[2936] 【3049回 瑞牆山と金峰山のツアーを読んで】 2012-12-26 (Wed)

『奥秩父連峰の盟主金峰山。奇岩巨石の岩峰が数多く立ち並ぶ瑞牆山。奥秩父連峰随一といわれる展望は、上越の山々から北・中央・南アルプスの山々、富士山までが一望できる。アルプスに比べると積雪は少なくラッセルとなることは少ないが、雪と岩のミックス路面のアイゼン技術が必要となる。初日は早めに宿について練習しよう。』

こんなチラシを目にしました。えっ?早めに宿について練習しようって?宿の周辺は練習するような積雪はないし冬の瑞牆山ってそう簡単に登れませんよ。それにアイゼントレーニングを短時間で練習して、いざって本番に向かうには、あまりにも危険じゃありませんか?それに途中に富士見平小屋があるのにそこを通過して下の山荘まで降りて宿泊し、翌朝また1時間以上かけて富士見平小屋の分岐まで下から登って来て・・・こりぁあ大変だぁ!

私達は富士見平小屋に今年6回も訪れているので地形がよくわかっているので、このツアー可哀そうだなぁって思ってしまいます。ヘロヘロになって小屋前を通る登山客が帰りに言う言葉は決まって「え〜っ!ここで泊めてくれるんやったら下に降りたくない〜!お料理もそんなにご馳走なの?疲れているのにいまから降りて、また明日ここまで登ってくるのは嫌だよ〜」もう何人もの登山客から聞いたことでしょうか。こんなに素晴らしい山小屋があるのに「事前調べが出来てないのかしら下まで降りていくのは大変だね」と登山者を慰めながら見送っていました。

行く山を決めたら山小屋情報にアンテナを張りつめて、タイムスケジュールをしっかりと立てて、体力的にどこの小屋が一番楽なのか無駄なアップダウンはないか調べてから山を訪れたいと思います。駐車場のある山荘から富士見平分岐まで登り1時間、下り30分かかります。大阪からバスで瑞牆山と金峰山の登山口まで行けるのはとても魅力なのですが宿泊先に二の足を踏んでしまいます。それに「初日は早めに宿について練習しよう。」というのも不安です。


[2935] 【3048回 安全なツアー登山のために 】 2012-12-25 (Tue)

「山に登りたいが仲間がいない。一人ではいけない」そんな方のために登山に対する強い思いをかなえられる一つの手段として「ツアー登山」があります。私はまだ一度もツアー登山に参加したことがありませんが(グループ全員でツアーに乗っかった事はある)どんなシステムなのか興味津々です。

まずツアー登山では、参加者が計画やら交通機関、山小屋などへの予約等の渉外の必要性が無く、ついて動けば目的地に到着すると言う団体行動による安心感があります。しかし、自分自身の知識不足や体力不足に、危険性が隠れていることに気づかずに参加し、遭難してしまうケースが多々あります。過去にツアー会社の怠慢により事故などを起こしていないか調査し、信頼できるツアー会社を選ぶことが大切となってきます。ガイド、添乗員が不足しアクシデントに対応できない、無理な行程で、天候が悪いのに登山を強行し遭難してしまうケースもあります。

●参加者は、登山の知識、技能、装備を備えるとともに、登山における危険性を認識しましょう。
●参加するコースが、自分の体力、技能にあったものかをよく検討しましょう。

遭難は標高の低い山や日帰りハイキングでも発生しています。「連れて行ってくれるからついて行けば大丈夫」という甘い考えを捨て、登山に対するしっかりとした自覚をもって参加しましょう。

参加の意思を固めたら「現地実地調査、直前調査・情報収集」など参加者が余裕をもって登山できる日程、予備日の設定、急な日程変更、アクシデント発生時の行動など具体的な計画の作成がしっかりしているツアー会社を選ぶことが安全登山に繋がります。

募集段階で「登山コースの難易度を正確に明示しているか」「参加者の登山歴の記入欄があるか」「健康状態を把握し持病などを添乗員が把握できるか」「出発前の事前の説明会や講習会、トレーニング参加」などを開催しているのか調べる必要があります。

北海道トムラウシ遭難事故はツアー登山参加時の参考になるのではないでしょうか。出発前にツアー会社による参加者の装備チェックも絶対必要と思います。私達は登山に出かける前には山行荷物をリュックに詰め、歩荷訓練をし、リュックの中身を参加者全員でチェックするように心がけています。不要の物、不足の物がわかり適切な荷詰で出発できます。

各山岳会が率いる団体登山では大勢が列をなして登っていますが一般登山者にとってこんな迷惑はありません。私達グループは速度が遅いことから、いかなる時も道を譲る様に指導を受けてきました。できれば7〜8人をグループ分けしてもらいそれぞれにしっかりしたリーダーをつけてもらいたいものです。「登り優先」だと言い、10人も15人もゾロゾロと大きな顔をして登ってくる団体がありますが途中で列を中断して「ゆずる」と言う気持ちの持ち合わせも必要です。団体登山は7〜8人でグループ分けをし時間差を充分取って山行していただければお互いが気持ちよく山を楽しむことが出来ます。

山岳保険の必要性は言うまでもありません。私達はヒマラヤ登山出発前に現在かけている山岳保険のほかに(ピッケル・アイゼン使用可・6000bまでの事故ならば対応できる)と明記された海外適用の山岳保険をかけました。そのおかげで現地で風邪で病院にかかり、一時立て替え払いはしましたが帰国後日本の医者にかかった分も含めて(但し同一病気に限る)保険会社に請求することができました。まだ支払ってもらっていませんがいずれ返金される予定です


[2934] 【3047回 世間はどこもクリスマスセール】 2012-12-24 (Mon)

デパートを歩いても、どこのスーパーに行ってもクリスマスソングが流れ、クリスマス用の商品やご馳走が所せましと並んでいます。我が家にも25日の夜にサンタさんが来るかも知れないと孫たちが泊まりに来る予定です。我が家のサンタさんは3階のベランダからやってきます。孫たちは徹夜をしてサンタさんに会うのだと言います。あと2〜3年は大丈夫かな?・・・(笑)

そもそもサンタさんはなぜ靴下の中にプレゼントを入れるのでしょうか。毎年この話題を掘り出している気もしますが、最近のこどもたちがサンタさんに要求するプレゼントはどんな大きな靴下を吊るしたとしても入らない大きなプレゼントになっています。

クリスマスにまつわる伝説です。伝説ですから幾通りのお話があると思いますが私が調べた資料によると・・・

「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知りました。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れたそうです。このとき暖炉には、洗濯物をした靴下が乾ききれていないため暖炉のそばにに吊るしてあったそうです。煙突から投げ入れられた金貨は干してあった靴下の中に入ったそうです。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられたそうです」。この話が由来となり、「夜中に煙突から家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝説が生まれています。子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子でオモチャではなかったそうです。この由来からスーパーなどの店先には、大きなブーツの形をした器の中にお菓子を入れてあると言うわけです。

クリスマス、バレンタインデー、ホワイトデーなどと西洋のお祭りがまことしやかに日本にも伝わっていますがチョコレートを売りたいがためのお菓子屋さんの商法に消費者が乗っかっているのです。昔、大の大人が自分の所属する部署にチョコレートを配りましたがただ一人だけ貰わなかった男性がいて、貰った人達もきまづい思いをしたと耳に入りました。その次の年から社内での「チョコレートの受け渡し禁止」とお触れを出したことがありました。人を傷つけてまで西洋のお祭りに参加しなくてもと思った次第です。

故・義兄はいつも「オレは日本人や!クリスマスは西洋の祭りごと。関係ない!」と言い、子供たちへのプレゼントはしませんでした。かと言って子供たちは夢や希望に胸をワクワクさせていたため「みっちゃんのおばちゃん」登場となったのです。その子達も新年を迎えると成人となります。今度は老婆となった私がプレゼントをもらわなくっちゃあね。


[2933] 【3046回 梅田までブラ〜リ】 2012-12-23 (Sun)

22日の土曜日、雨が止むのを待って久しぶりに梅田まで歩きました。モンベル、好日山荘、ロッジ・石井と、さながら登山道具の店めぐりウオークみたいでしょ。すれ違う人をよけるだけで大変です。エベレスト街道ではロバやゾッキョのほうがきちんと列をなして歩いていると言うのに、日本では携帯を打ちながらど真ん中を歩いて見たり、ど真ん中で立ち話をしたりと歩きにくくてたまりません。人混みに疲れました〜。

ある登山用品店の登山靴売り場の前で見た光景です。高齢の男性が店員さんに向かって「あのなぁマイナス20度に耐えられて、氷の壁を登れる靴ってどれや?」の質問に思わず足が止りました。えっそんな靴あるんやったら私も買うてアイランドピーク登ったのに・・・(笑)登山靴はさておき、失礼ながら、そんな過酷なところに行ける様なお姿とは見えませんでしたが一体どこの山を目指しているのでしょうか?5万円以上の靴の前で真剣に悩んでおられましたが、そんな魔法の靴を買ったとて、あと何回履けるのでしょうか?(大きなおせわかなぁ)どこに登るのか聞きたかったんですが、くれぐれも事故の無いようにお願いしたいと思います

それにしても相変わらず店先には「屋久島に行こう」「穂高に行こう」のキャッチフレーズのもとにウエアーの宣伝合戦が目にとまります。屋久島に行くには、穂高に行くには登山レベルがどれくらい必要なのか、登山技術はどのくらいいるのか、登山教室への参加を誘う方が事故に繋がらなくていいと思うのですがウエアーさえ整えば行けると思わせるのはいかがなものかと思ってしまいました。

私はいま、アイランドピーク登頂を終えた現在、次なる目標が見つかりません。新年を迎えるごとに体力が低下していく事を自覚し、ゆとりのある山行をと考えています。「山小屋を見たら宿泊」これが中高年登山の安全対策かもしれません。ネパールで学んだガイドの「マッチンドラー歩き」とでも言いましょうか、とにかくゆっくり、ゆっくり登りつめて行く方法さえ身に着けていれば何日歩き続けても大丈夫だと確信しています。

スノーシューの時期になりました。心躍るとまではまだ行きませんが比良山系の赤坂山には行きたいと思っています。昔一緒に歩いた仲間のみなさんに、お誘いすれば一緒にスノーシューを楽しんでもらえるのかしら?


[2932] 【3045回 奥秩父で忘年会】 2012-12-22 (Sat)

アイランドピークの写真を見て富士見平小屋に飾りたい写真があるというあるじの希望でタタミ半畳もあろうほどの大きなパネルを車に積み込み、今回は小屋泊まりという事でテントなどの荷物もなく身軽い出で立ちで12月19日午前7時大阪を出発しました。阪神高速、名神高速を乗り継ぎ中央道「長坂出口」を通り、通い慣れた瑞牆山駐車場に向けて走る予定でした。ところが前夜、緊急連絡が入り、あるじの体調がすぐれない為、忘年会会場を富士見平小屋から長坂にある、あるじの豪邸に変更との連絡を受けました。あるじの体調も心配で直接顔を見たいという事で「中止」にはせず、せっかくの申し出を遠慮なくお受けすることにしました。私達はどこにでも伺います〜!

通い慣れた伊那トンネルも、笹子トンネルの天井板崩落事故があってからはじめて通過するため今までは「長いトンネルやなぁ」と思いながら通過していましたが「落ちてきたらどうしょう」と恐怖の通過となりました。1車線は封鎖し工事中の車が何台も何台も停まっています。笹子トンネルの天井板崩落事故を受けて点検作業の様です。いつも大きな事故があってからでないと動かないのが日本の公共事業の特徴です。

当初の予定では増富温泉は凍結の可能性があるため黒森経由で行くことにしていましたが長坂の町であればタイヤーチェーンの装備は不要です。でも「備えあれば憂いなし」と言う言葉もあり準備万端で出発しました。

あるじの豪邸は「やまたび倶楽部」のメンバーも訪れた事のある豪邸でお屋敷と表現した方がいい様な、大きなたたずまいです。豪邸の2階の窓から横須賀のお祭り野郎たちが「はやく〜早く〜」と言わんばかりに手を振ってくれています。大きなパネルにみなさんが驚いている様子です。残念ながら今回は山小屋の定位置に取り付けることは出来ませんでしたが座敷のよく見える場所に鎮座されることになりました。

「おめでとう!」みなさんから口々に声を掛けて頂き、実感が湧いてきました。年間300本しか生産しないと言う貴重なワイン(しかも1升瓶)と何と私達のアイランドピーク制覇のラベルを貼ったシャンパンが2本飾られていました。心憎い演出です。そして・・そして・・乾杯に入る前に、富士見平小屋管理人ご夫妻からのプレゼントと言うことで私達にピッケルの贈呈がありました。(写真はプログに掲載)

あるじは若かりし頃エベレスト遠征隊に加わった経験者でネパール事情に精通しています。ピークを踏んだ登山家は自分の生涯の記念の品を世話になったガイドさんやポーターさん達にプレゼントしてくるのだそうです。私達がネパールのガイドにクライミング装備一式を進呈したことを耳にする前に「彼らなら、きっと現地の人達にプレゼントして日本に帰ってくるはずだ」と考えていたそうです。そしてピッケルを2本買って下さったそうです。後日、私達のレポートを読み「やっぱり!儂の目に狂いはなかった!日本人の鏡だ!」そう言いながら私達の訪問を待っていて下さったのです

ピッケルはジョンの分と2本贈呈していただきました。お留守番役のポツチーにもブレゼントを頂きました。感動で言葉がでませんでした。思いがけないプレゼントに遠く奥秩父まででかけてきて、横須賀からかけつけてくれた仲間とも合流でき、忘年会が盛り上がったことは言うまでもありません。

じつは・・私達アイランドピークの詳しいお話をするのは初めてなんです。何度か飲み会をしてもらいましたがメンバー全員が山好きとは限らないために、さわりだけ話してあとは共通の話題だったのです。今回は全員が山好き仲間のためスタートしてからゴールまでの話をするのは初めてでした。話すたびに感動が蘇ってきました。ネパールの人々の人間の良さで締めくくりました。

鍋を囲み、飲むわ、食うわ、喋るわでしたが、都会の密集住宅と違い隣近所からの苦情などはありません。山小屋の消灯時間は午後8時30分ですが、既に11時を過ぎていました。誰も「さぁ寝ようか〜」と言い出すものはいませんでした。あるじは一滴のアルコールも飲めませんが最後まで付き合って下さいました。やっと解散したのは時間不明です。横須賀組は2階の客間に、大阪組は1階の客間に横になり爆睡しました。

朝は鳥のさえずりで目を覚ましました。広い庭先には鳥たちの餌場が何か所もあり2階の窓から餌を差し出すと手の平に乗りついばむのです。そして2階の窓からは雪化粧をした富士山が見えるのです。自宅から富士山が見えるって素敵でしょ?

今回は富士見平小屋には行きつきませんでしたが管理人ご夫妻の愛情たっぷりの鍋に、思いがけないプレゼントまで頂き、更に私達が「忘年会会費」として差し出したお金そっくりを金峰山&瑞牆山の救助用具の購入に充当されたそうです。

富士見平小屋ホームページを開いて見ると下記コメントともに私達5人の名前も書かれてありました。

『山岳事故レスキューの救助用具をご提供いただき、ありがとうございました。山岳事故が無いことを祈りながら、救助体制は確立しておきたいと考えております。よろしくお願いします。』・・・日本の鏡は富士見平小屋管理人ご夫妻!貴方達ですよ!山を愛し、登山者の安全をいつも考え怪我人と聞けば間髪入れずに救助に向かっている登山者の鏡のような管理人さん!でも体力がだんだんと低下して行く昨今・・・無理はしないでほしいと願うばかりです。


[2931] 【3044回 おでかけしてきます】 2012-12-18 (Tue)

12月19日から21日まで富士見平小屋に行ってきます。今年に入ってなんと5回目の富士見平小屋訪問です。雪の富士見平は2回目〜!よほど、「あるじ&こあるじ」が気に入ったと見えますな。(その通り〜!)富士見平小屋で横須賀のお祭り野郎たちと合流して忘年会をしようという企画です。と言うか「富士見平小屋後援会の総会」とでもいいましょうか。(そうかい、そうかい)

ネパールの人々がとても心温かく良い人達だった事は何度もお話いたしました。しかし日本にもネパールの人々に負けない志を持った山男はいるのです。それが富士見平小屋の「あるじ&こあるじ」なのです。私は山小屋と言えば「受付をして代金を払い食事だと呼ばれるまで部屋で過ごし食事を終えると寝る」のイメージしかありませんでした。

某小屋ではリンゴを剥くために包丁を貸して欲しいと頼んだところ「危険ですから貸せません」と言われ、では剥いてくれとリンゴを差し出せば「衛生法がどうのこうの」あげくはそんな時間はありません!と断られたことがあります。また別の小屋では平日で小屋全体の宿泊者は私達のグループだけと言うのに次に入って来たソロの宿泊者を同じスペースに放り込むといった配慮の無さでした。受付時にそんな事の無いようにあれほどに念を押しておいたのに。!また某小屋は、雨でズブ濡れ状態で小屋に到着しても「床に水滴が落ちるので合羽は乾燥室に入れないでください」と言われたりしました。

本当は小屋の名前をハッキリ書きたいくらい今思い出しても腹立たしいのですがネパールから戻り少し人間が変わったのです。小屋にも事情があったかな、日本にも富士見平の様に心くばりのできる小屋もあるじゃないか、そんな小屋を探して登山すればいいじゃないかと思うようになりました。これを「ネパール効果」と名付けたいと思います(笑)ネパールのポーターさんの過酷な労働にも関わらず、いつも笑顔で接してくれたことを思い出せば心に余裕を持てると思っています。(いつまで続く〜かな?)

しかし理不尽なことへの抗議、またマナー違反などにおいては、いままで通り活火山でありたいと思います。エベレスト街道で100sを超える戸板を担ぐポーターの行く手を妨げた外人を叱った話を書きましたが、万が一、ポーターが体位変更すれば崖の下に落ちるのです。それを黙って見過ごせば再び同じことを繰り返すと思います。「言わねばならないときは言う」登山者全員がそんな気持ちで山に入る、これが山のマナーを改善する近道だと思いませんか?

★お願い★
私が19日から21日までの留守の間に「60000回」の訪問者が出そうです。留守だからと言って黙って帰らないで下さいね。足跡を必ず残してて下さいね。後日記念品を進呈させて頂きます。⇒私で「59931」カウントでした。本日の私のパソコンから何度訪問してもカウントはあがりません。1機種1日1カウントなのです。


[2930] 【3043回 ヘルメットの必要性】 2012-12-16 (Sun)

長野県警の調べで4人に1人が頭部を負傷するという統計が明らかになりました。「ヘルメへットの着用が生死を分けます!登山者の滑落や転倒時の安全のために、また、安全登山の心構えとして、ヘルメットを着用しましょう」永年私達が訴え続けてきたヘルメットの着用を、最近やっと長野県警が登山者に呼びかけはじめました。

テレビのトラマ番組で北アルプスの山岳救助隊を取り上げたドラマを見たことがありますか?救助要請をうけ現場に救助に向かうのですが隊長の腰にはヘルメットがブ〜ラブラとぶら下がっており「持ってるのやったらかぶらんかいなぁ!」と突っ込みをいれたくなるシーンがしばしば目に入り、ヘルメット着用派の私達を怒らせました。(テレビ画面に向けて怒るだけですが)監修したスタッフも気が付かないのでしょうか。

14日・金曜日の深夜に放映されている「山登り大好き・雪彦山編」でもガイドが無帽であったのが気になりました。雪彦山頂上に到着して「帽子は事故防止や防寒のためにかぶりましょう」と言っていたのですがガイドが帽子をかぶらずに登山をしていて説得力ないなぁと矛盾を感じました。素人の女の子に指導役としてガイドが付くのですが、防寒用ならニット系、歩行用には登山帽をかぶり視聴者から突っ込みを入れられないようにしてほしいと思って番組を見ました。「プロのガイド」と名がつけば登山者のお手本となってもらわないといけません。

奥穂高岳から西穂高岳に縦走中バランスを崩し長野県側に約150b滑落し手足を骨折する重傷を負うもヘルメットを着用しており頭部の負傷は無しという事故もありました。

ヘルメットへの登山者の偏見はひどいもので登山口でヘルメットを装着している我々を見て「どこの沢登り?」「えっ〜このコースにヘルメットの必要な危険場所ないよねぇ」明らかに嫌味の言葉を聞こえるように私達に浴びさせているのです。リーダーが我慢の緒が切れた時に言う決め台詞があります「ヘルメットをかぶって歩いたからと言って、あなたにどんな迷惑がかかりますか?」言葉は丁寧ですが頭から湯気が出ています。

転倒防止は勿論ですが木の枝や倒木で思いがけずゴッツンコした経験はありませんか?ヘルメットを着用していれば怪我をせずに済みます。「夏は暑いし〜」と嫌がる人がほとんどですが登山用ヘルメットは空気穴があいていて、むしろ布製の帽子より風通しがよいです。突風が吹いてもアゴ紐がきちんと止めてあるので風に帽子を持って行かれることはありません。

下記に遭難事故についての長野県警のデーターを添付します。

http://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/jouhou/hel.htm


[2929] 【3042回 正月を迎える準備】 2012-12-16 (Sun)

お隣さんが年末恒例の網戸洗いを始めました。隣組では年末の風物詩となっています。「おっちやん〜!、夏に洗えば冷たくなくてエエのに」と言うと「正月を迎える前に洗うから値打があるんやで〜」家によって、それぞれ習慣があるのですね。という事で我が家もそろそろ大掃除をしなくてはいけません。何から手を付けるかと言うと・・・特に何もありません。(笑)強いて言えば「年賀状の作成」でしょうか。我が家の年末は「年賀状書き」で、網戸など洗う気はない様子です。

幼いころはお正月を迎えると言えば、まず散髪に行きました。田舎では縁側でバリカンを片手にお父ちゃんかお母ちゃんが散髪をする光景をよく見ましたが、お正月前だけは散髪屋さんでしてもらいました。新しいズック(今のスニーカー)と新しいネル(シャネルの略称ではありませんよ現在のフリース素材)の洋服を買ってもらい新年には、どの子も新品の洋服と靴を履いて凧揚げや駒廻し、羽根付きなどを楽しみました。お年玉?もらった記憶はありません。今ほどに流行してなかったと思います。現金をもらったとしてもお店が近くにないのです。お金より羽子板を現物支給してもらう方が嬉しかったのです。カッキーン、羽子板に当たった時の羽根の音の響きが思い出されます。現在は凧揚げは電線に引っかかるだの、駒と言えば現代風の「ベイブレード」、羽根付きなどしている子供を見ることもなくなりました。都会では遊ぶ広場がないのでしょうか。

おせち料理も頭痛の種です。姑から受け継いだ通り毎年おせち料理を作り続けていますが果たして家族の間で喜ばれているのかどうか・・・。正月用の上等のお肉をタップリ買ってシャブシャブや、すき焼きなどの方が喜ばれるのかも知れないなと、悩むところです。毎年「今年は作らんとこっ!」と独り言を言いながら何故か元旦には重箱が並んでいるのです。「日本は素晴らしい!」そう改めて感じている今日この頃、お嫁ちゃんや孫たちに日本の伝統を伝えるのも婆さまの役目かも知れませんね。

新年までの2週間で不要の物を廃棄し、部屋の片隅に散らばっている物を元の位置に収納し、天気の良い日にシーツなどの大物を洗い、ブラインドを拭き・・・?そうだっ!お年玉の用意をしなくっちゃあ〜。といいつつも温泉に行く算段をしている姫なのであります。

我が家の正月を迎える準備は「年賀状の完成」だと、重い腰をやっとこさで持ち上げ書き始めました。退職して4年・・事務員をやめ文字を書くことが少なくなりヘタな字が余計にヘタになりました。でも宛名書きをしながら、宛先の人の顔やかかわりなどを思い出しているとヘタクソであっても年賀葉書のもつ意味は充分相手に通じると自負しています。

「年賀状は25日までに投函してくださ〜い」テレビの画面からそんなコマーシャルが流れました。「わかってるっちゅうねん!」思わずテレビに向かって喋っていました(笑)せっかく出すのなら元旦に届いて欲しいと願いつつ、何とか富士見平小屋訪問までに完成しておきたいと思っています。


[2928] 【3041回 登山での着替え荷物】 2012-12-15 (Sat)

ネパールに23日間という長期間に渡り滞在しましたがその中で「登山での着替え」の必要性について少し考え方がかわりました。いままでは登山に出かける前の荷作り段階で「着替えを持ったところで何キログラムも増えやしないだろう」と宿泊日数分だけの着替えを携帯しました。しかし3000メートル級の山々は高度が上げるに従い汗をかくこともなく就寝前に濡れコットンで身体を拭くだけで充分であることに気が付きました。直接肌に触れる下着や靴下は宿泊数に見合った数を持ちますが他は省略して荷物を軽くして登山すれば体力の消耗が少なくてすみます。

今回ネパール行きの荷物をする段階で「どうせポーターさん預けだから持って行こう」と着せ替え人形じゃあるまいに「写真に写るとき同じ服ではまずいかな。どうせ自分が担がないし・・」とズボンやシャツも多目に持って行きました。

私の配慮の無さの荷作りでポーターさん達の苦労を毎日、目の当たりにすると何と浅はかな考えであったろうと帰国後に反省しています。(遅いよ〜!)事前打ち合わせ書には、ポーター預けは20sまでとありますが15sにしてあげるとポーターさんの負担も軽くなります。

私の荷物が20sとします。ジョンが20s、だいたい2人分をひとりのポーターさんで担ぎます。そしてポーターさん自身の荷物が10sあるとすれば17歳から18歳の少年が毎日50s担ぎ登って行くことになります。これを15sにすると10s軽くなる計算です。あれもこれもと詰め込んだことに反省しきりです。ズボンは1本、シャツは2枚あれば充分でした。

毎朝出発前に手バカリ(長年の勘)で重量を計り、ポーターさん達の重量負担を平等にしています。17歳だからと言って容赦はありません。一人前の労働者としてみんな平等の様です。日本のような上からの命令形は23日間、一度も聞いたことがありませんでした。みんな過酷な労働にもかかわらず愉快で笑顔で働いていました。一日の終わりにトランプを楽しんでいた姿をみた時は「ああまだ彼らは少年やったんやね」と感じたぐらいです。

ウッチー会長が高度障害で別行動を取る時、サブリーダーとその甥だというポーターの少年がコンビを組みウッチー会長に付き添いました。親族であるという事が仲間割れを防ぐのだそうです。現在のメンバー結成する前の昔の話だそうですが、エベレスト街道をポーターたちが歩いていて喧嘩が始まり仲間割れの果てに、ポーターさんが怒って登山者の荷物をホッポリ出してスタスタと自分の村に帰ってしまい困まった事があったそうです。リーダーはあちこちに手を尽くしましたがポーターが見つからず、急きょロバを雇い、山行を続行したという話があったそうです。その苦い経験から同族(ライ族でまとめ親族同志を雇う)の中でリーダーシップの取れる人に全ての人材の振り分けを任しているのだそうです。細かなことには口を出さないビシャール社長も偉いですがみんなを束ねるマッチンドラーなる人物も大物でした。これぞ「管理職の鏡」とお見受けしました。

日本の会社においては、実力のある部下がいれば上司を追い抜くのではないかと心配し仕事を任せきれない上司がいます。また部下の育成がヘタクソな管理職もいます。日本の企業は、管理職研修先をネパールと決め、管理職とは何ぞや、上司はこうあるべきだを勉強してくれば、部下から尊敬され、会社組織もうまくいくのではないでしょうか(部外者がスンマヘン)


[2927] 【3040回 免許返したらええことあるで〜】 2012-12-14 (Fri)

12日の研修会で高齢者の交通事故が多発していることや高齢者ドライバーの事故多発に伴う免許証返納制度について学んでまいりました。

高齢者ドライバーによる交通事故が増えています。高齢ドライバー(65歳以上の人を言います)による交通事故は、平成14年の10年前からみると約1.5倍増えています。
「運転中にヒヤリとすることが多い」または「家族から運転を心配されている」の方達を対象に大阪府警は運転免許証の自主返納を考えてみてはいかがでしょうかと呼びかけています。
●自動車を運転しないので、免許証を返納したいという方は、運転免許試験場や警察署で運転免許証を返納(申請取消し)することができます。
●運転免許証を返納された方は、運転経歴証明書の交付をうけることができます。
●失効した運転免許証を返納された方については対象外です。

運転経歴証明書を提示することにより、運転免許自主返納サポート企業等で様々な特典を受けることが出来ます。(大阪府在住の65歳以上の方で、運転免許証を自主返納された方が対象となります)

★運転経歴証明書の特徴(平成24年4月1日以降の新様式)
@公的な身分証明証として生涯使えます。
A申請が可能な期間は運転免許証の返納5年以内で、交付手数料として1000円が必要です。
B住所や氏名が変わったときは、法令により届出を義務付けられており変更事項は備考欄に記載されます(無料)
C紛失や破損したときに、再交付の申請をすることができます(有料)

★運転経歴証明書を提示することでサポート企業から受けられる特典があります。

(A)ショッピング
高島屋・ビジョンメガネ・メガネの三城・アシックス・スズキ自販近畿

(B)グルメ
ドミノ・ピザ・ピザーラ・ストロベリーコーンズナポリの窯・太閣園・はや・炭蔵西中島・中華料理ベルビュー・創作料理四季彩・中国料理燦宮・呑気放亭・スターダスト

(C)レジャー
やまとの湯・スパスミノエ・スパヒルズ・乗馬クラブレイン大阪・服部緑地乗馬センター・空中庭園・天王寺動物園・大阪YМCA・

その他
日本通運・セコム・摂津水都信用金庫

特典内容や問い合わせ先などの詳しい情報は、協議会事務局(06-6944-9290)までお問い合わせください。大阪府交通対策協議会のホームページは下記の通りです。    

   http://www.pref.osaka.jp/dorokankyo/anzen/


[2926] 【3039回 施設見学に行ってきました】 2012-12-13 (Thu)

1995年より始まった「今年の漢字」は12日清水寺で『金』と発表されました。「おかね」のイメージではなくオリンピックの「金」、金環日食の「金」、ノーベル賞の「金」etc.の理由で選ばれたそうです。私の中の「金」は勿論アイランドピーク制覇できたことでしょう。

12日は地域団体の研修会に出掛けてきました。集合時間は午前11時30分、何とまぁ中途半端な時間でしょうか(笑)事前に昼食時間は午後3時になることを伝達していましたので誰からも不平不満は出ないものの腹の虫はグーグー鳴っていたかも知れません。何故に中途半端な集合時間かと言うと、これには深〜い理由がありまして・・・

今回の研修先は阪南市にある「和泉学園」平成4年に和泉少年院から和泉学園と改称し少年たちの更生指導に力を注いでいる施設です。参加者総数13名のうち2名欠席で11名の出席です。中型バスは前部が普通席、後部がサロン席となっています。往路はビデオ研修も含まれていることから前部の普通席に座ってもらうようにお願いしました。ドライバー無し、ガイド無し・・・そんなわけありませんね。ちゃ〜んと女性ドライバーさんは乗っていました。(ボーイッシュな女性で、半分の人は帰りに女性ドライバーであることを知った人もいました・・オソ〜イネ)

ガイドもどきを何年振りかに致しました。ちょっと勘が鈍っていたかも知れません。今回は1時間ちょっとで目的地に到着の予定です。午後1時15分からの施設見学と時間指定をされていますので到着が早くても遅くても気になるところです。崖っぷちの泉佐野市の話から始めました。財政難から市の名称を企業名や商品名に変更する命名権の売却などを検討してスポンサー募集をした話をしどなたかスポンサーになる人はいないか聞きましたが返答がありませんでした。11月に行われた交通安全技能コンクールのビデオを鑑賞し出場者となったWさんの勇気ある行為を称え選外となったことが悔しくて来年も挑戦したいと力強い発言に一同拍手。(内心・・・自分に役割が回ってこないことにホッ!)

罪を犯した少年たちが、施設の中で罪を悔い規律を学び、共同生活をすることによって社会に順応できるように指導を受けていました。ここを退院してから二度と舞い戻らないと言う本人の硬い決意と家族、地域の協力で更生することを心から祈らずにはいられませんでした。

施設見学の後は犬鳴山温泉で昼食・夕食どちらでもない「中食」の膳を囲むため山間部を30分ほど走りました。こんなところに温泉郷があるのかと思うほどの山の中を走ります。冬に移り変わるために葉は枯れ模様ではありましたが残り紅葉も車窓から楽しめました。

犬鳴山は修験道の霊場であり、大峰山より6年早くに開山されたそうです。全国でも有数の行者が今も修行に集まり、行者の滝では滝に打たれる修験者の姿が見られるそうです。特に犬鳴山は女人大峰とも言われ、女性の行者も多く修行されています。ふもとの温泉街は、七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)の門前町であったところから犬鳴温泉郷として今日に至っています。

犬鳴山には義犬伝説があり、西暦957年〜961年、紀州のある猟師が鹿を追って滝のあたりに来た時、連れていた愛犬がうるさく吠えたてました。そのせいで獲物を取り逃がした猟師は、怒って犬の首をはねてしまったのです。愛犬の首はそのまま踊り上がって、猟師を呑もうと狙っていた大蛇にかみつき、蛇とともに息絶えてしまいました。犬が吠えたのは、主人の危急にいち早く気づき、救おうとしたからでした。この心を知った猟師は悔いて修行者となり、愛犬をねんごろに供養し、また自分の田地を不動堂に寄進しました。この時より犬鳴山というのだそうです。

午後3時30分「紀泉閣」到着です。お部屋の名前が 「平塚」「箱根」「府中」「沼津」「掛川」などの東海道五十三次の宿場町の名前が付いていました。窓から見える犬鳴山系の四季折々の風景が心を癒してくれました。午後5時30分犬鳴山を出発しバスの中は第二部に突入しました。後部座席のサロン部分は狭いながらも10人が座れるため全員(ひとり爆睡してた人あり)が後部に移り、ビール、日本酒、焼酎を飲みながら、私が持ち込んだジャンルを超えた歌集「歌のサロン」で開いたページを歌うと言うゲームもどきで盛り上がり、楽しく仲良く歌いました。10人ほぼ一周歌い終わると次はカラオケタイムです。

バスの中のカラオケは一番を熱唱すると「END」と文字が出てカラオケがストップするのです。(こりゃいい〜!)世の中のスナックは全て「1番を歌い終わるとEND」にならないものでしょうか!3番まで歌いたい人は自分専用のカラオケボックスに行けばいいのです!(賛成〜)


[2925] 【3038回 遭難事故多発】 2012-12-12 (Wed)

「3組7人が遭難。群馬・長野・新潟3県で」

突然の大雪であちこちで遭難事故が多発しています。平年を上回る雪が一気に積もった10日から11日にかけて、山梨県と長野県にまたがる南アルプスと群馬、新潟両県で登山の3組7人が一時遭難。5人は無事救助されましたが1人が死亡、1人が行方不明となったと報じられています。

●11日午後0時25分ごろ、南アルプスの仙丈ケ岳(3033b)6合目付近の登山道で、倒れている男性1人を長野県警が発見。意識がなく心肺停止状態で、県警伊那署は既に死亡しているとみている。53歳の男性と弟で47歳の男性のどちらかとみられています。

●群馬県の武尊山(2158b)では27歳と26歳の男性が遭難したが、11日午前11時半ごろ県の防災ヘリコプターが発見、警察官が現場に降りてつり上げ、救助しました。

●新潟県の越後駒ケ岳(2003b)では東京の山岳会の50〜64歳の男女3人が遭難したが、自力で下山し11日午後、大湯温泉の国道で救助隊に保護された。

この報道の後の情報は、日々変化していると思いますが第一報はこのような報道内容でした。冬山の登山経験などは詳しく書かれていませんが山岳に詳しい大学教授のコメントは「この日は大荒れと気象予報でもテレビ、新聞でも報じていたはず」と批判めいたコメントをしていました。

冬山装備はアイゼン、ピッケル等を持つと、かなりの重量になります。冬山を目指すときは歩荷トレーニング、アイゼントレーニングを積み、必ず冬山経験者がメンバーの中にいることが必要かと思います。悪天候でビバーグも想定される事から出かける時には家族にもきちんと(予定通り帰宅しなくても装備完備しているので1日ぐらいは大騒ぎしないように)と言い置いて出かけることも話し合っていた方がいいと思いませんか?

テレビの画面から救出された登山者の代表が「私達は決して遭難していたとは思っていません」と話していました。家族は予定日に戻らなかったら「即・遭難」と警察に通報します。勿論命にかかわりますので早いにこしたことはありません。でも家族の登山技術がどの程度なのか(素人かベテランか)を知っておく必要もあります。素人であったり単独登山であるならば制止すべきです。制止できなかった場合は家族にも責任があると思います。テント、寝袋、コンロなどを装備として持っているベテランであれば、きっとビバークしているはずだと信じてもいいのではないでしょうか。

とにかく日頃から自分の家族がどの程度の雪山の技術を持っているのか、知っておく必要があると思います。私は19日から奥秩父の富士見平小屋に出かけます。道路の凍結を想定してタイヤチェーンを購入しました。購入しても取り付け出来なければ何の役にも立ちませんのでガレージで装着の練習をしたり、取扱説明ビデオを見たりしてイメージトレーニングをしています。機種によって取り付け方法が違うため安易に考えない方がいいと思います。オートバックスでは現在は品切れも出て機種によっては入荷待ちだそうです。

車で出かけるときもスノータイヤやタイヤチェーンなどの雪仕様装備を、また、これからの登山は里山であっても軽アイゼンをリュックに入れておく必要があります。事故のない楽しい登山をするためには装備を充分に、装備が用意できない時は春まで待ちましょう。山は逃げたりしません。

(カゲの声)・・・冬山でした味わえない楽しみ方もあるよ〜
(見守り隊)・・・それなら迷惑をかけないように安全登山をしてね〜


[2924] 【3037回 屋久島に行きたいのですが・・・】 2012-12-11 (Tue)

私の知り合いの人が家族で屋久島に行くと言ってっておられました。行く前に「合羽はいりますか?」「スニーカーで歩けますか?」と、私が屋久島に行ったことがあるため、色々とたずねてこられました。まず私のホームページ2010年をクリックして頂き10月の屋久島のレポートを見て頂くように話しました。そうなんです!。こんな時にレポートが役に立つのですぞ!どのコースを歩き、どんなアクシデントがあったのか、縄文杉までは無理かな etc. 出発前にレポートを読み研究をされた様子でした。

林 芙美子著の「浮雲」の最後は屋久島を舞台にしていますが、その中で「屋久島は月のうち、35日は雨」と書かれており、屋久島の雨の多さを表現しています。そんな中でビニール合羽にスニーカーは少々危険ですという事で私の持っている登山道具(合羽と登山靴)を使って頂くことにしました。車で移動につき、使わなければ車に置いておけばいいと説明しご家族で出発されました。

屋久島から戻り連絡を頂きましたが「雨には逢わなかった」とのことでした。屋久島で雨に遭わないなんて、とてもラッキーなファミリーですこと!私達はずーっと雨ばかりの山行でしたのに・・・!合羽と登山靴があったことから縄文杉まで行き、とてもよい思い出になったと喜んでおられました。少しお節介かとも思いましたが一度きりの観光のために合羽と登山靴を買いそろえるのは勇気がいります。そうかと言って合羽なしは心配です。特に雨の多い屋久島は!たまたま靴のサイズもピツタリだったことも幸いしました。

雨は降らなかったけれど防寒用に合羽を着用したが、手入れ方法がわからない、どうして返却すればよいのかとのことでしたが「そのまま返して頂くのが一番良い」と伝えました。洗ってから返却したいと言う気持ちは有難いのですが姫流の手入れ方法があるため、洗わずにそのまま返却してもらいました。

私は合羽は風呂の湯ぶねで洗濯した後、陰干しの後、乾いたら防水スプーレーを吹き再び陰干し。乾いたらハンガーに掛けてクローゼットの中に保存しています。山行の直前にリュックの大きさに折りたたむのです。そうする方が合羽が長持ちする気が致します。ダウンもまぁるく袋に入れて収納せずにハンガーに掛けクローゼットで保存します。そうする方が羽毛に負担がいかずいつまでもフッカフッカで着用することが出来ます。大切な装備の品々は手入れ方法次第でとても長持ちします。64歳を過ぎると新規購入したとしても何回使うだろうかと考えると今現在持っている装備を大切に使う方がいいと悟りました。(そう言いながら登山用品店によう行くなぁ〜)但し経年劣化などによる安全面に問題のある時は買い替えが必要です。


[2923] 【3036回 一足早い成人式】 2012-12-10 (Mon)

正月早々にケンタッキーの大学に交換留学する姪の子(一刀水の孫)が一足早く成人式を迎えることにしました。留学のため日本で行う成人式には出席できず「ひとり成人式」をすることになったそうです。振袖を着て挨拶に来てくれました。いまから貝塚市にある一刀水の墓地に晴れ姿と留学の報告に行くと言います。では私も付き添いでという事になり貝塚まで行ってきました。

姪の子の着ている振袖は、私が嫁入りの時に結納金で買った着物です。すご〜く昔に遡りますが昭和44年に輿入れの際に、お姑さんに「ご近所周りの挨拶に着て行く振袖はあるか?」と聞かれました。両親もおらず身ひとつでよいと言うから着物なんぞ持っているはずがありません。それを伝えると現在ほどレンタル着物が盛んではなく「では結納金で一式揃えましょう」という事になりました。お姑さんは和裁の達人で着付け教室の仕立てもしており目利きもよく、その時代にしては珍しく草色の金糸の入ったどちらというと「地味」な感じでした。ピンク系の流行していた昭和44年代にしたら少し変わった色ではありましたが、結婚式のお色直し、ご近所のあいさつ回り、友達の結婚式(結婚したら振袖は着ないといいますが若かったし何度も着ちゃったよ〜)姪の成人式にも貸出し母子二代で袖を通したことになり、何度も出番がありました。(ブログに写真掲載)

さすがに40年も経つと、裏地にはシミも目立ちますが写真撮影には充分耐えられます。また「こんなお古嫌や〜!」と言うような娘ではありません。それどころか「この振袖を着ることに意義がある」と母親に言ったそうです。だから余計に草色の振袖がよく似合っていました。私の時よりも似合っていたかもしれません。両親に似ず聡明で(こりゃまた失礼!)奨学金で留学ができるのだそうです。

留学のための試験に合格した時は大喜びし夢も大きく膨らんでいましたが、大学で各国から来ている留学生に囲まれて毎日、毎日「何のために留学するのか、ビジョンは何か、将来の夢は、あなたの考えは甘い!」と矢継ぎ早に質問攻めに合い自信を失い、留学することをためらい、とても悩んでいました。母親もどうして慰めたらいいのか分からないと言うので、アイランドピークに出発前でしたので登山に例えて手紙を出しました。

未知の世界への不安は勉強でも、仕事でも、遊びでもある。山頂を目指していても体調不良、技術不足、気象の変化などで途中で引き返さなければならない場合もある。それでも未知へのチャレンジをしたことに後悔はない。留学を断念すればいつか必ず後悔する時が来る。だからまずは外国に行き見聞を広めてくれば日本の良さ、両親の有難さがわかるはず。もしどうしても耐えられない時は勇気ある撤退をすればいい。もっと気楽に羽ばたいて見れば!そんな内容だったと思います。

『みっちゃんのおばちゃんへ
振袖受け取りました。ありがとう。成人式には出られないけど写真撮ってみっちゃんのおばちゃんに見せられたらそれで充分です。お手紙の返事すぐに出せなくてごめんなさい。感動で涙がでました。すごく励まされたし一人じゃないって思えるような手紙でした。出発が近ずくにつれて慣れた環境から抜け出すことが凄く怖いことに思えて来て、正直留学するかどうか悩んだけど、今は行ってみないとわからないって気持ちになることができます。みっちゃんのおばちゃんが言うようにこんな機会は二度とこないし、行かなかったら後悔すると思います。行ったら楽しいことばかりではないと思うけど辛いことばかりでもないと思います。みっちゃんのおばちゃんの手紙も持って行って悩んだときは読み返します。読み過ぎてボロボロになるかも!(笑)本当にありがとう!』

この子は私がネパールに出発する際、深夜にも関わらず両親と空港に見送りに来てくれたトモちゃんです。ガンバレ!


[2922] 【3035回 蕨岡・舞の森会・関西支部】 2012-12-09 (Sun)

「蕨岡・舞の森会・関西支部」・・えっ?何の団体?どんな団体?と思われるかもしれませんが今年の春に50年ぶりに開催された私の故郷四万十市蕨岡中学校(私は中学校は大阪)の同窓会の名称です。4月22日から24日に賑々しく京都で開催されてから、途絶えていた旧交を復活し時々連絡を取りあっていたのです。「秋ごろまた会いたいね」「10月からヒマラヤに行くから・・・」「じゃあ無事にもんて来たら会おう!」そんな約束をして春に別れました。

「もんて来たかねぇ?」お国訛りの幼馴染みの声です。大阪に40年暮らしていてもお国訛りは消えないそうです。私も50年以上も故郷から離れていますが土佐弁が違和感なく喋れます。再会場所は利便の良い大阪駅周辺でということで会場を探し、関西周辺に住む幼馴染みに連絡をしました。連絡係はミサオちゃん。会場探しはミッちゃん。一人に負担が偏らない方法で役割分担をしました。関西に住む8人に声を掛け6人が出席。後は姫路、岡山からも参加するということで8人の出席です。・・・(ブログに写真掲載)

マルビルの1階に「CARAT」と言うバイキングレストランがあり下見に行くと、りっぱな個室がありました。早速そこを予約しましたが人数が8人だとしても10人部屋につき10人の料金を支払わなければいけないそうです。団体でお国訛りが出ても気兼ねなく話せる場所として最適。ここなら大阪駅から迷わずやって来れるでしょう。来年の松山での同窓会の打ち合わせもあるしサプライズもあり何かと便利な個室を予約致しました。

きた〜きた!懐かしい顔・カオ・かお!春にあったばかりですから「あんた誰?」と言われずに済みました。個室に入るとまず用意されていたシャンパンで乾杯し、バイキング料理を取りに行ってもらいました。バイキングが面倒だという人もいますが食材に好き嫌いのある人にとっては、バイキングはもってこいだと思います。120分の時間制限なので挨拶、連絡事項は「中村流」・・・つまり堅苦しい枠にはまった式次第は省略ということです。お腹がいっぱいになったところで来年の伝達事項、これからの役割分担などを提案しました。

この日は「ミホちゃん」の64歳の誕生日。スタッフの方にケーキをお願いしたら、快く準備をして下さりケーキと記念撮影までサービスして下さいました。部屋の照明をくら〜くしてケーキを運んできて下さったときの「ミホちゃん」のびっくりした顔!とてもうれしそうで私達まで目頭がウルウルしてしまいました。個室の特権でハッピーバースデーの歌を歌いローソクを消し、和やかな時間はアッと言う間に過ぎて行きました。記念撮影の写真は「ミホちゃん」には、りっぱな額に入れてもらい参加者全員にもちゃ〜んと頂きました。時間制限がなければ夜まで居座ったかも知れない居心地のよいレストランでした。

最近はネパールのスタッフの対応の良さを述べてきましたが日本にもいましたよっ!。人数変更の対応、急な注文の対応、サプライズのそのまたサプライズなど最高でした。何と言ってもお料理が美味しい!ネパールとちゃうなぁ〜!しかもここのステーキは最高!3回おかわりした人もいました。

バイキングと言えば二流の食材かと思われるところも多いのですが「大阪マルビル」の看板を背負っているからでしょうか一流品ばかりでした。大満足でした。早速帰りに予約方法をスタッフに聞いている幼友達もいました。「次からも、ずっとここにしようね。次は私の誕生日にしてや〜!」よほどミホちゃんの誕生祝に感動したのでしょう。

ちなみに昨日の集まりで蕨岡・舞の森会の「関西支部」を立ち上げました。支部長にはミサオちゃん、事務局にはミッちゃんが今後の同窓会の関西地方の連絡係ということにしてシャン・シャン・シャン!


[2921] 【3034回 アイランドピークのレポートが長編すぎるってか?】 2012-12-08 (Sat)

或る人がアイランドピークのレポートを見て「写真だけで充分や・・・文章が長すぎる」こんな内容を発したと耳に入りました。姫はことのほかショックを受けています。「では貴方がこれに代わるレポートを、あなたの言う短編で23日分、私達のアップするスピードで書いてみてよっ!」そう叫びたいです。人の文章を批判する時は代替え品を準備し「私ならこうする」と喧嘩を吹っかけた方が勝ち目があります。(うん・うん・そのとおり〜!)

人から聞いたそのまんまを私達に伝えるのも配慮がないと言うか何と言うかクッション役どころか油を注いでしまいましたね。それを伝えたところで私のホームページなのですから、誤字脱字ならともかく、作成方法云々を言われたとしても人生の航路が違うように作成方法も人によって違うのです。「この事を姫達に伝えるのはまずい!」と言う配慮はなかったのでしょうか。覆水盆に返らずで私の心は大きく傷つきました。まっ・・レポートがちょっと長かった事は事実ですが読みやすいように日程毎に区切りを入れていますし、そう批判されることはないと自負しています。何せ23日分ですから!

