[4554] 【4808回 旅先での人とのふれあい】 2018-03-08 (Thu)

2泊3日で熊野古道を歩いていると色々な人達と出会います。

今回は賑やかな外国の方達との出会いがなくてとてもラツキーでした。(ヨーロッパ系の人は品がありOK)

集落を歩いていると村人発見・・・大阪市から定年後に移住してきたらしい「いいとこですよ〜住んでみませんか?」

(私にはその勇気はないわ)

次に出会った人はバイクに乗ったおじさんでした。峠越えがとてもきついから気を付けて行きなさいと励ましてくれました。

「おっちゃん!ヘルメットかぶりや〜」と言うと振り返り「ここはいらんのじゃ」・・・そんなことはありません(笑)

山中で出会った女性は熊野古道を歩き始めたばかりだと言うので参考になればと私達のホームページを紹介しました。

たまたま私達が予約をしていたからラッキーでしたが安居の渡しの予約をしてなかったらしい。若い人は大胆だわぁ。

熊野古道を歩く前に私達のレポートを読んでもらえればお役に立つこともある。

1泊目の民宿の女将さんは鹿児島生まれの江戸っ子(?)

チャキチャキ感が心地よい。朝食時間の交渉をするも、どんなに早くても7時00分は無理だ、7時15分だと譲らない。

しかし朝になると7時には食事の準備が整っていました。ありがた〜い!

しかも釜で炊いたご飯がひとりづつ、茶わん蒸しも・・夕食にもなりそうな豪華な朝食でした。ごちそうさまでした。

この民宿はお勧めです。(レポートに詳細あり)

タクシーの運転手さん達も、それぞれに地元愛が半端じゃなくて乗っていて気持ちがいい。(チップ弾みたいけど皆から預かった大切なお金だからね)

そう思いつつ、ポケットマネーでコーヒー代にして・・とわずかな気持ちを渡しました。

2泊目の宿のおかみさんは、もっとチヤキチャキ娘でした。

宿帳に私の年齢を書くと「いやぁ〜!同級生やないの〜!」と固く握手!

人の心をつかむ技は超一流、料理も地元産や手作り料理で大満足、しかも民宿なのに温泉が沸々と湧き出ていました。

「湯加減どうですか?」と聞かれ「ちょうどで〜す」といったものの露天風呂のため寒くて乙女3人しばらく出れなかったよ。笑

この民宿もお勧めです。(レポートに詳細あり)

そんなこんなで帰りの電車では線路に鹿が飛び出てきて、あわや事故寸前。

しかし運転手さんは警笛を鳴らし鹿をシッカリと山へと安全に誘導されていました。

終点で運転手さんと話をしたら「いつものことですよ。今日は3頭いましたね」と動物と仲良く共存している様子が微笑ましかったです。

道行く人達にも「こんにちわ!お邪魔します」と声を掛けながら歩いています。

「気を付けていきなさいよ」と言ってくださるお国訛りもご馳走になり、勇気にかわります。

次回4月の熊野古道歩きは「イタドリ」の時期かも・・・・

期待は大きい。塩をタップリ入れておかなくっちゃあ・・・


[4553] 【4807回 レポートアップしました】 2018-03-07 (Wed)

熊野古道・大辺路「紀伊田辺〜日神社・白浜」その@

春を待ち熊野古道大辺路歩きをスタートしました。

歩き終えて戻ったらレポート作成に大忙しです。

記憶の消えぬ間にと・・・あれも抜けた、これも抜けたと大騒ぎ。

何とか第1日目を完成しアツプすることができました。

写真集だと思って見て頂くと「行かずして行った気分」に浸って頂けるのではないかと思います。(笑)

http://www.hime8kin.net/2018sankokiroku/0302ohechi1.html

写真枚数も半端じゃありません。1日分で約350枚。

フィルムが不要だから撮れるのです。

プロの高級カメラ2台と姫の8000円のカメラの3台の合作集です。

8000円のカメラの中にもキラリと輝く数枚があるとか・・・

プロが見落とす素人の着眼点だそうです。

まだまだ2日分が残っています。

日々、努力して編集作業をしております。

続きは乞うご期待と言うことで、写真集としてお楽しみいただけると嬉しいです。


[4552] 【4806回 天候に恵まれて】 2018-03-06 (Tue)

熊野古道行きが1日ずれていたら・・・どしゃ降りの雨に遭遇するところでした。

月曜日の雨の空を見上げながら「山行中でなくて良かった!」とこの日の雨を受け入れていました。

(学校や会社に行かれる人は大変でしょうけどゴメンね)

最終日の朝「周参見地方は雨の確率30%」と出ていましたので荷物の一番上に雨具を入れ、雨に遭う覚悟をしていました。

富田坂越え、仏坂越えなどの峠越えで雨に遭うと悲惨です。

しかし幸いなことにゴールまで雨に遭うことはありませんでした。

「ラッキーガールB&ラッキーボーイ@」は今回も恵まれていました。

以前歩いた熊野古道・中辺路コースの「大雲取越え・小雲取越え」では大雨に遭い大変な思いをした経験があります。

「雨もまた自然」という時もありますが・・・出来れば晴れている時に歩きたいです。

今回、タクシー利用を3回ほどしましたが4人いれば少々高くてもヘッチャラ〜!(毎回、上手に利用しているよね)

地元への還元にもなるし、何よりも体力温存、時間短縮になります。

国道歩きは歩道が無くて、車は結構なスピードで走ってきます。横断歩道とて必ずしも車が停まってくれるとは限りません。

「手を上げて渡ろう!」と勇気を出して歩くのですが内心は停まってくれるかどうかヒヤヒヤします。

だって最近は歩道を歩いていても車が突っ込んでくるんだもんね。アブナイ、アブナイ。

バス利用も考えないではないのですが昼間の時間帯はほとんど運行していません。(2時間に1本程度)

私達の山行レポートは次に熊野古道を歩く人達のために「迷い道」「宿・バス・タクシー利用」などの参考にして頂ければと
詳しく書いています。

大辺路コースは外国の方達には人気がないのか誰一人出会うことはありませんでした。

でも、体力さえあれば難所と言われる峠越えも楽しいのではないでしょうか。

取り敢えず道標の架け替え、修理を徹底すれば魅力あるコースに間違いありません。


[4551] 【4805回 ただいま熊野古道から戻りました】 2018-03-05 (Mon)

3月2日から2泊3日で熊野古道・大辺路を歩いてきました。

2泊3日なので荷物もズッシリと、それでいて見どころいっぱいでなかなか前に進みません。

それでいいのです。ただ「歩くだけ」ではダメなんです〜。

焦っているのはジョンだけ・・乙女たちは花を見つけては立ち止まり、梅の花の香りに誘われては足がとまり・・・

「おいおい、宿に5時にはいれないぞっ!」

1泊目は食事なしなので遅れてもな〜んちゃこっちゃないも〜ん!

何とか5時に宿に到着し、素泊まり旅館の女将の紹介で寿司屋で豪華な夕食。

食材が新鮮で支払いが気になるところでしたが何と安いっ(さすが、女将の紹介だけのことはある)

翌日のために早寝。2日目は峠歩きで20q・・・足との勝負やな。

2日目のコースはいきなりの峠越え・・・杉の木立が美しい。

お昼に安居の渡しの予約をしているためジョンの焦りが・・・可愛そうなくらいでした。ハハハ

乙女たちは、我関せずでスタンプ押しを楽しみ、春の空気を満喫しました。

2日目の民宿は、温泉付き。食べきれないほどの豪華な食事が後から、後から出るわ・・出るわ!

食べきれないおかずは、ぜ〜んぶジョン行き。「日頃お世話になってますから・・・どうぞ」

「オレは残飯整理係か?」ジョンのお腹は、みるみる間に太鼓腹に(大笑)

3日目もよく歩きました。70歳を超えて毎日20q相当を歩くって凄いっ!

平地と違い、峠のアップダウンは楽しいけど膝にくる。

とうとうゴール予定の田子駅まで行き着かず「江住駅」で臨時ゴール。

臨時ゴールと言うことは次回の距離が延びるということ?

それもよかろう・・・急ぐ旅でもあるまい。

大金は無いけど小金なら、かき集めれば何とかあるわっ!

もう一度計画練り直しや〜

そんなこんなの珍道中は楽しく、愉快に、怪我も無く無事家路に着くことができました。

写真と詳細は後日レポートにて乞うご期待下さい。


[4550] 【4804回 春一番】 2018-03-01 (Thu)

来ましたねぇ・・・!春一番

全国的に荒れた天気で、風が強く吹き、気温が上がり雪崩や屋根からの落雪にご注意ですね。

窓の外は、ビュービューとまるで台風のような風の音がしています。

今日は朝から出勤日・・バイクで行こうか、バスにしようか迷っています。

こんな風だとバイクはハンドル取られるからね・・(でも多分バイク・・笑)

明日から2泊3日の予定で熊野古道・大辺路を歩いてきます。

1日違えば、春一番と遭遇するところでした。明日は大丈夫!

和歌山地方は梅の花が見ごろかしら?

熊野古道・中辺路でミカン畑の中を歩いても梅林のそばを歩いても全て「季節外」でした。

今度は梅の花楽しめそうです。

そんなわけで3月2日から4日まで書き込みお休みいたします。

荷物は「すべり症」が顔を出さない程度に限りなく軽くしました。

レーションも飴だけ・・・。水は500tだけ。途中の自販機で買い足せるだろうと思っています。

山中も歩きますが荷物が軽いと言うことは快適に歩く必須条件みたいなものですから。

ではいって参ります。


[4549] 【4803回 国際空港の異変】 2018-02-28 (Wed)

春節祭か何か知らないけれど町のあちこちで日本人に出会う確率は20%。

あとはみんな外国の観光客と言っても言う過ぎではない。

昨日行った大阪城梅林も日本人はほとんどいないと言っても過言ではありません。

外貨を落としてくれるかも知れませんが「ゴミ」も落として帰る厄介な集団・・・・。

空港には、土産に買ったダンボール箱のゴミの山(もともと過剰包装の日本製品にも問題あり)

スーツケースに詰め込むために中身だけにして包装の箱を捨てて帰るのだそうです。

これらは明らかに「ゴミ」とわかるので廃棄出来るのですがスーツケースのゴミが驚くほど多いらしいです。

これは国際空港の関西空港、成田空港も同じ悩みを持っているとか。

エスカレーターの隅、階段の隅、トイレの中・・・手段を選ばず捨てているそうです。

スーツケースを発見したら「テロの可能性あり?」まず危険物チェックから始めなければなりません。

カラッポだとわかると「忘れ物」として一時預かりをしないといけないそうです。

難波にあるスーツケース屋によると「お土産を買ったものの持ってきた物には収納しきれず、大きなのを購入し空港で詰め替える」

だから空港にスーツケースが放置されるのだと言っていました。

この人達にマナー論は絶対に通じません。

姫総理大臣の考えを申し上げますと・・・(笑)

スーツケース販売店に詰め替えスペースを作り、スーツケースを買ったその場で詰め替えをさす。

不要になったスーツケースは500円〜1000円の処理料金を貰い店が引き取り処分する。

こうすれば空港でのおきざりが減るのではと思いますが・・国会では通過しないかな?

だって居眠りばかりして姫総理の話など聞いてないも〜ん!


[4548] 【4802回 冬山で遭難しないために】 2018-02-27 (Tue)

もう冬山は終わりで春なのに・・と思うかも知れませんが知ってて荷物になりませんので・・・。

麓は春でも山中はまだまだ冬山の注意が必要なんです。

あああ・・・今年一度もスノーシュー履かなかったなぁ!

@綿密なな計画を!

登山計画に無理があったり、装備が不十分だと、遭難に繋がります。

冬山は、天候が悪くなると数日間、吹雪が続くことがあるため、予定を変更して停滞出来る日数計画を立てることが大切。

余裕ある日程と自分の体力・技術・経験に応じたコース選定や携行する装備などを十分検討して計画を立てる必要があります。

特に、行動中の撤退する判断は遅れないように注意したいものです。

A雪崩に注意!

気温の上昇や、積雪状況によっては雪崩が発生しやすくなります。

必ず雪崩ビーコンを携行するとともに、積雪、降雪の状況や気温の変化にも十分注意しなくてはなりません。

登山ルートやテント設営場所を慎重に選定し、本番前に駐車場横でテント泊の寒さを体験したいものです。

(駐車場が近ければ寒さに耐えられない場合は即、車に逃げ込むことができます)

B単独登山には大きなリスク!

単独登山者は、疲労や怪我で行動ができなくなった時、携帯電話等の通信手段が不通の場合、助けを呼ぶことができません。

単独登山は控え、パーティを組んで登山をしましょう。

必ず家族や所属する山岳会、友人などに登山計画を知らせておきましょう。

そんな場合は「救助隊を呼べばいいや」と軽々しく思わないで下さい。救助隊員は命がけです。

C転倒・滑落しないために

山岳遭難の態様で最も多いのが転倒・滑落です。

雪上斜面で転倒や滑落すれば、停止することが難しく、大怪我や命をおとす可能性があります。

雪山登山は、ピッケルやアイゼン等の装備の使い方を正しく理解し、雪上の歩き方やピッケルを使った滑落停止等の雪上技術を身につけてから入山。


★長野県では平成28年7月1日から「長野県登山安全条例」により指定登山道を通行する場合は登山計画書の届出が必要となりました。

登山計画書はインターネットでも提出できます。


[4547] 【4801回 最近の民宿】 2018-02-26 (Mon)

@民宿とは主に民間が運営し、多くの場合、小規模で設備が主に和式である宿泊施設のことを言い、家族単位での経営である。

A大きな宿には叶わないが料理だけは負けない。

B低料金でアットホームである。

以上のような民宿のイメージを私なりに勝手に想像していました。

しかし・・・今はガラリと様変わりして民宿に予約の電話を入れると「じゃらんに任しているのでそちらへ電話して」だとか

「素泊まりで食事はありませんよ」の回答が返ってきます。

熊野古道大辺路を歩くにあたり紀伊田辺や白浜で宿を確保するのに苦労しました。

ホームページを見ながら「こりゃ良さそうだ」と思って電話をかけると廃業していたり素泊まりで周囲に飲食店などなかったり・・・

某民宿のおかみは「駅前にコンビニがあるのでそこで買って部屋で食べるお客さんが多いよ〜」

テント泊だと思えば我慢も出来ますが「民宿」のイメージをひっくり返された気がします。

しかし利用目的が違えば毎年民宿を利用している人もいると思います。

今年泊まった民宿が居心地よければ来年の予約をして帰る人もいると聞きました。

カニの時期のカニ民宿や、釣り船を持っている民宿であったり場所によっては民宿のイメージを保っている所も沢山あると思います。

たまたま、私達が行こうとするライン上には「素泊まり民宿」が多いのです。

来るか来ないかわからない客を、食材を用意して待つているより大手の「じゃらん」などの企業に丸投げした方が楽なのでしょう。

旅のスタイルも変わって来たと言う事でしょうか。


[4546] 【4800回 疲れはとれたけど】 2018-02-25 (Sun)

行事の後はいつものことながらドッと疲れが残ります。

今回は出発前のアクシデントが疲れに拍車をかけました。

幸いにも一過性の不整脈らしく「要・観察」で帰宅できたそうです。

総会前の大事な時期だけにホッといたしました。病気などしたことのない人で突然の胸が苦しくなったそうです。

出発前はアクシデントに大騒ぎしましたが冷静に考えると出発後のバスの中でなくて良かったと思っています。

俳優の大杉漣さんの突然死もありますので、家族や自分自身で気を付けなければなりません。

行事が終わったら観察所への報告書の作成、集合写真の作成といそがしいです。

わずか20人足らずの集合写真なのに「あっち向いてホイ、コッチ向いてホイ」とみ〜んな自由・・・トホホ

「さぁ!撮りますよ〜!」って声掛けてるのに何で動くかなぁ!

写真の師匠がいいます。「集合写真はひとりのために全体が台無しになる」

取り敢えず集合写真の「ピース」はやめてけれっ!

幼稚園児より高齢者の集合写真の方が撮影しにくいと言うことがよ〜くわかりました。

今回も8000円のカメラが大活躍です。

「よく撮れてるね」そう褒めて頂きました。嬉しいです。

保護司会事務所の掲示板に貼っておきます。

欠席の人が「楽しそうやな・・次はぜひ参加しよう!」と思って頂ければ苦労の甲斐があります。

写真・・・だんだん被写体として古ぼけてきました。

若いころは写真撮影と言えば遠くにいても走ってきて仲間入りしたものです。

最近は目つぶりが多くなったり、人の倍ほどの顔の面積が気になったりします(シワは無いっ・・笑)

お気に入りの写真が出来たら、以前に用意している「遺影用」の写真を入れ替えることにしています。

死んでから気に入らない写真飾られるの嫌ですものね。


[4545] 【4799回 ドキドキからホッ!】 2018-02-24 (Sat)

「ガイドもどきは、まずまずの成果あり?」

集合場所への移動のバスの中で携帯が何度も鳴りました。

ラインで「いまバスの中で電話に出れません。あと3分で到着します」と返信しました。

3分が待ちきれないのかまた鳴り、非常事態が発生したことを知りました。

この日の「会計取締役・行程取締役」の人が突然、心臓発作で緊急で病院にいくことになりました。

書類やお金を受け取り、出発までの冷や汗は拭いても拭いても噴水のように(ちと、オーバーかな・・笑)。

アクシデントには今まで鍛えられて、慣れていましたので何とかバスは無事出発をしました。

朝の非常事態を参加者に伝えガイドもどきがスタートしました。

名神高速道路に入ったら名神高速の正式名称、京磁バイパスに入ったら淀競馬場の話、

熊野古道の出発点の話、インターから出たら平等院の話・・・等々。

なめらかな滑り出しです。よしよし勘を取り戻して来たぞ。

ウオーキング協会のバスツアー時代はガイトは立って後ろの座席に向かって顔を見ながら話しができたのですが高速道路では
今は厳禁。

進行方向に向けてお話しをするのも何か味気ない気がしました。

参加者に10円玉を出して貰って、平等院鳳凰堂の説明をしたりしているとアッと言う間に到着です。

2時間余りの自由時間を平等院で過ごしました(施設見学の時間調整のため)

この日は風もなくポカポカ陽気でラッキーでした。

バスの中で軽食をすませ京都医療少年院へ。

この日の主たる目的の施設見学です。

1時間30分の見学を終えて坂本龍馬で有名な寺田屋横を通過して月桂冠大倉記念館へ。

案内人を付けますかと聞かれて「有料ですか?、無料ですか?」と聞くところに自分で笑けてきました。(いつものクセやな・・)

案内人付きで月桂冠の歴史を学び、その後はお食事処の「月の蔵人」で懇親会。

アルコールが入ると和やかなムードに一変しました。やっぱり酒の力って必要なんですね。

帰りのバスの中では「いつでも夢を」の歌詞を配り、男性は橋幸夫、女性は吉永小百合のつもりで、みんなで愉快に歌いました。

そしてマイクを全員に回し、この日の感想やこれからの保護司会への希望などを聞きました。

総評としては今回初めて更生保護女性会と合同で行事を行ったことが高く評価されました。

そして西九条に午後7時30分帰着・・・長い長い1日でした。

つかれた〜!朝のアクシデントが疲れに追い打ちをかけた感じです。無事終わって良かった〜!


[4544] 【4798回 ドキドキ・・・」】 2018-02-22 (Thu)

23日金曜日、日帰り研修会で京都平等院と京都医療少年院に施設見学に行ってきます。

中型バスで行くのですが「ガイドなし」のため久々(何年ぶり?)のガイドもどきをいたします。

ウオーキング協会のガイドもどきを長年担当してきましたが・・・あれから随分のブランクがあります。

あの時うまくいったからとて今回もうまくいくとは限りません。

カンニングペーパーのポイントも「10.5ポイント」から「14ポイント」ぐらいに老眼が進化しています。

別にガイドもどきしなくても静かに雑談していても安全にバスは目的地に着くのですが・・・

バスの中と言う共通の時間があるのを利用しない方法はありません。時間が勿体ない!

しかし所詮「もどき」ですから案内場所を通過してもアレよ、アレよ・・過ぎていく(笑)

まぁそこは許して貰うとして。楽しい時間を過ごして頂くように努力をしたいと思います。

昔はよくバスの中でみんなで歌を歌ったものだと思い出しました。

そこで年代に見合った「いつでも夢を」の歌詞を用意しました。

私たちは更生のために少しだけ協力する仕事なので「夢」をテーマにしたのです。

男性は舟木一夫になったつもりで女性はもちろ〜ん小百合ちゃんになったつもりでっ!

若い人がいると「そんな古い歌知らな〜い!」と言われそうですね。

大丈夫っ!み〜んな平均70歳ぐらいだから・・・

帰りのバスは少々アルコールも入っていますので盛り上がるのではないかと期待しています。

平等院は2014年に2年という年月をかけて修理が完了しました。

極楽浄土の世界をたっぷりと見てまいります。そして十円玉を手にして見比べてまいります。


[4543] 【4797回 アイゼン事故】 2018-02-22 (Thu)

「転倒者のアイゼン刺さり負傷」

2月12日、八ヶ岳連峰の硫黄岳でアイゼン事故が発生しました。

登山中のパーティーで、同行者が転倒した50代女性にアイゼンの爪が刺さり女性が負傷。

事故の詳細は不明ですが、適切なアイゼン歩行の技術、歩行時の間隔など注意が必要です。

雪山に出かける時「アイゼントレーニング」していますか?

ぜひもう一度安全登山について確認をお願いします。


「アイゼンを使用した歩行」

アイゼンはしっかりと登山靴へ装着しましょう。当たり前のことだけど慣れないと時間がかかります。

山行中は寒くて足場の悪い中での装着のため私は「右」「左」と大きくマジックで書いています。

いくら基本的な歩き方が出来ても、途中でアイゼンが外れたりしていませんか?ヒモの末端処理は出来ていますか?

自分は素早く装着できているのに同行者がモタモタしていると山行が楽しくありません。

実際の山歩きの前にトレーニングが必要なのは、お互いチェックし合うためです。

蓬莱峡や六甲山ピラーロックは絶好のアイゼントレーニング場所です。

アイゼン歩行は「フラットフッティング」が基本です。すべての爪が雪面に刺さるように歩きます。

足を前へ運ぶ際は、左右のアイゼンの爪をスパッツなどに引っかけて転ばないようにします。

下りでは左右の靴を平行に、直登の場合は足をガニ股に開けと教えられました。

「フラットフッティング」ができないほど傾斜がきつい場合は、アイゼンの前爪を斜面に蹴り込むフロントポイントで登ります。

フロントポイントばかりでは足が疲れますのでフラットフッティングも併用しながら登ります。

「そんなん知らなくても今までちゃ〜んと歩けてるよっ!」って言われそうですね(笑)

初心者は山岳会に入部して基本をマスターするか山岳部出身の腕の良い先輩に教えて貰ってください。

加齢に伴い体力は減りつつあっても技術力は誰にも負けません(ん?だれのこと?)

山側の足は進行方向へ向け、谷側の足はガニ股にして、すべての爪が雪面に食い込むように心がけます。

かかとが浮くような傾斜になったら、つま先をV字に開く。歩幅を狭くし、全部の爪が雪面に刺さるようにする。

私は雨飾山での滑落から雪山は恐くて行けなくなってしまいました。

今は雪山は「見守り隊」となりましたが充分なトレーニングを重ねて安全な山行をして欲しいと思っています。


[4542] 【4796回 オレオレ詐欺】 2018-02-21 (Wed)

「オレオレ詐欺の新バージョン」

滅多に鳴らない固定電話が夜の8時過ぎに鳴りました。

昼間はセールスだとか保険の勧誘で鳴ることはありますが、こんな時間に何だろうと・・・

「〇〇〇〇だけど・・・」

ハッキリ息子の名前を語ります。「オレオレ」ではないのです。

しかも電話の向こう側では咳き込む声も聞こえます。

普通なら「〇〇〇〇か?風邪引いたの?」と息子だと信じるような真に迫っていました。

そんなことに私が騙されるはずがありません。

「それがどうしたん?」と冷たくあしらうとプツンと切れてしまいました。

みなさん!詐欺は」「あの手この手」で言葉巧みに高齢者の心に入り込んできます。

離れている両親がいれば家族だけに分かり合える「合言葉」を決めておいた方がいいと思います。

いまテレビでも同じような広報活動が流れていますね。

あのまま息子と信じたフリして話を続けた結果がどうなるか実験したい気もしましたが時間の無駄だと思いました。

過日は私の購入した充電器が火災の原因になるため空箱を送るので返却して欲しいと言う内容の電話がありました。

いつ、どこで購入し、型番はどういう種類かと根掘り葉掘り聞くと「代引きで購入した品」だと言うのです。

充電器を代引きで購入した事実がないことを告げると話の途中で電話が切れてしまいました。

きっと送られてくるはずだった箱には代金を返金するので口座番号を教えて・・・とか何とか言葉巧みな内容がかかれているのではないかと思います。

そういう内容ならば購入店から連絡が入るはずです。テレビでも広報されているはずです。

不審な電話がかかったら「折り返しお電話しますので電話番号と担当者名を教えて下さい」と即答を避けて下さい。

あまりしつこいようでしたら近くの交番に相談するのもいいでしょう。

不用品の回収も「茶碗1個でも、着物1枚でも・・・」としつこく電話がかかってきます。

おかしいなっと思ったら、きっぱり断ることです。

まずは騙されないための合言葉を家族と話し合ってみて下さい。

そして遠く離れた地で暮らす両親がいらっしゃったら、そのことを注意してあげてください。

「オレオレ」ならまだしも息子の名前をちゃんと語るって、とても気持ちが悪いものです。


[4541] 【4795回 ドカ雪の連鎖】 2018-02-20 (Tue)

「福井県の観光名所あわら温泉は大雪でキャンセル1万人超」


記録的な大雪に見舞われた福井県あわら市

福井県は17日、今月上旬の記録的な大雪により、福井県あわら市の観光名所、あわら温泉の5日から14日の宿泊キャンセルが延べ1万1千人を超えたそうです。

アッチャー・・・いまは越前カニシーズンで、旅館や民宿は、かき入れ時だと言うのに・・・

75人以上が宿泊できる旅館やホテル計22施設を対象に福井市が集計した結果

3連休中の10、11日はそれぞれ2,000人がキャンセルしたそうです。

あわら温泉は、近くにJR芦原温泉駅があるなど交通の便が良いのですが大雪で特急は運休が相次ぎました。

北陸自動車道でも一部区間が通行止めになるなど交通機関が大きく乱れました。

電車でも車でも行くことの出来ない陸の孤島となってしまったのです。

大雪を逆手に取り、無料キャンペーンを打ち出した山形県肘折温泉は予約が殺到していると言うのにね。

目的地まで行けるかどうかで明暗が決まります。

私達は山中温泉も前日はバス4時間遅れだったらしいですが湯村温泉も、とちらも大雪の影響もなく楽しめました。ラッキーとしか言いようがありません。

富山に葬式に出かける人と勤務交代しました。(インフルエンザで勤務交代して貰ったのでね)

サンダーバードは運休しているし葬儀に間に合うのかどうかと心配していました。車ではとても怖くて走れませんとも言ってました。

屋根の雪下ろしも大変な作業ですが飛行機や鉄道やバスを使っての移動はこの時期大変ですね。

東北地方では雪かきをしなかったら2階の窓から出入りしなければならないとのこと。

南国土佐での幼き日・・・町からやって来る教師たちが大雪のためバス運休で学校に辿り着けず休校となったことがあります。

私達は滅多に見ることの無い大雪も休校も大喜びで木箱のリンゴ箱を引っ張り出して堤防の斜面を滑りまくりました。

今でいうソリ遊びです。今みたいに手袋の素材が良くなくて、熱中しすぎて手も足もしもやけとなり父親にメンソレタームを摺りこまれた記憶があります。


[4540] 【4794回 燃えたねっ!】 2018-02-19 (Mon)

オリンピック・フィギュアスケート羽生選手と宇野選手の快挙に感動の涙を流しました。

声は聞こえないけれど口パクで「やったーっ!」と聞こえてきました。感動しました。

怪我と闘い、復帰への闘志は並大抵ではなかったと思います。

宇野選手は羽生選手を追っかけて追っかけて、ここまで成長したらしい。いつかは追っかけられる方になりたいと羽生選手を越えたい闘志満々。

そして将棋界では藤井六段が誕生しました。とても中学生とは思えない落ち着いた立ち振る舞いに驚きました。

それぞれ血のにじむような努力の成果だと思います。スピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手も金メダル!

みんな凄いねっ!

ところでスケートリンクに投げられた「くまのプーさん」いったいどのくらい投げられたか気になりました。

ショートの時に111個、フリーの時に92個の合計203個。

回収された「くまのプーさん」たちは現地に寄付されるそうです。

羽生選手は「貰った物を寄付するのはどうかと思いますが皆さんの気持ちは充分頂きましたから」とコメントしたらしい。

羽生選手は「くまのプーさん」を見ていると気持ちが落ち着くのだそうです。

オリンピックの報奨金・・・気になりますねぇ。

JОCからは金メダル500万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円

スケート連盟からは金メダル500万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円

そして所属する各競技団体から貰うのは金額はバラバラだそうです。

選手村から欲しいと言えば持ち帰ってもOKなのは「布団」だそうです。


[4539] 【4793回 応急手当普及員】 2018-02-18 (Sun)

「応急手当普及員再講習のご案内」

1枚の葉書きが舞い込んできました。普及員の再任講習の案内です。

もう何十年も続けていてウオーキング協会の総会時に、消防署から人形や除細動器を借りてきて多くのみなさんに講習を受けて頂きました。

そして受講修了書も多く発行させて頂きました。

会社でも行事の合間に福利厚生の一環として社員に広めました。

「普及員」とあるのですから自分だけ知っていても何も役に立たないのです。

私自身を助けて貰うためには私と行動を共にする人達にはぜひ、ぜひ知っておいて貰わないと助かる命も救って貰えないのです。

私が講師をした中で「ウオーク中に実践して消防署から表彰して頂きました」と、お礼の葉書きを貰ったこともあります。

私も成人1名、幼児1名の生命を救いました。

しかし、現在は普及員として講習する場も無くなったことだし70歳と言う節目の年を迎えて更新をすることは止めました。

もう助けて貰う側の年齢だと気が付いたのです。

後は万が一、そんな場面に遭遇すれば普及員としてでなく個人として助けることが出来る様、日々訓練をしておけばいいのだと悟りました。

長い間、応急手当普及員として頑張ってきましたが「卒業」です。

今は除細動器も発達して簡単に使いやすくなりスイッチを入れれば誰でも使えるようになっています。

要するに「野次馬」のひとりになるか「野次馬から一歩前に出れるか」の差だけです。

心肺蘇生が上手く行かなくても罪に問われることはありません。

近くの消防署では年何度も講習を行っています。ぜひお友達を誘って(ここが大切!)講習を受けて下さい。

自分だけが知っていても自分のいのちを救ってくれるのは同行するお友達なんです。

知り合いの人で登山中に苦しくなり「先に行ってくれ、少し休んでから後に続くから」と言って休憩をしたそうです。

その言葉を鵜呑みにして、誰一人付き添う者もなく同行者たちは先に小屋に入ったそうです。

その人はそのまま、その場で・・・息絶えてしまったのです。

せめて誰かひとりでも付き添っていてくれて呼吸の確認が出来なくなったとき、心肺蘇生法を試みてくれたら・・・と残念でたまりません。

槍ヶ岳で多くの参加者が慣れない岩場の下りで時間がかかり、おまけに小雨が降ってきて全員を下ろしたときには、軽い低体温症にかかったことがあります。

ブルブルと寒さで身体が震え、仲間達がペットポトルに熱いお湯を入れて身体を温めてくれ、ストーブを抱くようにして回復を待ちました。

あの時程、仲間のみなさんが心強く感じたことはありませんでした。

あの時程レスキューは皆で学ばねばいけないと痛感しました。

その後は山行時の昼食時を利用して搬送、止血、添え木での骨折対処などみんなで勉強しました。

ところどころ忘れているかも知れませんが基本は「野次馬の中から一歩前に」の精神を忘れなければ身体は覚えています。

そんなわけで今後は普及員の資格が無くなりましたのでみなさんに助けて頂くことになります。よろしく!


[4538] 【4792回 独り暮らし】 2018-02-17 (Sat)

近所が高齢の一人暮らしの家が多くなった話は以前に書きました。

酔って階段から落ちた人の発見は近くに住む母親が買い物に行く約束をしてたのに来ないため発覚したそうです。

またその隣の一軒置いての一人暮らしの高齢者女性もまた年末に孤独死していたらしい。

近所なのに全然知らなかった・・・・。

消防車と警察車両が来て大騒ぎだったとか・・・知らなかった〜

飼い犬がワンワンと吠えるので警察に通報し、玄関の鍵がかかっているので消防車(ハシゴ車)で2階の窓を割ってはいったらしい。

死体のそばで子犬がうづくまっていたそうです。何日経っていたのでしょうか?

そういえば・・・私の家の向いも、その横も、その奥も独り暮らし・・・

そうかと思えば他人の家の前に雀の餌を撒く不思議な行動をとる人もいます。

何度注意しても同じ事を繰り返す・・少し病気かも・・・

皆で声掛け合ったり、井戸端会議も大事だなぁってつくづく思いました。

独り暮らしの知り合いが「もし私がそうなったら2階のあそこの窓だけは施錠していないから頼むわな!」と窓を指差して話してくれました。

そりゃあ両隣続けて不審死が続くと、不安で気味わるいわなぁ。

息子達と逢わなくても時々ラインや電話で生存確認が必要です。

今迄そんな事考えてもみなかったんですが近所で立て続けに孤独死が続くと不安です。

入浴中は出てくるまでは同じフロアーで待機する。寝る前には「おやすみ」と声を掛けて確認。朝起きたら「おはよう」と生きていることを確認。

旅行中は留守番係に朝夕の生存確認。いつもの時間に起きて来なければ「異常か?」と気にかける。

などなど心がけるようにいたします。

あああ70歳になると気になることが増えたわぁ!


[4537] 【4791回 大雪・・・ほっこり物語】 2018-02-16 (Fri)

積雪433センチ! 山形県・肘折温泉(ひじおりおんせん)は「ドカ雪・キャンペーン」で、宿泊無料!

日本一の豪雪に見舞われている山形・肘折地区では13日、433pの積雪を記録したそうです。

2月に入って大雪が各地で続いて雪に慣れている北陸でさえ、およそ1500台の車が立ち往生しました。

せめてこの雪をプラス思考で活かすことはできないか・・・と考えたのが山形県・肘折温泉。

毎年、国内の1位2位を争っているのは青森県青森市の酸ヶ湯(すかゆ)。

そして山形県最上郡大蔵村の肘折(ひじおり)温泉で。それぞれ名湯としても知られています。

肘折地区で、2月13日には観測史上最大の積雪433pを記録しました。

村役場では「いやぁ、いくら慣れていると言っても驚いた。今年の雪は違うね。道路の両側に観光バスがすっぽり隠れる3メートルほどの壁ができていますよ」

宿泊無料、初の発動・・・・!

