[2789] 【2902回 山行中のアクシデントをプラスに変換】 2012-06-01 (Fri)

日本百名山二座を(金峰山&瑞牆山)制覇してレポートを書きながら余韻に浸っています。山良し、人良し、仲間良しの山行に大満足をしています。戻って荷物の整理、特に洗濯物は山ほどあり、それに加えて、合羽とリュック2個も湯船に浮かべます。その間に登山靴の手入れをし、それから一息つくのです。休憩してから片付けなんて・・・身体が動く間にしないと横になってしまうと大変で〜す。!全て2人分なので半端な量ではありませんが、それもまた旅の締めくくりかと嫌がらずにやっています。(だってまた次の山行で使うんですものね)

第1日目の金峰山からの帰り道、雷とヒョウの襲来を受け幸いにも避難小屋にて休憩中で難を逃れましたが、途中で出会った人たちは大変だったことでしょう。以前にお医者様グループが遭難死されリュックの中には冬の装備が入っていたと記事に書いてありましたが、今回のように突然のヒョウや雨の襲来であれば合羽を出す間にずぶ濡れになることを実感しました。きっとリュックから出す暇がなかったのでしょうね。私達はアクシデントに強いみたいでホッとしています。テント泊の若者達は岩場の稜線で雷を聞き頂上を踏まずに引き返したと山小屋の管理人に報告に来ていました。岩場の稜線・・・・こわいですよね。雷の通路ですものね。引き返した勇気に私達も思わず拍手してあげました。

次のアクシデントは夜行バスの待合所です。真っ暗闇で、いくら夜行バスだとは言え、電気ぐらいついていてもおかしくないと思うのですが途中からの乗車は初めてにつき暗いものなのかと5人で肩を寄せ合っていましたが、緊急車両の到着で事情が呑み込むことができました。落雷による停電だったそうです。

それにしても一人なら耐えられない出来事も仲間がいると心強いですね。真っ暗闇の中で走り過ぎて行くヘッドライトを頼りに1時間を過ごしました。でも決していや〜な時間でなくて楽しい時間でアクシデントもプラスに考えれは楽しいものであるということですね。




[2788] 【2901回 た・だ・い・ま】 2012-05-30 (Wed)

日本百名山二座を(金峰山&瑞牆山)行ってまいりました。怪我もなく元気に愉快な山行でした。今まで沢山の山小屋を利用していますが今回ほど人間性に溢れた小屋はありませんでした。「おやじ良し!マダム良し!おもてなしの料理良し」の良し良し尽くしでした。追々にレポートをアップしますが金峰山&瑞牆山に行かれる際はぜひランプの宿「富士見平小屋」を起点に登山をお勧めします。

我々都会人は「便利なもの」に慣れてしまっていて自然の美しさを忘れかけています。時には不自由さが小屋選びの基準になっていないでしょうか?小鳥たちのさえずりで目覚め、あるじの入れるコーヒーの香りに誘われ、マダムの作ったバラのジャムに舌鼓を打ち、時の流れを忘れます。湧水で顔を洗えば飛び上がりそうな冷たさに目もパッチリ!小屋の前からは富士山がくっきり!目覚めから布団に入るまで感動しっぱなしの場所、それが富士見平小屋です。

詳しくはレポートにてご覧いただきたいと思いますが、ぜひ石楠花がまもなく咲き乱れる時期となります。予約をされてぜひ富士見平小屋の山上レストランお楽しみ下さい。

岩山をあまり体験されたことのない今回の仲間の「壽さん」も「楽しかった!」と感想を述べられていました。それほどに素晴らしい山です。熟練者でなくても大丈夫(但し単独行はダメですよ)登山時間も短くて済みますので富士見平小屋を起点にして荷物を軽くして出かければ最高ですよ。6月中旬くらいまで石楠花のトンネルまだ間に合いますよ!


[2787] 【2900回 27日から29日までお休みします 】 2012-05-26 (Sat)

25日は天気予報が的中し、雨が朝から降り始めました。迷うことなくクライミングの実技は中止となりました。しかし「転んでもただでは起きあがらない」とはこのことで「ならば座学を!」と某会場に向かいました。この会場の壁には岩場もどきの支点の取れる、ロープの張れる人工壁を作っています。

テキストに沿って、道具も並べて、詳しく説明をしていきました。一度に理解できるはずはありませんが、流れと言うのも大切で何故そうするのか、どれが危険で、どれが安全か、きちんと理論づけて説明をしていきました。2007年1月にクライミングの座学を始めたと私のテキストに記入していました。5年経過しているのですね。岩場では何度も失敗を繰り返しましたがめげることなく現在に至っています。

慣れてくると雑さも目立ち、再び座学を受けてみると初心に返れてとても勉強になりました。「とにかく美しく」これが師匠の口癖です。エイト結びもプルージックも美しければ正しい結び方になっているはずだと、初めてですので基本に忠実に6時間ほどかけて特訓となりました。

次回は6月2日、御着の岩場でアルパインの練習をします。同じ岩場でなく色々と場所を変えると上達も早いと思っています。日焼け止めをたっぷりとして行かないと大変そうですね。でも雨さえ降らなければラッキーと思っています。日焼けぐらい・・・誰が振り向いてくれるねん・・・なぁ

※27日から29日までお休みします※

やまたび倶楽部としては最後の山行です。
日本百名山二座を(金峰山&瑞牆山)目指して出かけます。雄山情報によると石楠花が花開いているとの事。靖ちゃん花博士同行につき、色々なお花との出会いが楽しみです。富士見平小屋のあるじさんにも、奥様にも再会できることを楽しみにしています。


[2786] 【2899回 登山届出さないで登山し遭難】 2012-05-25 (Fri)

登山届出していなかった…富士山・金環日食遭難したのは「どいつ」やっ!

金環日食を見るために富士山に入った男性2人が山頂で動けなくなり、22日に静岡県警山岳遭難救助隊に救助された問題を皆様はご存知でしょうか?この遭難事故はオフシーズンの富士登山の危険性を改めて浮き彫りにしていると思います。

5月21日午前10時頃、日食を観察するため富士山に入った三重県在住の40歳のドイツ人が動けなくなっていると、家族から富士宮署に連絡があったそうです。救助に向かった県警山岳遭難救助隊が22日の早朝、山頂のテントにいたドイツ人男性と京都の61歳男性を発見、救助し山頂には別の男性もいたが、救助を断ったといいます。

富士山の登山シーズンは7月からの2か月程度。オフシーズンは、5合目から上の登山道は原則通行禁止となっています。
スキーやスノーボードをする人や、十分な装備がある人は、登山計画書(登山届)を最寄りの警察署に提出すれば、認められることがありますが、県警によると「ほとんどの人が登山届を出さない」といい、今回救助された2人も提出していなかったそうです。

金環日食を前に、登山者が増えることを警戒した富士宮署と県富士土木事務所は、今月に入って登山道入り口の立ち入り防止フェンスを従来の90センチから180センチにし、20日午後には同署員らが5合目で登山しないよう呼びかけていました。しかし、駐車場にあった車の数から、この時点で数十人が山頂へ向かっていたと推計できたといいます。

同土木事務所は18日から、富士宮口5合目までの県道の登山区間(富士市大淵―5合目)の夜間閉鎖を解除した。
同署は「金環日食が終わるまで解除を延期してはどうか」と相談したが、同土木事務所は「雪崩の恐れがなくなり、問題なく通れるのに、通さない理由がない」と押し切ったという。ここでも行政の横の繋がりの悪さか浮彫にされています。
ある県警幹部は「20日未明に5合目を出発した人が多かったようなので、夜間閉鎖が続いていれば入山者を減らせたかも」と指摘する。

今回は死亡事故に発展していないので県警だの土木事務所だのと責任の擦り合いにはなっていませんが「事故が起きてから動く」体制は改善してもらいたいと思います。世界文化遺産が泣くよ〜

また一番の原因は「どいつや?」と言えばドイツ人をはじめ登山届も出さずに登山をする奴だと怒りが収まりません。播磨アルプスの山火事でもそうですが心無い一握りの登山者のために大切な資源を失ったり、神秘的な富士山を土足で踏みつけたり善良な登山者として腹立たしさばかり大きく膨らみます。山岳遭難救助隊の皆様ご苦労様でした。


[2785] 【2898回 カウント数「100越え!」の快挙】 2012-05-24 (Thu)

ハチキン姫を訪れて下さる方のカウント数が21日、22日と「100カウント越え」しました。ヤッター〜!快挙です。金環日食の表紙に替えたからかもしれませんがカウント大好き姫にとってとてもよろこばしいことです。40000回目の時は残念ながら申告者なしでしたので50000回目の訪問者はぜひ名乗り出てもらい記念品を贈りたいと思っています。

ハチキン姫のカウントは「同日1回線に付き1カウント」の設定にしています。同じ回線から1日何度見てもカウントは上がらないシステムにしているため貴重で正確なカウント数となっています。「それがどうしてん?」と言われるかも知れませんが私はカウント大好きなため毎日どれだけの方が訪問して下さるのかが楽しみなのです。

23日は所属する会の総会がありました。去年同じ場所で同じ会の研修会をしていた時、ブラインドが大きく揺れ、建物から避難するように指示がありました。そうです。東日本の大地震だったんです。出席者のほとんどがその事を覚えており、あれほどに大災害になるとは思っていなかったことを語りました。あの事を教訓に私達は災害について、身を守るために学習したのでしょうか。私は残念ながら非常食を備蓄しただけ・・・・・

会場の隣の席には防犯会議が開催されており、私の知人のМ部会長が出席されており休憩時間に訪ねてきて下さいました。過日私が名誉顧問辞退の文書を提出したための慰留でした。退職して4年、そろそろ身を引かねばと思っている今日この頃なんですが熱いエールを受け心が揺れ動いています。

橋下市長の指示のもと、私達の会にも厳しい通達が届いており、今まで役所が事務局をしていた事務一般や会計業務は各種団体でやるべしとの事で総会が混乱しました。公務員を勝手に使うな!従来の仕事に従事せよ!(ごもっとも)ボランティアで活動しているのにそれはないよ〜(ごもっとも)


[2784] 【2897回 日焼け止めクリーム塗っていますか? 】 2012-05-23 (Wed)

紫外線が気になる気候になってきました。ひと昔前は若者の間で「ガン黒」か流行し後ろか前かわからん顔をしていましたが今は「ガン黒」の若者を見る事はありません。シミ・しわ、皮膚がんを予防するために、山歩きには必ず日焼け止めクリームを塗ってからでかけましょう。朝塗ったから夕方まで大丈夫と思っていませんか?効果は2時間が限度です。登山中の休憩ごとに塗りなおさなければなりません。いつもこの時期になると、日焼け止めの話題に触れていますが今年もおさらいと言う意味で書いてみたいと思います。

紫外線の量が多くなるのは4月〜8月と言われています。春から梅雨の季節になる5月・6月は1年でもっとも紫外線が多い季節になります。オゾン層の破壊がどんどん進み、紫外線の量がグンとふえてしまった現在、上からの紫外線は30%、残りの70%はアスファルトなどの照り返しです。コンクリートやアスファルトに反射して、まともに紫外線を受けてしまっているのです。つまり、上からも下からも横からも前面からも紫外線を受けやすい状態になると言うことです。このことから木立の中の山歩きが、いかに体に良いことがわかってもらえると思います

日焼け止めクリームには、紫外線防止剤というものが含まれています。それには「紫外線散乱剤」と「紫外線吸収剤」という2つ種類があります。

●「紫外線散乱剤」とは
化学反応で紫外線を吸収し熱を放出するので肌への負担が大きく、肌の弱い方は赤くなったりかゆみなどトラブルが発生しやすいもの。

●「紫外線吸収剤」とは
紫外線を肌表面で反射散乱させるもので天然由来成分から作られるものが多く、肌にほとんど負担がありません。

日焼け止めクリームを買うときにSPF値とPA値の数字が書いてあることに目がとまります。SPFとは、紫外線B波(UBV)を防ぐ数値で人間の肌は色白の人で20分間、日に当たると焼け始めます。(SPF1=約20分とされ例えば、SPF20は、20分×20=400分で約6時間半B波を防ぎますよと言う表示です)

PAとはプロテクションUVAの略でA波を防ぎます。「PA+」は少し効果有り、「PA++」は効果有り、「PA+++」はとても効果有りの無表示です。しかしSPFやPAが高ければ高いほど良いというわけではありません。吸収剤や散乱剤を多く含み肌に負担をかけてしまう可能性もあります。

これで購入時の選択の目安は決まりました。では日焼け止めの適量ってどれだけなのでしょうか。少なすぎると意味がないし、逆に多すぎると崩れやすくなるし・・皮膚科の医師が言うには手のひらに500円玉ぐらいの量で、擦り込むのではなく何層も乗せていく感じ(デコレーションケーキに生クリームを塗るが如く)だそうです。

髪の生え際、目の下からほお骨の高い辺り、あごの下からデコルテ、耳から首の後ろにしっかりと塗りましょう。(耳に塗り忘れて日焼けした人いますよ〜。メッシュの帽子を脱いだら頭もメッシュに日焼けしていたスキンヘアーの人いましたよ〜)

日焼け止めクリームは2〜3時間ごとに少し濡らしたコットンでふいて塗りなおすと完璧です。日常生活では「SPFが10〜20、PA+か++」で十分だと言われています。

登山などの外出時は「SPFが30前後もしくはそれ以上、PA+++」が適していると言われています。


@「日焼け止めクリーム」は男性女性も必需品でいつでもどこでもでして使えるように雨蓋に入れておきたいものです。

A紫外線除けだからと山の中で日傘さすのはやめて〜(武奈ヶ岳で見たよ!そんなに日焼けが嫌なら山に登らないで)


[2783] 【2896回 金環日食】 2012-05-22 (Tue)

5月21日は全国いえいえ世界中の人々が金環日食に魅せられました。此花区の児童たちも、金環日食を一目見ようと脇見運転するドライバーに巻き込まれることなく無事登校できました。よかったです。

♪♪着ていく服が まだ決まらない 苛立たしさに 口唇かんで 私ほんのり 涙ぐむ♪♪

私の好きな歌で「南こうせつの 夢一夜」の一節なんです。登山服は目をつむっていてもどこに何を入れているかわかるのですがいざ正式な場所へおでかけとなると一体何を着ていけばいいのかと大した枚数もないのに迷ってしまいます。2年前の交通安全教育コンクールの表彰式の時「同じ服で授賞式に臨むなよ。授賞式ごとに衣装は着替えろよ」とアドバイスをうけました。「方面大会・府大会・近畿大会」と3度の授賞式にはアドバイスのおかげで違うスーツで授賞式に臨むことができました。男性なら黒の略礼服で済むのですが女性はどうもそうも行かず、若かりし頃のサイズが合ってよかったです。

そんな事を思い出していると急に「整理整頓の虫」が騒ぎ出しクローゼットの中の服を全部出して整理する気分になりました。まず洋服の長さ別に区別し、その後は季節ごとに分けました。短い服と長い服は2段に分けて吊るしました。体型が年々変わることから、必要最低限しか持っていません。しかし会社勤めをしていた関係でスーツなる物が結構あります。最近では「無用の長物」化になりつつあります。外出先でもショーウインドウを眺めても加齢とともに欲しいと思わなくなりました。「ときめかない服は処分」とわかっているのですが「あ〜あこの服・・・若い時にはぴったりサイズだったんだ」と回想するのにはやっぱり捨てられないよ〜!

数少ない服にも、それぞれに思い出があり、購入した時の様子、この服を着て出かけた場所などに浸っていると、片づけの手が止り、なかなか前に進みません。あと何回、これらのスーツを着るチャンスがやってくるかわかりませんが体型維持をしつつ大事にしたいと思っています。

過日の告別式の時、近所のおじさんがダブルの式服がパンパンで腹回りはメタボになりズボンのチャックは半開きで、クシャミをすれば、弾き飛ばされそうにボタンが苦しげでした。おじさんが明るく披露してくれましたので、みんなで笑いましたが、人ごとではありません。でも女性のスカートは、ほんの少しゴムの部分が取り入れられており伸縮自由で助かります(笑)それに「寄せて〜上げて〜」の技があれば見栄えはよくなりますよ〜笑っている若者達よ!いずれやってくる日が近いのだぞっ!




[2782] 【2895回 クライミング講習と播磨アルプス登山】 2012-05-21 (Mon)

19日土曜日は蓬莱峡へクライミングの講習に、20日はアルプスシリーズ最終の播磨アルプスに行ってきました。どちらも雨に遭わず充実した内容の2日間であったと満足しています。

19日のクライミングは宝塚駅8時発のバスを利用したおかげで座頭谷バス停では私達3人と大きなリュックを背負った男性の1名が下車しました。「よかった〜ゲレンデはまだ空いてそうだな」と思ったのですが入り口には軽自動車が停まっていました。(先客ありみたい〜)

ゲレンデには軽自動車の4人しかおらず私達は小屏風からスタートすることにしました。人数は4人なのですがロープは既に何ケ所も垂れています。情報を仕入れてみると9時発のバスで受講生たちが来るので岩場の「場所取り」をしている様子でした。ハーネスをつけ、支点の構築ができたところで、まず「受講生Kazuくん」に登攀してもらいました。私達の受習時は4回の講習が終わるまでクライミングシューズは履かず登山靴のままでしたので、勿論「受講生Kazuくん」も登山靴のままです。ビレイをしながら見守って行きますが、若いということ、飲み込みが早いと言うことからスーイスーイと登攀していきました。(登攀の様子はレポートにてアップします)

20日は、わが倶楽部の例会でアルプスシリーズ最終の「播磨アルプス」となりました。天気は、さほどよくありませんが今日のコースは太陽が照りつかない方が歩きやすく「照らないでくれ!降らないでくれ!」そんな思いで「ひめじ別所駅」からバスに乗り、夕陽丘バス停で下車、細くて見失いそうな登山口から、いきなりの急登を、あえぎながら登っていきました。尾根に出るとさわやかな風が吹いており眼下には播磨平野が美しく、まるで田園の風景画の様な落ち着いたたたづまいを見せてくれています。何度かのピークを終え、近年にあったという痛ましい山火事跡を通過しながら「何で山の中でタバコを吸うのか!」と腹立たしい思いで二度とあってはならない山火事の中を通過していきました。

午後4時20分ゴール、6分待ちで大垣行きの快速電車に運よく乗れて、全員座って大阪まで帰ることが出来ました。電車の中で「打ち上げしよう!」と話がまとまり三ノ宮駅で下車予定のオリオンさんも予定変更して参加者全員でビヤガーデンに行くことにしました。

しかしです・・

ビヤガーデン入り口で「3500円」の文字を見た途端「あかん!別の店に行こう!」酒豪がいないため飲み放題システムを敬遠することにしました(おしどり夫婦は酒豪)地下街で落ち着く場所をみつけ愉快な時間を過ごしました。全員で飲み会に流れたのは最初で最後かも知れません。店を出ても別れづらくまぁるく円を作り「エイエイオー」と奇声をあげ、いずれやってくるであろう再会を約束して、ふらつく足取りで家路に帰り着きました。風呂に入るのがやっとです。登山靴さん!今日はキレイキレイできないけど許してね〜!


[2781] 【2894回 地域の情報です】 2012-05-18 (Fri)

新聞の折り込みに「2012年度充実の山歩き」なるパンフレットが完成したとPRされていたので参考用に資料請求をしました。北海道以外は訪れたことのある馴染みのある山々が連なっていました。ツアーに参加時はメンバー同志が初対面であること、ガイドが参加者の体力を把握できていないことなどがあり慎重に選ばないとツアー事故に繋がります。加えて「安ければ良し」とする高速バスの問題もクローズアップされており信頼のおけるバス会社や旅行会社を選ぶことが命拾いすることにもつながります。

地域情報です

●数年前、此花区のパチンコ店が放火された事件がありました。その後、経営者は変わったものの、懲りずにパチンコ営業が続いておりましたが、パチンコ店も閉店となり、同じ場所に17日薬局がオープンしました。3日間の開店セールで店の前は自転車だらけです。そのすぐ近くには別の大きなドラッグストアーがあるのですが、きっと痛手でしょうねぇ。何メートル以内は同業者禁止なんて商法はないものなのでしょうか。いくら安ければ良しであっても、きっと近い将来、経営が苦しくなるに違いありません。大きな店舗だけが儲かるのは地域の活性化にはならないような気がします。子供たちが通える駄菓子屋さんも大手のお菓子スーパーの出現によって消えてしまいました。息子が小さい時は10円や50円持って駄菓子屋に走り「当てもん」のお菓子を楽しんだものです。私の住む町にも今月末にまた新しい大手スーパーがオープンする予定です。

●「L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL」のイベントが5/19と5/20の2日間USJで開催され5万人の観客(2日間で10万人)が予定されています。周辺道路は警戒態勢を敷き事故のないようにパトロールするそうですが交通渋滞があるかも知れません。USJを楽しみたい方はこの日を避けた方がよさそうですよ〜。此花方面に来られる方は公共機関をご利用がいいかもですよ。目的地に到着しない恐れあり〜

●金環日食の朝、ドライバーが脇見運転をし、通学途中の子供たちに禍が及ばぬようにと見守り隊の要請を受けました。「おっ〜見えた〜!」などの脇見がないとは限らないという事なのでしょうか。最近の京都・亀岡・千葉・名古屋、それに隣の区の福島での事故から想像すると無いとは言い切れないのが悲しい現実です


[2780] 【2893回 別れはいつも悲しいもの】 2012-05-17 (Thu)

「命あらばいつか死は訪れる・・・・」お坊様の読経の中にあった言葉が印象的だった告別式でした。今日は隣組の方の告別式に参列してきました。此花区にも新しいセレモニー会館があるのですが、阪神野田駅前に最近出来た大きなセレモニー会館で行われました。ここは、地下鉄、市バス、JRなどから近く立地条件もよいためか福島区民だけでなく此花区民の利用も多いそうです。地元の葬式業者も大手の進出で葬儀業界もなかなか大変の様です。

享年71歳、ガーデニング大好きおじさんでした。家の前には百個を超える鉢が並び、四季折々には丹精をこめた花を咲かせてくれ、私達は「見るだけ隊」と称して自分で育てたような顔をして毎日眺めさせてもらっていました。しかし病気には勝てず喪主の息子さんの挨拶の中で「父は手先は器用でしたが生き方は不器用でした。最期まで生きることを諦めなかった父を誇りに思っています」短い挨拶ではありましたが、心のこもった親子の愛情が溢れる言葉に涙を誘われました。

エレベーターを降りた式場入り口には「メモリアルホール」と名付けられ故人の生前の写真展が出迎えてくれる仕組みとなっています。式が始まると大きなスクリーンが会場に降りてきて、お元気だった時の沢山の写真がナレーションと音楽とともに紹介されていきます。私の息子達と同じ年代の息子さんがおられ、若かりし頃の写真を懐かしく拝見しました。葬式会館独特の進行係りのナレーションが、妙に悲しさを誘い、読経の流れる中、式次第に沿って予定時間ぴったりの1時間で終了しました。祭壇もりっぱで下種の勘繰りではありますが、明日は我が身で「一体いくら費用がかかるのか?」気になるところでした(失笑)

ポチが先に逝った場合は私のやりたい放題でやればいいので(えっ?気になって死なれへ〜んてか!)何も心配いりませんが、私がポチより先に逝った場合の希望を伝えておく必要があります。私の場合生前は賑やかな人生だったので、最期は、ひっそりと誰にも知られずにあの世に出発させてもらいたい。できればうら悲しいバックミュージックよりも大好きな美空ひばりちゃんの「お祭りマンボ」などをかけて見送ってほしいと思っています。

四十九日法要が過ぎた頃「じつは・・・」と、お知らせし、一握りの灰を持ち、槍ケ岳の穂先から北鎌尾根の方向に向けて大空にまき散らせてもらいたいと思っています。しかし仲間たちも高齢になり、その時には槍ケ岳に登る体力は残ってないと思います(笑)まっ・・・笑って葬式の話を喋れるのはいまが元気ということでしょうか。


[2779] 【2892回 いいことふた〜つ】 2012-05-16 (Wed)

その@「四万十のお米到着しました」

過日、50年ぶりの同窓会のレポートを参加者全員に郵送したところ、「うれしかった!」と大きな反応を頂き、私の方もとても嬉しく作成時の苦労が吹っ飛びました。幹事の皆さんの話し合いの結果、ねぎらいの気持ちを込めて「故郷・蕨岡米」を届けて頂きました(ブログに写真掲載)

地元の50人の元気なおばちゃん、おじちゃんたちがせっせと畑を耕し、農薬をできるだけ使わず栽培した野菜・果物・花類を売る道の駅と同類の「蕨岡良心市」があります。どの品物も“とにかく安い! 新鮮!”と早朝から飛ぶような売れ行きです。昔から「うまい米どころ」として知られる蕨岡米を原料にしたもち、すし、まんじゅう、みそ、漬物等の手づくり加工品も味が良いと人気があります。

私も故郷に帰ると必ず立ち寄り「土佐寿司&ばんぼ」を求めて立ち寄ります。消費者との対話を大切に、顔の見える農産物の提供を心がけ、当番制で毎日生産者が店に出ていますが、時には料金箱には心無い1円玉やコインなどをいれる不届き者がいて悩みの種となっています。(心が痛まないのか!)さらに、良心市の壁には地元蕨岡小学校児童の絵画や習字が展示されており、”良心市ギャラリー”として地域交流の場となっています。

我が家に届けてもらったお米は、同級生のひとりが丹精こめて作ったお米です。その昔、故郷の農協が利用者が少なくて閉鎖寸前だと聞き、それは大変!閉鎖してなるものかと大阪等の地方に住んでいる同県人達で協力しようとスーパーでのコメの購入を「蕨岡米」に替え、長い期間宅配してもらっていたことがありました。タイ米しか出回らなかった時期も美味しいお米を頂けたことがありました。残念ながら過疎化に伴い農協は閉鎖せざるを得なくなり、我が家も息子達が独立して米の消費量も減り、ポチと二人暮らしとなったためスーパーで「丹波米」を購入している今日この頃です。今夜は久しぶりに故郷を懐かしく思い出しながら部屋中に漂う蕨岡米の香りを楽しむことにしました。

そのA後輩からの「母の日プレゼント」
以前、勤めていた会社の後輩から「ランチを一緒にしましょう」と言うお誘いを受けて、うれしくていそいそと出かけました。正午の待ち合わせでサスケクリニックの前にあるイタリアンのお店です。窓から外を眺めると明日からオープンする薬局が大きなクレーンで看板を吊り上げていました。2歳になる子供も随分手がかからなくなり仕事復帰をしてよかったと話をしてくれました。「辞める事はいつでもできる。育児休暇を取り職場復帰しなさい」と言い続けてきた先輩としては、逞しい母になっていてうれしかったです。昼休みの時間もアッと言う間に過ぎて別れ際に「支払は私がします。遅ればせの母の日です」と胸がキューンとなる嬉しい言葉をプレゼントしてもらいました。とても感動して遠慮なく好意に甘えることにしました。今日は良いこと尽くめの、い〜い1日でした。


[2778] 【2891回 故郷の共通の話題】 2012-05-15 (Tue)

ゴールデンウイーク中の日帰りハイキングの事故も多く発生していましたが北アルプスの遭難事故の報道の陰に隠れていて知らない事故も多くあったようです。また春は山菜採りの事故も多く、山中で足を滑らせて転落死なども発生していました。

山菜を見つけたら足場も見ずに「あともう一歩!」と手を伸ばしてバランスを崩してしまうことがあります。私も、たかがイタドリ、されどイタドリではありますが危ない思いをした経験が何度もあります。「せっかく見つけたのだから採りたい」そう思ってしまうのです。ゼンマイやワラビなどにはあまり関心の目が行きませんがイタドリとなると異常です。

息子の住む此花の隣町に、四万十市出身のおじさんが住んでいます。顔を合わせると共通の話題はすぐ故郷の話になります。私達は四万十市と改名されてしまいましたが、そのことをあまり快く思ってなく、今でも馴染み深い「中村市」で話をするのです。そのおじさんが「イタドリを採りに行ったがすでにトウが立っていた」と残念そうに話をしてくれました。「トウが立つ」とは既に硬くなって役に立たないイタドリのことを言います。気の毒なので私が保存しているイタドリを料理してお裾分けを嫁にことづけました。おじさんに届けた嫁からメールがあり「こりゃあ、ご馳走だ〜!」と喜んでいたとのことでした。ここにもイタドリファンがいたのですね。うれしいです。共通の話題は、些細なことでも、そこから心が通じるものです。(でも・・おじさんには採取場所は秘密にしています・・・ハハハ)

春が過ぎ初夏を迎える頃になると、山菜採りの時期が過ぎると山歩きも落ち着いて歩くことができます。(笑)今までは四方八方に目を配り、よそ見をしながら登山をしていたのですが(スミマセン)真剣に山を歩いて楽しめる時期に戻ったと言うことでしょうね。


[2777] 【2890回 母の日の由来】 2012-05-14 (Mon)

5月の第2日曜日は「母の日」と決められています。母の日の由来は国によってさまざまですが、日本の母の日のはアメリカの説からきたものだと言われています。

●古代ギリシア時代
神々の母リーアに感謝するための春祭りから発祥したといわれます。

●17世紀 イギリス
復活祭(イースター)40日前の日曜日を「Mothering Sunday」と決め、家から離れて仕事をしている人が家に帰って母親と過ごすことが許されていました。主人が使用人を里に帰らせる日としたのが始まりです。

●20世紀初頭 アメリカ
1900年代のアメリカヴァージニア州が起源といわれています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなりました。やがて彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日だそうです。この風習がアメリカのほとんどの州に広まりました。そして1914年、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。

●日本では?
日本で初めての母の日を祝う行事が行われたのは明治の末期頃で、大正4年に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていったと伝えられています。昭和に入ると3月6日を母の日としていました。この日は当時の皇后の誕生日であったそうです。現在のようになったのは、戦後しばらくしてからだと言われています。一般に広く知れ渡ったのは昭和12年、森永製菓が告知を始めたことをきっかけになったそうです。

「お母さんありがとう」そんな優しい言葉を息子の嫁2人からかけてもらいました。とてもうれしく思っています。私の母に母の日だからと言って「お母さんありがとう!」と声を掛けた記憶はありません。勿論カーネーションを渡した覚えもありません。12歳と言う年齢では親孝行ということも知らなかったのです。今ほどにマスコミやテレビ等で報道されていませんでした。昨日のスーパーは入り口から所狭しと、カーネーション一色になっていました。その間を歩くのが恥ずかしいくらいでした。私は「お母さんと呼んでくれてありがとう。息子達の面倒を見てくれてありがとう」そう嫁たちに感謝を述べたいと思っています。

お互いが感謝をすれば「仲良し」間違いなしです。


[2776] 【2889回 六甲山岩場めぐり】 2012-05-13 (Sun)

前回、芦屋から東お多福経由宝塚のコースでへなへなと力が抜けてから2週間が過ぎました。ポチが有馬越えをこなす中、自信喪失デーが続いていました。「地獄谷行こうか?」そんなお誘いに「喜んで!」と回答をし登攀道具をリュックにつめ(約13kg)阪急芦屋川駅前の広場を通過しました。時間は午前9時前ということもあり人はまばらです。

しかし高座の滝まで行くと子供連れや「山ガール&山男」スタイルの若者がわんさといます。中央稜コースへの道も、地獄谷への道も混雑していました。堰堤でヘルメットを付け、いのししコースに入りました。このコースは静かなものです。(イノシシはブログに掲載しました)

高座谷でハーネスをつけロープを出しました。右側のう回路は何度も通過しましたが高座谷をクライミングするのは初めてです。下から見ると簡単に見えるためフリーで登攀し多くの怪我人を出しているところです。「アッ!」と言った時には大けがです。リードで行くジョンも「岩が磨かれていて滑る〜ピンがない〜カムも入らない〜」と悪戦苦闘していました。立木を利用してやっとランニングビレイを取れました。

その後はキャッスルウオール、ブラックフェイスを登攀しブラックフェイスの上で「一度に二人を引き上げる方法」などの座学をし芦有コースを取り動物霊園に出てゴールとしました。芦屋川駅午後4時30分。ずいぶん長くいたもんです。

今日の最大の成果はブラックフェイスを「リード」できたことです。


[2775] 【2888回 クライミング講座再び】 2012-05-11 (Fri)

クライミング講習を希望される登山仲間がいて、5月19日からクライミング講座を実施することにしました。初心者という事で現場での座学と、まずはエイト結びからのスタートとなります。既に講習を終えハーネス・カラビナ・ATC等の道具をそろえておられる方、復習の意味を兼ねて参加されませんか?「アレッ?エイトってどうやって結んだかな?どうしょう、忘れた〜!」と言う方でアルプスを目指しておられたら、ぜひ再講習に参加しませんか?。夏に沢登をされる方はクライミングトレーニングは必須です。ある山岳会では「夏山教室→岩登講習→雪山教室→沢登講習」などの段階をクリアーした後にアルプス登山を許可されておられます。いきなりアルプスってのはちょっと危険が大きすぎます。つまり・・・安全登山にはクライミングが必要ということになりますね。初心にかえってもう一度トレーニングしませんか?ご希望の方はゲレンデでお会いしましょう!。

日程は下記の通りです。

●第一回 5月19日(土曜日)蓬莱峡谷(午前8時宝塚発蓬莱峡経由山口営業所行き)

●第二回 5月25日(金曜日)蓬莱峡谷(午前8時宝塚発蓬莱峡経由山口営業所行き)

●第三回 6月2日(土曜日)御着の佐土の岩場(JR大阪駅 5番線 先頭から3〜4両目付近 )
              JR大阪駅  8:00発 新快速 播州赤穂行き姫路別所下車(バス利用)

●第四回 6月9日(土曜日)ホワイトフェイス(阪急芦屋川駅午前9時00分)

近畿のアルプスシリーズを登ってみて岩場は避けて通れないという事を実感しました。登れたけれどうまく降りれないと、一瞬、立ち止まった経験はありませんか?滑落は下り道で多く発生します。よりスムーズに岩場を通過するためにぜひ岩場のトレーニングを積み重ねたいと思っています。私達が求めているのは「クライミングを楽しむ(フリークライミング)ではなく、危険個所を安全に通過す(アルパインクライミング)です。


[2774] 【2887回 連休中の北アルプス以外の山の遭難事故】 2012-05-11 (Fri)

北アルプスの大量遭難が目立ちすぎ、それ以外の事故はあまり報道されませんでしたが、さすがに大勢の人が山に入っていたGW中に日本中で山岳事故が起きていました。いえいえ日本だけでなく台湾でも救助の費用が心配で命を落とした人もいます(但し山菜採り事故)

●4月28日(土)読売新聞から
入山禁止の高千穂峰(1574メートル)携帯電話で「道に迷った」と119番通報。男女2人無事救助高千穂峰は新燃岳の噴火に伴い、入山が禁止されている。

●4月29日(日)静岡新聞から
入山禁止中の富士山5合目以上で19歳の男子専門学校生が滑落
専門学校生はハイキングを目的に富士宮口5合目から単独で入山。雪に足を滑らせ約20メートル滑落。現場は雪が固まったアイスバーン状で、専門学校生はトレーナーにジョギングシューズの軽装だった。富士山は各登山口の5合目までが通行可能になったばかりで5合目以上の入山を禁止している。

●5月3日(木)台湾 techinsightから
山で遭難の男性、費用が心配で捜索を拒否。遺体で発見される。山へ薬材採りに行き「道に迷った」と妻に電話をしていたが、「捜索を頼むとお金がかかるから通報しなくていい」と伝えていた。台湾の消防局によれば、遭難時の捜索にかかる費用を遭難者に請求することはなく、例外的に、台風接近時などに警告を無視して山へ入り、遭難した場合には5万〜25万元(約14万〜69万円)の罰金が科せられるそうだ。日本でも、携帯電話でSOSしてきておいて、「(多額の費用が請求される)民間のヘリならいりません」なんて言う遭難者もいるという。

●5月4日(金)産経新聞から
はしごから滑り落ち男性死亡 愛知・明神山(1016メートル)愛知県東栄町の明神山の登山道で、72歳の男性が、斜面に設置されている鉄製のはしごから約20メートル下に滑り落ちたと同行していた娘婿が119番通報。防災ヘリで病院に運ばれたが、頭などを強く打っており約2時間半後に死亡が確認された。

●5月5日(土)読売新聞から
夫婦で登山中、妻が50m滑落…鳥取・大山(1729メートル)
鳥取県大山の弥山(1709b)で、標高約1500メートルの登山道を歩いていた6歳の女性が約50メートル滑落した。一緒にいた夫が携帯電話で110番、県消防防災ヘリなどが出動し、約4時間後に救助、腰に軽いけが。

●5月6日(日)日刊スポーツから
「お父さんが山菜採りに行ったまま帰らない」と110番通報。秋田県警は柏谷さんが遭難したとみて捜索している。


過日かかりつけの病院に定期健診に伺ったとき、主治医から「大阪の62歳の女性死亡とニュースで出て名前が確認されるまであなたかも知れないと心配でしたよ」と案じていたことを知らされました。「先生!私は64歳ですよ〜」と言うと「あなたは年齢をごまかしそうだから」と・・・・(笑)


[2773] 【2886回 非常食セットやっと入荷!】 2012-05-10 (Thu)

私は「買い置き派」ではなく「毎日調達派」で冷蔵庫の中はその日に買い物をしてきた食料品しか入っていません。入っている物としては、使いさしの卵、開封後の牛乳パック、ドレッシング、ソース、マヨネーズ等しか入っていません。だから緊急時に冷蔵庫から食料を出して食い繋ぐことはできないのです。かと言って冷蔵庫にいっぱい物を詰めるのは嫌いなのです。

息子達が休みの日に1週間分の買い物をして、冷蔵庫や冷凍室を満タンにしているのを見て、若者達はこうするのか・・・と思っている次第です。我が家の冷凍室には今年春に摘んできたイタドリしか入っていません(笑)

「電気もない、水も出ない、ガスも出ない」の災害時、たとえ3日間でも食料があればと「非常食」を入手することにしました。(ブログに写真を掲載)

東北地方の震災後、品切れとなっていました非常食セットがやっと入荷できることになりました。依頼して1年がかかりましたが「使わなければ平和である証拠」と投資することにしていたのです。セットの中身は下記のとおりです。

◆6年保存水 500ml×5本
独自の蒸留法により、ダイオキシンをはじめとする環境ホルモンなどの化学物質や不純物を徹底して取り除き、純粋な蒸気だけを1滴1滴集めて作り上げた、純度99.9%の飲用蒸留水です。

◆安心米(アルファ米) 白米×3個
◆安心米(アルファ米) 五目ご飯×3個
水(60分)かお湯(20分)で戻せば、食べられます。スプーンつき

◆非常災害用保存大豆×1
ビタミンB・脂肪・植物性たんぱく質が豊富。栄養価の高い大豆は災害時の非常食として最も適しております。

◆缶入りカンパン×2個
氷砂糖入りの缶に入った「カンパン」エネルギー410kcal缶切不要

◆パンですよレーズン味×1個
レーズン入り 缶を開けるとやわらかいパンが入っています。 特許製法で作られた長期保存可能なソフトパンです。プルトップ式(缶切不要)

◆非常災害備蓄用 こんぺい糖×1箱
糖分は疲労回復と栄養補給には欠かせません。

これだけが入っています。5年を目途に買い替えをし、賞味期限ギリギリ時には、登山時に使ったり、イタドリパーティの時に試食し平和の有難さを語り非常食の必要性をPRが出来たらと思っています。


[2772] 【2885回 事実が明るみに」】 2012-05-08 (Tue)

北アルプス・白馬で遭難した北九州市の男性6人が遺体で発見された遭難事故で、同村山岳遭難防止対策協会の隊員2人が7日、遺体発見現場に入り、5人分のザックなどの遺留品を回収したそうです。(1人のザックについては遺体と共に既に回収済み)

遺留品は長野県警大町署員が確認した後、遭対協の隊長が取材に応じた様子がインターネット上で発表されていました。亡くなられた方達の名誉のためにここに判明した事実を書き写したいと思います。

『五つのザックにはそれぞれ、春・夏山用の羽毛ジャケット、防風機能のある冬山用ズボン、保温機能のある登山用下着、予備の手袋、500ミリリットル入りの水3本などが入っており、約15キロの重さだった。簡易コンロも二つあったという。6人で使用したとみられ、発見時に遺体に巻き付いていたツェルト(簡易テント)1点も回収した。6人は発見時、防水透湿性素材の雨合羽に綿のズボン、ウールのシャツなどの薄着だった』。と伝えられていましたが、ちゃんと装備は万全であったことがわかりました。約15sのリュックの中には保温機能のある物が入っていたという事になります。遭対協の隊長は「冬山用のズボンを持っていたが、全身の装備は冬山に耐えられない。加えて、低体温症で判断が鈍り、吹雪になって着替えられなかったのではないか」と推測しています。と会見内容を結んでおられました。

ならば私達も悪天候の中を突き進むとき、あるいは天候が急変すると想定した時の衣類の装着方法を考え直さなければなりません。訓練にも衣類の装着を取り込まなければなりません。今後の大きな課題です。

八ヶ岳連峰の根石岳のコルで寒さのあまり、強風の吹きさらす中で、羽毛ジャケットを重ね着しました。強風で手もかじかみリュックのチャックさえも開閉困難だった覚えがあります。「根石は強風個所だ」とわかっているのですから箕冠山あたりで防寒対策をしなければならなかったのかもしれません。根石岳のコルで出会った野口健さんはダウンの厚手のジャンバーをしっかりと着用しておられました。(流石!だと写真を見て思わずメーカーチェックしたものです)

白馬岳の6人の方達は、出発時は、たまたま気温も高く手袋も要らずの軽装だったのでしょう。リュックの中には手袋もあったそうです。取り出せないほどに天候が急変したのでしょうか。自然の猛威は麓の人間にははかり知ることができません。改めてゴールデンウイーク中に亡くなられた方達に哀悼の意を表したいと思います。    合掌


[2771] 【2884回 生きてたんか〜?】 2012-05-08 (Tue)

自宅に何本も電話が掛かってきました。「テレビで見たけど62歳の大阪のおばちゃんが遭難死と言うてたので心配して電話したで〜何や生きてたのか〜!」(何や・・・は余分やろっ!)ほとんどの電話が同じ内容でした。「私は単独で山には入らないよ!それに悪天候なのに無理して行くはずがないやろ!」と無謀な登山は常々しないことを印象付けました。扇沢登山口から五竜岳まで行く計画書を見た山岳遭難防止対策協会の担当者から「この計画書は行程が長すぎて危険だ」と指摘されていたことがわかりました。ピッケルもテントも持っていないことから「冷池山荘往復に変更するように」と忠告をしたそうです。女性は「わかりました」とは言いましたが爺ケ岳頂上付近で倒れていたそうです。この時期は雪山のエキスパートでも非常に危険で、位置関係や時間配分などの知識がなかったのではと関係者は話していました。

「2011.07.17〜22 爺が岳、鹿島槍、五竜岳、唐松岳」の私達の山行記録をみてもらいたいです。夏場の記録です。

http://www.hime8kin.net/2011sankokiroku/110717kiretto0.html

どれほどに切り立った危険個所が何か所もあるかという事を写真をご覧いただき理解してほしいのです。雪道では登山口から冷池山荘まで約7時間、さらに冷池山荘から鹿島槍を経て五竜岳まで10時間かかると言われています。私達は7月と言えども万年雪が残っている同じコースを、冷池山荘泊、険しい八峰キレットを通過してキレット小屋泊、そしてやっと五竜岳泊と私達の足が遅いにしても、雪がなくてもいきなり五竜岳まで行けるはずがありません。山は到着時間を競うものではありません。天候が良ければ冷池山荘を出発し唐松岳山荘までが予定コースでしたが、雨のため安全を優先して予備日を使いました。北海道のトムラウシ遭難事故の際も帰りの飛行機の予約が気になり悪天候を強行突破しての事故となったのです。予備日ってとても大切なんです。

白馬岳6人の人達も手袋の着用もなく、夏用の合羽(どんなんやろ?知りたい!)の軽装で、いくら医師集団チームであっても自分自信が低体温症にかかってしまっては手の施しようがなかったのでしょう。6日には、北アルプスの槍ヶ岳の山頂付近で登山をしていた3人のグループに落雷があり、このうち男性1人が、はずみで滑落して怪我をしました。

悪天候でのヘリコプターの救助が困難な場合は、麓から救助に向かう場合も多々あると思います。救助隊の皆様も二次災害に遭わないようにして頂き、まずは救助隊の皆様の安全を確保した後に、救助活動をお願いしたいと思います。亡くなられた方達にはお気の毒ではありますが遭難事故の原因を公表することで、同じ事故を繰り返さず安全な登山を目指すための今後の参考にしたいと思っています。

私の浅はかな知識としては積雪時の入山チェック時で「単独では入山させない」「装備不良は入山させない」などの強行手段も必要となるのではないでしょうか。このことが登山者の間に周知徹底すれば未然に事故が防げるのではないでしょうか?無数にある登山口に人員配置をするのは無理なのでしょうけれど尊い命が失われていく事に心を痛めています。


[2770] 【2883回 ゴールデンウイーク終わったね】 2012-05-07 (Mon)

お勤めのみなさ〜ん「5月病」は大丈夫ですか〜?

4月28日(土曜日)から5月6日までざっと9連休の休みがあった企業も多かった事と思います。正月休みよりも心と時間に余裕があり、海外旅行もかなり人気があったようです。アルプスは残念ながら悪天候で断念せざるを得なかったのですが、登山に出掛けなくて、無理しなくて良かったと思います。

白馬岳、爺ケ岳、涸沢岳に続いて6日にも北アルプス・奥穂高岳(3190m)の北側で「尾根から滑落した。仲間2人の行方が分からない」と110番があり、3人とも滑落し、一人は自力ではい上がり、岐阜県警山岳警備隊に救助されました。仲間の男性2人の安否は不明。救助された男性も意識はあるものの、低体温症で衰弱しているという。(道迷いが原因?)