私達は自分たちの山行の足跡を細かく伝え、今後ネパール地方に行かれる人の参考になればと書いてきました。勿論自分たちの記憶を鮮明に残すためもあります。今回、出発前に充分に情報説明のなかったおかげで現地で右往左往した私達の二の舞を踏むことのないように次の人へのメッセージのつもりで仕上げたのです。アイランドピークだけではなくどの山行も同じ思いで書いてきました。それを否定されるという事は・・・・ショックです。

★私がレポートを作成する方法★

山行が決定したら行程ごとに小さなノートを作り通過する地名を書き込んでおきます。所轄の警察署、山岳救助隊の連絡先などは分かり易い所に大きく記入しておきます。地図を見ながら所要時間もノートに書き込みます。標準時間を1.5倍することも忘れません。地図に記入の所要時間は40歳代の話、私は60歳代、同じ時間で歩けるはずがないことを自覚し、無理のない山行計画を立てます。それを目安にし、実際にかかった時間を書き込みます。利用する交通機関、山小屋、諸費用、なども調べておくのは勿論ですが車での移動の場合は燃料費、高速代はいくらかかるなどを調べ実際に走りながら金額を書き込めばよいようにして準備をします。車だと2時間先のサービスエリアをチェックし運転交代の目安にします。

出発して目に入るものは全て箇条書きにノートにメモします。こうすることで後日レポートを仕上げる際に順番がよくわかるのです。「あとで書こう」と思っていると忘れてしまうのです。今回は23日間と言う長い行程でしたので毎日、夜になると箇条書きしたメモを振り返りながらレポートを仕上げました。メモの字が汚くて読めない時も多々あります(笑)

今回、苦労したのは集落の名前がとてもよく似ているという事でした。ポーターさんの名前も覚えるのに大変でした。でも仕上げて見るとメモを取っていてよかったなぁと思っています。ポーターさんと心をひとつにして山行を一緒にするうちに、名無しの権兵衛さんでは失礼だと気付くのです。写真撮影で並んだ順に名前を聞いてメモして行きました。こんな時、特徴のある人は早く覚えられますね。また特徴ある服装や誰かに似てるなどの顔の特徴もあれば楽チン〜!

参加者のみなさんも、それぞれにメモを取っていましたが何を書かれていたのか興味をそそるところです。


[2920] 【3033回 ガイドさんへのプレゼント】 2012-12-07 (Fri)

ネパールトレッキングガイドのマッチンドラー氏は来年2月、クライミングガイドの講習を受けるために40日間ポルチェに行くと言っていました。日本では趣味でクライミングの腕を磨きますがヒマラヤのガイドたちは職業として訓練を受けて資格を取り一人前になっていくのだそうです。そんなマッチンドラー氏の装備は、まだ全てレンタルで、貰った賃金の中から自前で支払っているのだという厳しい現実を目の当たりにしました。日本では作業服、安全靴、ヘルメットなど会社から貸与される仕組みになっており自腹でと言えば労働組合が黙ってはいないでしょう。アタック日は1日だけなのですが最終の集落でレンタルをしアタックを終えてその集落に戻るまで5日間〜7日間かかれば日数分の支払いをしなければなりません。

●アイゼンは友だちに借りたから(1日100ルピー×7日間)=700ルピー
●ピッケルは友だちに借りたから(1日100ルピー×7日間)=700ルピー
●ハーネスは友だちに借りたから(1日100ルピー×7日間)=700ルピー
●ユマールはチュクンのロッジで借りて(1日200ルピー×5日間)=1000ルピー
●カラビナとシュリンゲはチュクンのロッジで借りて(1日200ルピー×5日間)=1000ルピー、何と合計で4100ルピーとなります。

4100ルピーは現地の彼らにとっては大金です。ガイドの人柄も好感が持てたことから全ての山行が終わったルクラのロッジで、彼を呼び、今後レンタルが発生するであろう装備(アイゼン、ピッケル、ハーネス、ユマール、カラビラ)を、私とジョンとでプレゼントすることにしました。新品ではありませんがアイランドピーク登攀を成功した記念の品です。大切に使っていましたので、道具の手入れはきちんと済ませています。彼は「サンキュー!サンキュー!」と大喜びでした。ジョンに至ってはスノーブーツのサイズが合致したこともあってそのスノーブーツも置いてきました。ジョンの赤いヘルメットも「少し古いけどこれもいる?」と聞くと「OKね」と嬉しそうでした。クライミング登攀道具一式をもらった彼の驚きと喜びの顔はいまでも忘れません。

彼が来年2月、40日間のクライミングガイドの講習の間、毎日レンタル料金が発生しているのかと思うと協力しないではおられませんでした。私達が装備を揃えるとき、給料を貰えば登山用品店に行き、ひとつひとつ買い揃えました。合羽と登山靴を買おうものなら10万円はすぐ使ってしまいます。勿論ネパールでも買いそろえることは出来ると思いますが、まずは私達のプレゼントした装備でクライミングガイドの試験に合格し、アイランドピークを何度か経験し、其ののちに自分の道具として新品を購入すればいいと思っています。(また給料を貰ったら少しづつ補填します・・・そうや〜4年前から給料はないんや〜!どうしましょ!キャハハ)

エベレスト登山を目指した人が言いました。「私も登攀道具は現地の人に差し上げてきました。」その話を聞いて山男の心は共通なのだと嬉しくなりました。


[2919] 【3032回 飲めないのに・・・飲み会大好き 】 2012-12-06 (Thu)

アイランドピークから無事帰ったら祝杯をあげよう!多くの人達からそう言ってもらいました。

@11月23日、勤めていた会社の後輩たちから「お帰りなさい会」をしてもらいました。

A12月5日、「ヒマラヤの話を酒の肴に飲む会」ジョンの山仲間による飲み会に金魚の糞としてついて行きました。

B12月8日、「元気にもんたら会いたいちや〜」四万十市の幼友達によるミニ同窓会を大阪マルビルで開催予定

C12月19〜20日「制覇おめでとう」富士見平のあるじ主催で横須賀のお祭り野郎立ちも合流して忘年会の予定(雪道が心配のためタイヤチェーン購入)

D12月未定「生きて帰れてよかったのぉ」高校時代の友人

E来年1月、「ネパール登山はワシが先輩じゃ〜の会」高校時代の友達

いま決まっているのはこれだけです。あまり飲めないのですが口が達者だから・・・酒の場は嫌いではありません。アルバムが間に合えばみなさんに見てもらおうと思っています。

話は変わりますが、四万十に住む従姉妹情報ですが「みっちゃんテレビの『遅咲きのヒマワリ』見ちょるかい?」そういわれてチャンネルを合わせました。四万十市の寂れていく商店街をどう盛り返すか若者達の生き様みたいなストーリです。あまり感動が伝わらなかったのですが若いタレントが多く出演しているので撮影場所の「佐田の沈下橋」には撮影があろうがなかろうが多くの観光客がアリの如くゾロゾロと押し寄せているそうです。沈下橋のたもとに住む親戚は「買い物に出るにも通行規制があって困る」そうです。

私が気になるのは出演者たちの中村弁のアクセントがちょっと〜ヘンなのです。方言指導はちゃんとしていると思うのですが同郷人としてはちょっと違うなぁって感じてしまいます。四万十市に住む従姉妹と電話の後で、切り際に私が「またゆっくりドメコウよ」と言いましたら「みっちゃん〜!、そんな言葉、中村でも今は使わんぜぇ〜久しぶりに聞いたわ〜」と冷やかされ、ケラケラっと楽しそうに笑いました。10月に実姉を亡くして落ち込んでいた従姉妹は久しぶりに笑えたそうです。中村を出て54年・・土佐弁を忘れていないことに自分自身も驚いています。「ドメク」とは「お話しようよ」と言う意味なのです。


[2918] 【3031回 アルバムづくり】 2012-12-05 (Wed)

アイランドピークのレポートと写真のアップが完成して一息ついたのもつかの間、続けてアルバム作りに突入いたしました。(だれか助けて〜!)写真は人によって価値観が違い「自分の脳裏に焼き付けておけば良い」とおっしゃる方もいらしゃいますが、私は「写真は旅の領収書」だと思っています。いくら多額の参加費を支払っても、美味しいものを食べたとしても「登って来たよ。旨いもん食って来たよ」と言ったとしても何の証拠も残りません。その点、写真は一目瞭然にその時の光景を蘇らせてくれます。文明の発達により各自がそれぞれにパソコンに取り入れたりプリントしたりして思い出の保存をされていると思いますが、今回は参加者全員の賛同を得てアルバムにすることに決定しました。絵本のような写真集です。(ブログに見本写真を掲載)

山行期間23日、写真枚数5000枚・・・気の遠くなるような枚数です。5千枚の中から選びに選び抜いて「B5版」サイズ80ぺージ(製本限度は80ぺージ)を4冊作成します。「同じ山に登ったんやから4冊同じものでエエやないの!」と言うとジョンが「そう言うわけにはいかん!」と一人づつ違うアルバムを作りはじめました。勿論エベレストなどの山々の写真などは共通で使いますが、とにかく「世界で1冊だけしかない自分だけのアルバム」なのです。不帰の嶮の山行でもみんなの思い出をいっぱい詰めて参加者のみなさんから喜んでいただきました。アルバム作りがこんなに大変な作業だと思っておらず「アルバムまだ〜?」と急かしていた自分が恥ずかしくなりました。

いつでも、どんな時でもカメラが自分に向いたら笑顔を残すようにしています。だから・・・・お化粧は絶対必要なんです。(キャハハハ無駄な抵抗ですね!)素顔ではレンズが歪ます。あとで振り返った時「あ〜化粧しておけばよかった〜」と絶対に悔やむ年頃になってきました。誰かに見て欲しいのではなくて自分自身で振り返る時、少しでも歪が少なく美しい姿で残しておきたいのです。(手遅れかも・・・)時々腫れぼったい顔をしている写真がありますがネパールのガイドさんの言葉を借りて「高山病ね!」

みなさんにお願いします。
●カメラを向けられたら、まず顎を引いて身支度を整えて下さい。首に掛けたタオルが半分落ちかけていたりシャツの前が上がっていて見苦しくありませんか?

●中高年は目つぶりの多いこと!シャッターを押す間だけ緊張感を持って下さい
(そういう私も今回のヒマラヤの写真は泣いたり目をつぶったり鼻汁を出したりとひど〜いです)少し緊張して頂くだけであとの修正のテマがはぶけます。

●集合写真での「ピース」はやめましょう。(単独で映る場合はピースも良いかもしれませんが何人か一緒に写るときはピースはしない方がよいと思いますよ)
私は師匠からピースは固く禁じられています。

●「写真を撮ろう」と合図があったらお喋りせず速やかに並んでください。他の人もビュースポットで撮りたくて待っています。また通行の妨げになりますよ。

私は顔が大きくてズングリムックリなのに、背が低いためいつも前列に並びます。だから余計に顔が大きく映ります。「カメラマンさ〜ん!身支度整えて斜に構えてますから顔を小さく、身体は細く映して下さいね〜。」「そんな無理は言うなっ!」ですって?まっ、写真は旅の領収書ですから不正はあかんな!


[2917] 【3030回 信じる者は救われる】 2012-12-04 (Tue)

月曜日、お嫁ちゃんと合流して守口の助産院に出張に来られる整体に出かけてきました。2歳の航ちゃんは、お熱ポッポで元気がありません。5歳の和君は風邪を乗り切りました。もう大丈夫です。付き添いのつもりでしたが今日は整体を受ける妊婦さんも少なく私も整体を受けることにしました。ネパールのホコリを吸った精なのか咳が続いていました。結核特有の様な咳の様でポッチーが「うるさい!コンコンとキツネか!やかましい!医者に行け!」と言うくらい咳込んでいました。(医者に行くも改善せず)

いよいよ私の整体の順番が来て、横になり全身の整体が始まりました(今日はいつになく胸周りの触診あり)すると先生が「肺に水がたまっているので抜いておきます。痰がよく出るかもしれませんがまもなく治ります」とそんな意味の説明をして下さいました。私は右ひざに水が溜まる事は話しましたが咳が出るなんて事は一言も言っていないのです。驚きです。左手とおへそ近くに大きなモグサを瞬間にすえました。

信じてもらえないかも知れませんがその後、咳は一度も出ていません。効果があると信じてくれたならジョンにも勧めるつもりです。二人とも同じ咳をしていたのです。二人で「ヒマラヤ風邪」と命名したほどです。レントゲンも撮らず、触診だけでそれが何故わかるのか不思議ですが私は咳が止まりました。ほんまです。

ここには妊婦さんやいまからお産をしようとする若いママさんでいっぱいです。腰痛や産後の骨盤矯正など、月に2回、10時から12時までの診察なのですが、いつも妊婦さんやら赤ちゃんを連れたママでいっぱいです。整体をしながら若いママさんたちの抱える悩みを聞いて、答えて和気あいあいの処置室です。でも・・・妊婦さんばかりなので男性は少し入りづらいかも知れません。

そんな人は住之江区のご主人が経営する接骨医院の方へ行けば整体をして頂けるそうです。でもこの女医先生を指名しても予約は常にいっぱいでなかなか診察してもらうことは出来そうもないらしいですよ。だから遠くても守口まで出かけてくる人がおおいそうです。私のお嫁ちゃんも西宮名塩から通っています。

此花区の商店街は整骨院だらけです。私の住む高見町にも複数の整骨院があります。高齢者に人気の様で、最初に掴んだ患者さんを離さなければずーっと通い続けるそうです。1回の支払いが500円で親切にしてくれたら寂しい一人暮らしの高齢者は「行くよねぇ〜!」窓口支払いの現金は500円でも健康保険での支払いがあることを知っているのでしょうか?。


[2916] 3029回 こわいトンネル事故 2012-12-03 (Mon)

12月3日、山梨県の中央道・笹子トンネルで天井板が崩落した事故が発生し9人の死亡者がでるという痛ましい事故が発生しました。原因究明のため、同型のトンネルの点検をするといいます。同型のトンネルの中には那山トンネルも含まれており12月19日富士見平に行く折りに利用しようと計画をしていたところです。更に富士見平小屋からの帰りに石和温泉で蟹三昧の予約をしており中央道・笹子トンネルの影響がどのくらいあるのか不安なのです。

9月に点検(目視点検と金槌の様な器具で叩いてチェック)をした時は異常がなかったとの事でした。この検査が適正かどうか目下調査中らしいです。原因と考えられるのは、地下水などの浸水によって金具の腐食か、長年の車の運行で振動による金具の緩みか、金属疲労かとエライ先生方がテレビでカンカン・ガクガクしています。

中央道はしばしば使用しており長野県下伊那と岐阜県中津川市とを結ぶ長大トンネル「恵那山トンネル」をくぐると山々の景色が変わり、アルプスに近づいたなぁと思って通過しています。昔はここを通るとき「日本一長いトンネル」といいながら通過したものです。上り線が8,649m、下り線が8,489m。1975年の開通当初は道路トンネルの中で日本一の長さでしたが、2010年8月現在は関越トンネル、山手トンネル、飛騨トンネル、アクアトンネルに続き第5位の長さとなってしまいました。

この長いトンネルの中で天井板が崩落してしまえば逃げることは出来ず通過時の「運」だと言うにはあまりにも無責任です。

現在の日本一長いトンネルはと言うと関越自動車道にある関越トンネルで、全長は上り線が 11,055 m、下り線は 10,926 m。人間が往来トンネルとして世界最長のものは、鉄道トンネルである津軽海峡線の青函トンネルで、全長 53.85 km、海底部長23.3 km。ちなみに日本最短の鉄道トンネルは、吾妻線の樽沢トンネルで、全長わずか7.2 m だそうです。

四万十市に帰るときに利用する高知道はトンネルばかりと言っても過言ではありません。長さこそ競い合えるものはありませんが山間部を九十九折に走る道路を改善するためには画期的な文明の利器なのでしょう。長さを競い合うよりも安全が一番!

亡くなられた方達のご冥福をお祈りいたします。


[2915] 【3028回 ねぎらいの言葉】 2012-12-02 (Sun)

日本にはオベンチャラも含めて多種多様の挨拶(ねぎらいも含む)の言葉があると思っています。高校時代の友達だと何年間も会っていなくても「まいどっ!」の一言でお互いが元気だったことを確認することができます。いまだに「おまえ」呼ばわりする同級生もいますが高校時代の友だから許せます。いまだに旧姓で呼ぶ友達もいます。「どうも〜!、どうも〜!」で済むのは地域の会合で顔を合わす人達です。まぁ、お愛想とでも言いましょうか。職場の先輩だと「先日はお世話になりありがとうございました」とか体調を悪くした人と会う場合は「その後具合はいかがですか?」で始まり、それから自分のことを話したり、メールに書いたりします。いきなり電話やメールで自分の状況を説明しはじめるのは相手に対して失礼と言うものです。相手とのコミュニケーションがうまく繋がっていれば目と目で通じるのですがメールの文章ではそうは行きません。親しき仲にも礼儀ありで、失礼のない常識の範囲で交信したいものです。

過日、四万十へ法事に帰った時にホームページのアドレスが「ハチキン姫」であることが酒の席で話題となりました。従兄弟が「土佐のおなごじゃけんハチキンはわかるけんど、なぜ60歳を過ぎたお前が姫ながじゃ?ハチキンババァとちがうのがか?」とからかわれ酒の肴にされました。しかしこの従兄弟とは日頃からコミュニケーションが取れており、腹立たしくはありませんでした。この会話がきっかけとなり知らない者同士でも盛り上がり故人を偲んでの法事となりました。土佐の宴席には堅苦しいしきたりはなく小皿と箸とコップさえあればどこに座ってもよくて誰とでも仲よくなれるのです。法事に同席した初対面の従姉妹の娘が『その場をぱっと明るくされる素敵な方』と母親に話したそうです。光栄です!帰り際亡くなった従姉妹の姉妹3人が坂の上から見送ってくれました。年を重ねて3人の顔がみんなよく似ているのです。「姉。姉。故人。妹。」の4姉妹・・・野辺の旅立ちは年の順番ではないのですね。思わず「なんでそこにケイコ姉ちゃんがおらんがやろかねぇ〜!」と車庫のある坂の下から叫びました。あとで3人で大泣きしたとか・・・ゴメンいらん事を言うてしもうたちや・・・・

ネパールでは「ナマステ〜」という挨拶言葉があります。「ナマステ」とは、インドやネパールで交わされる挨拶の言葉です。会ったときだけでなく、別れの挨拶も「ナマステ」が使われます。『ナマス (namas) + テ (te)』 と分解でき、ナマスは敬礼・服従すると言う意味。仏教では帰依、漢訳仏典では「南無」と音写されるそうです。テは「あなたに」の意味。この挨拶をするときは、合掌(胸の前で両手を合わせること)し、軽くお辞儀をします。行き交う登山者はフランス語や英語や日本語でなくネパール語の「マナステ〜!」と挨拶を交わします。日本の山でのあいさつ「コンニチワ」と同じかな。

夫婦の間でも生きていることの確認から(ギャハハハハ!)「おはよう」と朝の挨拶、「おやすみ」の夜の挨拶は交わします。いくら夫婦喧嘩をしていても同じ家に住んでいる以上、生死の確認はいたします(ギャハハハハ!)あとはあまり接触しないように過ごすことが「上手な定年後の夫婦の過ごし方」かなぁ。えっ?切ないなぁ〜って溜め息ついてるのはどなたですか〜?


[2914] 【3027回 膝痛の出ない歩き方】 2012-12-01 (Sat)

毎日、毎日、朝から晩まで20日間ほど歩き続けても膝痛が出なかったことが不思議に思います。毎日歩き終えたら「ロキソニン湿布薬」を貼り、疲れた足をいたわりましたが、翌日に足が痛くて歩きづらいなどという日は一度もありませんでした。急な登りも、急な下りも何度もありましたが膝痛が何故出なかったのかとジョンと分析しました。

分析の結果、登山道に合わせて「ショートステップ、ローリングステップ、クロスステップ」など今までに習ったほとんどの歩行ステップをその時々に合わせて歩きました。正しい歩き方が体力の消耗を抑え、膝関節の痛みを出さず、アイランドピークの山頂に繋がったと思っています。トレッキングガイドのマッチンドラーさんの歩速に合った、エベレスト街道にぴったりの歩き方が私達を快適な登山へと導いてくれたのだと感謝しています。彼はネパールいちのガイドです。

先頭をガイドのマッチンドラーさんが歩き、その後をメンバーのオーダーを替えて歩いてみました。2番手の役割は先頭のスピードに惑わされることなく後続メンバーの歩速に合った速度を保つ、つまりブレーキ役となるのです。その反対に先頭の歩速が遅くても「早く歩け」と突っ突くような歩き方をしてはいけないと常々、師匠に叩き込まれました。2番手が先頭に早く歩けと言わんばかりに追い立てまくると、後続者は必至でついて行かなければなりません。これでは膝を痛めます。

ガイドには後ろにも目がついているのかと思うほど全体の気配りが出来ており、後ろでハァハァと少し喘ぎ声が聞こえると「アナタのザック貸して下さい」とか「チョット休憩ね」と弱った人を中心に歩いてくれました。歩くリズムに乗ってきたので「休憩しないで行こうよ!」と言うとガイドは「ワタシモツカレタネ」と笑顔で返してきます。次に待っている長くてきつい登り坂の前だから、その前の休憩であることが歩き始めてよ〜くわかりました。(だからあの時休憩したのか〜)休憩の取り方もピカイチです。体力のある人や速歩が得意の人には物足りないかもしれませんが、それならばパーティを組まずに単独で山行してもらうしかありません。パーティを組んだ以上、体力の弱い人に合わすのがリーダーの役目です。その点、マッチンドラーは最高のリーダーでした。

急な階段の上り坂は徹底してクロスステップを実行しました。戸板を運ぶポーターさんも同じ歩き方をしていました。ガイドさんはローリングステップは使いませんでしたが「ビスタリー〜ビスタリー〜」これは日本語でゆっくりゆっくりという意味なのですが口癖のようにつぶやいていました。膝痛が出なかったのはガイドの「徹底したゆっくり歩行」だったと思います。

中高年の我々は、どこか身体のあちこちに故障をもっています。リュックに挿しているのにストックを使わない人をよく見かけます。登山のストックは「年寄りの杖」とは違います。「ワシは杖なんぞは使わない。膝が痛うなったら使うねん」と豪語する人もいますが、持っているならば、膝が痛くなる前に上手く利用したいものです


[2913] 【3026回 最後にネパールの季節について】 2012-11-30 (Fri)

師走月を迎えることもありヒマラヤ紀行は霜月にて幕を閉じたいと思います。ほぼ3週間に渡りおつきあい頂きありがとうございました。

山仲間のコメントに「レポートを読み切るにも体力が必要」と書き込みをいただき笑ってしまいました。ほんま・・・読んで頂ける人も同じ様に体力が必要なんですね。高校時代の友人は「ざっと拝見した。時間ができたら読み返す」また別の山仲間は「あとで熟読したいのでとりあえずザッと読ませてもらいました」そ〜なんや〜!みんなも読むのに苦労してはるんや(キャハハハ)

ヒマラヤレポートとは別に「姫のおうち」にもほぼ毎日のようにヒマラヤの事を書き込み続けました。

『登山は体調管理が大切・エベレスト街道のロッジについて・エベレスト街道の食事・ポーター預けの荷物・豊かな国ニッポン・エベレスト街道のトイレ事情・日本を代表する歌は?・ウッチーはぐれ隊・海外に持参したい食べ物・ネパールの季節』

等々・・体験したことを書いてきました。これらはネパールを批判しているのではなく、訪れるならばこれらの事を覚悟して、準備して楽しんでほしいと言う私の願いでもあります。そして霜月の締めくくりとしてネパールの季節について書き、ヒマラヤ紀行を終わりにしたいと思っています。

1月 、2月を経て3月には少しづづ暖かくなってくる季節です。市内観光なら日中は半袖でもOK。ヒマラヤを見る場合、短い日数のトレッキングでは、十分にその姿を拝めないこともあります。(1月〜3月は冬季)

●4月・・・ヒマラヤが見える確率は少ないです。ナムチェあたりまで行っても、きれいなヒマラヤを見られるのは午前中のみ、ということも多い時期。ゴールデンウィーク期間になると、夕方からスコールが降ることが多くなります。

●5月・・・雨季前、1年で1番暑い時期。それでも、カトマンズでは30度を超す日はそれほど多くなく、湿度も低いため、日本の蒸し暑い酷暑に比べれば過ごしやすい気候です。

●6月・・・本格的な雨季となります。

●7月・・・雨季本番。しとしと雨が降り続くことも多い月。運が良くないとヒマラヤの眺望は期待できないことが多いです。運が良ければ、雨上がりの空に、他の季節には見られない、素晴らしいヒマラヤを見ることができます。国内線は雨天により遅延や欠航の多い月。余裕を持って計画しないとリスクを伴います。

●8月・・・スコール的な雨が多く降る月。国内線の遅延欠航も多い季節。

●9月&10月・・・雨期が完全に明けきるのは10月初旬ごろとなることが多くなっています。トレッキングのベストシーズンは10月半ば過ぎからですが、この時期は一番混み合い、ロッジの個室が確保しにくくなります。特に1名参加のトレッキングでは、個室確保は、宿代を多めに払っても、いくら交渉しても、非常に厳しい状況。

●11月・・・ネパール旅行のベストシーズン到来です。しかし例年、カトマンズ空港からルクラ空港間の飛行機が連日欠航する事が多いので、乾期でも油断できません。

●12月・・・朝霧が発生すしやすくなり、国内線運航に影響が出ます。特に年末年始は、ルクラ路線10時間待ち、あげくに欠航、というようなことも過去ありました。

ヒマラヤを眺めるにはネパールの旅行シーズンは、11月頃から翌年2月頃までとされています。この時期、雨がほとんど降らず空は澄み渡るので、ほぼ確実にヒマラヤを眺めることができるからです。天候に恵まれれば、カトマンズからもはっきりと雪をかぶった山々を眺めることができます。
 
6月頃から9月始め頃までが、ネパールの雨季になります。スコールのような雨が短時間強く降ったり、日本の梅雨のように、しとしと一日中雨が降ったり、ぐずついた天気が続いたりするときがあります。雨季の時期には、飛行機が欠航になることもあります。

ネパールの雨期の間、Mr.ビシャールさんは北アルプスの山小屋に研修にやってきます。山小屋で日本の料理や山系、旅行客の接遇などを学び雨期の明ける頃、ネパールに戻り磨いた技術を発揮されるのです。私達が山行日程を決めたのはMr.ビシャールさんのアドバイスのもとに天候の安定した10月20日から11月12日までとしました。雨に出遭ったのは半日だけで、ホコリに悩まされたもののベストシーズンの山行であったと喜んでいます。


[2912] 【3025回 海外に持って行きたい食べ物】 2012-11-29 (Thu)

今回のヒマラヤの山行で「現地で何でも買える」とのアドバイスの言葉を鵜呑みにして、食べ物については「梅干・ラッキョ・ふりかけ・海苔」などしか持参しませんでした。行って直面して初めてわかったのですが、これらの食品は白米が美味しいことが条件なのです。一粒一粒分離したパサパサの白米ではふりかけや海苔は使えませんでした。飛行機に預ける荷物の重量制限(20s)が頭にこびりつき初めての海外という事もあり、正直すぎて神経質になっていました。現地で買える品々は香辛料がはいっており私の口には合いませんでした。ロッジの売店で「コカ・コーラ」の瓶を見つけて思わず買いましたが日本の味ではありませんでした。棒チョコはキャラメルを混ぜてあったり、ビスケットは甘すぎたり、食パンは・・・・。そんな中、辛うじてスプライトは美味しく飲めました。そんなこんなで現地で買うより日本の食べ慣れた食品を持参するに限ります。ミネラルとトイレットペーパーとマンゴージュース代で1万円以上は使っています。食事が全然食べられなくてもマンゴージュースは別料金らしいです。(食欲のある人の食費が全部で1万円かかったとしたら私達の食費は1000円もかかっていないと思います。だったらマンゴージュースぐらいサービスしてよと何度ボヤいたことでしょうか!)

持って行けばよかったと思われる品
●メザシ(1本づつ密封されていてそのまま食べられる品)
●カップヌードル(現地でお湯は貰えるので宿泊数の半分の数は持ちたい)
●アルファ米(赤飯限定)宿泊数の3分の1は欲しいネ
●フルーツパック(生の果物の代用品として)
●キューリのキューちゃん漬(日本人は漬物が恋しくなる)
●ポカリの粉末(水を購入しポカリを作ります)
●魚肉ソーセージ(食欲不振時1本を2人で分けて食べました)
●菓子類(甘・辛をバランスよく)

着替えを減らしても絶対これだけは持参したいと思いました。日本の山に入るときあれほど行動食を沢山リュックに忍ばせているのに今回はリュックを開けても飴だけしか見当たりませんでした。受託荷物は20sであっても機内に持ち込む荷物の重量制限はありませんでした。残った食べ物は開封さえしていなければポーターさん達にプレゼントすることができます。「現地で買える」と言う言葉を信じることなく自分で食べたい物を持参することです。

good・ideaとしてはペツトボトルや缶ボトルの空を完全に乾燥させて、その中に豆類(アーモンド・ナッツなど)を入れてリュックの外ポケットに入れて持ち歩けば休憩ごとに簡単にレーションを口にすることができます。乾燥剤もねじ込んで入れて下さいね。以前に乳ボーロを入れて食べる段階でなかなか出てこなかったことがありました(笑)。できればペットボトルより口の大きいジュースなどが入った缶ボトルがいいかもね。私の車には子供たち用にペットボトルにいれた「ラムネ菓子」を常備しています。


[2911] 【3024回 ヒマラヤはぐれ隊】 2012-11-28 (Wed)

ウッチー会長が本隊と別行動をするようになってからは、体調不良にもかかわらず、しっかりとメモを取り、写真も撮っておられました。当初は同じパーティだから同じ日に一緒に書き込もうかと考えましたが「ヒマラヤはぐれ隊」と命名し独立してレポートをアップすることにしました。体力が弱っている中でも終始私達のピークハントが成功したのかどうか気にかけて頂いていたことを後で知り嬉しかったです。同行するガイドのチャーチツト氏もポーターのサントシ氏もピークハント成功の報に心から喜んでくれた様子で嬉しいです。

私達がカトマンズのホテルに帰った日にはホテルの庭園で出迎えて下さり、前日に退院されたとは思えないほど血色もよかったです(写真で見ましたがエベレストビール飲んでましたね〜!)部屋で地図を広げ、コース説明をして頂き、聞き取り取材をしました。(ミニ録音機持っていくの忘れました〜!)ウッチー会長の勇気ある決断やレポートは今後ヒマラヤ行きを決定した登山者にとって大いに参考になるのではないでしょうか。

今回、頭の中がこんがらがったのは地名です。ナムチェ、タンボチェ、ディンボチェと「○○チェ」と名の付く集落が多くて、どこがどこなのか頭の中がこんがらがること、しばしばです。「チェ」は日本の山とか岳という意味と同じみたいです。

ネパールの地図は一度広げると破れるのが当たり前なのです。日本の地図からは想像もできません。真新しい間に裏面から折り目をセロテープで補正しても紙質が悪いためすぐ破れてボロボロです。ネパールの地図を原型のまま持っている人は、いかに地図を広げていないかという事になります(笑)カトマンズの町では、日本の書店とは違い地図だけを売る「地図屋さん」が多いです。

紙幣でも同じことが言えます。日本のお札に比べて紙質がとても悪いです。1000ルピー(日本の千円札)はあまり流通がないのか、まだましなのですが500、100、50、20、10、5ルピーなんぞは触ると手を洗いたくなるほどです。ボロッボロッなのです。

ウッチー会長は米ドルを多額(?)に持参していたため病院代や豪華な食事代などの支払いができましたが旅行に行く時は思いがけない出費があると考え多めに持参する方が心強いみたいです。持ち合わせがないときは同行する旅行社が立て替え払いして後日、日本に帰ってから清算してくれるかどうか等の細かい質問を出発前に聞いておく必要がありますね。その点、TARO Treks(ビシャール社長経営)は安心してお願いすることのできる現地の会社です。

ジョンも病院代を支払いましたが出発前に掛けておいた保険会社に請求をして、払い戻しがあるみたいです。日本に帰ってからも同一の病名なら診察を受けることが可能だそうです。山岳保険って大事ですよね。(但しピッケル・アイゼン使用時は適用しない保険があるのでこれも要調査)

ウッチー会長のヘリコプター搬送代金も保険を掛けていたため個人負担なしで行けそうです。「私は大丈夫」と言わずにスナックに1回行ったと思って旅行保険を掛けましょう!(だれですか〜スナックには行かないって言う人は!例えばの話ですよ)

慣れない山行中のジョークは過度の緊張をほぐしてくれます。メンバーの高度計の数値がそれぞれに違うため、ガイドのマッチンドラー氏に聞くと、驚いたことに全く違う数値が回答として返ってきました。ジョンが冗談交じりに「トレッキングガイドの高度計がそれではいかんやろう」と言うと「ボクの時計、高山病ね…。どうしようも無いネ」これには全員が大笑いしました。これは10月26日の出来事で、出発して6日目でしたがその後のマッチンドラー氏の人柄の良さもあり、山行がとても楽しかったです。ガイドさんやポーターさんとの息が合わないとせっかくの山行もつまらないですよね。その点今回の現地スタッフは100点満点!笑顔も含めると100点をかぁるく越えちゃうね。

私達が疲労困憊してくると、ガイドのマッチンドラーさんが「幸せなら手をたたこう」を日本語で歌ってくれるのです。もう〜!たまりません!元気回復っ!でした。


[2910] 【3023回 日本を代表する歌】 2012-11-27 (Tue)

アイランドピークに行った際、ルクラで「感謝の集い」の楽しげな様子はレポートにも書きました。写真も沢山載せました。その時にネパールの人達はネパールの歌をメンバー全員で楽しげに歌って踊ってくれました。隣のテーブルのドイツ人の方達も誘われるようにドイツの歌をメンバー全員で歌い始めました。勿論赤ペラです。じゃあ今度は日本人の順番となりましたが、日本のメンバーのみなさんは揃って尻込みをされます。お国代表の歌が思い浮かばないのか、それとも歌いたくないのかわかりません。こんな時ウッチー会長がいてくれれば、お得意の歌を聞かせてくれた事でしょう。「感謝の集い」の主催者は日本人の私達であることから、これでは場がしらけると、何を思ったのか私は「ソーラン節」を歌いました。

「ソーラン節」の歌を思い浮かべたのは、9月の幼稚園と小学校の運動会まで遡ります。運動会で幼稚園でも、小学校でも元気にソーラン節を踊っていたのです。ペツトボトルに小石を入れ鳴子に見立ててみたり、本物の鳴子を鳴らしたりと学校ごとに工夫をこらし、掛け声も可愛くて、リズミカルで感動的でした。多分その残像が残っていてネパールの踊りに負けじとソーラン節を選曲したのだと思います。手拍子があり明るくて賑やかだと判断したと思います。(本当は鳴子両手に踊るのはよさこい節なんですけどねぇ)

では、みなさんは日本を代表する歌って何を浮かべますか?「スキヤキソング」だと言う人もいます。「さくら・さくら」だという人もいます。また「赤とんぼ」だと言う人もいます。大事なのは曲が何であっても日本人の参加者全員が「赤ペラ」で楽しく歌えると言うことなんです。そんな歌は何ですかという事になります。何なのでしょうね?。

こう言うパーティがあり歌も踊りもあるかも知れないと言うことを事前に知らされていれば参加者で打ち合わせしたり練習もできたのですが。こんな場合の日本人特有の謙遜・遠慮はいただけませんね。現地の人の積極性を見習わなければいけませんねぇ。歌は世界共通で歌詞は通じなくてもリズムで仲良くなることができます。ネパール民謡「レッソンピリリ」は軽やかなリズムで歌を聞けば自然と身体がウキウキする楽しい歌です。日本を代表する歌を探して〜だれか教えて〜!(演歌はアカンですよ〜)

故郷の話に戻りますが昨夜イトコからなが〜い、なが〜い電話がありました。法事に帰ってきてくれたことの礼と私の大好きな従姉妹の入院生活の詳細を話してくれたのです。それはつらいつらい闘病生活だった様子でした。抗がん剤治療でほとんどの髪の毛が抜け落ちたある日、高校生の男の子の孫が丸坊主にして病室に入ってきたのだそうです。病人は勿論ですが病室にいたその子の親父も腰を抜かさんばかりに驚いたそうです。何事があったのかと聞くと「ばあちゃんばっかり坊主にさせるわけにはいかんけん・・・ボクも坊主にしたがよ!」それを聞いた私は声をあげて泣きました。この子がこんなに良い子に育ったのは従姉妹の愛情があったればこそと電話の向こうとこっちでしばらく・・・嗚咽が聞こえました。

そんな従姉妹には「故郷」を、そして親元を離れて働きはじめた従姉妹の孫には、「仕事の歌」を贈りたい(しかしこの歌ロシア民謡なんです〜)

      「仕事の歌」
悲しい歌嬉しい歌 たくさん聞いた中で
忘れられぬひとつの歌 それは仕事の歌
忘れられぬひとつの歌 それは仕事の歌
  ヘイこの若者よ ヘイ前へ進め さぁみんな前へ進め

イギリス人は利口だから 水や火などを使う
ロシア人は歌をうたい 自ら慰める
ロシア人は歌をうたい 自ら慰める
 ヘイこの若者よ ヘイ前へ進め さぁみんな前へ進め

死んだ親が後に残す 宝物は何ぞ
力強く男らしい それは仕事の歌
力強く男らしい それは仕事の歌
  ヘイこの若者よ ヘイ前へ進め さぁみんな前へ進め 


[2909] 【3022回 急遽・・故郷へ】 2012-11-26 (Mon)

私がヒマラヤに旅立って2日目の10月22日、高知県四万十市に住む従姉妹が亡くなっていました。大勢いる従姉妹の中でも、この従姉妹が大好きでした。私と13歳も年が違う事から妹の様に可愛がってもらいました。葬儀にはポッチーと息子2人が母の分もと参列してくれました。有難かったです。

帰国後、35日法要に参列すべく11月24日の午後から高知県四万十市に帰ってきました。明石海峡を淡路方面へ渡ると山々は既に紅葉が終わろうとしていました。赤や黄色に色付いてはいるものの、旬を過ぎています。板野インターを出て徳島自動車道へと移ったころフロントガラスに雨粒が落ちてきました。空き地に生えているススキの穂が雨に打たれ、風に揺れとても寒そうです。

トンネルばかり続く道を走っていると「うだつの町・脇町」の標識が目に入りました。あ〜っここは故一刀水兄と来たなぁ。一緒に歩いたなぁ・・と思い出しました。川之江ジャンクションから「高知道」の文字が目に入ると故郷が近づいた様に感じます。続いて大豊町通過です。大豊町は日本一の大杉で有名で、美空ひばりが「私も大杉にあやかって日本一の歌手になれますように」と願掛けをしたそうです。願が叶ってよかったね!

高知道の最終は「須崎インター」なのですが、んっ?まだ先がある様子です。「中土佐インター」・・・少しだけ延びたね。いずれ有料だとは思いますがあまりの短さにと言うか現在無料です。12月には窪川まで延びる予定だそうで、そうすれば、開通すればきつい久礼坂を越えなくて済み四万十市にもかなり時間短縮が予想されます。

11月25日午後9時からの35日法要に参列するため「勝間の沈下橋」を渡り、暮れゆく秋模様をカメラに収めようと沈下橋のド真ん中に立っていると車が1台通過しました。車の中から「ミチコね〜ちゃ〜ん」と呼ぶ声がします。喪主を務めた私の従姉妹の息子でした。沈下橋で写真を撮る人は村の人ではないと判断したらしく、ひょっとしてハチキン姫かと声をかけたみたいです。(当たり〜!)

「生きてもんて来たかねぇ?」イトコ達に言われました。葬儀の時にあれほど可愛がっていたミチコがおらんのは何故やという事になり、じつは・・・と、ヒマラヤに行って戻れない事を伝えたみたいでした。「お前はケイコにあの世に連れて行かれたのか思うたぜよ〜」縁起でもないこと言わないでよ〜!

35日法要の後、納骨も済ませたいとの希望で坊さんも一緒に家の裏山にある墓所まで儀式にまって行きました。墓石を開けて納骨してある場所を見たのは初めてです。亡くなった従姉妹は白川郷に行きたいと言うのが口癖で私達も何度も誘ったのですが、多忙だという家事を理由になかなか「うん」と言わなかったのです。

息子が初めての親孝行として白川郷に宿を取り、切符の手配をしていた矢先、村の健康診断で肺癌と診断され、気落ちして旅行どころではなくなったのだそうです。その時、強引に行こうと思えば行けたのにと悔しがっていました。享年77歳、病気さえなければ、まだまだ元気でおれるはずです!1周忌を済ませたら母の写真を持って白川郷に行きたいと私に話してくれ無念さを共用して涙を流しました。

法要の膳は勿論、皿鉢料理です。大阪だと出席者をあらかじめ決め、料理もきっちり人数分しか準備できないのですが高知の冠婚葬祭は、誰がきても何人増えてもかまわない最高のシステムです。お皿と箸とコップさえあればおいしく皿鉢料理を頂けます。人との輪をつなげる最高のおもてなし料理だと思いました。

帰り道は中村の町に出ずに大正町周りの道を選びました。昔ウオーキング協会で四万十川源流から通過したあの狭い道です。道幅が狭くて対向車がくれば対向する車の数が少ない方がバックをします。四万十川沿いの風景はとても綺麗なのですが今後は・・・多分利用しないでしょう。利用したくない道でした。


[2908] 【3021回 久しぶりに孫と対面】 2012-11-24 (Sat)

アイランドピークから戻り始めて孫たちと対面しました。「23日午前中空いていたら名塩に来てもらいたい」そんな内容のメールをもらいました。23日は祭日なれど小学校の参観日。幼稚園に通う和君が風邪で何日も寝込んでいるとの事でした。

午前7時に自宅を出発し指定された9時前には名塩に到着です。道すがらの紅葉は美しく染まり、ホコリにまみれることなく、とても美しく感じました。ママのお出かけ時間になり「こうちゃんもママと一緒におでかけする?」の問いかけに「バイバ〜イ」と婆ちゃんと一緒にお留守番をする方を選びました。和君の顔色は青白く具合の悪さが一目でわかります。

2歳のこうちゃんはプラレールで遊び、その様子を布団の中から、じっとみつめる和君はよほどしんどいと見えます。子供がじっと横になるのはよほどのことでしょう。私もそばで横になりながら「アイランドピーク物語」を話して聞かせました。道路にヤクやロバが歩いていること、ロバの糞がいっぱい落ちていること、トイレの話、クレバスを飛んだ話、氷の山を登った話などを、おもしろおかしく話をしました。参観から戻った、ももちゃんの背の伸びているのに驚きました。

午後5時からは昔勤めていた会社の後輩たちが「おかえりなさい会」を開いてくれるということで四貫島の居酒屋に出かけて行きました。最初は3人だけと聞いていたのですが、なんと7人もいます。篠山から電車でかけつけてくれた後輩たちばかりでした。「6180mの世界はどんなとこ?」と質問を受けホームページに詳細を載せているので見てちょうだいと言うことにしました。

久しぶりに会社の話、社員たちの話をたっぷりと聞くことが出来ました。話の中で退職した38歳の元社員が仕事中の事故で倒れてきた材料の下敷きになり労災死していたことを知り驚きました。最近3人目の子供が生まれたばかりだといいます。横の連絡網よろしく、みんなで通夜にかけつけたらしく昔の仕事仲間の死を悼みました。冥福を祈りたいと思います。

酒が入ると富士山の話になり「オレは富士山にタンクトップとタンパンで登ったことがある!」そんな話を小耳にはさみました。それは無謀だ、装備をきちんとして登らないと迷惑がかかることを山の先輩として少し話をしておきました。いくら無謀だとは言え「助けて〜」と寒さに震えて救助を求めれば救助隊は助けに行かなければなりません。3776b日本一の山をなめたらいけません!

里山であっても、装備だけはしっかりとして行けば万が一道に迷ったとしても助かる方法はいくらでもあります。慌てずじっとして朝を迎えるためには、それなりの装備が必要となってきます。万里の長城事故は合羽や防寒着は持っていたには間違いないのですが別隊(エベレスト街道で言うならばポーターさん預けの荷物)に預けていたとのこと。合羽や防寒着、飲料水、レーションは自分で持ち歩かないと〜!


[2907] 【3020回 中高年の登山の気持ち】 2012-11-23 (Fri)

昔の得意先のホテルの営業マンから携帯に「お久ぶりっス〜」と電話がありました。会社のイベントでよく利用していたホテルの営業マンで、とても感じの良い方でしたので覚えていました。まだ登山を続けているのかと言う質問でしたので1週間前にヒマラヤから帰国したばかりだと言うと元気な年寄りに驚いておられました。

「登山者の気持ち」を教えてほしいと言うのです。私にできることならと話を聞くことにしました。鹿児島・天文館に新しいホテルをオープンし観光客は勿論のことですが登山者ブームに乗っかりたい。屋久島に行く折に鹿児島のホテルを利用したいと思うかとの質問。即座に「ノー」と答えました。

登山を終えて帰り道ならば別ですが往路に温泉に入り豪華なホテルを利用する登山者はいないのではないでしょうか。目的を果たして「帰りに温泉でも・・」と言う場合はあるかもしれません。屋久島に目をやるよりも鹿児島にある山々を紹介した方が良いのではと言うと開聞岳の登山者は指宿温泉など、すでにルートが決まっているためむずかしいとの事でした。

ならばスポーツ店にホテルのチラシを置かしてもらったらどうかと言うと「断られた」らしいです。大阪周辺にはスポーツ店が何軒も軒を連ねており1軒断られても次の店に行けば可能性は残っていると励まして電話をきりました。しかし私の様な細い、細いパイプを頼りにしなければならないと言うことはホテル業界もなかなかしんどいのだなと痛感しました。

私も利用してあげたい気持ちはあるのですが登山者は豪華なホテルより「山により近い宿泊施設」を選びます。それが山小屋であったり、民宿であったりです。少々設備が悪くても登山口に近いことが条件となります。

新しいホテル・・・いっそ大阪からすべての交通手段と宿泊地込みでプランまるごと売った方が中高年はうれしいのではないでしょうか。何かの記念日と称して・・・

その彼が言いました「フェイスブックしましょうよ」そうそう私のところにもお友達になりませんかとメールが来るので
「ハイ」と答えるのですがその次の手段がわかりません。フェイスブックってどうすればお友達の輪がひろがるのかしら?


[2906] 【3019回 ・・・やっと脱出〜】 2012-11-21 (Wed)

ヒマラヤから戻り、1ケ月も留守にしたこともあり、身体を休める日も少なく家事やレポートの作成、ホームページの編集作業と目が回りそうで、やっと1週間経過したかなって頃ドタッ〜と疲れが出て来ました。定期健診で病院に行くと何と!血圧が上の数値「110」と(下は忘れました)!医師が何度も測定しなおしましたが医師がおどろいて「これだと高血圧の薬はいりませんね」と言っておられました。

「体脂肪が燃えたんや〜」ヒマ・トレ軍団の男性たちは口をそろえて「痩せた」といいます。「ハカリもないのにデタラメ言うな!」減量成果のない姫は心の中で叫んでいました。しかし20日間も毎日朝から晩まで歩いていたのですから体重はともかく、どこかに成果が表れてもいいはずです。やっとその成果を医師の言葉によって実感できました。

高校の同級生からの電話で「お福〜生きてたんか〜!戻ったら戻ったと連絡して来いよ!」そんなお叱りの声も聞きました。私の姉なんぞは万里の長城の死亡事故で「ミチコが事故に遭うてへんやろか」と何度も自宅に電話があったそうです。「行先が違うやろ?」とあきれたりもしましたが近所の人は「入院したのかと思った」と、まぁ好きなことを言うてくれはります。

田舎の同級生からも電話があり「蕨岡舞の森・大阪支部の会」をするとの連絡をもらいました。とてもいいことなのですがいま日程調整がつきませ〜ん。大阪駅周辺で場所を探せとのお達しで・・・どこか安くてわかりやすい場所探ししなくっちゃあ。

まだ孫たちにも会うてません。電話では声を聞きましたがまだ出かける元気までは取り戻していない様です。ホームページが完成したら、どこか温泉にでもいきたいです。富士見平のお祭り野郎たちもエールを送ってくれていたので雪が積もらない間に行きたいとはおもっています。今年中に実現するのかしら?

