[4260] 【4516回 趣味さえあれば楽し】 2017-04-11 (Tue)

11月の末に御在所・本谷ルートに登山をしてから現在に至っています。

まてよ・・・今年3月には愛宕山にも行ったなぁ。そのくらい山らしい山に登ってないと言う事です。

今は熊野古道を本宮まで到達することに集中しています。

決して山をやめたわけではありませんがいまは熊野古道が楽しいです。

加齢による体力低下も山を恋しがらなくなった原因かも知れません。

「もう一度行って見たい山はどこ?」と聞かれても即答できません。

不思議とアクシデントがあった山の思い出の方が懐かしいですね。

岩手山で助けた長靴青年のことが思い出されます。生きてるはずです。

だって私達が助けた命ですから大事にして貰わないといけません。

早池峰山も雨だったので温かくて天候の良い日に行って見たいと思ったりします。

しかし今はロープウエイで登り、尾根歩きを楽しみロープウエイで下山し温泉に浸かる方が好きかな?

まもなく69歳・・・こんだけ山の思い出があれば充分かな。あとは若い人達の応援隊にまわりたいですね。

熊野古道と言えどもハイキングモードではとても通過できません。

山の経験があったればこそ何事もなくここまで来れたのだと思っています。

古道を歩いている途中、急な斜面が出てこようとも、崖っ淵が出て来ようともためらうことはありません。

メンバーみんな、しっかりと歩いています。山登りの経験は無駄にはなっていません。

この間の藪漕ぎも普通の人ならば躊躇うはずです、。怖がるはずです。

しかしみんな「歩きから山」モードに体制を整えただけで難なく下山できました。

藪漕ぎを楽しむ人達って、ちょっとおかしい人達かも(大笑)

最後の本宮の正しいお詣りの仕方は継桜の宿でメンバーに伝授します。

昔の人達は塩垢離、水垢離をして本宮に参ったのですから私達も気分だけでもそのようにせねばなりますまい。

身づくろいをして、襟を正し、お辞儀は90度・・・・楽しみです。


[4259] 【4515回 サクラ咲く】 2017-04-10 (Mon)

桜の花が一気に咲きました。

無情の雨が降りましたが咲き始めだったため散らずに済んでいます。

近くの公園では植樹して間もない小さな木ではありますが立派に花を付けています。

公園は家族連れで賑わい「ひと家族1本」の割合で点在する桜の木の下でお花見をしていました。

休日はサラリーマン家族に場所を譲り、月曜日は風もなく温かいようだったら年金組の花見と洒落込みましょうかね。

それにしても桜の時期は本当に短いですね。必ず雨が降る。菜種梅雨と言うらしい。

雨で散った花びらは地面にこびりついて掃除が大変・・・

20日の熊野古道に出発するころは散っているのだろうなぁ。

蕾の花と花の合間を縫って行進しているみたいでちょっと残念。

和歌山南部地区の梅の木は花の時期を終え小さな実を付けています。

そう言えば昔・・・会社から大阪城に花見に行ったことがありました。

青年部の人たちに先発隊を命じ場所取りをしてもらったものの、あまりの混雑で後発隊と合流できなかったことがありました。

大阪城まで行かなくても、近くの公園に桜はいくらでもあったのですが・・・

その後の花見の場所は春日出公園に変更して花見遊山を楽しみました。

酔っ払いはマナーが悪いからゴミを残して帰り、桜の花も泣いているのではないでしょうか。

京都ではマナー違反が多くてとうとう夜間照明を中止したところもあるそうです。

便利になったペットボトルやパック弁当・・・昔なら水筒に入れたり重箱に入れたりしたため必ず持ち帰っていましたのに・・

ゴミのポイ捨ては便利さが残した副産物。

ほとんどの公園のゴミ箱が撤収されました。

家庭のごみや犬の糞のポイ捨てが後を絶たないかららしいです。

2泊3日の山行でレーションで出るゴミの工夫をしなくてはなりません。

私は過剰包装の品はあらかじめ開封して必要最小限に包み直しています。

湿気が気にならない食材はサランラップに包んでなるべくゴミの量が小さくなるようにしています。

例えば、ゆで卵は殻を剥きラップで包む、ミカンは皮を剥きラップで包む。何でもラツプにして行けばゴミは最小限で済みます。

山行中、リュックの外にゴミをくくりつけている人を見ますが美的感覚には・・・よろしくない。

自分で出したゴミは自分で持てばコンパクトになります。

出かける前から工夫してみて下さい。


[4258] 【4514回 レポートアップしました。】 2017-04-09 (Sun)

熊野古道其の12「芳養駅(はやえき)から稲葉根王子」

写真とレポートの編集も終わりアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0406haya.html

午前6時36分の紀州路快速は通勤客で一杯です。

揺られ揺られて乗り継いで芳養駅に着いたのは既に午前10時・・・

新幹線ならば、もうとっくに東京駅に着いています。

しかし車内が長く感じたことは一度もありません。車窓から見る景色を楽しみ、友と語らい。

通過するすべての駅を歩いています。懐かしささえ感じます。

優しい顔をしたお地蔵様に合うとホッとします。

名も知らぬ美しい鳥や(写真の鳥の名前知ってたら教えて〜)キジもいました。

今回は5人の山好きが谷越えの「健脚コース」を選んだばっかりに藪漕ぎしちゃいました。

でも登山で培ったノウハウを駆使し滑落せずに見事脱出〜。これもまた楽しい思い出となりました。

思い出を振り返るときアクシデントがあったことを先に思い出します。みんな強いね。

文句ひとつ言わず笑顔で「楽し〜っ!」と言ってくれました。ホッとします。

自己責任で歩いているとは言え、リーダーの背負う責任感は強いね。半端ないね。

次からは2泊3日でゴールへと向かいます。いよいよ熊野本宮の大鳥居が・・・・

登山靴にストック、それに現金少し多めに・・そろそろ思いつくままに荷物をひとまとめにしないとね。

リュックに詰めるのは前夜でないと何度も入れたり出したりする羽目になる〜

宿で温かいお茶を貰うのにペットボトルじゃダメなのでポットを用意しました。

なるべく荷物軽くしないとアップダウンあるみたいだしね。

一度通過した道も通るけど以前は団体歩行のスタッフだったから、こんなに楽しく歩いていないのです。

今は自分が楽しめる、そんな熊野古道が好き。


[4257] 【4513回 熊野古道・其の12】 2017-04-08 (Sat)

「芳養駅から稲葉根王子」まで

青春18切符最後となった4月6日、いつもの電車に乗りました。

平日とあって通勤客で一杯。幸いにもみんな座れました。

多くの乗客は日根野から和歌山の間で下車しています。遠距離通勤ご苦労様。

この日の和歌山地方は「午後3時から降水確率60%」と予報がでていました。

「ランチタイムまで降らなければOK」と、強引に出発しました。

だって青春18切符が10日で使えなくなるんですもの。

芳養駅に降り立つと道路は水たまりがあちこちに。まさに今、降り止んだみたい。ラッキー!

駅前に三宝柑が大きな袋に入って1000円で売っていました。

前回はこの店は閉店してたため購入出来なかったのですがスタートで重い荷物持つのもねぇ・・・アキラメタ。

前回の海辺歩きと違い山間部の歩きが多く、小さな感動はあるものの・・・(前回が良すぎたのね)

訪れる王子は6つ。道分け石の碑で中辺路と大辺路、紀伊路の分岐となり、その瞬間「中辺路」に突入したことになります。

多くの人は滝尻から入るので、この感動は天満から歩いて来ないと味わえないかも知れません。

最終コーナーに入る頃、トンネルを抜ける「一般コース」と山の中を歩く「健脚コース」がありました。

私達は迷わず「王子谷越え・健脚コース」を選びました。5人の山好き人間らしい選択です。

ところが、ところがなのです。多くの人に利用されてないみたいで地図にも「荒れてる」と書いてありました。

しかし昔の人が歩いた道を忠実に再現するならば、やはりこの道なのです。

竹藪の中を倒木を潜り抜けたり、踏み倒したりして荒れまくった道を進みました。まるでジャングルです。

峠から下りになった時、気づかぬ間に道迷いをしてしまいました。その挙句に藪漕ぎする羽目に・・・・。

楽しかったなぁ。これほんまです。単調な歩きが続いたのでジャングル歩きは刺激的でした。

やっと田圃の中に着地し民家の軒先に出たら・・やっぱ・・・犬に吠えられたワンッ〜

稲葉根王子は立派なお社に祀られていました。流石は五体王子です!(藤代,切目,稲葉根,滝尻,近露)

タクシーを呼び待つこと10分、その間にザァーッと大粒の雨が降ってきました。「間一髪」

タクシーに揺られ紀伊田辺駅へ。8分の待ち時間(って言うか電車は既にホームにいた)

アクセスよく大阪に戻ってこれました。次回は2泊3日の最終コースです。

@登山靴で行きましょう。

Aストック忘れずに(熊野古道ではストックはキャップ付きが原則)

Bレーションは自分の分だけ持ちましょう(3日分)

Cお金は余分目に(最低必要経費25,000円)

帰り到着時間によっては「くろしお」乗るかも知れません。(乗りたいな)


[4256] 【4512回 信用ならぬレジの計算】 2017-04-07 (Fri)

「朝の出来事」

「機械は絶対間違いない」そう思って今まで買い物をして提示されるまま支払いをしていました。

私の暗算より機械が正確だと信じていました。

ところが・・・ところがなんです。

パン2個、牛乳180ml1本、ちくわ1本で「1,100円」だと言うのです。

私の頭の中の計算ではどれも単価を100円と計算しても500円あれば釣りがもらえる計算です。

「えっ?」思わずオドロキの声を出してしまいました。

「おかしいのと違う?もう一度計算して」と言うとクライマーを見るような目つき(感じわる〜っ!)

もう一度キャンセルの扱いを一品、一品して再度打ち直し。

それを何故か2度、3度と繰り返し・・

「電車間に合わないよっ!早くして〜」

結局500円で釣りがありました。あのまま支払っていたら倍近く支払いをするところでした。

「しっかりしてよねっ!」

捨て台詞を残して駅に走りました。やっと間に合った・・・。

レジの計算は正確だと信じているみなさん!

「間違っているかも知れない」と疑って自分で概ねの計算をしてレジに並ぶ方がいいですよ。

レシートは必ず持ち帰り(今まではその場で捨てていました)チェックしないといけないなと思った次第です。


「次は夜の出来事」

西九条駅高架下で軽食を取り焼き魚を注文しました。

添えてある大根おろしに醤油を掛け食べようとすると大根おろしのはずなのに大根の塊が・・・・ガリッ

そのまま大人しく何事もなかったようにふるまいました。

皿を回収に来たアルバイトの人に「これこれ、しかじか」と現物を見せて説明していると厨房から店長が飛び出して来ました。

異変を察知してからの手早さはお見事でした。

「ミキサーで大根おろしを作るので誤ってカタマリも混じっていてまことにすみませんでした」と深々とお辞儀をされました。

こうも対処がいいと「アッパレ」ですねっ!


[4255] 【4511回 中学校の入学式】 2017-04-05 (Wed)

「春日出中学校入学式に参列して」

サクラの開花宣言はあったものの、いまだ蕾硬しで薄ら寒く感じる日の4月5日の事です。

午前10時から大阪市立春日出中学校の入学式が厳かに始まりました。

サポセン勤務の傍ら保護司会代表で出席してまいりました。

新入学生 111人、地元の小学校を卒業した初々しい生徒ばかりでした。

新入学生の中のひとりに孫もいたのですが、はてさて気づいたかどうか(み〜んなに内緒でしたからね)

このまま素直に育ってくれれば保護観察等を受ける子供たちはひとりもいないのではないかと感じたものです。

物が溢れ、右を見てもコンビニ、左を見てもコンビニの便利な生活の中で、基本的な躾に欠け、善悪の判断が出来ず

流れに呑み込まれぬ様にしっかりと地域でも見守って行けたらと思っています。

世間では、放任主義の親も多く、家庭の問題をそのまま学校に押し付けるモンスターペアレントが教師を悩ませ、

本来の「勉学中心」の仕事から雑用に終われる教師のご苦労に頭が下がる思いです。

午後からは「全国春の交通安全大会」が開催され自転車マナーについて区民のみなさんに安全を呼びかけました。

寸劇の後は「青い山脈」を替え歌として会場のみなさんで大きな声で歌って頂きました。読売テレビ局も取材に来ていた様子でした。

なかなか好評で知らない叔母様たちが「あんた!おもろかったよ!」と肩を叩いて退場されました。

やはり会場参加型は反応があり手応えを感じることができます。

替え歌・・・歌って見ますか?・・(笑)青い山脈のメロディでね。

@春が来ました 此花に 自転車事故を 減らしましょう 正しい乗り方で 明るい町を 今日も良く みんな笑顔で 元気よく

A自転車乗るとき やめましょう スマホにヘッドホン危険です 会議の帰りの ホロ酔い気分 自転車は押して帰れば 事故はゼロ

B自転車事故をなくすには 車道が原則 左側 ライトをつけてヘルメットかぶり 左良し 右も良しならさあ すすもう

チヤンチャンでした。


[4254] 【4510回 熊野古道其の11レポートアップ】 2017-04-04 (Tue)

「熊野古道其の11「印南から芳養王子」のレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0402inami.html

ミカンの里から梅干しの里にバトンタッチされ「ああ遠くまできたなぁ」と実感できます。

「青春18切符」の期限も迫り、次回の「芳養王子から稲葉根王子」を済ませると滝尻と継桜で宿泊して繋げます。

宿の予約も済ませているので雨でも出かけます。

ハイカーに出会わず静かで快適でしたが中辺路に入るとそうは行かないだろうと懸念しています。

写真を見ながら思い出し笑いをする場面が何度もあります。

70歳超えだと言うのに少年、少女の片鱗を垣間見せる時があります。(笑)

熊野古道を歩いていると誰しもが純粋に「楽しい・嬉しい」が表現できるのかもしれません。

地元の人たちも優しいです。

人をみたら「おはようございます」「こんにちわ」と私達から声を掛けるようにしています。

番犬だけは苦手だワンっ!

一匹が吠えると向こう三軒両隣の犬が吠える・・「うるさい!」と叫びたくなる時もありますがグッと我慢します。

それにしても店が無いですわ。都会はコンビニだらけだと言うのに、みんなどこに買い物に行くのだろう・・・

今週は天気が崩れるらしいのですが6日はどうなることやら・・

昔の人達はゴアテックスもないし蓑笠つけて雨の中大変だっただろうと、またまた「昔の人は偉いっ!」と思ってしまいます。

大きなお世話ではありますが生活の源は何なのでしょうか。

ブランド品の「南部の梅」の製造販売なのかしら?

みなさん心豊かそうで余裕がありそうなので、ついつい気になってしまいます。


[4253] 【4509回 去りゆく人】 2017-04-03 (Mon)

4月は入学、転勤、新入社員と人生の節目を迎える人が多いです。

在職中は毎年この時期はバタバタとしていたことを思い出します。

独身寮への入寮手続き、役所への転入手続き、保険の加入、研修会の準備などなど。

去りゆく人は定年退職以外は悲しい別れとなります。

中には退職して新しい人生の門出を手放しで応援できない人もいる。

同じ職種への転職ならば、ここでもう少し根を張ってみてはどうかと一度は必ず引き留める。

引き止まる人、引き止まらない人、それぞれですが一度しかない人生だから、まるで息子の様に見送ってきました。

まぁ小さな町工場だったからできたことで大手企業なら事務的に事が運ぶかも知れません。

別の職種へ羽ばたき、新たな仕事で頑張ってみると言う者は快く送り出しました。

1年に1度、色々な事情で退職して行った若者の集いがあります。

「鬼の総務」と言われた私がなぜかいつもその席に呼ばれているのかわからないのですが、のこのこと出かけてわいわいガヤガヤと昔話に花を咲かせています。

警察関係の仕事の人で3月31日付けで退職する方がいたので挨拶に出向きました。

私が教育コンクールに出場した時、必ず応援に来てくれて「吉本興業の回し者か?」と高く評価して下さってからなぜか仲良くして頂いていました。

4月7日に脳の手術をするそうで橋本市からの通勤も辛くなるため退職を決意したそうです。

永い間、此花区の安全のためにお世話頂きありがとうございました。

手術が無事成功しますようにと祈るばかりです。


[4252] 【4508回 熊野古道22.2kmコース】 2017-04-03 (Mon)

いゃあ・・・長い距離になるとは覚悟していましたが、ただ歩くだけでなく王子跡への立ち寄りもありヘトヘト。

午前6時過ぎの電車に揺られ、帰りは天王寺着21時29分。

正味8時間30分歩いたことになります。昼食以外はほとんど小休止で済ませました。

午後からのコースは疲れも溜まりはじめ、皆が少しスピードダウンし始めました。

しかし絶景と言う贈り物は「元気」を私達に与えてくれて海辺歩きになった頃は浜辺を走ったり飛んだりと、元気回復していました。

やがて到来する「中辺路コース」に想いを寄せ、頑張って予定通り歩き切りました。

70歳越えとも思えません。

途中でイタドリを数本見つけた時の感動は・・・!書き表せません。

「姫は今日はフワフワして歩いてるね」とみんなにバレちゃいました。それもそのはず数本ではありましたが「季節限定イタドリ姫」に変身したのです。

右目は王子跡を探していても左目ではイタドリ探しに熱中していました。

この様子なら、あと1週間もすればニョキニョキだなぁ・・

桜の開花には少し早かったです。山桜は綺麗に咲いていましたが街中のサクラは南紀和歌山とて、まだ早かったです。

梅林の花も終わり梅の赤ちゃんが沢山枝に付いていました。

ミカンの有田から梅干しの南部へバトンタツチしたことが歩いていてよくわかります。

「青春18切符」もあと1回で終わります。お得感はまとめて最終レポートで計上しますが8000円は下らないと思います。

「青春18切符効果」を利用して、ポーッチーも特別参加して打ち上げパーティをすることにしました。いつの日?

それは熊野大社にゴールした後で決めます。

兎にも角にも「昔の人は偉かった」と言う事を毎回身をもって感じています。


[4251] 【4507回 だれか教えて〜っ!」】 2017-04-01 (Sat)

4月になりました。桜の開花宣言もありました。一気に「春」です。

4月1日は熊野古道・其の11の実施日でしたが2日に延期しました。(和歌山地方は雨の予報)

珍しく「予備日」を決めていたのでメンバーの予定も空いていて良かったです。

「4月16日は見頃?」⇒いったい何の話って思うでしょうね。

奈良県の東吉野郡東吉野村に位置する高見の郷は、高見山の近く約650mの標高の場所に、約1,000本のしだれ桜

咲き乱れている地域です。去年4月16日に満開でした。

「奈良と言えば吉野山、吉野山と言えばサクラ」で有名ですが高見の郷は、しだれ桜のみで1,000本のしだれ桜の名所として有名です。

「天空の庭・高見の郷」に行きたいのですが花が見ごろかどうか・・。

そしてこのころになるとイタドリがニョキニョキのシーズンです。血が騒ぎます!

何としても4月20日から2泊3日の熊野古道ラスト山行の出発前に、しっかり採って落ち着いてから出掛けたいのです。

4月30日には恒例のファミリーイタドリパーティが恒例の場所で開催されます。

親族一同子供も含めて20人ほど・・結構な団体です。

「そんなに沢山採れるの?」心配することなかれです。

イタドリに興味あるのは私と姪っ子達だけであとは無理矢理連れまわされている連中なんです。

亡き義兄の遺言でね「家族みんな仲良くしてやってくれ」って・・・それを守ってるちゅうわけ。

そう言えば・・・この間、甲子園で再会した和歌山在住の友達が言ってましたなぁ。

「同窓会の下見に白浜に同行したらホテルでイタドリの皮剥き手伝わされた!塩漬けまでしてた・・・」って。

そう。思い出とはそんなもん。ただの下見だと記憶も薄れるけど何かインパクトがあると思い出深いもんです。(笑)

松山の友達も言ってたなぁ・・・白浜からの帰り道、生石高原に住む同級生を探しに出かけた時のことです。

「50年ぶりの友達を探して再会を喜んでいたのに誰かはイタドリと蕗採りに夢中じゃった」と。

そう。それも楽しい思い出じゃけん。

イタドリは母との最期の思い出みたいなもので一言一句幼き日の事が蘇ります。

母は「こんまいイタドリは採ったらいかん。雨が降ってまた伸びたら後から来る人が喜ぶけんねぇ」

そう言えばタラの芽採取で地元の人たちが嘆きます。

「町の人は根こそぎ採って行く。ひと芽残してくれさえすればまた芽が出るのに・・・」と。

山菜採りのマナーを守り、自然の恵みに感謝しましょうね。

私は住宅付近の蕗には持ち主有り。イタドリは雑草ゆえに環境破壊しなければ自由に採取できると思っています。

もうすぐ八百屋の店先に山蕗が並びます。どっさり買って「うららちゃんレシピ」で佃煮作ろうっと!

春はいろいろあった楽しいねぇ〜


[4250] 【4506回 予行練習】 2017-03-31 (Fri)

予行練習・・・って、子どもの運動会みたいでしょ?(笑)

4月5日午後2時から区民ホールで開催される「春の交通安全決起大会」において自転車マナーの寸劇をします。

警察署の道場を借りて予行練習をしてきました。勿論ちゃ〜んとシナリオも作りました。

小道具いっぱいバイクに積んで・・・

まるで小学校の学芸会みたい・・・ハハハ。でも真剣です。

出演するからには「なるほど」と自転車の乗り方を改めてもらわないとね・・・

それと委員同士のコミュニケーションにもなるしね。

11月に教育コンクールがあり出場選手を決定しなければなりませんが、どうもメンバーからの選出はないね。

さて、さて、誰にどの役をやって貰うのかから始めました。

いつも誰かが言います「私には無理です」そんなこと言わないでっ!

少ない人数で精いっぱいやってるんだから協力してよ〜っ!

と思ったら、何と積極的に手を挙げてくれました。オドロキです。

アドリブ歓迎でなんとか形になりました。最後に役員で総仕上げをして解散。

当日は会場参加型」で替え歌も用意しています。

歌手は前回に続き「前川清」ではなく「後川清」さんです。カラオケに何度も練習に行かれたそうです。

気合十分!あとは当日の空気に?み込まれないように度胸を付けて!

大丈夫!当日は最初の歌い出しさえ歌ってくれれば会場の皆さんが歌ってくれますよ。

話ばっかり聞くだけでは眠たくなるものね。刺激的にしなくっちゃあ!

春が終われば次は秋の準備・・・もうネタが尽きましたわぁ


[4249] 【4505回 春山(不)安全登山講習・・其の3】 2017-03-30 (Thu)

「登山家・野口健さんのコメント」

29日のテレビにコメンテーターとして野口健さんが出演されていました。

プロ中のプロの貴重な意見なので書き止めることにしました。

@ まず関係者はスキー場での訓練と言っているがあれはスキー場外の国有林での事故である。

A 前の日にも小規模な雪崩が発生している。

B あれは訓練ではなく「山登り」と言える。あそこまで登ったら山頂を目指していたのかも知れない。

C 訓練に適した場所ではない。

D「春」である事「陽があたる」場所であること「樹林帯無し」の場所であること、「30度の傾斜」であること

など、どれをとっても雪崩の起きやすい条件がそろっていた。

E 茶臼山は雪崩の起きやすい典型的な地形である。

F救助隊を待っていては生存率が低い。15分以内で自分達で脱出する訓練が必要である。

●生存率

発生から18分で救助すれば91%助かる

発生から35分で救助すれば34%助かるかも知れない

発生から130分で救助すれば7%しか助からない

今回は通報を受けてから到着までに120分以上かかっているので、たとえビーコンを持っていたとしても生存率は限りなく低かったそうです。

営業終了で閉鎖中のスキー場の従業員は「我々が現地にいたら訓練を中止させていた。いつも雪崩の起きる山だ」

とも言っていました。伝統ある学校行事として54年間続け事故がなかったと関係者が言っていたが現実を見ろってこと。

野口健さんはエベレスト登頂時、クレパスを渡ったすぐそばで雪崩に遭ったそうです。

自分で雪を堀り穴から抜け出した写真を映像で見せていましたが、気管に雪が入りゲホッゲホッと苦しんでいる画像がありました。

高校生たちも雪の中で酸素が失われ意識が遠のき、ついには息絶えたのかと思うと辛い。辛すぎる。

いろいろと批判めいたことを3回にわたり書いてきました。これは同じことを繰り返さないための戒めみたいなものです。

来春、伝統ある学校行事として55年目も実行するのであれば尊い生命が散ったことを無駄にしないでほしいと思っています。

そして、決して山を嫌いにならないようにしっかりと心のケアをして頂きたいと思っています。

                     (おわり)


[4248] 【4504回 春山(不)安全登山講習・・其の2】 2017-03-29 (Wed)

「春山(不)安全登山講習」・・其の2  

27日、栃木県那須町のスキー場で雪崩が発生し、登山講習会に参加していた地元の高校生ら8人が死亡しました。

時間が経てば経つほど、残念で、無念で、可哀そうでなりません。

雪崩注意報の発令された中、登山講習会を開催したことが正しかったの疑問が膨らみます。

死亡した高校生ら全員が、「ビーコン」の不携帯であったことが判明しました。

ビーコンとは、地上にある無線局などから発射される電波を受信し、自分の位置を知らせるものです。

ビーコンを、今回主催者側が生徒たちに持たせていれば助かった生命があったかも知れない。

山岳会で、あるいは個人のパーティで雪山に入るときビーコンは携行品に入っていますか?

山岳会はビーコンの在庫を持ち会員に貸し出す数だけありますか?それとも個人装備ですか?

冬山トレーニングの際、ビーコンの必要性、使い方なども含まれていますか?

いずれにしても冬山を目指す登山者は今回の事故を教訓にして今一度考えるべきだと思っています。

救助にあたった那須山岳救助隊によると「ビーコンは全員つけていませんでした」との事でした。

現場到着してから掘り出すまでは30分ぐらいしか、かかっていませんが

発生してから掘り出されるまでは3時間以上が経過していたそうです。

山岳救助隊によると、「ビーコン」を装着していれば、遭難した場合も早期発見につながる。

本来、冬山に入るのであれば持つべきものだと指摘しています。

警察は、正しい装備をしていたのか、登山講習会を開催したことが正しかったのかなどを、特別捜査班を設置して詳しく調べる方針だそうです

みなさん「ビーコン」お持ちですか?5万円以上からピンキリです。

私は持っていません。だから冬山には行きません。

去年、雨飾山の雪渓で連鎖の滑落をしてから雪が怖くて行けなくなりました。だから冬山は行なくなりました。

「自分は大丈夫!」と思って出かけてみても今回の様なことがあります。

救助隊の方々は遭難者が出れば悪天候でも生命がけで救助に向かわねばならないリスクを背負っています。

荒れた天候の山を見たら、雪崩注意報が出ていれば「中止」する決断がいったのではないでしょうか。残念でたまりません。

今一度、冬山の危険性、装備の見直しをされてはいかがでしょうか。


[4247] 【4503回 春山(不)安全登山講習】 2017-03-28 (Tue)

今年は雪山の事故の報道が少なかったなぁと思っていた矢先・・・

雪崩注意報は出ていたと言うのに県高校体育連盟登山部関係者は何故に強行突破したのでしょうか?

事故が起きてから「想定外だった」と言ったとしても尊い生命は蘇らないのです。

悪天候なので予定を変えて計画には無かったラッセル訓練での事故。痛ましすぎる。危機管理体制はどうなってる?

夜中に積雪ゼロから朝になると何十センチもの大雪だったら素人でも表層雪崩の危機を感じるのに何と言うことか・・・

希望に満ちた青年たちであったろうに・・本人の無念さは勿論ですがご両親の心中を考えると言葉に表せない悔しさがあります。

それも「春山安全登山講習会」のためだったと言うから皮肉。
 
当初は茶臼岳への往復登山の予定を悪天候のため中止してラッセル訓練に切り替えたのだそうです。

悪天候・・・そう悪天候だったんですよ!

茶臼山は冬場でなければロープウエイも通っていて小学校の遠足でも利用する地元の人たちに愛されている百名山のひとつです。

もう4月がすぐそこまで来ていると言うのに京都愛宕山山頂でさえ、まだ雪が残っていて驚きました。

私達はアイゼンを持参していましたが万が一、春の山と思い込みハイキングモードで行けば凍結していれば事故を招きます。

個人山行でも「そこまで要るか?」と思うほどの装備をして登るのに今回の関係者の判断は甘すぎはしないのかと思ってしまいます。

せっかく各地の高校から集合したのだから現場で訓練をしたい気持ちはわかりますが安全登山の机上の講習に切り替えは出来なかったのか?

雪に埋もれて苦しかっただろうに・・・目の前でクラスメートを失った生徒たちのケアをしっかりしないと山が嫌いになってしまいます。

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げご家族の皆様に心からお悔やみ申し上げます(合掌)

※25日の山行「京都・愛宕山」のレポートは下記から

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0325atagoyama.html


[4246] 【4502回 男泣き】 2017-03-27 (Mon)

大相撲春場所千秋楽で稀勢の里が優勝しました。

前々日に左肩を痛めテーピング姿が痛々しい。

脱臼の痛さは身に沁みるほど経験者としてよくわかる。(稀勢の里は脱臼ではなかったみたいね)

滅多に相撲は見ない私でも、千秋楽は夕食の準備を中断して見守りました。

おめでとう!稀勢の里!

国歌斉唱の途中から感極まり男泣きしはじめ、私ももらい泣きしていました。

弟子の高安もテレビを見ながらむせび泣く姿を見て、またまたもらい泣き。

「歌詞の意味がわからん」「今に合わない」などと批評も受ける「君が代」ではあります。

ではどんな曲が取って代われるのかと言えば無い。

理由なく「君が代」が流れると胸熱くなります。

稀勢の里も途中まで歌っていましたがあとは涙、涙でした。

さあ優勝式に入ろうかと言う時NHkは放送終了だと告げた。あと10分延長できないのか?

受信料取ってて、それぐらいのサービスはないのか?

相撲放送はNHkの独断場なのに肝心のところで放送終了〜。

歌を聴きながら胸熱くなる「仰げば尊し」や「蛍の光」は学校の卒業式にも登場しなくなりました。

なぜ?

各学校独自で「お別れの歌」だとか「旅立ちの歌」だとかみんなで合唱しています。

では何十年先、その歌が、そのメロディが心の中に沸いてきますか?

蛍の光や仰げば尊しの様に歌い継がれる曲ですか?

歌詞が古くてもその場にふさわしい伝統の曲ってあるのですが・・・

受け継がれていかないのは悲しいね。


[4245] 【4501回 山らしい山へ】 2017-03-26 (Sun)

ず〜〜〜からっと熊野古道ばかり歩いています。

ジョンが「オレ・・山歩かれへんかも知れん・・・不安や!」

そう呟くものですから「それでは京都・愛宕山へ」と出かけてきました。

メールで「軽アイゼン携行のこと」とあり、ほんまかいなぁと思いつつリュックの底に入れました。

junkoちゃんとは嵐山駅で合流予定でしたが桂駅で合流することができました。

バスの車窓から見る渡月橋あたりは春待ち風景でした。花はなけれどもコートを脱ぎ棄ててのんびり散歩している人達が見受けられます。

愛宕山登山口でもある清滝行のバスは、ほとんどリュック姿の人で席が埋まっています。

ほとんどの人たちは表参道コース方面へ。私達はあのきつい階段の登りを行く気にはなれず月輪寺コースへ。

周りの風景は、さほど変わらず、ただひたすらきつい登りに堪えて汗を流します。

「熊野古道は見どころ一杯やけど山は殺風景やなぁ・・」

そうではありません。百名山を終えたからこそ古道歩きの良さがわかるのではないでしょうか。

頂上を目指すのですが何度来ても三角点に出合ったことはありません。

三角点愛好家としては今回はぜひ三角点をと探すことにしました。

GPS機能を頼りに探しましたが最近起きたであろう岩場の大崩落を目の前にして立ち止まりました。

それらしいフィックスロープと踏み跡はあるものの懸垂下降で降りるには残置ロープがお粗末なので諦めました。

昔ロープウエイがあった頃のなごりなのか小屋や廃車された車などがあり、その広場だけ辺り一面雪景色です。

愛宕山は麓とは10℃温度差があると言われています。

アイゼンこそ履きませんでしたが雪の上を楽しく歩きました。

愛宕神社で最高峰の位置を尋ねると「お賽銭箱の向こう側」らしいです。関係者以外は入れません。

下山コースは表参道コースを選びました。黒門、ハナ売り場、カワラゲ投げなど昔は栄ていたであろう面影をイメージしながらゴールイン。

バス乗に乗り嵐山まで戻ると渡月橋は人、人、人で混雑していました。

いまからお花見シーズンでもっと人で溢れかえるのだと思うとおそろしいです。どうも人込みは苦手みたいです。


[4244] 【4500回 ピカピカの1年生】 2017-03-24 (Fri)

4月にはたくさんの新1年生が誕生します。

ピカピカの1年生が通学する姿を見たらドライバーはより一層の注意が必要です。

就学前に「信号は青で渡り、赤では渡ってはいけません」と教えて貰ったのに、子どものそばを赤信号で渡る大人がいます。

夢と希望に燃えて小学校に入学しています。そんな子供たちの夢を潰さないで下さい。

5歩も歩けば渡れそうな短い横断歩道が此花区には沢山あります。

車が来なければ赤で行きたい気持ちは、よ〜〜くわかります。(失笑)

短い横断歩道は「ボタン式」を採用すべきだといつも感じています。

せめて(せめてではいけないのですが)子どもたちが信号待ちをしている時は大人も正しい渡り方をしませんか?

車も事故を起こしたくて起こしてはいません。突然赤信号で歩いて来たら起こしたくない事故に巻き込まれます。

歩行者が100%悪くてもドライバーは「前方不注意」となるのです。


●就学前にぜひ大人と子供が守らなければならないことの七ケ条
  
 @一緒に通学路を歩いてみてどこが危険個所か教える(「車に気を付けて」と言うだけではなく、どこが危険かを具体的に言う)

 A学校までの安全なルートを決め必ず登校、下校時は、決まった道を歩く。(防犯上にも役立つ)

 B道路を渡る前には必ず立ち止まる。(手を挙げても止まってくれる車ばかりではありません)

 C青信号であっても車が来る「かも知れない」と習慣づける。(来ない「だろう」は危険です)

 D「右見て、左見て右を見て」は首を振るだけでなく車が来ていないことをしっかり見る。

 E渡る時は運転手の目を見てから渡る(ちょっとむずかしいかな?)

 F停まっている車のかげから飛び出さない。

此花区の「春の全国交通安全決起大会」は4月5日午後2時から此花区民センターで行われます。ぜひご参加下さい。

お待ちしています。

 


[4243] 【4499回 春の全国交通安全運動に向けて】 2017-03-24 (Fri)

春の全国交通安全運動が4月6日から15日までの10日間実施されます。

●全国重点としては

@歩行中・自転車乗用中の交通事故防止

A後部座席を含めたすべての座席のシートベルトとチャイルドシートの正しい着用の徹底

B飲酒運転の根絶

●大阪重点

通学路における交通事故防止


就学前の此花区の幼稚園児、保育園児を一堂に集めて交通安全のお話しをする「母と子の大会」が開催されたはずなのですが何故か声が掛かりませんでした。

警察署交通課の異動で申し送りが出来てなかったのかと思いきや、前任者はきちんと引き継いだとの事。。。どこで、どうなったか?

言うたり、言わなんだりは、いかんのと違いますか?

