[3966] 【4224回 10年ぶりの金比羅山】 2016-05-15 (Sun)

こんぴらさんと言えば四国・香川県の金比羅さんを思い浮かべますが、クライミングを愛好する人にとっての、こんぴらさんは「京都・金比羅山」なんです。

koumeiさんにお誘いを受けて、車の提供も受けて、運転もお任せの来賓扱いで気分よく出掛けました。

「大原三千院」の看板が目に入るようになったら「おっ見たことのある懐かしい風景」が現れました。

10年以上も前の話です。以前は神社の鳥居付近に駐車していたのですが今は全面駐車禁止となっています。

10分程離れた民間の駐車場に車を停めて金比羅山のクライミングの取り付き点に到着しました。

大勢の人が既にロープを張り練習をしていました。聞けば「京都労山名峰会」のみなさんで初心者のクライミング講座を実施しておられました。

他にも何組ものパーティもが私達と同時にスタートしましたがアルパインなので混雑を苦にすることはありませんでした。

途中、登攀者に怒鳴り声をあげているお爺さんや細引きで簡易ハーネスを作り登攀している人などさまざまでした。

終了点もまたクライミングの花盛りではありましたが何通りもロープを張るスペースがあり混雑して困ることはありませんでした。

「どこから来たか?」と聞かれたので「大阪から」と答えると遠いところから来なくても六甲山にも良い岩場があるじゃないかとも言われました。(笑)

koumeiさんのリードで5〜6ビッチのロングコースで非常に楽しい登攀でした。

待ち時間を有効利用しましたので細かくピッチを切りながら支点作りやロープ操作などの練習には、もつてこいの場所。

koumeiさんのロープ裁きやビレイは抜群で安心して登攀できました。

岩場の混雑時、コールサインに「ジョンさん〜ビレイ解除!」と、名前を読んでから指示が飛んできて他のメンバーと聞き間違えることはありませんでした。

「簡単明瞭・正確に伝達」岩場では大切な行為です。

途中の草付き個所で姫とジョンが喘ぎましたが、登り切ってしまえば大笑いの渦となり楽しい思い出になりました。

フリークライミングとアルパインクライミングでどちらが好きかと聞かれれば私は「アルパイン」と答えると思います。

風景が変わり、岩場の変化を楽しみ、達成感が何とも言えずクライミングの腕が悪い私にとってはアルパインは最高っ!

「また行くか?」と聞かれれば「喜んでっ!」と即答します。

この次は・・・あの草付き個所は避けねばネ・・・

帰り道季節外れのイタドリを5本・・・京都の味がするのでしょうか。

楽しかったです。


[3965] 【4223回 予定のない1日】 2016-05-13 (Fri)

12日は朝のトレーニングを終えて、あまりの天気の良さにフトンを干しました。

午後からひとつだけ面接があるだけで久々にフリーの1日を過ごしました。

光線のあたる階段の隙間にはホコリが・・・・光線が当たらなければ目立たない場所、気になり始めたらあっちも、こっちも。

冬の寒い間、怠けていたなぁと久しぶりに部屋中の掃除をしました。

狭い我が家でも、動き回ると結構しんどいです。

よその庭先の鉢植えには、蕾をつけた紫陽花が開花を待っています。

我が家には植木鉢はありません。

山行に出かける度に、隣の人に水やりをお願いしていましたが「百名山が終わるまでは植物は育てない」ことにしました。

何故ならお隣の人に負担をかけるからです。「枯らしたらどうしょうかと思ったわ」と、思ってたかも知れません。

我が家には鉢植えはありませんが、よそ様のお花を眺めて楽しんでいます。

手入れの行き届いた家、伸び放題の家、刈込みすぎた家など見ていて性格を垣間見る気分で愉快です。

いまはどこの家も春の花のオンパレード。

山も間もなく雪が融け高山植物が芽吹き始めるころですね。

出合った花の名前が全部言えたら、どんなに楽しいかと思うのですがなかなか覚えられません。

チングルマにコバイケイソウ、リンドウにコマクサぐらいはわかります(たったそんだけぇ〜?)

今からの時期は、熱中症対策を充分取って山行しましょうね。


[3964] 【4222回 喜怒哀楽は数値から】 2016-05-12 (Thu)

最近ポッチーがとくに弱ってきたので5月10日、病院に付き添って行き、医師の話を聞くことにしました。

カテーテルの心筋焼灼術を受けた後からずっとこの調子で回復していないことを告げました。

心電図を見た医師曰く「元気で歩けてここに来たことが奇跡です」

なぬ〜っ!

自宅で毎朝、毎晩、血圧と脈拍を測定して記帳しています。

その数字が悪ければ溜息をついて弱々しくなります。

「数字に管理され、溜息吐くのなら測定を止めたら?」と言いました。

それでも続けて測定しつつ・・溜息吐きつつ・・それを見ている私まで溜息を・・

またまた医師曰く「自宅の測定器等の簡易測定器の数値は誤差が多く、あまりあてにならない」と。

なぬ〜っ!

だから数値に振り回されることなく1日1日を楽しく過ごせと言ったじゃないの〜ってことになりました。

処方箋を大幅に変更して3日目、ポッチーが朝トレの現場にひょっこり顔を見せました。

付き物が落ちた様にスッキリしています。元気回復(?)

病は気からってこのことかしら?

顔色が白すぎるため日焼けを勧めました。一緒に歩くと目立つじゃーん(笑)


[3963] 【4221回 母の日】 2016-05-11 (Wed)

5月8日は全国的に「母の日」でした。

子供の頃から私はあまり母の日が好きではありませんでした。

なぜならば11歳の時から「母の日」を寂しく通り過ぎていたからなんです。

世間が母の日を騒ぎ、やたらカーネーションが店先に並び、プレゼントの品が山積みされたのを見ると歪んだ心になっていました。

そんな時、恩師の言葉「人の幸せを心から祝える気持ちを持ちなさい」の言葉がが脳裏に浮かんできて歯を食いしばったことが何度もあります。

母のいない子は白いカーネーション?・・・・気休めにしかなりません。

息子が結婚して「母の日」が復活しました。

くすぐったい・・・素直に喜べない自分に「喜んでいいんやで」と、言い聞かせました。

今年の母の日は外出しており帰宅したらホワイトボードいっぱいに家族5人のメッセージが書かれていました。

泣けるねぇ〜〜。

勿論プレゼントの品もありましたが、それぞれのメッセージの嬉しかったこと。

長期旅行に出掛けていた息子達が1日遅れて母の日のプレゼントを持ってきてくれました。旅行中、事故に遭わずに良かったと別の喜びがありました。

私は一体、自分の母に何をプレゼントしたのでしょうか・・・

言い訳をする様ですが、あの時代そんな風習は無かったように思います。

今度、幼馴染と同窓会で会ったらそのことを話してみたいなぁ。

とにかく「売らんかな」の商法に負けることなく、ありきたりのプレゼントではなく心に残る「母の日」を!

子供の頃に味わった母の日の苦い思い出がいまは嬉しい思い出に変わったことを幸せだと感じています。


[3962] 【4220回 まさか、まさかのダブリブッキング】 2016-05-10 (Tue)

我が家に久々のカミナリが落ちました。

すべて私のミスによるものではありますが怒られることに慣れてないのでシュンタロウ・・・

怒ることは日常茶飯事でも、滅多に怒られないのでダメージのきつい事、きつい事。

ポッチーには目から火が出るほど怒られるし(いつもの倍返し!いいや3倍返しやなっ!)

今年の2月28日から3月2日に同窓会・新年会と称して大久野島(うさぎ島)に行き数百頭のウサギと戯れました。

間近に海水浴場もあり「今年の夏休みの孫旅行はここだっ!」と直感しました。

帰宅して2人の嫁に相談し、すぐ予約を取りました。ぐずぐすしていると満室になるほどに人気らしいのです。

3月4日の出来事だったのです。

しばらくして休暇村「大久野島」から予約OKの連絡を貰いました。

予約が取れたので、すっかり安心しきってしまいカレンダーの予約表に書き込む事を忘れていました。

明けて5月1日に宇都宮チームが大阪入りをし日本百名山、残り四座の日程を検討する時も全く気づきませんでした。

何としたことか同じ日に間ノ岳、塩見岳の山行をOKしてしまったのです。

気が付いたのは宇都宮チームが帰った後の5月7日の深夜です。早く連絡しなくっちゃあと時計を見るも午前3時の出来事です。

相手は仕事をする身、そんなに簡単に予定変更できないと自分では言い出せずジョンに日程変更の調整をゆだねました。

そんなこんなで宇都宮チームから快諾を貰ったと連絡受けたのは12時28分・・・

やっとこれで喉を通過しなかった朝食&昼食が食べられる・・・ポッチーの怒りも静まっていると思うので、そろそろ階下に降りてみっか・・・

「初めてのおつかい」ではありませんが「初めてのダブルブッキング」今回が最初で最後にしたいものです。

ご迷惑おかけしてすみませんでした。

●百名山あと2座「間ノ岳・塩見岳」の日程

8月16日(火)  出発日(移動日)

8月17日(水)  白根御池泊

8月18日(木)  間ノ岳山頂を踏み北岳山荘泊

8月19日(金)  熊の平泊

8月20日(土)  塩見岳山頂を踏み塩見小屋泊 (宇都宮チームと合流登山)

8月21日(日)  下山後、甲府に周りフィット回収後大阪へ

8月26日(金)  孫旅行・・うさぎ島 孫と嫁とでウサギ島へ「大久野島泊」

8月27日(土)  孫旅行・・うさぎ島 孫と嫁とでウサギ島へ「大久野島泊」

8月28日(日)  孫旅行・・うさぎ島 孫と嫁とでウサギ島⇒大阪へ


[3961] 【4219回 久しぶりの蓬莱峡】 2016-05-09 (Mon)

名塩に向かう時、蓬莱峡への曲がり角を通過時には、いつも横目で「ここを曲がれば蓬莱峡だな」と思って車を走らせていました。

この日は間違いなくバスは曲がり角を大きく曲がり「座頭谷」のバス停で下車。

クライマー達が20人は降車したと思います。

どこかの山岳会のクライミング講座があるらしくロープを張る場所があるのかと心配するくらいでした。

山岳会のメンバーは木立を使ってビレイの練習を始めたり、リーダーらしき人の説明がかなり長時間かかっているため岩場争奪は「いまがチャンス」小屏風岩のゲレンデをゲットしました。

私達は今回は「リーダー研修」のため、まずは小屏風岩の登攀下降からはじめ、その後は手作りテキストを用いて座学をしました。

この日の受講生の「マッちゃん、タカちゃん」コンビはクライミングの腕前はかなりのハイクラスで登攀下降は何の問題もありません。

お二人は自分たちの率いる山岳クラブのリーダーとして、正しい教え方を確認・統一したいと言う目的でした。

なので・・・手取足取りの初心者講座ではなく私達も登攀下降を楽しむことができました。

小屏風には新しいコースが作られており、真新しいピンが打たれておりました。

いつも登るコースを2本、少し左寄りにある新しいコースを3本のぼりました。久々にガンガン登った気がします。

新しいコースは、私には手ごわくて終了点まで行くことができず「下ろして〜!」の美しいハーモニーが蓬莱峡にこだましました。(笑)

クライミングの腕は完全に低下していることを、まじまじと自覚しました。

もともとそんなに腕は良くありませんが以前の様に「粘り」がなくなっています。

「行けるっ!落ちへん!もうちょっと!」仲間の声援の声もむなしく終了点をタッチすることはできず、したがって懸垂下降ならずでした。

登った者のみに与えられる懸垂下降のご褒美はな〜し!

この日の反省会は宝塚のいつもの中華屋さん・・・と思いきや、店内は空席が多いのに「予約席」らしく満席。

同じフロアーにあるお好み焼き屋さんを見つけ2時間ほど山談義に花を咲かせました。

「TeamJJ」さんと「タカ&マツ」チームさん・・・ご馳走様でした。


[3960] 【4218回 遺影の準備】 2016-05-08 (Sun)

「遺影」と言うと縁起でもないと言われそうです。

じゃあ言い方を変えて「お気に入り写真」にすれば抵抗が少ないかな。

過日、大きなお寺で大きな葬式がありました。

中央には故人が優しく微笑んでいる写真が、飾られれていました。

「お久しぶりです」と、思わず声をかけたくなるほどの良い写真でした。

癌と闘っていたそうなので病気になる前に撮った写真だとおもいます。

昔、葬式に参列したとき、屋号と名字が違う上に写真が若すぎて故人の面影はありませんでした。

あのときほど遺影の大切さを感じたことはありません。

姑の時は1年かけて、あちこち出掛けて、その中から、お気に入りの写真をきめました。

キッチンの壁にかけていつも話しかけています。

無帽の写真となると山登りの写真ではだめかな。。。。とか考えています。

お気に入りの1枚をみつけませんか?

そして家族に写真のあること、写真の保管場所を教えておくことも忘れないでください。

毎年、自分らしい写真を撮り更新しましょう。

わたしの1枚は、もちろん!あります!


[3959] 【4217回 動画に凝ってます】 2016-05-07 (Sat)

ゴールデンウイークと言われる連休もやっと終盤に近づいてきました。中央卸売市場も休日だったらしく6日もまだ八百屋の店先には100%の品ぞろえがありません。

いつも行く八百屋に「山蕗はないの?」と聞くと「農家が休みやから無い。明日入れとくわ!」ホホーン、農家もGWなのか。

そして一夜明けた7日、お約束通り、山蕗を仕入れてきてくれました。

「2キロ頂戴〜」と注文すると、隣で買い物中のおばさんが「どのようにして炊くのですか?」と聞くので「うららちゃんレシピです」「えっ?」またまた話をはぐらかしてしまいました。ハハハハ〜

だって八百屋の店先で知らない人との長話は嫌だもんね。

今日は蕗の佃煮を炊くのに忙しいです。

最近の私のブログに動画が度々、登場するようになりました。火付け役は「kohmeiさん」ですがジョンが、殊の外、はまりました。

カメラに動画機能がついてはいたのですが、なかなか取り組み出来なかったみたいです。

「kohmeiさん」に背中を押された感じでレポートに時々ではありますが順次アツプをしています。

動画の挿入でレポートの奥が深まった様な気がしています(自己満足感満載)

動画の編集は、けっこう時間がかかり、それに音楽を挿入するとなると画面と合ってなければまずいし・・・毎回、試行錯誤しています。

何事も新しいことをするには「ド頭」を使い、脳みそを刺激します。年寄りにはいいオモチャです。

年寄りのオモチャと言えばスマホ。

知り合いの人から「簡単スマホで満足出来ず、グレードアップの品に買い替えたら全然使えな〜い」とラインがきました。

簡単スマホが使い切れていない私が言うのも何ですが「背伸びしすぎとちゃいまっか?」ハハハハ

世の中、進歩しすぎてついていくのが間に合いません。

古くて素晴らしい物も沢山あります。新旧まぜまぜして、もう少しのんびりと生きていきたいです。

私は決して流行を追うタイプではありませんが修理しようとしたら「モデルチェンジ」だと言われるとしゃあないわなぁ・・・


[3958] 【4216回 廃線ウオークはしばらく歩行禁止です】 2016-05-06 (Fri)

5月5日、姪っ子二人に誘われて廃線ウオークに行ってきました。

このコースはウオーキング協会に所属していた頃、毎年「真夏のクリスマス」と名付けて生瀬から武田尾に向けて300人ほど引き連れて歩いていたコースです。

近年は生瀬から歩くと車道脇を歩き、危険なため西宮名塩駅からスタートするイベントに変わった様です。

午前10時西宮名塩駅集合で奇しくも忍ケ丘から乗った姪っ子と同じ電車(別車両)でした。

鴻池新田から来る姪っ子の到着を待つ間「気になる場所があるので10分だけ別行動させて〜」と言い残し、リュックを置き、気になる場所へ走りました。

わずか10分で抱えきれないほどの○○ドリ・・・「もう終わりって言ってたんじゃないのっ!」

へへへへへ・・・トンネルウオークはどうでもよくなっちゃつた。

そこへ姪っ子と姪っ子の友達が到着。5人でスタート歩きながらも2本、3本と・・・収穫

前を歩くハイカーが民家の人に道を尋ねていました。あの人達もトンネルウオークにいくんやなとすぐにわかりました。

しばらく歩くと私達に先を譲るように立ち止まってしまいました。

「そっか〜私達に道案内しろってことなんやな」初めてだと民家を抜けてどこから川沿いに降りるのかわかりにくいですものね。「散髪屋が目印ですよ」

武庫川渓谷は川をはさんで新緑がまぶしく昔ここを煙をモクモクはきながら汽車が走っていたのかと連想することができました。

それにしても・・・物凄い混雑です。トンネル内は人が繋がっておりヘッドライトが無くても悠々と歩けます。トンネルの入り口から出口までつながっているみたいです。

道の両側を利用して休憩する団体、道いっぱいに歩く家族連れ、写真撮影に後続を気にしないアベックなどさまざまでした。

姪っ子の友達は「一度来たかったんです〜」と、ことのほか喜んでくれました。

後ろからおじさんが走り寄ってきて息を切らしながら「そのイタドリどの様に料理して食べるか教えて欲しい」と聞かれましたが、前を歩く姪っ子の肩が小刻みに震えて笑っていました。

「インターネットに料理方法が載ってるみたいですよ」と、はぐらかしておきました。ゴメンナサイ(笑)

今日の目的は姪っ子がガス道具一式購入したので「昼にお湯を沸かしてラーメン食べたい。食後のコーヒーも飲みたい」でした。

だからコースは広場があればどこでも良かったみたいです。

それにしても大勢の人が湧いた様にあっちにも、こっちにも。

桜の園で昼食。去年と同じ場所や〜木の枝から尺取虫や毛虫のオンパレードです。

念願のコンロでお湯を沸かしラーメンとコーヒーをご馳走になりました。

登山に目覚めた可愛い姪っ子です。

昼食後、わずかの時間で武田尾に出ました。大がかりな工事がまだ続いています。何年かかるのでしょうか。川筋にあった飲食店は洪水で流されたのか無くなっていました。

かつては武田尾温泉も大きな被害に遭った年がありました。武庫川は静かに流れていますが一度氾濫すると大きな被害と共に景色を一変させてしまいます。

無人駅の武田尾駅は自動切符売り機の前に長蛇の列ができていました。ICOCA組はスムーズに通れます。

子育ての終わった婆たちは子供の日を満喫しました。

楽しい1日でした。

誘いを受けた時は「え〜っまたトンネルウオークかいなぁ?」と思ったりしましたが、思いがけないイタドリの収穫もあり満足のいく1日でした。

「お知らせです」

廃線ウオークコースは5月16日から6ケ月間、工事のため通行禁止となります。

詳しいお知らせ看板はブログに載せました。


[3957] 【4215回 悪天候と山岳事故】 2016-05-05 (Thu)

今年のゴールデンウイークを総評すると「山岳事故多発」と「天候の急変」の2つで言い表されるのではないかと思うほどでした。

「でした」と過去形にするにはまだ早く5日の今日もまで連休真っ最中なのです。

山に限らず兵庫県三ノ宮では、またまた歩道に車が突っ込んだりで一歩、家を出るとどんな災いが降りかかって来るのか怖くて歩けません。

富士ノ折立、真砂岳、ジャンダルム、奥穂高岳、北穂高岳などで滑落、低体温症などが原因で山岳死亡事故が多発しました。

自分で救助を要請した人や登山者が倒れている人を発見し通報されたりとさまざまですがいずれも死亡と言う痛ましい結末です。

この連休中、富山・岐阜・長野で相次いだ遭難事故ですが、北アルプスで、いったい何が起きたのでしょうか。

アウトドアスポーツ用品店の店長は「ゴールデンウイーク直前の準備のお客様が多かったですね」と話しています。

にわかに準備をした人もいたと言うことです。

富山県北アルプスの剣岳で、ヘリから雪山に降り立った捜索隊員の話です。

目指す先にあるのは、一面の雪の中に口を開けた雪洞だったそうです。

捜索隊員が穴に近づくと、中から赤い服を着た人が現れました。

2人がやり取りをしていると、次に黄色い服の人が見えました。

救助されたのは、1日午後、下山中に悪天候で身動きが取れなくなった、兵庫県の48歳の男性ら男女4人。

救助された人は「ホワイトアウトで、5メートル先が見えないような状況でした」と話していました。

救助された別の人は「テントが、雪でつぶされ、いろんなものがなくなり下山を始めたんですけど、1人が滑落をし、救助要請をした」

北アルプスでは、4月30日以降、遭難が相次ぎ、死者は5人に。

富山県と長野県にまたがる蓮華岳では、バックカントリースキーをしていた55歳の男性が滑落し、死亡した。

富士ノ折立山頂付近では、男性2人の遺体が発見された。

北穂高岳で滑落した男性と、奥穂高岳で収容された男性の死亡が確認された。

連休の北アルプスで、いったい何が起きていたのでしょうか。

4月30日、山に登ったという専門家は、想定外の天候の変化があったという。

「想定外ですよね。予報でいうと、天気は持つという感じだった。気温の動きが、すごく大きかったと思う。やはり、そういう天候の急変に対して、無防備だったと思います。

下界の5月は、もう暖かい時期ですけど、山の上では、6月の下旬までは、雪が降っても、おかしくないんですよ」と話していました。

そうなんです。下界と山の上の天気は違うのです。

テレビで報道される天気予報は山の上の予報ではありません。


[3956] 【4214回 宇都宮チームとともに】 2016-05-04 (Wed)

5月2日に宇都宮チームを迎え、ささやかな家庭料理でおもてなし(もっとご馳走食べさせろ〜・・・とは言わなかったけど)遅くまで楽しく飲んだり喋ったり。

「明日はどうする?」「ロープワークで疑問点があり教えて欲しいっす」と言うことになり「じゃあ地獄谷で実地勉強すっか?」と旅の疲れへの配慮もなく5月3日は地獄谷へ。

初めてのアンザイレンを実施しました。「あの時この方法を知っていたらパートナーを危険な目に遭わさずに済んだのになぁ」あっ・・・危険な目に遭ったんだ。

パートナーといかに安全な山行をするかはリーダーの任務です。

肩がらみのビレイ方法は首筋にロープが擦り、赤く傷になりました。ならばと別の方法(半マストでの引き上げ方法)で小便の滝までスムーズに登りました。

登山者はみな、アルプスなどの本番の山行らしく登山者らしき人とは出会っていません。しかしハイカーは多く中央稜は行列ができるほどで、特に子供連れが多かったです。

A懸岩に到着し、疑問点解消のための実技をしていたところ見覚えのある顔のお目見えです。

27号棟のイケメンさんがひょつこり散歩に来られました。地獄谷を何気なく散歩と言うのも凄い話です。

登山靴を履いての登攀下降をした経験がないと言う話を聞いていましたので「体験しては如何ですか?」と勧め、クライミングシューズと登山靴の違いをしっかり体感して貰いました。

「立っている者は親でも使え」ではありませんがビレイ役までお願いして快く引き受けてもらいました。

A懸岩は空いていて、落ち着いて練習ができました。懸垂下降中の滑落を想定してバックアップの取り方の良し悪しを何種類も体験しました。

時には滑り落ちるシーンもあり、そばを通過するハイカー達が「キャー」と叫ぶほど迫力ある演技指導だったみたいです。

救助技術を知らずにいると、助かる命も助けられない場合があります。

救助技術を知っていると安心して山行することができます。

パートナーを安全に下山させたいと言う熱い思いはこちらにも熱く伝わってきました。

空の雲も怪しくなり雨の前の生ぬるい風が吹き始めましたので下山し、汗を流してから「大阪名物の串カツが食べたい!」と言う願を叶えるためにジャンジャン横丁へ行くことにしました。

串カツと言えば新世界でしょう!

地獄谷から帰り、お互いが入浴を済ませ、午後5時に再びJR西九条駅で待ち合わせをしました。

そとは雨・・・

ジョンから「雨が降っとるどぉ〜」

「それがどうした?溶けはしないよ」

と雨の中、環状線で新今宮駅まで。駅を出ると通天閣目指して歩きました。雨は、しばし上がっています。(ラッキー)

ジャンジャン横丁は多くの串カツ屋が軒を連ねています。下調べして赤井英和の友達の店を探しました。「串カツだるま」と言う店です。

一軒だけ長蛇の列の串カツ屋を見つけました。その店が「串カツだるま」でした。どの店よりも繁盛しており行列が出来ていました。

30分くらい列に並びましたが美味しく頂き、満足の行く味でした。スタツフにネパール人がいて色々話をしました。

カトマンズ生まれの彼はルクラへもナムチェバザールへも行ったことがないそうです。勿論アイランドピークも知りませんでした。

「ルクラ行きの、あんな怖い飛行機乗れないよ」だって。

ほんまやな!飛行機が墜落するかも知れないと言う覚悟で乗らないとね。世界一危険な空港と言われています。

ほんま今思い出しても怖いです。

「串カツ3条件」知ってまっか?

@二度浸けはしない。

A一度に沢山注文しない。

Bうずらと紅ショウガは注文すべし。

食って、食って、「もうアカン」と全員が太鼓腹を突き出しながら雨傘を杖にして戻ってきました。

「米の入る胃袋は別」とお茶漬けを食べて就寝となりました。

5月4日はお別れ日。いつもお別れ時はつらいね・・・7月聖岳・光岳で会おうね!

2人を見送り、11時からの正連寺での告別式に参列しました。

四貫島商店街の金物屋の社長が病気治療中、薬石効なく亡くなられたのです。

会社と家の合同葬で大きな告別式でしたが、議員団、団体などの代表焼香はなく、とてもスマートな告別式でした。


[3955] 【4213回 友遠方より来る】 2016-05-02 (Mon)

去年の6月、皇海山で山行を同行した宇都宮チームが我が家を訪ねて来てくれました。

「ただいま〜」開口一番そう挨拶の声が聞こえました。可愛いでしょ。

平ケ岳で出会ってから、とてもよい関係が続いています。

同じ目的を持つ山仲間は70歳の老人達と40歳の若者達・・歳の差はありますが意気の合う(合わせてくれてるのかも)岳友です。

積もる話は山よりも高く、海よりも深く、食事をしながら5人5様に話が弾みます。

百名山の残り四座の打ち合わせとゴールの利尻岳への日程打ち合わせをしました。

顔を見て話をすれば電話での打ち合わせよりも勝負が早い!

日程が決まれば計画もスムーズに進みます。

明日の予定を決めて時計を見たら11時を過ぎていました。

宇都宮からの長旅に疲れも見せず明日は地獄谷コースへ・・・

アルプスでは事故が続出しています。

装備の不備であったり、天候の急変であったり、山の危険を知らぬまま入山している人も多いと聞きます。

「春の山は冬山より怖い」と長野県の救助隊は言っています。

椹島・笊ケ岳では知人が遭難しました。静岡県警の救助のおかげで下山しましたが5月の山は荒れています。

充分気を付けて登山をして下さい。

地獄谷コースから戻ったら、夕食は大阪名物「2度浸け禁止」の串カツが食べたいとの事なのでジャンジャン横丁へ行くことにしました。


[3954] 【4212回 採れた!採れた!」】 2016-05-01 (Sun)

シーズンオフになるため、最後のイタドリ採りに行ってきました。

前回と同じところ・・・「水越峠」改め「イタドリ峠」と改名したいくらいです。

1週間前に沢山採ったばかりでしたが、雨が降り、ニョキニョキと伸びて大量の収穫でした。

私がリュックに約7キログラムのイタドリを背負って東屋まで戻り、昼食を取っているとおばさんがビニール袋を持って登って行きました。

「かわいそうに・・・私が全部採ったのに・・・」言うに言えず食事をしていたらすぐに降りてきました。

駐車場所を探していたご主人に「お父さん!今年は1本も無いわ〜」と報告をしながら車に乗り帰って行きました。

陰で「ごめんなさいね」と思いつつも頬はニヤニヤ・・・。

おばさんの後ろ姿を見送り、堪え切れずに姪っ子とふたりしてゲラゲラ大笑い。

「みっちゃんのおばちゃんの後から行っても、そりゃないわなぁ!」

水越峠のイタドリ人口が増えたみたいです。

今日も、どのようにして食べるのかを聞いて来た人が何人もいました。

姪っ子の目が「教えたらアカン!来年採れなくなるよ」そう睨んでいるので「漬物にしようかと・・・」と言うとどの様にして漬けるのかとしつこく聞いてこられました。

「採るのが楽しみなんです」と適当に答えて帰ってきました。嘘ついてごめんなさいね。

今日も多くの登山者が水越峠から金剛山に登って行かれました。

トレイルランの人も多かったです。

帰ってから皮を剥き食べごろにカットしていたら3時間も経過していました。

姪っ子は「今日はおばちゃんに付き合うだけで採らない、要らない、持ち帰らない」と言っていましたが嘘ばっかり・・・。

だって、川向かいのイタドリをゲットするためのサンダルまで用意して採る気満々でしたよ。

収穫したイタドリの写真ブログに載せました。


[3953] 【4211回 目に青葉の季節】 2016-05-01 (Sun)

「季節限定イタドリ姫」は4月30日を以て終了しました。

今日は5月1日「メーデーの日」昔は賑々しく労働者の祭典だと騒いでいましたが今では静かになりましたね。

入社当初は「会社とは」「労働組合とは」と勉強した時代もありました。

雇う側と雇われる側の歩み寄りがあつてこそ「理想の職場」だと思います。

片方だけが利益を生むのではなく両方が笑顔で暮らせる仕事場は素晴らしいですね。

「大手が良い、大手は安定してる」と大企業に就職したものの将棋の駒のひとつでしかないことに気が付きました。

苦労して入社した大手の会社は学歴の派閥に負け、入社時の苦労を忘れ、小さな会社に転職しましたが、大手では得られぬ温もりがありました。

今までは将棋のコマだった仕事とは180度変わり、電話番、接客、銀行周り、弁天町から自転車で上六まで集金に行きました。

集金先で「社長に話をつけてあるから」と値引きされた小切手を持ち帰り、現地から連絡しなかったことをこっぴどく叱られました。

社長に話はつけていなかったんです。嘘をつかれたのです。

そんな失敗を繰り返しながら、会社が終われば社長の家でお茶にお華の稽古事もさせてもらいました・・・(結果的に月謝代は給料から天引きされてた〜)

嫁入りが決まった時に社長は「お前には親がおらんから退職金の代わりじゃ!」と軽トラいっぱい電化商品を結婚祝いに貰いました。

「弁天町と此花は近いから嫁に行っても会社は辞めるな」とまで言って貰いましたが新しい仕事場を見つけて退社しました。

その後もず〜っと年賀状のやりとりはあり、時々会社訪問していました。今はもう社長夫人も社長もあの世の人に。

就活の学生に言いたい!

大手ばかりが会社ではない。自分はどんな仕事をしたいのか、何を求めているのかで、会社選びをしてほしいです。

労働者の祭典5月1日にちなんでのメッセージでした。


[3952] 【4210回 初めてのクライミング】 2016-04-30 (Sat)

4月29日は前日の雨も上がり、汗ばむほどの良い天候となりました。

登山の基礎を学びたいと言う若者の熱意に押されて始まった講習でしたが我々山の経験者も忘れかけた基礎を目覚めさすのに共に学び、共に訓練を重ねてきました。

「え〜っそうだったのか」と気づくことも度々ありました。

29日はゴールデンウイークの突入日と重なり阪急電車芦屋川の駅前広場は大勢の人が待ち合わせています。ほとんどの人は中央稜にむけて登って行きます。老若男女さまざまです。

途中で爺・婆・娘・孫と見受けられる4人組が追い抜いて行きました。

最近、雑誌に地獄谷を「大人のアスレチックコース」と紹介されているらしく誰でも気軽にスニーカーで地獄谷に入って来るようです。

既に最初の滝のところで立ち往生しています「大丈夫かいぁ?」と見ていると何と危険な高巻コースにどんどん上がって行きました。

今まではなかった道が滝の上に付いているのです。しかもトラロープまで張っていて驚きました。沢登りの事故は高巻き時に起こると言われるほど不安定な道なのです。

滝の中を歩けないのなら、わざわざ地獄谷コースを選ぶ意味がわかりません。

A懸岩の手前で外国人の2人連れが道に迷っている様子でしたので声を掛けました。

風吹き岩に行きたいとの事でしたので直登すれば第一鉄塔と合流する道、また、ザレ場を通過して行く道もあることを教えました。

「ナンドモ来テイルガ、フツーノ道ハ、オモシロクナイ」と言うのでザレ場の入口までジョンが案内を買って出ました。

A懸岩中央のコースでは塩見岳に行くためのトレーニングだと言うアイゼンを履いた3人組が登攀下降をしていました。

「ピッケルを持って登攀練習しないのですか?」と聞くとアイゼンを履いてクライミングするのが初めてでピッケル持って登るなんてとんでもないと笑っておられました。

なるほど・・ガリガリと音を立てて岩を削っている理由がわかりました。安全山行を祈っています。

私達は左側に支点を作り、KEI君の初めてのクライミングを開始しました。座学効果でエイトノットも上手く結べています。

はじめはおっかなびっくりでしたが「誰でも最初はそんなもの!絶対に落ちない!ロープを信用しろっ!」と口々に檄を飛ばし何とか終了点まで登ってきました。問題はここからです。

誰しも登りはうまく行くのですが・・・・・

ロアダウンで下降する第一歩がなかなか恐怖で踏み出せないのです。「無理です、無理です、怖いです」と連呼するのですが先輩達は黙って笑うだけです。(笑)

隣のアイゼンおじさん達までもが「ガンバレ」と声援を送ってくれました。

昼食を済ませ登攀下降を何度も繰り返し練習しました。

「おおい〜KEI君〜まだ登るかぁ?」上から声を掛けると首が横にプルプルと揺れました。時間は午後2時です。

「今日はこれくらいにしたろか」の師匠の名セリフがでたところでクライミング講習を修了することにしました。

今日の芦屋の町並みは青空の下で、くっきりと美しく見えています。ところどころにツツジは残っているものの山は新緑に模様替えとなっていました。

重い荷物を背負い、足場の悪い道を下り、滝のお地蔵様に無事故のお礼に頭を下げ阪急芦屋川駅に到着しました。

反省会場所は梅田の「バツテラ屋」を提案すると異議申し立てはなく、直行することにしました。「KEI君のクライミングデビューにかんぱ〜い!」


[3951] 【4209回 ふたりのお別れ】 2016-04-29 (Fri)

新しい出会いがあればお別れもあります。

4月末日で此花区の地域団体の窓口の男性が健康上の理由で事務所を去りました。

私達の保護司会の事務所内にロッカーで仕切りをして同居という形でした。

パソコンに疎い私を懇切丁寧に指導して下さいました。いまある新しいパソコンの機種選定から設置、軌道に至るまでをしていただきました。

「すみません〜コピーが詰まったんです。」「すみませんエラーが出たんです」いつもいつも手をわずらわせていました。

5月に大きな手術を控えておられ65歳を「仕事の卒業式」と決め、昨日お別れをしました。

長い間お疲れ様でした。術後、回復したらひょっこりと事務所訪問して下さいねと声をかけて事務所をあとにしました。


●もうひとつの別れは昔の上司の高齢による退陣です。

定年の定年後も後輩が育ち切れていないと言う理由から無給で長年勤務を続けてこられました。

しかし4階の自宅の階段が億劫になり会社までの通勤がつらくなったと引退を決意した理由です。それにもう後輩も育ったのではないでしょうか?

敵を作らない、従業員からも、組合関係からも、取引先からも絶大なる信頼を得た上司でした。

『長きにわたりお勤めご苦労様でした。やっと解放されたと言う安心した気持ちと明日からひとりで、どのように過ごされるのか不安もあります。

時々情報交換をして「元気の確認」をしたいと思っています。

会社創立以来の50余年と言う永年勤続者です。永年勤続の歴史を塗り替えられる者は誰も出てこない思います。阪神動力機械に偉大な功績を残されました。おつかれさまでした』

そうメッセージを送りました。奥様を20年前に亡くされて一人暮らし、娘は高槻に住んでいるため、家事一切をひとりでこなしてこられた酒大好きの上司です。

仕事に行くことが健康のバロメーターだったのですが張り合いが無くなってしまいました。

しかし会社の中では「いつまで来てるのか?」と無給の善意の奉仕にもかかわらず陰口をたたいていた者もいたと聞いています。

偉大な功績は問題に直面して初めてありがたさがわかるのです。

せめて昔の部下の私だけでも偉大な功績を高く評価し続けたいと思っています。

私が40年勤務して職場異動もありましたが最初で最後の「良い上司」でした。自由に私の仕事を見守ってくれて、暴走しそうな時はキュッとタズナを絞めてくださいました。

おふたりの今後のご健康とお幸せを心からお祈り申し上げます。


[3950] 【4208回 総会シーズン】 2016-04-28 (Thu)

年度末とやらが始まり少し落ち着いた5月、6月になると、どこもかしこも「総会」が大流行しています。

かけ持ちで地域団体の役職に就いている人達は総会日程が重なりはしないかとヒヤヒヤするらしいです。

私の所属するボランティアの会も総会準備におおわらわ。

と言っても・・自分の出来ることは限りがあります。

豊富に経験を重ねた大先輩のいる会ゆえに10年の新米はまだまだヒヨコ。

いずれやってくる「定年退任」までを、いかに後輩を育てていくかが腕の見せ所となります。

いくらボランティアとは言え、責任のある仕事は山ほどあるのです。

「仕事は分担しましょう」「ひとりで抱え込まないで」と言われますが・・・・

生まれつき「イラチ」なのでしょう。のんびりとみんなと足並みをそろえられると良いのですが、あれもこれも目について体が動いてしまいます。

ひとりでカリカリしています。

総会の日程は決まっているのに資料作成がはかどりません。私は「これで良し」と思ってみても大先輩の目から見るとまだまだみたいです。

そうしながら成長していくのだと思いますが加齢に伴い、覚えも悪いです。自分で自分が腹立たしく感じます。

こんな時は山へでも出かけるとスカッとさわやかになるのでしょうが・・・・よっしゃ!明日は久しぶりにクライミングに行こう!

