[1022] 【1041回 サンセットの下見】 2006-05-07 (Sun)

5月6日の16時、サンセットの下見のために安治川駅に向かいました。自宅からスーパー堤防の潮風に吹かれながら近道をするために新大阪郵便局横の道を通ったら、これがまた新鮮な道のために、さっそく活用することに決めました。

4時になると12名の下見スタツフの方々が集合してくれました。「安治川北口公園」が集合場所となります。公園と駅の間にある碑が気になりました。昭和15年JR安治川駅事故で犠牲になった200余名の方達の慰霊碑でした。すぐ駅にかけつけて資料の請求をしましたら「西九条駅にある」とのことで帰りに貰うことにしました。

島屋東を通り、此花大橋、舞洲へと渡ります。磯の道、新夕日丘、舞洲木道と此花のみどころを案内することになります。ライトを浴びた此花のゴミの館もなかなかきれいです。そして此花大橋を渡り、桜島駅に戻るのですが問題点が二つクローズアツプされました。

●ひとつは海遊館の花火が中止になったこと
●ひとつは夕日が丘で夕日の沈むのを見ると今日歩いたコースだと、返り時間が大幅に遅くなるということです。

スタツフ12名が桜島駅の明かりを利用しながら、ああでもない、こうでもないと論議をします。じゃあいっそのことコースを逆から歩くことにするかなどとあらゆる可能性を考えながら例会のコース作りは進められているのです。

海遊館の花火が中止なら、参加者全員で「大歩協花火」をしようと言うことで下見時に場所を探しました。どこもここも「バーベキュー、花火禁止」と看板が立っています。ジョンがいいます「よその行事に乗っかる難しさがよぉわかったわ・・・」去年とても好評だったので今年も海遊館行事に乗っかかつたのですがトホホの結果になりました。

しかし磯の道、舞洲木道は此花区民がお勧めする素敵なサンセットコースです。何年も続いていますので今年限りになろうかと思いますが、みんなで「真っ赤な太陽」を歌いながら夏の夜をすごしませんか?


[1021] 【1040回 端午の節句】 2006-05-06 (Sat)

ババ様たちは高知までトンボ返りの旅だというのに、零ちっち達は4泊5日の九州旅行に、ももちゃん達は2泊3日の石垣島旅行にとでかけ、5月5日の「こどもの日」にそれぞれのお土産を持参してババ様のところに集合となりました。

「は〜あ〜い」と零ちっちがももちゃんにミニカーのおもちゃを貸してあげます。ももちゃんは全部取り込んで遊びます。家にミニカーなどの男の子のおもちゃがないので珍しい様子です。6月生まれと3月生まれの成長の差は大きくひらいていますが、いずれ肩をならべて仲良くランドセルを背負う日がくることを想像して「こどもの日」のイベントを終了しました。

帰りに菖蒲の葉を持たせました。四季折々の行事は古い者が若い者に伝承するのが役目と、常々思っておりますし、私もそうして姑さんから教わりました。

●菖蒲湯の効能●
冷え性、傷口の保護、疲労回復、神経痛、かぜの予防 等

●菖蒲湯の由来●
菖蒲湯とは5月5日の端午の節句の日に、お風呂に菖蒲の根つきの葉を浮かべて入浴する風習のこと。菖蒲は邪気を払うといわれています。菖蒲湯は平安時代から宮中で行われていましたが、武家政権の時代からは、菖蒲は「尚武」、武をたっとぶに通じるというので、5月5日は男の子の節句とされ、武者絵や武者人形、鯉のぼりなどを飾って、菖蒲湯に入り、男の子の成長を願うことが広く行われるようになりました。


[1020] 【1039回 やっぱりあんた誰?感動の同窓会】 2006-05-04 (Thu)

ウオークレポートを読んで頂き、そこからの続きです(先にウオークレポートで、あらましをご覧下さい)

●感動の同窓会
昭和36年度蕨岡小学校卒業後初めて正式に行われた同窓会に大阪から出席しました。有志では何度も行われているらしいのですが「2年後還暦同窓会」にむけて本腰を入れようと言うことで今回は私達にも連絡が入ったようです。6時からと言う案内でしたので10分前に会場到着(本当はもっと早くに到着していたのですがドキドキして、なかなか中に入れなかったのです)

同級生の経営する店ののれんをくぐると「いらっしゃい!今日は貸切に近いので、やかましいかも知れんけんど、かまんかねぇ?」もうすでに、(あんた誰モードに入ってるー)
「あのー私もその同窓会に出席するのですが・・・」
「あんただれ?」ほらやっぱりきた!
「福谷美智子」「??」「ところであんた誰でしょうか」と店主に卒業写真を見せてしるしをつけてもらうことにしました。「えっ?竹村の惣一君?うっそー!」「お前はどれじゃ?」しぱし時間が過ぎたにもかかわらず二人とも納得できないまま、今回の幹事の「タエちゃん」が登場しました。

「みっちゃん?こんまいねぇ昔は大きかったにねぇ」じつは私は小学6年生の時身長が150センチあり学年で2番目に大きかったんです。それから身長はほとんど伸びておらず、ほかの人達が大きくなったというわけです。ぞくぞくと参加者が入ってきますが、おもかげのある人、ない人と、スズメの巣を突っついた状態になってしまいました。

店主が「はよ、注文してくれや、営業にならんけん!」と笑います。とりあえずビールで乾杯かと思いきや、最初から自分の好きな日本酒、焼酎、ロックとまたまた大変です。やっとのことで「かんぱ〜い」私が持参した卒業写真が評判でみなさんが欲しいということになって人数分コピーに走る幹事さん。

誰々が死んだ、別れた、病気、孫何人、などと自分が会話している人以外の情報も聖徳太子なら全部聞くことができたであろうが、何せあっちからも、こっちからも質問攻めにあいました。「私は中学の時に転校した福谷美智子です。学校から奥の「桃が市」と言うところに家がありました。今は大阪で普通の主婦をしています。今日は声をかけてくれてありがとう」すると誰かが「思い出した!おんちゃんが郵便屋のみちこか?」ということで50年間の空白がやっと埋まりました

時間があっという間に過ぎ、二次会も同級生が経営しているスナックへ全員で移動することになりました。ここは中村市の繁華街で栄町(大阪で言うと北の新地)スナックやバーが建ち並んでいます。ひとみちゃんがいいました「参加できなかった美穂ちゃんに写メールを送ろう」と言うことになりグループごとに写真をうつし転送しました。すると美穂ちゃんからすぐ返事がきて「右端の赤い服着たひとはだ〜れ?」私です!。またここでも「あんた誰?コール」です

カラオケタイムになり私の番が廻ってきたので「南国土佐を後にして」をリクエストしました。すると石男くん(セキオくん)が私に「われ何を歌うがぞ!、土佐の人間は南国土佐なんて歌は誰っちゃあ歌わんぞ!」するとひとみちゃんがいいます。「東京に住んでいるとこの歌が懐かしいがよ、みっちゃんも大阪じゃけん気持ちはわかる。石男くんだまっちょけー」酒の勢いで大声で石男くんが怒られてしまいました。

♪南国とさを〜あとにして 都へ出てから行くとせぞ♪〜
どうしたことか涙があふれて歌えなくなりました。東京から参加のひとみちゃんが「♪思いだします故郷の・・・」助っ人のひとみちゃんのひとみにも大粒の涙。あっちこっちですすり泣きの音がして「逢えてよかったね」とみんなで肩を組みながら南国土佐を後にしてを無事、歌い終えることができました。

「高校3年生」「小指の思い出」「ブルーシャトー」「お久しぶりね」など青春時代の歌を一人が歌うと言うよりは全員が立ったり、踊ったり、肩を組んだりして大騒ぎ。シンデレラタイムが近くなり二次会会場を出ることにしましたが、みんな誰一人帰ろうとしません。ひとみちゃんが「よぉし写真撮ろう」と言うことで夜も更けているにもかかわらず、外で撮影会がはじまりました。(北の新地の路上で写真撮ってる状態)

あまりの騒々しさに何事かと店の中から、こわもてのお兄さんが出てきてしまいました。「すみませんシャッター押してもらえませんか?」「いいですよ」土佐のおなごは酒が強いといいますが、これは本当でした。どの女性も大酒のみで強いです。私だけ「2杯目はコーラで・・・」と言うと「それでも土佐の人間か!」って叱られてしまいました

そのあと一人住まいの同級生の女性の家に10人ほどで立ち寄り、お茶を飲みながら昔話の続きをしますが、どうも終わりそうにありません。大阪でイタドリを流行させていると話すと、「これ持って帰ったちや」と冷凍イタドリをみやげにもらいホテルにもどりました。

「のどまで出てる 友の名を 思い出せない もどかしさ」 


[1019] 【1038回 今夜から同窓会のために四万十へ】 2006-05-02 (Tue)

5月2日夜〜5月5日まで「ひめのおうち」を不在にします。眼鏡ライダーさんに門番を頼んでいますので城下町の見回りを、しかとよろしく(頼まれた覚えはないと?)何も書き込みがなかったらお仕置きだよ〜。

墓参りのための榊と水と米と鎌と長靴と軍手を積み込みました。早朝に今治に到着したら、高知高速道を経て中村に到着。まず墓参りにいきます。墓参りと言うても足場は背丈ほどの雑草が生い茂り行きつくまでが大仕事です。近所のお兄さんがいたら電動芝刈り機で手伝ってもらいます。

そして夜は50年ぶりの同窓会「あんただれ?」を覚悟で参加します。次の日はまんべんなく親戚周りです。立ち寄らなかった親戚がないように細心の注意が必要です(多分これで一日を費やすことになりそうです)

では言ってまいります。戻ったら「あんた誰?物語」を楽しみに待っててくださいね。そうそう今日は八十八夜なんです。みなさんと一緒に歌いたかったなぁ

♪夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る。
「あれに見えるは茶摘じゃないか。あかねだすきに菅(すげ)の笠。」

日和(ひより)つづきの今日此頃(このごろ)を、心のどかに摘みつつ歌う。「摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ。摘まにゃ日本の茶にならぬ。」


[1018] 【1037回 土佐文旦と小夏】 2006-04-30 (Sun)

故郷四万十の従姉妹から土佐文旦と小夏が送られてきました。箱をあけると柑橘類独特の甘酸っぱい匂いが部屋中にプ〜ンと漂います。まず小夏から試食です。小夏の名前を聞いて思い出したことがあります。昔会社の出張で電気工事の社員が中村に出張に行ったときのことです。私が高知出身であることは宣伝も行き届いていましたので、おみやげを買ってきてくれました。

「久やん、名前忘れたけどみかん買うてきてやったぜ。何か女の名前のみかんだった」そうなんです。まさに小夏ちゃんだったのです。このみかんは高知県内の生産と消費量でバランスがとれており、滅多に県外へ出ることは少ない「箱入り娘」なんです。リンゴをむく要領で白い薄皮を残して四等分、八等分にして食べます(能書きはいいから食べさせろってか?)小夏の難点は種が異様に多いことです。土佐のおんちゃんは言います「種が少なかったら子がでけん。種こそ未来につながる宝物ぞ」と・・・・・妙に納得。

土佐文旦は大きさのわりに実が小さい。皮半分、実半分と言ったところでしょうか。おっと!皮は捨てないでお風呂に持って入ってや。ゆず風呂ならぬ「文旦湯」じゃけん。

礼の電話をいれて5月3日に帰ることを告げようか告げまいか悩みました。その結果黙って帰り驚かすことにしました。大阪でイタドリ採りに夢中になっていることを告げると、「呆れて物が言えんちや」と笑われてしまいました。