そうかと思えば安全運動決起大会については当たり前のように割り当てがくる・・なんだかなぁ・・・

此花区から1件でも自転車事故を減らしたいと願っている私達地域推進委員は4月5日の安全週間決起大会において寸劇をします。

「こんな自転車の乗り方せんといて〜」バージョンを会場に来られた皆さんに披露しようと思っています。

いつもはグッズを作って披露するのですが今回は人間作戦で行きたいと考えています。

不安がる委員さん達を集めて本番前に警察署の道場を借りてリハーサルをすることになりました。(気合はいってますやろ?・・・笑)

会場参加型で最後はみんなで交通安全の替え歌を用意しました。見てるだけでは退屈するもんね。

曲や歌詞については当日までナイショ・・・

大会当日、雨さえ降らなければ参加者も多いのですが・・


[4242] 【4498回 ハンカチ】 2017-03-23 (Thu)

大阪市内の小学校は22日が卒業式。

「ハンカチ持った?チリ紙持った?」私の時代は出かけに必ず確認もしました。

学校では「爪、ハンカチ、チリ紙」のチェックもありました。

早稲田実業の斎藤投手は「ハンカチ王子」とも言われ話題になりました。

最近何かと注目されているハンカチ。

男性の携行使用率が低いのは昔からでしたが最近では女性の携行使用率が低下しています。

若者が多い街の駅ではハンカチ不使用率が6割に達したそうです。

ペーパータオルやハンドドライヤーの普及によるからかも知れません。

ハンカチを持たない人は濡れた手を髪になでつけたり、手を振って水を切ったり。(笑)

そもそも手を洗わない人もいるみたいです。

身だしなみを指導しているはずの小学校。

「ハンカチ、ティッシュ、爪切り」をチェックする「清潔検査」が最近は実施する学校が減っているそうです。

その理由は、「ハンカチを持たせるかどうかは家庭の問題で、学校に干渉されたくない」という保護者の声。

「忘れた子供が悲しい思いをする」という配慮(?)だというからオドロキ、モモノキ、サンショノキ!。

その結果、カーテンや同級生の服で手を拭いたり、トイレの前がびしょ濡れになっているらしいです。

電車の中で化粧をする女性はハンカチを持っているのか聞いてみたい気がします。

隠れた身だしなみよりも化粧やネイルアートなど外見ばかりに気を配っている女性を是とする最近の風潮にも問題あり。

「外であんまりトイレに行かないし、行ったとしても友達に借りるか乾燥機を使うのであんまり困らない」らしい。

なぜ若い女性がハンカチを持たなくなったのか。三菱電機の広報部によるとハンドドライヤーが原因。

 一方で、ハンカチを持ち歩かないのなら何を持ち歩いているのか。鞄の中身を調査したところ、

袋菓子や香水などを持ち歩いている人がいるほか、正露丸やトランプを持っている人もいた。

濡れたハンカチでまた拭く方が汚いと反論する。ならば2枚か3枚持っていけっ!とおばさんは怒こっているぞっ!


[4241] 【4497回 終わってみれば・・・】 2017-03-22 (Wed)

高校野球の応援も終わってみれば肩の力が抜けた様で・・・

父兄や関係者の心情は如何ばかりかとお察し申し上げる所存です。

旅も同じで企画してから出発までを楽しみ、旅を楽しみ、終われば余韻を楽しみます。

出場が決まってから応援に行くかどうか相談し、待ち合せ場所を決めるまでのワクワク感。

アルプス席入口で第2試合の終わるのを2時間以上棒立ちしても苦にならなかったのは皆が同じ思いだから。

21世紀枠で出場した中村高校は、初戦で敗れはしましたが40年ぶりの甲子園でいくつもの苦境を乗り越え奮闘しました。

アルプススタンドから大拍手を受けたのです。甲子園練習を終えた後、15日から4人の選手がインフルエンザ。

よりによってこの時期か・・と。

宿舎では隔離状態だった時期もあったそうで、4人は開会式は欠席していました。

試合当日は16選手全員がベンチ入り。災いを転じて自分たちの取り組み方で福に変えていました。

しかし前橋育英(群馬)に5対1で敗れてしまいました。初出場で準優勝を果たした1977年の春

そう言えばあの時のヒーロー山沖選手もアルプス席におったらしく新聞記者が必死でさがしていました。

中村の町は静けさを取り戻したのでしょうか。

高校野球は熱心に応援する高校があればアルプス席で応援するのも良し。

別の席で応援する様子を観戦するのも良し。

平穏な日々に、感動と言う刺激をもたらしてくれたことに感謝をしたいと思っています。

秋には同窓会でまたまた故郷を訪れます。懐かしい土佐弁に触れることができます。

4月になれば土佐名物のイタドリが待っておりまするぞ。

雨後の筍の様に伸び始めていると思って楽しみにしています。


[4240] 【4496回 終わった。負けた。】 2017-03-21 (Tue)

高知県立中村高校1回戦で敗退となりました。

応援して下さいました皆様方に心からお礼申し上げます。

メガホン片手に応援しましたので今もまだ手がジンジンしています。手の甲が痛い。

1回の攻撃でデツドボールを食らって一塁へ走りました。

「かまん、かまん、痛いのはお前じゃけん!走れ〜走れ」物凄い応援です(笑)

しかし2点入れられてから少し緊張の度合いが高まったのでしょうか、更に追加点を3点取られてしまいました。

「野球は9回裏から始まる」と言う言葉通り9回で1点取りました。

あの時の耳をつんざくようなあの歓声、ツーアウトだから無理はわかっていても「行け〜!行け〜!行けるちや〜!」

しかし応援の甲斐なく、とうとう5対1で負けてしまいました。

しかし最後に1点を取れたことでみんな大満足の試合でした。

「ありがとう!」グランドに向けて大声で叫ぶ声を耳にしてジーンとくるものがありました。

最後に中村高校校歌を歌いたかったなぁ・・・

帰りの臨時電車の中は四万十カラーのジャンバーでムンムンしちょりました。

「ナイターになるかも知れんけん、その時はみっちゃんくへ泊めたちや」和歌山の友は延長戦になることを想定していたみたいです(大笑)

この日のために松山の坊ちゃんは尼崎に宿をとり、和歌山の友は紀州路快速で大阪入りをしました。

結果は負けましたがチームプレーは最高で有ったと自負しています。

●それよりかブラスバンドに物申す!

何が「海のトリトン」じゃ!「よさこい節」じゃろっ!

パッとせん音楽聴かせよってからに〜、いまいち盛り上がらんかったわっ!

最初から最後まで「よさこい」節バージョンで演奏すればインパクトがあってよかったのに・・・・

●売り子に物申す!

みんなが総立ちになって応援しちょるがに「ビールはいかがですか〜?」ってやかましいわっ!はよぉどこかへ行け!

耳の傍でビール、ビールってうるさいわっ!

もう辛抱たまらんけん「勝ったらタンク毎、買うてあげるからどこかへ行ってて!」そう言ってしまいました。

営業妨害になるかも知れませんね(苦笑)売り子たちも売上制だから必死なのはわかるけど、飲みたい人は買いにいきますよ・・・

ああああ疲れた!

和歌山の君よ、松山の君よ、そして大阪をひとつにまとめてくれた後援会の皆様お疲れ様でした。

楽しい思い出をありがとう!

私が淀川駅で降りる時知らない人から「ごくろうさんっ!」と見送って貰いました。


[4239] 【4495回 いよいよ甲子園に】 2017-03-19 (Sun)

20日は、いよいよ我がふるさと高知県立中村高校の試合です。(第3試合)

わずかばかりの募金でしたが「大阪駅までグッズ取りに来て」と幼馴染からのメール。

トンボ返りとはこのことでグッズを渡すと身をひるがえして雑踏の中に消えました。

「お茶でもしよか」そんな時間もありませんでした。

グッズはブログにアップしましたがジャンバー、メガホン、スポーツタオル、帽子が入っていました。

アルプス席の予備のチケットも入手困難で大阪支部長はてんやわんやみたいです。

四万十市からバス67台・・・多分、四万十市だけでは手配できず高知市や四国県内から集めたものと思われます。

バスに溢れた人たちは自家用車で駆けつけるらしいです。

私は午前10時30分に同級生たちと甲子園駅で待ち合わせをしています。

第3試合は午後2時からだと言うのに、居ても立っても居られないのがみんなの気持ちです。

郷土愛が強いなぁと言われますが私の故郷ですもの・・・

四万十川の清き流れをイメージしたジヤンバー着て頑張って応援しましょうかね。

皆様、どうぞテレビで応援高がダブっていなければ中村高校をよろしくご声援くださいませ。


[4238] 【4494回 お彼岸のお参りに】 2017-03-19 (Sun)

毎日あわただしく時間が過ぎております。何が多忙なのかわかりませんが日々予定をこなしています。

ポッチーの回復訓練も兼ねて西九条公園の梅を見に行きました。白色は満開でピンクはこれからの様です。

じつは・・・梅を見に行くのが目的ではなく隣の人が入院しているので見舞いに伺ったんです。

病名も何も知りませんが2週間ほどで退院だと言ってたので、そんなに重度の病気ではないだろうと見舞いに行くことにしました。

最近は部屋番号を聞いて部屋に行くのではなく看護師が患者に許可を取ってから部屋に通すか談話室で話すか決めるのです。

部屋の入口の名前はどの部屋にも掛かっていません。個人情報を守るためらしいです。見舞いもままならぬ時代となりました。

見舞いを終えて「一心寺に行こう!」と突然思い立ちました。

お彼岸の中日は歩くことが出来ないほどに満員となります。

しかし彼岸の中日ではないのに沢山の人達でした。線香の煙で境内はかすんでいました。

大阪駅から一心寺まで初めてバスを利用しました。(いつもは地下鉄利用)

地下鉄だと階段をポッチーがハァハァ言うので大阪駅からバスを利用してみました。

時間は電車の倍かかりますが住吉車庫行に乗り「四天王寺西門前」で下車すると5分もかからず一心寺に到着です。

帰りもバスを利用しました。急ぐ身でなければ流れゆく町並みを見物できて楽しいです。

小さな子供を抱っこヒモで抱え荷物を両手に持ち、料金を支払ったところで母親が子供の靴が片方抜けていることに気が付きました。

「靴がありません・・」近くにいた乗客が一緒になって探しても見つかりません。

「バスの中と違うのでは?」そう言う人もいました。

「どこに座っていたの?その場を探して見たら?」そうアドバイスすると既に別の乗客が座っている椅子の下をのぞき「ありました〜!」

ひとこと「ありがとうございました」って協力してくれた乗客に言ってから下車してほしかったなぁ・・・

乗客の模様も楽しいものです。

一心寺は宗派を問わず、納骨をお受けしてくれます。

納められたご遺骨は10年分をひとまとめにしてお骨佛を造立することで有名です。

一心寺の納骨堂には現在7体のお骨佛様がお祀りされています。

29年3月、まさしく今年が10年に1度の骨佛の建立年にあたるのです。

生前の本人の希望で「賑やかな一心寺が良い」と言い残す人達が増えているそうです。


[4237] 【4493回 レポートアツプしました】 2017-03-18 (Sat)

熊野古道其の10「御坊から印南」

だんだん熊野本宮に近づくにつれ、御坊駅スタートが午前11時と信じられない時間となりました。

3時間以上かかりますので次回からは始発に近い電車を利用です。

今回は峠の無いほぼ平坦なコースでした。ただ寒の戻りとかで強風に耐えての歩きでした。

大阪天満を出発してから初めて海を見て感動しました。

随分遠くまで来たものです。レポートもアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0315gobo.html

マピヨンのキョリ測は1/1500でご覧いただくと立ち寄りポイントがわかります。

早咲きの桜の花もボツボツ咲き始めました。モクレンが綺麗に咲いていました。

今回のコースには道標が全く無くて木製の見落としそうな小さな看板だけでした。

通過する市や町によって力の入れようが様々であることがよくわかります。(財源の差もあるかも)

写真で熊野古道を楽しめるように沢山、沢山撮りました。

上下に「窓」を付けてコースの振り返りが出来るように工夫しました。

これから熊野古道を歩かれる方のために費用もしっかりとメモしています。

しかしここまで誰一人として熊野古道を歩いている人に出会いません。みんな中辺路・小辺路などに集中しているのかも知れませんね。

無人販売所にはミカンの他にネギ、ほうれん草などの新鮮な野菜がありました。道中長いので購入できませんでしたが・・・ザンネン!

次は印南駅から南部を越えて芳養駅まで頑張る予定です。



[4236] 【4492回 海への憧れ】 2017-03-17 (Fri)

熊野古道を歩いていたら、とうとう海の間近を歩くコースに突入しました。

磯の香が風に乗って私の頬に当たります。

時折「これでもかっ!」と強風が帽子を吹っ飛ばすこともありましたが苦になりません。

私は山と川に囲まれた環境の中で幼少期を過ごしました。

海の存在は教科書でだけ知っていました。

小学校の遠足は決まって「海を見に行こう」でした。

小学校時代はバスに乗って、中学になると山越えで歩いて行ったらしいです。(らしい・・・とは中学校時代は私は大阪)

遠足の時だけ白米の弁当を作って貰えて嬉しかったものです。

亡き恩師が「あれが地平線、海は広いじゃろ?」・・今でもあの時の感動は忘れません。

「せんせい!海の水は塩辛いって本当?」と質問すると、舐めて来いと言われて海の水を飲みました。

ゲホッゲホッとしていると「バ〜カ!飲めとは言うてないぞ、舐めろじゃ」そう笑っていた恩師の手は私のおかっぱ頭の上に優しくのっかっていました。

大阪から故郷に帰省する時、土讃線に乗ると上川口駅あたりで海が見える場所があります。

列車の窓にペターンと顔を付けいつまでも海を眺めるのが好きでした。

海が見えたら、まもなく中村駅なので網棚から荷物を下ろして下車準備をしたものです。

だからいまでも海を見ると初めて海と出合った時のことが懐かしく思い出されます。

熊野古道を歩いた昔の人々も山越えをして目の前に見える海を見て本宮が近くなったことに感動したのではないでしょうか?

道端で旅人を見守る無数のお地蔵様が立っています。

何百年いいえ、なん千年の昔から同じ場所で町の人や旅人の安全を見守っていてくれるのかと思うと自然と手を合わしています。

熊野本宮到着はひとつの目的で、道中のこの祈りを味わうための街道なのかも知れません。

お遍路さんも、ひたすら歩いて八十八か所巡っていますが寺での祈りに加えて道中の苦難修行も含めて祈りなのかも知れません。

あれ〜っ・・・junkoちゃんに神がおりてきたと言うてたけど言ってることが少々、神懸って来たか?

これから先には千里の浜辺を歩くコースもあり楽しみです。


[4235] 【4491回 熊野古道其の10御坊から印南】 2017-03-16 (Thu)

おおお・・・もう10シリーズも歩いたのかぁ!

御坊駅までは和歌山駅で乗り換え、湯浅駅で乗り換えなければなりません。

ホワイトデー明けだと言うのに寒波襲来で湯浅駅で電車を待つ間、凍えそうでした。

階段を利用して風よけをしていると駅員さんが来たので「待合室を作ってほしいですわ」と言うと「すみません」と消えて行きました。(笑)

そこへ90歳超えの婆様が一人旅で待っていました。

1人暮らしだと言う婆様の話相手はjunkoちゃんが担当しました。

加古川から乗り継いで紀伊田辺まで行くのだそうです。(那智までって行ってたかな)

とにかく物知りで話の中には弁慶や宮本武蔵まで出てきました。

驚くことに「青春18切符」を利用しているのだそうです。

90歳過ぎですよ・・・一人旅ですよ・・・

ジョンが「荷物を持ってあげましょうか?」と声を掛けましたが「結構です」とシャンとしていました。

(持ち逃げされるとでも思ったか?・・ハハハ)

御坊駅で合流となりましたがもう既に11時を過ぎています。

だんだん出発時間が遅くなるので次回から、もう少し早目の電車に乗らなければと思っています。

強風の中の海辺歩きは辛かったですが雨に遭わずにラッキーだったとみんな前向きです。

「神様がおりてきたかも〜」junkoちゃんが、そう言います。

熊野古道沿いのお地蔵様に出会ってから心がおだやかになったのかも知れませんね。

ずーっとこの現象が続きますように!

和歌山は春が来ています。サクラが咲き、ツクシが顔を出し、桃の花のつぼみが大きく膨らみ、モクレンの花が満開でした。

昔の高貴なお方の行列も同じように和歌山の自然を楽しみながら本宮に向かったのかと思うと感慨無量です。


[4234] 【4490回 終活のはなし】 2017-03-14 (Tue)

最近よく耳に入ってくるのが「就活」ではなくて「終活」

過日テレビ番組で芸能人の話に興味を持ちました。

子どもはおらず夫は74歳、妻は62歳。

1年前に夫が大病をしてから「終活」を考え始めたそうです。

@アルバム、写真の処分・・これらの品は残された家族は捨てられないらしい。

この夫婦は専門業者に有料で廃棄処分を依頼したそうです。

A絵画などの趣味の品の処分・・趣味の枠は本人だけが良いと思っている場合がある。

この夫婦は友人知人に欲しいという人がおれば価値のあるときに譲ったそうです。

Bお葬式はやらない。偲ぶ会もしない。

延命装置はいらない。お互いが元気な時に、そう決めているそうです。

C自分達の入る墓は自分達で作る

生前中に墓地を決め「〇〇家の墓」と言うのではなく夫の親族の墓、妻の親族の墓を合祀する。

終活アドバイザーが言うには(こんなアドバイザーおるんやね)亡き人達の思い出の品々は

残された家族に取ってはどうしていいのか処分に困るので、

出来れば生存中に「終活」した方が良いとのことで我が家では去年ポツチーが心肺停止になり奇跡的に目覚めた時から

自分達の最期については互いに話し合い息子と嫁にも話しています。

まもなく70歳に手の届く年になります。どこから見ても「老人会に勧誘」の声がかかりそうです。

しか〜し・・・春になればクライミングをし、夏になれば山に登り、実年齢より少しだけ若くて元気な年寄りでいたいと切望しています。

我が家では去年のポッチーの心停止の折りに家族で確認済みで、元気な時に笑いながら

話し合える場が持てたら一番いいと思います。


[4233] 【4489回 2日目のレポートアップしました】 2017-03-14 (Tue)

「熊野古道其の9 湯浅から御坊」2日目のレポート

湯浅に宿泊し御坊まで歩いたレポートをアップしました。

レポート作成は、なかなか大変な作業ですが「思い出集」として頑張っています。

のんびりしていると次の予定が入ってきて混乱すること間違いなしです。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0309yuasa.html

レポート最後の「マピオンのキョリ測」は、1/1500でご覧いただくと足取りががよくわかります。

私達が歩いた足跡でもありますが、これから熊野古道を歩きたいと言う方の参考になればと思います。

いつも思うのですが和歌山県発行の地図やガイドブックだけでは迷わずに辿ることは無理だと思います。

とても良くできていますが「マピオンのキョリ測」には勝てません(笑)レポートの最後(左下)に添付しています。

そしてGoogleにも助けられています。

出発までの行程として、ひとりがGoogleを動かしながら読み上げ、ひとりが速記していきます。

それを当日の歩行地図にしています。(道成寺の道迷いは私のミスでGoogleには罪はない)

今迄15回中の9回終了していますが、大きな道迷いはなく順調です。

4月の中旬に予定している2泊3日のコースは滝尻や継桜の宿は既に予約で一杯だと言われました。

何とか四方八方に手を尽くして確保しましたが台風でない限り雨でも宿泊付きの場合は決行したいです。

(熊野古道・中辺路あたりは旅行社がツアーを組んでおり個人の予約は難しいと感じました)

ここからのコースはウオーキングシューズを登山靴に替えて登山モードで行きたいと思っています。ストックも!

ゴールの明かりが遠くに見えてきた気がします。

いまから海辺の素敵なコースを歩きます。とても楽しみにしています。

ただ・・出発駅が、だんだん遠くなりますので午前11時や12時出発となる場合もあり悩むところです。

熊野本宮大社へのゴールを目指して今日も地図やコース説明とにらめっこです。

明日15日は「御坊から印南」を予定しています。






[4232] 【4488回 レポートアップしました】 2017-03-13 (Mon)

「熊野古道其の8「紀伊宮原から湯浅」

早いアップをモットーとしている我々ですが・・レポートアップしました〜!(早くしないと記憶が薄れるからね・・笑)

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0308miyahara.html

とにかく・・・写真が多いっ!

どれもこれも捨てがたく編集していると、こんなに沢山になってしまいました。

熊野古道のアルバムだと思って見てくださいね。

見どころは、逃がさない様に収めているつもりです。

今回は何と言っても重い足を引きずりながら電車に乗るストレスはありませんでした。

だって・・・たった8q歩いて「お泊り」なんですもの。

しかし湯浅から続けて歩いても、ほどよいところで鉄道は無し、ならば泊まっちゃおうかと意見が一致。

だって素泊まり4,000円だから電車代より安いのですよ〜!

食事だって夕食1200円美味しいお刺身付きですよ。朝食は700円と格安!湯浅名物も付いていた〜!

旅は上手にするもんだとつくづく思いました。お金は持って死ねないもんね。使っちゃえ、使っちゃえ〜!

去年の夏、利尻登山を終えて、北海道から函館、支笏湖、登別、青森、松島、能登・和倉等々に泊まって10万円だったんです。安いよね〜

車で廻ったことで旅費の節約になって・・しかも乗車人数割りだからね、安くつくよね〜。

1泊で10万円の宿に泊まったところで思い出にはそんなに差はないと思っています。

湯浅で宿泊したおかげでシロウオの四ツ手網漁を目と鼻の先で見学できました。

あれは感動したなぁ・・・

あんなに重労働して網を引き揚げても15匹から20匹ほどしか獲れてないのです。料理屋で食べると高いはずです。納得です。

ミカンとて、腰の曲がった爺さん、婆さんが、せっせと肥料をやり手入れしてやっと実ったミカンだもん、ありがたいと言う気持ちをこめて食べなくてはと思いました。

熊野古道を歩いていると、色々なことを学ばせて貰えています。

今後も続けるためには足腰しっかり鍛えておかなくてはと思っている今日この頃です。


[4231] 【4487回 昔の人は偉かった】 2017-03-12 (Sun)

熊野古道を本宮に向けて進んで行く度に「昔の人は偉かったなぁ」と、つくづく思います。

今の様に優れた靴があるわけでもなく、雨を通さない合羽があるでなく、機能性の良いリュックがあるでなく・・・

途中の資料館などに立ち寄ると当時使われていたと言う駕籠が展示されていました。

「えっ?この中に高貴なお方を乗せて?」驚くほどの狭さです。クッション性なんてなかったと思います。

後ろと前を2人か3人がエッホエッホと担いだ光景が目に浮かんできます。

これでは1日にわずかの距離しか進めなかったのではないでしょうか。

だからこそ熊野古道沿いの旅籠や茶屋が賑わったのでしょう。

「ここから駕籠を馬に乗り換えて」の場所もありました。

峠越えは駕籠では絶対無理です。

かと言って「ここから歩いて下さいとは高貴なお方には言えなかったんでしょう。

糸我峠の茶屋では峠に到着し休憩する人達にミカンを出したと書いてありました。

和歌山特産のミカンは今も昔も旅人の喉を潤したことがわかります。

湯浅の町では鉄道の無い時代は水路を利用して湯浅醤油を船で運んだとありました。

速度を上げて、どんどこ前に進むのもいいですが、たまに休憩をして町の散策も楽しいものです。

山登りでも一心不乱に登りタイムを自慢する人がいますが足の遅い我々には「楽しいのかどうか」疑問に思うことがあります。

交差するときの挨拶も、そこそこに、とにかく頂上まで何時間で着いたとか所要時間を小屋で自慢をする人がいます。

そんな時は自慢屋さんとは距離を置くに限ります(きゃははは)

ひとそれぞれに登るスタイル、歩くスタイルが違います。

勿論体力も年齢もちがいます。目的も違います。

私達は「山小屋に3時到着」と目標を決めれば到着までの時間配分をゆっくり取りそれ以上早く着く意味はない。

写真を撮りながら、鳥のさえずりに足を止め、湧き出る水に触れてみたりと自然を楽しむのも山登りの楽しみのひとつです。

「汗をかかず、息を切らさず、正しい山歩きで歩を進む」

これが高齢者ノロガメ隊のスタイルです。


[4230] 【4486回 熊野古道 其の9】 2017-03-11 (Sat)

熊野古道其の9・・・2日目

朝食を済ませ、民宿を午前7時30分に出発。

大阪からだとまだ天王寺駅当たりを走っている時間です。

民宿のすぐそばにある久米崎王子は、前日にを訪れていましたので寄らずに通過。

広川インターチェンジの中にある王子を皮切りに6つの王子を巡り23kmにおよぶ長丁場です。

天候にも恵まれ順調に王子巡りをし、熊野古道の難所とも言われる大峠(鹿ケ瀬峠)もクリアー。

いつもの如くGoogleで調べた説明文に沿って歩いて行きました。

いよいよ最後の王子「九海女王子」のある道成寺に向かうだけとなりました。

結論としては「九海女王子は無くて海女王子のことらしい」

終盤になると疲れもたまりダラダラと歩くことを防止するために

やや急ぎ足でみんなを引っ張っていくトップ役を仰せつかりました。

竹藪の中にある愛徳山王子を出て1本道をまっしぐらに何の迷いもなく30分以上歩いたかと思います。

30分も歩いた後に「この道間違ってない?」と指摘を受けGPSを見て驚きました。

とんでもない方向に歩いていることが判明しました。1本道のためどこで間違えたのかわかりません。

右に道成寺の朱色の屋根が見えていたのにおかしいなと思ったらしいです。

もう平謝りに謝るしかありません。「30分以上ロスしたね」その言葉に涙がポロリ。

みんな疲れているのに私のミスで30分以上も余分に歩かせてしまったと言う事です。

(帰宅後ロスをした距離を調べたら片道800m往復で1800mのロスタイムでした)

みんなに見つからないように涙を拭きましたが道成寺に到着してからも立ち直ることは出来ませんでした。

道成寺の境内は一歩も散策する気力はありませんでした。ただトイレに行っただけ・・・

昨夜「安珍清姫物語」を朗々と説明して楽しみにしていたはずなのですが・・・

その後もずーーーーっと尾を引いて海女王子跡から更に進まなければ行けなかったのですが左折してしまいました。

そのためにみんなに危険な車道歩きをさせてしまうことになりました。

重い足を引きずるように御坊駅に到着です。

私が道成寺への道を間違わなければ4時台の電車に軽々と乗れたはずなのですが30分以上のロスタイムは大きかったです。

本当に申し訳ないことをしました。ごめんなさい。


[4229] 【4485回 熊野古道 其の8】 2017-03-10 (Fri)

熊野古道其の8と其の9は湯浅で泊まり無事戻ってきました。


「まずは第1日編」・・・紀伊宮原から湯浅まで

紀伊宮原から湯浅までの間には2つの王子しかなく、もっぱらみかん畑の中を歩きながら自然を楽しむ感じでした。

道中にある案内板を見ながら史跡めぐりといった感じでしょうか。昼には湯浅の町に到着していました。

湯浅の町を散策すべく事前に調べていた観光スポツトを廻りました。

レンタル自転車を借りるまでもなく歩いてアッと言う間に見どころを散策終了です。

湯浅の町には観光客はおらず、さりとて地元の活気もない町でした。

食事場所を探すにもシャッターが下りていたり、廃屋であったり休業日であったりと散々。

やっと見つけたまともな店は「本日貸し切り」でした。

湯浅の町はいま「しらす料理」を売りにしているみたいです。

やっと見つけた食堂に入りましたがお世辞にも「美味しかった」と言える店ではありませんでした。

お喋り好きの店主は久しぶりに入った客へのもてなしか喋っている間は手が停まっている気がするほどでした。

「しらす丼」を注文したjunkoちゃんと靖ちゃんに味の感想を聞いたところ・・・????でした(笑)

残りの人たちは無難な「うどん」キャハハハ

宿にリュックを置き広川で解禁になったばかりだと言う「しらす漁」の見学にいきました。

川沿いは風がつめたくて早々に引き上げましたが地元ならではの風物詩の見学ができて良かったです。

格安料金の宿でしたので期待はしていなかったですが、ところがどっこい!

料理がおいしくて大満足でした。

豪華な宿に泊り味気ないバイキングを選びますか?。

それとも、ひなびた宿でも料理が旨くて格安宿を選びますか。

熊野古道コース上にあり翌朝の行程にも非常に便利な宿を選んだことが、今回の湯浅の町を満足にさせてくれた鍵でした。


[4228] 【4484回 行ってきます】 2017-03-07 (Tue)

「またどこ行くの?」近所のおばさんに捕まったら聞かれそうです。

8日(水曜日)は、早朝6時55分のバスに乗って西九条駅へ。

ご近所さんは、まだ寝ているかラジオ体操から戻っていない時間なので捕まらずに済みそうです。

前回のゴール地点の紀伊宮原駅に向けてこの日も同じ時間の同じ車両に乗り込みます。

宿泊予約をしていますので雨が降っていても出発します。

3月8日は紀伊宮原から湯浅まで歩きます。

湯浅の熊野古道の近くに「てまり」と言う民宿を見つけました。

翌朝の出発にとても便利な場所です。

3月9日は湯浅の宿から御坊まで歩きます。

御坊迄は約23kmとすこし長い距離を歩きます。

大阪からの移動時間が短縮されますので時間的には余裕があると思っています。

そんなわけで3月8日と9日の書き込みはお休みさせて頂きます。

もうすぐ「中辺路コース」に突入です。

観光スポツトでもあり、ツアーコースでもある中辺路は見どころも沢山あると思います。

まもなく新緑の季節になると苔むした石畳も更に美しいのではと期待するところです。

ではいって参ります!

戻って3月10日は春の高校野球の抽選会が行われます。

どうぞ・・・・私の予定と重複しません様に!

甲子園に出向き、中村高校の応援をしてあげたいです。

ひょっとしたらアルプス席に誰か知り合いがいるかも知れません。

みなさ〜ん・・もし応援する高校が対戦相手でなければ「高知県立中村高校」の応援をよろしくお願いします。


[4227] 【4483回 安珍清姫物語】 2017-03-07 (Tue)

誰もが知る安珍清姫物語ではありますが、何度見ても面白い。

次々回に訪れる熊野古道のコースに道成寺があります。

知ってて訪れるのと知らずに訪れるのでは面白さが違ってきます。

ではしばし「安珍清姫」の世界へ・・・・

『妻に先立たれた清姫の父、真砂の荘司「藤原清重」は、ある朝散歩の途中黒蛇に呑まれている白蛇を見て、憐れに思い助けました。

数日後、白装束の女遍路(白蛇の化身)が宿を乞い、そのまま清重と夫婦の契を結び「清姫」が誕生しました。

「清姫」が13才の年、毎年熊野三山へ参拝の途中ここを宿としていた奥州(福島県)の「安珍」16才は、

みめうるわしい「清姫」の稚い頃より気をとられて行く末はわが妻にせんとひそかに語られ姫も真に受けて「安珍」を慕っていました。

ある夜「安珍」は、障子に映った蛇身の「清姫」をみてしまい、その物凄い形相に恐れをなしたのです。 

それとは知らぬ姫は思いつめて遂に胸の内を語り、いつまでも待たさずに奥州へ連れて行ってほしいと頼みました。

「安珍」は突然の申し入れに大いに驚き、これはなんとかして避けようと思い、「我は今熊野参拝の途なれば、必ず下向には連れ帰る」とその場逃れの申し訳をされ熊野へ向かいました。

姫はその真意を知らず、「安珍」の下向を指折り数えて待ちわびたがあまりにも遅いので旅人に尋ねると

「あなたの申される僧は先程通られ、早12〜3町も過ぎ去られた」と聞くや、さては約束を破り道を変えて逃げられたのだと察しました。

「潮見峠」まで後を追い、杉の大木によじ登りはるかに望めばすでに田辺の会津橋を渡り逃げさる「安珍」を見て瞋(いかり)に燃え狂い、杉の枝を捻じ曲げました(現存の捻木杉)。

そして、生きてこの世でそえぬなら死して思いを遂げんと立ち返り、荘司が淵に身を投げました。

その一念が怨霊となり、日高の「道成寺」まで蛇身となって後を追い釣鐘にかくれた「安珍」を七巻半して火炎を出し焼死させて思いを遂げました。

その後、里人達はこの淵を「清姫淵」と呼び、魂を慰めるため碑を建立「清姫の墓」として供養を続けています。

また、墓に登る階段も「七巻半」に因んで「七段半」に作られています』

この話を思い浮かべながら「御坊〜印南コース」を歩き「清姫草履塚」を見れば意味深いものになると思っています。


[4226] 【4482回 旅の土産】 2017-03-06 (Mon)

「みやげはいらんからね」

熊野古道を歩いていて紀伊宮原駅のゴール近くで無人のみかん販売所がありました。

「100円」の袋の中には大小さまざまな「キヨミ」と言う品種が8個以上入っていました。

ゴールの駅も見えたことだし、みんな家人のために土産に買い込みました。

勿論私もポッチーのために買いましたよっ!

ところが、自宅に戻りみかんを剥いて出したところ・・・

ポッチー曰く「今度からもう土産は買って帰らなくてもいいからね」

おだやかで優しい口調ではありましたが「んっ?まずかったってことか?」

私も一口食べてみましたが・・・・・・・・・・。(想像してね)

酸っぱいのが好きな人には良かったかも。嗜好品はひとそれぞれ違うからね。

現地で美味しそうな食べ物に出合った時は試食してから購入しないといけませんなぁ。

ホテル等の売店の試食コーナーはそのためにあるんやね。

気に入ったら買うてってと言う事やね。

買う気ないのに片っ端から試食せんとこなっ!(それ・・わたしです)

四万十の帰りに道の駅で買った「土佐分担」は重かったけどおいしく頂きました。

みかんの7割が皮のため重たいのですが故郷の懐かしい味がします。

四万十に帰ると必ず買うのが「筏羊羹・塩けんぴ」あっ夜食の土佐寿司も忘れずに!

正月に食べた贈り物の愛媛産の高級品「紅まどんな」は死ぬまでにもう一度食べたいミカンです。

さて次回のコース湯浅では、どんな土産物がおでましなのでしょうか。楽しみです。


[4225] 【4481回 熊野古道・中休み】 2017-03-05 (Sun)

「湯浅の町で1泊・中休み」

熊野古道「大阪天満から熊野本宮」までを歩くと決めて既に7回も往来しています。

大阪天満をスタートして紀伊宮原まで118km進んだことになります。

湯浅の7、2キロメートルをくわえると125km。

次に繋げるには御坊迄の30kmは長すぎるため湯浅でゴールし中休み。

湯浅までの短いコースを組み込み湯浅の町で1泊することにしました。

多分、昼にはゴールできるはずです。

宿に入るまでの時間をどう費やすか目下、ロダンです・・・考え中ってこと)

(正直・・・あまり歩き回りたくな〜い!)

湯浅駅前多目的広場でレンタサイクルをやっています。

無料で自転車の貸し出しを行っているみたいです(10台しか無いらしい)

楽にゆったり自転車で町並み散策もいいかなと思ったりしていますが他の人がどういうか・・・。。

または、湯浅について深い知識を持つ「湯浅ガイド協会」の語り部さんと歩く湯浅の町ってのもいいかも知れませんね。

散策その@ 道町の立石道標 高さ2メートルもあり夜にはライトアップされます。

散策そのA お休処 立石茶屋 立石道標の対角に建つ江戸後期の町家を改修した休憩所です。

散策そのB 北の町老人憩の家 湯浅を訪れる人たちのために湯浅の歴史が学べる年表や絵図・古写真を展示しています。

散策そのC 湯浅伝建地区休憩所岡正 元は「岡正」という屋号の酒店でした。

散策そのD 北町ふれあいギャラリー 昔懐かしいたたずまいを見せる休憩所を兼ねたギャラリーです。

散策そのE 太田久助吟製 江戸末期から戦前までは醤油醸造業を営んでいました。現在は金山寺味噌の製造、販売

散策そのF 大仙掘 かつては醤油の積み出しふ頭だったところです。

湯浅の醤油はここから全国へと運ばれてゆきました。石積みの堀と建ち並ぶ醤油蔵が湯浅らしい風情を醸し出しています。

散策そのG 角長 醤油醸造の老舗です。職人蔵には醤油醸造に用いられた昔の道具が展示

散策そのH 歴史資料館 甚風呂 幕末から昭和60年まで営業していた銭湯です。

以上が私の調べた湯浅の町の観光マップでした。


[4224] 【4480回 レポートアップしました】 2017-03-03 (Fri)

熊野古道 其の7海南〜紀伊宮原のレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0301kainan.html

やっと熊野古道・和歌山らしいコースになりました。

写真も沢山撮りました。

レポートは写真集だと思って振り返っています。

「楽しそうやなぁ行って見ようか!」と思われた方ぜひどうぞ!

しかしこのコースは3E「つらい、きつい、しんどい」が待ち受けていますので、いざ覚悟で行ってくださいませ。

色々歴史的なことがわかって面白いですよ。昔の人は偉かった!