5月の連休はどこの山に出掛けても「人、人、人」で溢れかえり、山小屋では1枚のタタミに3人とか、テント場ではテントを張る場所に苦労すると聞きます。

いまなら六甲山・地獄谷も空いているに違いありません。


[3949] 【4207回 どゆこと?」】 2016-04-27 (Wed)

ライン、パソコンメール、フェイスブックなどで沢山の方たちからお誕生日メッセージを頂きました。ありがとうございました。

皆様とご縁があったことに感謝をし、そのご縁を大切にしていきたいと思っています。本当にありがとうございました。

故郷の同級生から「みっちゃんが58歳ってどう言う事?」と初めて通じたラインでペンギンが「?マーク」を抱いたスタンプと共に「どゆこと?」と届きました。

慌てて訂正しましたが、ひめのおうち「4204回・カウントダウン」で58歳ってマジで間違えて書いていたのです。

同級生からの指摘で急きょ訂正しましたが10歳もサバ読んでいました。まことに申し訳ありません。

同級生に嘘つくなんて・・・キャハハハハ!すぐばれちゃいますね。

やっと少しだけスマホに慣れました。

電話のベルも怖くなくなりました。

ラインもヨチヨチ歩きではありますが返信することが出来るようになりました。

ラインに自画像イラストも入れました。(入れて貰った、が正解)

壁紙も谷川岳西黒尾根の写真を入れました。(入れて貰った、が正解)

谷川岳での写真はお気に入りなんです。もうこんなカッコ良い山行はできないと思います。(体力低下でね)

ちょこっとだけスマホが楽しいと感じるようになりました。

午後からは区役所発行の「このはなだより6月号」のモデルとして行ってきました。

ほら・・・また・・・あの自転車事故予防の大阪のおばちゃんシリーズのポスター用なんです。

役所の担当者が異動になっていて今回初めての撮影隊の様子でした。

私は4回目の出演になりますので前任者の手際よさを色々アドバイスしながら、色々なポーズ撮りましたが・・・撮り直しがあるかも知れません。(複雑です)


[3948] 【4206回 68歳を迎えました】 2016-04-26 (Tue)


68歳を迎えました。背伸びすれば、もう古稀に手が届きそうです。

この前還暦を迎えたばかりだと言うのに・・・早いね。

1週間の早いこと!1日の短いこと! そして1年がアッと言う間にやってきました。

1年を振り返って・・・え〜っ?記憶力が薄らいだのかなぁ・・・

68年前、高知県中村市藤と言う産婆さんの家で母は難産の末に私を生みました。(いまでいう高齢出産だったとか)

「うらなり」だとか「44の落とし子」などと言われるほど昔では44歳の出産は年老いてからの出産だったと聞いています。

藤地区には古い紅葉の大木があり、戦時中には村人が出兵するとき、家族らは紅葉の木の下まで見送ったそうです。(今は朽ち果てて看板のみが立っています)

義兄は「お前は紅葉の枝にひっかかり泣いていたので可愛そうに思って拾ってきてやった」とからかっていました。

そのことを本気で信じた可愛い時代もありました。

母はリューマチを患っていて歩くことも、ままならぬ日々だっんですが、ある日、地震が起きた時、イの一番に私を抱いて屋外に走って逃げたそうです。

その姿を見た父は驚いて「歩けるやないか〜」と言ったそうです・・・母は強しですね。

そんな母は55歳で他界しました。私は母の年を、とっくに追い抜いて、折り返しています。

あとどのくらい元気で生きられるかわかりませんが「ビンビン・コロリ」を願望に挙げ古稀までは頑張ってみようかと思っています。


[3947] 【4205回 恒例のイタドリ遊山】 2016-04-25 (Mon)

「いつものところで、いつものように」を合言葉に毎年この時期開催しているイベントです。

故・一刀水家族とポッチー家族が都合のつく限り集まろうと言うことで今回の欠席は2名でした。

「9時を目途に現地集合」としているので、私達が着いたときはそれぞれが別々に出発しても、ほぼ同時ぐらいに到着していました。

狭い駐車場ではありますが登山者が早くも下山して空きスペースがうまくできており4家族全部が駐車場内に停めることができました。

私は既に別の場所でイタドリゲットしているので(みんなには内緒)バーベキュー設営を手伝うことにしました。

今回は「飲み物係」「おにぎり係」「道具係」「野菜係」と決め、私だけに負担がいかないように上手く分散しました。

水越峠にむけてイタドリ隊が出発しました。爺は体調が思わしくなく息子が用意した椅子に座り孫たちの行動を見ています。

炭を起こし、燻製のウインナやハムもいい匂いがしてきました。2時間ほどしてドサッとイタドリを抱えた集団が戻ってきました。

「おなか空いた〜」子供たちがテントの下に集合です。

肉屋を営む知人から高級肉を格安で購入してきましたので、まずは子供たちの胃袋から満タンにしていきました。

次は大人達です。アッと言う間に手が伸びて焼いても焼いてもすぐになくなります。

満腹になって気が付いたのです。

「アッ!野菜を出すのを忘れてるっ!」

大人11人もいるのに誰も気が付いていませんでした。ましてや野菜係は私の担当です。慌てて焼きましたが「あとの祭り」

仕方がないので山ほどの野菜を、持って帰ると言う4家族に分けて分配しました。

食後は子供たちによる「お楽しみ抽選会」です。

私の姉が家に不要の小物があるので使ってと景品を用意してくれました。不足分は私が購入し人数分を用意しました。

姪っ子と「絶対アレは残るで〜」と予想したバックが3個あります。

不足で買い足した品物がドンドンリクエストにこたえてなくなって行く中、案の定「ヘンなバック3個」が残ってしまいました。

「いまから罰ゲームしよう!」

大人の女子だけで罰ゲームのバック奪い取り・・・・「いらんわ」とみんな顔に出でいますが提供者がいるので誰も口にだして言えませんでした。

にぎやかに今年もイタドリパーティ終了しました。来年のこの時期にまた、みんなで集まりましょうと閉会挨拶をして別れました。


[3946] 【4204回 カウントダウン】 2016-04-24 (Sun)

68才まで、残すとこ、あと2日となりました。

カウントダウン大好きの私ですから。。。。。(笑)

一年間を振り返り「平々凡々」であった事に喜びを感じています。

家族に病人は出たものの私は、すこぶる元気!

私が元気でいればなんとかなる。hahaha

改めて抱負を語ることはありませんが「ピンピン。コロリ」を希望します。

私の周りの人達、ご縁のあった人達全て幸せになりますように!

恩師の言葉「人の不幸には寄り添えても、人の幸せを心から祝福できる心を持ちなさい」と言われたことを忘れることはありません。

つまり「ひがまずに生きて行きなさい」と言われたのだと思います。まず自分が幸せであれば人の幸せを祝福できるのだとも言われました。

そのために幸せでいなくてはなりません。

68歳を目の前にして改めて「平々凡々」がいかに幸せであるか悟らなければいけないと思っています。

九州地方に早く心休まる日々が訪れますように!


[3945] 【4203回 非常時の持ち出し袋 】 2016-04-23 (Sat)

熊本大震災で、毎日の様に、まだ震度5クラスの余震が続いて不安な日々を過ごしている方達に心からお見舞い申し上げたいとおもいます。

その上に無情の雨も風も熊本地方を襲い、大切な家具を濡らし悲しいことの連続で心中お察し申し上げます。

此花区では「災害に備えて」については区長以下一般区民も危機管理にアンテナを張ってはいるもののいまいち統一できていません。

連絡用の無線を増やしたり対策本部設置場所など、ほんの一部の人が携わっているにすぎません。

此花区民が一堂に集まる「区民まつり」こそ避難訓練を実施してはと空想に過ぎませんが考えたりしています。

避難場所が学校であると言うことはわかっています。それ以外に高層マンションで避難先として許可の出ているマンションも沢山あります。

でも、それがどの棟とどの棟なのかハッキリしない。マンション正面に「避難個所」など誰にでもわかる大きな看板でも取り付けて貰えたらと思っています。

避難場所として協力してくれるセキュリティのかかったマンションのドアを誰が開錠してくれるのか、学校の門を誰が開錠してくれるのか不安です。

此花区全体が海抜ゼロメートル・・・・津波がくればアッと言う間に東北大震災の時と同じ状態になると言うことです。

自分なりに非常持出袋や、非常食の備蓄はしているものの満足の行く品や量ではありません。

備蓄の水や非常食は5年保存ではありますが期限切れしていないかチェックが必要です。期限切れならば交換しておかなければなりません。

では何が必要なのでしょうか。見直しのチャンスだと思います。

私は持っていませんが「携帯電話充電ダイナモ多機能ライト」が欲しいと思っています。

非常時に電源・電池不要の手動充電式なんです。ハンドルを回して携帯電話に簡単充電できるそうです。

ある企業が東日本大震災で活躍した品物を参考にして、販売している非常持ち出し袋があるそうです。中には

「カンパン、非常用簡易トイレ、アルコール除菌ジェル(入浴ができない間使用)、アイマスク、耳栓(慣れない避難所生活で役立つ) 非常用給水袋、

水のいらないシャンプー、ドライシャンプー(スプレーしてふき取るだけで簡単に髪と頭皮のニオイや汚れをとる)レジャーシート、軍手、非常用ローソク 、マッチ、布ガムテープ、

合羽、カイロ、三角巾 、マスクなど30点ほどをリュックに詰めた製品がよく売れているそうです。

何が必要かはそれぞれの家庭によって違いますが日頃から話し合って、どこに保管しているのか、手探りでも探せる様に家族全員が知っていなければなりません。

登山用品は(ツエルト、テント、寝袋、雨具)などは緊急時にすべて役立つ品物ばかりです。

日頃の手入れをしっかりして「整理整頓」し、まとめて保管しておけば緊急時に役立つと考えています。


[3944] 【4202回 スマホで頭痛が・・】 2016-04-22 (Fri)

もう・・・電話のベルの音がこわいっ!

24時間かけ放題の設定にしたのに1本もかかってこないし掛けられない・・・

プルプル・・何かなってる〜今までの音と違うから、メールなのかラインなのか・・それにどこをあけていいのかわからない!

ラインってどうして打つの?

説明書のどこ読んでも書いてへん!説明してもらったのかなぁ・・・

履歴のある人には何とか短い言葉で返信できますが、こちらからはどうして掛けたらよいのやら〜!

だから・・・あれほど「一生ガラケーでいい」って言ったのに・・・・

私のガラケーよ!戻ってきて〜!

百歩譲って、スマホの着信音を美空ひばりの「お祭りマンボ」にこだわったのに鳴らないよ〜!

そう言えばパソコンを新しくしたときも頭痛がしたっけ・・・・

「すぐ慣れるよ」「頑張って」の応援メッセージが心に沁みる。

明日も明後日も電話が鳴りません様に、メールもラインも入りません様に・・・

だって、電話のベルの音がこわいんですもの。

こんなこと言ってたら笑われるね。まだ1日経過しただけだもんね。

高齢になると新しいことを脳に認知さすためには、いま入っている脳みそを外に出さないと新しいことが入るスペースがないとか(ほんまかな?)

そんなに満タン詰まっているはずのない脳みそでも同じなのかなぁ(笑)

いっそ圏外に逃げたい・・・

機種変更でひとつ知りえたことがあります。

充電は、ほぼ0%に近くなってから充電するのが電池のためには良いとのこと。(知ってても、ついつい早めに充電してました)

習慣の様にいつも充電器のタップに立てて充電をするのはやめた方がいいと言う説明もうけました。

つまり空腹状態でもないのに食事を胃の中に放り込むよりも、空腹状態で美味しいご馳走を食べた方が良いと言うことらしいです。


[3943] 【4201回 父の祥月命日】 2016-04-21 (Thu)

4月21日は私の父の祥月命日です。奇しくも「4201回」の書き込み記念日(ハハハちょっと無理があるかな?)

実家の姉も在宅らしいのでお参りに出掛けることにしました。

父とは小学校4年生、9歳で死別していますので思い出は少ないです。

9歳の春、並んで縁側に座っていて「筍ご飯が食べ・・・・」話の途中で息絶えてしまいました。

今日は食べないままあの世に逝った父に、筍ご飯を炊き、わずかばかりのおかずを作り鴻池新田へ。

弁当を広げて、姉の語る思い出話に耳を傾けるとしましょうか。

父は仕事から帰ると「みちこ行くぞっ!」と小舟に乗って仕掛け漁に出掛けたものでした。

穴の開いた小舟の水掻き役に、私をいつも連れて行くのです。つまり・・・沈没防止役に私を連れて行ってたのです。(笑)

その思い出だけは鮮明です。

鮎、海老、カニ、ウナギと豊富に採れた魚たちも、いまでは少なくなってしまったらしいです。

「骨が喉に刺さるから」と酒好きの父は酔っ払いながら自分の採った魚の小骨を抜いてくれました。

夏・・背中にあせもができたら口に酒をいっぱい含み霧吹きの様にして消毒してくれました。でも・・・半分は胃袋に入っていたと思います。

坂道で転んで額を怪我した時、母は女の子で傷が残るから医者にと言うのを振り切って刻みタバコで止血してくれました。

母の言う通りいまでも額に傷が残っています。

おおっ・・・思い出あるじゃん!

最近は2年に1度、四万十市で同窓会が開催され、おかげで墓参りの回数が増えました。

高知市までは近く感じますが、そこから四万十市までは遠い・・・・。何かきっかけがないとなかなか帰れません。

私の実家の墓は人の気配のない寂しい山の中にあります。

姉と土葬した両親の骨を掘り起こして一心寺へ預けようかと話し合ったこともありましたが

60年近く静かに眠っているのに今更掘り起こして雑踏の中に連れて来なくてもいいのではないかと言うことにしました。

私達姉妹が亡くなってしまうと、やがて朽ち果てて無縁仏になると思っています。それでも60年過ぎているからいいんです。

私も亡くなったら賑やかな一心寺で眠りたいと家族に伝えています。


[3942] 【4200回 遅いスマホデビュー】 2016-04-20 (Wed)

世の中、進んでいると言うのに、私は、こよなく携帯電話は「ガラケー」を愛し、着メロの美空ひばりの「お祭りマンボ」に酔って日々を過ごしていました。

かたやポッチーはスマホが欲しくて欲しくてたまらず、古稀の祝いの前倒し(誕生日は11月)にスマホを買うことを渋々承諾しました。

「渋々」には理由があり携帯利用頻度の少ないポッチーがスマホを持つ意味が無いのではと説得し続けてきました。

しかし息子を巻き込んでの作戦に根負けし、19日にauショップに行くこととなりました。

店員さんが「ではデーターをお調べします」とポッチーの携帯を手に取り利用頻度チェックをしたところ驚きの答えが・・・・

「お客様がスマホを持つより、奥様が持つ方がよろしいかと」

えっえっ〜?

何でも売ればいいんではないんや〜儲けにガツついてるんやないんや〜

ちゃんとデーターを提示し、ポッチーには今の携帯と月々1600円の通話料でどこでも利用できる小型のタブレットを紹介してくれました。

今後の入院先のベットの上でも使えるね・・・フフフ

家族の意見は耳に入らないのですが店員さんの話は妙に納得し「じゃあこちらの電話をスマホに!」と今度は私の電話を指差しました。

えっえっ〜?そんな話聞いてないよっ!

愛するガラケーから機種変更する気はなく、かなり抵抗しました。

しかし、ガラケー電池の減りが激しくて新規購入の時期でしたのであっさり落ちてしまいました。(機種が古くて電池の在庫がないのだそうです)

セット中に「ラインの設定もしておきますね」と言い、設定した途端に私が登録している方達全員に案内が一斉送信されたらしいです。

昨日、ラインのお知らせの届いた皆様、いきなりのお知らせでごめんなさい!ご迷惑おかけいたしました。

ラインの必要な方には一件づつ説明して送信したかったんですが「自動システム」に乗っかり「なんじゃこりぁ?」と思われた方もいるかと思います。

本当に申し訳ありませんでした。

本来はソッとソッと機種変更し使い方が慣れたら堂々と(笑)スマホデビューしたかったんですがそんなわけで、ほんまにごめんなさい。

受信を見た沢山の方から「やっとスマホデビューしたんやね」とラインを頂き、返事の仕方もわからず受信したままになっています。

重ね重ねお詫び申し上げます。

ぼちぼちと慣れて行きますので、温かい目で見守ってほしいと思っています。

お騒がせしてごめんなさいね。


[3941] 【4199回 山に行きたし靴は無し】 2016-04-18 (Mon)

高校時代の友人が「山登りをしたい」と言うことで日曜日に五月山を予定していました。

人生でたった一度だけ「大文字山」を歩き、楽しかったため、もう一度行きたいと思ったらしいです。

彼女は平地歩きは健脚で大文字の時も難なく歩けました。

が、昨日は残念ながら雨も降り地面もぬかるんでいると言うことでリーダーが「登山中止」を決めました。

リーダー格の同級生は「故・谷口けいさん」を心の恋人とし、加藤文太郎ステイルの単独行を好む山男です。

「雨でも集まって!」メールにはそう書いてありました。

集合すると「好日山荘」に出向き「登山靴と合羽」のパンフレットを貰い、友人に渡しました。

「最低これだけは購入して!」

店内でそれらの品を物色し、値段を見るも高価格に驚き「あかん・・・」と一言。

68歳から始めるには投資額が多いと判断した様子です。

「ならば、もう山はあきらめた方がエエで〜」

「そうするわ」

雨でも集合の意味は彼女に山の道具の大切さを説くためだったことが理解できました。

彼女は八十八か所詣りを終え、今後は反対から廻る「ギャクウチ?」をしたいとのことでした。

趣味はそれぞれ違いますが、お互いが「生きる楽しみ」を持っていることに喜びを感じた1日でした。

その後はいつもの「バツテラ屋」の予約席に腰を下ろしバツテラを食べました。

隣の席にタイ人観光客が団体で座り賑やかなこと・・・(やかましいとは言うてまへんで〜)

我々がカツオのタタキを食べていると覗き込むので「ナマステ!」と声を掛けると、どうもカツオのタタキを注文したいらしく「どれか?」と言わんばかりにメニューを広げました。

店員を呼びその旨伝えると英語が堪能なスタッフが来てスムーズに注文を聞いていました。

いまタイは日本で言う正月みたいでドッと日本に押し寄せているみたいです。

日本はメニュー豊富で何でも食べられるので観光に来ていても安心でき、その上、治安も良いし、人気があるようです。

それにしても・・・外国人旅行者が多いっ!


[3940] 【4198回 千本のしだれ桜】 2016-04-17 (Sun)

高見の郷は大阪から名阪国道針インターから大宇陀経由国道166号線沿い杉谷大橋越えて500mの地にあります。電車とバスだと季節限定で近鉄榛原駅から直通バスが運行されています。

1日1便しかありませんので時間をよく調べてから行かなければ大変です。バス代は往復2200円もかかります。

本当は「又兵衛桜」を見に行く予定でしたが時すでに遅しで、急きょ、奈良県東吉野町にある「高見の郷」に行くことにしました。

ここには千本のしだれ桜があると言うことで期待をして出かけることにしました。

4月16日の土曜日、初夏の様な青空のもとにまずはお決まりコースの談山神社イタドリ採りがあります。

過去には、やまたび倶楽部で大勢の参加者が沢山のイタドリを収穫していた談山神社コースも近年はイタドリの親木を雑草として処分されたのか少なくなりました。

それでも「あった!」「こっちにもあった!」と、はしゃぎながら採って進んでいきました。満足〜!

イタドリ採りの後、ナビを奈良県東吉野町「高見の郷」にセットをして、しばらく走ると幟が風にはためき近づいて来たことを知らせてくれます。

沿道には駐車場に停められず、はみ出した車が無数に駐車されています。

奈良県の東吉野郡東吉野村に位置する高見の郷は、高見山の近く約650mの標高の場所に、約1,000本のしだれ桜が青空の下咲き誇るしだれ桜の名所です。

奈良県と言えば吉野山の桜が有名ですが、ここは、しだれ桜のみで1,000本のしだれ桜の名所として有名です。

展望台からは一目で1,000本のしだれ桜のピンク、ユキヤナギの白、レンギョウの黄色のコントラスの絶景が目に飛び込んできます。

何とか1台の空きスペースを見つけ駐車することができました。

駐車場からシャトルバスで高見の郷入口まで行き、入場券1000円を購入し列の後ろに並びました。

係員の説明を聞くと「この列はシャトルバスで上まで行く人の列です。歩いて行く人は列に並ばず自由に進んでください」とのこと。

私達は登山に慣れているからと見栄を張り、標高650mを歩いて登ることにしました。

ポッチーも大丈夫そうです。と思ったのも束の間、途中でポッチーが喘ぎ始めました。無理もありません。回復してまだ1週間ですから。

引き返してバス利用を勧めましたがガンとして「大丈夫、行ける」と言います。他のメンバーには先に行ってもらい付添ながらゆっくりと登って行きました。

三分の一の個所に休憩用のベンチがあり、みんなが待っていてくれました。

このベンチからでも充分桜を楽しむことができます。ポッチーは中間地点をゴールと決め私達は頂上へ向かいました。

中間地点から勾配は更にきつくなり青息吐息となりました。

人混みをかき分けるようにして頂上に到着。わんさと人が一杯です。みんなのんびりとお弁当を広げてくつろいでいました。

私達も、しだれ桜の下で弁当を広げました。時折、花びらが弁当の上に舞い降りて「花びらのふりかけ」となりました。風情も楽しめました。

更に展望台まで登り眼下を見下ろすと「絶景かな!、絶景かな!」あまりの美しさに気絶をしそうでした。

下りはバスを利用することにしました。係員の人に「バス代はいくら?」と聞くと「無料です」との事。入山料1000円の中の経費に含まれていたんですね。

急こう配を下って行くので遊園地のジェットコースターに乗った様な恐怖を感じました。前の座席の人は「転落しても杉並木でひっかかるわ」と話ているのが聞こえました。みんな怖いんや〜。

生きた心地のしない車内ではありましたが歩くより随分と楽でアッと言う間に降りてきました。

ポツチーは自力でバス停のところまで降りてきておりベンチに腰掛けて待っていました。

更に駐車場までシャトルバスに乗ったのが午後2時過ぎ。それでもまだまだツアー客を乗せた観光バスは、どんどんは入ってきます。

自宅に帰り萎れたイタドリを水に浸けて潤し、それから皮剥きをしました。

季節限定イタドリ姫は、桜見物&イタドリ採りの楽しい一日を終えました。


[3939] 【4197回 九州が揺れた】 2016-04-16 (Sat)

揺れた・・・

阪神淡路大震災の時と同じ種類の地震だそうです。

熊本に大地震発生。九州を南北に貫く二つの「大動脈」が寸断され、大きな被害がでました。

九州自動車道が通行止めとなり、九州新幹線も全線運休となりました。

地震から一夜明けた15日には死者も出て多くの負傷した人達が病院に運ばれました。

家屋の崩壊した人達はわずかな揺れにも恐怖を感じて眠れぬ夜を避難場所ですごしました。

避難所の外で犬と一緒に毛布にくるまっている光景を映像で見ました。中には動物は連れて入れないからでしょう。

春だと言うのにこんな時に限って寒い!

そして土曜日のよるから日曜日にかけては無情の雨が降ると言うのです。

多くの救援隊の人達が九州に向けて走りました。

そんな中、被災した人が「町内会の大事な放送が報道のヘリコプターの音で聞こえない。静かにして!」と、悲痛な訴えをしています。

全くその通りだと私は被災した人達に思わず「ごめんなさい」と頭を下げました。

報道しなくてはいけないと言う使命感はあるかも知れませんが手段を選んで、被災した人達に迷惑かけないでほしいです。

道路の寸断や新幹線の影響報道なども勿論大切です。救援物資を運ぶのに道路情報は大切ですから・・・

でも・・まず人命!

東北の震災の時もそうでしたが被災した人達に「いま何が必要か?」総理大臣自ら現地に足を運び調査しなくてはいけないのでは。

そして「何を置いても早急に救済しろ!」と総理大臣命令を下して欲しい。政治の力を今こそ見せるべきだと思います。

被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。


[3938] 【4196回 下見旅行 3の3】 2016-04-15 (Fri)

● 4月12日・3日目 (学び舎の友を訪ねて)

白浜の夜が明けました。

朝起きて「散歩に行こう!」とサチオ君が起こしにきました。

「いま起きたばっかしじゃけん一人で行ったや!」女どもは目覚めた後のそれからは化粧をしなければなりません。

チェックアウト後に近くの喫茶店でモーニング。

下見すべての予定を終了しました。

最終日は大阪に向けて帰るのみとなりました。

本番ではサファリーパークへ行くのですが下見では割愛。

サチオ君が下見の計画段階でどうしても会いたい人がおるとの悲痛な叫びに応えて学び舎の友が住むと言う有田町の集落を訪ねることにしました。

高速インターを出たところの物産店にFitを停めてヤヨイちゃんの車に乗り込みました。

山道を走ること1時間以上。

民家もなく細い山道をクネクネとした九十九折れ道を走り、やっとダムらしき場所が見えてきました。もう近くまで来ているらしいです。

道路標識は「生石高原」への道を案内していました。そうなんや〜そんなとこまで来たんや〜

ここでヤヨイちやんが電話しました。(ここまで来て留守だったらどうすんねん?)

幸いにも在宅とのこと。これから訪問することを告げました。勿論私達が同行していることは内緒です。

二川ダムを過ぎてから、ほとんど人の気配がせず、道を尋ねるにも困っていたところ道筋に一軒の家があり家人と通りすがりのバイクの婦人が喋っており中を割り込んで尋ねました。

「○○さんの家はどこですか?」

バイクの婦人が「苗字は○○。名前は何と言うの?」

「カオルさんと言います」

「それは私じゃ!」

何と言う偶然なのでしょうか!会いたいと思いを募らせていた人は目の前にいたのです。

しかし52年ぶりのためサチオ君を思い出して貰えず、記憶の糸がもつれて、紐解くのに、しばらく時間がかかりました。

無理もありません。突然の訪問、しかも中学校卒業してから一度も会ってないのですから。

私は中学校1年生で転校して故郷を出ていますので記憶にないのが当然でした。

サチオ君が「私はカオルさんに会いに来たけど、この人達はイタドリを探しについて来た」と話すとイタドリと蕗のある場所へ案内してくれました。

イタドリも蕗も山ほど採り、ホクホク顔です。

なかなか別れづらいため二川温泉でカオルさんを囲み昼食をとりました。記念写真も撮りました。

そして、もと来た道を走りFitを停めてある場所でヤヨイちゃんとも別れ大阪へ向けて走りました。

「後ろの2人は静かじゃのぉ」バックミラー越しにサチオ君が言います。それもそのはずです。イタドリの皮剥きに必死なんですから。

幼い日々の共通の話題は52年間と言う空白を埋めるのに気の遠くなるような時間が経過しているにもかかわらず、あっ言う間に縮まりました。

自宅に帰り「秋の四万十の同窓会・来年の勝浦・白浜の同窓会にはぜひ参加して貰いたい」とメッセージを書き過去のアルバムをカオルちゃんに発送しておきました。


[3937] 【4195回 下見旅行 3の2】 2016-04-14 (Thu)

● 4月11日・2日目 (白浜泊)

ホテル浦島から船に乗り駐車場まで戻りました。

2日目は那智の滝、那智大社、青岸渡寺、熊野古道の三軒茶屋から熊野本宮に向けて歩く本番と同じ行程で行動することにしました。

滝・・・と言えば思い出すのが尾瀬・三条の滝での出来事です。

せっかく尾瀬まで来ているのだから「三条の滝」を案内しようとしたところ「箕面の滝も三条の滝も一緒でっせ」と、行っても値打ちが無いと言う発言をスタッフが、しかもトップクラスの人が言いました。

「箕面の滝は箕面の滝!、三条の滝は三条の滝!」と強引に決行した苦い思い出があります。

那智の滝はそれはそれは厳かで身の引き締まる思いでした。何度訪れても素晴らしいです。

車を那智の滝の駐車場に置いたまま石畳みの階段を登り青岸渡寺と那智大社を参拝しました。みんな急な階段登れるかなぁ・・・

ここまで来たら階段がきつかろうが、えらかろうが登ってもらいたいと思いました。

階段途中におばあさんが那智の飴(那智黒ではない)を売っておりしきりに味見を勧めていました。

私はスルーしたのですがサチオ君が「買わんけど味見だけ」と言って試食をしました。

するとおばあさんは一袋100円だから買って欲しいと言い「では3袋」と言うと「600円です」と・・・ん?

ほらな〜!だから誘いに乗ってむやみやたらに味見したらいかんちや〜!

駐車場に戻り走ること90分で熊野本宮に着きました。午後1時を過ぎています。

昼食を食べようと店に入りましたが混雑していたため注文をする前に別の店へ移動。本番で昼食を取る店は無さそうです。弁当手配と決めました。

熊野古道を三軒茶屋から1時間ほど歩く予定を組みましたが先ほどの那智大社への階段がきつく、本番では参加者から苦情がでるかも知れないと判断し熊野古道歩きは割愛しました。

勿体ないと思うのはウオークに興味がある人だけかも知れません。

その後白浜へ移動しました。

途中でイタドリを見つけては「停めてっ!」を繰り返しました。

サチオ君曰く「お前らはニワトリみたいやっ!ドアを開けると飛び出して行きよる!」なるほど上手いこと言いますなぁ。

熊野本宮を出発する時、和歌山市に住むヤヨイちゃんに電話を掛けて白浜のホテルで合流することにしました。

ヤヨイちゃんとホテルで合流後三段壁と千畳敷の下見をしました。

すべての行事が予定通り終了し夕食を共にしようと店を探すも白浜の町は閑散としています。熱海の過疎化と同じ臭いがします。

生き残った大きなホテルから観光客は町に出ないらしく錆びれていました。夕方には早々と店じまいのところが多いようです。

ヤヨイちゃんの車で走っている途中異様な人だかりをみつけました。円月島の日の入りを見ようと外国観光客がドッと押し寄せていました。

観光ガイドブックで知ったのでしょうか?私達も円月島の日の入りを鑑賞し、その後、食事処を探しました。

そんな中、1軒だけ、のれんが掛かっていて迷わず突入。

サチオ君が「今日のお勧め魚は何ですか」と板前さんに聞くと「モチカツオです」「では4人前」と注文するので待ったをかけました。その魚・・・多分時価でっせ〜!高いでっせ〜!

モチカツオを1人前減らして3皿と、サラダ盛り1皿、トロロの短冊とビール3杯、ノンアルビール1本合計1万円・・・モチカツオってなんぼやったん?

話が盛り上がり自宅に帰る予定のヤヨイちやんも一緒に泊まることにしました。途中でコンビニに立ち寄りビール、おにぎり等買い足して狭い部屋で宴会。

宴会と言っても手はしっかりとイタドリ剥きをして動いています。充実した1日は終了しました。


[3936] 【4194回 下見旅行 3の1】 2016-04-13 (Wed)

● 4月10日・1日目移動日 (勝浦泊)

来年の同窓会は関西支部が受け持つことになり「勝浦・白浜方面」と決めました。

松山から始発の高速バスに乗り、11時15分着のサチオ君をミーコが迎え待ち合流。2017年に開催される同窓会の下見の火ぶたは切って落とされました。

急きょ、車で行くことになり阪神高速湾岸線を利用して大開入口から勝浦へと向かいました。途中の紀の川SAで運転交代。

鍵を持った姫が車外にいたため、ハンドルロックが掛かってしまいました。一瞬慌てましたがガチャカチャとしている間に何とか解除されました。

ホテル浦島駐車場めがけて一目散の予定でしたが予定は時として変更になります。

「止めて〜!」女2人がイタドリの親木を見つけてはドライバーのサチオ君に停車を求めました。サチオ君も心得たもので親木を見つけたら自主的に止まってくれるようになりました。

和歌山は暖かいからでしょうか既に伸びすぎていました。美味しそうなイタドリを収穫しホテル専用の駐車場に着くと係員のおじさんが「おおゴンパチか珍しいのぉ」

この地方ではイタドリをゴンパチと言うらしいです。

ホテル専用の船に乗りチェックイン。

ホテル館内は広すぎて広すぎて迷子になりそうです。

まずはお風呂「忘帰洞・玄武洞・遥峰の湯・ハマユウの湯・磯の湯」とお湯めぐりをしました。「天海の湯」は山上館に宿泊した人しか入浴できないみたいです。

テレビなどで紹介しているのは「忘帰洞」です。

食事は付いてなかったはずなんですが・・・・何故かあったのです〜。(ラッキー!)

食事の後は真面目に下見の打ち合わせをしました。

あらかじめ容易していた資料に基づきそれぞれの意見を述べ、よりよい企画になったと思います。

口は打ち合わせで動かし、手はイタドリの皮剥きで動かし有効に時間を活用しました。

皮剥き後は、持参したまな板と包丁でしカットし、塩漬けして翌朝水抜きと用意万端でした。

問題点ひとつ・・・本番は和歌山港から勝浦までの交通手段をどうするか(ジャンボタクシー、バス、列車)旅行社との交渉ということになり打ち合わせ会議終了。

今回のメンバーには飲み助がいないため早目の就寝となりました

四万十の校長先生に電話をし下見中だと言うと「儂らにも下見に行くことを言うてくりや〜!参加するかどうかは別として言うてくり」との事でした。

「その通りっ!」楽しみはみ〜んなで共有しましょう!


[3935] 【4193回 行ってきますっ!どこへ?】 2016-04-10 (Sun)

家の中の色々な事が片付いたので予定通り行ってきます。!

だからどこへ?何をしに?って聞いてるのっ!

来年の話をすると鬼が笑うので、鬼に聞かれないようにヒソヒソ話なんですが来年の小学校&中学校の同窓会を関西支部が受け持つことになりました。

行先は「和歌山方面」とザックリした、くくりです。

大久野島(うさぎ島)で新年会を開催したときに「下見に行こう!」と関西支部だけで即決、盛り上がりました。

まさかこんなに早く実現するとも思ってもいなかったんです。

あわよくば途中でイタドリゲツト出来るかもと「イタドリ剥き器と塩とまな板、包丁」を荷物の中に忍ばせました。

本番と同じように集合場所の紀伊勝浦駅からスタートをして見学場所に無理はないかの下見です。

旅行社に任せれば下見は不要なんですが、とにかく集まって行きたいと言うことなんです。

そんなわけで4月10日、松山からの幼馴染を待ち、車で走ります。

勿論、下見の提案張本人の関西支部長のミーコも一緒です。

当初は和歌山に住む幼馴染が案内してくれると言う話だったんですが仕事でどうしても都合付かず今回の案内役は無しとなりました。ナビちやん頼むよ〜!

我が家も春嵐暴風雨の日、元通りの生活に戻れたので予定通り出かけることができそうです。

松山に住む幼馴染が何故関西支部所属か不思議でしょ?

本人に四万十組に加入するのか、関西支部組に加入するのかの選択権を与えず関西支部が引き抜き勝ち得た人材です。

同窓生きっての世話役、幹事役が優れており、この同窓会が継続できているのも彼のおかげと言っても過言ではありません。

そんな優秀な人材を四万十組に獲られてはなるものかと力関係でケット。そして今回も同行と言うことになったのです。

じつは彼・・・私と親戚筋なのです。私の父方のえーとえーと・・・ちょっと説明しきれない親戚関係です。血縁は父を紐解くとしっかり繋がっています。

そんなこんなで4月10日はホテル浦島泊、夜はみっちり会議です。呑兵衛はいないのでかなり成果はあると思います。

4月11日は那智の滝や熊野古道の一部を歩き熊野本宮へ。今回は熊野本宮に駐車し三軒茶屋までを往復する2時間コースです。

その後は早目の白浜温泉入りと決め外湯の状況をチェックします。

4月12日は三段壁や千畳敷を見てアドベンチャーワールドへ(下見では時間の関係で入場は無し・・・だと思います)

17時30分発の梅田発松山行きの高速バスに間に合うように帰ってきます。

ではでは行ってきます。11日と12日の書き込みはお休みさせてください。


[3934] 【4192回 バナナの効用】 2016-04-09 (Sat)

ポツチーが医者から、カリウムの数値が高いため「バナナは食べないこと」と言われ、朝食に毎朝食べていたバナナをピタリと止めました。

しかし・・・入院先の朝食ではバナナが出たらしいのです。どうなってんの?と不思議に思い調べて見ました。

バナナでも特に茶色い斑点があるバナナを1ケ月間、毎日2本食べ続けると心臓発作のリスクが減ると書いてありました。

何でもアメリカの研究によれば、熟したバナナには心臓発作や脳卒中のリスクを減らす効果があるらしいのです。

バナナに豊富に含まれているカリウムは、心臓や脳の細胞の機能にとても重要な成分で、血圧の抑制や心臓病の危険を軽減してくれるらしいです。

熟したバナナはそれ以外にも、 便秘解消、抗がん剤効果、胸焼け解消、体温調節等の効果があるそうです。

暑い夏がまもなくやってきますが、バナナに体温を下げる効果があると言われています。

山行中の皮の重みを考えると、つい敬遠しがちで持って行きたくないのですが、夏山の行動食にはいいかも知れません。

但し、これらの効用は茶色い斑点があるバナナであって、黄色くて若いバナナのことではありません。

店頭で茶色い斑点があるバナナを買うのは抵抗がありますので黄色くて若いバナナを買ってきて自宅で熟して食べて見るのもいいかも知れませんね。

そう言えば斑点のあるバナナをワゴンの上で安売りされているのをよく見ます。今までは、それらは賞味期限ギリギリって感じで見ていました。

私は小学校6年生の時に盲腸の手術をしました。

田舎の病院には寝具がついていなかったので母親が布団袋を担ぎ病院に行きました。タクシーも車も無い時代です。あったのですが経済的に利用できませんでした。

手術後、親戚がバナナを持って見舞いにきてくれました。生卵を米殻の中にいれて持って来てくれた人もいました。

その時「ひゃー!バナナが食べられるんや〜!」と嬉しかった時の事を今でも鮮明に覚えています。

そして母親は入院代8000円を工面するのに苦労をしたことも忘れてはいません。

母の愛は海よりも深く、山よりも高いのです。親孝行・・・一度でいいからしたかったなぁ。

そんな母との数少ない思い出のひとつが「イタドリ採り」なんです。

単純に「イタドリ採り」に熱中しているのではありません。母との思い出が消えぬ様に毎年4月に更新しているのです。

単純に「季節限定イタドリ姫」と名乗っているのではありません。

私の誕生日が4月なので母に「産んでくれてありがとう!」と感謝をするために名乗っているのです。

現在の入院と言えば布団も付いています。当たり前ですね・・ハハハ

そのかわり入院費用は目の玉が飛び出すほどに高いっ!


[3933] 【4191回 とうとう散りました】 2016-04-08 (Fri)

花チラシの雨・・・とうとうサクラを散らしてしまいましたね。

花びらが地面にくっついて・・・・掃除が大変なんです。

美しいものははかないですね。

今朝は、午前8時に西九条駅で交通安全の啓発活動がありました。

みなさん溌剌と出勤している人や元気のない人もいます。

「おはようございますっ!」警察官と一緒に声をかけると頭をペコッ!

朝からもう疲れてるんかなぁ・・・声も出ないのかなぁ・・

見るからに社会人の1年生の人・・・背広が光ってるね!

遠い昔、そんなこともあったなと後ろ姿を見送りました。

社会生活において、乗り越えられる山と、どうしても乗り越えられない山があると思います。

少しは苦難の山を乗り越えようとして頑張ってもらわないといけないのですが、ストレスが溜まって病気になりそうになったら無理に乗り越えなくてもいい気がします。




[3932] 【4190回 自転車トラブル】 2016-04-07 (Thu)

春の全国交通安全運動が始まったばかりの4月6日のことです。

歩道を歩いていると、後ろから、かなりのスピードで自転車のベルをチリリンチリリンと鳴らしながら通り過ぎて行く20代の若い女性がいました。

「危ないっ!何故ベルを鳴らすの?!」危険を察知して思わず言いました。

若い女性はそのまま通り過ぎていきましたがUターンして私の前に舞い戻ってきました。

「?」怪訝な顔をしている私に向かって「邪魔やからベル鳴らして何が悪い?」何と勇気のある女性なのでしょう。(勇気とは言わんな!)