大蔵村観光協会会長で肘折温泉・木村屋旅館の木村さんに「こんな大雪の中、わざわざ来るお客がいるのですか?」と聞きました。

「そうですね、確かにこの時期は減りますからね。豪雪をプラス思考にと考えたのが『ドカ雪・大雪割キャンペーン』なんです」

肘折温泉郷の16の旅館で3年前から始めたそうです。

「いくら無料と言えども豪雪地帯へ車で行けるのか?」

それが一度も積雪のため通行止めになったことはなく肘折温泉郷には行くことができるそうです。

「ドカ雪・大雪割キャンペーン」とは、宿泊日前日15時までの“アメダス計測による24時間降雪量”の値だそうです。

本根としては「いやぁ、まさか超えることはないと思ったんだが……。経営としてはイタいけど・・・」

こんな大雪の中、誰も外になど出たくない中で、わざわざ来てもらえるなら感謝だと言ってました。

問合せ殺到でキャンペーンを始めて以来、無料となったのは今回がはじめてで対応に四苦八苦だそうです。

山形県・肘折温泉郷って知らない人も多かったので宣伝効果にはなったのではありませんか。キャンペーンは3月11日まで。


[4536] 【4790回 さぁ!春の起動だっ!】 2018-02-15 (Thu)

「熊野古道大辺地に向けて」

中辺路コースを25回も歩きゴールしたのですが熊野古道は奥が深くまだ大辺地コースが残っています。

ひな祭りあたりから大辺地コースを歩き始める計画でバス、宿、渡船の予約を完了しました。

安居の渡し(あごのわたし)・・地名は読み方がむずかしいですね。

予約時に恥をかかぬように下調べはしておくものですね。

白浜駅前の宿は人気らしく私が申し込んだのが「最後の部屋」だと言われました。

インフルエンザで予約が出遅れましたので、もう少しで「満室」と言われるところでした。ホッ

今回のコースはいきなり「峠越え」が待ち受けているみたいでちょっと不安です。

2日目の宿は周参見(すさみ)で宿泊します。元気のよいおかみさんが出てきて「キャンセルせんでよ〜!」

美味しい料理付きらしいので楽しみです。

一昨日の夜、警察車両が私の自宅前に駐車許可を取りに来ました。随分と長い時間停まっていたと思います。

あさ、井戸端会議に耳を傾けると、近所の一人暮らしの男性が、酔って階段から落ちてそのまま息絶えたらしい。

打ち所が悪かったのか?それとも寒くて凍死か?動けなくて、もがいても一人暮らしだと困るね。

検視対象になるため警察が動いたらしいです。私の住む隣組も高齢者が多くなりました。

入居してから40年ばかり過ぎているので当たり前の話ですが隣同士の声掛けは大切ですね。

「ゴミの日にゴミが出ていない、物音がしない、洗濯物が干したまま」、など少しだけ気配りすればお互いが安心です。

今は他界しましたが知り合いの高齢の一人暮らしの老人が言いました。

「外出時は鍵をかけるが、在宅の時はドアにカギは掛けない、家の中で倒れたらドアを、け破ることになるからね」

不用心と言われればそれまでですが一人暮らし故に工夫をしていたみたいです。

私が留守の時、万が一ポッチーが倒れたら誰でもすぐに連絡が取れるように息子たちの電話番号を玄関先に列記しています。

いつ、どこで、どうなるかわからないですものね。気を付けたいものです。


[4535] 【4789回 恐るべし・・インフル】 2018-02-14 (Wed)

「恐るべしインフルエンザ」

1月31日、ランチ会の後、発症したインフルエンザA型は私だけの問題ではなかったことがわかりました。

あの個室の中にインフルエンザ菌が蔓延していたのです。。。

まず松山の友もインフルエンザ発症・・・しかし彼は、きちんとインフルエンザ予防接種をしていたため熱も出ず筋肉痛にもならなかったそうです。

生駒に住むパッチワーク教師の友は高熱はでなかったものの2日間寝込んだそうです。作品展に間に合わなくなりそうと・・・心配しきり。

姫路の友は仕事を1週間休んでいたとのこと。自分が元気になったら、ふとあの日の私が気にかかり電話をくれました。

元気だったのは、元ナース3人。慰めの言葉に「私はインフルエンザに嫌われた〜」と書いてありました。

こうなったら私が感染源ではなく、みんな仲良く同時にインフルエンザにかかっていたということになります。(そう言う事にしておきます)

学級閉鎖もあちこちで耳にします。高齢者は肺炎で亡くなったりしています。恐るべしインフルエンザです。

私の上司の入居する老人ホームはインフルエンザ患者が出た為家族との面会も禁止になっていました。

そんな中、半袖、半ズボンで氷の上に立つ孫の写真が送られてきました。見るだけで風邪引きそう・・・子供は元気ですね。

カイロは背中じゃなくてお腹に当てて、「首」と名の付くところを温めて(首、手首、足首)防寒対策に必死です。

やはり70歳は健康の節目なのかも知れません。

インフルエンザにかかり一気に70歳らしくなりました(笑)

いやいや正確にはまだ69歳と10ケ月(残り70日あるよ)

敬老優待券の資格を待つの身であります。


[4534] 【4788回 湯村温泉レポートアップ】 2018-02-13 (Tue)

湯村温泉カニかにツアーのレポートをアップしました。

http://www.hime8kin.net/2018sankokiroku/0208-09yumuraonsen.html

湯けむり旅情もタツプリと見て頂けて「ほほぉ、行って見たいな」と思って頂ければ嬉しいです。

行く前の下調べをしていれば「見逃し」がなくて楽しめます。

最近は温泉街を繰り出す事も無くなったのかホテルの中だけで充分楽しめて買い物が出来るシステムになっています。

此花区にユニバーサルが出来た時此花の町がどれほどに賑わうかと期待したものです。

しかしユニバーの駅を降りて入場し、中で楽しみまた電車で帰って行くだけで此花区の町には何の利益も落としてくれませんでした。

それと同じで温泉街の賑わいは湯村温泉はまだ見どころがありますが段々と錆びれて行ってます。

ホテルの窓から(きっとストリツプ劇場だと思う)〇〇劇場と看板が潰れていた建物がありました。

社員旅行での男性陣の楽しみと言えば・・・そんな時代がありました。

踊り子も高齢化したのかもしれません(大笑)

浴衣を着てゲタを鳴らして町を散歩する姿は消えてしまいました。

せめて、温泉町には何があって何が有名なのか調べてホテル以外に町にもお金を落として帰りたいものです。

昔は格式の有ったであろうホテルも買収され安宿にチェンジして行ってます。

私は会社員時代に「限りなく立派なホテルで泊まる」をモットーにした下請け会社の代表者たちの担当者として随行したことがあります。

しかし女性は私ひとりのため立派な広い部屋で寂しく時間を過ごしました。

旅とは「仲間次第」だと言う事です。

安宿でトランプをして遊ぶ楽しさはレポートの写真を見て頂くと楽しさがわかってもらえると思います。

昔、湯村温泉の立派な高級旅館に泊まり(今も健在営業中)ポッチーのパパ(舅さん)がカニの足3本に憤慨していました。

「テレビで見たのと違うっ!だまされた〜」

安宿だと期待もそれなりのため、あとは自分達でどれぐらい楽しく過ごすか工夫次第だと思っています。

そんな仲間達に恵まれていることに幸せを感じています。


[4533] 【4787回 加藤文太郎資料館】・・2 2018-02-12 (Mon)

浜坂の加藤文太郎のお墓

資料館からの帰り道「加藤文太郎の墓」と言う文字が目に留まりました。

自宅前の除雪作業をするおばあさんに尋ねると30分程歩いたところにあるといいます。

しかし、雪で埋もれていて多分探すことはできないだろうと言われ諦めて帰ってきました。

ときおり「単独行の加藤文太郎が、たまたまパートナーを伴って山行された結果遭難ということになったが、

もし単独であっならば・・・・」と言う人がいます。

「孤高の人」を読んだ人に多い傾向らしいです。

パートナーだった人も優秀な登山家であったし、加藤文太郎もいずれヒマラヤを目指す存在であったから

お互いが必要とする山のパートナーであったに違いない。

パートナーの名誉のためにそんな軽口は叩かないでもらいたい。そう思いました。

郷里の浜坂で結婚披露宴のため帰郷するのですが・・・

途中、扇ノ山などに登りながら帰ったため、披露宴に大変遅刻して、花嫁の花子さんをやきもきさせた話は有名です。

11月に長女が生まれ、12月29日にはパートナーの待つ槍ヶ岳へと出かけて行きました。

孤高の人執筆の取材で浜坂を訪れた新田次郎氏は、奥様から「小説は加藤文太郎と、実名で書いてください」と、釘を刺されたそうです。

たとえ小説であっても、ご遺族やご親戚がおられるから変なことは書けなくなり、この釘は、最後まで、新田次郎氏の筆を抑えたそうです。
 
夫がモデルの小説を実名で書かれることを譲らなかった奥様の花子さん。

彼女の、夫を誇りに思う気持と実名で書かれることを覚悟する潔さの表れなのでしょうか。

文太郎の生き様を偽りなく知って欲しい、夫の名を美しく残したい、そんな思いがあったのかもしれません。


[4532] 【4786回 加藤文太郎資料館】 2018-02-11 (Sun)

浜坂にある加藤文太郎記念館の壁一面に新田次郎との出会いが書いてありました。

『加藤文太郎と新田次郎は冬富士で一度だけ会いました。

これを資料館では「五合五勺の出会い」と書いてあり、とても心に残りました。

五合五勺の所にある避難山小屋で、ほんの二言、三言、言葉をかわしただけの出来事だったらしいです。

しかし新田次郎は、そのときの印象はとても強いものだったと述べていました。

その当時、新田次郎は中央気象台に勤務しており、富士山観測所に交替勤務のため登山する途中でした。

加藤文太郎と出会い、新田次郎は五合五尺の所にある小屋に泊って,二日がかりで登ったそうです。

しかし加藤文太郎は一日で登りました。

突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで歩いて行ったそうです。

新田次郎は「まるで天狗のような奴だな」と言いながら見送ったそうです。

新田次郎が小説「孤高の人」を書いた動機は色々ありましたが、五合五勺の小屋で加藤文太郎に出会っていなかったら

あの小説は生まれてなかったそうです。

五合五尺の避難小屋で加藤文太郎は、アルコールランプに火をつけて、コッフェルで湯を沸かしていました。

湯が沸くとその中にポケットからひとつまみの甘納豆を出して投げこみ、スプーンですくっておいしそうに食べていました。

「まだ日が高いのにここに泊まるのですか」 加藤文太郎は新田次郎にそう言ったそうです。(午後3時ぐらい)

「私は頂上まで行って見たいと思います。頂上には観測所があるのですね」

観測所の職員の新田次郎は「観測所があって所員が五人います。泊めて貰ったらいいでしょう」』


[4531] 【4785回 コンコンキツネ付きの湯村温泉】 2018-02-10 (Sat)

何とか予定通りに湯村温泉に行かないと・・・と気合でインフルエンザを吹っ飛ばしました。

吹っ飛ばしたつもりでしたが「コンコンキツネ」も連れて行く結果となりました。

熱は下がったとは言え、いつものハチキン姫ではありません。

新大阪発の湯快リゾートのバスに乗り鳥取砂丘経由湯村温泉へ。

鳥取砂丘は真っ白な雪をかぶっていました。「どこからどこまでが砂丘?」この日はリフトも運転休止。

湯村温泉に着いて、まず加藤文太郎記念図書館へのアクセスを聞くとフロント係は「知らない」と言います。

なんじゃ〜!知識不足の若いスタッフは浜坂の有名人の説明が出来ませんでした。

浜坂までは町内循環バスの便が多くあり翌日には行けそうです。

まずは温泉に浸かり、リラックスタイム。久しぶりにのんびり〜時折コンコントキツネが付録みたいについてきますが我慢してもらってと・・・

今回のメーンは「カニ好きのジョン、ジョンのカニ好き」と言っても過言ではありません。カニ大好き人間のジョンにお付きの者が4人いるみたいです。

18時からカニ食べ放題がはじまりました。最初は真面目にひとり一匹運んでいましたが・・ええいっ!面倒だぁい!

人数分のおかわりカニをジョンの前にドーーーン!

まぁ見事に綺麗に食べつくしていきます。カニの山が小さくなったらまた次を運んできます。

ポッチーはマイペースで結構お行儀よく綺麗にほじって食べていました。

ビールを注文したのですが飲むのを忘れてカニ・カニ・カニ。

どのくらい食べたのでしょうか・・・

「さすがのオイラももう満腹や」と言った時のお腹はお相撲さんの様になっていました。

部屋に帰ったら恒例のトランプ。今回は景品を用意してきました。ババ抜きの勝者は圧倒的に靖ちゃん。景品はほぼ靖ちゃんの手元へ。

翌朝は朝食を済ませ町内循環バスで30分かけて浜坂駅までいきました。

加藤文太郎記念図書館は雪景色の中で山の形をしており立派な建物でした。地元の人達が大切に維持管理してくれていました。

山を愛する者として、一度は訪れてみたいと思っていましたが憧れの加藤文太郎に再会できた不思議な感じでした。

展示されている登山靴やピッケルなどの装備を見ても、よくぞこれで山に登れたものだと思う物ばかりでした。

私が恵まれた環境で山登りできるのは加藤文太郎のおかげだと深く頭をさげて退出しました。

浜坂駅周辺は観光するところもなくカニの販売する店もなく静かでした。

湯村温泉までバスで帰り湯温泉卵を作り、足湯につかりながらおいしく頂きました。吉永小百合をイメージした夢千代館にもいってきましたよ。

大阪行きのバスを待つ間、卓球を楽しんだりと元気なシルバーグループでした。

山好きの方は浜坂方面に行く予定のある時は「加藤文太郎記念図書館」に立ち寄ることをお勧めします。

遠回りをしてでも行く価値は充分あります。


[4530] 【4784回 職場復帰】  2018-02-08 (Thu)

火曜日はインフルエンザから脱出して「職場復帰」致しました。

まだフラフラ感は残るものの何とか仕事をこなすことができました。

水曜日は会議の後阪南市にある少年院に施設見学に行ってきました。

何度も訪れている場所ではありますが「新任保護司」の付き添いとしての参加です。

ひさしぶりに外の景色をみた気がします。

家の天井か、病院の廊下風景ばかり見ていましたので新鮮です。

間もなく新緑の季節がやってくることでしょう。今は冬枯れ。

そして8日からは1泊2日で「湯村温泉カニツアー」・・・多分飛びついて喜ぶほど食欲は復活していません。

参加出来る状態にまで戻り良かったです。ギリギリまでキャンセルが脳裏にありましたが・・・。

じつは・・・なんですが私がインフルエンザAに発症したのが1月31日、ポッチーの様子がおかしくなったのが2月2日の金曜日。

「ぜったい伝染しているから病院に行ってきて!私が移したって言われるから・・はよう!はよう!」

近くの医者に診察に行くとまぎれもない「インフルA」そりゃあ2人暮らしの家族ですから伝染してもおかしくありません。

息子がチャイムだけ鳴らして差し入れを置いて帰った理由がよく理解できます。

早目の受診でしたので熱も出ることなく、私より先に沈下しました。

ポッチーが病気になると、たとえ風邪とは言え大事になるので要注意です。

「オレも元気になったもんやっ!」と自慢げ(治験の成果だと勘違いしてる〜)

5日間と言う自宅待機期間を経て今日は仲間達と「湯村温泉」へ。

二人ともカニツアーではなく「湯治」となってしまいました。

楽しみにしていた加藤文太郎記念館はまた次回にとなるかも知れませんがドタキャンせずに参加できて良かったです。

では・・・行ってまいります。


[4529] 【4783回 トントントンと】 2018-02-06 (Tue)

階段を駆け上がる音が「トン・トン・トン」と軽やかなリズムになりました。

やっと・・・やっと、何かを食べたいと思うようになりました。

物が食べられること、元気に歩けることの幸せを噛みしめています。

さてと・・・家の中にばかり居ると書き込むニュースがありません。

春を探しに行かなければなりません。

中学校の卒業式の案内がぼつぼつと届きはじめました。

「15の春」みんな笑顔を巣立って欲しいですね。

此花区の中学校は静かに授業が受けられる状態をキープしています。先生方の努力の賜物だと思っています。

本職の授業の他に生徒指導、進路指導、警察との連携、地域からの苦情、クラブ顧問・・・と中学校教師の仕事は奥が深い。

本職の授業に、せめて80%打ち込めることができたら・・雑用が多すぎる。

私は息子達の授業参観や学校行事は欠かさず参加しました。「仕事だから」と学校行事を欠席することはなかったです。

教師が本当に伝えたい問題を抱える生徒の保護者はいつも欠席という気の毒な結果が現実です。

せめて「躾は家庭で、勉強は学校で」と分業出来れば楽でしょうね。

「15の春」は悩みも多いはずです。小さな信号を見逃さないで下さい。


[4528] 【4782回 インフルエンザ後遺症】 2018-02-04 (Sun)

1月31日寝込んでから4日間、高熱と闘っていました。

熱は下がったものの体力が衰えて3階から2階へのトイレに行くのが苦痛の日々でした。

手摺りを掴まなくてもよくなったのはやっと節分過ぎてから。

いやぁ・・・階段のあるご自宅で、手摺りが付いてない場合は元気な間に追加工事をお勧めします。(笑)

岩を駈け上っている理想の自分がいますので情なくて・・情けなくて・・・。

31日、緊急病院に行くとき、足がもつれて歩けなくて植え込みに倒れ込んだ時、ポッチーが私を起こしあげれないのです。

「重すぎる!」って・・そんなこと、いま言う?

土曜日は息子夫婦が「巻き寿司」などの諸々を差し入れしてくれました。

しかしチヤイムだけ鳴らして中には入らず「保菌者に近寄るべからず」らしい。

私も「おかんから感染した〜」と聞くよりもいいのですが守るべきは妻と子供なんやと笑うのですが・・・あわれ〜。

日曜日の番組で関口宏がインフルエンザA型で番組を欠席、上沼恵美子も同じくA型で欠席していました。

B型に感染した岳友は「雪洞で3日間沈殿しているみたい」とのこと。若くてもひどい状態には変わりない。

とにかく外出時はマスク!戻ったら手洗いとうがい。

節分の鬼退治で我が家はインフルエンザ退治ができました。

心配かけた皆様・・・もう大丈夫ですからね。


[4527] 【4781回 峠を越えて】 2018-02-03 (Sat)

「峠を越えて」と言っても山登りではありません。キャハハハ

こんな冗談久しぶりですっ!幼友達に「物言わぬみっちゃんみたの初めてや。よっぽどしんどかったんやなぁ」と言われました。

私はそんなにお喋りなんでしょうかキャハハハ〜

今朝の体温計は「37.0度」もうこれ以上、上がることはなく後は下山のみってとこでしょうか。

2月3日は三峰山に樹氷登山に行く予定でした。冬用タイヤまで買わせて準備してもらっていた岳友もまた「インフルエンザB型」

若い人の感染と古稀の感染とではダメージがきつい。

緊急診療に行くと「予約していますか?」・・・えっ〜緊急に付き予約なんかしていません。

「今回は診察しますが次回からは電話で予約してから来てください」と言われました。

弱っている身にグサリと刺さる。怒りではなくシステムが情けないのです。

「診察時間外ですので1万円預かり金を頂きます」

金がないと診察もしてくれないのか・・・何とかしてくれ〜

熱は下がりましたが身体の節々が痛いっ!気分の滅入ったこんな時は「部屋の模様替え」に限ります。

「今しなくても・・・」「いいえ、今でしょ!」

ベットの位置を変えることにしました。しかしまだ体がついてきてくれません。模様替えはひとりでするに限ります。

狭い部屋をどういじり倒しても一緒なんですが気分転換に・・

インフルエンザA型から脱出した記念に!

みなさまご心配をおかけいたしました。あと2日もすればハチキン姫に戻れると思います。

多くのお見舞いメッセージありがとうございました。




[4526] 【4780回 鬼の霍乱中】 2018-02-02 (Fri)

何としたことか「インフルエンザA型」に掛かってしまいました。

四万十の幼友達9名とランチ会をするためにナンバにでかけました。

この時は風邪の予兆は何もありません。本当です。

9名で食事をしていると「今日のみっちゃんおかしい」と言う声がヒソヒソと。

食欲もないし、元気も無いと言うのです。3時間でランチ会場を追い出されました(あたりまえやな)

前を歩く私がふらついており、ロレツが廻ってないと言います。

今日のメンバーの中に元看護師3名がおり力強く感じました。

救急車を呼ぶと言うのでそれだけは断りタクシーで自宅まで戻りました。

この日はユニバーサルホテルで1泊する計画でしたが私はドタキャンとなってしまったのです。申し訳ない!

元ナースが「病院に行ってや!結果教えて」と言われていました。

熱を計ると39度8分・・・もうあかん・・・で病院に行く決心をしました。

独りでは歩けません。ヨタヨタと歩きながら交番の前の植え込みに倒れてしまいました。

やっとの思いで近所の病院に行くと「午後休診」

仕方がないのでタクシーを呼び西九条の病院で緊急診察をしてもらいました。

検査の結果「インフルエンザA型」とのこと。

何年も風邪などひいたことなかったのに・・・・ショックでした。

飲まず食わずで熱と闘っています。まだ39度を下回りません。

みなさまもどうぞ「うがい・手洗い」の励行をお願いします。

自宅に着けた階段の手摺りがこんなにも有難いものだと初めてしりました。


[4525] 【4779回  【4777回 新春行事そのD】 2018-01-31 (Wed)

「4777回 新春行事そのD」

最後の互礼会です。ふぅ〜。

今日の会場は此花警察前にある寿司屋さん。

女性会の会合なので区長と観察官以外はぜ〜んぶ女性です。

もう知らない人達の中で座るのも5回も参加すると慣れてきました。

みなさんボランティアで一生懸命活動されているのがよくわかります。

会場に着くと幹事さんが「挨拶と乾杯の発声をして欲しいとのこと」

事前に依頼すると「あれも、これも」と考えるので直前に依頼するのだとか・・・

何とか咬まずに役目を果たすことができました。

「挨拶は短め、乾杯はビールが温まらぬうちに!」

5回の参加で学習したのです。

さて互礼会は終わりましたが有終の美を飾るのは四万十の幼友達とのランチ会。

関西に住む者だけが集合するのです。

姫路、和歌山、松山からも集まってきます。

松山の友達は今夜は大阪泊まりにつき支部長と私とでユニバーサルでホテル泊です。

昼間にご馳走食べているので「タコ焼き尽くし」にしようかな?

此花区に住んでいて此花に泊まるのってちょっと不思議です。

ユニバーの中には入らないけどネオン輝くユニバーを散策したいと思っています。


[4524] 【4778回 湯村温泉カニツアー下調べそのB】 2018-01-30 (Tue)

「湯村温泉下調べのつづき」です。加藤文太郎つながりです。

2008年(平成20年)・・・いまから10年も前の話です。若かったよね!

還暦記念に北鎌尾根から槍ヶ岳に登ることができました。北鎌尾根を体験した岳友は「50歳を過ぎてから登る山ではない」

先輩登山愛好者からのそんなアドバイスをエールに変えてチャレンジしました。

北鎌尾根は想像を絶する山であっことは言うまでもありません。これはその記録と感想です。

http://www.hime8kin.net/yamatabi/sankokiroku/2008kitakama1.html


「山行記録から抜粋」

『独標のトラバースが過ぎて稜線に出ようと高度を上げ10mほどのガレた沢に阻まれてしまいました。

左側は登れそうにありません。行くか戻るか。入ると多分岩屑に流されることになるかも知れない。

幸いなことにガレの中に幅2mほどのハイマツ帯があります。あそこに掴まれば大丈夫横断できる。

そう判断してお互いのザイルを確認し、流されることを予測して少し上から入ります。

「行きます」大きな声とともに入った姫の体は岩屑とともに流れ始めます。

「急げ、とにかく動いてハイマツを掴めっ!」

岩屑はガラガラと音を立てて落ちていきますが、僅かな時間でハイマツを掴むことが出来ました。

「よくやった。ハイマツの向こう側を、少し上に上がってビレイしてくれ」

姫が上に上がり、ビレイの体制に入ったのを確認して岩屑の中に踏み出すと、先ほどと同じく流され始めます。

「ザイルを巻いて」そう指示をしながら駆け抜けます。ハイマツを掴んでまずは安堵。

そこからハイマツを掴みながら上へうえへと上がり岩角を掴んで脱出です。』

ザイルパートナーとの命がけの横断でした。

私達の北鎌尾根の話を聞いた人は「姫が行けるんやったら俺たちは楽勝や」と言って登られた人がいました。

(悲惨な結果はこの次につづく)


[4523] 【4777回 新春行事そのC】 2018-01-29 (Mon)

ちょっと小雨のパラつく日曜日。

大阪マラソンに影響はないかちょっと気になりました。

夕方から互礼会第4弾がホテル阪神であり出かけてきました。

ほとんどが同じ顔触れで主催者が違うだけなんですが・・・

全ての互礼会を束ねて一度に実施するわけにはいかないものかと・・そうすれば参加者の出費も助かる・・・

会の年間行事となっていて、それぞれの会のカラーがあるので束ねるのは無理なのかなぁ。

我が会は互礼会は致しません。5月が総会を控えているのでその時に「互礼会・総会・忘年会」をまとめてします。

行事がひとつでも少ないと運営側が楽だし参加者の出費も抑えられる。

どの互礼会に行っても「昨日はどうも〜」「この前はどうも〜」と同じ挨拶を交わしています。

私みたいな新米会長でも4回なのにもっと沢山の会合があるということなんや〜(オドロキ)

区長曰く「1月は自宅で夕食を摂るのは数回だけ」だそうです。日曜日も出勤でご苦労様です。

同じ顔触れとは言え、ホテル阪神ともなると会場の豪華さで気分が違います。

コートとてダウンジャンバーと言うわけにいかず、2〜3年間クローゼットに眠っていた毛皮のコートを引っ張り出して着ました。

お料理は・・・まぁあんなもんかなぁ・・・(笑)

最初から最後まで自分の口に合ったものはなかなか出て来ないです。

おひらき前には民謡部のおばさん(正確にはおばあさん)達の河内音頭で参加者を誘いながら大きな輪を作って踊っていました。

「久ちゃんも踊れや〜!」知り合いの人に引っ張り込まれましたが・・・踊りだけは苦手なので、すぐ席に戻ってきました。

このパターンは同窓会のおひらきの時の「蕨岡音頭」を踊るのとよく似ています。(踊りは苦手なので歌う係です)

そして最後は消防署長の万歳三唱。消防署の万歳は手の平と手の平を合わせるようにするのだそうです。(へぇ〜)

従来の手の平を正面に向ける万歳は「おてあげ」になるのでしないとか・・・

「火を消すのが仕事ですがこの盛り上がりを消さぬように・・・」となかなか消防署らしい短い挨拶で感動しました。

それにしても某議員の「乾杯の発声」には閉口した。乾杯なのだから前置きの長い話はいらんちゅうねん!(逆効果!イメージダウン!)

また正連寺川の埋め立て成功の話をしよる・・・聞き飽きたわ!だれや!この人に乾杯頼んだのは?

いろいろ参考になることばかり多い互礼会でした。

新春の行事、第4号の互礼会終了〜! まだ1つ残っています。


[4522] 【4776回 有馬四十八滝レポート】 2018-01-28 (Sun)

「有馬四十八滝のレポートをアップしました」

「氷瀑の有無は行くまでわからない」と言うのは、何ともミステリアスな山行でした。

今行かなかったら後悔するかも知れないと寒さ厳しき中を出掛けました。

この山行だけは前夜に凍てつくような寒さでないと決められない山行なんです。

有馬四十八滝への登山道は台風による崩壊で今もなお通行止めとされて柵がしてあります。

しかし柵の施工の甘さから横からくぐれる甘い甘い柵なんです。

指示通り遠回りする人、柵をくぐる人、これは自分のマナー度の問題です。赤信号を横断するかしないかみたいな・・・・

柵をするのなら絶対、どこからも出入りできないものにすべきだと思っています。でないと柵をする意味がありません。

レポートは氷瀑の写真集だと思って見て頂ければと思います。

有馬四十八滝でのアイスクライミングについての見解も書きました。

http://www.hime8kin.net/2018sankokiroku/0126arima48taki.html

このアドレスは私たちの最初で最後(?)の古い思い出「アイスクライミング」です

        ↓

http://www.hime8kin.net/2014sankokiroku/140313snow.html

私達は写真撮影が主たる目的なので有馬四十八滝は「観賞用の氷瀑」だと思っています。

美しい氷の世界に垂れ下がったロープはハッキリ言って邪魔でした。

もっと滝の近くに近づきたいのにビレイヤーが邪魔をして近づくことが出来ませんでした。

しかしクライマー達にとっては格好のアイスクライミング場所なのでしょう。

賛否両論とはこんな時に使う言葉なのかも知れません。


[4521] 【4775回 お・み・ご・と!】 2018-01-27 (Sat)

有馬四十八滝は見事な氷瀑で私達を迎えてくれました。

去年は台風で登山道が崩壊したと言うニュースを耳にして「遠回りしてまでも行かなくていいや」と思ったりしました。

しかし、2014年の写真を見て「やっぱり行きたい!行こう!」と決心を固めました。

氷瀑だけは前夜に強烈な冷え込みがないと姿を現してくれません。イチかバチかみたいなところがあるのです。

関東地方には寒気団が大寒波をもたらしました。大阪はと言うと雪が降ることもありませんでした。

宝塚からバスに乗り有間東口で下車、かんぽの宿近くまで歩き稲荷神社の境内からスタートしました。

しばらく歩くと魚屋道と合流、右手に七曲滝への看板を見て急な坂道を下ります。

う回路は、かなりの時間のロスです。倍は違うと思います。

「通行禁止」の看板を無視して入って行く人もいました。事故が起きたらどうするのでしょうか!

炭屋道分岐から2時間ほどで七曲滝に到着です。

「お・み・ご・と!」期待通り氷瀑が待っていてくれました。

この滝はアイスクライミングは常識的に禁止たれていると思っていましたが登攀中の人がいました。

ガイドと称する人とクライミング組とで何やら揉めています。美しい氷瀑の写真に声が入らぬのが不幸中の幸いです。

「自然破壊だ!」「関西にはアイククライミングの場所がここしかないからいいのだ!」「氷瀑が壊れても翌日にはまた出来る!」と喧々諤々・・・

結論まで聞いていたかったのですが(野次馬の血)次なる百闡黷ニ似位滝に向けて出発しました。

27日、28日は見頃だと思います。

氷瀑見物を予定している人はレッツゴーですよ。


[4520] 【4774回 「湯村温泉カニツアーに向けて下調べ」・・そのA】 2018-01-25 (Thu)

「加藤文太郎・・・そのA」

いまほどに安全な装備の無い時代に成し遂げた偉大なる登山家・・加藤文太郎。

用意周到かつ独創的にして勇猛果敢不屈の岳人としての文太郎。

岳人たちから「単独登擧の加藤」「不死身の加藤」と呼ばれ、日本の登山界に不滅の足跡を残しました。

やがて、文太郎もより困難な登山に挑むための同伴者を求め、昭和9年(1934)吉田富久と前穂高北尾根を目指しました。

翌年には単独で立山から針ノ木岳を越えて大町に出ました。

そして、昭和11年(1936)再び吉田富久と槍ケ岳北鎌尾根に挑みました。

しかし、猛吹雪にあい、天上沢で31歳の青春を終えたのです。

文太郎の死をある新聞は、“国宝的山の猛者、槍で遭難”と伝えました。

文太郎の山行と劇的な生涯は新田次郎によって、小説『孤高の人』として描かれました。

山を愛する人々の心の中に今も感動を呼び起こしています。

感動を呼び起こした人達の中のひとりに私もいます。

小説『孤高の人』を読み「夏の槍ケ岳北鎌尾根に挑みたい」と思いました。

ド素人の私が行けるはずはないのですが何故かその時、師匠は「行けるよ」と行ったのです。

後日談になりますが「そんなん言うたかなぁ?」と、まさか私が本気にするとは思わなかった様子でした。

それからと言う物、ロープの勉強の特訓、岩登り、沢登りの特訓が始まり「遊びとは違うな」と実感したものです。

ロープワークは奥が深く興味が湧けば湧くほど次々に技が出てきました。

自宅のあちらこちらには短いロープが置かれ、暇さえできればロープに触っていました。

そして・・・やっと加藤文太郎の足跡をたどる「夏の槍ケ岳北鎌尾根」へと出発したのです。

それは2018年8月6日のことでした。(つづく)


[4519] 【4773回 フグツアーは惨敗・・・今度はカニツアー 】 2018-01-25 (Thu)

「湯村温泉カニツアーに向けて下調べ」

湯村温泉と言えば吉永小百合、吉永小百合と言えば「夢千代日記」。

湯村温泉の近くに加藤文太郎記念館があることを教えてもらいました。

「行きますか?」と聞かれたら「行きますとも!」

旅に出かける前に下調べをしておきたいと思い加藤文太郎について調べました。

浜坂は、加藤文太郎の出身地でもあります。偉大な登山家「不撓不屈の岳人」「生まれながらの単独登山者」とも呼ばれました。

小説「孤高の人」のモデルにもなった加藤文太郎・・・

加藤文太郎が駆け巡った山々をイメージして、館内には山を彷彿とさせるデザインが散りばめられているそうです。

建物そのものも、山をモチーフしたデザインとなっているみたいです。

ちなみに冒険家・植村直己はこの浜坂町の隣町の香住町出身です。

加藤文太郎は1905年、日本海に面した現在の兵庫県美方郡新温泉町の浜坂に生まれました。

幼い頃から海岸近くで育った文太郎は魚獲りや水泳が好きだったそうです。

14歳の時に現在の三菱重工神戸造船所に製図修習生として入社し勉強と仕事を両立。

そして、回りの人々が電車やバスなどを利用する道を毎日、徒歩で通勤していました。

当時、外国人が多く住む神戸では彼らの影響を受けて、六甲山へのハイキングや日曜登山など山登りが流行。

加藤文太郎も余暇の楽しみとして、山登りを開始しました。

後に「不撓不屈の岳人・生まれながらの単独登山者」とも呼ばれる登山家・加藤文太郎の第一歩を踏み出したのです。

『「加藤文太郎というと?」若者はやや首をかしげて聞いた。

「不世出の登山家だ。日本の登山家を山にたとえたとすれば富士山に相当するのが加藤文太郎だと思えばいい」

老人の声は意外なほど若かった。』これは小説家・新田次郎の『孤高の人』の中にある一節です。

富士山測候所などに勤務し、山に親しんでいた新田次郎は加藤文太郎の実名小説を書きました。

山を愛する人たちよ!湯村温泉に行った折には、ぜひここを訪れてほしい!


[4518] 【4772回 自然界の恐怖】 2018-01-24 (Wed)

関東は4年ぶりに積雪が20cmを超える大雪に見舞われました。

通勤の人達を見ていると凍結したアスファルトの上をスッテンコロリンと転倒していました。

まるで下山中の登山道と同じ状態です。登山靴やアイゼンなしに歩いているのですから危ない話です。

滑り止めの装置の無い靴は凍結したアスファルトの上は、まるで滑り台状態です。

転倒して頭部に損傷を受け救急搬送された人も出ています。外出は控えろと言われても出勤しないといけないしね。

23日、東京の高速道路では通行止めが続き、鉄道や空の便も運休や遅れが出てパニック状態です。

深夜に長時間、渋滞に巻き込まれたドライバーは「もうすぐ9時間が経つ。まさに生き地獄」と話しておられました。

日本自動車連盟(JAF)関東本部によると、22日の雪で、スリップや立ち往生した車からのSОSが続出。

JAFによると、近年のノーマルタイヤは性能がよくなり、慎重に動かせば最初はそれなりに走れてしまう。

しかし、結局止まれなかったり、坂を上れなかったりしてトラブルの原因となるそうです。

せめてチェーンをつけて走行して欲しいと呼びかけていました。

関東が大雪で往生している時、草津白根山(2171m)が噴火したと緊急ニュースが入ってきました。

私達も登ったことのある山なので「姫の登った百名山」の記録を読み返し「ああ・・・あの山か」と。

23日、スキー場を訪れていた人達が噴石に襲われ被害者が出たと言うことでした。

午前10時頃、「雷のようなドーンという大きな音が聞こえた」と噴火当時の様子をかたっておられました。御嶽山の惨事を思い出します。

雪崩もあったようで80人ほどののスキー客らが駅内に避難しているそうです。

突然降り続く大雪も、火山の噴火も突然に襲ってくるのでこわいですね。

大雪についてはテレビ等で注意を促し、その日は早い時間の退社処置をとる会社が多かったそうです。

そのため電車が対応できず渋谷駅、新宿駅などは人があふれたと光景をニュースで知りました。

いっその事、会社内に待機場所を作り寝袋などを準備して、宿泊ブースを用意してあげる方が精神的な負担が少ないのでは??

カプセルホテルなどに宿泊するとか・・・何時間も並んで乗れるかどうかわからない電車を待つよりずっといいのでは?

大阪は雪のかわりに雨がふっていたのか地面が濡れていました。

狭い日本と言いながらこんなにも気候に違いがあるのですね。


[4517] 【4771回 新春行事 その3】 2018-01-23 (Tue)

1月21日夕方から「子供育成会議互礼会」がありました。

この夕方の行事のために1日中、外出ができません。

外出しててもし・・時間に間に合わなかったらどうしよう(約束は1日ひとつ)

そんな思いまでして出掛けなくても、用事の無い日にいくらでも外出できます。

だって毎日日曜日の年金組だもん。(それにしては多忙だなぁ)

一応、会を代表して出席しているので来賓席となります。ここがまた窮屈な席で・・・!

後ろは楽しそうに世間話やキャッキャッと笑い声が聞こえてくると言うのに・・

ビンゴゲームが始まり、やっとホッとした感じがしました。

山小屋で知らない人と話をするのとは少し違う緊張感が走ります。

隣の席に車椅子の人がいらっしゃって閉会間近にタクシーを呼びました。

エレベーターを利用して2階がタクシー乗り場となっています。

しかし時間が遅いためエレベーターがストップ(行事のある時は開けといて欲しいなぁ)

仕方がないので外をグルリと大回りしてまだやって来ないタクシーを待ちました。

区民ホール館長が「ブランケットを持ってきます」といったものの、また大回りして行くには時間がかかり過ぎ。

私のネパールで購入したフッカ、フッカのダウンを脱ぎ、膝に掛けて差し上げました。

見かねた館長が背広を脱ぎ私のダウンと交換されると言うのですが・・・

誰の目から見ても背広の素材より、フッカフカのダウンの方が暖かい〜(笑)

寒くはないかと気遣って頂きましたが「贅肉がついていますから」と大笑い。

私達は健康で歩けるので段差や悪路は気になりません。

車椅子の人にとって公共施設はまだまだ改善が必要で利用しづらいです。

新春の行事、第3号の互礼会終了〜! まだ2つ残っています。


[4516] 【4770回 山中温泉の・・つづき】 2018-01-22 (Mon)

「バスの中」

山中温泉へは4人のツアーで申し込み参加しました。

行きも帰りも同じメンバーで湯快リゾート専用バスは、ほぼ満席状態でした。

トイレ休憩ごとにドライバーが出発時間を伝え、乗り遅れの無い様に放送します。

「行きはよいよい帰りは恐い〜」と申しますが帰りの多賀サービリエリアでの出来事です。

多分20分間は休憩時間があったと思います。

レストランで夕食を食べるには短い時間でした。

私達はお寿司や、たこ焼きを購入しバスの中で夕食タイムをとることにしました。

ところが出発時間を過ぎても4人の乗客が戻ってきません。

ドライバーは寒空のもとで乗客の帰りを待っています。

顔が分からないので探しに行くことも出来ず、ただ待つばかり。

5分、10分・・・やっと4人のご婦人が戻ってきました。

バス車内で何か一言あると思っていましたが知らぬ顔で戻ってきました。

(黙っててはいかんのちゃいますか〜?)

