみ〜んないっしょ。そんなに嫌わないで健康のバロメーターとしてつきあってはいかがでしょうか?

★そう言えば高島トレイルのテントの中からも「ブー」と言う音が聞こえていました。寝ていてもおならって出るのですね。テントの中が1000ppm以上にならなくて無事でよかったです。(ここだけの話・・登山中とくに登りでおならが多くでるのは私だけ?)


[2242] 【2321回 高島トレイルD終わったよ〜】 2010-09-06 (Mon)

高島トレイルD「横谷峠〜おにゅう峠」は晴天に恵まれ(恵まれすぎ?)無事終わりました。前日のテントも賑やかで、満天の星空に見守られて、グ〜ゴ〜ガ〜。

早朝に出発をし、ゆっくり確実に歩を進めて、何と予定より1時間も早くゴールすることができました。

ブナ美林が、とても美しく次回が楽しみとみなさんが言って下さいました。あと2回、頑張って行きたいと思います。

今日はテント4張り、四万十号の洗車、ブルーシート類の洗浄、食器類の片づけ等で1日が過ぎてしまいました。テントは朝露がかかりビショビショでした。片づけは大変でしたが、キャンプは楽しいものです。みんなで共同作業をするなんて、この年では、なかなか味わうことができません。

暑い時の給水は冷たいに限ります。土曜日の出発時に冷凍したお茶3本、水1本をタオルでしっかりと巻き、ランチボックスに入れておきました。日曜日の午後ぐらいまで氷柱は残り、喉の渇きは冷たいお茶が一番!冷たいお茶は疲れが吹っ飛びます。みなさんも一度試してみて下さいね。タオルで必ず巻いて下さいね。タオルは冷たいおしぼりとして使え、一石二鳥です。

レポートに書き忘れましたが、何十年ぶりに「とんと」をしました。回送の車が戻るまで散歩をしていたら、たき火に適した薪が落ちていました。午後4時を過ぎるとブーンブーンとヤブ蚊が飛んできたので薪に火をつけて、燻すことにしました。飛び交っていたヤブ蚊達は、煙に追いやられてどっかに散ってしまいました。

食後は、このたき火がキャンプファイヤーとなり、青春時代を思い出させてくれました。焼き芋すれば良かったね。鹿狩りのおじさんが教えてくれた水汲み場は、ソーメンの大きさみたいにチョ〜ロ、チョロでしたが、素晴らしい景色が心に余裕を与えてくれ、小さなバケツが満杯になるまで、おしゃべりをしながら待つのも楽しかったです。(水タンクに満タン水はあるのですがね)場現地に入れば現地の楽しみをみんなで見つけ楽しむのもキャンプのご馳走というものでしょうね。きっと。


[2241] 【2320回 夏の集大成】 2010-09-03 (Fri)

「夏の暑い時は沢登りに限るなぁ!」と豪語し、今までは滋賀の沢をあちこち楽しんでいましたが、今年は夏の異常気象とともに、修理に出した沢靴が、新しくなったと言うのに、沢登りも天気同様に異常に終わりました。今年は師匠が山岳会の沢登りの講師になったということもあり多忙で、行きたい日程が重複し、ならばポチと二人で出かけようと、山岳会の沢登りの実施日に、同じコースを行くことにしました。「一緒に参加したい」とお願いしたのですが「会員以外ダメ」との事でした。(沢講座の資料作りに現地に行き協力した貢献者なのに、水も冷たいけど・・冷たいなぁ・・)まあ師匠も、あまり山岳会に参加していないので、そこまでの力が無いみたいで無理は言えませんでした。(もし師匠が来年も講師を引き受けたら私は後ろから全コース付いていきます。決して団体の邪魔はしませんから!へっへっへ〜)

師匠に「あんたが行ける沢は獅子ケ谷だけ」と言われ、候補地に獅子ケ谷を選びました。沢の中で師匠達の団体を見つけ、途中から私達が先を行くことにしたのです。しかしその途中、大変なアクシデントが起こり、沢登りは、残念ながら今年の夏は中断を余儀なくされました。恨めしくて道具をみつめては、ため息の連続でした。私のレベルでは、経験不足で、まだあちこちの沢は無理の様です。各地で沢の事故が多いせいも手伝って、少し引っ込み思案になってしまいました。暑い夏が余計に暑く感じたのはそのせいでしょうか?

高島トレイルも常念岳も屋久島もと欲張りに出かける予定なのですが、来年も同じように出かけられるかと言えば、体力的にそれはわかりません。しかし今までは「一気に登り、一気に下る」計画を「山小屋を見たら泊まる」つもりで計画を立てれば、まだまだ可能かも知れません。

今年は、くろねこさんに素敵なコースを教えてもらっていますので、来年は、ぜひ訪れてみたいと思っています。ポチも体調が悪い時はお留守番したり、山頂は踏まずとも、山小屋で待機など臨機応変に山を楽しみたいと思っています。あの東北の珍道中、問題もありましたが会社勤めをしたいたら到底出来なかった余裕の日程でした。「雨が降れば待機」「天気が悪ければまた次に」そんな心の余裕も勉強になりました。

いま、我が倶楽部では来年の行ってみたい山の候補を募集しています。山行を終えて百名山の本を赤く塗りつぶしては満足な笑みを浮かべています。来年は何座塗りつぶせるのでしょうか。楽しみです。行ってみたい山と行ける山は違うと言われそうですが、憧れの山を書きました。実現しますように!

★★9月4日〜9月5日は「高島トレイルD 横谷峠〜おにゅう峠」行ってきます。


[2240] 【2319回 常念岳に続き屋久島の準備着々と】 2010-09-02 (Thu)

常念岳のご案内は参加の皆様のお手元に届いたかと思います。続いて屋久島のご案内も作成中で、近々お渡しできると思っています。それぞれがイメージトレーニングを積み本番に備えて頂き、思い出の多い山行にしたいと思います。1軒宿を起点にして縄文杉、本富岳登山、太忠岳、愛子岳など、とてもツアーでは回りきれない山々を制覇の予定です。

何と言っても宮之浦岳は小屋泊りとなります。避難小屋泊まりではありますがテントも持参します。北海道トムラウシ事故の時、旅行社がスタッフを使い小屋を席取り(占領)していたと言うことがありました。万が一、私達が到着した時、そのような旅行社のスタッフがいた場合は、現場にいる人数分は先着順と言うことで譲りますが、人数以上は断固として交渉を続けたいと思います。しかし満杯という場合もありますのでそのときのためにテント3張り(ジョン、サスケ先生、ポチ)を持参するため「共同装備」となります。これ以外に食材もありますので自分の荷物プラス1sの共同装備分が増えることを念頭においておきたいと思います。

過去に北岳バットレスに参加した時、事前に共同装備の分担がありました。6人の参加者にテント、コンロ、ベニヤ板、アルファ米、食材など6等分を均等に分けて、テン場までを担いだものです。会員以外の「よそ者」であった私にもキッチリ分担があり、テン場に到着して共同装備を出し合ったとき「ああ、私も参加者の一人なんや〜」と、満足したものでした。

荷物は軽いにこしたことはありませんが、月山で見かけた若者の様に雨具も持たずサンダル履きでは、危険ですし、山に対して失礼だと思います。「必要最小限プラス共同装備1s」で荷造りを工夫したいと思います。日焼け止めクリーム以外の化粧品は置いていきま〜す。


[2239] 【2318回 努力すれば出来るやんか〜】 2010-09-01 (Wed)

今日から2学期が始まりました。蝉の死骸が公園に散らばり厳しい暑さに終わりを告げようとしているはずなのですが、やはり暑いですね。

土曜日からの高島トレイルのキャンプ泊の荷物を四万十号に積み込みました。寝袋3、マット3、テント4、水入れ2、台所用品1パック、ブルーシート2、これにジョンの荷物も当日の朝積み込みます。まだリュックや着替えなどがありますが、4人分の座席を確保致しました。「努力すれば出来るやんか〜」汗だくになって積み込み完了〜です。(しかし四万十号は無茶積み、無茶走りやなぁ。えらい、えらい。)

高齢者の死骸をタンスに入れたり、子供をせっかん死さしたりと、せちがらい世の中ですが、私の住む隣組に、ついこの間ご主人を亡くした80歳を優に超した老婦人が住んでいます。現在は息子さんが一緒に住むようになっていますが、朝出勤すると夜は午後10時まで帰ってこないと言います。隣組の私達が買い物や何か困ったことはないかと声掛けをしてはいますが遠慮がありなかなかうまくいきませんでした。

そこでヘルパー制度があることを息子さんに提案し、今では買い物や家の掃除や、お風呂も入れてもらえると大喜びです。ちょっと心配なのは寝室が2階ということです。手摺りはついていますが階下にあるトイレを利用するために、階段を踏み外しはしないかと心配しています。

私も3階を利用していますが、足腰が弱るとマンションの「段差無し」生活を希望します。希望するったって簡単に転居できるはずはありませんが、万が一足腰が不自由になったらガレージを改造し1階のみで生活を強いられるかもしれません。そうならないように、しっかりと足腰を鍛えておかなくっちゃあ〜。ねっ。


[2238] 【2317回 8月も今日で終わり。夏も終わりになるか?】 2010-08-31 (Tue)

毎日暑い日が続いています。夏バテしていませんか?のかけ声も・・・とぎれそう・・・・

こども川柳の一部です

●よく食べる 夏バテ知らずの お母さん
●扇風機 つけてみると 熱風機
●この暑さ インドよりは まだましだ
●風鈴を つけてみたけど 風がない
●あさひるばん 続けてソーメン ああソーメン

子供達の素直な気持ちが表れていて、親子の温もりや、手抜きが微笑ましい気がします。

山々はそろそろ秋でしょうか。常念岳のタイトルが「錦秋の常念岳登山」となっていますので期待も大きいのですが。
とにかく山の事故の多い夏でした。「あっ今日もや!ひとりで行ってたんやて!」こんな会話を何度したことでしょうか。30日にも、北アルプス三俣蓮華岳で61歳の女性が16日ぶり救助されたとありました。また山岳写真家の磯貝氏も浮き石を踏み50メートル滑落して死亡したそうです。

山や沢の教訓です「ひとりで行ったらあかん」

夏休みも最後とあって宿題に夏の暑さとは別の汗をタラ〜リタラリと流している子供達もいることでしょう。とにかく明日からは「9月」ということで涼しさを期待したいと思います。あ〜あ〜クーラー無しで過ごしたい! 


[2237] 【2316回 今日の下見がムダとなりますように!】 2010-08-29 (Sun)

9月4日に高島トレイル「横谷峠〜おにゅう峠」のコースを実施するに当たり、季節が秋に移ろうとしていることから日没が早くなる事を考え、アクシデントがあったとしたら薄暗くなるであろう「百里ケ岳」から「おにゅう峠」までを夜行性の蛍光シールを取り付けに行く事にしました。此花を午前7時30分に出発し、道の駅「くつき本陣」に向けて栃餅を仕入れてから目的地に行くお決まりコースとなりました。

「何じゃこりゃ〜」名神高速道路は、夏休み最後とあって渋滞は半端なものではありません。京都南を経て湖西道路への道は、1台のパトカーで行く手を阻まれ雄琴の町へ抜ける地道へとはき出されてしまいました。一体事故なのか、何なのかサッパリわかりません。道路情報も入っていませんでした。丁度、真横に中型バスが2台渋滞に巻き込まれています。フロントガラス横を見ると「サンケイ旅行会、高島トレイルK」と書いてありました。「ははぁ〜ん、きっと道の駅くつき本陣でトイレ休憩やな。そこで出合ったら行き先聞いてみよう」

案の定、時を同じくして道の駅で駐車しているバスを見つけました。トイレの中で「どこからどこまで歩くのですか?」と聞くも「ハッキリわからないけど今日が最終コースなんです〜」ふ〜んどこ歩くかわからんけど参加してるんや、と独り言を言いながら時計を見ると正午前です。この渋滞で主催者は、きっとあわててるね。コース変更に頭を抱えてるかな?そんな会話をしながらテント場となる横谷峠まで車を走らせました。

横谷峠のテン場を確認し、林道を走ること片道30分、山の頂上付近を見上げるとガードレールが見えてきました。「えっ?あんなとこまで車入れるの?」そうです、バスでは到底入れない秘境で、私達はトレイルのルートを一線上に、きちんと結ぶ正式ルートを歩けますが、バスではところどころショートカットをしなければ到底無理の様です。

おにゅう峠で昼食を済ませ、本番で万が一、アクシデントがあれば薄暗くなるであろう百里ケ岳までをゴールから逆歩きし、同じ道をゴールに向けて引き返しました。その間に夜行性蛍光シールを数十カ所取り付けてきました。木の枝は勿論ですが、足下も、つまづかないように木の根にも取り付けました。この作業が本番では「ムダやったなぁ」と笑って、明るいうちにゴールが出来ればこんなに安全なことはありません。

時折り、吹き抜ける風は、暑いアスファルト道から冷房の効いたレストランに入った時の様にヒンヤリととても気持ちがいいです。ブナ美林も多く、なだらかで展望もすばらしいです。前回の「水坂峠〜横谷峠コース」の暑くてつらいコースに比べ今回は「ご褒美ルート」です。午後4時に車を停めている、おにゅう峠に帰り着き、その後、残りのコースの出発点、到着点、終了点を確かめることができました。

「どうせ渋滞にひっかかるならゆっくり風呂でも入って帰ろう」と言うことになり、少し回り道ではありますが「比良とぴあ」で汗を流し、ついでに同じ館内にある食堂で、夕食を済ませて、さあぼちぼち帰ろうかと腰を上げたのが午後7時、渋滞もなくス〜イスイと帰ることができました。家に到着したのが午後9時。前回てんくう温泉に入り、渋滞の中をトロトロ帰っても午後9時で、どちらもほぼ同じ時間でした。

横谷峠〜おにゅう峠  乞うご期待です!