[1017] 【1036回 イタドリの秘密基地そのU】 2006-04-29 (Sat)

イタドリ姫は、飽きもせず今日も公言どおり「曽根駅」までのキップを買い求め「網干行き」の電車にためらうことなく乗り込みました。大枚をはたいて行くようなことではないと思うが、ほとんど「病気」。しかしもうすぐその病気も全快となる。なぜならば季節限定だから。

今日の秘密基地は「高御位山」に岩場の訓練に行ったとき、偶然にみつけた場所。誰もしらない本当に秘密基地。この間、よし枝ちゃんが座っただけで袋いっぱいになったあの状態が今日も予想される。ジョンにそっぽを向かれたので番犬は一匹だけで、カラのリュックを二人で背負い仲良く(話をしないから仲良くと言う意味)電車の座席に座った。イタドリ談義をポチとすると夢がこわれるから黙って1時間20分電車に揺られることにしました。

「高御位山」は新緑も美しく「よく来たな」と声をかけてくれたが今日は素通りでイタドリ基地へまっしぐら。誰か人が入って採取した跡があるがイタドリは次に訪れた人のために一夜にして背丈を伸ばしてくれる。あるある高知弁で言えば「ざまなことある」沢山あるという意味です。♪思えば遠くに来たもんだ♪♪と鼻歌がでる。ポチは道路の外で待機(どうも藪の中が苦手らしい)

充分採取できたが大枚をはたいての遠出なので「姫路県立別所高校」の正門までウオークと洒落こんだ。クンクンと何やら匂ってきた。奥へぐんぐんと進むと「別所公園」があり堤防にイタドリが群生していた。しかし鑑定の結果、ここのイタドリは食材には向かないと判断し、また竹やぶの中で大量に採取することができた。しかし全体的に遅い。茎が硬い、あと一週間早くくればよかった。

地元のおばちゃんが「どうして食べるのか」と食べ方を聞いてきた「いいえ、ただ懐かしいだけで・・・ホホホ」と笑ってごまかした。料理方法は大阪府歩け歩け協会の仲間だけにしか伝授できません。地元の人に教えると来年、我々より先に採られてしまう。ポチが言う「お前は蕗やゼンマイやワラビには目もくれないのは何故だ?」

イタドリ伝導師は「市場に行けば蕗もゼンマイもワラビもお金を出して買うことができる。イタドリはどこの市場にも売ってない。伝導師の夢探しや」理解できてへんやろな。ワン!戻ると皮剥きが、これまた大変。誰か皮むき手伝って〜!

伝導師のワンポイントレッスン
●イタドリを採取して戻ると、しなびていると思います。そんなときは鍋に水を入れてお花を生き返らせる要領で少しつけて置くとシャンとして皮が剥きやすくなります。花と同じ要領言うたかてバケツはいかんよ。バケツは!


[1016] 【1035回 今日は大歩協の会議の日です】 2006-04-27 (Thu)

夜6時大阪府歩け歩け協会の毎月の定例会議に日本橋の石井スポーツまでダッシュします。5時丁度に終われればいいのですが、何やかんやと雑務があり、バイクで野田阪神まで、すっ飛ばします。すっ飛ばすけれども勿論「安全運転」です。ETCのバーを突破した人と同一人物だとも思えません。あのことがあってからETCのバーを通過する時は時速20km以下にスピードは落としています(同じことは二度くりかえさない様にね)

廃線ウオークで採取したイタドリを調理して会議に持参しました。だって下見の時に、みなさんにご迷惑かけましたから(イタドリ見つけたら藪の中に突進して寄り道しましたから)会議参加者お一人づつ持ち帰って頂く様に小さなパックに入れて「こんな物いらない」と思ってるかも知れませんが、無理やり押し付けました。なぜなら私はイタドリ姫だからイタドリを都会の人達に伝導しなければならないのです(笑)

こういう食べ方もあるのだと言うことを知ってもらえれば「土佐名物のイタドリ」も喜ぶというものでしょう。5月に入ると「季節限定イタドリ姫」は消えていなくなります。今のうちに、もっともっと宣伝しなくっちゃあね。

ところでジョンさんよー!29日空いてますか?明石近くの「曽根駅」の近くにいいイタドリの親木をみつけてあるのですが採取に付き合う気はないのかいなぁ。10月のバスウオーク「篠山あじまつり」の下見の下見も兼ねてどや?しかし、ま、無理やな。大型連休に入り何かと多忙だもんね。今年はこのくらいにしとこか!(そんなはずあらへんやろ)


[1015] 【1034回 58歳の朝を迎えました】 2006-04-26 (Wed)

4月26日静かに58歳の朝を迎えました。両親にこの世に産みだしてくれたことを感謝するために南の空(どっち?)に向かって静かに手を合わせました。とてもおだやかでいい気分です。去年を振り返りますと、1月は環状線ウオークで幕開けとなり「今年も元気に歩くぞ」と気合いも充分でスタートしました。今年は、ことのほか雪も多く何度もスノーシューウオークに行きました。大山、余呉湖など、どこの雪にも新しい感動を見つけることができました。

春は二人目の孫「ももちゃん」が誕生しました。産後の食事の世話やお宮参りととババ様業が忙しかったです。5月は石鎚山の下見に行き、大雨に遭ったのも思い出のひとつです。会長が新聞紙の上に濡れたお札を並べて乾かしていたこと、ジョンさんが部屋中にロープを張り、副会長が寝ずの番で衣服や靴を乾かして下さったことも晴天の登山では味わえない思い出です。またプライベートで熊野古道を一泊二日で歩きました。素晴らしかったのですが何とアツプダウンの多いこと!このコースを実行するときは「健脚向け」と明記する必要があると痛感しました。そして田植えのイベントも夢を共有することができました。6月は初孫の零が満1歳を迎え夏は西穂高登山2909メートルの旅にでかけました。最後をしめくくるのは「雪彦山忘年会」と称し舞台の上でドンンチャン騒ぎしましたっけ。

忘れてはならないのが「ひめのおうち1000回」を迎えたことです。誰も読んでくれてへんわと憂鬱になった時期もありましたがウオークの途中で「読んだよ」と声をかけて下さる方や「ウオーカー広場」への書き込みなどの励ましを受けて続けることができました。そして感動の表彰式。背割り堤の桜の花を見るたびに思い出すことでしょう。

こうして振り返りますと、まあよく遊びに出かけていますこと。まあよくお金が続きますこと。しかし病気をしたと思えば、お金は天下のまわりもの(一度言ってみたかったの)仲間と一緒に出かけられることの幸せ、元気で歩ける幸せを噛みしめています。いかなる困難と立ち向かおうとも、ひるむことなく前進したいと思っています。

今朝、1999年にプライベートで四万十川ウオークに参加した時のビデオを見ていましたら、歩き方も初歩(肩を揺らして歩いていました)で、笑えました。またいつかのバスウオークの帰りに「四万十川」を宣伝するときに使いたいと思います。

「自分が嫌いと思っている相手は、相手も自分を嫌っている」日めくりカレンダーの格言です。しかと胸に受け止め、偶然にも4月26日の暦に書いてあるのも私への忠告と肝に命じ、こころおだやかに58歳を満喫したいと思っております。またこうも書いてありました「物事に感謝の気持ちが湧き出たら幸福の扉が開かれる」

皆様今後とも宜しくお願いします


[1014] 【1033回 57歳の最後の夜】 2006-04-25 (Tue)

あ〜っ!今夜寝たら58歳になるーっ!ほんなら寝んとこか!いつまでも57歳のままや。

あっという間の1年だったので充実していたはず。仲間の支えあったればこそ。ポチとも熟年離婚せずに済んだことが何よりかな。だってお城を分けたり、財産分けたり、子供分けたり労力いるでしょ?そう思たら私が我慢すれば済むこと(お互い様なんて言葉はないよ)

60歳の定年まで、あと2年と公言して引継ぎ体制に突入しました。社外で仰せつかっている役職もひとつづつ幕を下ろしていきます。惜しまれるうちが華。誰が何と言おうと60歳で働くのはおしまい。生涯現役と言う言葉は好きだけど仕事以外の「生涯現役」探したいよ。


「♪リンドン、リンドン聞こえる幸せの鐘
リンドン、リンドン緑の風にのって
世界中の人達がこの鐘におくる
幸せの言葉 幸せのうた
リンドン、リンドン聞こえる
しあわせのうた
ハッピバスデーツーユーみちこちゃん
ハッピバースデーツーユーおめでとう♪」歌ってね。
 
えっ知らないって?。そんな事はありません。例会で何度も歌っています。バスウオークで何度も歌っています。


[1013] 【1032回 プライベートウオーク】 2006-04-24 (Mon)

23日の天気予報は朝から「大雨」。ポチが「雨が降ったら中止にしよう」とブツブツと文句をいい始めた。「一人でも行く」と明言し23日の朝を迎えました。「大雨?それ日本の空?」鼻で笑いながら足取りは軽い。今日は「イタドリ大好き人間集合」のプライベートウオークであります。法事のため欠席の仲間の分は私が確保することを事前に約束をしました。本日の天気は「曇りのち晴れ傘いらず」と決めました。

さてさて、どこにイタドリがあるかと言うことが問題になりますが、大阪府歩け歩け協会で「石舞台から談山神社〜桜井」のコースの折りに沢山のイタドリの「親木」をみつけていました。「いまはまだ早いが必ずいいイタドリが出るぞ」そんな期待に応えてくれるに、ふさわしいりっぱな親木でした。子供の頃、イタドリの収穫時期は新学期がはじまり、家庭訪問が行われる頃に恩師である柳川先生が「どの家に行っても、みやげはイタドリじゃけん。高価な物なら辞退も出来るがイタドリじゃ断れんなぁ・・・また女房に文句言われるなぁ」とぼやいていましたので時期的には丁度4月20日前後で間違いありません。

桜井駅から石舞台で使用した地図を参考に歩き始めましたが、この地図には主だった目印の記入がなく(ローソン、銀行、交番等)スタートからつまづき「あんたらこの間歩いたんちゃうの?」と攻めまくられました。逆コースと言うのは廃線ウオークでもそうですが目先が変わっているので「経験」はゼロ状態です。ナビゲーターの機械に頼りながら、やっとのこと山道に入りました。

クンクンかすかにイタドリの匂いがします。最初は品祖な細いイタドリでも「あったーあったー」と喜び採取していましたが群生地を見つけると「大きいのだけ!小さいのは次に訪れる人のために残すこと!」と変なルールを作り必死です。ポキッと言うあの感触を知らない友のために見つけたイタドリを譲ります。「楽〜し〜い!」

もうすぐ談山神社というところで道が二差路に分かれました。みんなは昼食予定の談山神社の方向をとります。姫とチエちゃんはイタドリの匂いのする反対方向へ行きます(団体歩行ではないので勝手な行動を許してね)すると小高い山全体がイタドリだらけです。私はこの秘密の場所を「イタドリの丘」と命名しました。

「戻ってきて〜!大変や〜!二人では採りきれないよ〜」ポチが下で袋詰め作業をします。もう入りきりません。ものすごい収穫です。ジョンから電話が鳴ります。しかし「イタドリの丘」は傾斜がきつく携帯に出られる状態ではありません。「ほっとくかー」「そうしよう」10歳の時の少女に戻り、ストレス、更年期(?)がすっ飛びました。