多分、多賀から京都下車まで無言でしたのでバツが悪かったと思っていたはず。

あの時、一言「遅れてすみませんでした」と言えばみ〜んな気持ちよく帰れたと思います。

私達は昔は、よくバスを貸し切りであっちこっちよく行ったものです。

遠くは四万十川の源流への旅、甲斐駒・仙丈岳などはドライバーを2日間も待機させたこともあります。

28人乗れば、電車とバスを乗り継ぐよりも安いのです。

何よりも楽しさが違います。何よりも荷物の運搬が便利です。

28人満席で座席が無い時はガイド席に座って行ったものです。

みんな顔なじみですのでバスの中は大騒ぎをしても大丈夫でした。

歌ったり、お話しをしたりバスツアーは楽しかったと思います。

しかし乗り合いバス状態では迷惑行為は御法度です。

いまになってあの時の「やまたび貸し切りバス」のありがたさが身に沁みています。

あのバスの中で「ガイドもどき」をさせて頂いた経験が今の仕事に非常に役立っています。

人前で喋ることが出来るのも「ガイドもどき」のおかげです。


[4515] 【4769回 山中温泉の・・つづき】 2018-01-21 (Sun)

「ないないづくしのおもろ集」

参加した人しか面白さが伝わらないかも知れませんが・・・。

山中温泉での「ないないづくし」今となっては笑い話です。

その@ 「ジョンがいない」⇒白内障の術後でドクターストップがかかり止む無くキャンセルとなりました。残念!

そのA「靖ちゃんがこない」⇒京都駅で出発1分前になっても姿が見えず慌てました。でも間に合って良かった!

そのB「エレベーターが動かない」⇒ホテルのエレベーダーが年に一度の定期点検日だってサ。

そのC「電気がこない」⇒定期点検で停電なんだって。だからカラオケルームの使用もできないってサ

そのD「部屋に入れない」⇒1時間ぐらい外で遊んで来いってサ。足の不自由な人は雪の中大変だね。

そのE「スモーク玉子売り切れで、ない」⇒喫茶店の目玉商品なのにサ、売り切れだっていうの・・おかしいよね。食べたかったわ〜。

そのF加賀名物「娘娘饅頭(にゃあにゃあまんじゅう)もない」⇒加賀名物だっていうのに・・・抹茶のお菓子に最適だって言うのにサ

そのG「雨が降って来たのに傘がない」⇒荷物の中には傘をもってたのに・・急に降るんだもんサ。

とどめを刺したのは注文した「フグがない」⇒これにはおったまげたなぁ。

とまぁ、いろいろありましたが、その「ないない」を結構楽しみました。70歳を過ぎた団体とは思えないはしゃぎっぷりでした。

雪玉を作って投げて見たり、わざと雪の中を歩いてみたり、トランプでババ抜き必死になったり、卓球したり。

いつも登山や熊野古道歩きでは限界越えのような宿泊の仕方でしたので心も余裕があったからなのでしょうか。

いま思い出してみてもトランプ遊びの「ババ抜き」最高でした。たまにはこんな旅も「いいねっ!」。


[4514] 【4768回 ただいま〜】 2018-01-20 (Sat)

「ないないづくしの珍道中」

山中温泉から戻ってきました。湯快リゾートとなる前は、老舗旅館で、それはそれは立派だったろうと思える豪華な佇まいでした。

だから・・・維持して行けなくなったのだろうと。

ロビーは既に6階にあり、案内された部屋も広くて、大きくて、窓から見下ろす鶴仙渓の川の流れも雪化粧していて美しかったです。

何よりも良かったのはロビーも風呂場も食事場所も「静か」な事です。あの賑やかな外国の団体さんがいないのです。ラッキーです。

話せば長いのですが(レポートを楽しみにしててください)アクシデントもてんこ盛りでしたが、みんなで解決する楽しさは修学旅行気分でした。

いまどきはホテルから観光客が町に、出ない傾向がありますが山中温泉は観光地がどっさりとあります。

しかも歩いていける近さに点在している。そのために町も潤っていると感じました。

名物の「こおろぎばし」や「あやとり橋」芭蕉の歩いた道をたどったり、山中座でのショーを見たりと観光客と町並みが共存していると感じました。

温泉地が元気がなくなりつつあると言われていますが山中温泉はまだまだ元気です。

湯快リゾートもじっくり選べばいいとこまだまだあります。

「よしのや依緑園」が健在の頃、我々では多分高くて利用しづらかったと思います。だって能舞台まであるんですよ〜。

それが9800円で泊まれるのですから、それだけで「得した気分」です。

仕事の合間を縫って2月はカニツアーを申し込みました。

「観光目的」「食事中心」「移動目的」などと選択すれば利用価値まだまだあります。

楽しい旅は仲間達と行けたからこそだと感謝しています。

「ないない尽くし」物語は続編をお楽しみに(明日につづく)


[4513] 【4767回 いってきます】 2018-01-18 (Thu)

「行ってきます??山中温泉へ」

新大阪から専用バスに乗り湯快リゾート山中温泉「よしのや依緑園」にいってまいります。

なので・・・1月18日から19日の書き込みはお休みとさせて頂きます。

今回はポッチーが参加、ジョンが不参加です。

ジョンは白内障の術後で、温泉は雑菌が入ると言うことでドクターストップがかかりました。

同行者にはまだそのことを言ってないのですが・・・。

そのかわりと言っては何でごじゃりますが2月の「カニ食べ放題ツアー」に申し込みました!

「カニ」と聞けば、たとえ丹下左膳のお目々だとしても参加するはずです。

そういえば・・・2016年北海道利尻岳に出発の際、退院したばかりのポッチーを医師に内緒で・・・。

医師に言えばドクターストップがかかるに違いない、ならば黙って行こう(計画も1年かけて企画してたしね)

退院したばかりで山行中の2週間もお留守番させるには心配でした。同じ心配なら一緒に行こう!

車で北海道までは無理だからとひとり飛行機に乗せましたっけ。

今回の旅の目的は「温泉にゆっくり浸かって美味しいもん食べて」が主たる目的です。

カニのシーズンではありますが今回は河豚三昧ってところでしょうか。

仕事の合間を縫って、やっと調整できたお休みです。ゆっくり、のんびり楽しんできたいと思っています。

では・・・行ってまいります。

交通標語「お土産は無事故でいいのよお父さん」とあるけれど

      ↓

「おみやげは無事でいいのよ美智子さん」(笑)

期待しないで待っててね〜!


[4512] 【4766回 あれから23年】 2018-01-17 (Wed)

シトシトと優しい雨音で目が覚めました。

時計を見たら奇しくも午前5時46分・・・普段なら、もう一度ベッドにもぐるのですがこの日は目が冴えてしまいました。

あの時・・23年前の今日、めまいなのかと思うほどの大きな揺れを身体に感じました。

階段の飾り棚に置いていた木彫りの熊の置物が落下し、いまも階段に大きな傷跡を残しています。

私の住む町は停電が起き、防災管理が出来ていなかった我が家では非常灯にたどりつくのに手間がかかりました。

停電のため微かなベルの電話は、北海道に住む息子からの「大丈夫か?」の電話でした。

1995年(平成7年)1月17日「兵庫県南部地震」と名付けられた地震。

兵庫県南部を中心に大きな被害と多くの死者を出しました。犠牲者6434名。

私は翌日神戸市中央区の住む社員の安否を確認するためにミニバイクで震源地に向かいました。

「危険だから行くな!」と止められましたが・・・あとにも先にも上司に逆らったのはこの時だけです。

リュックに日用品を詰め、前カゴには食料品、足元には飲料水と帰りのガソリンを持ち此花区を出発しました。

途中の道路は陥没しバイクを押したり、穴から引き揚げたりと、歩いた方が早いのではと思うほどでした。

芦屋あたりでは高速道路のセンターラインが目の前にあり、戦火を知らない年代ですが「まるで戦場」状態でした。

早朝に出発はしたものの到着したのは昼過ぎでした。

路上にバイクを停め、避難先の小学校で無事が確認できたのです。互いに泣きましたねぇ・・・

無事が確認できたのでバイクに戻ると積み荷の物資が、もう少しで盗られるところでした。酔っ払いが荷物を物色していたのです。

「こんな非常時に酒に酔っ払ってる場合かっ!」思わず怒鳴りましたが、酔わずにいられないほどの悲しみだったのかも知れません。

帰る道すがら怒鳴ったことをひどく後悔しました。

帰り道のガソリンスタンドにはガス欠で給油を待つバイクの群れが異常に感じました。帰りの燃料まで気が付かなかったのね。

それから10年くらい後に、緊急入院した私の病室を見舞ってくれた人がいました。

見覚えがないので部屋を間違えたのではと聞くと「あの時は娘がお世話になりました。御恩は忘れていません」と。

社員のお母さんだったのです。

此花区も液晶化現象で多くの家が被害に遭いました。菓子工場のエントツが倒れて死者もでました。

大きな爪痕を残した阪神淡路大地震を教訓に、今日は自宅の防災について見直す日にしたいと思います。


[4511] 【4765回 加齢による白内障】 2018-01-16 (Tue)

「ザイルパートナーが白内障手術」

加齢に伴い高齢者が、なりがちな病気が白内障です。

ザイルパートナーのジョンが左目の白内障手術を受けることになりました。

「困った時はお互い様」・・・と、不安を少しでも掻き消せるならと、付き添いました。

手術は午後2時からなのですが午前9時に外来の診察を受けて、その後病棟へ。

「えっ?日帰りじゃなかったの?」

この病院は日帰りでも病室が与えられ、手術2時間前の点眼が開始されます。

@散瞳点眼剤、A広範囲抗菌点眼剤、B抗炎症点眼剤をワンクール。

10分おきにお目々にポトッ・・・を手術室に入るまで続けます。

10分と言う間隔が大切らしくタイムウオッチを貸与されました。

目の病気の大先輩のポッチー(網膜剥離3回、白内障2回)は励ましのラインをくれました。

「右向いて左向いたら終わってるよ!」逆にこの励ましは不安だったらしい(笑)

午後2時看護師さんが車椅子で迎えにきてくれて手術室へ。

わずか45分後には、手術を終えて丹下左膳?(笑っちゃいけねぇぜ)

術後の血圧が「167」と、緊張のバロメーターは上がってる。

しばらく安静にしていると「135の76」と落ち着いたため退院となりました。

70歳を過ぎるとどこかしら故障が見つかりますがこまめに修繕することで長持ちします。

本人の自覚も大切ですが異変に気付いたときは指摘してあげる「仲間」も必要ですね。

でも「太ったみたいね」は御法度ですぞ!

白内障手術をためらっている仲間達のために「ためらわないで」と言う意味から本人の許可を取って写真掲載をしました。


[4510] 【4764回 大阪市バス】 2018-01-15 (Mon)

「大阪市の敬老パス、年3千円の個人負担金廃止」

大阪市には、市営地下鉄・バスの敬老優待乗車証(敬老パス)があります。

70歳以上の利用者が支払う年3千円の個人負担金を来年度から廃止する方針。

機関誌「このはな1月号」に手続きの方法などが載っていました。

現在の乗車1回当たり50円の個人負担は続けるそうです。

敬老パスは1972年に導入し70歳以上は運賃無料だったのです。

しかし当時の橋下徹市長が2013年から年3千円の個人負担金を導入しました。

2014年から乗車1回50円の徴収も始めました。

しかし、敬老パスの利用者数は12年度末の約34万人から15年度末は約25万人へと激減しました。

(橋下前市長の狙いは的中したのではありませんか?)

しかし現市長は、3千円の負担を減らすことで利用者増を目指すという(?)

利用者は負担金なしは大いに結構なことではありますがコロコロと政策が変わり戸惑い気味。

当時の市長の考えを引き継いだ現市長が、またもとの負担金廃止にするには何か魂胆がありそうな・・・

まずは年寄り相手に都構想への人気集めか?何はともあれ3千円要らなくなるのはありがたい。

手続きに行く友人が「姫も一緒に行こう!」と声を掛けてくれましたが・・・行かないです〜。

って言うか・・・私はまだ70歳にはなっていませんけど〜!

悪あがきをしています。4月26日が来れば手続きに行って見ようかな。

「大阪あそ歩」シリーズを歩くには結構市バスや地下鉄利用するので敬老パスも便利かも。

でも「敬老パス」ってほんまもんのお年寄りになったみたいで、もっと粋な名前はないのかしら?

「すこやかパス」とか何とかありそうなものなのに役所の仕事は頭が固いね。

4月1日からは、大阪市バスから「大阪シティバス株式会社」に引き継ぎをして再出発するそうです。

★新春初歩きin中山最高峰のレポートアップしました。

http://www.hime8kin.net/2018sankokiroku/0113nakayama.html


[4509] 【4763回 新春初歩き】 2018-01-14 (Sun)

「遅ればせの初歩き in 中山最高峰

昨年の初歩きは熊野古道のスタートでした。熊野古道シリーズ25回、大阪あそ歩シリーズ18回とよく歩いたものです。

しかし今年はボランティア事務所への仕事も増え、毎日の様に会議、会議、その合間を縫って互礼会・・・

松の内が開けた13日、やっとのことで初歩きの日程確保〜!

突然のお誘いに仲間の皆様からは「用事あり〜」無理もありません。

ポッチーが「わしも行こうかなぁ」って・・・そりゃ冗談でしょ!

つい先日、骨髄移植を終えたばかりなのに!

「元気になったかも知れない」と言う気持ちは、よ〜くわかるのですが・・・。

山中温泉行きが間近に迫っているので風邪でも引いては大変と説得しお留守番を頼むことにしました。

中山最高峰は、標高478mの山でハイカーでも簡単に登ることができます。

正月3ケ日も済み、成人式も済んだこの日の中山寺境内は静かです。

本殿の前で家内安全、無病息災を願って手を合わせました。(お賽銭を、はずみましたよ〜)

世の中の妊婦さんがどうぞ無事に出産を終えられますようにと。

そして産んだ以上は大切に育てて欲しいと願いました。育児放棄なんてもってのほかっ!躾もちゃんとしてよ〜!

2〜3日前の寒波の影響で標高478mと言えども、ひょっとして凍結しているかも知れないと軽アイゼンを携行し「沢コース」に入りました。

やはり凍結していました。ところどころ雪も残っていました。

しかし、アイゼンを装着するほどではないので安全ステップを踏み頂上へ。

久しぶりの山歩きでしたが快調に登れたと自信を取り戻しました。

復路は清荒神に下山し、姫の大好きな岩納豆を買うことができました。

雪山も生きたいけど・・・アイスバーンは嫌やなぁ。寒いのも嫌やなぁ。

春を待つしかないのかなぁ・・高見山の樹氷行きたいなぁ・・


[4508] 【4762回  年賀状の波紋】 2018-01-13 (Sat)

(古稀を迎えるのを機に)

そう題して今年の年賀状に卒業することを書きました。

「まだ早すぎる」

「楽しみにしてるのに」など、お叱りに近い言葉をもらいました。

もう少し詳しく卒業の意味をいいます。

現在、用意する年賀状は300枚。返信のあるのは255枚ほど。

宛名は手書きをモットーにしていましたが昨年からパソコン入力。

それでも手書きのメッセージは、欠かさないことにこだわります。

もし、、、書けなくなったら夫が代筆してくれるか?

夫の右手は神経の故障で震えが発生し、ものを書くことができません。

孫が幼いとき「じいちゃんのお手手は、いつもバイバイしてるね」

と、言うほどなので代筆出来ないのです。

だから今のうちに皆様にご挨拶したかったのです。

わたしが、一番年賀状を楽しみにしているので本当は永遠に書き続けたいのです。

しかし、、、、中途半端はいけないと思い決断しました。

永遠の別れではありません。(いずれやってくる)

お叱りにの声は「頑張れよ」に変換してブログ発信します。

温かいメッセージありがとうございました。


[4507] 【4761回 新春行事 その2】 2018-01-12 (Fri)

1の数字が3つも並ぶ1月11日(ちっともオモロナイなぁ・・笑)

千鳥橋から電車に乗り、阪神なんば線の上本町で下車し階上に上がれば会場(笑)道迷いすることはありません。

この日はシェラトン都ホテル大阪で観察所主催の「代表者会議」が行われました。

また誰も顔見知りのいない席に長時間釘付けです。

テーブルには名札がありお隣は福島区の会長さんです。隣の区につき「野田藤」などを話題に揚げて話をすることができました。

第1部は会長ばかりを集めた観察所からの伝達事項会議です。資料はありますが聞き漏らすまいとノートをとるのに必死。

居眠りする間はありません。ほんまです〜。

10分の休憩を挟んで第2部は連合会からの伝達事項です。

時間は午後4時過ぎでいます。そろそろ座ってばかりが退屈になって来る時間です。第3部は「更生保護の現状と展望」と題した講話。

午後5時30分、隣の部屋に会場を移し、互礼会となりました。

だ〜れも知っている人のいないテーブルでの食事会はつまらない・・・と、以前に書き込んだことがありました。

食事は愉快な仲間達とするのが一番!

どんなにゴージャスな会場で豪華な食事でも喉元を通りにくい。天井にむけてシャンデリアを1枚だけパチリと撮影。

常々は居酒屋などで、会話が弾み過ぎて少々うるさく感じるテーブルに、眉をひそめることがあります。

それはそれで盛り上がり楽しんでいるのだと思えばいいと感じました。(笑顔キープでっせ〜)

ならば負けずにこちらも騒いじゃえばいいと思えるようになりました。!盛り上がり合戦です。

アルコールが入ると声もデカくなるし、楽しさもMAXになるのでしょう。

仲間達との食事が弾むのは「会話」もご馳走のうちだと言うことがこの日のテーブルに座ってよ〜くわかりました。

新春の行事、第2号の互礼会終了〜!


[4506] 【4760回 生きてるっこと、生きるってこと】 2018-01-11 (Thu)

健康な人にはわかってもらえない思いますが「あっ今日も生きている」と朝目覚めると感じています。

階下でコトッと音がすると「ああ今日も生きていたんだ」

夜、寝室に上がるときは「おやすみ」、朝は「おはよう」と声を掛け合う習慣にしています。

仲の良い夫婦だからではなく「生存確認」なんです。

何事が起きても救急車は呼ばず自分の車で運ぶ覚悟をしています。(だって野次馬が・・・)

そんな、切羽詰まった生活が再生医療を受けた昨日から、やっと解放された気がします。

多分・・・わかってもらえないとは思います。(笑)

2年前までは一緒に百名山めざして山登りできてたんですからね。病魔はアッと言う間に襲ってくるという話です。

近所に乳がんから大腸がんを併発し放射線治療に苦しむ人がいます。

胃がんが他臓器に転移しセカンドオピニオンに駆け込んだ人もいます。

「ステージ4」の大腸がんで手術を受け、奇跡の職場復帰した人もいます。

本人曰く「完全に治ったわけちゃいまっせ〜」今も放射線治療中だそうです。

前立腺がんの宣告を受け、高齢(76)のため手術を受けず上手に癌と付き合っている人もいます。

どの人も病気に負けてはいません。しっかりと前を見て「治る」「これ以上は進行させない」と頑張っています。

ポツチーも昨日退院するときに医師から「去年は一度心臓が止まっていたんですよ」と、言われました。

そう思うとこれからは「おまけの人生」なのですから、したいことをして後悔のない人生を過ごさないと勿体ない。

日頃、照れからか優しい言葉の少ない息子達も親父が病気の時は何かと気にかけてくれます。

だまに病気もいいものですね。たまにですよ・・・しょっちゅうはゴメンだね。(笑)


[4505] 【4759回 再生医療・・治験】 2018-01-10 (Wed)

「凄いっ!凄すぎるっ!」

今回の「治験」の話を、まずはラッキーな患者だと感謝せねばなりません。

県立尼崎医療センターで心臓の再生医療はポッチーが三例目だそうです。

「治験」対象にしていただけるほど特殊だったのでしょうか。

いずれにしても治験なので費用負担が無いことが幸いです。ラッキーです。

9日、指定された午前10時に入院手続きをして「CHCU」室へ。これがポツチーの病室です。

心電図、脈拍等の線が繋がれてトイレに行くのも、ままなりません。

その都度ナースコールで線を外して貰い、トイレへ行かねばなりません。

午後4時、ナースが「間もなく先生が病棟に参ります」と知らせがあってから20分過ぎました。

主治医、主治医の上の部長、除細動担当医師などなど多くの医師がズラリ。

これが治験なのかと・・・白衣の中にひとり背広姿の男性がアイスボックスを肩にかけて立っていました。

主治医に「あのお方はどなたですか?」と尋ねると「名古屋からいま髄液を運んできた人です」

新幹線に乗りアイスボックスの中にポッチーの培養された髄液を運んでこられた研究所の人でした。

髄液は1分1秒を争って点滴でポッチーの体内に戻されます。

事前に病院にて保管ではダメらしいです。研究所から直送が原則らしいです。

その光景を見て、ことの重大さを初めて理解できました。

孫達にこの光景をラインで知らせると「ドナーの人のやつを入れたの?」と素朴な質問。

爺の髄液を抜き取り名古屋の研究所で元気な細胞に育ててからまた爺の体に戻したことを説明しました。

成果があるかどうかは6ケ月先にしか判明しないそうです。

成果があってもなかっても。これであらゆる治療は尽くしたと医師に言われました。

(心臓移植が残っていますが60歳以上のひとには適応外らしい)

いずれにしても医学の進歩に驚かされ感謝をする次第です。


[4504] 【4758回 成人式に参列して思う事】 2018-01-09 (Tue)

「成人式に参列して思うこと」

大阪市内の成人誕生が、ざっと2万人。そのうち此花区は662名が成人式を迎えました。

あいにくの雨で晴れ着にシミをつけやしないか?と心配するのは親とレンタル屋。

跳ねあげないでシャナリシャナリと歩けるはずがありません。親や友達の車で会場に横付け登場。

440席用意した会場の椅子は、ほぼ満席で立っている人も大勢いました。(前列は空いてるんだけどね)

テレビで放映されるような奇抜な恰好の若者はいない様でした。(少しはいたけど暴れなかった)

会場では雨の中テントを張り、焼きそばやフランクフルトなどの無料のふるまいを地域の人達がしていました。

着付け教室の方達のボランティアで着付け直しの部屋まで出来ていて至れり尽くせり〜。

国立音楽大学に通う新成人による国歌斉唱もありましたが残念なことに、ざわめきで、かき消されてしまっていました。

きっとソプラノの美しい声だと思います。ソロで歌って貰っても記念になったのではないでしょうか。

せっかくでしたのに企画倒れとなりました。(司会者は会場を沈静させてから歌って貰いたかった)

壇上からはベストポジションで撮影出来たのに・・来賓席でしたのでシャッターを押すのを遠慮・・・。

壇上から見ていると、祝辞や挨拶中でも自由に話したり携帯電話中であったりそりゃあひどい・・・

人の話を聞く体制にはなっていませんでした。暴れなかっただけで良かったと思うしかありません。

そんな中「成人おめでとう!NEVER GIVE UP!」とだけ叫んで挨拶を終えた主催者代表がいました。

アッパレッ!この日の若者に意義ある言葉を言ったとて、誰も聞いていません。

ならば印象に残る言葉を短く言った方が効果大。いい勉強をしました。(どこかで使おう)

議員さんは、また正連寺側公園の話をしていましたが成人の日にふさわしい言葉はないのか?

挨拶は短くて、気の利いた言葉ひとつでいいよ〜!

中には真面目に話を聴こうとしている若者もいたはずなのに・・・こんなもんかな?

議員団によると隣の福島区はもっと酷かったとこぼしていました。

若者よ達よ!育ててくれた親への感謝を忘れず、大人になったという自覚をもってほしい。

この若者達に支えられて将来の「年金組」は生活を維持されることを私は忘れていた。(岳友に教えられた〜)


[4503] 【4757回 身近な山でも事故】 2018-01-08 (Mon)

「身近な山でも事故」

1月1日午前4時ごろ(午前4時って暗いよ〜)神戸市東灘区本山町森の山中で、登山コースに男性があおむけに

倒れているのを、初日の出を見るために山を登っていた男子大学生が見つけ、110番通報。

男性はその場で死亡が確認されました。

東灘署によると、死亡したのは22歳の男子大学生で、頭に強く打ったような傷があったそうです。

ズボンの尻の部分も破れていたそうです。

同署は男子大学生が別の登山コースから滑落したとみて、死因などを調べています。(調査の結果を知りたいなぁ)

男子大学生は普段から山野を走るトレイルランニングをしていたそうです。

31日夜に家族から同署に「走ってくると出て行ったまま帰ってこない」と届け出があったらしい。

街から近い、本当に近い六甲山は、「すぐに山に行ける」安易な考えで誰にでも行けて観光気分で高座の滝から風吹岩行く
人が多いです。

芦屋ロックガーデンから風吹岩にすぐに行ける気分がする・・・。

高座の滝から芦屋ロックガーデン、風吹岩山頂までは歩き慣れていない人がハイキングをすると、「往復で2時間以上かかる」

風吹岩山頂までは、岩と山道が続きます。登山靴履いてますか?雨具などの装備は持っていますか?

芦屋ロックガーデンでは、土・日になるとハイカーなどが増えます。

気軽に行ける山だがよく考えて行動をしましょう。

事故・遭難は「40代から」が多く「道迷い・滑落・軽症・疲労・死亡」といったことが多く年々増加している現状です。

山の事故でも多種多様な形で事故になっています。(バックカントリー、スノボ)

決められたコースだけではもの足らず進入禁止を無視しての事故も多い。

自分勝手な行動がどれほどの人に迷惑をかけるのか考えて貰いたいです。


[4502] 【4756回 恒例行事・門戸厄神詣り】 2018-01-07 (Sun)

「恒例行事・門戸厄神詣り」

毎年3日には門戸厄神へ初詣に行く習慣がありましたが今年は6日と出遅れました。

それもそのはず2日にポッチーが首痛で緊急受診したため予定がずれ込みました。

6日は何とか回復したので遅ればせながら門戸さん詣りとなりました。

門戸厄神の正式名称は門戸厄神東光寺(もんどやくじんとうこうじ)兵庫県西宮市にある寺です。

日本三大厄神(@兵庫・門戸厄神東光寺、A京都・石清水八幡宮、B和歌山・天野明神)のうちのひとつ。

あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が有名です。

厄年にあたる年齢の人が厄払いをするほか、十三詣(数えで13歳の子どもが厄除け)と学業成就を願って虚空蔵菩薩に詣でるのです。

初宮参り、交通安全祈願、護摩祈祷、人形供養も受け付けてくれます。

人形供養と言えば姪っ子の娘(現在は24歳)に私が人形を買ってやり「みっちゃん人形」と命名して可愛がっていました。

しかし風呂に入れたり外に連れまわしたりであまりにボロボロになったので「二代目みっちゃん人形」を買い与えました。

2体とも、成人してからも大事にしておりましたが、もうそろそろ捨ててはどうかと提案すると大切に「供養したい」とのこと。

ちょっとオドロキ〜!普通ゴミに出せばいいのでは〜?

買ってやった責任上、何日が人形供養の日なのか調べて知らせることにしました。

3月1日から受付で11月に供養祭があることがわかり早速姪っ子にラインをしました。

門戸厄神は毎年1月18・19日に厄除大祭、2月3日の星祭が有名です。

特に厄除大祭では数多くの屋台が出店され、何万人もの参拝者で賑わいを見せるらしいです。(でも人混み苦手)

6日は正月が済んでいるので出店もほとんど撤収されていましたが人では相変わらず多かったです。

梅田に出てバツテラ屋で新年会となりましたが何とバッテラが無いっ!

「なんでないの?」

「多忙期間につきしばらくお休み」とのこと。

「バツテラ目当てにわざわざ来ているのに」

「そうおっしゃるお客様多いです」そんなら、ちゃっちゃとメニューに加えてよっ!


[4501] 【4755回 初仕事&互礼会】 2018-01-06 (Sat)

「新春行事・その1」

2018年の初仕事はまず私から出勤・・・ってか!笑

あいにくの雨ではありますが小雨に濡れて冷たいほどではないので我慢してバイク初乗り〜

正午からは此花区の地域活動に携わっている人達を一堂に集めて互礼会。

参加リストから人数を数えるとざっと197人。知っている人と言えば10人もいない。

私は日頃から地域活動に参加していないのでそんなもんかも知れません(日曜掃除、緑化運動、ラジオ体操などなど)

会場は地区ごとに座席指定となっています。だから知り合いがいても同じテーブルに座ることは出来ないのです。

見知らぬ人に挟まれてでは、ビールも料理も美味しさ半減。(人見知りだし〜・・笑)しかもバイクのため飲めないよ〜!

まあそれにしても老人会と言ってしまえば失礼に当たりますが・・・高齢者の多い事!

辛うじて若いと言えば小中学校のPTAの方々が若かったかな。

地域役員の方達は、かなりお年を召されている人が多いです(私もそう言われているのだろうなぁ・・)

開宴して30分間は恒例の来賓の方々のご挨拶が続きます。挨拶は短めに頼んまっせ〜!

議員団は正連寺川公園の埋め立て成功について延々と(もう何回も聞いたってばぁ・・・)

それよりか、2018年の此花区をどう改革していくのかの未来ビジョンを聞きたかったなぁ。

途中退場して会場から玄関に降りると自転車が溢れかえっていました。

えっ〜!?飲んでから乗ったらあきまへんで〜!飲むとわかっている時は歩いて来て下さいよ!

しかも此花区の要職にある方達ばかりの集いでっしゃろ?

往路はノンアルコールでも復路はバリバリの飲酒運転なんだけどなぁ。

自転車事故が減らないのはそんな認識の甘さから起きるのだと思っています。

途中で衆議院議員の繰り上げ当選した議員さんが入場し司会者が紹介してたけど、だ〜れも関心なかったわ・・

(初顔合わせに遅れてくるなっちゅうねんっ!)

まずは第1回目の新春の行事第1号の互礼会終了〜!


[4500] 【4754回 トモ遠方より来る】 2018-01-05 (Fri)

正月早々お騒がせのポッチーの首の具合もだいぶ良くなった4日のことです。

宇都宮市に住むトモ&リジュちゃん達が我が家にやってきました。

ジョンも呼んで、賑やかなランチ会となりました。

青年小屋での再会以来となりますが距離感なく楽しくおしゃべりが続きました。

しばらく雑談をした後にトモちゃんが「天保山に登ってみたい」と言い出しました。

天保山なら私達もお伴出来るわ〜!と、出かけることにしました。

ユニバーサルスタジオジャパン経由で桜島に車を停めて渡船乗り場へ。

宇都宮の住民にとっては渡船も珍しいらしくテンションアゲアゲ〜

1分足らずで対岸の港区側に着岸しました。

歩いて5分・・・天保山の三角点に到着です。

大層喜んでくれて・・・大阪人としては嬉しいね!。記念写真を撮り、再び渡船に乗り此花側に戻りました。

その後、世界に2つしかないという珍しいゴミ焼却炉の写真でも撮って帰ろうかと舞洲に向けて車を走らせました。

駐車場に行くと係の方がいて、見学できると言います。しかも案内人付きで。

いつもは予約なしでは受付てくれないのですが「東京から来たのですが・・・」という言葉に心が動いたのでしょうか。

いやいや正月明けで、たまたま予約が入ってなかったからだと思いますが親切な対応でした。

ウイーンの芸術家・フンデルト・ヴァッサー(故人)デザインの曲線美の美しい舞洲工場をスタッフ付きで1時間30分見学することができました。

5階から3階、2階、テラスとじつに丁寧に説明して下さいました。

世間から「税金の無駄遣いや!」「此花区にふさわしくない!」などと散々いわれた時代もありました。

しかし、竣工から17年も経てば市民権を得て立派に役立っていることが見学をしてよ〜くわかりました。

焼却時に発生する余熱利用やごみの投入、焼却、灰の行方などとても勉強になりました。

見学後、大阪市民として分別ごみは、更に真剣に取り組まなくてはいけないことも再認識しました。

ぜひ多くの人達に見学して貰いたいと思います。その際は必ず予約をしてくださいね。出来たらメモ持参がいいね。

沢山聞いたけどメモが無いので数字なんかは、ほぼ右から左に抜けてしまいます。

メモ持参でもう一度行って見たいと思うほどでした。

宇都宮チームには大阪案内と言うよりは此花案内になってしまいました。

時間があれば川底トンネルも案内したかったのですが日暮れが早く次回のお楽しみに。

外に出たらうっすらと日暮れ時となり、夕日の丘に行きログハウス見学をし、此花とは思えない美しい夕日を目に焼き付けて自宅へ。

夏場にきたいなぁ・・・バーベキューしながら、沈む夕日を眺めて山談義。いいなぁ


[4499] 【4753回 新年のご挨拶】 2018-01-03 (Wed)

あけましておめでとうございます

2018年の幕開けとなりました。

全く何も変わっちゃいないのですが「新年」と言うだけで何故か清々しい気分です。

元旦を迎え、ポッチーファミリーと姪っ子達も合流し総勢15名で賑やかな元旦を迎えました。

姪っ子の持ち込んだ賞品の山でジャンケン大会が大盛り上がり〜!

翌日は場所を私の実家に変え同じメンバーで恒例の新年の儀式の予定が・・・

2日、階下で朝食の用意をしていると2階で寝ているポッチーからラインが。

「首が痛くて起き上がれない!」「入院の用意して病院に連れてってくれ!」

驚いて県立尼崎医療センターの救急診療へ。(9日に治験の入院があると言うのに・・・)

CT検査の結果、異常なしと言うことで痛み止めと膏薬を貰い戻ってきました。(正月早々お騒がせなんだから〜)

年始の挨拶にはポッチー抜きで行ってまいりました。

子供たちは、あっちからも、こっちからも、お年玉を貰いホックホク顔。爺婆がこの子達からお年玉貰えるまで生きてられるかなぁ?

公園では、子供たちの歓声や凧あげ、羽根つきの風景も見られなくなりましたね。

人が今年の抱負を語るとき「なぁるほど〜」と感心するばかり。この年になるとなかなか抱負が出てきません。

まずは元気でいることと・・・痩せること?(努力せずして成果なし〜)

百名山を目指している時は「今年は〇座登ります」な〜んて抱負もありましたが。

強いて言えば・・ここのブログに足跡を毎日残すことかな?

ネタがなかなか見つからず、なかなか毎日書き続けることが難しくなりました。

日常のどこにでもある書き込みも多くなり、訪問して頂く人達に申し訳ないと思うこともあります。

でも、めげずに書き続けます。今年もよろしくお願いいたします。


[4498] 【4752回 年末のご挨拶 】 2017-12-26 (Tue)

2017年は本日12月26日を以て最後の書き込みとさせて頂きます。

平素は私のつたないレポートをご覧頂きありがとうございます。

姿は見えねども、画面の向こうに皆様が見ていて下さっていると言う思いで頑張ってきました。

些細なつまづきはあったものの元気に2017年を終え新年を迎えることができそうです。

新年明けて古稀(70歳)を迎えます。69歳と70歳では大きく気持ちが違ってきます。

難易度の高い山や縦走は加齢とともに出来なくなりそうです。(年相応の山登りします)

今年最後の「大阪あそ歩シリーズ」レポートをお届けします

a@O 西横堀河 http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1211nishiyokoborigawa.html

a@P 靭・江之子島 http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1212utubo-awaza.html

a@Q 川口・江之子島http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1220kawaguchi.html


皆様のお幸せをお祈りいたしまして本年最後のご挨拶とさせて頂きます。

年賀状は来春70歳を迎えるのを機に、終活の一環としたいと考えました。

皆様には大変無礼や失礼する形となりますが何卒ご理解の程よろしくお願いいたします。

「最近年賀状が途絶えたけど姫は亡くなった?」と噂が立たぬ様・・・先手を打ちました。(笑)

近年は連絡方法も多方面でメール、ライン、フェイスブックが活発化しています。

一方通行ではありますがホームページでは今まで通り近況発信させて頂きます。

平成30年は1月4日を初書き込みとさせていただきます。

ありがとうございました。よいお年をお迎えください。


[4497] 【4751回 イベント終了〜】 2017-12-25 (Mon)

クリスマスイベント無事に終了しました。

日曜日はお決まりコースのマクドでの朝食を済ませ、オセロゲーム大会をしたり、トランプをしたりと孫達の「イトコ会」が楽し気に終了。

昼食を済ませ、それぞれの自宅に送り届けてイベント終了です。

フェイスブックを覗くと山ほどあった書き込みも静かです。

みなさん年末モードに入った様子です。中には冬山準備の人もいると思います。

怪我や滑落等の事故以外に持病による死亡も発生しているそうです。

登山年齢が高齢化しているからかも知れませんが・・・

12月17日、中央アルプスの中岳で、60歳台の男性が急病で亡くなったそうです。

中岳を登山中の愛知県の男性が倒れなくなっているのがみつかりました。
 
死因は、虚血性心疾患とみられているそうです。

男性は、2人パーティーで入山し、駒ヶ岳登頂後下山途中だったらしいです。

急な寒波で、山々は想像以上に冷え込んでいるのでないでしょうか?