地元の人も物珍しいのか気さくに話かけてくれます。

レポートの左下部に地図「マピヨンのキョリ測」を添付しています。

私達が歩いた跡を赤線でなどり王子ごとにポイントを打っています。

距離もわかりますし、所要時間もわかります。

参考にして頂けると嬉しいです。

さあ次回は、いよいよ1泊2日のお泊りコースです。

熊野古道のコース近くにお宿を見つけました。湯浅ゴールにしていますので散策もできると思います。

間違っても醤油を土産に買わないでおきましょう。。。重たいやんか。

買う時は自宅に宅配してもらってくださいね。

醤油工場見学して醤油貰って、どこかで刺身買って梅見物と行きましょうかね。


[4223] 【4479回 どこにでもある危険】 2017-03-03 (Fri)

3月1日の熊野古道は終盤戦に入り雨と遭遇しました。

拝ノ峠は急こう配の坂道を下ることになります。しかも雨・・

「気を付けて行こうね」そうみんなで気合を入れていたのですがふとしたはずみで2人がスッテンコロリン・・・

怪我も無く続行してゴールできましたが恐ろしい坂道でした。

坂道に立つと、自然とふくらはぎに力が入ります。

そう・・・高いハイヒールを履いた状態と言えば女性の方にはわかり易いかも知れません。

私も一度いいえ二度ほどズルッと行きかけましたがストックに助けられたのです。

ズルッ・・・雨飾山での雪の斜面を思い出すほどの急な斜面でした。

あれから私は雪山には出向きたいと思わなくなってしまいました。

荒療法をするには、もう一度雪の中で楽しい思い出を作ればいいのかしら?

車もバイクも上り坂は問題ないとしても下り坂でブレーキが利かなかったらと思うとゾッとします。

とにかくきつい坂でした。

上手な転倒の仕方ってあるのでしょうか。

転倒時、手をついたりすると骨折になる場合があります。背負っているリュックが頭部を守ってくれることもあります。

私はズルッと滑ってからは、なるべく草付きの場所を探して端の草の上を歩きました。

真ん中はスベリ台の様にツルツルと滑る道でした。

尻餅だけなら大事に至りませんが転倒した瞬間に手をついて骨折したり登山道からはみ出し落下する危険もあります。

尻餅とて「すべり症」の私にとっては腰痛を悪化させてしまいます。クワバラ、クワバラなのです。

普段は何ともない道であっても雨が降れば牙を剥きます。

大げさではなくて「滑るかも知れない」と思い注意して歩きたいと思います。

久しぶりに雨に遭い合羽の風通しになりました。

雨具は時々、風に当てて通気をよくしておきましょう。

保存方法は出来れば折り畳んだまま収納ではなくクローゼットなどでハンガーに掛けておいた方が長持ちしそうです。

高価な品ですから大事に使いたい。


[4222] 【4478回 熊野古道「山」】 2017-03-02 (Thu)

3月1日は午後から雨に降られました。

大阪地方では雨はなかった模様・・・

しばらく使っていなかった雨具を久しぶりに着用し風通しした感じ。

いやぁ・・・海南から紀伊宮原コースは「山登り」でした。

きつい峠越えを二山・・・きつい、きつい。

民家の人に「こんにちわ!結構きつい坂道ですねぇ」と声を掛けると「わてら、ここで生活してまんねんでぇ」

きっと足腰が丈夫なお年寄りなんでしょうね。

道路が凍結でもしたら滑り台ですわ。

久しぶりに「冬眠中の山登り用筋肉」を使いました。

昼食までは天気晴朗なれど午後からポツリ、ポツリ。

ゴールまであと0,9キロメートルのところで本降り・・

朝から降るよりはまだましだわぁ。

しかしすぐに止みました。ゴール手前に「100円みかん」が無人販売されていて5人が群がりました。

帰りのリュック・・・重かったです。

みかん畑で出会ったお爺さんに貰ったミカンは格別に美味しかったです。

人の優しさも旅の醍醐味ですね。

午後4時15分にはゴールの紀伊宮原駅に到着。

紀州路快速に乗りこの日は西九条駅で下車し反省会。

何度改札を出入りしても有効な切符「青春18切符」

楽しく歩けました。道草もいっぱいできて、笑いも沢山ありました。

詳細は後日レポートで。


[4221] 【4477回 いってきます】 2017-02-28 (Tue)

3月2日予定の「熊野古道・海南から紀伊宮原」は雨の予報のため

3月1日に変更しました。

変更した日が雨で、予定していた2日が晴天なんてことないよなぁ?(怒るでぇ)

初めての「青春18切符」で改札をくぐります。ドキドキや・・・

「初物」は、食べても、着ても、履いても嬉しい物です。

チケット忘れてないかなぁ・・とバックを既に2回も見ています(笑)

ジョンに言うとかないと忘れるかも・・・(ラインで確認済み・・ハハハや)

3月1日から乗車できる「青春18切符」で海南まで行ってきます。

今回の行程では往復2,980円かかる所を2370円で行けるので610円のお得です。

だんだん遠くなりますので威力発揮し紀伊田辺からだと2490円お得となります。

チリも積もれば山とはこういうことですね。

細かい事言うみたいですが何か「お得さ」が嬉しいです。(まるで子供やなぁ)

駅から駅を考えると今回はわずか「14.2km」ではありますが

短い時もあれば27kmと長い距離もあります。なかなかコース設定も難儀しとります。ハイ。

いよいよ次回から宿泊となります。

湯浅で宿を見つけ旅の疲れを癒してから翌朝出発となります。

和歌山は梅の花が満開で、美味しい梅干しもあるかも知れません。

又兵衛桜や高見の千本しだれ桜も見に行く予定です〜。

ここならポッチーも一緒に行けるしね。


[4220] 【4476回 新入社員の季節】 2017-02-28 (Tue)

NHkの朝ドラでも新入社員の面接や新人教育をやっている場面がありました。

あぁそんな季節なんだなぁと番組が季節に合わせて動いている配慮が見えます。

ドラマの世界だけでなく、実社会でも新入社員が入って来る季節になりました。

とお〜い昔、家族と離れる新入社員のためにォの手配や案内送付などして受け入れ態勢をしたことがあります。

希望に燃えて入社してくる若者達を、どう伸ばすのかは先輩社員の力次第となります。

経験を鼻にかけず「知ってて当たり前」のことから親切丁寧に教えてあげて欲しいと思っています。

親や世間から社会で通用する躾を受けていないかも知れないと思っていれば腹立たしいこともあまりありません。

面接や説明会で採用者が嫌う質問とは一体どんな質問なのでしょうか。(今更遅いか・・・)

私が入社した時代の昭和44年ころは求人と言えば会社の前にベニヤ板で「事務員募集」と書いてありました。

「あのぉ・・・」と面接に行くとその日に採用となり入社日を告げられました。居心地が良かったのかそれから40年間勤めました。

ベニヤ板求人の民家社屋から6階建てのビルに建て替えた途端、新卒の大学生や高専からの求人もあり筆記・面接試験をするようになりました。

多い時は四大卒の女子を10人採用した時代もありました。

履歴書の文字が丁寧か(上手、ヘタではない)協調性はあるかなど直感でビビッと伝わる人が採用のラインに乗ります。

あとは上司や役員たちが何を基準にするか不明ですが何となく決まります。(笑)
 
面接では会社側からの質問が多いのですが面接者からの質問も受けます。

そんな中で「これは聞いたらまずいやろ」のNG集です。(いまは面接官への逆質問集などと言われています)

@ 説明会や面接で話したことを再度聞く(人の話を聞いてなかったな・・・)
 
A 何も興味を示さない(何か質問は?と聞くと「特にありません」は会社に興味がないと判断される)

B HPをみればわかることを質問する(調べてへんのかいなぁ)

C 休日・福利厚生・賃金や残業に関する質問(権利ばっかり主張せんといて)

まずは人に慣れる。信頼できる先輩を早く見つけて相談する。

人間関係が上手く行くと仕事ってスムーズに流れるものです。


[4219] 【4475回 ブラリ映画館へ】 2017-02-27 (Mon)

思いついた様に「映画を見に行こうか」と話がまとまりました。

梅田へは出ずに東西線に乗り伊丹の映画館へ。

ここは駅と直結している感があり行き易いのです。

日曜日とあって子供連れで賑わっていました。小学校入学なのか文具売り場は、とりわけ賑わっていました。

映画は「相棒・劇場版」デレビで見れるやん・・・と言うことなかれ。

劇場に足を運んだだけの価値はあります。

スクリーンの大きさと言い、音響と言い、迫力満点でした。

高齢者料金と言うのも魅力のひとつです。

しかし・・・空いてたなぁ。空席ばっかりで採算取れるのかな?

ストーリーそのものは現実には「有り得ない」物語ではありますが冷静になって見ないで引き込まれて楽しむのがコツ。

昔は私の住んでいた村には映画館はなく公民館に時々出張してやってきました。

「キューポラのある町」は学校から生徒全員で見に行った記憶があります。

「2本立て」だの「3本立て」などと他の映画もセットで見れた古き良き時代の思い出です。


[4218] 【4474回 まいった、まいった! 】 2017-02-26 (Sun)

順調に滑り出したと思っていた熊野古道歩きがここにきて雨とぶつかる予想になりました。

誰がどう見ても3月2日は全国的に「雨」みたいです。

3月2日は海南から紀伊宮原まで歩きます。(その予定でした。)

途中で降り出した雨は受け入れたとしても家を出る時からザァザァ降っているのは避けたいです。

しかし、予定変更は結構手間がかかります。

まずメンバーに予定変更の旨を知らせ希望日を聞く。

それぞれに都合があり他のメンバーとの擦り合わせに手間取ります。

やっと3月1日と言うことに落ち着きました。

ヤレヤレです。

しかし、あくまでも予報であってひょっとしたら2日はポカポカ陽気の晴天かもしれません。こればっかりは・・・

過日「百名山終わって再び山に行くとしたら雨の山行だったところを回りたいね」

と言うと「百名山の半分は雨やった」らしいです。アッチャー!

そういえば強風と大雨とで苦しかった山行も度々ありました。

でも、思い出すのは、そんな苦しい山行ばかりを懐かしんでいます。

ひとりの青年の生命を救ったのも大雨と強風の岩手山での出来事でした。

山の天気は朝に晴天でも午後2時を境に急変します。雷も鳴ります。

でも苦しかった山行は今はケロッと忘れています。

私達は百名山の記録を綴っていますので思い出を振り返るのにとても便利です。

熊野古道もまた記録を残し、自分自身の回想録と共に、これから歩こうとしている人達への道しるべとなればと思って記録しています。


[4217] 【4473回 プレミアムフライデー】 2017-02-24 (Fri)

プレミアムフライデー・・・・

聞きなれない言葉がテレビからガンガン耳に入ってきます。

「プレミアムフライデー」とは、毎月末の金曜日午後3時前後の早期時間帯に退社を促す取り組みのことらしいです。

経済産業省が「旗振り役」となっており、官民でつくる協議会が設置されて、2月24日から初導入されました。

経済産業省曰く『働く人は早く退社することができ、旅行などのレジャーや食事を楽しめる。

このため、個人消費が増え、経済が活性化することが期待されている。

本来ならば飲食店、つまり外食産業にとっては大きなプラスになるはずである。』

ハァッ?

何故か、昔の「ゆとり教育導入」とその結末を連想させるものがありました。

世間の反応はイマイチです。

●仕事量は減らないので全く無関係。

●主婦の立場で夫が早く帰宅するとハッキリ言って・・・困る(邪魔ってか?)

●毎日フライデーだから今更・・・そんなん要らん。

よしんば、3時に退社して飲み会に行くとして「プレミアムフライデー用小遣い」をアップしてくれるのかい?

この制度に適用できる会社は6.5%しかなく街行くサラリーマンは「そんなの関係ねぇ!」と冷ややか。


「プレミアムフライデーなんて凄い迷惑」

「なんで月末の金曜日なんかにやるのか、非常に腹立たしい」

「我々にとっては『血の金曜日』だ」

などなど、東京都内のオフィス街の飲食店のオーナーからは“恨み節”

午後3時に会社が終わって、すぐ飲みに行こうなんて人は少なく、夜のとばりが降りるからこそ飲みたくなる。

家族がいる人なら帰りに沢山の食材を購入しホームパーティとなるかもしれない。

いずれにしても会社近くの飲食店は『素通り』と危機感を持っているのです。

経済産業省の言う「個人消費が増え、経済が活性化する」のか疑問。

さてさてと・・・いつまで続くやら・・・


[4216] 【4472回 全国交通安全週間近し】 2017-02-24 (Fri)

春の全国交通安全が近づいてきました。

決起大会の日、今年もまた出番の割り当てがあるようで悩んでいて・・・やっと方向がきまりました。

早速、警察に出向いて三役会議です。

此花は自転車事故が多いので「悪い見本」を披露し最後に正して服装や正しい乗り方を舞台の上でする予定です。

私は会場参加型を希望していますので今回も「替え歌」でみんなで歌いたいと替え歌の歌詞を作成しました。

タタキ台なので訂正も入ると思いますが「参加して楽しかった」と言って貰えるようにしたいです。

ところで今さらですが「自転車五原則」ってご存知ですか?

★自転車安全利用五則

@自転車は、車道が原則、歩道は例外

A車道は左側を通行

B歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行

C安全ルールを守る

 飲酒運転・二人乗り・並進の禁止

 夜間はライトを点灯

  交差点での信号遵守と一時停止・安全確認

D子どもはヘルメットを着用

いつでもどこでも頭の中に入れておいて実践あるのみです。

悲しいかな我が家には自転車がありません。

夜間巡視の日には、近所で自転車を借りて出かけます。

夜間巡視中に「ヘタクソだから帰って良い」と言われました。

あの時は・・・傷つきました。ムッとしました。

信号ごとに自転車から降りて、信号が変わればまた乗ってを繰り返す姿を後ろから見ていたみたいです。

だってサドルが高くて足が届かないんですもの!

それ以来、自宅に自転車が無いからと夜間巡視は断ってきました。

「区役所の自転車もありますよ」と役所の人に言われましたが、あれ以来参加していません。

ヘタでもいいもん。乗らない方が絶対安全だもん・・

歩いた方が絶対健康にいいもん・・・

いやいや、バイク乗ってるでしょ!・・・はいスミマセン。


[4215] 【4471回 青春18切符】 2017-02-23 (Thu)

夜明けに「春三番」が吹き、驚いて目覚めました。台風かと思いました。

熊野古道をご一緒する仲間から「青春18切符買ったよ〜」とメールを貰いました。

「おっ、そろそろ我々も買いに行かなくっちゃぁ」と思っていたのですが「春三番」でどうするかなぁ・・・

「青春18きっぷ」という名前ですが、青春はまだまだという方から、とっくに通り過ぎた人まで誰でも利用できます。

68歳のこの年になって初めて購入、初めて乗車です(おそっ!)

利用方法は、もう皆さんご存知の方たちばかりとは思いますが・・・。

5枚綴りで販売され、全国のJR線の普通列車が2,370円で1日乗り放題。

ひとりで5回分使い切れなくても、友達と分けて使うことができます。

現在は「春の18きっぷ」が発売中です。

利用期間は春バージョンで2019年3月1日から4月10日まで。

毎年、春・夏・冬のシーズンに発売されるJR全線乗り放題の格安フリーきっぷです。

「青春18」と言っても年齢制限はありません。老いも若きも誰でも利用できます。

複数人同時に使用できますが、切符は1枚で5人分になっているので、かならず同一経路を巡らなければなりません。(面倒くさっ!)

自分で無理に使わなくても、余った分を友人・知人に譲るということもできるので大変便利です。チケット屋に持ち込みも可能。

私たちはいま熊野古道を歩いており、チャージをしても追っつかないほど交通費が高くなってきました。

そこで4月10日までの間に何とか5回分を使い切ろうと必死に計画をしています。

ところが・・・ここにきて泊りのコースにぶち当たってしまいました。

日付が変わると次の1枚を使用することになります。(面倒くさっ!)

しかし片道でも2,370円以上かかるなら使った方がお得です。

徳とか損とかだけではなくどうやって行こうか、どう使おうかと悩むのも結構楽しいものです。

最悪1枚残ったとしたら・・・カタクリの花見でも行きますか?

4月10日までに満開になってよねっ!


[4214] 【4470回 花粉症の季節】 2017-02-22 (Wed)

だんだん暖かくなり、春間近の季節になりつつあります。

しかし・・・この時期は花粉シーズン到来ともなります。

今や4人に1人は花粉症だそうです。

スギやヒノキなどの花粉によってくしゃみ、鼻水、鼻づまりなどのアレルギー症状が出ます。

「これって風邪?もしかして花粉症?」

花粉症の症状は、風邪の症状に非常によく似ています。

花粉症なのに、風邪だと思い悪化させてしまう人もいるのではありませんか?

花粉症と風邪の見分け方

@くしゃみ・・・立て続けに何回も出る。風邪では、あまり立て続けには出ない。


A鼻水・・・透明でさらさらしている。風邪は、最初サラサラ後でネバネバ(黄色)


B鼻づまり・・・両方の鼻がつまり、鼻で息ができない。風邪の症状は軽い。

C目のかゆみ・・・目がとてもかゆく、涙が出る。風邪は目のかゆみはない。

思い当れば一度医師の診察を受けて治療をした方がいいかと思います。

何を隠そう・・私もひどい花粉症(アレルギー性鼻炎)で何年も悩み苦しみました。

まず朝、フトンから出た途端にクシャミの連発。立て続けとはこういう時に言うのかも知れません。

家族からは「やかましいっ!」と怒鳴られました。

「好きで出してるんとは違うわっ!」朝からこんな会話が毎日、何年も続きました。

お腹の筋肉が痛くなるほど。クシャミが収まると今度は鼻水タ〜ラタラ。

出勤前に化粧をしようにも悲惨な状態でした。鼻水のせいで鼻周りは真っ赤・・

会社に行くと「お風邪ですか?」と心配してくれる声が掛かりますが「今日もまた〜?」と呆れ顔だったと思います。

電話を取っても、いつもの美声(笑)はどこへやら・・

午後にはこの症状はピタリと止まるのです。不思議でしょ?

どうも空気が冷たい間だけ症状が出ると言うことがわかりました。

花粉症って・・田舎育ちの私がそんなに柔いはずがありません。

だって杉の枝に石を当てて命中させては「雪だ〜!」なんて花粉を落として遊んでいたんですから。

健保組合からの要請で「100キロ歩こう」のイベントでウオーキングに参加する機会があり体質を改善させました。

それ以来クシャミと鼻水はどこかに飛んで行きました。

しかし長年かけての体質改善であって1ケ月や1年の話ではありません。コツコツ3年以上続けての成果です。

還暦を過ぎてから今まで振り返るのですが風邪を引いた記憶がありません。(痴呆症か?)

その代わり首周りと足首の防寒対策はしています。

外出時はネックウオーマーとレッグウオーマーは必ず着用します。

「アイギレ」って理解できますか?背中から肌が見えている状態です。

最近の若い人達は下着を付けず直にTシャツを着用します。

私はババシャツは着ませんがそれに代わる衣類は身に付けて腰回りを保護します。

これで充分風邪対策できているつもりです。

人によっていろいろあると思いますが自分に合った防寒対策をして花粉症や風邪を乗り切ってください。


[4213] 【4469回 レポートアップしました】 2017-02-21 (Tue)

リハビリウオーク「中山寺・奥の院へ」のレポートをアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0219nakayama.html

この日はポカポカ陽気で風もなく沢山の人達が中山寺の梅の鑑賞に来られていました。

梅は期待外れでしたが奥の院までポッチーのリハビリ登山をしてまいりました。

レポートに詳細を書きましたのでご覧いただけると嬉しいです。

「歩きたいのに歩けない」のか「歩きたくないから歩かない」のかのか?「チャンスがあれば歩きたい」のか?

「いまは雪山シーズン真っ只中と言うのにユルユルコースやな!」なんて言われそうですね。

百名山燃え尽き症候群で「羨ましいなぁ」とか「行きたい」とかの情熱が少々下火なのです。

リハビリウオークも大事やと相棒に言われ(有難いことです)無理の無いコースを選択しました。

ポッチーが歩けなくなり自分の事が出来なくなると私の行動に「待った」が、かかります。

そうならない為にも穏やかな日を選んで少しづつ筋力をつけています。

普段健康だと何とも思わない「歩く」と言う仕草が入院生活を1ケ月もすれば途端に歩けなくなってしまいます。

ジョンが平成20年に入院中も「足が弱ると百名山いけないよ〜」とスパルタリハビリ。

病院の前の公園を歩いたり雨の日は病院の階段を10階まで登ったり下りたりと足を弱らせない運動をしました。

「公園を10周ね」と言うと周回数をごまかすのでオハジキ10個持参し、1周するごとにオハジキを増やしてごまかされない様にした思い出があります。

いつの時も病人は「治りたい!」と思う心と介護する人の「甘やかさない」愛のムチが必要かと思っています。

いま・・我々3人の間でささやかれていることは?

あの世に逝く予想・・・(大笑)

第1位=ジョン

第2位=ひ め

第3位=ポッチー

そんなはずはないのですが。。。笑


[4212] 【4468回 ポッチーのリハビリウオーク】 2017-02-20 (Mon)

「中山寺から奥の院へ」

19日の日曜日はポカポカ陽気で風もなく、「中山さんまで梅を見に行こう」とポッチーを誘い出しました。

安産祈願で有名な中山寺は、お宮参りの若い親子連れが多く見受けられ、出店の準備にも忙しそうで境内は活気がありました。

梅の見頃はというと、硬い蕾で、まだまだお呼びではありません。

「平地をいくら歩いても筋力はつかないから奥の院まで歩こうよ」決して騙したのではありませんが・・・奥の院まで。

六甲山も中山寺も「年金コース」と言われるほど高齢者の方達が多いのが特徴です。

今日は日曜日とあって梅を見がてらの若者や家族連れも交じり、多くのハイカーが訪れていました。

少し歩いては休憩し、また歩き出しては休憩を繰り返しました。

それでも「引き返したい」とは言わないため「頑張ってるやないかぁ」とジョンに励まされ、やっと中間地点の東屋に到着です。

顔色もよく坂道ではつらそうですが久しぶりの遠出に興奮している様に見受けられました。

「奥の院コース」は、スタート地点の中山寺を「一丁」と決め、ゴールの奥の院までを「十八丁」の石碑が立っております。

それらを目安に「あと三丁やなぁ」「あと二丁か・・」などと言いながら歩いていくといつの間にか奥の院に到着です。

ベンチで長めの休憩を取りました。

下山ルートは「清荒神コース」を選びました。

下りになるとハアハアと言う息使いは消え、時々よろける場面もありましたが、意外と元気に下って景色を見る余裕も出た様子でした。

慌てず、ゆっくり、後から来た人達には全て道を譲り、私達もまた山歩きの正しい歩き方を訓練をしつつ清荒神に到着です。

清荒神はいつ来ても大勢の参拝客と言うか屋台で買い物を楽しむ人達で溢れています。

沿道はリュックを背負って交差しづらいほど混雑していました。

そんな中お目当ての「岩納豆」を人垣をかき分けて購入することができました。

ポッチーは平地になると健常者と同じ速度で歩いています。

「また来週も来ようね」と言いましたが返事はありませんでした。(笑)

徐々に体力を回復させ里山歩きが出来るようになってほしいと思っています。

春になるとカタクリの花や千本のしだれ桜見物、春の大イベントイタドリ採りも待っています。

病気に振り回されることなく残りの人生を謳歌してほしいと願っています。

「今日1日が無事に済んでよかった!明日の朝を迎えられるといいね!」


[4211] 【4467回 美味しいご飯の有難さ】 2017-02-18 (Sat)

期限間近の緊急用「安心米」を5パック分やっと食べ終わりました。

バチがあたりそうですが正直申し上げて「まずい・・・」

しかし震災・津波などが来て食物が無くなった時「ありがたい!美味しい!」と食べるに違いありません。

期限間近で食べることの平和さを思うと有難く噛みしめています。

「白米3パックと五目米2パック」全部で5パックありました。

災害用のコメは水かお湯を入れてしばらく時間を経過させて食べるのです。

命が繋がるのならと・・・ありがたくいただきました。

しかし、白米はとうとう雑炊にして手を加えて食べました。

地域の防災訓練の時も五目にぎりを頂きました。

準備、炊き込み、握り飯作り等々の手間を考えると味はさておき「ありがたい」と思っていただきました。

昔は麦ごはんが主流で遠足の時だけ白米を弁当箱に詰めてくれて嬉しかったものです。

おかずは四万十の空気と澄んだ景色で充分でした。

弁当で余った白米は遠足から帰った時、握り飯で食べた記憶があります。

しかし後で知ったのですが母はその日も麦ごはんでした。

私達子供のために一粒の白米も口にすることはなかったのです。

もっと白いご飯を食べさしてやりたかった・・・しかし後の祭りです。

この間墓参りにいった時両親に話しかけました。

「今なら美味しい物を沢山たべさせてあげたのにね」「温泉も入った事ないやろ?」

雨の中、涙なのか雨なのか顔はグチャグチャでわからなくなりました。

「親孝行したいときに親はなし」まったくその通りです。

いま故郷の友は年老いた両親を介護し大なり小なり苦労を抱えています。

親の無い私が言うのも何ですが「やさしゅうしたってな!」

痴呆になっていても粗末に扱われているかどうかは年寄りは肌で感じ取ります。

災害用のご飯を食べていて、ふと母の事を思い出したのであります。


[4210] 【4466回 大阪地方裁判所】 2017-02-18 (Sat)

大阪地方裁判所へ研修に出掛けました。

裁判の傍聴です。

正面玄関には当日裁判が行われる一覧表の掲示がありました。

この日は和歌山毒カレー事件の裁判も予定されていました(まだやってるんや〜)

裁判所は滅多に見学できない場所と思いきや、公開の法廷で行われる裁判は原則として誰でも自由に傍聴できます。

入室も自由なら途中退室も自由です。

「傍聴オタク」もいて、少し聞いてはまたどこかへ移動していました。

テレビでよく見る風景だ・・・と、やや興奮。

団体の場合は事前予約をしていたので別室に案内して貰い裁判所についての説明をして貰えました。

「法廷ガイド」「裁判所ってどんなとこ?」「裁判員裁判について」など説明をうけ裁判長の席や法衣を着ての記念撮影も許されました。

実際の裁判では撮影禁止、携帯電話電源オフなど厳しい制約を受けました。

その後関心のある事件の法廷に入室し裁判を傍聴しました。

張り詰める空気に息をするのも苦しく感じました。

検事側と弁護士側とが証人を挟んで丁々発止・・・テレビで見る光景です。

迫力あったなぁ・・・

被告人はずっとうつ向いていました。

見学を希望される方は裁判所に行くと正面玄関に裁判予定が書いてあります。

罪名など自分が関心のある事件の部屋と開廷時間を確認し部屋の前で待っていると開廷時間前に部屋の灯りがつきます。

入室も自由なら途中退室も自由です。

一度見学に行って見てはいかがでしょうか。

「楽しい」と言えば、ひんしゅくを買いますが向学のため!

あの過程を通過して刑が決まり、刑を終え、その後、我々保護司が更生への引き継ぎをしているのかと思うと今回は新鮮な研修会でした。

その後は関電会館にて昼食会。

話題は裁判の話で盛り上がりました。

私だけではなく、ほかの人達もみんな興奮していた様子でした。

そして今日の続きの裁判が気になるなぁと・・・同感です。


[4209] 【4465回 市民税の申告】 2017-02-16 (Thu)

2月16日から市民税の申告の受付が始まりました。

サラリーマン時代は会社で自動的に天引きされていたので、自分で申告に行くのが毎年の事ではありますがわずらわしです。

大雨の日、寒い日・・・絶対に空いています。(だってご高齢の方達ばっかりだもん)

私は混雑してても最初の日、2月16日に行くことに決めています。

区役所の特設場で番号札を引いて15人待ち。

対応する係員は3人。

しかし・・一人に掛ける時間が長い〜!

何を質問しているのか不明だし、世間話にも耳を傾けなければならない係員が気の毒になってきました。

(焦ってるぞ・・でも対応がまずいとすぐに問題になるしなぁ)

やっと受理印のスタンプを持ち終了しようとしたのにまた何か喋ってる・・・次は私の順番なのに・・・

とうとう係員が「荷物の整理なら後ろの席でしていただけませんか?」偉いぞ!言うべき時には遠慮せんと言わなあかん。

公の場に出かけるときは誰か家族の方が同行してあげると「いいねっ!」

明日は我が身と思いつつ、周りを見回し「まだ若いわ」とほくそ笑む私。

書類不足なのに「せっかくきたのだから何とかして・・・」と言う人もいた。困ったもんだね。

さまざまな人間模様が見られて退屈せずに時間待ちが出来ました。

少ない年金の中から搾り取らなくても国会議員さんや高所得者、大手企業等から多めに貰ったらどうなのかと思ってしまいます。


[4208] 【4464回 予定はたてたものの】 2017-02-16 (Thu)

熊野古道歩きがだんだん本宮に近づくにつれ宿泊を伴うコースになりつつあります。

そこで長期計画を立てたものの予定変更が度々生じてきました。

やはり今まで通り、「ひとつ終われば次の日程を決める」が一番良いのかも知れません。

じつは過日、笑うに笑えない話が発生しました。

14日火曜日は古巣の健保組合の仲間達と食事会をする予定になっていました。

今回の世話役は「Мっち」さん。ところが朝早くにメールが届き「インフルエンザA型」とのこと。

「行ける人だけ行ってきて〜」とありましたが病気の世話役を差し置いて実行する意味もなく中止となりました。

彼女から「お店のキャンセルタノム」と言われキャンセルしました。

午後6時「今どこらへんですか〜?」血の気が引きました。

他のメンバーから明らかに待ち合わせ場所に来ない私に対しての催促電話・・・・

「え〜っ!Мっちから中止って連絡行ってないの!?」えらいこっちゃ!

待ち合わせ場所に2人も・・・そのあとどうしたのか・・・

店はキャンセルしたものの2人ぐらいなら何とかなった?

きっと愚痴を酒の肴に飲んでるやろなぁ・・・

どうだったのかと、おそろしくて聞けない・・・インフルエンザA型の彼女にも言えず・・・

午後7時過ぎ「キャンセルを知らずにお店に行ったと連絡あり大失敗です!」と・・

私もお節介やいて他のメンバーにも重複してもいいので言えば良かったなぁ・・・

インフルエンザA型重症化してなければいいのですが・・・

そんなこんなで、あまり先の予定も組めないし、かと言って当日のキャンセルも大失敗もある。

21世紀枠の甲子園応援に行くかどうか・・・幼馴染には私の予定表を送り「この日は応援行けない」

ハッキリそう申し上げています。

私の予定・・・ホームページの2017カレンダーに明記しているので予定の無い日にお誘いを!

「忙しいんやね」冷ややかな言葉が返ってきそう・・・しゃあないで〜

どうしても抜けられない用事もあるしね。中村高校せめて2回戦までがんばって残ってて・・・

必ず応援にいくから!


[4207] 【4463回 雪崩事故】 2017-02-15 (Wed)

長野県のスキー場で雪崩事故が発生したと聞きました。

これだけ寒暖の差が激しいと想定内かもしれません。

やっぱり冬山には魔物が住んでるのね。

埼玉県内で山岳遭難した登山者が県の防災ヘリコプターで

救助された際、有料にすると言う条例が審議されました。

5万円程度の手数料を徴収する県の条例改正案が同県議会で審議されるそうです。

埼玉県には手軽なハイキングコースが多く、また「日本百名山」が三座あります。(両神山、雲取山、甲武信岳)

徴収は無謀な登山を抑止するのが目的です。

改正案を提出する県議会会派によると、公的なヘリの救助に手数料を設定する条例は全国初だそうです。

20日開会の県議会2月定例会に提出されるのは、防災ヘリの運用などに関する条例の改正案。

県の防災ヘリは3機あり、山岳救助に年間10〜35件程度出動しています。

隊長などの幹部を含め、市町村の消防本部から派遣された18人が救助隊員を務めている。

操縦は民間に委託しているそうです。

安易に山に入るなと言う警鐘と自分の体力・技術に見合った山行を呼びかけての事だと思います。

ネパールの様に入山料がもれなくきちんと徴収できるのであれば無謀な登山者に入山禁止を要請できるのですが

何せ登山口があちこち多くある日本の山は徴収が難しいですね。

有料化しても無謀登山とどう繋がるのかわかりません。机上の討議だけでなく山岳知識のある方もメンバーに入れて討論してほしいものです。

「ヘリ代がかかるから無謀登山はやめよう」と思うか思わないか。

街中の救急車の問題と同じで自力下山が可能なのに安易に呼ぶという事は減るかも知れません。

無謀登山者は「自分は遭難しない」と思っているのでヘリ代が有料なったとしても我れ関せず。


[4206] 【4462回 最近のホテル事情】 2017-02-14 (Tue)

「静かなホテル」

土・日に利用した大津のホテルは団体客がおらず静かでした。

大きなホテルは外国の団体をバス何台もで追しかけ風呂も食事場所も外国人で溢れています。「湯△リゾート」なんてその代表。

「もう次は絶対利用しないでおこう」と思うほどです。

しかし大津で利用したホテルは、ほぼ家族連れのような感じをうけました。

長男の勤務する会社の保養所となっていましたが空室さえあれば一般の方も利用できるみたいです。

静かで料理もバイキングではなく近江牛づくしで、ゆったりと落ち着いて食べることができました。(但し朝食はバイキング)

これからの熊野古道コースでは民宿を利用する場面が出てきます。

みなさんは宿泊先を決める時ネット調べですか?旅行社扱いですか?

子供連れの時は旅行社に依頼すると、こまごまと配慮が行き届いています。

例えばお部屋を端っこにして貰えるとか、バイキングでも別室があれは用意してくれるとかメリットは大きいです。

私達はまず観光協会に電話をし紹介して貰い、電話対応がよい宿に決めることにしています

この間、問い合わせをした民宿ではオーナーが「熊野古道の語り部」をしているとの事でした。

町中ではお目に掛かれない雰囲気が伝わってきて楽しみが増えました。

マニュアル通りにしか対応できないホテルもありますが熊野古道は人間臭さが売り物みたいです。

人は一言二言喋ると、だいたい人柄が解ります。

とにかく山小屋も、街のホテルも列車の中も外国人で溢れています。

過日、地下鉄を利用した時目の前に座った外国人がホカホカカイロを座席にポイッと置いて下車しようとしました。

すかさず「ノーっ!」と怖い顔してポケットにねじ込んでやりました。

ほんまに常識では考えられない事を平気でする・・・


[4205] 【4461回 ハラハラドキドキ】 2017-02-12 (Sun)

2月11日から1泊で息子達が大津に連れていってくれました。

行先は「大津」とだけしか聞いておらず、折りからの大雪警報で「車をやめて電車で行こう」と提案しました。

しかし、予報とにらみ合いっこしながら、結局、車で出かけることにしました。「大丈夫かいなぁ?」

出発出来たとしても、朝起きたら雪だらけ・・・どうする?