[2236] 【2315回 あ〜腹立たしや、腹立たしや〜】 2010-08-28 (Sat)

常念岳の宿泊予約の際に・・・

常念岳行きの第一日目の宿泊先であるホテルの無料送迎バスが穂高駅からだけの出発と思っていたら、松本からも発車していることがわかりました。乗車時には必ず予約ということでしたので、ホテルに予約の電話をいれることにしました。かなり豪華なホテルの様で値段も豪華!そのため、少しでも節約になればと松本からの無料送迎バスを利用することにしたのです。松本と言えば「松本サリン事件」で無実の罪に陥れられた河野さんの事が思い出されます。奥様の澄子さんはサリン後遺症に悩みながら、ご主人の手厚い愛情で長い長い闘病生活を過ごしておられました。それにしても品のある、お人でしたね。

ホテルとの電話内容は、「もう既に予約をしていること、穂高駅からではなくて松本の高速バス降り場から利用したい事、人数」などを連絡しました。ふと心配になったのは万が一バスが何かの都合で遅れた場合は「待ってくれるのか、次に利用するバスはあるのか」と聞くと「1日1本のみで1分も待つことはなく定刻に発車します」とまぁケンモホロロとはこの事を言うのでしょうか。「なぬ〜っ!ならば高速バスとの接続などとまぎらわしい書き方をすんなっ!接続とはバスが到着するまで待つと言うことなんや!」と言いたいのをグッと我慢し、一度冷静になるために電話を切りました。

少しの間を置き、再びホテルへ電話をしたら先ほどの受付嬢ではない、やさしい口調の女性が出られたので、もう一度最初からお願いをすることにしました。「かしこまりました。乗り換えの時間は充分にございます。バス乗り場の地図をご自宅にお送り致します。お待ちしております」と何とやさしく、スムーズに予約がまとまりました。この方の素敵な接遇と笑顔が手に届くようです。

しかし電話と言うのは顔が見えなくても感情はビンビンと伝わってきます。「もし渋滞等でバスに間に合わない場合は穂高まで電車をご利用頂き、穂高駅からは1時間に1本出ている送迎バスをご利用下さい」と何で言えないのか、ましてや電話をかけた客よりも先に電話を切るとはどんな社員教育をしているのか腹立たしくなり、二度目に出た女性に思わず、受付嬢の名前と再教育が必要であることを支配人に言っておくようにと苦言を呈して電話を切りました。

ひとりの行き届かない社員のために、会社の看板は悪いイメージに塗り替えられてしまいます。塗り替えられた看板をもとに戻すには相当の努力がいります。どんなに気分が悪くても、一旦電話に出るということは会社の代表であると言うことを知って欲しいです。私は常々、会話のトーンより高い声で明るく電話を取るように指導してきました。くら〜い声で電話を取るのであれば受話器は取らない事です。しかしそれが積み重なっていくとサラリーマンとしては失格ですから・・・ね。


[2235] 【2314回 常念岳へ向けて準備OK】 2010-08-27 (Fri)

利用1ケ月前からの予約受付と言うことで、9月26日の予約は8月26日から受け付けてもらえることになりました。予約が完了したことで皆様へのご案内状を近々、ご郵送させていただくことができます。屋久島の航空チケツトも受け取りましたので併せて、ご案内状を近々ご郵送させていただきます。詳細はご案内状をご覧頂くとして

@まずバスの手配完了しました。いつもの阪急バス乗り場から松本へ向けて出発します。幸いに宿泊先のホテルの送迎バスが松本まで来てくれますので早めにホテルに入り、温泉を楽しみましょう。夕食は安曇野膳をいただきます。豪華ホテルですので目を回さないようにね。朝食のバイキングは午前7時からなのでお部屋に荷物を置かずにレストランまで持って出ようね。宿泊先は1泊目は「ホテルアンビエント安曇野」

Aいつも豪華と言いつつも「雨風がしのげればエエんじゃ〜」が山の常識みたいになっていますが今回は本当の豪華ホテルの様ですよ(観光協会さんのお墨付き)翌朝はホテルの朝食バイキングを頂き、ホテル横付けのジャンボタクシーに乗り「ヒエ平」に向かいます。常念小屋までは約5時間ほどで到着します。5時間は標準タイムですので私達はもうちょっとかかると思います。2泊目(常念小屋泊)

B翌日は常念岳と蝶が岳を挑み梓川沿いに徳沢園に到着となります。歩く距離は長いですが高島トレイルの「抜土から水坂峠」のアップダウンに耐えられたら大丈夫です。あとは歩く配分を上手に使って憧れの徳沢園で祝杯をあげましょう。徳沢園は石鹸、シャンプー共に備え付けがあります。3泊目(徳沢園泊)

C最後の日はバスでの移動となりますが大阪行きのバスに乗るまでに少し時間がありますのでおみやげを買う時間はありますよ。でもね、「山のみやげ」は元気で帰ることにあります。お菓子や産地の買い物もいいですが「無事帰る」というおみやげを持って帰れば家族や仲間は大喜びではないでしょうか(う〜ん、たまにはいいこと言うねぇ)

Dわが倶楽部の山行にはすべて「昼食」は含まれていません。ご承知おきをいただき、最後の日のお昼は自由に取っていただくこととなります。さあ!もう常念岳に向けての旅は始まりましたよ。イメージトレーニングをして楽しい山行にしましょうね。あくまでもこれは予定ですので当日の変更もあります。あらかじめご了承下さい。

●そろそろ常念岳のご入金をお願いします。
●屋久島のご入金は積み立て額を引いて、ご入金お願いします。

出費続きで申し訳ありませんが、立替金が多額となりますのでご協力よろしくお願いします。


[2234] 【2313回 ナビの器械を盗まれた〜?】 2010-08-26 (Thu)

人間の視覚なんて全くあてになりません。目の前にある物が乗車前にあったのかなかったのかの記憶がなく、突然に無いことに気が付くのです。特にポチに関しては腹立たしいほど、すっとぼけ〜の出来事がありました。

25日の朝から、定期検診のために県立尼崎病院に出かけました。帰りに一ケ所立ち寄ったらしいのですが、戻ったら、ナビの器械が盗まれていると大騒ぎをしはじめました。病院の駐車場でなのか、立ち寄り先でなのか記憶にないそうです。そう言えば後部座席から見たら、前方がスッキリしていて、配線も何もかも盗られてしまったというポチの訴えは納得がいきます。ドアのロックもしていたそうで、ドアを潰された形跡もありませんので警察に盗難届を出す気はサラサラありませんでした。東北登山の時には、誰よりも大活躍をしてくれたナビでしたので、ちょっと愛着はありましたが。。。

「まっ!いいやん!ナビの新型が欲しいと言ってたので自己責任と言う事で、自分のお金で買えば〜?!」と話していたら、何と助手席の足下にもぐりこんでいたではありませんか?「なんじゃこりゃあ?」配線部分は本体が落ちた時にきれいに剥がれてしまった様です。人騒がせと言うか、ポチの言うことを「鵜呑み」にした私もうかつでしたが笑い話にもなりません。元来、物探しのヘタなポチですが盗まれたと言う申し出をもっと疑えばよかったです。それにしても、うまいこと助手席の下にもぐりこんだものです。

粘着テープが甘くなっていたので落下したため、両面テープで補修する様に言ったのですが、それも使用せずまたもとどおりに「置いただけ」みたいです。また次はいつ落ちるのかみものです(笑)今度騒いでも知らんよ〜

過日、高島トレイルでキャンプをした折りに「オイラの大事な袋が無い〜」とジョンが必死に探していました。ひょっとして車の中か私達の荷物の中に混ざっているかも知れないと、探すという作業を一時諦めました。その後再びテントを使う事があり、広げてみると、何とテントの中に入っていたという話もありました。

「物を探す」「物を探していて一体、今何を探しているのかわからなくなる時がある」こんなことはありませんか?必死に探していて、見つからない時は「探す」と言う作業を一旦休止して別の事をし、再び探してみたら、案外スンナリと見つかることがありますよ。使ったら元の場所にきちんと直すことも大事です。


[2233] 【2312回 車旅】 2010-08-25 (Wed)

夕方のテレビ特集で高速道路千円を利用して道の駅などで宿泊する人が増えたと報じておりました。道中を我慢をして旅先で豪華に遊ぶ。2007年に定年を迎えた人たちがぶらりと日程の余裕をもって、ゆっくり出かけるのが特徴の様です。以前は1位=外食、2位=国内旅行、3位=ドライブであったのが現在では1位=ドライブ、2位=国内旅行、3位=外食と変わってしまったそうです。感覚的には「アウトドアからトラベル」と化してしまったそうです。そうなるとホテルを利用する人たちが減り、ホテル業界が傾きます。社員旅行もほとんどの企業が実施する元気がないため「大宴会」などは夢のまた夢。私は良い時代に社員旅行を体験したものです。日頃、離れ離れで仕事をしている、支店、工場、本社が唯一1ケ所に集まって親睦を深める意義ある行事でした。その年に入社した新入社員達は舞台の上に並び大きな声で所属先と自己PRをするのが恒例でした。でもいまは夢の中の話の様です。

登山の移動手段として利用する私達にとって、あまり宣伝されたりすると、マナーを守れない人たちが出た場合、いろいろ規制がかかり、仮眠利用が禁止される場合が出てくるかもしれません。自分たちが出したゴミなどはきちんと始末をする。洗面所はきれいに使うなど、みんなで常識を守ってほしいですね。いまや自動車部品を販売する店では「車中泊グッズコーナー」まであり、エアマットや、車内の電池式照明器具、扇風機、網戸などが売れ筋だそうです。

東北に出かけた時もキャンピングカーやワゴン車などがPAに沢山駐車されておりました。中には軽トラックを改造してたのもありましたよ。キャンピングカーなどの様に、あそこまで設備がなくてもいいけど(あれは使用しない時の管理費が大変だ〜)背中を伸ばして仮眠できるのと、座って仮眠するのでは全然疲れの取れ方がが違いますよね。でもね、青森まで贅沢言わず軽自動車で行った私達には「こわいものなし」ですよ。

要するに「山登りをする」と言う目的のもとに、価値観が一緒で、同じ動きをすれば楽しさも共通できます。


[2232] 【2311回 秋はまだかしら?】 2010-08-24 (Tue)