街に出るとクリスマスソングが鳴っていました。しめ飾りも売っていますよ。「はや〜っ」もうそんな時期なんやとサンタさんの準備もしなければなりません。あ〜そうしているうちにお正月の準備もしなければなりません。年末のお楽しみのボーナスってあったっけ?そやそや4年前で終了したんやなぁ。さびしいなぁ。


[2905] 【3018回 安全教育技能コンクール】 2012-11-20 (Tue)

11月19日第14回交通安全技能コンクール大会がありました。2年前、栄えある近畿大会を優勝したときの感動が蘇りました。応援席と言うのは気楽なもので出演する皆様に自分なりに採点をつけたりして気楽に応援することができました。

この日は「第一方面大会」で此花・大淀、城東、南・曽根崎、朝日・南、天満、東、福島、鶴見、都島、西の13の警察署から警察官と推進委員が1組となり技能コンクールを発表するのです。

私達の時に沢山の小道具を準備して舞台狭しと動き回り、交通安全をアピールしました。此花という地にヘリポートもあることからヘリコプターを作ったりして会場を沸かせました。しかし・・・あの大会後に各署に通達が回り「小道具は限りなく少なく」とか「ボードと机とプラカードのみ」とかの制限がかかりと゛のチームを見ても同じ内容でした。審査員が「甲乙つけがたい」と申されていましたが、そりゃそうです。テーマが決められており、道具に制限があれば中身はドングリの背比べとなるはずです。

その中でも第一位は東署、第2位は大淀警察署、第3位は曽根崎署となり此花署は残念ながら選外となりました。「参加することに意義ある」と励ましましたが残念無念に違いありません。今年はテーマの他に「免許返納の推奨」が取り上げられていました。自転車事故の多い中、どうすれば事故が防げるかそれぞれの署が工夫をしておられました。

セリフ忘れ、会話の中に「えーっ」を連発する人、ピンマイクを叩く音、二人の間があくチーム、等々素人ぽくっておもしろかったです。

多くの人に見て頂ける機会があればいいのですが府警本部に入るには許可証が必要なため誰でもと言うわけにはいきません。しかし私達は優勝したのちに此花区のイベントに1年間参加してきました。老人会研修であったり、企業の安全講習会であったり、春の交通安全大会であったり、大阪府の母と子の大会であったりとても楽しく出演してきました。

一人でも多くの区民のみなさんが交通事故に遭わないためにそれぞれのチームも発表のための大会にならずに地元に帰って1回でも多く発表の機会を作ってほしいと思っています。


[2904] 【3017回 出発前の悲しい事故】 2012-11-19 (Mon)

私達が出発したのが10月20日。この事故の報道を聞いたのが出発前ということもありショックを隠せないままのフライトで誰もこの事故のことを口にする人はいませんでした。

10月18日、通算4度目の挑戦となるエベレスト登頂を断念した登山家の栗城史多さんの話です。

今月18日に自身通算4度目の挑戦となるエベレスト登頂を断念した登山家の栗城史多さん。深刻な凍傷を負い、無念のうちに下山した栗城さんを次に待ち構えていたのは、自身の“指の切断”という過酷な現実でした。

過去3度の挑戦に失敗し、不退転の覚悟で挑んだ今回だったが、山の神はまたしても若き登山家の登頂を拒んでしまいました。下山後、両手指および両足指と鼻の凍傷が深刻な状態にあった栗城さんは即刻、入院。その後、動かせない指の代わりに口述筆記によってTwitterを通じて現状を報告していましたが、同時に、素人目にも只ならぬ状態であることが分かる状態でベッドに横たわる栗城さんを撮した写真も公開していました。

10月30日にはブログを更新。エベレストからの帰還後、連日38度の高熱が続いている状態で、凍傷も重度で手足は動かせない状態だといいます。指の凍傷はさらに重度であるらしく、「左手親指と両手の指数本は、第一関節から切断することになりそうです」と、栗城さんは報告している。

指を失う可能性があることについて栗城さんは、「指を失うということはやはり悲しいこと」と、悲痛な思いを綴っています。凍傷により手足の指の多くを失ってしまった登山家は山野井泰史・妙子さん夫妻をはじめ決して少なくないとはいえ、登山を続ける者にとってはやはり大きすぎる代償です。

栗城さんもまた、「今後またエベレストやヒマラヤに行きたい気持ちにどこまで応えられるか正念場です」と、再びエベレストに挑む気持ちがあるからこそ、苦悩をにじませる。それでも、「ホーンバイン・クロワールに向かって行ったことを後悔しているかというと、少しも後悔していません」と、気持ちは前向きです。

登山家・栗城史多さんは、エベレスト挑戦への重すぎる代償とは言え「僕は、必ず復活します」栗城さんはそう宣言してブログを結んでいます。

がんばれ!登山家・栗城史多さん!


[2903] 【3016回 エベレスト街道のトイレ事情】 2012-11-18 (Sun)

「あのぉ・・アイランドピーク登攀時に、トイレはどうするのですか?」ドイツ在住の若い日本人女性の方がベースキャンプで質問してきました。「パンパースを履いて登るという人もいるのですが・・・」どこで聞いたのかそんな事を言っていました。翌日私達がアタックするという事でソッと耳元でささやきました。「私は現在下痢をしています。その問題は健康な人以上に心配していますが何とかなるでしょう。登攀中にトイレに行きたくなったら、パートナーに囲いになってもらってコースから外れて用をたせばいいのではありませんか?」6時間とも7時間とも言われる氷壁の登攀時を心配して女性らしい質問だと思いました。でもパンパースはねぇ・・・所持してないし最悪は垂れ流しか〜と思いながらアタックの日を迎えました。(老婆は強いねっ!)

午前1時、真っ暗闇の中の出発で案の定、腹痛で休憩ごとに岩陰に走ります。オナラかもわからないのですが取り敢えず、岩陰に座りました。「やっぱりオナラか・・」そんな場面も2度、3度。しかしいざアイゼンをつけクレパスを3度も飛び、登攀直下に立ってみると、メンバーに遅れを取らずに登るにはという事で頭の中がいっぱいになり腹痛は勿論、尿意さえ感じることはありませんでした。あまり心配しない方がいいみたいですよ。

しかし登攀途中で尿意をもよおしたらコースを外れて用を足したらいいなんて事の出来る場所ではなかったのです。現場に直面してみて初めてわかりました。ロープの下には沢山の人がゾロゾロと繋がっているしコースを外れると言う事は、自己ビレイを外すという事になり命にかかわります。ほとんど垂直の壁ですので尿意をもよおしたら、ほんまに垂れ流し状態だったかもしれません。しかし人間の身体は極限状態に緊張した場合、全身のバルブや尿意もしっかりと締めてくれるみたいです(笑)。

アタック成功の後、ベースキャンプに戻ってからドイツ在住の日本人を探しましたがテントが多くて見当たりませんでした。きっと彼女も私と同じように何事もなかったように登攀成功したことでしょう。

エベレスト街道に入ったら10時、正午、2時とお茶タイムや昼食でロッジを利用します。ロッジには綺麗なトイレがついています。(水洗・・・用を足した後は自分で水を流す)但し山間部(ぜ〜んぶ山間部ですが)でわずかですがボットン便所のところもあります。トイレの中に乾燥した草が山積みされていて用足し後はその草で隠すのです。こわかったよ〜

日本の山の様にどこでも「立ちション&お花摘み」の習慣はありません。ヤクやゾッキョは所構わず街道中に糞を落としていますが乾燥地帯のため臭くなく、それどころか現地の人達はヤクやゾッキョの糞を集めて手でピザパイの大きさぐらいに綺麗に丸め石垣や屋根の上で乾燥させています。ガイドさん達はこれを「ヤクのパン」と言っていました。乾燥すればストープの燃料となるのです。環境にやさしい貴重な燃料みたいですよ。

さすがに国立公園内だけのことはあって入山許可証や入山料などが必要となっていますが、至る所にりっぱなゴミ箱も設置されておりとても清潔です。軍隊の見回りもあり登山者は安心してアタックできるようになっています。


[2902] 【3015回 豊かな国 ニッポン!】 2012-11-17 (Sat)

初めて海外に出て感じたことが沢山あり何からお話しようかと戸惑います。エベレスト街道を歩く方のために私が得た情報を記憶をたどりながら書いています。

まずカトマンズと言う町は日本の昭和20年代のヤミ市状態です。人はあふれ、子供たちは観光客に物をねだりホコリまみれの中で生活をしています。建物は「震度2」の地震がくれば崩壊してしまいそうな建物ばかりです。道路はデコボコで砂ほこりが舞い上がっている中、3人乗りや4人乗りバイクが多く走り信号を見た覚えがありません。大きな道路には警官が立ち手旗信号でバイクと車と人をさばいています。ヒマ・トレ軍団のメンバーが30分間、交差点で接触事故などの様子伺いをしたらしいですが不思議と交通事故は1件もなかったそうです。

カトマンズから飛行機で40分飛ぶと「ルクラ」と言う町があります。ここはエベレスト街道の往路は出発点、復路はゴール地点として栄えていました。人間とヤクやロバによる特殊な町です。ライ民族とシェルパー族がポーターやガイドなどをして外貨を稼ぐため村でじゃがいもなどの農作物を作り家を守る女・年寄り達はとても笑顔が素敵です。子供たちは登山者に「ナマステ!」日本で言うこんにちはの声を掛けてくれます。お日様が燦々と照る日中に母親が女の子の洗髪をする姿をあちこちで見ました。そしてどの婦人も黒髪をなびかせており白髪の婦人がいませんでした。(何を食べてああまで黒髪が保てるのかなぁ)

困ったのは「お風呂」です。日本人はバスタブにお湯をためて浸かる事を大変好みます。カトマンズに温泉があるということでガイドさんに探してもらいましたが「五つ星のホテル利用でジャクジーのため水着がいります」と言われました。石鹸やシャンプーなど使えそうもありません。

ガイドさんは私達が昼食中に「チョット・カワニイクネ」と言って小さな小川に走ります。戻った姿をみたら、やけにさっぱりしています。どうも行水をしてきたみたいでした。私達が20日間も風呂に入れない以上に彼達も風呂に入ってないのでしょう。行水以外にロッジにあるシャワーを利用しているのかも知れません。でも・・・いつお湯がストップするのか・・・(頭上のタライのお湯が料金分だけ出てしまうと泡まみれでも終了なんですよ〜)

食べ物にしても日本には美味しい食材、レストランが沢山あります。ロッジでは食事を提供してくれますが日本人の口に合うかどうかは別です。(口に合う人もいました!)外人さんが多いため料理の量は半端ではありません。大皿に大盛りです。あれを全部食べたら完全にカロリーオーバーで太ります。

ライ民族のガイドさんに「日本にも良い山があるのでいらっしゃいよ!」と話をしていたら横からミスタービシャールが「ダメダメ今日本にカレを研修に行かせたら二度と戻ってこなくなる。まだまだ先の話です」と言われました。そっか〜

日本と同じだけ普及しているのが「携帯電話」です。電気などが不足しているのに充電はどうしているのかと不思議に思うくらい誰でも携帯を持っています。ひょっとしてヤクやロバも持っているのではないかと思うほど携帯が流行していました。ポーターさん達は重い荷物を背負い唯一携帯から流れてくる音楽を聴くことで楽しみを感じているみたいです。

私達はカトマンズで1台の携帯電話をレンタルし共有しました。私達の行動は「みんなの広場」で知ってもらえるのですが留守の家族との連絡がぜひ必要となるとの海外経験者のメンバーの一人の提案でそうしましたがヘリ搬送だの、入院などで家族への連絡に役に立った様子でした。私も一度自宅に電話をしたら「高知の従姉妹が急死」とのこと。帰国できないし・・・息子達も一緒に葬式に参列してくれたとの事で安堵しました。

タクシーに乗るにも、物を買うにも値段表示がきちんとしている日本では考えられないことばかり。すべて「交渉成立」の国の様です。タクシーと言えどもポンコツ車両で座席はホコリにまみれています。お喋りをしていると舌を噛み切りそうです(笑)カトマンズに行くときはマスク10枚必携です。


[2901] 【3014回 ポーターに預ける荷物】 2012-11-16 (Fri)

エベレスト街道などを歩く場合、ポーターさんに荷物を預けることになります。荷姿が「大型リュック」の場合と「ダツフルバッグ」に入れる場合があります。ヤクやロバなどの背中に乗っている荷物は90%ダッフルバッグです。ダツフルバッグとは「厚い布でできた大きな筒型のかばん」と称されています。

飛行機の機内に持ち込む場合、重量制限がある場合には大型リュック(60ℓ〜80ℓ)の風袋が3sもあるものがありまのす。ダッフルバッグはバッグそのものが軽量のため制限重量のある場合とても便利です。

私は今回、ダツフルバッグの存在そのものを知らず60ℓの大型リュックを借りてクライミングギア、着替えなどの必要荷物を詰め込みました。それがベストだと思っていたのです。しかし、いざ現地に行くとポーターさんが扱いやすいのはダッフルバッグであることがわかりました。上に荷物を積み重ねたり、横に並べたりする場合に、ほとんど同じ形をしているので積み重ねやすく扱いやすい様でした。毎日、ポーターさんがロッジの部屋に荷物を運んでくれるのですが、使う側もリュックだと縦長のため下の品物を出す時には中身を全部出してからでないと使いにくいです。その点ダツフルバッグは横長なので中身がわかりやすく、しかも出し入れが簡単なのです。自分で背負って歩く場合はリュックに勝るものはありませんがポーターさん預けだと2s以上の風袋に差が出て来ます。

飛行機の預け荷物の場合、リュックに雨カバーをしっかりつけてその上を自転車のゴムでしっかりと結んでいてもX線チェックでひっかかり係員に「開封せよ」と言われて開けてしまうと、もとの荷姿にするのに時間がかかります。ダツフルバッグでも雨カバーをかけますがもとの荷姿に戻すのに短時間で済みます。

自分で古着などを利用してカバーを作るのもよし、コーナンなどでドンゴロス袋でもあれば雨カバーの代用品として使用すれば、機内でどんなに乱雑に扱われても大丈夫かなと思ったりしました。「大切な荷物」と思うのは自分自身だけで仕事で扱う人達にとってはただの「荷物」でしかないのです。

カトマンズの町には日本の一流メーカーをもじった品々が安く出回っています。コピー品であるという事を承知でみんなが愛用しているのです。そんな中でダッフルバッグも1500ルピー(日本では1万円以上する品)で売っています。粗悪の扱いをする飛行機などを利用する場合は1500ルピーのコピーのバッグても上等なのです。

誰かさ〜ん!2000ルピーで偽物のリュック買っていましたが使い心地はいかがですか〜(カトマンズの名誉のために言っておきますが騙されたのではありません。コピーと承知の上で楽しんで買って帰ったのです・・・笑)

海外旅行はじめての私にとって、見る物すべてが目新しく失敗も多くありましたが、まっ、食べることに貪欲になれないと海外旅行は無理だね〜!


[2900] 【3013回 エベレスト街道の食事】 2012-11-15 (Thu)

ベースキャンプ入り&アタックキャンプ入りしてからのポーターの皆様が心をこめて作って下さる食事を残してはならないと思い最初から「下痢のため食べられません」と手を付けずに返してばかりいました。5000bの地点まで鍋を担ぎ、卵を割らないように大切に運び、重たい野菜を運び、氷河の氷をはるか遠くまで取りに行ってくれて湯たんぽや洗顔用のお湯にしてくれる・・・本当に涙の出るようなおもてなしでした。いつもさりげなく、当たり前のように仕事としてこなしておられましたが食材を運ぶ苦労を考えるとありがたくて「美味しかったです!」と何故ペロリと食べられないのかと自分自身に腹立ちさえ覚えました。

私が23日間にエベレスト街道で食べた食材のすべての量をメモしていました。
●ネパール米(茶碗で2杯)
●食パン(8枚切りサイズで5枚)
●サンドイッチ(ツナサンド・トマトサンド)
●ゆで卵(20個)
●ジャガイモ(蒸かしたじゃがいも10個)
●湯で野菜(小さな皿に半分)
●ピザ(8分の2カット)
●ポップコーン(高山病に効果あるとか)
●アルファ米・山菜おこわ(日本から持参)
●ダルバート(1食は完食・・おいしかった)
飲み物は(ブラックコーヒー・レモンティ・ホットチョコ・マンゴージュース・コーラ・スプライト粉末ポカリ)
飲み物のマンゴージュース・コーラ・スプライトは指定メニュー外のため全て有料でその都度250ルピー〜300ルピー支払いました。

ネパールはじゃがいもが特産物らしく、街道筋にある畑ではじゃがいもの収穫が行われていました。メニューに「ポテト」とあるので注文すると蒸したじゃがいもが皿の上に10個ほど大小様々に出てきたのには笑いました。皮を剥き塩を振りかけて食べたのですが案外美味しかったです。出発前の打ち合わせ時に「メニューに行き詰ったらダルバートを注文すれば良い」と聞かされていました。ダルバートとは日本で言うサービスランチの様なものでお皿の上にライスと野菜の煮物が乗りスープが付いてくるのです。それをお皿の上で混ぜて「ネコマンマ」の様にして食べるのです。現地の人はスプーンを使わず手で上手にしかも美味しそうに食べていました。街道筋に「ヤクの肉」を肉むき出しで行商に来ていたおじさんがいましたが、あのホコリの中を歩いてきて、しかも冷蔵庫もないし腐ってないのかなって思った途端「ヤクステーキ」は対象外となりました(笑)

最初は「食べなきゃ登れない」そう思ってもいましたが下痢をしはじめるとご飯の時間が怖くて怖くて何を食べても「直通特急」ならば、「食べない方が楽」の方を選んでしまいました。下腹に蓄えていた脂肪を少しづづ消費して行ってピークハントもできたのではないかと思っています。帰る頃には男性の皆さんは「ベルトの穴が合わなくなった」とか病院にかかった人は「3キロ痩せた」とか言ってましたがカトマンズに重量計があるでなく体重のことなんかどうでもいいと思いました。美味しく食べれて太るならそれも人生と開き直りました。

日本に帰りまず食べたのは「日本米の卵かけごはんと漬物」おいしかったなぁ〜!日本の食文化は最高!何だってスーパーに行けば食べたい食材が山の様に、しかも安心して口にすることができます。水だって贅沢言わなければ蛇口の水だって飲めます。

海外旅行は「美味しく食べられる事」これが条件のように思えてなりません。


[2899] 【3012回 エベレスト街道のロッジ】 2012-11-14 (Wed)

エベレスト街道には沢山のロッジが集落ごとに点在しています。日本で言う喫茶店の様な役割を果たしていて水分補給、トイレ休憩、昼食の用意もすべてまかなえます。日本の山を縦走するように行動食や水分たっぷり持参しなくても快適に街道歩きを楽しむことができるのです。

ネパールのガイドさん達は自分の利用する馴染みのロッジがありコースの中で、こことここで休憩をすると言う構想が練られているのです。疲れてここで休みたいなぁと思う時も「もう少し歩きましょうね」とうまく私達をリードして目的地まで引っ張って行ってくれるのです。お昼の休憩はほぼ1時間休みます。彼らは私達が食事が済むまで決して食事をすることはありません。私達が食事が終わりお茶タイムになってからポーター専用の食堂で食事をするのです。親しくなってきて「一緒に食べましょうよ」と勧めても笑顔で「ノー・サンキュー」と断ります。とにかく徹底してガイド&ポーターの仕事の線引きをしています。

街道沿いのロッジですが皆さんはロッジと言えば寝具一式揃っていると思いますよね?驚きましたねぇ〜エベレスト街道のロッジはお部屋の提供と食事の提供だけで寝具は付いていないのです。ではどうするのかって?それはね、ルクラの空港からポーターさん達が私達の寝袋を担いで目的地まで行くのです。ロッジに到着すると各部屋に寝袋とインナーと荷物を置き、朝になるとまたそれらを担いで次のロッジまで移動するのです。またハイキャンプになるとテント、食材などキッチン担当ボーイも増えて4人のアタックに10人以上のポーターさんが付いてくれるのです。

最初の夜に与えられた寝袋はゴールの日まで自分専用の寝具となるため、私は自分専用の名札を寝袋につけました。リボンとかの印よりもポーターさんにハッキリとわかる名札がいいですね。私はやまたび倶楽部で作ってもらっていた名札を使用しました。前日誰が使ったか不明の汗くさ〜い寝袋よりスッキリして快適でした。

室内がマイナス温度になる高所のロッジでは毛布が1枚貸してもらえるところもありましたがとにかくエベレスト街道のロッジとは「寝具なし」と思った方がよさそうですね。

トイレは「水洗」です。と言っても自分で流すのですけど、とても綺麗に使っています。便器が傾斜がかっていて使用後はそばのタンクから水を汲み流すのです。汚物はきっと氷河の流れるドウドウコシ川(通称ミルク川)に流れているんだと思います。地元の人の洗濯などの生活用水は山から流れる小さな川(それでいて水量豊富な水脈あり)で洗濯をしている風景をよく見かけました。

脱水もせずに乾くのかしらと心配するのですが湿度がないので簡単に乾燥する様子でした。ロッジでのシャワーは期待しない方が良いみたいです。垢がこびりついても死ぬことはありません。目的を達成するためには少しぐらいの犠牲のもとに我慢も必要なのです。ロッジではミネラルウオーターやトイレツトペーパーなどの必需品を購入することができます。ポーターさんに預ける荷物以外に自分のリュックに入れているものは合羽と水500tとカメラぐらいでしょうか。10時と12時と2時にはお茶タイムがあって持参している水が減る間がないほどに「至れり尽くせり」の旅でした。

ベースキャンプに入るとキッチンテントと食事をするテントと客室用のテントが張られます。キッチン専門のポーターさんもいますから食事は豪華です。「お粥と梅干しでいいのに・・・」とつい口に出してしまうほど豪華です。但し食べられる人にとっては・・・と言うことです。下痢をしたり食材に拒絶反応をする人は「お粥と梅干しがご馳走」なのですが。

とにかく現地に入れば「現地の食事を美味しく頂ける人」こそ生き残れるのです。食べ物に関しては・・・トホホです


[2898] 【3011回 登山はあらためて体調管理が大切】 2012-11-13 (Tue)

アイランドピークの頂きを踏み、喜びに酔いしれたのは束の間で、もと来た道をただひたすら夢遊病者の様に歩き続け出発点であるルクラまで戻ってくると言う想像を絶する行程に、いま振り返ってみても「よ〜歩いたなぁ」と感心せずにはいられません。どの行程も、朝8時に出発し午後4時ごろロッジに到着、部屋に入り荷物を置くとすぐ食堂に集合し夕食のメニュー選びと朝食のメニュー選びの繰り返しです。「もうご飯いらんから寝かせて〜!」何度そう叫んだことでしょう。

ジョンは食材に拒絶反応を示し、ほとんどマンゴージュースばかり飲んでいました。私は何が当たったのかわかりませんがピークハントまでず〜っと下痢が続きつらい毎日でした。汚い話ですがアイランドピークにアタック途中、下痢症状が出たらどうしようとそればかり心配をしました。生水は一滴も飲んでいないし、生野菜も一切れも口にしていません。なのに下痢は毎日続きました。

幸いにメンバーの中でコンロを持参した人がいて赤飯のアルファ米をおかゆにしてもらい食べたのが「おいしかった夕食」と言えるのではないでしょうか。5000b級のベースキャンプにはキッチンボーイ達が心をこめて食事の世話をして下さいました。食べられずにテントで寝ている私にパイナツプルの缶詰を温かく温めて持ってきてくれたキッチンボーイがいました。うれしかったですねぇ。

山の技術が才たけていたとしても、体力がなければ到底あのそそりたつ氷壁はのぼれません。もう根性で登ったとしか思えません。日本のクライミング技術とネパールとでは道具の使い方も違い戸惑いを感じましたが、ネパールの指導者のもとに登攀するのですから従わずにはいられないのです。250bの懸垂下降にバックアップも取らず簡単な自己ビレイだけで降りて行くのは命がけでした。しかも3か所も掛け替え作業をしながら・・・掛け替え作業があるからバックアップではなく簡単な自己ビレイにしたのかも知れませんが、あれほどに大好きな懸垂下降でしたがさすがに降下終了した時はヘナヘナと座り込みました。「生きているんや!」そんな実感がしました。

メンバーの中で何を食べても「おいしい」を連発する食欲旺盛な人がいました。私達の皿をみては残してはもったいないとペロリと食べてくれるのです。何を食べても、どれほど食べても頑丈な胃袋を持っていました。時折「ヤクのステーキ」を注文されていましたが目の前を歩くヤクを想像し、重い荷物を背中に乗せ苦しさまぎれにきつい坂道で糞を落としていくヤクの肉を食べるなんて私には到底真似が出来ませんでした。食欲旺盛のこの方が勿論一番元気でピークハントしましたが「凄いっ!」としか言いようがありません。海外にいったらああでなければ生き残れないのではないでしょうか。あとは幻覚のように「あ〜回転すしが食いたい!すき家の牛丼が食いたい!茶漬け〜!」などと叫び続けました(笑)

食べる(食べられる)と言うことが、いかに大事かを学んできた思いです。持参した磯じまん、ラッキョ、梅干し、ふりかけなどは食べられる環境に立っていてこそ美味しい副食となるのですが胃袋が受け付けない食事に際しては飾りでしかありませんでした。


[2897] 【3010回 ただいま帰りました!】 2012-11-12 (Mon)

カトマンズ空港からバンコク経由で、ただいま自宅に帰り着きました。皆様の応援のおかげで6180bのピークを踏み目的を達成することができました。。ありがとうございました。今は時差ボケと疲労で放心状態ではありますが追々にレポートと写真を載せたいと思っています。TARO Treksの(ビシャール様)詳細を書き込んで頂きありがとうございました。

体力・気力・技術があっても高山病との見えない闘いに毎日悩み続けました。この年にしてこの感動が味わえたことに現地のサポーターの皆様のご協力に感謝申し上げます。

時を同じくして、中国の万里の長城をトレッキングするツアーに参加していた日本人観光客らが大雪に遭遇、3人が死亡するという遭難事故が発生し、驚いたのは、そのツアーを企画していたのは、なんと、トムラウシで大量遭難を起こした、あの会社だったそうです。そう考えると今回の私達の登山は現地サポーターの綿密な計画の上に実施されて信頼関係の上に成り立っていました。高山病でコースを変えたメンバーもいましたがそれぞれが貴重な体験をし、全員そろって帰国することができました。エベレスト街道は今日も明日もトレッキングの人達でごったがえしていることでしょう。

まずは帰国ご報告まで・・・


[2896] 【3009回 行ってきます!】 2012-10-19 (Fri)

★アイランドピーク6190m23日間の日程表★
         
●10月20日 関西空港 関空22:30集合

●10月21日 関西空港ーカトマンズ(飛行機TG673TG319便 )関空00:30出発→4:20バンコク10:15バンコク出発→12:25カトマンズ1375m
「ホテル・Holy Himalaya」
              
●10月22日 カトマンズ パーミット等準備「ホテル・Holy Himalaya」

●10月23日 カトマンズ モンゾ カトマンズ→(飛行機)ルクラ2804m→モンゾ2835mトレッキング5.5h「ロッジ泊」

●10月24日 モンゾ ナムチェバザール モンゾ2835m→ナムチェバザール3446m 3.5h「ロッジ泊」

●10月25日 ナムチェバザール 高度順応 ナムチェ→クムジュン3780m→ナムチェ 6.5h 「ロッジ泊」

●10月26日 ナムチェバザール タンボチェ ナムチェ3446m→プンティンガ3250m→タンボチェ3867m 4.5h「ロッジ泊」

●10月27日 タンボチェ ディンボチェ タンボチェ3867m→ディンボチェ4343m 4.0h「ロッジ泊」

●10月28日 ディンボチェ 高度順応 裏山 ナガルチャン5083m往復 5.0h「ロッジ泊」

●10月29日 ディンボチェ チュクン ディンボチェ4343m→チュクン4730m 2.0h「ロッジ泊」

●10月30日 チュクン BCチュクン4730m→アイランドピークBC5100m6h「テント泊」

●10月31日 BC アイランドピークBC5100m→4h ハイキャンプ5700m→2h アイランドピークBC5100m 6h「テント泊」

●11月01日 BC ハイキャンプ アイランドピークBC5100m→ハイキャンプ5500m 6h「テント泊」

●11月02日 BCハイキャンプ5500m→6h アイランドピーク6190m→6h アイランドピークBC5100m 12h「テント泊」

●11月03日 予備日 テント泊

●11月04日 BC タンボチェ  アイランドピークBC5100m→パンボチェ3901m 9.0h「ロッジ泊」

●11月05日 パンボチェ ナムチェバザール パンボチェ3901m→ナムチェバザール3446m 7.0h「ロッジ泊」

●11月06日 ナムチェバザール パクディン ナムチェバザール3446m→パクディン 2610m 4.5h「ロッジ泊」

●11月07日 パクディン ルクラ パクディン2610m→ルクラ2804m 3.0h「ロッジ泊」

●11月08日 ルクラ カトマンズ ルクラ2804m→(飛行機)カトマンズ1375m ホテル・Holy Himalaya

●11月09日 カトマンズ カトマンズ  オプショナルツアー ホテル・Holy Himalaya

●11月10日カトマンズ カトマンズ  オプショナルツアー ホテルHoly Himalaya

●11月11日 カトマンズ(TG320TG622便) バンコク カトマンズ13:50出発→18:25 バンコクバンコク 23:15→機中泊 飛行機

●11月12日 関西空港 →6:25関空着

まずは「高山病」にかからぬ様に、うまく高度に順応できるかどうかが今回のネックだと思っています。決してメンバーの足を引っ張ることなく最終日の「ホテル・Holy Himalaya」でのポーター&ガイド&メンバーのみなさんとの祝宴パーティで笑顔で乾杯が出来るように「行ってきます!」


[2895] 【3008回 アサギマダラを見たよ】 2012-10-18 (Thu)

大阪市此花区高見町の公園の花壇で「アサギマダラ」を見つけました。最初は目を疑いましたが間違いなく、あの優雅な羽ばたきは「アサギマダラ」でした。奥秩父の富士見平小屋付近で毎日のように見かけたアサギマダラは移動のため私の住む高見町に立ち寄ってくれたのでしょうか!

アサギマダラの成虫は1年のうちに、日本本土と南西諸島・台湾の間を往復していることが知られています。研究者達によって、夏に日本本土で発生したアサギマダラは秋になると南西諸島や台湾まで南下、繁殖した子孫が春に北上し、日本本土に再び現れるという行動が明らかになっています。中には直線距離で1,500 km以上移動した個体や、1日あたり200 km以上の速さで移動した個体もあるそうです。

いままで蝶々はすべて「蝶々」だったのですがアサギマダラを知ってからは、じ〜っと見つめるようになりました。あれから何度もカメラを持ち、公園に行ってみるのですがすでに飛び立ったのでしょうか再び姿を見ることはできませんでした。

あと2日でネパールに旅立ちます。ネパールの案内人のビシャールさんからも「みんなの広場」にメールを受け取ることができました。ヒマ・トレ軍団の様子をビシャールさんのパソコンによってお知らせすることができるようになりました。ヒマ・トレ軍団の仲間たちは荷作りに余念がない様子です。私はもう何があっても出発まで荷物は出しません(出せません・・・笑)だって出すと収納不可能になってしまいます。完璧とは言えませんが多分、大丈夫でしょう。あとは20日の出発を待つばかりです


[2894] 【3007回 新和歌の浦へのバス研修】 2012-10-17 (Wed)

ヒマラヤ行きを目前にしてではありましたが某部会の研修会があり参加してきました。行先は珍しく和歌山方面・・多分この方面の研修は初めてだと思います。湾岸線から此花と言えばユニバーサルスタジオと言われるくらいの目玉である大きな敷地を眺めながら、また4日後には関西空港への橋を渡るのか〜と車窓を楽しみながら45人乗りのバスに19人と、ややゆったりめの座席を2人分確保し、わずかの時間で和歌の浦に入りました。バスは研修を終えたのち昼食前に紀三井寺にお詣りすることになりました。

紀三井寺は、西国三十三国所第2番札所の観音霊場で、「ふるさとを はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」のご詠歌で知られています。

本堂までの321段の階段はまるで修行をするかの如く、きつい階段でした。同じ歩調でスタートしたのですが振り向くと半分以上の人が喘ぎながら手摺りに寄りかかっていました。「歩き方おしえてくれ〜!」と私に向かって叫び声が聞こえましたがローリングステップを覚えてもらうには・・・・自力で頑張ってよね〜!

紀三井寺という名称は、山内に三つの井戸が沸々と湧いているそうです(吉祥水・清浄水・楊柳水)環境庁が発表した「名水百選」に選ばれています。ここは名草山のふところに抱かれ、境内から望む「和歌の浦」は絶景です。本堂の境内前には約700本の桜の木が植えられていて、開花宣言の目安となる和歌山地方気象台指定の標本木の看板が立ち、近畿地方、本州に春の到来を告げる「早咲き桜の名所」として知らせています。寄木立像としては日本最大の仏像、総漆金箔大千手十一面観世音菩薩が凛として私達を迎えてくれました。大千手十一面観世音菩薩の手に紐が結ばれ先端は参拝者としっかり結び合える仕組みになっていました。無神論者の私ではありましたがヒマラヤ登山を目前にしているためか心穏やかにお詣りをしてまいりました。

参道には柿やみかんなどを売る出店が並び、そう派手ではない呼び込みで賑やいでいました。昼食前に温泉に入り帰り道にある黒潮市場に立ち寄りマグロの解体ショーを見学しましたが、小ぶりのマグロのため迫力に欠け「な〜んや」の声とともに大阪に戻ってきた次第です。

帰りのバスの中は恒例のビンゴゲームで盛り上がりました。それもそのはず沢山の豪華賞品の寄付をМ相談役から頂いていて、全員に和歌山名物が行き渡る心づかいがなされているのです。多分、島屋出口あたりまでワイワイと楽しんでいたと思います。この会は各企業から1名の参加ですので横のつながりがあまり太くなくバスの中で退屈しないようにビンゴゲームが行われているのです。盛り上がりは最高でした。沢山の賞品のご寄附にも感謝、感謝です。


[2893] 【3006回 もうすっかり秋の気配】 2012-10-16 (Tue)

急に秋らしくなってきました。外気温も26度と昨年並み。ひと雨ごとに冬の訪れを感じるのではないでしょうか。明日は雨模様の予報です。洗濯は今日のうちに済ませておきたいと思っています。2人だけの生活だと、毎日洗濯機を回すほど汚れた衣類がなくてマットだのカーテンだの1回分の洗濯量を探すのに大変です。かと言って・・・2日に1回ってのもなんだか〜!

夏蒲団から少し厚めの布団や毛布に、衣類もまた衣替えの季節となりました。最近ではお洒落着なるものが不用となり登山用品だけで充分こと足りるようになりました。ウインドウショップもしなくなりました。スーツ着用のイベントのある時は、お腹に力を入れて息を止めファスナーを止めています。勿論クシャミはご法度です。

昔は衣替えと言えば押し入れにあるアルミ製の衣装缶を部屋中にだし樟脳の香りプンプンの衣類を出して不用の衣類を収納する。着物は虫干しでほぼ1日かけて季節の入れ替えをしていました。しかし今では引き出し付きの衣装缶となり押し入れがタンスがわりになっています。電車に乗っても樟脳の香りがプ〜ンとする人にも出会わなくなりました。

幼き日に家の中に物干し竿を張り巡らせ、着物の虫干しをする中でかくれんぼをするのが楽しかったこと・・見つかると「コラッ!鼻くそつくから外で遊びなさい!」と必ず家の外に放り出されるのですが母親にかまってもらえるうれしさから何度も繰り返したものです。

衣替えや虫干しは母との懐かしい思い出です。母の手編みのセーターは小さく縮んで着ることはできませんがタンスの中にいつも大切に入っています。

♪♪
かあさんが 夜なべをして
手ぶくろ 編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
故郷のたよりはとどく
いろりのにおいがした ♪♪


[2892] 【3005回 レスキューハーネス】 2012-10-15 (Mon)

「お母さん!4チャンネルで山岳レスキューやってますよ!」日曜日の午後6時30分、お嫁ちゃんからの電話で、夕食の準備を中断して画面に見入ってしまいました。番組名は「夢の扉」レスキューハーネスで救助をしているシーンでした。過日富士見平小屋で私がそのハーネスを履いて救助の訓練をしたばかりだったからです。「まずレスキューハーネスの使い方を学ぼう」という事で富士見平小屋に設置してあるレスキューハーネスを手にしていたので、まばたきもせずに見てしまいました。(我が家に録画あり)

錫杖岳で40歳の女性が墜落したとの通報でヘリコプターが出動したのですがローターが岩壁に当たり救助不能と判断しヘリは引き返しました。再びヘリがギリギリ可能地点で救助隊員をおろし、負傷者を負ぶって降ろすことになりました。この救助隊員こそレスキューハーネスを開発した岐阜県警山岳救助隊・谷口光洋氏(56歳)だったのです。負傷者にも救助者にも負担がかからず、それでいてヘリに吊り上げる際にも安定感があり速やかに救助でき既に150人もレスキューハーネスで救助したそうです。

●「レスキュー・ハーネス」とは
空中でホバリングしているヘリコプターに遭難者を引き上げる際、体に装着させる安全ベルトのこと。山岳レスキューのエキスパートが生んだ「最強の救助道具」です。消防などでは常用していますが、既成の製品を20年の歳月をかけて現場に合うように開発・改良してきたのが、岐阜県警山岳警備隊小隊長 谷口光洋さん(56)。谷口さんが開発したのは、「遭難者を背負うことができる」という最強の「レスキュー・ハーネス」。日本中から登山者が訪れる、人気の北アルプスを背後に控える岐阜県は、去年の遭難事故は100件を超え、5人が命を落としました。谷口さんは、そんな死と隣り合わせの山岳地帯から、「1秒でも早く、1人でも多くの命を救いたい」という思いで、レスキュー・ハーネスの改良に取り組んだそうです。

今年4月、岐阜県警の谷口さんは山岳警備隊では全国で2人しかいない、警視庁指定広域技能指導官の指定を受けました。谷口さんが入隊した当時、救助道具は十分ではなく、当時、山岳ヘリ救助の先進国だったフランスとスイスへ研修に出向き、帰国後登山用品メーカーと共に山岳救助専用のハーネス作りを始め、何度も改良を重ねていくこと10年、ついに最強のレスキューハーネスが完成したそうです。「レスキューハーネス」は、空中でホバリングしているヘリコプターに遭難者を引き上げる際、体に装着させる安全ベルト。現場のニーズに合うよう改良に改良を重ね、“遭難者を背負うことができる”最強のレスキューハーネスを生み出しました。山は天候が変わりやすく、救助は一刻を争うが、このレスキューハーネスの導入により、救助に要する時間は格段に短くなりました。

『救助は死と隣り合わせ。どんなに現場を経験しても気が抜けない』36年前、まだ谷口さんが新人の頃、「滝谷」という難所で滑落者が出た。現場に向かった先輩隊員が、落石をよけた際、足を踏みはずし命を落とした・・。搬送中に、谷口さんの背中で亡くなった人もいた。『救助は1分1秒が勝負なんです』 厳しい現場を経験してきたからこそ、今もなお、助けなければならない人たちがいる現場に立ち続ける。


[2891] 【3004回 ヒマラヤ行きの荷物】 2012-10-14 (Sun)

あと1週間でいよいよネパールに向けて出発となりました。ポーターさんに預ける荷物が18s、自分で持つリュッが約8sとなりました。まだ飲み水等を加えると毎日9sを背負って歩くことになります。ヒマラヤ登頂経験者から色々アドバイスのメールを貰ったりしますが、未知の世界ゆえに実感として受け止めることができません。「無」の状態で体験するのは危険なことでしょうか・・・?

いつもなら出発前は心が躍り、ウキウキ気分があるのですが、今回ばかりは不安が大きくて、真新しいパスポートを眺めながら「ほんまに帰って来られるんやろか?」と思っては必死で打ち消しています。「テレビ番組の゛イッテQ゛でタレントが登っていたやんか〜!」と簡単に登れるイメージを周りの人は平気で浴びさしてきます。おまけに「下山はヘリを利用なのか?」とも冗談で言ったりもします。テレビ番組ですのでスケールの大きさは私達とは違いますが、タレントさんとて訓練を重ね自分の足で登っておられるのです。りっぱだと思います。

今回テレビ番組の制作に少しだけ携わりましたが30分番組を12日間かけて撮影し、それから編集にかかるのです。良い所を見せたいと思うあまり登山道の危険個所はカットされていたように思います。過日の「小さな旅」収録で、放送後、ディレクターから詫びの電話がありました。「せっかく出演して頂いたのですが昼間のイメージで編集をしており、小屋の中の食事シーンはランプが灯り暗くて、夜をイメージされるためカットになり申し訳ありませんでした」・・・そんなことはもうどうでもいいんです。あの放送以来、瑞牆山にドッと登山者が押し掛け事故が多発していることを知らせました。

画面には岩場の多い登山道や、きつくて登りにくそうな登山道はカットされています。そのためテレビを見たと言う子供連れやスニーカー、もっとひどい時はサンダル履きなどのピクニック気分の人達が押し寄せ怪我人が続出しているのです。小屋のおやじは番組放送後、急きょ子供用のヘルメット等を購入し無料貸し出しして安全を呼びかけています。番組の最後に「瑞牆山は登山靴などの装備を万全にしてお出かけください」とナレーションでも入れてもらっていたら装備不良の登山者が、こんなにも急増しなかったのではないでしょうか。素晴らしい瑞牆山をひとりでも多くの人に知ってもらいたいと思う反面「どうぞ怪我をしないで」と祈らずにはおれません。

私も脱臼したり、肋骨を折ったりと失敗を重ねながら現在に至っています。全て自己責任による怪我ではありますが、教訓としてその後の山行に活かし安全登山を目指しています。今回のヒマラヤ行きは私の人生を賭けて(ちょっとオーバーかしら?)最大の贅沢をさせてもらう山行になるのです。私の言うところの贅沢とは「多額の参加費用がいること・長期間家を不在にすること」なのです。ヒマラヤの体験が更なる私の人生に花を咲かせてくれることを祈っています。


[2890] 【3003回 救助隊結成】 2012-10-13 (Sat)

「軽装が引き起こした負傷者発生」

10月9日のことです。登山者から「転落して左腕を脱臼したらしい老人がいる」と小屋に携帯電話をしてきた人がいました。どうして小屋の電話番号を知ったのかと言うとiphoneと言う文明の利器を使い富士見平小屋と駐車場近くの小屋に通報し駐車場近くの小屋は警察に通報(1本の電話処理)、富士見平小屋は救助隊を結成(救助者のもとへ駆けつける)今後の参考としては、まず第一に通報をするのは「小屋ではなくて警察」なのです。警察を通じて小屋に救助要請がある場合もありますが、とにかく第一報は警察にお願いします。富士見平小屋のあるじは事故と聞けば何を置いても救助に出かける熱い男。また取り巻きとてあるじに続けの祭り野郎たち・・

富士見平小屋の救助隊が出発してから30分遅れて駐在署員1名が小屋に到着するも既にザイル、サラシ、シュリンゲ、ガーゼ等の医薬品も含めた救助用品を担いで出発したため小屋にて待機するように依頼しました。(と言うか、駐在員一人で行ったとしても怪我人を担ぎ下ろすことはできません。それよりも小屋から下山までをパトカーにて搬送してもらうほうが得策と考え分担してもらう方法を提案)

待つこと3時間・・・長い時間に感じました。瑞牆山からの下山者に様子を聞くと現在位置が的確にわかりました。ザイルに結ばれた負傷者と4人の男達、だれに聞いても教えてくれました。時間を置き、何組かの登山者に現在地を聞くと、もうすぐ小屋近くに到着することがわかりました。少しの距離を登り、迎えに行くことにしました。すると、樹木の合間からヘルメットがチラチラと見え始め救助隊が戻ってきた様子です。「良かったですね」と負傷者に声を掛けようとしたその時、靴を見て「目がテン」になりました。履き古したゴム底の擦り切れたスニーカーだったのです。

思わず「エーッ!おっちゃん!そんな靴で瑞牆山に登ったんかいなぁ!日本百名山・瑞牆山をなめたらダメ!」怪我人にムチ打つようですが、4人の救助隊の苦労を思うと二度と同じことを繰り返さないように「お灸」を据えておかなければと間髪入れずに叫びました。驚いたのは負傷者ではなく4人の男達でした。

負傷者の左腕にはサラシ1本を巻き、ガーゼでクッションを作り、三角巾で腕を吊上げた手当は完璧です。骨折をしていても脱臼をしていても医者に引き継ぐまでの手当てとしては完璧だと思いました。しかし、さほど痛そうな表情もなく脱臼経験者としては生汗ダラダラと流れ、痛みで顔は歪んでいるはずですが、さほどつらそうな顔はしていませんでした。「登山靴は持ってへんのんかいなぁ?」と聞くと「革靴のエエのを持っています」とのこと。「ほんなら何故履いてこなかったんですか?」「家に帰ったら探しておきます」・・・話にならん!

小屋に到着すると駐在さんの事情聴取が長々と始まりました。「登山歴50年、昭和17年生まれの単独行」らしいです。登山歴50年て・・・まっ大事に至らず救助できたこと、駐在所のパトカーまで送り急きょ結成したレスキュー部隊は役目を終えました。この老人は「迷惑をかけました」とは言いましたが救助に使用した医薬品の数々についてどうすればいいのか、後日また訪れて礼を述べるのか全く伝わってきません。小屋のあるじとしてはそんな事を口にするわけにはいきません。ならば一般登山者である私が今一度お節介の虫を出して説明をと善意の医薬品につき後日使用した品に見合った品を送ってほしいこと、今後の単独行は控えること、登山靴は経年劣化も考えられることから、家にある革靴とやらを、よく調べて出来れば新しい登山靴を購入することを勧めました。

駐車場にあるマイカーを片手運転して自宅に帰りたいと話して駐在さんに大目玉くらっていたのがこっけいでした。ほんまにこの小屋に滞在していると色々な事が勉強になります。心からそう思っています。


[2889] 【3002回 暗闇の訪問者】 2012-10-12 (Fri)

日本百名山「瑞牆山」の登山道は岩場の多い難度の高い山だと思っています。テレビ番組「小さな旅」放映以降は簡単に登ってくる人々が多く事故が絶えません。往路に富士見平小屋に立ち寄れば的確なアドバイスをして貰えるのですが「帰りに立ち寄ろう」と言う人がほとんどです。

10月8日のことです。朝の外気温は4度、多分日暮れ時も同じぐらい冷えていたと思います。ヘッドライトの電池を切らした親子4人が富士見平小屋を訪れました。午後6時30分、外は真っ暗です。明るい時でも小屋から駐車場まできつくて、石コロだらけの下り道を30分はかかります。暗いと危険でヘッドライトがあったとして健脚な人でも下山をためらいます。

この親子は小学校5年生の娘が、翌日に学校があるので下山したいと希望しますが小屋の管理人は「もうこれはりっぱな遭難です」と促し小屋に泊まる様に説得しました。暗闇の中を歩いてきたためか4歳の男の子は泣きじゃくり「お家に帰りたい」の連発です。

午前9時に駐車場を出発したそうですが、駐車場から富士見平まで1時間、小屋から瑞牆山山頂まで2時間もあれば到着です。帰りも同じ時間で降りたとしても富士見平前を午前2時には到着するはずです。どの段階で遅れたのかは親がきちんと子供の速度を把握し、無理だと思うと途中で引き返さなければなりません。これは親の責任です。

天候が晴れていたからいいものの雨でも降れば命の危険にさらされます。リュックも小さくて、とても4人分の雨具が入っているとは考えられません。小屋には子供用のヘルメットと引率者用にスワミベルト、ロープ。カラビナの無料貸し出しをしています。小屋に立ち寄り相談をしていれば4歳の子供に泣きじゃくるほどの恐怖を与えずに済んだのにと残念です。

この親子が今後、安全な登山をするためには、両親が「ハイキング」と「登山」の違いをきちんと勉強してから出かけてほしいと思います。時期を変えて、富士見平までをゴールと決め、もっと楽しい山登りをしてほしいです。小屋の周辺には虫や鳥や落ち葉など子供たちの喜ぶ自然がいっぱいです山のトイレの体験も5年生のお姉ちゃんなら、きっと勉強になるはずです。


[2888] 【3001回 放浪の旅】 2012-10-11 (Thu)

糸の切れたタコの様に5日ほど放浪の旅に出て10日の夜に戻りました。どこに行ってたかって?聞いて下さるな・・皆々様!

じつは私達が尊敬する富士見平小屋のあるじ様より「登山道が台風の影響で封鎖された」との情報を聞きつけ「それは大変!」とスケジュールを調整し、横須賀のお祭り野郎達も駆けつけると言うことから小屋で合流することにしました。「また行ってたの?あんたも好きねぇ!」きっとそう言われると思いますが、そうなんです「好きなんです」

何と!何と!台風17号の大暴れで富士見平小屋の登山道は大木に封鎖されていました。情報を聞きつけ、「これは大変!」と富士見平小屋に駆けつけましたが、これは表向き!じつは、あるじと、こあるじと、お祭り野郎達に「会いたかったよ〜!」で7日から10日まで奥秩父の秋を満喫して参りました。(まだ紅葉には少し早いよ〜)

台風で倒れた木の排除やテント場のロープ張り、テント場のゴミ回収、小屋の棚つくり、はたまた椅子修理と楽しく身体を動かしてきました。あるじだけで作業すると疲労で死んじゃうよ!みんなで手助けしようよね。

滞在中のおもろい話はいまレポートにまとめ中だから待っててね。写真もいっぱいだよ〜!

それにしても今回も富士見平小屋スタッフのレスキューの出番の多かったこと・・・「山小屋のあるじはこうあるべき」を、今回もしっかりと拝見してきました。山に登るだけでなく小屋側から見る登山者の姿を勉強するのも、私自身のためになりました。暗闇の訪問者の親子4人の話や、昭和17年生まれの老人の危険な単独行登山、開けてびっくりトイレ使用料の1円玉・・・など目下執筆活動中で〜す。乞うご期待!


[2887] 【3000回 記念すべき3000回さらなるステップへ】 2012-10-05 (Fri)

記念すべき3000回を迎えました。365日、書き続けたとして8年以上の月日が経過したことになります。8年前の写真を振り返ると「若いなぁ!」の一言です。

4000回へ向けて、さらなるステップ台に立ったことになります。4000回到達が3年先と言うことは、ジャンプすれば70歳に手が届くことになります。まだ登山を続けているのでしょうか?、まだ岩にへばりついているのでしょうか?足腰は大丈夫なのでしょうか?