それから押し問答20〜30分したと思います。

彼女の言い分は「私もいつもベルを鳴らされて腹立たしく思っている。他の人がしているのに何故自分がしてはいけないの!」と逆切れされました。

「ほかの人がして腹立たしいことを自分がしてはいけない」

「歩道は歩行者の安全を守らなければいけない」と話し自転車五原則を知っているかと聞くと知らないと言います。


●1.自転車は、車道が原則、歩道は例外

●2.車道は左側を通行

●3.歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行

●4.安全ルールを守る

・飲酒運転・二人乗り・並進の禁止

・夜間はライトを点灯

・交差点での信号遵守と一時停止・安全確認

●5.子どもはヘルメットを着用


そして近くの警察か交番に行けば「自転車五原則」のパンフレットをくれるはずだから貰って確かめるように。

今、自分のしたことが正しいのか間違っているのか、一目瞭然だと思うことを諭しました。

あまりくってかかるので「ではこの場で警察に来て貰おうか?」と言うと「私がベルを鳴らしたのは悪い行動だったんですね」と急におとなしくなりました。

やっと帰る気になったらしく、別れ際に「今日の相手がこわい輩だったら大変よ。気を付けるように」と言って後ろ姿を見送りました。(えっ?私も充分こわい?)

反対に私も相手がこわい輩にからまれたとしたら刺されていたかも知れません。

後日、警察に出向いた際にはこの話をして自転車マナーの広報活動の徹底の必要性を訴えねばと思った次第です。

彼女は怒りに狂って引き返したものの、最後は納得し自分の行為が間違っていたことに気が付きました。

これこそ正に「交通事故防止」の活動ではないでしょうか。


[3931] 【4189回 3つの突然死】 2016-04-06 (Wed)

3つの突然死と呼ばれる病気には

@心臓病

A脳梗塞

B大動脈瘤

があるそうです。いずれも突然死と言われながらも予兆(自覚症状)はあるそうです。

●心臓病・・・・心筋梗塞の場合

胸が痛い、肩がこる、背中がこる、汗がとまらない等で胸の痛みが30分以上つづくと速やかに病院へ。


●脳梗塞・・・血管のつまりが原因です。

ろれつがまわらない、言葉が出ない、顔面マヒ、パソコンの視野が狭くなったり戻ったり、転ぶ、力が入らない、吐き気、頭痛

本人も家族もわかり易い症状です。「あれっ?」と疑わしきは即病院へ。


●大動脈瘤・・・大動脈解離

背中に激しい痛みを感じる場合がありますが前兆の無いのがこの病気の特徴です。

病院へ搬送中に亡くなる場合が多いそうです。



血圧の高い人はこれらの病気を起こしやすいので要注意です。血圧は「140−90」を目安に。

日本人の60%の男性が高血圧、45%の女性が高血圧だそうです。

夫が先立ち未亡人が残るのはこの比率も関係しているかも・・・?

日頃の自分の健康状態を知り異変を感じたら「寝てたら治るわ」と安易に考えずにかかりつけの病院へ行きましょう。

早期発見、早期治療が大事です。

併せて通行中に自転車事故に遭わないように気を付けましょう。

6日から全国交通安全週間がはじまりました。

警察署管内で勤務するおまわりさんも支障のない限り、ドッと交差点や街に出て取り締まり強化します。(この時期だけせんといっつもしてよ〜)

今日も1日どうぞご安全に!


[3930] 【4188回 春の全国交通安全運動】 2016-04-04 (Mon)

4月4日は「春の全国交通安全運動」此花区民キャンペーンが開催されました。

「春の全国交通安全運動」は4月6日から4月15日までの10日間行われます。

交通安全意識の普及と正しい交通ルールおよびマナーを習慣づけることにより交通事故防止を図るための運動です。

あいにくの朝からの雨で開催時間までには雨は止みましたが、会場に足を運んでくださる人は少なかったです。ザンネン

私達推進委員は「こ・の・は・な・く」の5文字から自転車事故防止用の標語を発表しました。

区長も警察署長も4月1日に赴任してきたばかりでまだ此花区の実情は理解されていないと思います。

此花区を知るには、ご自分の足で此花区の隅々を歩き「いかに自転車のマナーが悪いか」見て、成果の出る対策を練って欲しいと思います。

「咲くやこのはな中学・高校」の皆さんによる吹奏楽演奏も聴きごたえがありました。

その後は商店街に繰り出したパレードです。

いつもは商店街の真ん中に駐輪してある自転車がパレードのために1台も駐輪していませんでした。

区役所の皆さんが事前に協力を仰いでいたものと思われます。

「商店街ってこんなに広かったんや・・・」

自転車の無い商店街と通路に出っ張り出した商品がなければこんなに美しいんやっ!

交通安全についての認識を深めるとともに、区民ひとりひとりの運動として盛り上げていけば交通事故も減るのではないでしょうか。

とにかく自転車マナーの悪さは何とかせにゃいかん!

この運動は一人で出来るはずもなく、自転車に乗る人と歩行者の常識に頼るしか方法はありません。

被害者になっても、加害者になっても、辛い人生が待っています。


[3929] 【4187回 青春18きっぷ】 2016-04-04 (Mon)

「青春18きっぷ」・・・まだ一度も使用したことはありませんが、何と良いネーミングなんでしょうか。

「青春18きっぷ」とは「1日のうちに乗り放題・何度でも乗り降り自由」の切符の事らしいです。

以前は18歳の人が使う切符だとばかり思っていました。(大笑)

5回分で販売され正規価格は1万1500円。1枚が2300円と言うことになります。

1人で5日間使うことも、数回に分けて使うことも、また5人で1度に使うこともできる便利な切符。

定められた期間内のみ使用でき、原則として特急・急行・グリーン車指定などでは利用できない。

1982年に「青春18のびのびきっぷ」として販売スタートし翌年、「青春18きっぷ」の名称に変更されたそうです。

春期用(3月1日〜4月10日)、夏季用(7月20日〜9月10日)、冬季用(12月10日〜1月10日)となっています。

私は車での移動が多いためまだ利用したことがないのですがグループ旅行で、わいわい言いながら楽しい旅をしてみたいものです。

この期間に同窓会を開催すれば楽しい列車の旅になるだろうなぁ・・・

行けるところまで乗り継いで行き、そこで宿泊。疲れ果てて宴会は無し!

翌日、次なる切符を使い戻って来る・・年寄りにはきついかなぁ。

高御位山登山で姫路別所までの往復が、結構高額になるため珍しくチケツトショップを廻りました。

梅田の第一ビル、第二ビル、第三ビルの地下にはチケツトショップがズラリと並び、まぁよくこれで商売が成り立つているものだと感心しきりでした。

それだけ利用者が多いのでしょうね。サラリーマン風の人が多く見受けられました。上手に購入すれば駅弁代くらいは浮くからね。

私の総務時代、会社で回数券をドカッと買い、新幹線切符の現物支給してましたわぁ・・・社員のためにならんかったんやと今・・反省。

ところが「青春18切符売切」どこのショップも、売り切れの看板を出していました。仕方がないので安売り切符を求めると往復600円安くなりました。

足を運んで工夫してみるもんですね。

浮いた金額で豪華ランチ〜!ぜ〜んぜん節約モードになってへんっ!

行きたい時に旅に出て、食べたいもん食べて、あと何年元気で生きられるかわかりませんが、いまのまんま生き続けていたいです。


[3928] 【4186回 久しぶりに歩いたなぁ】 2016-04-03 (Sun)

最近は講習などで連続して歩くことがあまりありませんでした。

播磨アルプスを歩いてみよう!と言うことで3月21日と同じ場所「姫路別所」からバスを乗り継ぎ桶居山から高御位山に行ってきました。

山を見上げるとところどころ鮮やかな紅色のかたまりが見えています。「ツツジやね」

心地よい季節を通り過ぎて暑いです。6月ぐらいの季節感を感じます。それでも時折吹き抜ける風は心地よく帽子を持ち上げて風通しをよくします。「ああ〜エエ気持ちやわ〜」

桶居山は、どの山よりも尖っていて「さすが播磨富士」の勇ましい容姿でした。

とにかく身体が暑さについて行かれへん・・・水が足らん。

ツツジの甘い香りで、何とか頑張れたみたい。応援歌だったのではないでしょうか。

これからのハイキングや山歩きは「夏仕様」で準備してください。

虫刺され予防のハッカ油、タップリ目の水分、ポイズンリムーバー等リュックに入れてくださいね。

行動食の甘い物(大福餅、饅頭)はほどほどに。これからはキューリやトマト等重たいけど生の食品が良いですね。

それからチョコレートは暑さに負けてグニャグニャです。

「ОS1」も試してみましたが一度ぐらいでは効果のほどはわかりませんでした。(個人差の好みもある)

新緑の山歩きは自然が満喫できて楽しみも増えますね。昨日も注意したのですがツツジの枝を折り抱えている登山者(犬連れてたのでハイカーか?)がいました。

「残していいのは足跡、とっていいのは写真」

みんな守ろうよ〜!

個人の山だったらマナー違反が続くと「入山禁止」になるよっ!

2011年の山火事の傷跡はまだ残っていました。

せっかく良い空気吸いに来たんだから、せめて山の中ではタバコ止めてよ〜


[3927] 【4185回 ポストの定義】 2016-04-02 (Sat)

私の町の高見町には納得のいく間隔でポストが設置されていました。

高見郵便局が狭く家主との契約云々で千鳥橋に近い伝法町に移転しました。

「あれ?」伝法地区に「高見郵便局?」

まっ、百歩譲ったとして。。。。。

しばらくしてポストが徹収されてしまいました。

郵便局が移転し遠くなっただけでも不便なのにポストよお前もか!

新しい郵便局の前には真新しいポストが設置されています。

表札みたいなものですから、これは許せます。

ところが道路の向こう側にもポスト。。。。。

徹収するなら、このポストやろ!

納得いかないので高見郵便局へ。

窓口の人はどこにポストがあり、どこが撤収されたのか把握出来ていない!

話にならん!

此花郵便局本局に出向き、局長に面会を申し込むことにしました。

設置条件があるはずです。

高見町には大通りにポストがない町となりました。

路地裏ある場所もありますが集荷忘れのありそうな場所なので

投函したことはありません。

ちなみに千鳥橋交番も移動することが決定しています。


[3926] 【4184回 季節限定イタドリ姫の到来です】 2016-03-31 (Thu)

4月1日はエイプリルフール。

昔はよくイタズラを仕掛けて楽しんだものです。

4月1日から電力の自由化がはじまります。

勤務の異動のある人もいます。

新入学、新社会人と何かと新しい風が吹くのが4月1日。

年度更新日でもあります。

我が家にも新しい風が吹いてほしいところですが何もありません。

その「何もない」のが平和なのかも知れません。

う〜ん・・・ならば部屋の模様替えなどして気分転換しましょうかね。

4月1日から1ケ月間「季節限定イタドリ姫」に変身します。ワクワクする4月の到来なのです。

4月10日から白浜へ同窓会の下見に行くのですが道中でイタドリを見つけて「停めてっ!停めてっ!」と叫びそうで、こわいわ〜。

山蕗の頃は母と二人で生きて行くために山蕗を取りに行きました。湯がいて皮を剥き束ねて市場に売りに行くのです。

労力は報われず安い値段で買い取られ市場では高く売られていました。子供心に「町の人はこすいわ!」と思ったものです。

こすいとは土佐弁でずるいと言う意味です。

道の駅で値切る人がいたら(いないと信じてる)生産者がとても気の毒になります。

無人の野菜販売所ではお金を入れずに野菜を持ち替えるドロボーがいるらしく生産者が悲しんでいます。

「イノシシに食われる方がまだましだ」と無人販売をやめる傾向にあるらしいです。

悲しいね。

野菜の向こう側には丹精込めて生産した人達がいると言うことを忘れないでおきたいものです。

イタドリは雑草なれど「イタドリを採る行為」が私にとっては幼くして亡くなった母親との大切な思い出なんです。

イタドリ貰ってくれる人募集中です。(今年はまだ1本も見ていませんが・・・安心してください。採ってきますから)


[3925] 【4183回 お国訛りがなつかしく】 2016-03-31 (Thu)

創作テレビドラマ大賞」川獺(かわうそ)

ドラマのタイトルを見て「あっこれは高知の物語かも?」と直感しました。

3人の少年がある日、ニホンカワウソを見たと言うところからドラマは始まりました。

工業団地建設を阻止するための嘘だとわかり、世間の冷たい目に耐えられなくなった家族が別離、父は尚故郷で自然を守るため生き抜くと言うドラマでした。

「創作テレビドラマ大賞」はテレビドラマ脚本家の登龍門として知られ1000編近い応募作から選ばれた大賞受賞作品を

毎年NHKで映像化し放送しているのだそうです。

さすが国民から受信料を徴収しているいるだけの事はあってスケールがデカかったです。見ごたえありました。

今回の受賞作は、絶滅したとされるニホンカワウソをモチーフに描く、名もない人生を送った父の生き方の真実に触れる息子の物語です。

1979年、ニホンカワウソが最後に目撃された高知県須崎市を主な撮影地としています。

重いテーマをはらんだストーリーを美しい風景のなかで情感豊かに紡ぎ出します。

故郷訛りに魅かれ見入ってしまいました。俳優によっては、ヘタクソな高知弁(今回は四万十市で使う幡多弁)で期待を裏切られるのですがこのドラマは違っていました。

まるで故郷・四万十市の出来事として安心して見ることができました。

それもそのはず撮影には、高知市で演劇活動に携わる皆さんにも多数参加。だからあんなに幡多弁が上手だったんや。

四万十市に帰る途中には「かわうそ」と名付けられた道の駅もあります。

四万十市に帰るときは、必ず立ち寄る場所でしたが高速道路が延長されて、今では、ただの通過点となってしまいました。

町は道路1本で生きもすれば死にもするのです。


[3924] 【4182回 交通安全講習】 2016-03-30 (Wed)

春と秋に各地域で交通安全講習が開催されています。

町会毎に3〜4回、交通安全協会と警察の共催です。

此花区は区民ホールで開催されたり地域の学校でも開催されています。

ハンドルを握る者の義務と思い毎回参加しています。

29日午後6時30分から。

しかし参加者の少ないのに驚きです。

開催のPR不足ではないのでしょうか?

交通安全協会の会員に加入していれば、通知の葉書が届きます。

せっかくの良い話。。。。もったいない!

PR方法の見直しも必要だし、区民便りにもっと関心をもとう!

機関誌『Konohana だより』にもかいてあります。


[3923] 【4181回 もうすぐ季節限定イタドリ姫に変身〜】 2016-03-29 (Tue)

28日の月曜日は西宮の孫のところへ留守番に行きました。

天気が良いので庭先でお昼ご飯を食べようと弁当を作っていきましたが寒い!〜、冷たい!〜、とても外で弁当を広げることは出来ませんでした。

家の中で子供たち3人と爺婆で賑やかに花見弁当もどきを食べママの帰りを待ちました。

柴犬の「ミント」は体重10sになっていました。写真をブログに載せました。「こりぁ豆柴ちゃうなぁ・・・」

去勢手術を受けたらしく傷口を舐めないように、1週間ほど「エリザベスカーラー」なるものを付けていました。

「去勢手術ってなぁに?」って知らぬふりをして子供たちに聞いてみました。

交尾の時の話を爺婆にしてくれました。しっかりと説明うけているらしく、さすがママは看護師やなぁ。

それからみんなで外に散歩に連れて出ましたが犬の力って強くて私の手には負えませんでした。

私のイタドリの秘密基地を探検しましたが芽も出ていませんでした。あと1週間待てばそろそろかな?待ち遠しいなぁ。

帰りの道すがら車窓から見る桜の蕾もまだ硬く花ほころびるのは少し時間がかかりそうです。

花の命は短くてとありますが、ほんの10日間ほどの短い命を華麗に咲かせ、散らせ、日本人にとって「サクラ」は夢の花です。

しかし・・しかしなのです。

近所に1本の桜の大木を植えている家があり、無情の雨が降ると花びらがアスファルトの上にピツタリとくっつき「綺麗に咲いたね」なんてお世辞言ってる場合ではないのです。

その家の人、多分気づいてないと思うのですが結構遠くの我々の家までも舞い降りて来て結構掃除が大変なんですよ〜。

あとは毛虫の温床となる桜の木、でも日本人だからやっぱり好きですね。はかなさが良いのかもしれませんね。


[3922] 【4180回 白鵬の涙】 2016-03-27 (Sun)

「白鵬の涙にもらい泣き」

3月27日は春場所千秋楽なので、そんなに相撲に熱心ではない私も今日ばかりはテレビの前に座りました。

右を向いて左を向いたら取り組みはあっけなく終わっていました。「今のん何?」

アリーナの客がブーイング・・・ざわつきはじめました。

取り組みにバランスを崩した格好になった日馬富士は踏ん張り切れずに土俵の外へ。

決まり手は突き落としだそうです。以前にもこんな取り組みがあった様な・・・

納得のいかない取り組みに、表彰式が残っていると言うのにザブトンを投げたり、後ろの席の観客はサッサと退場してしまう始末です。

それでも前の方の砂被りの席(?)の客は「白鵬」と書いた応援旗を掲げて見守っていました。

時折「白鵬っ!」と応援の声が聞こえるとこらえきれなくなって・・・・

NHkのアナウンサーが優勝インタビューをするのですが白鵬が胸つまらせて何も喋れないでいるのに何のフォローもせずに白鵬の言葉を待ち続けていました。

わずか何秒間だったと思いますがヘタクソなアナウンサーだったと思います。

もっと取っ組み合って割れんばかりの拍手を貰って優勝したかったと思います。私もそう思います。だって横綱の相撲だもんね。みんな期待するよね。

「千秋楽にこういう変化で決まると思わなかった。申し訳ないと思います」と男泣き・・・私ももらい泣き・・・

優勝インタビューで、何度もうなずくだけで言葉にならない様子でした。

何よりも優勝したとは言え本人が一番悔しい思いをしているはず。「君が代」が流れていたけどモンゴル出身だから複雑・・・

「申し訳ございません」と頭を下げると場内に残っていた観客から大きな拍手が沸き上がると、さらに感極まり、涙を拭いた。

私も泣いた。こういう時って「ごくろうさまでした」でいいんじゃないのかなぁ・・・


[3921] 【4179回 アイゼン装着事故】 2016-03-27 (Sun)

3月20日唐松岳で46歳男が山頂から下山中にアイゼンをひっかけて滑落した事故がありました。

この男性は幸いに負傷で済みましたが一歩間違えば命を落としてしまうところでした。

過去にも同じような事故があり唐松岳で滑落して死亡した人の葬儀に参列したことがあります。

雪山でアイゼンを履く前にアイゼントレーニングを充分行っているでしょうか?スパッツに引っかけた経験のはありませんか?

アイゼンを上手に履く人は内股の人が多いと言います。いきなり本番の雪山で装着なんてことはしていないと思いますが・・・

フッカフカの雪と違い春山、夏山の残雪期の雪はミックスと言って氷混じりの非常に危険な状態です。

だから私のような雪山の苦手な人は冬眠し、アルプスの雪融けを待つのです。安全宣言がされてから出掛けるのです。

アイゼンとピッケルは雪の登山には欠かせない登山道具ですが、使い方を間違えると大変危険です。

氷結した雪山で、もし転倒すればアイゼンだけでは滑落防止にはなりません。

アイゼンは登るための道具であって、滑落を止めるための道具ではありません。そのことを私は雨飾山で3人もろとも滑落して体験しました。

命があって無傷であったことが奇跡です。

滑落防止にはピッケルが必要です。ピッケルも使いなれてないと持って歩くだけになってしまいます。

雪山登山に行くときは蓬莱教のザレ場、芦屋・地獄谷などで訓練を重ねてから出発します。

訓練中は片時もピッケルを離さぬ様に指導を受けます。

訓練をしていかないと、ピッケルを上手く使いこなせず、いざという時に全く役に立ちません。

アイゼンを履くことによって雪山の行動範囲がぐっと広がります。雪山では極めて優れた道具です。

しかし、転倒すればアイゼンでは滑落防止にはなりませんから滑落中にアイゼンの爪が木の枝などに引っかかり骨折、ねんざ、打撲などを巻き起こします。

アイゼンを履いての下りでの転倒はスパッツなどにひっかけて前に転倒します。

こうなると加速がついて二進も三進もいかなくなります。

雨飾山で滑落中に頭が下に向いて滑落していたのを「このままだと首の骨がやられる」と、滑り落ちながら頭を上にした記憶があります。

これは訓練のたまものだと自分を褒めてやりました。

ピッケルの役割は滑落を止める命を守る道具で、杖ではありません。

ピッケルは山行中に落とさないように手首用と肩掛け用の紐があります。私は肩掛け用のベルトを使っています。

下山中にピッケルが手から外れて前を歩く仲間の近くに落ちたことがありました。

次回シーズンまでに忘れずに肩掛け用ベルトを買ってくださいね。


[3920] 【4178回 連休中の山岳事故】 2016-03-26 (Sat)

長野県の連休中の山岳事故です。

@ 阿弥陀岳 ★3月15日 雪崩死亡  阿弥陀岳に向け登山中、南稜P2付近において雪崩に流され死亡・61歳女 2人 (69歳女、34歳男)は負傷

A 高妻山 ★3月16日 滑落負傷 山頂から下山中、雪上スリップして滑落・53歳男

B唐松岳 ★3月20日 滑落負傷 八方池から不帰の三峰へ向け登山中、唐松沢付近で滑落・46歳女

C唐松岳 ★3月20日 滑落負傷 山頂から下山中、アイゼンをひっかけて滑落、負傷・46歳男

D白馬乗鞍岳 ★3月20日 道迷い 栂池自然園を散策中、道に迷い行動不能、無事救出・38歳女

E白馬乗鞍岳 ★3月20日 滑落 負傷バックカントリースキー中、滑落し負傷・67歳男

3月20日 ★ 滑落 負傷バックカントリースキー中、滑落し負傷・58歳男

F 乗鞍岳 ★3月21日 滑落 負傷 乗鞍岳から下山中、転倒、負傷・68歳女

G空木岳 ★3月21日 滑落 死亡 空木岳から下山中、小地獄付近で滑落死亡・32歳男


●長野県警山岳安全対策課からのワンポイントアドバイスです

連休中、雪上を歩行中、スリップして滑落する遭難が多発しました。登山ルートは経験や技術に見合ったコースを選びましょう。

急斜面の雪上を歩行する場合は、アイゼンやピッケルを活用し、無理のない行動を心掛けましょう。

平地は比較的温暖な天候となってきましたが、山岳では吹雪となることもありますので、入山する場合は充分注意して下さい。

事前に積雪状況や天候などの情報を入手し、冬山装備を携行してください。

単独登山は絶対に控えてください。


[3919] 【4177回 登山のためのファーストエイド】 2016-03-25 (Fri)

好日山荘で「登山のためのファーストエイド・熱中症と夏場でも起こる低体温症」の講座を受けてきました。

講師は市立岸和田市民病院の浅井医師。

日本山岳ガイド協会のプロのガイドさん達にレスキュー講座を行っているそうです。

テキストは専門的なことも書かれているのですがとてもわかり易く説明してくださり眠気の来ない2時間でした。

熱心過ぎて30分以上時間超過しましたが嫌な顔もしないで参加者の質問に延々と答えておられました。

参加費は千円なんですが全額を東北の被災地へ寄付をされるとの事でした。

テキストに沿って1902年の八甲田山の大量の疲労凍死、2007年八甲田スキーツアーなだれ遭難、2009年トムラウシ縦走ツアー悪天候による遭難、

2012年白馬岳雨氷による遭難などの原因を詳しく説明してくださいました。

何故低体温症は起こるのか、何故熱中症は起きるのか、予防はできないのか・・・知っていれば予防は出来るのです。


●山で低体温症に対して出来る事

@風をよける(稜線を離れる)

A適切な場所でツエルトに包まりビバーク

B人とくっつく

C濡れたものを着替えさせる・・・ほか

倒れた人の着替えがいかに難しいか一度試してみて下さいとの話でした。(練習は酔っ払いの人で試してみると良いらしい)


●山で脱水が起こり易い理由

@汗をかきやすい(汗をかいている感じが少ない)

A呼吸で失われる水分が多い

Bトイレ回数を減らすために水分摂取を控えたい

C携行する水を減らして荷物を軽くしたい

Dこまめな水分補給を怠り易い

これらの脱水を引き起こす行為はすべて自分で改善できることばかりです。

山はいつでも「脱水環境」なのです。


●失われた水分を補う経口補水療法とは

「ОS-1」のドリングを携行してください。

これは体液を補うバランス飲料水です。水分の80%は小腸で吸収されるそうです。

吸収させるためのバランスに最も適した飲み物で薬局に売っているそうです。

「ОS-1」は小腸で効率よく吸収させるために微妙な塩分と甘さのバランス、スポーツドリンクに比べ塩分多め、甘さ控えめらしいです。

まだまだ伝えきれないほどの貴重な話が山の様にあったのですが機会があれば直接講義を聞くことをお勧めします。

スポーツ用品店などにアンテナを張っていれば受講するチャンスはやってきます。

第2回は5月25日「虫刺されや動物に咬まれた時の対処」です。

予約が必要ですので関心のある方は好日山荘に予約申し込みをしてください。私は残念ながらこの日、のっぴきならぬ用事があり欠席です。残念っ!


[3918] 【4176回 登山に必要な携行品】 2016-03-24 (Thu)

「登山に必要な物は何ですか?」と突然に質問され即答に困りました。

あまりに当たり前すぎて即答できなかったんです。

自分のリュックの中身を思い浮かべながらメモを取りました。

合羽、ツエルト、非常食、手袋、帽子、サングラス、ペーパー、レーション、水、お茶、

救急袋(バンドエイド、正露丸、バッファリン、ハサミ、ピンセット、三角巾、ポイズンリムーバー、カイロ、アミノバイタル、ツムラ68、ロキソ等)

書き出して見ると雨が降らなければ、緊急事態が発生しなければ、ほとんど使用しない物が多くリュック面積の3分の2を占めています。

晴れているからと言って雨具を持たずに日帰り登山に出掛けていませんか?私は六甲山で合羽を持たずに山行していて突然の雨に、えらい目に遭った苦い経験があります。

合羽は雨の日だけのものではありません。

万が一道に迷ったり負傷したりしてビバーグをしなければならなくなった時の事を想像してみて下さい。

合羽を着て、帽子をかぶり、手袋をしてリュックの中身を全部だしておいてリュックの中に足を突っ込み夜明けを待ちます。

道迷いなら夜明けになると歩いて来た道に戻り軌道修正すればいいのです。どちらに進むかの判断がつくはずです。

怪我をしていたとしても暗くては救助ヘリは飛べません。その時役立つのが救急用品の数々です。完璧でなくても応急処置は出来るはずです。

単独行でなければ同行者が手当てをしてくれたり救助の緊急性の有無などの必要性を判断してくれるはずです。

そして、大事なのは、家族には一晩や二晩 帰らなくても騒がない様に話しておかなければなりません。

ビバークに耐えられるだけの装備を携行しているので「慌てるな!騒ぐな!」と日常会話の中で言って聞かせておく必要があります。

2日経っても連絡が取れない場合は「遭難届」を警察に出してください。

今は便利なネットによる登山届があります。

登山届に下山予定時間を記入して送信しておけば3時間過ぎて下山報告がなければ緊急連絡先にまず一報が入ります。

更に予定時間から7時間経過すれば自動的に警察に遭難届けが送信されるシステムです。

デメリットとしては天候不良等で計画変更が生じ、避難小屋に一泊したりの予定変更の場合に困ります。(但しスマホが圏外の場合)

過日、登山者が山小屋に道迷いでSОSし、山小屋から警察に通報。消防署も合同で何日も捜索し自宅に見つからない旨を連絡すると本人が電話に出たと言うお粗末な話が実際にありました。

SОSは「警察署」にして下さい。携帯電話が繋がるからと言って安易に救助要請をするのではなく、自力下山の努力をすることが必要です。

そして単独登山は危険です。


[3917] 【4175回 許されへんっ!】 2016-03-23 (Wed)

「許されへんクソ爺っ!」

言葉の表現は悪いですがそれくらい腹立たしく思っていることを「クソ爺」で表現しました。

公園のそばでたばこのポイ捨てを注意されたことに腹を立てて、小学生の首を絞めたとして75歳の男が逮捕されました。

暴行の疑いで逮捕された75歳の男は20日午後、兵庫県加古川市内にある公園の脇で小学1年生の男の子の首を絞めた疑いが持たれています。

警察によると、公園で遊んでいた児童数人がたばこのポイ捨てを目撃しました。

「たばこ捨てたらアカンのに」などと注意したところ、この男は大声でどなって男の子の首を絞めたほか、ほかの児童の腕や服をつかんだり、引っ張ったりしたということです。

警察に対し、「腹が立ったからやった」と容疑を認めているそうです。

75年間も生きてきて純真な子供たちの正しい行為に逆恨みもええとこです!。

「おっ、すまんかったなぁ〜爺ちゃんが悪かったわ。これから気を付けるわな」そう言えば済むことです。それが75年間生きてきた年輪というものです。

自分の孫が同じ目に遭ったとしたら、この男は自分のした事に心の痛みを感じるのでしょうか?

この勇気ある少年たちを学校、加古川警察、地域を挙げて褒めてあげて欲しいです。いますぐっ!

加古川警察署は速やかに表彰対象として正しいことをしたと言うことを全校生徒にむけて公表して欲しいです。

「善処します」なんて呑気なこと言わずに速やかにです。警察は何事も時間を掛け過ぎや。

この子達は暴力を受けたことで「ぼくら何も悪くないのに何故?」と心が傷ついているはずです。

傷ついた心を癒すのは地域全体が心でもって対応することが大切です。

「見て見ぬふりをする世の中」で勇気ある行動だと思います。

正しいことをした人が被害に遭うなんて間違っています。

春休みを迎える前に・・・少年たちよ、えらかったね!

但し、逆切れする人達がはびこっている世の中です。親御さんたちはそんな人間が存在していることも子供たちに知らせてやって下さい。


[3916] 【4174回 お彼岸のお参り】 2016-03-22 (Tue)

お彼岸なのでポッチーの両親の眠る一心寺にお参りに行くことにしました。

一心寺の駐車場が閉鎖されてからは車では行かずに地下鉄で行くことにしています。

地下鉄「四天王寺前夕陽丘駅」で下車すると駅構内には一心寺方面への案内の矢印があります。

平均年齢80歳超えの人達の中に混じってゾロゾロと数珠つなぎで付いて行けば道迷いすることなく到着できます。

寺の境内には警備員が大勢いて、線香やローソクの火に注意するように拡声器で叫んでいました。

大きな線香立ては線香を立てる隙間がなくボーボーと炎を上げて燃えていました。線香もローソクも釜めがけて投げ入れます。お賽銭も賽銭箱めがけて投げ入れ堂。

こぼれたお賽銭を拾う係員もちゃ〜んといてました。

並んで、やっとお参りを済ませると混雑を避けて誘導されるがままに墓地の中を通って別の入口から脱出。

墓地の中を歩いていて気付いたのですが真新しい墓が建立されていました。

そう言えば以前、お参りした時には持ち主不明の古い墓があり「関係者は事務所までお知らせください」と書いた看板が立っていました。

持ち主のわからない墓は1年間公示すれば寺側が処分できると聞きました。看板が撤収されていましたので届け出があったのか期限切れなのか?

その古い墓の跡に新しい墓が誕生していたんです。

一心寺は宗派を問わず、納骨をすることが出来ます。

姑のたっての願いで「人のいっぱい出入りする一心寺に納骨してほしい。墓地のある寂しい田舎の墓に入れんといて〜」と哀願されていたので遺言通り一心寺に納骨しました。

納められた遺骨は10年分をひとまとめにしてお骨佛(遺骨で造られる阿弥陀如来像)を造っています。

お骨佛は核家族化や現在の墓地事情などの環境変化に加え、先祖の遺骨をいつも、いつまでも大切に供養したい、という遺族の思いを受け止めてくれる寺、それが一心寺だとだと思っています。

納骨に訪れる方は年を追って増えているそうです。

姑が亡くなってから10年以上経って舅が亡くなりましたので残念なことに同じ阿弥陀如来像になることはありませんでした。

夫が(妻が)亡くなってから10年以内だと同じ阿弥陀如来像になれるのです。(忙しゅうて生きてられへん?)⇒ほんに、ほんに〜


[3915] 【4173回 久しぶりの岩登り】 2016-03-21 (Mon)

最近は、準備万端整えていても、岩場の真下まで行きながら登らずに帰ることが多かったんです。

20日の日曜日は久しぶりに遠出して「ひめじ別所」まで足を延ばしました。

山桜が咲いています。春です。春なんですね。

同じ電車で多分、同じゲレンデを目指しているだろうと思われる徒歩組が6人ほどいました。私達はバスに乗り巨岩のそそり立つ岩場へ一足お先に到着しました。

既にクライミングをしている組があり隣にロープを張らして貰うことを許可して貰いました。

しばらくすると徒歩組が到着〜

自分たちの登れるラインは限られているので腕のある人は難しいラインに行ってよ!と心で願いつつ何とかみんな定位置に落ち着きました。

天気は良し、空気良し、時折吹く風もそよ風の言うこと無しの環境でした。

1本目のラインを決めてT橋さんがリード、ビレイヤーはジョン。途中でためらうT橋さんに「行ける!行ける!」と檄を飛ばす。

いつもは単独クライマーであるT橋さんは安全についてはとても慎重だとお見受けする。

支点位置に到着。ジョンが続いて登るも体が重たそう・・・随分クライミングしてないなぁ・・・一目でわかる〜

続いて姫も身体が重そう・・・随分クライミングしてないなぁ・・同じやんか!何度もテンション、テンションと叫ぶ(テンションかかってるっちゅうねん!)

ゲレンデを変えて2本目T橋さんの調子がググーンと上昇してきた。ためらうと「行け〜行ける〜」と鬼の鉄拳が飛ぶ。

3人が2本目を登攀し終えてT橋さんの疑問点

@前回のおさらい少々

A支点構築について

Bセカンドビレイのロープ操作

Cカムのセットの良否

が主たる目的でしたが半分は消化したのでしょうか。


[3914] 【4172回 一通の手紙】 2016-03-20 (Sun)

故郷四万十でカーブを曲がり切れなかった車に正面衝突されて車が大破、命に別状はなかったものの今もまだ後遺症で苦しむ親戚の女性がいます。

彼女は80歳を超えていますが雨の日も風の日も何十年と言う長い年月、毎日ウオーキングを欠かさず行っており年齢より10歳は若く健康で華奢な体つきです。

事故は自分に落ち度はないものの大破した車の代替をと言うと息子たちは、こぞって猛反対をし、とうとう「免許返納」をしたと聞きました。

都会なら、車がダメならば、バスや電車、タクシーなんでも交通の代替がありますが田舎ではマイカーが唯一の交通手段なのです。

警察署でも高齢者の交通事故が多発し「免許定年制」を条例化したいのは山々なれど、僻地に住む高齢者の生活の足、また農作業などを生活の糧としている人も多いです。

そんなわけで「免許定年制」に踏み切れず「免許返納制度」を利用するようにお願いするに、とどまっているみたいです。

地域のボランティア職やウオーキングスタッフ等も「75歳定年制」のレールが引かれればいいのですが「引き受け手が無い」と言うことでズルズルと高齢者が先頭に立って活動しているのが現状です。

昔、ウオーキング協会の会議で「75歳スタッフ引退説」を提案したところ「ウオークの世界では75歳はまだ若者だっ!」と一括された経験があります。

「では高齢者の体に優しい企画をしてはどうか」と提案のハードルを下げると「それでは参加者が集まらん!」と言われました。

だんだんと方針の食い違いが勃発、会への魅力が失せ、山に転向した次第です。

私の子供の頃はまだ「大八車」が道路を往来し、リヤカーを引いて中村市まで歩く人もいました。往路を半日、復路を半日かけて戻って来たら日が暮れていることもありました。

しかし今は道路もアスファルト化し、車だと20分ほどで街の中心に到着します。息子達の要求に涙を呑んで「免許返納」した親戚の女性に手紙を書きました。

免許返納を聞き、よく決心したことを褒め称えました。本心を言えば納得していないと思います。息子達から「やいの、やいの言われた」と言ってましたから。

今は辛くて不便でも交通事故を起こし加害者になる事を考えると「老いては子に従うことの大切さ」や、心配してくれる家族がいることの幸せをかみしめて欲しいと書きました。

手紙を貰ったことが嬉しくて何度も電話をしてくれたらしく携帯の留守電にメッセージが何と3分間も入っていました。

土佐訛りの懐かしい声でした。息子に従った優しい母の声なので消さずに残しておいて息子に会った時に聞かせてあげようと思っています。

折り返し電話をかけると「みっちゃんも息子とおんなじ考えか?」と念を押されましたが「その通りっ!」

最後に「これでサッパリしたちや!ありがと!」明るい声に変わっていました。


[3913] 【4171回 朝ドラまもなく終了】 2016-03-19 (Sat)

高視聴率の朝ドラも4月2日がラストシーンだそうです。

また一気に「あれから〇年・・・」と終わり急ぐのではないでしょうか。あれはいつ見ても興ざめする。

朝のドラマの放送時間が、8時15分から8時00分に変更になってから時計代わりと言うか何というか、欠かさず見ています。(えらい古い話でんなぁ)

朝の雑用をしていると、ついつい8時15分は見逃しタイムとなっていました。

8時00分だとキリがよくて、まずテレビの前に座っていること間違いなし。留守をする時は録画しておいて見る熱心さです。

さまざまな生きざまストーリーがあり登場人物も飛び抜けて目立つ配役もなく、嫌味もなかったように思います。

但し最初の1週間で子役が急成長して今の「あささん」になっていた時は、さすがに「何でやねん!」と画面に突っ込みました。

それ以外は愚痴をこぼしたり「そこはそうじゃないっ!」と監督役をすることはありませんでした。(笑)

ドラマの中で「びっくりポン」と言う流行語も定着していましたが私は「ほんに、ほんに〜」を連発する控えめなお付きの人の言葉が好きでした。

「ほんに、ほんに」の言葉に表情を付けると、いじわるにも聞こえるし、やさしくにも聞こえます。あっ誰ですかパソコンの前で「ほんに、ほんに〜」と言うてる人は?

相関図には付き人の「うめ&ふゆ」は載っていますが「かの」役の楠見薫さんは載っていないのです。何故?

「ほんに、ほんに〜」も、19日の放送分で奉公先を去るシーンがありました。思いっきり「ほんに、ほんに〜」言うて立ち去ってはりましたなぁ。

最終かいまでもう顔を出すことはないと思います。主人公だけではドラマは成立しません。ああ言う味のある人達がいてこそだと高く評価しています。

あと少し楽しませてもらいましょうかね。


[3912] 【4170回 映画鑑賞】 2016-03-19 (Sat)

18日の金曜日は10数年ぶりにウオーク時代の仲間との再会を果たすために久しぶりに渡船に乗りました。

此花区桜島から乗る「天保山渡船乗り場」は利用者も多く、大阪市の職員が乗客数を正確に把握し記帳していました。

利用者数が少なくなれば「即廃止」の対象にされているのです。

港区側ではお友達が待ち受けていて昼食を共にしながら昔話に花を咲かせました。「あの頃は良かった、楽しかった」の連発で私達も遠い昔を懐かしむことができました。

「ウオークに歌は要らん」とスタッフに言われても、めげずに100回以上続けました。その時代の顔も知らない方達からいまも年賀状を頂いています。

その時代スタッフだった人達は今はもう年老いて引退・・・そりゃそうだ!まだその頃に若者株だった私が67歳だもんねぇ・・・

海遊館近くから大阪駅行きのバスに乗り梅田の映画館めがけて発車オーライ!

しかし午後3時からの上映なのにバスの中で2時55分・・・アカン!間に合わん!