ミーン・ミンミンミンミンミーと秋を告げるミンミンゼミが鳴き出して久しいのに、全く秋の気配がしません。山の中の暑さなら、時折吹いてくる風をご馳走と思えば、何とか我慢できても、都会のアスファルトの上を歩く暑さは息苦しい。いつもペットボトルを手に持ち水分を、こまめに補給しなければ死にそうなほど苦しいのです。過日の高島トレイルの水分(500_g3本)は、途中で買い足す自動販売機もなく、非常に不安でした。この時期は2g以上は必要です。それも冷たくてペットボトルの中に氷が残り、歩いていてリュックの中で「冷たいお茶がまだあるよ、ガンバレ!」と言わんばかりにカタコトと氷の塊の音を立てていれば妙に勇気がわいてくるのは私だけでしょうか。ほとんどの皆様がランチボックスを持っておられると思いますが、この中に冷凍の飲み物をいれておくと、昼頃には飲み頃に溶けつつあります。「溶けないのでビニール袋に入れている」と言う人もいましたがタオルで巻いておけば、冷たいおしぼりとしても使えて、一石二鳥。まだまだ暑い日が続きますので、ぜひ一度おためしください。(1本は救急時の水を混ぜてね)

昨日の産経新聞で60歳以上の人は一度は、自分の葬式について家族と話していると書いてありました。家族葬が流行している中で、今後は「シンプル葬」が主流になるかも知れませんね。

「葬儀は家族に手間を掛けず、低コストで」これが60歳以上の人たちにアンケートを取れば、葬儀の理想として浮かんだとあります。葬儀で重視するのは「家族に手間をかけない」「低コスト」が多く、「宗教宗派へのこだわり」「見栄え・体裁」などの回答は低かったそうです。

昔の話ですので、私の両親は土葬でした。私達親族の手で棺の上にパラパラと土をかけ、後は村のおじさん達によって勢いよく土がかぶせられていきます。子供心に深〜い深〜い穴の中に埋められて行く姿は今でもハッキリ覚えていますが、その後、棺が腐り盛り上がった土が平地になった頃、墓標を建て、やがては土に返るということを大人達によってまだ10歳だった私に説明をしてくれました。

土に返った両親の墓を大阪に持ってくる気持ちにはなれず、今もなお故郷の寂しい墓地で眠っています。お盆の墓参りにも帰らずですが、50年以上も経った今は、生きているものの幸せが一番と考えて許してもらいたいと思っています。

元気でいる現在、死んでからの事を考えるのも、混乱を避けるために必要かも知れませんが、今を楽しく生きてさえいればどんな葬儀であってもかまわないように思えます。東北の月山登山の時に見た「散骨風景」腰の曲がったおばあちゃんが大事そうにかかえて、周囲を孫らしき若者に見守られて、散骨しておられました。月山の土に返ることを故人が希望されたのでしょうか、あるいはおばあちゃんの希望だったのでしょうか、とても神秘的でした。


[2231] 【2310回 東北名物ツツガムシ】 2010-08-21 (Sat)

東北の山を登山中に(鳥海山登山時)、悩まされた「つつが虫」について、あまりに症状がひどかったため調べてみました。私の顔の腫れは、すっかり引き、もとの美しさ(?)に戻りましたが、ポチの背中にはまだ赤く噛まれたあとが数十カ所残っています。この調子ならジョンもまだ足に、噛まれた後が残っているはずです。

ツツガムシは、東北地方の多くにいて、夏に発症します。ツツガムシ幼虫に刺されることによる急性熱性発疹性疾患という恐ろしい病気を引き起こす事もあるそうです。ツツガムシは、草ムラや林の土の中が生息場所です。鳥海山の登山開始時には息をすれば口や鼻から吸い込むのではないかと思うほどの小さな虫も沢山飛んでいて悩まされました。

頭髪部、足、腰などが、よく刺される部位です。刺されてから2〜3日で赤く腫れ、4〜5日で水疱、その後、潰瘍となり、10日目頃には周囲が赤い陥没した黒いかさぶたとなります。刺されてから10日目前後から、全身の倦怠感、手足の痛み、頭痛を伴う発熱で始まります。医師の診察が必要な場合もあるそうです。

私たちは発熱までには至りませんでしたが「東北に行って来たよ」と言うスタンプの如く、みんなそれぞれ噛まれてしまいました。蚊に刺されるなんてそんな甘いものではありませんでした。いつの間にか気が付いたら赤く腫れていたのです。

『つつがなく無事おわる』の語源は「ツツガムシ」という虫が病気の原因となることから生まれたという説もあると資料に書かれていました。東北の旅を語るには、このツツガ虫のことも語らねば話にならないほどです。さっすが〜東北名物!


[2230] 【2309回 単純な疑問】 2010-08-20 (Fri)

理科大生遭難死の中で、ずっと疑問に思っていたことがありましたが、今日の記者会見で、やっと解決しました。唯一の生還者は「増水は、あまりに急で!・・」北海道日高山系で東京理科大ワンダーフォーゲル部の4人が沢に流され3人が死亡した事故で、唯一生還した部長が、入院していた病院で、初めて報道陣の取材に応じた映像が流れていました。「増水を念頭に置いていたが、あまりに急だったので対処しきれなかった」と振り返り、死亡した3人については「残念なことになってしまい非常に悲しい」と声を詰まらせていました。

私の疑問は、テントが流されるというアクシデントの中で登山靴はどうしていたのだろうか、まさか裸足で救助を求めたわけではないだろうにと、ず〜っと、しょうもない疑問を抱き続けていました。今日の記者会見で、増水も考えて靴は履いたまま寝ていたそうです。やっと疑問が解消されました。

会社のキャンプで笠置に言ったときの事です。キャンプの場所は雨は降っていませんでしたが上流で雨が降ったと言う情報を得て、子供連れの参加者もいるし、念には念を入れて更に安全な場所に移動しようと言うことになりました。移動を終えて後、あっという間に増水して、あのまま移動せずにキャンプをしていたらと思うとゾッとした経験があります。

変わりやすい天候にはラジオ等でしっかり天候を確認する必要があります。私の知り合いで劔岳登山(北方稜線)の途中、天候不良で引き返された勇気あるパーティがいましたが、同じ日、劔岳登山中(北方稜線)に8人のパーティが体力を消耗しヘリコプターにて救助されたというニュースがありました。今後も天候の悪化には充分注意をしたいと思っています。


[2229] 【2308回 踊り子は勘弁して〜】 2010-08-19 (Thu)

夏休みに好きな電車に乗ろうと約束をしたところ「踊り子〜!」と言われてしまいました。え〜っ?踊り子って遠いやんか〜?その次に乗りたい電車はと聞くと「オーシャンアロー」だと言います。よっしゃ和歌山か御坊くらいまでなら何とか連れていけると判断して子供達に夏休みの思い出をプレゼントすることにしました。

新大阪発9時02分特急オーシャンアローに乗り、御坊着10時40分。20分間の乗り換え待ちで、御坊発11時07分スーパーくろしお12号、新大阪行きに乗り込みました。しかし子供達は乗っているのが憧れのオーシャンアローであれ、スーパーくろしおであれ、外観が好きらしくて1時間もすれば「降〜り〜た〜い」と言い出す始末です。オーシャンアローは乗車中の子供達に記念の切符のプレゼントがあり大喜びでした。

その昔、電車好きの息子達のために舅と姑が新幹線に乗せてくれたことを思い出しました。その時は「何と暇なことを!、何と勿体ないことを!」と思ったものですが、自分がその役回りになった今は、何とかして希望を叶えてあげたいと思い始めたのです。

和歌山、御坊と言えば「海水浴も」と思いましたが、こう暑いと熱中症になっては大変です。付き添いもたまりません。そんなわけで大阪に戻った後に弁天町のプールにつれて行くことにしました。スイミングに通い、今、水の中が楽しくて仕方がない時期の様子でキャッキャ、キャッキャと大はしゃぎです。もう帰ろうかと言っても首を縦に振りません。強制終了をして、同じ施設にある温泉に浸かり、家に戻る頃には、上のまぶたと下のまぶたは仲良くくっついてしまいました。

その後夕食時に目を覚まし、その後が大変!一度目を覚ましたら、爛々と輝くまぶたは絵本を5冊読み終えた後も「これも〜!これも〜!」と浦島太郎、こぶとりじいさん、3匹のこぶたと続きます。電気を消し、「本読み」から「語り」に変えて「パパが生まれてから大きくなるまで物語り」をしたのですが、これが失敗のもと!魚釣りなら大漁状態で「それから!、それから!」と、くいついてきます。もう姫婆のまぶたは、とっくに仲良くなっていると言うのに・・・・・

姫婆が眠った後は「本屋さんごっこ」をしていたらしく、布団の上にズラ〜リと本が並び、お金の代わりに「おはじき」やら「お札用紙クズ」が散乱しており、いつの間にかバタンキューとなっていました。それにしてもタフですわ〜


[2228] 【2307回 天候の悪化と山岳事故】 2010-08-18 (Wed)

私たちは無事に東北登山を終えて戻ることができましたが、同じ頃、あちこちで山の事故が多発していて身震いをせずにはいられません。亡くなった方達には心から哀悼の意を表したいと思います。また救助に向かって下さった遭難対策関係の皆様は、それが「無謀な計画」であったとしても人命第一と考え、ご自身の身を危険にさらしての救助活動に心から感謝を申し上げたいと思います。どの記事も最後をしめくくる言葉として「特に、中高年の遭難者が増加している。」とあるのは事実であるが故に悲しいです。

●日高山系 東京理科大の学生が北海道大樹町の日高山系で沢に流された事故で、3人を相次いで発見し収容した。

●剱岳の8人体力低下でヘリで収容
北アルプス剱岳を登山中の兵庫県の男女8人パーティーが剱岳の北方稜線でビバーク、かなり体力が低下していたためヘリで収容
 
●造幣局理事、沢登りで遭難 奈良県上北山村に沢登りに(単独行)61歳の男性が遭難

●富山市有峰の黒部川の上流域「上ノ廊下」(標高約1550メートル、川幅約60メートル、深さ約2メートル)で、右岸に泳いで渡ろうとした50歳が急流に流された。腰に命綱を付け、綱のもう一方を同行した徳島市の50歳に預けて川に入ったが、急流に逆らえず流された。綱が約50メートルの長さまで伸びたため、1人では救助できないと判断した男性が綱を岩にくくり付け、約3キロ離れた山荘「奧黒部ヒュッテ」まで下山して救助を求めたという。

●北穂高岳ではロッククライミング中、岩場につけたハーケンが抜けて15b下に滑落
●南アルプス鋸岳の急斜面で滑落

天候が急変しそうであったとき、「勇気ある撤退」が必要かと思います。月山頂上で台風に出合ったとき、私たちはまだ三角点にこだわっていました。小屋のおばさんに「そんな場合ではない」と言われ、勇気ある撤退をしました。頂上は踏みましたが、更に三角点にこだわり探そうとしていたのです。あのまま三角点を探していたら暴風雨で身動きが出来なかったのではないでしょうか。テント泊も状況判断で「無理」と判断すれば宿を探す、あるいは車の中で待機するなどの正しい判断が必要だと思います。「このくらいなら大丈夫」「せっかく、ここまで来たのだから」は事故のもと!