「自然を知る、自分の体力を知る、山に合った装備を知る」のこの三原則をしっかりとマスターし安全な登山を楽しめたらと思います。100m高度を上げると0.6度気温が下がり、1m風速が増えれば1℃気温が下がると言います。雨に濡れると気化熱の原理で体温が下がり、低体温症を引き起こします。

登山中に体調不良を起こしたものの「仲間に迷惑かけるから・・・・」と我慢した覚えはありませんか?我慢せず「弱音は吐いても良い」そうです。そうすることで登山中に多い心筋梗塞、急性心不全などの急病を未然に防ぐこともできるそうです。(但し弱音でもトレーニング不足の体力不足はこの限りにあらず)

過日のことです。芦屋〜東お多福〜宝塚を歩いているとき、東お多福山あたりで体調不良を起こしました。急に速度についていけなくなったのです。自分の中で「これくらいで何でや?」と自問自答しましたが「コース変更をするなら早めに言わないと迷惑かける」と思い、北山の頂上あたりで体調不良を訴えました。ここからだと車道に出たら有馬への短いコースに切り替えることもできるのです。しかし休憩したのちは体力は回復し、予定通り宝塚までゴールしましたがアクシデントは予期せずにやってくるのです。

5月病は一週間を「5日働き、2日休む」のリズムが狂うために気が緩むことを5月病と表現してます。小学生も中学生も高校生も同じことで、学校ではこの時期に遠足や家庭訪問などを取り入れるのは集中できない期間を授業以外で補うらしいです(教師もひょっとして5月病かも知れないもんね)


[2769] 【2882回 やっぱり発生してしまった山の事故】 2012-05-06 (Sun)

●白馬岳
北アルプス・白馬岳(2932メートル)に登山に入った男性6人グループの遭難で、別の登山者が5日午前8時頃、近くの尾根で6人とみられる男性が倒れているのを発見し、山荘を通じて県警大町署に通報し、県警がヘリで収容し、6人の死亡を確認した。県警や山小屋関係者によると、6人が倒れていた現場は、北アルプス・小蓮華山(2766メートル)の山頂付近。いずれも63〜78歳で、75歳の男性がリーダーとみられる。(メンバーの中に医師数名)

●爺ケ岳
北アルプス・爺ヶ岳(2670メートル)山頂付近で、女性が意識不明の状態で倒れているのを登山者が見つけ、連絡を受けた山小屋関係者が県警大町署に通報した。女性は県消防防災ヘリで収容され、死亡が確認された。発表によると、4日に扇沢から「単独」で入山。同日午後5時半頃、携帯電話で「吹雪で身動きが取れない」と山小屋関係者に連絡があったが、その後、連絡がとれなくなっていた。

●涸沢岳
北アルプス涸沢岳(3103メートル)で、登山中の56〜71歳の男女6人が動けなくなり、穂高岳山荘(2983メートル)に救助を要請した。県警山岳警備隊員らが同山荘へ運んだが、71歳男性が低体温症で死亡した。残り5人は5日午後、県警ヘリで同山荘から高山市内に搬送され、このうち低体温症の3人が市内の病院に運ばれたが、命に別条はないという。県警高山署の発表によると、6人は3日朝、長野県の上高地から入山。4日午後、同山荘を目指していたところ、吹雪による悪天候で動けなくなったという。

「ゴールデンウイーク中は、寒気が入ってきていて八ヶ岳でも気温がかなり下がった。白馬岳のあたりはここよりも圧倒的に雪が多い。高い山ほど天候も厳しいのは当然のことだ」と関係者は言い、「難しい山に行くとすれば、天候を予測するための勉強をするべきだが、なおざりにされている側面がある」と指摘する。この時期の山は「春山」と呼ばれ、天候が変わりやすい上、山頂付近には雪が残っている場所も多い。装備が不十分なケースもあり、県警は「北アルプスを甘くみてはいけない。5月末まで冬山登山の装備は不可欠」と注意を呼び掛ける。

中高年を中心にした山ブームに加え、最近では「山ガール」など若者の登山人気は高まっているが、「低い山で経験を積むことをせずにいきなりすごい山に行ってしまう。山がブランドになってしまっている」と懸念。「山は厳しいもの。経験がないのに登ってしまう人がいれば事故が起こるのは当然だ」と警鐘を鳴らした。

●山で遭難した場合「遭難した!助かるためにどうする?」では、道に迷った際に「尾根に登って救助を待つ」「捜索ヘリから発見できるよう、上空の見通しの良い場所を選ぶ」などを解説しています。救助を求めるサインはヤッケ・雨具などを片手に持って上空に向かって大きく円を描く。乗務員が確認できる位置まで近づいたら、大きく上下に振る。遭難時以外は遭難者との区別が付かなくなるため、登山中に警察ヘリや防災ヘリを見かけたときに、手を振って挨拶したり、ヘリコプターに向かって帽子、タオル、ヤッケなど振らないようにする。それ以前に悪天候を押して山に入らない。単独行動は絶対しない。

●ヘリに救助を求めるサイン - 長野県警察
救助に伴う費用と保険山岳事故の際、捜索隊の活動やヘリコプター出動など、救助に伴う費用は本人や親族に請求されることがあるが非常に高額であるといわれています。救援、遭難の内容により補償の内容が異なる趣味やスポーツなど娯楽での事故に備える保険に付いている「救援者費用保険金」。山岳登はん中の行方不明の捜索費用負担などに備える「遭難捜索費用保険金」。両者とも保険会社が想定した事態に対する保険であるため、補償の範囲には限度がある。期限切れであるかどうかはご自身で確認の上、継続するかどうかの判断をお願いします。

山岳保険については、私は「永久継続」の意思表示をしているため期限切れの心配はありません。


[2768] 【2881回 24通・・・発送完了しました】 2012-05-05 (Sat)

京都&湯の花温泉で行われた「蕨岡・舞の森会はじめての同窓会」のレポートをアップし、各方面から嬉しい書き込みや電話を頂きました。大変喜んで頂いた事で気を良くしている浮かれた姫がいます。そこでと言うか、だからと言うか、私を含む参加者25名、インターネットの環境が整っていない友もいるのではないか、せっかくの顔写真入りでアップしたのに、貴重な思い出を25名で共有しているのに、見れる人と見れない人が出る、何とかこのレポートを届けたいと考えました。

住所がわかっていることから直接全員に郵送しようと思いつきました。幹事の方にまとめて送っても、配布にまた面倒をかけることになります。まずは写真用のコピー用紙の購入から始めました。とりあえず200枚分のコピー用紙とインク2組を購入し、インターネット上からコピーをすることにしました。ところが写真用のコピーは厚紙につき「紙がつまりました」のエラーメッセージが何度しても出てきます。5月2日はほとんどこの作業の繰り返しで終わりました。翌日、気を取り直して厚手のコピー用紙から薄手のコピー用紙に交換してもらうべく購入した梅田の店に出かけましたが「会員カード」の携帯がなく交換不能・・・うちひしがれて重い足を引きずり自宅に帰り90%は諦めていました。「まっいいか!。思い出はそれぞれ心の中に持ち帰っているのだから」と自分を慰めつつ、コピー用紙が交換不能であったことの報告も兼ねてジョンにSOSを発信しました。「よっしゃ!何とかしてやる!」力強い言葉です。

そして印刷モードにやり直しをしてもらい、再度10パーセントの可能性にかけて厚紙コピーに挑戦しました。連続でのコピーはやはり「紙づまり」となるため1枚づつ手差しの作業を昼食抜きで5月3日終日、試みました。夕食が済み作業を続けていたのですがパソコンはポチの部屋に置いているため深夜までは出来ず、4日の朝からまたチマチマと手差しコピーを始めました。原稿は全部で9枚、それを24人分だと216枚・・・あっちゃあ〜16枚足りへ〜ん!小雨のパラつく中、バイクで野田阪神の電気店に走り50枚入りを追加購入してきました。予備の紙がないので失敗は許されません。

午後4時・・・何とかコピー完了!苦労の甲斐あってきれいな仕上がりです。封筒のあて名書きは深夜に済ませていたので、当日の顔を思い浮かべながら、ひとりづつコメントを書き、「開封式・書籍扱い」で、切手を貼りましたが、不運なことに近くの特定郵便局は祭日で6日まで休みなのです。せっかく完成したのだから1日でも早く届けたいと急いで本局へバイクを走らせました。(暴走ちゃうで〜)

レポート発送にかかる費用もさることながら費やした時間を思うと溜息が出ます。「そこまでしなくても・・・」とポチに言われないために「お金で買えない思い出だから!」と先手を打ち、文句を言われないようにしました。それほどに思い出多い同窓会であったという私の自己満足なのかも知れませんが全員に行きわたったことにホッとしました。故郷や各地に住む参加者のみなさんが、ポストに入っている「思い出の封書」を開封した時の、驚きの、喜びの顔を想像しながら部屋中に散乱した紙くずの後片付けをしました。ちょっと疲れました。

故郷に帰ったら「舞の森」と言う山に登ってみたいと思います。蕨岡出身でありながら「舞の森」という山の存在を知りませんでした。校長先生役のセキオ君が「よいよ〜いかんけん!知らんがかよ〜?ミチコは蕨岡のモグリか〜!」と言われたので、ぜひ頂上を制覇したいと思います。(見ちょれよ!頂上から雄叫びを発しちゃるけん!)

※「蕨岡舞の森」の標高を調べようと検索したら、私のレポートが出ちゃった〜!


[2767] 【2880回 ゴールデンウイークは悪天候】 2012-05-04 (Fri)

ゴールデンウイークは悪天候と高速道路の渋滞で始まり、そして終わろうとしています。テーマパークの乗り物の前は長蛇の列で120分の待ち時間は早い方で、希望する乗り物もなかなか乗れない状態だそうです。この時期は家でのんびりがいいのかな?

「山は大荒れの模様」の予報にも関わらず出かける登山者も多い。心配していた通り、やはり山の事故が起きていました。長野県の北アルプス穂高連峰に入山した62歳の男性が、下山予定の5月1日を過ぎても戻らないとして、家族が2日夜、松本署に届け出たそうです。松本署は3日から捜索を始めたとのことです。発表によると、4月28日、「単独」で上高地から入山。29日に、槍ヶ岳山荘に宿泊し、30日に宿泊を予定していた別の山荘に現れず、足取りがわからなくなっています。

ゴールデンウイークに多くの登山者たちがアルプスを目指していました。私の知る限りでは「剣岳」、「奥穂高岳」、「西穂高岳」、「唐松岳」と向かう山はそれぞれ違いましたが、安全登山についての思いはみな同じで、悪天候を予想して全て中止となりました。「山は逃げない」と言われているように天候が回復したら、また計画を立て直されることでしょう。「今回は中止してよかった」と思うほどの悪天候が明日も、明後日も続くみたいですよ。

テレビを見ていると「日本名山紀行」と言う番組の中に瑞牆山が紹介されていました。5月27日から私達も出かけるので食い入るように見てしまいました。タレントが2人が韮崎駅からバスに乗り、途中にある増富温泉に立ち寄り、麓の山荘に宿泊し翌日瑞牆山に登っていました。画面を見ながら「ああ、ここも通過したことがある」、「ああ、ここは少しきつかったかな」、「ああ、ここは桃太郎岩だ」と、一度登山経験があるので懐かしく見ていました。なかなか踏み入れにくいアクセスではありますが何度でも行ってみたくなる山「瑞牆山&金峰山」です。スケジュールを調整されて一緒に行きませんか?日本百名山を一度に二座制覇できるのですよ〜!

富士見平小屋は私達のお勧めの小屋で、小屋の親父がこれまたいいのですっ!私達は今迄にアルバイトスタッフの扱いが悪く気分を害した山小屋がいくつもあります。マニュアル通りの事は何とか出来るがアクシデントの対応がまるで出来ない。全員がそうではないのですが「山小屋のイメージ」として残ってしまいます。そんな中で富士見平小屋の親父さんは品位がありダンディで、それでいて「昔の山男」の香りを醸し出しています。瑞牆山と金峰山をこよなく愛して自然を守り続けているのです。

みなさ〜ん!まだ間に合いますよ!ご検討の上ご連絡をお待ちしていま〜す。


[2766] 【2879回 ためらう高速バスの利用】 2012-05-03 (Thu)

春山登山「西穂高岳」は悪天候のため中止としました。「せっかく予定したのだから」「せっかくだから行こう」「せっかくの休日だし行けば何とかなる」の「せっかく○○○だから」が事故につながるのです。ここはあっさりと諦め予定変更して天候の良い日に(雪が溶けちゃうかな〜また来年積もるやろ・・)再チャレンジが安全登山だと思っています。ゴールデンウイークに無理をして山に突っ込んで事故に遭遇と言うニュースが連休明けに報道されないことを祈っています。山も川も天候が不順です。どうぞくれぐれも気を付けて!

高速バスの事故が相次いでおり、利用者にとって運転手さんを絶対的信頼をしているのに、居眠り運転だなんて・・・今後の高速バスの利用を躊躇してしまいます。私達も5月下旬に奥秩父方面に高速バスを利用する予定ですが今まで味わったことのない不安が襲いかかってきます。以前私が利用していたバス会社は「運転手はベテランだし一人でいいのではないか?」と私達が思うような場所でも「労働基準法で決められていますので交代ドライバーを乗車させます」と交渉段階ではっきりと言っておられました。「バス会社は○○○、ドライバーは▽▽さん」と信頼できるドライバーを見つけたら指名をしていました。安全走行が当然と思われていた高速バスもバス会社の安全運転管理・運行管理がきちんと出来ているかどうかだと言うことがわかりました。「安ければ良し」で選ぶのではなく今後も「安全性」を重視して選びたいと思っています。

運転中、万が一眠たくなった場合の対処法は五感を刺激するのだそうです。

●仮眠をとる(30分程度が目安)
●ガムを噛んだり、コーヒーを飲む
●スルメ、せんべいのような硬い物を食べる
●運転の交代や積極的におしゃべりをする(助手席の人は眠らない)
●窓を開けたり、エアコンを付ける
●テンポの速い音楽を聞く

人によって差はあると思いますが、生あくびなどを連発し始めたら同乗者も「我・関せず」ではなく休憩を促したり、ガムやスルメやせんべいなどを運転者に差し出す心遣いがいると思います。だからと言って運転を妨げるような、大声でのおしゃべりは運転の邪魔になります。ほどほどに!

私が会社勤務をしていた頃、丹波篠山の工場まで一人で運転する時が、しばしばありました。往路は休憩はしませんでしたが復路は必ず「荒川パーキング」に立ち寄りました。ここは自動販売機だけしかなく駐車場が空いているのです。座席を倒し10分だけ目をつむることにしていました。いつの間にか眠り、目が覚めたら洗面所に行き、手を洗うとスッキリとするのです。こうした工夫で長い距離の一人運転を無事故で過ごすことが出来ました。


[2765] 【2848回 天気予報当たるなぁ・・】 2012-05-02 (Wed)

ゴールデンウイーク後半はお天気が崩れる模様で、おでかけの予定のある人たちはきっと、空を眺めながら気をもんでいることでしょう。私も西穂高に行く予定でしたが天気予報とにらめっこで現在待機中です。

先日の同窓会のレポートが新鮮だったのか「蕨岡・舞の森会」のみなさんからの反響が大きく、大変うれしく思っています。山行記録は出して当たり前、レポートは姫の趣味や、と少しマンネリ化現象でしたが故郷のみなさんにはとても新鮮に見えたらしく、温かく受け止めてくれました。うれしかったです。

そんなら・・・とインターネットの環境を持っていない人にもぜひ読んでもらえたらと考えコピーをすることにしました。全部で10ページありますので25人分となると相当な量になり、インクの対応や写真用コピー用紙の調達に梅田の電気店に出かけました。コピー用紙やインクと言えども1万円で、わずかばかりのお釣り・・・でもみんなが喜んでくれるならと勇み足で帰ってきました。

早速、印刷にとりかかりましたが「用紙が詰まりました」とメッセージが出て思うように行きません。これが本当の勇み足ってとこですね。コピー用紙が厚すぎてプリンターを通過しないため薄手の用紙に交換してもらうため購入先まで出かけましたが、思うような成果がでなくてガクッと力が抜けてしまいました。

自宅にインターネット環境のある人にはアドレスをお知らせしましたが今考えると、自宅になくても息子や娘のところ、またインターネットカフェなどで見られるので「コピーは各自で」と付け加えておけば良かったと悔やんでいます。


[2764] 【2847回 大がかりな模様替え】 2012-05-01 (Tue)

冬の間は堀コタツ、夏になればテーブルにと我が家の居間は大がかりな模様替えをしなければなりません。ポチとの「相性が良い日」でなければ終了するまでに喧嘩になるのです。虫の居所が悪ければ「面倒くさい」「年とともにしんどい」などと吠えるのです。秋の堀コタツを出す作業は、ポチの留守を見計らって私一人で行いました。しかしテーブルの天板を1階から3階に持ち上げるとき「死ぬ〜!」と思うほど大変でした。だからこれは「二人作業」でないとできないのです。

急に暑くなりコタツが邪魔者扱いされるようになり昨日から片付け始めました。まず不要になった歩行器・・・もう孫が増える予定もなさそう(?)なのでゴミに出すことにしました。ベビーベットは次回に捨てましょう。不要なものはまだまだ沢山ありますが「購入するときは代替え品のみ」と心に誓い、なるべく新しい物は買わないようにして「シンプル・イズ・ベスト」を保ちたいと思っています。

「床に物を置かない」ことが整理整頓の基本だそうです。我が家は狭いですので、すべてクローゼットの中にしまうことにしています。子供たちが来ても物にぶつかって転倒することのないように気を使っています。子供だけでなく私達も何かにつまづく事が多くなってきました。高齢者の家の中での骨折も多いそうです。慌てないで、家の中でも事故が発生することを念頭に暮らしていきたいと思っています。

う〜ん・・・何か模様替えしたいなぁ〜!家の中のどこかを少し片付け始めると・・・もう止まりません。右の物を左に動かすだけでも普段できない掃除が出来ます。ゴールデンウイークは天気が悪そうですので、模様替えなどいかがですか?


[2763] 【2846回 恒例のイタドリツアー】 2012-04-29 (Sun)

4月29日は姪達と金剛山の麓でイタドリを採り、すき焼きパーティをするのが過去3年ほどの春の行事となっています。現地集合でそれぞれが気合を入れてやってきます。去年は自分たちの目の前をビニール袋を下げてイタドリを採る人達が歩いており驚きました。今日は登山者は、ひっきりなしに登って行きますが、イタドリ採りモードのお散歩の人達は見当たりません。(ラッキーです!大量にゲットできました)

今回は孫たちも「お山の探検」と喜んで参加しました。2歳の孫を「おんぶヒモ」で背負い(体重9sらしいです)姫婆の肉弾の背中が気持ちいいのか背負ってすぐに眠ってしまいました。行きかう登山者が「おんぶ、久しぶりに見たわ〜!重いでしょ?」と私の背中を見て声をかけてくれました。この頃は抱っこヒモ全盛期ですものね「歩荷トレーニングみたいなもんですわ〜!」(歩荷の意味理解してもらえたのかな?)

登山道にある「あづま屋」は、疲れて下山してくる登山者のために使用せず、横にある空き地にブルーシートとミニテントを張り、紅葉の木が恰好の日陰となりブ、大人と子供、合計11人がすき焼き鍋を囲み、イタドリ収穫を祝うパーティを堪能しました。子供たちは土砂崩れの小さな山を、駆け上ったり滑り降りたりと入場料のいらない遊園地の様でした。車も通らず、まったく危険性もないため野放しです。「そろそろ帰ろうか」と言うと「帰りたくな〜い」とお気に入りみたいです。

登山者は駐車場が狭く満杯になると、バス停から上の沿道に路上駐車して、気軽に金剛山に通っているみたいです。話をすると登山回数を誇示する人がとても多かったです。

食事が終わるとみんなで採ってきたイタドリの皮剝きを始めました。お喋りをしながら皮を剥くとアッと言う間に、はかどります。蟻ん子も葉っぱに多くついており、このまま自宅まで持ち帰るには問題有りと、せっせと皮むきを始めました。人数作戦でいけば、アッと言う間に終わります。姪っ子は塩まで持参しており用意周到でした。(さすがイタドリ姫の姪っ子!)

解散時には、ぐるりと輪になり「来年もまたスケジュールが空いていれば午前9時に同じ場所で再会しましょう〜」と万歳三唱(笑えるでしょ?)をして、それぞれの車に乗り込みました。バイバイをした後にもかかわらず、1組の姪っ子夫婦はね再び川の方へ消えていきました。まだ採り足りないみたいです。別れたはずのそれぞれの車が「道の駅」に集合したのには笑えました。

本日をもって「季節限定イタドリ姫」は幕を下ろします。今年もお陰様で満足の行く量を確保することができました。今年は50年ぶりに再会した同級生と一緒に採ったイタドリも混じっており価値観が上がりました。いつかどこかで皆様のお口に入るよう楽しみにしていますね。ありがとうございました。


[2762] 【2845回 歩荷トレーニング】 2012-04-28 (Sat)

芦屋から雨が峠、東お多福山を通り宝塚まで「歩荷トレーニング」に出かけました。午前9時過ぎだと言うのに気温はぐんぐん上がって高座の滝から中央稜は暑いため、高座谷コースを通過することにしました。沢山の人達が小さなリュックを背負って歩く中、でっかいリュックを背負いエンヤコラと歩く私達が、滑稽に見えたかもしれません。しかし歩荷訓練ですからね。荷物が軽いと訓練になりません。

東お多福山あたりで私のスピードがジョンやポチについていけなくなりました。どうも体調不良(主たる原因は30℃にも上昇した気温が原因?)

久々につかれました〜。しばらく芦屋から宝塚コースは封印で〜す。ほんまつらかったです。本日にて春山訓練はおしまいです。雪の西穂高に行くことにしました。でも連休の天気があまりよろしくないみたいで天気予報とにらめっこです。独標から先は危険個所があり風が強かったり、天候が悪ければ、引き返すと言う条件付きで出発予定です。


[2761] 【2844回 4歳への第一歩】 2012-04-26 (Thu)

人間は還暦の60歳を迎えてリセットされ、再び人生のスタートとなるらしいです。ならば本日4月26日は私の4歳の誕生日と言うことになります。健康で今日を迎えることができたことに丈夫に産んでくれた亡き両親に感謝の合掌をしました。

仲間たちの支えにも感謝、家族にも感謝、多くの人達に色々と助言をして頂きながら、胸を張って生きてこれたことに幸せを感じています。

64歳の目標としては、あまり仰々しく目標を立てても実現しない場合があるため謙虚に「自分らしさを失わない」「自由に羽ばたく」ぐらいに、とどめておきたいと思います。いずれも健康であると言うことが条件となりますが・・・

過日の同窓会も、なかなか実現にこぎつける事ができず50年と言う歳月が経過してしまいましたが、子育てを終え、ふと振り返ると、人恋しくなり、会いたい気持ちが募り、5人の世話人の人達の努力のおかげで実現できました。63歳の良い思い出となりました。

64歳の朝を迎え再スタートの合図を受けました。10年先の将来を見つめなおす私がいました。山に行こう!里山を歩こう!お友達に誘われたら喜んで出かけよう!

「何歳になったのですか?」と聞かれたらマラソンで言う「押し返し点を過ぎたばかりです」と言おう!(笑)とにかく若い気持ちを保とうと思っています。


[2760] 【2843回 お国訛りはまだ抜けず】 2012-04-25 (Wed)

故郷の同窓会は終わり、学び舎の友たちと別れたはずなのに、なぜかまだちょっとお国訛りが抜けません。何となくイントネーションが・・・自分でも気が付いて「プッ!」と笑っちゃいます。私は12歳までしか四万十市での生活はないのですが、ちゃ〜んと覚えていました。違和感はなかったと思います。ところどころ使い忘れた方言が出て理解できなかったですがそれも記録として書きとめました。次回会う時はバッチリだと思います。

昨夜一晩でレポートを仕上げました。「早いね」そうではありません。記憶の糸がプッツン、プッツンと切れるため覚えている間に仕上げているだけです。今日は写真の編集をお願いをするためジョン事務所にお邪魔をしていました。自分の撮った写真を見ると、オリオンさんや、ジョンさんのご苦労がよ〜くわかりました。「まっすぐ撮れよ〜」「おいおいどこを撮ったんや?」「なかなかいい写真やな」と褒めてもらったり次回の教訓を頂いたりしました。

そんな時、突然に嫁からのメールで「今から家に行きます」との事で作業を中断して戻ってきました。明日、もう一度見直してから「蕨岡・舞の森会」の同窓会レポートとしてアップしたいと思っています。参加したみんなにも何とか工夫して届けたいと思っています。(パソコンがまだ浸透していないので・・・)

若葉の眩いころ故郷の山々は、うす紫「の藤の花」一色に染まります。田植えも始まり活気づいてくる頃です。同窓会のことを振り返ったり、参加できなかった人達に思い出話をする時にレポートが役に立てばうれしいです。

「季節限定イタドリ姫」から卒業する頃には土佐訛りも消えていることでしょう。もうしばらくイタドリ姫でいたいと思っています。もうしばらく懐かしい土佐の人達と同じ言葉しゃべっていたいと思います。

今日は63歳最後の日です。明日からは64歳!しかし四捨五入するとまだ「60歳」だものね。ハハハ(65歳になるとそうはいかないよ〜一気に四捨五入すると70歳ですよ〜)元気でさえいれば楽しいこといっぱいあるね。きっと!


[2759] 【2842回 同窓会はまるで修学旅行】 2012-04-24 (Tue)

ただいま〜!楽しい2日間でした!

50年ぶりの小学校&中学校の同窓会は大いなる親睦の成果をあげて盛大に、和気あいあいと終了しました。朝9時、土佐藩の貸切バスと難波藩・江戸藩のホテルマイクロバスに分かれ湯の花温泉を出発しました。

早々に自宅に到着した我々と違い、午後2時51分現在、三木インターを出て土佐路へむかっているとのメールがありました。東京組は只今新幹線の中と距離を感じています。50年ぶりの第一回目の同窓会は故郷の山の名前を取り入れて「蕨岡舞の森会」と命名しました。今まで開催できなかった理由は子育て、自らの病気、親の介護、仕事の都合とさまざまではありましたが発起人のみなさんの努力のおかげで卒業生72名の名簿が完成しました。快挙です。既に他界した同級生も数人おり心から哀悼の意を表した次第です。

「また会いたいね!」参加者全員の意思を強め松山に住む仲間が「来年は道後温泉で!」と手を挙げれば東京に住む仲間が「では再来年は熱海で!」と幹事役を引き受けてくれ、開催地は決定しました。元気でいることが最低条件だとみんなで再会を約束しました。

1泊目は京都の平安神宮近くのホテルで宿泊、ランクは「フツー」です。2泊目の湯の花温泉のランクは「最高」でした。宴会も盛り上がり、二次会は夜中の2時3時まで続いていました。勿論バスの中も浴びるほどの酒、さすが酒豪の土佐人達!強い!

湯の花温泉で朝の散歩をしようと言うことになり、「もしかしたら・・・イタドリがあるかも」と胸をはずませているとあった、あった、太くて美味しそうなイタドリ!ホテルに戻ると、仲間たちが「みっちゃんのために採って来た」とイタドリのプレゼントをしてもらいました。土佐に持ち帰らないのかと聞くと「腐るほどある」とのこと。お言葉に甘えていただいてきました。(ブログに写真載せました)


[2758] 【2841回 50数年ぶりの同窓会に行ってきます】 2012-04-22 (Sun)

故郷の小学&中学の同窓会が京都で開催されるために
4月22日から24日まで書き込みをお休みさせていただきます。

●4月22日は故郷・四万十市からやってくる学び舎の友たちを京都市「ホテル平安の森」で出迎えることにします。
  23日のスケジュールは22日の夜に発表らしいです。

●4月23日は亀岡市湯の花温泉「保津川亭 松園荘」宿泊予定です。
  24日のスケジュールは23日の夜に発表らしいです。

何かミステリーと言うか、おおざっぱと言うか参加費すら不明です(笑)。京都平安の森の一泊のみで帰るつもりでしたが「最初で最後の同窓会」になりそうですので最後まで行動を共にしようときめました。御国訛りにドップリ浸かってこようと思っています。恩師と一緒に参加する約束が出来ていたのですが・・・遺影を偲ばせての参加となります。

ではいってきま〜す。


[2757] 【2840回 父の祥月命日】 2012-04-21 (Sat)

4月21日は私の父親の祥月命日のため、実家である鴻池新田の姉の家にお参りに行くことにしました。蓬莱峡で採取した2012年Newイタドリと食べたかったであろうタケノコと、大好きだった日本酒をお供えに持って行くことにしました。

父親は私が9歳の時に、春の日差しをいっぱいに浴びた座敷に座り、幼かった私との会話中で「今夜はタケノコ・・・・」と話の途中で息絶えたのです。話が途中で止ったため続きを聞こうと振り返ったら既に座敷の上にあおむけに倒れ息絶えてしまってたんです。9歳の幼子に心肺蘇生法など出来るはずもなく、救急車を呼ぶ電話もなく、母親が近所の人を呼びに行き自宅から自転車で1時間ほとの集落にある村の医者を呼びに行き、医者もまた1時間かけて自転車を走らせて来てくれたのですが手遅れでした「ご臨終です」

あと5日もすれば私の9歳の誕生日だと言うのに何をそう死に急いだのか、タケノコご飯が食べたかったのか、タケノコの煮物だったのか、それとも木の芽和えだったのか、父に会って聞いてみたい気がします。享年66歳・・いまなら、まだまだ元気にしている年ではないでしょうか(アッ?ポチが66歳や・・)

父親の死は悲しいと言う感情よりも親類の人達が我が家に集まってくれることの方がうれしくて盆と正月が一度に来た気分でした。親戚も帰り父のいない家は少しづづ生活に影響を及ぼし始めました。家事と畑仕事だけしていた専業主婦の母親が道路工事などの現金収入の得られる仕事に出るようになりました。また農繁期には田植えや稲刈りの賃仕事にも出かけるようになり父親の有難さを日を追うごとに感じたものです。

そんな父親を偲んで、久しぶりに姉と思い出話でもしてこようと思っています。


[2756] 【2839回 山岳救助隊 準備万全】 2012-04-20 (Fri)

ゴールデンウイーク前に六甲山系で山岳救助訓練が行われたことはお知らせしましたが長野県でも大がかりな訓練が行われ、ゴールデンウイーク中にどっと押し寄せる登山者の安全のために、18日、長野市の「物見の岩」で岩場を登り訓練をする救助隊員の姿がありました。

本格的な登山シーズンを前に、県警山岳遭難救助隊は18日、長野市箱清水の岩場「物見の岩」で結隊式と救助訓練を行いました。

県警山岳遭難救助隊は28人。結隊式では、県警本部長が新隊員7人に指名書を交付し、「登山者に積極的に安全を呼び掛け、二重遭難のないよう任務に当たってほしい」と呼び掛けました。

その後、隊員のみなさんは、高さ約20メートルの岩壁をロープやザイルを使って上り下りする訓練や、負傷した遭難者を背負って救助する訓練などをしました。新隊員で松本署高宮交番勤務の巡査部長は「穂高岳や槍ヶ岳など、管内は遭難発生が多い。多くの命を助けられるよう頑張りたい」と話していました。

大型連休中、県警山岳遭難救助隊は北アルプス・涸沢(約2350メートル)に常駐し、救助活動や登山相談に当たるそうです。県内の山岳遭難は15日現在、23件で遭難者は34人だそうです。

ゴールデンウイークはアルプスの峰々にはまだ深い雪が残っています。装備は万全に、トレーニングも積み重ね、思い出多い登山をしたいと思っています。

(19日に西宮名塩に行きイタドリと対面しました。ブログに写真載せました)


[2755] 【2838回 御着の岩場】 2012-04-19 (Thu)

18日の水曜日はジョンの友達のジャムジャム君と「姫路別所」にある御着の岩場にクライミングに行ってきました。天気は快晴!初夏の装いです。御着の岩場は初めてて、はたして登攀できるかどうか不安と期待が半々でスタート地点に到着です。

御着の岩場はツツジが満開で山がピンクに染まっていました。5月20日に訪れる予定の播磨アルプスの桶居山・鷹ノ巣山が美しく見えています

初めての岩場なので緊張度も大きく登攀を終えると結構な満足感を味わうことができました。すぐそばには「山神社ゲレンデ」も見えています。この地方は「岩の宝殿」といわれるほど、あちこちに岩盤が多くクライマーたちに人気の様子です。「また明日来ようか?」と言われると「行く!行く!」と言いたくなるような京都にある金毘羅山に似た私好みのゲレンデでした。登山道は上から下まで満開のツツジに覆われており吹く風もさわやかで気持ちの良い一日でした。

同じ日、ポチは芦屋から一軒茶屋までの折り返しコースをトレーニングしました。消防車が沢山駐車しており「すわっ!遭難か?」と思ったらしいのですが帰宅して事故の検索をしてみると訓練の様でした。

●訓練の様子は下記の通りです。

「六甲山系で山岳救助訓練・GW前に東灘消防署“新兵器”Nコード活用」

大型連休を前に、神戸市消防局東灘消防署などは18日、同市東灘区の六甲山系の山中で「山岳救助訓練」を実施した。隊員らは、山中での位置情報を緯度と経度をもとに正確に割り出す「Nコード」付きの山岳救助マップと現在位置を示す端末を使って、要救助者を迅速に救出する手順などを確認した。

登山ブームもあり、登山客やハイカーらの遭難や滑落などの事故が後を絶たない六甲山系。市消防局の山岳救助出動件数は平成20年の43件から23年には63件になるなど増加傾向が続いている。サンダルなど軽装で入山するハイカーも増えており、同消防局や警察が注意を呼びかけている。

六甲山系のハイキングコースなどを管内に持つ東灘消防署では昨年末、救助活動のスピードアップを図るため、「Nコード」を反映させた新しい山岳救助マップを初めて導入。これまで登山道に設置していた道標を目印にしていた救助活動について、Nコードの活用で、細い山道でも要救助者や隊員の位置が正確に分かるようになった。

訓練には、隊員約40人が参加。登山客2人が山中で道に迷い、1人が転倒して負傷したという想定で、119番の覚知から救助までの手順を確認した。隊員らは「Nコード」を通知する端末と山岳救助マップを持って山に入り、登山道に設置された指揮所と無線で連絡を取りながら要救助者を捜索。入山から約20分後に要救助者を発見し、ヘリの吊り上げポイントまで運んだ。

同消防署の福田一徳消防司令は「新しいマップを使うことで、指示を出す側も要救助者と隊員を安全に誘導することができ、2次災害の防止にもつながる」と説明した。


[2754] 【2837回 爺の車はおならの匂い】 2012-04-18 (Wed)

孫のももちゃんから電話があり「爺ちゃんの車はおならの匂いがしてクッサ〜イ!」と言われました。新車独特の臭いが大人でも気になるところですが子供には運転席からポチ爺が「プ〜ッ」とおならをした匂いと感じているのでしょう。電話の向こう側で「くさ〜い!、くさ〜い」と大はしゃぎしている様子が手に取るようにわかります。姉弟でかわりばんこに電話口に出るのですが誰の声かわからないくらいよく似ています。声って親子でも兄弟でもよく似るのですね。昼間家にいるとセールスの電話が掛かってくることがあります。私は電話の声は高いトーンでと心がけていますので年よりは若く感じられるらしく(?)
「お母さんいますか?」と必ず聞いてきます。
「いませ〜ん」
「いつ帰りますか?」
「わかりませ〜ん」と言うと諦めて電話を切ります。主婦だとわかると蜂蜜、美顔石鹸、生命保険、健康サプリ等など甘い言葉での勧誘が延々と続きます。暇なときはからかい半分で興味深々であるように対応しますが、電話での商売が成立するのでしょうか。

話は変わりますが過日の蓬莱峡のアイゼントレーニングの際に山岳会のメンバーの中に「左利き」の方がひとりいました。アンザイレンをして5人程で歩く練習をするのですが左側からロープ、右手でピッケルで進んで行くのですが「利き腕にピッケルを」と指示があり、左利きの方が思案されていました。不思議に思ったら「左利きはどうすればいいのですか?」と質問して問題を解決すれはいいですね。他の人も参考になりますしね。私は自宅に戻ってからもず〜っと不思議に思っていましたので師匠に質問しました。「ロープが右利き、左利きと左右に分かれてもいのか?左利きの人はどうするの?」

@左利きの人ばかりを集めてチームを作る。
Aトップ、もしくはアンカーに回る。但しロープさばきを正確に出来ないとダメ。

と教えてもらいました。今までわが倶楽部に左利きが居なかったため、根石岳の強風通過時もスムーズで考えもしなかったことですが、違うメンバーのトレーニングを見学させてもらうと今迄気が付かない事がわかってきて、時々は技術向上のため合流したいと思っています。

ちなみに、ももちゃんのママと和君、こうちゃんは左利き〜!「♪♪私の私のカレは左利き〜♪♪」そんな歌あったよね〜。


[2753] 【2836回 無愛想な接客係は店の命取り】 2012-04-17 (Tue)

店全体のイメージダウンににもなりかねない接客係の仕事。午後5時頃、宝塚の某飲食店の中は登山客で座る席がありません。空席待ちの列に並びやっとの思いで案内をしてもらえました。人数が多いことから2テーブルに分かれて座ることなりました。やっと冷たくて美味しいビールにあり付ける〜と心も踊る気持ちでいたのですが、たった一人の無愛想な接客係がいて座席に案内されるやいなや「椅子は絶対に移動ささないでください!椅子は動かさないで!」と連呼します。顔をのぞき見ると今まで忙しかったのでしょう、こわ〜い顔をしています。ジョッキでビールを頼もうものなら「忙しいのでピッチャーで注文して下さい!」「わかりました。すみません。」客の方が平身低頭のありさまです。注文の品をどれにしようかと迷っていると早くしてよと言わんばかりの顔つきです。別の接客係の人は笑顔で店内が込み合っていることに申し訳なさそうにしています。「追加注文はあの人に言おう」と目が合うのを待ち「もやし焼きそば2つ・・・」と。

「忙しいのはわかります。しかし閑古鳥が泣いたらあなたのパート代は支払えませんよ!」と言いたいのをグっと我慢しました。客にとっては座る席さえあれば忙しいことは結構なことだと判断し、繁盛している店はきっと味もいいのだろうと店選びが間違ってなかったことに満足します。しかし立地条件がいいだけで接客係の低度が低ければ厨房内で汗を流すコックさんや店のオーナーは気の毒で仕方ありません。このまま黙ってお金を支払い、立ち去る姫ではありません。店内に空席が目立ち始め、少し暇な時間になったのか無愛想な接客係が、空いた皿の回収にやってきました。「暇になったんやね。やさしい顔になったよ。さっきはめっちゃ怖い顔してたで〜!」「すみません」バツ悪そうに笑顔がでました。そうそう接客係りの基本は笑顔でっせ〜。きっと次に利用した時はその笑顔で接客してね!

企業では電話応対をする社員には「会社の代表だから、通常の話をするトーンより高いトーンで意識して応対をするように」と言ってきました。くら〜い声で電話に出ると決まりかけの受注もキャンセルに成りかねません(ちょっと言い過ぎ・・笑)それくらいの気合いを入れて電話応対をしてほしいと言うことなんです。「くら〜い声しか出せないならば電話を取らないで!」とよく言いました。受付嬢しかり、エレベーター内での対応しかり、社内での出来事はすべて会社の品位にかかわってくるのです。過日、交通安全のための街頭キャンペーンに商店街の入り口に立っていた時、丁度、出勤時間と重なり後輩たちと出会いました。歩み寄って来てくれて懐かしそうに声を掛けてくれました。仕事中は鬼姫としてうるさかった私も退職して4年経過すると少しまあるくなった様子です。(体型ではありません・・)

客が店の中に入って来ても店員同志の私語に夢中の人がいます。「いらっしゃいませ〜」はマニアル通り言いますがその後も私語が続いています。なんか感じ悪いのよね。客のいない時はそれでもいいのですが客が目の前にいるときは私語は謹んでほしいです。いくらバーコード頼みと言えどもレジを打ちながら隣の店員とおしゃべりしていたら「払い過ぎてないか」心配になってしまいます。

蓬莱峡に行くときJR宝塚駅の正面にあるスーパーでお昼の買い物をして行くのですが「○○円です」と言われて思わず「高っ!間違ってない?」レシートを一点一点チェックしましたが、ちゃ〜んと合っていました。単純に買い過ぎただけです(笑)


[2752] 【2835回 蓬莱峡ザイルトレーニング】 2012-04-16 (Mon)

15日の日曜日、ジョンのめまいの荒療法を兼ねて、またまた蓬莱峡へアイゼントレーニングに出かけました。日曜日という事もあって、ゲレンデは満員でした。100人はいたと思います。若者も高齢者もそれぞれの目的に合ったトレーニングを重ねている様子です。私達は小屏風にロープを垂らすことができました。しばらくクライミングを試みたのちにアイゼントレーニング場所であるザレ場に移動しました。ここは3グループほどしかおらず岩場と違い空いていました。練習を重ね休憩をしているとジョンが以前所属していた山岳会の会長さんがひょっこりやってこられました。あとから12人程の受講生が来られるそうで一緒に練習に参加させていただくことにしました。

蓬莱峡のザレ場は、六甲山のピラーロックと違い場所も広大で、コースも多数あり、高度もかなりあることから春山を目指す山岳会のメンバーが多く利用されている様子です。地面にはアイゼンの跡が無数に残っていて練習を重ねていることがよくわかります。急な登りや急な下り、痩せ尾根の通過、下山不可能な場所は倒木を支点にして懸垂下降です。いかなる場合もロープの出し入れを面倒臭がらないことを身体で覚えていきます。

早朝からの練習であったため「お先に」という事になりバス停に向かう途中、今年初めてのイタドリを見つけました。1本・・2本、疲れて足が動かないとつぶやいていた姫の足は、空を飛ぶのではないかと思うほど速足になりました。「あった〜!」イタドリ採りのおかげでバスに乗り遅れる羽目になってしまいましたが遅れたことで何とバスの中でサスケ先生とうららちゃんに出会いました(お揃いのハワイの帽子素敵でしたよ!)

イタドリの証拠写真はブログに載せました。

積み残しがあるのではと心配した乗客達もギュウギュウ詰めで全員乗れました。カーブを曲がるたびに隙間ができて息苦しさ解消です。今年は結構アイゼントレーニングができました。春山どこかに行けるかね・・・

小屏風を登攀している時の事です。手を置いた岩がポロっともげてしまいました。そのままにしてはおけず、かと言って下に落とすわけに行かず岩の破片をポケットに入れて下降し師匠にそのことを話すとその行為を褒めてもらいました。地獄谷で水筒の落下を目の当たりにしたことから山の安全について過敏になっています。「もし自分のした事で他の人に被害がでたら」と言う事は、いつも考えて行動しなければなりません。混雑している岩場では技術的に差があり、どんな事が発生するかも知れません。自分が被害に遭わないためには混雑した岩場はさっさと引き上げることも必要だと痛感しました。


[2751] 【2834回 交通安全は毎日!】 2012-04-15 (Sun)

10日間に渡って繰り広げられた「春の全国交通安全運動」は京都の痛ましい事故で、全国の人達が恐怖に震えあがりました。青信号で、しかも横断歩道を渡っていての負傷者の皆さんに何の落ち度もない事故なのです。春の全国交通安全週間は終わりますが、毎日、毎日が安全週間と考え事故に遭わないように、事故を起こさないように致しましょう。

「交通安全ことわざ集」

● 浅い川も深く渡れ
「見た目の危険が感じられないときでも、油断は禁物」という意味。高齢者の交通事故は、自宅付近の身近な道路で、多く発生しています。いつもの通慣れた道こそ、油断が生じやすくなります。慣れた道でも安全確認を怠らないようにしましょう。

●「急がば回れ」
「急ぐときは、危険な近道を行くよりも、回り道になっても安全な道を行く方が確実」という意味。高齢者が最も交通事故にあいやすいのは、道路を横断するときです。道路を横断するときは、少し遠回りになっても、信号機のある交差点や横断歩道などの、安全な場所を利用しましょう。

●「畳の上の怪我」
「いつどこで災難にあうか分からないから、常に注意が必要である」という意味。青信号に従って横断歩道を渡っているときでも、右左折してくる車両との交通事故が発生しています。青信号に従って横断歩道を渡るときでも安心しないで、周囲の安全を確認しながら渡りましょう。

●「前門の虎 後門の狼」
「一つの災難を逃れても、すぐに別の災難に遭うことがある」という意味。道路を横断するとき、右側の安全を確認して横断を始めても、横断の後半に左側から進行してくる車両にはねられる、という危険があります。道路を横断するときは、渡りきるまで気を抜かず、左右の安全を確認しながら横断しましょう。

●「鹿を追うものは山を見ず」
「あることに熱中していると、他のことを見る余裕がなくなる」という意味。自転車に乗っているとき、前屈みの姿勢では、手前の地面にしか注意がいきません。背筋を伸ばして姿勢を正して道路全体を見渡し、周囲に注意を払いながら通行しましょう。

●「蟻の穴から堤も崩れる」
「ささいな危険でも見すごせば、大事につながる」という意味。車も少なく交通量が少ない交差点では、十分に安全確認をしないで通行しがちになります。交通量の少ない交差点でも、安全をしっかり確かめる習慣をつけましょう。

●「飛んで火にいる夏の虫」
「危険を知らないために、自ら危険の中に飛び込んでいく」という意味。夜間、車のライトは歩行者から見るとかなり明るく見えますが、ドライバーから見るとライトの照らす範囲が狭く、歩行者が見えない場合があります。夜間、道路を横断するときに進行してくる車両が見えたら、その車両が通過した後、安全を確認してから渡りましょう。

● 「転ばぬ先の杖」
 「何事も失敗しないように、前もって準備を整えておくことが肝要である」という意味。夜間、外出するときに黒っぽい服装では、ドライバーからはよく見えませんので、明るい色の服装や反射材を活用しましょう。夜間に自転車に乗るときは、必ずライトを点灯させて、自分の存在を周りに教えましょう。

ハイ!此花警察地域推進委員の姫からの交通事故防止のお話でした。登山中でも上から水筒が降ってくる世の中です。どこで何があるかわかりません。常に自分の安全は自分で守ってくださいね。では今日も一日ご安全に!


