[2494] 【2569回 鹿島槍のトレーニング】 2011-06-24 (Fri)

梅雨の合間を利用して鹿島槍のトレーニングに出かけることにしました。空は限りなく鉛色でいまにも降ってきそうな・・・でも降りさえしなければ快適で日陰は歩きやすいですね。23日付けのサンケイ新聞の記事で「社団法人・日本ウオーキング協会」の粉飾決算の事が書いてあり1億7千万円の取引先への未払い金があるそうで、下部組織である全国のウオーキング協会にも影響を及ぼすのではないかと心配しています。あまり組織が大きくなりすぎたり、参加人数の増加ばかり気にするとまた問題も大きくなるのでしょうね。

阪急芦屋川から高座の滝めがけてウオーミングアップ、約30分の上り坂で、もう汗はボトボトにかいてしまいました。湿気が多く、前日の雨のためか地獄谷への通路は湖の様に溢れていました。今日のコースは奥高座の滝、キャッスルウオール横、岩梯子、ブラックフェイス横等の通過し、八峰キレットをスムーズに通過する訓練と決めました。奥高座の滝は前日の雨に濡れ、岩肌は黒く光り危険いっぱいのため、ロープを出してポチを確保することにしました。ここは私がクライミングを始めた頃、足を滑らせて宙づりになった箇所です。トラウマも手伝い慎重に行こうと気合いが入ります。中間地点にオーバーハングした岩があり、今日は手も足もツルツルと滑ります。犬の様に猫のように四つん這いになりやっと安全に確保できる箇所に到着、ロープダウンをして、へっぴり君を引き上げてキャッスルウオールへと向かいました。

今回、驚いたことに要所要所に、新しいりっぱな看板が立っていました(ブログに写真掲載)しかし「奥高座の滝すぐ」と書いてあるだけで危険度の表示がありません。ハイカーの皆さんが通過するには大変危険のため、そんな表示もして頂ければ安全なのですが・・・・キャッスルウオールの岩肌は太陽が当たり半乾き状態で奥高座の様に「落ちるかも」の心配はありませんでした。岩梯子もロープは不要のことからリュックにロープを仕舞おうとしてハッと気が付いたのです「ジジが無い!」スワミベルトに付けていた登攀器具のジジとカラビナ2本のセットが腰からはずれて落ちてしまった様子です。「どうしょう!」と言いながら、もう身体は引き返して回収に向かう体制になっていました。

奥高座の滝を下るのは並大抵ではありませんが「懸垂下降をすれば何とかなる、それだけの事は教えてもらっている」そう心に決め、もと来た道を引き返すことにしました。岩梯子手前の出来事です。途中2組のハイカーのおじさんに出会い腰に付けているカラビナを指差し落ちていなかつたか聞きましたが、知らないということでした。キャッスルウオールの下りもロープを使い、奥高座の滝では懸垂下降をし、最後にロープが抜けるかどうか賭けみたいな(回収できないロープの代金よりジジを新しく買った方が安いなぁ)行動をとりながら何とか怪我もなく滝の茶屋まで戻りました。結果は「♪捜し物はなんですか〜見つかりにくいものですか〜♪」と口ずさむ元気もありませんでした。残念なことに捜し物は見つかりませんでした。

いつもは阪神芦屋駅まで歩いて帰るのですが、何故か阪急芦屋川から梅田に出て、何故か好日山荘に足が向き、何故か真新しいジジの前で立ちすくみました。金額にして買えない額ではなく財布にお金も入っていたのですが「今日は反省の日にするわ!」と見るだけにして自宅に戻ることとなりました。

思わぬアクシデントではありましたが「岩場の逆送」訓練にもなり転んでもただでは起きない精神もトレーニングメニューに急遽、追加した気分でした。でも、やっぱり勿体ないなあ!ジジ1個、カラビナ2個、見つけた人は教えて下さい〜

【教訓】
訓練目的で、出かけるときはスワミベルトではなくハーネスを持つ事。ハーネスであればジジなどの登攀器具が落ちることはない!また懸垂下降が必要な箇所ではスワミベルトは安全性に欠ける。


[2493] 【2568回 寝苦しい夜】 2011-06-22 (Wed)

昨夜は寝苦しかったですね。東北地方はいまから梅雨入りだそうです。避難所での生活や、復旧活動に雨は大変つらいだろうと思うと、せめて少しでも同じ思いをしなければと節電に頑張っています。こんな事しかできませんが・・・・

寝苦しい夜は「雪枕」というアイスノンの様な枕を冷凍室から取り出して寝付きをよくしています。寝付いたら、こっちのもので朝まで目覚めることはありません。去年の今頃は寝室は朝までガンガンにクーラーをつけて布団をかぶって安眠していた様に思います。

この頃クーラーの効いた施設(特にスーパー食品売り場)に行くと寒くてたまりません。食品を腐らさないためには必要なのかも知れませんが、加齢に伴い、身体が冷房体質ではなくなったのかも知れません。映画に行くときや研修会などに出かける時は、冷房対策用のカーディガンを持参します。研修会などでは、男性は背広を着て受講するため「丁度」でも女性は薄着のため冷房が寒く感じることがあります。スーパークールビズの徹底をして研修会等では背広は省略してはいかがですか?

登山中に時折吹く風の心地よさは格別です。!特に高度をあげていくと周囲温度が低く、木立が太陽を遮り、風の通り道を通過するときは思わず立ち止まってしまうほどです。そんな時は帽子を持ち上げ、リュックも持ち上げ頭や背中に風を通してあげると最高に気持ちがよく、冷房だの節電だの無関係の世界に立っていることを幸せに感じるひとときです。

酪農家や瓦職人から自殺者がでたといいます。
進まぬ行政の対応や、乗り切ろうとしているのだけれども、どうしようもなくて、一瞬、鬱状態が襲い自らの命を断ってしまうのでしょうか。同業の瓦職人は「自分の家の瓦も破壊されているが後回しにして一生懸命修繕しているのですが全部修繕し終えるには3年から5年かかる。瓦職人も他府県から応援に来てもらえるのだか福島県は原発問題があるため、手を差し伸べてもらえない」と同業者の死を悔やんでいました。

阪神大震災後、瓦が滑り落ちないように瓦の下に木枠を組み、その上1枚、1枚ネジ止めをしなければいけなくなり手間ばかりかかり
1日に修繕できる家はわずかしかないそうです。


[2492] 【2567回 水も電気も薬もない】 2011-06-21 (Tue)

水も電気も薬もない東北の避難所で村岡先生と言う医師の方も自宅兼診療所を震災で失うも、避難所で必死に患者達の心の支えになっておられる映像を見ました。

「不安で眠れない」というお年寄りには風邪薬を処方したそうです。翌朝「久しぶりによく眠れたわ」と喜んでいました。風邪薬には眠気を誘う成分も入っており、また誘眠剤と勘違いさすことで不安を解消さす効果があるといいます。

骨折で何も手当をする医療品がなければ、避難所の隅に山積みになっているダンボールとガムテープを利用して固定し、痛みを和らげる方法や、火傷をした人にはグラニュー糖とイソジンを混ぜて手当に使うなど工夫次第で医療品がなくても救急処置が出来ることを知りました。

緊急時に大事なのは、現在飲んでいる薬の名前を書いたメモを、財布の中にいれて置くことだそうです。そのメモを見せれば、どんな病気なのか医師にはわかり、より早く治療をしてもらうことができます。

「127時間」の映画のシーンの中に、挟まれた右手の神経がだんだんなくなっていくシーンがありました。腕を切り落とす決心をする時、リュックに取り付いているチューブ(リュックに水タンクが付いていてリュックからチューブが口元に伸びている)を引き抜き、切り落とす腕の止血に使っていました。映画だからと見てしまいがちですが、この話は実話を元にして制作されていますので本当にそうしたのだろうと想像がつきます。

もう時効ですので・・・バラしちゃいますが団体登山で上高地の徳沢園に宿泊した時のことです。「腰痛で貼り薬か塗り薬がほしい」と言ってこられた参加者の方がいました。ジョンのリュックをさがして「ああ、あったわ!これこれ、ついでに塗ってあげましょうね」とスプレーを参加者の背中にたっぷりと吹き付けてさしあげました。

翌朝「昨夜はありがとう、おかげでとても楽になりました」と丁寧にお礼を言われましたが、背中が黄色くなっているのに気が付き、よくよく見ると湿布のスプレーではなくて「傷ドライ」でした。ハハハ・・・病は気からって言いますからね

登山中にジョンの胃痛がひどくて途中の玉置神社で「陀羅尼助」を買いました。「飲まんよりましやろ?これ飲んどき!」と飲んで、しばらくしてから「どう?効いた?」と聞くと「ちょっと楽になった」と言いました。そんなはずはありません。胃から出血があって、陀羅尼助で効くとは思いませんが「病は気から」で薬を飲んだから楽になったと、一瞬願望も手伝って勘違いしたのでしょう。

子供の頃、富山の薬売りのおじさんが常備薬の交換に来ていました。父親は「鼻くそを丸めてるかも知れんが信じて飲むと効く」と言っていたのを覚えています。(笑)


[2491] 【2566回 行動食の準備】 2011-06-20 (Mon)

大峯・奥駈道の最終日は、辛うじて親切な方からいただいた夏蜜柑1個を行動食として二人でしのぎました。とても、ひもじかったです。その体験を生かして、二度と同じ失敗をしてはならないと肝に銘じ、鹿島槍山行では、充実した行動食の準備と摂り方を考えています。行動食は単なる「おやつ」ではなくて「登山時のエネルギー補給」と重視しなければなりません。小休憩の度に150i、長めの休憩では400i摂るとシャリバテを起こさないそうです。

●1日分の目安
カロリーメイト80cを1本、魚ソーセージ1本、飴5個、チョコレート150c、ナッツ類100c、ドライフルーツ30c、アミノ酸ジェルなど

これを1日分としたならば、日数分を小分けにしておくことです。間違っても大きな袋に「行動食一式」と言う荷作りはよくありません。何故ならば体力のある最初の日程で欲しい物を欲しいだけ食べてしまう傾向があり、体力の落ちた後半の日程になると行動食が底を突く結果となってしまいます。

他にチーズもよさそうですね。私はカロリーメイトは喉につっかかる気がしてあまり好きではありませんがエネルギーの補給と決め、鹿島槍には持参しようと思っています。まだ食べたことのない食品は登山までに1度試食しておいた方がいいと思います。行動食の他に私の非常食は「干し芋」です。偶然果実売り場でみつけて購入し試食してみました。賞味期限も明記してあり空腹感も埋まり、気に入っています。

大人が1日に必要なカロリーは普段の生活で1800〜2200i、これだけでは登山中にシャリバテを起こしてしまいます。不足分のエネルギーは、筋肉中の「筋グリコーゲン」と「体脂肪」でまかなってくれるのだそうです。これを回復しておかないと翌日に疲労感が残るのです。1日分の行動食を摂った後に、小屋に到着したら20分以内に300iの栄養補給をすると効果があるそうです。「部屋に入ったら何かを食べる」といいのですね。(「小屋に着いたらまずビール」がエネルギーの補給にならないかも知れませんが心のエネルギーは満たされますよね。)

大峯・奥駈道での後半日程の昼食はミニラーメンだけと言う日もありました。これではシャリバテでだんだんつらくなるはずです。途中で出会った静岡の猛者さんの様に「私は山での食事は家庭の延長です。」とアルファ米が贅沢品で有ること、重さに惑わされて食糧不足となった我々に警鐘を鳴らしてくれた気がします。貴重な登山者の一言でした。

日帰り登山でも、休憩時には水分補給だけではなく、エネルギーの補給となる食品を食べておけばゴールまで快適に歩けると言うことなんですね。


[2490] 【2565回 次なる映画はデンデラ】 2011-06-19 (Sun)

「岳」に続き「127時間」と映画鑑賞づいていますが、6月25日封切りの「デンデラ」も見に行こうと決めています。去年、東北登山の後、最終日にフラリと訪れた庄内映画村(鶴岡市羽黒町川代)のオープンセットで撮影されたということもあり、登山やクライミングとは無縁ではありますが、訪れた庄内映画村が、どのようにスクリーンに写っているのかも興味をそそるところです。

ところで「デンデラ」という言葉ですが、これには「蓮台」という漢字が当てられるそうです。もっとも「レンダイ」と「デンデラ」では、こじつけじみてはいますが、同じ終焉の地ということから、大阪で言う「佃と言えば火葬場」の様に、京都の火葬場の名をとって「蓮台野」と名づけたのだろうと言われています。元々の意味としては、「でんでん太鼓」という言葉に残っていることから、太鼓や鐘の音を示しているということが考えられます。「でんでん虫」や「でんでら竜」のように「出る・出られない」という意味があるかも知れません。

「姥捨て・デンデラ野」
姥捨て地としては「出んに出られん」という言葉は老人の心中を語り、村に戻ったところで自分の居場所が無いから出られん、という心境を表した言葉が「デンデラ」というわけです。

●「もっこ型」
息子が「もっこ」に親を乗せて棄てて帰り、用が済んだとして「もっこ」も捨てようとしますが、息子に後で必要になるからとっとけ、と言われて改心する

●「愛情型」
棄てられる老婆が道すがら小枝を折って、帰る子の道しるべにする姿を目の当たりにした息子が老婆を棄てる事を中止する

遠野地方では高齢になった村人は、村外れの野原に移り住み、耕作を続けながら余生を送るのだそうです。「楢山節考」のような、悲惨な姥捨て山イメージはなく、むしろ隠居というか明るく生きて行く姿が映画で伝えられているそうです。

いずれにしても興味津々の映画で6月25日封切りが待ち遠しいです。


[2489] 【2564回 映画・127時間】 2011-06-18 (Sat)

映画鑑賞「127時間」

朝、弁当を作りリュックを背負い、午前8時30分に阪神淀川駅でジョンと待ち合わせをしました。胃潰瘍が回復しつつあることからトレーニングをしたいとの事でしたので、付き添いすることにしました。無理をしない程度に「行ける所ま行き折り返す」と言うことでしたが、淀川の駅に着くと雨がパラリパラリ、この調子だと六甲山は雨模様と判断し、我が家に引き返しました。

鹿島槍の計画書などをチェックしてもらい、「映画に行こう」と言うことになりました。トーホーシネマズ梅田において本日封切り「127時間」タイトルだけでは何の事かサッパリですよね。しかしこれが「岳」に勝るキャニオニングをテーマにした映画なんです。

せっかく作った弁当を食べてから出かけようと言うことになり、姫の部屋で弁当を広げ、12時過ぎに再び阪神淀川駅に行きました。ホームでサスケクリニックの衛生士さんと出会い電車が来るまでお話の花を咲かせました。

映画「127時間」のストーリーは、アメリカ・ユタ州のブルージョン・キャニオンが舞台です。キャニオニングと呼ばれている渓谷歩きをしていた登山家のアーロン・ラルストンは落石事故に見舞われ、右手首を断崖と落石に挟まれたまま身動きが取れなくなってしまったのです。助けを呼ぶのですが聞こえるはずもなく5日間(127時間)が過ぎ、水も無くなり、命も尽き果てようというとき、アーロンは挟まれた右腕をナイフで切り落としてしまうのです。ナイフは母親からクリスマスプレゼントでもらったライトに、ついていたおまけなので、切れ味の鈍いとても粗末なナイフ、しかも岩を削ろうとゴリゴリやっていたので腕が簡単に切れるはずもありません。また母親も腕を切るためにプレゼントしたものではありません。
「中国製のナイフは駄目だ。ナイフはスイス製でなくっちゃぁ」その一言は印象的でした。

登山家アーロンのステータスは「誰にも行き先を告げず、単独で」のため、捜索願いすら出すことができず、127時間もの間、断崖に挟まれてしまうのです。右腕を挟まれたまま左手だけでロープをさばき、カラビナを使うシーンはクライミングに興味のある人は見応えがあり、小栗旬くんには悪いけど「岳」より感動的でした。多分、俳優の顔や名前を知らないのでドキュメントの様に見えたから余計に迫力があったのかも知れませんね。

5日間・127時間の苦闘をリアルに、(実際にあった話)最終シーンでは、右腕を失ったご本人がプールで泳いでいるシーンもありました。傷の癒えた登山家アーロンは、いまでは「行き先のメモは残して」再び登山活動をしているそうです。

映画の中で腕を切断するシーンはリアルすぎてハンカチで目をふさぎながらも、怖い物見たさで両手の隙間から垣間見たり、腕を切断するシーンでは、私も一緒に嗚咽したりと終わってみると力が入っていたのか肩がこり大変疲れました。それほどに見応えがありました。タイトルだけでは良さが伝わりませんが、みなさんもぜひご覧になって下さい。

いつまで上映しているのかと聞きましたら「本日封切りでまだいつまでと決まっていません」とのことでした。観客動員数によって上映終了日が変動するみたいです。「シニア権利」を利用してどうぞご鑑賞下さい。あ〜!まだ右腕がうづきます!(試写会で見た人の中には、気を失う人もいたそうですよ。わかるなぁその気持ち!)


[2488] 【2563回 鹿島槍への第一歩】 2011-06-17 (Fri)

鹿島槍への第一歩を踏みだしました!

いよいよ決心も固まり鹿島槍の準備にとりかかることにしました。1ケ月前と言うこともあり、まず宿泊地の予約から始めました。長野警察本部 地域課への登山届けも用意できました。(7月5日投函予定)

●7月17日は木崎湖のほとりにある白馬山麓レイクサイドユースホステル泊(ここに車を21日まで駐車)
●7月18日は冷池山荘(予約OK)
●7月19日はキレット小屋(予約OK)
●7月20日は唐松岳頂上小屋(当日受付)
●7月21日は下山後、大糸線に乗り「信濃木崎駅」まで戻り、再び白馬山麓レイクサイドユースホステル泊
●7月22日は大阪にむけて安全運転で帰ります

いずれの小屋も登山ルートを細かく聞かれました。登山口はどこで前日の宿泊小屋はどこなのか、翌日はどこの小屋に宿泊なのか徹底していました。全ての小屋で連携を取り合っている様子に安心し、私も日程やコースを頭に入れてイメージトレーニングをしておこうと思っています。

最初と最後の日に宿泊する木崎湖は、長野県大町市にあり、仁科三湖(青木湖、中綱湖、木崎湖)のうちのひとつで、最も南側に位置する湖だそうです。近くの葛温泉から、お湯を引き木崎湖温泉を擁し、まさに湖畔の宿の様です。最終日は八方リフトで山麓駅に下山する楽々コースですので湖畔の散策も出来そうで、登山プラス観光も兼ねられそうです。

今回はプライベート登山ではありますが、我が倶楽部で山行する時と同じ要領で、小さなノートを作り、日程、宿泊先の電話番号、長野県警電話番号、事前チェックリスト、出費欄、など思いつくままに書いておきます。こうしておけば「あっ!あれ忘れてた〜っ!」ってことにならないですものね。但し書くことを忘れていたら何にもなりませんが(笑)

会社に勤めていた頃、社員旅行を企画する時にも、小さなノートを作り、忘れ物をしないように自分に言い聞かせました。寄付を頂いた会社のおみやげリストや宴会の出し物など細かいことばかりですが、うっかり忘れがちな事ばかりです。宴会の途中抜けが出来ないように抽選会や記念品渡しは最後の最後にします。(これはエエ手やで〜)

個人旅行と違い100人以上の団体旅行ですから大変です。しかし一人で出来る内容なんて、たかが知れています。協力してくれる仲間を作り、分担して責任者を決め、みんなで取りかかるのです。頼まれた方も責任を持ってやってくれます。無事帰ってきたら日を改めて協力してくれた方達の慰労会も忘れずに行いました。

運動会の慰労会の時、居酒屋を使いましたが、だいたい予算に適した飲み食いだと安堵していたところ「ラストオーダーです。ご注文は?」と聞かれ、口々にオーダーした金額は今まで注文した金額の倍かかっていて、予算では足りず自腹を切ったこともあります。若者と一緒の時は「飲み放題、食い放題なんぼ!」と決まっているところが安全です。

いずれにしても仲間の協力なしでは成功はないと言うことです。


[2487] 【2562回 バイキング】 2011-06-16 (Thu)

肥後橋にある「アパ・ホテル」にある昼食バイキングに行ってきました。950円ポッキリで、時間無制限です。11時30分と言うこともあって一番乗りで席に付き、まずどんなご馳走があるのか一周します。お皿には升目の様な仕切がついていて隣の食材がくっつかないように工夫されています。

いなり寿司がおいしそうなのでまず1個ゲット、黒糖パンも一切れ、おっ〜磯辺焼きもある、副食となる食材を升目で仕切られた皿に並べ、席につきました。お腹がほどよく一杯になるころ、「姫のバイキング歩き」がスタートしました。自分のお腹は満杯なのですが、同席者のためにあれやこれやと「取る楽しみ」に変わるのです。「あれもほしい?これも欲しい?取ってきたるわ」こんな調子でバイキングを楽しみました。

お皿の交換はスタッフが時々、テーブルに廻って来てくれて回収してくれます。もう食べられません状態になったら紅茶、コーヒー、アイスクリームで喫茶ムードに切り替え、テーブルの上には鹿島槍の大きな地図を広げて歓談しました。粘りに粘って2時間以上は、いたと思います。サラリーマンらしき人にも人気らしく、昼食に利用しているのか賑わっていました。

「んっ?ここって禁煙ちゃうの?」疑問に思ったのか、入り口にある看板を確認に立った姫が戻ってきて「分煙タイムってのがあるみたいやで〜」と説明。すぐ近くのテーブルからタバコの臭いがムンムンと立ちこめていました。咳き込むほどにけむたいです。せっかくの食事がまずくなりそうです(私達は食べ終わっていたので黙認)よ〜く見ると別の部屋があり禁煙ルームとなっていた様です。吸う人にも権利あるので次回からは禁煙ルームを陣取ることにしましょう。

肥後橋に行くのに自宅から1時間かけて、徒歩で行ったのですが、途中のビルの谷間にサラリーマンらしき人が何人も立っていました。何をしているのだろうと覗いて見ると、みんなタバコを吸いに外に出てきていたのです。館内禁煙なんですね。昔、上司のタバコの煙に「肺炎になりそうです〜」と苦情を言ったことがあります。上司は「じゃあ、お前もタバコを吸えばどうや?」って一笑されたことがあります。(そんなアホな)

今、自動販売機に異変が起こっています。あちこちで「売り切れ」の表示の紙が貼ってあり、震災で生産工場が崩壊し入荷の目処が立っていないのだそうです。いっそ、この機会に禁煙して見てはいかがですか?身体にもいいですよ〜!

帰りは大阪駅まで歩き、登山用品の店「ロッジ」に立ち寄りましたが、欲しい品物もなく、アルファ米の在庫の有無だけ確認して戻ってきました。


[2486] 【2561回 ジョンのその後】 2011-06-15 (Wed)

6月14日、ジョンの1ケ月検診に付き添いました。診察室に入るやいなや「ほほ〜っ!顔色が良くなりましたね!」先生の一言で素人の私達にも「回復の兆し」がよ〜くわかりました。触診、血液検査などを行い、再び診察室に入ると「貧血は解消されていますよ。7月5日に胃カメラ検査をし、その後、ピロリ菌治療を致しましょう。この治療が終わるまで登山禁止ですよ」先手必勝〜言われちゃいました。山に登りたくて、ムズムズしているのがバレたみたいですね。まずは平地から!

血色素量は「5/16日には7.5g/dl、6/14日には13.2g/dl」  標準値(13.5〜17.5g/dl)

ギリギリセーフの状態ではありますが貧血の薬も減り、少しずつ運動も可能になる日も近いのではないでしょうか。ともあれ大事の前の小事で済んだ様です。よかったですね。

65才を境に身体のあちこちに「アレッ?おかしいなぁ」と思うところが出てくるはずです。そうです!65才からは機械で言えば「設備点検」の時期なんです。視力の衰え、耳の衰え、歯の衰えにはじまり内臓も悲鳴を上げるお年頃なんですね。会社勤めの頃は法定健診があり1年に1回、健康チェックが義務づけられていました。退職したら誕生月を健診日と決め、簡易人間ドックに行かないといけませんね(そう言う私も2年は行ってないなぁ・・・)

早期発見・早期治療は言うまでもありませんが、ポチの様に「箸がこけた〜」と言う理由で、せっせと病院に通うのも、ちょっと度が過ぎますが、健康であり続けたいと思うのは誰でも同じですよね。

いままだお互いが健康であるから「鹿島槍登山」行こうと前向きに決めました。行ってきます。まだ先のことですがここで公言することによって着々と前に進みそうで計画表の作成も終わり、山小屋の手配も終わり、あとは天気次第と言うことになりました。八峰キレット越えがあることから、ポチの負荷は10sから12sまでとし、不要な物は持たないことを徹底しなければゴールは出来ません。

明日から天気の良い日を選び、水タンクに12gの水を背負い、地獄谷の歩荷訓練をすれば、八峰キレット、唐松頂上周辺をルンルン気分で難無くクリアできると思っています。


[2485] 【2560回 最期は家で】 2011-06-14 (Tue)

「最期は家で」
こんなタイトルのテレビ番組に目が止まりました。病院で点滴漬け、注射漬けになりあの世への旅立ちを待つよりも、自宅で看取ってもらう幸せについてが主旨でした。家庭環境により全ての家庭でできるわけがありません。共働きをしていると仕事を辞めてしまわねばならなくなります。しかし病人は「最期は家で死にたい」と自宅を希望しているのです。介護用のベットをレンタルしても、段差のある自宅では入浴も、ままなりません。あくまでこれは「希望」なのです。

田舎の某村に24時間体制の医師がいて、いつでも異変に対応できるから安心して自宅介護ができるのでしょう。テレビでは地域の小学生達が寝たきりの年寄りを訪問し声をかけてあげるのだそうです。しかし年老いた母親を介護する娘も72才・・・「家にいると短時間で最期を迎えることになるかも知れんが病院で点滴を受けるよりずっと幸せだと思うし、母にはすまないが、私も楽になりたい」と本音を吐いていました。もう限界だともつぶやいておられました。

もし・・・私が余命少ないと宣告されたら・・・いやいや病院に任せておこう。寝たきりの自宅介護は、した者にしかわからない心と体力の疲労があります。病院で末期を迎えるとしても、延命装置は不要だと元気な時に息子達に言っておく必要があります。しかし入院すると意識がなくても点滴や注射をしなければなりません。それが医療現場なのです。

私の親類で看護師をしている娘がいて、自分の父親の最期を見取った話しになり、幸せな最期であったことを回想していました(そのためには沢山のサポーターがいたんやで!忘れたらあかんで〜!)いま勤務する入院中の患者のわがままを嘆いて帰りました。

『夜勤の時に入院中のおばあちゃんからのナースコールで「寒い!」と言うので、これは一大事と病室に駆けつけて見ると、毛布も布団も掛けずに寝ているのだそうです。「寒いから布団を掛けてんか」と言うのだそうです。ベットから起きてトイレにも行けるし布団が自分で掛けられない症状ではないのですが「わては金払うて入院しているんやさかい」と言わんばかりに看護師泣かせのおばあちゃんらしいです。家族は見舞いに来ないし〜ブツブツ、ブツブツ・・・』

こんな年寄り、自宅で看取るとなると家族は付きっきりで看病し、あげくの果てに「あんじょうしてくれへん」と言うに違いありません。私の経験上、自宅で最期を見取れる期間は1ケ月から50日間だと思っています。それ以上長引くと病人も家族も心も体も負担になります。

病院とうまく連携を取りながらホスピス病棟なども検討に入れながら、最後の最期だけ自宅で見送ってもらうほうがいいのでしょうか。私は自宅、病院とこだわらず、嫁達が困らない方法を選びたい!なんか身につまされる報道番組でした。

自ら命を絶った知人の事を思うと、やるせない気持ちで胸が苦しくてたまりません。死後まだ、この世をさまよっているらしいですが35日法要が過ぎたら、この世への未練を断ち、天国へと旅立つことでしょう。私も立ち直らねばなりません。


[2484] 【2559回 山と岳の違いって?】 2011-06-13 (Mon)

金毘羅山&翆黛山登山の時に「ワンポイントレッスン」なるものを各自が発表しました。靖ちゃんの発表の中に「山と岳の違い」と言うのがあったが聞き逃してしまいました。私は単純に「山は独立峰。岳は連峰」と思っていたのですが何か奥が深そう〜。今度靖ちゃんに会ったら再度教えてもらおうと思っています。

まず漢字の意味調べをしてみると岳は「丘(おか)+山」嶽は「山+音符獄ゴク(ごつごつしてかたい)」。かたくて、ごつごつした岩石でできている山。となっており、形状からの命名もあったり、宗教上の関係もありそうです。現代では、はっきりした定義はなく「厳密ではなく市町村の意向で名づけられている」ということになるのだそうてす。国土地理院では、「山・岳」の定義や歴史的調査はしておらず、どういう理由で、命名されているのか、使い分けされているのか実態は掴めないとのことでした。 
 
広辞苑では
●「山」平地よりも高く隆起した地魂。谷と谷との間に挟まれた突起部。
●「岳」高くて大きい山・高山。山が連なりそびえるさまを表し、高く険しい意味

国土地理院発行の地形図では
「山地」とか「山脈」などの自然地形を表す用語にはきちんと定義があるのですが、「山・岳」に関しては広辞苑の定義を参照していたり地元の名称を使用しているそうです。山」と書いて『やま・さん・ざん・せん・ぜん』と読み方もさまざまです。山を神様と崇めていまでも山頂に祠を置き、お祀りをしている山々が沢山存在することに神秘的なものを感じます。

大峯・奥駈道を縦走するにあたり前に立ちはだかる「女人結界」の門に行く手を阻まれ、結界門を回避するために、山を下り、またひとつ山を登りました。五番関で休憩する他の登山者が「わざわざ下らなくても、黙って登っている女性もいますよ」そんな声もありましたが、「晴れて女人結界が解けるまでまでの楽しみにとっておきます」と言葉を交わしたことが思い出されます。

●女人禁制とは
霊場にて一定の地域以外に女人の入るのを禁止していること。女人結界ともいい、女人は修行者の心を乱すからという。高野山、比叡山などがよく知られている。ほかに結界を設けた全国の霊山は相当の数に上っていた。近畿の大峰山は、男子は大峰山に参らないと一人前の男とされないという。四国では石鎚山、九州では英彦山、中国では大山、北陸では白山・立山、東北では羽黒山、関東・中部では日光男体山・富士山などがあります。

このような霊山の女人禁制も明治以降しだいに緩和され、富士山も明治以後は、庚申(こうしん)の年のみ御縁年(ごえんねん)として女人の登山を許していた。また高野山のように女人堂を設けてそこまでは女子の修行者も行けるようにしたものもある。今日、女人結界となっていた霊場はほとんどが解放されている。ただ修行の道場として1年のうち若干の日数を女人禁制にする例はあるようである。

女人とくに巫女(みこ)が、自分は普通の者と違って神に奉仕する者であるからといって、結界を破り登山したところ、その巫女が石と化してしまったという伝説が加賀(石川県)の白山などにある。      (日本大百科全書の資料による)


[2483] 【2558回 汗くさ〜いリュック】 2011-06-12 (Sun)

何かしらポチの部屋が臭います。「匂う」ではないので気持ちの良いにおいではありません。原因を追及すると何とリュックだったんです。いままでは冬場と言うこともあり毎回は洗わなかったみたいで、これから夏場にむけては毎回リュックは洗わないと汗の臭いがこびりついてしまいます。

私は登山から戻ると、まず登山靴を洗い、リュックの中の弁当箱や洗濯物を出します。その後、そのままリュックを自分の部屋に持って上がり、救急品、使用しなかった合羽などリュックから全ての物を出します。空になったリュックを風呂場に放り投げておいて、夕食の準備にとりかかります。リュックは入浴の後に浴槽にしばらく浸けておくのです。浸けておくだけで有る程度汚れがリュックから分離され、既にお湯は汚れが落ちたことを目でみることができます。

食事の後かたづけ等が終わると浸けておいたリュックを浴槽の中で洗います。ポチのリュックもこの段階で浴槽の中に入れてあれば同時に洗いますが、「今日は洗わない」とか「まだ臭くない」とか言った暁には「自分の事は自分でする」モードに切り替えます(モード切替はやいよ〜!)

一度洗濯機で洗おうとしましたが、どうもガタゴトと音がして洗濯機も潰れそうだし(屋久島のコインランドリーで・・・ね!)、リュックが痛みそうでその後は風呂の残り湯を利用しています。家族が大勢いらっしゃる家庭ではむずかしいかも知れませんがリュックを洗う日だけ最後に入れば解消しますよ。あまり揉まずに押し洗いだけで充分きれいになります。背中の汗を一手に吸って背負っているリュックはこまめに洗いましょう。

乾いたら防水スプレーもお忘れにく!


[2482] 【2557回 似たような話】 2011-06-11 (Sat)

よく降りますねぇ。土曜日、日曜日に予定がなくてホッとしています。こんな大雨の中の比良縦走があったとしたら、危険、きついですものね。雨が止む保証どころか、だんだん大降りになっていくそうですよ。おでかけ予定の方は気をつけて下さいね。

過日のある親睦会で「タカサゴキララマダニ」事件を話し、63才にして虫もまだ寄ってきた話しをおもしろおかしくして会場から笑いを取りました。本人としては大事件なのですが・・・

その席上で某部長さんがビールを片手に近寄ってきて「じつは・・」と話しをしてくれました。29才の息子さんが釣りに行き、夕方戻ったときには「ただいま〜」と言いながら釣り竿も一緒に家の中に入ってきたそうです。「どうしたんや?」と聞くと「魚は釣れなかったけど頭を釣ってしもうたんや!何とかして!」と頭にささった釣り針を父親に外してくれる様に頼んだそうです。

釣り針というのは厄介なもので「カエリ」と言うのがあり魚が逃げられないような構造になっています。悪戦苦闘しましたが、どうにもならず整形外科に行き、外してもらったそうです。

世の中には似たような話があるものだと何故か二人で「タカサゴキララマダニと釣り針にかんぱ〜い!」と訳のわからない乾杯をした大笑いをしました。

みなさ〜ん!釣りに行くときは必ず帽子をかぶりましょうね。山小屋利用の時は、なるべく真ん中を陣取りましょうね。

タカサゴキララマダニは獣医の言うことにゃ満腹になるとポロリと自分から離れていくそうです。と言うことは10日間も姫の貴重な血を吸い続けてまだ満腹でなかったと言うことなんか?


[2481] 【2556回 決意表明】 2011-06-10 (Fri)

「アルプス縦走 爺ケ岳・鹿島槍ケ岳・唐松岳」

この企画は、参加希望者が無いため個人山行に切替わりました。今年は(山行中止)は避けようと言う誓いもあり、かねてより行ってみたい山として鹿島槍を切望していましたので、ポチと姫で行ってみようと決意しました。

ポチはトレーニングに有馬越えや有馬返しを頑張っている様子です。あとはキャッスルウオールやブラックフェイスの横を「へっぴり君」を連れずに登れれば八峰キレットは大丈夫かも知れません。もう少し負荷をかけてトレーニングが必要かもね。天候を見ながら、体力配分を見ながら、無理をせず、無事に予定通り帰ってこれれば今後の自信にも繋がります。

●第一日目 大阪からは四万十号で、松本・扇沢の駐車場(宿を探すか、なければ車中泊)
●第二日目 扇沢〜柏原新道〜種池〜爺ケ岳〜冷池山荘(泊)
●第三日目 冷池山荘〜鹿島槍ケ岳〜八峰キレット〜キレット小屋(泊)
●第四日目 キレット小屋〜五竜岳〜大黒岳〜牛首〜唐松岳〜唐松岳山荘(泊)
●第五日目 唐松岳山荘〜八方尾根〜八方池〜八方池山荘前…ゴンドラ・リフト…山麓駅…白馬駅〜(大糸線)〜松本〜扇沢駐車場  (到着時間によっては松本で宿泊)
●第六日目 大阪に向けて〜

さあどうなりますことやら。。。


[2480] 【2555回 ある部会の総会】 2011-06-09 (Thu)

「総会」と名の付く会合は、やたらと6月に集中します。(そうかい、そうかい)

私は在職中に拝命した警察関係の部会を、退職した今も名誉顧問として籍を置き、総会、研修会などに参加をさせて頂いています。しかし退職3年目ともなると、顔見知りの役員の方達も世代交代をし、だんだん会社名は知っているが担当者は知らないと言った雰囲気になりつつあります。

現在のM部会長が勇退するまで・・・と引き留められて(居心地がいいからかも知れません)ズルズルと参加させてもらっていますが、そろそろ潮の引き時かなと考えています。そんなわけで今回から懇親会の進行係も、先手必勝で断り、後任の進行役の方を一般席から応援しつつ、来年あたりはス〜ッと消えようと思っています。

6月8日午後5時、もといた会社の前で後輩と待ち合わせし住友電工の会場へ向かいました。会社の前で待ち合わせと言えども、会社の中を訪問するわけではありません。私は定年退職(円満退職)なので、誰に遠慮もいらないのですが、どうも退職後に「こんにちは」と訪問する気にはなれないのです。しかし女子社員のみんなとは社外で度々「お好み焼き懇親会」をして親睦を深めています。

会社を訪問しなくてもアンテナを沢山張り巡らせているので情報は社員であった時よりも豊富に入ってきます。良いこと、良くない事、色々耳に入ってきますが部外者のため「見ざる、言わざる」を貫いています。情報が自然に耳に入ってきますので「聞かざる」だけは守れていませんが40年間も籍を置いた会社ゆえに発展あるのみと祈念している今日この頃です。

総会のあとは懇親会、あれほど「先手必勝」で根回ししていましたのに、「えっ〜部会長から聞いてないよ〜!今回だけ頼むわ!」と哀願され、まんまと担ぎ出されてしまいました。会場の皆様のご協力もあって、ぶっつけ本番ではありましたが楽しい時間がアッという間に過ぎて終了時間となりました。お料理も山ほど残っているので2次会会場に運ぼうとしたのですが、会場からの持ち出しは衛生上ダメとの事で残念〜!。

懇親会のあとは一部の希望者でカラオケに行くのですが、何故かいつも私もメンバーの中に入っています(あんたも好きねぇ〜)でも歌というのは、しばらく歌ってないと、歌いたいとも思わなくなるし、声も出なくなっていました。最近では登山の時の「お昼の歌」も中止になってしまったし声を出して歌う機会もなくなりました。また歌いたいと思う歌が古くて、しかも演歌だし・・・・時代にあわなくなってしまいましたね。そんな中でも心に残る唱歌はやっぱりええね。季節に合わせて、いい歌いっぱいあるよね。


[2479] 【2554回 リュックの荷詰めについて】 2011-06-08 (Wed)

大峯・奥駈道を7泊8日で実施した時、リュックの中味を、夜7回全部出して、朝7回全部詰め込みました。詰め込む時は時間をかけず、手早く詰め込む必要があり最初の3回ぐらいは「どれっ〜こっちへ持ってきてみぃ〜!」と相棒に注意をうける事も度々でした。しかし回を重ねていくうちにパッキングが上手くまとまるようになり、素早く時には相棒よりも美しいパッキングができるほどになりました(??)テント泊の場合は寝袋やマットはリュックの一番底に入れているため、どうしても全部の荷物を出したり、入れたりしなければなりません。避難小屋では人の目にも触れる事になり、合羽、着替え、救急品、食料など小分けしておき、人の目に触れても恥ずかしくない荷詰めを、日頃の登山で練習を積み重ねる必要があります。

「荷詰めベタ」の一人にポチがいます。側でこれだけ良いお手本を見せているにもかかわらず休憩時や昼食の時にはゴソゴソとリュックに手を突っ込み「アレッ?アレッ?」と荷物を散らばらせています。小さな袋を渡して整理するように言いますが、「うんわかった」と言いながら、当日の朝、スーパーの薄いビニール袋に「合羽の上、合羽の下、スパッツ」とわけのわからない小分けをしています。「雨が降れば同じ時期に使う物はひとつにまとめる!」「着替えはシワにならないように小さくまとめる!」と指導しても指導のし甲斐がありません。一度みんなで、お昼の講習と題して不意にポチのリュックの中を検査してみませんか?(イジメかな?)

♪♪さがし物はなんですか〜♪
  みつけにくい物ものですか?
  カバンの中も 机の中も 
  さがしたけど〜 見つからない
  まだまだ探す気ですか〜♪

と井上陽水の歌にありましたがリュックの中の入れる場所を、ある程度決めておけばどうでしょうか?