とにかく予備金はアクシデントに備え、タップリ持参しましょう!(1カ所ではなく、あちこちに分散して保管がベストです)


[2227] 【2306回 東北の失敗談&教訓談】 2010-08-17 (Tue)

東北の山々のレポートは後日アップするとして、1週間の山行中にいろいろな出来事がありました。今後の山行の参考になればうれしいです。

●その1「強風でザツクカバーが飛ばされてしまいました」

瞬間風速15bの中で、列の真ん中を歩いていた私のザックカバーが風に飛ばされてしまい、本人は勿論ですが、すぐ後ろを歩いていた人も気が付きませんでした。それもそのはず、強風の中を、前進するために神経を集中しなければ歩けないのです。その結果リュックの中はボトボトとなりました。その夜はテント泊ではなくて旅館泊まりでしたので部屋中に濡れた物を広げて何とか乾かしましたが、翌日の山行があれば使い物にならないところでした。20gのリュックにザックカバー(20〜25g用)が少し小さかったのかも知れません。外ポケットにも緊急シートや、お茶などを入れていた場合、かなり膨らんでしまいます。雨以外の日に一度、大きさが適当かどうかチェックしてみてはいかがでしょうか?あまり大きすぎても風でパタパタとはためいてしまいます。


●その2「合羽の耐久性は大丈夫ですか」

月山での強風大雨で、ジョンの合羽が雨を通してしまい低体温症の一歩手前になりました。防水加工や耐久年数は大丈夫でしょうか。破れてないし、あまり使ってないしと過信していませんか?合羽は山行中の命を守ってくれる大切なアイテムです。私の合羽も山を始めた当初から使っています。今回は雨を通すことはありませんでしたが、そろそろ買い換えの時期かも知れません。しかし、そう安い品物ではないため、破れていないし・・・と二の足を踏んでいるのも事実です。今回の事を目の当たりにして少し考え中です。

●その3「虫さされ対策はできていますか」

今回は東北独特のダニ系の「つつが虫」に悩まされました。虫にさされた後の薬は持参していましたが登山前の予防スプレーは必携だと痛感しました。(早速購入しリュックにいれました)時々仲間の皆さんからスプレーを振ってもらいますが、あれがいいのですね。私は両目近くを噛まれ、翌日は目が開かないほど腫れ上がりました。月山と羽黒山の写真はサングラス無しでは歩けませんでした。「お岩さんみたい」な顔でした。ジョンは足を数十カ所、ポチは背中と股を数十カ所噛まれていました。とにかく予防スプレーがいることを痛感しました。

●その4「リーダーの指示には絶対服従」

月山の頂上に向けて歩いていた時、少し遅れ気味になったためリーダーが「前を歩いて」と指示を出しました。しかし「いや後ろが歩きやすい」と言う返事であったため、これ以上指示を続けると険悪なムードになると判断し、遅れ気味のまま、濃霧の中に突っ込みました。案の定、頂上小屋で待てど暮らせど到着しないため、30分以上下り大声で名前を呼び合いました。結果的には別の道から頂上小屋に到着しており遭難は免れましたが生きた心地はしなかったです。わが倶楽部でもスタート時にトップ、二番手、三番手、アンカーと、リーダーが指示をしても、いつの間にか自由に歩いてしまっています。いつも無事にゴールしているから良いようなものの、今回の経験から「歩く順番は大切」であることを痛感しました。山に入るとリーダーの指示に絶対服従です。

●その5「山行前夜の深酒禁止。山行中の飲酒はもってのほか」

月山に向けての山行中、どうも後ろから見ていると歩く調子がおかしく、本人もしんどそう・・・そう言えば管理人のおばさんにご馳走になり、酒を浴びるほど飲んでいましたっけ。山行前夜に酒を飲み過ぎると次の日がつらいです。そして事故にもつながります。また仲間にも迷惑をかけます。誘眠剤がわりの「寝酒」程度なら良いかもしれませんがアルコール類は、すべての山行が終わり、祝杯をあげるときに飲みましょう。わが倶楽部では山行中のアルコールはオプションにしています。万が一、会で準備し事故が発生した場合、警察の事情聴取などでは、必ず責任追及をされます。


●おまけ「コインランドリー袋」
車で行ったり、屋久島などの宿を起点に行動する場合、洗濯物を入れるコインランドリー袋があると便利です。宿に洗濯機がある場合、一緒に回す場合があると思います。他の人の物と混ざらなくて良いし、1回サイズの洗剤も便利です(百円均一の店にあります)

●おまけ「名物には飛びつかない」
PAで福島名物の「桃」を3個買いました。一口かじり「まずっ!」値段だけは高くてとんでもない買い物をしました。とりあえず1個買って、美味しければ追加で買いましょう

●おまけ「老人パス」は有効利用しましょう
施設などに入館する場合、65歳以上は優待してくれる場合があります。身分を証明出来る物を携帯するとお得ですよ(但し団体の場合は、もし割引があったとしても個人への返金はご容赦下さいね。あとでみんなで祝杯をあげる時に有効利用させてもらいます)


[2226] 【2305回 ただいま!もどりました!】 2010-08-16 (Mon)

夏休みをいただきありがとうございました。

『みちのく3000q・毎日一座・1週間の東北登山』は、予定通りすべての山の頂上を踏み、無事戻ってまいりました。東北地方に台風上陸ということで、随分皆様にご心配をおかけいたしました。ありがとうございました。

天気もさることながら道路の渋滞を心配しておりましたが、一度も渋滞に遭わずスムーズに快適な山行を楽しむことができました。東北地方はなかなか足を踏み入れることができない地ではありましたが、今回は人間のぬくもりをも、含めた良い旅でした。

1週間の間の失敗談や、教訓談は、おいおい発表させていただきます(笑)いまは洗濯を終えた荷物の整理や四万十号の洗車など、やっと終えて日常生活に戻りつつあります。

●レポートは長編につき、まだまだ先のアップとなると思いますが、乞うご期待下さいませ。写真もタップリで〜す。


[2225] 【2304回 夏休みのお知らせ】 2010-08-05 (Thu)

「姫のおうち夏休みのお知らせ」

かねてより計画中だった青森登山は天候不順のため
延期となっていましたが天候、体調ともに回復したため、
8月6日から8月15日の10日間かけて行ってまいります。

酸ヶ湯温泉、八甲田山、岩木山、白神山地(白神岳)、
十二湖、八幡平、鳥海山、月山などを予定しています。

天候や渋滞などにも、カリカリせずに、のんびりと
東北五山を楽しみたいと思っています。
道中は「けんか」をしないように気をつけま〜す。
  

  8月6日〜8月15日まで夏休みをいただきます。


[2224] 【2303回 まもなく東北へむけて出発】 2010-08-04 (Wed)

くろねこさんから「東北五山」の熱いエールを受けて、いよいよ出発間近となりました。八甲田、岩木山、白神岳、鳥海山、月山の五山を目標に、日程に余裕がありますので天気に恵まれれば、八幡平や十二湖もと欲張っています。
それにしても、くろねこさんの『裏剱岳・仙人池』のロングコース、今年の体調はすこぶる快調で、毎週でもいけそうな勢いがありますね。ホームグランドの中山寺トレーニングの成果だと思います。私たちよりも元気ですよね。その調子!その調子!

夏まだ雪渓を抱く「剱岳・北方稜線八ッ峰」。本来は7月予定の東北五山の後、実行する予定にしていました。ジョンはザイルパートナーの関係で・・・と書いていましたが、その前に「体力的にどうも乗り気がしない」と悩んでいたのに、最終は私のせいかよっ〜!(じゃあ今から行こうかと言われても今はね・・・チョットね・・・)

月山の雪渓を懸念してアイゼンも入れました。部屋中荷物で、ごったがえしています。
何せタンスまるごと移動みたいな荷物です。リュック以外の荷物は車に置いて行くため、あれもこれもと準備していたらタンスの中が空っぽになっちゃいましたよ。くろねこさんのダーリンは安心ガイドさんですね。胸きゅんコース来年の夏にはぜひ!(ザイルパートナーの気力の衰えは1年かけてしごきます)

中高年が避難の的の夏山登山ですが、くろねこさんの様に、きちんと計画をし、安全に登山を終えた人たちが沢山います。富士山にスニーカーでしかも軽装で空身で登山をするバカ者(ごめん、若者でした)もいます。中高年ばかりを標的にしないで下さいって言いたいですよね。でも気をつけていってきます。


[2223] 【2302回 渋滞の車中でも熱中症】 2010-08-03 (Tue)

それにしても暑いですね。去年はこんなに暑く感じなかったと思うのですが、加齢に伴い夏は、余計暑く感じ、冬は更に寒く感じる様になってきました。この間は冷房のない部屋で熱中症にかかった高齢のご夫婦が亡くなっていましたが、公的機関、図書館、老人憩いの家など、空調の効いた場所に避難できるような配慮があればいいですね。「憩いの家への行き帰りが暑いでんがなぁ」と言われればそれまでですが、耐えられない時は冷蔵庫のドアを開けて冷気を浴びたり、アイスノンなどを利用しても少しは違います。もうしばらく暑さに耐えて乗り切りましょう。

所在の確認できない高齢者の話が浮き彫りになっていますが、生きているのか死んでいるのかわからないなんて寂しすぎます。遠くの親類より近くの他人といいますからご近所に一人暮らしの年寄りがいれば声をかけましょう。いずれ、我が身となります。「直接訪問する制度がない」と自治体はいいますが、もう一歩踏み込んでみてはどうでしょうか。子供の虐待通報も行政はなかなか動いてくれません。私は過去に何度も通報したことがありますが「貴方とその家の関係は?」関係なかったら通報しても聞いてもらえないってことでした。おかしいでしょ?

ある病院の整形外科の先生が、渋滞に巻き込まれ、1時間40分、車が動けない状態で停滞していた時、熱中症にかかり嘔吐をくりかえしたそうです。夏休みや「高速千円」を利用して帰省などをする時、小さな子供連れのご家族の方達は、渋滞時の工夫が必要ですね。私も、まもなく13時間50分ほどの道のりを走ります。アイスノン、冷凍茶、冷凍水など準備をしておこうと思っています。何せ四万十号ですから・・・ね。

山登りもいま中高年が標的に遇っています。北海道の8人救助(4人のガイドは自力で下山)の話が新たに出ています。ツアーガイドの社員が「通行止め」の門扉を合い鍵で開けて入山、おまけに登山届けの提出もなかったそうです。遭難事故事故がおこれば「またか〜!また中高年か〜!」とひとくくりにされてしまいます。

若かりし頃、登山ブーム世代の人たちがいま定年を迎え「昔、登山してたから」と言う理由で、再び登山を始める人も少なくないそうです。若かりし頃の体力と現在では大差があります。また技術面や装備についても、日々進歩し続けています。中高年よ、またかと言われないために安全に気をつけなければと思っています。臆病もあかん!過信もあかん!何もしないのもあかん!きっちり基礎を学んで憂いある余生を過ごしましょう!


[2222] 【2301回 またもや遭難事故】 2010-08-02 (Mon)

連日のように、こうも登山の事故が続くと、世間から「沢登り」が偏見のまなざしで見られる結果となりはしないかと沢登りを好む者として心配をせざるを得ない事故が続いています。

サンケイ新聞によると
『埼玉県の県防災ヘリコプター墜落事故現場へ取材に向かった日本テレビ記者2名が遭難、死亡した事故が発生しました。2人がガイドを残して再び入山した際、1人分の荷物しか持っていなかったことが2日、捜査関係者への取材でわかった。秩父署によると、2人は7月31日午前6時半ごろ、山岳ガイドの男性(33)と墜落現場を取材する目的で、秩父市大滝の林道入り口から出発。現場へ向かっていたものの、午前10時には2人が軽装だったため、ガイドの判断でいったん下山した。

しかし、その直後、2人は「現場を撮ってくる」などと言ってガイドを残し、再び入山。捜査関係者によると、その際2人は、1人分の荷物をガイドに預けたという。

2人が心肺停止状態で発見された場所から約50メートル下流の沢でリュックサックが1つだけ見つかった。中には、2人の運転免許証が入っていたが、服は1人分しか入っていなかったとみられる。また、2人は現場周辺の地図も持っていなかったという。秩父署の調べでは、2人は発見時、Tシャツがめくれてズボンもずり落ちたような状態になっており、同署は2人がいずれかの場所で沢の流れに飲み込まれ、発見現場まで流された可能性があるとみている。』とあります。

いずれの事故の時も消防署、県警の方達が、危険と隣り合わせであったとしても、無謀な登山者達であったとしても、命がけで救助に出向いて下さっていることを、もっと真剣に受け止めて、迷惑をかけない登山者にならなければと痛感しています。生意気書きましたが、裏妙義山頂で肩脱臼をした時、一瞬ヘリ救助が頭によぎりましたが、足が動くならセルフレスキューだと自分に言い聞かせて、下山したことを思い出してしまいました。しかし命にかかわる時は、やはり、ヘリによる救助しか方法はありませんが、隊員の皆様への感謝の気持ちは、いつも持ち続けなければならないと思っています。


[2221] 【2300回 能勢妙見山登山】 2010-08-01 (Sun)

猛暑の中、熱中症にならないように、早めの水分補給をしてゴールをしましょうと朝の挨拶あったほど、暑い暑い例会と思いきや、600b足らずの山にもかかわらず涼しい風が我々の頬をなでます。昼食場所では日陰で涼しい風が吹きっぱなしで暑さ知らずでした。歩いて体内のエネルギーを燃やしているのですから、汗は足下に、したたり落ちていますが爽快でした。

今日は新しい仲間「山レディのトラ吉衛門さん」の紹介をして、私たちの自己紹介もしました。ジョンにオリオンにくろねこ、べが、ポチ、靖っちん、淳ちゃんと一度には覚えられないかと思いますがよろしく。「山ん婆」ばかりの中、「山レディ」の参加で華やかさが増して、「山爺」達は胸がワクワクしたのではないかと思います。「山ん婆」達もうれしかったよ!

