[6612] 【7658回 古巣訪問】 2024-05-29 (Wed)

退職して16年ぶりに勤めていた会社を訪問しました。

過日、女子社員たちからお食事会に誘われて参加した時「会社にも来てくださいね」と言われており実現となりました。

私が勤めていた時からの社員はほとんど丹波篠山の工場に移り本社には営業と総務と一部の製造課が残るのみとなっていました。

守衛室にまず声掛けをして5階の総務から伺いました。あれれ?エレベーターが新しくなってるぞ〜。

5階の総務部は以前透明のガラスだったのが今はスリガラスとなり中は全く見えません。

女子社員と話をしていると新しい社長が外出先から戻って来られて挨拶を交わすと「お噂は聞いています」とのこと。ハテ?どんな噂?

次は4階の設計部門へ。いた・いた〜知ってる社員が中から出てきてくれました。

そして3階の営業部へ。みなさん営業に出掛けててひとりだけに挨拶を済ませ2階へ。

2階に行くと席にいた社員が全員起立して待っていてくれました。

どうも5階から「今から久田さんが行くよ〜」と連絡が入ったみたいでした。(笑)

でも気持ちいいねぇ!歓迎を受けて16年ぶりに思い切って訪問して良かったです。

知らない社員もいましたが社員旅行や社員運動会を一緒に味わった若者達がいまや中堅どころとなり家庭を持ち子供もいるらしい。

我が子の成長をみる様で嬉しかったです。

私に遅刻や服装の乱れを注意されていた若者達は立派に成長していることに感慨深い思いでした。

「次はまた16年先にお邪魔するね」と言ったら「16年先にボクはここにはいませんよ」と言われました(笑)

私が16年も先に元気で生きてる事はないなぁ・・古巣とはいいものですね。


[6611] 【7657回 久しぶりの再会 】 2024-05-28 (Tue)

在職中に異業種の集まりである健康保険組合の理事会仲間がいました。

驚きなんですが退職して16年が経ちますがいまもなおお付き合いが続いています。

「小町会」と言うグループを組情報交換をしています(退職したら参考にはならない事ばかりではありますが)

メンバーは健保組合職員から2名、企業から2名、私の5人グループです。いまは主に食事会と化しています。

誘って貰えるうちが花だとソワソワと出かけている自分が面白く見える時もあります。

グループ名が何故「小町会」なのかと言うとメンバーの中に「ONOさん」と言う人がいて「小野小町」から名付けました。単純だけどわかりやすいでしょ?

5月17日久々の呼び出しでホテル阪神・中国料理「虎香」で集合です。

午後1時40分しか予約が取れないと言うのにみんな午後1時には勢ぞろい。

店の中を覗くとガラガラの空き〜空き。少し早くついたことを告げると「どうぞ」と案内されました。

互いに年は重ねているものの同時の話に花が咲きアッと言う間に最後の料理が出てきました。

「2時30分ラストオーダーです」と言われたので護摩団子を頼むとメニューに無いと言う(えっ?そんなはずないのに・・・)

振り向くと案内譲5人がズラリと並んで立っているではありませんか「早く帰れってこと?」

デザートとコーヒーもそこそこに外にでると即入口のドアが閉まり照明が消えました(大笑)

フロアーでしばしお喋りをして解散しました。

「お誘いを受けたら喜んで外出する」・・・これは奈良に住む幼馴染に見習っての行動です。


[6610] 【7656回 フェイスブックの反応】 2024-05-27 (Mon)

フェススブックは個人的に友達申請をして合意の上で繋がっています。

しかし一般向け投稿もあり「高知が好き」そんなグループを見つけ懐かしさもありイタドリの写真を投稿しました。

ところが「高知が好き」すぎてなのか1日で286人ほどの書き込みがありそれにいちいち回答していて疲れました。

皆さん全て高知を愛していると言うことがわかりました。幼い日に高知で育った環境は私と共通しています。

イタドリの名前もスカンポやゴンパチやイタズリなど色々教えてくれました。

でも286人に回答をするのに正直・・疲れました。

猛スピードに怖くなり「高知が好き」のグループから退会してやっと落ち着きました。スマホ依存症にかかるところでした。

コメントを書いてくれた人には返事もしたいし、あまりの人数に驚きました。

それほどに高知が好きという人が多いと言う事でしょうか。

食用のハスの話(標準語ではリュウキュウと言う)の話も書いて下さり高知県人にしかわからない内容ばかりで楽しかったです。

入会してすぐに退会してごめんなさい。反応してくださった皆さん、何か冷やかしたみたいでごめんなさい。

決してイタズラではなかったんです。でもあまりに反応が多くて、怖くて、戸惑ったんです。年寄りはついていけないシロモノでした。

私のホームベージを訪れて下さる人は286人もいません。

しかし顔も知らない人が何百人いるよりも私を知って下さる20人の人の方が貴重で大切だと思っています。

パソコンが潰れたら続投するかどうか決断せねばなりませんがいまのところコツコツと続けたいと思っています。

どうぞ末永くごひいきにお願い致します。


[6609] 【7655回 今日から自由】 2024-05-26 (Sun)

22年間の保護司を定年退任して肩の荷が軽くなりました。正直寂しさが無いといったらウソになります。

保護司の証もバッジも返却しました。もうフツーのオバチャンに戻ったのです。

観察所から名誉保護しとしてのバッジが間もなく届くはずです。

名誉保護司としての仕事は何もありませんが若い保護司会の皆さんの応援隊と言う立ち位置でしょうかね。

「口は出さず、手も出さず、さりとて出す金も無し」これが名誉保護司の私の作った会則かな(大笑)・・う〜ん名言やなぁ!

勤務のお伴をしてくれた古いバイクもいつ潰れても可笑しくないほどの老婆車となりました。

まもなくバイクも役目完了となりましょう。今までは酉島の端から西九条の端までバイクが活躍してくれました。

息子が乗っていたバイクなので相当古いですが良く走ってくれます。「すぐ来てっ!」と言われた時には超スピードで走ってくれました(制限速度内ですぞ)よく動いてくれました。

以前に警察署の駐輪場で警察官が3人、私のバイクを取り囲んでいました。理由を聞くと懐かしい型でよく走るバイクだと話をしておられたことがあります。

動かなくなったら廃車手続きを取り免許返納の手続きをしたいと思っています。

私の家はバス、電車、タクシーなんでも利用できます。(地下鉄だけが無い)バイクがあればそりゃあ便利ですよ。

百名山を制覇するために買ったフィットも高齢者の交通事故が多発するので手離してしまいました。百名山も達成したしね。

自転車はありません。自転車に乗るのなら歩きます。自転車は事故を起こす加害者になっても被害者になっても悲惨な人生へと変わります。

しかし年末の大量の買い物は困るなぁ・・・(今から心配せんでも良いかな)


[6608] 【7654回 退任式・総会・懇親会】 2024-05-25 (Sat)

観察所の式典から帰り同じ日の夕刻よりユニバーサル近くにあるホテルで総会と懇親会があり保護司として最後の出席となりました。

今迄は議案を取り仕切る側に座っていましたが今回は説明を受ける側に座っており息子や娘の成長を見守る気分です。

引き継いだ役員達にとっては初めての総会です。粛々と議題を消化し難なく進めていきました。流石です。

議案書も色々工夫がありコピーではなく印刷なのでとても綺麗です。

その後懇親会に移りました。今回から議員団、町会役員の皆様も招待するとの斬新な考えで私達の時には考えも及びませんでした。

乾杯のあと、会員の皆さんのテーブルを廻り、ひとりひとりお別れの挨拶を済ますことができました。

名誉保護司の皆様とも親しくお話できました。来年からはお仲間入りさせてくださいと・・・笑

「あんたの最後やから来たよ」と言って下さる名誉保護司さんもいらっしゃいました。体調の悪い中を有難かったです。嬉しかったです。

ご出席の方々ともきちんとお話が出来てお別れが言えたことが何よりだと思っています。

此花地区保護司会の今後益々の発展と犯罪の少ない此花区でありますように祈っています。

私を支えて下さった多くの皆様にも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

理事が一丸となって動き見ていても気持ちが良くとても素晴らしい総会と懇親会でした。

場所もユニバーサルの一角にあるホテルで雰囲気も良かったです。

但し・・各テーブルに挨拶に廻っていてほとんどの料理を口に運ぶ暇がなかったのが惜しかったです・・・食いしん坊姫だね。


[6607] 【7653回 法務大臣感謝状伝達式】 2024-05-24 (Fri)

2002年5月25日拝命〜2024年5月24日退任(保護司としての任期です)

5月24日シェラトン都ホテルで法務大臣感謝状伝達式があり退任保護司が対象となります。

大阪府下の定年の保護司と配偶者、各保護司会会長、観察所長はじめ連合会関係者で厳かに式典が開催されます。

受付で保護司バッジと保護司の証を返却し胸に大きな赤いリボンを付けてまるで小学校の入学式みたいな気分になるでしょう。

5月25日からは名誉保護司として細くて赤い糸は繋がれており、今後は懇親会や日帰り研修会へはお招きいただける身分に変わりました。

大臣感謝状伝達式には我が会の会長も同席してくれます。卒業生の保護者みたいな立場でしょうか。

観察所の会議で会長になった当初は女性だと舐められては困ると質問攻めをしたことが懐かしいです。

代表者会議ではせっかく出席しているのですから質問を繰り返しました。

懇親会では「此花区ってどこにありますか?」と聞かれ「私の自宅の庭がユニバーサル」と答え笑いを取ったことも懐かしい〜(此花区を知らないなんて・・・!)

まっ、女性の少ない会長会でしたので珍しかったのかもしれません。質問攻めでうるさかったかも知れません(笑)。

そしていま、大阪保護観察所では珍しい50歳台の若い会長就任で(他区は70歳超えが多い)で好奇の視線が集中していると聞きました。

注目されるという事は頑張り甲斐があるという事です。成長できるという事です。

昔、皇室の島津貴子様が「私の選んだ人を見て下さい」と言って旦那様を紹介しました。

私も言いましょう「私の選んだ会長を見て下さい」と。自信をもって選んだのですから期待に応えてくれることでしょう。

退任の日に開けようと大切に残しておいた藍綬褒章の記念品ボンボニエール(金平糖)の封を切りました。この日の記念に味わいたいと思います。   


[6606] 【7652回 最後の勤務】 2024-05-23 (Thu)

5月23日、保護司会事務所の最後の勤務日を迎えました。立つ鳥は跡を濁さずと申します。

掃除機をかけて拭き掃除をしてサポートセンターとのお別れ儀式をひとりで粛々と済ませることに致します。

最後の日誌となるページには企画調整保護司の皆様への感謝の言葉も書き添えました。

家主でもある此花会館/梅香殿の皆様にも挨拶を済ませました。

思い起こせば・・・(振り返りが好きやねぇ)

平成23年秋の市長選挙により、市長が交代。

大阪市の市政方針が変更され、「ボランティア的団体への会議場の提供、事務支援の打切り」がありました。

区役所から追い出される形となり、事務所探し、事務所の準備などてんやわんやした事が脳裏に浮かびます。

そのころの保護司会はパソコンを使える人も数人しかいなくて昭和時代真っ盛りと言った感じでした。

(みなさん企業では役職者ばかりなのでパソコンは部下に命じた時代)

私もパソコン音痴のひとりでしたので「これではあかん!」

事務所と同機種のパソコンを自宅用に購入し「一太郎」から「ワード&エクセル」への勉強を始めました。

教えてもらったことは逐一帳面に書き残し同じ質問を2回しないように気を付けました。

いま思うと何と幼稚なことばかりメモっているのだろうと・・・・しかし初心者はそんなもんです。(今だから言えるのよね)

お偉い先輩が定年退任の時「あんたに任したで!」と肩をポンと叩いて去って行かれました。

えーっ・・・!?引継ぎはどうするのですか!?

色々ありましたが今思い起こすと懐かしいです。年配の方たちの叱咤激励があったから今の私があるのだと感謝しています。

そしていま最後の勤務を終えて鍵を返却し事務所を去る時「もうここに来ることはないんや」と思う寂しい気持ちで複雑です。色々ありがとう!


[6605] 【7651回 保護司振り返り】ラスト 2024-05-22 (Wed)

ほぼ思いつくままにザックリとではありますが保護司生活を振り返れたと思います。

これで惜しみなく保護司を卒業できそうです。23日は最後のサポートセンターの出勤となります。

お世話になった梅香殿の皆様にお礼申し上げたり私物の撤収などを済ませてまいります。

5月は22年間のけじめとして「保護司の振り返り」を書いてまいりました。退屈に思った方もいたのではないでしょうか?

本当は保護司の人達に全員読んで頂きたい思いはありますが、みなさんお忙しい方達ばかりだから無理かも知れません。それに長編だしね。

サポートセンターの誕生を知る資料にもなり今後の参考になればと去りゆく老婆の「バトンタッチ物語」として書き綴って参りました。

これでスッキリと気持ちの整理がつきました。思い残すことはありません(遺言みたいやな)

書き残したこともまだまだありそうですが卒業の日が迫って参りました。

此花地区保護司会は若年層で運営する大阪保護観察所の見本の保護司会となりますように祈っています。

「温故知新」・・・私からの餞(はなむけ)の言葉です。

温故知新とは「過去に起こった出来事や教えをよく調べて学び、そこから新たな知識を得る」という意味を持ちます。

ではみなさま、ご機嫌よう〜。


[6604] 【7650回 保護司振り返り】其の14 2024-05-21 (Tue)

社会を明るくする運動で私が会長としてかかわりのあった6年間の歴史は下記の通りです。

2016年・・「立ち直りを考える」講師は観察所
2017年・・「地域の子育て」講師は観察所
2018年・・ちんどん披露・・講師はちんどん通信社の代表者
2019年・・命の授業・・講師は腰塚勇人さん
2020年・・コロナで中止
2021年・・コロナで中止
2022年・・「一隅を照らす」講師は露の団姫
2023年・・新会長にバトンタツチ

2019年の「命の授業」は当時の此花区長の薦めもあり腰塚勇人さんをお招きしました。会場として初めて昇陽高校のカトレアホールを借りる道筋をつけたのもこの年でした。

そして忌々しいコロナとなり全ての対面行事は中止となり2020年と2021年の2年間は社会を明るくする運動の大きなイベントは開催することが出来ませんでした。

コロナが全盛期(?)の頃、テレビを見ている時、女性のお坊さんで落語課家の露の団姫さんの存在を知りました。「この人やっ!」松田聖子ではありませんがピピピッと来たんです。

それからはインターネットで露の団姫さんの事務所とマネージャーに連絡をしたり尼崎のお寺兼寄席の会場に押しかけたりと熱心に足を運びました。

熱心さに根負け(人はしつこさに負けてとも言う)出演OKを貰いました。1年がかりで承諾して頂いたんです。

そして次は講師料は更生の役に立つならと言う事で理解をして頂き破格の値段で講演して頂きました。落語と講演の2本立てです。

テレビでお馴染みの有名人のため会場は満席で立ち見もでるほどでした。

しつこく頑張って良かったです。サポートセンターには露団姫さんの色紙も飾っています。


[6603] 【7649回 保護司振り返り】其の13 2024-05-20 (Mon)

全国展開の「社会を明るくする運動」は保護司会にとって一番大きな行事であります。

最初は観察所から講師をお願いしていましたが話の内容が固く一般向けでないと感じました。

(当然専門的な話だから仕方ないね)

観客の動員が見込めず第2部の中学生吹奏楽に合わせて会場入りする人が多くいました。

「これじゃいかんな」そんな時、理事の中から「チンドン屋知ってるでぇ」と突拍子もない意見が出ました。

よく考えてみると今迄の硬いイメージから脱出できるチャンスかもしれません。そんなこんなで1部の講演はチンドン屋出演にしました。

チラシに「チンドン屋が来る!」と広報活動をすると大勢の観客が押し寄せ椅子が足りませんでした。

保護司活動「社会を明るくする運動」とチンドン屋とどんな関係があるのか?とも陰口言われたりもしました。

観客は舞台の緞帳があがるとそこにいると期待しましたが通路からドンドンチキチキとお囃子を鳴らしながらでてきてもらいました。

受けましたねぇ!拍手喝采ひさびさに聞きました。

チンドン屋代表者の娘が非行に走り家出を繰り返していたことを話してくれました。

しかし、今では立派に立ち直り舞台にあがり「それがこの娘です」と紹介してくれて、割れんばかりの拍手を頂きました。

今でもあの時の拍手の音が聞こえてきそうです。社会を明るくする運動とチンドン屋・・・立派に結びついているではありませんか!

家出した事を叱らずじっくりと話を聞いてやり稼業を継ぎたいと言い出し立ち直ったのです。

これこそが社会を明るくする運動にピッタリの良いお話でした。


[6602] 【7648回 保護司振り返り】其の12 2024-05-19 (Sun)

「今から死にます。御世話になりました」そんな電話を受けたことがあります。

丁度、仲間達とハイキングに出掛ける電車の中で電話を受け、ドアの開くのを待って途中下車したことがあります。

死にたいと思う人が電話を掛けてきたと言うことはまだ死にたくないと言う気持ちもあると判断しました。

今どこかと聞くと沖縄の海だと言います。そう言えば故郷に帰ってから心機一転頑張ると言ってたことを思い出しました。

どうする?どうして引き留める?誰かに話を聞いて貰えれば気持ちも落ち着くのではないか・・しかし駆けつけるには沖縄は遠すぎる。

そこで黄色のSОSカードの存在を思い出し、そこに書いてあるSОS番号を教えてもらいました。

すぐに沖縄の担当者に電話をかけて、事情を話し駆けつけて貰ったことがあります。狭い土地ですので場所は特定できすぐに走ってもらうことができました。

それから毎年、沖縄の住所で年賀状が届き元気に生きていることを確認することができています。

そうなんです。話を聞いて貰う人が必要なんです。それが保護司の役目だと言っても過言ではありません。

意見を言ったり、教訓を述べたりも必要な時もありますが、まずは話を聞いてあげるこれが基本です。

顔色を見て「何かあったの?」と聞いて貰えればついつい悩みを話してみたくなりませんか?

それが保護司の主たる仕事だと思っています。


[6601] 【7647回 保護司振り返り】其の11 2024-05-18 (Sat)

何人の保護司の方達が「保護司振り返り」を読んでくれているか不明です。

勿論このページの存在すら知らない人達かも知れません。何とかして読んで欲しいと思ってはいます。

自分のために22年間を振り返り些細な事も書き留めておかないと認知症が始まれば思い出すこともままなりません(笑)

夫にも「仕事に行ってくるわ!」と出かけるだけで何がどうなのか知る由もありません。

「ああ、そんな苦労もあったのか」「そんな楽しいこともあったのか」と読んでもらえれば保護司卒業のけじめになると思っています。

保護司特例再任制度を利用して2年間の延長も出来ます。

「時が来たら誇りをもって脇にどけ」と言う言葉通り延長はしないで若者達に後を委ねることにしました。

老体は去るのみです。そうすることによって若年層が育ち、うまく世代交代が出来るのです。

地域の役員には定年制が敷かれてないため本人が辞退しない限り延々とご老体が幅を効かせているのです。

「誰も交代してくれんのや!」いいえ、そうではありません。ご老体が勇退すれば若者が育ちますよ。

私は先見の目があったのか(うぬぼれてるわぁ・・笑)新会長としてふさわしい人を任命することができました。

会長交代後は「顧問」と言う肩書で残ってはいましたが後任のみんなの仕事の呑み込みが早くほとんど顧問の役割は果たしていません。

それでいいのです。私の人選に間違いはなかった証拠です。


[6600] 【7646回 保護司振り返り】其の10 2024-05-17 (Fri)

2023年の8月31日、観察所から藍綬褒章の「内定通知」の電話を貰いました。あくまでも内定のため決定まで他言無用とのことでした。

内定後に取り消しになった事例もあるそうなので家族にも言わずにいました。

9月21日法務省からの分厚い封筒が届き「決定通知」を手にすることができました。

実際に手にしてみると嬉しいものです。服装についての細かな説明が書かれていました。ホテルの手配も自分達でせねばなりません。

東京出張の多い息子に相談してなるべく法務省の近くのホテルを手配してもらいました。

受章は喜ばしいのですが新幹線・ホテル・衣類購入などお金かかります。

11月2日の発表の日コンビニで複数の新聞を購入し自分の名前を見つけた時は・・そりゃあ嬉しかったです。

思いがけない褒章受章でしたので足が宙に浮いた気分でした。

それからは祝電やお花やお祝いに嬉しい悲鳴を上げました。驚いたのは褒章祝賀会用の記念品などの商魂たくましい人達が押しかけてきました。

コロナ禍が尾を引き祝賀会はしないと言う方針に従い保護司会だけで心のこもった宴を開いて貰いました。

9月21日の決定から、あれよあれよと日が経ち11月13日は皇居へと出かけることになりました。

丁度この日、故郷では第10回同窓会が開催されており無念の欠席となりました。幼友達一同からもお祝いを頂き有難かったです。

ひとつ悲しかったのは・・・担当の観察官からの「良かったね」の一報が無かったことです。

担任教師が受け持ちの生徒の祝い事に何の反応も示さなかったことがどんだけ悔しかったことかっ!

これから受章をされる皆さんへのアドバイスが出来ると思います。受章された方はどうぞ遠慮なくご相談下さい。

私も受章された先輩方に色々アドバイスを頂き無事に皇居に行くことが出来たのです。先輩方の体験談は絶対に聞いておくべきです。


[6599] 【7645回 保護司振り返り】其の9 2024-05-16 (Thu)

コロナ禍の中、全ての行動に規制がかかりました。対面での面接は勿論のこと観察所で開催される会議も書面会議に変更となりました。

保護司の中にも数名コロナに感染した人もいましたが幸い回復も早く大きな影響はありませんでした。

「社会を明るくする運動」のイベントも2年間中止しました。勿論街頭啓発活動も中止です。

コロナ禍の中でも理事会は欠かさず開催しました。犯罪に待ってはくれず、その都度変化する情報の交換が必要だったんです。

しかし事務所は狭く12人が会議をするには狭くて不安がありました。

事務所のある梅香殿は使っていない部屋が沢山あり館長と交渉をして空き部屋を会議の時間だけ貸して貰えないか相談しました。

貸し部屋は時間単位で有料です。

しかし予算の都合上余裕がないことを説明し館長の粋な計らいでコロナ禍の2年間無償で会議用の部屋を借りることができました。

大きな部屋に間隔を開けて12人が座れば感染の危険は回避されます。

地域の会議や懇親会なども全て中止となりコロナの影響は大きかったと思います。

志村けんさんがコロナで死亡したと報道された後、此花区でもコロナで亡くなられる方があちこちで出た様です。

今ではすっかりコロナが話題になることは無くなりましたが、人混みの多い場所に出掛ける時はマスク着用して感染予防を忘れないでおきたいと思っています。


[6598] 【7644回 保護司振り返り】其の8 2024-05-15 (Wed)

サポートセンターの冷蔵庫・・今は当たり前のように鎮座していますが色々あったんですよ。

今の若い理事の皆さんが知る由もない話ですが。振り返ると何と無駄なことをしていたのかと笑えます。

理事会の度に人数分のペットボトルを購入しエッチラ・オッチラ・・

会議が終わって後片付けをする時、空のペットボトルはそのままだし、飲み残しはあるし(自分の分は持ち帰ってよ〜っ!)

見るに見かねて当時の会長に冷蔵庫の購入を提案しました。

冷蔵庫さえあればホームサイズのペットボトルを大量に購入し紙コップを備蓄しておけば会議ごとに購入しなくて済むはずです。

私の提案に「それはいいね」と当時の会長以下理事さん達に賛同を得ることができました(今のスタイルです)

しかし冷蔵庫の購入をお願いしても事務所に配置するまでに1年以上もかかりました。何がそんなに時間かかったのか謎です。

冷蔵庫が欲しいと言ってから夏が過ぎまた次の夏を迎える羽目になり我慢の限界に達しました。

「私が買ってきましょうか?!」と、お尻を叩きやっと購入にこぎつけました(何をためらってたのでしょうか・・謎)

何か新しい事をするには色々な意見が出ますが皆で話し合いをすれば賛成でも反対でも前に進むことが出来て解決します。

当たり前のように事務所に冷蔵庫がありますが先輩達の努力によって設置されていることを忘れないで欲しいです。

設立当初のスリッパも経年劣化で擦り切れていた頃、現在の豪華なスリッパを理事の人数分寄付をしてくれた先輩のことも忘れないでおきたいです。

保護司会事務所は会員の努力と善意と苦労の末に軌道に乗っているのです。忘れないで欲しいです。


[6597] 【7643回 保護司振り返り】其の7 2024-05-14 (Tue)

保護司を拝命されて嫌だったことは・・・ありませんと言えば嘘になりますが遠い昔の事で全て忘れました。

いちいち覚えていては前に進めません。泣きたいときもありましたが何で泣きたかったのか忘れました。

22年間の保護司生活の中で得た同志の皆様との絆はお金では買えない大切な思い出となりました。

時には腹立たしい事もありました。その場で応戦する方法は知っています。

しかしそうすれば後味の悪いシコリしか残りません。時間がたてば笑って話し合えるでしょう。(相手によりけりだけどね)

私は陰でウジウジ言われているより面と向かってハッキリと物申して貰う方が好きです。

その時、激しい喧嘩になったとしても後々に引きずることはありません。

そう言えば登山中、何度リーダーと大喧嘩をしたことでしょう。見解の相違と言うやつです。

大勢の参加者を連れているので意見の相違は仕方ありません。

しかし大喧嘩してでも意見を言い合うことはその後の安全登山に繋がるのです。

言いたいことは言うのが一番(あれれ?すぐにカッとしないと言ったんじゃないの!?)時と場合です。

山は生命にかかわります。リーダーのいう事は絶対です。最終的にはリーダーに従いますが意見としていうべき時には言わないとね。

保護司と登山とごっちゃ混ぜにしないでくださいと言われそうですね(笑)。


[6596] 【7642回 保護司振り返り】其の6 2024-05-13 (Mon)

保護司を拝命されて良かったことは「とても気が長くなった」ことでしょうか。

今までだとすぐにカッとなってすぐ反応していましたが保護司になってから相手の話をじっくりと聞く事が出来るようになりました。

すぐカッとならない訓練が自ずと出来てきた気がします(個人の見解)

昔、大阪府の某ウオーキング協会の理事をしていた時、協会のブログに会員さんからの批判的な書き込みがありました。

夜も明けない早朝から「姫が反応してはいけないよ!」と優しく教えて下さった方が2名いました。

私宛の批判ではないので無視しておけばいいのですがきっと私が反応するだろうとの忠告でした。

忠告が無ければ間違いなく応戦していました(大笑)

今ほどにSNS問題が活発ではありませんでしたが危うく相手の挑発にひっかかるところでした。

そんなこともあって理不尽なことがあっても少し時間を置いて考えてみることができる様になりました。

これは長く保護司をしていて更生へのお手伝いをしている間に身に付いたご褒美かもしれません。

「腹が立つ」ことがあれば「腹を横に」して考えてみれば笑って通り過ぎてしまうことばかり。

何をカッカッしてたのか定年退任を迎えるにあたり自分の未熟さが浮き彫りとなります。

退任後も「腹が立つ」ことがあれば「腹を横に」を私の生きる目的として生きて行こうと思います。


[6595] 【7641回 保護司振り返り】其の5 2024-05-12 (Sun)

会長になり理事の皆様にも恵まれ日々の業務をこなしつつ困った時は沢山の人に助言を頂きました。

このころには保護司会も地域の団体の中に加えて貰い地域の行事にもお招きを頂けるようになりました。

更生保護女性会も同じ更生の活動をするという事で一緒に街頭啓発にも協力して頂くようお願いしました。

広報活動をすることによって保護司会を理解して貰い犯罪を未然に防ぐ活動へと発展していきました。

そして定年間近ななった2023年の総会において新しい若い会長が誕生したのです。

慣例ならば保護司会長就任は75歳の定年前の1期2年を経て退任が通常でしたが此花区は斬新な役員改選を行いました。

常々これからは若い人達で運営すべきだと強く思っており観察所もアッと驚く若き会長が誕生した次第です。

「温故知新」と言う言葉があります。

古き事を全て排除しないでほしい。新しい事が全てではないという事を忘れないで欲しいと願っています。

そんなこんなでお別れの日がだんだん近づいてまいりました。

奇しくもその日は総会の日となっており出席された会員の皆様には懇親会の時にお別れが出来ます。

これからは名誉保護司となり時々行事には参加させて貰います。


[6594] 【7640回 保護司振り返り】其の4 2024-05-11 (Sat)

サポートセンターは誕生したものの何をどうして良いのやら・・・試行錯誤の日々でした。

まずはサポートセンターに駐在してくれる人を会員から募集しました。

観察所に届け出をして「企画調整保護司」として認定を貰わねば勤務することはできないのです。

理事は勿論の事、一般の会員の中からも協力を得ることができました。

出勤した企画調整保護司へは実施弁償金として支払われます。

しかし事務所運営経費として実施弁償金のほとんどを保護司会に寄付すると言うスタートとなりました。

それでもみなさん不平不満も言わず快く勤務を続けて下さいました。

このころには私も理事となり運営の一部に頭を突っ込める状態となりました。

名物お上人会長が勇退されてから、定年退任直前の次の会長が2年、そのまた次の会長が2年と私の在籍中に3人会長が交代されました。

さあいよいよサポートセンターの事務所開きとなりました。

2013年7月18日には会員と40人のご来賓を招き華々しく開所記念式典を致しました。

私は初々しく受付で来賓の皆様に赤いリボンを胸に着ける役目だった様に覚えています。(まだまだ使い走りで上司と部下の会社組織の様でした)

6年前、前代未聞の選挙により私が保護司会会長に就任させていただきました。

観察所の会議に行くと女性の会長が珍しいらしくジロジロと視線を感じたものです。

大阪府下56ほどの保護司会会長が出席されていますが皆さんおとなしく何の質問もないので積極的に質問しました。

「此花地区保護司会ここにあり」をアピールしたって感じですかね(笑)

数年後には大阪府保護司会連合会では副会長と言う大役を仰せつかったのもうるさく質問ばかりするからだったと思います。

「あいつ、いつも質問ばかりしてうるさいから役員にしとこか」・・これが真相だったのではないかと思っています。


[6593] 【7639回 保護司振り返り】其の3 2024-05-10 (Fri)

保護司任命から5年も経ちますと先輩方の中を上手に立ち回れるようになりました。

保護観察の担当も増え、水を得た魚のように張り切っていました。

何も役割がないことほどしんどいことはありません。(自分から進んで見つけろって!)