ヒマ・トレ軍団のメンバーに古希寸前の方がいます。現役バリバリで私達と同じように岩にへばりついている雄姿を見ると「まだまだいけそうやな」そんな希望も出て来ます。そんなヒマ・トレ軍団のメンバーで「ユマール」の使い方を練習するために蓬莱峡に行きました。ゲレンデは誰もいなくて貸切です。ロープを2本使い、左手にユマール、右手にピッケル、勿論アイゼン装着で登攀練習をし、登り終えたらエイト環を使って下降練習を繰り返します。(ATCは雪の中では使用不可)アイゼン・ピッケルでの練習はクライミングシューズの3倍は労力がいります。練習を終えて宝塚のいつもの中華屋で反省会・・この日は「未知の世界に乾杯!3000回書き込み乾杯!」で心地よい酔いを味わいました。

知人の娘に奨学金をもらいつつ交換留学をする20歳の娘がいます。日本に留学している諸外国の生徒たち十数人から「将来のビジョンを聞かせて!」と毎日のように質問を受け、まだ将来が決まらずにいる中、質問攻めで、少々ストレスが積もり、留学そのものに不安を感じているそうです。

相談を受けた私は『6000bの山の頂上を目指して夢膨らませていても悪天候、体調不良の時は諦めて引き返すこともあるけれど決して後悔はしない。未知の世界に挑戦したという自分の生き方にはプラスになるばず。ましてや大学へは将来を見つけるために勉強に行くのだから将来の道が決まってなくても何も恥じることはない』と「登山」を例題に出して人生の先輩として話をしました。

成績優秀者だけに贈られる奨学金制度を獲得していながら、狭い日本の中でウジウジ考えるより外国に羽ばたき見聞を広め、将来すすむべき道を探してくればいいと思います。どうしても生活習慣が合わなかったり勉強についていけないのならば、その時は帰国すればいいのです。山の頂上を踏めるか踏まれないかと同じことで、現地に行って体験すればいいとアドバイスをしました。「チャンスは逃がさない!」

泣きながら不安を訴える娘の話を同じように泣きながら聞いた母は「どう言っていいのやら」と電話の向こうでまた泣いている様子でした。すぐに娘宛てに便箋5枚を使い手紙を書き投函しました。今日あたり届いていることでしょう。この娘は私の姪の子・・子供の時から孫のように可愛がっていた子だけに、ストレスを跳ねのけて、輝かしい未来に突き進んでほしいと願わずにはいられません。もう一度「チャンスは逃がさない!」

★3000回の記念寄稿は別途掲載しています。ご覧頂ければ幸いです。また一言コメントを「みんなのひろば」に頂けると大変うれしく思っています★


[2886] 【2999回 3000回まであと「1回!」】 2012-10-03 (Wed)

★3000回まであと「1回書き込み!」

とうとうやってきました「3000回の書き込み!」

いま少し緊張と興奮とで額から汗がポトリと落ちました。義兄が生きていたら口癖の「な〜んちやこっちゃない!騒ぐな」とたしなめられているように思います。しかし言葉ではそういっても目を見ると「我が妹よ!よぉ頑張った!」と言ってくれてそうで遺影をながめています。

昔、機関紙の新年号を発刊するにあたり感想文をお願いしたことがあります。「そんなん書かされるんやったらスタッフやめるわっ!」と血相を変えたおばちゃんがいました。書かされるって・・・新年の抱負を一行か二行、言ってくれればこちらで文章化するのに・・・と思いながら不快な思いをしたことがあります。人に自分の思いを伝えるには文章が一番的確で且つ正確です。そんな経験があって自分なりに文章で発信しようと心に決めました。その時は不快な思いをしましたが、あのおばちゃんの一言がなかったら3000回は迎えられてなかったかも知れません。いまは感謝しています。

同じ様な話で総務課に転籍になった折りに「君はバイクしか乗れないようだけど労災が発生して怪我人を病院に運ぶには車でないといかんなぁ」と言われ、それから自動車教習所に通いました。44歳の時です。補習授業なしに自動車教習所を卒業しました。門真で免許証をもらい、うれしくて教習所でお世話になった教官に報告にいく途中、一方通行を逆に走行しバックが苦手で対面から走ってきた車に事情を告げ相手にバックしてもらったことがありました。ハイ・・・

バイクでは怪我人が運べないと言われた時はコンチクショウと悔し涙を流しましたが、あの時のあの言葉がなければ車に乗ることは出来ませんでした。その一言を浴びせた人にも今は感謝しています。

何事も「へこたれる」か「前に進むか」で人生が変わってくることを知りました。ジョンの「ホームページは毎日更新してこそアクセスがある」と言われ日々書き続けてきました。おかげさまで多い時は「100アクセス」を超えるようになりました。そして明日は晴れて3000回を迎えます。

そんな自分へのご褒美に「ユマール」を買いたいと思います。「なんや〜ショボッ!」って笑われそうですが、いまだに持っていなかったのです。ユマールとはクライミングの時に使う器具で、固定されたロープを登高するギアです。カムの動きによって上には上がるが下には移動しない仕組みを持っています。雪の中で活躍する安全対策の器具です。


[2885] 【2998回 3000回まであと「2回!」】 2012-10-02 (Tue)

★3000回まであと「2回書き込み!」

贅沢な話ですが暑すぎて・・・
台風17号の影響で運動会が9月30日から10月2日に延期となりました。校長先生のお話では大阪の小学校の6割が同じ日に実施されているそうです。以前は10月10日に行われていたのですが(だから体育の日?)だんだん前倒しに実施される傾向があるみたいな気がします。

台風が過ぎた後の天気は太陽が照りつけて、まるで真夏日でした。平日に延期されたということで保護者の数が少なかったように思います。この学校はラジオ体操第一からスタートし運動会の歌を全員で声高らかに歌い競技がスタートしました。2年生だけが1クラスであとは全学年2クラス、都会の学校にしては生徒数が少ないように思います。

だからなのか出場する種目も多く、6年生による応援合戦も見ていてとても楽しかったです。零ちっちのかけっこは、ぶっちぎりの1位で見ていて思わず「ガンバレ!行け!行け!その調子!」と声をあげてしまいました。応援にも力が入ります。

去年は・・・・たしか4人で走って3位だったと思いますが体力がついてきたのでしょうか小粒ながら頑張っていました。お昼は自宅に帰り昼食のため私達は商店街に出てランチを頂きました。お弁当を広げるほどの校庭がなく父兄は誰しもが自宅に帰って昼食です。(ちょっと味気ないなぁ)

閉会式を待って「よく頑張ったね!」と褒めてやると、とてもうれしそうな顔をしました。1位でなくても頑張ったには違いありませんが、ぶっちぎりが大層嬉しかったようです。

あと2つ・・・運動会の応援が残っています。天気だといいのですが。


[2884] 【2997回 3000回まであと「3回!」】 2012-10-01 (Mon)

★3000回まであと「3回書き込み!」

午前7時に台風17号の警報が出ていることで運動会は延期となりました。午前2時48分にメールがきた「ヒマ・トレ軍団打ち合わせ」も帰りの電車が停まることが想定されたため延期となりました。「運動会は延期で学校も休みだよ〜。だから婆ちゃんちに遊びに行きたい!」という事で小さな訪問者を受け入れることにしました。いつもは、ももちゃん達も一緒なので賑やかで子供同士が遊ぶのですが、零ちっち一人だと相手がいります。怪獣役の爺が時々本気で零ちっちとぶつかり子供の様に立腹しています。おとなしくなったなと2階を覗いてみると将棋盤を出して将棋が始まりました。静かで〜す。

ヒマ・トレ会議も、わざわざ台風の最中に打ち合わせもないだろうと1日延期となりました。外は結構な風雨でした。それでも自転車に乗り傘を広げて走る人もいてフラフラと風にハンドルをとられて見ていて危ないです。透明のビニール傘は風にあおられ傘の原型を保っていません。傘をたたんで濡れた方がずっと安全の様に思います。こんな日は買い物にも行かず、冷蔵庫の掃除日と決め込みましょう。メニューは何とかなるものです。

東海地方から東北地方を縦断した台風17号は1日午前、北海道の南東海上を北東へ。強い勢力ではなくなりましたが北海道の太平洋側を中心に激しい雨が降り、引き続き暴風や大雨、高波、高潮に警戒を呼び掛けています。

強風にあおられ、相次ぐ負傷者、観客不在のゴルフツアー、乱れる交通網など、台風17号は30日から1日未明にかけて、各地に“つめあと”を残し、列島を北上しました。観客不在のゴルフツアーの決勝ラウンドに、6位だった石川遼選手は「拍手がぱらぱらで、自分と周りの静けさとのギャップがあった。自然相手だから受け入れるしかない」とコメントしていました。

沖縄県読谷村の残波岬では29歳の男性が海に転落し、海に浮かんでいる男性をヘリコプターで救助しましたが、死亡が確認されたそうです。大阪府では観光に来ていたオーストラリア人女性の頭に倒木の枝が当たり病院へ運ばれました。また脱線事故のおありでタクシー待ち200人の列や静岡県沖に停泊していたカンボジア船籍の貨物船が風や波で流され座礁したそうです。東海道新幹線も断続的に運転を見合わせたり、空の便は500便を超える便が欠航。関西空港は空港と対岸を結ぶ連絡橋で一時電車と車の通行ができなくなり、孤立しました。

台風一過で被害に遭われたみなさまには、心からお見舞い申し上げます。


[2883] 【2996回 3000回まであと「4回!」】 2012-09-30 (Sun)

★3000回まであと「4書き込み!」

生憎の雨の予報です。しかも台風だと・・・・
午前2時48分にメールが届いていました。この時間から眠りに入るのでしょうか?はたまたお目覚めの時間だったのでしょうか?気にかかります・・今夜は大切な打ち合わせ会議があるのですが台風でも決行だぞ!との力強い「ヒマ・トレ軍団」からのメールでした。→その後台風接近に伴い順延となりました。そりゃそうだね!

台風17号の接近が気にかかります。日曜日は零ちっちの運動会なのですが午前7時に校門前に決定か延期か張り出すのだそうです。名塩小学校は保護者に「一斉メール」を送信するのだそうです。校区が広いと学校まで見に行くわけには行かず、そうかと言って電話で問い合わせも職員の対応が大変なのでしょう。携帯電話は猫も杓子も普及していますから徹底通知出来るのかもしれません。

零ちっちの学校は「雨の場合は4時間目まで授業で給食を食べて帰宅、警報がでれば休校、どちらか不明な時は校門に張り出し」となるそうです。

ところで台風の情報ですが、非常に強い台風17号は、30日午前7時には種子島の東280キロの海上を1時間に45キロの速さで北東へ進んでいるとみられます。このあと速度を速めながら北東へ進む見込みで、30日は大潮でふだんより潮位が高い上に、西日本から東北の太平洋沿岸では台風が接近する夕方から今夜にかけて満潮を迎えるところが多く、高潮による浸水の危険性が高くなる見込みだそうです。

朝7時には、既に運動会を実施するかどうか職員会議が繰り広げられていることでしょう。日曜日が雨ならば平日の実施となる予備日は、きっと参加できない父兄も出で来るのではないでしょうか。しかし相手が台風とあらばねぇ。(仕方ないかな)・・・警報が出たと言うことで運動会は10月2日の平日に順延となりました。

台風接近に伴い、瑞牆山と金峰山とを登山をするために、富士見平小屋へ予約をしている登山者も天気予報が気になる所です。食材を運び、準備万端整えている、あるじ達にとって週末の雨や台風は痛手でしょうね。しかし、あるじは安全を最優先する人です。快く事情を察してくれることでしょう。いっそ私達の様に山に登らず富士見平小屋でワインを傾けながら、豪華なディナーと洒落こむのも乙なものですよ。キャンセルの場合は、電話の1本ぐらいしてあげて下さいね。「山小屋ならこの天気だと判断できるだろう」と案外とキャンセルの電話を入れない人がいるみたいです。連絡が入らなければずーっと心配し続けています。到着時間が遅れたり、キャンセルの場合はこまめに連絡を入れてあげてほしいです。

富士見平小屋は台風で停電になる心配はありません。大丈夫です。だって「ランプの宿」ですもの!

台風17号には(ジェラワット)、台風18号には(イーウィニャ) と名前がついています。これは淡水魚の名前らしいですがどちらも大暴れしないでほしいですね。


[2882] 【2995回 3000回まであと「5回!」】 2012-09-29 (Sat)

★3000回まであと「5回書き込み!」

9月29日土曜日、空は台風17号の影響か、どんよりと曇り空です。西宮市立名塩小学校の運動会なのです。応援する者にとってカンカン照りよりも曇り空の方が熱中症の心配もなく有難い。午前8時過ぎ、小学校に到着しました。んっ?校門の飾り付けも校庭の万国旗もなく何かひっそりとしています。(去年もそうだったのかどうか記憶にありませんが・・)創立140周年らしく、体育会のスローガンは「パワー全開!名塩の底力」とプログラムに明記していました。

誰も席取りをしない「とっておきの場所」にシートを広げ、荷物を置き、上から太陽遮断シートを掛けて息子達が到着を待ちました。この秘密の場所は砂ほこりがかからず大きな松の木が日陰を作ってくれて絶好の昼食場所なのです。ももちゃんが出場する時は前に移動し声援を送れば特等席なのです。しばらくすると息子夫婦、そののちに放出のおばあちゃん達もやってきて賑やかになりました。運動会は午前9時00分にスタートしました。

入場行進曲も今風の音楽で、ラジオ体操ではなく、ハイカラな音楽にストレッチ体操のような体操で幕開けです。ももちゃんがどこにいるか見つけることができません。みんな同じで、どの子もよく似ているのです。すると2年生の席からこちらに向けて手を振る、ももちゃんを見つけました。

プログラム5番に2年生のリレーがありました。体操大好きと言うだけあって、とても足が速いです。ダンスもとても楽しそうに踊っています。余裕があるのか時々こちらを向いててを振ってくれます。天気も何とか持ちそうです。

お昼前のプログラムに「名塩音頭」と書いてありました。全校生徒が全員出てきて真ん中に朝礼台が置かれています。老人会の人達と思われる地域のご老人が出てきて「なま歌」で名塩音頭を歌い、他の老人達も生徒と一緒に踊ります。140年の伝統があるからか歴史があり、地域密着型でみんなで運動会を盛り上げて待ちに待ったお弁当の時間です。

大阪の学校は運動会であっても生徒は教室で給食を食べ、保護者達は自宅に帰り昼食を済ませてから午後の応援にやってきます。名塩は校区が広く、自宅に帰る時間がないため生徒と保護者が一緒になってお弁当を食べる習慣の様です。

姫婆が早朝から気合を入れて作った弁当をみんなで美味しく食べました。放出のおばあちゃんもサンドイッチを作ってきてくれました。私の子供のころの運動会は村の行事として「幼稚園・小学校・中学校・青年団」合同で行われました。この日ばかりは農作業を休んで村人全員で小学校に集合です。昼にはキャンデー売りもやってきてお祭りムードでした。弁当のおかずはハッキリ覚えていませんが、この日ばかりは「白ごはん」のご馳走でした。(普段は麦飯)

午後の競技は13時20分からスタートだったのですが台風を懸念して13時00分に午後の開始を知らせるピストルの音が鳴り響きました。5・6年生が機敏に校庭を駆け巡ります。道具の準備、得点係、放送席などすべて生徒で運営されていました。車椅子に乗った生徒も一般の生徒に混じって一生懸命競技に参加をしていました。

午後の開始を20分早めたことで閉会式まで雨粒が落ちることなくすべてとどこおりなく終了しました。ももちゃんは白組で、成績発表は100点以上差がつき赤組の勝利となりました。一生懸命頑張ったことを褒めてやりました。

閉会式後、椅子を教室に持って行ったり、本部席のテントを撤収したりしていると雨がポツポツと落ち始めました。何とか雨に遭わずに済みました。問題は30日(日曜日)の零ちっちの運動会です。大阪市の運動会は弁当の用意は不用のため雨であれば順延になるので成り行きを見守るだけで良いのです。テルテル坊主の効果はあるのでしょうか?せっかく楽しみにしているので、できれば予定変更なしに実施できればと思って夜空を見上げに外に出たりしています。(ほぼ100%無理かも・・・)


[2881] 【2994回 3000回まであと「6回!」】 2012-09-28 (Fri)

★3000回まであと「6回書き込み!」

ネパールで飛行機事故 乗客乗員全員死亡・・・こんなニュースが飛び込んできました。カトマンズ(CNN) ネパールの首都カトマンズの空港で、離陸直後の飛行機が墜落する事故が起き、乗客乗員19人全員が死亡したそうです。航空関係当局が28日に明かしたところによると火災も発生したと伝えられています。

航空関係当局の発表によると、乗客のうち7人は英国人、中国人が5人、ネパール人が4人で、乗員3人はネパール人だったそうです。

同国の航空当局によると、墜落した飛行機はシタ・エアが運営する独ドルニエ社製。カトマンズからルクラへ向かう便で、マノハラ川近くで墜落した。ルクラは世界最高峰エベレストの玄関口にあたる観光拠点でもある。

え〜っ?行程の第3日目に「カトマンズからルクラ(2,804m)、モンゾ(2,835b)に行くと書いてある〜!ひぇ〜これって・・・・こわいよ〜

ヒマラヤに登る前に飛行機が墜落するなんて、不運としか言いようがありませんね。日本の山岳保険はアイゼン・ピッケルを使用中の登山事故(ヘリ救助や高山病も含む)は6000メートルが限度との事です。アイランドピークは6180bあるため山頂での事故は保険適用外と言うことになります。6000b地点まで下山すれば適用範囲と言うことかしらね?

登山中の事故は自己責任で諦めもつきますが、飛行機墜落なんて、むごすぎます。日本人が搭乗してなかったことにホッとしている様な報道の仕方でしたが、そんなこと・・・人の命が失われたことに、もうちょっと配慮はないものでしょうか・・・

飛行機に限らずJRでも脱線事故で多くの犠牲者を出してしまいました。高速を走るバスにしても事故が多く発生しており、事故の後から「ドライバー2人体制」など法律が改正されたりしています。歩いていても自転車に跳ねられ死亡する事故も多発しています。どこにいても、何に乗っていても起こる時は起こるのです。それだけの覚悟をして出かけて行きますので・・・引き止めないでほしいものです。

それにしても搭乗がこわ〜いよ! 原因追究をして、再度事故を起こさないようにしてほしいと願わずにはいられません。


[2880] 【2993回 3000回まであと「7回!」】 2012-09-28 (Fri)

★3000回まであと「7回書き込み!」

台風17号の進路が気にかかります。9月29日はももえちゃんの運動会、30日は零ちっちの運動会、10月6日は和くんの運動会、そして私の3歳の小さなお友達良太君の運動会は10月5日で、どの日に雨が降っても悲しいのです。子供たちはそれぞれに練習を重ね応援に来てくれることを楽しみにしています。雨で順延となれば日程が重複する場合が発生するのです。どうぞ!せめて、午前中だけでも雨が降らないでおくれとテルテル坊主を4個吊りました。願いは届くのでしょうか!弁当係りの姫婆はスーパーのチラシに目をやりながら天気を気にしています。「雨もまた自然」のセリフは子供たちの運動会には似合いません。

大型で非常に強い台風17号は28日午前0時現在、沖縄・先島諸島の南の海上を時速15キロで北北西に進んでいるそうです。気象庁によると29日にも沖縄本島に接近し、30日に西日本を直撃する恐れがあるらしいのです。

続いて発生している台風18号は27日午後9時現在、東京都・八丈島の南東約250キロを時速15キロで北へ向かっており、今後は徐々に北東に進路を変えるとみられ、最大瞬間風速は35メートルだとか。

台風シーズンや地震の教訓として停電の場合の懐中電灯の所在や電池の残量などを調べておいた方がいいのではと思っています。過日、富士見平小屋でテント泊をした時テントの真ん中に吊るす懐中電灯が、やけに暗いのです。電池残量がなくなりつつあり「風前の灯」状態でした。私のヘッドライトは使用しないときは液漏れを防ぐため電池を抜いて保管しています。使用直前にセットをし、点灯チェックをして出かけます。勿論新品の予備電池はヘッドライト入れの中に常時入れています。(今回は懐中電灯のチェックを怠っていました)山中でヘッドライトは持っているが電池切れっていうのは歩行困難となり危険です。いま電池を入れたままにしている方がいたら、液漏れしていないかチェックをお願いします。

幼いころ、故郷高知の足摺岬は台風の通り道でした。庭先に竹林があり、台風となると、恐ろしい音をして屋根瓦を叩き割り、竹が折れるのではないかと思うぐらいしなります。丁度人間がお辞儀をする姿に似ています。その頃は母と私だけの生活のため台風の夜は近所に住む従兄弟夫婦に泊まりに来てもらっていました。雨戸に板を打ち付け、握り飯を用意し梅干と漬物で台風通過を待ちました。都会に住んでいると台風の恐ろしさを感じることは、ほとんどありませんが「台風接近」と聞くと怖かった子供の頃を思い出します。この年になって雷が異様に怖いのは幼い頃の体験が尾を引いていると思います。孫たちが来ているときに雷が鳴ると私だけが怖がっています。「雷は電気だから家の中にいれば大丈夫だよ!」と8歳の孫に慰めてもらう私がいます(怖いものは64歳になっても怖いんじゃ!)


[2879] 【2992回 3000回まであと「8回!」】 2012-09-27 (Thu)

★3000回まであと「8回書き込み!」

秋だと言うのに一匹の蚊に悩まされ午前2時頃から目がパッチリと覚めてしまいました。ベランダに蚊取り線香を取りに行くのも面倒だし、咬まれた個所にムヒを塗りボリボリとかきむしり続けました。夜明けを待たずにクローゼットを開けてゴソゴソと衣替えを始めました。「今年着なかった洋服は結局来年も着ない」と決めて処分の対象にしました。いまは登山用の服で事足りるのです。「よぉこんなん着てたなぁ」と言う服も出たり値札のついたままの服もあります。

「化粧は冠婚葬祭の時だけ」と言う山女さんがいますが、真っ黒に日焼けした肌に化粧がうまくのるはずもなく、左官さんが壁を塗る様な「厚壁仕上げ」の結果になるのではないかと恐ろしくて山へも、化粧水・乳液・日焼け止めは必ず持参します。重さにして500g以内ですから負担にもなりません。(そういえば北鎌尾根から槍ケ岳へ向けて登攀時、ゴール直前に化粧をしたいとわがまま言ったなぁ)女性は化粧をすることで背筋がシャキッとするのです。但し厚化粧はいかんよ〜!

屋久島に行くと言う知人から「山ガールの着ている服やスパッツも買わなぁいかんし・・屋久島って寒いのかなぁ?」と質問を受けました。ツアーで縄文杉観光に行くそうです。「登山靴は?合羽は?」と聞くと「え〜っいるの?」との返事に驚きました。縄文杉までの木道は滑りやすくスニーカーでは危険です。山ガールの服を新調するのは後回しにして登山靴と合羽は購入した方がいいと話しておきました。合羽についてもビニール合羽は不向きであることも付け加えておきました。

「1ヶ月35日雨が降る」これは 林 芙美子著の「浮雲」の中で屋久島を描写したくだりですがツアー会社は懇切丁寧に参加者に説明をする必要があります。

私の屋久島体験の中から参考にしてもらえたらと思います。
@屋久島のお勧めは霧&雨です!
屋久島の森が一番輝く瞬間です。大雨は敬遠しますが、小雨なら素晴らしい森が楽しめます。また雨上がりも素晴らしく、コケは雨で輝き、霧の中の森は神秘的です。豪快な滝や川を見るチャンスでもあります

A今回限りの登山なのでと言う人はレンタルをうまく活用してはいかが?
「普段は登山しません。でも屋久杉やコケの森が見たい」という方に朗報!最近はなんでもほとんどレンタルで揃います。(登山靴、ザック、合羽)ツアー会社に問い合わせて見て下さい。

B こまめな水分補給
屋久島の山や森の中は水が豊富です。一部の場所を除いては水の心配はさほど必要ありません。基本的に500ミリのペットボトル1本もあれば十分。こまめに水分を摂りましょう。行動食のアメやチョコも忘れずに持参してね。

C安いカッパは役立たず!
何度も言いますが、ツアー客によく見るのがビニールカッパ。危険な風景です。ビニール合羽は体温を奪われ、体力を失います。また長時間歩く間に、破れてしまいびしょ濡れ。
いつだったか芦屋で夏山の荷物チェックをしていた時、他の登山客から「合羽は100円ショップで買う」と言った人がいましたが論外です。 風や寒さからも身を守る防寒性もあり絶対必要です。

Dなんでもジップロック!
雨の多い屋久島。一度降ると半端ではありません。リュックカバーをしていても中はジトッと湿気を含んでしまいます。携帯電話、デジカメ、財布などジップロックしておけば安心です。

★「今回限り」ならレンタルもお勧めかも知れませんが屋久島の様な美しい場所を訪れると「山にまた行きたい」と思うのです。いつだったかスノーシューを1回2000円でレンタルをしていた人がいました。シーズン中に5〜6回は行ったと思います。最終的にはレンタル料でスノーシュー買えたのに!ということもあります。お洒落用品を買うのであれば登山靴と合羽は買って欲しいと思うのがちょっとだけ先輩の姫婆からのアドバイスです。


[2878] 【2991回 3000回まであと「9回!」】 2012-09-26 (Wed)

★3000回まであと「9回書き込み!」


赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の あゝ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る♪♪

町の真ん中に曼珠沙華(彼岸花)が咲いていました。ウオーキング途中で見つけたら「長崎物語」を歌いながら歩いていたことを懐かしく思い出していました。秋の気配を届けるためカメラを取りに自宅に戻り、撮影してきました(ブログに載せました)踏み潰された銀杏もアルファルトの上に落ちて異様なにおいを醸し出しています。(靴裏に踏んで帰らないでよ〜)ネコジャラシは風に吹かれて涼しげです。曼珠沙華を街中で見るのは珍しく思わずシャッターを切ってしまいました。

26日の水曜日はJR桜島駅に集合しシートベルトの啓発運動をしてきました。二車線のうちの一車線を警察官によって封鎖し「止れ」の旗のもとに一旦停止してもらいます。パンフレットと啓発品を渡しシートベルトの徹底着用と安全運転をお願いするのです。

啓発品を渡そうとするのですが、大きなトラックは運転台に手が届きません!。大型トラックの時は背の高い男性に交代です。ドライバーさんは「一体何の取り締まり?」と一瞬「ヒャッ」とした顔をされるのですが秋の交通安全運動の一環だと知り「ホッ」とする方が多かったです。古傷があるのかな?(笑)こちらが微笑むとドライバーさんも微笑み返しをしてくれました。

日中は真夏を思わせるほどの暑さで、運動会の練習中の豊中の小学校では熱中症で救急車が出動したみたいです。9月末から10月初旬にかけて各学校で運動会が実施されますが「ほどよい曇り日」でありますように祈っています。


[2877] 【2990回 3000回まであと「10回!」】 2012-09-26 (Wed)

★3000回まであと「10回書き込み!」

ほらほら・・・カウント大好きの姫の血が騒ぎ始めましたよ。最近は白馬縦走から山行がなく、岳友のレポートばかり羨ましく眺めています。沢登りは2年間行っていませんが来年は岳友の辿った足跡を力量に応じて追ってみたいと思っています(道具が腐っちゃうよ〜)そのかわり富士見平へ長期の滞在が2度もあり尊い経験をさせてもらいました。

何気なく当たり前に歩いていた登山道も関係者の方々のご苦労があって整備して頂き、歩かせていただいている事を知りました。山から湧き出る清水も水源が落ち葉で水路を遮断されないように毎日見回りをして頂いている事も知りました。町の中と同じ感覚で、当たり前のように小屋の関係者に文句を言う登山者もいます(ハイカー)そうかと思うと怪我をして管理人に手当をしてもらい下山後丁寧にお礼状を頂いた人もいます。長期滞在の間、まるで修行僧になった気分で山の出来事を冷静に見ることができました。

ハラハラと散る落ち葉に秋を感じたり、マルハタケブキの花にいまにも飛び立とうとするアサギマダラを見つけたり、「素人に採れるかな」とキノコ達の笑いの群れをマダムに教えてもらったり、自然の中に身を置いていると確実に心がおだやかになって行くのがわかります。

まだ3度しか出会ってない山で知り合った仲間とは、寝袋に入りまくら投げこそしませんが修学旅行の夜の様にはしゃぎ1年分の笑い声を出してみたり、いま思い出しても楽しく愉快な日々でした。

山の頂上を目指す苦しさは、表現の仕様がありません。荷物の重さと、夏の暑さと、全身の疲れがピークに至る時「何でこんな思いをしてまで山に登るのか!」とカンシャク玉が爆発しそうになるのですが不思議と爆発をしたことはありません。それは目の前に迫るゴールや山頂から見る大パノラマに感動し「また来よう!」と苦しかったことを忘れさせてくれる大きなご褒美があるからです。

「人と比べない登山」を身につけると自分で山行計画を立てて無理のない自分のスピードであるけます。団体歩行の時いつも「私は歩くのが遅いです」と言い訳をします。でも歩くのは遅いですが持続性はあるのが私の自慢です。(笑)


[2876] 【2989回 梯子から落ちたジョンのその後】 2012-09-25 (Tue)

「頭のタンコブが大きくなったみたい・・・」「足の付け根が骨折しているかも知れない・・・」そんな弱気の声を聞き、「あせってるなぁ」そんな気がしました。

今朝は千鳥橋で「秋の全国交通安全街頭キャンペーン」に参加し、道行く人々にティッシュを配っているとニョキッと手が伸びてきました。「おっ珍しいなぁ、積極的な人やなぁ」と思い、顔を上げると何と大物駅で待ち合わせ予定のジョンだったのです。

街頭キャンペーン終了後、千鳥橋から電車に乗り大物駅で下車、兵庫県立尼崎病院の外科と脳神経外科を診察することにしました。まずは外科を診察し痛む足の付け根を触診、その後レントゲンを撮るも異常なしとのこと(ホッ)

次は脳神経外科を診察をし頭のCT撮影を撮ることになりました。この結果も異状なしとのこと(ほっ)脳の中も年相応の脳みそが詰まっているそうです。今のところ痴呆症の心配はないとの事(ハッハッハ)

私的には脚立から落下した時に、かなりの出血があったことで脳内の出血はないだろうと思っていましたし、痛いながらちゃんと歩けているので骨折はないだろうと思っていました。しかし、本人の不安を取り除くには、医学的な証拠がないと安心できない様子でした。頭の打撲と言うことでナーバスになったのだと思います。1ケ月先の山行計画もあり、あせりもあったと思います。

私も膝の痛みを抱えていた時、やはり不安な毎日を過ごしました。なかなか腫れが引かず「山登りを止めろと言うことか!」と思ったりもしましたが、正常に戻った今は不安はありません。ジョンも痛みが取れたら後日の笑い話になると思います。いまはお大事に!


[2875] 【2988回 山小屋のトイレ事情】 2012-09-25 (Tue)

場所によってはバイオトイレを設置している山小屋もあります。バイオトイレとは、便槽の中にオガクズなどを詰め込んであり、排泄された糞尿を、オガクズなどとともに攪拌して好気性微生物を活発化させ、分解・堆肥化させるトイレの事を言います。

しかし富士見平小屋は30年間も閉鎖をした期間があり、昨年の4月に再開したばかりで現在の管理人夫婦がコツコツと再建に向けて努力をしている最中です。トイレのバイオ化まで手が届かないのが現状です。山小屋自体の修繕にもまだ時間がかかりバイオトイレにするには費用も莫大な金額になり個人では到底無理で、環境庁や町の観光協会の補助金なしでは着手に踏み込むことは困難ではないかと推測します。汲み取り費用は、林道からホースを何百メートルと小屋まで引き込み、その費用も40万円以上もかかるそうです。汲み取り費用の一部にとトイレの入り口に「協力金百円お願いします」の箱が掛けられています。どこの山小屋でもよく見る光景です。

ところが管理人がその箱をあけてびっくり!箱の中は1円玉と10円玉で百円はわずかしか入っていないそうです。なるほどチャリ〜ンと言う音と、その仕草では百円なのか10円なのか1円なのかの判断はできません。登山者のモラルを信じるしかないのです。しかし登山者のモラルを信じて箱をあけると悲しい結果しかありません。林間学校で利用する子供たちは「臭い!紙がない!虫がいる!」と騒ぎます。引率者は事前に山小屋をどのように位置に所在しているのか生徒に説明しているのでしょうか?林間学校は都会での自分達の生活がいかに便利で有難いことなのか知るチャンスではないのでしょうか?電気がなくてもランプがあります。夜空の満天の星を見ることも出来ます。冷房がなくても自然の風が心地よく吹いています。鳥のさえずりで目が覚めることに自然の素晴らしさを感じてほしいのです。

草むしりを手伝いながらトイレの前で作業をしているとサッとトイレに入りサッと出て去って行きます。「すみません百円をおねがいします」と言うと「パ〜パ〜!お金だって〜!」と叫ぶ主婦の多いこと、多いこと。「金がいるのならいいや!」とUターンする人もいます。どこで用を足すの?(私も山の中で止む得ずお花摘みと称してトイレをする場合もありますが紙は残さないで持ち帰る等細心の心遣いをしています。トイレを目の前にしてお花摘みをすることはありません!)テレビの影響で大勢の登山者(ハイカー達)が訪れた連休の間は、トイレ近くに透明の箱を用意して1円や10円を入れる心無い人達の心を正しました。人がいると、きちんと入れてくれ、透明の箱だとちゃ〜んと百円を入れてくれるのです。

管理人の奥さんは毎朝トイレを掃除して、手洗いのための水を汲みに水場に通っています。時々利用者から「トイレが汚れている」と教えてもらう事もあり二度、三度トイレ清掃に走ります。そんな苦労を見ていると「きれいに使ってね。汚さないでね」と祈らずにはいられません。

北アルプスの立山連峰・雄山(3003メートル)の雄山神社にある35年前に設置されたトイレが改修工事に入ります。雄山神社からトイレ改修の要望を受けた県は2007年、有識者などでつくる検討会で議論しましたが、資材をヘリで運搬するため、高額な改修費が必要ということで現在まで実現しなかったそうですが、環境省の補助金などを利用し、7000万円で改修が現実的になったそうです。


[2874] 【2987回 嬉しい再会】 2012-09-24 (Mon)

最近うれしい再会が続いていて毎日が充実しています。今回の再会は24歳になる青年とそのご両親。数えてみればもう8年も経つと言う。年をとるのは仕方ないなぁ・・・

京橋駅で待ち合わせをしたのですが後ろから声をかけられて一瞬戸惑いました。高校生の少年から青年に成長しており我が目を疑いました。やさしい笑顔は8年前と同じです。ご両親の待つ場所まで歩きながら色々積もる話をしました。今は希望通りの偉大なる大学に籍を置き勉学に没頭しているとのこと。思い返せば高校の入学にも同席させてもらったんだなぁと、まるでわが子の入学式の様な感動を覚えたことを走馬灯のように頭脳ポケットから引き出しました。

ご両親とも合流し、心のこもった料理の数々でおもてなしをして頂きました。聞けば「姫のおうち」をよくご覧いただいており「膝は大丈夫ですか?」と案じていただいたりしました。ご子息の教育にはとても熱心で大学近くに下宿している一人息子のことが気になるらしく、私自身も息子達の成長に右往左往した経験があります。しかし親の手元を離れて下宿したら「親離れ・子離れ」をした証。ご夫婦で楽しい時間を過ごしてはいかがかと老婆心ながら話をしました。

食事が終わり、お互いの健康に留意しながら元気でいようと別れを惜しみながら京橋駅へと向かいました。夜は肌寒さを覚えるほどになっていました。京橋駅付近には若者がたむろしていて上半身はほとんど裸の女性、背中にはタツーが刺れてありました。スカートは履いているのかどうかわからない短さでうつむくとパンツが丸見え!男性はキリンのように黄色く染めた頭に鼻には何やらリングがぶら下がっています。ズボンは腰骨からズリズリと下がっています。タバコに火を付けましたので「ここは禁煙やで!」と声をかけるとアッサリとタバコを消しました。吸い殻を捨てたままだったので「忘れ物やで〜」と笑顔で言うとあどけなさの残る顔で素直に拾いコンビニの袋の中に入れました。

いま聡明な青年に出会ったばかりでしたので駅前の若者を見ていると見て見ぬふりが出来ず少々恐怖も感じましたが汗を流して働き普通の大人として軌道修正をしてほしいと願わずにはいられませんでした。この若者達は背伸びするのを止めたら、もっと楽に生きられるのになぁ・・・それとも大きなお世話なんやろか?

京橋駅はJRと京阪の連絡通路あたりにキャッチセールスの人達も多く出ていました。若者を対象にしているらしく姫婆には誰も声をかける者はいませんでした(笑)

富士見平小屋の親父さんに預けたら短期間で更生するのになぁ・・・生活環境の大切さをしみじみと感じながら帰路につきました。


[2873] 【2986回 ヨウさんとウッチーさん】 2012-09-23 (Sun)

横須賀に住むヨウさんとウッチーさんもまた富士見平小屋のファンであります。五月にやまたびメンバーで伺ったときが初対面で、その後NHKの要請で八月に小屋で再会しました。そして今回九月に三度目の出会いがありました。管理人に我々が小屋に来ていると聞くと「早退して行くから待ってて!」と言ってくれたそうで私達も1日帰阪を延期して小屋での再会を待ちわびていました。たったの3回きりの出会いなのですが「富士見平小屋ファン」という同じ目的を持っているためかとても気が合います(ヨウさんとウッチーさんにも聞いてみないとわかりませんが・・・笑)

お二人の特徴は「とにかくヨウさんとウッチーさんの息が『あ・うん』の呼吸」、「とにかく酒が好きで強い」、「とにかく乗りが良い祭り男」、「とにかく豪快」・・・そんなところでしょうか。昔お二人ともバンドを組んでいたということで「リズム良し」でした。思わず酒宴のあとは全員で「山小舎の灯・故郷」などを歌ったりしました。とても感動しました。お二人とも昭和45年前後の生まれで息子達と同年代なのですが私達に話を合わせてくれる「よか男達」です。

私達が下山の日、管理人夫妻は買い出しのため里に下りました。お二人は山小屋の留守番を快諾されたそうです。雨も本降りだったので登山者も少なく、たまに小屋を訪れる登山者の対応も難なくこなし、富士見平の看板を背負って接客に励んだそうです。降り止まない雨をながめながら「なんかこれはこれでオツなもんだね」と自然を楽しまれた様子でした。

翌日、管理人夫妻が戻るまで、ヨウさんとウッチーさんは「水汲み、トイレのペンキ塗り、小屋の掃除、布団干し」そして林道から小屋までの荷揚げ、小屋入り口の改修」を終えたそうです。さすがっス!横須賀の祭り男は粋だねぇ〜管理人夫婦の絶対の信頼のもとに小屋を預かるなんぞはりっぱ〜!

小屋の改善に労を費やしたあとはアルコールで全身を消毒し、翌日は少々二日酔いだったそうですが富士見平の空気と時間に身を委ねて過ごすのはなんとも言えずいいもんだと述べておられました。それと同時に小屋の運営の大変さを相棒としみじみと実感したそうです。できる限り管理人夫妻の役に立ちたいと思っているところは私達と同じ思いで、またいつか是非、富士見平で再会したいと思っています!

それにしても不思議なのは3度の出会いの中で「登山」をしている姿を見たことがありません。(ギャハハハ)いつも大きなリュックを背負いフル装備で登ってこられるのですが、まっ!富士見平小屋に登る・・・・もりっぱな登山ですね。だって1812bもあるんですものね。(んっ?白馬に乗ってか?)今度会うときは一緒に鷹見岩に登り「小さな旅」の収録現場で、あるじと同じ格好をして昼寝と洒落こみましょうか?

山での人との出会いは、時には苦く不愉快な出会いも多々ありますが、意気投合する場合もあります。同じ目的を持つ、山への熱い語らいが出来る、語らいが聞ける事ができれば山小屋の夜はとても楽しくなります。富士見平の夕食は宿泊者全員が輪となれる雰囲気を管理人夫妻が自然にうま〜く導いてくれます。寂しくなったらぜひ(寂しくならなんても!)一度足を運んでみてはいかがでしょうか?但し、必ず予約が必要です。食事をお願いする場合は1週間前の予約が必要です。但し素泊まりはこの限りにあらずです。


[2872] 【2985回 やっと秋〜】 2012-09-22 (Sat)


今はもう秋〜 誰もいない海
知らん顔して 人がゆき過ぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても
死にはしないと〜♪

今朝目覚めて、思わず口ずさんだ歌でした。大阪にもやっと秋が訪れようとしています。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものですね。「お〜おさむっ!」って間もなく言いそうです。

スーパーには秋の味覚が並び始めました。私は生まれて初めて「キノコ狩り」を体験しました。雨の後に、ニュキッと顔を出すのだそうです。山小屋のおかみさんの後について行きましたが1本も自分で見つけることが出来ませんでした。私のイメージでは椎茸のように木と共存しているのかと思っていたのですが落ち葉を隠れ蓑にして地面からニョキッと顔を出しているのですね。

「あっあった〜」おかみさんに見せると「あ〜それはダメ食べられない」との事。キノコ採りは難しいね。イタドリならだれよりも先に見つけられるんだけどね。

山菜取りに山に入ると夢中になりすぎて道迷いをしてしまいます。「採取禁止」の看板のあるところには危険が潜んでいます。クマの出没にも気を付けたいものです。キノコ類はベテランの人と一緒に出掛けないと毒キノコを食べて事故に遭う危険性もあります。

柿・栗・松茸など、スーパーの店先で秋を楽しむのもいいのではないでしょうか?でも柿はまだ「美味しい〜!」という時期には少し早いようです。新物はまず1個買いをして確かめてから家族の分も買いましょう。(えっ?大きなお世話でしたか・・)

今夜あたりから、やっと冷房を付けずに寝れそうです。


[2871] 【2984回 秋の全国交通安全運動】 2012-09-21 (Fri)

秋の全国交通安全運が9月21日からはじまりました。30日までの10日間です。今日は決起大会に出席してきました。いつも思うのですが「安全運動期間だけでなく、運動が終わってもいまみたいに見守ってよ〜」って・・・。せめて交番のおまわりさんは校区の生徒の登校時、下校時に交番付近に出て「気を付けて行きなよ〜!」と声を掛けるだけでも効果はあると思うのですが。

運動の重点は
@子どもと高齢者の交通事故防止
A夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止
Bすべての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用に徹底
C飲酒運転の根絶

●大阪重点
交差点における交通事故防止    

歩行中の事故・・・約4割が飛び出し
自転車乗用中の事故・・・約5割が安全不確認
高齢者の事故・・・信号無視
飲酒運転事故・・・危険運転致死罪・・20年以下の懲役
酒酔い運転・・・・5年以下の懲役または100万円以下の罰金
酒気帯び運転・・・3年以下の懲役または50万円以下の罰金
このほかに運転者以外にも厳しい罰則が課されます。(車両提供者・酒類提供者・車両同乗)

★ハンドルキーパー運動とは?
ハンドルキーパー運動とは、自動車で仲間と飲食店などに行く場合に、お酒を飲まない人を決め、その人が仲間を安全に自宅まで送り届ける運動です。

★ドライバーのみなさまへ
交差点手前では減速し、対向車や、歩行者・自転車の動きに十分注意しましょう。

★歩行者・自転車利用のみなさまへ
信号は必ず守りましょう。信号が青色でも右左折する車の動きに十分注意しましょう。

今日は地域の幼稚園児の見学と園児の鼓笛隊の演奏があり心が和みました。また7月15日から「高齢者運転免許自主返納サポート制度」がスタートしました。


[2870] 【2983回 下山時のおっとっと事故】 2012-09-20 (Thu)

1812bの地にある富士見平小屋にしばらく滞在していた時の事です。下山時の皆様を見送っていると木の根っこにつまづいて「おっとっとっと〜!」と転倒寸前の人の多いことに驚きました。見ていると決まって小屋の景色を見ながらや、標識などを見ながらの「ながら」であることがわかります。白馬縦走時にもミーティングで言いましたが「景色を見るときは立ち止まって見る」ことを徹底しました。またカメラを出したり、ポケットの中の物を探したりするときも足運びを止めて用を済ませたいものです。歩くと言う事の集中力の低下による転倒事故は驚くほど多いのです。

9月15日からの三連休の間に起きた山の事故です。

●9月15日午後1時すぎ、北アルプス剱岳の剱沢にある標高およそ2200bの「黒ユリの滝」近くの登山道を、歩いて真砂沢方面へ下っていた55歳の名古屋の男性が、足を滑らせて転倒し、3メートル下に転落、自力で上流の剱沢小屋まで戻りましたが、頭に怪我をしていたため救助を求め、県防災ヘリコプターで黒部市民病院に運ばれました。(ヘルメットをかぶっていたら軽傷だったかも)

●9月15日午前6時ごろには61歳の夫婦が、剱沢の標高1850b付近の登山道を下っていて転倒し、左足首に軽い怪我。(登山道を下るときには足腰に負荷がかかって転びやすくなっています)

●9月15日午前10時40分頃、「北アルプスで男性が滑落した」と通報が入り、警察がヘリコプターで捜索したところ、午後3時すぎ、前穂高岳の尾根からおよそ150bほど下の斜面に男性が倒れているのを見つけました。警察によると58歳の男性で、病院へ運ばれましたが、頭を強く打っていて死亡が確認されました。

●また、北アルプスの常念岳でも、59歳の男性が8合目付近の登山道からおよそ30メートル下の谷に滑落して死亡しました。

せっかくの三連休が事故に遭い悲しい結果となってしまいました。事故に遭えば家族も救助隊の人達も小屋の関係者も多くの方達に迷惑をかけることになります。3000b級の頂上直下はほとんどと言っていいほど岩稜帯です。転倒は勿論ですが落石などによる怪我はヘルメットを着用していれば防げる事故も多くあります。

NHK「小さな旅」で感じたのですが出演するアナウンサーやタレントが、きちんとヘルメットをかぶってくれれば、もっと広く浸透するのではないでしょうか。安全性についても、もっと番組内で訴えてもらえれば山の事故は減るのではないでしょうか?瑞牆山は登山道の半分以上が岩登り状態になります。スニーカーで登山なんてもってのほかです!


[2869] 【2982回 登山しから見た山小屋のあるじ夫婦の仕事】 2012-09-20 (Thu)

13日から19日まで富士見平小屋に滞在して「小屋の管理人」の仕事を、とくと拝見しました。これは、ほんの一部だと思いますが・・・

夜明けとともに「富士見平湧水」を汲みに24ℓの水タンクを背負い何往復も通い宿泊者用の朝食の用意をします。また登山者のコーヒーの要望にも応える準備をします。トイレの手洗い水にも使いますし食器洗いの水にも使用しますので何回でも水汲みに通うことになります。小屋から垣間見る富士山への挨拶も欠かせません。

小屋に立ち寄る人、素通りの人と様々ですが気になる登山者には必ず声をかけます。明らかにテント泊とわかる登山者が瑞牆山方面に向かう時は、上にはテント場がないため、荷物は置いていけばいいと声をかけたり、子供連れだとヘルメット・スワミベルト・ロープの無料貸出があることを説明し安全登山を推奨します。登山者が、ほぼ登って行った段階で買い出しに出かけたり荷揚げ作業をしたりします。マダムは合間を見て「キノコ狩り」に出かけたりします。

お昼近くになると瑞牆山の山頂を踏んだ人達は、早くも下山してきて小屋名物の「きのこうどん」の注文に応じます。その間マダムは美味しいお茶を出してくれます。「美味しい!」誰もが思いがけない心遣いに感動を覚えます。八ヶ岳の遥か向こうを眺めて当日の天気を予想し、登山者の質問に的確に答えます。かなり厳しいアドバイスも飛び交うこともありますが、すべて登山者の安全を考えてのアドバイスです。

「捻挫した人がいる」と下山した登山者から聞くと地下足袋に履き替え、レスキュー用品を抱え背負子をヒョイと担ぐと63歳とは思えない速度で負傷者のもとに走ります。

夕方になると宿泊者のための食事の準備にとりかかりながら、朝、気にかかる装備の登山者が無事下山してくるのを小屋の窓越しに見守っています。夕食は・・・一度利用してみて下さい。私がここで美味しい食事と書いたところですべては伝わりません。紅葉の頃予約をして昔ながらの小屋どまりを体験してみて下さい。きっとファンになること間違いなしですよ。

気の合う仲間がやってきた時は一滴も飲めないアルコールの代わりに「ドブロク」と称してカルピスを飲んで消灯まで付き合って下さいます。それから後片付けをして就寝しますが早朝出発の登山者の要求には100%応えてくれます。「3時半!」と言う登山者には「暗くて危ないから1時間遅らせろ」と、決して早起きが嫌なのではなく安全優先をアドバイスしています。

私達が滞在中に、テント場で焚火をして注意を受けた人、捻挫が2件、手の骨折が1件、登山靴の修理1件、おっと脚立から落下した人もいましたよ〜。それから小屋の中で黙ってバーナーを使用し、その上、小屋の土間にお湯を捨てて、あるじに怒鳴られた登山者もいましたね。姫も登山道以外を降りて水汲みに行くお爺を怒鳴りつけていたっけ〜(このお爺・・焚火をした人と同じなんだって!)但し小屋でのバーナー使用はテント泊の人で雨が降れば許可しています。

NHK「小さな旅」の仙人のような小屋のあるじ夫婦は昔の山小屋のままの姿に戻すべくコツコツと絶え間ない努力
続けています。その姿に賛同を覚えた私達のような登山者の輪が大きく広がりつつあり富士見平小屋に登ってくる人が増えてきました。テント泊の若者が温かいお茶を1杯出してもらったお礼にと水汲みを買って出てくれたこともあります。


[2868] 【2981回 テレビの影響は大きいね。】 2012-09-19 (Wed)

13日から18日までの予定で(19日までになりましたが)富士見平小屋に行ってきました。関東圏では9日に放送されたという「小さな旅」の影響で三連休は瑞牆山は大渋滞でした(17日は朝から雨のため人出は少ない)

「テレビを見て来ました」と言う方達が多く登山者と言うよりもハイカーの方達が多かったように思えます。アナウンサーが簡単にヒョイヒョイと登るシーンしか放送されておらず子供連れで、しかもスニーカーでやってくる人たちもいました。富士見平小屋では子供用のヘルメット、スワミベルト、ザイルを無料で貸し出しているため子供の事故はなかったですが大人の捻挫、転倒による指の骨折(多分・・)小屋のあるじはレスキューに大わらわでした。スニーカーで登山はダメでしょ!

また子供をおぶった若いママは両方の靴底を剥がしてしまわれ小屋で応急処置をしてもらいました。無事下山の途に就きましたが「瑞牆山制覇記念に新しい登山靴買いますね」と靴底修繕に感謝の言葉を述べておられました。

テレビの影響が凄いのはいいのですがピクニック気分で登ってくるためトラブルも多く、及ばずながら大阪組応援隊もお手伝いして三連休を無事終了することができました。

雨の17日は人出が少なく午後から小屋のトイレのペンキ塗りをすることになりジョンが大阪から持ち込んだ脚立にのりペンキ塗りをし(姫は脚立をしっかりと支えていました。しっかりとですぞっ!)一瞬、何がどうなったのかわからなかったのですが次の瞬間にジョンのうめき声がして地面に落下してしまいました。地面が土と草のため大事には至りませんでしたが角の石で耳の上を切り出血が確認されました。咄嗟に軍手で止血をしたら「もっときれいな物で止血してくれ〜!」と叫んだので意識ありと判断し、ペンキだらけの体を横にしました。しばらく動かさずに様子を見ましたらば、自力で起き上がりましたので原因を追究したところ、何と脚立の足を乗せる部分が2本見事に折れていました。

管理人の奥様が「ヘビの薬」とかなんとか言って、とても臭い薬を振りかけ、おまけに「これも飲みなさい」とおちょこ1杯の飲み薬をくれました。後で聞いたのですが「馬と牛と豚と鶏のうんこを蒸留させた薬」だったそうです。ゲェーッ!