とても人なつこい、トラ吉衛門さんにつき、あっという間に打ち解けてくれてたのしく歩くことができました。お昼ごはんの後のワンポイントレッスンは、トラ吉衛門さんのリュックの肩が少し違和感を感じておられるようでしたので、みんなのリュックを入れ替わり立ち替わり背負い、体に合ったリュック選び講習をしました。正しいストックの付き方、登りの足運び、下りの足運びと我々も初心に返り、楽な登山について学ぶことができました。

ゴールをした後、「かき氷を食べよう」と全員、妙見駅前の食堂に入り、全員かき氷かと思いきや、「かき氷3つ、生ビール8杯」ですって。誰が、かき氷がわかるでしょ?生ビールおかわりする人もいたで〜!


[2220] 【2299回 主婦の定期健康診断】 2010-07-31 (Sat)

31日と8月1日は私の住んでいる町のお祭りで、朝から笛や太鼓の音がしています。九州、近畿地方の大雨が東北に移動し、青森地方に大雨をもたらせています。来週から八甲田山に行こうとしているのに大丈夫かと、雨や雷などにすぐ反応するポチが騒ぎ出してしまいました。慎重になるのはいいのですが、出鼻をくじかれる気がしてムッとしてしまいます。まだ1週間あるので天候は回復すると期待を持って旅に出たいと思っています。

主婦業に転職してから、健康診断を受けるチャンスが遠のきました。しかし1年に1度、かかりつけの病院で検査を受けることにしています。身長、体重、視力検査こそありませんが、採血、心電図、胸のレントゲン、腹部エコーなど主だった検査をすることができました。(胃カメラはねぇ〜、ちょっと苦手なの)採血の結果もすべて基準値内に入っており、健康そのものでした。持病である血圧もすこぶる快調で安定しています。総コレステロールや中性脂肪も基準内で動脈硬化の危険性も、いまのところないとのことでした。(ホッ!)

胃カメラは鼻から検査をする設備がなくて今回はカットしました。いずれ西九条に新病院が完成すれば設置できるのではと期待をしています。一度「鼻からの胃カメラ」を体験したことがあるのですが「ラク〜」なんです。胃カメラは嘔吐しかけたり、自分で管を抜きかけたりと苦しいばかりでしたが、「鼻から胃カメラ」は医師との会話もできて、とてもリラックスすることができます。

早期発見をするには、症状が出てから診察をしても遅い場合があります。1年を目処に主婦が元気でいるために、これからも「健康診断」をしていきたいと思っています。


[2219] 【2298回 交通安全講習】 2010-07-30 (Fri)

27日の木曜日、城東区蒲生にある研修センターで半日、缶詰状態での講習会があり行ってきました。往路は大雨の降る中(上から降るというより地面から降っている感じ)此花区からの代表7名が同じ場所に陣取り、熱心に真面目に受講しました。(居眠りしてませんよ〜)受付担当の知り合いの方が「久しぶり〜!元気?毎日何してる?暇を持てあましてる?」さすが昔の検問グセから、誘導されるままに毎日遊んで暮らしていることを告げました。「よっしゃ!ほんならエエ仕事先がある。面接合格やさかい、来月から早速勤めに来て欲しい!」しかし2年も遊んでいたら、仕事をする意欲は消え失せています。60歳過ぎて働く気があるのだったら65歳の定年延長まで勤める事が出来た、以前の会社に勤めていた事、登山の予定が束縛されるので働く気は全くないことを話して、あきらめてもらいました。(もう働きたくないです!卒業です!)

7月28日現在、交通事故で亡くなった人は100人、65歳以上の人は38人も含まれているそうです。原因としては横断歩道で一度に渡りきれず、信号無視ではねられたり、中央分離帯を無理に横断してひかれたりが主な原因だそうです。車側は一旦停止不履行での事故がだんとつに多いそうです。

@停止線で止まる
Aゆっくり発進し相手に見えるようにボンネットを1b前に出す
Bゆっくり発進しハンドルを前屈みに抱え発進する

みなさん一旦停止の時、この3つの行動って取っておられますか?私は今日から改めます。夏休み中、自転車で飛び出してくる子供たちの命を守るため、そして加害者の家族として息子たちが苦しまないためにも。

今日の講師のひとりは、日本自動車連盟(JAF)の方でした。大雨で車が立ち往生している風景をニュースで最近よく見ますが、車の冠水テストをしたらしいですので興味のある方は下記アドレスを開いて見て下さい。JAFの社員は「周囲の安全」「客の安全」「自分の安全」の3つを鉄則として日々故障車の対応に励んでいるそうです。

http://ch.jafevent.jp/detail.php?id=182_0_56642

まあ!それにしても講習中の携帯電話の着信音の腹立たしいこと!司会者から電源をマナーモードにして下さいとお願いしているのに!着信音どころか悪質なのは会場の中で「モシモシ、何や?今会議中やで〜!」アホ〜!外へ出て話せよ〜と周りからの冷たい視線で、やっと自分のしている事に気がついたアホもいました。こんな非常識な人間が同じ委員の中にいるのかと思うと情けない!携帯電話の着信音量はポケットやバックから出すとボリュームが大きくなるのよね。

私が司会をする機会がある時は、宴会の部以外は、まずみんなに携帯電話を一斉にテーブルの上に出してもらい「せ〜の〜でぇ」でマナーモードを強制したいと思っています。講師も着信音を聞くと、とても不愉快な顔をされます。

文明開化の現在で、電車の中、会議中、病院の中、車の中など自動的にマナーモードになる開発はないものでしょうか。


[2218] 【2297回 槍ヶ岳・北鎌尾根で行方不明】 2010-07-29 (Thu)

わが倶楽部のホームページの表紙に北鎌尾根で行方不明になった人の目撃情報を求める内容が載っていました。27歳の男性で単独行の様です。7月17日に行方不明になって現在もまだ安否がつかめていないそうです。所属している会の捜索は7月26日に終了しています。

北鎌尾根を通過した者としては他人事とは思えません。しかし「単独行」というのがひっかかります。あの難易度の高い北鎌尾根は、とても単独行でいけるコースではないことを私の経験上知っています。あの雪渓の急斜面を横断する時、足を滑らせば(足を滑らせないと横断できない)ザイルパートナーがいなければ完全に滑落してしまいます。

27歳の青年は、よほど体力と技術に自信があったのでしょうか。そうは言っても、現実に出かけてしまったのですから、あとは元気で見つかることを祈るしかありません。所属する会や捜索隊、ヘリでの捜索と10日ほどをかけて探したそうですが見つからないと言うことです。

2年前、私も事前の資料で「ふた俣が来たら右へ右へ」と書いてあったのを信じて、ふた俣が来れば「右やな」と言いながら進めて行きました。前方の岩場には残置ロープや、飴の紙くずや、チィッシュなどが落ちていて、妙にゴミが懐かしく「ここはコースに違いない、その証拠に飴やチィッシュが落ちている」そう思って安心したものでした。通過中には、真新しいストック2本と、タオルを発見したその場所は一歩進めば断崖絶壁でした。

完全に道間違いをしていることに気がつき「引き返す」か「突き進むか」の選択を迫られ、私は這松の中を藪こぎしながら、目指す北鎌のコルよりも100メートル離れた「P7」地点にでたのです。万一ここで遭難すれば、這松に隠れてヘリで見つけてもらうことは困難です。体力の限界を感じながら約2時間のロスでした。登り詰めた幕営場所の北鎌のコルには遭難者のリュックがデポしてあり、そこを避けてテントを張りました。

今回、北鎌のコル付近では携帯メールが通じていたそうですが、ここでまた衛星電話の必要性が再び浮上してきます。しかし必要とわかっていても、現在の参加人数では、とても維持できないのも現実です。

【教訓】
大雨、雷注意報を無視して沢に入らない
単独行はしない


[2217] 【2296回 夏太りに注意】 2010-07-28 (Wed)

   暑中お見舞い申し上げます。

梅雨が明けてから一滴の雨も降らずで、猛暑が続いていますが、また明日の木曜日は朝から雨が降るらしいですよ。

この暑さで汗が多くでたら痩せると思っているのは私だけでしょうか?運動をしないでかく汗は、体温調整のための汗のため痩せません。運動をして体脂肪を燃やしての汗ならば痩せるのです。「汗を沢山かいたので、滋養のつく物を食べよう」とカロリーの多い食物を摂ると体重が増える原因になるのです。(わかっちゃいますがね。)

アイスクリーム、よく冷えたスイカなどの冷たい食べ物は甘さを鈍くするそうです。それを知らずに、冷たい口当たりのため、甘さがあまり感じないことから糖分も少な目だと勘違いして夏太りの原因になっているのだそうです。ちなみにホット用のシュガーは3c設定、アイス用は13c設定となっており、この量で甘さが均一と感じられるのだそうです。(本当はアイス用は4倍の糖分あり)

まぁこの暑さですから十歩譲ったとして、食事の最後は熱いお茶で締めくくる方が胃にやさしく消化もよくなるというものです。
山登りで、かく汗は夏太り解消の早道のようですね。

世の若い女性の皆様!
「ダイエット」に熱中するあまりホルモンのバランスを崩し、挙げ句の果てに生理不順や、激ヤセなどに陥り医者にかからなければならなくなります。太りすぎも生活習慣病の要因になりますので困りますが、何でも「ほどほど」ですよ。結婚して、赤ちゃんを育てる段階になって体力がないお母さんでは困りますよ。やめるのなら「タバコ!」


[2216] 【2295回 痛ましい秩父の防災ヘリ墜落】 2010-07-27 (Tue)

秩父市の山中で25日県防災ヘリコプターが墜落し5人が死亡した事故が起こりました。「明日は我が身か」と人ごととは思えません。専門家の人たちが今後、半年をかけてでないと真相究明はできないといいます。殉職をされた5人の方々に心から哀悼の意を表したいと思います。

秩父署によると、現場は、山梨県境の奥秩父山系の荒川上流・滝川水系・ブドウ沢。登山口から、山岳隊員でも4時間かかるそうです。携帯電話や消防無線が届きにくいため、安否情報も入り混じり、混乱を起こしていたと思います。この事故が発生したため、一次事故の救助に向かった埼玉県の防災ヘリ「あらかわ1」の二次事故で5名の命を失うこととなりました。その事故の救助に向かうために沢筋を歩いていた県警山岳救助隊が、動けなくなっている30〜40歳代の男性を発見、県警ヘリを要請して病院に運びましたが、死亡が確認されたそうです。単独行なのでしょうか。

「私たちのパーティだったらどうするか」これは各自が考えておかなければならないと思います。パニックを起こさないで、冷静に行動ができるのでしょうか。こんな話を聞いたことがあります。『水量の多い日に沢登りに行き、事故に遭い死亡者がでたが、すでに死亡していることから二重事故を懸念し遺体を流されないようにロープでくくり、目印をつけてメンバーは下山し警察に事故を報告。後日水量が安定したことを確認し警察や救助隊とともに遺体の回収に行った』。
今回の事故を私たちがどうこう言うことは避けて、同じ事故を自分たちが引き起こさないための話し合いは必要ではないかと思っています。

ロープによる確保は危険箇所通過時は必ず必要だと思います。フィックスロープが残っていれば「うさぎの耳」で自己ビレイをしておけば万一、滑落しそうな場合でも危険は回避できますが、残置したものを使うよりは新たに張るほうがより安全です。技術も知識も事前のトレーニングも大切ですし、いかなる状況下においても確実に切り抜けることが大事です。

万が一、事故が発生しても「自己責任」であることを山行前に家族に話しをしておかなければなりませんし、決して引率者(リーダー)を責めることはないようにしなければなりません。(但しトムラウシ遭難事故の様に、明らかに企画会社や山岳ガイドの天候の判断ミスは除く)我が倶楽部は利益を得る団体ではないこと、同じ目的を持つ者同士が、一緒にパーティを組んで山行をするのであって、事故などについては個人で掛けている山岳事故対応保険のみであることを各自が知ることは勿論ですが、家族にも、その旨をしっかりと伝達をしておかねばなりません。私はこの事を含めた「生前遺言」を息子2人に自筆でノートにしたため渡しています。

(おまけ)
いつも一人で怒っているのですが「ファイト一発〜」とコマーシャルで、2人の青年が沢を、ロープで登っていく途中で片方が岩角でロープが切れ、あわや滑落と言う時に片方の青年が片手で滑落を止めるというコマーシャルがあります。ヘルメットもかぶらず、ハーネスの装着もなく両手でロープに全身を、ゆだねて登っていく方法が「勇敢な姿」としてテレビを見ている人たちに当たり前のように写されています。沢登りを経験した人たちはどのように見ているのでしょうか。「テレビだから、虚像だから」と大目に見ますか?あの間違いだらけの腹立たしいコマーシャルは私は大嫌いです。


[2215] 【2294回 土用の丑の日】 2010-07-26 (Mon)

★今日26日は土用の丑の日(どようのうしのひ)★

夏の土用、秋の土用 、冬の土用 とあり、天神祭のこの季節は夏の土用の日。スーパや和食レストランの入り口にも幟旗が風にうごめいています。今日は「うなぎを食べる日」ということになっておりスーパーのレジに並ぶ多くの人々の買い物かごの中には、うなぎのパックが入っているのには笑えました。今日みたいに価格の高い日に食べなくても〜と思うのは私だけかしら?