「そんな時は車をホテルに置いて電車で帰ればいい」

まぁ連れて行ってもらう身なので流れに逆らわずに迎えの車に乗りました。

京都に4年ほど転勤していたので京都の町並みを案内して貰い有名な餅屋の前の行列に並びました。「出町ふたば 」

豆餅が有名らしいですが「当日限り」らしくその日に食べる分だけ買いました。よもぎ餅は日持ちするらしいので土産買いました。

とにかく50人ほどが寒さに耐え並んでいる名店だそうです。

琵琶湖湖畔にある「kkRホテルびわこ」ここが宿泊先でした。

部屋の窓からは近江富士が見えています。

食事を終えポッチーが「カラオケに行こう!」とみんなを誘いました。

歌えば点数が出る仕組みで何とポッチーがトップバッターで「93点」も出してしまい慌てました。

「この機械壊れてる〜狂ってる〜」

それからは「打倒93点!」を目指して頑張りましたが・・ダメでした。

大きな部屋にフトンを5つ並べ、イビキを気にしながらいつの間にかグースカピー(眠った方が勝ちや〜)

翌朝目覚めるとうっすらと雪化粧。車はスイスイ走っている様子です。

峠越えをせずに凍結のない安全な道を通り帰宅しました。

鳥取方面はまたまた大雪で大変です。


[4204] 【4460回 熊野古道其の6】 2017-02-10 (Fri)

「熊野古道其の6」布施屋から海南

だんだんと自然豊かなルートへと近づいてきました。

布施屋から海南のレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0208kumano06hoshiya-kainan.html

みどころが多いので写真が沢山ありすぎて…捨てがたく力作になりました。

写真集だと思って楽しんでいます。

和歌山県に入ると道標もしっかりと付いて大阪府との温度差を感じました。

町ぐるみで熊野古道を大切に守っていることが肌でわかります。

どこのお地蔵様を見てもとても綺麗に祀られています。

学校帰りの小学生たちも「コンニチワ!」と声を掛けてくれます。

ウオーキングは町の人との触れ合いが楽しみのひとつ。

和歌山名物のミカン畑の中を歩くコースに感動しました。

しかし、楽しいことばかりではありません。

何と言っても今回はイノシシの親子が囚われていたのが心傷みました。

「出してあげようか?」

「アホかっ!」その気持ちもわからないでもないが、村には村の生活があり勝手なことをするわけには行きません。

ウリ坊は鉄格子の合間から必死に首を外に出し助けを求めていました。

母親らしきイノシシは檻に突進し何とかウリ坊と逃げようと必死でした。

「ごめんね・・・」そう言い置いて後にしました。

今回は17kmと距離も短くて小春日和の中楽しく歩くことができました。


[4203] 【4459回 初めての親子旅行】 2017-02-10 (Fri)

またまた寒波到来となりました。

熊野古道「布施屋〜海南」は寒気団の合間を縫って小春日和の中を歩き、とてもラッキーでした。

土曜日から長男一家が大津に連れて行ってくれると言います。

寒波で車での移動が困難ならば電車で行くと行ってきました。

息子曰く「珍しいことはするもんじゃないと強く強く思ったのであった」

と、まるで小説の書き出しのような伝言板のようなメールが届きました。

夏休みの旅行は嫁と孫と婆だけで旅行していました。

息子が結婚して初めての親子旅行ではないでしょうか。

我が子ながら緊張します。

去年ポッチーの古稀の会が体調不良で流会となったので気にしてのお誘いみたいです。

今は元気回復しているのですが、あの時は・・・。

出不精になっちまって、どこから見ても色白の病人役ならすぐにでもエキストラとしてテレビに出れそう。

出演料?いりませんよ〜!家から引っ張り出してくれるだけで充分です。

もうすぐカタクリの花が咲くと言います。福井県に有名な所があるらしいです。

もし平地歩きなら「行って見たい」と言う様に仕掛けてみようと思っています。

そんなわけでちょこっと出かけてきます。


[4202] 【4458回 思い出話は満開】 2017-02-09 (Thu)

子供の頃のことを鮮明に覚えている友もいればスッポリと記憶から抜けている友もいます。

子供の頃のことを鮮明に覚えている友は(私も含めて)、今が、ちと脳みそが空白気味(笑)

幼き日の事をスッポリと忘れている友は今はシャキッとして同窓会の、重要人物となっています。

「言うた、言わん」になると昔の記憶が鮮明な人は強い!

幼稚園の頃、自転車の荷台に竹で編み込んだカゴに乗せられたイシくんのママが「ソーちゃん、イシくんと仲良くしてあげてね」

と頼まれ、今でもずーっと友達でいることを話してくれました。「あの母親の一言が無ければお前とは友達ではなかった」かもと笑顔の赤ら顔が妙に可愛い。

そうかと思うと「頭髪ゼロ」の友が風呂でシャンプーの泡が立たんと騒いでおり、隣にいた友が「それはリンスじゃけん」とシャンプーを渡したそうな。

何故そこで「お前にはシャンプーもリンスも必要ないじゃろ!」と言わなかったのかと女性陣から冷やかされました。

それも、これも幼稚園からの繋がりなのかと心が温もる。

愉快さばかりではありません。一人の女性の生存が確認されずみんなで心配しています。

息子に引き取られたと噂に聞いてはいましたが住所もわからず親しい友も知らずで「火の無いところに煙は立たない」と言うので・・・。

重篤な病気を抱えていたので、噂はほんまかも知れません。みんな手分けをして消息を掴もうと動いています。

秋の同窓会は全員対象なのですが「地区・打ち合わせ会」は、いわば役員会のようなもので実施済みの同窓会の反省と慰労もかねており次回の企画も含まれています。

狭い田舎での事ですから飲み屋で「ワシも行きたいわ」と言う人もいるらしいのです。

「名簿作成、案内状送付、出欠確認、当日の進行etc.」を手伝ってくれるならば説明し、ただの飲み会でないことを納得してもらうよう意思統一しました。

盛り上がることは良いことなんですが本番の同窓会に参加して大いに盛り上げてほしいものです。



[4201] 【4457回 故郷はやっぱ、「いいねっ!」】 2017-02-07 (Tue)

日曜日午前5時40分、日本三大ガッカリと言われる「はりまや橋」に到着。ベンガラ色の欄干は闇の中。

「日本三大ガッカリ」・・そんな風に言われても高知県人としては誇らしい「はりまや橋」

午前7時過ぎに四万十市に到着。

四万十市に住む幼友達に電話をして中村名物のモーニングを一緒に食べました。

「トースト、味噌汁、サラダ、コーヒー、ゆで卵」で500円。

しかも、トーストには砂糖が添えられている。豪華と言うより何で味噌汁が付いているのか意味不明(中村では定番だそうです)

親戚筋に当たる同級生に両親の眠る墓まで乗せてもらいました。

雨の中、足場の悪い急坂にある墓へ。登山経験してて良かったと思うほどの雨の悪路。下りは濡れていて危険きわまりない。

合羽を着て水をリュックに背負い・・・親孝行も大変です。

「お父ちゃん、お母ちゃん、もんて来たでぇ」そう声を掛けながら大阪から持ってきた榊を花筒に差して父の好きだった酒を供えました。

墓参り無事終了。

その後、去年亡くなった従兄妹の仏前にお参り、その後、親戚回り、同級生宅訪問と目まぐるしく時間が経過。

法事のために一足先に帰省している奈良在住の友達と合流し1泊目の宿へ。

物凄い強風と一時的な大雨、四万十組とはホテルで合流。

秋の同窓会の打ち合わせをする前に酔いは上昇中。部屋に帰り午後9時から12時まで真剣に会議中。

「眠たいけん」と部屋を抜け出そうとする男性陣を女性達が捕まえて離さない。「最後まで居ったちや!」実のある会議でした。

朝食後、村役の仕事があると2名が帰ることになり、残りの6人が2泊目の愛媛県東予へ向けて2台で並走。

途中で立ち寄った南楽園の梅林は3分咲き、遊子の段畑はジャガイモが有名らしい。

途中の道の駅で休憩。ワゴン車の中に乗り込み昼食タイム。

昨夜の皿鉢料理の寿司を折に入れて貰っていたのでみんなでつっつく。

「うどんが食べたい・・・」と言う者もいたが強引に昨夜の残り物・・・70歳前の爺婆が6人頭を寄せて・・滑稽ですが楽しい。

タイムスリツプして中学時代の少年、少女の気持ち。

そして2泊目の宿へ到着。

宴会後、またまた一部屋に集まり会議の続き。

「幹事会」の名称を「地区・打ち合わせ会」と改名しました。

「名前など、どうでもいいのでは?」と思うかも知れませんがいろいろ複雑な事情があって、み〜んながまぁるくスムーズに運営できるように軌道修正。

(都会と違って田舎は情報も筒抜けでヤッカミも加わり難しいみたいです)

従って、「幹事・新年会」は消滅。

「地区・打ち合わせ会」と名称を改めたため1月開催に、こだわることなく来年度から気候の良い3月の年金日の日曜日、月曜日となりました。

地区とは「本部、関西支部、高知支部」が結成されたことになります。

本部は四万十市開催の企画・責任者、高知支部は高知市内での開催時の企画・責任者、打ち合わせ会の企画責任者は関西支部で分担することにしました。

「なーんのこっちゃさっぱりわからん」と思います。

要するに訃報がチラホラ舞い込む年代になり、元気な間は愉快に、楽しく集まろうよと言う事です。

故郷に住む友からは「限りなく四万十より遠い地に行きたい」・・・そんな希望もありました。


[4200] 【4456回 四万十へいってきます】 2017-02-04 (Sat)

2月4日から7日まで同窓会幹事会に四万十市まで行ってきます。

「え〜11月に同窓会をしたばっかりやんけ〜?」おっしゃる通りです。

舞の森同窓会・関西支部は新年会を大阪駅周辺で毎年実施していました。

11月の同窓会に参加出来なかった人達にアルバムを見せたり、その時の報告も兼ねて。

ところがいつの間にか新年会に四万十市の人たちも大阪に出向くようになり今では恒例となりました。

今回は秋の同窓会の成功に向けて、ほんまもんの会議をする予定です。(酒抜きで)

それに、突然降って湧いた春の高校野球・甲子園「21世紀枠」の応援をどうするかの打ち合わせもありますし〜

去年の様に「ホテルが予約できなかった」等にならぬ様に綿密に打ち合わせが必要です。

皿鉢料理を条件に出していますので、その確認もしたいと思っています。

私は皿鉢料理でなければ「欠席」の意思表示をしてくるつもりです。

四万十市開催は多くの同窓生たちが参加してくれるはずです。

まだ仕事をしている人や親の介護などもあり宿泊付きは無理だが、宴会だけなら参加できる人も多くいます。

アンケートで確認済みで貴重な意見を取り入れるためには故郷開催が一番よい方法なんです。

故郷開催が本来の姿と言うことで今後は「今年は四万十市開催、翌年は高知市開催」を繰り返す予定です。

四万十開催だと私は両親の墓参りが出来てこんなにうれしいことはありません。

幹事会は四万十市大月町(足摺岬寄り)で宿泊し翌朝解散となるはずでしたが・・・

翌朝みんなで松山にある国民休暇村に、もう1泊することにしています。(笑)

元気なうちに好きな事して。チャンスがあれば逃さない。

こんな生き方をモットーにして50年間凍結していた同窓会は熱く、熱く燃え続けて行くのです。

観光地の立ち寄りはありませんので土産は・・・期待しないでくださ〜い。

大阪22時発、はりまや橋翌朝5時30分着(急きょ、中村行のバスを変更)

はりまや橋には松山の坊ちゃんが迎えにきてくれています。

では・・・行ってまいります。


[4199] 【4455回 2月3日は節分の日】 2017-02-03 (Fri)

節分は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。

立春の前日の節分には「福は内、鬼は外」と声を出しながら豆を撒きます。

年齢の数だけ(1つ多く)豆を食べて厄除けを行うのですが加齢とともに豆の数が増え食べるの辛いね。。

しかしいま・・・幼稚園で異変が起きてるらしいです。

「オニが怖いから幼稚園に行くのはいや〜!」と泣く子がいるそうな。

幼稚園の先生たちが鬼に扮装し豆まきが終わったら園児の前で「じつはオニは先生だった・・・こわくないよ」

園児たちに種明かしをしているのだそうです。なんともまあ・・・時代の流れですかねぇ。

鬼の色にもいろいろ意味がありまして

赤鬼・・欲望、青鬼・・憎しみ、黄鬼・・後悔、緑鬼・・病気、黒鬼・・愚痴

自分の追い払いたい鬼の色の面を用意して豆をまくとよろしいかと。

本来の意味は「魔の目(オニの目)に豆を投げると魔滅」から来たもので

厄を払い福を招くと言われているのが節分の豆まきの由来です。

昔話に出てくる鬼物語「渡辺綱と坂田金時」は鬼に優しかったので

「渡辺さん」と「坂田さん」のお家は豆まき不要らしいですよ・・・ほんまかいなぁ

伝統行事を後世に残しておきたいと思っていても「餅つきはばい菌が・・」とか

「豆が勿体ない」とか。色々言う人はいます。夢がないというか、世間を気にしすぎと言うか

生きづらくなりましたね。だからテレビの片隅にテロップを流して

「この豆は廃棄用の豆で回収後は肥料に使用します」などと書いて苦情の電話対策を取っているそうです。


[4198] 【4454回 トイレ事情】 2017-02-03 (Fri)

「ウオーク中の尿意」

寒いと、どうしてもトイレが近くなります。

腎臓から送られてきた尿は膀胱に一時貯蔵されます。

膀胱括約筋によりしっかりと出口が閉められています。

尿がたまると脳に情報が送られて尿意を催します。

トイレに入り準備が整うと脳に指令が飛び、膀胱が収縮して尿が排出される仕組みです。

夜間など頻繁に尿意を感じる人は過活動膀胱かも知れません。

膀胱か満タンになるまで待って思い切り排出する方が良いと聞いたことがあります。

(あまり辛抱すると膀胱炎になる・・・ほどほどに)

山行の途中でトイレを見つけると「そんなに行きたくはないが、ついでに行っとこか・・・」

と、トイレを利用する場合があります。

山の中では次にトイレがいつあるか心配だから仕方ありません。その気持ちよくわかります。

「姫はあまりトイレに行かないね」と同行する人達から言われます。

私は自分の膀胱タンクを満タンにしてから排出するのです(タンクが大きいのかも・・・笑)

満タンにならない間に(尿意をもよおさないのに)トイレに行くと、だんだん許容量が小さくなります。

(医学的には間違いかも知れませんが、そんな気がします)

出来れば1回分を我慢して膀胱タンクを満タンにして行くと、次は長い時間尿意をもよおさないかもしれません。

私の知り合いで手術室担当の看護師長は手術が始まると朝から夕方まで尿意をもよおさない様に訓練していたと聞きました。

(そう言えば手術中の医師はどうしてるのか?)

山歩中、辛抱できない場合は山の中へ駈け込んでも仕方ありません。

しかしペーパーは必ず持ち帰りましょう。「大」については携帯トイレを携行しましょう。

私はネパールの生野菜の水滴で腹痛を起こし岩陰と言う岩陰を見つけたら即、座り込んでいました。

誰の思いも一緒なのか岩陰にはほかの人の「忘れ物」もありました。

しかし、標高5000m以上と高いため、すぐに乾燥するのか異臭も形状も無く、嫌悪感はありませんでした。(乾燥した馬糞みたい)

山中でペーパーを見ると不快感で腹立たしくなります。

ペーパーと「大」の持ち帰りはマナーとして人から人に伝えて行きましょう。

チィッシュペーパーは水に溶けません。山中に放置するといつまでも環境汚染として残ります。

「熊野古道をきれいに歩こう」と言う看板があちこちで見受けられます。

飴の包み紙がポケットから無意識で落ちてしまうこともありますので工夫が必要です。


[4197] 【4453回 熊野古道 其の5】 2017-02-02 (Thu)

「和泉鳥取から布施屋まで」

朝は冷たくて防寒着をしっかり身にまとい肩をすくめて「和泉鳥取駅」の小さな駅に降り立ちました。

地元の人たちは駅まで自家用車で家族が送迎しており、あわただしい1日の始まりを感じました。

午前9時メンバー勢ぞろいで早速出発。

10分ほどで熊野古道最大の難所に差し掛かりました。

「おっとろしいっ!」崖下を見ると、鋭く、えぐれ崩れており一歩間違えば大怪我では済まないだろうと感じることができます。

難所通過のためジョンがロープ持参してくれていましたがフィックスロープが張ってあり今回のメンバーなら難なく通過できると判断しマイロープは使用せずでした。

無事通過した後を振り返っても「一歩間違えば・・・」と恐ろしい琵琶ケ岸懸でした。

緊張もほぐれ昔の宿場町歩きを楽しみました。参勤交代で栄えた町並みは今も美しく残っていました。

かつては中山宿の散策など観光客も多かったのでしょう、宿泊施設も繁盛していたと思われる廃屋が何軒も残っていました。

今回は車道歩きが多く事故に遭わぬのが不思議なぐらいの交通量でした。人を見てもスピードを緩めることはありませんでした。

天候もよく、一瞬小粒の雨が落ちてきましたが太陽が勝ったのか雨粒は、それきりでした。

長い長い紀ノ川を渡りゴールです。午後4時05分!

ゴールの布施屋駅は無人駅で、和歌山駅を経由し紀州路快速で天王寺まで戻ってきました。

反省会を楽しく済ませ次回の日程を決め解散となりました。


[4196] 【4452回 熊野古道行ってきます】 2017-01-31 (Tue)

「熊野古道・和泉鳥取から布施屋まで」

だんだんと街中を外れ熊野古道らしくなってきました。

事前にイメージ上が歩けるようにメンバーには地図を配信済です。

今回のコースには「熊野古道・紀伊路 最大の難所」の通過があります。

リーダーからカラビナ、スリングを携行するように連絡がありました。

最大の難所・・・聞いただけでワクワクします。

この難所には琵琶ケ岸懸伝説があります。

『昔、琵琶法師が熊野古道を思い立ち琵琶を背に、この谷まで来た時、突風に思わず杖を取られてしまって

真っ逆さまに山中川に転落してしまった。法師の亡骸は川底に横たわり愛用の琵琶が途中の崖の木に引っかかっていたという。

その後、谷底を流れる水音が「コロン、コロン」と琵琶を奏でるように聞こえるので人々はこの谷を「琵琶ケ岸懸」と呼ぶようになった』

と伝えられています。

熊野古道の山中川沿いに進むこの道は、きわめて危険で熊野参詣の難所のひとつとも言われていました。

今も、わずかに一人が通れるくらいの道幅で下は断崖絶壁であり廃道となっています。

そうかと思えば「日本で最後の仇討ちの場」なんて物騒な地もあるみたいです。

父の仇を討つため旅に出たお侍。既に仇討ち禁止令が出されていたのですが、勝海舟の取り計らいによって「仇討ち免許状」が交付されたそうです。

行って、見て、メモってかえってまたご報告しますね。

今回のコースから、いよいよ峠越えが待っています。

装備はハイキングモードから山仕様にチェンジの入れ替えが必要です。

昼食は山の中を想定して弁当を携行します。

反省会は、モチロン天王寺のあのお店です。


[4195] 【4451回 上手な交通機関利用】 2017-01-31 (Tue)

ウオーキングの人たちは電車で各地への移動に際してうまく安売りチケットを購入しています。

グループで回数券買って分けあったり、チケットショップで安売りを買ったり。

青春18切符であったりと本当に、よく調べています。

今回熊野古道を実施するにあたりチャージしてもチャージしてもすぐに減ります。

まだ大丈夫と思って通過しようとすると「♪ピンポン・ピンポン♪」と行く手を阻まれます。

そんな時「なんでやねんっ!」と機械に文句を言う自分がとてもこっけいです。

あの音・・・切ないね。「♪ピンポン♪」が「♪ビンボー♪」に聞こえる時がある。

この間、清水の舞台から飛び降りたつもりで5000円チャージしました。

しかしもうすぐまた「ピンポン」言うで〜。しっかり残金確認しなくっちゃあね。

片道2000円ならば(2000×往復、次の回にまた同じ場所まで移動すると8000円)

日帰りよりも8000円の民宿を探した方が安くて疲労度も軽い場合があります。

メンバーとよく相談して進みたいと思っています。

いまは拠点がJR天王寺駅。紀州路快速は西九条駅に停車するので便利です。

途中で普通電車に乗り換えると「あらら〜一緒の電車だったのねぇ」とメンバーとバッタリ合流することもしばしば。

帰りは天王寺から地下鉄に乗り難波で乗り換えて近鉄線で千鳥橋駅で下車。なんとも便利であ〜る。

疲れた体と棒のような足で海老江駅や野田阪神駅からの徒歩は辛い時があります。

天王寺拠点は私にとって好都合な利用駅なのです。

今後は御坊駅や紀伊田辺駅など電車の所要時間が3時間かかる場合が出てきます。

集合時間設定より、利用電車の時刻表を案内する方が便利になってきます。

時間がかかろうと運賃が高かろうと「レッツゴー!」ですが出来れば「座って帰りたい」席取り名人はがんばらねば・・・

そんな老婆のひとりごとでした。

「老・婆」と書きましたが都合の悪い時は「老婆、それ以外は、まだ若い」を上手に使い分け、本人に老婆の自覚は無い(笑)


[4194] 【4450回 ‘’祝‘’甲子園出場】 2017-01-30 (Mon)

「 第89回選抜高校野球大会21世紀枠で出場決定 」

我がふるさと四万十市・中村高校が「21世紀枠」で、センバツ高校野球へ出場決定です。

奇しくも同県の高知・明徳義塾高校も出場です。それもそのはず県大会で明徳義塾に負けたんですから。

ひょっとしたら決勝大会で対戦相手となるかっ?笑うな!笑うな!奇跡は起きるのですぞっ!

部員数16人、40年ぶりの出場で2度目。

「21世紀枠」・・・部員不足など困難を克服したり、他校の模範となる学校を選出する。

40年前の1977年に「二十四の瞳」と言われ部員は全部で12人(瞳の数で24でも、たったの12人)

その中に阪急ブレーブスの山沖之彦選手がいた。彼の活躍で中村市は脚光を浴びました。

40年前に中村高校が甲子園に来た時「頭痛がする」と会社を何度か休みました。

甲子園に通い、選手達の滞在費捻出に同県人達の間を駆け回りました。

誰もが決勝まで残るとは夢にも思っていなかったため資金は底をついていました。

アルプススタンドで熱い声援を送りました。応援歌だった中村高校の校歌・・いまでも歌えるよ。

しかし準優勝まで行ったものの箕島高校に0対3で敢え無く敗れて準優勝。

あの時のくやしさ・・・思い出すと涙がチョチョギレル〜。

会社に行くと上司から「君は、たしか頭痛だったよなぁ?」と嫌味を言われた。

同僚に聞くと昼休みにテレビを付けたらアルプス席で応援する私の顔がハッキリと映っていて仮病だとバレていたのです。

若かりし日の胸の痛みが40年ぶりに復活する。「舞の森会」で応援すっか!


[4193] 【4449回 防災訓練】 2017-01-28 (Sat)

「此花区高見地区の防災訓練」

かねてより参加したいと思っていた防災訓練に、やっと参加することが出来ました。

この日は高見町住民が3班に分かれて自宅に一番近い場所の防災リーダー自宅前から出発です。

いつもはリーダーとなる人達の訓練が多いのですが今回は一般町民も対象です。

回覧板で実施要領が詳しく書かれてありポツチーと参加しました。

集合時間に町会役員の自宅の前に行くと概ね50人ほどの人たちが集まっていました。

休日にも関わらず区役所職員も多数お見受けしました。

まずは高層ビルに向かって避難。

避難経路を歩き、その後高見小学校に集合。

(よそ様のマンションの廊下を歩かせてもらっているんだから黙って歩けないのかなぁ!)

既に別の町会からも集合しており講堂には一般参加者と地域役員たちがうごめいていました。

講堂では熊本地震の被害の様子がスクリーンに映し出されていました。

しばらくすると高見小学校の生徒たちも集まってきて「津波がきたらどうするか」の説明を受けました。

土曜日で学校は休みなのですが「地域学習」らしいです。

校庭に出て「消火活動・バケツリレー」「避難訓練・煙からの脱出」「リヤカー操作、車椅子操作」等々

子どもたちの体験を見守りました。

帰り際には炊き出し部隊の女性達と6年生女子が握ってくれたおにぎりとカンパンを貰って解散。

貴重な体験をしました。もっと多くの方達に参加してほしいものです。

役員さん達の準備と後片づけのご苦労を思うと感謝の気持ちでいっぱいでした。

みんな訓練だからお喋りし放題だけど実際の避難となると我先に押しのけるんやろなぁ・・・


[4192] 【4448回 熊野古道其の4アップ】 2017-01-28 (Sat)

熊野古道其の4「久米田から和泉鳥取まで」のレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0107kumano04kumeda-izumitottri%20.html

今回は残念ながらウッチー会長はお休みとなり4人の参加です。

前半はほとんど「王子」らしき碑は無く、神社に合祀されたりしていました。

それでも昔の人達が熊野詣に歩いたであろう面影のある街並みも多くあり楽しく歩けました。

しかし、このコースは車道歩きが多く、車の往来もひっきりなしで度々歩行を止なければならないところも多くありました。

天気も穏やかで汗ばむぐらいでした。

後半は王子の碑もあり宝探しの楽しみも多かったです。

レポートは写真集だと思って見て頂ければ嬉しいです。

なかなか個人では歩こうと思わない町並みかも知れません。

写真で一緒に楽しんで歩いて頂ければ大変うれしいです。

次回からは街中を外れますので弁当持参となります。

いよいよ熊野詣で気分満載かな?

実施前に色々調べて歩くと楽しみも倍増です。


[4191] 【4447回 熊野古道「久米田から和泉鳥取」】 2017-01-27 (Fri)

「第4弾  久米田から和泉鳥取」まで歩いてきました。

距離にして概ね23km、時間にして8時間(標準は7時間)44,600歩の1日でした。

連日寒波で雪害の起きる中で26日だけは寒さも緩み、出発時に着ていた防寒着は早々に脱ぎました。

風がないので暖かかったです。途中でウッチー会長から「熊野古道日和ですなぁ」と檄メールをいただきました。

前半コースは、ひたすら歩き熊野に近づくだけではありましたが後半は「王子」もあちこちにお出ましになりました。

昔ながらの大きな屋敷の町並みもあり風情がありました。

「一体このお屋敷の人たちはどんな生活してるのか?」

固定資産税が大変だろうとか、維持費が大変だろうとか要らぬ心配をしながら楽しく歩けました。

今回もGoogleのおかげで道迷いゼロ!

ゴールして感じたのですが・・・私毎回登山靴で歩いていたのですが限界です。

登山靴は山では優れものですが平地歩きには向きません。

足首が曲がらない、速度がでない・・本日ウオーキング用の靴を購入することにしました。

息子からお年玉を貰っていて何か記念品にして残したいと思っていたので・・・これで購入決定です。

右足は長男、左足は次男ってとこかしら?(笑)

山中で時々ウオーキングシューズで登っている人を見かけますが適材適所の道具を身に付けることが大切だと思いました。

終盤近くに腰痛が出たのは、多分登山靴の影響だと思うことにしました。(決して体力的に、へばったとは思いたくない)

和泉鳥取駅到着が4時59分・・・5時と言わないところがニクイね。(笑)

紀州時路快速が5時17分でグットタイミングでした。

天王寺駅「МIО」でビフカツで反省会をしました。

とにかく、みなさん健脚です。オドロキです。

次回は和泉鳥取から布施屋までの予定です。


[4190] 【4446回 熊野古道】 2017-01-26 (Thu)

久米田から和泉鳥取迄いって来ます。

シリーズ編は、出来る限り全コース参加したいと思うものです。

日程は、その都度皆で決めますが、アクシデントは待ってくれません。

今回はウッチー会長が足の故障で欠席となりなした。

「残念!」の文字が心に響きます。

今日は寒さも一段落みたいです。

お山に出掛ける人は雪崩に気を付けて下さいね。

以前に積もった雪の上に新雪が積もって雪崩が起きやすいらしいです。

麓歩きは雪崩はないものの交通事故が怖いです。

皆、何処に居ても災いが起きる「かもしれない」と思い緊張の糸を張って行動しましょう。

今回の大雪。。。。4日から予定の四万十市に帰れるかしら?心配です。

では7時35分発の紀州快速に乗ります。段々遠くからのスタートになるので朝が早くなります。

では、行ってきます!


[4189] 【4445回 定年退職後の趣味】 2017-01-25 (Wed)

女性は定年退職後も何かと家事と趣味を上手に使い分け、元気で生きて行くことができます。

夫が死亡後も、その時一瞬は悲しんでも、悲しみから立ち上がり、更に元気で生きていける。

かたや男性は定年退職後は「さて何をする?」「女房に先立たれたらどう生きてく?」

サラリーマン時代は接待ゴルフばかりして腕を上げても、いざ退職後、自費で行くとなると女房がうるさいからね。「あんたっ!また行くのっ!」

手入れするほどの庭も無く、家の中でゴロゴロしていると妻から邪魔者扱いされる。

そんな毎日を生きていけますか?

そうならないためには定年前から何か趣味を見つけないといけません。

昔、ウオーキングの例会でスタッフよりも早く集合場所に来る人あり。

「えらい早いですね。まだまだ受付時間じゃありませんよ」と言うと

「嫁はんが、はよう出て行け言いよりまんねん」

「弁当作って貰ってるの?」

「アホな・・・コンビニでっせコ・ン・ビ・ニ!」

そんな会話もまた楽しく感じました。

ウオーキングも立派な定年後の運動です。

私の知り合いに、退職後は趣味もなく、現在は腰痛で歩くことも困難で、しかも奥様に先立たれた一人暮らしの77歳。

朝起きると酒を飲み、飲むと寝る、目覚めては酒の繰り返しで食事は一切しない。

よぉ生きてられるなぁと思います。「酒の中に栄養分がある」とのこと。そんなはずあらへん。

「いつか倒れる」と、恐れていた様に、外出先で意識を失い救急車で2回も搬送されたそうな。

運よく、その時は、娘さんが訪ねて来ており大事には至らなかったらしい。

救急搬送先の医者が「酒を飲んでますな?酒が抜けた時に精密検査が必要です」と言ったそうです。

24時間中、いったい、いつ酒が抜けるのでしょうか?

本人は入院すると酒が飲めなくなるので「大丈夫!」と元気を装うらしい。

娘さんからのSОS(家族の言うことは聞かないらしい)を受け、昔の部下として電話で少し、お説教。

色々健康について言うと「娘と同じこと言うな!」と電話の向こうで不機嫌な声。

それでも歩けなくなったら、寝込んだら、誰が困るの?って話ですよね。

いまの状態なら今年の桜は見れても、来年の桜が見られるかどうか・・・・ハッキリ本人にそう告げました。

来年の桜が見たかったら検査を受け治療に専念することだと思います。

生きる希望を持ち、「ああ今日も1日楽しかったなぁ!」と言えるようにしたいものですね。


[4188] 【4444回 地域の防災訓練】 2017-01-24 (Tue)

此花区の海抜はゼロメートル。

大きな津波が来たら町全体が飲み込まれてしまいます。

南海トラフトの襲来を想定して此花区では防災への取り組みはほかの区よりも熱心・・いやいや切実なのです。

しかし末端の区民への呼びかけはいままでにあったのか?

いつも町会の役員や防災の担当者だけで動いていた様に思います。(指導者だから、それも大事)

去年の区政会議の時アンケート用紙に書きました。

「津波避難ビルって書いてますが夜間ならどうやって入ればいいの?」

「受け入れてくれる高層マンションの住民の理解はあるの?」

「受け入れてくれる側の住民と受け入れて貰う側の住民の合同訓練を実施してほしい」等々

そんな意見がスムーズに通ったとは思いませんが来る1月28日(土)午前9時から高見町全体で避難訓練が行われることになりました。

回覧板でお知らせが回ってきましたがみんな周知したのかしら?

但し高見フローラルタウンの高層ビルに住む人達は回覧板廻ってないかも・・・?

文句タレの提案者として何が何でも参加しないといけないと思っています。

「アイツ文句言うだけいうて来てへんかったなあ」と言われないために。

いいえ、何よりも安全確認のために。

当日は、それぞれ一番近くに住む町会役員の家の前に集合し、実際に避難する高層マンションに逃げ、その後、高見小学校に集合します。

カメラ片手に参加してきます。


[4187] 【4443回 ネット通販】 2017-01-23 (Mon)

私がネットの通信販売を初めて利用したのは孫のオモチャの注文でした。

サンタのプレゼント用の品を見つけるべく伊丹にある「トイザらス」に行き探しましたが店内が広くて探しきれません。

店員に聞くのですが4人分の品は、「テンデばらばら」の要求で多忙な店員を独り占めできません。

諦めて帰ってパソコンでこの店の通販ページを見つけたのです。

一点一点商品名を「買い物かごに入れる」をクリックすると次から次に購入できました。

今では年間購読の雑誌4人分「届け先は孫達へ、支払いは婆へ」も利用しています。

それから毎年クリスマス前には利用しています

ランドセルなど爺・婆からのプレゼントだと記憶させるための品は店に出向きます(ズルッ・・笑)

今回は「畜光シール」が欲しくて通販のページを探しました。

消灯後に電気スタンドの位置や携帯電話の位置を手探りで探しており、暗闇で光るシールはないものかと調べていたのです。

あれば非常時の時にも役立つのではないかと・・・

ありました〜!ありました〜!

畜光シールの中には部屋の天井に貼り付けて星座を作るお星さまの形をしたシールなどもありました。

私は小さなシール(1シート800円)を早速注文し手元に届きました。

光る〜光る〜・・・優れものです。

夜中にトイレに起きる時、真っ暗闇の中シールがスタンドのスイッチの位置を教えてくれます。

100円均一の店も探しましたが800円もする品だもんあるはずなかったんだ。

但し、便利だからと通販を常用すると不要な物を購入する羽目に陥ります。(どこかにもそんな人いてる〜)

ポッチーが、こう見えても通販が好きで私に内緒でよく利用していました。(今は少し落ち着いてます)

購入は自分の小遣いからなのでいいのですが、すぐに飽きて無用の長物となりサンルームで品評会しています。捨てるには有料だから・・

本当に必要かどうかよく考えて、安価、高価、関係なく、生活を共にする者同士でよく話し合ってから便利に利用すれば良いと思います。

最近の子供たちの要求する品は年寄りには探しにくい。

♪♪探し物はなんですか〜見つかりにくいものですか♪♪って歌いたくなるほどに難しい・・・・


[4186] 【4442回 山のリュックとウオーキングのリュック 】 2017-01-22 (Sun)

熊野古道を歩くに当たり最初はウオーキング用の小さなリュックででかけました。

リュックの中身は「雨具、救急セット、行動食、飲み物」です。

しかし、2回目は脱いだ防寒着を入れるために、やはり背負い慣れた山用リュックに戻しました。

山登りをするならば、これ等の他に「ツエルト、カラビナ、スリング、防寒着、着替え、非常食、手袋の替え」などが加わります。

アクシデントで下山出来なかったとしても夜を凌げるだけの準備をして出発します。

そして行動食とは別に万が一のために「非常食」も携行します。

リーダーのリュックには更に、ロープと簡易用担架などズッシリと入っています。(共同装備は分担しましょう)

きつい登りの時は背中の荷物が肩に食い込んで辛くなることが度々あります。

下山してリュックの中身を片づける時、「ほとんど使わない物ばっかりやなぁ!」とため息が出ます。

しかし、使わなくてよかったのです。なぜならば安全登山で帰って来た証です。

ウオーキングだと、ほぼ街中歩きで電車、バス、タクシー、コンビニとエスケープする場所は沢山あります。

ウオーキングと言えども、どんなに天気でも合羽は常に携行しましょう。合羽は雨の日だけの物ではありません。

低体温症・防寒対策等の緊急時に使います。

ネパールではポーターさんが荷物全部担いでくれます。

私達は小さなリュックで「雨具、救急セット、行動食、飲み物」だけ入れて背負えばいいのです。

最初は「自分の荷物を人に持たせてなんと何と横着な・・・申し訳ない」と思っていました。

しかし現地の人に言わせると「それが仕事、それが生活の糧だから」と笑って軽々と40sほどの荷物を担いで歩きます。

その笑顔と言葉に少し気が楽になりましたが他人に荷物を持たせるなんてこと日本では有り得ません。

体調不良でリーダーの指示のもと、荷物を分担することはあります。

同行する片方が2個分のリュックを背負い、もう片方は空身で登る登山者を、まれに見ることがあります。「それはアカンやろっ!」

我がリーダーは常々「へばったら荷物の中身はみんなで分担。但しカラのリュックに水だけ背負って歩け!」と言います。

山行計画が立ったら日々の歩荷訓練で鍛えて、最低限の自分の荷物が背負えるなら参加資格があると言うことでしょう。

日本の山歩きは縦走などになると20s以上は平気で担ぎ上げねばなりません。

あと2回ほどで熊野古道も、いよいよ峠越えに入ります。

山登りと同じ装備で出かけなければなりません。

体力を消耗しない様に「汗をかかず、息を切らさず」です。

自分の体調に見合った歩き方をして快適な熊野古道歩きを楽しみたいです。


[4185] 【4441回 フェイスブックへの投稿】 2017-01-21 (Sat)

我々が熊野古道歩きを始めるにあたり多くの人のブログを参考にさせてもらいました。

写真に重きを置いている人、コースに重きに置いている人、歴史に重きを置いている人・・等さまざまでした。

私達はそれら先輩諸君のブログを参考に独自に調べ上げた「迷わない道」をGoogleを駆使し歩いています。

「知らないより知ってた方がいい」

そんな思いで「熊野古道・大阪天満から熊野本宮へ」のフェイスブックを立ち上げて貰いました。

私の山行記録をフェイスブックに投稿するのは、あくまでも「友達」の承認を頂いている、ごく少数の人への発信です。

しかし「熊野古道・大阪天満から熊野本宮へ」は「友達」の枠を超えて「公開」というジャンルでフェィスブックをしている人なら、どなたにも見てもらうことができます。

多くの人に熊野古道を知って貰うために投稿の目的は別でも、行き着くゴールは一緒です。

おもしろいことに同じ原稿の私の投稿には反応をしめさなくても「熊野古道・大阪天満から熊野本宮へ」のサイトに反応を示す人もいます。

だから・・・決して原稿がダブっているのではありません。

より多くの人たちの「熊野古道はいいとこ!小辺路、中辺路・大辺地だけが熊野古道ではない」と言う事を紹介したかったのです。

次回コースのGoogle読み合わせも完成し次々回も準備中です。

和歌山に入れば海や山など起伏に富んだコースが待っています。

季節の移り変わりも肌で感じられると思っています。

行きたくても健康上、参加できないポッチーのためにも、沢山の写真をアップし、楽しいレポートを作成し「参加した気分」を味わってもらうために頑張ります。


[4184] 【4440回 う〜んどうしたもんじゃろのぉ】 2017-01-20 (Fri)

2月5日に同級生たちと幹事ばかりの「新年会」を実施します。

11月に白浜で再会したばかりなのですがこの時期は新年会と決めています。

当初は四万十から半分の距離、大阪から半分の距離、真ん中の淡路島あたりで・・・と言う話になっていたのですが

いつの間にか四万十市大月町(足摺寄り)での開催となりました。

私達は開催場所はどこでもええのです。「再会出来るのであればどこへでも出かけます」

と答えたのが運の尽き・・・何と四万十市開催となってしまいました。(大笑)

大阪幹事は前夜に松山入りして「坊っちゃん湯」を楽しみ翌日松山の坊ちゃんの車で四万十へ。

その翌日は松山まで戻って国民休暇村・東予で宿泊の3泊4日の豪華新年会の予定でした。

しかし直前になり幹事の一人が兄妹の不幸があり中村入りが法事日と重なり早目に四万十に帰郷するかも知れないと言うことになりました。

まだ法事の案内が届いていないため詳細は未定らしいです。

もし私だけが移動となれば「坊っちゃん湯」はキャンセルし夜行バスで四万十入りの予定です。

「中村駅前でレンタカー借りて両親の墓参りを済ませ、従兄妹の仏前に手を合わせ、親戚回りをしてレンタカー返却後大月町のホテルへ」と第2案の予定を松山の坊ちゃんにメール。

すると『レンタカーなど借らなくても結構。何処へ何時に到着するのか連絡せよ。迎えに伺い行きたい所へ連れて行ってあげる』と力強いメールの返信がありました。

ありがたい・・・・!ほんまに感謝やわ〜!