[2750] 【2833回 散り急ぐサクラと散った生命】 2012-04-14 (Sat)

4月6日から15日までは「春の全国交通安全運」が繰り広げられている最中、京都市祇園で車が暴走し、歩行者7人が死亡する大参事が発生しました。交差点で信号を無視した車が、歩行者を次々とはね飛ばし、7人が死亡し、11人が怪我をしました。暴走車を運転していた男性には持病があり、通院していた病院は「車に乗ることはだめだ」と、はっきり本人と家族に伝えていたことが明らかになりました。処方された薬の管理ができていれば発作は免れたかも知れません。3月の免許更新時も何の問題なく(過去2年間発作がなければの条件を満たせば取得可。但し、あくまでも自己申告で罰則なし)

そんな悲惨な事故が起きて、また雨が降って、叩き落されたサクラの花びらがアスファルトの上にまるでカルタを並べた様に散らばっていす。サクラの花ビラだから誰も文句は言わないけれど、桜の木の持ち主は、気が気でないらしく、朝からホウキを持って、かなり離れた我が家の前まで花ビラの掃除に来ていました。「すみません、えらい汚してしもぅて!」「いえいえ花を楽しませてもらいましたからお気遣いなく」と自分の家の前は自分で掃くからと挨拶を交わしました。わずか一週間の命、あまりにもはかなく、それゆえにサクラ、サクラと持てはやされるのでしょうか。公園の桜は、もう葉がチラホラと出てきました。お花見の宴会の予定もないからまっ、いいかっ〜!

「木の芽時になったら妻の様子がおかしくなる」と言う知人がいます。妻が心療内科で処方された薬を飲まず、夫が単身赴任先から戻ってみると症状が悪化しているのだそうです。不思議に思い、引き出しを開けてみると山のような薬の飲み残しが出てきたそうです。「働かなぁ生きていかれへんし、働きに出るとこんな調子やし〜」と苦悩の心中を話してくれました。単身赴任先から毎晩電話で「薬飲んだか?」と聞けば「ちゃんと飲んだよ」と答えてはいるのだそうですが。本人も大変!家族も大変!

木の芽時・・・湖南アルプス登山の帰りにイタドリの親木を見つけましたが、根元をのぞくとイタドリの出産はまだまだの様です。この調子なら4月の末ぐらいかなぁと待ち遠しくてたまりません。イタドリ情報も届いていませんので「アソコとアソコとアソコ」と採取する場所を頭の中で楽しんでいます。その日が来たら電車でこっそりと出かけたいと思います。

イタドリの収穫が有る無しにかかわらず4月29日は「イタドリデー」と決めています。姪っ子たちの父親である故一刀水が生前、この時期になると早朝からヌッと現われ「朝飯は何や?」と朝ごはんを一緒に食べて、鴻池・四条畷の娘宅に立ち寄り、車に乗せイタドリ採取にでかけたものです。姪っ子たちと、そんな父親の思い出話をするために現地合流して少し汗を流して、河原で弁当を広げワイワイガヤガヤと親交を深めます。イタドリは私の故郷の父と母の様な存在です。


[2749] 【2832回 応急手当普及員再講習(そのB)】 2012-04-13 (Fri)

応急手当普及員の資格をとりませんか?

突然、あなたの職場で、あなたの周りで、けが人や急病人が発生したら「呼吸が止った」「心臓が止まった」「止血が止らない」こんな時、その場に居合わせた人によるAED(自動体外式除細動器)を使用した心肺蘇生法などの応急手当が実施されれば、救命のために大きく役立ちます。大阪市消防局では、事業所などで自らが応急手当の方法を指導できる「応急手当普及員」の資格取得講習会を行っています。ぜひあなたも、この資格を取得し活躍してください。

応急手当普及員講習会
@講習は、実技を中心とした内容で、救急救命士などの専門職員が全国統一基準に従って指導に当たります。
A講習を修了された方には「応急手当普及員」の資格を証明する「認定証」を交付します。
B講習では、訓練結果が確認できる人形や、ビデオ、テキストなどを使用してわかりやすく指導します。

●講習時間は24時間(1日あたり8時間で3日間必要です)
●受講料 8,000円
●3年に1回再講習が必要です。再講習を受講すると資格が更新されます。(再受講時間は3時間、費用3,000円)
●受講条件は、大阪市内居住・在勤・在学者に限ります。

応急手当普及員の資格を取得すれば「心肺蘇生人形」の貸出が可能です。その際は「応急手当普及員認定証」の提示が必要です。受講者については「応急手当普及員」の名において「普通救命講習修了証」を発行することができます。

受付申込みは、最寄の消防署または大阪市消防振興協会(06-6459-1500)へお問い合わせください。

心肺蘇生(胸骨圧迫30回、人工呼吸2回)を、救急車が到着するまで連続で続けることは体力的に大変なことです。講習の最後のテストで7サイクル続けて実施しなければならないのですが時間にしてわずか3分しか経過していません。救急車到着は7分かかるといわれています。心肺蘇生法のできる人がもう一人、いいえもう二人、いいえもっと沢山、その場にいてくれれば交代をしながら(交代は必ず足側から)実施することができます。AEDを持参した人は手当をしている人の対面側に回ることも大切です。

ウオーキング協会や山岳会では定期的に「応急手当の講習&止血方法」などを実施していることと思います。暑くなると熱中症の手当てなども加わり万全を期していることと思います。最低1年に1回は実施して下さい。心肺蘇生法は基本中の基本です。

たった2人の参加者であっても定期的にリュックを人形と見立てて登山中に応急手当の講習をしたいと思っています。自分を助けてもらうためには一緒に行動する人にしっかりと覚えてもらわないと助かる命も助からないことになりますから。


[2748] 【2831回 応急手当普及員再講習(そのA)】 2012-04-12 (Thu)

応急手当普及員再講習(そのA)

「応急手当をしても万が一、不幸な結果になった時、家族から批判されそうで動けない」そんな心配をしたことはありませんか?。大丈夫です。何もしなければ万が一の不幸は到来するのです。ならば、少しでも可能性があると信じて応急手当をしてみてください。その結果万が一の不幸が到来したとしても、日本においては民法698条、刑法第37条が適用されます。

●日本においては

@民法698条
緊急事務管理に関する規定で、悪意または重過失がない限り、善意で実施した救命手当ての結果に救命手当実施者が被災者などから責任を問われることはない。

A刑法第37条(緊急避難)
救命手当では、救命手当ては「社会的相当行為」として違法性は問われず、故意または重過失でなければ法的責任はない


例えば倒れている人を見て、反応等の観察もせずいきなり胸骨圧迫を実施して傷病者を負傷させた場合、または気まぐれで胸骨圧迫を中止した場合(事務管理は始めた以上は継続する義務が法律上課せられています)このような場合は管理行為に重過失があると言えるかもしれません。本来、救急隊員または医師がくるまで人工呼吸や胸骨圧迫を続けなければなりません。しかし現実問題として、体力を要するので一人で長時間実施することは困難で限りがあります。この場合には途中で中止すこともやむ得ないということになります。

要するに善意であこと、応急手当の手順どおり実施することにより、民法698条(緊急事務管理)・刑法第37条(緊急避難)が成立し、刑法第209条の過失傷害罪・第210条の過失致死罪・第211条の重過失重致死罪に問われることはないと考えられます。

(参考)
全米で広く採択されている法律に「善きサマリア人の法」good samaritan low があります。その由来は新約聖書のルカによる福音書10章に記載されています。「窮地の人を救うために、勇気をもって善意の行動をとった場合、救助の効果につき重過失が無ければ責任を問われない」と言う趣旨の法律です。

★ある人がエルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた。強盗どもは金品を奪い、その人に大怪我をさせて立ち去った。たまたま通りの反対側を通って行た神に仕える身の祭司やレビ人は見て見ぬふりをしました。しかしあるサマリア人は怪我人の傷の手当てをして自分の家畜に乗せ宿屋に連れて行き介抱し、翌日そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡し「介抱してあげてください。もし足りなければ帰り次第に私が支払います」と言い残して立ち去った。世の中の模範たる祭司や法律に詳しいレビ人は、多忙やあるいは強盗に襲われるかも知れないと言う理由で怪我人と関わりにならなかったけれども、サマリア人は誰にも強制されず、何の見返りも求めないで他人のために尽くしました。この話が基になって「善きサマリア人の法」が制定されました。


[2747] 【2830回 応急手当普及員再講習その@】 2012-04-11 (Wed)

応急手当普及員再講習(その@)

10日の午後から「応急手当普及員更新講習」に西区江戸堀にある大阪市消防振興協会に行ってきました。地下鉄を乗り継いで行くと結構時間かかかるためバイクを走らせ駐輪場は向かいにあるYМCAの建物に置かせていただきました。不用意に駐輪すると講習から出てきたら「駐禁レッテル」を貼られていること間違いなしなのです。(YМCAさんお世話になりました)助かる命を助けるために、3時間の講習の後にテストがあり合格すると更新した応急手当普及員の証を渡して下さるのです。「あなたの勇気ある一歩が命を救います」このことをひとりでも多くの人に普及するのが私達普及員の役割だと説明を受けました。

●心肺蘇生の手順
@反応を見る
A119番通報とAEDの手配
B呼吸を見る(胸・腹の動きを6秒から10秒見る)
C呼吸無しだと、ただちに胸骨圧迫を開始(30回)
D気道確保し人工呼吸(2回)
      ↓
AEDを装着するまで、救急隊員に引き継ぐまで、または傷病者が動き始める、息をし始めるまで続ける
      ↓
EAED到着
F電源を入れる。電極を装着する
G電気ショック1回実施後、ただちに胸骨圧迫を再開。あとはAEDの音声に従う。

テストの内容は制限時間3分で時間オーバーは減点、80点以上が合格ライン。6〜7種類あるAEDはどれを使うかわからず、成人モード、幼児モードとバラバラの設定で、AEDを使える人、使えない人、胸骨圧迫をしながら口頭でAEDを操作してもらう方法などが試験官によって使い分けられ「胸骨圧迫7回、人工呼吸7回、AED到着後の操作、胸骨圧迫、人工呼吸」を3分間で行うのです。

胸骨圧迫は回数を重ねるごとに疲労感が増してきて6回目あたりで負荷がかかり満点とはいきませんでした(悔しい〜)私の判定はやはり胸骨圧迫が減点となり92点、人工呼吸100点で合格にはなりましたが減点が悔しいです。途中まで完璧でしたのに疲れてきて・・・・ほんまクヤシイ〜です。(実際の場合はもっと緊迫するため複数応急手当の出来る人が必要となってくるのです。だ・か・ら・普及しなければならないのです)

最後に質問の受付がありましたので「借りてきたAEDは誰がもとの場所に戻すのですが?使用したパットは弁償するのですか?」と質問をしてみました。「AEDを借りに行ってくれた人が返しに行ってください。善意で動いていただきたい。パットも所有者の善意にすがることになります」との回答でした。

応急手当をしても万が一不幸な結果になった時、家族から批判されそうで「応急手当は知っているが身体が動かない」と言う人もなかにはいるそうですが全米では「善きマリア人の法」と言うのががあります。日本においては民法698条、刑法第37条が適用されます。詳しくは次回に。


[2746] 【2829回 アンザイレン】 2012-04-10 (Tue)

「アンザイレン」とは、登山中のパートナーである二人の前後をザイルで結び、危険個所を通過する方法です。アルプス等での危険個所を通過するにはザイルを出したりしまったりの装備装着は危険なため、スタート時からザイルで結び移動するのです。前を歩く者はハーネスにかかるカラビナにザイルをエイト結びし、進んで行くのですが後ろを歩く者は、ザイルを地面に這わさないように、たるまぬように、伸ばしたり、縮めたりしなければなりません。長すぎても滑落時には効果はないし短すぎても歩きにくく、表現方法はまずいですが「猿回しの猿」が前を歩く者、「猿回し」が後ろを歩く者と言ったらよく理解してもらえるかと思います。しかしこれがなかなか面倒くさく厄介なため、本番でアンザイレンを嫌う山岳会もあるそうです。

アンザイレンで山行をしていて相棒が滑落時、自分も道連れになる恐れがあるためアンザイレンを嫌うのだそうです。滑落を回避するためにアンザイレンを組むのですがこれはお互いの信頼度がないと「一蓮托生」は成立しないのでしょう。

私が北鎌尾根から槍が岳の山行時、急斜面の雪渓の通過時に
滑落しかけてザイルにテンションがかかり、あわやと言う時にパートナーに助けてもらいました。またパートナーも足場にしていた岩場が崩落し、この時もザイルにテンションがかかり、私も引っ張り込まれそうになったことがありました。ビレイをきちんとしていなければ2人とも奈落の底。アンザイレンをしていなければ命はなかったと思っています。「お互い命の恩人やなぁ!」と無事を喜びあったことがあります。

8日の地獄谷で先客のリーダーらしき人が「今日はアンザイレンの練習をします。ザイルはゴールまで結んで行きます。トレーニングだから邪魔くさがらない事」と説明をしていました。全くだ!とよそのパーティながら同感しました。先を歩く「猿回しの猿」にも役目があり、危険個所を通過し安全な個所まで行くとザイルを巻き、後ろから登ってくる「猿回し」のためにビレイをするのです。ある時は木の幹であったり大きな岩であったり、何も無いときは肩がらみや腰がらみでビレイをします。その時は岩に足をしっかり踏ん張り自分の身体が引きずり込まれないように工夫します。いかに手早くビレイ体制に入るかのトレーニングで、登ってきた師匠が私のビレイ方法をみて「合格・不合格」の判定をするのです。

小便小僧を抜けたところにある急な登りのところで、いきなりテンションがかかりました。「あ〜っ!」と思わず声をあげて座り込みましたが「今は形ばかりのビレイをしていたぞっ!今のビレイでは役に立たない!。本番だと思ってもっと慎重に!」と注意を受けました。落ちないだろうと思っていましたので気を抜いていたことを見破られたのです。勿論師匠は、わざと落ちたフリをして私のビレイ具合を試していたのです。

後ろを歩く者は、終始ザイルのさばきに気を付けなければならず結構なストレスがかかると思います。アイゼンでザイルを踏まないこともお互いが注意をしなければなりません。こんなトレーニングを何度も何度も繰り返しながらピラーロックに到着しました。目の前のパーティがザイルで危険個所通過のトレーニングをしていました。「どこが間違っているか答えろ」と言われました。よ〜く観察しているとザイルを肩がらみでビレイしているのですがハーネスループのカラビナにザイルを通せと常々言われている事が、なされていませんでした。「ザイルがカラビナに通っていません」と答えると「そや!あれでは滑落した時にはザイルは抜ける!」と説明してもらいました。い〜い勉強です。

A懸垂岩でアイゼントレーニングをされていたグループは4人全員ハーネスを付けておらずシュリンゲで簡易ハーネスを作り懸垂下降をしていました。理由を聞くと「出来るだけ荷物を軽くするため」と説明をうけました。帰り道「あれでいいんですか?」と師匠に聞くと「せめてスワミベルトは携行せなぁいかんやろ!」とシュリンゲで簡易ハーネスにあまり感心していない様子でした。私はいくら荷物が重くなってもハーネスは携行しようと硬く心に誓いました。(見ているだけで怖かったです)指導者によって色々な方法があるのだと痛感せずにはいられませんでした。

アイゼントレーニングは2倍の疲労感が残りますが充実感も2倍です


[2745] 【2828回 落下してきた水筒】 2012-04-09 (Mon)

まずブログの写真を見て下さい。

ブログの写真と同じ形の水筒が上から落ちて来たらどうしますか?飲み物は満タンにはいっていました。「危ない!」裏妙義山でも落石を避けましたが(そのかわり脱臼しました)一歩間違えば恐ろしい事故に遭遇です。地獄谷は一般登山道ではありません。それを軽装でハイキングモードで登っていた若者が起こした人災だと思っています。ちょうど岩がガードしてくれて頭の上をかすめて落下しましたが、事の重大さを感じている様にはみえませんでした。

万が一、ヘルメットを被らず登山中に、水筒が頭に当たり気絶したとします。やっとの思いで上に登った若者が事の重大さに、素早く降りてきて手当をしてくれるとは想像できません。こんな場合を想定して、すぐ後ろを歩かずに少し距離を置いて歩くのが安全だと思います。今後は充分気を付けたいと思います。

リュックのポケットにも問題があります。私の使っているリュックは「ZEROPOINT」ですが外ポケットが浅いです。私は百均ショップで網を購入し改造してポケットを深くしています。リュックによっては深いポケットのものもありますので購入する場合はよ〜く吟味して購入してください。リュックの外にポケットが沢山ある物は藪漕ぎなどをした時に行く手を阻まれる場合がありますので充分注意をしなければなりません。あくまでも「シンプルイズベスト」ですね。

今使っているリュックもくたびれてきて、そろそろ買い替え時になってきました。宿泊用に使っている30ℓのリュックを日常用に使い、40ℓのリュックが欲しいなぁと思案しています。その時外のポケットもよ〜く吟味して「明日は我が身」にならないように気を付けたいと思っています。ペットボトルをポケットの浅いリュックに入れるときは細引きロープを工夫して落下防止装置を考えたいと思います。

アルプスで落石により死亡すると言う事故をよく耳にします。落石は普段からの足の運び方に注意をしていれば防げます。荷物の落下はきちんとリュックの中に整頓すれば落とし物で山を汚すことはありません。リュックの外に手袋、タオル、ジャンバーなどを吊ったりはさんだりしている人をよく見かけますが、わずかな手間を惜しまずにリュックの中にきちんと仕舞いましょう。

今後の課題はペットボトルをどう収納するかだと思います。暑くなると手軽にすぐ取り出したいために浅いポケットでも入れている人が多いです。しかし頭の上から水筒が落ちてきたら考え直すと思います。山の事故は加害者になっても、被害者になっても悲惨です。


[2744] 【2827回 地獄谷は花盛り】 2012-04-08 (Sun)

芦屋・地獄谷にアイゼントレーニングに出かけました。天気はポカポカ陽気!桜は八分咲きといったところでしょうか。阪急芦屋川の川べりには沢山の花見客と沿道には屋台や出店、河原には特設ステージが設置されてお花見気分いっぱいでした。「帰りに寄ろうな」と言いながら地獄谷に向かいました。5人組の先客がアイゼンを装着中、ゲートロック付近には2組のアイゼン・ピッケルを持った登山者が既にスタートしていました。私達も広場の隅を利用してハーネス、アイゼンの準備をし「あの5人組が出てからスタートしようなっ!」と先客の出発を待つのですが、お話が弾んでいて、なかなかスタートしそうにありません。「じゃあ先に行くか!お先に!」

私達の後ろから軽装スタイルの若者4人がハイキングモードで進んでいきます。ここは一般登山道ではないのですが今日は、やけに小さなリュックを背負い簡単に地獄谷を通過している人が目立ちます。しかし、しかしです。メンバーの中の女子の足並みが揃いません。そりゃそうでしょう。いきなり地獄谷は無茶でしょ〜

いつも休憩をする獅子岩の先の「アイゼントレ岩」は先客がいて今日は使えそうにありません。「アイゼントレ岩」をスルーして先に進むことにしました。小便小僧滝を過ぎ、A懸垂岩に行く途中、私達を追い越して行った軽装スタイルの若者4人組が四苦八苦していました。私が最初の頃「苦手な場所」としていたところです。右足と左足を間違えるとなかなか登れない箇所です。ジョンが「残地ロープに頼らず、ここに右足、ここに左足を置いて、あとは上の木の根を掴んで」とアドバイスをすると若者達はスムーズに登ることができました。

その瞬間、上から何かが降ってきました。ヘルメットを装着していたので怪我はなかったですが落石よりも恐ろしい一瞬でした。リュックから水筒が落ちてきたのです。直撃していれば失神していたかも知れません。本当です!。「拾って行ってあげるから上で待機してて〜!」と言い、シュリンゲに水筒をくくり付け若者の待つ場所に到着です。「すみませんでした。怪我はありませんでしたか」と平身低頭の態度でしたので叱らず「リュックの外ポケットは浅いから気を付けて」と助言をして若者達と別れました。

A懸垂でアイゼンを付けてクライミング中の4人組に出会いました。「あっ!imaちゃん!」そうです。ジョンが所属していた山岳会の皆さんでした。imaちゃんの指導ぶりをしばし見学ののち「姫さんも登って下さい見学します」との話になりジョンの命令によりアイゼン・ピッケルでリードで登り、ロープを回収して懸垂下降と山岳会のベテランギャラリーの見学する中、冷や汗もんでクライミングすることとなりました。(ほんま緊張しましたで〜)

その後、私達はC懸尾根からピラーロックへ移動しました。途中で下山してこられた単独行のおじさんが私達の姿を見て「えっ?このコースアイゼンいりまっか?」(そんなはずないやろ!訓練じゃ訓練!)

ピラーロックでもザイルを使ってアイゼントレーニングをしている人達がいました。今日は天気もよいことからアイゼントレーニング花盛りです。きっと目的の山はそれぞれに違っていてもトレーニングをしてから登山という安全に対してはみんな同じ気持ちなのでしょう。

ピラーロックでアンザイレンを解除し、アイゼンを外しあとは下る一方となりましたが、午後2時を過ぎていると言うのに子供連れ家族が何組も登ってきます。交差するのに結構時間がかかりました。中央稜も春休み最後ということもあって、家族連れで花盛りの様子でした。

地獄谷の入り口まで戻ると何やら高座の滝周辺が賑やかです。音響装置を整え沖縄民謡を歌っている歌手(?)がいて人だかりがしていました。「19の春」を三線を奏でながら歌っていました。この歌はわが倶楽部の仲間だった喜久ちゃんの十八番で、昔よく聞いたものです。「♪もとの私にしておく〜れ♪」の歌詞に「そりゃ無理や!」と茶々を入れた愉快な思い出が蘇りました(大笑)

お稲荷様に無事下山の報告とお礼を申し上げ滝の茶屋を過ぎもと来た道を下って行きました。桜の花は、こころなしか朝よりは咲いている気がします。帰りに立ち寄ろうと言っていた出店付近は身動きができないほどに混雑しています。大きなリュックにピッケルが出ていて危ないため出店見物は諦めて阪神電車芦屋駅に到着しました。午後3時え〜え時間です。普通電車に揺られること1時間で自宅にゴールイン!

今日も有意義なアイゼントレーニングを終了することができました。


[2743] 【2826回 地域情報in此花】 2012-04-07 (Sat)

4月6日から4月15日まで「春の全国交通安全運動」が始まり、6日は区民キャンペーンと題して住吉神社境内で決起集会を実施しました。此花地区の議員、区役所関係者、町会役員、警察署の主たる顔が寒空に肩を縮ませていました。従来だと区民ホールや梅香会館などで実施するのですが今年は何故か青空のした(雨でも降ったらどうすんねん?)と心配した途端、雨が落ちてきました。私達は境内の大木の下にいましたので直接濡れることはありませんでしたがあいさつをするお偉い方々は雨で濡れています。「経費節減で会場費をケチったのかなぁ?」そんなささやきも聞こえてきます。いつもなら啓発グッズも多数あるのですが今年は何もありません。大阪市長の節約術がここまで浸透しているのでしょうか。

此花区は商店街の真ん中に自転車を駐輪する特徴があります。警察から商店街に周知徹底しているのか1台の駐輪もありません。駐輪のない商店街の中がこんなにも広かったのかと驚きました。(パレードが済むとまた元の木阿弥)

私達が心配していた通り、雨が降り始め「咲くやこの花高等学校吹奏楽部」のみなさんは楽器を濡らしては大変と商店街のアーケードの下に走り雨を避けました。議員さんたちの挨拶も、そこそこにパレードは住吉神社をスタートし、北港通りを横断し四貫島商店街を抜けて区民ホールでゴールする予定でしたが、何せ雨の中、人間様よりも楽器第一との判断(?)で、商店街の入り口で解散することにしました。「咲くやこの花高等学校吹奏楽部」のみなさん、雨の中にもかかわらず、素敵な音楽を奏でてくれてありがとう!

解散後、顔見知りの安管部会のメンバーと雨宿りと称して喫茶店に入り1時間30分はいたと思います。М部会長が10年を経過したので部会長職を交代したいと相談を受けました。気持ちはよ〜く理解できるのですが悲しいかな他のメンバーはみなサラリーマン役員のため定年、転勤などがあり経営者である現部会長が適任であるという結論になりました。しかし苦肉の策として後任を探してみようという前向きな発言もありシャンシャンと手締めをして意義ある座談会を終了しました。

気が付くと雨はやみ太陽が照っていました。「これがほんまの雨宿りですなぁ。じゃあまた!」と別れたのはいいのですが商店街を抜けたらまた雨に出合ってしまいました。ポチは芦屋から有馬までトレーニングに出かけていましたが一軒茶屋付近では雪がちらついていたそうです。降ったり、やんだり、へ〜んな天気でした。

4月6日から4月15日まで「春の全国交通安全運動」中は警察官総動員して取り締まりの強化にあたります。期間中だからと言うのではありませんが特にハンドルを握る方は気も握りしめて安全運転をお願いします。


[2742] 【2825回 サ、サ、サ、サロンパスはないか?】 2012-04-06 (Fri)

台風の様な気象に驚いたのか花見の企画もできないまま桜の花が咲きましたね。夜桜見物にはまだ肌寒そうですが近くの公園にも春が来たみたいです。

木曜日の朝のことです。
う〜ん。ベットから抜け出ると足も腰も痛い!これは「USJ痛」に違いありません。ほとんど1日中、抱っこしたりして立っていたので足腰に支障が出たみたいです。どこかにサロンパスがあったはずだと思い、やっとこさで階下に降りて行きました。イテテ、イテテの木曜日でした。USJ内にシニア用に適当な場所にベンチがほしいなぁ。あれば待ち時間が楽なのになぁ。

3階の私の部屋は子供たちが帰った後、ハチャメチャになっているのですが、これが案外苦にならないのです。何故なら机の中の整理やベッドの奥の方の掃除も、ついでに整理整頓の見直しができるからです。在職中には週末にはいつもやっていたんです。「散らかしてからにぃ〜!」と思うか「ついでに整理整頓すっか〜」と思うかでは、はかどり方が違います。人間考え方を変えれば腹立しくないのですね。まっ、ポチが散らかしたのならワンワン吠えまくるけど孫が散らかしたんですからクンクン・・かわいいもんです。

USJに行くには気合いを入れて、タップリ現金を持っていかないと途中で寂しくなっちゃいます。出かける前に子供たちを集めて、姫婆の財布の「スッカラカン作戦」が功を成して子供たちはお腹が空いた以外はおとなしかったです。USJの中は、いたるところで商魂たくましく、乗り物に乗ると「写真はいかがですか?」、ジョーズの前でも写真を撮ろうとすると、ここもプロのカメラマンが場所代の如くスタッフが立ちはだかっていました。プロに写してもらった人だけ自分のカメラ1台だけならジョーズの前でシャッターを押してくれるサービスがありました。プロの写した写真はほとんどの方が断りきれなくて(?)購入していました。私達は写真を見ただけで「いりません」と去っちゃいました。ごめんね!風船も只かと思って並んでいたら500円だそうで思わず列から外れました(笑)

USJの名物は何と言っても「ポップコーン」です。キャラメル味とバター塩味がありどこの売店も長蛇の列で信じられません。売店によってポップコーンの器が自動車の形であったり、キャラクターの形であったりと人気があります。紙カップは700円、キャラクター入りは1800円とコーンの量は一緒なんですがねぇ。欲しがるのは子供たちですからうまく子供の心理を掴んでいると思いました。商売をする場合は子供や女性にターゲットを当てるのがいいかも知れません。

話は変わりますが、4月6日から4月15日まで「春の全国交通安全運動」が始まります。

@子どもと高齢者の交通事故防止
A自転車の安全利用の推進
Bすべての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
C飲酒運転の根絶
D「大阪バージョン」交差点における交通事故防止

となっています。午後2時より区民キャンペーンが行われ「咲くやこの花高等学校吹奏楽部」のみなさんの街頭パレードが商店街の中を啓発活動します。(商店街の中の真ん中に止めている自転車じゃまでっせ〜!)



[2741] 【2824回 64歳にUSJは 無★理★】 2012-04-05 (Thu)

台風のような強風と雨が去り、4日の朝は眩しいくらいの太陽が出ていました。各地に被害をもたらしておきながら何事もなかったようにニコニコと照り、自然の不可思議を感じさせます。4日は「USJ」に出かける約束の日なのです。夜中までままごとをしていたのに朝8時前には、きちんと起きて着替えを済ませています。遠足の前のワクワク気分なのでしょう。此花区にありながら「いつでも行けるやろ〜」と言う気持ちと「あんなとこ・・疲れに行くだけや」そんな思いがあるものですから新設当時に行ったきりになっていました。

姪の大学生の子供がバイト先であるUSJを知り尽くしていることから案内役を買ってくれて誘ってくれたのです。春休みの思い出に嫁2人と子供たち4人、姪の子の「トモちゃん」と私の総勢8人で午前10時にゲート前で待ち合わせをしました。嫁たちとは現地集合です。

午前10時、長蛇の列でチケット売り場に並びます。ざっと30分かけてやっと購入できました。そして入り口で10分ほどの待ち時間でやっと入り口通過です。トモちゃんのお勧めは3月16日にオープンしたスヌーピースタジオです。午前10時だと言うのに混雑していてベビーカーが上手く押せません。人の足の上に乗せて何回誤ったことでしょうか。

スヌーピーの乗り物前には「120分待ち」の看板が立ててあり長蛇の列です。さすがに120分並ぶほどではないためスタジオ内の子供の広場の様なブースで自由に遊ばれること1時間。飽きてきたのか待機場所に一人二人と戻ってきました。トモちゃんの「次に行こう!」の号令にゾロゾロついて行きます。さすがにバイト先だけのことあって地図を見ないでも行きたい場所に誘導してくれました。とにかく日本人、外国人、老若男女がわんさか・・・・息がつまりそうです。飲み物は持参しましたが食べ物は持ち込み禁止となつていたため正直に何も持たずにいきましたが食べ物を買うのも長蛇の列です。何度も来ている人は持ち込み禁止でも並んでいる列の中でおにぎりを頬張っています。

とにかく何をするにも、どこに行くにも長蛇の列、並んでないのはトイレだけです。やっとメリーゴーランドに乗ることができました。「おなかすいた〜!」と言うことになりジョーズのそばのレストランに行きました。「御席を確保してからお買い求めの列にお並び下さ〜い」座るのにも行列です。

スパイダーマン、ジェラシックパーク、スヌーピーの飛行機、ジョーズ、など混雑していたわりには沢山乗れたと思います(裏ワザも使いました)スパイダーマンの建物からでたら外は暗くなっていました。ジェラシックパークで水しぶきを浴びたこともあり、さすがのちびっこたちも帰ることに同意をしてくれました。子供たちに朝出かけるときに「ばぁちゃんのお財布はスッカラカン!」と中身の入ってない財布をみせておきましたので「あれ欲しい、これ欲しい」はありませんでした。何かいじらしくなってUSJ名物ポップコーンをお土産に買おうと言うと「お金あるの?」子供たちが心配してくれます。ジャラジャラと音のする小銭を見せて笑顔が見えポップコーンの列に並びました。午後7時を過ぎています。ロープを張り午後8時からのパレードの準備も整っていました。

駐車場から、ももママが車を出し婆ちゃんの家に荷物を取りに立ち寄り近くで夕食を済ませ、トモちゃんを海老江に送り、それぞれの家路に着く頃はちびっこたちはグッスリと眠っていたそうです。怪獣の夢でも見ているのでしょうか。

(参考)
●乗れても乗れなくてもジェラシックパークに乗ると仮定して、薄い合羽、タオル、防寒着は必要(夕方は冷えます)
●ポップコーンはキャラメル味がお勧め(ポップコーンは中身より外の器が高いので家に前回購入した器があれば持参すると中身だけいれてくれます)
●身長制限があり幼児は乗れない場合があります。婆ちゃん連れでいくと子守役を頼めて便利です。
●ベビーカーはあると便利ですが、あれば混雑している場合は思うように通行できません。
●小腹が空いてもすぐに食べ物を買うことはできません。パンやおやつを忍ばせていくと役立ちます。
●当日の服装は原色の目立ちやすい色を着せる。探すのに役立ちます。大人の迷子は携帯電話で連絡を。

「64歳にはUSJは不向きです!」これが私の出した結論です(大笑・高笑・失笑などなど)


[2740] 【2823回 嵐の前に滑り込み】 2012-04-03 (Tue)

今日は中之島にある「大阪市立科学館」に行ってきました。春休みだと言うのに雨だから出かけられずで、保護者の考えはみな同じらしく大入り満員で駐車場が「満車」の看板を掲げています。雨も降っていることから近場を探しましたが無くて、子供たちを下ろしてポチは駐車場探しとなりました。

「宇宙とその発見」「身近に科学」「おやこで科学」「電気とエネルギー」と分れておりプラネタリウムも楽しめます。リアルな星空を追及したプラネタリウムとドームスクリーンいっぱいの映像を映し出すのです。専門のスタッフがその日の夜の星座を説明してくれて大人も楽しめるみたいです。

「みたいです」と言うのは終わった時、ももちゃんが「ばあちゃん寝てたで〜」と言われたからです。照明がくら〜くなり昨晩からの慣れない子守で、疲れたのでしょう寝たままの座席がとても気持ちよかったのです。

雨はいったん止み、さあ帰ろうかという頃、空は真っ黒になりました。「あかん降ってくるぞ!駐車場まで急げ!」という間にザァザァと横なぐりの雨と風が小さな子供たちに叩きつけるように降ってきます。寸前のところで「セーフ!」だったもののワイパーを回しても前が見えず孫たちの「いい考えがある!野田のジャスコに避難しよう!」と言うことになり行ったが最後・・・・財布の中が嵐と強風でした。

戻って1時間ほどの間は台風を思わせる強風でしたが午後4時には何と太陽が出ています。どういう天気や?今日は?

大阪市立科学館は月曜日が休館(祝日の場合は開館)展示場は大人400円中学生以下は無料です。但しプラネタリウムホールへは大人600円、中学生以下300円が必要です。(どこに行ってもお金がかかりますね!山の中を歩いているのが一番安いかなぁ!)


[2739] 【2822回 やっぱり8人は欲しいね】 2012-04-02 (Mon)

湖南アルプス参加者が当初は「5人」となっていました。ジョン・ポチ・姫を除くと「たった2人」と言うことになります。しかし直前の追加で「総勢8人」となりました。登山内容は人数に左右されるものではありませんが、とてもうれしいです。みなさんそれぞれにご多忙の中、万障繰り合わせて参加していただけたことに感謝申し上げたいと思います。

湖南アルプスは季節の移ろいを感じることができて、決してひとりでは行けないコースでした。岩場に挟まっては「痩せろ〜!」とこだまのように言われたり、時折吹いてくれるそよ風に「ありがとう」を言ったり常々の生活の中では味わうことのない大切な時間を過ごせました。何よりも岩場の通過が全員とてもスムーズにいくと言うことに感動しました。

電車り中の話題は野口健さんの話になり、まずよく見つけた事を評価していただきました。後になって自分でも驚いているのです。サングラスをかけ、帽子を深くかぶつていて、しかも強風の中だつたのですが日本人離れした目鼻立ちの野口健さんを見逃すことがなかったのですね(笑)HPの表紙の写真で「野口さんはシャキッと写っているのに隣の女性は覆面か〜」と笑われましたが、あのアンバランスがいいのですよ!覆面の下からどんな顔が・・・と想像するだけで楽しいじやありませんか!ねっ?

湖南アルプスのレポートを帰ってからすぐに整理にかかりました。すぐしておかないと忘れてしまうからです。2日から4日まで我が家は春休みの託児所もどきになるため、日付が変わる頃まで頑張って完成しました。写真と合体して近々アップとなります。乞うご期待です!昨日のことなのに記憶の糸は細く短く情けない気がします。参加者の皆様から小型テープレコーダーに感想のコメントを頂いていましたので、聞き取りながら文字にし、その光景を思い出してはニャッとしたりしています。楽しいコースの一言に尽きます。

湖南アルプスのコースは松茸山のため季節によっては入山できません。松茸シーズンと思われる時期の登山は事前調べが必要です。私達は堂山と笹間ケ岳の2つの山を欲張りましたがひとつだけでも充分に楽しめる山でした。ぜひおでかけになってみて下さい。次回のアルプスシリーズは最終版で「播磨アルプス」です。


[2738] 【2821回 素敵なコース「湖南アルプス」】 2012-04-01 (Sun)

4月1日、滋賀県大津市にある「湖南アルプス」に行ってきました。何と素晴らしいコースなのでしょうか!ミツバツツジの蕾が春を「いまか、いまか」と待っていました。5月の下旬頃には花を咲かし、山全体をピンクに染めるのではないでしょうか?

岩場もありましたが参加者全員クライミングの受講者のため「ス〜イ・スイ」に通過できました。おもしろいコースです。ぜひ皆様にもお勧めしたいです。電車でJR石山駅で下車しバスに乗れば登山口まで連れて行ってもらえます。詳しくはレポートを参照にしながらぜひお出かけください。

コース設定するにはジョンが悩み抜いて決めています。あまりやさしくウオーキングレベルのコースでは登山にはならないためストレスが残ります。かと言って危険コースでは安全性に欠けてしまいます。「ほどほどに危険」な山を選び、中身を充実します。湖南アルプスは低山ではありますが岩場を楽しめる、川のせせらぎも楽しめる、そして360度の展望も楽しめる素晴らしいコースでした。

素晴らしさをここにうまく表現できませんが私達の例会はゴール後に「きつかったけど大満足」が合言葉です。


[2737] 【2820回 春の雨は花散らしの雨】 2012-03-31 (Sat)

春の雨は花散らしの雨と言われていますが、まだ蕾の桜たちにとっては胸を撫で下ろす雨ではないでしょうか。今にも開花しそうなピンクの蕾がこの雨で開花が早まるのでしょうか、楽しみです。好日山荘横の桜はきっと今日の雨で散り急ぎ地面に花びらを落としていることでしょう。

31日の高校野球「準々決勝」は雨で順延となりました。選手にとっては骨休めとなるか、中だるみとなるか微妙なところかもしれません。雨のため準々決勝の光星学院(青森)対 愛工大名電(愛知)と横浜(神奈川)対 関東一(東京)の試合が中止になり、4月1日になりました。その後も1日ずつ順延され、決勝は4月3日になる予定だそうです。

昔、故郷の中村高校が出場した時、大阪に住む高知県人達は会社を休んで応援に行きました。アルプス席に行くと村の知り合いの人達と出会えた記憶があります。試合が雨で順延となるとすぐ資金カンパの声がかかってきます。滞在費ギリギリで甲子園に来ているため1泊延びれば滞在費に大きく響いてくるのです。そして1回戦もしくは2回戦あたりで撤退と思い、予算を組んでいたら何と思いもよらない準優勝まで勝ち進み、嬉しい悲鳴。しかし台所を預かる後援会の人達は滞在費が心配のようすでした。声援し続けてシワガレ声になっしまった父兄たちの日焼けした顔と素朴さが高校野球を観戦していると当時を思い出します。高校野球は青春のドラマですね。

4月1日は湖南アルプスに出かけます。山頂付近は岩場が多く低山ではありますがアルプス気分を味わえそうで楽しみです。天気が良ければ琵琶湖も一望できそうです。今日は明日に備えて「骨休め」をしています。時間をもてあましゴロゴロするのも退屈なものですね。さぁ昼からはポチの部屋でもひっくり返して整理整頓とするかっ!(我が家で整理整頓の出来てない部屋はポチ部屋だけです。出した物は出したまま、次に使う時は探し回る・・・犬の習性でしょうか!)


[2736] 【2819回 第一印象は大切】 2012-03-30 (Fri)

今回、車を買い替えるために各社のカタログを貰い集める際に対応してくれた営業マンの方の印象が最終的に「決め手」となりました。「カタログを下さい」と立ち寄った時、まだ検討中であるため「根掘り葉掘り」は少し負担になります。かといって「どうぞ」とカタログだけを手渡してもらうのも淋しい気がします。「そんならどれがエエねん?」と言われそうですが、そこは営業マンの腕の見せ所だと思います。

私の家の車庫は狭く購入したものの、はたして出し入れが難しい(入らなければシャレにならん)そこで対応してくれた営業マンに「この車を私の自宅の車庫に入れてみてもらうことは可能ですか?」と断られるのを覚悟で聞いてみましたら、笑顔で「いいですよ!今から行きましょうか?」まだ野の物とも山の物ともわからないと言うのに快諾をしてくれました。

高価な商品ですから傷つけないように四苦八苦されていましたが何とか車庫に入ることを確認することができました。その後も同じ機種の車をレンタカー屋で借りて車庫入れの練習をし、決定した次第です。あの時、営業マンが試乗を承諾してくれなかったらば今回のフィットは我が家に嫁入りすることはありませんでした。彼の人柄・時代劇に登場する様な名前のインパクト(エチゼンヤさん・・「おぬしも悪よのぉ」が合言葉)・豪快な笑顔・・・これが売りの決め手だったと思います。

新車が納車されたことで「祝い酒」を飲もうという事になり梅田の「がん○」に行きました。料理を注文し飲み物を注文するのですがなんとなく「タイミング」が気になります。客にとって対応するスタッフの働く意欲が欠けているのではないかと思うほどタイミングが悪いのです。注文した品が20分以上しても出てこない為、ポチの顔がだんだん赤鬼に変身しかけてきました。「オーダーが通っていないならもう帰りたいのですが?」と言うとやっと出てきたのです。その間、申し訳ないとか、調べてみますとかの言葉もありませんでした。お茶を頼むと頼んだ女性ではなく別の男性がたまたま空いている湯呑をみつけに回って来て、空の湯呑に気が付きお茶を注いでくれました。この時はジョンが切れて「女性にお茶を頼んだのだがまだもらってないよ」とボソッと皮肉の声をかけ店をでるなり「二度と来たくない店」のレッテルを貼られる事になりました。ここの社長の著書には「ありがとう」の感謝の言葉が大切と書いてありますがスタッフに徹底していないようですよ。トレードマークのねじり鉢巻きを締めなおしてはいかがですか?と言いたくなります。

登山用品の店に行っても店によっての対応が違い、ついつい店員さんの対応の良い店に足が向きます。破損した部品の調達をたずねると、手間であっても「お取り寄せできますよ」と言ってくれる店、新しい商品を勧める店とさまざまです。買う方が賢くならないといけないのでしょうか。最近は欲しいと思う商品がなくブラブラと店内を散策し「また来ます」と買い物もしないで店を出る時、「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています」と笑顔で声を掛けられると次の買い物は絶対にこの店にしよう!と思ってしまうのです。あ〜あ私は単純なのかなぁ?