私はリュックの中を2段構えで入れています。まずリュックの下には帰りに使う着替え一式の小袋、ツエルト、合羽一式
(但し雨予報の時はこの限りにあらず)をいれ防水バックの口を締めておきます。(1階部分)その上には救急品、行動食弁当などをいれておきます。(2階部分)雨蓋の裏側にはヘッドライト、三角巾、、上蓋の表側にはカメラ、コンパス、行動食1回分、サングラスなどを入れることに決めています。外側のポケットの片方には緊急・救急用シート&サラシ(約1s)、ハチ刺れ救急品を入れ、残りの片方には傘、シュリンゲ、などを決まった場所に入れています。こうしておくことによって物探しをする時も短時間で探せるのです。

雨の場合や強風の場合、リュックの中味を出して物を探すことが不可能な場合があります。ある程度同じ場所に入れることで、手探りでも捜し物は出てきます。

山行終了後は「リュックの中味を全部出して、次の山行前に、また詰める」を繰り返していれば「荷詰め上手」になること間違いなしです。そして何よりもリュックの形が美しく仕上がります。


[2478] 【2553回 登山靴の手入れ方法】 2011-06-07 (Tue)

金比羅山&翆黛山登山の時の私のワンポイントアドバイスは「登山靴の手入れ方法」でした。「え〜靴敷きも洗うの〜?」と先輩登山者の声が聞こえてきましたので私の手入れ方法をご披露します。これ以外に良い方法があれば、ぜひ教えて下さいね。

登山から戻ると家の中に入る前にガレージのシャツターを開けて「登山靴洗いBOX」なるものに水をいれます。これはB5サイズ(ひめ23a)とA4サイズ(ポチ26a)の靴がスッポリと入るレターケースを100円ショップで買ってきて登山の後に常時使っています。そして玄関をあけてリュックを降ろしたら靴を脱ぎ、しばらく水の入ったレターケースの中に浸けて置きます。レターケースは浅いため靴底が水にうまくつかる程度でグッドアイデア商品なんです。

10分ほど待つ間、家に入り、リュックの中の洗濯物や食器類を出したりして、ほどよい時間になると再び外に出て登山靴を洗います。まず靴敷きをはずし洗濯ネットに入れて他の洗濯物と一緒に洗濯機で廻します「形が崩れないの?」と質問を受けましたが大丈夫です。気になる人は手洗いして下さい。次に履くまでには乾燥しています。ヒモも毎回洗うと言う人もいますが私は毎回は洗いません。雨などで濡れたり、ドロの道を歩いた時には、はずしてヒモも洗濯ネットへ入れて洗います。

レターケースに浸けていた靴底のドロは10分放置していたことで、きれいに靴底から剥離していて、後は、付着しているがんこなドロを使用済みの歯ブラシで軽くこすります。靴の表面のゴム周りに付着しているドロはタワシと歯ブラシを使い分けてきれいに洗います。

「靴底なんてどうせまた汚れるやんか〜」と思うかもしれませんが靴底にドロがはまり込むとせっかくの滑り止め効果がなくなってしまいます。粘土質の山道を下るとき、「何でこんなに滑るのか」と思って靴底を見ると、粘土質の土が靴底にはまり込んで「ツライチ」になっていた経験はありませんか?木の枝を利用して靴底のドロを落とした経験があり、そのころから「靴底命」と肝に銘じているのです。

洗い終わった登山靴は陰干しをするためガレージの隅の隙間を利用して何日かおいておきます(靴底がベタッと床につかない方法)靴敷きやヒモが乾いた頃には登山靴も乾いていますので防水スプレーをかけて完了とします。

次に履いて行く朝はドロ汚れの無いピカピカの登山靴に足を入れられて気持ちいいですよ〜ぜひお試しあ〜れ!それから「あとで洗おう」と後回しにして、一旦休憩をしてしまうと、なかなか登山靴を洗う気になれません。やっかいな事は真っ先にする方が快適です。それに玄関先にドロの靴を放置するのは好きではありません。2人家族の家は靴は2足だけ、あるいはサンダルは2足だけ、人様の玄関先の靴を数えれば人数がわかる、それが私の理想です(クックックッ・・笑)


[2477] 【2552回 金比羅山と翆黛山】 2011-06-06 (Mon)

行ってきました〜!金比羅山と翆黛山。たかが570メートルと言うことなかれ!結構きつおしたえ〜!

前日の雨なのか登山道に顔を出す岩が濡れており油断禁物でした。いかなる山も緊張感はゴールまで持続しないとね。思わぬ安全地帯で滑ったり、転んだりするのは「もう終わった」と気を抜いた証拠です。林道のアスファルトが濡れてその上が苔で被われていて怖かったよ〜

登山と観光の一石二鳥のコース「金比羅山と翆黛山」ひとつひとつが新鮮で、距離も短いことから疲労感ゼロの山行でした。ひょっとして午後から雨に遭うのではと心配していましたが大丈夫!照りもなく快適な登山日和でした。

ジョンの伝言の通りトラ吉衛門さん夫婦へのアドバイスということもあり、みんなの気合いが違うように思えました。ある人はストックの使い方、ある人は長袖シャツの効用、ある人は地図に表記されている説明、またある人はストレッチの必要性など、登山靴の手入れ方法、など自分たちが今まで学んで来た事で「これは知っておくとためになった」話を掻い摘み話しました。

喋る方は口々に言うけれど聞く方は集中することもあり、大変だったかもしれませんが謙虚な姿勢で耳を傾けてもらえたことに感謝します。人に伝達しようと思うと、まず自分が理解をしておかなければなりません。その上で頭の中でまとめて、相手に理解してもらう様に喋ると言う行動は「ボケ防止」にいいかも知れませんね。

阪急組が到着するまでに戸寺バス停前の物産店の中を見学しました。「今日のお昼はおはぎ」と決めていましたので迷うことなく、きな粉のおはぎを買いました。私の田舎では「ばんぼ」と言います。リュックに入れていましたのでお昼に出した時には「おてもやん」みたいな形になっていましたが味に変動なし!ジョンに見せびらかすために写真を撮りました。後日レポートを楽しみにして下さいね。(言い訳がましいですが、あれを自宅まで買って帰ったとしてあんこがはじけて美味しさ半減だったと思います。だから・・おみやげは無しね〜)

お花との出合いはゼロ!畑には、京都ならではの漬け物の脇役「チソ」の葉が風になびいていました。


[2476] 【2551回 きみ死に急ぐことなかれ】 2011-06-04 (Sat)

君死に急ぐ事なかれ
あなたの死後、店さきのヒマワリの花が咲きました。
貴方の死後、子供達の悲しみは日を追う毎に大きくなっていきます。
けなげに告別式で挨拶をした長男は15才・・・
「おばちゃん」そう声をかけてくれる次男の制服の欠けたボタンが涙を誘います。
兄弟4人、肩を寄せ合い生きていくには幼子はまだ2才・・・
何がどこにあるのか、残された家族は路頭に迷っています。
持ち主を亡くした貴方の車を見る度に、「乗ってるかな?」と運転席をつい覗いてしまいます。まだ信じられません。

私とて中学1年の時には両親とも病死していたものの、病死と突然死とは比較にならないよね。貴方はまだ44才。私は
それからは姉のお荷物になりながら「なにくそ!」と歯を食いしばりすぎて虫歯になった(笑)多分私の主治医に『歯をくいしばっただけでは虫歯にはなりません』と言われそう・・・ハハハ貴方にも笑って生きてほしかった!

死ぬ勇気があれば何とか生きていけたのではありませんか?今更言っても仕方ないよね。ひょっとして一瞬の気の迷いだったのでしょうか。3日前、貴方の悲痛の叫びを聞きながら「大丈夫だから」という貴方の言葉を信じました。あの時、もっと大騒ぎしとけばよかった!ごめんね!

誰も苦しんでいる娘の事を知らせてくれなかった、知らなかったと貴方のお母さんに言われました。あの時貴方に口止めされて、言わなかった私にも責任があるのかなぁ。

私の亭主よ!私は自ら命を絶つこと決してないけれども私が先に逝ったなら、オネガイダカラ嫁に迷惑をかけずに生きてほしい。
私の息子達よ!小さい時から母親が働き続けた事で寂しい思いをさせてすまなかった。いま独立して家族を持ち、子を育てる中で、子供達に同じ寂しさを味わせたくないらしいと嫁から聞いて・・・ごめんよ。

私の仲間達よ!「姫」と言うハチキンがいたことを時々思い出して下さい。結構、わがままで強気でごめんね。


[2475] 【2550回 そんなこと聞かれても・・・】 2011-06-04 (Sat)

イギリスの登山家でジョージ・マロリーという人の言葉に「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから」と答えたという話しは有名です。昨日、近所のおじさんに「あんたは何でしんどい思いをしてまで山に登るのか?」と聞かれました。

私が山と言える名の付いた登山の第一歩は平成10年8月「 立山登山・浄土山、雄山」でした。何とそこには、くろねこさんも一緒に参加していたことが我が倶楽部結成後に判明したのです。立山登山の時はウオーキング協会が募集する夏山登山に応募し、登山道具らしき物は合羽以外は一切所持しておらず、歩けの延長の様な、かる〜い気持ちで参加したものです。

バス1台の募集人数が集まらず、相乗りバスになり、 集合場所に行けども誰がリーダーなのか誰が参加者なのか、知り合いがひとりもいませんでした。夜行バスだったためサンダルにムームーといった出で立ちに驚いたのか、担当者らしき人が寄ってきて「登山靴は持っていますよね」と聞かれたほどでした。

担当者らしき人・・・つまり現在のウオーキング協会会長だったんです(笑)それからは1年に1回実施される特別例会に毎回参加しつつ、その合間を縫って「日本百名山」に憧れるようになりました。百名山の本には、行った都度の写真を貼り付けています。いま振り返り見ると「若いっ!」と「服のセンスわるっ!」に尽きます。そのころからアルプスに憧れるようになりトレーニングも積みながら希望の山々を登ることができるようになりました。体力のなかった私でしたが重い荷物も何とか背負えるようになり、リーダーにも恵まれ、仲間にも恵まれ、三角点の「デンの記」が趣味となり頂上を踏む時の達成感に酔いしれています。

60才で定年退職の後は毎日、日曜日のためにロングコースも可能になりました。7泊8日なんて今まで想像もしたことがありませんでした。若い頃は、夜行バス(車)出発の早朝帰阪で、そのまま会社に出勤したこともありましたが加齢に伴い、前夜は疲れを取るために麓で宿泊をし目的地に向かうことにしています。

安全登山が我々の掲げる旗印、次ぎに繋がる山を目指して道具の手入れに余念のない毎日です。


[2474] 【2549回 波瀾万丈の6月】 2011-06-03 (Fri)

6月1日は衣替え(スーパークールビズ)、ETC割引廃止、国会大混乱など騒がしい6月の幕開けとなりました。あカンとわかっていても自分達の保身のために否決したんやな!我が身かわいさに「中味のない空きカン」でもよう捨て切れんのかな?

いまのままでは、もうあカン!煮え切らないトップはカンにんして!側近の中で、あきカンに代わる人材さえ見あたらん。あカンなぁ!

「ばらまき政治」と言われた子供手当と高速道路の割引や無料化でしたが、東北まで行き「1000円」と表示された時の感動は、もう味わうことができなくなったんですね。これは未曾有の東日本大震災早期復興のためと思えば納得もいきます。

以下は高速道路の割引等における国交省の正式発表です。

廃止事項

1.休日上限1000円の廃止(正式な日程は6月19日、午前0 時終了)
2.高速道路無料化社会実験の凍結・中止(正式な日程は6月19日、午前0 時終了)

今回、新たに発表された高速道路無料化平成23年6月20日より、東北地方一帯の高速道路を無料とする。常磐道もこれに含まれます。(ただし、誰でも無料ではありません。無料対象者は次の2点に該当する場合のみ無料です)
 
@震災の被災者で、地方自治体が発行する罹災証明書を料金所で提示出来る者。(東北地方に住んでいた人が現在、他県に避難していても申請をすれば対象になります。)

A罹災証明書提示以外の割引
トラックなど、復興に関係するような車両で中型車以上に限り、東北地方一帯や常磐道のみでの高速道路の乗り降りは完全無料とする。中型車以上は、罹災証明書がなくても常に東北一帯ならば無料です。

ETC 割引については、休日上限1000円と高速道路無料化社会実験のみが適用されなくなり、時間帯割引などは、今後も継続されます。通勤時間帯割引や深夜割引などです。こちらは、問題なく高速道路のETC割引を利用できます。


「高知まで千円」「青森まで千円」と結構、エエ目させてもらいました。ハイ。


[2473] 【2548回 ちょっと肌寒い衣替え】 2011-06-01 (Wed)

6月1日から衣替えですね。夏服になると女子社員にいつも「下着を着用の事」と更衣室に張り紙をした事が懐かしく思い出されます。手を伸ばすと「生身」が見えるのは好ましくありません。今もみんな守ってくれてるかしら?

今年は、これまでの「クールビズ」をさらに進化させた、「スーパークールビズ」を推進していくと報道しており、アロハシャツやポロシャツ姿の人達を映していました。従来からの「28℃の室温設定」「ノー上着の奨励」「断熱材の利用」といった「クールビズ」のマニュアルから「更なる軽装の奨励」「勤務時間の朝型シフト」といったこれまでより一歩踏み込んだ取組が「スーパークールビズ」のマニュアルの様です断熱材の利用に一役買うためかゴーヤの苗を無料配布する行政も出てきました。まずは銀行マンや外回りの営業マンも会社の玄関先で暑苦しい背広を着用しなくても良いようにしてあげたいですね。(でもアロハは企業には不向きちゃう?!)

大手企業は最近では制服の貸与はせずに「私服」としている傾向があります。これは企業の制服購入にかかる経費削減が理由であったり、社員側が「自由」を訴える場合もあります。小学校でも此花区の小学校は制服で、西宮名塩の小学校は私服です。女の子の母親は「好きな服を着させる事ができる」とか「制服がある方が楽」という賛否両論。お洒落がエスカレートしなければと心配するのは私だけなのでしょうか?

私の息子の時代は制服があり、学校から戻ると私服に着替えることによって学校から戻ったと思う心の切り替えが出来た様に思います。社員の制服も昔は幼稚園のスモックの様な上着だけの貸与でした。ある日ホットパンツを履いて来た女子がいて、その日はトイレ以外は部屋から出ない様に命じたことがあります。ホットパンツ姿で来客の応対をされては会社のイメージにかかわります(TPO再教育要)

「制服が素敵だからこの会社を応募しました」と言われた時は失笑しましたが長年かけてスカート、ブラウス、ベスト、リボンと一式の稟議を通してもらえてよかったなぁ・・・・

登山を始めた頃の写真を振り返ると、微妙に変で、家にある衣類を適当に身につけていた様です(笑)いまは登山用品店で購入した物を下着から取りそろえ、どこから見ても「登山が趣味ですか?」と聞いてもらえそうな出で立ちとなっていますが、決して「山ガールですか?」とは聞かれないのが中高年の悔しいところです。

スーパークールビズも登山着も会社・学校の制服もTPOを考えて行動したいものですね。ドクターの白衣は凛々しくて清潔感に溢れていますが、スーパークールビズを取り入れてアロハなんか着たらいやだね〜!


[2472] 【2547回 放置自転車】 2011-06-01 (Wed)

我が家の一角に放置自転車があり、持ち主不明のまま1ケ月間そのままにされていました。シビレを切らして、交番に行き、その旨を伝え一緒におまわりさんを連れて戻りました。その場で盗難届が出てないかどうか無線で連絡の結果、盗難自転車ではないとの事、ではどうすれば撤去してくれるのかと聞くと10日間ほど「告知」の紙を貼り、それでも持ち主が無い場合は次の段階に進みましょうとの事でしたので、私なりに「告知」の文章を作成し、放置自転車に貼り付けて期限を5月31日までと決めその日を迎えました。

再び交番に行き告知期間が過ぎたことを告げると、今度は海老江工営所(06-6462-1437)なるところの電話番号を教えてくれました。10日間の告知期間が過ぎたことから、すぐに撤去してくれると思いきや大阪市専用の告知表に書いておかなければならないとのこと(さては・・専用用紙の事おまわりさん知らなかったな!)

福島区・此花区で放置自転車にお困りの方は、警察に通報と同時に、直接海老江工営所に連絡したほうが勝負は早いですよ(但し私道は対象外だそうです)私が電話をすると、机上で、地図を広げているらしく「どうも私有地らしい、管轄外だ」との回答でしたが、現場も見ないで結果を出さないで!と言葉を荒げて言うと、30分もしない間に3人がやって来ました。

私が立ち会うと「市の道路ではないため処置ができない」との事でした。ならば、この迷惑放置自転車はこのままかと問いつめると「独り言ですが・・・・」と私に聞こえる独り言を話してくれました。役所の人でも、臨機応変が効くんや〜なんかうれしくなりました。なっと〜く〜!

きっと誰かが乗り捨てたものだと思いますが、充分乗れる自転車です。しかし気を付けないといけないのは、持ち主がいないからと言って流用すると路上でおまわりさんに捕まってしまいます。駅前の放置自転車といい、無謀な自転車の運転といい、自転車の事故も多発しています。自転車がこんなに氾濫しているのは購入価格が安く、求めやすいからだと思います。

私が子供の頃は自転車は高級品でした。我が家には父親が通勤に使う「男乗り自転車」が1台だけでした。男乗り自転車には、ハンドルからサドルにかけてポールがあり、小さい私は、そのポールをくぐるように変な格好で乗ったものです。(きっと、何人か、そうそう、とうなづいてくれているはずです・・・笑)

●近くは歩きましょう!有酸素運動にもなるし、足腰強くなるで〜!


[2471] 【2546回 新宮山彦ぐるーぷの活動】 2011-05-31 (Tue)

大峯・奥駈道を歩いた後、南奥駈け道でやさしく声をかけて下さった「新宮山彦ぐるーぷ」のみなさんの事を調べてみました。

「新宮山彦ぐるーぷ」は、和歌山県新宮市を拠点とする山岳団体で、吉野と熊野を結ぶ修験の修行の道、大峯奥駈道南部(南奥駈道)の再興と整備・保全の活動で南奥駈道を語るにはこの方達の努力なしでは歩くことができないと言っても過言ではありません。      「北奥駈は行政によって」、「南奥駈は個人活動によって」復興されたということを忘れないでおきたいと思います。

新宮山彦ぐるーぷは、活動の過程で、「奥駈葉衣会」と交流を持ち、この会が、持経宿に山小屋を完成させていたのち、中心人物の没後、会は自然消滅し、新宮山彦ぐるーぷは奥駈葉衣会の活動を引き継ぐ形で南奥駈道の再興活動に着手、昭和59年から活動を開始した。

南奥駈道は、水場に乏しいこともあり早い時期に歩かれなくなった。また、そうした水場の乏しさのために新たに登山コースとしての性格を帯びて生き延びた奥駈道の北部とは対照的に、荒廃し忘れ去られた道となっていた。そのため、最初の3年間の活動は何メートルもの高さに生い茂ったクマザサを刈り払う活動に充てられることになった。刈り払いに続いて同会が取り組んだのは山小屋の整備であった。奥駈葉衣会が建設した持経宿山小屋の再建に続き、行仙宿・平治宿に山小屋を建設した。

これらの山小屋の建設に際して、1000万円を越える建設費用は新宮山彦ぐるーぷのメンバーが、個人から三井寺・聖護院・大峯山寺・金峯山寺といった修験寺院までを含む各所から募金を募る形で集めただけでなく、敷地造成も会のメンバーのみによって行われた。さらに同会は、山小屋周辺の水場の整備など、下北山村・十津川村の行政当局や民間企業によるヘリコプター輸送などの協力をも得ながら、メンバーの手で完成させた。平成14年平成15年にかけては、大峯奥駈道の世界遺産登録に向けた和歌山県・奈良県・三重県ほか地元自治体の事業に協力する形で、山小屋の管理棟の建設も実施したが、その際の資金の大半もやはり会のメンバーによって調達されたものだった。このようにして、同会によって整備された道は、太古の辻(三重県下北山村)から熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)まで、45キロメートルに達する。

大峯奥駈道を含む世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録(2004年7月)に向けて、大峯山北部の老朽化した避難小屋が次々と新築されたが、これらは国や県の事業によるものであった。それに対し、南奥駈道の整備では、登山道の整備から山小屋の建設・改修・管理まで、新宮山彦ぐるーぷの手によるものであり、ほぼ完全に民間の力で行われてきたという点で特徴あるものといえるだろう。 こうして再興された南奥駈道だが、刈り払いを続けなければ再び草に埋もれてしまう。そのため、同会は南奥駈道の整備を続けており、その活動を修験道の千日回峰行になぞらえて「千日刈峰行」と呼んでいる。また、持経宿・行仙宿・平治宿の3つの山小屋も同会により維持管理され続けている。こうした業績に対し、表彰も受けている。              (フリー百科事典から抜粋)

奥駈道 D のレポートをみていただくとおわかりかと思いますが南奥駈道になると急に視界が広がったような尾根伝いの道へと変わってきました。私達が利用させていただいた小屋の隅々に山彦ぐるーぷの皆様の並々ならぬ日々の努力の足跡を見ました。それが、囲炉裏の焚き付けであったり、ほうきやバケツ・水汲み用のポリであったり「どうぞ使って下さい」と言わんばかりのやさしい小屋でした。平治宿の工夫を凝らした「手動水洗トイレ」も心に残ります。小屋当番をする、「新宮山彦ぐるーぷ」の方達に出会うと疲れ果てた身体も心も癒されて更なる一歩が踏み出すことができました。「囲炉裏でゴミを燃やさないで下さい」の張り紙に登山者としてのマナーの無さに怒りと、たった一握りのマナーの無い登山者のために、登山者全部のモラルが問われることに腹立たしさを覚えました。

「山彦ぐめーぷ」の皆さんは70才前の人達ばがりとお見受けしました(間違ってたらゴメンナサイ)麓からいまも元気に小屋の整備に通って下さり、小屋の整備、道の整備、登山者の安全を守って下さるからこそ、私達が無事に熊野本宮、あるいは吉野のゴールを踏めるのです。戻って活動内容を知り、改めて感謝を申し上げたいと思っています。ありがとうございました。


[2470] 【2545回 企業のOB会に出席】 2011-05-30 (Mon)

台風2号の接近にもかかわらず、29日の日曜日は、もと勤務していた会社のOB会が此花区の梅香殿で開催されると言うので出席してきました。昼前に集合して、まず物故者への黙祷から始まります。年々、物故者の数が増えて行き、いままでは2年に1回の開催でしたが「ひょっとして来年は会えないかも知れない」と誰しもが思う歳となり、毎年開催しているようです。

通常の会社のOB会は定年退職をしたメンバーのみの会となっているのですが、この会は定年退職者だけにこだわらず、中途退職者、希望退職者など来る者拒まずで(会社からは?で見られている様子)連絡係のみなさんの力もあって永く続いている様子です。在職時には会社の状況説明を兼ねて会社代表として出席していましたが退職してからは、はじめての出席となりました。

みんな、それぞれにシワの数が増えて(自分の事、棚に上げて〜)やはり日々病気との闘いの様です。趣味を持っている方達は、それなりに若く見えます。「久田の姉ちゃんも変わらんなぁ」ありがとう、ありがと。ちなみに私は、このメンバーの中では一番若いと思うのだけれども・・・・

OBの方の中には、高校を卒業後すぐ入社し、ほとんど欠勤もせず40年間も九度山から通勤されO氏もいました。「高野山に行くのに九度山駅を利用しましたが40年間も通勤時間が長くて大変でしたね」と言うと「始発だから寝て通えましたよ」とのことで頭が下がりました。先代の社長から「社員の鏡」として創立記念日に表彰を受けたのは、社歴60年の中でO氏がただひとりでした。

年金の話しや病気の話しをしている人のそばは避けて、満遍なくお話をしてきました。私は21才の時に入社をしましたので、その頃を知る人も多く、お姑さん(ポチの母)の事をいまだに褒めてくださり、とてもうれしかったです。どこの会社も今は大変な状況下にあると思いますが、相手を思いやる心を忘れず、「安けりゃ良い」と業者を変えず信頼関係の上に、我が社も協力会社も両方が生き残る道を選択してもらいたいと切に思いました。

それにしても・・・参加者の半数以上が「補聴器付き」で進行係が何を喋っても、どこ吹く風〜それなのに自分の近況報告だけはきっちりと大声で喋ってはる〜!あとは、ほんまにどこ吹く風で、外も負けじと台風の風!参った〜参った〜こんな会合はじめてでした。
(明日は我が身とは言え、空気を読めば聞こえなくても、誰かがしゃべっていることは口の動きを見たらわかるはず)

「静かに!」と言う声すらも聞こえない・・・・オネガイダカラ・・・空気読んでよね〜

カラオケが始まって、私の順番が回ってきました。何を歌っても聞いてないし、聞こえてないし・・・と思いながらマイクを使わず、唱歌「ふるさと」を歌い始めると丹波篠山から参加の方が涙をポロポロ流し「え〜なぁ!お袋のこと思い出して・・え〜歌やなぁ!」とハンカチで涙を拭っておられました。つい私も、もらい泣き。

今日の会は、めっちゃ疲れました。解散後、外に出たら、傘をさせないほどの横なぶりの雨と風、でもさっきの空気から脱するには、まっええか〜(私も近い将来、補聴器を使う場合は空気の読める、せめて起立して口が動いている時は静かに聞こえているフリをしようと決意しました。ハハハ)


[2469] 【2544回 行って見たい山 見っけ】 2011-05-29 (Sun)

瑞牆山(みずがきやま)

深田久弥は、瑞牆山を「針葉樹の大森林からまるでニョキニョキと岩が生えているような」と表現したといいます。「日本の名山」というテレビ番組に釘付けになって登山風景をみているうちに、いつしか自分も登ってみたい山の引き出し
に入っていました。そう言えば関東地方の百名山には足を踏み入れたことがないなぁ。勿論、日本百名山のひとつ。

秋頃に東京に行くチャンスがある「かも知れない」そのときは研修を済ませたら、そのまま、瑞牆山登山三昧と密かに企てています

瑞牆山(みずがきやま)は山梨県北杜市にある標高2,230mの山で、奥秩父の山域の主脈の一つ。古くからの信仰の山で、洞窟には修験者の修行跡や刻字が残り、山頂の西峰には弘法岩があり、空海開山伝説も伝わるそうです。「いのりの道」の続きにどや?!

全山が黒雲母花崗岩で形成されテレビで見ると独特の岩峰が行ってみたいと思う心をゆさぶる程の素晴らしい景観を作っており、地元ではコブ岩と呼ばれているそうです。鋸岩、大ヤスリ岩など、岩々に名前が付けられている。


[2468] 【2543回 よく降りますねぇ】 2011-05-28 (Sat)

入梅とは言え、こんなに毎日降らなくても、何でも「ほどほど」がいいなぁ・・

ノタノホリで見たモリアオガエルはふ化したのかしら?
比良駅近くで、手入れしていた田圃には水が満ちて喜んでいるでしょうね。
堂満岳の石楠花はもう散ってしまったんでしょうねぇ
こう毎日だと「雨もまた自然」とは言いたくなくなりますね。

朝の連続ドラマ「おひさま」を見ることが時々あり、安曇野の風景の美しさに、また戦争中の子役のピッタリ顔に感心させられます。子役抜擢の際に、きっと「戦時中顔」を選んだのでしょうね。

いたいた〜!私達の子供の頃(戦後ですよ〜!)にも青鼻垂れた子や、雀の巣みたいな頭髪の子、いつ顔を洗ったのかと言いたくなるような目クソだらけの子などなど。脚本家もきっと私と同じ様に目を閉じればきっと子供の頃の風景が目に浮かぶのでしょうね。

いつもドラマの「相棒」のダメ刑事役の俳優さん、今回は主人公のお父さん役で、凛々しくキリッとしてるじゃないですか。役によって、ああもイメージが違うのですね。それにしても喫茶店か何かで会話する語り役のおばさん二人、画面にいりますかねぇ?登場しなくても充分ドラマの展開はおもしろいのですが・・・(いいドラマだけに、あの二人・・いらないよ、ほんま)

ドラマを演じることの大変さは10分間の寸劇を体験して、よくわかりました。長ゼリフしかり、立ち振る舞いしかりでタレントさんは本職と言えど凄い職業だと思っています。7月にまた出演依頼があり、もう一度大舞台に立つこととなりました。最近ではプロジューサー役の婦警さんは「もう練習はいりませんよね?」とおっしゃいますが、その都度、心臓バクバクなんですからね。期間が空くと感を取り戻すのに大変なんですよ・・・と言いつつも相棒の婦警さんとセリフ合わせをすると身体が覚えているみたいでセリフが出てくるからお互いが不思議がるんです。娘ほど年の差があっても私達イキがピッタリということなんでしょうか?今ではオファが来るのが楽しみになってきた今日この頃です。


[2467] 【2542回 金比羅山・翠黛山の予習】 2011-05-27 (Fri)

昨日、近畿地方が梅雨入りをしました。天気予報を見ると傘マークが続いています。来週の日曜日の天気まではまだ不明ですが雨具の用意をしておれば「雨もまた自然」と受け止めて出かけたいと思います。

初夏の京都「金比羅山・翠黛山」へ出発前に予習をして見ました。まず山の名前は、金比羅山(こんぴらさん)、翠黛山(すいたいさん)です。金毘羅山は、その昔は江文山と言われていたそうです。

京都トレイルで利用した「戸寺バス停」で下車し、京都トレイルの看板に沿って歩いて行くことになります。京都大原の名山とも言われている金比羅山・翠黛山登山は8q、約5時間の予定です。バスは京都駅からの利用者と出町柳からの利用者に分かれますが合流出来ないときの下車駅は「戸寺」ですのでよろしく。

戸寺バス停から江文峠までは京都トレイルの道標に従い、江文峠からは鳥居をくぐり、細い石段の道を登って行きます。ここはロッククライミングのゲレンデとしても有名で私も何度か通った事があります。金比羅山の三角点は、山道から外れた所にあるそうですので探しましょうね!「もうええやん!」って言わないで下さいね。

金比羅山の三角点を見つけたら、翠黛山に向かいます。翠黛山から寂光院を下り、大原の里の風景を楽しみましょう。このコースは観光を兼ねて歩けるので一石二鳥です。

●「大原の里10名山」
@水井山 A大尾山 B瓢箪崩山 C金毘羅山 D翠黛山
E焼杉山 F天ヶ岳 Gナッチョ H皆子山 I峰床山

★京都駅前からのバスは C3のりば 8:55 発です
京都駅前から戸寺バス停間の運賃は540円です。

以上をイメージをして資料室の地図を予習していただけたら、きっと楽しい山行になること間違いなしですね。
 
●5月26日「姫のおうち」への1日間のアクセス数が初めて100人を突破しました。カウント大好きの姫に取っては喜ばしい限りです。ご愛読感謝申し上げます。


[2466] 【2541回 悲しい野辺の送り】 2011-05-26 (Thu)

通夜に続き告別式も受付を手伝うこととなりました。出棺前のお別れには、参列者ほぼ全員が、棺に花を手向けました。親族を代表して中学3年生の男の子がマイクを握り「今日はお母さんのお別れに来てくれてありがとうございました」と挨拶をし、参列者の涙を誘いました。自宅に戻ってからも何をする気にもなれず珍しくゴロゴロとしてしまい1日が過ぎてしまいました。

明日はまた元気回復すると思います。


[2465] 【2540回 悲しい別れ】 2011-05-25 (Wed)

昨夜、突然の訃報が届きました。享年44歳・・・あまりにも若い!若すぎる!自らの生命を断ち、残された4人の子供達は悲しみのあまり涙も出ない。悲しすぎるときっと、涙が出てこないのですね。金曜日に苦しい胸のうちを相談受けていながらの月曜日の話し・・・たった3日間しか経っていない・・・・。子供達の将来を人一倍、気にしていたのに、一瞬の気の迷いに負けたんだろうか。子供と一緒に強く生きると笑っていたのに・・・つらすぎる。

病気で、手厚い看病を受けての旅立ちと違い、想像もしなかった出来事に周りは声もでず。ほほえみさえ浮かべている故人に「力になれずにごめん」と手を合わせる。躁鬱病で医師にかかっていたものの気丈に自分の店を切り盛りしていたのに・・・・つらい、つらすぎる。残された子供達はこれからどうやって生きて行くのだろうか・・・心からご冥福を祈らずにはいられません。

病気と闘い必死で健康を取り戻そうとしている高齢者が1名(65歳からは中高年ではなく高齢者だって)、胃カメラの結果を聞きに行きました。結果は癌の疑いはなく良性の胃潰瘍、しかしピロリ菌付き。鉄分の薬とビタミンCの薬をもらい1ケ月間はおとなしく療養生活に入いることとなりました。薬と食事で失った2gの血液を取り戻すには、最低1ケ月が必要だそうです。再び、胃カメラ検査をして、結果がよければ軽い登山から「解禁」となるのだそうです。


★ピロリ菌とは

胃潰瘍の原因で、胃癌の犯人説も出ています。長さ約3ミクロンのらせん形菌。ヘリコバクター・ピロリともいう。「ヘリコ」はらせん形、「バクター」は棒状、「ピロリ」は胃の出口の幽門をさす。数本のべん毛で運動する。強酸性の胃に細菌はいないとの定説を破り、1984年、オーストラリアの2人の研究者、ウォーレンとマーシャルがこの菌を胃から取り出して培養、自ら飲んで胃炎がおきることを証明した。この菌は自分でアンモニアをつくって中和し、環境をととのえる。

胃潰瘍、十二指腸潰瘍の一因であることは確実だが、ピロリ菌の感染率が高い地域では胃癌が多く、感染者は胃癌になる率が6倍も高い(資料による)


[2464] 【2539回 22日のレポート早くもアップ】 2011-05-24 (Tue)

22日のレポートはリーダーへの報告も兼ねて、その日のうちに完成し、リーダーに送信しました。レポートを見れば、天候や休憩場所、所要時間などがよくわかり安心してもらえて、その上、質問する手間が省けると思い早急に処置をしました。火曜日にはオリオンさんから写真のメディアを郵送していただきましたので、朝から夕方までかかり、ジョンハウスにて、ああでもないこうでもないと議論を重ねながら、楽しいレポートを完成さすことができました。

レポートの感想などを「みんなの広場」に書き込んでもらえるとジョンの回復も早いと思いますが・・・

雨にもめげず参加者の皆様の笑顔が石楠花よりも素敵でしょ?(石楠花は散るけど、わたしたちは散らないものね!)私のホームページの表紙の写真も模様替えしました。遺影にも使えそうでしょ?お気に入りの1枚です!(ハハハちょっと石楠花が多すぎるってか?「木の葉を隠すには森」ではないけど姫の荒を隠すには石楠花か?!)

雨の日の教訓のひとつに筆記用具は油性ペンに限ります。
ブログの写真を見て下さい。雨で地図がボロボロなんです。それは良いとして、到着時間を書き込んだら、み〜んな雨でぼやけちゃったんです。だって水性ペンですからね。今後は油性ペンを使用したいと思います。あとは手袋問題の解決やね。梅雨に入れば雨の登山も多くなると思うので工夫をしなくてはと思っています。





[2463] 【2538回 心穏やかに雨を受け入れて】 2011-05-23 (Mon)

自宅で今日の雨を穏やかに受け入れています。昨日の比良駅近くの田圃で働く農家の人達にとっては「恵みの雨」に違いありません。モリアオガエルのたまご達にとっても、恵みの雨に違いありません。私達登山者やハイカー達にとって嫌がる雨であっても自然を受け入れなければなれません。

そう言いつつも、まぁ昨日の雨のひどかったこと・・・
強い風の音と吹きなぶる雨の、あのいや〜な感触は、ついつい「雨は嫌」と思ってしまうのです。しかし熱中症対策には、ほどほどの雨は歓迎したいですね。琵琶湖バレイから堂満岳への道中では、台風もどきでした。参加者のみなさんの感想をまとめてみましたが、みんな強い雨で始まり、美しい石楠花で終わっています(笑)

さてさて雨の日の手袋対策ですが、雨用の手袋をしていても脱いだり、はめたりすると濡れてしまっています。私は午後は手袋を交換しましたが夏の雨でも手は冷たくなってしまいます。ましてやアルプスなどでは手袋は必需品です。みなさんは雨の手袋対策はどうしていらっしゃいますか?掃除用のゴム手袋も試みてみましたがお勧めするほどではありません。

絶対に濡れないと言う手袋があったら教えてくださいませんか?


[2462] 【2537回 親ガモはいなくても・・・】 2011-05-22 (Sun)

日本全国「雨」という予報の中、琵琶湖バレイ山麓駅に降り立った瞬間、シャワーの様な雨の洗礼を受けました。おまけに「雷注意報」の張り紙がしてありロープウエイは動いているもののリフトは休止。山頂駅に到着すると風も強く、一時はどうなることかと思いましたが、昼前には太陽が顔を出し雨上がりの琵琶湖の美しかったこと!おまけに石楠花が満開!雨で散った花びらが登山道に敷き詰められていて感動しきりでした。来週は、もう花はないよ〜!散ってるよ〜!

今日は親ガモジョンは病気療養のため欠席。子ガモ達に「道を間違わないでおこうね」「道標を見つけたら地図をだして確認しようね」と団結し怪我なく事故なく、おまけに地図に書いてあった標準タイムで比良駅にゴールできましたよ。

ロープウエイのお姉さんに「雷注意」を何度も念を押され、おまけに昨日は、骨折事故があったと脅され、万一の場合は堂満岳に行かず金糞峠に回避すると地図やGPSを見せ、やっとキャンプ場入り口への施錠をあけてもらいました。

キャンプ場を抜けるまでの台風の様な風雨に「引き返すべきか?」と悩みましたが日頃のおこないが良いのか昼前には太陽のおでましだ〜い。石楠花満開!えかった!えかった!親ガモジョンには比良駅で「無事下山」の報告を入れました。


[2461] 【2536回 見たで〜!見てきたで〜!】 2011-05-21 (Sat)

「また山においでよ!」このセリフで上映前からの話題作として5月6日から封切りされた映画「岳」、本当は封切りと同時に行きたかったのですが、やっと20日の金曜日に行ってきました。「シニア3名下さい。あっ証明書がいりますよね」と免許証を出そうとすると「結構ですよ」と、いとも簡単に千円の割引券3枚を発行してくれました。(証明書がなくても顔を見ればシニアとわかるのか〜?)

見終わって「剣岳・点の記」ほどに感動が残ってなく所々、気になるシーンがありましたが、映画だからと肩の力を抜いて、大きなスクリーンを楽しむことにしました。しかし雪山でアイゼンに雪玉がつくからと、アイゼンはずして滑落事故に遭う場面では思わず「何であんなとこでアイゼン外すんや!」と思わず声に出そうになりました。見覚えのある奥穂、ジャンダルム、ゴジラの背がスクリーンに出た時は身を乗り出して楽しむことができました。

★島崎三歩は、山の楽しさ、山の厳しさ、山の美しさを知り、山に残してはいけないものは「ゴミと生命」だと力説する山岳救助ボランティア。マンガで見た時の感動はあまり伝わってこないのは配役にもあるかなぁ。登山者の無謀な行動で救助に向かっても責めたりせずに「よく頑張ったね」と労わりの言葉をかける島崎三歩、いい男ですねぇ。まだ鑑賞前の人がいるので映画の話はここらへんで・・・

話は変わりますが、比良山縦走@で通過した蓬莱山の頂上より南方へ約200m下ったところに、比良山中最も高いところに位置する小女郎ヶ池があります。この池には、次のような伝説が伝わるという資料を見つけました。

●小女郎ヶ池伝説(山田芳夫著 「葛川」より)

昔、坂下に仲の良い夫婦が住んでいた。二人は睦まじく野良や山で働いていた。二人の間には男の子もできて幸せな生活を送っていた。そして、ある夏の日のことであった。 女は田へ肥料に入れる草を刈りに山へ出かけた。夏の炎天に働くことはつらい。汗は全身に流れ出て喉が渇くので、一休みしようととして近くの谷にでた。透き通るような清水を汲み、思う存分、飲んだ。汗ばんだ身体を清水で洗い、やっと人心地に返って切り株に腰をおろした。そして、ふと、谷川の向こうを見ると、大きな杉の木陰に大きな蛇がトグロを巻いている。 女は、この蛇を見て、話しかけるように独り言をいった。「おまえさんは、のんきだね。少しも仕事をせず、こんな涼しいところでいつも昼寝をしていられるのだから。羨ましいね。」女はため息ををついてそこを去り、刈った草を背負って家路についた。 ところが翌日から女は、夜中になると、こっそり家を抜け出すようになった。夜泣きする乳飲み子の声に目を覚ました夫は、妻のいないことを知り、ある夜、妻の行く後をつけた。女は、何者かに憑かれたように、草木を踏み分けて山を登り、池畔にたどりつき、蛇と戯れた。 これを見た夫は駆け寄って妻にいろいろ話しかけたが、女はあちら、こちらと逃げ回る。とうとうイバラで目を突いて片目となり、女はそのまま池の中へ身を投げた。夫は池に向かって何回も妻を呼んだが、女は浮かび上がってこなかった。 女の名は小女郎といい、この池の主となった。それからは、この池に棲むカエルやイモリは皆、片目だと言い伝えられている。


[2460] 【2535回 街頭キャンペーン】 2011-05-20 (Fri)

19日午前8時、春の全国交通安全運動の一環である「街頭キャンペーン」に出かけてきました。元気に通学する小学生を見送り、朝ご飯代わりにコンビニに入るサラリーマンを見送り、啓発用のチィッシュに見向きもしないで通り過ぎて行く人を見送り・・・と朝の模様色々でした。朝は、はつらつとして出かけていると思っていたのですがみなさん疲れてる〜?