健康な人でも体調管理には十分注意しなければなりません。

ましてや持病のある人は、冬山登山を控え、雪融けを待つのもなが〜く山を愛せる秘訣かも。

ネパールで経験したのですがテントの中でコンタクトケースの水がコチコチに凍ってしまい取り出し不能となりました。

ポーターさんが氷河の氷を沸騰させて持ってきてくれたことがありました。

営業小屋のテント場で、まず極寒テントの体験をし、寒さに耐えられなければ小屋に逃げ込むと言う方法(料金は支払う)で体験するのもいいかと思います。

いきなりでは冬山のテントの中で、朝起きたら冷たくなっていたと言う恐れもあります。(おどしではありませぬぞっ!)

充分すぎる装備を担げない私は冬山には行けません。行きません。

ましてや誰かに持って貰おうなんて甘い気持ちでは同行者に迷惑がかかります。

自分の技術と体力に合った登山をお願いしたいと思っています。

新年早々に悲しい山の事故の速報が入らぬことを祈っています。


[4496] 【4750回 来た!きた!キター!】 2017-12-24 (Sun)

クリスマスにはまだ早いのですが丁度、23日、24日と連休のため、我が家には一足早くサンタクロースがやってきました。

信じているのは小学校1年生のコータだけです。

あとはみんなコータに合わせて「右にならえ」状態で微笑ましいです。

ところがひとりだけ「カーボンファイバー」を希望した品が届いていません。

本人も最初から「多分間に合わないと思うけど・・・」と言いつつのプレゼント品ですので慌ててはいません。

今迄でしたら悲しそうな顔をしていたのですが大きくなったものです。

ケーキを食べ入浴と歯磨きを済ませて〜3階に移動して、ここから2部のはじまり、はじまり。

文房具、お菓子などのジャンケン大会がはじまりました。

青年小屋で覚えた「盛り上がりゲーム」です。

今迄は私の机の引き出しのクリップを全部繋げたり、輪ゴムを繋げたり、子供たちが帰ってから元通りにするのが大変な作業でした。

しかし今は、もうそんなイタズラは卒業したみたいです。

サンタの訪問が気になるコータが「この時計・・いつまでも8時から進まへん!」よく見ると、電池切れ・・・

ソワソワと何度もヘッドライトを付けてベランダを覗きに行くので寒いのに可哀そうと思い、大きな子供たちの配慮で隣の部屋にあることを教えました。

「ワァー〜!キャ〜!来た〜!きた〜!キター〜!」

楽し気にプレゼントを開けて楽しみ、未到着の子もみんなのプレゼント品を見て一緒に楽しんでいた様に思います。

その後は婆が先に寝てしまいましたのでいつ寝たのか不明です。

キリスト教徒ではありませんが「メリー・クリスマス」


[4495] 【4749回 飲み放題制度】 2017-12-23 (Sat)

仕事収めのあと12名で、西九条にある私のお気に入りの居酒屋で「慰労会」をしました。

「飲み放題」のシステムを利用して一斉にゴングがなりました。

まずはピッチャーとやらでビールを注ぐのですがこれがまた注ぎにくい。泡ばかり・・・

ある者はワイン、ある者は熱燗と多種多様。

何よりも創作料理が美味しいと全員が口々に「旨いっ!こんな店西九条にあったんや〜!」紹介した私はハナタカさん。

しかし、このシステムが安いのか高いのかわかりません。

飲めない私にとっては絶対に「高い」はず。

しかし会計としては計算し易くて安心だぁ。

メンバーの一人が地酒メニューに目が留まり「酔鯨」と言う高知の酒を注文しました。

「これは飲み放題の種類以外なんですが・・・」

「いいですよ酔鯨の代金は個人で別料金を払います」とのこと。

酒飲みはアルコールなら何でもいいのとは違うの?

銘柄指定なんて飲めない私には理解できません。

グラスからあふれる酔鯨を皿に受けて美味しそうに飲んでいました。

「こんな楽しい会、いままでにあったかなぁ?」

「いやいや・・今年だけだから・・」

「そんな言わんと毎年やりましょうよっ!

昔、会社の若者を連れて運動会の打ち上げに行った時「ラストオーダーになります」と言われて飲み物はおしまい。

その後みんな口々に料理を追加して支払いの時に目玉が飛び出たことがあります。

それから彼らを連れて行くときはバイキング&飲み放題の店を探すようになりました(笑)

飲み放題と言えば、北海道の牧場ではポッチーが「牛乳飲み放題」を注文し「兄さん、兄さん、一緒に飲みましょう!」と亡き義兄の一刀水とがぶ飲みをしていました。

すると係員がやってきて「お客様・・おひとり分しか代金頂いていませんので・・・」キャハハハハ怒られちゃった!

ひとつのビールジョッキーを2人で交代で飲んでいる様なものでいま思い出しても笑えます。

楽しい宴は2時間で幕を下ろしました。

今年1年(と言っても5月からだけど)ご協力いただきありがとう!感謝の気持ちいっぱいです。


[4494] 【4748回 22日は仕事収め】 2017-12-22 (Fri)

12月22日はボランティア事務所の仕事納めです。

「22日って・・ちょっと早すぎないか?」と観察所から、おとがめがありそうです。

しかし事務所のある此花会館・梅香殿自体が23日で年末休暇に入ってしまいます。だから入出できないと言うわけです。

そんなわけで午前中に最後の仕事を終えて、午後から役員会、理事会です。

その後、みんなに大掃除をお願いしています。

今までは私ひとりでやっていましたが理事の皆様にも協力して頂くことにしました。だってみんなの事務所ですから!

10名も要れば「おちゃのこさいさい」でしょう。きっと。

それにしても紙類のゴミの多い事・・・

大掃除終了後は近くの居酒屋で「慰労会」の予定です。

5月から新米会長の私を支え続けて下さった皆様に感謝の気持ちをこめて「カンパーイ!」

できれば、お別れ際に青年小屋のジャンケン大会で得た楽しいイベントをしたいなぁと・・・

でも、これは他のお客様もいるとまずいので最後までナイショです。

雰囲気が良ければ実行します。

23日は我が家にサンタがやってくるために4人の孫達のお泊り日です。

それぞれが成長して来たので、このイベントも、そろそろ終わりかな?

25日からの最終週は掃除と買い物と⇒主婦業に戻ります。ハイッ!


[4493] 【4747回 行事を終えて】 2017-12-21 (Thu)

常々「1日にふたつの約束事はいかん」が私の持論です。

しかし、しかしなのです。19日は大きなイベントを一度に二つ実行することとなりました。

私達の会の大事な定例研修会の前に表彰伝達式を行い、その後に保護観察官を迎えての定例研修会。

その後此花区の3校の校長先生、生活指導、女性教師と中学校の現状を話し合いました。

いつもは空席が目立つ会場が椅子が足りないぐらいギュウギュウ詰めとなりました。

これを嬉しい悲鳴と言わずして何と言いましょうか!

全て終了後は外に出てビラ配り風景の写真撮影・・・お昼ご飯たべたのか?トイレ行けてたのか?

食ったか食わないか、わからぬままに無事2017年の行事が全て終了しました。

この寒空なのに汗がポタポタと落ちていました。慣れればもっと手際よく出来ると思うのですが。

路上での撮影が終わりほったらかしておいた会場に駆け足で戻りました。

机、椅子など会場設定をもとに戻さないと、利用時間が過ぎると追加料金が発生します。

すると・・・参加者の皆さんで会場内は綺麗に元通りになっていました。

嬉しかった・・・!

それから事務所で会議・・・片づけは・・明日もう一度、出勤して片づけるので帰らして〜。

内助の功表彰状をポッチーに持って帰らなくては。。。時間はまだ6時前なのにもう外は真っ暗。

この内助の功の表彰状があれば文句言われずに仕事に勤しめるわっ(黄門様の印籠やな・・笑)

「この紋所が目に入らぬか・・ワッハッハッハッ」

追伸)ポッチーは決して文句は言わないのですが無言のプレッシャーと言うのでしょうか、

私が勝手にプレッシャーを感じているだけ。いいタイミングで感謝状を貰ったと思っています。


[4492] 【4746回 お母ちゃん】 2017-12-20 (Wed)

「お母ちゃんの安売りはいかん!」

テレビをつけると、どのチャンネルからも記者会見中に「お母ちゃん!」と叫ぶタレントの顔ばかり。

学芸会の演技を見ているようで・・・不愉快さが増していきます。

何も会見中に電話をしなくても、その前でも、その後でも良かったのでは・・

「お母ちゃん」側にもテレビカメラが廻っていてあきれ果てました。

「お母ちゃん」という言葉はダイヤモンドの輝きの様に神聖で美しい響きであると思っています。

それを汚された気がして腹立たしい!

自分をこの世に生んでくれた母の事を「お母ちゃん」

嫁ぎ先の母の事は「お母さん」と微妙に距離感がありますがこれは仕方がないのです。

男性たちは気が付けば「お母ちゃん」の事を「おふくろ」と呼んでいますが照れ臭いのかな?

私は12歳で母を亡くしていますので幼いころ、母に甘えた記憶は残っていません。

7歳違いの姉はよく叱られていましたが、私は叱られた記憶もありません。。

亡くなった義兄の話によると参観日に母のお乳を飲んでいたと・・(信じられませんが)

盆踊り大好きで、和裁、洋裁、編み物何でもこいの肝っ玉母ちゃんでした。

そんな偉大な「お母ちゃん」のイメージをテレビでわざとらしく連発して・・・

電話の向こうの「お母ちゃん」は素朴で娘の演技に狼狽えていた感じでした。

「お母ちゃん」側には何の計算も無かったと信じたい。ただ60過ぎの娘の言いなりになってただけと思いたい。

しかし、そこは母親、娘の演技に狼狽えつつも応えていました。そこまで年寄りにさすなよ〜っ!

今日は芸能ネタになってしまいましたが「お母ちゃんの安売りはしないで」が言いたくて。


[4491] 【4745回 今年の漢字】 2017-12-19 (Tue)

今年の漢字は、「北」に決定。

日本漢字能力検定協会のキャンペーンで毎年12月に清水寺・森清範貫主が書いている映像が年末の風物詩。

北朝鮮のミサイル発射で驚いた日本人も多かったことでしょう。

隣国である韓国と比べ、今年は何かと話題に上がった北朝鮮が「北」に決定の一番の理由だったと考えられます。

その他の理由としては、北海道産じゃがいもの不作であったり、北海道日本ハムの大谷翔平選手・清宮幸太郎選手の活躍。

競馬界を轟かせたキタサンブラック、そして忘れてはいけないのが九州北部豪雨。

やっぱり誰もが知ってる今年の「北」は北朝鮮のミサイルなのでしょうか。

その他に候補に挙げられた文字は2位は「政」、3位は「不」「核」「新」「選」「乱」「変」「倫」「暴」

今年で23回目、応募数15万3594票の中から「北」は7104票を獲得したそうです。

清水寺の森貫主は「北」という字は2人が背を向けている形だとした上で、「話をしないことには通じないので、

平和に向かって皆が努力していくことが大切だと思う」と話したそうです。

そこで我が家の今年の一文字はポッチーが「命」だそうです。

なるほど病気中心に生きている人から出る言葉だと納得しました。(2年前迄は百名山登ってたのにね)

私は「忙」です。5月からこんなに仕事が増えるとは思ってもいませんでした。

慣れれば難なくこなしていけるのだと思いますが会議ばかりの「只今見習い中」の身なのです。


[4490] 【4744回 天理教葬】 2017-12-18 (Mon)

私の所属する会の会員の家族の方が亡くなられたので通夜と告別式に参列してきました。

92歳と言う年齢に不足はないものの、いつまでも生きておいて欲しいのが家族で、とくに母親です。

天理教の葬儀全体の内容は神式に近いものになります。

神から借りていた古い身体を返し、新しい身体が見つかるまで魂を神に預かってもらうための儀式だとされています。

通夜は「みたまうつし」と呼ばれ、天理教徒にとっては、告別式よりもみたまうつしが優先されることもあるそうです。

一般的な神道では「しのび手」といって音を立てないようにしますが、天理教では音を立ててもよいとされています。

数珠は使わず玉串を捧げ、信者さんの後ろに続き、見様見真似で何とかお見送りすることができました。

香典もご仏前ではなく「玉串料」と書いてお渡しします。最近は「香典はご辞退します」の多い中で珍しく感じました。

自宅が天理教教会で葬儀場所のため、かなり狭かったです。

そのため路上に張られたテントの中で待つ参列者は、いま何が行われているのかさっぱりわかりませんでした。

時折流れて来る笛の音と祓詞奏上とやらが時々聞こえていました。

私の実家も神式でしたので違和感はなかったのですが見えないところで執り行われていたのが不思議でした。

お孫さんが優しかったおばあちゃんの思い出を弔辞で語りかけ参列者の涙を誘いました。

我が家はポッチーの時も私の時も「家族葬」と決めています。

先祖の宗派にこだわらず俗名の位牌を祀りたいと思っています。(戒名は覚えきれないし・・・)

生きている間にしっかりと後悔しない生き方をしてさえいれば死んでから、どのように扱われようが平気です。(笑)

儀式にがんじがらめにされなくてもいいかと思っています。

私は・・・槍ヶ岳の祠の裏から北鎌尾根に向けて散骨を希望しています。

しかし、みんなが高齢で槍ヶ岳まで登っていけないらしい。

元気で生きている間に息子達にも伝えておかないといけないなと思っています。


[4489] 【4743回 カレンダー】 2017-12-17 (Sun)

もうそろそろカレンダーの掛け替えをしないといけない時期になりました。

会社時代は山の様に沢山の業者さんから頂き、各職場用に希望のカレンダーを渡しました。

それでも沢山余っているので仕事納めの日に「自由にお持ち帰り」と書いて社員で分け合ったものです。

しかし退職し年末になっても「カレンダーがないっ!」となりました。

予定を書き込む大型カレンダーは毎年購入しています。(1700円だよ〜高っ!)

退職後は頂くカレンダーが無いので各部屋に掛ける分がないのです。

その話を互礼会の雑談でしたところ交通安全協会の専務が「オレとこいっぱいあるで〜」との事でした。

それからは、専務自ら毎年自宅に3本も届けて下さるようになりました。

その専務も去年退職されたのですが・・・今年も届きました。

きっと事務員さんに引き継ぎして下さったのだと感謝!「たかがカレンダー、されどカレンダー」です。

何でもいいのではなく紙質の良い物でないと書き込みができません。(わりと文句多いネ)

会社時代お世話になった旅行社の営業の方も毎年カレンダーを届けて下さいます。

そして、私に無くてはならないのが「卓上カレンダー」です。

昔は行事予定を書き込み効率よく行動していました。

長年の習慣とは恐ろしいもので、今でも就寝前には翌日の予定を確認したり、書き込んだりしています。

まぁ日記代わりとでもいいましょうか。メモ魔なので有効利用しています。

日記帳や家計簿は、最初の1ケ月だけ利用して後はまったくの空白の飾り物でした。

私のブログの2017カレンダー(まもなく2018に変更)にも私の予定を記入しています。

楽しいお誘いを頂けるときはカレンダーの空白部分の日程でお願いします(笑)

手帳の利用もカレンダーの予定表も最近記憶力に欠けてきたためフル回転しているのだと思っています。

若かりし頃は「忘れる」なんてことはありませんでした。

得意先の電話番号なんぞは、頭で覚えるのではなくダイヤルを回す手が覚えていたものです。

20件くらいは有に記憶に合ったものです。最近は携帯電話の利用でまったく覚えられなくなりました。

「最近痴呆症ちゃうか?」とポッチーに指摘されるようになっちゃあ、おしまいサっ!


[4488] 【4742回 山の事故】 2017-12-16 (Sat)

間もなく雪山シーズンに入ります。その前に気を引き締めて山岳事故の恐ろしさを頭にいれておきたいと思います。

山の事故で死亡した原因のトップは滑落です。

毎年の記録を見ても、やはり滑落による死亡者が圧倒的に多いのです。

滑落による死亡者の体は損傷が激しく悲惨です。

遭難救助隊の訓練を受けた隊員でも、目を背けたり、行動に躊躇する、と言われています。

高山で滑落すると、あっという間に数十メートル、数百メートルほど落下します。

仮に200m落下するということは高層ビルの44階あたりから落下することと同じだそうです。

おまけに岩稜の突出部に衝突しながら落下するため身体は原形をとどめないくらい激しく損傷します。

絶望的な悲惨さです。

救助隊員によって遺体が収容されますが、次に家族の遺体確認です。

救助隊員の立ち合いの下で、ご遺体と面会することになります。

ご家族の悲しみは想像をはるかに超える壮絶な場面です。

あってはならない現実がそこにあり、また繰り返されています。

悲惨なことは本人だけでなく、家族も悲惨です。

絶望の底に突き落とされた家族、突然訪れた悲劇は残念ながら、さらに追い打ちがかけられてきます。

それは遭難救助隊や善意の捜索に加わった民間人の人達の費用です。ヘリコプターの出動はかなり高額です。

警察や消防の救助隊の費用は原則的には本人負担はありませんが、民間人に対しては人件費や諸雑費は請求されます。

毎年増え続ける救助費用に耐えきれなくなった地方自治体も出てきます。

費用の相当分を本人負担とし、費用請求する場合が今後出てくる可能性があります。

捜索費や遺体収容にかかる費用はヘリコプターを含めると軽く数百万円かかります。

捜索期間が長くなればさらに高額な費用が請求されることになります。

ご家族は悲しみの中で、費用の捻出に奔走しなければなりません。

ヘリ救出用の費用が補てん出来る山岳保険を掛けていますか?

急な天候の変化にも対応できる装備と自分に見合った山行計画、引き返す勇気で冬山を楽しんで頂きたいと思います。

もう私達が冬山に向けて登ることはありませんが仲間を失いたくありません。

冬山シーズンに入る前に家族と共にぜひ考えてみて下さい。

山岳事故を防ぐためには「無理な計画をしない」「身の丈に合った登山計画」だと思います。

(注意)最近自転車保険だの、山岳保険だのと、保険の勧誘が多いですが、私は決して保険勧誘員ではありませんので念のため・・・笑


[4487] 【4741回 また起きた自転車事故】 2017-12-15 (Fri)

今度の事故は電動自転車での事故です。

神奈川県でスマートフォンを見ながら電動自転車を運転し、女性に衝突して死亡させてしまいました。

警察署は、重過失致死容疑で20歳の大学の女子学生を書類送検する方針を固めました。

警察署によると、事故は7日午後3時15分ごろ、遊歩道から車道へ出ようとした女子学生が、前を横切った77歳の女性に衝突。

女性は転倒して頭蓋骨を骨折し、2日後に死亡したそうです。

事故当時、学生は左手にスマホ、ハンドルに添えた右手に飲料カップを持ち、左耳にイヤホンをしていたといいます。

(自分でその恰好をイメージしてみて下さい。とても自転車に乗れる格好ではありません)

警察署の調べに対して「スマホをいじっていた」と話したという。事の重大さが解かっとんのかっ!と叫びたいです。

警察署は前方不注意が原因とみています。

発進直後だったが、電動式で初速が高く、勢いよく衝突したことが死亡の要因になったとみています。

電動式の速度って17kmとか18qもあるそうです。

とくに踏み始め(初速)はハンドルを取られてしまいそうなほど速度がでるらしいです。(経験がないのでうまく説明できませんが)

長崎や函館のような坂道の多い場所には最適かも知れませんが大阪市内を走るのにスピードを求めてはいけないように感じます。

自転車は安全な乗り物なのにいまは凶器となってしまいました。

ママチャリ時代と違い、電動だのチヤイルドシートの豪華な自転車が多くなり歩道を歩いていても危険を感じてしまいます。

車の様に強制的に保険加入とはいかないものなのでしょうか?

これだけ自転車の事故が増えると「注意しましょう」なんてなまぬるい広報活動ではいかん様に思えてなりません。

交通安全にわずかばかり関わる者として声を大きくして言いたい。「自転車の保険加入の義務」


[4486] 【4740回 自転車にも保険を】 2017-12-14 (Thu)

12月12日の事です。

横浜市の遊歩道を歩いていた79歳のお婆ちゃんが正面から走行してきた自転車と衝突しました。

お腹などを強く打って病院に搬送されましたが死亡しました。

自転車に乗っていた中学3年生の男子は「少し脇見をしていたらぶつかった」と話しています。

事の重大さはまだ理解できてないと思います。

付近には外灯は無く、日没で付近は暗かったそうです。

前途明るい中学3年生の男子の将来は、一瞬にして暗闇に引きづり込まれてしまいました。

親は子に代わって全ての責任を負うことになります。

前例では、自転車と言えども8000万円の弔慰金を親が支払う判決が出たことがあります。

この判決が出てから「自転車保険に加入しよう」と強く推奨されてきました。

ぶつかって「あっ!ごめんなさい!」では済まなくなってきたのです。

まずおばあちゃん・・・洋服の色は?目立ちやすい色だったでしょうか?、反射材を身に付けていたでしょうか?

自転車の少年・・・正面からだから「不注意」以外のなにものでもないのですが。

ライトつけていたのか?、スピードは出し過ぎてない?脇見ってスマホいじってたんじゃないの?

いまから現場検証で事実が明かされていきますが両親にとっても大変なことが起きたのです。

自転車を保有している皆様にお聞きします。

「自転車の保険に加入していますか?」あるいは「8000万円支払う余裕ありますか?」

車には保険を掛けますが案外、自転車には保険を掛けてないのではありませんか?

自転車の保険は毎月の掛け金は1200円ほどです。事故が起きた場合1億円の保証が付いている保険もあります。

私の勤務する梅香殿では水曜日の午後に「自転車保険加入窓口」が開口されています。

購入した自転車屋さんでも取り扱っています。

私は孫の誕生日に自転車をプレゼントしましたが勿論「保険付き」です。

更新は誕生日の月なので忘れることなく更新料をプレゼント品に入れています。

せっかく掛けていても期限切れでは意味をなしませんからね。

山岳保険も、自転車保険も、うっかりすると期限切れになる場合がありますので何かの記念日に合わせるといいですね。


[4485] 【4739回 くわばら、くわばら】 2017-12-13 (Wed)

2日前に近所のご婦人が早朝にも拘わらずピンポーンとやってきました。

ドアを開けると3人ほどのご婦人たちが後ろに立っています。

一体何事かと尋ねると「携帯のアラームが鳴りやまない。何とかしてっ!」

よく見て見ると盗難防止ブザーが鳴りっぱなしで電源を切っても鳴りやみません。

ブザーを停止するには暗証番号を入力しなければならないと画面に出ています。

ご婦人は暗証番号は知らない、覚えてない、忘れたと繰り返すばかりです。

仕方がないのでマイク装置にハンカチを押し当てると音が小さくなりました。

「このままで購入した店に持参する方が良い」と言うことでその場は収まりました。

そして2日後、「携帯は直してもらいましたか?」と尋ねると、そんな事実はないとの事。

おまけに正常になった携帯を取り出して「ほらこの通り、どこも不都合はないよ」と言います。

えっ?そんな・・・この間あんなに大騒ぎして私の所にSОSして駆け込んだのに・・・

どうもおかしい・・たまにそんな時はあるかも知れないけれど2日前の事は覚えているはず。

事実を言っていいものかどうか迷いましたが、私の勘違いと言うことにして話を終わらせました。

もし万が一、私に同じ事が起こったら、正直に「あの時はおかしかった」と言って欲しい。

私本人にでなくても家族に告げて欲しいと思っています。

今日は嫁と何度も送信、受信を繰り返していたので、嫁と思い込んでしまいついうっかりと別の人の所に送信してしまいました

お騒がせしちやいました。すみませんでした。

年を取ると老眼、難聴、記憶力低下とさまざまな症状が出てきます。

最近は買い物に行くときは、冷蔵庫の中身を点検し不足の品は必ずメモをして出かけることにしています。

これから正月用の買い物が多くなり忘れることが多くなります。

いままで私が生きてきた中で忘れることの出来ない忘れ物はたったひとつ・・・

会社に勤務していた頃、銀行に自転車で出かけ、ついうっかりして帰りは徒歩で帰ってしまいました。

翌日、会社では自転車が無くなったと大騒ぎし私も一緒に捜索活動に加わりました。

自分が銀行に置き忘れていることなんぞ、ぜ〜んぜん覚えていないのです。

しばらくしてポケットに何気なく手を入れると自転車のキーが・・・シマッタッ!。犯人は私かぁ〜っ!

まぁそれが一番大きな忘れ物物語かな。


[4484] 【4738回 接待費】 2017-12-12 (Tue)

「接待費はどこまで許されるのか」

保護司会の会長を拝命して半年が過ぎました。

「全力でサポートしますから!」を条件に拝命したのですが理事の皆さんの言葉に嘘はありませんでした。

事務所に出る日数も増え、提出書類の複雑さに頭を悩ませています。

これは観察所の仕事ではないのか?と思われるような丸投げの仕事もあり悩むこともしばしばです。

そして驚いたことに、年末・年始の接待費が飛ぶように出て行くことがわかりました。

前の会長様は保護司以外に町会の仕事も多くしており当たり前の様に出席されていたのでご苦労が分かりませんでした。

こんなにも多く出席していたことも報告がなかったので知りませんでした。

例えば表彰式兼懇親会、中学校の周年記念式典、各団体の互礼会、成人の集い、女性会親睦会等々、数えるときりがありません。

全て個人宛ではなく会長宛てに案内状が来ています。

どうしたものかと主催者に相談すれば「例年出席して貰っています」と言われました。

私が会長職を去るときには「会長接待費」として予算枠を作っておかなければと思っています。

私がいま「会長接待費」の事を言い出すと「今度の会長はケチな会長やな」と言われそうで・・・イヤヤな。

後々の事を考えるとこれではいかんなと痛感しています。

どの会合と、どの会合には会として出席し、会費負担をすると言う取り決めを理事会で作らねばなりません。

しかし会費のほとんどが式典後の飲食代みたいなもので違う側から見ると「食事代だから自腹切りなはれ!」と言われそう。

今後引き受けてくれる会長の事を考えると私の経験を土台にして改革しないといけないなと思っています。

「ならば欠席で出せばいいのでは?」それが出来るのであれば苦労していませんわい!

遊びに行くお金は文句言わずに捻出しているのにね・・細かいこと言う会長さんやね・・

細かいのかなぁ?そうかなぁ?前の会長さんは、よっぽど金持ちやったんやな、そういうことにしとこっ!

太っ腹したくても年金生活者だからね・・理解してよね。

会社総務時代には社長の交際費をシビアにチェックしていた身でしたが、そのシッペ返しかな?

社長がよくぼやいていたのを思い出しました「久田君、しゃあなかったんや〜今回だけ払ってくれや〜」

社長と言えども社内旅費規定をチラつかせ「社員の出張はもっと厳しいですよ」と領収書をつっ返したこともありましたっけ・・・。


[4483] 【4737回 車は動くのかい?】 2017-12-11 (Mon)

バッテリー上がりの車はガレージの中で勢いよくエンジンの音を唸らせました。

「よっしゃ!これで出かけられるぞっ!」

信号待ちをする度にエンストしやしないかとドキドキしながら走りました。

最近2号線が工事中で車線が減少しており阪神電車・淀川駅付近から車の列が伸びていることが常。

今日は渋滞もなく信号も「青、あお、アオ」で調子がいい。

1時間ほどで名塩に到着。庭先では、柴犬の「ミント」が吠える。

もうそろそろ顔を覚えて貰ってもいいのでは・・・?

クーンクーンと可愛い声をだして欲しいと思うのですが・・・。

手慣けようといつもバックの中に入れて持ち歩いている犬のおやつ缶が今日に限って入ってないっ!「あれま〜!」

子供たちは寒空でキャッチボールをしていました。とにかく運動大好き3兄弟です。

この日はパパとママの誕生日を同時に祝いました(1週間違いのため合同)

爺は孫達にスマホを見せびらかして(大笑)しばらく雑談をして帰宅しました。

帰ってびっくり!爺のスマホの壁紙が孫たちの手によってドクロマークに変わっていました。

それをもとに戻すのにスマホ指導料50円貰い、もとどおり〜。

12月10日と言えば、正月の準備をするには早すぎるし、さりとて大掃除って特にする所もないし・・・

と言っても、気ばかりあせるしの毎日を送っております。

去年はポッチーが境目を彷徨っており「年賀状か」それとも「喪中葉書か」と気をもんでおりました。

今年は体力も挽回しつつあるので15日の年賀受付と同時に投函できそうです。

サンタクロースの準備も整いました。信じているのは小学校1年生の孫ひとりだけなんですが

大きい子達はチームワークよろしく騙されてくれるみたいです。

43年前、次男を出産するにあたり帝王切開が決まっていました。

クリスマスイヴから逆算して2週間前の12月11日次男の出産日と決めました。

姑は私の付き添いで忙しく、長男を姑の妹に預けていましたので何としてもクリスマスには退院しなければ不憫だと思っていました。

クリスマスイヴの日、サンタが子供用自転車を届けてくれて大喜びしたものです。

次男の誕生日を忘れたらクリスマスから14日遡ればいいのです。


[4482] 【4736回 バ・バ・バッテリが・・・】 2017-12-10 (Sun)

10日の日曜日は西宮名塩で誕生会があり、出かける前に車のバッテリーが気になりました。

いつ乗ったかと言えば10月の運動会にいくために乗ったのが最後でした。

気が付いた8日は、丁度勤務の日となっていたためポッチーに「エンジン掛けて確かめておいて」と頼んで出勤しました。

勤務を終え「どうだった?」と聞くと、やはりバッテリーが上がり充電したらしいです。

百名山が終わると、車に乗る機会が少なくなってしまいました。次なる車検時には手放そうと思っています。

警察署の啓発運動で「免許返納」を推進しているのになぁ・・70歳越えたら身体機能も落ちてるし・・。

でも車は手放しても「バイク命」やから免許返納はしないよっ!

我が家には自転車がありません。此花区内の会員の自宅を訪れるのに「バイク命」なんです。

「すぐ事務所に来てください」と電話での呼び出しも多く・・「バイク命」なんです。

区役所で私を見かけた人が「声を掛ける間もないほどに風を切り走り去った」と。ハハハ

制限速度は守っていますのでご安心を。(笑)昔はヘルメットの紐が首に食い込むほど、ぶっ飛ばしていた時もありましたっけ。

しかし、さすがに70歳の声を聞くと「安全運転」で走行しています。

バイクも息子が置いて行ったもので少々くたびれかけていますが動かなくなったときはマイバイクの新車を・・・!

話は変わりますが来年の1月に、四万十舞の森会関西支部の新年会を開催します。(同窓会に参加できなかった人達を囲んで)

「またっ?この前会ったばかりなのに・・」いえいえこれはまだ序の口で新年会の本番は3月に2泊3日で小豆島&淡路島でっせ〜

松山からの参加者もおり大阪の宿泊先を支部長に依頼を受けて探すことになりました。

何と!お膝元の此花区の京阪ユニバーサル・シティホテルがネットで4000円で予約出来たのです。

あまりの安さとネット申し込みなので不安になり、そのホテルに下見に行ってきました。(オンボロホテルだと面目ないしね)

ユニバーサル駅下車、すぐ目の前の立派なホテルでした。

入場しなくても夜のUSJの雰囲気が味わえ、喜んでもらえると思います。

ロビーはクリスマスの飾りつけが賑々しく、若者でごった返していました。

予約完了を伝えると「おぱけ屋敷でなければどんなとこでもOK」とのこと。

案内する我々がオバケなのにね・・・。


[4481] 【4735回 落とし穴】 2017-12-08 (Fri)

自宅に「〇快リゾート」から「和の会席料理でおもてなし」のパンフレツトが届きました。

「〇快リゾート」はバイキングばかりで南紀勝浦で利用しすぎて飽きています。

今回は会席料理の上に「活とら河豚、てっさ、唐揚げ」と来たもんだ。

場所は山中温泉よしのや依緑園。

今回はポッチーが大乗り気です。雪でも降らなければいいのですが・・

ポッチーは延期となっていた治験の入院が1月9日に済む予定で、ひょつとして生まれ変われると思っているのかも知れません。

河豚が付いてバス代無料で9800円は魅力的な値段だと思います。

予約完了〜!

ところが・・・「奥様!事件ですっ!」

コールセンター嬢によると「バスの無料を選ぶと河豚は付いていません」・・なぬ〜っ!

河豚を選ぶとバス代は有料です」・・なぬ〜っ!

どこをどう読んでも無料バスで山中温泉まで行き河豚が食べられるとしか理解できません。

すると「パンフレツトの上にその様に小さく書いてあると思います」またまたなぬ〜っ!

虫眼鏡2個重ねて読んでも読めない小さな字で「どれかひとつお選びください」と書いてありました。

「あんたがたどこさ・・・(コラコラ歌ってる場合ではないぞ)あんたがたは詐欺師まがいの商売をするのか?」と言いたくなりました。そして言いました。

「申し訳ございません」と言うばかりで心がこもっていない!

傍で聞いていたポッチーが見るに見かねて「河豚の割り増し代金は全員の分をワシが支払うわ」と言うので仕方なく電話を切りました。

明日は大雪、雨アラレヒョウが降るぞ〜!

ワシが支払うたって大蔵省は姫やないか〜っ!

滅多に行きたいと言わないポッチーに免じてキャンセルせずに行くことにしました。

テレビで「いま、すぐお買い上げ頂くと1本無料です」とコマーシャルがありますがその後2本目、3本目と送られてくるケースがあるそうです。勿論有料です。

キャンセルの電話をすると「画面の下にその様に書いていたはずです」と言われたとか。

とにかく、「人が要らないと言う物は貰わない」、「無料だから」と言って飛びつかない。

オレオレ詐欺の手口もどこで調べるのか最近は息子の名前を語って騙す手口があるそうです。

日頃のコミュニケーションを密に取って息子の声を聞き間違えないようにしましょう。

「してやられた」感が悔しくてたまりません。


[4480] 【4734回 1年の振り返り・・A】 2017-12-08 (Fri)

山登りが出来なかったかわりと言っちゃあなんだが・・2017年は熊野古道歩きに明け暮れました。

大阪天満を出発して熊野本宮まで、いいえまだある追加コース、まだまだあるよ舟下りと、熊野古道と名の付くコースは行き尽しました。

それでもまだ、てごわい大辺路や伊勢路が残っています。

奥深く歴史あるコースは昔の人達が駕籠に乗り行列をなして詣でたであろう面影が王子の像でわかるような気がしました。

熊野本宮に辿り着かず命果てた旅人たちを丁重に葬り、お地蔵様を立て野の花を手向けるその習慣は現在の住人達に引き継がれていました。

どんな山奥でも花筒に枯れた花を見ることはありませんでした。

25回の熊野古道歩きの様子はフェイスプック「熊野古道・大阪天満〜熊野本宮まで」と銘打っていまもなお熊野歩きをする人達によって閲覧されています。

「歩いてみたいが、どこでコースを区切っていいのやら」と言う人達には役立つと思います。

かかった費用や宿の情報も事細かく載せています。

私達が出かける前に先輩方の紀行文を参考にしたように今度は私達が情報を送る役割だと歩きながらメモをしました。

素晴らしいコースを忘れないために自分の思い出として記録に残しておくのです。

熊野古道を歩き終えると身体の力が抜けてしましました。

目的達成・・・またつぎなる目的を探して仕事の合間を縫って(ウオーキングの合間を縫って仕事?)どっちがどっちかわかりませんが・・・

介護を不要とする年寄りでいたいと思っています。


[4479] 【4733回 1年の振り返り】 2017-12-07 (Thu)

1年が終わろうとしています。

「山登りが好き」と豪語するわりには山には登っていなかったことがわかります。

今年、登ったと言えば網笠山2524mのてっぺんを踏んだきりでした。

こんな年・・・今までに無かったことです。

燃え尽きたのでしょうか?

