[3083] 【3196回 書くということ】 2013-06-25 (Tue)

私はプライベートで山行してもレポートを書くと言うことを習慣にしています。出発時の時間から山頂到着時間、そして下山時間と地図に記入してある主な名所到着への時間も必ずメモをしています。あとは途中で見た風景や草花、感動したこと、怖かったことなどを箇条書きにしておき自宅に帰ってから文章に組み立てます。基本は「5W1H」。

いまは手紙やはがきを書くよりもメールと言う文明の利器が発達しているので「文章にして書く」と言うことを結構、億劫に思うと言う人もいます。朝起きてから寝るまでのことをメモにしたためるのもボケ防止にいいものです。「姫のひとり言」に書くことがなくて困ってしまう日もあるのですがとにかく毎日何かしら書くということをモットーにしています。

久しぶりに舞い込んだ1枚の葉書に感動したことはありませんか?貰って嬉しいと言うことは相手にも同じことをしてあげると喜んでもらえると思います。

私の従姉妹が抗がん剤治療を終えて退院し、娘宅での静養を終え、自宅に帰ると言う日を耳にしたので、その日に合わせて自宅に手紙を出しました。一人暮らしのためにポストを開くと私の手紙が「おかえり〜」と待っていたらどんなに喜ぶかと考えたのです。案の定、電話がかかってきて「みっちゃ〜ん・・・!」後は言葉になりませんでした。私ももらい泣きしました。

言葉よりも文章は心に残る分だけ「きつい一言」は心にグサリと刺さります。そして何度も読み直しされて何度もグサリ、グサリと突き刺さります。相手の顔色・表情が見られないので文字から受ける印象はきつくなります。そんな時はじかに膝を突き合わせて話し合った方がいいかと思います。その時、喧嘩になろうともお互いが理解しあえるのではないでしょうか。私はそう思っています。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言いますが罵声を浴びさせ合いながらでも翌朝にはケロリとしているのは文章に残っていないからかも知れません。何事もなかった顔で何十年も夫婦を続けられるのは不思議です(笑)。

多くの人に伝えるには「書く」ということが大切になってきます。言葉だと3人に同じことを伝えたつもりでもどこか少しずつ違って伝わると思います。「書く」ことで複数の相手に伝えれば同じ内容が伝わります。

すこし億劫に思うかもしれませんが「5W1H」を思い出して感動・苦悩などを文字にする習慣はいかがですか?読み返してみると楽しいですよ。まっ日記のようなものですね。


[3082] 【3195回 富士山が世界遺産に登録決定】 2013-06-24 (Mon)

ユネスコの世界遺産委員会は、6月22日、日本の富士山を、静岡県の三保松原を含めた形で世界文化遺産として登録することを決めました。三保松原を除外しないよう求める声が相次ぐなど、富士山への各国の関心の高さをうかがわせました。まずはおめでとうと言うべきなのでしょうか。


審査では最初に、「富士山は登録するにふさわしい。ただし三保松原を除外すべきだ」などと距離が離れていることを理由にあげ勧告しました。これに対し、およそ20か国の委員から、三保松原の除外に疑問を呈する意見や、富士山を称賛する声が次々に上がり、富士山への各国の関心の高さをうかがわせました。

このうち、最初に意見を表明したドイツの委員は「富士山の登録を支持したい。三保松原を題材にした美術品も多く、登録から除外すべきでない」と述べ、富士山だけでなく、三保松原についても高く評価しました。議長が木づちを打って富士山の世界遺産登録が決まると、会場からは大きな拍手が沸き起こり、日本の関係者たちが立ち上がって、各国の委員らと握手を交わすなど登録決定を喜んでいました。静岡県知事と、山梨県知事も、満面の笑みを浮かべて、まわりの関係者と握手を交わして喜びを分かち合っていました。

さてさて・・世界遺産に登録を私は冷ややかな目で見ている登山者のひとりなのです。富士登山を経験しましたが衛生面で改善をしていかないと登録に賛成してくれた諸外国の方達に「賛成するんじゃなかった」という事になりかねません。入山料・・・結構!その費用でこれ以上自然破壊しないようにしっかりと管理をしていただきたい。また登山者自身もマナーをしっかり守りゴミの持ち帰りや装備などに万全を尽くしていただきたい。エベレスト街道では軍隊のチェック個所が度々ありその都度入山料を支払い下山時のチェックには登山中に出たであろうゴミのチェックを受けました。

昔からこんな素晴らしい歌があります。みなさん歌ってみて下さい。歌っていると美しい富士山の姿が目に浮かびませんか?この美しさをいつまでも保てるのは「登山者のマナー」以外にありません。あっそれから登山道に落ちている馬糞の処理は飼い主さんが徹底してほしいです。ネパールでは登山道に落ちているヤク等の糞は貴重な燃料として拾います。5000bと言う高度もありすぐに乾燥するため不思議と臭いもなく「汚い」というイメージはありませんでした。

「ふじの山」
あたまを雲の上に出し、
四方(しほう)の山を見おろして、
かみなりさまを下にきく、
ふじは日本一の山。

青ぞら高くそびえたち、
からだに雪のきものきて、
かすみのすそをとおくひく、
ふじは日本一の山。


[3081] 【3194回 こんな登山者は嫌だ】 2013-06-23 (Sun)

市毛良枝さんが出演する番組で「登山を始めて間もない人にお勧めの山はどこですか」とインタビューをしていました。市毛良枝さんは「燕岳です」と答えていて私も同感だなぁと共鳴しました。私が山を始めてから最初の頃に燕岳を訪れた時「ここはスイスかっ!」・・・じつはスイスには行ったことはないのですが日本の風景ではないという形容詞でそう叫んだと思います。目の前にある景色の素晴らしさは今までの世界と違うと感動したものです。

「アルプスを最初に訪れるとアルプス以外の山が何となく満足しない」と言われるほど燕岳は素晴らしかったです。夕食後に2mもあるホルンを吹奏して下さるオーナーが話していたそうです。

こんな登山者は嫌だの3か条

@静かな山で騒ぐ登山者
A言うことを聞かないで遭難する登山者
B伝染病にかかっている登山者

伝染病にかかっていてそれを隠して小屋を利用し他の登山者に感染させてしまうなんて登山者でなくてもあるまじき行為だと思いますが忠告を無視して山に登り、挙句の果て天候悪化などにより遭難し救助を求めてくる登山者がいると言います。「あれだけ忠告したのに放っておけばいい!」と言うわけにはいかず小屋関係者は自分の命をかけて救助に走るのです。

到着して嬉しいのはよ〜くわかります。しかし必要以上に町の井戸端会議の場所を山頂に移されては困ります。せっかくの美しい山容も台無しです。特に団体で来られる登山者には閉口します。団体の隣に寝るときは「しまった〜!」と声を上げたい気分です。そうかと思うと到着後すぐに布団をかぶって寝ている人の隣になっても「今は寝る時間とちゃうやろっ!」と言いたくなるほどで荷物の片付けも気兼ねでできません。出発前に山小屋利用について、山のマナーについてリーダーさんは参加者に説明してほしいですね。

いままで私達も団体で訪れ小屋に宿泊することが多かったですが「そこまで注意しなくても・・・」と思うほどリーダーはマナーについては厳しかったと思います。そのおかげで私達にも自然と歩きながら喋ることも「ほどほどに」なりました。「黙って歩けっ!」いままで何度大声で怒鳴られたことでしょうか。

山で出合う美しい景色や花を見て、美しさの共感はお喋りではないと思っています。大いに共感したいです。しかし近所がどうの、お姑さんがどうのこうのとつまらない話題を歩行中会話し、雑音として耳に入るほど、うっとおしいことはありません。だから人の少ない、季節外れの山(花や紅葉のないシーズンオフ)に行くのかもしれません。

一瞬の油断が事故につながります。事故に遭うと本人は勿論ですがパーティの仲間や救助隊の方々に迷惑がかかります。山での会話は必要最低限で安全登山を楽しみたいと思っています。

山では「六口」ではなくて「無口」で安全確保です。


[3080] 【3193回 ヘルメット着用について】 2013-06-22 (Sat)

とかく登山中にヘルメットをかぶっていると一言・二言冷ややかな言葉を浴びせさせられるのが現状です。それならばう〜んとお洒落で恰好良いヘルメットをかぶろうと心掛けている今日この頃であります。

登山中のヘルメット着用は、落石の危険のある北アルプスなどでは装備している人もいますが、一般的にはクライマー以外はほとんど見かけません。クライマーとて無帽で上半身裸に近い恰好でポスターに収まっている姿さえあります。標高が低くても落石の危険度が高い山では安全のためにかぶろうと決めています。時々「あっ駐車場の車の中に置いてきた」と言う人がいます。駐車場まで持参しているのであれば何故かぶらないのでしょうか。テレビで山岳救助隊が救助に出動するときリュックの後ろにブラブラとぶら下げて現場に向かっている姿も気にかかります。

扇沢登山口で「沢登りですか?え〜っ!このコースに沢なんかあったかなぁ?」と、明らかに皮肉の声でした。「ヘルメットをかぶって歩いて貴方にどんな迷惑をかけますか?!」普段はおとなしい同行者が大声をあげたのが今でも脳裏に焼き付いています。(ええど〜ええど〜!)

長野県の山岳遭難防止対策協会が、北アルプスなど県内山岳の5地域を「ヘルメット着用奨励山域」に指定。「ヘルメット着用奨励山域」は、北アルプス南部(穂高連峰一帯、槍ケ岳の東鎌尾根や北鎌尾根)、北ア北部(鹿島槍ケ岳北側の八峰キレット周辺、唐松岳北側の不帰嶮周辺)、南アルプス(甲斐駒ケ岳、鋸岳)、中央アルプス(宝剣岳)、戸隠連峰(戸隠山、西岳)の5地域。いずれも切り立った険しい岩場の山々です。富士見平小屋では子供用ヘルメットの無料貸出を行っています。保護者に説明しても理解してもらえない場合が多くあります。瑞牆山は危険な岩場であるという意識を持ってもらう狙いもあるのですが・・・。

長野県警山岳遭難救助隊によると、2012年夏山シーズンに遭難した117人のうち30人(25.6%)が頭部を負傷。ヘルメットを着けていれば命を救われた死亡事故や救助要請が不要だった例が年数件あるそうです。着用した状態で約150メートル滑落したが命拾いした登山者もいます。技量が不十分なのに安易に入山してしまう登山者の増加も多いそうです。「遭難防止とともに登山者に危機管理の意識を高めてもらうきっかけにしたい」と奨励山域の選定を山小屋関係者と進めてきたそうです。

ヘルメットを配備する各山域の山小屋などは有償で貸し出す予定だそうです。小屋で借りたヘルメットはどこに返却すればいいのか問題点は多くありますが、ならばマイヘルメットを持参していれば面倒な事もありません。「ヘルメットは岩登りでしか使わないという時代は終わった。命を守る大切なアイテムという認識を持ってほしい」と遭難救助隊関係者は話していました。


[3079] 【3192回 雨ですねぇ〜】 2013-06-20 (Thu)

しっぽりと良い雨ですねぇ。外出を予定されていた方には申し訳ありませんが、やっと雨が降ったね。うれしいね。雨乞い神事をしている地方もあり水不足が心配されていました。降りすぎるというのもまた被害が出て嫌ですね。梅雨があがれば夏山登山の到来ですね。富士山が世界文化遺産に登録されるのが確実になり山頂をめざす人も増えるでしょう。

近年は「登山外来」を掲げる病院があるそうです。北海道の苫小牧東病院には「登山・ウオーキング外来」があるそうです。苫小牧東病院の船木医師は低体温症の研究をしてきたそうです。(この先生の講義を聞きに行ったことがあるヨ〜)夏山でも低体温症で死亡することがあるそうです。2009年7月に大雪山系トムラウシ山で客とガイド計8人が死亡した遭難事故は記憶に新しいですよね。登山外来を開いたのは「安全に山に行ってもらいたい」という思いからだそうです。

●最も危ない登山者はどういう人ですか。
  @中高年が初めて山歩きを始める
  A若い時から続けている
  Bブランクがあって再開する

船木医師は初心者の中高年は慎重で、危ないのは、筋力の衰えを自覚しないで若い時の感覚で登ってしまう人だと言います。下山で使う筋肉は日常生活では維持しにくく、低山の下りで繰り返し鍛えたうえで高山に向かって下さいと助言をしておられます。

岩場ではバランス感覚を求められるため、目をつむり、片足で立ってみて下さい。どのくらい立っていられますか?一人で歩いてるときはマイペースで歩けますが、他の登山者が前や後ろにいると、つい追い越されないようにペースを上げたり、逆に追い越そうと大股になったり、そんな経験はありませんか?追い越した人に追い越されたくないから、しんどくても立ち止まれなかったりしたことはありませんか?。山登りは競争ではありませんよ。

私達の登山ではほとんど私がトップを歩きます。私の歩きは終始「スロー」なのです。だから最初に飛ばしたり、急坂でスピードダウンしたりはせず常に一定していると思っています。何年もその訓練をしてきましたので本当にゆっくりしか歩けません。

来月初旬には奥秩父「雲取山・両神山・甲武信・丹沢・大菩薩嶺」を計画しています。リズミカルにそして楽しい山歩きが出来るようにトレーニングを積み重ねておきたいと思っています。


[3078] 【3191回 退院後の元気な顔】 2013-06-19 (Wed)

120日間も食道がんの治療のために入院していた知り合いが6月5日に退院し自宅療養をしています。食道がんでこんなに長い期間入院はしていたものの食事はまだ管から注入しており「こんな状態で退院って?」「ベットが満床のため外来で通院せよと言うことらしい」退院後のご家族の大変さが目に浮かびます。

そんな知り合いから「自宅に来てほしい」とメールをもらいました。元気な時に育てあげた紫の玉葱の収穫を終えたのでぜひ差し上げたいとのことでした。やんわりと丁重にご辞退したのですが、ならば此花まで持参すると言われて、いやいやまだ遠出は無理のため私が、はせ参じますと言うことになり東西線・学研都市線を利用して河内磐船駅で下車しました。

駅前に車が1台駐車しており見覚えのある顔が見えました。ご本人自らお出迎えです。「車を運転しても大丈夫なのですか?」顔色は退院前よりも良いのですが体力の回復までには至っていないようです。もともと細身の方でしたが骨の上に皮がついている状態です。私は生まれて一度もこんな細身になったことはありません。食事をするための管も3日前にやっと外れ普通食が少し食べられるようになったそうです。奥様は自宅1階で美容室を経営されており、美容室のお客様が途切れた合間を縫ってご挨拶に上がってきてくださいました。

退院してわがままが増えたとぼやく奥様でしたが早く回復をしてもらおうと孫たちの送り迎えの仕事を分担し自立をさせようとしておられる愛情が伝わってきました。お弁当箱に入った卵の寿司が4切れ・・・2切れ食べるのがやっとだと言います。食道の切除で胃を持ち上げてくっつけているため胃が縮まったらしく少ししかたべれないそうです。始終食べているようにと医師から言われているそうです。

声も出づらく「森進一」と同じ声の性質に変わっていました。その事をなげいていましたが「相手に通じているし、声が出るだけでも幸せと感じて下さい。声を失ったことを思うと有難いとおもえば今の状態に少し満足できますよ」と申し上げました。しっかり声をだして歌を歌ったりするのもリハビリに良いらしいですよとも話しておきました。

帰り際に自家製の紫の玉葱、自家製のじゃがいも、瓶詰タケノコを頂きました。もうひとり差し上げたい人がいるとの話でバイクで届ける事の出来る距離のため、その方の分も預かって帰ることになりました。

「重っ!」肩に食い込む重さです。これなら大きなリュックを持ってくればよかった〜そういえば出かけにポッチーが大きなリュックを持って行けばとアドバイスをしてくれたのですが「大丈夫〜」と一笑したのです。言うこと聞いておけばよかった・・・

海老江駅のヤマダデンキ駐車場にバイクを停めていたため長く歩かずに済みましたが結構な重量でした。野菜の重さもですが真心も重かったです。スーパーでいくらでも買える代物ではありますが野菜を作る過程を想像すると愛おしくみごとに出来上がれば親しい人にプレゼントしたいと思う気持ちは伝わってきます。

紫の玉葱はスライスして生食で、大きなじゃがいもは孫たちにポテトチップスを作ってやろうと思っています。


[3077] 【3190回 あわや!交通事故】 2013-06-18 (Tue)

17日の午前10時前千鳥橋の交差点で信号待ちをしていました。私のバイクの前には「若葉マーク」をつけた軽自動車が停車していました。突然バックランプがつき「おっとっと!どうしたのかな?」と少し下がりましたが結構な速度でまだバックしてきます。バイクのクラクションなんて行き交う車の音にかき消されている様子で聞こえてない様子です。私の後ろには普通自家用車が止っており挟み撃ちになりそうでした。どうにか軽自動車の横っ面にでることができ助手席のドアを思い切り叩きつけました。驚いたお爺さんは何事かとドアミラーを下げて何かあったのかと言う顔をしました。後ろにバイクが停車しており、あわやであったことを伝え、何故急に勢いよくバックしたのか聞くと「停止線をオーバーしたのでバックした」との答えが返ってきました。バックをする時には後方確認が必要であること、バイクがうまく避けられたから事故にはならなかったが注意力散漫であることを厳しく告げました。すると「怪我がなかったからよかったじゃないですか」の一言に・・・なにっ〜!(爆発!)

車を移動して欲しい、少し話があるとお互い右折のウインカを出していたのですが左折しバス停のある少し広い安全な場所まで移動して軽自動車のお爺さんに運転席から降りてもらいました。まず軽自動車の四方に張られたカーテン(レースではなくて分厚い家のカーテン生地)を全開させました。「こんな素材のカーテンをしていれば後方確認ができません。自宅に帰ったら取り外して下さい」そして免許返納制度のあることを説明しました。「あのぉ警察の方ですか?」と爺さんが聞くので「一般市民です!。あなたが私の父だと思って言ってることです」とかなり厳しい説教をする羽目になりました。自宅に戻っても恐怖から手の震えがとまりません。あのまま私が軽自動車の横に出ることができなかったら今頃病院のベットの上かも知れません。


●運転免許自主返納制度とは
運転免許の自主返納制度は、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下により、運転に不安を感じている高齢運転者や交通事故を心配する家族等周辺の方々から相談が寄せられていたこともあり、運転を継続する意思がなく、運転免許証を返納したいという方のために、自主的に運転免許取り消しの申請ができるように、、道路交通法の一部を改正し、平成10年4月1日から制度化したものであります

@運転免許を返納した方は、「運転経歴証明書」を申請することができます。
A「運転経歴証明書」は、運転免許を返納した日からさかのぼって5年間の運転に関する経歴 を証明するもので、これまで安全運転に努めてきた証明や記念の品となるものです。
B「運転経歴証明書」を提示することにより、高齢者運転免許自主返納サポート協議会の加盟 店や美術館などで、様々な特典を受けることができます。


[3076] 【3189回 父の日】 2013-06-17 (Mon)

6月16日は「父の日」でした。世間は「母の日」ほど騒がず、ついうっかり忘れてしまいそう(私は完全に忘れていました)。ポッチーには息子が二人おりそれぞれに嫁と子供がおります。兵庫県に住む嫁は父の日よりも前に逢った折りに「少し早いですが・・」とプレゼントを貰っていました。もうひとりの嫁は「1日遅れますが明日プレゼントを渡します」とのメッセージが届いていたそうです。親としては夫婦円満に生活をしてくれていることが何よりのプレゼントだと思っています。

ポッチーは夜に息子達から電話をもらっていました。父親らしいことをした覚えがなくても(笑)父の日には優しい声をかけてもらえるのですね。一緒に暮らしていると照れくさくて言えなくても電話だと素直に言えると言うか自分が親になって初めて子育ての大変さがわかったのでしょうか。

この間4人の孫がお泊りにきていたときの事です。一番上は3年生2人、1年生、3歳で、小学生たちは大人が付きっきりでなくても自由に遊んでくれます。3歳の子はまだ手がかかりますがお姉ちゃんがしっかりと面倒見てくれます。丁度いまオムツパンツから普通パンツに移行練習中でまだ「おしっこ〜」とは言ってくれません「でた〜」で知らせてくれるためトイレに行きたくなる時間を予測しトイレにつれて行きます。時々自分で「おしっこ」と言えたときは褒めて褒めて褒めまくります。うんこの時は、そばで遊んでいるお兄ちゃんが「クサッ〜!婆ちゃん〜こうちゃんがウンコしてるで〜!」と教えてくれます。「あ〜あっ!」と言うと申し訳なさそうな顔をしますので「うんこちゃんこんにちわっ!」・・・自分の子育て時代とは大きな違いです。

スーパーに行き3歳児を買い物カートに乗せました。あとの3人はお菓子売り場に直行です。カートに乗った3歳児は「ストツプ〜」と私に停止するように合図を送ってきます。見ると試飲用のヤクルトを係員が「どうぞ」と差し出していました。次はサクランボ売り場で「ストップ〜」がかかりました。自分の欲しいものの前ではうまくストップをかけて婆ちゃんを自由自在に操ります。ママにそのこと報告すると『近くのスーパーでもよく試食をしています。ぶどう、さくらんぼ、スイカ、バナナ、などを買ってといわれます。チラシを見てこれを買いたいといい食べたいものがハッキリしています』フルーツ売り場の前ではカートのスピード違反しなきゃあね。(笑)

爺婆は子育てには参加しないでおこうと思っていますし、息子達は参加しないで欲しいと思われていると思います。でも昔から受け継がれた童謡はぜひ孫たちにという姫婆の願望があり花が咲いていれば花の歌、電車が通れば電車の歌を歌って聞かせます。この間は「ずいずいずっころばし」の歌を3歳児に教えました。舌っ足らずでところどころ「♪チュー♪チュー」と真似をしていたのですが「父の日」に電話の向こうから「ずいずいずっころばし」の歌が聞こえて来ました。とても上手に歌えるようになっていました。上の子達が一緒に歌ってくれたのでしょう。レスキューのロープワークも何も知らないところからスタートしても繰り返して練習することで自分の物にすることができます。3歳児が一生懸命覚えようとしたこととロープワークも類似したところがあると思いませんか。(何か無理やりこじつけ〜?)

ずいずい ずっころばし ごまみそ ずい
ちゃつぼに おわれて トッピンシャン
ぬけたら ドンドコショ たわらの ねずみが
米くって チュー チュー チュー チュー
おとさんが 呼んでも おかさんが 呼んでも
いきっこなしよ 井戸のまわりで お茶碗かいたの だあれ

このわらべ歌は、
『ある農家でずいきのゴマミソあえを作っていたところ、表を将軍様に献上する"茶壷道中が"通りかかりました。驚いた家の人たちが急いで奥へ隠れます。静まりかえった家の納屋の方では、ネズミが米俵を食べる音。井戸端ではあわてた拍子にお茶わんを欠く音。息を殺している中でのいろいろな音。やがて茶壷道中は去って行く。』そんなお話があるのです。みなさん歌ってみて下さいね。


[3075] 【3188回 しっとりと雨が・・・】 2013-06-16 (Sun)

「3日間だけ雨降らないで・・・」雨男の呼称のお祭り野郎達が台風をリュックに詰めて大阪に来るのか?と気をもみ、幸いに台風は消えました。猛暑の中、無事講習を修了しました。せっかく新幹線代を使ってきてくれたのだから元を取って帰ってもらわねばと秘密の引き出しにしまってあった技術まで教えたジョンの意気込みも伺えました。

15日は朝からしっとりと雨が降り始め、しっとりから土砂降りに変わりました。恵みの雨です。モリアオガエル達はこの雨を利用して池の中に落ちて成長するでしょう。田植えを終えた苗は活き活きと生まれ変われたことでしょう。

『喜んで帰ってくれた様子がお祭り野郎達から届いた。豪華さはなくても、さりげない真心の積み重ねが相手に伝わって嬉しい。息子2人が帰省してまた職場に戻って行った母の気持ちも味わさせてもらった気がします。「おかん・・うまいなぁ〜このカレー」そんな息子の声にも聞こえました。本当の息子は照れくさくてか母を褒める言葉は聞いたことがない。横須賀の息子達はそんな母にお褒めの言葉をかけてくれる。心地よい響きである。』

今回の特訓が山岳事故に役立つ日がきっと来ると信じています。背負い搬送訓練で彼らの背中におんぶされたとき、救助対象者を無事小屋まで担ぎ下ろすのだという意気込みと温もりが伝わってきました。去年の山岳事故が2465人そのうち死者は284人だったそうです。遭難者の68%が60歳代、89%が40歳代、遭難の42パーセントが道迷いだそうです。

遭難事故と言えば中高年が矢面に立っていますが若者達もまた技術の習得がなくても体力に任せて山行し、石道をピョンと飛び骨折をしてみたり、ビニール合羽で3000メートル級の山に登ったりして事故に繋がる場合があります。しかし68%が60歳以上という数字が言い訳の出来ない事実として真摯に受け止めておきたいと思っています。

いまから夏山シーズン到来です。目指す山が決まったらトレーニングを積み重ね楽しい山の思い出が作れるようにしてほしいと思っています。勿論私も地図を広げ、コースタイムを書き出し、宿泊場所を決め・・・と着々と計画を立てて楽しんでいます。


[3074] 【3187回 豪華でなくても真心さえこもっていれば】 2013-06-15 (Sat)

「宿泊先はお任せを!」そんな軽いノリで我が家をベースキャンプに決めた今回の横須賀組との合流でした。豪華さはなくても出費を抑えられて気兼ねしないのが一番かと思い引き受けました。お祭り野郎達はとても性格も良くポッチーもお気に入りなのでスムーズに宿泊してもらうことができました。大阪に行けば美味しいもん食べられると思ってきたかも知れませんが、そんなに甘くはありません。何しろ「鬼の強化特訓」なのですからね。

トレーニングの時間を共有するためにフランス料理やスペイン料理などの時間のかかる料理のおもてなしは出来ないのです(最初から作る気もなく、作れるはずもない・・・かっ!アタリ〜)狭くても布団に洗濯が効いており横になるスペースがキープできればいいかと決心し、トラブルを避けるために最低限の約束事を事前に決めメール発信しておきました。返事は「ラジャー!」

「風呂代・外食代は折半」と決め「おごる・おごられる」の接待モードを取っ払いました。これが今回、お互いに気を使わずに過ごせたキーポイントだと思っています。遊びでも何事も最初に決めておくことが大事だと思っています。グループや組織での中なら当たり前の事かもしれません。約款とまでは難しいですが最低限のルール作りがあれば何か事が起きてもスムーズに解決することができます。

お祭り野郎達の「鬼の強化特訓」をすることになったのは「レスキュー243」でリーダーとなり若者達を束ねるためには、技術を習得し更なる腕を磨き、メンバーに伝授して行って欲しいと願っているからです。例えば人の悲しみに寄り添う時、形はさまざま違っていても、「誰にでもわかるように励ます」「陰ながらソッと見守る」「別の地にいても励ましの気持ちを持つ方法」「個人宛てに励ましメール発信」etc.あると思います。

お祭り野郎達は、酸いも甘いもがわかる人間(85%は仕上がっているのですがあとの15パーセントは大阪で仕上げいたしやす)が人の上に立てるのです。思いつきで物事を進めると必ず途中消滅して行き長続きしません。迷った時は長く生きた者の知恵も拝借して目的にあった誰もが認めてくれるレスキュー隊のトップになってほしいのです。

今回の2泊3日が有意義で実のある「鬼の強化合宿」であることを祈っています。


[3073] 【3186回 充実した「お祭り野郎講習」】 2013-06-14 (Fri)

横須賀のお祭り野郎たちの2日目の講習は宝塚の「蓬莱峡」平日のため貸切でした。さまざまな訓練をこなし最終は大屏風の登攀&懸垂下降です。私達は1年を経過しないと連れて行ってもらえないコースでした。しかし若さと感の良さがグングンと上達して行き予定の時間を1時間以上も過ぎています。ぽっちーは既に迎えの車を蓬莱峡入り口に横付け。

「やまとの湯」で汗を流し自宅で一杯キューッとビールを飲み「なんば」へと繰り出しました。大阪名物「道頓堀・ひっかけ橋・かに道楽・法善寺横丁」など楽しみました。帰りには「大阪でるとき連れてって〜」で有名なたこ焼きをお持ち帰りしてまたまた講習の続き。

3日目は新幹線を正午過ぎには乗りたいということからゲレンデ行きの予定を変更して座学をすることにしました。リュックでの背負い搬送・ロープワークもみっちり!今後彼達が今回学んだことを「レスキュー243」メンバーに伝授していくことでしょう。まず人間性・・これは既に合格!。技術面・・基礎は学習しました。あとはトレーニングを繰り返すのみ。どちらがリーダーでも大丈夫。ケースバイケースで二人で力を合わせて活躍してくれることでしょう。

2泊3日・・・教える側も教わる側も充実した「鬼の特訓」でした。雨にも遭わず天の恵みに感謝しています。


[3072] 【3185回 救助練習第1日目】 2013-06-13 (Thu)

心配した台風もどこかに消え、横須賀を出るときは雨模様だったそうですが新大阪駅に着く頃は快晴となりお祭り野郎たちを出迎えました。「やぁ!やぁ!」心が通じていれば挨拶も、てみじかに済み車に乗り込みました。芦屋高座の滝を目指し車内ではあらためて再会の喜びの言葉を交わしました。

地獄谷コースではロープでの確保、救助者の引き揚げ、ホワイトフェイスの斜面を利用してリュックでの背負い搬送、先導のためのロープの張り方と中味の濃い内容だったと思います。あまりの熱心さにここで正午を回ってしまいました。

毛虫が弁当の中に落ちてこないように気を配りながら昼食をすませ地獄谷をアンザイレンで進みます。いつもの3倍以上の時間をかけたためǍ懸垂岩到着は午後2時を過ぎていました。Ǎ懸垂岩にはガイドらしき人とツアー客が7〜8人クライミングをしていました。時間的にもうすぐ終わるなと判断し、ながめの休憩を取っているとリーダーらしき人が近づいてきて「もうすぐ終わりますから」と声をかけてくれました。

それから鬼の特訓は日暮れまで続き(詳細は後日レポートで)駐車場に到着した時には、あたりは薄暗い気配がしたのは気のせいでしょうか。「やまとの湯」で汗を流し、レストラン「姫」でささやかな夕食会を楽しみました。午後11時明日の鬼の特訓に差し障るといけないため就〜寝〜!


[3071] 【3184回 電話の上手な受け方】 2013-06-12 (Wed)

11日は65歳の初出勤・・・無事な任務を終えて帰ることができました。(ホッ)電話も1本も鳴らずで拍子抜けでしたが開設してまだ間もないことからそのうちうまく行くでしょう。台風近畿直撃と言う予報に気をもんでいましたが、朝は太陽が照っています。来客を迎える今朝ほどホッとした朝はありません。今日は電話の受け方について昔の新入社員の接遇時を思い出し反復しました。

●電話の受け方
@コールは4回以上鳴らさない(会社にかかってきた電話は3コール以内で出ると指導してきました)止む無く4回以上鳴らしてしまったときは「大変お待たせいたしました。」と第一声で言いましょう。

会社などで受けた電話はその会社の顔です。暗くぼそぼそ話したり、私情を持ち込み怒ったような声で電話に出ると相手にその通りのイメージを持たれてしまいます。

A身内に敬称を付けない(ふたりまえ体操しようか?)
「○○さんはいらっしゃいますか?」と相手に聞かれた場合、「○○さんは、今外出しております。」と言ってはいませんか?。課長や所長などの役職も同じです。相手につられて「○○課長は・・・」などと言わないように気をつけましょう。

Bお待たせしない

例えば電話の用件を伝える主が席を外していた時、違う電話に出ている時、など、相手をお待たせしてしまう場合は「こちらからお掛け直しいたします」と言いましょう。相手は待っている間も電話代を取られています。即答できない案件の場合も、「折り返しお電話させていただきたいのですが」と申し出ましょう。

Cお友達言葉で話さない
当然のことですが、仕事に関わることは全て敬語、丁寧語で話して下さい。それが下請け会社だったとしてもです。

D相手の名前や用件をうろ覚えのままにしない
何か調べ物をしたり、取次ぎの社員が帰ってきてから電話を折り返すことになった時は、必ず相手の名前や電話番号を復唱して確認しメモを取りましょう。「たぶん」や「忘れた」では済まされません。必ずメモしましょう。

E切る時はいきなり受話器を置かない
電話を切る時には、いきなり受話器を置かず、電話のフックを1回指で静かに押さえて切ってから受話器を置きます。向こうの耳元にガチャンという音が響き、印象が悪くなります。
私がかけた時は私から切る、掛かってきた場合は先方が切るまで待つ

電話をこわがらないで積極的に取れば、取った数だけ早く上手になります。学校を卒業して初めて就職した大手の会社は「エレベーターガール、電話交換手、一般事務」などの職種があり新人女子は必ずエレベーターガールと電話交換手を3ケ月ずつ体験した後に正規の配属先に就きました。朝みんなより早く出勤して、言いにくい会社の名前を何度も連呼し朝練をしました。電話交換手時代は電気がピリピリと手に伝わり怖かったことがありました。(ふる〜っ!)役員専用階段というのがあり知らずに昇って注意されたこともありました。(だって知らなかったんですもの〜苦笑)


[3070] 【3183回 まだ理解できてないフェイスブック】 2013-06-11 (Tue)

まだ少し取扱いが慣れていない「フェイスブック」ではありますが何とか取り残されないように徐々に理解しようとしている自分がいます。ニュースフィードの役割って何なのだろうと調べる前にまず私がかかわっている「フェイスブック」をグループ分けしてみました。私が関わっているのは

@「個人的フェイスブック」→友達関係を結んでる人が見る
A「富士見平小屋フェイスブック」→フェイスブックをしている人は誰でも見れる
B「レスキュー243」→管理人が認定したメンバーのみ

私はこの3つのポケットを持っていることになります。

●ニュースフィードとは
友達が何か行動したときに、告知をしてくれる場所です。 近況の更新情報。 写真や動画の更新情報。 基本データの更新情報。 友達が関心を持ったフィードやfacebookページ。 友達が新たにフォローしたユーザーなのだそうです。

●何のためにあるの?
ニュースフィードを見ていれば、友達の情報がすべてわかるようになります。Facebookは友達との交流が基本となっているサイトです。プロフィールの更新や写真のアップロードなど、友達が何かをしたらそれをすぐに知りたいと思うのが人間です。ニュースフィードはその欲望を解決してくれる場所になっています。つまり、「ニュースフィードを見ていれば、自分の友達が何をしているのか」が一瞬でわかるのです。

●ニュースフィードの見方
ニュースフィードには、友達やFacebookページの更新情報がテキストや写真、リンクなどで紹介されます。

●これらをどのように見て、どのように反応すればよいの?
友達が近況をアップロードしたら、あなたのニュースフィードに友達の近況が表示されます。近況に同感したら「いいね!」をクリックして、友達に同感していることを伝えます。近況について意見があれば、「コメントする」をクリックして意見を書き込みます。(私はいいね!を押すくらいな
らコメントを書いて欲しい派です)

ニュースフィードは友達関係を結んでいる個人の書き込みも見ることができるため、「何やグループに関係ないことまで書き込んで〜!」と思うかも知れません。そんな事を思う人はグループのページへ直接アクセスすれば(私の場合はAとBになる)ちゃんと種類分けできているのです。じつは・・・私も最初は勘違いして「何や!公私混同してる〜」と思ったことがあります。

例えばレスキュー243メンバーとして小屋に出勤(?)した場合B「レスキュー243」に滞在中に起きた出来事をメンバー全員に「会員通信」の意味で小屋に行かれた方が発信してほしいと願っています。そうすればメンバー全員が話題を共有することができます。富士見平に花が咲いたよ、新緑がきれいだよなどの一般情報はAの「富士見平小屋フェイスブック」に書き込み多くの登山者に見てもらいたいと思っています。

便利なフェイスブックも使い様によっては相手に不快感を与えたり、誤解を与えたりします。あくまでも個人的なことは@の「個人的フェイスブック」に書き込んで遠く離れた友達に元気であることを発信しましょう。分かり易く言えば「ニュースフィード」欄は「味噌も糞も同時に見られる」ので便
利っちゃ便利なのですが公私混同と勘違いすることも度々です。

まっ、フェイスブックの「いいね!」は文章力も何いらず文章を書くと言う能力を低下する何物でもないと思っています。「いいね!」を押すのであればどういいのか明記してほしいと思っています。私の説明がイマイチで分かりにくいかも知れません。

(65歳過ぎたらあんまり深入りせんとこっ!)


[3069] 【3182回 間違って使われる敬語】 2013-06-11 (Tue)

どこのコンビニに行っても同じ間違いの敬語が使われておりプッと吹き出したくなる時があります。その日の虫の居所が悪ければ「何言うとんねん!」とつい言いたくなる時もあったりします。この年になって再び事務所勤務のサポートをすることになり新入社員になったつもりで電話応対の勉強をし直しました。

「間違った敬語10選」

●その@「了解しました」
仕事関係で、上司に使うことの多い言葉ですが、実はこれは間違った敬語です。正しくは、「かしこまりました」です。

●そのA「スイマセン」
「スイマセン」という言葉には、「ありがとう」という意味と「ごめんなさい」という意味、2つの意味が含まれています。きちんと気持ちを伝えたいのなら「スイマセン」ではなく、「ありがとうございます」「申し訳ございません」という言葉を、状況に応じて使い分ける。

●そのB「あの〜」
会話のところどころで、「あの〜」という言葉を発する癖のある人がいます。自分の考えがまとまっていないのに話そうとすると、考える時間を作るために、無意識に発してしまう言葉です。 伝えたいことをきちんと頭の中で整理してから話すようにすれば「あの〜」や「えっと〜」とを減らすことができます。「あの〜」「えっと〜」こんな人の挨拶や祝辞は聞きたくな〜い!

●そのC「粗末なものですが…」
手土産を渡す際、「粗末なものですが…」というセリフを聞きます。粗末なものを手土産に持っていけばそれこそ失礼です。手土産は、「皆さんでどうぞ」といって手渡す。

●そのD「○○なんですけど…」
何か頼みごとをする時に、 「お客様、こちら○○なんですけど…」 と語尾をごまかすのはよくない。 「お手数ですが、○○をしていただけますでしょうか」と「お手数ですが」「恐れ入りますが」などのクッションとなる言葉をいれ、「していただけますでしょうか」という疑問系で話すと聞いた方も腹が立たない。

●そのE「なります」
レストランやスーパーのレジなどで、よく耳にする間違いやすい敬語です 「こちら、ハンバーグになります」 「100円になります」 は間違いです。指し示したものを敬語で説明するのなら 「こちら、ハンバーグでございます」 「100円でございます」が正解です。

●そのF「よろしかったでしょうか」
何かを確認する際、 「こちらでよろしかったでしょうか」 何で過去形やねん! 「こちらでよろしいでしょうか」とちゃうんか?

●そのG「〜のほう」
「メニューのほう、お下げいたします。」飲食店で、このような言葉をよく耳にしますが「のほう」というのは方角を指し示す言葉なので、この場合には適切ではありません。

●そのH「ご苦労様です」
「ご苦労様」という言葉は、目上の人が目下の人に対して使う言葉です。目上の人に対しては、「お疲れ様です」という言葉を使いましょう。

●そのI「○○様でございますね?」
お客様が来たときに確認する際、 「○○様でございますね?」 は間違い。正しくは、 「○○様でいらっしゃいますね?」 です。

コンビニなどではマニュアル通りかも知れませんが結構間違った敬語を使っています。丁寧に言ってるつもりかも知れませんが一度経営者がマニュアルを見直した方がいいのではありませんか?「は〜い」と伸ばす返事も気に入らない!「はいと言いなさい!はいと〜!」思わず心の中で叫んでいます。


[3068] 【3181回 なぬっ!台風接近やて!?】 2013-06-10 (Mon)

台風が接近しているというニュースを聞き「じぇじぇ!大事な行事があるのに!」と頭を抱えています。大丈夫!台風なんか吹っ飛ばしてやる〜と意気込んではいますが・・・どうなりますことやら・・・・。

「じぇじぇじぇ〜」これはNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でヒロインらが驚くときに口にする言葉です。前回の連続テレビ小説は「小娘が魔法のホテルを作る」と言う現実味のないストーリーで見ていても感動もなく期待もなかったのに・・・それでもつい見てしまう、これがわずか15分間、毎日放送されると言う連続ドラマの洗脳術なのでしょうか(笑)

今回のテレビ小説は主役よりも脇を固める大物俳優たちが面白さを醸し出しています。それに何と言っても「あまちゃん」の舞台、岩手県久慈市の小袖地区、人口わずか720人の集落で限られた住民しか使っていなかった方言が、ドラマで使われるようになってから全国区になりました。ヒロインらが驚くときに口にする「じぇ」は若い世代が敬遠して廃れる一方だったそうですが、降って湧いたようなブーム到来に地元は「じぇじぇじぇ」ブームとなりました。「方言復興へのきっかけ」と周囲は期待しています。

人気に火がついた「じぇ」は、集落で使っていたのは年配の漁師さんや海女さんぐらいしか使われていませんでした、ドラマに登場し息を吹き返した格好となりました。「あまちゃん」に沸く地元のにぎわいぶりは半端ではなく、東日本大震災で被災し、仮設の海女センター(岩手県久慈市)には連日300〜500人の観光客が詰めかけ、ゴールデンウイークには地区住民の14倍以上に当たる約1万人の観光客が押し寄せたそうです。

市民権を得た感のある小袖地区の海女さんだが、実際の仕事は意外と知られていません。夏場の早朝、「本日、女のウニ取りを行います」との有線放送を合図に海女は慌ただしく準備を始めます。漁が決まるのは当日朝。波の強さや海水の透明度は当日まで分からないからだそうです。乱獲防止のため、漁に出られるのは年にわずか2回。1回の漁で取れるのはウニ125〜250個で収入は3万〜6万円にすぎない。ベテラン海女は「取れる量が減り、厳しい」と言う。主たる仕事は本物の漁ではなく、観光客に漁を実演する「観光海女」だが、こちらも活動は7〜9月に限定される。現在、海女の会には約25人が在籍するが、20代は1人だけ。技術継承などの課題を抱える。ドラマが取り持つ縁で若い海女志望者が増えるといいですね。

伊勢志摩方面にグループ旅行にいったおじさんんチームの話を思い出しました。観光客に漁を実演する「観光海女」を見学し宿に入り、さあ宴会がはじまりました。「コンパニオンはいかがですか?」のお誘いに鼻の下をタラー〜リと伸ばし「オネガイシマス」といったそうな。宴もたけなわの頃「こんばんわ」と入ってきたコンパニオンさんの日焼けした手を見て、おじさん一同「じぇじぇじぇ!」と腰を抜かさんばかりに驚いたそうです。何と昼間の海女さんが夜の部のコンパニオンとしてお出ましだったとか〜(大笑)

標準語以外は喋るのをためらう若者がいますがお国訛りは国の宝だと思って胸を張って喋って広めて行って下さい。私も故郷を後にして50年以上にもなりますが地元の人も使わない方言を使って地元の人に「じぇじぇじぇ〜」と言われています。(小笑)


[3067] 【3180回 お泊り客を迎える準備】 2013-06-09 (Sun)

狭い我が家でも泊り客を迎えるスペースは辛うじてあります。昔は会社の後輩たちが東京から来たときは宿泊先として我が家が溜まり場になっていました。新入社員の歓迎会で終電車がなくなったという酔っ払いニューフェイスを抱えて自宅に連れて帰ったりもしました。翌朝はお弁当まで持たせてね。

まずジャングルジムを移動することから始めました。そして布団を干していると、隣のおばさんが「ヒャーッ!布団干してるの初めて見たわ〜っ!」何ということを!常々利用している布団はサンルームに干しているため隣からは見えません。たまたま昨日は2階のテラスから干していたので外から目に留まっただけ・・・ひどいわぁ〜

押し入れの中はスノコを引いて湿気には充分注意をしていますが天日干しをして湿気抜きをしました。シーツも洗って収納してはいますが、もう一度洗い、寝返りしたら怪我をするのではというくらい糊を効かせ(糊の効いたシーツ大好き)準備万端整えました。狭くてもこれで快適に寝ていただけると思います。

ついでに押し入れの整理も済ませました。下の段はオモチャ入れと化してしまっています。昔は梅雨に入る前に押し入れからブリキ製の「衣装缶」を部屋中に並べて衣替えをしたり虫干しをしたりしましたが現在ではそれぞれの部屋のクローゼットに収納しているため衣替えもしていません。それに四季を通じて着用できる素材も多くなり昔ほど衣替えの必要性がなくなってきました。

押し入れの中から出てきたのは冠婚葬祭でお返し用に貰った陶器のセットが異様に出てきました。しかも当事者の名前入り〜時代を感じずにはいられません。今ではカタログ1冊で好きな品を選べるようになり便利なものです。

名古屋に住む友人の結婚式に参列した人の話です。名古屋の結婚式はそりゃあもう派手で派手で引き出物も両手に抱えられないほどあったそうです。さてこれらを新幹線で持って帰るにはどうすればいいのかと思案していたところ既にタクシーの手配がされていたそうです。名古屋駅までではありませんよ!勿論自宅のある大阪まで!友人は言いました。「タクシーチケツトでなかったら名古屋駅で降車し、荷物を宅配便でおくり、浮いたお金で一杯飲めたのに」と。

結婚式は多くの人に祝福してもらうことによって簡単に離婚できないようにという願いも含まれているとか聞いたことがあります。仲人をたてることによって簡単に別れられないという気持ちも新郎新婦に教えているとも聞いたことがあります。しかし現在では結婚式も葬式も、ごく内輪でと言う方法に変わってきました。だから簡単に離婚するのか?

結婚とは忍耐と辛抱の上に成り立っているのではと40年以上も共同生活をしていて感じるのですが熟年夫婦のみなさんはいかがですかね?ひょっとして我が家だけ〜?


[3066] 【3179回 えっまた働くの?】 2013-06-08 (Sat)

「もう働きたくありません!」60歳の定年を迎え再雇用の延長の話が有ったとき、きっぱりとそう断ってから既に5年が経過しました。自由に時間の使える「サンデー毎日」ですから、目覚めも自由だし色々な山歩きをすることができました。23日間というアイランドピークへの登山も実現できたと思っています。ところがここに来てまた「事務員復活」と相成りました。毎日ではありませんが(先方は毎日でもいいらしいが!)交代で事務所の留守番に行くことになりました。

場所は此花区西九条に此花会館(梅香殿)という多目的会館があります。昔は結婚式も盛んで何を隠そう昭和44年には私もここで結婚式を挙げました。いまほどあちこちにホテルや結婚式場が乱立していない時代の話です。しかしいまは結婚式の需要もなくなり、それらのスペースを地域の活動用に貸与し、4階は医師会事務所が借りたり、披露宴会場は安全講習会や地域の行事に貸し出しをして運営している様子です。私達の団体が借りた5階は結婚式場の控室だったようで部屋一面に大きな鏡が据え付けられていて控室の雰囲気がそのまま残っています。

正式名称を「此花更生サポートセンター」と言います。私の所属する会の理事の方達が当番制で留守番をし区役所で一括で処理をしていたのですが、橋下市長の命により、それぞれの団体が独自で運営せよと言うことで取られた策らしいです。理事さん達で当番制で運営し、理事がどうしても都合がつかない時に私が助っ人に入るということです。

だいたい山に出かけたら1週間以上も留守にするため「当てにならぬ事務員」ではありますが早速11日に出勤要請がありました。いきなり行っても何をしていいのかわからないため、理事の方が駐在している14日にサポートセンターを訪れてみました。電話の応対、荷物の受け取り、訪問者への対応などが主な仕事です。団体名称と電話番号を聞かれたとき、うろたえないように、とちらないように画用紙で三角錐をつくり持って行くことにしました。

5年も働かず自由にしていると緊張感があり「出来るだろうか?」の不安が結構大きいです。出勤したらまず机周りを掃除して曲がった書類をまっすぐにして引き継ぎ帳に記入し・・・まっ、やってみて出来なければお断りすればいいかぁ(私から断らなくても向こうから断る場合もあるしネ)と思ったりしています。


[3065] 【3178回 久々のプライベートクライミング】 2013-06-07 (Fri)

今年の3月に「KAZUくんのクライミング講座最終回」をホワイトフェイスで終了してからト〜ンとご無沙汰のクライミングでした。12日から横須賀の仲間がロッククライミング発祥の地を訪れることになっているために「下見」と称して当日と同じルートの山行をすることにして車で芦屋高座の滝をめがけて午前7時30分に自宅を出ました。

いつも人、人、人であふれかえっている阪急・芦屋川駅前広場には2人しか登山者はいませんでした。「今日は平日やから空いてるなぁ」そう言いながら駅前を通過して高座の滝に向かう狭い道を走るとポツポツと登山者が歩いていました。歩行者からは「きっとこんなところまで車で来てからに〜」と言われてるような空気を感じながら目的地に到着です。

まずはホワイトフェイスから登攀開始です。久しぶりなので体が重くて時間がかかります。その後は地獄谷の通過で本番と同じメニューで進んでいく事にしました。立木を利用して、肩がらみ、腰がらみとビレイをしながらǍ懸岩に到着です。

A懸岩で3ルートの登攀を繰り返しヘロヘロ・・・あとはピラーロックを歩き中央稜から戻ってきました。滝の茶屋で一息ついて帰りは今津にある「やまとの湯」で汗を流して帰ってきました。すべて本番通りに予行演習をしましたのでこれで安心!あと気になるのは天気だけです。


[3064] 【3177回 6月4日は虫歯予防デー】 2013-06-06 (Thu)

6月4日は「虫歯予防デー」でした。

私は3ケ月に1度歯の定期健診にでかけています。今回だけ自分自身の管理不足で3ケ月目に診察できず5ケ月くらい経過していたと思います。不覚にもその間に奥歯が虫歯になり治療に通いました。3回通ったおかげで6月5日に治療が完治しました。「次は3ケ月後にね」と言われて、戻ってからすぐにカレンダーに「歯・検診日」と書き込みました。もともと私は歯が悪く磨き方も悪く治療の後は磨き方の講習を受け「柔らかい歯ブラシで汚れを落とし、歯冠ブラシで食べかすを排除し、硬い歯ブラシでマッサージ」を朝夕続けています。風呂場にも1セット常備し湯船に浸かっている間歯ブラシを動かしています。まっ、悪い歯なりに努力をしていますが奥歯はどうしても行き届かないというか磨き残しがある様で「もっとしっかり磨いて」と帰り際にいつもおみやげの言葉を頂きます。

今回5ケ月目に行くと「あ〜奥歯が虫歯になってるわ。切開して治療しよう」と言うことで次の診察日に麻酔を打ち切開手術の治療をしてもらいました。肥えたのか腫れているのか2〜3日は判断不能〜!他の歯科医院に行けば「抜きましょう」と諦められて抜かれてしまっても仕方のない歯だと思います。お手数おかけいたします・・・

3回目の治療を終えおかげで抜かずに治療をして頂き、完治しました。ドクターが「むずかしかった〜!」とおっしゃった通り、口をあけるのにも難儀をするほどの一番奥の歯で「申し訳ありません」と心の中でつぶやきました。

歯科医院の椅子に座って時間待ちをしているとき、隣で治療中のドクターが丁寧に年配の患者さんに入歯の治療の説明をしていました。とても丁寧に説明をし、納得してもらってから治療に進んでいる様子がよくわかり、おもわず隣の私も頷いてしまうほどでした。

今日からまた一生懸命磨きます。「80・20」という言葉があり80歳になっても20本の自分の歯があれば健康が保てる言う意味だそうですが私も頑張らねばと思っています。昔、姑が胃の手術を受ける時「おばあちゃん!入歯をはずしてください!」と看護師さんに言われたことがあります。「私は入歯は1本もありません!」と、おとなしいお姑さんがこの時ばかりは力強く言いながら手術室にはいって行ったことを思い出しました。年寄りの手押し車も嫌でいつも買い物カゴを腕にかけて公設市場に買い物に出かけシャンとした凛々しい私の自慢のお姑さんでした。

歯の治療は時間との闘いです。放っておいて治ることはありません。出来れば私も姑の様に三途の川を渡るときに「わて・・虫歯はおますけどなぁ、入歯は1本もおまへんでぇ〜!」と言えるように頑張ります。

皆さんは虫歯や歯石は大丈夫ですか?美味しいものを美味しく食べるためには丈夫な歯が必要です子供の頃亡き母がいいました「飴はかじっちゃならん!虫歯になる!ず〜っと飴がなくなるまで舌の上でコロコロとな」いまは私が孫たちにそう言い聞かせています。(と言うか・・お菓子は与えないで下さいと言われています。ハイッ)


[3063] 【3176回 北ヤード効果】 2013-06-05 (Wed)

近くの公園の花がツツジから紫陽花にバトンタッチをしました。雨を待っているような少し枯れかけた紫陽花ですが雨を得るとまた蘇るのでしょう。スポーツ用品店がキタヤードに移転してはや1ケ月が経ちました。第3ビルの跡地は一体どうなっているのかと視察すると「洋服のはるやま」に変身していました。そして近郊にあったロッジはと言うと元気を取り戻して店内は多くの客で賑わっていました。オープン当時はドッと客は珍しさも手伝って北ヤードに流れたと思いますが、落ち着きを取り戻したみたいです。私達高齢者は、新しい店は落ち着かなくて買いにくくなってしまいました。クライミング用品はというと5階ではなく6階へと階を変えており、今までの様にブラ〜リと言うわけには行かなくなりました。(これはあくまで私の感想で、皆さんの中には新しい方がいいと言う人もいるかと思います。)ならば今後は馴染みのロッジに足を運ぼうということに決めました。どうも人混みの多いのはかなわんわ〜

もう1軒「○井スポーツ店」がありこちらものぞいて見ました。商品の品ぞろえは多いかと思いますが・・・しかし・・・!なのです。ある日の事でした。レジには2台の機械があり担当者が対応をしていました。2人の客がそれぞれ対応を受けており順番の来るのを今か今かと並んで待っていました。チラチラとこちらを見ているので次にお客様が待っていることは承知しています。ところが一人は返品の客、一人はレジを終わっているのに「家に持ち帰るとゴミになるのでここで開けてんか〜!」と購入したヘッドライトの包装を裸にしてくれとせがんでいました。客は悪気もなく言ったと思いますが、これがまた時間がかかりすぎ〜。レジ係がハサミで切っても切れずカッターで切って商品を傷つけてはと丁寧すぎるほどの仕草・・(そんな時は手の空いた他の店員を呼びバトンタッチしてもらい、本来のレジの仕事をしたらどうやねんっ!)