[2735] 【2818回 岩登りトレーニング  蓬莱峡】 2012-03-29 (Thu)

今日は岩登りトレーニング・蓬莱峡の実施日です。参加者2名!何ともさみしい例会です。ならば急遽アイゼントレーニングに切り替えようと言うことになりアイゼン・ピッケル・ヘルメットに登攀用具を背負い、宝塚発9時10分のバスに乗りました。登山者らしき人は誰も乗っていません(きっと8時台に乗ったんでしょうね)

座頭谷バス停で下車し蓬莱峡のザレ場で2時間ほどアイゼントレーニングを行いました。随分と風化が進み、少し足を置くだけでザレて行きます。ロープも使い小屏風とほぼ同じ高さ位までを登ったり、下ったりを繰り返した後に岩場に移動しました。この練習はきっと春山に行ったとき役に立つだろうと思っています。足運び、横歩き、垂直の下り、ピッケルの使い方のイロハは、頭で理解していても現場にくると身体がついてこないのです。飲み込みの悪い分は時間をかけ、回数を重ねていきました。

ザレ場の練習を終えて小屏風・大屏風の岩場に移動すると、老人グループ(失礼・・かなり高齢の男性2名、かなり高齢の女性1名・若者1名)が先客として到着しており何やらロープを片手に勉強会めいたことをしていました。「おはようございます」とあいさつをすると「いらつしゃい!今日はわしらだけかと思ってたわ〜」と人のよさそうな挨拶を返してくださいました。どのゲレンデを使うかわかりませんが私達はすでにハーネスも付け、アイゼンも装着していることから「お先に」と声をかけゲレンデ狭しとあっちこっちを移動しまくりました。(だってこの間はロープを張る場所がなかったんですもの・・・)

12時30分を過ぎたころ、昼食休憩を取っていると、その方達も小屏風の陽だまりへ移動して長〜い、長〜い休憩を取り、朝からまだ一度も岩場に取り付いていません。「勿体ないなあ・・」とつぶやきながら小屏風はその方達がいるため登攀できませんでした。アイゼン、ピッケルで登ったり下りたりは結構クタクタになりました。最後は大屏風からの華麗なる懸垂下降でめっちや気持ちが良かったです!(華麗なるって自分で言うか〜!へへへ)

芦屋から有馬へ抜けたポチからメールがあり「有馬へ無事下山しました。合流しようか?」と言うことになり宝塚駅で合流し海老江で一杯飲んで帰ることにしました。(ポチは心臓手術の後遺症で右手の震えがひどくなり岩場に取り付くことができなくなり、この頃はクライミングには参加していません。)

2人だけのクライミングは休憩がなくビレイと登攀を交互にするため、中身は濃厚なのですがヘロヘロです。


[2734] 【2817回 山小屋の電話番号】 2012-03-28 (Wed)

「宿泊先・所轄警察の電話番号は登録しておく」 

冬の八ヶ岳の第1日目のことです。
夏沢鉱泉のスタッフに「4時には帰ります」と声をかけて出発しました。しかし想像以上の強風で時間がかかったのと、危険地帯無事下山でホッとし、帰り道のオーレン小屋の陽だまりにのんびりと長すぎる休憩を取ったこともあり予定時間が30分ほどおくれてしまいました。下山中の午後4時キッカリに携帯電話が鳴りました。予定時間を過ぎても戻らない私達を心配しての夏沢鉱泉さんからの電話でした。私達は予定時間をそんなにオーバーしていないと甘く見ていたのですが、スタッフの方達は何があったのではと、きちんと管理をしてくれていたのです。

帰りの送迎車の中でドライバーをして下さったスタッフの話によると、「この前、硫黄岳から強風で下れなくなった。助けて!迎えに来て!と携帯電話がかかり慌てて駆け足で救助に行ったことがあります」と話をしてくれました。いきなり警察や救助隊に電話をしなければならないこともあるとは思いますが私の中で「まず宿泊先の小屋へ電話して相談する」と言う知識はありませんでしたので参考になりました。私は山行前には宿泊先、所轄の警察を携帯登録しています。但し、電波が通じてこその効果なのですが・・・

携帯電話の普及で、わずかな事で救助を求めることも多くなったそうです。「ヘリで迎えに来てほしい」「有料になりますよ」「じゃあ結構、自分で降ります」こんなことも多々あるそうです。黄色のシミもそうですが登山愛好者全体の品格にかかわる問題です。私はまだまだ素人で学ぶことが多くありますが先輩方の残してくださるものは「正しい山知識と美しいマナー」の足跡であってほしいと願っています。

私達が八ヶ岳から戻った後の26日正午ごろ、八ケ岳連峰・旭岳(2672m)の東側尾根で、登山中の28歳の男性が約10メートル滑落し、両脚骨折の重傷を負い、本人からの連絡を受け県警ヘリコプターが救助したそうです。知人男性と2人で25日から旭岳の山頂を目指していた矢先の事故の様ですが、両足骨折ではヘリコプターの要請が必要ですね。連絡がついてよかったです。

山のニュースは事故発生の報道はありますが、装備・原因などの詳しい情報が全くありません。事故を未然に防ぐためにも詳しい情報が知りたいと思うのは私だけなのでしょうか。


[2733] 【2816回 新・旧・交代その2】 2012-03-27 (Tue)

10年間も乗り続けた四万十号とおさらばする日がきました。私が故郷四万十に帰郷したとき従姉妹の子供が「よぉまぁこんなちんまい車で中村までもんてきたねぇ」と褒美に「四万十川」のステッカーをみやげに買ってくれ、それ以後は「四万十号」と命名して愛用しました。

北は青森県、南は故郷四万十市まで長距離でもよく走ってくれました。走行帰路は「64,769q」と充分走りました。東北一周をした際にターボエンジンに故障が発生しましたがそれ以降は機嫌よく走り続けてくれました。ほんまに感謝です。小回りが効き便利でしたが老化には勝てません。購入して10年を超えると人間の高齢化と一緒で、あちこちにガタがきて修理ばかりするようになります。ならばあと5年乗れるとしたら今が買い替え時かと思いました。いままでは息子達の意向を聞いたりしましたが、今回は爺婆で各社のカタログ収集をしまくり、お気に入りの車を探しました。しかし悲しいことにガレージが狭く、どの機種でもと言うわけにはいかず「ホンダ・フィット」で手を打ちました。注文してから今日まで「在庫なし入荷待ち」状態で3月27日、やっと納車してもらうことができました。

ガレージの床も新しく塗り替えて、フィットを迎える体制はばっちりです。色は年甲斐もなくワインレッドでナンバープレートもこだわりの番号を取得しました。車が代わったことからエンジン馬力も違ってきますので運転ミスと事故のないように慎重に、あと5年をめどに大事に乗りたいと思っています。(加齢による身体機能低下で、70歳が限界のため、ポチはあと3〜4年がリミットと考えています・・私はまだ若いよ!)

しばらく慣れるまでは、スーパーに買い物に行って駐車場で四万十号を探す気がいたします。そりゃあ10年も付き合っていたんですものね。(昔、自転車で買い物に行き、そのまま自転車を忘れて帰り、家に帰り着いてから自転車が無いと騒いだことがあるものですから・・・要注意です)


[2732] 【2815回 雪の上の黄色のシミ】 2012-03-26 (Mon)

冬の八ヶ岳・硫黄岳に登った時のことです。
山頂付近のケルンの周りには放尿をしたであろう黄色のシミがいくつも残されていました。多分強風のためケルンを風除けにして放尿を済ませたことが伺えます。ケルンは大切な道標や風よけの場所です。ルートを外して用を足す等、最低のマナーの守れない人は山に登る資格はありません。携帯トイレを持ち歩くのがベストではありますがまだ徹底しておらず、(そういう私も携帯トイレは持参していません。スミマセン)自然現象とは言え、止む得ないとは言え、ルートを外して、雪を掘るか埋めるかして、後からの登山者への思いやりがいるのではないでしょうか。それもイタズラに飛び散らかして(強風の精?)いました。不愉快でたまりませんでした。

●山でのトイレについて

@場所を決めたら、棒きれや石を使って地面を掘ります。10〜20センチくらい。あまり深すぎると排泄物を分解する微生物が活動できなくなってしまいますので、深すぎず浅すぎずが重要です。その中に用を足して、元通り土をかぶせるわけですが使った紙は必ず持ち帰りましょう。

A「大」もしくは「女性」の場合など、紙を使ったあとのその処理が意外な盲点です。原則的には紙は持ち帰ります。「紙は木が原料だから放っておいても土にかえるんじゃない?」と思う人もいるかも知れませんが、これが大間違い。長期的にみたらわかりませんが、意外とトイレットパーパーは分解されにくいもの。特にポケットティッシュなど最悪です。丈夫すぎて困りもの。(ポケットティッシュは山では使わない)

B山を歩いていて、たまに道脇にトイレットペーパーが散乱していてとても不快な思いをすることがあります。景観を損なうという理由からも、トイレットペーパーは是非とも持ち帰ってください。(私はトイレットペーパーの袋の中にスーパー等にあるロール状の薄いビニール袋を何枚も入れておき、その都度ペーパーを袋に詰めて持ち帰っています)

Cできれば用を足した跡に石を置いたり、木の棒を立てて、目印を付けておきます。後から来た人に踏まないように注意を促すためにも目印をしておきたいですね。(不思議と同じ場所を利用する場合が多い)

団体でテントを張り、冬山登山の訓練のための活動をされている山岳会もあるようですが、何十人ものトイレの後処理はどうしているのでしょうか?聞いてみたい気がします。

登山道を歩いていると時々小動物たちが登山道の石の上にウンチをしています。風雨にさらされ、食べた木の実などが残っていることもありますが動物のウンチは自然の落し物として笑顔で受け入れることができます。「何と言う動物なのだろうか?」と想像したくなります。動物が石の上でウンチをするのはシッポが濡れないように工夫しているのでしょうね


[2731] 【2814回 目出し帽と手袋】 2012-03-25 (Sun)

八ヶ岳第1日目の山行「根石・天狗岳」で強風と凍傷防止のために目出し帽を使用しました。吐く息と、自分の意思とは無関係の水鼻が目出し帽の鼻の周辺を濡らしてしまいました。私だけか・・・と思いきや師匠の鼻の周りも鼻水が白く結晶のように凍てついていました。「鼻水が凍結してるで〜!」「しゃあないやろ」そんな笑い話の様な会話をしながら1日目の山行は終了しました。いくら自分の鼻水とは言え翌日にそのまま使うのは気持ちが悪く、申し訳ないのですが風呂場に持ち込んでつまみ洗いをしてしまいました。

しかし翌日に乾くはずもありません。師匠は目出し帽のストックを持参していた様子でしたが私は1枚しかなく、仕方がないので第2日目の山行である硫黄岳には、ゴーグルとネックウォーマーを首から鼻まで引き上げて代用しました(本当は硫黄岳の方が必要なのですが・・)2日目も師匠の鼻の周りは白く結晶のようになっていました。

私の浅知恵ですが「今度から薄いマスクを目出し帽の下に使用し、直接鼻水が付着しないようにしたらどうだろうか」と考えましたが実験をしてみないことには何とも言えません。連続で冬山に登る人はどのように対処しているのでしょうか。教えて欲しいです。

凍傷防止のため「手袋をしたままアイゼン装着をせよ!」とトレーニング中は指導を受け不自由なりに指導通りにしました。しかしそれは風のない平地の穏やかな場所だから出来ることで20mの強風、しかもきつい傾斜で手袋をしたままの場所では時間がかかりすぎてしまい、ついつい素手になってしまいます。薄い手袋を2枚重ねでしてはいるのですが素手の間隔には勝てません。

硫黄岳の山頂でカメラのバッテリーをリュックから出すのに手袋をしたままだと時間がかかるため素手になりましたがアッと言う間に指の感覚が無くなりそうでした。これも今後の訓練のひとつだと思っています。



[2730] 【2813回 生きていると言う喜び】 2012-03-24 (Sat)

「そんなにまでして行かなくても!」そうご批判を頂くかもしれません。今回の山行は、私にとって「初めての冬山・雪山」の経験でした。ここから風に飛ばされるとアンザイレンの相棒までも巻き込むことになる、何としても生きて帰らねばと耐風姿勢を取り続け一歩、一歩を進ませ強風と闘い続けました。頂上で見た景色はいままで制覇した山々から見た景色と美しさは変わりませんでしたが、それに加えて「生きているんやっ!」と感激しました。

風は生きています。人間が息をするが如く、吸うし、吐くし、風も生きているんだと感じずにはおられませんでした。アイゼントレーニングで学んだ事をすべて使いながら、風がすこし息使いを和らげた瞬間だけ前に進みます。5時間もこれの繰り返し・・・ほんまよく頑張ったと我ながら山荘に戻り、湯に浸かりながら、2本の足をさすってやりました。

根石岳のコルで偶然お会いした登山家の「野口健さん」との出会いも、私へのご褒美だったと喜んでいます。凛として根石岳から降りてこられた野口健さんの周りにはオーラの様なものがありました。

詳しくは近々レポートをアップします。勿論、野口健さんと記念写真も撮っていただきましたので楽しみにお待ちください。今回の装備等で私なりの体験をもとにした教訓もあり、今後皆様の山行に何かお役立ていただけたらと思ったことも書いてみたいと思います。

まずは無事戻りましたことをご報告させていただきます。


[2729] 【2812回 冬山の危険を知り安全登山を!・・2】 2012-03-20 (Tue)

「加藤文太郎氏の冬山登山回顧録その2」

●雪崩について

「 降雪」
普通降り始めは湿雪でだんだん乾燥雪に変って降雪が止む。雪質が乾燥しているほど雪崩れやすく、また風等の外力の影響を感じやすい。しかも雪崩の速度も早く、傾斜のないところまで飛んで行って被害を及ぼすものである。だから降り始めよりも、降雪の止む頃の方が危険である。

冬の降雪はたいてい一日くらいで止むが、稀には三日もつづくことがある。この場合こそ最も大きな雪崩の出るときである。故に日数の都合で降雪中の登降を試みるなら、雪の降り始めに行うぺきで、決して降雪の止む頃に敢行してはならない。

「 降雨」
雨量が小量の場合は湿雪の降ったのと同様、概して雪崩を誘起しないが、多量のときは積っている雪の中まで浸潤して、その雪を湿潤雪とし最後には粒子のあいだを流れて滑剤となり、恐るぺき雪崩発生の原因となる。冬期に降雨のあることは稀であるが、それでも一月に一、二度はあるらしい。雪崩の起るのは多く急傾斜のところで被害も緩傾斜のところへは及ぱないようである。そして積雪量の少ないところは底雪崩となりやすいから地肌にも影響される。

降雨直後の晴天の日は、冬から急に春に変ったと思われるほど暖い日でない限り、すなわち普通の冬期の晴天なら雪崩は他のいかなる場合よりも少ない。相当の粉雪量が積った上に風、日光等で丈夫なクラストを作っている場合は、それに雨が入り込むと中の粉雪は湿雪に変って容積が少なくなりクラストの下に中空を形成するから、もし表面のクラストが溶けて破れるほど気温が上昇すれぱ、雪崩発生の原因となる訳である。しかしこれほど気温の上昇する日はそれが降雨直後でなかったらなお一層激しい雪崩日であろう。とはいえ降雨直後は往々かように暖いと思われるほどの晴天の日があるものだ。

「曇り日や霧の日」
こんな日には風でもひどくない限り余り雪崩は起らない。これが降雪直後であっても気温等の変化が急には起らないので、雪は徐々に旧雪に変る。多くは晴天後のことなので全く雪崩から解放されているといってよい。

以上のような日はあまり登山をしたくない。それは危険というよりも、晴天の日に比較して不愉快だからである。そして特に降雪の長くつづいているときと、降雨の日は小屋にいるのが退屈になったからといってスキーの練習等に出ない方がよい。

「 快晴の日」
冬期でも降雪直後の快晴の目は気温の上昇によって雪崩れるのであるが、それにしてもそれほど気温の影響を受けるのは日射面でかつ高度の低いところのみである。この場合の雪崩は湿雪雪崩であるから、急斜面にしか起らないうえ、30度以下の斜面には流動してこない。そのうえ音が大きく、流動速度が遅いし、春の雪崩とは比較にならないほど小さなものである。

だいたいにおいて春期の雪崩と同じような条件で起るが、最初の雪質が粉雪とザラメ雪というようにかなり差があるし、気温は春期とは比較にならないほど低いのでまず間題にならない。

この気温や日射によって出る雪崩より降雪直後、まだ霧のかかっているときに風等の外力によって発生する雪崩の方が危険であるから、青空が見え出したからといって登山をむやみに開始してはならない。

すなわち降雪が朝方か夜中に止んだ場合は、翌目太陽が出るとぐんぐん気温が上るから、明るくなってから出発すれば危険な粉雪雪崩に逢うことがないし、夕方雪が止んだ場合はすぐ出かけるのは危険だから相当時問をおいて、朝方出発するように気をつけなければならない。

以上天侯と雪崩を綜合してみると、晴天の終りから曇天にかけて登山をすれぱ一番安全であるが、曇天のあいだの長さが一定していないので、やはり晴天の初めが朝であるならすぐ出発し、夕方なら翌朝早めに出発する。
また雪崩の方は南向斜面を注意すれぱよいであろう。(1935年12月5日)参考文献:加藤文太郎著 出版:株式会社二見書房

以上、加藤文太郎が山を愛する者に残してくれた貴重な財産です。

●3月21日から3月23日まで書き込みをお休みします。

アイゼントレーニングを終え、雨で中止となったスノーシューの代替えに「プライベート登山・八ヶ岳」に行くことにしました。2年前に行った夏沢鉱泉を起点にオーレン小屋から八ヶ岳一の強風の地、根石岳を経て、天狗岳、硫黄岳、横岳に登ってきます。天候次第では途中で断念せねばならないかも知れませんが基本は倶楽部のモットーである「中高年の安全登山」ですので無理をせずに行ってきます。戻ったらレポートでご報告をしたいと思っています。では行ってきます!


[2728] 【2811回 冬山の危険を知り安全登山を!】 2012-03-19 (Mon)

冬山の危険を知り安全登山を!・・・その1

3月18日(日)13時24分のニュースで「長野県飯山市の山林で17日、男女7人がビバークするために作った雪洞の天井が崩れ、3人が重軽傷を負いました。」とありました。飯山市の山林で、首都圏などから来た男女7人のグループがビバーク用に作った雪洞の天井が崩れ、中にいた6人がのうち男女3人が胸の骨を折るなどの重軽傷を負いました。この7人はインターネットのコミュニティーサイトで知り合い、山林の雪洞を作り、夜にビバークする目的で山に入ったということです。17日の飯山市は、午前中から午後7時まで雨が降っていたそうです。

単独行で山歩きした加藤文太郎氏の冬山登山回顧録を見つけました。2回にわけてご紹介します。(以下は加藤文太郎著 出版:鞄見書房より)

「加藤文太郎氏の冬山登山回顧録その1」

●天侯について

天侯は初冬の頃は一日のうちでも晴れたり曇ったりというようによく変化をするが、そのかわり大した荒れはない。
すなわち晴天と荒天が曇天を中心として振りわけに小さい波形で変化をして行くのである。

真冬になるに従ってこの変化の中で曇天から下の荒天の部分の波がだんだん大きくかつ長くなり、たいてい晴天一日、曇天一日、荒天二日という調子を繰返すようになる。そして春が近づくとまた初冬のように振りわけの波形に変るが、今度は大変ピッチの長い波になるようである。すなわち二日も三日も晴天がつづいたり、また荒天がつづいたりするのである。しかしこれらの天候中晴天の日と曇天の日はまず安全な登山日和だといえる。


●晴天になる前兆

普通降雪後は風が出て、<・・・中略・・・> 山の中腹以下から見ていると、ときどきこの雪雲が切れてその隙間に青空が見え出す、<・・・中略・・・>  山頂附近からならこの雪雲は霧であって、この霧の切れ目に青空が見え出すわけである。
そしてまたこれが暗いときならこの雲や霧の切れるごとにチラリチラリと星が見えるのである。もうこうなれぱ天候は全く回復しているのである。ただし雲が切れて行っても青空が見えぬとき、すなわち上空がまだ曇っているような場合はもう一度荒れると確信してよい。山頂附近には両方とも雪を降らすが、山麓では第一回の荒れが雨で、第二回目の荒れには雪に変るのであって、こういうように気温が下って行って、初めて晴れ上るのである。

降雪が夜中に止むと朝方には山の中腹に霧が立ち込めていることが多い。しかしこの霧は一部分に薄くかかっているだけで、夜が明け出すと非常に明るく感ずるからよくわかる。こんなときはたいてい丸一日晴天だから夜が明けてから様子をよく見定めて後出発しても遅くはない、で気をつけてこの機会を取り逃がさぬようにしなければならぬ。降雪が午後からやんで夜通し星が出ていれば、その問晴天が逃げて行くわけだから、翌日はできるだけ早く出発して午後には安全地帯に到着しているようにしないと荒天に逢うおそれがある。

● 荒天になる前兆
晴天であった日の夕方にわかに生暖い風が吹き始めたかと思うと青空に刷毛で掃いたような雲ができる。また谷問に雲がポーツと浮いて、それが見る間に拡がって上昇を始め、たちまち山も谷も辺り一面を包んでしまうこともある。だが、普通は南々西の方に雲ができて、それがだんだん南風に運ぱれてきては知らぬ問に消えているうちしばらくすると上空が白く曇ってくる。こうなれぱ全く天天候は崩れてきた訳である。朝焼けのするのは上空が曇っている証拠であるから、朝焼けも荒天の前兆である。そしてこの上空にできた雲はすぐ下ってきて雪になる。


雪の降り方がだんだん減って、雲が薄くなり始め、全く雲や霧が消えて晴天になり、中空にポーツと綿のような雲ができてそろそろ天候が崩れ始め、上空が白く曇ってくると、もう全く天候は崩れてすぐ雲は下って雪を降らすということになる。
だから最初の雲や霧が薄くなり出して隙問に青空の見え出したときに登山を開始するのが最も安全な訳である。


[2727] 【2810回 新・旧・交代】 2012-03-18 (Sun)

民主党に退いてもらう政治の話ではありません。我が家の冷凍室の話なのです。去年の春にイタドリを採り続け、塩漬けにして保存をしておき、時々故郷を懐かしく思い出しながら食べていました。姪っ子は父親である故一刀水との思い出がイタドリ採りという事もあって私の大事なイタドリを欲しいとせがみます。一般の人にとっては「雑草」でしかないのですが私達にとっては大切な思い出なのです。イタドリの食べ方を知っている人に「高知出身ですか?」と聞けば80%当たっています。あとの20%は私の岳友の皆様です(笑)

以前は私が一生懸命採っていると「それ、、どうして食べるのですか?」と聞かれたら得意げに食べ方を伝授していましたがこの頃は「わかんない〜嫁が採って来いって言うので採ってるだけ〜!」とボケることにしています。キゃハハハ!(食べ方伝授したら・・・イタドリ減るやんか〜!)まっ!異常なほどに好きと言うことがわかっていただけたと思います(但し食べるのが好きなのではなく見つけるて採るのが好きで、人に美味しいと言ってもらえると故郷を褒められた気分で大満足。人からイタドリをもらっても感動はありません)

そんなイタドリ保存の最後を土曜日、食卓に並べました。「これが最後やで・・」とポチに言うと「前の時もそう言うとったぞ〜」と突っ込まれました。そうなんです。姪っ子に見つからないように最後の1個を隠していたんです。(笑えるでしょ?)間もなく2012年製のイタドリがお目見えします。冷凍室を掃除して受け入れ体制を整えておきたいと、ついでに冷凍室の大掃除をしました。

小学校の頃、恩師が家庭訪問に伺うと、「どの家もきまってイタドリを土産にくれる。どうして食べたらいいのかわからんし家に持って帰ると都会育ちの奥さんに怒られる」とこぼしていたのが思い出されて、おかしくて笑ってしまいます。私だって幼いときは喉の渇きを満たすため、塩をつけて1本食べるのがやっとでした。大きくなったら罰ゲームとして使っていたものです。大阪に来て、山を歩いていてイタドリを見つけた時「大阪にもあるんや〜!」と感動でその場に座り込みました。それから「季節限定イタドリ病」にかかってしまったんです。フフフ

雪が解けてフキノトウが芽を出し、ツクシが芽をだし、ワラビやゼンマイ等の山菜の宝物がいっぱい出てきます。環境を破壊しないように「山菜採取禁止」の看板のあるところではマナーを守りましょう。特に蕗は家屋の近くに生えていて持ち主がいます。その点イタドリは雑草ですから大丈夫ですよ。しっかり採って楽しんで下さいね。


[2726] 【2809回 春はもうそこまで・・・!】 2012-03-17 (Sat)

梅田の好日山荘前にある桜の蕾がピンク色に大きく膨らみ、今日か明日かには開花しそうです。たった1個の花を見つけて携帯で写真を撮っていると通過する人全員が桜の木を見上げます。私達を見て「あの人たち何してはるんやろ?」きっとそう思っていると思います(笑)春の訪れ・・ブログに写真を載せました。

15日・木曜日、晴天の中、芦屋地獄谷に向かう時、阪神淀川駅に向けて歩いていると、犬を散歩中の若い女性が走って追い付いてきて「どこにいかれるのですか?」と話しかけてきました。私の大きなリュックとピッケルとヘルメットに興味を示された様子でした。若い女性に「山がお好きなのですか?」と尋ねると時々グループで山に出かけているとのことでした。

「今からアイゼントレーニングに芦屋のロックガーデン方面にある地獄谷ってところに行くのです」と言うと、今までにどんな山に登ったのか聞いてこられました。思い出せる範囲で印象に残っている山の名前をあげていると淀川駅に到着してしまいました。 若い女性は「お気をつけて!」と声をかけて犬とともに消えていきました。趣味が同じかも・・・と思うと気軽に声をかけてくれるのですね。

大きな交差点で黄色の点滅を渡ろうとした爺・婆が5〜6歳の孫に「行ったらあかん!」と止められました。思わず「賢いねぇ!えらかったね!」と頭を撫でてやると、とてもうれしそうでした。

大きな交差点は黄色の点滅から赤信号に変わり、横断歩道の真ん中ほどのところから、まだ老女が渡りかけてきます。車は老女に気が付き急停車したりクラクション鳴らしたり・・・!危なかったです。私は思わず老婆に近寄り大丈夫ですかとは声をかけず「危ないでしょ!信号無視して、お婆ちゃんを引いたら、お婆ちゃんより車を運転している人がかわいそうでしょ!」と叱ると「渡れると思ったさかい・・・」と言い訳をします。身体機能の低下で渡れるはずがないのです。その足で渡れるはずがないと言うことを身体で覚えてもらうためにあえて大声をあげました。お婆ちゃん!見知らぬ私に怒鳴られたことを忘れないでくださいね。

私は交通安全に関心があると言うか此花区の安全推進委員をしているからか、交差点の人の動きがとても気になります。大人のみなさん!子供連れの保護者のみなさん!子供のお手本でいてください。高齢者のみなさん、そんなにあわてて渡らなくても、もっと余裕のあるところを私達に見せて下さいその生き方の方が恰好いいですよっ!


[2725] 【2808回 アイゼントレーニング】 2012-03-16 (Fri)

『寒風峠スノーシュートレッキングは参加者が無いため中止にします。 』3月17日に予定をしていたスノーシューはジョンと姫のたった2名の参加予定のためリーダーの中で「やる気が失せた」が、正直なところだと思います。それに加えて土曜日は「雨予報」中止するにはラッキーな条件が揃いました。

「中止でっか〜そうでっか〜」と行かないのが私の性格です。「ほんならアイゼントレーニングに行こう!」と言うことで15日・木曜日、晴天の中、芦屋地獄谷に向かいました。晴天と思いきや阪神・芦屋駅に降りると雨がふっているではありませんか!しかし六甲の山頂あたりは太陽が輝いています。「行こう!ほんまもんの山歩きには雨もありゃあ雪もある!」蓬莱峡でトレーニングもせずにUターンしていることからストレスも溜まっていました。幸いなことに高座の滝あたりで雨は止んでくれました。

地獄谷に降りて広場でハーネス、アイゼンを装着しアンザイレンでザイルを結び、いざ出発です。今日の主たるトレーニングはアイゼン歩行とザイルの細かな操作訓練となります。ゲートロックの下あたりで何としたことかアイゼンをひっかけて左足を水の中にチャボ〜ンと浸けてしまいました。「さぶっ!」

グチュ、グチュと靴が鳴ります。「ホワイトフェイスに行くぞ」ザイルの後方から声が飛びます。ホワイトフェイスをアイゼンとピッケルで、お互い2本登攀練習ののち、再び地獄谷に降りて前進します。小さな滝を私が先に登り近くの木立を利用してジョンのビレイをするのです。これをコマメに何度も繰り返します。時々落ちた真似をしてテンションをかけ私のビレイ技術を試します。「よっしゃ〜!」

獅子岩と言われるところに到着したのが12時を過ぎていました。いつもの休憩場所です。休憩中に、いや〜な予感が脳裏をよぎります。この先にアイゼントレーニングに最適な垂直の岩があるのです。何度練習しても上手くならない岩で、私は大の苦手の岩なのです。今日は登攀したくないなあと心の中で叫び続けその横を通過する際、またもや後ろから「登るぞ!。ここはアイゼントレーニングの通過点や!」あっちゃ〜登るんや〜

今日は何とか一度でクリアでき、A懸岩の上部に出ました。支点箇所に飛び降り状態で移るため、上部からビレイをしてもらい支点箇所に乗り移りました。ザイルで確保してもらっているとは言え、気持ちの悪い一瞬です。正規の支点が取れたらば懸垂下降です。少し日差しも出て暖かく岩肌の冷たさが気になりません。それもそのはず雪の中と想定しているため手袋をはめたままなのです。「手袋は最後まではずすな!はずすと凍傷にかかると思え」と言われているのです。

アイゼン、ピッケルでジョンが登攀中、10人ほどの若者が降りてきて休憩を兼ねて見学体制にはいりました。どこかのスポーツ店主催のツアーの様です。ジョンの緊張の度合いがロープを介して私にまで伝わってきます。姿勢、アイゼンの足運び、などを主催者がツアー客に説明をしていました。(ジョンさん注目の的やで〜落ちんといてや〜)

昼食を終え、お互い2本の登攀練習を繰り返し、ピラーロックまで行く予定でしたが時計を見ればすでに午後2時30分を過ぎています。先ほどのギャラリーもいたため、要らぬ神経を使ったのか、どちらからともなく「無理せんとこか?」と言うことになり「楽しかった」という時点で下山することにしました。

第一鉄塔でハーネス、アイゼン等を外し、休憩をしたのちに中央稜を下るのですがアイゼントレーニングは、ことのほか体力の消耗が大きく「アイタタタッタ、アイタッタ」と呪文のように連呼しながら阪神芦屋駅に向かいました。

阪急芦屋川駅前広場は工事を終え、花時計のあった場所はフリースペースとなり広くなっていました。有意義に一日でした。これで雨が降ったとしても嘆くことはありません。



[2724] 【2807回 震災から1年・・その3】 2012-03-14 (Wed)

●関東大震災の大津波の時、犠牲者なし「奇跡の村」

1923年9月1日関東大震災の被災体験を書いた宇佐美尋常高等小学校児童の作文集を産経新聞で見ました。

★「おおぢしんがしたら つなみがきました。うちがながれだしました。おっかなくて なきました」

★「地震が止んだと思ったら、『ソレッ津波ダッ』と言った。後をも見ず一生けんめい高い所へとにげた」(5年生)

★「夢中でにげました。すると海の色が変(わ)って、沖からむくむくと水がふえてきて、さあっとうちをひいて行きました」(4年生)

★「ぶるぶるふるえながら、海の水がへんになるのを見ていたら(中略)、お父さんがきて、なんにもいらない、いのちだけあればよいといって、みんなで山へにげました。家はながされてほんとうに、いのちだけになってしまいました」(3年生)

迫り来る津波と、流されていくわが家。恐怖と悲しみに震える子供たちの言葉が胸を打ちます。関東大震災は昼食時で多くの家庭が火を使っていたため、都心や横浜で大規模な火災が起きました。死者の9割近くは焼死で、約21万棟が焼失。「地震だ火を消せ」の標語はこの教訓から生まれました。しかし、未曽有の火災被害に隠れ、当時の大津波はあまり知られていなかったそうです。

●「稲むらの火」関東大震災の前の1854年「安政南海地震津波」に際して和歌山県広川町で起きた地震をもとに津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を国定国語教科書になった話は有名です。

「稲むら」とは積み重ねられた稲の束のこと。稲は刈り取りのあと天日で干してから脱穀するが、田圃に干した状態の時の話です。村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。

         ↓
「稲村の火」の国語教本が手元にあります。ご希望の方はお知らせください。


[2723] 【2806回 震災から1年・・その2】 2012-03-13 (Tue)

「東日本大震災の日」

昨日の3月12日は年度末の研修日。去年赴任してこられた観察官の成長(失礼)には目を見張るものがありました。赴任時、上司の方が新任の方を紹介のあと「皆様のくったくのない意見をお願いします」と言われたので、あつかましくも私が挙手し意見を述べました。それから1年、新任だった観察官は誰の目にもりっぱに成長し、ベテランの指導官として成長されていました。(私の一言があって・・・なにくそって頑張ったのかな・・重ね重ね失礼しました。)しかし貴重なご意見をと礼を言われ、あ〜あ言わなきゃよかったと後悔してから1年・・・いやいや、やっぱり言ってよかったです。どの新任観察官よりも早くりっぱになられたと思います。

奇しくも去年の3月11日午後2時から此花梅香殿3階会議室で同じメンバーで年度末の研修をしていました。2時46分、窓のブラインドが大きく揺れているにもかかわらずみなさん熱心に講師の話に耳を傾けていたため(ん?私はよそ見して耳を傾けていなかったのかなぁ)私が「あっ!揺れています!」と声をあげました。この建物は2〜3年前に建て替えを終えておりビクともしないはずなのですが、それでも大きく揺れました。1階から息を切らした係員が駆け上がって来て「地震ですっ!。エレベーターを使わずに建物の外に出て下さいっ!早くっ!」と叫びました。「建物の外の方が危ないがなぁ」と、しぶしぶ誘導に従った覚えがあります。

昨日の研修開始時に副会長さんが挨拶の中で、このことに触れられたので記憶が蘇りました。まさかあんなに大きな地震だったとは自宅に帰るまでわかりませんでした。

震災後、仮設住宅に入居した一人暮らしの高齢者の孤独死がとりあげられています。震災のストレスもあり、持病や環境の変化もあり、誰にも看取られる事無く、住居内等で生活中の突発的な疾病等によって死亡。特に発症直後に助けを呼べずに死亡するケースで、その後近隣の人や訪ねてきた親類の人が気づく場合があります。

隣同士の声かけは大切で「2〜3日前に見たのに最近見かけない」時は訪ねてみてあげましょう。以前にも話しましたが一人暮らしの知人は自宅にいる時は施錠をしないそうです。なぜならば、最後のチカラを振り絞って救急車を呼んだとしても、鍵を開けに入り口まで歩けない場合もあるため、「みなさんに迷惑をかけないために」とおっしゃっていました。(う〜ん。なるほど)

自宅の中でも家族で緊急時の避難先や救急の場合の処置の仕方など話しておくと、いざと言う時に役立ちますよね。ところでみなさんは自分たちの避難先がどこかご存じですか?指定された避難先に行けば非常食等の配布も受けられて、情報も入ってきます。今一度ご確認をお願いします。


[2722] 【2805回 震災から1年・・】 2012-03-12 (Mon)

東日本大震災「3.11」から1年経過しました。当日の午後2時46分買い物先のスーパ―の中で店内にいた全員で買い物を中断して黙祷をしました。

テレビはどのチャンネルを回しても1年前の映像を写し、そして現在の被災地のみなさんにインタビューをしていました。当時の生々しい映像がこんなにも沢山残っているのは各自が携帯機能を使って記録写真や動画を撮り続けたからだそうです。そのために逃げ遅れた人も多数いたそうですが。

家族を失った人、家を流された人、職場を失った人とさまざまではありますが国が何よりも早くにしなければならないことがあるはず・・・1年たった今も進んでいないことにスポットを当てるべきではないのでしょうか?義援金もみなさんに渡り切ってないそうですが早くして〜っ!

平成23年3月11日午後2時46分、思いもかけない巨大地震と津波に襲われ、多くの(2万人)の犠牲者が出ました。被災された市民を助けるために、危険を顧みず救助活動に従事した消防団員、警察官、役所関係者の方々が尊い命を落としたことを忘れてはいけないと思っています。震災による福島原子力発電所の事故で住み慣れた家を離れなければならなかった人々もいます。動物たちは取り残され野生化したり、餓死てして横たわる痩せこけた牛たちの姿が瞼に焼き付いています。

画面から流れる「絆」と言う言葉のとおりボランティアの人達、阪神大震災で被災した経験者、北海道南西沖地震の経験者のみなさんが再建へのアドバイスを一生懸命していた姿が印象的でした。

日本中の人達が、この大震災のことを記憶から忘れさることなく、防災に対する心がけを多く学んで行きたいと思っています

色々大変なことが沢山ある中で私は最優先に雇用問題を取り上げてほしいと思っています。「父ちゃん、母ちゃん」に働ける場所があれば子供たちに笑顔が戻ります。子供の笑顔は復興の宝です。失業給付金が切れた現在は、職を求めてハローワークに相談に行く人達が多いのですが「希望の職種」「これまでどのような仕事を?」「通勤手段は?」などの壁にぶち当たり、働きたくても働く場所がありません。今ある求人のほとんどは建設業(再建への工事現場での仕事)経験、体力的にきつい、年齢がネックとなって希望通りの仕事が見つからず、思うように働けないのが現状です。失業給付も従来よりも延長処置が行われてはいますが更に延長が必要ではないでしょうか。では商売をしている人、漁業などに携わっている人達にも平等に支援の手が差し伸べられているのでしょうか?気になります。

被災者の生活安定のため、仕事の確保は何よりも大切な課題だと思います。ハローワーク側は「震災の影響が落ち着き求人者数が求職者数を上回っている」と説明してはいますが、「中高年層や女性にとって厳しい状況」にあるのではありませんか。統計上だけで判断せず現地に足を運んでみてはどうですか?。

床屋を営んでいた男性の避難先でのことです。ハサミなどの道具を全部流されて将来に希望が持てず、打ちひしがれていた時、知人から「散髪してくれないか?あんたの腕1本あれば出来るでないかぁ?」と頼まれ、同業者に声を掛け合って、ハサミを借り、避難所の片隅で散髪を初めると、多くの人が集まって来て、散髪後の喜ぶ顔を見た時、もう一度頑張ってみようと言う気持ちになったそうです。

親を失った子供たちも、どうか夢を諦めないで強く生き抜いて欲しいと願っています。大阪の地より祈ることしか出来ませんが、未曾有の大災害を孫たちに伝え、私自身も東日本のみなさんの体験を無駄にすることのないように防災について学びつつ生きて行こうと思っています。


[2721] 【2804回 誕生日プレゼント】 2012-03-11 (Sun)

3月15日は、ももちゃんの7歳の誕生日です。少しずつ女の子らしくなり、お姉ちゃんぶりを発揮し、毎日30分以上かけて坂道を下り登校しています。帰りは急な上り坂をまたまた30分以上かけて戻ってきます。雨の日も凍結し日も元気で通います。きっと足腰が強くなり、毎日がマラソン大会のトレーニング状態です。

お誕生日のプレゼントに何が欲しいかと希望を聞くと、「トランポリン」だと言います。自宅の庭先には「うんてい」「鉄棒」と体育会系の道具が並びます。その上トランポリンを並べると「ちびっこ体操教室」に様変わりしそうです。(笑)

本人の希望を叶えるべく、トイザラスに行きましたが在庫なしで在庫のあるトイザラス店を探してもらいました。サイズが大きくて私の車に収納しきれないことから直送してもらうことにしました。そのことを本人に伝えると喜んで、喜んで『明日が早く来てほしい!』と連呼しているとパパからメールが届きました。そして朝にはママから「トランポリンの到着を心待ちして朝からお外で待っています」とメールがありました。

怪我のないように遊んでほしいと願っています。2月、3月4月、6月とお誕生日ラッシュで姫婆様はうれしい悲鳴をあげている今日この頃でありま〜す。

息子達が幼い日のお誕生日にはポチの母親、つまり息子達のおばあちゃんからのプレゼントが楽しみだった様です。いつもきまって「超合金ロボット」でした。新品状態でいま手元にあれば、「?十万円」もするそうですが悲しいことに、手はもげたり、胸から発射する矢が紛失したりと、ただのゴミ状態でしかありません。それでも捨てずに実家にあるため、今では二代目の孫たちが喜んで遊んでいます。

(それぞれの今の顔をブログに載せました)


[2720] 【2803回 携帯電話】 2012-03-10 (Sat)

私の携帯に未登録の番号からの着信が二度もありました。「誰からだろう?」そう思いつつも顔の見えない相手に戸惑いを感じます。昔なら「登録していない電話にかけたら変なところに繋がり高い料金を請求される」と恐れたものですが最近はそんなことも言われなくなりました。やはり気になるのでかけてみました。何度もコールしているのですがかからず履歴が残るので、まぁいいやと放置しました。夕方同じ番号からまた着信がありました。いきなり「着信があったけど何の用ですか?」と言った意味の内容でしたので「朝、そちらから二度も電話をもらったのですが」と話しているうちに、聞き覚えのある声・・・むかし所属していたウオーキング協会のスタッフの方からの電話でした。どうも間違ってかけたみたいで偶然に私の番号に繋がったみたいでした。

世間話を少しして「今も歩いているのですか?」と聞くと、膝を痛めて集団での歩きは出来ない状態だとの話でした。ウオーキングで長い時間それもかなりの速度でアスファルトの上を歩き続けているので膝を痛めて病院通いしているみたいでした。

私は快適に登山道を歩き、続けてアスファルト歩きになると膝にクッションがなくなるので急に膝が痛くなることを話しました。家の近くの「限りなく土のある道」を探して、ゆっくりと歩いたほうが膝のためにいいですよと言って電話をきりました。しかし偶然に(登録していたのではなく、たまたま間違えてかけたそうです)こんなことってあるんですね。

私が子供の頃には家に電話はなく、親戚などから電話がかかると有線放送で呼び出され村役をしている人の家まで走ったものです。近頃は街角から公衆電話が消えつつあります。時々公衆電話を使いたい時があるのですがなかなか見つかりません。電話ボックスが見つかってもボックスの中はゴミピンクチラシやイタズラなどがされていてとても使用できる状態ではありません。

会議や講習などがあるとき、事前にマナーモードにするように司会者が言っても無視する人がいます。聞いてないのでしょうか。それとも無視なのでしょうか。電車の中でも車掌さんが携帯電話の使用についてのお願いアナウンスをしているのですが平気で会話をしている人を見受けます。構造的に「車内は圏外」に出来ないのでしょうかね。

携帯電話はとても便利で、登山中に遭難した場合も圏外でなければ救助に役立ちます。待ち合わせ時間に遅れそうになった時、あるいは急な予定変更の時など、こんな便利な物はないと思ったりもします。昔は携帯電話は金持ちしか持てなかった時代がありました。それもバックよりもでっかい形でしたね。


[2719] 【2802回 拝啓・わが倶楽部リーダー・ジョン殿】 2012-03-09 (Fri)

小野アルプスの山行を終えてのジョンの感想の中に『希望者があれば北、中央、南アルプスのいずれか1回を踏破して結びとしたいのです』とありましたので、夏山登山の提案をさせていただきます。私の技術をもっていけるのかどうかわかりませんが「行きたいです」ご検討のほどをよろしくお願いします。

加齢に伴い「この年になったら夜行バスは疲れる」と言うことになっていましたが、八方尾根まではゴンドラを利用して高度をかせいで行くことから、あえて今回「3列独立シート・夜行バス」を利用しています。アルペン号や蓮華温泉行のバスの運行期間に制限があることから実施日を7月31日から8月5日の(車中泊2泊、小屋泊3泊)と仮設定しました。不帰キレットの通過は晴天が絶対条件となりますので・・・・唐松岳山頂に立ってからの判断になるとは思います。

今回の特徴として「キレット組」と「れんげ組」の2コースに分け、最初と最後は行動を共にします。

★☆ 7/31(移動日)キレット組&れんげ組
大阪発 21:50(アルペン長野号)長野駅着 午前 6:42

★☆ 8/01(第1日目)キレット組&れんげ組
長野駅―(バス)白馬八方バスターミナルー八方麓駅―(ゴンドラ)八方山頂駅(所要時間8分)ー山頂駅―八方山荘―第1ケルン唐松頂上小屋(泊)4時間20分ー唐松小屋宿泊(歩行時間4時間30分)

★ 8/02(第2日目)・・・キレット組
唐松小屋―唐松山頂(所要時間20分)ー不帰キレット(2時間30分)ー天狗山荘(2時間30分)天狗山荘宿泊(歩行時間5時間20分)

★ 8/03(第3日目)・・・キレット組
天狗山荘―大出原出合―鑓ケ岳(1時間00分)ー杓子岳―村営宿舎(1時間50分)ー白馬山荘―白馬岳(35分)ー三国境―小蓮華山(1時間10分)ー白馬大池(1時間30分)白馬大池宿泊(歩行時間6時間05分)

★☆ 8/04(第4日目)・・・キレット組&れんげ組
白馬大池―天狗の庭―蓮華温泉(2時間00分)ー糸魚川バスー平岩駅 13時35分or16時05分(1時間10分)ー平岩駅―長野駅ー長野発 22:30(アルペン長野号)ー大阪着ー8/5午前7:08

☆ 8/02(第2日目)・・・れんげ組
唐松小屋―(荷物は小屋置き可能)唐松山頂(20分)ー唐松山荘(15分)ー第3ケルンー八方荘前―ゴンドラ駅(3時間20分)―ゴンドラ麓駅―白馬駅(13分)ー白馬駅―(大糸線)平岩駅下車ー平岩駅発12時20分or14時50分のバスで蓮華温泉へ 蓮華温泉宿泊(歩行時間4時間00分)

☆ 8/03(第3日目)・・・れんげ組
蓮華温泉ー天狗の庭(1時間40分)ー白馬大池(1時間20分)
白馬大池小屋泊(キレット組と合流)

★☆ 8/04(第4日目)・・・れんげ組&キレット組
白馬大池―天狗の庭―蓮華温泉(2時間00分)ー糸魚川バスー平岩駅 13時35分or16時05分(1時間10分)ー平岩駅―長野駅ー長野発 22:30(アルペン長野号)ー大阪着ー8/5午前7:08


山小屋の予約、バスの予約などがありますので早めに出欠を取り7月からトレーニングを開始していただければと思います。皆様もぜひご希望があればどんどんリーダーに申込みをしましょう!