行きたいなぁと言う山の名前が出て来ないのが実情です。

そのわりには「〇〇山に行きませんか?」と具体的な話で誘われると心が躍ります。

やっぱ、山が好きなんです。しかし自分で登りたい山がないと言うのも寂しいものですね。

今年は熊野古道に明け暮れた気がします。

20数回の熊野詣をしていれば夢中になるのも当然かも知れません。

日本百名山にしても、熊野古道にしても「シリーズ」化すると何が何でも達成したいと言う気持ちになります。

現在百名山を目指している方がいれば記録(日記でもいいし写真でもいい)に残しておけば懐かしく振り返ることができます。

私には幸いにホームページに記録を残しています。皆さんにも見て頂くことができます。

残念なことに沢登りは2年間しておらず、岩登りらしいこともほとんど実現できていません。

私はフリークライミング派ではなくて難易度の高い岩登りしたいのではありません。

アンザイレンで楽しく岩場を通過したい派なのです。

秋に同窓会で訪れた滑床渓谷は灼熱の太陽をあびる夏場に訪れてみたいと思いました。

登れる技術があるかどうかは別問題として心がときめいたと言う事です(笑)

雪山・・・もう卒業ですかね。卒業証書は「雨飾山滑落」で貰ったみたいなものです。 笑

スノーシューも相棒がやたらと寒さを感じるようになりました。

出かけてしまえば楽しいのですが出かけるまでの行動が今迄みたいに俊敏ではありません。

まぁ年相応に体力が低下して来たのだと思います。

道具が錆びつかないように手入れだけはしておかないとね。


[4478] 【4732回 ミステリートレーニング】 2017-12-05 (Tue)

「箕面のつもりが長岡京へ向けて」

多忙な毎日(人は皮肉ってそう言います)から、遅ればせの紅葉見物に出かけることにしました。

自宅を出るときは「箕面の紅葉見物&トレーニング」に行くつもりでした。

ところがなぜか「長岡京に行先変更〜文句あるか?」「意義な〜し!」と言うことになりました。

どっちみち足慣らしトレーニングを兼ねてなので行先は何処でもいいのです。

長岡京駅に下りた途端「さぶ〜っ!」ヤッケから急きょダウンに着替えました。

京都は寒いとは聞いていましたが風邪を引きそうな寒さです。

まずは大きな山門が目立つ長岡天満宮へ紅葉を求めてやってきたのですが「遅かった!」

道真公の「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌碑を見て次なる光明寺へ。

拝観料500円を払ったのに・・・光明寺の赤色に染まり燃えるような紅葉・・・・悲しい光景でした。

(500円返してぐれー!)

境内近くのうどん屋に入りましたが・・・「うどん代返してぐれ〜!」

善峯寺まで車道歩き1時間。

「何だ坂、こんな坂」と歯を食いしばって歩いていると後ろから「善峯寺行」と書いたバスが通過・・・チックショー!

途中で元気注入の大きな柿を頬張りながらやっと到着しました。

苦労して行っただけのことはありました。「日本一の松」何度見ても凄い!

京都市内を一望できる景色に「来て良かった!」と何度も何度も。

もう初冬だもんね。紅葉も散るよね。雪の便りもチラホラと届いています。


[4477] 【4731回 スピーチの長さは3分】 2017-12-04 (Mon)

創立70周年記念の式典に出席して思う事・・それはスピーチ

最近、挨拶をする場が多くなり人の挨拶が気になり始めました。(研究しています)

式典の日のために用意して来た挨拶文を読む人、暗唱形の人とさまざまですが、スピーチの長さ(時間)も気になります。

特に生徒を交えての挨拶は長いとザワつく。先生がいくら事前に注意事項の中に入れていても退屈してくるのは目に見える。

長さもさることながら声のトーンも気にかかる。

1本調子で読み上げるより抑揚のある方が聞きやすい。

どこの部分で、こちらを向いて貰えるのか・・・文章のどの部分を伝えたいか?、声のトーンはどこで変えるか?

原稿を持たず暗唱形の人は、話が前後したりまとまりがない。

やはり正式に祝辞を頼まれた時は原稿を読むべきだろうと思います。

「読む」と言っても「語りかけの読む」が好感を持てます。

昔、ウオーキング協会のバスウオークで「ガイドもどき」を長く担当したことがあります。

いま、その経験がとても役に立っている気がします。

「もどき」ですから上手な筈がありません。

退屈しかけたなと思うと「では、みなさん歌を歌いましょう!」とご当地ソングで気分一新して貰いました。

みんなで歌いだすと眠りかけた人も目が覚める、注目が集まったと思われるところで大事な伝達事項を話す。

それでも隣とお喋りを続け肝心な事を聞き漏らす人もいました(いつもメンバーは決まってた・・笑)

スピーチも何を一番伝えたいのかと言うところで抑揚が欲しい。

後日式典に参加していた孫にスピーチで何か印象に残ってるのか聞きました。

挨拶する人の中で「え〜」を繰り返す人がいて何回言ったのか数えていて内容が頭に入って来なかったとのこと。(笑)

祝辞を依頼されたら暗唱形ではなく挨拶文を準備して、練習して、時間を3分内に収めて、声に抑揚をつけて、時々前を見て。

まずは誰かに聞いて貰い、見て貰い、本番へ。

特に議員団の挨拶は、なが〜〜〜〜い。

演説慣れしていると言うか内容がいまひとつ心に響かない。

何かひとつ心に残る言葉を織り込めることができたら、挨拶は短くて良い。いや短い方が良い。


[4476] 【4730回 70周年式典】 2017-12-03 (Sun)

大阪市立春日出中学校の70周年記念式典に出席してきました。

全校生徒は既に講堂にスタンバイをしており先生による注意事項が伝達されておりました。

トイレは2時間我慢する事、キョロキョロしない、手は膝の上等々・・・

来賓の着席と同時に定刻に式典がはじまりました。

国歌斉唱の後、校長先生による70年の歴史が朗々と読み上げられ来賓の祝辞が次々と・・・いつもの、おきまりのコースです。

2部体制になっており2部は生徒主体の催しでした。父兄、来賓が一堂に集まって貰える機会を利用しての発表で、目の付け所に感心しました。

文化祭の再現の様で各学年の優秀作品の読書感想文の発表や3年生全員による合唱もありました。卒業前だからね、いい思い出ですね。

途中、舞台の上に老婆がひとり生徒に手を引かれ上がってきました。

春日出中学校第1期生だと言うお婆ちゃんでした。生徒会の質問に、とても80歳過ぎとは思えない口調で当時の学校の話をされていました。

机も椅子も無かったこと、教科書は「黒塗り教科書」であったこと、窓にはガラスが入ってなかったこと等々

物に溢れた現代の生徒たちにどれほど響いたかわかりませんが意義あるお話しであったと思います。

吹奏楽部の演奏の最後の曲は会場全員で「ふるさと」の大合唱と、なかなか退屈をしない構成となっていました。

早朝の4時からPTA、ОB会の皆さんで紅白の餅をつき、パックに詰めて全生徒と来賓の記念品としてお土産袋に入っていました。

形は不揃いですが何とも心温かい記念品でした。

そして夕刻の午後6時、祝賀会は会場をユニバーサルシティ駅に移動しての宴。

少々、進行に中だるみもありましたが・・・

40年前の卒業生が当時を振り返りスピーチ。

当時の生徒手帳と3年間の色違い名札3枚、30周年の時に配布された男子限定の学ラン用バッジを披露。

よくぞ大事に持っていたなぁと会場から割れんばかりの拍手が沸き起こりました。

流暢なスピーチもいいけれど、誰もが想像しないお宝披露のスピーチが輝いていました。

お宝披露をした人は、春日出中学校ОBと同時に我が会の理事でもあります。

帰宅後「すべてのスピーチの中で貴方が一番輝いていました。将来の我が会を背負って行けると確信しました」とラインを打ちました。

「ご期待に沿えるよう頑張ります」と返信あり〜!有望株見っけ!!

今は現役のサラリーマンなので定年後の運営に携わって貰える約束が出来て良かったです。

人材不足、人員不足はどの会も共通の悩みです。


[4475] 【4729回 師 走】 2017-12-02 (Sat)

カレンダー最後1枚を残し12月に突入しました。

毎年同じ事を言ってるような気がしますが「あわただしくなってきました」

近所のおじさんが網戸洗いの掃除に取り掛かりました。

もっと暑い時期に、温かい時期にしたらいいのにと思いつつ年末を感じます。

スーパーには早くもパック入りの鏡餅が並んでいます。

我が家は大掃除とかは特別に致しません。

しかし事務所の大掃除はしなくてはならず理事全員に仕事納めの日に召集をかけました。

「誰かがしてくれるだろう」ではなく「みんなでしなくては・・!」の気合を入れて貰うためにお願いしました。

ゴミの回収日に合わせて不用品の整理や特価品の買い物もしておかなくっちゃあ・・・

平成も間もなく終わりだと言うし、とにかく気ぜわしいですね。

正月の前にクリスマスがやってきます。

中学1年生と小学5年生の孫達はすでにサンタさんは爺と婆だったことに気が付いています。

小学校1年生の孫はまだサンタさんの存在を信じているので大きい子は合わせてくれている様です。

物が溢れてクリスマスや正月でなくても欲しいものが手に入る世の中となりプレゼントの有難みも消えつつあります。

私が子供の頃は正月は新品の運動靴を買って貰えました。

元旦の朝は母が夜なべで縫ってくれた新しい洋服が枕元に並んでいて嬉しかったものです。

お年玉?そんな風習は無かったと思います。

しきたりを重んじる母でしたので貧しき中にも正月だけはご馳走を作ってくれました。

今は年中、お餅が食べれますが大晦日には庭先でペツタンコ、ペッタンコと杵の音をさせて、丸めながらつまみ食い・・・

母はツギハギだらけのモンペ姿ではありましたが真新しい白い割烹着を身に付けて新しい年を迎えていました。

母が生きていたら新しい洋服を買ってあげたい・・温泉にも連れて行ってやりたい、何よりも正月の膳を囲んで談笑したい・・

親が健在の若者達よ!せめて正月だけは親元に帰り、親孝行の真似事をしてやってほしい。

親は息子や娘たちが傍にいるだけで幸せを感じるのだから。


[4474] 【4728回 懐かしい友の声】 2017-11-30 (Thu)

四万十での第6回の同窓会に初参加の人がひとりいました。

残念ながら親しくお話しが出来なかったのですが(カメラウーマンは忙しいっス)自宅に昼間電話を貰ったらしい。

今日は仕事の日であいにく留守をしていました。

ポツチーが苗字だけ聞いてくれていましたが同じ苗字が2名おり、ハテハテ?と思っていたところでした。

夕方もう一度電話を貰い、初参加のマモル君であることが判明しました。

「ところで私のこと覚えちょったかねぇ?」と質問してみました。

何と驚いたことに私が近視になり担任の先生に「遠くの緑を見ていたら治る」と言われていたことを覚えていました。

え〜っ!そういえば、そんなことあった!あった!

雨の日の暗い教室で(今みたいに蛍光灯なんて無いよ)漢字の書き取りテストがあった時の事です。

私は背が高くて席はいつも一番後ろでした。証拠写真をブログに掲載。

先生が黒板にひらがなを書き、それを答案用紙に漢字で書くと言うテストでした。

いつも賢いみっちゃんが(キャー自分で言うかっ!)答案の間違いが多く不思議に思った担任の先生に職員室に呼ばれました。

黒板の字がぼやけて見えてなかった事を告げると「目が悪いのではないか?一度眼科に行きなさい」と言われました。

母と町の眼科に行くと「近眼です」と言われそれからメガネをかけるようになりました。

そのやり取りをマモル君は覚えていてくれたのです。感動しました。

同窓会アルバムも非常に喜んでくれました。毎回、手にしている人達はさほど感動が無くても初めての人は驚いてくれます。

ホームページも開いてみてくれているそうです。またまた感動です。

♪ハァ〜嫁に来しゃんせ、ソレッ、ワシらが村へよ〜米で知られたぁ♪♪・・・そう蕨岡音頭にもあるその蕨岡米を作っているそうです。

来年の高知での再会を約束しました。今度はゆっくりと話をしたいです!


[4473] 【4727回 来たで〜来た、来た】 2017-11-29 (Wed)

同窓会の余韻を楽しんでいる間に次なるステージの案内状が届きました。

幹事の反省会&慰労会の案内状です。

そもそもは以前は関西に在住する舞の森会の会員たちで、細々と新年会を実施していました。

ところが四万十組も「ワシらも参加するぞっ」と言うことになりホテル阪神、大江戸物語・箕面温泉、有馬温泉などで賑やかに実施してきました。

関西支部ばかりで企画も大変だから、四万十組でも企画してよと投げかけると何と四万十市にある大月海岸・・・となったこともありました。(場所は中間や中間!)

「そりゃあいかん!四国に寄りすぎや!中間地点で開催しよう」と言うことで瀬戸内界隈に落ち着きました。

当初は別府温泉の話もあったのですが・・・なぜか消えた。

四万十市幹事5人、高知幹事2人、関西幹事3人合計10人が対象です。高知幹事は初案内となります。

「同窓会を2回やっているのと変わらないね!」と言いますが幹事の苦労を揉みほぐすには自分達が楽しむ会が絶対必要なんです。

来年3月18日の日曜日から2泊3日「なぬーっ!2泊ってか!」まあまあそう言わずに行かしてやってよ。

高松集合の小豆島1泊、2泊目は淡路島。なるほど瀬戸内界隈やなぁ。

大阪から高松まで移動するより三宮から小豆島へ渡る方法もあります。

高松からの着岸港は「土庄港」、神戸からの着岸港「坂手港」

坂手港からバスで土庄港へ移動して四万十組を迎える方法もある。(オリーブバスが走っている)

関西支部長はいま法事で四万十に帰っているため打ち合わせができていません。

高松までの高速バスだと集合時間10時30分には間に合わない。大阪発が早朝過ぎる(関西支部長は奈良の山奥在住)

新幹線移動もありますが時間的には神戸三宮から小豆島が楽かもしれません。

むかしは大阪港から小豆島行きのフェリーがあったのになぁ。

案内を貰ったら旅がもう始まっています。

ああだ、こうだと地図を広げで考えるのも楽しいものですね。


[4472] 【4726回 老後の生き方】 2017-11-28 (Tue)

老後はまず健康で自分の事は自分でできる(排泄、歩行)ことが望ましい。

もし私がポツチーより一足先にあの世とやらに旅立つ事になったなら・・・

息子達と同居せずに独りで生きて行けるのだろうか?気にかかる。

気にかかるならばポッチーを一足先に旅に出すのが理想(どこの主婦もそう思っているのでは?)

私の知人(77歳)は20年前に妻を亡くしてからずーっと独り暮らし。

退職後、これと言った趣味もなく、あるとすれば「朝酒、昼酒、晩酌」の毎日でした。

ある日のことマンション4階(エレベーター無し)の踊り場で転倒しているのを隣人が発見。

隣人は何故か交番に通報し、交番から郊外に住む娘に事情を説明し一度見に来るように助言あり。

翌々日、娘が父親を訪ねるとタタミの上で、うつ伏せで倒れていたそうです。

意識はあるものの手足に力が入らず救急車を呼び病院へ。

しかし病院は「アルコールが抜けてからでないと検査は出来ない」と強制退院させられたそうです。

退院して元の生活をするものの酒が断てず何度か意識を失うことがあり再び入院。

見舞いに行って見ると、骨と皮の、やせ細った身体で歩行器に入りリハビリ室から戻ってきました。昔の凛々しかった姿はどこにも無い。

廊下ですれ違いましたがまさか・・・と思うほど別人でした。

半年の療養生活の間に、賃貸のマンションは娘の手によって解約、家具一切は業者に処分依頼。退院しても帰る家はなくなりました。

やがて有料老人ホームに入居。「姥捨て」じゃなく「爺捨て」かと思いきや!これがまた何と快適&安心!

今迄の「家賃プラス食費」と「有料老人ホームの費用」を比べてみると老人ホームの方が安いらしい。

そりゃそうだ・・・酒代が浮いたもんね。このホーム酒は禁止。年金支給額内で充分賄える。

しかも24時間体制の介護つき。病院とも太いパイプあり。

空き部屋があればポッチーのために先行投資しておこうかと思うほどの快適さ。(笑)

「子供がおりながら老人ホームか・・・世間体が悪い」は大正、昭和の時代です。

介護者の負担を考えるとドライだけれども理想的かも知れません。あっさりと老人ホームに入るのも悪くない。

でも・・・私は嫌だ〜!(誰ですか矛盾してるって言う人は?)

結論としては「老後の趣味の有無」が残りの人生を左右するってことになります。

今からでは遅いかも知れませんが囲碁将棋、詩吟にグランドゴルフ等、お年寄りの集まる会に出かけてみてはいかが?


[4471] 【4725回 九州場所千秋楽】 2017-11-26 (Sun)

滅多に相撲番組を見ないのですが今度ばかりは・・・。

豪栄道と白鵬の取り組み。白鵬は豪栄道に「にらみ」を、きかせました。

そのことについて取組後にインタビューで「豪栄道に睨みを聞かせていましたがどんな心境で?」と質問がありました。

豪栄道の迫力が半端じゃなかったので負けてなるものかと挑発したらしいです。

登山中に小石に乗り上げる「石車」で転倒するのと同じように白鵬は豪栄道という「人車」に乗り、土俵下に転倒しました。

見ごたえのある取り組みだったと思いませんか?

白鵬がインタビューに答える時「皆さんに話しておきたいことがあります。場所中に水をさすようなことになり力士を代表してお詫びいたします」

そしてこう続けました「場所後は真実を語り、膿を出し切り、日馬富士も貴ノ岩も再び土俵に上がれるように尽力します」

思わず会場から大きな拍手・・・私も思わず拍手〜

感動の最中、ポッチーが「あんたが拍手したって白鵬には聞こえへんで〜!」

「わかっとるわいっ!」

せっかくの感動のシーンだったのに・・「サブイボ」がでました。

総理大臣杯には七五三かと思ったけど麻生さんが出てきはりましたわ(アッソー)

あんだけ揉めている最中だからスケジュール調整して阿部首相が出てくればいいものを・・・。代理や、代読はあかんなぁ!

安美錦と言う力士がいて敢闘賞を貰ったことに涙を流していました。私ももらい泣きしました。

「苦しいことばかりでしたが・・・嬉しい」と本音。

少しオツムが薄くなっておりチョンマゲを結うのがやっとみたいでした。

ガンバレ安美錦さん!

私の応援する逸ちゃんは九州場所はまぁまぁの成績でホッとしています。


[4470] 【4724回 区民ハイキング】 2017-11-26 (Sun)

「区民ハイキングの写真とレポートアツプしました」

勤労感謝の日、珍しく此花区のイベントに参加しました。

西九条駅から乗り換えなしで奈良まで乗り入れることができる

ため考え出したイベントだと思います。

受付後は順次出発し団体歩行ではありません(団体歩行はウオーキング協会所属時代で懲りてる)

1時間後にはもう奈良の駅前に立っていました。

地図は貰ったもののコースを外れて「ならまち」の古い屋敷跡を歩いてきました。勿論鹿にも会ってきました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1119konohanakumin.html

奈良に友達が住んでいて会うたびに「奈良は寒い」と言っていましたが、ほんまに寒い!底冷えする!

その証拠にシカが地熱を利用して暖を取っているのか、みんな座っている。

多いのは外国から来た観光客・・・大きな声で会話をしているのですぐにわかる。

日本人も昔外国に行き「農協の団体さん」と言われて時代がありましたが、あれの逆バージョンてすね。きっと。

冷えると「すべり症」が元気になって困っています。

そうそう・・・話は変わりますが

アルパムが四万十市の仲間達のところに届いたらしく滅多に鳴らない固定電話が鳴り響いています。

「ホームページで何度も見てたけどやっぱりアルバムが待ち遠しかった」

「滑床渓谷には行けなかったので写真で楽しんでいる」

「届いたぜぇ」

「アルバムの写真、どれも癒されるね」

「こんないい思い出を作ってくれてありがとう」などなど

「8000円のカメラでこれだけの写真が撮れたら上等だ!」と師匠に褒められたけど・・・褒められてる?

(8000円のカメラって・・・言わんといてよ〜気に入ってるんだからネ)

このカメラは遊びだけではなく観察所への報告にも使っているし、交通安全の時にも使っている多目的カメラなんです。


[4469] 【4723回 若者の転職】 2017-11-25 (Sat)

若者の起業、引き抜きなどの転職で、ひとつの会社に長く務めるサラリーマンが減りました。

私の時代は終身雇用で定年まで勤めあげるのがサラリーマンの鏡みたいな時代でした。

しかし今は能力があれば、一人前に育ててくれた会社を踏み台にして羽ばたいていく時代となりました。

フリーアナウンサーと言えば聞こえがいいのですが局アナ時代に訓練を受けて、やっと一人前にしたと思ったらマネーの大きく動くフリーになる傾向がある。

私は在職中「やめたい」と言う若者を何人も引き留めてきました。

それが良かったのかどうかはわかりませんが辞める動機が甘すぎる者は「そんな考えではどこに行ってもダメだ」と引き留めました。

その社員達と酒を酌み交わすとき必ずその時の話が出ます。

「あの時、おかんに叱られてるみたいやった。辞めずに続けて良かった!」と言ってくれました。(ホッ)

退職して10年経ったいまもずーっと若者達とつながっていることが嬉しい。

私も3回、転職をしました。それぞれに理由があります。

最初は苦労して入社試験に大手会社に合格したにも関わらず女子社員の学歴の壁で泣きました。仕事は出来ないのに学歴ばかりチラつかせる。

更衣室も大卒と高卒でカーテンで仕切ったり・・「♪♪こんなとこオレ嫌だ〜!♪♪仕事がしたいっ!」

2回目は小さな会社。集金、給料計算、庶務に雑務、社長のご用聞き。しなかったのは営業だけ。とてもやり甲斐を感じました。

弁天町から自転車で上本町まで集金に何度も行きました。

今だと電車や車がある時代なので考えられませんが仕事が楽しくて仕方がありませんでした。

定時後には強制的に、お茶にお花と花嫁修業まで付いていました。

そして結婚による退社。この時は軽トラックに山のような電化製品を嫁入り道具にと揃えてくれました。

社長曰く「退職金のかわりや!」親のいない私にとって何よりも嬉しかった!

そして最後の会社に40年。色々開拓したり福利厚生に力を入れたりと自由奔放。「オニの久田」はパワフルでした。

上司が「責任はワシが取る。好きなようにやればいい」と言ってくれました。

いただいている給料分をしっかり働けば、頑張っていれば給料は後からついてくると思っています。


[4468] 【4722回 正蓮寺川公園フェスティバル】 2017-11-23 (Thu)

平成5年から正蓮寺川を埋め立てて公園にする工事が始まってから何と24年ずーっと工事中。

しかし11月23日やっと、やっと公園として此花区民に、お披露目となりました。

完成までの苦難の道のり

●昭和39年、住民による大阪府へ川の埋め立ての陳情が行われました。

防波堤による道路の形状の変化、川の汚れ、舟の運航の激減などが理由でした。

●昭和61年、都市計画決定。高速道路の建設と公園整備。

開発側は「掘割構造」を提案、住民側は道路を地下に通す「覆蓋ふくがい方式」を要望

これには地域分断の解消と効果的な環境整備があげられました。

●昭和5年右岸のヘドロ固定化工事、平成8年右岸陸地化完了

●平成14年都市計画の変更、住民の要望通りの「覆蓋方式」の実現

排気ガス対策として小規模脱硝装置が実現することとなりました。

●平成29年11月23日、正蓮寺公園の住民利用可能

公害に汚染された川が、住民の努力により、きれいな公園に生まれ変わりました。

開会式では24年間の苦労話を議員団が熱弁を奮って話しておられました。

本当に苦労したのは地域の人達ではあるまいか?

この公園にはトイレがありません。(将来作るの?)

問題は使う住民のマナー次第で美しくもなり、雑草の生い茂るゴミ公園にもなるのです。


[4467] 【4721回 そろそろ年賀状】 2017-11-23 (Thu)

まもなく12月を迎え、気ばかり焦る時期となってきます。

日頃から「終活だ〜」「終活だ〜」と叫んでおりますが年賀状はどうなんやと考え始めています。

退職した身でありながら毎年300枚・・・

「宛名は自筆で」と言う持論も去年あたりから辛くなりパソコンに頼りだしました。

そのかわりコメントだけは自筆でと持論を崩していないことを強調しています(自己満足〜笑)

そこで来春には古稀を迎えるにあたり、年賀状も「終活」に入ることにしました。

私が亡くなった後、夫が300枚の年賀状に「妻が他界しました。生前中はお世話になり・・・」

夫が喪中の葉書きを300枚も出せるはずもありません。

ならば70歳を機会に自分で後始末をしようと思いつきました。

まず「5年間お会いしていない」かどうかを基準にしました。

失礼があるかも知れませんが、そこは感情抜きで事務的に。

年賀状を止めたからと言って縁が切れるわれではありません。

気が向いたら「暑中見舞いはがき」という手段があります。

今はスマホでメール、ライン等の、SNSで繋がっています。

一方通行ではありますがホームページで情報発信をしています。(コメントも書いて貰えるのですが)

葉書きの向こうに大切な人達の顔が浮かんできて「終活」することの失礼さに心を痛め、このまま続けようかと悩みました。

夫も70歳を機に会社でのお付き合いの人達と「終活」済みです。

衰えていく姿を思い浮かべ、そうなってから黙って消えて行く方が失礼なのだと。

同窓会では「77歳のお祓い行事」の計画を企てたりもしますが、それは元気でいようねと誓うだけ。

「ピン・ピン・コロリ」の法則に従っているだけです。

元気で生きるってむずかしいですね。

思い切って「年賀状の終活」実行します。


[4466] 【4720回 同窓会アルバム完成】 2017-11-21 (Tue)

「写真は旅の領収書」と言いながら作ったアルバムが完成しました。

今回は「なかなか良い写真がある。あの安物のカメラでよくまぁ撮れたものだ」と呆れられたり、褒められたりの古稀アルバムです。

まあ一度見てやって下さい。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1105mai0102.html

「ほんまに姫の同級生?」と言う人もいます。(大笑)

かと思えば我々よりずーっと若く見える人もいます。

正真正銘、昭和23年うまれの仲間達ばかりです。

故郷の美味しい空気はお届できませんが、美しい景色と仲間の笑顔はお届けできます。

参加者全員に、それぞれのコメントを書き、封書詰めをして明日は郵便局に持ち込めるはずです。(夜なべをギブアップしなければの話)

27冊と言う中途半端な部数の印刷は受付て貰えないため30冊注文しました。

3冊は私の自腹だから、どこかへ行商にでかけよう!

「え〜っ同窓会のアルバムはいかがですか?ぺっぴんさんがぎょうさん写ってまっせ」

詐欺だと騒いだり、クーリングオフは一切受け付けません。

「ありがとう」という言葉は受付いたします。ハイ。

既に御殿場に住む同級生から「参加はできなかったけどホームページみました。懐かしいっ!」と葉書きを頂きました。

えっ?早馬の如くもう耳に入ったのね。松山の坊ちゃんが知らせてくれたと書いてありました。

ひとりでも多くの同級生に見て欲しい。そして来年の桂浜での同窓会では今年を上回る参加者がいることを祈ります。

この間の様にバソコンが壊れたらアルバム作成はできません。(もう新規購入はしないと決めています)

私がアルツハイマーに掛かってもアルバムは作成できません。

「今年が最後のアルバム」と思って大切にして欲しいです。

早く届け四万十へ!「こじゃんとたまげたちや」そんな言葉待ってるよ〜

完成したアルバムをブログに載せました。


[4465] 【4719回 区民ハイキング】 2017-11-21 (Tue)

珍しく・・・って言うか、初めて「区民ンハイキング」に参加しました。

5月から仰せつかった会へ「優待券」が届き、みんなに声掛けしましたが、だ〜れも首を縦に振らずでした。

「しゃあないなぁ!私が行こう!」となったわけです。

日曜日の朝、集合の公園には此花区長、振興町会長、各種団体の関係者が出迎えてくれました。

「おやっ?」と初顔の私を見てみんなが思ったと思います。

区長曰く「今日のコースに山はおまへんで〜!」とニッコリ。

阪神電車西九条駅は近鉄電車・奈良駅まで乗り換えなしで行くことが出来た為のコース設定なのでしょう。

コース地図は貰ったものの最初から目的は「「ならまち散策」

人混みを避けて(観光客はほとんどおらず)ゆっくりと歩くことができました。

しか〜し、奈良は寒い!底冷えがするっ!

ダウンの上にウインドパーカーを重ね着し、手袋をはめても吹く風は容赦なく頬に当たる。初めて冬を体感しました。

世界遺産の元興寺や格子の家、にぎわいのまち等を散策し猿沢の池へと戻ってきました。

帰ってから気が付いてのですが春日大社表参道付近に「本部」が設置されていたみたい・・・通過してないなぁ。

奈良と言えば鹿なので鹿煎餅を2パック買い込み、鹿に餌をやろうとしましたが「いらない」と言います(鹿が喋ったわけではありませんが)

前に訪れた時はもっと沢山いたはずだと鹿を求めて東大寺の方へ。

いた、いた。でも足をコンパクトに折りたたみ地面に座って動かない。寒いのだと思います。

若い鹿は元気で煎餅欲しさにやっと寄ってきました。こうでなくっちゃうね。

帰りに鹿煎餅のおばちゃんに「鹿がすくないねぇ。寒いからかなぁ?」と言うと

「そんな事おまへんでェ!そこら中にいっぱい、おりまっしゃろ?!」(怒られてもうたわ)

鹿が見当たらないから聞いてるのに・・・。

煎餅売るおばちゃん!寒いのはわかるけど奈良の看板背負って商売しているのならもっと愛想良くしてほしいわ。

そんなこんなで区民ハイキングはコース外れて歩きましたが楽しかったです。


[4464] 【4718回 みんなで考えよう】 2017-11-19 (Sun)

「驚きの光景」

登山中にリュックを前後に背負った写真を見ました。

その後ろから(前から?)空身で歩く人がいる。

はは〜ん。体力低下で荷物を持ってもらったんだなぁと理解できました。

しかし、しかし、もう一度メンバー集めて「飲む反省会」ではなく「マジの反省会」が必要です。

リュックの中に不要な物が入ってなかったのかその場で(小屋で)全員でチェックが必要です。

私達のメンバーにも同じようなことがあり荷物を点検したら参加者全員に渡す「自家製の漬物」が入っていました。重たい筈です。

心遣いが迷惑に変わるため「レーションは貰ったり、あげたりしない事」とルールを作ったことがありました。

荷物のチェック等したら相手を傷つける?そんなことはありません。

リュックを前後2個背負った人が転倒して怪我をしたらどうしますか?

私達は常々、リーダーの指示のもと、体力の弱った人がいればリュックの中身をメンバー全員で均等に分担します。

そのために小袋に分けて荷物を作りリュックに収納する訓練をしてきました。

今迄一度も一人だけに負担をかけるような山行はしたことがありません。

「大丈夫!体力あるから!」と言ったとしてもメンバーは荷物を均等に分担して下さい。

リーダーは、そんくらいの権限を持ってください。体調不良と言いつつ山に登るのは迷惑をかけてしまいます。

そして体力低下者には空身ではなく水分とレーションだけ入ったリュックを背負わして下さい。

メンバーは少し荷物が重くなっただけでひとりだけに負担がかかることはありません。

以前、知人が某小屋付近に向かってリュック2個を重ねて背負い、傍らを女性がトボトボと歩いていたそうです。

後ろから来た登山者が「救助者がいる」と小屋に通報。

小屋に駐在していた救急隊員が飛んできてその女性を負ぶって小屋まで運んだ「事件」がありました。

これはまさしく事件です。「私は歩けますから大丈夫です」と何故断らなかったのか人間性を疑います。

本当に救助が必要ならば同行者が救助を求めるはずです。

もっと重篤な人を救助するために救助隊の皆さんは待機しているのです。

救助隊の人達をそんな甘っちょろい疲労ぐらいで使わないでほしい!

私の師匠なら「ちょっと休憩しよう!体力が戻ったら歩こう」と言うはずです。

少し長めの休憩を取れば歩けないことはありません。

(但し捻挫や骨折は別ですよ。全て我慢しろと言ってるのではありません)


[4463] 【4717回 動いたわぁ〜!】 2017-11-19 (Sun)

昨日は終日「こわくて・・・」パソコンの電源が入れられなかったんです。

故障したら・・・もう買い替えは無しと心に決めていました。

土曜日は雨の精もあり気の重い1日でした。

今朝・・・ええぃっ!と電源いれたら「動いた〜っ!」

強制終了させてから憂鬱な1日でした。

いまから此花区の行事に出かけてきます。帰ったらたっぷりと!

書くからねっ!


[4462] 【4716回 柿のカーテン】 2017-11-17 (Fri)

和歌山県かつらぎに串柿の里があります。

お正月の鏡餅の上に「2個6個2個」のっかってる串柿の里。

柿のカーテンとも言われており各地から見物に押し掛けている。

時期的に繁忙期で、深夜12時まで作業が続いているそうです。

干し柿の未完成品を交渉し売って貰えると言う。

すると、「ワシも、私も」と列ができました。

柿も旬で、どれも美味しいと言うので皆迷わず買いました。

何よりも「柿のカーテン」が見れたことが満足。

帰りは後部座席のサロン部分に移り、実のある討論会となりました。

(パソコンが故障のためタブレットで入力)


[4461] 【4715回 治験について】 2017-11-15 (Wed)

ポッチーの治験の次の予定が12月から1月に延期になったと主治医から連絡を貰いました。

ポッチーの髄液に問題があるのではなく培養先の研究所の問題の様です。

12月には予定通り上手く行ったら雪の坪庭に行こうと張り切っていたのですが・・・

「ところで治験ってなぁに」とよく聞かれます。

「治験」とは、「薬の候補」を用いて行われる、国の承認を得るための臨床試験のことです。

薬は、病気の原因を研究することによって、あらゆる物質の中から「薬の候補」になりそうなものを探すことからはじまります。

「薬の候補」が選ばれると、動物にそれを用いて効き目や安全性を確かめます。(非臨床研究)

そして、次の段階として、「薬の候補」が人にどれだけの効き目や副作用があるかを調べます。(これが治験)

つまりモルモットの次がポッチーなのです。キャハハハハ

ポッチーが人間の三例目。再生医療の最先端の実験体なのです。

治験には三つの段階が設けられています。

●第1段階

健康な成人に「薬の候補」を用いて行われます。

ごく少量からはじめ、徐々に量を増やしながら、副作用や吸収の速さ、体外に排出されるまでの速さなどを詳細に調べます。

●第2段階

少数の患者さんに「薬の候補」を用いて行われます。

効き目や副作用のほか、量や服用回数など、「薬の候補」の効果的な使用方法のデータを取ります。

●第3段階

多数の患者さんに「薬の候補」を用いて行われます。

第1・第2段階で得られたデータをもとに、「薬の候補」が多くの患者さんにどれくらいの効き目があるのかを調べます。

第3段階では、すでに使用されている薬を用いることによって、「薬の候補」との効き目の違いを調べることも行われています。

治験で得られたデータはその後、製薬会社によってまとめられ、厚生労働省に提出されて審査を受けます。

審査が通れば、新たな薬として製造され、販売されることになるわけです。

治験は「薬の候補」を用いた研究段階ですから、副作用やそのほかの危険が伴うことは否めません。

そのため、治験に参加する人や患者さんは、いつもの治療以上に細心の注意を払って同意する必要があるのです。

息子2人と配偶者と医師との面談も実施しました。失敗した時に問題が生じないように。

治験は、自分と同じような症状を持つ未来の患者さんのために必要なことではありますが、負の部分もあるのです。

途中でいつでも辞退することも可能らしいです。


[4460] 【4714回 土佐名物数々あれど】 2017-11-14 (Tue)

●「土佐名物数々あれど」

土産品の土佐名物と言えば筏羊羹、土佐日記、鮎最中、などなどあり、購入には好き好き・・個人差もあります。

いま代表的な土産物は「芋けんぴ」なのか、どの店も大きくスペースを占領しています。

中村から大阪への帰り道、水車の廻る芋けんぴ専門店があり休憩がてら立ち寄りました。

日本茶が自由に飲めて勿論、試食も自由です。試食を頂いたので気の毒やから買って帰ろうか・・パターンみたいです。

大阪のおばちゃんは欲しい品が無ければ試食だけして出て行きよった〜!

私は「芋けんぴ」ではなくて「ケンピ」を探しましたがありませんでした。そりゃそうやな、芋けんぴ専門店やからなぁ。

高知高速道入口の小さな干物屋に立ち寄ると、坂本龍馬のイラストの「ケンピ」があった土佐!(フフフ)

少し硬いがクセになる味だとか。高知に行ったらぜひ食べてみて下さい。

話はコロっと変わります。

滑床渓谷に行く途中の道の駅で「赤大豆」とやらが目に入りました。

みんなが「美味しいよ!ご飯炊くときに一緒に入れて炊いたちや」と言うので珍しさも手伝って買って帰りました。

そしてみんなが教えてくれた通り、炊いたら硬くて、硬くてたべられやしない!

ポッチーは「ワシはハトじゃないぞ!」とブツブツ文句を言うし・・・。

ひょっとして小豆みたいに豆だけ先に炊いて柔らかくしてから炊飯器に入れるのか?