待つこと10分以上、もう我慢の限界がきて商品をレジカウンターに音をたてて置き「順番が来たら呼んでんか〜!」(こわっ〜!)と言い置き、店内をウロウロして待ちました。しかしいつまでたってもまだ先ほどの客と接客中で、たまりかねて、暇そうにしている店内のスタッフに(しかも管理職らしき人を探して)こうこうしかじかだと説明をしたところ、すっ飛んでレジに行きました。そして「お待たせいたしました」と呼びにきてくれてやっとのことでレジを済ますことができました。マニュアルには無いかも知れませんがレジに客が並びレジ以外の仕事で時間がかかるときは別のスタッフを呼ばなければならないことに気が付かないのでしょうか?よほどのことが無い限りこの店を訪れることはないと思います。

ゴールデンウイークに富士見平小屋でお店の手伝いをしていた時の事です。登山者がテント場に戻って来て「ビールを下さい」と言われたので、お渡しする準備をしていました。「冷えていますか?」と聞かれたので「ほどほどだと思います」と答えました。電気がないため冷蔵庫もありません。湧水で冷やしてはいますが太陽も当たり街の中で飲むようなわけにはいきませんと恐縮しながらビールを買って頂きました。「よく冷えています」とは言えませんでした。テントに帰った登山者が再びやってきて「ほどほどに冷えたビールもう1本下さい」と言って笑っていました。言葉のやり取りとは心が通じていればお互いに許しあえるのだとうれしかったことがあります。ジュースを買いにきた若者が「ジュースの値段が高い〜」と言いました。荷揚げして下から運ぶ労力も値段に加算されていることを話し納得がいかなければ1時間かけて下山し駐車場付近にある自動販売機で買えば安いことを教えましたら「え〜っ!じゃあ買います」じゃあって・・・荷揚げが大変だってこと納得してよね〜っ!この若者は、テントを撤収し帰り際に挨拶をしに来てくれました。「おばちゃん!また来ます」・・・おばちゃんて・・・(まっ、しゃあないか・・・)山にはいっぱいいい話がありますね。


[3062] 【3175回 暗闇の長いトンネルからの脱出】 2013-06-04 (Tue)

65歳まで病気ひとつしたことのないと言う頑強な人が3月に食道癌がみつかり入院、手術をしました。術前検査を重ねている段階で肺にも異常が見つかり同時に肺の手術も行い、手術に8時間もかかったそうです。術後はどこからともなく流れ出る体内からの液に苦しみ身体のあちこちに穴をあけ水を抜く処置をされました。原因究明のために別の病院に入院しやっと原因が見つかり治療に集中することが出来、またもとの病院に戻ってきました。そして6月3日突然「心配かけましたが5日に退院することになりました」とのメールで急いで病院に駆けつけました。

前回訪れた時は抗がん剤治療の影響で頭髪が抜けていましたが、いまは頭髪も伸び目力も出てきたように感じました。120日間の入院で10s痩せたそうです。なが〜い暗闇のトンネルの出口に光が差してきた感じではありますがまだ栄養剤の点滴で口から食べ物が食べられる状態ではありません。

「こんな状態で退院しても大丈夫なんですか?」と聞くと「次の入院患者が待ってるそうなんや」ベットを空けるために退院って・・・・退院すると家族が食事の世話で大変だろうなぁと思いつつも本人は自宅に帰えれることがとてもうれしいらしく上機嫌でした。よかったと言うべきなのでしょうかね。

時を同じくして高知の従姉妹も入退院を繰り返し、娘の家で静養していたのですが「自分の家がいい」と四万十市に帰っていきました。メールには「やっぱり家がエエ!伸びた庭の草はシルバーセンターに頼んだ」と前回無理をしたことが堪えているらしいです。近所付き合いもよいらしいので困った時は「遠くの親戚より近くの他人」で頼りになります。

周囲に癌で闘病の知り合いが2人もいて、時を同じくして退院となりホッと一安心しました。やはり健康であることが生きて行く上で何よりの幸せなのだと痛感しました。膝が痛い、山は無理だと行きたいのに我慢をすることでストレスが発生し病気を引き起こすこともあります。体力に見合った山行計画を立てれば、まだまだ行けまっせ〜80歳で1億円かけてエベレストに登った人がいましたが(スタツフも多いしスポンサーも多い、金が物言い下山はヘリでひとっ跳び?)まっ私達にそんな真似が出来るはずはありませんが山小屋を見たら宿泊するのんびり登山を楽しめたらと思います。

今の私が10s痩せたとしたら・・・私ではなくなる〜!ダイエット?食べられるのに食べないなんて病気で食べられない人から言わせると「贅沢な話」だと思います。バランスの良い食事をとり自分らしさを失わず「ぽっちゃり姫」でレッツ・ゴー!


[3061] 【3174回 目まぐるしく変わる道路事情】 2013-06-03 (Mon)

我が家の近くに阪神高速道路「大開おおびらき」の出入り口が出来て関西空港に行くにはここを利用すれば便利になりました。これに伴い周辺道路が毎日通行止めだの一方通行だのとめまぐるしく変わっています。昨日は近くのコーナンへの道路が封鎖されてしまいました。コーナンに行くには大回りをして行かなければなりません。そのかわり未完成だった淀川駅に行く直進の道が開通していました。何が何なのかさっぱりわかりません。通行止めに徒歩だと「ああそうか〜」と穏やかに思えるのですがバイクや車だと「え〜っ?どうせぇっちゅうねん!」とつい一言出てしまいます。

此花はいま大きな道路工事があちこちで行われています。正連寺川を埋め立てて道路をつくる計画もいつ完成するのでしょうか?便利になりすぎて事故が増えなければいいのですが。

小学校1年生が学校にも慣れてきて心に余裕が出来てきて赤信号を無視し平気で渡れるようになる季節です。この時期の事故が多く取り返しのつかない結果になることもあります。大人が赤信号を渡る見本をみせているのですから始末におえません。警察署から出向いて「自転車マナー講習」の指導もしているのですが保護者も一緒に指導を受けてほしいものです。

山の中はいいっ!時々挨拶もしない登山者と出合うこともありますが車も自転車も走らず快適に自分のチカラで前進することができます。危険個所があっても自己責任で通過すればだれに迷惑をかけずに済みます。モリアオガエルやアサギマダラとの神秘的な出合いもあり山の中には感動が満載です。

話は変わりますが・・・
三浦雄一郎さんが打ち立てた世界最高齢エベレスト登頂記録の更新を目指していたネパール人のミン・バハドゥール・シェルチャンさん(81)は2008年に76歳で登頂を果たし、三浦さんが今回成功するまでの記録保持者。タイトル奪還に挑んだが、取り戻すことはできなかったそうです。

81歳でエベレストを目指し残念ながら頂上を踏むことは出来ませんでしたが三浦さんよりも(すみません)むしろ熱く応援したいたのに残念です。装備もスタッフもスポンサーも日本団とは大きく違う中で勇敢に立ち向かったことに大きな拍手を送りたいと思います。またネパール・ヒマラヤ山系のダウラギリ(8167b)で、日本人女性が死亡しネパール人のシェルパーさんも1人亡くなってしまいました。仕事とは言え本当にお気の毒でなりません。残された家族の皆さんへの補償は充分なのでしょうか?心配です。


[3060] 【3173回 近眼・老眼なれど】 2013-06-02 (Sun)

私は近眼・老眼なれど山中でさまざまな動物・生物を見つけるのが誰よりも「目ざとい」のではと自負しています。トップを歩いているからかも知れませんが先日も落ち葉と同じ色をした大きなカエルを見つけました。

登山道を歩いていて片足を下ろそうとしたところに鮮やかなミドリ色をしたカエルがうずくまっていたのです。「アッ!モリアオガエルがいる〜」ノタノホリ地帯はモリアオガエルで有名な地なので咄嗟にそう叫びました。しかし同行者のジョンもポッチーも「そんなわけあるかい〜!ただのカエルや」と言われましたが何となく気になり、カメラに収めました。戻って調べてみたら、やはり、りっぱなモリアオガエルだったんです。ジョンは言いました。「あれがモリアオガエルと知っていたら俺の腕でシャッターを切ったんだけどなぁ」って・・・・

それから北比良峠あたりでは1羽のアサギマダラと言う珍しい蝶々を見つけました。アサギマダラの成虫は長年のマーキング調査で、秋に日本本土から南西諸島・台湾への渡る「渡り鳥ならぬ渡り蝶」なのです。少数ではありますが初夏から夏にその逆のコースで北上している蝶が発見されています。アサギマダラはとても貴重な蝶々だったのです。

それからも「イワカガミ・コケモモ」など珍しい品種の花々と出会いました。雑踏の中から知人を見つけるのも得意です。お忍びであるいている人・・・お気を付けあそばせ〜

またまた特技としてはイタドリを見つけるのが人よりも優れています(キャハハハ自慢になるかい!そんなこと!)私の姪達と一緒にイタドリを採りに出かけると決まって「みっちゃんのおばちゃんの後ろを歩いても1本も残ってないから前を歩こう」と誰もが私の前を歩きたがります。しかし彼女たちが歩いた後、目を凝らして歩いているとイタドリの方から「ホラここよ〜」と言わんばかりにニョキッと見つかるのです。休憩地点で姪っ子が「何で?どこにあったの?私より多いやんか〜しかも太くて大きいし〜」ホホホです。

山歩きもゴールを目指すだけではなく色々な自然との出合いが楽しいものです。いつの日の事だったか「ここで記念写真を撮ろう」と度々、同行者の足をとめて記念撮影に協力してもらうことがありました。「もうっ!せっかくリズムに乗ってきたのに止めないでほしいなぁ」と言われたことがありホームページ作成に多くの写真が欲しいことを説明して理解してもらいました。山登りで採ってはいけないものが沢山ありますが、唯一、とって持ち帰っていいものがあります。それは「写真」です。(おあとがよろしいようで〜)


[3059] 【3172回 神爾谷コースは怖かった】 2013-06-01 (Sat)

堂満岳の石楠花はすでに終わっていました。残念です。そんな気がしていたのですが「やっぱり」って感じです。しかし今までの山行は花の時期を避け、人混みをさけてきましたのでショックはあまりなかったです。その代り!ジャジャジャーン!「イワカガミ」と「コケモモ」と「スミレ」の群生に出合ました。。滑り落ちるかも知れないと岩を握った手の先に美しく咲いていました。具体的な群生場所は自然環境を守るため秘密にさせていただきます。3000b級の山々にだけ群生するのかと思っていましたが比良山系にもこんなに沢山咲いていたとは夢心地でした。堂満岳の石楠花は有名ですが・・おそらく「イワカガミ」と「コケモモ」と「スミレ」はあまり知られていない気がします。

今回のコースは堂満岳の山頂を踏み、金糞峠を経て神爾谷(しんじだに)コースを下ることにしました。ジョンが「オイラには無理」と冗談を言ってるのだと思い、計画通り北比良峠の分岐から神爾谷コースを行きたいと言いました。「よしわかった!しゃあないなぁ」と承諾が得られました。かなりきついコースであることは下調べ時点から理解していましたので20bロープを持ち、スワミベルトにカラビナ・ATC等を装着し神爾谷コースへ一歩踏み入れました。コースを見た瞬間、心臓が止まりそうでした。「これが登山道?信じられない!滑落せよと言うこと?!」看板には「危険コース」と書かれており、知らずに降りたら蟻地獄に陥るようなザレ場続きの大変なコースでした。

20bロープを出して、設置してある鎖にシュリンゲとカラビナで支点を取り、まずはポッチーを降ろしました。ロープは20bしかないのでロープの残りがわずかになれば、足場の良いところで鎖に自己ビレイを取り待機するように指示をし、二番手を姫が行きました。20b降りたところでATCでジョンを確保し3人同じ場所に到着したらまた同じことを5回繰り返して100bある垂直の登山道を無事降りることが出来ました。緊張しましたがこんなに楽しいコースは今まで体験したことがありません。

垂直の登山道が終わったら次は谷歩きです。芦屋の地獄谷を10倍の距離にしたほどの谷を下りました。滝に出合うと何度も懸垂下降をして降りて行きます。残置しているトラロープは安全確認が出来ませんので自分たちの用意したロープを使いました。詳しくはレポートに書きますがクライミング経験者とでないとこのコースはお勧めできません。勿論単独でなんて論外です。・・・・ロープ操作に時間がかかりましたが「超」が付くほど楽しいコースでした。ロープは水の中に浸かり、移動するたびにロープを巻く首筋がビショ濡れになりましたが「実践するってこういうことなんやね」と教えてもらったことを全部駆使し怪我無くゴールすることができました。

私とジョンが滝の横渡りを躊躇して、危険回避のために残置ロープを利用せずに懸垂下降をしようと準備していました。残置ロープの端は粗末な細い木で支点が作られており、体重をかければ危険きわまりないと判断し懸垂下降に用いる大木を探している間に、恐ろしいことが起こってしまいました。ポッチーが「大丈夫、大丈夫」と、残置ロープを使い、滝の横渡りを平気で通過してしまったのです。落ちていたら命はありません。大胆と言うか怖さ知らずと言うかほんまに怖かった一瞬でした。(滑落した場合の救助はどうしてしようかと脳裏を走った瞬間でした)

旧ロープウエイ山麓駅から「イン谷口」に停めてある駐車場まで15分間ほどアスファルトの上を歩きましたが、クッションのないアスファルト歩きが苦痛でたまりませんでした。「こりゃあ膝に悪いはずやなぁ」と最後の15分間だけ不満を漏らしました。比良とぴあで入浴を済ませ、大阪で夕食を済ませ自宅にたどり着き、バタンキュー!(そんなはずありません。洗濯も済ませて就寝しました)

このコース「来週も行くか」と聞かれたら迷わず「行く」と答えます。できれば今度は神爾谷コースを直登し、ふたたび神爾谷コースを下ってみたいと思います。


[3058] 【3171回 ハズレ〜!】 2013-05-31 (Fri)

30日(木曜日)の天気予報は、終日、傘マークだったため堂満岳行きを1日延期したのですが一滴の雨も降らずで肩すかしを食らいました。ホームページを見てくれた昔の仲間から30日だったら参加できると言われていたので申し訳ないことをしたと思っています。午後4時ごろに申し訳程度にパラパラしましたが、登山を決行していたとしても下山後の雨だったのではないでしょうか。勿体ないことをしました。しかし山の上はきっと雨だろうなぁ・・・そう思って諦めることにしました。

個人山行は雨が降りそうならば簡単に変更できるのでうれしいです!以前は年間行事を公開していたため雨であっても出かけていました。やっぱり暑くても山は天気がいいですね。

今回のコースも私が計画を立てました。予定した堂満岳・神爾谷コースは、行ったことが無いとはいえ、ジョンに言わせると「神爾谷は無理デス。東尾根を上がって正面谷を下ってくるのがオチです」と言われました。そう言われれば言われるほど行ってみたくなるのです。岩場の多いコースらしいですが、岩場大好きだから・・・31日に行ってきます。

もう朝から太陽が出て・・・暑そうです。でも前日とは変わって、安定した天気のようです。では行ってまいります!

堂満岳を終えたらさてどこに行きましょうか?沢のシーズンも到来しますし〜・・・。


[3057] 【3170回 私に何が出来るか?】 2013-05-30 (Thu)

レスキューメンバーに名を連らねながら実際に私に何が出来るのかと考えました。傷病者の身長が170pもある人を「背負い搬送」ができるはずもなく、それよりも何よりも若者と同じ速度で現場に駆けつけることができないと思います。唯一出来るとしたら記録係ぐらいかなと思っています。現場到着時刻、手当をして現場出発開始時刻、警察官到着時刻、小屋到着時刻、林道搬送時刻、メンバーの配置や道中の様子、傷病者への聞き取りなど記録係りとしての仕事はできるかとは思います。なぜならば常々レポートを作成するために登山中、細目にメモを取る習慣が身についているため(忘れやすいためが本音)これならば「5W1H」の基本さえきっちり抑えておけば・・・ウン・・大丈夫也。

コースの誘導も出来ると思います。背負い搬送は登山道を歩くのも、足元が見えづらく、ままなりません。二重事故を防ぐためトップを歩きながらコースの誘導をする役割があります。これなら私でもできます。また傷病者に寄り添い声掛けも出来ると思います。「いま細い道を下っています。揺れるかも知れませんが辛抱して下さい」とか「もう少しですよ」等々。私が裏妙義山で脱臼をしたとき救急車のお世話になりました。何件もの病院に受け入れ拒否をされて激痛で気絶寸前だったと思います。「どこも受け入れてくれなかったらどうなるんですか?」絞り出すような声で聞くと救急隊の方が私に寄り添いながら「大丈夫です。私達は受け入れ先が見つかるまで必ず努力します。安心して下さい」「今高速道路に乗りました」「あと20分で病院に到着します」と苦しむ私に色々と声を掛けて下さいました。救急隊の方が話しかけてくれている間は話に神経が集中するため苦痛が和らいだことを経験しています。どれほど心強かったことでしょう。

赤十字の救命救急講習時に講師が「黙ってするのは処置、声をかけながらするのは手当」と指導してくれました。傷病者の不安を和らげることもレスキューの大事な役目だと思っています。

ウオーキングイベント時、熱中症で倒れた人の手当中に「顔色が赤く戻ってきたのでもう大丈夫ですよ」まだ青ざめた顔色でもそう声をかけると頬がポッと赤くなり血の気がもどったことがありました。声をかけたことで安心してくれたのだと思います。そしてもうこれは時効ですので・・(笑)上高地の宿で就寝前に「腰痛がひどいのでエアサロンパスを欲しい」と言ってこられました。ジョンのリュックを探すとスプレーが1本出て来たので背中にたっぷりと吹きかけて差し上げました。翌朝「姫、昨日はありがとう!おかげで痛みが消え、治りました」ってお礼言ってもらいました。しかし背中が異様に黄色くてジョンに「何を塗ったんや?」と聞かれ、説明をしました。じつは・・あれ・・キズドライだったんです。(じぇじぇじぇ〜!)病は気から・・・・ゴメン〜ね

とにかく救急隊員に渡すまではレスキューメンバーで担ぎ下ろさなければなりません。そのためには日々のトレーニングが欠かせません。小屋に待機中はその日のリーダーを決め、救護用リュックの備品チェック、背負い紐の使い方、テーピングの練習、ロープさばき等々のトレーニングの積み重ねをしなければなりません。なぜならば北杜警察署にも認めて頂いた「レスキュー243」チームなのですから。


[3056] 【3169回 1に訓練★2に訓練】 2013-05-29 (Wed)

金峰山の山頂で骨折した登山者を救助するために「レスキュー243」が初陣の功績を残しました。(詳細は3168回 ふたつの山岳事故を参照)レスキュー出動した後のメンバーの今後の問題点を含めたコメントです。

●(レスキュー隊員A)
道具の使い方、傷病者の精神的ケア、レスキューの知識、技術、パーティーメンバーへのフォロー、全てにおいて、経験不足。学ぶことはまだまだたくさんあると感じました。


●(レスキュー隊員B)
現場でのテーピング等の応急処置、背負い搬送時のスリングでの補助など、スキルとチームワークを身につける必要性を今迄以上に感じました。

●(レスキュー隊員C)
雨、雷、夕刻、日没、歩行不可能の傷病者。瑞牆山だったら岩場も多く、もっとキツかったと思う。私は2回目の傷病者救助でしたが、「RESCUE243」として初めてのレスキューでした。警察からも5人の方々が来てくれ、出動前に小屋に到着。駐在さんとレスキューメンバーで傷病者のもとに到着。警察指揮官は「RESCUE243」メンバーの方を信頼してくれたと思う。地元警察が山岳救助に対する考え方が「RESCUE243」の発足で少し変わってきてると思いました。それだけ「RESCUE243」の存在が大きいと実感しました。
今一度、「RESCUE243」の発足した意味を考える時だと思います。背負い搬送と確保の練習、救助と手当の物資が入ったザックに何がどこに入っているかをレスキューメンバー全員が把握すること、傷病者の手当の方法、指揮系統、現場と小屋のとの通信手段、記録。警察との協力。そして一番大きいのが気持ち!体力!

●(レスキュー隊員D)
今回は背負い紐の使用の仕方が分からずロープで背負い搬送をした。怪我人の身長が170pもありレスキューメンバーが限られてしまった。用具の使い方を理解していない事が今後の課題。体力とスタミナとボディーバランス(筋力含む)はしっかりとしたモノが必要だと痛感。二重事故のないことが大事だと思います。


体験したからこそ得る貴重な情報だと思っています。4名に共通する事柄は「訓練の強化」だと感じ取ることが出来ました。レスキューメンバーは小屋に到着したらまず水汲みや小屋周辺環境改善の手伝いを終え・・・一息つきましょう。

その後、天気ならば小屋の外で「レスキュー243」の存在を一般登山者にも知らせる啓発活動にもなりますのでトレーニングは小屋前の広場で行いましょう。

@ロープワークの復習(エイト結びやビレイの練習・ロープの扱い方など)

A手・足など部所をかえ、傷病者と手当する側も交代しながらテーピングの練習

B背負い搬送(小屋の裏の斜面を利用して講習時の復習を繰り返し練習

C背負い紐の使い方を熟知(実際に背負ってみる)

D救助用リュックの中に何がどこに入っているのか
(ポケットにマジックで番号を書き込み済。番号毎に何が入っているかノートに明記しています・・・ノートはバックの中)

Eその日に滞在したメンバーで「リーダー・記録係」などの役割分担を決め現場へ駆けつける予行練習する

グレードをあげるには「1に訓練・2に訓練・3・4もすべて訓練あるのみ」だと思います。体力のある者にだけに負担がかからぬよう当日のリーダーが指示を出す、訓練中は口答えしない。訓練を終えてから反省点を互いに意見交換をする。

大事なのはチームワークです。ひとりでも勝手な行動をすると崩壊の道を歩むことになります。「その日のリーダーを決める」ことが統制も取れて、全体に目をやることが出来るようになります。(ここに書いてもレスキューメンバーには届かないよなぁ)


[3055] 【3168回 ふたつの山岳事故】 2013-05-28 (Tue)

●27日午後2時50分ごろ、滋賀県高島市と福井県美浜町の境にある赤坂山(標高823b)で、登山中の私立城星学園(大阪市中央区)小学校の6年の男女2人が行方不明になったと報道されています。夜を徹しての捜索活動がいまも続いているそうです。県警はヘリ1機と高島署、機動隊の16人態勢で消防とともに捜索しています。高島署によると、27日午前から、同校の6年生75人と付き添いの教諭、ガイドなど計84人(と言うことは9人の引率者、という事は8人の子供にひとりの引率者ということか?)がマキノ高原キャンプ場(高島市)付近から赤坂山に向け入山。午前11時に点呼を取った際は全員いたが、正午ごろ赤坂山の山頂で確認すると、2人がいなくなっていたという。

学校によると、5、6年生約170人と引率教員10人が、26〜28日の2泊3日の予定で恒例の自然学習に出ていた。27日は学年ごとの別行動で、6年生は登山だったという。報道によると行方不明となっている生徒は「近道がある」と4人の生徒が立ち入り禁止の道に入って行くのをみた引率者が後を追い2人は引き戻すことができましたが残りの2人は見つからず先に行ったものと思っていたとか山の怖さを甘く見ているのではないでしょうか。何故そのまま追い続けて前に進んで捜索しなかったのでしょうか!

引率者の配置はどうだったのか気になります。グループごとに登らせていたのか、自由に登らせていたのか最後尾に引率者がいたのか、行事前に充分な説明がなされていたのか、とにかく元気で見つかってほしいと願っています。ジャージの上下で防寒着なども携帯していないそうで不安な夜を過ごしたことでしょう。無事に生還することを祈っています。
            ↓
28日午前11時55分、無事自力下山したそうです。

●場所は変わり・・・奥秩父・金峰山での話です。

富士見平で「レスキュー243」を立ち上げてから日も浅く救助要請のない日は小屋周辺の環境を整える日々でしたが5月26日(日曜日)レスキュー要請があり出動したとのニュースが入りました。以下は富士見平小屋情報から引用しました。

『5月26日(日) 金峰山登山道で、2人パーティのうちの1人、30歳くらいの男性が転倒骨折。午後5時前、男女2名の登山者により富士見平小屋に救助要請あり、この日小屋に詰めていた、RESCUE243のメンバー4名は、現場に直行した。転倒の現場は金峰山の頂上付近、この辺りは今だ凍結しており、傷病者はアイゼンを装着せずに石の上を飛び歩いていて転倒した模様。

彼らは携帯電話の電波状態が悪く救助要請ができないため自力で下山していた。大日岩付近で男女の登山者と遭遇。女性の携帯電話で110番通報。北杜警察署は増富駐在所に出動指令を出すとともに本署からも4名の署員が富士見平に向かった。

RESCUE243のメンバーは大日小屋付近で傷病者2名と合流。傷病者は足首を痛めており角度も歪んでいた。明らかに骨折と思えた。山頂付近から大日小屋まで無理をして歩いた結果だと伺えた。ここからRESCUE243のメンバーは部位をテーピングで仮固定をして背負い搬送で小屋を目指した。鷹見岩分岐辺りから飯森山を巻く道は左側が谷に落ち込んでいて道も細く危険なところであった。身長170cm、体重70kgの体を背負っての搬送は大変であり小屋に帰ってきた時は薄暗くなっていた。

小屋でテーピングを補強し、真っ暗な中を自作の担架で林道まで降ろし、林道から警察の車両で、富士見平林道の始点である増富口に待機する救急車に渡した。』

この日は横須賀のお祭り野郎チームが偶然にも滞在中で彼らは、「レスキュー234」が編成される前の2012年の10月に、一度背負い搬送現場を体験しています。偶然とは言え力強いメンバーが待機していてくれたものです。いわば「元祖レスキュー隊」なのです。こう実績が積み重ねられれば隊長&副隊長に就任してもらう以外ありません(意義な〜し!)


[3054] 【3167回 堂満岳に行きたいです】 2013-05-27 (Mon)

三浦雄一郎さんがエベレスト登頂に成功されました。80歳という史上最高年齢だそうです。快挙ですね。私達は6200bで大きな感動を得ましたが8400bとなるとまた格別だと思います。大勢のスタッフ(現地人も含む)の協力があったればこその感動です。現在ネパール人で81歳の方がエベレストに登っておられるそうです。その方が登頂成功を果たすまでは「史上高齢者」の栄冠をかぶっていることができます。心からの栄誉を称えたいと思います。三浦雄一郎さんには頭のテッペンから足の先までの装備諸々多くの企業スポンサーが付いており、ご本人の嬉しさは勿論だと思いますが関係者、各企業もどんなにか嬉しいことでしょう。今後の報道が期待されるところです。

それに比べて装備も満足とは言えず、スポンサーも付かない81歳のネパール人登山家にも大きな期待と拍手を贈りたいと思います。私がネパールで受けた人間的愛にいまこそお返しが、お礼が言える時が来たと思って見守り続けたいと思います。(悲しいことに三浦雄一郎さんほど報道がないっ!情報が伝わってこないっ!)

大和葛城山のツツジの美しさに魅せられ、そういえば前回の登山時に堂満岳で石楠花が美しかったことを思い出しました。もう遅いかも知れませんが出かけてみることにしています。今回も昔の仲間をお誘いしようかとも思いましたがみなさん・・・それぞれに別の道を歩み始めてたり、ご多忙だったりしている様子なので今回からはお誘いしないで行くことにしました。もし「姫のおうち」をご覧いただいていれば「行きたいなぁ」と意思表示してくれるはず、そうすればまたご一緒する機会もあるだろうと落ち込んでいた私をポッチーが慰めてくれました。

時は5月の30日木曜日です。天気予報は「雨」・・・その時は日程変更〜!。という事は、ますます石楠花との出合は遠くなりますが団体行事と違い雨の中をわざわざ出かけなくても「毎日フリーの身」ですから、朝のお天道様の顔を拝めれるようであれば出かけるとしましょうか。

今回は「神爾谷コース」を選びました。堂満岳は近江八景の「比良の暮雪」にちなみ「暮雪山」とも呼ばれています。標高約500bの地点には、ノタノホリという池があり、モリアオガエルが生息していることで有名です。石楠花との出会いがなくても充分楽しめるコースです。以前には「比良山系縦走コース」を分割して歩きました。権現岳・堂満岳・ヤケ岳・岩阿砂利山・武奈ヶ岳・蛇谷でゴールとなりましたが長かったですねぇ。しかし縦走はビューポイントで景色をゆっくり見たり、長く休憩したりは、時間の関係上あまりしてはいられません。長いコースなので到着時間やバス時刻を気にしながら歩きますので心の余裕がありません。一度訪れた場所を今回の様に目的を違えて訪れるのも別の楽しみがあっていいですね。

コースの中にはアリ地獄や鎖場もあって、ほどよい刺激もありワクワクしています。今回も神爾の滝がありマイナスイオンを吸いこんで元気を貰ってくることにします。写真撮影のために滝の裏側にジョンを押し込んだとしても帰りの温泉でリフレッシュすればいいのです。


[3053] 【3166回 チョンボ棒(チータスティック)】 2013-05-25 (Sat)

チョンボ棒(チータスティック)って?初めて耳にした言葉で一体何?じつはクライミングに使う道具だそうです。ネットで調べてみたら、10年程前だとチョンボ棒はほとんど見かけることはなかったそうです。近頃は持っていない方が少数派となっているようです。実際、フリークライミング用として販売もしているらしいです。

チョンボ棒はその名のとおり、人工登攀でまさしくチョンボするために使われ始めた道具で、フリークライミングの道具ではなかったのですが、いつの頃からかフリークライミングでも使用されるようになったそうです。 最初の頃は1本目のボルトをプリクリップをするために使われていたと思いますが、今では複数のボルトにプリクリップ、プリセットしたり、登りなが ら、上のボルトにクリップするというのも珍しくないそうです。(え〜っ!)

本来、フリークライミングは自分の身体一つで岩を登るというスタイルですから、前進手段として積極的に使える道具としては、チョークとシューズのみで、それ以外の道具は墜落から身を守るための道具であるというのが当然でした。いつから、フリークライミングは人工登攀でムーブを探り、レッドポイントをするという、スタイルを受け入れるようになったのでしょうか? これはグレード重視という考え方から始まったことらしく、私の様な初心者には無用の話なのですが、グレード重視って怖くありませんか。

フリークライミングをするには登る技術だけでなく、落ちる技術やそれを確保する技術もしっかりと身につける必要があり、低いグレードからでも しっかりと数をこなし、経験値を高めていかなければならないものだと思っています。私がクライミングを始めた時は「1年間クライミングシューズ禁止、ハーネスはシュリンゲを活用して簡易ハーネスで実施」と言われました。1年経過して続かない場合は道具類が無駄になり、続けると決心したらシューズもハーネスも購入すればいい。

特に技術の未熟なうちはむやみにグレードを上げず、自分がコントロールできる範囲で経験を積み、登るだけでなく、しっかりと落ちる技術、確保する 技術も磨かなけばなりません。そして最も大切なのが危険の認識能力とそれに対する判断力を身につけていくことです。チョンボ棒を使用して肝心な場面を落ちないクライミングしている人たちは、一番大切な能力を学ぶ機会をなくしているような気がしてなりません。私の様に「登れません!ロアダウンでおろしてください!」と登攀途中に叫ぶ方が「悔しい!」思いをして次に繋がると思っています。間違っているのでしょうか?

真の安全とは道具などに頼るのではなく、その人のクライマーとしての能力にあると断言します。生涯私はチョンボ棒を使うことはないと思いますしそんなグレードを求めてはいません。登攀できなくても自分の身の丈に合ったルートを楽しく登りたいと思っています。経験を積めば必ずコントロールできると思っています。いまクライマーになろうとしている仲間がいますが道具に頼らず、グレードばかりを求めず安全なクライミングを覚えて楽しんで欲しいです。 そうすればきっとクライミングの奥深い世界が広がってくると思います。そして救助活動にも役立つと思っています。


[3052] 【3165回 久しぶりのトレッキング】 2013-05-24 (Fri)

1月に「体慣らしの中山峰」から昨日やっと山らしい山に登ることができました。奥秩父に出かけてはいるものの目的が違うために「山に登った感」がなかったような気がします。額から滴り落ちる汗も新鮮でした。冷えたサクランボやパイナップル等の行動食も重たくはありましたが木立の中では最高のご馳走でした。今からの季節キューリもいいですね。

利用駅の「御所駅」で下車する人達はほとんどが「葛城山にまっしぐら!」の人達ばかりでした。私達はトラ吉さんから4人いればタクシー利用がお得」との情報を貰っていましたので迷わずタクシー乗り場へ(ほんとにバス代と同額で利用できます)道路の渋滞もひどい時はここらあたりで降車されるのだと説明を受けた場所は駅から3分の1あたりの地点でした。この日は観光バスの後ろをチンタラ、チンタラと走る羽目になりましたがバスはまだまだ遅れたと思います。

ジョンの「往復おなじ道はつまらない」との教えが身体にしみついているのでコースを熟知し、途中の説明も含めてリーダを仰せつかりました。途中で出合った中年のおじさんに「ガイドさん、ここの標高はなんぼ?」えっいつの間にか私は山を案内するガイドおばさんに変身してたみたいでした。

ゆっくりと途中の景色を楽しみ、特に山肌に咲き乱れる「藤の花」は歩いて登る者だけにくれるご褒美のような気がして、うっとりと見とれました。「かんざしみたいやね」と言うと「ふる〜っ!藤の花のかんざしを知ってる人はかなりの年配やで〜」などと会話をしているうちに2時間ほどで山頂に到着しました。

物凄い大勢の人達で埋め尽くされていました。半分以上はロープウエイで上がって来た人のようですが、足が悪くても、腰が悪くても、杖をつきながらでも家族に手を差し伸べてもらって満開のツツジが鑑賞できて幸せだろうなぁと微笑ましくありました。ワンちゃん連れも多く見かけたのは「2時間で山頂」の気楽さから人気があるのかもしれません。

山頂で1時間楽しみ、あとはコースを変えて下山することにしました。途中で迷子のおばさんに「どこに降りるのですか?」と聞かれ「御所駅です」と言うと「よかった〜じゃあ後ろをついて歩いてもいいですか?」とゴール手前までおばさん2人を連れて降りることになりました。

相変わらずロープウエイ周辺は人で賑わっています。バスもピストン運転している様子ですぐ乗車することができました。おまけに駅に着くと間髪いれずに急行に乗車することができ午後4時には野田阪神駅に到着し「一杯飲んで帰ろうか」の提案に意義を申し出る者はおらず次回の堂満岳の石楠花見物を約束して家路にたどり着きました。


[3051] 【3164回 傷ついたハクチョウ】 2013-05-22 (Wed)

5月21日夕方のニュースで釣り針がからまったハクチョウの救出劇を見守りました。宝塚市安倉北の安倉上池(あくらかみいけ)で、片足で泳ぐハクチョウの右足に釣り糸のようなものが絡まり、白っぽいルアーのようなものも見えています。地元住民から「早く何とかしてやりたい」との声があがっていましたが、ハクチョウは警戒心が強くて、しかもヒナを連れており、近づくと逃げてしまい、解決方法に関係者が頭を悩ませていたそうです。

この池には、今月3日に生まれた7羽のひなが暮らしていました。その愛らしい姿を見ようと、地元住民も散歩に出かけてきます。異変が起きたのは6日ごろ。池に来るのが日課の女性が、父親とみられるハクチョウが体をくちばしでむずがゆそうにつつく姿を見て「しっぽの方に何か絡まっているようだった。一生懸命引っ張っていたけど、取れなかったみたい」との通報を受けた宝塚署の警察官や宝塚市西消防署の隊員らが出動しましたが、警戒して素早く動き回るので捕獲を断念したそうです。

8日の午後も心配する地元住民ら約20人が集まり、母親のハクチョウが陸にある巣に上がって子どもたちと毛づくろいするのを、父親は水につかったまま見守っていたそうです。池はフェンスで囲い、危険防止のため数十年前から釣りを禁止しています。ただ、地元住民によると、夜になると釣りざおを持ってこっそり訪れる人がいるという。池では昨年も釣り糸に絡まったハクチョウがいたといい、フェンスには無数のルアーがひっかかっていました。

父親のハクチョウがヒナから離れた瞬間を保護するために、何時間もじっと待ち、安全を確認した関係者が池に飛び込み保護に成功!絡まった糸とルアーを外し池の仲に帰してやると妻とヒナの待つ池の中にス〜イスイと無事泳いでいきました。やれやれホッ!

しかしどこにでもルールを守らない人間がいて罪のない動物たちが被害に遭うのは許せないですね。動物園でもビニール袋を呑み込んだ動物が死亡したという話もありました。「エサをやらないでください」と看板のあるそばで、動物にお菓子を与える姿を何度も見てきました。まだ小さかった息子達に「ホラホラあの子のママ見てみぃ・・アホなママやでぇ、字も読まれへんねんて」と聞えよがしに言うと母親はバツ悪そうにその場を離れて行きました。黙って見逃していたら子供の教育に悪いです。子供の教育は「清く、正しく、美しく!」日本の将来を背負うんやから、りっぱな人間に育ててや〜!頼んまっせ〜!

登山に於いても同じことが言えます。いくら登山は自己責任だからと言っても怪我をしたら救出せずにはおられません。瑞牆山の下山時に転倒し、富士見平小屋から救助隊を出したことがあります。現場で手当てをし、小屋まで負ぶって帰って来たとき、ホッと一息ついて警察の事情聴取を終え、落ち着いた頃を見計らって「おじいちゃん!そりゃそんな運動靴でこの山登ったら転倒するに決まってるやろ!みんなに迷惑かけるやろ!今度来るときは家族と一緒においでよ!年寄りの単独登山はあかんで〜!」とお灸をすえたことがありました。家族も今回の事を教訓に年寄りの単独登山は引き留めてほしいです。このまま「大変でしたね」だけで黙って帰すと骨折が治った頃、またどこかの山で同じ事をするはずです。

人間対人間ならにまだ言葉も通じますがハクチョウは痛いともつらいとも言えず助けようとする人間もルアーを放置した同じ人間ですもの、近寄ってくれるはずがありません。

(傷ついたハクチョウの写真ブログに載せました)


[3050] 【3163回 雪が溶けて・・】 2013-05-21 (Tue)

この春も、多くの命が春山で失われてしまいました。警察庁のゴールデンウイーク期間中の統計では21人が死亡、1人が行方不明。事故は141件、遭難者は185人と、件数と遭難者数では統計が確認できる1994年以降で最多となったそうです。

通行止めの富士山7合目、男性が100m滑落 5月19日午後2時半頃、富士山の須走口登山道「本7合目」(約3140メートル)で、「滑落し、頭をけがした人がいる」と登山中の男性から110番がありました。滑落した男性は通報した男性と一緒に下山し、須走口5合目で遭難救助隊と合流、頭などを打っており、病院に搬送された。同署の発表によると、32歳の男性は、「約100メートル滑落した」と話したという。富士山ではこの時期、登山道が冬季閉鎖中で、5合目から上は通行止めになっています。

無理な日程、無謀な行動、準備不足、装備不足、心の油断、と山岳遭難が繰り返されるたび原因は何だったか気にかかります。そしてその事を教訓にして安全登山を目指して山を楽しみたいと思っています。

●長野県警松本署は19日、北アルプス穂高連峰の明神岳(標高2931b)の長七沢上部で18日に発見した男性2人の遺体を発見。

●長野県警大町署は、北アルプス白馬(しろうま)岳(標高2932b)で4月27日にあった雪崩の直後から行方不明になっていた32歳の男性の遺体を発見したと発表した。

積雪の下に長く閉じ込められていて救助の手を待っていた人達の尊い命は息絶えていましたが、やっと暗闇から抜け出ることができ、ご家族の待つ自宅へと帰って行かれたことと思います。(合掌)

まもなく夏山到来とは言え、残雪多くアイゼン・ピッケルが必要な山も多くあります。情報収集をし、装備を万全にして、時には「引き返す勇気」も持ち合わせ、夏場に向け、温和な季節になっても、山を侮ると極めて危険だという事を自覚し慎重な姿勢で山と向き合いたいと思っています。

登山ブームで中高年の事故が多いのが特徴で(GW期間中の死者・行方不明者は、いずれも50歳以上)最多の10人が死亡・行方不明となったのは長野県。次いで富山県、石川県。気温は標高が100メートル上がると約0.6度下がるといわれています。麓で20度あっても、3000メートル級の山になると0度前後になることもあり、冬山の防寒着対策をして行かなければと思います。中高年ばかり目の敵にしてと思われがちですが事故の統計がそう出ているのですから真摯に受け止めなければなりません。

強風対策も重要です。風速1メートルごとに体感気温は1度ずつ降下すると言われています。夏でもセーターやヤッケなど防寒対策が必須となります。山風は瞬時に向きが変わり吹き飛ばされる恐れもあります。私も風速20bの硫黄岳で一瞬にして飛ばされたことがあります。険しい尾根を歩くときは、相棒とザイルで確保し、難所を切り抜けることで滑落を防ぐことができます。時間はかかりますが最善の対策をためらうべきではないと思っています。(ヘルメット・アンザイレンを笑う奴がおる!)