2011年(平成23年)秋の市長選挙により、市長が交代し、大阪市の市政方針が変更されました。

それまでは区役所で会議も運営も事務一式も区役所の職員がしていました。

しかし新しく橋下市長になってから区役所から全て手を引けと言う命令が下されました(大阪市全域)

さてさてそれからが大変です。家を追い出されて子羊みたいに露頭に迷いました。

まず事務所探しです。家賃補助限度内で探すのは至難の業であります。

しかし人生長く生きた人たちはいとも簡単に物件を探してきました。

先輩保護司の人脈がすぐれており現在の梅香殿を賃借できるようになりました。

梅香殿は結婚式場でしたが客足が減り貸部屋や文化教室として生まれ変わりました。

じつは私…昭和44年10月5日にこの会館で結婚式を挙げています。

私達が借りようとしている部屋は以前は花嫁の衣装室として使われており全面鏡張りです(大笑)

全ての鏡を壁紙で隠し、机、椅子。ロッカーなどを搬入すると事務所らしくなってきました。

2013年(平成25年7月18日)此花地区保護司会サポートセンターの誕生です。


[6592] 【7638回 保護司振り返り】其の2 2024-05-09 (Thu)

私が入会した当時の会長は此花区では知らない人がはいないほどの有名な名物和尚様でした。

みんなは会長と呼ばず「お上人」と呼んでおられました。

親睦会の酒の席では手招きされると90度ぐらいある熱燗をぎゅっと握らされるのが特徴でした。

みんな覚悟の上でお上人のお酌を受けておられました。観察所でも有名な話です。

今は懐かしい思い出です(現在は故人となられた)酒の席でよく人生のイロハを教わったものです。

お上人の葬儀は全国の高貴な僧侶たち20数名がズラリと並ぶ中、真ん中で場違いに座る私の姿はどう見ても異様でした。

私が法務大臣の弔辞を代読させて貰い、心臓がポロリと地面に落ちたのではないかと思うほどでした。

伝法・正蓮寺の川施餓鬼と言えば大阪市指定文化財にもなっている、そりゃあ立派なお寺なんです。

これから先、あのような盛大な葬儀もないだろうし、私が法務大臣の弔辞を読み上げることもありません。

保護司会長をしていてとても名誉な出来事でもありました。

所詮は代読なので決まりきった文章ではありますが心を込めて読めばきっと故人にも伝わったのではないでしょうか。

後々にご家族の方がお礼に来て下さりとても心に残ったと言って下さったときは本当に嬉しかったです。

保護司会長をしていなければ到底できなかった役割でしたので今でも大切な思い出のひとつです。


[6591] 【7637回 保護司振り返り】其の1 2024-05-08 (Wed)

いまから22年前の2002年(平成14年)5月25日保護司を拝命しました。

此花警察で運転管理者部会の役員をしていたところから交通課の警察官からぜひにと言って薦められたのがきっかけです。

平日の会議も度々あると聞き、当時働いていた会社の上司にも相談してからと即答は避けました。

上司に相談したら「地域のためだから会社は大丈夫」との回答でした。

仕事中の外出は公用扱いとしてくれるという事で承諾の返事をしました。日帰り研修など終日の行事は有給休暇を取得して参加しました。

いざ拝命され観察所での新人研修を受け勉強するうちに「えらいとこに足を突っ込んだな」が正直な感想です。

それまでは保護司にお世話になることもなく、(罪を犯してない人は世話になることはないし、保護司の存在すら知らない人が多い)

地域の行事にも保護司会は参加しておらず目立たず活動するのが多かったため知名度も無かった様に思います。

メンバーには企業の管理職卒、自営業のオーナー、お寺の住職等々私にとって未知の世界の人達ばかりでした。

年齢も大きく差があり、しかも女性が数人しか在籍していませんでした。

会社では大きな顔して自由に働いていましたのでそのギャップに悩みながら1年が過ぎて2年が過ぎていきました。


[6590] 【7636回 22年間の振り返り】 2024-05-07 (Tue)

5月になりました。楽しいゴールデンウイークをすごされましたでしょうか?

6日は地域のイベントがあり雨を心配しつつのゴールデンウイーク最終日でした。

今年は飛び石連休のため前半と後半に分かれてしまいましたね。年金組は毎日がゴールデンデーです(笑い)

働く皆様や学生たちは五月病とやらに感染しないよう気を引き締めて活気を取り戻して頑張ってください。

私はあと少しで保護司を卒業です。(5月24日に法務大臣感謝状伝達式あり)・・卒業証書授与式みたいなものかしらね。

自分自身のために保護司任命から卒業までを少し振り返ってみようと思っています。

タイトルは「保護司振り返り其の1・其の2・其の3・・・」と続けていきたいと思っています。

自分自身への振り返りなのでつまらない文章になるかも知れませんがお許し願いたいと思っています。

しかし22年は長かったようでアッと言う間だった気もします。

サラリーマン生活や主婦生活だけでは到底体験できない事を学ばせて貰いました。

卒業の日を迎えるには多くの人の手助けも頂きました。感謝しています。

保護司を始めてから私も少し人間がまぁるくなった気がします。(身体も丸くなったね!)すぐにカーッとなることが少なくなりました。

「ここでカーッとなったら私の負けや!」と言う場面に何度も遭遇すれば人間は進化が見られるのです。

ここで我慢すれば相手に理解して貰える・・・そんな22年間だつたと思います。

では次回からは「保護司振り返り其の1」を綴ってまいります。時々話が前後しますが思いつくままに振り返りたいと思っています。


[6589] 【7635回 姫のおうちもゴールデンウイーク】 2024-04-30 (Tue)

5月の連休中は書き込みお休みさせて頂きます。

ゴールデンウイーク中は別にどこに出掛けるわけでもなく自宅におります。

世の中がゴールデンウイークに突入するため「姫のおうち」へ訪問して下さる方達が極端に少なくなります。

カウント数を見てこの時期少し寂しくなりますので私も自宅にてゴールデンウイークさせて頂きます(笑)

楽しい出来事をいっぱい集めて5月7日からスタートさせて頂きます。

「留守をします」と書き込めばドロボーさんが簡単に侵入してくるとニュースで呼びかけていますが私は家にいますからね!

ホームページを見に来て下さる方達がお出かけして「姫のおうち」を訪問する時間がないための対策だからね。

山へお出かけの方は雪崩、滑落、落石、熊などに充分注意をして下さい。

ハイキングにお出かけの方はスズメバチ対策と熱中症対策をお願いします。

街ブラの方はマスクの着用をお願いします。医師によると飲食をする場所でのコロナがまだまだ多いそうです。

お家にいる方は一番安全です(大笑)夏への準備をされては如何ですか?

クーラーの掃除、衣類の入れ替え、布団干し・・探せばいくらでも暇つぶしできます

「5月1日から5月6日まで」書き込みお休みさせてください。


[6588] 【7634回 親の介護】 2024-04-29 (Mon)

私には既に親はいませんが周りには親の介護で大変苦労をしている人がいます。

やがて自分の身に降りかかって来る問題として考えてみたいと思います。

親の介護に直面した場合4つの解決法
@ 地域支援包括支援センターに相談
A 相性の合うケアマネージャーを見つける
B ひとりで抱え込まない
C 親の意志とお金事情を確認する

親が認知症になったとか転倒・骨折・入院・退院のパターンはよく聞く話です。そうなった時どこの誰に相談すればいいのでしょうか?

@ まずは地域にある地域支援包括支援センターに相談するために足を運びます。詳しく親の状態を話します。

A 地域支援包括支援センターに相談に行くとケアマネージャーを選ぶための資料の提示があります。

その中からケアマネージャーを選ぶのですが多すぎてどれを選んでいいのか迷います。

そんなときは親の症状を詳しく話し得意とする専門分野の事務所選びをします。(ケアマネージャーとの相性が合わなければ変更して貰うことが出来ます)

B 親の介護のために会社を退職する人がいますがひとりが抱え込まないで下さい。会社を辞めないで下さい。今では介護休暇93日が認められています。

「93日では足らないわ」ではなくこの93日の間にケアマネージャーを探したりデイサービスの施設を見学したりと体制を整える期間として有効に使って下さい。

会社を辞めなきゃよかったと後悔する人が多くいますが復職はなかなか難しいです。介護休暇を上手に使って下さい。

C 親のお金事情は知っておく必要があります。年金をいくらもらっているのか、預貯金はいくらあるのか知った上で親のお金事情の範囲で介護をするのです。

自分のお金を持ち出す必要はありません。これをすると長続き出来ません。

私の故郷にある某老人施設は年金額により入居料金が決まる施設がありとても良いシステムだと思っています。

私も入居したいと思うのですが残念ながら市民権が必要です。大阪市民では・・・(笑)


[6587] 【7633回 記念講演後の余韻】 2024-04-28 (Sun)

慣れないことをした後は疲れがどっと押し寄せてきます。全身汗が滲んでいました。

話ばかりではなくて、「嫁姑話1/3」、「会場の皆さんに質問1/3」、「懐かしの歌1/3」・・・これが功を奏し成功に終わったのではないかと思います。

居眠りしている様子の人もおらず私の話にうなづいて下さる人達が多く、とてもお話がし易かったです。

とにかく、うなづきや笑いが多く聞こえてきたのが私への手応えの応援歌でした。

戻ってすぐに役員の方からラインが入っていました。

「難しい嫁姑問題を楽しく話して頂き笑いながら聞かせて頂きました」

「とても素敵なお話をして頂き会員の皆様にも質問をして下さり話術の素晴らしさ勉強になりました」

「嫁はんが戻って来て、よかった!よかった!と講演の話ばっかりしとる。」

ご来賓の大阪府更生保護女性会会長様は「うちの会にも来て同じ内容で講演してもらえないかしら?」

社交辞令だとわかっていても、お世辞だとわかっていても嬉しいものです。

まぁ本人を目の前にしたら褒めるしかないとは思います。

昔、行事を終えた後、批判的な感想を述べる人がいて落ち込んでいると気にするなと言ってくれた人がいました。

「3割の人が良かったと言えば、その行事は成功だ!。気にすることはない」と励まして貰ったことがあります。

今回のテーマが多くの女性の持つ「嫁・姑問題」だったから関心度が大きかったのかもしれません。

その場に合ったテーマを探しお話することが成功への近道だと痛感しています。

こんなチャンスはもう2度と無いので引き受けて良かったと思っています。ホッと一息はこんな時につく息なんですね。


[6586] 【7632回 女性会の講演を終えて】 2024-04-27 (Sat)

此花区更生保護女性会の70周年特別講演という大切な日に私の講演でいいのだろうかとお受けする前にとても迷いました。

講師としての何の肩書も持たず「よぉ引き受けたなぁ」と皮肉を言われそうですね。

立派な肩書は話に箔が付きます。自宅に帰ってこうこうしかじかと話をする時にも印象に残ります。

お受けしたからにはお喋りで楽しく過ごせたらと思い、テーマの嫁姑話1/3、会場の皆さんに質問1/3、最後に懐かしの歌1/3にしようと思っています。

私もお偉い先生と名の付く人達の講演を数多く聞きましたが・・・申し訳ないけど心に残っていません。ときには居眠りをしていたこともあります。

ならば身近な女性会らしい日常の話をしてはどうかと思っています。人によっては体験談を話すことによってストレスが発散できるかもしれません。

人の経験談を聞き参考になるかもしれません。ご自身は姑が逝なくても娘に、あるいは息子の嫁と接する時に役立つのではないでしょうか。

嫁姑問題はどこにでもある問題だと思います。それをどのように回避しているのかという事です。

おかげ様で最後まで皆さん熱心に耳を傾けで下さいました。私にこのような機会を与えて下さり感謝しています。

「70周年記念講演」と言うタイトルがとても気恥ずかしいのですが反応はあったと自負しています。

もうこのような機会もなくなり私にとっても保護司生活最後の「記念講演」となりました。

この様な機会を与えて下さった此花区更生保護女性会の皆様ありがとうございました。

奇しくも4月26日は私の76歳の誕生日だったんです(知らんなぁ)

そりゃそうやな知るはずないわ!後期高齢者として元気で楽しい人生送って生きていきま〜す。


[6585] 【7631回 本日76歳なり】 2024-04-26 (Fri)

76歳の朝を迎えました。なんてことはない普通の朝に感謝しています。

今では普通ですが昔の40歳の高齢出産は大変だったと思います。

誕生日は高齢にもかかわらず難産を乗り越えて産んでくれた母に感謝する日でもあります。

「みっちゃんはウラナリやね」と言われてた私。

畑のキューリに例えられ本体(高齢の母の事)は枯れかけているけど最後の1本ぶら下がったキューリだと・・・?

亡き義兄が「お前はモミジの木の枝に引っ掛かって泣いていたので拾ってきた可哀想な子」と、まことしやかに言われ続けていました。

子供の時は信じていました。しかし子供に滅多な嘘をつくものではありませんね。記憶から消えません。

墓参りに帰る度にモミジの木の場所で不思議と足が止まります。

あの頃・・信じていたんだなぁと純真な乙女時代(?)を懐かしんでいます。

昔、戦地に行く兵隊さん達をモミジの木の下まで見送ったと言う村のでは有名なモミジの木だったんですが今では枯れてしまいました(いわれを書いた碑は立っています)

今日は大仕事が待っているため誕生日どころではありません(大笑)

まっ、私の保護司生活最後の晴れ舞台のようなものなので頑張ってきます。

凶と出るか吉と出るかわかりませんが女性会の皆様の笑い声が聞こえたら吉としましょう。

プロではありませんので「そこ・そこ」成果が出ればと思っています。

外は晴天、では行ってまいります!


[6584] 【7630回 準備は良いか?】 2024-04-25 (Thu)

更生保護女性会70周年記念講演・・・そんな立派なタイトルを付けての講師の日が近づいてきました。

栞も40部手作りしました。講演を最後まで聞いてくれた人へのプレゼント品も40人分用意が出来ました。

あとは本番を待つのみです。緊張はさほどありませんが「早口にならないように」「読むのではなく話し言葉で」が実行できるかどうか問題です。

女性会の会員の方達だけかと思っていましたが区長や観察所関係者などの来賓の方々も同席するらしくちょっとだけ緊張します。

もうこんな機会も無いと思うので私自身の思い出になれば良いかと思っています。

有料の講演会に行っても時間が経てば記憶から抜け落ちていることの方が多いです。(個人の感想)

身近なテーマで何かひとつでも参考になれば嬉しいです。話だけだと飽きてしまうので途中でみんなで歌でも歌いましょうか?(講演中に歌ってかっ?!)

そうだ、それがいい!懐かしく心に残る歌を2曲用意しました。唱歌だけど会員の中に若い人はいないので多分知っていると思います。

6年間の会長時代に協力を惜しむことなく協力してくれた女性会の皆様にきちんとお礼が言えてよい機会を頂けたと思っています。

がんばらなくっちゃぁ〜(フレー!フレー!)

準備完了したので気分転換も兼ねて75歳最後の記念に中山寺の藤の花鑑賞に行ってきます。(色々理由つけてお出かけやね・・笑)


[6583] 【7629回 あと2日で76歳】 2024-04-24 (Wed)

4月26日は私の76歳の誕生日です。

母親が亡くなったのはたしか・・・私が12歳、母が56歳だったと思うのでそれを思うと長生きしたものだと思います。

昔は還暦を迎えたら年寄り扱いしましたが今ではバリバリの現役だから寿命年齢も変化したのかしら?

母は突然倒れて1週間寝込んだ後、あっけなくあちらの世界に逝きました。寂しいとか、悲しいとかいう暇もありませんでした。

往診に来た医者は「とにかく氷で冷やせ、喉がゴロゴロ言い出したら言うで来い」と言って帰ったことを鮮明に覚えています。

夏の熱い日、いまの様に冷蔵庫もなく氷を買いに自転車で村はずれにある魚屋に事情を言って氷を売ってもらいました。

家に帰り着くと姉が仁王立ちして待っており「遅かった!」と怒鳴られました。

「氷が半分になっちょるじゃいかぁ!」暑さに耐えきれず氷が半分溶けていたのです。一生懸命自転車を漕いで戻って来たのですが・・・。

いま振り返ると母は血圧が高く身体のあちこちが悲鳴を上げていたのではと思います。

生活のため男の人に混じって土方仕事をしていたのできっと無理がたたったのでしょう。

そんな事情を12歳の娘が知るはずもありません。

いまなら病院に通い治療して貰えたのに・・そうすればせめて還暦祝いできたのに・・・と。

唯一の思い出は母と山に行きイタドリや蕗を採取したことを春になると思い出します。

76歳の誕生日を迎えるにあたり母を偲んでいます。お母ちゃんの分まで生きて行こう!(もう充分生きてるけど)


[6582] 【7628回 レポートアップしました】 2024-04-23 (Tue)

宝塚・天婦羅パーティのレポートをアップしました。

表紙の「天婦羅パーティ」をクリックして頂くとご覧頂けます。

また「2024山行記録」をクリックして頂き「歌劇の街宝塚で天婦羅パーティ」をクリックして頂いてもご覧いただけます。

楽しい事をしようと思う気持ちはメンバー全員天下一品です。よくまあ思いつくものです。

今回は準備と片づけをjunkoちゃんひとりに負わせてしまいましたが高級料理店の天婦羅よりも美味しかったです。

揚げたてをフーフー言いながら食べれらて幸せでした(若干1名猫舌がいて冷ましてから食べてた・・可哀想!)

自宅で天婦羅をすればそこら中に油が飛び散り後始末が大変ですが野外だとその心配はいりません。

これからも色々アイデアを出し合って無理のない山行を楽しめたらと思っています。

今迄の様にきつい山を目指し翌日に足腰が動かないほどの疲れが残る山行計画を組むことはないと思います。

「ほどほど」・・日本語には便利な言葉があります。年相応に、ほどほどに楽しめたらよいのではないでしょうか?

いまイタドリ採りのレポートを作成中です。乞うご期待下さい。


[6581] 【7627回 イタドリ採りのアクシデント】 2024-04-22 (Mon)

(前回のつづき)

アクシデントは誰にでもどこにでもあるものですが4人も揃って気が付かないとは・・・(笑)

アクシデント発生は大和八木駅で靖ちゃんが乗り込んでからの事です。

座席の前には外国(やかましいお国の人5人)の人達が大きな声でペチャクチャと耳障りでたまりません。

靖ちゃんが乗り込み揃ったところで朝の挨拶や天婦羅パーティが楽しかった話やスマホの利用方法などに夢中になり下車駅の事をすっかり忘れていました。

社内アナウンスがあったと思うのですがやかましいお国の5人組の声が大きくて聞こえず何と2駅も乗り越してしまったのです(これ言い訳)

折り返してバス停に行きましたが予定していたバスは既に発車済みで1時間の待ち時間をどうするか・・・?

目の前の客待ちタクシーに談山神社までいくらかかるかと聞くと「3,200円」とのことバスが570円なので4人乗れば・・ちょっと高くつくけど乗ろうっ!

タクシー車内でひとり800円集金しましたがそれを聞いていた運転手さん曰く「3200円よりもっとかかるよ」との事、さっき値段交渉したタクシーではないらしい。

ならば3200円の所で降ろしてよ〜と冗談交じりで話は盛り上がり新緑を見ながら見覚えのある場所付近に来ました。

メーターを見ると・・・危ない、危ない・・「運転手さん3200円の所で降ろして下さい!」

追加料金を集金することなく、まるでテレビ番組の様でした。

ひとりだと決して出来ない交渉や行動も4人もいれば強いものです。人生は一度きりだから楽しく生きて行かないとね。

またイタドリ談義に花を添える話題が増えました。とても楽しかったです。


[6580] 【7626回 イタドリ採り・・其の2】 2024-04-21 (Sun)

天婦羅ハーティに続いてイタドリ採りに出かけてきました。

4月のウオーキングは決まってこのコースです(無理やりでごめんなさいね)

アクシデントが発生しバスではなくタクシーで現地入り(詳しくは次回につづく)

タクシーを降りたら真っ先に草餅と串コンニャクの茶店へ駆け寄りました。しかし串コンニャクの販売は何故か無かったのです。

目の前には桜で有名な神社がありますがもう既に散っています。道中のハナモモも今年は既に散っていました。

春が早く来てたみたいです。まっ目的は花見ではないので落胆することはありませんでした。

秘密兵器(高枝バサミみたいな道具)持参していますので手の届かない場所は道具を利用します。

危険な場所はシュリンゲで安全確保(そんなにまでして採らなくても?)心残りのない様にね(笑)

あるわ、あるわ、楽しいね!見つけるのが楽しいのに道の駅で買うなんてこと出来ないわ。

1本見つけたら目だけ次の場所へ移動しています。流石!季節限定イタドリ姫と名前を付けるだけのことはあります。

「目ざとい」という言葉がありますがイタドリを見つけることに関しては私は天才かも(自画自賛)・・笑

と言うか、私ほどイタドリに執着してないのかも知れませんね。私が無理やりお誘いしている気もして少しだけ反省しております。

帰宅後の皮剥きは「楽しい地獄」です。愛おしいイタドリの皮剥きをしておかないと折角頂いた自然の恵みだからね。

故郷の友は採ったのかしら?奈良の幼馴染さん、関東の幼馴染さん、和歌山の幼馴染さん、採れましたかぁ?(松山の坊ちゃんはイタドリプレゼントがあったらしい)

これにて2024年季節限定イタドリ姫は幕引きとなりました。また来年のお楽しみです。


[6579] 【7625回 いつもの場所へ姪っ子と】 2024-04-20 (Sat)

昔のイタドリ採りは家族総出で焼肉をしたり、たこ焼きをしたり野外パーティを楽しんでいました。

やがて孫たちも成長し部活やアルバイトに忙しく一堂に集合が難しくなり野外パーティは中止となりました。

今は姪っ子家族とイタドリを採るだけのために訪れています。

いつの頃からか「立ち入り禁止」の看板が立ち、進入禁止の縄が張り巡らされてしまいました。

よく見ると焚火をした跡がありマナーを守らない人たちの利用によって善良な人達が使えなくなったんだと思います。

木道は朽ちていつ底が抜けてもおかしくない状態です。

金剛バスも廃止となり登山者の車が駐車場からはみ出して好き放題に駐車していました。

姪っ子と競争状態でイタドリを見つけるのですが姪っ子夫婦が通り過ぎた後からでも充分見つけることができました。

充分すぎるほど採れたので記念撮影をして、帰り道の道の駅でランチを食べようと予定していました。

ところが姪っ子が「青空の下が良い」と、重箱に詰めたお弁当とよく冷えたビールを持参していました。

思いがけないご馳走に大喜び!いつもは私が作って持参の立場でしたが姪っ子も成長したなぁ。こんな嬉しいことはありません。

自宅まで送って貰い少し待ってもらって四万十市で購入したハス(正式名はりゅうきゅう)の酢の物を作ってお弁当のお礼としました(笑)

帰宅後は亡くなった姪っ子(姉)が大好きだったハスの酢の物なので遺影にお供えをしてくれたそうです。(嬉しいね)

そんなこんなで春の恒例行事「季節限定イタドリ姫其の2」は幕を下ろしました。


[6578] 【7624回 季節限定イタドリ姫参上】 2024-04-19 (Fri)

宝塚の天婦羅パーティに行く道中、私の目は進行方向ではなく山肌に向けていました。

ひょっとしてイタドリがあるかも知れない・・・ありましたよっ!笑いが止まらんね。

すこし葉が出て時期が遅いのもありましたがきっと1本か2本はあるはず、採れたらjunkoちゃんへの手土産にしよう!

花束にするには少し小さいですが独り暮らしのjunkoちゃんが1回だけ料理するほど採れました。さすがイタドリ姫〜(自画自賛)

採りたてのイタドリの先端は天婦羅の材料の一品に加えて貰いました。

山菜特有の少し苦みのある味ではありましたがみんなで頂きました。

茎の部分はjunkoちゃんが皮を剥き美味しく頂いてくれると思います。

しかしまぁ手土産がイタドリとはねぇ(ごめんなさいね)unkoちゃんちは何でも揃っているから許してもらえることでしょう。

6人分の材料が一度に揚げることの出来る大鍋は揚げたてのホクホクの具材を6人一度に食べることができました。

小さな鍋だと先に食べる人、後から食べる人と美味しさを一瞬にしてみんなで味わうことができなかったと思います。

準備も大変だった事を忘れないでおきたいと思います。

場所最高!準備最高!具材最高!片付けのあとのティタイム最高!と最高尽くしの宝塚・天婦羅パーティでした。


[6577] 【7623回 天婦羅パーティ】 2024-04-18 (Thu)

山中でのすき焼きに味を占めてかアンコールする形の宝塚での今回の天婦羅パーティとなりました。

今回の準備は全てマンションの住民のjunkoちゃんがしてくれました。感謝です。

宝塚駅から歩いてマンションに行く途中にイタドリを見つけました。目ざとい姫が見逃すはずがありません。

まだ、ところどころに八重ザクラが残っています。東屋に着いたら既に準備が整っていました。

マンション住民しか使えない東屋を予約して貰い雨の心配もなくジュージューと天婦羅の揚がる音でお腹の虫が目を覚ましそうです。

まずはサツマイモから?いやいやレンコンから等と鍋奉行が複数いてなかなかうるさいです(笑)

種類も豊富で「海老、イワシ、アジの魚類、レンコン、サツマイモ、フキノトウ、サンド豆、シイタケ、南瓜、ナスビ、最後はかき揚げとそりゃあもう具たくさんでした。

山行途中でコブシやタラの芽を見つけたらその場で天婦羅にしたいねと言っていた永年の夢の実現です。

道の駅で買った四万十産のエンド豆ご飯を皆さんにふるまいました。

食べながら「イタドリ採り秘密基地その3」の日程と集合時間も決めました。

5月の例会の場所も決めないといけないのですが・・・ちょっと山から足が遠のいているね。

5月だから「五月山」でも行くか?あそこには無料の動物園もありウォンバツトにも合えるかも知れないしね(笑)

いやいや中山寺の藤棚も気になるね。篠山の2mの藤も気になるね。


[6576] 【7622回 ナビへの信頼】 2024-04-17 (Wed)

スマホの警報が鳴って・・パラパラと雹が降って・・怖いったらありゃしない!