あまりに遅い私達を案じてジョンのお迎えがありイタドリの山を見せました。「ほーっ」何や感動の言葉は、たったそんだけかよー。お昼ごはんをたべながら「お料理教室」が始まりました。感動したのは、くろねこ母さんが自宅近くで採取した「イタドリ料理」を沢山持参してくれていたことです。「マヨネーズサラダ風、ポン酢風、煮物風、佃煮風」ちえちゃんが「イタドリジャム」ほんま感動しましたわ。ごちそうさまでした。

「山わけ」と言うのはこういうことを言うのでしょうか。それぞれに採ったイタドリは全部回収して平等に分配しました。大きいの、小さいのを混ぜて仲良く分配できました。帰りはイタドリの収穫があまりに多すぎて、談山神社からバスに乗ることにしました。時刻表を見に行くと1時間に1本しか走らないバスがまもなく出発とのこと。何とラッキーなんでしょう。それでもまだ運転手さんに「焼餅買ってくるので待っててくださいね」と念を押し売店へと走ります。

車窓から見る風景は桜が「これが最後よ」と言わんばかりに花ビラをヒラヒラ、ハラハラと舞わせてくれました。新緑のミドリと桜のピンクと山吹の黄色が前回の時にはなかった景色を披露してくれました。来年は桜井駅から談山神社までバスに乗り下りのコースをイタドリ採りに行きたいと思いました。

これほどにイタドリを語る人も私以外にはいないかも知れません。やっぱり季節限定のイタドリ姫だけのことはあるのでしょうか。イタドリを見つけるパワーは誰にも負けません(そんなこと自慢してどうなるんや!)夕食後、皮むきに2時間かけて塩漬けして冷凍室へ・・・オヤスミ


[1012] 【1031回 イ、イ、イタドリとの出会い】 2006-04-22 (Sat)

くろねこさ〜ん!イタドリ採ったよ!ポキポキいい音するねぇ。電車の中で袋からはみだしたイタドリを不思議そうに見るご婦人達の視線を優越感でゆ〜らゆ〜とイタドリ見せびらかして笑ってら〜。楽しいね。うれしいね。今夜はイタドリ剥いて、湯通しして明日食べられるといいけど、酢っぱみが抜け切れないね〜。季節限定イタドリ姫は子供に返って山を駆け巡りましたよ〜!うれしかったねぇ〜

今日は8月20日廃線ウオークの下見のために朝7時に家をでました。集合は10時なんですが「馳渡山」300メートルほどの山なんですが、本番にふさわしいかどうか確かめるためにジョンとポチと3人で登りました。往路30分、復路20分の簡単な山で今は、山ツツジのトンネルが私達を迎えてくれました。しかし台風の後遺症で倒木が道を遮断し、ウオーカーの皆様を案内するのは無理と判断し下山しました。10時に9人の下見スタツフと武田尾駅で合流し、廃線ウオークの通常の逆コース(武田尾から生瀬)を下見、反対コースの新鮮さに驚きました。トンネル内でも逆コースを歩く人は、ほとんどおらず対面するとホタルが飛んできたような印象をうけました。当日はダイナマイト爆発の歴史も語りたいと思います。

勿論「真夏のクリスマス」も実施します。楽しみにして下さいね。そして下見のスタツフの皆様!イタドリ採りをさせてくださってありがとうございました。


[1011] 【1030回 父の祥月命日】 2006-04-21 (Fri)

今日は父親の祥月命日のために鴻池新田へと車を走らせました。「筍ご飯がたべたい」と会話半ばで息を引き取った父のために筍を炊き、榊を神前に供えました(我が家は神徒)
厳格な父であり、10年ほどしか生活を共にしなかったが思い出は山ほどにある。

いまは姉と私しか先祖を祀るものがいない。子供たちに見たこともない祖父母の話をしたところで負担になるかも知れない。義兄が命と引き換えにジョンに背負われ墓参りをした姿が今も鮮明に思い出される。「ここに、この高知の墓に入りたい!」と涙をこぼしながら墓の土を骨壷にいれた義兄の無念を思い、神棚の前でしばし涙を流した。その義兄は今は貝塚の誰も知らない地に眠る。

今夜はそのビデオを見て父を想い、義兄を思いたい。




[1010] 【1029回 四万十川が呼んでるよ】 2006-04-21 (Fri)

サンケイ新聞の記事に「四万十川のアユ」という内容が掲載されていました。ダムなき「最後の清流」でアユの遡上がはじまつたと報じられていました。四万十川にはアカメ、アマゴ、ウナギ、手長エビなどの160種類の魚類が生息しているといわれています。まだ川漁で生計をたてている人達も沢山います。

昔は四万十川に入るとアユが足に当たるといわれるほどアユがいました。子供の頃「ツンツン」と足を魚につっつかれたものです。それがアユであってもゴリであってもナマズであってもいいんです。魚達はみんな友達なんですからね。魚達は水浴びする仲間みたいなもんでした。

四万十川の清流は台風で保たれているといわれるくらい、台風によって川底を洗浄しゆったりと清らかな清流を保っています。5月15日のアユの解禁がはじまると初夏の装いとなり「火振り漁」で夏本番となる日が、もうそこまで来ているようです。今年の夏は火振り漁の見学をかねて「幻の栗焼酎」とのご対面に帰郷しようと思っています。大阪府歩け歩け協会での見学のおりに、栗焼酎の試飲のとき「コップが、こんまいけん大きいのと変えたや!」と大きなコップになみなみと焼酎を注いでくれた太っ腹の主との会話も楽しみのひとつです。


[1009] 【1028回 雨の音で目が覚めました】 2006-04-20 (Thu)

午前4時・・激しい雨の音で目が覚めました。今日はウイークデーの日なのになぁ。集合時間までに止んでくれることを祈るような気持ちです。この間の背割り堤と言い、雨のウオークが多いこと!

19日の午後から「救命救急普及員更新講習」に行ってきました。5時間たっぷりの講習です。3年更新ですので皆さん忘れていることも多く時間もかかりました。除細動講習もありましたが、大阪府歩け歩け協会では、すでに除細動講習も終えており、余裕をもって受講することができました。

最後の仕上げは講習に参加している普及員の方達にむかって10分間で、救命救急の手順を、喋って、実技するのですが「何度か経験あるのですか?」と教官に誉められちゃいました。毎年納会で、会社で実施していますと話をしましたら「一人でも多くの方に伝えて下さい」と励ましのお言葉を頂戴しました。納会では「一人法」を説明していますが「二人法」も効果があることを力説されておりました。また機会があればご報告したいと思います。

意識や呼吸があるかどうか判断のできない時は、悪い方に、悪い方に判断をして、ひるまず救命救急を行ってくださいとのことでした。事例を話していく中で、私の順番が来ましたので、普及講習を受けて下さった方で「勇気ある一歩」を実行された大歩協会員の「藤井卓さん」の話をしました。

教官が胃潰瘍で吐血し、奥さんが救急車を呼ぶのに、あわてていて自宅の住所と電話番号が言えなかったことを話しておられましたが、「またか」と言わず講習の機会があれば何度でも受講することが大切なんだと痛感しました。以前はウオークのお昼はスタンプを押すための長蛇の列ができ、その時間を利用して、よく広報していました。スタツフ全員で何度も訓練をしておかないと、いざと言う時には今日の更新にこられた方達のように「3年ぶりの更新なので忘れて・・・」と言うことにならないようにしたいものです。

自分がいくら上手に蘇生法ができても、自分で自分は助けられません。人に助けてもらうためには一人でも多くの方に正しい蘇生法を覚えていただくしかありません。ご夫婦の方は手順をお互いに練習してみてください。


[1008] 【1027回 こいのぼり】 2006-04-19 (Wed)

♪やねよりたかい こいのぼり おおきいひごいは おかあさん
 ちいさいまごいは こどもたち  おもしろそうに およいでる

♪みどりのかぜに さそわれて  ひらひらはためく ふきながし
 くるくるまわる かざぐるま  おもしろそうに およいでる

もうすぐ五月、若葉の美しい季節です。零ちっちの鯉のぼりも「屋根より高く」ではありませんが、そこそこの大きさで零ちっちの健やかな成長を願い、災いを肩代わりしてくれるに違いありません。

四万十川には家で不用になった鯉のぼりを寄贈し川に泳ぐ鯉をイメージして沢山の鯉のぼりが四万十川の上を泳ぎます。いまでこそ、あちこちでこの光景が見られますが元祖は、わが故郷の四万十川であったことをお知らせしたい。

もともと土佐の鯉のぼりは、ちょっと風変わりで「フラフ」という大きな旗が特徴です。金太郎や源義経などの絵柄が勇ましく、力強く、初夏の空にはためいています。「あっあそこの家は初節句やなぁ」と一目でわかります。この大旗は大漁旗からヒントを得ているといいます。大きいものは縦4メートル、横7メートルもあり、まさに「屋根よりたかい鯉のぼり」であります。この「フラフ」のいわれは突然の雨でも幟が仕舞いやすいように二期作で忙しい農家の智恵だとも言われています。

5月7日の例会では「コイノボリ」と「鯉のぼり」の2曲を歌いたいと思います。えっ?どう違うかですって?

♪やねよりたかい こいのぼり〜と♪いらかの波と雲の波〜。5月7日お楽しみにね。


[1007] 【1026回 50年ぶりの同窓会】 2006-04-17 (Mon)

私の姉が「同窓会、同窓会」と高知に帰るのを「ええ年してあほくさ!」と冷ややかな目で眺めていました。私は小学校は6年までは同じ学校ですが中学校は転々としています(中1の夏休みまでは蕨岡中学、中2までは中村中学、中3は大阪市立港中学)で同窓会の案内はいままで来たことがありません。どこに出していいのかわからないのだと思います。

ところが昨日の夜、家の電話が鳴りました。「みっちゃん?私、タエ。覚えちょるが?」故郷訛りなので高知の人だとはわかりますが突然にタエと言われても・・・(タウエ?ならまだ先だよなぁ)「同級生のマツダタエよ」

話は変わりますが私の呼び名は年齢とともに変化をしています。幼友達は「みっちゃん」。中学の友も田舎では「みちこかみっちゃん」。高校の友は「福ちゃん」。旧姓が福谷なのでそう呼びます。まさしく幼友達であることは間違いありません。恐る恐る「○○村に嫁に行ったタエちゃん?」やっと50年ぶりの名乗りを交わすことができました。

聞くと5月3日に同窓会を開くから、もんて来ないかというのです。ゴールデンウイークの真っ盛りに飛行機も列車も取れないのに「行く。行く。帰る。必ず帰る。柳川先生も連れて行くけん!」と言ってしまいました。空と陸がダメなら海の上があるさと、啖呵を切りたいところですが、よくよく調べたら大阪高知間は高速道路が出来たため利用者が激変しフェリー回路は廃止となっているそうです。

こりゃたまげた!