仕方がないので5時20分からのチケツトを購入し、好日山荘やモンベル巡りをして時間を潰しました。

「エヴェレスト・神々の山領」を見に行ってきました。

鑑賞がまだの人もいると思いますので、あらすじ等は後のお楽しみに取っておきましょう。

今まで見てきた山岳映画の中で「抜群」であると高く評価しました。見逃さないでくださいね〜

興奮したり、涙ぐんだりと忙しかった〜!

ぜひ、ぜひ、見に行くことをお勧めしたいです。

山好きの人は勿論、興味津々で見ることができます。山登りしない人も、満足して見て頂けると思います。

映画館には「岡田君を見にやって来たっ!」と言うミーハーもいましたが、それもアリかなぁ。

俳優・スタッフ等は5000m超えのナムチェバザールの地まで行き撮影を行っただけでも高く評価したいです。

あのシーン・・・あああ!言いたいっ!でも言えない!

だって明日か明後日か見に行こうかと思っている人がいたら「推理小説の顛末を喋る」ことと同じなんですもの・・・がまん、がまん。

早く行ってきてください。そして感動を共有しましょう。

今日はあいにくの雨。山行を変更されたら映画館へ。


[3911] 【4169回 異常なほどの警備体制】 2016-03-17 (Thu)

関西電力本社ビルの4階に「レストラン・エル」があります。健康保険組合の仲間たちと戯れるときは長年ここが絶好の会議室でした。

久々に旧交を温めようとお誘いを受けて午後7時からの開宴。(メンバーの勤務の都合でそうなったの)

関西電力の表玄関には警備員が棒立ちしており中に入ろうとすると足止めされた。

「どちらへ行かれるのですか?」

「4階のレストラン・エンです」

久しぶりでしたので「エル」と「エン」を言い間違えたんです。

すると「そんなレストランはありません」と言われおまけに「このビルじゃないのではありませんか?」あまりに失礼な物言いにカッカッカ!

「じゃあリーガロイヤル直営店のレストランはどこかに移転したのですか?予約していて時間ギリギリなんですけど」

待ち合わせ時間まで20分も余裕がありましたが腹立たしくそう言ってやりました。

館内のどこかへ無線で問い合わせている間に擦り抜けて上がっちゃいました。

レストランの受付で「感じの悪い警備員がいる」と伝えると「すみませんいまホラ色々問題があり・・・明日はデモがありもっと大変だと思います」との事でした。

あとからやって来た友達も呼び止められたらしいです。

「エル」と「エン」を間違えただけなのに臨機応変と言うことを知らないのか腹立たしい。

お料理は安くて美味しいんですが・・・・

お喋りをしているといつの間にか「あのぉ・・・閉店時間なんですが」と言われて時計を見たら午後9時になっていました。

そうだ今日はスタート時間が午後7時と遅かったんだとあわてて階下におりると今度はドアが閉まっていて「通用門を利用して下さい」と書いてあるのですが・・・どこかわからん!

残業を終えた関西電力の社員が優しく誘導してくれました。感じ悪いのは警備員だけでした。


[3910] 【4168回 八ヶ岳に雪崩発生】 2016-03-17 (Thu)

「表層雪崩か?」

長野県の八ケ岳連峰・阿弥陀岳(標高2805m)で15日、雪崩が起きて61歳の宝塚市の女性が死亡し、2人がけがをする事故が発生したと報道されました。

現場の状況からスピードが速い表層雪崩が起きた可能性が高いことが、長野県警への調査でわかりました。

長野県警茅野署によると阿弥陀岳南稜の標高約2500m、もうひとりの69歳の女性と山梨県北杜市の山岳ガイド(34歳)の3人が「雪崩に巻き込まれた」と、ガイドが110番通報したそうです。

3人は約300m流され、約1時間半後に県警のヘリコプターで救助されましたが、61歳の宝塚の女性が死亡。

69歳の女性はアバラ骨を折る重傷、ガイドは軽傷。

3人は15日に日帰りの予定で入山。山岳ガイド付きで頂上に向かっていたそうです。

日本山岳ガイド協会によると、引率したガイドは国内で季節を問わず全ての山でガイド活動ができると

協会が認定する「山岳ガイドステージ2」の資格を所持しているらしい。

「八ケ岳連峰は雪崩が少ない」と言う噂もありますが、そんなことはありません。この事故が証明したみたいなものです。

「山岳ガイドステージ2」のガイド付きであってもこのような事故に遭遇してしまうのです。

こわい!怖い!

宇都宮チームよ〜!

体力勝負でガンガン攻めて雪山を楽しんでいる様子ですが、たまたま今までは「運」がよかっただけなのです。

加入できそうな山岳会を見つけて雪山の基礎をしっかり見に付けて下さい。大阪のお母さんはヒヤヒヤ、ドキドキしてまっせ〜!

山岳ガイドが付いていながら雪崩の危険性が事前に把握できなかったのでしょうか?尊い命がまたひとつ雪山に消えてしまいました。


[3909] 【4167回 谷口けいさんを偲ぶ会】 2016-03-16 (Wed)


「谷口けいさん」の偲ぶ会があったことを野口健さんのフェイスブックで知りました。

北海道の雪の中に眠ってから早くも3ケ月、いまだに「何故?どうして?彼女ほどのベテランが?」と惜しまれてなりません。

訃報を聞いたとき野口健さんはネパール・カトマンズにいたそうです。「まさか」と言う思いと「ついに来るべか時が来てしまった」との感情が絡み合ったそうです。

先鋭的な山登りを続けていれば時間の問題でいつかは死ぬ。よりハードな登山スタイルの谷口けいさんは、いつかはこんな日が来るのではと野口健さんは怯えていたそうです。

登山を目指す人達、俗にいう山屋は「自分は山では死なない」と信じていたり「山で死ねたら本望だ」と思っている部分もあるとよく耳にします。

野口健さんは、仲間を山で失うと、次は自分の番かもしれないと密かに感じたり心の奥底で覚悟を決めるのだそうです。

山に登らない人は「命を粗末にする」と言います。ホワイトアウトで視界ゼロに陥ったり、強風で体ごと吹っ飛んでしまいそうな目に遭うと「死にたくない」と必死で感じます。

「無事下山して、もっと生きたい」と、死と隣り合わせになればなるほど生に対する執着心が強まるのではないでしょうか。

私の高校の同級生が谷口けいさんを「あの人は野口健さんより凄い人だ」と高く評価していて今回の事故を知り深く落ち込んでいました。

その同級生はこよなく雪山を好み、単独行を好み、小さな体に70ℓのリュックを担ぎ出かけようと計画していました。

表銀座を縦走する計画を知り、加齢に依る体力低下と自信過剰が事故を招くと阻止しました。「谷口けいさんの後を追うのか!」そんな言葉も吐いた様な・・・

それで4月に山を歩いたことの無い同級生を誘い「五月山」の山行でお茶を濁しました。五月山と表銀座・・・・月とスッポンではありますが、危険な雪山は夏まで待ちましょう。

山では死んではいけないのです。

「おみやげは、無事帰るで いいよお父さん」これに似た標語があった様な気がします。

「山に出かけたら必ず無事帰宅する」そうありたいと思っています。

今まで脱臼2回、アバラ骨折2回、低体温症1回と経験した私が言うのも説得力ありませんが、経験したからこそレスキューに関心があるのかも知れません。


[3908] 【4166回 熱心な受講生】 2016-03-14 (Mon)

「アシスタントとして参加」

12日の土曜日は芦屋・地獄谷にロープの講習会を開催するためにアシスタントとしてくっついて行きました。

今回の講習内容は専門的で、山行中に私がロープ操作が出来そうもないほどのレベルの高いものでした。

だから今回は写真係に徹しました。ダカラ・・私の写真が1枚もありません。サビシー(笑)

ま、そんなことはどうでもいいとして参加者のお2人の熱心さに圧倒されました。

日頃何気なく使っているロープも切断して見ると複雑な構造になっていることや細くても静かに乗っかれば大丈夫で、しゃくると切れる実験もしました。

人間のひとりや二人は吊り上げられる事を知り「ヘェー」「ホーッ」と驚き桃の木山椒の木の連発でした。

私達は常にザイルパートナーと共に行動しますがT橋さんのソロクライミングの登攀システムも見せてもらいました。これもまた「ヘェー!」の感嘆の声です。

何気なく使っているプルージックにも色々種類があり目的に合わせて使い方も違ってくる事もわかりました。

次はエイトノット結びです。今更と言われるかも知れませんが「美しく結ぶ」練習をしました。

師匠はエイト結びには、ことのほか厳しくて最初の頃、何度も何度も手直しさせられました。

「コンチクショー!」と悔しい思いを何度もして美しく結べる方法を自分で見出しました。

エイト結びが出来たら、手の平に乗せロープの重なりはないか、ペッタンコになっていることを確認してから締め上げる習慣が身に付きました。

ロープの携行の仕方も色々ありますがひとつの方法を披露しました。地獄谷通過時、出したり束ねたりと嫌と言うほど実践しましたのでこれだけは私も合格かも知れません。

ロープはタスキ掛けに束ねてかけます パートナーには8ノットでカラビナ掛け スリップノットで持ちます

連続こぶの作り方も覚えて見ると面白く、まるで手品みたいです。

孫が来た時やって見せると「もう1回!もう1回!」とせがまれます。遊びの様ですが、それもまた練習になっているのかも知れません。

最後は傾斜を使ってザックを滑らせロープで止める練習をしました。全てパートナーを安全に守るための講習でした。

このお2人と山行を共にする人は幸せだと思います。こんなにも一生懸命に習得しパートナーを守ろうとする姿勢は多くの登山者の鏡だと思っています。

いつかみんなでパーティを組み、互いのパートナーを安全に危険個所の通過を実践して三角点で「デン」したいものです。


[3907] 【4165回 気合の入った下見】 2016-03-14 (Mon)

「来年の事を言うと鬼が笑う」と言いますが早くも来年の同窓会の下見作りが始まりました。

2017年の開催地は「南紀・白浜」と決め幹事会で発表しました。

「四万十市と松山組」、「関東組」と「関西組」の三地方からの参加が予想されます。

四万十市と松山組は徳島からフェリーを利用して電車で勝浦まで移動してもらいます。

関東は空路で南紀白浜空港を経て勝浦まで移動、関西支部は電車で勝浦へ移動。

ほぼ同じような所要時間で合流できると思います(四万十は徳島までの時間がかかるね)

勝浦で宴会を済ませ翌朝から貸し切りバスで白浜へ向けて観光地を巡ります。ちょこっとだけ熊野古道も歩いて欲しいなぁ。

なんて計画に胸を弾ませていると楽しみが増してきます。

そうなんです!旅は「参加するぞ」と決めた時から始まっているのです。直前のアクシデントは仕方がありません。

誰にでも起こりうる健康の変化、身内の病気等々、その時は事情を詳しく説明して頂ければ快くキャンセルに応じて貰えるはず。

「行きたいのか、行きたくないのか」ハッキリ態度で示さないのが幹事は一番困るのです。

高校の同窓会は当日まで「梨の礫」が多く、当日キャンセルしても平気な態度。後日「ゴメン」も何も無い。

キャンセルで発生した費用は誰が負担しているんじゃ〜!と堪忍袋の緒を切断しました。(もう知らんっ!)

比べたらいかんのだけど・・・田舎の中学校・小学校の同窓会はみんなが楽しみにしていることが伝わってきます。勿論私も楽しみにしています。

だから気合が入るのです。山行でも旅行でも誘いを受けたらまず「行きたいのか、行きたくないのか、行けないのか」の気持を幹事に意思表示します。

日程が重なっている場合は優先順位を決めて、まだどちらにも回答していない場合は自分で決断下さないとね。

過日のバス旅行で集合時間になっても来ないので電話をすると「別の用事が出来たので欠席する」と言われました。

全くひどい話です。遠く四万十で開催時には案内状が届いたら「イの一番」に出席の返事を投函します。

葉書の余白には必ず幹事さんへのご苦労に感謝するコメントを書いておきます。「参加表示」が協力に繋がります。

しかし・・・ここに来て下見の段階でアクシデント発生!

立案者の和歌山在住の幼友達が白浜の案内に難色を示したらしいです。オットット〜です。

松山の坊ちやん幹事はバスの予約も既に取れているし・・・3人の自力でGO!GO!になっちゃいそう。


[3906] 【4164回 専門的なロープワーク】 2016-03-13 (Sun)

花冷えには少し早く、冬の寒さが戻ってきた様な冷たい土曜日の朝でした。

異色なメンバーで少し専門的なロープワークの講習会をすることになりました。

「高層マンションのT橋さん」と「TeamJJのJ1さん」を中心に日頃、疑問に思っているロープ操作について質疑応答の形で勉強会をしました。

お二人とも常にリーダーで山行をされており、相棒の安全を確保するためにさらなる技術向上を目指しておられました。

12日の土曜日は芦屋・ロックガーデンコースは大混雑で、ひょっとしたら芦屋から有馬までアリの行列の様に続いているのではと思うほどの人でした。

子供会も多く見受けられました。

歩けの会の幟旗もはためいていました。中央稜を選択していたら、大変な渋滞で前には進めなかったことでしょう。

地獄谷もアイゼントレーニングの人達が多かったです。

リュックを見ただけで登山者かハイカーかがわかります。

中には短パン履いて空身で地獄谷に入って行った若い女の子3人もいました。(おじさんの目がチラチラ見てたなぁ〜)

「中級コースってこれっすか?」耳にピアスをぶら下げた若い男子3人がやってきて登山道はどこかと聞きます。

「どこまで行くの?」と聞くと「有馬」と答えました。

とりあえず小便の滝までは迷わず行けるけどあとは知らないよ!と突き放しました。危険すぎます。無謀です。どの本に中級って書いてるのか?

地獄谷行きの利用者が一段落したので入口の広場にシートを広げ講習会スタートです。

講習会内容は詳しく後日、レポートをアップ致します。

これほどに熱心に取り組みをしているリーダー達と一緒に山行が出来る相棒は幸せ者だと思います。相棒が滑落した時の救助方法をみっちりと5時間訓練しました。

ロープ操作は奥が深く、勉強してマスターすればこんなに面白い道具はありません。(面白いって言っちゃあいかんかなぁ)

片方だけが知識を得ても現場で使う時は相棒も同時に「いま何をしようとしているのか」を知っておけば、互いの安全登山間違いなしです。

講習会終了後は梅田に立ち寄り「バッテラの店」で反省会をしました。次の再会は「佐土新のゲレンデで!」を合言葉にお別れしました。


[3905] 【4163回悲しみから5年】 2016-03-12 (Sat)

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒東北地方太平洋沖地震が発生しました。

震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200qの広範囲に被害が及びました。

被災者15,894人。未だに行方不明の人は2,561人。

まだこんなに多くの行方知れずの人達が沢山眠っています。

私達は決して忘れてはいけない!

遠く離れた私達にいったい何が出来る?

「どこかに旅を」と考えているならば東北に足を運んでほしい。

私達にできること・・・観光で支援することなら出来る。

そう言えば登山家野口健さんも言っていました。

「ネパールの人達を助けると思うならば、物資援助だけではなくも日本人がネパールに観光に行って欲しい」と。

被災地でまだまだ仮設住宅で済む人達もいます。

東京オリンピックの建設で東北に建築業者の手が薄くなっていてなかなか復興工事が進まないとか・・・

トラブルつづきのオリンピックっていまから断れないの?

日本で開催必要?

必要な優先順位から行くと東北の復興が一番じゃないの?


[3904] 【4162回 姫の登った日本百名山】 2016-03-10 (Thu)

「ドドーンと日本百名山リストから山行記録にリンク」

かねてより「日本百名山のレポートはどこを見るの?」とお問い合わせいただきました。

また「リストからレポートにリンクすればいいのに・・」とアドバイスを受けたりもしました。

わかっているのですが手間が・・・手間が・・・

やっと決心して作業開始。

96座を登り終え、残すは「聖岳・光岳・間ノ岳・塩見岳」となりました。

表紙にドッカーンと「姫の登った日本百名山」がお目見えしました。

@ カラスが飛んでいるところはレポートがあります。山名をクリックしてご覧ください。

Aエンピツマークは写真があります。山名をクリックしてご覧ください。

B赤枠は現在写真を探しています。

残念ながら2008年以前の山行記録はありません。

2008年以前の山行はウオーキング協会主催や個人倶楽部での山行のため現在のような詳細なレポートがありません。

多分・・・スタッフ等を仰せつかり、登るだけで精いっぱいだったんだと思います。

2008年以前の写真が残っていないか必死にさがしているところです。

つたない山行記録ではありますが「日本百名山」を登るときの応援歌になれば嬉しいです。

ツアーで山行していたら一体どのくらいの費用がかかってたんだろうか?

山行のほとんどを車中泊とテント泊で済ませ時折山小屋を利用しました。最低必要経費での百名山巡りです。


[3903] 【4161回 山岳事故】 2016-03-10 (Thu)

「2015年の山岳事故」

静岡県警は18日、2015年に静岡県内で発生した山岳遭難事故の状況をまとめました。件数は114件(前年は1139件)

山系別では富士山が半数超の62件で最多。死者・行方不明者は11人だったそうです。

死者・行方不明者11人のうち8人が単独登山者だったそうです。

静岡県警は「単独登山は重大な結果につながる危険性が高い」として複数人による登山を呼び掛けています。

山系別の件数は富士山に続き、南アルプス17件、天城山系5件。富士山閉山期の死者は前年の6人から1人に減少しました。

全体の遭難事故件数が減少する一方、遭難した外国人は8人増の18人、女性は12人増の51人と、それぞれ増加しています。

海外での富士山人気や女性の登山ブームが背景にあるとみられています。

遭難事故114件のうち、登山計画書が提出されたのはわずか18件(16%)と驚くほどの低調。

静岡県警の担当者は「迅速な救助につながる」として登山計画書提出の徹底を求めている。

登山者は登山計画書や登山届の義務を守り関係機関は登山届ボックスから溢れ出ている届けの回収を敏速にしてほしいものです。

今年に入ってからも山岳事故は続いています。最近では

●3月6日、丹沢で落石が直撃 男性が死亡しています。

3月5日、午後6時5分ごろ、東丹沢の高畑山(標高766m)で、58歳の男性が転落したと、同行の男性から119番通報があったそうです。

厚木消防署員らが駆け付け、登山道の約20m下に倒れている男性会社員を発見、死亡が確認されました。

厚木署によると、約40pの落石が男性の頭部を直撃し、がけ下に転落したとみられています。ヘルメットは着用していなかった。

私の感想『ヘルメットを着用していれば助かったのに』


●福島県北塩原村の西大巓(1982m)に登った49歳の女性が近くのスキー場に「道に迷った」と電話をかけてきましたが、その後自力下山し、帰宅していたことが判明しました。

同署によると、スキー場の通話記録から女性の電話番号を特定し、連絡を取り、無事と分かったそうです。

下山中に道に迷ってスキー場に電話をかけ、女性は県警ヘリの捜索を見たが、「自分を捜しているとは思わなかった」と話しているという。

同署や喜多方地方消防本部などは遭難事故として捜索活動を続けていたそうです。「登山届の提出と、道に迷った場合は110番に電話をかけてほしい」と呼び掛けているそうです。

私の感想『まず単独行禁止。下山したなら救助を求めた所へ無事下山の報告をすべし』


いまは簡単に携帯電話で救助要請が出来るようになり、メリットとしては本当に救助が必要な時には大変助かるのですが、自力で脱出できそうな時でも安易に救助要請をしてしまうデメリットがあります。

必死で捜索して下さっている救助隊の命掛けのご苦労を思うと携帯電話の普及に(利用方法に)首をかしげたくなる今日この頃です。


[3902] 【4160回 場違いなセミナーに参加】 2016-03-09 (Wed)

8日は新大阪にあるメルパルクホールちゅうホテルで「り○な株主セミナー」に行ってきました。

そもそも私の興味の湧くセミナーではなくて松山の知人の代理と言うことで参加となりました。

会場に行ってびっくりポンっ!

こんなにも普通のおじさん、おばさんが投資に関心があるのかって・・・

株主優待ってことですから、会場に来ている人は何株かは持っている顔ぶれっちゅうことやし(私みたいな代理もおるかも知れませんが)

300人は会場内にいたと思います。

「マーケットセミナー」「トップが語るこれからのり○な」など専門的な話が続きました。みんな熱心に耳を傾けていました。

上手に運用すればマイナス金利のご時世で少しでも財産を増やそうと思うと専門家の話が参考になるのかも知れません。

私は年金生活の中で「じぶん銀行」の頭取となり、上手く切り盛りして赤字を出さぬよう、貯金をしないように、きちんと使い切ることが幸せと感じています。

「貯金をしないように」と書きましたが貯金など出来るはずがありません。訂正します。ハハハ

二ケ月に一度振り込まれる年金はすべておろして「奇数月」「偶数月」の封筒に入れ不足だからと次の月の封筒に手を出さぬようにしています。

しかし同窓会だの、新年会だの、昔の仲間との交流会だのと、交際費もバカにならず「じぶん銀行」の頭取サンは悪戦苦闘しています。

「あの世に持って行けないから・・・」とパッパラパーと無駄遣いしている様に見られがちですがつつましく生きております。

但し「ケチ」とか「昔と変わったね」とかは言われないように気を付けています。要るときは要るんですからネ。

それに今までの様に「あれが欲しい、これが欲しい」の物欲がなくなりました。孫への投資もつつましいものです。

でも・・・三途の川の渡り賃だけはちゃ〜んと残しておきます。

私のセミナー受講予定は好日山荘で開催される「登山者のためのフアーストエイド」に行ってきます。


[3901] 【4159回 すっかり春】 2016-03-08 (Tue)


ツクシの子が目を出したと言う「春便り」をフェイスブックで知りました。

「もうすぐ春ですねぇ♪」なんて歌を口ずさみたくなりました。

かたや、雪を求めて比良山系をさまよってみたり・・・

このまま春かと思いきや、もう一度、寒波が戻ってくるそうです。慌てて冬物の衣類をクリーニングに出さずに「ほんまもんの春」を待ちましょう。

雪解けの山は雪崩の危険や、足を滑らせて怪我をすることもあります。

アイゼン等は「安全見守り隊」と思ってお守りのように持って出かけたいですね。

大津ワンゲルコースではロープの出番もありました。危険と察知したらためらわずにロープを使いましょう。そのためにも日頃からロープワークをしっかり練習しましょう。

時々師匠が私を試すようにロープ専門用語を使います。

「え〜と・・・え〜と・・・」と思っていては助手の役目が果たせません。日々練習です。

エイトノット、プルージック、半マスト等基本中の基本ですが道具の名前も覚えておかないとね・・・

もうすぐツツジゃ山桜などと出会える春山の楽しみが到来します。

大津ワンゲルコースにはイワカガミやイワウチワの群生が春を待っていました。

ストックなどで傷つけないように自然を壊さないように歩きたいですね。

日焼け止めクリーム必携です。もう婆になると皮膚の回復は期待できません。ならば「予防」するしかないのです。

「山に化粧品はいらん」と言うことなかれ・・・要るんですよ。

日焼けから引き起こす「皮膚がん」予防にもぜひ日焼け止めクリームを塗って下さい。

フフフ・・・時々真っ白に塗っている男性見ますが・・・透明のクリームもあるし、白いクリームの時は、しっかり塗り込んで下さいね。


[3900] 【4158回 今日は箸休め】 2016-03-07 (Mon)

「騙されたと思って試してみませんか?」

@大根おろし

大根おろしを作るとき、大根を輪切りで擦っていませんか?

大根おろしは大根を輪切りにして擦ると辛いそうです。

まろやかな味にするには綺麗に洗い、適当な長さに切断し縦に皮のまま4等分に切ります。

そして皮の部分を持ってすりおろせばまろやかな大根おろし完成。

A板チョコレート

板チョコって溝に沿ってうまく割れますか?

山行中に仲間に板チョコをあげようと割ってもなかなか溝にそってうまく割れません。そんな経験ありませんか?

それもそのはず板チョコの溝は割るためにあるのではないのです。製作段階で早く冷ますために溝があるのだそうです。

ではどうすれば上手く割れるのでしょうか?

板チョコの両端を持って(親指は使わない)溝の裏側に力をいれると割れるそうです。

そもそも板チョコは割って食べるのではなく端っこからかじるのだそうです。テレビCМでよーく見るとなるほどかじってました。

Bドライヤー

濡れた髪の毛をドライヤーで乾かすときどうしていますか?

私は髪の毛が短くて少ないしポッチーはほとんど怪我が無い(あっ間違えた毛が無いでした)のでドライヤーは使いません。

濡れた髪を早く乾かすにはバスタオルなどを頭にかぶりその上からドライヤーを当てると短時間で乾くそうです。

濡れた髪をそのままドライヤーで乾かすと6分31秒かかり、タオルをかぶってあてると4分17秒で乾くそうです。

タオルをかぶってドライヤーを当てると髪の毛も痛まないそうですよ。

いずれも試してみようと思うか阿保らしいと思うかは自由ですが騙されたと思って実験してみてはどうでしょう。

お婆ちゃんの知恵袋の仲間入り出来るかもしれませんね(笑)

私は大根おろしを試してみました。なーるほどでした。


[3899] 【4157回 雪と谷とおぜんざい】 2016-03-06 (Sun)

「もう雪なんて無いぜっ!」そう言いながらもひな祭りの前日に比良の山に雪が降ったとききました。

「行くぞっ」

今回は一服劔さんも一緒にTeamJJさんにくっつき虫です。

アイゼン、ピッケル、ヘルメットの三点セットを抱えてJR茨木駅午前6時30分集合です。

一服劔さんは始発電車に飛び乗ったとか・・・

既にTeamJJ号はトランクを開けて私達を待ち受けてくれていました。

久しぶりの再会に話が弾みます。弾む声を子守歌にして二晩徹夜状態の一服劔さんは浅い眠りに落ちている様子です。

渋滞もなく目的地に到着です。今回はハンドルを握らずに済みますのでお客様気分でした。(ドライバーさん・・ご苦労様)

大津ワンゲルコースを進み釈迦岳頂上へ。雪ですか?ありましたよ〜フッカフカの綺麗な雪でした。

ポカポカ陽気に汗が流れました。疲れは、さほどありません。下山に使う道は神爾谷コース。

神爾谷の斜度は65度。かなりきつい斜面です。足を滑らすと川まで落ちて行きます。

せっかく持参したロープだからと出して使うも絡まったり、砂に埋まったり悪戦苦闘しました。

谷筋に下りても雪解け水の量は多くて難儀の連続。緊張が疲れを吹っ飛ばしてくれました。「疲れてる場合じゃないんだよ!」と神爾谷が言いたげな厳しさでした。

下山してサプライズが待っていました。一足先に車に戻った「J1リーダー」が、お善哉を用意してくれていたのです。

車に近づくとお餅の焼けた匂いがプーンとしてきました。嬉しくてその場にへたり込みました。

荷物の片づけを後回しにして頂きました。人の温もりと甘い舌触りと香ばしい餅が口の中いっぱいに広がりました。

おいしかったです。ごちそうさまでした。

い〜い山行でした。また誘ってもらいたいです。


[3898] 4156回 心はみんな中学生・ラスト 2016-03-04 (Fri)

「元気でいればまた会える  の巻き」ラスト編

50年ぶりに同窓会を開催して、はや5年が経ちました。最初の同窓会に参加している人はほとんど毎回「皆勤賞」もんです。

初回の印象が良ければ「また参加したい」と思うのでしょうか。

楽しい様子を噂で聞きつけた人達は2回目以降から参加しています。

「やっぱり遠くには出られん」と欠席の葉書きをくれた友のために2年に1度は四万十市で開催しようと決め、第3回目を四万十市で開催したら多くの出席者がありました。

仕事や、親の介護などみんな色々な事情を抱えていることもわかりました。

小学校時代、無口でおとなしかった和歌山に住む友が「和歌山もエエとこやからパンダ見せてあげたい」と積極的な発言あり。

まるで自分の家の庭にパンダを飼っているような話にみんな大笑いし来年はパンダを見に行くことに決定〜!

秋の同窓会に間に合うように和歌山・白浜方面の下見に行こうと、和歌山の友の家を軸にして資料集めをする予定です。参加費安くて豪華な旅にしたいです。

おっと・・・松山の坊っちゃん幹事も下見に参加してくれるらしいです。

下見で盛り上がり、本番で盛り上がり、反省会で盛り上がる珍しい「蕨岡・舞の森会」って一体どんな会や?

過去を振り返ると

第1回目は京都で開催

第2回目は松山で開催

第3回目は四万十市で開催

第4回目は熱海

で開催してきました。地元参加者の負担を少なくするためと、参加者をひとりでも多くするために2年に1度は故郷四万十市での開催を決めました。

泊まるも良し、日帰りも良しと門戸を広げました。

地元の人は言いました。「四万十市から遠ければ遠いほど旅行気分浸れるから気遣い無用」との太っ腹。

大枚の金が酒代に消えたことを思うと彼らにしたら安いもんかも知れません。

今年の秋は四万十市で、来年は和歌山白浜で、古稀の記念の年には九州へ行こうと随分先の先まで決まっています。

まずは病気をしないこと。

楽しかった「同窓会幹事新年会」の様子をホームページにアップしました。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/0228mainomori.pdf

表紙の「2016山行記録」をクリックしていただき同窓会の様子をご覧頂ければ嬉しいです。




[3897] 4155回 心はみんな中学生・3 2016-03-03 (Thu)

「中村式宴会とは の巻き」

「中村式宴会」とは、宴会前、ご馳走を目の前にして長々と演説するような無粋な真似をせずいきなり乾杯をすることです。

乾杯後に話があればご馳走を食べながら耳に入れるのです。まずは喉を潤すほうが先と言うわけです。

最初は戸惑い「挨拶してからじゃろう?」と思う人も理にかなった中村式が気にいると思います。

パーティ等でも会長だの社長だの主催者の長い話を聞かされて、「では乾杯のご発声を」とグラスを持ってから、またまた長い話・・

冷たいビールも手の温もりで泡も消え「燗ビール」になることしばしば。

とにかく私達の宴会担当になったスタッフは忙しい。口々にお酒のおかわりをするので料理を運ぶより酒の注文に走り回る。(いっぺんに注文しいや〜!)

幹事会のメンバーには酒豪ばかりでも悪酔いは絶対しないし、悪態はつかない。時々行方不明者が出て大騒ぎすることはあるが喧嘩はない。

この間「白飯」の話が話題になり麦飯主体だった子供の頃どこかの家で結婚式や葬式があれば子供たちは群がった話になりました。

大きな釜から出る「白飯のおこげ」を求めて子供たちはどこからともなく集まってきました。塩を振ってもらい食べた焦げ飯の美味しかったこと!

食に溢れる現代に、この話をしても誰も理解してくれませんが幼友達の中では一同「うん、うん」と遠い昔を懐かしんでいました。

なぜその話になったかと言うと食事に蛸釜飯が出ておこげが旨いと言う話から繋がったのです。

さあごはんを食べようかと言う時になって釜の蓋を開けると米のままの人がひとりいました。スタッフが火を付け忘れたらしい。(大笑)

本来ならスタッフに苦情を言ってもおかしくないのですが「かまん、かまん」と仏の顔。

共通の思い出があるからこの会は愉快なのかも知れません。

秋の同窓会は四万十市で、反省会は淡路島、来年は和歌山白浜方面、古稀の年は遠く九州へと決まりました。

四万十市の人達は「出来るだけ四万十市から遠くへ行きたい」らしいです。それが旅をしていると言う気分に浸れるとか。なるほど・・・

旅費を工面するのにヘソクリを作るのに忙しいっス!


[3896] 4154回 心はみんな中学生・2 2016-03-02 (Wed)

「その2・あっちこっち観光&1泊目の宴会の巻き」

讃岐富士を眺めながら「青山224.5m」に登りました。

春霞がかかりスッキリとは行きませんでしたが霞のかかった讃岐富士もまた美しい。

春なら桜が満開と思わせる大きなつぼみが膨らんでいました。

次なる見物は「瀬戸大橋記念館」瀬戸大橋記念公園の中にあり瀬戸大橋の完成するまでを見ることができます。

世界のガラス館は残念ながら閉館となっていました。立派な建物なのに再利用の目途もないのか錆びれていました。

チェックインの時間が迫ってきたため1泊目の宿である「讃岐五色台」へ行こうとした時「何しよるが?宿に着いたちや〜!」四万十組からの電話がかかりました。

遅れること20分・・・合流です。賑やかな新年会はスタートしました。既に部屋にてビールが随分と空いていました。

まずは風呂へ。そして宴会会場へ。

飲んで、食って、喋って6時からスタートし二次会会場へ移動。

酔っていても秋の同窓会の話を真剣に話し合いました。骨組がほぼ出来たところで長旅もあり早々に各自の部屋へ。

女子は2名、2名と部屋が分かれていましたが「みょ〜に寂しいね。「と言うことになり4名一緒の部屋で寝ることにしました。

いつもの事ですが私が一番に寝たらしいです。


[3895] 【4153回 心はみんな中学生】 2016-03-01 (Tue)

「その1・讃岐うどんの巻き」

大雪で延期となっていた「舞の森会・幹事の新年会」がようやく、賑々しく実現いたしました。

御年67歳ばかり9名。出発日は待ち遠しくて集合時間よりも30分も早く新大阪駅に到着しました。

時を同じくして幼馴染もまた30分早く目の前を通りすぎました。「おはよ!」

坂出駅には松山の坊ちゃん幹事が迎えに来てくれていて、まずは腹ごしらえと、いざ讃岐うどん店へ。

ななななんと100人以上並んでいるではありませんか!

「どうする?」「並ぶよっ!」

坊ちゃんが駐車場待ちしている間に列の後ろへ。前の人は東京から来たと言う。「え〜わざわざ?」大きなお世話でんなぁ。

知る人ぞ知る「日の出製麺所」

うどん通の人なら知らなきゃモグリらしい。

営業時間は午前11時から午後の12時30分のたった1時間30分だけ。

列さばきの見事なこと!100人並んでいてもわずか30分足らずで席に着くことができました。

並んでいる間に「冷たいうどん、温かいうどん」と「大中小」と玉のサイズだけを注文を聞きにやってきます。

席に着くと注文したうどんだけが出てきてトッピングはすべて自分でします。ネギも自分で刻みます。

何をトッピングしたかは自己申告。誰も不正はしない。

松山の坊ちゃんが「支払いはオレに任せておけっ!」とご馳走してくれました。

3人が思い思いのトッピングをして3人合計600円!

旅のみやげにぜひ行って見てはいかがでしょうか?

本来は製麺所なんですがみんなの要望で1時間30分だけ工場の片隅を利用しての営業だとか。

うどん食べるよりシステムが話題になりそうな面白い店でした。

味?美味しかったですよ〜まずかったら100人も並ばないと思います。


[3894] 【4152回 信頼のロープに結ばれて】 2016-02-27 (Sat)

「赤い糸で結ばれて」と言うセリフを聞いたことがありますが「信頼のロープで結ばれて」ってどんなんや?

山岳会や登山者によっては危険通過時であっても、リュックからロープを出すのを面倒くさがる人達が多いです。

他の登山者が通過時に「気合で行けっ!」と恐ろしい掛け声を耳にしたこともあります。(ロープ持っているのだったら出してよっ!)

私と相棒がアンザイレンで歩いていても「こんなところでロープでっか?」と冷やかしで言ったり、ヘルメットをかぶっていると「どこの沢登ですか?」と馬鹿にされることがあります。

最近では慣れっこになってしまいました。私と相棒は「危険」と感じたら即ロープを出します。またすぐ出せるように工夫しています。

説明してもわかりにくいと思いますが袋の中に流し込んで収納すれば(この表現がピッタリ)取り出すときはロープのネジレもなくスムーズに出るのです。

ロープはひとりだけ熟練者がいても役に立ちません。相手が要ります。お互いが使いこなせていなければならないのです。

六甲山系の芦屋・地獄谷通過時はスタート地点からアンザイレンを結んで進みます。時々、咄嗟にテンションを掛けられ試されます。

「握ってるだけではダメだっ!それでは相手が落ちた時、止められない!」

「ロープを濡らすなっ!」

「ロープを地面に引きずるなっ!」

と何度叱られたことでしょう。その通りっ!相手の命を預かっているのです。

最近ではアンザイレン中にビレイする時は私の体重だけで止められないので、大きな岩や木の幹に巻き付けて相棒を落とさない工夫がやっと身に付いてきました。

ビレイヤーは相手の滑落に巻き込まれてしまわないようにしっかりと自分の身の安全を確保しなければなりません。

今までに恐ろしい場面に遭遇したのは北鎌尾根3日目の山行でした。その時のレポートから抜粋しました。


『独標のトラバースが過ぎて稜線に出ようと少しづつ高度を上げているときでした、行く手を10mほどのガレた沢に阻まれてしまいました。左側は登れそうにありません。

行くか戻るか。入ると多分、岩屑に流されることになるかも知れない。幸いなことにガレの中に幅2mほどのハイマツ帯があります。あそこに掴まれば大丈夫横断できる。

そう判断してお互いのザイルを確認し、流されることを予測して少し上から入ります。

「行きます」 大きな声とともに入った姫の体は岩屑とともに流れ始めます。「急げ、とにかく動いてハイマツを掴め」

岩屑はガラガラと音を立てて落ちていきますが、僅かな時間でハイマツを掴むことが出来た。「よくやった。ハイマツの向こう側を、少し上に上がってビレイしてくれ」

姫が上に上がり、ビレイの体制に入ったのを確認して岩屑の中に踏み出すと、先ほどと同じく流され始めます。「ザイルを巻いて」そう指示をしながら駆け抜けます。

ハイマツを掴んでまずは安堵。そこからハイマツを掴みながら上へうえへと上がり岩角を掴んで脱出です。まずは一安心』

私は共に流されることを想定して近くにあった岩にロープをグルグル巻きにしてビレイをしました。このとっさのひと手間が命を救ったのです。

この時から互いに「命の恩人」となったわけです。

アンザイレンをして自分も巻き込まれたら嫌だと言う人がいます。山のベテランなのに・・・と思ったりしますが山岳会全体がこの考え方みたいです。

またまた雨飾山の滑落が登場しますがアンザイレンを結んでなかったら道連れになることもなかったのです。

しかしアンザイレンを結んでなかったら確実に「死」と向きあっていたはずです。同行者を見捨てるわけには行きません。

安全通過するにはどの方法が良いのかの知識、技術も必要となってきます。

※アンザイレンとは

互いにロープで結び合うことを、登山用語でアンザイレンといいます。アンザイレンしたパーティーが互い違いに登っていくのは、岩登り、沢登り、氷壁登りなどで必要な手段です。

具体的には、トップが登っている間、セカンドがビレイ(確保)する。適当な場所まで登ると、今度はトップがビレイしてセカンドが登ってくる。いわばシャクトリムシのような登り方です。


[3893] 【4151回 他人事ではない】 2016-02-27 (Sat)

「他人事ではない加害者側、被害者側」

大阪・梅田周辺で暴走事故が発生し運転男性をはじめ多くの死傷者を出した痛ましい事故がありました。

あの前日、私達は登山用品店へ行くためにあの場所付近をウロウロしていたのです。1日違っていればあの歩行者の中に混じっていたのかと思うと身の毛もよだちました。

大阪・梅田の繁華街で乗用車が多数の歩行者をはね、11人が死傷した事故で、車を運転していた男性は病死(大動脈解離)だったことがわかりました。

警察は事故直前に意識を失ったとみています。車が交差点や歩道を走行して歩行者を次々とはね、多くの死傷者を出しました。

司法解剖を行ったところ死因は大動脈解離による心タンポナーデという病死だったことがわかったそうです。

車はいったん停止しましたが警察によるとそこまでは意識があり、その後、意識を失った可能性が高いとの見解です。

ポッチーが去年の4月に心臓に除細動器を埋め込む手術をした際に医師から2つの禁止事項を言い渡されました。

@車の運転は決してしないこと

A心臓に負担のいく登山も禁止

登山禁止については体力的に自覚もありスムーズに受け止めることができました。

しかし至って運転の大好きなポッチーから「車の運転」を諦めるには時間がかかりました。

新聞でバスの運転手が心不全で事故を起こしたニュースがあれば大きく話題に挙げ説得しました。

医師の反対を押し切り運転を続けていたら、いずれこのような場面に遭遇することがある。

自分だけならいいが相手を巻き込んでの事故なら相手は勿論の事、息子夫婦や、孫たちの将来の灯をも消すことになると説得に説得を重ねてきました。

最近では、渋々ではありますが「運転したい」とは思わなくなった様です。

今回の事故できっぱりと未練が経ち切れた様です。

人様の事故を踏み台にして申し訳ないのですが「加害者」にならずに済んだとホッとしています。

ハンドルを握らずとも同乗して道案内や(ほんまはナビあるんやけどな・・・笑)、安全運転の見守り隊(姫は交通安全推進委員でっせ・・・笑)として役割はあるのです。

邪魔ものの様に嫌がっていた「体内型除細動器」を、今後は自分の分身と愛おしく思い、元気で夜明けを迎えられたことに感謝しつつ生きて行って欲しいと思っています。


[3892] 【4150回 映画鑑賞】 2016-02-26 (Fri)

アコンカグアで山岳事故に遭遇し帰国が遅れていた関東の岳友は無事、日本に帰国しました。顔が少々凍傷にかかっているようですが元気とのことです。ご心配をおかけいたしました。

さて、「エヴェレスト神々の山域」が3月12日から封切りされます。見に行かなくっちゃぁ〜

「神々の山嶺」のキャスト

カメラマン深町誠に 岡田准一

クライマー羽生丈二に 阿部寛を筆頭にお馴染みの俳優さん達です。

あらすじは

メンバー全員が45歳以上で構成される中年のエベレスト登山隊は二人の滑落死者を出し失敗に終わる。

遠征に参加したカメラマンの 岡田准一扮する深町は帰国する隊員と別れ、あてどなくカトマンズの街を彷徨う中、ふと立ち寄った古道具屋の店先で年代物のカメラを目にする。

エベレスト登山史上最大の謎とされているジョージ・マロリーの遺品と見た深町は即座に購入するが、カメラは宿泊先のホテルから盗まれてしまう。

カメラの行方を追ううちに、ビカール・サン(毒蛇)と呼ばれる日本人から盗まれた故売品であることが判明する。

故買商からカメラを取り戻すために深町の前に姿を現したビカール・サンはかつて日本国内で数々の登攀記録を打ち立てながら、

ヒマラヤ遠征で事件を起こし姿を消した羽生丈二その人であった。

帰国後に羽生の足取りを追った深町は、羽生が登山家としては既に峠を越した年齢でありながら、エベレストの最難関ルートである南西壁の冬季単独登攀を目論み、

その最中にカメラを発見したことを察知する。恋人との生活も破綻し、目標を見失いかけていた深町は羽生の熱気に当てられるようにカメラの謎と羽生を追い始める。

ではどこで撮影されたのか気になるところですが

撮影はネパールやエベレスト街道。キャスト陣もエベレスト街道を高度順応しながら10日間かけて登るのだとか!