[3049] 【3162回 横須賀からの珍客】 2013-05-20 (Mon)

ひょんなことから富士見平小屋で意気投合し親交を深めている山仲間が2人います。山仲間と言っても一緒に登山をしたことは一度もありません。ならば何故、山仲間と言うのでしょうか?それは山小屋で出会って友達になったからなのです。(笑)

初対面から何かとてもフィーリングの合う人達でした。私達は彼らの事を「横須賀のお祭り野郎」と呼んでいます。出会いは最近ではありますが「ツーと言えばカー」の仲で富士見平小屋の将来について、真剣に話し合える山仲間です。小屋のあるじが原因不明の(きっと原因はあるよね)正式病名は聞いたけど忘れましたが首の椎間板ヘルニアの様な重篤な症状で医師も「歩いて病院に来れたことが不思議」と言われるほどだそうです。そこで「横須賀のお祭り野郎」達と荷揚げ、水汲み、レスキューと、あるじが一人で切り盛りしてきた事を交代で何とか手助けできないか、ならばひとりでも多くのおやじファンに呼びかけてレスキューチームを作ろうということになったのです。「横須賀のお祭り野郎」抜きで富士見平小屋は語れないのです。

及ばずながら私達も微力なりに貢献してきましたが、講習時に「関東ではこのように教えて貰っている」と指摘事項もあり大阪が遠くて距離感があるのを感じずにはいられません。近くに住んでいて若くて役に立つという条件から消去して行くと大阪組は真っ先に消えてしまうのです。指導を受ける方は講師によって方法が違えばどっちを取っていいのか戸惑うはずです。それはよ〜くわかります。

大勢の受講生の中には初心者、そこそこクライミングを知っている者、ベテランだと自負(態度で感じる)する者とさまざまです。私の心肺蘇生法の講習の時も、のっけから「外国ではそうではない」と意見が飛びました。「今日は日本式で進行するので最後まで口をはさまないでくれ!」と、間髪入れずに威圧(こわ〜っ!)しましたが、大勢の人の中には色々な人がいるものです。

ジョンの講義の時もあれこれと口をはさんでいました。きっとやりにくかったのではないでしょうか。受講生は関東方式であろうが関西方式であろうが、その日の講師が言う説明をしっかりと聞いて欲しいと思っています。質疑応答は後で時間をたっぷり取っているのですから少しばかりの知識を途中で披露してもらうとうまく進行できません。腕を上げて事故の無いようにロープワークやクライミングを習得し、滑落等の現場で安全に負傷者を救出する事ができれば関東式であろうが関西式であろうが問題はありません。

「横須賀のお祭り野郎」たちは、土曜日・日曜日が仕事のためメンバーと一緒に度々受講することができません。大阪に出向くから教えて欲しいとの熱心な申し出でがあり、6月に大阪にやって来てくれることになりました。(雨よ!降らないでね!)芦屋ロックガーデンはロッククライミング発祥の地で地獄谷を歩くだけでもきっと喜んでくれると思います。ゲートロックが使用できれば初心時にはこんな素晴らしいゲレンデはありません。しかし残念ながら崩壊しており、A懸岩や蓬莱峡を案内して腕に磨きをかけレスキューチームのリーダー的存在になって貰いたいと思っています。彼らには人間的にも充分その素質があります。


[3048] 【3161回 マイテントに風船を】 2013-05-19 (Sun)

凍えるような寒い夜にテント場でヘッドライトも持たず自分のテントを探す青年に遭遇し、行きがかり上、一緒に10分間以上もテントを探し回ったことがありました。暗闇ではテントの色は目印にはなりません。なぜなら同じメーカーで同じ色のテントは沢山張り巡らされています。たまたまその日は「フライをかけていない」と特徴がありました。しかし暗闇の中でフライがあろうがなかろうがあまり関係ありませんでした。

やっとのことで自分のテントを見つけて役目を終え、私も自分のテントに戻った時には身体は冷え切っていました。テントの入り口かテッペンなどに目印として風船をつけてはどうでしょうか?季節によっては鯉のぼりでもいいかも知れません。涸沢カールなどのテントがひしめき合う場所ではきっとよく目立つのではないでしょうか。私はまだ試みたことはありませんが、機会があれば一度試してみようと思っています。

自分だけの、しかも遠くからすぐわかる目印があればいいですね。ちなみに私のテントには名前を印刷してもらっています。今度ご覧になって下さいね。(これも夜間では目立たないかも知れません)まっテントの場所がわからないってドジッだと言えばそれまでですが・・。しかしこのことがあって翌日は通称「迷子の子猫ちゃん」はレスキュー講座に飛び入り参加となりました。貴重な体験だと喜んでいましたがその後、富士見平小屋への貢献度はいかがなものでしょうかね。

私の子供達が小さいとき、テント場の中を放し飼い(羊じゃないっちゅうねん!)にして自由に遊ばせていましたが帰るテントがわからない時がありその後は運動会等で使用する万国旗でテントの周囲を張り巡らせました。七輪や飯盒やレトロな道具ばかりでヘシコを焼いたりしましたので隣のテントの子供達が物珍しげにやって来ました。では隣のテントの中はと覗くと自宅の台所をそのまま移動したようなりっぱな道具ばかりでした。AC電源を利用すれば家と全く変わらないのです。我がチームの子供達はマキを集めてこなければ食事にありつけず、マキを拾い集めに行ったり、目が痛くてあけていられないほどの煙にまかれたりしましたが、風向きを調べたりして煙のこない場所への移動など結構楽しいらしくキャッキャッ騒いでいました。勿論夜は「肝試し〜」です。隣のテントの子が私達のテントを羨ましく覗いていました。

文明の利器は利器として重宝に使えばいいと思いますが、自然の中では、その場でしか味わう事の出来ない工夫を体験させたいですね。先日の富士見平滞在中に母親と二人で登山を終えた小学校3年生の男子がいました。登山道で拾った木切れを2本こすり合わせています。「何しているの?」と声をかけると煙が出で火が付くかも知れないとのことでした。雑誌で得た情報らしいのですが本当かどうか試しているとも言ってくれました。「ガンバレ!もうちょっとだね」と言いながら見ているとバスの時間が迫ったらしく母親に急き立てられて下山していきました。「この木持って帰ってもいい?」「いいけどママに聞いてみたら?」と言い、ママの苦笑いとともに「いいよ!」を聞くことができました。木切れを手にうれしそうに下山していく男の子の姿が見えなくなるまで手を振りながら、きっと良い子に育つだろうなぁとうれしくなりました。


[3047] 【3160回 幼友達からの宅配便】 2013-05-18 (Sat)

「去年、50年ぶりに再会した幼友達からの宅配便」

「宅配便で〜す」・・・一体誰からだろうと印鑑を手にドアを開けました。去年50年ぶりの同窓会を京都で開催し再会した幼友達からでした。中には、えんど豆、スナップ豆、ハチク、それにイタドリの塩漬けが入っていました。お礼の電話をすると「みっちゃんが去年の同窓会で、京都からイタドリを抱きかかえて帰っちょったろ?あの姿が忘れられんがよ」と、故郷を忘れていなかったことが嬉しかったと言ってくれました。でもイタドリは・・・大阪でもあるし、「季節限定イタドリ姫」となっていることを告げるわけにいかず、感謝の言葉を述べておきました。ハチクはこの時期、河原などにニョキニョキと出て高知では保存食として塩漬けをしておきます。母とよく採りにいったものです。季節の山菜を昔を偲びながら美味しく頂きました。

阪神デパートの地下にクルクルと回転する飴売り場があったことを思い出し故郷の友に礼状と一緒に送りたいと探しに行きましたが既に回転式飴売り場は縮小されていて、しかも回転式ではなくガッカリしました。子供達が小さいときはクルクル回転する台の前に立ち、好きな飴が廻ってくるのを待つのですが、待ちきれず自分たちが廻っていた懐かしい思い出があります。そんな懐かしさも手伝って私もグルグルと廻ってきました。阪神地下の飴売り場大すきで〜す。

幼友達は一人暮らしなので消費期限のあるお饅頭等は食べきれないと思います。飴ならば1日一粒(食べ過ぎたら虫歯になる〜)目の前にあれば食べてもらえます。しかも種類が沢山入っているため飽きないで食べてもらえるのではないでしょうか。

大阪のおばちゃんは飴が好きって言うけれど(その通り!)山の中では命を救う一粒にもなるのです。また馬力も出るのです。私は非常食としてリュックの雨蓋にいつも飴を入れています。「非常食」と「行動食」は違うと言うことは解っていても非常食用のチョコレートは帰りの電車の中では、無事下山したことを喜び仲間たちと分け合ってたべてしまいます。そしてまた新たな非常食を交換しておきます。


[3046] 【3159回 バネ指って?】 2013-05-17 (Fri)

みなさん「バネ指」という指の症状をご存知でしょうか。バネ指というのは、普段から指先を駆使している状態の人がなりやすい症状で、パソコンやゲーム、仕事やスポーツなどでも、指先を動かす仕事をしていれば、バネ指になりやすいそうです。これは、年齢関係なく、酷使しすぎれば、バネ指になるそうですが、一方で老化のために、バネ指になってしまうというケースもあります。年齢とともに体力が衰え、指先の屈曲運動がなかなか出来なくなったときも、バネ指になるといいます。バネ指になると、指の付け根に腫れ、痛み、炎症などを伴い、時には熱をもったりします。痛くて、日常生活にも差し障りがでてくるといいます。原因は、上記にあげた「指の酷使」または「老化」です。指の曲げ伸ばしが困難になり、痛み、炎症などを伴う症状は、主に親指になりやすく、また、女性に多い症状でもあるようです。バネ指は早期発見であれば、適切な治療方法で治ります。バネ指の症状をそのまま放っておくと、指が伸びたまま曲がらなくなる、または、曲がったまま戻らなくなる…といった状態にもなりかねません。指に痛みや、しびれなどなにか異変を感じたら専門医に相談し、治療をはじめましょう。

じつは・・・私も1ケ月ほど前から親指が「カックン、カックン」とロボットの様な動きをし始めて自分の意思通りに動かずストレスとなっていました。内科の定期検診日のついでに整形外科を訪れると「バネ指」だと診断され、しかも老化現象らしくショックでした。(笑)

治療のために「飛び上がるほど痛い注射があるがどうするか?」と聞かれ迷いましたが「お願いします」と、飛び上がるような痛さの注射を親指の付け根にしてもらい少しましになってきました。

今日は1週間後のバネ指の診察日です。加齢にともない聞いたことのないような病気が次々にやってくるんですね。でも「アレッ?」と疑問に思えば専門機関を訪れた方が安心ですね。命に係わるような大病はなくても節々の痛み、腰の痛みなどで登山どころではなくなる日も近々・・・ならば「いつ行くのですか?」「いまでしょ!」どこかの塾の講師がCМやってたっけなぁ。


[3045] 【3158回 PEAKS6月号】 2013-05-16 (Thu)

登山雑誌「PEAKS6月号」を初めて購入しました。富士見平小屋でのレスキユー活動を含む小屋の取材を受け「PEAKS6月号」に掲載されているとの情報で、立ち読みと言うわけにもいかず、購入して手に取ってみることにしました。近くにコーナンがあり、その片隅に本屋ブースがあります。発売当日のため、まだ梱包されたままの「PEAKS6月号」に店員さんがカッターを入れ紐解いてくれました。家に帰るのももどかしくコーナンのベンチに座り読み始めましたが悲しいことに老眼鏡がなく買い物もそこそこに自宅に帰り読むことにしました。

老眼鏡をかけ記事を探しました「PEAKS6月号・・86ページありました、ありました。「シェルパ斉藤の山小屋24時間滞在記」のタイトルで4ページに渡り書かれていました。その中に「レスキュー243チーム」の事も書かれており「うん・うん・その通り〜」と独り言を言いながら読んでいたら、記事の中で

『前略・・部屋に入ると年配の婦人がウエア類を詰めたバックパックを人体に見立てて心肺蘇生法を伝授していた。小芝居をしたり関西弁の話術で場を盛り上げている。参加者は笑いながらも講師の話を真面目に聞いていた・・・後略』

と書かれていました。(年配の婦人とは私の事か?!これ以外に表現方法はないのか?!・・・ないわなぁ。まだ小太りの女性よりはましか〜!年配とは何歳から言うねんっ!)小屋の管理人になったいきさつ、湧水の美味しさ、1812bの地で飲むマーリーコーヒーの旨さ、料理の旨さなどを紹介してくれています。

この本を読んでまたドッと一般登山者が押し寄せてくるのではないでしょうか。嬉しい悲鳴なら歓迎しますが救助に明け暮れるのであれば困ったものです。とにかく装備に問題ありなのです。小屋で合羽を販売してはどうかと言う人もいましたが2000bを超す山に合羽を持たずに登ってくることの方が問題です。

石楠花の時期を迎え沢山の登山者がやってくると思います。関東圏に滞在するレスキューメンバーのみなさんにはご苦労かけますが都合のつくときは小屋に駐在し、安全登山の声かけをしていただければ事故が未然にふせげるのではないかと思っています。


[3044] 【3157回 思い出のスケッチブック】 2013-05-15 (Wed)

押入れを片づけていたら「旭堂南海さん」という講談師の方から頂いたスケツチブックが出てきました。会社が景気のよかった時代に得意先を集めての慰安旅行に行くときは必ず落語家や講談師が同行し、場を盛り上げてくれるといった贅沢三昧のバス旅行をしていました。このバス旅行に出演するとその次の年からは売れっ子になるというジンクスまで飛び出しました。南海さんは2年連続で来ていただきました。当時の出演料は10万円でしたがいまでは出演料も破格、と言うか有名になりもう出演してくれるはずもありません。頂いたスケツチブックには南海さんの自筆でユニークなクイズが沢山書かれており、バスの中で私達を楽しませてくれたものでいまでも大事に持っています。そこで富士見平小屋の「消灯時のうた」をスケツチブックに書くことを思いつき作成することにしました。

・山小舎のともしび
・ふるさと
・四季の歌
・山男の歌
・穂高よさらば
・ふじの山
・雪の降る町を
・幸せなら手をたたこう
・上を向いて歩こう
・おお牧場はみどり
・あおげば尊し    

など山の歌や手拍子で盛り上がる歌、季節に左右されない歌を選曲しました。では何故「雪の降る町を」があるのかと質問を受けそうですが、レスキューメンバーの中に「雪の降る町を」の一行だけを延々と歌う仲間がいて、ぜひ最後まで歌えるようにと願いを込めて載せました。真夏にでも彼がいるときは歌いたいと思います(笑)最後はしっとり歌える歌として「あおげば尊し」も入れちゃいました。11曲全部を歌うわけではありませんよ。中には歌の嫌いな人もいますし消灯時間が来て「はいおしまい」では味気ないのでこの11曲の中から選んで歌ってもらえればと思っています。いまはカレンダーの裏を利用して乱れ書き・走り書きで書いていますが、機会があればソッーと交換しておきたいとひそかに思っています(写真ブログに載せました)

知らない人同士でも歌は全国共通です。私は歌の持つ心の癒しをネパールで肝に命じて戻ってきました。日本人に「さあ国の歌を歌って」と言われてスッと出てこないもどかしさ、ネパール人は老若男女踊って歌える共通の歌がある、ドイツ人も誇れる国の歌がある。では日本人に「さぁ一緒に歌って」と言われてもバラバラ〜(もっとも日本は演歌から民謡から唱歌などジャンル多し)で、人前で赤ペラで歌える歌を持ち合わせていない。ソーラン節を歌ってミスった手前、多くの山仲間に日本のいい歌に耳慣れしてもらいたいと思い歌集を作った次第です。

ぜひ宿泊者のいる日にはこの「消灯のうた」のスケッチブックを活用してほしいです。但し決して無理強いすることなく・・・さりげなく・・・タクトを振るのは若あるじの仕事かな!

どこかの山小屋で「いきなり電気を消されて不愉快だった」と私に言ってくれた一般登山者がいました。消灯時間が部屋に明記されているため「いきなり」ではなかったかとは思いますが、その前に「間もなく消灯で〜す。」など何か一言欲しかったということだと思います。ならば富士見平小屋の消灯の合図は「山の歌」で終わるらしいよ〜と評判になれば小屋の特徴も出でいいかもしれませんね。逆効果もあるかも知れませんが成功・失敗は3割3分3厘だから。それに11曲全部歌い続けたりしませんから・・・一人で宿泊の人にとって「ホッ」として頂けるかも知れません。とにかく最近の子供達は昔の素晴らしい唱歌を学校でも教わりません。ならば爺&婆が伝承していかなければならないのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。


[3043] 【3156回 Facebookの「いいね!」と「シェア」の違いは?】 2013-05-14 (Tue)

FacebookやMixiやGREEなど私達には付いて行けないところがあり正直言って戸惑いを隠せません。まず「いいね!」と「シェア」。どこがどう違うのかサッパリ理解できませんので私は一度も「いいね!」を押したことはありません。「いいね!」を押すのであればコメントを書きたい派で、その方が相手に自分の気持ちが通じると思っています。

「いいね!」をするというのはどういうことなのか、「シェア」をするとはどういうことなのかについて調べて見ました(一応努力はしています)

●Facebookの仕組み
@「投稿(シェア)」は全て各ユーザー、Facebookページが持つ「ウォール」に対して行う
A「ニュースフィード」は関連のある情報を集めてくれる場所
B「ウォール」に投稿すると友達の「ニュースフィード」に表示される
C「いいね!」はそのコンテンツに付与されるだけで新たな投稿ではない
D「コメント」はそのコンテンツに付与されるだけで新たな投稿ではない
E「シェア」はその投稿を自分の「ウォール」に再投稿すること

分かりやすく説明するために、名前をいれて条件を設定します。 登場人物は5人のFacebookユーザー
登場人物は(ひめ、ジョン、ポッチー、洋ちゃん、ウッチー)とします。また、友達関係も設定します。ジョンはひめ、ポッチー、ウッチーと友達登録をしています。ひめはジョンと洋ちゃんと友達登録をしているということにします。

「ウォール」は実際に投稿をする掲示板のような場所です。「ニュースフィード」は「ウォール」に投稿された中から友達の情報や自分が興味のあるFacebookページの情報など、自分に関係のある情報だけを集めてくれている場所です。ニュースフィードはフィード、という名前にもあるように、情報を集めてくるための仕組みです。そして、各投稿内容は必ずウォールに所属します。 では具体的に「いいね!」をしたときに何が起きるのでしょうか。

まず、ジョンがFacebookのトップページのニュースフィードから近況をシェア(自分のウォールに近況を投稿する)します。ニュースフィードというのは友達やFacebookページの更新情報が集まってくる場所で、投稿をする場所ではありません。投稿はあくまでウォールに対して行います。

そしてウォールに投稿された内容はそのウォールの持ち主の友達のニュースフィードに表示されます。つまり、ジョンがジョンのウォールに投稿すると、友達のひめ、ポッチー、洋ちゃん、ウッチーのニュースフィードに投稿内容が表示されます。次に、ひめはひめのニュースフィードを見ていて、ジョンの投稿に対して「いいね!」を付けたとします。これはひめが「ジョンのウォール投稿に「いいね!」をつけた」ことになります。つまり、あくまでジョンのウォールへの投稿に対しての「いいね!」だということです。ひめのウォールには関係ありません。ひめのウォールが更新される訳ではないので、ひめの友達である洋ちゃんのニュースフィードには何も表示されません。

ひめが「いいね!」をしたことでジョンのウォールが更新されたので、その更新情報はジョンの友達のニュースフィードに表示されます。 つまり、あなたが友達の投稿に対して「いいね!」と言うと「投稿をした友達の友達」にまであなたの「いいね!」が見える、ということになります。

では「シェア」すると何が起こるのでしょうか?途中までは「いいね!」と一緒です。ジョンがコンテンツを投稿し、それが友達のニュースフィードに表示されます。次に、ひめは「いいね!」ではなく「シェア」をしたとします。「シェア」は「いいね!」とは違い、ジョンの投稿内容を再利用して自分のウォールに投稿します。つまり、ひめのウォールに反映されます。 いいね!はあくまでジョンのウォール内での話でしたが、シェアの場合はシェアした本人のウォールが関係してきます。

あ〜やっぱりわからへん!もう脳みそが高齢者モードになってるんやわ〜!でもこの間の同窓会でFacebookの話したらみんなはもっとチンプンカンプンやったけどなぁ〜!


[3042] 【3155回 食事会という名の同窓会】 2013-05-13 (Mon)

ちょっとややこしいタイトルでしょ!ここ2年ほど関西圏に住む者だけで食事会をすることになりました。同窓会と言うには全体に案内を出しておらず、あえて「食事会」として追及逃れのできるように案内を出しました。11日西九条駅午後6時全員時間通り集合です。会場まで行く間中、歩きながらお喋りに花が咲き会場である「だんだん」に到着です。男性4人、女性10人のため偏らないようにと座席表を作りくじ引きをしました。「なんか小学生に戻ったみた〜い!」といいながらやっと全員が席につきました(こんなに口が達者だったかなぁ〜何と暇のいること!)

料理は予算に合わせて予め注文しています。男性陣は自己申告で「よく飲む」という者は自主的に会費倍額頂きました。乾杯の発声後、お料理を美味しく頂き少し落ち着いたところで近況報告をすることにしました。しかしおしゃべりが止まらず誰が何を言ってるのか聞こえません「聞こえない〜!」と言うとその時だけ静かになりますがあとはまた蜂の巣をつっついたようにあっちでペチャ・クチャ、こっちでペチャ・クチャ。それも病気の話ばっかり・・・・次から「Be Quiet! Shut up!」の笛吹こう!

酔いが廻るとまたまた大変でベロベロの人が続出。心を許せる学生時代の友達だから遠慮がないと言うか何と言うか楽しいのではありますが・・・近況報告どこまで進んでいるのやら!起立をして大きな声で話し始めてもその時だけ振り向くのですが、野次も飛びそりぁ大変な盛り上がりでした。(来年からは乾杯の前にみんなの口にガムテープでも貼り付けてサッと済まそっと)

料理も食べ切れないほどの美味しい創作料理でみんな大満足です。焼きおにぎりと漬物が最後に出て清算を済ませ、余剰金をみんなに返金いたしました。誰ともなく「美味しい!来年もここでしよう!」「ちょ、ちょっと待って!万年幹事よりも交代で幹事をしよう」と提案するも「福ちゃんに頼むわっ!これ通信費にカンパや!」酔っ払い娘が足をもつれさせて返金した700円を握りしめて私の前でバタ〜ン。そんなこんなでみんなから通信費のカンパをもらい・・・・「わかった!来年、もし私が生きていなかったらこれは香典にもらっとくわ〜」最後に高校三年生を合唱し西九条駅に向かいました。時間は午後9時を回っています。3時間もいたことになります。

西九条駅で「ではまた来年!」と言うと「そりゃいかん!まだ話の続きが残ってる〜福ちゃん地元やからもう一軒案内せよ」と言われましたが主婦はそんなに居酒屋を知るはずもありません。駅近くでジャンボカラオケの兄ちゃんが呼び込みをしており「割引あるんかっ?」と交渉し狭い部屋にギューギュー詰めに入り「時は金なり」と過ぎゆく時間を惜しんで歌を入れました。私達の青春時代の歌を誰が歌うでなく入力するとマイクなしで全員で大合唱・・・ちなみに「美しい十代・学園広場・青春時代とかでした」

部屋の電話が鳴り時間切れだと通知してきましたが誰も席を立つでなく延々としゃべったり、歌ったりして一番自宅の近いはずの私が「電車がなくなるので帰る〜」と合図するとやっとみんな席を立ちました。名残惜しい気持ちはみんな一緒ではありますが夜道は乙女たちには危険が多すぎます(乙女ってだ〜れ?)


[3041] 【3154回 開通記念ハイウエイウオーク】 2013-05-12 (Sun)

阪神高速2号淀川左岸線 開通記念ハイウェイウォークに行ってきました。自宅から10分のところに「大開」と言う高速道路の出入り口が完成し、車が走行するまえにウオーキングによるお披露目をしようと言うイベントでした。「傘の使用禁止」と事前にうたっているにもかかわらず多くの人達が傘を手にゾロゾロと会場に入って行きます。ご丁寧にビニール合羽なるものの配布までしています。(私は合羽持参していましたがビニール合羽もらっちゃいました〜)

中では工事がいかに大変であったのかの展示ブースがところどころにあり職員らしき人が説明をしていました。排気ガスを町中に振りまかないと言う市民の願いで、ほとんどがトンネルの中で半分も歩かないうちに息苦しくなり狭所閉鎖症状態で窒息するのではないかと思うくらいでした。(途中に此花区長もいたっけ・・・小柄やさかい目立たんなぁ〜)

トンネルの中でのイベントの中で若者による音楽コンサートが実施されていましたが、トンネル内に共鳴しうるさいだけで耳をふさぎたくなり逃げ場のない時間が何分間もあったことが不快でした。イベント内容について、もっと工夫をすればと思う場面がいくつもありました。

開通後いちど車で今回のコースを利用してみたいと思っています。いいのか悪いのか人それぞれだと思いますが高速道路開通で町の景観がかわりました。
     (開通の写真ブログに載せました)


[3040] 【3153回 富士見平・テント場での出来事】 2013-05-11 (Sat)

連休中に某高等学校の生徒と教師はテント利用、ОB(19歳の現役大学生)は小屋泊を利用と団体申込みがありました。当日はゴールデンウイークで道路の渋滞に巻き込まれ夕方の到着となりましたが手続きを終え元気にテン場にかけて行き幕営完了です。小屋泊の大学生たちの到着がまだの様子でした。小屋の消灯時間20時30分が来たので私達はテントに帰って行きましたがあるじと小屋泊のレスキューチームは、彼らの到着を午後10時まで待っていたそうです。途中で何かあったのではと思うと眠れなかったと聞きました。(引率の教師と高校生は既に就寝)

午後10時過ぎた頃、小屋を訪れて宿泊予定者だとわかり、今までどこで何をしていたのかと聞くと、小屋の外のテラスで酒を飲んでいたことがわかりました。小屋のあるじは引率の教師を呼び、受付もせず19歳の分際で酒を飲むとは、どういう教育をしていたのかと教師に爆弾を落としました。到着せぬОBたちを心配するでなく就寝中とは、もってのほか、ОB達に反省さす意味ですぐに下山さすよう教師に言ったそうです。

小屋から30分下山すれば駐車場があり教師の車が停めてあったようで、その夜は車の中でエンジンをかけずに(排気ガス事故防止のため)寝るようにと指示をして「レスキュー243チーム」が、駐車場まで付き添い暗闇の中を強制下山させられました。「レスキュー243」チームは暗闇下山の安全確保に終始たずさわりご苦労であったと思っています。知らぬこととは言えごくろうさまでした。

翌朝、教師は高校生たちに昨夜の出来事を説明し、同じパーティなので連帯責任として山には登らず下山しようと呼びかけ、今回の事を皆で考え再度富士見平小屋を訪れようという事で下山していきました。朝大きなリュックを背負い少しうつむき加減に下山していく生徒たちを見送りました。教師は「ご迷惑をかけました」と我々スタッフに声を掛け下山していかれました。リュックの中には荷物は勿論ですが登山の夢も入っていただろうに卒業生によって台無しになったことの悔しさを隠しきれぬままの後姿が少し可哀そうにも思えました。(これしか方法がなかったのだろうか・・・・とも思っています)

さて・・・これからが教師(山岳部顧問)の指導力の有り無しにかかってきます。高校生には何の落ち度もないのですから、山は連帯責任のルールがあることや、山の厳しさを、今回の出来事を教訓にして、勉強してほしいと思っています。高校生たちが夕食の片付けの洗い物に来ており水場で出会いました。フライパンや鍋を洗い水タンクの上にかぶせていてジョンに水滴が綺麗な水タンクの中に落ちるからと注意をうけたりもしました。まな板を洗っているのですが、水が非常に冷たくて包丁でゴシゴシしていたのでタワシを貸したりしました。家で手伝ったことのない男子生徒たちばかりだとは思いますがテント場利用は自分たちだけでないことを学んでくれたことでしょう。引率者の教師も大変かも知れませんが出発前に予行練習等をしてからお出かけいただきたいと思っています。そして彼らが山を嫌いにならぬように祈っています。


[3039] 【3152回 山岳保険】 2013-05-10 (Fri)

富士見平小屋での滞在記をアップし「Facebook」にてレスキューメンバーにそのことをお知らせしました。しかし「いいね!」の反応しかありません。他愛もないちっちゃな出来事にはすぐに反応するのに〜!レポートと写真の編集で苦労したにもかかわらず「いいね!」だけで済まされてしまうと力が抜けてしまいました。「Facebook」は、情報発信が早いけれども結構独り歩きするところもあり私のような高齢者には付いて行けそうもありません。私は「いいね!」等の反応はしないで「見るだけ」にします。たったいまそう決意しました(笑)

レスキュー仲間から「みんなの登山白書」なる資料を公開してもらいました。データー内容は山岳保険についてです。『ヤマケイオンライン」と明記すれば引用してもよいと書いてありました。まず私の山岳保険ですが富士見平滞在中の5月2日に更新日が来て慌てましたが代理店の機転により立て替え払をしてもらい事なきを得ました。保険と言うのは空白が1日でもあると運悪くその日に事故が発生してしまうアクシデントがまれにあります。まぁお守りみたいな役割もしているということですね。

ヤマケイオンラインによると
●山岳保険加入者は半数強。登山頻度の多い人ほど加入率が高く、毎週のように行く人は7割が加入。
●山岳保険未加入の最大の理由は「なんとなく」。遭難するような山に行かないという人も多い。
●8割以上の人が登山計画書を作成し、3/4以上の人がしっかり提出している。
●ヘッドランプ携行率92%。非常食も9割弱が用意している。
●自身およびパーティの救助要請は5%未満。逆に登山者救助経験は7%!

『登山者の遭難事故は、年々右肩上がりで増えていて、その傾向はいっこうに衰えそうにありません。その理由は「自立していない登山者の増加」といわれ、みなさんは安全登山に対して、どんな認識を持って、どんな対策を取っているのでしょうか?山岳保険に加入していない理由として「何となく加入していない、山岳保険のことがよくわからない、危険な山に行かない、年に数回しか行かない」等があげられています。』・・・ヤマケイオンラインから引用

ヤマケイオンラインで「自立していない登山者の増加」と言う表現がありました。瑞牆山は駐車場から50分で富士見平、さらに山頂まで1時間50分と表示されていることから「簡単な山」と認識されているようです。しかし山の全容を写真で見てもらえればわかりますがほとんどが「岩稜帯」なのです。半分以上が「岩登り」となります。そんな山にスニーカーで来られるのです。また凍結しているにもかかわらずアイゼンも持たず登って来られる人が多かったのに驚きました。アイゼンの有無を聞くと「持っています」と答えますがリュックを見ればそれが嘘であることがすぐわかります。しかし荷物チェックまでできません。「駐車場に置いてきた」などと言う人には「取りに戻って下さい」と言いたくなりますがそれも言えず、ただひたすら「お気を付けて!」としか言えません。本当にフル装備している人は見ただけでわかります。

長坂警察署が連休中に瑞牆山で事故がなかったことで小屋のあるじに感謝の意が届いたそうです。私設レスキュー隊を設置してパトロールしたことが無事故に繋がったと評価してもらえたことに満足感を感じています。


[3038] 【3151回 イタドリ繋がり】 2013-05-09 (Thu)

ゴールデンウイーク期間中、富士見平小屋に滞在し、多くの仲間たちと登山者の安全について語ったり、行動を起こしたりした結果「事故ゼロ記録」を達成しました。多分「見てるだけ」であれば多くの負傷者を出しただろうと思っています。だって・・・スニーカーで凍結した瑞牆山登るんだもんね!私達はそれが危険であったとしても「入山禁止」を告げる権利はありません。ただ、ただ「気を付けて下さいね」としか言えないのです。しかしその「気を付けて下さいね」と声掛けすることと危険個所で安全確保のロープを張ることで事故がなかったとしたら、こんな嬉しいことはありません。

小屋のあるじからのメッセージがメンバー全員に配信されました。『本日、長坂警察署から連絡があり、レスキュー243のお陰で 今年のゴールデンウィーク中の事故が一件も無かったと報告がありました。 大変ありがたかったとのことでした。ありがとうございました。  富士見平小屋』

富士見平小屋のあるじの念願が叶ったことが何よりもうれしいですね。アイゼンを持たない人に、また常識のない人のためにそこまでしなくてもと思ったこともありますが結局事故が発生すれば、装備不備で怪我をしたとしても救助に行かなければなりません。「小屋で合羽を売れば?」と言った人がいました。しかし合羽を持たないで雨に遭い小屋に駆けつけた時には「事すでに遅し」なんです。登山前に「合羽持っていますか?」と聞いたところで太陽が照りつけていれば「ハイ、持ってますよ」と通過します。持っていなくてもそういうのです。そんな人が雨の降る前に小屋で合羽を買うものですかっ!小屋はそこらへんのスーパーではないのです!。小屋で扱う商品は、装備をきちんとした人が登頂後に記念の品をと求めるものしか置いていないのです。(♪あたりまえ〜♪)

自分も行きたい山に登りたかったけど・・・無事故に繋がったなら行ってよかったんや!小屋のあるじがあんなに喜んでくれたなら行ってよかったんや!

自宅に戻ってパソコンを開けて見たら、山仲間から「お店でイタドリを見つけて、姫さんのイタドリの味忘れられなくて買っちゃいました」とメールを頂きました。うれしかったなぁ!イタドリで人と人が繋がっているって!高知県人はイタドリ採りなしでは春は越すことができんけん!(但し買ったりはせん。自分で見つけるのが醍醐味なんやサ〜!)

以前に一緒に山歩きをしていた時イタドリを料理して持参。「ビールのつまみにどうぞ」とさしあげたことがありました。いままでにない触感で美味しかったと言ってもらった記憶があります。それを覚えておいてくれたんですね。しかも6本200円で買うなんて〜オドロキです。私もこれからイタドリ見つけたら「1本30円かぁ」なんて計算してる自分がいます(笑)

西宮名塩に住むお嫁ちゃんが「お義母さんの秘密基地でイタドリ見つけました。これをどう料理すればいいのですか?」と、写真つきメールが届いたのです。とうとうお嫁ちゃんもイタドリ病に感染しちゃったみたいです〜!フフフ

春が過ぎると必ず連絡してくる職場関係の友がいます。この時期に会えばイタドリを貰えるって覚えているのだそうです。現在ご主人が癌治療中でなかなか思うように会えないのですがそれでも春になると私のこと思い出してくれるんですって。嬉しいね!

高知に住む従姉妹にも料理済と冷凍したものを送りました。近所の人に大阪の従姉妹が送ってくれたと自慢したら「さかさまじゃねぇ〜ほんまは高知から送るもんじゃよ〜」と言われたそうです。でも、この従姉妹・・・いま病気と闘っていてイタドリ採りどころではありません。せめて私が採って気分だけでも味わってもらおうと送りました。

「たかがイタドリ、されどイタドリ」・・・しっかり人間同士、心で繋がっています。


[3037] 【3150回 山岳事故】 2013-05-08 (Wed)

ゴールデンウイーク中の山岳遭難は16人死亡、2人が不明が8県(長野、山梨、秋田、福島、群馬、岐阜、富山、石川)で相次いでいました。瑞牆山と金峰山では「レスキュー243」の安全登山の呼びかけが効果をあげて出動回数ゼロの快挙で幕を下ろしました。富士見平小屋のあるじの粋な計らいと言うか熱い思いがレスキューメンバーに伝わりみんな真剣に取り組みました。その結果「事故件数ゼロ」と言う快挙と繋がったのだと私は思っています。しかし「ひめごと3149回」にも書き込みましたが各地での事故は悲惨です。その悲惨な中でテントの中で死亡すると言う痛ましい事故が発生しています。

●『5月7日、午前8時40分ごろ、石川県白山市の山毛欅尾(ぶなお)山(1365b)で、白山野々市広域消防本部の消防署員が、テント内で東京都の医師(69歳の男性)が死亡しているのを発見したそうです。5日に下山予定で、石川県警によると、厳しい冷え込みで衰弱したとみられています。』

5日に下山予定と家族に告げていたにもかかわらず7日になっても帰って来ない為、家族が遭難届けを出したのではないでしょうか。富士見平小屋の標高も1812bで寒さも同じくらいだったのではないでしょうか。私も(4/28から5/6)までテント生活をしました。寒さに震える晩もありましたが元気に朝を迎えることが出来ました。寒い夜は靴下の重ね履き、ダウン、合羽などを着用し、ありとあらゆる防寒対策をして、寝袋に入ればテント内で死亡という惨事は免れるのではないでしょうか。富士見平で沢山のテントが張ってある中で、ただひとりだけツエルトを張っていた人がいました。雨が降れば大変なことになるのではと心配した次第です。ツエルトもテントも重さ的には大きく変わらないと思いますのでできれば事故防止のために宿泊はツエルトではなくてテントを携帯してほしいなぁと思っています。特に冬場は気を付けたいと思います。それよりも何よりも近くに小屋がある場合は小屋泊が安全です。

私が今回なぜ小屋泊を利用せずテント泊にしたかと言うとゴールデンウイーク期間中、小屋に多くの宿泊予約者があるため、小屋が混雑するため、テントならば荷物を散らかしておいても誰にも迷惑かけないし自分の時間も取れるためテント泊を選びました。高齢になるとなるべく荷物を軽くして山小屋を利用する方が快適な山行ができると思っています。

若者の様にロングコースを組まず「小屋を見つけたら宿泊する」これが中高年の安全登山だと痛感する今日この頃であります。


[3036] 【3149回 ゴールデンウイークを終えて】 2013-05-07 (Tue)

大型連休の間(4/28〜5/6)奥秩父の山中で、テレビもラジオもないランプの宿に居たためニュースが耳に入ってきませんでした。麓に降りてみると各地で山の事故が多く発生していることに驚いています。

●長野県白馬村の北アルプス・白馬岳(標高2932b)の大雪渓で4月27日に発生した雪崩で、行方不明になっていた2人のうち1人の遺体が6日午前、見つかった。 県警大町署によると、56歳の男性で、捜索していた同県の山岳会のメンバーが発見した。仲間の男性(32歳)は依然行方が分からず、捜索を続行。

●長野県では連休中、遭難や滑落が相次いだ。北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889b)では5日、62歳の男性が倒れているのが見つかり、6日に死亡が確認された。

●爺ケ岳(2670b)でも5日、55歳の男性が滑落し死亡した。

●山梨、長野両県にまたがる八ケ岳連峰の赤岳(2899メートル)周辺で登山していた57歳の男性が行方不明になったことが28日、分かった。長野県警などが捜索する。茅野署によると、この男性は26日に入山し、赤岳近くの山小屋に宿泊。
27日に山小屋を出た後、行方が分からなくなり予定を過ぎても戻らないため、家族が28日朝、警察に届け出た。

●秋田県警北秋田署は6日、北秋田市の森吉山阿仁スキー場で行方不明になっていた78歳の男性を発見したが、死亡を確認した。この男性は頂上ゴンドラ付近から約180メートル下がった林で、スキー板を履いたまま倒れていたという。

私が滞在していた富士見平小屋は日本百名山「金峰山」と「瑞牆山」の二座を制覇する分岐点に存在し人気の小屋としてスポットを浴びています。昔ながらのこだわりのランプの宿で料理もおいしくてリピーターも多く、管理人たちの人柄も愛される理由のひとつです。テント場を利用する人達は湧水が利用でき若者達に愛用されています。

例年のゴールデンウイークは怪我人が続出し大変だったと聞き、「レスキュー243」メンバーが小屋に常駐しました。瑞牆山の山頂直下は凍結しておりアイゼンが無ければ到底登れないのですが、瑞牆山を甘くみていると言うかハイキングモードと言うか軽装で、何とか登れたものの下れない人が続出し、レスキュー隊がロープを持参して事故防止に一役買いました。お陰様で連休中の「事故ゼロ」を確認して大阪に戻ってまいりました。山はまだ冬山装備が必要です。くれぐれも事故に遭わないようにお願いします。
 


[3035] 【3148回 ゴールデンウイーク中の書き込みお休みします】 2013-04-27 (Sat)

Facebookなるものを始めて、4月26日の誕生日の日、「おめでとう」の書き込みの多いのに驚きました。自動的にFacebookに参加している人達へ誕生日であると言う事を一斉送信しているのか、それとも管理人さんがメンバーにお知らせしているのかわかりませんが「なぜ知ってるの?」と、嬉しいながら少し戸惑いもありました。しかし何歳になっても「お誕生日おめでとう!」と言ってもらうと嬉しいものですね。遠く海を渡ってネパールからもメッセージを頂きました。Facebookってほんま凄い機能ですね。「みんなの広場」や「Facebook」に書き込んで頂いたみなさん!メッセージどうもありがとう。頑張って生きて行きますね!

「ゴールデンウイーク中はどこに行っても人混みが多く大変だから家でじっとしている」が家訓でしたが今年はどういうわけか混雑も想定内として出かけることにしました。「どこへ?」「富士見平小屋」「また〜?」きっとそう言われると思っています。最近NHKで「小さな旅」の再放送が流れたそうです。きっとまた「誰でも登れる簡単な山」と勘違いして多くの方達がゴールデンウイークに瑞牆山にやってくるだろうと予想しています。

現在小屋のあるじは難病にかかり、重い荷物も担げないし救助要請があっても出動できません。「若あるじ」が後を引き継いではいますが、慣れるまで応援隊が必要となってきます。前回のレスキューの勉強会で復習をしたい人も多く、「小屋番の助っ人・兼・レスキューのおさらい」のためテント担いで出かけてきます。食料をテンに取られないように同じ失敗を繰り返さない対策も練りつつ準備を整えました。春山にも行きたいのですがまだ雪も多く事故防止のためにじっとしておきます。今は富士見平のあるじのお役に立つことの方が先決です。

息子が北海道の大学に通っていた頃は、ゴールデンウイークに帰省してくるため「母の手料理」を食べさせてやりたいと言う気持ちから外出することはありませんでした。私達が出かければ留守宅に自分で鍵を開けて戻るなんて可哀そうに思ったのです。しかし親の心子知らずで帰省した息子は高校時代の友人と毎日出かけて母の手料理も食べたのか食べてないのか記憶にすらありません。(失笑)

いまは自由に羽ばたいて、お誘いあらば何処へでも出かけられる自由の身・・・そんなわけで富士見平小屋に行ってまいりますので「4月28日〜5月6日まで書き込みはお休みさせていただきます」


[3034] 【3147回 静かにソッと65歳】 2013-04-26 (Fri)

今日静かにソッと65歳を迎えました。

この時期、カウント大好きな姫にとって誕生日のカウントダウンは恒例なれど・・・65歳ともなると「ソッ」と迎えるのもいいかなと思いカウントダウンを止めて、静かに65歳の朝を迎えました。いつもメッセージをくれるウオークの仲間の忠太郎から早朝5時45分「おめでとう」メールをもらいました。彼からのメールは「おめでとう」と言う意味も込められていますが「ボクも元気だよ」と言う健康確認にもなるのです。今年も元気で良かった〜!

いつもなら1年の抱負を語るのですが周囲に病人ばかり出て「病気をせずに元気ならいいや!」それが65歳の目標となりました。

高知の従姉妹(70歳過ぎ)が抗がん剤治療を終え、やっと四万十市の自宅に帰りました。「家にもんたら、体重が40sになってうれしい」との事。んっ?50sの間違いではないのかと聞き返すと38sが40sになったと喜んでいました。私は少しばかり(少しではない・・ね)太っているからと悩んでいた自分が恥ずかしくなりました。何と贅沢だったのかと反省しきりです。病気で痩せ衰えた人は太りたいと切実に悩んでいるのです。

もうひとりの男性知人(65歳)はいまだ闘病生活を送っています。頭髪は副作用で抜け落ち、頬は痩せこけて昔のイメージは全くありません。この男性と共通の知人が沢山いるのですが、入院していることを、現状の姿では、とてもとても知らせるわけには行きません。見舞いに押しかけたら大変です。私が病気を知ったのは「届かない1通の年賀状」が縁だったのです。現在もまだ『手術後の肺からの水の排出が平行線のままで食事が摂れてない。もう少し頑張ってみます。退院が決まったら一番に連絡します。』と、メールが届きました。ガンバレ!

私の母は55歳で他界しています。その頃は寿命だと思っていましたが今思うと55歳ってまだまだ第二の人生を謳歌できる歳ですよね。10歳そこらの少女でしたので親孝行らしいことも何ひとつできませんでしたが「今がしあわせ」であることが何よりの親孝行かなと思っています。ならば、どん欲に年金食いつぶして長生きしなくてはと、したたかに愉快に生きて行くつもりです。(笑)

同級生が集まっても話題は年金と病気の話ばかりです。宴会では「年金・病気の話禁止令」を発令したいくらいです。もっと共通の話題はないのかと言えばやはり「年金と病気」が共通の話題なんですね。ま、しゃあないか〜体力低下したら、それに見合った山登りをしたいです。65歳を前にして今年登りたい山を公表しました。無理せず、人のまねせず、自分なりの登り方で達成できたらいいなと思っています。ネパール人の「ビスタリー、ビスタリー」これで行こう!と思っています。

そして区役所からは高齢者の登竜門「介護保険証」なるものが送られてきました。勿論保険料の納付書も添付されています。「年金から自動引き落としと違うのか?」と問い合わせると手続きが完了するまで窓口納付らしいです。65歳を迎えると、いよいよ年寄扱いされる歳となりました。バスや電車の中で座席を譲られるのも時間の問題ですね。周囲を見回しても高齢者の方は歩行が困難なのか杖をついたり補助車を押したりと足が弱ってくるみたいです。「山!山!」と高望みするのもそろそろ限界なのかも知れません。しかし山には登りたいです。時間をかけて焦らないで三角点との出合いを楽しみたいと思います


[3033] 【3146回 睡眠時無呼吸症候群】 2013-04-25 (Thu)

2011年5月2日大峯・奥駈け第2日目コースは弥山小屋から八経ヶ岳を経由し「楊枝の宿小屋」で宿泊した時の出来事です。避難小屋とは言え、とても立派な建物で1階、2階に分かれており1階は既に先客たちがくつろいでおられました。私達は2階に陣を取りました。日暮れ時になって3人の登山者が来たころには、ほぼ満員状態でしたがみんなが詰め寄りスペースを作り快く受け入れました。3人組なのに何故か一人だけ2階に上がってこられて私達のすぐそばに陣取られました。以下はその時のレポートを転記したものです。

『事件は夜に起こりました。
さあ寝ようかと言うことになり寝袋に入ると、月の輪熊の遠吠えの様なイビキが聞こえてくるではありませんか。誘眠剤を飲んでも効果なし、もう辛抱の限界が来て、ヘッドライトを顔に当てて 「横を向いて寝て下さい!」 と3回もお願いし、身体を揺することとなりました。翌朝 「人間とは思えないイビキですね。貴方は小屋利用ではなく、テント利用の方がいいですよ」 と言うとスミマセンはなく「やっぱり〜っ!」だって。後日談になりますが天満のSさんはこのイビキ男と50センチしか離れてなくて、夜中にイビキを録音されて本人に朝、聞かせて病院で治療が必要だとアドバイスをしたそうです。』

仲間の方が、この男だけを2階に追いやったのは彼のイビキが大きくて睡眠の妨げになることを知っていて、自分たちから遠ざけたかったのだと思います(ひどい話やっ!)

さてここからが今日の話題の睡眠時無呼吸症候群なのです。「S・A・S」とも言われている睡眠時無呼吸症候群は肥満体の人だけでなく若い人も女性も対象となるそうです。眠気が邪魔されて浅い眠りしか取れない。昼間仕事中に眠気が襲ってきてアクビばかりするので「怠け者」と同僚から言われることもあるそうです。夜間に何度も窒息死している状態なので心臓にも負担がかかります。

自分自身で睡眠時無呼吸症候群であるかどうかを調べる方法として手鏡で調べることが出来るそうです。
@口を大きく開け舌を思い切り出す→喉チンコが見えますか?
Aアゴの下から首にかけてアゴの角度がありますか?
喉チンコが見えなかったり、角度がない人はイビキをかき睡眠時無呼吸症候群であるかも知れません。食生活が欧米化し柔らかい食物ばかり口にするようになったことも要因で、また更年期になると女性でもイビキをかくようになるそうです。(私も・・・スミマセン)

どうすれば治るのか・・・医師の受診をして下さい。治療法としては、マウスピース療法やCPAP療法などがあり、いずれも気道を広げる治療になるそうです。

登山を始めて山小屋を利用するようになった初めの頃、仲間のひとりが横になるとすぐ寝息を立てて熟睡していました。羨ましくて翌朝そのことを告げると「誘眠剤を飲んでいる」とのことで次の晩に1錠もらって寝たことがあります。誘眠剤の存在すら知らなかったのですが、最近では医師に処方してもらい、登山時にはいつも常備薬として持って行くようにしています。但し標高の高い山では高山病を発症する場合があるので使用しない様にと医師から言われました。

テント泊はそうした災難からも逃れることができて快適です(少しは聞こえて来ますが耐えられないほどではありません)山小屋での睡眠は「誰よりも先に熟睡する」これに限ります。


[3032] 【3145回 大流行の風疹】 2013-04-25 (Thu)

今年の風疹患者は、すでに昨年1年間の2倍近くになっているそうです。国立感染症研究所は23日、今年の風疹患者数の累計が14日までで4068人になったと発表しました。2392人だった昨年1年間の2倍近くになると発表しました。最も多かった都道府県は、東京の138人。大阪108人、神奈川50人、兵庫36人が続いたそうです。患者数は、首都圏が約65%、京阪神地区が約20%を占め、都市部が中心だが、地方でも徐々に患者の報告数は増えている。ワクチンの定期接種の対象外だった30歳代後半〜40歳代前半の男性が多い。「過去に予防接種を受けたこともなく、風疹にかかったこともなければ、ワクチンを接種してほしい」と呼びかけているそうです。

看護師をしている姪っ子から「おばちゃん〜私が小さい時に風疹と麻疹に、かかったかどうか覚えてる?」独身時代に姉の家に居候していた私は姪っ子の幼少期は一緒に生活し子守役もしていました。「お母さんに聞いたら?」と言うと「覚えてないって言われてん」そう言う事らしいです。私は我が子の病歴等は母子手帳に詳細を記入していましたが姪の分までは記憶になく「安全のため予防接種受けといたほうがエエよ」とアドバイスをしました。

担ぎ込まれる患者さんから感染することも多い看護師という仕事のため用心にこしたことはありません。私の息子が風疹にかかった時、私も一緒に感染しました。全身に発疹が出てとても会社に出られる状態ではありませんでした。大人になった時の方が症状がきついと言います。たかが風疹と侮ることなかれ、肺炎などを併発し命取りになる危険性もあるそうです。まだ風疹、麻疹に感染していない大人の皆さん!予防接種しておかれてはいかがでしょうか。

風疹の症状は、発熱と淡い赤色の細かい発疹の全身症状が特徴です。耳のうしろから首筋にかけて、リンパ節の腫れも起こります。発熱はたいてい、37度台の軽い熱のことが多いようです。大人の風疹の予防接種は、特に女性の妊娠初期に風疹にかかると、胎児に悪影響が及ぼす可能性もあります。それにより、子供を諦めなければならなくなることもありえます。妊娠を希望される場合は、あらかじめ大人でも予防接種を受けて欲しいものです。

また、最初に血液検査をして、風疹の抗体があるかどうかを調べてから予防接種をするのが普通です。風疹にかかっていても、症状が出ずに済んでしまう人もいますし、昔に予防接種を受けていても、抗体価が年月を経てどんどん下がって来てしまうからです。抗体がある人に予防接種をしても特に害はありません。人によっては、血液検査をせずに予防接種をしてしまう場合もあるそうです。

風疹の予防接種をする場合は、内科や産婦人科で受けられます。病院によっては、大人の予防接種はやってないところや、常にワクチンを置いている病院であるとは限らないので、あらかじめ電話で確認するなどしてから行ったほうが確実ですね。


[3031] 【3144回 荷詰めの失敗】 2013-04-24 (Wed)

アイゼン・ピッケルを含む1週間分のテント泊の荷物(瑞牆山の山頂はまだ雪山で救助要請があった場合にはアイゼン・ピッケル必要)をリュックに詰めました。(ブログに写真掲載)食材を含まない重量は15sとなりました。

一晩過ぎて・・・よくよく考えてみたら、テントをリュックの底に入れたのに気が付きました。テン場に到着して一番先にする作業は「テントを張る」なのです。その荷物をリュックの底に入れてしまうとリュックの中身を全部出してしまわなければなりません。手間でも、もう一度最初からやり直しておいた方が現地でモタモタせずに済みます。山でのご法度は「面倒くさい」と思うことだと思っています。少しの手間を惜しんだために後悔することは沢山あります。合羽も雨蓋近くに入れました。雨対策、防寒対策にモタモタしてては低体温症になってしまいます。

2度目に入れなおしてみると最初より上手く詰め込みが出来たように感じます。それでもパンパンに張っています。新規購入した50gのリュックは「本当に50g?」と疑いたくなるようなサイズです。メーカーによって同じ大きさであっても許容量が違うみたいですね。でも・・しかし・・私はもう大きなリュックを購入するのは今回で最後にしようと心に決めて買いました。

何がリュックの中でスペースを取るのかと思うと、やはり寝袋とエアマットの様です。寝袋と言う名の布団を担いで登るのですからスペースを取っても当然なのですがリュックの三分の一を占領してしまいます。登攀道具、雨具、着替え等を入れると隙間がありません。テント泊の楽しさと気楽さの代償は「荷物が多い」ことだと思います。その点、山小屋泊まりは荷物が少なくて食事の心配もなく快適だと思います。

今回はゴールデンウイークと言うことで小屋も予約者が多く、レスキューのメンバーはテント泊で待機する人が多いと思います。直火禁止ですのでキャンプファイヤーは出来ませんがそれに代わるメンバー同士の交流会が持てたらと思っています。

それにしても、この寒さ何とかならないかしら〜!朝起きたら雪が降っていたなんてことあるんだもんね。だって標高1812bもあるんですから防寒対策しっかりして行かなくっちゃぁ・・・


[3030] 【3143回 思い出せない・勘違い・思い込み】 2013-04-23 (Tue)

●思い出せない
テレビ番組「鉄腕ダッシュ」の話の中で「TOKIO」のメンバーの名前が顔は浮かんでいるのにどうしても一人思い出せませんでした。ず〜っと消化不良の様な何とも言えないスッキリしない時間が過ぎてそれでも思い出せませんでした。リーダーの城島、キーボードの国分太一、ドラムの松岡昌宏、男前の長瀬智也それともうひとりどうしても思い出せませんでした。自宅に帰り調べて見るとベースの山口達也だったんですが「山口」という名前がどうしても出てこなかったんです。

●勘違い
ブログにリュックの大きさを15リットルと書いて気が付きませんでした。ポッチーもジョンもリュックの大きさ知ってるはずなのに何の指摘もないし(読んでないのかも・・)就寝前にもう一度ブログを見て見ると葛城山さんが「15リットルにその荷物入るの?」と書いてありハッと気が付いたのです。15リットルではなく50リットルだったんです。葛城山さんのご指摘がなければ「書き込みは15リットル、頭では50リットル」のままだったんです。勘違いって気が付かなければ間違った情報を多くの方に与えてしまうんですねぇ〜。

●思い込み
同窓会の返事を今迄は往復はがきで貰っていたのですが、経費削減と時代に合ったメールで返信してもらうことにしているのですが「出席します」だけで名前もない人があり困っています。なるほど人数確認は出来ますがせめて誰なのか名前を書いて欲しいですよね。多分相手に分かっているという思い込みメールだと思います。「出席はわかりました。ところであなたは誰?」と再びメールを打ちましたがまだ返信がありません。一体どなたなのでしょうか?

加齢に伴い記憶力も判断力も急スピードで鈍ってきています。この頃ではポケットにメモ用紙とペンは必ず入れるようにしています。メモ用紙を忘れた時には手の甲に書き込みます。そうしておかないと「思い出せない・勘違い・思い込み」がグルグルと順番にやってくるのです。登山においても同じことで山の名前が思い出せない、ロープワークの勘違い、絶対にこうだ!と言う思い込みなどは命にかかわって来て笑いごとでは済ませなくなってきます。

週末に伺う富士見平小屋に於いても「レスキュー243」チームを立ち上げましたが現場で実際にどのくらい役立つのか未知の世界であります。怪我人は出ない事が望ましいのですが、万が一怪我人や遭難者が出た場合、前回の講習内容とご自身の持つ登山技術を駆使して役立てて欲しいと願っています。連休中(旗日)は岩場訓練に出かけるのはやめて救助隊のテントの中で待機しなければ、いざと言うときに役に立ちません。ならば待機中に出来ることはと言えばロープワークやテント近くの立木を利用しての練習ができると思っています。そう言いながら私も必死に練習を積み重ねていかねば、若者に体力で負けて、ロープワークも負けて、では悔しすぎます。高齢者でもがんばっているのだからと若者が更なる技術向上を目指して貰えれば高齢者の存在も役立つでしょうか。かと言ってあまり高齢者扱いされても腹立たしい(どっちやねんっ!)ま・・そこそこに頑張ろうかなぁ〜!