●うなぎを食べる由来

鰻の蒲焼(うな重)日本では夏の土用の丑の日に、暑い時期を乗り切る栄養をつけるために鰻を食べる習慣があります。鰻を食べる習慣についての由来には、いろいろありありますが、讃岐の国の出身者である平賀源内という人の説が私的には好きなので、ここで紹介することにします。

昔、商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るために平賀源内の所に相談に行ったそうです。平賀源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。すると、物知りとして有名な平賀源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛したそうです。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというお話です。

そういえば子供の頃、「食い合わせが悪い」と言う食べ物のイラストを富山の薬売りのおじさんが持ってきて、壁に貼っていた記憶があります。うなぎ、かき氷、梅干しなど、どれとどれが食い合わせが悪かったか記憶にある人は教えて下さい。

ふるさと四万十川では、うなぎは豊富に捕れました。前の晩にミミズをコロバシと言う竹で編み込んだ筒に入れ、うなぎの通り道に一晩つけて置き、朝引き上げに行くと、まんまるに太ったおいしそうなウナギがたくさん捕れたものです。父親が生存していた頃はまな板の上で頭を大工道具のキリで突き刺し、大葉の葉でぬめりを取り蒲焼きにして食べたものです。ご馳走ではなくて日常の食材でした。いま思うと贅沢な話です。しかし、父親が死亡の後はウナギ漁は生活の糧となり、町の業者が買い取りに来て現金に換え、私の学資や生きていくための米や味噌などに変わってしまったのです。「平賀源内のうなぎ物語」ほどではありませんが「姫のうなぎ物語」でした。


[2214] 【2293回 楽しかった古希の宴】 2010-07-25 (Sun)

「古希の会」パーティは人数こそ去年の半分でありましたが中味の濃い、大きな親睦の和を広げることができました。久しぶりの顔もありましたが、乾杯を済ますと、もう話の花は満開でした。定休日にもかかわらず店を提供してくれたスナックのママさん、手料理をさげてはるばる参加の了子ちゃん、参加できないけどとダーリンにお菓子をことづけてくれた、お琴の師匠!ごちそうを食べて一段落するとカラオケのはじまり〜はじまり〜

どんどんと歌をリクエストする以外な顔ぶれ・・・楽しく聞かせていただきました。イチローちゃんの赤ペラも、みんなを笑顔にしてくれて笑いの渦へと導いてくれました。歌う人も聞く人も、店の人も、みんなが同じ度合いで楽しむことができました。久しぶりに私も「宴会で満足」しました。

外は祭りの準備で賑やかで、今宵は天神祭でイチローちゃんはこれから天神祭を見に行くと言います。少し足が千鳥足なのでポチが淀川駅のガードの下までお見送り(大丈夫かしらね)みんな、いい顔して帰りました。暑い中、ありがとうね。

古希を祝ってもらう人も、祝う人もゴッチャゴッチャ!酔っ払っちゃって目が回る〜!酔っていてもちゃ〜んと記念撮影はしましたよ。その中にやくざが一人。色メガネして箸で作ったタバコ吸って、足を組んで・・・酔った勢いでのスタイル(一度して見たかったんだよ〜)忠千代から巻き上げたサングラス、とても気に入っています。ありがとうね。大切に使います。よく似合っていたの。掛けていることを忘れて「この店暗いなぁ」「サングラス取れーっ!」あっそうか〜
(いずれブログに写真載せますので誰か当てて下さい)

常念岳の締め切りが早すぎて、申し込みできなかった人が2名いて、ギリギリセーフの9名だけど、山行決定しましたよっ!参加の書き込みをして下さった皆様!楽しみにしてて下さいね。行くよ〜!

8月の能勢の妙見山や9月の地獄谷、トレーニングだと思って参加して下さいね。自主トレでも結構ですよ。みんな頑張って行きましょうね。

今日は酔っ払っているのでこれで「お★や★す★み〜」


[2213] 【2292回 熱中症に気をつけて★その2】 2010-07-24 (Sat)

昨日、熱中症で亡くなった人は33人と言いましたが、自宅で熱中症で死亡した人も入れると1週間で死者52人。5896人救急搬送もいるのだそうです。今日は徹底した予防法について。

「熱中症の予防法」
●眠れてますか? 睡眠状況の把握
睡眠不足は熱中症を引き起こしやすく、疲労の蓄積、集中力の低下などによってケガなどを誘発させますので、睡眠時間や睡眠状況をチェックしておく必要があります。

●病気はありませんか?
発熱、疲労、下痢(便通の状態)、二日酔い、貧血、循環器疾患なども原因となるので、チェックが必要です。とくに暑い時期は下痢になりやすいですが、下痢は脱水状態を引き起こし、水分を摂っても吸収が悪くなっているので、甘くみてはならないものです。
 
●熱中症にかかりやすい条件
○ 体力の弱い者
○ 肥満の者
○ 体調不良者
○ 暑熱馴化のできていない(暑さになれていない)者
○ 風邪など発熱している者
○ 怪我や故障している者
○ 暑熱障害になったことがある者
○ 性格的に、我慢強い、まじめ、引っ込み思案な者など

●熱中症の起こりやすい環境や活動の条件
○ 前日までに比べ、急に気温が上がった場合
○ 梅雨明けをしたばかりの時
○ 気温はそれほどでなくとも、湿度が高い場合
  (例: 気温20℃、湿度80%)
○ 活動場所が、アスファルトなどの人工面で覆われているところや
  草が生えていない裸地、砂の上などの場合
○ 普段の活動場所とは異なった場所での場合
  (涼しいところから暑いところへなど)
 
●熱中症予防8ヶ条
1. 知って防ごう熱中症
2. 暑いとき、無理な運動は事故のもと
3. 急な暑さは要注意
4. 失った水と塩分を取り戻そう
5. 体重で知ろう健康と汗の量
6. 薄着ルックでさわやかに
7. 体調不良は事故のもと
8. あわてるな、されど急ごう救急処置


[2212] 【2291回 熱中症に気をつけて】 2010-07-23 (Fri)

日本全国猛暑が続いて、もうすでに熱中症で33人もの命が奪われたそうです。家の中にいても脱水症状は起こり熱中症の危険があります。水分だけでなく、塩分も摂らないとと思い、テーブルの上に駄菓子屋さんでもらったガラスの瓶を利用して「ピスタチオ」を置くことにしました。お茶を飲むついでに2〜3粒つまんで塩分補給です。

昔、ウオーク中に熱中症で突然バタッと目の前で倒れた人を手当したことがあります。幸いにもその人は息を吹き返し、しばらく休養の後に、私達が付き添いのもと、自分の足で引き返すことができましたが暑い時のアスファルト歩きは、下からの照り返し熱で危険です。夏のウオーク&登山は、アスファルトを避け、木立の中や、日陰の多いコースを選んで参加してくださいね。

登山中に水分補給は当たり前ですが、飲むタイミングが問題です。「喉が渇いた」と感じて飲むのは遅いです。喉の渇きを覚る前に水分補給をしましょう。でも水分だけではダメです。塩分の補給を忘れないように注意しましょう。私は休憩時間には、生のキューリに塩をつけてかじる様にしています。空腹も満たされるし、水分、塩分補給にもってこいの行動食だと思っています(ぜひおためしください)梅干し、漬け物、塩豆などなんでもいいですが汗は塩分を流出しますので、こまめに補ってあげないと熱中症にかかってしまいます。足が攣るのは塩分が足りないと体が悲鳴をあげて訴えているのです。

市販のスポーツドリンクは塩分や糖分が多く含まれているため2倍に薄めて飲むと「摂りすぎ」にはならないと思います。こんなに暑いと、熱中症の危険が高まり、どんな症状が熱中症なのか、どうしたら予防できるかなど、調べてから外出すれば安心できるのではないでしょうか。熱中症は重症になると生命の危険にさらされます。水分と塩分の補給によって回避できますのでリュックには水分と塩分をお忘れなく!。

歩いていて、後ろから見て歩き方がおかしいなと思ったら、この時期、熱中症を疑ってください。自覚症状としては、頭痛、めまい、吐き気、脱力感などを感じたら、ただちに涼しい場所に移動し衣服のボタン、ブラジャーなどをゆるめ、水分と塩分を補給をしてください。 万が一、意識障害がある場合は、救急車を要請し医師の診察が必要となってきます。
救急車が到着するまでに私たちが出来ることは「日陰を作る」「水をかける」「風を送る」「凍ったペットボトルがあれば額や首筋に当てる」などの協力が必要です。

赤ちゃんの乗るベビーカーの中の温度は大人が想像する以上に高温です。保冷剤や断熱シートなどで工夫して、赤ちゃんの熱中症を予防しましょう。って言うか炎天下のもとでベビーカーは使用しない方がいいと思います。ベビーカーに乗っていて、むずかる赤ちゃんを抱っこすると泣きやむのはベビーカーは背中が暑いのだと思います。言葉はしゃべれませんが赤ちゃんのSOSを見落とさないでくださいね。 


[2211] 【2290回 救急処置】 2010-07-22 (Thu)

●「相撲 巨体・山本山が負傷、搬送に救急隊員ら四苦八苦」

テレビでの放映がなく、静かな大相撲名古屋場所ではありますが、7月21日、体重265キロの巨体を誇る十両・山本山が靱帯の怪我をした模様です。佐田の海に敗れて左ひざを痛め、自力で起き上がれず、救急車の要請をしました。救急隊員3人がやってきましたが、とてもとても重くて手に負えず応援のハシゴ車まで出動し、ストレッチャーに移動するも強度に問題ありで、お相撲専用車椅子に乗せて救急車に乗せたそうです。これに要した人数は、元力士の協会員や付け人、救急、消防両隊員12人、救急車や救助車など計3台の出動に「1人搬送するのに初めての規模」と隊員がつぶやいていました。

●虫さされ(山中でのダニ)
相撲界の話は我々の仲間に265sの巨体はいないので参考にはなりませんが、虫さされは山登りやウオーキングでよくある話です。虫さされなんて軟膏でも塗っておけば治ると簡単に思っているかと思いますが、ハチ刺されなどの様に命の危険にさらされることがあります。ダニやヒルなどに噛まれ、腫れたりしてひどい時は病院で診察を受けてくださいね。

私は足首と手を「ヒル」にかまれたことがあります。幸いにも満腹状態になったヒルは自ら離れてくれましたが「ヒル」を無理にひっぱり離そうとすると人間の体内に残ったまま、ちぎれることもあるそうです。体内に残ると菌を生み付けたり厄介なことになります。通常言われるのが「タバコの火で焼く」「線香で焼き殺す」と覚えていますが、それでも離れない場合があります。山の中に「ダニ」もいるのですね。

●ダニやヒルに噛まれて病院に行く場合は「皮膚科」の診察を受けてください。
(困るのは土日の休診日に皮膚科の先生の当直がいないことです)

●やられたら無理に剥がさない。敵が自ら離れるようにしないといけない。

●火を使う方法もありますが虫を窒息させる方法も試してください
(水に漬けるか軟膏を厚めに被いかぶせるように塗ると良い)