低酸素の高度6000メートル付近はベテラン登山家でも冷静な判断ができなくなるという過酷な場所での演技が真に迫るものがあるのか封切りが楽しみです。


[3891] 【4149回 嫁の誕生日】 2016-02-25 (Thu)

「今日はお嫁ちゃんのお誕生日」

10数年前、母一人、娘一人の環境の中で北海道からはるばる嫁いで来てくれた日の事を思い出しています。

私が姑から「嫁入り道具は何も用意しなくていいから身ひとつでいらっしゃい」そう言われたことを思い出しお嫁ちゃんにも同じことを伝えました。嫁姑の引き継ぎです。

ポッチーのお母さんは「姑の鏡」の様な人でした。私もそうありたいと努力をしようと心に誓ったものです。

慣れない大阪での生活がどれほどに心細かったことでしょう。息子は会社に出掛けると夜まで戻って来ません。

かと言って私も仕事をしていましたので細かな心遣いも出来ず1ケ月が経ち、1年が経ちました。

スケジュールが合えばウオーキング協会の行事で鳥取砂丘や上高地などバスウオークに一緒に行きました。

だんだん大阪の生活にも慣れ、やがて妊娠・出産と母としての逞しさ増して、「心配」が「安心」に変化して行きました。

「夫婦喧嘩をして実家に帰ろうと思った時はいきなり北海道ではなく私のところに寄り道して頂戴ね」と言いました。

おかげさまで夫婦仲もすこぶる良くて、親として、お嫁ちゃんに感謝の気持ちを誕生日の日に伝えることにしています。

孫も素直に育ち、爺・婆も元気でお嫁ちゃんの負担には、今のところなっていないことにホッとしています。(爺はあまり元気とは言えませんが・・・笑)

病院の待合室でお婆さん同士が「うちの嫁は・・・!」と箸の上げ下ろしまで愚痴っているのをよく耳にします。

そんなお婆さん達の話を耳にすると「あんたらも、嫁にうちの姑はっ!って愚痴られてるで、きっと」と言いたくなります。

老後は「優しいかわいいお婆ちゃん」「こぎれいな恰好をしたお爺ちゃん」でいるのが嫁から嫌われない秘訣だと思います。

私はお嫁ちゃんの誕生日は実家の母上への感謝とポッチーの亡き母に感謝をする日にしています。

キャハハハ・・とても鬼婆の言うこととは思えないでしょ?良い姑かどうかは自分自身がきめるのではなく「世間様の目」だと思っています。いい婆になるように精進いたします。ハイ。

相撲甚句で

嫁入り道具に箪笥長持ち持たせてやるからにゃ二度と戻ってきてはならぬと親が娘に言えば娘が

「父さん母さんそりゃ無理よ。千石積んだ船でも港出るときゃまともでも風の吹きようで出て戻る。

ましてや私は人の子だからご縁がなければ出戻ってまいります」と言う歌詞があります。

バスガイドもどきで、一度や二度、歌ったことがあると思います。

結婚とは「ご縁」のもので「ご縁」と言う赤い糸で結ばれたらたとえ嵐に遭遇しようとも切れぬ様にして欲しいと願っています。

結婚を躊躇している若者がいれば周囲にある問題点から解決しようとせず「二人の赤い糸」を信じて前進してほしいです。


[3890] 【4148回 雪がな〜い!】 2016-02-24 (Wed)

北国で屋根の雪かき作業をしなければならない人達にとって雪の少ない今年はとてもラッキーだと思います。

雪で生活道路が寸断された去年の北国の事を考えると雪の無い今年は神様に感謝をしていることと思います。

しかし、しかしなのです。

かたや関西では雪待ちをしている登山者が沢山います。

「あの山のてっぺんが白くなったら出かけるぞ」そう言いながら道具の手入れをしている人もいたと思います。

スキーに出掛けたもののスキー場に雪はなく「Close」の看板を恨めしく眺めて滑らずに帰ってきた人もいます。

樹氷を見ようとバスの時間を調べ待っていたのですが樹氷号が出動するほどの積雪は無さそうです。

それどころか、それどころか春を告げるツクシが芽を出したと報道されていました。

「このまま春か?」

いいえ!もう一度寒くなって、ふっかふかの雪を踏み冬から春への季節交代を見届けたいと思います。

冬の雪は柔らかくて素敵です。(ラッセルはつらいよ〜)

夏場の登山道の氷と残雪のミックスは滑り易く危険が伴いますが冬の雪は人に優しく感じます。

去年の夏、雨飾山で滑落して「雪は恐いっ!」とおじけていた宇都宮のトモちゃん達は冬装備一式買い揃えて雪山を楽しんでいるみたいです。

立ち直りが早いんだから・・・!

アイゼンでひっかけて転倒しないようにしてよ〜!

あの滑落は一歩間違えば大怪我か死に至っていたことを忘れないで教訓にしてよと言いたいです。

去年の雨飾山での滑落場所の写真ブログに載せました。

今年の赤坂山からの下山時、ツボ足でも大丈夫でしたが身体が雨飾山での恐怖を覚えていて「アイゼン履きたいです」と申し出ました。

メンバーの中でひとりでも「怖い」と言う者がいれば安全策を取るのが師匠の考えで同行者全員がアイゼンを履くことになりました。

滑落停止方法など雪山だから出来る訓練をぜひ復習しておきたいと思っています。

今週末は四国へ出掛けてきますが、来週の雛節句が過ぎた頃ドカッと雪が降ればラッキー!


[3889] 【4147回 経年劣化の靴底】 2016-02-23 (Tue)

阪急山本駅から中山最高峰に向けて歩く途中の登山道を外れた藪の中で靴底をみつけました。(プログに写真掲載)

まだゴム底は凸凹がハッキリとしていて新しさを感じました。

ひょっとして買ってからあまり履いてなくて久しぶりに靴箱から出して履いたかも・・・

まだ新しい靴だと思い込んでいると思います(多分履いて歩いた回数を数えている)

靴には経年劣化という厄介な約束事があり製造から5年がギリギリセーフだと言われています(接着剤が賞味期限切れ)

登山靴の保存場所はどこですか?「勿論下駄箱にちゃ〜んと」って声が聞こえます。あるいは「箱にちゃ〜んとしまってるよ」とか。

出来れば空気が往来している場所(例えばガレージなど)に靴底をピタリと付けるのではなく浮いた状態(説明するのむずかしい・・・)

ちなみに私はガレージの脚立の隙間に乗っけています。あるいは靴紐を利用して吊るのもいいかも知れません。

要するにず〜っと同じ場所に置きっぱなしはよくないと言うことです。使わなくても時々は右から左へ、左から右へと移動をさせてあげることが大切だと思います。

3万円以上の高価な靴ですからお手入れもそれなりに!

これは私の自己流なのでもっと良い方法があれば教えてくださいね。「私はこうしてます!」って書き込み欲しいですね。

昔、所属していたウオーキング協会では、100人引率して夏山登山を実行していました。100人もいれば最低5人は靴底の剥離を訴えてきました。

「靴の修繕屋みたいやね」と笑いながら、剥離の状態によりテーピングのテープであったり、針金であったり、予備の靴紐だったりして応急処置をしていました。

山小屋で噂を聞きつけて全然知らない人が「私もお願いします」と言われたことも記憶にあります。

古い登山靴を廃棄するときには紐だけは捨てずに救急セットの中にいれています。多目的に利用できます。

山小屋ではそんな登山者のために「登山靴の販売しています」と看板を出しているところもあります。

背に腹は代えられないから・・・高くても買っちゃいますよね。

靴底を捨てて下山した人は歩きにくかっただろうなぁ・・・


[3888] 【4146回 登山講習】 2016-02-22 (Mon)

●「登山への第一歩」LESSON 2

え〜っまた中山さん?4回目やんか〜?

山行前日の土曜日には地雨(纏わり付くようなうっとおしい雨)が降り、しとしとと夕方まで降っていました。

「岩稜帯歩き」の講習なので雨が少しでも残っていればコースを変更しなければ危険です。天気予報では「日曜日は晴れ」と出ていましたので予定実行。

山本コースには講座に使用する恰好の岩稜帯があるためこのコースを選択しました。

「リーダーをする場合は参加者がひとりでも怖いと言えばロープを惜しみなく出して安全通過させてやらなければならない。それが出来なければリーダーを引き受けるべきではない」

リュックにロープを入れていても「面倒くさい」「こんなところでロープを出して恰好が悪い」とベテランたちはいいます。

危険個所を度胸試しの様な山行を強行するから事故は起きるべくして起きるのです。

登山者の邪魔にならぬ様に岩稜帯の片隅を利用して「正しい岩場の歩き方」をみっちり1時間ほどかけて行いました。

時々やってくる登山者の後ろ姿をみていると残置ロープに全体重をかけて「ウンコラショ」と登っていました。

残置ロープはバランスをとるために「支え持ち」はいいけれど力任せにロープに頼っては危険です。

残置ロープはいつ張ったのかわかりませんし、雨風にさらされて、ひどいところでは大きな岩がロープの上に落石していました。

ヒカルゲンジさんもベテランの付添とは言え、受講生と同じ様にステップの練習をされていました。私は記録写真係です。

再びリュックを背負い前進するのですが「KEI君」の歩き方がみるみる上達しているのがわかります。

師匠の話にはメモを取り、時間があけば細引きヒモでダブルフツシャマンの練習をして、意欲があるのがわかります。

昼食場所ではロープを大きな木に支点を作りブルージック移動の練習をしました。

練習の中には「滑落」も想定して時々ロープにぶら下がる場面もありました。

東大阪の登山者ではありませんが「教えて貰う人がいない」私達には身近に指導者がいてラッキーだと痛感しました。


[3887] 【4145回 おもしろかった映画】 2016-02-20 (Sat)

10年に1度と言うアクション映画「Xミッション」の映画を見てきました。

迫力がありすぎて、いつもは、うつらうつら居眠りするのにこの映画だけは寝る間もなかったです。

凄すぎっ!

なかでも、ロープ無しで滝を登るシーンでは、仲間が滑落して死亡するシーンもあり手のひらに脂汗が流れ隣の人の衣服で拭きました(笑)

3Dが更に迫力に拍車をかけてくれました。ぜひ「3D」で!



「あらすじ」

1991年の名作アクション「ハートブルー」をリメイクした作品です。

サーフィンやスノーボード、モトクロスなどを用いたエクストリームスポーツが多数登場します。

トップアスリートたちの生身のスタントによって迫力のアクションシーンを創出しているそうです。

元アスリートの若きFBI捜査官ジョニー・ユタは、エクストリームスポーツのカリスマ、ボーディが率いる超一流アスリート集団への潜入捜査という指令を受けます。

ボーディ一味には、そのスキルを駆使した前代未聞の犯罪を実行している疑いがあった。

命がけで潜入に成功したユタは、ボーディが犯罪の首謀者なのか、その証拠をつかむために捜査を続けるが、命知らずなアス
リートたちと行動を共にするうち、ユタとボーディとの間にも信頼と友情が芽生え始めるのです。

どこで、どんな風にして撮影が行われているのかを詮索しないで、自分もスクリーンの中のひとりとして見ると「こわ・おも」の表現がピッタリだと思います。

65歳以上は1500円です。


[3886] 【4144回 京都・伏見ブラ〜リ】 2016-02-20 (Sat)

17日、仕事で交野市にある研修施設の見学を終えて京都伏見に足を延ばしました。

まずは酒蔵・月桂冠大倉記念館に300円の入場料を払い中に入りました。昔使用した器具が展示されていました。どこに見学に伺っても同じ光景です。

出口で1合入りの日本酒をお土産にもらいましたが「お酒いらんから入場料まけて〜」はゲスかしら?だって・・・荷物になり重たいんだも〜ん(笑)

そのあと「カッパッパーの黄桜酒造」へ。入場無料〜!甘酒買っちゃった〜!

テレビでおなじみのカッパの絵が壁一面に掲げられていました。スクリーンには昔懐かしのコマーシャルも映し出されていました。

カッパというイメージは黄桜の社長が大学の水球部に属し「カッパ」であったことからイメージキャラクターに起用したそうです。

そのあとは竜馬通りを歩き寺田屋に立ち寄りました。

坂本龍馬の妻のお龍が入浴中に伏見奉行に取り囲まれた危機を察知し、裸のまま2階に駆け上がり龍馬を救った話など、事前に調べていくと面白いです。

ああこの風呂から2階へ・・・?、ああこの刀傷が・・?となかなかおもしろかったです。

しばらく観光モードに浸ったこともなかったので時々はいいなぁ。

山行で全国出掛けてはいますが、夜中か夜明けに街中を通過するため観光モードに浸ることはあまりありません。

百名山が終わったら、のんびりと旅に出るのも悪くないなぁと思ったりしています。

とにかく、どこもかしこも隣国の外国人が多い〜!

集団で大声で観光地を巡るのは京都にはふさわしくありません。

琵琶湖バレーには雪を見に外国人がドッと押し寄せスキーコースの中に入りタムロしていて危険だと(来てくれるのは嬉しいが痛しかゆしだと関係者は嘆いていますぞ)

それにしても瀑買いの金額がハンパじゃない。裕福なんだねぇ〜

観光目的と言うより爆買い目的だとすると何故こんなに街中にはびこっているのだろう・・・顔で判断は難しいけど大声出すからすぐわかる。

静かに観光するところと騒いでもいいところとの区別がつかない人達の様ですなぁ・・・・

だから雑踏を避けて山に逃げる!(おっと、どっこい!山にも押し寄せてるぜぃ)

北アルプスの某小屋のテラスでキムチ鍋囲んで騒いでいました。まぁテラスだからと寛大な気持ちでしたが朝食時にもキムチの大瓶を持ち込んで大声でみんなに回していたっけ・・・。

日本人が外国に行っても「おのぼりさん」的なことしているのかしら?だとしたらあまり言えないね。

ふ・く・ざ・つ〜!


[3885] 【4143回 岳友からのメッセージ】 2016-02-19 (Fri)

まずは昨日の続報から

アコンカグアに遠征中の関東の岳友から母親あてに「私は無事です」とのメールが届いたそうです!まずは一安心です。下記は本人の書き込みです(フェイスブックから引用)原文のまま

【I have to say......】最後の2日

アメリカ大陸最高峰アコンカグアへの挑戦。私自身は6600m付近での撤退、そして仲間(Fさん)を失いました。

隊長含め4人チームでしたが、入山6日目、メンバーの頼もしい女史Mさん体調不良でCamp1(5050m)以上の参画が難しくなり、ベースキャンプ(4300m)まで撤退。

それからは、隊長、私とFさんの3人となりました。荷揚げもテント張りも全て自分たちで2日ずつかけてやります。Camp2(5580m)、Camp3(5990m)

山頂アタックはCamp3から(11日目)。夜中2時半に出発。 標高6300m地点。5歩歩くと私の右胸が苦しくなりもう登頂は無理だと諦め、ぜひFさんを頂上へと隊長に言い、私は行ける範囲で進むことに。

景色が変わるところまで進み、撤退を決意。2人と別れた地点で、ツェルトに身をくるまって2人を待つがそれは得策ではないと若者に説得され、Camp3へ下山開始。

17時近く。 後ろから半ば走ってきた隊長にFさんの訃報を知らされる。。。。。

隊長は連絡等のため、一気にベースキャンプ(4300m)まで下るというので、今晩は1人Camp3(5990m)で過ごすことに、、、、

靴を脱ぐことすらできぬほど疲弊仕切り、靴を履いたまま足だけ外に投げ出して寝ていた。

翌朝。 私もベースキャンプ(4300m)まで降りなければならないのに、身体が本当に動かず、何かしようとすると寝てしまい、何かしようとすると寝てしまいを繰り返す。

14時過ぎ、ポーターだと名乗る男性が外から声を掛けてくる。

「ここにある荷物とテントを撤収し、君を連れてベースキャンプまで降りるように言われて来た。あと10分で出るぞ」

あまりに動けない私の代わりに、彼が荷物のパッキングも全部やってくれた。

一緒に歩くこと1時間ほど。甲斐甲斐しく面倒を見てくれたポーターだったが、私の不能ぶりに痺れをきらしたのかたまたま歩いてきたレンジャー(アルゼンチン警察)に託されてしまう。

厳しいレンジャーとともに何とかCamp2へ到着。

Camp2のレンジャーステーションでは、2時間近く座らせられる。こちらとしては早く下山しなければならないのに意味が不明。

17時頃doctorが来て、おもむろに私の診察を始める。 「危険ではないけれども、君の右の肺には水が少し溜まっている。ベースキャンプに降りたら、薬を出してもらってくれ」

18時過ぎ、レンジャー3人が私の同行をし下山開始。とてもじゃないけれども、陽があるうちにベースキャンプまで降りられない時間。

少し歩くと動けなくなる私に、レンジャーは「Baby, 君には日本に待ってる家族が居るだろ?気持ちを強く持つんだ、頭をしっかりさせろ」と何度も励ましてくれる。

日没し、真っ暗な中青い月明かりが射す中、何度も何度も雪渓を渡る。ベースキャンプが見えてくるとYuri,Congratulation!Congratulation!」と何度も言ってくれる。

怖いレンジャーも兄上みたいに優しかった。

22時半過ぎ、ベースキャンプ(4300m)のメディカルセンターに到着。診察が始まる。

「今日はテントではなく、この医務室に泊まってもらう。僕が計画的に管理して治療する」とdoctor「そして明日はヘリで下山ね」と言われた。

「チームの2人と一緒に下山したいんですがダメですか?」と聞くと「肺が2つあるからと甘く考えるな」と感じ悪いdoctorにどやされる。

そこへ、諸連絡や事務処理に走り回ってる隊長と25時間ぶりの対面。 迷惑かけて、仕事増やして申し訳ないと謝ると、大変でしたねとニッコリ。

仕方なく、神経質そうなdoctorの2時間おきの治療を受け、強風の朝を迎える。 「Yuri,ヘリが来る。準備しろ」

12日前、4人で10時間かけて歩いたベースキャンプまでの道のりを、、、、風で砂が吹き消すかのごとく一瞬でヘリコプターは元へ戻っていくのでした。

Fさんの6大陸目の最後のチャレンジにご一緒させていただき、本当に本当に光栄でした。

阿部ちゃん、阿部ちゃんとお湯を配給してくれたらいつも後ろから励ましてくれたこと、、、、いつまでも大切にします。

●山はいかに厳しいかを伝えたくて、挑戦するときの参考になればと思い、ここに発表しました。


[3884] 【4142回 不吉な予感は当たっていた】 2016-02-18 (Thu)

やっぱり不吉な予感は当たっていました。

関東の岳友がアコンカグアに行くと言ってフェィスブック上で無事帰るように激励し見送りました。

メンバーの中に70歳を過ぎたスーパーおじいちゃんがいると聞いていたので今回の山岳事故を聞き「もしや」と思っていたのですが「やっぱり」と事実となりました。

時事通信 2月16日の報道です。

『日本人登山者が滑落死=南米最高峰アコンカグア―アルゼンチン

アルゼンチンとチリの国境にある南米最高峰のアコンカグア(6960m)で15日登山中の藤森幹仁さん(76)が滑落し、死亡した。

在アルゼンチン日本大使館が16日、地元メンドーサ州政府から連絡を受けたと明らかにした。詳しい状況の確認を急いでいる。

地元メディアによると、ベネズエラ人ガイドとともに頂上を目指していたが、標高6700m付近で滑落。

頭を強く打って意識を失い、ガイドが蘇生を試みたが助からなかった。遺体は週末にも収容される見通しだという。』

下記は日本で事情を知る人からのフェィスブックの書き込みです。

『ご心配をお掛けし申し訳ございません。

76歳男性の藤森さんはは私の知人であり、今回のアコンカグア登山隊に阿部さん(関東の岳友の事)も同行しております。

最新報道を見る限り、阿部さんは無事だと信じておりますが、確認が取れず、 明日共通の友人である代議士を通して外務省に安否の確認を取るつもりです。

つきましては、もし阿部さんから連絡が来て、安否の確認が取れたという方がおられましたら、お知らせ頂けたら幸いです。よろしくお願いいたします。』

今回の報道を聞きすぐに本人にメッセージを送りましたが返信がありません。いつも即座に返事をくれる人なんですが今回ばかりは大変な場面に遭遇していると想像がつきます。

しかも標高6700m付近の事故ということは、あと一息だと言う頂上には到達しておらず悲しいことが続いているみたいです。

早く本人からの連絡がつけばと願うばかりです。

*****************【安否確認取れました】************

アコンカグア登山隊について、阿部さんのお母様のところに阿部さん本人から「私は無事です」とのメールが届いたそうです!

昨年アコンカグアに登頂した知人曰く、通信出来たのであればB.C.5,100m付近まで下山したのだろうとの事。

有難うございました。

まずはホッとしましたが隊の中に死亡者が出てしまうとショックは大きく、どんなに心細いかと思います。1日も早い帰国を!


[3883] 【4141回 ドッカーン効果】 2016-02-16 (Tue)

ポッチーの心臓の埋め込み式除細動が作動しました。

第1回目は平成27年10月10日孫の運動会に出かける途中です。

第2回目はバレンタインデーの2月14日です。

14日は京都美術館に出掛けて梅田でモンベルに立ち寄り、正午過ぎに淀川駅に到着しました。

「買い物をするから」とジャスコの前で別行動をした5分後らしいです。

強風に息苦しさを覚え、うづくまると「ドッカーン」と作動したそうです。不整脈発生です。

16日の主治医の診察に、さすがのポツチーも心細いみたいなので付き添って行きました。

医師が何か質問したそうな私の顔を見上げましたので「埋め込み式除細動」がなければどうなっていたのですか?・・・医師は無言でしたが答えずともわかっています。

回答の代わりに「よくぞ埋め込んでいたものだ」と医師は自分の判断が正しかったことを説明してくれました。

1ケ月の観察期間を経て、改善が見られなかったらカテーテル手術(簡単な検査)実施となるそうです。

「1日、1日を悔いなく生きないと後悔するよ」とポッチーに話しました。

私が「大きな爆弾抱えているみたいですね」と言うと「その通りっ!」と医師の声。

「ミサイルか、水爆か、ポッチーか!」

診察の後、別室で除細動機チェックがありました。ポッチーの胸にマウスを押し当てたらあ〜ら不思議!

コンピューター上に今までの心臓の動きがグラフで現れました。自宅にいながら病院でデーターが管理されているのです。

検査医師が席を外した瞬間にそのコンピューター・・・黙って撮影しちゃいました。見ますか?ブログに載せますね。


[3882] 【4140回 カラフルな登山着を着よう】 2016-02-16 (Tue)

本当にあった怖い話です。

高校の同級生(中山寺・奥の院でバッタリ出会った人)に山好き、スキー好きの男性がいて「バツテラの会」で会いました。

山談義になり「熊と間違えられてもう少しで発砲されるところやった」と恐ろしい話をしてくれました。

熊に襲われかけたのではなく人間に襲われかけたらしいです。

同級生の服装は黒っぽい服装で大きさも丁度、熊ぐらいに見えたのだと思います。

熊狩りの猟友会の人達によって猟銃を向けられているのが遠くからわかり(彼の視力は驚きの2.0)思わず笛を吹き続け難を逃れたのだそうです。

おっそろしいっ!

この話を聞いてから救急セットにしまい込んでいた笛を雨蓋に出しました。歩行中は首からぶら下げておこうと思いました。

最近のリュックには笛付きの物もありますので自分のリュックを再確認してみて下さい(胸のバンドに付いています)

笛は遭難時に助けを呼ぶときに使うものだと思っていたのですがほかの利用方法もあるのです。

交通事故防止でもそうなんですが「明るい服装、相手から判断しやすい服装」を、警察は推奨しています。

特に夜間の外出では反射材を付けていないと車のヘッドライトで確認しづらくて危険です。

山のウエアが少し派手な色使いしているのは遭難した時に見つけやすくしているのかもしれません。

それでも「オレは黒が好き」と言う人は熊に間違えられないように蛍光色の補助具(腕のリングやタスキ等)を付けて下さい。

視力が2.0なければ間違えられて鉄砲で打たれていたかも知れません。

彼は67歳にして「虫歯ゼロ、白髪ゼロ、老眼なし」を豪語します。羨ましい限りです。

私が登山の時の衣類で年甲斐もなくピンクを好むのは「遭難対策」なんです。(笑)

警察は事故防止を訴えるだけでなく事故原因を公表し、その上で事故防止を訴えた方がより効果的だと思います。

先日の堡塁岩での死亡事故も何が原因の事故だっのか公表して貰い、同じ事故が起こらぬようにしたいものです。

どこでどんな事故に遭遇するかわかりませんね。今日も一日「ご安全に!」


[3881] 【4139回 春一番】 2016-02-14 (Sun)

2月13日、春一番が吹きました。

春一番のイメージは優しいそよ風の様な感じを受けますが立春のころ、その年、初めて吹く強い南風のことを言います。

強風が吹き、雨も降り海も山も大シケになり我が町スーパーの自転車置き場の自転車はバッタバッタとなぎ倒されていました。(倒れた自転車の写真ブログに載せました)

12日には「保塁岩」と言うゲレンデで、男性が頭から血を流して死亡していました。

男性は74歳、岩登りの途中で転落したとみて調べています。

灘署によると、現場は保塁岩と呼ばれる岩場の下。

男性は11日午前11時ごろに自宅を出て六甲山に向かいましたが、帰宅しなかったため、家族が登山仲間に連絡。

家族から連絡をもらい探しに行った登山仲間が見つけ110番したそうです。

ビレイヤーはいなかったの?

山登りもクライマーも定年制はありませんが、74歳大丈夫?

山登りもクライミングも、ほどほどの年齢で引退をしないと身体機能が低下していきます。私自身も含めて今一度安全登山について考えなおさねばと事故が発生する度に考えてしまいます。

堡塁岩の死亡事故の原因がわかればぜひ教えてもらいたいものです。

安全登山に装備の適正さが必須条件となります。モンベルの防寒着「アルパインサーマシェル」の背中に色落ちした箇所が見受けられて以前から気にかかっていました。

色落ちなので安全性には無関係ではありますが気になり始めるとストレスとなり事故につながるかもしれません。(ちと、無理矢理こじつけかな?)

今までは持ち主のポッチーがあまり気にしていなかったので購入後もそのままにしていました。

最近になってドクターストップがかかり山に行けなくなったポッチーから防寒着を譲り受けました。

あまり使用しておらず、ほぼ新品状態です。

私の物になった途端、どうにも気にかかりモンベル品質管理課に調査を依頼することにしました。

どんな回答が戻ってくるのかわかりません。ダメもととは言いながら修理をして貰いたいと期待をしています。果たして天下のモンベルの回答いかに?


[3880] 【4138回 バツテラの会】 2016-02-14 (Sun)

高校の同級生のノリの悪いメンバーを除外して気の合う者同志で飲み会の席を設けました。

ニュー汐屋・・・そうです。バッテラの美味しいお店で午後6時に合流です。

大振りの雨が降る中、靴の中もグチヤグチャになり梅田へ。

15分前に到着すると既に店の前で待っていてくれました。

店の中は大入り満員です。安いし旨いしで大繁盛しています。

「予約席」に案内されてまずはビール、それからバッテラに鯛の荒煮、なまこ、などなどまずはテーブルをいっぱいにしてから乾杯しました。

イベントの案内に反応のない仲間の悪口を一度だけみんなでぶちかまし開会のドラの音が響きました。

後ろの席に山の恰好をしたグループが座り装備と身なりもきちんとしているので「どちらに行ってたんですか?」と聞くと「山です」って・・・山はわかっとんじや〜どこの山かって話や!

ほぼ3時間ねばりつつ盛り上がりました。タッちゃんが店のスタッフを呼び「この人知ってるか?」と私を指差しました。

「あっ!」と一声・・・見覚えがあるようです。

私とタッちゃんが同級生であることを教えて「今度来たらバッテラ一切れおまけしたってな」

この店はタッちやん御用達の店なので顔が効くらしい。

さてさて次に行った時バッテラの数かぞえなあかんなぁ。


[3879] 【4137回 この差はいったい何?】 2016-02-13 (Sat)

8日に赤坂山、3日遅れの11日に大谷山に行きました。

ほぼ条件は同じだったと思うのですが到着時間が大幅に違います。出発時間は同じなのに原因は一体何だったんでしょうか?

赤坂山 標高824m 駐車場到着時間14時30分

大谷山 標高814m 駐車場到着時間16時00分

わずか10メートルの差なのに1時間30分も時間差があります。何故だろう〜?

雪の深さも原因となりますが大谷山に登った経験のある方は、もうお気づきのことと思います。

大谷山に行くには「寒風」と言う山を越さねばならないのです。寒風の標高は853メートルあるのです。

天候に恵まれて気象条件は同じでもアップダウンの多少、積雪の多少で大きく違ってきます。

雪深い時はスノーシューを履けばスムーズに進めますが両日とも登山道ではズボッズボッと深みにはまるほどの事は無くツボ足で充分でした。

しかし「スノーシューを楽しもう」と言うイベントで来ている人達は是が非でも履いて歩きたいと思います。私達の今回の目的は「雪の上を歩きたい」でした。

山ではところどころに「あと○q」と言う表示や「あと○分」などと看板が立っています。それが目安になり、助かっている場合もあります。

しかし誰の速度で決めたのか疑問に感じたことはありませんか?

私の足で30分かかっても若者ならば20分かも知れません。

常に地図に書いてある標準時間に自分の速度(私の場合は1.3倍)を知ることが大切です。

特に日暮れ時は焦って怪我に繋がる場合もあります。

いつも、どんな時も安全登山が私の永遠のテーマです。

(でも、でも、いつも怪我をしているのはメンバーの中で私だけかも。脱臼、低体温症、骨折 等々)

その都度、師匠は適切な処置をしてくれました。師匠の応急処置の技術の腕が上がったのはひょっとして私のおかげ?(大笑)


[3878] 【4136回 まだ間に合う大谷山】 2016-02-12 (Fri)

建国記念日の11日またまた湖西道路を走りました。

幸いなことに雪が前日に降り8日に行った時よりも山々の白さが濃く感じました。

それでもスノーシューを履くまでには至らずアイゼンを携行し寒風から大谷山へ。

結果的にはアイゼンも使いませんでした。使わなくても歩けたのです。それほどにフッカフカの雪でした。

登山道には50センチ以上も積雪がありましたが大きく畝が出来ていてスノーシューを履くときっと歩けないかもしれません。

まだまだ間に合います。雨の降る前にお出かけ下さい。

って言うか明日から雨みたいですが・・・・

滋賀県の山は強風で悩まされることが度々です。今回の赤坂山、大谷山は奇跡に近い無風状態でした。

こんな喜ばしいことはありませんでした。

今年はスノーシューは一度も使わずにシーズンオフになりそうです。

大谷山に行かれる方は「石庭コースへ下山」はお勧めできません。

寒風の登り返しがきつくとも頑張って登り返して下さい。ずっとその方が楽です。

石庭コースを利用した時は必ず「絶対もうこのコースやめとこなっ!」と言ってるのですが翌年には忘れてしまっているんですね。

アルファルト歩きが苦にならない人はこの限りにあらずです。

土・日・祭日は湖西道路は雪のシーズンは渋滞でノロノロ運転が続きます。

早目のトイレ休憩と食料&飲料水を車内にキープし焦らないでのんびりと帰るのが安全運転のコツです。

あまりの渋滞に路肩に停めてオシッコしている車がありましたがその車も危険ですし、後ろに続く車も危険に巻き込まれます。

湖西道路の休日は渋滞するものだと覚悟すればルンルンで走行することができます。


[3877] 【4135回 ヘルプマークって?】 2016-02-10 (Wed)

ヘルプマークって見たことありますか?聞いたことありますか?

私は知りませんでした。

ヘルプマークは、義足や人工関節を使用している患者、内部障害や難病の患者、または妊娠初期の人等などが使うマークです。

援助や配慮を必要としていることが外見では分からない人々が、周りに配慮を必要なことを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成された、東京都によるマークだそうです。

東京都によるマークだから大阪では認知度が薄いのでしょうか。とても良いことだから大々的に拡散すればいいのにと思ったりします。

ヘルプマークの著作権は東京都が持ち商標登録されているらしいです。

ヘルプマークの趣旨に合致すれば作成・活用することが認められているそうですが、寸法や比率を含めてガイドラインに従う必要があるとのことです。

要するに勝手に使うなってことですかね?

援助や配慮を必要としていることが外見からは分からない方々がいて周囲の人に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすく、しやすくなれば優しい日本人になれそう。

しかし、しかしです。現実は厳しくて、このヘルプマークを鞄にぶら下げていても電車の中で一度も席を譲ってもらったことが無いと利用者は言います。

わかっていても席を譲らないのか、マークの意味を知らないのかわかりませんがもっとみんなに知って貰う必要があると思います。

ブログにヘルプマークとはこんなマークだと言う写真を載せました。見かけたらご協力よろしくお願いします。


[3876] 【4134回 赤坂山の雪】 2016-02-08 (Mon)

2010年から毎年赤坂山にスノーシュートレッキングに出掛けています。

いつもたっぷりな雪でスノーシュー無しでは登れないのですが今年は異変が起こりました。

マキノスキー場には雪が全くありません。

いつも尻シェードを楽しむ傾斜はゴツゴツした岩が飛び出しています。

雪の無い登山道は長くてつらい階段が延々と続いていました。

なんと言うことなんでしょうか!

ソリもスノーシューも車に残し軽アイゼンのみを携行して登り始めました。

1時間ほどのところにある「あづま屋」あたりでやっと白いものを見つけました。雪です・・・

ツボ足でねしかも夏道を歩いて2時間ちょっとで頂上です。

赤坂山名物の風もありません。琵琶湖が美しく見えており珍しく20分間も滞在することができました。

6年間も通って来て初めての360度のパノラマに酔いました。

登山者も3組ほどしかおらず貸し切り状態のため恰好の斜面を見つけて雪の中のロープワークをしました。

雪こそ少なかったですが疲れもなく腰痛も出ず快適な赤坂山でした。

今年はもう雪は期待できそうもありません。どの山にも雪はありませんでした。


            ⇩

いやぁ・・・一夜明けたら雨やんかいサー

胸なでおろしました。昨日だったら、「寒いわ、風強いわ、景色見えんわ」で最悪の状態でした。

大阪が雨と言う事は高島地方はひょっとしたら雪かもしれませんね。

ライブカメラとにらめっこして11日に備えましょうか。


[3875] 【4133回 淡路島に行ってきます】 2016-02-06 (Sat)

モモちゃん一家と2月6日から淡路島1泊2日の旅に出掛けてきます。

息子から「招待やからお金の心配はせんでエエ」とメールが来ました。せっかくのご厚意なので甘えることにしました。

今迄どのイベントでも、爺婆の宿命の如く出費する方がほとんどでしたので、殊の外嬉しく感じています。

爺婆の宿命は、それはそれで満足しているのですが招待されると言うのもなかなかいい気分です。

5歳の孫が「あといくつ寝たらええの?」と待ちきれなくて毎日の様にパパやママに聞いているらしいです。

淡路島行きの準備をしつつ、月曜日の赤坂山行きの準備もしています。

先週はクグッと冷えて「よっしゃぁスノーシュー行けるぞっ!」と喜んだのも束の間。すぐ追い打ちをかけて雨が降り、期待できるような雪ではなさそうな・・・

でもせっかくの企画と雪道に強い車提供も受けお誘いを受けて雪の有無にかかわらず出掛けてきます。

赤坂山(823.8m)は滋賀県高島市マキノ町にあり琵琶湖の西北端に位置しています。

1年ぶりに出して来た特製ソリ。下りはこのソリに乗って滑り降りて行きます。

ソリを2連に改造してあるのは姫のお尻が大きいから・・・ドシーンと尻餅をついたりして「すべり症」に支障をきたさぬ様に静かにソリ遊びしてきます。

1月31日に赤坂山に行かれた人の情報では

『駐車場までは雪無し。スキー場から東屋までは、ぐちゃぐちゃのくされ雪状態。東屋〜谷筋まで雪はあります。

谷筋より大きく反転するあたりから雪の量は多くなりますが、スノーシュー履く程の雪ではない。軽アイゼンで頂上まで行く人もいる。』

赤坂山が終われば堂満岳のお誘いが待っています。雪は苦手と言いながらもシーズン中に一度や二度は雪と出合ってみたいと思っています。

では行ってまいります!