人差し指で耳栓して耐えていたけど耐えられず階下に移動しました。3階の寝室より1階の方が音が静かかと・・あんまり変わらない!

風も凄い!春の嵐だわ!1時間ほどしてやっと静かになりホッ!

17日の朝、パソコンも異常でネットに繋がりませんでした。やっと回復〜・・・で、いまこうして入力出来ている次第です。

ここからは話が変わります。

四万十市に行く途中コメリと言う雑貨店に立ち寄りました。

関西ではコーナンと同類の店舗です。用事を済ませて再び走っているとナビが「馬荷」経由を指針しました。

今迄は古津賀経由で走行するのですが今迄走ったことはないけれど行ってみるかと走ってみたら・・・えらいこっちゃっ〜

後で同級生に聞くと、どのナビも「蕨岡」と検索するとそのように指示をするらしいです。

古津賀周りと馬荷周りを計算したら、馬荷周りは距離にして3kmほど近いらしい。

しかしクネクネの細い道で対向車が来たらよけねばならず速度は30キロ程度、慣れてないためスピードが出せない。

ならば遠くても50キロで走行できるナビが指示をしない古津賀経由がはやいと・・・なるほど。

馬荷の道を出た所が蕨岡小学校付近で駐在所や昔の農協のあった場所でした。

見覚えのある場所に出てホッとしましたが息子に「引き返そう!」と言うのをじっと我慢して悪路を走り続けました。

ナビを信用するのもほどほどにしないとね。


[6575] 【7621回 町会役員を辞任】 2024-04-16 (Tue)

町会の理事者会を昨年の5月保護司会長をバトンタツチした段階で退任届を町会長に提出しました。

他の皆さんは町会の役員としてそれぞれ担当を持ち、それぞれの立場で活躍されている方達ばかりです。

会則の中に理事者会は地域の役員と会長職に就く者で運営とあります。なので保護司会会長でなくなれば必然的に役員ではなくなるのです。

すると3月の年度末までの任期だとの事。2023年度の総会までは今まで通り理事者会に出席しました。

2月ごろでしたか町会長から役員推薦の打診がありましたが丁重にお断りしました。

帰り際「考えておいてくださいね」と念を押されましたので私も念のため文章でお断りいたしました。

全ての役割にはベテランの皆さんがどっかと腰を下ろしており新米の入る空きはありません。

何かを手伝おうとしても「ここは私達でするから結構です」と狭き門(笑)

手持ち豚さんはカメラ片手にウロウロするばかりでした。編集した写真もどこでどう披露してくれているのやらサッパリわかりません。

亡くなられた前会長の時は高見フェスタの会場にブースを作ってくれて1年間の行事が写真で一目でわかる配慮をしてくれており苦労が報われました。

もう私も高齢だし今更役員引き受けて出しゃばらなくても若い人に任せておけばと思っています。

地域活動は大切です。意欲のある人が頑張って頂ければ町は潤うはずです。

高見連合の更なる発展を見守りたいと思っています。応援はしますよ〜。


[6574] 【7620回 急遽墓参り】 2024-04-15 (Mon)

82歳の姉が私の息子に四万十市に墓参りに連れて行って欲しいと哀願し実現しました。

墓場への道は険しく82歳の老婆には無理と判断し今回が最後かとロープ持参で私が引率しました。

春は足元の雑草も伸び、猪が道を荒らしとてもひとりでは墓参りも出来ない状態でした。

やっと着いて4人がかりで掃除を済ませロープを掛けて降りようとしたら下で人の気配を感じました。じっとこちらを見ています。

何と私の幼馴染みでした。姉が帰郷することを同級生に連絡したものだから妹も同行するらしいと広まったらしいです。

情報交換の場所の散髪屋から伝達が行き、村の真ん中にある喫茶店で再会となりました。

3月に皆生温泉と蒜山を旅行したメンバーでしたが気持ち良く集まってくれて感激しました。

持つべきは同級生だわ!

喫茶店では、7歳上の姉グループ、私達グループで、てんやわんや。

あっという間の1時間でしたが心温まる貴重な時間でした。


[6573] 【7619回 故郷からの贈り物】 2024-04-14 (Sun)

高知県外には滅多に出ない幻とも言えるミカン「小夏」を送って頂きました(ネットでの購入は可能)

白い薄皮を残してリンゴを剥くようにして剥くのです。

中心の種の部分を残しながら斜めに切って行きます(箱買いすると食べ方の説明書あり)

この白い皮を残しておかないと酸っぱくて「小夏」のもつ味が活かされてきません。

皿鉢料理の片隅には小夏が添えられていました。懐かしいなぁ。

故郷の我が家の庭先にも小夏の木があり毎年たわわに成っていました。

父親が小夏の枝にブランコを作ってくれて学校から戻ったらよく遊びました。

しかしブランコから落ちて前歯がおれてしまったのですぐに撤去されました。

あの時・・・お父ちゃんはお母ちゃんに「娘の顔に傷が残ったらどうする?」と、こっぴどく怒られてたなぁ

堤防の急な下り道で勢い余って転倒し額からザクザクと血が滴り落ちた事もありました。

今の様に救急車を呼ぶ習慣もないし父親の刻みタバコをおでこに当てて血止め。

翌日からは野草(オバコの葉)を張り付けられていました。あの時病院に連れて行ってくれていたなら・・おでこに傷が残らずに済んだのに・・・。

幻の小夏の木にあった幻のブランコの思い出は今でもニッと笑えば継ぎ足した前歯が教えてくれます。

ハチキン娘は病気をしても怪我をしてもメンタルも強いし元気回復が早いね。


[6572] 【7618回 春の全国交通安全運動】 2024-04-13 (Sat)

只今「春の全国交通安全運動中」のため大阪府警本部の方達が此花区においでになると連絡を受けました。

此花署交通課のお巡りさんと地域推進員役員3名(会長・副会長・総務)が選出され此花区にある春日出商店街で街頭啓発運動をしてまいりました。

行き交う人々に街頭グッズをお渡しして交通事故に遭わぬ様にお声がけしました。

家から一歩出ると交通事故に遭遇する危険性があることを知って頂き、歩きスマホ、自転車、横断歩道などで充分気をつけて貰うように呼びかけました。

歩きスマホ人間と真面目に歩いている人間がぶつかり転倒して大怪我と言う時代です。

工事現場の近くを歩く時も上からの落下物に注意せねばなりません。家から一歩出ると危険だらけです。

横断歩道で手をあげて渡っていても止まってくれる車ばかりではありません。必ずドライバーとアイコンタクトを取り安全を確認してから渡って下さい。

昔まだ荷車が往来していた時代の四万十市で1日に車が1台か2台しか通らない道で車にはねられて即死した従兄妹の子供がいました。もう不運としか言いようがありません。

学校ではこの事故の報告を生徒にして「車は動く棺桶」だからと言われた言葉がピンとこなかったのですが都会で生活をしていて今は実感できます。

犬を追っかけて遮断機の無い踏切に入り亡くなった少女がいました。きっと愛犬に気を取られて電車が近づいてくるのに気が付かなかったのだと思います。

ピカピカの1年生に信号の正しい渡り方を教える安全教室を開催するのですがどうか大人の皆さんがお手本となる姿を子供達に見せて下さい。

いくら安全教室で教えても保護者が守らないと意味がありません。大切な子供達を守るのは大人の行動次第です。


[6571] 【7617回 ピンクパンサー】 2024-04-12 (Fri)

去年11月に開催された同窓会に参加できなかったため埼玉に住む幼友達から依頼しておいたバックが送られてきました。

バックの中には何やら「来年のお楽しみ」と花の種が入っていました。春に種を蒔くようにとメモが添えられていました。

そして春を迎え埼玉の幼友達から「みっちゃんちのピンクパンサー咲いた?」と尋ねられたのです。

言われた通り春に種を蒔き、今年みごとに咲いたのです。その名も「ピンクパンサー」

ピンクパンサーは春から初夏までピンクの花を咲かせる1年草です。

横に広がるように生長し、たくさんの花を咲かせるので、花壇や寄せ植えなど利用用途が広い草花です。

ちょっと芝桜に似てるね。1年草なので種が鉢の中に落ちて来年また咲いてくれるらしいです。

昔はお花を沢山植えていましたが山登りをするようになり家を長く留守にすることが多くなりました。

隣の人に水やりをお願いするのが度重なり迷惑をかけるので、お花作りを諦めました。いまはよそ様の花壇を眺めて喜んでいます。

山登りを終えたのでまた花を育ててもいいかなと思ったりしますが終活の身ゆえに新しいことへの取り組みは躊躇っています。

私が逝なくなり花たちが枯れてしまうのは可哀想かなと思ったりしています(そこまで考えんでもエエかぁ)

春は梅を皮切りにコブシ、モクレン、アーモンド、サクラ、桃、チューリップ、藤の花・・等々

沢山の花たちのまるで運動会のリレーの様です。

そして季節が移りゆくと夏の花ヒマワリが太陽に向かって伸びていきます。平和な日本に幸せを感じる今日この頃であります。


[6570] 【7616回 花散らしの雨】 2024-04-11 (Thu)

9日の火曜日、夜から降り出した雨は朝まで続いていました。

私の出勤日はいつも決まって雨「姫泣かせの雨」とでも言いましょうか・・バス通勤となりました。

「春雨じゃ濡れて行こう〜」なんてことしたら風邪引きそうなくらい寒さが戻っています。

富士山ではスラッシュ雪崩が標高1500m地点で発生したらしいです。

スラッシュ雪崩とは、大量の水を含んだ雪が途中で土砂を巻き込みながら流れ落ちる現象のことを言います。

富士山の山開き前のため人に被害はなかったそうですが山開きが始まると、また無謀な登山者も増えるのでしょうか。

関東地方では土砂崩れの被害も起きています。自然界とは恐ろしいです。

次は花嵐やね。花ビラの散る姿や花イカダは風流でもありますが、はかなさを感じます。

雨で濡れた地面には花びらがくっついてなかなか取れません。

花の生命は短いと言いますが満開の時期はアッと言う間に終わってしまいました。

これほどに日本中を魅了するサクラは外国の人にも人気でSNSを見て何処が満開か調べてきているそうです。

家族4人が日本旅行に掛ける費用は220万円だそうです。凄いね。

日本への旅行の目的は1位はサクラ、2位は食べ歩きらしいです。


[6569] 【7615回 月日の経つのは早いね】 2024-04-10 (Wed)

一番ちっちゃな孫が14歳を迎えました。

メッセージを送ると「勉強はコツコツ、運動は思いっきり」と返信がありました。よく性格が出ています(笑)

この孫が生まれた時、パパは広島に転勤中のため1ケ月間息子の家に寝泊まりしました。

上の子2人の幼稚園の送り迎えや家事と食事の担当を請け負いました。

慣れない台所での準備や片付けは戸惑いもありましたが日数を重ねて行くうちに食洗器も上手に使いこなす事ができました。

我が家には食器洗いの機械なんぞ無いからね。文明の利器は凄いね。

運動会には大きなリュックに大人6人分、子ども3人分の弁当を用意してえっちらおっちら通いました。

今では珍しく、懐かしい光景の保護者と一緒に校庭でお昼を食べれたのです。(敷物を敷きお花見モード)

孫が中学校入学した途端、コロナ禍で弁当はおろか応援も人数制限があり見に行くことは出来ませんでした。

上の子から数えて幼稚園からですので十数年以上、運動会用の弁当を運んだことになります。

その時はしんどいなぁと思う時もありましたが今となっては懐かしい思い出です。

変声期を迎え背丈も私を既に超えて少年期を脱皮しつつあります。

春休み・冬休みになるとお泊りに来ていましたが今はクラブ活動もあるためなかなか会う機会が減りました。

「元気ならいいか」と孫たちの成長をみまもっている爺と婆であります。


[6568] 【7614回 採ったどぉぉぉぉ!】 2024-04-09 (Tue)

「待ちきれなくて」

イタドリとの対面がまだ早いとわかっていても待ちきれなくてとうとう内緒で出掛けてきました。

やっぱり早いっ!いやいやそう言う事は言うなって!自己満足しないと収まらないって!

私には秘密基地は「姪っ子と行く場所」、「山仲間と行く場所」、そして「ひっそりとひとりで行く場所」の3か所があります。

この日は「ひっそりとひとりで行く場所」に行ってきました。

駅を出たらどこもかしこも桜が満開です。花弁の雨を浴びながら・・風流だねぇ。

空は今にも雨が降って来そうで予報では午後から雨が降るとか。5分も歩かない所に秘密基地があるのです。

あったっ!ニョキニョキと伸びてます。四万十の幼友達に第一報を知らせるためにスマホで写メを撮りました。

しかし喜んだのは束の間で親木の根っこには芽の出てない場所が多かったです。

やっぱり早かったんかな・・・

これだけでは帰れないと一駅歩いて歩きながら採取しました。

帰宅後皮を剥き塩漬けにして冷凍室にいれました。酸味が抜けるまでお預けです。

来週からは第2弾の「姪っ子と行く場所」、第3段の「山仲間と行く場所」に行ってみたいと計画しています。

朝から降る雨でニョキニョキと伸びてくれることでしょう。

やっと私の春が到来し「季節限定イタドリ姫」が息吹ました。


[6567] 【7613回 この時期だけ大賑わい】 2024-04-08 (Mon)

私の住む町に「高見新家公園」と言う大きな公園があります。

高見新家公園は、大阪市此花区高見1丁目と福島区大開4丁目に位置しており、広々とした芝生には大きな遊具が設置されています。

防災公園としても役立つ場所であり、災害時の避難先としても安全な場所として指定されています。

一度、大がかりな防災訓練をしたことがありますが最近では実施されていないと思います(防災公園だと知らないかも?)

その公園に、えらい人だかりがしておりバイクを停めてしばし見学していました。

近くにあるドラッグスーパー「コスモス」の無料駐車場に車を停めて大きな荷物を抱えて公園に入って行きます。

そして小さなテントを立ててお弁当を広げています。な〜るほど・・こりゃ便利やな(店側は容認か?)

店に買い物に来ても駐車スペースはありません。

普段は閑散とした公園なんですが桜の時期だけ見た事もないほどの人が来ています。

きっと今年利用した人は来年も来るでしょう。だって駐車場から歩いて2分もかからないんですもの、穴場だわ。

ただ・・ドラッグストアー側が何か対策を練ってコインパーキングなどに改装するかも知れないね。

だって買い物に来たお客様が車停められないんだもんね。


[6566] 【7612回 えんど豆に想いを寄せて】 2024-04-07 (Sun)

毎年、春になると京都の八幡市に住む元上司の手作りのエンド豆がさや付きで送られてきていました。

「君は豆ご飯が好きかね?」と聞かれたので「豆ご飯が好きです」と答えた事をずーっと覚えていて下さり毎年採れたてを届けてくれました。

しかし、今年はいくら待って届きません、届くはずがないのです。

そう・・・去年あの世へと旅立ったと家族の方から知らせを頂きました。

町のスーパーでエンド豆を見ると思い出します。

時を同じくして故郷の幼友達からもエンド豆が大量に送られてきました。道の駅でわざわざ購入して送ってくれていました。

その幼馴染も去年慌てて逝かなくてもいいのにあの世に旅立ってしまいました。

エンド豆の季節になると元上司と幼馴染を偲んでいます。豆ご飯を炊いて今迄送ってくれたことへの感謝しようかなぁ。

もうすぐイタドリの季節で毎日が落ち着きません。

埼玉に住む幼馴染からも「イタドリはまだちや」とワラビの写真が送られてきていました。

互いに故郷を離れていても季節が来たら幼き日に野山を駆け巡った日と同じことをしている様です。

イタドリは決して美味しいと言うものではありませんが見つけた時のあの感動は年を忘れます。

採ったイタドリは塩漬けして冷凍保存していてチビリ・チビリと出して調理します(私は採るのが楽しみであまり食べない)

ああ・・・探しにいかなくっちゃぁ!


[6565] 【7611回 ピカピカの1年生】 2024-04-06 (Sat)

桜の花が校門を飾り新1年生を迎えた4月5日、地元の小学校で入学式が執り行われました。

驚いたのはお父さんの姿が多い事です。平日だから会社を休んでの出席と言うことになります。

時代も変わったなぁ(良いことなんだけどね)

私の息子(昭和45年代)と言えばお母さんだけが多かったような記憶があります。

お父さんは「仕事一筋」と言いつつ子育ては母親任せが多かったような気がします。

真新しい制服に身を包み、両親より前をスキップを踏みながら行く姿は微笑ましくいつまでも見ていられます。

高層住宅のど真ん中にある大阪市立高見小学校、日の丸を高々と揚げて子供達を迎えていました。

新しいお友達沢山できるといいね。

まずは学校に慣れること、お友達を作ること、お勉強はそれからでいいのです。

授業が始まったら学校で習ったことをもう一度家で復習させてください。

私の息子は朝食後に国語の本を声を出して読ませてから登校していました。これは簡単な予習の習慣です。

復習と予習さえしっかりしていれば塾に行かなくても勉強が楽しくて成績もグーンと伸びます。

「学校に行きたくない!」・・そうならないように保護者の皆さんは見守ってあげて下さいね。


[6564] 【7610回 わかりにくい交番】 2024-04-05 (Fri)

此花区西九条交番は路地裏にあり知る人ぞ知るで、よその地区から来た人にはとてもわかりにくい場所にあります。

過日、雨の日の出勤のため西九条駅までバスを利用しました。

バスを降りたところに財布が落ちており私の前を歩くおばさんが拾いました。

拾ってはみたものの・・交番の場所を知らないみたいです。

私に交番は何処かと聞くので案内をして差し上げました。あんな路地裏にあればわからんわなぁ。

数年前に西九条の町会役員に大通りに面した場所に立て看板がいるのではと提案しましたが実行されていません。

案の定、落とし物、拾い物をしたとてどこに行けばいいのかサッパリわかりません。

そう言えば千鳥橋駅交番も大通りに面した場所にあったのに路地裏に引っ越ししてしまいました。

同じようなことが起ると困ってしまいます。幸いなことに我が町の「高見交番」は大通りに面しており誰が見ても交番だとわかり迷うことはありません。

町の交番はこうでなくてはいけません。再度、西九条地区の町会役員に念押しをしておこうと思っています。

大阪万博が始まればなおさら交番の場所を明記する必要があるのではないでしょうか。


[6563] 【7609回 地域の中学校の入学式】 2024-04-04 (Thu)

前夜から降りしきる雨の中此花中学校の入学式にお招きいただき出席してきました。

小学生が少し大きめの制服を着て歩いているような可愛い姿です。

保護者の皆様も若いね。先生方の異動もありました。

科目ごとに教師が変わり、英語の科目も増えて戸惑いもあると思います。希望の方が大きいといいね。

いじめ問題も勃発します。これが原因で不登校も始まります。

大人の世界で、しかも県知事と言う要職に就きながら(静岡県知事)が、不適切発言で辞職する羽目に陥りました。

役所の入所式で職業差別の訓示を述べており「あらら!」と咄嗟にえらい問題発言やなと感じました。

責任を追及され6月の議会終了後に辞任すると言う事態となりました。(当たり前やな!)

口は災いのもとです。友達へささいな言葉使いでも相手が傷つき、不登校となる場合もあります。

相手の立場に立ってみた時「言っていい事」「言ったら傷つくこと」がきちんと区別できるようにして欲しいです。勉強はその次です。

薬物問題も浮上しています。「えっ中学校で?」と信じられないかも知れませんが低年齢化しており油断は禁物です。

誘われても「ノー」と断る勇気をしっかりと持つて欲しいと思います。


[6562] 【7608回 突然の訪問者】 2024-04-03 (Wed)

「おばちゃん家にいてる?」「いてるよ」「ほな今から行くわ」えぇぇぇぇっ〜!?

日曜日のことです。夫婦ふたりだけの夕食の用意はできていましたが急きょメニューを変えて買い物に行き直しました。

訪問客は3人・・1階で事足りるなぁ(4人になると狭いので宴会は2階となります)

バイクを走らせてリクエストのあった「すき焼き」の用意です。

日曜日は「安いよ〜安いよ〜」の肉屋は休みだと思います。(今度確認しとかないとね)

鈴鹿の大学に通っている息子が帰って来たので挨拶にと言うのが主たる目的ではありましたが・・・

いやいや姪っ子にはまだほかに何か話したいことがあるはずです。

ちょっと待てよ、鍋言うたけど・・・コンロが出張しとるぞ、訪問者に持ってこさせばいいか(笑)

いつもは2人の静かな夕食が賑やかな夕食となりました。

共通の思い出が山ほどあるので話は尽きません。大阪人は喋ってなんぼやからなぁ。(私高知県人やけど・・・)

鍋を囲むと言うことはこんなにも話が盛り上がるのでしょうか?

大学の事、卒業後の就職の事、その前に国家試験合格しないとね。

イタドリ採りの日程の確認等々時間はアッと言う間に過ぎてしまいました。

「またね」「またね」暗闇に消えていく姪っ子家族を見送り、さぁ後片付けです。

2階でする宴会は片付けが大変なんですが1階だと簡単に済むのでいつでもwelcome!


[6561] 【7607回 此花警察で委嘱式】 2024-04-02 (Tue)

交通安全地域推進委員の任期は2年です。この度、再任通知が来ましたので委嘱式に出席してきました。

此花警察の署長室で公安委員会からの委嘱状を警察署長から受け取りました。コロナ禍でほとんど活動の機会がありませんでした。

名前だけの交通安全地域推進委員ではあまり褒めたものではありません。

新学期が始まると地域の小学校に行き、新1年生に横断歩道の渡り方や正しい自転車の乗り方の講習があります。

しかしこの講習は保護者にも受けて貰いたいと思っています。

間もなく「春の全国交通安全週間」がはじまります。4月6日から4月15日までの10日間です。

大阪重点
「高齢者の交通事故防止」

全国重点
@ 「こどもが安全に通行できる道路交通環境の確保と安全な横断方法の実践
A 歩行者優先意識の徹底と「思いやり・譲り合い」運転の励行
B 自転車・電動キックボード等利用時のヘルメット着用と交通ルールの順守

スローガンとしては「身につけよう 交通ルールとヘルメット」です。

最近は電動キックボード等の文明の利器みたいな乗り物が登場し交通ルールを守らず事故多発です。

何故あのような乗り物の認定許可が下りるのでしょうか?事故多発はわかりきったことなのに・・・。


[6560] 【7606回 季節限定イタドリ姫参上】 2024-04-01 (Mon)

3月が去って4月の登場、いよいよ季節限定イタドリ姫参上となりました。4月になりました。わたしの季節です。

山里にはイタドリがニョキニョキと伸びているはずです。私を待っているはずです。

故郷四万十市もそろそろあちこちに芽を出しているはずです。

2024年イタドリ第1号は私が見つけたいです。

子供の頃小さなイタドリを見つけた少年が「これはオレが見つけたイタドリやからお前ら採るなよ!」と言いました。

大きく伸びるまで誰も採らず、ちゃんと言いつけを守った私達も偉かったと思います。「たかがイタドリされどイタドリ」なんです。

私の亡くなった義兄も山菜採りが大好きでした。

親の遺伝子(オーバーなっ!)を引き継いだのか姪っ子とも毎年、私と一緒に秘密基地にイタドリ採りに出かけています。

幼友達ともイタドリ談義に花が咲きます。コミュニケーション満載のイタドリが私は大好きです。

時々「イタドリをあげます」と言う人がいますが丁寧にお断りしています。私は採るのが好きで人が採ったイタドリはあんまり・・・なんです。

最近は道の駅でも1束100円とか200円とかで売っていて息子が「おかんが好きやから」と買ってきてくれますが硬い、硬いイタドリなんです。(よぉこんな不良品売るわっ!)

昔、亡き母と山蕗を探して湯がき、皮をむいて生活の足しにと市場に売りに行きました。

蕗の皮を剥いた手はアクで真っ黒になり学校で見つからないようにと恥ずかしい思いをしたものです。

山蕗を売っていた八百屋が店じまいをしたため今年は中央卸売市場で山蕗購入します。

いまは母との懐かしい思い出から山蕗の佃煮を作り、あちこちに配っています。

美味しいとおだてられればいつまでも続くのでお愛想に言うのは止めてほしい(笑)

去年は幼友達と山蕗の森を見つけて必死で取りました。

その間に地主に許可を貰いに行ってくれたドライバーの友に感謝だわ。

「イタドリは雑草」「蕗は持ち主あり」だから気をつけないとね。


[6559] 【7605回 3月は去る】 2024-03-31 (Sun)

よく言ったもので「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」本当に今日で3月も終わりとなりました。

鳥カレンダーはハヤブサに変わりました。4月は私の生誕の月で何か良いことが起きそうな・・・知らんけど。

子供達は入学の用意や進級の用意等で希望に満ち溢れていることと思います。

厳しい受験勉強を経て希望の高校に入学の生徒たちの喜びは人生の大きな分岐点となるでしょう。

社会人となる人は今までの甘い人生を卒業し厳しい現実を突きつけられて希望よりも不安の方が大きいのではないでしょうか。

社会人となり3日辛抱できたら次は3週間、その次は3ケ月、次は3年。

「石の上にも3年」と言いますが3年経ってもなじめなければ新しい道を探せばいいと思います。

同窓会で故郷にサクラの木を植えようと提案されたことがあり役場にまで交渉してくれました。

しかし役場の人から「誰が世話をするのか?」と聞かれた時、大阪にいて、松山にいて、関東にいて世話が出来ないと諦めた事を思い出します。

あの時、許可が下りていれば今頃は満開のサクラの木の下で花見が出来たのにと思うと残念に思います。

人口も減り、小学校も中学校も廃校になったと聞きました。

寂しくなりつつある故郷の堤防にサクラが咲いていればとあの時の役場の対応に悔しさを感じています。

しかし、思い付きでサクラを植えたとしても維持管理の事を言われると「ごもっとも」と言わざるを得ません。


[6558] 【7604回 あれれ?正蓮寺川公園に?】 2024-03-30 (Sat)

我が家の近くを流れる正連寺川を埋め立てて地下を高速道路、上を公園にしてから随分月日が経ちました。

2025年の大阪万博に向けて此花区には目玉となるものがなく知恵を絞りだした結果、アート公園にしようと計画。

区民のためではなく万博に来場された人達を此花区へお誘いする作戦らしいが交通手段はどうするの?

駐車場もないし、万博会場からバス?、電車?

企画段階で私も委員のひとりでしたが会議に出ている間に「これは区民のための出費ではない」と感じていました。

夏の日差しを遮る東屋を作った方が区民の憩いの場となると言い続けましたが「サクラの木が伸びれば日除けになる」との回答。

阿保らしいので保護司会会長交代時に退任届を出しました。

しかしその計画は着々と進み近くお目見えするらしい。

作品は小松美羽さん初のパブリックアート「此花水龍」。プロデューサーは岡田准一さん(ひらパー兄さん)

正蓮寺川はかつて清流だったが、高度成長期に汚染されました。

此花区制100周年をきっかけに、この場所を「環境問題克服の象徴」と位置づけ、2025年の大阪・関西万博へと紐づけしました。

今後は100以上のパブリックアート設置を予定するらしい(知らんけど)まずそんなに生きてはいないなぁ(笑)


[6557] 【7603回 美味しかったカニの足】 2024-03-29 (Fri)

これは2月の話です。

姪っ子一家と一心寺へのお参りの帰りに、あべのハルカスでランチ会をしました。

偶然にもカニの食べ放題を見つけました。3月いっぱいで終了とのこと。

ポッチーは右手が不自由でカニを剥くのが苦手なのですが私も姪っ子も自分が食べるのが必死でかまってあげることを忘れていました。

姪っ子の娘がお皿いっぱいにカニの身をほぐし、そっとポッチーの前に置きました。

私も姪っ子もその時初めてハッと気が付きました。カニは人格を変えるみたいです(笑)

それにしてもよく気が付く娘です。なんか胸にジーンときました。

プリプリの身のいっぱい詰まった美味しいカニです。蒜山で食べたカニとは種類が違うみたいです(蒜山は紅ズワイカニでした)

いつもなら湯快リゾートのカニ三昧ツアーに出掛けるのですが今年は見逃してしまいました。

しかし湯快リゾートもだんだん高くなってきて気軽に行くことが出来なくなってきました。

そんな中であべのハルカスのカニ食べ放題はお得感があって年金組でも気軽に参加できそうです。

とにもかくにも、あと数年の生存率なのですからお誘いを受けたら「行くっ!」と言いましょう!