脚立から落下した瞬間「耳石が治った!」と叫びました。気でも狂ったのかと思いましたが、めまい、耳鳴りが止ったそうです。うそのような本当の話です。それからペンキをかぶった頭、顔を拭き、何事もなかったようにソーッとテントの中に退散し、その日は少しおとなしくしていました。

不幸中の幸いと言うか、傷も浅く、自分が持ち込んだ脚立に山小屋の関係者が乗り、転落しなくてよかったと胸をなでおろした次第です。お大事に〜!


[2867] 【2980回 大阪人が誇る「日本一低い山」】 2012-09-12 (Wed)

大阪人なら誰でもが知っている、標高4.53メートルの天保山は大阪が誇る日本一低い山。しかし香川県や徳島県から「待った!」がかかりました。いったいどんな山なのか興味が湧きます。

@香川県東かがわ市の白鳥神社。境内へ入ると「日本一低い山」との石碑があるそうです。しかし、辺りはだだっ広い松林。「この松林全体が御山(みやま)です」と宮司さんの弁。

天保山が「日本一低い山」を称するのは、国土地理院発行の地形図に山の名の記載があるからなのです。では、どうすれば“お墨付き”がもらえるのでしょうか?国土地理院によると『山』の厳密な定義はありません。と前置きしつつ「長く地元で『山』とされてきたものや、測量の基準となる三角点のある場所が『山』と言えます。高さの問題ではないそうです

天保山は江戸期に安治川の土で築かれ、人工ではありますが歴史的な経緯と、二等三角点が位置することから「山」として認知されたようです。

A徳島市の弁天山。標高6.1メートルの自然の山。国土地理院にも認定され「日本一低い自然の山」を称する。小ぶりだが遠目からも山と分かる形状で、鳥居をくぐり、階段を上ると20秒で山頂へ。小さなお社があり、厳島神社という。

このほか、三角点のなかで測量の際に重要となる一等三角点を持つ山としては堺市の蘇鉄山が標高6.84メートルで最も低い。天保山が国土地理院に認められるまでは仙台市の日和山が標高6.05メートルで「日本一低い山」を称していましたが、残念なことに昨年の東日本大震災による津波で消失してしまったそうです。

最後に「すごい山」秋田県大潟村の大潟富士の標高は何と0メートル。1995年、秋田県測量設計業協会が設立20年を記念し造成した。緑で覆われた土塊。斜面の階段を上ると、10秒で山頂へ。大潟村は八郎潟を干拓してできた村で、村内はおおむね海抜にしてマイナス3〜4メートル。大潟富士は山裾からの高さが3.776メートルと、富士山の1000分の1になるよう造られたそうです。

では「日本一低い山」はどれなのでしょうか。海底の泥を積み上げたものでも、時の流れで「山」になるのなら、同じく江戸時代に、富士山に行けない人たちのために富士山を模して作られた、東京各地に点在する「ミニ富士山」なんかも、立派な山でしょうね。

★★9月13日から18日まで富士見平小屋に行ってきます。NHKの放送後ものすごい反響で、関東圏では再放送も決定したそうです。小屋のあるじ夫婦が嬉しい悲鳴を上げて、てんやわんやしている模様です。ここまで応援したのですから、とことんお手伝いしたろかという事で
ちょっと行ってきま〜す。


[2866] 【2979回 NTTドコモ通話域示す山岳地図を配布】 2012-09-12 (Wed)

NTTドコモ長野支店は、登山者向けへの安全対策として主な登山ルート上で同社の携帯電話可能な場所を記載した地図の無料配布を始めた。地図は、北アルプスの「白馬エリア」(白馬岳〜五竜岳)と「槍ケ岳・穂高連峰」の2種類。長野支店は「緊急時の連絡などに、うまく携帯電話を活用してほしい」と呼び掛けています。

NTTドコモ長野支店は09年8月〜11年11月の夏から秋にかけ、白馬岳周辺や槍ケ岳・穂高連峰の登山ルート上で、同社の携帯電話の通話可能な場所を調査しました。結果を基に、通話が可能な登山ルートや山小屋などの場所を表示した地図を作成した(各A3判サイズで5万枚)

更にルートごとのコース時間や、等高線も記載しており、山岳地図の補助としても使える。 同社など携帯電話各社は、携帯電話が通じるエリアを示した地図を作成しているが、日本アルプスなど山岳地帯については記載がなかった。

NTTドコモ長野支店は、昨年夏にA4判で、北アルプス・中央アルプス・南アルプス・八ケ岳などの通話可能な場所を記入した簡単な地図を作り、山小屋や登山用品店で配布した。
好評だったため、長野県の山岳スポットとして人気が高い
「白馬エリア」と「槍ケ岳・穂高連峰エリア」に限った地図を作成し、広く配布することにした。

配布場所は、県内のドコモの店舗、全国の主な登山用品店、エリア内の山小屋、登山口に向かう交通機関など。該当エリアに行かれる際は、ぜひ入山前にマップを入手しておきましょう。

そういえば・・・山小屋に置いてあったなぁ。マップと携帯電話を手にして白馬大池周辺をアンテナが立っているかどうか探したりしましたね。集団登山の際はつねに携帯電話の通話可能場所を把握し、万が一の場合はそこまで引き戻して(或いは前進して)SОSするのが手っ取り早いですね。


[2865] 【2978回 てんやわんや】 2012-09-12 (Wed)

11日に此花保護司会の研修会があり家を出るときに研修会場が「区民ホール」であることを確認してバイクを走らせました。いつだったか会場場所を勘違いしてだ〜れもいない会場に出向いたことがありその失敗を繰り返さないためにも出かけるときには必ず確認をするようにしています。

案の定・・・「会場を間違えてしまって」と汗をタラタラと流して遅刻してくる保護司さんも数人いました。「此花会館」と「区民ホール」・・名前は紛らわしくはないのですが、常々開催されている場所のイメージが出来ているのでついつい思い込みで行ってしまうのです。私だけではなかったようです(笑)

橋下大阪市長の方針でいままで地方公共団体が、会議場所の提供や事務処理の支援をしていましたが8月以降、原則として支援を停止されました。それを受けて会員の自主運営をせざるを得なくなりました。それが本来の姿と言われれば返す言葉もありませんが、地方公共団体からの引き継ぎもほとんどなく右往左往されているのが見ていてよくわかりました。

交通安全の部会は、立ち上げ時から自主運営で、企業から1名づつ部会員を選出し、その中から役員を推薦するのです。発足時は、それはそれは難産の末のスタートでしたが、会則の作成、事業計画、予算計画と苦労をともにしながら今ではりっぱな部会に成長しています。部会長の人柄の良さも会の発展に大いに影響しています(現在は相談役に就任)

企業の代表ですから定年等がありますが、メンバーは変わっても企業として役員職を引き受けていますので、定年時は企業内できちんと引き継ぎをされていますので部会の運営に支障をきたすことはことはありません。

それにしても引き継ぎがないというのは、如何なものかと頭をかしげてしまいます。私が交通安全の部会の役員を退任する時は1年間の行事の案内状を作成し日付と回数を変更すれば繰り返し使用できるようにしてファイリングをしフロッピーを後任の会社に手渡し、そのうえ1年間、新・旧ダブリで行事をこなしてきました。何の混乱もなかったと思っています。

まっゼロから会を立ち上げたと思って混乱するのは1年間だけ。あとはスムーズに軌道に乗るはずです。いまは突然「支援停止」を通告され、戸惑い慣れてないだけでこれを機会に、名前も知らない会員相互間をもっと改善できるのではないかと期待したいと思います。但し屁理屈ばっかりこいてたら前には進めないでっせ〜!


[2864] 【2977回 ちょっと痛いですよ〜】 2012-09-11 (Tue)

月に2回だけ月曜日の午前中だけ整体をするところがあります。守口市の助産院の2階を借りて出張で整体を行っているのです。「お義母さんも行ってみたら?」と言う嫁に背中を押されて出かけてみました。整体は初めてではなく、脱臼をした時にリハビリ中に何度か訪れているのです。

整体を受ける人は既に10人は待っていました。高槻や池田から来たという人もいます。(どこから聞いてくるのかな?)大きなフロアーの真ん中に診察用のシーツが引かれておりつれて来た子供たちはその廻りをグルグルと走り回っています。初めての人は少し戸惑うかも・・・

まもなく出産を迎える人、産後の整体に通う人と若いお母さんと小さな子供たちばかりです。年寄りは身の置き場がありませんが、整体を受ける人へのアドバイスをみんなで一緒に聞くと言った感じです。やっと順番が来て横になりました。全身を整体しながら「んっ?右足の股関節がうまく入ってないね。治すので少し痛いけどがまんしてね」私は右足が痛いとも何とも言わず横たわりましたが診察開始と同時にそういわれました。じつは・・・と言うことになり右ひざが腫れて水を抜いた事を話しました。

「水を抜くのは治療にはなりません。原因を見つけないと」と言われました。腫れがひかず不帰の嶮行きが迫っていたため止む無く私の希望で抜いたのですが股関節から来ている腫れだと言われました。あと大きな「もぐさ」をして終了です。「ハイ歩いてみて、曲げてみて」と言われるままに動くと何といままで痛くて曲がらなかった膝が正座ができているのに驚きました。「今日はお風呂はダメですよ!ハイ次のお母さん〜」帰りにショルダーバックを左肩にかけると「それ!やめないとっ!」と右肩にかけるように注意されました。立った時の姿勢が無意識に曲がっているのだそうです。

代金は部屋の傍らにダンボールの小さな箱が置いてあり治療を終えた人は勝手に入れて、お釣りの欲しい人はその箱の中から自分で釣り銭を貰うのです。小さな子供もアトピー、疳の虫などで治療に来ており賑やかこのうえない助産院の2階でした。

若いお母さん達は整体の先生に心の悩み・育児の悩み・不妊の悩みなどをするので待ち時間の長いこと・・・でもみんなで一緒にその悩みを聞けてアドバイスも聞けてなので待ち時間が苦にならないそうです。ここで知り合ったお母さん同士で仲良くなり輪が繋がっているそうです。(私のような高齢者はちょっとたいくつ〜かも)


[2863] 【2976回 ギャハハハハ期待外れもエエとこでっせ〜! 】 2012-09-10 (Mon)

9日の朝、NHK「小さな旅」関東圏で放映がありました。関西圏の放映を待たずに見る方法があるという事で関係者が我が家に集合し、9日の午後6時過ぎ、105円の有料サイト「NHKオンデマンド」で「小さな旅」を見ることが出来ました。

その結果、あれだけ時間を費やして撮影したのに・・・ギャハハハハって笑うしかありませんでした!撮影に要した12日間は一体どこに飛んで行ったのでしょうか?ぜ〜んぜん画像にはおりませんでした。ギャハハハハ・・・と笑うしかありません。105円の利用時間は、まる1日間有効の様ですが2度見る気がしません。姪っ子にすぐ「もう見なくていいよ!期待はずれだから時間が勿体ないよ〜!」とメールを打った次第です。(失笑)

原因追究のために関係者と会議を重ねた結果「山小屋のPRになるためダメ」と上司にカットされた傾向があることがわかりました。私達が協力したのは山小屋の豪華な夕食の風景だったためNGが出たと思われます。当初からNHKのスタッフの足並みもそろってなくて「小屋の看板を取り付けるところから撮影したい」と言うカメラマンと「取り付けた後を撮ればいい」と言うディレクターとで話が噛みあいませんでした。

富士見平小屋は30年前の管理人によって悲惨な事件があり閉鎖に追い込まれていたのです。海外勤務を終えて久しぶりに小屋を訪れた現在の管理人さん夫婦がゴミだらけの小屋を見て「青春の思い出の小屋が荒れ果てて見るに耐えられない」と、ひとつまみのゴミの撤収からスタートしたのです。大変な労力であったと察することができます。

私達が最初に訪れた時は地図に「避難小屋」の表示があり有人小屋であったことに驚きました。地図の製作会社に掛け合ったり、雑誌社に取材要請をかけたりと登山者として何かお手伝いできないかと頑張りました。管理人夫婦の人柄も認められて1年をかけて徐々に脚光を浴びるようになり軌道に乗り始めました。

ここらへんの話から収録がはじまり、途中の苦労話や現在の小屋の活気などを収録したいという趣旨でした。それならば登山者として出来ることはないかと登山道を整備し、壊れた個所を修繕する手伝いをしようと出かけたのです。管理人さんの力になりたいと言う純粋な気持ちから行動に出たので、撮影だけが目的ではありませんでした。しかしカメラが回り撮影を完了したら、どこかに少しチラッとでも映っているかなと期待するのが姫ちゃんです〜。

映像の中の食事風景のスタッフという要請で横浜から駆けつけてくれた人もいたんです。その人達はNHKの直前の天候不良による「撮影日変更」で止む無く撮影を待たずに下山してしまわれました。そんな協力者もいたのです。

天下のNHKさんですから、編集会議の時点で、特定の山小屋の宣伝はダメだということになり上司からカットの命令があったのかもしれません。まっそれにしても肩すかしな話でした。大変お騒がせいたしました。

しかし、めげることなく、私達がNHKの撮影目的ではなく山小屋の協力隊であることを物語るように・・・放映によって瑞牆山の魅力を知ることとなった登山者が、三連休に押し寄せるであろうことから、小屋のあるじの応援に、またまた富士見平小屋に出かけることにしました。「また〜?」と笑われるかもしれませんが、「山には登らず富士見平小屋へ」13日から行ってきます!


[2862] 【2975回 快方に向かう膝」】 2012-09-09 (Sun)

7月に痛めた膝がやっともとどおりの左右同じ大きさになりました。初めての膝の故障でちょっと落ち込みましたが、少し足を休ませてやることで階段もトントントンと軽やかなリズム良く、昇ったり降りたりすることができるようになりました。色々お見舞いのメールを頂いたりしました。うれしかったです。ご心配をおかけいたしました。なんとか復帰できそうです。ありがとう。

相棒のジョンはと言うと、まだめまいと闘い中です。
めまいには「クラッとめまい」「グルグルめまい」「フワフワめまい」の3つのめまいがあり、ジョンのめまいはどうも「グルグルめまい」の様です。

●「グルグルめまい」
めまいの中でも一番激しいのが「グルグルめまい」。30秒〜1分くらいで収まるものの、目の前の景色が回転しているように見え、ひどい時は吐き気を伴ったりします。「グルグルめまい」で一番多いのが、「良性発作性頭位めまい症」。原因は、耳の中にある「三半規管」と呼ばれる平衡感覚をつかさどる器官の中に、「耳石」と呼ばれる炭酸カルシウムの粒が入り込み、引きおこされる病気です。この病気にかかりやすいのは更年期の女性です。

★治療方法は、頭を動かし、三半規管に入った耳石を元の場所に戻すというもの。5分くらいの治療で7割の人に改善や症状が無くなるという効果があります。三半規管に入ってしまった耳石が、くっついて大きくなるとグルグルめまいを感じます。日頃から運動をし頭を良く動かすことで、発症を予防することができます。

どの病院に行っても完治が難しいと言われます。めまいの最中に「もっと頭を動かして!」と言うのも酷な気がします。人間どこが悪くてもテンションが下がります。年齢に見合った登山をして行きたいと思っています。みなさんもお体ご自愛ください。暑い時期は無理をせず、涼しくなるのを待ってからご活躍ください。


[2861] 【2974回 富士山の遭難事故】 2012-09-08 (Sat)

富士山遭難が、今夏34件もあったそうです。山岳救助隊出動が増えていて、登山者の準備不足が後を絶たないそうです。7月、8月の夏季登山シーズン中に富士山での遭難事故の件数が34件、41人にのぼっていたことが、県警地域課のまとめで分かりました。今シーズンは天候が大きく崩れることがなかったため、件数は前年比で3件減ってはいますが、依然として準備不足の登山客が後を絶たず、山岳救助隊の出動回数は増えているといいます。「富士山の世界遺産登録が実現すれば、もっと遭難者が増える可能性もあり、来年に向けしっかり対策を講じなければとしています。

県警地域課によると、
@遭難者は準備をせずに思いつきで登山を始める傾向が高く、雨具などを持たずに安易に登山を試みた結果、低体温症に陥る
A日没までに下山できると見込みライトを持たず道に迷う
B体力を過信し、一気に登ってしまい高山病にかかる

などのケースが多いそうです。県警地域課は「疲れた際は、思い切って1時間以上休憩を取るなどして、体力を回復してほしい。そうすれば高度順応不足も解消できる」としています。また、インターネットで知り合った見知らぬ同士が登山口で待ち合わせて登山する「ネット登山」と呼ばれる方式が出現。南アルプスでは体力差を考慮せずに登った結果、遭難に至ったケースが発生しており、同課で注意を喚起しています。

富士山遭難者の内訳をみると、県内からの登山客が8人、県外は24人、外国人が9人。今後、富士山が世界遺産に登録されれば、夏だけでなく、1年中、富士山に県外、海外からの登山客が集中し、対応に苦慮することも考えられる。登山計画書の義務化を柱とする県条例制定を求める要望書を提出する動きもあるが、手続きの煩雑さを嫌って観光客が減ることも予想され、県は慎重な姿勢を崩していない。

購入した地図には「登山装備表」が記入されています。合羽も持参しないで山に登るのは自殺行為です。しっかりと季節に見合った装備をして出かけましょう。


[2860] 【2973回 商店街の宿命】 2012-09-07 (Fri)

久しぶりに昔、勤務しいた会社の近くの商店街をブラ〜リと散策しました。此花区の中心街には四貫島商店街・森巣橋商店街・住吉商店街が交差しています。よその町から来て驚くのは商店街のド真ん中に多くの自転車を停めているのが特徴です。(他の商店街ではありえない?!)

久しぶりに商店街の中を歩いてみるとシャッターの降りた店や閉店された店が多くなっているのに驚きました。2軒あったオモチャ屋の1件が閉店していました。(姫孫はオモチャは山田デンキやトイザラスだと思っている)また古くからある果物屋も閉店していました。(そういえば新しく車道沿いに大きな果物店が新装開店していたわ・・)閉店した果物屋の目と鼻の先にあった八百屋の店先にはバナナ・スイカ・ブドウ・ミカンなど果物が沢山並んでいました。

それにしても商店街の中に多くなったのは整骨院!驚くほどお互いが隣接しながら営業が成り立っています。この町は年寄が多いからなのでしょうか?「腰や足が痛い言うたらなぁ、若い兄ちゃんがやさしゅうさすってくれまんねん」と毎日通う近所のおばあちゃんもいます。そう言えばビルの2階にある整形外科に行くエレベーターの中はご老人ばっかりですわ(えっ?あんたも、じきにそうなるってか?ごもっとも〜)2階に行くのなら階段を利用した方が足腰達者になるで〜!もっとも私も今、膝痛ですから気持ちはよ〜わかるで〜!

商店街には「日替わり店舗」も進出してきています。大型スーパーが乱立し小売店は経営が困難になっているのでしょうか。買う方は安い方がいいに決まっていますが馴染みの店が閉店して行くのは寂しい限りです。

阪神電車・千鳥駅近くに大型の薬局が出来て、すぐ近くにある既存の薬局屋が客を取られて四苦八苦しています。この店はチェーン店なので、すぐ閉店と言うことはないと思いますが夏の暑い日、バス停まで出てきて汗だくで商品の紹介をし、客の芽を注目さすために必死に頑張っています。いままでに見られなかった光景です。

某お菓子スーパーの会長が売り上げを伸ばすために、よその店が開店しない午前7時に店をあけ社員が出社する10時までひとりで切り盛りをしていたところ、出勤前のサラリーマンの利用が多くなり昼休みにもリピーターとして店を訪れるようになったそうです。会長のその姿を見て社員も襟を但しいまでは想像を絶する売上になったそうです。この会社は年に1回(月に1回だったかも・・この期間はあやふやでゴメン)アミダくじを全社員に引かせ金の延べ棒(50万円相当)をプレゼントしたり、アイデアを出し採用された社員には年収3000万円を保証したり、海外旅行に連れて行ったりと夢のような話でした。レポーターがそんな大判ふるまいして大丈夫かと問うと、会長曰く「これは社員が頑張って儲けた金やさかい、社員に戻してるだけや!」だって・・・すごいね。


[2859] 【2972回 少々難あり〜】 2012-09-06 (Thu)

近くのスーパーに行くと「少々難あり」のナスやリンゴがビニール袋に入ってかなり安い値段で売っていました。ナスは曲がっていたり、皮が日焼けしていたりと見栄えが悪いのですが味に難はありませんでした。リンゴも傷が少し入っていたり小さかったりしていますが、これも味に難はありませんでした。テレビでは強風で打ち落とされた梨を畑に穴を掘り埋めていましたが勿体な〜い。生産者の人は「こうしないと良品の梨の価格が下落するから・・・」と、収穫前の天候不良をなげいておられました。私達は「雨が降った、風が吹いた」だけで済みますが収穫前の生産農家の皆様は天災ともいうべき最近の天候不順に悩まされています。群馬県では洪水警報が出るほどに大雨が降っているのに肝心のダム貯水湖にはほとんど影響せず、ひび割れた湖底を映し出していました。明日から日曜日にかけて秋雨が降るらしいですが、欲しいところにたっぷりと降ってほしいものですね。

「リンゴが赤くなると医者が青くなる」「1日1個のンゴは医者を遠ざける」と言われています。リンゴ100gあたり54㎉、ポリフェノールや食物繊維、ビタミンCなどが皮に多く含まれています。皮ごと食べるのがいいのはわかているのですがどうもテカテカに光る油が付いていて、どうしても皮を剥いてしまいますね。上高地に行くとこの時期、水槽の中にプカプカと林檎を浮かべ100円で売っていますね。あれは美味しい!ですね。山登りなどに持って行く時は、洗って丸ごと持参しましょう。もし剥くならば空気に弱いので塩水につけて酸化を防ぎましょう。便秘解消には食物繊維のペクチン。悪玉コレステロールも減らしてくれます。

♪♪

私は真赤な りんごです お国は寒い 北の国
りんご畑の 晴れた日に 箱につめられ 汽車ポッポ
町の市場へ 着きました りんご りんご りんご
りんご 可愛い ひとりごと

くだもの店の おじさんに お顔をきれいに 磨がかれて
皆んなならんだ お店先 青いお空を 見るたびに
りんご畑を 思い出す りんご りんご りんご
りんご 可愛い ひとりごと

今頃どうして いるかしら りんご畑の お爺さん
箱にりんごを つめながら 歌をうたって いるかしら
タバコふかして いるかしら りんご りんご りんご
りんご 可愛い ひとりごと

こんなかわいいリンゴの唄ご存知ですか?いま流行のAKB達の歌もいいけれど昔の歌は、歌詞で情景が想像できます。子供たちに歌い継いでいきたいと思っています。そう言えばウオークの途中で季節に合った歌をみんなで歌いましたねぇ「ウオークに歌はいらん!」そんなスタッフがいて、いつもその時間は横を向いていましたっけ・・・でも「楽しみにしているよ」と声をかけてくれる人も沢山いて100回以上は続きました。


[2858] 【2971回 一斉メール届きましたか?】 2012-09-05 (Wed)

南海トラフ巨大地震に備えて、9月5日(水)午前11時大阪を限定とする携帯電話に訓練開始の合図とともに発信する「訓練緊急地震速報」が入ることになっていました。みなさんの携帯電話は鳴りましたか?携帯電話会社のエリアメール・緊急速報メールサービスの「災害・避難情報」を利用するものとなっており、機種によって鳴ったり、鳴らなかったりだと思います。大阪府内にある携帯電話が880万台だとすると、約350万台が一斉に鳴ると報道され、午前11時携帯電話にらめっこしていましたが、私の携帯は350万台には含まれてないのか鳴りませんでした。

「災害避難情報の緊急情報システム」へ利用契約をしている機種は適応した様です。NTTはほぼ全機種、AUとソフトバンクは今年1月から緊急速報メールとしてサービス開始しましたがまだ対応機種が少ないそうです。今回携帯が鳴らなかったことで対応さていない機種だと判明しただけでもよかったと思っています。必要と思えば近くの携帯ショップに立ち寄り相談してみてはいかがでしょうか?

地震発生時に「自分の身を自分で守る」ためにはどうすればいいのか考えるのに良い機会の日であったかも知れません。

白馬岳縦走時に気付いたのですが携帯会社によって通話が可能な携帯会社と全然通じない携帯会社があります。「無事到着」を知らせようにも私の「AU」は常に圏外でした。仲間の所持する「DoCoMo」はアンテナがしっかりと立ち通話可能でした。北アルプスではどこで携帯が通じるのか等のパンフレットがあり通話可能箇所を明示されていましたが、もし遭難・滑落などに遭遇した場合「AU」では役に立たないという事になります。以前に我が倶楽部で衛星電話の必要性をみんなで検討した事もありましたが、これだけ携帯電話の需要が多くなれば「AU」であっても「DoCoMo」であっても山小屋付近では通話可能にしてもらえると有難いかなと思います。あっソフトバンクさんも頑張ってね!

山での携帯電話の通話が可能なために、自力で脱出できる程度の怪我であってもすぐにヘリコプターの要請をかけ、現場に行ってみたら擦り傷程度だったという場合もあります。ヘリコプターは要請があれば出動せねばなりません。同行する仲間も怪我がどの程度なのか、本当にヘリコプターの要請が必要なのか、きちんとみきわめられる訓練を日ごろのトレーニングでしておかなければいけないと思います。「ヘリコプターはタクシーではありません」


[2857] 【2970回 えっ?放送は一体いつなの?】 2012-09-04 (Tue)

「えっ?放送は一体いつなの?」
NHKの「小さな旅」の番組が「9月2日放送予定が9月9日に変更になりました」とNHK担当者から白馬岳縦走時に変更連絡をいただきました。ホームページの表紙にもその旨をご紹介させていただいています。ところが昨日、山仲間のトラ吉さんからのメールで『小さな旅ですが関東と関西では放送日が違っているようですよ。姫さんがブログにアップしている日は関東の放送日みたいです。「小さな旅NHK大阪」で検索してみてください。今回は屋久島になっています。次回が富士見平小屋だと思うのですが・・・』

トラ吉さん!教えていただいてありがとうございました。「見てあげよう」と言う意思が伝わって来てうれしかったです。

前回のテレビ放映の影響は大きく、瑞牆山の紹介のあった次の土曜日と日曜日には2500人もの人達が富士見平小屋を経て、瑞牆山に登ったそうです。今回は富士見平小屋を主に紹介されるので、季節も良いことから9月の三連休あたりには大勢の人が訪れてくれるはずです。山小屋のお手伝いの要請があればまた出かけてもいいかなとは思ったりもしますが、まっ放送を見て、私達の存在をどの程度大切に扱ってくれているかどうかで出掛けるかどうかを決めたいと思っています。
         ↓
このアドバイスを受けて9月4日午後4時、NHK甲府放送局 放送部ディレクター中村真己さんに直接電話をして問い合わせしました。放送日は告知通り9月9日間違いないそうです。下記はNHKの番組紹介のホームページで、ここにも9月9日と明記しています。よろしくご覧ください。(私達が映っているかどうかではなく瑞牆山の素晴らしさをわかってほしいです)

http://www.nhk.or.jp/kotabi/jikai.html

また別の情報からは「やっぱり9日は関東エリアの放送だ」との指摘もありました。大阪は再放送扱いで
●9月13日(木曜日)午前11時05分から
●9月15日(土曜日)午後5時15分からの情報もあります。

いずれにしても9日に放送がなければ13日と15日と言うことになると思います。しかし「関東圏と関西圏の放送日について」と、わざわざ問い合わせの電話を入れているのですから、もし9日に放映がなかったとしたら天下のNHKに抗議文を出したいと思っています。せっかく瑞牆山や富士見平小屋を一人でも多くの方に見てもらおうと努力をしているのに、あやふやな回答で放送がなかったら・・・私の態度は一変すること間違いなし!です。


[2856] 【2969回 野菜不足はタジン鍋で解消】 2012-09-04 (Tue)

今年の7月、鹿教湯温泉へ湯治に出かけた時、部屋に「タジン鍋」を持ち込みました。いままで出合ったことのないアラブの王様の帽子の形をしています(知ってるって!ゴメン)その鍋に野菜を並べ、あとは牛肉であったり鶏肉・ウインナなどをトッピングしポン酢で頂きます。これがまた簡単で、それでいて美味しい!戻ってすぐネット購入をしました。夏の野菜不足を解消するにはこの鍋は最適かも知れません。

まず留守番をする亭主でも簡単に作れます(だって野菜を並べるだけですもの・・・)ゆがくより素材の持つ栄養価が流れ出なくてすみます。ただ洗って、切って、並べるだけ!
ほんまに良い鍋を見つけたものです。この鍋には直に水を張るタイプと底敷きのついているものがあり、いまから購入するのであれば底敷きのついているものが後片付けなど便利です。

いままではホットプレートが主役だった食卓もいまではタジン鍋に主役の座を取られています。この鍋さえあれば私が1ケ月あまり家を留守にしても栄養失調になることはありますまい!

夏は食欲のない日もありますがポン酢で夏を乗り切っていると言った毎日です。お陰様で夏バテもなく、痩せもなく(ちょっとぐらい痩せたい〜!)秋を迎えることが出来そうです。またまた食欲の秋の到来となり「痩せる」の言葉は私には無関係の様です。

蝉の声が消えて、朝顔が枯れて、里山に行けばススキの穂が風になびいているのでしょうね。もう少し涼しくなったら秋を探しに出かけてみましょうか!いまはただ熱中症にかからないように昼間の外出は控えて・・・クーラーの子守りをすることにします。


[2855] 【2968回 突然の雷雨】 2012-09-03 (Mon)

日曜日は名塩の息子の家の庭先で、子供たちの夏休み最後のお楽しみという事でバーベキューを楽しみました。空が急に暗くなりポツポツと雨が降り始めました。さっきまで晴天だったのにと、子供たちは庭先に張ったテントの中に逃げ込んだり、あわてて荷物を片づけたりと大慌てしました。10分ほどすると雨は止み濡れたテントも乾いたかなぁという頃、目の前の六甲山系に激しく雨が降っている様子が伺えます。「これは本降りになる!乾いたテントを撤収しよう!」撤収し終えて数分のちに激しい雷雨となりました。大人がテントを撤収している間に子供たちは2階の洗濯物を取り入れていました。女の子はすでに8歳にして女の子の役割をはたしてくれるものだと感心しました。(ブログに写真掲載)

帰りの武庫川沿いの河原では同じくバーベキューを楽しむグループを見ましたが、増水が心配される場所では撤退を早くしないと水嵩が増して大参事になります。楽しいはずの夏休みが悲しい新学期にならないようにいつも大人が目配り気配りをしておかなければなりません。今日から新学期・・・でも会えるはずのお友達の中には水の事故で帰らぬ人となったお友達もいます。命の尊さに合わせて、いじめの問題、環境に応じたマナーを学校も保護者もきちんと繰り返し、繰り返し教えて行って欲しいと思っています。

山での天候急変もまた命取りになってしまいます。これから9月の台風シーズンに向けて登山を計画されている方は充分に出掛ける前に「現地の天気」を充分調べてからお出かけください。私は右膝の故障からやっと抜け出せる予感がしはじめました。階段などは「左、左、み〜ぎ」と痛む右足をかばって歩いていたのですが今朝あたりから「みぎ、左、みぎ、左」と足運びができるようになりつつあります。当たり前のことが当たり前にできないってつらいですよね。「足!いのち!」です!あの裏妙義山頂で脱臼事故の時も足にだけは自信があり痛みと共に下山してきたのに・・・・何でいま膝の故障なのかと苛立ちます。

今回の夏山登山は山小屋3泊の行程でした。今迄は「朝食は弁当で」とお願いしていましたが山小屋の朝食は午前5時30分になると準備をしてもらえます。裏返せば夜が明けきらない間の出発は危険だということになりませんか?富士見平小屋で捜索活動に出かけヘッドライトは付けているものの、登山道にある石の高低がわからず、あわや転倒かという場面に何度もさらされたそうです。

という事は山小屋の朝食は山小屋で食べてから出発するのが理想だということに至りました。私達は長年、朝食は弁当を作ってもらい途中で食べていましたが「生ゴミ」を持ち歩く結果になり最近では迷わず「朝食は小屋で済ます」ことにしています。

家を出るときはリュックにきちんと収まっていた荷物も何故か2泊目、3泊目を過ぎるとリュックに収納しきれなくなってしまいます。そんな時のお助けグッズは「100円の自転車の網」です。リュックにいれておけばサンダルに履き替えた後の登山靴もリュックの外にスッキリと入れることができます。ぜひお試しを!


[2854] 【2967回 久しぶりの映画鑑賞】 2012-09-02 (Sun)

土曜日の午後「映画を見に行こう」という事になり上映時間の14時20分に間に合うように梅田に行きました。すると突然、雷(あれはきっとどこかに落ちたとおもう)とともに目の前のビルが見えないほどの大雨が降り始め驚きました。移動中でなくてホッとしました。山でこんな雨に遭うと合羽を着る間もないのではと思うほどの瞬間的な雷雨でした。しばらくして雨が上がると涼風が心地よく吹いて秋の気配を感じました。

チケット売り場に行くと既に14時20分の券は完売されておりました。仕方ないので16時55分のチケットを購入し、いつもなら時間つぶしに好日・ロッジ・モンベル巡りをするのですが右足の故障のためベンチに腰をかけて大雨の後の雲の流れや、道行く人々を眺めて時間を潰しました。映画館のロビーでは姪やジョンの娘さんに偶然出会ったりして映画人気も捨てたものではないことを知りました。

日本映画界屈指の名優・高倉健主演の「あなたへ」は、刑務官として働く富山刑務所を舞台にして、亡くなった妻が生前に夫に出した1通の手紙が届き、そこには故郷の海に散骨してほしいと書かれており、車で妻の故郷・九州へと向かうのです。その道中で出会ったさまざまな人々と交流するうちに、妻との思い出が頭をよぎりながら無事散骨を終える・・・そんなストーリーです。まだ見ていない人のためにストーリーはこのくらいにしておきます。夫婦とは何ぞや!と悟される映画でした。

この映画を見て感じたことは80歳を過ぎた老優・高倉健が年相応に「老けたなぁ」と感じたことです。名優には違いないのですがイメージしていた高倉健とは違っていました。無理もありません。80歳を過ぎているのですからね。高倉健は自分でもそのことには気が付いていて「自分が主役で出ると若い人の芽を摘むんじゃないかと懸念している」と話しておられました。しかし映画界の不況を乗り切るために自分の力が必要ならばという気持ちで出演したそうです。


[2853] 【2966回 秋の気配はいつ?】 2012-09-01 (Sat)

気が付けば蝉の声がしなくなっています。公園には蝉の死骸が落ちています。暦は9月に入りました。気分だけでも「秋」を味わいたいのですが相変わらず日差しがきつく息をするのもつらくなりそうです。

「2965回 登山道の下りでの転倒」で登山時の下りは注意が必要だと書きました。私達が北アルプスから戻った4日後の8月29日に北アルプス・剱岳で死亡事故があった様子です。

毎日新聞の8月30日の記事によると
『29日午前8時半ごろ、北アルプス・剱岳(2999b)の頂上直下で、鎖を頼りに崖をたどる「カニのヨコバイ」を進んでいた60歳代の女性が転落、約10メートル落下し頭を強く打つなどして死亡した。上市署によると、女性はバランスを崩して転落したらしい。60歳代でとみられ、単独登山者で、同署は身元の確認を急いでいる。また27日には岩手県の60歳代の女性2人が剱岳の下山中に転落し足や腰の骨を折る重傷を負うなど、剱岳登山者の遭難事故が相次いでいる。』とあります。

私達は単独行動ではなく、登山届、下山届も提出し、ヘルメットを着用し、ラビットノツトで安全を確保し、不帰ノ嶮・キレットを無事通過できました。

「ラビツトノット」は鎖の掛け替えが面倒臭いと言い、これくらいなら大丈夫と掛けていない時もありましたがその自信過剰が事故に繋がるのです。リーダーの指示があれば、きちんと守ってほしいです。ちょっとした油断が事故に繋がります。慎重の上にも慎重な登山をしたいものです。

去年、八峰キレットでは雨で濡れた丸太棒の上を「カニノヨコバイ状態」で通過する個所がありました。参加者の一人がズルッと足を踏み外しテンションがかかったことがありました。しかし、きちんとラビットノットで安全確保していたので大事には至りませんでしたが手だけで鎖に頼っていたとしたら滑落していたと思います。

ラビツトノット(通称・うさぎの耳)は安全で確実に危険個所を通過できます。シュリンゲ1本とカラビナ2個あれば簡単に作れます。ぜひ自分で作れるように練習をして通常の登山時でも安全通過のために役立てて下さい。



[2852] 【2965回 登山道の下りでの転倒】 2012-08-31 (Fri)

八方池から唐松岳頂上山荘に向かう途中のことです。下の樺から上の樺を抜けて少し広い場所を見つけて休憩をしていました。多分あの時間だと唐松岳頂上山荘に宿泊し、朝から下山の途についた登山者に出会いました。奥様らしき人は少し遅れて下山中の様子でした。「おはようございます」と休憩中の私達にあいさつをして下さり、私達は「下りか〜羨ましいなぁ」と今から登りつめることを想像して誰しもが羨ましく感じたと思います。

その時です!

まるでバレーボールの回転レシーブの様に男性の登山者が転倒し転げ落ちました。「うっ!」うめき声がしたためすぐそばに駆け寄り「大丈夫ですか?」と声をかけました。奥様らしき人は目の前の出来事に茫然とするばかりでした。幸いなことに怪我もなく石段を踏み外したか、バランスを崩したかだったと思います。怪我がなくてよかったです。

次は扇雪渓で「おこじょ」を見ているときでした。私達は石に腰を下ろしたりオリオンさんはカメラを構えたりと休憩体制に入っていましたが下山して来た大柄の男性が「おこじょ」に見とれて前のめりに転倒してしまいました。この方は回転するほどの転倒ではなかったので、私は、ただ見ていたのですが岩角でズボンが敗れたらしく嘆いておられました。ズボンでよかったです。半ズボンだと膝に怪我を負っていたところです。

目の前で見た2人の転倒を教訓に「歩きながら景色を見ない!見る時は立ち止まる!」を全員に伝達しました。歩きながらの景色の観賞は踏み外しやバランスを崩す原因になります。「こんなところで・・・何故?」と思われるようなところで事故は発生するのです。みなさんも「おっとっと〜」を体験したことがあると思います。

登山は「登り」より「下り」が多いのは、みなさんご承知のことと思いますが登りの怪我は「ズルッ」で済んでも下りは大怪我を引き起こしてしまいます。こんな時ストックがあれば転倒防止になるのですが・・・2人の下山者のリュックにはストックがささっていました。何故使用しないのでしょうか?足痛がきたら出して使うのかしら?(それじゃ遅い!)それともオブジェ?それなら最初から持参しなければいいのにと思ったりします。ストックは3本目の足としてフル活用をしたいものです。

ヘルメットの着用も行き交う登山者は多けれど私達だけが着用していました。大雪渓を登って来たと言う横浜の山岳会の人達がヘルメットをリュックの後ろに吊るしていましたが大雪渓を抜けると脱いだ様子でした。暑いから?ヘルメットって案外風を通して涼しくて、風が吹いても飛ばされないし、その上安全なんですよ。

今回、私は初めてのリーダーだったため「全行程ヘルメット着用!」と全員に徹底することはできませんでした。不帰ノ嶮通過時の第2日目は絶対に着帽を義務づけましたがストック同様、持参しているのであれば着帽してほしいものです。

いま警察署もあまりの頭部の怪我人が多いため、今になってやっとヘルメット着用をアピールしはじめました。アピールではなく義務付けが早く来るといいですね。上の樺付近で見た男性の転倒は頭部を損傷しててもおかしくないほどの転がりようでした。3000m級の山へ登るときはぜひヘルメットの着用をしたいものです。そしてヘルメットをかぶっている人に出会っても「沢登りですか?、クライミングですか?」などと、あざ笑うようなバカな質問はしないでおきましょう!


[2851] 【2964回 亡き姑を見習って】 2012-08-30 (Thu)

私の姑は非の打ちどころの無い素敵な母親でした。中学1年生で母を亡くした私に、嫁いでから娘のように接してくれて家事と和裁の手ほどきをやさしく教えてくれました。死ぬ間際には私と息子達の手をしっかりと握り、息絶えました。その恩人である姑のやさしさを手本として2人の嫁にも同じ様に接したいと思っています。

そんな私には嫁が二人います。著書のテーマにもした世間で言う「嫁姑問題」は絶対回避しなくてはと姑から受けた恩が私の生涯のお手本として嫁たちと仲よく過ごすことができています。仲良しの基本は「我が息子の面倒を見てくれてありがとう!孫たちを健康で素直な子に育ててくれてありがとう!」に尽きます。

夏休みに息子や爺抜きで旅行するのが恒例になりました。「新幹線」の中も「やくも7号」の中も「鬼太郎列車」の中も乗客に迷惑のかからないおりこうさんでした。旅行中に嫁たちの躾が行き届いていることを確認できます。ホテルの部屋に入ると、ここはちょっとハチャメチャ・・・・修学旅行生の枕投げ状態でしたが個室空間につき大目に見ることにしました。ハハハ・・

2日目の夕食には舞台がついていました。マイク設備はありませんが使用しても良いとの仲居さんの言葉に子供たちは食後、舞台に立って、それぞれの校歌斉唱をはじめました。ママたちも小学校時代を思い出して子供たちに負けじと、大張り切りでした。体操クラブに通う子は前転、後転などを披露したり舞台裏で打ち合わせをして寸劇を披露したりとなかなか楽しかったようです。

2日間のお小遣を100円玉で10個与え好きに使ってもいいことにしました。ゲームをする子、3人で出し合って卓球をする子、パパにラクダのみやげを買う子とさまざまでしたが、その都度、姫婆が財布からお金を出さなくてもよい方法が効果的でした。(工夫しながら使っていました)

まっ!登山より大変でしたが、これも姑から教えてもらった教材のひとつですので、企画はそれぞれが持ち回りで仲よく実行していけたら幸せだと思っています。

今日からは「夏山登山」のレポートの残りを・・・頑張りますっ!


[2850] 【2963回 行ってきました!行ってきます!】 2012-08-26 (Sun)

★北アルプス「不帰ノ嶮」コースから無事下山しました。
1年もの間「行きたい、歩いてみたい」と思っていました。良き仲間に恵まれて和気あいあいと山行が終了できたことにいま安堵しています。右足の水は溜まりに溜まって片足だけ太っています(笑)まっ時間が経てばもとにもどるでしょう。

それにしても山好きの人がこんなにも多いとは!驚くばかりです。どこの小屋も平日だと言うのに結構埋まっています。小屋の周りはテントで花盛りです。事故のないように祈るばかりです。私達はおかげさまで怪我もなく無事に戻ることができました。

★孫&嫁旅行に行ってきます。

北アルプス 不帰ノ嶮コースから戻ったばかりだと言うのに、1日だけ洗濯休みをして再び出かけてきます。「ラクダに乗りたいよ〜」と言う子供たちの要求を聞いて、夏休み最後の思い出作りに、婆様が同行することになりました。爺様はお留守番です。

「2人の嫁と孫たち4人と婆様ご一行」は「新幹線」と「やくも7号」に乗り「鬼太郎列車」を利用して境港へ。ここからは納会で利用した水木しげるロードを散策します。翌日は倉吉まで移動し「なし狩り」を体験したのちに三朝温泉へ。三朝温泉で唯一プールのあるホテルを手配してもらい夏休み最後のプール遊びです。零ちっちが函館から帰省するのを待ってお誘いの声をかけました。即OKでした。(笑)

翌日は鳥取砂丘までバスで行き「ラクダ」に乗ったり「こどもの国」へ言ったりと楽しみます。車と違い、時間が決められているので遅れないように子供たちを見守るのが私の役目の様です。(登山よりも大変かも・・・・!)「因幡の白兎」の本を購入し、今回の旅の印象付けをしたいと思っています。静かに聞いてくれるのかしら?

そんなわけで8月27日から29日までおでかけしてきます。


[2849] 【2962回 夏山登山に行ってきます】 2012-08-21 (Tue)

夏山登山に行ってきます
8/21〜25日まで北アルプスに行ってきます!

「北アルプス 不帰ノ嶮コース」
今回の山行は今迄の山行の様に「手取り・足取り」ではなく今迄得た技術をフルに活用し「自己責任山行」ということで登山をしてもらいます。但しトラ吉さんと、Kazu君は「唐松岳山頂〜不帰ノ嶮〜天狗ノ頭」までは、初心者扱いさせて頂き(ごめんなさいね)手取り、足取りになるかも知れません。お二人は体力的には私達よりはるかにあると思いますが、何せ岩場の危険通過時だけは緊張の連続でお願いします。通過して振り返った時の涙の出るような感動をぜひお二人には味わってほしいです。「アルプス病」にかかること間違いなし!です。あとのみなさんは「経験豊富」という事で楽しんで下さい。よろしく!