[3029] 【3142回 冬に逆戻り】 2013-04-21 (Sun)

「そろそろ掘り炬燵しまおうか・・・」に「待った!」をかけました。とても寒いのです。こんな寒いのにコタツがなければ風邪をひいてしまいます。21日の大阪の天気は「曇りのち雨」最高気温14度の予想で昨日より3度も低くなる予想です。北の風のちやや強く、海上では北の風が強く吹くそうです。と言うことでアウトドアのイベントを中止することにしました。

21日は姪達と嫁や孫も参加してイタドリツアーに行き昼食は、青空の下でスキヤキパーティをする予定にしていたのですが雨上がりでとても寒くて子供たちが耐えられそうにありません。そんな時・・・姉の経営する店が日曜日・月曜日と臨時休業して旅行に出かけるという話を耳にしました。よっしゃ〜!場所のキープが出来たのです。「店を貸して〜!」と姉に電話をすると快くOKがでました。それもそのはず自分の娘たちや孫や妹が使うのですから嫌とは言えないでしょう。材料は持ち込みますので場所だけ借りればいいのです。店の商品には手を触れませんハイ・・・

場所を変えたことで自然に戯れることは出来ませんが「こどもカラオケ」が出来そうです。前回孫たちがお泊りに来た時にカラオケに行きましたが午前中の営業はしておらず敢え無く帰ったことがありました。あのとき「婆ちゃん、これを骨折り損のくたびれもうけって言うの?」と8歳の子に質問されたことがありました。よほど残念だったのでしょう。今日は挽回できそうです。

奇しくも今日は父親の祥月命日です。筍ご飯を食べたいと言いつつ、会話の途中で他界してしまったので、家主が留守でも娘たちが鍵を持っているはずですので神棚に手を合わせて来ようと思っています。

土曜日の夕方に高知の従姉妹に退院祝いと一緒にイタドリの「料理済み・塩漬け」の2種類を入れて宅配便で送りました。午前9時には「イタドリ着いたよ」と嬉しそうな電話がありました。昨夜送って午前9時着とは宅配便の威力って凄いなぁ!きっと夜中走り続けてくれたんでしょうね。ありがとうって心から言いたいです。

連休を利用して登山をされる方は気象情報を充分把握してアイゼン・ピッケル・ヘルメットの携帯をお願いします。麓は春でも山間部はまだ雪が残っています。その上に季節外れの雪が積もり、日当たりの悪い場所は危険個所となります。充分注意をして事故のない楽しいゴールデンウイークをお過ごしください。どうぞご安全に!


[3028] 【3141回 満喫したイタドリ採りツアー】 2013-04-20 (Sat)

土曜日、日曜日は雨の予報のため金曜日朝早くから丹波篠山に向けて車を走らせました。目的は勿論「イタドリ採り」です。ポッチーは病院行のためジョンと二人で出かけることにしました。ナビに「イタドリの沢山あるところ」と入力したいのは山々なれどそうも行かず、以前に登ったことのある登山口めがけました。「なさそうやなぁ・・まだ早いのかなぁ」気弱な発言でしたが走りながら1本でも見つけると大騒ぎです。「帰りにあそこで止めてな・な・頼むで〜」2時間ほどで目的地に到着しましたが以前きた時と様変わりしており1本も見つけることができません。「帰り道に少しぐらいはあるやろ」ジョンが慰めともつかない言葉を掛けてくれました。「とめて〜止めて!」急にストップをかけ、走り寄りました。あるある〜イタドリを見つけて、もう笑顔で顔はクシャクシャです。ジョンが車から降りてきて「これどうや?これもどうや?」とイタドリを差し出しますが私が通った後のイタドリは硬いか水分不足でサクサクの不良品なのです。「それはあかんわ〜」「何でやねん!」「ほんなら折ってみて〜ポキッて言うたら合格や。グシャって言うたら不合格やで」「グシャ〜」「ほらなぁ。だから残してるねん。見てるだけでええで〜」とうとう採取禁止令を出してしまいました。(大笑)

大量に採れたので次に進みます。「止めてっ!」何度繰り返したことでしょう。「走ってる車からよく見えるなぁ」と不思議がりますがイタドリの匂いがするのです。『季節限定イタドリ姫さん〜!採って〜採ってくれないともうすぐ竹の様になるよ』イタドリが私にそう話しかけてくるのです。ジョンがどこ?どこ?どこと探している間に次へ移動してまた見つけます。自分でも恐ろしいぐらいに見つけることができます。

一か所だけ背の高さが足りずジョンによじ登ってもらいました。「トランクにロープあるから持って行けば?」「ロープなんかいるか〜っ!大丈夫や」そうは言いましたが降りるとき苦労をしています。「イタドリ傷つけないように1本づつ上からやさしく投げて〜」と言い、本日の最高品を無事6本ゲットしました。「お〜いロープ放り投げてくれ〜こわいわ〜」「だから言ったじゃないの!」大きな木の幹にロープをかけておりできました。ロープはクライミングだけに使う物ではなく臨機応変にイタドリ採りにも使えます(10b位のロープはこの時期いつもトランクに入っています)後で知ったのですがジョンもロープを持参してくれていました。ロープはいつでもどこでも私達の助っ人ですね。

「おっ!ガソリンが無いぞ。山の中なので早い目に入れておこう」とガソリンスタンドを探しました。ガソリンスタンドのおじさんが「おっ?それはイタドリでっか?」車の中をチラッと珍しそうに覗きます。最近では土手は土地開発が進みヨモギとイタドリが皆無になったとか「どこで採りましたんや?」教えてなるものかと(フフフ・・)「あっち!」と笑顔で答えてさっさとガソリンスタンドを後にしました。

帰り道も「これでもか、これでもか」と言うくらい見つかりました。その都度「止めて〜!」コールで、何度でも快くストップしてもらいました。ポッチーが一緒だと「もうエエ加減にしろ!」と言われてたと思います。何を言われようとあと1週間足らずのイタドリの命、疲れましたが楽しかったです。故郷を思い出す私の思い出ツアー・・嬉しかったです。

夕飯の支度を終えてからずーっと皮剝き作業で風呂に入るのも忘れていました。気が付けば午後11時を過ぎてしまいました。あともう少しと言うところで皮剝き作業をギブアップし、イタドリが萎びてしまわないように鍋に水を張り浸けておきました(生け花を枯らさない状態と同じ)

田舎の友人から「ちょいと、みっちゃんイタドリ採っちょるが?」とメールがあり、何度も出かけているとは言えず「楽しんでいま〜す」とだけ言ってごまかしておきました。我が家の冷凍室見たら驚くだろうなぁ・・・退院したばかりの高知に住む従姉妹も、病後で採りに行けないもどかしさを嘆き、欲しそうに言ってたので退院祝いと一緒にイタドリを送ろうと準備をしています。それにしても大阪から高知へイタドリかい!いやいや、病気の身になると欲しいものは例え雑草であっても明日への希望に繋がるのです。「いつ送る?」「今ですっ!」んっ?このフレーズ・・塾講師がテレビで言ってたよなぁ。

冷凍室が満タンになったことから富士見平小屋へ、心置きなく出かけることができます。あるじ!こあるじ!若あるじ!待ってて下さいね〜!


[3027] 【3140回 戸締りには充分注意を】 2013-04-19 (Fri)

近所に泥棒が入りました。部屋が荒らされダイヤモンド等の貴金属と現金がゴッソリ盗まれたそうです。110番通報をしたら交番勤務のお巡りさん(?)が3人来られ調べた結果「事件性なし」と言って帰っていかれたそうです。立腹した家人は再び110番通報をし、今度は鑑識など連れて現場検証が行われたそうです。いまだ犯人逮捕にはなっていません。

家人によると留守の時間を周知していたらしく車道に面した窓ガラスをスッポリと切り、切ったガラスもきちんと窓側に立てかけてあったそうです。(だから事件性無しってか・・)私は以前、「宝物」と言って見せてもらったことがあるのですが宝石類が想像もつかないほど沢山ありました。それを全て持って行かれた様です。家人は「もう働く意欲もないわ〜」とガックリと落ち込んでいました。その後泥棒によって切り取られたガラスは修復され、窓枠には格子がはめられていました。「留置所みたいやろ〜」と力なく笑う家人が痛ましいです。早く犯人が捕まることを祈っています。

私は近所に出かけるときはドアを施錠しなかったり、家にポッチーがいると思えば玄関のロックをしないで出かけるときが多々あります。しかし忍び足で侵入されれば3階にいて階下の物音に気が付くはずがありません。我が家には盗られる宝石の山も多額の現金もありませんが、盗みに入られること自体が危険極まりないと思っています。何も盗るものがなければ腹立ち紛れに凶器を振り回すかも知れません。わずかな時間の外出でも施錠をして行く習慣を付けなければと思い知りました。

これから夏にかけて入り口のドアを少し開けると涼しい風が入ってきます。網戸にして入り口全開の家もありますが、もう一度戸締りについて考え直した方がいいのではないでしょうか?長期の留守をするときは近所に声をかけていく事も大事だと思います。


[3026] 【3139回 童謡「金糸雀(かなりや)」】 2013-04-18 (Thu)

3歳になったばかりの孫の子守歌に私は「金糸雀」を歌います。カナリヤってこんな字を書くんですね。「♪いえ いえ それはなりませぬ♪」のくだりに身振り手振りを入れて顔の前で「いえ いえ」とするのが嬉しいらしく今では一緒に歌えるようになりました。「いえ いえ」の時だけ目をパッチリあけるのですが3番の「いえ いえ それはかわいそう」のくだりでは、もう熟睡です。きっと心地よい旋律が子守歌がわりになっているのだと思います。私の息子達は「♪ここはお国の何百里〜」と姑が歌ってきかせていると姑がうつらうつらしはじめて続きを息子達が最後まで歌っていたようです。いま思い出しても、微笑ましくてお姑さんの愛情の深さを感じることが出来ます。

それぞれ子守歌への思い入れがあるかと思いますが、現在私はこのカナリアの歌を好んで歌います。(4番のフレーズはテンポが速くなりますので省略して歌いますが・・)

♪唄(うた)を忘れた 金糸雀(かなりや)は
 後(うしろ)の山に 棄てましょか
 いえ いえ それはなりませぬ

 唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
 背戸(せど)の小薮(こやぶ)に 埋(い)けましょか
 いえ いえ それはなりませぬ

 唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
 柳の鞭(むち)で ぶちましょか
 いえ いえ それはかわいそう

 唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は
 象牙(ぞうげ)の船に 銀の櫂(かい)
 月夜の海に 浮(うか)べれば
 忘れた唄を おもいだす

この歌を作ったのは西条八十さんという詩人です。現在の様にややこしい歌詞ではなく、目をつぶれば歌詞から情景が浮かんで、うっとりとしてしまいます。この歌が誕生した理由を知ったら、歌のイメージが変わってしまうかもしれませんが、妻の愛によって才能が蘇ると言うハッピーエンドがありますのでご紹介したいと思います。

作詞家の西条八十は大正時代に、株式相場にのめりこみました。当時は連戦連勝で、今のお金に換算して49億円まで貯めたそうです。西条八十の偉いところは、儲かったお金を自分のために使うということは考えなかったのです。なんとしても50億円のお金を作り、詩人会館を作るという夢があったのです。

土地を買うためには、どうしても50億円作る必要があったので、最後の勝負にでます。全財産をある銘柄に投資しました。ここからが、運命の悪戯というか、運氣の変わり目というか。 折悪しく大正9年の株価暴落に巻き込まれます。全ての株式が大暴落、西条八十はすってんてんになってしまったそうです。株式投資の恐ろしさはいまも昔も変わりません。

無一文になった西条八十をどうするかということで、親族会議になり、妻との結婚生活をどうするかが話し合われます。親族による「離婚のススメ」みたいな話し合いなのでしょうね。「あんな相場に狂っているようなやつはだめだ。別れなさい」「詩も作らなくなって、相場ばかりやってようなやつは、もうだめだ」親戚は口々にそう言ったと資料にはあります。 しかし、妻は親戚に涙ながらに訴え「ちょっと待ってください。私がなんとかしますから」と、親類縁者を必死に説得し、西条八十はようやく目が覚めて妻のもとへ戻ってきます。そこからが、天才詩人の本領発揮、堰を切ったように詩を作り始めたのです。

「唄を忘れたカナリヤ」というのは西条八十自身だったのです。「いえいえ、それはかわいそう」 という妻の一言で救われたということを、唄に託しているわけです。その後、西条八十は有名な「越後獅子の唄」「王将」などの名作を次々に世に送り出します。王将の歌詞の中では、坂田三吉ではなく実は妻を歌った歌だということがわかります。 「♪愚痴も言わずに女房の小春 作る笑顔がいじらしい♪」 女房の小春は、自分の妻のことだったのです。そんな人生のドラマがあった末に生まれた名曲「カナリア」をどうぞ歌ってみてください。童謡や唱歌はいまでは小学校では、あまり教えなくなりました。歌詞が現代にそぐわないのでしょうか。ならば爺・婆が歌って聞かせてやらないと日本の美しい歌が消えてしまいます


[3025] 【3138回 山でも麓でも「ご安全に」】 2013-04-17 (Wed)

会社で仕事に取り掛かる前「朝礼」を実施し、最後に必ず「ご安全に!」と声を掛けあう風習がありました。機械メーカーのため仕事中の事故も多く、怪我をした社員を労災で病院に運ぶことも何度もあり、ひん死の重傷で救急車を呼んだこともありました。救急車で運ばれた若者の父親は手術中ずっと会社側の責任を追及し、私はじっとそれに耐えました。「意識が戻れば理解してもらえる」そう信じていたのです。手術が無事終わり、意識が戻り、息子の口から真相が判明すると父親は暴言をはいたことを陳謝してくださいました。山の事故でもそうですが自己責任であっても家族は事情がわからぬまま旅行会社や、リーダーなどに責任追及の矛先を探します。そうあってはならないのです。山の事故は「山に入ること自体、自己責任だから誰も追及してはいけない」と常々から家族に言い聞かせておく必要が山男&山女にはあると思っています。

自転車事故でもそうです。「免許のいらない便利な乗り物」と手軽に歩道でも車道でも、マナーを守らず我が物顔でスピードを出して通過して行く自転車を頻繁に見ます。耳にはイヤホンを付け、片手には携帯を持ち、おまけに前ハンドル部分に日傘まで固定しています。事故が起こらないのが不思議です。マナーを守って乗っている自転車愛好者の人にとって「十把一絡げ」にされて悔しいと思いますが少しでも啓発運動で身を引き締めて貰えたらと思っています。

私は常々
@「自転車のベルは必要なのか」
A「前ハンドルに固定する傘立ての販売が許可される意味」
B「自転車に二人乗りにするためにペタルに取り付ける部品の販売が許可される意味」

この三点について不思議に思っています。歩行者優先と言いながら「そこどけ!そこどけ!自転車が通る」とチリリンとベルを鳴らす、雨の日は自転車に乗らないでと言いながら、また二人乗り禁止だと言いながらそれを助長するような部品が売られている。このことについて警察はどう考えているのか機会があったら質問をしたいと思っています。

車に乗っていると前から自転車が平気で何台もやって来ます。「自転車は車道左側通行」ですから道路の左端に寄って通行しなければなりません。前から来るのがおかしいです。自転車はすぐに停止できる速度で、歩行者の通行を妨げてはいけないにも関わらず、リンリンとベルを鳴らし速度を出して通過して行きます。

「飲酒運転は禁止、二人乗り禁止、並進は禁止、無灯火禁止、信号を守る、子どものヘルメット着用」これらが守れない人達は自転車に乗らず健康のためにウオーキングしませんか?

私の息子の住む町には子供用の自転車はありますが、大人の自転車が1台も見当たりません。それもそのはず、ボーリングの玉を上から転ばせたら名塩駅にゴールするくらいのきつい坂道なんです。自転車に乗る場合、半分は手押しとなるのです。子供達は30分かけてその坂道を駆け上がり、駆け下り学校に通います。足腰が鍛えられるはずです。都会でも今日から自転車に封印をして歩いてみませんか?

ちなみに我が家には自転車がありません。いつだったか「夜回り巡回」の時、自転車がないのでバイクに乗って行って、ひんしゅくを買ったことがありました。それからは夜回り巡回の時は不参加となりました。(笑)


[3024] 【3137回 自転車マナーアップキャンペーン】 2013-04-16 (Tue)

春の全国交通安全運動中、此花区には大きな事故もなく4月15日無事に終了しました。今日は西九条駅高架下で此花区役所と此花警察共催による「自転車マナーアップキャンペーン」が実施され街頭に立ち、安全を呼びかけました。西九条駅周辺は地域の方々の地道な努力によって表通りは不法駐輪が減りましたが、裏通りにいくと沢山の不法駐輪場所があり驚きました。キャンペーンと同時に指定場所以外に駐輪している自転車はトラックにより撤収されました。「ちょっとそこまで」という人もいれば「通学・通勤の足」として終日駐輪されていた方も多いと思います。問題解決は無料の駐輪場所の増設(しかも限りなく駅に近い場所)しかなさそうですが・・・。私達推進委員は自転車に乗っている人に声をかけパンフレットを渡し協力をお願いしました。

●自転車の五原則のおさらいです。

1.自転車は、車道が原則、歩道は例外
道路交通法上、自転車は軽車両と位置付けられています。したがって歩道と車道の区別があるところは車道通行が原則です。

2.車道は左側を通行
自転車は、道路の左端に寄って通行しなければなりません。

3.歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行
歩道では、すぐに停止できる速度で、歩行者の通行を妨げる場合は一時停止しなければなりません。

4.安全ルールを守る
・飲酒運転は禁止
・二人乗りは禁止
・並進は禁止
・夜間はライトを点灯
・信号を守る
・交差点での一時停止と安全確認

5.子どもはヘルメットを着用
児童・幼児の保護責任者は、児童・幼児に乗車用のヘルメットをかぶらせるようにしましょう。

最近の自転車事故は怪我だけでは済まず死亡事故にまで発展しています。ご家庭にある自転車には保険が加入されていますか?ぜひ自転車保険に加入していただくようにお願いいたします。


[3023] 【3136回 再び富士見平小屋へ】 2013-04-15 (Mon)

前回富士見平小屋に行ってからまだ1ケ月も経過していないのですがゴールデンウイークに小屋のお手伝いも兼ねてゲレンデの開拓やメンバーの更なる勉強会のために再び伺う事にしました。過日NHKの「小さな旅」の再放送があり一般の方の登山で混雑し怪我人も出るのではないかと懸念したためです。今回は真面目にテント泊で小屋への外泊はありません。全て自炊で食料は滞在日数分荷揚げします。レスキュー243のメンバーの見本となるような滞在スタイルが出来ればいいなぁと思っています。

長期滞在にかかせないのがトイレツトペーパーです。(準備の段階で、ついうっかり忘れそうになります)出掛ける前に必ずチェックリストを作り忘れ物のないように準備します。テント、登攀道具、食器、常備薬、寝袋、マット、着替え等々、食料品は共同装備として分担します。

小屋の財産でもある多額・多量のカラビナがダンボールに入れられているのも気にかかります。小屋の備品であるという目印のテープも巻き終え、在庫表も作って帰ってきましたので、今回の滞在時には一目でわかるように木の枝を材料にしてカラビナ掛けを作りたいと思っています。(もとい・・私は発案するだけ。作ってもらいたいと思っています。)小屋の通路に掛ければ心無い登山者が持ち帰るため施錠のできる個所でなければなりません。カラビナ同志くっつけて保存するのはあまり良くないそうです。使っているときも無造作に土の上に置く場合がありますが砂を噛むと機能低下となります。小屋の備品は自分の大切な道具と思って大切に扱ってほしいと思っています。

私はマイロープを使用したらその日のうちに、タワシの穴を利用して砂などを落とし、熱湯で絞った専用の雑巾できれいにふき取り、その後、乾拭きします。使いっぱなしでなくきちんと手入れして終わりとしたいのです。だから講習時間は時間いっぱい使うのではなくミーティングの時間を含む、道具の手入れの時間を含む終了時間であってほしいと思っています。前回最終日に「終了時間は3時」とお願いしていたのですがメンバーの熱気ムンムンに押されてなのか、大幅に終了時間が遅れてしまいました。なかなか帰って来ないので呼びに行くという始末でした。宿泊する場合は臨機応変でいいのですが下山後、遠路を自宅に向けて帰るのですから時間は守りたいと思っています。守って欲しいと思っています。(大阪まで6時間以上かかるんだよ〜!)リーダーが必死になっていたら仲間達同志で時間が来たことを教えてあげてほしいです。

私達が利用する関西地方のゲレンデでは駐車場がなくバスを利用する場合があります。朝のミーティングの時に帰りに乗車するバスの時間を皆に告げておき、時刻表を木の枝に吊るしておきます。そうしておけば全員が帰る時間を気にしてくれます。帰る準備を済ませバス停まで移動し予定していたバスに乗れれば合格です。バスを降りたら「反省会」と称して反省することがなくても一杯飲んで帰ります。また交通費が多額にかかるゲレンデでは最初から「電車賃が多くかかったのだから元を取る」と大阪人特有の計算をし、結構、遅い時間まで練習をします。その時は帰り道のスーパーで酒を買い込み電車の中で静かに「反省会」をするのが恒例となっています。(登山家って何で誰もかれもがお酒好きなんやろか〜?)

まっ、仲間同士で共通のトレーニングをした時は共通の話題で盛り上がるのが親睦も深くなり次なる約束ができると言うものですね。末永くよろしく〜!


[3022] 【3135回 17年前の震災を振り返える】 2013-04-14 (Sun)

「地震・雷・火事・親父」と言われるように地震は何と言っても恐ろしい。一瞬にして家族を失ったり住む家を失ったりします。地震から一夜明けたというのに午前5時には起床して洋服に着替えている自分がいました。また揺れて万一パジャマで逃げるような事の無いようにと思ったりしました。命さえ助かればそんなことはどうでもいいことなのですがとにかく、しばらくは恐怖心をぬぐう事はできません。

13日に兵庫県・淡路島で最大震度6弱の揺れを記録した地震は、午後も余震が続き、震度1以上の余震とみられる地震は16回にもなったそうです。気象庁は今後1週間、最大震度5弱程度の余震が起きる恐れがあるとして、引き続き注意を呼び掛けています。警察庁によると、兵庫、大阪、福井、岡山、徳島の5府県で重傷7人、軽傷16人の計23人の方が怪我をしたそうです。私達はおかげさまで被害はありませんでした。

17年前の「阪神淡路大震災」も明け方の、ほぼ同じ時刻(1月でしたのでまだ外は真っ暗でした)で、ドーンと突き上げるような大きな縦揺れが長く続き、階段付近や台所の品々が落下したりしましたが近所も含め大きな被害にはなりませんでした。しかし停電に伴いラジオを聞こうにも常々は乾電池の液漏れを防ぐため電池を抜いていて、暗闇でどっちがプラスかマイナスか確認することが出来ませんでした。電話のベルも停電に伴い小さく鳴っていましたが動揺しているため耳に入ってきませんでした。

自宅に大きな被害がなかったため、取り敢えず、総務という立場上、会社に行き社内を見回ると食器棚は崩壊しホールにある大型テレビも落下しロッカーも傾いていました。上司に現状を報告すると「電車が走ってないので出勤できない。君に任す」と言われ呆然となった記憶があります。翌日、神戸に住む後輩が1名出社せず、連絡も取れず不安を覚えました。「神戸に安否確認に行かせてほしい」と上司に頼みましたが「君の身に危険があるためダメ」と言われ途方に暮れつつも、不安は大きくなるばかりで、上司の命令に逆らいミニバイクに生活物資とリュックに水や食料品を詰め込み、帰りのガソリンをペットポトルに入れ神戸に向かいました。

信号も壊れ道路も至る所に大穴があき、潰れた家屋からは白煙が噴き出ていました。寸断された道路をミニバイクで走り落下した高速道路のセンターラインをまたぎ4時間以上かけて避難しているであろう小学校に到着しました。ごったがえす人混みの中、職員室から呼び出しのアナウンスをしてもらい無事に後輩に会う事ができました。家は崩壊したものの家族みんな無事だったことが何よりの救いでした。わずかな支援物資を手渡し、バイクに戻ると酔っぱらいがフ〜ラフ〜ラしていました。「コラ!おっさん!こんな一大事に酔ってる場合かっ!」と怒鳴りましたがあとでよく考えると、深い悲しみで酔っぱらうしかなかったのかも知れません。家族を失い、家を失い途方に暮れて酒をあおったのかも知れません。やさしい言葉を掛けてあげられず、あとで深く反省をした次第です。

帰り道にガス欠となり、持ってきたペットボトルのガソリンを給油しました。途中のガソリンスタンドにはバイクが燃料切れで何台も停まっていました。きっとあわてて出て来たものの帰りのガソリンが切れ、かと言ってガソリンスタンドも崩壊しており途方に暮れていたようです。翌日上司に後輩が無事であった事を告げると「無茶しよるなぁ・・・ご苦労!」と一言だけ。でも上司の顔には自分の代わりに走ってくれてありがとうと言う優しい眼差しがあったことを忘れることはありません。

そして数年後に私が1ケ月ほど入院することがありました。その時、後輩のお母さんが病院に来てくださり「震災の時はお世話になりました。助かりました」と言って下さり、ああ人間の心はいつまでも繋がっているのだとうれしく感じたことがありました。


[3021] 【3134回 揺れたね!怖かったね!】 2013-04-13 (Sat)

4月13日午前5時30分過ぎ(正確な時間は把握していない)目覚めていたもののベットの中にいました。突然の大きな揺れで思わず階下へ走り、入り口のドアの鍵をあけドアを人間ひとりすり抜けられる隙間を作り、パジャマを着替えました。信楽焼きの干支の飾り物12枚がカタカタと音を立てて揺れの大きさを表していました。「非常持ち出し袋」を手元にたぐりよせ心臓が落ち着くのを待ちました。同時に携帯電話に「地震情報」が入ってきました。はじめてのことです。

平成7年1月17日午前5時過ぎの「阪神淡路大震災」を思い出しました。あの時の揺れは下からドーンと突き上げるような揺れが長く続きました。今回は横揺れで時間も短かったのですがとてもこわかったです。ほんとに!震度が3であれ5であれ恐ろしい〜

関西にお住いのみなさま!被害はありませんでしたかお見舞い申し上げます。皆様は今朝の揺れで、どのように対応したのでしょうか?教えてくださ〜い。

平成7年の阪神淡路大震災の時は停電があったり大きな揺れで階段の飾り棚に飾っていた物がすべて落下しました。北海道土産にもらった熊の木彫り(定番の熊が鮭をくわえたホラホラあれですよ〜)が落下し、いまも階段にはへこみがあります。あの時の教訓から階段の飾り棚には何も置かないようにしました。北海道に住んでいた息子から「大丈夫だったか?」と電話をもらった覚えがあります。あの時から風呂の水は非常時のトイレの排水に使うため抜かないようにしています。

みんな無事であることを確認できたので朝食を摂りましたが胸がムカムカして途中で中断した次第です。


[3020] 【3133回 イタドリに癒される従姉妹】 2013-04-12 (Fri)

「まだ早いか」「いや遅いかも」と毎日イタドリが気がかりで仕方がありません。9日の入学式の後、名塩の秘密基地に立ち寄る予定でしたがスイミングにつれて行くと言うハプニングがあり予定変更となりました。そこで今日は孫たちの家には立ち寄らず、名塩の秘密基地へ出かけることにしました。

ハッハッハッ〜先日来の雨でニョキニョキとあるわ、あるわ!おもしろいほど採れました。(ブログに写真掲載)その場で携帯で写真を撮り高知の従姉妹(入院中)にメールをしました。せめて写真でイタドリ採りを楽しんで貰おうと思ったのです。土佐人はこの季節、イタドリ採りをしない人はいないのです。すると従姉妹からメールがすぐに返ってきました。

『みっちやんへ。
わぁ〜凄い懐かしい!こんないいものが採れたが?私も採りに行きたい!来年は行けるかね。あんなにつらい副作用が出るなんて夢にも思わんかったがよ。今は身体のしんどいのを必死に我慢しています。娘が心配するからね。イタドリを見て気分がほっとしたよ。早く家に帰りたい!イタドリの写真ありがとう。来年は、もんてきたちや。一緒に勝間の沈下橋あたりに取りに行こう。ありがとね』

自宅に帰り、皮を剥き、塩をして水抜きをしました。保冷パックに「従姉妹用」と書いて保存しました。いつか会える時が来たら私が料理をして食べさしてあげようと思っています。そしてリクエストがあったので「お祭り野郎用」も用意しました。私は採るのが趣味であまり食べません。そのかわり人が美味しいと言ってくれたら大満足なのです。たかが雑草、されど雑草です。今日はゆっくり眠れそうです。

ご希望の方がいらっしゃったら言って下さいね〜!季節限定ですからあと2週間もすれば採取不可能となります。いつお届けできるかわかりませんが名前書いて保存しておきますよ〜(草が食えるかっ!って言う人もいます。まっ人それぞれだからね)


[3019] 【3132回 雪が解けたら】 2013-04-11 (Thu)

春が来て、雪が解けたら今年の「行きたい山」のリストアップをしたいと考えています。公表することで実現に一歩前進できるかも知れません。もう「アイランドピーク燃え尽き症候群」だなんて言ってたら笑われてしまいそうですものね。

今年は何と言っても笠が岳!2011年のアルプス縦走・立山室堂から新穂高温泉の時の8日目あたりからずっと私達を見守りながらそびえていた笠ケ岳・・・あの時、足を延ばせていたら、たった3時間で笠が岳に行けたと言うのに山行も8日間も連続で歩いていると登頂意欲もなくなり、あるのは「風呂〜!風呂〜!」の「ニュー欲」だけでした。ハハハ

また出直すとなると・・・これまた大変なのに何であの時、気が付かなかったのかと残念でなりません。そして日本百名山である甲武信岳にも行きたいと思っています。両神山&雨取山などの近くの山も、からめて雪が解けたら行きたいと考えています。百名山を消化していかないと・・・死ぬまでに回りきれなくなってしまいそうです・・・

そして夏になると「クライミング受講終了記念登山」として若者の希望の剱岳にも行かなければなりません。体力を保持しながら雪解けを待ちたいと思っています。いまはイタドリ採りに頭の中はいっぱいです。今日、松山に住む同級生の従兄妹から電話がありイタドリの話題になりました。松山では誰も採る習慣がないそうで松山まで出向いてくるかと聞かれましたが・・・大丈夫!間もなく関西でも取れるはず!イタドリが採れなければゴールデンウイークの富士見平行きが危ぶまれてしまいます。


[3018] 【3131回 初スイミング】 2013-04-10 (Wed)

4月9日の入学式が意外と時間がかかり、姫婆と留守番中の3歳の子のスイミングに行く時間に間に合わないから、直接婆ちゃんが連れて行ってくれっ!と息子から電話があり、あわてました。スイミングスクールの場所をナビに入れるのですが出てきません。タラ〜リタラリコと冷や汗が出てきました。「安請け合いするんじゃなかった!」と思いながらも宝塚まで走れば消防署かどこかで聞けばいいやとJR宝塚駅・阪急宝塚駅の小さなトンネルをくぐりました。どこかで聞かなければ、もう間に合いません。すると標識に「宝塚市民スポーツセンター」の矢印がありました。よかった〜!何とかなるわっ!

この日が3歳の誕生日なのでギリギリ入会できたそうで、昨日の開校ならば1年お預けなのだそうです。着飾った若いママたちの中を「ごめんやしておくれやっしゃ〜っ!」モードで「受付はどこ?更衣室はどこ?」と走り回り、何とか時間に間に合いました。婆様は汗ビッショリだと言うのに本人は余裕の顔です(ブログに写真を載せました)

控室では大泣きする子供が3人・・いずれも「ママ〜ママ〜」の大合唱です。コーチの説明で「食事は30分前に済ませておくか、終了後に食べさせて欲しい。食後すぐだとプールの中で水を飲んで嘔吐する子がいること。室内はお茶以外の飲食は禁止であること。自分でトイレに行けるようにパンツはヒモでなくゴム通しにしてほしい」等の注意事項がありました。当たり前の事ばかりですが若いママさんたちは熱心に耳を傾けていました。うちの子もパンツのヒモを入れ替えなければプールの中で脱げそうです。

さぁいよいよ親たちから離れてプールへ行きますが3人の大泣き子供も容赦なくコーチに抱きかかえられて中に入って行きました。3人の泣き声が更に大きくなり連鎖反応なのか人数が増えている様子です。(笑)あとはガラス越しに練習風景を見学です。しばらくすると「すみませ〜ん遅くなりました」と入学式を終えたママが駆けつけてきたのです。覚えている間に注意事項とパンツのゴムの入れ替えを伝達しました。

泣いている子供たちの中で、ひときわニコニコ笑っている子が姫の孫でした。上の子二人が毎週スイミングに通っていて、その雰囲気を身体で覚えているのかプールの中から手を振っています。大泣きの子達は大きな発泡スチロールに乗せられてまだ泣き続けています。(最後まで泣き続けていました。さてさて来週頑張ってこれるかな?)泣いている子以外は、どの子も楽しそうでした。

問題はあれほどに注意事項があったにも関わらず弁当を広げて食べている人がいるということです。思わず「先ほどの説明聞いてませんでしたか?ここのフロアは飲食禁止ですよっ」と言うとバツ悪そうに弁当をしまっていましたがルールは守りたいですね。

そういえば私の息子達も小さいころ「ラサ・プール」に通っていましたがプールの門にしがみついて嫌だ、いやだと泣いていましたね。泣きたいのは親の方だと思いつつ心を鬼にして「行きたいと言ったのは、あんた達だからね」と背中を押したのが思い出されました。泣いていてもコーチの手にかかると容赦なくプログラムを消化し一人で楽しく通うようになりました。大泣きの子供たちも、そのうちに、ニコニコと笑って泳ぐ日がやってきます。お母さんが「行きたくない」という子供に負けないで欲しいと思います。ガンバレ!


[3017] 【3130回 元気ですか〜?】 2013-04-09 (Tue)

家族全員の誕生日を携帯に登録していて、その日が来たら、必ずメッセージを送ってくれるウオークの仲間がいます。しかし2月の和君の誕生日も、3月のももちゃんの誕生日もメッセージが届きません。まさかこちらから催促するわけにもいかず「4月の航ちゃんの誕生日にメールが来なかったら入院してるかも知れんなぁ。癌が再発したのかも知れないなぁ。こっちから連絡してみるか」とうわさをしていたら、4月9日午前5時14分メールが鳴りました。航ちゃんの3歳の誕生日のメッセージが届いたのです。病気ではなかったのです。癌の再発でもなかったみたいです。ホッとしました。

「便りの無いのは元気な証拠」とか言いますが、いつもきちんとメッセージが届いていて、突然音沙汰無しとなると少し心配してしまいます。「忙しすぎて忘れてた〜」とコメントがありましたが、元気で結構!結構!70歳過ぎても仕事が忙しいとは羨ましい限りです。再会を約束するでなくメールを終了しましたが、やまたび倶楽部の皆さんとも再会したいですね。元気なら何よりですが・・・

イタドリの下見に行きました。まだまだ早いのか姿が見当たりません。イチゴ狩りの時、大きなイタドリを見つけ、季節到来!と張り切りましたが、まだなのでしょうか。子供のころ新学期が始まって、家庭訪問が始まったころに沢山採れたと記憶しています。来週から本格的にイタドリ採りに動き出そうと思っています。いまのまんまだとストレスが・・・!


[3016] 【3129回 妻からのDV】 2013-04-08 (Mon)

サスペンスドラマのタイトルではありません。現在は妻のDV におびえる夫が急増しているのだそうです。

東京都に住む37歳の男性は年収は1000万円を超える中堅サラリーマン。閑静な住宅街で3歳年下の専業主婦の妻と子供二人と住んでいます。通勤時のスーツ姿でのゴミ出しも積極的。物静かで優しげな雰囲気の持ち主。近所では「理想的な夫」と思われていたそうです。

その男性が右目を負傷して病院に駆け込んできました。原因は、朝食時にささいなことで口論となった妻による暴力。食卓上のマグカップが凶器となって顔面を襲ったというのです。かつて「口数の少ない優しい女性」だった妻が「凶暴な女性」へと変貌したのは、どうしてなのか。近年、妻からのドメスティックバイオレンス(DV)の相談事例も多いといいます。

相談を受けた専門家は「妻には『自分の時間を削って子育てをしている』との不満とストレスが日々たまっています。それが夫への軽視につながり、暴力へと発展する場合があるのです。フライパンやワインボトルで夫を殴り殺した事件もありました。暴力だけでなく、侮辱し男のプライドを傷つけるモラルハラスメント的な『言葉の暴力』もあり、こちらのほうがダメージが大きい場合もあります」と説明しています。

妻のストレスがDVへと変わってしまう兆候は、その言葉遣いで見分けられるそうです。男言葉で怒鳴りわめき散らしだすと要注意だそうです。「早く食べ終えてくれないと後片付けに困るじゃない!」はまだOKですが、「いつまで食べてんだよ!」は相当に危険ゾーン。「グズなんだよ。おまえは!」は完全OUT。怪我をした男性はこの後マグカップが襲ってきたと言います。

DV被害にあってしまう夫には妻に優しい、几帳面、家事をよく手伝う、普段から粗野なそぶりを見せないなど共通した人物像が浮かび上がってくるそうです。

「妻の指示通りにゴミ捨てや掃除などを手伝う夫は、DVに傾きかけている妻には奴隷に見えてしまうのです。だからエスカレートする。乱暴な言葉遣いも、否定されなければ肯定されたことと同じ。『自分さえ我慢して妻の言うことを聞けば家庭はうまく収まる』と考える男性もいますが、これは大間違い。暴言・暴力はどんどんエスカレートするのです。そんな両親を見て育つと男の子は女性のいいなりになり、女の子は男の子から愛されない子になりやすいのです」

解決策はひとつ!。夫がはっきりと主張すること。「家事分担のコレは手伝うがコレはやらない。その言葉遣いはやめろ」と夫としての思いを明確に伝えること。時には『僕にだってプライドがある。僕の言うことがわからないのなら僕にも考えがある』と離婚の選択肢もみせる。夫を見下すようになってしまった奥さんの目を覚ますには、それくらいの荒療治が必要な場合もあります」と専門家はアドバイスをしています。

「草食男子」などと言う言葉が流行りましたが、夫のDVも、妻のDVも子供目線で見ると耐えられるものではありません。意見を言い合う口喧嘩は、多かれ少なかれどの家庭でもあるかと思いますが「手を出す」ことはお互い慎まなければならないと思います。親の姿を見て育った子供が、将来親になった時同じことが繰り返される恐れがあります。なぜならばDVが悪いことだと思っていないからです。世の男性諸君!共働きならば家事分担も止む得ませんが暴力を振るう妻には立ち向かうべきです。一度許してしまうと必ずエスカレートします。

今から、甘い新婚生活を始めようと言う若い夫婦にとっては「ありえな〜い!」と言うかも知れませんが何事も最初が肝心ですぞっ!


[3015] 【3128回 思いはひとつ、交通安全】 2013-04-07 (Sun)

4月6日から10日間「全国春の交通安全運動」がスタートしました。
【全国重点として】

  ● 子どもと高齢者の交通事故防止
  ● 自転車の安全利用の推進
  ● 全ての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底
  ● 飲酒運転の根絶

 【大阪重点として】
  ● 交差点における交通事故防止

スローガンは「しっかりと ルール守って 事故防止」「気をつけて! あおになっても 右左」

★送別会・歓迎会の多いこの時期には「ハンドルキーパー運動推進中!」自動車で飲食店などに行く時は、お酒を飲まずに仲間を送り届ける人(ハンドルキーパー)を決めましょう!

★高齢者運転免許自主返納サポート制度実施中!
運転免許証を自主返納した後、運転経歴証明書の申請・交付を受けた大阪府在住の65歳以上の方は、サポート企業等で運転経歴証明書を提示することにより様々な特典を受けることができます。(どんな特典が受けられるのかは返納時に警察署で説明を受けて下さい)

これらのことが「絵に描いた餅」にならないように、また期間中だけでなく1年中この運動が継続していると思って交通事故には充分注意をしていきたいと思っています。特に大阪は自転車事故が多発しています。メールを打ちながら運転していたり、荷物を荷台からはみ出していたり、二人乗りをしていたりなど、危険と見られたら「危ないよ!」とひと声かけて自転車事故を減らしませんか?

    今日も一日ご安全に!


[3014] 【3127回 安請け合い】 2013-04-06 (Sat)

「花散らしの雨」が天気予報の通り降っています。地面には花びらがピタリとくっついています。コタツを仕舞おうかと迷っていましたがもう少し利用しそうです。この雨でイタドリはニョキニョキと伸び続けているはずです。楽しみでソワソワソワソワ・・・・。

高知の友達が「イタドリ送っちゃろうか?」と言いますが丁重に断りました。私は自分で見つけて採るのが楽しみなのです。たかが雑草、されど雑草、私にとっては故郷の風物詩なのです。皮を剥き丁度良い大きさに揃え塩を振る。あ〜あ!たまらんわ〜ほとんど病気ですわっ!21日は姪っ子達とイタドリパーティです。採ったイタドリの皮を剥きながら河原で恒例のスキヤキパーティをするのです。

高校のクラス会の世話人役がいつの間にか私にまわってきました。(と言うより押しつけ〜?)戸惑いながらも2年間案内状を出したり会場の準備をしたりと安請け合いの結果ドタバタしています。卒業時に幹事役を積極的に引き受けた男性がいたはずなのですが「仕事が忙しい!そんな暇はない!暇な人でやって!」と言われカチンと頭に来た私が引き受ける羽目になってしまったのです。(相手の策略か?)

60歳を過ぎると1年がとても速く過ぎてしまいます。毎年会っていなければ翌年には欠けてしまっているなんて事も無いとは限りません。友達もそうだし、私自身がそうなるかも知れません。だから「暇な私」が世話役させてもらっているのです。しかし仕事中心に65年間生きてきて、仕事を終えてフッと振り返った時、学び舎の友が懐かしいと思わないのかと少しは皮肉もいいたくなる気持ちをグッと堪えて宛名書きを済ませました。その彼の分の宛名書きは空白です。

9月には故郷の中学校の同窓会は幹事役を引き受けてくれる人が多く2年先の幹事まで決まっています。幹事になった人は自分の住む町の近くで会場を見つけ案内をくれます、今年は松山に住む同級生が「松山&広島」の準備をしてくれています。来年は熱海に住む同級生が「任せて!」とのことです。積極的に動いてくれる人を見るのはうれしいものです。心から感謝をし、「参加する」という協力のもとで会を盛り上げたいと思っています。

私の本音を言うと、故郷四万十市で開催してくれればと願っているのですが、メンバーの半数以上が四万十市に住んでいる同級生たちは何とか理由をつけて四万十市以外に出てみたいと思っているようです。(その気持ちもわかる〜っ!)


[3013] 【3126回 イチゴ狩り】 2013-04-05 (Fri)

「〇〇狩り」と名のつくイベントはいつも期待を裏切られてきました。栗拾いは申込者が到着寸前にパラパラと栗の木の下にまき散らし、子供たちを喜ばせてくれます。「梨狩り」もまた青くて硬い梨であっても子供たちは木からもぎ取るその行為を喜びます。2週間山小屋に出かけていたため、戻ってきたら孫たちが首を長くして待っていました。「桜見物とイチゴ狩り」を二人の嫁たちが企画していてくれて夏を思わせるような好天気の中神戸市北区にあるイチゴ農園に出かけました。

時間が来れば農園の人が迎えに来ると言う話で駐車場には家族連れの車が約10台集まってきました。「200人は入れるそうです」との触れ込みに安心していたところ農園の人がやってきてイチゴハウスに案内してくれました。料金を支払う段階で、いつも「スーパーで買う方が安いよね」と思うのですが子供たちの体験代金も含めると財布のヒモが緩んでしまいます。まっ期待外れしないのが「イモ堀り」でしょうか。ツルを持ち上げた時のあの喜びは大人も子供も感動です。

受付を終えて一斉にハウスの中にはいります。「よ〜いドン!」そんな感じでしょうか。勇んで入って行った子供たちがハウスの中から引き返してきました、中にハチがいるのだそうです。小さなハチが受粉作業のために共存しているのです。刺すこともなく怖くないことを農園の人が説明し赤くて大きなイチゴをめざして走って行きました。豆腐パックをひとつづつ貰い、イチゴが採れたらハウスの外に出てきて洗って食べました。甘くて美味しかったです。この品種は市場に出すには潰れやすくてイチゴ狩り用の品種らしいです。

嫁が「練乳」を持参しており、そのままの味と練乳かけの味を楽しむことが出来ました。あたりをふと見るとイタドリの親木がありイチゴ狩りを放棄して土手へと降りていきました。「あった〜っ!」太くて丸々と美味しそうなイタドリを5本取りました。初ゲットですっ!

イタドリを抱えてハウスに戻ると「くっつき虫」が全身についていました。「どこ行ってたの?」と子供たちに言われながら2歳の孫に「虫さん、虫さん、ハイ虫さん」と言いながら全身についたくっつき虫を取り除いてもらいました。

いよいよイタドリのシーズンであることの手応えを感じました。どこにいっても「虫」に好かれる姫でありました。


[3012] 【3125回 まだまだ山は冬】 2013-04-03 (Wed)

今年は雪が多かったためか、冬山に入る登山者が安全を重視したのか山の事故が少なかったように思いますが報道されなかっただけなんでしょうかね。そんな中での事故の情報です。

●3月17日・谷川岳
3月17日午後1時半ごろ、谷川岳で1人で登山をしていた福岡県の男性(41歳)が遭難した可能性があると、県谷川岳登山指導センターから沼田署に届け出がありました。同署によると、午後1時20分ごろ、男性は携帯電話で妻に「滑落してしまった」と連絡。その後、連絡が途絶えたそうです。17〜18日にかけて、県警ヘリや谷川岳警備隊員らが捜索にあたったが、男性は発見されていないそうです。
(※冬山に単独で入山することがすでに危険信号を発信しています。・・・無事に発見されるといいのですが。)


●3月18日・マレーシア
マレーシアの警察当局が18日明らかにしたところによると、首都クアラルンプール近郊の岩山で17日午後、ロッククライミングをしていた邦人男性(31歳)が転落し死亡した。高さ約40メートルの岩壁を登った後にロープを使って下降していたところ、高さ22メートル付近から転落したという。観光地としても有名なヒンズー教寺院「バトゥ洞窟」の近く。この男性はクアラルンプール在住で、たびたびマレーシア人の仲間とロッククライミングをしていたそうです。
※(クライミングもどんなベテランであってもハッとするミスが発生する場合があります。下降途中の事故の様子ですが詳細が知りたいところです)

●3月27・北アルプス鹿島槍ケ岳
長野県の北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889b)で3月27日午前11時ごろ、36歳の女性と37歳の女性が倒れているのを、捜索中の県警のヘリコプターが発見しましたがすでに死亡が確認されたそうです。県警によると、2人は頂上付近のアラ沢ノ頭(2618b)から約300メートル下の斜面で、ロープで互いをつないだまま雪に体の一部が埋まった状態だった。かぶっていたヘルメットが割れ、全身を強く打っていた。県警は滑落したとみている。

※(どんなに装備を充分にしていても自然界の恐ろしさは予測も付きません。急な天候の変化、予想もしない落石、そんなリスクを背負って入山しているかとは思いますが若い命がもったいないですね)

「レスキュー243」のメンバーの中で、登山者を救助をするには、まず自分たちがクライミングを学びたいと言う若者達が集まり東京近辺のゲレンデを利用して練習を開始することになりました。「登山靴で登れるゲレンデで練習をしてほしい」これが私達大阪組の願いです。私達がクライミングをスタートしたとき「1年間は登山靴で練習をする。クライミングシュースも買うことはならんっ!」とリーダーに言われました。なぜならばせっかく高価な道具を買い揃えても続かない場合があったりすると勿体ないという理論からです。(納得〜!)

私もハーネスはスリングを使い、手袋はコーナンで500円の皮手袋を買い、登山靴で今は崩壊してしまったゲートロック、Ǎ懸岩、ブラックフェイス、キャッスルウオールなどで練習を重ねました。幼き頃からお転婆(土佐ではハチキンと言う)でしたので案外クライミングが楽しくて1年間の練習ののちに道具を買いそろえてしまいました。今では懸垂下降大好きのクライマーもどきに変身してしまったのです。

クライミングはヒューマンエラーでの事故が多いと言われています。ロープ操作は複雑で覚えることがとても多いです。最初にしっかりと頭に叩き込めばあとは繰り返すばかりですので最初は苦労も多いですが頑張ってほしいと大阪の地より富士見平にむけてエールを送っています。ちなみに私はみんなより覚えが悪かったためロープの切れ端をハンドバックに入れて暇を見つけてはロープの練習をしていました。パソコンの新機種が入った時も若手の女子社員が帰った後、ひとりでコッソリ練習をしたことを懐かしく思い出しています。「努力こそ成果なり」


[3011] 【3124回 花散らしの雨が・・・】 2013-04-02 (Tue)

まだ花見にも行ってないのに、もう散るなんて許せない〜!そんなはかない桜の花ビラをホウキでかき集めています。掃いても掃いても家の前に散り集まってきます。しかし花びらだけはゴミだと感じさせないのは・・・桜だからでしょうか。

午後から会議があり「よぉ〜2週間も旦那を放っておいて〜!」と開口一番に愛のムチを頂きました。「旦那も同行していました!」「ほんならエエけど」だって・・・定年退職をした日から「お互いが束縛されず、自由にしたいことしような」と誓い合いました。だから23日間もヒマラヤも行けたんですよ!しかしこの誓いは後日訂正しなければならなくなりました。自由のはき違えで「買いたい物をネットで買い倒す症候群」にかかり「高価な物であろうが安価な物であろうが共同生活をする上においては相手にも承諾を取る」うう〜ん!面倒くさいっ!(姫ではありませんぞっ!)