お誘いを受けるという事は嫌われてないという証拠です(知らんけど・・・笑)


[6556] 【7602回 嫁と姑が仲良くする5ケ条】 2024-03-28 (Thu)

講演依頼の話をしましたが要するに、当日緊張せずに上手く喋れるかどうかにかかっています。

今迄、多くのお偉い先生方の講演を聴いてきましたが内容が難しすぎたり、声が小さかったり、なかなか最後まで集中して聴けない講演が多かったです。

私のテーマは「嫁と姑」です。簡単でしょ?でも奥深いのよね。

女性の永遠のテーマは嫁と姑のトラブルだと思います。難しいテーマは私の手に負えません。

肩の力を抜いて本音で耳を傾けて貰えたらと思います。姑と仲良くする5つの方法をご披露しようと思っています      

@ 良い嫁を演じすぎない
がんばりすぎると少しずつストレスが溜まります。お姑さんとは長い付き合いになります。「がまんしすぎず、甘えられるところは甘える」
        
A ほどよい距離感を保つ 
「近所だから」と言うことであまりに頻繁に行き来していると、生活習慣や考え方のちがいが目につき、お互いに不満をためてしまうこともあります。

B 夫にあいだに入ってもらう 
嫁姑のあいだにトラブルが起きてしまったら、解決のキーパーソンになってくれるのは、やっぱり夫です。「お義母さんと私、どっちの味方なの!?」などと詰め寄るのは禁句。
     
C「手伝います」の声掛けをする  
夫の家に行ったとき、お客さん気分で座りこまず「お手伝いします」と声をかけることが大事。「いいわよ、座っていて」といわれても、最後の片付けと洗い物は手伝う。

D 昔の思い出話を聞いてみる     
お姑さんと夫の昔の思い出話はお薦め。お姑さんにとっても懐かしい思い出を振り返るのは楽しいひとときです。

相手の立場に立つことが出来ればどれも難しい問題ではありません。


[6555] 【7601回 講演依頼】 2024-03-27 (Wed)

女性会から講演を依頼されました。これで2度目の依頼です。

立派な肩書のある講師は山ほどいますが私には何の肩書もありません。なのに講師を引き受けてしまいました。

女性会の皆様には私が保護司会会長時代に大変お世話になっていたのでお礼の言葉を述べさせてもらう良い機会だと思ってお引き受けしました。

女性ばかりなので女性の永遠のテーマでもある「嫁と姑」をテーマにお話をしようと決めました。

最近は同居が少なくてあまり問題が起きていないかも知れませんが参加者が女性ばかりなので「ふむ・ふむ・なるほど」と聞いてくれるのではと思います。

過日、長男の嫁が○○歳の誕生日を迎えました。私の息子をとても大切にしてくれて孫も立派に成人させてくれて感謝しています。

スープの冷めない距離に住んでいますが必要最低限しか行ったり来たりしていません。

冷たく感じるかも知れませんが「用事のある時だけ行ったり来たり」を限りなく守っています。これが嫁姑がうまくいく方法です。

昔、嫁が北海道へ里帰りしている時に食事の差し入れをしようと息子に連絡したところ「嫁が帰って来てから来てくれ。留守の時は来ないでくれ」と言われました。

何と冷たい・・・と思いましたが後で思い返してみると私が反対の立場だとしたら自分の留守中に姑に台所ゴソゴソされたら嫌だわねと納得しました。

相手の立場に立つことでもめごとは回避できると学んだ次第です。

資料も忖度の品も揃いました(笑)そして「嫁と姑が仲良くする5つの条件」のしおりも添えて準備は整いました。


[6554] 【7600回 届いたよ〜と友からの便り】 2024-03-26 (Tue)

アーモンドの花を見に行ったり、甲子園に行ったり、女子会の飲み会に行ったり、地域の卒業式に行ったりとバタバタバッタの日々。

気になりつつ、同窓会・幹事会の写真の編集がすっかり遅れてしまっていました。

強烈なのは蒜山の宿でビールをぶっかけられたあのシーン。

浴衣の帯がダラ〜リと外れたその時・・・あぁ〜あぁ〜あぁ〜言えないわ!書けないわ!(書いとるやないかいっ!)

取り掛かっても、その時の光景を思い出しては笑えて手が止まりなかなか進まなかったのです。

やっと金曜日に郵送出来ました。最近は土曜日・日曜日の配達がないので、これまたお届けが遅れてしまいました。

月曜日幼馴染の皆さんから「届いたよ〜!ありがとう!」と嬉しいお礼の言葉を頂きました。

やっぱり反応を頂けると嬉しいね!封筒を開けた時の顔を想像しながら喜びに浸っています。

思い出が共有できるって素晴らしいことだと思います。

年と共に顔の年輪が深くなってくると言った友もいましたが気にしなくてもみんな同い年だから年輪の深さもも一緒よ。

そして私自身も思い出アルバムを見直しながら楽しかったあの日、あの時を思い出す材料になったことを喜んでいます。

アーモンドの種はみんな大切に蒔いて、育てて、花を咲かしてくれることでしょう。

梅や桜とよく似ていますが香りがとてもよくて咲くと感動して貰えると思います。

まさか東洋ナッツ株式会社様は四万十や松山、奈良にまで種が運ばれたとは思ってもみなかったことでしょう。

よしんば、枯れたとしても、成長しなかったとしても同じ思い出にはなると思います。

東洋ナッツ株式会社へ同行したメンバーは帰宅後、フライパンで炒って食べられるかと思ったらしい(大笑)


[6553] 【7559回 彼岸のお参り】 2024-03-25 (Mon)

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが春が来たかと思ったら雪が降り、雪が止んだかと思えば雨ばかり。

「春雨じゃあ濡れて行こう」と言うけれど寒くて風邪引いてしまいそうです。地球の異変に何か大きな災害の予感がして恐ろしいです。

お彼岸の22日、一昨年あの世に旅立った姪っ子と義父母の眠る一心寺へお彼岸のお参りに行ってきました。

いつもながら物凄い人です。

駐車料金はお彼岸価格「15分で500円」、ローソクは300円のところお彼岸価格で500円・・何とも驚いてばかりです。

看護師の姪っ子とあべのハルカスを見上げながらStar Backsでコーヒーを飲みながら時間調整。

それから会議会場へ移動し会議終わりに話の続きとばかりに喫茶店を探しましたが見つかりませんでした。

コンビニのイートインを探しましたが無くて仕方無いのでコンビニでコーヒーを購入し駅のホームの待合室で延々と(なかなか良い個室ですこと)

別れ際にイタドリ採りの日程を決めました。

イタドリ三姉妹と名前まで付けて毎年決まった場所へ採りに行ってましたが去年からはひとり欠けて寂しい山菜採りです。

今年は季節が早いため日程選びが難しいです。恒例行事なのでとにかく「ダメ元」でも出掛けようと約束をしました。

故郷からイタドリの便りはまだ届いていません。


[6552] 【7558回 行って見たい場所→断念!】 2024-03-24 (Sun)

土曜日の「朝サラダ」と言う番組で瀬戸内海の離島「豊島」がクローズアップされていました。

行って見たい〜!・・すぐそう思いました。

仲間にすぐラインしてみんなで考えようと提案しました。

2月の例会でみんなにパンフレツト(豊島観光協会様から郵送して貰いました)を渡しました。

それぞれが調べた事を発表してくれるはずです(2024年は全員で企画だからね)

コースが無い、無いと悩んでいる時はテレビも大切な情報源となります。

駅に置いてあるチラシも情報源となります。交通手段は?宿泊代は?等を調べるのも楽しいものです。

しかし調べて行くうちに交通の便が悪く異動に時間がかかりすぎることがわかりました。

それに・・・メンバーから何の提案もないしね(これ幸いだわ)

行きたいと思う心と行けるは別物です。これからはしっかり調べて可能であればメンバーに披露するのが良かろうかと思います。

大阪府下にある歩け歩け協会の年間スケジュールはどの会も同じ時期に同じようなコースを企画しています。

「またかぁ・・」と思うなら参加しなければ良いのですから一般参加者は自由の身だこと。

しかし自分達で運営するとなると同じ所は企画に入れないのが常です(4月のイタドリ採りは別)

ネタ不足になったり、体力低下による参加不能者が出て来ると会の存続は諦めないといけません。

無理のない里山歩きではありますが楽しく歩けていれば満足です。

4月はサクラ、5月は藤の花、6月はアジサイと花を愛でる会になってしまいそうです。それもいいかなと!

そう言えばしばらく山らしい山に登ってないなぁ。


[6551] 【7557回 アーモンドの花より人・人・人】 2024-03-23 (Sat)

3月16日と17日の2日間、神戸市深江にある東洋ナッツ食品株式会社の敷地に咲くアーモンドの花の一般公開がありました。

16日は晴天、17日は雨模様の予報が出ていましたが前日は淀川右岸クリーン作戦の行事があったた雨を覚悟してでかけてきました。

深江の駅は90%が会場に向かう人達で混雑していました。私達は歩いて行きましたがシャトルバス乗り場は長蛇の列でした(バスを待つより歩いたほうが早いよ〜)

会場までは立て看板が等間隔に立ててあり迷うことはありません。スタッフも多く案内役として立っていました。

淀川右岸クリーン大作戦の時にも案内の立て看板欲しかったです。

会場につくとまたまた「オドロキ〜モモノキ〜アーモンドのキ!」物凄い人混みに圧倒されました。

「あげたてアーモンド」「ゆずピスタもち」「ピスタチオバームクーヘン」を購入する人達でテントの前は長蛇の列。

私達はお買い物の列には目もくれずアーネンドの香りと花に満足したら、とっとと帰ってきました。

西宮駅で途中下車してランチタイム、そのあとStar Backsに入りコーヒータイム。

深江駅はまだまだアーモンドまつりに行く人達で大混雑していました。

みんなどこから情報を得ているのでしょうか?

自宅に到着した途端に雨がポツポツ・・・ラッキー

お土産にいただいたアーモンドの種は四万十と松山市と奈良市の幼馴染に送り育てて貰おうと思っています。(アルバムと一緒に郵送済み)


[6550] 【7556回 幹事会の写真編集完了】 2024-03-22 (Fri)

皆生温泉から蒜山高原の幹事会の様子の写真編集が終わり21日ポストに投函しました。

グループラインに送信だけにしようかと思ってもみましたが全員が繋がってないため印刷してホルダーに収め、アルバムらしくして郵送です。

途中でインクは切れるし、写真用紙は切れるし・・・1日中バタバタしました。

写真用紙7枚を8人用ですから、そりゃインクも写真用紙もいるわなぁ。

届いたとて喜んでくれるかどうかは別物です。息子がいつも言います「期待はするな!自己満足でええやろ」と。

なるほど、そうかも知れません。今まで所属する会の行事がある度に自宅で印刷をしてきました。

重宝してくれればと思いつつ反応のない時は「自己満足でええんや」と自分に言い聞かせてきました。

地域の行事も同じ事です。写真の依頼を受け編集して提出するも、どこに掲示しているのか空しくなる時もあります。

その役目(頼まれたわけではないから役目とは言わないか?)も5月で卒業です。(地域は3月の総会で終了)

肩の荷が軽くなりました。これからは自由に飛び跳ねます

今までも結構飛び跳ねてきましたが、私の幼馴染に大羽を広げる先輩がいるし・・負けてる)


[6549] 【7555回 第96回選抜高等学校野球大会】 2024-03-21 (Thu)

孫娘が大好きな「あいみょん」の愛の歌が開会式の行進曲に決定しました・

朝ドラ「らんまん」で毎日テーマ曲として流れていた馴染みの曲です。

「ばぁちゃん行く?」「行く行く」そんな会話から甲子園行きが実現しました。

あいみょんファンの孫娘はどうしても開会式で流れる曲が聴きたいらしいです。

前から7段目の端っこの71番席・・バックネット真裏の席で背もたれもついてテーブルもついています。

かすかな期待は西宮出身のあいみょんがサプライズで始球式に出てくれるかもと期待していたらしいです(残念でした)

1試合みたら帰ろうねと言っていたのですがあまりにも座り心地の良い席のため1試合だけでは帰るのが勿体なくなりました。

1試合は9回目で同点となり10回目になると「タイブレーク」・・・なんやそれ?延長戦の事とちゃうのんか?

タイブレーク制度とは、延長戦において、試合の早期決着を促すために、点が入りやすい状況から攻撃を始める制度です。

高校野球では、2018年から公式戦で導入されました。

さらに、2023年度から規則が改正され、タイブレーク制度は9回が終了して「10回になった時点」から適用されます。

今回から適応された新しいバツトのためか飛距離が伸びずホームランかと思っていてもなかなか・・・(大谷少年なら出たかもね)

飛距離5メートルダウンの新基準「低反発」バット導入で高校球児達はやりにくいだろうね。バットに当たる音も鈍いね。

高校球児の打球事故による危険を少なくするという目的で、安全性が重視されての導入ということになったらしいです。


[6548] 【7554回 阪神動力女子会の誕生】 2024-03-20 (Wed)

私が会社を定年して16年が経ちました。その時に在籍していた女子社員がそのまま勤続していることに驚きつつ・・再会。

女子社員にしては永年勤続だと思うと話すと「だって久田さんが定年までガンバレって言うたから」・・・そりゃ言うたけど(笑)

ひとりの女性は妊娠と判った途端にパワハラを受け、産休、育児休暇とその度にパワハラを受け私は彼女を励まし負けないようにと励ましました。

その時の子供はもう中学生になったらしい。

私の後任として仕事を引き継いだ女性は16年目のベテランになっていました。

一番若い女性は入社2年目で私が退職したので記憶が薄いかと思っていましたが記憶は鮮明でした。

入社した途端に社内運動会の選手宣誓を希望した活発な女性で覚えていますよ〜。

仕事の事、人事の事、運動会の事、キャンプの事と時間をみたらあっと言う間に3時間が経過していました。

そしてこの日「女子会」を結成しグループライン誕生。記念写真を撮り男子社員に送信。

「オレは呼ばれてない!なんでや〜?」と楽しいやり取りもできました。

すこし温かくなってから第2回目を開催しようと約束をして別れました。

何か16年前に戻ったみたいです。お誘いをもらって嬉しかったです。

人と人の繋がりは何年経っても会えば昔のまんまなんですね。ちょっと感動しました。


[6547] 【7553回 淀川右岸クリーン大作戦】 2024-03-19 (Tue)

毎月地域の込み拾いはしているのですが16日は西淀川区からの要請で塚本駅まで行ってきました。

塚本でバスは降りたものの案内板も案内の人もおらずうろうろするところでした。

下見をされた方がバスに乗っていたので後ろにくっつき虫してついていきました。

集合場所には横断幕が掲げられており既に受付が始まっていました。

後から来た此花区のメンバーも場所がわからず右往左往されたみたいです。

スタート地点から600m此花寄りに歩いてゴミを探します。雑草の茂みに隠しているゴミが多く驚きました。

600m先のゴールでは「にしよど青空コンサート」開催の皆さんがスタンバイしていました。

春の歌の唱歌、子供向けのアニメソング、高齢者向けの演歌と30分ほどではありましたが癒しの時間を頂きました。

600m戻ってまた塚本からバスに乗るか、既に600m此花寄りに歩いているので徒歩で帰るか話合いました。

皆さん健脚人ばかりですので歩いて帰ることにしました。

此花区でランチタイムとしたいのですが昼間から開いている居酒屋さんはありません。

ウロウロしている間に自宅前を通過して春日出商店街まで歩いていました。

ランチ後、バイクを駐輪している場所まで引き返しやっとのことで自宅にゴールできました。

天候が良すぎてとても暑く、これからは熱中症対策が必要だと感じました。


[6546] 【7552回 令和5年度最後の定例研修会】 2024-03-18 (Mon)

3月15日、令和5年度第4期定例研修会が区民ホールで開催されました。

私にとってこれが最後の定例研修会となります。

次年度からは観察官も異動となり中堅どころの観察官が赴任してくるそうです。

新人観察官がどうのこうのと言うのではありませんが何故此花区ばかりに新人観察官が赴任されて来るのかが不可解でたまりませんでした。

やっと、やっと中堅どころ・・・。

しかし、もう観察官との接点もありません。どうぞ此花地区保護司会をよろしくお願い致します。

帰り道、これだけは言っておかないといけないと思い観察官と千鳥橋まで一緒に歩きました。担当観察官としての取るべき姿を切々と・・

これは決して苦言ではありません。今後の彼のための助言です。親が息子の門出に言う「はなむけ」の言葉なのです。

これを「苦言」と解釈したのならば彼の将来に光はさして来ないでしょう。

しかし「助言」と解釈で来たのならば明るい未来となることでしょう。

弁明や言い訳には「喝!」を入れさせてもらいました。このことを真摯にうけとめることが出来れば彼の人生は変わってくると思います。

去りゆく人にここまで言わなくてもと思うかも知れませんが去りゆくからこそ大事なのです。

言わなければ新しい赴任地でも同じ事を繰り返すことになります。

私の言葉は送別の「花束」と一緒です。私の花束は生涯枯れることはありません。


[6545] 【7551回 同窓会・第2日目(3月11日)・・その2】 2024-03-17 (Sun)

ひるぜんワイナリー見学はワインの貯蔵庫などが見学できるのかと思っていましたが売店だけでした。

みんながストーブを取り囲んでいる間に操ちゃんただひとり数種類のワインの試飲を楽しんでいました。

そのあと、ひるぜんジャージーランドにも立ち寄り休暇村・蒜山高原到着しました。

3階の部屋からは手が届くほどの近いところに蒜山が見えています。

女子組のみなさんに蒜山三座の説明をしながら窓の外にほんのり雪をかぶった蒜山に見惚れていました。

蒜山三座とは 、岡山県・鳥取県にまたがる火山で、中心となる中蒜山(1,123 m)、上蒜山(1,202 m)、下蒜山(1,100 m)の3つの峰を蒜山三座と言います。

ホテルの窓からは三座全ては見えませんでしたがお風呂に行く通路から三座が見えていました。

夕食はバイキング形式でそれぞれが欲しい食材を取りカニの足もあったのでまずはカニ・カニ・カニと。

席に付くと石ちゃんが「われ・・どればぁ食うのか?!」とあきれ顔(笑)

ここで事件が発生しました。多恵ちゃんがビールシャワー事件に巻き込まれたのです。

外国籍のスタッフがビールジョッキを運んできたのですがバランスを崩して多恵ちゃんの首から下にかけてしまったのです。

「すみません・大丈夫ですか?」の声が出ないほどにアクシデントに青ざめていました。

チーフらしき日本人スタッフが来て平謝り。多恵ちゃんの着替えに操ちゃんが付き添いました。

間もなく代わりのビールが届きましたが美智子がえらい剣幕でスタッフを怒鳴っています。

「本人が着替えに行って、いつ席に戻るかわからないのにビールをもってくる人がおるか〜」そんな内容だったと思います(こわ〜っ)

この事件の精で蒜山での集合写真はありません・・・😢

二次会は女子部屋で2024年と2025年の同窓会打ち合わせを真剣に行いました。物故者の確認18名(男12名 女6名)もしました。

翌日は11月の再会を約束して高知方面と津山方面に安全運転を約束しお別れしました。


[6544] 【7550回 同窓会・第2日目(3月11日)・・その1】 2024-03-16 (Sat)

朝食を済ませまずは境港漁港に立ち寄りそれぞれが買い物をしました。

カニを買う者、干物を買う者とそれぞれでした。

次は、ぼたんで有名な由志園見物です。老人割引はないかと尋ねましたが「ない!」との事。

ここは假屋崎省吾の作品展も開催していたり高麗人参の産地らしく売店には雲州人参が沢山並んでいました。

オシドリの観察に行くべく事務所に予約を入れると「オシドリは朝食を取り終わり、いまは飛び立ってどこかへ遊びに行きいまは留守です。

夕食の4時には戻ってきますので出直して下さい」と言われて見物を断念。

サントリー天然水・奥大山ブナの森見物をするため途中の車の中で予約を入れると「12時45分までに到着するように」との事。

時間がありません。昼食場所に立ち寄っている四万十号に連絡をして、「へんしも来たちや!」と伝えサントリーに向けて走りました。

松山号は指定の12時45分丁度に到着。出迎えてくれたスタッフに事情を話し、すこし遅れている四万十号の到着を待ちました。

サントリー天然水から見る大山は雪の帽子をかぶり、傍らに烏ケ山を抱きかかえるような姿は圧巻でした。

丁寧な説明を受けながらメンテナンスのためにラインは動いていませんでしたがペットボトルの出来る行程や箱詰めの映像を見ました。

「なるほど。なるほど」と感心ばかり。帰りには天然水とジュースをお土産にいただきました。

今後はペットボトルを見る目が違ってくると思います。


[6543] 【7549回 同窓会幹事会1日目】 2024-03-15 (Fri)

第1日目(3月10日)

午前8時36分、四万十組は四万十市を出発、大阪組は午前8時発の松山行高速バスに乗り三島川之江で松山のサチ君と合流しました。

与島PAで昼食合流の予定なるも四万十組は既に昼食を済ませ出発したとの連絡を受けサチ君の用意してくれた昼食を車中で頂きました。

後を追うように松山号は走りました。

四万十号とは高梁PAにて合流「やぁ、やぁ!」と挨拶を交わし、瀬戸中央自動車道・米子自動車道を走りました。

車窓から見る伯耆富士は美しく途中で車を停めて貰いカメラに収めました。

富士山より美しいのではと個人の感想を述べながらカメラにその雄姿を撮りました。

当初の予定では境港立ち寄りを計画していましたが翌日に変更し「皆生温泉・つるや」に到着しました。

伯耆富士の美しさをスタッフに話すとホテルの9階からが美しいと聞き女子組は荷物を置いて9階へ。

撮れましたよ!まるで富士山みたいやねと満足顔。

道中の疲れも見せず宴会開始です。

二次会は男子部屋にて幼き日の思い出話に浸り、大笑いの連続でしたがひとりの大男がトイレの前で眠りこけていました。

「そんなとこに寝たら風引くぜぇ」何と重いこと、重いこと何十キロあるんやろか?

みんなで抱きかかえ布団に運び1日目はお開きとしました。

まだまだ笑い話の続きはありますがお嫁に行けなくなると困るし、個人情報につき・・・大笑


[6542] 【7548回 ただいま戻りました】 2024-03-14 (Thu)

2泊3で皆生温泉・蒜山高原で開催された同窓会・幹事会から戻って参りました。

翌日には地域の中学校の卒業式に出席しておりバタバタとしており、今日やっと落ち着いてパソコンの前に座ることができました。

「アッと言う間の2泊3日」で、あともう1日が欲しかったと惜しい気分で振り返っています。

「やぁ、やぁ!」と瀬戸大橋のサービスエリアで四万十組幹事達と合流し2台仲良く目的地に向けて走行。

詳しくはいま旅紀行を整理しているところです。写真の整理もまだまだです。

大阪がドシャブリと言われていた日も蒜山三座を眺めながら、傘を一度もさすことなく無事に帰阪できました。

みんな相当疲れているだろうと思いきや、何と四万十組は帰宅後また町に繰り出し「アゲ」と言う名の反省会をしていたと言うのですからオドロキです。

ドライバー担当の友には神経をすり減らして安全運転をして下さり感謝しています。

みんな免許証保持者のため交代運転かと思いきや・・・車の持ち主ひとりで全て運転してくれました。

私と関西支部長は後部座席でおしゃべり、静かになったと思ったら居眠りと全てが楽しい思い出となりました。

夕食後の二次会で感じたことは「みんな年くったなぁ」・・だって酒の量がこじゃんと減ったちや(随分減ったと言う意味)

しばらくは高知弁から抜け出せないと覚悟をしています。

おいおいに旅での思い出は語っていきたいと思います。

まずは無事帰阪のご報告です。


[6541] 【7547回 お出かけしてきます】 2024-03-09 (Sat)

梅も見たし、おかめ桜も見たし、ソメイヨシノの開花までにはまだ時間があるし・・・ちょっと出かけてきます。

戻った頃にはチラホラ咲いているかも知れませんね。

南の方に向けて出かけますのでひょっとしたら大阪より速く咲いてるかも知れませんね。

ひよっとして、ひよっとして、イタドリも芽吹いているかも知れませんね(まだ早いよ〜!)

そんなわけで、3月10日から12日まで同窓会幹事会に出席のため2泊3日で外出中につき、書き込みをお休みさせて頂きます。

「えっ?!同窓会の打ち合わせに2泊3日もかかるの?」そうおっしゃらずに機嫌よくお見送り下さいませ(笑)

だって久しぶりの四万十幹事と関西幹事の集まりなんですもの、話は山ほどあるのではないでしょうか?

まずは去年みなさんから藍綬褒章のお祝いを頂いたのでそのお礼挨拶からかな。

すこし前に同級生が亡くなったので通夜式に参列した様子も聞かなくてはね。

2024年の打ち合わせと2025年ラスト同窓会の打ち合わせを念入りにしてきます。

舞台付き、皿鉢料理付など、こちらの要望を言って宿探しをして貰いたいのです。

いままでみたいに飲む人、歌う人、食べる人と同じ会場にいてもバラバラではなくて舞台に集中させたいのです。

最後だからね。


[6540] 【7546回 おかめ桜】 2024-03-08 (Fri)

鶴見緑地の一角にある「おかめ桜」が咲いたと聞き出かけてきました。

桜の木には数え切れないほどのメジロが蜜を求めて飛び交っていました。

プロの様なカメラを持った人やスマホカメラマンで木の下は賑わっていました。

時間が経つのをわすれるくらい可愛い姿で飛び交ってくれました。

桜はこの日がピークみたいです。雨が降れば美しい姿は見れなくなります。

いくなら「いまでしょ!」って感じです。

オカメザクラを見た後は広い園内を散歩しながら梅やアーモンドの花を求めて気が付いたら10kmほど歩いていました。

鶴見緑地公園は花博の跡地で既に建物は取り壊されていて表札の様な物だけが残っていました。

大阪万博も開催後はこんな風にさびれた建物跡になるのかしら?

鶴見緑地公園を出てからは西三荘公園を歩きながらパナソニックミュージアムにソニックミュージアムに向けて・・いやいやその前に腹ごしらえをしないとね。

やっとこさ一軒の「ランチ」のノボリバタを見つけました。生き返った気分で満腹となりパナソニックミュージアムへ。

立派過ぎてハイキングスタイルで入るのが気になるほどの素晴らしい施設でした。

松下幸之助は和歌山県が生誕の地らしく生家の庭先に大きな松の木の下にあったらしく苗字を「松下」とつけたらしい。

奥様と奥様の弟の3人で築き上げた小さな会社だつたそうです。何事もコツコツが大切ですね。

「社員を大事にする」がモツトーらしく社員を大切にすれば会社は繁栄すると言うのが松下幸之助の持論の様でした。

一度は研修で使ってみたい施設でした。


[6539] 【7545回 土佐分担貰ったけれど】 2024-03-07 (Thu)

強い風と雨の降る中、私はJR忍ケ丘駅にいました。

大切な話をするために午後5時開店の居酒屋に行ったはいいが・・・「開店は午後5時30分からです」と。

雨も冷たいし店の応対も冷たいなぁ(笑)開店前に入らせてよとは言いにくく、また入らせて貰えないやろしなぁ

近くにあるスーパーの2階の椅子に座り待ち時間30分を費やしました。

2時間以上、色々話をしながらやっと成果のある結論を出して再び土砂降りの雨の中へ。

途中下車して報告の為寄り道。

帰りに大きな土佐分担ひとつ貰いましたが重たい・・欲しいけど重たい!