★お留守をお願いするご家族の皆様へ
参考計画は下記の通りです。下山時には白馬駅前の温泉入浴場所あたりで各自「下山報告」の一報を入れさせていただきます。

●8月21日(火) 21時30分 新大阪発 夜行バス。
●8月22日(水) 06時40分 八方バスターミナル着
 ゴンドラ利用で八方山荘前〜丸山ケルン〜唐松岳頂上山荘(泊)
 歩行時間 八方山荘〜(標準4:20)〜唐松岳頂上山荘

●8月23日(木) 06時00分 唐松岳頂上山荘発
 唐松岳山頂〜不帰ノ嶮〜天狗ノ頭〜天狗山荘(泊)
 歩行時間 唐松岳頂上山荘〜(標準5:20)〜天狗山荘

●8月24日(金) 06時00分 天狗山荘発
 天狗平〜白馬鑓ケ岳〜杓子岳〜村営宿舎〜白馬山荘〜白馬岳
 〜小蓮華岳〜白馬大池山荘(泊)
 歩行時間 天狗山荘〜(標準6:05)〜白馬大池山荘

●8月25日(土) 06時00分 白馬大池山荘
 白馬大池〜乗鞍岳〜天狗原〜栂池平…(ゴンドラ)…栂池高原
 歩行時間 白馬大池山荘〜(標準2:30)〜栂池平
 …(バス)…白馬駅前13:40…(高速バス)…21:50大阪着

では・・お天気を祈りつつ「いってきま〜す」


[2848] 【2961回 効果のなかった子守唄】 2012-08-20 (Mon)

「同窓会に行くから子供たちを預かって〜」名塩に住む息子からの依頼で1泊2日で婆様預かりとなった孫3人。(零ちっちは、ただ今函館に帰省中)丁度、登山計画の谷間につき25日・26日と喜んで預かることとなりました。

お泊りの朝はきまってマクドナルドの「ハッピーセット」です。どうもセットについてくる「おまけ」が気に入っているらしいです。名塩に送っていく途中に子供プールのある「伊丹ウオーターランド」に行くかとたずねると「水着がないから嫌!」と言います。じゃあ「海遊館」でお魚を見ようかと言うと「イルカに乗ったばかりだから嫌」と言います。じゃあ「交通科学館は」と言うと「もう3回も行ったことがあるから嫌」と言います。じゃあ「プラネタリュウム」へ行こうかと言えば「この間行ったばかりだから嫌」と言います。結局、婆様の家で怪獣ごっこだとか基地を作って遊びたいといいます。そっか〜じゃあ婆様もその方が楽チンだしという事で歩いて行ける「下水道科学館」に立ち寄り水槽の中を泳いでいる「魚の餌やり体験」をして帰ってきました。

午後になって、さあ帰ろうかという事になり2歳の航大くんは車の中でおねむ状態になり婆様の「かなりや」の子守歌を歌うと5歳の和慶くんが、この歌をとても気に入り、とうとう宝塚あたりまで何度何度も歌い続けさせられることとなりました。私がカナリヤの物語を話してから歌ったものですから興味津々だったようです。

本当の意味は詩人の西條八十先生が詩にいきづまりご自身をカナリヤに置き換えて作ったそうです(西條八十が株の相場で大損した話もありますがメルヘン的ではないので省略)なつかしい歌です。皆様も口ずさんでみてください。5歳の子供のハートをつかんで離さない何となく憂いに充ちた歌ですよね。えっ2歳の航大くんは婆様の歌で寝たのかって?(♪いえ いえ それはなりませぬ♪・・でした)

「金糸雀(かなりや)」

唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は
後(うしろ)の山に 棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
背戸(せど)の小薮(こやぶ)に 埋(い)けましょか
いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
柳の鞭(むち)で ぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう

唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
象牙(ぞうげ)の船に 銀の櫂(かい)
月夜の海に 浮(うか)べれば
忘れた唄を おもいだす


[2847] 【2960回 落雷事故を真摯に受け止めて】 2012-08-19 (Sun)

8月18日、槍ヶ岳で落雷死亡事故がありました。槍ヶ岳山荘のホームページに下記のコメントがあり、私がつねづね「山小屋があれば声をかけて通過するようにしたい」と申していましたがこの記事を読んでもらうと「なるほど」と思っていただけるのではないでしょうか。

『18日槍ヶ岳に登って雷でうたれて亡くなられた方がありました。過去にも雷に打たれて亡くなられた方があり、槍ケ岳山荘では襲来警報機を設置して、雷が200キロ以内に来ると第1次注意報が出て、20キロ以内に来ると第二次注意報がでて、雷がいつ落ちてもおかしくないときには警報が鳴ります。今日雷に打たれた方は、山荘に寄らずそのまま頂上に向われました。頂上には、他には誰も向われてはいない状況でしたので、登られている方に気が付いたスタッフは、メガフォンで注意をして下山するようにお願い しましたが、聞こえないかのようにそのまま登られて災難に遭われました。なぜこのようなことを書くのかというととても残念だからです。遭わなくとも良かった事故に遭われてしまった方が、出てしまったことがとても残念です。』

18日、大阪でも落雷と豪雨で被害があちこちに出ています。高校野球も「雷雨のため試合中断」となっていました。床下浸水などの被害に遭われた肩はいらっしゃいませんか?私達も21日夜から唐松岳から不帰キレットを経て白馬縦走をする予定です。岩場通過があり天気がとても心配されるところですが小屋で詳しい気象情報を得て安全に通過をしたいと思っています。とにかく最近の天候は異常としかいいようがありません。9月に入ると台風が発生し山はまたまた荒れ模様となると思います。

勇気ある撤退をされた山仲間の分も「よかったですよ〜っ!」と報告の出来るよう、そして無念にも参加を見合した仲間のためにも無理はしませんけれども無事予定通り下山を目指しています。岩場の通過が2時間もあります。トレーニングで負荷をかけてクライミングをした経験のない人にとって500グラムでも荷物は軽い方が安全に通過できます。

「荷物は出来るだけ軽くお願いします」


[2846] 【2959回 いよいよ夏山登山へ】 2012-08-18 (Sat)

いよいよ夏山登山「唐松岳から不帰キレットを経て白馬三山を踏み栂池へ」の日がやってきます。

去年のことです。鹿島槍登山の時に唐松岳山頂から美しく伸びる不帰ノ嶮のシルエットが「来年はおいでよね〜!」と私達を誘ってくれているみたいで後ろ髪ひかれる思いで帰ってきました。地図を広げ、さわやか信州号の時間を調べているうちに夢は白馬を駆け巡り胸の高鳴りを抑えることはできません。不帰ノ嶮・・・・名前の通り、一度入れば帰って来れない程の険しい所という事で、私自身もなかなか山行勇気がありませんでした。しかし昨年の晴天の夏、唐松岳山頂から白馬三山に向けて一本の細い糸のような道を見て身震いしました。「あそこを人が通るのかいっ?!」それは槍ヶ岳の頂上から北鎌尾根を見た時と同じ興奮でした。「行きたい!歩いてみたい!」

今回は7座の頂上を踏むことになります。
@唐松岳(2696.4b)
A天狗の頭(天狗岳2812.0b)
B白馬鑓ケ岳(2903.1b)
C杓子岳(2812b)
D白馬岳(2932.2b)
E小蓮華山(2769.9b)
F白馬乗鞍岳(2436.7b)

今日の大阪の空は雷が轟き恐ろしいです。山行中の天候だけが神頼みで何とか、唐松岳山頂から不帰ノ嶮を通過する間だけ無風・晴天でありますようにと祈るような気持ちで荷物を準備しています。山仲間の伊東さん達は唐松岳で大雨に遭い、勇気ある撤退をされたと聞きました。不帰ノ嶮を通過すれば「雨もまた自然」と受け入れられると思います。今回はアルプスデビューの仲間がいます。「いきなり不帰ノ嶮かよ〜っ!」と非難されるかもしれませんが充分サポートをして楽しい思い出にしたいと張り切っています。

荷物は限りなく軽く・・・と言っても必要な物は省かないでね。ビニール合羽はダメですよ。着替えを忘れても水分や行動食は充分に容易して下さいね。

今週末までは天候が不安定らしいです。朝はなるべく早く出発して早い時間に山小屋に到着していれば山特有の雷雨に遭わずにすみます。体調を整えてさわやか信州号に乗りましょう。



[2845] 【2958回 高齢者の住宅事情】 2012-08-17 (Fri)

私の息子の住むところは郊外の山の上にあります。すでに今の時期、クーラー無しでも過ごせるという温度差から伺えるのは「冬は寒い」ということであります。新興住宅地でほぼ若い人達の住処となっており、あの若さでローン抱えて大変だなぁと思う考えは古いらしく家賃を支払うよりローンの方が安いのだと若者は割り切ります。

そんな若者達の住処に一軒だけ老人夫婦が住んでおり、お爺さんの運転する車で買い物に出かける風景を毎日のように見ていたのですが、ある日お爺さんが倒れて体の自由がきかなくなり今では週に何度かヘルパーさんの車が停まっているらしいです。お婆さんは車の運転ができずバスで買い物に行くしかないのです。駅からはバスかタクシーしかなく歩くには距離が長すぎるのです。

場所は変わって、私の70歳の姉が鴻池新田で一人暮らしをしています。府営住宅の建て替えで8月の初旬に隣接する新しい府営住宅に引っ越したばかりなんです。今まで住んでいた住宅は住民運動で「一部屋増築運動」を実施し建て増ししたものの所詮建て増しにつき光の計算など度外視で台所は朝から暗く、部屋数は増えたものの不便な住居でした。

私が嫁入り前からの建物ですので40年以上は経っていて老化も進み、その住宅を取り壊して高層化するらしいのですが新しい住宅は部屋数は減ったものの、台所には光がさして明るく、トイレのドアは車椅子専用に広く、風呂場、廊下と高齢者が車椅子で生活し易い設計になっています。

しかも家賃はベラボーに安く、あれならローン地獄で悩まされるより、一生団地住まいが気楽です。、団地の前には病院、スーパーが乱立し駅まで歩いて15分の立地にあるため老後を過ごすには最適の町の様に思えます。退職したら田舎暮らしをして畑を耕す生活に男性は憧れるようですがテレビで見る民宿経営の夫婦みたいなわけにはいきません。あれは旦那様に特殊技能めいた器用さがあり日曜大工も料理も才たけてこそできることなんです。夫が田舎暮らしをしたくても妻が嫌がる場合があります。統計によると、このことが原因で熟年離婚になった夫婦が何組をいるらしいです。

退職後はお互いが縛りあわず、かと言ってトラブルの原因である息子や娘たちと同居などと考えず、健康な間は老夫婦や仲間が寄り添って老後を楽しめる人生を送りたいと思います。「若い間は郊外暮らしも可、高齢になると病院の近い都会の真ん中で」がいいのかも知れませんね。

例外もあります。私の隣組に配偶者を亡くして一人暮らしの年寄がいました。息子さんが時々泊まりに来て面倒を見ていましたが、やはり勤務地の問題、自分の家族の問題などで、とうとう年寄を引き取りに来て家は売却してしまわれました。一人暮らしの年寄のところに帰ってくるのではなく、住み慣れた年寄りの住む場所を変更させる方が手っ取り早いようです。新しい土地で馴染みのない生活は、いくら息子夫婦に引き取られたとはいえ寂しいでしょうね。

老後のプランを立てなくっちゃあ〜(もう充分老後ですって?)


[2844] 【2957回 遭難は人為的ミスが多い】 2012-08-16 (Thu)

暑いです。とにかく暑いです。何もする気がしません。ダラダラするから余計に暑いです。気温14度の涼しい所から戻ると余計に身体に応えます。

大阪の私立中学の山岳・アウトドア部員10人と引率教諭2人が、奈良県東吉野村の明神平 で登山合宿中、悪天候により下山ルートを見失いましたが、救助されました。よかったです!

私達も富士見平で遭難騒ぎに巻き込まれましたが、中学生ら12人無事でよかったです。ここでも携帯電話の圏外問題、衛星電話の必要性が今後の問題点として残りました。下見も数年前にしただけで今回、道が変わっていたと引率者が言ってましたが、平成21年(2009)の台風18号で登山道の崩落や倒木等でしばらく通行止めになったほど、周辺の登山ルートは荒れてしまっていました。富士見平でも千葉県の中学生の引率者が登山道以外の道を自由に歩かせている光景を見ましたが未成年しかも登山経験のない子供たちを大勢引率する場合は複数の教師で直前の下見が絶対条件だと思います。数年前ではなく直前の下見ですぞ!

登山道は初心者向けのコースとして知られていましたが、これは天候のよい時の場合です。ましてや台風で道の崩落や通行止めがあったことも知らず「昔行ったことがあるコース」で生徒を引率するのはどうかと問題があります。

救出後の明神平周辺で14日に行われた捜索に早朝から同行して山中を歩いた人の話です。
『約6時間、10キロの間に、〈初心者コース〉という言葉の裏に潜む危険を痛感した。捜索隊は大又(おおまた)バス停から明神平へ延びる南北の2ルートを進むコースをとった。北側を進む12人と一緒に午前7時10分から、大又川沿いに登り始めた。中学生ら12人の遭難時、1時間あたり15ミリ以上という雨が降り、救助ヘリコプターも当初は出動を見合わせるほどの悪天候。濡れた携帯電話は一時、画面が映らなくなり、標高が比較的低い場所では電波がほとんどつながらない。連絡を取ることがままならないもどかしさと恐ろしさが身にしみたはず。

大又川を数度、横断しなければならず、両岸をつなぐロープを持ち、増水で水の中に沈んだ飛び石に渡ろうとすると、靴はあっという間に水浸しになったそうです。木の根や岩の角をつかんで必死に進むが、ぬかるみに足を取られて転び、山あいには、宇陀署員らの「おーい」という叫び声と、「ピー」という警笛の音が響きました。

約2時間半かけ、明神平にある山小屋に着いた。「いたぞ。声が聞こえた」署員の声に全員が色めきたったが、ほどなく別の登山者の男性とわかった。男性は13日午前に一行を目撃しており、「ビニールの雨がっぱで登っている子もいた」と軽装だったことを心配していました。さらに奥へと進んだ午前10時40分。「発見や!」署員が無線で受けた連絡を周囲に告げて、全員が安堵の表情を浮かべた。』

私達の山行で仙丈岳登山の時、同じようにビニール合羽を着用していた人がいて、しかもその合羽を山小屋に忘れたという最悪の出来事がありました。途中雨に遭い寒さで震えていました。事前に荷物チェックが望ましいとは思いますが「登山経験あり」と言うことでしたのでまさかのビニール合羽だとは予想もしませんでした。教師と生徒の間ならば強制的に『荷物点検」ができるはずです。この遭難事故を教訓に今後の私達の登山に役立てていければと痛感しています。そして今回の事で山を敬遠するのではなく、「山岳・アウトドア部員」ならば山の危険性をもう少し勉強してから、教師ももう少し危機管理を徹底してから山に入ってほしいものです。


[2843] 【2956回 瑞牆山と金峰山へのお誘い】 2012-08-15 (Wed)

私達が富士見平小屋に滞在中に1本の予約の電話が入りました。何と私達の山仲間が予約の電話をしてこられたみたいです「ジョンの知り合いです」と電話の向こうで言ってるというので管理人さんがジョンに電話を代わってくれました。オドロキ・・・でした。

私達のレポートを読んでくれて「出かけてみたいなぁ」と思う人がいるならば富士見平小屋の再開に一役買えるのではないかと思い今日はガイド役を引き受けたいと思います。

●バスの場合
大阪から私達がバスで行った時期は5月、甲府行きのバスを利用しました。韮崎の手前の「長坂高根」の高速バス停に14時58分に到着することをタクシー会社に告げ迎えを頼みました。韮崎から瑞牆山駐車場までのバス代金は2000円かかります。5人ならタクシーの方が時間的に1時間以上も時間短縮でき、しかもバス料金以下で走ってもらえます。

●車ならナビに「瑞牆山荘」と入れればOKです。もし入力しても出ない時は「増富温泉」として下さい。そして増富温泉付近からは「瑞牆山荘」と再度入れなおして下さい。1本道なので迷うことはありません。皇太子殿下が植樹祭に来られたということで道路は山の中とは思えないほど綺麗に整備されています。但しグニュグニュと曲がりくねっていますので安全運転でお願いします。長坂出口を出てから瑞牆山無料駐車場まで478.2qの走行です。

●ここからは共通
バス、タクシー、車を降車したら身支度をして登山道へ向かいます。急な上り坂を1時間歩きますのでゆっくり、小股で登って下さい。午後になると下山の人が多くなりますので気を付けてくださいね。30分ぐらい登ると林道と交差する個所があります。林道をまたぎ同じように登っていく人もいますが林道の看板を見つけたら左に折れて、林道沿いに歩くことをお勧めします。途中から瑞牆山の絶景が見られるのです。これは管理人さんから教えてもらった秘密のスポットですのでぜひ林道を歩いてみてください。林道の終点から再び石がゴロゴロのきつい登りを10分ほど登ると「水場」の看板が目に入ります。直進すると富士見平小屋への道であと一息です。ここに張られているトラロープは私達がお手伝いし整備した登山道となります。

小屋泊まり、テント泊どちらでもOKです。テント泊の人も食事の予約をすれば小屋で食べることができます。昔ながらの古い小屋ですが小屋の親父夫婦のおもてなしは天下一品です。小屋から見える富士山はまた格別です。到着した日は無理をせず「移動日」としたいものです。翌日は小屋の親父のアドバイスでは(天気にもよる)金峰山に行き、翌日瑞牆山に登り荷物の整理をして下山。途中の増富温泉の入浴割引券をくれるのでバスなら途中下車してゆっくり入浴を済ませ次の便で韮崎駅に向かってはいかがでしょうか。車なら帰り道にありますのでぜひラジウム温泉を味わって下さい。

私達が滞在中に瑞牆山と金峰山を登山するという人達が休憩をするために小屋を訪れました。「えっ〜ここって泊まれるの?知らなかった〜今から下まで降りて、また明日の朝ここまで登ってくるんでしょう?え〜!残念!もう降りるの嫌!ここで泊まりたい」と話をされていました。登山口にある予約している小屋では「キャンセル料3割」と言われたらしく、疲れた足を労わりながらしぶしぶ下山していかれました。

9月2日のNHKの報道後はみなさまに広く知れ渡ることとは思いますが、秋の紅葉、春の石楠花と日本百名山を2座も制覇できる富士見平小屋は瑞牆山、金峰山の分岐にありとても便利です。体力が残っていれば金峰山の下りに鷹見岩にも立ち寄れば絶景が楽しめます。

金峰山は距離が長いため体力的に無理な人は、瑞牆山と石楠花トンネルの鷹見岩登山だけでも充分楽しめます。また金峰山頂上には金峰山荘がありますので登り切って宿泊、下山して富士見平小屋に宿泊もゆったり登山でよいのではないでしょうか。いずれの山も脇目も振らずに攻める山ではなく、ゆったりとした気分で楽しんで頂ける山だと思います。

詳しくは小屋のホームページをご覧ください http://www.fujimidairagoya.jp/


[2842] 【2955回 富士見平での10日間の食事】 2012-08-14 (Tue)

7月30日から8月9日までの11日間の食事のおもてなしは山小屋とは言えない手間をかけた豪華な食事ばかりでした。スタッフとして伺ったのですから「賄い食」で充分なのですが毎回、心のこもった感動の食事ばかりでした。ある日の昼食は「今日は暑いから簡単に」と言いながらも、あるじが苦労をして汲みあげてきた貴重な水をたっぷり使い、素麺を湯がきトッピングには「卵・トマト・キュウリ」などが色鮮やかに飾られています。10時にはフルーツティ、3時にはマウンテンコーヒーと贅沢なティタイム、朝はパン食で高価なバラジャムをたっぷりつけてマーリーコーヒーを頂きます。オムレツの中にはマダムが見つけてきたきのこがたっぷりと入っています。夕食はこの時期にも見つけられるワラビの天婦羅も揚げたてを頂きます。勿論小屋の名物「鹿肉の燻製・豚肉のスペアリブ・鶏肉のマーマレード・ピータン入りの雑炊と焼き餅」も日替わりに出てきてご馳走三昧の日々を過ごしました。ちょっと太って帰って来たかもしれません。(かもしれない!ではなく確実に増量!)あるじが麓に買い出しに出かけた日は氷を買ってきてくれてコーラを頂きました。1820bのランプの宿での氷は驚きでコーラの味を格別の高級品にしてくれます。重たいスイカを担ぎ上げおやつに出してもらったときは皮までたべたくなるほどの感動でした。

自宅の食事の用意も「暑いし・・・面倒だし・・」と言いながら作るのではなく「美味しく食べるにはの一工夫」が必要だと学んで帰ってきました。水道をひねれば豊富な水が出る生活から、湧水を汲みあげて使う生活を味わうと「物の大切さ」を再認識しました。電気のない生活も最初は不便さを感じましたが、夜が明けたら動き始め、暗くなったら就寝も健康的でとてもリズムよく生きていられる気がしました。ただ・・・電気ばかりに頼っている生活の中で「携帯の充電・カメラバッテリーの充電」などはちょっと戸惑いをかんじてしまいました。

朝は鳥のさえずりに目覚め、10度の湧水で顔を洗えば心身ともにシャキッとします。小屋から見える富士山も贅沢な光景でした。何よりも小屋のあるじ夫婦が30年間も閉鎖されていた小屋を再開しようとした動機(9月2日のNHKちいさな旅をご覧ください)を聞けば、私達でできるお手伝いはないかと心を動かされるものがあります。マナーのない登山者には辛口の助言をし、怪我人が出れば背負って下山する、昔の小屋番はみんなそうであったと昔を知るジョンは回顧していました。まるで怪物のようなあるじですが常識のある登山者にとっては頼もしく、故郷に立ち寄ったような気分です。その傍らでそっと見守るマダムも素敵です。


[2841] 【2954回 アサギマダラ】 2012-08-13 (Mon)

「驚異の飛翔2000q」

八ヶ岳周辺のいたるところで見かける蝶のひとつにアサギマダラがいます。この小さな蝶が日本列島を縦断。沖縄・台湾まで2000qを飛んで行くのです。私は富士見平で初めてこの蝶のことを知りました。毎日優雅に小屋の廻りをゆったりと飛び交うのです。蝶がこんなに愛おしいと思ったことはありませんでした。

その貴重なアサギマダラを捕獲しに富士見平小屋周辺に大きな網を持ち込み追い回す中年の男性がいました。ちょうどその日はひとりで小屋番を仰せつかった日でした。

「何をしているのですか?」と聞くとアサギマダラを追い求めているといいます。何に使うのかと聞くと生け花の作品の一部にするとの事でした。私が素人だと見て心を許したのでしょう。ペラペラと蝶捕獲のために外国まで行くと自慢げに話していました。ここは国立公園、どんな植物採取も、ましてや貴重な蝶々の捕獲が許されるわけがありません。小屋のあるじが帰ったら報告せねばと「すみません写真を撮らせていただけませんか?」と言うと後姿なら良いとのことで、本人と捕獲して息絶えたアサギマダラを写真に収めました。

その後「おじさん!ここは国立公園の中なので採取はダメなのではありませんか?」と注意を促すとリュックを背負い小屋から遠のいて行きました。小屋の中から覗いているとまた蝶々を追っかけています。「おじさん!小屋のあるじがまもなく戻ってきますよっ!」と言うと、あわてて下山した様子でした。

(アサギマダラの美しい姿は姫のおうちの表紙から「ランプの小屋富士見平」にアクセスしていただくとご覧いただけます)

林間学校で登山に来る子供のマナーがなってないとぼやきましたが、こんな大人がいるから子供たちもマナーの習得ができないのですよね。「取っていいのは写真だけ!」どこかで聞いたセリフです。

六甲あたりでもリュックに草花を採取して自宅の庭に植えると言う人を見たり聞いたりしますが土や環境がかわると育ちません。多くの登山者に見てもらってこそ価値があるとは思いませんか?

私の知人で丹波の黒豆の苗を購入して千葉県の自宅の畑で栽培しましたが何回挑戦しても育たない。風土が違えばダメなのかと落胆されていました。丹波の黒豆はきっと丹波の土でしか育たないのでしょう。だから丹波の黒豆の価値があるのでしょう。正月のおせちの時期にスーパーで丹波の黒豆は他の産地の2倍の値段がします。同じ豆なら安い方がいいと買ってしまうと失敗してしまいます。丹波の黒豆は煮るとその良さがわかります。


[2840] (2953回 林間学校で登山をする前に) 2012-08-12 (Sun)

富士見平小屋の周辺の整備のお手伝いの中にトイレの床をペンキ塗りをする日がありました。「ペンキ塗り立て」の看板を立て男子トイレの入り口をしばらく封鎖して乾燥を待ちました。

しばらくすると千葉県からやってきたと言う中学生の団体が瑞牆山から戻り、登山道以外の道を自由に横並びに歩いて来たり、ペンキ塗り立てにもかかわらずガードを乗り越えて足跡を付けて行く子、トイレ使用料の100円の意味がわからないとつぶやく子、水洗ではないと騒ぐ子、トイレットペーパーがないと言う子、それはそれは大変な集団でした。

山に来る前に自然とは何かを教師が全然説明せずに登山にやってきている様子で、とうとう姫が爆発しました。教師に交渉し生徒を集め「山とは何ぞや」「自然とは何ぞや」「トイレに何故使用料がいるのか」の演説を始めました。テント場の木立の中は大阪のおばちやんの声にエコーがかかり木立にこだまします。生徒の反応は素直で「静かに聞いてくれたありがとう!今後のあなたたちに期待します。」と締めくくり1820bの地での演説会を終えました(笑)中には色々と質問してくる子もいて次に来るときは山のマナーを習得してから来てくれることでしょう。

トイレの入り口には有料であることを明示し100円を投入する箱も掛けているのですが利用者の皆さんを遠くから見ているとさまざまです。わざわざ「両替お願します」と言ってきちんと入れる人もいれば、当たりを伺うようにウロウロしながらお金を入れずに利用する人、管理人が箱を開ければ「1円玉・5円玉・10円玉」が出てくるそうです。

山の上のトイレの処理は多額の費用がかかり、利用者が100円協力することでその負担が軽減されます。自然を守るために不正な利用はしないでおきましょう。そして子供たちに山のトイレの特徴を教えてあげてほしいです。


[2839] 【2952回 遭難騒ぎ・・・】 2012-08-11 (Sat)

8月2日の富士見平小屋での出来事です。

小屋入口に掛けている温度計は14度を指しています。朝5時ルリビタケの鳴き声で目が覚めました。富士山は半分顔を出しています。水場に顔を洗いに行き帰り道で70歳ぐらいのお婆ちゃんに出会いました。朝の挨拶を交わし「おはようございます。お婆ちゃん一人で登るの?」と声をかけると「ちょっと遅れているけど爺さんも一緒だよ。」お爺ちゃんは水場からコップに水を汲み登ってきました。お爺ちゃんが同行したとしても、かなりの高齢です。手にはストックがわりの倒木を持ち富士見平小屋ですでにヘロヘロ状態です。午前7時と時間は早いですが金峰山に登ると言います。果たしてたどりつくのでしょうか?倒木の杖を見かねた小屋のスタッフがストック2本を貸してあげることにしました。「倒木は捨てずに置いてて下さい。ここでストツクを返した後下山時に使いますから」とお婆ちゃんは笑って金峰山登山口に消えて行きました。午前7時すぎの出来事です。

午後4時になり小屋にいた誰ともなく「もう9時間も経過しているがまだ下山していないなぁ」朝の老夫婦のことが心配になってきました。金峰山から下山してくる人達に様子を聞こうと登山口で待っていると福岡から来たという4〜5人の中年のグループに出会い年齢・服装などを伝え様子を聞くと尾根に出る手前の「砂払いの頭」地点でうずくまっていたので下山を勧めたと情報提供をしてくれました。午後2時ごろの話だそうです。そして「途中で出会った5人組の学生さん達にも下山するように勧めてほしいと頼んだよ」と心強いアドバイスをしてくれた様子です。

5人組の下山も午後5時を過ぎても帰ってこないため、小屋のあるじとジョンは捜索準備にとりかかりました。背負って降りるには日暮れ時になるため、ツエルト・寝袋などビバークの準備を整え、頂上小屋の管理人に電話をし金峰山頂上付近を探してもらうように頼み、午後5時30分避難小屋付近まで捜索に行くことにしました。

しばらくすると教師を含む学生5人組が下山してきました。途中で老夫婦に出会って「富士見平小屋でストックを借りたが今日は下山できないので頂上小屋に泊まると伝えてほしい」と伝言を預かって帰ってきました。捜索に出かけたあるじとジョンも伝言を聞いて安心したのか避難小屋から折り返してきました。

頂上小屋の管理人から2人が見当たらないとの連絡が入り、時間も遅いことから警察へ通報することにしました。この警察の対応がトンチンカンで小屋のあるじの逆鱗に触れ「こっちは老人2名の命がかかってんだよ〜!」思わず電話切ってしまうほどでした。警察も驚いたのか窓口メンバーを変え連絡ををしてこられて詳細を伝え、富士見平側と大弛峠側からと捜索してもらえることになりました。(実際は翌朝から捜索)

遅い夕食を済ませ無事であればいいのだがと祈りつつ朝を迎えました。警察は麓に駐車中の車の持ち主に電話をかけ、年齢等を聞きだし遭難対象者ではないか調査をした模様です。姫の車も調査の対象になっており、警察からの電話を受け家族は大混乱したようでしたが携帯も通じなくて不安な夜を過ごしたようでした。

翌朝、頂上小屋の管理人から「老人を確保」の連絡をもらいました。昨夜の午後9時頃に気になり、もう一度頂上付近を見回りに行くとうずくまっている老人を見つけて小屋に連れ帰り食事を与え「富士見平小屋から来たのか?杖は借り物か?」など尋ねたが「いいえ」と言うばかりで朝食用に用意した食材が夜中に食べ終えられていて、ひょっとして少しボケが来ているかも知れないとの話でした。とにかく無事でよかった〜!(見つかった時の連絡が遅れたのは、この時間、北杜地方一帯は電波障害があったとのラジオ情報あり)

大騒ぎをした老人二人は翌朝富士見平小屋に立ち寄り杖を返し、何事もなかったように下山して行きました。年齢も82歳だということがわかりました。家族の方は今後このようなことの無いように今回の出来事を警察は家族に伝え登山をする場合には家族の付き添いがいることをしっかりと伝授してほしいと思う出来事でした。

「単独行はいかん!高齢者だけの登山もいかん!」


[2838] 【2951回 ただいま〜!】 2012-08-10 (Fri)

「電気もねぇ!テレビもねぇ!」の世界から戻ってきました。太陽が昇れば起きて働き、太陽が沈めば布団に入る生活を10日間もしてきました。携帯電話の充電やカメラのバッテリー充電など最初は不便さを感じないではありませんが慣れると「自然のまま」の生活がとても優雅に思えてなりませんでした。

NHKの「小さな旅」という番組作成の協力と言うことで大阪から出向きました。画面に出るのではなく(ちょこっとは出演しました)小屋番をする管理人さんのサポート役が主たる仕事でした。あるときは登山道の整備、ある時は小屋のテーブル作り、道標作りと自発的に周辺を見回すと仕事が山のように溢れています。管理人さん夫婦だけでは、とてもとても手が回りません。私達の他に小屋のフアン達が都合のつく日に上がって来て、何かと手伝ってくれました。

夜はランプを灯し小屋のあるじの話を聞いたりしながら小屋の食事とは思えない豪華な食事を頂きます。長年避難小屋であった富士見平小屋を「昔のまんまの小屋に戻したい」と言う管理人さんの熱い想いから、小屋の中に放り込まれていた何トンにもなるゴミを拾い、屋根を直し、キッチンに手を入れ「ランプの宿」として生まれ変わりました。

標高1820mの地にあるため食料や水などはすべて管理人さんが歩荷して荷揚げをし、テント泊の登山者にも食事を出すことができます。庭先には管理人マダムが育てた「タマガワホトトギス・ウツボグサ・ツリガネソウ・コオニユリ・カワラナデシコ・クガイ草」等が可憐に咲いています。

そんな花蜜を求めて今の時期は「アサギマダラ」と言う珍しい品種の蝶々が優雅に飛び回っていました。蝶々がこんなにも愛おしいと思ったことはありません。

NHKの取材班はディレクター、カメラマン、照明、音声などのスタッフ5名で30分番組を作成するのに何日もかけて毎日登ってきます。タレントが画面に出るのではなく瑞牆山と金峰山・鷹見岩などの山の良さと、管理人の「おやじ」を軸に奥秩父の山を紹介する番組です。我々は完成された番組しか知りませんが1本の番組を作るのに並々ならぬ努力が必要であることを間近で拝見しました。まったく知らない世界でしたので楽しかったです。

放映は9月2日朝8時から8時25分放送「ちいさな旅」です。ご覧頂き、出かけてみようと思った方は、ぜひ1820m地にある富士見平小屋に宿泊してみて下さい。この小屋をベースにして瑞牆山・金峰山・鷹見岩に登ればロスタイムゼロ!です。帰りには増富温泉の割引券をもらい入浴してはいかがでしょうか。紅葉に間に合います!私達は小屋のあるじの食事目当てで、既に5度も訪れています。(キャハハ)


[2837] 【2950回 夏休みの申請をします】 2012-07-29 (Sun)

夏休みのお知らせ

「またっ〜?」きっとそう言われるかと思います。

7月30日から8月10日まで富士見平小屋をベースにNHKの「小さな旅」と言う番組の撮影協力に出かけてきます。

私のホームページをご覧になったNHKスタッフからの要請につき喜んで承諾しました。何をするのか、何を協力するのか不明ですが、私は未知の世界が好きなので見聞を広めるために行ってきます。

外気温14度から16度、湧水10度の世界に10日間もいると避暑に出掛けているようなものですね。10日以上の滞在なので着替えなどを入れると、60ℓのリュックは16sあります。「一体何が入ってるねん?!」自問自答しながら何度も出してみますが不要な物は何もありません。(60ℓのリュックの風袋がかなり重いとは思いますが)

まるで家出人の荷物の様です。登攀道具・着替え・合羽・救急セット・行動食・ヘルメット・・・・etc.ねっ不要な物はないでしょ?着替えも夏物なので軽くてそんなに負担にはなってないはずなのですが戻ってから何を使わなかったか研究してみたいと思っています。

   ではいってきま〜す


[2836] 【2949回 夏山の危険というニュースを見て】 2012-07-28 (Sat)

「山登り始めましたっ!」夏の危険・・そんなタイトルで午後6時台4チャンネルのニュースで話題となっており興味をそそりました。

つい先日のことだそうです「道に迷いました」と救助の連絡を受けヘリコプターが救助に向かいました。画面は芦屋ロックガーデンやピラーロックあたりを映し出していましたので、あの界隈だったと思いますヘリコプターは上空から遭難者を探しますが、緑一面の木々の中の捜索は容易ではありません。そんな中、白っぽく見える女性を上空から見つけました。へりから「要求の直上に行きます」と連絡を発し旋回しながら遭難者のいる上空へと向かいます。熱画像を使うと人間が白っぽく映るのだそうです。空と陸から20人以上の捜索隊が大がかりな捜索をし通報から43分後、無事救出をされたそうです。

アルプス等の高い山は標識もしっかりしており体力不足等はあっても道迷いは少ないそうなんですが低い山だと、獣道、枝分かれ道が無数にあり道迷いとなります。

登山ブームの夏山の危険は
@熱中症・・・特に中高年は重症化する場合があります。
A汗で水分が蒸発する時、体内の熱も奪い急な雨などで低体温症に陥りやすい。
B装備不良(地図・コンパス不携帯)

山ガールらしき女性にインタビューをしていました。
「登山は初めてですか?」
「は〜い靴買っちゃった〜!」
「今日はどのコース?」
「わからないけど前の人について行けば大丈夫!」
「雨具はお持ちですか?」
「まだ買ってな〜い!」

こんな調子の会話でした。山登りを始めるときは登山用品などが開催している「登山教室」に参加して、予備知識を入れてから山に入ってほしいですね。でも・・・この受講料が結構高いのです。某登山用品店の開催する「ロックガーデンから荒地山」コースなんぞは参加費8000円もかかります。(衣装には金かけるのにね)だから正しい知識も得ず、山ガール&山ボーイスタイルの衣装を整えると何の予備知識もなく山に登るのだと思います。1000円〜2000円くらいの参加費にしてウエアー購入時登山が初めてだと言う人には登山教室を必ず参加してもらうシステムがあればいいですね。

この間も私達が地獄谷からの帰り道のロックガーデン(かたわらにゲートロックの崩壊が見える場所あたり)で登山してきた若い女性に「六甲山の頂上はまだ先ですか?」と尋ねられました。私達が下山時ですから午後2時は過ぎていたと思います。最高峰まではかなり時間がかかることを説明し「風吹岩」までの往復を勧めました。このコースを知る者の義務だと思ってお節介しましたが本当に怖い話です。こんな人のために救助隊の出動はむごすぎませんか?


[2835] 【2948回 函館に里帰りの嫁】 2012-07-27 (Fri)

7月29日から函館のばあちゃんちに行くためにしばらく孫の零ちっちと会えません。里帰りするお嫁ちゃんが、しばらく留守にする報告のためにやってきました。零ちっちにとっては曾爺ちゃんの初盆でもあります。

27日の午後、学校のプール解放が済み、高見の姫宅にやってきました。函館の婆様は学校が夏休みになるこの時期、1年に1度ゆっくりと娘と孫に会えるのです。どんなに待ちわびているのでしょうか。近くに住んでいると「いつでも会える」と思えば頻繁に足をはこぶでなく(そりゃそうや〜姫婆は山ばかり出かけてる〜)「夏休みにしか会えない」と、遠く離れた北海道で待つ婆様の気持ちを思うと申し訳ない気持ちになります。「きっと首を長くして待ってるね」と言うと零ちっちが「人間の首はこれ以上は伸びないよ」だって〜!

8月の中旬にパパがフェリーを使い車で函館まで迎えに行くのだそうです。これもまた大変!。息子一家の毎年の夏の大イベントなんです。冬休みは短くてその上、寒すぎるため迎える側も、函館の半端じゃない寒さを考えると里帰りの話は出ない様です。

私の子供の頃、夏休みになると伯母の家に長期間滞在していました。四万十川の沈下橋の上から飛び込んだり(いま思うとゾッとします)魚を捕ったり楽しかったです。伯母の手伝いもしなくてはと思い味噌汁に使うネギを畑に取りに行きました。お手伝いしたいと言う心はよかったのですが畑のネギ全部(ひと畝全部)引きぬき「お前は馬鹿か!」と伯母に怒鳴られました。叱られたのでまた畑に戻しに行ったのですが・・・・枯れるよね。それでも毎年、その叔母の家が好きで、私の避暑地みたいに通ったものでした。

子供の頃の楽しい夏休みの思い出は、大きくなって思い返しても楽しいものです。姪っ子たちと毎年キャンプに行っていたのですが義兄が他界してからは途絶えてしまいました。人の孫にあんなによく尽くしたのだから(ハハハ自己満足やね)自分の孫たちにも夏休みの思い出を作りたいと北海道から戻る日をまって電車に乗り、どこかに連れて行こうと計画をしています。プランは二人の嫁に一任です。爺は留守番、平日利用でパパ達は仕事があるためお留守番、婆と嫁と子供たちで出かける予定です。どこがいいかしら〜ね。


[2834] 【2947回 交通安全の研修会に参加しました】 2012-07-27 (Fri)

26日の午後此花区の梅香殿(此花会館)に於いて「地域交通安全推進委員」の研修が実施されました。各方面から推進委員さん達が集まり会場は500人ほどで埋め尽くされました(高齢の委員さんも多く75歳定年制は必要だなぁ〜)会場で知らない人から多く声をかけられて、「ん?」と不思議に思っていましたら教育技能コンクールで優勝した事で顔を覚えられており、迫りくる今年の対策にどのような事をすればよいかを聞かれました。大会は11月なのですが他の署は大会にむけてもうすでに気合いが入っている様子でした。

講話は「交通安全現場における救急活動」というテーマで此花消防署の救急隊の隊長が講師として交通事故現場での実際の救出活動の話をして下さいました。いつもはコックリ病が出るのですが興味のある内容なのかみんな真剣に聞き入っていました。もっともコックリ病に陥るには冷房の効き過ぎで寒くて居眠りどころではなかった様です。

事故が発生し野次馬が負傷者を取り巻いていても誰も手を差し伸べてはいない。救急車が到着するまで負傷者の声(首が痛い、腕が痛い、頭が痛いetc.)を聞いてほしいと訴えておられました。

●高エネルギー事故(事故で身体に大きな力がかかり意識も大きく壊れ表面よりも内面に損傷がある)の場合の危険性について下記のとおりです。
@自動車から放りだされた場合
A同乗者が死亡している車内に同乗している場合
B救出に20分以上かかっている場合
C車で毎時8q(徐行程度)内ではねられたとき
D毎時32qで衝突した場合
E事故現場から離れて負傷者が倒れている場合・・・もっとも危険だそうです。

●救急車を呼ぶとき、大事なのは負傷者が何人なのかハッキリ伝えて欲しいそうです。救急車に収容される人数には制限があり、人数をきちんと伝えておけば出動時に人数に応じて応援の救急車が出動できるが、現場に到着してから人数が多くて現場から救急車を要請する場合もあり救出時間が遅れるのだそうです(なるほど)

●救急車の要請をして到着する救急車を待つ場合、角々に人を立てて救急車の誘導をしてほしいとも話しておられました(それはしている)

●考えられない事実なのですが「緊急車両が通過しますっ!。」交差点等でマイクで協力をお願いしても、歩行者は道を譲ってくれない。救急車の中にいる隊員と目が合えば当然歩行者が優先だという顔で横断歩道を渡っている人が多いそうです(信じられない)

●また救急車だけで通過する時とパトカーの先導があるときでは市民の対応が全然違うと驚いておられました。パトカー先導時は雲の子を散らす如く道を明けて市民は協力するのだそうです。(信じられない)

警察署からのお話は「高齢者の免許証自主返納」について各方面で広報活動をしてほしいとのことでした。高齢ドライバーによる交通事故は10年前にの約1.5倍増加しているそうです。運転中にヒヤリとすることが多いと感じたり、家族から運転を心配されている方は自主返納を考えて欲しいとのことでした。

免許証を返納すれば運転免許試験場や警察署で「運転経歴証明書」を発行してくれます。
@公的な身分証明賞として生涯使えます
A申請が可能な期間は運転免許証の返納後5年以内で交付手数料として1000円が必要です
B住所や氏名が変わった時は、法令により届出が義務付けられており、変更事項は備考欄に記載されます。
C紛失や破損したときは再交付の申請ができます(有料)

返納をすれば協力企業でさまざまな特典が受けられます
@高島屋の自宅への無料配送
Aビジョンネガネ、メガネの三城の割引
Bアシックスの割引
Cスズキ自販 電動車いすの購入時の割引

などなどまだ特典も多く協力企業が沢山ありますので「大阪府交通安全対策協議会のホームページ」をご覧いただくとグルメ、レジャー施設など自主返納の特典が沢山あります。


[2833] 【2946回 夏山シーズン到来】 2012-07-25 (Wed)

暑いです!アルプスの山々は涼しくて快適な登山が楽しめるのではないかと遥か彼方を眺めています。
私達も8月23日から25日までの予定で、唐松岳頂上山荘〜不帰ノ嶮〜天狗ノ頭〜天狗山荘〜天狗平〜白馬鑓ケ岳〜杓子岳〜村営宿舎〜白馬山荘〜白馬岳〜小蓮華岳〜白馬大池山荘〜〜乗鞍岳〜天狗原〜栂池平〜栂池高原を予定しています。

体力トレーニングもそうですが荷物の軽減の工夫、着替えの工夫、行動食の工夫など参加者が話し合う機会を持ち全員が快適な山行ができるように練習を重ねてきました。あとは個人でトレーニングを積み重ねて頂き本番に備えます。
 
しかし山の事故は連続で起きています。7月19日北アルプスの薬師沢小屋から高天原山荘に向かう登山道周辺で、登山者の男性が行方不明になったと山小屋の関係者から警察に連絡があったそうです。神戸の74歳の男性で単独行らしいです。この男性・・いやいや、この高齢者は、18日に折立から入山したそうです。19日には太郎平小屋を出発したあと、薬師沢小屋を経由して高天原山荘に向かったものの、夜になっても到着していないということです。私達もこのコース歩いていますがかなり長い距離で所要時間8時間は有にかかります。運よく23日に捜索中のヘリが高齢者を見つけ救助されました。「19日の午後に迷った」と言っており、脱水症状を起こして衰弱してはいますが命に別状はないそうです。最初の2日間は弁当やパンを食べていたが21日、22日は何も食べていなかったそうです。

山小屋を予約する時必ず「どちらから来てどちらに行くか?」聞かれます。予約者が到着しなかった場合は、前日に利用した小屋に連絡を入れて確認をとり遭難対策を素早くしてくれるのです。今回の事故は74歳という高齢にもかかわらず「単独行」であるということが一番の問題だと解説をしています。そして非常食の装備にも問題がありそうです。家族も74歳という高齢であれば単独行を止めるべきだと思います。過去の栄光や実績は年齢とともに退化していることを自らが知らなければなりません。今回のように大勢の人に迷惑をかける結果になるのですから・・・・!

今テレビドラマで「サマーレスキュー」という番組が話題になっています。所詮ドラマですから参考にならないと思う人もいるかもしれませんが、私達山登りをするものにとって、たとえドラマであっても興味が湧き「なるほどなぁ」と思う場面や「そんなわけないやろ〜」と言う場面が幾度となく出てきます。ドラマを見ながらイメージトレーニングができて楽しいですね。 


[2832] 【2945回 山の雨量は半端じゃないね】 2012-07-23 (Mon)

21日午後3時ごろ芦屋の滝の茶屋で遭った雨は帰る途中も坂道が小川の如く、途中のマンホールは濁流の様でした。その雨を受けて22日の地獄谷の広場は水が溜まり降りることができませんでした。岩稜帯のため山肌にしみこまず表面を川の如く流れるからだと思います。仕方がないので斜面を利用しながら滑らぬようにやっとのことでスタート地点に降りることができました。24歳の若者2人を連れて地獄谷からǍ懸岩にクライミング体験の日でしたので、初めての2人はさぞおっかなびっくりだったことと思います。

22日の地獄谷は入り口が水で浸かっているにもかかわらず人が多く、かと言って右側の水の中を進む勇気(単純に濡れるのが嫌?)もなく崩壊したゲートロックの岩場を歩いて奥に進んでいました。見ているだけでハラハラドキドキでした。ヘルメット、ロープ、ギヤー類を着けていたのは我々だけで、初めて地獄谷を通過する人達には儀式のようにロープを使用しています。24歳の若者は大変礼儀正しく山の事を知りたいと言う姿勢がうかがえたためジョンが「一般登山とは何か」からスタートし、安全登山のためのクライミングの必要性を説き丁寧に指導していました。

若者達はクライミングのセンスも良く私達が何年もかかって得た技術を素早く習得して、最後には懸垂下降が楽しいと感想を述べてくれていました。地獄谷は死亡事故こそあまり耳にしませんが骨折などの怪我人が多いと聞いています。最近こんなに利用者が多くなったのは雑誌か何かで取り上げられたのでしょうか、それとも夏には涼しくて気持ちのよいコースだからでしょうか、とても不思議です。

下から見上げるǍ懸岩と実際登攀してみたǍ懸岩とでは違いがあるらしく最初は少し恐怖感があった様子ですがロアダウン、クライムダウンを繰り返しているうちに上達し懸垂下降も2本も成し遂げました。体験でここまでできるのはセンスの良さと若さでしょうね。老体の指導者は荷物の重さも手伝ってヘロヘロ〜クタクタ〜膝が悲鳴をあげる始末です。

クライミングを体験された皆様も時々エイト結び練習していますか?私達の年代になると物忘れがひどくなり繰り返しトレーニングをしていないと、いざと言う時に「アレッ?」と言うことになります。クライミングはアルプス等を通過するときの大事な歩行技術だと思っています。せっかく習ったんですから時々ロープの端キレを使ってエイト結びの練習をしててくださいね。よろしく!


[2831] 【2944回 過密スケジュール】 2012-07-22 (Sun)

★18・19・20日と金峰山&瑞牆山(ヒマ・トレ軍団)
★21日は夏山トレーニング(やまたびの仲間たち)
★22日はクライミング体験講座(Kazuくんの同僚)
と過密スケジュールでヘルメットが乾く間もないほどに走り回っています。23日からの1週間は多分・・・レポート作成に費やしてしまうと思っています。そして・・・30日からは日程未定のままNHKの番組「小さな旅」の収録のために再び、三度、四度・・・金峰山&瑞牆山へ行ってきます。

元気だからこそ過密スケジュールがこなせるんだと喜んでいますが膝が少し悲鳴をあげつつあります。トレーニングのしすぎかもしれません(何でもほどほどですね)本番で故障をしてしまえば後の祭りですので少し膝をいたわってあげようと思います。

レポートが追いつきませ〜ん!。「アップが早いね」これが私のモットーでしたが過密スケジュールで頭の中がゴチャゴチャ〜。クライミングの体験が終われば頑張ります。もう少し待ってて下さいね。

21日の夏山トレーニングにトラ吉衛門さんのダーリンが参加してくれました。地獄谷は入り口までは体験していたらしく、本格的に入るのは初めてとあって私達の最初と同じく、おっかなびっくりでした。雨の後で増水しており、岩も濡れて滑りやすく、足、手と慎重に置きながら緊張の連続の様子が見ていてよくわかります。

そんな横をすり抜けるように若者達が10人ばかり通過していきました。足元はスニーカー、リュックはアンバランスな下に大きく膨らんだ街歩き用の物です。何度も、何人もズルッと滑り先を譲った私達はハラハラドキドキしながら大事に至らなかったことにホッとしています。リーダーらしき人だけまともな出で立ちでしたがせめて登山靴は履いておかなければいけませんよね。「あのリュックの中には雨具は入ってないなぁ」と思ったりしました。下山後、私達が堰堤で荷詰めの講習を終え、滝の茶屋でかき氷やビールを飲んでいると突然の大雨・・・きっと彼達はずぶ濡れになって困っているだろうと思いつつも「山をなめたらあかんよ!」と叫びたくなる思いでした。


[2830] 【2943回 蝉の声が騒がしく】 2012-07-17 (Tue)

公園のわずかな木立の中から蝉の声が聞こえ始めました。梅雨明け宣言もまもなくでしうか。いよいよ夏山シーズンの到来です。浅間山などのレポート作成に「海の日」を、終日かけて没頭しました。振り返りながら、ああでもない、こうでもないと言いながらやっと作成いたしました。写真も沢山撮りましたので振り返りながら、なかなか進みませんでしたがお出かけ前に完成してよかったです。

明日から三度の訪れで「ヒマ・トレ軍団」の意思統一のため、金峰山&瑞牆山に行ってきます。

テント泊のため、私が食料担当となりました。四貫島にある精肉店が毎日午後5時から大安売りをするためバイクでひとっ走りして並びました。いつも列の後ろに並ぶと「売り切れ」が発生するのですが今日は列の1番!(でも・・・ちょっと恥ずかしかったです)

おかげで850円の肉が550円になるのです。「1s下さいっ!山に持っていくので切れ目入れて〜」と言うと「忙しいから堪忍して〜」と断られました。(あかんでもともとやけど・・)

そんなわけで18日から20日までお留守をします。同じ山に3回も登るってよっぽど素敵な山なんですね。では行ってきますね。


[2829] 【2942回 暑いよ〜っ】 2012-07-16 (Mon)

外気温14度の山から下りて戻ってみると息苦しい・・・心臓でも悪くなったのかと思っていましたら何と30度を超えているのです。暖房のままだった空調機をあわてて冷房に切り替え試運転をしました。節電はわかっちゃいるけど・・・もうっクーラーをつけなきゃ寝られないです。

加齢にともない、だんだん冷房がつらくなりました。できれば冷房なしで暮らして行きたいとも思うようになりました。会社勤めの頃は、冷房に対応できる服装をしていましたのでそうつらくなかったのですがいまは冷房している施設に入るのが怖いです。スーパーに入った瞬間は涼しくて気持ちがいいのですが買い物をしている間に身体が痛いほど冷えてしまいます。商品の鮮度を保つためには仕方ない処置かもしれませんが人間様はつらいです。

登山中、山の中で時折吹いてくる天使のような風は冷房に頼っている生活を一時、忘れさせてくれます。帽子を持ち上げ気持ちの良い風を身体いっぱいに受けると心が癒されます。下山して鼻の頭を触ってみると塩が噴き出ています。キューリもみに使えそうなくらい大量の塩・・・塩分の補給をしておかないとと思ったりします。

みなさん熱中症対策は万全ですか?水分をたっぷり、摂りながら時々塩分補給をしながら、倒れないようにして下さいね。歩いていて頭がクラッときたら要注意です。風通しの良い日陰を探して、締め付けている衣類を緩め水分補給をして体力の回復を待ってください。「がまん」は死を迎えることもあります。

寒い時は熱い方が好きといい、熱くなると寒い方が良いと言う、勝手だけど本音だもんね。家の中にいても熱中症にかかる危険性があります。風通しをよくして、アイスノンなども工夫しながら始まったばかりの猛暑対策をして下さいね。

      涼しい山に逃げたいね〜


[2828] 【2941回 日本百名山4座】 2012-07-14 (Sat)

1泊3000円と言う安さと地の利の良いことから、鹿教湯温泉を基準にして日本百名山の「浅間山」・「四阿山と根子岳」・「本白根山」・「伊吹山」を駆け巡り、たいした雨に遭うこともなく無事「百名山4座」登ってきました。

最初の目的はジョンの「腰痛治療」でした。しかし湯治とは名ばかりで、宿でのんびり、ゆっくりとした日は1日もありませんでした。毎日大きなリュックを背負って朝も早ようからフロントに鍵を預けに行くとスタッフが、けげんそうな顔で「お気をつけて・・・?」この人達は湯治客ではないのかと不思議に思ったと思います。宿泊費3000円で共同炊事場も完備されており食器や箸、鍋、調味料も完備です。今回はタジン鍋を持ち込み共同炊事場で調理完成さして部屋食と洒落こみました。ビールは廊下の自動販売機、湯上りには牛乳、退屈してもしなくても卓球は毎日の食事前の日課でアッというまの4泊5日でした。(登山レポートは別途作成いたします)

今回、驚いたのは乾燥機付きの洗濯機の所要時間が3時間も4時間もかかったことでした。着替えは充分に持って行ってはいましたが何せ汗をかいた衣類からは異臭を放ち45ℓのごみ袋を因幡の白ウサギ状態に肩にかつぎランドリー室に行きました。結構おおきな洗濯機でしたのでドサッと一度に入れてスイッチをいれましたが「ウンともスンとも」動きません。隣の洗濯機に目をやるとグルグルと快適に回っています。「ひょっとして入れすぎてないか?」そう気が付き2回にわけて洗濯しました。しかし何度見に来ても、なかなか終了する様子はありません。スタッフに聞きに行くと「だいたい3時間から4時間かかります」とのことで使用可能時間の24時を過ぎてしまうため生乾き状態で部屋に持ち帰りました。

ここからは得意のロープ張りがはじまりました。張り巡らしたロープに洗濯物を掛けて行きます。一応女性である私の物は目立たぬように隅に干して・・・翌朝もういちどこれらの洗濯物を乾燥させに行きました。おかげで戻ってからの洗濯の手間が省けましたが、次回から乾燥機付き洗濯機は時間がかかることを念頭にいれておかなければいけないことを学習しました。

お布団は自分たちで敷くためすべて「ジャンケン」で決めました。ビールを買いに行くのも、空き瓶を捨てに行くのもすべてジャンケンてす。共同生活は参加者全員が価値観を共有できればこんな愉快な旅はありません。未知の世界であってもナビが登山口まで正確に案内をしてくれます。助手席で老眼鏡をかけ、道路地図を広げていたことを思うと、いまは本当に楽に未知の世界に飛び出していくことができます。

レポートと写真は追々にアップします。乞うご期待ください!