知らないより、知ってる方が何かと便利です。山行途中で自分が噛まれても、仲間が噛まれても、知っておくと手当ができます。いつも言いますが応急処置は自分を守るために、一人でも多くの人に(特に山行を一緒にするメンバーには)知ってもらいたいと思っています。

(おまけ)
怪我をした時、「ドシな事をしてみんなに迷惑をかけた」事は自分が一番よくわかっています。追い打ちをかけるように「ほんまにもう・・・迷惑な事を」と思うのはやめましょう。いつ自分の番がやってくるかわかりません。自分に出来る些細なことを見つけてください(暑ければ負傷者に風を送る、荷物を分担する、安全を確保するためにシュリンゲをかけるetc)

私は結構、不注意で肋骨やら肩脱臼やら、しでかしていますが全て「自己責任」だと受け止めています。そして「足の怪我でなくってよかった〜!治ればまた山に登れるやんかぁ!」と前向きに考えて治療する事にしています。起きてしまったことは、くよくよ考えても仕方がありません。自分の恥を公表することで、仲間が同じ目に遭わないことを願っています。


[2210] 【2289回 隣組の訃報】 2010-07-21 (Wed)

私の家の隣組でダックスフンドを飼うおじさんが亡くなりました。80歳を過ぎていたと思われます。同じ年代の奥さんと二人暮らしですが近年は息子さんが戻り、両親の面倒を見ておられました。息子さんが戻りと言っても家族と離ればなれの生活をしなければなりません。何度が救急車のお世話になっていた様子ですが、朝になると病院を抜け出し自宅に戻っていたそうです。そういうことが度重なると病院側に拒否をされてしまったそうです。

私は隣組の班長ではありませんが受付を依頼され、引き受けることにしました。近親者のみの野辺の送りの様です。この家のダックス君は昔私のお尻に噛みついたという笑い話もあるのですが、これから80歳を過ぎたおばちゃん一人、どうして生きていかれるのか心配です。私たちが声かけはしますが、それには限度があります。

今後は、介護認定を受け、ヘルパーさんに訪問してもらうのが一番よい様に思っています。「2階で寝起きしていて階段が怖い」というくらいですから足腰も弱っています。大勢の家族に見守られて生活出来るほど幸せなことはありませんが、そう恵まれた家族ばかりではありません。

私が子育て真っ最中の頃に、ダックス君のおじさん、おばさんには、子供達を見守ってもらいました。いま私たちに出来ることをして行こうとは思っていますが、いざ自分に置き換えてみて、ポチが他界し、私一人暮らしになったとして(80歳想定)息子が自分の家族を犠牲にして戻ってくるだろうか、私を息子達の家に呼び寄せるのだろうか、それとも・・・そう遠くない現実の様に思えて、いま、冗談が言えて、元気なうちに話合っておくことも必要ですよね。

今日は昼から告別式のお手伝いに行ってきます。


[2209] 【2288回 キャンプしました高島トレイルV】 2010-07-19 (Mon)

洪水警報が出る中、不安はあるものの・・・で出発しましたが林道の通行止め規制はなく、小石がパラパラと落ちてはいるものの、無事キャンプ予定地に到着することができました。「先着順」の東屋の席取りはレポートに書きましたので乞うご期待ということで。

みんなの協力のもとに、テント係、車回送係、食事担当とそれぞれが手際よく動き、3時間かけての車の回送も終わり祝杯となりました。福井名物焼き鯖、へしこなどを囲み、歌あり、星座鑑賞ありで、しずかな抜土もこの日だけは銀座なみでした。

翌朝は快晴、さわやかな風の見送りをうけ、20キロの長い道のりへのスタートです。演歌を口ずさみながら登り「おさるのかごや」を歌いながら下り、出迎え隊のポチと合流しました。

次回は日帰りでコースも短いことから、「高島トレイルW」から初参加の方も大歓迎です。こんなに美しいブナ林を歩けるなんて想像もできませんでした。くろねこかあさん!こうなったら最後まで隊長よろしくお願いしますね!

「ゆっくり登り、ゆっくり下る。歩幅は限りなく小さく」を守れば30キロも不可能ではないのではないでしょうか。おつかれさまでした。!


[2208] 【2287回 不安はあるものの出発します】 2010-07-16 (Fri)

滋賀県地方豪雨警戒が出たり、解除になったりで抜土までの林道が通過できるかどうかわかりませんが、とにかく天気は回復したと言うことで、朝から大鍋いっぱいのカレーを炊き込みました。「一体何十人が食うねん?!」とジョンが驚いていますが、とにかくカレーパーティで鍋の底が見えるくらい食べてもらえれば幸せです。カレーが常温に冷めたら冷凍し、明日食べる時間にちょうど解凍できれば食中毒の心配もありません。一時、冷凍室のイタドリは冷蔵庫へ引っ越しです。

昔、大阪城で花見をしようと言うことになり、家から大鍋いっぱいに、おでんを炊いて行ったことがあります。先発の席取りの若者と後発おでん組と城内で合流できないほどの人混みで結局、桜の花とは無関係の場所にブルーシートを敷いてドンチヤン騒ぎをしたことがあります。みんなで食べるとおいしいよね。

とにかく今回の大雨で、日本中のあちこちがえらい被害で、私たちの青森行きも日程変更をし、天候が安定するのを待って行くことにしました。もう一度計画の練り直しです。いつもスケジュールに沿っての行動が多いなかで、ぶらりと予定が「ありそうでなさそな」旅を味わったことがありませんので、とても楽しみにしています。

青森行きはともかくとして、土曜日の抜土まで、土砂崩れがなく、車が安全に入れますように!私の四万十号は、テントや鍋や釜でもう限界です。荷物は載ったが人間が溢れないようにしないとね・・・「あっポチわすれた〜」

行ってきます。そんなわけで7月17日〜18日まで「ひめのおうち」はお休みさせていただきます。戻りましたら、また楽しいレポートが書けますように!いってきま〜す。

(誰か教えて〜)
16日午前2時に目がパッチリ覚めてラジオをかけたら、「六甲おろし」を歌っていました。バリバリと雑音も入り、かなり古いレコード盤の様でしたが、最後の歌詞で
「♪オーオーオー、阪神タイガース、オーオーオーオー♪」のところが「♪オーオーオー、大阪タイガース、オーオーオーオー♪」とハッキリと歌っていました。いつ頃に名前が変わったのか知ってる人、おしえて〜!


[2207] 【2286回 ためしてガッテンを見ましたか?】 2010-07-15 (Thu)

7月14日NHKの「ためしてガッテン」で科学的根拠のある超ラク山登り術」と言うタイトルに興味を示しメモを片手に見ることにしました。多分みなさんもご覧になったことと思います。わが倶楽部では登山のための座学を終え、山行途中でその都度、指導を受けていることばかりでしたが、パーティーメンバー全員が同じ考えであることが大切と思い復習のつもりで書くことにしました。以下は「ためしてガツテン」の番組の内容からメモったものです。

★登山時、疲れない膝の曲げに適している角度は「110度」

★登りながら「演歌」を鼻歌に口ずさみながら登ると疲れない。速筋を使うとすぐバテるので遅筋を使いながら登りましょう。

★膝のガクガクを解消するには
×(例1)ロープウエイで登り、歩いて下山
 CPK(筋肉が壊れる時にでる物質)が多く出るため膝がガクガクするのだそうです。  くだりは筋肉は伸びながら体重を支えます(伸張性収縮)その結果、膝が笑うのです

○(例2)歩いて登り、ロープウエイで下山
  膝がガクガクにはなりません。山を登るとき筋肉が伸びたり、縮んだりして体重を支  えます。

★ 山の下り方
小股で下れば筋肉は伸びません。マタギ(地下足袋を履いて狩りをする人達)の歩き方は下りの歩き方の基本です。地下足袋は足の裏に小石などを感じるため自然と小股で用心深く足全体を使って歩いているため急斜面でも上手く歩けるのだそうです。
頂上に到着時の休憩時間を利用して、下る前に一度登山靴を脱いで、靴下で5〜6歩、歩いてみてください。決して大股では歩けないはずです。その感触を覚えて登山靴で下山すると楽にくだることができます。

★ストックの落とし穴
ストックを使うと大股に歩く傾向があり長さの調節や、ストックの置く場所により間違った使い方をしている人が多い。正しく使うとこんなありがたい物はありません。

★疲れをとる登山中の食べ物
暖かいみそ汁を食べると疲れがとれます

以上が番組の内容を私なりにまとめたものです。ご覧になった方で「そうとちがうで〜」と感じた点があればご指摘ください。少しでも楽に山登りができたらうれしいです。それにしても「演歌を声に出して歌いながら登ると疲れない」って驚きました。私は歌が好きでお昼ごはんのあと、みんなで歌を歌うようにしていましたが、いつの間にか消え失せてしまいました。これからはそれぞれが他のメンバーの山行に邪魔にならないボリュームで、自分に合った演歌を歌いながら登ってください。きっと「お助け歌」になると思います。ただ危険箇所通過の時は歌はストップしてリーダーの声を聞いてくださいね。それと下りの異様なスピードは、速肉を使うので膝痛の原因を作り疲れるだけです。くだりも「マタギ歩き」ですよ。


[2206] 【2285回 バソコン続いて不良】 2010-07-13 (Tue)

パソコンが不良です。
しばらく姫のおうちの書き込みが思うようにできません
訪問してくださる皆様には申し訳ありませんが
「梅雨が明けると直る」かもしれません。(直るかっ!)

しばらくの間お待ちくだい。これだけ書くのに、電源を入れたり、切ったりと30分以上かかっています。
パソコン好き人間にとって・・・・イライラの毎日です。


[2205] 【2284回 パソコン故障】 2010-07-11 (Sun)

朝からうっとおしい「降ったり、やんだり」の空模様でした。昨日の晩からパソコンの様子が変で、あちこちいじりまくりましたが(いじりまくったから余計故障〜)とうとうあきらめて、日曜日の朝を迎えました。「直っててよ!」祈るような気持ちでスイッチを入れましたがやっぱりダメ。

SOS出動を依頼し、初期設定までさかのぼり、昼までかかり、やっと復活しました。機械音痴でスムーズに行ってる時はいいのですが、ひとたび故障すると、停電になったみたいで寂しいものです。幸いなことに電子メールアドレスは復活することができホッとしています。

洗濯機に水没した携帯電話もそうですが、今まで使えてた物が使えなくなったり、データーが消去したりすると、寂しいものです。夕食は「パソコン復活祝い」と称して、冷房をガンガン効かせて「鍋」となりました。選挙?もちろん行きましたよ。国政が良くなるとは期待していませんが、日本国民の義務ですからね。20歳で選挙権をもらってから一度もパスをしたことはありません。感心でしょ?(当たりまえっ!か〜)

鍋の中に「シメジ、シイタケ、マイタケ」と、きのこを多く入れ、それぞれの品名をテストしたところ「ヒメジ、カコガワ、アカシ」と酔っぱらい軍団は好き勝手言っています。明日から買い物には「メモ」を持たせて修行に出さねばなりません。トホホホです。


[2204] 【2283回 山岳部入門】 2010-07-10 (Sat)

芦屋から有馬のトレーニングを終えた夜更けに、姪の子から電話がありました。過日、偶然にも「むかしむかしあるところに〜」とおとぎ話をする私に対して「昔ってどのくらい前?あるところって何県の何と言うところ?」と聞き「だまって早〜寝なさいっ!」って言ったら「みっちゃんのおばちゃんの話がうるさくて寝られへん」って口答えした子からの電話でした。

「山岳部に入ってん。山の道具貸して〜」とのことでした。10日からでかけるそうで、あまりに急な話ではありましたが、今まで高校に入るため母親から、勉強、勉強と、うるさく言われ、耳にタコができていて、そのタコを取り除くために登山靴とリュックを買ってやることにしました。高校の下校時間に合わせて、梅田で待ち合わせをし、登山用品の店へ。

母子家庭の片肺飛行なので周りの応援が時々必要なんです。私も両親がいなくて学校で必要な物を姉に「買ってほしい」と言えなくて、先生に「忘れました」を連発していたことがありました。転校が多く、その度に制服が替わるのですが、卒業まで高知県中村市立蕨岡中学校の制服で通しました。ひとりだけ違う制服の卒業アルバムはいまでも開いて見ようと思いません。