早朝(午前7時前)のバス到着なので松山からの移動を考えると気の毒きわまりないのですが・・・甘えることにしました。

四万十での新年会が待ち遠しいです。アクシデントが起こりません様にっ!

新年会終了後、四万十組も国民休暇村・東予まで同行するかも知れない・・・2夜続けての新年会!

遅咲きの同窓会(60歳の還暦からスタート)は、今迄卒業してから50年間、止まっていた時間を取り戻すが如く

パワフルに動いています。周囲の人が驚いています。前々回は雪で道路の封鎖があり延期となりましたが今年は大丈夫じゃろうか?

移動方法がどちらになっても良い様に準備を進めています。


[4183] 【4439回 阪神大震災の爪痕は深く】 2017-01-19 (Thu)

平成7年1月17日、阪神淡路大震災発生しました。

多くの人々が一瞬で尊い命が奪われました。

大阪でも大きな振れに、暗闇に恐怖に震えました。

北海道で勉学中の息子から「お母さん大丈夫だった?」と電話してきたのですが、停電で呼び出しベル微かにしか聞こえなかったこと思い出していました。

この震災で多くの命を失ったことの悲しみを忘れることはありません。

22年・・・私たちの日常は一変しました。

「地震への備え」について強く考えるようになりました。

震災を経験した人、忘れないために今も震災を語り継いでる人。震災のことを学んできた人。

東北の震災、熊本の震災と日本は揺れ蠢いています。

22年経った今でもあの時の恐怖は忘れたことはありません。

南海トラフ巨大地震の発生も心配されています。

此花区は海抜ゼロメートル・・・津波が押し寄せると町は沈みます。

「どうぞ私の生きている間は起きないで!そんな勝手な祈りをする自分がいます。

阪神淡路大震災で得た教訓を糧に、1月17日は、自分に何が出来るのか、地域のためにどんな力になれるのか考える日にしています。

我が家では期限の迫った備蓄の食料の入れ替えを済ませました。たかが2日分ですが助けが来るまで何とかときお凌げそうです。

大事なものは3階に揚げる準備もすみました。3階まで水が来た時は、その時は諦めるしかありません。

何もしないで悔やむより、少しでも準備しておけば後悔の度合が違います。

どうか平和な日本でありますように・・・熊野詣をしながら手を合わせています。


[4182] 【4438回 模様替え】 2017-01-18 (Wed)

15日の午前5時、突然部屋の模様替えをしたくなりました。

昔は月に一度家具を動かし模様替えをするのが趣味でした。

最近は体力も落ちてきて模様替えに興味を示さなくなっていました。

所詮、狭い部屋をどう動かしてもあまり変わり映えしないのですが気分転換になります。

何よりも家具の移動は隅々の清掃にもなります。

案の定、家具の裏側に多くのワタボコリを見つけました。

掃除機をかけたいのですが階下に眠るポッチーが目を覚ますと厄介です。

「うるさいっ!こんなに朝早くから何しとんねん?!」と言うにきまってます。

フローリング用のウエットチィッシュで拭きまくり綺麗になりました。

ベツドの位置を換え、机の位置も換えました。その結果・・前より狭くなりました。アッチャー!

16日、模様替え後はじめての夜を迎え就寝しました。なかなかいい感じです。

真夜中に目覚め「アレッ今日はどこに寝てるの?」

様変わりした部屋に馴染めず目が覚めたみたいです。

寝ぼけていると言うか、原因は布団が落ちて寒さで目覚めたみたいですが、再び眠りにつきました。

俗にいう二度寝っちゅうやつです。

次の目覚めは何と午前7時50分!アッチャー!寝坊やないか〜!

予定の無い日は何時に起きなければならないと言うことは無いのですが、

ベッドの位置を換えただけでこんなにも眠れるのでしょうか?オドロキ。

私の幼友達はいつもの時間に起きて来ないので旦那さんが起こしに行くと脳梗塞を起こし

意識不明で、救急車で運ばれました。春からずーっと今も昏睡状態のままでいます。

高齢者夫婦は互いに同じ部屋で寝起きするのが理想だと言われています。

イビキがうるさいだの、寝言がうるさいだのと言うことなかれ!

互いに生存確認のためにそばに寄り添うことが必要になってくるのだそうです。

私ですか?・・・・・・無理〜!


[4181] 【4437回 熱の入る熊野古道歩き】 2017-01-17 (Tue)

熊野古道「其の3」のレポートをアップいたしました。アップが早いねとお褒め頂きましたが次回が押し迫っていますので、記憶のあるうちにと頑張っております。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0107kumano03asaka-kumeda.html

レポートの最後に「マピヨンのキョリ測」が掲載されています。足取りがよくわかります。

熊野街道上に王子の碑があるのではなく横道に逸れたり路地裏にはいったりと苦労の連続です。

しかしGoogleと言う助っ人のおかげで全員が「次の角を左折〜次のクリニックを南へ〜」と探しながら歩くのも、さながら宝探しの様で楽しいです。

王子の碑を見つけた時の喜びは子供に返ったみたいです。

今回苦労したのはゴールの久米田駅周辺にある「いや、いや、資料にはあったらしい・・・今は無い」とどれを読んでもそう書いてあります。

しかし同行者のひとりが田圃の畦道を突っ込み、根性で見つけました。

ウッチー会長は70歳を過ぎていらっしゃるのですが「おいで!おいで!」の手招きする姿は少年の様に可愛かったです。(怒られそう・・)

見つけた時は既に日が暮れかけており感動でみんなで「バンザイ」しました。

99王子を終えた時、「池田王子」を探せなかったことに悔いが残ったと思います。見つかって良かったです。

山頂で三角点を探したのに見つからなかったのと同じ気分ではないでしょうか。

下山して調べてみたら山頂より少し横に逸れてあったとか・・悔しい思いをすることはありませんか?

事前調べの大切さを思い知ることがありますよね。

私は特に三角点を大事に思っており、見つけたら「デン」をして帰ります。いつだったか、探しても探しても見つからない時がありました。

しばらくウロウロしていたら登山者の尻の下に三角点があったのです。つまり腰かけ代わりに座っていたのです。

その時の私の怒り?山頂よりも高かったのでは・・・忘れましたけど。

その方には三角点の石を、いにしえの人々がどんな思いで担ぎ上げたのかを説いたと思います。優しく、優しくですよ。

「ケツが腫れますなぁ」とすぐ移動してくれました。

山行途中の道しるべにリュックや衣類、ストックなどを掛けている人がいます。

衣類を掛けていて次の人が方向を見失うこともあります。記念撮影したい時にも邪魔になります。

休憩する時に人影が入り邪魔になりますので道標、記念碑などの近くで休憩するときは充分配慮しなければなりません。と言うか離れて休憩しましょう。

山行途中で落とし物の手袋片手、タオルなどの拾得物を木の枝に掛けていますが、引き返して拾いに戻る人はほとんどいません。

はっきり言ってゴミです。

出来れば見つけたら手間でも拾って下山後に捨ててはどうかしら?そうすれば山を汚さずにすみます。

百名山を終えて思い浮かべてみると「手袋の片方、タオル、Tシャツ類、壊れたサングラス」などがありました。

気が付かずに落として行くのでしょうが「ゴミ」を撒き散らして言ってるのと同じです。

休憩の後は周りをよく確かめてから出発しましょう。

近郊の山歩きの時ストックの忘れ物があり名前と電話番号が書いてありました。

下山後電話をすると「もういりません。処分してください」と言われたこともあります。そんなこともあります。ハハハ

そう言われればかなり使い古していて捨てても勿体ないと思う品ではありませんでした。

いろいろあるね。山歩き、里歩き。


[4180] 【4436回 雪山にご注意です】 2017-01-16 (Mon)

山梨県警は1月12日、平成28年の山岳遭難件数が149件、遭難者数が160人に達し、いずれも統計が残る昭和40年以降で最悪となったと発表しました。

遭難者のうち25人が死亡。年明け以降も、富士山で滑落が続くなど、すでに8件8人の遭難事故が発生。このうち3人が死亡。

山梨県警は例年、1月下旬に発表していましたが、冬山登山への注意を強く呼びかけようと、約2週間前倒しで記者会見したのだそうです。

昨年の遭難は、件数で最悪だった25年(113件)の約1・4倍、遭難者数でも最多だった昭和50年(135人)の約1・2倍と極端に増えているそうです。

生活安全課は、難事故の急増について「登山者自体が増えているわけではなく、はっきりした理由は分からないが、登山ブームが背景にありそうだ」と述べています。

主な原因として

@ 技術・体力不足

A 装備不十分

B 知識・経験不足

C 無理な計画

D 天候の判断が不適切・・・これらの5つをあげています。

その上で「登山届けを必ず出し、自分の技術で登れる山か見極めてほしい。

当日の天候を改めて確認し、慎重な判断をお願いしたい」としています。

救助隊で活動する県警地域課は取材に対し、「ヘリは万能ではなく、風や天気の影響で行けなくなることもある。

『呼べば助けてもらえる』という考えで登るのではなく、準備をしっかりしてほしい。

経験が豊富でも、気の緩みで最悪のケースを迎えることもある。冬は格段に危険だ」と注意を促しています。

夏の富士山でヘリの救助要請があり有料だと告げると「じゃあ結構です。自力下山します」と言ったらしいです。

山小屋の主も小屋を閉めて救助に向かっても自力で下山できる人が多いと登山者の質が落ちたことをなげいていました。

一体救助活動を何だと思っているのでしょうか!。

私が妙義山で脱臼した時ヘリを呼ばず苦痛の自力下山をしました。

しかし知らない土地で病院の位置がわからず下山後、止む無く救急車を呼びました。

救急車の中で痛みに耐えながらも自分の不注意で迷惑かけることを詫びると

強い口調で「そのために僕たちは存在しているのです!必要な時に呼ばないでどうするのですか!」と優しく叱られました。

申し訳なさと痛みが交差していましたが、その言葉に痛みが軽減され気が楽になったことがあります。ありがたかったですねぇ。


[4179] 【4435回 熊野古道 其の3】 2017-01-15 (Sun)

「浅香山から久米田駅まで」

各地が寒波に襲われて大変な14日の土曜日、予定通り「熊野古道歩き・その3」を実行しました。

集合時間よりも早く勢ぞろいです。

みんな寒さ対策バッチリです。

耳当て付き帽子に厚めのダウン、厚手の手袋、厚めのズボン等のいで立ちです。

途中で暑くなった時、困らぬ様に収納用リュックは大きめ。

しかしそんな心配は無用でした。ゴールまで衣類調整をすることはありませんでした。

それほどに寒かったのです。粉雪の舞い落ちるなか、強風とともに歩きました。

この日の走行距離は約24km。

所要時間は8時間、52,412歩。よく歩きました。

junkoちゃんの希望は「どんなに遅くなってもゴールは午後5時!それ以上は嫌っ!」ハイ、肝に命じておきます。

熊野本宮に近づくにつれて移動時間が長くなってきます。

よしんば午後5時にゴールしたとしても電車にのって帰ると7時や8時はザラになってきます。

「それはいいねんよ〜歩き終わりが5時ね!」

幻と言われる(見つからない)池田王子跡はウッチー会長の粘り強さで探し当てました。

一度久米田駅にゴールしたのが17時08分、諦めきれずに再び探しに行き戻って来たのが17時22分。

見つけましたよっ!

りっぱな池田王子の碑が立っていました。

疲れが吹っ飛びましたねぇ!

天王寺駅に到着したのは午後6時を過ぎていました。

「今日は遅いから反省会どうする?」「行くよ!」「行く、行く、行きますとも!」

天王寺駅の4階(だったと思う)に食堂街があり、お好み焼き屋さんに入りました。

まずは寒くとも冷たいビールで乾杯〜!

次回は久米田駅からスタート。3月から青春18きっぷが利用できるので遠出は3月から。

あとは山中泊もあるよ。早く大阪のアスファルト街道を抜けたい〜。


[4178] 【4434回 寒さ対策】 2017-01-13 (Fri)

14日の土曜日は、とてつもなく寒いそうです。とにかく土曜日は寒さを覚悟してお出かけください。

私も熊野古道あるき「其の3・浅香山から久米田」まで行ってきます。

雪待ちの人は待望の雪が降るかも知れませんね。

裏六甲あたりは氷瀑が美しい有馬四十八滝コースが人気かもしれません。

但し情報をきちんと収集していかないと「ガッカリ〜!」になります。

凍結しているかも知れませんので安全のためにアイゼンは必携です。

「アイゼン、ピッケル、ヘルメット」は冬山の三種の神器です。

有馬四十八滝で以前、アイゼンを持たずに立ち往生していた人がいました。

滝の直前に人間ひとりがギリギリ通過できる道があります。

そこで立ち往生されると、なかなか前に進めません。

その時はジョンがロープを持っていましたので手助けして無事通過出来ました。

出かける時の衣類が丁度よくても歩き始めると30分もしないで脱ぎたくなります。

分厚いダウンはリュックに収納できなくなります。着ぶくれにご用心です。

私は薄手のダウンに寒ければその上に風を遮断するウインドブレーカーを着るようにしています。

歩いていて暑く感じると早い目にダウンを仕舞います。

薄いのでクルクルと丸めれば小さくまとまりますのでリュックにも簡単に収納できます。

中の衣類もあまり厚手の物より、保温力のある薄手の衣類を重ね着しています。

ベストは重宝しますね。暑くなったら1枚づつ脱いでいます。

但し長めの休憩(公園等での昼食)の時は1枚着ます。歩きが止まると寒く感じます。

「早目に脱ぎ、早目に着る」これをコマメに繰り返します。

歩きながら着るようにすると同行者に待って貰わなくてもいいですね。

ネックウオーマーも便利です。風が強くなるとマスクの代わりもしてくれます。

平地歩きで低体温症になることはあまりないと思います。(いつでも、どこでもエスケープあり)

手袋は必ずいります。手や足が冷えると体全体が寒さを感じます。

まぁ私は自家製肉ダウンを着ていますので大丈夫っ!


[4177] 【4433回 奥深い熊野古道】 2017-01-13 (Fri)

「Mapionキョリ測」

まだ天満から浅香山までしか歩いていないのに、これから先が・・・

そんな矢先、百万力の助っ人をみつけました。

「Mapionキョリ測」です。

熊野古道歩きのレポートの末尾に歩いた形跡を太い赤ラインでたどりました。歩行距離も出ています。

見終えた熊野古道Aではありますが、もう一度ご覧になってみて下さい。

最後の左下に「Mapionキョリ測」を追加しました。

次回のレポートから足跡として添付していきます。

歩く前の参考に、歩いたあとの振り返りに大いに楽しむことのできる資料です。

出回っている熊野古道の地図や資料はどれもイマイチです。

同じルートを歩いている人達は苦労せずに歩いているのでしょうか?

「Mapionキョリ測」で、過日歩いた距離を見ると「18.7km」となっています。

あくまでも「王子」を追求しなければの歩行距離だと思いますが参考にはなります。

浅香山から久米田までのルートを地図上で歩いているつもりで楽しむことができます。

アルプスなどは登山口を見つければ、ほぼ悩むことなく頂上に到着します。

しかし街中歩きは複雑です。

ウオーキングの団体歩行の時は必ず下見をして曲がり角や二俣にはシールを貼っていたことを思い出しました。


[4176] 【4432回 親切な人はまだ居るわ】 2017-01-12 (Thu)

一心寺にお参りに行ってきました。

ついこの間、四天王寺さんに立ち寄った時「ああ一心寺さんにもお詣りしたいなぁ」って思っていたのです。

残り戎の11日は風もなく穏やかでした。

いつもは地下鉄に乗るのですが階段が多くポッチーが「バスで行きたい」と言い出しました。

大阪駅からバス乗り場を探すのですが見当たりません。

係員らしき人が誘導のために立っていましたので尋ねると「さぁ。。。。?あそこに担当者が立っているので聞いて下さい」って・・・おっちゃんは担当者と違うんかい?

もう一度担当者に聞くとポケットからバス路線図を出して「どこに行きたいの?」と聞かれました。

「一心寺に行きたいのです」と答えると「そりぁ地下鉄で行く方がずっと早い!地下鉄は15分、バスだと1時間はかかる」との事。

時間的なことではなく階段を避けたいだけなんですが・・・

せっかく親切に行ってくれたので地下鉄谷町線方向へ歩いていると、後ろから肩を叩く人あり(もうイケメンかなんて勘違いしないよっ!)

すると先ほど地下鉄を勧めてくれたおじさんがいて「今からそっち方面に行くからボクについて来て下さい」とのこと。(知っていますとも言えず付いて行くことにしました)

「ハイここから入ってください」と改札を指差して見送ってくれました。

おじさんは「関係者出入り口」にスーッと入って行きました。

「あのおじさん地下鉄の職員だったんや〜」

何かホッコリした気分で一心寺まで。境内はとても空いており、はるか後方から投げ入れる賽銭も最前列からソッと入れることができました。

去年は、そちらの世界に行きかけた息子の報告をポッチーの両親に長々としてまいりました。(笑)空いていたからこそできた技です。

一心寺では5月(?)に新しい骨佛像がお目見えするらしいです。

帰りこそはバスで帰ろうと「四天王寺南門前」から大阪駅行きに乗りました。

地下鉄と違い時間はかかりましたが大阪城をみながら、熊野古道出発地点の天満橋の永田屋昆布前を通りながら風景を楽しみつつ大阪駅に帰ってきました。

「住吉車庫前行き」に乗ればいいことが判明しました。次回からの一心寺詣りはバスで行くことにきめました。


[4175] 【4431回 熊野までの道のり】 2017-01-11 (Wed)

関東地方は大雪だというのに関西地方ではポカポカ陽気。

日本は狭いと言いつつ広いですなぁ!

この日が一番寒いと天気予報士は言ってたのですが・・・

山での滑落事故は相変わらず続出しています。

六甲山・芦屋地獄谷では雪山訓練のトレーニング者が多く見受けられます。

通称サメ岩過ぎたあたりの垂直に近い岩場はアイゼンの歯で岩が白色に変わっています。

アイゼンを履いたとて、滑り台に傾斜を付けた如く滑りやすいので気を付けなければいけません。

(この状態を「歯が立たない」と言うのかな?・・笑)

師匠はアイゼンの上手な歩き方は「内股歩きの人は有利である」と言います。

アイゼンの歯をズボンやスパッツに引っ掛ける人に内股の人は少ないと言います。

いつもの歩き方では凍結した登山道は危険です。

蓬莱峡やピラーロックにアイゼンの絶好の練習場があります。

でも、あまりの利用者の多さに変形しているらしいです。

ザレ場は風化して変形します。また人の手(足)によって破壊されます。

なるべく自然を破壊しないように、そして安全に登攀できるように心がけたいと思っています。

いま私は丘に上がった河童状態でヒィヒィ言いながら長距離を歩きだしました。

やっぱり山の方が向いてるなぁ。大阪・紀伊路歩きを終えて早く和歌山に入りたい。

古道歩きが待ち遠しいです。

昔の人は99箇所もある遥拝所としての王子に立ち寄りお経をあげて熊野へ向かったのです。

ツアーでは小辺路、中辺路、大辺路と見どころの多いところだけを宣伝します。

しかし基本は天満の八軒家船着き場の紀州路からなのです。

バスツアーで天満から歩かすと参加者ベタ減りだろうなぁ。

それほどに町中コースは辛くてしんどい。

山行きのザックと違い荷物は限りなく軽くして(町中歩きですのでエスケープ場所は多くある)

それでも雨具と飲料水と何やかや入れると10キロぐらいにはすぐなります。

身体が悲鳴をあげぬように上手に歩きたいと考えています。


[4174] 【4430回 レポートアップしました。】 2017-01-10 (Tue)

熊野古道のレポートをアップしました。

早く整理してアップしないと次回が始まってしまいます。

写真の量が半端じゃなくって、撮れば使いたいし、捨てるの勿体ないしと選別していると、すぐに1日が過ぎて・・・

熊野古道、熊野古道と言うけれど大阪からのコース(紀伊路)の資料は無いに等しいのであります。

熊野古道は世界遺産と言うけれど大阪からの街道は含まれていないのです。だから資料も乏しいのでしょうか。

それでも天満から浅香山までの煩雑な道を一度も迷わずに目的地をタッチすることができました。(凄いっ)

●まずは第1回目と称して「京都から天満」までの船の旅を想像してアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0107kumano01-kyou-sakai.html

●第2回目と称しては、いよいよ天満の船着き場から歩きはじめです。

「天満橋から浅香山まで」のレポートです。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/0107kumano02-tenma-asakayama.html

写真集だと思って見て頂けると楽しいのではと思います。そして熊野古道を歩いてみようと言う人はぜひご覧の上、スタートしてください。

とにかく王子の碑を求めての街中は迷い道のようなコースで大変です。この大変さがゴールした時に喜びに変わるのだと思います。

ある時は学校の敷地の中だったり、またある時はマンションの敷地の中だったりと、もうヤダー!

登る山を決め頂上を目指し、ひたすら登り詰めるのとは少々勝手が違う〜!

平地歩きって久しぶりだから戸惑いがあるわぁ!膝痛い〜

早く街道歩きを終えて古道歩きしたいです〜。


[4173] 【4429回 老いてきたかな?】 2017-01-09 (Mon)

久しぶりに再会した人が「いつも若いですね」と言ってくれます。

勿論、冗談&お世辞だと充分承知していますがそれでも「老けたねぇ」と言われるよりは、うんと嬉しい。

そんな土曜日のお出かけ時の事です。

地下鉄の改札をくぐりホームで電車を待っていると後ろから肩をポンポンと叩く人がいました。

振り向くと若いイケメンの男性・・・さてはナンパ?まさか〜!

やっぱり「まさか」でした。キャハハハハ

改札口で切符を通したものの取り忘れており、次に改札を通過した若者が届けて下さったものでした。

気が付かずに電車に乗り出口で「切符が無い〜!」と大騒ぎするところでした。ありがと。

熊野古道の王子巡りは神社が多く段差が結構あります。

他のメンバーも「おっとっと〜」と、段差につまづき、あわや転倒寸前です。

老いは私だけではありません。(安心したわ〜)みんな老化現象が進んでまっせ〜。

会話中でも「ホラ、あの人、あの人やんか〜」と名前が、なかなか出てきません。

喉まで出ているのに思い出せず解散してから「そ〜やったわ」と思い出す始末です。

次に会うまでにはまた忘れるので電話して思い出した名前を伝えたりすることもあります。

ロープワークでも時々ロープを出して来て、基本だけはしっかりと覚えておきたいと思っています。

山での危険な足場で「結び方・・忘れました」と言うことにならない様にと肝に命じています。

アイゼンの装着が時間のかかる時があります。

寒さの中で待って貰っているので余計に気が焦り思うように装着できない時があります。

出かける前には登山靴に合わして練習しておかなければと思っています。

若さの秘訣、元気の秘訣は、人それぞれに違います。

我が家は、夫が超病弱なので、せめて私だけでも元気でいないと病院に運べないし・・・

と思い、最近は風邪予防のために入浴後は即、布団の中に入るようにしています。

いままでは入浴後、雑用を済ませ布団に入る頃は湯冷め状態でした。おかげでいまのところ3年間は風邪とは無縁です。

ウオーク中でも「ん?暑いかな?」と感じると即、衣類調整しています。汗をかく前に脱いでおかないと風邪引きそう〜

そして休憩時は着る、動きが停まると体温がクグーンと下がります。

簡単に保温できるネックウオーマーは手放せません。


[4172] 【4428回 いや〜歩いた!歩いた!】 2017-01-08 (Sun)

アスファルト道を、こんなにも長い距離歩いたのは何年ぶりでしょうか?!

いやあ〜歩きましたなぁ。太腿がパンパンでっせ〜。

熊野古道を大阪から熊野本宮まで歩こうと言う計画に賛同してくれた岳友3人をくわえて5人パーティでレッツゴー!。

天満の八軒屋浜で出陣式。大阪にもこんなに美しい風景があるのだと再発見のスタートでした。

大阪から和歌山までの資料は乏しくGoogleで調べ上げた貴重な資料で一度も迷わず歩くことができました。

奇跡ではありません。下調べが十二分に出来たからこその結果です。

昼食場所を四天王寺と決めゴールは「浅香山まで」と言う人もいるし、まだまだ先の「三国ヶ丘」だと言う人もいました。

熊野街道を歩くだけならばGoogleで入念に調べなくても道標もあるし簡単なのですが「王子」を「1から99まで」忠実にたどるためには行ったり戻ったりで大変でした。

山歩きと違いアスファルト歩きは膝への負担が大きくて辛い!

天満から谷町筋、四天王寺、あべの、帝塚山、住吉・・

住吉大社で初詣も済ませたし太鼓橋を渡っている間にあまりの混雑で迷子になり携帯電話で捜索したりの珍道中、楽しいウオークでした。

やっぱり第1回目のゴールは「浅香山駅」でした。

浅香山駅15時25分、35,000歩のマーチ、次につながるほどほどの距離です。

道標には八軒屋浜からの距離が明記されていましたが、それは道標に沿って歩いての話、我々の「王子」巡りは明記されている距離の1.5倍歩いていると思います。

打ち上げは難波の商店街で新年会も兼ねて、次回の日程調整などを話し合いました。

「とにかく早く大阪を抜けよう!」みんなの共通意見です。早く山の中の熊野古道を歩きたいよ〜(まだまだあと5回はかかるよ〜)

次回は南海電車・浅香山駅集合で和泉府中までを予定しています(晴れますように!)


[4171] 【4427回 互礼会】 2017-01-06 (Fri)

1月6日仕事始めです。

たった1週間ほどの休みではありましたが年度が変わるだけで気分も新鮮です。

現在では「初荷」の旗を風になびかせて街中を走っているトラックも見なくなりました。

初出の振り袖姿も、とんと見なくなりました。

会社も初出勤の日には、得意先を招待し新年互礼会をしていたのですが、それも中止となったと聞きます。

世の中どんどん省略可してきているのですね。

省略と言えば年賀状の売り上げ枚数も激減したとか・・

若者たちはラインなどで交信しあっているようです。

でも私は年賀状大好きです。特に貰うのは好き!(誰でもそうじゃろうが・・・)

6日は此花区の梅香殿と言う昔の結婚式場で此花区内で各種団体を一堂に集めて(200人ほど)賑やかに互礼会が開催されました。

議員さん、区長なども来賓として来ており「新年おめでとう」の大合唱となりました。

個別に新年のあいさつをしなくてよいという合理的な会合だと思います。

来賓の挨拶は気合が入り過ぎ・・・「挨拶は短い方が印象に残りますよ〜!」

地域別の指定席となっており、隣には知らない人が座っています。

人見知りの私は(?)借りてきてネコ状態で何とも落ち着きません〜

芳名簿の中に懐かしい知り合いの名前があり探し続けましたが見当たりませんでした。200人の中だもんね。無理や〜ザンネン!

途中で退席する人がチラホラしてきましたのでその後ろにくっついて退室しました。

此花区の多くの人達が多方面で此花区のためにご尽力されていることがよくわかりました。

かなり高齢の役員さんが多く、出来ればご勇退されて若い後継者の育成に力を注いで頂ければ此花区も安泰です。


[4170] 【4426回 いざ出陣なり】 2017-01-05 (Thu)

2017年は熊野古道を歩くことに決めました。

歩く前から「決めた!決めた!」と言うのには理由があります。

公言することで既成事実を作り、自分を追い詰める作戦です(大笑)

まずは毛馬閘門に行ってきました。

ここは京都から舟で淀川を渡る時に通過したであろう場所なのです。

或いはここで船頭さんがキセルをくわえながら休憩したかも知れませんね。

全行程15回と考えています。年末にはゴール地点で祝杯を挙げれれば嬉しいです。

歩き始めは京阪・天満橋駅近くにある八軒家船着場の看板を確認してからのスタートとなります。

第一王子→坂口王子→安倍王子と熊野に到着するまでに九十九王子を辿ります。

九十九王子とは言いますが、それほどに多いと言う意味らしいです。九十九折れ、九十九里浜などと同じ意味だと思います。

大阪を抜けるのに5回、和歌山を抜けるのに10回を予定しています。

団体歩行ではありませんので「今日はここをゴールにしようか?」も、ありかと思っています。

メンバーは6人衆。

急用が発生して全行程、6人全員が参加できないかも知れません。

そう言う私が一番危ないなぁ・・・・。

ダイトレ、京トレ、高島トレ、などのシリーズものは人気があり、次がなかなか気になります。

勿論「中辺路だけ」「小辺路だけ」の参加も大歓迎としています。

佳境に入れば山中泊もあります。

熊野古道と言えば中辺路や小辺路が有名ですが、なかなか大阪から歩くケースは少ないかと思います。

その「少なさ」に魅力を見つけたいと思ったりしています。(ちょっと変人?)

次の開催日は、解散時に都合の良い日をみんなで決めたいと考えています。

但し天候不良もありますので予備日まで決めてなるべく皆様の予定の埋まらぬうちの早目に決めて行きたいと思っています。


[4169] 【4425回 3ケ日が開けて】 2017-01-05 (Thu)

正月早々「滑落、死亡」のニュースが舞い込んできました。

スキーヤーがが雪崩に巻き込まれたり、何と言っても富士山の滑落や遭難は多発しております。

富士山はスケートリンクに傾斜をつけた状態だそうです。

滑るべくして滑落しているのです。

よほどアイゼン・ピッケル技術の達人でない限り無理!

春まで待てないのかなぁ。登山口の「入山禁止」の看板目にはいるんだけどなぁ。

「自分だけは大丈夫」と出かけたとしても滑落すれば救助隊の人たちは命がけで救出に向かうことになります。

任務とは言え、無謀な登山者のために危険を侵して出動する救助隊の人たちの事を思うと、もう少し慎重にした方がいいのではないでしょうか。

八ヶ岳・根石岳で5人がロープに繋がれアンザイレンで通過時、強風にあおられたことがあります。

http://www.hime8kin.net/2014sankokiroku/140312neishidake.html

一度転倒すると立て直しが困難となり、イモヅル式に全員を巻き込んでしまいます。

風速30m越えの風は、前の人との会話すら聞こえません。

突然ロープにテンションがかかり振り向くとバックしろの合図です。

これらの合図なども日頃訓練をしている仲間だからこそ通じ合えるのです。

根石岳(2603b)は勇気ある撤退です。無念さはあるものの生命かけてまで進む事ではありません。

たったいま付けたばかりのトレースも消えルートがなくなっていました。雪山は恐ろしいです。

私は雨飾山での滑落体験から雪山に恐怖を感じるようになっています。

山は快晴ばかりではありません。吹雪の覚悟が出来ない私は当分冬眠です。

雪山の美しさは充分にわかっています。しかし生命かけて行くこともあるまい。

そう言いつつ高見山の樹氷だよりを待っている今日この頃です。


[4168] 【4424回 2017年書き始め】 2017-01-03 (Tue)

明けましておめでとうございます。

旧年中は「ハチキン姫」をご訪問頂きありがとうございます。

心より厚くお礼申し上げます。

2016年は日本百名山を制覇し、人生の良き思い出となりました。

2017年は熊野古道を歩きたいと思っています。

中辺路などは既に歩き終えていますがスタート地点からゴールまでをつなげていきたいと考えています。

本来は京都からの出発の様ですが昔は京都から大阪までは舟で通過したとあるため、そこのコースは省き、大阪からスタートします。

ダイヤモンドトレイル、京トレイル、高島トレイル、比良山シリーズ、アルプスシリーズと多くを楽しみました。

今年は1年がかりで熊野古道を歩くと決めました。

熊野古道の合間を縫って山も楽しみたいと思っています。

百名山ハンターの時は「何が何でも頂上をっ!」でしたが、今からは「ゆっくり、のんびり」と山行を楽しみたいと思っています。

悪天候ならば天候が回復するまで焦らずに待機して登る、山行途中の雨ならば受け入れますが出発時の雨は見合せしましょう。

クックックッ(笑)・・・空木岳登山思い出すなぁ・・・

大雨のため、岳友みんなが登山口で、ためらっていたのに姫だけが雨の中をズンズン進んで入ったっけ。

仕方なくみんなついて来てくれたけど、それから私に付いたあだ名は「突っ込みの姫」となりました。

またひとつ年を重ねました。体力も年相応に低下しています。

山を続けるにはまずは自分が健康である事だと思います。

それに加えて家族も健康でいてくれないと・・・・・

みんなが元気だからこそ成し遂げられるのです。

しかし60歳過ぎてからの1年は早いなぁ・・・

数え年で今年は「古稀」です。今年11月の同窓会は四万十市で開催し、一條神社で集団で古稀のお祓いをする予定です。

日々、終活を積極的に進めながら残された人生を「自分のために」大事に使いたいと思っています。

今迄は周囲のために気を使い過ぎた自分がいます。

あるときは舅・姑に、夫に、子どもたちに、世間に・・・もうこれも卒業っ!