もと勤めていた会社の後輩達も通勤時間となり何人かの人に挨拶を交わしました。「みんな現役なんやぁ。羨ましい〜」と、もう働く気はないのに、今更ながら退職して早3年目に突入したことを実感しました。(それにしても口ひげは就業規則で禁止していたはずなのに・・・・ヒゲ社員いたよ〜鬼がいなくなって緩くなったか?)

千鳥橋駅に有料自転車置き場が設置されており驚きました。千鳥橋駅は此花の玄関口です。これで少しは放置自転車が少なくなるでしょうか。それにしても歩道を走る自転車のスピードは早すぎませんか!って言いたくなります。急いでいるのは充分わかります。でも人や自転車が接触でもしたら、大変ですよ。

街頭キャンペーンが終わり自宅に帰る途中、千鳥橋を渡る短い信号があります。推進委員の制服を脱がずにいると、みんな信号を守ってくれました。(多分いつもは赤信号をまっしぐらだと思いますよ)制服姿の警察官が交差点に立っているだけで交通安全対策に繋がるんですね。

交通安全期間中だけでなく土日を除く、ほぼ毎日、街頭に立ち子供達の登下校をサポートして下さっている老人会の「見守り隊」のみなさまに心から「ごくろうさま」って申し上げたいと思います。

そして午後3時からは研修会&総会があり出かけてきました。新任の観察官の研修が終わり「何かご意見はありませんか?何でもおっしゃって下さい」との新任観察官の上司がおっしゃるので「講義内容は90点、マイナス10点の原因は早口を直す、話し方が1本調子なのでメリハリをつけると100点です」と言うと会場から大きな拍手が沸きました。1本調子の話し方は午後の講義では子守歌になってしまいます。その証拠に、前列にもかかわらず何人もコックリコックリしていました。懇親会で新任観察官がそばに来て「貴重なご意見ありがとうございました」と言っていました。いままで群馬県で勤務していて、登山が趣味で谷川岳に登ったこと、妙義山は岩場のため登攀できなかったことなど共通の話題があり場が和みました。次回の研修会では、きっと彼は100点取れるね。きっと!


[2459] 【2534回 大峯での災難】 2011-05-19 (Thu)

●久しぶり〜名が出ないまま じゃあまたね〜
●何になる? 子供の答えは 正社員
●指なめて ページをめくる アイパット
●そびえ立つ 妻は我が家の スカイツリー

これは今年のサラリーマン川柳の入選作品だそうです。子供達の夢がだんだん小さくなったこと、高齢社会をうまく表現していますよね。

大峯・奥駈道のレポート「もう読んだよ」とおっしゃる方もいるかと思います。長編にもかかわらず、ご愛読ありがとうございます。「bW・5月7日」をもう一度読み返してください。最後に追加項目があります(笑)

★「大峯で姫が災難」
という見出しで「bW」の最後にタカサゴキララマダニ編を追加しました。18日形成外科を受診し保健所の結果を報告し、治療を終えました。後は赤みがなくなるまで軟膏を塗れば完治と言うことです。「念のため」と言う前置きで「山に入るときは帽子をかぶるように」と看護師さんに言われましたが、(かぶってるちゅうねん!)大峯・奥駈道は写真を見ていただいてもわかるように8日間ヘルメットは被っていました。

ヘルメットを脱いだのはテントの中と避難小屋の中だけでした。テントの中には侵入は不可能だと思うので避難小屋で噛みつかれたのだと思います。皆様も避難小屋を利用するときは、くれぐれもご注意下さい。小屋によっては毛布などがありますが、持参した寝袋が安全です。それでもどうしても寒さが、とまらないときは、直接肌につかないように工夫する必要がありそうです。(寝る場所は隅っこよりは真ん中がいいですね)

★「大峯でジョンが災難」
これはダニ虫を取り外したから解決といった問題ではなく、今後しばらく治療が必要になってきます。胃カメラによると「今までも胃潰瘍を繰り返しながら治癒した形跡があります」との医師の説明でした。

そう言えば・・・・と昔に思いあたることがある様子で、キリキリと胃が痛むので医者に行きバリューム検査をしたが、異常がなかったことが2度ほどあるとのことでした。(胃カメラは65歳にして初体験)

今回の様に胃潰瘍を大事に持ち続けていた場合、ストレスや疲労などが重なると急激に出血する場合があるそうです。大峯では、大便に血が混じっていたと本人が言いますので下血は間違いないと思います。失った血液を取り戻すまでは安静にし、楽観はよくないと思っています。

大嫌いなレバー類(特に豚肉レバー)を、薬だと思って食べ、海草類、アサリ、シジミ、丸干し、煎茶、紅茶、納豆
など鉄分の多い食品を多く摂取することで増血の手助けになると思います。私も定期的に高血圧の治療を受けていて、血液検査で貧血が確認されていましたが医師は、女性特有の月経による貧血と判断し、増血剤の薬を投与していました。その後、子宮筋腫で緊急手術となったとき、貧血の原因をもっと詳しく調べていたらと後悔しています。組織検査の結果を待って増血剤が投与されるらしいですが、薬だけに頼らず毎回の食事で、少しづづ増血のための工夫をするといいですね。お大事に!

では今から「春の交通安全街頭キャンペーン」にいってきま〜す。


[2458] 【2533回 大峯・奥駈道のレポートの完成】 2011-05-18 (Wed)

大峯・奥駈道の道中で出会った皆様にヘルメットに書き込んだホームページアドレスを控えてもらった手前「何としても今週中には大峯・奥駈道のレポートを完成したいね」を合い言葉に、毎日頑張ってきました。その成果もあり帰阪から10日足らずで完成にたどり着きました。快挙です(自分で褒めるか〜!)

まず写真をコンピューターに取り込みます。日にち別にファイルを作り、その中から文章と一致している写真を取り出します。文章に触れてなくても写真から文章を作成したりしていきます。写真のサイズも色々変化に富んで載せようとすると大変な労力となります。誤字脱字、タイムスケジュールなどをチェックし1日分作成するのに、ほぼ1日かかります。
午後からの作業は睡魔との闘いで、コックリコックリ始まると鉛筆で突っつきながら作業を進めていきます。おかげさまでアクセス数が毎日90人ほど来てくれています。

文章だけでは退屈で、なかなか隅々まで読んでもらうことは不可能です。写真を入れることによってリアルさが増し、一度歩いた人は「あ〜あんなとこ通過したなぁ」とか、今から行こうとする人は「気合いがいるなぁ」などとわかってもらえそうですよね。

兵庫県三田の山「羽束山」登山も低山とは言え、岩場があることが写真を見てわかっていただけると思います。オリオンさんの、きめ細かい記録写真が、私のつたない文章を飾ってもらえ、参加された方達には「そう、そう、そうだったわ」とか「花の名前ちゃうで〜」とか反応を頂けています。

疲れて帰って「あ〜またレポートかぁ」と思うと、おっくうになりますが「今日の感動を忘れないうちに文字にしておこう」と思うことで「おっくうから楽しみ」に変わり頭の体操になります。メールが流行の先端となった現在、なかなか手紙や文章を書く機会が減りましたが、手紙も文章も、メール同様、廃れないでほしいですね。

★レポートが仕上がりましたので、これで「岳」の映画行けそうです!ずっと、ずっと楽しみにしていたんです!★


[2457] 【2532回 大峯・奥駈道のみやげ】 2011-05-17 (Tue)

「大峯・奥駈道」から戻って、すでに10日が経ちました。戻った翌日は比良縦走に出かけているのですから自分でも驚きです。しかし日が経つに連れ、レポート作成の写真を見るにつれ、大変な道であったことがわかります。私達は記録用写真を撮ることも目的のひとつのため、歩きながらも後退したり立ち止まったりと標準時間より多くかかるのは当たり前だなと、つくづく思っちゃいます。

大峯・奥駈道の置きみやげと言わんばかりに姫は「タカサゴキララマダニ」を連れて帰り病院に行く羽目になりました。ジョンにおいては山行中の胃痛がひどくなり14日の羽束山ではサポート無しでは歩くことが出来ませんでした。ついに16日には胃カメラを飲む羽目になってしまったのです。これも試練なのでしょうか?

「いのりの道」と決め歩き終えましたが、もう一度でかけて見るかと聞かれれば「サポートはするけれど・・・」とお互いが、今現在であれば丁重に断るのではないでしょうか。と羽束山登山時に谷を流れる水の流れに出合いました。この水が大峯にあれば、もっと楽に歩けたのにと水に敏感に反応している自分がいます。よっぽど谷底までおりて渇水していた時のことがショックだったんでしょうね。ジョンとて、寝言で水汲みの夢にうなされるほどでした。

トイレに入るとき、最初に空水を流していましたが勿体ないのでやめました。気になるならば「音姫」を装着すればいいのです。庭の水まきも必要最小限にしました。風呂の水は翌日のふき掃除に使います。これらの事は「いのりの道」の教訓だと思っています。


[2456] 【2531回 我が家は今日から黒ビール】 2011-05-16 (Mon)

「泡が出たら何でもエエ」そんな、こだわりのない飲み方をしてきましたが、日曜日にビール工場の見学に行き、その考えはかわりました。これが一般人を受け入れる「工場見学」の成果だと思います。誠意をこめて自社製品を説明する担当者が試飲の席にも同席してくれて「缶ビールの美味しい入れ方」を教えてくれました。

「おっとっと〜」とグラスを傾け、少しでも多くビールをついで貰おうとしていたポチでしたが、工場見学以来「今日からこのグラスにするわ」と大きめのグラスを持ち出してきました。  美味しい缶ビールのつぎ方

@大きめのグラスを用意する
Aコップのかなり上の方から勢いよく半分だけ注ぐ
B泡とビールが半分、半分の比率になるまで「待つ」
C半分の比率になったら、もう一度真ん中めがけて注ぐ
Dその後、泡がグラスの口からこぼれるほどに注ぐ

この3回に分けて注ぐことが美味しく飲む方法だそうです。みなさまも早速試してみてください。今まで風呂上がりなどは、缶から直接飲むこともありましたが、工場見学以来それはやめました。だって・・・あの注ぎ方に感動したんですものねぇ!

今から暑くなってくるとビールがかかせません。何と言ってもシュワーッと喉元を過ぎる時の心地よさは私でもわかります。ならば銘柄を決めて、それも「黒ビール」と決めました。単純でしょ?工場見学の時のあのなめらかであっという間にグラスが空にかった心地よさ、美味しさ忘れられませんね。でもね、試飲のビールにも税金払っているんですって。

「ゾウサンモスキダケド、キリンサンもスキデス」と言う引っ越し会社のコマーシャルがありましたが私もキリンサンが好きになりました。驚いたのはビールのつぎ方、味だけではありませんよ。製造ラインは全て自動化されており機械にスイッチが入ったら全て無人で1分間に何千個と言う缶ビールを製造している様子を見ることができました。


[2455] 【2530回 羽束山とビール工場】 2011-05-15 (Sun)

登山を目的とした我が倶楽部がはじめて「ビール工場見学」を兼ねた例会を実施しました。飲むことが目的ではありませんが・・・やっぱり飲むことが目的だったんですね。ハハハ

三田駅に降りて慌てました。バス時刻が変更になっていて8時20分発のバスが9時20分までバスがないのです。ここで1時間も待つなんて勿体ないと言うことになりタクシー3台に分乗して羽束山登山口に向かいました。

羽束山は、標高わずか524メートルの山なんですが岩場あり、急登りあり、ロープありの変化に富んだ楽しい山でした。季節限定イタドリ姫作のイタドリもお昼に食べて頂き、美味しいって言っていただき嬉しかったですよ。あっそうそう今日は「ヒカルゲンジさん」と「ハヤタ君」の初参加もありましたね。また来て下さいね。

羽束山から下山し、バス停までしばらくアスファルトを歩くのですが、「アスファルトは足に悪いっ!」つらかったね。バスの発車時刻はオリオンさんが調べてくれてて急ぎ足で12時56分初のバスに12時56分に到着して慌てたね。何とか、みんな間に合って三田の駅まで帰り、キリンビールの形をしたシャトルバスに乗り換え、工場見学に行きました。生産ラインは止まっていましたがビデオでビールの出来るまでを勉強しました。最初は「説明いらんから早よぅ〜ビール出して〜!」と思っていましたが色々知らないこと教えてもらえて良かったです。

できたての黒ビール美味しかった〜!
3杯飲んでみんなご機嫌でシャトルバスで帰ってきました。


[2454] 【2529回 タカサゴキララマダニ】 2011-05-13 (Fri)

「タカサゴキララマダニ」は山林に生息し標準の体長は6〜7ミリ、人の血を吸いながら成長していきます。「キララ」なんてかわいい名前がついていますが「ダニ」には違い有りません。

遡ること4月30日から5月7日の間、どこの避難小屋で付着したのか不明ですが気が付いたのはゴール寸前だったと思います。
「何か頭のココが変ややねん。ちょっと見てくれへん?」そうジョンに頼み後頭部を指さしました。何か血の塊がある様に思えていたのです。
「どれどれ〜。はは〜ん血の塊がぶらさがってるぞ」
「取ってえなぁ」
「あかん医者に行った方がええぞ」
「痛くもないけど13日に血圧の診察があるからその時にするわ」
と、そんな会話をして1週間が過ぎようとした13日の金曜日、内科の診察を終えて医師に頭部を診てもらいました。

「ちょっと形成外科へ電話をして」と看護師に指示をして午後の診察外だけれども見てやってほしいと頼んでくれました。

形成外科待合室で名前を呼ばれ「どうしましたか?」と聞かれたので頭部を見せました。医師がピンセットで患部をさわっており「何やこれ〜蜘蛛みたいやなぁ!頭皮にしっかり食い込んで離れようとしないなぁ!何やこれっ!動いとる!」
こんな患者初めてだと言わんばかりに医師が慌て「とにかくベットに横になって」と言いながら看護師に麻酔をすると言い出しました。
「先生どうなってるんですか?私8日間も山の中を歩いていたのですが!」
「20年間形成外科にいるけど初めてや、カメラ、カメラ」医師はカメラを用意し麻酔をかけ頭皮に食い込んでいる生物を取ろうとするのですがてごわい様子で時間ばかりかかっています。「足が8本ちぎらないように離さないとね」

やっと取れた様子で私も早く見たいので起きようとすると「止血できてないからしばらく動かないで」と言いながら
看護師に保健所に電話をして調査依頼をするように指示をしています。えらいことになったもんやなぁ・・・
止血処置も終わりビーカーに入っている生物を見せてもらいました。足が8本前後左右に元気に動いています。ひゃあ〜!驚き!
   (ブログに掲載しました)

シャンプーをしても櫛で髪をとかしても落ちることなく、血をすいながら標準の倍ほどに成長していました。小さな梅干しみたいです。保健所に持ち込み調査結果を連絡してもらうことにしました。「タカサゴキララマダニ」と言うダニの一種で山林に生息し人体に寄生して成長しますが毒性はないとのことでした。

大峯・奥駈道のとんだ副産物に笑ってごまかすしかありません。ワッハッハッハッ!でした。


[2453] 【2528回 山の食事と行動食】 2011-05-13 (Fri)

「連泊の山旅の食事&行動食」

7泊8日という長い山行で感じたことなんですが、今後の課題として、私達の苦い経験を皆様へお伝えすることによって快適な山旅をしていただきたいと思います。私達も決して無茶な食材計画をしたわけではありません。予備日も入れて充分な量は持ちました。ご飯系8日分、おかず系8日分、行動食8日分とまとめて分担しました。この分担方法が間違いだったんです。体力のある最初の日程あたりは、あれもこれもと全体を考えずに選んでいた様に思います(今思うとですが)

今後は、食事はきちんと1日分をパックに入れて8日分、行動食も1日分をきちんとパックし8日分を分けておかないと今回の私達の様に最終日に近くなると「アレッ?アレッ?心細いよ〜!」って事になるのです。震災によりアルファ米が品切れだったことから始まって、今回は食料と水で悩み続けることとなりました。水は8日分も持ち歩けるはずがありませんので、資料を熟読し「水情報」を把握しておかなければ死に至る場合もあります。「渇水に注意」と書いてある場所は渇水していると思わなければなりません。私達は「お助け水・歩いて10分」の看板に飛びつき、リュックを登山道に置き、谷底に降りていきました。急な谷間を30分は降りたと思います。しかし水場は乾燥していて昨日・今日の渇水ではありませんでした。登り返すのに落胆疲労も加わり、50分もかかりました。これならば「お助け水」に目もくれずに熊野本宮にむけて歩いていればゴールが近かったはずです。

私は2日目に谷の水を飲んだからか腹痛をおこしかけました。早い目に正露丸を服用し、あとは谷の水にお腹が慣れてくるのを待ちました。だって子供の頃は川の水を平気で飲んでいたのですから、元来そんなひ弱な腹ではないはずなんです。登山中の下痢はつらいものです。幸い下痢にまで至らずにすみました。(ホッ)

リュックが重くてもフルーツのパック詰めは絶対欲しいです。甘い物、おかきの様な辛い物、スッとするレモン味の飴
などをバランスよく持ちたいです。

大峯・奥駈道は飲み水が少なくて済む春先が(あるいは秋口)いいように思います。夏場だと水分補給が今回の倍はいるでしょう。春先でさえ渇水だと言うのに、夏場はどうなるのでしょうか。担いで登るには限界があります。万が一の時春先だと残雪を掘り、きれいな部分だけ鍋にいれ沸騰させば飲み水になります。その雪も、もうすぐ溶けて石楠花の美しい初夏を迎えるのでしょう。


[2452] 【2527回 ふたたび舞台の上で】 2011-05-12 (Thu)

5月11日から「春の全国交通安全運動」がはじまりました。期間中だけでなく毎日毎日が交通事故に注意をいなければなりません。毎年4月11日からスタートするのですが今年は統一地方選挙の関係で1ケ月遅れとなりました。

近畿大会で優勝した私達の高齢者向けの交通安全活動の寸劇が区役所サイドの要請を受けて、決起大会で披露することとなりました。雪の結晶の舞台道具が使えませんので、ペンキで新緑に塗り替え、小鳥を枝に止まらせ、登山の途中で拾ったマツボックリや杉の枝などをリアルに取り付けました。(ブログに一部掲載しました)

あとはセリフを噛まないこと・・・です。(2月から空白が長いよなぁ〜)でも二人の息はピッタリで笑顔で舞台に立つことができました。

此花区の議員さん、各団体挨拶を終え、いよいよ私達の出番です。前日小道具のチェックを兼ねて2回ほど練習を重ねましたので大丈夫と自分に言い聞かせ舞台にたちました。今日は審査員も時間制限もありませんので、のびのびと演じることができました。此花バージョンのため観客の皆様の受けも大きく、拍手や笑いも頂き大満足でした。観客の皆様の反応を見ながら適材適所アドリブも入れて演じる方もとても楽しく幕を降ろすことが出来ました。

大きな舞台は7月にもう一度森ノ宮であるそうです。小道具もすこし痛んできましたが少し修繕して、マツボックリもこのままで使いたいです。区役所の係員によると「妙にリアルで良い」そうです。歩く途中マツボックリや枯れ枝を拾ってきてよかったよね。他のバージョン(子供向け)はないのかと尋ねられましたがトンデモナイヨ!デキナイヨ!

私達を優勝にまで導いて下さった、現在は此花を離れ本部勤務の課長にも春バージョンのマツボックリ付きの木々を撮影しメールしました。「会場に行きたかった!」とすぐ返信をいただきました。課長はいま、単身赴任で本部に出張していると考え、今後も報告をしたいと思っています(課長はコンクールでの「かも知れない」のカモパパなのです)

此花署に行ってみて下さい。近畿大会優勝記念にみんなで産み出した、かわいいカモちゃんが玄関ホールで皆さんを迎えてくれるはずです。心が癒されますよ。

カモパパは本部に移動はしたものの、コンクールに関しての話題は、いつも一緒だと言うことを忘れないでおこうと思っています。


[2451] 【2526回 春の全国交通安全運動はじまったよ】 2011-05-11 (Wed)

5月11日から5月20日の10日間「全国春の交通安全運動」がはじまりました。例年は4月に始まるのですが選挙の関係で5月となりました。

全国のスローガンは
●子どもと高齢者の交通事故防止
●自転車の安全利用の推進
●全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
●飲酒運転の根絶

大阪スローガン
●貨物車、二輪車の交通事故防止

特に此花区では自転車による事故が激増しています。マナーを守って、正しい乗り方をするようお互いが声をかけあいましょうね。

5月11日午後2時から此花区民ホール(梅香殿ではありません)において決起集会が行われます。その時、近畿大会で優勝した時の寸劇の披露もあります。一人でも多くの高齢者の皆様に「車は来ないだろう」がいかに危険であるか、「車が来るかも知れない」がいかに事故を未然に防ぐかを此花警察府警さんと熱演致します。昨日久々の練習をして、意気もピッタリでした。頑張ってきます!

●しっかりと ルール守って 事故防止
●目的地「早く着く」より「ぶじに着く」

子供達の無茶な自転車乗りを見つけたら、大人として注意してあげて下さいね。それよりも先に、赤信号を平気で渡る大人から襟を正さなくっちゃあね。子供は見てますよ。



[2450] 【2525回 登山中のゴミ】 2011-05-10 (Tue)

7泊8日と言う長い日程の山行の場合、日を追う毎にゴミが増えていきます。出発前に買い物をした段階で、過剰包装な品物は剥いて、かさばるビニールはスーパーにあるロール状のビニールに換えてなど工夫に工夫を重ねていてもゴミはだんだん増えていきます。私はリュックの中に入れると汁がこぼれたり、臭いがしたりするのでリュックの外に百均で購入した自転車のゴム製網を使って持ち歩きました。

できればゴミが出た時に更に分別し、重ねられるものは重ね小さく潰せる物は潰し(1日のゴミはアルファ米の袋1個に納めるのが基準だそうです)

「食料なくなり ゴミ増える 工夫が足らんと ぼやいてばかり」 

蜜柑も持ちたい、バナナも、リンゴも、缶詰も・・・でもでも、ゴミの事を考えると「まっいいかぁ」と持たずに出発。これが最後まで尾を引きシャリバテの原因となりました。食材選びはまだまだ勉強が必要だと痛感しています。


[2449] 【2524回 あとかたづけ】 2011-05-09 (Mon)

大峯・奥駈道で使用した荷物の整理もつかないまま、日曜日の比良縦走第一回目に参加することとなりました。比良行きの列車の中で、ねこちゃんから「ただいまって言う姫さんの書き込みがなかったから心配してたよ」そんなやさしい言葉をかけてもらいました。あらためて「ただいま!」です。

大峯・奥駈道のレポートは、後日思い出しながら時間がかかりますがみなさんにご覧頂けるように頑張ります。8日間も履き続けた登山靴は熊野川をジャプジャブと歩いたため中も洗剤を入れて洗うことにしました。合羽やスパッツ、ザックカバーなどは風呂場にお湯を入れ洗剤をいれて丁寧に洗いました。リュックからもドロドロの汚れ水と木の葉が沢山出てきます。洗ってもすすいでもまだまだ綺麗になりません。8日間の苦闘がよみがえってきます。今朝はテントを洗うためパンツ1枚になり風呂場で悪戦苦闘しました。

寒さから身を守り、雨から身を守ってくれた大切なテントに感謝の気持ちを込めて洗っていると次はいつ使用するのかなと更なる夢も見れる様になりました。ジョンは今回の山行で4s痩せたそうですが、私はそれほどでもないみたいです
(皮下脂肪多いしね〜)

とにかく使用・未使用に関係なく持ち出した道具は全て手入れをしておきました。使わなかった道具は「アイゼン」だけでした。

●色々な思い出話はレポートとは別にまたここに少しづつ書いて行きたいと思います。


[2448] 【2523回 た・だ・い・ま】 2011-05-08 (Sun)

4月30日に出発し山中泊7泊8日で「大峯・奥駈道」を無事帰還いたしました。「無事帰還」と言う言葉がピッタリ当てはまる、そんな過酷な連続でした。一歩足を踏み外すと命の保証がない場面ばかりを乗り切り、山中で出会った多くの方達の善意にすがり、熊野川の川底の冷たさにゴールの感動を味わいました。

道中たくさんの方達にお世話になりました。ありがとうございました。紀行文はまとめまして、みなさまと一緒に写した写真とともにご覧頂けます日が一日も早く参りますように頑張る所存です。

「大峯・奥駈道」を、今後実行される方がいらっしゃることと思います。我々が体験した「水場の悩み」「食料の悩み」などが参考になればと思っていままとめているところです。

「大峯・奥駈道」は、やはり修行の場と言うのが一番ふさわしいと思います。


[2447] 【2522回 季節限定イタドリ姫・幕を降ろす】 2011-04-29 (Fri)

4月中旬から「季節限定イタドリ姫」を空高く掲げて過ごしてまいりましたが、既に鯉のぼりがあがる季節となり「季節限定イタドリ姫」の幕を降ろすことにしました。今年は思うようにイタドリ採りを楽しむことができませんでした。残念です!

そんな4月29日、翌日から大峯・奥駈道に出発すると言うのに、姪っ子達を引き連れて(私が連れられているかも)イタドリを採りにいきました。名塩でも少し採りましたが満足の行く量ではありませんでした。幼い日に、2本しかない私の腕を奪い合いした3人の姪っ子達の子供も、いまや大学生や高校生となっています。我が家の孫達は広島方面、九州方面に旅に出ていて欠席です。

具体的な場所は「○○峠」談山神社ではありません。途中まで車で行き駐車場で合流です。姪っ子達は我先に私の前を歩き、競争して採っていますが、その後を歩いても充分採れます。しかし採った形跡がありどうも先客があるようです。少し登ると、見るからに登山者とは出で立ちの違う2人組が前を歩いています。イタドリ採りの先客です。姪っ子達に先を行くように目配せをし「おはようございま〜す」とさりげなく挨拶を交わし、前に出ることができました。

「金剛の水」あたりを終着駅と決めお弁当を広げます。わいわいがやがやとイタドリの収穫はいまいちですが親睦を深めるには最適な場所の様です。「来年もこの時期に集まろうな〜」先客がいたことから午前10時の集合は、ちと遅いかもしれません。下りでもチャリ袋を片手に登ってくるおばちゃん軍団と出会いました。イタドリも市民権を得たのでしょうか。人気があるようです。

「みっちゃんのおばちゃん!どうやって見つけているの?」と姪っ子の息子が聞くので「枯れた親の木を探すと必ずと言っていいほどあるよ。小さいイタドリは次の人のために置いといてな!」これは私が作ったイタドリマナー(笑)です。子供の頃、「これは俺の見つけたイタドリやけん大きくなっても誰も採ったらいかんぜ」と言った腕白坊主の顔が浮かびます。

一刀水が生きていた頃は、いつもこの時期になると「いくぞ!」と有無を言わさず引き連れられたものです。イタドリを採るために伊賀上野まで出かけるのが定番でした。伊賀上野にはだまされて購入した土地があり、その土地を見に行くのも兼ねて行っておりました。

「今日が今年の最後やな」そんなことをいいながら3家族満足の行く量を採りました。「ついでにここで皮を剥いて帰ろう」ということになり河原で弁当を食べた後に、みんなで皮剥きも済ませ春の行事であるイタドリシーズンを終えました。みなさまもそれぞれ楽しんで採られたかと思います。雑草なれど、生で食べると、とても酸っぱくて、この季節だけ、お下げ髪の似合う頃の自分に戻ることができる故郷の味を冷凍室に閉じこめました。満足で〜す。!

「4月30日から5月7日まで姫のおうちはお休みです」


[2446] 【2521回 大掃除をして出発】 2011-04-28 (Thu)

旅をするときは、出かける前に念入りに掃除をしてから行く習慣にしています。留守にして誰もいなくてもホコリが積もっていることもしばしばあります。フトンカバーも洗い、痛いほどパリパリに糊をしました。そしてトイレ、風呂場などピカピカにして行きます。今日は掘り炬燵を分解してホコリをはたきました。まぁ〜随分と積もっていますこと!。ついでに堀炬燵を片づけて、夏のテーブルを出したいのですが、まだ今からコタツフトンをひっさげてコインランドリーへ走ります。昼からは行動食の準備と、なかなか多忙のため夏仕様の模様替えは大峯山から戻ってからということにしました。

以前なら、季節毎に模様替えをするのが趣味でしたが、近頃では無駄なことだと悟ったのでしょうか、模様替えが趣味だと言わなくなりました。夜中まで気の済むまで重たい家具はカーペットを下に敷き、引きづり廻していましたが最近では落ち着いています。って言うか体力が無くなってきたのかも知れません。(笑)

鬱病の治療のひとつに「環境の変化」があります。家の中にいても模様替えするだけで、環境の変化と同じ効果があります。むしゃくしゃしたらパアーッと家具を動かしてみてはいかがですか。案外、家具の裏側にはホコリが積もっています。大掃除も兼ねて一石二鳥!

私が留守の間に「30000回」が訪れそうです。みなさん留守中の管理をお願いします。只今「29768」1日間に同じ人が何度訪れてもカウント数は変動しないシステムにしています。(これは正確な訪問数をカウントするためです。)そして、見事30000回目の訪問をして下さった幸運な方はみんなの広場に「私が30000回達成者!」と名乗りをあげておいてください。そして「目安箱」にアドレスを書き込んでて下さいね。大峯奥駈道から戻りましたら、どなたに当たったか楽しみにしています。

どなたでも「姫のおうち」を訪問して下さる方全員に権利がありま〜す。勿論!私自身にも権利あり〜です(キャ!そのときのご褒美は誰が提供してくれるのかな?)


[2445] 【2520回 またまたお休み頂いちゃいます】 2011-04-27 (Wed)

かねてより企画を進めてきました「大峯・奥駈道」を、いよいよ4月30日から出かけることにしました。予備日もいれて「4月30日〜5月7日」まで行ってきます。5月8日は比良縦走@がスタートしますので必ず戻って参ります。すみませんが、その間は「姫のおうち」をお休みさせて下さい。

男性のみの参加者であれば、スンナリと吉野から山上が岳にまっしぐらのコースを進む事が出来ますが、私が「女の子?」ということもあり、まっしぐらとは行きませんが、4月30日吉野から出発し五番関まで行き、ここから山上が岳までは女人結界ルートのため(五番関〜山上が岳〜阿弥陀の森)、高原林道を2時間かけて杉の湯に向います。杉の湯から上谷まで移動し伯母谷手前でテン場を探し野宿です。

次の日からは、おおよそ8時間を目処に水のある場所を宿泊場所と決め、野宿(行者還り岳付近)、次なるは深山小屋、平治の宿、塔の谷峠、ゴール手前の大黒天神あたりで最終の野宿予定です。但し大峯山は雨の多いところで知られています。雨に遭う日がないとは考えられませんのでリュックの防水荷詰めもしっかりとして行きたいと思っています。もう部屋の中には、リュックに詰めればいいだけになっています。(写真ブログに掲載)まだこれらの中には食材は入っておりません。

アルファ米が店頭から消えているため食材に苦労をしています。きっとゴールデンウイーク明けには、入荷もスムーズに行われ、いらなくなった頃には店頭に山積みにされていることと思います。賞味期限が3年以上ありますので、今度店頭に並んだ時には、9月の「立山〜双六岳〜新穂高」行きのために、しっかりと在庫しておこうと思っています。


[2444] 【2519回 ハッピーバースディ!】 2011-04-26 (Tue)

今日は私の63歳の生誕の日です。高知県土佐中村市(現在の四万十市)で、母が45歳と言う高齢出産でこの世にデビュー(昔の寿命が60歳としたらかなりの高齢)私が小学校を卒業し中学に入学した7月にはポックリとあの世へ旅立ちました。キャンディーズのスーちゃんと同じ年だとしたら「まだまだ若い」ですよね。自慢じゃないけど親孝行は一度もしたことがありません。

私も母の血を引くとしたら「早死系統」だと思い、いましか出来ないことを精一杯し、誰にも遠慮気兼ねをしないで自由に生きて悔いのない一生を送りたいと思っています。私に残された「快適に登山の出来る寿命」は、そう長くはありません。と言うか師匠も体力低下するだろうし・・・とにかく元気なうちに日本国内を駆けめぐりたいです。(海外は食わず嫌いなれど、生涯海外に行くことはないと思う)

日々小さなことに怒ったり、悲しんだりしていますが、持ち前の「ハチキン精神」を貫き、くよくよせず賑やかに生きて行きたいと思っています。迫り来る老人痴呆や寝たきりになったら、ポチには介護をしてもらわず、とっとと施設に入れてもらい専門介護を受けたいと思います。家族で介護する苦労は姑で充分味わいました。やはり施設で過ごす方が介護する側も、介護される側も長続きできて楽の様に思います。

いまこんな強がりを言っていますが私の母が生きていて田舎で一人暮らしをし、高齢でも施設も嫌がり、大阪の娘の所へも行きたくないと言えば、私が田舎に帰り、自宅介護がどんなに大変だとしても、母と一緒に住むだろうなぁと思います。それが親子というものなのでしょう。それが親孝行と言うものなのでしょうか。

昭和23年、戦後の大変な時期に産まれ、ベビーブームと言われるほどに多くの子供が溢れ(大阪の中学校では48人学級が24クラスもありました)受験戦争、就職難と多くの荒波にもまれ、今はたくましく太く生きています。これが私の人生?

それがいまでは少子化となり小学校も1年生が、やっと1クラス編成の35人しかいないそうです。此花のある小学校は近い将来、統廃合の危機に迫られているそうです。




[2443] 【2518回 地図のトレース】 2011-04-24 (Sun)

「大峰山奥駈け道」の地図を昨日、今日と2日間かけて、やっとトレースを終えました。不用になったカレンダーの裏を使い市販の地図を書き写します。トレースし終えたら、まず「水場」を赤色で記入していきます。ポイントからポイントまでの所要時間も書き込み、キャンプ最適などの情報も書き込んで自分なりの地図を仕上げていきます。分岐などは道間違いしないように詳しく書き込んでおきます。市販の地図は老眼鏡がないと読めなくても、自分の書いた地図は肉眼で読める様に工夫をしておきます。「宿泊予定地」を明記しておけば頑張り具合も違ってきそうです。

完成して部屋に広げて見ると、なかなか満足の行く完成度です(自分で言うか〜!)「五番関」から「山上ケ岳」まで女人禁制区となっているため、吉野からの通しで登山をすることができないことも、よ〜くわかりました。女性でも女人禁制を犯して登山している人もいる様ですが、私はそうまでして歩こうとは思いません。男女平等論を唱えるつもりもありません。結界が解けて晴れて歩くことが出来た時、繋ごうと思っています。

それにしても全長150qとは「長い〜ね」崖も岩場もあるため熊野古道・小辺路のようなわけにはいかないこともトレースを終えて、よ〜くわかりました。水場は登山道から20分、30分歩いて汲みに行くことができることもわかりました。

こうして地図をトレースしてポイントを書き込む作業をすることで「付いてゆく登山」から、一歩前進した様な気がします。最終に近くなる頃の「如意宝珠岳」からゴールまでは全く水場がなく、重い水を背負ってのコースとなりそうです。熊野古道での教訓ですが市販の地図に「水場」と書いてあっても渇水もあるので、よく話し合ってから出発したいと思っています。


[2442] 【2517回 奥駈の道】 2011-04-23 (Sat)

熊野古道・小辺路を終え、次なるは「奥駈け道」を予定しており、毎日天気を気にしているところです。

登山用品店の店先にアルファ米がまだ並んでおらず、長距離を実施するにあたり、食材に苦慮し検討の余地がありますが、店の人の話だと東北地方にアルファ米の生産工場があり今回被害を受けて再開のメドが立たないという話でした。
(誰か10食ほどストックしている人はいないかなぁ。それも赤飯と白米)今の時期ならば気候が良いため水の問題が解消できるのではないかと思っています。

熊野古道での経験を活かして「お粥は水場のある場所で。昼は行動食で。」まずは吉野からスタートし、1泊2日で戻り、その後は最後まで通し熊野本宮を目指そうと思っています。賛同して一緒に歩いて下さる方、多いに歓迎します。

75の靡(なびき)を忠実に訪れたいと希望しています。75番の「柳の宿」74番「丈六山」、73番「吉野山」67番「山上岳」、3番「新宮」2番「那智山」そしてゴールは「本宮大社」。途中の小屋は「行者還小屋・弥山小屋・楊枝ノ宿小屋・深仙ノ小屋・行仙宿小屋」などを利用することができそうですが、たどり着かない場合もありテントを担いでの旅になりそうです。

共同装備は均等に持つ。水は必要g各自で持つ。単独行動はとらず連帯行動をとる等々を守りつつ熊野本宮に向けてたどりつけたら幸せに思います。

近所の方達が「今年はナスビ植えないの?」と聞きます。いつもトマトとナスビを植えるのですが今年は7月に「爺ケ岳・鹿島槍ケ岳・唐松岳」、9月には「立山〜双六岳〜新穂高」を予定していますのでナスビとトマトは植えないことにしました。だって隣の奥様に水やりの面倒をかけることになるでしょ、だからネ。


[2441] 【2516回 なさけな〜っ!】 2011-04-22 (Fri)

私は政治的な発言をするつもりは全くありません。それは、ここを訪れて下さる方達に色々な思想があり、色々な意見があるからです。しかし今日は、どうしても一言だけ言わして下さい。

原発の避難所を訪れた菅直人氏(総理大臣とは言いたくない)が「どうもどうも」調の軽い挨拶をして体育館に入っていくと、絶望感を持つ避難をされているみなさんがゾクゾクと体育館を出て行きました。「会いたくない、今更・・、遅すぎる」と言う気持ちからだそうです。体育館にはわずかの人しか残っておらず、声をかけながら、わずか10分足らずで退出しようとしたとき、「もう帰るのですか!」ダンボールで仕切られた向こうから男性の怒りに満ちた声が聞こえました。菅直人氏は再び館内に入り無視をしたのではないことを謝罪していました。

その後「3q圏内、5キロ圏内・・・」と発言し、側近に「20q圏内、30q圏内ですよっ!」と促され訂正をしていましたが、お粗末すぎやしませんか!これに似た光景を随分以前に謝罪会見のかたわらで、有名料理屋のおかみが社長である息子にささやいていて、マイクが全部、音を拾っていたことを思い出しました。レベルは全く同じです。

我々は総理大臣を直接選ぶことはできませんが今の与党を選んだのは国民です。選挙の時に「あの人に頼まれたから」だとか「好きなタレントだから」とか安易に決めてはいませんか?!きちんと自分の意志で立候補の政権を聞いて選んでいますか?それよりも何も選挙に行っていますか?その結果の総理大臣が菅直人氏なのです。私達にも責任はあります。

しかし今はそんな事を言ってる場合ではありません。義援金も沢山集まっていると言うのにまだ避難をされている人達の手に渡っていない。もっと敏速に、とりあえずでもいい、たとえ10万円でも20万円でも今すぐに渡せないのでしょうか?商店なども復興しつつある中で現金がなければ何も買えません。菅直人さんよ!貴方も体育館で3日間いいえ1日間でも一緒に痛みを感じてみてはどうですか?10分間では痛みどころか怒りだけが残りますよ。

私の息子も公的機関で働く者の運命共同体として職場から震災地支援の要請があったようです。条件としては寝泊まりのできる親戚が現地にいて、そこを基点に応援に行けるかどうかということらしいです。親類がいても行方不明や避難所暮らしだと思うのですがね。


[2440] 【2515回 看板倒れのイタドリ姫】 2011-04-21 (Thu)

21日の木曜日は名塩のももちゃんの懇談会とトンネル当番(校区にトンネルがあるんだって)で、航大くんがお熱を出していると聞き、留守番役を引き受けました。ホッペが赤く、まだ熱が有るような気がします。ママのお出かけが見つからないように気を逸らし、ももちゃんが学校から帰るのを待ちました。通学時間30分以上、ピカピカの1年生には、かなりの長い距離です。帰りはず〜っと上り坂なので健脚になることまちがいなしです。

トンネル当番からママが戻り、子供達と「ヒミツ基地」に行きました。去年イタドリを沢山採った場所で今年も期待をして行きましたが収穫はブログに載せたわずかの量しかありませんでした。帰り道、2年前にくろねこさんに連れて行って貰った「けやき台4丁目」にナビをセットし行ってみましたが宅地造成で親木が切り取られていて1本もみつけることができませんでした。

「季節限定イタドリ姫」う〜ん。看板だけ早々とあげましたが、どこに行けば笑いがとまらないほど採れるのでしょうか。たかがイタドリと言うことなかれ。私に採っては母との懐かしい思い出の故郷の味。決して自分だけで食べるのではなく、「美味しい」と言って食べてくれる人がいる限り、今の季節1本でも多く収穫したいのです。だって季節限定ですからね。ほんま徒労に終わったイタドリ探しでした。


[2439] 【2514回 コインランドリー】 2011-04-20 (Wed)

毛布を洗う時期がきました。以前はクリーニング店に出していましたが、近くのクリーニング屋が軒下に雨が降ろうと、槍が降ろうと、取り込まず干しているのを見て、(全部のクリーニング屋がそうしてはいないと思う)何年か前からコインランドリーに持ち込んで、自分で洗うことにしています。まだ寒くなりそうですが「今日が洗い日」と決めダブルの毛布3枚を近くのコインランドリーに持ち込みました。

先客がいて乾燥機を利用していました。「あっ、そのまま入れずに無料で2分間洗浄できるし、赤いボタンを押すと1000円が400円で済むよ」と色々教えてくれました。先客のおじさんが私の顔を覗いて「知ってる〜いつもお稲荷さんの鯛を買ってくれる姉ちゃんやな。ワシ魚屋や」と親しげに話しかけてくれました。

洗濯が出来上がるまでの待ち時間、退屈しのぎに定年になって、もう大きな鯛は買いに行かない事などを話しました。コインランドリーに出かける時は、本かロープの切れ端を持っていくと退屈しないかもしれませんね。どこで誰に出会うかも知れません。口角5ミリ上げて笑顔でいないといけませんね。

どんよりとした天気なのに洗ってしまいました。もっと快晴の日があるだろうにと反省をしていますが、「♪♪あとのまつ〜りよ〜♪♪」状態です。


[2438] 【2513回 使わなかったリュックの中味】 2011-04-19 (Tue)

「使わなかったリュックの中味」

熊野古道・小辺路の山行中、使わなかった荷物があります。

●まずツエルトと救急品
これは絶対必要な品でありながら、使わなくて幸いの品です。万が一の携帯品は使わなくてラッキーなのです。

●化粧品
洗顔の水と出合えないのですから、化粧品は無用の長物です。重さにして500cはあると思います。但し化粧水・乳液・日焼け止め・リップクリーム等は必要だと思います。谷の水がチョロチョロした場所があれば犬や猫の様にプルップルと顔を洗った後は化粧水と日焼け止めを塗りたいです。日焼け止めは皮膚癌防止もあるし、いつまでも女でありたいと思うのです。(ガン黒の山女になるのはイヤ〜!)