[3874] 【4132回 ランチうつ】 2016-02-05 (Fri)

「ランチうつ」ってご存知ですか?夫が定年退職を迎えてから妻がかかる症状です。

夫が在職中は朝食を済ませて出勤すれば夕飯まで帰って来ないリズムが妻側は習慣となっています。

そこへ定年となった夫が毎日いることになります。

午前11時を過ぎると「今日の昼ごはんは、な〜に?」と来る(イライラ!)

正午になると夫はテーブルに就き座って待っている状態が続きます。(イライラ!)

私は「ランチうつ」の事は知らずに偶然にもポッチーが定年を迎えた翌日から「昼食は互いに自由宣言」をしました。

(家にいるときは準備しますが外出時は自分で用意して食べる。妻の外出を妨げない)

夫婦間が冷たい様にも聞こえますが最初からルールを作っておけば、あてにされずにスムーズです。

妻の「ランチうつ」を解消するには夫が昼食を作ると完治するそうです。座って待っていれば

食事が出てくると思わないで妻の家事労働に感謝し手伝えることがあれば積極的に手伝う。

例えばお茶碗を並べたり、箸を出したりと何でもいいのです。そう言えば私の知人で定年後、地域の料理教室に楽し気に通っている男性がいます。

中央市場まで自転車を走らせ新鮮な食材を見つけては料理を楽しんでいるそうです。(羨ましい〜。貴重な存在ですね!)

定年退職の日は必然と決まっているのですから在職中に何か生き甲斐・趣味を見つけ外に目を向けてはいかがでしょうか?

妻が「ランチうつ」にかかる前に考えましょう。

昔の話ですがウオーキングイベントの日にスタッフより早く来ている参加者がいました。

「早いですねぇ」と言うと「嫁はんが早よう出て行きって言いまんねん」

決して粗末に扱っているのではなく、疎ましく思っているのではなく24時間一緒にいることに慣れてないのだと思います。

登山用品店で登山道具一式を購入している中高年のサラリーマンを見かけると「どうぞ第2の人生を楽しんでください」と思ってしまいます。

但し自己流ではなく最初は山の先輩に正しいマナーも学んでくださいね。

最近では山岳部に入会しなくても登山用品の店で講座を開催しています。お店の入口に案内書が置いてありますので利用してはいかがでしょうか?


[3873] 【4131回 今日は立春】 2016-02-04 (Thu)

今日は立春。春の初め。

『暦便覧』には「春の気立つを以って也」と記されています。

冬至と春分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合は、この日から立夏の前日までが春となります。

私達の生活の中で春を何で感じられるのでしょうか?

夜明けの時間?頬を横切る風?色とりどりの鉢植えの春の花?ポカポカの気温?

自然を時下に見られないのでスーパーの店先に並ぶ山菜でしょうか?

私の春は何と言ってもイタドリが芽を出した頃です。(出ましたぁっ!)

子供の頃、土手にツクシが芽を出し、河原の柳の枝にぷっくらと蕾が出来、畑に菜の花が咲き始めたらとりあえずイタドリの芽を探しに山に入いります。

前の年に見つけておいた大きな親木の幹には立派なイタドリの赤ちゃんが顔をだしています。その後に降る雨を栄養源として一雨ごとにスクスクと成長するのです。

4月の暦をめくると気がソワソワ・・・見つけておいたイタドリをまた確認に行きます。「まだ早いぞ!」

そうして待っている間に友達に先を越された時の悔しいこと、悔しいこと。

いつの頃からか子供たちの間で「○○ちゃんが見つけたイタドリ」と予約できるようになりました(大笑)

「見ぃつけた」と言ってさえおけば横取りされなくて済むのです。そんな純情無垢な童心達ばかりでした。

小学校時代に両親を亡くしても非行に走らずに真っすぐに育ったのは雄大な自然環境の助けがあったと言っても過言ではありません。

私の育ての親は四万十川なのです。

過疎化になった村に都会の人達を誘致する運動の町おこしが活発になってきました。

村によっては中学生以下の子供がいることを条件にしている所もあります。過疎化への歯止めと子供たちに自然の中で伸び伸びと育ってほしいと思っての政策かも知れません。

しかし田舎ぐらしは「現金収入があること」が大切です。自給自足と言えどもそれに至るまでには、かなりの投資をしなければなりません。

「定年になったら田舎暮らしがしたい」と夫が言いはじめたら「どうぞひとりで行ってください」(そんなに甘くはない!)

何をいまさら・・・都会生活が骨の髄まで染みついた現在、辛抱できるはずがありません。そんな苦労をこの年になって背負いたくありません。

若いころには田舎暮らしを体験し高齢になれば病院通いや介護施設などが必要になりますから都会生活が理想ですね。


[3872] 【4130回 2月3日は節分】 2016-02-03 (Wed)

今日は節分、明日は立春・・・早いねぇ

お正月が過ぎて、次に子どもと楽しむ季節の行事といえば、2月3日の節分です。

節分といえば誰もが豆まきを連想すると思いますが、 そもそも何故「鬼は外! 福は内!」と豆をまくのでしょうか?

今年は南南西の方角を向いて巻きずしを食べるのだそうです。

南南西がわからない時は風を背中に受けて立つと南南西に向いているのだそうです。やってみますか?

寿司協同組合が苦境を乗り切るために考案したイベントがすっかり板についてしまいました。今日のスーパーは巻きずしだらけでしょう。

そもそも節分とは、読んで字の如し「季節を分ける」という意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことを指します。

現在では新年の始めの立春の前日だけを節分として表すようになったそうです。

節分に行われる豆まきは、寺社が邪気を祓うため に節分に行っていた豆打ちの儀式が合わさったものといわれています。

豆まきの際の「鬼は外!」は目に見えない気、邪気のことでこわ〜い鬼退治のことではありません。

日本では昔から、目に見えない災害や病などの恐ろしい出来事は全て鬼の仕業であると考えられてきました。

新しい年(立春)を迎える前に、鬼に豆をぶつけて邪気を払い、福を呼びこみたいという思いから、節分の豆まきが行われるようになったそうです。

●豆まきの正しいやり方

@……豆は夜にまく(鬼は真夜中にやってくると考えられているため)

A……家族全員そろってからまく

B……一家の主が豆をまく

C……豆まきには、必ず炒り豆を使う

D……玄関や窓を開け「鬼は外!」と家の中から外に向かって豆をまく。鬼が戻らないようすぐに戸や窓を閉めてから「福は内!」と家の中に向かって豆をまく。

E……豆まきが終わったら、一年の厄除けを願い、自分の歳より一つ多い数の豆を食べる

68個もマメを拾って食べると腹痛を起こしかねませんが、家族で楽しむイベントなので小さな子供のいる家ではぜひ豆まきをしてほしいです。

日本古来から伝わる風習はぜひ後世に引き継いで行き情緒豊かな子供を育てて欲しいです。


[3871] 【4129回 50年にして初めて】 2016-02-02 (Tue)

いままで山登りなど興味が無かった姪っ子を連れて「第3弾・中山最高峰」の山歩きをしてきました。(山登りとは言えない山歩き)

自宅のある4階より高いところには自分の足で登ったことがないと言う筋金入りの登山オンチ。

彼女が参加しない時は妹の姪っ子の方を連れて地獄谷だのA懸岩、岩梯子など難易度の高いコースを歩きます。(妹の方はハチキン)

姉の姪っ子はイタドリ採りの水越峠がやっとこさだと言うことは、見て知っていたのでトンネルウオークを誘ってみました。これは平地歩きにつき難なくクリアーしました。

さて今回は少しアップダウンのある中山最高峰・・・大丈夫かいなぁ。

縁日があると言うことを餌にしてトップを歩かせましたが愚痴も吐かず楽し気に登っていました。

若いとはお世辞にも言えない50歳。しかし私達70歳の声の届く者からしたら「ワカモノ」です。(笑)

装備は無茶苦茶(街歩きのリュックと街仕様のジャンバー、スニーカー等)ではありますが山頂まで2時間と言う手軽さが救いの手をさしのべてくれました。

おまけに晴天で温度も高い。そのかわりジョンと私のリュックには緊急品がドッサリ・・・・万が一に備えての装備をして出掛けました。

予想外に快適に歩いてくれました。「しんどい」「早い」「もうあかん」そんな言葉を連想していましたが一言も弱音を吐きませんでした。弱音を吐く前に頂上到着です。

しかし山登りの辛さは下山時にあると言う言葉通り清荒神の駐車場を目の前にして最後の階段で異変は起きました。

膝が痛くて前を向いて降りられず後ろ向きに一段、一段、手摺につかまり降りてきているではありませんか(大爆笑)

へっぴり腰の滑稽な恰好に思わず写真を撮りました。

私も最初はそうだったこと、次の日は膝が痛くて和式トイレは利用出来なかったことなどを話して慰めました。「おばちゃんでもそうなの?」初めの第一歩は誰でもそうなんです。

その痛さをバネに変えて山を楽しむか、もう嫌だと思うかでこれからの山の楽しさが変わってきます。

妹の方の姪っ子は会うたびに山道具を揃えているみたいに感じましたので「待った」をかけました。店の人に勧められるままに購入してはいけないことを教えました。

山道具は勢いで買わないこと。山の先輩達の意見を聞いて「安物買いの銭失い」のないように。

私は最初はウオーキングから入門しましたのでスニーカー靴とリュックがあれば雨でも傘さしている人もいるし、まぁポンチョでいいわと経済的でした。

しかしウオーキングから山に転向した途端、まあお金のかかること、かかること、しかもポッチーと2人分・・・

その時は働いていたので給料もらったら即刻、登山用品店に駆け込んでいました。

この月は合羽、次の月は登山靴、そして山用のリュックと買いそろえて行きました。

買いそろえるときの楽しいこと!

今はほぼ全部揃いましたので、壊れたら交換品として購入するだけで胸がワクワクするほどの買い物はありません。

今でも忘れられないことがあります。

それは岩登りを始めた頃、仲間のひとりがクライミングシューズを持っていました。うらやましくて私も買いたいと思いました。

しかし師匠は「1年間はクライミングシューズは禁止、登山靴で登れ」と言い、購入許可が出ませんでした。

最初からクライミングシューズに慣れてしまうと登山靴で危険個所の通過が出来なくなるため最初の1年間は岩壁に登山靴をゴリゴリ擦り、挙句の果てに靴をズタズタにしながら練習したものです。

そう言えばアルプスなどで誰もクライミングシューズに履き替えている人を見ません。但し登攀目的の山は別です。

不安ばかりだった初心者の頃の自分を思い出して接するようにしています。


[3870] 【4128回 山登りと言うよりは】 2016-02-01 (Mon)

第3弾の中山最高峰に行ってきました。

1ケ月の間に同じ山に3回も登ったのは初めてです。

今回は「縁日お買い物」が目玉でした。

かと言ってお買い物だけではつまらない。

やっぱり中山最高峰を踏みました。

天候も良くワイワイ楽しい山行でした。

たまには良いものですね。

そう言いながらでも、足の置き方、ストックのつきかたを指導しました。

その場で教えて貰うのが一番の近道です。

縁日お買い物も両手に持ちきれないほどです。

久しぶりの爆使い。。。。今日から慎ましい生活しようっと!


[3869] 【4127回 ストックとステッキ】 2016-01-30 (Sat)

●おまけ 3-4「ストックとステッキについて」

ストックとステッキは、足への負担を軽減し、腕の力を使うことで、登坂を手助け出来ます。

膝への衝撃を軽減。ストックは下山時の膝への衝撃を緩和するとともに、膝痛を抱えている人の歩く助けにもなります。

またバランスの補助としても使うのがストックやステッキです。

●ストックとは『Stock』、ドイツ語で「杖」を意味

 I字型のグリップ

I字型と呼ばれるグリップ形状。現在のトレッキングポールの主流となっています。

このタイプではダブルで使われることが多く、登りの際の推進力が得られやすいのが特徴。

ポールの軸の部分を直接握る形になるので、バランスをとるのにも向いています。

欠点としては力が入りやすい為、慣れない内はつい力んでしまって腕の疲労を招くこともあります。

●ステッキとは『Stick』、英語で「杖」を意味

 T字タイプのグリップ

T字タイプは少ない握力でもしっかりと握ることができるのが特徴。

シングルで使うことが多く、下りでの体重のかけやすさはI字型よりも優れます。

年配の方が日常で使う杖の形状に似ている為か、若い世代よりも年配の方の使用が多く見られます。

私のウオーキング人生時代は、ストックは「高齢者用」と思っていた若い時期がありました。

勿論その頃はストックもステッキも持っていませんでした。

ウオーキングの人達はリュックに差したまま歩いている姿をよく見ます。何故利用しないのか聞くと「しんどなったら使う」「足が痛くなったら使う」との事でした。

登山を始めたら、8時間も9時間も歩き続けることも度々あり、特に下山時の膝の痛みに悩まされるようになりました。

T字型のステッキを購入し、その後I字型のストック(ダブルストック)を購入し互いに使い比べてみました。

その結果、現在愛用しているのはT字型のステッキです。

I字型のダブルストックだとメモを取ったり、写真を撮るときに両手がふさがり不便でステッキだと片手が空いている方が楽だからです。

要は使う人本人が使いやすければ良い訳ですから他人の意見も取り入れつつ、出来れば購入前に岳友に借りて山行時に両方試してみてから購入してはいかがでしょうかね。

ストックもステッキも高齢者用ではないことを声を大にして言いたいです。「安全登山の必需品」なのです。


[3868] 【4126回 冬山遭難・・・3-3】 2016-01-30 (Sat)

長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘さんの記事を引用

● 3-3「遭難者の約8割が中高年」

このところ注目される高齢者の登山。警察庁地域課の統計では平成23年(2011)年に起きた全国の山岳遭難は1830件で、同年時点では前年に次ぎ過去2番目の多さ。

遭難者は2204人で、うち275人が死亡・行方不明となり、けが人も800人以上。このうち40歳以上が1696人、78%と中高年が大半を占めました。

さらに60歳以上の遭難者は1118人と、全体の50%、半数に上りました。

平成19(2007)年から平成23年までの5年間の山岳遭難統計の分析でも、全遭難者の約50%を60歳以上が占めています。

その理由として警察庁は、最近の登山ブームを反映し、中高年層の登山の機会が増えたことや、体力の衰えで天候の急変やさまざまなトラブルへの対応能力が相対的に低下が考えられます。

遭難の内容別では、道迷い、滑落、転倒だけで全体の72%を占めました。

そのほか、単独登山の死者・行方不明者は154人で、全単独遭難者の20%を占め、2人以上の複数の登山者の場合の死者・行方不明者の割合8%の2.4倍。

単独登山の問題点がうかがえます。

「遭難は簡単にできるものなんです。ちょっとしたつまづきで行動不能から遭難につながることもある。高齢者ならなおさら頭の保護のためヘルメットを着用してほしい。

また「B・K・G」にならず、道に迷ったらすぐ引き返し、迷走を避けてほしい。トラブルに対応できるよう単独登山も避ける。高山病になったらすぐ下山です」としています。

警察庁も、遭難防止に配慮すべき点として、

@ 登山計画の作成、提出する。気象、装備、食料、体力、体調、山岳の選び方、日程などに配慮した余裕ある安全な計画とし、複数人による登山に努める。

計画書は家庭や職場、登山口のポストなどに提出する

A 危険個所の把握(事前によく調べる)

B状況の的確な判断

C滑落・転落防止(滑りにくい登山靴などを使用、ストックなどの装備も活用し、気を緩めず慎重な行動を)

D道迷いの防止(地図、コンパスなどの活用)

などを挙げています。

・・・・・・・・・・・・・・

いつも遭難の陰に中高年がターゲットにされています。中高年層の登山の機会が増えたことも事実です。だって定年退職後の時間はたっぷりあるんですものね。

事故件数の分析で中高年が多いのも事実かもしれません。

しかし無茶な若者も沢山いるはず。中高年は「昔とった杵柄」を捨てる。また若者は正しい登山マナー、技術を身に付けることも大切です。

出来れば山岳会に所属して「山とは何ぞや」から学んでほしいものです。自己流が身についてしまうと、なかなか修正が効きません。

初めてのクライミングに姪っ子が参加した時の話です。地獄谷を登り、クライミングを終え、中央稜から下山する時「膝が笑うわ〜」と言うのでストックを貸しました。

「え〜?杖ってこんなに楽ちんなんやね!嘘みたいに楽やわ」と言うのです。そうです。ストックは足を保護し転落防止にも大いに役立つのです。

「ストックは体力の無い者や高齢者が使用するもんだ」とベテランの登山者に限ってそう豪語します。そんなことはありません。

私は山行には必ずストックを持参しリュックに差したままには、しないで必ず使用します。

おまけ編の「ストックとステッキについては次回」


[3867] 【4125回 冬山遭難・・・3-2】 2016-01-29 (Fri)

長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘さんの記事を引用

●3-2 「ベテランでも遭難」冬山登山の怖さ

険しい山が多い長野県の特徴について「標高0〜1500mまでを低山帯、1500〜2500mを亜高山帯、2500m以上を高山帯」

全国の高山帯の山151座のうち約90%が長野県に集中しています。長野県が日本の屋根といわれる理由です。

高山帯で行動する服装、食料、水、健康管理などすべてに油断がないか謙虚に点検をと呼びかけています。

冬山登山の場合、ベテランでも遭難することがある。雪崩を心配するならそこの地形と植生を見なければいけない。

傾斜が60度以上だとスノーシャワーが頻発するが予知や回避でかえって危険度は低く、問題は傾斜が30〜60度の斜面。

斜面の横から平行して吹く風、尾根上に雪庇(せっぴ)のつく風下斜面、風上斜面の順に危ない。多量の降水、気温の上昇にも注意。

そして樹高2〜3mの低木は雪の下に倒れるようになると積もった雪の移動を促進するので、植生に注目しなければならないと言います。

また「白馬岳周辺の場合は冬期間に限り世界4大最悪気象地域の一つになる」と言われます。白馬三山あたりから北部の劔岳を含む地域では1週間にわたり吹雪が続くこともあります。

登山の安全と気象は切り離せず、地図や天気図を「読む」力も問われます。

登山のペースについては「普通の中高年で登れる標高差は1時間に250mと言われています。山の実際の標高差を考えながら登ってほしいと思います。

例えば新潟県の妙高山は標高2400mほどで高山とは言えませんが、登山口の標高が低いため標高差は1400m前後にもなり、実質的に高山だと構えていくべきだと言います。

1999年に長野県内の春山で60代の男女4人が凍死したケースでは、悪天候の中、食料、衣料、傘、水などの重要な装備を「荷を軽くするため」と途中に置いていったとみられています。

「登山を支える食料、装備を置いていかなければならない程度の体力の登山なら、最初から山の選定を間違っていた典型的な『入山前遭難』といえます。

・・・・・・・・・・・・・

私達は地図に記入している所要時間に1.3倍を乗じて山行計画をだしています。「遅いね」と言われても決して自分のペースを乱すことはありません。

足の速い人が私達を追い越して行ったとしても、小屋に到着する時間は、ほぼ同じか、私達が早く到着する場合もあります。

まさに「ウサギとカメ」物語りです。

足の速い人は途中の休憩を長く取る傾向があります。ドカンと腰を下ろしレーションを食べ、ゆっくりとタバコを吸い、ドッコラショと腰をあげる、そしてまた休憩の繰り返しの様です。

例題に妙高山が登場しましたので私達が燕温泉登山口から妙高山に登った時のレポートを添付しました。。標高差1400mをあえぎながら登った様子を書いています。

『 http://www.hime8kin.net/2015sankokiroku/150724myoko.html

雨で出発を見送ろうかと一度は相談しました。「太陽が照り暑さで参るよりミスト状態の方が良い」と判断し突っ込みました。

6合目では雨も止み、危険個所の鎖場通過では青空が出ていました。どんなに疲れていても、足が一歩も前に出ない時でも岩場が来ると元気が出てきます。

岩の魔法にかかってしまいます。岩場通過大好き〜!


[3866] 【4124回 冬山遭難・・・3-1】 2016-01-28 (Thu)

「多発する冬山遭難遭難は「出発前」の自宅から始まっている?」と言う興味深い記事をフェイスブックで見つけました。3回に分けてご紹介したいと思います。

長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘さんの記事を引用させていただきました。

●3-1「入山前遭難」と「B・K・G」

長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山さんは「自宅で登山などの計画を立てている時からすでに遭難が始まっていることがある」 と指摘されています。

警鐘を鳴らすため、先に「遭難のしかた教えます」(山と渓谷社)というドッキリするタイトルの本を出版しました。

登山の計画段階ですでに遭難の危険をはらんでいる状態を「入山前遭難」と名付けています。「まず現地のことを知ろうとしないのが問題」。

「大事なのは緯度。北海道の2000メートル級の山は長野県なら3000メートル級の山と考えないと」。

標高が100メートル上がるごとに0・6度気温が下がるといった基本知識に基づいた装備の用意も大切。夏でも汗の乾きにくい綿のTシャツ1枚で2000メートル級の山に行くなどは論外。

「B・K・G」が入山前遭難につながりやすい3要素」と力説。

★『B』は目的の山のことを勉強しようとせず自分の命を大切にしないバカな人のこと。

標高3180メートルの槍ケ岳にバスで行こうとした登山者もいるとのこと。

上高地の河童橋で近くのホテルの支配人から「槍ケ岳行きのバスはどこから出ているのか?」と中年の登山者。これでは遭難が減るわけがありません。


★次の『K』はケチ。

せっかく山に来たのだからと無理して行動する。遭難の始まりです。やっと取れた休暇、遠くから新幹線まで使って駆けつけた山。

天候が少し悪いから、体調がすぐれないからといって登山をあきらめる訳にはいかないと突き進む。スキー場では「新雪で滑りたい」とゲレンデから飛び出してコース外に突入する。


★『G』は「ガンコです」。

何がなんでも踏破したい。「昔取った杵柄」の意識十分で、若いときに歩けたから大丈夫と、ガイドブックのコースタイムそのままに行こうとする中高年に多いタイプ。

その意識と実際の力のギャップが怖いと言います。

・・・・・・・・・・・・・・・・

自分自身にも当てはまりそうな項目があり反省しています。

仙丈岳でナイロンの簡易合羽のツアー客をみました。

燕岳で天候の急変で引き返す指示を出すガイドにくってかかるツアー客。

20人ほどが列をなして道を譲ろうとしないツアー客と、それを指導できないガイド

数えたらきりがありません。また自分自身も相手に不愉快な思いをさせているかも知れません。

登山者がマナーを守れずに、とうとう入山禁止となった個人の山もあります。

私は「計画をした段階から山登りは始まっている」と思っていましたが「冬山遭難は出発前の自宅から始まっている」との事に驚いたり、うなづいたりしています。


[3865] 【4123回 救助ヘリの限界】 2016-01-27 (Wed)

2013年12月、富士山(標高約3500m)で京都の男女4人が滑落しました。

そのうち男性1人をつり上げて救助しようとする際に、隊員が男性をヘリに収容する直前に救命器具が外れ、男性は約3mの高さから地面に落下した事故を覚えていますか?

悪天候などからヘリは救助を断念し、翌日になって別の部隊が男性を発見。男性は心肺停止状態で、後に死亡が確認されました。

この事故の後に静岡市が事故の検証などを踏まえ、「標高3200mよりも高い現場には出向かない」という基準を作っていたことが分かりました。

その後ご家族は静岡市に対して訴訟を起こしています。

私達がアイランドピーク(標高6189m)に出かける前に国外適用の山岳保険を掛けました。

加入条件は「6000m以上で事故が発生しても救出不可能、保険適応外」と言われました。

それほどに過酷な救助活動となるとパンフレツトに記載がありました。

怪我をした場合、何としても6000mまでは自力で下山しなければ救助の手は差し伸べられず、多額の遭難費用がかかると真剣に思ったものです。

そして同行者のひとりが高山病にかかりナムチェバザールから救助ヘリを要請することになりました。

見晴らしの良い「へり救出場所」までポーターさんに両脇を抱えられ救助のヘリを待ち、そして見送りました。

飛び立つ瞬間「危ないっ!山にぶつかるっ!」そう叫び背筋が凍る思いをしました。

急峻な山の谷間をヘリは飛び立ちカトマンズへと無事到着出来ましたが、操縦士も命掛けなんです。

「入山禁止」「危険」色々登山者への警鐘看板があり私達はそれを犯してはいないでしょうか?

雪山シーズン到来で、装備、体力、それに見合う技術、経験などもう一度見直す必要があると思っています。

とにかくソロで入山しない、経験者に同行してもらう、トレーニングを積む、これが安全登山の原則だと思っています。


[3864] 【4122回 向こう三軒両隣】 2016-01-26 (Tue)

まずはこの歌が口ずさめるでしょうか?

♪♪♪♪

@ とんとん とんからりと 隣組 格子を開ければ 顔なじみ

廻して頂戴 回覧版  知らせられたり知らせたり


A とんとん とんからりと 隣組 あれこれ面倒 味噌醤油

ご飯の炊き方 垣根越し 教えられたり教えたり


B とんとん とんからりと 隣組  地震やかみなり 火事どろぼう

互いに役立つ 用心棒 助けられたり助けたり

まっ、これがすぐ口ずさめる人は多分私と同じくらいの歳恰好でしょうか(フフフ)


お向かいのおばあちゃんの姿が最近見えなくなりました。

おじいさんがヒョコヒョコと手押し車を押し、スーパーで買い物をしている姿を見かけました。

「最近おばあちゃん見ないんだけど元気?」と聞くと入院しているのだそうです。

昔は隣組の住人が入院すれば班長が見舞金の集金にやってきて情報が早かったのですが何でもかんでも個人情報だとガードするから、さっぱりわかりません。

「隣は何をする人ぞ」なんて言葉がありますが、せめて両隣は近所付き合いをしたいものです。防犯上にも役立ちます。

私が長期の山行に出かけるときは「留守をするのでよろしく」と一声かけて行きます。(最近はポッチーが在宅なので黙って行きますが)

山から帰った翌日は必ず洗車をしますので「どこ行って来たの?」と両隣どころか隣組全体が集まってきて井戸端会議です。

私はあまり井戸端会議に参加しないのでこんな時ぐらいしかお喋りする機会がないので洗車をしながら盛り上げ役を買って出ます。

ポッチーが入院していても誰も気が付きません。それはそれで助かりますが・・・。(だって・・・またぁ!って言われそうだもん)

冬になり寒さが増してくると風邪をこじらせて肺炎だの、家の中で転倒して骨折だのと、どこに危険が潜んでいるのかしれません。

山の事故も不思議と危険個所を通過してホッと気が緩んだ時に発生します。

下山時に「おっとっと・・・危なかった」と思ったことはありませんか?

疲労で足が思うように上っていなくて木の根っこにつまづくことがあります。

「何でこんなとこで〜!」と思うこと度々です。

ストックは必携です。特に下りはストックを最大に活用して危険回避しましょう。

「ご安全に」


[3863] 【4121回 予定変更】 2016-01-25 (Mon)

40年に一度の大寒波とかで日本列島大変なことになっています。飛行機が飛ばず、列車も運休し高速道路は通行止めと日本列島が寸断されてしまいました。

しかし我が町には雪は降らず、積もらず外は温度は低いものの太陽が当たっている箇所はポカポカ陽気です。

大雪がうそのような状態です。

24日は坂出へ旅行に出かける日、午前7時、坂出で合流する四万十市の友に連絡を入れると「大雪で身動き取れない!」との事です。

えらいこっちゃ!高知高速は通行止めになっています。高速どころか家からも出られないと言います。

「え〜っ?大阪はええ天気でもうすぐ出発しようと思ってるんだけど・・」すぐに松山の幹事にも連絡すると同じく大雪で身動きが取れないらしいです。

「今日の出発は無理やな」と結論が出ました。大阪組は行く気満々なんですが合流する仲間が来ないとなれば止むを得ません。中止ではなく順延することにしました。

事前に決まった日程の変更となると難しくとりあえず大阪組の都合のつく日程をまとめて伝えました。

一度準備した荷物を解くのは心も重くなかなかはかどりません。昼頃まではやる気もなく荷物をそのままにしていました。

しかし「雪の道路を走って事故を起こすよりましか」と気分を切り替え、やっとこさ荷物を解きました。宿のキャンセル料は事情が事情のため発生しなかったようです。

出発して合流できた後の大雪で立ち往生ならば雪見酒と洒落込み雪の解けるまで温泉に浸かっていたのになぁ。

家族に「カネオクレタノム」と電報を打つ羽目になってたかも知れません。

うさぎの土産のキャベツの葉は・・・残念だけどゴミと化しました。

山行予定でも日程変更は神経を使います。個人山行なら、いとも簡単に変更できますがパーティを組んでの山行はなかなか上手く調整できません。

変更したがために参加できなくなる場合も多々出てきます。私が「突っ込みグセの姫」と言われる由縁はここらへんにあると理解してもらいたい。

少々の悪天候だとわかったとしても「長期の山行だもん、雨に遭うこともある」と、とりあえず予定どおり出発します。

北海道20日間の山行では松山千春の故郷・足寄町では車から一歩も出られないほどの大雨に遭遇し24時間、車の中で過ごしたこともありました。。

最近では横須賀のお祭り野郎たちと空木岳にいった時のことです。

前日にロッジで楽しく酒盛りをして降りやまぬ雨に「明日もここで飲み明かそう!」「お山に登りたくない」

と言うメンバーを姫が「とりあえず登山の準備をして登山口まで行ってから決めましょう」と渋る男性陣のお尻を叩き30分程車を走らせました。

そうそう私が「突っ込みグセの姫」と言われていることを横須賀のお祭り野郎たちは知らないのです。

登山口で躊躇うことなくサッサと登山届を出して「さぁ行くよっ!」と檄を飛ばし、雨の中を出掛けました。

勿論生命の危険があれば突っ込みませんが空木岳は優しい雨でしたので「雨の時にしか見られない景色もある」とかなんとか言いながら空木岳避難小屋に到着しました。

雨具をつけていてもズボンもパンツも濡れてしまいました。でもそんな雨の思い出も、いま振り返ると楽しい思い出となっています。

おまけに夜は幽霊がでると言われておびえたあの思い出は忘れることができません。

今まで雨や強風で頂上を踏まずに引き返したのは日本百名山・96座中で「利尻岳」だけです。


[3862] 【4120回 寝込んでいます】 2016-01-24 (Sun)

私・・・寝込んでいます。病気ではありません。

積雪のため高知高速が寸断され24日から26日の旅行は急きょ中止となりました。大阪組は靴履いてさぁ出ようかと言うところでした。

高知道の大豊から通行止めでいまも降っているらしいです。

黒潮鉄道も運休しているらしいです。

「じゃあ仕方ないね」と口では言いましたが心はまだ納得していません。

1日早く出発していれば通行止めであろうが何であろうが雪見酒と温泉でドンチャン会議できたのに・・・・

うらめしや〜雪!

荷物をほどく気にもなりません。力が抜けて放心状態です。

しかし積雪の中高速を避けて地道を走ったとしても危険がついてきます。安全対策を講じて2月に延期となりました。

2月の予定いっばい入れてるしなぁ・・・


[3861] 【4119回 書き込みお休みのお知らせ】 2016-01-23 (Sat)

「書き込みお休みさせていただきます」

1月24日から26日まで旅に出ますので書き込みをお休みさせてください。

去年の新年会は大阪の地、箕面で1泊、2泊目を有馬温泉で四万十の同窓会幹事さんと。

関西在住の四万十村民の集いが、いつの間にか四万十市から遠征しての恒例行事になりました。

ならば双方の中間地点で合流しようと言うことで今年は讃岐の国で1泊目、二泊目を広島の毒ガス島で開催します。

毒ガス島は「地図から消された島」だと言われていますが現在ではウサギの島として賑わっています。

四万十市から幹事5名と飛び入り参加1名の6名、松山から1名、大阪から3名の合計10名にて中身の濃い会議をして参ります。

ウサギへの土産にスーパーで廃却するキャベツの外葉を貰ってきました。

不足分はバイキングの野菜コーナーでちょこっと失敬する計画です。何せ700羽いるんだもん、足りないよね。

昔、田舎でもウサギ飼っていたけど、あれって最後は食べたのかなぁ?

記憶にないのです。アレッ国会でも「記憶にない。1週間したら記憶が戻る」って・・・そんなん嘘や!

ニワトリは何羽も飼っていて、すき焼きをする度にニワトリが減って行きました。

ニワトリとは、そう言う運命だと子供心に観念していましたがウサギは可愛がっていただけに

親が私に内緒で処分したんだと思います。多分「美味しい」って食べたんだと思います。


[3860] 【4118回 あるイベントで】 2016-01-23 (Sat)

あるイベントでのことです。

私達は来賓として用意してもらった席に座っていました。会場の向こうで「責任者を呼べ!」と、えらい剣幕で話している高齢者がいると報告がありました。

私の所属する会のメンバーが「責任者を呼んで来いと言うてますので行ってもらえますか?」との事でした。

その場に行って見たら自分が座っている席の前に、あとから椅子を並べ、後から来た人が優先となり自分の前に座ったのが気にいらぬらしい。

会場設営に手落ちがあることが言いたかったらしいのです。

もう舞台の上では挨拶がはじまっているので「終わってから責任者を連れてきますから」と、その場は収まり自分の席に戻ってきました。

しかし腹の虫がおさまらないのか今度は向こうからやってきて大きな声を出して文句タラタラ。

仕方がないので会場の外に連れ出しました。実際には私達が責任者ではなく来賓だと見てわかるはずなのですが無茶ぶりもいいとこです。怒りの矛先を私達に向けてきました。

「文句言う前に名前を名乗りなさいっ!」と一喝すると「○○の代表者」だと言います。代表者?笑わせるなぃ!。

代表者がそんな些細なことで文句を言うなんてと心の底では思っていました。

しかし会場の中は子供たちが大勢いましたので「貴重なご意見をありがとうございました」と言うと、今度は手の平を返した様に自分自身が、いかに此花区に貢献したのかを喋り始めました。

寂しいんやな。誰も相手にしてくれないんやな・・・・そんな気がしました。ほんまもんの責任者と対応させていたら、もっと大事になってイベント台無しになるところでした。

会場設営に手落ちが無かったとは言いません。

しかし誰が責任者で誰のためのイベントなのか「○○の代表者」なら、わかっているはずです。

イベントが終了してから次回のための意見として、怒鳴らずにおだやかに言った方が効果的だったのではないでしょうか。

人は(自分も含めて)感情的になると暴言めいたことを言いかねません。そんな怒りの場面に遭遇した時には、ひと呼吸してみてはいかがでしょうか?

時間を置くことで怒りも和らぎ、ちょっと落ち着くと思います。

そう言いながら私も怒りに震える時があります。

某月・某日、自宅の近くに「大開」と言う新しい高速道路の入り口&出口があります。そこの信号がやたら短く一度に渡り切れません。

(但し中間地点に待機場所はあります)

どんなに早足で渡っても渡り切る前に点滅するのです。

所轄警察が福島区なのか此花区なのか知りませんが機会があれば報告・相談をしようと思っていた矢先のことです。

信号は「赤」、向こう側には小学生がきちんと信号を守って待機中。私の横から老婆がヒョコヒョコと赤信号で渡り始めて驚きました。

青信号になるのを待って追いかけ「おばあちゃん、赤信号で渡っちゃダメですよ。子供が見ていますよ!」

と言うと「えっ?青と思って渡ったんやけどなぁ・・そうでっか」と去って行きました。

「すみません次から気を付けます」ならまだしも、すっ呆けて立ち去る姿に怒りが収まりませんでした。

あれ以上怒ると周囲から見たら「老人いじめ」みたいになるし・・・血圧も上がり身体に悪いわぁ!

小学校に入学する前の幼稚園児を集めて交通ルールを一生懸命教えても、大人が手本を見せないと交通事故はなくなりません。

信号無視は子供が見ている前では絶対にしてはいけません。どんなに身近な横断歩道でも子供たちの見本でいて下さい。


[3859] 【4117回 芝川ビルって知ってる?】 2016-01-22 (Fri)

「造船の街今昔 デザインは中南米様式」

薬問屋の町並み「道修町」の一角に古くて品のある建物が新しいビルに囲まれている様に立っていて足を止めました。

ビルには「芝川ビル」と書いてありました。

朝日新聞 1月15日 夕刊より 引用した記事は下記のとおりです。

『大阪市中央区の近代建築「芝川ビル」はマヤ・インカ文明をモチーフにしたとされる。

とくに正面玄関の周辺は独特のデザインの装飾が集中している。帝国ホテルを設計した建築家フランク・ロイド・ライトの影響を指摘する人もいる。

施主で大阪商人の芝川又四郎は回顧録に「建築様式は、私の趣味から、古代メキシコ、マヤ族の装飾を加味した」と記している。

家業の不動産経営の参考にしようと土地と建築の視察を目的に、又四郎は1921(大正10)年から26年にかけて満州(中国東北部)、青島、上海、米国を旅行した。

満州ではペチカ(暖炉)、青島ではドイツ風の建物、上海ではフランスや英国風の建物や公園、米国では土地開発の手法を見て回った。ビル完成は旅行後の27年だ。

ビルの基本・構造設計は渋谷五郎、意匠設計は本間乙彦が担当したが、2人と又四郎とのやりとりは残っていない。

11年にアンデスの空中都市マチュピチュが発見され、その影響を受けた建築様式が米国で流行した。

建物のデザインは「米国経由の中南米様式」と推測されているが、第三者も含めてだれがそれを考えたのかは謎だ。』

大阪の町には、まだまだ宝物が、わんさと残っています。

(ブログに芝川ビルの写真を載せました)



[3858] 【4116回 とりとめのない話で3時間】 2016-01-21 (Thu)

今日は「大寒」1年で最も寒い時期とされています。その通りっ!寒いです。

川に入り武道の寒稽古が行われるのもこの頃です。さぶっ!

大寒の朝の水は1年間腐らないとされており容器などにいれ納戸に保管する家庭もあるとか。(水道のない時代の話?)