小さなリュックが肥満児みたいに膨らんでいました。

故郷に帰ると「何も土産がないけんど」と言いながら米を下さる家がありました。

有難いけれど電車に乗って持ち帰るのは重たい・・とても大阪まで持ち帰れない。

中村駅から恩師に電話をして駅のロッカー〇番に米をいれてるから持ち帰って欲しいと依頼したことがありました。

田舎のロッカーですから盗まれる心配はしたことがありませんでした。

その恩師も犬の散歩中2匹の犬に引っ張られ堤防の階段を転げ落ちて頭部打撲であの世の人となりました。

息子さんから連絡があり夜通し車を走らせて通夜と葬儀に参列しました。

玄関先に大切な人の連絡先が張り出してありそこに私の名前も書いてあったらしい(嬉しいね)

私も緊急時の連絡先は玄関入ってすぐ目につくところに書いてあります。

しかし、しかしですよ。入口の鍵がかかっていれば家の中で異常があったとしても入れないので役にたたないよね。


[6538] 【7544回 レポートアップしました】 2024-03-06 (Wed)

中山寺観梅とすき焼のレポートと写真をアップしました。

表紙の「観梅とすき焼」をクリックして頂けるとご覧いただけます。

また「2024山行記録」をクリックして頂き「中山寺梅まつりとすき焼を囲む会」をクリックして頂くとご覧いただけます。

いつもは昼食と言えば冷たいおにぎりを頬張るのですが新年会も兼ねて山中で温かい鍋を囲みました。

勿論火気には充分注意をしてゴミひとつ残さず足跡と思い出だけを残して戻って参りました。

雨上がりだと落ち葉が濡れて座るにも座れないし、荷物も置けない状態だったと思います。

山の教えでシュリンゲとカラビナを携行していれば木の枝にリュックを濡らさず掛けておくことが出来ます。

私がその様にしようとした時、ふと、隣を見たら師匠も同じ事をしてリュックをシュリンゲで吊っていました。

もう高い山には行かない(いけない)けれど、今迄教わった山の知識は忘れずどこでも使いたいと思っています。

宴会後の鍋に残った汁はペーパーに吸い込ませ持ち帰りました。

山の中に捨てる?いいえ、私は師匠からそんな指導は受けていません。

自分の腹の中に収めるかペーパーで吸い取り山を汚さないことが山女の鉄則だと教わりました。

山に登る事が出来なくなったとしてもマナーはハイキング時でも適用し自然を守りたいと思っています。

時々ペットボトルや空き缶を木の陰に捨ててあるのを見ることがあります。

世の中からペットボトルが消えてなくなれと思ってしまいます。

昔のように水筒ならば必ず持ち帰るため山中でペットボトルを見ることはないと思います。

進歩した便利な世の中は自然を破壊するのです。

マナーを守れない人は山に行ってはいけないのです。


[6537] 【7543回 やっぱりねっ!】 2024-03-05 (Tue)

雨の音で目が覚めました。やっぱり降ってるんや。

実は5日は中山寺で梅を見てその後、野外でスキ焼きをする予定でした。

屋外の行事は天候との闘いです。晴れていれば最高のイベントも雨だと悲惨な結果になってしまうのです。

5日が雨ならば翌日に予備日を用意していましたが雨上がりは地面も湿っているしあまりよろしくない状態なのです。

前倒しして実施して良かったと安堵しています。

某ウオーキング協会の会長が「雨がこわくてウオーキングが出来るか!」と言われたことがあります。檄を飛ばしての言葉だと思います。

「雨は恐くはないですが危険を伴う場合があるので避けたいです」これが本音です。

不帰の剣を通過し白馬大池に向かう途中で雲行きが怪しくなったことがありました。アルプス初めてのメンバーが言いました。

「姫さん雨具いつ着るのですか?」「自分自身で決めてっ」

山中の雨は突然に降ってきます。瞬時に判断し一秒でも早く装着しないと濡れたら低体温症になる場合もあります。

リーダーに聞かないで自分の判断で行動をせねばなりません。

山行途中で突然の雨に遭い、リュックから合羽を出す間にずぶ濡れになったこともあります。

合羽を着ても濡れるし、着なくても濡れる・・・アルプスは何があるかわかりません。だから魅力があるのかも知れません。

今の時期は雪崩が多く発生し痛ましい遭難事故が多発しています。雪山に行く人達は充分に気をつけて下さい。

救助隊の皆さんに迷惑をかけないようにお願い致します。


[6536] 【7542回 野外のスキ焼パーティ】 2024-03-04 (Mon)

いやぁぁぁぁ満腹、満腹。

山の中のスキ焼パーティは想像以上にスリルがあって愉快でした。

ミニブルーシートは持って行ったものの誰一人座らずコンロと食材だけがシート上に鎮座しました。

小さな椅子を持参する者、斜め座りで、ややもすればズルズルと尻移動しそうな者、木が邪魔で座ったり立ったりする者と滑稽でした。

鍋の中の肉がほどよく出来上がった頃、どこからともなく伸びる手、手、手。

一通り腹に収まると手の伸びが緩やかになり「もうお腹いっぱい」と言う人も出てきました。

山の食事は汁一滴たりとて残さず食べきるのがルールですのでスキ焼の後はうどんを入れました。

それでも汁が残った分にはキッチンペーパーて吸い取り持ち帰りました。

振り向いてゴミが落ちていないかみんなで確認し思い出だけを残してその場を去りました。

滅多に褒めてもらうことのない(ゴメン)正ちゃんがゴミ袋、大量の水、キッチンペーパーを持参していたのには驚き助かりました。

準備が大変だったでしょと言ってくれましたが、何の、何の、結果が楽しければまた次に繋がります。

何か不満が残れば次はありません。今回は不満ゼロ!

私の姪っ子は野外で私の作ったちらし寿司が食べたいと言うので春先には義兄の墓の前でブルーシート広げようかと思っています。

外で食べる食事は高級料亭よりもうまい!(高級料亭行ったことないけど)

同じ趣味を持つ者同士、そんな仲間がいれば、どんな食材でも最高だと思っています。


[6535] 【7541回 日程変更】 2024-03-03 (Sun)

野外食事会の予定の日が「雨」予報のため急きょ日程変更することにしました。

メンバーにその事を連絡すると「OK」を貰い、買物リストを再確認しました。

忘れ物をしては大変とメモに書き出し、出発前に再度チェックすることにしました。

途中で雨になるとせっかくのすき焼きパーティも台無しになってしまいます。

最近の天気予報はかなりの確率で当たるため雨の日は避けたい(当たり前だけど)

変更したその日は「梅祭り」の日だとか、さぞかし美しく咲いているだろうと期待は大きいです。

実施日の前日に、すき焼きの肉を購入するために四貫島までバイクを走らせました。

この肉屋は午後5時になったら「安いよ〜安いよ〜」と超特価をする店で翌日に肉を残さないように売り切るのが店のモットーです。

100gが800円の肉が5時を過ぎると100g600円になるのです。1s買うので何と2000円のお得となります。

15分前に到着すると既にもう並んでいました。続々と行列は店の外にまで続いています。

お目当ての肉が前の人で売り切れと言うこともあるので順番が来るまでドキドキ・・・

買えたよ〜野菜もカットしたし、ビールも買ったし、後は晴天を期待するだけやね

いってきま〜す。


[6534] 【7540回 幼馴染の訃報】 2024-03-02 (Sat)

正月明けに元気に電話で話をしたのに・・・どうして?

秋の同窓会にはきっと会おうねって約束したのに・・・どうして?

春にはエンド豆と破竹を送ってくれてた友、夏には鮎を送ってくれてた友。

御礼にと洋服の18号サイズを送るとそんなに太ってはいないと苦笑した友

ならばと15号サイズを送り直すと「ぼっちり!」だと笑う友

サイズを間違えないようにと手帳に「サイズ15号」と書いている文字を消しながら友を偲んでいます。

幼馴染グループラインに訃報が入ったのは・・うるう年の2月29日の夜の事でした。

四万十市に住む幼馴染からラインに連絡がありみんながそれぞれコメントを書き込んでいました。

私が最後に気が付いたみたい(会議中につき携帯は不携帯)

3月1日に通夜とのこと、離れている私達の分もお別れしてほしいと依頼してラインを閉じる。

独り暮らしで友達が訪ねてきて発見したらしい。世間でいう「孤独死」の様です。

同窓会は77歳の喜寿(2025年)の年に終わる予定にしています。それまで頑張って生きていて欲しかった! 

心からご冥福をお祈りいたします。


[6533] 【7539回 たまには・・・】 2024-03-01 (Fri)

「たまには外ですき焼きもいいね」そんな話が出て野外ですき焼きをすることにしました。まずは場所の確保です。

最近はどこも「禁煙・火気厳禁」の立て看板が掲げられており昔の様に「好きなところで好きなように」が出来なくなっています。

それもそのはず心無い人たちがゴミは残す、火の始末はしない等危険きわまりない使い方をするからです。

「立ち入り禁止」「火気厳禁」等の禁止の立て看板が目立つようになりました。

その結果、きちんとマナーを守る人達の行動範囲が狭くなってきました。全くひどい話です。

あまり人目に付かない所でゆっくりできる場所を見つけました。

さてさて・・・野外でとなると準備する道具が沢山あります。

6人分の荷物を平等な重さに仕立てて合流した駅でクジ引きをしようと思います。「えっもう遊び心が始まってるのか?」当たり前で〜す。

「コンロ」「肉1s」「野菜」「鍋」「ビール」不公平なしの同じ重さにしています。

但し、特別参加のポッチーには食器類と敷物の軽めの荷物を持ってもらいます。

こうして遊べば爺婆でも充分楽しめます。あとは天候です。

前日の夕方「安いよ〜安いよ〜」の此花区で有名な肉屋の行列に並びます。

午後5時から肉の特価が毎日始まり5時前になると長い行列ができているのです。

予定していた日は「雨模様」のため日程変更となりました。


[6532] 【7538回 カラオケのシステム様変わり】 2024-02-29 (Thu)

何年かぶり(いや10年以上行ってない)にカラオケボックスに行ってみました。

受付にはスタッフはおらず機械がドーンと2台カウンターの上に乗っかっていました。

姪っ子の娘がチャッチャッと手続きをしてくれたから入室出来たものの、爺婆だけではカラオケボックスにも行きづらくなっています。

メンバーの中に若者がひとり混じっていることで昭和の歌と平成の歌が混じっててややこしい。(笑)

途中で採点付バージョンに変更して点数がでる様にして楽しみました。

箸にも棒にも引っかからない人が若干1名・・(大笑)

しかしあまりの一生懸命に歌う姿には笑うことも出来ず順番に楽しく歌っていきました。

私の歌う歌は「それしか知らんのか?」と言われるほど美空ひばりオンリー。

ところが90点と言う高得点が出たではありませんか!

ほかのメンバーに火が付きました。80点、88点・・なかなか90点を超えません。

今日は私の勝ちかなと思っていたところ、若者が92点を出しよった〜。

時計を見たら2時間が過ぎようとしていました。

スナックだと他のお客さんと交代で歌わねばなりませんが身内だけだと時間が勿体ないので次から次へと曲を入れまくりました。

帰るころはのどがヒィヒィ言う始末です。

たまにはカラオケもいいストレス発散になります(ストレスは無いけど)

機会があれば私の通夜の席で流す歌を録音しておきたいなぁと思っています。

遺影は出来たし・・あとは葬送曲だけやね(笑)


[6531] 【7537回 月命日】 2024-02-28 (Wed)

東京では強風が吹き荒れ工事中の防壁が落下したり、強風でバイクや自転車が倒れたりと台風並みの風が吹いているみたいです。

大阪はそれほどの強風ではありませんが空気がとても冷たく「首、手首、足首」の首と名の付く箇所の保温をしっかりとして外出しました。

27日は看護師の姪っ子が夜勤明けなのでその娘も一緒に1年前に亡くなった姪っ子の月命日のお参りに一心寺に出掛けました。

一心寺は平日でも多くの人の出入りがあり姪っ子も寂しくはないだろうと思っています。

もうすぐお雛様の時期なので雛餅をお供えしてきました。

「おばちゃん硬いやんか〜」とあの世から言われそうなので柔らかな雛餅です(笑)

その後みんなでランタタイム、そして送ってもらいついでに西九条で何故かカラオケボックスへ。

受付から支払いまで全て自動になっていて姪っ子の娘が居なければ年寄りには対応できそうもありません。

途中から採点付きシステムに変更して競い合いました。(姪っ子のダンナは音が外れっぱなしで大笑い)

私が90点を出すと負けまいとみんなハッスルして、とうとう姪っ子の娘が92点出してところでお開きとなりました。

2時間たっぷりの何年ぶりかのカラオケでした。亡くなった姪っ子は松田聖子の歌が好きだったことを思い出したり良き追悼となりました。

「お墓も要らない、寂しい所は嫌だ」と言ってあの世に旅立った姪っ子でしたのでカラオケも含めて良き供養になったのではと思っています。

「通夜で、かける自分の歌をCD化したい」これが私の希望です。

義兄の旅たちの時は義兄の生声で葬儀会場に流して貰いました。「南国土佐を後にして」「男の一生」「汽笛」「長崎は今日も雨だった」などなど。

余命宣告をされて時から気分の良い時にカラオケボックスに行き取りためた曲ばかり(本人に気付かれていましたが)

「お前ら・・ワシの葬式に流すつもりやろ?」「はいその通り!」バレバレやんかぁ(笑)


[6530] 【7536回 福祉相撲】 2024-02-27 (Tue)

2月25日の日曜日、NHKで相撲をやっていました。「ぇっ今何場所?」って思いましたが・・・。

東京の両国国技館で、第56回「NHK福祉大相撲」が開催されていました。

漫才の様な相撲の取り組みで会場を笑いの渦に巻き込む相撲の禁じ手などを実演する「初っ切り」

本場所では見られない相撲で釘付けとなりました。面白かったです。

この催しの純益で、能登半島地震で被災した石川県の福祉施設に、福祉車両「福祉相撲号」6台を寄贈をするそうです。

相撲甚句の披露もあり土俵上に力士4人がマイクを持った力士を取り囲み相撲甚句を歌い始めました。

相撲甚句大好きの私にとって何よりの時間。新しいバージョンを練習してまたどこかで披露する場面があれば歌いたいです。


『おたまじゃくしに手足が生えて 
エー 殿様カエルにウシガエル
カエルも色々ある中で あじさい寄り添うアマガエル
一茶が後押すやせガエル 四六のガマなら筑波山
菊池寛なら父カエル 粋な女にゃ振りカエル
湯上がり一杯いきカエル 嫁は実家にすぐカエル
娘は夜遊び朝カエル 女房は化粧で若ガエル
寝顔見たならあきれカエル はぁドスコイ!ドスコイ!』

相撲甚句歌える人にとっては新バージョンで練習し甲斐がありそうです。


[6529] 【7535回 大阪マラソン】 2024-02-26 (Mon)

2月25日に大阪マラソンが開催され雨の中を多くの参加者の方が42.195Kmを完走されました。

タイムを競う人、タイムは気にせずゴール出来れば良い人、途中まででも参加することに意義のあると思う人など。

さまざまな人生を背負い雨の中を合羽を着てのマラソン風景をテレビを見ながら応援しました。

その中に以前此花区長をされていた方も走っておりテレビ画面で見つけようとしましたが・・無理でした。無事完走したとのことです。

42.195Kmと言えばマラソンではありませんが四万十ウオークでその距離を歩きました。

菜の花の咲き誇る4月、故郷の四万十川沿いを上流に向けて歩き、勝間沈下橋で折り返すコースです。

出発前に市長が「ゆっくり、のんびりと楽しんでください」と言われたので写真を撮ったりビデオを回したりとのんびりと歩きました。

ところがゴール近くになって後ろから救護車がやって来て「車に乗ってください。もう本部は片付けちょります」「えーっ?!」

「そんな〜・・市長がゆっくり歩いてもかまんと言うたちや!」

最後まで歩きたいと車に乗ることを拒みゴールしました。

その時に撮った写真をフォトコンテストに投稿したところ見事金賞獲得。後日受賞式に参列しに来るようにと連絡を貰いました。

賞金は2万円だったと思います。大阪〜四万十を往復してたら2万円どころか足が出る・・・と四万十市に住む恩師に頼んで表彰式に行ってもらいました。

恩師曰く「表彰状はいっつも渡す立場じゃけんど貰うのは初めてや」と。

その賞金でスノーシューのカバー3台分買った思い出があります。

その恩師はお空に旅立ち、いまはもういない‥‥寂しいね😢


[6528] 【7534回 安産祈願の寺】 2024-02-25 (Sun)

宝塚・中山寺にはやたらと正装の人が多く「今日は何か行事でもあるのかな?」と思いました。

よく観察していると赤ちゃんを抱いた人が多く・・そっか〜お宮参りかぁ。

妊娠が判ると大安の戌の日に中山寺で安産祈願をして貰い腹帯を授かります。

無事出産が終わればお宮参りを兼ねてお礼に新しい腹帯を返納するしきたりがあります。腹帯は中山寺に行く参道で売っています。

中山寺で頂いた腹帯に性別が「男」であれば女の子が生まれ、「女」であれば男の子が生まれると言い伝えられています。

そして自分の子供が男の子なら「男」を書いて返納するのです。

男の子でも、女の子でも元気に生まれれば万々歳!・・それにしても付き添いの爺婆が若いね!

あとは親が責任をもって育ててあげれば良い子に育ちます。手抜きして育てた子は手抜きした状態で成長します。

若いママが子育てに困ったら婆様は手助けしてあげるのですが「頼まれた事だけをする」これが嫁姑が上手くいく秘訣です。

「昔はこうだった、ああだった」は禁句です。

布オムツが良しとした時代から紙オムツに変わりました。軒下にタコの足にオムツを干した時代は終わったんです。

時代と共に子育ては変わりますが「優しい心」は今も昔も変わりません。

人を慈しむ心、相手の立場に立てる心はしっかりと教えて欲しいです。

「優しい心」を育てる部分は爺婆も口出ししてもいいんじゃないかな?(それがあかんちゅうねん)


[6527] 【7533回 下見しとこか?】 2024-02-24 (Sat)

「うめぇ具合の七分咲き」

聖徳太子建立の安産の神様で有名な中山寺の梅林の咲き具合の下見に行ってきました。

3月初旬に梅見を企画しているのですが「咲いてなかったらどうしよう?」と不安になりました。

梅林の中の飲食は禁止のため、新天地を見つけて密談のできる場所を探しました(笑)

雨あがりの狭い登山道は「こんな天気の悪い日によぉ来たのぉ」と言わんばかりにズボンの裾を濡らしてくれます。靴も泥だらけです。

下見の結果、梅の開花は「七分咲き」と言ったところでしょうか。

来週あたりはきっと見頃だよ〜。

梅林を登り詰めた所に中山公園と書いた広場がありそこには見事な藤棚がありました(junkoちゃん知ってた?)

寺の係の人に藤の花の咲き頃を聞くと4月下旬から5月初旬らしいです。

ただし気候によって毎年変わるので社務所に問い合わせてから来て下さいとのこと(もっともだぁ)
 
ふと見上げると・・格好の岩場の斜面を見つけました。「登るか?」と聞かれたら「登りたい」と言うに決まってます。

濡れているので滑りやすく持っていた傘をストック代わりにして楽しんできました。いつも安全第一です。

メンバーを案内する頃には満開だと自信が持てました。


[6526] 【7532回 雨ばっかりやね】 2024-02-23 (Fri)

最近は雨ばかり降っています。

能登半島にも雨が降っているのでしょうか?片付けは進んでいるのでしょうか?行政の手は行き届いているのでしょうか?

気にはなりますが何も出来ない事に申し訳なさを感じています。ボランティアの滞在時間も延びたと聞きます。

どうぞ、どなたさまもご無理のない様にお願いします。

海抜ゼロメートル地域に住む私達の出来ることは「自分の身は自分で守る」ことだと思っています。

「どこに逃げるか」「何をもって逃げるか」今は冷静に考えられますがいざとなると多分・・

訓練したことの何ひとつ実行できていないと思います。

毎日のように地震情報が画面に流れます。毎日怯えながら暮らしています。

先日の災害予防訓練の様子をまとめました。参加されてなかった人達のためにもどうぞ広報掲示板に貼って欲しいです。

そして次からは参加して見ようと思って貰えたら作成した甲斐があるというものです。


[6525] 【7531回 非常食】 2024-02-22 (Thu)

南海トラフ地震を想定して町会では避難訓練を開催しました。能登半島大震災の直後なので明日は我が身に起きる・・・かもと。

どの町会でも開催していることと思います。私も真剣に今迄の取り組を見直しています。

まず我が家に消火器が無かったこと・・これはすぐに購入しました。使い方は先日の防災訓練で消火器に触れながら指導を受けました。

非常食の用意はあるのですが期限切れの物ばかりでした。もっと早く気付くべきでした。

ネットで新しく購入することにしました。5年間保存可能らしいですのでまぁ自分の命の最期と同じかな?

さてそれをどこに仕舞っておくのか・・勿論水に浸からない3階でしょ!

3階のベランダに通じる押入れを片づけることにしました。半分は沢山のリュック等の山の道具が占領しています。

山道具を整理整頓してスペースを確保しました。非常食以外には思いつくままに1か所にまとめて保管しています。

ガスコンロ・ボンベ・鍋・靴・水・トイレツトペーパー・サランラップ・インスタントラーメンなど3日間ぐらいは何とかなる用意はしています。

1階が水没したとしても3階でお湯を沸かして生き延びることができると思います。

あとは簡易トイレを用意しないといけません。能登半島地震で被害を受けた人達の一番の悩みは「トイレ問題」でした。

ダンボールで作ったトイレと市販のトイレが展示されていましたがどちらか1個は自宅に備え付けておきたいと思っています。

大きなビルが倒壊するのですから我が家の様なちゃちな家全体が流される危険性はあります。

しかしそう言いながらでも準備しておけば少しは安心できるのではないでしょうか?

大切なのは非常食の賞味期限前に入れ替えをすることを忘れない事です(私は期限切れで失敗しました)

どうぞ・・私が生きている間に南海トラフ大地震がやって来ません様に!


[6524] 【7530回 避難ビルに逃げたとしても】 2024-02-21 (Wed)

過日の防災訓練の様子の私の書き込みをご覧になった人から質問を受けました。

『津波避難ビルに避難した場合、余震や津波の第2波、第3波を警戒して、あるいは水がなかなか引かない場合があります。

数時間〜半日くらい避難者が留まることも想定されるのではないかと思いますが、その場合自宅避難同様にトイレの問題があると思います。

津波避難ビルに自治体から避難者用の簡易トイレを支給してビルで保管してもらう自治体もありますが、大阪市の場合はどうなっているのでしょうか?』

私は「避難ビルの待機場所でのトイレの説明はありませんでした。(避難ビルから移動した後の事しか説明はありませんでした)

避難訓練に参加して思う事は天井まで水没するであろう平屋の小学校の講堂への移動は危険だと痛感しています。

何とか自宅3階に留まり簡易トイレ、非常食の備蓄を確保して自分の命は自分で守らねばと思っています。」と答えました。

他府県によっては協定を結んだ避難ビルに避難者用簡易トイレを支給し保管して貰っているらしいです。

大阪市はそこまで考えているのか?準備していれば説明会で話が出るはずですがそんな説明は一言もありませんでした。

今度会議があったら避難ビルの簡易トイレの話を質問してみなくっちゃあね。

そんなことを思うと自宅にきちんと簡易トイレを含む食料などの備蓄をしっかりとしておかないといけないなぁ。


[6523] 【7529回 季節は雨水へ】 2024-02-20 (Tue)

雨水とは・・降る雪が雨へと変わり雪融けが始まる頃を言います。

山に積もった雪も、ゆっくりと融けだし田畑を潤します。農耕を始める時期の目安だと昔の人はよく当てています。

日曜日に防災訓練があり消火器の取り扱いの説明を受け実際に触れてみました・・・そう言えば我が家には消火器が無いわぁ。

善は急げと「防災訓練受講記念」に消火器を購入しました。5sもあり重たいです。バイクの足元に挟んで返ってきました。

使う事があってはいけませんが「備えあれば患いなし」でちょっと安心できます。

地域の防災訓練も1年に1回と言わず度々開催してくれればもっと身に付くのにね(準備する人達は大変だけど)

消防署の簡易担架作りで長いポール2本と毛布を使って作ってましたが避難中にそんな道具あるんかな?

若い消防士さんに年寄りが持っているストックと着ているジャンバーでの担架の作り方を聞いたけど「知らない」そうです。

私達は登山中に歩けなくなった仲間をストック2本とジャンバーで作る講習を受けました。

また背負って下山するときの方法としてシュリンゲで後と左右で引っ張り補助する訓練も受けました。

自分自身が沢登りで脱臼したときはゴミ袋を三角巾の代用品として使用しました。

道具がない時の救助方法も覚えておくと役立ちますね。


[6522] 【7528回 高見地域防災訓練】 2024-02-19 (Mon)

18日の日曜日、高見地域防災訓練がありました。

町民には事前に回覧板で知らせています。私の住む2町会は20人ほどが指定場所に集合して団地の3階へ移動しました。

移動時に手前に階段があるのに何故か奥の遠い階段の方へ歩いて行くので私が「待った!」をかけました。スタッフの誘導ミスです。

大変なのはわかりますが・・スタッフの予行練習をしておいてください。これでは真剣さに欠けます。

本部のある高見小学校に無線にて状況報告の後に小学校へ移動しました。

ただ団地の廊下を移動する時のおしゃべりが凄い、うるさい!・・・(集合した時に諸注意が必要!)

訓練だから危機感の無いのは理解は出来ますが本当の津波避難だと思って参加して欲しかったです。

小学校に移動してからはビデオ学習や消防署による簡易担架の作り方、運び方、消火器の使用訓練などがありました。

私の住む此花区高見町は海抜ゼロm(マイナスの箇所もある)なので津波が到来したときは完全に水没します。

では津波がきたらどこに逃げるか?高見町は高層住宅が乱立しておりステッカーの貼ってある団地の階段を使って3階以上に逃げれば生命だけは助かると思います。

しかしその後、何処へ逃げてどうするのかを訓練しなければなりません。水が引くのにも時間がかかりそうです。

高層住宅のステッカーの貼ってある住宅を把握しておくことも大切​だと思っています。

まだまだ問題点の多い防災訓練、何度も何度も繰り返して行うことが必要だと思っています。


[6521] 【7527回 土佐分担】 2024-02-18 (Sun)

土佐分担と名前が付いているので産地は高知県(笑)だと言うことは判ります。

子どもの頃は土佐分担ではなくて、自宅の庭先にある「小夏」がミカンの主でありました。

これも県外で店先に並ぶことは滅多にありませんが貴重なミカンです(通販では購入可能)

小夏は白い薄皮を残して薄皮毎食べるのですが知らない人は白い薄皮を除いて食べる為「酸っぱい」と言う印象が強いです。

皿鉢料理の飾りには欠かせないのが「小夏」です。

土佐分担は高知県を代表とする特産果実のひとつで、独特の爽やかな芳香とプリっとした食感が特長です。

一粒食べるとプリっとした小さな実がはじけて、果汁がジュワーッと口いっぱいに広がります。

スーパーで珍しく土佐分担を見つけました。1個500円ほどの値段がついています。

土佐分担の時期になると大きな袋いっぱいで1000円ほどで売っているのですが大阪では高いですね。

偶然が重なり、隣組のおばあちゃんも大きな土佐分担を1個お裾分けしてくれました(高知出身)

保存方法は、乾燥を嫌うので皮がしぼんでしまうのを避けるため、ポリ袋に入れて室内の涼しいところに置いて保存します。

しかしそんな心配はいらんね・・だってすぐに無くなるんだからね。

皮は入浴剤として使います。どんな入浴芳香剤よりも良い香りがします。

3月の幹事会で四国の川之江まで出かけるのですが道の駅にあれば即買って帰りたいと思っています。


[6520] 【7526回 レポートアップしました。】 2024-02-17 (Sat)

2月14日に開催した「大仏鉄道」ウオークのレポートアップしました。

表紙の「大仏鉄道」をクリックして頂くとご覧いただけます。また「2024山行記録」をクリックして頂いてもご覧いただけます。

沢山の写真を挿入しているので見どころいっぱいです。

「行ってみようかな?」と思う人への参考になるかと思います。

また「行きたいけれど行けないわ」と言う人にとっても見るだけでも楽しいのではないでしょうか?