山の生活を2週間体験すると、電気がない、水道がない、テレビが見れない・・などの不便さよりも自然の素晴らしさの方が満喫できて何と素晴らしい生活なのかと感じてしまいます。朝は小鳥の声で目覚め、小屋から見える日本一の山「フジ」を拝み、腹が減ると日本の白いご飯を炊く。時々登ってくる登山者にあいさつをし、水汲み場で洗い物をする。夜になると満天の星を眺め、1日が幸せであったことに感謝をすることができます。(岩かげから温泉が湧き出ていれば最高なんだけどなぁ)

山小屋で出るゴミを仲間たちに小分けして持ち帰ってもらいたいとお願いすると、みんな快くリュックの後ろにくくり付けて颯爽と降りて行く。後姿に「ありがとう」と声を掛けながら見送ります。小屋の不審者「テン」が私達の大事な食糧を盗んで行きました。御餅に砂糖にきな粉・・・安倍川もちでも作るのかっ!と腹立たしい。盗られたものはいずれレポートで写真とともにアップします。

国立公園なので捕獲してはダメだと思うけどタマゴ1パック持ち逃げされたのにはショックでした。「何個盗られたのか?」ですって?よ〜く聞いて下さいました。テンだけにテン(10個)盗られました。(チャン・チャン)


[3010] 【3123回 季節限定イタドリ姫の登場です】 2013-04-01 (Mon)

2週間もの間家を空けていて、戻ってみれば桜の花びらが舞っていました。標高1812bの位置にある滞在先の山小屋から見る富士山はいつも雪の帽子をかぶり、朝起きると「ブルッ!」と寒さで震えあがります。小屋の入り口に掛けてある温度計をみるとマイナス13度となっておりあたり一面が前の晩に舞い落ちた雪で真っ白と言う幻想的な朝を迎える日もありました。

瑞牆山へはアイゼン無しでは到底、登れないはずなのに軽装でアイゼンも持たず登って行く人達がいます。小屋に立ち寄って情報を集めれば安全に登れるものを素通りして行くためアドバイスもできません。1時間もしたらズボンを泥だらけにして下山して行く姿が見えました。アイゼンの装着がないため滑って転んで、諦めて下山したのだと思います。

瑞牆山は頂上までの距離が短いため人気も高く、とにかく無謀な登山者の多いのに驚きです。遭難事故のたびに何をしていても放り投げて、救助に駆けつける山小屋の管理人の悲鳴に共鳴し多くの小屋ファンの人達が集まり「安全登山について」と「レスキュー」についてを学ぶことにしたのです。み〜んな小屋のあるじに温もりを感じてのボランティアの人達で、その延べ数は50人にも及びます。

まっ!とにかく集まって下さった若者達(ジョンが最高齢者)の熱気に、やや押され気味ながらロープワークやリュックを使った背負い搬送、空中搬送などの勉強をした次第です。小屋の管理人が買い集めた救助に必要な滑車やギア類は地元の登山用品店よりも揃っていて、誰もが驚く品数の豊富さで、それらすべてを使い実技を体験しました。多分・・・実際に現場で使えるかと言うと少し疑問が残りますが「これほどに大変で、怪我をすれば多くの人達に迷惑がかかる」と言うことを学んでいれば安全登山に関心の目が向けられるのではないかと思っています。

六甲山の山域での事故と瑞牆山の事故には類似点があり「簡単に誰でもが登れる親しみのある山」だけにスニーカーとデイバックで小屋前を過ぎて行かれます。金峰山は、それなりに距離も長く甲武信山に向けて縦走する登山者のため装備もきちんとしており小屋の管理人を悩ませる登山者はあまりいない様子です。

いずれにしても、どんな山であっても「装備はきちんと」して登りたいものです。岩場の通過がスムーズに出来なければ瑞牆山登山は無理です。途中で山小屋があれば必ず立ち寄り情報収集をした方が安全登山への近道です。


[3009] 【3122回 3月17日から3月31日まで書き込みお休み】 2013-03-16 (Sat)

「3月17日から3月31日まで書き込みお休みします」

奥秩父にある日本百名山「瑞牆山と金峰山」の分岐に建つ富士見平小屋に於いてレスキュー勉強会を実施することにしました。「レスキュー243」と名付け、みなさんボランティアで休日に小屋に待機し登山者の安全を見守ろうという趣旨です。見守るためには自らも救助の勉強をしようという事になりました。

勉強内容ですがレスキューに関しましては「全図解レスキューテクニック」を教本にし、道具の基本、ハーネスについて、背負い搬送の方法、ロープの結び方、スワミベルトとスリングなどを重点に行います。
 
また救命救急法・応急手当、三角巾の使い方、その他副子固定、応急処置について。
ロープレスキューに関しては、器具の使い方、ロープによる登下降、ハイラインによる空中搬送。
木馬の作り方、ロープを使った担架の作り方、シートを使った担架の作り方など盛りだくさんになっております。すでに30名のみなさんが応募をしてくれており、3月17日から3月30日の間は参加者のみなさんの希望に合わせて何度も実施することにしています。

戻りて4月1日から4月30日までは「季節限定イタドリ姫」と変身いたします。故郷を忘れない為に、幼くして他界した母との思い出が薄れないように4月は私が高知県人に戻る月となるのです。最近は毎日のように入院中の高知の従姉妹とメール交換をしています。メールは標準語?そんなはずありません。「喋り言葉が文字になる」のです。だから私はいま「高知県人」なのです。

行ってきます!富士見平小屋!登ってきます雪の瑞牆山&雪の金峰山(ただし・・・勉強会がお休みが取れたらの話です)もどったら、たっぷりの富士見平小屋物語をご披露いたします。では・・・では!


[3008] 【3121回 昨日のクライミング事故の続報】 2013-03-15 (Fri)

「現実にはありえない」とか「しょ〜もなっ!」とか「そんなわけあらへんやろっ!」とか散々テレビ画面に向かって文句タラタラ言ってそれでも見続けてきた某放送局の朝の連続ドラマが初めて今朝、感動の涙が溢れました。「はは〜ん。そろそろラストシーンに入ったな!」と涙を誤魔化すためのセリフを言う自分がいました。しばらく留守にするために録画機能を使い「毎日見る」にセット完了!これでよしっ!とっ。

昨日のクライミング事故の続報です。
「クライミング事故続編」毎日新聞 3月14日朝刊から抜粋

3月13日(水曜日)群馬・安中市にある山急山(992b)の岩壁「五輪岩」で男性2人が死亡した安中事故をお知らせしました。かつて登ったことのある地元のベテラン登山家が「二度と登りたくない」と話すほど厳しい岩壁だったそうです。遺体の収容作業を行った地元の松井田山岳会の64歳の男性によると、死亡した2人は南東の岩壁を登っていたとみられ、下部の樹木が生えている急斜面で発見されました。46年前に五輪岩に登った経験があり、「岩壁はほぼ垂直で、ハーケンが打てるような割れ目がほとんどない。二度と登りたくないと思った」と振り返る。また、「死亡した2人は装備も完璧で登山上級者だと思う。誰も登れない場所を登ってみたいという気持ちがわいたのかもしれない」と話していたそうです。

県警地域課によると、ロッククライミング中の事故は、2008年4件、2009年3件、2010年0件、2011年5件、2012年1件。山岳遭難事故全体の中で占める割合は決して多くないが、この5年間で1人が死亡し、大けがを負う人も出るなど「重大な結果に直結しやすいことが特徴」という。同課は「危険を感じる一歩手前で引き返す勇気を持つことが大切。入山前に行き先と戻る時間を周囲に伝えることも心がけてほしい」と呼びかけています。

「初心者は登らない岩」「「二度と登りたくない岩」と言われた五輪岩に、私の腕で登攀するはずがありませんが事故の「5W1H」を知り、教訓にしたいです。聞けば「かなりの上級者風で、誰も登れない場所を登ってみたいという気持ちが湧いたのかも」と新聞紙上のコメントにありました。

過日の山神社でのことです。かなりのベテランクライマーが難易度の高い岩壁に挑戦されました。多分ご自身でも「落ちるかも知れない」と想定されたのでしょう。ビレイヤーには落下時の危険を想定して自己ビレイを取らせて登っていかれました。「え〜っあんなとこ登るのっ!」そう言った次の瞬間「落ちるっ!」そう叫び宙ブラリンになりました。ランニングビレイを取っていたため地面に叩きつけられる事はありませんでしたが人間が降ってきた感じでした。ベテランの人は誰も登れない壁に取り付いてみたいと思うのでしょうか。

いつも言ってることなのですが私達はクライミングを楽しむのではなく登山中に遭遇する岩場を安全に恐怖感なく通過できるためのクライミングトレーニンクをしているのです。だから難易度の高い岩場に取り付くことはありません。ハイ!


[3007] 【3120回 クライミング事故】 2013-03-14 (Thu)

3月13日(水曜日)群馬・安中市にある山急山(992b)の岩壁「五輪岩」で、埼玉県に住む男性2人の遺体が見つかり、警察では、2人がロッククライミング中に誤って落ちたものとみて調べているそうです。安中市で13日未明、「父が知人と2人で山に出かけたまま帰ってこない」と、警察に通報がありました。警察などは、朝からヘリコプターを飛ばすなど、およそ50人態勢で捜索したところ、五輪岩と呼ばれる岩壁付近で、埼玉県に住む50代と60代の男性2人が、頭から血を流して倒れているのが見つかり、まもなく死亡が確認されたそうです。現場の状況から、警察は、2人がロッククライミング中に、誤って滑り落ちたとみて調べています。地元山岳会によると、この場所は、一般的な人がロッククライミングをする場所ではないという。ヘルメットは?なぜ2人が同時に死亡?強風の影響?等の原因が知りたいところですが死人に口なしでは・・・・。

そんな・こんなの事故を未然に防ぐためには、まず己が技術を磨き、その上でレスキュー活動をしなければなりません。
3月17日から2週間の滞在となる富士見平小屋でのレスキューの勉強会の荷詰めをしました。必要な物を部屋中に並べ、これで万全だと思えばリュックに詰めていきます。先日買ったばかりの50gのリュックに詰め込みますがもうパンパンです。案外収納量が少なく感じています。下段にあったカメラバックは今回は利用せずで下の方から重量の軽めの物「寝袋、マット、テント素材」を敷き詰めて、あとは合羽、着替え、ハーネス、クライミングギア類、ヘルメット、救急セット、一番上にアイゼンを入れて蓋をとじました。人間でいえば「肥満児」状態です。雨蓋にもヘッドライトなどの小物をいれると悲鳴をあげているような姿になりました。外にはストックとピッケルがさしてあります。富士見平小屋は駐車場から1時間で到着しますので少々の重さでも耐えられますが、余分な物は何も入ってないつもりなのですが何故か満杯です。

着替えは夏と違い、多くは必要としません。車の中に2組の着替えを残置しておきます。途中で増富温泉に行き入浴をする時に着替えれば富士見平小屋まで持って上がる必要がないのです。あとは勉強会のない時の食材が共同装備として増えます。米・調味料・副食材料などは勉強会が休みの時に担ぎに降りてきてもいいと考えています。何せ生活そのものを2週間奥秩父に移すのですから結構な荷物です。

冷蔵庫の中はいつも空っぽ状態ですので整理する必要はありません。植木は隣に声をかけて行きます。嫁ふたりにも知らせ携帯が繋がらないが心配無用であることを連絡しています。ネパールの様に食材に悩むことはありません。日本はお米だけ炊いてもご馳走です。勉強会実施日については小屋の管理人さんに食事のお世話になることになりますが、勉強会休みの時のために缶詰、レトルト食品など担ぎ上げます。まっ・・・ネパールで耐え忍んだのですから大丈夫でしょう!


[3006] 【3119回 大切なひと】 2013-03-13 (Wed)

私にはいま病魔と闘っている大切な人がふたりいます。一人は食道癌、もうひとりは肺癌の転移です。どちらも抗がん剤の副作用で苦しんでいます。二人とも癌告知を受けており治療にはとても前向きで救われます。食道癌の人は、たまたま胃カメラ検査でみつかり病巣があまりに大きいため放射線をあて小さくなるのを待ってから手術になります。肺癌の従姉妹は数年前に手術をし、術後の定期健診で転移がみつかったそうです。どちらも副作用で頭髪が抜けて行くのがたまらなく不安で私が他愛もないメールを、ほぼ毎日送信し気を紛らわせています。

病院のお見舞いも最近では花粉症患者がいることから「見舞いの花ご遠慮下さい」と看護詰所に張り紙がしています。私はその都度何を持っていくか考えて行くようにしています。ある時は病気が治ったらと栗焼酎を取り寄せて持っていったことがありました(これは失敗です。退院までに病室でチビリチビリ飲んだ様子)パジャマ替わりのスエットなども持参することがありますが病院によって指定された室内着があるため、とりあえずは一度何も持たずに伺い、何が必要か聞くか見るかして再度伺うようにすれば無駄がないように思います。

今回は小さな孫がいるとのことでしたのでデパートの地下にある量り売りの飴を中心にした駄菓子を色々な種類を取り混ぜて透明の箱に入れて「一粒食べると元気になる飴」とテプラテープで書き、雑誌やベスト・靴下などと一緒に持参しました。「じいちゃんの病院に行けばいろんな飴があるよ」という話が家族の中で広がり、入れ替わり立ち代わり孫が来てくれるようになったと喜びメールをもらいました。従姉妹は「飴を眺めてるだけで楽しい」と言ってくれ、病室から治療に行くときベストが丁度よく毎日着てると言ってくれました。

昔の見舞いの品と言えば「たまご」「バナナ」「ぶどう」「現金なら五百円札1枚」とりわけ卵が定番でした。菓子箱の中に米のモミ殻を敷き詰め、その中にたまごが入っていました。「滋養になる」そんな言葉も流行していました。入院すればバナナが食べられるんや〜と子供心に入院を期待したこともありました。そんな事を考えていたためバチが当たったのか小学校の頃に盲腸になり入院手術をする羽目になりました。母親が大きな布団一式を背負って病院に行く姿が忘れられません。あの頃は入院する時は寝具一式持参しなければならなかったのです。「美智子・・・入院費8000円やて。どうしよう」と困った顔をする母とは対照的に親類が見舞いに来るたびに持ってくるバナナやブドウが嬉しかった事を覚えています。退院してから和タンスの中から母の小紋の着物が1枚消えていたことを知りました。大きくなって働くようになったら母親に着物を買ってあげようと思っていたのですが中学校1年生の時に亡くなりましたので着物はおろかゲタ1足も買ってあげることができませんでした。

いま元気でいられることの幸せ、人の痛みもまた感じられる心が大切だと、しみじみ思っている今日この頃です。


[3005] 【3118回 芦屋・地獄谷はバリエーションルートです】 2013-03-12 (Tue)

3月11日・・東日本大震災から2年たちました。天皇陛下は「苦しみを分かち合うことが大切」と追悼式で述べておられました。被災された方々にとって永年にわたって築きあげてきたふるさとが一瞬にして津波に破壊され悲しみは消えることはないでしょう。失われた命はもとに戻ってこないのです。私達は「東日本大震災を忘れないこと!苦しみを分かち合うこと!」が大切だと思います。今朝のテレビで91歳のおばあちゃんが「みんなに負んぶされて助かったが・・あの時いっそ死んでいればいまの苦しみはない」と言っておられ涙が止まりませんでした。

自衛隊、警察、消防、海上保安庁、多くのボランティアのみなさんのおかげで少しずつ立ち直りつつありますが2年経過したいまでも仮設住宅に住まなければならない被災者の方達の事を思うと、やれ自民党だの、民主党だの、維新だのと言ってないで一致結束して再建に尽力し、91歳のおばあちゃんが「助かってよかった!幸せだ」と思う町に、そして村にしてあげてほしいです。

3月10日の芦屋・地獄谷で大勢のボーイスカウトの子供達が通過するのを目の前にして引率者がロープも持っていないことが気にかかりました。私達は地獄谷を初めて通過する時は、必ずヘルメットをかぶり、どんなに登山経験がある人であっても最初はロープを利用します。滝を登るときは、万一足を滑らした時のために次に登る人は、後ろに必ず立つことにしています。水で濡れた個所を這い上がりますので手が剥がれた時、身体が後ろに倒れない為です。地獄谷を2度、3度と体験すれば心配は薄らぎますが、10日の滑落事故発生で地獄谷はバリエーションルートであることをもう一度知ってほしいと思わずにはいられません。ましてや子供たちを自由に歩かせるルートではありません。引率者の緊張の無さに驚きました。

あの日の朝、ヘリコプターや救急車の出動が気になり、翌日に芦屋消防署に問い合わせました。最初は個人情報云々と口が重かったのですが「我々は中高年の登山グループの代表をしていて山岳事故予防のために教訓にし、ホームページで注意を促したい」と説明すると丁寧に事故の状況を話して下さいました。

『3月10日、午前10時30分救助要請を受け、救助に向かいました。負傷者は62歳の女性を含む3人で地獄谷を登山中に転倒し右肩を骨折。地獄谷と言う場所柄、ヘリコプターの要請をしましたが強風でピックアップ困難のためヘリコプターでの救出は断念し、人力にて救助しました。救助の管轄は芦屋隊ではなく神戸隊のため負傷者は神戸隊によって病院に搬送されました。事故の場所は地獄谷入り口の水位警報電線をくぐり、一つ目の滝(ホワイトフェイス近く)を超えて次の滝での事故でした。』

質問「電波状態の悪い地獄谷でどのように救助の連絡が届きましたか?」
応答「同伴者が電波状態の良い場所を探しながら移動し救助を求めてきました」
質問「登山靴は履いていましたか?」
応答「登山靴は履いていました。登山経験もありそうでした」

同伴者が地獄谷の地理にも詳しく救助場所へもスムーズに出掛けられたとも言っていました。地獄谷は名前の如く登山道と違い地獄のような道でありバリエーションルートであることを再認識いたしましょう。


[3004] 【3117回 またまた地獄谷で救急出動】 2013-03-11 (Mon)

Kazuくんのクライミング講座最終回。ゲレンデは芦屋・地獄谷のホワイトフェイスに決めました。前回の山神社は「手も足も出ない」ことを経験し山々にはさまざまな形容があることを体験しました。今回のホワイトフェイスもかなりそそり立っています。「う〜ん」岩場を見上げるKazuくんの顔に不安げな表情も見られます。

支点を取り、いざ登攀準備が整い「さぁ始めようか!真ん中の棚まで行ったらロアダウンで降りよう」朝の一発は身体が慣れていないためウオーミングアップが必要です。今日の岩場の相性はとてもよくてスムーズに何度も登攀とロアダウン・懸垂下降を繰り返しました。ビレイもし、師匠がいきなり落ちると言ういつもの芸の披露も受け止めることができました。ビレイヤーの手にかかる衝撃を味わってもらうために、故意に落下したのです。(詳しくはレポートで)

突然救急車のサイレンの音が地獄谷に聞こえてきました。「えっ?どこかで誰かが事故ったなぁ」サイレンに続きヘリコプターの轟音がしてちょうどホワイトフェイス上空を何度も何度も旋回します。「手を振るなよ」と注意を受け私達はそのままクライミングを続けました。

「午後から雨」の天気予報どおり雲行きが怪しくなり、突風が吹き始めました。Kazuくんの体力の限界も見え隠れしはじめたため下山することにしました。

滝の茶屋までおりてくると、救急車1台、消防車両1台、パトカー1台、少し下ったアスファルト道に消防車両3台が停まっていました。情報によると3人のパーティの中の一人が地獄谷で落下して骨折したとの話・・・それにしても空からと陸からと大がかりな救助体制に驚きました。

何はともあれ2011年10月にクライミング体験をし、その後4回の講習が無事終了しました。アルプスに行くために最低必要な道具を購入したいと言うことで梅田のロッジに行き、懇意にしているスタッフのアドバイスを受けながら装備一式購入されました。自分の道具を手に入れると山への愛着も深まるというものです。

入門講座卒業おめでとうございます。若いクライマーのヒナが誕生しました。今後はいずこかの山岳会に入会し、更なる登山技術を学び、年代に合ったザイルパートナーを見つけ、安全な山登りを楽しんで頂きたいと思っています。勿論私達が行くときはお誘いしますが平日なので日程が調整できればいつでもご一緒しましょ!希望の山は剱岳だそうです。


[3003] 【3116回 久しぶりのカラオケ】 2013-03-10 (Sun)

ミニ同窓会が北新地で開催されました。北新地と言っても値段はとても庶民的。次回も利用したいと思っても店に行きつかないと思います。ジュンク堂書店の横を通り右に曲がって・・・う〜ん多分迷うなぁ。

主たる料理は鍋物なのですが前菜が二品ほど午後6時からスタートして3時間30分飲み放題は2時間30分でゴングがなる。ラストオーダーを聞きに来た店員が嫌な顔をするほど飲み物を注文し、あとはカラオケに徹するのです。

カラオケリクエストの器械が「あなたの年齢は?」「何歳の頃の歌を歌いたいのですか?」と質問画面が出るので迷わず「いま65歳で18歳の時の歌」と答えると懐かしい歌が沢山出てきました。熱唱禁止、手当たり次第に入力し誰でも歌えるシステムにして青春時代を振り返りました。歌が途切れると選曲している間のバックミュージックとして高校時代の応援歌をアカペラで口ずさむと一同驚いて画面を覗きました。「福ちゃん、よぉそんな古い歌覚えてるなぁ」って言われましたけど、みんなも、口ずさんでるやんか〜!

カラオケが流行り出して、画面を見ながら歌うようになってから、なかなか歌詞が覚えられなくなりました。スラスラ〜っと歌詞が頭に浮かぶとアカペラも悪くありません。これはネパールで学習したのですが「アナタノ クニノ ウタハ?」と言われてスムーズに歌える歌を2曲ほど用意しておきたいですね。

この日の締めの曲は「故郷」「母さんの歌」でお開きとしました。「泣けてくるなぁ・・・」と酔っ払いの男子が目頭を押さえました。心に残る歌は、やっぱりいいですね。

外にでるとネオンがキラキラ〜明るい時の北新地とは別の顔を見せていました。狭い道筋を走るタクシーとぶつかり合いながら、東西線、阪急電車、JR線、阪神電車と、てんでバラバラに家路に着きました。

(ここだけの話)
メンバーの中に美空ひばり大好きの女の子(但し65歳)が人生の苦労話を始めて泣き出しました。話を終えると、美空ひばりの歌を歌いまくり「福ちゃんも一緒に歌いぃ〜なぁ」と言いましたが、ちょ、ちょっと音程が・・・今回は苦労を背負って生きてきた彼女に花を持たせ熱唱禁止令を解き、心行くまで歌ってもらいました。翌朝きっと喉を傷めてるで〜!


[3002] 【3115回 幾通りもの同窓会】 2013-03-09 (Sat)

50年もの間、何の音沙汰がなかった小・中学校や高校の同窓会の声があちこちから届くようになりました。人生の時間に余裕が出来たのか、それとも余命が見えたのか、頻繁にお誘いを受けるようになりました。こんな事書くと「うっそ〜」と言われそうですが学生時代は両親がいない事もありお金のかかる友達付き合いを避けていましたので「ガリ勉お福」と言われ、人の輪の中に入ることもせず、ましてや同窓会の世話など無縁の世界だったのです。でもなぜか今頃になって、やれ「日程を決めて」とか「場所は」とか「案内状作成して」とかにまで首を突っ込むことになりました。

今日は高校時代の親しい仲間内だけの食事会が北新地で開催されます。偶然にも別のグループでミニ同窓会を開催しないかと打診をうけました。今日、再会する友達のことは言えずに電話を切ってしまいました。いっそのこと合同で掛け声は華々しく、予算は質素に出来ないものかと考えたりします。正式の同窓会となれば卒業生くまなく声を掛けなければなりません。そうなれば名簿作成が大変です。

故郷の中学校の同窓会は秋に松山で開催されることが決定しています。来年は東京在住のハチキンが「私に任せて!」と幹事役の手を上げてくれています。故郷の同窓会は「関西支部」を立ち上げて、みんなで行動を共にしながら開催地まで移動するのですが、みんなが集まると「高知弁まるだし」なので、かしましいったらこの上なくかしましいのです。そういえば去年の同窓会では(湯の花温泉)イタドリが沢山採れましたなぁ・・・行ってみよか?

同窓会でも山行でも、元気なら参加できます。足腰を鍛えて日本のどこで開催されても「参加します」と返事が出せるように心と体に余裕を持って生きて行かなければと思っています。元気がいちばんです。


[3001] 【3114回 ささやかなる贅沢】 2013-03-08 (Fri)

私は登山用リュックを(20ℓ、30ℓ、30ℓ(OR製のクライミング登攀専用)保有しています。ウオーキング用のリュックも数個ありますがほとんど使うことはありません。これとは別に知り合い3人を経て頂いたリュックがあります。最初の人は買ったものの目移りがしたのか次の人に譲った様子です。貰った人は30ℓは大きすぎるということで更に次なる人に譲りました。色がピンクだったのも理由のひとつで、更にその次は私が譲り受けることになりました。

自分で気にいって購入した物ではありませんので通常の山行には使用せずクライミングに行くときだけロープをいれて、ギアーを入れて重宝に使っていました。しかし最近では色あせてきて「もう寿命にしてもいいかな」と思うようになりました。そして今日は「燃えるゴミの日」思い切っておサラバする決心をしました。

そして・・・その結果(キャハハハ)50ℓサイズのリュックを新規購入する決心をしました。私の持論の中に「新しい物を買えば、不要になる物をひとつ捨てる」があります。例えば靴でも買い換えねばならないから新規購入するのですから新規購入したのなら不要の靴は捨てなければ下駄箱が満杯になります。洋服でも何でも1枚買えば1枚捨てる、もうそろそろ身辺整理を元気な今、ボツボツしていけば丁度最期にはきれいさっぱりとなるでしょう。本人にとって思い出深い品々も残された家族にとって処分に困るのではないでしょうか。

そう言いつつも、まだ大きなリュックを買おうとしている自分がいます。これから先あと何回使えるかわかりませんが欲しいので〜す。買ってきたらブログに載せますね。

          ↓
買ってきました〜!ブログに写真を載せましたが機能が優れていて色々楽しめそうです。定価19,950円でした。私が手を離すのを待っていたおじさんがいましたが残念ながら姫のお買い上げ〜!このリュックは一品限りで売り切れ!おじさん私の顔を見てうらめしそうでした。(ごめんね・・・)


[3000] 【3113回 無茶やでぇ〜】 2013-03-07 (Thu)

「命綱なし、岩壁滑落し重傷」こんな見出しが目に留まりました。

3月6日午前11時10分ごろ、栃木県の妙義山で、群馬県の20歳の男性が岩壁を12メートル滑落しました。男性は左足の骨を折る重傷を負いましたが、命に別条はなし。警察署の調べによると、男性は1人でハイキングコースを登山中、山頂付近で高さ約50メートルの垂直の岩壁を登ろうとして足を踏み外した。男性にクライミング経験はなく、命綱もしていなかった。男性は現場から「登山中に滑落して骨折した」と、携帯電話で110番通報。防災ヘリで救助されたそうです。

妙義山とは白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭などを合わせた総称で、妙義山という山は無い。南側を表妙義、北側を裏妙義と呼び、行政も下仁田町・富岡市・安中市の3市町にまたがっています。事故発生の警察発表を受けての報道は、「妙義山で滑落事故発生!」と掲載されずに、「金洞山・東岳で滑落事故・・」であったり、「白雲山・相馬岳で・・」であったり、極端には「中乃岳で滑落・・」とか「御岳で・・」と掲載されます。

世界一の犠牲者数を誇る(?)谷川岳・一の倉沢登山、しかし怪我人の数ではこの妙義の方が勝るのではないかというほど多いらしいです。何を隠そう私もこの妙義山で落石を避けた結果、脱臼をしましたがパートナーの協力のもとに自力で下山しました。その時の様子を詳しく記載したレポートがありますので「レスキュー243」で役立てればと引き出しから引っ張り出しました。あの時の教訓を思い出しました。
●保険証はコピーでなく原本を携行すること
●たとえプライベート登山であってもレスキュー用品は省略しない
●滞在費は少し多めに

「妙義山相馬岳からの脱出」は4コマ目に載っています

http://www.hime8kin.net/yamatabi/sankokiroku/091031tanigawadake1.html

妙義山頂上への鎖場はクライミング経験を経て挑戦しましょう。「握力」「腕力」「体力」を必要としている山であることを肝に銘じてさえいれば今回の20歳の男性の様に装備もなく単独での登山はしなかったのではないでしょうか。


[2999] 【3112回 あと5年早ければ・・・】 2013-03-06 (Wed)

私のホームページの表紙に羽ばたくスズメがいます「メールはこちら」と書いてあり、アドレスを知らなくても私のところへメールが届くシステムになっています。私と同じ町に住むTさんと言う青年(多分若い人)からメールをもらいました。此花区内にある山岳会を知りませんかというお尋ねでした。

惜しい〜!わが倶楽部が健在だったころならば、山登りのイロハから岩登り、沢登りとぜ〜んぶ学習できたのに!と残念でたまりません。さりとて師匠が今からこの青年に指導できる体力は不足しているため大阪にある山岳会のアドレスを連絡して、私のホームページをご覧いただいていることの感謝を申し上げた次第です。

T青年が山岳会に入会して登山のイロハを学ぼうとしていることに好感が持てます。体力に任せ自己流で学ぶより最初からきちんと山岳会で技術を学び、その後、自立できる腕前になれば自分たちでパーティを組み、山を楽しむのが安全に山登りが楽しめます。もう少し早ければkazuくんの良きザイルパートナーになってもらえたかも知れません。

山岳会に入り、色々学ぶ間に、大勢の仲間の中から気の合った人がいるはずです。そんな人を見つけて山行できれば山もまた楽しいでしょう。Tさんの期待に応えられないのがとても申し訳なく思いますがどうか良い山岳会に巡り合えますように祈っています。

過日の山神社からの帰り道にkazuくんから「山岳会に入るメリットは何ですか?」と質問を受けました。某山岳会は夏山教室から新入会員を募集し、夏山教室を経て雪山教室、沢登教室、レスキュー教室、テント泊体験とひととおりのカリキュラムを組み経験豊富な先輩たちが指導にあたってくれます。いかばかりかの年会費(会によって金額は異なります)が必要になりますが集中的に登山の勉強をすることができます。

私達は山の歩き方、ストックの付き方、荷詰め、救急搬送、ロープワーク、岩登り、沢登りetc.ほぼ山岳会で学ぶことのすべてを教えてもらいました。おかげで楽しく山行できています。

ウオーキングと違い、山の装備を揃えるには、結構なお金がかかります。しかし一度に買わずに必要な物から少しづつ揃えて行けば、知らず知らずのうちに揃うものです。登山用品店に足を運ぶうちに、あれもこれもと不要な物まで買いたくなってしまいます(笑)自分の命を守ってくれるであろう装備については惜しまず買っちゃいましょう!

装備品を購入する時は店の人のアドバイスを鵜呑みにせず、山の先輩に相談した方が失敗はありません。


[2998] 【3111回 今日は啓蟄・春もうすぐ】 2013-03-05 (Tue)

今日は「啓蟄」土の中の虫たちが春を感じて地面に現れる頃と言う意味ですが昼間はポカポカと温かくなってきました。2日の土曜日に高知県南国市の病院に入院中の従姉妹の見舞いに帰っていました。帰っていたと言っても「南国市」は同じ高知でも故郷とはちょっと違います。「四万十市」という道路標識が出始めたら「あ〜懐かしい故郷に近づいたなぁ」と思うのですが・・・。入院中の従姉妹は抗がん剤治療がつらそうで「せっかく来てもろうたのにめまいがする」と体調が悪そうでした。話は春先のイタドリ談義に花が咲き「今年のイタドリ採りには行けんかも知れん」と気弱なことを言うので「よっしゃ大阪から、こじゃんと採って持ってきちゃるけん!」と言うと、やっと笑顔が出て「自分で採りに行ける様にがんばるけん!」と小さな、小さな希望にお互いがすがりつく思いでした。

「レスキュー243」の募集を締め切り30人以上の方達が勉強会に参加をされることとなりました。まず基本をしっかりとお互いが勉強をしてもらい講師の進行の妨げにならぬように能ある鷹は爪を隠してもらって穏便に(笑)終了できればと思います。レスキューのテキストを読み終えたからかも知れませんが「バイスタンダー」だとか「善きサマリア人の法」だとか、なかなか難しい言葉が当たり前の様に出てきて私達の様な初心者にとって何のことだか不安げになってしまいます。

お〜い深山の小天狗さんよ〜私達を山で出会った気の合う親友だと言ってくれてありがとう!うれしかったぜぇ!「バイスタンダー」「善きサマリア人の法」って、アメリカ人相手の仕事につきバリバリと通訳できるとは思いますが、勉強会の質問で飛び交うかも知れないので「姫のカンニングペーパー」送信しちゃうぜぇ!

「バイスタンダー」とはその場に居合わせた人の事をいいます。登山中、たまたまその場に居合わせた人の事を言うのですが日本人なら日本語で言えっちゅうねん〜!

善きサマリア人の法はこのまま覚えましょう。(英語では:good Samaritan law)、良きサマリア人法、又、よきサマリア人法とも言い、「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」という趣旨の法です。誤った対応をして訴えられたり処罰を受ける恐れをなくして、その場に居合わせた人(バイスタンダー)による傷病者の救護をお願いしますとの法です。

私達がするのは勿論善意で「傷病者の心の痛みを和らげる」ことが主たる目的なのです。だから野次馬から一歩前に進められる勉強会をまずするのです。消防署の心肺蘇生法の講習でも同じことを学びます。何も手当をしないで救助を待つのではなく傷病者の心の痛みを和らげてあげてくださいってことですよね。

日曜日の落石事故と宙吊りの時も脳裏には「あの場合どんな手当が出来るのか?」と、考えました。でも万が一岩の下敷きになり息絶えていたとしたら、動揺し何も出来ないのではないでしょうか。大出血をしてたりすると手が出せるのだろうか?と思うと恐ろしさが再び思い出されてしまいます。


[2997] 【3110回 悪夢から覚めて】 2013-03-04 (Mon)

お腹の上に重しが乗り身動きとれず、周囲の悲しそうな声で目が覚めました。どうもうなされていた様で頭痛がします。悪い夢を見ていた様です。午前3時・・このまま寝たら続きをみては大変と押し入れの整理をする羽目になりました。やがて朝が来てハッキリ目覚めてみると昨日の岩場の事故が夢の中で再現されてたような気がします。64年と11ケ月生きてきた中で最も恐ろしい出来事でした。

登山道での落石は石の大小はあるものの遭遇したことがあります。しかし昨日の岩は凄すぎました。雨によって岩と岩の間に小石が挟まり、何かの衝撃で岩が剥げてしまったのだと思います。某山岳会の人によると「自分たちのパーティでは、あの岩は危険だから触れてはいけないということになっている」との事。それならばペイントで危険マークが必要ではないでしょうか。何でもかんでも「自然破壊になるのでペイントは禁止」ではなく死亡事故を防ぐために必要な処置だと思います。

それにしても2回転半した男性の身軽かったこと・・・50歳前後の人でしたが岩もろともに転がったにもかかわらず擦り傷ひとつしていませんでした。驚きです。

今日は外出予定にしていましたが頭痛がするため&ショックから立ち直るため自宅待機です。


[2996] 【3109回 あわや!大参事!】 2013-03-03 (Sun)

ひめじ別所のゲレンデ名「山神社」でのできごとです。大阪の山岳会6名と私達5人がクライミングをしていました。昼食を終えお互いのチームが、それぞれに午後の登攀を始めたその時です。大阪の山岳会チームが、ギャーッという悲鳴とともに大きな岩の塊が剥がれ落ちたのです(詳しくは近日中にレポートの写真をアップします)

クライミング中の人は宙吊りに、ビレイヤーは私達の方に飛んできました。人間が降ってきたのです。もう一人は大きな岩とともに2回転半して着地しました。私達は幸いなことに少し離れていたため転がる大岩を避けることが出来ました。万が一岩の下敷きになっていれば即死でした。

誰一人怪我もなく2回転半の人も打撲もなく、何事もなかったかのようにトレーニングは再会されましたが命の縮まる思いでした。混雑するゲレンデでは自分たちの動きは勿論ですが他のパーティの動きにも気配りしていなければ惨事に巻き込まれてしまいます。恐ろしくてしばらく「山神社」へは行けません。

大阪の山岳会の若い女性がクライミング中に足がロープにからまり、逆さ吊りになってしまいました。もがいても、もがいても外れる様子はありません。隣のロープから助っ人が登り逆さになった頭を、ゆっくりと正常の位置になおしました。血液が逆流していたのかしばらく下降することができませんでした。おそろしかつたです。

今日は恐ろしい場面に遭遇し、大好きな懸垂下降もできずショックで早々にベットに入ります。伊東さん〜!きたおかさ〜ん!クライミング時には充分注意して下さいね。自分たちは注意していても隣のグループから被害が伝染する場合もあります。同じゲレンデを使う時は距離を離してくださいね〜!


[2995] 【3108回 ファーストエイド・セルフレスキュー】 2013-03-02 (Sat)

過去のファーストエイド・セルフレスキューを顧みて見ました。トッホツホッホ〜何と数多くあることでしょう。「レスキュー243」の勉強会で発表し、手当方法を説明するとすれば時間が足りまへんなぁ〜

●ひめのファーストエイド・セルフレスキュー

@大阪・ウオーキング中  1000人の参加者に式典の説明中「お立ち台」から転落
      肋骨2本 骨折     翌日近くの病院で治療

A兵庫・六甲山・クライミング中(待ち時間)  転倒     肋骨2本 骨折
      肋骨2本 骨折     翌日近くの病院で治療

B山形・鳥海山・登山中  ツツガムシに刺される        
     顔面お岩さん状態     下山後、山小屋で薬をもらって塗布

C奈良・大峰山・登山中  タカサゴキララマダニに刺される  
     血袋のようなものが頭から離れず  帰阪後、大阪の病院で整形医に切開して除去

D長野・槍ヶ岳・メンバーサポート中に低体温症発症     
   過度の震えに襲われる 槍ヶ岳山荘でお湯をもらい、リンパ部を湯で温める 3時間後回復

E八淵谷・遡行撮影中に低体温症
  震えと身体機能低下、足が動かない  遡行中止、ゆっくり下山 自然回復

F妙義山・相馬岳頂上でスリップ 右肩脱臼 
 かんぽの宿・裏妙義に自力下山後 救急車で富岡市民病院で治療

G滋賀・獅子ケ谷・沢遡行中に滑る 左肩脱臼        
  チャリ袋で吊り自力下山   JR高島駅から救急車で高島市民病院へ 治療

いやいやりっぱなもんですなぁ!って感心してる場合とちゃいますよ〜。相棒のジョンかて私に負けないぐらいやってまっせ〜!

●JONのファーストエイド・セルフレスキュー

@兵庫・A懸垂岩 クライミング中にスズメバチに刺される
  20mほどの下降路を下りる間に10センチほど真っ赤痺れと痛み 下りてナイフで切開
  その後全く、はれも痛みもなし 

A滋賀・赤坂山 登山中に蜂さされ  
  即、姫が切開 毒抜き 全く、はれも痛みもなし

B奈良・大峰山 身体機能低下
  痛みも何もなし ただ足が動かない  帰阪後専門医に行くと胃潰瘍で穴が空いているとのこと
  今だ通院中

Cネパール・アイランドピーク  身体機能低下
  10日間食事が喉を通らず  栄養不足  下山後日本食を食べるようになり  すぐに回復

これらは自らが傷病者となったものですが明日は私達が手当をしてレスキューについて述べたいと思います。       


[2994] 【3107回 心肺蘇生の講習】 2013-03-01 (Fri)

28日、此花消防署からの紹介で隣町の福島消防署の「救命救急講習」に行ってきました。受講者20名ほどで年齢層も幅広く1時間の講義のあとは15分の休憩をはさみ、あとは2グループに分かれ実技となりました。初回の人、更新の人と経験はさまざまでしたが、みんな真剣に取り組んでいました。

私が心肺蘇生法を勉強を始めたころは、もっともっと複雑で理論を覚えるのに苦労をしました。しかし心臓マッサージに取りかかるまでに時間がかかりすぎて、そんなことでは助かる命も助からないと改善に改善を重ね、現在では必要最小限の行動で心臓マッサージを続けることに集中しているのに驚きを覚えます。

私達のグループは結構、真剣に取り組んでいましたが別のグループは大きな笑い声ばかりしていったい何を笑っているのだろう、実際のこの状況下の中で笑うことってあるのだろうかと思うと、だんだん腹立たしささえ覚えました。真剣に取り組んだグループは終了時間も早く、大笑いしていたグループは、かなり遅れて終了していました。

私のグループに講師がいるにもかかわらず、ちくいち指摘をするおじさんがいました。ベテランなのかとその人の実技を見ても素人でした。実技の方が間違えているのはわかりますが講師がいるにもかかわらず、ただ口をはさみたいだけみたいでした。講師の方も失笑されていましたが「黙って見ていればっ!」って言いたくなるほどでした。

まもなく私達も富士見平小屋でレスキューの勉強会を実施します。昨日のおじさんのようなタイプの人が参加者の中にいたら、こりゃ一大事と感じました。ジョンならば、プチッ、プチッと切れまくるのではないでしょうか!大変だぁ〜

仕事を「任せる」ことのできる上司は部下が育つと思います。些細なことにも口出しする上司は部下の「やる気」の虫の芽をつんでしまいます。私のかつての上司は「お任せ上手、褒め上手」でした。結果報告はしなければなりませんが会社行事の立案・途中経過については部下である私に全て任せてくれました。信頼関係のバイプは限りなく太く、上司の顔に泥を塗っては申し訳ないと必死で仕事をするようになるのです。パーツの様な些細なことの助言よりも社員育成にはいいみたいです。

講師の話は静かに聞きましょう。質問タイムになれば自分の意見をしっかり言えばいいと思います。昨日のおじさんのように、いちいち口だしをされては勉強会がスムーズに進行しません。どうぞ受講生の中に昨日のおじさんタイプがいませんように〜!

甲府地区のわかり易い心肺蘇生法をみつけました。
http://www.kfd.or.jp/e-learning/contents/index_fl.html


[2993] 【3106回 登山道は生き物 】 2013-02-28 (Thu)

北アルプスなど近代アルピニズムの舞台になった山域では、山小屋が登山者を呼び込むために切り開いた道が多く、山小屋の経営者の名前がついた登山道もあります。黙認の形で利用が始まり、今に至り、日ごろの整備は、最寄りの山小屋が仕事の合間にこなしたりしているのが現状と言われています。

台風災害のときなど費用確保がままならず、復旧が遅れることもあります。登山道は自然条件や交通事情により年々変わり、十和田湖近くの遊歩道で観光客が落木に当たりけがをした事故で、最高裁は4年前、青森県などに約2億円の賠償を命じ、関係者を驚かせたこともありました。

登山はあくまで自己責任の遊びであります。道が安全かどうか判断するのは登山者自身。山のトイレについては、国の補助で小屋が整備し、登山者は利用料、協力金を払う仕組みが定着しつつありますが、国の補助があるのはほんの一握りの話で、現実には観光協会や山小屋で汲み取り費用を工面しているのが現状です。立地条件を想像すると汲み取り作業とて都会で使うバキュームカーのホースの何十倍もの長さのホースを小屋トイレまで引き込み汲み取り作業をしなければなりません。莫大な費用のほんの一部にと、登山者に利用料、協力金として「百円」を支払ってもらう箱を取り付けていますが「無賃乗車」ならぬ「無賃大小便」で箱を開けて見ると「1円玉」や「5円玉」がジャラジャラ出てくる有様です。(クッソー〜!)

富士見平小屋周辺の登山道は私達が訪れた頃は、無数の踏み跡がついていました。瑞牆山から下山し小屋が見えホッとするのでしょうか。今まできちんと登山道を歩いていた人達も横に大きく広がり踏み跡をつけて無数の登山道を作っていくのです。

或る日、学校の団体が引率教師を先頭に水場の上あたりを自由奔放に広がり降りていました。これを見た管理人は危険であるため登山道を歩くように伝えると引率教師は「この子らは身体が不自由なので・・・」とわけのわからぬ弁解をし管理人の逆鱗に触れました。身体が不自由ならばなおさらの事、登山道を歩かすのが安全ではないかと夜の更けるのも忘れ話し合ったことがありました。

その結果「登山道にロープを張ろう!」とは言いましたが並大抵の作業ではありません。多額のロープ代等は全て小屋のあるじの負担で富士見平小屋から水場分岐までの登山道にロープを張り巡らせました。登山道には雨が降れば小石がゴロゴロし、下山時に小石に乗っかった人が捻挫をするということも多々あったため小石を拾いロープに沿って積み上げました。崩れたら拾い積み上げるの繰り返しです。下山時には疲れているのでしょう、このロープを持ち身体ごと過重をかけて下って行く人が多いためロープはアッと言う間に緩んでしまいます。富士見平小屋周辺のロープは、登山道を明確にしたロープであってフィックスロープではないのです。

ある山の登山道ではロープにつかまっていて歩いていて怪我をしたので治療費をよこせと訴えていた登山者がいました。登山道は生きています。登山自体があくまでも自己責任の行動なのです。登山道が安全かどうか判断するのは登山者自身です。「ロープが緩んでる!」「なぜ街灯がないんだっ!」なんて暴言は許さへんっで〜!

登山道は、通行できるぐらいに整備されていたらgood!ましてや安全確保のためのロープがあれば感謝!そこで何が起こったとしても、他人を責めたりしない!。登山道は町の歩道とは別なのです。

富士見平小屋の「レスキュー243」の救助要請の出番が無ければ幸いなこと。ではその間、何を手伝えばいいのでしょうか?まずあるじに代わって水汲みをお願いします。それから登山道のチェックやテント場の清掃。雑草刈りも美観を保つのに大事な作業です。朝と夕方はトイレの利用者が多いためスタッフの腕章をつけトイレの前に立ち、集金見張り番も大切な仕事です。自分で探せばいくらでも仕事はあります。

俗世界を離れ、別の自分を見つけてください。俗世界では出来ないことも富士見平に来れば積極的に出来るようになります。人間改革OKです。富士小平小屋はそんな魔法の山小屋です。


[2992] 【3105回 家族葬】 2013-02-27 (Wed)

最近は、家族葬といって、身内や近い関係の人だけに葬儀の案内をする場合があります。家族葬の名称は平成初期から使われており、以前は密葬といっていましたが、その場合には後日に本葬のあるのが普通でした。現在の家族葬は後日に「お別れ会・偲ぶ会」」などが開かれることもあります

身内に不幸が無い限り、また家族葬歴史が浅く、過去に家族葬なるものを体験したことがない方もいらっしゃるのではないかと思います。昨日私が体験してきたことの感想を述べたいと思います。

訃報を耳にしても、 身内で行う旨を伝えて「ご会葬もお供物もご辞退させていただきます」と連絡をし、もちろん連絡を受けた側はそれに従えばよいと思います。これが家族葬だと思います。

ではなぜ家族でもないのに参列したのかと質問を受けそうです。私は故人と会社勤務時代に懇意にさせていただいており、知人より葬儀場所と時間を知らせてもらいました。寺院門には「○○家告別式」と書いた看板もなくひっそりと静かな佇まいのため、霊柩車をお見送りすべく寺院の外で1時間待つ覚悟で立っていました。私の姿が準備中の葬儀社の目にとまり喪主さんに伝えたところ、ぜひ会場の中に入って下さいという事で中に入らせていただいた次第です。

棺の周りには「親族一同」、「孫たち」の生花が飾られ、祭壇は豪華ではないけれども温もりが伝わってきました。祭壇には40歳になる娘の小学校入学式に撮影した若かりし頃(30年以上経過)の写真が遺影として飾られており「随分探したけどこれしかなかった」とも話しておられました。

みなさん!遺影って用意していますか?縁起でもないって怒らないでくださいね。元気な時に、健康な時に遺影に使う「お気に入り」の写真を家族にわかるように常々から話をしておくことが必要です。できれば1年に1回、年相応の写真と取り換えていけば生前に近い遺影を飾ることができます(イェイッ!)

(参考)
家族葬の場合に香典辞退なのかというと、家族葬に参列する親族は、香典を用意してください。むしろ、近親者の方が対象ですし、通常より人数も少なくなる傾向になりますので、会食費用なども考慮して、通常の金額より多めに包むのが良いと思います。

では相場はいくらなのか、あくまでも参考資料です

●両親の場合の相場
年齢 30代〜50代で10万円

●兄弟・姉妹の場合相場
30代ならば5万円
50代ならば3万円

●祖父母の場合の相場
20代ならば1万円
30代ならば1万円

あくまでも相場であって無理をしない金額が一番だと思いますが「ご会葬もお供物もご辞退させていただきます」と書いてあっても親族は香典の用意が必要だということを知っておきたいと思います。


[2991] 【3104回 事故死と病死】 2013-02-26 (Tue)

八ヶ岳で遭難、41歳女性が死亡…男性2人凍傷(読売新聞)

『24日午後5時55分頃、長野県茅野市の八ヶ岳連峰横岳(2829b)で、下山中だった神奈川県相模原市の「体調不良で41歳の女性が動けなくなった」と同行者の男性から長野県警に救助要請があった。県警茅野署員ら7人が25日朝から捜索した結果、頂上付近の石尊峰(せきそんみね)付近で女性を発見、県防災ヘリが収容したが、死亡が確認された。同行していた男性2人も凍傷を負った。茅野署によると、この女性は同じ山岳会メンバーの男性3人と、氷壁を登る「アイスクライミング」のため、日帰りの予定で24日午前に入山。発見場所付近の登山道で体調不良を訴えたという。4人はテントなど冬山で泊まる装備を持っていなかった。』

「日帰りの予定なのでテントは不要」との判断かも知れませんが山の天気は変わりやすいです。吹雪くことを考えビバークの想定さえしていればテントを張り低体温症に対処できたでしょうにと思うと尊い命の灯がまた山でひとつ消えたことがとても悲しいです。

冬山を知る超ベテランの登山家は冬山の恐ろしさを熟知しているため、装備も半端ではなく、二重、三重の装備をして行くため、リュックの重さは常に30sほどになると聞いたことがります。

尊い命は山の事故だけでなく病魔によっても失われてしまいます。近所の知人の訃報を知り、野辺の送りに行ってきました。家族葬とのことでしたので出棺のお見送りだけしようと思い外で待っていたところ、関係者の方が式場内に案内してくれました。私の姿を見るなり「おばちゃ〜ん!」と後は声になりませんでした。肝っ玉母ちゃんスタイルだったのですが病気で痩せ細っていたそうです。享年70歳まだまだ若い!

家族葬・・・いままで勿論参列した事はありませんでしたが身内だけで静かに送れて心にしみました。読経の続く中、喪主の焼香が終わり、あとは順次、焼香を済ませ、さりとて弔電の読み上げも無く、たっぷり残った時間は、娘や孫たちの手によって最期のお別れの花を何度も何度も棺桶いっぱいに詰めることができました。大きな葬式ではこんなに時間はとれません。葬送曲は美空ひばりのCDが流れていました。美空ひばりが大好きだったのでしょうね。またひとり知り合いが減ってしまいました。


[2990] 【3103回 入山料について】 2013-02-25 (Mon)

2月23日は「2(ふ)2(じ)3(さん)富士山の日」という事で「富士山の日フェスタ2013」が開催されました。山梨県知事と静岡県知事が、富士山の入山料を徴収する意向を示しました。

報道によると、同フェスタでは富士山の世界文化遺産登録へ目指す活動が行われ、山梨県や静岡県の関係者や文化庁などから約400人が参加。今後の予定として、国際記念物遺跡会議が5月に評価結果を発表、世界文化遺産への登録は6月に明らかになるが、知事が「富士山の調査を行ったユネスコの諮問機関からかなり厳しい要求がある」と語ったように、現状は厳しいとみられています。

そこで両県では環境保全などを目的に、入山料の徴収を検討していることを発表しました。早ければ今年の夏から試験的に開始するらしいです。

世界的にはエベレストの登山料が高額で有名ですが(人数やルートによるが約150万円から)他の大陸の最高峰であるマッキンリーやキリマンジャロなどでも、数万円から10万円程度の登山料が必要で私達もエベレスト街道を歩くのにアーミーチェック個所を通過する度に入山申請をしその都度料金を支払いました。

日本でも、栃木県の男体山(500円)、青森県の恐山(500円)、福井県の赤兎山(300円)、山形県の月山(500円)など、数百円程度の入山料を必要とする山もあります。(石鎚山もお山開き大祭の10日間だけは、石鎚講の信者以外の一般登山者は登山保護料500円が徴収されます)

山小屋のわずか100円のトイレ使用料であっても「1円玉」や「5円玉」を入れる人がいるのです。富士山に限らず入山料を徴収し徹底的に装備不十分者は入山させなければ遭難事故は激減すると思います。過去に爺ケ岳で遭難死した登山者は、登山届け提出の際にピッケルなどの装備がなく「気を付けて行きなさいよ」と声をかけたらしいですが、引き返すよう促してくれていれば遭難死は防げたのにと思ったりします。しかし実際に下山や中止を促したとしても聞き入れる耳を持たない人は何を言っても無駄で、反対に「何の権限があってそこまで言うのか!」と反対に切れられる事もあります。

いま富士見平小屋では「レスキュー243」を立ち上げ事故のない瑞牆山&金峰山を楽しんでいただけるよう管理人の指揮のもとに、みんなで体制を整えつつあります。ひとりより2人、2人より3人と多いほど力強いのです。まずレスキュー隊自身が、同行するパーティの仲間が負傷したときどうすればいいのかからスタートです。何でもかんでもヘリコプターに頼るのではなく、自分たちで出来る応急処置から始めましょう。

私自身が山で転倒し出血したと仮定します。そばを通りかかった人に手当てをしてもらうとき「リュックの中に三角巾を持っています。これを使って下さい」と言ってもらえれば応急処置をする人は、見ず知らずの人のために自分の三角巾を使わなくて助かります。三角巾が惜しいのではありません。そういう心掛けが必要ですって言ってるのです。


[2989] 【3102回 もう少しですれ違い】 2013-02-24 (Sun)

今日は森ノ宮成人病センターに入院中の知人の見舞いに出かけました。雨なのか雪なのかわからないのですが空から何か落ちて来ています。この調子だと有馬の氷瀑も見ごろかもと思いながらテレビで氷瀑でのクライミングを見て気が抜けてしまいもう一度出かける気力が失せてしまいました。自然を破壊する行為にうんざりなのです。登攀禁止していないので違法ではないでしょうけれど、氷瀑見物に訪れるみんなで美しいまんま見上げて感動を共有したいですよね。まっ今年はもういいか〜なっ!