●石鹸&シャンプーリンス
途中で公衆浴場を利用する予定でした。小さな携帯用の石鹸とシャンプーリンスを2組持ちましたが使いませんでした。(使えませんでした)500cはあったと思います。今思えば公衆浴場では石鹸シャンプは1回きりの物を買えばよいことです。次回からはそうします。

あとは余分なものはなかった気がします。「北鎌尾根〜槍・穂高縦走」の時は登攀道具も多く小銭は持たない。携帯のストラップは外す。下着は百円品を利用し着替えたら安全な場所で焼き捨てました。着替えもそれぞれ計量し保温効果が同じであれば軽い物を持参しました。今回はそれほどに神経を尖らせなかった事もあって次回への教訓も多く残ります。

山での食事は「残さない」これが鉄則です。参加者の1人が「もうお腹一杯〜」と言うと残りの2人が責任を持って食べなければなりません。共同生活時には「仲間との流れに沿う」事の大切さも学びました。食料が少なくて2人分を3人で分ける場面があったとします。「お腹一杯」と言う者に限り、そんな時は「少しでも自分だけは多く欲しい」と思うに違い有りません。

テントを張る場合、準備、撤収は自分の荷物の整理は勿論後回しです。共同作業を「イの一番」にして、誰もがストレスの残らない山行にしたいものです。今回は震災の影響でアルファ米が品切れだったこともあり食料に重さを取られました。もっと工夫すれば1sなんてすぐ減量できます。あ〜あそんな風に体重も減らないかしらね。

★★さあ私達の経験や失敗を書き綴りました。この事を参考に、みなさまもぜひ熊野古道・小辺路へお出かけ下さい。夏場は飲み水も今の季節の倍は必要です。地図にある「給水マーク」は渇水覚悟で出かけて下さい。行かれた後は「みんなの広場」に紀行文をいただけると嬉しいです。★★


[2437] 【2512回 青葉山は焼きサバの味】 2011-04-18 (Mon)

「若狭富士」とも言われるほど美しい、見て良し、登って良しの青葉山に行って来ました。今回は10人乗りのレンタカーを借りてみ〜んな一緒の車両です。天気もよく山頂からは舞鶴湾や若狭湾が、エメラルドグリーンの海の色と、打ち寄せる白い波の色と、山の新緑色と、バランスがとれていて、とても美しく見えました。しばし見とれていましたが・・・

ふと同じ光景を何度もテレビで見た気がします。そうです。東北地方の大震災で津波にさらわれた、平和だった頃の家並みとそっくりなのです。山頂から津波を想定すると、あの美しい入り江に沿った家々がひとたまりもないことがよくわかりました。自然と共存している美しい若狭湾に面した家々も、津波が来るかも知れないとおびえながら生活をしているのでしょうか。一刻も早い復興をと願わずにはいられませんでした。

青葉山は標高わずか693メートルしかありませんが360度の大パノラマを臨むことが出来て、松尾寺駐車場に車を置き登山開始すれば3時間足らずで頂上を踏むことができます。レーションと水だけ持ってのお散歩コースも可能です。そんなこともあってか人気の山の様で沢山のハイカーと出会いました。右回り、左回りと自由に周回できますので行き交う人を避けるのに苦労をします。

頂上付近にはまだ雪が残り、何度が雪の上をザックザックとザックを担いで歩きました(シャレか〜!)くろねこ花博士のおかげで沢山の春の花を見つけることができました。「スミレ街道」と命名してもいいくらいにスミレの花がところ狭しと可憐に咲いていました。スミレ大好きのねこちゃん七尾で残念でしたね!

どんな小さな低い山でも岩場の通過があります。西峰と呼ばれる692メートルの展望台に行くにはとがった岩場登らねばなりません。勿論回り道もありますが、岩場の訓練をしておけば、こんな小さな山でも役に立つと言うことがわかりました。

帰りは温泉に浸かり、とれとれ市場で若狭名物の「焼きサバ」を買って帰りました。一匹、二匹、三匹、四匹・・・う〜ん!帰りの車の中は焼きサバの、い〜い臭いがしてお腹をグ〜って鳴らしてくれました。レンタカーを返却してから遅い夕食となりましたが少し温めておいしくいただきました。仲間と、山と、景色と、焼きサバに乾杯!


[2436] 【2511回 私としたことが・・・】 2011-04-16 (Sat)

熊野古道・小辺路のレポート全編のアップを終了しました。結構大作でしたが、みなさん読んで下さっているのでしょうか?手応えがわからず少々不安なのですが、これから小辺路ルートを実施しようと思っている方に役立ててもらえたら嬉しいです。但し、相当の覚悟で出発して下さいね。ほんま厳しく長いコースで、途中のリタイヤが出来ないので無理しないで、予備日もとってお出かけ下さいね。

第2泊目だったと思います。三浦峠の東屋のテントの中でクシャミが止まらず、何回も何回も「ハックッション!クション!ハッハッハックショ〜ン!」じつは私・・・クシャミ出始めるとしばらく止まらないのです。その時です。「アッチャパー第4弾」何と何とクシャミと同時に「プーッ!」ってオナラが出てしまいました。クシャミの音でかき消されていると安心したいたのですが、ジョンが「姫〜っ!今、屁したかっ?」って聞いてきたのです。「ごめん!聞こえた?出てもうたわっ」

ジョンと知り合いになってから30年以上経ちますが、多分初めてのオナラだったと思います。「まっ天皇陛下でも皇后様でも屁するからなぁ」と慰めてくれましたがトホホ・・・・恥ずかしいったらありゃしないヨ!

テントの中では少しでもスペースを広く取るために、「頭、足、頭」と交互に寝袋に入っていたので丁度聞こえ易くなっていたみたいです。もうこうなったら、ところ構わず自然体で行こうと開き直りました。30年目の解禁です。

登山中それも登りの時には、腸の働きがとても活発になるのか「ガス発生多し」ですよね。いつも一番後を歩くことが多いのでだれにも気づかれずに、遠慮しつつ環境破壊をしています。でも臭いはないよ。何故ならば私は生まれてこのかた(記憶にある限り)62年と11ケ月と20日、便秘をしたことがありません、決まった時間に必ず便通があるのです。だから臭いは無いのです(ちょっと言い訳っぽいね)

外科手術後、まず大事なのは「オナラ」の音を確認してから水分や食事のOKが出るほどに大事なことなんです。まぁ臭いオナラはなるべく人前でしない方がいいですが、自然体で自然体で・・・ハッハッハッ〜


[2435] 【2510回 足の裏のマメ】 2011-04-15 (Fri)

熊野古道・小辺路を歩いていて、足の裏の異変に気が付きました。かゆい様な、痛い様な、ムズカユイタイ症状です。「次の休憩時に靴を脱いで手当するわ」と言うと、ジョンが「次の休憩と言わず、すぐ手当しなさい」と言われて臨時の休憩時間を取ることになりました。

靴を脱ぎ、足裏を見て見ると、両方の足の指付近に大きなマメができて破裂寸前でした。大きめのバンドエイドを貼り、靴下を履き替えました。履き替えることによって靴下のクッションがよくなるのだそうです。

足の裏をかばいながら、ぎこちなく歩いていたのですがその後は普通に歩くことができました。足のマメが破裂していたら、歩くのもままならない状態になるところでした。身体の不調は、我慢をしないで声に出して同行者に訴えることが、迷惑をかけない結果となることを自覚しました。

「その靴底は柔らかすぎて、今回の様に15sも背負うと不向きかも知れないなぁ。冬に履く、靴底の硬い物を選んだ方がええ」とアドバイスをもらいました。ついはき慣れているからと通常に履いている靴を履いて出たのが失敗でした。「今夜のおかずはマメごはんやな」足裏のマメとも知らずにちょっと喜んだ人ありでした。

この頃、足の幅が痩せたのか(?)外反母趾が痛くなりません。ついうっかり外反母趾用のバイドエイドを貼って出かけるのを忘れることが多いですが、今回の様に長期で登山に出かけるときは、忘れず救急袋に入れておきたいと思います。

靴下選びの大切さ、履き替えるタイミングなどマメ知識を得ることができました。


[2434] 【2509回 熊野古道での失敗談】 2011-04-14 (Thu)

今となっては笑い話ですが、つらい話もお土産話として聞いて下さいね。(ハハハ・・聞く前に先に笑っちゃいましょう!)

熊野古道には水場が少ない(無いと言った方がよいかも)と言うことで2泊目の三浦峠にかかる手前の「三十丁の水」という名所の水場があると地図に書いてありましたので、そこで5gの水タンクに補給して行くことにしました。水場有りと書いてあるので、きっとりっぱな水場だろうと想定していたら、何と谷の水がチョロチョロと落ちているだけでした。5gのタンクを満タンにするには、かなりの時間がかかります。

やっとの思いで水を補給し急な登りを1時間以上かけて登ることになるのですが、ここで「アッチャパー第3弾事件」が発生したのです。何としたことでしょう。ジョンのリュックから水がポタポタと落ちているではありませんか!水タンクから、せっかく給水した水が流れてしまっているのです。それよりも寝袋、マットが濡れては大変です。すぐリュックを開けて調べて見ましたが、水はほとんどなくなってしまいましたが寝袋や着替え等はスタッフバック(sea to summit)に入れていて無事でした。厚手のナイロン袋でもいいのですが、天気であっても長距離を歩く時は防水対策が必要であると言うことを身にしみて体験しました。

水は途中で補給するためリュックの上に収納せざるを得ません。給水を終えて栓をしたら逆さにして確認し、ビニール袋に入れておくことが必要だと痛感しました。いつだったか日帰り登山で、車で移動中に、美味しい紅茶を車の座席に、しかも人のズボンまで濡らしたことがありました。これも栓をきちっとしていなかったからです。

熊野古道・小辺路を縦走するときは「水が命」です。しっかりと水場の事前調査をして、それでも渇水している場合があるため予備の水のペットボトルは各自が持つ必要があります。我々も予備の水を持ち合わせていましたので何とか夕食を作ることができました。

しかしリュックで一番重いのは「水」「食料」です。テントを張る場合は水場のすぐそばがベストですね。食料は贅沢を言わず一品のみ。あとはレーションでまかなうと少しは楽かも知れませんね。今回のレーションで助けられたのは「きんかん」でした。持って行くときは少々重たいかなぁと思っていましたが柑橘類が元気の源と教えてもらっていましたので皮ごと食べられる「きんかん」を各自15個持ちました。

出発当初の元気な時は、振り向きもしなかった「きんかん」も2日目、3日目となると何を置いても「きんかん」を食するようになりました。「きんかん残ってたら頂戴〜」「オイラが欲しいくらいや」「オレもないわ」みんな早々に食べ尽くしていたのです。「きんかん」あれは優れものです。しかし今はシーズンを終えて店頭には並んでいませんが、みなさまも一度長距離をするときは試して見て下さい。「ガッテン!」と言ってもらえると思います。


[2433] 【2508回 テント泊をする場合】 2011-04-13 (Wed)

熊野古道・小辺路を終えて、少々「腑抜け状態」に陥ってるかと思っていましたが、今日もまた活発な1日を終了することができました。熊野古道での身体の疲れは、最終日の白浜温泉の湯が洗い流してくれた様です。地図を広げ、レポート用の原稿を思い出しているのですが「頭が腑抜け状態」で何から書けば、この感動が伝わるのか思案しているところです。とりあえずテント泊での体験が参考になればと思います。

@スリッパは必需品
山行者全員が持つ必要はありませんがテントから出たり入ったりするのに1足は必ず必要です。私は百円の軽いスリッパを持ちました。

A雑巾もいります。
テント撤収の時、雨に遭わなくても、結露でテントの中も外も濡れています。

Bベニヤ板1枚
雨や寒さをしのぐためにテントの中で煮炊きをする場合、テントを焼き焦がした経験があります。薄いベニヤ板1枚必需品です。

Cテント内の照明
ヘッドランプとは別に小さな、出来ればひも付きの懐中電灯があれば便利です。

D水入れは各自負担
参加人数にあわせてペツトボトルを均等に持つ。

最終日に強風にあおられテントが飛ぶのではないかと不安でした。しかし吹雪の中での経験者がおり「これくらいの風は大丈夫」と言う一言で不安はかき消されました。テントを張る場所は大きな木の茂みを利用すれば強風をまともにあおることが避けられます。峠の広場で張っていたらとゾッとしました。テントの入り口は風の方向も熟知していないと大変な目に遭います。ペグをしっかりと打ち付けていないと飛ばされてしまいます。

私達は強風よりも雨対策として、リュックの荷物や靴などはツエルトにしっかり入れてロープで大木に縛り万全を期すことができました。夜中の強風で、おしっこも体内に引っ込むほどの恐ろしさでした。そんな時にリュックが風に飛ばされる羽目になったとしてもテントから出ることすらできません。熊野古道は勿論ですが登山道の片隅を利用してテントを張る場合は未経験者だけではパニックに陥ります。

私はジョンとポチのイビキを聞きながら「起きてる?寝てる?」と何度も聞きました。イビキが聞こえているのですから起きているはずはありません。両手の人差し指で耳栓をして風の音をかき消したり恐怖の最終日でした。こうして、ねぐらがあることのありがたさを感じています。


[2432] 【2507回 熊野古道・小辺路を歩いてきました】 2011-04-13 (Wed)

4月9日から12日の3泊4日(予定は2泊3日)熊野古道・小辺路に行ってきました。熊野本宮にたどり着いた途端、ヘナヘナと傍らのベンチに座り込みました。気分は爽快だったのですが、想像以上に、手強くて、ハイキング気分で行くコースではなく、完全な神域であると言うことを体験しました。

高野山から熊野本宮までの7つの峠越えは、「麓まで降りきり、また頂上を目指して登る」の繰り返しで、肩に食い込む、重い荷物と体力との闘いでした。あまりの手強さに、予定していた目的地まで到着せず、とうとう「予備日」まで使ってしまうほどでした。

果無峠という場所で見た美しい天国の様な光景や、三浦峠を一緒に歩いてくれた「コロ」と言う犬の話、強風(体感風速15b)でテントが飛ばされそうになったこと、何よりも山岳地帯の80qを完歩できたことの充実感は、今後の自分への励みにもなりました。

少し長編になりますので、思い出しながら、これから熊野古道・小辺路を予定している人のために参考になるように書きたいと思っています。テント泊での必需品などもご紹介したいと思っています。

今回で苦労したことは3泊4日の水分調達をどこでするか、これをクリアすれば熊野古道は世界遺産と言われるだけのことがあって、山中にトイレや避難小屋などもあり、とても素晴らしいコースでした。もう一度行きますか?と聞かれると「車で水分や食料のサポートに廻らせていただきます」と答えると思います。それほどに手強いコースでしたが行くだけの価値はあります。


[2431] 【2506回 春休みを下さい】 2011-04-08 (Fri)

★毎日日曜の身ながら「春休みを下さい」★

4月9日(土曜日)〜4月12日(火曜日)までの4日間、「熊野古道・小辺地」高野山から熊野本宮までを歩いて来ますので「ひめのおうち」をお休みさせて頂きます。

7日に「不在者投票」も済ませました。荷物も、ほぼ出来ました。あとはリュックに詰めるだけです。おっとっと「冷凍室のカレーを忘れないでよ」と登山靴にメモを入れておきました。これ絶対忘れ物をしない方法ね。出発前には正確に計量しますが、いまで重さ12.5sです。(でも、まだこれにご飯とカレー、おにぎり、行動食が追加なので)ほとんどが山中での食料の感じです。食べて消化すれば荷物は軽くなっていくはずです。行動食は甘い物に偏らず(北鎌尾根の苦い経験から)柑橘類に「キンカン」を入れました。「♪きんかん塗って〜また塗ってぇ♪」ではありませんよ。ミカンの仲間のキンカンで〜す。皮も出ず、なかなかグットアイデアだと思います。リュックは40リットルを使用します。

「もう歩けな〜い」なんて可愛く言ったところで助け船は出してもらえそうにありませんのでしっかり歩くしかありません。8日に名塩でイタドリの赤ちゃんを見つけてきました。(ブログに写真載せました)

「季節限定イタドリ姫」のシーズン到来です。今年は雪も多くまで残り、芽生えが少し遅れている様ですが、もう胸がわくわくドキドキしてきます。ひょっとして熊野古道で出合えるかもしれません。楽しみです。採ったらすぐ塩漬け処理できるように塩も入れないとね。

私が子供の頃、新学期が始まり、家庭訪問の時期が来ると担任の先生が家に来てくれるのがとても楽しみでした。先生の自転車のカゴには、各家庭に立ち寄ったとき「何もありませんが」と言って、おみやげにイタドリをもらった物が沢山入っていました。先生は都会の人につきイタドリの料理方法も知らず、困っていたことを思い出します。学校から一番遠くにある我が家が最後の立ち寄り先、またここでもイタドリを貰うのではないかとヒヤヒヤしたと、いま四万十に帰っても、その時の話をしてくれます。その恩師は今年で83歳になりました。とにかくイタドリは私の故郷そのものなのです。

明日の天気は明朝には回復、テントを張る頃には、雨のかわりに、お星様が降る予報です(キャハハハ)

それではみなさま!熊野古道・小辺地に言って参ります!


[2430] 【2505回 あっちゃぱぁ・・その2】 2011-04-07 (Thu)

9日から熊野古道へ旅立つにあたり、食材を準備することにしました。朝、昼、夕とメニューを決め、必要な食材調味料を書き出しました。基本は「必要最小限」です。

梅田の好日山荘に行き「目を点」にしてしまう光景に遭遇しました。まさに「あっちゃぱあ〜第2弾」です。

私達はアルファ米(赤飯)を購入しようと店を訪れたのですが、あるはずの棚にアルファ米が1袋も見あたりません。今までアルファ米が並べられていた棚には、さまざまなカタログが並べられていました。「置き場所が変わったかな?」と話していると、知らない男性が「どの店に行ってもありませんよ。無洗米で代用したらどうですか?」いかにも自分があちこちの店を見て廻って、確認済みの様な自信たっぷりの顔つきでした。

そうか〜!震災の影響で被災者の皆様に非常食として振る舞われているのかと納得しました。客が買い求めて東北地方にいる知り合いに送っているのか、メーカー側が商品を回収し東北地方へ廻しているのか事情が飲み込めないまま、ロッジへ行きましたがここも在庫ゼロでした。モンベルは3月末日で閉館となっており、仕方がないのでコーナンまで戻り「サトウのごはん」やラーメンなどを買い、戻ってきました。

第一日目は自宅からカレーを炊き、ご飯も炊いていくことにしました。真夏と違い、一日ぐらいで腐ることもないでしょう。空腹さえ満たしてくれれば贅沢は言いません。それにしてもアルファ米が無いなんて予想もしていなかったので、少々面食らってしまいました。

熊野古道・小辺地の地図を調べていると途中で、トイレや給水場所、自動販売機などの場所が明記されています。不足の食糧は途中で補充できれば助かります。なにせ山の中にもかかわらず「肉が食いたい!」とわがままを平気で言う人が参加者の中に含まれています。出発前にもう一度、念を押しておかなければ・・・・


[2429] 【2504回 七種山登山の後の温泉での話】 2011-04-06 (Wed)

過日登った七種山の帰りに「塩田温泉郷・ゆめさき川温泉、塩楽荘」に立ち寄ったことはレポートでご存じ頂けていると思います。あの時、完成したレポートはパソコンが不調で、せっかく書いたレポートを飛ばしてしまい、ショックで「二度、同じ文章を書く気になれない」なんて、わがままを言い、ジョンにお願いをしてしまいました。その文章の中に

『姫が面白い情報を手に入れています。次の山行でぜひ聞いてください。』

と書いてあるのを思い出しました。でも次の山行でも、その次の山行でも、だ〜れも、そのことに触れる人はいなかったので、みずから自白しちゃいますね。

大浴場の前で「じゃあ、ごゆっくりね〜!」と男性達に別れを告げ、「女湯」のノレンを確認してみんなで入ったつもりでした。姫が一番に女湯のドアを開けた途端、「すみません!間違えました!」と逃げ足早く飛び出てきました。多分後に続いていた仲間達も同じように出てきたと思います。ひと呼吸おいて、落ち着いてノレンを確認しました。やっぱり「女湯」と書いてありました。

再びドアを開けて入ると、男か女か、性別不明の高齢者の付き添いの方が「いいの、いいのよ、よく間違われるのよ!びっくりしたでしょ、ごめんね!」と言うではありませんか。とにかく女湯間違いないし、姫も、まだ女やし堂々と衣服を脱ぎ、とにかく笑いを堪え、震える肩を手で押さえ、その場を離れるために、掛け湯もそこそこに露天風呂に飛び込みました。

あとから入ってきた仲間の顔を見て、堪えていた笑いを吹き出してしまいました。「ところであの高齢者は男?女?」2対2で、男だ、女だと大騒ぎしていて、結論的には下記の様にまとめました。

『あれは、人畜無害のおじいちゃんや。娘達が介護をするために、空いている時間を見計らって女湯に入れてたんや。あの座り方は、絶対男や。女なら大股広げて座らんで〜』

まあ、私達的には男性に見られたと言う感覚はなく被害はありませんでしたが、もし介護目的であるならば、「家族風呂」もあったことですから、そちらを借り切っていただけると、おじいちゃんも安心して風呂に入っていられるのではないでしょうか?

塩田温泉と言えば、ポチのお母さんが末期のガンで、お風呂に入ると、湯船に身体が浮き、足が動き、「いつか歩けるかも知れない」と希望を捨てなかったことがありました。私達はフロントに事情を話して、チェックイン前の浴場を借り切り、車椅子ごと湯船近くまで押して行ったことがあります。

年を重ねると何かしら事情があるものです。そんなときはフロントに相談すると、親切に対応してくれます。「明日は我が身」であっても男湯には入れられたくな〜い。


[2428] 【2503回 熊野古道への準備】 2011-04-05 (Tue)

熊野古道小辺地へは9日(土曜日)から予備日を含む12日(火曜日)の予定で出かけることに決めました。参加者が他にいなくて、プライベート登山となりましたので少し気楽に構えています。部屋にはテント、マット、食器、洗面具、着替え、飲料水、食料リストなどを思いつくままに並べて行き、前夜にリュックに詰め込もうと考えています。今リュックに詰めても何度も出したり、入れたりしなくてはいけませんのでリュック詰めは最終日にすることにしています。

2泊ともテント泊と決めたため荷物がかなり重くなりますが屋久島宮之浦、北鎌尾根など山中での過ごし方を体験済みですので不安はあまりありません。歩行距離が74q、これを3日間に分けて進みます。天候にも左右されますが1日目は25キロb、2日目は約30キロb、3日目は20キロbを歩くことになります。1日の歩行距離に不安はありませんが3日連続となるとかなり疲労の積み重ねも出てくると思います。気合いを入れて同じ歩行リズムを保ちながら行きたいと思っています。

花冷えの毎日が続いています。今年の桜は心なしか華やかさを包み隠すようにソッと咲いている様に感じます。桜もまた震災の恐ろしさに心を痛めているのでしょうか。「花見しようね」と言ってたけど、これだけ寒いとね・・・・

熊野古道での自然との出合いやゴール近くの道の駅「ほんぐう」での人との出会いなどを楽しみに行ってきます。金曜日に天気は崩れるらしいですが土曜日からは、曇りながら何とか雨に遭わずにいけそうです。

テントの中で聞く雨音は、気分を重たくさせ、また翌日もボトボトに濡れたテントをリュックに仕舞うと、荷物も重いし心も重いのよね!着の身着のまま、荷物は限りなく軽く、心も軽くいってきま〜す!


[2427] 【2502回 登山の後かたづけ】 2011-04-04 (Mon)

クライミングの時の後かたづけはロープや登攀道具の手入れが余分にあり、一般登山の時よりも手間が多くかかりますが、一般登山から戻ると、まず登山靴のドロを洗うことから始めます。家の中に入り休憩すると、外でする靴洗いは少々つらい時があります。寒くてもそのまま登山靴のドロを落として中敷きを持って入り洗濯ネットにいれてからリュックの中を開きます。

最初にする作業は、まず弁当箱は汚れが乾いていて落ちにくいため、お湯につけて放置、汚れを浮かしておきます。その間にリュックを背負い3階のベランダに行き、リュックを逆さまにして中味を全部だしてしまいます。シュリンゲなどは結び目をほどき、合羽は使わなかった場合は、折り目を伸ばしハンガーに掛けておきます。小物のヘッドライト、三角巾、救急袋などは決められた小物入れの箱に仕舞います。こうしておけばリュックを替えて出かけるときに小物箱を取り出して全部詰め替えればれば、案外忘れ物がありません。

空になったリュックはお風呂場に持ち込んで入浴後の湯船の中で押し洗いします。洗濯機に入れる方法もあるかと思いますが、私は湯船を利用します。合羽も使ったときは同じく湯船で洗います。洗濯機で丸洗いなんて購入価格を思い出すと絶対できません。大切に扱っています。一晩浴槽の縁に左右に掛けておけば翌朝は水分が切れていて、その後に日陰で2〜3日干し、乾いたら防水スプレーをして次の登山まで押し入れで眠らせます。

私の愛用の20gのリュックも、年期が入り、少し色あせてきました。新しいリュックを背負っている人を見ると「そろそろ買い換え時か〜」とも思ったりしますが、色あせたリュックは、これもまた登山歴を無言で語るようでうれしいものです。いまトラ吉衛門さんがクライマーのタマゴとしてデビューしつつあります。クライミング講座修了すれば、あとは場数を踏み、りっぱな登山家として一人歩きできるでしょう。先輩達に色々な山のノウハウを教えて貰い安全で事故のない楽しい登山を「カー吉ダーリン」と楽しんでもらいたいと願っています。去年は登山用品を揃えるのに多額のお金を使ったそうです(笑・・私達も最初はそうでしたヨ。)

登山靴、リュック、合羽、など最小必要品を用意したら、あとは、せっせと好日山荘、ロッジ、モンベル通いが始まります。3000b級の山を目指すので有れば、シュリンゲ、カラビナなど欲しいと思うようになってきます。夏は沢にも入ってみたいと沢靴も買ったりして振り返ってみると、かなりの投資をしたことがわかりますが「あ・と・の・ま・つ・り」です。

安全登山のための投資と考え方を変えれば、ゴルフバックやウエアーを揃えるのと同じ事で、最初に揃えてしまえば、あとは大事に使えば永く使用することができます。但しロープなどは消耗が激しいので買い換える必要があります。合羽などは破れなければ、防水効果が持続すれば、ずっと使うことができます。「新しいものに目移りしない」これさえ守れば登山は費用もかからず、快適な趣味ですよね。


[2426] 【2501回 金勝アルプスに行ってきました】 2011-04-03 (Sun)

「金勝アルプスは、まれに見る、よかコース」

天気良し、参加者良し、コース良し、岩場良し、バスのタイミング良しの、よしよしづくしの「金勝アルプス」でした。アルプスと名が付くだけのことあって何故いままで出会いがなかったのかとリーダーに聞くと「みんなを、岩場に連れて行くだけの実力がついたから」とのことでした。

はは〜ん、ごもっとも!結構岩場も多く、里山歩きとは別格のコースでした。見所も沢山あって「もう一度出かけて見たい山」に入るかもしれません。ただ人気の山と見えて対向者も多く、道幅も狭いことから、お互いに交わすのに苦労がありました。

場所が草津駅利用と言うことで、少し遠出にはなりますが遠出しただけの値打ちのある山でした。

詳細は、後日レポートをアップしますのでご覧下さい。

参加者の皆様おつかれさまでした。愉快なコースでしたね。


[2425] 【2500回 熊野古道小辺地】 2011-04-02 (Sat)

「紀伊山地の霊場と参詣道小辺地に行きませんか?」の参加のご案内をしていましたが4月1日に申込期限を過ぎてしまいました。結果的にはジョン&ポチ&姫の3人で出かけることになりました。和歌山県観光協会から送付して頂いた、資料は3部を除けて無駄になってしまいましたが、またいつか行ってみたいと思う人が出たときには差し上げることにいたしましょう。去年は参加人数が少ない場合「中止」としていましたが今年は少人数でも決行を決めました。また熊野古道は私自身が行ってみたい場所につき、3人でテントを担ぎ、行き着く先々でねぐらを探し、きままな旅をしてこようと思っています。じゅんちゃん!参加状況の意思表示して頂きありがとうございました。

熊野参詣道小辺路は、高野山から熊野本宮大社にいたる全長72kmの聖なる祈りの道です。東日本早期復興を祈る旅とし、この時期に最適の様に思えてなりません。2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。日本では初めての「道」の世界遺産です。高野山から熊野本宮へは「熊野道」、熊野本宮から高野山へは「高野道」とも呼ばれています。

行く先々で出会う、村人のみなさんや、道の駅や茶店の特産物との出会いもまた楽しみのひとつです。ギブアップしても「引き返しても、進んでも、しんどさ同じ、ならば前に進むしかない」を合い言葉に行ってきます。

お天気であるように、みなさん祈っててくださいね。また戻ってからの「おみやげ話」を楽しみにしてて下さいね。


[2424] 【2499回 岩登り講座ブラックフェイス】 2011-03-31 (Thu)

若きクライマーのトラ吉衛門さんの第2回目の講座に出かけてきました。ゲレンデは「ブラックフェイス」私も久々です。芦屋川駅を降りたトラ吉衛門さんを四万十号に乗ってもらい、桜の蕾がチラホラと咲きつつある芦屋川沿いを走り、滝の茶屋近くの駐車場で準備を整え、お稲荷様に無事を祈りイノシシ親子の散歩する中を「通らしてぇ〜な!」そんな言葉をかけながら約1時間かけてキャッスルウオールで休憩しました。ここは私が肋骨を折り、次の日にサスケ先生がノコギリを持ち、にっくき枝を伐採した場所であることをトラちゃんに説明し、いずれこのゲレンデも登攀しましょうと言うことでブラックフェイスに到着しました。

第1回目の蓬莱峡の講座では雪が舞っていましたが、第2回目の今日は天気もよくポカポカと春めいておりヘルメットの中は汗で濡れています。蓬莱峡での登攀でマスターしたことは、きちんと学習しておりサラリと復習をした後は、新たな技術を習得することとなりました。私達が1年かけてマスターしたエイト結びは、今日は一人でセットでき、懸垂下降においてはスラリと伸びたなが〜い足のシルエットは、なかなか格好よろしくさまになっていました。

私も真ん中の棚から上をリードさせてもらえました。トラちゃんの講習に伴い、私も色々学ぶことが多く、去年、脱臼で岩場から遠ざかっていましたので感激大です。遅めの昼食を取った後には、身体が重たくなったのかドタドタと上り下りをすることとなり「終了〜」のゴングを鳴らすことになりました。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」にならぬよう、トラちゃんが初めてと言う「岩梯子」を通って帰ることにしました。(六甲もメニュー多彩でしょ)

帰り道、本日のたったひとりの登山者に出会いましたが、黒い服に岩場に座って休憩を取っておられたため「キャ〜カラスかと思いました。すみません」とお詫びし通過しましたが、山はやはり明るい服がいいねぇ。

「ハッハッハッ〜」と啼くカラスが一羽、ジョンが「オイラをバカにしてるのか!」とカラスに叫ぶも「ハッハッハッ」と高笑いのカラス・・・(ほんまやで〜)

駐車場に戻ったのは午後4時30分になっていました。それにしても、よく練習したものです。トラちゃん、よく頑張りましたね。随分上達していますよ。次のゲレンデはホワイトフェイス。終了後これも初めてと言うピラーロックをご案内しましょうか?


[2423] 【2498回 異様なスーパーの棚】 2011-03-30 (Wed)

昔、トイレツトペーパーがないと並んで買っている人達がいました。私も並ぼうか・・・と一応は悩みましたが、そのうち騒動は収まりました。東北地方太平洋沖地震と福島原発の影響を受けて大阪此花区のスーパーでも水の棚には1本のペットポトルもありませんでした。カップラーメンや調味料の棚にも「お一人様1個」などの張り紙で制限されています。

被災された皆様が戸惑うのは理解できますが、大阪に住んでいて何故このような状態が起きるのか理解できません。高齢者用手押し車にトイレットペーパーを山ほど積んで帰るおばあちゃんがいました。「死ぬまでにそんなに、うんこ出るの?」といいたくなります。マスコミ報道などで物不足を知ると不安で買いだめをするのだそうです。

今まで表示がなかった野菜にも産地がきっちり記入されていました。今まで気にとめなかったのか、こんな時期だから産地を明記するのかわかりませんが、特に葉物野菜には赤でよくわかるように書いてあるのが目に付きます。

落ち着いたら買おうと思う非常食セットがあります。テレビで見たのですが、ある航空会社で搭乗待ちの乗客に配布していた「非常食セット」は、飲料水、缶詰、アルファ米、ビスケットなどが箱に入っており、今後の災害に備えて購入しようと思っています。(多分いまは在庫ゼロだと思います)賞味期限が来たら、新しい物を購入し交換、非常食を使うことがなかったことに喜びを感じながら、それを食べ平和を願うのも意義があるかも知れませんね。

乳児、幼児、子供達を持つ家庭では、大丈夫とわかっていても不安になるのもよくわかります。横浜に住む知人は、突如としてやってくる停電が不安で、実家のある大阪に幼児をつれて里帰りをしているらしいです。

後手後手に廻るカンさんよ!ギブアップするなら早くして!今ならまだ間に合うよ!


[2422] 【2497回 登山時の危機管理・自己責任】 2011-03-29 (Tue)

28日の月曜日、守口にある某助産院で行っている出張整体を受けるため出かけました。去年の6月、ポチと2人で出かけた獅子ケ谷沢登りで左肩を脱臼後の回復が、あまり思わしくないことを告げると「お母さん!貴方の年でここまで回復している事自体が奇跡です。60歳を過ぎて脱臼や骨折をすると、治癒まで、その箇所を動かさないために脱臼が回復してもリハビリに3年はかかります。貴方は異常なほどの健康体です。」と太鼓判を押されました。何事もマイナスに見るのではなくて、何とか早く元通りに回復したいと言う願望が早い回復に繋がるのだそうです。

過日の同窓会もどきの食事会でも「病気の話」が中心に会話が進んでいました。みんなそれぞれに年輪を重ねているのが
よくわかります。そんな中で私が「山登りしてる」と言うと「危ないことをして・・・」「年甲斐もなく・・・」などの声が返ってきます。ゴルフだってどこからボールが飛んで来て致命傷になるかわからんのに、山っていうだけで「危険」と反応してきます。

今まで何度も、登山中の事故については、自己責任であると書いたことがありますが、ロープで縛られて引きづられて強制されて参加しているのでもなく「行きたい」と思い自分の意志で参加をしているのです。万が一事故に遭ったとしても「自分の好きなことをしたのだから」と家族の理解が必要であることも何度も書きました。私は2人の息子に自筆の遺言書を渡しています。登山事故が遭ったとしても同行者に責任追及をしてはいけないことをしっかりと書いています。法律的な効果はなくても、母の思いを伝えています。「そんなもん万が一、山で死亡したりしたら絶対にリーダーに、くってかかるに違いない!」そんなことはないと絶対言い切ることはできませんが、私の責任範囲において言うべきことは言っています。それでも不安で同行を渋るのであれば、登山はおろか、ウオーキングも、駅の階段さえも利用できなくなります。

「百聞は一見」ではありませんが、ポチと2人で出かけた沢登りでの脱臼を教訓にするならば、誰が同行していても目の前で起きる不慮の事故は、どうすることも出来ないのです。つまり、これが自己責任なのです。事故の起きた時、いかに素早く手当ができる同行者と行くか、後日、家族は迷惑をかけたことを詫び、決して同行者の責任追及は良くありません。そんなこと言われなくてもわかってる」と言うことなかれ。人間予期せぬ事態が起きると、どう変わるかわからないのです。日々、呪文の様に、家族に言っておく必要があるのです。

獅子ケ谷での脱臼事故の時、同行者のポチは「またか〜」と言う眼差しで私を見て、ただオロオロするだけで何もできませんでした。私は脱臼の経験者(自慢することやないね)なので自分で手当をして激痛に耐えながら出発点に戻ってきました。こんな場合に「同行者として何しとったんや!」と責任追求できるはずがありません。何故ならば「自己責任の怪我」だからなのです。

「七種山登山の時、雨に濡れた岩場で「気を付けて登ろうね」と声をかけながら自らがズルッと滑って「アイタタタタ」となった場面がありました。細心の注意をしていても、そんな時があるのです。しかし常に最小限の怪我で済む訓練をしておけば大きな怪我にはならないのです。だから夏山登山の前のトレーニングは必要だと言うことですね。私の「ズルッ滑り」よりも、新しい合羽のズボンを破った人の方が被害大ですよね(笑)

「人生前向きに、残りの人生は自由気ままに」これが私の座右の銘かな。


[2421] 【2496回 ひっちゃかめっちゃかパーティ】 2011-03-28 (Mon)

久しぶりの自宅での日曜日です。毎日が日曜日なのですが、なるべく世間一般に合わせて日曜日を迎え生きて行くようにしています。(オーバーかな?)3月最後の日曜日ということもあって姪や甥の子供達が高校や大学に進学するために、わずかばかりの祝い金を持参しようと打診を、あっちこっちにしました。すると「丁度よかったわ〜今日、みっちゃんのおばちゃんちへ行こうと思ってたわ。ピカピカの1年生の顔見に行くわ」と言うことになり、それならば全員集合しようということに急遽まとまりました。それぞれが動くと、四条畷〜貝塚〜名塩と、てんでバラバラコースなのです。では急な事なので「一家に一品持ち寄ること」と決め受け入れ態勢をすることにしました。

子供達と言えども、高校生や大学生ですから、カサ高く、大人15名、小人4名で、やっと19枚の座布団が揃いました。6歳の子供が「まるでお正月みたいだね」と言い、そう言えば同じ顔ぶれであることに大爆笑しました。

「小学生おめでとう!、高校入学おめでとう!、大学生おめでとう!、ではかんぱ〜い」食事が終わるまではおとなしかった子供達もオモチャの無線を持ち、てんでバラバラに「応答せよごっこ」を始めました。高校生、大学生に成長した姪と甥の子供達とは、小さい時から、遊びに行くときは必ず一緒に連れて行きました。自分の孫と同じくらい愛情を注いで成長を見守りました。

家はひっちゃかめっちゃか〜!2階の床が抜けないかと心配するほどでした。姪の子供が「今日はお祝いをしてくれてありがとう。みんなで集まって楽しかったです。ももちゃん達と遊んでいたら、みっちゃんのおばちゃんに遊んでもらったことを思い出します。もう自分が面倒を見る側になってきたと思うと、時がたつのは早いなぁと感じます。みっちゃんのおばちゃんと小さい時から、ずっと一緒にいてたから、今は、どう付き合うか難しいなって思う歳になりました。こんなに大きくなれたのは、みっちゃんのおばちゃんのおかげです。帰りの車の中で聞いたお爺ちゃんのカセットテープ感動しました。聞けてよかったです。私のスーツ姿で感動してたら結婚式ではどうなるんやろ」そんなメールをもらい、真っ直ぐ育ったことに親の様な嬉しい気持ちでウルウルしました。愛情を持って接してきてよかったと新しい門出に拍手をおくりたいと思います。

海老江駅まで送る車の中で黙って、一刀水の「南国土佐を後にして」「法善寺横町」のカセットテープを流しました。姪が泣き、後部座席の姪の子も静かに聞いていました。今日の参加者は19人ではなくて、あの世から1名参加した様子なので20人ということで、意義のあるホームパーティでした。


[2420] 【2495回 途絶えていた同窓会】 2011-03-27 (Sun)

正式の同窓会と名のつく会が途絶えて、かれこれ20年が経過しました。女性は子育て真っ最中、男性は働き盛りという年代が過ぎて、ふと思い浮かべる顔は学舎を一緒に過ごした友の顔でした。年末に舞い込んできた「新年のご挨拶遠慮します」の家族からの葉書で、誰もが生きている間に「会っておきたい」と互いに連絡を取り合い、12人が集合することができました。日程を変えてくれたら参加できるという友もいましたが予定通り26日に実行しました。

西九条駅午後5時集合です。20年も会っていないのですが迎えに出た私のところへ集まってくれました。「久しぶり〜わかったぁ?」「ぜ〜んぜん変わってないよ」などと再会を喜び朝日橋のたもとにある居酒屋の2階を貸り切りました。「表通りからはずれて、何か隠れ家みたいなとこやな」みんな少々不安げですが、次々と料理が運ばれてくると「美味しい、うまい」の連発で世話役としてはホッとここで一息をつくことができました。

「じゃあ・・・」と自己紹介をしていくのですが、口々に会話をするため誰も聞いていない状態でひとり話をしている様です「ちょっとだけ静かにして!」と言うと、その時だけは一瞬静かになるのですが、またピーチクパーチク・・・20年間を一気に埋めたいのか「あの子はどうしてる?、この子はどうしてる?」しばらく喋らせておくことにしました。

気の利いた友が、卒業アルバムを持参してくれていて、当時を振り返るのに大変役立ちました。若かりし頃に戻れて、写真っていいなぁとつくづく思いましたね。

自己紹介をする中でタブーとして「年金の話」はしないでおこうと決め(この年代、話すことはすぐ年金の話題だから)今回集まったことの意義、今後の運営方法などを提案しながら楽しい時間が過ぎていきました。それぞれの人生のシワの深みはありましたが、お互い元気だという確認ができました。青春時代の歌「高校3年生」を階下のお客さんに迷惑にならぬようにボリュームを絞って合唱し、おひらきとなりました。

西九条駅に向かう間も、余韻を引きづり、とうとうジャンボカラオケ店に入りました。「シニア割引」の得点を見つけ「全員シニアで〜す」と、ちゃっかり割引をしてもらいました。マイクを使わず、懐かしい青春時代の歌「ブルーシャトー、せんせい、ブルーライトヨコハマ、青春時代、白いブランコ」など化石の様な歌ばかり全員で熱唱しました。誰が回してくれたか知りませんが帰りには「のど飴」が配られていました。

来年は一人が別の友達一人を誘い20人規模でミニ同窓会をしようと固く約束をして、午後10時、西九条駅のホームに消えて行く、友の後ろ姿を見送りました。

(感想)
人の話を聞かない(聞けない)のは誰もみたいです。自己紹介で、一言発すると、それに輪がかかり尾がつき、めいめいが喋り出すのです。一生懸命、話しをしている間は、耳を傾ける習慣をつけてほしいですね。でももう無理か・・・63歳になって治らないと言うことは死ぬまで期待できないと言うことか・・・自分が喋っている時、周りでおしゃべりされたら腹立たしいと思うのに気づいてくれないんだなぁこれが。今度からハンドマイク持っていくぞっ!