[2827] 【2940回 「なつトレ」のレポートアップと夏休みのお知らせ】 2012-07-08 (Sun)

@7月7日の夏山トレーニングとしての有馬越えのレポートをアップしました。表紙の「夏山トレーニング@」をご覧いただくか、山行記録2012をクリックして頂き「夏山トレーニング@」をご覧ください。

A「一足先に夏休み」のお知らせ
7月9日から14日まで(予備日15日と16日)鹿教湯温泉に湯治に行ってきます。目的は湯治なのですが、鹿教湯温泉を基準にして「浅間山」「四阿山」「本白根山」など百名山を消化すべくテント、鍋、釜、米穀通帳(笑)も乗せて自由な旅をしてきます。
Fitが長距離を走るのは初めて〜!(今までせいぜい名塩まで・・・)

  ★〜では行ってきます〜★


[2826] 【2939回 見ました雪彦山のテレビ番組】 2012-07-08 (Sun)

2009年5月、雪彦山地蔵岳「東陵ノーマルルート」登攀の際、忘れもしない最終ピッチで「あわや!」の体験をした雪彦山クライミング・・・夢にも出てきそうです。

「NHKで★えぇトコ姫路の名峰夏山に登ろう!雪彦山迫る絶壁!絶叫の鎖場ロッククライミングも関西おすすめ情報★が放映されるよ」と山のお友達がメールで教えてくれました。見逃してはなるものかと録画をし、そして同時鑑賞しました。大八木さんと言うラガーマンのおじさんと女子アナウンサーとガイドで雪彦山登山をしながら見どころを紹介していく番組でした。私達も企画したことがありましたが悪天候で断念したことがあり、行ったつもりで楽しく鑑賞することができました。

しかし番組の中で少し気になる個所もありました。まず出演者3人とも帽子をかぶっていないことに驚きました。登山中の頭の怪我を防止するために帽子はかぶってほしいですね。(シャレ?)撮影のために大勢の地元の山岳会の方達がサポートをして下さるのですが岩場にロープを垂らし、登山者は自分の「手」だけで登ったり降りたりしていました。私達はあのような場面ではスワミベルトとシュリンゲ・カラビナ等で安全確保をすると教わりました。テレビ見てて「こわい〜よっ!」の場面が何回も出て来ました。私達は「フィックスロープは信用するな。ロープに全体重をゆだねず手で岩を持て!」と教わりました。「これくらい大丈夫!」が滑落事故のもとですね。コースはとても良さそうで訪れてみたくなりました。それに下山後の温泉と酒蔵見物〜。いいねっ!

雪彦山は「ヒル」の多いところでまずヒルに悩まされ、7ピッチもある岩場に悩まされ四苦八苦した思い出があります。あれから3年経っていますが上手くなっているのか、それとも加齢により下手になっているのかもう一度訪れてみないとわかりませんが何せスタートからゴールまでの距離が長いです。私達はこの時60mロープを使うことから1Pと2Pを同時に通過してしまうので全7ピッチで終了点となります。たしかこの時「北岳バットレスのトレーニング」という事だったと思いますが、今までに見た事のない巨岩を下から見上げて「北岳バットレス・・・行かれへんかも知れんなぁ」とヒビッた覚えがあります。

その時の古いレポートを出してみました。ご覧いただけるとうれしいです。岩場で出会ったОN薬品のクライマーの素晴らしい登攀姿が写真から伺えます。

http://www.hime8kin.net/yamatabi/sankokiroku/090531seppiko.html


[2825] 【2938回 七夕は雨・・・】 2012-07-07 (Sat)

「たなばたさま」

♪♪ささの葉さらさら  のきばにゆれる
  お星さまきらきら  きんぎん砂子(すなご)

♪♪五しきのたんざく  わたしがかいた
  お星さまきらきら  空からみてる

七夕は「たなばた」または「しちせき」とも読み、古くから行われている日本のお祭り行事で、一年間の重要な節句をあらわす五節句(人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日) )のひとつにも数えられています。毎年7月7日の夜に、願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣が今も残ります。みなさんも子供のころ、たくさんの短冊をつるしておりひめとひこぼしにお願いごとをしたのではないでしょうか?では七夕はいったいいつから、どのようにして始まったのでしょうか?その起源には数多く説がありますが、

(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)おりひめとひこぼしの伝説
(3)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」

という行事があわさったものと言われています。

「棚機(たなばた)」とは古い日本の禊ぎ(みそぎ)行事で、乙女が着物を織って棚にそなえ、神さまを迎えて秋の豊作を祈ったり人々のけがれをはらうというものでした。選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、川などの清い水辺にある機屋(はたや)にこもって神さまのために心をこめて着物を織ります。そのときに使われたのが「棚機」(たなばた)という織り機です。琴座のベガと呼ばれる織女星は裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星と考えられていました。この二つの星は旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いているように見えることから、中国でこの日を一年一度のめぐりあいの日と考え、七夕のストーリーが生まれたと言われています。

此花区の子供たちは幼稚園や学校で自分たちの願い事を書いて大きな笹に飾り商店街に飾っています。いまどきの子供たちの願い事は何か見て回るのも楽しいですね。我が家の孫たちは何を願ってるのでしょうか。在職中はこの時期になると兵庫県氷上町の工場から大きな笹(というより竹)を取り寄せ、社員に願い事を書いてもらい掲示したことがありました。笹を提供してくれる社員が定年退職したことから笹飾りは中止にしましたが「健康でありますように」「給料あげてほしい」「結婚したい」「家が欲しい」など短冊にはさまざまな願い事が書かれていたものです。

子供のころ、旧暦の七夕は庭先に大きな笹というより2本の竹を真ん中を縄で結びナスビやトウモロコシなどを吊るし豊作を祝ったものです。七夕に作る母のきな粉餅(ばんぼ)は絶品でした。


[2824] 【2937回 7月5日は社会を明るくする運動】 2012-07-06 (Fri)

7月5日は「社会を明るくする運動」に参加してきました。現在の此花区長と8月1日から着任される話題の区長も出席し、テレビ局までお出ましし、小雨の降る中を通行中の方々にティッシュと趣旨説明のポスターを受け取っていただきました。

「社会を明るくする運動」とは、犯罪をなくして社会を明るくするために、すべての日本国民が犯罪の防止と犯罪者の矯正および更生保護についての正しい理解を深め、すすんでこれらの活動に協力するように全国民によびかける啓発活動。「社明運動」とも呼ばれています。7月は強化月間として街頭キャンペーンを行いひとりでも多くの方に「参加」して頂くようにお願いをしました。


■“社会を明るくする運動”〜犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ〜って?
すべての国民が、犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪のない地域社会を築こうとする全国的な運動で、今年で62回目を迎えます。

■地域のチカラが犯罪や非行を防ぐ
テレビや新聞では、毎日のように事件のニュースが報道されています。安全で安心な暮らしはすべての人の望みです。犯罪や非行をなくすためには、どうすればよいのでしょうか。取り締まりを強化して、あやまちを犯した人を処罰することも必要なことです。しかし、立ち直ろうと決意した人を社会で受け入れていくことや、犯罪や非行をする人を生み出さない家庭や地域づくりをすることもまた、とても大切なことなのです。

■“社会を明るくする運動”に、みんなの参加を
犯罪や非行をなくす。あやまちからの立ち直りを支えていける地域をつくる。そのためには、一部の人たちだけでなく、地域のすべての人たちがそれぞれの立場で関わっていく必要があります。“社会を明るくする運動”は、今年で62回目を迎える全国的な運動です。犯罪や非行のない地域をつくるために、一人ひとりが考え、参加するきっかけをつくることを目指しています。

■みんなで考え、参加してください
“社会を明るくする運動”では、街頭広報、ポスターの掲出、新聞やテレビ等の広報活動に加えて、だれでも参加できるさまざまな催しを行っています。イベントに参加したり、このホームページを見たことなどをきっかけにして、どうして犯罪や非行が起きてしまうのか、安全で安心な暮らしをかなえるために、今、何が求められているのか、そして、自分には何ができるのかを、みなさんで考えてみませんか。


[2823] 【2936回 併せて220歳5550bの雄姿】 2012-07-04 (Wed)

2012年の3月14日から4月19日の25日間を「77歳、73歳、70歳・合わせて220歳!」の男性3人でヒマラヤ「ナガルチャン・チュクンリー・エベレストBC・カラパタール・ゴーキョ」など5500b級の世界を歩いてきたという快挙を成し遂げ武庫之荘に住む「77歳・新ちゃん」のおうちで反省会があるという事で色々話を聞きに、ついでにスライドショーも見せてもらおうと言うことで「ヒマ・トレ軍団」が揃ってお邪魔することにしました。外は土砂降りの雨で、出鼻をくじかれた格好になりましたが「雨が降ったとて溶けはすまい」と武庫之荘駅から20分ほど雨に打たれて「77歳・新ちゃん」のおうちに到着しました。時間は午後の2時前でしたが遅い昼食ということでビールあり、ワインあり、焼酎ありと呑み助のパーティであることが証明されました。挨拶もそこそこにビールで乾杯し、和やかに食事会のスタートです。「本当にみなさん220歳ですか?」と尋ねたくなるほど元気溌剌で艶もよく5550bを制覇できるはずだと感心したりした次第です。気持ちを若く持つと言うことは実年齢をストップさせることのできると言うこともわかりました。

ほどよく酔いが回ったところで「ではヒマラヤの反省会にしましょう」と言うと「反省することは何もないっ!素晴らしかったの一言に尽きるっ!」と「77歳・新ちゃん」が豪快に笑います。写真を見せていただいても、紀行文を見せて頂いてもヒマラヤの素晴らしさが伝わってきます。「一番つらかったことは?、一番困ったことは?着替えは何枚?換金はいくら?」矢継ぎ早に質問を浴びさせてしまいましたが淡々とわかりやすく説明をしていただき参考になりました。ヤク(牛科で標高4,000-6,000メートルにある草原、ツンドラ、岩場などに生息する)の糞が道路狭しと落ちているので慣れるしかない、トイレに紙はない等、行った者しかわからない細かな情報を得てとても参考になりました。それにしても77歳、73歳、70歳トリオでよくぞまぁヒマラヤを目指したものだと驚くばかりです。


[2822] 【2935回 「ヒマ・トレ軍団」の打ち合わせ】 2012-07-03 (Tue)

6月18日の大岩岳登山の帰りに「ヒマ・トレ軍団」の結成式を済ませたのですが、もう一人軍団に加盟したいと言う方がおられて神戸にある某山岳会の事務所に集合し顔合わせと打ち合わせをしました。打ち合わせはベテランばかりなので専門用語が飛び交い、必死にメモに取り、帰ってから辞書をひく有様でしたが中身の濃い打ち合わせが出来たと喜んでいます。目的を同じくした場合、足並みも揃わなければ登山中の事故に繋がります。お互いが相手の懐を探り合いお互いが理解できたと喜んでいます。午後8時に打ち合わせを終え高速神戸駅の近くの居酒屋さんに吸い込まれるようにして入って行きました。店にとって馴染みの客らしくテーブルの上には空の焼酎のボトルが出ていました。「今日は新しいボトルをおろしてくださいよ」暗黙のお店側のアピールの様です。(笑)とにかく安いことが評判の店らしく、山岳会の常連の店らしく居心地の良い店づくりでした。

今回「ヒマ・トレ軍団」に加盟されたのは島田さんと言う某山岳会のベテランの方で姫が早速ニックネームを付けました。「ブンブンさん」!中村美津子さんが歌う「島田のブンブン」から命名しました。

♪♪
夜のとばりが パラリと降りりゃ 祭りごころが 騒ぎだす
今日は祇園か 先斗町 三味に太鼓に 鳴物ばやし
ぬる燗ふくんで ひと節は 誰が呼んだか 島田のブンブン
今夜もちょいと ご機嫌さん 誰が名付けた 島田のブンブン
ずいぶん いい気分♪♪♪

このブンブンさんが凄い経験をされた方で、みなさんもまだ記憶に新しいと思いますが今年の5月5日に爺ケ岳山頂で低体温症で凍死した女性の発見者だったそうです。グループが所持しておられた無線で警察に連絡し、ヘリによる吊り上げ作業に立ち会い、下山後は大町警察に事情説明に行ったこと等を詳しく聞くことができました。

遭難者が生存していたら何とか助け出せたかも知れないことを非常に残念がっておられました。単独登山であること、装備の問題などを教訓に気象遭難(春山は冬山と同じくらい危険であることの自覚)ではなかったかと分析しておられました。そしてアマチュア無線の携行の重要性も再認識しなければならないと熱く語って下さいました。何よりも扇沢登山口から五竜山荘までの計画も無茶だし、登山口の山岳協力隊にもう少し多大なる権限を与え、装備不十分であれば「入山禁止」などの強い処置がいるのではないでしょうか。

山岳協力隊の方が「その計画は無茶だ。冷池山荘往復にコース変更をしなさい」とアドバイスをしていたのですが、その冷池山荘までをもたどり着けず、途中で遭難者が冷池山荘に電話をして「道がわからない。下山する」と通信していたことも判明しました。

「春山で遊ぼう!」「気楽に行ける春山!」などの安易なポスターにも問題があります。登山用品店で「これらの装備を揃えて富士山に行こう」と言うキャッチコピーをみたことがありますが安易に誰でも行けるような気にさせてしまう「売らんかな商戦」にも問題があるように思えてなりません。登山を始めるときは、しかるべく登山教室へ通い正しい知識を身に着けて欲しいと思っています。


[2821] 【2934回 梅雨空に振り回されて】 2012-07-02 (Mon)

新たな気持ちで迎えた7月1日・・・この日は体験クライミングを予定していましたが朝起きてみると、天気予報通りに雨が降っていました。受講生の方に中止の連絡を入れリュックの荷物を解きました。前夜から降り続いている雨のため、たとえ朝に止んでいても危険な状態だったのです。代替え日を提案し返事をもらうことにしています。

昼前も昼過ぎも急に強く雨が降り、出かけている人達にとっては難儀な雨ではないでしょうか。山に出かけていた人達は終日、合羽が手放せなかったことでしょう。しかし農作物にとっては恵みの雨となったはずです。軒先に咲く紫陽花の花も雨を得て色鮮やかに美しく咲いていました。どの家の紫陽花も今が見頃です。

今日の昼前に「姫のおうち」のホームページを見た某テレビ局から電話がかかり、登山を始めたきっかけ、山についての取材をうけました。突然の事にびっくりしましたが「中高年の安全登山」について話をさせていただきました。撮影時には、登山者の一人として画面に参加するかも知れません。その時はまたここで賑やかにお話できると思います。(いまのところ未定事項)

このところ70歳ぐらいの芸能人の訃報がよく耳に入ってきます。ポチが67歳、私が64歳と、間もなくやってくる70歳に他人事とは思えません。毎日を悔いのない生き方をしなくてはと思っています。私の姉は70歳で一人暮らし。引っ越しの手伝いに行くといつも葬式の出し方についてよく語るようになりました。「娘や息子はあてにならんし・・・みっちゃんだけが頼りや〜」

みんな「旅立ち」が気になっているのですね。病気だとこんな話もできませんが、いま元気だからこそ自分の希望を話しておけるのかもしれません。私の骨の一部は槍の穂先から北鎌尾根に向かって舞散らしてほしいです・・・・


[2820] 【2933回 登山靴を買う前に知っておきたい事】 2012-07-01 (Sun)

過日「SERIO」の登山靴を買いました。外出時には面倒でも登山靴を履いて慣らし履きをしていますが大丈夫の様で「これが最後の登山靴」と決めました(笑・・またすぐ気が変わると思いますが)登山靴の手入れって知っていそうで知らないことも多いです。

まず欲しい靴が見つかったら
1.登山用ソックスをはいた状態で試し履きをする。(店にソックスありますが誰が履いたのかわからんし〜自分の靴下履いて行きましょう)

2.紐を緩めた状態で、靴の内側先端につま先が触れるまで足を入れます。

3.つま先が内側先端に触れている状態で、かかとに指1本分のゆとりがあるか確認します。

4.つま先が先端に触れた状態から、かかと寄りに足を移動させてください。

5.店内を歩いたり、斜面台を登り下りして、履き心地をお確かめ下さい。

とまぁこれらは店側の説明を聞いてまとめたものです。高い金を支払って自分の靴になったら、履く前に充分な防水スプレーを吹き付けます。そして使用した後の手入れ方法です。

@登山に出かけて帰ったら外側についた泥をブラシや布で拭き取ります。(タワシなどでゴシゴシこすらない)

A靴からインソール(中敷き)を外し 風通しの良いところで陰干ししましょう。(私は洗います)

B布製の靴には撥水スプレー。 革製の靴には皮革専用のスプレーやクリームで防水処理をする。

C型崩れを防ぐため、靴の中に新聞紙を詰め、靴紐は一番上まで締めておく。

Dゲタ箱に入れず、通気の良いところで保管する。( 直射日光が当たらない場所で保管)

大切な物は大切に扱えば期待通りになるものです。


[2819] 【2932回 建て替えによる引越し】 2012-06-30 (Sat)

昭和40年代に建てられた5階建ての府営住宅が老朽化のため立て直されることになりました。その昔「一部屋運動」と称して住民運動の成果を得て増築をし、風呂と一部屋が増えて喜んだのもつかの間、今度は外側が老朽化してしまったのです。一部屋が増えて喜ぶ人、そのために家賃が増額してぼやく人と共同住宅はさまざまな問題を抱えて40数年の歴史に幕を下ろすことになりました。

私の姉は70歳で一人暮らしです。引っ越し荷物の整理をしながらやがやってくる「最期」に向けて不要な物を捨て、整頓した箱にはインデックスを付け娘たちが戸惑わないように整理をして行きます。なかなか捨てきれないようで私が「いらん、いらん」と背中を押します。「まだ使えるかも・・」は「もう使わない」に等しいのです。

義兄の遺影も下ろし、新居にはイの一番に神棚と遺影を運ぶように頼んで帰ってきました。団地には現在たった2軒しか住民はおらず、他の皆さんは与えられた建て替え住宅に順番に入居しているみたいです。この際息子達と同居する方もいるし、新天地を求めて引っ越しをする人と、さまざまの様子でした。府営住宅への入居希望者が多い中、入居したい人には、なかなか順番が回ってこずなのに、既に住んでいる人達は当たり前の権利だと思っているのがはがゆいです。此花区でも府営住宅、市営住宅が次々に建て替えのため壊されて高層住宅に生まれ変わっています。その中で母子家庭の枠はわずかしかなく、本当に必要としている人達の枠をもっともっと広げて欲しいと思う今日この頃です。

私が青春を過ごした古い古い実家の住宅は廃墟となり、まもなく取り壊されてしまいます。義兄との思いでも詰まっていて何かさびしい気持ちになりました。


[2818] 【2931回 体験クライミング】 2012-06-29 (Fri)

「Kazuくん」が2ケ月の東京研修で現在講習が中断しています。「Kazuくん」の同僚でぜひクライミングを体験したいと言う若者が2人名乗り出てくれて、日曜日にǍ懸岩にてクライミングを体験してもらうことにしました。私達が初歩の頃は「ゲートロック」が利用できたのですがいまは崩壊していて使用することができません。Ǎ懸岩は距離も短く傾斜も恐怖感を感じないため初心者には最適なゲレンデだと思っています。

今でこそ登攀道具を揃えましたが最初はシュリンゲで簡易ハーネスを作りクライミングシューズなど持っていなくて1年間は登山靴での登攀練習を繰り返しました。1年後に「クライミングシューズ買ってよし」とリーダーから許可をもらった時は「魔法の靴!」と感動したものです。

地獄谷を初めて通過した時は「名前の通り恐ろしいとこやな」と感じましたが今ではどうしたことか一般のハイカーの皆さんも多く利用するようになってきました。私達は最初は必ずロープを使って通過するのですがその横を平気ですり抜けて行かれます。「まず基本を学ぶ」ことが大事だと思うのですが・・・

日曜日の体験講座は、まず地獄谷の存在から体験してもらいます。ゴロゴロした岩場や水の落ちる滝を超えǍ懸岩に出るのですが登山道とは違い戸惑いもあるかも知れません。芦屋ロックガーデンは、藤木九三氏が命名され、ロック・クライミングのゲレンデとして、日本のロック・クライミングの発祥地として知られています。

芦屋ロックガーデンはアルプスの持つ要素すべてを兼ね備えていて、練習場には持って来いのため夏山トレーニング、雪山トレーニングなど多くの山岳会のみなさんが利用されています。体験クライミングの7月1日は日曜日とあって多くの人達が利用するのでしょうね。Ǎ懸岩を通過するハイカーさん達が立ち止まらないでスーッと通過してくれることを祈っています。

体験クライミングのお手伝いをしながら私自身も忘れてはならないことや、新しい技術を教わりながら日々「ひま・トレ」しています。


[2817] 【2930回 この年にして初めて・・・】 2012-06-28 (Thu)

64歳にして初めてパスポートなるものを申請に行きました。地下鉄谷町4丁目の駅を出ると「パスポートセンターはこちら」と丁寧に矢印で案内してくれます。まずはパスポートの写真を撮りにセンターの中にある撮影場所に行きます。何とも事務的にハイパチリ。その写真をもって申請受付にいきます。証紙を買おうとすると「受け取り日で結構。今日はいりません」との事。そっか〜パスポートは申請した者誰でもかれでも許可になるとは限らないんや〜だから代金は後でいいんかなぁ

パスポート受付のおばちゃんが「5年用でいいのですか?」と聞くので「ええ。10年は健康に自信がありませんから」と言うと「何を気弱なことを!昨日は84歳の方が10年用のパスポートを申請されましたよ!」あらまぁ・・・お若いこと!

手続きを終え、同じビルにいる知り合いに電話をするも、不在でした。折り返し電話がかかってきてパスポートセンターに行っていたので再会したかった旨を伝えると、とても残念がってくれました。パスポートを申請してどこに行くのかとたずねられたので「放浪の旅」と答えると「では事故に遭えば捜索に行ってあげる」と言われました。さすがもと警察官!

1週間後には出来上がったパスポートを引き取りに行きます。今日の写真が(お気に入りではない!)パスポートに貼られているのかと想像をするとゾっとします。

今日は新調した登山靴の履き具合に慣れるために登山靴で出かけけました。まるでロボットが歩いているような違和感があります。慣れておかないと、いきなり登山に履いて出ると色々トラブルに巻き込まれます。靴擦れはないか、大きさは合っているかなど履き心地を調べるために、当分、登山靴を履いて外出です。


[2816] 【2929回 自主トレ&足湯】 2012-06-27 (Wed)

梅雨の合間の曇り空を狙って27日、芦屋から有馬まで自主トレをしてきました。このコースは「ポチコース」と言ってもいいくらい、せっせと通っています。勿論今日は先頭を担当して歩いてもらいました。「ポチコース」だけの事はあって「しんどい!」とは言いませんでした。芦屋川駅から外国人の女性(30歳くらい)が前を歩いたり後になったりしながら私達は第一堰堤〜高座谷コース、彼女は中央稜コースを行きました。風吹岩ではすでに到着しておられて挨拶を交わしました。私達も少し休憩をして雨ケ峠に向けて出発しました。分岐のところで彼女が私達に「Mt. Rokkosan ?」と聞かれたのにポチもジョンも「Arima?」と聞き返しました。「ちゃうって!六甲山はどっちですかって聞いてるねんで」もう一度、六甲山かどうか尋ねると頷いたので指さし道標で教えて差し上げました。

彼女はとても足が速いのですが休憩も早く雨ケ峠に行くまでに3度ほど追い抜いたり、追い抜かれたりしました。「あの速度では疲れるなぁ」山の歩きではなく、トレッキングの様で、案の定一軒茶屋への到着は、のろまな私達の方が先に到着していました。「まるで兎と亀みたいやね」

一軒茶屋では「かき氷」の旗がなびいており昼食を終えたら絶対食べようときめていたのですが持参した紅茶がシャーベット状で冷たくて甘くて美味しかったため(自画自賛せな・・ネ)今回はかき氷の出番はありませんでした。(また今度ね〜)有馬までは下り道につき、さほど時間もかからず体力も消耗せず快適に歩けました。体力低下にダメージを受けていたジョンでしたが負荷を減らすと快適に歩けることがわかりました。ちなみに今日は限りなく荷物を省略してのトレーニングを試み、結果としてあまり重い荷物は身体に悪いと言う結論に達しました。

有馬の町は平日にも関わらず海外からの観光客であふれていました。「金の湯」も30分待ちのため足湯に浸かって帰ろうと言うことになりました。ちょうど3人分のスペースが空いており、疲れた足をいたわりながら足湯を楽しみました。(足湯の写真はブログに載せました。桜島大根と牛蒡で〜す)

有馬から西宮名塩までバスに乗りJRに乗り換えて海老江駅で降車したがる二人を制止し福島駅を通過、「好日○○前駅」で下車をし登山靴を買っちゃいました。しかるべき登山に向けて替えの登山靴としてちょっと張り込みました。もうこれで登山靴は「欲しがりません死ぬまでは!」
登山靴の値段はポチに言わすと「目の玉が飛び出るほど」らしいのでいま飛び出ないように眼帯をしとります〜。

登山をする上に於いて登山靴は命を守ってくれる大切な保護具です。新しい登山靴の手入れ方法は明日・・ブログに載せます。(今日は目玉が・・・落ちるといけないのでソッとしときます)


[2815] 【2928回 シャリバテを体感】 2012-06-26 (Tue)

会社勤務の時は「定期健康診断」なるものがありました。退職した今では1年に1度、同じ時期に定期健診をするようにしています(身長・体重・聴力等は省略)そのため昨晩21時をすぎてから検査をする午前11時まで絶食で病院に行きました。今日の気温は梅雨の合間の炎天下といった感じで朝からジリジリと暑い〜です。お腹は空いてはいませんが「絶食」と言われただけで家にいると食べ物が目に入り、ひもじく感じてしまうため、少し早めに家を出ました。1時間ほどの検査が終わり結果を聞くために午後2時30分の診察予約まで待たなければなりません。家に帰るのも暑いし病院の待合室で待つことにしました。

病院の廊下には電動車椅子が横行しています。端に寄せる人、真ん中で待つ人、さまざまですが元気な人が避ければいいことだと自分に言い聞かせました。ヒマな時間を消化していると、電動車椅子のおじさんが話しかけてきました。「この電動車椅子はどのくらいの距離を走れると思う?」「さぁ〜30キロぐらいですか?」「当たりっ!姉ちゃん詳しいなぁ」ヤマ勘が当たっただけなんですがその後は遠くはどこまで行ったとか、桜島から渡船にのり海遊館に行き安治川の隧道トンネルを通って帰ったと武勇伝を話してくれました。あまりに自慢をするので「ところでこの車椅子なんぼするん?」「70万かな」「高っ〜中古の軽自動車買えるね」と言うと「姉ちゃんこれレンタルやねん。介護保険適用で月に4000円払うねん」そうでっか〜まっ?事故に遭わんようにね。

朝食抜きでしたので身体に力が入らなくて診察を終えてからランチを食べようと思っていたのですが空腹でめまいが起きそうで、あわてて近くのシャッター商店街の中に行きランチを済ませました。登山の時は勿論ですが朝食抜きでウオーキングをすればシャリバテを起こします。体力低下とシャリバテは違うということを体験しました。

午後2時30分、やっと私の番が回ってきました。検査の結果は心電図、胸のレントゲン、エコー、血液検査いずれも異常なしでした。やれやれです。強いて言えば許容範囲ギリギリのコレステロール数値を努力して減らせばいいとのことでした。言われるまでもなく自覚しとります。ハイ。


[2814] 【2927回 変われるのか此花?】 2012-06-25 (Mon)

ひとりの区民として今回の区長選挙には驚いています。市長の思惑も理解できないことはありませんが果たして区長の頭を取り換えただけで改善されるとも思いません。私の住む此花区はテーマパークに勤務する40歳半ばのサラリーマンの方が抜擢されました。ほんなら今までの区長はどうなるんや?どこにいったんや?辞めたんか?4年で成果が出ないとなった時またテーマパークに出戻るんか?腰かけ勤務か?聞いてみたいことがいっぱいあります。講演会があれば(あるか〜!)一番前の席に陣取って質問攻めをしてみたい気がしています。めっちや不安です〜。

いまどこに住んでいるのか知りませんが此花区の事を理解してもらうためには数年がかかります。区長ひとりで頑張るのではなくそれぞれに実践業務をこなしているエキスパートがいるので大丈夫とは思いますが、決断を仕切れなかったとき自分を選んでくれた市長にSOSするんか?それやったらどの区も同じ色にならへんか?此花には此花カラーがあるはず。市長に盾突いてでも此花のために頑張れるのか?それがわかってんか?決まったことに反対はせぇへんけど正直言って不安はあります。部下たちも働きにくいやろなぁ・・・

此花区には正連寺川という川を埋め立てて高速道路を作る大がかりな湾岸工事を何年もかけて続行しています。シャッター商店街という汚名を着せられた商店街もあります。荒れ狂う中学校問題も抱えています。公園には朝から酒を飲み、世間から少しはみ出した老人がたむろしています。コンビニや大手スーパーの乱立で小売店はことごとく潰されています。古い家屋を潰し、あちこちにミニ駐車場ができたり、住宅街から離れた所にだれが遊ぶんやと思うくらいの人影のないりっぱな公園もあります。区からの要請で夜回りしながら矛盾を感じています。昔は住みよい此花区であったはずなのに・・。昔ながらの商店街の夜店が楽しみでした。夜店のある日は宿題を早くに済ませ親子連れで金魚すくいなどを楽しんだものですが、いまではすっかり消えてしまいました。

放置自転車の問題も早急に取り掛かってほしいと思いますが正しい自転車の乗れる区民にするために工夫をしてもらいたい(この話をするとそれは警察の仕事だ、それは役所だとすぐ線引きをしてしまう)いまのままでは歩道を歩いていても事故に遭ってしまいます。どこからともなく猛スピードで突っ込んでくるので、おちおち子供を遊ばせていられません。安心して子供が、お年寄りが生きていける此花区を目指して!


[2813] 【2926回 すごっい〜こと発見!】 2012-06-24 (Sun)

鹿教湯温泉を検索してみると面白いことを発見しました。(大笑)

『鹿教湯温泉にある湯治施設・・・大江戸温泉物語桜館を利用された方に質問します。個室素泊まり3000円/人、相部屋2000円/人の格安湯治施設で今度1週間程度利用したいと思います。部屋の使い勝手、温泉の泉質、自炊のための食材調達の方法などご存知のことを教えてください。あのあたりにスーパーなどはなかったと思いますがどこかに買出しにいくのでしょうか。また長逗留の間に何をして過ごすかについても教えてください。』
          ↓
解答欄には下記の様なコメントが書かれていました
          ↓
『体験記を探しました。参考にしてください。ロビーに卓球台があるようです。★大江戸物語「鹿教湯温泉」湯治の旅
http://www.hime8kin.net/2011sankokiroku/111210kakeyuonsen.html

このアドレスにアクセスしてみると何と、何と私のレポートだったのです。キャハハハハです。どこでどう繋がっているのか驚きです。そしてこの方の回答が「ベストアンサー」として選ばれていたのです。びっくりしました。

もうひとつの早朝のすごっい〜ことは近所のスーパーが朝7時から開店すると言うチラシが入っていました。此花区はスーパーの乱立で客の注目を引くのに必死なんです。視察も兼ねて午前7時に行ってみました。もう・・・長蛇の列です。前に並ぶ人に「この列は何ですか?」と聞くと「先着100名に粗品がもらえる」とのことでした。どう数えても前には100人はいます(お年寄りの朝は早いネ)6Pチーズが98円と破格の値段(但しおひとり1個限り)でチーズをゲットして帰りました。節電がささやかれているのに2時間も早く開店し、店員も早出さして、粗品も配ってでも客を引き付けておかなければならないスーパー側の事情にちょっと同情するものもありました。

私が店長なら「このスーパーの店員さんは笑顔が良い、やさしい」と言われる様に社員教育をもっと徹底したいと思います。そうすればスーパーが何軒乱立しようとも安心して経営を続けて行けるのではないかと思います。スーパーの店員さんは荷物の補充か、荷棚の整理でいつも客に後姿しか見せていません。レジ係りに笑顔はなく淡々と流れ作業をしているだけ。お客様のために商品の案内ができるスタッフの配置はゼロ。それに店側の都合で商品の配列をガラッと変更し、せっかく覚えた商品棚も次に行ってみると変わっていると言う場合が多々あります。地域に密着した生き残れるスーパーがほしいです!


[2812] 【2925回 マッキンリー遭難事故のその後】 2012-06-23 (Sat)

北米最高峰マッキンリー遭難事故のその後としての記事を見つけました。

『●6月13日に起きた北米最高峰マッキンリーで宮城県の登山隊の遭難で、雪崩に巻き込まれた後、自力下山した隊長と山中で出会った大阪府の登山隊が18日、登山口のタルキートナで読売新聞の取材に応じ、当時の様子を語りました。大阪府の登山隊は3人のチームで6月11日からマッキンリーに入り、14日朝、標高約2400メートル付近で自力下山した隊長と挨拶を交わした際に、「雪崩に巻き込まれ、4人が行方不明になった」と小声で告げられたという。その段階で大阪府の登山隊が救援を要請した。自力下山した隊長は13日夕方の段階で、すでに大阪府の登山隊の近くにいて、他のメンバー2人と挨拶していたが、その時には遭難のことは出なかったという。その時点で話していれば、より早い段階で捜索が始まった可能性があり大阪府の登山隊の方が言うには「自力下山した隊長は放心状態だったし、これから登頂を目指す我々に、精神的負担をかけたくないと考えたのでは」と語ったそうです。

●もう一人は米大教授で「男性は片言の英語で『怪我はない。休んでいる』と口にした」と語っています。米ノースダコタ州立大の67歳の教授が20日(日本時間21日)、時事通信の取材に応じ、雪崩発生現場近くで自力下山した隊長とみられる男性と言葉を交わしたことを明らかにしました。男性から助けを求める言葉はなく、教授は「事情を伝えてくれれば、すぐにレンジャー隊に救助を要請できたのに」と悔しさをにじませていました。

教授らは11日から雪崩発生現場近くのC3キャンプ(標高3300b)に宿泊。13日午前11時半すぎに下山を始め、標高約3000b地点でリュックの上に腰掛けている自力下山した隊長とみられるアジア人男性に遭遇した。 男性が雪山に必要なスノーシューズを履いていないことを不審に思い、「大丈夫ですか」と繰り返し尋ねたが、「片言の英語で『大丈夫』という趣旨のことを言っただけだった」。スノーシューズについての返答も要領を得ず、雪崩の話などは一切なかったと振り返る。教授は2900b付近まで男性と共に下山したが、気が付くと男性はかなり後方を歩いており、そのままはぐれてしまったという。

数日後に事故を知り、ナダリ国立公園事務所に連絡したところ、男性の風貌が自力下山した隊長とほぼ一致。2200b地点で救助を求めたことを知り、教授は「われわれは衛星電話を持っていたし、C3には少なくとも20人以上がテントを張っていた。そこで事情を伝えてくれていれば、すぐに捜索を始められた」と話す。 同事務所の広報担当者は「なぜ現場に最も近いC3で救助を求めなかったかは聞いていない」と説明。また教授は「仲間を失った精神的ショックに加え、言葉の問題で事情を伝えられなかったのかもしれない。力になれず、非常に残念だ」』

と語ったそうです。いずれも自力下山した隊長の精神的ショックを気遣いながらも、早期の救助要請がなされていなかったことを残念に思っているコメントでした。これからマッキンリーに登頂しようと志すものへの教訓として自力下山した隊長は真相を赤裸々に語ってほしいと思っています。遭難事故のことを報道する記事はいくつもありますが、原因究明の記事は忘れ去られたかのように、または触れてはならないかのように目にすることはありません。精神的に落ち着かれたら無事帰還されたご本人の「白書」として期待したいものです。


[2811] 【2924回 家庭内で起こりうる事故】 2012-06-22 (Fri)

6月21日は1年で昼の長さがもっとも長い「夏至の日」でした。お昼の12時の太陽の高さが、1年でもっとも高くなるはずでしたがあいにくの雨で残念です。子供の頃、夏至の日は地面にまっすぐに竹の棒をたてて影の長さを鑑賞した思い出があります。梅雨に入ってから雨の降らない日は暑く、雨が降れば肌寒くと風邪をひきそうな気候で、体調管理がむずかしいですね。

暖房器具が原因で冬場は火事も多いですが夏場でも思わぬ不注意で火事を引き起こす原因になってしまうことがあります。意外と知らなかったこととしてニュースで取り上げていました。

@全自動洗濯機に防水加工製品は入れない
自転車カバーを入れて洗濯中にいきなり洗濯機自体が回転しはじめ転倒してしまいました。メーカーが原因を追究したところ防水加工処置をした衣類等は水分が偏り洗濯機が転倒してしまいます。防水加工した製品(合羽、スパッツ等)全自動洗濯機には不向きという事になりますね。そういえば・・・屋久島で雨に濡れたリュックや合羽を参加者のみんなの分をまとめてコインランドリーで乾燥中に壊してしまったことがあります。責任者を呼べと言われて私が伺ったら担当者が不在で黙って帰ったことがありました(ヒューズが飛んだだけちゃうの?)あの時の故障の原因は防水加工をした製品を入れたからだと思います(コインランドリーさんスミマセンでした。)

A乾燥機と油
台所でこぼれた食用油をタオルで拭き取り、洗濯機にいれた後に乾燥機を使いました。仕上がったタオルを箪笥にしまったら、しばらくして箪笥から煙が出て火事になる寸前でした。油のついたものを乾燥機にいれると酸化し熱くなる恐れがあるのだそうです。油を含んだ衣類は乾燥機にいれないで下さいね。

B扇風機から出火
古い扇風機を使っていると扇風機が突然燃えました。原因を調査したところ、差し込んだままのコードが原因でした。コンセントとコードの周りにゴミがたまりショートしたのです。使わないときは必ずコンセントを抜く習慣をつけましょう。古い扇風機は経年劣化の危険性があります。20年以上経っていれば買い替えを検討して下さいとのことでした。

Cカセットコンロの爆発
バーベキューをするのにカセットの上に網を敷きその上に炭を乗せ点火しようとしたらいきなり爆発。カセットコンロの上に乗せた網が熱を伝えボンベに引火し爆発したのです。

楽しいはずのバーベキューも、涼しいはずの扇風機も、ちょっとした気配りで防げた事故事例です。知っていれば防げることばかりです。

防水加工の品の洗濯については登山する者にとっては使用するたびに手入れをしなければなりません。私は合羽もスパッツもリュックもぜ〜んぶ浴槽の中で残り湯を利用して洗います。洗い終わった後は風呂場の中で一晩水切りし、翌朝に陰干しします。一晩水切りをすることでリュックや合羽を移動中に水がしたたり落ちることもありません。しかし念には念を入れて古新聞などを敷いておけば安心ですね。これから暑くなると肩にかかる部分や背中の部分など汗を吸い込んでいます。こまめに手入れをしてあげてくださいね。

過日60ℓのリュックを借用して帰りました。後姿を見ると「あっ!リュックが歩いてる〜」と言われるほど大きなリュックです。このリュックを背負い歩荷訓練をするのですが、「まっ・お近づきのしるしに」と思い湯船に浸けました。何と、何と、何と、枯れた木の葉や木くず、ドロドロの汚れた汁が出てきたのです。このリュック姫んちに借りてこられて良かったね!(もう返さへんで〜・・・笑)

ブログにリュックの写真掲載しました


[2810] 【2923回 体調不良なのに・・・異常なし】 2012-06-21 (Thu)

膝に傷を持つ人・リュウマチ・神経痛が持病の人は梅雨の時期には、言いようのない痛みがジワジワと押し寄せると聞いたことがあります。ジョンもまたこの時期、憂いの多い日々を過ごしています。

顧みると2011年5月7日から8日間に渡る「大峯・奥駈け道」の最終日の大黒天神岳あたりで体調不良を勃発したジョンでした。急に脱力感がして一歩前進するのがやっとという最悪の状態の中で熊野本宮にゴールをしました「8日間も山の中歩いて疲れたんやろう」と軽い気持ちで翌日に控えた2011年5月8日の「比良シリーズ権現から蓬莱山」に休むことなく気合いで参加しました。大峯・奥駈けの疲れが残っているのだろうと、だるい身体を押して何とかゴールしました。しかし事態は悪化するばかりで近所の医師に紹介状をもらい胃カメラの予約を取り付けました。胃カメラの予約日までは時間があることから2011年5月14日「キリンビールと羽束山」にも参加をしました。この日が初参加だという山岳会仲間のヒカルゲンジさんと電車の中では機嫌よく山談義を弾ませながら登山をスタートしたのですが、途中の緩やかな登りで急に失速しはじめました。「何でや?力が足に入らへん!」列から遅れ気味のジョンをヒカルゲンジさんに託し姫が残りの参加者をリードし、羽束山の山頂を踏みました。遅れること30分、やっとの思いでヒカルゲンジさんに付き添われてジョンが頂上に到着したのです。昼食後の下山時には体力は回復しており冗談も飛び交わしながら、その上、キリンビール工場に行きビールを試飲し、みんなと愉快にミーティングが出来たのです。

その後、胃カメラ検査の結果大量の出血の跡があり登山禁止のドクターストップがかかりました。

その後は予定していた例会をジョン抜きで、2011年5月22日「比良シリーズ打見山から堂満岳」、2011年6月5日「金毘羅山・翠黛山」、2011年10月22日「横山岳」を参加者の協力を得て事故なく無事終了しました。その間定期的に病院通いするも、やれ貧血だの、めまいだの耳鳴りだのと次から次に病名が追加され、あっちの病院、こっちの病院と通いながら最近ではやっと、めまいの事も忘れるほどに回復した気がしたのです。医師の許可も得たことから、じゃあ出かけるかと2012年3月、八ヶ岳連峰の根石岳・天狗岳・硫黄岳に行き野口健さんに出会い、八ヶ岳名物の強風体験もしてきました。根石のコルから箕冠山へ上がるとき異変が再び訪れたのです。「あかん・・・ザイルで引っ張ってくれ」と突然ジョンが言いだし驚きました。根石の急な坂道で、動けなくなったジョンの身体と重いリュックを、肩がらみで力の限り引っ張り上ました。箕冠山で休憩後は何事もなかったように下山できたのです。

2012年4月「アルパインルート佐土新」のゴール直前での登りも急に力が抜けてしまいました。6月2日に再び同じコース「アルパインルート佐土新」の講習を終え、受講生の希望もあり桶居山廻りで帰ろうと言うことになり、これも頂上直下で脱力感に襲われました。頂上を制覇の後の下山は何事もなかったようにスムーズに足は動くのです。6月4日、6月11日の「アルパインももんがルート」でも同じような脱力感が襲い、6月18日「ヒマ・トレ軍団」の結束式を兼ねて大岩岳に登った時も形振り構わず「しんどい」と口にしました。

台風一過を待って6月20日主治医の門をたたきました。前回血液検査をしてもらっているので結果が出ているはずなんです。貧血症状と全く同じなので貧血と言われれば納得して治療ができると思っていたのですが「貧血異常なし、血圧異常なし、血糖異常なし」・・・・ならばこの脱力感は何なのでしょうか。医師曰く「年齢による体力の低下と思われます。体重は運動では落ちませんので食事療法をきちんと行って下さい。登山OKですよ」そう言われても何故か納得のいかないジョンであります。「こんなにしんどいのに異常なしとは何でや!」「暑さもあるし、リュックも重いのが原因かも知れんね」と言うと「じゃあ雪の根石岳はどうなるんや!」と詰め寄られる始末です。不安なのでしょう。今までスムーズにどんな山にも登り弱音を吐いた事のない師匠なのですがこれだけ度々失速してみると原因が不明なだけにつらいのでしょう。セカンド・オピニオン制度も選択のひとつであることを話し合いました。

例えばの話・・将来大きな行事を控えている場合、心の焦りも関係してきます。「ガンバレ」はいまは禁物の様な気がします。失速の原因は一体何なのだろうかと悩む梅雨空の今日であります。




[2809] 【2922回 白馬の事故分析】 2012-06-20 (Wed)

台風4号がまた大暴れして通り過ぎていきました。19日は学校も臨時休校、まさか山に出かけたりウオーキングに出かけた人はいないと思いますが・・・被害が無いことを祈っています。台風の後の山は落石・土砂災害など充分に気をつけて下さいね。

北九州市の医師らのパーティーが白馬岳遭難の記憶がまだ新しいことと思います。リュックの中に防寒着などが入っていたのになぜ?と残念無念に思っていましたが、このたび大学で研究された結果が発表されていました。

『北アルプス白馬岳付近で遭難死した北九州市の医師6人は、低体温症の初期段階と診断される軽度の意識障害にわずか「4分」ほどで陥った可能性があることが14日、信大大学院医学系研究科の能勢博教授(スポーツ医科学)の分析で分かった。県警などによると、6人は発見時の状況からビバーク(緊急露営)の準備中に防寒着などを身に着ける間もなく倒れたとみられる。死因はいずれも低体温症。短時間のうちに意識障害が現れて死に至る低体温症の危険性があらためて浮き彫りとなった。当時は風速20メートルの吹雪で、気温は氷点下2から3度。能勢教授は、風速や気温などから体外に放散される体の熱量を計算。風速20メートル、氷点下2度の環境に体重60キロの人が裸でさらされた場合、体外に放散される熱量は1分間当たり22.8キロカロリーになるとし、体重60キロの人の場合、体の中心部の温度が1分間で0.46度低下するとした。

中高年の場合、体温が35度以下になると口ごもるなどの軽度の意識障害が現れやすく、体温が32度以下になると呼吸や循環機能に異変が生じるといいます。強風で肌着が水でぬれている場合は登山者は「裸同然」といい、今回のパーティーの体温を37度と想定すると、「4分ほどで正常な判断ができなくなる軽度の低体温症になったと考えられる」と分析。防寒着などを身に着ける適切な判断もできなくなり、一気に体温が奪われていったとみる。』

6人の医師たちは白馬岳山頂近くで簡易テントを下敷きにして倒れていました。防寒着が入ったザックのふたはほぼ全員分開いており、収容にあたった県警航空隊員はビバークのための「何らかの作業中だったのだろう」と推測されていました。

たった数分で…。事故発生当時に出回った、防寒着すら持っていなかったという誤報を、亡くなった6人の人達の名誉のために、装備は完璧であったことを新たに認識してもらえればと思っています。事故の報告は報道されても原因追究結果の報道はなされていない中、こうして発表記事があったことが事故防止になるのではないでしょうか。

計画書では5月4日は午前5時半に栂池高原の山小屋を出発し、小蓮華山などを経由して白馬岳山頂近くの山小屋には午後5時に到着予定と立てていた様です。栂池高原から白馬岳までの登山ルートは通常8時間。雪山で12時間の行動は体力的に厳しい計画だったのではと救助隊員のひとりは述べていました。

改めて小屋までの適切な時間配分が大切になってきます。小屋から小屋までの所要時間をしっかりと計算し、体力が低下した場合は予定していた小屋の手前の小屋でも泊まれるかどうかを調べておく必要があると思います。その際大事なのは「予備日」を取っているかどうかです。


[2808] 【2921回 ハーケン打ちに行こう】 2012-06-19 (Tue)

「ジャムジャム君がハーケン打ちを練習したいらしい。姫も行くか?」そんな誘いを受けてJR道場駅でハーケン野郎達と合流することにしました。ジャムジャム君にウッドベッカーさん(某山岳会の会長さん)も一緒です。ウッド会長さんとは初対面ではありませんが一緒に歩くのは初めてです。「みんなベテラン揃い・・・足をひっぱらないといいがなぁ」そんな心配を見抜かれたのか「姫のペースで歩くからトップ歩いて!」持続力はあるけれどのろまなカメ足であることを強調して岩場のある「不動岩」方面に向けてスタートしました。「せっかくやからハーケンの練習は帰り道にして大岩岳までトレーニングしよう」と言うことになりました。

「暇・トレ軍団」「ひま・とれ軍団」「ヒマ・トレ軍団」どの書き方でもいいのですが本日のメンバーは危険個所を通過するためのトレーニング軍団として今後、いく度か顔合わせをしていくことになる、いわばこの日が「初顔合わせ決起集会」となりました。

大岩岳までは2.5キロメートルと距離は短く、それでいてアップダウンあり岩場ありのなかなか良いコースです。以前は千刈り貯水場から神戸セミナーへ抜けるコースを倶楽部のみんなと歩いた覚えがあります。大岩岳は反対側を登っていくのです。2時間ほどで頂上に到着。三角点あたりでは弁当を食べている人や数人の人が登ってこられました。

「きついなぁ。暑いなぁ」と言いながら登攀道具を入れたリュックはかなりの重さで肩に食い込んできます。全員の足の状態もチェックできた様子で途中にある岩を見つけてはハーケン打ちの練習を重ねました。ハーケンの手応えは音も大事と真剣なまなざしで取り組んでいました。私は見学者でしたが「このハーケンはトップが打ち込んだ後はどうするのですか?」素朴な疑問です。ウッドペッカー会長が「そりゃあ最終に登ってくる人が抜いて行くんだよ」え〜っ?と言うことは私が抜いて行くんや〜

と言うことでハーケンの抜き方を教えてもらい「不動岩」でのハーケン打ちは途中で済ませたためスルーし、あとは泡を片手に熱い「ハーケン談義」と「ひま・トレ軍団」の結成式を済ませました。


[2807] 【2920回 初めての山小屋・・・最終編】 7-7 2012-06-18 (Mon)

イメージとして、「行きたい山も決まったし、山岳保険も掛けたし、小屋の予約、高速バスの予約もしたし、荷詰めの要領もわかったし、行動食も上手く準備できたし」、これで少しは初めて山小屋を体験する仲間の不安は消えたと思います。初めてだと些細なことでも不安になるものです。出発前まで時間があれば経験者を捕まえて何でも聞いてみて下さい。色々と失敗を重ねて今日に至ったと思います。3000b級の山へ出かけるときは一般登山用品のほかに「スワミベルト、環付カラビナ2本、シュリンゲ2本」は必需品です。所持していなければ購入して下さい。これらの品々はハイキングの時にも利用できますので購入しても無駄にはならず、リュックと一緒に必ず携帯するように習慣付けてください。アルプスを山行中、危険通過の際にロープを掛けて安全確保しようにも、これらをもっていなければロープを掛けて安全確保が不可能です。登山途中での緊急事態時に使いますので「エイトで結んで!カラビナに掛けて!」と言われれば即エイト結びが出来なければなりません。ヘルメットも必要ですが私達の手元に予備がありますのでその旨言って頂ければ準備します。ただ今後の山行に度々使うと思いますのでコーナン等にいけば工事用ヘルメットなら1000円程度で売っています。登山用品店の物は1万円近くします。高価なヘルメットの衝動買いはしないでくださいね。よ〜く吟味して。

これまで気象の事には触れていませんでしたが、出発前の気象はしっかりと調べて低気圧の動きを見て出かけてください。荒れ模様ならば日程変更もやむ得ないと思います。「せっかくとれた休暇だから・・・」と悪天候の中を決行するのは危険です。私達は出発前に詳しく気象調べをして行きますが、不安な時は山小屋から山仲間で気象予報士のヒカルゲンジ博士に電話をして翌日の天気を調べてもらいます。過日登った奥秩父の金峰山登山の前夜ハッキリしない空模様が心配になり「奥秩父の明日の天気調べて欲しい」と電話をしました。出発前の天気と直前では大きく変化する場合があるのです。折り返し電話があり「午後からは雷・ヒョウとなっています」と教えてもらいました。アドバイスを受け、出発時間を早めたおかげで山頂で雷に遭う事なく、下山途中の避難小屋の中で雷ヒョウに遭い、通り過ぎるのを待った事がありました。「男心(?)と山の天気は変わりやすい」と言います(笑)午後2時を目途に、小屋に到着しようと言うのは、いくら晴天であっても3000bの世界では瞬時に天気が崩れるという事です。

常々から合羽の着用は短時間で着られるよう練習をしておきましょう。ヒョウなどはリュックを開ける間もない速さで人間の身体を濡らしてしまいます。濡れた身体の上に合羽を着ても保温性は役立ちません。また合羽の袋の中にはスーパーのビニール袋を入れておけば、登山靴にビニール袋を履かせればスムーズに合羽のズボンを履くことができます。

登山に持って行った品はリュックも含めて帰ったら全部洗濯しましょう(カラビナを除く)。シュリンゲは洗った後柔軟仕上げをして下さい。山へ持って行った衣類などは、小さな虫などが付いている場合がありますので気をつけて荷ほどきしてください。何せ私は「タカサゴキララマダニ」を寄生させ持ち帰った苦い経験がありますから・・・・。合羽やスパッツ、リュック、ヘルメットなどは入浴後のお湯の中に浸けて翌日洗うと驚くほど汚れが落ちます。水切りして、陰干しして、乾けば防水スプレーをしておきましょう。合羽は低温度のアイロンをかけると良いと書いてありますが私はしたことがありませんので何とも言えません。登山靴も手入れをして下さいね。靴底の泥は丁寧に落とし、周りの汚れもきれいにしておきましょう。思いつくままに書いてきましたが、これが全てではありません。色々な人にアドバイスを受けながらアルピニストデビューをして下さい。応援しています。ほら・・・アルプスがあなたを呼んでいますよ!一緒に行こうねっ!