岳友に「アイランドピーク燃え尽き症候群」に感染してはいませんか?と最近山行報告がないので心配をしてもらいました。なるほど去年のレポートを見ると1月に2回、2月に4回でかけていました。う〜ん。やっぱり「アイランドピーク燃え尽き症候群」かもしれませんね。この病い・・診察してもらいにどこに行けばいいのかしらね?

入院中の知人は抗がん剤を点滴しながら病原菌組織を小さくしてその後手術を受けるのだそうです。「抗がん剤で頭髪が抜けてしまったよ」と弱々しく笑っていましたが次にやってくる副作用を考えるととても不安だと言っていました。土曜日は抗がん剤投与が終了したら外泊許可が出て自宅に帰るのだととても嬉しそうでした。あと1時間も遅ければ入れ違いになるところでした。病院見舞いに伺うときは事前にメールでアポイントが必要ですね。3月の手術の頃は奥秩父に長期滞在のため留守にすることを伝えて戻ってきました。4月1日には職場復帰するのだと希望に燃えておられましたが・・・・。そうなるといいですね。

とりあえず私もポッチーも、いまのところ入院することなく元気で生活していることに感謝をせねばなりません。親類や知人など入院だの何だのと不健康便りが届くようになりました。60歳を超えるとそういう年回りなのでしょうか。還暦で人生のリセットをして赤ちゃんにかえるのだから元気なはずなのですが、子供の頃にかかった麻疹だの風疹だのと言う病気のかわりに癌だの高血圧だの恐ろしい病気が本人に承諾なしにやってくるのですね。

私の尊敬する「奥秩父の父」と言える方が原因不明の腕のシビレと闘っておられます。症状を聞く限りではサスケ先生の闘病日誌の内容と同じ症状みたいなのでホームページの「サスケの闘病記」の存在を知らせました。どのように病と闘ったのか、前向きに治療に取り組む姿勢が少しでも励みになったらと回復を祈りつつ、原因がハッキリして治療方針が決まれば回復は早いと思っています。

森ノ宮成人センターの休憩室で、かなり高齢のおじいちゃんが「あんたはんは若いから羨ましい」と私を見て言いました。お爺ちゃんからみたら私はまだ若いのだと苦笑。手術が出来ないほどに全身に癌が転移している様子でしたが悲観することなく笑顔で話しかけてくれました。「どうか早く良くなってね」とは空々しくて言えませんでしたが、激しい痛みが襲いかかりませんようにと神に祈りたい気持ちで帰ってきました。

いま元気で歩けること、いま元気で食事が美味しくたべられること、これ以上の贅沢はありません。


[2988] 【3101回 フェイスブック】 2013-02-23 (Sat)

やっと・・・フェイスブックに書き込みをすることができました。「メール」「チャット」「ツイッター」「フェイスブック」と文明の利器はどんどん進化をし現役を引退した私にはチンプンカンプンでした。

フェイスブックからの「お友達ですか?」の問いに「ハイ」と回答するのですがそれ以後はどうしていいのやら・・・何とか本日書き込みをすることができました。

高知の従姉妹が入院中で「病室から電話はかけれんけんどメールならできる」と病室からCメールで交信しあいましたが文字数制限があり、ちゃんと会話を終了するのに4回ほど交信しなければなりません。そこで私のEメールアドレスを送信して設定するように言いましたら「わからん・・・娘がくるまで待って〜」ああ誰も同じ様なもんやと苦笑していたところ、何時間もかけて自分で設定したとEメールが届きました。努力すればできるんや〜

2歳と何か月の子供が、母親のスマートホンの暗証番号を解除しオモチャの様にして遊ぶらしいです。番号を記憶するのではなく母親の手の動きで覚えたみたいです。

と言うことは銀行の振込みサギの手口で暗証番号を盗み見ると言うことは、いとも簡単な手口なんやと変なところで関心したりします。最近では「金の押し買い」で被害に遭う人が増えているそうです。セールスマンが家を訪れ貴金属をタダも同然の金額で強引に買って帰るのだそうです。

「使わないでしょ?」と言われたとしてもその時々に大切な思い出があるはずです。ましてやプレゼントで頂いて品をお金に替えるのも心が痛みます。そういえば私も最近は眺めて楽しむだけになってしまいました。まさか山登りに付けて行けないしね。でも時々ある、正式なお出かけの時は思い出も一緒に付けて行くことにしています。


[2987] 【3100回 レスキュー243勉強会】 2013-02-22 (Fri)

「レスキュー243」とは「2=ふ、4=し、3=み・・で富士見」また「2=不、4=死、3=身」・・で不死身のレスキュー隊という意味です。つまり富士見平小屋のレスキュー隊の名称であります。瑞牆山や金峰山の登山を楽しむ登山者の安全をお手伝いしようと言うことで結成されました。主旨をご理解いただければ、どなたでも登録して頂くことができます。

富士見平小屋ホームページで呼びかけを開始してから驚いたことに30人もの人達が勉強会に参加の意思を表明してくれています。色々な不備・不安は瑞牆山の標高よりも高くあるのですが、まずは小屋のあるじの熱き思いに賛同してくれたことからスタートするのです。30人のメンバーの中にはエベレストを体験した人がいるかも知れません。本職で救急隊の人もいるかも知れません。過去において小屋のあるじに助けてもらった人もいて恩返しと言う人もいるかもしれません。名誉や栄光は今回は必要なく勉強会参加の日がみんな揃っての「第一歩」なのです。

近い将来は勉強会で得た知識をもとに週末に2人1組でシフトを組み、富士見平小屋に駐在してもらい登山者の安全のお手伝いをお願いしたいのです。見るからに山頂を踏むのは無理であろうという登山者や、午後の遅い時間に小屋前を通過する場合は声をかけ下山を促したり、「途中で負傷者を見た」、「歩けなくなり座り込んでいる人がいた」と知らせを受ければ現場まで行きサポートをする。決して消防隊の様な本格的な救助隊ではありません。負傷者の痛みを和らげるお手伝いをする、歩ける状態であれば現場で応急処置をし富士見平小屋まで一緒に下山するのが「レスキュー243」の役目だと思っています。金峰山については案外、装備もきちんとして登っていかれる人が多く、よしんば負傷者や遭難者が出たとしても山頂にある金峰山荘さんと富士見平小屋の連係プレーが固いため小屋同志が助け合っている状態です。

「レスキュー243」の活動として1年12ケ月のうち12月・1月・2月・3月は雪深いため駐在をお休みし、残りの8ケ月(1ケ月4週として)32週を2人1組で駐在すれば1年間で2回富士見平へお手伝いに行けばいいことになります。連絡網としてfacebookなるものも立ち上がり準備は着々と進んでいます(但し私はこのfacebookの利用については知識ゼロ)連休や行楽シーズンは子供連れの軽装・装備不完全の人達が押し寄せるため駐在が必要となるでしょう。

「レスキュー243」勉強会については宿泊費、食費、講習代金などは、あるじの粋な計らいで「あるじ負担」となっています。最初にそう公表しましたので3月17日から30日の間に受講については甘えるとして今後はあくまでもボランティアなので、小屋に負んぶに抱っこではなく登山者の心意気で「手弁当」の気持ちを持ち、食料代金のかわりに仮称「消耗品購入用募金」という名目で食費は支払いたいと思っています。ここはハッキリとしておかなくては長続きしないのではないでしょうか?

じゃあ交通費や日当は?などの質問があった瞬間「レスキュー243」を静かに去っていただきたい。(キャーッ!こわ〜!)誤解のないように言っておきますがこれはあるじの見解ではなく富士見平小屋の将来を応援する応援団としての声であります。あるじは「いいよ、いいよ。こちらが依頼しているのだから!」と太っ腹なことを言うかもしれません。しかし私達は富士見平小屋をこよなく愛し瑞牆山での事故を1件でも少なく、未然に防ぎたいと思って集まってきた人達ばかりだと思っています。「要る物は要る」の精神で走り続けて下さい。

麓の長坂で食材の買い物をし、荷揚げし、食事を振る舞い「ハイ・おおきに・サイラナ」では山男&山女として心が痛むのではありませんか?今回の勉強会は「一汁一菜」で充分です。だって・・・・ネパールの食事を思い出すと日本の食事は贅沢すぎます。勿論ビール、酒、ワイン、ジュースなどは個人払いですよ。念のため。


[2986] 【3099回 ビシャールさん来日!】 2013-02-21 (Thu)

ネパールでお世話になった「タロートレッキング会社」の社長でもあるビシャールさんが来日しました。ジャムジヤム社長とともに阪急電車梅田駅13時着の三ノ宮発の電車で到着したビシャールさんは私達の姿を見つけると「ナマステ〜!」と笑顔で近づいてこられました。3ケ月ぶりですがとても懐かしく再会を喜び合いました。ビシャールさんは北アルプスで1ケ月間「日本山小屋の研修」に参加し2月24日にはカトマンズに飛び立つそうです。忙しい合間を縫って私達に会いに大阪へも立ち寄ってくれました。

ネパールでの食事で苦労した私達にとって日本食を勧めていいものかどうか迷い「何か好きな食べ物はありますか?」と聞くと「エビ、イガイナラ、ナンデモ、タベマス」とのことで大阪は粉もんの町につき「お好み焼き」を提案しましたら「goodネ」と言うことで阪急食堂街29階にある「wind the moon」に行くことにしました。まずエレベーターで29階まで上がることに驚いてくれました。そういえばカトマンズではこんなに高いビルはなかったよね。なぜお好み焼きにしたかというと、お好み焼き完成まで、たっぷりの時間を費やすことができるからです。昼食時間の繁忙タイムを避けて利用しましたので店側から追い立てられることも無く約3時間居座ることができました。

店員がお好みを持参し鉄板の上で焼く仕草も珍しいのでしょうか「材料は何と何を混ぜているのですか?」「上にかけているのはなにですか?」と熱心に質問をされていました。

「仕上げまでスタッフが致しますので触らないでください」と言い置いて店員が去った後はアイランドピークのアルバムを見ながら楽しかった思い出話や苦労話など、矢継ぎ早に、機関銃のような速さで23日間を振り返りました。山行中のビシャール社長の知らない現地スタッフの細やかな心遣いを伝え現地スタッフの印象が良かったことが今回の旅の成功であったことを告げると社長として社員を褒められたことに、とても喜んでおられました。

欲を言えばアタックキャンプでのピークハント前夜の食事が豪華すぎても日本人には合わないこと、お粥でもいいしカップラーメンでもいいが「日本製」であることが何よりのご馳走であることも伝えておきました。多かれ少なかれ、みんな高山病で弱っているしスタッフの荷揚げの苦労も考えると簡単な食事でいいと思うことを、参加者側の感想として述べておきました。下山してカトマンズに戻ってからご馳走を食べれば満足なのですから、アタックキャンプでは豪華さに気を遣わなくてもいいと話をしました。

焼き上がったタイミングでスタッフが来て「どうぞ、お召し上がりください」と言われビールで再会を祝して乾杯をし、お好み焼きを美味しく頂きました。ビシャールさんは「オイシイ〜オイシイ〜」の連発でした。熱心に質問しておられましたのでカトマンズメニューに増えてるかも知れませんね。大阪で修業して帰って下さい・・・ガンバレ!

2月にクライミングのテストを受けたマッチンドラーさんは受験者の中で1番の成績でクライミングガイドとして合格したそうです。私達の友情の証のアイゼン・ピッケル・ユマール・エイト環・登山靴等が役に立って嬉しいです!暫くの間はプロ・クライミングであるニマ・シェルパさんの指導のもとに経験を重ね腕を磨くことになると思いますが貴方なら出来る!おめでとうマッチンドラーさん!

すべての人ではありませんが日本人は現地の人達を「荷物を持ってもらって当然だ」「オレ達は客だ」「日本語の喋れるガイドでなきゃダメ」など文句を言い過ぎる傾向があります。片言の日本語でも心さえ通じていれば不自由はしません。私の持論ですが「現地に行ったら現地語を!喋れないなら、おとなしく&しおらしく現地人に従う」と思っています。外国人が日本に来て日本語が喋れたらそれは berry good。日本語が喋れなければ、「おとなしく、しおらしく」していれば誰かが手を差し伸べてくれるはずです。

本屋に行けば各国の「旅の指さし会話帳」なるものが売っています。訪問する国で困ったことがあればその本を開いて聞きたいこと、行きたい所、食事場所などをゆびを指して質問できる本です。一度立ち読みしてみてください。おもしろいですよ。


[2985] 【3098回 簡単に言わないで・ドタキャン 】 2013-02-20 (Wed)

過日、会議のあと遅ればせの互礼会がありました。開催時刻になっても出席回答をもらった人が1名なかなかお見えになりません。お世話役の人が携帯に電話をしますが通じません。すると出席者の中のひとりが「えっ?○○さんやったらバスが一緒で防犯の会合に梅香殿へ行く言うてたで〜」何という事か同じ日に、ふたつの会合に出席の返事をした様子です。「どちらが大事か天秤に掛けよったな〜」とは同年代の出席者。という事はこちらの会議はキャンセルしてもどうってことはないという事なんか?高齢に付き勘違いかも知れないと百歩譲ったとしても、じゃあ当日の会費はどうなるって話になってきました。「欠席であっても料理も用意している事だから後日会費を貰ったらいいじゃないか」と言う人と「いやぁ言えないですよぉ・・」と若い幹事さん。そうです。こんな時は本人が申し出てくれない限り解決できません。同じ時刻の会合をふたつも出席できるはずがありません。

わが倶楽部でも山行直前になってキャンセルする仲間がいました。彼は姫の会社の同僚に付き、バス代などのキャンセル料発生分は立て替えてはおきましたが、とうとう取り立てられずに結局、私の自腹ということが度々。彼についたニックネームが「ドタキャンの○○ちゃん」やだね〜!

某山小屋でもこんな話があったそうです。天気予報では、かなりの雪の予報で管理人が予約者に連絡して、登山口までの道路の凍結と積雪多く降雪も多いことを告げ日程変更を提案したそうです。しかし冬山の経験豊富との回答で予定通り行くと言われ、燃料・食料などの荷揚げの準備をしたそうです。しかしやはり降雪が半端じゃなく再び予約客に連絡して、色々と説明しましたが「それでも行く」との事。

管理人達は去年からの予約を受け付けていたため荷物を積み込んで雪の中を出発。目の前が見えないほどの降雪の中、小屋に向かって登っていると「やっぱりやめときます」と、いとも簡単にキャンセルの連絡があったそうです。だ!か!ら!・・管理人が現地情報を伝えていただろうに!「休暇をせっかく取ったのだから何が何でも行く」という気持ちがあったのかも知れませんが現地の管理人の適切なアドバイスを聞かないと山行に無理が生じます。

ドタキャンもさることながら、いつまでたっても返事の来ない人もいます。案内状が届いているのか届いていないのかさえわかりません。回答選択には「参加する。参加しない。まだわからない」としています。行きたいけれどもスケジュール調整中ならば「まだわからない」と回答してもらえれば「ああ、案内状は届いているんやな」と判断することができます。

ミニ同窓会の案内状も往復はがきで出しているにもかかわらず返事のない同窓生もいます。会場によっては少人数では予約を受け付けてもらえず、会場を変更しなければならない場合もあります。幹事泣かせだよね〜

わたしがイラチなのか、友人達が大物なのかわかりませんが何の書類でも、何の案内状でも、できれば意思表示は早い目にして幹事さんの心の負担を軽くしてあげてほしいと思います。


[2984] 【3097回 確定申告〜】 2013-02-19 (Tue)

2月16日から3月15日までの間に確定申告をしなければなりません。現在は400万円以上の年金を貰ってなければ申告不要となっています。じゃあ申告しなくてもいいのか〜と言うとそうでもなくて医療費などの還付金がある場合は税務署への申告が必要なんですって〜!つくづくサラリーマン時代が懐かしいです。「安い給料からこんなに沢山引いてからに!」と給料明細を見てはブツブツとつぶやいていましたが会社がきちんと差し引いてくれるのが一番気楽だったなぁと今になって思います。税務署では国税電子申告・納税システム(イータックス)もあり窓口に行けば親切に手取り足取り教えてくれます。書き込み用紙なんてのもなくなり、すべてパソコンに打ち込み作成します。大丈夫〜!パソコン苦手な人もちゃ〜んと操作してくれる税務署員の方がいてくれますよ。

自営業の方達は大変ですね。税理士さんに依頼するにしても月々のお金の出し入れの明細と領収書、それに勘定科目などは予め用意して行かなければならないのですものね。がんばって乗り切って下さい。そして次からは毎月きちんと金銭出納帳を付けるぞ!と誓う人がいますが最初だけにならないようにね!

サラリーマンは決まった金額の中から医療費・交際費・育児費・食費など予算立てして1か月を生きていかなければなりません。きちんと家計簿をつける方は尊敬に値します。私は自慢ではありませんが家計簿は結婚してから一度も付けたことがありません。「要る時は要る」と思ってどんぶり勘定なのです。

年金支給月には全額引き出して「偶数月」「奇数月」の封筒に半分づつ入れておきます。15日が来たら封筒を変えて生活をしています。足りない時に次なる封筒に手を出せば次なる月が不足していきます。余った時はどうするかってですか?心配ご無用!そんな月はありません。足りなくならないようにやり繰りしていくのが目下の私の仕事でしょうか?
           ↓

行ってきました!確定申告
★雨の日は空いてるよ
★寒い日も空いてるよ
★お昼時間を狙っていけば空いてるよ
テレビで申告開始日1週間は「混雑する」って宣伝が効果的だったのか、だ〜れもいなかった19日でした。


[2983] 【3096回 春の雨】 2013-02-18 (Mon)

朝から春を呼ぶ雨が降っています。春先の雨は「イタドリ」の成長を助けてくれる恵みの雨なので結構好きです。

土曜日・日曜日に登山に行かれた人は今日の雨に「ホッ」としていることでしょうね。私達の様な「毎日が日曜日派」は土・日は会社勤めの方達にお譲りしている形を取るようにしています。まぁ言葉を変えて言えば「混雑を避けて」と言った方が正解かもしれませんね。平日は閑古鳥が鳴いていた山小屋では、平日は空いてると思いきや最近では、「年金・中高年派」で混雑している時もあるんですって〜!行けばどうにかなるかもではなく予約をしてから出かけた方がいいかも知れませんね。

私はいままで混雑を避けて桜の時期は桜の見頃を避けて、紅葉の時期は紅葉の見頃を避けて行動してきました。しかし関西の有名な山々に行き尽くした感があるいまでは桜の時期に桜、紅葉の時期の紅葉もいいかも知れないなと思うようになりました。そうすれば同じ山を二度楽しめることになりますものね。

会社を定時に終了し、急いでリュックを背負い、夜行バスに乗り、翌朝から登山を始めて夕刻の夜行バスで帰り早朝リュックだけを自宅に放おり投げて出勤したことがありました。若かったから出来る技でいまではとても、とても・・・!

いつの頃からかメンバーのみんなが「夜行バスは体力的に限界だ」と判断したころから本当の山の楽しみが味わえるようになった気がします。鳥のさえずりに立ち止り、高山植物に魅せられ、空の青さに心を奪われていたら急いで登るのではなく楽しみながら登る登山に変わってきました。

シトシトと雨の降る音を聞きながら山行記録の懐かしいレポートを読み返しています。みんな若かったよね〜!


近所の人が「あらっ?山に行かないの?」と家にいるのが不思議だと言わんばかりです。まもなく待望の春がやってきます。4月は「季節限定イタドリ姫」楽しみで〜す。


[2982] 【3095回 猛勉強・・・もうあかん・そのV】 2013-02-17 (Sun)

レスキューのテキストからの抜粋です。

●救助員の苦労
『70歳代の単独行の登山者の本当にあった話です。救助されて、心からお礼を言って家に帰られました。帰宅してからピッケルがないのに気が付き、救助隊に電話をして探してほしいと依頼したそうです。しかしそれから何日か過ぎても見つけることができなかたそうです。するとその人は救助隊の上部組織である県庁の長に苦情の手紙を書き「救助隊にピッケルを取られた」といった内容の手紙を出したそうです。当然その救助隊員は怒られることとなりました。』
         ↓
何という腹立たしいことなんでしょうか。救助隊の人達に命を助けてもらっているのに!命がけで救助して下さっているのに物にこだわるなんて信じられません。ピッケルぐらい買い替えなさいっ!て言いたくなります。

●転落者を救助する場合
『仲間や近くを歩いている人が転落した場合、まず転落した人に大きな声で呼びかけます。返事があればその場から動かないように指示をします。動くと更に落ちてしまう可能性があるからです。転落者をまず落ち着かせることが大切てすが救助する側も落ち着くことが重要です。そして状況判断ができたら転落者の位置を確認します。やたらと転落者のところまで下りようとしてはいけません。』
          ↓
ここで日頃から救助訓練に加わっておく重要性があるのです。カラビナ、シュリンゲ、ロープなどを使って救助をするのですが救助知識がなければ危険がともないます。転落者の真上から救助に向かい落石を落として更なる負傷をさせてしまったという事もあります。安全で正しいルートで救助に向かえる訓練が必要です。自分の手に負えない場合は救助隊を待つことも大事です。救助隊が到着するまで負傷者が不安にならないように声掛けをするだけでもレスキューになります。ロープの携帯があれば心強いですが各自がスワミベルトとシュリンゲ2本とカラビナ2個あれば繋ぎ合わせて救助に使うこともできます。登山の必需品としていつも携帯したいものです。これらはハイキングでも大いに役立ちます

●気を付けたいその他・・・虫刺され
転落や怪我についてはテキストに書いていますが山での虫刺されにも注意が必要です。私は「虫刺され姫」という別名もあるぐらい、またレスキューされた体験者(但し、自力下山)でもある「怪我姫」としても仲間から呆れられるほど数をこなしてきました(笑)大峰・奥駈け縦走時には避難小屋で付いた「タカサゴキララマダニ」を10日間以上も頭髪の中に飼っていたことがありました。繰り返す洗髪でも取れず、とうとう病院にいくことになりました。担当の医師が「私が医者になってから初めての症例です。調べて研究したい」とも言っておられました。ピンセットで引き離そうとすると余計に頭皮に食い込み、局部麻酔をしてメスを使い離脱に成功しました。「おっ!これはまだ生きている」と、ダニを試験管にいれ「保険所に持って行き検査をする」と言われたこともありました。

また秋田県の鳥海山に登った時も秋田名物の「ツツガムシ」に噛まれ両目が腫れて「お岩さん」状態になったことがあります。この時は山小屋にいた地元のおばちゃんがツツガムシに噛まれて病院にかかっていて飲み薬が残ってるからと貰ったことがありました。ヒルにも吸い付かれて出血が止らなかったことがありました。

現在話題になっている「重症熱性血小板減少症候群・SFTS」ダニが媒介する新しいウイルス感染症で3人(山口、愛媛、宮崎)の方が死亡されています。いずれも最近の海外渡航歴はないそうです。SFTSの主な症状は、38度以上の発熱や嘔吐、下痢、血小板の減少などでワクチンもなく治療法もないそうです。SFTSのウイルスは森林に広く生息するとみられ、マダニが媒介して人に感染。ダニにかまれるだけでなく、患者の血液や体液からの感染例もある。10人に1人が死亡するという恐ろしい病気です。登山時には短パン、半袖などもってのほかで肌を露出させないことが大切です。噛まれたら無理やり取らずすぐに病院へ。無理やり取るとトゲや頭が残ってしまう恐れがあるそうです。スズメバチも危険です。

病院に行くまでの応急処置としては、蒸留水・消毒液・軟膏などを救急セットに入れておきたいですね。


[2981] 【3094回 猛勉強・・・もうあかん・そのU】 2013-02-16 (Sat)

レスキューのテキストからの抜粋です。

●参考登山時間よりも、もっと余裕を見て登りましょう

『登山口から山頂までは何時間」という参考時間が地図などに書かれていますが、中高年になると歩く時間が遅くなり、また花や鳥などを眺めたりしていると思ったより時間がかかってしまいます。ゆとりのある山行をするためには、自分たちの歩く速度をしっておきたいですね。できれば参考時間よりも多めの時間をとって計画を立てるようにしたいものです。』
ちなみに私達は参考時間に1.5倍掛けて計画を立てるようにしています。それでもいっぱいいっぱいです。

●バテた人をひとりで残しておくのは危険

『すべての登山者ではありませんが百名山などを登っている人々を見ると、ただ頂上に立つことだけが目的の人も多い。たとえ天候が悪くても、頂上を目指す気持ちが強く、メンバーの誰かが調子が悪くても、そこに置いて本体は頂上に向かうようなこともあります。昔の山岳会やクラブなどでは、ひとりがバテた時は絶対にその人をひとりにはしない。バテた人に付き添いながら目的地まで行くのがふつうであった。バテた人ひとりで残して行くと、不安がつのり、とんでもない行動をしてしまう危険性があるといいます。』

ちょっとこれについては反論をしたい・・・!私も百名山を目指していますが何が何でも頂上をとは思いません。これはツアー客に多くみられる傾向です。燕山荘に到着後、頂上を目指すツアー客がガイドに喰ってかかっていたのをみたことがあります。ガイドが天候が変わるのでここで引き返すと頂上手前で客に言いました。すると客は「せっかく来たやから行かせろや!」って怒鳴っていました。あんな客を束ねるガイドさん・・・かわいそう!

バテた人に付き添いながら目的地まで行くのが普通ではありますが、時折「先に行って!後ろから歩かれると気になってしゃあないわ!」と怒りマークを発信される人がいます。アンカーの役目としてはいかなる場合もパーティの最後を歩く事を理解して欲しいです。あまり言われると「見える範囲」で先を歩く時もありますが、後ろを振り向きながら歩くことはとてもストレスになります。

同じ事がヒマラヤ登山の時にもありました。その時はジョンと私が遅れたのですが、アイランドピークの頂上を制覇しアタックキャンプへの帰り道でのことです。早くテントに帰りたいと顔に書いてある同行者の顔が気になりガイドに「私達は大丈夫だから先に降りて下さい」といいましたが「ソレハダメネ!」と言われました。万が一の事があればガイドの責任問題になるからでしょうね。そして遅れてバテバテの私達のために、無線でテント場にいるポーターさんに暖かいレモンティーを運ばせてくれました。感動でしたね〜見捨てられる事はなかったですね〜「えっ?先に帰りたかった人ですか?ガイドにもその様子が判った様子で、その人にはクライミングリーダーを付けて先に下山しましたよ」いかなる時も現地人を付ける事が鉄則の様でした。

私達は2010年に常念岳を目指すとき前夜泊のホテルで天候不良で翌日の登山が危ぶまれたことがありました。その時リーダーが「どうしますか?」とメンバーに意見を求めてきました。「体力に自信がないから引き返しても構わない」という人と「もう一度天気予報を聞いてみよう」という人とで意見が分かれました。山行中ならばリーダーの決断に従うのですが「どうしますか?」という事でしたので私はフロントにあるパソコンを見せてもらって天候回復の兆しを確認し「行きたい」と言ったことがありました。出発時は雨でしたが、次第に青空を見ることが出来ました。3泊4日と長い山行では途中で雨に降られることも想定内です。雨もまた自然です。苔むした美しい景色は雨だから見られるものもあります。しかし警報が出た場合はこの限りではありません。

「行くか・行くまいか」と悩んだ山行レポートが懐かしいので2010年の常念岳のレポートを引き出しから出してきました。感想文の中に「淳ちゃんの米寿とジョンの古希の祝いに、またアルプスに来よう」と書いていますが淳ちゃんが米寿を待たずにあの世に旅立たれたことが残念に思えてなりません。

http://www.hime8kin.net/2010sankokiroku/100926johnen1.html 


[2980] 【3093回 猛勉強・・・もうあかん 】 2013-02-15 (Fri)

ただいま「レスキューテクニック」のテキストを見ながら勉強中です。私が救助することが出来なくても救助の方法を知っていれば、そばにいて何か役立つこともあるのではないかと思っています。テキストの中からなるほどと思ったことを抜粋してみました。

●携帯電話で覚えておきたいこと
遭難したり事故に遭った時に、携帯電話で警察や家族へ連絡する人が増えています。緊急時には役立つしいまや山での必需品となりつつあります。しかし山の中はとかく感度が悪くて通じにくい。会話は出来なくても、携帯電話の画面にアンテナが立っていれば、電波信号が立っていなくてもメールは通じるそうです。覚えておいて、いざと言うときには諦めないでくださいね。

●アルコールは下山してから飲みましょう
「山頂でビールで乾杯」私達もよくやる風景です。但し誤解のないように言っておきますが山小屋に宿泊予定の時に限ります。勿論翌朝に影響するほど深酒はしたことがありません。念のため。(燕山荘で飲んだビールは美味しかったなぁ〜散歩途中に酔いが廻り危険察知。途中の斜面で昼寝したっけなぁ〜)アルコールの入った体の下山は危険を招きます。足元がふらつき視界も不安定になります。運動したあとのアルコールは、まわりが早いです。車と同じで「飲んだら乗るな、飲んだら山道を歩くな」です。登頂祝いは下山してからにしましょう。

●下山できないから救助して欲しい
「下山できないからヘリコプターで救助してほしい」と警察に電話をしてくる人がいます。「警察ヘリは出動できないので、お金がかかりますが民間のヘリを呼びます」と言うと「じゃあ結構です自力で下山します」と電話を切る人が増えているそうです。ウソのような本当の話です。困ったもんですね!

ウオークの仲間たち大勢で白馬岳登山の途中、ロープで抱えられながら雪渓をやっと登りきったところで歩けなくなった人がひとりいました。私達の目から見ても歩けそうにありません。体力低下というか最初から問題を抱えていた人でした。救助要請をしましたが「連れて来た人が責任を持って下山させろ」と強い口調で言われました。警察の方が「責任者に代われっ!」って言ったとき、あのときサスケ先生の機転でウオーキングの会長でなく私に電話を差し出したのが功を生じて、延々と30分以上怒鳴られ続けました。たいがいの男性なら立腹して電話を途中で切っていたと思います。「すみません。すみません」心からそう訴え続けました。その時、心が通じたのでしょう「民間のヘリを飛ばす」と言ってくれました。ありがたかったです。

その時体調不良の方に「実費がかかりますが払ってもらえますよね!」と確認を取ることも忘れませんでした。だって元気回復したのちは「払う・払わない」のトラブルは避けたいですものね。そんなこんなのトラブルに巻き込まれながら経験の積み重ねで大きく成長して行くのですね。(笑)


[2979] 【3092回 奈良県明神平で遭難】 2013-02-14 (Thu)

2月11日午後5時40分ごろ(もう暗くなっていたのでは?)、奈良県東吉野村の明神平(1323b)に登っていた男性から携帯電話で「4人で道に迷った」と吉野広域行政組合消防本部に119番通報があったそうです。県警宇陀署と同消防本部が捜索したところ、午後9時25分ごろに4人を無事発見。全員けがはなく、捜索隊と無事下山。県警などによると、携帯電話で大阪から来たと言う男性は「男性3人、女性1人で明神平にいる。怪我はないが防寒着は持っていない」と話していたそうです。

2月3日には岳友の「きたおかさんチーム」が出かけていた明神平は三重県との境近くにある元スキー場で、山荘や避難小屋が整備され、登山客の休憩所として知られているそうです。昨年8月には合宿中の大阪の私立中学の中学生12人が動けなり、翌日に全員下山しています。奈良地方気象台によると、現場周辺は12日早朝にかけて、気温が氷点下になる見通しで積雪もあるという。なのに・・・防寒着も持たずに無謀な登山をして奈良県警宇陀署と奈良県宇陀消防の方達に多大な迷惑をかけてしまいました。午後9時と言えば捜査打ち切りにして翌朝捜索なのですが、日没にも関わらず、救助活動が継続されたということは、GPS等で遭難地点が把握できていたのかも知れません。

雪は足跡も残るけど、先に行った人の道迷いの足跡も残ってしまい、ついには迷い込んでしまうこともあります。しっかり踏みつけて歩いた足跡も降雪があれば、まるで手品のように消えてしまいます。同じルートを引き返すのであれば踏み跡だけに頼らず「道標のリボン」を付けて行きましょう。そして帰り道は必ず回収して下さいね。

【3089回 冬山気を付けてね】で書き込んだ西穂独標で遭難した2人は12日、心肺停止状態で発見されたそうです。この2人は静岡市に住む63歳の夫(医師)と58歳の妻で10日に妻が尾根から200メートルほど滑落し、右足をけがして動けなくなった。夫は110番した後、そばに下りて助けを待っていた。しかし悪天候で捜索を諦め翌日早朝から捜索していたそうです。

寒い時期の登山でのお昼、少しでも身体を温めようとラーメンを食べる人が多く見受けられますがラーメンの汁・・・全部飲み干していますか?ひょっとして、どこかにジャーッって捨ててませんよね?ラーメンの汁が残ったらトイレットペーパーなどで吸い込ませればリュックの中でこぼれたりするする事はありません。ちゃんと自宅まで持ち帰って下さいね。また昼食後のタバコは愛煙家にとってはたまらないかも知れませんが簡易灰皿を持ち歩いているとしても山での喫煙はやめませんか?山火事などの心配があり綺麗な空気を求めて山に来ているのに、わざわざ空気汚さなくてもいいのではありませんか?登山道に捨ててある吸い殻を見るたびに不快になります。山に残してもいいのは思い出の足跡だけです。


[2978] 【3091回 こどものこころ】 2013-02-13 (Wed)

体操教室(民間のスポーツジム系)で子供達を指導する責任者が子供達の前で、「スポーツは楽しいと思ってやらなければ上達しません。叩いたり、蹴ったりされて楽しいですか〜?」と会場の子供達に問いかけました。会場からは「楽しくな〜い!」の合唱もどき。「いま世間を騒がしているスポーツによる体罰の問題は、人間への指導ではなく動物への調教である」と言っていたのが印象に残りました。動物は叩いたり、蹴ったりして身体で覚えさせ、それを繰り返すことで調教できるが人間は叩いたり、蹴ったりせずに、調教ではなく指導をしなければ上達しないとの理論でした。

ある日のことです。私の目の前に3歳の男の子と4歳の女の子がいました。3歳の子供がオモチャを手にしており4歳の子供はどうしてもそのオモチャを貸してほしくて3歳の子にせがみますが思うようにいきません。そこで4歳の子は3歳の子の手を繋ぎ、仲良く親の目線から離れた隅っこにつれて行きました。私は「ん?これは何かあるぞっ!」と感じたため後ろからソッとついて行き柱の影からじっと見ていました。子供達は隅っこに移動して4歳の子はついにオモチャをゲットするのです。3歳の子はオモチャを取られて泣いてしまいました。3歳の子には6歳の兄と8歳の姉がおり、いつも見守られているため、こんな悲しい場面に出合うことはなかったのです。末っ子のため、いつも自分の思い通りに生きてきたと思います。4歳の子も決していじめたり泣かしたりするつもりはなかったと思います。ちょっとだけオモチャを貸して欲しかったんだと思います。私の存在を知った4歳の女の子はすぐにオモチャを返して3歳の男の子も無事に手元に返ってきたため泣き止みまた仲良く遊んでいました。この出来事は親同士に交流があるかないかで子供の扱い方が違ってきます。

現在の中学校では親が担任や教育委員会に文句を言うモンスターペアレントが増えて、些細なことでも理不尽な要求をしてくるそうです。いま我が区では地域にある全部の中学校の生活指導教師と校長と地域の人達で定期的に話し合いの場を持っています。どうすれば生徒たちが落ち着いて勉強を出来るのか、現在の中学校の状況はどうなのか等、苦悩する生活指導の先生の抱える問題を地域に投げかけることで事前に解決できる事も出てきます。

例えばあきらかに授業時間であるにもかかわらず、たこ焼き屋の前に並んでいたり、コンビニの前にいたりすることがあります。地域住民が「いま授業中ではないか?」と声掛けすることができれば生徒が授業中抜け出すことも減るかもしれません。大事なのは「関係ないオバハン何言うとんねん!」と、ヘタに注意して集団暴行を受けかねないので声をかけず冷ややかな目線を送る大人たちが多いという事です。

わが区では保護者による夜の一斉パトロールを実施しています。学校の先生方も夜間にもかかわらず参加して頂いています。夜間のパトロール時間内でウロウロしている子供達はほとんど見られません。もっと、もっと遅い時間の徘徊だと思います。親が寝た間に、あるいは外出を知っていても容認する親もいます。「うちの子に限って」は子供をダメにします。保護者が家でしっかり躾をすることで、教師は勉強を教えられる体制になれるのてはないでしょうか?いずれは孫たちが通うであろう中学校が一日も早く鎮静するように願っています。そんな中でもしっかりと勉強を積み重ねる優秀な生徒は沢山います。暴れる生徒はほんの一握りなのです。


[2977] 【3090回 4月1日から法改正】 2013-02-12 (Tue)

今年の4月1日から定年が65歳に延長されることになりました。元気なシニアは喜ぶべき?老後設計が狂った?悲喜こもごもだと思います。とっくに定年を迎えた私ではありますがこの問題について考えてみました。

私が若かりし頃は「55歳定年制」がほとんどでした。55歳定年後は、安定した再就職先があり、第二の企業で60歳までの充実した仕事ができました。その後は年金をもらえるという仕組みです。なぜ65歳定年制に法が改正されたのかと言うと「年金支給年齢が60歳から65歳」になったからなのです。老齢年金は1961年(昭和36年生まれ)4月2日以降に生まれた人達にとって支給開始が65歳からとなります。60歳定年だと年金支給までの5年間は無収入となるのです。なので政府は定年延長の法改正を実施することになったのです。

今年の4月1日以降は労働者が希望すれば雇用主は継続雇用をしなければなりません。違反すれば企業はペナリティーを負うことになります。定年延長すれば「現役世代の賃金カット」「新規採用の減少」「60歳以上の賃金カット」になり5年定年が延長になったとしても生涯に貰う金額は同じということになります。

昔の様な右肩上がりに給料があがらず、税金や社会保険料は上がり支出のみが膨れ上がり将来の不安がつのるばかりです。また60歳から賃金カットが実施されると退職金(退職金は退職時の給与額で算出)にも大きく影響が出てきます。特に女性にとって体力的に「60歳が引き時」と思う場合が出てきます。1年歳を重ねるごとに体力低下は大きく、今までと同じ様に働くことが出来なくなり途中で退職の意思を表すと、それは「定年退職」ではなくて「自己退職」となり退職金が大きく変わってきます。

過日、この問題によく似た、駆け込み退職を警察官や教師がすると言う事がありました。私達にとって「聖職」と言われた先生でさえ、我が身かわいさに、退職金に目がくらみ、2ケ月後に卒業していく生徒たちを見捨てて、さっさと去って行くケースがありました。

●JR定年の男性→マンションの管理人に再就職
●郵便局定年の男性→墓地管理人
●60歳で再就職したが3月に整理解雇の通告を受けた
●関電検針員→清掃員

シルバー人材銀行に登録しても働き口がなかなかないそうです。時間給800円で週に30時間制限があり思ったような収入は得られないそうです。

要するに!(声が大きくなってます)
政府の年金問題が未解決の間はツケは私達国民についてまわるということではないでしょうか!将来は「年金70歳支給」となるやも知れません。という事はせっかく掛け続けた年金を一度も貰わないで他界するという人も出てくるのではないでしょうか?

私は子育て中に、子供が病気をして会社を休まなければならない時がありました「会社に迷惑がかかるから辞めようか・・」と思ったことも度々ありました。特に「はしか」や「風疹」などでは長期間休むことになります。私の時代は育児休暇などはなく産前産後休暇のみの時代でした。お姑さんの多大な協力のもとに40年間勤続し定年まで勤めることができました。そのおかげでいま年金を頂いて生活していられるのです。年金が振り込まれるたびにお姑さんに感謝の手を合わさずにはいられません。


[2976] 【3089回 冬山気を付けてね】 2013-02-11 (Mon)

北アルプスで夫婦遭難「滑落して骨折」と連絡 荒天で捜索中断

『2月10日午後1時半ごろ、北アルプス・西穂高岳独標(2701b)に登っていた静岡市の58歳の女性から「滑落して足を骨折した」と110番通報があったそうです。63歳の夫と一緒に身動きが取れない状態になり、岐阜県警などが捜索したが、悪天候のため同日夕に捜索を中断。11日朝から再開するそうです。 高山署によると、夫婦は10日、日帰りの予定で山に入り、下山中に暴風雪で道に迷い、夫が足を滑らせて滑落した。携帯電話では「簡易テントを落とした」と話しているという。岐阜地方気象台によると、高山市は冬型の気圧配置の影響で、11日にかけて山側で特に天候が荒れる見込みという。』

簡易テントもなく、一晩を過ごさなければならない状態で「どうか無事でいて」と願う反面、助かった後には詳しい原因究明を発表し今後の安全登山に役立ててほしいと思っています。

私は遭難事故がどのようにして起きたか、どのようにして下山したのか(5W1H)知りたいと常に思っています。遭難から救助の様子も気にかかります。警察署発行の白書には事故があった事の記載はあるものの(特に件数については詳細に記載されています)原因や救助経過、その後などが書かれていません。もっとも個人情報などがあり難しいかも知れませんが、同じ事故を起こさない為に「こうすれば事故は防げた」のコメントがあれば白書も役立つのにといつも思っています。

私には冬山の技術はなく、ひたすら春を待つばかりなのですが、その春山とて冬山と同じ危険がいつも牙をむいて待ち受けていると思っています。春山の雪崩もこわいです。冬山のむずかしさは標高だけではありません。現に京都の愛宕山でも遭難事故が相次いでいます。原因はさまざまであっても野営するだけの装備があれば助かった命なのにと残念に思う事故もあります。愛宕山では子供に落ち葉を掛けて命拾いした話もありますが落ち葉が雨で濡れていたらどうしますか?山登りにビニール合羽は不向きです。「天気が崩れる心配はない」そう固く信じて山に登ったとしても、午後の山の天気は変わりやすいし急に寒さが襲ってきます。そんな時きちんとした合羽の装備があれば防寒着に変身します。合羽は雨の時だけの物ではありません。

私は登山をはじめた頃、コーナンで8000円ぐらいのセパレート式の合羽を購入しました。農作業やバイク通勤などには充分な品です。鳥取の大山登山の際、山頂付近で天候が変わり急な冷気が襲ってきました。「そうや今こそ合羽や!」と着て、山頂に到着し無事下山し、合羽を脱いだところ中のシャツやズボンが汗でボトボトに濡れていました。これでは合羽を着た意味がありません。ゴアテックス製の「空気は通すが、雨は通さず」の合羽が最適であることをあとで知りました。当時3万円ぐらいしたと思います。最初から買っていれば8000円・・・ムダにしなくてよかったのになぁ!

登山を今から始めようとする方達のために、山で遭難しないために、万が一怪我や骨折をした場合にどうするかを知っていただくために富士見平小屋では救助訓練をすることにしています。私の出番は「登山中の脱臼のつらさ」を語ることでしょうか(笑)


[2975] 【3088回 なぜ?なぜ?なぜだらけです】 2013-02-09 (Sat)

2月1日午前9時30分ごろ、京都市右京区の嵯峨野観光鉄道沿いの急斜面に男性が倒れているのを、線路の点検をしていた職員が見つけ110番しました。男性はトロッコ保津峡駅まで運ばれたが、死亡が確認された。男性は持っていた身分証から、1月29日から愛宕山(924b)に日帰りの予定で登りに行ったまま行方不明になっていた京都の69歳の男性で発見時にはまだ体にぬくもりがあったそうです。この男性は以前に勤務していた会社の山岳部OB会のメンバー8人と登山を計画し、29日朝、仲間より先に一人で愛宕山に登っていたとみられています。同日午後6時頃に妻と携帯電話で「仲間と会えなかったので、今帰る」と話した後、連絡が途絶え、携帯もつながらなくなり、京都市消防局や右京署員約100人が捜索していました。楽しいはずの仲間たちとの登山、なぜ一人で先にのぼったのでしょうか?なぜ?なぜ?なぜだらけです。

1月7日にも、母子4人の遭難事故があり翌日に無事自力で下山したニュースは、まだ記憶に新しいです。母子が山頂から戻る途中に脇道に迷い込んだことを教訓に、1月31日には右京署員や京都市西部土木事務所職員ら約30人が、愛宕山で冬山捜索訓練を行いました。通常の登山道以外の道や崩落の危険がある箇所などを確認したそうです。訓練結果を踏まえ、登山道への看板の取り付けなどを検討するそうです。

「検討する」ではなく訓練を実施しながら同時に看板取り付けは出来ないのですか?検討するって何月何日に取り付けに行くのですか?その間にまた同じ事故が起きたら訓練の成果は出てきませんよ。なぜ?そんなにのんびり構えていられるのですか?なぜ?なぜ?なぜだらけです。

2009年6月に私達が愛宕山に登った時のレポートを添付しました。レポートの最後にはDPSデーターも見られるようになっています。愛宕山が午後から登れるような山ではないことがわかってもらえるのではないでしょうか。京都・愛宕山は、大人の足でも往復で約5時間はかかります。時間の余裕と装備もきちんとして、登山を楽しんでほしいと願っています。

http://www.hime8kin.net/yamatabi/sankokiroku/090621atagoyama.html


[2974] 【3087回 安全登山・遭難対策】 2013-02-08 (Fri)

富士見平小屋で3月本格的な救助訓練を実施しようとしています。テレビ番組「ちいさな旅」放映後驚くほどの登山者が瑞牆山にやってくるようになりました。富士見平小屋は標高1812bの位置にあり瑞牆山2230b、金峰山2599bの標高で「比較的簡単な山」とイメージされてしまっている様です。そのためか装備不十分で登ってくる人達が大変多く、瑞牆山の岩場、金峰山山頂付近の岩場と予想外の山容に驚き怪我をしては救助を求めてこられます。金峰山の五丈岩に至ってはホームページで簡単に登れるかのような動画が投稿されているため登る人が後を絶ちません。五丈岩はご神体となっており岩の前には赤い鳥居があるほどなのです。何とか登ったものの降りることが出来ず、思わず飛んで降りてしまって骨折、ヘリ出動は日常茶飯事となっており富士見平小屋のあるじが頭を痛めているところです。

合羽・ヘッドライト・非常食などの装備もなく、スニーカーでハイキングモード登ってきて捻挫をしたり転落したりして救助を求めて富士見平小屋のあるじに電話がかかってきます。私達が滞在時も救助要請があり、怪我人にどうして富士見平小屋に救助を求めたのかと聞くと「警察だと駐車場から小屋まで1時間以上もかかり、早く助けてもらうのに、スマートフォンで小屋の電話番号を検索し助けを求めた」と、いとも簡単に言ってくれます。

富士見平小屋のあるじはSOSを聞いたら宿泊者の食事を準備中であっても、水汲みの荷揚げ中であっても救助に駆けつけます。救助に必要な道具は警察や山岳会が驚くほど豊富に揃っています。全部自分で使えなくても救助隊の方が必要に応じて使ってもらえればと言う気持ちで多額の資金を投じています。

その小屋のあるじが年末に身体の異常を訴え(サスケ先生と同じ症状みたいです)只今検査中であります。あるじの心意気を聞き、見て「何とか手伝えないものか」と横須賀のお祭り野郎達と救助隊結成の旗揚げをしようという事になりました。私達がいつも滞在するわけではありませんので多くの人に呼び掛けて混雑する土・日だけでも交代で小屋に滞在しようという事になりました。そのためには救助訓練の技術が必要となってきます。私達が滞在中にも「高齢者夫婦の遭難」、「親子連れの遭難」、「ソロの高齢者の転倒による骨折救助」、簡単なものでは「靴底剥離の修理」などなど。とても小屋の主だけでは対応できません。

装備不十分な人を見ても声掛けはむずかしい問題もあります。注意をしても「ほっといて!」「何の権限があってそんなことを言うのか!」と言われると私達の心が委縮してしまいます。そんな人に限って怪我をすると「助けて〜!」と声を大にして叫ぶのです。

駐車場から約1時間の急な登りを終えたところにある富士見平小屋に到着時の体力の消耗を見ていると、瑞牆山への登山は絶対に無理とわかっている人もいます。富士見平山小屋のあるじは、勿論登山知識もあり、髭を蓄え威厳があり大柄につき登山者への説得には大きな力となります。「それでは無理だからやめときなっ!」って言われると納得される登山者がほとんどです。関東弁は妙に説得力があると思うのは私が関西人だからかもしれませんね。

「岩場がありますが大丈夫ですか?」とか「危険と感じたら引き返してくださいね」「○時までに山頂に到着しないときは無理せずUターンして下さいね」などの声掛けのお手伝いをし、「怪我人ゼロ」の安全登山を強く切望する次第です。

詳しくは富士見平のホームページを見て頂けるとよく理解していただけると思います。レスキュースタッフ募集の詳細はこちらから

  http://www.fujimidairagoya.jp/24rescue.html


[2973] 【3086回 堺の町にお邪魔しました】 2013-02-07 (Thu)

6日午後から堺市まで施設研修に行ってきました。

施設研修に行く途中バスの窓から「方違神社」を見ました。方違神社(ほうちがいじんじゃ)は、大阪府堺市にある神社で近隣では「ほうちがいさん」と称されており、方違え、方災除けの神として知られています。引っ越しなどで方角が気になるときはこの神社にお参りすると方災除けの神様がお守りして下さるそうです。引っ越しを予定されている方、新居を購入予定の方はどうぞ一度お参りください。

方違神社は摂津、河内、和泉の境の三国山(現在は三国ヶ丘と称される)にあり、三令制国のいずれにも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきたそうです。現在でも、転勤、結婚などでの転宅や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多く、自分の在所からでかけていく先の方位についてのお祓いをしてもらい、清めの御砂を頂いて、自分の家の四方に撒くのだそうです。家の方角が気になる人は訪れてみてはいかがでしょうか。

施設研修終了後、トイレ休憩を兼ねて 大仙公園にある堺市博物館に立ち寄りました。堺市の歴史、美術、考古、民俗に関する博物館として、多くの資料を収集、保存、展示しています。古代史のロマンを秘めた百舌鳥古墳群のほぼ中心にある大仙公園の広大で緑豊かな中に、博物館、堺市茶室、中央図書館、自転車博物館、日本庭園、都市緑化センターなどが整備されています。滞在時間がわずか30分でしたのでトイレ休憩だけでは・・・もったいな〜い。

帰り道に仁徳天皇陵古墳の前を通過しました。資料丸写しではありますが仁徳天皇陵古墳は日本最大の前方後円墳、前方部を南に向けた墳丘は、全長約486m、後円部直径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で、三段に築成されているそうです。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠が巡っています。5世紀の築造と考えられ、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界三大墳墓の1つに数えられています。正面の参拝所からその神秘的な雰囲気を感じることができます。

そう言えばウオーキングで大仙公園や仁徳天皇陵古墳の前を歩いたことがあります。「通過」だけですので歴史に触れることもなかったですが、ゆっくり訪れてみたいと思いました。堺商人「千利休」の町、堺の刃物も有名です。

むかしむかし、この仁徳天皇陵の土木工事の道具を作るために各地から職人があつまりました。段々数が増えて、いつしか堺は職人の町となっていったのだそうです。江戸時代、ポルトガルからタバコが伝わります。堺の職人は、そのタバコの葉を刻む「タバコ包丁」を造りました。時の江戸幕府は、その包丁の見、その切れ味の良さに驚き、包丁に「堺極」の印を入れ、タバコの葉ではなく包丁を幕府の専売品としたそうです。


[2972] 【3085回 い・じ・め問題】 2013-02-06 (Wed)

学校やスポーツ界のいじめについて大きな社会問題となっています。私達は子育てを終えた年代につき、他人事のように客観視していますが孫も大きくなれば他人事ではなくなってしまいます。

時代が違うよ!と一笑されるかも知れませんが私達が子供の頃になかった問題ではありません。しかし子供の中でも「ルール」はありました。高知の木として名高い「センダン」5月から6月に開花、淡紫色の小さな花が咲き。秋には黄色の実を付け、萎びて落ちた実はゴムパチンコの玉として子供たちに人気でした。高知県の木ということもあり学校の校庭には必ずと言っていいほど植えていました。また竹鉄砲の玉は土手に生えているニラの葉に似た草の紫の実を竹鉄砲に詰め鉄砲ごっこをしました。ルールは「首から上は狙わない」

敵・味方チームに分かれ遊ぶのですが、強い子には弱い子をひきとってもらうと言った工夫も子供たちの話し合いでうまくバランスを取ったりしました。この「ごっこ」遊びを通じて色々学ぶところがあった気がします。いまは個人の遊びが優先されているため、集団の中でのちょっとしたトラブルに悩む子供たちが増えた気がします。

私達が子供のころは先生に叱られた時は、叱られたことを本人は親に内緒にしたがります。しかし友達が必ず「おばちゃん〜今日○○君はなぁ、先生に叱られてたで〜」と、おもしろがって学校での出来事を報告をしにきます。すると母親は「お前は先生に叱られるようなことをしてからにバカッ!」とまた叱られていました。親は自分の息子がイタズラをしたから叱ってくれたのだと叱ってくれたことを有難く思っていたと思います。今のように学校や教育委員会に怒鳴り込む親はいなかったと思います。

私も一度だけ・・・
仲良しのムッちゃんと雨上がりの冬の朝、学校に行く途中、ささいなことで喧嘩になり、突っつきあいをして水たまりに二人とも尻もちをついてしまいました。職員室にはストーブがあり、濡れた「モンペ」を乾かそうと休み時間に職員室に行き、お尻をストーブに突き出して乾かしていたところ、ムッちゃんが、おもむろに「モンペ」を脱ぎ、手に持って乾かし始めたのです。何とムッちゃんは「モンペ」の下に寝間着を着たままだったのです。私はモンペを脱ぐとパンツ(ズロース?)になるため、延々とストーブにお尻を突き出していたのですが、ムッちゃんの方が先に乾いたのがシャクに触ったのでしょう。「学校に寝間着を着てきておかしい〜!と教室に戻ってからみんなに喋ってしまい、ムッちゃんが泣き出したのです。「人をてごうたらいかん」とその時先生に叱られました。冷やかしたことを詫びて仲直りし、帰りは手をつないで水たまりを避けムッちゃんと帰りました。懐かしい思い出です。今はその恩師もムッちゃんもあの世に旅立ってしまいました。


[2971] 【3084回 登山杖の流用】 2013-02-05 (Tue)

2月4日は立春。雨で気温もグググーンと上がっています。この調子だと赤坂山も有馬の氷瀑もどうなっているのでしょうか、気になるところです。過日に法事で故郷四万十に帰郷した時、お遍路さんが持つ金剛杖を重そうに使っている足の不自由な親類の伯母がいました。「これがないと転ぶけんねぇ」と言いながらとても重そうです。この伯母は春になると毎年のように土佐分担を送ってくれるのです。そうだ!大阪に帰ったら軽くて、お洒落な登山用のステッキを贈ろう!そう思って大阪に戻ってきました。

過去に義兄が病気で歩けなくなったとき自宅にあった金剛杖を差し出すと、とても嫌がりました。年寄くさいと言うのです。義兄も、もうりっぱな年寄なのですが認めてくれません。ならばとスポーツ店に行きスプリングの効いた登山用のT型ステッキを購入しプレゼントすると大変喜び外出時は自分の足として亡くなるまで愛用してくれました。義兄亡きあとは私が形見として現在も使っています。時々、使用中に不用意にストーンッ!と短くなることもあり買い替え時かと思ったりしますが形見の品につき大事に使っています。介護用の杖には弾力性のある登山用のステッキは最適のように思っています。

リュックにストックをさしたまま・・・ウオーキングの最中によく見る光景です。ストックはお年寄りの道具のように思われがちですが、歩行の際の補助具として、ウオーキングや登山には有効な道具の一つです。脚力を補助、バランス、疲労軽減、足腰への負担の軽減、特に下りなどでは有効です。またツェルトやタープを立てるのにも使えますし、骨折時の添木や、撮影時の三脚代わりに使う人もいます。イノシシ除けにも使えます。しかし岩場など手を使わないといけない個所ではストックが邪魔だったり、危険な場合もあります。そんな場面では速やかにザックに収納。上手に使えば頼りになる山の友です。

ドイツ語ではストック(stock)、英語ではステッキ(stick)と言い、山ガールが出没してきた最近ではトレッキングポールなんて言い方をしています。

●ステッキはシングルそれともダブル?
エベレスト街道を歩く外人さんはほとんどがダブルでした。2本のストックを巧みに扱いリズムよく使う姿はサマになっています。足の長さがそう見えるのでしょうか(笑)アップダウンがなく長い距離などでは2本のほうがいいみたいです。慣れないと使いにくく、いきなり高い山で使うのは大変ですので普段から使いこなしていないと意外と難しいですね。

●ステッキにはクッション付きとクッションなしがあり、値段も違いますが、手首・腕・肩の関節などへの衝撃を吸収してくれますので私はクッション付きの物を使っています。田舎の親類にもクッション付で、持ち手の素材はウッド・T型グリップの物を選びました。座った位置から「どっこいしょ!」とステッキを頼りに腰を上げるときはT型グリップの物が使いやすいと思ってプレゼントに選びました。

●よく失くすゴムラバー
田舎の伯母は山には登ることは出来ず、介護用に使いますので先端のゴムラバーはボンドで固定してもらいました。多分外れることはないと思います。ストック・ステッキは本来はこのゴムをはずして使いますが、自然保護のため木道や自然を傷つける場所ではラバーをつけるようにしています。屋久島のガイドが高飛車に「ゴムを付けてください!」と叫んでいましたが、言われなくてもわかっています。山中の地道ではゴムを外した方が安全なのです。それよりも屋久島のガイドさん!木道のド真ん中で観光説明するのはどうかと思いますよ(もっともごく一部のガイドですが)

登山中にゴムラバーを失くしてしまったのか、帰りの電車で剥き出しのストックをザックの外側につけてる人もいますがハンカチかタオルでグルグルって巻いておいてほしいですね。私は毛糸でかわいいストック帽子を編みかぶせています。そして大事なことは使用後は、バラバラに分解して水分などを拭きとりメンテナンスをすることが大事です(アッチャー!)