[2718] 【2801回 心に残る歌】 2012-03-08 (Thu)

♪ 泣くな妹よ 妹よ泣くな 泣けば幼い 
  二人して 故郷を捨てた 甲斐がない

  遠い淋しい 日暮れの道で 泣いて叱った
  兄さんの 涙の声を 忘れたか ♪♯♭

これは「人生の並木路」と言う歌なのですが急に懐かしくなり口ずさんでみました。「心に残る歌は何ですか?」と聞かれると、きっとこの歌を選ぶでしょう。中学校1年生の1学期を終え故郷を引き上げて、姉の嫁ぎ先である大阪に向かうとき、姉が「最初で最後の贅沢」と大枚をはたいて買った鷲羽3号の一等座席券(現在のグリーン車)を握りしめて中村駅のホームに立った時に、どこからともなく大音量で流れていた歌なのです。私達姉妹が旅立つ心情にピタッっと合致していて、姉と「中村はつらい思い出ばっかりじゃったけん、もうここには帰らんとこな!」と誓い、抱き合って泣きました。

去年亡くなった恩師が旅立ちの時「人の悲しみを一緒に味わう事は誰でもできる、しかし人の幸せを心から祝福できるようになりなさい」と餞の言葉をくれたことが思い出されると、今でも涙する私がいます。恩師の「ひがむな!貧しさに負けるな!人を羨ましいと思うな!」そんな愛情いっぱいの言葉を頂いたことを、この歌を唄うと思い出すのです。「幸せ薄い子じゃったきに」これは恩師が私のことを人に話す時に使った言葉です。

しかし「故郷は遠きにありておもうもの」の如く、年を重ねるごとに故郷が懐かしくなってきます。顔と名前が一致しないであろう同窓会の案内であっても、何故か心が躍ります。テレビ等で「四万十川・・・」と聞くだけで画面に釘づけになる自分がいます。(笑)

幼馴染みに「だ〜れも知った人がいないかも知れないので同じ部屋にして〜!」とメールを打ちました。即メールがあり「わかっちょるけん!」何とも頼もしい「ハチキン多恵ちゃん」からの返信でした。再会がとても楽しみです。


[2717] 【2800回 生まれて初めての同窓会】 2012-03-07 (Wed)

故郷四万十市からの中学校の同窓会の正式な案内状がやっと届きました。昨年末に突然予告編的な案内状が届き「出席する」と回答したものの、はたして私のこと覚えていてくれるだろうかと日を追うごとに不安がつのり「出席する」と回答したことを後悔しておりました。それもそのはず私は故郷の中学校を卒業していないのです。姉が看護師としての職場を変えるごとに転校を繰り返し、最終的には姉の結婚のために大阪に引っ越したため私の卒業した中学校は大阪市立港中学校だったのです。幼馴染にそのことを言うと「小学校も中学校も生徒はみ〜んな同じやけん、心配せんでもエエよ!。それにみっちゃんのことみんな覚えているよ!」と背中を押してくれました。昨年亡くなった恩師を迎えに四万十市に戻りみんなと一緒のバスに乗り、同窓会に参加しようと先生と約束をしていたのですが、それは実現することはできなくなりました。とても残念です。

恩師の死と同窓会出席のメールを幼馴染にしたら『 同窓会の件了解です。柳川先生が亡くなられたとは知らなかったです。身体がどこか悪かったのかねぇ?同窓会の打ち合わせの時、柳川先生の話も出て、「元気で犬引っ張りよる」と言ってたのに…4月に会いましょう!」

教職を退くまでの数多くの卒業生の中から、私達の卒業アルバムを大きく引き伸ばし応接間に飾ってくれていました。四十九日法要が済んだ後に、恩師の息子さんが形見として送ってくれましたのでそれをコピーして、どれが誰なのかしっかりとチェックしてこようと思います。(できれば名札付けて欲しいなぁ)

「還暦の年には同窓会するけん!」以前ミニ同窓会もどきをした時にそう言いながら還暦から3年も過ぎてしまいました。あの時も「お前は誰じゃったかのぉ?」と言われてしまいました。11歳の時に大阪に行ったお下げ髪の私しか知らないのですものね。(笑)

同窓会がいまになったのは、消息の糸を探るのに手間がかかったようです。無理もありません。50年の歳月が過ぎているのですから・・・

雛節句が終わった頃、詳細を知らせる案内状が届きました。私達大阪組は故郷高知での開催を希望し、地元四万十組は京都見物も兼ねて関西で希望と、意見もバラバラで世話人たちは悩んだことでしょう。

4月22日故郷四万十市を午前5時30分に出発し、京都の「ホテル平安の森」で他府県在住組と合流するのです。23日は亀岡市・湯の花温泉に宿泊するらしいです。保津川下りでもしたいのでしょうか。故郷に四万十川と言う日本一の川があっても保津川の川下りは魅力的なのでしょうね。

地元男子10名、地元女子12名、県外参加13名の合計35名の参加予定だそうです。私達の生まれた昭和23年代は「第一次ベビーブーム」と言われ、田舎にも関わらず70人も生徒がいたのです。その半分の35人が集結と言うことは大成功間違いなしではないでしょうか。登山の参加者しかり同窓会しかり幹事にとって参加率の良いのは気合が入るものです(わが倶楽部は・・・トホホですが)

還暦を過ぎ、子供たちも独立し、生活に余裕ができた時、ふと学び舎を共にした「※いごっそう」&「※はちきん」に、ふと会いたくなったのでしょう。私も会いたいです。「お前は誰じゃ?」と言われようともめげはしません。

64歳を迎える今年は何かと人生のけじめの行事が多く、家族の理解を得て、自らの健康に気をくばりつつ自分らしく自由に羽ばたいて生きて行こうと思います。残された時間は短いですから!

※「いごっそう」は土佐弁で頑固で気骨のある男性
※「はちきん」は快活で、はつらつとした女性
坂本龍馬とその姉・乙女は、土佐を代表する「いごっそう」と「はちきん」と称されています。そんなわけで私のホームページは「ハチキン姫」と命名しているのであ〜ります。


[2716] 【2799回 ひめのおうち「2798回 蓬莱渓」の続編】 2012-03-05 (Mon)

ひめのおうち「2798回 蓬莱渓」のつづきです。

ブログの写真をまず見て頂き、もう一度このページへお戻り頂き、お読み頂ければ幸いです。

写真は、ご本人の名誉のために顔はモザイクをいれました。「ひめのおうち 2798回」に書き込みました内容ですが『初心者らしき人が、短い壁ではありましたが、やっとの思いで登り終え、その横を指導者らしき人がビレイ無しで近づき下降器の装備の無いのに気が付きました。ビレイヤーに「エイト環とカラビナをくれっ!」と叫んでいました。ビレイヤーは持ち場を離れ(ビレイ解除の声も無し)ロープの先にエイト環とカラビナをくくりつけ岩場をゴンゴンと音を立てながら吊り上げていました。』

私の言っていたことが本当だという証拠にブログに写真を添付しました。エイト環とカラビナを岩場にゴンゴンと当てながら吊り上げる音が文章で表現できなくて残念です。クライミングの知識がある人は「ほんまや!」と言って共鳴して頂けると思います。これは中傷でも、あら探しでもありません。この様な同じ危険を繰り返さないために貴重な事実として受け止めて頂き、お互い注意をしあいましょうね。私がセットを間違えている時は、ぜひ「間違ってるよ!危ないよ!」と声をかけて下さいね。

●写真の間違い
@支点位置を見て下さい。2ケ所あるのに1ケ所だけしかロープが通っていません。流動分散も何もあったものではありません
A左側のおじさんを見て下さい。この方が指導者です。自己ビレイも取らず危険きわまりないでしょ?
B羽毛のベスト・・・寒いのはわかりますが岩場で穴があきませんか(まあ金持ちなんでしょうけど)
Cハーネスの部分を見て下さい。私達はエイトノットによるハーネスへの連結法を学びました。荷重がかからず、わずかばかりの移動ならば、この方法をとる場合がありますが、全体重をかけて10メートルも20メートルも登攀するのです。これで大丈夫ですか?
Dエイト環とカラビナをロープで引き上げる際、ビレイヤーは「ビレイ解除」の合図もなく、持ち場を離れ、おまけに登攀者は自己ビレイを取っていません。足元がふらついたら10メートル下に落下です

以上あまりにひどかったため写真図解をしてしまいました。クライミングを少しでも学んでいれば間違い探しがすぐにわかると思います。結局、蓬莱峡は場所が満員で登攀はできませんでしたがとても貴重な勉強をしてきました。多くの間違いがあっても指導者が「これがオレのやり方や!今まで落ちたことがない」と豪語すれば、教えてもらう人は正しいと思って習得するでしょう。

私は岩登りが上手にならなくても、素早く、正しく器具を使え、今まで学んだロープワークを忘れないでおこうと思っています。まぁ3級合格ってとこかしら?(師匠に聞いてみないとわかりましぇ〜ん)

1級=手を使わないでも登れる
2級=3点支点が必要
3級=ロープが必要
4級=垂直
5級=超ベテラン
6級=プロ級


[2715] 【2798回 蓬莱峡はクライマーだらけ!】 2012-03-05 (Mon)

4日の日曜日は雨の予報のため、お寝坊さんを決め込んでいたら「お〜いいつまで寝とるねんっ!え〜え天気やで!アイゼントレーニングに行くで〜!」とのジョンからの電話で目覚めました。昨日の帰り際には「明日は天気も悪いらしいし、小野アルプスで疲れているから止めとこか」と話がまとまっていたのですが初老のジョンの目覚めは早く太陽の誘惑に負けたみたいです。荷詰めもできてなかったためあわててリュックにアイゼン・ピッケル・ヘルメットと登攀道具を詰め込み、JR海老江駅で合流しました。

行先は蓬莱峡。宝塚駅から10時過ぎのバスに乗ると、登山者は私達だけで(そりゃそうや!)、あとは有馬温泉に行くと言う老人会のおばあちやん数人が乗っていました。座頭谷のバス停で下車すると雨がポツポツとしてきました。「午前中は降らないって言ってたのになぁ、まぁ現場まで行ってみようか」という事になり蓬莱峡のゲレンデに到着すると何と驚きの光景が目に入りました。

岩場にへばりつく人間の多いこと!多いこと!ロープを張る場所が見当たりません。どう見ても空きそうにありません。こんな時間に来て場所なんてあるかい!とあざ笑われている気がしました。「仕方ないなぁ!少し見学して行こう」という事になり、それぞれのクライミングテクニックを拝見することにしました。
●アイゼンを履いてトレーニングしている人
●クライミングシューズを履いてトレーニングしている人
●講師らしき人に手取り足取り指導を受けている初心者
●ヘルメットもかぶらず登攀している人

と、さまざまで見ていても楽しくて、自分たちの最初の頃を思い出していました。「こわいですっ!」「登れません!」「降りられません!」多分そんなとこらへんからスタートしたと思います。ロープワークは一度は、しっかりと覚えるのですが二度目の時には忘れている・・こんな繰り返しでした。よくまぁ現在に至ったものです。

今日の登山者の中で目立ったのは、ヘルメットもしないで岩壁に取り付いている人でした。自信があるのと危険性とは別の問題ですから装備はきちんとしたいですね。また別の壁では初心者らしき人が、短い壁ではありましたが、やっとの思いで登り終え、その横を指導者らしき人がビレイ無しで近づき下降器の装備の無いのに気が付きました。ビレイヤーに「エイト環とカラビナをくれっ!」と叫んでいました。ビレイヤーは持ち場を離れ(ビレイ解除の声も無し)ロープの先にエイト環とカラビナをくくりつけ岩場をゴンゴンと音を立てながら吊り上げていました。こんな指導者には絶対教わりたくありません。沢山の間違いがあっても教えてもらう人は正しいと思って習得するでしょう。ほんま!こんな無謀な指導者は失格だと思いました!ひとたび事故に遭うと現場にいる全員が恐怖の巻き添えを喰うのです。

沢山の人達の中には、きちんとトレーニングをしている人も沢山いました。こんなにもクライマー人口が多いのかとびっくりさせられました。雨も大粒になってきたためリュックから道具を出すことなく宝塚行のバスを待つことにしました。バス停にいると、先ほどヘルメット無しで登攀練習をしていた女性3人組が練習を切り上げてやってきました。言葉を交わすことはありませんでしたが、バスの中で大きなリュックを背負ったまま、宝塚に着くまでおしゃべりをし続けていました。大変なグループでした。


[2714] 【2797回 春はもうすぐそこまで】 2012-03-04 (Sun)

♪♪うめの小枝で うぐいすは
  春が来たよと うたいます
  ホウホウ ホケキョ  ホウ ホケキョ

  雪のお山を きのう出て
  里へ来たよと うたいます
  ホウホウ ホケキョ ホウ ホケキョ

お雛様の日、加古川駅で乗り換えて神戸電鉄「市場駅」というところで下車し「小野アルプス」に登ってきました。低山ではありますが数えてみるとピークが10山!とても満足感のある山々でした。

山の中からはウグイスの声が響きます。まだ鳴き声がおぼつかず幼いウグイスに違いありません。「おっ!上手に鳴いとるなガンバレよ!」と声をかけると「お前もガンバレよ!」とへばり気味に歩く私達に向かって鳴き返してくれたようでした。

いまの時期は、花は何も咲いていませんが、やがて満開を迎えるであろうツツジの蕾が大きく膨らんでいました。10山のメーンは何といっても紅山の岩場です。遠くから見ると20人ばかりの人達が列をなして赤色に染まった岩肌を登っていくのが見えていました。「早く行きたい!早く登りたい!」そんなあせる気持ちを抑えてやっと到着です。

わぁわぁキャーキャー楽しみながら記念撮影をしたり美しい景色に見とれたり、おだやかな気候にうっとりとなり、春を迎えに行ったような気分になりました。

もうすぐ春ですねぇ!待ち遠しいですねぇ!


[2713] 【2796回 土曜日だけ晴れですって・・】 2012-03-02 (Fri)

明日3月3日はお雛様。明日だけお天気がいいんですって!。私達は、わが倶楽部の例会で小野アルプスに出かけてきます。春を感じることができるのでしょうか!そういえば春を告げる兵庫の味「いかなご」の解禁で、スーパーでは、いかなごが山の様に積まれていました。各家庭でそれぞれに味付けされて食卓を飾るのでしょう。菜の花、フキノトウ・・・春はそこまでやってきています。コートを脱ぐのももうすぐですね。

「春だよ」そう知らせてくれる様に毎年、故郷四万十市に住む恩師からの土佐分担の贈り物が届いていました。夏はメロン、秋には新高梨、冬はポンカンと忘れずに私のことを覚えていてくれました。しかし今年からは永遠に届くことはありません。とても淋しい気がしていました。

ジョンのおうちに知り合いの人から土佐分担が届けられてきたそうで「柳川先生から来ないからお裾分けやで」そう言ってリュックに大きな土佐分担を詰めてくれました。(ブログに写真あり)土佐分担は皮ばかりが厚くて実は半分ほどになりますが、一房、一房が大きくて酸味いっぱいでとてもおいしいのです。おへその部分を円盤形に切り、下に向けて八等分に切れ目を入れます。そうすれば簡単に皮を剥くことができます。ぶ厚い皮は入浴時に湯船に浮かばせて香りを楽しみます。故郷の香りで〜す。

土佐にはあまり他県に出回らない「小夏」というミカンがあります。皮を剥く時は、皮と実の間の白い膜を残し、膜と実を同時に食べるのです。昔会社のおじさんが高知に出張に行き、私が高知出身だからということで小夏を買ってきてくれました。小夏と言う名前がなかなか出てこずに、おじさんは「久やん!スナックのママみたいなミカン買うてきたで〜」と言って渡してくれたことがありました。

私の家にも小夏は沢山採れたので母親は防空壕の中を冷蔵庫代わりにして貯蔵していました。小さくて種ばかりのミカンでしたが母との懐かしい思い出のミカンです。

あと1ケ月もすれば「季節限定イタドリ姫」のシーズンがやってきます。今年はどこまで採りに行こうかしら?談山神社など恒例の場所は何故か不作ばかりですので新しい場所を求めて4月は忙しいですよ〜。名塩のももちゃんち付近にも「秘密基地」があります。イタドリが採れる場所を子供たちと「秘密基地」と称して内緒にしています。今年はどうかな?


[2712] 【2795回 六甲山遭難事故 続報】 2012-03-01 (Thu)

28日の地獄谷ホワイトフェイスに行く途中で見た捜索活動の様子はブログの写真やレポートで詳しくお知らせいたしました。その後どうなったのか気にかかるところです。

『六甲山系で遭難の74歳男性、遺体で発見』
29日午後1時50分ごろ、神戸市東灘区本山町北畑の六甲山系の山中で、崖下に高齢の男性が倒れているのを、登山道を歩いていた70歳の男性が見つけ、110番通報をした。神戸市消防局がヘリコプターで男性をつり上げて救出したが、すでに死亡していた。

登山道を歩いていて見つけた男性も高齢の70歳・・・六甲山は危ない!

危ないのは六甲山だけではありませんが、六甲山は駅から近い場所にあることから、老若男女が気軽に山登りを楽しめる人気の山のため、軽装で散歩モードで出かける人も多く死亡事故(白骨化しているケースもあり)が多発しているのです。

標高の高いアルプス等に出かける場合は、装備も万全で登山届もきちんと提出し、道標も整っており、それなりの訓練をし、技術を習得し、覚悟で入山しているため、六甲山よりも安全かも知れません。

滝の茶屋に登山届の箱が掛けてあるのをご存じですか?用紙もちゃんと用意されています。現地で書くのが面倒ならば、家を出るときに自分流の登山届でもいいのです。登山者氏名・年齢・住所・連絡先・コースを書き、茶屋にある登山届ボックスに入れておきましょう。安全のためのお守りみたいなものですから習慣にしませんか?

高座の滝にはお稲荷様が鎮座しています。通過する時は「おはようございます。今日も安全でありますように。行ってきます」と手を合わせています。帰りには「ただいま帰りました。おかげざで無事帰りました。ありがとうございました」と手を合わせています。28日の帰りには「遭難された方が早く見つかりますように!」とお祈りして戻りました。

六甲山は地図にない踏み跡が「即登山道」になる場合が沢山あります。いつだったか有馬からの登り道を近道をしようとした登山者がいました。その後ろから「コラーッ!ちゃんと登山道を歩け!山を破壊するなっ!」と怒鳴っているおじさんを見ました。そこまで怒らんでもエエやろと思うほどの大声でしたが、こうして事故が起きてみると、正当論なんですね。急がば廻れです。

【2789回】で書きましたが、六甲山にはイタズラ目的で矢印を深い森に迷い込まそうとする不届き者が続出しているそうです。矢印にまどわされることなく、おかしいなと思ったら、ちゃんと地図を見て位置確認をしましょう。私は救急箱の中に笛を入れています。万が一遭難したらと思う備えが身を守ってくれるはずです。


[2711] 【2794回 春まで待とう 岩登り】 2012-02-29 (Wed)

夕べから夜明けまで降り続いた雨、天気予報はピタリと当たっています。六甲山で遭難したおじさんは雨に濡れて寒かろうにと思いながら空を見上げました。雨はすでに上がり今日もまた同じ35人体制から40人体制で捜索活動は開始されるのでしょう。早く見つかるといですね。

地獄谷・・・名前からして怖い気がします。ハイカーでは通過できないルートと思っていましたがこの頃では小さなリュックを背負い、短パンに半袖にスニーカーなどの出で立ちで地獄谷を通過する人達が増えました。よほど経験があるのか、技術に自信があるのか、怖いもの知らずなのか、わかりませんが、私達は最初ロープをかけて通過しました。慣れれば慣れるほど緊張ばかりの怖いコースです。(アイゼントレーニングには最適のコースですが)

ポチがよく地獄谷を好んで歩いていた頃、第一鉄塔に上がる道を間違えて直進し、大岩あたりから上に藪漕ぎをし、メガネを吹っ飛ばしたことがありました。「何でこんなところで迷うねん!」と言いながら私も一緒にメガネを探しに行き、ポチ用の目印に赤テープを巻き付けて帰ったことがありました。後日行った時には、そのテープは既に剥がされていたそうです。いたずらテープではないのですが景観が悪いからか、道迷いの原因になるからか、すぐ外されていました。

74歳のおじいちゃんが地獄谷を登ったとして、ポチと同じ様に藪漕ぎをして足でも滑らせたとしたら、あのあたりに居るかも知れない・・・と思ったりします。救助隊の人達も山岳会に協力を求めたり、民間人の協力申し出にも受け入れをすれば、コースを熟読しているだけに力になると思うのですが・・・。

それにしても冬の岩登りは、手も足も寒さでシビレて危険です。ホワイトフェイスの半分登ったあたりから指先がしびれて感覚がなくなりそうでした。岩を掴んでいるのかどうかわからなくなるのです。クライミングは、もう少し春になってからがよさそうです。昨日学習した「懸垂下降中のロープの結び目通過方法」を忘れないために部屋にロープを張りました。テレビを見ながら1日1回触ろうと思っています。(三日坊主になりませんように・・・!)

(捜索隊の様子の写真はブログに掲載しました)


[2710] 【2793回 久しぶりのクライミング】 2012-02-28 (Tue)

例会としてクライミングのご案内をしましたが、だ〜れも参加希望者がいなくて、体調不良の隊長(シャレかいな?)
と姫の2名でホワイトフェイスへトレーニングに行ってきました。阪急芦屋川駅広場のトイレはグレードアップして完成。花時計のところはまだ工事中の様子でした。川沿いの桜の蕾はまだ硬く、川面ではサギとカモが仲よくエサ探しをしていました。歩き始めのウォーミングアップには、長くてちょっときつい芦屋の高級住宅街を抜け茶店手前の駐車場近くに来て異様な雰囲気に気が付きました。

警察車両、消防車、広域車、関係車両が駐車禁止の迂回スペースをも埋め尽くしていました。「あっこれ昨日新聞のニュースで見たわ!捜索やな!」

新聞のニュースとは
『尼崎の74歳無職の男性が26日に日帰りの予定で六甲山系に登山に出掛けたまま自宅に帰ってないことが27日わかり、兵庫県警東灘署などは遭難した可能性があるとみて35人体制で捜索を始めた』

とありました。朝の電車の中でこの話題に触れていたので、すぐに捜索活動がまだ続行していることがわかりました。駐車場にテーブルを置き、地図や配置図を広げ隊員たちに指示をしていました。地獄谷に降りたところにもテーブルを置き無線で各方面に捜査網を張り必死の捜索が繰り広げられている様子がよくわかりました。

ホワイトフェイスは散髪したての坊主の様に、枝に木の葉は1枚も無く、とても見晴らしがよくて、ロックガーデンを行き来する捜索隊の人達の動きがよく見えます。支点を作り懸垂下降で2〜3回、トップロープで2回トレーニング後、懸垂下降中にロープの結び目を通過する場合のエイト環とバックアップ用ロープ2本で交わす「新わざ」を学習しました。雪の多い時にはATCは不向きで「エイトは下降器、ATCは確保器」の素早く使える方法を何度も何度も練習しました。(クライミングの詳細は後日レポートでアップします)

相変わらず無線の音は地獄谷付近に飛び交っていました。久しぶりのクライミングに少々疲れも出てきたことから「本日の講習はこれにて終了」と言うことにしました。ジョンの荒療法もクライミング中は不思議と意識から消えていて快適だそうです。

地獄谷に降りて行くとまだ消防署の方達はテーブル付近で捜索隊からの連絡を待っていました。ロックガーデンと地獄谷の分岐地点の日当たりで遅めの昼食休憩を取っていると、警察官20名(ちゃんと数えました)が降りてきて「こんなにきついとは思わなかったなぁ」と同僚たちで囁いていました。

捜索本部とみられる駐車場付近には警察官40名ほどと広域本部の人達で打ち合わせをしていました。ジョンが「地図にない道も沢山ある。必要なら捜索のための地図にないコース案内をしてあげてもいいなぁ」と言うことで声をかけましたが「芦屋署、東灘署他沢山の人数が捜索していますので、お申し出には厚く感謝申し上げます」とのことでした。

「六甲山に行ってくるわ」こんな簡単な会話を家族に残し散歩モードで出かけたかも知れません。実際に私達でさえ、ポチが六甲山に行くと送り出しても、どのコースなのか、どこをゴールにしているのか詳しく聞くことはありませんでした。下山報告はするように言ってますが、今回の様に下山できない場合もあります。家族の方は「どこから登ってどこがコールなのか」を聞いておく必要があります。家族にコースを言ったら変更しないでそのコースを歩く。そうすれば万一、遭難したとしても捜索隊に多大な迷惑をかけることも少ないと思います。一人暮らしならばメモで行先を残すのも必要です。

六甲山は携帯がかからない。登山着は原色の明るい服を着る。いくら天気がよくても合羽、ツエルト、非常食は持つ。そうすれば一晩ぐらいじっとしていれば、翌朝自力で下山できるかもしれません。(但し怪我等がなければ)ちっぽけなリュックで雨具などを入れず六甲山に入るのは危険です。雨具は雨の時だけの物ではありません。今日、捜索隊の皆様のご苦労を見て、私達登山者自信がもう少し山の装備に注意をする必要があると痛感しました。

早く救助されますように祈っています!。救助隊の皆様お役目ご苦労様です!。


[2709] 【2792回 最期を迎えるのは病院?自宅?】 2012-02-27 (Mon)

2/25 土曜日のNHKドラマ「家で死ぬということ〜世界遺産白川郷で義母をみとる男のドラマ」

何と長ったらしいタイトルなのでしょう。近頃にない良い番組だったと思いました。ご覧になった人もいるかと思います。いずれ遠からずやってくる自分の最期とダブらせて見ちゃいました。

癌を宣告され余命いくばくもないと聞かされ、白川郷に住む母を娘の住む東京の病院に入院させようとするのですが、母親は白川郷の自宅で最期を迎えたいと言い東京行きを拒否します。娘とは長年、折り合いが悪く、母の東京行きの説得にも帰ってこようとせず、リストラ寸前の夫に1ケ月の長期休暇を取らせ、就職浪人中の息子とともに母親の住む白川郷にしばらく同居しながら、様子を見て東京に連れて帰ろうとするストーリーです。

娘婿は生活を共にしながら機会を見て母親に東京の病院に一緒に行こうと勧めるのですが母親は自宅を離れることに抵抗し続け、それどころか母親との奇妙な生活が始まり、地域の人達の結束の強さや、東京にはない白川郷での自然とのふれあいや、村の風習を見ているうちに母親が自宅を離れたくないと言う気持ちを徐々に理解するようになるのです。

義母は自分が嫁いだ時に姑が村人にヒソヒソと話していた「働き手が増えた」の言葉通り、嫁としてではなく労働力として酷使された話を娘婿に話し、大姑から姑に、姑から嫁に受け継いだ漬物漬けを伝授したり、雪おろしをしたり、牛の世話をしたりと義理へ対する母への愛情を深めていきました。

義母の癌は進行し、とうとう歩くことがままならなくなり、トイレの介助も必要となってきました。娘婿ではどう考えてもお互いが抵抗があり、そんなに愛する白川郷ならば東京に連れて帰ることを諦めて、村にある老人ホームに入れることを義母にも同意してもらいました。

一人暮らしの母親の面倒を何かと気にかけてくれる村のおじさんと老人ホームで出会い、自分の父親も老人ホームに入っていることを聞かされました。村のおじさんの父親は、自宅で最期を迎えたいと希望していたのですが、息子夫婦が自分の介護で疲れ果て夫婦喧嘩が絶えず、これ以上息子夫婦に厄介になると共倒れとなるのを悟り、自分の意思とは裏腹に老人ホームの入居を希望したのです。医者から残りあとわずかの命と告げられた息子は「親父・・家に帰ろう」と最期を自宅で迎えるように勧めるのですが首を縦には振らず「ここが儂の家じゃ」と言い残し病室で息を引き取るのでした。

娘婿は東京に住む妻に電話何度もかけ、母親がそう長くは生きられないことを告げ白川郷に帰ってくるよう説得するのですが、家出同然に東京に出て来たときの母親との葛藤があり、どうしても帰ろうとしません。ある日娘婿が老人ホームに見舞いに行くと、荷造りをし、身づくろいをしてベットに座る義母の姿を見て「お義母さん家に帰りましょう!」と言うと義母は嬉しそうに大きくうなづき退院となりました。

意識のあるうちにホームを退院し最期を自宅で迎えさせることこそ親孝行と車に乗せ、自宅ちかくまで来ると村人たちが「お帰り〜」「ばぁちゃんお帰り〜」と出迎えてくれ、見慣れた風景に歓喜の涙を流します。娘婿に負んぶされて懐かしい家の中をぐるぐると廻ってもらい柱の傷や囲炉裏の煙で黒ずんだ天井を懐かしそうに眺めていました。いよいよお迎えがくると言うとき、夫は東京の妻に電話をかけ「親の死に目より先にしなければならない事は何もない!」と妻を一喝し妻は故郷に向かうのです。

意識の混濁する中で何十年も会っていない娘の帰りを待ちわび、息を引き取る間際に娘との再会を果たし、お互いが手を取り合って心から詫び、母親の希望通り自宅で最期を見送ることができました。通夜の席で娘婿と一緒に漬けた伝統ある漬物を皆にふるまうと「ばぁちゃんの味や〜!」と村人たちが亡き人を偲ぶ・・・久しぶりに見ごたえのあるドラマでした。

自宅で最期を迎えるという事はなかなか実現できないかもしれません。迎え入れる自宅の環境の問題や家族の理解、親族の理解、職場の上司の理解などのすべての協力を得なければできることではありません。私は幸いにも夫の兄弟の無関心に助けられ、私の息子達家族の理解と友人と職場の上司の理解を得て入院先の医師から「あと一日限りの命」と宣告された姑を四万十号に乗せて退院させました。退院後40日余り懐かしさの染み透る自宅で過ごしてもらうことができました。「あと一日限りの命」と言われても、懐かしい自宅に戻れば安堵するのか日を増す毎に顔色もよくなり笑顔も戻りました。その間、食事も喉を通る様になり、ベットの寝たきり生活から、やがて立って歩けるようになり、おむつも外れ、その後、友人の協力を得て時間の許す限り温泉旅行にも出かけられて幸せな最期だったと思っています。本人には確認できていませんが、昨日のドラマを見ていて姑が私に「ありがとう!」と言ってくれているように感じ涙した次第です


[2708] 【2791回 18歳未満は・・・笑】 2012-02-26 (Sun)

「今日は18歳未満は読まないで・・・笑」

3月中旬のポカポカ陽気から、また今朝は一変して洗濯物がゆ〜らゆらと寒い風に揺れています。こんな時に風邪を引き返すのですよ。姪っ子に言わせると、私が紀元節の日あたりに熱を出したのは、まさしく「インフルエンザやで!年寄りは死ぬで〜おばちゃんも気ぃつけや〜!」看護師の言葉とも言えないやっさし〜いメールが届きました。本人もインフルエンザにかかり病院勤務出勤停止5日間を余儀なくされ回復後出勤すると一度感染してしまえば大丈夫だとばかりに「インフルエンザ病棟ばかり廻ってる」のだそうです。病院も院内感染で神経ピリピリしているみたいですね。皆様もお気を付け下さいね。

さてここからは少々成人向けのお話で・・・(笑)
伝記、医療、性的描写の濃い男女関係の三つに大別され『化身』『失楽園』『愛の流刑地』等の作家で医学博士の渡辺淳一氏(87?歳だったと思う)が自分の作品はすべて体験した事しか小説にしないと数々の浮名を流した話をしておられました。87歳にしてどうしてそんなにもお若いのですかと質問をすると「世間の人達は精力増強のために食べ物や薬で補なおうとするがそんなものは必要ない!好きな人と触れ合えばいいのだ」と。何ともお元気な発言!

ちなみに精力増強の食べ物として効果ありと効果なしの食品は下記の通りです。

(×)スッポン
(×)山芋
(○)朝鮮人参
(○)鹿の角

という事で「スッポン」も「山芋」も精力増強には効果がないそうですので無駄な抵抗は止めた方が経済的ですよ。(笑)最近、中高年の男性(芸能人)が30歳〜40歳も若い嫁をもらい「心身、(特に身体)ともに健在なのだろうか」と言う話になりました。渡辺淳一氏は「大きなお世話ですなぁ〜。日本人は間違っている。勃起不能になるとハイ・サイナラと人生終わりの様に言うが、西洋人の様に、手をつなぐだけでも、キスするだけでも、身体に振れるだけでも、りっぱな恋愛だ。」西洋人は何歳になっても愛情表現を忘れないが日本の男性は表現下手のため、少し西洋人を見習わなければなりませんね。

男性の精液が尽きる時「もうこれで一生分は終わり」と赤玉が出ると聞いた事ありますか?(笑)医学博士によると、そんなことはないそうです。これは男性諸君の快楽を戒めるために言われた言葉で赤玉がでたらそりぁ病気だよ〜!そんな人がいたら泌尿器科に急いで行って下さいね。

渡辺淳一氏は小説「失楽園」の印税が100億円あったそうですが「お金とは何か」の質問をしたところ「流砂のごとし」と答えていました。(奥がふか〜い!)

街中で高齢者の方が仲良く手をつないで歩いているのは「お互い転ばぬように杖がわり」かと思っていましたがスキンシップだったのかもしれませんね。微笑ましいですね。今時は老人ホームの中でも恋愛が発生して手をつなぐだけで、好きな人とお話をするだけでも血圧が下がり精神安定に効果があるそうです。アルツで入院中の母親(88歳)が、息子(69歳)宛てに「お母ちゃん結婚するさかいなぁ!」と電話をしてきて「おかんの財産ぜ〜んぶ持っていかれる〜!」と老人ホームにあわてて走ったみたいです。(笑)70歳を過ぎた恋愛なら、入籍とか、同居とかしなくても会いたい時に会う「茶飲み友達」で仲よくしてくれれば息子も娘も微笑ましく祝福できるのですが・・・・


[2707] 【2790回 安物買いしちゃった〜】 2012-02-25 (Sat)

「安物買いの銭失い」と言う言葉があります。安いから得をした気分で買い物をし使っているうちに「アッチャー〜失敗やった!」と気が付くことがあります。消耗品なら百均商品でも笑って済ますことができますが繰り返し使用する物であればちょっと後悔することがあります。

近くのショップで「フェイスタオル1枚百円」の看板を何度も横目で見ていました。在職中は年末のあいさつや新年の挨拶代りにタオルを持参して下さる業者さんが多数ありました。それを集めておいて社員に配布するのをもらって帰ってきたり、銀行で定期貯金の更新時にはタオルをくれたり(今はポケットチィッシュ)結婚、出産、満中陰などの頂きもので充分間に合っていて購入したことはほとんどありませんでした。私は厚手のタオルと薄手のタオルの真ん中ぐらいが好きなんです(理解できへ〜ん)

しかし、ここに来てタオルを一新したいと思い使用中のタオルすべてを雑巾にしました。そこで「1枚百円」のタオルを10枚買って帰りました。一度洗濯し使用してみるとなんとなく違和感があります。顔や手を拭いてもスッキリ感に欠け水分吸収率がありません。その後、ジャ○○高見店のワゴンセールの「1枚200円」のタオル10枚を買ってきました。

使用してみると百円のタオルよりも水分吸収率はいいものの今迄使っていたタオルの感触はありません。値下げをして200円なのではなく   「200円用」に製作されているのだと思います。繊維の質であったり手間であったりコストをそれなりに作られているのだと思いました。昔まだ公設市場全盛時代に姑と市場に行くと、同じ商品で値段の違いで迷っていると「どちらを買うか迷った時は値段の高い方を買いなさい」が口癖でした。高く値を付けているには、それなりに理由があり間違いがないと言う持論でした。

笑い話になりますが昔、ウオーキング協会の納会時にお楽しみバザーを開催していました。その時タオルと言えばジョンが全部競り落としていましたが、高級品が300円(1枚ではありません1箱ですよ!)ほどで、しかもひとり独占で競り落とせたのですからおもしろかったです。(って言うか誰もタオルは必要としていなかったんです)でもいま思えば上手な買い物であったと思っています。

今度からデパートで開催される「中元・歳暮・在庫処分バーゲン」に出かけてみようかしら?きっと高級品が安く買えると思います。


[2706] 【2789回 六甲山の落書き】 2012-02-24 (Fri)

神戸の六甲山に正規ルート外を指し示す「ニセ矢印」がまた増えているそうです。なかには深い森へ入り込ませる悪質なものもあり、ニセ矢印に導かれて道に迷った人もいるそうです。この手の落書きをした人がもし親切心でやっていたら、いたずら以上にタチが悪いです。自分のしていることが法律違反だと知らず、人のために良かれと思っているのだとすれば迷惑な話です。

以下は神戸新聞からの抜粋です

●六甲山の落書きまたも 昨秋以降、登山道で急増
高座の滝の砂防ダムに付けられた矢印の落書き芦屋市、芦屋ロックガーデン 神戸市東灘区や芦屋市を中心に、六甲山の登山道で塗料による落書きが相次いでいる。これまでも赤い塗料が岩に塗られたことがあったが、昨秋ごろからは木そのものへの落書きが急増、50カ所以上で確認された。中には、分岐点に矢印が記され、従うと深い森に迷い込んでしまう悪質な事例もあるといい、環境保全活動に取り組む人らは「ハイカーの安全や六甲山の環境を守るために絶対にやめてほしい」と訴えている。

ガイド付きの登山ツアーなどを企画する「アウトドアプロダクト」によると、落書きの数は把握しているだけでも50カ所以上に上る。 最近は腐った木や生木に緑の発光塗料を塗るケースが目立つ。岩への落書きは薬品を使って消すこともできるが、木の場合、切ってしまうか、劣化するまで待つしかないという。 六甲山は市街地から近く、初心者でも親しみやすいイメージがあるが、登山道から少し外れれば危険も多く、転落事故や遭難が後を絶たない。急増する発光塗料の落書きは暗くなると目立ち、塗料の矢印を頼りに歩き、道に迷ってしまった人もいたという。 落書きのある場所は国立公園に含まれ、環境省近畿地方環境事務所によると、自然公園法に違反し、罰金などが科せられる可能性がある。

▽矢印のマーキングを見つけても従わない
▽分からない道は歩かない
▽地図を持つ
▽コースを熟知した人に同行する
などを徹底し、事故に遭わないようにしたいものです。

「初めて六甲山に来ました!」と言う人は、本物の道しるべとニセ矢印の見分けが付かないと思います。パトロールも強化していますがイタチごっこだと関係者は嘆いています。

何かのはずみで遊歩道を外れてしまい、道を探し回ってるときに見つけてしまったら、まさかそれが偽物だと疑わないと思います。私達は以前「救助のための呼称」を目的とする看板をホワイトフェイス、A懸岩、ブラックフェイス、キャッスルウオール、岩梯子に取り付けました。いたずらとは程遠い立派な看板であったと自負しています。クライミングをしていると「ここはどこですか?」と度々聞かれることがありました。万が一怪我をして救助を求めるにも現在地の名称がわからなければ救助に時間がかかり生命の危険にさらされます。

そんな思いで取り付けた看板もゴミ同様に撤収されてしまい現在残っているのはA懸垂岩だけとなっています。過日は登山者が看板をバックに記念撮影をしていました。(ちょっとうれしかったよ)環境省さん!通過地点の看板は救助のために必要です。せめてホワイトフェイス、A懸岩、ブラックフェイス、キャッスルウオール(岩梯子は付いている)に名称看板がいるのではありませんか?そう思います。


[2705] 【2788回 わが町此花】 2012-02-23 (Thu)

「どうなってんの正連寺川工事?」

此花に流れる正連寺川を埋め立てて既に10年が過ぎようとしています。川底から出るヘドロの匂いに悩まされ、一体いつになったら完成するのか、いやいや、その前にいったい予想完成したらどうなるのかさえハッキリとわからない。詳しくわかっているのは府市会議員さんと一部の町内会の役員さんだけかもしれません。区民としては自分の町がどうなっていくのか知りたいと思います

慢性的な交通渋滞を解消するために高速道路を作るのが目的で始めた工事、高速道路を通せば排気ガスで町が汚れ人体への影響はどうなるのか区民としては生活環境が守られるのかどうか不安です。

自動車交通の流れを改善するため、平成13年から淀川左岸線は、阪神高速5号湾岸線(北港ジャンクション)と阪神高速3号神戸線(海老江ジャンクションとを結ぶ、延長5.7kmの自動車専用道路、正連寺川を埋め立てて大がかりな道路工事が始まったのです。

東西交通軸の強化と正連寺川の埋め立てが望まれていました 。 18世紀に開削された正連寺川は、舟運の減少や環境の向上などを理由に、昭和39年以降、埋め立ての要望が出され舞洲・夢洲・咲洲では、都心との連携を十分に保てるよう、東西方向の交通軸の強化が求められてきました。つい先日 舞洲・夢洲・咲洲をドライブしましたが何と路上はトレーラーの不法駐車場と化し、一車線しかない道路を埋め尽くしているのに唖然としました(この工事で解消されるとは思いませんがひどすぎます)

正連寺川の長期間の工事も少しづつ形となりつつあります。わが町高見町付近では高速の橋桁が頭上にお目見えしはじめました。排気ガス問題は解消するのでしょうか。完成すればトンネル部分を車が走り、上の部分は緑地公園にする計画もあるそうですが私が生きている間に見ることができるのでしょうか。とにかく長い工事です。


[2704] 【2787回 リーダーは体調不良】 2012-02-21 (Tue)

「リーダーは体調不良が続いています」
20日月曜日、めまいの収まらないジョンの付き添いで尼崎の病院にいきました。予約済みの皮膚科は簡単に診療が済みましたが耳鼻咽喉科は予約外の受付のため、かなり待たされることを覚悟の上、待合の椅子に座ろうとしたら何と耳鼻咽喉科を受診に来たと言う私が以前勤めていた会社の社長さんと出合いました。退職してからはじめてのお目通りです。

挨拶を交わし、加齢とともに体にガタがきていること等を話し、社長さんの診察券を見せてくれました。その日は「耳鼻科、神経内科、腎臓科、内科」の診察待ちをしなければならないこと、そして待ち時間が惜しくてどこか早く見てくれる科がないか終始、神経内科、腎臓科、内科などを移動されておりました。

私達サンデー毎日組は「病院に行けば半日かかる!」と覚悟をして受診していますが現役の方達は待ち時間イライラがつのるのですね。血圧が上がりそう・・・!