[1006] 【1025回 ふたたび訪れた野島断層】 2006-04-17 (Mon)

4月15〜16日にかけて協力会社の総会のために南淡路島に行ってきました。例会をお休みしてごめんなさい(スタツフのどなたかウオークレポートの書き込み楽しみにしていますよ。見たまま、歩いたままを書けばGОODです)

協力会社の事務局ということで「ひな壇」の座り位置から二次会のセット、コンパニオンの手配、部屋割りの苦情等、大歩協の旅行では無いストレスを感じながら無事36回総会を終了しました。

淡路島への道中の山々は山桜で真っ白に染まり、まるで雪が降ったような感じです。今年最後の桜見物かなと車窓からの花見を洒落込みました。家々は震災後に建て替えられた様子で、どの家もまだ新しい家ばかりです。震災後に「かんぽの宿」で宿泊し、目の当たりにした、あのねじれ曲がった民家は今は保護されて、震災を忘れないでおくための資料館となっていました。

「千年に一度の大地震とおばあちゃんが言いました」などの小学生が体験したことを作文にして壁にかけてあり、すざまじかった被害の模様を垣間見ることができました。「体験コーナー」というところがあり、震度7を体験することができました。「今から40秒間揺れます。そのあとの余震も体験してください」とアナウンスがあり揺れるということがわかっていても声を出さずにはいられない恐怖感が身体中に走りました。

この恐怖が、不意に、しかも暗闇の中でおきて家具などが崩壊すればと思うと天災の恐ろしさ、どうすることも出来ない自然の大きな力を感じずにはおれませんでした。私はこの野島断層の「なま」の姿を偶然にかんぽの宿に泊まった時に見ていますので、今でこそ建物で囲われてしまっていますが村の人と会ったとき「野次馬」と見られたくなくて逃げるように宿に戻ったことを思い出しました。

めずらしくバスの最後部に座らせて頂いてガイドさんの説明をきかせてもらいました。ガイドもどきではなく今日は「ほんまもんのガイド」さんが乗っています。しかし後部座席がサロン式になっているため雑談が多く、前から3列くらいの役員さんしかガイドの説明を聞く人はいなくて後ろはほとんど聞き取れませんでした。いつだったか大歩協のバスウオークで「後ろがしゃべっていて聞こえません」と勇気ある発言をしてくださったS・Aさんの気持ちが初めてわかりました。

私はおしゃべりが多くなると「歌」を交えて会話を遮断しますがプロのガイドさんは聞いてなくても喋り続けてくれます。協力会社のお客様ばかりですので「うるさい」とも言えずガイドさんに気の毒で仕方がありませんでした。あまりに騒々しくてガイドさんがかわいそうなので事務局の職権乱用で「バス到着クイズ」をすることにしました。かなりの年齢のオーナーさんばかりですので「トイレ臨時停車」があり到着時間が少々ズレてしまい残念ながら私はハズレ(臨時停車がなければ私がピッタリ賞だったんです)しかもピッタリ賞は、そのトイレに行った社長に当たったものですから、喧々諤々でした(ハハハ)

帰りのバスで、この間のラジオ収録のテープをかけました。一瞬シーンとなりましたが後部座席のサロン部分の人たちは大声でまたまたおしゃべりをされ、私の上司が、酒も大量に入っていたこともあり、とうとう切れまして「お前はもう脱会せよ!」と大声をあげました。そのあと私もマイクをかりて「○○社長さん以外の皆様、ご静聴ありがとうございました」と丁寧にお礼を申し上げておきました。

それと、タバコの煙でバスの中は最悪。やっぱり大阪府歩け歩け協会のバスウオークが楽しくていいですね。


[1005] 【1024回 えらいこっちゃ!此花区のふたつ目の穴場がスワッ!】 2006-04-14 (Fri)

平成18年4月14日産経新聞朝刊ニュースです。

「観客増えすぎ・・安全確保はムリ。天保山花火大会を中止」とありました。大歩協のサンセットウオークをどうしてくれるねん!去年のサンセットは夕日の沈むのを見た後に、安全な対岸から海遊館沖合いの花火を観賞するという人気コースでした。今年も「海の日」に実施予定を計画し年間予定表にも掲載済み。なのに中止ってそんなに簡単に決定していいのかしら。新聞の記事をそのまま転記しました

「関西地区の花火大会の幕開けを飾るイベントとして、海遊館沖合いで毎年7月に行われてきた「天保山海上花火大会」は13日今夏から中止することを決めた。昨年度に観客が10万人を超えたが「観覧場所が限定されている中、安全に見学できる観客者数を超えており安全確保の観点からやむを得ない」としている。花火大会は海遊館を運営する「大阪ウォーターフロント開発」の主催で平成4年に始まり、12年からは地元企業や市が加わった実行委員会のイベントとして「海の日」に開かれていた。関西地区のトップを切る花火大会とあって年々人気を集め、昨年度の来場者は10万8千人に達した。しかし天保山一体は観覧場所が限られており混雑度を雑踏の基準とされる1平方メートルあたり3人と計算しても、一体の収容人数は役8万人が限度だと言う。また海上へのアクセスとなる公共交通機関は市営地下鉄中央線の大阪港駅しかなく、駅での大混雑も想定され「これ以上観客が増えると間違いなく危険な状態になる」と中止を決めたと言う。実行委員会は「何よりも観客の安全が第一でやむを得ない決断。周辺地区の活性化に向けて別のイベントを検討したい」としている。

対岸市民を代表して、大歩協を代表して言わしてもらうと交通機関が地下鉄しかないことは平成4年当初からわかっていること。明石の花火事故があってから肝っ玉が縮んだのか?観客が動員できずで中止というケースはあるやも知れず、人気がありすぎて突然中止は勝手すぎませんか。安全対策について検討し、次年度からの中止なら、まだ話がわかる。去年の動員数が多く危険であったことは去年の海の日を過ぎた翌日には、わかっていたはず。それを判断するのに10ケ月もかかるのか?実行委員会があるならば実施後反省会がもたれたはず。一体何を反省してたのか疑いたくなる。

我々が予定していたのは、対岸の此花区から海を隔てて、ゆったりと安全に観賞できるスポットを案内していて、今年も沢山の人が楽しみにしていてくれたはずです。5月には下見も予定されており頭の痛い問題です。今日は早速「苦情対策」にかけあいたいと思います。復活しないまでも対岸から観賞するファンも沢山いたということを、しらしめておかないと誰も「海遊館」にいかなくなるよ〜!

こうなったら参加者全員で線香花火でもすっかな?


[1004] 【1023回 此花区のもうひとつの穴場】 2006-04-12 (Wed)

此花区にはイゲタマークの会社が並んでいます。その仲の「健保会館」誰でもがフラリと利用するわけにはいかず、かならずイゲタマークの会社の方の紹介がいるんですが、わが社の女子社員新人歓迎会をドシャブリの雨の中、春日出中と言う町まで移動しました。

「久田さん、少し歩くの速くないですか?付いていけませ〜ん」ハッと気がつくといつものウオーク調になっている様です。ラジオでも喋りましたが人から言われて気がつく事が多いですね(ウオークが身についた証拠ですね。おまけに肉まで付きよった)

予めファックスでメニューを注文していましたので席に着くと、すぐにアツアツのお料理が順番に出てきます。女性陣なのであまりアルコールの方は進みませんが、食うわ食うわで満腹状態になりました。片隅で男性グループが一組いるぐらいでのんびりと時間を気にせず食事をすることができます。

幹事の女性がお勘定から戻り、私を手招きします「この勘定は間違ってないですかねぇ、安すぎるんですけど・・・・」ここはイゲタマークの社員のためのラウンジなので安いことを説明しました。高くても不安ですが安すぎるのも不安の様です。

雨はまだ、かなり降り続いておりましたが、今後お互いが仲良く仕事をして行こうと誓い合い、楽しいお食事会が終了しました。自宅に帰りついた時間が午後7時30分でポチが丁度戻り、夕食の支度をして「どうぞ召し上がれ、本日姫様は食欲がないため、おひとりでどうぞ」こんな気分でした。ごちそうさまでした!


[1003] (1022回 ETCのバーを突っ切りました〜) 2006-04-10 (Mon)

ギャハハッとうとうやっちゃったよ〜(主人公はボリボリと頭をかく)ちょっと聞いてよ〜

今日は雨模様の中、氷上工場へ女子社員の接遇マナーの研修にいきました。ETCのカードを挿入して阪神高速福島は無事通過、中国道の池田も無事通過しました。若狭自動車道(旧舞鶴道)の春日の出口で時速20キロに落としETC専用出口をいつものように出ようとしたその時です。バーが開きません。バーを付き切って出る車の音にブレーキを踏みました。何とバーが開かないのです。(ごめん20キロより早い速度でした)

有人出口からおじさんが飛んできました。その前に私も車から出て「どないなってんの?」先に言うたが勝ちです。別に不正しようと思ったわけではないしね。カードを見せて池田を無事通過したことを説明すると池田の機械が故障して先ほどから何台もこんなことを繰り返しているとのこと。「そんならETCの出口を閉鎖するのが先とちゃうの!」と怒りまくりました。「すみません、すみません」と謝るおじさん・・・

あんまり抗議しても、春日インターのおっちゃんに非はないし、時間もかかるので有人出口扱いで処置をしてもらいましたが何台もおんなじ状態の車がおるならば、もっと適切な処置があるだろうにと腹立たしい。しかしあの一瞬いまでも笑えてきます。運動会で一等になりゴールテープを切る時、どちらの人もテープを離さず身体が食い込んだ感じでした「しまったー」とおもいましたがETCのバーって以外と柔らかいのです。車も無傷でした。

「いつも開くとおもうなETC」みなさんもお気をつけあそばせ


[1002] 【1021回 桜の下で花見の宴】 2006-04-09 (Sun)

此花区伝法公園(ウオークで集合場所となる場所)で大人16人ゲスト2名、子供3人の合計21人で「すきやき」パーティをしました。花は見ごろ。場所も穴場と思いきやポチ情報では場所取りがすでに始まっているとの連絡でポチが9時から場所取りに出かけました。ジャスコの開店を待って材料調達です。肉は土曜日の特価で長蛇の列に並びゲットしています。この店は四貫島では有名で高級肉が安くて旨いのです。

軽のベンツ(?)に材料と道具を乗せ現地へ向かいます。すでに沢山の花見客で公園はところ狭しとシートが敷き詰められています。人数が多いので2班に別れて用意にかかりました。私は「鍋奉行様」の班にすばやくもぐりこむことに成功しました。すき焼きのタレを使わず、しょうゆと砂糖で味付けしていきます。「かんぱ〜い」桜の花もアルコールに酔ったのか花びらをピンク色に染めて(はじめからビンクじゃ〜)時折花びらを舞わせてサービスをしてくれます。「今日が見ごろじゃ」と言うだけあって天気よし、仲間よし、料理よしで楽しい時間が過ぎて行きます。

先週の八幡の背割り堤で雨をなげきましたが、あの雨のおかげで再び花見の話が浮上してありがたく思っております。まず朝のラジオ出演の話から「聞いたよ聞いたよ」やっぱりホームページ効果はすごいね。ありがとう。

小さな子供たちも野外で走り廻ります。落ち葉をひろったり、ハトを追っかけたり、伸び伸びです。慧くんは食事になるとブルーシートの上でも、きちんと「いただきます」のご挨拶をしてお行儀よくお弁当やすき焼きをたべまています。うちのももちゃんは保育所生活2日目がすぎました。親子の仲を引き裂かれる様に泣き叫んでもどうしてもママとはお別れの生活で神経がナーバスになっていて誰にも抱っこされなくなりました。抱っこされるとママがどこかへ行ってしまいそうだからです。せっかく皆さんが「おいで」言ってくださるのにゴメンネ

途中でブルドックが迷い込んで来てハプニングもありましたが天候に恵まれたいい日曜日でした。ブルドックの顔をまじましと見ていて歌を思い出しました

♪いい顔だ いい顔だ お前の顔はいい顔だ ブルドックの顔よりまだましだ まったくだ まったくだ♪

ブルドックの顔を、こんなに間近でみたのは初めてでクシャクシャの顔でも愛嬌があっていいですね。みんな顔みないで、「りっぱだ、りっぱだ」とキャーキャー言ってたけどさすがおば様たちですこと目の付け所がちがいますわ(この迷子のブルちゃんはオスでしたハイ)


[1001] 【1020回 ラジオ大阪ОBC1314チャンネル出演してきました】 2006-04-06 (Thu)