もう「あとの祭り」みたいです。。。大失敗やらかしました。

1時間以上費やして豆だけ拾い上げ再び柔らかく炊いて炊飯ジャーに戻しました。

まずいのか?・・なかなか減らないので仕方なく最後は雑炊にして食べました。

「お〜い!私の幼友達よっ〜!説明するときには省略せず、もっと丁寧に教えてよ〜!」

えんどう豆と同じ要領で炊いたらドエライ目に遭ったよ〜。

故郷の苦い思い出・・・じゃなくって硬い思い出となりました。


[4459] 【4713回 写真は旅の領収書】 2017-11-13 (Mon)

座右の銘・・・「写真は旅の領収書」

同窓会のアルバムが完成しました。最終チェックを終え現在印刷所に持ち込み印刷を依頼しました。

私の師匠が「よぉ、あの安物のバカチョンカメラでこんだけ撮って来れたなぁ!」と驚いていました。

中にはドキッとする程の良い写真もありプロでは気づかない素人目から見るベストショットも数枚あるとの事でした。(鼻高さん!)

撮影総枚数483枚、フィルムが要らない時代だからこそ気楽に撮れるのです。

483枚の中から紀行文に合った写真を挿入し、サイズを変えてカットしていきます。

この作業は根気のいる作業で時折襲ってくる睡魔との闘いです。

11月7日に帰った翌日から5日間没頭しました。助っ人の私の師匠の力も大きかったです。

感謝の言葉を述べると「オレは自分の同窓会に行ったことはないがアルバム作っていて楽しさが伝わって来る」

自分も蕨岡舞の森会の同窓会に参加した気分になりアルバム作りは苦労ではなかったと言ってくれました。

予算に合わせて「20枚仕上げ」で編集したつもりでしたが、あまりにも良い写真があり、どれもこれも捨てがたく・・・

気が付けば「24枚仕上げ」となりました。

「24枚仕上げ」は、予算オーバーで清水の舞台から飛び降りた気持ちで自腹切ろう・・・と決めました。

呑兵衛達は酒を飲む金は湯水のごとく使っても惜しくないのです。

しかし、写真となると「なし〜?そればぁ高いがかよ?」と言われそう。

私は「写真は旅の領収書」と思っております。

後々残るのは酒でもない、ご馳走でもない、写真だと思っています。

まっ・・・手元に届いてどう評価して貰えるか楽しみなところです。

一足先にポームページの「蕨岡舞の森会」に第6回のアルバムをアップしました。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1105mai0102.html

表紙の色は古稀の色「むらさき」とこだわりました。納得のいく出来栄えです。


[4458] 【4712回 楽しかった同窓会・・あとがき】 2017-11-13 (Mon)

楽しかった同窓会・・・あとがき

私のフェイスブックを見た四万十市に住む親戚の青年から書き込みがありました。

姫「 いつ見ても母なる川、私が非行に走らなかったのは四万十川が見守っていてくれたから。」の書き込みのところに

四万十青年「 うそつけぇ?? 鮎、食べへんのかぁ?待ってるのに?」

団体行動のために立ち寄れなかったこと、車が無いと行動しにくい事を書くと

四万十青年「 迎えに行くぜ??お姉さま?? いや、お母さんか??」

姫「お姉様」を訂正するなっ!(笑)。待っててくれる人がいてるって超嬉しい!今度からは個人行動とりますね。」

四万十青年「 わかった?? 帰る場所は、勝間やで??」

パソコンに向かってウルウルと涙があふれてきました。そして不義理をしたことを後悔しました。

レンタカーやタクシー使ってでも行くべきだったと・・・・

(レンタル自転車もいいかも)

しかも滑床渓谷行くのに四万十川を挟んで彼の住む勝間集落を目の前にして通過したんだもん・・・

墓参りは親戚の同級生のおかげで済ますことができました。

次回は割れ欠けた墓の花筒も交換したい、道具を準備して掃除もしたい・・・

そうするには1日だけ余分に欲しい。別行動をとり勝間の沈下橋に住む青年にもぜひ会いたい!

故郷には私を受け入れてくれる優しい青年がいてくれる。

故郷は私に優しかった!


[4457] 【4711回 楽しかった同窓会・・ラスト】 2017-11-12 (Sun)

楽しかった同窓会・・・「D最後に」

こうして第6回・蕨岡舞の森同窓会は27名の参加者を得て楽しく過ごすことができました。

開催に当たり幹事の皆様のご苦労は大変だったことと参加者一同を代表して感謝申し上げます。

何よりも50年ぶりの還暦の年に開催しようと名簿作りに奔走してくれたから今があることを忘れてはいけません。

四万十本部、高知支部、関西支部と三分割し幹事に負担が行かないように工夫をしています。

もっぱら関西支部は「新年会」や「幹事慰労会」担当なんですが・・・

第7回・蕨岡舞の森同窓会は高知市在住の幹事により開催予定です。

すでに高知市桂浜にある「国民宿舎・桂浜荘」の予約が完了しています。

参加費の「500円玉貯金」もスタートしました。あとは健康でいることです。

案内が届きましたら「参加」「調整中」「不参加」等の返事は必ず提出して頂くようにして欲しい。

無回答の人に限って「案内を貰っちょらん!」とうそぶくのです。

手間と通信費がかかっていることを知っていますか?

ハガキ1枚の代金を言ってるのではありません。幹事へのねぎらいはあるのかって聞いているのです。

葉書きに意思表示をしてポストに投函さえすれば案内状は永遠に届きます。

えっ?ポストが無い?ならばスマホで幹事に連絡をっ!

「回答無し」だから次回の案内が届かないのです。

欠席の場合は一言コメントを書いてくれるだけで幹事は嬉しく感じるものです。

私が率いる会で出席でも、欠席でもハガキに必ずコメントを下さる人がいます。幹事はその一行のコメントに喜びを感じるのです。

6回目にして初参加者の人がいました。嬉しかったなぁ!次回も来てくれると楽しい同窓会の証明になります。

幹事さんのご苦労は計り知れません。私達遠くに住む者は「参加」する協力しかできません。

参加したからには盛り上げまっせ〜!幹事さんばっかりに苦労を背負わすわけにはいかん。

四万十のハチキン幹事はいごっそうどもを束ねて頑張っています。

土佐の女性は男性を立ててよく働きます。

そんな土佐の女性に憧れて私のハンドルネームは「ハチキン姫」なのです


[4456] 【4710回 楽しかった同窓会・・C】 2017-11-11 (Sat)

楽しかった同窓会・・・Cアゲ編」

第2日目の夜の話です。

同窓会はもうとっくに終了しています。

次回、第7回の同窓会は平成30年11月4日高知市桂浜「国民宿舎 桂浜荘」で決定です。

でも・・・まだ「アゲ」が残っているのです。

本来は収支報告が終わってから「ごくろうさんでした」と幹事達が労をねぎらうのが「アゲ」の目的です。

しかし、いつの頃からか関西支部が参入し四万十市に滞在している間に開催するようになりました。

ならば、幹事だけでなく参加希望者は「み〜んな寄っといで〜」形式となりました。

午後6時、15名の参加者は居酒屋「四万十川」で再合流。

最初の1時間は、店の人が驚くほどの超スピードで注文をし「みんな餓死寸前」みたいでした。

1時間も必死で食い続けると満腹状態になり落ち着いてきました。

楽しい「アゲ」の終了時間は誰かが時計を早回ししたのではないかと思うほど「アッ」と言う間にやってきました。

こんどこそ本当にお別れです。

相乗りで帰宅する人、代行運転を依頼する人、夜行バスで三宮に帰る人、そして、そして私達はもう一泊!

同窓会に3泊4日するっ?オドロキでしょ?本人たちはまだまだ残っていたい気分なんですけどね。

仲間達は1年の間に物故者を3名見送ったことで更に結束が固まった気がします。

「2年に1度の開催では、いつどうなるかわからん。後悔が無い様に毎年開催しよう!」

蕨岡・舞の森会の母校である蕨岡小学校は間もなく廃校により学び舎を失います。

生徒数25名では・・・・ね。25名の生徒たちは中村まで通うのか?通学手段は?

飲み会の最中に小学校の「購買部」のあった場所でケンケンガクガク(そんなに真剣に言い争わなくても・・・笑)

廃校になったとて学び舎での思い出はみんなの心に焼き付いて残ることでしょう!


[4455] 【4709回 楽しかった同窓会・・B】 2017-11-10 (Fri)

楽しかった同窓会・・・「B滑床渓谷編」

第2日目も快晴

宿毛湾の朝日を眺めながらホテル周辺の遊歩道を朝食前に散歩。

空気は澄んでいて海に吸い込まれるようです。

朝食を済ませ解散組と滑床渓谷組とに分かれました。

中村まで戻り昼食用の弁当購入。私は大好物の「土佐寿司」を仕入れ滑床渓谷へ。

四万十川の上流に向けて車は走り高知県から愛媛県に移りました。

滑床渓谷の紅葉見物は少し早かったみたいです。

それでも時々「♪濃いも薄いもかずあるなかに〜♪」と鼻歌がでるほどに美しい。

「夏は沢登出来んかなぁ?」と素朴な疑問を帰宅後師匠に言うと私の腕では無理だそうな・・(笑)

大きな一枚岩の上でランチタイム。天気もよくていつまででも座っていたい気持ち。

「雪輪の滝」まで行き滑床の美しさを目に焼き付けて戻りました。

「雪輪の滝」は日本の滝百選に選ばれているだけのことはありました。美しい滝です。

写真にうまく映っているといいのですが・・・

帰り道「岩間の沈下橋」が美しく見えるところで「停めて〜!」とシャッターチャンスを見逃しませんでした。

ちょっとプロのカメラマンの気持ちが解かった気がしました。

中村に戻り「じゃあ今夜6時にまたね」まだ飲むつもりです。

そうなんです。夜は「アゲ」と言う名の反省会があるんです。

参加者15名・・・多いなぁっ!

それぞれが一度自宅へ帰り、宿泊組はチェックインを済ませ午後6時の来るのを待ちました。


[4454] 【4708回 楽しかった同窓会・・A】 2017-11-09 (Thu)

楽しかった同窓会・・・「A本番編」

快晴の日曜日を迎えました。 

午後3時には一條神社境内に集合し古稀の祝詞をあげて貰う予定になっています。

「一條さん」と市民から親しまれた町の中心にある神社なのですが今は街の中心が中村駅周辺に移りつつある感じです。

大きな商店街も寂しげに見えました。

一條神社への階段は少しきつくなりつつある古稀の仲間達・・ある者はヒョヒョイノヒョイと、ある者はハアハアゼーゼー。

予定通り集まったところで宮司さんの案内で神殿にて厳かな気分で古稀の祝詞を受けました。

祝詞を上げている間は写真撮影禁止と書かれていました。

ひとりひとりの名前を読み上げ代表玉串奉納はマー君。

その後に続き一堂が2礼2拍手一礼し、ご神酒を頂き、おふだを頂き無事に終了いたしました。

何故が涙がこぼれて・・・こぼれて・・・

お祓いが終わりホテルのバスで宿毛に向けて移動しました。「やどげ」と違いますよ「すくも」です。

部屋割りは「好きなもん同志」となんともユニークな形でした。・・・笑

風呂場から宿毛湾に夕陽が沈む時間に間に合いました。それは、それは美しい!

宴会の前に物故者3名に対して黙祷を捧げました。

開会宣言は通称校長先生、乾杯の発声は初代校長先生。、あとは無礼講。

まぁ高知の人は飲むわぁ!宇都宮の酒豪とて、この輪の中に入ったらもみくちゃにされる事間違いなし!

1時間経過した頃、幹事が「進行係やってよ!」と耳元でささやきました。

耳もとでささやかれると弱いわぁ!

山小屋で楽しかったジャンケン大会を真似してやっちゃいました。

おかげで大盛り上がり。

お開きは勿論「蕨岡音頭」で締めくくりです。

我が村に自慢の音頭があることをもっともっと広めてほしいです。

歌い続けて欲しいです。踊り続けて欲しいです。

私達が蕨岡で生まれ育った誇りですから・・。その小学校も現在生徒数25名で、近々廃校になると言う話です。

さあそれからがお決まりの「二次会」です。幹事部屋には宿泊者ほぼ全員に近い人数が集まったそうです。

同窓会名物「アクシデント」もあったらしいよっ!(私は二次会不参加)

3階の自動販売機を空にして2階へ移動、そして1階フロント等・・・

ホテルの酒類はほとんど売り切れ状態の様でした。

土佐のいごっそうに土佐のハチキンは、ほんまに酒に強いねっ!


[4453] 【4707回 楽しかった同窓会・・@】 2017-11-08 (Wed)

楽しかった同窓会・・・「@前泊から本番まで」「A本番編」「B滑床渓谷編」「Cアゲ編」

第6回の同窓会の様子は4編に分けて書き綴ります。

まずは「@前泊から本番まで」の、はじまり〜はじまり〜

関西支部はそれぞれの家庭の事情で電車、フェリー、夜行バス、自家用車と別行動となりました。

私とミー子はサトル君の運転する車でヨドバシカメラ前を前日の4日午前9時に出発しました。

サトル君は毎日車に乗っているらしく腕は確か。

その証拠にミー子は早くもスヤスヤとお眠り遊ばしました。安心している証拠です。

度々、中村まで帰っているのか、ほどよい距離のサービスエリアでトイレ休憩を取ってくれました。

徳島道から高知道に入ると見慣れた地名が出始めて「ああ近づいて来たな」と感じることができました。

途中で昼食の讃岐うどんを食べて、ひたすら中村へ向けて走ります。

列車の旅だと海が見えるころには降りる支度をしたものです。

午後3時過ぎには中村に到着し宿泊先の民宿に到着です。

女2名、男1名を予約しておいたのですが何としたことか、ここにきて「ワシは実家にいぬるけん」とサトル君か言い出しました。

「エエッー!今になって?」私達は襲ったりはしないよと言いましたが。。。(笑)

仕方がないので宿に理由を言い、男部屋をキャンセルしました。素泊まりだから融通は利くがよ。

少し休憩して夕食用の「土佐寿司」を調達に町へブラリ。

中村の町もコンビニが増え、小さな商店は都会と同じシャッター商店街となっていました。

町の中心地にあった四国銀行が中村駅近くに移転していたのには驚きました。

「土佐寿司」とビールを買い込み部屋で二人で夕食を済ませ就寝したのが午後8時・・・何ともはやいっ!

翌朝は中村名物のモーニングを済ませ、ミー子はお姉さんの迎えを待って法事に出かけました。

私は親戚の同級生のサチオ君を待って両親の墓参りにいきました。

午後3時の集合時間までそれぞれ自由時間です。

サチオ君と合流し我が故郷・蕨岡入りしました。

急斜面の墓地への道は雑草が綺麗に刈り採られていて助かりました。どなたが整備して下さっているのか知りませんが有難かったです。

サチオ君も墓まで上がってくれて一緒に手を合わせてくれました。

今度来るときは掃除道具と榊立ての筒が割れていたので取り換えたいと思っています。

昭和30年代にこれほどに立派な墓石を立てた母親は偉かったなあといつも感心しながら墓参りを終えました。

今回は時間も無いため、あちこちの親戚には顔を出さず、サチオ君のお母さんの家にだけ立ち寄りました。

米寿を過ぎ独り暮らしではありますが毎日ウオーキングをしているだけあってシャンとしていて元気です。

午後3時の集合時間が近づいてきましたのでそろそろ古稀のお祓い会場である一條神社に向けて出発しました。

市役所の駐車場には見覚えのある顔がゾロゾロと歩いていました。

いざっ!古稀の祝詞行事に一條神社へ!


[4452] 【4706回 同窓会に行ってきます】 2017-11-04 (Sat)

青年小屋での興奮から覚めやらぬ日々が続いています。

レポートの中の「動画」が、何ともリアルにあの時の感動を再現させてくれるのです。

まさか・・・動画を取ってくれていたとは思っていなかったので喜びもひとしおです。

八ヶ岳・編笠山から戻って間がないと言うのに・・また出かけてきます。(笑)

土曜日・日曜日・月曜日はボランティア事務所も休業日で緊急事態は発生しないので安心です。

(電話で連れ戻されるのだけは勘弁してよね〜!)

私の事を昔「不良婆」と言った人がいます。

本来の意味は「不良馬場」のことです。上手く例えたものです!

いままで色々それなりに頑張ったんやさかい・・堪忍したって!

誰が引き留めようと引き止まらん。ならば自由に解き放つ方が生き生きしてるわ。

今更この年になって「文春砲」に追っかけられることもあるまい。(アホッ!芸能人ちゃうし〜)

苦しくて貧しかった時代を後にして故郷には二度と帰るまいと姉と誓いました。

中村駅から鷲羽3号に乗って大阪に来たけれどこの年になると故郷は懐かしい。

あの時の貧しさに耐えられたからこそ、今の安定した生活を勝ち得たのだと思う。

二度と帰るまいと誓った故郷が今は懐かしく足取りも軽い。

両親の墓参りも出来るし一石二鳥の旅立ちです。

同窓会当日は故郷の神社で古稀のお祓いを受けて宿毛市にある「椰子の湯」で皿鉢料理で祝宴やっ!

既に10人も他界した同級生がいてます。あの世で同窓会開くにはまだ人数が足りん。

そやから言うてあの世から案内状貰うても「欠席します」って出すよ!

他界した人達の分も楽しんでみせたるわ!そんな思いで出発します。

そんなわけで11月4日から7日まで書き込みお休みさせていただきます。


[4451] 【4705回 青年小屋レポートアップ】 2017-11-02 (Thu)

う〜ん・・・なかなかの力作じゃ〜まずは読んでみて。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1028-29seinengoya.html

レポートを読み返しながら我ながらあの時の描写を上手く表現出来たものだと満足しています。

いつもの様に写真集のつもりで見て頂けたら幸いです。

今回はレポートから声が飛び出してきますよ(笑)

ああ「動画」っちゅう面白い趣向を凝らしました。

みんなは振る舞い酒に酔っぱらっていましたが私は竹内オーナーのギター演奏に酔いました。

その時の感動は、まずはレポートを読んで下さいませ。

そして「動画にリンク」とある写真をクリックして頂けるとギターコンサートの様子をちょこっとだけ披露します。

私とオーナーの「雪山に消えたあいつ」は緊張もあり恥ずかしい出来栄えですが古稀の思い出です。

(本当はもっと上手く歌えるはずなんですが・・・)

私の得意とするところは歩きながら景色に合った歌を鼻歌まじりに歌うのが好きかな。

ジャンケン大会の盛り上がりも写真から蘇ります。

「楽しかったよ」だけでは伝わりませんが写真があれば思い出は風化することはありません。

万が一、病気で山に登れなくなったとしても思い出の写真があれば勇気づけられると思います。

それには少しだけ紀行文も添えておけばアルツハイマーになっても昔のことは鮮明に覚えているらしいから役立つかも(笑)

憧れの青年小屋・・台風を懸念しながらではありましたが行って良かった!

「遠い居酒屋」・・・酒が飲めなく酔えなくてもオーナーのギターには酔える!

私に優しく声をかけて下さった背の高いスタツフのお名前聞いとくんだったなぁ・・・(聞いてどうするねん!)


[4450] 【4704回 ポツチーの再生医療】 2017-11-02 (Thu)

「治験」無事終了

ポッチーの体重が増えず「待った」がかかっていた再生医療の治験が11月1日に行われました。

手術と違い処置そのものは「アッ」と言う間に終了するのですが家族の立会人がいると言います。

この日は大阪狭山市に於いて更生保護大会がありどうしても出席をしなければなりませんでした。

「どっちが大事やっ!」って言われるかも知れませんが会長の任命を受けた以上・・・つらい選択でした。

息子に叱られると思いきや「ボクが行ったるわ」とあっさり引き受けてもらえることになりました。

保護司勤続15年表彰と、内助の功としてポッチーにも表彰状が授与されました。

此花区からは参加者「7人」の割り当てがあり対象者は会社勤めでなかなか出席して貰えません。

そんなわけでどうしても欠席するわけに行かず。。。。

息子がたまたま代休を取れると言うので病院に付き添って貰いました。

本来は日帰りでも構わないのですが大切な実験人体なので1泊することになったそうです。

息子は立ち合い終了後、実家に立ち寄り大型ゴミを回収に来て、明日も病院に迎えに行ってくれると言います。

「と言うことは・・・お泊り〜?」

親子水入らずではありますが男の子は寡黙で、あまりお喋りすることもありません。

早々に自分の部屋に引きあげました。

孫達は3日の午前中に爺の顔を見に来ると言います。(71歳の誕生日だからネ)

ポツチーがいない間だけでも、のんびりしようとしていましたが私には「のんびり」は似合わない様ですかねぇ。

心臓移植は60歳以上の人には実施されないそうなので、これで全ての心臓における治療を全て試みたことになります。

あとはポッチーの生命力の問題です。生きようとする前向きの本人の問題です。


[4449] 【4703回 青年小屋・・コンサート編】 2017-11-01 (Wed)

お待たせいたしました。いよいよ青年小屋名物のオーナーのギターコンサートがはじまります。

飲み放題の日本酒やジャンケン大会の興奮も覚めないのかザワザワしています。

でもギターとハーモニカの音色が聞こえたらシーンとなる・・・はずだと期待していました。

登山客のマナーさえあればピシッと静まるはずでした。

しかし酔っ払い族は「我れ関せず」で、お喋りが続きます。

「飲むときは飲む、聴くときは聴く」がどうしてできないのだろうか?

2〜3曲は弾き語って下さったのですが、ざわめきに耐えきれず、とうとうギターを置いて中座されてしまいました。

悲しいね・・みんな何故静かに聴けないのかっ!何故中座したのか、ちっともわかっちゃいねぇ!

怒りがMAXになった私のズボンの裾をジョンが引っ張り「暴れるな!黙っとけっ!」と制止。

しばらくして気を取り直して戻ってきて下さったオーナー・・・よかった〜神対応や!

「皆さん!静かに聴きませんか?」怒りを押さえてやっと優しい口調で酔っ払いに向けて大声を出しました。

(腹の中は炎の様に燃え、顔は鬼の相だったと思う)

私がコンサートを楽しみに参加した事をご存知のオーナーは穏やかな口調で語ってくださいました。

そして若かりし頃、奥様との出会いを作詞作曲した歌を私達に聴かせてくださいました。

「んっ?雨漏りするぞ・・・な〜んや姫の涙か〜!」

マイクも無く、歌声は窓ガラスに響き、ストーブの薪にも吸い込まれるような音色。

ああ、台風に負けずに登って来た甲斐がありました。来て良かったと思う一瞬でした。心に沁みました。

ジャンケン大会で喉を潰し、少しかすれた声ではありましたがまたそのかすれ具合が良かったなぁ。

そして・・私に向けて「一緒に歌いますか?」と声をかけて下さいました。ジョンがこっそりとお願いしてくれていた模様。

ギターのレパートリーの中から「雪山に消えたあいつ」ちょっと悲しい歌ですがあの場面にピッタリ。

本当はもっと上手く歌えるのですが・・・(笑)緊張して声が出なかったのがザンネンでした。

つい先ほど「静かにせぇっ!」とばかりに牽制球を投げた精か皆さん静かに聴いてくれました。(怖かったのかも)

スタッフの方が「もっと前で聴いたらいかが?」と優しく肩を叩いてくれました。スタッフのみなさん優しいね。

遠い居酒屋の遠い山小屋コンサートは夜の更けるのも忘れて延々と続き、終わりを知らないみたいです。(笑)


[4448] 【4702回 青年小屋・・ジャンケン大会編】 2017-10-31 (Tue)

一度は行って見たかった八ヶ岳・青年小屋。

どの資料を見ても「知る人ぞ知る」と書いてあるのが多い。

何がそんなに知る人ぞ知るなのか興味津々でした。

訪れてみて謎が解けました。オーナー夫妻は勿論ですがスタッフ全員が「家族」の温もりを持っていて太っ腹で居心地がいいのです。

ましてや訪れた日は「ほうとう祭り」のイベントがあり大勢の常連客で賑わっていました。

どんなに混雑していても布団1枚に1人確保。(私達は8人部屋に5人でした)

食事は80人同時にみんな一緒に頂きました。

小屋に在りがちのお盆の上に大きなお皿1枚の盛り合わせではありません。真ん中にドーンとホウトウ鍋がグツグツと。

鍋が煮立つまでは、サラダ、酢の物、それに馬刺しまで出てきました。

馬刺しは「食わず嫌い」でしたが、あんまりみんな美味しいって食べるから目を瞑り食べてみました。

美味しいっ!3切れもペロッ・・食べちゃいました。

そしてテーブルごとにサービスの日本酒一升瓶がドカーンと置かれていました。それも東北地方の名酒ばかり。

のん兵衛にはたまらないのでしょうね。

知らない人とも鍋を通じてすぐ仲間になれました。

食事を終えたら一度片づけのため部屋に戻り、再び「ジャンケン大会はじまりま〜す」の声で再び食堂へ。

あるわ、あるわ、山の様に積み上げられたプレゼントの品々。

オーナーに勝てばプレゼントが貰える、一度貰った人はジャンケン大会は見学に回ります。

それでも時々「ぜんい〜ん!」とチャンスは2度、3度やって来る。

登山用品あり、アルファ米あり、オリジナルTシャツあり、一升酒あり、10キロ米あり、味噌あり・・などなど

持ち帰るのに笑っちゃうようなユニークな重さの品もあり会場は終始笑いの渦。

ジャンケンに敗けてもオーナーの会話を聞いているだけで楽しい!

それぞれが空くじなしでスタッフも含めて全員が貰いました。貰わなかったのはオーナーだけ!

何とも太っ腹なジャンケン大会なのでしょうか。

物が欲しくて集まってきているのではなくて小屋の雰囲気を求めてきている人達が多い様な感じました。

ジャンケン大会が終わったら再び飲み放題・・・

酒飲みにはたまりませんなぁ!

さすが!「遠い飲み屋」の提灯ぶらさげてるだけの事あるわっ!

夜も更けるころ「山小屋コンサート」がはじまりました。

コンサートの様子は明日につづきます。


[4447] 【4701回 台風の影響もなく下山】 2017-10-30 (Mon)

台風22号の襲来予報で「山行中止」も止む得ないかと思っていました。

しかし「突っ込みの姫」は頭を縦には振らず登山口で判断しよう!」と言うことで茅野行きの夜行バスに乗車しました。

宇都宮チームと合流し観音平登山口へ行くと駐車スペースがないほどに満車状態・・・行くしかないよねっ(笑)

紅葉の時期はと言うと麓は綺麗でしたが高度を上げて行くうちに落ち葉に変わっていました。

今回の目的は「青年小屋泊」のため、雨であろうが落ち葉で有ろうが「そんなの関係ないっ!」

登り始めてポツポツと雨粒が落ちてきました。防寒対策の効果も含み早目の雨具装着です。

押手川分岐は青年小屋と編笠山の分岐で迷わず編笠山方面へ。

登っても登っても頂上らしき感じがしなくて何度上を見上げたことでしょう。

登山中に上を見上げ始めたら疲れてきた証拠だと言います。

後ろから「まだか〜?」と声がかかるほど長かったです。

大人しいjunkoちゃんが登山道に向かって「しつこいっ!」って、ぶっ放ちました。「その通り!」

本当にしつこくて細長い頂上直下でした。

頂上で記念撮影を済ませあとは青年小屋に向けてダッシュ・・・

夜の部は明日の書き込みのお楽しみです。つづく


『雨の頂きは

   視界ゼロなれど

      心の視界は360度』


[4446] 【4700回 書込み休みます】 2017-10-26 (Thu)

26日は大阪府警安全教育コンクール(第一方面大会)の応援に行ってきました。

鶴見、曾根崎、港、福島、旭、大淀、西、南、城東、東、此花、都島、天満の13署の警察署で1位、2位を勝ち得た署だけ府下大会に出場できます。

此花署は残念ながら敗退です。

私が出場した時の監督とメール交信をし「残念ながら・・」の報告をしました。

監督もまた「わが署も3位で残念ながら府下大会には出場ならずです。

久田さんとのあの時のような感動はなかなか手にいれにくいですね。」と。

あの時・・入浴中に必死にセリフを覚え、いざ練習に行くとセリフがコロリとグレードアップしていました。

毎回そんな繰り返しをして中身を濃厚にして勝ち得た近畿大会優勝だったのです。

警察署も応援団も選手も一丸となって勝ち得た喜びでした。

いまでもあの時の感動は忘れません。

経験者として、もっと積極的に練習時にアドバイスに通えば良かったと後悔しています。(だって練習日の連絡ないんだも〜ん)

まっ何事も経験だからね。(そう簡単に入賞して貰ってもねぇ‥複雑)


さてさて台風22号に追っかけられる形になりましたが予定通り編笠山へ出発します。

10月27日の夜行バスで八ヶ岳・編笠山に行ってまいります。

山を求めてと言うより「山小屋探検」が主たる目的です。(笑)

体力を目いっぱい使ってガチンガチンに登る山行はもういいかなって・・・。

山の麓に温泉があったり、小屋に魅力があったりを求めて、ついでに山に登るってスタイルもいいかな。

編笠山には私が行きたかった「青年小屋」があり、ついでに編笠山登山です。

「いいねっ!」・・いざGO!

駐車場から4時間で山頂到着です。とは言っても舐めてはいけません。

トレーニングもしました、防寒対策もしました。小屋泊まりと言えど結構な荷物です。

戻って来たらすぐ四万十市の同窓会に出発です。

同窓会は1泊2日なんですが前泊、本番、後泊と3泊4日で行ってきます。

勿論、墓参りにも行ってきますよ。一緒に行ってくれる親戚の同級生がいるしね。

「そんなに留守していいの?」

「いいの!いいの!心配ご無用!」

我が家の冷蔵庫は、すぐ近くのジャスコだから足りないものがあれば買い足せます。

ヤモメ体験もしておかないと私が先に逝って生き残った時大変だからね。練習〜練習!

そんなわけで10月28日〜30日まで書き込みをお休みさせていただきます。

取り敢えず第一部の山・・行ってきます!


[4445] 【4699回 台風22号?】 2017-10-26 (Thu)

え〜〜っ?!また台風?

編笠山の予定あるのに〜っ!

まだ台風21号の復興も出来てないのに追い打ちかっ?

もう荷物も出来て行く気満々で土産まで買ったのに・・・!

4時間チョイの山行なら何とかなるやろっ(日頃言うてることとちゃうなぁ・・スミマセン)

安全が確認されない時は麓でウロウロと言うことにして、まずは茅野までいきまっせ〜!

茅野で宇都宮チームと合流し登山口まで行ってそれからみんなで決めよう!

そういえば空木岳の山行を思い出しました。

大阪と横須賀とでバンガローで合流し一泊。翌朝はジヤジャ降り・・・

朝の大雨で中止の声もありましたが「とりあえず登山口で決めよう・・・」ってバンガロー出発。

登山口に到着してみんなが躊躇っている間に姫がおらんようになった・・・

よく見ると登山口の向こうで「はよおいで〜」と言わんばかりに手招きしてたわ。

ほんま勝手な奴ちゃ。

横須賀のおまつり野郎たちと雨の空木岳、結果的には楽しかったです。

おばけがでると言う空木避難小屋で恐怖のあまり眠れぬ夜を過ごした思い出があります。

大雨は恐くなくておばけは怖いのか?

大雨と台風は種類が違うことは、よぉわかる。

「そんな思いしてまでも」と言う批判の声も、よお耳に入っています。

どうぞ台風の影響なく4時間の晴れ間を私に下さい!

今年最後(って言うか今年の本格的登山は三伏峠だけや)のお願いをどうぞ天の神様お聴き届下さいませ。


[4444] 【4698回 台風21号の爪痕】 2017-10-24 (Tue)

台風21号は全国で5人の死者を出し1人が行方不明となりました。まだ被害は大きくなるかも知れません。

近畿地方では浸水や大規模停電、貨物船座礁などの被害が出ました。

大阪市東住吉区では80代男性が暴風で飛ばされたシャッターの下敷きになって死亡。

ほかにも転倒するなど計9人が重傷を負いました。

大東市も避難警告が出ていたため姪っ子に被害はなかったかと尋ねました。

「ずーっと警報が鳴りっぱなしやわ」幸い水害には遭遇してないらしい。

私の住む此花区も他人事ではありません。何せ海抜ゼロメートル地域ですから・・・。

津波避難は近くのマンションに逃げ込む訓練を繰り返しています。マンションの5階以上に住む人達が羨ましい!

和歌山県紀の川市では紀ノ川の氾濫で多くの住宅が浸水。

紀の川市の貴志川支流があふれ、孤立した住民がボートで救出されている様子をテレビで見ました。

熊野古道歩きの時は静かで水量も少なくあの川が氾濫すると言うことが信じられません。

台風、大洪水など同じ地域が同じ被害に遭う。何とかならないのかしら!

22日は衆議院選挙投票日・・当選してバンザイしてる場合ではありませんぞっ!

すぐに災害対策行動を起こしてこそ公約の実行ではありますまいか!「市民に寄り添った政治を?」チャンチャラおかしいわっ!

22日の投票日が決定するまでは此花区あげての区民まつりの予定でした。

準備を重ねてきた関係者にとっては突然の中止は、悔しくて、悔しくて・・心が大きく荒れていました。

しか〜し、結果としては、あのまま予定通り区民まつりをしていたら、「台風中止」で、もっと悲惨な目に遭っていたと思います。

思わず区民まつり責任者に電話を入れて「大きな声では言えませんが今日が雨でよかったですね!」小さな声では聞こえんちゅうねん!ハハハ

「ありがとうございます。この1本の電話で、分かってもらえる人がいると言うことで私は救われました!」

屋外イベントは天候に左右され本番を迎えるまでハラハラドキドキで眠れないのです。

私も在職中、会社の運動会責任者として毎年実施していました。

前夜に大雨が降り「中止か?」とグランドを見に行くと大きな水たまりがあちこちに出来ていました。

「こりぁ無理でっせ〜!」と言う若者達に「明日はきっと晴れるから・・」

若者達を引き連れて鉄の棒を持ってグランドの水抜きに行ったことがありました。

「こんな状態で、ほんまに晴れるんか?」「口動かさんと手を動かしや〜!」

そして帰りは居酒屋で前夜祭・・・(この支払どの経費で落とそうかなぁ)天候より支払いの方が心配でした。(笑)

晴れる保証なんて何もないのですが気合だけで翌朝の晴天を迎えた時は嬉しかったです。

無神論者の私ではありますが「神様は私達を見捨てなかった」


[4443] 【4697回 大雪山系旭岳の遭難】 2017-10-23 (Mon)

10月18日のことです。

北海道の大雪山系旭岳(2291m)で男女4人が遭難しました。

道警は19日朝、ヘリコプターで4人を救助、旭川市内の病院に搬送しました。

4人は体力を消耗しているものの歩いたり話したりでき、命に別条はないそうです。

道警によると、4人は71歳男性、65歳女性の夫婦とマレーシア人の27歳男性、シンガポール人の28歳女性の4人。

外国人の二人は「ハネムーンで北海道に来た」と話しているそうです。

4人とも日帰りの予定で17日朝に入山。

天候悪化で7合目付近で道に迷い、同日夜に電話で道警に救助を要請しました。

発見されたのは18日午後6時前。

5合目にある「大雪山旭岳ロープウェイ」山頂駅の南東約1、5キロの切り立った沢の斜面で、風がよけられるスペースに身を寄せていたそうです。

ヘッドライトを空に向けて照らして救助隊に知らせて救助を待っていたそうです。

道警の救助隊員が光に気付き、4人を発見しました。

道警によるとシンガポール人の女性は低体温症の症状があり、シートで寝ていたそうです。

救助隊員がテントを張って4人に付き添い、体を温めたり、食料を渡したりして一夜を明かしました。

発見時、現場付近の視界は十数メートルしかなく、積雪は20〜30cm。

道警の担当者は「吹雪が長く続かず、早めに発見できたため、体力の消耗が少なくて済んだのではないか」と胸をなで下ろしたそうです。

今回、遭難した4人は風をよけられる場所であまり動かず、体力を消耗しなかったことも無事に救助された一因。

山岳関係者は

@「まずは迷わないように地図やコンパスなどを準備し、きちんとした登山計画で行動すべきだ」

A迷った場合は「むやみに動くとかえって場所が分かりづらくなる」と指摘。

Bテントや食料など十分な装備が不可欠だと強調。

遭難した原因や救助までの様子を習得し、自分の山行に役立てたいと思っています。


[4442] 【4696回 期日前投票】 2017-10-22 (Sun)

22日の投票日は台風の影響で大雨予報が出ているため期日前投票に行ってきました。

期日前投票制度とは、日本の選挙または国民投票における事前投票制度のひとつです。

公職選挙法48条の2において2003年から設けられた、まだ新しい制度です。

「誰に投票しても一緒や!」と言う人もいます。私もそう思います。(笑)

一応、日本国民として20歳の時から投票を欠かしたことはありません。

午前9時小雨の中、此花区役所に行くと既に多くの区民が投票に来ていました。

応対する職員は、ほぼ管理職・・・休日出勤だもんね。

期日前投票に来た理由が必要で「天候不良」にチェックを入れて、いざ投票場へ。

比例で落選した候補者が小選挙区で復活と言うのに納得のいかぬままではありますが・・・

「消費税の値上げ!、年金のカット、高額の介護保険料」などなど不満は富士の山より高けれど

投票しないで文句言ってもダメだべさぁ!