ジョンのめまいについては「もう治らない!完治はない!」と言われました(かっわいそう〜!)磁石の関係でめまいを引き起こしているため投薬効果も無いしお手上げ状態みたいです。どなたか同じ症状を体験された方がいらっしゃったらアドバイスをしてあげて下さい。お願いします。

健康に自信がないと何をしても気力が失せてしまいます。「さぁリュックを背負って山に出かけましょう!」と言ったとしても楽しく前進できないと思います。「心身ともに元気である」という事が何よりも大事であるという事を付き添いの身ながら学びました。

病院から戻ると「住所が書いてない葉書がポストに入っていました。お母さん届けてくれたのですか?」え〜っ?届けるくらいなら葉書出さないよねと言いながら原因を追究しました。じつは孫たちが「プッスン〜」と走行中、突然停車する四万十号に乗り合わせてかわいそうだと言い、「お年玉でばぁちゃんに車を買ってあげたい」と小さな胸を痛めていたので新車のイラストを描いて「新しい車買ったよ。もう心配いらないよ」とお知らせの葉書を出したのです。テプラテープを使い、住所・氏名を貼りつけたので、住所だけ剥がれたみたいです。しかし郵便番号を正確に書いていれば、ちゃ〜んと届けてくれるのですね。その葉書には差出人のところには「ばぁちゃんより」としか書いていませんでしたので配達できなければ迷子になるところでした。日本郵便はすごい!(笑)


[2703] 【2786回 泣き寝入りはアカン!】 2012-02-20 (Mon)

土曜日、ジャ○○高見店でキューリを1パック買いました。いつもは少し高くつきますがバラをよ〜く吟味した上でカゴの中に入れるのですが当日のバラのキューリは品祖に見えたためパック入りを買いました。家に帰り、いざ調理をしようとパックを開けるとヌリュヌリュッとして使い物になりません。外は小雪がパラつき寒いので諦めようかと思いましたがタコ酢にキューリ抜きとは何ともおかしいです。いつもはレシートをもらったら袋詰めの台の下にあるゴミ箱の中に捨てるのですが、たまたま今日は持ち帰っていました。交換してもらうのにレシートは絶対必要です。正当なクレームであってもレシートが無ければ交換してもらえません。

サービスカウンターに行くと「交換いたします」との事。先日も腐ったミカンを交換したばかりです。商品管理責任者の人と話がしたいと告げ、担当者がサービスカウンターにやってきました。やはり「交換いたします」と即答でした。そんな問題と違うでしょう!と言うと「沢山ある商品の中なので回収し忘れました」とも言いました。プッチ〜ン!爆発〜

店側はたくさんの商品であっても客の方は、せいぜい買って1パックです。午前9時に開店して間もない午前10時に買い物に行っており前日の残りの商品チェックがズサンであることを指摘しました。「では奥から出してきます」と1箱りっぱなキューリを出してきました。古い商品が売りつくせたら次を出そうとしていることが見え見えです。

クレーマーと思われても嫌なので(もう既にりっぱなクレーマー?)新しくキューリを交換してもらうことにしました。1本68円のキューリ3本差し出すので「私は248円のキューリを買ったのですよ!これで計算合いますか?」商品管理者と私の会話を見るに見かねたサービスカウンターの女性が1本追加をしてくれ何とか収拾することができました。しかし沢山の商品の中なので腐っていても仕方ない、交換すればチャラと言う店の姿勢はがまんできません。

改善がなければ今後も同じ様な問題が生じると思います。レシートはしっかりと家まで持ち帰るようにしなければと思っています。


[2702] 【2785回 雪山の遭難】 2012-02-19 (Sun)

『雪山でのテント泊を多いに体験しておくことが大切です。
危険な雪山に行くのをやめるのか、雪山の良さを求めて危険を回避しながら行くのか』

とアドバイスを受けて私なりに調べてみました。まだ雪山のテント泊の経験はありませんが、起こりうる危険を回避するために身につけなければならない11か条です。

@滑落・転落
雪山で起こる事故の中で最も多いと思われます。雪の斜面で滑落したらすぐに滑落停止しないと、あっという間にスピードが出て、そのまま谷底へ・・・。外傷は酷くても岩に引っかかって止まればラッキー!。富士山のような斜面ではよって、下で発見された時には衣服すらも剥がされ裸になってしまうそうです。単なるスリップのほかに、パンツの裾にアイゼンを引っ掛けたり、強風にあおられたりするものが考えられます。


A悪天候
山での悪天候の恐怖は説明も要りません。気軽な気持ちで雪山に入ったら、死を覚悟してください。装備と経験。装備をそろえるのは最低限のことです。しかし、その装備も使い方がわからなければなんの役にも立ちません。あとは、天気を読めるようになること。天気が崩れそうなら山に入らない。当たり前!(入山前の悪天候は中止などで回避しています)

B雪崩
両足が固定されているスノシューを履いていて、下半身が埋もれると、1人で脱出するのは困難。雪崩に遭遇しそうな斜面に入らないこと。そのためには雪崩の原理と性質を良く理解してなければなりません。「雪崩のことを勉強すれば、するほど山には入れなくなる」と聞いたことがあります。なにも知らないことはもっと怖いことです。

C落石
厳冬期には岩の間の水が凍って膨張し、岩を砕き不安定にします。春になって、氷が溶けると必ず落石は起こります。また、雪上の落石は音がしません。 雪の上に岩がごろごろ落ちていたら、そこは落石の多発地帯です。すばやく通過するようにしましょう。石が直撃したら、まず助かりません。落石を誘発してしまったり、発見した時は、すぐに「ラークッ!」と叫んで、まわりの人に知らせるようにしましょう。(落石を避けるため、突如不用意な姿勢を取ったため裏妙義で脱臼をしました)

Dスノーブリッジ
雪に覆われている沢も、その下にはゴーゴーと水が流れています。この水によって沢の中央部分はアーチ状に雪が薄くなっています。そこに落ちてしまったらザイルがあったとしても救出は困難でしょう。沢の中央は危険、端は両岸からの雪崩や落石の危険性も高い。沢はどこも危険ということです。(雪の下の水の音・・聞いたことあります)

E雪庇
風の吹き抜ける尾根の風下側には雪庇という雪のひさしのような物ができます。そのひさしの下は、空洞ですからその上に人が乗ったりしたら、ひさしごと崩れ落ち滑落します。また、気温の上昇等で自然に崩落することもあります。(白馬岳登山で見ました)

F凍傷
雪山は寒い!。(当たり前〜!)寒いと血液のめぐりが悪くなり凍傷になります。凍傷になりやすいのは、ほほなどの肌の露出している部分と手や足などの心臓から一番離れている部分。足の凍傷は、登山靴のヒモの締めすぎからも起こるので要注意です。

Gルートロスト
視界が悪い時はルートを失いやすいです。雪山では「ホワイトアウト」と言って、ガスと雪によってすべて真っ白になってしまうそうです。視界が悪いと登っているのか下っているのかさえもわからない錯覚に陥るそうです。(武奈ヶ岳登山中に5分ほど前に登って行った登山者の足跡が消えていました)

H突風
突風と聞いても、あまりピンとこないかもしれませんが、山での突風は、ひと1人なんか簡単に飛ばされてしまうくらいの破壊力があります。とくに、富士山などの独立峰では風は強いです。突風は慣れれば、音などからある程度予知できます。また、間隔をおいて来ますから、突風が吹いているときは対風姿勢をとって風がおさまり次第、行動を開始するようにしましょう。(根石岳で参加者全員ロープで確保して登りました。あれは強風地帯だと知っていたために回避できた事であって突然にあおられると転倒・滑落も免れないと思いました)

Iクレバス・クラック
季節が春に向かい、雪は安定すると同時にその雪解けによって、雪面に亀裂が入ることがあります。斜面の上から見ると、この亀裂は見えにくく、雪崩の前兆とも考えられますから近寄らないようにしましょう。

Jツリーホール
樹林帯は雪が溜まりやすく、木の幹のまわりは空洞になっています。あまり木に近寄りすぎるとその穴に落っこちてしまいますから注意です。(尻ソリで方向を間違いズボッとはまったことがあります。骨折や捻挫に注意ですね)

「無事に自宅に帰ってこそが登山」だと思っています。裏妙義での脱臼は防げなかった事故で回避していなければ落石で命を落としていたと思っています。傷病者であった私が今後サポーターとしてそんな場面に出合った時は脱臼体験を無駄にすることのないように肝に銘じておきたいと思っています(そんな日が来ない方がいいのですが・・)


[2701] 【2784回 止む得ない変更】 2012-02-18 (Sat)

18日は小女郎池へスノーシューに行く予定でした。しかし天気予報を見ると土曜日・日曜日の山間部は荒れ模様、しかも大雪警報まで出ています。参加者のみなさんに連絡を入れて急遽18日は中止としました。悪天候がわかっていて、突っ込む事もあるまいと言う判断です。吹雪いてしまうと「つらかった」と言う印象が大きくスノーシューのイメージダウンになります。スノーシューとはこんなにも楽しいのだと味わうには晴天の日を予測して代替日を決めたいと思っています。安全性を最優先し「中止」、悪天候の時は家でおとなしく家事に専念するのがよろしいかと思います。寒くても吹雪かなければ雪山を存分に楽しむことが出来るのですが、吹雪くとコースによっては足跡さえ風で消されてしまい遭難の危険性も出てきます。無理は禁物ですね。

悪天候時には交通機関(バスやロープウエイ)がストップすることもあります。せっかく志賀駅で下車したのに・・・折り返す羽目にならないとも限りません。

(Q) 吹雪いて万が一遭難したらどうすればいいのですか?
と言う質問が載っていました。その中の回答の一部に

(A)最初から行かなければいいのです。そうすれば絶対に遭難しないし、心配する必要もありません。他人に迷惑をかけるな。君子は危うきに近寄らないものです。

と言うのがあり危険だと感じれば行くな!と書いていました。(な〜るほど)

今朝はまぶしく光る太陽で目覚めました。「えらいエエ天気やないの〜これやったら中止せんと行けたんちゃうか?」と思わせるほどのおだやかなガラス越しの日差しです。テレビをつけ天気予報を見ると午後から大荒れになるそうです。下界の天気とは裏腹に山頂付近は予想もつかないほどに変化します。

会社勤めの頃は「土・日しか休みがないから・・行こう!」と少々の無理を押して出かけていましたが現在は「サンデー毎日」の身。天気になるのを待ちましょう!と是が非でもと言う気はなくなりました。


[2700] 【2783回 やっとこさ!決断!】 2012-02-17 (Fri)

去年から検討中の車の入れ替えにやっと決断をすることに致しました。ホンダフィット(赤)という車種で軽自動車より少しだけ大きくなりました。車庫が狭く欲しい車ならなんでもと言うわけはいかないのです。死ぬまであと5年乗れるとしたら少しでも早い方がいいのではと検討を重ね、まずは営業マンに同じ車種を車庫に入れてもらうことにしました。

右に切り、左に切り前後に出たり入ったり切り替えし何とかシャッターがおりました。しかし我々も車庫入れにこんなに時間がかかると出し入れがおっくうになります。もう少しスムーズに出し入れをする自信をつけるためレンタカー屋さんでホンダフィットを借りて舞洲・咲洲などを走り感覚を掴みました。前後左右少しだけ大きくなりましたが運転には支障がないようです。

レンタカーで、いよいよ車庫入れの練習です。保険をかけていますので側壁で傷を付けることを覚悟で、車庫入れの練習を繰り返しました。コツさえ覚えれば何とかなりそうです。レンタカー返却後の、その足でホンダに立ち寄りGOサインを出し新車購入の手続きを終えました。その後は購入価格の交渉、オプションの追加、書類の作成などのすべての手続きを終えて3月末日か4月初旬には「真っ赤なポルシェ」とはいきませんが「真っ赤なフィット」が我が家に嫁入りしてくることになりました。

私の最後の大きな買い物だと思っています。四万十号も10年間よく働いてくれました。東北への旅、故郷・四万十への里帰り、走行距離「64,511q」ほんまに感謝しています。後部に貼った「四万十川」のステッカーを旗印に、普通車に負けないくらい頑張りました。「よく走ったね!交換日まであと少しガンバレ!」と声をかけ励ましながら走ることにします。だって・・・ご機嫌そこねてエンストなんてことになると下取り価格に影響してきますからっ!(笑)

安全運転に努め、快適なライフスタイルをあと5年無事過ごせますように〜!(身体機能の低下する70歳の切り替え時には免許の返納を考えています。)


[2699] 【2782回 会場は高齢者で満杯〜!】 2012-02-16 (Thu)

本日から確定申告の受付が始まりました。事前に税務署に伺い要点を聞いていたため区役所での手続きはスムーズに行くと思っていました。受付日初日なら空いているだろうと午前9時に出かけてみました。窓口処理中の番号は14番、対処する係員は2名、私の番号札は82番、み〜んな高齢者の方たちばかりで、ひとりにかかる時間も質問も長〜い(橋下市長は〜ん!いっそのこと年金受給者からの市民税徴収を免除にしたらどや?)こりぁあ夕方まで待っていても無駄な時間だと悟り諦めて退散し出直すことにしました。

「初日は空いているやろう」は私だけでなく、だれでもが思うことなんですね。中には係員2名では少ないと苦情を言っていた人もいましたが今年から公的年金400万未満の人は申告不要となっていますが医療費控除を受けるには、やはり今まで通り計算をして還付なのか支払なのかの試算をしなければなりません。ややこしい手続きを思うと会社勤めの「天引き」制度は便利ですね。

まぁそれにしても1年間の医療費支払の多いこと!(ほとんどがポチ!)健康ならばこの金額が全部お小遣いになるのかと思うと、勿体ない気もします。カラビナが何個買えるのかしら?登山靴が何足も買えてお洒落なウエアーが何着も買えるよ。「元気が一番!」つくづくそう感じています。風邪引きで病院にかかり検査などが加わると1万円札にヒラヒラと羽根が生えて飛んで行きます。しかし病気の時は医師の診断を受けると不思議と治った気がするのです。完治したら次こそは健康に充分気を付けようと心に誓うのですが・・・

知り合いの保育所の園長先生に「風邪が流行っていませんか?小学校は学級閉鎖が続出しているようですが?」と聞くと「大丈夫ですよ。私達は園児の手洗いやうがいに時間をかけて指の隅々まで洗うように指導しています」とのことでした。ちなみにこの保育所では風邪ひきで休む園児はいないそうです。やはりインフルエンザ予防には「手洗いとうがい」が最適の様ですね。

子供の頃、庭の片隅に金柑の木があり小さくて硬い実をつけていました。種ばっかりで、酸っぱくてまずくて誰も食べようとしなかったのですが母親は金柑を収穫し甘露煮にして喉に良しと、私達に甘い汁を舐めさせてくれ、金柑の実は「風邪予防薬」として私達に食べさせてくれました。美味しかったこと〜!スーパーで金柑を見ると、母の作った甘露煮が懐かしくなりつい作ってみたくなります。傍らに「金柑の甘露煮」の完成品が売っているのですが母の味とは全然違います。大粒で甘ければ行動食のミカンの代わりに生の金柑も美味しいですよ。

土曜日・日曜日はまた一段と寒さが厳しくなりそうです。吹雪いてなければスノーシューを存分に楽しめそうです。前回持参し忘れて頬が凍てつき状態になったので今回は「目ざし帽」を忘れずにリュックにいれました。これで準備完了で〜す!


[2698] 【2781回 思い違い】 2012-02-15 (Wed)

 「ネリカンブルース」なる歌をご存知でしょうか?

♪♪
1.人里離れた 塀の中 この世に 地獄があろうとは
  夢にも知らない 娑婆の人 知らなきゃ おいらが教えましょ

2、身から出ました錆ゆえに 嫌なポリ公にパクられて
  手錠かけられ意見され 着いたところは裁判所

3、青いバスに乗せられて 揺られ揺られて行く先は
  その名も高き練馬区の 東京少年鑑別所

幼いころにラジオから流れるこの歌を聞いたことがあり、鑑別所とは世にも恐ろしい所なんだと63歳の今の今までそう思っていました。雨の2月14日、大阪少年鑑別所へ研修に行ってまいりました。平成17年に建て替えられ清潔感があり落ち着いた雰囲気の場所(堺市堺区)に建っていました。「ネリカンブルース」の歌から受けるイメージとは天と地ほど違いました。ひょっとして私と同じ勘違いをしている人がいるかも知れませんので(ゴメンそんなことはないですよね私が無知だったんです)

今日は大阪少年鑑別所の説明をしたいと思います。パンフレットには家庭や学校で困っていることがあれば気軽に相談に来てくださいと書いていました。非行問題を中心に、青少年の問題に関する悩みの相談を臨床心理学の専門家が対応してくれ秘密は固く守られています。

●少年鑑別所とは
少年鑑別所は、主として家庭裁判所から観護措置の決定によって送致された少年を収容するとともに、その心身の状態を科学的方法で調査・診断し、非行の原因を解明して処遇方針を立てるための法務省管の施設です。大阪少年鑑別所は収容人数250名、職員数80名、日本最大の収容人数で大阪府全域を対象としています。

1ケ月の鑑別所収容の間に「行動観察・心理検査・鑑別面接・集団テストなどを経て審判が下れば少年院送りあるいは保護観察付きで家庭に帰るなどの処遇が実施されます。鑑別所は「教育するところではなく、生き方を学ぶところ」だそうです

少年たちの1日
07:00 起床
07:30 朝食
08:30 清掃・日課準備
09:00 健康診断・診療・集団テスト・運動・講話・面接・調査・面会・読書など
11:30 昼食・休憩
13:00 入浴・図書貸し出し・面接・調査・はり絵・読書など
17:00 夕食・休憩
17:30 学習(日記記入)
19:00 テレビ視聴(チャンネルは職員がコントロール)
21:00 就寝

規則正しい生活をすることで、荒れていた心は落ち着き、更生後は再犯で舞い戻ってくる少年は2割にも満たないそうです。警察ルート、地域ルートから入所し、なかには親からの虐待を受けて心身ともに不安定な少年には「箱庭」というプレイルームで不安要素を取り除きながら診断をするりっぱな部屋もありました。人間ドック的な役割・・・それが鑑別所なのです。


[2697] 【2780回 雪山遭難相次ぐ】 2012-02-14 (Tue)

読売新聞 2月13日(月)から抜粋です

●12日午前10時半頃、長野県茅野市の八ヶ岳連峰・赤岳の標高2450メートル付近で、埼玉県の男性(60歳)が倒れているのを登山者が見つけ、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は多発性外傷。茅野署によると、この男性は11日に1人で入山していたそうです。

●13日午前7時半頃には、長野県大桑村の中央アルプス空木岳と赤椰(あかなぎ)岳の中間付近の稜線から約300メートル下の雪上で、県消防防災ヘリが男性を収容した。木曽署によると、34歳の男性とみられ、心肺停止状態。仲間2人と登山中に滑落し、仲間が11日夕に110番したそうです。

●秋田県仙北市と岩手県雫石町にまたがる秋田駒ヶ岳では12日午後、下山中だった岩手県八幡平市の無職男性(61歳)から「沢に落ちたようだ」と110番があった。捜索隊が13日午後0時25分頃、雪の上で横たわっている男性を発見したが、呼びかけに応じないそうです。

私が武奈ヶ岳に出かけた時に感じたのですが、麓が晴天であっても山頂の天気は吹雪いています。ましてや2000m級の山々では予想もつかない天候によるアクシデントが発生します。体調不良、単独行、技術不足など山岳救助隊は自分に見合った山行計画をたてる、ベテラン登山者と一緒の山行をする等を警告し呼びかけています。悪天候であれば救助のヘリコプターも命がけとなります。二次災害の危険性もあります。

武奈ヶ岳登山で御殿山山頂に於いて、一瞬でしたが顔が凍るのではないかと思うほど寒くて震えました。吹雪くとどれくらいの寒さなのか予想もつきませんでした。根石岳では、それ相応の装備をして行きましたので風の恐ろしさだけを体験しましたが寒さに対しては人間の脳は正常な判断ができなくなります。「春まで待とう2000m越えの山」 

また、登山者の不注意による事故も発生しかねません。武奈ヶ岳登山の途中、何組かの登山者と行き交いましたが狭い登山道でスノーシューをリュックからはみ出して横に取り付けている人がいました。身体は交わせているのですがスノーシューがはみだしており、接触してスノーシューに叩かれたら転落します。かと思ったら登山道の上で平気で休憩しているグループもいます。もうあと一歩ルートから中に入ればお互いが気持ちがいいのですが。何とかなりませんか!


[2696] 【2779回 武奈ヶ岳登山】 2012-02-13 (Mon)

13日月曜日から天気は崩れるという事で「よっしゃ今日は天気間違いなし!明日武奈ヶ岳に行こう!」と連絡をもらったのは11日の土曜日でした。ジョンの山岳会の友人から声をかけてもらい急きょ武奈ヶ岳登山に行くことにしました。2月12日・日曜日尼崎駅午前6時30分集合です。

阪神尼崎駅に降りると既に迎えの車は到着しており、渋滞もなく順調に走り坊村手前のトンネルを抜けるとあたり一面真っ白な雪景色でした。坊村の橋を渡った駐車場に到着したら、駐車場には前夜から停車しているのか車の屋根が雪にスッポリと覆われている車も数台ありました。天気のはずなのですが小雪が降り続いており合羽を着こんでのスタートとなりました。何度か訪れていますが駐車場で雪に出合ったのは今回が初めてでした。

御殿山直下に差し掛かると強風と小雪が目に入りつらい登りとなりました。「天気だと思ったのになぁ!武奈ヶ岳は吹雪いてるなぁ」途中で下山する男性がいて「武奈ヶ岳まで行ってこられたのですか?」と聞くと「吹雪いていてとても!とても!」と降りていかれました。とにかく御殿山まで行き様子を見ようと言うことにしましたが、あまりの吹雪に一寸先も見えず楽しい山行は望めないために、御殿山から折り返すことにしました。

登りはツボ足で、下りはアイゼンで、背中に付けたスノーシューの出番はありませんでしたが雪質によってはスノーシューでないと歩けません。これも安全対策ですから「重たい」と言ってはいけませんね。でもリュックの重さは10sはあったんですよ〜。(冬山なら当然だって?だ〜れそんな厳しい事言う人は?正直言えば軽い方が体力消耗せずにいいのですが・・・)

今回の教訓としては吹雪対策の「目ざし帽」は必携です。今回持参していなくてつらい思いをしました。ないときは大きめのハンカチーフでも目の下あたりから覆えばよかったと思っています。アイゼンがうまくはまらず、よくよく見れば登山靴に雪が団子状についていました。靴の雪を完全に落としてからアイゼンはつけたいですね。昼食はごはん系でなくパン類が食べやすいです。帽子やヘルメットの中の頭髪は外気に触れないようにしないと髪の毛がツララになります。詳しいレポートは近日中にアップしますので見て下さいね


[2695] 【2778回 清水の舞台から飛び降り?】 2012-02-12 (Sun)

そろそろ四万十号とおさらばする時期に突入しました。過日、孫の零ちっちを自宅に送る途中の信号待ちの時、横に停車中の車を見ながら「新しい車欲しいなぁ〜零ちっちのパパ買ってくれないかなぁ〜」と冗談話をしていたら、本気で考えているらしく新車のテレビコマーシャルを見て「あの車買ってあげたら、ばぁちゃん喜ぶよ〜」と言ってくれたそうです。ハハハ零ちっちが大人になって買ってもらえるときには爺婆は天国で乳母車に乗っとるわ〜なぁ

新車のフィットを圧倒的に安く手に入れる極意!の技を見つけました。

「新車を買う」、なかなか決断は難しいですよね。我が家の車庫は狭くてフィットがやっと!それでも四苦八苦しないと短時間では入庫できないかも知れません。春までに何度も練習をして自信がついたら「ゴーサイン」を出そうと思っています。長く乗れても70歳の高齢になると身体機能の低下で免許を返納をしなければならない時期がやってきます。身体機能から逆算すれば乗れてもあと5年・・・既に四万十号は老齢化してて動いてはくれないでしょう。人生最大(オーバー?)の、まるで清水の舞台から飛び降りるが如くの大きな買い物です。それよりも何よりも車庫入れで悩んでいる今日この頃なんです。

「新車」の値引きは一体どのくらいなのでしょうか?自動車販売の「からくり」を研究しました。新車を買うということは、現在乗っている車を下取りに出してもらい、新しい車の購入資金に充てると思います。新車そのものの値引きは殆どの場合期待してくれません。値引きの対象は下取りの買い取り額だと言われています。四万十号の下取り価格は「わからない」のです。(誰ですか?ポンコツや言うのは?)

まず年式、走行距離、車体の状態から査定にかけ金額をはじき出します。値引きを要求すると営業マンは「上司と相談しないと・・・」とハッキリした値引き額は提示しないと思います。接客した営業マンの印象がよければ「あまり無理を言ってはかわいそう・・」なんて母性本能をくすぐられちゃいます。特に人の事なら交渉上手の姫でも、いざ自分のことになると、ほんま消極的であきれてしまいます。合い見積もりなんて取りたくないしね、価格交渉って苦手ですもんね。

サラリーマン時代は「地域優先」これが私のモットーでした。わずかばかりの安値であればカタログ注文やネット販売を利用せず地域にある小さな店を大事にする。一度取引を始めたらよほどのミスを犯さない限り業者を変えない。これが住宅地に根を張る企業の基本だと思っていました。今は安ければいままでの絆なんてどうでもいいになりつつあります。いざ自分が大きな買い物をする時・・少しでも安ければいいと走り回る自分がいて滑稽です。


[2694] 【2777回 第3回近畿大会の結果】 2012-02-11 (Sat)

安全教育コンクールに行ってきました。去年のハラハラ・ドキドキさからは味わえないゆったりとした観衆のひとりとして冷静に楽しむことができました。近畿2府4県それぞれの地区大会を優勝しての出場につき、どのチームも気合いが入っています。和歌山県、滋賀県、京都府などはマイクロバスを出しての大勢の応援団です。事前に抽選で出場順は決められており審査の対象は「構成・表現力・現場での活用性・説得力・服装・言葉づかい」で制限時間12分間。11分を切ったり、12分を越えたりしたら減点となります。私達が出場したときは警察官1名と地域推進委員1名となっていましたが今回から推進委員でなくても警察と関わり合っている団体なら出場可能と少し門戸を広げたみたいです。(人数制限なし)以下は出場順出場人数、所要時間と私の採点です。

兵庫県・須磨警察署(9人出場・11分30秒)姫の採点80点
大阪府・池田警察署(2人出場・11分36秒)姫の採点82点
滋賀県・近江八幡署(17人出場11分46秒)姫の採点90点
奈良県・高田警察署(6人出場・11分49秒)姫の採点95点
京都府・上京警察署(7人出場・12分26秒)姫の採点80点−10点(時間オーバー)
和歌山県交通企画課(5人出場・11分43秒)姫の採点92点

私の素人審査は大きく狂い優勝は大阪府池田警察署2位は和歌山県交通企画課でした。おめでとうございました!。審査員の皆様の点数はどんなだったのでしょうか?完璧な発表内容であっても時間オーバーは気の毒としか言いようがありません。何度も練習を重ねて時間内にぴったり、はまっていたはずなのですが舞台の上に上がると緊張で別の世界と化してしまいます。さすが予選を勝ち抜いただけあってセリフ忘れはなかったです。警察関係の方が「大阪は2連勝ですなぁ!去年のパワーをそのまま引き継いでいた感じですなぁ」と言っていたのが心地よく耳に入ってきました。

それぞれのチームは今回発表した教育技能内容をいかに地元で反映するかが大切です。今回の発表だけで終わらないように願っています。私達は優勝後、郵便局の交通安全、高齢者の交通安全、母と子の交通安全、春の全国交通安全決起大会と多くのイベントに出させてもらいました。此花区から高齢者の交通事故が1件でも減るように、また子供たちが交通事故に遭わないための啓発運動にこれからもできることから始めたいと思っています。

大阪府警池田署おめでとう!和歌山県警おめでとう!惜しくも選に漏れたチームも大変よく頑張りました。お疲れ様!


[2693] 【2776回 第3回近畿大会の応援に】 2012-02-10 (Fri)

2月10日は「第3回安全教育技能コンクール・近畿大会」が堺市の警察学校で開催されます。去年の今頃は最後の仕上げとばかりに練習を重ねていました。前日の夜は不安で眠れないため誘眠剤を飲んだことを思い出しています。まるで受験生のような気分でした。

「優勝は大阪府警!」と聞いたときには、応援席に駆け寄り、応援に来て下さった沢山の人達と歓喜の涙を流しました。60歳を過ぎての感動は北鎌尾根踏破の時に味わいましたが、それに匹敵するくらいうれしかったです。その後は優勝だけに終わらず地域のイベントに出演して区民の皆様に交通事故予防を呼びかけました。

コンクールで使用した記念の小道具「ヘリコプター」は舞洲にある施設に展示されており、記念撮影をする人もいると聞いています。舞台の上から観客の皆様の反応を楽しいと思えたのは優勝後の地域での発表の時からでした。制限時間を気にすることなく、審査員の目を気にすることなく、時にはアドリブを混ぜて自由に羽ばたいたことを思い出しています。


今年の大阪府代表は池田署です。私も会場に駆けつけて応援したいと思っています。会場となる警察学校へは事前許可が必要のため、池田署に知り合いがいないので今回私は安全協会の方と一緒に入門させてもらうことにしました。
滋賀県、奈良県、兵庫県、京都府、和歌山県、大阪府代表が優勝をねらって全力投球なのです。選手のみなさんの鼓動が聞こえてきそうな緊張感が伝わってきそうです。

何事も一生懸命努力をすると成果がついてきます。ロッククライミングを始めたころ、登るのは登れたけれど降りるのが難しくズルっ、ズルっと何度も足を滑らせました。「アルプスに行こう思ったら岩場を練習しとかなあかん!」と言われました。目標がアルプスと決まっていたため地道な努力が実を結び岩場通過が「楽しい」と思えるようになりました。そしてアルプスでの岩場との出合いに不安なく通過できるようになったのも日々の練習の成果だと思っています。六甲の岩場を見上げ「あんな険しい岩場なんか登山中にあらへんわ」と思っていましたが山頂直下は岩場だらけです。


では、いってきま〜す。結果は明日のお楽しみという事でね。


[2692] 【2775回 いまさら再就職なんて・・・】 2012-02-09 (Thu)

古くからの知人から「働く気はありませんか?」との電話をもらいました。公の大きな組織の人で私が求職中の身なら飛びついている話なのですが、退職して3年が過ぎ4年目に突入しいる今、サラリーマンに戻るには厳しいものがあります。時代に取り残されている感もあるし、自由な3年間がなくなると思うと到底勤まるはずもなく丁重に断ることにしました。

若者の中では仕事がなく、大学1年生から既に求職活動をし大手では面接に合格すれば3年間のパスポートを発行し、その間、いつでも会社訪問をし企業の持つノウハウを学べると言うところもあります。そして大学を卒業する時期に学生の気持ちに変化がなければ採用となるのだそうです。この制度が良いか否かは別として就職難はまだまだ続きそうです。

私に話があった職場は若者ではなくて私ぐらいの年配の人を求めていたらしく結構なお話でしたが、時間に追われる生活にピリオドを打った現在では、あと何年健康で生きられるか知れない命なので、いまのまま自由に羽ばたいて生きて行きたいと思っています。

ポチの実家の会社の前に「至急事務員求ム」と言う看板がかかっていました。結婚したらポチの実家で同居をする予定でしたので勤めている会社に内緒で面接に行きました。入社が決定したものの勤めている会社に結婚退職を告げると半年ぐらい「ひきとめ合戦」に遭いました。その間、内定した会社がシビレを切らして新しい事務員を採用したのではないかとヒヤヒヤドキドキの半年でした。退職金の代わりに嫁入り道具一式持たせてくれ円満退職後・・・恐る恐る「あのぉ私の席はまだありますか?」と聞くと「待ってたよ!」と総務課長のやさしい笑顔に救われ40年間務めることとなりました(笑)入社後は寮の所在地、文房具屋、社会保険事務所、監督署と地図や言葉で指導してくれたら大丈夫と言う内容でも、自転車に乗り先導してくれました。「手取り・足取り」とはこのことかも知れませんね。

縁と言うのはどこにあるかわかりませんし、昭和40年代だから許されたことかも知れません。いまなら筆記試験だの面接だのとお堅いことを並べて人選します。採用時は学力が優秀でなくても「フツー」の状態で入社し後輩の育成に当たり、部下の指導に当たり一人前にしてこそりっぱな人材が育つと私は思っています。

とにかく最初は手取り、足取りで「そんなこと知ってます!」と言われたり「こんなこともわからんのか!」と言うことであっても一度、二度は教える。失敗を繰り返すなら二度までは「次からは頑張れよ」とチャンスを与える。先輩諸君!若かりし頃、自分が通って来た道であることを忘れないで欲しいです。


[2691] 【2774回 登山での急なくだり】 2012-02-08 (Wed)

先日の新龍アルプス登山の鶏籠山から龍野城跡までの、まっすぐで急な下り・・・、積雪があれば歩かずとも尻ソリで一気に下れるのではないかと思うほどのきつい下りの坂道でした。それもそのはず鶏籠山(218m)地点から龍野城跡(50m)の間、ず〜っとまっすぐな下りっぱなしの登山道なのです。オリオンさんのGPS記録を見ながら当日を振り返るのも楽しみのひとつですね。へばってくると「もう登りはないですよね」と質問をし「山というのは下りもあれば登りもある」と喝をいれられることもしばしばです。急な下りばかり歩いていると登りが来るとホッとします。山はアップありダウンありとバランスの良いのが快適ですね。(そんなに都合よく行かないのも山〜)

いまさら・・・と思いつつもいつも頭の中に入れておきたい事柄は

●登山をするときは足裏全体で体重を受け止めようと意識をして歩く
●無駄な力を使わず体重移動をスムーズに行うよう歩幅は狭く
●重力の方向に垂直に立つ
●山の自然のマイナス要素となる行為を避けて歩く。木の根を踏んだり登山道でないところは歩かない

「登りでは」
@前かがみになるとザックの重みがかかり疲れやすくなるので「前かがみ」にはならない
A平坦地より、ゆっくりとしたペースで歩幅を広くしない
B急な斜面では蛇行しながら登ると疲れにくい

「下りでは」
@少し前かがみで腰を落とし膝でショックを吸収し歩幅を狭くして下る
A体重の何倍もの力が加わるので充分注意をする

新龍アルプス登山中に的場山に向かう手前に長い長い階段道がありました。疲れもピークになっており、足をあげるのもままならぬ状態で、その苦しさから逃げるために「ローリングステップ」を使いました。それまでは一歩登るたびに足が重く感じていたのですがローリングステップで登ると嘘のように足が軽くなります。すぐ後ろを歩いていた靖ちゃんもポチも同じようにローリングステップをしていたそうです。ぜひ「正しいローリングステップ」を習得し長くてつらい登り道で使って下さい。ジョンに「教えて〜!」と言えば現場でいつでも教えてもらえますよ。

私がローリングステップを習い(わが倶楽部全員習得済み)使い出したのは立山の長い長い階段を青息吐息で登っているときです。「今使わないでいつ使うねん?」そう励ましを受け使ったのが最初です。最初はぎこちなく体も安定せずにヨロヨロしていました。会社勤務の頃、1階でラジオ体操を終えて後輩たちがエレベーターに乗るのを横目で見ながら5階までの登りを腰に手を当てローリングステップの練習をしました。スーパーなどで階段を見ると練習を積み重ね、何とか「正しいローリングステップ」の形になりました。

日々練習です。頭に指令を送り込めば自宅の階段でも充分できます。


[2690] 【2773回 何も雨の日にせんでも〜】 2012-02-07 (Tue)

ももちゃんのママの実家から毎年カサブランカの鉢植えを2鉢いただきます。いただくばかりで一度も鉢を返却したことがありません。結婚してから9年が経過しましたので全部で18鉢たまってしまいました(鉢の様子はブログ写真で)

今年のカサブランカ開花時には、せめて空の鉢を返却しようと思い立ち、朝から雨の中をせっせと、土を出して鉢をきれいに洗いました。土は大阪市の清掃局に引き取ってもらうことにしました。「何も雨の日にしなくても・・・」と言われそうですが思い立ったら吉日とばかり片づけを完了しました。(腰いた〜っ!)

家の中の片付けをするには「今日こそやるぞっ!」と少々気合が必要ですね。「明日しよう、いつかしよう」と思っていたらいつまででも片付きません。整理整頓上手は「捨てること」からはじまります。押し入れなどはポチが長期不在中にきれいに片づけました。(笑)片付けた後の押し入れの空きスペースはいまは「オモチャ入れ」と化しています。

玄関横のプランターもナスビやトマトの栽培にフル活用していましたが登山などで留守がちのため水不足で隣の人に迷惑をかけることから、これも撤収し、いまはスッキリしずぎて寂しいくらいです。今後はかわいいお花の小鉢を見ても「買わない!見るだけ!」にしようと思います。種から育てたお花たちの可憐さはよくわかるのですが、主がこうも家を留守にするのではお花たちがかわいそうです。

登山中に見る高山植物は寒さに耐え、雪の重さにも耐えて春になると開花するのですね。この頃では少し花の名前もわかるようになりお花畑の通過が楽しくなりました。

昔から病院のお見舞いと言えば「お花」が多く、病院の前にはお花屋さんがあったのですが最近ではお花を持って行っても看護師詰所でストップがかかります。アレルギー患者さんがいるので花の持ち込みはダメなのだそうです。(病院によっては可能なところもありますが)


[2689] 【2772回 いまさらやけど行動食】 2012-02-06 (Mon)

いまさら行動食について語らなくてもご存じだとおもうのですが・・・行動食は大阪のおばちゃんの「飴ちゃん」と同じく元気の秘訣につきぜひリュックに入れておきたいと思います。行動食とは、3食以外で行動中に栄養を補給する食事のことを言います。登山中に空腹になる前や、バテてしまいそうなときに食べます。最適な行動食は

@ハイカロリー
A軽い
B食べやすい
C糖分を多く含んでいる

これらの行動食はリュックの雨蓋やポケットに入れておき、常に補給できるようにしておきます。食べた後のゴミがポケットから落ちないように工夫をしましょうね。

登山道路には飴の包み紙が落ちており、入山から下山まで拾い集めたら、きっと小さなビニール袋が満タンになるのではないかと言うほどに沢山落ちています。ビニール製ですので環境にやさしくありません。故意に捨てているのではなくてポケットから不意に落ちて気が付かないのだと思います。私はズボンのファスナーのついているポケットの左に入れると決めています。右ポケットにはハンカチが入っていますので出し入れの際にゴミを落とすことになります。

登山中にチィッシュペーパーのゴミもよく見かけます。ティッシュペーパーは雨に溶けないため環境にやさしくありません。本当に山を愛する人は簡易トイレを携行したり、トイレットペーパーを使います(家で使い終わりかけの小さなロールを残し芯を抜いて携行)私は簡易トイレは携行していませんので使用したペーパーは専用のビニール袋に入れて持ち帰っています。どうしても山の中に放置するならばぜひトイレットペーパーを利用して下さい。

登山中に落ちたであろう手袋の片手やタオル、帽子などが枝などに掛けられています。もとの道を帰るコースでなければゴミと化してしまいます。いつだったか登山中に名前を書いたステッキを拾い持ち主に連絡をすると「新しい杖を買いましたので捨てて下さい」とあっさり言われたことがあります。私も最近ウエストバックを落としダッシュで引き返したことがありますが、休憩後スタートする時は全員で振り返って確認するひと手間がいりますね。手袋、ステッキなどよく残っています。

リュックに吊った手袋、タオルなどは木の枝などにひっかかり危険です。リュックの外見は「シンプル・イズ・ベスト」が見た目も美しく安全でスッキリです。


[2688] 【2771回 山は標高で舐めるべからず】 2012-02-05 (Sun)

新龍アルプスに行ってきました。標高は、たかだか500mにも満たない5つの山々ばかりでしたがアップダウンのきつい「アルプスと名の付くだけの事はあるなぁ」と思うほどでした。雨も降らず風も吹かず、時折太陽が顔を出してくれて暖かく「やっぱ天気が一番!」と意義ある登山を満喫しました。

まもなく下山と言う山中で午後5時のチャイムがなりました。三木露風の故郷である龍野市だけのことはあって「あかとんぼ」が流れており、鼻歌まじりで歩が進み皆の心を癒してくれました。ゴールは龍野城です。ここは昔バスウオークで訪れた場所です。オリオンさんが「ここの風景よりも姫さんが赤トンボを頭に付けてガイドもどきをしていた事が思い出す」と言っておられましたが、そんな懐かしい時期もありましたねぇ。

龍野城でミーティングを済ませ、はたと時計を見て「17時40分の電車に間に合うかもしれない」と残っていた体力全部を使い、ヒガシマル醤油の横を通り赤トンボのオブジェのかかる旭橋を小走りし駅に到着したのが2分前、電車はホームに入っていました。それから切符を買って向かいのホームに移動はとても無理と言うことで次発の電車を寒いホームで30分ほど待つ羽目になりました。疲れたの何のって・・・・(や〜だぁ〜)

「フツー」に歩いて駅についてから乗れる電車に乗りたいです。たとえ帰宅時間が少し遅くなっても最終電車でなければそうしたいです〜

途中で「ヘッドライト持っていますか?」の問いに全員が「は〜い」お見事です。いかなる時でも自分の安全を守る登山用品は必携です。ちなみに私はアイゼンを持参していました。重たいっちゃあ重たいですが自分の身の安全を守るためです。使わなかったアイゼンに感謝の気持ちをこめて収納しました。

寝釈迦像はここで言い表すことができませんが神秘的でした。画像で見るよりは自分の目で見る寝釈迦像はスケールが大きくて感動的です。屏風岩と鶴觜山だけの登山でも十分楽しめます。地元の人達がリュックも持たず毎日の散歩がわりに屏風岩を訪れていて大阪からきたと言うと驚いておられました。ここはほんの序盤で今から新龍アルプスに行くと言うと「そりゃすごい!きついから気を付けて。わしらは年金山だけを楽しんでいるんじゃ」と声をかけてくれました。

年金山とは高齢者が多く利用し安全で簡単に登山できる山と言う意味らしいです。地元にこんな素敵な山があって幸せなご老人達で顔の艶もよくまだまだ長生きできそうですよ!


[2687] 【2770回 表層雪崩に注意】 2012-02-03 (Fri)

玉川温泉3人死亡、雪崩40メートル斜面えぐる」事故の様子が報じられました。秋田県仙北市の玉川温泉の岩盤浴場中に、雪崩で3人が死亡。斜面に雪崩でえぐられたような跡があり、テント3張りが3〜4メートル間隔で雪に埋もれた状態で見つかり、1張りが深さ約2メートルの雪の中から掘り起こされ、支柱は折れ曲がっていて3人はこのテント周辺で見つかったといいます。死亡した3人の中の夫はトイレに行っており戻るとテントがなかったと呆然として立ちすくんでおったそうです。雪崩は幅約40メートル、長さ約60メートルにわたって発生し、岩が露出した部分もあり、岩盤浴に使うゴザも残っていました。雪崩の速度は100〜200q(新幹線なみ)、コンクリートをもぶち崩す勢いだそうです。

玉川温泉は国内有数の強酸性で湯治客に人気があり、噴出口近くの岩盤浴にはがん患者が多く訪れているそうです。健康に効果があるという国の特別天然記念物「北投石」も産出。去年も某温泉の露天風呂で入浴中の人が雪崩で死亡していましたが入浴時の「周囲の安全確認」が何重にも必要になりますね。

2011年の9月のことです。立山から穂高縦走の最終日、下山後に新穂高温泉の露天風呂に入りました。大きくそそり出している岩場に恐怖を感じフロントのおじさんに「もし入浴中にこの岩が崩落したらペチャンコやなぁ」と話をすると「大丈夫ですよ」と言われましたがこの大丈夫には何の保障もありません。「いままで大丈夫だったから今日も明日も大丈夫!」と言うだけのことで玉川温泉の旅館関係者も「雪崩が起きるなんて思ってもみなかった」と言っていたのが気になりました。癌治療のために湯治に来られて雪崩で死亡なんて本当にお気の毒な話ですね。

追伸
【2766回 火事?怪我?事件?】の続報です
先日の福島区のマンションの騒動ですが92歳の一人暮らしの孤独死だそうです。ヘルパーさんが訪問予定日にチャイムを鳴らしましたが返答が無く、管理人に相談後、救急車を呼び消防や警察がかけつけた様子です。92歳・・・誰にも看取ってもらうことなく寂しく逝かれたようです。入口の鍵は防犯上大変大切なことなのですが合鍵を管理人さんが管理と言うのは個人情報云々にかかわるのでしょうかね? テレビドラマなどでは、警察の要請に対して管理人さんが鍵束を持っている様子がよく見受けられます。今回は孤独死だけで火災等の併発はありませんでしたが、寒い時期ですのでストーブのつけっぱなしで火災などが生じる場合もあります。せめて一人暮らしの入居者に対しては自治会で相談し安全対策をとる必要があります。私達の住む隣組も同じことが言えると思います。「向こう三軒両隣 笑顔で 声掛け、無事確認」


[2686] 【2769回 地図から消えた送電線】 2012-02-02 (Thu)

最近の電子国土の地図には、送電線が描かれていない んです。気がつかれてましたよね。送電線が分からないと、送電鉄塔もわからない んですよね。(なんか読図のベテランみたいに言うてるけど私ってまだ・・素人です)

送電線や送電鉄塔は登山中、とっても良い目印だから、現在地の把握にも、山座同定にも大助かりなのに、それが地図に書いてないって、どうしてなのか疑問でした。

雑誌『山と渓谷』2011年10月号に掲載された“地形図が危ない”の記事によると、国土地理院曰く、「保安上の理由で電力会社が資料を出してくれない」から地図に描けなくなったんだそうです。テロリストに地図を悪用されて送電線や鉄塔を破壊される怖れがあるからだそうです。鉄塔って麓から丸見えだしそんなことあるのでしょうか?

毎日新聞によると『送電線:電子地形図から消える 電力10社情報拒否」の見出しで地形図の電子情報化に伴い、国土地理院が電力会社10社に送電線や鉄塔の位置について情報提供を求めたところ、全社がテロなど安全上の問題を理由に提供を拒否し、送電線などの表記が最新の電子地形図から消えたことが分かりました。

送電線の記載は、登山などで現在地を確認する際に利用されており、日本地理学会などは掲載の継続を求めています。送電線や鉄塔の記載が消えたのは、国土地理院の電子国土基本図。従来の紙の地形図(縮尺2万5000分の1)に代わるものとして、昨年2月からインターネット上で公開しているものです。

従来の地形図は現地での測量に基づいて作製していましたが、電子国土基本図は航空写真に、自治体や法人などから寄せられた道路や建造物の位置情報を反映させて作っているのだそうです。送電線や鉄塔などは航空写真では確認しにくいため、国土地理院は電力各社に位置情報の提供を求めたところが、いずれも「保安対策上の問題」を理由に提供を拒否されたといいます。

送電線や鉄塔の記載は、登山などの際に現在地を確認するのに非常に役立ちます。テロリストの問題よりも登山者らの生命・安全を優先して欲しいわ!


[2685] 【2768回 わしも族】 2012-02-01 (Wed)

冷たい雨が降っています。昨夜ちっちゃな子供連れの訪問客があり自転車に乗せて来るのですが今日の雨の日でなくてよかったと胸をなでおろしています。雨に濡れてしまうと元気な子供であっても風邪ひきの原因になります。2歳の子供さんなのですが「おばちゃん、お婆ちゃん」ではなく「ヒサダサン」って呼ぶのが妙にかわいいのです。

冷蔵庫を開けると何とか今夜の夕食の材料はありそうなので出かけずコタツ当番をしようと思っています。昼過ぎには雨は雪に変わるそうです。マキノ高原には140センチの積雪があるそうです。今日どうしてもお出かけのしなくてはいけない方はマフラーに手袋、マスクなど着用し雨に濡れないようにして下さいね。

さてみなさん「わしも族」ってご存知ですか?
定年退職をし、時間をもてあます夫が、妻が買い物に行くと言えば「わしも!」、外出すると言えば「わしも!」とついてくるのだそうです。妻はそんな夫に息がつまり、更年期障害の悪化、うつ病などを発病することが多いそうです。

夫婦が健康を維持するには、妻に依存せず夫自身が自立をすることだそうです。うつ病を軽減するには夫を置いて2〜3日旅にでることも必要だそうですが、そのまま別居となることもあるのでご注意を!

夫は、せめて昼食が作れるようにしなければいけないとカウンセリングの先生は言っていました。「どこ行くねん?」「遅かったなぁ!」「何時に帰るねん?」「オレの飯はどうなってる?」などは禁句だそうです。定年退職を迎え妻は急な束縛をうけることを嫌います。(そや!そや!その通り!)

決して粗末に扱っているのではありません。人生二人三脚もいいのですが、60歳を過ぎるとお互いソロで走り出してもいいのではないかと専門家は述べていました。

100歳を過ぎた「最高顧問」の肩書を持ち、いまだに週に一回会社に出かけて仕事をする元気なおじいちゃんがいます。この方の趣味はゴルフで元気の秘訣を聞くと「ゴルフがあるから元気でいられる」とおっしゃっていました。過去に3回のホールインワンをだし今後の希望はと聞くと  「100歳で100の成績でゴルフを楽しむことです」と笑顔で答えておられました。

毎日テレビの前で寝そべる夫も定年直後は「長い間の疲れがたまっていたのか・・・たまにはのんびりもいいかな」とやさしい眼差しで見ることができますが、3ケ月が過ぎ、半年が過ぎ、1年が過ぎると優しい眼差しは変貌してきます。

参加総数300人以上(男性参加者が多い)と言うウオーキング人気も、変貌した妻の眼差しから逃れての結果かも知れませんね。マナーさえ守って歩いて頂ければ健康も維持できていいのかも知れませんね。


[2684] 【2767回 節分について】 2012-01-31 (Tue)

2月3日は「節分」ですね。節分とは季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に、1年に4回あったそうです。ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみを指すようになっていったようです。

豆まきの由来は、中国の習俗が伝わったものとされています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。

豆まきは一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)が豆をまくものとされていますが、家庭によっては家族全員で、というところも多いようです。家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。(63個も食べると腹痛起こす〜!)