午後3時大阪駅の「祈りの鐘」で待ち合わせし、登山用品のバーゲンの店に連れていきました。まず初心者なので登山靴も、それなりの価格の物を選び、リュックは35リットルの自分の好きな物を選ばせました。ポチが「おい!やっくんにオレの合羽やろうか?」「エー何っそれ?自分が新しい合羽欲しいから、やっくんにお古を廻すの?」「学生が最初からゴアテックスの新しいのは勿体ない。山を覚えて、山が楽しくなったら考えてやればいい」これで、やっとポチが合羽を買う口実ができました。と言うか、もう既に自分の合羽を新しく買ったリュックに詰めて「これも持って行き」と入れていました。いつもこんなに手回しがいいといいのだけどね〜。


[2203] 【2282回 初めての出会い】 2010-07-09 (Fri)

「木曜日は雨」のジンクスはもうおしまいで、8日の木曜日は梅雨の合間の快晴に恵まれました。サスケ先生のお誘いで、六甲で出会った山好き夫婦を紹介したいと言うことで仙丈岳行きの同期の会の方達のトレーニングに同行させて貰うことになりました。イチローちゃんも一緒です。先生とうららちゃんとは、先生の体調不良から久々の山での出会いです。集合時間の午前9時に「やぁやぁ」と先生が駅の方へ近づいて行かれました。トラ吉衛門ご夫婦の到着です。お二人を紹介して頂き、今日のコースは「高座の滝コース〜風吹岩〜雨ケ峠〜一軒茶屋〜有馬」を楽しむことにしました。どうぞよろしく。

水量の多い地獄谷の水は、いっこうに引く気配はありません。イノシシが数頭地獄谷を占領しています。人間が降りて来られないのをチャンスと化し、安心して餌をあさっている様子です。今日は暑さとの闘いになりそうです。いつも高座の滝までの長くてつらい坂道で汗をたっぷりかき、いつも通り、高座の滝横のお稲荷さんに手を合わせて出発です。トラ吉衛門ご夫妻の足取りは若い(40際代)と言うこともありしっかりとしており、山を楽しんでいる姿が見受けられます。

風吹岩で水分補給をし、ゴルフ場横の金網のドアをくぐり、雨ケ峠で昼食をとることにしました。丁度12時、平日とあって登山者もチラホラ。暑いと覚悟をしていたのですが木々のトンネルがうまくガードをしてくれて照りつける太陽は遮断してくれ、快適に進んでいくことができました。トラ吉衛門ご夫婦に色々と質問したり、我が倶楽部の宣伝をしたり、あの手、この手で歩きながら広報活動&勧誘作戦をしました。とても気さくで感じのよいご夫婦でしたよ。次回はジョンも誘い、地獄谷をご案内しようと言うことになりました。我が倶楽部発展のために橋渡しをして下さったサスケ先生に感謝です。数々の共通点(共通の関係の仕事、猫好き、酒好き)が偶然に重なり、親しさもスピードアップ!

先生も体力回復されていました。これが何よりの収穫です。1ケ月半静養をされたあとのトレーニングは辛かった様子でしたが、現在は足取りも確かで、復帰も間もないことでしょう。屋久島行きは完全復活、大丈夫です。その証拠に今日も屋久島積み立て金を、しっかりと預かってきました〜。

夏場の暑い登山に水分が大切なのは勿論ですが「行動食」が大切になってきます。前日に車の中に行動食を置き忘れて、水だけで動きましたが、今日のコースだとゴールまでに、ぶっ倒れていたと思います。とにかく「甘い、辛い」が偏らないレーションがいります。うららちゃんがパックに入った桃を七曲がりへの急な登り前に「元気をつけて」とお裾分けを頂きました。「ひめ、箸ありますか?」と聞かれたので枯れ枝を利用して野生箸をつくりました。子供の頃に、ままごとで木の枝で箸、葉っぱでお皿、筍でグラス作ったことを懐かしく思出しました。お皿の中味は、グミであったり、ヤマモモであったり野山は自然の果樹園でした。お昼にいただいた山形のさくらんぼもおいしかったです。やっぱり「生もの」が最適ですね。キューリ、トマト、リンゴ、オレンジなどを少しづつ摂れば、夏の登山も楽しいものです。おにぎりもお昼に食べるのもいいですが途中で一口、二口、食べると元気が出ます。山岳会では「昼食時間」はないそうです。自分の体力に合わして休憩時や歩きながら食べる。だから行動食と言うのですね。でも、やっぱり、どかっと座って、お茶漬けたべたいよ〜ね。

有馬到着が、午後3時、町中の足湯には、顔は日本人と区別がつきませんが、喋る言葉はアチャラ語の外国人が氾濫していました。途中に格好の青空酒場があり、そこで黒ビールで喉をうるおし今日の良き出会いを乾杯しました。

トラ吉衛門ご夫婦は梅田行き直通バスに乗ると言うことで、地獄谷での再会を約束して私達は宝塚行きのバスに乗りました。お二人は出発前の瞬時を惜しみ、バス停前の酒場へと向かいました。バスの中から外を見ると、笑顔で大きく手を振るお二人を発見〜!。その心遣いがまたうれしかったです。

あとは、ゆ〜ら、ゆ〜ら、ガタゴトと新米ドライバーらしき運転手に身を任せ宝塚に無事到着です。ここで阪急、JRと別れることとなりました。


[2202] 【2281回 ひもじい山行。死ぬで〜】 2010-07-08 (Thu)

天気予報とにらめっこしながらでしたが、急に思い立ち、登山口近くまで車でてかけ山登りをすることにしました。急だったため弁当の用意が出来ず、途中でコンビニに立ち寄り、おにぎりとおやつを買い、後部座席に置きました。駐車場に到着して、リュックを背負いしばらく歩いていると「おにぎり入れた?」「えっ入れてへん」お互いが他力本願であったため何ということか車の中にレーションを忘れてきてしまったのです。

引き返すには体力の消耗が大きすぎます。幸いなことに飲料水はリュックに入っているので、そのまま行くことにしました。途中で登山が初めてだという若い男性2人に出会い、彼らの元気な足取りについてゆく形になりましたが、別れ際の挨拶に「本格的に山登りするなら、来月の給料で登山靴買おうね」とても感じのよい青年でした。

休憩を取っても「お茶だけ」なんとひもじい休憩なんでしょうか。低山で昼過ぎには下山できる山だったので命に別状はありませんでしたが駐車していた車まで戻ると、真っ先に地面に腰を下ろして、おにぎりをほおばりました。めっちゃ!おいしかったなぁ!!悪天候を懸念して下山した隣に駐車していたおじさんが「いまお昼ですか」と聞かれ弁当を忘れたことを話しました。「そりゃ大変でしたね」ほんまや〜!

その帰りお風呂に入ることにしましたが「あま湯」は高
いので、スーパー銭湯「やまとの湯」に入ることにしました。ここは700円ほどで会員登録をすればさらに安くなるそうです。次来たときは会員登録しよ〜っと。


[2201] 【2280回 ♪笹の葉サ〜ラサラ♪】 2010-07-07 (Wed)

7月7日は七夕。 と同時に次男夫婦の8回目の結婚記念日です。結婚式の日を決めるのに「結婚記念日を忘れないように七夕の日にしよう!」と言ったのか言わなかったのか・・・「記念日」大好きの女性にとって誕生日、結婚記念日は大切な行事なんです。息子は今も広島勤務ではありますが、夜遅く帰って来て、子供達の寝ている間に出勤するのなら広島勤務でも週末には帰って来るのだから中味の濃い接し方をすればいいじゃないかと慰めたことがありました。子供達を養っていくためには、少々の不便さは我慢、我慢だよ〜!

七夕が近づくと、昔は氷上工場から大きな笹をトラックで運んで貰い、社員に願い事を書いてもらって掲示板に飾ったことがありました。ほとんどが「給料上げて〜」「ボーナスもっと欲しい」などだった様に思いました。(笑)

七夕伝説 、いわずと知れたお話ではありますが
むかし、天の帝に織女(しょくじょ)という一人の美しい娘がおりました。技芸にすぐれ、毎日、機(はた)を織って暮らしていました。そのうち、農耕に一生懸命な牽牛(けんぎゅう)と結婚し、二人は夫婦になりました。ところが、それからというもの織女は、あれほど熱心だった機織りをやめてしまったのです。父の天帝は怒って牽牛を織女から引き離し、銀河のかなたに追放してしまいました。しかし、悲しみにくれる織女を見かねた帝は、年に一度、七月七日だけ逢うことをゆるしたのです。

以来、牽牛は七月七日が来ると、銀河を渡って織女に逢いに来ました。その日が雨のため、水が増して銀河を渡れないと、鵲(かささぎ)が群れ集まって翼を広げ、橋となって渡してくれました。織女は琴座の「ベガ」、牽牛は鷲座の「アルタイル」という星で、この二つの星が、年に一度、七月七日の夜に近づくところから、この伝説が生まれました。

この七夕のお話を婆ちゃんがするとして、孫達が「ふ〜ん」と不思議な眼差しで見つめてくれるのでしょうか。多分、幼稚園でも、この話に似たお話を聞いているとは思います。昔、姪っ子の子供達3人に、メルヘンの世界の話をしていて、その中の一人に「そんな事、見たことも聞いたこともない」と言われたり「むかし、むかしあるところに」と寝物語を話していたら「昔ってどのくらい前?あるところって何県の何と言うところ?」と聞かれたことがあり、何か夢をもぎ取られた様で「だまって早〜寝なさいっ!」って言ったら「みっちゃんのおばちゃんの話がうるさくて寝られへん」って口答えしたその子もいまじゃ天王寺高校1年生。


[2200] 【2279回 押入の大改造】 2010-07-06 (Tue)

雨が降り外出が、ままならぬある日、3階のサンルームに通ずる押入が、あまり活用されていなくて、隙間に何でも突っ込む状態になっていました。「今日は3階の押入の片づけしようか?」主に問うてみました。「え〜っ?」何とも気乗りのしない返事で、天気も悪く、私に鉄分が足りないのか腹立たしくなり「じゃあエエわ一人でするわ」

そう答えた時は、階下へ雑巾とバケツ、ゴミ袋を取りに降りていました。(別に怒ったわけでなく、人を当てにしないと気合いを入れただけ)3階に戻ると、主は押入のドアを2枚外していてくれました。

まず押し入れの中のガラクタを全部放りだして「要、不要」を選別します。使えそうな棚が出てきましたので、この棚を「テント、寝袋、リュック」の棚に利用しようと考えました。リュックも2人分を一同にまとめると何と大小併せて10個もありました。背景やリュックなどの色が暗くてブログ用の写真に撮れないのが残念です。

不要の物をゴミ袋に入れるのですが、ポチが時々チラ見にやって来ます。
「何か手伝うことは?」
「ないっ!」
「何を捨ててるんや?」
「・・・・・」
それには答えず作業はせっせと進行していきます。退職した年に、押入という押入を全部片づけたのですが、3階の押入だけは忘れていたんですね。ゴミ袋に2個ほど不要品が出て、左右前後を入れ替えると、見違えるほどの整理整頓の出来た押入になりました。

会社でも、永遠のテーマの様に「整理整頓」を掲げてきました。整理整頓する人だけがいてもダメなんです。使った物をもとに戻すことを最低のルールとして守ってくれなければ片づける人の徒労に終わります。在職中、私は「片づけ上手は仕事が出来る。整理整頓は、まず捨てることから始まる」と呪文の様に唱えてきました。

机の上が山のような書類で埋まっている人がいます。あの状態で良い仕事が出来るはずがありません。物を探すとき、書類の山の中から苦労して探していますが、その前に一度机の上を「更地」にしてみてはいかがかと言いたくなります。「書類の山に埋もれて、ついうっかり見落とした書類」もあるはずです。

お陰様で「突っ込むだけの押入」から整理整頓の出来た押入に変身することができました。とにかく不要な物は、惜しげもなく捨てることです。「いつか使うかも・・・」で置いてても1年使わなければ、それは不要物なんです。そんな気がします。そして天気の良い日は押入にも時々風を通すことだと思います。今一番高価な物が入っているのは、寝袋、テントの入っている、この押入かなぁ!

今月の投資は大きかったなぁ〜!(スポンサーの声を姫が代弁)