パンフレットには距離も短く、所要時間も短く書いていますが実際に歩いてみるとパンフレットとは違う場合があります。

実際に歩いてみたレポートは参考にして頂けると思います。私達が出かける時も他の人の行った山行記録を参考にする場合があります。

町の人達とのふれあいも楽しいものです。今回は「変なおっちゃん」の登場でクスッと笑えるエピソードもあり楽しいですね。

コースを決める時「電車代金は高くないか?」「危険性はないか?」など調べて実行するかどうかの判断が必要です。

あっちもこっちも行きつくした感があるのでコースを決めるのは容易ではありません。


[6519] 【7525回 奈良の廃線ウオーク】 2024-02-16 (Fri)

兵庫県の西宮名塩から武田尾に続く福知山廃線ウオークは有名ですが奈良の廃線跡はあまり知られていません。

「大仏鉄道」は、今から100年以上前に京都府の加茂と奈良県の東大寺大仏殿を結んで走っていた列車の愛称です。

加茂と奈良を結んだその路線の距離はわずか9.9キロで営業期間わずか9年の短い歴史に幕を下ろしました。

営業していた期間が短く、また当時の資料も乏しいことから「幻の大仏鉄道」と呼ばれています。

そんな歴史ある幻の大仏鐡道跡を歩いてみようと隧道跡や橋台を見物しながら歩きました。

ツクシやフキノトウを探しましたがちょっと早いみたいです。イタドリ?・・まだ゛まだ!

ランチタイムは「日陰派」と「日向派」に分かれて(まるでけんかしたみたい・・笑)美味しく頂きました。

途中で道の駅(ちゃう・ちゃう旬の駅やて)に立ち寄り、新鮮で安い野菜を見つけましたが背負って帰るには重たすぎます。

Junkoちゃんがイチゴを買ってくれて、その場で洗って頂きました。甘くて美味しかったです。

大仏鐡道公園がゴールで長い時間休憩していると「変なおじさん」が寄って来て大仏鐡道の資料をくれました(手作りらしい)

私達パンフレット持ってるんだけど・・親切を無にするわけにもいかず「老眼鏡がないので帰ってから見させてもらいます」

丁寧にお礼を言ってから近鉄奈良駅に向かいました。出会う人とのふれあいも楽しいものですね。


[6518] 【7524回 パンフレツトとの違い】 2024-02-15 (Thu)

奈良県加茂駅から歩き始めて近鉄奈良駅をゴールとする全行程13q、所要時間3〜4時間とパンフレツトに書いていましたが・・ほんまかいな?

東西線の木津行きに宝塚からjunkoちゃん、伊丹から正ちゃん、海老江からコーメイさん・ジョンさん、姫、河内磐船駅からは靖ちゃんが乗り込む予定でした。

ところが正ちゃんから「尼崎駅をスルーして大阪駅に着いてしまい、新今宮駅から加茂に向かうことになってしまいました。結局同じ電車になりましたネ」

なんてこったぁ!それにコーメイさんの姿も見えません。

JR加茂駅で参加者合流、さぁ出発です。

事前に取り寄せたパンフレットを見ながらまず「ランプ小屋」を探します。無い!ないよ〜。

それもそのはず駅の反対側だったみたいでまた駅の中をウロウロ・・・お〜い日が暮れるぞぉぉぉぉ

やっと歩きだしたものの取り寄せた地図は観光用に作成されており地図を見ながら正確には歩くことは出来ませんでした。

やっと道標らしき看板が出始めてからはスムーズに歩けましたかな。

暑すぎて水分補給や、おやつ時間などが多くなりましたが楽しい里山歩きでした。

しかしパンフレットにある13kmを3〜4時間で歩くのは無理じゃありませんか?

我々は5時間かけて34,617歩20.7kmも歩きましたよ。

写真整理しながら振り返りながら「やっぱり歩きは楽しいな」と老体にムチ打って歩けたことに満足しています。

天気が良すぎでダウンや防寒着はスタート前に脱ぎ捨てました


[6517] 【7523回 真夜中のお片付け】 2024-02-14 (Wed)

「アホちゃうかっ!」そう言われれば身も蓋もありません。だって眠れないんですもの・・・。

珍しく午前1時を過ぎてもなかなか眠りにつけません。仕方がないから机の引き出しでも整理しようと思いました。

片付けていたらビー玉の様なまあるい玉が勢いよく床に転がりました。まるで笑い話の様ですが本当です。

コロ〜ンコロ〜ン・・なんてこったぁ。一人で笑いながら同居人が目を覚ましやしないかとヒヤヒヤ。

山の様なボールペンやマジックは使えるかどうか1本づつチェックをしました。半分ぐらい使えず捨てました。これで机の引き出しはスッキリしました。

クローゼットの中も気になり始めました。中の物を全部出して掃除するのですが締め切っているのに物凄いワタボコリです。

流石に夜中なので掃除機は使えず、ひたすらクイックルワイパーを使いました。そして気分転換に上下入れ替えました。スッキリ〜!

私の両親の写真を片隅に飾ってあるのですが少し中央よりに格上げしました。(笑)

堂々と飾らないのは嫁いだ身なのでこれでいいと思っています。

1年に1度、故郷の同窓会に参加して墓参り出来るだけで幸せだと思っています。

クローゼットは物を押入れて置くところではなく、ひとつの部屋として整理整頓すべきだと思いました。

それにしてもゴミ収集のおじさん達、最近この家はやたらとゴミが多いなぁと不思議に思っているかも知れません。終活だよ〜終活!

そろそろ夜が明け始めました。朝ドラ見たらちょっと眠ろうと思います。


[6516] 【7522回 衣類の終活】 2024-02-13 (Tue)

タンスと着物の終活は済ませました。今度は洋服の番です。

昨年、袖を通さなかった洋服はきっと今年も着ないと思います。なので廃棄することにしました。この年になると「量より質」です。

衣装ケースの中の虫除け剤も「おわり」を表示していました。効果は1年間と書いていますので新しい防虫剤に交換しました。

クローゼットの中に吊ってあるスーツはウエストが合わなくなっているし胸のボタンも止まりません(笑)

もしかしたら痩せてまた着れる時が来るかもしれない・・・と、淡い希望を抱いて廃棄することができませんでした。

残しておいても嫁や姪っ子が着れるのかと言えば流行や趣味の違いで無理だと思います。

その点、紳士服は四季を通して、それぞれ1着揃えておけば流行がないので無駄がありません。

登山用の衣類は高くても金額は気にせず機能性の良さと安全性を求めて購入しました。(登山用品はどれもこれも高いね)

登山靴1足3万円以上、雨合羽も3万円ほど・・しかも2人分ときてるから・・サイフのヒモがぶっち切れそうでした。

冬用ののアイゼン・ピッケル・防寒着等々、今は使わなくなってしまいましたが眺めるだけでも楽しいです。

夜中に机の引き出しが気になりだしてゴソゴソと起き出し整理しました。見事に半分ほど減りましたね。

いかに不要な物を突っ込んでいたのかわかります。


[6515] 【7521回 東京の雪対応】 2024-02-12 (Mon)

東京に雪が降り積もり転倒し怪我人が多くいたと言う話を青森の子供達に聞いているテレビ番組をみました。

「たったあれだけの雪で大騒ぎして」と笑います。たしかに雪国の人から見たら大騒ぎしすぎよね。

屋根の雪下ろしの苦労や積雪で2階の窓からしか出入りできない状況なんて想像もつきません。

狭い、狭いと言われている日本ですが温暖の差には驚きます。

合掌造りの里・白川郷には美しい雪の光景を見に外国の観光客がドッと押し寄せているらしいです。

トイレの中にはゴミの山らしいです。お国が違えばこうもマナーが悪いのか!

「日本に来ないで!」と言いたいけど観光客を主たる仕事にしているとそうも言ってられないのかな?

積雪が少なくてスキー場のコースを減らし、トラックで雪を運ぶスキー場もあるみたいです。多くても被害に遭うし、少なくても困る・・・

2020年にサンダーバードで金沢に旅をした時を思い出しました。

道路が凍結していてスッテンコロリンや一度転倒すると後は恐怖心が先に来てヘッピリ腰になったりと思い出写真を見つけました。

金沢駅に到着したらまず駅前にある靴屋に行き簡易のアイゼンもどき(靴底にペッタンと貼り付けるタイプ)を購入すれば楽に歩けます。

自宅に簡易アイゼン(革靴やスニーカーでも利用できる物)を携行すると安全に歩けます。

足裏全面を地面に付けて小股でゆっくり歩けば転倒は防げます。怖いのは転倒して頭部をうったり手をついたりすると骨折に繋がります。


[6514] 【7520回 2時間首ったけ】 2024-02-11 (Sun)

ご覧になりましたか?病気から復帰しこれからだと元気宣言をした、これが最後になったコンサートです。

2月10日土曜日の午後4時から6時までの2時間NHKで「伝説のコンサート美空ひばり」

民放と違いNHKはCМがないのでトイレにも行かず、夕飯の支度もそっちのけで見入ってしまいました。

天才歌姫「美空ひばり」を知る人は少なくなってきました。あの世でのファンの方が多くなりつつあるのです(笑)

若い人達にひばりちゃんの名前を言っても知らないと言い、ましてやヒット曲など知る由もありません。時代だから仕方ないね。

「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の歌」「リンゴ追分」「津軽のふるさと」「お祭りマンボ」「ひばりの佐渡情話」「ひばりの渡り鳥だよ」「ひばりの・・・・

最後は「川の流れのように」かと思いきや、弟・かとう和也の作った曲「人生一路」でした。

最後は長い花道をゆっくり歩き「これが最後よ、ありがとね」と言わんばかりに客席に向けて手を振り続けました。

花道の行き止まりではスモークがたかれひばりちゃんの姿は消えました。

花道の裾で待ち受けていたスタッフが抱きかかえたか車椅子に乗せたか・・・そんな姿を見せまいとまさに「煙に巻かれる」とはこのことか?

辛かったでしょ?病気回復とは言え、足が痛いのをグッと我慢して歌い続けたのでしょうね。

だから、いつもの様に舞台の端から端へ動くことはせずにその場でリズムをとる姿は見ていて胸が痛くなりました。

何を隠そう・・私は高見地区では「ひばりちゃん」で通用します。

カラオケで歌う歌と言えば美空ひばりの歌ばかりだからそんなニックネームが付いたのです。

私の本名を知らない人は町で出合うと「あら!ひばりちゃん!」と声をかけてくれます。

後ろから「ひばりちゃん」と呼ばれると振り向く私です(笑)

でも、でもね、小さな町だけで通用するのであって大勢の人のいる前での「ひばりちゃん」は恥ずかしいからやめて欲しいです。

テレビに合わせて全曲歌えるから、これまた嬉しや、嬉しやの2時間でした。


[6513] 【7519回 バス予約完了】 2024-02-10 (Sat)

3月の同窓会幹事会のバス予約を済ませました。1ケ月と1日前から予約ができます。

オペレーターから希望の席は埋まっていると聞き受付開始して3分も経たないのに・・。

不思議に思い尋ねるとネットだと午前5時から予約できると・・・なるほど納得。

実施日は3月10日から2泊3日・・えらい豪華な幹事会ですわ。

四万十組幹事と関西組幹事(松山組含む)は瀬戸大橋与島パーキングエリアで合流予定です。

私達関西組は高速バスで三島川之江インターで下車し松山の坊ちゃん号に乗せて貰います。

合流後は境港、美保関灯台などを廻り皆生温泉「皆生つるや四季を奏でるさらさの宿」

会議と言う名の飲み会をスタートします。(土佐の人は酒豪じゃけん・・・)藍綬褒章受章のお祝いをして貰ったのでお礼を言わないとね。

次の日はとっとり花回廊、オシドリ観察、サントリー天然水、奥大山ブナの森工場見学、ひるぜんワイナリー、ひるぜんジャージーランドと予定満載です。

2泊目の宿は休暇村「蒜山高原」です。この辺りからはちと疲れも出てきて宴会は早目に切り上げになるかも知れません(知らんけど)

お別れの日は道の駅に立ち寄った後、鷲羽山から瀬戸大橋を眺めて四万十組とはここでお別れ予定です。

関西組は坊ちゃん号で三島川之江インターまで送って貰い帰阪予定です。

2024年第11回同窓会の打ち合わが主たる目的なのですが飲み過ぎて・・どうなりますことやら(笑)

2025年の喜寿をラスト同窓会と決めています。ラスト同窓会は関西組も企画の仲間に入れて欲しいと思っています。

ただ集まって飲み会するだけではなくて舞台付のホテルを探して司会進行係を決めて、かくし芸披露など心に残る最後にしたいと願っています。

簡単な企画書(要望書)を作成して携行しようと考えています。


[6512] 【7518回 粗大ごみ】 2024-02-09 (Fri)

和ダンスと整理ダンスの廃棄処分を依頼し引き取ってもらうことにしました。まだまだ使えますが元気のある間の終活の一部です。

能登半島地震で家具の下敷きになったと言う話を聞いて処分することに決めたのです。

私達が亡くなると息子達が困るはずなので着物も全て処分することにしました。

お友達で着付けをしていると言う方が来られて必要な物は持ち帰って頂きました。古布回収する前に貰って貰い嬉しいです。

購入した時のお金の事を思うと、どれも手離したくありません。しかし、ここは気前よく全て処分することを選びました。

昔は「大型ゴミの日」があり道路いっぱいに積み上げられていたものです。タタミ、タンス、衣装缶、自転車等々。

捨てる人がいれば拾う人もいて良かったのですが最近は有料化となり予約しなければなりません。それに回収費用も発生します。結構面倒臭いです。

これらの手続きが面倒で山中に不法投棄が後を絶たないのかも知れませんね。でも1000円でタンス引き取ってくれるなら有難い制度です。

部屋の中もスッキリしました。これで大型の家具は3階に鎮座する鏡台だけとなりました。

鏡台は嫁入り道具の搬入時に一番先に新居に入れ、別れる時は鏡台だけ持ち出すといわれるほど女性にとっては大切な品です。これは大事に置いときます。

押入れの中は常日頃から片付いています。どこに何を仕舞っているのか見なくてもわかります。

あとは・・・登山道具のロープやカラビナやアイゼン等の宝物ですが、これはまた使うかも知れないので大切に保管しときます(どこで使うねんっ!)


[6511] 【7517回 消えたデーター】 2024-02-08 (Thu)

事務所で共有しているパソコンから一部のデーターがすっぽり抜け落ちていることに気が付きました。

昭和時代派の私がコツコツ作成した原始的な方法ではありますが大切な台帳です。

パソコンのゴミ箱も探しました。ひょっとして新バージョンに改善中かと思い関係者にも尋ねましたが該当者なしでした。

何故?なぜ?ナゼ?Naze?

しかし抜け落ちたと言えどもバックアップを取っていたので復活可能です。

新役員の許可を得て次の出勤日には復活作業を進めることにしました(ホッ)

マイホームページ作成時でも長い文章を打ち終えて、さぁと言う時に不用意にマウスを触り消えたことは何度もあります。😢

写真編集時は手間でも上書き、上書きと呪文のように唱えて「しまったっ!」と言う事の無い様に気をつけています。

6年前の会長就任時、引き継らしい書類もなく途方に暮れつつコツコツと原始的ではありますが作成した大切な書類ばかりです。

これらのデーターは私が在籍していたと言う大切な足跡です。古くても、原始的でも、参考にして貰えると嬉しいです。

最近はペーパーレスが流行り控え等をファイリングしない方法が主流ですが共有する書類が消えてしまうとお手上げです。(やっぱり紙保存かと思ってしまう)

いっぱい足跡残して5月に去って行くのですが、古い書類を踏み台にして前進して活躍して欲しい。

我が息子に我が娘たちよ!大いに期待していますよ。


[6510] 【7516回 高っ!】 2024-02-07 (Wed)

コーナンで持ち帰るには少し重たい品物を購入しました。バイクでは運べません。

息子にSОSするも、外出中とのこと・・どうする?

支払いを済ませサービスカウンターで配送依頼をすることにしました。

大開のコーナンから我が家までなので目と鼻の先、ソコからソコの近距離です。

なんと!・・配送料が1100円かかると言うのです。思わず出た言葉が「たかっ!」スタッフの人も「ですよねぇ」と気の毒そうな顔をしました。

1100円が支払えないわけではありません(笑)近距離の値段はせいぜい500円でしょと言いたいのです。

スタッフの方が「お近くなので台車で運んではどうですか?」と台車を貸して下さると言うので「おお〜いいね!」

ポッチーに押させて帰るのですが・・・腰が痛いだの背が高くて押しにくいだのと文句散々でしたが手を貸そうとはしませんでした。

だって自分ベッドのそばで使う品だもん、それに自分で選んだもんネ。何でも最後まで自分でしないとね。

自宅に戻り台車を返却には私が押して行きました(文句聞きたくないからね)

カウンターで「軽トラを借りれば良かったわ」と言うとスタッフさんが免許証お持ちならその方が・・・。

しかし、免許はあるけど軽トラ乗ったことない〜(あぶねぇ、あぶねぇ)

ちなみに軽トラの貸し出しは無料だそうです。参考にしてくださいませ。

だんだん不便だと思う事が増えてきました。高齢者の証拠です。

「物は増やさない」と決めていたのですがタンスを処分すると少しだけ不便になり、ついつい小さなボックスを購入してしまいました。

上手な整理整頓は物を廃棄処分することだと常々言いながら‥反省しています。


[6509] 【7515回 生きてる間に認めてあげて】 2024-02-06 (Tue)

NHK朝ドラ「ブキウギ」の話です。死ぬ間際まで哀願したのに母親が息子の結婚を許さず旅立ちました。

息子が他界してからノコノコと生まれたばかりの孫に会いに行くなんて・・・。朝ドラ見てない人は「なんのこっちゃ?」やね。

ドラマであれ現実であれ若いふたりが結婚したいと言うならば親は反対する権利はないと思う。二人が好き同志なら祝ってやらねば。

家柄だの学歴だのは昭和初期の時代やね。興信所使って身元調査された時代もあったよね。

某会の講演を引き受けてテーマに迷っていましたが女性の永遠のテーマである「嫁と姑」にすることに決めました。

女性会なので硬い話より良いかなと(硬い話は私には無理だけどね)

講演会で有名&立派な講師だとしても喋り方がヘタクソで聞いてられない人がいます。早口だったり口の中でモゴモゴだったり。

薄っぺらの内容でも、みんなを惹きつける話術を勉強しなくてはね。退屈して来たなと思うと急に質問コーナー開始(笑)

次は自分に当てられるかもと思えば居眠りできないものね。時々懐かしい唱歌も織り交ぜて。

保護司を卒業したら講師の話も無いだろうし、最後のチャンスだと思っています。

講演のプログラムの表紙には、むかし出版した「仰げば尊し」を利用しました。私と姑さんとの話を書いたベストセラーです(大笑)

注意)ベストセラーと言うのは本人の感想です。


[6508] 【7514回 2月の地域一斉清掃】 2024-02-05 (Mon)

雨上がりの朝7時15分、地域一斉清掃が行われました。

どんよりとしていますが寒くはありません。

雨に濡れた落ち葉はやっかいです。タバコの吸い殻も地面にへばりついて取りにくいです。

植え込みの中を宝物を探すかの様にペットボトルや空き缶を探します。

ビニールに包んではいるものの犬の糞のゴミの多い事!

犬を飼っている人達は「心の余裕」があるんとちゃうの?

「あんた!飼う資格ないでぇ!」と言いたいです。

悪い事してると言う気持ちがあるから植え込みの中に隠すんやろ?自販機の空き缶入れの中にも沢山の犬の糞(汚くて写真撮る気もせんわぁ)

「何で隠すの?」「なんで家までもって帰られへんの?」

犬の糞の入ったナイロン袋を拾い独り言を言いながらモクモクと拾います。

タバコのポイ捨てと言い、ペットボトルのポイ捨てと言い、犬の糞と言い、この町のレベルが低いのかと嘆かわしい。

掃除を終えて帰り際に交番横の椅子のところに犬グループのご婦人方が大勢たむろして井戸端会議してました。

思わず睨みつけて帰りました。(決してこの方達が捨てたわけではないけどね)

地域の一斉清掃で、ちょっと綺麗な町になったかな?


[6507] 【7513回 やっぱりねっ!】 2024-02-04 (Sun)

節分と言えば寿司屋の宣伝じみた巻きずしが山ほどスーパーに並んでいました。

カゴには必ず1本は巻きずしが入っています。家族の多い人は2本も3本もいれています。

2024年節分の恵方は、東北東だそうです。

恵方を向いて、目を閉じて願い事をしながら食べ始めから食べ終わりまで終始無言で丸ごと一本にかぶりつきます。

切らずに1本丸ごとたべるのは縁を切らないという意味が込められています。(縁を切られても1本は食べられないヨ)

寿司の種類も「太巻き」「中細巻き」「手巻き寿司」など寿司屋がこれでもかっ!と言わんばかりに山ほど積み上げています。

残った巻きずしはどうするのかと心配になります。

節分の日の翌日スーパーに行くのが楽しみです。


[6506] 【7512回 節分】 2024-02-03 (Sat)

2024年の節分は、2月3日(土)一般的に立春の前日に節分の行事が行われるようになったみたい。

スーパーはもう節分の豆と巻きずしとバレンタインのチョコで大忙しですね。

年の数の豆を食べると福が舞い降りると言うけれど年を追うごとに食べる豆が増えてグルシー〜!

息子達が幼い時は蒔いた豆を掃除するのが大変だった記憶があります。孫達も儀式にのっとってやっているのかな?

日本の四季折々の行事は親から子供へ、そして孫へと意味を説明して受け継いで行って欲しいと思っています。

では、節分とは具体的に何をする日なのでしょうか?

邪気を払い、無病息災を願う行事、「季節の変わり目は邪気が入りやすい」と考えらたため豆を蒔き邪気を追い払うのだそうです。

むかし寿司屋が暇で何とか良い方法はないかと考えたのが節分の日の巻きずしかぶりつきだったとか?

今日のスーパーの寿司コーナーは楽しみだわぁ。一番高い巻寿司は一体いくらなのか興味があります。

我が家は夫婦だけなので自宅で巻きずしを巻くこともなく、かと言ってつられて節分の日に巻きずしを買う習慣もありません。

土佐寿司の巻きずしが食べたいなぁ。黒昆布の土佐寿司も食べたいなぁ。


[6505] 【7511回 とうとう来たか?タンスの断捨離】 2024-02-02 (Fri)

能登半島地震で家具の下敷きになって生命を落とした話を耳にしてポッチーが怯えています。

今迄は3階でベツト利用でしたがトイレが近いと言う理由で寝室を2階に移しベットを廃棄しました。

2階の部屋には和ダンスと整理ダンスが並んでいます。

地震が来たらペッチャンコ状態・・・間違いありません。転倒防止棒も設置していたのですが言い出したら待ったの聞ない男です。

息子に頼んで尼崎のニトリにベットを見に行きました。色々見て回りましたが「帯に短し、タスキに長し」でした。

諦めて帰ろうとしたその時、ソファベットが目に入りました。ソファにもなるしベットとしても使えるのです。「これや!」

ポッチーがあちらの世界に逝ったとして・・ソファ機能があれば便利だぁぁぁぁ(大笑)

嫁入り道具の和ダンスと整理ダンスを思い切って廃棄処分することにしました。

郵便局で廃棄処分代金のシールを購入し受付番号を記入しておけば指定された日に回収してくれます。

問題は山の様な着物です。捨てるには勿体ないし、そんなことばかり言ってては前にすすめません。

買い取り業者も色々あるみたいですが・・・ここは清水の舞台から飛び降りた気分で古着回収日に気前よくだすことにしました。

新規に物は購入しないと決めていたのですが生命にかかわると言われたら断り切れませんでした😢


[6504] 【7510回 えらいこっちゃ】 2024-02-01 (Thu)

ご近所さんが興奮気味で駆けつけてきました「これこれしかじか・・」まぁ落ち着いて話をと一息付いてから事情を聞きました。

本来ならばそうなる前に話をしてほしかったと思っています。

普段お喋り大好きで早朝から山ほど話をしている方なので被害に遭ってからの事後報告に疑問は残ります。

話の中身は「還付金があります」そんな電話がかかってきたそうです。この段階で詐欺だと気づかなければなりません。

しかし「還付金で徳をする」頭の中はこのことで満杯だったようです。

キャッシュカードと通帳を封筒に入れて準備しておくようにと言われ「娘に相談します」と言ったらしいです。

しかし電話の向こう側は「娘さんには連絡済です」と娘の名前や職場も言ったのですっかり信じたようです。

電話を切るやいなや品の良いお爺さんが訪問してきたそうです。

「通帳とキャッシュカードを」と、手をだしたそうです。

そこでハッと気が付いて「大切な物なので渡せません!」と言うと笑顔で帰ったらしいです。直前で被害に遭わずに済みました。

若者の受け子は聞いたことがありますが老人は初めて聞きました。

すぐに交番に行き事情を説明すると交番から連絡を受けた此花署の刑事数名がやってきて事情聴取。

あれほどに普段気をつけるようにいわれていても、「お得です」と言われると人間冷静でいられなくなるのかと驚きました。

此花区は50万、100万と被害が続出しておるらしくスマホで警告通知が流れていました。以下は此花警察署から

『此花警察署によると、2024年1月30日午後1時30分ころ、此花区高見3丁目に居住の高齢者に対して区役所の職員をかたる
男から「還付金があります。今から担当者を向かわせます」と電話がありました。さらに電話の30分後には、実際に高齢者の自宅に男が来訪し
キャッシュカードの提出を求める事案が発生しました。このような電話は特殊詐欺のアポ電です。不審な電話があっても一度電話を切り、
家族や警察に相談し、さらに不審者が自宅に来訪するようなことがあればすぐに警察に通報をしてください』


[6503] 【7509回 祝賀会記念アルバム】 2024-01-31 (Wed)

ホテル阪神で開催して頂いた祝賀会の写真の編集を終えました。

人数分を印刷しようとしたら半分のところで「インク切れ」となりました。

いつもストックしてあるのですが・・うっかりしていました。私としたことが・・。

31日に中学校協議会が開催されますのでその時、持参してお礼の気持ちを込めてお渡ししたいと思います。

最近はインク代がかからないスマホの中で保存する方法でラインで送信することが増えてきました。

しかし今回は私の祝賀会なので紙仕様にこだわり我が家で印刷することにして無事完了。その前にインクの補充も完了。

やっぱり昭和人間だねと笑われそうですが思い出を振り返るにはやっぱり手元のアルバムを見るのが好き。

おひとりおひとりに感謝の一筆も添えました。

手根管症候群で悩んでいた時と違いペンが握れるようになり19人分スラスラと書けました。乱筆だけどね。

24日に退任されたおふたりには既にお渡ししました。

そっか・・・もう次の行事からはお会いできないのですね。同年配の人がいなくなると寂しいね。

次は私の番だわぁぁぁ


[6502] 【7508回 大阪市プレミアム付商品券】 2024-01-30 (Tue)

大阪市民だけが使える「大阪市プレミアム付商品券」なるものが提供されて私も大阪市民のため申し込みました。

正月用買い物や日々の買い物でみるみる残金が減っていきとうとう「0円」となり使い切りました。

1口1万円でひとり4口まで購入できます。4万円で5万2千円のお買い物ができると言う特典付きなんです。

銀行に預けていても利子は1円とか5円とか馬鹿にしたような金額です。お得だと思いませんか?