「桂九雀のわいわいジャーナル」にラジオ出演してから随分と月日が経ちました。あとで生出演した放送を聞き、「よくまあ大胆に1時間もしゃべれたものだ」と恐い者知らずとはこのことを言うのでしょうか。そして今回は「別冊ミラクル〜アンチエイジング宣言」毎週日曜日朝8時から8時45分のあいだ作家の「かんべむさしさん」と「浜田晶子さん」というタレントの方とのラジオ出演のお話を、大阪府歩け歩け協会として受けたそうです。「素敵に歳をとりましょう」というテーマだそうです。

「桂九雀のわいわいジャーナル」で2回目のオファーがあったときは放送局と自宅との電話出演でした。環状線一周ウオークを大々的に宣伝したのを思い出しました。大阪坂めぐりもそうですがマスコミの影響力は大きいです。ラジオから流れる声に誘われて「歩いてみようかな」と興味を持っていただけるとうれしいのですが。

そして当日を迎えました。ジョンマネージャー(ホームページ写真担当兼)とともにラジオ大阪OBCスタジオに録音収録のために出向いて行きました。何度来ても緊張の空気が張りつめています。

報道チーフ藤野浩史さん、製作スタツフ竹中淳子さん、パソナリティかんべむさしさん、司会浜田晶子さんと緊張をほぐしていただくための雑談と打ち合わせを済ませスタジオ入り。スタジオの中はかんべむさしさん、浜田晶子さんと私だけとなりました。ジョンマネージャーと藤野さんはミキシングルームからこちらを監督しています。大阪府歩け歩け協会の名前を連呼してこいとの協会の檄が飛んでいましたので何度となくウオークの楽しさを折り曲げながら、思いのままにおしゃべりをしてまいりました。ウオーキングの効用、歩く姿勢、手軽にはじめられて安上がりであること、仲間ができることなどを話してきました。緊張はピークを迎え、カミカミであったり、とちったりもしましたが挑戦することの緊張感と新鮮さは心地よくズシンズシンと響くものがありました。

しつこいようですが放送は4月9日(日)朝8時〜8時45分の放送の内の前半になると思います。ラジオ大阪OBCチャンネルは「1314」に合わせてお聞き下さい。番組のタイトルは「別冊ミラクル〜アンチエイジング宣言!!」と言うタイトルです。


[1000] 【1019回 カタクリの花早春の息吹き】 2006-04-05 (Wed)

兵庫県佐用町弦谷地区というところに「カタクリ」の花が咲きはじめたそうです。花の名前は春の季語として知られ、まだ肌寒い山肌に早春を漂わせているそうです。ここで一句・・これはサスケ先生にお願いしましょう。

丹波篠山氷上町に達心寺というところがあり、その近くにカタクリの花が群生しているところがあります。(結構有名なんですよ)ウオーク仲間と電車とバスを乗り継いで行ってみたもののカタクリの花は鹿に根こそぎ食べられて跡形もなかったことがありました。新聞にまで「ごめんなさい」鹿だけに「シカタナイ」これも自然かと怒る気もしませんでした。町あげての観光イベントの様で柏原駅からは幟が風に揺れ、送迎バスまで出てカタクリの咲く場所まで案内してくれました。今年はどうなっているのでしょうか。

道路脇には町の人達がテントを張り、婦人会の皆様が手作りでお餅やかやくご飯を販売していました。さながら「道の駅」の状態でたのしくお買い物をすることができます。

明日からは「春の全国交通安全週間」が始まります。ウオーカーの皆様の背中を幼稚園やピカピカの小学1年生が見ています。赤信号で渡らないでくださいね。ウオーカーの皆様は信号機のところにスタッフの誘導がいなくてもちっちゃな子供達のお手本となる交通マナーを身につけて頂きたいと思います。制止をふりきって走る人ときどき見ますよ。注意される方も注意する方もあまりいい気分ではありません。いつも
ニコニコ楽しいウオークをしましょう。今日も一日ご安全に!
             


[999] 【1018回 正しい鯉のぼりの高揚期間】 2006-04-04 (Tue)

お雛様は節分が済んだらせっせと準備をし、3月3日には仕舞いはじめる習慣が世の中に定着しています。ならば鯉のぼりはと言うとなぜかはっきりしない(私が知らないだけかも知れません)そこで調査した結果、暦の上で「清明」と書いてある日があります。その日から5月中掲げていてもいいそうです。地方では田植えが忙しくなるので5月5日が過ぎると仕舞うところもあり、隣の家が仕舞うので、じゃあうちも仕舞うかぐらいでいいのではないでしょうか。揚げる目的を考えると自己流で良いようにも思います。

「清明(せいめい)は二十四節気の1つ。4月5日ごろ。および、この日から穀雨までの期間。太陽黄経が15度のときで、万物がすがすがしく明るく美しいころ。三月節。暦便覧には「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。さまざまな花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。中国で清明節は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。」と資料にありました。

そう言うことで我が家の零ちっちの鯉のぼりも空高く風に吹かれ「♪い〜ら〜か〜のなみの♪」と歌ってやることにしましょうか。皆様もどうぞご一緒に。

甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや、鯉のぼり



[998] 【1017回 雨の桜の下での表彰式】 2006-04-02 (Sun)

雨もまた自然。草木に潤いを与え、大地に恵みの雫を落とし、空気も洗い流してとても環境にやさしい春の雨。しかし何で今日降るねん!月曜日でもええんちゃうかー?

そんな恨み節を唱えながら4/2淀川河川敷から八幡背割堤ウオークに挑みました。お空は勿論大雨ですよ。しかし参加者の方の熱い熱意とスタツフの努力で雨にもめげず風にもめげずで黙々と歩きます。

お昼のスタートの時に予期せぬ出来事がありました。会長から「ひめのおうち1000回記念の表彰式を行います」と突然のことなので驚きオロオロしていると会長の前に行くように促されました。
「感謝状 あなたは当協会WEBの姫のおうちを平成13年10月の初回投稿以来、5年の歳月にわたり運営し1000回の投稿を達成され多くの人に感動と勇気を与えたことは会の誇りとするところであります。よってここに感謝の意を表します。平成18年3月吉日 大阪府歩け歩け協会 会長 間見鐡臣」

この感動をありがとうございました。生涯の記念とさせていただきます。


[997] 【1016回 震える手でありがとう】 2006-04-01 (Sat)

いつのことだか思い出してみましょう。バスウオークの時にJR福知山線事故で大怪我をして救急隊の方が1本のボールペンで口を開き、もう1本のボールペンで口の中のガラスの破片を掻き出した人がいるというお話をしましたよね。覚えていて下さっていますか?

鈴木順子さん。この方が奇跡の回復をされて11ケ月ぶりに退院をされたという朗報が新聞に載っていました。事故そのものはつらいつらい出来事なんですがお母さんの献身的な呼びかけに命がよみがえったのですよ。うれしいですね。家もリフォームして娘の奇跡を信じて疑わなかったお母さんに「金メダル」勿論順子さんにも「金メダル」

事故車両の2両目に乗り合わせた順子さんは頭を強く打ち意識不明のまま車両から助け出されました。11ケ月ぶりの退院後から1週間が過ぎたころ、後遺症であまり動かない右手ではなく、左手でペンをとり、震える手で書いた文字は「ありがとう」だったそうです。何度も何度も書いたそうです。時には痛みや、うまく動けないもどかしさから「もうどうでもいい!」と大声を出すときもあるのだそうですがお母さん
の愛情溢れる介護で視線はいつも「前」にあると言います。

2月12日伊丹の旧西国街道ウオークに行くときに事故現場を通過しました。心なしかスピードダウンした様に感じました。テントで覆われている現場を車中から垣間見たのですが亡くなった方に哀悼の意を表し、今も尚闘病生活を送られている人達に「早く良くなって下さい」と言う思いで通過しました。事故当初は冗談で「先頭車両に乗ると危ないでー」と言ったりもしましたが鈴木順子さんが「自分で立って歩くことができました」という朗報が近い将来に聞くことができますように祈っています。

続いて震災の話です。「はるかのヒマワリ」既にウオーカーの皆様はご存知ですよね。私達も以前に「新幹線さん」から沢山のひまわりの種を頂きました。今年は約10万袋が新千歳、羽田、大阪、関西、神戸、熊本、鹿児島、那覇の各空港で無料で配られているそうです。これは2月の神戸空港開港にあわせて種をくばったところ好評だったため輪がひろがったそうです。

棚田の田植えが5月にあります。その周りに沢山咲かせたいです。新幹線さ〜ん。今年も種のプレゼントおねがいしま〜す。
             


[996] 【1015回 フロッピーが飛んだ】 2006-03-31 (Fri)

「円盤が飛んだ!」「飛行機が飛んだ!」はよく聞く話です。昨日「フロッピーが飛んだ!?」事件がありました。PCおたくの皆様にとって「えーっまだフロッピーなんて使ってるの?」と時代遅れを笑うことでしょう。笑いたい人は笑ってください。大切な業者リスト名簿を消してしまいました。飛ぶ鳥はあとを濁さずモードで定年に向けて、昨日は少し時間ができたので不要の項目を消去していたのです。その結果必要なものまで消してしまいました。

パソコン担当者が「復元用」のデーターを持って助っ人に来てくれましたが「これは無理です」と努力してくれた結果の言葉で「困ったときのジョン企画」に持ち込みましたが、ここも努力の結果「復帰不可能」と診断されました。末期の癌状態です。頭をガーンと殴られた様なショックです。

幸いにバックデーターを取っていましたので何とか、それを修正しながら、なが〜い一日が終わりました。今日からはフロッピーを使わず本体に収納するようにしたいと思います。

夕方からは大歩協の会議があり日本橋の石井スポーツまでダッシュしました。大山スノーシューウオークの機関紙をスタツフに配布して楽しかった様子を見てもらい、来年への取り組みに全面的にスタッフが協力していただけるようにお願いしてきました。マイスノーシューをお持ちの方はシーズン中は、最低3回は行ってみたいと思っています。個人的に行かれたコースでお勧めがあれば教えてくださいね。

それから大山での写真が出来ましたので機関紙を添えて参加して頂いた皆様に郵送させていただきました。もうまもなく着くころだと思います。ご参加ありがとうございました。


[995] 【1014回 オモチャでないオモチャ】 2006-03-30 (Thu)

ちっちゃな子供(私的に言うと零くんとももちゃん)はおもちゃよりもおもちゃでないおもちゃ(ややこしいね)が好きのようです。まず新聞紙の「カサカサ」と言う音に反応して手も口の周りも新聞の印刷インクだらけにして遊びます。つぎはスーパーのチャリ袋これも音を楽しんでいます。お茶碗やコップなど数えたらキリがありません。ハンドバックの中も好きですね。中味を取り出して空っぽになったら、また入れる、また出すと飽きもせず繰り返します。

サスケ先生が入院中に病室の冷蔵庫にマグネットシールで○、△、□などを切ってお孫さんの遊び道具にしていたのを思い出しましてジョンにオーダーして作ってもらいました。我が家の冷蔵庫は、さながら水族館と動物園の様です。中には何の動物かわからないのもありますが零はまだ言葉がしゃべれませんので「ジョンのおっちゃんこれな〜に?」って質問する心配はありませんよ。

私が子供の頃も木の葉はもりっぱなままごとのアイテムでした。川原の平たい石は西洋皿、皿に載せるご馳走は色とりどりの木の実です。イタドリの葉の習性でパンチで穴をあけたようにまあるくきれいな穴があきます。ひとつあいていると10円、みっつだと30円と夢のある幼女時代をおくったものです(その結果いまの姫かよ〜)と突っ込みが入らぬうちにペンを置きましょう。ハイ


[994] 【1013回 ○○署の愉快な壮行会】 2006-03-29 (Wed)

大阪グランヴィアホテル19階のパブレストランで「転勤する人、退職する人」の壮行会を開催しました。午前中のすざまじい雨(あの雨バイクで走行中に遭遇!雨が痛いと感じました)もあがり予定人数30名時間通り集合して頂きました。「壮行会」ですからセレモニーも思い出に残る演出を考えて「贈る言葉」「贈られる言葉」とそれぞれに挨拶をしてもらいました。

乾杯が終わり宴たけなわの頃、本日の主役の背中に「トントン」とノックをします。会場の外ではモンゴル音楽を聞きにこられた方達で満席状態です。トイレに近い通路で「合羽からげて三度笠」の紛争を手伝います。初めてらしく、とても戸惑っていましたが、アルコールも入っているのと、「無駄な抵抗はよせ!」と交渉名人の姫に一喝され、最初はイヤイヤながら着替えがはじまりました。モンゴル音楽を聴きにこられた数人の方から「すてき〜」と拍手をもらったりして、「やる気」に変身しました。

私だけ会場に戻り、カラオケの準備をし、いざ登場です。笠で顔を隠し、斜にかまえ堂々の入場です。最初はあれだけ抵抗してたのに「この姿をカメラで撮影してほしい」と言うので1階までおりてインスタントカメラを購入してきました。
さあ、それからはとどまるところを知りません。「アンコール」の声もあり、もう一人の転勤課長も「警察寮歌」を赤ペラで歌って下さいました。(これがまたいい歌なんですよ!)