今年も皆様から頂いたご声援をエネルギーに変えて書き続けて参ります。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


[4167] 【4423回 年末年始】 2016-12-27 (Tue)

「年末年始の書き込みお休みのお知らせ」

年の瀬も押し迫り大掃除、正月の買い物と多忙なこととお察し申し上げます。

我が家は毎年「大掃除」と言う大げさなことはしないのです。

日々「捨てる物はないか?収納できてない物は捨てるぞ!」と脅しつつ生活しています。(笑)

つまり毎日が「終活」なのです。

私が先に逝ったとき、息子夫婦に迷惑の掛からぬ様「しつけ」のつもりです。

「クセ」とは恐ろしいもので、何度注意しても無意識に出てしまうのが「クセ」だと思います。

だから・・・口うるさく言うしかないのです。

例えば「引き出しを開けても最後まで閉めない」とか「衣類を出すときせっかくたたんだ物をかき乱す」などなど。

どれをとっても生命に支障をきたすものではありませんが共同生活をする上で「相手が不快に感じない」ことが大切です。

そんなこともあって我が家は「毎日が終活&大掃除日」なのです。

年末は何故か気ばかり焦っています。きっとこの焦りのまま新年を迎えることでしょう。

「おだやかに。些細な事は目をつぶる」これを新年の目標として生きていけたら幸せなのですが・・・。

2016年多くの皆様に「姫のおうち」を訪問して頂きありがとうございました。

2016年の元旦のカウント数が「103,337」でした。

本日現在「118,706」何と「15,000」以上のご訪問を頂いたことになります。

このことを励みに書き続けて行きたいと思っています。

私の書き込みは「私は元気にしていますよ」と言うメッセージでもあります。(一方通行でごめんなさい)

ハチキンブログに書き込みをしていただけるのですが・・・

「書き込んでみよう」と言う写真がないのかも知れません。なかなか書き込みがなくって・・・残念。

些細な出来事の書き込みでもお許し願いたいと思います。

皆様にとりまして新年が良いお年となりますようにお祈りいたします。

2016年に頂きましたあたたかくて熱い応援に心から感謝申し上げます。


※ 12月27日から1月3日まで書き込みのお休みをいただきます」


[4166] 【4422回 1年総まとめ】 2016-12-26 (Mon)

早いもので2016年も終わりに近づきました。

1日が短くて、1週間もあっと言う間に過ぎて1ケ月もアレヨアレヨと言う間に過ぎ去り、1年が終わることとなりました。

「月日の経つのは早いもので」と手紙の書きだしみたいな言葉が脳裏に浮かびます。

その手紙とて最近はラインやSNSなど「どないしてる?」などの会話モードで交信して情緒も何もあったものではありません。

こんなSNS批判をすること自体が「おじん、おばん臭い」のでしょうね。

今年1年を振り返りました。

●1月・・まず歩き始めは中山寺に安全登山の祈願を兼ねて最高峰をめざしました。お餅で、たるんだお腹は重かったです。

●2月・・スノーシューシーズンです。赤坂山と大谷山にいきました。私が雪とたわむれる唯一の行事です。

●3月・・ちょこっとクライミングの講習をしたり登攀したりとまだ岩壁は冷たいです。

●4月・・4月はイタドリシーズンです。何を置いてもイタドリ採り!しだれ桜見物も楽しみました。

●5月・・クライミング講習を実施しました。安全な登攀をするために復習も兼ねています。

●6月・・いよいよ夏山に向けてのトレーニング開始となりました。ホームグランドの六甲を中心に活動しました。

●7月・・百名山、残すは南アルプスのみ。アクセスの悪い光岳、聖岳に移動日も合わせて4泊5日の山行となりました。

●8月・・いよいよ百名山の99座目、100座目の間ノ岳・塩見岳への挑戦です。いまでもあの時の感動は忘れません。

●9月・・百名山達成記念の山行「利尻岳」を再チャレンジしました。ポッチーの病気回復を祝っての豪華な旅となりました。

●10月以降は百名山達成の安堵からか、高くてきつい山とはしばらくお別れとなりました。(達成感症候群)

クライミングを楽しんだり、箕面の森を散策したり、御在所の紅葉見物、廃線ウオークなどゆるゆるコースを楽しみました。

百名山を終えての本格的な登山と言えば御在所岳本谷コースぐらいでしょうか。 

来春から始める熊野古道の下見やホームグランドでの納山会と怪我も無く1年を乗り切りました。

百名山を終えてみると「天候の悪い日は、てっぺん目指すのは止めてもいいんや」と言うことが解りました。

ひとたび出かけると台風や強風で無い限り悪天候でも、てっぺんめざして苦しい山行を続けました。

付いたあだ名は「突っ込みのみっちゃん」とまで言われるようになりました(笑)

百名山の目的は頂上を踏むことにあったのです。雨でも行かねばならないのです。結構無理もしてきました。

これから日本百名山を目指す人に、私達の教訓として申し上げたい。「もっと、もっと楽しんで登って」と。

ひたすら脇目も振らずに、早足で登って行く百名山ハンターの人たちを多く見ました。私達もそうみられていたかも知れません。(ノロマ歩きだけど)

やり終えたいまは「温泉があって、登山口から近い山をのんびり山行」したいと思っています。(そんなとこあるか〜って?探してよ〜)


[4165] 【4421回 納山会とサンタ】 2016-12-25 (Sun)

サンタが我が家にやって来る?

恒例となりましたが24日はサンタが我が家にやってくる日です。

どう考えても小学校6年生はサンタの存在は信じていないと思います。

しかし小さな弟のためにサンタの存在を信じてるフリをしているようです。

ところが・・ところが・・3人のプレゼントは揃ったのですがひとりだけまだ到着していません。

ネット注文なので在庫があれば24時間で配達可能なんですが・・・

問い合わせをしても「混み合っているのでご希望日に沿いかねます」なんて言われました。

どうしましょう!?子供の夢をぶっ潰すことになります。

仕方がないのでほかの子供のプレゼント品と一緒に手紙を書きました。

小学4年生なのでサンタを信じているかどうか疑問ではありますが・・・・。

雪でソリもトラックも車も前に進めない事。

「なぜボクのだけ?」と聞くに決まっています。その時の答えも用意しなければなりません。

便利なようで不便なネットでの商品の購入。

やっぱり自分で足を運び、目で見て、手に取り、購入しなければ不安であることを思い知らされました。

「便利」だけに釣られてはいけないなぁと反省しきりです。

※2016年納山会のレポートをアップしました。やはり締めくくりはホームグランドの六甲山・地獄谷でした。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1223nouzan-jigokudani.html

「2017年も元気で歩けますように」と、下山後は三ノ宮で祝杯をあげました。

体力の衰えを真摯に受け止めつつ、無理の無い山行なら、まだまだできると思っています。

自信過剰はよくありませんが山がある限り登り続けたいと思っています。

孫に「アイノダケって知ってる?」と聞かれました。

どこから間ノ岳が飛び出たのか不明ですが、山の名前を聞いたとき、その山を登った時の話ができることが嬉しかったです。


[4164] 【4420回 2016年登り収め】 2016-12-24 (Sat)

「納山会登山」

年の瀬も押し迫った12月23日、納山会登山はホームグランドの六甲山芦屋・地獄谷を選びました。

前夜の雨の精か芦屋川駅前広場の人は少なく感じました。

みんな雪山をめざしているのでしょうか。アイゼン・ピッケル組が目立ちます。

この日の目的は何を隠しましょう。「下山後のステーキにあり」なのです。

ウッチー会長が三宮にある美味しくて安いステーキの店に連れて行ってくれる手筈が整っているのです。

ウッチー会長には「今日は登山はどうでもよくて、ステーキが目的やな」とバレバレです。(笑)

そうなんです。昼食前のウオーミングアップなのです(笑)

午前9時30分地獄谷に入ると入口には多くの登山者がいました。

ロープワークをするグループやアイゼンを装着するグループなどで賑わっていました。

私達は自由に散策モードで登り始めました。

前夜遅くまで降っていた雨と腐った枯れ葉で、とても滑りやすいです。

何度訪れても地獄谷は緊張の連続です。緊張がないと怪我が待っている気がします。

水の量も多い様に感じます。

滝の横には高巻きをしたあとの道があちこちに付いており登山者によって山の崩落を加速させている様にさえ感じました。

でも・・・下から見上げると高巻きの方が危険に見えます。

高巻をせずに、地獄谷経験者に案内をして貰い、確実に手、足の置き場所を習得してから滝沿いに登攀する方が安全のように思えてなりません。

私達は地獄谷初心者には必ずアンザイレンで通過する安全対策を取っています。

「こんなところでロープいらんわっ!」と、言う人もいます。

これは私達のルールなので守ってもらえないと入口から引き返すことになります。

それほどに地獄谷は危険で事故の多いコースなのです。

地獄谷はアルプスの持つ危険個所をすべて練習できる絶好のコースなのです。

練習に練習を重ねて、安全が確保できたらアルプスを楽しんでください。


[4163] 【4419回 火の用心】 2016-12-23 (Fri)

糸魚川市で大火災が発生し140棟が燃えてしまいました。

寒空に焼き出された人達に、かける言葉が見つかりません。

一軒の小さな中華料理屋からの出火らしいです。

@強風

A家屋の密集

B消防署の規模(6台)

この3点が問題視されています。

勿論、県外からの応援もありましたが、その間に燃え広がったみたいです。

昔から「地震、カミナリ、火事、オヤジ」といいます。

やはり、時代が変わっても火事は、恐ろしい!

出掛ける前、就寝前、火の用心には気を付けて下さい。

私は声に出して「ガスの元栓良し、カーペット電源良し、暖房切りました」

そう声に出して一人ごとを言ってから出掛けたり、就寝しています。

我が家にはストーブがありませんが、給油の時の事故も多いと聞きます。

取り扱いを間違わないようにしてください。

出火元だけにはならないで下さい。


[4162] 【4418回 五百瀬のコロのレポートアップ】 2016-12-22 (Thu)

20日に訪れた十津川・五百瀬のコロを訪ねてのレポートをアップしました。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1221imose-koro.html

心がほんのりとする話として見て頂ければ嬉しいです。

「母の日」に無理やり犬を預けて行った話を以前にもしたと思います。

あれは犬を預けたのではなくて息子が母親を「寂しさ」から救った話だったのです。

その証拠に12月のいまも母親の家でワンワン鳴いています。

ご主人を亡くして家に閉じこもりがちになってしまった母親は、みるみるうちに頭髪が白くなり心配した息子が「犬」をプレゼントしたのです。

最初は「まだ息子が連れにこないのよ〜」と、言葉は迷惑気でしたがまんざらでもなさそうでした。

私が「母の日のプレゼントと違うの?きっとそうよ!」と言うと

「そんなことあれへんわぁ〜困るわぁ〜」

でも困っている割には笑顔でした。

いまは「連れに来ても手放せられない」らしいです。

「犬」が元気をくれたのか最近では外に散歩に出たついでに近所の人たちともよくお喋りするようになりました。

「ワン友」もできた様子です。よかった、よかった。

私は猫派だから犬わ飼うことはありませんが、時々よそ様の犬と戯れるのは好きになりました。

昔、ダックスフンドにお尻を噛まれてからダックスフンドを見ると体が反応してか後ずさりしますが・・・・

登山中に疲労困憊していた私達の心を癒してくれた一匹の犬が、いまもどこかで元気に生きている。

そのことが解っただけでも今回の「熊野古道の下見」は成果があったと思っています。

山歩きは、その土地に生きる人達との交流の場でもあり山で出会う人との交流の場でもあります。

自然環境を破壊しないように、マナー違反をしたりしないように、みんなで共有できるように、いつも、いつも願っているのです。


[4161] 【4417回 熊野古道の下見】 2016-12-21 (Wed)

来春から始める熊野古道の下見に行ってきました。

下見と称してじつはほかに目的があったのです。

5年前に歩いた小辺路で出会った犬のコロに会いに行ったのです。

「たかが犬、されど犬」

あの時私達は犬のコロに大きな勇気と感動を貰ったのです。

五百瀬村の資料を見ていたら登山者を案内して三浦峠を越えるコロの話が多く出ていました。

「あの時のコロやっ!」

会ってみたくなりました。

熊野古道の下見と称して車を走らせました。

三浦峠登山口にある民宿に行くと、コロの情報がわかりました。

いまは放浪の旅に出て、どこかの家で飼われているだろう、そのうちに飼い主のもとに帰って来るだろうと言う話でした。

飼い主の家にも立ち寄りましたが兄弟犬と思われる2匹の犬が出迎えてくれました。

ざんねんながら再会できませんでしたが元気でいることがわかりホッとしました。

つい最近のテレビで「老人ホームならぬ老犬ホーム」の存在があることをしりました。

年老いた母が亡くなり、団地住まいの息子は犬が飼えず犬をホームに預けにきていました。

1年間の預かり料金の45万円は貯金をはたいて支払ったそうです。

老老介護と犬の世話が重なり仕方なく連れてきた家族もいました。

病気で最期を看取って貰いたいとつれて来た人もいました。

動物を飼っていない人にとっては「そこまでするか?」と思いますが飼い主にとって犬は人間と同じなんですね。

十津川・五百瀬で見た犬たちは自然の中できままに生きていました。本来の犬の姿はこうなんだろうと思いました。

飼った限りは金がかかろうと何だろうと最期まで責任を持って飼育してほしいですね。コロとの出会いは下記のアドレスからご覧ください。

http://www.hime8kin.net/2011sankokiroku/110409kohechi5.html


[4160] 【4416回 おせちの用意】 2016-12-19 (Mon)

2016年の元旦は、嫁いで初めて「おせちの手抜き」で幕開けとなりました。

なぜそうなったのか思い出そうとしたのですが記憶が定かでありません。

多分、ポッチーの入退院に疲れていたのかも知れません。用意しても突如入院になるかもと思っていたりしました。

そんな時、交野市のある「杉五平衛」という自然食材を使ったおせちの案内ハガキを頂き、マンネリ化を払拭するために斬新な食材を注文をしてみました。

竹の器に珍しいおせちが並び、味も美味しかったんですが、分量が少なくて家族全員の胃袋を満足さすには足りませんでした。

マンネリ気味であってもいいのです。実家の味が質素でもいいのかもしれません。

今年は例年通り作りまっせ〜。

黒豆は丹波篠山・小田垣の黒豆・・・大粒でふっくらと煮えて最高ですわぁ。

雑煮は澄まし仕立て。

嫁に来た初めての正月に味噌仕立ての雑煮を作ったら不評でした。やはり姑さんの味に親しんだ澄まし仕立てが口に合うらしい。

しばらくは息子の嫁たちと共同で作り味を伝授していましたが結婚して10年も経つと、自分達の味が出来ているはず・・・老体は身を引きました。

元旦は全員そろって初顔合わせ。2日は私の姉のところで親戚同士の顔合わせ。全員そろえば21人になります。

狭い家には入り切りませんので姉の店で一堂年始の挨拶。おせちは持ち寄ります。

この行事は亡き義兄の遺言なので全員集合を欠かしたことはありません。これだけは感心やね。

子どもたちはお年玉をもらえるチャンスだしね。来ないと貰えないって知ってるね。

姪っ子の子供たちも全員成人したのでお年玉は我が家の孫4人に貰うだけとなりました。

長い間投資したからね。「ギブ&テイク」だよ〜。よろしく頼みますよ。

いまは上司の家にお年始廻りなんて風習もなくなっていると思います。

どこかパアッと旅に出掛けたいね。でも、どこも満員だそうですよ。みんな考える事は同じみたいです。

小学生は500円札、中学生は千円、高校生は5千円の時代はもう「いにしえ」ですよ。

相場ですか?それぞれの家庭によって無理の無い金額がよろしいかと・・・・。

私は孫達が小さい間は親に取り上げられぬ様に図書券にしてました。(笑)


[4159] 【4415回 サンタのプレゼント探し】 2016-12-19 (Mon)

恒例となったサンタクロースが24日の夜に爺婆の家にもやって来るらしい。

子どもたちが大きくなるにつれてプレゼント品のグレードがハイレベルになってきます。

辛うじて理解できるのが「プラレールのスノーラビット」しかし・・・品切れらしい。

金額の問題ではなく「探しきれない」のです。

デパートのオモチャ売り場だと親切に案内してくれたのですが最近はデパートにおもちゃ売り場はありません。

「デパートに行けば何でも揃う時代」は過去の話なんです。

梅田のヨドバシカメラが出来て客足が遠のいたためのデパートからの撤退の様子でした。

店頭にいっても「ちちんぷいふい」で店員さんも忙しいのかあまりかまってくれない。

どこに何があるのやら・・・足が棒になりポッチーの額に筋が入りかけました。

あまりの渋顔なので「心臓止まりそうなの?」と聞くと首を横に振るだけ。

連れてくるんじゃなかった〜。買い物と言うのは、やっぱり一人で来るべきだと後悔しきり。

疲れ果てて、結局、何も買わずに帰宅して「Amazonさん」に依頼することにしました。

これまたオーダーの複雑なこと・・・やっとの思いで支払い画面にまでたどり着けました。あああ、しんど〜。

孫達に、もうハッキリサンタさんの正体を明かして一緒に買いに行けばよいと思ったりもします。

しかし低学年の2人の夢を壊したくない(さすが6年生2人は苦笑いしながら小さい子に付き合ってくれている)

もう少し、このまま我が家にもサンタさんに来て貰おう。

私の義兄は姪っ子達が小さいころ、クリスマスのプレゼントを欲しがると「うちの宗派はキリスト教ではないっ!」と・・。

何と大人げないと思いながら私がプレゼントを用意していました。

靴下の中に入る小さなプレゼントなんてありませんよ。でっかいどお〜。

1年に1度だけ夢をかなえてあげたいと思っています。

しかし商品が手元に届くまではクリスマスに間に合うのかと心配している毎日です。


[4158] 【4414回 「振り返りゾーン」ラスト】 2016-12-18 (Sun)

これまでの記録を振り返ってみると高い山へ登るときは、必ずトレーニングを何度も実施していることに驚きました。

当たり前の事ではありますが距離や歩荷訓練、レスキューと山のグレードに合わせて講習会をしました。

芦屋の堰堤で講習をしていると一般の登山者も混じっていたこともありました。

「どこに行けばこの会に入れるのですか?」と聞かれましたが若者でしたので丁重にお断りしました。

訓練も山行も、出来れば同年代の人たちと実施するのがベストだと思っているからです。その方が高齢者も若者もストレスが残らないと思います。

何故これほどに慎重になるのか・・・・それは苦い経験から得た教訓なのです。

昔を振り返ると・・・ウオーキング協会の主催で白馬岳登山を企画して募集しました。

山行前に責任者に「参加者のトレーニングを企画したい」と申し出ました。

責任者は慌てて「そんなことしたら参加者が集まらない、必要ない!」と、ケンモホロロ・・・

私達は、ただのスタッフで力も無く、黙って責任者に従う形となりバス2台で出発しました。参加者は100人はいたと思います。

心配したことが起こりました。参加者の中に退院間もない人が混じっていたのです。(後日知った)

クレパスの雪渓のド真ん中で歩行困難となってしまったのです。ロープで確保して何とか落石の心配のない葱平まで運びました。

「あんたらスタッフはワシを山頂まで連れて行ってくれる責任がある」と言う意味の暴言をいただきました。

参加費を支払っているのだから連れて行って当たり前とおもっているらしいです。

しかし白馬山荘までは無理・・・前日に大雪渓で落石死亡事故があったため監視員が巡回しておりSОSを出しました。

そこからヘリコプターを呼ぶのですが電話で怒号を浴びせられること約40分。じっと耐えました。

その時に私達の力となってくれたのはウオーキング協会のスタツフではありませんでした。

力強い助っ人は「やまたび倶楽部」のサスケ先生、パイロツトさんだったのです。

この時のレポートがないのが残念です。

トレーニングは山行同行者とのコミュニケーションを結ぶ大事な会議場みたいなものです。

一緒に歩いていれば歩きグセもわかります。性格までもわかってきます。

これから冬山に向かう時、メンバー間のコミュニケーションが事故を未然に防ぐ方法だと思っています。


[4157] 【4413回 「振り返りゾーン」そのB】 2016-12-17 (Sat)

団体山行を卒業し個人山行となり色々新しい発見もありました。

メリットとしては「中止&延期」が自由に調整できると言うことが大きいです。

参加者のキャンセル時の面倒くさい渉外もなくなりました。精神的なイライラから解消されました。

金銭出納帳も付けずに済みます。参加費500円は地図のA3のカラーコピー代、シール作成、記念品代に消えました。(赤字の時もあったっけ・・・)

個人山行は、山中での全体の歩調を見なくてもよく「自分さえしっかり歩ければ良い」と言う事です。

そして、たまには「しんどい。休憩したい」と弱音を吐けることです。

団体歩行ではサブリーダーと言う立場上、つらくても顔に出せず、山小屋利用時は到着時間を気にしてばかりいました。

デメリットは仲間との楽しい時間を共有できなくなったと言う事でしょうか。これは寂しいね!

最近では、若者達の「山岳会入部の敬遠」が目立っています。

理由を聞くと「色々うるさく言われ、わずらわしい」、「本に書いてあるので読めば充分」「今まで行けたからこれからも行ける」

私的には山岳会や経験豊富な先輩の指導を受けて、正しい知識を得て、より安全に山を愛して貰いたいと切望しています。

独学で頂点に達している人が近所にいますがそれでも「何故?どうして?」と先輩であるジョンに質問をしてきます。

この質問こそ次なる成長のステップだと思っています。師匠の体力は落ち始めても技術力はまだ誰にも負けません。

私は今迄も、今後も、単独行をすることはありません。って言うか出来るはずもありません。

経験豊富な支障(これちゃうなハハハ)師匠に同行するから中途半端な知識でも険しい山に行けたのだと痛感しています。

しかし時々現場となる山中で試す様にハイレベルな実技を求めてきます。「あっテストされてるな」とすぐわかります。

何故ならば師匠の命は相棒である私が握っていることになるのです。

私がエエ加減なことであれば師匠が危険にさらされることを自覚しているのであります。


登山を遊びと言うことなかれ!無事下山してこそ楽しい遊びと言える。(山女の座右の銘)


[4156] 【4412回 「振り返りゾーン」そのA】 2016-12-16 (Fri)

若かりし頃を振り返っています。

●平成21年はジョンの入院によりしばらく活動休止していましたが回復後は京都トレイル(6回)をスタート。

ロープ講座を受けつつ、岩場に出て実際に練習開始の日々を送りました。

最初はゲートロック(現在は崩壊で使えません)A懸岩、キャッスルウオール、ブラックフェィス、蓬莱峡など精力的に挑みました。

合間を縫って九度山から高野山を目指し宿坊にも泊りました。

結構、斬新な企画でみんなに喜ばれましたね。

クライミング講座をしつつ「燕岳、堂満岳、獅子ケ谷沢登り、高天谷沢登り、上山谷沢登り、甲斐駒、仙丈岳、八淵沢登り」

などの沢登も体験しました。沢登の練習を始めたのには大きな目的があったのです。

大胆にも9月には「赤木沢」を目指したのです。流れに足を取られて流されかけた岳友をロープで必死に確保しました。

あの時の美しい光景と感動はいまでも思い出します。

鳳凰三山、筏見四十八、小金岳などなど近場の山も楽しみました。

●平成22年は「音羽山、醍醐山、金剛山、函館山スノーシュー、赤坂山スノーシュー、夏沢鉱泉スノーシュー、ぽんぽん山、白髪岳、松尾山」

高島トレイル(7回)を始めました。アクセスの悪さからテント泊をして繋ぎました。

10月には屋久島へ。民宿をまるまる一軒借りての大イベントでした。

雪の頃は寒風山、大谷山にもスノーシューに出掛けました。

●平成23年は「中山寺、裏六甲氷瀑、読図ハイク、七種山、大船山、神戸市章山、イカリ山、金勝アルプス、青葉山、稲村ケ岳」

そして比良シリーズ(6回)を始めました。講師に来て貰い気象講習もしました。湯快リゾート「皆生温泉」・・ここでは淳ちゃんと最期の思い出となってしまいました。

●平成24年は「和気アルプス、赤坂山スノーシュー、新龍アルプス、小野アルプス、湖南アルプス」とアルプスシリーズを楽しみました。

この年の5月、やまたび倶楽部は「休会」と言う名で自然消滅いたしました。大きな理由としては加齢による参加者減もあります。

8年間の年月を経て会員の皆さんが一人前の「山男・山女」になり教える事が無くなったと言うのも理由のひとつです。

平成24年の5月以降は個人山行となり日本百名山巡りをすることにしました。

やまたび倶楽部で教えて貰ったさまざまな事が百名山を巡る時、大いに役立ちました。


[4155] 【4411回 「振り返りゾーン」その@】 2016-12-15 (Thu)

私達が「やまたび倶楽部」を結成したのは平成16年11月13日でした。

それまでは「ウオーキング協会」に所属して百人以上で団体歩行をしていたのです。

そのウオーカーの中から「山好き」と思われる人に目を付けて声をかけました。

「引き抜いたな!」とウオーキング協会から言われないようにウオーキングスタッフも続投しながら山を楽しみました。

いきなり高い山は無理なので足ならしに関西の山々を歩き、リーダーが私達の山歩きの様子を監督していました。。

●平成16年当初は「古光山、御高山」参加人数が多いため28人乗りの中型バスをチャーターして出かけることが多くなりました。

アスファルトの上をひたすら歩いていた時とは違い、土を踏みしめ、木の香り、沢の水音などを聞きながらとても新鮮でした。

ひとつ行事を終えると次の企画を立て、忙しくもありましたが画期的な日々を送ることができました。

●平成17年は「氷ノ山スノーシュー、大山スノーシュー、泊りがけで熊野古道、芦生原生林、8月には西穂高に行きました。

この時は「♪穂高よさらば♪」をみんなで覚えて頂上で歌いました。

どこに行くにもご当地ソングや季節の歌を探しみんなで歌ったものです。

御在所岳にも登りました。納山会は生駒山頂でダッチオーブンと洒落込み、バンガロー泊もしました。

●平成18年は「雪彦山、朽木スノーシュー、氷ノ山スノーシュー、余呉湖スノーシュー、八ヶ岳、坊がつる」

この年はスノーシューによく行きました。レンタルスノーシューからマイスノーシューになりみんなの関心が強かったように記憶しています。

そして山のグレードが、だんだん上がって行きました。その年に還暦を迎える人のための還暦パーティも恒例行事となりました。

●平成19年は「御岳山スノーシュー、槍ヶ岳」わずか3年目で槍ヶ岳ですよ・・信じられないっ!って?信じてくださいよ〜(笑)

「行ける山」と言うよりも「行きたい山」に連れて行って貰ったことがわかります。

いま振り返ると「結構無茶な要求したなぁ」と思っています。

●平成20年は「蔵王スノーシュー、乗鞍スノーシュー、春にはダイヤモンドトレイル」を始めました。

まだいまほどダイトレ・ダイトレと人気のないときでした。「立山、白山」も行きました。

グレードが上がって行くためには、岩場通過も多くなりクライミングの知識もいると判断しロープ講座を始めました。

講習会場は私の勤めていた会社の6階ホールを借りて真剣に取り組みました。

最初は6階から5階に下る階段の手摺りで練習しました。エイトを覚えるのに時間がかかりました。

結び方を覚えた人はまだ覚えていない人に教えたりしました。

参加カードも作り、行った山々のイラスト入りシールを集めるのも楽しみのひとつでした。

山の技術だけでなくリュックの荷詰め、レーション、救急搬送、心肺蘇生など多くを学びました。


(後編・・・明日に続く)


[4154] 【4410回 振り返りゾーン】 2016-12-14 (Wed)

「振り返りゾーンの追加」

もうすでにお気づきの方達も多いことと思います。

「やまたび倶楽部」だった会員の皆様にとっては「あらっ?私が載ってる〜!」と思われたのでないでしょうか。

そうなんです。ホームページの表紙がクリスマスツリーのごとく賑やかになりました。

昔のレポート(シリーズ)を再び引き出しから出してきた「思い出ゾーン」とでも言いましょうか。

京都トレイル、高島トレイル・・・ああこの頃は皆若かったね。

沢山の参加者で行ったのね。

最初のころは、どこに行くにも28人乗りの中型バスを借り切って、「電車賃より安い〜!」とか言って、座席の足りないときはガイド席にまで座っていきました。

「やまたび倶楽部」でのバス山行は勢いがありました。

やさか旅行サービスもウハウハ状態だったと思います。

「やまたび倶楽部」の全盛期時代ですね。最初のころはレポートにしていなかったのが残念です。

屋久島は民宿一軒まるまる借りて自炊したことを思い出しています。よく雨に遭ったよね。

やがて「やまたび倶楽部」が自然消滅してから個人山行に移行しました。

紀伊山地の霊場と参詣道は長くてつらかったのですが東北震災の復興祈願ですから耐えて、耐えての8泊9日・・・よく歩いたものです。

北アルプス縦走も今ならこの日程ではよう行かんと思います。若い頃に行ってて良かったです。

蕨岡・舞の森会は、5年前から50年ぶりの中学校同窓会が始まって毎年参加しています。

いまは1年の行事の欠かせない存在となっています。

山行記録と写真があればこそ「振り返りゾーン」が作成できます。

自分の記録として、岳友への参考記録としてこれからも書き綴ることにします。


[4153] 【4409回 また金かぁ?」】 2016-12-13 (Tue)

平成28年の世相を漢字一字で表す発表が「清水の舞台」で行われました。

清水寺が選出しているのではなく一般募集から多く寄せられたものを「清水の舞台」で発表しているのだそうです。

平成28年は「金」と決まりました。え〜っ?またぁ〜

たしか4年前も「金」じゃなかったでしょうか。

オリンピック毎に「金」が選ばれてる?

選ばれた理由として

その@ やはりオリンピックの金メダルラッシュの「金」

そのA 舛添前東京都知事の「政治とカネ」の「金」

そのB ドナルド・トランプ氏の金髪の「金」

などが選ばれた理由だそうです。1位の「金」は6,655票

2位は「選」で(4,723票)、3位は「変」で(4,619票

我が家ではポッチー用には「命」でしょうか。

今年ほど窮地に立たされた年は無かったです。

それ以後は1日1日を大事に生きて、無事朝が迎えれれば幸いと思うようにしています。

人それぞれ命には限りがあります。与えられた運命に逆らわず生きて行かなければなりません。

私的には「完」です。

15年もかけて登り続けた百名山を制覇したことが大きな宝物となりました。

簡単に、しかも短期間で登る人もいます。

小さな子供連れで百名山を目指し、既に制覇した子供もいます。

しかし、小さな子供が山のノウハウも知らずに親にくっついて行くだけで百名山を達成しているのを知り私の15年が色冷めて見える時もありました。

あんなに苦労してコース設定を考えたり、日程調整したりの苦労の15年を、わずか10歳ぐらいの子供が平気で成し遂げている。

それはそれで大したものだと思います。負んぶされたわけでなく、自分の足で登っているのですから大したものです。

しかし、大人になった時、自力でもう一度百名山を制覇した時は心から拍手を送りたいと思っています。

大人達の「凄いねっ!偉いねっ!」の言葉が子供たちの将来に良い影響をもたらすように他人事ながら祈っています


[4152] 【4408回 餅つき大会】 2016-12-12 (Mon)

知人から「小学校で餅つき大会があるから来てや〜」とお誘いわ受けました。

「あん餅もあるし、きな粉餅もある、安倍川餅もあるでぇ〜」の、あん餅に魅かれて行く気になりました。

予定の無い日曜日でしたので四貫島小学校まで散歩モードで出かけてみました。校庭には人がいっぱい。誰でも参加OK。

体育館の中で餅を配っている様子。なるほど・・・なるほど

議員さんやら区役所の人たちの顔もあるわ〜

まずはきな粉餅の列に並ぶ。さすがつき立てだけあって柔らかくて美味しい。

あん餅を探しましたが、どうも善哉の事だったらしい。そして善哉を一杯。

舞台では落語家が一席・・・でも誰も聞いてないし雑音で話が聞こえない。(マイクのボリューム上げたって〜!)

小さな餅でも2個も食べればお腹いっぱいで早々に引き揚げて梅田まで散歩。

今でこそスーパーに行けば年中食べられる餅ですが私が子供の頃は餅と言えば正月、祭りの時ぐらいしか食べる機会はありませんでした。

子供の頃、杵と臼が庭先に出ると正月が来たなぁと思ったものです。イモ餅も好きでしたねぇ。

しかし最近はこの餅つき大会が問題視されています。

楽しいはずの「餅つき大会」で、ノロウイルス食中毒が発生してしまったのです。

この事は大きく新聞に取り上げられ、イベント中止となるところも多く子どもたちから楽しみを取り上げる形となりました。

「餅つき」におけるノロウイルス食中毒の発生は、手水の汚染が原因との報告されています。

しかし手水の段階では餅は高温のため問題なくて、その後の、きな粉をまぶしたり、こねたりの作業が問題だという説もあります。

知人に「取りやめはしないの?」と聞くと「大丈夫!衛生面はきちんとしとる!」と自信を持っておられました。

不特定多数の方達を相手にするのですから充分な衛生面対策を取って今後も楽しいイベント続けて欲しいですね。

奇しくも同日、孫の通う春日出小学校も餅つき大会でした。ここは事前登録制で飛び入り参加はできないらしいです。

梅田に行くバスの中から見たのですが、お地蔵様を取り囲むようにして路上でも餅つきが行われていました。

風評被害に怖がるのは行政企画のイベントだけみたいで地元のイベントは活発でした。

早朝6時集合し、準備をした関係者の皆様・・・ご苦労様です。


[4151] 【4407回 富士山で滑落】 2016-12-11 (Sun)

12月5日、富士山で32歳の男性の遺体が見つかりました。この冬の富士山登山の死者はこれで3人となりました。

「冬の富士山は風が強くて転倒しやすいうえにアイスバーン状態なので、一度滑落すると止まるのが難しい」と専門家が警鐘を鳴らしています。

富士吉田署によると、11月20日には、富士山の静岡県側9合目付近から大学山岳部員の18歳の男子学生と日本山岳会所属の65歳の男性が滑落死しています。

4日には、32歳の男性が7合目付近で滑落し、5日に遺体で見つかりました。

3人とも、アイゼンや、ピッケルなど、冬山に必要な装備は持っていたそうです。当たり前のことですが。

65歳の男性は登山歴40年以上のベテランで、9合目(3600m)付近から7合目(2700m)付近まで約900メートルを一気に滑落。

勢いではじき飛ばされたとみられています。

事故が相次いでいる原因について「この時期にしては、アイスバーン状態になっている登山道が多いためではないか」と推測しているそうです。

登山道を覆っている氷が硬く、アイゼンやピッケルが食い込まない場合もあるため「一度滑り始めたらベテランでも止めるのは困難」。

富士山は独立峰のため、上下や横など、あらゆる方向から突風が吹き付けてくるので転倒しやすい。

5合目以上の登山道は9月上旬から閉鎖されていて、「登山禁止」の看板も設置されています。

しかし悲しいかな強制力はないのです。

環境省と山梨、静岡両県の関係者が、「万全な準備をしない登山者」の登山を禁止したガイドラインを作っても法的拘束力はないのが実情だそうです。

『自己責任で登る』と考える登山者もいますが、救助に向かう側は命がけだし、救助にかかる費用は税金。安易な気持ちで冬の富士山に登るべきではないと思っています。

私達が残雪期の6月の雨飾山で滑落したときのことです。

富士山とは比べ物にはなりませんが・・・っていうか「登山禁止」の山には行きませんから)

滑落し始めたら長い距離の滑り台を滑っているのと同じ状態になります。

だんだん速度が出てきて容赦なく滑っていきます。

滑落停止・・・練習はしたもののストックでは止まりません。(夏場の登山)

ピッケルなどの道具あっての滑落停止です。

滑落しながら首の骨を損傷しないためにはどうすればいいか、怪我を最小限にするためには・・・

などど滑落しながら今迄教えてもらった事を思い出して、まずは下向きの頭を上向きに立て直しました。

これで首の損傷は免れると思いました。

40度の傾斜の速度はどんどん早くなっていく恐怖は今思い出しても恐ろしいです。

http://www.hime8kin.net/2015sankokiroku/150607amakazari.html


[4150] 【4406回 風邪予防対策】 2016-12-10 (Sat)

私は自慢じゃないけど3年以上風邪を引いていません。

「アホは風邪ひかん!」と言うことなかれ!ちゃ〜んと予防しているからなんですよ。

あまり豪語するとインフルちゃんが寄ってきそうですけどね。

私は鼻炎性のアレルギーらしく寝起きと共に腹の皮がちぎれるほどにクシャミを連発していました。午前中は鼻の下は真っ赤、化粧はボロボロ。

得意先からの電話を取ると、きまって「風邪引いたんですか?」・・・でもこれは昔の話。

ウオーキングを始めたのは体質を変えるためでした。みるみるうちに改善されクシャミ大魔王は退治できました。

いまは入浴後は即ベットに滑り込むようにしています。

いままでは入浴後も雑用に終われ、湯冷め状態でしたが退職して時間に余裕ができると「明日でもいいや」と思えるようになりました。

厚着は苦手ですので冬でも下着の上は1枚だけ着用しています。

その代わり、足にはレッグウオーマー、首にはネックウオーマーと小物対策をしっかりと取っています。

机に向かう時は足温器を使っています。これがまた優れもの〜!