きちんと投票に行って、それから政治不満を語らねば・・

義務を果たさないで権利の主張はダメだべさぁ〜

選挙の時期になると交流の無かった知人達から「ご機嫌如何?」の電話が鳴ります。

「ああ、また選挙依頼だな」と勘づくほどご無沙汰の人達ばかり。

熱心だわっ!感心するわっ!一応「はい、はい」と答えていますがその通りに投票することはまずない。

人に頼まれたからではなく自分の判断で投票に行きたいものです。

それにしても固定電話の鳴る回数が減りました。

今では勧誘電話か詐欺まがいの電話しか鳴りません。

最近では固定電話を設置しない家もあるとか・・・携帯があるものね。時代は変わりましたね。

私が結婚した時代(昭和44年)は何がなくても電話を引くと言うのが結婚の実感でした。

親から独立して自分の家庭を持ったと感じるのに「電話」だったんですけどね。


[4441] 【4695回 あの人もこの人も】 2017-10-21 (Sat)

まぁよく毎日飽きもせず降り続く雨だこと・・・

雨傘を干しては濡らし、濡らしては干すの連続です。(濡らしたまま置いておくと骨組が錆びますよ)

来る22日は衆議院選挙の投票日、この日は台風の影響でどしゃ降りだとか・・(あくまでも予報)

そもそも22日は「区民まつり」の日でした。会議に会議を重ね、各団体はそれぞれ準備に取り掛かっていました。

突然区役所から一方的に「中止」の通達を受け「えっ?延期ではなく中止?」と耳を疑ったものでした。

延期となると区民まつり当日だけではなく準備のためのグランド確保が5日前から必要らしく、なかなか難しいらしいです。

しかし全国的な選挙が最優先され区民まつりが没となりました。責任者のボヤキ節は天にも昇る勢いでした。

しかし・・・22日が大雨だとすると・・・中止で良かったねと言える日がやって来るっ!悔し涙を流したあの日の事が笑える日が来るよ!

そんな会話を交わしながら職場である梅香殿を出るとバッタリと知人と出会いました。

向いにあるD塗料会社の人で交通安全の警察繋がりの仕事を一緒にした知人でした。

「あの人はいま?」ではありませんがD塗料会社の知人の近況を聞くと「圧迫骨折をして今は車椅子生活」だと・・・

ゴルフやテニス、それにチェロを奏でる趣味多き人でしたが元気な頃しか知らないので全く想像できません。

「そりゃ大変だ」と、その事を昔の仲間であるМ会長に伝えると「じつは私も緊急入院していた」との事。

岳友先生も緊急入院の話をこの間聞いたばっかり・・・

み〜んな古稀前後の人ばかりです。

古稀とは「体の変化があるやも知れず気を付けなさいよ」の勧告なのかも知れません。

私は「口が悪い」だけ。・・いやいや勘違いしないでくださいよっ!

口が悪いと言うのは「歯が悪い」という話です・・・笑

我が家とてポッチーと言ういつ破裂するかも知れない爆弾を抱えて生活しています。不発爆弾の恐怖は毎日味わっています。

11月5日に四万十市で開催される同窓会では参加者全員で古稀のお祓いを受けてから宴会となっています。

70歳を過ぎると誰もが感じ始める体力の衰え。故郷の人は特に老けてる〜・・・(ごめんなさい)

最近また報道されはじめた高齢者による悲惨な交通事故や80歳を過ぎて単独で山に入り遭難する事故など考えさせられることばかり。

老人ホームに入居出来たと安心することなかれです。

老人ホームが経営悪化で倒産し、入居時に支払った金が戻らず次に行く施設に「入れない、金もない」の、ないないずくし・・・

選挙カーで良い事ばかり叫んでいますが何ひとつ信用しちゃあいないぜっ!

若者とて高齢の親の介護で疲れ果てているのです。

若い岳友が「夫婦で介護岳に登っています」と冗談めかして言っていましたがその言葉に愛情を感じました。

「お母さんは幸せなんだろうなぁ」って。羨ましく感じました。

元気な時は独りで暮らしていても病気になったら手を差し延べる理想の親子だと羨ましく感じました。

今日も明日も明後日も、私が元気でいなけりゃ我が家は回っていかないわ!


[4440] 【4694回 遭難シュミレーション】 2017-10-20 (Fri)

山での遭難は自然界相手なので何が起きるかわかりません。100%安全な登山などありえません。

★遭難のシュミレーション
1.転落・滑落したらどうする?(自力行動可能、不可能)
  転倒による負傷(自力行動可能・不可能)病気(熱中症など)による行動不能
   
2.どのように下山するか
  行程を区切り、それぞれ区間のエスケープルート(緊急下山路)を選定

3.緊急時連絡先の把握、書き出し
  複数の通報による情報の混乱を防ぐため、所属する山岳会などへの連絡一本化が原則。個人が自宅などへ連絡は厳禁。
  
  遭難発生時に『誰がどこへ連絡するか』の確認。最低限 以上の事柄は計画段階で決定する

★遭難しないための登山準備
 無理のない計画を立てる。自分の体力を過大評価しない。特に万一天候が最悪になっても行動しきれる(自力下山できる)かを考慮する。

 登山届けを書く。警察だけでなく留守宅へも忘れずに。

 日帰り登山でも、最低限のビバークができる装備・食料と遭難を知らせる通信機器をもつ。服装は派手めの蛍光色がよい。

 気象情報や危険情報をあらかじめ把握しておく。

 たとえツアー登山であっても、「お客様」気分にはならない。

 山では「自分の身は自分で守る」意識が重要。事故が発生した場合のシュミレーションをしておくこと。

 体力をつける。普段からエレベーターを使わず歩いたりジョギングをしたりなど、積極的に体を使うようにしましょう。

 都会で鈍った体と神経こそが、山での一番の危険です。

 そして山行中は、医者が患者を見るような冷静な目で、自分の体調や体力を観察してみましょう。

★遭難したら
 滑落による怪我や道迷い遭難などで「動かないで救助を待つ」ことを選択した時、長期戦になることを覚悟し住環境を整えることがまず第一です。

 動ける範囲で最も安全なところへ移動し、手持ちの装備をフル動員してできる限り雨風をしのげる環境を整えます。

 そしてひとまず落ち着いたら、次にするべきは食料計画を立てること。

1.ザックの中の食料を全て広げる。

2.救助されるまでの日数を計算する。

下山予定日はいつ、予備日はいつで、その翌日に捜索依頼が出てヘリが飛び発見されるとしたら、あと◯日はここで持久戦だetc

 道に迷ってルートを見失い遭難してしまった場合の原則は、「下らない」「むやみに動き回って体力を消耗させない」ことです。

 山で道を失ってしまった場合、人間の本能でどうしても下へ下へと下ってしまいます。

 しかし山では、下ると沢筋に降りてしまう可能性が非常に高いです。そして沢には滝がつきもので、いつしか脱出不可能 な地点まで追いつめられてしまいます。

 そんな、こんなのトレーニングも必要です。


[4439] 【4693回 海老江下水処理場の移転説明会】 2017-10-19 (Thu)

18日の夕方7時から下水道科学館横にある「北部方面管理事務所管理棟」で下水処理場の移転説明会が行われました。

私の住処は3丁目で直接工事による騒音などで悩まされることはないのですが自分の住む町の事ですから出席しました。

処理場には、以前勤めていた会社の機械が納入されている(愛社精神からか?)ので自分も関係者と勘違いしたのかもしれません。(失笑)

出席者はほぼ27号棟・32号棟関係者の様に感じられました。

説明内容は部門別(事業概要、土壌汚染、工事概要、環境監視)など丁寧に行われ、その都度質疑応答を受け付けていました。

さすが大阪市職員と大手建設会社です、専門的且つ住民重視の説明会でした。この説明会をしておかないと住民苦情に立ち向かえないのでしょうね。

27号棟の人達の質問は騒音レベル、工事車両の出入り、防音シートの高層部までの効力、地震による処理場の安全性等質問がありました。

隣の、ちっぽけな建売り住宅の建設であっても完成するまでの騒音はひどいものでした。

丁度ポッチーが手術後、退院したばかりでしたので精神的に参りました。

かと言って中止してくれるわけでもなく「折り合い点」を見つけなければ都会では住んで行けません。

それが嫌なら騒音の無い山奥に引っ越せばいいのです。

「折り合う気持ち」をお互いどこで見つけるかだと思います。

私?もちろん質問しましたよ!

大阪市から事業契約を受けた会社名はわかるが所在地、今後の連絡先等が明記されていない点を質問しました。

時間と費用を費やしている土壌汚染問題は、昔は化学工場の跡地につき想定内だとは思うが如何?、などなど(豊中の森友学園か?)

前向きな質問です。クレーマーではありませんよ。

常々、阪神電車・淀川駅に向かう途中で金網越しに処理施設が見えるので「古い施設だなぁ」と思っているので移転は理解できます。

古いはずです、昭和15年から始動しているのですから。

そんなこんなで地元で起きる変化は、なるべく知っておきたいと思っています。

5年間という長い工事期間ですが説明会で公言したことを守ってもらい安全で安心できる街に変身してほしいと願っています。

第U期工事ともなると私が生きている間に着工することはないと思っています。

説明会を終えて自宅に帰ったら午後9時を大きく過ぎていました。すぐに27号棟に住む岳友に情報伝達の電話をした次第です。


[4438] 【4692回 肌寒くなりました】 2017-10-18 (Wed)

一雨ふる毎に気温が一度さがると言います。本当に寒いっ!

秋風を取り入れていた小窓もピシャリと締め切り、重ね着をしています。

うっかりしていると、こんな時に風邪をひくのです。

今年はインフルエンザの予防接種が受けられないかもとYahoo!ニュースで取り沙汰されていました。

みなさん!予防のためまずは手洗いとうがいをして免疫を作りましょう。

秋の長雨とはよく言ったもので、最近毎日降っているのではないでしょうか。

スズメの看板もあれっきり、これっきり掲示するチャンスが来ないのです。(苦笑)

金木犀は無残に散り、花びらで地面を黄色く染めています。

登山者からは色とりどりの紅葉の様子がFacebookで送られてきています。ウラヤマシーっス!

しかし・・町中でも銀杏の色付きを楽しむことができますよ。

この間歩いた御堂筋も少しだけ色づいていましたし、私の住む町には銀杏並木があるんです。

スーパーでは「きのこの王様・松茸」が並んでいます。

店先に並んだ栗や丹波の枝豆も充分秋を感じることができます。

我が家では松茸抜きの「きのこ鍋」ならできます。今夜は鍋にしましょうかな。

27日から出かける編笠山行きの荷物を早々とリュックに詰めたり出したり。

荷物によってはどのリュックで出かけるか調べないといけないでしょ?

子供の遠足みたいに嬉しくて待ちきれないのかも。まるで子供!

台風が発生しています。またっ?!立山龍王も台風で中止!編笠山も台風ってことないよね?

出発前夜は、もう一度荷物を並べ「山行チェックリスト」で細かくチェックしながら詰め込んでいきます。


[4437] 【4691回 食器棚の大掃除】 2017-10-16 (Mon)

昔は生理の前になると家中の模様替えばかりしていました。

いまはそれも懐かしい・・・

今日は食器棚シートの入れ替えをする気になりました。

生理は生理でも食器整理・・(アッチャーッ!)

まずは不要な食器は全て捨てることにしました。

先日、リサイクルショップから電話があり「食器1枚でもいいので出して貰えませんか?」としつこく言われたのがきっかけとなりました。

自宅に上がり込み、色々物色して問題があると聞いているため「お母さんがいないのでわかりません」と娘の声を出して断りました。

食器棚整理は終活の中で最も時間と手間がかかる分野だと思います。

「去年使かったか?、来年使う予定はあるか?」と自分に問いかけながら処分しました。

45リットルゴミ袋に3個・・・スッキリしました。「ワレモノ注意・陶器在中」と貼り紙をして普通ごみに出します。

熱湯で食器を全て洗い終えるとクッタクタになりました。腰が45度曲がったまんまです。

「何も一度にしなくても」とポッチーが言いたげでしたので2階へ追っ払いました。(笑)

ひとりでコツコツするのが一番です。

昔は結婚式の引き出物と言えば食器類が主流だったため山の様にたまっていたのです。

使わない新品の食器は幼稚園のバザーとやらに役立つらしく、お嫁ちゃんに持ち帰ってもらいました。

来客さえ来なければお茶碗2個、西洋皿2枚。汁椀2個だけあれば充分なんですが。


[4436] 【4690回 スズメのお宿はここじゃない!】 2017-10-15 (Sun)

私の家の一角に最近スズメが沢山戯れるようになりました。

見るには可愛いのですが鳥の糞害が出て近所の方がヒソヒソ井戸端会議をしておりSОSを受信しました。

私も一度バンクズが大量にまかれているのを発見し掃除したことがあります。

一軒、一軒訪ねてみましたが私の一角の住民ではなさそうです。

ある日。。。。だれだか見つけましたよ〜!

ご近所さんが一度注意をしたらしく、その後は少し離れた私の家の一角に移動して撒いていることも判明しました。

そこでいつもパンクズがまかれている所に貼り紙をすることにしました。(ブログに掲載)最初は・・やんわり注意です。

簡単明瞭の注意書きではありますがスズメのイラストを入れたら・・・可愛い(笑)

最近、犬の糞も目立つようになりました。犬を飼う家が多くなったこと!

私の幼少時代、家には猫を飼っていました。目的は屋根裏を走る「ネズミ退治」です。猫にもきちんと仕事があったのです。

では今の犬を飼ってるお家の人達の目的はなぁに?

番犬でもないし(吠えると怒られるしね)、家族の一員としてでしょうね。

ならば・・・糞の始末は飼い主の責任です。あったりまえ!

野放しで散歩に出すはずもないのですからきちんと始末して貰いたいものです。

スズメさんはパンクズを当てにせず自力で餌を見つけて下さい。

見ぬ振りをしているとスズメだけでなくハトやカラスも寄ってきて野鳥園みたいになっては困ります。


[4435] 【4689回 開けてびっくり郵便受け】 2017-10-15 (Sun)

「開けてびっくり玉手箱・・・ではなく郵便受け」

土曜日の朝、郵便受けを開けると何やら郵便物ではないものが入っていました。

「ん?なんだろう?」

出してみると広島名物のお土産らしき品が沢山入っていました。

中には「仕事で広島にいってたよ。八ヶ岳で会いましょう」と書いてありました。

「リジュ君だっ!」

慌ててバイクカバーを外し携帯電話を・・・(まだ近くにいるのならバイクで追いかけようとしたんだと思う)

しかし前夜に立ち寄ってくれたらしく、連絡がついた時には既に宇都宮に向けて走っている所だったのです。

私はメモ魔なのでどんなときにも一筆添える。だから、お土産の中のメモを見た時は嬉しかったっ!温もりを感じました。

それから土産の写真を撮り、共通の友人のジョンに半分持参することにしました。

ジョンのところにも立ち寄ったらしいのですが夜だもんね、事務所のシャッターは降りてるよね・・・

お土産は仲良く二等分しました。ご馳走様でした。

渡したと言う証拠写真はブログに掲載しました。(笑)

●追伸です

レポートに動画を追加しました。もう一度見直して下されば嬉しいです。

@ 10/11山行の満願寺・・・満願寺の写真の右下に「動画にリンク」とわかりやすく朱書きあり。

A 10/5のくらわんか舟・・・石清水八幡宮の下りのケーブルの写真をクリックするとケーブルに乗った気分の動画あり。

B 大阪あそ歩「堂島・北新地編」には舟木一夫の「右左衛門七討入り」の歌を挿入しました。

C 2015年12/24の須磨浦のレポートには「青葉の笛」の名曲を挿入しました。

D 2015年12/24の須磨浦のレポートには「敦盛哀歌」も入っています。

いずれもご当地に合う動画です。動画挿入は手間どりますが振り返った時、とても楽しい気分になります。

「動画撮るときはスマホを横にして撮れっ!」監督からの檄が飛びました。ハイッ!


[4434] 【4688回 アッパレ!ジョン!】 2017-10-14 (Sat)

まずは下記のレポートを見て頂きたいのです。

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1011iwabamanganji.html

何と八十八か所のお地蔵様をぜ〜んぶ並べちゃってる〜!

しかも並べるだけではなくちゃ〜んと寺の名前も入ってる!根気のいる作業だったと思います。

パソコンの前で居眠りする時間も無かったのではないでしょうか。

いつもはワァワァキャアキャア言いながら編集するのですが、この時だけは真剣でした。

真面目に八十八か所巡りをしていらっしゃる人もいるのでエエ加減には載せられないと真剣でした。

まずは阪急山本駅から岩場歩きのトレーニングを済ませ満願寺への参拝となったのです。

満願寺には坂田金時の墓所や弘法大師像、さらには八十八か所のお地蔵様を九十九折れに続く道に等間隔にお祀りしていました。

うっすらとした木立の中なので歩きを止めると、やぶ蚊がブンブン飛んできて、私とjunkoちゃんは立ち止まることなく出口まで歩きました。

ジョンはと言うと八十八のお地蔵様の写真を丁寧に撮り続け出口に出た時は、やぶ蚊に刺されて可愛そうなくらいでした(半袖だもんね・・)

根気のいる作業だったと思います。

編集も大変・・・地蔵様が三十ケ所を過ぎたあたりから、どの顔も同じに見えてくるのです。

私は途中で退散しましたが、そのあとコツコツと仕上げてくれました。

見ごたえがあります。努力の成果が見られます。

四国八十八か所に興味のある人も無い人も目を止めてみて下さると思っています。

人里離れた場所にひっそりと建つ知る人ぞ知る満願寺でした。


[4433] 【4687回 登山シーズン】 2017-10-13 (Fri)

冬山に突入する前の紅葉シーズンともなるとドッと登山者は山に出かけテント場も山小屋も超満員となります。

1枚のフトンに3人なんてのはザラ。私も食堂で寝たり、リュックから雨しずくが滴り落ちる廊下で寝たりと色々経験をしてきました。

年金組はできるだけ平日利用を心がけていますが最近は平日も混雑している傾向にあります。

外国人の登山者も増えました。3000m級の山にその恰好は無いだろうと首をかしげたくなる場合もあります。

山の事故はアルプスなどの高い山だけではありません。低山でも起こりうるのです。


●10月9日滋賀県鷹島町の貴船滝(八ツ淵の滝のひとつ)下流の滝つぼで、男性の遺体を高島署が発見しました。

同署によると、死因は出血性ショックだったようです。

登山中の50歳の女性から「貴船滝付近で人が川の中にあおむけで倒れている」と通報を受け、捜索していたそうです。

見つけた人もビックリしたことでしょうね。

滝の近くでウエストポーチや登山用ストックが見つかったほか、現場から北東に約1キロ離れた「ガリバー青少年旅行村」に乗用車があったそうです。

滑落して頭を強く打ったとみて調査。(ひとりで沢登なんてしてはいけません!)


●10月9日、兵庫県新温泉町海上の山中で、県警ヘリコプターが62歳の男性の遺体を見つけました。

後頭部を打っており、県警は登山道から滑落したとみて調べているそうです。

美方署によると、男性は8日に現場近くの滝を見に行くと家族に告げて出掛けたそうです。

日帰りの予定でしたが9日になっても帰らないため、家族が捜索願を出し行方を捜していたところでした。


遭難の原因で最も多いのは道迷い。

登山道から外れたと気付いても、引き返さずに何とかなると進んで深みにはまったり、焦って沢に降りてしまうケースが多い。

引き返さずに進む・・・私達もよくあることなので深く反省中。

携帯も繋がらず遭難した場所が分からず発見が遅れることも多いそうです。

携帯電話やスマホで撮影した画像を府警に送信する「犯罪・災害画像通報システム」を救助に応用する取り組みも始めました

しかし・・・このシステムは携帯が通じて初めて役に立つシロモノ。

警察地域課は「圏外で同行者に何かあると焦ってしまうが、このシステムを活用すれば早期に発見できる」

「犯罪・災害画像通報システム」の存在を多くの登山者に知ってほしいと警察は多くの登山者に発進しています。

事故現場で電話が圏外ならば、素早く圏外から圏内に移動してSОS!

山岳遭難の傾向として、中高年層(40歳以上)による遭難者が多く約85%を占めています。

40歳以上の方は若いと過信することなかれ、既に中高年層に仲間入りなんですよ。

特に、高齢者(65歳以上)による滑落や転倒による怪我、体調不良といった形態が目立ちます。

だから私達は山行が決定したらトレーニングをするのです。

いきなり本番に向かっちゃあ駄目と言う事なんです。

同行するメンバーとのコミュニケーションも大事ですからトレーニングも兼ねて、反省会と言う名の飲み会も立派な意思の疎通事項なんです。

山行中、些細な事での仲間とのトラブルや遭難事故などに遭遇すれば、せっかく楽しいはずの山登りも悲しい出来事に変わります。

かと言って、単独山行はお勧めできません。(単独山行を自慢とする人もいますが・・)

私達のような高齢登山者は熟練のリーダーのもとに登山を楽しんでほしいと思っています。


[4432] 【4686回 トレーニング山行】 2017-10-12 (Thu)

秋空の美しい晴天の日の11日は阪急山本駅にいました。

岩場歩きのトレーニングを行うために山本から最明寺滝へ。いつ訪れても独特の空気が漂っていました。

中山連山最高峰へは、大峰山・清荒神・中山寺・山本の四方からの登山道が繋がっています。

見覚えのある岩場取り付き点まで着て休憩。秋とは名ばかりで暑い日差しが容赦なく照り付けていました。

ホームグラウンドの六甲山も魅力的ではありますが気分を変えて中山コースもお気に入りのひとつです。

「手を使わないで岩場歩き」ができていたのは過去の話で加齢に伴いバランスが悪くなっています。

「バランスが悪くなっている」ことを自覚することが大切で「昔は登れてた」と過去の栄光にぶら下がっていると事故につながります。

ここはあっさりと認めて中高年は人の2倍努力を積み重ねないと安全登山は出来ないと悟っています。

岩場歩きが目的のため鉄塔まで上り詰めると休憩し、もと来た道を折り返しました。岩場下りのトレーニング開始です。

そもそも「ケーブルで登ってケーブルで降りられる楽ちん登山がしたい」と言う岳友の希望を叶えるための編笠山山行。

夏山の希望は叶えることが出来ませんでしたが紅葉の時期の八ヶ岳に期待は大きく膨らみます。

岩場取り付き点まで戻り、昼食を食べた後、願いが叶うと言われている満願寺に行くことにしました。

満願寺は参道が果てしなく長い立派なお寺で、仁王門は、明治時代のしゃれた円形の門で珍しかったです。

境内に立派な釣鐘が掛かっており100円を入れると自由に鳴らしてもよいらしく、早速鐘を突くことにしました。

ゴーーーーン・・いい響きです。

金太郎のモデルである坂田金時の墓や「四国八十八か所巡り」も出来るみたいで九十九折れに曲がりくねった道が奥の方に見えています。

本当に八十八もあるのでしょうか・・・30分かけて数えて行くと・・・ありました〜。

@八十八と言う数字は人間の持つ煩悩の数で、満願成就すると全ての煩悩が断滅して成仏できる説

A『米』の字に通じるから五穀豊穣を祈る数であると言う説

B男42・女33・子供13の厄年を合計した数と言う説

まっ、私のような無神論者が、ああだ、こうだと話をするより弘法大師と二人で四国八十八か所巡りを歩いてみてはどうでしょうか?

トレーニングのはずが思わぬ歴史探索になり得した気分でした。


[4431] 【4685回 気になる段差】 2017-10-11 (Wed)

階段でも何でもないところで「オットットッ」とつまづきかけた経験はありませんか?

転倒とまではいかないまでも何故こんなところで「オットットッ」したのか苦笑するときが、しばしばあります。

間違いなく加齢に依る身体機能の低下なのでしょう。

ところで最近車椅子でお出かけの人をよく見かけるようになりました。

昔だと受け入れる施設にもバリヤフリーの設備がなく、出掛けたくても不便で、介助の人がいなければ出かけられなかった時代がありました。

ところが最近は施設の受け入れも、車椅子も電動などができて介助者なしで自由に出かけることができます。

バスの乗降も段差の少ないバスの運行もありドア部分で器具を出し入れすれば簡単に車椅子でも利用できるようになりました。

先日の事です。ドライバーさんが降車客の対応に手間取っていると見知らぬおじさんが車椅子用の器具を出してバス停で待つ車椅子の人を車内に誘導しました。

降りる時もスムーズに介添えしておられました。

私服の交通局の人かと思いきや、運転手さんが丁寧に礼を述べていたので普通の乗客の一人だったんですね。

さりげない親切に感動しました。

そして過日に行った石清水八幡宮での出来事です。

ケーブルで登って来た車椅子の団体と介助者の方達が5〜6人が階段のところで四苦八苦していました。

老々介護の見本みたいです(笑っちゃいけないけど・・笑)

誰かが境内にSОSしたのか宮司関係の人が、わんさと出てきて何台もの車椅子を抱きかかえて本殿へと案内していました。

ごくろうさん・・その様子ブログに写真あり。

でも、でも、国宝の石清水八幡宮ですよ。対策を考えなければならないのとちゃいまっか?

車椅子がスムーズに往来できる安全な板を階段横につけるとか・・

車椅子でお参りに来るたびに宮司さんが出てきて介添えするというのも疑問に感じました。

交通安全のパレードの日にはダンプと車椅子のお婆ちゃんが接触転倒し亡くなりました。青信号で渡っていても・・・

悲惨な事故の前に見知らぬ人であっても「危なそう」と感じたらぜひ声かけしてあげてください。

その一言でお婆ちゃんは死なずに済むのです。


[4430] 【4684回 くらわんか舟レポートアップ】 2017-10-10 (Tue)

「熊野古道中辺路コースはまだあった!」

昔の熊野詣の際、高貴なお方は京の都、城南宮に参詣祈念後、船に乗って淀川を下りました。

家来衆や平民は、ひたすら陸地を歩いたそうです。

京で船に乗り、八幡八幡宮に参詣するために一度船を降り、その後再び淀川を下り天満の八軒屋船着き場に到着しました。

そして熊野古道を歩き熊野本宮に向かったとされています。

私達は八軒家から本宮までは制覇しましたが、この度、枚方宿から船に乗り八軒家までの幻のようなコースを見つけたのです。

期間限定・不定期の「くらわんか舟」です。

八軒屋船着場に上陸した御幸一行は最初の船窪王子に参詣後九十九王子を訪ねながら熊野本宮大社を目指していったのです

http://www.hime8kin.net/2017sankokiroku/1005hirakata.html

八軒家から熊野本宮までの全てを歩き尽した私達熊野班は、くらわんか舟運航のコースの存在を知り、即、予約を入れました。

キャンセルできないように料金先払い(銀行振込)・・・さすが大阪商人やぁ!

振り込み料金の安いところは?郵便局?銀行?

石清水八幡宮の参拝をして枚方宿にある鍵屋を見物後、乗船することにしました。

今回は歩行距離が短いのでポッチーも参加です。

少し坂道がつらそうでしたが楽しそうに付いてこれました。

熊野川の船下りほど水が綺麗ではありませんでしたが船から見る陸の風景はなかなかのものでした。

何よりも毛馬閘門の中に入って水位の変化を間近で見られたことが感動でした。

いつも固く閉ざされた閘門を見るだけでしたので扉が開いたときは心が躍りました。

山もいいけど・・・麓にも感動があるのですね。

でもやっぱり・・岩も恋しいし、山も恋しい!

明日は中山寺の岩場にトレーニングに行ってこようかっ!


[4429] 【4683回 熊野古道に反応して】 2017-10-09 (Mon)

「世界遺産・熊野古道」そんなテレビ番組に取り付かれて見入ってしまいました。

吉野・金峯神社から熊野本宮までの120キロの道のりを修行に出発すると言うのです。

2011年の4月、山中7泊8日の行程で出かけた経験上、どのように歩き、どこで泊まるのかと興味津々でした。

私は「おんな」だから五番関結界門から下山し、登り返しましたが男性である修行者達は、そのまま山上が岳へと向かい「西の覗き」で修行。

テレビ画面で気が付いたのですが「女人結界門」の「女」の文字が削り取られていました。

6年前には気にしていなかったのですが誰かのイタズラだと思います。「女」の文字だけ崩れることはあるまいに。

地下足袋と白装束で、時折ホラ貝を吹きながら(山中で吹くのは熊除けだっ・・て・・)見覚えのあるコースを進んで行きました。

あの荷物ではテント装備は持っていませんので有人小屋にしか宿泊できないと思います。まずは山上が岳小屋で一泊。

私達が3か目に通過した弥山小屋でも一泊したと思われます。

ここからが謎多き番組でした。

私達が5日目に無人小屋の深仙ノ宿で泊まった翌日前鬼に向けて下山すると言う人達に余ったお米を頂きました。

テレビでも同じように前鬼に向けて下山し、有人小屋の前鬼の宿で、手厚いもてなしをして貰う場面でした。

この宿のあるじは先祖が鬼だったそうです(笑)苗字も鬼がついていましたわぁ。

ここからが不思議なんです・・・次の場面は熊野本宮の長い階段を上ってゴールなんです。???

苦しい修行の場、まだまだ残ってるでー!

前鬼からバスで行ったんかーっ?それならそれとナレーション入れろよー!と画面に向かって叫びました。

イモトアヤコの登山もそうですが下山方法などには触れていない場合が多いです。

ならばナレーションで事実を説明して貰わないと納得いかないなぁ・・・。

最後の熊野川の川の中を渡り、大斉原の鳥居をくぐり熊野本宮の階段の場面まで放映してほしかったなぁ!

歩いてない?歩いてないのねっ?こりぁまた失礼しましたっ!

2011年の大峰奥駈のレポートです。

http://www.hime8kin.net/2011sankokiroku/110430okugake1.html


[4428] 【4682回 懐かしい写真】 2017-10-08 (Sun)

過日ランチ会をしたときの幼馴染から写真が送られてきました。

小学校4年生の時の写真です。写真には5年生って書いてありますが担任の顔は4年生の時の綾子先生です。

私は背が2番目に高く、その後、成長が止まったのか現在はチビデブと言われています。ハハハ

なつかしいっ〜!不思議と女の子の名前は全部覚えていてスラスラと出てきました。

学校が終わってから友達と遊ぶ習慣がなくて一緒に遊んだ友達は同級生の中にはだれもいません。

それもそのはずです。区域が広すぎるのです。うかうか遊んでいると日が暮れてしまうのです。

家の近くで遊んでいても夕方5時になると父親の吹く笛の音で急いで帰らないと叱られてしまいます。

友達も「みっちゃん笛が鳴っちょるけん、帰ったや」と言われていました。

村の中心に学校があり友達の家は歩いて1時間、分校の子達はもっと時間をかけて通っていました。

家に帰って遊ぶとしたら同じ集落に住む年上、年下の子供たちばかりでした。

それでも50年経って初めての同窓会をしたときはみんな懐かしかった・・・郷愁だけで深く繋がっていたのです。

いまこそ道路はアスファルトになり、曲がりくねった道路はトンネルで真っすぐに修正して、車もある。

あの時代は自転車が唯一の高級乗り物でした。

時折、学校帰りに馬が大八車を引いて通過しようものならみんなで飛び乗って楽ちんさせてもらったものです。

自転車が通過してきたら道路一杯に通せんぼして自転車を停め、後ろや前に乗せて貰った記憶があります。

写真とは不思議な力を持っていてじーっと見つめているだけで心は動画状態で幼き日の事が浮かんできます。

昨日、送別会やら、交通安全やらの集合写真を参加者に送りましたが反応がありました。喜んでくれています。

「うん」とも「すん」とも言ってこないとぼやいたことは取り消します・・・(笑)


[4427] 【4681回 捨てられない症候群】 2017-10-07 (Sat)

ひと雨ごとに秋が深まって行く気配を感じます。

毛布をださなくっちゃあ・・夏蒲団を洗濯しなくっちゃあ・・と思いつつ天気回復を待っています。

衣類の衣替えも昔の様に衣装缶を部屋中に出して入れ替えすることも無くなりました。

アルミ製の衣装缶に代わり、今は透明の引き出し付きのケースが普及しており模様替えもスムーズのはずです。

着物の虫干し・・・あああ何十年もしていないわぁ。着ることないしね。

去年、袖を通していない洋服は廃棄することにしています。多分・・今年着なかったと言うことは来シーズンも着ないと思います。

次が肝心です「思い付きで購入しない」「見た物を欲しがらない」

元気なうちに少しづつ整理して物を減らしておかないと遺品整理する人が大変です。

高齢者の一人暮らしの中にはゴミ屋敷となっていて亡くなってから息子や娘が途方に暮れている姿をテレビで見ることがあります。

「ずぼらで片付けられない」と言う理由もありますが脳の障害も影響している場合があるらしいので、あまり責めないでね。

両親が遠く離れて一人暮らしの場合は電話だけでなく、時々帰省して様子を伺う必要があります。

「電話では元気な声してたのに・・」では後悔します。

私の知人で90歳を過ぎた母親が遠くに住んでおり電話では「元気だ、大丈夫」だと言うので安心していたそうです。

何年ぶりかに実家に帰ると座敷にりっぱな桐のタンスが鎮座していたそうです。

理由を聞くと「親切な人がたびたびやってきて話し相手になってくれた。その人が薦めるので買った」

引き出しを開けると真新しい着物がギッシリ詰まっていたそうです。少し痴呆症があったみたいですが電話では気づかなかったそうです。

驚いて弁護士を立てて返品し現金を回収しましたが半分しか戻ってこなかったそうです。

年金支給日を狙って訪れていたこともわかったそうです。

結局、寂しい独り暮らしの家に言葉巧みに近寄り油断させておいての詐欺行為だったのです。

時折怪しい電話勧誘がありますが騙されないようにしましょうね。

捨てられないと言えば可愛らしい包装紙や可愛らしいお菓子箱があれば「いつかどこかで使うカモ」と取っておいてはいませんか?

この際、み〜んな捨てましょう!

必要に応じて100円ショップに行けば今風の可愛い包装紙売っています。

靴箱をあけて履かなくなった靴にカビ生えていませんか?

そんな靴は歩いていると経年劣化で靴底がパカッと離脱しちゃいます。

私は新しい靴を購入するときは代替として必ず1足捨てることにしています。

しかし・・しかし・・少し高級なスーツはウエストが合わなくても「いつか痩せてやるっ!」と残しています。(矛盾してる〜)

最近、改まった場所に出かけることが増えて何着もあるスーツをどれでも着られるように体系の修正をしなければと思っています。

今更新しいスーツ買う気にもならないし・・・。

しか〜し、「食欲の秋」が邪魔をして思い通りにいかないのが現実です。


[4426] 【4680回 くらわんか船にぜひ乗ってみて】 2017-10-05 (Thu)

枚方公園駅から八軒家までを運航する「くらわんか船」は季節限定の運航で完全予約制。

熊野古道繋がりのメンバー全員とポッチーで行ってきました。

京阪八幡駅で下車し国宝である石清水神社に参拝することにしました。

駅前からケーブルもありますが歩いて30分で境内に到着します。

ポッチーが気になりますが歩けなくなったらその時はその時と覚悟を決め(本人が歩くと言うので)ボツボツ歩いて登りました。

心臓の稼働率は平常の人の50%と言うのは事実の様で登り坂は少し苦しそうでした。

仲間のみなさんの応援も頂いて、途中で何度か休憩を取りながらではありましたが、やっとこさ境内に到着しました。

境内ではケーブルで来られた車椅子の団体が階段で立ち往生していました。

その人達と比べたりしたら失礼ではありますがポッチーは自分の足で歩いて登れたことを感謝しないといけません。

車椅子の団体を神社関係者総出でサポートしていましたが。

スロープ設置いるよね。だって国宝だもん・・それくらいの配慮要るよね!

展望台で早目の昼食。

春は桜、秋は紅葉(この日は紅葉にはちょっと早かった)が楽しめそうな良い場所でした。

下りはケーブル利用で枚方公園駅まで移動しました。

枚方宿にある鍵屋集合で館内を見学の後、船着き場まで歩き「くらわんか船」に乗船しました。

寒くもなく、暑くもなく、降りもせずで、快適な船旅でした。

毛馬閘門の中を通過でき貴重な体験ができました。

4500円の乗船代には鍵屋の入場料と船内のお饅頭とお茶付きで決して高くないと思っています。

川から陸を眺めるのも、なかなか良いものです。

午前中の乗船ならばお弁当付きらしいです(但し乗船料は4500円ではありませんが・・)

八軒家で下船し熊野古道のスタート地点にある「永田屋昆布店」で昆布を購入しました。

出発時、時間が早いため店は閉まっていたためパンフレットを頂いてきた手前、律儀にも、その時の礼に立ち寄った次第です。

山登りも勿論素敵ですが、たまにのんびりと船に揺られるのも心が癒されます。

運航日をネットで調べてぜひお出かけになってはいかがでしょうか。お勧めコースです。

後日レポートをアップしますので参考にして頂き、「いいねっ!」と思ったらお友達お誘いあわせの上ぜひっ!