豆まきに使う豆は炒った豆でなくてはなりません。なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、鬼を退治した、ということになるわけです。

今年の恵方は「北北西」黙って願いを込めて恵方巻きをたべるのだそうです。いまでは巻き寿司だけではなくケンタッキーフライドチキンでは(ツイスター)、江崎グリコでは「コロン」を切らずに26.5センチのまま恵方巻きとして販売するそうです。商魂たくましい!

「鬼はそと〜!、福はうち〜!」元気に悪を追い出しましょう!


[2683] 【2766回 火事?怪我?事件?】 2012-01-30 (Mon)

福島にある高層マンションの路上に消防自動車4台、救急車1台、パトカー1台が出動しているところに出くわしました。野次馬たちに「何があったのですか?」と私も野次馬に加わり消防隊の活動を見守ることにしました。しかしホースを出す様子もないし、バタバタと隊員は動いているものの消火作業はしていない様子でした。火事ではないんやな。では4台の消防車は何なんやろか?

レポーターとしては寒い中ではありますが隊員の動きを追うことにしました。どうもマンションの5階の部屋に人が倒れているみたいだと無線越しに聞こえてきます。ドアが施錠されていて突入できず隣の部屋の人の協力を仰いでベランダ越しに移っていきました。大声で呼びかけているものの返答なし、次はベランダの大きなガラスの窓を金槌のようなもので叩き割り開錠した様子です。2人、3人と中に入り倒れていた人を確保した様子でした。

私の知人で80歳くらいの一人暮らしの男性がいます。その方は家にいるときには鍵をかけず、外出時だけ鍵をかけて出かけます。理由を聞くと「家の中で倒れた時ドアに鍵がかかっていると迷惑がかかるでしょ。強盗に遭う確率よりも倒れる確率の方が大きいので家にいるときは昼でも夜でも鍵はしない」のだそうです。

一人暮らしの方には時々電話で安否確認が必要ですね。この間、亡くなった恩師に元気かどうか電話をすると決まって「まだ生きていますよ!」と冗談を言っておられました。なつかしい声も聞けなくなり寂しいです。


[2682] 【2765回 下調べの楽しさ】 2012-01-29 (Sun)

2月4日の新龍アルプス登山の下調べをすることにしました。当日トップを仰せつかった場合は、知らないより知っていた方が自分自身が戸惑わないと思って調べています。駅を降りて橋の下には揖保川が流れていて天然記念物屏風岩があり・・・と既に登った気分になるから不思議です。

屏風岩から見る寝釈迦も楽しみのひとつです。写真でみると本当にお釈迦様が寝ているみたいに見れて思わず合掌したくなると書いていましたが実際に見ると私もそうなるかもしれませんね。屏風岩から見る寝釈迦は「頭は鶏龍山」「胸は的場山」「お腹は佐野山」あたりだそうです。楽しみです!

東觜崎駅(ひがしはしさきえき)で下車し、鶴觜山をめざします。これは屏風岩から寝釈迦を見るために登るため、寝釈迦の全容を見たら鶴觜山頂上を踏まなくてもいいように思いますが、それはリーダーが決めることですので当日の指示に従いたいと思います。

寝釈迦を見たら、もと来た東觜崎まで引き返し、車道を45分ほど歩くと派手なアーチ看板があり馬立登山口に到着です。汗をかかないようにゆっくりと登り、祇園嶽分岐から亀山をめざし(亀の池には行きません)亀の形をしている亀石の横を通過し、的場山、鶏籠山を経てJR本竜野駅でゴールとなります。

所要時間はおおむね(標準5時間)10時から歩き始めたとして午後4時にはゴールできるのではと思っています。日蔭などは積雪などがあるかも知れませんので軽アイゼンがあれば安心かもしれませんね。安心の道具は「重たい」と言わないことです。使わなくて済むにこしたことはありませんが人それぞれに恐怖感が違います。ポチはビビリマンですのでこれを読むときっと軽アイゼンを用意すると思います。

●参考コースタイム〉…山渓記載分引用

JR東觜崎駅(15分)觜崎橋東詰
觜崎橋東詰(20分)屏風岩山頂
屏風岩山頂(15分)觜崎橋東詰
觜崎橋東詰(45分)馬立て登山口
馬立て登山口(40分)祇園岳分岐尾根
祇園岳分岐尾根(20分)亀 山
亀 山(1時間15分)的場山
的場山(35分)鶏籠山
鶏籠山(35分)JR本竜野駅

「亀」や「鶴」の山名も縁起が良く新春にふさわしいコースだと思っています。さぁ!これでみなさんイメージが膨らんだことと思います。どなたがトップに歩いても大丈夫です(但しこれを読んでもらわないと話になりませんなぁ)



[2681] 【2764回 互礼会は大盛り上がり】 2012-01-28 (Sat)

1月27日の互礼会第二部の私の担当は、おかげさまで多いに盛り上がり楽しい時間を過ごすことができました。会場の中の「さくら隊」の協力もあり一人で参加されている方達も退屈することなく笑顔で帰っていただけました。最後に全員で合唱した替え歌もマンネリ化しつつあるクイズ大会に新風を吹き込んでくれてみんなが「オモロかった」と言ってくれました。お世辞でもうれしいものです。

♪♪
人生楽ありゃ苦もあるさ 不景気みんなで吹っ飛ばせ
此花 無事故で突っ走れ 安・管 スクラムがっちりと

人生勇気が必要だ マナーの悪い奴 注意しろ
誰かが言わなきゃ 良くならぬ 此花安管 今日も行く

バスウオークでは、いつもみんなで歌っていたのですが真面目な企業のお偉さん達にとっては新鮮だったようです。しばらく「ガイドもどき」や「歌のおばさん」から遠のいていましたので脂汗をかいていました。でも、この緊張感・・私は嫌いではありません。背筋がピーンとするのです


互礼会の席上で「出初式の帰りに自衛消防車が横転したらしいで〜!」の情報を耳にしました。28日の朝のニュースでも報道されており事実であることが確認されました。

此花区の大手企業には「自衛消防車」なるものを常設しており自社での火災事故は消防署に通報と同時に自衛消防車で
消化活動をするという訓練をしております。出初式では企業の消防車を持参しパレードをするのです。私が勤めていた会社は自衛消防車は常設していませんが自衛消防隊を結成しており、出初式には自衛消防隊としてパレードに参加をしています。

出初式を無事終えて西九条から春日出の会社に戻ろうとしたとき横転したのだそうです。運転していた人や同乗者に怪我はなかったそうです。


[2680] 【2763回 スーパーからR1が消えた?】 2012-01-27 (Fri)

インフルエンザをはじめとした風邪のシーズン真っ只中です。学級閉鎖なんて言葉もちらほら聞こえてきます。零ちっちのクラスは学級閉鎖、ももちゃんはおたふく風邪と子供なら一度は通過する道をまっしぐらって感じですね。でも今ではすっかり元気になって寒さ知らずで飛び跳ねているそうです。おまけにジョンも風邪でダウンとか・・みなさんも気を付けて下さいね。

テレビで「R1ヨーグルト」なるものが佐賀県有田の町でインフルエンザ予防に一役買っていると報じられていました。医師や自治体が主体となって取り組んで成果も出ているとの事でした。幼稚園や学校では給食時に毎日1本飲ませているそうです。ヨーグルトは整腸剤効果ありとは知っていましたが風邪予防にもいいんですかね?

しかしこれは長い期間飲用することでジワジワ効果が出るもので、じゃあ早速と飲用しても今年のインフルエンザには間に合わないと思いますよ。まず外出からかえったら「うがい、手洗い」です。手洗いもゴシゴシと、指の間も念入りに洗わないと効果が薄いです。私は夜、入浴後に色々と片づけしたり、洗濯して干したりしていましたが、入浴後は温まった部屋のベットに即入ることにしています。こうすると夜中のトイにも起きることなく足もポカポカしています「湯ざめ」これが風邪引きの原因かもしれません。風邪を引いたら寝る!これが一番!

子供のころ、風邪をひくと母親が急にやさしくなり葛湯に似た飲み物(片栗粉に砂糖を入れてお湯で溶いた温かい飲み物)を作ってくれました。火鉢はありましたが暖房もなくコタツもなく家のあちこちからは隙間風が吹いていました。アカギレがひどくなると父親が火鉢の中の火箸の先にメンソレタームを溶かし擦り込んでくれました。病気をしたり怪我をすると両親が急にやさしくなるんだと・・懐かしい思い出です。いまはアカギレや青鼻垂らした子供たちっていませんねぇ。


[2679] 【2762回 互礼会】 2012-01-26 (Thu)

互礼会とは一同にみんなが集まり新年のあいさつを交わす初春の行事であります。私の所属している会は、皆様が地域の各団体の役員等を引き受けていて、重複しないために2月の声を聞く頃に、ゆっくりと始めるのが恒例となっています。

そんなわけで1月27日に互礼会に出席することとなりました。各企業からひとり参加のため、あまり横のつながりがありません。そのため第2部の親睦会でクイズをして会場がひとつになり、一人で参加をしても退屈しないように工夫をしています。発足以来、第2部の親睦会の進行係を私が仰せつかっていましたが、シメシメ・・・今年は依頼がないと安心していたら(だってゆっくりご馳走食べれないんですもの)前々日になって依頼の電話が鳴りました。

同じ人間がやると、少しマンネリ化してきた傾向もあるので、別のメンバーで活性化してはどうかと提案するも、マンネリ化していないと言い切られ、引き受けることにしました。さぁ、ここからが大変です。クイズ集はあるのですが去年どれを使ったのか、おととしどれを使ったのか全く記憶にありません。私に記憶がないと言うことは、酔っ払っている参加者の皆様も記憶にないはずなのですが2012年バージョンを考えることにしました。クイズが大切なのではなく前に出て「企業の名前を覚えてもらう、顔を覚えてもらう」事を目的としています。

全部で60問、2012年バージョンに加えて、ご当地クイズ「北海道から沖縄まで」の問題で、誰でもが答えられる三択を選びます。回答者によってはご当地の歌を歌ってもらおうと思っています。歌をお願いすると「歌詞があれば歌えるけれども赤ペラではどうも・・・」そう言われないために歌詞カードも用意しておきます。(笑)

あ・うんの呼吸で「さくら回答者」にも協力してもらい、大盛り上がりで持ち時間いっぱい頑張っています。今年も大丈夫なのでしょうか?不安もあります。毎年のことですが皆様が私のためにお料理を皿に取り置きして下さっているのですが冷えてて・・・あまり食べることができません。ドカ食いもできなくなりましたしね。

素人司会であっても、「おもしろかったよ」「さすがだね」「毎年大変だね」と、皆様がねぎらいの言葉をかけて下さいます。おだてられると悪い気はしなくて、心地よい疲労感がやり遂げたという満足感に変わります。

いつでも何の時でもそうですが「ごくろうさん」「おつかれさま」そんな当たり前のねぎらいの言葉を、かけることによって、リーダーとなる人は満足です。私も、つい忘れがちになっていますが、ねぎらいの言葉をかけてもらった時の喜びを思い出して、人にも感謝の言葉をかけることを忘れないでおこうと思っています。

明日は最後にみんなで替え歌を歌ってお開きにしようと考えています。みんな驚くやろうなぁ・・・楽しみです。


[2678] 【2761回 ヘリコプターからの北アルプス】 2012-01-25 (Wed)

NHK深夜放送(午前2時)「北アルプスの名峰」が目にとまりました。しかし午前2時まで起きておける自信がありません。ビデオをセットし翌朝見ることにしました。

ナレーションは無く、バックミュージックだけが流れ、四季折々の一番美しい時期をヘリコプターから撮影していました。のっけに剱岳(2999m)が映し出され、神々の住む立山連峰雄山(3003m)がズームイン!。雄山の御社の前にたたずみ安全祈願してもらったことを思い出します。

雲上の花園と言われる五色が原には「ハクサンイチゲ、ハクサンコザクラ、キヌガサソウ、ハクサンチドリ、イワイチョウ、コバイケソウ」などが咲いています。私が通過した時は雨の中でしたので花を楽しむことはできませんでしたが、そそり立つ山々の中に雄大な草原があると言う事を見れただけで満足でした。(ほんま言うと・・天気であって欲しかった!)ゴツゴツした岩場が雨に濡れていて、思わず前のめりに転倒し胸につけていた水筒で肋骨を強く打ち「また骨折か!」とびっくりしたのが五色が原でした。(打撲のみで骨折はなし〜)

雪溶け水が小さな川となって流れる頃、ノウゴウイチゴ、ハクサンフウロが顔を出し始めます。鳥たちはと言うと「ホシガラス、ライチョウ、イワヒバリ」が土の中の虫たちをついばみ、オゴジョまでもが春を知り顔を出していました。

水晶岳(2986m)、笠ケ岳(2898m)、黒部五郎岳(2840m)、薬師岳(2926m)三俣蓮華岳(2841m)鷲羽岳(2924m)、槍ケ岳(3180m)遠くには富士山も見えています。焼岳(2455m)、前穂高岳(3090m)、横尾から見る屏風岳も、みんなで見に行ったよねぇ。蜂に刺された喜久ちゃん、元気しているのかしら?

紅葉の絶景は何と言っても涸沢カール!ナナカマドやダケカンバが美しすぎます。奥穂高岳(3190m)、北穂高岳(3106m)、それから、それから北岳、白山、ジャンダルムと美しい姿を見ることができます。さすがNHK!撮影には、金に糸目を付けず、テレビを見ている私達を釘づけにする魅力いっぱいの映像でした。

これらの山々の中で、笠ケ岳と水晶岳だけが未踏の山となっています。早く雪が溶けて我々にでも出かけて行ける季節が来ないかしら・・・・

「行ってみたい」と目標を決めたら、それに向かってトレーニングをはじめなければなりません。北アルプスには岩稜帯の通過が回避できないのです。日頃の登山に加えてクライミングトレーニングも必携となってきます。「そんな危ないとこには行かないから」そう言われるかも知れませんが突然目の前に岩稜帯が現れたらどうしますか?引き返すことは困難で、へっぴり腰ででも通過しなければなりません。ならば安全にスムーズに通過できれば、こんな幸せなことはありません。私のクライミングは「難しい岩場を楽しむフリークライミング」ではなく「岩場通過のためのアルパインクライミング」なのです。


[2677] 【2760回 お〜お 寒っ!】 2012-01-24 (Tue)

今朝のニュースで、真っ白く雪化粧した東京都心部の映像を見ました。関東地方の上空に寒気を伴った気圧の谷が通過した影響で、東京地方は23日夜遅くから24日未明にかけて雪となり今朝やっと雪はやんだそうです。

通勤の人達は凍結した道路を恐る恐る歩いており転倒事故
のニュースも入ってくるのではないでしょうか。東京の降雪量は、4センチ、多摩西部で12センチもあるといいます。「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」・・・この間使ったばかりのフレーズですが大阪の町中では寒いものの積雪や凍結はありません。やっぱり日本は広いんですかねぇ。

室内の暖房はと言うと我が家にはストーブがありません。姑さんが生きていた時に「ストーブは顔が火照るから嫌い」と言われてコタツ派をずーっと通してきました。しかし子供が生まれて、部屋の温度を一定に保ちたいと空調機による暖房を許可してもらったことがあります。その時の名残りでいまも我が家にはストーズがありません。

2人しかいない家にも関わらず1階の居間の空調は付きっぱなし、寝る1時間前には3階の各寝室も暖房を入れ、3台も作動していることになります。電気代の事を考えると恐ろしくなりますが風邪を引き病院に行くことを思えばまぁエエか〜と思ったりもします。

去年まではババシャツは着たことがなかったのですが今年はしっかりと着込んでいます。ズボンの下にもスパッツ等を履きエコ対策を自分の体にしています。最近、大きな風邪をひきましたので、えらそうなことは言えませんが雪山のウエアリングの基本と同じで「寒いと思ったら着る、暑いと思ったら脱ぐ」で風邪をひかないようにしたいですね。


[2676] 【2759回 救命救急の講習】 2012-01-23 (Mon)

救命救急(応急手当)の改定については「2756回 救命救急一部改正」でお知らせしたとおりです。頭でわかっていても、いざと言う時に、行動に移せなかったら「宝の持ち腐れ」です。2012年1月から改正されたと言う講習を1月22日此花消防署で受講してきました。結論としては「頭でわかっていても役に立たない。より多くの機会を持ち講習をする」ことだと痛感しました。

1.「見て、聞いて、感じて」の廃止
これまで呼吸確認のために気道確保した上で「見て、聞いて、感じて」と3つのポイントで「いつも通りの息をしているか」を確認していました。しかし、改定版ではこれが削除されました。

2.手順の変更
肩を叩きながら「大丈夫ですか!」と声をかけて反応がなければ、通報。その後、気道確保は必要ありません。

3.より強く、より速く 成人の胸骨圧迫
胸骨圧迫の手技に関しては大きな変更はありませんが、質の高いCPRということで今以上に「強く、速く」が強調されています。成人に対する圧迫の深さは5cm以上。圧迫のテンポを100回/分以上とする

4.乳児にもAEDが使えることになった
これまで、十分なデータがなく「推奨も否定もしない」というスタンスだった一歳未満の乳児に対するAEDがOKとなりました。

まだ細かく説明をしなければなりませんが、リュックなどを利用して「いつでも、どこでも」練習を重ね、もし倒れた人がいたら「勇気ある一歩」が踏み出せるようにしておきたいと思います。

素朴に質問ですが、緊急事態が発生し、設置場所から借りて来たAEDは一体だれがもとの場所に返すのか、使ったパットの使用料は発生するのかなど質問をしたかったのですが消防振興協会からの出向の方達でしたので質問することが出来ませんでした。機会を作り此花消防署で教えてもらおうと思っています。

(AEDの種類等についてはブログに写真を掲載しています。使用方法はメーカーによって違いますが音声に従って手当をして下さい)


[2675] 【2758回 あいたたった!いたたた〜】 2012-01-22 (Sun)

朝起きると体のあちこちが金縛りにあったように重く痛い!のです。原因は土曜日の赤坂山スノーシューの下り道の尻ソリの後遺症の様です。登り3時間、下り2時間この1時間の差は尻ソリの成果です。

朝、阪神電車で5歳くらいの女の子に「おばちやんもソリ遊びに行くん?」と声をかけられました。リュックにくくりつけた尻ソリが目に入ったみたいです。この家族もどこかにソリ遊びに出かける様子です。梅田に到着するまで好奇心旺盛に私のソリを眺めていました。

7時45分発、湖西線経由の列車の2両目あたりは武奈ヶ岳に雪山教室に出かける山岳会の人達40人や、老若男女の登山客で満員です。私達は後ろから3両目あえて近江今津駅で切り離し車両にのりました。その方が空いているからです。

高槻駅では、乗ってくるはずのない淳ちゃんの姿を探しました。習慣とは恐ろしいですね。京都駅で靖ちゃんと合流しマキノ駅から巡回バスにのり「さらさの湯」で降車。ほぼ全員が降車し、それぞれの目的地に向けて散らばって行きました。赤坂山登山者も多いみたいです。出発前に淳ちゃんに哀悼の意を表して黙とうを捧げ、出発しました。

平野部には積雪はないものの赤坂山コースにはツボ足では難儀をするほど積雪があります。やはり今日もツボ足の登山者が多くいるみたいで後ろから見ていると体が左右に揺れて滑稽です。ワカンの人もいますが、ワカン毎、深みに体を持っていかれていました。やはりスノーシューに勝る道具はないようです。帰り道のソリ遊びのためにリュックに取り付けたソリが往路は重く感じられますが復路のスノーシューを2倍楽しむためには必需品なんです(笑)

頂上直下に来ると風が強く吹雪いていました。方向を見間違えないように踏み跡をたどり頂上に到着が13時45分、記念撮影を速やかに済ませてUターンし、風のないおだやかな場所を見つけて午後2時、遅い昼食タイムとなりました。

下りは全員、尻ソリを楽しみました。勿論私は「マイソリ」を出して限りなく長く華麗に滑りました。何度も、何度もソリから起き上がる度に、足が攣るのではないかと思うほどがんばりました(笑)季節限定雪遊び・・・背中にも、リュックにも手首にも雪が入っているのに寒さも忘れて大はしゃぎしました。

一人では危険でスノーシューを楽しむことは無理ですが仲間と行けば安全。童心に返り楽しむことができます。2月には子女郎スノーシュートレッキングがあります。お天気てありますように!


[2674] 【2757回 返事のなかった1枚の年賀状】 2012-01-20 (Fri)

1月22日にはお年玉年賀はがきの当選発表があります。

1等は 40V型液晶テレビや選べる海外旅行・国内旅行等
2等は 加湿空気清浄機デジタルカメラなど
3等は 選べる地域の特産品・有名ブランド食品など
4等は お年玉切手シートとなっています。

まぁ1等は無理としても3等ぐらいは欲しいよね。宝くじみたいに自動当選番号調査器なんてないのかなぁ・・・

年賀状を整理していて病気だった同級生の他に、もうひとり返事のなかった同級生がいました。不思議なことにこの同級生については「病気かな?」という心配はしていませんでした。なぜならば「我が道を行く風来坊」だからです。案の定、今日になって「いまタイにいます2月中旬には帰ります」と国際郵便が舞い込んできました。やっぱりなぁ〜!

気になる友達と、気にならなて友達がいます。親しさの度合いではなくて生き方の問題でしょうか。風来坊の彼は高校を卒業後「魚屋になる」と破天荒な道を選び、朝の3時から中央市場の魚屋で働き コツコツと金をため2人の息子達をアメリカに留学させ、自分のリタイア後の生活をタイと決め、マンションを購入し日本の寒い時期は嫁と二人で3ケ月ほどタイで生活をするのだそうです。うらやましいとも思いませんが何と優雅な生活なのでしょうか。

しかし職業病のような椎間板ヘルニアに悩まされ今では「ほんまに同級生か?」と言うくらい足腰がヨボヨボになっています。「お前みたいに金が無くても元気に山に登れる方が幸せよのぉ」と葉書に書いていましたが大きなおせわです!(笑)元気なうちが花!毎日が満足できれば幸せと感じないといけませんね。


[2673] 【2756回 救命救急一部改正】 2012-01-19 (Thu)

応急手当の一部改正ということで普及員宛てに下記の文書が送付されてきました。

24年1月より「救急蘇生法の指針」が改定になりました。
主な変更点
(1)救命の連鎖を変更し、@心停止の予防、A心停止の早期認識と通報B市民による一次救命処置C救急隊および医師による二次救命処置と心拍再開後の集中治療の4つの輪となりました。

(2)呼吸確認に際しては、気道確保の必要はなく、胸と腹部の動きを見ます

(3)心肺蘇生は胸骨圧迫から開始し30回の胸骨圧迫を行ったのちに気道を確保し人工呼吸を2回行います

(4)胸骨圧迫位置の目安は、「胸の真ん中」です。但し乳児は除く

(5)胸骨圧迫の深さは「少なくとも5p」小児は胸の厚さの1/3」テンポは「少なくとも毎分100回」です

(6)AED使用時の心電図解析と次の心電図解析までの間隔を「2分間」とし、これまでの「5サイクル」の記述を廃します。

(7)AEDの小児用パッドおよび小児用モードの使用対象は「乳児を含めた未就学児(およそ6歳まで)」です

以上ではありますが、皆様に普及するためには、いままでとどこがどう違うのか私自身が把握をしたいと此花消防署に1月22日の受講を依頼しましたので受講後にまた詳しくお知らせしたいと思います。

ウオークや登山をする上に於いて救命救急講習は「重要」だと思い続けてまいりましたが「また〜!そんなん知ってるわ!前にも聞いたわ〜!」そんな気配を感じて普及員でありながら臆病になっていました。今後は納山祭には救命救急講習をする事をリーダーに提案したいと思っています。

私自身を助けてもらうためには登山を同行する人達にひとりでも多く知ってもらわないと私の命は助かりません。一刻を争ういのちを救うために必要なものは専門的な知識や高度な技術ではなく、あなたの「勇気」です。あなたの「勇気ある一歩」がいのちを救うのです。


[2672] 【2755回 スノーシューの楽しみ】 2012-01-18 (Wed)

スノーシューの季節となりました。「えっそれなぁに?」と言う人のために・・・スノーシュー(snowshoe)とは、雪の上を、楽に歩くための雪上歩行具のひとつです。西洋「かんじき」とも言います。素材はおもにプラスチックとジュラルミン。ワカンより浮力が強くラッセル能力が高いというメリットがあります。ワカンやスキー、アイゼンなどを用いるより手軽に雪上の歩行を楽しむことができることから、近年ではスノーシューを履いて雪上を歩き、自然に親しむことを目的としたツアーが各地で行われて脚光をあびています。私達は中高年にしては流行の先端を行ってた気がします。最初はレンタルスノーシューでしたが回数を重ねて行くうちに「マイスノーシュー」が欲しくなり購入しました。

2011年2月の大谷山トレッキングでは、他の登山者がタブスのスノーシューをくっつけていました。タブスは林間コースには適しているようですが山岳モデルはなんと言ってもMSRでしょう。我がやまたび倶楽部は全員MSRです。MSRは両サイドに長い歯が付いているのでテールのブレが少ないです。メインの歯も止まった状態で雪面を噛んでいるので大丈夫です。わが倶楽部では数台のMSRスノーシューを確保することができます(レンタル料2000円)マイスノーシューでなくてもお気軽に参加してもらえます。雪遊びいかがですか?楽しいですよ。

去年の大谷山では私達の先を歩く「ツボ足のアベック」が大きな穴をあけていたため歩きにくくって大変でした。あの積雪の中、ツボ足は後続者に迷惑がかかることを学習してね。

誰も踏みしめていない新雪の上をザックザックと軽快なリズムで雪の締まる音、時々見つける動物の足跡「テンだ、キツネだ、野ウサギだ」と童心に返る楽しみも味わうことができます「寒そう・・・」それは最初だけですよ。スタートしたら汗ポタです。1枚、2枚とぬぎすてて行くと頂上では、とうとう半袖って時も多いですよ、ただし風が無い場合の話ですけどね。

私はね・・・ソリを持参するのです「また〜っ!出たで〜ソリ女!」と言われるくらい有名です。下りがあればソリに乗り、「どいて〜どいて〜」と叫びながら滑る爽快さは体験したらやめられませんよ。コースが長い時は、お尻に敷く「ソリもどき」を持参しますが赤坂山はコースもわかっているのでソリを持参します。みんなに貸してあげるからね。ソリ遊び楽しみましょうね。

下山時刻やバスの時間があるので「お風呂入ります」とは書いていませんが「さらさの湯」の温泉場所がゴールなんですよ!(タオルとパンツだけ持って行こうっと!)


[2671] 【2754回 よし枝ちゃんとの会話】 2012-01-17 (Tue)

淳ちゃんの訃報を知り、やっと心を落ち着かせ、ショックから立ち上がったところで、淳ちゃんが参加をした写真集を作ることにしました。2004年11月・第一回の古光山から始まり、常念岳、雪の大谷、白山、根石岳と傍らによし枝ちゃんがいるときの笑顔が素敵です。編集がなかなか進みません。「あの時はこうだったよなぁ、ああだったよなぁ」と、もう三日間も同じ作業を繰り返しています。「私が亡くなっ時もこんな写真集欲しいなぁ・・・」不謹慎でもそう思わずにはいられません。これが写真のプリント時代であれば作業不能です。コンピューター時代だからこそ(プロ用の別ソフト有り)出来る技なのです。

振り返ってみると集合写真の淳ちゃんの顔の若いこと!一緒に映る我々の顔も若いっ!発足時の古光山から亡くなる直前の皆生温泉の旅までの淳ちゃんを偲んでいただくためのアルバムは「追悼」のページから見て頂くことができます。まだまだ作業続行中ですので、時々開けてみて下さいね。

17日の朝、よし枝ちゃんと連絡が取れました。それまでにも何度か電話をかけていたのですが取り込み中の様子で、やっと連絡がとれました。まずは皆様がたの暖かいお悔やみメッセージに心から感謝申し上げますとのことでした。何度もパソコンを開けて、何度もみんなのメッセージを読み、目頭が熱くなり、文字がうるんで最後は画面が読めませんとおっしゃっておられました。返信もできずで・・とのお言葉でしたが、私達が仰天するくらいですから、ご家族の皆様は大混乱のことと思います、「追悼ページ」を見てもらい、淳ちゃんを慕う仲間がいることを心の支えにしてもらえたらと思っています。よし枝ちゃんが活躍しておられる各方面のボランティア等も四十九日法要の喪があけるまでは欠席をしますとのことでした。我々も喪のあけた後に追悼ウオークをしようと思っていることを伝えると「ぜひ参加したい」とおっしゃっておられました。


(淳ちゃんの最期)
皆生温泉から戻ってから1週間後の12月26日、ジムに出かけるために玄関先に立ち、よし枝ちゃんはそれを見送り2階へとあがったそうです。それから10分から15分後にお友達が訪問されて玄関先に倒れている淳ちゃんを発見、救急車が到着したときにはすでに心肺停止だったそうです。その後、警察の検視等があり医師曰く「77歳にしては強靭な体力をされています」と淳ちゃんを診察してそうおっしゃったそうです。最期の顔は、少しの苦しみもなく笑顔であったととの事でした。

「早く私を迎えに来て!」出棺の時、そう棺にむかって言ったそうですが、いくらやさしい淳ちゃんでも「よっしゃ!」とは言わないと思いますよ。そう言いながら電話の向こうとこっちで嗚咽が聞こえました。いまどんな慰めの言葉をかけたとしても、淳ちゃんが居ないという事実を飲み込めないで混乱しています。いまにも帰ってきそうな気がします。

赤坂山のスノーシューの日、高槻駅で淳ちゃんを探しそうな自分がいます。「淳ちゃん!席ここやで〜!」席取り名人の姫が叫んでいそうです。淳ちゃんはことのほかスノーシューが好きだったように思います。

電話の最後に、よし枝ちゃんが言いました。「皆生温泉の時でなくってよかった〜!みなさんにご迷惑をかけずに済んだ〜!」私達は万が一そんな場面に遭遇したとしても迷惑だなんて思いませんが、淳ちゃんは、よし枝ちゃんの傍で最期を迎えられて、苦しまずに息をひきとられて、最後まで思慮深いお方だったんですね。(合 掌)


[2670] 【2753回 病は気からと言うけれど】 2012-01-16 (Mon)

病は気からと申しますが、それは軽症の時に言う言葉で今回の感冒には通用しませんでした。1月8日からですから1週間寝込んだことになります。まぁ後の2〜3日は起きれないこともなかったのですが甘えもあったに違いありません。何となくダラダラと過ごしてしまいました。しかしキッチリ食事の用意はしましたよ(自分自身は食欲ないいうのにブツブツ・・・)体重も随分と落ちてしまいました。本来なら「きゃー!ダイエットできたわっ!」と喜ぶべきなのですが1週間で2sの減量は体力の維持ができません。フラ〜フラと夢遊病者みたいです。やっぱり太っていてもいいので食べたいものが食べれて美味しいと感じられる毎日でないといけません。

そんなわけで、16日月曜日、「床上げ」をしました。布団をすべて干し、ベットの下に潜り込み綿ホコリを取り除きトイレもピカッピカにしました。あ〜スッキリしました。

病は気から・・・これは、やっぱり軽症の時の言葉ですね。新春早々えらい目に遭いましたが「油断すなよ!」の警鐘だと思っています。気を付けます。

「あせらず、欲張らず、流れに逆らわず」


[2669] 【2752回 じゅんちゃんとの思い出】 2012-01-15 (Sun)

どれだけ一緒に山行を重ねたとしても、振り返るアルバムがなければ遠い存在になってしまいます。そう思ってウオーキング時代から今迄のアルバムを全部広げてみました。バスウオークには、ほぼ皆勤賞!しかもよし枝ちゃんも一緒!このころは膝の調子が良かったことを物語っています。

2010年3月「強風の根石岳」のレポートで、じゅんちゃんの愛に満ちたコメントを見つけました。シャイだから照れながらコメントを貰ったような気がします。(このころはテープレコーダーではなく聞き取り或いは本人自筆のコメント)

『根石岳へのスノーシュートレッキングの日は天候に恵まれて、参加者全員で登頂出来たことがうれしいです。初めて乗った雪上車も旅館に近い山小屋の心遣いの「湯たんぽ」も楽しい思い出になりました。又、皆さんに後押しされて最後まで完歩した、よし枝の努力もうれしいひとつです。ありがとうございました。』

『よし枝の努力もうれしいひとつです。』この言葉に涙が流れて止まることを知りません。よし枝ちゃんが膝の手術を受けた後、散歩が可能になり、少しづつ距離を伸ばして公園のまわりを歩くことができる様になったと話をして下さいました。そっとやさしく回復の段階を見守っていた淳ちゃんにとって、奥様の努力もうれしいひとつなんです。あの時は「楽ちんコース」を作り、根石岳の頂上を踏まずに折り返すコースも設定していただけに頂上まで努力した奥様がまぶしく輝いたことがうれしかった様子が伝わり心が熱くなりました。

淳ちゃん世代の男性はあまり奥様方に感謝の言葉や愛情表現がヘタで、表現方法もうまくありません。しかしこの時は本当にうれしかったんでしょう。人目もはばからず「よし枝の努力もうれしいのひとつ」と言っておられました。

久々の平地歩きのトンネルウオークの時は「発表会があってなぁ」とよし枝ちゃんが参加できなかったことを説明してくれたり、いつもよし枝ちゃんへの愛情と私達への配慮をしてくださいました。

淳ちゃん!いまどこを歩いておられるのでしょうか?冬だと言うのに汗をかいているのではないでしょうか?スノーシューもうすぐですよ「今回は参加できません」って書いておきましょうか?


[2668] 【2751回 仲間との永遠の別れ】 2012-01-14 (Sat)

仲間の突然の訃報を知り、私達がこんなにも動揺するのですから、よし枝ちゃん達ご家族の悲しみは如何ばかりかと、心よりお悔みを申し上げます。朝から思い出のアルバムを出してきて、じゅんちゃんを偲んでいます。


2007年4月御嶽山へのスノーシューもよし枝ちゃんと一緒でした。膝を悪くしていた、よし枝ちゃんは雪の上は膝の負担も少なくどの写真を見ても楽しそうな笑顔が雪の中に、こぼれています。傍らにはやさしく見守るじゅんちゃんの姿があります。

2008年、立山・雄山へのスノーシューも半袖で歩くじゅんちゃんの姿があります。雄山で私がスノーシューごとスッポリと足の付け根まで埋まってしまったときも「姫さんが冗談でしているのかと思ったわ」と豪快に笑われてしまいました。じゅんちゃん!あれは必死だったんですよ。

2008年7月には白山登山、よし枝ちゃんと一緒に山頂を踏みました。途中の福井県の恐竜センターを見学して、白山まつりを見て、白山のお池まわりを楽しみましたね。

2010年3月「強風の根石岳」茅野行のバスの中で、よし枝ちゃんと仲良く並ぶじゅんちゃんの姿がありました。茅野駅まで雪上車に迎えに来て貰い夏沢鉱泉に向かいました。温泉を楽しみ、八ヶ岳で一番強風の吹き荒れるという根石岳に行きました。全員1本のロープで結ばれ、山頂を踏んだ時の喜びが思い浮かびます。

最後の泊まりの山行は2010年9月の常念岳登山だったと思います。出発前夜の大雨で「行こか戻ろか」のミーティングの最中でも、あわてず騒がず、ただ静かに腕を組み「決定に従います」と言った言葉が今も耳に残ります。

最近は奥様が膝の調子が回復しないのと、ボランティア活動が多忙になり、じゅんちやんの単独参加となりました

じゅんちゃんは、ことのほか汗かきで、いつも最初に衣類調整をしているのはじゅんちゃんでした。夏は奥様考案の汗かきパットを途中で何度も入れ替えていました。奥様の参加はなくても奥様の考案した数々のグッズを身にまとい、元気に歩いていました。ゴールをして感想を聞くと「いっぱい、いっぱいだった」が口癖みたいでしたが10歳も若い私達の方が体力的には参っていました。定年退職後の生き方について、よくポチに体験談を話してくださいましたね。「何事もやると決めたら持続する」これはじゅんちゃんの芯の強さだと思います。ジムで鍛えて年齢よりはるかに若い肉体だったはずなのに神様はなぜこんなに早くお召しになったのでしょうか。家族との別れもままならなかったのではないでしょうか。私達もまた皆生温泉からの帰り「じゃあまたね」と別れたまま・・・本当の別れになるなんて・・・

心残りは数々ありますが、じゅんちゃんのお人柄を忘れないで、「じゅんちゃんの年まで元気に山登りをする」をモットーに頑張りたいと思います


[2667] 【2750回 突然の訃報】 2012-01-13 (Fri)

訃報はいつでも突然にやってきますが今回の訃報ほど、我が耳を疑いました。なぜならば1ケ月前に皆生温泉で楽しい時間を一緒に過ごし元気に別れたのですから!年賀状も「いつも楽しい時間をありがとう今年もよろしく」って受け取っていましたから!事実と受け止めるのに、かなりの時間がかかりましたが何としても皆様にお知らせせねばと回らぬ頭にムチを打ちながら書いています。意味不明はご判読下さい。

12月26日昼過ぎ。心筋梗塞だったそうです。わが倶楽部の中では最高齢ではありましたが「淳ちゃんの年まで元気に歩きたい。淳ちゃんは我々の目標です!」誰からもそう親しまれ敬われていました。

私と淳ちゃんとの出会いは所属していたウオーキング協会でいつも仲良くご夫婦で参加をされ颯爽と歩く姿を見て、とても羨ましく思い親しくお声をかけさせていただいていました。春になるとイタドリ談義に奥様と花を咲かせたものです。「ウチのんも散歩の帰り採ってきとったわ」奥様がイタドリを採って帰られた時の様子をうれしそうに話をして下さいました。

淳ちゃんご夫婦が「山が好き!」そう知った時、私達倶楽部の発足記念の「古光山と曽爾高原」には揃って参加して下さいましたね。その後も奥様が膝を悪くするまでは、スケジュールがあえば楽しい山登りを、思い出を共有してきました。楽しかったです。人の嫌がる事を言わず、人をかきわけて前に出ず、それでいていつも存在感は人一倍ありました。

物静かなたたづまいの淳ちゃんでしたがお酒が入ると愉快コースの引き出しも持ち合わせてお茶目なところもありました。よし枝ちゃんにも見せたかったです!納山祭の行先に悩んでいたら「たまには温泉もエエなぁ」の淳ちゃんの一言で決まりました。皆生温泉「水木ロード」を、ことのほか喜んでいたのが印象に残っています。和気アルプスの初歩きは用事があり欠席でお会いできず残念でした。もうその頃にはこの世の人ではなかったんですね

淳ちゃんは既に浄土の道へとスタートしましたが、私達へ残してくれた思い出は、山よりも高く、海よりも深く大きな財産としてこれからも思い出すことでしょう。淳ちゃんのお気に入りの山を探して追悼登山するからね。

体力強化のジム通い、定年後に始めた男の料理、趣味の山登りと人生力の限り生きてこられました。ありがとう。ここらですこしゆっくりしてください。お疲れさまでした。


[2666] 【2749回 届かなかった1枚の年賀状 】 2012-01-11 (Wed)

高校の友人で今尚交流のある友達から年賀状が届かない事が、無償に気になり「とにかく正月3ケ日は待とう。投函が遅れたかも知れない」そう思っていましたが十日戎も過ぎたことから「ひょっとして病気してませんか!」とメールを送ったところ「病気してます」の返信がありました。あっちゃ〜わたしの心配命中やなぁ

年賀状は12月15日に、いつもとおりに送ったといい、届いてなかったら申し訳ないと自分で書いた紙風船と羽子板の羽を描いた年賀状も添付されていました。

『実は2009年12月1日に手術、5月10日、9月1日と処置手術の後、9月末には完治のはずが11月末になって再び疱疹が出て精密検査したところMRIにも映らない腫瘍が見つかり12月20日に手術し年末に退院しました。北海道の冬山での足の大事故、(スノーボーと激突)、百丈岩でトレーニング中に手首骨折し、ふんだりけったりですが、今年こそは良い年にしようと考えています。

年賀状には近況の病のことを近いと思われる友人に書き込みましたが届いているであろう人から連絡が無く届いていない久田さんから連絡をもらうということは、大変ありがたいことと感謝しています。

まだまだ人生を逆算することなく、突き進んでいきたいと考えていますが少しだけ年齢相応の大胆さに変えて進んでいこうかなと最近は少し反省しております。心配いただきましてありがとうございます。』

いま改めて年賀状の大切さを痛感しています。1枚の年賀状の交換で友人の1年間の様子がわかり、近況を書くことが年賀状のもつ大きな役目、届いてなければ何かあったのかもと問い合わせてみるのも友人の役目だと思います。


[2665] 【2748回 鬼のかく乱】 2012-01-10 (Tue)

和気アルプスの帰りの電車の中で背筋がゾクゾクして電車内にも関わらずジャンバーを着込み、手袋まではめて自宅に戻りました。入浴を済ませその日は何事もなくベットに入ったのですが、夜中にトイレに起きようとすると足ががくがくして力が入りません。「ドタン!パタン!」の音にポチが起きてきて「どうしたのか」と尋ねるのですが私も自分の体がどうなつているのかわかりません。嘔吐と下痢・・・完全に風邪の症状なんですが、この歩けないって言うのが始末に悪いのです。3階に寝ているので2階まで降りていく事ができないのです。階段にシュリンゲを掛けてあるのでポチに持ってもらい何とかトイレを済ませました。

「着替えたい」「水が飲みたい」と自分では、はっきり言っているのですが「何を言うてるのか聞き取れない」といいます。こんなことははじめてなんです。すわっ!脳卒中かと不安が脳裏をかすめ、救急車を呼ぶと言うポチをなだめて9日の成人の日は安静にしていました。食べたら嘔吐を繰り返すため怖くて物が食べられません。

何とか本日2時30分に予約が取れて病院に行くことにしました。大事にならなければいいのですが・・・・・

          ↓
診察の結果血圧も正常で今年流行の下痢嘔吐型の感冒でした。えらいもんで診察をしてもらうとスキッとした気分で和気から帰った夕食が最後で何も食べてなかったんですが今夜は何か食べたいと感じるようになりました。えべっさんへはベットの中から安全祈願をしておきます。豆板(しかも小豆ばかり)買いたかったんですが・・・・残念!。


[2664] 【2747回 アクシデント ふた〜つ!】 2012-01-08 (Sun)

青春18切符を使い、まるで旅行にでも行く気分で約2時間の電車の旅をして「和気アルプス」を楽しんできました。今年は辰年だから「辰・竜・龍」のつく山を探して行こう!初登りにふさわしい竜王山を見つけ岡山県和気駅に降り立ちました。お天気もよく、のどかで、うららかな日和で気分は爽快です。登山歴「ん十年」と言うオリオンさんのお友達も初参加です。リュックも使いこなされており、にわか登山者でないことが伺われました。

駅前の富士見橋からは低山ではありますが「和気富士」がきれいに見えます。登山口を少し登ったところで私だけ辛抱しきれずに衣類調整をし最初の休憩地点で全員が衣類調整をすることになりました。和気の街並みが眼下によく見えることから集合写真を撮りました。さて行こうかと言う時に姫が「ポシェットを落としたわ〜先に行ってて」今日に限ってアンカーでしたので誰も落し物に気が付かずリュックを置き登山口近くで衣類調整をした場所まで駆け足で下りました。後続の登山者の「ええバックが落ちてるわ〜」の声に「それ!私のんです!」体はまだポシェットに行きついていませんでしたが声だけは先に届いていたと思います。みんなに追いつくために駆け足で登山道を駆け上り時間差のないままに追いついたのですが一日中この駆け足の後遺症を引きづることとなったのです。

ふたつめのアクシデントは穂高山を過ぎたあたりでおじさんが行く手をふさぐようにコンロに鍋をかけラーメンを作っていました。トップがこのおじさんを避けるように先を進んだんですが・・・なんと竜のつく山「竜王山」をスルーしてしまったのです。「ちょっと道が違いますよ」と言うことになり、とにかく「神ノ上山」の頂上を踏んでからコース修正を考えようということになりました。きっとラーメンおじさんが分岐を隠すように座っていたんだと言うことが判明しました。

道標や分岐などで休憩するときは大きく登山道から外れて休憩をするのがわが倶楽部の鉄則です。よく道標にジャンバーなどをかけて休憩する人がいますが(三角点を腰掛けにする)絶対にしてはいけないことなんだと痛感しました。

それにしても「ジャンダルム」「八峰」「穂高」「槍ケ峰」などの名前が付いており驚きました。よほどアルプスに憧れていたのか願望なのか低山にもかかわらず微笑ましく午後4時15分和気駅に到着しました。


[2663] 【2746回 アイゼントレーニング】 2012-01-06 (Fri)

1月6日、午前9時阪急芦屋川駅には登山者はひとりもいません。高座の滝付近にも誰もいません。勿論地獄谷にも誰もいません。何十回と芦屋ロックガーデンに通っていますが、こんなことは初めて「ひょっとして今日は入山禁止令でもでてるんとちゃうか〜?」んなアホな、そんな禁止令あるかいな!