19日の強風の吹き荒れる寒空の日、いったい3時間もの間何を話したのか思い出してみました。

日帰り新年会と称してナンバに集合した7名の幼友達。

まだ現役で仕事をしているという3人は仕事を調整しての参加で嬉しいです。

19日は、まっすぐ立ってはいられないほどの強風に高島屋の入口は半分閉鎖してしまいました。

「強風のためにこちらのドアを閉めます」の張り紙を貼るのにお偉方とお見受けする方々が6人も正面玄関に集まっていました。

ああでもない、こうでもないと20分以上・・・「サッサとしいやっ!」と思いつつ待ち人来たらずで眺めていました。

やっと全員が集合したところで昼食場所である、なんばパークスへ移動しました。

その間も強風で吹き飛ばされそうでした。

「なんでこんな日に〜!」「雨が降ってないだけでもエエやんか〜」「記憶に残ってエエやんか〜」と皆さん強風であっても会えたことが喜ばしい様子。

9階にある日本料理店の「うおまん」の個室は少し奥まった場所にあり会話のトーンが上がっても大丈夫の席です。

なかなか居心地が良くて次回からはマルビル止めてなんばパークスに決めました。支払いはビールの人、ジュースの人と別々会計が出来て良かったです。

だから次回から遠慮なくジャンジャン飲んでや〜

割り勘でも誰も文句言わないと思いますが飲まない人にとって少しでも安い方がありがたいし次回に繋がります。

まずはランチが運ばれてきてわいわいガヤガヤと、とりとめもないお喋りです。何の話だったのか思い出せません。

「年金生活になったら妻に気を使い、2泊3日の豪華な同窓会には出席できない」と言えば「まだ年金もろうちょらんが?いつ死ぬかも知れんのにはよう貰ろうたちや〜」

「バスは事故ばっかりやきに怖いけん四万十へは車で行こう」とか「じゃあサトルの車で行こう」とか勝手に車を決めたりいまにも出発しそうな勢いの話で大爆笑。

大層、盛り上がりました。土佐弁が飛び交うわ、飛び交うわ・・・で、ざっと3時間。

「うおまん」のランチは2500円の値段にしては豪華です。後から天ぷらや陶板焼きなどが出てきました。

デザートが出てからが、ほんまもんのお喋りが始まりました。

私が店のオーナーだとしたら「お客様そろそろお時間でございます。」と言いつつ何度もお水を注ぎに行き、退室をそれとなく促したと思います。

「うおまん」は、そんな無礼なことは一切なくて、居心地の良いくつろぎの空間でした。

デザートを食べながら去年10月の熱海での同窓会の報告をしアルバムを見せました。

都合で参加出来なかった人もいましたのでアルバムの中の懐かしい顔を見ながら話が弾みます。

「熱海ではなんちゃあ事件はなかったがかえ?」そうや、そうや、私達の同窓会や新年会は毎回何かしら事件が勃発しています。

箕面では行方不明者が出て大騒ぎした覚えがあります。あれは同窓会史上に残るのではないでしょうか。

熱海ではこれと言った事件はありませんでした。今年の秋に四万十で開催される同窓会の話になりました。

「皿鉢料理でないと参加せんけん」「観光言うてもどこっちゃあ見るとこないし」「昼間はフリーにして墓参りに行きたいね」「ボーリングでもしようか」などなど・・・

店を出てからも喫茶店を探し、話の続きを延々と・・・・・・あげくの果てに電車で居眠りして尼崎まで行ってしまいました土佐。


[3857] 【4115回 日帰り新年会】 2016-01-20 (Wed)

1月24日から16日まで四万十の幼な友達と新年会を開催します。(於:坂出&広島)

その新年会に参加しない人達のために日帰り新年会をしました。

強風の荒れ狂う1月19日午前11時高島屋集合です。「なんばパークス」9階にある「うおまん」と言うお店を関西支部長が予約をしてくれました。

女子会・ママ会にお勧めメニューでボリュームもあり素材も良く、みんな大満足です。おまけに離れた場所にある個室ときたもんだぁ。快適、快適。

遠くは姫路からや、和歌山からも参加して7名で賑やかに、ほぼ3時間居座りました。

3時間居座ったと言うのに、一度も退席を促すことなく、とても感じの良いお店でした。今後はしばらくこの店で会合をすることに決定です。

個室を貸し切り状態で今年の11月の同窓会への希望や、来年は和歌山・白浜で開催しよう等の活発な意見が飛び交いました。

この意見を集約して24日の坂出会議に参加しようと思います。

おとなしくて、控え目な和歌山の友が幹事を引き受けてくれる気持に傾いています。

去年の熱海の時の関東代表の「口先だけ幹事」と違い、四万十市の人達の喜ぶ企画を精一杯考えました。

パンダを見たことがない人もいるだろう、とれとれ市場も案内したい、有田でみかん狩りはどうだろう、時間があればボーリング場もあると、とても意欲的でした。

関西支部一同、和歌山幹事を心からバックアップをさせて貰いたいと固く誓い合いました。

熱海は移動費、参加費を合わせるとかなりの高額になったため、なるべく四万十市の人達の負担が少ない様に配慮しなければ、この会は継続できません。

古稀記念旅行の話も浮上しましたがまだ3年も先の話です。まずは1年毎に充実した同窓会を楽しみたいと中身の濃い会議を終了しました。

「同窓会が終わったらアルバムが楽しみで、このアルバムを貰いたいがために参加していると言っても過言では無い。ポストを毎日覗いていた」と嬉しいコメントをもらいました。

マンネリ化しないように工夫をしていることもみんな理解してもらっている様で、制作側として、めっちゃ嬉しかったです。

アルバムが届いてすぐ礼の電話をくれる人もいればメールをくれた人もいます。中には庭先で採れたと不揃いの青いレモンを送ってくれた人もいました。

「また次の同窓会でも頑張ろう!」そう思っています。

食事のあと強風でエレベーターが止まり、9階から階段で降りてきました。

「行きは良い良い帰りは恐いとはこの事やなぁ」

そう笑いながらエスカレーター探せばどこかにあったと思うのですが酔っ払い集団は楽し気にドタバタと階段を降りて行きました。9階から・・・しんどかったよ〜

みんなと別れて阪神なんば線に乗り、ウトウトしたのでしょうか、ふと気が付くと淀川を超えているような風景です。

「えっ?いまどこ?あれっ?乗り越したの?」

私の乗った三ノ宮行の電車は快速で千鳥橋は停車せず通過駅だった様です。

仕方がないので尼崎駅まで行き阪神なんば線から梅田本線に乗り移り淀川駅で下車しました。

降車の淀川駅のひとつ手前の駅からは席を立ち、居眠り防止策をとりました。

ああ〜昼間のビールは酔いの回りが早い。。。。


[3856] 【4114回 登山のススメ】 2016-01-19 (Tue)

「登山への第一歩・正しい知識と技術を身に付けて安全登山を!」

そんな思いで若者の登山の第1歩のお手伝いに行ってきました。

場所は芦屋ロックガーデンの堰堤界隈です。

まずは靴選びからです。奇しくもジョンが購入に失敗した靴と同じメーカーの靴を履いていました。(笑)

シートの上で靴を脱ぎグニューと曲げて見せました。曲がる曲がる〜よぉ曲がるわ〜!

別の人の靴も借りて曲げて見ましたが硬くて曲がりません。これが登山靴なんです。

岩場などで足を守るにはどちらが良いか一目瞭然でした。

次はステップの踏み方です。まだ白紙の状態なので正しい歩き方を覚えて貰うと安全歩行が保てて、捻挫や滑落が防げます。

丁度アイゼン保持者もいて雪の上の歩き方もレクチャーしました。

次は荷物です。受講生のリュックの中身をシートの上に出してみました。着替え、着替え、防寒着とやたら衣類が多く感じました。

不足品としてはヘッドライトとコンパスの不携帯の指摘を受けましたが初心者としては、まずまずの合格点をもらっていました。

さぁいよいよ地獄谷デビューです。

例によってロープを掛け、進みましたが靴の柔らかさが災いをして2度ほど岩から離脱して「おっとっと」がありました。

急な岩場ではビレイヤーにテンションがかかりましたがロープのおかげで滑落には至りませんでした。(この怖さ体で覚えててね)

この日も若い男女が地獄谷に下りて来て「登山道はどれですか?」と聞きました。私達の装備を見てビビッたのかロックガーデンに方向を変えて登り返して行きました。

地獄谷には登山道なんてありません。ゴロゴロした岩場が道と言えば道なんです。

登山の本には地獄谷は「中級」と言う書き方をしておるためハイキングモードで入山してくる人が多いそうです。せめてスニーカーは止めようよ〜

六甲山は登山靴で楽しみたいですね。

まだまだ教え足りないことが山ほどあると師匠は言ってましたが受講生が希望するなら2回目、3回目も喜んで引き受ける意志のあることを伝えて別れました。

私にとってもロープ操作の勉強になり貴重な時間でした。


[3855] 【4114回 お年玉付き年賀状】 2016-01-17 (Sun)

1月17日お年玉付き年賀状の当選番号の発表がありました。

1等⇒667085

2等⇒9648 (下4ケタ)

3等⇒69、90  (下2ケタ)

当たっているはずはありませんが1等から調べちゃいました。

残念でした。切手シートが数枚だけでした。

天気予報はよく当たり夕方から雨が降り始めましたね。

今日はジョンの友達の友達が登山入門のイロハの依頼を受け助手として同行しました。

まずは基本が大切と歩き方のレクチャーです。

我々も復習のつもりで受講しました。

イノシシに見守られながら2時間ほどの講座の後は地獄谷へ降りてA懸岩の下部まで行き天候悪化を予想して第一鉄塔へ登り返しました。

一度に沢山覚えようとして山嫌いになっても困ります。ロープはエイト結びだけを教えて下山。

珍しく滝の茶屋でおでんを食べながら反省会をしました。

ロックガーデンは子供たちで鈴なりでした。ジジ&ババの鈴なりコースと違い可愛かったです。

付き添いの大人の帽子に「YMCA」と書いてあったので「君たちYMCAから来たの?」と聞くと「なんでわかるん?」と可愛い質問。

「君がYで、君がM、そして君がCで、君がAって顔に書いてるわ!」子供たちとの楽しい会話でした。

今日のこの子達の間ではいじめは無さそうです。


[3854] 【4113回 野口 健トークショー】 2016-01-17 (Sun)

本町にあるオリンパスギャラリーに野口健さんのヒマラヤ写真展 &トークショーがあることを知り行ってきました。

予約受付無しと言いつつも先着30名の椅子席がありで3人予定なのに最後の2席だけ(29番、30番)確保。

3席目は椅子の後ろにある豪華なソファを見つけドカッと座りウッチー会長分をゲットできました。(いよ〜っ関取名人っ!)

ソファは豪華に見えるけれど身体が沈み、背もたれもなく座り心地はよくありません。先輩諸君に椅子席を譲り、一番若い私が豪華(?)なソファに座りました。

隣の人が「ハンケツ」状態でじわじわとお尻を寄せてくるので5センチほど離して移動・・・キャハハハハこれで隣から独立した私の席はゆったり〜

野口健さんがヒマラヤの山々や、ネパールの震災後を撮り続けた写真には訪れたことのあるアイランドピークの景色もあり感動も大きかったです。

トレッキングやピークハント時の通過だけでは撮れない、その場に何日も何時間も留まっていてベストタイムを待たなければ撮れない写真もいくつかありました。

特にネパール地震が起きた時現地にいたらしくその写真の数々は生々しくありました。

野口健さんがネパールの復興に一生懸命であった話やネパール政府にゆだねることなく、自分の手で1億円近くの現金を被災された家庭に均一額を「手渡し」したと言う話を聞きました。

東北の震災時の寄付金も被災者に届いてないとか、物資もまだ倉庫に眠っているとかの噂もあります。

私達もネパールの知人に直接、応援物資を送りました。勿論岳友から心のこもった協力を得ての話です。

行政の動きの鈍さは日本だけではない様子に深くうなづいた自分がいました。

野口さんのトークショーの伝えたかったことは

『ネパールの復興は物資援助も勿論必要ですが、ネパールの人々が働いて生活できる形に戻すこと、すなわち日本人の観光が元に戻ること』だと力説しておられました。

韓国、中国、ヨーロッパの国々の人をエベレスト街道で見かけますが日本人はほとんど見かけないらしいです。地震国ニッポンは地震の恐ろしさにまだ怯えているようです。

野口健さんの人間性に触れられた貴重な時間でした。


[3853] 【4112回 再び中山最高峰へ】 2016-01-16 (Sat)

メンバーを変えて(増員)再び中山最高峰へ向かいました。

たった2日前に行ったばかりなのですが。

コースを変えれば何度来ても新鮮です。

奥の院へお詣りする人は毎日いいえ朝夕登っている人もいるそうです。

東尾根の反対側を歩き沢沿いを歩きました。

小さくて細い川をお伴に風情あるコースです。

あまり人との出会いもなく、ストレスのかからない寒さもない貸し切り道でした。

頂上を踏み奥の院に下山は前回と同じです。

自衛隊の管轄の道から外れ清荒神へ出ました。

境内でお詣りを済ませた後は縁日でお買い物〜。

それにしても人の多いのには驚きました。

次に訪れるときは梅の満開がいいね。

またその次はツツジのトンネルだなぁ。

えっ?今年は中山最高峰ばっかり?


[3852] 【4121回 野口健のトークショーに行く前に】 2016-01-15 (Fri)

2016年1月14日掲載産経新聞に野口健さん連載の「直球&曲球」が掲載されました。ぜひご覧ください。

下記は本文のまま

「女性登山家、谷口けいさん 多くの人に愛された濃い人生」

『 また一人、大切な仲間を山で失った。ヒマラヤ登山のためカトマンズ入りした日に1通のメールが届いた。

「残念なお知らせがあります」。

僕ら登山家はこの言葉が持つ響きの重さ、残酷さを身に刻みながら生きてきた。

視線を宙に浮かせ「誰だろう」と。何人もの登山仲間たちの顔が浮かんでは振るい落とした。

そして深呼吸した後、メールの続きを追った。

「谷口けい」「北海道の黒岳にて滑落」「行方不明」という単語だけが目に飛び込んできた。

視線は再び宙を彷徨(さまよ)った。

谷口けい(43)。小学校時代に植村直己さんの著書「青春を山に賭けて」と出合ったことが彼女に大きな影響を与えた。

大学も植村さんと同じ明治大学へ進学。学生時代はアドベンチャーレースに挑戦し卒業後に山の世界へ。

そして僕とはエベレストやマナスルで活動を共にした。エベレストにも登った。

それからの彼女の活躍は凄(すさ)まじかった。ヒマラヤの未踏ルートにも挑戦。

(非大編成の)アルパインスタイルで登攀(とうはん)に成功。2008年には世界で最も優秀な登山家に与えられる「ピオレドール賞」を受賞。

女性初という快挙であった。

彼女の成功は心からうれしかった。しかし、同時に彼女が活躍すればする程(ほど)、僕の不安も大きくなった。

一つの成功はより厳しく、より危険な新たなステージへと続いてしまうからだ。けいさんに会うたびに「山で死んではダメだよ」と繰り返した。

彼女はいつもニコニコしながら「大丈夫。絶対に山では死なないから」と。目をキラキラさせる彼女の笑顔に「死んでくれるな」と祈るしかなかった。

黒岳への登攀中、核心部を抜けた山頂直下でロープを外し1人岩陰に向かった。これが最後となってしまった。

けいさん程の人にも気の緩みがあったのだろうか。繰り返されてきた仲間の死から学んだことは「死」に対し人は無力だということ。

諦める事(こと)しかできない。しかし、彼女の生き様(ざま)を胸に抱いて生きていくことはできる。

短い人生であったが彼女は精一杯(いっぱい)生きた。多くの人に愛された濃い人生だった。享年43。くしくも植村直己さんと同じだった。』


[3851] 【4120回 今さら大掃除】 2016-01-13 (Wed)

正月が過ぎてゴミの回収も平日に戻りました。

それなのに。。。押し入れの入れ換えをすることにしました。

年末にしておけば良いものを、今さらなのです。

分別ゴミで判らない品があり環境局に問い合わせました。

「あまり大量に出さないでくださいね」と、念をおされました。

腰が。。。。今日はこのくらいでやめときましょう。

それにしても何故こんなに不要なものがあるのでしょうか?

少しずつ終活の準備に、取りかかることにしました。

新たな品を購入しなければ物は増えません。

洋服もあらたまった席に出ない限り要りません。

問題点は「現状維持」の体型を保つことです。これが一番難しい!


[3850] 【4119回 ありゃまぁ・・びっくりポンっ!】 2016-01-12 (Tue)

新春初詣登山・第2陣は中山最高峰を選びました。

小春日和の天気に恵まれ、成人式に参列するであろう晴れ着姿の娘さんもチラホラと。

参拝を済ませ東尾根コースへ。途中の梅林では蕾が開花している枝もありました。樹木たちも暖冬に戸惑っている様子です。

東尾根コースからわずか2時間で最高峰に到着の快適コース。

午前11時到着。お昼にはまだ早いため弁当を広げるハイカー達はまばらでしたが、長い休憩と昼食を終え、いざ出発の時は、空きスペースはほぼ満席状態でした。

下山は奥の院から清荒神へと。

奥の院で驚いたことに大文字ウオークを一緒に歩いた高校の同級生に声を掛けられました。

「おい!おい!」・・誰を呼んでいるのかと声の方を、ふと見るとベテラン登山家のタっちゃんでした。

何でも川西能勢口から縦走してきたとか。彼もまた加藤文太郎に憧れ速足で山を駈け走るタイプです。

清荒神さんは大勢の参拝者で、逆コースを歩く私達は身動きが取れないほどでした。

やっとこさで清荒神駅に到着。

電車に乗るかと思いきや「廻る寿司が食いてぇなぁ」とのジョンのたっての願いを聞き入れ、宝塚まで歩くことに。

昼食を食べてから、あまり時間が経過していないのに別腹の様で食った〜食った〜入る、入る。驚きの食欲でした。

次の次の日、つまり14日はウッチー会長と再び中山最高峰を訪れます。どうしても日程調整がつかなかったための再び登山です。

季節や同行者が違えば同じ山でも楽しいものです。トレーニングだと思えば登るチャンスを与えて貰ってありがたいです。

清荒神のアーケードを、ちよいと横に外れると美味しそうな鮮魚食堂を見つけました。山中での昼食は取らずに下山後ここで泡付きの飲み物と一緒に・・・

ねっ、ねっ、同じ山でも楽しみ方を工夫しているでしょ?

コースとて同じところは歩きませんよ〜

junkoちゃんも再び登山にお付き合いしていただけることになっています。



[3849] 【4118回 大阪名物ってなぁに?】 2016-01-10 (Sun)

旅先でおみやげを選ぶのも楽しみのひとつです。

今日は息子たちが旅行先の沖縄から戻り「スターフルーツ」と言う果実を土産に貰いました(ブログに写真載せました)

「現地で味見をして美味しかったから買って帰ろう」・・・これがみやげ選びの基準かと思っています。

あまり高価な品ではなく、それでいて相手が喜んでくれる物をと選んでいるつもりでいます。

例えばですが私のお気に入りは福井県は羽二重餅、広島県はもみじ饅頭、四万十は筏羊羹、北海道は白い恋人・・・等々

自分目線で選んでいますが果たして喜んでくれてるかどうか心配です・・・

いつだったかロープウエイの山頂駅で試食した「岩ゴケの佃煮」がコリコリと大層美味しくて麓駅で購入しようと思ったら山頂駅でしか販売していないと言われました。

ロープウエイ代金を支払ってまで購入するつもりはありませんでしたが、どうしても欲しくて麓駅に戻るスタッフに依頼して買って来てもらったこともありました。

「ここしか販売していません」と看板が立っているときは信じた方がよさそうですね。(笑)

松山の知人は会う時にはいつも「一六タルト」を下げて来てくれます。彼と再会する度に「一六タルト」を期待するまでになっています。

そんなわけで大阪名物って何なんだろう?と気になり始めました。

私の姉が四万十に帰る度に大阪名物「岩おこし」を持参すると言います。

なるほど大阪名物として知名度はありますが渡す相手はかなりの高齢者ばかりで「岩おこし」を噛み砕くだけの強い歯は無いのではと言ったことがありました。

かと言って大阪名物が何なのか即答出来ませんでした。

「ほんなら何がエエのんっ!」姉にそう詰め寄られましたっけ(笑)

大阪駅の土産物コーナーを物色しても「たこ焼き煎餅・お好み焼き煎餅「551の肉まん」などがありますが渡す相手が喜んでくれるかどうか不安です。

何が大阪名物なのでしょうか?。誰か教えてくださいませんか?


[3848] 【4117回 今年の運勢気になりますか】 2016-01-10 (Sun)

初詣やえべっさんや何かと新年にあたり神頼みの時期だと思います。

うちのポッチーも毎年「門戸厄神初詣」が恒例となっており2日に行ってきました。

境内は古いお札を返納して新しいお札を求める長蛇の列。

その列に負けじと列を作っていたのが「おみくじ」の列でした。

子 ⇒ 運勢は好調で喜びに溢れ仕事にもやりがいが感じられる。自ら積極的に行動して成果をえるでしょう

丑 ⇒ 何事も下準備を怠らなければ事なきを得ます。基礎作りが大切な年です。無駄を省き合理主義を貫きましょう

寅 ⇒ 木が枝を伸ばすように順調さが見られます。慎重さが要求される時期です。諸事予想以上の成果を得られそうです。

卯 ⇒ 自己研鑚をしてきた人は、そのまろやかさが評価され運気上昇への手応えが感じられます。人の意見に耳を傾ける様に

辰 ⇒ 実利は薄いが発展への気配はあります。過去にこだわらず常に前向きな姿勢を保てば諸事円滑にすすむでしょう

巳 ⇒ 高望みをしなければ、まずまず安全な年でしょう。現状維持に努め飛躍の時に備えて実力の蓄積を怠らぬ事が肝要です

午 ⇒ 力を発揮して努力に見合った成果がでます。闘志を燃やして課題に取り組めば活路は自ずと開けてきます。

未 ⇒ 苦労はあるが勇気を出して事に当たれば手ごたえがあります。強引な拡張をしたり情実に囚われることが無い様に。

申 ⇒ 万事上首尾で予想以上に好調な年です。新しい物に目が移ったり変化を求めて冒険をしたくなるが常に慎重に判断を。

酉 ⇒ 曇り後晴れの気運です。あまり大きな夢や希望を持たぬように。奇抜な言動を控え、堅実な態度でことに挑みましょう

戌 ⇒ 明るい気運に恵まれ生活のテンポが速くなります。万事積極的に取り掛かって良し。但し日頃の努力の裏付けが必要。

亥 ⇒ 自ら守勢を固め、無計画は謹んで来るべきチャンスに備えましょう。この時期の実力の蓄積が将来の成功を左右します

どの干支をとっても少しだけ努力をしたり、少しだけつつしんだりすれば、人類はみな幸福になると書いてある様な気がします。

おみくじでも、信じるか信じないかは人それぞれですので前向きに参考にすれば開運に繋がるのではないでしょうか。

そう言う私は「子年」生まれです。「好調で喜びに溢れ仕事にもやりがいが感じられる。自ら積極的に行動して成果をえるでしょう」とあり頬が緩みます。

さてみなさまの運勢はいかばかりでしょうか?


[3847] 【4116回 初めてのМRI検査】 2016-01-09 (Sat)

生まれて初めてのМRI検査を受けました。

問診時に所要時間と相当な音がするとの説明を受けました。

ベットに横たわると緊急用のボタンを持たされヘッドホンを付けられ中から軽快なリズムの音楽が流れています。

軽快な音楽も束の間で検査が始まると音楽など聞こえなくなるほどの、かなり大きな音がします。

ドンッドンッドンッ・・まるで工事現場の掘削作業の様な音です。

その合間に船が港を離れるときのドラの音のようなグワァーングワァーン・・・次は警報ベルの様なジッジっジッジっジの音など検査の進行に応じて色々な音が聞こえてきました。

私は平気でしたが、閉所恐怖症の人はちょっとつらいかも知れません。

胃カメラ、腸のカメラ、心臓カテーテルなどともっと辛い検査も沢山ありますが、いずれも「早期発見、早期治療」のためですから我慢するしかありません。

痛みを訴えているのに異常なしと言われるのもこれはこれで不安になります。

病名を告げられると尚不安です。

知人に胃の調子が悪く胃カメラ検査を受診中に食道癌が発見されたこともありました。「早期発見」で手術をし元気になられ一時的に職場復帰するまでに回復されました。

60歳を過ぎると何かしらどこかしら体調に異変が起こります。

悪化させないように最期は「ピンピンコロリ」を願いつつ「今日も元気でありがとう。明日も元気でおれますように」と祈る自分がいます。

年が明けМRI検査の結果を持って整形外科の診察を受けました。先生の説明によると「腰部脊柱管狭窄症」俗にいう「すべり症」との診断でした。

МRIの結果なので間違いないのでしょう。

加齢による原因もあるらしく保存的治療としては、リハビリと神経の血行をよくすることにより改善することもあるらしいです。

いずれにしてもいち早く整形外科の先生に予約電話をいれて下さった岳友先生の処置がなければ病院に行くことも無く「痛いなぁ、痛いなぁ」で終わっていたと思っています。

リハビリしばらく通います。


[3846] 【4115回 仕事始め】 2016-01-08 (Fri)

世間はもう既に仕事始めとなっていることと思います。

町は動き始めた様子です。歩いている人達にも活気が漂よっています。

私の勤務するボランティア事務所も6日からスタートし7日が私の初出勤となりました。

在職中と違い改まって挨拶する機会もありませんでしたのでこの日ばかりはスーツに身を包み正装しての出勤となりました。

(ん?ウエストちょっときついよ〜!)

正午からは此花区内の地域各団体関係者を一堂に集め「互礼会」がはじまります。

此花区選出の議員団、警察署、消防署などのお偉い方々も、ずずずい〜っと並んで来賓席に鎮座していました。

いつも思うのですが「挨拶は短めに」そして「何が言いたいのか」を予めまとめておいてから喋ることが必要ではないかと・・・

長くても3分が限度です。それ以上長いと200人もいれば、ざわつきが始まります。

会場は地域別にテーブルが分かれており総勢200人ほどが出席していました。

私の席は「高見地区」ですがほとんどが見知らぬ方たちばかりです。

こんなにも多くの人達が此花区のために色々活躍しておられるのかと思うと頭の下がる思いです。

いかに私が地域活動に無頓着であるか思い知らされる時間でした。

見知らぬ人が多いため、あまり居心地が良くなくて乾杯が終わりしばらくしてすぐ5階の事務所に戻ってきました。

今年の事務所での抱負は「行事日程の早期決定・参加者の増員・施設見学のマンネリ化解消」と決めました。

課題が多いため「何も専務」と言う言葉が流行しましたが「副会長とは名ばかりの事務員」と言われないように積極的に取り組んでいきたいと新年にあたり考えるところです。

すべてボランティアなので縦の組織ではなくみんなが気持ちよく動けるような緩和剤になれればと思っていますが、何せ性格が性格なもので・・・・今年1年どうなりますことやら!


[3845] 【4114回 寒中見舞いはいつ投函する?】 2016-01-07 (Thu)

正月の年始の挨拶の時に「喪中はがきを貰ったので年賀状と一緒に寒中見舞いを投函したわ〜」と涼し気に言う知人がいてこりゃまた「びっくりポン」となりました。

毎年年末になると届く「喪中はがき」。亡くなったことを知っている場合もあれば知らなかった場合もあります。

フェイスブックでコメントはないものの「いいね!」をしてくれていた人がピタリと「いいね!」が無くなりました。

病気かな?ぐらいの軽い気持ちでいたのですが年末に奥様から1枚の喪中はがきを頂きました。享年69歳若すぎるでしょ!

年賀状と一緒に寒中葉書きを投函した人が、また同じことをしないために喪中はがきの投函時期を書いておこうと思います。(そんなこと常識やっ!って言われそうですけど・・・)

一般的に喪中はがきを受け取った場合、年賀状のやりとりは控えるべきとされています。

でも目上の人が喪中だった場合、新年の挨拶なしというのも失礼な気がします。そんな時こその寒中見舞いです。

それにこちらの近況報告の意味もあるしね。

「寒中見舞」の投函は松の内が明けてから(1月7日以降。1月15日以降とする地域もあるらしいです)

1月下旬までを目安に投函するのが一般的だそうです。年賀葉書きではなく、一般のはがきを使います。

写真やイラストを使用するのは構わないのですが、あまり派手になりすぎないようにしたいものです。

文面は健康への気遣い、いたわりの言葉を添えるといいとされています。

自分の言葉で印刷文字だけでなく手書きで一筆添えると更に相手に心の通じる文面になると思います。

私も松の内が明けましたので準備に取り掛かりました。

知人の中には「えっ誰が亡くなったって?」と読み返さないと理解できない葉書きも1枚ありました。

「愛犬が死んだ」らしいです・・・・家族同様であったことは理解できますがさすがにこの友達には寒中見舞いの葉書きは省略させて頂きました。

息子のところが犬を飼い始め世話が大変だと思いきや、3人の子供たちへの、世話がいらなくなったらしいです。(飼うにあたっての条件かしら?)

みんな自分の事は自分でするようになり大事な物はきちんと片付けておかないと犬にかまれるので家の中も綺麗に片付いているらしいです。

動物効果?・・・猫派の私にはわかりづらい。デス。


[3844] 【4113回 ウサギに土産を】 2016-01-06 (Wed)

故郷の同級生との2泊3日の新年会ももうすぐやってきます。

1泊目は四国・八島の国民宿舎泊、2泊目は広島・大久野島の休暇村泊です。「1泊では時間が足らんけん」これが四万十同窓会のルールです。

四万十市と大阪から半分づつ歩みよりの中間地点としてまずは坂出を選んでくれました。選んでくれたのは松山の同級生です。翌日に広島に渡る予定です。

去年の10月に同窓会を終えたばかりではありますが、その時の反省会と今年の秋の同窓会の打ち合わせと言う名目です。

名目がなくても「集まろうか?」と言えばふたつ返事で意見がまとまります。

意見のまとまらないのが高校の同窓会・・・この度、堪忍袋の緒がきれて世話係を自ら解任することにしました。

食事会をしても平気で当日ドタキャンはするわ、(キャンセル費用が発生してること自覚してんのか?)

ハイキングに誘ったら行くのか行かんのか無しの礫、のれんに腕押し状態です。

そんな中でも「いつもありがとう。楽しみに待っています」と年賀状を貰うと心が揺らぎます。

同窓会と言う形の世話役は卒業ですが個人的な付き合いのある仲間は大切にしたいと思っています。

去年、大文字ウオークに参加してくれた者同士で「バッテラ会議」をすることにしました。

「バッテラ会議って何?」って言われるかと思います。

梅田の食堂街に目玉がこぼれ落ちそうに美味しいバッテラを出してくれる居酒屋があるのです。

店のキャッチコピーは「朝から飲める店」ってさ・・・

だいたいの店は午後5時とか6時とかが開店の店が多いため山の帰りに立ち寄るといつでも一杯飲める店でしかも美味しい、店員の愛想もいい、安い、と3拍子揃っているのです。

バッテラ好きの人がいたら紹介しますよ〜。

1月24日の新年会幹事から「ウサギの土産」を持参するようにとのメールをもらいました。

不要になった野菜の切れ端(人参、キャベツ等)を土産にさげて行くようにと参加する大阪組へ横の連絡を流したところ「打てば響く法華の太鼓」の如く「了解」の返事がきました。

気持ちいいねぇ!遊びに関しては「天下一品」やなぁ!

新年会で訪れる大久野島は、瀬戸内海に位置する島で、広島県竹原市から沖合い3キロメートルに位置しています。

「地図から消された島」や「毒ガス島」などと呼ばれ、第一次世界大戦以降の化学兵器製造の実態を今に伝えています。

また近年では多数のウサギが生息することでも知られ、ウサギ島とも呼ばれています。

最初は島の外の小学校で飼っていた8羽のウサギを大久野島に連れてきて、放したら 野生化してどんどん繁殖したのだと言われています。

犬などの天敵もいなかったため、ここまで増えたんですね。いまでは700頭以上生息しているらしいです。

ただ、休暇村の方に天敵について聞いてみると、 たまにカラスに連れていかれているウサギを見かけるそうです。

大阪組は新幹線を乗継ぎ坂出駅で出迎えの車に乗り昼食に「さぬきうろん」を食べて現地へ。四万十市からも車で現地合流の予定です。


[3843] 【4112回 驚きの焼肉店】 2016-01-05 (Tue)

「見えぬところでは何をしてもいいの?」

正月早々と言うことなかれ。正月だからこそ気合を入れて信用挽回してもらいたいのです。

神戸にある某焼肉店での話です。

店に入り飲んだり食ったり喋ったりと愉快な時間が過ぎて行きました。私の座っていた席は長いのれんがかかる厨房丸見えの席でした。

厨房の女性スタッフの動きを眺めていると何やら床から拾っている姿が目に入りました。

よく見ていると冷蔵庫から取り出した食材が床の上にこぼれ落ちてしまったようです。食材を拾った女性スタッフは何事も無かったように落ちた食材を冷蔵庫に戻しました。

「そりゃないぜっ!」

当の本人に言えば個人攻撃或いは揉み消される恐れがあるので別の男性スタッフに箸袋を切り開いてメモ書きしました。

『私は見ました。床に落ちた食材を冷蔵庫に戻していました。あれを次の客に出すのですか?』

メモを受け取った男性スタッフは深く頭を下げて厨房に入りました。

厨房では女性スタッフを呼びメモを見せて事実確認をしている様子がのれん越しに理解できます。

しばらくして男性スタッフがやってきて「申し訳ありませんでした。あの食材は賄食として使い、お客様に出すことはありません。ご指摘ありがとうございました」。

とても敏速で納得のいく説明でした。あれを「廃棄処分にします」なんて答えたら「うそつけ〜!」と思ってしまうのですが、なかなかスマートな対応でした。

もし指摘しなかったら黙って出していただろうなぁ・・・

ひょっとして今食べている食材も前に落とした食材か?と疑ってしまいます。

見て見ぬ振りのできない性格に困ったもんです。但しクレイマーとは違いますよ。

クレイマーだと大声でほかの客にも聞こえるように騒ぎますが私は責任者に事実を伝えて改善して貰いたいと思っただけなんです。

外食ってこんなこと日常茶飯事に行われているのでしょうか?

私の相棒は鼻クソをほじくった手で料理をしていたコックを見て、その中華屋には行かなくなりました。

またある店では飼いイヌが食堂内をウロウロして不衛生だと店に出入りしなくなりました。

またある茶店では下山後に必ず立ち寄ってビールにおでんを食べていた店でしたが接客対応が悪いと素通りするようになりました。(ジョンは箒で、はかれたらしい・・・ヨ)

「それくらいのことエエやないか」と言う人もいると思います。しかし金を払って行ってるのですから選択権はあってもいいと思います。

清潔で美味しくて安い店・・・これが長く客から愛され、いつまでも生き残れる店ですね。


[3842] 【4111回 新春初歩き】 2016-01-04 (Mon)

2016年は暖かすぎて番狂わせな幕開けとなりました。今年の初歩きは1月3日。

この日はジョンのライン仲間の千葉の人達3人と六甲山を案内することになっています。

駅前広場で若い見知らぬ青年が「おはようございます」と声を掛けてくれました。

まさかこの方がこの日に一緒に歩くメンバーのひとりとも知らずに・・・です。

富士見平小屋繋がりのメンバーの顔はうる覚えでしたが「多分あの人だな」と思われる2つのシルエットがこちらを向いて手を振りながら近づいてきました。

丁度3年前、富士見平小屋でレスキュー講座を開催時に、そばを通りかかりロープワークに興味があるのか熱心に質問していた人がこの日の客人のひとりです。

3人共ボルダリング経験者でロープを掛ける必要はなさそうなのですが私達の鉄則でもある「最初はロープを掛ける」を遂行するために所々ビレイを試みました。

前回来た時よりも崩落が進んでいるように見えました。滝を高巻きするのか斜面には踏み跡が無数にできておりコースが出来上がっていました。

おまけに誰が掛けたのかトラロープが斜面に張られていたり様変わりしていました。「滝を迂回するくらいなら地獄谷を歩く意味ないのになぁ」と思いつつ進んで行きました。

風はさわやかで暖かく1月だと言うことが信じられません。A懸岩に出て、ピラーロック、風吹き岩、岩梯子まで案内し有馬温泉に行くと言う客人とわかれました。

ロックガーデン入口の堰堤にはこの間見た大きな黒色のイノシシが立ちはだかり「シッシッ」と追い払いましたが猛突されたら大怪我になるところでした。

「イノシシと並んで立って、写真撮るから」すぐそばに立ちましたがおっかなかったです。

縁とは不思議なもので富士見平小屋でわずか数時間言葉を交わしただけでしたが楽しく歩くことができました。彼らもまた「日本百名山」を目指しているらしく今後が期待されます。


[3841] 【4110回 今年もよろしく!】 2016-01-04 (Mon)

2016年の幕開けとなりました。

旧年中は沢山の方々に応援して頂きありがとうございました。

今年もどうぞよろしくお願いします。

大晦日はユニバーサルの打ち上げ花火の音で「ああ2015年も終わりだなぁ」と感じながら元旦の朝を迎えました。

元旦の正午を合図に息子たちがやってきました。

それよりも何よりも年賀状が楽しみで楽しみで何度もドアを開けて郵便屋さんを待ちました。

午前11時バイクの音がしました。郵便屋さんの年賀状配達です。

待っていましたよ!