[2970] 【3083回 山岳事故のその後】 2013-02-04 (Mon)

昨年末から新年にかけて、山岳遭難事故が多発しました。命がけの救助活動で、大勢の遭難者が生還することができました。しかし、命あるものを拒む様に冬の猛威により行方不明のままの方達もいます。そのうち、今月に入って2件2名の行方不明者が相次ぎ発見されました。遭難からひと月近く、残念ながら、お二方とも遺体での発見となりました。

●甲斐駒ケ岳で遺体収容 遭難の大阪の男性
長野県警は2月1日、南アルプス・甲斐駒ケ岳(2967b)で男性の遺体を発見し、県防災ヘリコプターで収容したそうです。所持品から、登山に出掛けて行方不明になっていた大阪市天王寺区の63歳の男性とみて身元確認中。長野県警によると、1月31日に登山者から「尾根から約5メートル下に滑落した男性を見つけたが、死亡しているようだ」と110番があったそうです。

●阿蘇高岳に遺体 川崎の不明男性
2月2日午後、熊本県の阿蘇高岳で登山者とみられる遺体が見つかったという通報があり、警察は、去年12月に遭難した川崎市の男性の可能性が高いとみて、3日に捜索する方針です。2日午後3時ごろ、熊本県の阿蘇高岳の南側の滝の下で「登山者とみられる遺体を見つけた」と、民間の山岳救助員らから警察に通報がありました。さらに、現場近くで赤いリュックや寝袋、それにジャンパーなども見つかったそうです。

警察・消防による捜索活動は長くても1週間程度です。打ち切り後の捜索活動は、家族や山仲間、友人知人らが継続、遺体発見に繋がることが多いそうです。けれど、冬山は降り積もる雪がすべてを覆い隠してしまい、雪崩など多重遭難の危険性もあって、春の雪解けを待っての捜索再開となることが一般的です。北アルプスの剣岳に向かった男女4人のパーティーの遭難も捜索を打ち切り、捜索再開は雪崩の危険性がなくなる4月以降としているそうです。

打ち切り後の捜索活動は山仲間らが定期的に入山し、すべての谷をくまなく歩き回るも発見に至らないケースや、何年も山に通って行方不明のご子息を探す父親の姿が見られたり、一般的な登山ルートから外れた場所での遭難や、切り立った尾根からの滑落などでは、新緑の季節になっても遺体が発見されないことも珍しくありません。また、大勢が探し回っても遺品一つ見つからなかった場所で、偶然通りかかった登山者によって遺体が発見されることもよくある話だそうです。

中高年登山に於いては年齢に見合った山行行程を立て、天候不良など場合によっては引き返す勇気も必要です。生きてこそまた山に登れます。


[2969] 【3082回 メロディに乗せて訓練】 2013-02-03 (Sun)

奥秩父・富士見平小屋へ行くときに必ず通過する恵那山トンネル。いままでは「長いなぁ〜昔は日本一長かったんやなぁ」と言いながら通過していましたが笹子トンネル事故の後は「天井板が落ちないかっ!早く通り抜けたいなぁ!」と思うようになりました。恵那山トンネルの延長は上り線が8,649m、下り線が8,489m。1975年の開通当初は道路トンネルの中で日本一の長さでしたが、2010年8月現在は関越トンネルが日本一を名乗っています。トンネルの中で事故に遭遇した場合覚えておきたい4箇条です

@路肩に車を停める
A車から出る。キーは挿したままにしておく
B非常口に向かう
C避難口から出口へ向かう

東北の幼稚園では震災後の教訓として「あたりまえ体操」の替え歌バージョンで避難時の訓練を続けていて成果をあげているそうです。漫才師の「あたりまえ体操」があまりにも子供達に人気なので幼稚園の先生方が考えだしたのだそうです。

@あわてない
Aはしらない
Bしゃべらない etc.

「あたりまえ体操」のメロディにあわせて訓練を続けて、いざ避難訓練になると子供達は口の中でモゴモゴと「あたりまえ体操」を奏でながら、落ち着いて避難場所まで敏速にたどり着くことができ時間も驚くほど短縮できたそうです。

私達ドライバーもトンネルの中に入ると「路肩にとめる!キーは挿したまま!非常口へ!あたりまえ♪〜」ってトレーニングするといいですね。早速、恵那山トンネル通過時に真似してみようと思います。


[2968] 【3081回 異常なし〜】 2013-02-02 (Sat)

昨日のスノーシューで、日頃使わない筋肉を使ったのか、それとも尻ソリの体勢が悪かったのか何か身体の節々がヘン〜!

道具を片付けながら次回はいつ?と期待をしたりします。自分のもっいる道具を使ってシーズン中に1回は使用したいものです。サスケ先生のアドバイスにあったスノーシューのゴム切れチェック・・・ありましたわ〜!でも不可抗力の気がします。なぜならば昨年すべてのゴムを大枚8000円もかけて総入れ替えした後の話。メーカーに「ゴム不良」って品質検査に出したい気分です。弁償金がもらえたら新しいスノーシュー買うかな?どうかな?

スノーシューから戻ると四万十市に住む従姉妹から電話がありました。「みっちゃん!どこに行っちょったが?昼間何回も電話したがよ〜」そういえば2月1日は肺がんのPET検査の結果がでるって言ってたのを思い出しました。母を癌で亡くし姉もまた癌で亡くし、自分もまた肺がんの手術を受け、そのうえ再び「肺に影あり」と言われて悩んでいました。

PET検査の結果が「異常なし!」だったので一刻も早く私に報告してくれようとしたみたいでした。携帯電話も赤坂山にいては繋がらなかったのでしょうか。不安が解消された従姉妹の声は70歳を超えているとは思えないほど若々しく明るかったです。

久々に再会した仲間たちも元気そうで安心しました。元気が何よりと口では言いますが60歳を超えると、どこかしら故障が出てきます。「早期発見・早期治療」これがベストなのですが自覚症状のないまま、どんどん進行して行く癌の恐ろしさを知人を通して聞いたりすると元気な時にあれもこれもと欲が出ます。

午後からは年賀状が舞い込まなかった知り合いのお見舞いに行ってきます。定期健診の胃カメラ検査で食道に異常が見つかったそうです。自覚症状はまったく無かったそうです。早期発見で手術可能らしく安心しましたが何せ「65歳にして初めての病気」に怯えていますのでちょこっと檄を飛ばしてきます。


[2967] 【3080回 危機一髪セーフ!】 2013-02-01 (Fri)

「危機一髪セーフ!」って一体何がやねん!主語がないからわからない!そういわれるのも無理はありません。今日は昔の仲間たちとマキノにある赤坂山へスノーシューに出かけていました。順番に説明しますね。

昔の仲間7人仲よく赤坂山へスノーシューに行ったのです。天気は朝のうちは曇りで、さぁ午後までこの天気が持てばいいなぁと言った感じの天気でした。それでも午前10時頃になると太陽が顔を出し、汗がポタポタと落ちるほどでした。詳しいお話はレポートアップしますが山頂は強風!体重の軽い人は吹き飛ばされそう(姫は大丈夫!)なほどで山頂滞在時間は集合写真撮影の「2分」

ゴールの「サラサ温泉」から出発する16時10分のバスには余裕で間に合いました。マキノ発最終の新快速にも乗れてラッキー!これに間に合わなければ乗り換え、乗り換えで時間がかかったみたいです。

みんなと名残惜しくも別れて自宅のドアを開けると同時に雨がポツポツと降ってきました。危機一髪セーフなのです!何と幸運な私達なのでしょうか!道具の手入れを済ませバタンキューと相成りました。童心に返っての尻シェードはとても60歳を過ぎた爺・婆とは思えないほど楽しかったです(トラ吉さんは若者で〜す)

マキノスキー場の積雪は芝生が顔を出していました。今夜からの雨で更に地肌を出すことでしょう。但し、赤坂山周辺はたっぷりの雪があります。(今年の雪は水分が多い)


[2966] 【3079回 有馬の氷瀑】 2013-01-31 (Thu)

有馬四十八滝・氷瀑めぐり

「今週が見ごろでっせ〜」ヒマ・トレ軍団のウッチー会長のお誘いを受けて31日有馬四十八滝氷瀑めぐりに出かけることにしました。31日木曜日は有馬氷瀑へ、2月1日は赤坂山へスノーシューと連続ではありますが2日の土曜日は雨模様のため「見ごろ・行きごろ」ということに致しました。2011年に訪れてから2年ぶりです。休日は混雑する氷瀑めぐりも平日ならいかがなものでしょうか。氷瀑は、毎年違った美しさを見せてくれます。何せ季節限定でいまが旬、人が多くても寒くても自然が織りなすアイスショーなのです。今年はどんなアイスショーなのでしょうか期待に胸を膨らませて合流地点の有馬温泉金の湯へ急ぎました。

有馬四十八滝と言っても48個の滝が見られるのではありません。赤目四十八滝と同じく、それほどに多く滝があると言う意味です。以前通過出来ていた七曲滝への下り道は立ち入り禁止のロープが張り巡らされており少し遠回りをする格好で七曲滝に到着しました。訪れる人が落胆しない程度に凍っています。大阪に雪が降った日であればきっと見事な氷瀑を見ることができたのでしょう。「見ごろ」は、もう少し急冷した日が続かないと見ごろとは言えないようです。

ところで皆さんはストックのゴムを無くした経験はありませんか?私はストックのゴムを山中で見つける名人ではありますが、自分のまたなくしてしまうのです。有馬氷瀑への道のりでも、ストックのゴムを落としてしまいました。どのあたりで失くしたか覚えていましたので帰り道、執念で探し当てました。溝に転んでいたので誰にも拾われずに手元に戻ってきました。帰ってからストックにビニールテープを巻き少し固めの装着と脱着をするように工夫しました。1個500円もするストックのゴム、みなさんはどのように工夫しているのでしょうか?


[2965] 【3078回 1月の締めくくり・年賀状】 2013-01-30 (Wed)

企業では年賀状などの「虚礼廃止」、若者達は「メールでお年賀」、そうかと思えば郵便局員への「年賀状のノルマ」などと年賀状にまつわるさまざまなドラマがあります。

1月ももう幕を閉じようかと言う時に、ふと気になる人物が脳裏に浮かびました。私に負けず劣らずの力作で、毎年楽しい年賀状を下さる人物から今年に限り年賀状が届いていませんでした。年末にどなたか亡くなったのか、それとも、ご本人がご病気なのかと、ず〜っと心配していました。年賀状をもらったままにするような人ではないため思い切って連絡をいれることにしました。すると何という事でしょうか・・・年末に入院して抗がん剤の治療中で3月には手術の予定とか、大変驚きました。去年の11月に再会してお元気な姿を確認しており「豊作の大根取りにおいでや〜!」とまで言ってもらっていたのに!・・・何と入院されているとは!『もう駄目かも・・・毎日不安で』とのメールに、すぐにでも飛んで行って励まさないといけません。いま面会許可を申請したところです。手術が出来ると言うことは治ると言う証です。

外国人は日本の年賀状をどう見ているのでしょうか?資料によると『欧米では、12月にクリスマスカードを送る習慣がありますが、日本の年賀状ほど頻繁には行われていません。日本人にとって、年賀状は普段会えない家族や友人への挨拶も兼ねているとのこと。この慣習は、通信手段が限られていた頃に出来たものだと思われるが、インターネットや携帯メールなどが普及した現在でも健在だと語る。年賀状を作るのに、時間やお金がかかるにもかかわらず、この習慣は廃れておらず、日本人がいかにお正月や年賀状などの文化を大切にしているかがうかがえる』と分析していました。

外国の方達から見た年賀状の見解の通り、年賀状は平素のご無沙汰を詫びお互いが近況を連絡し合う日本の年頭の儀式で、私はこの儀式が好きです。「書く」という事が面倒でないからかも知れませんが、私は12月に入るとすぐ準備にとりかかります。宛先を書きながら、わずかでもコメントを書くようにしています。あまり早く準備をすると途中で「喪中ハガキ」が舞い込んできますので、年賀受付開始日には必ず投函します。それ以降の喪中ハガキについては「事すでに遅し。投函済だよ〜!」で無礼をお許し願っています。

喪中ハガキは、喪中に付き、年末年始の挨拶が出来ない旨の事前通告です。私は喪中ハカギを受け取った方達に新年を迎え松の内(1月7日)以降に寒中見舞いを出すようにしています。喪中ハガキには、決まった文例はないそうですが、せめて誰が亡くなったのかぐらいは書いて欲しいです。市販のハガキに手書きで一行でいいから誰が亡くなったのか追記入をしていただければ喪中ハガキを出した意味も相手に通じるというものです。

毎年、年賀状が届く人から今年に限り年賀状が届いてない時はなにかあるのです。「どうしたのかな?」って尋ねてあげるのも親交が深まります。「私の事気にかけてくれてたんや」ときっと喜んでくれること間違いなしです。私は「出しました」「出してない人から届きました」「返事がきました」のリストアップをしています。「出してない人から届いた」年賀状は翌年には私から先に出すようにしています。何もそこまでしなくても・・・と言われそうですが私にとっては大事な儀式ですから失礼のないようにしています。それほどに年賀状を楽しみにしているってことでしょうか!


[2964] 【3077回 登山道でみかける赤いリボン】 2013-01-29 (Tue)

京都市右京区の愛宕山で、35歳の母親と3歳から9歳までの子ども3人の合わせて4人が行方不明となり翌日の朝、自力で下山してきた遭難事故がありました。まだ記憶に新しいと思います。昨日の報道番組で、記者と山岳会の方が同じ時刻に出発し母子の足取りを追う番組があり興味をそそられました。愛宕山に登ったことのある人は整地された1本道なのに、どこで迷ったのか不思議に思ったことでしょう。実証の結果、登り道は問題ありませんでした。さて・・・下りの時間は少しあたりが薄暗くなりベテランの登山者でも足早に下山する時刻だと思います。ましてや3歳の子供もいるのですから気が焦せるはずです(母親が焦ったかどうかは不明)

しばらく下って行くと登り道では見えてこなかった道が1本出てきました。記者が「ここで道迷いしたと思われます」よく見ると往路に歩いた幅広い道が左手にあるので明るければ迷うはずはありませんが、あたりは薄暗くなりつつあり、つい右側の迷い道に入ってしまった様です。記者はその足で母親の自宅を訪れ、その時の様子をインタビューしていました。
「なぜあの様な幅広い道があるのに迷ったのでしょう?」
「私の下った道にはところどころ赤いテープが巻いていました。途中でアッと気が付きましたが下っているのでたどり着くだろうと思って引き返さず降りて行きました」
「お子様は恐がっていませんでしたか?」
「怖がって泣きましたが、そのうち眠りだしたので周辺にある落ち葉を子供達に掛けて夜の明けるのをまちました」同行した山岳会の人の話によると、赤いリボンを目印に母子が迷い込んだ道は上級者用の印で、とても初心者が歩ける道ではないとのことでした。

私達はスノーシューの時に限り、同じ道を往復する時は自分たちが持参した赤いリボンを適材適所に付けて山行します。これは万が一、吹雪いたり霧が出て踏み跡を見失う場合、自分たちが付けたリボンを目印に下山するためです。往路は必ず外して帰ります。付けたまま放置すると日が経てば汚くなり脱色し腐って美観を損なうから必ず外せと指導を受けてきました。

六甲山の登山道では、道迷いを目的とする悪質なイタズラで岩にペンキで無数の矢印を書く愉快犯がいます。自然にマッチするようにと山岳会が木で道標を立てているので落書きの道標など六甲には不要なのです。初めて訪れた人が正規のルートと思い込み道に迷う事故が多発しています。芦屋警察や地域山岳会などで消しても消してもまた書くというイタチゴッコが繰り返されているようです。岩や木立への落書きは素材を傷つけるため、もとに戻すことは難しいのです。イタズラ書きに要する労力があるのならば、社会のためにもっと他に活用できないものでしょうか。六甲山は外国人も多く訪れます。日本人の恥をさらしているようで私達までもが肩身の狭い思いをしなくてはなりません

(おまけ)
私達は六甲山でクライミングのトレーニングすることが多く通過中の人に「この岩は何という場所?」と度々聞かれます。それにこの場所で怪我をしたり急病人が出ても現在地を通報できないと仲間たちで相談し「救助のための名称」と看板の目的を明記し「ホワイトフェイス」「Ǎ懸岩」「ブラックフェイス」「キャッスルウオール」「岩梯子」にポケットマネーを投じて、美観を損なわない素材を選び、取り付けました。通過する人がその看板をバックに記念撮影をする風景も見られました。しかしスプレーの落書き事件の前後に「味噌も糞も一緒」にされて一掃されてしまいました。かろうじて残っているのは「Ǎ懸岩」だけです。


[2963] 【3076回 うっすらと雪景色】 2013-01-28 (Mon)

午前7時メールが届きました。「名塩は雪化粧です。大阪はどうですか?」窓を開けて見ると隣の屋根がうっすらと雪化粧・・・でもすぐ溶けちゃいました。もう少し積ってくれれば嬉しいのですがね。豪雪地方の方達のご苦労を思うとチャラチャラと喜んではいられませんが、でも雪は嬉しいです。

立山黒部アルペンルートの富山側で、除雪作業が始まったそうです。掃いても、掃いても、積もるとは思いますが、いま頃から始めないと、4月16日の開通には間に合わないんだそうです。アルペンルートに「熊太郎」という除雪車がいることをご存知でしょうか?今年も出動して室堂に向かう道路沿いで除雪作業が始まりまり、立山町の藤橋付近にある冬期通行止めゲート(標高475b)から31.3キロ先の立山・室堂(2450b)に向けて出発しました。「立山熊太郎」の愛称を持つ、600馬力の除雪車2台が80センチ超の積雪の中を出発し、スクリューで雪をかきだして取り込み、道路脇へ投雪しているそうです。

富山県道路公社によると、1月21日現在の室堂の積雪は5b70pと例年よりも多めで、観光の目玉となる雪の大谷(2390b)の雪壁は昨年より高くなりそうだとのこと。煙突の様なところから雪を飛ばすロータリー除雪車は、“働く車”として子供達に実物を見せてやりたいです。

雪が積っているのを見たら急にスノーシューを出して見たくなりました。2月1日に赤坂山に行くのでついでに手入れをしようと思いケースから出して見ました。結構使い込んでいますが、まだまだ使えそうです。思い出もいっぱい傷のひとつ、ひとつに染み込んでいます。お仲間にも声をかけましたが参加してもらえるのでしょうか・・・


[2962] 【3075回 孫たちの誕生日】 2013-01-27 (Sun)

2月、3月、4月、6月と孫たちの誕生日が接近しています。1月26日の土曜日は少し早めの「かずくんの6歳の誕生日」をすることになりお誘いをもらいました。プレゼントは何がいいですか?と往復葉書を出したのですが「名塩のお店に欲しいオモチャがあるから来て〜!」とのことでした。

午後からの東神戸スイミングスクール教室の見学を終え、お目当ての店に到着すると、店内にまっしぐらに走りました。「婆ちゃんはやく〜!」もうオモチャをしっかり抱えています。問題は他の子供たちです。周囲には子供たちにとっての宝物がいっぱい並んでいて誘惑の手が伸びている様子です。「今日は和くんの誕生日だから他の子は見るだけね」ちょっとかわいそうでしたが心を鬼にしました。「ワカッタ〜」小学校2年生になると賢いねと褒めてやりました。3歳の孫はまだ何とでもごまかしが効きます。とにかくこの日は主役オンリーであることを強調しました。

和くんのプレゼントだけを購入し、予約していたケーキを受け取り名塩に帰りお誕生日パーティを始めました。ママが早朝から頑張って作ってくれたご馳走に「いっただきま〜す。ごっちそうさま!」遊びたい一心なので食事も早かったこと。あとはゲームをする子や和くんはプレゼントのラジコンを家中走りまわしていました。パパが「一度、ラジコンを外に出したらタイヤが汚れるので家の中には持ち込めない」と説明し、家の中で充分遊んだ後に外に出て走らせたいと言い始めました。外は強風が吹いています。名塩は特に気温が低く、パパだけが付き添いであとのみんなは家から一歩も出る様子はあません。

ラジコンにはヘッドライトも付き、家の中よりも暗闇の方が迫力あり、ウイリーもするらしく寒さなんか気にならない様子でした。楽しい時間はアッと言う間に過ぎました。帰り際には全員が寒空のもと、外までお見送りです。寒いから玄関先でいいよ!と言うのですが、車が見えなくなるまで手を振ってくれました。イトコの集いがとても楽しかったのでしょう、零ちっちは宝塚あたりでバタンキュー、爆睡です。


[2961] 【3074回 スノーシューに行きます】 2013-01-26 (Sat)

北風がビュービュー吹いています。亀に劣らず首がスッこもってしまいます。こんな強風をアイランドピーク山頂で受けたらバランスを崩し真っ逆さまに落ちてしまうでしょう。天気に恵まれることこそ安全登山の原則だと痛感しています。

マキノ高原にもタップリの積雪があるとの情報を受けスノーシューに出かけようと言うことになりました。ならばスノーシューをお持ち昔の仲間たちにも声をかけて「やまたび同窓会」をしたいなぁと考えています。一人ではなかなかいけませんがパーティを組めば楽しくゴールできるコースです。土曜日、日曜日は混雑が予想されますので平日に設定しました。スノーシューをお持ちの仲間の皆様!持ってない方もその旨言って頂くとレンタルのご用意が出来ます。白銀の世界でスノーシューを楽しみましょう!

目指す山は恒例の「赤坂山」です。日時は2月1日(金曜日)。集合場所はJRマキノ駅改札です。私は大阪駅発午前7時45分の湖西レジャー号に乗る予定です。前日の天気予報で荒れ模様が予測されるときは取りやめもあります。その時は参加意思表示していただいた方にはメールさせて頂きます。

以前に出かけたスノーシューのレポートを読み返しています。遠くは蔵王、近場は赤坂山と毎年恒例にしていました。倶楽部自体は休会していますが雪便りを聞いて、私同様にワクワクしている人もいるかなぁと思って、思い切ってお誘いしました。64歳の今年も新しいことに挑戦してこれ以上の老いの来ないように阻止しなければと思っています。4月には1つ年を重ねますが、その時は「63歳へのUターン」と決めています。


[2960] 【3073回 おお〜寒っ!】 2013-01-25 (Fri)

早朝に高知に住む従姉妹から電話があり「みっちゃん今日はよいよ(大変という意味)寒いちや」裏山の木々が音を立ててしなっているとのことでした。大阪も風が強くとても寒いです。今年初めて耳が痛いほど寒く感じました。日本全国強風の様です。アルプスなどのお山を目指している方がいれば安全に下山してくれることを祈っています。

山形市の蔵王温泉スキー場は23日、晴天に恵まれ、スキーヤーや観光客は見ごろを迎えた巨大な樹氷を見上げて歓声を上げていたそうです。樹氷は、地蔵山(標高1736m)山頂から中腹に茂る常緑針葉樹のアオモリトドマツに付着した雪が、氷点下の気温と強風にさらされて作り出され、大きいものは高さ5mにもなる。

蔵王ロープウェイ地蔵山頂駅によると、今冬は先月16日と30日に樹氷原で雨が降り、樹氷が落ちましたがその後、寒波が続き、ようやく例年並みの大きさまで育ったそうです。

私達も飛行機で蔵王の巨大な樹氷鑑賞とスノーシュー行きましたよね。なっつかしい思い出です。雪質も良し、温泉もよしで・・・たしか私達の宿に秋篠宮さんが泊まったと写真を飾っていましたっけ・・・・


[2959] 【3072回 中山最高峰へ】 2013-01-24 (Thu)

初トレ・初登山を済まさないと2月が迎えられない気がして雨上がりの23日の水曜日、中山最高峰に出かけてきました。平日とあってリュックを背負った人たちを見かけることなくJR中山寺駅に降り立ちました。これが阪急・芦屋川駅だとしたら大勢の登山者がいるのでしょうね。参拝の方もまばらです。

いつもは山本駅方面から入り岩場を登るのですが、今回は逆コースを選びました。下山時の岩場通過に重点をおいたのです。登山者に出会ったのは頂上付近だけで、あとはマイペースを保ちながらゆっくりの山行でしたがアップダウンも多く帰りにGPSを見ると9.9qとなっていました。

「膝が痛いなぁ」とか「毎週歩かなあかんなぁ」とか口々に感想を述べながら次はどこに行こうかと思案するところです。

年間スケジュールを立てると何か使命感のようなものに縛られていましたがスケジュール表がなければないでダラダラと山行計画がなかなか立ちません。今年行きたい山々のリストを出してみたいと考えています。「ゆっくり楽しめる山行」これがテーマです。


[2958] 【3071回 予期せぬ災難】 2013-01-23 (Wed)

スノーボーという遊びがスキー場の関係者の悩みの種になっているという記事をみました。立ち入り禁止のゲレンデ以外を滑走する人が増え、事故に遭うと「助けて〜」と救助を求めるそうです。救助してもらうと名前も述べず礼も言わず立ち去るとの事。勿論全てのスノーボーダーがそうではありませんが・・・。私の友達も北海道での登山中、猛スピードで走ってきたスノーボーダーと衝突し足を粉砕骨折し重傷を負い、半年間も北海道で入院生活を強いられました。会社を経営していましたので「あ〜これで人生も終わりや!」と覚悟をしたそうです。しかし社員の努力によって、社長が退院するまでりっぱに会社を守り続けてくれたと感謝していました。

「もう一度、山に登れる足にして下さい!」と哀願し、北大の執刀医は命の恩人だと感謝し、金具取り出し手術も終えリハビリののちに、いまでは金剛山に登れるほどに回復しています。その彼が30年前にヒマラヤに行った時、自分で描いたナムチェバザールの絵をメールしてくれました。(ブログに写真掲載済み)

思わぬ事故に遭うと本人は勿論ですが家族や会社関係の方達にも大きく影響を及ぼします。スノーボーで衝突してきた若者は、救助要請をするでなく、「ひき逃げ」の如く、そのまま滑り去って行ったそうです。友達が叫びます「あれは凶器だっ!」と。

ゲレンデ以外を滑走するということは、隣接するスキー場に雪崩を引き起こしたり、本人も遭難事故に繋がります。スノーボーを楽しむ若者に「何故立ち入り禁止区域を滑るのか?」と聞くと「新雪の魅力」「踏まれていない瞬間の楽しみ」「NGこそワクワクする」と言っていました。

立山雄山で真面目なスノーボーダーに出会いました。まっほとんどのスノーボーダーはルールを守っているのですが、私が歩行中にスッポリとスノーシュー毎、足を突っ込み抜けなくて四苦八苦している時に、仲間に助けを求めました。しかし仲間はお弁当を食べながらニコニコと私のもがくさまを見物していました。後で仲間に聞くと冗談だろうと思ったらしいのですが太腿は凍傷の様に冷たくなるし、もがけばもがくほど穴の中にはまって行きました。その時、通りかかったスノーボーダーの若者が一生懸命、素手で穴を掘り手を差し述べてくれ助けてくれました。立山頂上から絵のように曲線を描き、とても美しく滑って降りていきました。時折私達に手を振る余裕もあり、たしか北海道から滑りに来たプロのスノーボーダーとのことでした。私達と同じ道のりをスノーボードを担いで登って来て一瞬のうちに滑り降りて、そしてもう一度登ってくる予定だという若者でした。体力ある〜!

山では自分がいくら注意をしていても降りかかってくる災難があります。落石事故もそうです。交差中の事故もそうです。登山靴を蹴って登るクセの人もいます。その人の後ろを歩くと小さな石がいつもコロコロと落ちています。ザレ場では「足裏全体で静かに足を置く」と何度も注意していますがなかなか直りません。だから登り道は最後に下り道はトップを歩いてもらうようにしています。しかし混雑する登山道では他のパーティの人に迷惑がかかることになります。指導をうけたら、次の一歩から正しい歩き方に修正しましょう。

お互いが注意をすれば安全に通過できるのにと思う事故も沢山発生しています。「加害者にはならないでおこう」そんな思いで一歩づつ前進している今日この頃です。


[2957] 【3070回 雨もまた大事】 2013-01-22 (Tue)

雨は時折、私達人間にとっては「うっとおしいなぁ」と嫌われますが、木立の潤いにかかせない雨が昨夜から降っています。カトマンズの町にこの雨が2〜3日降り続いてくれたら、ホコリで白塗りされた木立や乾ききった地面のホコリも少しは解消されるのではないかと空を見上げています。

21日の朝、年賀はがきの当選引換に郵便局に行く道すがら、お年寄りたちが5〜6人集まって何やら話をしていました。丁度信号待ちでしたので聞くともなく聞いていると「赤バス廃止」と「バス乗車無料パスが一部有料に」について井戸端会議がなされていました。大阪市内を走る市バスとは別に赤バスが走っています。大阪市バスの赤字の象徴のようになった「赤バス」について、「2013年3月31日で廃止となります」とバス停に張り紙がしてありました。みなさん!赤バスに乗ったことありますか?私は赤バスを体験するために、一度だけ乗ったことがあります。それも始発停留所から終点停留所まで乗りました。なるほど裏道にも入り所要時間はかかるものの時間たっぷりの人には目的地のすぐそばまで連れて行ってくれて便利かも知れません。その赤バスが3月31日を以て廃止となります(天王寺ループなど3ループは除く)

赤バスの評価については、さまざまで「廃止の危機のため一人でも多くの皆様のご利用をお願いします」と赤バス利用をアピールしてきました。赤バスは大阪市営バスで運行されるコミュニティバスで狭い道でも運行できるように設けられました。運賃100円均一(普通の系統は200円)と一般バスの半額設定にもかかわらず、平均乗車密度は4人と低迷しており、とうとう廃止が決定されてしまいました。赤バスの運行は、一般バスの時刻とほぼ同時に運転をしているみたいで、西九条駅などでは200円の一般バスの後ろに100円の赤バスが控えているといった場面をよくみました。この反対もしかりです。平均乗車密度が4人では儲からないし公共性も無いので廃止も仕方が無いかもしれません。その陰に重要性を説く人も沢山いることも事実です。

赤バスそのものが間違っていたとは思いませんが、これ以上の運営継続は「背に腹は替えられない」のではないでしょうか。実際に老人パスを利用する高齢者の方達でさえ「どっちに乗っても無料やからあれは要らんなぁ」とつぶやかれるほどです。

赤バスが廃止になると高齢者の方達が少しでも「歩こう」という意欲が芽生え元気になってくれるといいですね。私もバイクを利用せず歩いています。現在は「無料だから」と近くのスーパーに行くのも利用しています。過日私も、グランドゴルフの勧誘を受けました。でもまだ電車の中で席を譲られたことはありません(笑)

以前に我が家に4歳の男の子が遊びにきました。自宅や保育所に階段がなく我が家の2階にジャングルジムなどの遊具があるので上に上がりたがります。丁度孫たちが来ていた時でしたので声につられて一人で上っていきました。しばらくして「ママ〜!ママ〜!」と叫んでいます。私が行くと足がすくんで階段を一歩も降りれないのです。信じられない光景でした。手をつなぎ一段一段ゆっくりと降ろしましたが驚きました。2歳の孫は自宅にも婆宅にも階段だらけなので平気ですが慣れないという事はこんな結果に繋がるのですね。

登山で登りより下りが難しい事は、この4歳の子供の行動でも伺えます。下りで前向きに下りていてリュックが地面に付き、アララッと前に押された経験はありませんか?これが下りの滑落事故に繋がるのです。急な岩場の下りやハシゴは後ろ向に降りる方が安全です。

    足腰を鍛えて元気で長生き!


[2956] 【3069回 自分にとって大切な物も家族には・・】 2013-01-21 (Mon)

平成25年お年玉付年賀はがき、当せん番号決定しました。

賞品については 【3067回 年玉年賀はがきの当選発表】でお知らせ済みです。引き換え期間は21日から7月22日までで、全国の郵便窓口にて受け付けてくれます。

【1等】6ケタ 957503
【2等】6ケタ 111316/294651/346247
【3等】下4ケタ 5635
【4等】下2ケタ 29/70

私は切手シートが7組、当たっていました。早速本日郵便局にて切手シートを貰い、未使用の葉書の交換もしたいと思っています。時を同じくして『第25回サラリーマン川柳』の大賞も決定しました。

●大賞・・・「宝くじ 当たれば辞める」が 合言葉
●2位・・・女子会と 聴いて覗けば 六十代
●3位・・・妻が言う 「承知しました」 聞いてみたい

今年の川柳は、共感できないのは、現実的なのか、全て男性目線だからなのでしょうか?

話は変わりますが、元わが倶楽部メンバーのねこちゃんのお父様が昨年の2月に、お母様が12月に他界されたそうです。長い期間の大阪と七尾の往復での介護に「お疲れ様でした!」と申し上げたいと思います。心からお悔やみ申し上げます。

ねこちゃんからのメールの中に『両親にとって大事な物でも生活するには、物は最低限の物で生活するのが本人、介護者にとってベストだと勉強させてもらいました。老い支度は気力、体力のある今からはじめないとダメかなと思いました』

私も押し入れの中に「いつか使うかも知れない」「勿体ない」と色々な物を保存しています。思いつけば片付けてはいるのですがその後にまた同じことをしてしまいます。

今日は思い切って100個の提灯を処分しましたこの提灯は義母や義兄が病気になり余命わずかと言われてから各地の温泉に一緒に行ったときの思い出の品々で、ひとつひとつに思い出が詰まっているのですが経年劣化と言うか壊れたり口を開けたりと修理不可能となってきたのです。当時ひとつ800円で100個はありますので何と8万円も投資したことになります。私達にとっては貴重な品であっても息子の代になって粗末に扱われるのであれば私達の手で手厚く処分をしようと思い切りました。
(ブログに写真掲載)


[2955] 【3068回 加齢に伴う物忘れ】 2013-01-20 (Sun)

最近物忘れがひどくなったと思っています。私だけかと思いきや・・大丈夫!み〜んな同じ症状の様です。

過日、研修会に出かけた貸切バスの中での出来事です。昼食場所に携帯電話を忘れたと言う人が出てきました。「そりゃあ大変だ!もう一度よく探してみたら?」と言うことで乗客の見守る中、コートのポケット、背広のポケットなどを探しましたが見つかりません。仕方がないので昼食場所までUターンすることになりました。バスから降りてご本人は昼食場所に走り、置き忘れ場所を明確にするために携帯電話を鳴らしてみようと言うことになりました(番号知っている人がいたんや〜!)するとバスの中からチリチリリ〜と微かにベルの音がします。私は地獄耳らしく後部座席から2番目に座っていたのですが聞こえました。チリチリリの場所を探すと何と茶封筒の中から鳴っているではありませんか!置き忘れたと思い込みしていたんですね。出てきてよかったです〜

バスを降りて自宅に帰ったころ「あなたの座っていた座席付近からカメラの忘れ物がありましたよ」と電話を頂きましたが、私はカメラを持参しておらず別人だと言うことになり持ち主の手元に運ばれることになり一件落着しました。

1階から3階に上がる間に「え〜っと何を取りにきたのかなぁ?」と物忘れすることも度々です。買い物でも何かしら買い忘れが増えてきました。この頃では忘れないためにメモをするようになりました。メモの持ち合わせの無い時は手の平に書くようにしています。人の名前も喉元まででているのにハッキリしないこともあります。

物忘れチェック項目

@何度も同じ話を繰り返すが、同じ話をしているという意識の無い状態。
A知っているはずの人の名前が思い出せない。
B物がしまってある、もしくはしまった場所を忘れてしまう。
C漢字を忘れてしまう。
Dたった今しようとしていることを忘れてしまう。
E器具などの説明書を読むのが面倒。訳も無く気持ちが落ち込んでしまう。
F自分の身だしなみに関心を払わなくなった。
G外出がおっくう。
H財布などの物が見当たらないと他人のせいにしてしまう。

これらの症状に8割以上多くあてはまる場合は病気による物忘れの可能性が大きくなりますので、早めに専門医の診断を仰ぐことが必要になるそうです。

以前見た映画の中で渡哲也さん扮する役柄の中で、知人と楽しく歓談したのちに「ところで君は・・・誰だっけ?」と言うくだりがありました。これは認知症だと家族が受け止めた決め台詞だったのですが印象に残っています。

物忘れと認知症は違うといいますが、登山途中で山小屋で朝を迎え、さてと登るのか下るのかの判断が出来なくなったら、もう山やめます!(危なくて連れて行けないね!)


[2954] 【3067回 年玉年賀はがきの当選発表】 2013-01-19 (Sat)

お年玉年賀はがきの当選が気になるところです。
発表は1月20日(日曜日)だそうです。

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   過熱水蒸気オーブンレンジ、サイクロン式クリーナー、フットマッシャージャー
Dデジタル一眼カメラ

以上5 点の中から1 点

★2等は
加湿空気清浄機、デジタルカメラ、高級食材詳細、折りたたみ自転車、日帰りお食事旅行

以上5 点の中から1 点

★3等は
選べる地域の特産品・有名店食品・生活品38点の中から1つ選択
 (賞品の詳細は、当選された方がサイトで確認してくださいね)

★4等
お年玉切手シート

当選していないと判っていても丁寧に調べましょう。ついでに投函していない未使用の年賀状も調べてみましょうね。もしかしたらその中に二等があるかも知れません(一等と言わないところがつつましいでっしゃろ?)。当選していないことがわかったら未使用の年賀状は1枚につき5円の手数料を添えれば普通葉書に交換してもらえます。

郵便局員さんの年賀状のノルマの話を聞きますが年末に金券ショップで売られているのを見ました。その裏事情にノルマ問題もあるのかなと思ったりします。勿論、年賀状を出そうと準備していても、突然のご不幸が発生した場合等もあるとは思いますが「お年玉付き」として夢も含んでいるのですから真実なら悲しいですね。報道によると《金券ショップに年賀はがき。郵便会社社員大量に持ち込み》と、大々的に報道されていました。

年賀はがきは郵便事業会社の年間収入に大きな割合を占めます。いつもは郵便局の窓口で購入するのですが報道の後は郵便配達をしている局員さんに注文すると大層喜んでいました。


[2953] 【3066回 近畿の山岳事故】 2013-01-18 (Fri)

北アルプスや富士山などの有名な山岳事故の報道については誰もがご存知の事と思います。標高の低い近場の山は馴染みだし安心と思って出かけて遭難した場合もあります。

●京都市右京区の愛宕山では、35歳の母親と3歳から9歳までの子ども3人の合わせて4人が行方不明となりました。4人は、登山口から歩いて2時間程の山頂にある愛宕神社に参拝するため、6日昼過ぎに家を出たものの、夜になっても帰宅しなかったということです。愛宕神社の方が「午後4時半ころ、下の社務所でおみくじを引かれまして『暗くなってきますから早く下山して下さい』という話をし、普通の格好でしたから『早く降りてくださいよ』と」言ったそうです。7日未明から警察と消防が捜索していましたが、4人は午前9時10分頃、自力で下山してきたそうです。母親は「道に迷ったので山道で落ち葉を集め落ち葉にくるまって一夜を過ごし、明るくなってから下りてきた」冬の午後4時半から登るって・・・遅すぎませんか?そして4時30分に社務所前を通過したのなら絶対に登山を止めてもらいたかった、恨まれてもいいので登山中止を命令すべきでなかったのでしょうか?

●6日、滋賀県米原市から標高1083メートルの霊仙山に日帰り登山に出かけた59歳の男性
も帰宅しませんでした。7日午前7時から、警察などが捜索を始めたところ、午前9時半ごろ、自力で下山してきたそうです。ケガはなく道に迷い山頂付近に穴を掘って寒さを凌いだということです。雪山の単独行動はいかがなものでしょうか!