普通の風とインフルエンザでは症状がどう違うのでしょうか。

風邪の症状と言えば「のどの痛み、咳、鼻汁」などがあり熱があっても38度まででこれを「普通の風邪」と判断します。

38度以上の急な熱や関節痛、筋肉痛、頭痛が伴えばインフルエンザを疑った方がいいと思います。

予防には昔から言われている通り「マスク、手洗い、うがい」が予防の基本です。

手洗いも石鹸をつけて指の付け根まできちんと洗わないと菌は流れ落ちません。

病院の待合室でゴホンゴホンと咳を連発している人を見かけますが「自分のために、周りの人のために」マスクの着用をお願いしたいものです。

この他に室内の保湿、人込みを避ける、バランスの良い食事等々があります。

勿論インフルエンザの予防接種も大事です。(私は未接種・・)

風邪をひかないで今年を乗り切り、新年を迎えたいものです。


[4149] 【4405回 師 走】 2016-12-09 (Fri)

今年は早々に年賀状の用意ができました。

書き終えてホッとしています。

木曜日、仕事から戻ってみたら私のバイク置き場に自転車が・・・

「おっ!孫の自転車やな、何かあったのか?」

近くに住みながらも、なかなか会う機会がない。

「何か困った事があった時はおいで」と言ってあるので何があったのか?

まず顔色を見ました。悲しい顔ではない様子でまずは安堵しました。

最近は学校での悩みも複雑なので年寄りの出る幕ではないと思いますが・・・

ママのお使いで来てくれていた様子です。(ホッ)

私が仕事から帰ってくるまで2階で爺と将棋と碁をやっていたらしいです。

2階のタタミも全部新しくなっていて、い〜い香りがしています。

やはり「タタミと女房は新しいのが良い」とはこのことか・・・

これで新年を気分を改めて迎えることができます。

今年は「病魔に取り付かれた」1年でした。(私はすこぶる元気ですが)

孫も緊迫した夏の頃の爺の姿を見ているので何かと優しく接してくれている様子です。

冬の夕暮れは早いため早々に帰り支度をさせて交通事故に遭わないように見送りました。

夕暮れの自転車事故、歩行者事故はとても多いです。

自分の存在を相手に知らせる服装や装備をしているかどうかで守れる事故は沢山あります。

出来れば自転車に乗らないで歩くのが一番・・・と言いつつも私もバイクがなければたちまち支障をきたしてしまいます。

いまは車よりバイクが重宝しています。

西九条の勤務先に行くのも、買い物に行くのもバイクがあれば少々の重い物でも平気に運べます。

買い置きのコピー用紙が品薄になればコーナンへ走り1箱ウンコラショ!

事務所用のお茶がなくなれば(2ℓ×6本)コーナンへウンコラショ!

(最後の1本を開封した人が購入するシステムなんですけど・・・)

か弱い女なんですけど〜〜!だ〜れも聞いてないなぁ?

みんな「山女は力持ちやなぁ、ごくろうさん」と言うのですが

品薄状態になっていることに気が付かないフリをしておこうか?

それが出来たら苦労せんわなぁ。


[4148] 【4404回 タタミ屋事情】 2016-12-08 (Thu)

「タタミ屋さんのぼやき」

タタミ屋さん泣かせは家具が山ほどにあるおうちらしいです。

我が家はタンスがタタミに掛かっていなくてタタミ屋さん泣かせではありません。

タンススペースは板の間としタンスに掛からぬように置いています。

そのタンスも、ハッキリ言ってもう不要なんですが。

嫁入り道具?そんなの関係ネェ!

そう言えば紅白の幕を張り嫁入り道具を運ぶトラック全然見かけなくなりましたね。

「出戻り」してはいけないと、トラックが道を間違えてもバック禁止でしたね。

なんか昔の方が微笑ましいですね。

嫁入り道具を運ぶ姿が消えたのは家具付きマンションが増えたからでしょうね。

姑の形見も含めてシツケの掛かったままの着物のもあります。

着る機会のない着物が和ダンスに入っていてどうしたものかと・・・

整理ダンスとていまはクローゼットの中や脱衣所で充分賄えます。

どの様にして廃棄処分にするかが問題なのです。

時々廃品回収業者が電話して来て「着物1枚千円から引き取ります」っていうけど何か裏がありそうでコワイ。

ウインドーショッピングも楽しくなくなりました。だって着たいと思う洋服に出合わないのですもの・・・

(理由のひとつに体型の変化〜キャハハハハ)

山の道具も昔ほど欲しいと、ときめかなくなりました。

百名山制覇したからか?寄る年波か?

新年に向けて何か新しい企画を考えて行動しないと「うつ病&呆け老人」になりそうです。


[4147] 【4403回 ゴミ袋5つも】 2016-12-07 (Wed)

そろそろ年末の掃除をと思いポッチーが病院に出かけるのを待って取り掛かりました。

大掃除はひとりでするのが一番!

途中で口出しされても腹立たしいし、手伝ってくれなくてもエエ・・・ひとりが一番。

悲しいかな背丈が少し低いので(少しだけか〜?)高所作業は少し不便を感じます。

まずは3階のサンルームからスタートします。っていうかこの日はここ限り。

ガラス張りの天井に太陽遮断用のシートを張り巡らせていたのですが劣化してポロポロと落下し始めました。

これらを剥ぐのですが・・・背が足らんわぁ。

踏み台に乗り不安定な恰好ではありますが窓から外に落ちる危険性はありません。

キャンプの時に敷くマットは太陽を浴びすぎるとポロポロと床に落ちてホコリが凄いっ!

来年の夏は素材をスダレに換え太陽遮断シートにします。大きなマットゴミ袋5個と化しました。

それ以外にも「あると便利」といつまでもストックしていた諸々も捨てることにしました。

45リットル用のゴミ袋5個に押し込み、外に出すと、あまりのゴミの多さに隣のおばちゃんが「何してるの?」と不思議がります。

環境局に電話をしてキャンプマットがプラなのか一般ゴミなのかの問い合わせをすると「一般ゴミ」だそうです。

素材はプラの部類だと思うのですが・・・

午後2時オルゴールの音とともにゴミ回収車がやってきました。

残されるのを覚悟だったので「沢山ですみません」と断りを入れて見守っていたら全部持ち帰ってくれました。

次の大掃除は2階です。畳の入れ替えを依頼しましたので完了すれば新しいタタミで新年を迎えられそうです。

タタミ屋さんに「これが最後のタタミ替え」と言うと「どこの家でも、みなさんそう言いますわ」と笑っていました。

タタミのある家は老人が多いってことか?若者の住む新しい家はフローリングだもんね。誰の思いも一緒なのね。

昔は「大掃除の日」なんて特別休暇を会社から貰い、着物の虫干しや家の外にタタミ干しをしたものです。

いまはそんな光景を目にすることがなくなりましたね。

徐々に片づけて(捨てて)スッキリしたら、物を増やさない努力をしたいと思っています。


[4146] 【4402回 スマホに慣れない同期の桜】 2016-12-06 (Tue)

年末恒例の「1万人の第九」の様子がテレビで放映されていました。

私の同期の桜でもあり岳友が毎年「1万人の第九」に出演しているのを思い出しました。

1万人もいるのですから見つけられるはずもありませんがスマホを買ったばかりだと言うのでラインをしてみました。

「見つからなかったけど出演してたのかな?」

ラインを発信したのが12月4日。

返事が来たのが12月5日の23時40分。

この時点で、まずライン機能が成立していないことが解ります。「瞬時に受送信」が基本です。

まずは4文字・・・着信しました。

次は2行、また2行の着信・・・苦労してるね〜

そして4行の受信。何が言いたいのかやっと判読できました。

最後に「エラーばかりでヤレヤレ」と書いて終わったのが12時をすぎていました。

仕事は抜群に出来る人なのですがスマホは幼稚園児みたい。(笑)

いやいや最近の幼稚園児はママの暗証番号いくら変更してもすぐに解読するよっ!

「慣れですから。スマホでラインするお友達いなかったらいつでも相手になるよ」と送信すると「頑張ります」とのこと。ハハハ

私も最初は機種変更したことをとても後悔しました。

使いこなせないスマホ持ってても何の役にも立たんと腹立たしく思ったこともありました。

今は何とか最小限使えています。(使いこなせてはいない)

60歳を過ぎると新しい挑戦に脳がついて行けてない気がします。私だけかなぁ?

脳は使わないと退化していくといいます。

ヨチヨチ歩きでも使っていれば何とかなるかもね。


[4145] 【4401回 賞味期限】 2016-12-05 (Mon)

「災害時の非常食の賞味期限が近づいた」

緊急用の食料を備蓄していたのですが賞味期限が近づいてきました。

「まずい」とか言わずに日時用で消化しなければ思っています。

「使う時がなくて良かった!」そう思いたいと思っています。

おっと?その前に新しい緊急食料を買ってからにしないとね。

みなさんも備蓄している食料があれば一度賞味期限を確かめてみてはいかがですか?

セットの中には「水5本、アルファ米6袋、カンパン2缶、金平糖1個、保存大豆1袋、乾パン1袋」などが入っています。

これで何日生き延びられるかと言われれば自信がありませんが無いよりは安心でしょ?

緊急時に我が家の冷蔵庫は役に立ちません。なぜならば空っぽだから・・・

近くにスーパーがあるので買い置きはせず食料は使い切る事にしているので空っぽ状態。

あると言えば、使いさしの味噌、マヨネーズ、ケチャップと主食になる物は何もありません。

冷凍室には1袋のイタドリがあるのみです。

これは正月に実家で義兄に供えた後みんなで義兄を偲んで食べる習慣にしています。

おせち料理よりもイタドリに群がるから笑えます。

我が家にはラーメンの買い置きもありません。

あっ・・ソーメンだけは年中切らしたことがないので役立つかも。

大きな津波が来て家ごと流されたら何を備蓄していても役には立ちませんが・・・・

部屋の中には家具らしい家具は何もおかないようにしています。ガラス戸を含んだ本箱は廊下に出しました。

倒れて危険な家具と言えば1階の食器棚と冷蔵庫ぐらいだと思います。

なるべく家具は増やさぬように、物も増やさぬようにしています。

「見たものを欲しがらず、破損品の代替購入」だけにするようにしています。

終活と合わせて緊急時に備えてライフスタイルの見直しを進めている今日この頃です。


[4144] 【4400回 鍋パーティに招かれて】 2016-12-04 (Sun)

知り合いの岳友の方から「自宅で鍋を突っつこう!」とお誘いわうけました。

遠慮なく尼崎まで出向くことにしました。あっ正確には尼崎の次の駅の出屋敷駅下車です。

クレゾール液の臭いがプンプンするシャッター商店街を抜けると幅の広い見違えるほど活気ある商店街が出現しました。

「ここの商店街は繁盛してるね!」お店の呼び込みの声「いらっしゃい〜!」は活気があり、店頭狭しと山積みの品揃えの多さは大阪からも買い物客がやって来るらしいです。

スーパーやコンビニが少ない時代は対面式の市場も多くありました。

「いらっしゃ〜い」の声に吸い込まれそうに果物店の前で足が止まりました。

どれにしようか迷っていると、すかさず「自宅用?それとも土産用?」と聞いてきました。

「手土産用なんです」と言うと「人様に渡すならこっちにしときな!間違いなし!」

そう言われれば少し高めだけど・・・そうするわっ!お勧め上手やね!

次はおじいさんとおばあさんが営むタイ焼き屋の前で足がピタッと止まりました。

手土産と言うよりは食後の自分用に買いたいのです。

「10匹ちょうだい」と注文し、焼き上がるのを待っているとおばあさんが商店街の福引券を1枚くれました。

「えっ?いいの?2000円で1枚って書いてあるよ。私は千円しか買わないけど・・」と言うと「いいよ、いいよ」と気前よく抽選券をくれました。

現金つかみ取りらしく「1等が当たったら半分もってくるね」と言うと「「そう言ってくれるお客さん沢山おるけど、いっぺんも貰ったことあらへんわ〜」

何とも人情味のあふれるタイ焼きのお店でした。福引はハズレの50円のお買物券でした。

午後3時、知人宅に到着すると早速「鍋パーティ」のスタートです。

上げ膳据え膳の鍋は美味しいね。また気の合う仲間同士だから尚美味しいね。

これから寒くなるとスーパーで「白菜を見れば鍋」のシーズン到来となりました。

最近はスープの種類が山ほどお目見えしていますが、私は昔ながらの「ポン酢」が好きですね。

以前勤めていた私の会社に、徹底した「鍋奉行」がいました。

忘年会で鍋料理だと、他の人に一切触らせない人がいました。

準備する側にとってはありがたい存在です。

途中で箸を突っ込もうものなら「待った!」がかかり、締めの雑炊は「うんちく」を語りながら仕上げてくれました。

上手なら任せられるけど・・酔っ払いだからね。でも上司だから文句も言えずね・・・待つだけでした。

鍋は家族に家庭団らんのひと時を与えてくれるかもしれません。

今夜は何鍋にしますか?

鍋を囲み外が暗くなるまで山談義がはずみました。

翌日は京都の金比羅山までアルパインクライミングの指導にいくので天気が気にかかるらしくネット検索をして天気をしらべたりしました。

「3時までは大丈夫」と太鼓判を押しましたので・・・どうぞ下山まで天気が変わりませんように!


[4143] 【4399回 インタビューを終えて】 2016-12-03 (Sat)

大阪保護観察所の機関誌のインタビューは午前9時30分から11時まで意外と時間がかかりました。

それほどに熱心な聞き手、話し手であったのでしょう。始まったばかりの企画で初回は北区保護司会でした。

そして名誉ある2回目は此花地区保護司会。定刻に「アカルイーネちゃん」がやってきました。

我が事務所にも「アカルイーネちゃん」が存在しており仲良くインタビュー開始となりました。

「アカルイーネちゃん」とは保護観察所が公募し採用されたキャラクターなのです。貸出可能な着ぐるみもあります。

明るく見守るイメージでヒマワリとハートをあしらい,芽生えた双葉で立ち直りを願って製作されています。

見慣れない間は「アカルイーネちゃん」と言うネーミングに「クスッ」と笑っちゃいました。

でも今では見慣れて可愛いとさえ思えるようになりました。ほんまやで〜(笑)

インタビューを終えて、さて此花区の案内をしようと言うことになりお勧め3点をご案内することにしました。

まずは西九条にある安治川隧道へ。

驚いたことに平日出勤や通学に利用する人は多い日で4,000人もいるとの事で驚きました。

此花区をエレベータで降りて、川底を歩いて、西区に昇ってを体験して貰いました。

「アカルイーネちゃん」も一緒に散歩していると言う設定でカメラに収まりました。

次の案内は伝法町にある澪標・住吉神社です。大阪市のマークも凛々しく立っていました。

神社入口の大きな銀杏の色付きが「アカルイーネちゃん」を歓迎していたかの様に、とても綺麗でした。

その後、すぐ隣の鴻池本店も外観を見て貰いました。なかなか風情のある建物です。

その他に、舞洲にあるゴミ焼却場や伝法水門など此花区の歴史を紐解くと、まだまだ珍しいところがあると思います。

観察所の方達が午後から会議との事で西九条駅で解散となりました。

区役所に行けば「此花おもしろトレイルルート」と言うパンフレットが置いています。

此花そぞろ歩きもいいのではないでしょうか。

昔ウオーキング協会の主催で「此花おもしろトレイルルート」をスタンプを押しながら歩いたことがあります。

しかし豪雨のため参加者が少なく失敗に終わった苦い思い出があります。(トホホ・・・)

天気に左右される行事はいつの日もスタッフ泣かせであります。

※この日の様子はブログに写真掲載しています。


[4142] 【4398回 此花区を案内して〜】 2016-12-01 (Thu)

此花区以外に住む人たちから「此花区を案内してくれる?」と言われてハテナ?どこにあるのかな・・・

じつは2日にインタビューを受けるのですが、事前質問の中に「此花区の見どころ」みたいな項目があるんですわぁ

色々考えましたが私のお勧めスポツトは3つ。

その@ 「安治川隧道」

此花区西九条1丁目から西区九条3丁目を結ぶトンネルで、安治川の川底を通っています。

1944年開通当初から1977年までは車両も通行できましたが、現在は歩行者と自転車のみになっています。

エレベーターで下まで行けるのが面白いです。環状線西九条駅から歩いて数分のところにあります。

孫が小さい時川の底を歩くと言うと水中メガネ持参で来た子がおりました。(それ以前に息・・できへんやろ・・笑)


そのA 「大阪市章マーク発祥の地 澪標・住吉神社」

昔は、水路の印として至るところに立ててあった澪標(みおつくし)は、大阪市の市章のデザインになっています。

澪標住吉神社は、社伝によれば、西暦804年、遣唐使の航路安全を祈願して祭壇を造り、一行の帰路を迎えるため澪標を立てたのがはじまりといいます。


そのB 「鴻池組本店」

日本では二軒しかないといわれるアールヌーヴォーの館の「鴻池組本店」こんなすぐそばにあるのかと驚かされます。

和風屋敷に洋館をつけた和洋併置式邸宅で、ステンドグラスを用いた装飾や、水洗トイレ、折りたたみ式のベッドなども設備されています。

此花区伝法町に運輸建設業「鴻池組」を起こし、1968年まで現在の本店社屋「鴻池ビル」が完成するまで本店として使われいたそうです。

(アールヌーヴォーとは)

「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。

此花に住んでいながら「知らなんだ〜」と言う人はぜひ一度巡ってみてください。歴史を感じてもらえると思います。



[4141] 【4397回 いよいよ・・そろそろ終活】 2016-12-01 (Thu)

知り合いのお母さんが退院の日突然亡くなったと聞きました。

「えっ?嘘でしょ?退院の聞き間違いでは・・・」いいえ亡くなったのは間違いなかったんです。


話は変わって、幼友達が突然倒れたのが春先のこと。

それから意識不明のまま眠り続けています。

生命力が強いとみえて延命装置もつけずに、今もなおコンコンと眠り続けています。

目覚めることを祈りつつ、来春には「イタドリ採りにおいで」と声がかかりそうな気がしています。

一昨年はみんなで彼女の住む町へ出向きイタドリ採りやタケノコ堀りを楽しみました。

「えっ?嘘でしょ?」と言う出来事が多すぎます。


田舎に住む80歳過ぎた親戚の話

前方から来る車に一方的に正面衝突され怪我をし車も全損、廃車となりました。

怪我が治ると代替の新車購入を強く希望したのですが息子から反対され止む無く免許返納したらしいです。

「それで良かったよ!私も安心!」と言うと「他人事だから呑気なことが言える、どれほどに不自由か!」と切々と語っていました。

しかし最近の高齢者の事故多発のニュースを聞く度に息子の取った処置は良かったと思っています。

1日1便走っていたバスも今では廃止となり交通手段はマイカーのみだそうです。

田舎こそ免許返納者用の「乗り合いタクシー」が必要です。

都会は免許返納してもバス、電車などの公共機関を利用することができます。

不便だろうなぁ・・・よくわかります。でも生命あればこそだからね。


最近我が家では葬式の話がよく出てきます。

とにかく葬式は「そっと済ませたい」と思っています。

来年は数え年の70歳(満はまだ・・69歳でっせ〜!)古稀を機会に会社関係の知人には年賀状終了宣言を出そうと思っています。これも終活。

積極的な宗教心がないから墓も要らないし・・・。

先祖代々ってそんな格式ある先祖でもないし。(ゴメン)

通夜、告別式、受付、挨拶、香典のやりとり、お経やお坊さん・・・ぜ〜ん〜ぶ要らないよ〜。

映画「おくりびと」を手本に、体を清めて、着替えをして、出来れば登山着で旅立ちたい。

そんな思いをしながら身の回りの整理をする準備をしています。


[4140] 【4396回 北アルプス立山連峰で雪崩事故】 2016-11-29 (Tue)

紅葉がまだ楽しめる時期だと言うのに、11月29日朝、雪崩のニュースが飛び込んできました。

北アルプス、立山連峰の室堂と一ノ越の間(標高およそ2500m付近)で雪崩が発生。

登山中の6人パーティーのうち3人が雪崩に巻き込まれたそうです。

警察によると男性1人が意識不明の重体だということです。

富山県上市警察署にると大学生6人で、男性3人が雪崩に巻き込まれ、うち1人が意識不明の重体。

1人が低体温症で病院で手当てを受けています。もう1人は怪我はないということです。

事前に届け出ていた登山計画では4日前の25日夜に長野県側から北アルプスに入り、

26日の朝、富山県側の室堂に到着したあと、周辺の山に向かうことになっていたそうです。

雪崩に巻き込まれたのは、ワンダーフォーゲル部に所属している6人だということです。

室堂では、28日夜も雪が降って積雪は70センチ、29日午前8時の気温は氷点下9度で、霧で視界が悪し。

これまでに降り積もった古い雪の層の上に、雪が降り積もり、新しい雪の層が崩れ落ちる表層雪崩が起きたのでは?

11月の立山連峰では雪崩による遭難もたびたび発生しています。

3年前には室堂の近くの真砂岳の斜面で大規模な雪崩が起きスキーの男女7人が巻き込まれ全員が死亡。

雪山シーズンを前に悲しい事故の一報でした。


[4139] 【4395回 喜びの声が続々と】 2016-11-29 (Tue)

同窓会のアルバムが届き、皆からの喜びの声も返ってきています。

アルバムの到着を首を長くして待っていてくれて「毎日ポストばかり覗いていたよ」と言う人もいました。

「ご苦労様。大変やったね」と、ねぎらってくれる人など嬉しい限りです。

全国に各種団体の同窓会多しと言えど、ここまでのアルバムを保有できるのは、我が蕨岡・舞の森会だけではないかと鼻高々。

そんな中の日曜日の夜、携帯電話がかかってきました。

携帯の持ち主とは違う声がして、代わる代わる電話口に喜びの声を届けてくれて嬉しかったです。

中学校の卒業写真にそれぞれの名前を入れたことが大層嬉しかったそうです。(挿入に時間もかかりましたよ〜)

60年も経過すれば誰が誰なのかわからないからね・・・名前を入れることで一目瞭然。

「お前がおらん!」と目ざとく見つけた通称「校長先生」が言いました。

だから・・・私は中学校1年生で転校していて故郷の中学校は卒業してないんだってば・・・

何度も説明するのですが酔いのバロメーターが上がり過ぎていて何を言っても無理みたい。

とても楽し気に宴会をしている様子でした。

全員がアルバムを持参していたらしく笑えました。アルバムが酒の肴だったみたいです。(笑)

「今から10分で来れるがやったら待っちょるけん来たや〜」そんな無茶な・・・

でも嬉しかったです。盛り上がりと温もりが伝わってきた嬉しい電話でした。

白浜の反省会と来年の開催について会議をし「四万十・癒しの里」での開催が決まったことを知らせてくれました。

1年前の予約なら間違いなく四万十市開催が実現することでしょう。

「四万十・癒しの里」は四万十川の下流の下田と言うところにあり中村駅からシャトルバスで20分程です。

勿論、地元料理を出してくれ、皿鉢料理の宴会ゲツトできました。


☆「四万十 癒しの里」はエコロジーホテル ☆   

四万十癒しの里は四万十川河口の小高い丘の上で、太平洋を見下ろす場所にあります。

山と川と海、三つの自然を満喫できる癒しの空間です。 
  
温泉は海水露天風呂が備わった癒しの湯です。

そして、そして・・・四万十組は、頑張って新年会の場所まで決めてくれるそうです。

「村上水軍」にまつわる場所らしいですので瀬戸内海のいずこかだと思います。

丁度、大阪と四万十市から歩み寄れる場所で素敵ですね。

早く日程きめてね〜でないと、どんどん予定が埋まってしまいます。

先着順だからね〜。

白浜のあの夜の激論でも言ったけど「1日に2つの予定は入れない」主義だからね。

ハプニングがあり先約がずれ込み、後約に食い込む場合もあります。そうなると「どっちつかず」になるからね。

迷惑をかける場合が発生するので「約束はひとつだけ」だって身体はひとつなんだから・・・


[4138] 【4394回 御在所レポートアップ】 2016-11-28 (Mon)

御在所・本谷コースのレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1126hontani.html

いま思い出しても「きつかったなぁ!」と久々の本格的登山に酔っております。

長く歩くコースより岩場をどうやって登ろうか「行こか?戻ろか?戻れない!」のコースが好きだと言う事を改めて知りました。

途中1か所だけ「助けて〜」と言うところがありましたが装備さえ万端整えていれば、仲間の協力があれば何とかクリアできます。

ただゴボウ抜きはいけません。あくまでも自力でよじ登らなければなりません。ゴボウ抜きは相棒をも道連れにしかねないのです。

写真の整理をしながら踏んできた足跡を振り返っています。

「あと5p背丈があれば・・・」掴めるホールドが沢山あるのにね。チビだとなかなか苦労します。

山行中に出会った「永遠の80歳さん」は、なかなかのリーダーシップが取れる方とお見受けしました。

難しい箇所に出くわすと「ワシの足の置く場所を見といてください」と言い置いて登って行きます。

クライミング中に、いつも思うのですが人が登攀している時、隣の人とベチャクチャとお喋りばかりする人がいます。

不要なお喋りはクライマーとビレイヤーの意思の伝達にも邪魔になります。

登攀中の人の置く足の位置、手の位置は静かに見ておきたいものです。

「永遠の80歳さん」はそんな初歩の指導を思い出させてくれました。

御在所・本谷コースは、かなり厳しいコースであったと思っています。だからこんなに達成感があるのかも知れません。

ロープウエイで往復する人達を除いては登山装備はきちんとして行きたいものです。合羽を持たない軽装のグループと出会いました。

「天気だから車に置いてきました」と言っていましたが合羽は雨専用ではありません。

万が一の防寒着としていつでもリュックの中に入れておきたいものです。

私も昔は「重たいから」と言って合羽を持たずに六甲山を歩いたことがありました。

途中で雨に遭い、みんなに心配やら迷惑をかけた苦い経験があります。


[4137] 【4393回 再び御在所岳へ】 2016-11-27 (Sun)

11月4日に紅葉を求めて行ってきた御在所岳。

その時帰りのロープウエイの中から直下の谷底を登る登山者を見つけて「次はあのコースに行きたいな!」そう思ったものです。

ひょんなことから再び御在所をおとずれることになりました。

御在所岳ロープウエイの駐車場を通過し鈴鹿スカイラインを走り、一ノ谷御在所山の家付近に車を停めたいのですが既に満杯でスペースがありません。

今回のルート「本谷コース」はバリエーションルートで地図には載ってないルートのためペンキマークを頼りに登ります。

ルート間違いも多いと聞きます

「本谷コース」と大きな岩にペンキで書かれているので見落とさないように矢印に導かれて河原にでました。

ここから谷沿いに登って行きます。

「上級者向けコースにつき、入山注意」の看板もかかっていました。

念のためロープも用意しています。ヘルメットとスワミベルトも装着済みです。

かなりの急登です。沢登り状態が続き、いくつもの大小さまざまな滝を登ったり高巻しながら進みました。

1週間前には滑落死亡事故が発生しています。

死亡事故現場のすぐ近くで結構きつい岩壁にぶちあたりました。

足を滑らせると谷底に滑落する危険場所のためシュリンゲを2本繋ぎました。ロープを出すほどではありません。

スワミベルトに環付きカラビナで確保して貰い何とか無事通過しました。

スリル満点の3時間はアッと言う間にゴールとなりました。

昼食を済ませ、前回登りに使ったルートを下山しました。

登って来る人の多い事、多い事!

いくら「登り優先」とは言え・・・・

同行してくれたクライマーのkomeiさんは積雪時に訪れたいらしく、しきりにジョンに呼びかけていました。

「もう10年いやいや5年若ければ・・・」と言ってましたが若い人にはついて行けないかも知れません。

久しぶりにハードで登山らしい登山を楽しむことができました。


[4136] 【4392回 カレンダー】 2016-11-25 (Fri)

「ピンポーン」誰かなと思い、出てみると交通安全協会の専務様がカレンダー3本抱えて笑顔で待っていてくれました。

「退職するとカレンダーが入手しにくくて・・」と言ったのはたしか5〜6年前の事。

それから毎年覚えててくださって届けてくださいます。

しかも日程の入れられる余白のあるカレンダーが好みだと言ったことを覚えていてくれていました。

有難いことです。

1階の大判カレンダーは私の手帳と同じ役割を果たしますので売り切れないうちに既に購入しました。

2016年もあと1枚残すのみとなりました。本当に1年が早いです。

企業でもカレンダーを作成して得意先に配ると言う習慣が減りつつあるのでしょうか?

それともカレンダーはスマホを見ればわかると言う傾向で需要が減って来たのでしょうか?

自転車のカゴにカレンダーを入れて得意先回りをする銀行員の方達の姿もまもなく登場ですね。

でも・・・銀行のカレンダーってどこも「イマイチ」もうちょっと工夫が欲しいですね。

「自分が貰って嬉しいカレンダー」を制作してほしいと思っています。

最近、特に見なくなったのが「日めくりカレンダー」。

会社にいればこそ毎日出勤と同時にめくっていましたが家だと思いだした時しかめくらない。

これすなわち「日めくらないカレンダー」となっています。(笑)

日めくりカレンダーには色々な情報が満載なのですが・・・

私は今でも卓上カレンダーを愛用しています。

勤めていた時は卓上カレンダーを抱えて行動するほどに重宝していました。

当日の予定は勿論ですが翌日やその先の予定を把握するのに有効なカレンダーです。

文具屋に卓上カレンダーを購入に行くと「退職しても使うのですか?」

「使うんです!」

小さな字は敬遠し、出来れば大きな文字だけのカレンダーが欲しいと思う今日この頃です。

2017年のカレンダーは、おかげさまで確保できました。


[4135] 【4391回 アルバム送ったちや〜】 2016-11-24 (Thu)

同窓会のアルバムが印刷完了で仕上がってきました。

完成まで・・どれほど時間を費やしたことでしょうか。

わずか13名の参加者でしたが、人数の多少ではないのです。

ハートです。ハート!

第5回同窓会の大切な思い出として参加者で共有できれば、こんなうれしいことはありません。

本日、参加者全員に発送しました。

届いた後の感想が楽しみです。

次回は絶対っ!故郷・四万十市で皿鉢宴会でっせ〜!

こ洒落た料理はいらんけん。

土佐寿司とカツオのたたきがあれば会費はなんぼでも出すけん!

第5回の同窓会の様子は下記にアップしました。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1106mainomori01.html

そして第1回から第5回までの「蕨岡・舞の森会」のレポートをまとめました。

回を重ねるごとに錆びゆく老体でも、1年前は若かったと懐かしく思い出してもらえると嬉しいです。

表紙の左側に「舞の森会」があります。Newマークがピカピカしているのですぐわかると思います。

表紙の色は和歌山のみかんをイメージしました。

来年は清流・四万十川なので「水色」にしたいと思っています。

皿鉢料理の宴会でなかったら行かんけん・・・(脅しか?)


[4134] 【4390回 働くということ】 2016-11-23 (Wed)

11月23日は勤労感謝の日・・・だからと言うか、偶然と言うか「勤労」について熱く語りました。

「善哉がたべたいよ〜」と以前からリクエストを受けておりましたので鍋とコンロをバイクに積み、近くの公園に行きました。

しかしこの日に限って冷たい風が吹き、とても外で善哉を食べてる状況ではありません。

場所を移し、部屋の中で善哉を食べながら日本酒と焼酎を交互に。甘党・辛党どちらも大丈夫よ〜。

久しぶりの善哉なので、みんなと食べると美味しかったです。

さてお次はシシャモを焼きました。煙がモ〜モ〜と充満しちゃいました。

次の日、家主に「臭い!」と叱られそうなので先手を打って「ごめんなさいメール」をしました。

すぐに返信があり「クサヤ」以外なら大丈夫ですと、太っ腹なお返事・・・ついでにジョンの腹も太っ腹。(餅を何個食べたのやら?)

善哉を囲みながら「勤労感謝の日」にちなんで真面目に討論会をしました。実のある祝日であったと思っています。

私達年金組の時代は「年功序列型、永年勤続」が主流で一度勤めたら定年まで辞めずに働くことを「美」としていました。

現在は「能力給型、転職」と変化しています。時代は変わっているのです。

私は小さな鉄工所で40年間勤務の「永年勤続型」です。

転職する勇気がありませんでした。また新しい仕事を覚えるのが億劫だったのです。

しかし女性の中には総合職なら転勤もあれば出張もありと、バリバリと仕事をしている女性達がいます。

羨ましく思いますが私には到底できなかったことです。

新入社員には、小さな会社であってもメーカーだから胸を張って会社を愛せよと・・・

どこかの「電〇」会社のように、あそこまでひどくはなかったけど永く勤務することを押し付けていました。

退職したいと申し出のあった若者に次の仕事を聞くと「決まっていません。今から探します」と言いました。

そんなはずはありません。

しかし同じ職種の仕事に就くなら、どこも同じだから辞めずに技術を磨けとアドバイスしました。

違う職種にチャレンジしたいと言う若者には快く新しい門出を見送りました。(引き留めても止まらないだろうと言う母の心境ですかね。)

「去るも地獄、残るも地獄」と言う不景気な時代もありました。どちらが良かったのかわかりません。

しかし新たなるチャレンジをする場合、配偶者の理解さえあれば羽ばたいてみてはどうかしら?と思えるようになりました。

多分、退職して8年の間に石頭が氷河の溶けるが如く柔らかくなったのだと思います。

11月23日は善哉がもたらした貴重な討論会でした。


[4133] 【4389回 どこへ行ったのか?】 2016-11-23 (Wed)

歌の文句じゃないのですが・・・探し物がみつかりません。

  ♪ 探し物は何ですか⇒「年賀ハガキ」

  ♪ 見つけにくい物ですか⇒「いいえ」

  ♪ カバンの中も 机の中も⇒「さがしましたよっ!」

  ♪ 探したけれど見つからないのにまだまだ探す気ですか
  
う〜ん。見つかるまで探さないとね。歌ってる場合ちゃうって・・

たった5枚の年賀状、どこにいったのかしら?

出てくるまで気持ち悪い。

「もう1回買えば?」そんな問題ではないのです。

孫に出そうと子供向けを購入し、郵便局から戻りテーブルの上に置いたまでは覚えているのですが・・

朝から1時間ほどかけて探しています。(ハラタツー!)

探し物は一生懸命探すと、なかなか出てきません。

時間を置きフッとみると「何でこんなところに?」と言うようなところで見つかることがあります。

健忘症なのか年寄りになったのか・・・あああ、つらいのぉ!

今日は「勤労感謝の日」お仕事をお持ちの皆様、心からご苦労様を申し上げます。

「電〇」会社みたいに新入社員に1ケ月100時間も残業をさせて挙句の果てにそのことを苦に自殺だなんて・・・

そんなつらい時は逃げ出しなさいって言いたいです。

きっと責任感が強かったのね。気づいてあげる職場の人も同じ立場?

命さえあれば新しい生き方もある。

母親が会社に向かって「命まで差し上げたつもりはありません!」と訴えていました。

勤労感謝の日はそんな問題も加えて「勤労」について考えてみてはどうでしょうか?


[4132] 【4388回 柿の葉寿司に誘われて】 2016-11-21 (Mon)

「奈良まで出かけて昼飯に柿の葉寿司を食べよう!」馬が目の前に人参をぶら下げられた如く二つ返事で奈良へ。

大好物の柿の葉寿司を、しかも地元で作った「ほんまもん」を食べられるとあって喜び勇んででかけました。

日本百名山を終えてから「な〜んや!ゆるゆるコースになったな」と言うことなかれ!」

健脚者だけが楽しんではいかんと相棒の優しい心遣いで紅葉の見頃ろを求めてのポッチーのリハビリウオークなのです。

その様子は

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1120nara.html

ここへアップしています。

奈良公園の人出は予想以上で県庁前の道路は駐車場を探す自家用車で大渋滞でした。

観光バスは「予約」をしているのかスムーズに駐車場に入って行きます。

警備員はハンドマイク片手に「駐車場は予約でいっぱいです」と叫び続けていました。

奈良公園に行くには電車に限ります。それに最近高齢者の事故も増えています。

電車が安全・・・スマホ見ながら運転する奴もいて100%安全ではありませんけどね。

私の住む町は阪神電車と近鉄電車が提携しており乗り換え無しで奈良駅まで行くことができます。

車窓から見る都会の景色も、なかなか良いものです。

晩秋を味わいつつ奈良駅に到着すると奈良公園名物の鹿が愛くるしい顔をして出迎えてくれました。

鹿せんべいを150円で買って、しばし鹿とたわむれました。

私達は今まで人込みを嫌い、人の少ない山に逃げ込んでいましたが、最近は山もまた混雑しはじめました。

「一体どこに行けばいいの〜?」

今年は「六甲山のイノシシ、箕面の森のサル、和歌山のパンダ、奈良のシカ」と動物三昧でした。

でも・・でも・・熊だけには遭いたくない!ヘビだけには遭いたくない!スズメバチだけには遭いたくない!