ああ、この人もあの人も元気なのだと確認したところで正午となりました。

子供たちが大きくなるにつれて部屋が狭く感じます。大きくなりました。そして私達は年を取りました。

それぞれが今年の抱負を語り、抱負が実現に近づくようにみんなで乾杯をしました。

私の夢は2016年は「百名山達成の年」としたいと思っています。

あと4座を目標に人生を楽しめれば最高の生き方ではないかと思っています。

息子たちが帰った後は年賀状の整理です。リストを見ながら返信があったか、なかったか、厳しいチェックです。(笑)

年賀状は私の近況をお知らせすると言う大きな意味があるので返信がなくてもいいはずなんですが返信なければ、内心は少しガッカリ・・・

今回高校の同級生たちには1枚も出していません。度々の食事会やハイキングのお誘いにも無反応のため今年からお世話役は自分でケリをつけたのです。

しかし頂いた年賀状には返信しなければなりません。その数ざっと30枚・・・いまから不足の年賀状を購入するために郵便局に行ってきます。

こんなことなら、もっとおだやかに腹を立てずに書いておけば良かった・・・


[3840] 【4109回 1年間お世話になりました】 2015-12-27 (Sun)

「2015年を振り返って」

今年1年よく登りました。暇があればこそだと結論は、ここに行き尽きます。

仕事をしていた時は、せいぜい山行に取れる日程は連休等を利用して2泊3日から3泊4日ぐらいしかありませんでした。

それが今では一度山行に出かけると1週間滞在は習慣の様になってしまいました。

「時間がたっぷり、交通費の節約」またまた暇があればこそに行き尽きました。

「そんなに山に行けて幸せですね」と言われますが反対に「働ける職場があって幸せですね」と申し上げたいです。

卒業組は趣味を見つけ小さな生き甲斐を見つけて楽しい余生を送るのが一番だと思っています。

お金を持っていても三途の川を渡るときは紙幣価値が変わって紙屑みたいになるのですからね。(笑)

雪山を少しスノーシューで楽しみ、春はイタドリ採りにハッスルし「夏こそ本番」とばかりに日本百名山を登りまくりました。

第一発目の雨飾山では雪渓上での「芋ヅル状態」の滑落で命の危険にさらされました。いま思い出しても無傷であったことが信じられません。

今でも急な下りの雪渓はトラウマとなっています。

雪融けを待ち雨飾山@、苗場山A、白根山B、男体山C、武尊山D、皇海山Eの6座を1週間かけて登りました。休養日を1日とっただけでほぼ毎日登り続けました。

恵那山Fへは昔の倶楽部の仲間と雨の中を登りました。

7月に入り赤倉温泉を起点に高妻山G、火打山H、妙高山Iを雨に遭いながら無事登頂いたしました。

8月には神戸の某山岳会会長と一緒に水晶岳J、笠ヶ岳K、焼岳Lと暑さと闘いながらどうにか目的を達成することができました。

9月には岳友「お祭り野郎組」と空木岳Mでしたがここでもまた雨に降られてしまいました。「小屋に幽霊が出る」とのおまけ付き・・・結果はでなかったんですけどね。

空木岳から戻りピストン状態で宇都宮組と、悪沢岳N、赤石岳Oとアクセスの悪い南アルプスをやっつけました(笑)

10月に入り大朝日岳P、飯豊山Q、巻機山R を登り、これで2015年の百名山はすべて終わり、残りの4座は雪融けの夏を待つことにしました。

思い返してみると「何と雨と仲良くしたもんだ」

雨もまた自然とは時と場合により、山は何と言っても晴れていることが安全でもあり、達成感が違います。

山は午後になると急に天候が悪くなるのが常なので覚悟はしていますがそれでも晴れた日の山は素晴らしい。

「そんなにまでして何で登る?」ボランティアの会の叔父様族は声を揃えてそう言います。私は「登ってみたら私の気持ちがわかってもらえます」って答えています。

有名な女性登山家が雪山で遭難死しました。ベテラン中のベテランでも事故に巻き込まれることはあるのです。

ましてや素人の私が身の程知らずの山に挑戦などもってのほかだと思っています。雪山の技術、装備のないのを幸いにして冬は高い山には登りません。登れません。

来年の抱負は腰痛を克服して、あと4座の100名山達成です。「それがどうした?」なんて言わないでくださいね。(笑)

1年間「姫のおうち」に訪問して頂き、心から感謝申し上げます。訪問者カウント数を心の支えとして毎日書き込みができましたのも皆様のおかげだと本当にありがたく思っております。

新しい年も頑張って書き続けますのでどうぞよろしくお願いいたします。皆様よいお年をお迎えください。

★年末年始の書き込みお休みのお知らせ★

12月28日から新年1月3日まで書き込みをお休みさせていただきます。


[3839] 【4108回 寝ずの番】 2015-12-26 (Sat)

「あっ!ベランダで音がした。サンタさんが来たんとちゃう?」

順番に見張りに行く小さな子に付き合う小学5年生2人。

小学5年生はサンタの現実がわかっているらしく「小さな子の夢をこわさないでおこう」と言う話がヒソヒソと続いていました。

「あっまた音がした・・今度こそ来た!」

何度もベランダに出掛けるうちに寒さが身に浸みるのか「今度は婆ちゃん見てきて〜」

チャンス到来です。

ベランダに隠しておいたプレゼントの袋を真ん中に出して「まだ何もなかったわ」と一旦フトンに潜りました。

時間は午前1時を過ぎています。

眠ろうとするけど眠れない・・・寝ずの番は続きます。午前2時、あまりに可愛そうになり「ひょっとしたら来てるかもしれないね」

ちびっ子2人と一緒にベランダへ行きました。

「あった〜あったよ〜!」

午前2時からプレゼントの開封が始まり、婆は時々「イビキがうるさいっ!」と鼻をつままれ目を覚ましました。

午前4時・・・「ズボンに汗かいた〜」と5歳児がトイレに行きたいと言い出しました。時すでに遅し・・・・

朝から窓辺には、お布団が干してあります。子供フトン作っておいてよかった〜

今年もクリスマスのイベントが無事終わりました。ホッ


[3838] 【4107回 納山会・須磨アルプスへ】 2015-12-25 (Fri)

「腰がピリピリと痛い」と言いながら今年最後の登り収めに六甲山全縦走コースを歩くことにしました。

全縦コースとは言え、全てのコースを歩くのではありません。

大金を積まれたとて丁重にお断りをするほどの過酷なコースなのです。この日はほんの一部だけを歩いてきました。

世間はクリスマスだと大騒ぎしているのに小春日和の様な温かさで半袖で歩いても汗がタラリタラリと落ちるほどでした。

午前10時に須磨浦公園駅でウッチー会長と待ち合わせをして早目に切り上げ元町あたりで「納山祭の乾杯」をしようと計画を立てています。

須磨浦公園駅は六甲山全縦走大会に出場した宇都宮チームの車を回収するために立ち寄った馴染みの駅であります。

彼らは、いつも夜明け前にスタートをしているのでこの日はスタート地点の風景を写真に収めて報告しようと考えてコース設定をしました。

駅の近くに平敦盛の菩提があると言うことで参拝をしてから出発することにしました。ウッチー会長の案内で平敦盛のお墓にお参りしました。

平敦盛は笛の名手で鵯越えで有名な一の谷の合戦で、海上に逃れようとした敦盛は、熊谷直実に呼び戻されました。

敦盛を組敷き首を刎ねようとした直実は、14歳の敦盛に驚き逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれました。

その時腰に携えていた笛「青葉の笛」はみんなの知るところです。

鉢伏山、旗振山、鉄拐山、高倉山、栂尾山、横尾山、東山と低山ではありますがピークを7山も越えたことになります。

不思議なことに縦走コースを歩いていると、大きな街が出現しました。

スーパーもあり、銀行、郵便局もあり驚きの光景です。「静かに通過してください」と看板が掲げてあり登山者の雑音が住民に影響を及ぼさないようにとの忠告の様です。

街の中を通り抜けると、再び登山道を歩きます。

通称「高倉の400階段」ここもきつかったです。汗タラタラでした。

何度も来ているはずなのに、見るものすべてとても新鮮に感じることができました。「ゆとりのある登山」だからではないでしょうか。

いよいよ須磨アルプスのお目見えです。「いょ〜っ!待ってましたっ!」

旧・六甲全縦走コースの禅昌寺方面に向けて下山することにしました。

ウッチー会長がコースを熟知されており落ち葉の絨毯で足を取られ滑って尻餅だけは付かぬように様に慎重に急な下り坂を降りて行きました。

「車道が見えましたっ!」14時00分、ゴールです。

『平家物語』に記される、扇の的を射抜く話で有名な那須與市の墓所にも立ち寄りバスと電車を乗り継ぎ神戸元町で1年間を振り返り祝杯しました。

コルセットを巻いて歩きましたので腰への負担は無く、ピリピリ感も無く、無事納山祭りをおえることができました。


[3837] 【4106回 登山家・谷口けいさん】 2015-12-23 (Wed)

北海道の大雪山系黒岳(標高1984m)で国際的な登山家の谷口けいさんが亡くなりました。死因は脳挫傷とのことです。

雪に埋もれた状態で見つかっているのを発見し、ヘリコプターに収容、間もなく死亡したとの報道はみんなが周知するところです。

谷口さんら5人が登っていたのは、登山道とは離れた「北壁」と呼ばれる急な岩登りのルート。

難所を越えて目的の山頂付近にほぼ達したところで、「用を足す」と告げ、安全のため仲間とつないでいたロープを外し、少し離れた岩場の陰に行ったそうです。

戻らなかったため、仲間が捜しに行くと姿が見えず、両手の手袋が残されていたそうです。

「安全のためロープを外した」とありますが、どんな状況であったのかここが理解できないところです。

【4091回 山のトイレ】でも書きましたが 女性の山でのトイレは至難の業ではあります。

2000年の6月に大雪山に登った時のことです。

トイレ(小)をもよおし雪原の中を列から離れて用を足す羽目に陥りました。

その時相棒は「誰も見てないから、方向転換には気を付けて座れ」と言いました。

用を足して列に追いつこうとしましたが、どつちの方向かわからなくなり「おーい、おーい」と大声で叫び、一瞬でしたが道迷い体験をしました。

今日は谷口けいさんの追悼の意を表しひとりで歌いました。

「雪山に消えたあいつ」

★1.山が命と 笑ったあいつ  山を一番 愛したあいつ

雪の穂高よ 答えておくれ  俺に一言 教えておくれ

なんで吹雪に あいつは消えた


★2.重いザイルを 担いだあいつ 銀のピッケル 振ってたあいつ
 
山をこの俺 恨みはせぬが  あんないい奴 どこにもいない
  
なんで吹雪に あいつは消えた


★3.夢に破れて 帰らぬあいつ  雪に埋れて 眠ったあいつ
  
山の木霊よ 返しておくれ  俺にも一度 やさしい笑顔
  
なんで吹雪に あいつは消えた


 


[3836] 【4105回 サンタが我が家にやって来る?】 2015-12-23 (Wed)

今年もサンタの季節がやってきました。

大きい子は、もう5年生なのでサンタの贈り主は姫婆だと気づいているかもしれません。でもハッキリと言わないところがクリスマスの楽しさなのかも知れません。

サンタ宛てのプレゼントの葉書きが今年も4人分届きました。

それぞれが欲しい物を書いています。

小学3年生の子と5歳の幼稚園児はいつも同じ物を要求します。その方が後々で兄弟喧嘩にならないのだそうです。

ママ曰く「もうオモチャを欲しがらなくなり、プレゼントの品を迷っていました」成長の証でしょうね。

「サンタさんがボクの欲しい品を間違えるといけないから」と姫婆の家に来て詳しく説明をする子もいました。

そしてパソコンを開きました。

アマゾンの画面を見て説明してくれるので「サンタさんを信じてる?」と聞くと「何となくね」と答えました。

ならば・・・と、アマゾンの画面から「お買い物かご」にクリックしました。

「サンタさんからのプレゼントをアマゾンで申し込むのも不思議だね」と言われちゃいました。(大笑)

「アマゾンにサンタ行きのボックスがあるのかも知れないね」と、姫婆は苦しい弁解をしましたが・・さてさて25日の夜はどうなりますことやら。

お泊り体制でサンタさんを待つ眠らぬ4人の見張り番のいる中でベランダに持ち込むのは至難の業やなぁ・・・

私の亡くなった義兄は「ワシは日本人じゃ〜!」と豪語する人でクリスマスを好ましく思っていませんでした。いまはこの考えは通用しませんが・・・

震災で被害を受けた東北やネパール等で、いまだ復興の目途の立たない人達に、きっといいことがありますように・・・そう祈ることにしました。


[3835] 【4104回 持つべきものは友】 2015-12-22 (Tue)

「4101回の姫のおうち」に腰にピリピリと電気が走ったような痛みがあると書き込みをしました。

いつも姫のおうちを読んでくださる岳友から電話を頂き「早急に整形外科を受診した方がいいですよ」とアドバイスをいただきました。

聞けば、ご主人様も同じ症状で苦しんでおられた経験から早期治療が望ましいと助言してくださいました。

私も今までにないピリピリ感なので気にはしていたのですがポッチーが「病院へ行け!、病院へ行け!」と大騒ぎするものですから意地になって頑なに病院行きを拒んでいたのです。

「車椅子生活になってもワシは知らん」・・・そこまで言うか〜!

それからと言うものは、一緒に歩いていて痛みが走っても顔には出さず、態度にも出さず、ひたすら我慢していました。「痛い」と言うとまた大騒ぎするからね。

少しの時間が経てば嘘のように治るので病院に行かずにしばらく様子を見ようかと思っていました。しかし不安が消えたわけではありませんでした。

なぜだろう?何でだろう?と自問自答を繰り返していました。

人には「早期発見、早期治療」と言うわりには自分のことになると行動が鈍いのです。

そんな私の心中を見抜いたかのように岳友のご主人様が私が受診したい病院に電話を掛けて下さり背中を押して下さいました。

あとは私の決断のみ!。「よしっ善は急げっ!」

受付に行くと「お聞きしていますよ」とやさしく言ってくださり先生も「聞いていますよ」と私の緊張を解いて下さいました。

腰のレントゲンを撮り、詳しくはМRIの設備のある病院に行き新年になってから説明を受けることになっています。

不思議と本日は痛みが走りません。初診日のレントゲンでは「初期のすべり症」かも知れないとのことでした。

あっちもこっちも悪くなるのが年寄りの証拠なんでしょうか?いやいや・・・元気な年寄りは世の中にいっぱいいます。

今日は午後から理事会、研修会、中学校との協議会等々あり腰の痛みを感じる時間がないように思います。


[3834] 【4103回 片付け上手は捨て上手】 2015-12-21 (Mon)

今年も押し迫り、気ばかり「正月の準備だ〜」と気合をいれている今日この頃です。

昔の様に大掃除だと言ってタタミを外して叩いたり、障子を張り替えたり(我が家には障子が無い)の「年末だから」と言った大掃除はありません。

いつも綺麗にしているかと言えばそうでもありません。部屋に「物が少ない」ので片付いている様に見えるのです。

衝動的に物を購入しない。壊れた物を新しく買い換えた時は古い物を捨てる。

洋服も1枚購入したら古い洋服を1枚捨てる。物が増えない理由はここにあります。

親族の中に「コーナンの女王」と名前を付けた私の姪がいます。とにかくコーナンが大好きなんです。

購入目的がなくてもコーナンブラリ歩きが好きなんです。

しかし・・・そんな性格の人間が「見るだけ」で済むはずがありません。

「あっこれ可愛い〜」「あっ、これあったら便利〜」と思いつくままにカゴに入れて行き家中が小間物だらけで溢れていました。

小間物って掃除する時に面倒くさいんですよね。隣に除けて吹き掃除して、またもとに戻す・・・だから掃除が面倒になる。

最近では中年になり物欲もなくなったらしく部屋も、そこそこ片付いているように見受けられます。しかし私的には「捨てるものが山ほどある」と思っています。

某会社の工場見学で「整理整頓」の看板が無いと感想を述べた時の社長様の言葉「あれは整理整頓の出来ていない人が掲げる言葉です。わが社には必要ありません」・・ごもっとも!

この姪っ子からもらった品で唯一ありがたかったと今でも使っているのが「イタドリの皮剥き器」です。

本当の目的は「イチゴのヘタ取り」らしいのですがイタドリの皮剥きに最適でコーナンの女王様に感謝しています。

「100円均一」の店も同様でブラリ歩きをしているとなんだかカゴに入れたくなります。どこに何を並べているのかをブラリ歩きで認識しておくと便利かも知れません。

しかし「店舗改装」などで棚の位置を変更している場合もあり探すのに苦労しちゃいます。

「見たら買いたくなる買い物」はすぐに飽きがきます。そして100円はやはり100円なのです。

来年の目標は「安物買いの銭失い」にならないように大切な年金を大切に使いたいと思っています。(笑)


[3833] 【4102回 やっと工事完了】 2015-12-20 (Sun)

1年前より工事中で通行止めであった此花区正連寺川(現在は埋め立てられて川は無い)の上に架かる「千鳥橋」が12月18日午後より、やっと通行止めが解除されました。

「18日午後より開通」と看板にありましたのでカメラを片手に何かセレモニーでもあれば取材しようと出掛けましたが午後1時頃にはまだ通行止め状態でした。

ガードマンに「工事遅れてるの?」と聞くと「午後3時ぐらいから開通予定です」とのこと。

なるほど午後3時も、4時も、5時も、午後にはかわりないけれど、1年間の封鎖の後の午後と言えば正午と思うのが普通ですよね。(私が普通じゃないってこと?)

千鳥橋の陸地化工事に伴うバスの迂回運行も終了し、翌日の始発からは通常経路での運行に戻りました。一時は工事完了までバス運休なんてとんでもない話が出ていたこともありました。

私の住む高見町は千鳥橋を主軸にして商店街や銀行に往来するとても大事な道路でした。それを1年間も封鎖されていたのですから大迷惑でした。

「新しい橋を作ってから潰したらどやねんなぁ」とつぶやいたことが何度もありました。

新しい橋が出来たと言っても、少し道幅が広くなったぐらいでさほど感動はありません。

仮橋の間の不便さが解消されただけです。

仮橋の間は狭い通路を自転車が猛スピードで走って来て危ない場面に何度も遭遇しました。

「自転車は降りて走行してください」と言う大きな看板があちこちに立てかけてあるにも関わらず、ほとんどの人は乗ったまますれ違います。

ガードマンに「注意せな危ないですよ」と忠告すると「注意したら怒られますねん」と・・・なんと弱腰なガードマンでしょうか。

安全を守るために配置されたはずのガードマンなのに・・・

それならば「自転車は速度をおとして徐行してください」の方がよほどましではなかったか。守られない看板より守れる看板の方が効果があります。

なにはともあれ千鳥橋が通行可能になったので我が町も「陸の孤島」から解除されました。



[3832] 【4101回 今年登った百名山】 2015-12-19 (Sat)

今年もよく登りました。

雨飾山・苗場山・白根山・男体山・武尊山・皇海山・恵那山

高妻山・火打山・妙高山・水晶岳・笠ヶ岳・焼岳・空木岳

悪沢岳・赤石岳・大朝日岳・飯豊山・巻機山

19座の日本百名山を登りました。残すはあと4座。

あと4座とは「聖岳・光岳・間ノ岳・塩見岳」です。

雪融けを待ち夏になれば一気に制覇しなくっちゃあ。

そして101座目の利尻岳で100名山達成パーティをしようと考えています。

百名山を目指す宇都宮の若者もアッと言う間に追いついてきそうです。

百名山以外はホームグランドの六甲山系・芦屋界隈を歩いてクライミングしたりしていました。

近場の中山連山、高見山の霧氷、三峰山の霧氷、赤坂山スノーシュー、吉野千本桜、ごろごろ岳&観音山、箕面逍遥、一徳坊山など体力に見合った山行をしています。

2〜3日前から腰にピリピリと電気が走ったようになり歩行困難となり、しばし座り込む時がありました。

なんでだろう?なんでだろう?

病院大好きのポッチーは整形外科を受診しろとうるさく言うのですが何のこれしきと・・・・

しばらくするとケロッと治るので様子を見ます。


[3831] 【4100回  やっとこさスタートしたよ!】 2015-12-18 (Fri)

急に冬本番の気配となりました。

やっとこさで年賀状にとりかかりました。

投函した後に喪中葉書きが舞い込んだとしても25日までに投函しないと元旦に届かないらしいので書いた分だけマメにポストへ運んでいます。

歌手の嵐が「♪年賀状くださ〜い♪」とコマーシャルしていますが欲しかったらまず出さなくてはいけません。そこんとこも言ってほしいなぁ。

「♪年賀状くださ〜い♪ボクも出しますか〜ら〜♪」ってね

(郵便局の回し者かっ〜!)

去年の年賀状と去年のリストを見ながら書いています。狭いテーブルの上は年賀状で散乱しています。

年賀状は自分の近況を相手にお知らせがてら新年のご挨拶(ご挨拶が先やね)をするのが主たる目的ですから、返事が来ようが来まいが本当は関係ないのです。

一方通行で出し続けることも意味はあるのです。そりゃあ返事を貰うと嬉しいですよ〜でも多くを期待すると年賀の主旨から外れるから・・・

最近はメールやライン等で年賀状を出す人がいるみたいですがやはり手ごたえのある年賀状は別格ですね・・・貰うと嬉しいものです。

フェィスブックもコメントを書いてくれた人には必ず「読んでくれてありがとう」の意味をこめてコメントでお返しをします。(面倒くさがらないでネ)

友達沢山の有名人だと個々に回答は大変かと思いますが我々凡人は何か一言は書けると思います。

相手に求めるときはまず自分がコメントをマメに書くと楽しいです。「いいね!」も何かとやり玉にあがりますが今風ですから・・・。

あの「いいね!」を「見ました!」に変えるともっといいねっ!

だって訃報のお知らせなどに「いいねっ!」と言うのもおかしいでしょ?

最新式の情報システムに付いていけない67歳であります。


[3830] 【4099回 箸の持ち方】 2015-12-17 (Thu)

福井県小浜に箸匠の工場があり箸作りの体験をさせてくれました。体験と言っても出来上がった箸に模様を入れるだけですが。

脳における運動分野で手や口を分担する部分が広い面積を持っていることを知りました。

手を動かすことは頭を使うことになるそうです。指のツボを動かせば健康になると箸匠の社長が力説していました。

●手の甲

親指・・脳

人差し指・・胆のう

中指・・目

薬指・・耳

小指・・スタミナ


●手のひら

親指・・肺臓

人差し指・・肝臓

中指・・腎臓

薬指・・胃(脾臓)

小指・・心臓

テレビで食レポと称して若者が「美味しいっ!」と全然視聴者に伝わってこないコメントを発信しています。

それはいいとして箸の持ち方がなってない!髪の毛を掻きあげながらラーメンをすすってみたりと見苦しいっ!

箸使いがとても綺麗だと安心して見ていられます。子供の頃にビシッと躾がなされてないから大人になっても直らないし、直そうとしない。

箸匠で学んだばかりなので、しばらくは箸の上げ下ろしが気になると思います。

お正月の箸が両方まあるいのは何故か・・・片方は自分用、反対側は神様用なんですって・・・とっくに知ってたって?(こりゃまた失礼しました!)


[3829] 【4098回 不思議な看板】 2015-12-16 (Wed)


三方五湖近くの梅丈岳山頂に行くにはリフトやケーブルを利用して行きます。

しかし歩きグセがついているので乗り物が並行していても時間に余裕があれば「歩いてみようか」と思います。

そんな思いの人が私を含めて3人いました。いずれも何度か登山に同行したことのある山好きメンバーです。

「片道歩いたのだから800円のリフト券を半額にして欲しいですよね」なぁんて大阪人らしい発想をしながらバスの待つ場所にまで帰ってきました。

駐車場で不思議な看板を見つけたのです。

『山頂へは、山頂公園券が必要です。リフト、ケーブル乗り場にてお買い求めください』と書いてありました。

係員に尋ねました。「どういうこと?」

リフトやケーブルに乗ろうが歩こうが山頂公園に行くためには800円が必要だということらしいです。つまり入園券にリフトやケーブルが付いていると言うことらしいです。

だから「歩いたから半額でエエやんか〜」と言う考えは通用しないのです。ハッハッハ〜やわ!

たしかに美しく手入れがなされているので管理費として必要なんでしょうね。福井県出身の五木ひろしの「五木の園」なんてのもありました。

「かわらけ」を楽しんだり、何と言っても眼下に広がる三方五湖と日本海のシルエットが美しいです。何故かカブトムシのオブジェもありました。子供向けかな?

その子供向けのオブジェに顔を出す67歳のおばさんもいましたわ。旅は楽しんでなんぼじゃわい・・・そんな気分で楽しませて貰いました。


[3828] 【4097回  研修会という名の研修会】  2015-12-15 (Tue)

無事戻ってきました。

参加者が少なく、企画倒れかとも思いましたが中身の濃い親睦会でした。

「研修会と名前を付けるから堅苦しい!」と言う人もいました。

要するに、日頃顔を突き合わせていても挨拶を交わす程度でしかない人たちの「親睦の場」・・・これもりっぱな研修だと思います。

午前中のバスの中は質疑応答、相談、体験談など語ってもらい有意義な時間でした。

高速道路の渋滞を計算するあまり、スーイスイとスムーズに通過・・・色々後に差支えが生じ、嬉しい悲鳴です。

差支えの出たのは、昼食場所であったり、体験教室であったりと時間調整に苦労しました。

そんなわけでコースにはない「瓜破の滝」に寄り道をして(アレッここ・・・来た事あるわ〜)

夏場に冷やした瓜があまりの水の冷たさに瓜が割れてしまったところから名前が付いたとガイドもどきが説明すると「西瓜やったらどうなる?」と質問がありました。

「そうですねぇ・・・それでも、やっぱり瓜破の滝と名前が付いたと思います」

「なんでや?」

「瓜と西瓜を同時に冷やしたとしても瓜の方が先に冷えて割れるからです」

苦し紛れの説明でしたが、へ〜んにみなさん納得してくださいました。(い〜い人達やわっ!)

福井県は塗り箸の生産が90%とのことです。割りばし物語として奈良県吉野の割りばしの話をしました。

吉野杉の切り出した大木から出た廃材で割りばしを作る・・・これこそ環境に優しいエコだと思います。

それなのに、ああそれなのに、勿体ないとか何とか話題になり食堂などが塗り箸に切り替えたことがありましたね。

吉野では家内工業で割りばしを生産しており塗り箸に世間が傾いた時には、とても痛手だったそうです。

そんなこんなで宿に到着し何と言っても楽しみは温泉なのですが旅館の規模の割には小さな湯船に、男性陣は文句タラタラ、汗もタラタラでした。

この旅館、町営らしいです。

旅館に到着してフロントで目にした「朝食を船上でも可能」に飛びつきました。参加人数が少ないと何でも予定変更ができて結構楽しいです。

遊覧船に乗りながら朝食を頂きました。風流で良かったです。

梅丈岳からの眺望はもう少し早ければ紅葉が見事であったと思いますが満足のいく景色でした。

何よりも暖かくてポカポカ天気が良かったです。

「歩いて降りようか?」私を含め3人の山好きが梅丈岳からリフトやロープウエイを利用せず下山しました。食べてばかりでしたので適度の運動になりました。

いろいろ巡りながら渋滞を避けて吹田から近畿道経由で帰ったら何と西九条着午後4時3分!1時間も短縮しちゃいました。

私の任務の「ガイドもどき」は参加者の皆様の暖かい「見守り隊」精神で無事終わることができました。


[3827] 【4096回 書き込みお休みのお知らせ】 2015-12-12 (Sat)


12月13日から14日の2日間「姫のおうち」の書き込みをお休みさせて頂きます。

研修旅行で福井地方にいって参ります。

しばらく「ガイドもどき」をしていませんので、上手くできるかどうかわかりませんが頑張って案内してきます。

そう言えばバスウオークでは毎回、楽しくガイドもどきさせて貰いましたね。

いつだったか、参加者の中に「もとガイド」がいて引き受けてくれたことがありましたがねあまりにも流暢すぎておもろないと・・・・

私のトチリ気味の案内の方が冷やかし甲斐があるらしい。みんなプロ級を要求してないと言うことですね。安心しました。

そんなわけで「行ってきます」


[3826] 【4095回 母の残した言葉】 2015-12-12 (Sat)

私は母とは12歳の時に死別しています。ちょうどいまの孫の歳には母は既に他界していたことになります。

たったの12年間ではありましたが母の口癖を思い出しては、迷った時には軌道修正し67年間生きてきました。

●「蒔かぬ種は生えん」

よく母が言ってた言葉です。すぐに成果が出なくても種さえ蒔いておけば、お母ちゃんが死んだ後でも誰かが手を差し伸べてくれる。

母の死後、母が蒔いた種が実を結び、私達が途方に暮れた時「あんたらのお母さんに世話になったけん」と手を差し伸べてくれた人々が大勢いました。

「死んでから芽出しても遅いわっ!」そんな歪んだ心もどこかにありました。


●「人の持ってる物を欲しがらない」

父の死後(私が9歳の時)、片親だから(今はこんな表現しませんが)経済的に行き詰まるであろう近い将来のために先手を打った母の言葉でした。

「○○ちゃんが持っているから私も欲しい!」とよくせがんだものです。その時の母の悲し気な顔がいまでも浮かんできます。

誕生日もクリスマスもプレゼントをもらった記憶はありませんが正月に新しい服と新しい靴が枕元に並べてあった時は嬉しかったなぁ。

母が夜なべして正月に間に合わせてくれたネルの服。いまは洒落て「フリース」なんて言うけどね。

幼き日、友達が少女雑誌「なかよし」を毎月、決まった時期に買って貰っていました。うらやましくて、うらやましくてたまりませんでした。

その名残でしょうか、今では孫たちに年間購読の本を毎月配達してもらっています。フロクがとても楽しみなんですよね。


●「買い物で迷った時は高価な方を買え」

これはポッチーの母の言葉です。

スーパーで同じ品で値段に差があり、どっちにしようか迷った時は高い方を買えば良い。きっと高いだけの価値はあると思う。「安物買いの銭失いになるな」と教えられました。

いまでは安くて良い品を求めてちゃ〜んと主婦出来ているのはお姑さんの教えがあったればこそ。


●「人が要らんと言う品は貰うな」

これは私の言葉です。笑・・・

人が「要らないからあげる」と言う品を貰ってもきっとすぐに飽きがくるか手放した理由がわかる時がやってくる。

ならば工面して新品を手にした方が満足感が増すのではないでしょうか。

姉のお古ばかりで成長した私は「お古」と言うモードに敏感に反応します。


[3825] 4094回 びっくりポン☆その3】 2015-12-11 (Fri)

昨日の午後急きょ事務所勤務となり午後4時まで仕事をしました。

帰り際にはドシャブリの雨が降ってきて合羽は持っている物の、きっと濡れて帰ると風邪を引くであろう予感がしました。

止む無く、事務所のある会館の自転車置き場に外泊させることとなりました。

朝を迎え午後10時過ぎにバイクを回収にいくと座席の蓋がパックリと開いているではありませんか!「びっくりポン」です。

強風が吹き荒れていて自転車は倒れたとしても座席の蓋が開くはずがありません。

故意に何者かが開けたのです。すぐに写真を撮りました。(ブログに載せました)

中身を点検しましたが、ヘルメットも無事、合羽も無事、諸々の小物もみ〜んな無事でした。

一体何の目的で私の愛車に手をかけたのでしょうか。

息子が残して行ったバイクで年数は経過していますが最近は仕事先に乗って行ったり買い物に行ったりと便利に使っています。

仕事先ではコピー用紙を1箱運んだり、お茶を1箱運んだりと自転車では出来ない活躍をしてくれて、まだまだ現役です。

「コピー用紙の最後の封を開けた人は補充購入して下さい」

「ペットボトルの最後の封を切ったひとは補充して下さい」

事務所で、そうお願いしているのですがいつも何故か私・・・・・

まっバイクがあるから、かよわい女でも運べるんやと思います。

しかし不可解な出来事でした。最近は「びっくりポン」なことばかりです。


[3824] 【4093回 びっくりポン☆その2】 2015-12-10 (Thu)

昨日は梅田まで歩きました。い〜いトレーニングになりました。

今朝も、いつもの公園歩きをする約束をしたのですが。。。。

気がつくと約束の時間を15分も過ぎています。

「あっチャパー!やってもうた!」

慌て過ぎて、ブラもつけず(ブーラブラ)

ドアを開けたら相棒がチャイムを押す寸前で立っていました。

お迎えに来てくれたのです。びっくりポンです!

「寝坊したんかいな?」

「起きてたけどすっかり忘れてたゴメン!」

枯れ葉の舞う公園歩き。。。なんかスースーするわ〜

(原因は。。bura やな)

トレーニングを終えて視線を感じて振り向くと託児所へ行く前の知り合いの母子がいました。

母の顔には笑みがこぼれ子供に「おいで〜」と私が手をだすと、ニコニコと私の手の中に。

笑顔を見て生活が安定している事が伝わってきました。

この親子に、幸せが人の倍、降り注いでくれることを祈りました。

びっくりポンの朝の良い出会いでした。


[3823] 【4092回 びっくりポンっ!】 2015-12-09 (Wed)

近くの郵便局に切手を買いに行きました。

窓口の人が「シールもありますよ」

あまり深く考えずに「じゃあそれください」と買って帰りました。

切手は水分を含んだ海綿か、あるいは舌でペロッと湿らせて貼る物だと思っていました。

ところがシールは違うのです。

めくるとそのまま封筒やはがきに貼れるのです。びっくりポンですっ!

「こりゃあ便利や!」と一瞬思いましたが「まてよ・・・貼るのを失敗したらどうなるの?」

貼り間違いをしたりスタンプが押されずに配達された時の切手は水に浮かばせておいて切手と台紙を分離させます。

分離すれば糊付けして再利用できるのですがシールは出来ないのではないでしょうか?

あまりに便利を追及していると古き良き物が使えなくなりそうです。(せこいって?)

過日テレビの鑑定団で、「亡き祖父が大切に集めていたコレクションの切手を売却したいのですがどれほどに価値が上がっているのか調べて欲しい。」ってのが放映されていました。

購入価格10万円分の切手は鑑定の結果、7万円ほどしか価値がありませんでした。

そう言えばお年玉年賀状の切手シートも度々の値上がりによって、そのままでは使えなくなっています。追加で不足分の切手を購入してペタペタと貼らねばなりません。

いまはメールの時代になり手紙を書く人が少なくなったとは言え何故か不便を感じています。


[3822] 【4091回 山のトイレ】 2015-12-08 (Tue)

北海道の百名山にはテント形の仮設携帯トイレブースが完備されています。

百名山ではありませんが「美瑛富士」には避難小屋がありテント場もあるのですが、トイレがないそうです。

そのためトイレ紙や汚物の散乱が毎年繰り返されているそうです。

トイレ設置は課題も多く断念し、携帯トイレブース導入に成功したそうです。

維持管理については「美瑛富士トイレ管理連絡会」が設立されたそうです。素晴らしいっ!

過日の六甲山系・岩梯子の道中でもペーパーと汚物が誰の目にも触れるところに落ちていました。

簡易トイレを持参するのは当然ですが、よしんば我慢の限界に達した時には、人が足を踏み入れない場所で用を足し、石などで覆っておきたいものです。

ペーパーは持ち帰りが基本です。ティッシュペーパーは使用厳禁です。トイレットペーパーの小さくなったものを芯を抜き携行するといいと思います。

山中で誤って踏んでしまったら最悪です。その後の山行を中止しなくてはならなくなるかも知れません。悪夢です。

時々岩や石の上に動物の糞が乗っかっています。あれはシッポが地面に付くのを嫌がる動物の習性です。(これは可愛いっ!)

おしっこについては「ごめんなさい」と言いつつ、山の中に放出しています。ペーパーはビニール袋に入れて持ち帰ります。

(男性はフリフリだけでOK?・・・キャハハハ うらやましいネ)

北海道の下山口には携帯トイレ回収ボックスが完備されており至れり尽くせりです。それでも尚汚物が散乱しているとしたら「入山禁止」も止む得ないかと思います。

日常から決まった時間に排便をする習慣をしていたらどうでしょうか?山中でもよおす回数が減るのではないでしょうか?

私は便秘性ではありませんが山や旅行に出かけると「糞詰まり」になる体質の様です。

毎朝バナナを1本食べているので快便なのかも知れずなるべく山行でもバナナを食べるようにして出発前に済ます努力をします。

赤石岳避難小屋のトイレはハイテクで清潔で百円では申し訳ないと思うくらいの立派な清潔トイレです。

「維持管理費100円」と書いてあっても投入せずに利用している人が山ほどいます。勿論、きちんと投入している人も山ほどいます。

100円入れても汚いトイレだと「100円が勿体ない」と正直思います。使う人のマナーが悪いのだから管理者側には責任ないけどね・・・

山小屋のトイレのドアは100円を投入しないと開かないシステムはないのでしょうか?

あればノーベル賞対象だね。


[3821] 【4090回 山で出遭う動物たち】 2015-12-07 (Mon)

山で遭遇する生き物には熊の様に生命の危険にさらされる動物がいます。

小さくてもスズメバチの様に一刺しで生命の危険にさらされる生物もいます。

かと思うとチョロチョロとリスやおこじょのように思わず「可愛い!」と思う動物もいます。

人を怖がらない雷鳥も出合うと幸福感いっぱいになります。

六甲山にはイノシシが住んでいて、ときおり人間に被害をもたらすこともあります。

ラジオ体操をしていた老女の指を食いちぎった話はまだ記憶に新しいと思います。

笠ヶ岳へ行く山中で熊と出遭いました。幸いに谷をひとつ隔てていましたので襲われると言う恐怖感はありませんでした。

六甲山岩梯子からの帰り道、登山道をふさぐように大きなイノシシ2頭と出くわしました。川底にはまだ何頭がいるみたいです。

しばらく登山道から外れるのを待ちましたが居心地がいいのか動こうとしません。静かに通り過ぎて被害に遭うか、遭わないか・・・わかりません。

そこへ下から登って来た人が見えました。荷物も持たず身軽なので、多分散歩コースで慣れている様に見受けられました。

大きなイノシシの横を難なく通り過ぎて私達の傍を通り過ぎる時「大丈夫、おとなしいよ」と教えてくれました。

勇気をふるって通過しましたがあの巨体で突っつかれると谷底に転落してしまいます。猛進されると大怪我を負ってしまいます。

目を合わさぬように無事通過することができましたが・・・怖かったです。

山は動物たちの住処です。人間が動物たちの生活圏に侵入して行くのですから「出遭うかも知れない」といつも考えて対処方法を考えておかなければなりません。

熊鈴もそのひとつです。

山中で50匹の猿に囲まれたこともあります。一匹が人間に襲い掛かると残りの49匹は一斉に遅いかかってくるでしょう。

静かに、動物を刺激することなく。目を合わせることなく立ち去るのが一番安全だと思っています。

人間が怖がる以上に動物たちも怖いのです。

但し山中の猫だけは人間の責任です。捨てないでください。最後まで飼う自信がなければ容易に動物を飼わないでください。

猫が勝手に風吹岩や岩梯子までやってくるはずがありません。

飼い主が捨てて行ったに違いありません。だからと言ってかわいそうにと餌をあげることは猫のためになりません。

野生となった猫はネズミや虫などを探して生きて行く力を身に付けなければ登山者が来なくなったら飢え死にします。猫のためにも餌を与えてはいけないのです。

公園のハトも「餌をあげないでください」と書いた看板のすぐそばでパンの耳を与えている人を見ます。

注意すると「年寄りの楽しみだから・・・」それは違うでしょ!


[3820] 【4089階 芦屋から久々の岩梯子へ】 2015-12-06 (Sun)

先週に続き、姪のリエを誘い芦屋から城山を経て岩梯子コースを歩きました。

2009年10月に行ったきりですからじつに6年ぶりの岩梯子コースとなります。

途中までは先週と同じ道を歩きまっすぐ行けばロックガーデン、右手に行けば城山方面へと看板が立っています。私達は右手を取り城山登山口入り口へ。

城山までは標高323mのお散歩コースで、登山口から30分ほどで城山頂上です。ベンチに腰を掛けてマッチ箱の様な住宅街と紅葉した山々の景色を楽しみました。

眼下には芦屋市街がよく見えており先週来た時よりも山が色づいています。

姪のリエには山での歩き方をジョンがレクチャーしながら登ります。そう言えば私が本格的に山を始めたのもリエくらいの歳だったかも知れません。

山をほとんど経験していませんので覚える方も白紙に文字が書き込まれるような新鮮さが伝わってきました。

ストックの使い方など山を経験して自己流で覚えた人の修正はなかなか効果が出ませんが素人のリエには大きな効果が期待されます。

登山口から2時間ほどで岩梯子に到着しました。5人グループが岩梯子で渋滞を起こしており休憩も兼ねて待つことにしました。

七右衛門ーはザックを先に奥に放り込んでから、くぐり抜けるのですが、ここでも先ほどのグループが渋滞をおこしていました。

あのグループの名前は「渋滞グループやなぁ」と勝手に命名し至る所で待つ結果となりました。私達も最初はそうだったから理解はできます。

七右衛門ーは狭くてザックを背負ったままでは通り抜け出来ないためザックだけを先に上に放り込んで空身ですり抜けて行きます。

七右衛門ーのすり抜けはお相撲さんタイプの人は無理〜!私がギリギリセーフでしょうか。(笑)

そのあとは大きな一枚岩の登場です。5人の渋滞グループは大きな一枚岩の残置ロープに全体重を預け危なかしい恰好でを登っています。

登り終えた人がロープをもとに戻さないから登れないとここでも大騒ぎをしていました。

リエには岩の真ん中のくぼみに取り付くのは無理なので左の方の岩と岩の隙間を登るように指示をしようとしましたが振り向くと難なくサッサと登ってきました。

ロープで確保が必要かなと持参していたのですがロープを使うことなく、いとも簡単にヒョイヒョイと登ってきました。「あんたの先祖はサルかも知れないね」

どんな岩場であっても手、足をきっちり見据えて登れば大丈夫。三点確保していれば安全に登っていけます。

帰りには大きなイノシシと遭遇したり・・今回も愉快な山行でした。詳細は後日レポートでご覧ください。