ただ・・購入時にためらうのは一度に4万円の出費がきついと言う事ですが長い目で見れば有効期間5か月もあるのです。

5ケ月の間にそのくらいの買い物はすると思います。だから利用しない手はないと思ったのです。

レジでスマホをかざして現金出さずとも買い物ができると何だか得した気分でした。

最初は5月までに使い切れなかったらどうしようと心配しましたが何の、何の・・1月末には既に残金無し〜(笑)

大阪市民以外の人のためにシステムを紹介しておきましょう。

「大阪市プレミアム付商品券とは」

大阪市では、物価高騰による市民の暮らしと企業活動への影響を踏まえ、消費の下支えを通じた地域経済の活性化を図るため発行。

またこのようなチャンスがあれば利用したいと思っています。


[6501] 【7507回 お断りしました】 2024-01-29 (Mon)

地域活動の役員の話が地域の会長より電話がありましたが丁重に断りました。

しかし「考えておいてください」と謎めいた言葉が気になり、断りの手紙をしたため町会会長宅ポストに投函しておきました。

意思はハッキリと伝えておかないと曖昧では承諾したことになります。。

地域活動の時に「何かお手伝いすることはありませんか?」初めて伺った時にそう声掛けしました。

すると「ここはいいです。私達の係ですから」「あっそうですか」その時ビビッと感じたのです。ここは新米を受付しない所なんやと。

企業でもよくあることです。自分の仕事を教えるどころか「絶対に教えたくない、仕事が減る」そんなベテラン職人さんいましたっけ。

新人を育ててこそ自分の先輩としての価値が上がるのです。

育てるためにはデタラメを教えるわけには行かないため自分も勉強します。自分自身の向上にも繋がります。

地域の役員達はこぞって「若返り希望」と呪文のようにつぶやいています。

では嘆くだけでなく、どのような対策と努力をしていますか?と聞きたい。

答は簡単です。年配者が退けば若返ります。「時がきたら誇りをもって脇にどく」のです。

町内会の行事は季節ごとに決まっています。1年間、先輩の傍に付き添って見ていればだいたいのことは判ります。

あとは経験を積むことで人は育ちます。わからない時は先輩に聞けばいいのです。必ず喜んで手を差し伸べてくれるはずです。

「人に仕事を譲る」と言うことは自分の存在が薄くなると考えている人達が多くいますが時には「入れ替え」も必要です。

忘れてはならないのが「温故知新」という言葉です。意味深いです。よく出来た言葉だと思っています。


[6500] 【7506回 初歩きレポートアップしました】 2024-01-28 (Sun)

2024年初歩きは中山寺奥の院と決めています。

中山寺の梅林は蕾が固くまだまだ開花には時間がかかりそうです。2月の終わりごろかな?

久しぶりのウオークなので身体が重いです。なまったお腹も・・・。

レポートはトップペ―ジの「中山寺」をクリッツクして頂けるとご覧いただけます。

また「2024山行」をクリックして頂き「2024初参り中山寺から清荒神最澄寺」からもご覧頂けます。

中山寺は聖徳太子が建立したと言う安産祈願で有名なお寺ですが後方に中山と言う山を抱きかかえ鎮座しているのです。

ここ何年かは1月の初歩きは中山寺奥の院と決めています。

中山山頂とは言うけれどポツンと三角点があるだけで展望に乏しくて小さな手書きの山頂表示があるだけなんです。

たま〜に、本当にたま〜に山頂に向かいますが中山は道中を楽しむ山だと思っています。

コースが色々ある中でも清荒神へ下るコースがお気に入りです。

軒を連ねる出店を見ながら歩くのって買い物しなくても楽しいです。いつも何か買っちゃいますけどね。

さて2月はどうするか・・・って?

2月は幻の大仏鉄道跡に行こうかと話がまとまりました。パンフレットも取り寄せています。

さぁ、どんなところなのかと調べるのも楽しみのひとつです。

ゴールは奈良駅なので奈良漬けと柿の葉寿司を買って帰ろうっと。


[6499] 【7505回 更生保護女性会の新年会】 2024-01-27 (Sat)

此花区更生保護女性会(通称更女)の新年会にお招きを頂き出席しました。新年会の行事はこれが最後です。

女性会とあって会員は全て女性ばかり、男性は来賓の区長と保護司会会長・副会長の3名だけです。

年輪を重ねてはいますが(失礼)女性だけあって華やかでお話も弾んでいます。

顔見知りの人、初めての人など、言葉を交わせば親睦は深まります。

更女会員の条件は「保護司の妻」と言う時代もありましたがそれは大昔の話、今は年齢制限もなく入会自由。

但し「更生」と言う目的を理解して下さる方ということになっています。

私が会長時代には大変協力をして貰いました。今日はそのお礼が申し上げられると思い出席したのです。

司会者の方が「2023年、秋の叙勲・褒章・・・」と言い始めてハッとしました。「ひょっとして私のこと?」

思いがけないお祝いのプリザーブドフラワーを頂戴いたしました。

嬉しかったです。別の会からお祝いを頂戴するなんて・・・ありがとうございました。

これからも新役員と共に絆を深めて頂きたいと思っております。

嬉しさを胸に秘めて満月の夜を歩いて帰宅致しました。(タクシーを待つのですが・・乗りたいときには来ないね)


[6498] 【7504回 孫が言うのよね】 2024-01-26 (Fri)

「バアチャンちのトイレの時計にワッペン貼っておかしい〜!」と笑うのです。

時計付きタオル掛けは昔、四貫島商店街にあった電気屋(マツヤデンキ)のおまけで頂いたものです。

電池さえ交換すれば30年以上も正確に時を刻んでおり夜中のトイレで「いまなんじ?」と確認するのにとても便利でした。

しかしとうとう寿命が来たみたいです。電池を交換しても時を刻まなくなりました。

しかし、タオル掛けとしての機能は立派に果たしているため時計部分を隠そうとヒマワリの花を形どりワッペンを貼りまくりました(笑)

我ながら良いアイデアだと思っていたのですが孫に笑われちゃあねぇ。

Amazonを検索するとあった、あった!千円の時計付きタオル掛け、思わずポチッと押したね。

新しいタオル掛けの写真を孫に送ったら「おー!ちゃんと正しい時間!。ワッペンのんもあれはあれでおもしろいから好き・・笑笑」と返信がありました。

衝動買いではなく壊れたら交換品を買う・・これは整理整頓の秘訣です。

「いつも片付いてるね」と言われますが片付いているのではなくて家具などの物が無いのです。

2階の2部屋はテーブル以外何もありません。孫が小さいときにはジャングルジムや滑り台を置いて走り回っていました。

しかし、それもいまは大きく成長して不要になり家具は置かないことにしています。

なかなか終活は難しく捨てるとなると「いつかまた使うだろう」と思ってしまいます。

綺麗な包装紙や紙袋の多い事、多い事、最近はビニールのゴミ袋の中袋として使うことにしています。中身を隠せて一石二鳥。


[6497] 【7503回 二人の定年退任】 2024-01-25 (Thu)

1月24日付けでふたりの保護司仲間が定年退任を迎えました。

おふたりとも私の良き相談相手として6年間ともに活動してきた大切な仲間です。

一人は大蔵大臣的存在(いつも行事毎にご厚志を頂く有難い人)

もう一人は陰の会長的存在(私の暴走を止めてくれ相談に乗ってくれる人)

定年退任と聞いて両腕をもぎ取られた様な寂しい気持ちでいっぱいです。

いずれ5月になれば私も定年退任となりますが別れは辛いです。

つい最近私の祝賀会で両隣に座り思い出を語り祝杯を挙げたばかりなのですが・・・。

今迄のご苦労に感謝の言葉を述べ、別れの盃を酌み交わすことにしよう。

5月の私の退任後は保護司会を外から応援する「ОB会」を立ち上げて交流を深めたいと思っています。

何かしら理由をつけて飲み会をしようと言うことなのです。

公職には定年と言う区切りがありますがボランティアの世界でも必要だと思っています。

「元気な間はいつ迄でも」は後継者が育ちません。きちんと定年制を敷いて引き継をきちんとすべきだと私は思います。

長い間の保護司活動ご苦労様でした。会長時代の6年間を支えてくれたことへの感謝の気持ちをきちんと伝えねば。


[6496] 【7502回 中山寺・奥の院初歩き】 2024-01-24 (Wed)

2024年からは、やまたび倶楽部の山行はフリースタイルとなりました。

担当を決めずメンバーの誰かれとなくコースを見つけたらライングループでお誘いをするというスタイルを取ることにしました。

山行がなくなるとホームページの運営が難しくなります。

7500回(通算20年)も続いているのですから風前の灯火であっても続けたいのです。

例会がなくなれば「倒産」です・・笑 行動範囲が狭くなると老いも早くなるので何としても頑張って続けたいのです。

恒例の中山寺・奥の院までの初歩きを提案してメンバーの参加を得ることができました。

帰りは清荒神に降りて出店を楽しもうと言う計画です。ほどよいアップダウンもあり距離も短く高齢者向けです。

メンバーの靖ちゃんはギックリ腰で直前になってお休みです。骨折やらギックリ腰やらと災難続きですね。

奥の院でメンバーの健康をお祈りしてきましたので早く良くなって下さいね。

お目当ては土佐のキリボシ大根と豆菓子・・豆菓子だけ買えました(土佐のキリボシ大根はお眼鏡に叶わず)

歩行距離13km、丁度良くて疲れも残らないしまた出掛けようと思う距離だと思います。

これ以上でも、これ以下でも満足度には達しないね。


[6495] 【7501回 えっ?此花警察から電話?】 2024-01-23 (Tue)

朝から歯医者へ行き1ケ月に1度のメンテナンスをして頂きました。

いつもの通りに歯科衛生士さんに歯茎検査とクリーニングをして貰い最後に院長先生の診察です。

歯科衛生士さんが院長先生に何やら異常を伝えています。怖い!怖い!

院長先生の姿を見ると同時に「先生5月までは抜かないで下さい」と哀願しました。

「様子をみましょう」先生の顔が仏様に見えました。

その後会議のために外出中でしたがポッチーからラインが入り「此花警察に行くように」との事。

何やそれ?ホテル阪神がどうのこうの、土産の忘れ物があるとか・・意味わからんなぁ。

理解に苦しむ内容でしたが祝賀会の後にひょっとして内祝いの土産を忘れた人がいるのかもと警察までバイクを走らせました。

身分証明書だのサインだのと手間がかかり奥の方から出してきたのは見覚えのある「受章記念」と書いた白い紙袋が見えました。

「間違いありません」と受け取り中味を覗いたら本人を確定する書類(記名入りの会費の領収書)が入っていました(大笑)

警察の帰りに〇〇神具店の親分に忘れ物を届けに行きました。本人はどこで落としたか忘れたかさっぱり覚えてないそうです。

私と同じタクシーに乗って私を自宅迄送り届けてくれたその後・・さては寄り道したな?(覚えて無いと誤魔化されました)

とにかく無事本人に手渡せてホッとしました。バイクがあるので西九条〜春日出の間をひとっ飛びできました。(便利やなぁ)

また西九条に戻り手根管症候群の主治医に経過良好を伝え帰ろうとすると公園の中の梅の花が私を呼んでいました。

蠟梅が終わってから紅梅が咲くのですが今年は同時に咲いていました。春ですね。


[6494] 【7500回 祝賀会は心のこもった宴】 2024-01-22 (Mon)

そとは少し雨がパラパラ、会員の皆様だけの心温まる祝賀会はホテル阪神で開催されました。

準備のために開催時間より早く会場入りして下さった理事の皆様には心から感謝申し上げます。

事前に手配しておいた内祝いの品を確認し袋詰め作業も完了。定刻には全員集合です。

席札は手作りで心温まるメッセージが裏面に記入されていました。(帰りにみなさんの席札沢山貰って帰りましたよ)

驚いたのはほとんど研修会などに出席しない人の顔も見えました「会長には世話になったから」と。

顔を知らない人もいたのでは?それほどに珍しい顔。

司会者のマドンナが大阪保護観察所時報をぜひ見て!と、そう、私の受章時の顔写真が載ってるから(このタイミングで渡すとは凄いアイデアだわ)

開会宣言、会長挨拶、私の謝辞、乾杯の発声あとはお料理と美酒を頂きながら和やかな時間が経過して行きました。

ひとりひとりの席にご挨拶に伺いました。こんな時に悪口や苦情は口が裂けても言わないよね(笑)

お褒めの言葉が心地よく酔いの速度を上げて行きました。

すこし落ち着いたころ司会のマドンナが「受賞者へメッセージ」の時間を作って頂きました。

ありがとう!ありがとう!飾りのないほんまもんの声が聞けてちょっとウルウル。

私が在籍していた日々の出来事の中にみんなに与えた影響があることが嬉しい。

記念品の贈呈は美しいピンクのバラの花のプリザーブドフラワーでした。そして何と私の大好きなゴマ団子と桃菓子を添えて(笑)

そしてホテル阪神様からはデザートにお祝いの桃菓子を全員に頂きました。

中国では桃菓子はお祝い時に食べるそうで日本の紅白饅頭の様なものでしょうね。

お開きの時間が過ぎましたが盛り上がり過ぎてなかなか帰り支度にならなくて再度お開きの言葉がありました(2回もお開きって・・・笑)

立礼にて皇室御用達の16弁菊花紋入りのお土産を手渡しひとりひとりにお礼を述べることができました。

心のこもった祝賀会を開催して下さりありがとう!本当に幸せな時間でした。


[6493] 【7499回 祝 賀 会 】 2024-01-21 (Sun)

令和5年度秋の褒章で藍綬褒章を受章し、保護司会会員のみで1月20日私の祝賀会を開催して下さるとの事になりました。

過去に大がかりな祝賀会開催を手伝った経験がありますが準備で大変苦労をしたことを思い出しました。

発起人会の立ち上げ・招待客の選択・招待状・会場予約、記念品の準備等ひとつの行事を失敗なく企画するのはとても大変です。

先輩保護司の祝賀会を何度もお手伝いしました。新入りの頃には司会もしました。会長に就任して間がない時にも大きな祝賀会の発起人となりあたふたしました。

6年前の5月に就任したばかりなのにその5月に祝賀会ですよ・・

どんだけ大変だったか(地域のエライ人達が中心で、保護司会は名前だけみたいな・・・)

何もわからないままに企画を進めるのはとても大変な事です。新米会長挨拶を述べる時の緊張感を思い出しても震えます(ほんまかいな?)

いま在籍している人の中で祝賀会の準備に携わった人はほとんどいません(若者が多いから当たり前です)

しかし現在の会長と理事の皆さんが「保護司会員(身内)だけで祝賀会をする」と決めて下さり開催していただけることになりました。

議員団や役所関係などへの招待はせず会員だけのお祝いの会で本当の意味の「祝賀会」で、企画して頂いた事にとても感謝しています。

1月20日午後6時30分ホテル阪神で祝賀会を開催して頂くこととなりました。

内祝いの品は直接会場に届けて貰うように手配し、既に到着していることも確認出来ました。

(祝賀会の様子は次につづく)


[6492] 【7498回 此花区長日記】 2024-01-20 (Sat)

「私の記事見っけ〜」

 大阪市此花区は、1925年に誕生し大阪万博の年に区制100周年を迎えます。

区民の誰もが参画できる行事として「このはな100年の顔」の写真募集をしていることを知りました。

私も参画すべく思い出深いアイランドピーク(6189m)のてっぺんに立った写真を応募しました。(だれも信じてないみたいだから)

6189mでネパール人のクライミングガイドと登頂成功の証に国旗を揚げている写真です。(これで信じてくれるやろ)

此花区長日記1月15日を拝読するとそのことが記事になり取り上げて頂いていました。

※此花区長日記から転記させて頂きました

此花区長日記 令和6年1月の日記 2024年1月17日 

『令和6年1月15日(月曜日) ヒマラヤ登山!ネパールはヒマラヤ山脈のアイランドピーク登頂! あ、これ、私のことじゃないんです。

前・此花区保護司会長の久田さんのお話。現在、区長は誰しも新年互例会シーズン。 

私もけっこうな回数、新年互例会に出席させていただきます。もちろん私費ですよ、私費。 

で、楽しみは、みなさまとの会話。 いろいろな話がお聴きできて、楽しいんです!

で、最近聞いた話でいちばんおどろいたのが久田さんのヒマラヤ登山のお話。久田さんが「山ガール」ということは知っていました。

でも、ヒマラヤまで登っておられたなんて!しかも無酸素で。ネットで調べると、6000m級の登山ではほとんどの人が酸素ボンベが必要とのこと。すごいです! 

「またヒマラヤ登りたいですか?」とおききすると「いえ、もうムリムリ。劔岳ぐらいなら、また登ってみたいけど」とのこと

え。いとも簡単に剣岳っておっしゃいますが、劔岳って標高2999mの、日本一難易度の高いといわれる山じゃないですか!

いやあ、すごいお方!ひるがえって自分を省みると、自分の足で登った山といえば、最高峰は金剛山(1125m)。

あとは六甲山(931m)と生駒山(642m)で、これがすべて。しかも、喘ぎながら。 

久田さんを少しでも見習わないと! さて、今年は上り龍の年。 みなさん、ヒマラヤの写真を見て、運気を上げてくださいね!』

高橋英樹区長様、区長日記に取り上げていただきありがとうございました。


[6491] 【7497回 年賀はがき当選発表】 2024-01-19 (Fri)

1月17日、お年玉付年賀はがきの当選発表がありました。

正月3ケ日に年賀状を貰って喜び、また当選発表を見てワクワクと2度美味しいのが「年賀状」

その結果は・・・切手シート3枚だけ・・😢

1等が当たるとは思っていないけれどチョットだけ期待するよね。

頂いた年賀状を改めてじっくりと読み返しています。部類別に重ねておくと便利です(友達・仕事・親戚など)

「元気してるのかな?」「返事がないけどひょっとして病気かな?」と想像を膨らませています。

今年の年賀状は手根管開放術の影響で右手が思う様に動かず、元旦に着いて欲しいし・・進まないしでイライラしました。

それでも一行の添え書きはしたくて、えらい乱筆になってしまいました。

春になると76歳となり脳の低下の到来がない間に、そろそろ年賀状の終活もしないといけないなと考えています。

2024年を精いっぱい生きて2025年をどうするかそれから考えます。

お気に入りの写真が出来ましたので遺影にしました。これから先、もうこれ以上使える写真は出てこないと思います。(シワ・シミ・増量〜笑)

遺影も完成して額にいれています。元旦の日に息子達にも親戚にも公表しました。

延命治療が不要だと言う事、動けなくなったら即施設に入れて貰い在宅介護はしないでほしい事、葬儀は身内だけで此花区以外の地でひっそりとして欲しいことなど。

「縁起でもないっ!」と言うかも知れませんが健康な時に笑いながら話の出来る時にしておかないと病気になってからでは悲壮感が漂います。


[6490] 【7496回 証明写真】 2024-01-18 (Thu)

此花警察から公安委員会に提出する履歴書の作成を要求されました。

写真も要求されており手元にある写真の持ち込みでの提出を了解して貰いました。

何故ならば〇全協会で撮る証明写真は指名手配の写真みたいで有効期間の2年間、ずっと後悔し続けるのです。

私は自分自身が写真を撮ってもらうのが好きなのですが最近は、もっぱら撮る側の方が多いです。

加齢とともに自分の顔に自信が持てなくなった来たのです。テレビのCМにある「ポンポンポン」とシミを隠す気持ちがよくわかります(あそこまでは酷くない)

「むかしはペッピンやったのになぁ」とつぶやく人がいます。ということは今は昔の面影がないということかっ!(笑)

自分が一番気にしているのに人から言われると抵抗したくなります。なので最近は撮る側に回ってるってわけ。

お気に入り写真が出来たら遺影用として保存しておくといいと思います。

これから先にお気に入り写真が出てきたとしたら交換すればいいのです。

亡き姪っ子が死を悟り私の所に写真を2枚送ってきました。遺影を選べと言う意味です。

しかし病気になり、しかも余命を宣告されてから遺影の選択はとても気が重いです。

姪っ子はこう付け加えました「まぁ私が見るわけちゃうからどの写真でもいいけどね」

元気な時に冗談交じりで「これ遺影ね、イエイ〜!」と決められると最高だと思いませんか?

自然な笑顔の写真を自分で見つけておくと安心です。


[6489] 【7495回 人災の飛行機事故】 2024-01-17 (Wed)

能登半島地震の翌日には民間飛行機と海上保安庁の飛行機が衝突した事故が飛び込んできました。正月早々痛ましい事故の連続です。

天災と人災の違いはあるにせよ尊い生命が消えたことは残念です。

事故があってからあたふたと「ナンバーワン」の廃止だとか管制塔官の視野の確認とかラインの色付けだとか・・・

いつも何か起きてから行動する、交通事故もしかり、未然に防ぐ対策をしっかりとしないと怖くて飛行機に乗れないね。

アラスカ航空機は非常ドアが吹っ飛んだとか・・しばらく飛行機は乗らないよ(乗る予定はないけどね)

何時だったかまだ息子が北海道にいる時の事です。息子の帰省と観光帰りの私達が乗った大阪に向かう飛行機の中でのことです。

札幌からの帰りの飛行機の中でお弁当が配られて「温かいスープをお持ちします」と機内乗務員の声がしました。

そう言った途端に乱気流の中に突っ込んであわやと言う思いをしたことがあります。

もう弁当を食べるどころではありません。勿論スープ配りも中止です。

その時息子は「これが最後の食事になるかも知れないから食べておく」と平気な顔をして弁当を食らっていました。

恐怖感は人によって違うと言うことを見せられた気がします。

「震度1」でも恐怖におびえ、すぐに1階に降りてドアを開けますがポッチ
ーは平気な顔をしています。

この度の地震能登半島地震の時も私は恐怖におののいているのに傍にいた姉は知らん顔でした。

ポッチーも姉も鈍感なのでしょうか?それとも私が過敏反応のしすぎでしょうか?

用意している避難用のリュックを持ち出せない場合はどうするのか、貴重品が火災で焼失したときはどうすればいいのか・・

海のそばでも山のそばでも住宅の密集地でも、まずは自分の命を守ることが先決だとわかってはいます。

命は助かったとして全てを失った時、ふたたび生きる力が湧くかどうかが心配するところです。


[6488] 【7494回 カラスの初出勤】 2024-01-16 (Tue)

正月3ケ日も過ぎゴミ回収が平常に戻りました。

私の住んでいる所は月曜日はプラスチック、火曜日と金曜日は生ごみ、水曜日はダンボール、木曜日はビンと缶です。

ということは土曜日と日曜日を除く毎日、何かしらの収集が行わる衛生的な町だと言えるでしょう。

震災のあった能登半島の生ごみも2週間経ってやっと回収開始との事です。

壊れた冷蔵庫の中から腐った食材を出している姿が映像に映し出されていました。

処理場も壊れているそうですが何とか1日も早く平常に戻り、仮設住宅も1日も早く設置できることを祈っています。

ある日の事です、カラスも初出勤している所に遭遇しました。月曜日だったのでプラスチック回収日の日です。

ゴミのすぐ傍にはカラス除けの網があるのに掛けていません。きっと生ごみ回収日ではないので油断したのでしょう。

プラスチックでも処理のうまく出来ていない家をカラスはよく覚えています。

ゴミ袋を突っついて、突っついて食べている所に私の姿をみたものですから何かくわえて飛び立ちました。

その後をスズメたちがおこぼれ頂戴と集まっています。見た目には可愛いスズメたちですが。

出すゴミの処理をきちんとすればカラス除け網は掛けずとも大丈夫なんですが食べ残しがあるとカラスの餌食になります。

私がカラスを睨むと「カラスの勝手でしょ!」と言わんばかりに電線の上へ!悔しい〜


[6487] 【7493回 ひょんなことから】 2024-01-15 (Mon)

「10日空いてる?」そんな声を掛けられました。

その日は会社の上司だった部長を老人ホームに訪問する日でしたのでその旨断ると夜の話だと言うのです。

夜は予定がないため指定された個人宅にお邪魔すると何と居酒屋モードのテーブルが設営されていました。オ・ド・ロ・キ!

20席はあるでしょうか、それぞれにひとり鍋が用意され女性陣が甲斐甲斐しく準備をしているところでした。

顔見知りの人、顔も知らない人を合せて全部で18名。

準備をする人達は慣れているのか手際のよい事、ウロウロしても邪魔になるだけのため初参加組は別室に案内されて待機です。

大量のひとり鍋と大量のコンロがあるのにも驚きましたがテーブルや椅子、食器なども大量にあり個人の家とも思えません。

おまけに座席指定で「こりゃあ場違いのとこに来たぞ」・・後の祭りでした(大笑)

正月に姉一族と息子達全部で16名が集まりましたが我が家は土佐流の皿鉢料理形式なのでコップと皿と箸さえあればどこにでも座れます。

土佐流は酒と宴会が楽しめれば全て無礼講なんです。

我が家では場所も狭いし道具もないし絶対にポッチーが「うん」とは言わないと思います(笑)

ポッチーは「どっか居酒屋を借りてやれ!」と言うと思います。

それにしても奥様の理解がなければ出来ないなぁ・・・えらいね奥様!。


[6486] 【7492回 お花が届きました】 2024-01-14 (Sun)

お友達からお祝いのお花が届きました。可愛いピンクの蘭の鉢です。

受章時にお祝いのお花が集中し飾り切れず枯れる時は同時に枯れて寂しい思いをしました。

すこし時期を違えて届けて下さったお花は可愛いピンクの蘭の鉢植えでした。

自宅には白い蘭の鉢植えがありますので紅白揃った感じで心癒されます。ありがとうございました。

夕方から地域の新年会があり始めて出席しました(最初で最後かな?)

高見地区の理事者会の新年会なのですが、連町会長、役所関係者、議員団、校区の学校長の顔も見受けられました。

座席指定で定刻の午後6時に開宴です。まずは司会者の挨拶のあと、出席者の紹介などなどが済めば乾杯の発声となります。

しばらく時間が経過すると席を立ちお酒を酌み交わす光景も見受けられます(コロナ禍では見なかった光景です)

同じテーブルはほとんど知らない人達ばかりです。

自転車で来られた人達が多かったですが飲み会のある時は自転車は危険です。ましてや夜間なので事故に遭わないとも限りません。

此花区を代表する方々ですから・・・飲み会のある日は歩きませんか?