●6日午前9時ごろ、兵庫県姫路市夢前町新庄の明神山(668メートル)に5日に入ったまま下山しなかった祖父と小学2年の孫娘を、姫路署などの捜索隊が山中で発見しました。2人は73歳の祖父と8歳の孫娘。お爺ちゃんが滑り落ちて頭を強く打ったとみられ、病院で死亡が確認されました。6日午前8時ごろ、8歳の孫から「滝の横にいます。おじいちゃんは落ちてしまいました」と祖父の携帯電話で110番があり、聞き取った周囲の状況や電波の発信元から捜索。山頂から東に約1.6キロの地点で一緒にいる2人を発見し、ヘリコプターで搬送しました。2人はこの山に登るのは初めてだったと言います。祖父のリュックの中に入っていたタオルケットを掛けて寄り添って一晩過ごし、翌朝、再び電話をかけると通じたそうです。

8歳と言えば、我が家の孫と同い年。ポッチー爺ちゃんと山に行き、爺ちゃんが滑ってひん死状態の時、落ち着いて110番通報ができるだろうか?リュックからタオルケットを出して寄り添い一夜を過ごすことが出来るのだろうかと思うと絶対無理だと思っています。暗い夜を泣き続けるのではないでしょうか。やみくもに歩き回り体力を消耗するかも知れません。「助かってよかった!」と抱きしめてやりたい気持ちになります。初めての山登りで前日に携帯が繋がらなかったけれど朝になってもう一度携帯を掛けたと言う事も、警察が場所確認した時も正確に周囲の状況が言えたそうです。お爺ちゃんは残念な結果になりましたが8歳のお嬢ちゃんの行動に大きな拍手を贈りたいと思います。「えらかったね!」


[2952] 【3065回 都会の雪事情】 2013-01-17 (Thu)

関東地方の雪事情で高速道路を利用する輸送関係にも大きく影響しスーパーの陳列棚も品薄状態です。急な雪で帰宅時、革靴やスニーカー、ハイヒールで帰る場合どうすればいいのでしょうか?山の歩き方と同じく歩くと転倒が避けられるのではないでしょうか。試してみて下さい。

@歩幅を小さく歩く。
A体重を前のめりにかける。
B足裏全体で着地する。

身体の動きが大きいとバランスを崩しますので充分注意をして頂きたいと思います。急な雪には間に合わなかったかもしれませんが今後の準備として
●スベラーズ(靴裏に簡単に取り付けられるスパイクの様な品・・1700円位)
●スノースタイルスニーカー(雪専用の靴。靴裏にアイゼンの様な金具付・・4000円位)
●スノーブーツ(靴裏に鋲打ちがしてある長靴・・3700円位)などがあります。

「あ〜スベルよ、滑るよ危ないよ〜!」テレビを見ているとハラハラする場面が何度もありました。都会のタイル張りの道路は雨による排水には強いのですが雪は弱いのだそうです。せっかく雪が溶けたとしても排水が悪いため、夜の冷え込みで再凍結するらしいです。1週間は危険な状態が続きます。急用でなければ外出を控えるのが安全だと思います。通勤の場合はスベラーズや雪仕様の靴を履いて歩幅を小さく、足裏全体を使って歩いて下さいね。

車で通勤された人も「今夜は電車で帰ろう」と思うよりも何とか車で自宅に戻りたいと思うらしいです。その結果、動かなくなり路上に駐車して帰宅し、その後ろに何台も同じ状態の車が駐車し救急車が立ち往生したらしいです。乗り捨てて帰るのも安全のひとつの方法ですが走行に邪魔にならない場所に停めておかないとねぇ。車庫から車を出そうとしても駐車車両が並び、車庫から出せなかったと言う話もあったそうです(自宅前に迷惑な話ですが、きっと車が出せたとしても危険で走れないよ〜)

オートバックスなどの車用品販売の店もタイヤーチェーン売り切れだそうです。「車にタイヤーチェーン乗せているんだけど取り付けられない。タイヤチェーンを購入するので取り付けて欲しい」と言う人もいるそうです。JAFの出動でもタイヤーチェーンの取り付けが出来ないという要請で現場に行くとサイズが合わなくてその事を指摘すると「あ〜これ前の車のチェーンだから」と言われたそうです。仕方がないのでJAFの簡易チェーンを取り付け牽引して自宅まで配送したと言う話もあります。(人事ではありません・・・取り付けの練習に励まなくては・・・って言うか春までは電車に限るね)
スリップ事故70件。怪我人1031人。

むかしむかし・・・南国の高知にもドカ雪が降ったことがありました。四万十市からバスで通ってくる教師たちが学校に出てこれず臨時休校になりました。喜んだのは私達子供です。見たこともない雪を、手ですくって食べて見たり、雪投げをしたり、本でみたことのある雪だるまを作ってみたりしました。「眉は炭を持って来て〜目は南天の実をちぎって来て〜。!毎日雪が積もって、先生が来れんかったらええねぇ」ミカン箱を引っ張り出して縄をつけて堤防の斜面を滑りまくりました。いまで言うソリ遊びです。防寒着なんてありませんでしたが寒くは感じてなかったと思います。夕方になると手は赤切れ状態になり、父親が火箸を灰の中で温めてメンタームを溶かして擦り込んでくれました。


[2951] 【3064回 自転車の交通安全指導】 2013-01-16 (Wed)

関東地方が雪で大変なときに関西は比較的おだやかな16日でした。午後から自転車指導の街頭キャンペーンに西九条駅に出かけてきました。穏やかだと言っても寒さで首は亀のようにすっこもってしまいました。此花警察署から7〜8人、此花区役所職員が4〜5名、建設局の方が2〜3人、あとは自転車撤去の市の職員、そして私達のような交通指導の人達が15人程いました。西九条駅のガードの下を通る人達は「一体何事?」と不思議がられるほどの人でいっぱいでした。

西九条駅には有料の駐輪場があるのですが、駐輪場を利用しないでスーパーの路地裏や空き地があれば山の様に駐輪していました。街頭キャンペーン終了後裏通りを視察しましたが「ひどいっ!」の一言に尽きます。トラックへの撤収作業を見守り「1/15撤去しました」の看板を地面に張り、解散しました。有料の駐輪場が敬遠される理由を調べ(有料だから?)利用者のみなさんに有効利用してもらう方法を見いだせたら裏通りが整理整頓されることでしょう。「ここは管轄外だから」と行政同士が譲り合いをする場面が多々ありますが、そんなこと言わずに合同で解決の糸口を見つけ出してもらいたいと区民の一人として切望します。

自転車利用の五原則
@自転車は車道が原則です。歩道は例外。
A車道は左側を通行
B歩道は歩行者優先で車道よりを徐行。
C安全ルールを守る
D子供はヘルメットを着用

(事例)
「歩道を歩いていた歩行者に自転車が衝突」
事故の内容は15歳の加害者A君が夕暮れ時に歩道を無灯火で自転車を運転中、交差点の信号が青色であることに気を取られ、前方から歩いてくる62歳の被害者女性Bさんに直前まで気が付かず、正面衝突しました。Bさんは倒れ頭部を強打し脳幹出血で数日後に亡くなりました。
                     ↓
「裁判の結果」
原告は、加害者A君とその保護者を相手取り3,000万円の賠償金と保護者の監督義務責任を求める訴訟を起こしました。裁判所は保護者の義務責任は認めませんでしたので事故の発生については、A君の過失を認め、A君側は3000万円を原告に支払うことになりました。

(余談)
街頭キャンペーンをしていると、高齢者の方達が話しかけてくれます。「寒いのにごくろうさん」とねぎらいの言葉であったり道を聞かれたりします。16日には「本屋さんはどこ?」と聞かれました。「今まではタクシー乗り場のホラここにあったんですけど、どこに引っ越したか知らないです。ゴメンネ」と答えました。すると別のメンバーが「ああ本屋ならアッチ!に移転したよ」と隧道方面を指さしました。お婆ちゃんは丁寧に礼を述べ姿が見えなくなりました。時間が経過してまたお婆ちゃんが私に近寄り「さっきは偉い目に遭うたわ〜アッチって教えてくれから隧道まで行ったけどアッチじゃなくてソコやないの〜!」と少し怒っていました。「私も知らなかったのでゴメンネ」と言うと「姉ちゃんは知らんってハッキリ言うてくれたけどおっちゃんの方はエエ加減な事言いよる」とブツブツ言いながら姿が見えなくなりました。

        「中途半端な親切はかえって迷惑。わずかな距離なら案内してあげて〜」


[2950] 【3063回 雪の中の成人式】 2013-01-15 (Tue)

2013年の成人式の日は関東地方は大雪に見舞われて飛行機・電車・車など交通機関に多く影響を残しました。雪による関東甲信越地方の被害の状況は、除雪作業中に1人が死亡したほかスリップに伴う追突事故や歩行中に転倒する人が相次ぎ、合わせて463人が怪我をしています。怪我のほとんどの原因は転倒による骨折が多く高齢者に多くみられました。関西では雨が降っており私は家から一歩も出ていません。買い物も行かず、おかげで冷蔵庫の中の大掃除ができました。だいたい我が家の冷蔵庫には日頃からあまり食材が入っておらず「毎日お買い物派」なのです。息子達の家族は1週間分をまとめ買いする方法を取っている様子ですが、我が家は近くにスーパーが乱立していることもあり運動がてらに毎日通っています。しかし悪天候の時は自宅待機!

成人式に向かう振り袖姿のお嬢さんたちは着物の裾を大きくまくり上げて会場へと急いでいました。足袋の交換は持っているのでしょうか気になるところです。テレビカメラが回ると全員が揃って二の腕をむき出しにして「ピースサイン」をしていました。片手でソッと袖口を抑えて・・・なんて教えて貰わなかったのかな?カメラを向けると、いつでもどんな場合でもピースサインをする姿はどうも好きになれません。特に集合写真でピースをされるとモチベーションが下がってしまいます。顔の前でピースをされたりすると、せっかくの記念写真も悲しい結果になってしまいます。T・P・Оを考えてピースサインしてね。

成人式の参加対象となる成人は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日となっていましたが、最近は前年の4月2日からその年の4月1日に成人する人を式典参加の対象にする学齢方式が定着するようになっているそうです。昔は「1月15日が成人の日」と決まっていたのですがこの頃は「1月の第二月曜日」となりました(ややこしいなぁ〜)「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことを趣旨としています。新成人のみなさん!おめでとうございます。

少しでも路面が凍結したり、積雪があると人も車もスリップ事故や転倒事故が起きてしまいます。金沢で住んでいた友人の話によると観光で来られた人達のために金沢の靴屋にいけばブーツの裏に簡単に貼れる滑り止めが売っているそうです。山も同じなのですがアイゼンとピッケルの携帯があれば安全に通過することができます。これからの里山歩きはリュックの中にアイゼンを入れておきたいですね。

勤めていた会社で毎年、有志による金剛山登山が実施されておりました。私も小さな子供2人の手を引きソリを背負い登ったことがあります。登山靴など買う余裕がありませんでしたので、子供たちには長靴に縄をグルグル巻きにして腰ひもで引っ張った記憶があります。帰り道に同行していたおじさんが「おい!この子歩きながら眠ってるぞ〜」と言われソリに2人を乗せて下山したこともありました。懐かしい思い出です。


[2949] 【3062回 大間のマグロ】 2013-01-14 (Mon)

ネパールでは子供も大人も、生きていく事に必死になっていると言うのに、のどかさを装った日本では、釣ったマグロが1億円を超えたとか何とか騒いでいました。しかし私もいったい漁師さんの手元にいくら入るのかという関心はあります。

大間のマグロを1億5000万円で釣った漁師さんの取り分は一体いくらになるのでしょうか。野次馬根性が騒ぎます。

2013年の初競りで東京・築地の中央卸売市場で5日の「初競り」で222キロの青森県大間産のクロマグロが1億5540万円(1キロ当たり70万円)で競り落とされました。2012年最高額の5649万円を超えますが、釣ったマグロ漁師さんの取り分が気になるので調べました。
(あんたはヒマかっ!→ハイ興味のある事はトコトン知りたいのです)

競り落とした寿司屋の親父さんが何度もテレビに映っていましたが「あれっ?このおじさんマグロに似てる〜」飼い主が犬に似る(犬が飼い主に似る)と言う話は聞いたことがありますがマグロもなのでしょうか(笑)1億5540万円のマグロの漁師さんの取り分は一体いくらになるのでしょうか。気になりませんか?

大間漁連経由での出荷で、 手数料として大間漁連4% 青森県漁連1.5% 築地市場5.5%だそうです。したがって漁師さんの取り分として89%に成るのだそうです。

インタビューで漁師さんが1年分の稼ぎが出ましたって言ってましたね。「何に使われますか?住宅購入ですか?」の問いに「まだ何に使うか決めていませんが女房が洗濯機の調子が悪いので新しい洗濯機が欲しいと言っていた」となんと、つつましくて微笑ましいお話じゃあごさんせんか!思いがけない大金が入ると人生の歯車が狂っちゃう人が多くいます。奥様のつつましい心いつまでも続いてほしいですね。

競り落としたのは 寿司チェーン「すしざんまい」さん。香港の寿司チェーンとの競争となり「海外に持っていかれるより、国内で良いマグロを食べてほしい。東日本大震災や経済低迷があるが、日本みんなで頑張ろうと景気づけをしたい」とマグロに似た社長さんは話していました。握り寿司は赤身が134円、中トロが313円、大トロと「あぶりとろ」は418円の通常価格での大盤振る舞い。店の前は長蛇の列となっていました。社長は「赤字覚悟だが、日本を元気づけたい」と笑顔を見せていました。(ほんまマグロ顔やわぁ)

ちなみに1億5540万円の元を取るには「赤身で1万円、中トロで1万5000、大トロで2万」・・・誰が食うねんと言う話になってきます。あれだけテレビで写して貰ったらコマーシャル代を払ったと思い、商売繁盛に繋がるのであれば、まっエエか〜!

日本の食事はご馳走を食べるために行列に並ばなくても、家で炊いた白米だけでも充分美味しいと思っています。これに卵かけでもしたらご馳走になります。日本米と比べるとタイ米は1粒1粒が独立していてパサパサです。これに卵をかけようと、磯じまんを付けようと、味付け海苔を巻こうと美味しくありません。国民性の違いですからタイ米を非難しているわけではありませんが海外旅行に行くときは「赤飯アルファ米」をぜひ旅のお供に入れてあげて下さい。きっとお役に立つこと間違いなしです。



[2948] 【3061回 アイゼン買っちゃいました】 2013-01-13 (Sun)

十日戎の日、芦屋地獄谷にアイゼントレーニングに行きましたが、その時はジョンのアイゼンを借りてのトレーニングだったのです。じつは・じつは・・・私のアイゼンはネパールのガイドさんにプレゼントしてきて戻ってきたのです。彼が2月に受けるクライミングテストに合格しますようにという願いも込めて置いてきました。

いざトレーニングに出かけようとするとハッとアイゼンの無いことに気が付きました。ジョンの予備を借りてトレーニングは滞りなく終わったのですが、やはり自分の道具は欲しくなるものですね。どうしょう〜?買うかどうか迷いましたが「買っちゃえ!買っちゃえ!」と耳元で甘くささやく小悪魔の声が聞こえてきて買うことに決定!足は軽やかに、地図がなくてもロッジ方面に向かっていました。「衣類関係は好日かモンベル。ギア関係はロッジ」と決めているので迷わずロッジに行きました。

ロッジには懐かしい四国訛りのアマノさんと言うおじさんがいます。買い物をしなくてもニコニコと親切に相談に乗ってくれる。帰り際には何も買っていなくても「またおいで」と笑顔で見送ってくれます。この日は姿が見えないので他の店員さんに聞くと「勤務体制は土・日の午後2時から勤務」らしく、では昼食を先に済ませてから再び舞い戻ることにしました。

午後2時を見計らいお店に行くと「いらっしゃ〜い」と四国訛りのアマノさんがいました。「今日はアイゼンを買いにきました。相談に乗ってね」と声をかけました。登山靴を検討中の接客中だったのでウロウロしていたのですが「アイゼンをお求めですか?」と他の店員さんに掴まってしまいアマノさんを横目でチラチラ見ながら他の若い店員さんに対応をしてもらいました。

アイゼンを購入するときは、装着しようとする登山靴を履いて行くか、持って行くかが必要です。購入しようとするアイゼンを自分の登山靴にピタッと合わせてくれます。16000円・・・えらい出費です〜!雪山を安全に歩くためには それなりの道具と技術が必要になります。これも安全登山への投資です。

隣で登山靴を検討していた、若い女性は「ついでにアイゼンも欲しい」と言うことになり装着の仕方をアマノさんに教わっていました。アマノさんは「誰よりも早く付け終えて人のつけるのを見るぐらいの余裕がいる。外す時も誰よりも早く外せるように、何せ雪の中だから時間をかけないのがコツ」とやさしくアドバイスをしていました。自宅に帰り、少しでも早く装着するためにアイゼンに「右・左」と明記しておきました。

雪山を安全に山行するためには、アイゼンや防寒着などが、一秒でも早く装着・脱着のできるように練習をしたいと思っています。雪山に行くには「雪山から戻れる体力、技術、知識、経験」などを考えると私では少々無理があるため「冬眠体制」を取ることにしています。でもスノーシューは行きたいね!


[2947] 【3060回 此花区から交通事故を無くしたい】 2013-01-12 (Sat)

「此花母と子の交通安全クラブ大会」に参加して思う事

まず「母と子」なのに「母」の出席がない。信号無視の張本人は「母」なのになぜ母がいないのか不思議に思いました。来年1年生になる園児が概ね200人はいたのではないでしょうか。区民ホールの冷たい床の上にブルーシートを敷き、園独自で用意した敷物の上に行儀よく膝を立てて座る「体育座り?」をして開会を待っていました。此花警察は来賓席に座っていましたので主催者は此花区役所だと思われます。母と子の大会会長と思われる某幼稚園の園長先生の挨拶、続いて此花警察交通課長の挨拶、どちらも子供向けでわかりやすい。警察署交通課長が3つの約束を子供たちとしました。

@信号を守る
A飛び出さない
B横断歩道は3歩下がって待つ

それぞれに元気よくわかりましたか?の問いに「ハーイ」と答えていましたが、お母さんが問題ではありませんか?少なくても園児の数だけ保護者がいるのですから絶対同席さすべきだと思いました。子供連れで信号無視を平気でする親の姿は子供たちに悪影響です。主催者に保護者の出席を促すよう提案して帰ってきました。

此花区役所パトロール隊によるパソコンを使って紙芝居も子供たちの心を引き付けていた様子でした。楽しいお勉強の後は府警本部音楽隊の楽しい演奏を聴くことができました。警察音楽隊は全員がおまわりさんで音楽隊に入る前は交番勤務やパトカーに乗って勤務をしていたこと、音楽隊を卒業するとまたパトカーに乗ったり警察署で仕事をすることを説明すると「へェ〜」と納得した声が会場から湧き上っていて思わず笑ってしまいました。

「安全・安心の音の架け橋、音のメドレー隊」と「チアガール」の紹介の後6曲の演奏がありました。

@ドレミの歌
A勇気100パーセント
Bトランペット吹きの休日
Cラ・バンバ
Dゆめをかなえてドラエモン
EAKB48メドレー

知っている曲はどこからともなく歌が聞こえて来て大合唱。AKB48メドレーの曲なんてキャーキャーとすざまじい黄色い声援が沸き起こっていました。欲を言えば、季節の歌なども入れて貰えたらと思いましたが唱歌離れなのでしょうか・・・・

(おまけ)
私は大阪府警本部の音楽隊のファンで、事あるごとに「アンコール!アンコール!」っておまけの1曲を演奏してもらっていました。ある日指揮者の指導官がわたしの前に来られて「いつもアンコール曲は用意していますがアンコールの声が掛からなかったときは寂しいのです。いつもありがとう!」と言って握手を求められたことがあります。残念なことにこの指揮官は去年定年で退官されたそうです。

大阪府警察コミュニティープラザでは、大阪府警察音楽隊や、一般の方々による「NESSO“WITH”コンサート」を開催しております。場所は曽根崎警察署地下(梅田地下街・ホワイティうめだ)です。NESSO“WITH”コンサートは、音楽を通じて「警察」をより身近に感じていただくために開催しています。開催時には大阪府警からみなさんが犯罪にあわないための情報や、交通安全に関するお話しをさせていただいています。開催日はインターネットで調べてからお出かけくださいね。


[2946] 【3059回 アイタタタッタ?】 2013-01-11 (Fri)

アイゼントレーニングを終えての帰り道、異様に足が重く、この調子なら明日は「アイタタタッタ病間違いなしやなぁ」と思って昨夜は眠りにつき、今朝目覚めました。ところが3階から降りる足取りは軽ろやかではありませんか!やった〜後遺症なしや〜!

今日は「此花母と子の交通安全クラブ大会」があり、出席の予定です。此花区にある各幼稚園・保育園の子供たちが安全について学ぶ大会です。私達地域交通安全推進委員協議会メンバーも子供たちと一緒に安全について一役買おうというわけです。幼稚園代表挨拶・警察署挨拶・園児代表挨拶・此花区役所パトロール隊による紙芝居・府警本部音楽隊による演奏などがプログラムに織り込まれています。

信号待ちをする我々の横を「早く渡りなさい!」と赤信号にもかかわらず子供に無理強いしているお母さん達をよくみます。そりぁ私とて五歩も進めば渡れるような短い信号では「ええいっ!行っちゃえ〜」と渡ることもあります(ゴメン)しかしその場に子供がいれば五歩の信号でもきちんと守ります。矛盾を指摘されるかも知れませんが子供たちの前では正しい横断をしてほしいと思います。今日はそんな純粋な子供たちに出会えるのを楽しみにしています。

子供やお年寄りのありえない行動によって交通事故を引き起こします。昨日のことです。芦屋の高級住宅街を歩いていると車がバックしていました。なかなか駐車場に入れないのか何度も切り替えしています。待ちきれなくなった歩行者とバイクがバックしている車のすぐ後ろを通過しました。「引いてくれ」と言わんばかりの行動です。つい先日も女性アナウンサーが駐車場内で死亡事故を起こしていました。車の前後は危険であることを、もっと日常に子供たちに教えなければなりません。

我が家では子供たちが乗っているときは先に下ろして家の中に入れてからガレージに車を入れる習慣にしています。「ここで待っててや〜」と言っておいてもどう動くか想像もつきません。またガレージから車を出す時も、家の中で待機させます。「よっしゃ」と言ってからしか車に乗せないようにしています。預かった大切な子供たちに何かあったら、とりかえしがつきません。おじいちゃんがバックをしていて孫を引いた話、よく聞きます。その時決まって言うセリフは「車から離れていたはずや」と。自宅のガレージでの事故は多いのです。

  「気を付けましょう 子供の動きは 宇宙人」・・・姫作(いまいちやなぁ)


[2945] 【3058回 初登り】 2013-01-10 (Thu)

アイランドピークから戻った11月から、一度も山の土を踏んでいませんでした。どこかに行きたい、行かなくっちゃあ!でも体が動かない・・レポートが書けないよぉとあせりつつも2ケ月という月日が過ぎてしまいました。戎さん便りが聞こえてくる10日、やっと相棒も「どこかへ行こかっ!」と言う気分になったのです。人はみなこの時期、雪原に足跡を残していると言うのに、ちょっと出遅れました。初登りは六甲地獄谷アイゼントレーニングと決めました。

リュツクの中は登攀道具、雨具、ヘルメット等で10sくらいはあります。久々に重い荷物を背負った気がします。ヒマラヤではポーターさんが荷物を運んで下さり自分自身は合羽と行動食、500ミリリットルの飲料水などせいぜい5sから7sでした。だからなのかズッシリと肩に食い込む気がします。

外はそんなに寒さを感じることはありません。阪急電車芦屋川駅は平日ということもあり広場には登山者らしき人が1名だけ誰かを待っている様子でした。「身体が重たいなぁ〜」「足が上がらんなぁ」と言いながらきつい上り坂を言葉少なに歩いていきました。本当に今日は誰も見かけません。ときおり朝の散歩を終えた近所の人達が戻ってくるぐらいです。地獄谷に降りてジョンはパッチを脱ぎ、ハーネス・アイゼンを装着しました。ピッケルはアイランド登頂記念の「アイカワ・ピッケル」で本日が初の使い始めとなりました。

サメ岩を過ぎたところにアイゼントレーニング時には無視して通過してはいけない大きな岩場があります。出発当初、姫が「今日はあの岩は登りたくな〜い!」と訴えていたのですが岩の前でジョンの足がピタリと止まりました。「登れって言う事?」と聞くと「あったり前や!」と言われ、ピッケルを用いて右足、左足と何とか落下せずにクリアしました。降りると足がブルブルと震えていました。こわかったです。

間もなく小便の滝に到着です。ここからA懸尾根を通り風の無い所を選んで早めの昼食を済ませA懸岩でクライミング練習をすることにしました。アイゼン・ピッケルを持ち、リードで登ります。お互いが2回登攀練習を終え、ことのほか疲れてしまったことから第一鉄塔にあがり中央稜を通り戻ってきました。高座の滝の横にあるお稲荷様に怪我のなかったことを感謝して手を合わせました。

詳しくは後日、写真とともにレポートでご覧頂きたいと思います。


[2944] 【3057回 届かなった年賀状】 2013-01-09 (Wed)

お正月は何と言っても、子供たちはお年玉、大人は年賀状ではないでしょうか。年末に年賀状を書きながら相手の顔を思い浮かべつつ、手書きコメントを少し書き加え「元旦に着きますように!」とポストに投函しました。住所の不明な山のお友達はメールで年賀状を添付しました。(ご無礼をお詫びします)元旦の朝は何度もポストを覗きに行きバイクの音とともに「ドサッ」と音がしたら走って取に行き、年賀状の束を抱えてコタツの中にもぐりこみます。宛名ごとに「会社・親類・山仲間・ウオーキング・同級生」のインデックス毎に分類します。それから、ゆっくりと楽しむのです。「ああ正月が来たなぁ」と思う瞬間です。

元旦にドサッと到着した年賀状。その後は年末ギリギリに投函したであろうと思われる分が2日、3日とパラパラと到着します。4日以降は明らかに私の年賀状が届いてから書いたと思われる年賀状ばかりです。4日以降到着の年賀状はリストから外します。リストから外れた分は翌年から「年賀状を頂いたらお返事を書くボックス」に入ってしまったのです。そんな鬼のようなボックスがあるのです(ギャッハッハッ〜!)

毎年必ず届いていた同級生の年賀状が2年連続で届いていません。去年は生死の境をさまよい入院中だったらしく、ひょっとして今年も病気か?と心配になり連絡をとりました。すると「12月25日までに投函したでっ〜!着いているはずやっ!」と言われ200枚ほどの年賀状を再度、丁寧に見ましたが、やっぱり到着していません。その旨を連絡し元気で何よりだと懐かしい声の交換をしました。それにしても出したはずの年賀状どこに舞い込んだのでしょうか?

毎年交換している年賀状は「到着ならば安心・未到着ならば心配」のバロメーターとしています。年賀状が届かなかったら私は病気をしています。安否確認をお願いします(大笑)どうせ投函するならば頑張って元旦に到着するように努力したいと常々心掛けています。

パソコンの普及により、むかし大人気だった「プリントごっこ」の本体及び部品の販売を中止したとメーカーが発表しました。子供たちが幼いころは手をインクだらけにしながら楽しく作成した頃が懐かしく思い出されました。メーカー側は時代に合わなくなったとの見解でしたが現在も使っている方達は今後どうすればいいのでしょうかねぇ。

どの年賀状も完成度も高く美しい仕上がりです。私は1年間の生活の中で印象に深い写真を載せて少しだけコメントを書くようにしています。それにしても今年は喪中葉書が30枚とやたら多かったです。私達も親や兄弟を見送る年代になったという事でしょうか。喪中葉書を頂いた人たちには、鏡開きが終わった頃「寒中見舞い」として投函するように準備をするところです。


[2943] 【3056回 目的に合った場所選び】 2013-01-08 (Tue)

忘年会・新年会・互礼会・壮行会etc.とグループで食事会をする場面が1年に何度かあります。幹事は目的に合った場所選びに苦労して設定しても全員が満足するとは限らないし幹事自身が失敗だったなぁと思うこともあります。要するに会費に見合った料理と目的に合った場所選びが大切だと思います。

私は総務部と言う立場で協力会社の互礼会の場所選びに永年苦労をしてきました。「会場を探す手間が省けるので毎年同じ場所がエエ」と言う人もいれば「たまには違った場所にして欲しい」と言う人もいます。この会はそれぞれの会社のオーナーの集まりで、お金に糸目はつけませんでした。しかしバブルが崩壊してからは経費節減のため、会社のホールを使用してレストランから出前料理人に来てもらいパーティをしました。ホテルでするより費用も少なくて済み、アットホームで評判も良かったことから景気が回復してからもずーっと続けていました(現在は廃止)

警察関係の互礼会の会場を、地域の施設を平等に利用しようと言う配慮から1年ごとに交代していたのですが参加者が勘違いして会場に行くことから、いまでは同じ場所にて開催となりました。私も「此花区民ホール」と「此花会館」を勘違いして慌てた苦い経験があります。加齢に伴い、出かける前にもう一度会場と時間の確認はいりますね。

つい1ケ月前の12月9日の事です。関西に住む故郷の同級生たちと食事会をすることになりました。遠くは岡山まで声をかけ、限りなく大阪駅周辺と言うことで「大阪マルビル」これなら誰でもわかるだろうと地図も入れて案内状を郵送しました。

当日早めに集合ができたものの1名だけ大阪駅に到着しているもののマルビルがわからないと言うのです。「まぁるいビルが見えちょるけん」と説明しても視野範囲に丸いビルはないと言います。そんなら迎えに行くから動かないでと言い置き迎えに行きましたがどうも出会えていないらしく定刻を過ぎてしまいました。また別の人が迎えに行き、やっと戻ってきて事なきを得たのですが・・・

大阪駅のどの位置からでも見えていたマルビルが、廻りの建物が高くなりすぎて見当たらないと言うことがありました。バイキングの個室を予約していましたので遅れた時間が気にかかりましたがお店の人の粋な計らいで遅れた時間からスタートしてくれ賑やかにお喋りが出来ましたが、バイキングと言うシステム上、時間制限があり「90分」「120分」で料金が違うため幹事としては何度もお財布とにらめっこしたことがありました。

そして年も明けた1月6日に再び「マルビル」を待合場所にして山仲間との再会がありました。集合時間より早かったため仲間の到着を待つ間に会場探しをすることにしました。同窓会メンバーと使用したレストランは時間制限があり、落ち着いてゆっくりお話しができません。ウロウログルグルした結果、場違いの様に広くて静かな入り口を見つけました。値段も高くありません。今日の目的は「美味しい食事をする」のが目的ではなく「ゆっくりとお話しができる」の時間余裕が目的です。

待ち合わせ場所に降りて行くと全員そろっていました。お友達にお勧めの店があるかどうか尋ねてみましたら「お任せ」と言ってもらえましたので下見をした店へ入りました。この店のシステムは予約者は個室、予約無はテーブル席となっているようでした。帰りに迷子になりそうなほど曲がりくねった一番奥の席を案内され「おっ!ここなら粘れるな〜」と互いに顔を見合わせて新年の挨拶を交わしました。

食事は大きなお盆にすべての料理が乗っかっており一度オーダーを出せば後は静かに食べたりお喋りができます。「あのぉ昼の部の閉店時間なのですが〜」と言われるまで3時間!

お料理は「こりゃあ旨いっ!」と言う品はお世辞にもありませんでしたが3時間いてビールと食事とコーヒーで2200円とは安いでしょ?りっぱなお店だと気に入っています。これからの同級生の集まりもこの店に決めたいと思います。もう迷わないでしょ?。同じ場所と言うのも大事です。同じビル内でもお店を変えれば新鮮です。


[2942] 【3055回 迷惑な登山者】 2013-01-07 (Mon)

★こんな登山者がいるから一般登山者が迷惑する★

「一蓮托生」この言葉を、ここで使っていいのかどうか、不適切と言われるかも知れませんが、山を登る者すべてがこのバカ者(失礼・・若者)と、一括りにして批判されることがないように祈るような気持ちでいま書いています。

先日、富士山で道迷い遭難した少年(19歳)二人が救助されました。共に軽装で、冬登山な格好ひとつしておらず、ましてや食料すら持ってない、思いつきでふらっとやってきて遭難した最悪のパターンでした。ちなみに、同時期に遭難報道された男性登山者は遺体となって発見されました。救助された少年二人もそうなっていてもまったくおかしくない状況で、助かったのは運なんかじゃない!救助隊の方達の命を懸けた努力のおかげだぞ!。傍にいればド頭のひとつもゲンコツを入れてやりたい気持ちです。

この少年達は、富士山で遭難し、3日深夜に標高約1870メートル地点で救助されました。革ジャン、チノパンで「軽いノリで登った」ことが明らかになりました。山をなめていると言うか命の重さを知らないと言うか人騒がせな少年が今後の日本を担っていくのかと思うと・・・(アレレ?善良な若者も沢山いるのに「一蓮托生」的にしてゴメン)ひとつ間違えれば惨事につながっていてもおかしくない騒動だったと思います。

静岡県警富士宮署によると、友人同士という少年2人は3日午前、自宅のある新座市を車で出発。正午ごろに富士山の約1500メートル地点に到着し、閉鎖中の富士山スカイラインの入り口付近から入山した。少年Aは革ジャン、チノパンにスニーカー姿。少年Bはダウンジャケット、ズボン、革靴という軽装で、雨具や懐中電灯、テントなどといった登山用装備は持たず、ザックも食料も持っていない「手ブラ状態」での入山だったそうです。

日も暮れた午後5時40分ごろ、迷子になった2人は携帯電話で消防に(消防署へっ?)「道に迷った」と救助を要請。県警の山岳遭難救助隊が約6時間にわたって捜索した結果、午後11時45分ごろ、沢の近辺で動けなくなっている2人を発見、救助しました。標高約1870b付近で救助当時、天候は荒れており、降雪に加え強風も吹いていたという。気温氷点下13度、積雪20センチの暗闇の中で助けを待っていた2人は、救助隊に「助かりました。軽いノリで登りに来ちゃいました。もう来ません」などと話し、救急車で病院に搬送されたが、けがはなかったため帰宅させたそうです。

●「冬の富士山は怖い」
「常に遭難の一歩手前と思う事」
「訓練なしで登るのは死に場所を見つけに行くようなもの」
「富士山や北アルプスでは2、3日吹雪くのは当たり前。救助を求める人が多いのは、十分な予備日を取っていないから」
「引き返すポイントがない場合、5日間の日程なら10日分の食料、装備を持って入山すべき」と関係者は登山者に呼びかけています。

登山者ともいえない人たちが起こした遭難騒ぎでも、世間的には善良な一般登山者も、ひとくくりにされてしまいます。あまりに無謀な登山者が増加するので入山料や捜索救助費用の自己負担などの話が浮かび上がったり、登山は危険な“お遊び”だとなじられたり、山を愛するまじめな登山愛好者までもが迷惑を被ってしまいます。

冬の富士山は死に直結する場面が多い危険なお山なのは分かってるんだから、冬期の入山を完全にコントロールしている谷川岳のように冬の富士山も管理できないものでしょうか?人命優先なら、条例でも何でも規制をかけられるはずなのですが。ヘルメットの着用の義務もなかなか規制をかけられない。事故が起こってから対処するのが、なんともはがゆい〜!


[2941] 【3054回 正月の山岳事故】 2013-01-06 (Sun)

お正月登山であちこちから遭難事故を伝えるニュースが続出。明日は我が身と思い、遭難事故の原因などを詳しく知りたいところであります。(下記はいずれも第一報の記事につきその後についてはこの限りではありません)救助される事を祈っていますが、悪天候というだけではなくて、遭難の原因はどうだったのか詳しく知り、事故を未然に防ぐ努力をしたいと思っています。

●北アルプス明神岳 登山の2人不明

北アルプス穂高連峰の明神岳で、登山をしていた男性2人(愛知県の34歳の男性と、名古屋市の35歳の男性)が、先月31日昼ごろ、テントを出たまま戻らず、行方が分からなくなっていて、警察は遭難したおそれもあるとみて捜索。警察によると、2人は山岳会の仲間と3人で、先月30日、4泊5日の予定で長野県松本市の上高地から穂高連峰に入りました。そして、31日昼ごろに、明神岳の中腹にあるテントを出たあと、夕方になっても戻らないため、夜、もう1人の仲間が下山して、警察に通報したということです。現場では31日昼に吹雪がやんで天気が回復したことから、2人は先のルートを確認するために出発したということです。警察によりますと、通報した男性は、2人はすぐに戻る予定だったため、ピッケルしか持たず、テントから少し離れた場所には雪崩が起きたようなあともあったと話しているということです。

●西穂高岳 登山の男女2人が動けず

北アルプスの西穂高岳で、登山をしていた神奈川県の男女3人のうち2人が、凍傷や体の衰弱で動けなくなり、警察は天候の回復を待って、救助に向かうことにしています。1日午後3時半前、北アルプスの西穂高岳を登山していた40代の男性から、「一緒に登山していた男女2人が動けなくなり、救助してほしい」と警察に通報がありました。登山をしていたのは神奈川県の男性2人と女性1人のグループで、先月28日に岐阜県高山市の新穂高から、西穂高岳を目指して登山を始めましたが、このうち50代の男性が凍傷を負ったほか、60代の女性も体の衰弱のため歩くのが困難になったということです。現場は雪が降り続き、風も強く視界が悪い状態で、警察は天候の回復を待って、2日朝から3人の救助に向かうことにしています。

●北アルプス・大天井岳 2人身動き取れず

長野県の北アルプスの大天井岳で、登山をしていた男女2人が、悪天候のため身動きが取れなくなっているという通報があり、警察などは4日、救助に向かう。3日午後1時半ごろ、「北アルプスの大天井岳の中腹で、男女2人が動けなくなっている」と男性から警察に通報がありました。
警察によると、動けなくなっているのは、37歳の女性と、26歳の男性で、ほかの2人の男性と共に、先月30日に4泊5日の予定で、長野県安曇野市から北アルプスに入山しました。そして今月1日に、体調の悪かった1人を残し、3人で山小屋を出発して大天井岳に向かいましたが、悪天候のため、途中で野営をしていたということです。その後も、天気が回復しないため、3日午前7時ごろ、36歳の男性1人が山小屋まで戻って警察に通報したということです。現場付近は先月30日ごろから吹雪が続いているということです。

●富士山で福島市の男性遭難か?埼玉の2人も救助要請

@3日午前11時40分ごろ、福島市の男性(39歳)の親族から「富士山に出掛けたまま戻らない」
と静岡県警に連絡があった。親族から連絡を受けた御殿場署によると、1日に「富士山にいる」
と家族に伝えた後、連絡が取れなくなった。御殿場署は、登山道の入り口で男性車を発見した。

A3日午後5時40分ごろには、静岡県側の富士山に登山に来ていた埼玉県の男性2人から携帯電話で「道に迷った」と119番があった。県警は遭難の可能性があるとみて計3人の行方を捜している。 富士宮署によると、埼玉県の男性2人はいずれも19歳。下山途中に宝永山南側付近で道に迷ったとみられる。2人は「けがはしていない」と説明しているが、懐中電灯や食料は持っていないという。

●アルプス 大阪市の男性遭難か

南アルプスの北沢峠で無人のテントが見つかり、持ち主とみられる大阪市の男性と連絡がとれないことから警察は遭難したおそれもあるとみて捜索。警察によると、1日の午前、南アルプスの標高およそ2000メートル付近の北沢峠にある山小屋から「無人のテントが放置されている」
という通報があり、テントを調べたところ、大阪・天王寺区の60代の男性の名前や連絡先が書かれた「登山カード」の写しが見つかりました。カードには、先月29日に長野県伊那市から山に入り、今月2日までに、甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳に登るという計画が書かれているということです。

●北アルプスの剣岳で遭難

富山県の剣岳では、3日に下山予定だった東京の女性(33)ら4人と連絡が取れなくなっている。
警察によるヘリコプターでの捜索では、標高1,300メートル付近で、登山者の位置を知らせる発信機の反応があったものの、4人の姿は確認できなかったという。

●谷川岳登山の男性、下山できず…7日捜索へ

6日午後4時55分頃、群馬県の谷川岳(1977b)で、栃木県の男性(47歳)が下山できなくなったと、家族を通じて110番がありました。群馬県警沼田署によると、男性は携帯電話で、同署に「山頂付近でビバークする」と話しており、けがはないという。同署は7日早朝から捜索する。 男性は6日午前7時頃から1人で入山。下山途中の同日午後4時半頃、道に迷ったことを家族に携帯電話で伝えてきた。当時、山頂付近は雪が降っていたという。簡易テントや食料は持っているという。

番外編●鳥海山遭難スノーモービル「乗りたい一心だった」

秋田、山形県境の鳥海山(2236b)で2日にスノーモービルで入山したまま下山できなくなり、4日に無事救助された男性8人。「ご迷惑をおかけし、申し訳ない」と謝罪した。4日も早朝から吹雪が吹き荒れたが、県警など対策本部は、遭難者の携帯電話のバッテリーが尽き始め「暖がとれない」との情報もあったことなどから、捜索再開を決断した。  救助され、記者会見した男性(50歳)らによると、8人は2日は山小屋付近の沢の斜面にスコップで深さ約2メートルの雪洞を二つ掘り、一夜を過ごしたという。4人座ればぎゅうぎゅうの広さの穴の中、持っていたガスバーナーで暖を取り、時々携帯電話の電源を入れ、時間を数えながら、寝ずに過ごしたという。悪天候なのに途中下山しなかったことについて、「(スノーモービルに)乗りたい一心だった。ヒュッテで食事していると雷が鳴り、やばいと思って戻ろうとしたが、遅かった」と話した。8人は、少なくともスノーモービル歴5年以上の経験者ばかりだったという。遭難者らは救助隊のスノーモービルに同乗して下山した。ビバーク地点付近に残る遭難者のスノーモービルは今後、遭難者や仲間らが一斉回収する。

以上が正月に起きた遭難事故の詳細です。すでに救助されたり、心肺停止の人は死亡が確認されたりと悲喜こもごもではあります。いつもながら救助隊の方達の命を懸けた救助作業にただ、ただ頭の下がる思いです。


[2940] 【3053回 もっと早く知るべきだった】 2013-01-05 (Sat)

テレビ番組で「世界の果てにある日本食堂」というタイトルで世界の各地にある有名な日本食堂を紹介していました。「次の紹介はネパールです」と言うアナウンサーの声に反応して、台所の片付けの手を止めしばらく見ていました。ホテル・エベレスト・ビューのオーナー宮原巍氏(みやはら・たかし)は日本大学山岳部在学中の28歳の時にヒマラヤを訪れた際、現地の人々の心のぬくもりに触れ、またネパールの人々の貧しい生活を見て、この人達のために何か出来ないものかと1966年ネパールに移住してきたそうです。

ネパールの人々が豊かな観光資源を活用できてないことに気が付き3885bの地にホテル建設を思い立ち日本大学ОBたちからエベレストの標高8848bと同じ額の8848万円を借り(その頃の大卒の給料が2〜3万円ですから現在に換算すると8億8千万円)ホテル・エベレスト・ビューを完成させました。完成に要した延べ人数は20万人、3年かかったそうです。現地の人達は働く場所が貰えて大層喜んだそうです。1971年に完成。

世界でもっとも高い場所にあるホテルという事でギネスに登録されています。ホテルの裏に広い台地があり空港も一緒に建設することにしたそうです。「日本食を食べて貰いたい」との願いでエベレストビューの名物は親子丼だそうです。外国人はこの親子丼を食べたいためにこのホテルに立ち寄るほどの人気だそうです。そういえば「はぐれ隊のウッチー会長」がここでチキン丼とケーキを4540ルピー支払って食べたとレポートにありましたなぁ。さぞ美味しかったんでしょうねぇ。なお宮原社長は日本人だというと気さくに話しかけてくださるそうですがこれも調査不足ですねぇ。お会いすることはできませんでした。

出発から5日目の10月25日にエベレストビューで昼食を取った時メニューにはチキン丼はなかった気がします。それにツアコンもガイドも教えてくれなかったなぁ(知らなかったのかもね)ツアー客に見せるメニューにはチキン丼が高額のため載って無かったのかも知れません。でもあの時、知っていたら別料金支払ってでも食べたのに残念です。

カトマンズからYANGBOCHEというところまで飛行機を利用した外人登山客がいて着陸後すぐに前進しようとしていました。ガイドが「死ぬ気か!」と怒鳴っていました。高度を下げてナムチェバザールまで歩き高度順応しないと高山病にかかるのだそうです。私達が何日もかけて自分の足で歩いて高度順応するのと違い飛行機でひとっ飛びすると必ず高度障害を起こすそうです。

著書には
宮原 巍 「ヒマラヤの灯」文芸春秋     初版1982年
宮原 巍 「還暦のエベレスト」山と渓谷社   1995年刊があります。


[2939] 【3052回 年頭のご挨拶】 2013-01-04 (Fri)

明けましておめでとうございます。
旧年中は沢山の方に応援して頂き大変感謝しています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年を風邪もひかず健やかに迎えることができました。何よりの財産だと思っています。昨年後半はアイランドピーク山行で明け暮れましたがさて今年はどこを目指していいのやら・・・戸惑いを感じています。ある岳人が言いました「最初にアルプス登山をすると悲劇の始まりだ。アルプスの美しさと満足感が大きすぎて、その後どの山に行ってもあれ以上の感激が湧かない」・・そうかも知れませんね。

「高度を求めて山に登る」のか、「頂上までの自然を楽しむ」のかで、楽しみ方が違ってきますが、65歳を目前にして体力に見合った登山を楽しみたいと思っています。無理をして山岳救助隊のお世話になっては申し訳ありませんから、中高年は安全登山で「ビスタリー!ビスタリー!」です。

@ 元 旦
早朝午前6時にケンタッキーへ1年間留学する姪の娘を見送りに伊丹空港へ行きました。本人たちに内緒にしていましたので空港で私達の姿を見つけた時の驚き様は今思い出しても笑えます(ネパールに出発時、深夜にも関わらず見送りに来てくれたお返しよ!)

伊丹から成田への乗り継ぎケンタッキーに向かう方が、乗り換えが少なくて済むのだそうです。そういえば私達もバンコクで6時間も乗り継ぎ待ちがありました。私達は5人でしたのでビールを飲んだり雑談したりして何とか時間を潰しましたが、20歳の娘ひとりだと不安でしょうね。これも試練、あれも試練。

ホームシックにかかった時は甘い物が慰めてくれると思い、日本のお菓子(マーブルチョコ、キャラメル、のど飴、むき栗etc.)を小さなバックに満タン詰め込み、荷物になるけれど空港で渡しました。息子からはドル紙幣の餞別を預かりました(現地ですぐ使えるようにって・・気が利いてる〜!)外国のお菓子の味は香料がきついと言うか、何と言うか、どこか違うのです。勿論美味しいのもありますが現地に慣れるまではしばらく食べられるでしょう。夏休みなどを利用して帰国する生徒もいるらしいですがトモちゃんは帰国せず現地での生活をとことん体験するとのことでした。空港での出迎えはいいけど見送りは・・やはり寂しいね。空港には大学の友人やら、バイト先の仲間やら15人ほどが一列になって並んでいました。この人達もサプライズみたいです。母ちゃんは、飛びたつ飛行機を見上げて号泣していました。トモちゃんも母ちゃんもガンバレ!

元旦の正午からは我が家恒例の互礼会。息子家族が全員集合して新年のご挨拶。そしてお年玉渡し。子供たちの一番うれしい瞬間です。大人は食事しながら歓談し、子供たちは家中走り回り、2階の床が抜けるのではないかと思うほどでした。みんな元気でスクスクと育っていることに、家庭を守ってくれている、お嫁ちゃん達に感謝をしました。

A 2 日
私の実家となる姉の家へ集合です。トモちゃんが抜けたけど大人11人、青年達3人、チビッ子軍団4人と狭い家なので座るところもありません。とりあえずみんな揃ったところで一刀水の奉られている神棚に手を合わせ、新年の挨拶を済ませました。お年玉の交換を済ませ、会場を「四万十」という店に移動し、新年会がスタートしました。司会進行役は8歳の男の子、なかなか名調子で進行してくれました。8歳の子に「今年の抱負を順番に言って下さい」と言われ大人たちは、しどろもどろでした。(笑)あとは〜シッチャカメッチャカ〜。まっ正月だからいいかっ〜

B 3 日
これまた恒例の門戸厄神まで初詣と相成りました。家族みんなの健康を祈願し、我が家に戻り昼食を兼ねた大人の新年会を済ませました。平凡な3ケ日でしたが全員が揃って挨拶をかわせたことが何よりの幸せと思っています。

さっ!これでお正月気分はおしまいです。気を引き締めていきましょう。皆様にとっても2013年が輝かしい1年でありますように!今年もよろしくお願い致します。


[2938] 【3051回 2012年を振り返って】 2012-12-28 (Fri)

★2012年を振り返って★

何と言っても5月に「播磨アルプス・桶居山・鷹巣山」を最後にやまたび倶楽部の休止宣言をしたことが大きかったのではないでしょうか。リーダーの体力低下とともに参加者もまた加齢による体力低下が大きいのかだんだん参加人数が減ってきました。どんな企画を立てても参加者が10人にも満たないときのショックは大きいです。リーダーの苦労もここらへんで解き放してあげたいなと思ったりしました。自分自身の山登りを楽しんで貰いたいと休止宣言に賛同しました。一時は中型バス1台借り切り、東北・北海道を除く日本全国、山さえあれば、どこにでも出かけていたのですがこれも仕方のない現実と覚悟を決め播磨アルプスに参加の皆様にその旨を伝えてお別れしました。昨日のことのように思い出されます。

2012年は「アルプスシリーズを歩こう」と年頭にスケジュール表を発表しましたので1月の和気アルプス、2月の新龍アルプス、3月の小野アルプス(実施したのは2/28)4月の湖南アルプス、5月の播磨アルプスを予定通りこなしました。その後はプライベードで倶楽部の仲間たちと8月には「白馬連峰縦走・不帰ノ嶮越え・八方尾根〜白馬三山〜白馬大池〜栂池」のロングコースを実施し、それぞれが自信をつけたことと思います。

わが倶楽部恒例のスノーシュートレッキングは1月に赤坂山に出かけたきりとなりました。個人的にはロープワークを忘れない為に天気の良い日はクライミングギヤーをリュックに詰め時にはアイゼントレーニングであったり、時にはアルパインルートを歩いたりしました。冬の八ヶ岳「根石・天狗・硫黄」では八ヶ岳名物の強風にあおられつつも、動けなくなったジョンをロープで引っ張り上げたりして、今までと違った自分を見つけました。きっと私にリーダーの大変さを身をもって教えてくれた山行だったと思っています。沢山の経験を積み重ね「もうちょっと難しいコースにもついて行けるかも知れない」そんな気がした頃、ネパール人のビシャールさんとの出会いがありヒマラヤ行きの話が夢ではなく実現するかもしれないという希望に変わりました。

それにはジョンの体力回復が最優先で、蓬莱峡、地獄谷、佐土新尾根、有馬越え、歩荷訓練などのトレーニングを重ねつつ、クライミングを習いたいという新しい仲間の講座を実施したり、夏山トレーニング「地獄谷遡行・行動食・荷造り講習」などを実施し忘れている項目について脳に刺激を与えたりしました。

8月には「NHK小さな旅」の収録のため10日間、富士見平小屋へ滞在しました。その間に小屋周辺の登山道の修理、棚・椅子などの備品の修繕や新作のお手伝いをしました。いままでになくおもしろかったです。無事収録が終わり放映されて見ると関東圏からの登山客がドッと小屋に押し寄せてスタッフが足りないという事で再度9月の連休にお手伝いに富士見平小屋に参上いたしました。今年は忘年会も含めて何と6回(?)通ったことになります。小屋のグッズ販売は未知の体験で、とても愉快な体験ができました。

7月には「噴火レベル1の山・浅間山」、「真田家ゆかりの山・四阿山&根子岳」、「 活火山の山・草津白根山」「花の名峰・伊吹山」を楽しむことができました。不覚にもこの時右膝に水が溜まるという膝痛を初めて経験しました。しばらく治療を続けながら、いよいよヒマラヤ行きの決心を固めることとなりました。膝痛が完治しなければとても20日以上連続して歩くことはできず整体に行ったりしながら何とか出発までに完治(?)し膝サポーターとロキソニン湿布薬を荷物に入れて出発することができました。

ヒマラヤでの感想はレポートに詳細を書きましたので、ここでは省略します。日本の良さ、日本の文化について再認識できた貴重な旅でした。

1年間皆様からの温かい応援を頂きましたこと、心より有難く感謝申し上げます。新年も体力に見合う登山を楽しみながらレポートさせていただきたいと思います。どうぞ皆様よいお年をお迎えください。ごきげんよう!

年末年始の書き込みをお休みします
「12月29日〜1月3日まで


[2937] 【3050回 我が家のサンタさん】 2012-12-27 (Thu)

いつのまにかみんなが寝ている間にサンタさんがプレゼントを持ってきていました。みんなが欲しいって言ったものが大きな袋の中にはいっていました。今年のサンタさんはあわてんぼうで3階のベランダに赤い帽子を忘れて帰っていました。ももちゃんが言いました「サンタさんの帽子がなかったら寒くてかわいそう〜」でも・・どうしてサンタさんに忘れ物の帽子を届けていいのかわかりません。今年のサンタさんはお空から来てベランダから入ってきたと言う証を残して帰ったという設定でした。来年は3年生・・・もうそろそろサンタの正体を知るお年かなぁ?

姪の子供たち(現在20歳)が子供の頃には実物大の動くサンタさんがやって来てプレゼントを手渡していました。あわてんぼうのサンタさんは仕事用の黄色の靴下をはいたままサンタさんになったので子供たちから「あっ!サンタさんがお父さんと同じ色の靴下を履いてる〜!」と不思議がられ翌年からは実物大のサンタさんは現れることなく両親からの贈り物としてめでたし、めでたしでした。

夢を与えることはいいことだとは思いますが学校で友達と話をするときに、あまりチグハグであってもバカにされてしまいます。大人たちもまた叶わぬ恋を実現さすためにクリスマスに便乗してプレゼントを渡したり、下心のある上司は部下に・・(笑)若かりし頃のそれぞれの思い出があるのではないでしょうか。

クリスマスが終わるとスーパーなどは正月用品にガラリと変わります。かと言って野菜などは鮮度もありギリギリにしか購入できません。結局毎年の如く30日・31日とバタバタと遅くまで台所に立つ例年行事となってしまいます。あ〜どこか正月のない国に行きたいわっ〜

年末年始は飲酒運転取り締まりの強化がはじまります。「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」あたりまえのことですが飲酒で検挙される人が後を絶ちません。「乾杯の一杯ぐらい・・・ちょっとぐらい」で歯止めが効かなくケースが多くあります。お正月は子供たちのいる家はどうしても車の方が便利です。その時は「ハンドルキーパー」をきちんと決めて飲酒運転のないようにして下さい。飲むと8時間は体内に残っていることを計算して下さい。12時間体内に残っているという人もいます。体質によってさまざまですので「飲んだら乗らない」これが一番安全です。急な接待で車で出かけたけれど宴席に出る場合は代行運転もあります。どうぞ年末年始は無事故無違反でお願いします。年末年始のご挨拶等は電車やタクシーに身をゆだねるのも安全の秘訣です。忘れないでくださいね〜!(お前は警察の回し者かっ〜っ?・・・そうなんです。私は此花区交通安全推進協議会のメンバーなのです)だから一人でも多くのみなさんに交通事故の恐ろしさを知ってもらうのが仕事なんです。「おみやげは 無事故でいいの お父さん」