[2419] 【2494回 行ってきました大船山】 2011-03-25 (Fri)

ここんとこ福崎地方や三田地方と同じ方面に出かけています。今日は三田駅からバスにのって大船山ってとこに行きました。「さんしゅうの花」も咲いていて春爛漫です。ツクシも蕗のとうも見ました。七種山と違いコースも短くアップダウンもなく「アッ」という間に頂上に到着しました。ほんまに「アッ」という間です。頂上ではまたまた雪が舞っていましたよ。どうなってるのでしょうかね?

今日は久々に「ね」ちゃんじゃなかった「ねこ」ちゃんも参加で元気な顔と対面できました。噂をしていただけに一緒に歩けて楽しかったですよ。「アッ」という間に登ったということは「アッ」という間に下山し、大舟寺境内にある大カヤの木をみたり、バスを待つ間に公衆電話ボックスに何人入れるか試して見たり(いなば物置じゃないっちゅうの!)

バスに乗り、三田駅に向かう途中、ワイパーが動き始めました。「雨や〜濡れずに済んだね」みんなホッとしたついでに、三田駅前で、豚肉の入ってない「焼きそば」と、まず〜い「おでん」をあてにビールで乾杯!おでんはやっぱり自家製に限るね。

ほどよい酔いで店を出たら、何を思ったのか、ねこちゃんが「阪急電車があるのでバ〜イバイ〜!」と信号を渡る途中でUターンしちゃいました。三田に阪急電車なんて走ってないよね。「あっ!阪急オアシスに行ってもうたぞ!まあ、気が付いて出てくるやろ」案の定JR三田駅に、ねこちゃんが頭ボリボリで戻って来て大笑い。あっもう一人、ほどよい酔いでお好み焼き屋にリュックを忘れて人がいましたよ。どうなってんの?

いつも緊張の連続の山登りですが、今日は余裕の山登りとなりました。詳しくは後日レポートでね。久しぶりに、のんびりとした登山でした。たまにはいいね。


[2418] 【2493回 七種山の思い出】 2011-03-24 (Thu)

早々に七種山の写真とレポートがアップされました。今回のレポーターはジョン、男性的でたくましい文章に仕上がっています。当日を楽しく振り返ることができました。七種山に「ぜひ行って見よう」と思われる方は、写真とレポートを多いに参考にしてもらえたらと思っています。

事前調査では七種山は岩尾根もあり、登山というよりロッククライミングの山といっても過言ではありませんでした。七種神社横の登山道から少し登ると、すぐ岩肌が目に飛び込んできます。我々はクライミングの講習を受けていたり、くろねこさんの様にアルプスの女王の如く場数を踏んでいると、少々の岩場が出現しても、ひるむことはありません。ひるむどころか今まで足を引きずりながらやっと歩いていても岩肌に出合うと心が躍り足運びがリズミカルになるのです。(異常か?)

現在進行形で、トラ吉衛門さんという若いクライマーが誕生しつつあります。クライミングは、登山の途中で現れる岩場を安全に通過するためのものと言う事がわかりやすく理解してもらえる山だと思いました。

標高は600b級ですが、山登りの基本(アップダウン、岩場、やせ尾根通過etc)をすべて実践できる山だと感心しました。きっと夏山登山「鹿島槍」のトレーニングコースに組み込まれそうな予感がします。

歩き疲れた頃にやってくる岩場は、それまで疲れが来て、ダラダラと歩いている私達に緊張感を目覚めさせてくれ、幾たびもやってくるコルや尾根通過も登攀した後は、最高の喜びに変わります。

事前に岩場の多い七種山だと知っていながら、私はシュリンゲ、スワミベルト、カラビナの所持を忘れていました。出かけの大雨に気をとられてリュックに入れるのを忘れてしまったのです。「リーダーに見つからねばいいなぁ」内心そう思いつつも、やはりそれではいけないと不携帯を報告しました。

案の定、ロープでビレイする場面がやって来て「先に登ってビレイして」とリーダーに言われ、ロープを自分の腰にグルリと巻き、エイトで固定し、木の枝を利用して何とか補助することができましたが、スワミベルトとカラビナさえあれば短時間で装着できるのです。岩場で待機する登攀して来る人を危険な目に遭わさずに済むのです。

「七種山登山の教訓」
リーダーがいくらロープを所持し安全対策を講じてくれていても、補助される私達に装備が不完全だと、何の役にも立たないと言うことを痛感しました。補助される私達は常にスワミベルト・カラビナ・シュリンゲは、いざと言うときにはすぐに出せる場所に入れておく(出来ればスタート前に装着しておく)事が大事だと思いました。途中で予期せぬ突風が吹いたとして身体に付けてさえいれば、木の枝や岩に巻き付けて強風の通過を待つこともできます。


[2417] 【2492回 アッチャーパー】 2011-03-23 (Wed)

昔エンタツ・アチャコの漫才で「アチャパー」と言う言葉があったように記憶しています。(ふる〜っ!)
七種山レポートを1日かけて書き上げている途中に電源がおちて少し気分がブルーになっていました。しかし上書き保存をこまめにしていたことから再起動したらレポートが残っていて胸をなで下ろしました。続けて午後もず〜っと書き続け
我ながら直木賞ものだとほくそえんだ瞬間、「ctri&Cキー」を押したつもりが「ctri&Xキー」をおしたと見えてデーターが飛んでしまいました。電源が落ちないうちにとあせったのでしょうか・・・・復活すべく方法は全部試してみましたが残念な事に残っていませんでした。消えてしまうと、その思い出のレポートが傑作に思えてくるのです。「たかが山登りのレポート」と笑うかも知れませんが、私のホームページを閲覧に来て下さっている人数(カウント調査)は1日に100人を越えています。登山好きの閲覧者の方が次なる山の目標が、例えば「高野山の町石道」だとします。矢立茶店横の広場で休憩をしないで、もう少し上まで行った方が楽ですよとか、七種山は岩場がゴツゴツしていますよとか具体的にレポートにする事で、今後の参考にして頂ければ安全登山に繋がると思い、いつも熱い思いで書いています。勿論参加した頂いた方へのありがとうメッセージであることは間違いありません。

そんな大事な(私にとって)文章が消えてしまって立ち直ることができませんでした。現在復帰しましたが癌を宣告された患者のようなパソコンに、いつ見切りをつけるか思案しているところです。お金の問題ではなく、器械であっても愛おしいのです。

そんなわけで、落ち込んだ姫を見かねて、七種山登山レポートはジョンさんが引き受けてくれました。いつもとちがった別の見方からレポートが出来上がるのを楽しみにまっててくださいね。近いうちに、登山道にあった可憐なツツジの蕾が開花する頃、今度は逆のコースで七種槍まで往復したいと思っています。

(七種滝は雨のあとに限ります、七種山は登山というよりロッククライミングの山・・どちらも素晴らしい!)

帰りてまだ数日も経っていないのに心がときめくそんな素敵な山でした。


[2416] 【2491回 パソコン不調でしばらく休診します】 2011-03-22 (Tue)

昨日の楽しかった七種山登山のレポートを盛りだくさんで書いている最中に電源が切れました。何度も同じことを繰り返し、何とか使用できるようになり七種山登山のレポートを書き終えて、きちんと保存したはずなのに何故か消去・・・・

もうあかん!ショックが大きすぎる!

今日は1日かけてレポート完成したはずなのに!熱が出てきたわ〜(しばらく休診中)


[2415] 【2490回 チェーンメール】 2011-03-20 (Sun)

3月12日の「2483回 心からのお見舞い」で姪っ子から送られてきた「節電に協力して!このメールを他の人にも発信して!」の内容のメールが来たことをここで紹介させていただきました。

全く同じ内容で何人もの友人知人からも送られてきましたが受信するのみで他への転送はしませんでした。(信じてなかったのもありますが他へ転送する気になれなかったのです)

後日、姪っ子からメールが来て「おばちゃん!ごめん!あれはチェーンメールやったみたい!ほんまごめん!」と詫びの内容でした。私は即座に「それほどまでに大惨事であったと言うことよ!ドンマイ!ドンマイ!」と返信をしておきました。姪っ子は医療に携わる者として必死だったと思います。

いま大阪のスーパーのインスタントラーメンの棚が空ッポ状態となっています。被災地へ送るためなのか、それとも「あすは我が身」で買いだめをしているのか理解できませんが昔トイレットペーパー騒動を思い出してしまいました。

デマ情報に流されることなく、正しい情報と、いま自分に何が出来るのかと冷静に考えてみたいと切実に思っています。



[2414] 【2489回 追悼ウオーク】 2011-03-19 (Sat)

「追悼ウオーク」
東北地方太平洋沖地震で亡くなられた多くの方達と大切な仲間の故三浦泰平さんのご冥福を祈るため高野山奥の院まで出かけてきました。全行程30q、ウオーキングのスピードと登山とを混合しながら長く、つらい行程でした。しかし地震で亡くなった方達への追悼、故三浦泰平さんとともに歩き「もう一度連れて来てや!」との約束を果たすため思い出の地を当時を振り返りながら歩きました。

高野山奥の院では

「東日本大震災被災地早期復興」
「追悼 東日本大震災物故者」と書かれて追悼の儀式が執り行われていました。その時初めて「来てよかった!」そう思えました。

お参りを終え、奥の院を歩きながら、私達も被災地に向けて、小さな応援の手をさしのべようと固く約束をしました。
一緒に歩いた仲間からは
「命の会話もありましたが、人間は、瞬間瞬間を精一杯、心して生きる意外にありません。楽しい企画の中に、他人を思いやる気持ちを込めれば安全で楽しく完遂できる」とコメントをもらいました。弘法大師の歩いた町石道歩いてよかった!!


[2413] 【2488回 クライミング講座 4−1】 2011-03-18 (Fri)

「トラ吉衛門さんクライマーデビュー」(4−1)

かねてよりトラ吉衛門さんと約束をしていて、ご夫婦揃っての平日の休暇が取れたと言うことで蓬莱峡ゲレンデに行ってきました。1週間前には牡丹雪が降っていましたが今日は大丈夫みたいです。(出発前にはそう思ったのです)

阪急宝塚駅前からバスに乗り座頭谷下車。トラ吉衛門さん達が初めてということもあり岩場を避けて安全な川沿いの道を歩くことにしました。映画ロケによく使われる岩場に出た時に「ハリウッドみたいでしょ!」ハリウッドには行ったことはありませんが思わずそう紹介しちゃいました。(笑)

屏風岩東面岩場上部に固定支点をとり、その中をブリッジプルージックで2回登下降の訓練をしました。まず何故このような練習が必要なのかを理解してもらいました。登山中に岩場に遭遇した時、引き返えせない事、滑落しないための歩き方など、私自身も復習になり寒さを感じることなく練習に励みました。

空からチラチラ・・・何としたことでしょうか。一瞬、真っ白になりました。雪です!雪が降ってきたのです。!みるみるうちに木の上はクリスマスツリーの様に美しく変身しちゃいました。

最初はおっかなびっくりでしたが2回目、3回目と繰り返すうちに、「さすが若い!のみこみが早い!、順応性が良い!」などで私がクライミングを始めたときとは比べ物にならないくらい上達していきました。

昼食後は降りしきる雪の中、岩場の危険通過(ラビット結びを用いて)、懸垂下降をマスターされました。あとは回数を重ね、岩場に慣れることだと思います。トラ吉衛門さんは4回の受講を希望されています。ダーリンは今回がクライミング体験でしたので・・・あとはご自宅に帰り、酒を酌み交わしながら「やる?やろうよ!やめる?そうなんや〜!小遣い減らすよ!」とトラ吉衛門さんが、からんでいそうだよ〜ん。

★東北地方太平洋沖地震の関係もあり、講習日を延期しようかとも考えましたが、クライミングを楽しむのではなく、若いご夫婦が今後アルプスを目指すときの安全講習であり、事故のない安全登山への橋渡しになればと思い実施しました。


[2412] 【2487回 会うは別れの始め】 2011-03-16 (Wed)

「出会いは、その別れの始まりである。」と言う言葉がありますが、お別れをしたくない人ほど、別れの日が早くやって来るような気がします。

去年の11月の安全教育コンクールから、ずっと私達を見守って下さり、指導を受け、激励をして下さった交通課長が本部へ異動となりました。「公務員の異動は次なる羽ばたき」と言われ、今回も例外ではなく、府警本部へのご栄転であるため、笑顔でお別れしなければなりません。わかっているのですが悲しく、つらいお別れとなりました。署あげてのお見送りは、東北地方太平洋沖地震の関係で自粛するということで、とても静かな出発でした。

3月16日異動当日、此花署を出るとき、一般人の私もお別れのお見送りに来ても良いと許可を受けましたので、お見送りをさせて頂きました。(ご本人にはサプライズ)私にとって短期間ではありましたが心に残る恩師の様です。方面大会、府下大会、近畿大会と、毎日の様に署に伺い練習を積み重ねてきました。その都度、温かいご指導を受けました。わたくし、62歳と11ヶ月(まだ63歳とちゃうで〜!)のこの年になってこのような感動を頂けたのは、交通課長の熱意があったればこそだったと思っています。勿論ひまわり主任ちゃんの力も大きかったけどね。

「何か感謝を形に表してプレゼントしたい」そう考えて、キラリとひらめきジョンの所に走りました。「16日までに小さなヘリコプター作って〜!出来る?」何を唐突に!とけげんそうな顔のジョンに、これこれしかじかと理由を説明し、コンクールの思い出のヘリコプター(交通課長のお気に入りの品)を作ってもらうことにしました。高価な贈り物はワイロになり(キャハハ高価って・・・なんぼや?)お金では買えない、真心のこもった贈り物なら喜んでもらえると自己満足をしながら12日土曜日から制作に取り組みました。

今回のヘリコプターはコンクールで使ったヘリの3分の1の大きさなんですが、制作は大小に関係なく(かえって小さい方が精密さを要求するため手間がかかりました)足りない材料はバイクでコーナンに買いに走り塗料を塗り、土曜日の作業は塗料が乾かないため日曜日に持ち込みとなりました。13日、日曜日も終日、大阪府警のホームページを参考にしながら「ああでもない、こうでもない」と悪戦苦闘して3日目の14日、月曜日を迎えました。午前中には、ほぼ完成し、此花署名物の「カモちゃん」を取り付け、プレゼント用に包装し完成です

机の上に飾ってもらえるよう小さなヘリにしましたが、自分で言うのもおかしな話ですがめっちゃかわいいです。此花署名物の「カモちゃん」のパパ役の交通課長は本部に異動されますが、ママ役のひまわり主任と乳母役の姫と交通課メンバーで「カモちゃん」と一緒に此花区の交通安全を見守って行きます。交通課長が残された功績は大きく、「だろうではなく、かも知れない」と言う交通安全のスローガンはいつまでも生きています。交通課長!いつまでもお元気で!。「梅香山(813b)のこと、わ・す・れ・な・い・で・くださいね!」

本日のお別れの時に「此花が一生忘れない思い出の地となった」「貴方のお陰で課長として鼻の高い思いをさせて頂いた。ありがとう」と、お別れの言葉を頂きました。感激!です。

  (贈呈したヘリコプターはブログに掲載)


[2411] 【2486回 小さな旅立ち】 2011-03-15 (Tue)

「ももちゃん卒園式」

3月15日はももちゃんの卒園式&6歳のお誕生日です。姫婆は、パパとママが卒園式と謝恩会に出席のため、航大くんと和慶くんと一緒にお留守番することになり、午前9時30分、名塩着で出かけることにしました。(航ちゃん、泣かないでよ〜)ママの顔がチラチラと見えると人見知りと言うかママ恋しさで泣くのですが、姿が見えなくなると、とてもよい子で手がかかりません。案の定、出かける時間になるとしゃくり上げるほど泣きわめきました。それでも構わず、住宅地を一周すると、諦めたのか泣きやみ、姫婆にしか、すがる人がいないとわかると笑顔が戻りました。(手がかかるのは爺やの様です)

卒園式を終えた、ももちゃんが胸に胡蝶蘭の生花をつけて晴れやかな顔で戻ってきました。小さな旅立ちの記念と、6歳のお誕生日記念と、広島転勤中のパパが4月1日から大阪へ戻れることになり、みんな合わせて「良かったね会」をすることにしました。小さな子供達にも東北地方での地震の話をして、お家を流されてしまった人のいる事、パパやママと迷子になっている子供達がいることなどを話し、お祝いとしては自粛して「良かったね会」をすることにしたのです。

先日の地震の様なことがあれば、母子4人路頭に迷います。姫婆が駆けつけようにも交通渋滞などで、役にたちそうもありません。やはりパパもママもひとつ屋根の下で暮らすことが子供達にとって幸せなことです。この頃では4歳の和慶くんはパパが広島に帰る時にはワァワァと泣くため、和慶君が寝静まってから広島に帰る様にしていたらしいです。しかし夜中に起きて「パァ〜パァ〜!」と泣くのだそうです。だから納得のいくまで泣いてバイバイしていたと聞きました。それも、3月31日で解消です。

名塩からの帰り10台以上縦列して走る自衛隊の車を見ました。(もっと多く走っていたかも知れませんが確認できませんでした)
トラック、ジープ、タンク車など車種はさまざまで「災害派遣」の垂れ幕を掲げています。東北地方に向けて応援に行くのでしょうか。
ごくろうさまです。「第13旅団 第13後方支援部隊 海田市駐屯地 広島県」とかかれていて、伊丹駐屯地方向に右折して消えました。

(時間は午後4時50分、今日はここまでということなのかな)


[2410] 【2485回 追悼ウオーク】 2011-03-14 (Mon)

東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになった人達のことを考えると胸が痛くなり、心がざわざわしてる話を仲間にしましたら「オイラも同じや」と言う話になり「高野山にお参りに行こうか」と言うことになりました。

高野山は2009年3月28日から29日の一泊二日で「弘法大師のゆかりの地、高野山町石道と高野三山」として倶楽部で歩いています。それ以前も故人となられた股旅仲間と歩いています。奇しくも3月28日に歩いた時には、ジョンの目の病気が何とか正常近く回復し「復帰祝いウオーク」と称して、「お礼参り」として弘法大師の歩いた道を歩く計画し実行した様に思います。過日亡くなった、大阪府歩け歩け協会旧役員の三浦泰平さんとも歩いた思い出の道です。

東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになった人達を偲んで、三浦泰平さんを偲んで24qの長丁場を歩き、奥の院でご冥福をお祈りして来ようと思っています。プライベートウオークではありますが、もしご一緒に歩く方がいらっしゃいましたら一緒に歩きませんか?もしいらっしゃったら「みんなの広場」にその旨をご記入下さい。スタートは九度山駅からです。(3月19日土曜日実施)

人にはそれぞれ追悼の形が違いますが、弘法大師ゆかりの地を歩くのも、また追悼になるのではと思った次第です。


[2409] 【2484回 いままだ続く東北地方太平洋沖地震】 2011-03-13 (Sun)

3月11日の東北地方太平洋沖地震から2晩が過ぎました。過ぎれば過ぎるほど被害の大きさが判明され、津波の恐ろしさに加えて福島原発の放射漏洩は恐ろしさに拍車をかけます。避難地域が20qから30qに変更された時点で、もっとハッキリありのまま国民に伝えておけば被災者が出なかったかも知れない。「地震で被災している人達に、追い打ちを掛けるようで漏洩の話はできなかった」と大臣様が言ってましたが地震は天災だが漏洩は人災だ!と思っています。

「雨をよける所さえあれば、文句は言わない」と話していた方がいました。トイレも水も、電気も早くしてっ!行きたい時に排尿、排便のできるありがたさは、あまりにも当たり前になっていてトイレに行けない(設備がない)つらさを味わったことがありませんが大変な苦痛だと思います。仮設のトイレも大勢の人達が使い、衛生上問題が出てきます。とにかく早く何とかしてあげてっ!と祈るしかありません。

阪神・淡路大震災は、1995年1月17日に発生し、約5000人は木造家屋の下敷きで即死、約600人が家具の転倒で圧死したとされています。今回は津波が伴い、まだ被害の実態が把握できていません。避難所にいらっしゃる方、自宅にいらっしゃる方、早くライフラインが復活することを祈っています。


[2408] 【2483回 心からのお見舞い】 2011-03-12 (Sat)

「東北地方太平洋沖地震」

大変な惨事となってしまいました。
被害に遭った皆様心からお見舞い申し上げます。

大阪の地にいて、何のお役に立つことも出来ませんがが、
寒さがこれ以上、ひどくならない様に、救助の手がいち早く届きますように、こころからお祈り申し上げています。

与党だの、野党だのと喧嘩ばかりしている無力の政治家の諸君!今こそ与党も野党も一致協力して被災した人達のために動いてこそ「真の政治家」ではありませんか!

原子力発電漏洩事件も、奥歯に物が挟まった様な見解を述べずに漏れたら「漏れました」とハッキリ言ったらどうですか!
(ほんま腹立たしい!)

家を津波で流されて、家族の行方もわからず、不安な時間を過ごしていらっしゃる皆様、どうぞ、希望をもって、寒さに負けないで下さい。心からお見舞い申し上げます。
         
★★★大阪にいてて協力の出来ることありました!★★★

下記は医療機関で働く、姪からのメールです。
『本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつき中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が少しの電気の節約をするだけで関東の方の携帯が充電できて情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます。協力してください』
         ↓
本当に役立つかどうかわかりませんが、姪の必死の頼みに、ここに書くことにしました。暖房の温度を1度調整して、不用な照明を消して協力してみたいと思います。


[2407] 【2482回 地震の被害はありませんでしたか】 2011-03-11 (Fri)

パソコンをあけると下記の表示がありました。

●津波情報 [発表時刻] 2011年3月11日 18時47分 気象庁発表気象庁より津波に関する警報が発表されています。
今後の情報に警戒してください。 

●震度速報 [発表時刻] 2011年3月11日 19時22分 気象庁発表3月11日19時20分ごろ地震がありました。
[観測地域] 福島県中通りなど[震度] 3 今後の情報に注意してください。

今日午後3時少し前、私は此花会館「梅香殿」の5階会議室にいました。研修中に少し吐き気とめまいがあり「アレッ?今日、血圧を測り、120/70 と正常だったのに何故だろうか?」と考えていました。50人ほどいる保護司のみなさんは静かです。やっぱり私の体調が悪いのかと黙っていましたが、突然ブラインドが横揺れしました。「地震やっ!」研修を中断していると区役所の方が来て「とにかく一度建物の外に出て下さい!」と叫びます。「室内にいてる方が安全とちゃうのんか?」と言う人もいましたが係員の避難誘導に従い階段で1階までかけおりました。後から「久田さん健脚ですなぁ。山で鍛えているだけあって早いわぁ!」逃げ足が早いのでしょうか、1番先に階下に降りていました。(笑)3階では「電気工事検定講習」を受講中の若者100人ほどが(ほとんど男性)建物の外に避難していました。

しばらくして揺れが収まり、再び階段で5階まで上がり、引き続き講習を受けることとなりましたが、会場が5階ということもあって半端な揺れではありませんでした。こわかったです!。宮城県・福島県にお知り合いの方はいらっしゃいませんか?千年に一度の大地震だそうです。怖いですねぇ。


[2406] 【2481回 若者が童謡・唱歌がうたえない】 2011-03-10 (Thu)

2476回「歌詞で知ろう親子の別れ」でも書きましたが、歌詞には物語が潜まれています。私の持論は、歌は上手に歌うものではなく心をこめて歌うものだと思っています。心をこめて歌っていると情景が浮かんできますよ。

「若者が童謡・唱歌がうたえない」・・・テレビ番組のこんな見出しが目に入り、食い入るように見てしまいました。原因と考えられるのが、まず学校で行事をしなくなった事にあると言います。例えば節分、ひな祭り、端午の節句、七夕などの四季折々の童謡に触れることがなくなったのだそうです。入学式、卒業式も今風の歌を歌って「蛍の光」や「仰げば尊し」などは歌わないところが多いそうです。「ゆとり教育」が童謡を馴染みのないものにしてしまったようです。

OS教育大学の生徒を集めて(将来、教師になろうとしている若者)童謡・唱歌について聞いても「知らない」だの「聞いたことがない」などの生徒の多い事!多いこと!

「♪あした浜辺をさまよえば〜」の歌詞の中で「あした」の意味はと教授がきくと「明日」と答える生徒がほとんどでした。ここで言う「あした」は「朝」のことです。教師になろうとする若者が歌えないと言うことは、教職に就いても童謡・唱歌を教えられないと言うことになります。教師の単位をとるために20歳を過ぎた今必死で覚えている光景がとても寂しく感じました。好き、嫌いではなく、無条件に耳に入れてあげなければならないのではないでしょうか。

昔、ウオークで100回以上、例会毎に季節の歌を歌い続けてきましたが、マンネリ化と、一部のスタッフの理解度が薄く、やる気を失せてしまい(故・泰平さんだけは積極的に協力してくれました)自然消滅してしまいましたが、爺婆が折りに触れて四季の歌を歌ってあげるときっと心に残ると思います。

「♪母さんお肩をたたきましょタントンタントン〜♪」など、母子のやさしい光景が目に浮かんできて、家庭内暴力の芽も摘めるのではないでしょうか。小川の流れをみたら「♪春の小川はサラサラ〜」だとか、桜の花を見たら「♪さくらの花の咲く頃はうらら〜」とたくさん四季折々の美しい歌がいっぱいあります。「子供が歌えない」のではなくて「大人が歌い継いでない」ここに問題がありそうです。

幼稚園の参観の日、子供達が親に感謝の歌を歌うという場面がありました。「ふるさと」を選んで歌っていましたが、多分、子供達には歌詞の意味はわからないと思いますが、聞いていて涙が出ました。

将来の学校の先生様よっ!今からでも遅くはない!教師になるために覚えたとしても、将来我が子に四季折々の歌が口ずさめるんだから一石二鳥ですよ!覚えてっ!


[2405] 【2480回 春めいてきたけど山はまだ冬】 2011-03-09 (Wed)

急に春めいてきて、とうとうマキノの積雪は0bの表示となりました。先週、約束のソリ遊びに連れて行っててよかったです。しかし春めいてという話は町の中の話で、山々はまだ深い眠りについています。春を迎えると共に雪崩が起き、事故があちこちで発生している様子です。

わが倶楽部では、たとえ地獄谷に行く場合でも「登山届け」を作成し、携帯しています。今は所轄の警察にメール送信して受理されるケースも多くなり登山届けを提出しているかどうか参加者の皆様に報告はしていませんが、わが倶楽部として実施する時はリーダーが必ず登山届けを提出し、控えを携帯しています。(書類作成があるので事前に参加の有無が欲しいのです)どうぞ安心してご参加下さい。

雪山は美しい半面、危険な部分ももっています。雪崩は不可抗力なところもあり、先日の富山県警山岳隊の人達をも、飲み込む恐ろしい現象です。私達は安全登山を目指している倶楽部ですから、冬山は手をつけない(手をつけられない)で完全に春になるのを待ちたいと思います。でも、そう言いながらでも安全そうな、赤坂山・寒風・大谷山・武奈ケ岳などスノーシューを堪能しました。スノーシューは、まだ使う気で収納していませんよ。(春の大山?)

中高年の登山者が大半を占める山中で「山ガール」なる人達に出合うことが多くなってきました。若者が登山に興味を持ってもらえると言うことは、とても良いことだと思います。ただ、神聖な山登りを「山コン」と呼ばれるコンパ活動に使うグループがあるそうです。山の知識や装備は二の次で、恋愛相手を見つけるために登山をすると言う、そんな出会いを求める若者の集団があるようです。安易な気持ちで登山に出かけると、不十分な知識や準備不足が原因で、命を落としかねないのです。

富士山にスニーカーで水も持たずに登りSOSをしてきた青年がいましたが無謀です。そんな無謀な青年とわかっていても救助要請があれば出動していかなければなりません。訓練に訓練を重ね、自らが不慮の事故に遭遇する山岳救助隊員のみなさんに心から敬意を表したいと思います。私が脱臼事故を起こし、3時間以上かけて下山し救急車の中で「すみません自分の不注意でご迷惑をかけました」と言うと「そう言う気持ちでいて下さると我々もうれしいです。本当に必要な人が救急車を使って下さるのが我々の仕事ですから」と言って下さいました。

さて私達が待ちに待った映画「岳」がいよいよ5月7日に封切りされるそうです。北アルプスを舞台に山岳救助をテーマにした映画「岳・がく」。山岳救助ボランティア「三歩君」を主人公にした人気漫画の映画化です。漫画と言っても、とても専門的で、クライミングがおもしろくなりはじめた頃の私を、グングン、惹きつけてくれました。漫画にあれほど熱中したのは初めてでした。みんなで行こうね!


[2404] 【2479回 名コンビ復活〜】 2011-03-08 (Tue)

名コンビ復活(決して迷コンビではありませんぞ!)
8日火曜日、此花区民ホールにて「高年交通リーダー研修会」がありました。各地区の高年(65歳以上)の方達が小学校の登下校時に雨の日も風の日も子供達を交通事故から守るために信号に立ちボランティアで活動奉仕をしてくれている方達の研修会です。区役所の「見守り隊」の皆様10数人や区役所の方達も出席されていて、会場を見回した瞬間「今日こそが「高齢者のための交通安全予報」というテーマにふさわしい内容やな〜!」と武者震いしました(オーバーかな)

昔、企業の安全活動を一緒にしていたT氏とも久しぶりい再会したり、近所の方達もいらっしゃいました。T氏は自営業の会社を息子に譲り、現在は地域ボランティアとして活躍されているのですね。「何で若いアンタがここに居るんやの?」そうか〜みなさんから見たら、まだ私はピチピチギャルなんや(キャハッハッハ!)

プロジューサー兼監督から「今日はアドリブもOKよ。時間を気にしないで伸び伸びとやって下さい」と言われて、ちょっと緊張がほぐれました。式次第に沿って議事進行し、いよいよ私達の出番となりました。プロジューサーがいままでのいきさつを説明している間に会場設定をすませスタンバイOK、少し慣れてきたのかスムーズに段取りが進みます。

相棒と笑顔で「さぁ気合い入れて行こうか!」アイコンタクトを取り高齢者の交通安全の寸劇は始まりました。此花の地名を沢山取り入れていることもあってみなさんの眼差しを熱く感じ、手応えはバッチリです。笑ってもらうところは笑ってもらおう!強調するところはオーバーアクションで!

最後に事故防止のポイントを私が復唱し幕を閉じるのですが「よっしゃ!今日は会場のみなさんにも声を出してもらおう!」と、とっさに思いつき「みなさんもご一緒に」と言うと元気な声が返ってきました。うれしかったです。

「斜め横断の危険性」、「かも知れないという予測」などを、しっかり守ってもらえれば此花区から高齢者の交通事故は減るのではないでしょうか。期待するところです。

ところで高齢者とは何歳から言うのかご存知ですか?65歳以上だそうです。(私はまだ仲間入りできませ〜ん)バスや電車でも、できれば「座りたい」とは常に思っていますがまだ座席を譲られたことはありません。私が高齢者と自覚するひとつのバロメーターは「座席を譲ってもらいはじめたら」だと思っています。背筋をピーンと伸ばしていれば、まだ若いよね!


[2403] 【2478回 これからが本番の活動開始】 2011-03-07 (Mon)

「交通安全教育コンクール」の近畿大会の頂点に立つことができて早1ケ月が経とうとしています。今まではコンクールのための練習を重ねてきましたが、これからは此花区の行事毎に機会があればひとりでも多くの高齢者のみなさんにコンクールでの内容を伝えて行くのが使命だと思っています(生意気かな?)色々なイベントが目白押しにあり今日も練習に行ってまいりました。

練習の前に、此花警察署長室に於いて「記念品の贈呈」をして頂けると言うことで、喜びと驚きを隠すことはできませんでした。署長室には、こんな機会がなければ、おいそれと入室ができず、緊張しつつも記念品を頂戴し、その場でお披露目をすることになりました。コンクールに出場したのは2人なのですが、私達以上にコンクールのために熱い想いや指導を投じてこられた主任のご苦労も一緒に讃えて3人での授与式で、繊細なこころくばりに胸熱くなる思いでした。3人なら心から喜ぶことができます。(2人なら3等分したい気持ちは常にあるのです。何故ならば個人受賞ではなく「此花署チーム」だから)それほどに今日は、うれしかったです。

堺の近畿管区警察学校で受賞となりましたので記念品は堺の包丁でした。女3人どれほどに喜び合ったことでしょう。「堺の刃物、刃物の堺」と古くから有名で、包丁の柄の部分には個人の名前が彫り込んでくれていました。今日から主婦として、この包丁を使いご馳走を作ることを約束します(ほんまかいな〜)

包丁の起源は、遠く中国の大名に仕えた料理の名人の名前が「包丁」と言ったのに発しているそうです。この人が料理をするために、刀を取って牛に触れると、忽ち空から妙なる音楽が聞こえ、美しい花々が降り、得も言われぬ芳香漂い、天も感動するほどの立派な腕前で美味しいご馳走ができたそうです。いつの頃からか、この刀のことを包丁と言うようになったとされております。

婚礼や新築の最初の荷物入れは「包丁」と姑から聞いたことがありました。これは福禄の相・物や金の溜まる相・邪悪の魔神を切る喜慶の相・幸福を招来する相など縁起の良いものとされているからです。残念ながら私達3人は既に嫁いでおりますので、強いて言えば何の相なのでしょうか・・・
(記念品をブログに載せました。柄の部分の名前の彫り込みが表現できず残念)


[2402] 【2477回 トッピーにつられて地獄谷】 2011-03-06 (Sun)

前日のアスファルトウオークから一転し、今日は地獄谷の中を久々に歩いてきました。トラ吉衛門さんとくろねこさんの地獄谷デビューに、かこつけて屋久島名産「トッピー鍋」をすることとなりました。(主たる目的は???)

大鍋もあることから、四万十号を出し、高座の滝手前駐車場で荷物分担をし、いざ地獄谷へ。おっかなびっくりのトラ吉衛門さんとくろねこさんには、初めてと言うこともありロープでサポートし、他の経験者は自由にA懸垂岩までたどりつきました。だんだん慣れてくるとロープもいらないほどでした。A懸垂岩でトラ吉衛門さんがクライミングに挑戦!ロアーダウンで無事初登攀完了!(やみつきになるのも時間の問題)

雨がポツポツと降ってきたことから、第1鉄塔にあがり、もと来た地獄谷入り口でトッピー鍋をすることとなりました。ここには人もイノシシも来ないだろうと思っていましたが一匹の大きなイノシシが私達を狙っていました。小石と倒木を準備し戦闘態勢に入りましたが、威嚇はされたものの、おとなしく山の中に消えて行きました。

トッピー鍋は汁も残さず完食!もう何も入りませんと言う満腹状態ではありましたが、その後、トラ吉衛門さんが「チョコフォンデュ」と言うハイカラなデザートを用意して下さり、思いがけないご馳走に「別腹」が働いて美味しい、年寄りには想像もできないご馳走となりました。

更に、四万十号まで帰ると、くろねこさんが作って下さったというママレードをパンにつけて頂き、またまた別腹が大働き〜おしいかったです。帰りにはみんなにママレードのおみやげを頂き、雨に遭うこともなく愉快で満腹ウオークを完了しました。

たまに、こんなウオークもいいね。材料はみんなで分担持ち寄りして、ゴール手前で鍋を囲む〜(このパターン、クセになりそうです。)


[2401] 【2476回 歌詞で知ろう親子の別れ】 2011-03-05 (Sat)

3月5日土曜日、14s分のトッピーを抱えJR山崎駅に到着しました。ドタキャンがあったらどうしよう。トッピーがかわいそう・・・と心配しましたが全員ちゃ〜んと「トッピー引き取りウオーク」に参加して下さいました(ホッ)

みなさんちゃんとトッピー分の容量のリュックを背負ってきていて感心!感心!出発して宝積寺に行く途中、しだれ紅梅が美しく咲き誇っていました。天王山までは、わずかの時間に到着しましたが浄土谷分岐〜柳谷観音で「私道につき通行止め」とされていたコースがあり、やむなくアスファルトの車道を歩くことになりました。アスファルト道は膝に非常に悪く、つらいことこの上なしでした。でも登山道を改めて快適であることを知らしめてくれた気もします。

桜井の駅跡で解散となりましたが親子の別れを切々と語ろうと思っていたのですが、アスファルト道に負け資料を渡せずにいました。  下記の歌詞から想像をして下さいね。

歌詞で知ろう親子の別れ

●青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に
駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

●正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて
父は兵庫へ赴かん 彼方の浦にて討死せん
いましはここまで来(きつ)れども とくとく帰れ故郷へ

●父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
未(いま)だ若けれ諸共(もろとも)に
御供(おんとも)仕(つか)えん死出の旅

●いましをここより帰さんは わが私の為ならず
己れ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為め

●この一刀(ひとふり)は往(いに)し年 
君の賜いし物なるぞ この世の別れの形見にと
いましにこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん

●共に見送り見返りて 別れを惜む折りからに
復(また)も降り来る五月雨(さみだれ)の
空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)誰れか哀(あわれ)と
聞かざらん あわれ血に泣くその声を


[2400] 【2475回 雑誌の定期購読】 2011-03-04 (Fri)

子供の頃、友達の父親が教師をしていて、町から毎月決まった日に雑誌「なかよし」を買ってきていました。我が家には、金銭的な余裕もなく母親に買って欲しいと頼む事ができませんでしたので、友達が読み終わる頃を見計らって「遊っぼう〜!」と言って友達の家の縁側で「なかよし」の本を見せてもらいました。本誌は見せてもらえますが付録を作ったり、飾ったりが羨ましくて、羨ましくて仕方がありませんでした。

そんな婆姫の幼少の頃の悲願達成のために「小学一年生」の定期購読を注文しました。買い忘れもないし決まった日に孫達の家に届くのです。ついでに「幼稚園」という雑誌も追加しておきました。ピッカピカの1年生の本が届いた時、幼稚園に通う孫が「和君の本がな〜い」と言うのが目に見えています。読める、読めないは二の次で、同じように婆ちゃんから届くことのうれしさが婆姫の人気度につながります(笑)

私と同じ時代に青春を過ごした人は「なかよし」「少女」など懐かしいのではありませんか?その中に「ペスよ尾をふれ」と言う少女マンガがあり毎月、人の本ではありますが発売日が待ち遠しく思いました。雑誌に登場するアイドル「松島トモコ・小鳩くるみ」などを自分に置き換えて楽しんだことが蘇ります。

いまはテレビ時代。雑誌を読むと言うことが、将来、読書好きに繋がればと期待しています。最初のきっかけは絵本から、そして自分で好きな本を選択できる年になるまでは保護者が読書好きになるレールを引いてあげられればいいなぁと思っています。

そう言えば昔、我が息子に「トレーニングペーパー」という問題集を定期購入していたことがありました。社会・算数・国語などがあり、答え合わせなどは次回号についており、真面目に取り組んでいると信じて我が子を疑いませんでした。しかし、ある日、家の裏に何か落ちているのを発見して持ち帰って、ビックリです。息子が自分の部屋から大量に「トレペ」の問題集を捨てていたのです。それも兄弟2人して・・・!中味には、ほとんど手をつけてなくて白紙状態でした。あの時は、目から火花が飛び散り、口からは怒り爆弾が連発し、暴力こそなかったですが、必死で働いたお金を無駄にして〜とか何とか、母親も若かったから半端な怒りではありませんでした。さてさて、同じ事を我が子がして、怒る父親を見た時は「パパの子供の頃、こんなことがあったよ」と助け船を出してやることにしよう〜!