会場のあった春日出から自宅まではかなり距離があり往復すると良い運動になりました。


[6485] 【7491回 このはな100年の顔 】 2024-01-13 (Sat)

此花区のイベントでフォトモザイクモニュメントの写真を募集していることを知りました。

大阪市此花区は、大正14年(1925年)に誕生し、令和7年(2025年)に区制100周年を迎えることから、区民が参画できる記念事業を実施しています。

「このはな100年の顔」と命名し、この間此花区にゆかりのある区民の写真をもとに、フォトモザイクモニュメントを制作し、正蓮寺川公園に設置するという。

企画は良いのですが色あせないで後世に残る手法を考えて貰いたいと思っています。

互礼会の席で区長と雑談をしている際にヒマラヤ・アイランドピークに行った時の話になりました。

6189mを登ったのだと話をしましたが「えっ本当ですか!」と驚かれました。

ならばイベントに写真を投稿してみるか〜と思い立ち、6189mの山頂に立って日の丸を掲げている写真を送信しました。

ネパールのクライミングガイドと一緒に日の丸を掲げている写真です。あまりの感動に「成功報酬」を多く支払った覚えがあります。

日本の国旗を掲げてエベレスト街道を歩いているとエベレストを眺めに来た欧米人が口々に「ブラボー」の連発でした。

「もう一度行きたいか?」と聞かれれば・・・世界で一番危険な空港と言われるカトマンズからルクラへの飛行機に乗るのはもう嫌です。

エベレスト街道を歩いている時、墜落した飛行機の残骸をポーターが担いで歩いていたのには腰が抜けそうでした。

滑走路は短いし墜落は日常茶飯事の出来事だと言うから・・・恐ろしい空港です。

区役所から受け付け完了の回答あったので完成の折には見物に行こうと思っています。


[6484] 【7490回 鏡開き】 2024-01-12 (Fri)

1月11日は鏡開きの日です。

例年ならば前日に大鍋で20人分ほどの善哉を作り事務所で理事会のあとにみんなで食べたものです。

餅係、善哉係、配膳係と分担して賑やかで楽しく1階の事務所の人の分も用意してコミュニケーション満載でした。

しかし現在は役職を退いている身、でしゃばりは禁物と静かに自宅で小さな鍋で善哉を炊きました。

亡き母は苦しい生計の中でも日本の伝統を守り私に伝えるためその時々のご馳走を作り心豊かにしてくれました。

「そもそも鏡開きって何?」

鏡開きで正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味があったんだそうです。

これが過ぎると寒中見舞いの投函はOKなので年末に貰った年賀状ご辞退組に寒中ハガキを出すことにしました。

鏡開きの習慣は、武家から始まった行事なので、切腹を連想させるため包丁などの刃物で切るのは禁物でした。

鏡餅を手で割り砕いたり木槌の様なもので割っていました。

しかし、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使うようになり、「鏡開き」になったらしいです。

最近では餅にカビが生えるのを避けるため密封パックを使い割らなくても割れてる鏡餅が主流となりました。

鏡餅の上に乗せる干し柿は真ん中に6個、左右に2個づつの合計10個の干し柿を飾ります。

これは家内円満を願い「ふうふ、なかむつまじく」を意味しています。


[6483] 【7489回 上司を訪ねて】 2024-01-11 (Thu)

会社勤めの頃、総務部長をしていた人が現在有料老人ホームに入居しています。

私の直属の上司で「君の思い通りに仕事をすればよい、責任は全てワシが取るから」と言ってくれ総務全般を任してくれました。

社内の仕事をしつつ今迄に無かった警察、消防、地域とのつながりを広げていきました。

わが社はシンナーを取り扱い鉄工所アルアルの騒音も撒き散らしていたため地域との関係はとても大切でした。

稲荷祭り時は近所に記念品を持って行き徐々に理解を得ることが出来ました。

ヤクザと社員とのトラブルも仲裁に入り解決しヤクザからは「姐さん」と挨拶されたこともありました(笑)

在職中に一度だけ40日間ほど入院したことがあります。

丁度社員旅行の時期で退院してみたら行先は「ハワイ」と決定していました。

参加者は若者中心で中年組は「不参加」と言う結末です。これはいかんと中年組は九州へ2泊3日の旅行を新たに追加しました。

ハワイ組は宿泊先だけが保障されていて現地では全て自由行動(若者らしい)

九州組は上げ膳据え膳、宴会付きで旅行社からの請求書はハワイの2倍の金額に膨れ上がっていました。

そんなときも部長は黙って印を押してくれた理解ある上司です。

何事も若者だけの意見には無理があります。全体を見て過去の実績をよく見てわからない時は年配者に意見を聞くことが大切です。

部長が私を認識できなくなるまで施設への訪問は続けようと思っています。何故ならば生涯の上司ですから。


[6482] 【7488回 表紙は輪島での思い出を】 2024-01-10 (Wed)

能登半島地震に遭われた方へのお見舞いの気持ちをこめてブログの表紙を正月モードからお見舞いモードに替えました。コメントも書きました。

せめてもの私達のお見舞いの気持ちです。辛かろう、寒かろうと思っています。

著名人からの大型寄付が次々に集まっています。我々は何も出来ませんがせめて祈りを込めることは出来ます。

ご家族がまで見つかっていない人、どうか1日も早く再会できますように祈っています。

1月9日に此花クラブの互礼会が開催されました。開催に先立ち能登半島地震で犠牲になられた方への黙祷が捧げられました。

コロナ禍の中で中止されていた互礼会が4年ぶりに開催され、此花クラブ会員、各団体、議員団、企業代表、歴代の区長、郵便局長、学校長などなど。

新年の挨拶をこの席で一気に済ませようと言うことで123名が2024年の顔合わせとなりました。

私は藍綬褒章受章者と言うことで壇上に上がりお祝いをして頂きました。

勿論アフタヌーンドレス着用し略章を胸につけてね(あの時を思い出して背筋延びるね・・笑)

謝辞を述べよとの事でしたので「挨拶は短く」を守り、心を込めて感謝の気持ちを伝えました。久々に緊張しました。

乾杯のあと親睦会が始まり、みなさんが落ち着いた頃を見計らい各テーブルにお礼の挨拶に伺いました。

浮かれてばかりはおれませんが「おめでとう」という言葉は新年の「おめでとう」と受章の「おめでとう」の喜びの二重奏で嬉しかったです。

5月の退任迄をしっかりと爪痕残して(残していらんてか?)静かにその日を迎えたいと思っております。


[6481] 【7487回 2024年初の一斉清掃】 2024-01-09 (Tue)

2024年の地域一斉清掃が日曜日の朝から実施されました。7時15分集合・・相変わらず早いです。

落ち葉は少なくなったものの結構なゴミがありました。ゴミ問題は永遠のテーマです。

一斉清掃が終わった後「10時から公民館の掃除の協力をお願いします」聞いたからには行かねばなるまいと行ってみましたが何と女性は私ひとりだけ。

男性は10人ほど(えーっ!掃除の時はあんなに沢山いてたのに〜)みんな忙しいんやね(私かて忙しいんよっ!・・笑)

年末に夜警警備のために室内を土足で利用したため床掃除と机や椅子の収納など1時間ほど手伝ってきました。

「どなたか協力をお願いします」では「だれか行くだろう」と思ってしまいます。「誰も行かないかも知れない」と思うと人は集まります。

交通安全の基本「だろう」と「かもしれない」は、どんな時でも応用できると思います。

かと言って町会を名指しするのはボランティア活動の主旨から外れてしまいます。

強制ではないので強くは言えませんが、もう少し協力者がいても良かったかなと思ったりしますがそれぞれの分担が決まっているのでしょう。

「何かお手伝いすることはないですか?」と声を掛けた時は何かしらの用事を与えて貰えると次に繋がります。

「ここは私達がいるから大丈夫」と言われると次から出てこなくなります。新米が入る余地がない地域活動は特定のメンバーで凝り固まり先が見えません。

上手に人を動かせる人がいてこそ地域活動は潤います。

決して企業の様に上下関係を作ってはいけません地域活動は前職など無関係で平等です。

ただのおっちゃんとおばちゃんの集まりなんですから。


[6480] 【7486回 おせち料理の意味】 2024-01-08 (Mon)

おせち料理の意味は正月3ケ日の間は主婦が台所から解放されて楽をするためのものだと母から教えられていました。

いまは利用する家はありませんが正月三が日はかまどの神様に休んでもらおうという気持ちの表れやとも母から聞かされていました。

まっ、おせちの一番の理由は「主婦を家事から解放する」という意味も含め、保存の効く食材を重箱に詰めていたと思われます。

おせち料理は本来、お正月だけのものではないそうです。

元旦や五節句などの節日を祝うため、神様にお供えして食べるものを「御節供(おせちく)」と呼んでいたそうです。

江戸時代にこの行事が庶民に広まると、一年の節日で一番大切なお正月にふるまわれる料理を「おせち料理」と呼ぶようになったそうです。

もともとは収穫物の報告や感謝の意をこめ、その土地でとれたものをお供えしていたようです。

幼き頃のおせちの思い出よりも、お年玉の思い出よりも(貰った記憶がない)元旦の朝の光景が鮮明に浮かびます。

枕元には夜なべで編み上げたであろう母の手編みのセーターとネル生地のモンペが置いてありました。きっとそれがお年玉だったのかもね。

玄関先には真新しいゴムズック靴もあったなぁ。母が苦労して働いてくれたおかげだと今思い出しても涙が出ます。

なんであの時「お母ちゃんありがとう!」と言って母を喜ばしてあげれなかったのか後悔します。

「親孝行したいときは親はなし」ほんまやね、親孝行したかったなぁ・・・。


[6479] 【7485回 1月7日は七草がゆ】 2024-01-07 (Sun)

正月の間に暴飲暴食をした胃袋を休めるために七草がゆを食べる習慣があります。

スーパーには七草がゆセットなるものが売られています。

春の七草とは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの若菜のことを言います。

七草を入れなくてもフツーのお粥もいいよ。今夜あたりお粥にしようかな。

お粥と言えば病気の時に食べると思っていましたが今はお粥専用ジャーなども出てきて一般的となりました。

昔の事です。「おじや」って食べませんでしたか?今で言う雑炊系のごはんです。

おじやは米の量を増やすための母の苦肉の策だった気がします。

お米少しに畑で採れた野菜をたっぷり入れて空腹を満たしていました。

「白いごはんがいいっ!」そんな言葉を母に浴びさせて困らせていたと思います。

母の気持ちも考えず、どの口が言ったのかといまは反省しきり。

私の母は肝っ玉母さんで人の目をあまり気にする人ではありませんでした。

農協から貰う日本手ぬぐいを集めておいて浴衣を縫い盆踊りに着ていくのです。乙女心にとても恥ずかしい思いをしました。

いまなら工夫して縫った浴衣を褒めてあげれるけどね。

配給時代にはよそ者扱いをされた母に残された魚は「フグ」だけだったそうです。村人は毒があると毛嫌いするため大量に残っていたそうです。

母は喜んで持ち帰り料理したそうです。いまなら豪華な「てっちり料理」です。

四季折々の日本の行事毎に12歳で死別した母を想いだしながら母の真似事をしています。

だから今夜はお粥ではなくて「おじや」だね(大笑)


[6478] 【7484回 年賀状】 2024-01-06 (Sat)

今年の年賀状は恥ずかしながら夫婦で皇居に行った時の写真を使いました。

もうこんなチャンスはないと周りから薦められ藍綬褒章受章の額のお披露目もさせていただきました。

親族へのお披露目が終わったので今は玄関先に鎮座しています。私があの世に逝くまでは飾っておこうと思っています。

年賀状が届くのはお年玉より嬉しいです。日頃ご無沙汰している人達からも頂き顔を思い浮かべております。

書く時は枚数が多いとしんどく感じますが相手に届くのは1枚だけですから手を抜くわけには行きません。

印刷された年賀状に一言書き添えて貰っていたら尚嬉しい!

ついでにその写真で・・遺影も作成しました(笑)。

姪っ子の時に本人が生前中に気に入った写真を用意した経験から自分のお気に入り写真が一番かと。

亡き姪っ子が言いました「どうせ私が見れるわけないけどな」そりゃそうやけど。

皇居に出向いた時の喜びの笑顔はこれから先に出合うとは思いません。出合えばまた交換すればいいのですから。

そしてそのことを元旦のみんなが集まってくれた時、公表しておきました(これで遺影の事は安心やね、イエイ〜)


[6477] 【7483回 あれっ?めまい?】 2024-01-05 (Fri)

元旦の宴会中、途中で帰ると言うので姉を16時17分発のバスを待つためバス停の長椅子に腰かけて雑談をしていました。

「お姉ちゃん・・私、めまいがするわ」そう言いつつ倒れてはなるものかと長椅子の背もたれに手を伸ばしました。

バス停近くの人達が一斉に表に出て騒いでいます。ふと見上げたら電線が左右に躍っています。「めまいちゃうわ!地震やわっ!」

阪神大震災の時は上下に強く揺れた気がしますが今回は横に揺れています。

バスを見送り自宅に帰ってみると宴会は中断され、みんなテレビの前に釘付けされていました。映像からはまるで戦場の様な光景です。

能登半島地震と名前が付き被害の大きさに声が出ません。

朝市通りを歩いたとき「古くて昭和を感じるね」なんて言いながら歩いたことを思い出しました。

古い木造の建物が並んでいたためか火災も発生しており大変な惨事です。

翌日は雨模様だなんて・・しかもこれから寒くなるのにどうすればいいのでしょうか。

朝市で商売をしていたお婆さん達これからどうなるのかしら?お家は被害に遭っていないかしら?気になります。

政府は「まずは命が大切!」と言いますが、ではその次はどう手を差し伸べてくれるのですかっ!大阪万博工事を即中断して工事関係者は全て能登へ向かうべし!

いっその事、大阪万博の開催を取りやめて(延期)その費用を能登半島震災復旧に回しては如何ですか!

本来なら元旦の日、家族や親せきが集まり賑やかに酒を酌み交わしているはずなのに自然とは恐ろしい!

被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。


[6476] 【7483回 新年のご挨拶】 2024-01-04 (Thu)

明けましておめでとうございます。2024年も昨年同様、よろしくお願い致します。

賑やかな元旦の日を迎えました。(地震の起きる前までは穏やかでした)

全員集合で16名・・2階の床で抜けるのではと思っていました。

いつもは実家で新年の挨拶の会をしていましたが姉も83歳を超えてきたためみんなで相談の結果、会場を我が家に移しました。

2階には大きなテーブルを3台並べ「狭いながらも楽しい集い」と称してワイワイガヤガヤ。

もう家の中を走り回るちびっこはいないため場末の居酒屋といったところでしょうか。

人が集まるってことは準備や片付けに大変な面はありますが幸せな事だと思っています。

動かぬ右手に「今日だけはガンバレ!」と檄を飛ばしながら嫁の応援を頼みました。

主の挨拶。その後は藍綬褒章受章の額の披露をしました。

孫達には頑張った婆ちゃんをちょっと自慢(笑)あとは飲めや、食えやの大宴会。

孫達は早々に1階や3階に移動して2階は大人達だけの酒盛りの会となりました。

(その後の地震の話は次回と言うことで)


[6475] 【7482回 2023年最後の書き込みです】 2023-12-25 (Mon)

クリスマスイヴも賑やかに(?)そしてクリスマスの朝を迎えました。

我が家の孫達は大きく成長しサンタに会いに爺・婆の家に泊まりこむこともなくなり静かな夜を過ごしました。

そしていよいよ正月準備に取り掛かりたいとは思っています。25日に手根管症候群の診察があり回復の見込めないまま新年を迎えそうです。

そう言いながらも元旦の用意をしないと・・・出来ることからボチボチね。

「年末年始の書き込みについて」

12月26日から2024年1月3日まで書き込みをお休みさせて頂きます。

2024年5月には20年間活動してきました保護司を定年退任することとなりました。

新しい年にささやかでも抱負が発表出来ればと思っています。

多くを望まず今の自分に満足しつつ前進できればと思っています。

2023年、姫のおうちにご訪問頂きありがとうございました。

皆様のご訪問が私の励みとなっております。直接お礼が申し上げる事が出来ませんので紙面を持ってお礼申し上げたいと思います。

1年間ありがとうございました。新年もよろしくお願い致します。どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

      2023年 師走  久田美智子


[6474] 【7481回 レポートアップしました】 2023-12-24 (Sun)

何気なく回数を重ねていますが「7481回」と言えば1年が365日だから20年書き続けていると言うことになります。

なかなか大したものです(自分で言うなっ!・・笑)日記だと続かなかったと思います。

自分で守るハチキン城主だから頑張らねばと些細な事でも書き綴ってきました。

そして、そして2023年最後の例会が終わりレポートと写真を編集しアップしました。

「な〜んや!夙川かいなぁ?」と言うことなかれ。15kmと言う距離を歩いたんですからね。

歴史的な西宮砲台跡や西宮戎、酒蔵見物と盛りだくさんの内容です。

表紙の「夙川散策と酒蔵の街」をクリックして頂くとご覧いただけます。「2023山行記録」をクリックして頂いてもご覧頂けます。

2023年の後半はすこし山歩きからは外れましたが年齢相応だと思っています。まずは怪我をしない事、楽しく歩くことだと思っています。

2024年の山行計画は立てていませんがきっと身体がムズムズしてくるはずです。

山ばかり追い続けて魅力ある近郊歩きをしていませんので幅広く楽しめたらと思っています。

所属倶楽部の名前が「やまたび倶楽部」ですから、たまには満足感のある山を見つけて登りたいと密かに思っています。

平均年齢75歳越えの仲間達がこれほどに元気なのは昔からトレーニングを積み重ねているからだと思っています。

アルプス山行・クライミング・スノーシュー・沢登りを経験していまがあるのだと思います。

どんな藪漕ぎでも弱音を吐いたり聞いたことがありません。だからリーダーも困っています(弱音を聞けば引き返せるのに・・・と。)

記憶に残っているのは藪漕ぎや大雨やヒルに咬まれて血だらけ等のアクシデントばかりで笑っちゃいます。

共通の思い出がいかに大切なのか、その思い出を振り返るのにこのホームページが必要なんだと痛感しています。


[6473] 【7480回 研修会と忘年会】 2023-12-23 (Sat)

2023年第3期の定例研修会が開催されました。サポートセンターも仕事納めとなりました。

新役員の皆さんでしっかりと準備されており「参加する」だけの楽ちん身分となりましたが準備ご苦労様と心から申し上げたい。

いままではサポートセンターのある梅香殿一択でしたがいまは多様化されて区民ホールの利用もあり斬新です。

会場費の面から言ってもどちらが運営にふさわしいか選択しており目を見張るようです。

研修会の始まる前に10月に行われた大阪更生保護大会での受賞者の表彰伝達式がありました。

その前に私の藍綬褒章受章のお祝い金を保護司会会長から受け取りました。

「皆様からの大切な会費の積み立ての中から頂戴して感謝です」と申し上げました。

これは観察所からではないと言うことを、しかと観察官に伝えたかったんです。

花束贈呈もあり受章の喜びがひしひしと伝わって来て熱いものがこみあげてきました。

研修会終了後は近くの中華屋を借り切って忘年会です。いままでは会として忘年会や新年会は開催してきませんでした。

コミュニケーションの場としては忘年会は必須だったと私が会長時代を振り返り反省しきり。

やはり若い人材は考えることが斬新かつ合理的だと痛感しています。2024年の抱負を語る場面がありひとりづつ意見を述べました。

私は新役員の人選に間違いがなかったこと、対象者と接するときは身近な話題から距離を縮めていくと良いことを話ました。

とても良い雰囲気で解散できました。

観察官に言っておきたいことがあったのですが心地よく酔って年を越そうとしているときに水を差してはと思いグッとこらえました。

よく我慢しました。私も成長したものです(自分で言うなっ・・笑)3月の最後の研修時には彼の将来のために言っておかなければ・・・


[6472] 【7479回 下駄箱の利用方法】 2023-12-22 (Fri)

靴しか入ってないのに「下駄箱」ってなんで言うのかな〜(笑)

家の中の大掃除をしても、なかなか靴箱の掃除までは目が行き届かないのが現状です。

1年に1度だけ、まともな事を提案するポッチーがとても斬新なアイデアを提案してきました。(雨が降るぞぉぉぉ)

正月に玄関に山盛りとなる来客用の靴を下駄箱に入れる方法です。

ということは今収納している靴の全てを別の場所に移すと言うことになります。

幸いにガレージには車が無いので充分なスペースがあります。

手間だけど靴箱の整理整頓にもなるし人の靴を踏みながら上がらずに済むし、なかなか良い思い付きです。

「怒られると思ってた」と・・・私が反対すると思ってたらしいです。

この際、履かない靴の処分、特にハイヒールなどはもう履かないから1足だけ残して処分しようと決心しました。

最終ゴミ回収が29日だから28日には靴箱整理と・・・おっ、ちょっとやる気出たね。

そうなんです。手の調子が少しづつ改善して来た様子でやっと重い腰が上がりつつあります。

姪っ子が墓参りついでに道の駅に買い物に行こうと誘ってくれましたがまだそこまで動く気持ちにはなってなくて断りました。

昔は年末になると網戸を外して洗う家をよく見かけましたが今は高齢化してきたのか見なくなりました。

日頃から整理整頓しているので大丈夫だと思っていましたがクローゼットの中のホコリに驚いています。

押入れの中って結構なホコリがたまっていますよ〜。

温かい日をみつけてやるかな!


[6471] 【7478回 2023年納会】 2023-12-21 (Thu)

我が倶楽部の12月の例会は阪急・夙川駅をスタートして夙川公園を散策し御前浜公園を抜け酒蔵見物と洒落込みました。

海沿いを吹く風はとても冷たくて頬の間隔が無くなるほどでしたが海辺には水鳥達が戯れたり水上スキーの人達がいたりと楽しい時間でした。

西宮は日本酒の町と言っても過言ではなく、その中の白鹿記念酒造博物館の見学や試飲(但し有料)もあり納会にふさわしいコースでした。

夙川散策と言いながらも距離にして15kmは歩いていますので健脚の高齢者と言えるのではないでしょうか。

西宮戎神社をゴールし時間も早いし、このままお別れも寂しすぎるため駅前のレストランで忘年会の開催となりました。

2時間ほど飲んで食って喋っていたでしょうか。

2024年は例会日を決めず思い立ったメンバーがお誘いの声を掛けることにしました。

企画がひとりに集中すると負担にもなるし大変な労力だと言うことを全員で自覚しました。

取り敢えず1月は中山寺奥の院への初登山(日程は未定)と言うことで解散となりました。

「よいお年を迎えてね!」そんな言葉が似合う師走20日の出来ごとでした。


[6470] 【7477回 1年を振り返って・後半】 2023-12-19 (Tue)

1年を振り返って・・7月〜12月

7月は義兄の20年法要を開催しました。親族大集合といったところでしょうか。

8月は4年ぶりに地域の夏祭りが復活して夜間巡視で忙しかったです。姪っ子の初盆も済ませました。

8月12日開催の阿波踊りを見に2泊3日、日和佐経由で盛りだくさんのスケジュール(阿波踊り・ドイツ会館・浄瑠璃、美術館)を堪能。

9月は観察所から藍綬褒章受章の内定を貰い戸惑っていました。まさか私が・・・と言う思いでした。内定なので誰にも言わず決定を待ちました。

ジョンがコロナで入院と言うのにも驚きました。身近な人でコロナ初〜

9月21日藍綬褒章受賞決定通知あり(11月2日付正式発表まで他言せず)

10月は全国秋の交通安全週間で此花区の小学校に自転車教室を開催。横須賀からの誘いで甲府・乾徳山へ。

11月3日新聞紙上で秋の叙勲の発表があり多方面から祝福を受ける。東京行き法務省皇居行きの準備。

アフタヌーンドレスとやらの購入やホテルの手配や新幹線の手配と出費大きいね。

受章式の日、四万十市で同窓会が開催され涙を呑んでの欠席・・・悲しかったよぉ。「どっちが大事や!!」と夫婦喧嘩勃発。

日帰り研修会で伊勢神宮への最後のガイドもどきを引き受けました。

12月手根管症候群の解放手術を受ける。術後の痛みが続き悩む

12月18日再度診察に行き腱鞘炎処置の注射を手の甲に打つ(これで治る??)また1週間後診察あり。

師走。姪っ子の1年祭済ませる。最後のウオークは20日にあるよ。


[6469] 【7476回 1年の振り返り・前半】 2023-12-18 (Mon)

1年を振り返って・・1月から6月まで

2023年を振り返ると・・もう思い出せません〜(😿)色々あったはずなのにね。

1月は59歳で逝った姪っ子の法事と形見分け、遺品整理と忙しかったです。

良い事で忙しいのは良いけど遺品整理しながら思い出して手が止まり辛かったです。

2月は尼崎界隈のそぞろ歩きと洒落込みましたが月曜日休館のところが多かった気がします(公の施設は月曜日休みが多い)

3月は姪っ子の納骨、私が眠るであろう一心寺へ先に逝ってもらう羽目になりました。

4月は「季節限定イタドリ姫」一色でした。私にとって郷愁を満喫できる唯一の春の催しです。

牧野富太郎博士の生誕地「高知県佐川町」へ同窓会幹事会にでかけました。あっ75歳を迎え後期高齢者となりましたぁぁぁぁ。

5月は所属する保護司会の役員交代で総会準備に明け暮れました。3期6年間の会長職の任務を終えホッと致しました。

6月は甲山登山。甲山はいつもながめているだけだったけどなかなか良いコースでした。

色々な行事をこなす中で予定変更がなかったことが何よりです。

病気をしたり、キャンセルしたりと他の人に迷惑をかけることがなかったのが何よりです。

高齢者になると突発的に何が襲い掛かって来るかわかりません。

幹事をしたことがある人なら理解して貰えますがドタキャンほど面倒なことはありません。

そんな迷惑を掛けなかったことが幸いの2023年の前半でした。


[6468] 【7475回 お誕生会】 2023-12-17 (Sun)

名塩に住む息子家族の誕生会に出掛けることにしました。1年に1回だけパパとママの合同誕生会を開くのです。

大学生の娘は念願の一人暮らしがしたいと大学と自宅の中間でアパート暮らし。

女の子だから炊事・洗濯などの家事一切が身についてよかろうと思ったりします。

名塩に行くのに同じ沿線の移動なので東西線の電車の中で合流することを約束しました。

クリスマスプレゼントがなかなか決められないとラインを貰い、そろそろプレゼントの卒業もありかなと思っています。

昔はオモチャが主流でトイザらスに走ったものです。

お年玉もクリスマスプレゼントも「はたち」までと決めています。

「誕生日の二十歳」なのか「成人式の二十歳」なのか迷うところですが全国一斉の「成人式」の日に打ち止めが良いのかしら?

「おばあちゃん」「高齢者」「年寄り」などの呼び名に抵抗していた頃が懐かしいです。今では名実ともにおばあちゃんが似合います。

まずは自分の足で歩けて自由に外出が出来ることをモツトーにしています。

仲間たちと歩くウオーキングは少々距離が長くても平気で歩けるので不思議です。

新しい年も色々なコースを探して仲間に呼びかけて元気な足を維持したいと思っております。


[6467] 【7474回 優先座席】 2023-12-16 (Sat)

電車の中での話です。

少年が電車の優先座席で無く普通座席に座っていたら高齢者が「席を譲れ」と言わんばかりに少年に声をかけたそうです

そして「年よりをいたわると教わってないのか?しつけがなってない」と暴言を吐いたそうです。

傍で見ていた大人が見るに見かねて高齢者に席を譲ったらしいです。高齢者は当たり前の顔をして座ったそうです。

そこで少年は高齢者に「席を譲って貰ったら、ありがとうと言わないのですか?」と言って周囲の人達から無言の拍手と賛同を得たという話がありました。

「優先座席」と書いてありますが空いて居れば誰でも利用して良いと思います。(出来るだけ優先座席でない座席を探しましょうね)

しかし、しかしなのです。私は75歳なので優先座席に座る資格を持っいます(ハハハ)

しかし、しかしなのです。席を譲ってもらうほど弱ってはいないと思っています。なので一度も「どうぞ」と席を譲られたことはありません。

私は仲間たちから「席取り名人」と言われていて空席を見つけるのが上手です(笑)

但し人を押しのけて座席確保しているのではありません、念のため。

登山の時のバスは長い時間乗り、しかも曲がりくねった道を走りますので同じ料金を払うのですから・・座りたいです。

バスのドアから右側後部の段差のある席を探します。ドアから左側前部は高齢者専用だと認識しています。

席を譲って貰うのが当たり前の気持ちは捨てて、可愛いお年寄りを心がけていればみ〜んな親切にしてくれるはず。


[6466] 【7473回 クリスマスプレゼント】 2023-12-15 (Fri)

まもなくクリスマスがやってきます。

ハローインだのクリスマスだの外国から取り入れたイベントも混じって日本は平和だなぁと痛感します。

孫達も大きくなりました(大学生、高校生、中学生)

小さい頃は冬休みがきたら「25日はお泊りに行くわ!」とサンタさん目当てに4人が押しかけてきていました。

「サンタさんに会うんや」と夜中まで起きていてプレゼントを枕元に置くチャンスがなかなかありませんでした。

仕方がないのでサンルームに置いておくと夜中にゴソゴソと宝探しの様にあちこち探し始めました。

サンタが来た証として赤い帽子を残しておくと「サンタさんの忘れ物やぁぁぁぁ」と喜んでいたものです。

いつの頃かサンタの正体は爺と婆だとわかりお泊りコースはなくなりました(大笑)

その代わりAmazonのアドレスを添付して「プレゼントはこれがいい〜」に変化しました。

大学生ともなれば爺婆のサイフの中身がわかるらしく遠慮がちになってきました。

まぁ1年に1回のプレゼントだから要求に応えてやりたいと思っています。

私の義兄は娘たちの要求に「うちはキリスト教とちゃう!神徒やから関係ないっ!」と割り切っていました。

そんな姪っ子達に薄給の中からプレゼントを買っていたことを思い出しています。その姪っ子もひとりは既に天国に・・・。