このレストランは「夜景の見えるレストラン」を売り物にしているのですが誰も夜景なんぞ見ている人はいません。通路を挟んでモンゴル音楽の生演奏がはじまり、レストランスタッフがカラオケのボリュームを絞りに度々やってきました。(音の漏れるカラオケレストランが悪い!)

感謝状を手渡しましたら「長くこの仕事をして、あちこち転勤していますが初めて頂きました」とえらい感激してもらいました。ゴルフが好きで退職後はハワイに住みゴルフ三昧をしたいと言うことでしたのでゴルフボールに私達の感謝の気持ちを込めました(1個でも紛失したら逮捕!)

有意義な時間は「あっ」と言う間にまいりました。30人全員で「あっ」と声を出していただき笑いをとった後に「また逢う日まで」を合唱しておひらきと致しました。誰が言ったのか全員でアーチを作り、お二人を見送りました。(いい感じ)

みんなと別れて、帰りは刀に合羽からげて三度笠の衣装を引きずりながら家路につくのですが少々おつかれでございました。ハイ・・・


[993] 【1012回 従姉妹の死】 2006-03-27 (Mon)

3月24日突然の訃報。訃報はある日突然が常でありますが、またひとり親しい親族がいなくなりました。寂しい限りです。戒名に「淡雪妙○信女」とありました。享年69歳肝臓癌に蝕まれ、腹水に苦しみ、夫は1時間でも長く生きてと延命を願い、息子達は苦しみから解放してやりたいと、まさに今問題の尊厳死を間近で見た気がします。治療のための点滴をすると同じ量の腹水がたまり苦しみを増したそうです。

従姉妹の中でも色が白く美しいひとでした。だから戒名が淡雪なのかと思ったりもします。私と姉が故郷を後にして「鷲羽3号」に乗り、ひとまず神戸のこの従姉妹達の住むアパートに身を寄せました。4〜5日間滞在の間に「鉢伏山」に連れて行ってもらったことがあります。亡くなった従姉妹は、義兄一刀水の妹にあたりますのでとてもよくしてくれました。昔のことですから結核が癌を押しのけて一位の頃、この従姉妹も結核にかかり、入院先の病院で旦那様と巡り会い、病気に負けないでおこうとお互いが励まし合って結婚しましたそうです。

冠婚葬祭以外では、頻繁に会うこともなかったんですが長年肝臓を患っていたようです。通夜の日、姪達が迎えに来て軽自動車に5人乗りをして「西神中央駅」をめざして車を走らせたのですが、左右あるトンネルの入り口を間違って右手に取ってしまい鈴蘭台まで行ってしまいました(だから電車で行こう言うたのに!)

葬式会館で「清め塩」廃止のお知らせをもらいました。ご紹介したいと思います。

”人の死に対して昔から習慣やしきたりとして、何の疑問もなくいろいろなことが伝えられています。例えば「清め塩」は現在はほとんどの葬儀に見受けられます。しかしこの「塩」でいったい何を清めようとするのでしょうか。生前に父よ、母よ、兄弟よ友よと呼び、親しんだ方を、亡くした途端に「穢れたもの」として「お清め」していくとは何とも残念であり、悲しく痛ましい行為ではないでしょうか。仏教では決して「死」を「穢れ」として受け止めることはありません。反対に「死もまた我等なり」と受け止め生死する命を精一杯生きていくことこそ、人間としての生き方であると示しています(参考文献「葬儀を縁として」)” とありました。そして不思議なことにカウンターの上には自由に使用できる「清め塩」がおいてありましたよ(笑)

26日の葬式を終えこのまま帰るには寂しすぎるということになり私の自宅近くのスーパーに立ち寄り酒の肴の調達をしている時、何と函館にいるはずの零ちっちの姿があるではありませんか!スーパーのど真ん中での劇的な再会を果たし、純ちゃん曰く「だだいま戻りましたの報告のため実家に電話しても誰も電話でないし」それもそのはず、25日は大阪坂めぐりウオーク、夜は通夜、26日は朝から道に迷わないために12時からの葬儀なのに9時迎えの車がやって来て家にはいなかったよ〜ん。久しぶりに零ちっちを抱っこしたらドッシリと重くなっていました。


[992] 【1011 いまバカ受け「料理以前の料理の常識」の本】 2006-03-25 (Sat)

定年を迎えた男性や若いお嬢さん達にバカ受けの本があるそうです「料理以前の料理の常識」という本なんですが今朝チラッとテレビで放映していた部分を紹介いますと
●お米の洗い方、とぎ方
「もむようにとぐ」は昔の事で今はたっぷりの水に入れてサッと4回ほどすすぎます。炊飯には夏は30分、冬は1時間水につけてから焚きましょう。炊きあがったら再加熱して余分な水分をとばすのだそうです。あとは蒸らす

●生卵をきれいに割るには(角で割る)(平らな処で割る)
さて貴方はどっち派ですか。これは平らなところでヒビをいかせ、手で両方に引っ張る ようにして割るのがいいそうです。角で割ると殻がたまごの中に入ることがあります。

●大根おろしのおいしいおろし方
大根の下部分ではなく上部分を使用して下さい。
 (○)大根を立てておろす
 (×)大根をねかせておろす
 (×)大根を円を描くようにおろす
一例をあげるとこんな具合の本らしいです。ガイドもどきに便利そうなので購入しようと思います。ごはんを洗うのに洗剤で洗うというお嬢様達けっこういるらしいですよ。お家でお手伝いさせていますか?オシャレや化粧の話はやたら詳しいですが家事については躾ゼロだと料理教室の先生がなげいていました。親がして見せることが大切ですね。

3月に1歳になった「ももちゃん」がテーブルの上をふきん掛けしたりお茶を注ごうとしてビチャビチャにしたり、まあ大変ですが親がしている動作をしっかり見ているようです。カメラを見つけるとカチャっと写してくれる側になるし(ジョンさん弟子にしたって)携帯を見ると耳にあてます。いまは「ふたあつ」という歌を、会う度に歌ってやります。すると「♪おみみがホラねふたつでしょ♪」というくだりの前になると自分の耳をひっぱって歌を待っています。三つ子の魂百までといいますが、お米を洗剤で洗うお嬢さんに告ぐ「無洗米を買いなさい!」

♪ ふたあつ ふたあつ なんでしょね お目々がいちに ふたつでしょ  お耳もほらね ふたつでしょ

♪ ふたあつ ふたあつ まだあって お手々がいちに ふたつでしょ  あんよもほらね ふたつでしょ

♪まだまだいいもの なんでしょか まあるいあれよ かあさんの おっぱいほらね ふたつでしょ


[991] 【1010 高校の同級生からの誘い】 2006-03-24 (Fri)

何十年かぶりに高校時代の女友達から電話がかかってきました。「和倉温泉に行かへんか?」との内容と、そんな美味しい話は危険と察知し、たまたま予定があり即断りました。しかしまた「26日会いたい」との再三の誘いで、用件を言わないけれど誘いに乗ることにしました。この友達には過去に「ベルギーダイヤモンド事件」でも渦中におり、目を覚まさせたことがあります。そののち新聞紙上で詐欺事件として報道したことを記憶していることと思います。少しの被害で済んだものの友達という友達に声をかけネズミ講の様な組織に家族ぐるみではまっていたのです。

私の住む商店街の一角で、年寄り相手にビラを配り、次々と粗品を渡し、最後は羽毛布団の契約をさすまで帰さないという商法を堂々とやってのけています。友人の母(九州で一人暮らし)はいつも親切に声をかけてくれる若者に寂しさの余りついつい話し相手として家にいれる様になり、その若者から着る当てもない高級呉服を次から次へと買わされたそうです。呉服が一段落すると桐のタンスの業者が都合よく来て「こんなりっぱな着物を押し入れに入れとくと虫がくるよおばあちゃん」とりっぱな桐のタンスを購入しました。
(あとでわかったのですが着物業者とタンス業者は仲間同士だったそうです)

「お金が足らん、送ってくれ」と大阪に住む息子に無心をしてきて、年金もあるのに何に使っているのだろうかと異常に気付いた息子が帰郷してみてびっくり!部屋には見慣れない桐のタンスが置いてあり、引き出しを開けると見るからに高級そうな着物が何十枚も入っていたそうです。一人暮らしで寂しくさせていた自分にも落ち度があり、知人は年老いた母を怒る気にはなれなかったそうです。「母ちゃんさみしかったとね?」「あん人はやさしゅうしてくれたとばい」

すぐ業者相手に交渉を進め、対応が悪ければマスコミに公表すると言うと着物を引き取り、代金を返却してくれたそうです。(桐のタンスについては不明)ついこの間、破産した呉服会社も同じような手口ではなかったと思います。

高校の友人の誘いも「何の用件かも知れないのに行くな!」とポチはいいます。私が何かのはずみで騙されることもあるまいし(催眠術をかけられない限り)誘いに乗ったのんきな友人の顔をして会うことにしました。そして、もしまた同じ様に騙されているとしたら友人としてめを覚まさせてあげたいと考えています。それが私の友人としての役目だと思っています。

結果は後日またお知らせします



[990] 【1009回 定年にむけての身辺整理】 2006-03-23 (Thu)

「まだ2年あるじゃないか」「もう2年しかない」と物事に取り組むにあたり二通りの考えがあります。私はいま会社外の仕事の役割分担があり上司から「定年までに全ての役職を辞任するように」と命を受けております。我が社は鉄工所ですので特に騒音、シンナー臭など近隣地域とのつながり等はなかなかむずかしく長年の積み重ねが必要となってきます。