ハーネスを付け、12本爪アイゼンを履き、ピッケルを持ち、アンザイレンで繋ぎ、地獄谷を歩きます。「気をつけような」本格的なアイゼン装着は2011年2月に堂満ルンゼ以来です。カツカツと言うアイゼンの歯の金属音が誰もいない地獄谷に響いています。私がトップを歩き、滝を登り終えると後続者をビレイしながら前に進むのです。ある場所では肩がらみであったり、木の幹を利用したりしたビレイを続けて、いつも最初に休憩する通称「サメ岩」で休憩をしました。

「荷物はそこに置いてて、こっちにおいで」なんか・・いや〜な予感がしました。サメ岩近くにある、ほぼ垂直に立つ岩をアイゼンを履いたままピッケルを持ち練習をするのです。過去何度もギブアップしていたため「今年もダメかも」と言いながら「じゃあ5回挑戦すればOKにするわ」先人達がアイゼントレーニングをしたであろう傷跡が残っていました。

1回目は第一歩が登れず「尻を出すな!片足で立て!」厳しい声は飛んできますが、なかなかうまくいきません。足はブルブル震えましたが「なにくそ!」と言う気持ちで1回目何とかクリアーできました。2回目、3回目も何とか登れて4回目からはピッケルを持って登れと言われました。そりぁもう〜!体力のすべてを使い果たした気分です。

そのあと小便小僧に到着。今日の水量はチョロチョロでしたが疲れ果てて横目でチラリと見ただけでA懸垂のザレ場の上部にでました。「ここで歩き方の復習をしよう!」ここは滑ると、かなりしたの方まで流れる様に落ちていくのです。凍結した雪道を下る方法、登る方法を繰り返し練習しました。

A懸垂岩の支点を作る場所に到着し、いつもと逆の懸垂下降からスタートし、2度、3度とアップダウンを繰り返し「明日は和気アルプスに行かんといかんのでこれで練習終了」やっと終了のゴングが鳴りました。

きつかったなぁ〜!それもそのはず「年末の箕面登り収め」以来なんですものね。やっぱり時々練習に来なくてはと思った次第です。


[2662] 【2745回 明日はアイゼントレーニング】 2012-01-05 (Thu)

急遽「アイゼントレーニングに行こう」と言うことになり道具を出してみました。「雪山の三種の神器」とも言われているピッケル、ヘルメット、アイゼン、とハーネス、カラビナ、シュリンゲ、ロープ、他一般登山道具を準備しました。結構な重量ですがスタート時点でアイゼンやハーネスは身体に付けてしまいますので問題はありません。

アイゼンを履いていなくても堤防歩きをする時は「履いているつもり」で斜面を登ったり、降りたりして練習をしています。いつ「雪山に行こう」とお誘いを受けても足手まといにならないようにと思っています。

スノーシューの時期がやってきます。マイスノーシューをお持ちの皆様!季節限定の雪山歩きを楽しみませんか?雪があれば私は毎年同じコースでも満足だと思っています。同じ場所に降り積もる雪であっても毎年雪質や雪の量が違います。天候も違います。十分楽しめるのではないでしょうか。よろしくご検討のほどお願いいたします。


[2661] 【2744回 正月3ケ日も過ぎて】 2012-01-04 (Wed)

正月3ケ日の恒例行事も終え、静かな4日の朝を迎えました。元旦は来客あり、2日は年始伺い、3日は門戸厄神へのお詣りと毎年決まってのスケジュールです。年末年始は温泉場で迎えたいと思う年になりました。気合を入れてお節料理を作る時期は、もうそろそろ卒業してもいいかなと思ったりします。

朝から大掃除に似た片付けや掃除を始めました。正月3が日、省略していたので結構ホコリが舞っています。外回りは寒いので省略〜です。どこのお家も、現在はピシっと片付いていることと思います。この状態をいつまでもキープできるように頑張ってください。「使った物はもとに戻す」「1日を終える時は机の上は正月を思い出して片付ける」ちょっとだけそれぞれが気を付けることで正月の状態が保てます。

登山から帰ったらリュックの中身を全部出して、もとに有ったところ仕舞います。リュックも勿論風呂場に持ち込み洗います。リュックが乾けば、またもとの「同じ場所」に収納しておけば、登山中の暗闇の中でも容易に探すことができます。「え〜っとヘッドライトはどこになおしたかなぁ」と言うことにならないように私は雨蓋の内側に入れることに決めています。

正月早々の遭難事故は、装備不良が目立ちます。荷物が「重たいから・・・」と残して行った時に限って必要になるのです。使わなくてラッキーと思う品々、共同装備ってそんなものです。110番を受けた時救助隊は「ツエルトは持っていますか?」と聞いたそうです。もし「ハイ」と言えばビバークの方法を的確に指示し、明るくなれば道迷いも解消し体力も回復して翌朝自力で下山することができたかも知れません。ツエルト、合羽、非常食などは自分が生きて帰るための最小装備です。それを「重たいから・・・」と思うのであれば「登る山」から「麓から眺める山」に切り替えないといけないのではないでしょうか。そう思います。


[2660] 【2743回 正月早々山の事故!】 2012-01-03 (Tue)

正月早々山の事故のニュースです

1月3日午前8時半ごろ、長野県北アルプスの槍ケ岳北鎌尾根付近で男性3人と女性1人のパーティーが低体温症で動けなくなっていると長野県警に通報があったとニュースで報じていました。県警は県防災ヘリコプターから4人の無事を確認し、午後4時半ごろまでに全員救助しました。けがはなく、健康状態にも問題はないという。

大町署によると、男性3人(24歳、47歳、36歳)と、女性1人(49歳)の4人で、登山仲間で、12月28日に入山し、2日に下山する予定だったそうです。4人のうちの1人がアマチュア無線で「低体温症になって遭難した」と救助を求めているのを、傍受した一般の男性が110番通報しました。長野地方気象台によると、槍ケ岳付近の天候は2日の日中は雪雲がかかっていたが、2日夜から3日にかけてはおおむね晴れていたそうてす。

救助された4人の方達がテレビ画面に映っていましたが、顔を隠し足早に車に乗り込んでいました。「お騒がせしてすみませんでした」は後できちんと言うのかな?!

別の事故では堺市の75歳の老人、しかも単独登山が道迷いのため携帯で110番して助けを求めたといいます。上高地から入山し西穂高岳玄文沢付近での道迷いだそうですが、ビバークの道具も持たず、75歳と言う高齢で、しかも単独とはまったくもって人騒がせ!、自殺行為かと腹立たしくなります。こんな無謀な人のために4日朝からヘリコプターで捜索をせねばならないのです。

雪山に行かれる方は、体力は勿論ですが充分な装備、充分な食糧(万が一ビバークしても大丈夫な非常食の携帯)でお願いします。雪山の天気は危険がいっぱいです。ビバークと言っても雪洞を掘る技術があっての話です。アルプス等の雪山の単独行は迷惑行為です。気を付けて下さいね。


[2659] 【2742回 はつゆめ】 2012-01-02 (Mon)

元旦の朝、バイクの音がしました。「年賀状の配達やっ!」ドアを開けると郵便屋さんが「今年もよろしく」と丁寧に新年のあいさつをしてくれました。まずは、連名分、ポチ分、姫分に分け、あとはじっくりと、お顔を思い浮かべながら懐かしく見させていただいています。一度目を通してもまた読み返したりして年賀状を楽しみます。私の出した年賀状も「お〜お、危険な遊びをしてら〜」と笑顔で見てくれているかしら?と相手の顔を想像したりして楽しんでいます。だから私は正月は「年賀状生命!」なんです・・・(笑)

阪神高速道路の料金制度が1月から距離別制に変わりました。現在、東線が普通車で700円、西線と南線が500円の定額制で、各線をまたぐと最大1700円となっていましたが、新料金案は初めの6キロまでが500円で、6キロごとに100円上がり、上限は900円。ETC搭載車が対象で、現金払い原則900円となります。(ETC搭載せぇちゅうことか?)

値上がりとなるのは、西・南線の各圏内で6キロ、東線圏内で18キロをそれぞれ超えたケース。料金圏をまたがって移動する場合は原則値下がりになる。京都線は現行料金と変わりません。

という事で2日「九条入り口」から「永田出口」まで利用しました。入り口で「900円です」とETCから音声が流れ永田出口を出たら「300円割引です」との案内がありました。支払は600円って理解できるけど正規の料金っていったいいくらなの?

今夜見る夢は「一富士二鷹三茄子」。昔からのことわざで、夢に見るものの中でめでたいものの順番を指すことばです。とくにお正月の初夢でこれらを見ると大変縁起が良いといわれてきました。一番の富士山は日本最高峰の霊山、二番の鷹は、鷲とともに鳥の王者。ですからめでたいのは当然ですが、ではなぜ三番目が茄子なのでしょう?調べてみました。

★理想の初夢・一富士二鷹三茄子★
 
●(ことわざ その1)駿河国(今の静岡県中央部)の名物を順にあげた。

●(ことわざ その2)徳川家康が、自分の住んだ駿河国の高いものを順にあげた。鷹は鳥ではなく、富士山の近くにある愛鷹山(あしたかやま)のこと、茄子は初物(はつもの・その年の最初の収穫品)の値段の高さをいう。

●(ことわざ その3)富士山は高くて大きく、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」に通じて縁起が良い。

どれが正解なのかその人の好きなのを選んで楽しんでもらえればいいと思います。枕の下に見たい夢の絵(叶うといいなぁの絵)を入れて寝ると実際にかなうと言います。何の根拠も、保証もありませんが、楽しい言い伝えでありますのでみんなで見てみませんか?。 


[2658] 【2741回 あけましておめでとうございます】 2012-01-01 (Sun)

明けましておめでとうございます。皆様お健やかに新春をお迎えの事と思います。

「あせらず、欲張らず、流れに逆らわず」そんな穏やかな気持ちで1年が暮らせるように誓いを立てました(続くといいなぁ)

元気で新年が迎えられたことが何よりの私の宝物だと思っています。病気もせず(ポチはず〜っと病気が親友です)お陰様で自由に暮らせていることに感謝しています。元旦は我が家恒例の「初顔合わせ」で息子達家族が集合です。それぞれに短い休暇の中、何かと都合はあると思いますが「正月ぐらい親元集合」を親の威厳で続投しています。万が一私達が亡くなったのちにも兄弟・嫁・従兄妹達の交流は断たないでほしいと見本を見せる思いです。

「そんなこと当たり前や!」とおっしゃるかも知れませんが、元気な間に親族の繋がりの大切さを親が伝授しないと、と思っています。そんなわけで2日は私の実家となる故一刀水家族との合流で人数にして総勢21人となります。この人数が増えることはあっても減ることの無いように元気でいたいと思っています。

❤❤ 今年もどうぞよろしくお願いいたします。❤❤


[2657] 【2740回 2011年!ありがとう!】 2011-12-31 (Sat)

とうとう2011年最後の日となりました。2012年(平成24年)の干支は辰年(たつ年)です。「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」・・・我が家の孫たちは1歳半の子を除く全員が覚えています。なぜならば信楽焼で作った干支切符を姫婆の家にくるたびにおもちゃ代わりにして遊んでいるからなんです。「なぁ零くんは、なにどし生まれ?」といった会話も日常会話です。

新年を迎えるにあたり干支のお話を・・・

干支と言うのは、「お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てた」という説と「十二支の動物を指定日に挨拶に来た順番に決定する、というお釈迦様の招集により集まった順番」という説があります。そしてその結果、現在のような順番になったのは以下のような経緯からだったという話なのだそうです。

●牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だった。(コバンザメ走法のさき がけですね)

●鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたため。

●鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、 猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。 (積年の恨み極まっていますね)

●猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。
 
●13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、 毎月の最初の日を「ついた ち」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源はこの逸話からではありません。また、13番目の動物はカ エルやシカであったという逸話もある。

そして昔ながらの親からの言い伝えは「正月三が日はお金は使うな!正月に金を使うと、その年はお金に羽根が生えて逃げて行く」と言われました。そしておせち料理は毎日多忙で台所仕事をしている主婦がせめて正月3ケ日は重箱のおせちをつつくことで家事から、つかの間の休息を与えてあげようと言うことがはじまりだったそうです。そして、そして3ケ日の間は「主婦」に代わり男性諸君が「主夫」として働くのですぞっ!

 


[2656] 【2739回 松島基地自衛官ライブ】 2011-12-30 (Fri)

3.11の大参事で多くの人達が悲しみのどん底に突き落とされ、全国の多くの方たちから救いの手が差し伸べられました。被災した人たちを勇気づけるために、被災地を訪れる芸能人の数も多くありましたが、救出活動をする自衛官のみなさんを激励したのは長淵剛ただひとりだったそうです。「こんな時に歌なんか歌ってていいのか!」と長淵剛自身が悩みながらの現地訪問であったそうです。

格納庫の中に設営された仮ステージには全国から応援に集まった自衛官1500人出迎えました。自衛官たちもまた、現場で働く仲間を思い「歌を聞いてる場合か」との迷いもあったそうです。休憩日であったり、たまたまその場にいた自衛官たちがライブに参加したと言うことなのでしょうね。

自分たちの基地が崩壊しても、家族の安否がわからないままでも、市民の「助けて!」と言う悲鳴を聞き現場に走る自衛官の愛に満ちた行動をテレビで見て、長淵剛は、いてもたってもいられなくなり松島へ向かったそうです。仮ステージのライブが始まると1500人の自衛官のみなさんは「乾杯」の曲を泣きながら、大声で歌いながら、こぶしをあげながら歌ったそうです。

長淵剛が吹くハーモニカが隊員たちの中に投げられ、ひとりの隊員が、しかと受け止めました。大切にロッカーに保管し、ハーモニカを見るたびにあの日の感動がよみがえるのだそうです。

隊員の中でひときわ大きな声で歌い、泣き、こぶしをあげていた43歳の隊員は、いま青森県の航空自衛隊三沢基地で働いているそうですが「自分は家族の安否は確認できましたが会うこともできず、救出活動に専念しました。多くのものを失いながら、劣悪な環境の中で、休みもなく、肉体的、精神的にピークでしたので長淵剛さんに『君たちは日本のほこりだ』と言ってもらって元気をもらいました。泣きました」と語っておられ、乾杯の歌を聴きながら、つい私も涙ぐまずにはいられませんでした。

長淵剛は福島原発事故の後、故郷鹿児島県桜島に「疎開」をしておりテレビを見て、自分だけよければいいのかと言う自責の念にかられ自衛官の皆さんに「お前ら最高!」と声をかけたくて松島基地の訪問が実現したそうです。「励ましではなくて感謝の気持ちを表したかった」とのことでした。のちに防衛庁から長淵剛に感謝状が贈呈されたのは記憶に新しいですね。

ではその元気の出る歌「乾杯」を2011年のしめくくりとしてここを訪れて下さったみなさんで歌いませんか?

♪♪かたい絆(きずな)に 想いをよせて 語り尽くせぬ青春の日々 
時には傷つき 時には喜び  肩をたたきあった あの日
あれからどれくらい たったのだろう  沈む夕日を 
いくつ数えたろう 故郷の友は 今でも君の  心の中にいますか
乾杯! 今君は人生の 大きな 大きな舞台に立ち
遥か長い道のりを 歩き始めた 君に幸せあれ!

乾杯! 今君は人生の 大きな 大きな舞台に立ち
遥か長い道のりを 歩き始めた 君に幸せあれ!
君に幸せあれ!


[2655] 【2738回 救急車要請の有料化】 2011-12-29 (Thu)

橋下大阪市長が消防局に救急車の有料化を検討するように指示を出しました。

救急車を利用させてもらった経験のある私にとって緊急時に何とありがたいことかと感謝をするばかりです。子供が小さいとき熱性のひきつけで若かった私はどうしていいのかわからず、白目をむく我が子を見て、つい救急車の要請をしてしまいました。「部屋を暗くして安静が一番」は後で知った知識でした。子宮筋腫で病院にて診察中、緊急事態に陥り医師が救急車を呼びドクター付きで他の病院に走ってもらったこともあります。裏妙義山での脱臼時も救助ヘリは呼ばず自力で下山したものの病院の場所もわからず、とうとう痛みに耐えかねて救急車の要請をしました。救急車の中で「すみません、すみません」と謝る私を救急隊員の方は「必要な方は遠慮せずに呼んで下さればいいのです。いまのあなたは緊急ですよ!」とやさしく言って下さいました。また比良へ沢登に出かけて岩場で滑り脱臼をしたときも救急車のお世話になりました。お世話になった身としては無料であれ、有料であれ、緊急時には大切な命を救ってくれたのだからと感謝するばかりです。

昔、近所のおばあちゃんが脳溢血で倒れ、動揺する家族の代わりに私が救急車に付き添ったことがあります。病院に搬送中に息を引き取り、病院に到着すると医師が救急車に乗り込み死亡を確認されました。「救急車は帰りには乗らない、乗せない」のきまりの中、異例ではありますがと前置きをされサイレンを消して自宅まで搬送してもらったことがあります。こうして何度も救急車のありがたさを実感しました。

現在の日本の救急医療体制では、本人が自力で病院まで行けないような急患が発生した場合、救急車が要請され、最優先で治療を受けられることになっています。救急車は119番をかければ通常5〜6分で到着し費用はかかりません。ところが最近「救急車要請は無料である」事に色々な問題がクローズアップされてきました。救急車要請には2種類のパターンがあるように思います。

@救急車を呼ぶと近所にも迷惑がかかるし、自分の力で病院までいく
A呼べば無料で来てくれるし遠慮なく救急車を呼ぶ。

有料化の賛否は色々あり今後、討論されるとは思いますが、素朴な疑問として、一体いくらに設定するのだろうか?タクシーじゃああるまいし距離によって値段は決められない。またお金さえ払えば利用しても良いと今まで以上に不急不要な要請が増えはしないか、意識も無く付き添いもない人からはどう徴収するのか、支払方法はどうするのか・・・etc

不急不要な救急車要請への抑止力としての有料化であるので金額云々ではないと思いますが、人間はタダならば自分の都合のいいように利用してもいいだろう、という気持ちもどこかにあるはずです。結局それが無駄遣いにつながり、本当に必要としている人にとっては迷惑な話となるのではないでしょうか。イケイケドンドンで大きな声の人の主張が通るのではなく、慎重に検討をしてほしいと願っています。


[2654] 【2737回 1年間の書き込み回数】 2011-12-28 (Wed)

2009年12月に「ひ・め・ご・と2000回」の書き込みを迎えました。2011年12月には2736回を迎えることができました。2年間で736回も書き続けたことになります。1年365日ですから、ほぼ毎日書いた勘定になります「持続こそ力なり」ですが、時々春休みだの夏休み、秋休みをもらいロングコース登山に出かけることもありますが「留守をします」「いってきます」「ただいま」など声をかけてから留守にするようにしています。このページは私の生活の一部なんですね。目には見えないけど、お顔がわからないけど、ここを訪れて下さる沢山の仲間がいる、その方達から沢山のパワーがもらえると心から感謝しています。

書くことが見当たらないこともあります。そんな時は1日を振り返り何が一番心に残ったかを考え、小さな出来事であっても、それをテーマに決めて、集中してそのことを書くようにしています。山の事故が続くときはニュースから抜粋したりもします。ここを訪れて下さる皆さんは、私の家族と一緒だと思っていますからプライベートなこともさらけ出して書いています。

むかし、ウオーキング協会の機関誌を作成時、新年号発行にあたり理事のコメントを2〜3行欲しいと言ったことがあります。某理事から「そんなん書くんやったら理事辞める!」とわけのわからない事を言われて呆れたことがありました。

「ひ・め・ご・と」を書き続けていたら文章を書くことが苦になりません。過日「某雑誌にコメントがほしい、写真も欲しい」と言われて、ためらうことなく了解しました。文章を書くことが「ひ・め・ご・と」で習慣となっているのです。有難いことです。

気を付けていることは「個人攻撃はしない」・・・キゃハハハ一番危ないですね〜。あるときは配慮不足のバス会社を攻撃したり、山小屋のスタッフの教育不足をなげいたりもしますが、改める余地があると言う期待感があるからなのです。

来年は、カウント大好き姫にとって「3000回」が目標となり、ますます書き込みに熱がはいります。内容豊富な書き込みを頑張ります〜楽しみです。


[2653] 【2736回 大掃除に向けて】 2011-12-27 (Tue)

大掃除・・・いや〜な言葉です。

日頃から片付けてマメに掃除をしていれば年末の冷たく寒〜い時期に網戸外して大掃除しなくてもいいと思うのだけど、隣近所が網戸を外して洗い出すとなぜか気があせります。何か片付けるところはないかと偵察したところ、ありました〜!ポチの本棚です。会社関係のカタログや不要の書類が山ほど出できました。勝手に捨てると喧嘩の原因になるのでそばに付ききっきりで「いる」「いらん」の種類分けをしてほとんど捨てました。勿論本人了承済みでスッキリしました。

テレビによく出る掃除名人の言葉です。物に対して「心がときめくか、ときめかないかで決める」のだそうです。例えば書籍を買ってまだ読んでいない本は将来も読まないので「捨てる」のボックスへ。去年着ていない洋服は今後も着ないので「捨てる」。捨てようか捨てまいかと迷う物は心がときめいていないので「不用品」だそうです。

そういえば我が家には「物」がありません。我が家に来た人は「片付いているねぇ〜」とか「すっきりしているねぇ」とか言われますが物がないのです。思いつきで物を買わないし衝動買いはしないことにしているのです。

ポチが昨日憎まれ口をたたきました「お前は新しい物は絶対買わへん、ケチや!」上等な口をたたくではありませんか!そうなんです「壊れれば交換品として新しい物を買う」これが私の哲学なんです。ハハハ〜

でも部屋を見渡せば、あそこもここも片付けなければならない箇所は山ほどあります。だれか〜!片付け名人さんはいませんか〜我が家に来て秘訣を教えてくれませんか〜(誰ですか?ときめかないのはポチ自身やって言うのは・・・)


[2652] 【2735回  1年を振り返って 】 2011-12-26 (Mon)

2011年も、まもなく終わりを迎え、健康で幸せな気持ちで、2012年を迎えることができそうです。1年間、皆様のご協力を得て怪我もなく事故もなく無事山行を終えることができました。心から感謝申し上げます。

@元気な足があること
A家族に心配ごとがないこと
B一緒に登ってくれる仲間がいること

これが安全な中高年登山を楽しむ三原則だと私は思っています。いくら元気な足があっても家族が病気であったり、山行を反対したりしたら登山に集中することができません。怪我や事故の元となります。仲間に技術に才たけたリーダーがいることも安全登山の鉄則となります。2011年は幸いにこの三原則が揃い、いままでにないほどの回数で山登りを楽しんできました。わが倶楽部としては比良シリーズを達成しました。雨の日もありましたが「雨もまた自然」と楽しむことで山行が楽しく感じられました。ビール工場の見学やトンネルウオーク、トッピー鍋を囲んだこともありました。最後は温泉で締めくくりました。

鹿島槍や赤岳登山の時の山頂直下の岩場では「岩登りの技術&慣れ」が、いかに必要か体感いたしました。他の人も多分同じ思いをしたことと思います。そんな体験も含めて2012年はクライミングトレーニングを復活させました。山岳会によっては蓬莱峡、山神社、道場、雪彦などのゲレンデを替え、クライミングを楽しむグループもあります。しかし私達は危険通過のためのクライミングトレーニングですから、恐怖を感じないで頂上を踏むための訓練が必要となってくるのです。アルプスなどの標高の高い山での下山時は、岩場を避けて通ることは不可能です。しばらく練習をしていませんが、まさかエイト結びを忘れていませんよね。これも日々練習の積み重ねです。忘れかけている人は紅白歌合戦を見ながらエイトの練習を楽しんでください。私は練習時にはスワミベルトやエプロンの紐を利用して実際の登攀をイメージして練習をしています。

個人山行では何と言っても「大峯・奥駈け」これに尽きると思います。山中8泊と聞いたときの不安からスタートしました。「風呂に入らんでも死ぬことはない、水さえあれば生き延びられる」この水がなかったのですから生き延びてゴールできたことが奇跡だと思っています。ゴール前の熊野川渡渉は感動で寒さも感じず涙を流しながら渡りました。これが今年の1番の思い出となりました。そしてみやげに持ち帰った「タカサゴキララマダニ」これも忘れることができません。いつも何かやらかす奴っちゃと思われているのですがこればかりは不可抗力としかいいようもありません。診察した医者も研究材料にしたいと医学界にも貢献しました(笑)

奥駈道を歩き終えたことで「物への有り難さ」、「人への感謝の気持ち」が大きな財産となりました。奥駈けの自信が次なるロングコース「立山から新穂高」の山行の成功に繋がったと思っています。

63歳のこの年になってこんなハードな山登りができるとは思ってもみませんでした。あわてず、あせらずコツコツとトレーニングを積み、来年も「元気印の姫」でいたいと思っています。ありがとうの感謝の言葉を添えて1年を振り返りました。ありがとうございました!


[2651] 【2734回 お勧め映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」】 2011-12-25 (Sun)

パソコンで[映画 ニュース]を見ていたら三浦友和、余貴美子が夫婦役で共演した「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」のことが紹介されていました。講談師のように「見てきたようなうそを言い」ではありませんが「ミタ」つもりで紹介したいと思います。

この映画は、心温まるストーリーのほか、雄大な北アルプスを背景に富山の風土を切り取った風景映像も見どころの一つです。富山の県民性なのか撮影に皆協力的で、北アルプスの景色と電車が走っている風景が、夫婦の心情にとても合って富山の魅力を伝えてくれる物語のようです。子供向けや若者向けの映画は多いですが「中高年向け」の映画はあまりなくて、シニア権をちらつかせていってみてはいかがですか?夫婦とはどうあるべきかを教えてくれるのではないでしょうか(もう・・・手遅れかも・・)

電鉄富山(なっつかしい〜乗ったよね〜!)で働く夫が定年を間近にして専業主婦をしていた妻が、夫の定年を機に看護師の仕事に復帰したいと言い出すのですが「50歳を過ぎて何をいまさら!」「家事は誰がするのか?」「バカか!」などと理解を示さず、妻は、とうとう家を出てアパートを借りて看護師の仕事に復帰するのです。自宅で最期を迎えたいという癌末期の患者のサポートを主とする看護師の姿の妻を見ていて「何も家を出なくても家から通えばいいではないか」と言うのですが「この仕事は家事をしながら片手間にできる仕事ではない」と言い切り離婚届と結婚指輪を残し家を出て行くのです。

ある日、夫の運転する電車に自分の担当する末期患者が乗り合わせ、容態が悪化し、救急車の要請をし妻も現場に駆けつけるのですが、崖の上と下で救出不能、搬送不能の場面があり妻が崖をよじ登り、電車内で息絶え絶えの患者を手当てする姿を見て、やっと妻の仕事を理解し、離婚届に印を押し夫婦の結婚指輪2個を、妻との思いで深い公園の高台から投げ捨てて、妻の再出発を応援するのです。

そして定年の日を迎え、終点である富山駅には妻が出迎えてくれて「42年間ごくろうさま」と言って涙をながすのですが、ここで夫が新しい結婚指輪を出して「結婚してください」と申込みハッピーエンドとなるらしいです。ロマンティックやわぁ〜!中高年のみなさま!真似ができますか?

撮影を終えて、定年をきっかけに妻と向き合う夫を演じた三浦友和は、「すれ違いの原因は大事なことを言わないこと。“ありがとう”とかね」。余も「この映画が夫婦が語り合うきっかけになってくれたらうれしい」とインタビューに答えていました。

まっ、映画ですから現実とはかけ離れているかも知れませんが、定年離婚が流行する現実を見ると、まんざら虚像ではないのかも知れません。「飯は!風呂は!」は古い時代の夫の姿、定年後は夫婦一緒の趣味か、別々の趣味であっても決して相手を束縛をしない事が大切であると思います。

私の知人に定年後、チェロを買い、若くて美しいチェロの先生にあこがれて通っているうちに上達し、いまでは地域のボランティアでチェロの演奏をしているとのことでした。仕事人間の時は接待ゴルフ三昧であったようですが退職後は、そう度々ゴルフに行くこともなくなり、最初の動機は不純(笑)でしたが奥様から自立されて、ご立派!〜

夫婦とは何かで苦悩する看護師を励ます末期がんの老婆が言うセリフの中に「オからぺ」に変えなさい。そうすれば我慢が出来るはずというシーンがあります。「オットのオをぺに変えればペットになる。夫をペットだと思えば腹も立たず死ぬまで添い遂げることができる」なかなか奥深い言葉ですね。


[2650] 【2733回 青春18切符】 2011-12-24 (Sat)

アルプスシリーズ「1」和気アルプス 竜王山・神ノ上山を龍の年にちなんで新春1月7日に初登りを実施することになり参加者の皆様8名の方達の意思表示を頂きました。

運賃が嵩むことから「青春18切符」を購入することになり本日あっちこっちのチケット屋の価格を調べ廻り、私の努力した中で一番安いチケットを購入して参りました。しかし8名の参加で5枚セットでは3枚不足、2組購入すれば2枚余りと言うことで3枚分については別の方法で購入いたしました。そのため8枚購入価格が18560円となり一人2320円のお支払を頂くことになりました。

参加者の皆様!当日は釣り銭のいらぬようにご準備下さい。納山祭でお願いいたしましたが例会出発前には必ず「みんなの広場」を見て頂くようにお願いいたしました。だからこの内容も徹底通達できているものと信じています。「えっ?そんなん知らんかった」と言うことの無いようにお願いします。

「家政婦のミタ」がテレビ視聴率トップを取ったそうで小学校でも流行しているらしいですが、そのセリフを借りて「承知いたしました」あるいは「ミタ」などを書き込みして頂ければ、どんなに安心することでしょうか。よろしくお願いいたします。

大阪駅周辺はクリスマスイヴなのか人出は多いものの、デパートのケーキ売場は長蛇の列でした。今年は豪華なクリスマスではなく、ホームパーティでささやかにするのが主流だそうです。亡き義兄がよく言っていたセリフです「儂しゃクリスチャンちゃうぞ!」と嫌われ口をたたいていました。我が家でも少し早めの一昨日のうちに「あわてんぼうのサンタさん」がやってきて子供たちの希望のプレゼントを置いて帰ってくれました。「サンタさんをミタことがある」と子供たちの中で話が盛り上がり、今夜は寝ないでサンタさんを待つのだと張り切っていました。夢があっていいですね。あと3年くらいは大丈夫でしょうかね。


[2649] 【2732回 年賀状投函完了】 2011-12-23 (Fri)

山に登ったり、温泉に行ったりで年賀状が後回しになっていましたがやっとポストに投函することができました。在職中と違い枚数も少なくなり、
150枚ほどでしょうか。あとの50枚は返信用の予備として残しています。

「どうせ出すなら元旦に届いてほしい、どうせもらうなら元旦の日に読んでみたい」しかしみんな年賀状への思いはそれぞれで大晦日にすべての家事を終えてからゆっくり書く人や、元旦に書く人とさまざまなスタイルがあると思います。元旦の年賀状が楽しみならばなおの事心をこめて1枚、1枚書き上げました。字の上手下手ではありません。1枚の葉書が心を運んでくれるかどうかだと思います。

「手が震えて書けんようになったけんねぇ」ここ2〜3年は80歳を過ぎた恩師からの年賀状は電話に変わっていました。しかしその電話の声すらも聞くことができなくなってしましました。

「22年5月7日美智子さんへ  柳川通」虫の知らせか恩師の家を訪ねた時「何かいる物はありませんか?」応接間でそう言われました。書棚を見ると私の著書「あおげば尊し」の本がありましたのでサインをせがみもらってかえって来たのです。「ほんまは反対じゃけんどねぇ」著者が読者にサインするのが本来であるということを指摘し、やさしく微笑む恩師は、もうこの世にはいなくなりました。

そんな恩師への年賀状はポストに入れることが出来ないため、その本の中に「栞」として差し込んであります。


[2648] 【2731回 鬼太郎さまさま】 2011-12-22 (Thu)

●境港市は「鬼太郎さまさま」

納山祭で湯快リゾート「皆生温泉」を利用して感じたことなんですが、あんなにも童心に返れるのかとレポートを書き上げながら、また写真を整理しながら思い出し笑いをしています。

まず水木ロード押したスタンプの整理をするのが楽しいこと、楽しいこと!惜しいことに6か所押し忘れがありました。靖ちゃ〜ん!手帳に押したスタンプをガイドマップに移し替えるために、切り貼り完了しましたか〜?

「ゲゲゲの鬼太郎」は私達の年代だからこそ共感が持てる街だと思いますが、それでも若者の皆さんも沢山訪れる「水木ロード」の魅力は、もっともっとたくさんの人に知ってほしいですね。今度は青春18きっぷを使い米子駅からJRに乗り鬼太郎駅まで行ってみたい気もします。「鬼太郎」・「ねずみ男」・「ねこ娘」・「目玉おやじ」などの列車が走っているそうです

水木しげる氏の漫画に登場する妖怪たちのブロンズ像の写真が沢山あり、名前と出現地などを調べています。行ったことのある人も、無い人も楽しんでもらえると思います。水木しげるさんの奥様著作原案のNHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の人気も手伝って「境港は鬼太郎さま・さまですよ」といったタクシーの運転手さんの笑顔が理解できます。

アーケードの約800m(徒歩約15分)の間では全部で139体の妖怪達が並んでいます。行く前に事前調査をしていけば、もっと楽しかったことでしょう。例えば、最初にスタンプマップを買い求め、往路は右側歩行、復路は左側歩行をすれば、ほぼ全部見て歩くことができます。「たかが妖怪・・・」と思っていて、ただ散歩するだけだと思っていたのですが意外と楽しかったです。水木しげるロードの商店街には鬼太郎グッズのショップがずら〜り。鬼太郎茶屋、鬼太郎焼き(大判焼)、鬼太郎・目玉おやじ・ネズミ男・一反木綿・砂かけ婆などを型どったパンなど境港でしか買えないキャラクターグッズが盛りだくさんあったらしいですがスタンプ探しに必死になりすぎてほとんど見ていないのです。

観光協会にメールをしたのですが「スタンプ台」のインクがひからびてスタンプを押しても全然用を足していないものがたくさんあります。定期的に見回り新しい物と交換してほしいですね。せっかく押しても、インクが薄くて見えにくいものがありました。それが観光の街として客に満足してもらえる原点だと思います。


[2647] 【2730回 温泉効果】 2011-12-21 (Wed)

テレビのコマーシャルで「♪私のカカトはこんなもん♪」とサボテンにストッキングを履かせているシーンをご覧になったことがあると思います。冬場の時期、特に女性は加齢に伴いカカトがカサカサになってストッキングを履くときに破れそうで難儀をするのです。まっ!最近はストッキングを履く機会もなくなりましたが・・・。

しかしカカトのカサカサに、温泉効果は抜群で湯治から帰ってからはカカトのカサカサがきれいに治っているのに気が付きました。そして今回の皆生温泉と最近温泉三昧をしているせいかカカトの悩みがどこかに飛んで行ってしまいました。喜ばしいことです。

皆生温泉の泉質は、「マグネシウム、硫酸塩、メタケイ酸」の3つの美肌成分が含まれているそうです。分類としてはナトリウムカルシウム塩化物泉で65度から83度と言われています。お湯が少し塩辛かったのはこの成分だからだと思います。

皆生温泉の起源は地球を大循環する地「水があたためられ海水も一部混入して出来たと考えられるカルシウム分の多い地球の恵みです。皆生の温泉に入浴すると、含まれている塩類が皮脂を溶かして薄いヴェールのように肌を包み込み体の芯から温まります。しかも還元系の温泉ですから肌の老化を防ぎアンチエイジング健康にもよい効果をもたらします。「ホカホカ・ツルツル健康と美旗を作る」そんな温泉です。足湯を楽しんだ皆様の効果のほどはいかがでしょうか?

皆生温泉の温泉街は、昔は栄えていただろうの面影はあるのですが「元気な宿」と「元気のない宿」が建物の外から理解できます。浴衣を着て、ゲタを履いて街を散策する宿泊客はほとんど見かけません。大きなホテルは館内で全てがまかなってしまうため、街に出て行かなくてもホテルの中で充分楽しめるようになっているのです。

昔、協力会社の社長さん達の会で三朝温泉に行ったことがありました。夕食が済むと浴衣の上に丹前をひっかれてカラ〜ンコロンと宿の下駄を鳴らし街にみんなで出かけたりしました。三朝温泉の街並みは、ネオンが沢山点いていて賑わっていました。(但し何十年も前の話ですが)

「入るぞ」先頭を歩く酔っぱらいリーダーの掛け声に混じって入ったのが何とストリップショーだったんです。怖いもん見たさもありましたが、目の置場に困りました・・・・舞台の上の女性と、それに群がる男性を交互に見た覚えがあります。

どこの温泉街も昔は男性優先の遊び場の様に思われていましたが、今では女性や家族連れがほとんどで健全さが売り物になっています。一度ホテルに入れば女性たちは館内で充分楽しめるのです。だからこそ格安の「湯快リゾート」や「大江戸物語」のようなホテルが女性のリピーターに人気なのでしょう。


[2646] 【2729回 水木しげるロード】 2011-12-20 (Tue)

「孫を連れて来たら喜ぶやろうなぁ」きっと参加者の何人かは思ったことでしょう。しかし「ゲゲゲの鬼太郎」ってなあに?って言われること間違いなしですよ。ここは我々の年代が懐かしく楽しむコースだと思います。その証拠に靖ちゃんと姫・・・見てみぃ〜!スタンプ集めに子供よりはしゃいでいたで〜そして着ぐるみのゲゲゲの鬼太郎が町を歩いていた時の観光客の子供みましたか〜親にしがみついて「こ〜わ〜い〜」って泣いてたよ・・・あれはやっぱり60歳過ぎた我々が懐かしく思い出を語りながら歩いて楽しむところやで〜

一反木綿、砂かけ婆、目玉おやじ、座敷童子、ねこ娘、鼠小僧、こなき爺・・・ほらスラスラと言えるでしょ?では「ゲゲゲの鬼太郎」の歌が歌えますか?  ♪♪サン〜ハイ♪♪

ゲ ゲ ゲゲゲのゲー 朝は寝床で グーグーグー
楽しいな 楽しいな おばけにゃ 学校も
試験もなんにも ない ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

ゲ ゲ ゲゲゲのゲー 昼はのんびり お散歩だ
楽しいな 楽しいな おばけにゃ 会社も
仕事もなんにも ない ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

ゲ ゲ ゲゲゲのゲー 夜は墓場で 運動会
楽しいな 楽しいな おばけは 死なない
病気もなんにも ない ゲ ゲ ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

ねっ、ねっ歌えたでしょ!共通の話題で楽しかったですよね。コミック漫画界の三大父子関係といえば、
@星一徹と飛雄馬
A海原雄山と山岡士郎
B目玉おやじと鬼太郎

と言われています。どの家族も、母親がいなくて、父と息子の喧嘩が絶えない中に愛がある漫画と言えどもほのぼのとした物語でした。その中でも目玉おやじと鬼太郎が一番父子円満と言えるのではないでしょうか。

年忘れには、もってこいのコースであったと自負して、ほくそ笑んでいる姫がいます。私の子育て時代は「漫画禁止」「ゲーム禁止」の教育ママを地で行く厳しさがあったと40歳過ぎた息子達に言われます。しかし日曜日の夜の「アルプスの少女ハイジー」や「母をたずねて三千里」などは親子で一緒にテレビを見た記憶があります。


[2645] 【2728回 ミステリーツアーの行先は。。。】 2011-12-19 (Mon)

納山祭ミステリーツアーの行先は「鳥取県・皆生温泉」に来ています。みなさんリュックではなくお洒落な街着にバックで気分は「旅行」です。(そりゃそうや山には登りませんと公表したも〜ん)

蒜山高原サービスセンターで昼食休憩、外は真っ白な雪景色でした。蒜山三山や大山は霞がかかり美しい姿は見ることができませんでした。「湯快リゾート」の達人の忠太郎さんの協力を得て、湯快リゾートを満喫することができました。

翌日は「水木しげるロード」を童心に帰りキャッキャッはしゃぎながら楽しみました。山登りのない納山祭りも、なかなかいいものですね。詳しくはレポートの仕上がりを待ってて下さいね。

帰りのバスからは蒜山三山や大山がくっきりと見えました。「来年も元気で山に登りたいなぁ!登るぞ」そんな気持ちに奮い立たせてくれました。1年ぶりの仲間もいました。毎日ホームページを見てくれている話を聞き、感謝の気持ちでいっぱいでした。

来年は「花を愛でる平地歩き」も想定に入れて、もっとたくさんの人達に参加をしていただけるようにしたいと思います。

ご参加いただきました皆様!ありがとうございました。楽しいレポートに仕上げますね。


[2644] 【2727回 18日・19日・は納山祭り】 2011-12-17 (Sat)

いよいよ明日から納山祭りに出かけてきます。出かける前にここを見てくれている参加者が何人いるのか不安ですが「出かける前は掲示板がわりに」を習慣として頂くために少し書いておきたいと思います。

納山祭の申し込みをする段階で、予約先が定まらず行先を「ミステリー」として募集をしました。「それもおもしろい!」と賛同を頂き12名の皆様に参加頂くことになりました。予約がとれた後でも「当日まで行先はミステリー」として楽しむことにしました。ご協力ありがとう!

参加者の中には「どこに行くか言ってくれへんと寒いのか温いのか着る物に困るわ!」そんな声も聞こえるかも知れません、しかし当初から『湯快リゾートの中国、北陸、東海、南紀のいずれか』と公表しています。北海道を除く、これらの地域の温度は同一と判断し、大きな心でご理解頂ければと思っています。

昼食は、お弁当持参でも、サービスエリアで摂っていただいても結構です。「腹が空いた時が昼飯」と、おおらかにお考え頂き旅を楽しんでください。新大阪駅で集合したら、簡単なミーティングをします。全員集合されたところで(忠太郎ご夫妻は天王寺からバスに乗ってきます。)まず行先の発表をさせて頂きます。指定されたバス座席の前後は自由ですが横は指定席とさせて頂きます。

ホテルにバスが到着したら、先着順のためカラオケルームの予約に走ります。部屋の鍵をもらい一旦、荷物を置いたら300円分の酒の肴を持参し、カラオケルームに集合して頂きます。そこで1年を振り返る親睦会に入ります。来年の予定表の説明もします。(カラオケは歌っても良し、歌わずとも良しで目的は会議室として使用したい)万が一カラオケルームの予約が取れない場合は男性部屋にて親睦会。

ほどよい時間を見計らい温泉に浸かりましょう!1年間の心の垢をおとし夕食を頂きましょう。夕食後は男性部屋にて二次会といたします。早く寝たい人や温泉三昧を楽しむ人は参加自由ですので気兼ねなくお過ごしください。

翌日のホテルの出発は、どのコースを見ても午後の出発となっています。ミーティングの時にご案内しますがジャンボタクシー1台、タクシー1台に分乗し街並み散策となるかもしれません。その時のタクシー代2000円を余分に持ってて下さいね。(電車で移動しても往復2000円以上はかかります)

さぁ〜、さぁ〜、さぁさぁさぁさぁ〜こんだけ説明して何人の人が出発前に見てくれるか見ものでっせ〜!ホンマでっせ〜!

そんなわけで18日〜19日まで出かけてきます。


[2643] 【2726回 山と渓谷 1月号】 2011-12-16 (Fri)

瑞牆山と金峰山の真ん中の位置にある富士見平小屋と小屋の管理人・相川友比古さんのことが山岳雑誌 『山と渓谷』2012年新春号の71ページと72ページの山小屋トピックス、TOPIC 1・山小屋最新事情 TOPIC 2 ニューフェイスに紹介されましたのでお知らせします。使用されている写真は私達が提供したものです(表紙の富士見平小屋情報をクリックしてご覧ください)

改装後、宿泊施設として利用できることを知らない登山者の皆様のために、そして何よりも山を愛する管理人さんの気合の入れように感銘を受けホームページや地図作成会社などに働きかけました。今回は『山と渓谷』新春号に紹介されています。本屋やコンビニでの立ち読みでも結構ですので、ぜひご覧頂き、一人でも多くの方の小屋の利用があればうれしく思っています。

各山々の小屋のスタッフさんも季節毎のアルバイトの方達が多く、時々応対に腹立たしいことがあります。富士見平小屋管理人さんのように山の話をじっくりとしてもらえる事はあまりありません。次なるは「名物小屋番人」を求めて登山をするのも楽しいかもしれませんね。

シーズン中の小屋は、混雑が予測され、テントの方が快適なことが多いです。そんな時は、夕食・朝食だけ予約をするとか、利用方法を工夫すれば楽しくなるはずです。石楠花の時期もいいらしいですよ。

来年の予定表が掲載されています。来年は3ケ月毎に企画をたて発表する予定です。ご覧になるとわかっていただけますが「岩登り」も平日に組み込まれています。土日の岩場はラッシュのため、ゆっくり練習ができません。できないどころか先客がロープを垂らしていれば使えない場合もありますす。そんなわけで岩上りは平日に予定を立てました。

赤岳登山での感想ですが、やはりアルプスだけのことあって、頂上直下は岩場を避けて通過することができません。少しづつ練習を繰り返しておけば、岩がお目見えしても楽に通過できるのです。鹿島槍登山のキレット通過の様に最初から覚悟をして行っても、やはり戸惑う場合もあります。いかなる場合も頂上直下はきつい岩場だと想定してトレーニングに励みたいと思っています。

過日登った独鈷山は「信州の妙義山」と言われるほど岩のゴツゴツした山だそうです。しかし当日には雪が積もっていたためゴツゴツ感はありませんでしたが、どの山も険しい顔を持っているものですね。六甲山とて舐めていたら大変な目に遭います。いつも慎重に怪我の無いように(姫に言われたないわ〜)楽しい登山を楽しみましょう!