[2806] 【2919回 行きたい山がきまったら】 7-6 2012-06-17 (Sun)

まず自分の体力でゴールできる山かどうか見極めることが大切です。過日、単独行の62歳の女性が「扇沢から五竜まで行く」との山行計画に登山口で待機中の山岳遭難救助協力隊の人が「待った!」を掛けました。コースも長く、積雪があるにもかかわらずピッケルなどの装備不十分であったこともあり「無茶な計画」と手前の冷池山荘往復のコース変更を指示したといいます。この女性は納得したのですが冷池山荘に到着するまでもなく手前の爺岳で死亡と言う悲しい結果に終わりました。私達も夏場に同じコースを通過しましたが、とても1日で行ける距離ではありませんでした。ましてや積雪の頃に行けるはずがないのです。体力の過信は遭難事故に繋がります。

まず行きたいと思う目的の山が決まったら地図を購入しコースの研究をします。地図には所要時間が記入されていますので参考にします。但し地図にかかれている所要時間は「40歳ぐらいの健脚男性がデイパックを背負い休憩もせず晴天の時に進むタイム」だと地図には記入されています。私はこの時間を1.5倍し自分の時間を出しています。目いっぱいの時間で計画を立てるとアクシデントが発生した場合に(体力不足によるペースダウン)山小屋までたどり着かないことになってしまいます。たどり着かない場合はどうするかも考えておかなければなりません。アルプスは指定された場所以外の幕営は禁止されています。

宿泊の山小屋がきまったら小屋に予約を入れます。この時必ず「登山口はどこからで小屋を出発してどちらへ行くのか」聞かれます。その時に答えられるよう計画書の整理をしておきます。予約の入っている登山客が予定時間になっても、たどり着かない時は小屋同志で連絡を取り合い、万が一遭難の場合は小屋から救助隊に「予約の客がまだ到着しない」と連絡をいれ素早い救助に役立ててもらうための確認事項です。

赤木沢遡行の時・・・宿泊予定の太郎平小屋に到着時間が遅れ、心配をかけてはと仲間より先に小屋までの登山道をダッシュで走った覚えがあります。たしか5時丁度に小屋に到着したと思います。「遅くなりましたがあと30分で全員無事に到着します」と言うと受付嬢が「いま前夜に泊まった薬師沢小屋に電話をしたところです。予定通り出発したとのことでしたので今から警察に連絡をしようと思っていたところです」と持ち上げた受話器を置き食堂に報告に行きました。報告を聞いた食事中の宿泊者から拍手をもらったことがありました。このように小屋と小屋は常に連係プレーをして登山者の安全に心くばりをしてくれているのです。

予約がとれたら「登山届」を書き、所轄の警察署に郵送します。現在はメールでの受付もできるところもあり便利になっています。提出済みの登山届はコピーをしておいて登山口にある登山届のポストにも投函します。そして下山した個所に登山届のポストがあれば同じ用紙を使い下山報告として投函します。私は余白を利用して「○月○日○時下山しました」と手書きをして入れるようにしています。そしてもう1部は常時携帯しています。万が一仲間が怪我をしたりすれば(自分かも知れない)意識が混濁していれば本人からの聞き取りが困難なため登山届を見ながら生年月日、家族への連絡先など正確に伝え救助要請をするのです。「個人情報がなんたら・かんたら」と申しますが登山届には絶対必要な事項なんです。こういう場面に遭遇しないにこしたことはありませんがいつでも万が一に備えておくことも必要です。忘れてはいけないのは自宅にも1部コピーを残しておきたいです。私は長期不在の時は二人の嫁に行先と帰宅日をメールしておきますが短期登山の時は知らせずに冷蔵庫に登山計画書を貼りつけておきます。万が一の時は家に来れば誰とどこに行ったのかが一目瞭然です。

ツアーやグループで手掛けるときは「お任せ」で参加できますが自分が企画して行くとなると色々面倒くさいことも出てきます。手を抜くと後悔することになるので、慎重に登山計画を立ててください。しかし決して苦にせず楽しむぐらいの心の余裕は欲しいですね。

私の高校時代の友人が北海道の雪山を登山していて滑り降りてきたスノーボーと接触し足と腰を複雑骨折し半年近く入院していました。スノーボーの若者は救助することなくそのまま滑り去ったそうです。友人の足には長期間、大きなボルトが入っており、数年後、再びボルトを抜く手術を北海道まで行き受けました。その後リハビリに通いながら「二度とフツーに歩けないのでは」と思うほどの大怪我だったそうです。医者に「先生!お願いやから、もう一度山に登れる足にして下さい!」と哀願したそうです。リハビリのおかげでいまでは生駒山に登れるほどに復活したみたいです。この友人は海外登山もする関係で山岳保険をたっぷりかけており、そのおかげで休業補償までしてもらえて山岳保険の有難さを力説していました。

山小屋が決まり、ルートが決まればアクセス手段を決めます。同じ場所に戻るのであれば車で行き駐車場に停めておけばいいのですが、縦走等の登山口と下山口が違う場合は交通手段を考えねばなりません。アルプス登山に便利な「さわやか信州号」等のバスもありますが期間限定につき注意が必要です。また青春18切符という方法もありますがこれも期間限定につきよ〜く調べてから計画を立てましょう。高速バスを降車後ふたたび鉄道や路線バスに乗り換えなければならないこともあります。路線バスの値段は結構高いです。人数が多い場合はタクシー利用が安くて便利な場合もあります。しっかりと計算し、どちらが得か、はじき出す事により帰りのビール代くらい浮かせることもできます。やりくり上手!でガンバレ!


[2805] 【2918回 山岳保険について】 7-5 2012-06-16 (Sat)

「登山とは無事家に帰ってこそ山に登った」と言えると思います。しかし落石など不可抗力で事故のあう場合があります。突然の雷雨で雷に打たれる場合もあります。そんな時「山岳保険」の出番となります。みなさんは山に出かけるとき、ハイキングに行かれる時、保険の事を考えたことがありますか?生命保険については関心の深いところではありますが山岳保険と聞くと感心が薄いように感じます。

昔の話ですが、白馬岳でヘリコプターの要請が必要になったことがありました。県警のヘリコプターは全機各方面に出動していて救助に向かえないが民間機なら要請に応えることが出来る。どうするか?と救助隊員に聞かれたことがあります。怪我などによる団体保険は主催者が掛けていましたがヘリコプター救助のための保険は対象外でした。私は救助を求める人の耳もとで「民間機のヘリコプターなら呼べるそうですが自己負担金が50万円ほどかかるそうですが承知してもらえますよね?」と確認をとったことがあります。請求が来てからトラブルになること間違いなしのため意識がはっきりしていた本人に確認をしたことがありました。年間1万円もしくは2万円ほどの保険の掛け金で、これらが保証されるなら山岳保険は掛けておくべきだと思っています。また私達が山行実施の際は山岳保険に加入しているかどうか参加者に尋ねて単発掛け捨て保険(今回限りの山行という意味)で入って貰うようにしています。

●年齢や経験に関係なく、誰にでも山で事故を起こす危険性、巻き込まれる可能性があるため、ハイキングてあっても勿論登山では尚更、山岳保険の加入が必要となってきます。山岳保険に加入しておれば、捜索・救助費用を補償してくれます。救助費用は私達の想像する以上に高額です。捜索隊の人件費、滞在費、ヘリの出動費などで数十〜数百万に及ぶ場合があります。請求された場合、家計に大きな負担となります。

@負傷・・・落石や転倒による骨折・捻挫で、自力下山できなくなる。
A道迷い・・・濃霧などの自然条件や本人のうっかりミスで迷う。
B病気・・・持病が発症して、自力では下山できなくなる。

山岳保険を選ぶ際のポイントですが、事故のすべてが補償というわけではありません。携行品の補償(メガネ・携帯電話・GPSなどの破損)等の自分に合った保険を選びましょう。私は従来の山岳保険に「通院保障付」を追加しました。ドジで間抜けな姫(だって〜グループの中で怪我をするっていったら私だけなんですもの〜!)にとって「通院保障」は大切な補償内容なんです。

●ドジ姫の経歴
ウオーキングのイベントで司会進行中にお立ち台から落下し肋骨2本骨折
クライミングを終えて帰る途中に空中転倒し肋骨2本骨折
3000b級の山で落石を避けるために足を滑らせ右手を脱臼
沢登りの終了点を確認し(よそ見)苔の上で足を滑らせ左手脱臼
東北名物「ツツガムシ」に刺され病院通い
大峯・奥崖で「タカサゴキララマダニ」に寄生され頭部を切開手術

以上ドジさを披露しましたが、幸いに入院をするような怪我はなかったものの、脱臼などはリハビリに長く時間がかかり、これは「通院保障」も必要だと痛感し保険内容を見直した次第です。人によって加入する保険も違いますのでインターネットなどで検索し研究してみてください。登山用品店にもパンフレットがあるかも知れません。ネットで加入できる会社もあります。

まぁ〜これだけ怪我をしたり虫に刺されたら普通の人なら「山に行くのを止めよう!」と思うのですが、そこが「ハチキン」。弱音を吐かず、さらにパワーアップしよる!(アホと笑ってやって下さい)

いまお手元にある「山岳保険」の有効期日は過ぎていませんか?いまいちどお確かめ下さい。


[2804] 【2917回 山小屋利用のリュックの荷詰め】 7-4 2012-06-15 (Fri)

パッキング方法と行動食の話が終わったら次はリュックに詰める方法です。あまり早く詰め込んでしまうと出発前に「あれを入れたかな?」と、何度も入れたり出したりしなければなりません。出発直前になると部屋の片隅を利用してリュックに詰める品々を集めておきます。毎日気付いた物を並べていると重複したり、不足の品が見えてきます。ご自分が快適に歩けるMAXを普段から知ることが大切です。ちなみに私は12sが自分のMAXだと思っています。(リーダーは自分の荷物以外に共同整備品があり大変です・・・私も緊急搬送用のマットとサラシで2sあります)

●トレーニング参加時に自分のMAXを知る方法
ペットボトルに水を入れ1回目のトレーニング日には例えば10s、2回目は12sと序々に増やして行き、リュックの重さを調整して歩いてみてください。重たく疲れを感じたら即その場で水を捨てれば軽くなりますので一度試してみてください。自分の背負えるMAXが10sだとわかればリュックの荷詰め時に計測し10sを超えていれば荷物を減らして下さい。合羽は雨以外に防寒対策にも利用できますので着替えを減らすのが一番かもしれませんね。着替えなくても死ぬことはありません。荷物が重くて振られて歩けなくなる方が問題です。

いままでは持ち物一覧表を登山前に発行していましたが、みなさんが山のベテランになり巣立っていかれましたので、最近では荷物一覧表を発行していません。最終トレーニングの7月28日に、夏山に持参する実際の荷物をリュックに詰めて参加し、荷詰め指導を受けてもいいのではないでしょうか。市販の地図がご自宅にあるかと思いますが地図の余白に「登山装備表」が記入されています。

◎印 必ず持参するもの
□印 あれば重宝するもの
△印 状況により必要な物

と親切丁寧に書いてあります。テント泊用の品もありますので、あくまでも参考という事です。私は登山に出かける前に新聞のチラシの裏を利用して自分でチェックシートを作成しています。常備薬、メガネ、保険証などついつい忘れてしまいそうな小物を細かく書いて冷蔵庫に貼っておきます。リュックに詰める前に目で見るだけでなく、チェックシートを一項目づつ消していくのです。こうしておくと絶対忘れ物はありません。(だ〜れ!?リストに書くのを忘れたらどうするんやって言う人は〜)そ・ん・な・事・の・無・い・ように時間をかけて荷物を1カ所に集めておくのです。

荷物を準備し始めた時から山行はスタートしているのです。「参加します」と意思表示したその時から楽しんでください。リストに書き出すのも楽しいものですよ。

さて荷物も行動食も用意が出来たら、着て行く登山服はどんな物がいいのでしょうか。アルプスの朝夕は寒いです。前開きの服で「寒ければ着る、暑ければ脱ぐ」を短時間で歩きながらでも、出来る服が望ましいです。寒さ対策にと着用したハイネックの服は暑さを感じた時に喉元をかきむしりたくなるほど不快になります。出発前に少し肌寒さを感じるくらいが快適に登山をすることができます。私達はリーダーからウォーカーが首に巻くタオルを禁止されています。山行中に危険個所通過時ロープを使用する場合があり首に巻いたタオルが災いとなった事例があるのです。また木の枝などにひっかかる場合もあるためなんです。


[2803] 【2916回 ロングコースの行動食】 7-3  2012-06-14 (Thu)

まず行動食の失敗談から・・・
ロングコースの大峯・奥駈け道の山行中でのことです。9日間分のたっぷりの行動食を持ちスタートしました。体力のある最初は好きな物を好きなだけ食べていたと思います。5日目くらいになると体力もヘトヘトに近い状態になり、口にいれる物を選択するようになりました。「もっと水気のあるものはないか」と探すのですが体力のある最初のうちに食べてしまい残っているのは飴、チョコなどの甘くて喉の渇きがつきまとう物しか残っていませんでした。「日にち別に分別しておけばよかったなぁ」もう後の祭りでした。熊野本宮に近い玉置神社の車道に出た時1台の車に出会い夏みかんの差し入れを頂きました。むさぼるように皮も食べました。重たくても水分を多く含んだ食べ物が良いという事を身をもって体験した次第です。この苦い経験から行動食は山行日数に合わせて分別して持つようにしています。

日帰りの山行時の行動食はパワーを持続させるためのおやつがわりですがロングコースでは貴重な生命の繋ぎ役となります。まず同行者への配慮はいりません。自分だけなら3〜5粒持てばいいものを同行者に配るために飴の袋全部持ち歩いたりしなければなりません。「あげない!もらわない!」いままで何度も徹底するようにみんなで話し合いましたが、貰うとお返しをする、日本人のいいところかもしれませんが山行中しかもロングコースでは1グラムでも荷物は軽い方が体力の保持となります。だから「どうぞ」と言う仲間への配慮は要りません。自分だけの食糧を持てばいいのです。(最初は自分だけ食べる事がとても抵抗あるのですが慣れれば大丈夫です)

行動食の種類
カロリーメイト・飴やキャラメル・魚肉ウインナ・干しイモ・ゼリー・チューチュー(幼児が冷凍してガリガリかじるジュース)キューリ・少々重いですがリンゴ(丸のまま)・ミカンなどは水分が多く含まれており美味しいことは格別です。以前の山行でのことです。黒部五郎小屋で1個500円のリンゴを買いました。途中で丸かじりしましたが「これで生き延びられる」と思ったほど美味しかったです。(ヘリコプターで食料を運ぶ手間から考えると500円でも価値はあると思ったりしました。)食材はゴミの出ないものを選ぶことも大事です。昔バナナを皮を剥いたり、冷凍したりして持ち歩きましたがどれも失敗。バナナは美味しいですが皮が臭くなるからね・・・私のお勧めはパック入りのフルーツです。ミカン・パイナップル、桃などの種類がありますが1個入れておけば本当に疲れた時のお助けマンとなります。

このフルーツパックでのエピソードがあります。鹿島槍山行途中でまもなく五竜岳が見えてきたと言う時に仲間のひとりが「休憩したいです」と訴えました。相当疲れが出てきた様子です。もう一歩も歩けないと言った顔で岩場にヘタリ込みました。リュックの中にあった「お助けフルーツパック」を出し、ミカンと甘い汁を無理やり薬のつもりで口の中に放り込みました。行動食は「あげない・もらわない」ではありますがこんな場合は話は別です。しばらくすると顔色もよくなり元気が出て無事山小屋に到着したことがありました。このことを教訓に食材を選ぶ時の参考にしています。

登山道に飴の包み紙が多く落ちているのに気が付きませんか?あれは故意ではなく、ハンカチなどの出し入れ時にうっかりとポケットから出て落ちてしまうのです。百均の店でかわいい小さな袋を見つけてゴミ入れを持ち歩けば誤ってポケットから出たりしません。過重包装の食材は必要最小限にしてゴミの軽減に努力をしましょう

夏山トレーニングでみなさんが揃う日に「見本」を持参しますので参考にしていただければと思います。


[2802] 【2915回 山小屋泊まりの荷物】 7-2 2012-06-13 (Wed)

いままでの山行途中で、幾度となくリュックのパッキング方法を学びました。山の会多しと言えど山岳会夏山教室等以外の、小さなグループでは私達だけだと思います。いままで私達は食事の時間を利用して熱中症の手当ての方法、怪我人をヘリ救出場までの搬送方法など多くのレスキューもみんなで学んできました。今それぞれが巣立ち、新たなる山グループに所属したとしても習ったことは忘れないでおきたいと思っています。

温泉で宿泊したら必ずといっていいほどタオルと歯ブラシセットの入った小さなビニール袋を貰って帰ると思います。もう随分たまっているのではありませんか?。このサイズがリュックのパッキングに大いに役立つのです。

@手袋・靴下・タオル等の小物の替えの袋をひとつにまとめます。荷物を軽減するために着替えの服は、なるべく軽い物を選びます。私は縦走の時は小銭は持たない、携帯のストラップも外す。下着もどれにするか迷ったらハカリにかけて軽い方を選ぶ。(女性はアンネパットを利用して枚数を減らす方法もあります)

A合羽も購入時についている袋ではなく、温泉袋を利用します。袋に合わせてたたみ、荷物の幅、大きさを一定にします。小屋でリュックから荷物を出したとき衣類がバラバラであるよりも小さくパッキングしておいた方が見栄えも良く、また山行中に体力バテが来て仲間たちに荷物を持ってもらう場合があります。この場合もパッキングがきちんとされていたら分けやすく時間短縮にもなります。

B最終日の着かえ一式・・・これは温泉の袋には入りきりませんので別のパッキング袋を使います。最終日は温泉を探し垢落としをしてからスッキリしてから帰りますので下着、薄手の靴下、タオル、Tシャツ、ズボン一式着替えます。なるべく素材の軽い物、迷った時はハカリにかけて下さい。山小屋での汗臭さは共通のオーデコロンと我慢できても下界に戻れば清潔感が大事です。鹿島槍からの帰り行き交う中学生たちに「クサ〜ッ!」と叫ばれた経験があります(キャハハハ)

リュックの中は上から積み重ねていくのではなく「隙間を埋める」気持ちで荷づめをすると効率よく入ります。晴天なら合羽は底に入れても構いませんが出発時に不安定な天気ならば、合羽はリュックの上の部分に入れる。そのためにはリュックの荷づめは上手になっておく必要があります。私は去年大峰奥駈け9泊10日間テント泊でしたのでテントを張ると中で荷物を出し一番底に入っている寝袋やマットを出す。翌朝はまたリュックの下に収納する。9泊だと18回もリュックの荷づめをしていたことになります(上手にならにゃ嘘やで〜笑)最初の頃は「入らへ〜ん!」と叫べば手伝ってくれていましたが、日を増す毎に甘えていられなくなってくるのです。お互いが体力の限界で動いていましたので自分の事は自分でしないと出発時間が伸びてしまうのです。そうすると・・・だんだん上手くなるのです。

山行途中のトイレは止む得ない事情としてもペーパーは自分で持ち帰る必要があります。山での常識でティッシュペーパーは使わない。自宅で使用中のトイレットペーパーの残りが小さくなったものの芯を抜き携帯します。万が一山に残すことが生じたとしてもトイレットぺーパーだと雨に溶けてしまいます。いまから小さくなったトイレットペーパーを保管しておきましょう。

まっ、パッキングはトレーニングの時にジョンがいつも上手くまとめているので見本をお見せします。(明日は行動食について)


[2801] 【2914回 初めての山小屋泊まり】 7-1 2012-06-12 (Tue)

私の悪夢のような山小屋体験は富士山登頂だったと記憶しています。八合目の山小屋で「リュックを抱えてこちらへどうぞ〜」と案内されました。リュックを枕代わりに横になろうとすると、隣の人の足が顔の前にありました。狭いため「頭、足、頭、足」と互い違いにまるで魚の串刺し状態です。驚いてばかりはいられません。何とか自分のスペースを確保し目をつむりますが、布団がカビ臭く、隣の人の足の臭いも気になり、なかなか眠れません。どこからかイビキが聞こえ始めました。「凄い度胸〜!」あっけにとられながら寝返りをうち、元に戻ろうとしたら、もうスペースは隣の人に占領されていました。こんな悲惨な小屋の体験をすると次から利用する山小屋が全て豪華で広く感じ取ることができます。何事も前向きでなければ山小屋には泊まれません。

山小屋とは・・・・
山小屋を利用された事のある人は、当たり前であっても初めて利用する人にとって不安だと思います。山小屋とはどんなところか私の体験したことを書いてみたいと思います。

@小屋に風呂はありません。ウエットタオルなどを持参し身体を拭きます(風呂があるところもあるがマレです)

A個室はなく蚕棚のような部屋で寝ます(個室のある小屋もありますがマレです)

B宿泊者の給水は小屋でできます(有料の場合があります)

C隣の人のイビキで眠れない場合もあるので「誘眠剤」などを服用し、イビキの音のする前に寝る。

D衣類を着たままで寝ます。ジャージなど軽い室内着を持参すれば気持ちよく過ごせます(荷物になるので・・・個人差あり)

E小屋の食事は残さない(小屋では残飯処理が大変です。どうしても食べれない食材があれば手をつける前に、仲間に声掛けして食べて貰う)

F最終日、温泉を見つけてお風呂に入る場合が多いです。着替えは別パックにし最終日にはザックの一番上に収納しておきましょう。

山小屋を体験した者にとって当たり前の事であっても初めての人にとっては不安だと思います。不安なことは何でも聞いて下さい。体験したことをお話し、不安減少に手助けできればと思います。

トレーニング中に荷づめの仕方、行動食なども実際に見てもらえる機会を作ります。ロングコースでは1日分をパックにしておけばバランスよく行動食を取ることができます。山小屋到着は午後2時から3時を目途にしていますので小屋に到着してからカレーやラーメン等食べられる小屋もあります。重たくなくて、それでいて水分を含んだものが疲れた時は食べやすいです。(甘辛バランスよく)

山小屋とは「雨風がしのげて、食事が出来て、翌日を迎えられる」が基本です。汚いだの狭いだの贅沢は許されません。また日暮れ時に滑り込んでくる宿泊者を断ることはありません。そのため1枚の布団に2人寝る場合もあります。1枚の布団に3人の場合もあります。廊下も食堂も建物の中すべてが寝室になることがあります。そんな混雑を避けるため土曜日、日曜日の宿泊はなるべく避けているのですが中高年の登山が流行してきた現在は平日でも込み合っている場合があります。特に人気の山が近くにある場合は避けることはできません。

追伸)環境汚染の関係で歯磨き粉は使えません。


[2800] 【2913回 ジャムジャム君と岩めぐり・後半】】 2012-06-11 (Mon)

行ってきました「ももんがルート後半」・・・。前回「ももんがルート・前半」と書きましたが本日、前半を「前足コース」、後半を「後足コース」と改名しました。よろしく!

「ももんがルート・後足コース」は地獄谷には行かずイノシシロードを通り、奥高座の滝から始まります。奥高座の滝の下でハーネス、ガチャを装着しロープを出して、ジャムジャム君がリードで出発です。「滑る〜ツルツルですわ〜っ!」ランニングビレイを1か所かけましたが足を滑らせると下まで落ちてきます。「次のランニングビレイは小さな小枝を束ねてロープをかけて〜」前回リードで登ったジョンから声がかかります。2本掛かったところで落下の危険はなくなりました。全員がホッとする瞬間です。1本のロープで3人が登攀するスタイルを取り2番手をジョンが登ることにしました。「かなりルートが曲がっているためヌンチャクは残していくぞ!」と言うことで最後の姫がヌンチャクの回収です。

奥高座の滝を登山靴のままで登攀終了し次はキャッスルウオールへ向かいます。ジョンと来たとき変な爺さんがいましたが今日は誰もいません。一息ついて、今度はジョンがリードで登ります。リュックを背負ったまんまなので緊張が走ります。2番手を姫、これまた荷物に降られてもたついてしまいました。「この間はスムーズに登れたのに〜」泣き言を言っても仕方ありません。誰にも手を貸してもらえず自分で登るしかないのです。3番手のジャムジャム君はスムーズに登ってきました。クライミングシューズをはいたままブラックフェイスに移動です。時間はとっくに12時を過ぎているのですが「昼飯はブラックフェイスの頂上で!」と言うことになっていますので・・・・・ハラヘッタ〜!

ここは小石が落ちてくるのを気を付けるだけで3ピッチともスムーズに登ることができました。「やっと昼ごはんにありつける〜!」時間は午後1時を過ぎていました。ブラックフェイスの上は大きな岩のテーブルがわりの岩場があり、ちょっとした会議室で、そよ風を受けながら快適な復習の場と変わりました。ロープを使ったり、立木を使ったり、ペットボトルを改造したりと、ジャムジャム君とジョンの熱いロープワークが続きます。「今日はこのくらいにしとこか」と言うことになり本日の下山開始となりました。

暑さのせいもありますが、ジョンと姫はヘロヘロです。ジャムジャム君は私達よりも10歳も若く「余裕のよっちゃん」でした。「滝の茶屋でビールを飲もう」と言いながら降りてきましたが今日は月曜日!開店しているはずがありません。芦屋川駅周辺の店を探しましたが一軒も開いていませんでした。仕方ないのでコンビニでビールと肴を買い公園の入り口に腰を下ろして乾杯しました。

ジャムジャム君の勉強会に金魚の糞の様に付いていきましたが得るものは多くあり満足度100%、体力度はマイナス30%と言ったところでしょうか?あ〜あ帰ってから食事の支度したくないよ〜。風呂入って寝たいよ〜!


[2799] 【2912回 山小屋を語る・・】 2012-06-10 (Sun)

「唐松・不帰キレット・白馬三山から栂池」で利用する山小屋の紹介をしたいと思います。利用した人もいれば初めての人もいます。まずは小屋のホームページから抜粋した内容を宿泊順にご紹介いたします。「いや、いや違うよ」と言う人はぜひ「みんなの広場」に!

@唐松岳頂上山荘(収容人数350人)
北アルプス唐松岳標高2696.4mの頂へようこそ。
北アルプス後立山主脈縦走路2620メートルに位置する唐松山荘は、白馬岳・不帰の嶮を通り、五竜・鹿島槍ヶ岳へと続く岩稜帯コースと白馬村を登山口とする眺望美しい八方尾根から黒部の秘境祖母谷温泉を経て 欅平へと下る「唐松越え」コースの中間地点。十字路に建っています。唐松岳山頂へは徒歩約20分です。

A天狗荘(収容人数88人)
天狗尾根からの大パノラマは星に手が届く感じです。天狗山荘はリピーターのお客様が多い山荘です。一番のこだわりは食事。温かい思い出を残してもらえるよう、家族的サービスを心がけ「天狗鍋」で 皆様をお迎えいたします。晴れた日には、南アルプスや、富士山も眺望でき、360度の大パノラマが楽しめる山荘では、星降る夜空も満喫できます。

B白馬大池山荘(収容人数4畳×20=80畳)
白馬大池の深い青と静かな高山の空気。残雪とお花畑。洋々と水をたたえる白馬大池には、山荘のキャラクターであるサンショウウオや雷鳥坂にはその名のとおり雷鳥が生息し、豊かで美しい自然に囲まれた白馬岳の中継点となっています。

C「栂池お花畑チーム」村営栂池山荘(収容人数70人)
栂池自然園の目の前にある山小屋です。朝の素晴らしい景色を眺めたり、早朝の誰もいない自然園を散策できます。夜の星空もきれいですよ。宿泊者専用のお風呂があります。写真家の方々にも人気の宿です。

山小屋とは「雨・風がしのげれば良し。来るものは拒まず」万が一満員であっても悪天候などで急遽、宿泊を希望する登山者がいれば断らない。1枚の布団に2人なんてのは序の口・・・畳の数しか表示していない小屋は特に廊下でも食堂でも入れてしまいます。でも、だ〜れも文句は言えないのです。山小屋とはそういうところなんです。

でも大丈夫!私達がついていますから・・・・!


[2798] 【2911回 唐松・不帰キレット・白馬三山の帰りはお風呂!へ】 2012-06-09 (Sat)

「白馬でかいた汗は白馬に置いて帰ろう!」

白馬で「ごっつぅえ〜え」風呂を見つけました。しかも大阪行のバス停のすぐ隣!です。「ワイルドだろぉ〜?」

●白馬八方温泉白馬ロイヤルホテル 大浴場と露天風呂あり
●お風呂からの眺望は「 山が見える」どの山だ?なんて突っ込まないでくださいね。入ってから確認してください。
●備品として ドライヤー・ボディーソープ・シャンプー・リンスあり
●入浴時間 6:00〜9:00 11:00〜23:00
●泉質 アルカリ単純泉
●効能  関節痛 神経痛 疲労回復
●入浴料 650円(オプションです)

何は無くても風呂に入りたいで〜す。「色気より食い気・食い気より風呂や〜」4日間も風呂入ってないでしょ?色々探して見ましたがバス停から近いことが一番良いのではないでしょうか。大きなリュックはコインロッカーに入らない場合が度々ありました。ホテルの入り口付近に預けておけそうです。但し貴重品は持って入って下さいね。最後の小屋を出るときは荷詰めの際「着替えは一番上に」ね。

そっか〜まだ行くとも、行かんとも聞いてなかったね。こりゃまた失礼しました〜。


[2797] 【2910回 唐松から不帰キレットから白馬三山を踏み栂池へ】 2012-06-09 (Sat)

昨年、唐松岳の頂上から見た「不帰の嶮」への想いは、槍ヶ岳の頂上から北鎌尾根を見た時と同じ想いである様な気がします。コース設定をし、山小屋を決め、所要時間を書き出しました。今まではリーダーがすべてこの作業をしていたのかと思うと、かなりの負担を掛けていたことが今更理解しても遅いのですが大変だったろうなぁと感謝せずにはいられません。私は交渉係と会計担当でバス予約、宿予約など出来上がった資料を基に行動をしていました。「たまには全部やってみて」と言われたのは鹿島槍の山行からでした。

購入した地図をカレンダーの裏紙を利用しトレースすることから始めます。スタートからゴールまでの白地図を書き終えたら通過点の地名を入れて行きます。地図に小さな丸印が記入されていて所要時間は、その丸から丸までが書かれています。標準時間に1.5倍掛けて自分たちの時間を計ります。宿泊する小屋には落雷を避けるため、午後2時から3時には到着を決めており「もう少し歩いて次の小屋泊り」は考えないようにしています。時々遥か遠くの小屋どまりの人と出会いますが「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?」と心の中で叫んでいる時があります。そんな時はきまって自分は疲れ果てているのになぜそんなに元気なのかと言う羨望の眼差しも含まれています。小屋が決まれば早い目に予約をいれます。(バス予約は1ケ月前からの受付)

地図を広げ「早く8月が来てっ!」と胸をワクワクさせながら山行時間を調べて楽しんでいます。「不帰の嶮」はかなり危険個所のあるコースのため思案する人(ポチ?)のためにロープウエイやゴンドラをフルに利用したコースも考えました。但し「お花畑コース」にはリーダー不在のため「各自がリーダー・自己責任」という事で栂池のお花畑を堪能してもらおうと言う気配り満杯の山行企画です。

●唐松山荘までは何としても頑張って登ってもらう
●栂池平から白馬大池までは「不帰の嶮」チームとは別行動となるため「自己責任」において行動

この2つが条件となります。出かける前に山岳保険の有効期限が切れていないか、あるいは単発で山岳保険をかけてからおでかけしてほしいと思っています。事故があっては困りますが起きてからでは遅すぎます。

いままで8年間「やまたび倶楽部」で学んだことを守り登山をすれば全員がリーダー出来るはずです。日頃の山行での「休憩の取り方・速度・地図コンパスの使い方・気象の変化」を思い出して安全登山で山をお楽しみ頂きたいと思います。


[2796] 【2909回 本日突破の予感! 】 2012-06-08 (Fri)

49962・・・今朝の私のカウントです。私が本日何度「ひめのおうち」を訪問しても私のカウントは上がりません(同じ回線からは同日1カウントのみ)
あと38人ですから本日中には絶対!達成されると予想できます。へ〜んな風俗業者による書き込みで50000回が汚されませんように・・・祈るような気持ちで今日は多分、パソコンの前に座っていると思います。

50000回目の方が名乗り出て下さいますように!後日記念品をお送りいたしますので、表紙のスズメの羽ばたいている箇所をクリックして頂き、アドレスを書き込んでくださいね。よろしくお願いいたします。
       ↓
午前10時40分・・・50000回を突破しました。でも「私が50000回目の訪問者です」の名乗りを頂くことなくさびしい記念日を送りました。私のせめてもの記念日でしたがあっけない結果です。




[2795] 【2908回 山行計画を立てる】 2012-06-07 (Thu)

去年、唐松岳頂上から美しく伸びる不帰の剣のシルエットが私を呼んでいるみたいで胸騒ぎがします。地図を広げ、さわやか信州号の時間を調べているうちに夢は大きく膨らんでいきます。日程は8月21日の夜行バスで出かけ、

●第1日目は八方麓駅からゴンドラに乗り山頂駅へ。ここから唐松岳山頂小屋までは鹿島槍の帰りに通過したのでよくわかっています。夜行バスではありますが山行時間4時間ほどのため早めに小屋に入ることができると思います。

●2日目は唐松山荘小屋から唐松岳山頂(2696.4b)から不帰キレットを通過して天狗荘まで行きます。

●3日目は天狗荘から鑓ケ岳(2903.1b)、杓子岳、白馬岳、小蓮華山(2769.9b)そして白馬大池で泊まります

●4日目は白馬大池から乗鞍岳・天狗原を経て栂池平へと向かいます。栂池平からロープウエイを利用し栂池高原から松本電鉄バスでJR白馬駅に向かいます。

白馬ロイヤルホテル前13:40分発のさわやか信州号に乗り新大阪駅21:50分到着となるのです。時間があれば温泉を探しお風呂にちゃっぽ〜ん!

この計画書に無理はないか、いまからじっくりと練るつもりです。何度かのトレーニングを経て思い出に残る山行にしたいと考えています。ご一緒しませんか〜?


[2794] 【2907回 10年間の大役を降板】 2012-06-06 (Wed)

6月5日は某部会の総会日のため出かけてきました。千鳥橋にお迎えの車が来てくれてイゲタマークの会場へ。退職して4年経過すると出席者の顔を半分は知らないという風になっていました。「お久しぶりです」と言う挨拶と「初めまして」と言う挨拶を使い分け指定された来賓席につかせて頂きました。

今迄、部会のために「長」として10年間務めて下さったМ部会長が退任され新しい部会長の誕生です。行事のある毎に身銭を切り、会の発展のために奔走し此花区の交通安全に努力をされました。私も現役の時は及ばずながら二人三脚をさせてもらった経緯もあります。今回の退任は誠に残念としか言いようがありませんが10年をめど交代すると言う意思は固く、あまり慰留すると新任の部会長に失礼になるしでシャンシャンシャンと言うことになりました。今後は相談役としてご活躍されるとのことです。長い間ご苦労様でした。

滞りなく総会が終わり、署からのご来賓の皆様もそろい第二部の懇親会となりました。恒例のクイズもおみやげも、ちゃ〜んと準備をしています。今までは私が第二部の司会係を務めさせていただいておりましたが今回からイゲタマークの会社の担当者が初舞台を踏むことにしました。私もМ部会長と同じく、引退の時期が来たと感じていたため序々に慣れていただこうと思ったのです。「大丈夫!応援席で盛り上げ係するから!」と肩を叩き見守り隊としてスムーズに進行していくのを見守りました。

「やれば出来るじゃ〜ん!」そう・・・!みんなイザとなれば底力を持っているのです。今年バージョンのクイズ問題も用意していましたので織り交ぜながら楽しい時間を過ごすことができました。これでいつ引退しても大丈夫!

懇親会には初代の部会長であった方も来賓としてご無理を申し上げ出席して頂きました。10年間のМ部会長の締めくくりとして「前任者である貴方の跡を引き継ぎここまで成長しましたよ」と言うことを見て頂きたかったのだと思います。ゼロの状態から、この会を立ち上げ苦労してこられた、いわば生みの親的存在の方です。

その後、二次会のごくろうさん会のために会場を移動しました。ここのスナックにはいまテレビで流行している「精密採点」と言うカラオケモードがついており音程通りに歌わないと、シャクリがあるだの何だのと採点されてしまうのです。もう楽しく歌えないったらありゃしないわ〜!


[2793] 【2906回 ジャムジャム君と岩めぐり・前半】 2012-06-05 (Tue)

芦屋の岩めぐりについていくことにしました。アンザイレンでザイルを結び、あちこちの岩場を登攀下降しながら目的地をめざします。縦走前のトレーニングに私達はよく利用しますが、ジャムジャム君が初めてのためジョンが指導係として私が「ツアー客」と言う設定でジャムジャム君が安全に客を案内できるようにと言うトレーニングでした。

午前8時30分阪急電車芦屋川で合流しウォーミングアップをしながら滝の茶屋までいつものコースを歩きました。地獄谷に降りてヘルメットを着帽しまずはホワイトフェイスを登攀下降、ザイルを結んだまんま地獄谷を通過しA懸岩で下降から始め、しばし休憩を取りました。小学生を連れた親子が登ってきました。日曜参観の代休だそうで必死にパパについて行くかわいい女の子でした。

A懸岩から少し下りC懸尾根に向けて道なき道を進んでいきました。天気は曇りのため暑さをさほど感じることはなくスムーズに登って行きます。C懸尾根を登り、その都度、木の枝を使い支点をとったり肩がらみであったりその場に合った支点の採り方をジャムジャム君に伝授していきます。質問も多くありブラックフェイス、キャッスルウオール、岩梯子も行く予定でしたが時間が足りなくなり「前半」と言うことにして滝の茶屋に向けて下山することにしました。時間は午後4時前で、熱心に練習をしたことが伺えます。

平日にもかかわらず滝の茶屋が開いていてビールを一杯・・・と行きたいところでしたが今日は「かき氷」と決めていたため泡の誘惑に負けることなくJR芦屋駅近くでフルーツパフェを食べながら本日の復習を兼ねて山談義を1時間ほど有意義なお喋りを続けていました。「後半」は11日と言うことでジャムジャム君とお別れしました。

大きなリュックを背負い家路に向かっていると自転車で帰りがけの近所のおばちゃんに声を掛けられました。「元気ですねぇ!」「毎日が日曜日なのでね」と世間話をし自転車を押しながら一緒に帰ってきましたが子育てを終えて時間もできたはずなのに何をしていいのかわからない、ハイキングや山登りも一緒に行く仲間も見当たらず、旦那さんも定年を迎えて家にいるばかりで毎日が退屈で仕方がないと話をしてくれました。そう思うと私には趣味があり幸せなんだと思わずにはいられませんでした。山へお誘いするには道具を揃えたり(一式そろえるには結構な出費ですものね)はじめの一歩からお付き合いするほどのご近所様付き合いでもないし世間話ぐらいで話をあさ〜くひろ〜くして自宅に到着しました。


[2792] 【2905回 50000回に向けてカウントダウン!】 2012-06-04 (Mon)

50000回に向けてカウントダウン!

さあ〜さあっ! そろそろカウント大好き姫が騒ぎ始めましたよ。本日の朝で「49641」50000回のカウントがもうすぐです。2008年2月に築城しましたので50000回に達するのに4年余り費やしたことにます。毎日「100カウント」の訪問を頂いていますので、あと4〜5日中には達成すると思います。

皆様!「ひめのおうち」を訪問してくださった折りには、表紙の左上にあるカウント数をご覧頂き、ラッキーナンバー「50000」回目を開けた方は、ぜひお知らせください。記念品をお贈りしたいと思っています。同じパソコンから1日に何回訪問して頂いてもカウント数は上がりませんので宝くじを当てるみたいなものだとお楽しみいだきたいと思います。勿論・・・私自身かも知れません(笑)

★熱中症対策
ウオーキング協会では既にひとりの熱中症者が出で救急車で搬送されたと聞きました。聞くところによると朝から体調がすぐれなかったそうです。そんな時はお出かけを止めましょう!ご自身もつらい思いをしますが同行する人達に多大の迷惑をかけることになります。「おっ?今日はしんどいなぁ」そう思った時は予定変更をしませんか?

これからのお出かけは、冷たい飲み物が何よりのお助けグッズとなります。私は3分の2くらいまでのお茶を冷凍しておき出かける前に残りの常温のお茶を入れて行きます。そうすれば飲みたいときにカチンカチンに凍って飲めないと言うことはありません。そして予備のお茶の保存ですが保冷パックに入れてリュックに入れておくと水分が浸透してリュックの中のものが濡れてしまいます。保冷パックに入れる前にビニール袋に入れておくと他の物を濡らす心配はありません。おしぼりを巻くのも一石二鳥です。


[2791] 【2904回 ひめはミタ!】 2012-06-03 (Sun)

日曜日の朝、昨日使用したロープの手入れをしようと家の外にでたら雨がポツポツしています。クライミング講習・・・昨日でよかった〜!

ロープの手入れをしていると、早朝にもかかわらず井戸端会議が開催されていました。ハハーン〜昨夜の出来事だなとピーンときましたが会議に出席することなくロープの手入れをしていると会議場が私の家の前まで移動してきました。「ねぇねぇ知ってる?昨夜のこと?」

「ひめはミタ」のです。
3階の寝室の窓から一部始終をミタのです。我が家の近くに看板はお好み屋でカラオケを置き近所迷惑な店が住宅街のど真ん中にあります。午後11時を過ぎたころ路上か騒がしくなっていました。ああ閉店時間が近いので酔っ払い客が帰るのだろうと思っていたのですが罵声が飛び交い険悪な雰囲気になってきました。路上に酔っ払いが女性を含む6人ばかりで押したり、蹴ったりしています。(これはおもしろくなったぞ〜)と椅子を窓辺に寄せて座ってじっくりと楽しむことにしました。

店の経営者は知らぬ顔で店内はまだ別の客がおり普通通りに営業をしている様子です。これだけ路上が騒がしくなったら店の主人として「近所迷惑だから」と止めに入ってしかるべき事。しかしそのそぶりもありません。そのうち一人がよろけて路上に倒れてしまいました。「血や〜っあかん!救急車呼んで〜」店の中に駆け込みましたが店側の反応なし。

それからも20分ほど倒れた人を放置したまま、取っ組み合いが続いていました。見かねた酔っ払いの一人が近くの交番から巡査を2人連れてきて事情を説明しています。巡査が無線で此花署の本部と何かやり取りをしていましたが、その後パトカー2台、救急車1台が駆けつけました。救急車に怪我人が運び込まれた後もまだ、小競り合いは続いていす。パトカーが来たことで今までおとなしかった人も「何じゃコラ〜ッいてもうたろか!」と急に威勢がよくなり、もめ続けていましたが警官はここらへんが潮時と判断したのか、酔っ払い集団を近くの交番につれて行って騒ぎは収まりました。よその家の玄関先に血痕が飛び散っていましたので店のママがバケツをもって洗い流していたのが初めての出現です。(警官が来る前に鎮火させて鎮まらすのがママの役目とちゃうの〜)ほんま迷惑な店やで〜!

酒は楽しく愉快に飲んでこそ良薬となります。足を取られるほどに飲むと、ロクなことがありません。「飲んでも飲まれるな」おかげで就寝したのは午前1時を過ぎていました。


[2790] 【2903回 クライミング講座】 2012-06-02 (Sat)

「KAZUくん」のクライミング講習で「アルパインルート・佐土新尾根」に行ってきました。2日は全国的に雨と言う予報が外れクライミング日和の「曇り」で、一粒の雨にも遭わず無事終了しました。

ひめじ別所駅で知り合いの人を見つけました。ジョンの所属していた山岳会の仲間です。クライミングに行くらしく「山神」というゲレンデで私達とは山ひとつ越えた隣の場所で時々姿をみることができました。

「KAZUくん」のクライミングの内容は後日レポートにて詳細をアップします。クライミングのあと私達の写した桶居山の写真を、いたく気に入りぜひ行ってみたいと言うことでクライミング終了後、桶居山に廻り希望を叶えて大満足の様子で私達もうれしくなっちゃいました。登山道は「KAZUくん」をトップに歩いてもらいましたが、私達高齢者を気遣ってゆっくり歩いてくれました。カレはこう言いました「早足で歩くより、この様に、ゆっくり歩く方が疲れなくていいですね」と・・・やさしいじゃあ〜りませんか!トップはいつも後続者の息遣いを気遣い速度調整をすることが大事です。

帰り道の「別所食堂」でビールを飲み、駅に戻ってみたら駅前の空き地を利用して朝出会った山岳会の人達が一杯飲みしていました。誰もが無事に練習を終えたら飲みたくなるんですね。身体が火照っていたため、一杯のビールのおいしかったこと!