警察署配下の交通安全部会の総務を平成10年の発足当初から拝命し現在に至っているのですが6月の総会を迎えるにあたり身辺の整理をすべく「辞任届」を提出致しました。無責任な辞任ではなく、きちんと後任企業をみつけ、根回しをいたしました。先日此花署長交通課長、係長、部会長とが揃って「住友電気工業(株)」様に後任打診のために出向いてくださいました。天下のイゲタマークを背負っての企業ですから人材も豊富で、例え担当者が定年や、転勤になったとしてもこたえません。それほどに人材に優れた企業だと確信しています。私が発足当初から、あちこちに頭をぶち当てながら何とかレールを敷いてまいりました。愛着もあります。後任企業を誰でも良いというわけにはいきません。そんなわけで本日は当社に表敬訪問をして頂き、引継ぎ内容を確認の上、拝命するかどうかの返事をしたいとのことで緊張しています。お化粧は薄目(塗っても塗らんでもいっしょ!)仕事内容は、いかに簡単そうに見せるか腕の見せ所です。引き受けてもらったあとはしめたもんです。序々に仕事を・・・・(笑)

社内の総務の仕事は一冊のファイルにまとめ明日辞めても後任の人が困らぬようにしています。我が社はISO9001とISO14001を取得しています。いままでは職人気質で「俺の仕事を盗め」とか言う現場のおじさんがいましたが今は書類ですべてマニュアル化して指導となっています。オジサン達は(私も)コンピューター時代には取り残されつつあります。いくら嘱託制度があっても、ここらが引き時であることを自分が一番よく知っています。

ウオークのスタツフでもそうですが受けた限りはええ加減はいや(誰でもそうですよね)な性格で、それでいておおざっぱで(血液型で言うとO型)何でもバカみたいに一生懸命するタイプだから、時々ポチとの衝突になります。「そこまでせんでもええ!」いままでは反論もしていましたがいまはサラリと受け流しています。人間がまあるくなったのか体型がまあるくなったのかいまはおだやかな春の海のようです。
             


[989] 【1008回 ひとりでリュック買いに行きました】 2006-03-22 (Wed)

1005回目の投稿に

”私は「荷物はなるだけ軽いのが好き」夏の特別例会「白馬岳登山」に縦型のリュックを買おうかどうしようか悩んでいます。ポチのリュックで使わない新品に近いリュックが押入れに眠っていたので出してきたのですが、いまいち愛着が沸きません”

と書き込みました。あれから数日経っても、やっぱりポチのリュックは背負っても、眺めても私の物にはなりませんでした。愛着が湧いてこないのです。そこで(株)モンベルのグラナイトパック20Lというのを清水の舞台から降りるつもりで(ありゃー?この間も清水の舞台から降りてたんとちゃうかー!)なかなかの優れもので、本格的に登山をしそうなリュックです。フィットプレートもちゃーんと出して背中のサイズに合わせてくれるし、なかなか気に入っています。

白馬岳に行くまでに一度どこかへ背負って行かなくっちゃあと思っています。イタドリ採りに行く時に背負うには、ちと勿体無いしね・・・この雨でイタドリの芽がニョキニョキ伸びていそうです。4月1日からは「季節限定イタドリ姫」に変身しなくっちゃあ!



[988] 【1007回 青春サイクリングに一言にもう一言】 2006-03-21 (Tue)

自転車は「軽車両」車の仲間です
道路交通法第2条第1項第8号及び第11号「自転車は道路交通法上、「軽車両」といい、自動車やバイクと同じ「車両」と規定されています。
●自転車は、歩道と車道の区別のある道路では、車道を通行しなければならない(罰則;3ケ月以下の懲役又は5万円以下の罰金)
●自転車は道路の左側に寄って道路を通行しなければならない
●自転車は著しく歩行者の通行を妨げる場合を除き、路側帯を通行することが出来る。この場合歩行者の通行を妨げないような速度と方法で進行しなければならない(罰則;2万円以下の罰金又は科料)
●自転車歩道通行可の標識がある歩道を通行することができる
●自転車歩道通行可の標識がある歩道を通行する場合、道路標識等により通行すべき部分の指定がないときは、歩道の中央から車道よりの部分を通行しなければならない(罰則;2万円以下の罰金又は科料)
●自転車歩道可の標識のある歩道を通行する場合、徐行しなければならない(罰則;2万円以下の罰金または科料)
●自転車歩道通行可の標識がある歩道を通行する場合、歩行者の通行を妨げることとなるときは、一時停止しなければならない(罰則;2万円以下の罰金又は科料)

以上は私がかかわっている警察署の交通安全運動の冊子から抜粋したものです。丁度4月6日から10日間「春の全国交通安全運動」がはじまります。「青春サイクリング」の書き込みから忠太郎さんへと輪がひろがりました。この機会に自転車に乗る側と歩行者側との両方の立場に立って考えてみませんか。少しだけ相手を思いやることでトラブルは避けることができます。この間の私のサイクリングも此花では珍しく自転車専用レーンが敷かれている箇所でした。しかし一般の歩道には店舗の品物がはびこり、放置自転車がありで自転車専用レーンを歩行者が歩かなければなりません。3月10日警察署で会議中に「自転車とバイクの衝突事故」の連絡があり交通課長は現場に走りました。結果はバイクの方が死亡したそうです。どんな状況であったのか次回の会議の時に報告があると思いますが自転車といっても、死亡事故を引き起こすのです。

「自転車との共存」は集団歩行をする我々にとって大きな課題であると思います。


[987] 【1006回 梅は咲いたか桜はまだかいな】 2006-03-20 (Mon)

毎年、沖縄で1月下旬に開花するのを皮切りに5月上旬の北海道まで、ソメイヨシノの開花時期を示す桜前線はおよそ4ケ月をかけて日本列島を北上します。昔大阪府歩け歩け協会の女性役員の方で桜にあわせて旅をしたり、東北の夏祭りにあわせて旅を楽しんでいた方がいらっしゃいました。何と優雅なんだろうと羨望のまなざしでみていたことがありました。

ソメイヨシノは1日の最低気温が約6℃、最高気温が14℃、平均気温が10℃を越えると開花すると言われ、開花宣言は標本木の咲き具合をもとに決定されます。ただし開花の時期は標高差によっても変わり標高が100メートル上がると開花が2〜3日遅れるといわれています。

開花宣言の「開花」とは一枝に数輪の花が咲いたときを言い、「見ごろ」とは一枝に50輪程度の花がさいたときをいうのだそうです。「満開」はおよそ80%の花が咲いた状態を言います。ソメイヨシノは開花から1週間で満開を迎え、花を楽しめる期間は5〜7日間だそうです「花の命は短くて苦しきことのみ多かりし」ほんまにその通りですね。しかし梅は桜ほどちやほやと言ってもらえないですよね。花に責任があるのではなく、温かさの問題でしょう。梅は梅なりに、咲いてよし、梅干しにしてよし、そして歌もちゃんとあるのですよ。

(梅の歌)
♪うめの小枝で うぐいすは 春が来たよと うたいます ホウホウ ホケキョ ホウ ホケキョ♪

(桜の歌)
♪桜の花の咲く頃は うらら うららと 日はうらら ガラスの窓さえ みなうらら 学校の庭さえ みなうらら♪

さあみなさまもご一緒に歌ってくださいね。


[986] 【1005回 登山用リュック】 2006-03-19 (Sun)

私は「荷物はなるだけ軽いのが好き」です。当たり前の事だと思いますが、そのためには小さめのリュックを背負うのが一番です。入らなければ荷物を工夫するし、ジョン、ポチに持ってもらうこともできます。普段の例会ウオークでは、ハンドマイクなどの小荷物があり「ウオークの時の荷物は軽く」と自分に言い聞かせています。参加者の中で途中体力不足の方のリュックを背負う時「なんでこんなに重いのだろうか」と不思議になります。そのわりに水分などの必需品の予備は入っていません。夏の特別例会「白馬岳登山」に申し込みましたので山小屋2泊となるとそうも行かず縦型のリュックを買おうかどうしようか悩んでいます。

私は物を大事にするクセが子供の時からついており、(ケチとは違うでー)壊れたら買い換えてもいいが使える間は、つくろってでも使う、物は大事にする。これが母からの教えでした。いまのリュックもまだ新しいし・・・・かと言ってポチのリュックを借りるにはおシャレじゃないしと悩んでいます。白馬岳へ行くまでには結論を出したいと思っています。(ポチのリュックで使わない新品に近いリュックが押入れに眠っていたので出してきたのですが、いまいち愛着が沸きません)

そう言えば昔のリュック(両横にポケットのついた兵隊さんリュック)見なくなりましたね。忠太郎さんがそれに近いリュックを大切に使っていましたが、新調したのか、このごろ見かけなくなりました。私の子供のころ遠足のリュックの右のポッケにはりんごと左のポッケにゆで卵が入っていました。みんなでバスに乗って「海」を見に行くのです。普段は川と山に囲まれているため遠足は、未知の世界「海」を眺めるのです。バスに乗ることもすごいことなんです。(リヤカーや馬車も往来していた時代)現代の子供なら「な〜んやつまらん」と言われそうでしたが恩師から海の水は塩辛いこと、地球は丸いのだと水平線を指さす説明に感動したことがあります。


[985] 【1004回 ジャンジャン横町の串カツ】 2006-03-18 (Sat)

健保組合の勉強会のあと仲間4人で「二度漬け禁止の串カツ」を体験しようと言うことで天王寺動物園前で下車することになりました。驚いたことに飲食店のほとんどが「串カツ屋」さんです。そしてどの店も超満員なんです。変なイメージで恐る恐る行ったわりには町並みは、明るくギャルやアベックが多くて賑やかです。

環状線ウオークの時に通過した「づぼらや」のすぐ斜め前の店に入ることにしました。座るとすぐ「ウーロン茶4つ!」今宵は飲まずに食べよういう構えの様です。私はジョンに犬も猫もいない町って聞いていたので野菜ばかり注文していました。一串全部100円なんです。テーブルの前に「タレ」の入った器がデーンと乗っています。お店の人が用も無いのに右往左往しています「ははーん二度漬けの見張り番やな」

来た来た!串カツがきたら「二度漬け」をしないでタツプリとタレを漬ける技を仲間が教えてくれました。片手に取り皿を持ち、片手に大きめのキャベツを掴みます。キャベツをスプーン代わりにして取り皿にタレを注いで行きます「あったまいい〜!」キャッキャッ言いながら、死ぬほど食べて、のどから溢れそうになりましたので、割り勘をするためにレジへ並びました。「8400円です」一人2100であれほどに食べれるのでしょうか。忘年会も新年会もOKらしいですよ。いつでもご案内しますよ。店を出て通天閣に登ろうと勇み足で行ってみると「6時30分終了」とのことで、じゃあということになり「スマートボール?」を百円だして遊びました。この町はなんでも百円です。商店街の両サイドは将棋の店が多く、坂田三吉も、ここで腕を磨いたんだろうなあと感じ取ることができました。

駅への通路で猫と犬を見かけました。大丈夫、犬も猫も元気に生きているじゃあありませんか。今度来たときは肉類も安心して食べようっと。


[984] 【1003回 青春サイクリング】 2006-03-17 (Fri)

♪♪みどりの風もさわやかに にぎるハンドル 心も軽く サイクリングサイクリングヤッホーヤッホー青い峠も花咲く丘も ちょいとペタルでひと越えすれば 旅のツバメもついてくるついてくるヤッホーヤッホヤッホヤッホー♪♪

陽気につられて此花区の朝日橋の向こうにある監督署まで、この歌を歌いながら自転車を漕ぎました。何が、かろやかなリズムやねん。息がハアハア言うてます。普段使わない内股の筋肉がつりそうです。と言うことはウオークでは使わない筋肉を鍛えるには自転車を活用すれば良いかも知れないことに気が付きました。転んでもただでは起きません。

朝日橋は、なだらかな上り坂(勿論、帰りは下り坂)が結構きついんです。「うしろから自転車ー!」とウオークの時に叫んでいますが、いざ自分が自転車に乗る側になると「歩行者は邪魔」です。女学校の生徒が道路イッパイになって歩きます。「すみませ〜ん自転車通りま〜す」しかし平気な顔して除ける気配もありません。ウオークの時、よほど注意をしないとトラブルになると痛感しました。

用を済ませての帰り道は下り道です。

♪行こうよ君と どこまでも はずむ銀輪リズムに乗って サイクリングサイクリングヤッホーヤッホー波もささやく浜辺の道を 若い歌声あわせて走りゃ 潮のかおりが夢を呼ぶ夢を呼ぶヤッホーヤッホヤッホヤッホー♪♪と快適に戻ってきました。

つづきがあります。書類不備でもう一度監督署行きで・・・こんどはバイクで行こうっと!