来年の目標を決めました。

発表は新年早々にご報告いたします。(思わせぶりでごめんなさい)


[4131] 【4387回 奈良に行ってきました】 2016-11-21 (Mon)

柿の葉寿司につられて雨上がりの朝フラリと奈良まで出掛けました。

私の家の近くを走る阪神電車が近鉄電車と連携し奈良まで乗り換えなしで走るようになりました。

「一度終点まで乗ってみたいね」と言っていたことを思い出して実現することにしました。

ポッチーのリハビリで箕面の森のアップダウンでは少々手こずりましたが、奈良公園は平地なので大丈夫です。

千鳥橋駅から阪神電車に乗り一駅先にある西九条駅で急行に乗り換えました。

奈良駅まで片道760円と少々お高めの運賃です。

奈良駅前に出てみると沢山の観光客が、うごめいておりました。

観光協会のパンフレツトも充実しており地図を入手し出発です。

猿沢池で異変に気が付きました。

「ん?カメがいてへんで〜」

池の岩の上で親ガメの上に子ガメ、子ガメの上に孫ガメと昔から修学旅行生にも人気のあった猿沢池のカメがみあたりません。

昔から「鯉・亀七分、水三分」と言われる程、鯉や亀が多いという猿沢池。覗き込んで探しても亀たちはどこにも見当たりませんでした。

帰宅後調べてみると外来の「カミツキガメ」が見つかって、池の掃除が行われたとのこと。

日本固有のイシガメが外来種のミドリガメに駆逐されてしまっていたらしいです。(ミドリガメ9割、イシガメ1割)

猿沢池は世界遺産である興福寺に隣接しているだけに、県の担当者の方も「そんな場所で殺生はしたくない」と引き取り手を探したそうです。

須磨海浜水族園が引き取ってくれることになり水抜きを開始し池の底の掃除に取り掛かったということです。

紅葉も今が見頃といった感じです。

箕面の森も武庫川渓谷も、奈良公園も、同じカエデの木であっても環境が違えば違った美しさに見えるから不思議です。

春日大社まで行きたかったのですがポッチーの体調も気になるし併せて腹の虫が鳴き始め、柿の葉寿司を求めて駅へUターンすることにしました。

歩道は行き交うことが難しくなるほど観光客がドッと押し寄せてきています。

「奈良は元気です」そして「柿の葉寿司は最高っ!」


[4130] 【4386回 揺れたねぇ】 2016-11-20 (Sun)

昨日の昼前(11月19日)携帯の地震警報も鳴らずにいきなり地震・・・揺れましたねぇ。

幸いに階下にいましたので3階で受けたショックよりは軽かったと思います。

蛍光灯は直付けタイプなので揺れを感知することはできません。

その代わりに信楽焼きの干支の飾り物がカチカチと音を立ててゆれました。

セトモノの触れ合う音は大きいのです。いい音を出すのです(感心してる場合ちやう!)

慌てて玄関の鍵を開けドア半開きにしていつでも逃げられる状態にして、外には出ずに玄関に座り込みました。

前回の地震で「外の方が危ない」と忠告を受けたからね。

足が震えているのです。両ひざに手を押し当てて震えを止めようとするのですが・・・

すぐに師匠から電話がありました。

私が地震を怖がるのを知っていて落ち着かせようと「いま通天閣の上・・揺れたわ」と冗談を。

ちょっと笑けて、ちょっと安堵。

しばらくして高知へ帰る途中だと言う松山のぼっちゃんからもメールを貰った。「冷静に対応できましたか?」

傍に誰か人がいて怖さを共有できるといいんだけどね。

ポッチー?要るよ〜でもポッチーは全然怖がらずテレビ見てる。

地震が怖くない人とは「怖さの共有」できないもの・・・ひとりでオロオロするばかりでした。

「私だけが怖がってるのか?」

震度「4」は三重県南部、大阪府南部、奈良県広陵町、和歌山県。

え〜っ・・・奈良県広陵町にも、和歌山にも幼馴染がいてるわ〜。

自分が落ち着くのを待って、すぐにメールで地震見舞いを発信。

いずれも「大丈夫」と返事がありました。良かったわ〜

私達の住むところは震度「3」だったと思います。

南海トラフトが襲ってくるまでに死んでいたい!地震の恐ろしさは味わいたくない。

淡路大震災の時のような恐怖は生きている間に、もう経験したくありません。

昔・・私の母がリュウマチを患って歩けないでいる時、地震が起こったそうです。

歩けないはずの母が「イの一番」に走って逃げていたと言う話があります。周囲の人は「歩けてるやないか〜」

私の怖がりは母から受け継いだ遺伝かも知れません。

地震、雷、火事、親父と言うけれど本当に地震は恐い・・・


[4129] 【4385回 中学生と街頭啓発】 2016-11-19 (Sat)

「防ごう犯罪と非行・助けよう立ち直り」のキャツフレーズのもとに、此花区の3つの中学校の生徒会の皆さんと一緒に啓発活動をしました。

授業の終わりを待って午後4時30分からJR西九条駅周辺で道行く人々にチラシとウエットチィッシュを配ります。

受け取ってくれる人、知らぬ顔の人と、さまざまですが生徒たちの笑顔で立ち止まってくれる人が多かったように思いました。

「犯罪を起こす前に予防をしよう」「非行に走らぬ様みんなで気を付けよう」「いじめをなくそう」

中学生と共に活動をする意義は大きいと思います。

各学校に帰って、この日の事を生徒会を通じて伝えてくれれば成果は大きいと思います。

犯罪を犯した人達は罪を償い、心改め、社会復帰しようにも世間の目は冷たく再び犯罪を犯すケースもあります。

犯罪を犯す前に予防が出来ればこんなに良いことはありません。

小さなサインを見逃さないで、友として、親として、教師として、地域住民として気づいてあげれれば救える命もあります。

ひとりで悩みを抱え込まず相談することが大切です。

相談されたら「自分だったら」と、親身になって一緒に悩んであげるだけでも精神的に楽になるはずです。

幸いなことに此花区の少年犯罪は減少しています。

此花区の中学校も落ち着きを取り戻し勉強のできる体制になったそうです。

あとは学力向上!これは本人の努力しかありません。

私達の子供の頃は塾もなく学校から帰ったらカバンを座敷に放り投げて暗くなるまで遊んだものです。

母は「授業中に先生の言う事をしっかり聞いて置けば賢くなる」がくちぐせでした。

現代に通用しないと思いますが「予習・復習」が大切です。

友達をいじめて楽しむなんて卑怯な子はひとりもいませんでした。

スマホ問題が学校の悩みの種の様です。親はしっかりと監督をし、ルールを守らせていじめのない中学校であってほしいと願っています。


[4128] 【4384回 終わったど〜】 2016-11-18 (Fri)

同窓会から戻り、毎日せっせとアルバム作りに精出していました。

ほぼ完成となった頃「中学校の卒業アルバムに名前を入れるといいね」とまた時間と手間のかかる事を提案してしまいました。(いらんこというたもんやナ)

現在の顔と中学3年生の時の顔が一致しないのです。面影のある人は、ほんの一握り。思わぬところで時間を喰ってしまいました。

そして悲しいことに私の顔写真がないのです。

それもそのはずです中学校1年生で転校しているのですから。

顔と名前が合っているかどうか同級生に「SОS」のメールをするも添付資料が重すぎて送信不能・・・ええい〜このまま行っちゃえ〜!

男子は既に6人ほど物故者となっており、そこさえ間違えなければ笑って許してもらえるよと自分で納得。

そして11月17日、私の作業は手を離れ、印刷へバトンタッチ。

更にここでも校正をして貰うため、もうしばらくかかります。

今日からは年賀状の準備にとりかかります。

「手書き」をモットーにしていましたが右手中指が「加齢に依る骨の病気」となりペンが持ちづらくなりました。

柿を剥くのもピューラーです(苦笑)

バネ指みたいに折り曲がると、もとにもどりづらくなっています。

だから今年はパソコンで住所書きを手伝って貰う準備をしています。

あああ、あっちもこっちも年を取ると悪くなるわ〜・・・


[4127] 【4383回 多すぎる高齢者の交通事故】 2016-11-17 (Thu)

11月14日千鳥橋付近で「二輪の事故防止」の啓発活動を行いました。

車のドライバーさんにバイク事故が多発していることを知って貰い安全運転をお願いしました。

此花警察署からパトカー数台と警察官10数名、府警本部白バイ隊、地推進委員からは会長、副会長、総務の三役の大がかりな活動です。

朝日放送からはテレビ取材もあり「いったい何事か??」と通行人から質問を受けたりもしました。

赤信号で停車している車に駆け寄り、「バイクの接触事故に気を付けて」と声掛けをします。

先を急ぐのかドアのガラスを下ろさず無視して行く車も数台いました。

地道ではありますが此花区から交通事故を1件でも減らすように頑張っています。

しかし、いま問題になっているのが高齢者の事故。

しかも歩道に乗り上げたり、コンビニの中に突っ込んだりと恐ろしい事故が続出しています。

さまざまな事情があり80歳を過ぎてもハンドルを握る人は多いそうです。

家族が80歳を過ぎているので免許返納を促すと「返したくない!」とか「オレは認知症じゃない大丈夫や!」と言って免許返納を嫌がるそうです。

法的に年齢制限をしないと事故は増えるばかりです。

18歳にならないと免許取得できないのですから「75歳or80歳免許返納の義務」があってもおかしくありません。

認知症(中注程度)があるのに運転をしている男性は高齢者の61%、女性は15%もいるそうです。

去年、認知症の疑いありと言われ、医師の診察を受けねばならない人は「53,815人」、その中で医師の診察をうけた人はたった「1,650人」しかいません。

平成29年5月に改正があり75歳以上は機能検査を受け認知症の疑いがあれば取り消しか停止となります。

(えっ〜じゃあ来年3月まで野放しってこと?犠牲者が増えないことを祈ります)

何故みんな返納を嫌がるのか?。それは何の代行手段もないからです。

行政はタクシーなどの代替車を利用し車がなくても不便を感じさせない対策が必要です。

ある地域では4〜5人乗りのゴルフカートを改造し車道を走れるように許可を取り代行対策をしているところがありました。

ゴルフカートは時速20キロくらいしかスピードが出ないので安全安心で走行できます。

他の地域もこれに見らなって早急に対策考えないと「また80歳過ぎの交通事故が・・・!」と言うことになります。


[4126] 【4382回 武庫川渓谷ぶらりぶらり】 2016-11-16 (Wed)

毎度おなじみの「旧国鉄福知山線の廃線跡」は、本来は立ち入り禁止です。

にもかかわらず人気が高く「トンネルウオーク」として多くの人たちから愛されています。

安全対策工事のため今年の5月16日から閉鎖されていました。

11月15日にリニューアル完了し、西宮市の管理監督のもと、正式に一般公開されることになりました。

入口に立ちふさがるように立ててあった物々しい大きな看板は撤去されていました。

その代わり「落石注意」の看板がいたるところに建てられていました。

まずは下見をと言うことでJR西宮名塩駅から歩き始めました。もう10数回は来ています。

昔は生瀬駅から歩いていましたが車道脇を歩くため危険だと言うことで最近は西宮名塩駅から出発する団体が増えています。

「昼にはゴールするから宝塚で一杯飲もう!」と弁当も持たず、この日に限ってレーションも持たず飲料水1本のみで歩きました。

駅前のスーパーを当てにしていたのですが、まだ開店していませんでした。

いつもなら柿、リンゴ、パン、飴など持参しているのですが・・・寂しいわぁ・・・

西宮市の関係者も誰ひとり見当たらず少し不安になりながら渓谷沿いに進んで行くきました。

途中で生瀬駅から来た道と合流します。

川沿いの紅葉はとても綺麗なのですが山全体が燃えていると言うほどではありません。

枯れかけている木々も目立ちます。今年の紅葉は異変が起きている様子です。

前日の雨の精か武庫川は濁っていました。渓谷を眺める展望台には高い金網が張り巡らされていて進入禁止となっていました。

景観を楽しむ場所がひとつ減りました。事故があってからでは遅いと判断されたのだと思います。

北山第2トンネル(2つ目のトンネル)の中に敷き詰められていた枕木は撤去されていて石ころが全体にまかれていました。

歩きにくいの何のって・・・枕木があればトントントンとリズミカルに枕木を踏んで進めるのですが石ころだと足首を痛めて捻挫しそうです。

トンネルを出ると外した枕木が山積みされていました。

中ほどにかけられていた赤い鉄橋は真ん中を歩くようになっていてここは安全対策合格だと思いました。

2時間もかからぬうちに「桜広場」に到着です。広場の紅葉は綺麗で多くの人たちが休憩していました。

芦屋市の太田浩子さんと言うライターさんからインタビューを受けました。

「よくここに来るのか、今日の開通を知っていたか」などと聞かれました。

ゴール近くの武田尾側にあった簡易トイレは撤収されて無くなっていました。

水害の爪痕の工事はいまもまだ続いています。武田尾駅から宝塚に出て、一杯飲みながらランチタイム。

疲れるほど歩いてはいませんが電車の中では、ついうとう

と・・・乗り越す寸前でハッと気が付き飛び降りました。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1115fukuchiyama.html

廃線跡ウオークのレポートです。紅葉が美しいでしょ?


[4125] 【4381回 リハビリウオーク】 2016-11-14 (Mon)

2週間前に箕面に行ったばかりだったんですが、もうそろそろ色づいているかもしれないと姪っ子達とポッチーのリハビリウオークにでかけました。

9月4日に退院し10日も経たずに北海道旅行に行きましたが大丈夫でしたので今回は思い切って箕面の滝までのウオークです。

健康なら「片目でケンケン」なのですが心臓に障害があると、そうは行きません。

まず「行きたい」と思わすところからスタートしなければなりません。

看護師の姪っ子に「私が一緒だから大丈夫!」とお尻を叩かれて出掛けました。

しかし・・・緩やかな上り坂に来ると息苦しくなったみたいで休憩ばかり求めてきました。

どうにか滝まで行きましたが「ここをゴールにしようか?」とポッチーのリハビリウオークは箕面の滝までとしました。

私達は「こもれび展望台」まで散策です。

地獄谷コースにはサルの群れが生息しており、運が良ければ出合うことができます。

「六甲山はイノシシ、箕面の森はサル」

合えました〜!毛並みの良い丸々と太ったサル達が沢山いました。

姪っ子達の喜んだこと!しばらくサルの鑑賞をしてポッチーの待つ駅前にゴールです。

その時のレポートです。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1112mino.html

おサルとの出合には「地獄谷コース」がお勧めです。


[4124] 【4380回 同窓会・・・おまけ編】 2016-11-14 (Mon)

同窓会から戻ってから、毎日、毎日アルバム作りに精出しています。

知人のスタジオに通い詰め、ああでもないこうでもないと写真の挿入作業をしています。

「イラストレーター」と言う専門的なソフトが必要で我が家のパソコンでは歯が立ちません。

我が家のバソコンでは旅行記だけを作成し写真はスタジオで挿入します。

撮影枚数600枚・・・

師匠が言います「とにかく、たくさん撮って来い。フィルムが要る時代だと莫大な金額になるがいまはフイルムは要らないし不要な写真は捨てればいい」

見るものすべてシャッターを押しまくりました。アルバムに使えそうなら看板でも、マンホールのフタでも、虫でさえもシャッターを押しています。

「600枚のうち、おっ!こりゃいいなぁと言うのも数枚あるぞ」とお褒めの言葉を貰いました。(たった数枚か〜)

そんなとき疲れが吹っ飛びます。

「大きな物体を撮るときは必ず人間を入れろ、そうすれば大きさを比較することができる」

元の熊野本宮でもある「斉原の大鳥居」では、下を歩く人間を入れました。な〜るほど迫力あるわ〜

熊野本宮の階段上から下を撮った写真も褒めてもらいました。

今迄は写真は撮ってもらう側が多かったのですが、いまは撮る側に回り、リュックの中には、いつもカメラを入れて持ち歩いています。

記録用としてブログに載せる写真を探していると言うのもありますがスマホ写真には無い味がカメラにはあります。

アルバムも構成がほぼ終了しチェック段階に入りました。

最近はカメラを向けるとみんな協力的でポーズを取ってくれてアルバム到着を楽しみに待っていてくれます。

第3回同窓会の時「オレは写真が嫌い!写すな!」と言われたことがあります。

もしまたこのような言葉を耳にしたときは、その回から即アルバム作りは中止にします。

多くの人が評価してくれたとしても、その中のひとりが否定的だと今迄の苦労が水の泡となるのです。

アルバムの印刷代だけしか支払っていないので心苦しく「これを正規の料金にすると1冊いくらかかる?」と、恐る恐る聞いてみました。

「善意を金に換算できない。言えばお前は驚いて椅子から転がり落ちる」ほどの値段だそうです。(聞かんとこ・・・・)

今日も、明日も、明後日も・・・がんばらなくっちゃあ。

四万十市からの参加の同級生から柿とサツマイモが送られてきました。礼の電話をすると「よいよ世話になったけんねぇ。高野山では、こじゃんと雨に降られたちや」

丹精込めて作ったお芋さん・・・真心も箱詰めされていて重くて、とても嬉しかったです。


[4123] 【4379回 同窓会・・ラスト】 2016-11-13 (Sun)

別れの朝がやってきました。

午前8時、四万十組は高野山へ出発しました。

関西組は玄関まで見送り来年の再会を約束しました。

関西組は午後9時ホテルを出発しアドベンチャーワールドに到着。

開園をまってとりあえずケニア号に乗り100種類以上もいると言う動物達と出合います。

移動中にパンダを見つけました。みんなパンダに釘付けです。

ガラス越しではなく、ごく自然にすぐそばに何頭もいます。

園内は空いていて貸し切り状態でゆっくりパンダを見ることができました。

上野動物園では見物人の列が出来てガラス越しのイメージでしたので、自然飼育に驚きと感動でいっぱいです。

自然に扱っているからストレスが無く、繁殖もうまく行ってるのかも知れません。でも・・・生まれたパンダは中国に返さなくてはならないとか・・・それは悲しいね。

パンダを見て、ケニア号に乗るとバスのすぐそばまで動物達は近寄っていました。どうも朝食を配る飼育のおじさんの車を待っているようです。

ケニア号で一周した後はイルカショーを見ました。

10頭以上のイルカたちが水槽の中を優雅に泳ぎ、飛び、見事な芸を見せてくれました。

ショーを終えて外に出ると雨がポツポツ落ちてきました。海南市で待ち合わせをしている同級生の事も気になるし午前11時退園しました。

雨は激しく降りはじめ、フロントガラスを大粒の雨が叩きつけていました。間一髪のところで雨から逃れることができました。

高野山組は雨に遭ってるんだろうなぁ・・・山の上だから激しく降っているのではないでしょうか、気にかかります。

海南市の待ち合わせ場所でカオルちゃんが待っていてくれました。

家庭の事情で参加出来なかったのですが、私達が一目会いたいと無理を言い、生石高原近くの自宅から海南市までご主人と共に雨の中を出て来てくれていました。

自宅で獲れた有田ミカンと名物のお菓子をお土産を頂きました。ありがとう。

カオルちやんと別れた後はフエリー乗り場、和歌山市駅で別れを告げる友を見送り、和歌山幹事を自宅まで送り、大阪へと戻ってきました。

今回は3台の車に分散しての移動となり、ドライバーさんには大変ご苦労をおかけしました。

遠くからの参加で四万十組さんもお疲れの事だったと思います。

今後は基本的には故郷・四万十開催を軸にして「元気でいればまた会える」を合言葉に親睦を深めていきたいと思っています。

同窓会は終わりましたが私にはまだまだ大仕事が残っています。

2泊3日の間に撮り続け、写真600枚の整理と旅行記録を作成しアルバムを作成せねばなりません。

製作に掛かる長くてつらい時間ではありますが受け取った参加者達の喜ぶ顔を頭に浮かべながら頑張ります。

同窓会多しと言えど、ここまでできる同窓会は滅多にないと自分を褒めつつ、毎日頑張っております。


[4122] 【4378回 同窓会・・第2日目】 2016-11-12 (Sat)

熊野本宮をお参りした後は白浜へ向けて休憩なく突っ走りました。

三段壁、千畳敷とお決まりの白浜観光コースを回り、千畳敷から歩いて10分ほどのところにある白浜・梅樽温泉「ホテル・シーモア」へ。

チェックイン後、沈む夕日を見ようと希望者だけ「円月島」に行きました。私は下見時に見たから残留組となりました。

午後5時の日没を待って夕日鑑賞から戻ってきましたが、残念ながら季節の違いからか島の真ん中に沈まなかったらしいです。

宴会はカラオケ付きでしたので盛り上がりました。

この日が誕生日だと言うトミさんのためにみんなでハッピバースディを歌いお祝いしました。

気の利くホテル側からは、帰り際にプレゼントの贈呈がありました。心にくいねぇ!ありがとさん。

事前にカラオケ表を用意して行き「ひとり2曲まで」としました。

同じ人が何度も歌うと場がしらけて聞く方もつらいからね。

それでも歌わない人のカラオケ表を分捕り、3曲目に「アランドロン」なんて謎の参加者もいましたね。

仕方ないからおまけの1曲歌って貰いましたけど・・・(笑)

カラオケの苦手な人には無理強いはせず、ダラダラカラオケを流しもせずで歌う前にはコメントを貰いながら近況報告もして貰いました。

私はコメントの時間を大切にするために曲を入れるのをゆっくりしたのですが「ミチコ!はよ〜入れんかよっ〜!」と催促の声も聞こえましたね。

歌あり、笑いありと、なかなか盛り上がったと思います。

おひらきは勿論「蕨岡音頭」です。みんな輪になり故郷の音頭を踊りました。万歳のかわりですね。舞の森会では定着しました。

故郷の歌があるって素敵なことですよね。絶やさず継承して行って欲しいです。

部屋に帰り翌日の相談をするのですが・・・延々と3時間、激論を交わしました。

本当なら、どつきあいの喧嘩になっても可笑しくない内容でしたが、みんな冷静に意見を出し合い「折り合い点」を見つけました。みんな大人ですね。

これも今後の同窓会を絶やさないために・・・・

お互いの気持ちになり譲り合って・・・・

しこりを残さぬように乾杯をして・・・

眠れぬ夜かと思いきやスヤスヤゴーゴーと深い眠りに誘われました。

ハハハ呑気だね。第6回は四万十市にて開催です。頼んまっせ〜


[4121] 【4377回 驚きの事実】 2016-11-11 (Fri)

同窓会の2日目に那智大社に行ったときのことです。

那智の滝を見て、きつい階段を上り、やっとこさ着いたところにチョロチョロと清く流れ落ちる水と柄杓が置いてありました。

真っ赤な三重塔と遠くに見える那智大滝、そして目の前に流れ落ちる水・・・誰でも飲むでしょう〜!?

先に到着した者達が順番に、その水を飲んでいました。

私も順番を待ってゴクッゴクッと思い切り飲みました。

そして数分後、激しい腹痛に襲われトイレに駆け込んだのです。

トイレを出ては引き返し、またトイレに駆け込むを繰り返しました。

「みっちゃん顔色悪いよ。大丈夫?」と言われてしまいました。

後日、その話を写真の編集をしながら話すと「それは飲み水ではない」と言うのです。

「そんなことはない!ちゃ〜んと柄杓もあったわ!」

「では神社の手水を飲むか?」

「あれは手水やから飲み水ではないよ、飲まへんよ〜」

結果的には、私達は手水を飲料水として飲んだことになります。

「そやかて・・・みんな飲んでいたのに・・・」

腹痛になったのは私だけ・・・・

ネパールで生水禁止は承知していたもののデザートに出たフルーツに付着していた水滴で下痢を起こしました。

日本から持参した正露丸1瓶飲み干した苦い経験があります。懲りてないなぁ。

どんな時でもペットボトルを持ち歩き、流れ落ちる清らかそうな水であっても口にしないことを肝に命じました。

しかし山中であれば「命の水」として重宝されます。

登山中に水が出ていれば美味しくいただいています。

きっと運が悪かったのでしょうね。私だけトホホでした。


[4120] 【4376回 同窓会・・第1日目】 2016-11-10 (Thu)

同窓会は2泊3日の「勝浦・白浜」で、1日目は移動日。

四万十市を朝の6時に出発しホテル浦島に到着したのは午後5時を過ぎていました。

徳島港から和歌山港の船の中だけドライバーの休憩タイム。

関西組は午前9時30分に梅田を出発し、橋杭岩を見学しホテル浦島へは午後3時過ぎに到着。

夜の宴会では疲れを誰ひとり見せず1年ぶりの再会を喜び合いました。

去年と、ほぼ同じ顔触れ。

舞台にカラオケが用意されているが1泊目は頼んでいないので要注意・・・

利用してもOKだが13,000円の有料だと説明を受けてビビった。「誰もカラオケに手をつけちゃ駄目ですよ」と説明。

翌朝は那智の滝の見学と熊野那智大社へのお詣り。階段がつらいらしく、みんなヒィーヒィー言ってましたね。

熊野那智大社の参詣が終わると再び車で移動し、熊野本宮大社を目指しました。

熊野大社のお詣りの方法を説明し、ここもきつい階段を上りご利益がありますようにと手を合わせました。

平日なのに観光客がわんさと押しかけています。

お昼は集合時間を決め自由に食事を済ませました。と言ってもほとんど同じ店で食べてた様子。(笑)

私は那智大社での腹痛を引きづっていたため、軽食で済ませ大鳥居へ写真撮影に出掛けました。

熊野本宮がもとあった場所なのですがみんなここをスルーすることが多い。

大峰・奥駈け道のゴールの時を懐かしく思い出しました。

登山靴のまま熊野川をジャボジャボと渡り辿り着いたところが大鳥居の場所なのです。

今回はバスではないため3台の乗用車の連絡が困難かと思っていましたが意外とスムーズに3台連なって行動できました。

しかしやはり同窓会、社員旅行、地域行事は観光バスに限ります。高いだけの値打ちはある!

何と言っても時間の共有感が違う。盛り上がりが違う。バスだからこその醍醐味が味わえない。

もう少しバス代が安くて、人数に合わせたマイクロバスの普及があれば、参加人数の多少に悩むことはないのですが・・

中型バスと大型バスの差はほとんど無くて高速料金が違うだけかも知れません。しかし13人ではねぇ・・・あと5人何とかならなかったのかと悔やみます。

登山のための「やまたび倶楽部」時代は中型バス満席であちこち出かけたものです。

満席の参加者がいればこその贅沢だったと思います。電車で行くより安いがキャッチフレーズでした。

仙丈岳、甲斐駒岳の時は2日間観光バスは休憩中。ドライバーは楽ちんでしたね。それでも電車より安いし時間にロスが無い。

来年の参加費を今からコツコツと貯めて置かなくっちゃあね。


[4119] 【4375回 だだいま帰りました】 2016-11-09 (Wed)

恒例の2泊3日の同窓会無事終了しました。

「2泊とは贅沢な・・・」そう言われるかも知れません。

しかしチェックイン3時、チェックアウト10時では何も語れません。

還暦の歳に同級生の訃報を聞き、生きている間に同窓会をしようと地元の幹事が走り回って住所録を作成。まずは初めの第1歩。

出だしが遅いと言えば遅いかもしれません。「いつでも会える」と思っていたら訃報を聞く年代になっていたのです。

第1回、第2回と回を重ねていくうちに、だんだん同じ顔触れの参加者になってきつつあります。

「こりゃあいかん」と言うことで「地元開催」にしようと話合いをしました。

親の介護、仕事の都合、家庭の事情、とさまざまで2泊は無理でも日帰りならばと言う人が多いと聞きました。

まだ一度も参加したことのない人達がスーッと、自然に溶け込んでいけるようにムード作りをせにゃあいかん。

今回、和歌山県有田から、参加はできないがと、みんなに一目会いたいと、わざわざ近くまで出てきてくれた友がいました。

春の下見の時に私達が家まで訪ねて行き同窓会参加を呼び掛け、友の心が動いてくれたのかも知れません。

「参加し易いムード作り」をぜひ四万十市の人達にも切望します。

私が第一回目に参加を躊躇った時、友に背中を押してもらったみたいに。ぜひっ!

今回は人数が13人と少なくてバスを借りれば高額になるため自家用車での合流となりました。

やっぱり。。。味気なさが残ります。団体行動と言う気持ちにさせてくれるのは「貸し切りバス」効果です。

問題点は徹底的に話し合いました。さながら「学級会」みたいでした。

みんなの意見を順番に聞いている間に無性にむなしさと悔しさと怒りがこみ上げてきました。

真正面に座っていた友が「こわい顔しちょったぜ!」と指摘を受けました。

でも言いたいこと全部言うたら分裂してしまう。しこりが残る。

「じっと我慢できて偉いね!」と自分を褒めてやりたい。

「お前はどんな意見ぞ?」来た〜最後に私の番や〜!

本根の意見を言うた。折り合い点を見つけるように提案し、今後の教訓としてみんなで共有した。

「それで納得したか?」と聞かれました。

「いまは納得しちょらんけど明日の朝までには自分に言い聞かせ、納得さす。明日には持ち越しせん」

朝、高野山に向かう四万十組を見送った時・・・すでに心は第6回同窓会に行く準備が整っていました。


[4118] 【4374回 しばらく留守にします】 2016-11-05 (Sat)

11月6日から2泊3日で同窓会に出かけてきます。

四万十市から白浜に行先変更したりで、すったもんだありましたが第6回舞の森同窓会は開催します。

開催するからには「参加して良かった!」と言って貰わなければなりません。楽しくなければいけません。

6日の早朝、松山から夜行バスで来る幹事と合流し、集合時間の9時まで、綿密に打ち合わせ会議を致します。

そんなわけで明日から火曜日まで「勝浦&白浜」に行ってきます。

4日の日に御在所岳に行ってきましたレポートが早々に完成いたしましたので見てください。

http://www.hime8kin.net/2016sankokiroku/1104gozaisho.html

ポッチーも出かける気持ちになってくれて、やれやれの山行レポートです。


[4117] 【4373回 紅葉を求めて御在所岳へ】 2016-11-05 (Sat)

10年前、かつて所属していた「やまたび倶楽部」の仲間達と御在所岳・中岳コースに登りました。

今回、同じコースを再チャレンジです。

ロープウエイも並行しており、病み上がりのポッチーにも紅葉を楽しんでもらおうと言うジョンの粋な計らいです。

登山道から山頂に向かうコースとロープウエイを利用するコースに分かれました。

ロープウエイは午前9時からなので、午前7時30分には登山組は一足先に出発しました。

「中登山道コース」は眺望もよく、登山の醍醐味が味わえるお勧めコースです。奇岩珍岩もあり、後半は岩を登ります。

岩場大好きな私にとってはこんな快適なコースはありません。

10年前に仲間達と登った記憶が全くなかったのですが1か所鎖場が出現し、うっすらと思い出しました。

「こわい・・・」と言ってなかなか通過出来ない人もいてリーダーが手こずっていたことを懐かしく思い出しました。

しかしみんな若さで乗り切りました。今は加齢でやっとこさ通過です。

危険個所はありませんが慎重に登らないと大怪我をします。

平地でもそうですが、お喋りはほどほどにして、気を抜かずに集中すれば安全で楽しいコースてす。

出発時間が午前5時と早く、お友達をお誘いすることができませんでした。ザンネンです。

期待していた紅葉は頂上付近は既に枯れていて中腹あたりが見頃かもしれません。「うわ〜っ綺麗!」と叫ぶほどではなかったです。

しかし多くの人たちがロープウエイで来て山頂からの眺めを楽しんでいました。

山頂付近の富士見岩からは名前の如く富士山が見える日もあるそうです。この日は見えませんでした。

下りはロープウエイを利用し駐車場に戻ってみると満車状態でした。

日帰り入浴を楽しみ、道の駅で買い物をして帰宅したのが午後5時30分。

朝が早かったので渋滞もなく、駐車場も空いていて、登山道ものんびり歩けて最高の1日でした。


[4116] 【4372回 寒いね】 2016-11-03 (Thu)

「急に寒さが・・・・」

年と共に寒さを早く感じるようになりました。

「電車の中でまだ一度も座席を譲ってもらったことが無い」

と豪語していましたが寒さには極端に弱くなりました。年ですなぁ。

1階の堀コタツ機能もテーブルの収納が力不足となり最近ではカーペットに変えました。

(掘りコタツが自慢だったんですけどね)

パソコンルームは足温器の出番となりました。椅子に座っていると足が寒くて冷たくて・・・

昔、会社の机の下にそっと私だけ私物の足温器を使っていたのを他の女子社員に見つかり

「ずるいです〜!私も欲しいです〜!」と抗議を受けたことがあります。(笑)

「あんたら若いやろ?お母さんが寒いって言うてんのやから可哀そうに思ったりや〜」

そう言いつつも女子社員全員に足温器を貸与したことがありました。古い話です。

その時の足温器の暖かさが忘れられず去年、購入しました。

こんな温かい器具はありません。ストーブよりも暖房機よりも足元を温める足温器は優れものです。

柔らかい素材や、足の形をしたお洒落なものもあります。

しかしこれらは脱ぎにくいので硬い素材のゆったりしたのを購入するのがお勧めです。

受験生を持つ家庭にいかがですか?部屋全体を温めると頭がボゥーっとして眠くなります。

体は寒く、足元は暖かく・・・勉強が、はかどること間違いなしです。

我が家は冬支度が整いました。

今は快適ですが真冬になったらどうしようか・・・

今年はネパールで買った大型ダウンの出番あるかなぁ?


[4115] 【4371回 明日は御在所へ】 2016-11-03 (Thu)

11月4日は早朝出発して御在所岳(標高1212m)に行くことにしました。

御在所岳は、鈴鹿山脈のほぼ中央に位置し御池岳、雨乞岳に次いで3番目に高い山です。

ポッチーはロープウエイに乗るコースです。これもれっきとした登山です。

登山の手段にロープウエイが使える山は全国でも少ないのです。利用できるものは利用しなくっちゃあね。

@国見岳コース・・御在所岳から国見峠へと尾根づたいに進むため、アップダウンは緩めですが、一般的な登山道なので油断は禁物。

A峠登山道コース・・御在所岳の南隣に位置する鎌ヶ岳を中心に迫力ある展望が魅力です。笹と岩場が連続する急登箇所が多くあります。

B表登山道コース・・他の登山道と比べ距離が短く健脚向きです。途中で百間滝が望める展望台があります。

C一の谷登山道コース・・距離が短く健脚向き。鈴鹿の山々の中でも急登。

D中登山道コース・眺望もよく、登山の醍醐味が味わえるお勧めコースです。奇岩珍岩もあり、後半は岩を登ります。

E裏登山道コース・・距離が長いが勾配は緩めです。

F藤内壁コース・・ロッククライマーの登竜門的存在の場所です。行ったなぁ昔・・

中登山コース行きたいなあ〜


[4114] 【4370回 無事古稀を迎えて】 2016-11-02 (Wed)

11月となりました。

1日が早い!1週間が早い!1ケ月が早い!1年が早い!

あっという間に時間が過ぎてしまうのでボランティア事務所ではトイレに行く時間も惜しく働いています。

「膀胱炎になるわ〜」独り言を言いながら無事仕事を終えて申し送り書を書いて終了です。

夕暮れも早くなってきたので時間が早くても焦ります。

昨日も府警本部を出たのが午後5時30分なのに外は真っ暗・・・

優勝でもしていれば暗さなんてどこかに吹っ飛ぶのですが外も心も暗い、くらい、クライ。

首をすくめ寒さに耐えながら地下鉄に乗ろうとしたのに「みんな一緒に環状線で帰ろう」

と言われて谷町4丁目からJR森ノ宮駅まで歩きました。地下鉄に乗り野田阪神に帰る方が近いのになぁ・・・

大阪城の駐車場には観光バスが20台以上駐車していました。ライトアップショーでもあるのかな?

道路は薄暗くデコボコで歩きにくかったです。

白い杖の人が前を歩いていましたが随分不自由だろうなぁ・・・

腕が痛い、肩が痛いと少しの不満で、ぼやいているけど生きているんだから我慢しぃや〜

生涯、暗黒の世界で生きている人から比べると腕が痛い、肩が痛いなどは辛抱が足りないよね。(これは我が家のポッチーのこと)

命が蘇ると我儘でいかん。もうあの時の辛さや感謝を忘れているわ。

11月1日の健診で「異常なし!」

11月2日は埋め込み式除細動器のチェック日。

そして11月2日、無事、古稀を迎えることができました。

蘇った命・・・楽しく愉快に生きてやぁ!マイナス志向はいかんぜよ!

●古稀に贈る言葉

『われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵によってこの清き食を受く。

つつしんで食の来由をたずねて味の濃淡を問わず。その功徳を念じて品の多少をえらばじ』