[2399] 【2474回 マキノはまだまだ大丈夫】 2011-03-03 (Thu)

「マキノ積雪30a」の情報に3月中旬の、ももちゃんの卒園式まで待てないと判断し、急遽、ひな祭りの3月3日、マキノスキー場に出かけることにしました。温泉大好きの零ママには「ひょっとして雪がなければ温泉に浸かって帰るだけになるかも知れない」と牽制球を投げて、しっかりと受け止めてもらっていました。

途中、ジョンから「今津あたりは雪が多いみたいなので注意して」とメールをもらいました。案の定、志賀を過ぎたあたりから細雪が舞い落ちて辺り一面、いままでに見たことのない雪景色に一変しました。おそらく早朝から降り始めたのだと思います。今津あたりでは細雪がボタン雪に変わり、ポチがこわごわ運転しているのがよくわかります。函館生まれの零ママは雪道には慣れている様子で最悪はドライバーチェンジも想定してマキノのメタセコイヤ並木まで何とか来ました。

「車とめて〜っ!」私が見たい見たいと言っていたメタセコイアに樹氷が美しくついていました。携帯写メールではありますが記念撮影をし「さらさ温泉」到着です。平日の今日は有料駐車場は無人で自由に駐車をすることができました。駐車車両は数台しかありません)

ソリを出して、旧マキノスキー場に行くと人っ子ひとりいません。雪の上には踏み跡も全くありません。(空いているのはいいけど誰もいないのも寂しいね)零がズボッズホッと歩く度に足が埋まりキャアキャア大はしゃぎしています。

新雪が零の膝まであり「マキノ30a」はうれしい誤算であることがわかりました。右手の斜面を踏み固め、ソリ道を造り、ソリ遊び開始となりました。水の流れる方には行ってはいけないことだけを注意し、あとは自由に寝ころんで、雪まぶれになりながら寒さ知らずで、まるで「♪犬は喜び庭かけまわる♪」状態で喜んでいました。函館育ちのママも「小学校以来」と言いながらソリ遊びに夢中になっていました。

雪質が良く、量も多いことから「かまくら」を作ったり、雪だるまを作ったりと、旧マキノスキー場をひとりじめすることとなりました。12時前に2人の登山者らしき人が寒風方面コースへ行ったきり、とうとう最後までだれもスキー場へは来ませんでした。(土日の混雑ぶりを知っていますので嘘の様な静けさでした)しばらくすると雪が降ってきたこともあり、零が雪遊びに夢中で、なかなか帰ろうとしないので「あと3回滑ったら温泉に行こう」と零に言うと「あと1回で良い」といいます。理由を聞くと「足が冷たすぎる!」調べてみると長靴の中に水がたまっていて両足とも真っ赤になっていました。「これは大変だ」と替えの靴下を履き、ソリに乗せて「さらさ温泉」まで搬送することとなりました。

「さらさ温泉」の中も貸し切り状態で、ゆっくりのんびり、零が露天風呂に積もった雪を、せっせと浴槽にいれるのを眺めていると湯あたり寸前となり、あわてて出ることにしました。(裸体で救急車はイヤダヨ〜)

レストランも客は私達だけで、帰る途中にあるどこかの温泉のレストランより抜群の味で天ぷらうどんのお汁まですすってしまうほどおいしかったです。

「また来ようね」と言う零に「そうね」とは言えず(だって雪が溶けるかも知れないもの・・・)マキノを後にしました。途中の道の駅「藤樹の里あどがわ」に立ち寄り栃餅を買い(またか〜!)琵琶湖と雪景色とに魅とれながら無事戻りました。今夜の寒さから想像すると、今週の土曜・日曜はまだ充分、雪遊びが出来ると思います。但し混雑覚悟でね。(今日の様子はブログに載せました)


[2398] 【2473回 突然の訃報】 2011-03-02 (Wed)

ウオーキング時代の仲間の訃報が飛び込んできました。
我がやまたび倶楽部の山仲間の中にはご存じの方も多くいらっしゃることと思います。あえてご存命で有った頃のお名前を書かせていただきます。

「三浦泰平さん」 あ〜あ知ってると思うのではありませんか?歩け歩け協会の役員として、またウオーキング実施時には先頭を歩き、またコースを明記するために矢印貼りをしたり、大変なご尽力を賜りました。

(追悼文)
三浦泰平さん(通称やっちゃん)とはバスウオークで、姫とコンビを組み参加された皆様に喜んで頂こうとご当地にふさわしい扮装をして歩きました。

■妻籠宿から馬籠宿を歩いたときは、姫と二人で合羽からげて三度笠スタイルで宿場町を練り歩きました。腰の曲がったおばあさんと遭遇し、びっくりされて腰がピーンと伸びたことがありました。

■鈴鹿峠のウオークでは忠太郎さんが山賊になり、やっちゃんが三度笠スタイル、姫が鳥追い姿で鈴鹿越えをしました。

■伊勢ウオークでは弥次さん喜多さんに扮装し、町の観光協会の人と間違われたりしたこともありました。

■天城越えでは学生帽にマントをひるがえして格好良かったです。このとき姫は太鼓を背負った踊り子姿。

本来はシャイな紳士なのですが、私とコンビを組むと大胆な行動を楽しんでおられました。いつだったか 同窓会に三度笠スタイルの写真を持参したら「意外だっ!」とみんなが驚いたとうれしそうに話をしておられたのを思い出します。

健脚でお酒も好きで、曲がったことが大嫌いで、私がいくら山登りに誘っても 「高いとこ、こわい」と高所恐怖症的なところもあったようです。篠山の篠見四十八滝で岩場のサポートしていただいたとき「歩けで一番怖かった」とお話されていたを思い出します。

ウオーキングに在籍していた時には信頼のおける「同志」みたいなところがありました。今年の年賀状に「その後、おかわりなくご活躍のことと存じます本年もよろしく願い上げます」と追記して下さっていました。

長くウオーキング協会の理事をされていましたが最近では理事も降りて ひとりで気楽にウオークに参加されていた様子でした。

もっと頻繁に会っておけばよかった!山登りにもっと強引に誘っておけばよかった!最後に会ったのは九度山から高野山まで一緒に歩いたのが最期になりました。沢山の思い出をありがとう!やっちゃんの努力があったから、今の歩け歩け協会があると言っても過言ではありません。

「やっちゃん!天国に行っても、きっとまた歩き続けることと思いますが天国は高いところやで!高所恐怖症は大丈夫かな!」

わが、やまたび倶楽部では3月6日の山行のあと、ささやかな宴をもうけて「やっちゃん」を偲びます。皆様と一緒に心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います(合掌)

「ジョンの思い出」
歩け歩け協会時代はいろいろとお世話になりました。もう3年前になるでしょうか。九度山から高野山まで町石道を歩いたのが最後になりました。また、声を聞いたのは、ジョンが入院中に電話を頂きながらも点滴中だったため、看護師さんが横にいたので話すことが出来ずすぐに切ってしまいました。その後、連絡がつかず今日に至っています。


[2397] 【2472回 雑誌の年間購読契約】 2011-03-02 (Wed)

子供の頃、友達の父親が教師をしていて、町から毎月決まった日に雑誌「なかよし」を買ってきていました。我が家には、金銭的な余裕もなく母親に買って欲しいと頼む事ができませんでしたので、友達が読み終わる頃を見計らって「遊っぼう〜!」と言って友達の家の縁側で「なかよし」の本を見せてもらいました。本誌は見せてもらえるのですが付録を作ったり、飾ったりが羨ましくて、羨ましくて仕方がありませんでした。

そんな婆姫の幼少の頃の悲願達成のために「小学一年生」の年間購読を注文しました。婆姫が1年分をまとめて支払いを済ませると毎月、零くんとももちゃんの所に届くシステムです。買い忘れもないし、売り切れもないし、なかなかグッドアイデアでしょ?

ピッカピカの1年生の本が届いた時、幼稚園に通う孫が「ボクの本がな〜い」と言うのが目に見えています。読める、読めないは二の次で、同じように婆ちゃんから届くことのうれしさが大切なんですよね。つ・ま・り・婆姫の人気度につながります(笑)

私と同じ時代に青春を過ごした人は少女雑誌「なかよし」「少女」など懐かしいのではありませんか?その中に「ペスよ尾をふれ」と言う少女マンガがあり毎月、人の本ではありましたが発売日が待ち遠しく思いました。雑誌に登場するアイドル「松島トモコ・小鳩くるみ」などを自分に置き換えて楽しんだことが蘇ります。(いまごろもうお婆ちゃんやけどね)

いまはテレビ時代。雑誌であったとしても、将来、読書好きに繋がればと期待しています。最初のきっかけは絵本から、そして自分で好きな本を選択できる年になるまでは保護者が読書好きになるレールを引いてあげられるといいなぁと思っています。

そう言えば昔、息子に「トレーニングペーパー」という問題集を定期購入していたことがありました。社会・算数・国語などがあり、答え合わせなどは次回号についており、真面目に取り組んでいると信じて我が子を疑いませんでした。しかし、ある日、家の裏に何か落ちているのを発見して持ち帰って、ビックリです。息子が自分の部屋から大量に「トレペ」の問題集を捨てていたのです。それも兄弟2人して・・・!中味には、ほとんど手をつけてなくて白紙状態でした。少々教育ママ的であった私は、目から火花が飛び散り、口からは怒り爆弾が連発し、暴力こそなかったですが、必死で働いたお金を無駄にしてっ!とか何とか、母親も若かったから半端な怒りではありませんでした。

さてさて、同じ事を我が子がして、怒る父親を見た時は「パパもそうだったよ」と助け船を出してやることにしよう〜っと!


[2396] 【2471回 山岳警備隊員が雪崩に遭遇】 2011-03-01 (Tue)

もうすぐ春が到来すると言う2月28日のこと、北アルプスで山岳警備隊員の方達が雪崩に遭い重体と言う事故がありました。場所は富山県北アルプス、剱岳の「池ノ谷ガリー2750b」付近で、冬山での救助訓練をしていた富山県警山岳警備隊の3人が雪崩に巻き込まれ、斜面を約450メートル下に流されたそうです。

自力で脱出した警部補が、同僚2人を救助しましたが、2人とも意識不明の重体だそうです。少し後を歩いていた別の隊員3人が雪崩の発生場所から約850b離れた地点まで運び、6人で野営して救助を待っている状態だそうです。防災ヘリも出動しましたが、視界が悪く救助を断念し、天候の回復を待って3月1日早朝にも救助に向かう予定だそうです。

隊員6人は、剱岳登山者の野営ポイントになっている通称「マッチ箱2650b」を28日午前8時に出発。その後、3人ずつに分かれて池ノ谷乗越(2850b)を目指しながら訓練をしていたそうです。

「雪崩に巻き込まれた」と無線連絡があり、ビーコンを手がかりに、約3分後に1名、約20分後に1名を雪の中から救助したといいます。剱岳一帯で救助訓練中で、積雪期の山の状況把握と技術の向上を図るため、あえて難しい条件下で野営しながら訓練をしていたといいます。ビーコンがあったから早期に雪の中から救出できたのですね。

私達登山者の安全を守るため、常に厳しい条件下で訓練を続けて下さっている隊員の皆様に心から感謝し、重体である2名の山岳警備隊の方の回復を心から願っています。


[2395] 【2470回 給料日あとはファミレスや回転寿司は混雑】 2011-02-28 (Mon)

武奈ヶ岳に出かける朝、魔法瓶に暖かい紅茶を入れ、リュックのポケットに差し、荷物でいっぱいの車の中の座席に無意識で横にして置きました。途中で「何か冷たいような〜」「気のせいちゃうの〜」などと無責任な会話を繰り返していたのですが、どうも、私のリュックから何かこぼれているみたいです。路肩に車を停めて見てみると、何と魔法瓶は空っぽ!ジョンのズボンは紅茶でボットボト〜平身低頭に謝りはしましたが冷たかったと思います。これを教訓にして、魔法瓶などにお茶を入れたときは、出発前に一度、逆さまにして確認することにします。(ゴメンネ)

話は変わって、登山中に「目から汗」がでることはありませんか?雪の中を歩くときサングラスは、目を保護するために絶対必要となってきますが、かけると目に汗をかいてレンズが曇ってしまうのです。(正確には目の周囲かな)汗が目に入ると塩味のため痛くてたまりません。両手はストックでふさがれているため、たちどまっては目の回りを拭わなくてはなりません。夏には腕に汗バンドを巻くのですが、この時期は、つい持って行くのを忘れてしまいます。

登山を終えた武奈ヶ岳からの帰り、時間は午後7時過ぎ、「寿司喰いたいよ〜」と言うポチの希望を叶えるべく、回転寿司屋に立ち寄ることにしました。1軒目は駐車場から車道に車が溢れているためにパス。2軒目も待ち人多しでパス。もうここが最後で、どんだけ待ち時間があっても待とうということにして、駐車場から店の中に入りました。通路の階段から人が溢れています。ほとんどが子供連れ・・・これはなかなか順番が来ないとあきらめてファミリーレストランに行くことにしました。

ここも駐車場の車の数から見て、嫌な予感はしていましたが、待ち人16組、あかんっ!ここも待てないわ〜。仕方がないのでファミレスも出て、小さな中華屋さんに入りました。ここでやっと、夕食にありつけました。しかし給料日あとの土曜日はいつもこんなに、人で溢れているのでしょうか?給料を貰わない無職の私達には理解できません。


[2394] 【2469回 高校の同窓会もどき】 2011-02-27 (Sun)

ひょんなことから同窓会(表向きは食事会)をすることとなりました。人によっては毎年、小学校や中学・高校などの同窓会を賑やかに定期的に続けている方達もいます。うらやましいかぎりです。私達は高校の担任の先生が相次いで他界したことから同窓会が自然消滅していました。

年賀状のやりとりのある同級生を基準に、とりあえず大阪に住む者を対象として「食事会」をしませんかと言う希望の声が、何故か私のところに集中しました。卒業する時に「同窓会幹事」として任命された男子生徒はいるのですが自営業で多忙とかで、なかなか前に進みませんでした。かと言って、周囲の人達も誰も彼に代わって同窓会の持続を手伝うものはいませんでした。

「○○君が死んだらしい」「△△さんも病気で亡くなったよ」と言う訃報がボツボツ入ってくる年代となると「会いたいねぇ〜会おうよ!」と言うことになったのです。そこで仕事を辞めて、超暇人だろうと言うみんなの目が私に向いたのです。

「今回限り」ということで世話役を引き受けました。同窓会ではないこと(同窓会と名打つと全国に散らばる同窓生全部の行方を調べるのに大変)とりあえず大阪組だけでも集まり、各自がもっている連絡網をまとめることになりました。場所は西九条駅界隈。本当は母校のある弁天町界隈がいいのですが、私の便利の良い西九条と言うことになりました。

何年か前に小学校の同窓会があると言うことで同窓会に出席するために高知県四万十市に帰郷しました。「あんただれ?」会場に着くなりそう言われました。私は両親を亡くしてから姉の嫁ぎ先である大阪に転校したため、みんなの記憶の中から消えていたみたいです。「なんじゃあミチコか〜」とわかってもらってからは、思い出話の仲間入りに入れてもらえました。

しかし、何ですなぁ、みんな、連絡を入れてから返事の遅い事はこのうえありません。「行くのか、行かないのか、調整中なのか」の意思表示が遅いです。やはり「今回限りの世話人」しか引き受けるのは嫌になります。私などは何十年ぶりの誘いなら「行きたい」「行けない」「何とか調整する」などと世話人のご苦労に何らかの回答を、すぐするのですか、みなさん!ちょっとのんきすぎやしませんか〜!


[2393] 【2468回 雪の消えぬ間に武奈ヶ岳へ】 2011-02-26 (Sat)

金曜日の夕方「武奈ヶ岳にいこか?!」とジョンにメールをもらいました。聞くところによると天気も良いし、道路はノーマルタイヤでOK。「まだたっぷりの雪があるらしい」との情報を得て、愛車の「四万十号」で坊村まで出かけてきました。

自宅を午前6時に出発し坊村に到着したのが午後8時30分。すでに神社前の駐車場は満杯で橋を越えて大きな駐車場へ何とか駐車することができました。この車の量から行くと、かなりの人が武奈ヶ岳に向けて登山中と言うことかと恐ろしくなるほどの駐車車両でした。

準備をし神社前をスタートしたのが午前8時40分を過ぎていたと思います。御殿山到着11時20分。この間に50人〜60人の人達に追い抜かれてしまいました。武奈ヶ岳の頂上を踏んだのが12時20分、先客のみなさんの鍋の中味は、さまざまなご馳走を用意しておられて、時折良い臭いが漂ってきます。

無風。快晴。頂上は銀座並みに、にぎわっています。何とか腰を下ろす場所を確保しておにぎりを頬張ります。30分ほど頂上からの景色を楽しみました。頂上にこんなにも長い時間滞在するのは久しぶりです。下りは勿論ソリ!を楽しみましたよ。

御殿山に戻ってきたのが13時25分、ゴールは15時でした。今回も沢山の山物語がありレポートを作成中ですが今夜は疲れているので。。。おやすみなさい。レポートは後日ね。ムニャムニャ〜ねむいよ〜!


[2392] 【2467回 ピタッ!】 2011-02-25 (Fri)

「何がピタッ!」やねん?
そう言われそうですね。あれほどに登山用品の店にイソイソと通っていたのに、最近ちっとも行きたいと思わなくなりました。と言うことは一通り道具が揃ったということなのでしょうか?暇さえあれば好日山荘・ロッジ・モンベルなどの登山用品の店を徘徊していましたが、買い物の付き添いで行っても「欲しい!」と思うものに出合わなくなりました。今からは壊れた道具の修理や、買い換えになると思います。

ウオークなら、ウオーキングシューズと小さなリュックがあれば、とりあえずスタートすることができます。私の最初の一歩もウオーキングからでしたので、費用をかけずに参加することができました。しかし雨が降ればゴアテックスの合羽が欲しくなり、ストックも欲しくなり、お洒落なウエアーも欲しくなりました。そんな風にして序々に道具を増やして行きました。

やがて、ウオークから本格的な登山に切り替えたとき、山中で命を守るために「最低必要な道具」として目的に合った登山靴・ツエルトやテント、寝袋などを購入することとなります。何せ我が家は2人分ですからたまりません。そして山道具品の高いこと!(一度買い揃えばあとは楽ですが)普段の下着に8000円も出して買うことはありませんが「軽くて、防寒バツグン」なんてキャッチフレーズを見ると、つい買ってしまいます。

アルプスに行くには岩稜帯の通過もあるということでクライミングの道具も揃えることになりました。ハーネス・カラビナ・シュリンゲ・ロープなどを購入すると、不思議なもので「岩登りできるかも知れない」と錯覚しはじめます。クライミングが主たる目的で日々、岩場にでかけるグループもありますが私達は「安全に岩稜帯を通過する」ことを目的としていますので、同じ岩場にかじりついて練習することとなります。それも結構楽しいですよ!

岩が登れる様になると「じゃあ山中で大雨に遭遇した時に登山道が川と化す事があるので、水の中を通過できる技術も要る」ということで沢登りもはじめることとなりました。沢靴・沢用スパッツ・沢手袋とまたこれも専用の道具が必要となってきます。(これも一度揃えればOK)

じゃあ季節限定、雪の中を歩くにはということでスノーシュー・アイゼン・ピッケルも購入しました。総費用はざっと計算しても・・・・・・×2人で〜す。(あの世に金は持っていけませんのでネ)

そんなこんなで我が家は「登山用品」でひとつの押入が満杯となっています。登山に出かけないときは道具を眺めて楽しんでいます。しかしまあ、よく買い揃えたものですね。


[2391] 【2466回 めざせ日本百名山】 2011-02-24 (Thu)

日本百名山「五竜岳・鹿島槍」

一座づつ日本百名山を制覇して行く喜びは、子供がグリコのおまけを集めまわった喜びに似ています(ん?たとえが悪いかなぁ)キャラメルは要らないのだけれど、おまけのオモチャを集めて喜んでいた幼かった息子の顔と同じ顔つきをしていそうで鏡を覗いてみました。(苦笑!似てるよ〜)今年の9月頃に扇沢から入山して爺ケ岳、鹿島槍、五竜岳、おまけに唐松岳、ほんでもって八方尾根方面へ行きたいと夢は大きく膨らみます。

まず地図を広げて、不用になったカレンダーの白紙を利用し、地図をトレースしました。交通機関、所要時間、宿泊する山小屋情報、などを書き込み、もうすでに山に登った気分でいます。去年の屋久島も、東北も、早くから登った気分で楽しかったことを思い浮かべています。「よっしゃ!行こう!」と決めた時から旅は始まったと思っています。

一番大事なのは所要時間で、地図に書いてある時間に1.5倍を掛けて自分の登山時間を割り出します。地図に書いてある時間は、標準時間ですので私がその時間内で歩けるはずがありません。とすると、この小屋までは無理か〜などが見えてきます。縦走の山歩きの1日の最適時間は6時間と言われています。それ以上を無理して歩くと、次の日に疲労が積み重なることになり、楽しいはずの登山が苦痛しか残らなくなります。

62歳(4月で、まだ63歳・・・)と言う年齢などを考え、休憩も充分に取り、美しい景色や高山植物にも目を向けて歩いていると、地図に記入している時間は「目安」にしかならなくなります。でも、ただひたすらに頂上を目指すよりも思い出多くていいのではないでしょうか。

私は子供の頃(たしか小学4年の頃)分校で学んでいた子達と4年生になると同じ学舎で机を並べることになり、私自身が田舎者なのに分校の子達が更に田舎者に思えて、どんなところに住んでいるのか探検したくなって、分校のある子の家に山越えをして遊びに行ったことがありました。あれが最初の山登りかも知れませんね。帰り道を間違わないように母親が短い縄を何本も持たせてくれて、迷いそうな道に縄を巻き付けて行きました。今で言う道標のテープですね。遊び終えて、また山越えをして戻る時、途中で薄暗くなり、フクロウが啼き、カサコソと風の音が、とても怖くなって、一目山に掛け降りて帰りました。でも心配して迎えに来てくれることは一度もありませんでした。あの頃、交通事故に遭うほど車は走ってないし、誘拐もないし、まして怖くなって泣くような事はないと思っていたのでしょうか。

    本当は、めっちゃ怖かったのです。


[2390] 【2465回 山小屋の弁当】 2011-02-23 (Wed)

「体力的に、もう夜行バスは無理」と、昨日書いたばかりではありますが大阪を夜に出発し、翌日の早朝に着くと言うのは、日程的にとても魅力的ではあります。バスから降りて、身支度を整え早朝から登り始めると前日宿泊するより、はるかに費用が安くつきます。費用を少しでも安くして参加してもらおうと考えると、「さわやか信州号」などの便利な夜行バスを無視できなくなります。

要するに、夜行バスの中で、いち早く、図太く眠るという訓練をしなければなりません。むずかる赤ちゃんを車に乗せるとすぐに眠るという「裏ワザ」の如く、バスの揺れを利用して睡眠を促せると言う訓練がいりますね。西宮に住む4歳の孫がむずかる時、車に乗せて名塩を一周するとよい子で寝てくれていたことを思い出しました。

今日の話題は「山小屋の弁当」です。
山小屋を早朝出発する我々は夕食時に「朝食は弁当で」と、お願いすることが多いです。その弁当は途中で朝食用にしたり、昼食用にしたりと、各自に判断をしてもらい食べています。私は朝食にはパンなどの軽食を摂り、弁当は昼に回すことが多いです。あの弁当を朝、食べるには勇気がいります。何故ならばご飯の量も多いし、油物が多く、とても食べ切れません。ヘタに食べ残すとリュックの中で汁がこぼれたり、臭いが残ったりします。

北鎌尾根から槍岳、穂高縦走ルートの際に「かやく寿司弁当」みたいなのをもらいました。私は美味しくいただきましたが相棒は何故か喉を通過しなかったことがありました。人によって好みがあるので「シンプル・イズ・ベスト」が無難ですね。私がもし将来、山小屋のおかみさんになったとしたら、ふっくらと握った梅干し入りのおにぎり3個と沢庵5切と目刺し2本を竹の皮に包み渡してあげたいと思います。

去年の夏、常念岳登山のとき、山小屋のスタッフに「弁当はおにぎり2個と漬け物があればいい」とお願いしました。でもあけて見たら、なるほどおにぎり2個はOKでしたが、やっぱり食べきれない程のおかずが入っていたのです。(しかもコンニャク入りやで〜)

器や包装紙なども食べた後、リュックに入れるには、カサ高いです。おにぎり2個と漬け物をラップに包みビニール袋にいれてもらえればこんなに有り難いことはありません。残さず食べられるし、ゴミもうまくまとめられます。山でご馳走を食べようと期待はしていません(ちょっとは期待しているかな?)

文句言うんならテント担いで、自炊しろっ!て言われそうですよね。でもね、不足を嘆いているのではありません。飽食をなげいているのです。

山小屋の食事で「カレーライス」を名物にしている小屋があります。しかもお代わり自由です。最初エビフライなんぞが乗っかっていて「豪華やんけ〜!」と思い、おかわりをしたら、さすがエビフライは乗っかっていませんでした。(ハハハ)登頂できたという満足感が最高のご馳走なのですから、食事については誰も文句は言わないと思いますよ。

登山を始めた頃「山小屋の食事は残してはならない。残すと残飯処理に困るので、小屋で働く人達が食べなければならなくなる。」と教えられたことがあります。現在もそうなのかどうかわかりませんが、白いご飯と暖かいみそ汁と一切れの美味しい鮭があれば最高なんですがね。


[2389] 【2464回 登山計画書の難しさ】 2011-02-22 (Tue)

日曜日に行った寒風・大谷山コースのスノーシュートレッキングの参加費がネットを見ていると1万2千600円となっていました。高っ〜!とも思いますがコースも複雑で単独登山が無理なのでツアーに乗っかるしかない場合は安全対策費だと思って12600円払って行くしかないのですね。私達は千円で楽しめてラッキーでしたね。

登山に参加するとき、リーダーの山行計画書を見て「参加しよう!行こう!」と決めるのですが今年の夏に予定している鹿島槍について、自分なりに計画書を作成して見ようと暇にまかせて地図など色々資料を広げて検討していますが、なかなか上手く行きません。リーダーのご苦労が身にしみます。資料に記入している時間で山小屋に到着出来るのだろうか?日程に無理は無いだろうか?大阪からの電車の便は?などと考えると「????」マークが果てしなく広がっていきます。ほんまコース作成って大変な事だったんですね。
(今更〜ゴメン)

私達は、もう夜行バスで行くのは体力的に無理な年齢となりました。勿論自家用車でも同じことが言えます。登山口ちかくに宿泊し、翌朝ゆっくりと登りはじめて山小屋を見つけたら泊まる、午後2時を目処に到着するのがベストですよね。早めに小屋に到着しておくと、ゆっくりと周囲の景色を楽しんだり、周辺の散策も可能です。無理をして、長丁場を歩き続けやっとの事で小屋に到着し食事を済ませて寝る、起きる。夜明け前に小屋を出発すると小屋に泊まったことの記憶さえ残らなくなります。(笑)

先日、トラ吉衛門さんが山小屋の経験がないと言うことで初めてのお泊まり小屋にふさわしいのは、はてはてどこだろうと考えて「燕山荘」とお勧めしました。私の記憶の中には燕山荘に到着して周囲の景色がスイスの様に美しく(スイスに行ったこともないクセにねぇ)夕食後のオーナーの2bのホルン演奏が心に強く残っています。あっ生ビールもケーキもコーヒーもありますよ。飲み過ぎないで下さいね。

燕山荘で山小屋デビューをしたらあとは「タタミ一枚に3人」なんて混雑する小屋や、汚い小屋等々体験すると思いますが「雨露がしのげればいい」のが山小屋の使命ですからね。これが嫌ならテント担いで行くっきゃないよね。

もう二度と泊まりたくない小屋は日本一の山に登るときに仮眠した小屋・・・思い出したくもありません。が、思い出してしまいました。小屋に到着して支払いを終えると「リュックを持って並んで下さい」ということでリュックを抱えて列に並ぶとリュックは枕と化し「ハイ貴方は頭をこっちに。次の人は頭を向こう」とまるでイワシの串刺し状態で、頭と足を交互に並べて仮眠することとなります。その間、寝返りでも打とうものなら、もう最初のスペースはありません。しっかりと寝返りを打たずに天井を見上げて自分の寝るスペースを確保するのです。そんな中でも早くからイビキをかいて寝ている人もいました。(これぞ山男!)

あれから、あの山の小屋は改善されたのかしらね?日本一の山だけのことあって登山者の数も半端ではありません。トイレなどの衛生面もまだまだ問題山積みみたいですね。「一度も登らぬアホに二度登る馬鹿」なんて言葉もありますよね。

あの山は裾野から見上げて美しい山だと思っています。特に忍野村から見る景色は「いよ〜っ日本一!」と叫びたくなります。いまから登ろうと思う人がいたらガッカリさせてごめんなさいね。人それぞれに価値観が違いますからね。頂上で迎える夜明けの美しさと、雲海の美しさは、頂上を踏んだ人へのご褒美として素晴らしいと言うことも書き加えておきます。♪頭を雲の上に出し雷様を下に聞く♪こんな歌ありましたよね。


[2388] 【2463回 日焼け対策のスタート】 2011-02-21 (Mon)

今日は外に出るとポカポカと春めいています。昨日の寒風山での強風を思うと、一気に冬から春へと季節が替わったのではないかと思うほど暖かいです。サンルームにはスノーシューやリュック、防寒着などが所狭しと干してありよく乾きそうでうれしいです。贅沢を言わせてもらうと、今日のこの温さが昨日でなくてよかったと思っています。きっと暑くてつらかったと思います。メンバーによっては雪焼けがひどく下山時には赤ら顔をしていた人もありました。これからは紫外線に気を付けなくてはなりませんね。

これから気になる紫外線・日焼け止めクリームについて
紫外線の量が多くなるのは4月〜8月と言われています。とくに、春から梅雨の季節になる5月・6月は1年でもっとも紫外線が多い季節になるんですよ。真夏だけだと思っていませんか?日焼け止めクリームは欠かせない季節となってしまいました。紫外線はしみ・しわの原因になるのはもちろん、免疫機能や目、さらには皮膚の炎症や皮膚がんにまで影響すると言われています。これからは、紫外線を甘く見てはいけないということです!

「日焼け止めクリームなんてどれをつけても同じや」って思ってませんか?化粧品屋で勧める品、薬局やコンビニなどで売っている日焼け止めクリームをどのような選び方をしていますか。ほとんどの日焼け止めクリームには、紫外線防止剤というものが含まれていて、「紫外線散乱剤」と「紫外線吸収剤」という2つ種類があるそうです。

●「紫外線散乱剤」とは
化学反応で紫外線を吸収し熱を放出するので、お肌への負担が大きく、肌の弱い方は赤くなったりかゆみなどトラブルが発生しやすいもの。

●「紫外線吸収剤」とは
紫外線を肌表面で反射散乱させるもので、天然由来成分から作られるものが多く、お肌にほとんど負担がありません。

日焼け止めクリームを購入する時に「SPF」「PA」など意味不明の暗号の様なものがあります。SPFとは、紫外線B波(UBV)を防ぐ数値だそうです。人間の肌は色白の人で20分間、日に当たると焼け始めます。(SPF1=約20分とされています)
SPF20とかかれていれば、20分×20=400分で約6時間半B波を防ぎます。私がいつも言う「お昼には日焼け止めクリームを塗り直して下さい」の意味がわかってもらえたと思います。

PAとはプロテクションUVAの略でA波を防ぎ、「PA+」は少し効果有り、「PA++」は効果有り、「PA+++」はとても効果有りですので購入する時よく表示を見て購入して下さい。真夏の山登りの時などは「SPF30」や「PA+++」以上のものを選ぶ様にしています。

「もう年だから化粧なんてしなくても出かける時だけすれはいいや」と思っていると、黒く日焼けしてしまった肌に化粧してもうまくいきません。素肌美人と言うのは昔のこと。出かける時は、しっかりと日焼け止めクリームを厚めに塗ってでかけましょうね。私の知人で、雪焼けして軽い火傷状態になり、耳たぶまで日焼けした人知っていますよ。

青春時代は異性へのこころくばりで化粧をしましたが、今は自分のためにしっかりと塗りたくりましょう(笑)


★寒風・大谷山の写真ブログに載せました★


[2387] 【2462回 スノーシューに行ってきました。】 2011-02-20 (Sun)

湖国バスに乗り、滋賀県高島名物「メタセコイヤ並木」を通り「寒風から大谷山」に行ってきました。私達の前をアベックがスノーシューも履かず、かんじきも履かず、ツボ足で大穴をあけて登っていきます(歩きにくいやんか〜)

寒風山とは誰が名付けたのか、ほんまに寒風が吹き荒れ、瞬間風速15b!トラ吉衛門さんは171aの長身だからか風に、さらわれそうになったりして記念すべきスノーシュー初デビューとなりました。大谷山でも突風に吹かれ、えらい歓迎を受けたものです。写真が出来たら、いかにひどい風であったかご理解頂けると思います。乞うご期待ね!

大谷山から石庭の集落に下山したのが16時すぎバス停到着が16時26分。3分待ちでバスに間に合いました。バスでマキノに到着したのが16時40分、JRマキノ発16時50分(最終快速あとは普通電車しかない)と全てラッキーと言うか、オリオンさんの時刻表調べに感謝、感謝でした。

車内で盛り上がり「一杯飲もうか」と言うことになりトラ吉衛門さんとjunkoちゃんを海老江まで拉致し、美味しいお酒を飲むことにしました。ウィ〜酔ったぞ〜

安曇川から乗り込んだ老婆のお話・・・レポートを楽しみにしててくださいね。おやすみなさい。


[2386] 【2461回 至福のひととき】 2011-02-19 (Sat)

18日は身体はひとつなのに、大事な祝宴が重なり思案することとなりました。勿論私の祝勝会をしていただく会に出席をするのは当たり前なのですが、欠席の会も42年間大役を果たされた「会長退任ご慰労会」という大事な祝宴でした。そこで今までご指導を頂いた感謝の気持ちを祝辞風に書き、思い出の俳句を添え、役所に届けることにしました。

役所からメールをもらい、内容を検討した結果、代読を立てて読むことにして司会シナリオに追加しましたからとご丁寧な返信をいただきました。これで欠席の会は安心〜!祝宴が終わった頃、出席していた知人から連絡を受け「役所の女性が代読して祝辞披露してたで〜メッチャ感動したわ〜!」よかった、よかった。

さて、もうひとつの大事な祝宴は、過日のコンクールで近畿大会で優勝した祝賀会を盛大に開いて下さいました。所属する会のメンバーは勿論ですが他会からも、安全協会、署の別の部署からも出席頂き「おめでとう」の乾杯をしていただきました。

●表彰状の贈呈(きちんと額に入れてもらっていました)
●花束贈呈(高価で可憐な蘭の花は署長からの贈り物)
●会長挨拶(優勝に恥じない交通事故のない此花をめざせ)
●課長挨拶(近畿管区警察局長賞がいかに名誉のある凄い事か説明)
●謝辞(この賞は此花警察チームとしてもらった事に感謝)
●来賓紹介(他会からの参加もあり紹介)
●乾杯の発声(交通安全協会専務の発声)

飲めない酒のはずなのですが「今日は家まで送ってったる!」そう言われて安心したのでしょうか、なみなみと注がれるビールをグィッと飲み干し(飲み干しはウソやな。一口だけ飲んだだけやな)ひとりひとりに応援のお礼を述べながらお酌をして回りました。「次回からは私に出場権はありません。皆様の中からどなたかお願いします」と言いましたが、誰も信用していない様子でした。(本当に出場できないんですって!)そのかわり、応援に行くよ!どんな事があっても応援に駆けつけますよ!

この宴会中、此花署のヒマワリの花の様なシナリオライター兼監督が細やかな心遣いで出席者への心配りをしてくれていました。私も長年総務係をしていましたので、空の瓶はないか、食事は行き渡っているか、みんなが和んでいるか、そんな事ばかり心配していました。彼女の動きを見ていたら、よ〜くわかりますが本当によく気が付くヒマワリの花でした。

彼女がいたから優勝が出来たと言っても過言ではありません。管理職が素晴らしいから部下も素晴らしい(部下が素晴らしいから上司は鼻が高い)タマゴが先か、鶏が先かではありませんが、両方のバランスがとても取れていて、それが今回の優勝に繋がりました。思い出多き「此花チーム」です。

今後は、小さな集会であっても此花区のイベントで反映してこその「此花チーム」だと思っています。早速21日にもお披露目の場所を作って頂きました。いつ出演依頼があってもセリフ忘れのないように入浴中の「セリフ覚え」は続けておこうと思っています。

宴会の最後に皆様へのお礼をこめて「相撲甚句」を一節うなり、感謝の気持ちを表しました。(色々なバージョンがありますが昨日は数え歌バージョン)帰りは本当に家の前までタクシーで送ってもらうはめになりました。ありがとうございました!(表彰状とお花はブログに載せました)

★日曜日は滋賀県マキノ地方「寒風・大谷山」にスノーシュートレッキングに行ってきます。積雪105a上等っ!


[2385] 【2460回 シャーナイ】 2011-02-18 (Fri)

「シャーナイ・しゃあないなぁ」ではありません。私が書きたいのは「車内」のさまざまな出来事なんです。

電車に乗っていると中年のサラリーマンの人が膝にパソコンを置き一生懸命マウスを動かしていました。電車の中でまで仕事とは熱心な人だなと、ついつい好奇心で画面をのぞき込んでしまいました。な〜んや!画面はトランプゲームでした。(そんなんばっかりしてたら出世せえへんで!)心の叫びです。

淀川駅から芦屋までの間、スッピンの若い女性が乗り込み化粧を始めました。何気なくみていると(うそっ!睨みつけてたよ!)下地からファンデーション、眉、アイシャドー、それにマスカラは特に念入りに、まるで扇の様な目元が完成し口紅を塗り完成の様です。芦屋駅に近くなると、乗車時とは別人かと思うようにきれいに仕上がっていました(お化粧はあと10分早く起きて家でしておいでっ!)心の叫びです。

電車の中の携帯電話のマナーが叫ばれる今日この頃ですが、イヤホンをつけて携帯らしくない携帯で「一人喋り」している人を発見しました。大きな声を出したり、大声で笑っています。少し頭が狂っているのかと思っていると内蔵された携帯電話での通話の様でした。しかも日本語ではありません。日本人のマナーも悪いですが外国から来た旅人も我が物顔で涼しい顔をしているのはいただけません(日本に来たら日本のマナー守れ!)心の叫びです。

同じ方向に向かう登山者らしきグループ。椅子を回転させ対座にして喋べくり放題、食べ放題。あんなグループと登山道で行き交わしたらジョンがまたぶちきれるぜっ!あ〜あ、人のふり見て我がふりなおそっと!