[4425] 【4679回 さながらバイク便】 2017-10-04 (Wed)

送別会の写真やら、交通安全の写真やらが編集完了し印刷も完成しました。

仕上がりは上々〜。みなさんの喜ぶ顔が早く見たくてGoogleで自宅を探し宅配することにしました。

バイクは便利やぁ・・・道を間違えて一方通行に入ればエンジン停めて押せばいい。

西九条から伝法行って、四貫島行って、酉島まで行ったなぁ。

決して郵便代が惜しいのではありません。早く届けたいだけなんです。

ほんまバイクは便利ですわっ!自転車や車だと、こんな小回りは効かないだろうね。

随分と黒煙を吹いて走っているのがミラー越しに見えて後ろの車にペコリ。

早速写真を受け取った人からの感想メールが届いていました。

『こんばんは!写真どうも有難うございます!雰囲気も良く出ていて良いですねぇ🤗

全体写真も良いですけど、雰囲気は出ないから、これの方が良いですけど‥‥お疲れ様でした!ありがとさん💐』

嬉しいね・・やっぱり「うん」とか「すん」とか反応が欲しい。

何かお知らせをしたら「届いたよ」は言って欲しいね。届いているのか届いてないのか反応が無いとわからん!

今日の苦労は1本のメールで救われました。

5日は「くらわんか船」に乗ってきますね。


[4424] 【4678回 異業種の会】 2017-10-04 (Wed)

健保組合つながりの異業種の会があり3日はその集いがありました。

場所は西梅田にある、ゆば専門店の「梅の花」

運動がてらに45分かけて出入り橋まで歩くことにしました。

途中のドラッグストアで正露丸を購入。糖衣錠のものよりクッサイクッサイ正露丸を選択(臭いから効果ある気がします・・笑)

この日の集まりは49歳、61歳、69歳、82歳と年齢も異業種(?)

1年ぶりの再会につき、まずはお互いの近況報告をしました。

そして私達が加入していた厚生年金基金の崩壊の話、マイナンバー導入の複雑さ、介護保険の話・・・と飲み会とも思われない堅いハナシが続きました。

私達はおかげさまで年金を受給できていますが49歳の彼女にとって年金は雲をつかむように不安だと語っていました。

新規加入の企業がなく健保組合もなかなか大変みたいです。

あとは健康維持のためにやっていることはと言えば毎日ウオーキングをしているらしいです。

82歳の方は少し難聴気味ではありますが元気はつらつでした。ボケ防止に囲碁所に通っているとか。

やはり恐れているのはボケてしまうことの様です。

「身体が元気でもボケてしまっては娘や孫に迷惑がかかる」と話していました。(その通り!他人事ではありません)

自分にできる健康法を見つけて「ピン・ピン・コロリ」を目指して明るく生きて行きましょう。

61歳の彼女は92歳の母親がスマホを始めたと嘆いていました。使い方がわからないため毎日、何回も電話がかかってくるとか・・・

何故今更スマホデビューなのかと問うと10年間使っていたガラケーの携帯が壊れて修理依頼にショップを訪れたそうです。

ところが、既にガラケーの取り扱いがないと言われスマホに切り替えたそうです。

使えないスマホを手に戸惑う92歳のお婆ちゃんを想像すると・・・気の毒だね。一生懸命調べるとボケ防止にもなるし、使えるようになるよ。

92歳のスマホばあちゃんガンバレっ!




[4423] 【4677回 ええっ〜?!】 2017-10-03 (Tue)

驚いたときに使う「オドロキ モモノキ サンショノキ」は私がよく使うフレーズですが今日も又つかいます。

「ええっ〜?!オドロキ モモノキ サンショノキ!」

話せば長く、語れば短いのですが・・・どっちやねん!

毎年行われている大阪府警の「交通安全教育コンクール」の時期がやってきました。

府下64署は優勝めがけて練習に精出している頃と思われます。

此花署も例外ではなく婦警とコンビを組む選手が選出されたと報告をうけました。

私が、もと勤めていた会社の安全管理者が決定したと言うからオドロキなんです。

コンクールの雰囲気も経験もないからOKできたのかも知れません。恐れ入谷の鬼子母神です。

時を同じくして私が優勝したときの指導者からメールを貰いました。

『大阪日日新聞拝見しました。お元気に活躍されている様子、嬉しく思います。

今年もコンクールの時期を控え、頭を痛めている今日この頃です。

いつも感じるのですが、やはり出演者、スタッフがどれだけ真剣に交通安全の想いがあるかで、出来栄えが決まって来ると思います。

それではお互い、府下大会の応援者として再会できればいいですね。』

府下大会で再会するには方面大会で、まずは3位までに入賞しなければなりません。出来るかな・・・?

メールをくれた人は交通課長時代の指導者で、私は選手として方面大会、府下大会、近畿大会へと進み、栄えある優勝旗を此花署に持ち帰りました。

ご褒美に頂いた刃物の町堺の包丁には「美智子」と名前が刻まれており使うたびにあの日の感動を思い出しています。

大阪日日新聞の記事は、きっと過日の「秋の全国交通安全大会」の時の舞台の上でのダンボール車での発表劇の事だと思います。

だれか〜!大阪日日新聞読んだ人いませんか〜?

本来なら所轄の警察官から報告があっても良さそうなものなんですが・・・記事の内容が気になります。見たいなぁ・・・


[4422] 【4676回 朝ドラ終了】 2017-10-02 (Mon)

9月はテレビ業界の年度末で、どの番組もほぼ模様替え。

番組終了と新番組登場との入れ替えであわただしい。

ある実験で寝付きの悪い幼児や夜中に起きる幼児を就寝前1時間はテレビを消して絵本を読み聞かせしたら早く寝付き熟睡したそうです。

最近はとにかく低俗番組が多いし、クイズ番組がやたらと多くなりました。

幼児の実験でも実証されたようにテレビは脳にとってあまり良い影響は与えないと言う事でしょうか。

趣味の少ない高齢者はテレビが唯一の娯楽と言うのもわかります。私もNHkの朝のドラマを欠かさず見ているテレビっ子。

「ひよっこ」は桑田佳祐の歌うテーマソングがすきでした。

毎日聴いているといつしかメロディを口ずさむようになり一緒に歌っている自分がいて、昭和の香りがして好きでした。

最終週になると、まるで自分がプロジューサーになった気分でした。

「記憶喪失は治るのか」とか「レストランに預けた重箱は取りに来るのか」とか「あれから何年で締めくくるのか」とか、とかでした。笑

最終回を急ぐあまり「あれから何年」は、なかったけれど、だいだい私の予想通りの幕の下ろし方でした。

テレビの無い子供の頃は太陽がある間は外を駆けずり回り翌朝太陽と共に行動するパターンでした。

病気?花粉症?大きくなるまで無縁の世界でした。

ところが今は運動会の開会式で「しんどい」と言って教師に抱えられて医務室に行く生徒が数人・・・何と言いましょうかです。

高齢になると自分で自分を鍛えないと、まずは足に来るよ!

80歳でソロで登山をして滑落して死亡しているニュースが最近ありましたが「無茶」はいかん・・・。

「老いては子に従え」ではありませんが、周囲に迷惑かけないように、周囲のアドバイスに耳を傾ける素直な年寄りになりたい。

(だ〜れ?無理って言ってる人は!)


[4421] 【4675回 多忙だった9月に別れを告げて】 2017-10-01 (Sun)

9月のカレンダーで予定のなかった日は、わずか6日間と言う多忙な毎日にやっと幕を下ろしました。

イベントが急きょ中止になったことでホッとしたりしています。(会独自の行事も決まらず・・・)

そんな中30日午前7時出発し西宮の孫の通う小学校の運動会に行って参りました。

少し田舎(ごめん・・・郊外と言うべきかな)なので朝夕がヒンヤリとします。

1年生は赤組、5年生は白組と応援に戸惑いがあるものの個人応援型に切り替えて精いっぱい応援してきました。

昼間は容赦なく太陽が照り付けて暑いの、何の・・・・

あまりの暑さに講堂を昼食場所に開放して貰いましたが、まるで避難所みたいでした。

混雑しすぎて・・・結局炎天下で弁当を広げました。

午後5時30分からは、もと勤めていた会社の若者達による飲み会に誘われていたので西九条に移動しました。

「飲み放題」の店を予約したらしく勘定に悩むことなく時間いっぱてまで安心して飲んでいました。まぁよく飲むわっ!

「時間です」と言われてから20分程居座ったのち「次の予約の準備があります」と追い立てられ隣の白木屋に移動(まだ飲むんかい?)

店員の対応が非常に悪く全員が座れない席に案内され(11人なのに8人しか座れない)どう詰めて座っても窮屈〜、

そのことを指摘すると「ここしかありません!」と逆切れされる始末。

「こんな店は出よう!出よう!」

そして階上にある「笑笑」へ。人数分の席はある〜

ここに落ち着き11名がガヤガヤと。

「2次会プラン」と言う格安の飲み放題があるらしい。みんなよく研究しているわね。

とにかく「飲み放題」でないと勘定時にえらいことになる。

そこへ店員が注文を聞きにやってきて「お客様の履物は靴箱に入れて下さい」と言われました。

「席に案内するときに先に言ってよね・・・」

と、ブツブツ言いながら全員の靴を靴箱に収納。ここまでは良かった。

注文を聞き終えた店員が帰り際に「あのぉ・・私の靴がありませんが・・・」

キャハハハは・・店員の靴も仕舞ってしまったのか。。シマッタぁ〜!

「どれや?どれや?」と11人分の靴箱から店員の靴探しをすることとなりました。

共通して言えることは「接客業の基本がどの店もなってないっ!」

特にチェーン店は接客の教育が徹底していないと痛感しました。(なかには気の利いたスタッフもいるだろうけど・・)

店を出て、まだ飲み足りない者もいるし、いまからミナミへ行くと言う者もいるし、丹波篠山まで帰ると言う者もいるし・・・

とにかくこれ以上は付き合えないと告げ、来年の再会を約束して帰宅しました。

久しぶりにワイワイガヤガヤ懐かしかったです。


[4420] 【4674回 イベント中止】 2017-09-29 (Fri)

秋の交通安全週間も残すは、あと1日となりました。

午前8時から西九条駅で街頭啓発に参加し少し肌寒く感じました。

我が町にはギンナンが多く落ちていて踏むと「うんこ」の臭いがします。

踏んで帰った日には玄関が悪臭で大変なことになります。

早く枯れて悪臭が消えてくれないかなぁ。

そういえば最近はギンナン拾いの人も見かけなくなりました。

衆議院議員選挙が唐突に決まり此花区の大イベントが「中止」となりました。

会議に会議を重ね、関係者を招集して打ち合わせし、80%以上の完成度でしたのに。。。

イベント準備は4〜5日前からグランドを押さえ、テント設営、区域割など多くの準備作業があります。

とても当日参加するだけの人にはわからない苦労かも知れません。

中止となったことで私達も少なからず影響を受けています。

来場者に渡す記念品も取り揃えてしまっています。

区民まつりの代わりの独自のイベントはないものかと思案中です。

29日は地元の中学校の体育大会に行ってきました。

多忙な9月に終止符を打ち・・・そろそろお山に行きたいです。

北海道利尻岳は早くも初冠雪だそうです。

ちなみに10月の末日には念願の山小屋「青年小屋」に行ってきます。

私が行って見たい山小屋なんて言うの珍しいでしょ?

期待を裏切らないでほしいわぁ。

丁度今日が1ケ月前となり茅野までのバス往復予約しちゃいました。

出発前にトレーニングもしておかないとね・・


[4419] 【4673回 同窓会打ち合わせ】 2017-09-28 (Thu)

「雨になったちや〜」「溶けはせんよ!」そんなメールのやり取りを交わし待ち合わせ場所へ急ぎました。

マルビルまで行くと、「声はすれども姿は見えぬ」でしたが土佐弁が交差しておりすぐにわかりました。

「1年ぶりじゃねぇ!元気じゃったかねぇ」挨拶を交わしながらマルビル3階の豆助へ行きました。

ところが11時30分にならないと入店できないとのことです。「なし〜?前の時は入れたのに〜」

すかさず、たかみちゃんが「あの時はみっちゃんが30分遅れて来たけん・・それで入れたがよ」

ああああ・・・待ち合わせ時間の勘違いでそんなこともありましたなぁ。一生の不覚を思い出しました。

30分も待てないし、どこか気の利いた店はないかと大阪在住の私にみんなの目が突き刺さります。

他の人達は(和歌山、姫路、藤井寺、奈良、寝屋川)在住。

しゃあないなぁ・・・バッテラ屋に行こうかと言うことになりその場で店に予約の電話をいれました。

席はあるのですが「静かな席」の予約をしないと会話が聞こえないほど混雑する店なんです。

奥の静かなテーブル席に着いて、まずはおとなしくビールで乾杯。

おおっ!だんだんボリュームが上がってきよったぜよ!

いつ出発して、どこに泊まるかなんて話になると6人6様に話が飛び交います。

みんな故郷には誰も住んではいないのですが思い出が待ってるとばかりに希望を語り、気が付けば隣の席の客は3回転していました。

かれこれ3時間は粘っていました。

呑んで、食って、喋って、ひとり2000円で20円のお釣り〜(ここは美味しくて安いよ)

みんな気にいって「大阪に出てきたときには、又来たい」と名刺を貰っていました。

「別れづらいね・・・お茶しょうか?」

喫茶店を探しましたが見当たりません。

目の前のマクドナルドの2階に6人が座れる場所があると言うことで入りました。

隣にはイヤホンつけて一生懸命勉強している学生がいましたがミサオちゃん曰く「かまん!かまん!イヤホンつけちょるけん聞こえん!」

どのくらい粘ったのでしょうか・・・喋り疲れてやっと解散しました。

11月4日に出発して前泊、同窓会で2泊目、翌日、フリータイムもあり〜のアゲ(打ち上げ)に参加して3泊することに決まりました。

3泊4日・・・行ってきます!お餞別金はいりません。


[4418] 【4672回 体育大会&手作り送別会】 2017-09-28 (Thu)

中学校になると「運動会」から「体育大会」と名前が変わる。

危ぶまれた天候も何とか曇り空で午前中を乗り切りました。

応援する父兄たちにとっては、照り付ける太陽が隠れている方が快適です。

時折グランドを風が吹き抜ける。秋の恵みの風だ。

生徒席にはクラス毎にテントが張られていて熱中症対策は万全です。

みんな楽し気に競技に取り組んでいました。

ぶつちぎりの1位とはいかないまでもニコニコと競技をしたり、放送係をしたりしている成長した孫の姿も見ることができました。

教師の声かとおもうほど太い声・・ニキビもボツボツ出没。

会議の時間があるので午前中のみ見学して事務所へ移動。

役員会、理事会と事なきを得て終了・・・みんなで四貫島へ移動。

送別会上は和菓子屋を営む会員の好意で別棟の喫茶店を貸し切りました。

早速、手作り送別会の準備にとりかかりました。

席順を決めるのにひと苦労・・・いろいろ、しがらみがあるからね。

司会者にはシナリオを渡してあるのでバッチリ!

「熱燗がぬるい〜!75度にしてくれ〜!焼酎のお湯割り〜いや水割り〜」と参加者は結構わがままを要求してくる〜

「ここは居酒屋ちゃいまっせ〜喫茶店でっせ〜」といいながら役員一同汗ダラダラで奮闘。

みんな慣れない仕事が楽し気です(笑)手作り感満載です。

食事も進み、カラオケも大盛況のうちにお開きの時間がやってきました。

最後は姫作詞の「好きになった人」の替え歌で大合唱。

これがまた受けましたねぇ!アンコールの声がかかるほど、我ながらニタリニタリ

これから送別会がある毎に、この歌をみんなで歌おう・・テーマソングにしよう!そうしよう。

名誉保護司の皆さんをお見送りして後片づけ開始です。

翌日の開店に支障をきたさないように丁寧に綺麗に片付きました。

帰り際にお上人様の「良かったよ!」の一言で報われました。

私の送別会の時もこんな温もりのある送別会してくれるんやろか?

それが心配です。ハハハ


[4417] 【4671回 過密スケジュール】 2017-09-26 (Tue)

私のモットーは(大げさやね)1日にふたつの約束はしない主義なのです。

何故ならば、万が一、1つ目の用事が長引き2つ目の約束の時間に遅れたら迷惑をかけることになります。

待つのも嫌い!待たせるのは、もっと嫌い!

それに次の約束が気になって落ち着かないと思います。

ところが、ところがなんです。

27日の予定表を見ると2つどころか・・・4つ!

「午前9時から中学校体育大会」

「午後3時から役員会議」

「午後4時から理事会」

「午後5時30分送別会」となっています。

一体どのタイミングでお昼ご飯食べたらいいの?

中学校の体育大会は来賓として出席するのですが、孫の通う中学校なので応援も兼ねて・・一石二鳥!

と言うことで、早朝からお弁当の準備をしなければなりません。

どの孫にも平等に弁当係したいから・・頑張って早起きします。

大阪の中学校は西宮の中学校の様に校庭で弁当を広げる習慣はないのですが、自宅に戻って食べてくれるでしょう。

事務所の仕事は家で頑張らないと追いつかない・・・引き受けたからには弱音は吐きたくないけど・・結構しんどいです。

事務所のバソコンが自宅のパソコンと同じ機種なので助かっています。(って言うか・・同じ機種を要求したんだけど)

75歳の定年までに若い人達にバトンタッチしたいと焦りますが現役で仕事をされているとなかなか難しい。

現役で仕事をしている人は山へ遊びに行くのも大変そう。

でも仕事があるって羨ましい!だってボランティアと違って、お給料もらえるのですもの・・・羨ましいですわ!

私のお給料は偶数月だけ・・昇給なんて夢のまた夢

昇給どころか介護保険だの何だのと勝手に天引きしはるぅ。

ずっこいわぁ!


[4416] 【4670回 山の事故】 2017-09-26 (Tue)

秋の全国交通安全週間があるならば「山の安全強化週間」もあってもよさそうな・・・

山梨県三ツ峠山というところでロッククライミング中の60代の女性が中宙りとなり防災ヘリで救助されました。

9月22日ロッククライミング中、30m落下し同行の仲間からの救助要請があったそうです。

ほぼ垂直に切り立った岩場で滑落し命綱で宙ずりになっていて意識はあったそうです。

三ツ峠山は河口湖の北西にある開運山(1785m)、御巣鷹山(1775m)、木無山(1732m)の3つの頂上の総評の様です。

屏風岩と呼ばれる岩場はロッククライミングの名所として有名らしい。

岩場の宙ずりは私も目の前で見たことがあります。

それは2013年3月、山神社と言う名のゲレンデで起きました。

岩場が急に騒がしくなり何事かと声のする方を見上げると登攀中の若い女性が頭を下にして、もがいていました。

もがけばもがくほどロープがからまり苦しそうでした。

グループでの登攀下降でしたので、すぐ別のロープをセットし救助に向かい、難無きを得ました。

ドラマを見ている様でした。

素早い救出ではありましたが宙ずりの人にとっては長い時間に感じたのだと思います。

同じゲレンデでその日は大きな岩が落下して当たれば即死状態でした。

いつも利用している人曰く「岩が浮いているのは知っていた。いつか落下するのではないかと思っていた」と話していました。

ならば・・・危険を知らせる赤ペイントを塗るとか、誰もいない時間に訪れて安全を確認したうえで落下させておいてはどうなのかと不信感を覚えたことがあります。

そのことがあってから私は「山神社」のゲレンデにはいかなくなりました。

(宙ずりの写真と落下した岩の写真をブログに載せました)

追伸)穂高連峰の難所と言われるジャンダルムでは岐阜県側に滑落した人がいました。

どうぞ山も陸もご安全に!


[4415] 【4669回 あわやっ!衝突!】 2017-09-25 (Mon)

秋の全国交通安全週間が始まったばかりの日、車椅子のお婆ちゃんがダンプと接触して他界されました。

24日、事故現場の前を通過しましたが何事もなかったように車も人も往来していました。

あの車椅子は撤収され、主を失った車椅子の寂しげな写真が事故の悲惨さを物語っています。

24日の午前10時過ぎのことです。私はバイクを安治川駅方面に走らせていました。

国道43号線と交差する梅香交差点を矢印信号が青の直進を示したのでユニバーサル方面へ。

すると尼崎方面から弁天町方面に行こうとするバイクが私の目の前にっ!あぶなっ!

前輪のタイヤが接触したのではないかと思うぐらいの近距離で私のブレーキが間に合ったのです。

「あほかっ〜!」大声で叫び交差点を抜けましたが私の大声で歩行者が振り向きました。

相手のバイクは赤信号を平気で直進して来たのです。正真正銘の信号無視なのです。

接触すればバイクが転倒して怪我をするところでした。スピードが出ていれば危なかったです。

信号待ちで待機後、発進したばかりでしたので速度も出ていなくて幸いでした。

自分がいくら安全運転であってもバカな相手に出遭うと悲惨な目に遭うのです。

注意しようにも既に逃げるように走り去ってしまい何も言えずでした。

同じことを繰り返さない様に厳重注意がしたかったです。

あんな恐ろしい目に遭ったのは初めてでした。

車は動く棺桶と言いますがバイクは全身剥き出しの身ですのでもっと恐ろしいです。

「じゃあ乗るのをやめますか?」と言われれば、今は私の大事な「足」なのでやめれません。

どこに行くにも車よりバイクの方を重宝しています。

息子の乗っていたバイクなので15年以上前のお古ではありますが私の大切な「足」なのです。

一度、盗難に遭い警察に届けを出しました。

警察は「盗難車両は出て来ないので廃車手続きしましょうか」と言われ頭がカッチーン・・・。

「探してくれる気がないのなら自分で探します」と警察を出て自分で此花区中の駐輪場を探しました。(桜島地区を除く)

すると。。。見覚えのあるバイクが燃料切れで堤防沿いに捨てられていたのを発見したのです。

あの時は嬉しかったなぁ・・だから愛着もひとしおです。サドルも破れかけています。

でも・・でも・・私にとって大事な愛車です。


[4414] 【4668回 雨?それとも延期?】 2017-09-24 (Sun)

運動会の季節となりました。

曼殊沙華も咲き始めています。

そらを見あげれば秋の雲が動画の様に色々な形で楽しめます。

金曜日の午後からのどしゃ降りで土曜日予定の西宮市立の運動会開催が危ぶまれます。

「延期の場合は当日の朝に決定」・・・しかし弁当係としてはハッキリしてもらわんと困ります。

「じゃあ雨が降ったら自宅で弁当広げよう!」予備日の日は会議の予定があり応援に行くことができません。

するとどうでしょう!当日は曇り空ながら雨が止み運動会日和となりました。カンカン照りよりいい塩梅です。

生瀬中学校は900人の生徒を抱えるかなり大きな中学校です。

PTAの人達は運動会そっちのけで違法駐車と歩行者の安全を終日見守っていました。

どんな行事でも大変なのは関係者の方々です。ごくろうさまです。

競技中に1台の救急車が校舎の中に入って行きました。

競技中だれも怪我をした様子はありませんでしたのでひょっとしたら見学者の人かもしれません。気になるところです。

孫のももちゃんは陸上部でカモシカのような長い脚をしておりリレーの選手として出場しました。

第1走者でぶっちぎりの1位でバトンを渡すことができました。本当に「ぶっちぎり!」

2位との間をあれほどに離すと2番走者は楽々と走り、次の選手にバトンを渡し最後までぶっちぎりでゴールテープを切ることができました。

日曜日は西宮の大会に出場するのだとか・・・ガンバレ!

中学1年生・・学校にも慣れてクラブ活動も楽しんでいる様子が垣間見れました。


[4413] 【4667回 私が見た事故】 2017-09-22 (Fri)

21日「秋の全国交通安全大会」後のパレード中に見た事故が気にかかりニュースを検索してみました。

「車いすの95歳女性、はねられ死亡」こんな見出しを産経新聞で見つけました。

『21日午後3時10分ごろ、大阪市此花区梅香3丁目の市道交差点で、車いすで横断中の95歳の女性が大型ダンプカーにはねられた。

この女性は車椅子ごと転倒し、搬送先の病院で約6時間半後に死亡した。

大阪府警は、ダンプカーを運転していた52歳の男性を自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)容疑で現行犯逮捕。

容疑を同致死に切り替えて調べる。

此花署によると、現場は信号機のある片側3車線の交差点。

女性は横断歩道を渡っており、歩行者側の信号が青だったとの目撃情報が複数あるという。

逮捕された男は調べに対し、前の車が止まったため交差点内でいったん停車し、再び発進した時に接触したという趣旨の説明をしているという。』

そういえば壊れた車椅子の傍に大型ダンプカーが停車していました。あれが事故車両だったんです。

ダンプの前に廻り損傷の跡を探しましたが傷らしい傷はありませんでした。

ダンプカーにとっては車椅子が当たったぐらいでは無傷なのかと怖くなりました。

私の背丈が150p、車椅子だと座った状態になるので、高さが半分くらいになると思う。

あのデッカイダンプの運転席から、お婆ちゃんの車椅子姿は、はたして確認できるのでしょうか?

確認出来ないから事故がおきたのですが・・・

(事故に遭った車椅子の写真ブログに掲載・・周囲の警官多数が事故検証を物語っています)


[4412] 【4666回 無事おわりました】 2017-09-22 (Fri)

MBSのアナウンサー「松井愛さん」が来場すると言うだけのことあって、わんさと来場者があり会場がほぼ満席。

やっぱり芸能人(アナウンサーは芸能人ちゃうなぁ)・・を呼ぶと会場が賑やかです。

今年はダンボルギーニに似せたダンボール車を作りアッと会場を沸かせました。

最前列に座っている警察署長、消防署長、市会議員、地域役員の皆さんが笑ってる〜

よっしゃ〜!この調子や・・・手応えを感じた一瞬でした。

最後は会場のみなさんと一緒に「此花は今日も無事故だった」を歌いました。

大会終了後、昇陽高校プラスバンドを先頭にダンボール車のパレードにも参加しました。

「おれが・・」「俺が・・」とダンボール車に乗る候補者が続出したのには笑ったよ。

それでは・・・途中で交代して貰うと言うことで商店街を練り歩きました。

想像以上に受けたね。

見知らぬおばちゃんが肩をたたいて「あんた!楽しませてもろうたで」とエールを送ってくれました。

やっぱり反応があると言うのは嬉しいものです。

ゴールではダンボール車と記念撮影したり・・もうボロボロになってしまいました(笑)

10月の区民まつりまで警察で保管して貰うことにしています。

交通安全パレードの帰り道、四貫島交差点で壊れた車椅子の残骸と地面に落ちている血の塊を見ました。

たったいま安全宣言しての帰りなのに悲しいね。

どっちがどうなのかわかりませんが怪我をしているのは事実。

無残に潰れた車椅子が痛ましい事故の様子を物語っていました。

警察車両も沢山出動し処理中の横を複雑な思いで帰ってきました。

あんな見通しの良い広い横断歩道で・・・署長や区長の眉間に苦悩の大きなシワが・・・・

軽い怪我ならいいのですが・・・回復を祈っています。


[4411] 【4665回 秋の全国交通安全運動 】 2017-09-21 (Thu)

秋の全国交通安全運動がはじまりました。

9月21日から30日までの10日間です。

●重点その@子供と高齢者の安全な通行の確保と高齢者の交通事故防止

★ 子供の交通事故・・歩行中の事故原因の約3割が「飛び出し」です。

  ドライバー⇒急な飛び出しなど危険を予測した運転が必要です。

  こどもは⇒青信号で道路を渡る時も周りの安全をしっかり確認しましょう。

★ 高齢者の交通事故・・死者の約7割が歩行中や自転車乗用中です。

  ドライバー⇒速度を控え、高齢者の動きをしっかり確認しましょう。

  高齢者は⇒通り慣れてる道路でもしっかり安全を確かめましょう。

★ 高齢者運転の交通事故・・事故件数、死者数、負傷者数すべて増加しています。

  ドライバー⇒運転に不安を感じたら免許自主返納を検討しましょう。

  ご家族は⇒免許自主返納について話し合いの場を設けて下さい。


●重点そのA夕暮れ時と夜間の歩行中・自転車乗用中の交通事故防止

★夜間の交通事故・・夜間の死亡事故の約5割が18時から21時に発生しています。

  ドライバー⇒進路前方の安全確認、右から横断してくる歩行者ゃ自転車に注意。

  ドライバー・自転車⇒暗い感じる前に早目のライト点灯を

  自転車・歩行者⇒夜間は明るい色の服装を着用し反射材を活用しましょう。


●重点そのB全ての座席のシートベルト、チャイルドシートの着用徹底

  後部座席のシートベルト着用率(一般道路32,4%)(高速道路50,9%)

  チャイルドシートの使用率69,0%


●重点そのC飲酒運転の根絶

  酒酔い運転⇒5年以下の懲役または100万円以下の罰金

  酒気帯び運転⇒3年以下の懲役または50万円以下の罰金

●大阪重点・・二輪車の交通事故防止

  死亡事故の約8割が排気量125t以下

  対向から来る二輪車は、その速度が実際よりも遅く感じられ距離も遠くに見えがちです。


私達は安全週間の間に街頭啓発に出て上記のパンフレットをお渡ししています。

お渡ししきれなかった人のために転記しました。ご家族で読んで頂けると嬉しいです。

21日午後2時、区民ホールにて安全宣言大会が開催されます。


[4410] 【4664回 此花名物ゴミ焼却炉はいま】 2017-09-20 (Wed)

「清掃局の清掃をぜひ!」

此花区舞洲には、やたらと高い煙突のモダンな西洋の建物「舞洲スラッジセンター」と「環境局舞洲工場」があります。

どちらも作者はオーストリア出身の芸術家のフンデルトヴァッサー氏 のデザインで当初は珍しくて見学者が多く押しかけていました。

私が訪れた日は祭日のため見学者たちはいませんでしたが(事前予約必要です)外観を見て驚きました。

第一声が「もったいないなぁ・・・!」でした。

美しいはずのモダンな建物が幽霊屋敷の様に雑草が生えています。

もう何年も手入れしていない様に見えます。

美しいカラフルな西洋の建物一面に蔦が絡まり雑草の宝庫です。

蔦は見た目は美しく見えますが伸び続ける根は壁の隙間に入り込み、雨漏りの原因となるのです。

自宅の壁に蔦が絡まっているお家は、いますぐ処分をお勧めいたします。

♪♪ツタのからまるチャペルで祈りをささげた日〜♪♪」なんて歌もありましたが・・・。

いくら自然環境との融合をイメージしているとは言え異常です。

伸びすぎた樹木、玄関屋根に乗っかっている枯れかけた雑草、害虫たちの恰好の住処になっていそうです。

もう少し手入れがいるのではありませんか?

大阪市内から収集車で運ばれてきたごみは、巨大なクレーンで焼却炉に投入。

粗大ごみは粉砕機で細かく砕き、鉄やアルミを取り除いてから焼却されます。

焼却温度は約900度で、ごみは約5時間で完全に灰になります。

灰の量は1日約180トンで、そのまま埋立地に運ば れます。

ごみ焼却で出たガスはフィルターでろ過し、更に薬品などで完全に無害化してから煙突から排気します。

ところで「分別ごみ出し」守っていますか?

生ごみとプラステックなど、ごちゃ混ぜに捨てている人はいませんか?

私はティッシュペーパーの箱の上の部分のビニールさえも剥がして分別しています。

私は分別については完璧な協力者だと思っています。(笑)

分別がわからない時は清掃局に問い合わせをしています。

ご近所さんも分別について私に尋ねてくれます。わからない時は分別冊子をみて答えるようにしています。

「ひとりぐらいええやないか〜」これが一番厄介です。

これほどまでにして協力しているのに・・・幽霊屋敷みたいになっているゴミ処理場を見ると悲しくなってしまいます。

「分別しても行き着くところ、処理方法は一緒やないか!」とおっしゃる方は一度予約をして見学に行って見て下さい。

って言うが決められたことは家族全員で守りましょう!


[4409] 【4663回 水没から車を守るには】 2017-09-19 (Tue)

台風被害はありませんでしたか?

大洪水。地震と地球は私達に何かを警告している様に思えてなりません。

テレビで台風情報を見ていると水没し身動きできない車をよく目にします。

朝の出勤時は何事もなくて通過出来ても復路には状況が変わり道路が陥没している場合があります。そんな場合どうしますか?

「ええいっ、これぐらい大丈夫だっ!行っちゃえ〜!」が惨事のもとになります。

冠水した道は「「冠水路には入らない」を徹底することが大前提です。

『車を水没から守る5つの鉄則』

●その@ やむをえず入る場合は「ゆっくりと」が鉄則

冠水路を早くこの状態から抜け出たい気持ちは理解できますがも、どうしても冠水路を走るときは「極力ゆっくり走り抜ける」を徹底しましょう。

これはJAFが実際にテストした結果、冠水路を走行する場合は速度を上げて一気に走り抜けるよりも、ゆっくり走ったほうがエンジン停止のリスクは小さかったそうです。

速度を上げると、車両が跳ね上げた水が吸気口からエンジン内部に入り、エンジンが停止、故障、あるいは損傷することになります。

●そのA アイドリングストップはオフに!

道路に貯まった水がエンジン内部に入ってくるのは、吸気口からだけではありません。

車両後部のマフラー(排気管)を通って入るケースもあります。

●そのB 緊急脱出ハンマーの位置を確認しておく。

JAFの実験によると、水深60cmに達した場合、水圧でドアの開閉には5倍以上の力が必要となります。

ミニバンのスライドドアのほうがドアが開きづらくなることがわかっています。

こうした場合に有効なのが「緊急脱出用ハンマー」です。緊急脱出用ハンマーの常備が推奨です。

●そのC 脱出したら来た道を戻るべし!

もし車が停止して車外への脱出に成功したら、「来た道を戻ること」を優先させましょう。

何が落ちているか、路面がどうなっているかわからない道を歩いて避難するよりは、戻る方が安全性は高くなります。

●おまけのそのD

冠水して止まった車のエンジンはかけない

いったん水に浸かった車両は、エンジンをかけたりすると破損が深刻化したり、感電したり、発火する危険性があります。

水に浸かった車両は自分で移動しようとせず、どうしても動かさねばならない緊急時は消防署へ、そうでない場合は最寄りの修理工場へ連絡しましょう。


[4408] 【4662回 台風一過】 2017-09-18 (Mon)

珍しく鮮明な夢をみました。

夢を見ても「こわかった」とか「おもしろかった」

などの残像はあっても内容はうすぼんやりしていて記憶にないのが「夢」だと思っていました。

ところが昨日の夢はあらすじがハッキリしているのです。

『山小屋に到着し、みんなを代表して受付をしている自分がいます。

受付を終えて、振り向くと仲間達はどこかに行ってしまっているのです。

周囲を探しても見つからず途方に暮れている私』

現実として今迄そんな場面に遭ったことは一度もないのに・・・・

原因追究するとすれば就寝前の「カミナリ」だったかも知れません。

耳栓の代わりにヘッドホンをつけ「山の歌」を聴きながら目をつぶりました。

きっとカミナリの怖さと山の曲が引き起こしたのだと思うことにしました。(笑)

朝起きると頭が少々・・・重いです・・・・

台風18号は日本海に北上しました。そして再び北日本に再上陸する見通しらしいです。

今後は温帯低気圧の性質を帯びるため、暴風域や強風域が急速に広がるおそれがあるそうです。

18日の夕方にかけて、北日本や北陸では非常に激しい雨や猛烈な雨が降って大雨となりそうです。

台風一過の大阪では晴れるのですが、30度の暑さが戻って来るらしいです。

被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。

テレビ映像を見ていると、ひとり暮らしのお年寄りが多く、不安だから早目に避難場所に来ている人が多かったです

独り暮らしでなくても怖いのですから、お年寄りが不安になるのは当然です。

避難場所にいると、ほかの人達の動きがありザワザワして気がまぎれるのです。

日頃から訓練を受けて地域防災に従事している地域の皆さんの活躍が期待されるところです。動いてくれたかな?

声を掛けるだけでも心強いものです。

そういえば母と二人で台風の夜を迎えるのが恐くて近所に住む従兄妹夫婦に泊りに来て貰っていた記憶があります。

雨戸に戸板を打ち付けて蚊帳を吊って貰いました(蚊帳はカミナリ除けのおまじない)

竹林が庭先にありザァーッと言う竹独特のシナリ音が怖くてこわくて・・・竹がシナル度に瓦を一枚づつ剥ぎ取られて・・

母に「竹なんか切ってしまえばええのにっ!」と言うと「地震の時はあの中に逃げると助かるし筍はうまいしね」と言われたことを思い出しました。

12歳までの記憶しかないはずの母の言葉が時折り鮮明に蘇ります。

高知県は台風の通り道‥被害がなければいいのですが・・・。