あんパン、ジャムパン、メロンパンは許すとしよう。梅田で購入したのか発車前から車内で食べるマクドナ○○ド系の臭いを醸し出す食べ物は電車の中ではあかんで〜(食べ終わってから乗りっ!)心の叫びです。

今日から、ある生命保険会社の「サラリーマン川柳」の投票がはじまりました。過去の優秀作品は
●第22回 しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ
●第21回 「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!
●第20回 脳年齢 年金すでに もらえます
●第19回 昼食は 妻がセレブで 俺セルフ
●第18回 オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る
●第17回 「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」などなどですが今年はどんな川柳が選ばれるのか楽しみです。

今夜は近畿管区大会優勝を記念して「祝勝会」を開催してくれるとの事で楽しみにしています。その模様は明日の書き込みで・・・


[2384] 【2459回 季節限定の楽しみ方】 2011-02-17 (Thu)

昨日、2年ぶりに、もと勤めていた会社の近くの文房具屋に立ち寄りました。店員さんも名前を覚えていてくれており店主も「2年前よりお若いですねぇ!」とお世辞を言ってくれました。それは趣味を持ち、遊びに熱中して生活しているからだと答えておきました。(笑)

日曜日にマキノ駅からバスに乗り、寒風を越え(さぶっ〜そうな山の名前ですね)大谷山をスノーシュートレッキングを楽しむ予定です。当日の天気は曇りの様で、雨の心配はなさそうです。去年の12月落ち葉の絨毯の敷き詰める中、スノーシューのコースをマーキングをしながら歩いています。さてさて、あのマーキングが雪に埋もれてはいないかちょっと心配です。現在のマキノの積雪は130センチだそうです。(150センチの私が手を伸ばして取り付けたテープ大丈夫だよね)

高島トレイルで何度も何度も通ったなつかしい道、またあのメタセコイア並木に出会えます。今回はどんな表情で待っていてくれるのでしょうか。スノーシュー初体験のトラ吉衛門さんに「楽しかった!」と言ってもらえるコースだと自信をもってはいますが吹雪かないこと、天気が良いことが条件です。でも吹雪いた時も、それを無駄にせず適切な進み方をアドバイスしてくれるので安心して下さいね。

赤坂山・寒風・大谷山は、滋賀県と福井県の県境に位置し、野坂山地の北部にあります。高島トレイルで馴染みの道ですね。赤坂山・寒風・大谷山の標高は800メートルの範囲内にあり、緩やかな尾根を形成し、草原のような表情で、登山道がシュプールを描くようになっています。そこに深々と雪が積もるとまた景色はおとぎの国の様に様変わりをしているのでしょうか。動物たちの足跡はあるのかしらとワクワクしてきます。雪の下に眠る草花を雪の上から「もうすぐ春ですよ」と起こしてくることにしましょうか。

天気が良ければ、頂上からは琵琶湖と日本海を望むことができます。楽しみにしていて下さいね。まだ申し込みを思案されている方はいらっしゃいませんか?スノーシューをお持ちで無い方もレンタルでご用意できますので、ぜひ一緒に、誰も歩いていない雪の上に自分の足跡をつけにでかけませんか?今年は雪も多く、堂満岳ルンゼで体感した雪の魅力に取り付かれています。手袋の替えは絶対にいりますよ。薄手の服を重ね着して暑くなったら1枚、2枚と脱いでいきましょう。ハイネックは歩いていて暑苦しくなります。かと言って防寒対策もしっかりとして行きましょうね。冬の天気は変わりやすいです。油断は禁物です。

ちなみに堂満岳ではプレスサーモライトのシャツに登山服、ベスト、合羽を着ていましたがすぐに登山服とベストは脱いでしまいました。下着の上に合羽を着て登りましたが、それでも暑くて汗が出ていました。下半身はスパッツにジャージ、合羽ズボンでした。(あっ勿論パンツは履いていましたよ!)


[2383] 【2458回 8020運動】 2011-02-16 (Wed)

今日はサスケクリニックに「歯の定期検診」に行ってきました。

昭和30年頃の私の故郷は無医村で病気になるとバスで1時間かけて中村市街地(現在の四万十市)まで、でかけなければなりませんでした。勿論、村には歯医者さんもありません。夏休みになると親戚の家に泊まりに行くのですが、母がいつも砂糖を新聞紙に包んでくれました。親戚の家で食事の時に遠慮があっては不憫だと持たせてくれたのだと思います。砂糖は何よりのご馳走だったんです。甘党の私は、いつもご飯の上に砂糖をかけて食べていました。(気持ちわる〜って言わないで!幼少時のことだから!)そんなわけかどうかはわかりませんが虫歯が多く、内臓は頑丈なのですが歯だけは自信のない人生を送ってきました。

大阪に来て、働く様になってから虫歯を1本づつ治療しました。勿論手遅れの歯も沢山あったと思います。結婚して此花に住むようになってからサスケ先生と出会うこととなります。銀色の前歯を白い歯にしてもらって大きな口をあけて笑えるようになり、歯のコンプレックスも治癒してもらえました。治療が終わっても治療費が払えず「定期貯金が満期になるまで待って下さい」とまぁ、ようこんなことを言ったもんですね。(笑)今は常識の範囲内で物事を考えられる様になりましたが、その頃は若気の至りで・・・お許し下さい。

そこで私が今大事にしているのが残された歯をいかに大切に、この命の耐えるまで使えるかと言うことです。「8020運動」(ハチ・マル・二イ・マル運動)と言う運動は皆様の知るところだと思います。「80歳になっても自分の歯を20本以上保とう」という運動で、生涯にわたり自分の歯で、ものを噛むことを意味します。私は80歳まで生き延びることはないと思いますが、あと10年間は今の歯を失わないように努力をしたいと思っています。

1999年に行われた第八回歯科疾患実態調査によると、80歳で自分の歯が残っているのは「8本」、20本以上残っている人は15%だそうです。高齢者が多くなっている現在「8020運動」の必要性が大きくなっていると思います。

ポチの母が入院手術の際に看護師さんに「おばあちゃん!入歯をはずしましょうね!」と言われて「わては入歯ではありません」と少し怒った口調で看護師さんに答えていたのを思い出しました。母74歳・・・ごりっぱです。


[2382] 【2457回 かんじきとスノーシュー】 2011-02-15 (Tue)

堂満ルンゼを登攀したときのことです。「スノーシューいりますか?」との問いに「傾斜がきついので履かない」と言われました。なるほど現地取り付き点に行くとアイゼンしか役立たないことがよくわかりました。同行された方の中には「かんじき」をリュックに付けている人もいます。軽くて簡単に装着ができそうで、臨機応変に使っている様子でした。

●かんじき
雪国で雪上を歩くために昔から使われています。地方によりそれぞれ形に特徴があり、木製の物や竹製のものなどがあるそうです。竹製の物はよく目にします。またツメの形や、針金の縛り方など、全国には、まだまだ多くの種類のかんじきがあると思います。「かんじき」を漢字で書くと「橇」となります。「そり」と同じ字です。雪の上を滑るからでしょうか。登山者の間では「和かんじき」「輪かんじき」「ワカン」とも呼ばれています。

● スノーシュー
雪の上を楽に歩くための雪上歩行具のひとつ。「西洋かんじき」とも言われています。素材はおもにプラスチックとジュラルミン。ワカンより浮力が強くラッセル能力が高いというメリットがありますが、「和かんじき」に比べて重いです。

目的に合わせて、行き先に合わせて使い分けるのが一番良い方法だとは思いますが、堂満ルンゼではいずれも使わずアイゼンのみで登攀しました。前を進む人がラッセルした後を「和かんじき」を履いた人が進むと、せっかく付けた足跡が整地された状態で、その後を歩く人は再びラッセルをすることになります。歩く順番、道具の装着にはパーティの中で、工夫がいることを学びました。

堂満岳下りのコースは一般登山道で、雪は深く、一歩、一歩ズボズボッと、はまり込みます。あ〜あこんな時にスノーシューがあれば、ソリがあればと何度思ったことかしれません。前を歩く人達は何故あんなにも上手く下っていけるのか足に水掻きでもついているのかと不思議なくらいス〜イスイでした。ゴール近くになると膝が大声で笑っている状態で、ちょっとしたつまづきも許されないため、余計に足運びが遅くなります。事故は下りに起こると言いますから、最後まで気を抜かずにゴールをすることが大切ですね。

●堂満ルンゼの写真をブログに載せました。


[2381] 【2456回 大阪は朝から雪模様】 2011-02-14 (Mon)

月曜日の朝9時、此花署の朝礼に出席をし近畿大会の表彰式をしていただきました。地元警察で「よく頑張ったね」そんな意味をこめての再度の表彰でこんなうれしいことはありません。署内で顔を合わすとみなさんが「おめでとう!」そう言ってくださいます。師匠が「表彰式に同じ洋服はいかんぞ。方面区大会、府大会、近畿大会とグレードが上がるたびに洋服もグレードを上げて行きや〜」そんな〜!体型が合わなくなり、ほとんど手を通してなかったスーツが何故かボタンが!ファスナーが!止まります。おかげで3着はどうにかゲットできました。今朝、若い婦警さんが「練習の時はジャージ!表彰式はスーツ!TPOに合わせて素敵ですね」と言ってくださいました。(良かった!スーツ替えてて〜)

午後から小学校入学の説明会があると言うことで名塩の孫3人を預かることになりました。ついでに此花の孫も合計4人、まるで託児所の年老いた保母さん状態です。生後10ケ月になる孫はママの顔が見えると人見知りしますがママがいないとミルクと離乳食さえ用意してくれれば私でも子守ができました。(母乳は出ませんよ)

午後3時過ぎ、用が済み自宅に戻ったと言う連絡を受け、名塩まで送って行く途中の車内で携帯で連絡があり「お母さん、大変です。名塩は大雪で、南台へはノーマルタイヤでは走行できません」え〜っ!じゃあ名塩からタクシーに乗り換えるかと安易に思っていたら、まぁ大変です。名塩に到着したのが4時過ぎでタクシー乗り場には20人ほどの列ができていました。どうしたものかと思案しながらマイカーの中で子供達を待たして、爺やにタクシー待ちを頼むことにしました。約1時間(名塩にはタクシーは5台ほどしかいないのか?)列は車道にまではみ出していました。

袈裟を着たお坊様がタクシー待ちをしている人全員に暖かい善意のお茶を配って下さったそうです。そのうち「同じ方面に行く人は相乗りしませんか?」と声を掛け合い、やっとの事でタクシーに乗り込むことができました。「南台へお願いします」と言うと「バスも運行中止になっているので途中までしか行けませんがいいですか」と言われましたが、帰りも駅まで乗りますからと言うことと3人の子供達を連れた、かわいそうな老婆を演じて(そう見えたのかも)何と無理だと言われた自宅前まで横付けしてもらえました。勿論チップもはずみましたよ!

大阪と名塩では、こうも寒さが違うのかと本当に驚きです。この天気が堂満ルンゼ登攀日だったらと思うと13日の天候に感謝をしたいと思っています。山登りは晴天に限ります。冬のタイヤはスタットレスタイヤに限ります。


[2380] 【2455回 想像を絶する堂満ルンゼ】 2011-02-14 (Mon)

初めての本格雪山登山は期待も大きかったけれど不安も同じぐらいありました。雪崩は・・もし途中でギブアップしたらどうなる?などと眠れぬ前夜を過ごしました。登攀は日曜日でしたが前日に近江舞子で宿泊し早朝から登る予定で、麓から見る雪質や登攀当日の天候も、まずまずの様子です。

13日日曜日午前6時30分、今は廃止となっている比良ロープウエイ乗り場近くに駐車し、そこから約1時間ラッセルをしながら前進をしていきます。私は最後尾のためみんなの付けた足跡に足を置くのですが微妙に大股・・・・

イン谷口の手前林道より、先頭を歩く人はラッセルをしながらみんなで交代をして(私は免除)やがて堰堤が見えてきました。標高620m、ここが堂満第1ルンゼの取り付きだそうです。ここでアイゼンをつけ私はロープをつけてもらいました。滑落すると真っ逆さまで多分助からないだろうと笑って言われましたが私には笑う余裕がありませんでした。

「姫!さあ登って!」えっ〜私が一番かと不安ながら堰堤にとりつきました。アイゼンの前爪を上手く使えないとズルズルと身体が落ちてしまいます。ピッケルを思い切り打ち付けても、堰堤のコンクリートはそう容易く受け入れてはくれませんでした。

「時々上を見て!下も見て!」と言われて下を見れば、切り立っていて足がすくみます。
下を見れば切れ落ちて、ぞっとするような高度感。これで滑り落ちたら命はないなぁ。ひたすらに上を向いて前の人の足跡に足を入れて、滑り落ちそうになりながら前爪で蹴りこんで、必死で何とか這い上がりました。先を歩く山岳会の人達の体力はそりゃう怪人の様で、時々急斜面で待っていてくれました。

「これが堂満ルンゼや!どや!ここに登れたら一人前や!」そんな励ましの声を聞きながら、何とか堂満岳頂上(1057m)に到着しました。以前来たときより標高は、積雪分だけ2メートルは違うでしょうか。雪は相変わらず深々と降り続いています。民宿で作った暖かい紅茶をみんなで飲み、無事に登攀できたことへの喜びと感謝を身体と言葉で表しました。

下山中、何度かリュックの中をあけましたが、脱いだ手袋が出発時には凍っていいました。
堂満岳に登る多くの登山者とも会いましたが頂上まで行けるのかと不安になるほどの遅い時間でした。私達も電車で来れば、この方達と同じことになり、到底堂満ルンゼは無理だと言うことがわかりました。

午後1時30分には駐車していた出発点までもどることができました。今回は初めての本格的冬山登山で、体力・技術的にもまだまだ力不足だと痛感しました。同行を許可して下さった山岳会の皆様に感謝の言葉を述べ渋滞にも遭わず無事怪我もなく帰宅することができました。今後はアイゼンの前爪を上手く使える技術を習得すれば体力の消耗も少なくなると思っております。


[2379] 【2454回 雪山にいってきま〜す】 2011-02-12 (Sat)

『コンクールが終わったら雪山に行こう』

人参をぶらさげられた馬の様ですが、念願が叶って本場の雪山を体験することになりました。スノーシューとは違った楽しみが待っていそうで胸がワクワクしています。

師匠の所属する山岳会のアルピニスト達に誘っていただくのは北岳バットレス以来です。技術 知識 経験 体力 何をとっても足元にも及ばないのですが、あつかましく付いていけるのはメンバー全員がルート経験者であると言う安心感と心地よさのおかげだろうと思います。何度経験しても、雪山はその都度違うと言います。慎重に安全に気を付けて行ってきます。

行き先は「堂満岳北壁ルンゼ」です。12日に出発し13日の早朝から登山開始です。また戻りましたらレポートを書きますね。

      では行ってきます!!


[2378] 【2453回 練習の成果は結果にあり】 2011-02-11 (Fri)

「では成績発表をいたします。優勝チームは二人のイキもピッタリで天気予報ならぬ事故予報を・・・・」とアナウンスがあった途端、此花応援席から「ウオッー!」という声が聞こえました。「優勝は大阪府警チーム!」と言われても我々は此花警察だと思って座っていましたのですぐには理解できませんでした。

優勝!と自覚した途端、二人で手を取り合って後部座席の応援団に向かって喜びの大手を振りました。それからはあまり覚えていません。優勝チームは演壇の上で記念撮影があり此花の応援団35名がズラリと並び記念撮影をしました。あとは誰と握手したのか抱擁したのか定かではありません。

その後「意見交換会」と言う懇親会が別棟で開催され、「おめでとう」の祝福の声とともにビールを浴びるほど飲まされたように思います。相棒は若くて体育会系のギャルですからお酒には強そうなため、最後は彼女に飲む係を任せました。

「登山が趣味」と言うところで初めての方達と親しくお話をさせて頂きました。滋賀県警の方とは高島トレイルの話で盛り上がり、近畿管区のお偉い方はツアーに乗っかり12回に分けて高島トレイルを制覇したことなど、やっぱり共通の話題はいいですね〜。加藤文太郎の話でも盛り上がったのは言うまでもありません。

千葉、茨城、石川、新潟と各方面の方達も「おめでとう近畿大会は素晴らしい!」と絶賛を頂き、もう一度あのシーンを、このシーンを再現してくれと言われ、飲み会の会場片隅で二人でやりましたよ〜。(飲んでなければできましぇ〜んよ)

何度もエエ格好みたいに言いますが、とりあえず表彰状をもらったのは私達ですが、これはチームワークでもらったと思っています。沢山の方達の協力があっての優勝でした。

選に漏れたチームの皆様も晴れ晴れとした笑顔で祝福してくれました。それは二府四県が一堂に会することの目的は充分に達成されたからだと思います。

朝起きたら、外は雪景色!昨日の舞台の上も雪景色で何か感動がまたまた蘇ってきました。帰りの電車は「堺市駅」から乗ったんですが何故か「西九条駅」で停まりました。どうなってんやろ?南海電車に(?)乗ったはずなんやけど酔っていてどこかで乗り換えたんやろか?とにかく無事に自宅には戻り着いたみたいです。ハハハハ

ちなみに制限時間は12分で私達の演技は11分47秒でした。(11分30秒で警告音あり12分超過は減点)


[2377] 【2452回 やるだけのことはやった!】 2011-02-10 (Thu)

「交通安全教育技能コンクール」がはじまって3ケ月が経ちました。その間「方面区大会」「府下大会」を経て、いよいよ今日は「近畿管区大会」の日を迎えました。11月には紅葉シリーズでバックを整え、2月は雪景色で望みます。大会が大きくなるにつれて監督の要求も私達もバージョンアップして行きます。息子より若い婦警さんとコンビを組むのですから相手も母親とやっている感じでやりにくかったと思います。この府下大会を記念に此花に「カモちゃん」と言うキャラクターが誕生しました。

演じるのは二人ですが、これまで多くの人々が関わって来られました。まずシナリオを書く人、監修する人、道具作りを協力してくれる人、仮眠中の徹夜班の人が練習をするために道場を空けてくれた事、ポッケに缶コーヒーを突っ込んで差し入れしてくれた人、観客になってくれた人、いつもポッケからメモを出して細かい指導をしてくれた課長、府警本部から指導に来て下さった人、忘れてはならないのが練習中、この府警さんの仕事を肩代わりしてくれて支えてくれた人もいたこと。

昨日最後の練習の時、課長のメモが動きました。演技を終えて「今日はどんな諸注意だろう?」二人で課長のところに駆け寄りました。「ここが良かったよ。本番もその調子で」とそれぞれに良かった場面を褒めて下さいました。長かった3ケ月でしたが明日からこの練習もないのかと思うと、ちょっと寂しい気もします。

今日は二府四県の大会となりますが「お祭り」感覚で他府県との交流が目的と聞きます。大会後関係者で茶話会が催されることになっています。きっとお互いの演技の話に花が咲くことと楽しみにして行ってきます。

今日は沢山の方が応援に来て下さるそうです。事前登録が必要なため、ちょっと堅苦しいけど此花応援団は25人はいるカモ・・・・舞洲にあるヘリコプター会社のトップも力作の「府警ヘリコプター&ヘリポート」を見に来場するんですって。

「結果?」は聞かないで下さいね。お祭りだからね(お祭りなら順位なんか付けなきゃいいのにね)新潟県、千葉県など全国からお偉い方達が会場に来られるそうですが、私は組織とは関係のない一般人ですから、その点は気楽で〜す。

支えて下さったみなさん、どうもありがとう!!

「行ってきます。練習の成果を出し、全力で頑張ってきます。」


[2376] 【2451回 あららっ〜】 2011-02-08 (Tue)

 風邪を引くのに理由はいらん。
      
     さりとて今引かんでも 
              
             ええんとちゃうの?

不覚にも風邪を引いた様で、雪やコンコンではなく、咳やコンコンとなり、アイゼントレーニングを中止して一日養生をすることにしました。いつもなら、これくらいのことで予定を変更したりはしないのですが、10日に大切な行事があり、万全を期すこととしました。

風邪・・・去年もその前の年も引いた記憶がありません。しかし風邪引きなんやと思うだけで、どんどんそんな状態になって行く様な気がします。「病は気から」はこんなところから来るのでしょうね。しかし何でいまなんやろ?

子供の頃、病気をすると母親が片栗粉を練ったゼリー状の飲み物と言うか食べ物を作ってくれました。「おじや」という今で言う雑炊の様なご飯も食べたなぁ。病気をしたら母親はやさしくしてくれるんやと嬉しかったものです。

とにかく水分をしっかりとって(熱はありません)、風邪を吹っ飛ばして乗り切らなくてはと思っています。


[2375] 【2450回  八百長】 2011-02-07 (Mon)

八百長とは昔、相撲会所に出入りしていた八百屋の長兵衛が(通称八百長)、ある相撲の年寄と碁(ご)を打つ際に、いつも1勝1敗になるように手加減していたことからの語源のようです。これは落語でよく聞く話で、笑って聞けますが・・・

まさに今、相撲界は、この八百長問題で、春場所中止というえらいことになっています。 私は日本の力士が少ない事が原因で、相撲ファンではありませんが、一部の力士による相撲賭博や八百長相撲など常識を疑う問題が続出しています。相撲ファンでない私がショックと感じるのですから、相撲ファンは悲しい出来事に違い有りません。

日本の力士は四股名を見ると相撲音痴の私でさえ、出身地がわかりました。ところが今は外国出身の相撲取りさんが多く、さっぱり四股名を見ただけでは出身地がわかりません。土佐、朝潮など故郷の四股名名だと「ガンバレ」とにわか応援したものです。

八百長とは無関係に、真面目に稽古に励んでいる若い力士達の将来はどうなるのでしょうか。またお茶屋、記念品作成の業者など相撲を取り巻く商売にも打撃が走ります。「商売あがったり」だと嘆く商店主もいると思います。

母親が相撲が好きで安給料にもかかわらず、桝席を買い親孝行した知人がいます。現在はA桝席(4人)104,800円ですが、昔は清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したはずです。その相撲が八百長だと知ったら、お・こ・る・で〜!

今の世の中は携帯メールというハイテク器械が災いして「動かぬ証拠」として相撲業界を揺るがしています。東京都のお偉いさんが「八百長相撲だと思って楽しめばいい」と言ってましたが、ちょっとそれは違うんじゃないかい?と思ってしまいます。

お相撲さんが万一、相撲業を辞めたとして働き口の職種が特定され(あの体型だからね)、チャンコ屋が増えるばかりでしょうね。今回のことで相撲業界はウミを出し切り、再起できるのかしらね。場所ではいつも懸賞金の幟1本6万円を200本を提供すると言うお茶漬け会社も今回は検討中とか・・

「ドスコイ!ドスコイ!」とみんなが楽しめる相撲にしないと、希望に燃えた新弟子さん達(会社で言う新入社員と一緒でしょ)が、かわいそうです。


[2374] 【2449回 元の黙阿弥】 2011-02-06 (Sun)

日曜日の朝だと言うのに(あっ毎日が日曜かぁ)早くから隣の部屋でガタゴトと騒々しいので目が覚めました。「何してるの?うるさいっ!」とポチの部屋を覗くと、部屋中に服が散乱していました。「落ちたんや・・・・コレが」と見せられたのがポール。押入を利用してポチの普段着を吊っていたのですが吊り過ぎて夜中に落ちてしまったようです。

「吊りすぎやから片づけろって落ちたんやきっと」と言い置いて階下に降りたものの、またあのまま吊り直して、またいつか落ちるんやろうなぁと思い「この際片づけよう。手伝うわ」とゴミ袋を3枚と雑巾バケツを持ち、ポチ部屋に乗り込みました。

あるわ!あるわ!不用の服が吊りすぎていました。そこでまず押入の衣装ケースの整理から始めました。息子の服もまだ残っており、これはまとめて1個の衣装ケースにまとめました。(手編みのセーターも沢山あり、うかつに捨てられません)今度来た時に持ち帰るかどうか決めてもらおうと思っています。

衣装ケースの中味を全部出して、先にテプラーで見出しを作り、その中に「着ないだろう」はゴミ袋の中に、「着るかも知れない」は季節毎に分別したケースの中に入れました。スッキリ〜

それから「引き出しは最後まできちんと締める」「必要な服を取り出す時は引っかき回さない」「一度着たものは洗濯しないまま仕舞わない」などをしつこく言い含めました。「わかった」とは言ってますが多分、効果はないと思います。

1週間もすればまた「元の黙阿弥〜」→これが適正な使い方かどうか気になり調べることにしました。

●「元の黙阿弥」
「物事が振り出しに戻る」という意味でよく耳にします。これは筒井順昭という昔のお侍さんが病死する際に、病床の枕元に集まった家族や家来に遺言として伝えられたそうです。

筒井順昭とうお方は病気であったが七夕祭りにこと寄せて家族や家来を密かに呼び寄せて「わしは民を慈しみ大和を治めてきた。また天下に旗を立てようとの志を日夜持ち続けてきたが、不幸にもこうして病を得た。この分なら来年の春夏までは、もはや生きてはいまい。跡継ぎはまだ幼く、当家を滅ぼさんとするは必定である。もしそうなれば、わしはご先祖様に顔向けが出来ぬ。」とお家の無事を願う会議をしたそうです。

「ひとつ計策がある。もしわしが死ねば、密かにこの地に葬って追福をせず、三年間喪を隠せ。そして奈良に、黙阿弥という盲目の者がいる。この者は、琴を奏でて我が病を慰めてくれたのだが、顔立ちや声色、年の頃もわしとよく似ておる。彼に事情を申し含めてわしの床に入れ置き、おまえたちも以前と変わらず給仕せよ。そして藤勝を守り立てて筒井の家を長く残してくれ。これ以外に遺言はない」

この遺言を守り、身代わりとして黙阿弥を当主として敬い、お家を守り、体勢を整え、黙阿弥には多額の金銀や衣服を与え、奈良に帰した。これにより黙阿弥は元の盲目法師となった。今も大和のことわざに、物事に成功してまた昔の状態に戻ることを「元の黙阿弥」というのは、このことから起こったのである。だ・と・さ。


[2373] 【2448回 小春日和のピクニック】 2011-02-05 (Sat)

「ピクニックみたいなもんやから・・・」そんなキャッチフレーズとは、裏腹に、きつい階段ばっかりが続き、「たかが292メートル!、されど292メートル!」の結構な登山でした。読図ハイクも兼ねており、前回に続きみんなコンパス片手に頑張っておられました。

今日の登山は「神戸市章山&錨山」です。車からは神戸市のマークを見上げながら往来することはありましたが、登るのはみんな初めてです。コースの中には北野異人館や北野天神なども含まれており、観光客(日本人以外も大勢)に混ざり町並みを散策しながら三宮駅前で解散となりました。

歩いた距離は約11q。ちょっと六甲縦走の様な山有り、ドライブウエイ交差ありの変化に富んだコースでした。お弁当の時間に「トッピー」の話をしていると「私も、私も」と、あの美味しい味を再びの人、また噂に聞いたトッピーをぜひと言うことで沢山注文を頂きました。屋久島の特産物に少しでも潤いがあればと喜んでいます。購入時期は3月5日の「天下分け目の山崎合戦の舞台天王山」あたりでお渡しできればと考えています。その日がご都合悪い方は個々に相談したいと思っています。大丈夫です。10月に購入したトッピーは6ヶ月間の賞味期限保証付きでしたから!


[2372] 【2447回 頑固な頭】 2011-02-04 (Fri)

60歳を過ぎてまた頭を抱える出来事が起きようとは思いもしませんでしたが、過去を振り返ってみると、人生において度々あったなぁ!

●仕事で
従来使っていたパソコンの機種を全社一斉に切り替えると言うことになりました。若者は学校で基礎知識が出来ているのと順応性がよいことで何の抵抗もなく、と言うより新しいゲーム機を買い換えた喜びに似たものがありました。中高年組は必死で「経費の無駄や、今の機種で不便さはない」などとあがきました。何を隠そう、私もその中の一人でした。しかし会社の方針は新しい機種へと移行され、それからが闘いでした。定時を過ぎたあたりからポッツン、ポッツンとマニュアルを見ながら若者の2倍苦労してやっとマスターしました。何事も完璧に近い状態が好きなので、無駄に時間ばかりかかりました。

その間、今は産休で休んでいる後輩が手取り、足取り教えてくれました。私が出来ないということに少し喜びもあったようです。彼女と仕事以外で親睦が図れたのもこの時期であったように思います。習ったことは必ずメモを取り、自宅でノートに清書する。これを繰り返しました。

紙製のタイムカードを廃止して、勤怠と経理システムが一体となった新機種を取り入れた時も業者の方が「係長には覚えてもらえないかも知れない」と上司にちくった様です(これは覚えた後に上司が告白してくれました)覚えてしまえば、何であんなことで苦労したんだろうと笑える日がやって来て退職時には後任にきちんと申し送りができました。「まず書く。書いて覚える」ことを徹底させ1年間の引き継ぎ期間中の後任のノートは分厚い大学帳にビッシリと書き込まれていました。アッパレ!です。

●遊びで
岩登り教室でクライミングの本をもらい講座を受けました。そのときもチンプンカンプンでエイト結びが出来ず、他の人が完璧にできているのを恨めしく思ったことがありました。居間にロープの切れ端を置き、テレビをみながら手はエイト結びをマスターするのに必死でした「エイト結びが出来れば命を助けてもらえる」万が一、滑落して上から伸び落ちたロープの先が結べなければ引き上げてもらう事が出来ないのです。(マスターするのに、やっぱり人より倍の時間が、かかりました)

いま・・・・それと同じ事が「読図」です。他の参加者の皆様を「若者」とすれば同じ事が発生しています。ならば人の2倍努力をしなければついていけないと言うことになります。時間はかかるかと思いますが、くろねこさんの購入したと言う読図の本を入手して目下勉強中!


[2371] 【2446回 トッピー鍋】 2011-02-03 (Thu)

昨夜はお客様が来ると言うことで屋久島で購入した最後のトッピーを使い、牡蠣やタラやら豚などと一緒にトッピー鍋を囲むことにしました。トッピーとは屋久島名産の飛び魚のすり身の事で、屋久島登山の時に大量に買い込み冷凍室を賑やかしておりました。外出先から帰ってから自然解凍となりましたので鍋に入れる時はまだシャリシャリしていましたが「うまい!、美味しい!」と言ってもらえて嬉しかったです。トッピーも喜んでいた様です(笑)

「名物に旨い物無し」と言う言葉があり、宣伝文句には期待はずれなことが多いということ、見かけばかりで味はだめと言う時に使いますが、トッピーのすり身だけは抜群のおいしさでした。試食後に購入しているので間違いなしでした。

屋久島滞在中は自炊をしましたので、その時に「みそ汁」と「ハンバーグ」にして食べました。その味が美味だったため、帰りに漁港に立ち寄り、みんなでまとめ買いをしました(と言っても私は漁港には行かず、うららちゃんに買い物代理をして頂き、オリオンさんに運搬をしてもらいました)

屋久島空港にも、同じ物を売っていましたが、値段が百円も高く、漁港で買ってよかったねとみんなで話したことをトッピーを口に運びながら思い出しました。そこで・・・・再び購入しようと思っています。同じ送料がかかるなら、他の皆さんも購入希望される方はいらっしゃいませんか?。トッピーのすり身は賞味期限がかなりあります(今回の物は4月まで)しばらく冷凍室に入れていても大丈夫ですよ。

嫁はトッピーのすり身を大葉に挟んだり、チーズを巻いて揚げて食べたそうです。とても美味しかったそうです。料理方法によってはまだまだ美味しい食べ方があると思うのですが、とにかく取り寄せが先ですね。トッピーいる人は教えて下さい。一緒に購入しますよ。

あっそうそう!屋久島でお世話になった「堤ドライバー」さんから年賀状を頂いていました。また屋久島へいらっしゃいですって〜。海中温泉、また入りたいなぁ!今度はもう少し長い時間浸かっていたいね。!(その前に人に見られても耐えられるボディに絞り上げておかんとね・・・)



[2370] 【2445回 男性の更年期障害】 2011-02-01 (Tue)


( )性欲がなくなった
( )仕事への意欲が減った。
( )体力に自信がなくなった
( )楽しみが減少し、悲しみや怒りが増加した
( )夕食後、うたた寝をするようになった

3個以上該当があれば男性の更年期かもしれませんね。
更年期障害は女性特有の病気と思われてきましたが、男性にも更年期障害があるそうです。

男性には閉経のようなはっきりした体の変化が現れない上に、個人差が大きいことなどが男性更年期障害の症状を分かりにくいそうです。女性の更年期障害は閉経前後の卵巣の急激な機能停止によって、 男性の更年期障害は加齢による男性ホルモンの低下が発症に大きく関わって、加えて仕事上のストレス、肥満、運動不足なども間接的要因と言われています。

発症時期は40代の中頃から50代前半にかけてが最も多いそうです。男性ホルモンの分泌量が減少してくると集中力や意欲が低下し、筋肉も弱くなります。さらに排尿機能や男性機能も衰えてきます。では病院に行くとしたら何科を診察すればいいのでしょうか?

男性更年期の症状が現れ、いざ病院に行こうと思っても女性には婦人科があるので分かりやすいですが、男性更年期障害は、やっと最近認知されはじめたばかりのため、男性更年期専門の外来のある病院はまだ少ないのが現状です。男性の場合、行こうとしている病院に男性更年期外来が無いときは症状により受診する科が分かれます。

体に倦怠感をおぼえた場合は、まず心療内科か内科に行きます。そこでさまざまな検査を受けた上で、改善されないのであれば、今度は神経精神科を受診します。「尿の勢いが低下した時」や「勃起不全」など症状は、泌尿器科に行きましょう。少しでも男性更年期障害と疑わしい時は迷わず病院へ行くことが大切です。

オリオンさん達とバイキングに行ったとき、斜め向いの席に中年のおじさんが座っていました。食事をしながら読書をしており、随分熱心やなぁと、ふと覗き込むと、何と何と、凄い本でした。(とてもここには書くことができないでちゅ〜)亡き義兄の一刀水が前立腺癌で死を宣告された時「男には3段階の性欲があり、まず第1は身体が正常な時、第2は身体はダメだが見て楽しむ事が出来るとき、最後は排尿機能だけになってオブジェになる時や」と最もらしく話していたことを思い出し「あのおじさんは第2段階かぁ」と苦笑してしまいました。それにしても、あんな本・・・ジュンク堂には売ってへんやろ!

まっ!そう言うことで、更年期だからと落ちこんだり、自分を否定したりせず、「これも体からのサイン。ここらへんで一休みして、元気を取り戻そう」と前向きにとらえるようにしましょう!


[2369] 【2444回 登山靴と帽子】 2011-01-31 (Mon)

「冬仕様の登山靴と帽子について」
私は冬仕様の登山靴(ちょっと高いで〜)と冬以外に履く登山靴(安物)を履き分けています。冬仕様の登山靴は寒さにも耐え、カカト部にアイゼンを装着するくぼみがあります。残念ながら私のアイゼンは登山靴のくぼみに対応する種類ではありませんが、これからアイゼンや冬の登山靴を購入する場合は、組み合わせの良い物を選んだ方がいいと思います。

カカトのくぼみにピッタリと装着できる登山靴は急な斜面を登るときのアイゼン前爪使用の時にパワーを発揮するようです。いつだったか、六甲ザレ場でアイゼントレーニングを試みた時、どうしても前爪が、うまく食いつかず滑ってばかりでした。ところがポチは難無くザレ場をヒョイヒョイと登っていきました。またホワイトフェイスの岩場もス〜イスイと登攀しました。一体何が違うのか、絶対技術ではないと確信し調べたことがありました。(笑)

その結果ポチの登山靴はアイゼン用のくぼみがあり登山靴とアイゼンがピタッと装着していました。私の登山靴はアイゼン用のくぼみがなく足を持ち上げる度に、カカトだけが上がり、アイゼンが地面に残ることが解りました。

そんな事があってから、冬用の登山靴はアイゼンのくぼみがある物をしっかりと選びました。そして最近の冬靴は全般にその様な仕様になっています。しかし、しかしです。私の場合、悲しいことにアイゼンの方が登山靴のくぼみ対応になっていなかったのです。意味不明かも知れませんが、ご自分でアイゼンとくぼみのある登山靴をお持ちの方なら「説明は悪いけど、姫の気持ちわかるで〜!」と言ってもらえますよね?その場の思いつきで別々に購入するとこう言う失敗が生じます。くれぐれもご注意下さいね。6本爪より8本爪、8本爪ならいっそ前爪付きのアイゼンが安全ですよね。買う時は、お店の人に相談ではなくて諸先輩方に相談してからの方がいいですね。

それから「帽子」ですが、先日の登山時に寒波到来と言う予報でしたので毛糸の帽子をかぶっていきました。歩き初めて10分もしない間に頭に汗をかき、かゆくなってきました。「暑っ〜毛糸の帽子はあかんわっ!」と言っても帽子の替えは持参していません。仕方がないのでリュックにいつも入れている温泉の帰りに使うバンダナを帽子の代わりに利用して登りました。

またそのコースに限ってイバラの多いコースでしたので毛糸だと、イバラにひっかかり困るところでしたが、その前にバンダナに替えていたので助かりました。無帽は木の枝、木の枝からの鳥の糞の落下等々、安全面からも、きちんと頭は防御した方がいいと思います(髪の毛の多い、少ないではなくネ)

イバラの多いコースでは前の人のすぐ後を歩かず、少し距離をおいて歩いた方が安全です。前を歩く人の通過で、はねたイバラの枝が勢いよくバウンドし降りかかってくる場合があります。急な登りでは、ストックも後の人に当たるかも知れないと思って正しく使って頂きたいし、もしストックの使い方のクセが取れずにいる人の後を歩く時は、間隔をあけて自分で安全地帯を作りたいと思っています。


[2368] 【2443回 バイキング】 2011-01-30 (Sun)

29日の金鳥山読図ハイキングで撮影したメディアをオリオンさんから受け取るために梅田で待ち合わせをすることにしました。待ち合わせ場所で合流するやいなや、超スピードで歩き始めました。「い、い、いずこへ?!」と尋ねると「肥後橋にあるAPA HOTELに行こう」と言うことになりました。

ホテルの2階にあるレストランは時間制限無しの低料金でのバイキングの店でした。スパゲティ、パン、ごはん、サラダ、和食の煮物、魚、スープ、アイスクリーム、ケーキなど品数も多く、大きなお皿が9コマに分かれていて隣同士の味が混ざらぬ様に工夫されていました。何よりも席数も沢山あり追い出される心配はありません。コーヒー、紅茶などの食後の飲み物も豊富なため、ゆっくりと時間を費やすことができました。「お腹いっぱい?」と聞くと「喉元まで食べ物でいっぱいや」そこまでガツガツと食べんでもエエやろと思うのですが。また仲間達にも紹介したいと思っています。

満腹でやっとの思いで、外に出て、ジュンク堂まで地図を購入にいきました。「神戸市錨山・市章山」の下調べです。

今夜は夕食はいりません。もう食べ物は何もいりません。(ぐ〜る〜じ〜い!)


[2367] 【2442回 読図ハイキング】 2011-01-29 (Sat)

昨年の納山祭でビデオで勉強した読図を実践してみようと言うことになりました。阪急電車の岡本駅前から八幡谷口、金鳥山を経て、横池から高座谷、阪急芦屋川駅に向けて読図をしながらの登山の予定でした。寒波が襲うという予報もあって防寒対策をしっかりとしてきましたが、ポカポカと風もなくハイキング日和でした。

目標物や、交差する登山道が出てきたら、立ち止まり、地図とコンパスで熱心にみなさん勉強をされていました。ウオークの地図はもらっても、ポケットにしまったり、先頭の後について歩いてばかりいたので、驚くほど地図について関心がなかったことに気が付きました。

高圧線なんて見上げたことがありませんでしたし、進行方向の先に何が出てくるのかなんて今まで考えたことがありませんでした。特に私は地図読みが苦手でみなさんスムーズに理解されているのに全くチンプンカンプンで、途中で地図とコンパスをポケットに仕舞ってしまう有様です。

気を取り直して、みなさんと同じ格好はして見たものの、どうも自分で自分に「おちこぼれ」のレッテルが貼られてしまったようです。地図上で尾根も谷も理解できません。どうしようもありません。他の皆さんは、とても楽しくて次回も読図ハイクを希望されておられました。(この差は何なのでしょうか?ショックです)


[2366] 【2441回 新1年生を迎えて】 2011-01-28 (Fri)

今年の4月にピッカピカの1年生になる幼稚園児を対象に「交通安全」のお勉強をしました。人数は、ざっと300人。少子化といえども、いるわいるわ。おとなしい子、がさつな子、大人顔負けで突っ込みを入れて来る子とさまざまです。

此花のホールには暖房設備がないのか、故障なのか、あの広い会場に小さなストーブが4〜5個、とてもとても効果が期待できるはずはありません。ほ〜ら一番に姫婆さんのクシャミが聞こえましたよ。「何とかならんの?」「故障しているそうです」しゃあないなあ。でも子供達は保育園によって対応がさまざまで半袖半ズボンの園もあれば、ジャンバーにマフラーと言う重装備もありで、昨日の場合はジャンバー着させたいですね。

「よい子のみなさんこんにちわ!」婦警さんの声に会場の子供達は、窓ガラスが割れんばかりの大きな声で「コンニチワ」元気いっぱいで寒さを心配するのは大人だけの様です。今日は此花のマスコット「カモちゃん」のデビューの日です(ブログにカモちゃん掲載)看板の後には婦警さんが隠れ「みんな元気かな?」「信号守っているかな?」の問いかけに「ハーイ。ハーイ」と元気よく、素直に答えていました。子供達にカモちゃんの感想を聞くと「カモちゃんは電池で動いていたの?」と質問を受けました。今後カモちゃんは、小学校での安全教室にはいつも参加し、きっと人気者になることでしょう。

「止まれ」の看板があれば、きちんと止まる。「信号は守る」と基本的なことばかりでしたが、まず大人が守らなければなりません。ウオーキングでも信号にぶつかった場合、前の列に遅れを取らないために信号無視をする人が大勢います。「黄色は止まれ、青の点滅は止まれ」ですからね。大人が見本を見せて下さいね。

1時間30分ほどの時間でしたが、私はすっかり鼻水、クシャミを連発することとなりました。子供達が風邪引きにならなければいいのですが・・・・それよりも公共施設が冬場に暖房装置が故障だなんてひどすぎまっせ〜!


[2365] 【2440回 サラリーマン川柳】 2011-01-26 (Wed)

サラリーマン川柳でおもしろいのを見つけました

●久しぶり ハローワークで 同窓会
みんなリストラやら定年再雇用などの働き口探してるんです

●やせたのは 一緒に歩いた 犬の方
ダイエットのつもりで犬の散歩を引き受けましたが一向に効果なしみたいですね

●「ストレスか?」 聞かれる上司が その原因
部下の気持ちも、もう少しわかってよね

●コスト下げ やる気も一緒に 下げられる
コストにばかりに気を取られていたら大切なもん失うで〜

●胸よりも 前に出るなと 腹に言う
説明不用やな!

●篤姫に 仕切らせたいな 国会を
ほんま今の政界は誰に変わってもおんなじや〜

ぼやいてばかりでは、世の中も会社も変わりません。サラリーマンは自分に与えられた仕事をやるしかないのです。与えられた仕事をしつつ、創意工夫の提案をすれば上司も認めてくれるかも。しかし上司に恵まれない職場ほどつらい事はありませんね。「好き・嫌い」で仕事をするのではなく会社は「生きて行くために賃金を貰うところ」と考えれば恵まれない上司でも仕事をこなせるのではありませんか?サラリーマンのみなさん!がんばれっ!


[2364] 【2439回 レッスンふたたび開始】 2011-01-25 (Tue)

24日、月曜日から「交通安全教育技能コンクール近畿大会」の練習がはじまりました。まず年頭の挨拶を交わし1ケ月余りの空白でセリフが飛んでいないか、廊下の隅で二人でセリフ合わせをしました。ブツブツボソボソと二人の練習姿を見ながら通過して行くお巡りさんが笑いながら首を傾げていました。きっと気が狂ったのかと思われているのではないでしょうか。

1ケ月の空白を感じないほど息がぴったりでちょっと安心しました。小道具の「梅香山」は11月の大会の紅葉から雪景色に変わりました。(ブログに掲載)夏にも大会が、あるんやてっ〜!雪景色使えないよ〜!夏山の特徴ってなぁに?!夏と言えばヒマワリだけどなぁ(早く日程決めてもらわんとアルプスに行ってて留守やで〜)

近畿大会の舞台上が大きいため、全ての小道具を、大きく大きく作り替えです。ああでもない、こうでもないと、それも楽しい話し合いで私の意見も取り入れてもらえます。制作から参加させてもらっていると言う実感がわいてきて楽しいです。今回が大会としては最後なので「♪娘さんよく聞けよ山男にゃ惚れるなよ〜♪」と鼻歌でも歌いながら出ようかと思ったりしています。(事前に言うたらアカン言われるから当日のアドリブで〜フッフッフ!ナイショ!)

帰りにスーパーで昔、近所に住んでいたおばちゃんと出会いました。何年ぶりかの再会で、私の顔を見るなり「ちょっと〜!あんた〜!痩せた?肥えた?」ちょちょちょい待ち〜いなぁ。挨拶が先やろ!ほんなら私も言わせて貰うけど!と言いたいのをグッと我慢して帰ってきました。専業主婦になっても、加齢になっても、少しばかりの薄化粧をし、身だしなみはシャネルでなくてもそれなりにしたいですよね。その積み重ねが「若さを保つ」ことだと痛感しました。あっそうそう常識も忘れたらあかんで〜!会うたらまず挨拶やで!

過日のこと、ママチャリに幼稚園児を乗せ、背中に幼児を背負った母親が信号無視で渡ろうとしていました。「おかあさん!あかんで〜!後ろの子も背中の子も見てるで〜!」と言うと渡り掛けた歩道を「すみませ〜ん」と言いながら引き返してきました。「いいお母さんですね」と思わず褒めちゃいましたけど、お母さんが赤信号で渡ると子供は平気で信号無視をするようになりますよ。(ここだけの話、私達も短い信号では右見て、左見て、赤信号でも、ついつい渡ってしまうことがありますが、小さな子がきちんと待っている姿を見ると絶対信号無視なんかしないよね。いい大人でいたいものね)


[2363] 【2438回 「参加シール」を振り返って】 2011-01-24 (Mon)

わが倶楽部ではカラーの参加シールを、その都度、参加者に配布しています。そのときの風景が入っており、受け取るのも楽しみのひとつとなっています。台紙は12回分貼ることができて、満杯になったら提出し、台紙をラミネート加工をしてもらい記念品をもらいます。時々シールを見ながら、そのときの光景を思い出しています。不思議とスムーズに登り切った時よりも天候のトラブル、体調のトラブルなどがあった方が、よ〜く覚えているものですね。

私がいま手元に持っているのが現在進行形の物も含めると8枚あります。

2009年あたりから「1冊毎の提出ではなく3冊になると豪華記念品に」変更になりました。私の山行記録シールを最初から振り返りますと

●1冊目は2004年11月3日スタートでモノクロシールです。そして2006年の氷ノ山スノーシューで1冊目を終えました。(記念品は名札)

●2冊目は2006年2月の湖北スノーシューからスタートして2007年5月の六甲山Cで2冊目を終えました。(記念品は救急セット)

●3冊目は2007年9月からスタートして2008年7月の山本山から武田尾です(記念品は黒のショルダーバック)

●4冊目は2008年の白山からスタートして2009年春の燕岳  (記念品はミズノの万能袋)

●5冊目は2009年5月からスタートし2009年7月の比叡山 (記念品はバンダナ)

5冊目を終了した時点で、今後は3冊分をまとめて提出してもらえば記念品をもらえると言う方法に皆様の賛同を得て変更しました。そうすれば少し豪華な記念品を購入することが出来るようになるのです。参考までに、その後は

6冊目は2010年金剛山〜2010年、剣尾山
7冊目は2009年9月虚空蔵山〜2010年、赤坂山
8冊目は2010年10月屋久島〜今現在進行中です。

そういう訳で最大8冊目が、わが倶楽部の最多参加記録です。もし1冊のシール台紙が満杯になって「バンダナ」をまだもらっていない人がいれば、提出時にその旨を教えてください。バンダナを貰い済みの方はその後3冊終了するまで大切に保存しててくださいね。
最初は記念品欲しさでしたが、今は記念品というよりは、登山記録として貴重なシール台紙となりました。時々出しては「あんな事もあったなぁ、ここでは低体温症で大変だったなぁ」とか思い出してニヤニヤしたりしています。


[2362] 【2437回 楽しかったスノーシュートレッキング】 2011-01-23 (Sun)

湖西レジャー号に乗り、滋賀県マキノにある赤坂山までスノーシューに行ってきました。参加者の皆様とは列車の中で合流です。琵琶湖が見渡せるあたりから田畑も山々も白く雪化粧をしていました。風もなさそうでスノーシュー日和でした。

通い慣れたメタセコイア並木を湖国バスで通りマキノ高原「さらさの湯」で下車、秋の頃は駐車料も無料でしたが今日は千円と有料(いまが稼ぎ時か〜)マイカーも駐車スペースがないほどに停まり、昔のスキー場は子供達のゲレンデと化していました。

スノーシューを装着して、ふっか、ふっかの雪を踏みしめます。ところどころスノーシュー無しで歩いたと思われる大穴がボッコボッコと開いており、少々歩きにくい出始めてしたが140aの積雪は感動と満足感と童心に返ることのできる心の癒しの一日となりました。(詳細はレポートで)

お昼はカップラーメンを持参しましたが、熱湯をかけても、ちぢれた麺がストレートにはならず、硬いラーメンをかじったと言った方が正解でしょうか、これは完全に失敗しました。寒空に暖かい飲み物はうれしいですが、せめてスープかみそ汁の方がいいようですよ。皆さんも注意してくださいね。

スノーシューの付け方、またどこかの誰かが(正解しても賞品はありません)、登山中に二度もスノーシューをスポッと脱着してしまい「はずれましたよ」と後ろの人に教えてもらう場面がありました。鳥取大山では両方脱着しても気づかず歩いていましたっけ!スノーシューのゴムの装着はつま先のゴムから順番に装着し、カカトは一番最後ですゾッ!

まっ、それも笑いでごまかし、楽しいスノーシューは次回へと続くこととなりました。今年はタップリの雪で充分楽しむことができます。さぁ皆さんもスノーシューを出して点検し、でかけませんか?今年の雪質はいいですよ。最高!


[2361] 【2436回 あいまいな返事】 2011-01-20 (Thu)

「今夜何のおかずにする?」
「なんでもエエ」
「このお菓子、どっちが好き?」
「どっちでもエエ」

こんな会話、皆様のお宅ではありませんか?今夜のおかずは何でもエエと言いながら「アレ食いたかったなぁ」なんて言われると家事放棄したくなることはありませんか?私はあります。毎日、毎日何にしようかと聞くわけではなくコミュニケーションのつもりで会話を投げかけても、的を得た回答は期待できないとき、プッツンときてしまいます。

(例)
お土産にチョコとクッキーを頂きました。

「どちらがいい?」と聞かれて相手を傷つけずに済むのは「どちらも素敵で迷っちゃう」と言いながらおみやげに目を落とし、相手に微笑みかけるのだそうです。(キャハハハ出来そうもないわ〜)この場合も「チョコでもクッキーでも、どっちでもエエ」と言う会話は相手に対して大変失礼になるのだそうです。

遠慮の塊として、自分は残った物でエエと思っての「どっちでもエエ」かも知れませんが、せっかく選択権をくれたら、素直に自分の好きな物を指す方が喜ばれるのだそうですよ。
「おはぎと、善哉とどっちが好き?」と聞かれたら、「どっちも好き」と言えばどうなるん?

鏡の前で普通の顔をして自分の顔を覗いて見てください。そしてその後、口角を5ミリあげて見て下さい。なんて素敵な自分の顔だことと酔ってしまいそうですよね。この口角5ミリをあげた顔で初対面の人と挨拶をすれば印象は、ぐ〜んとよくなるはずです。

お試しあ〜れ!


[2360] 【2435回 ヒヤリッ!ハッと!】 2011-01-19 (Wed)

夕暮れ時のことです。
車の前を何か黒い物がスーッと動きました。「黒い服を着た人間です。」もう少しで接触事故を起こすところでした。夜間の服装には明るい服を着用したいものです。当てた方も当てられた方も災難です。その災難も片方の不注意で巻き込まれ、「前方不注意」の一言で車の方に過失責任があることになります。

高島トレイル最終コースの日、下山が夕暮れになるかもしれないと言うことで参加者の皆様に「反射材バンド」を差し上げました。リュックにつけている人もいますが、出かける時にはバックに入れておいて、夕暮れになったら車から見える場所につけて歩いて下さいね。反射材バンドをつけていると、100メートル離れた所からでもドライバーに人がいることを認知してもらえる優れものです。最近のウオーキングシューズには、既に反射材のついた靴もありますよね。アレはとても安全だと思います。(百円均一ショップでも色々売っていますよ)

道路交通法では、夜間のライトは上向きが基本です。対向車や歩行者など交通の支障になる場合は下向きにする。と定められています。下向きライトが前方を照らす範囲は約40b。時速60qで走行する車の停止距離は約44bと言われていますので、下向きライトにして、時速60qで走行すると、危険を発見しても間に合わないことになります。上向きライトを積極的に使うこと、状況に合わせてこまめにライトを切り替えることでドライバーの緊張感も保てるのだそうです。

都会の夜は明るいですが、田舎では道がどのように曲がっているのか検討もつかず闇夜にカラスが飛んでもわかりません。(笑)そんな道路を走行する時は、必ずライトはアツプすると思いますが、ネオンの多い都会では、ライトを上向きにする習慣があまりありませんね。花博が開催中の時、我が町の高見フローラルタウンは、花博で働く外国のスタッフの皆さんの宿舎になっていました。黒人の方が前から来ても気が付かず、ドキッとする場面に何度も出会いました。笑うと歯が白いのですが、いつも笑って歩いているとは限りませんものね。

高齢者の交通事故の約8割は自宅から1qのところで起きていると言います。子供連れのお母さんの信号無視もひどいものです。4月からは、新1年生も横断します。信号はきちんと守って正しい交通マナーを大人が見せてあげましょう。

警察の回し者みたいになりましたが、一般市民が、日常的に広く口コミで交通安全について語るのも、りっぱな「交通安全運動」だと思います。


[2359] 【2434回 震災から16年】 2011-01-18 (Tue)

阪神淡路大震災から16年の月日が経ちました。震災で大きな被害を受けた神戸の人達は、悲しみを乗り越え、力強く生まれ変わりました。生まれ変われないのは亡くなった人達が生き返ることができないと言う事実です。あの震災でご家族を亡くされた方達は、あの日から時間が止まったとおっしゃっています。あの時10歳であった子は16年経った今でも10歳のままであるということだそうです。

大阪に住む我々もあの恐ろしい揺れは忘れることはできません。停電で真っ暗闇の中、何がどうなっているのか理解不能でした。「地震やっ」と気が付いたときには足は恐怖で震え、外に出た方が安全なのか、家の中が安全なのか判断がつきませんでした。

我が家では、あの時を教訓にして、部屋の中にあった本箱や家具は廊下に鎮座することとなりました。各階に懐中電灯を設け、緊急時に対応できるようにしましたが16年経つと、あの恐ろしい出来事が、だんだんと薄れつつあり、気を引き締めなければと思っています。

震災の日、家に被害がなかったことから会社に行きました。ビルはかなりの揺れがあったとみえて4階から上のフロアーの台所はグチャグチャでした。上司に報告するも、阪神電車は不通となり社員の安否も電話回線がパンク状態でとることができませんでした。

翌日、ジョンの協力を得て、水と食料、衛生用品、カイロなど積めるだけ積み、神戸市中央区に住む社員の安否確認のためにミニバイクで3時間以上かけて走り続けました。道は寸断され、阪神高速は傾き、家からは土煙が上がっていました。私は戦争の体験はありませんが、さながら戦場の様でした。中央区の学校の校庭にはブルーシートに包まれた、ご遺体がズラ〜っと並んでいました。

あれから災害訓練なども強化され、建築物も耐震構造が叫ばれるようになりました。日本という国はマグマの上に成り立っている様なものですから、いつやってきてもおかしくない状態の上に生活をしています。いつも「地震が起こるかも知れない」と言う気持ちを忘れず生きていけたらと思っています。

日本の政治も揺れに揺れ、人材の乏しい同じグループの中で、いくら人事を交代したところで、所詮おなじなのです。
日本には、大物と言われる政治家はいないのでしょうか?我が故郷の政治家、坂本龍馬よ蘇れ!


[2358] 【2433回 有馬の氷瀑めぐり】 2011-01-16 (Sun)

「堰堤めぐり、いやいや違う違う、有馬の氷瀑めぐり行ってきました」

日曜日に予定していた七種山登山は悪天候のため急遽中止とし、その代わりに「有馬四十八滝の氷瀑」を見に行くコースを行くことにしました。七種山登山予定者に加えて、ポチの参加を得て行ってきました。

四十八滝と言っても48の滝が見られるのではありません。それほどに多くあると言う意味です。七曲滝は見事な氷瀑を見せてくれました。毎日の様にここに来ていると言う人もいて「今日が最高!」とのことでラッキーな私達であります。

百間滝、似位滝、白石滝、白龍を見て、堰堤も6カ所以上も越え、ヘロヘロになりながら、それでも雪化粧に喜び危険箇所も何カ所もありましたが、みんな元気で魚屋道にでることができました。

堰堤越えがかなりハードであったのか右足太股が攣り、あわててロキソニンとツムラ68、アミノバイタルを飲み、何とか歩けるように回復しました。他のみんなは既に下山している最中だと思います。あわてて追いつこうとするのですが凍てついた登山道は思うように前に進みません。

やっとのことで虫地獄に到着した時には、みんなはアイゼンを外し、身繕いをしているところでした。

宝塚で新年会をしようと、朝の出発時に公言していましたので今日こそはとみんなで美味しいお酒を頂くことができました。降って沸いた様な氷瀑めぐりではありましたが幸運にも美しい出会いがありとても幸せな気分の一日でした。


[2357] 【2432回 播磨の山、なぐさ→おっとっと行き先変更〜】 2011-01-15 (Sat)

七種山(なぐさやま)これは明日の16日、日曜日に出かける山です。事前調べをすることで、少し読図に役立つかと予習をしました。

オリオン号に乗せてもらい、姫路福崎にある野外センターの駐車場に車を停め、歩き始めてから金剛城寺山門までの所要時間を調べました。参道から山の中にかかる太鼓橋を渡り、落差72メートル差の七種滝をめざします。水量があれば見応えのある滝の様ですが日照り続きの昨今ですので、はてさて期待出来るのでしょうか。地図を見ていると、この滝に行くには登山道から少し離れてしまうこと、またバックをして七種神社に戻ることなどが理解できます。(今更かよ〜って言わないで!)

この後、短い岩登りを経ると滝の最上部に出ると資料に書いていました。地図には明記されていませんが460b地点が最上部らしいので、等高線を数えて「ここらへん」というところにマーキングをしました。七種山の山頂は見晴らしがあまり良くないこと、下りの道が続くこと、七種槍山頂には三角点もあることなどがわかりました。(撮影会できるね)

下りは鉄塔を目印にコバルトブルーに輝いていると言う田口奥池を目指して帰えれば駐車場に戻れることがわかりました。

いままでは地図を貰っても、上を向いて送電線さえ確認することはありませんでした。事前に調べたことが、明日登って実際に同じなのか、違うのかも気になり地図に目を通す時間が多くなったように思います。学校でも苦手科目は後回しにせずに、みんなより時間を倍ほど掛けて予習をすれば、みんなについて行けるかも知れない、落ちこぼれないかも知れないと思っています。

             ↓
「明日の播磨山間部は今夜からの積雪で、危険かも知れない」明日の七種山登山は天気予報と睨み合いをした結果、今夜からの積雪を予想して急遽、行き先変更することとしました。無理をして滑落、怪我をしても大変なので、明日の登山は中止です。(後日七種山登山は実施します)

そのかわり季節限定の裏六甲「有馬四十八滝・氷瀑」に変更することにしました。当初七種山登山は、車での山行のため、人数制限をしていましたが有馬だと電車とバスを乗り継いで行くため、どなたでもアイゼン片手に参加していただくことができます。明日阪急宝塚駅のバス停(蓬莱峡に行く時に利用のバス停)です。では!


[2356] 【2431回 冬の肩こり】 2011-01-14 (Fri)

寒くなると、つい肩に力を入れてしまうため、肩こりがひどくなることがあります。肩こりは筋肉の硬直で、スイカほどある頭と腕を、寝ているとき以外は支えているのですから肩こりが起きて当たり前かも知れません。「♪かあさんお肩をたたきましょ〜♪」なんて昔はやさしい歌がありましたっけ。(今も歌はあるけど、そんな風景が見られないかもね)

女性に肩こりが多いのは首の細さにあるそうです。猫背の人や、パソコンを使って仕事をする人、立ち仕事の人、子供でもゲームをしっぱなしでいると肩こりの原因になります。寝ているときは筋肉が動かないので肩こりにはなりませんが枕が合わないと、寝返りのたびに筋肉が動くので、寝ていても肩こりの原因になるそうです。

ささやかな予防方法としては、ゆっくり両肩をもちあげてストーンと肩の力を抜いたり、手を添えて頭を左右に動かしたり、ゆっくり首をまわすなどの簡単な体操なら、テレビを見ている間にも出来て、少しは肩こりが和らぐかもしれませんね。何よりもストレスを溜めない、「肩の荷」になるような心配事を抱えないことも大切かと思います。

私の近くの酒屋の奥さんが「あんたはいつ見ても背筋が伸びていて、見ていて、いつもうらやましいわ〜」とお世辞を言ってくれます。だから酒屋の前を通る時は意識して背筋ピーンッして歩いています(笑)モデル歩きを推奨するつもりはありませんが、いつもどこかで誰かに見られていると思えば背筋が伸びた健康そうな歩く姿になるかもしれません

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

昔から、美人の姿を形容する言葉で、華麗な、美人のことを言います。芍薬は真っ直ぐの茎に花を咲かせるので美人の立ち姿、牡丹は横向きの枝から花を咲かせるので座った美人、百合は風を受けて揺れる姿が美人の歩く様子・・どれも棚ボタで〜すが。

クライミングで「もっときれいに登れ!」とビレイヤーから檄が飛びます。「きれいにって・・・落ちんとこと思って必死なんやけど」と、心の中で口答えしたくなる時があります。つまり、きれいに登攀する姿は正しい登攀のしかただというのです。「尻が出てる〜!身体を、もっと岩から離せ!」なるほど上手なクライマーの姿はとてもスマートできれいです。

歩き方も人の目から「きれいねっ」と見られると言うことは背筋が伸びて、正しい歩き方なんでしょうね。登山でも「もっと足運びを小さく登れ!ストックを前に突きすぎず降りろ!」などをマスターすればきれいな姿の登山、つまり正しい登山の姿勢になるのかも知れません。

「立てばビヤダル、座ればダルマ、歩く姿は相撲取り」
        姫の自作自演で〜す。


[2355] 【2430回 ヘリコプター墜落っ!】 2011-01-13 (Thu)

「大変です。ヘリコプターが落ちて後部が壊れてしまいましたっ!」あわてた電話が此花署から携帯に入ってきました。「えっ??」とっさに事情が飲み込めず、誰か知人でも乗っていたのかと、あたふたしていると少し落ち着いたのか「コンクール用のヘリコプターが、保管していた台の上から落下して壊れてしまったんです」との内容でした。「ビックリしました!でも大丈夫ですよ。修理可能ですから!」と後日、引き取りに行くことにしました。

日本で2番目に離発着の多い舞洲ヘリポートを想定して作成した発砲スチロール製のヘリコプターではありますが、かなりリアルに出来上がっています。2月の近畿大会の練習開始までに、みんなに触られないように高く高くあげて保存していたのがアダになりました。

このヘリコプターは府大会の当日にも真っ二つに壊れる危機に遭遇していました。出番待ちをしていた舞台裏で、突然天井から大きなポール(式次第を吊る大型の物干し竿の様な物)が自動で降りてきました。「あっ!ヘリコプターが危ないっ!」と、とっさに右腕をポールの下に入れてヘリコプターをかばいました。舞台裏の悲鳴に、やっと自動装置が止められ難を逃れたラッキーなヘリコプターなんです。後で右腕をみたら赤く1本筋が入っていました。腕の傷はすぐ治りますが、あの時ヘリコプターが破損していたならば、府大会の優勝はなかったかもしれませんね。

取引先の人達を会社に招いて互礼会をする習慣が長く続いていました。6階ホールのテーブルや椅子を撤去して業者さんによるパーティ設営が始まります。何十万という設営費が勿体ない、その分を料理にまわしたらどうやと言う管理職もいました。しかしむさ苦しい企業のホールが、物の見事に変身するのです。「道具や設備に時間と金を惜しむなら最初から互礼会をホテルなどですればいい」と言う譲らない担当者(私か?)の意見が聞き入れられて、見事な会場が出来たとき「う〜ん!」と一言歓喜のうなりをあげた人がいました。

そんなわけで、するからには、小道具は惜しみなく、りっぱに。最後部席の人達にも、よ〜く見てもらえるように、ヘリコプターをコックピットに入れて、修理したいと思っています。(手伝ってね〜!)


[2354] 【2429回 ステッキとストックの違い】 2011-01-12 (Wed)

「何をいまさら!山を何年登ってるねん!」と言われそうですが、今年から謙虚に生きると決めました。解らないことは素直にわからないと調べることにしました。

リーダーの書き込みに「七種山は念のためアイゼンを携行してください。ステッキ、ストックなど合わせて携行してください。」とありました。私の持っているのは、はてさてステッキ?、ストック?

棒状のものとしてステッキ(杖の部類)・ストック(杖の部類)・スティック(棒の部類)の三つが頭に浮かびますが、皆様はこの違いがおわかりですよね。私は自信をもってこうだとは言えませんでした。でも今日調べることによって、今日からは言えそうです(笑)

私の中ではステッキは歩行の補助用で登山にも転用できる物。ストックは手首をストラップで固定できるものだと認識していました。

●T型ステッキ
携帯用の杖で、伸ばして使います。杖の持ち手部分の形からT型と呼ばれています。歩行時に体のバランスをとるのに使い、なくてもOKですが、使い出すと手放せなくなるアイテムです。

●I型ストック
一般的な杖と持ち手の形が異なり、持ち手の形状からI型ストックと呼ばれています。スキーのストックで代用できるし、2本で使います。バランス維持だけでなく、積極的に手の力を利用して登るのに使います。

●スティック(金剛杖)
杖の一種です。長さ130cmぐらいの木です。短くすることはできません。木ですので強度確保のため太さもあります。岩場があるところでは、長さゆえに扱いにくい面があります。軍手を着用して使用しないと、手がむけてハンカチを巻いて下山されてる方もおられます。富士山等のハード登山には力強い味方です。

ストックとステッキは、英語では「ステッキ(stick)」、ドイツ語では「ストック(stock)」の違いで同じ意味ですが、T型とI型で使い分けるのが一般的だそうです。使い方は、のぼりが短め、くだりは長めにするというのが原則。使う際は、伸ばした後で、必ず地面をついてロックがされていることを確認。木道保護、自然保護のため、先端ゴムはつけたままを推奨する環境関係者が多いですが、中高年の安全を原則としている我が倶楽部では、適材適所、面倒くさがらずに、つけたりはずしたりする習慣をつけたいものです。リュックにつけたままにしないで「相棒」としてもっとフル活用!

●他の利用方法
ストック・ステッキのイメージとして、お年寄りの道具のように思われるのですが、歩行の際の補助具として山登りには有効な道具の一つです。脚力を補ったり、体のバランスを取ったり上手に使えば、疲労軽減や足腰への負担を軽くしてくれます。特に下りなどではとても有効。ストック・ステッキは本来の使い方のほかに、ツェルトやタープを立てるのにも使えますし、骨折時の添木に使える場合もあります。もちろん、ストック・ステッキの欠点もあります。手を使わないといけないところでは実に邪魔、特に岩場では本当に邪魔になります。それどころか危険。そんな場合は面倒くさがらずにザックにしまってしまいましょう。山ガール達には「トレッキングポール」と言った方がお洒落かな?いやいや、山はお洒落で登らないで下さい。安全第一です。

●たまに電車などで見かけるのですが、ザックを背負ったまま、剥き出しのストック・ステッキをザックの外側につけている方がいます。それも背負ったまんま振り向いたりしています(もしも近くに子供がいたりしたら・・・怖いよ〜)電車内では必ずゴムラバーをつけて、電車の中ではリュックは背負わない。

●おまけ
ゴムラバーの上にカバーをつけた方がいいと言うことで百円コーナーで、それらしい小さな袋を買ってポチのストックに掛けました。私は20年ほど前の余りの毛糸でカバーを編んでいたら「オレもそんな方がいい」とわがままを申します。(そりゃそうやで〜100円で買ったカバーは、じ・つ・はサイフだもんね。へへへ)


[2353] 【2428回 脱!正月気分】 2011-01-11 (Tue)

戎っさんも終わり、幕の内も開け、注連飾りもはずしました。さぁ!正月気分から脱出だぁ〜の思いで、本日「寒中葉書き」を投函しました。年末にご家族にご不幸があった方達に、お年賀に代わる寒中見舞いを出すのです。

寒中見舞いは、寒の入りごろから立春の前の日ごろまでに出すものです。年賀状は松の内までに出すものですから、その時期を過ぎると寒中見舞いとしてだします。また、喪中の方へのごあいさつにも利用できます。

いまは電話やメールなどが発達し、年賀状も寒中見舞いもいずれは価値観が薄れて来るかも知れませんね。でも元旦の朝、何度も何度もポストをのぞきに行く、あの、わくわく気分は年賀状だけにしかない、言い換えれば「大人のお年玉」だと思っています。1枚1枚読む毎に葉書の向こうにある差出人の顔を思い浮かべ、懐かしく思います。

同級生達は私が登山三昧だと知ると「年甲斐も無い」「危険なことはせんとき」などと一筆添えてあります。しかし家事や婆業に専念するよりも自分らしく生きていた方が病気もしないし、何よりも心が若くいられる気がします。

今朝また年賀状を1枚、1枚見直してみました。大手術をしたと言う同級生、病気で失明しかけたと言う同級生など、病気の話が半分以上です。しかしみんなそれでも前向きに生きて、いつか会いたいねと結んでいました。そうです希望を持って生きていれば、いつかどこかで会えるはずです。葬式の知らせで会うのは嫌よ!


[2352] 【2427回 トチノキ】 2011-01-10 (Mon)

滋賀県にオドロキ「トチノキ」 幹周り7.2メートル西日本最大級の巨木が見つかったと言う記事が産経新聞に載っていたとの情報をオリオンさんに教えてもらいました。高島トレイルでトチノキやブナ美林の中を歩かせてもらった身、そいて、そして、朽木を通る度に、いいえ遠回りしてでも「栃餅」を買うメンバーがいるため少しこの記事が気になりました。記事によると(産経新聞記事引用)

『福井県境に近い滋賀県高島市朽木の山林で、西日本最大級のトチノキが見つかった。高さ22メートル、幹の周囲は7.2メートル、四方に張り出した枝の範囲は30メートル近くに達し、樹齢は400年前後と推定される。周辺は未調査区域も多く、県は新たな巨木が存在する可能性があるとして調査することを決めた。
トチノキは、近畿では滋賀県北部から京都府北部にかけて分布。主に建材として利用されるため、西日本に巨木はほとんど残っていないとされる。通常は高さ十数メートル、幹の周囲も3メートル程度だが、今回は群を抜く大きさだった。標高570メートルの地点で確認した。滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの話によると「トチノキは非常時に食料にもなるため、この地域では地元の人が大昔からトチノキを残していたことが巨木の生育につながったのではないか』

さて、この大好きな栃餅の作り方ですが、大変な手間暇をかけて作っています。6個で500円、買ってすぐムシャムシャと食べてしまうのではなく、この手間暇を思い浮かべながら食べてみたら、また味も格別ではないでしょうか。

まず、拾い集めた実を野外でよく乾燥します。そうしないとすぐ虫がついてしまい、冬までもちません。よく乾かし、貯蔵しておいた実は、熱湯につけてもどします。そして石や金づち、時には人の歯でかんで、皮をむきます。歯で皮むきすると、渋さのためにしばらく口中がしびれてしまうほどです。どうにか皮がとれると、流れる水に7日ほどひたしておきます。そうするとたくさんの泡が流れ、少し渋がぬけます。木の実を鍋で2〜3時間も煮て、煮上がったのを木灰の熱い灰汁にふたたびひたし、2日ほど放置しておくのです。3日目にこれを取り出し、灰汁を流すとアクの抜けたトチができます。これにモチゴメを加え、せいろうで蒸してつき、アンコを入れて丸めれば、トチモチのできあがりです。

スノーシューで再び高島の地を訪れますが、さらさ温泉の売店に売ってたら買おうっと!!


[2351] 【2426回 2011年初登山】 2011-01-08 (Sat)

2011年の初登山にふさわしい小春日和に迎えられて「中山最高峰登山」を開催しました。集合場所の阪急電車中山寺駅には定刻よりも早くみんなの顔が集合しました。年頭の挨拶を交わし、安産の神様(笑)中山寺に詣でてから中山最高峰をめざしていざ突進!

突進と言えば、イノシシに指をかみ切られるというニュースを見ました。8日、今日の午後の出来事です。私達も以前に通過したことのある神戸市の岡本駅近くの保久良神社境内で、体操をしていたら、突然、イノシシが現れ74歳の女性の左手に手袋の上からかみつき、女性は人さし指の一部をかみ切られる大怪我をしたそうです。私達もウリ坊を見て「かわいいっ!」なんて災難が降りかからないから勝手なことを言って下山しましたが、もう人間と動物の境界線がなくなってしまったみたいですね。わが倶楽部のホームグランドである芦屋ロックガーデンにも沢山出没しますのでみなさん気をつけて下さいね。決してエサなどを与えないで、人間がイノシシの住処を通過させてもらっているのです。そっと。そっとね。刺激しないでね。

おっと話がイノシシに逸れましたが、今日のコースにはイノシシはいない様子でした。おだやかな日差しを浴びて立ち止まりながら地図の勉強をしながら進みました。これからのわが倶楽部の例会にはいつもコンパスを持参して下さいね。自分が今いる位置、目の前に見える山の名前、進行方向はどっちなのか等々、その都度指導してもらいます。

(陰の声)
地図は私が一番苦手の様です。いつの日か、地図がとても楽しくて理解出来る日が来るのでしょうか?今はとても不安で、苦痛で、解らなくて、歩いていても、つい無口になってしまいます・・・・・(でも頑張ります!)


[2350] 【2425回 此花クラブ互礼会】 2011-01-07 (Fri)

7日は此花クラブの互礼会。此花区で何らかの役をボランティアで引き受けている人たちと府・市会議員・区長・警察・消防などの方達が一堂に会して挨拶を交わすのです。正午からのスタートで30分間は色々と例によって「ご挨拶」

消防署長の乾杯の発声で懇親会になりました。しかし午後1時には警察に行かなければならず、そそくさと会場を後にしました。今日は警察の方達と堺市にある「近畿圏内警察学校」に出向き、2月の交通安全コンクールの諸注意と会場の下見に行くこととなりました。方違神社の横を通り警察学校に到着です。駐車車両のナンバーを見ると「奈良ナンバー」「京都ナンバー」が既に止まっていました。

「今日は二府四県の優勝チームが一同に集まり、2月の大会の諸注意を聞き、会場の下見をするんや」そうか〜!大阪だけではなかったのかと到着してから初めて本日の主旨を理解しました。

此花にある「クレオ大阪西」と同じ規模の客席・音響・照明の設備を持ち合わせ、舞台の上から客席を見ると圧巻です。「うわっ〜これは、立ち振る舞いも大きくしないと後部座席からは何しているかわからへんなぁ」音響も照明も所轄チームですることとなるため、どのチームも必死の様子です。

もうこうなったら勝敗にこだわらず与えられたチャンスを自分の力の限り出すしかないなぁと少し自信無さげにしていると「府大会見せてもらいましたよ。あの調子でやればいいんですよ」と声をかけて下さった関係者の方がいました。うれしかったです。

府大会のビデオを見ながら、私の直さなければならない箇所、婦警さんの更なるバージョンアップがあれば、もっとよくなることなどを研究して本番に望みます。頑張ります。


[2349] 【2424回 十二支のおはなし】 2011-01-07 (Fri)

我が家には信楽焼きの大きな十二支のキップが12枚飾られています。実際にそのキップを使い電車に乗ったこともあります(ブログに写真掲載)

亡くなった義兄の一刀水達と、毎年信楽駅まで買いに行ってたのです。孫達がお泊まりに来たときには風呂に入り「は〜い!10数えて出よう!」ではなくて「は〜い!ネ・ウシ・トラ・ウ!を2回言ってから出よう」と十二支を唱えてから(笑)出すようにしています。そして夜は正月バージョンの「十二支のお話」をするのです。

●干支のお話。
むかし、むかし、大昔の年の瀬に、神様が動物達に「元旦の朝に新年の挨拶にきたもの順に十二番までを、それぞれ一年間を動物の大将にしてやろう」とお触れをだされました。
ところが、猫さんはウトウト昼寝をしていて神様のお話をちゃんと聞いていなかったのです。あとで、猫さんはネズミさんに尋ねたそうです「神様なんの話だったの?」
ところがどうしても一年の大将になりたいネズミさん、わざと1日遅れの日を教え、その為、猫さんは元日には行かなかったので十二支には入れてもらえなかったということです。

その上、そのネズミさんは、牛さんが、自分は歩くのが遅いからと夜のうちから支度をして、まだ夜が明けないうちから出かけようとしているのを見て、そぉ〜っと背中に乗っかり神様の所に行きました。ネズミさんが乗ってるとは気付かない牛さんは、「我こそ一番」と喜んでいたのですが、門が開くと同時に、ネズミはチョロチョロと走っていって一番になったというのです。そのあと、寅さんが来て、 ウサギさんが来て、辰さん、 へびさん、馬さん、ひつじさん、おサルさん、、とりさん、イヌさんがやって来て、 十二番目にイノシシさんが来て、「子、牛、寅、卯、辰、巳、牛、未、申、酉、戌、亥」と、なったわけを話しました。

そして、ウソの日を教えられて2日の日に神様のところに行った猫さんは、「顔を洗って出直して来い。」って怒られたそうで、それ以来、猫さんは顔を洗うようになったとさ!
だから、それ以来、猫さんはネズミを見たら怒って追いかけまわすんだそうです。

ちなみに私は「ネズミ年うまれ!」つぎのお泊まりの時までに「干支のおはなし」の本を探しておいて、朗読してテープに納め、何度も何度も読まなくてもいいようにエンドレスにして「婆ちゃんはタヌキ寝入り」をしようっと。


[2348] 【2423回 平常モードに切り替え!】 2011-01-06 (Thu)

正月三が日も済み、気のゆるみも体のゆるみも平常モードに切り替えなければなりません。(体のゆるみは取れないかもネ)4日に生ゴミ、5日にプラスティックと世間も平常に戻りました。満タンだった冷蔵庫の中も、ほとんど空の状態になり、今朝は冷蔵庫の中を掃除したところです。

母の言葉の中に「正月三が日にお金を使うと、その1年は財布に羽根が生えて、お金が飛んでいくから使ってはダメ」と言われていました。私もまた息子達にその様に言い、オモチャ屋さんの誘惑に3日間はじっと我慢の子でした。孫が私に「キョウハナンニチ?アシタハナンニチ?」と聞くのは、息子達もまた子供に正月からお金を使うことを御法度としている様子が伺えます。お年玉を使いたいと言う気持ちはアリアリとわかるのですが三が日だけは、紙幣に羽根の生えるのを止めねばなりません(迷信かも?)

長男が厄年を迎えるにあたり自分の厄年よりも気がかりな年となりました。一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされています。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされています。なお、数え年は、誕生日前の場合は +2歳、誕生日を迎えている場合は +1歳を足して計算するそうです。昭和45年生まれの男性は今年は大厄です。

● 厄年の根拠
厄年は、でどころが無い事から迷信ともされていますが、それを踏まえた上で医学的な厄年の説明なども行われており、42歳は青春期を過ぎ、中高年期への過渡期に当たる事から、人生のうちでも曲がり角でもあり、男性の場合は社会的にも責任が重くなり、それゆえ精神的・肉体的にも疲労などが多く、女性の場合は子育てあるいは主婦として非常に多忙な時期でもあり、不慮の事故やけが、病気なども起こりやすいとしていわれています。(統計的には、そのような物は存在しないのですが)

本厄の年に「厄祓い」・「厄除け」を行い、神仏の加護を受けて凶事や災難を未然に防ぐ慣習もあります。。凶事が起こらなくとも、大厄の年齢では肉体的にも体力の低下や反射神経の鈍化など、衰退が心配になる時期でもあり、人が良いと言うことは素直に聞き入れ「迷信」だの何だのと言わず、厄祓いをするのも新年の行事のひとつではないでしょうか。「親の心子知らず」でトホホです・・・・