[983] 【1002回ももちゃんの初誕生日】 2006-03-15 (Wed)

今日はももちゃんの初誕生日です。

3月15日桃の節句の月に産まれたので「ももちゃん」かどうかは爺、婆は知らないけれどスクスクと育ってくれました。今日は、ももちゃんの初誕生日です。大人の1年は変化がありませんが赤ちゃんの1年はすざまじい成長があります。ブバブバと寝てばかりの頃からハイハイが出来て今はつかまり立ちで自由に部屋の中を移動します。婆様のコレクションの「ふくろうの置物」もオモチャと化してしまいそうです。「これはダメよ」と躾ていますがまだまだです。

「ねばり強い子に育つように」と一升餅を用意しました。本当は背負って歩くらしいのですが、ももちゃんはまだアンヨができません。お餅の上をペタペタと歩かせてねばり強い子になるように家族で見守りたいと思います。零ちっちの時はまだアンヨどころか心配の渦中でしたので6月の2歳の誕生日には「2升餅」でも用意してあげようかと思っています。(笑)

ももちゃんは4月から保育所に行き、ママは看護師の職場復帰をするそうです。送り迎えが婆様の仕事になりそう・・・まあみんなで都合のつく者が手伝っていけばいいかなと保育所準備に大わらわです。お帰りの時は「♪グットバイ♪グットバイ♪グットバイバイばあちゃんおかえりさようなら♪」と歌っていたのですが今は「先生さようなら、ももちゃんさようなら」の幼稚園バージョンに切り替えました。

あっそうそうこの間のスノーシューの時大山ロイヤルホテルで入浴中に童謡のBGMが流れていました。BGMに合わせて楽しそうに歌っていたのは、み〜んな 大阪府歩け歩け協会の女子チームのみなさんでした。何をするにもすぐ歌が出てくるんだそうです(ええこっちゃなぁ)



[982] 【1001回ふたたびはじめの第一歩】 2006-03-14 (Tue)

沢山のみなさまに「1000回達成」のお祝いのお言葉を頂戴致しました。ありがとうございました。糸の切れたタコの様に、ここ何日かはウオーカー広場をニタリニタリしながら何度も何度も拝読させていただきました。1001回の一歩にふさわしい内容をと考えますと何も書けなくなってしまったのです。初心に戻り、ありのままの日常のことを飾らず書くことにしました「な〜んや」とおっしゃらずにお付き合いくださいませ。今後ともどうぞよろしくお願いします。

と言うことで石舞台のレポートとスノーシューウオークのレポートを完成させました。スノーシューウオークの報告はオリオンさんの写真を待って投稿完了の予定です。しばらくお待ちください。

スノーシューでいつも背中に大きな「ソリ」を背負って登ったり降りたりして皆さんの笑いの的になっていました。下りを見つけると「どいてー危ないよー」と滑り降りるのです。木の幹にぶつかりそうな時は上手に体重でハイドル操作を行い危機を脱出します。ツララを見たらほおばります。雪に練乳をかけて食べたりもします。とにかく雪は私の恋人なんです。そんな雪とも今年はこれが最後という3月12日の大山スノーシューでのことです。

この遊びとも救護用とも考えつかない「ソリ」が人命救助として活躍したから、たまげたもんです。スキー場の側を下山する斜面で「よっしゃーここからソリ出来るわ」と思って喜んだその時、ひとりの参加者の方が体力不足で足も手も麻痺状態に陥りました。スノーシューで歩いて降りるには時間がかかりすぎるためソリに乗って貰うことにしました。小柄な方ではありますが大の大人二人が後ろからロープで引っ張っても大変な力が必要です。そんな時ジョンのスノーシューのストッパーが効きにくく、ズルズルと滑りはじめたではありませんか。アドベンチャーさんの「あかん!あかん!やばい!」の声にソリの前の舵取り係の私もソリに引かれたらどうなるんやろと思いながら必死の救出作戦でした。

救護用品のロープ、カラビナの活躍のおかげで無事下山しましたが白馬岳までには一度救出の訓練を受けておきたいと思いました。貴重な体験を得て、ご褒美の様に大山がほほえみかけてくれた時「来て良かった」とはじめて安堵の気持ちになれました。師匠と弟子の様な関係のジョンとアドベンチャーさんは登山の時は絶対見逃してはいけない救護品だと痛感しました。(キャッ!誰がロープで誰がカラビナやねん!)


[981] やったね!1000回!!やったね!1000回!!やったね!1000回!! 2006-03-11 (Sat)

★★1000回記念投稿「ふくたにみちこの誕生」★★

1000回を無事におだやかに迎えることができました。訪問して頂きました皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。最初は「歩けに関することを書くように」と編集長(?)に言われましたがテーマを決められると、なかなか書けない日々が続きました。見るに見かねた編集長が「自由でいい」とサジを投げてくれ、それからは思いつくまま「フーテンの寅さん」のように、ある時は健康に関して、ある時は花情報、またある時は家庭のことなどを書き、お叱りや励ましの声を多くの皆様から頂戴しました。お叱りの声であっても「見て頂いている」証ですから、うれしくプラス志向で現在に至っています。1000回記念として私の誕生について振り返りたいと思います

昭和23年4月26日、母44歳の時高知県中村市蕨岡に産まれる(うらなりっ子らしい)父親はもっと年老いていて参観日などは、とても恥ずかしかった。しかし参観日に来た母親のお乳をまだ吸っていたという(驚き!)貧しくても両親が年老いた時の子故に大切に育てられ、7つ違いの姉によく「みちこだけかわいがるのは、拾い子じゃけん。紅葉の木にぶら下がってたのをかわいそうじゃけん拾うてきたがぞ」と言われ、義兄にも確かめましたが「紅葉の木の話はほんまじゃ」とからかわれました。その大きな紅葉の木の下で悲しくて泣いたことも度々ありました。(母親は妊娠しにくく自分の兄の子を養子として受け入れた後に姉が産まれ、もう終わりぞという枯れ枝に私がうまれたそうです。後にこの義兄一刀水は姉と従妹同士ではありますが結婚することとなります)

郵便局に勤める父親が勤務から戻り舟に乗って川漁に出かける時、決まって「みちこ行くぞ」と舟に乗せられます。この舟は「穴」があいており水汲み役にさせられていたのです。コロバシ漁や夜ぶき漁などを体験し、春は山へ山菜を採りにでかけ、夏は水着もつけず川泳ぎを楽しみました。一日中、水の中で唇の色が紫色になると大きな石の上で甲羅干しをし暗くなると家に帰りました。はちきん美智子は怪我も多く、それでも父親は刻みタバコを傷口にあて「治った」といい、夏の背中のあせもは日本酒を口いっぱい含み、私の背中へ吹きかけます。しかし吹きかける量はいつも半分ほどで、あとは酒好きの父親の胃袋の消毒液と化していました。

10歳(小学4年)で父親が病死。後を追うように中学1年の時に母親も病死しました。親戚が集まって誰が引き取るかと相談をしていた時、恩師の柳川先生が「たらいまわしするなら私が引き取ります」と言ってくれたそうです。姉に後から聞きました。7歳違いの姉が看護婦をしており「私が引き取ります」と言ってくれ生家を離れ看護婦寮の4畳半ひとまの生活がはじまりました。食事は病院給食で給料前はひとつの給食を姉とふたりでつっつき見かねた婦長さんがご自分の給食を差し出してくれたこともありました。

姉が義兄と結婚するにあたり、大阪へ行くことになりました。勿論私も一緒です。「狭いなが〜らも楽しい我が家」とは申しますが、新婚の家に年頃の私がいて苦労したと思います。(しかし大丈夫です3人も子供産んでいますから)「高校だけは出ておかないと」という義兄の援助で大阪府立市岡高等学校を母校に選ぶことができました。就職は中外炉工業とそのころでは一流企業でした。しかし短大卒の先輩から高卒であるということでいじめに遭い(個人的ではなく高卒全体に対して)ましたが、めげずに仕事に励みました。

その頃、嫁入り修行と言うことでポチの母親が和裁を教えていたのでそこへ入門した次第です。師匠として和裁をしっかり教えてもらい、ほとんどの女物は縫えるまでになった頃、ポチの母上に見初められ結婚を決意いたしました。そして福谷美智子から久田美智子へとなったんです。

沢山の仲間に支えられ、現在の私があります。1000回を無事迎えることができましたことを深く感謝申し上げます。ありがとうございました。


[980] 「1000回まであと1回」 【999回 歌と写真】 2006-03-10 (Fri)

お昼のコーラスがスタッフの会議でも「大阪府歩け歩け協会の特徴として続けて行 こう」ということになりました。お陰様でいまでは大歩協名物になりました。参加者 の 皆様から「アンタなんで木曜日に来ないのや?歌が無くて淋しいがな」と言う方がおられます。「すみません、私まだ現役で仕事しております。あと2年待って下さい、その時ウオークを続けていれば、ウイークデーウオークにも参加しますのでまたお会いしましょう。」そんなやりとりを歩きながらして楽しんでいます。

曲目を選ぶには、季節に合わせて探すのは勿論のことですが、その時の風景にも気を使っています。山へ行くのに川の歌もおかしいし、河川敷を歩くのに山登りの歌はおかしいですから一苦労です。大切に綴って下さっている方がいらっしゃるので去年の分をそのまま使うわけにはいきません。たった2曲ですが、結構悩んでいるのです。朝から「今日の歌はなん や?」と聞く方がいます「お昼のお楽しみ!」と笑ってはぐらかせています。

声を出して歌うことの健康効能は医学的にも証明されています。また認知症の治療にも積極的に取り入れられています。歌うことによってカロリーも消化しダイエツトに もなります。なによりも参加者のみなさまと連帯感が生まれます。皆様に支えていただきながら今後も楽しく、みなさんで歌っていただくための「せーのーっ」役を仰せつかって行きたいと思います。ちなみに、驚ろかせて悪いのですが3月25日の「大 阪坂めぐり」では唱歌ではありません。大阪らしい歌と言えば・・・?
キャッこれも当 日まで内緒です。

ウオークでの写真を色々な方達から頂きます。ありがたいことだと思っています。しかし有料にして頂けると、もっと有り難いのですが今は遠慮なく頂いています。これも今後の課題ですね。若い頃は写真大好き人間でした。誰かがポーズを撮っていると走って行って「私も入れて!」とカメラにおさまります。私はお姑さんの遺影を撮るために1年以上友人のカメラマン(ジョン)を介護旅行につきあってもらいました。今のようにウオークを始めていなくて休日の度に温泉に行ってました。いい写真があろうが無かろうがパチリパチリ。まさかお姑さんに「おばあちゃんの遺影を撮ってもらってるねん」とは言えません。だから写真家のジョンの腕を磨くために、せっせとシャッターを押していることにしました。

おかげさまで映画の中の「二十四の瞳」に出てくる女先生のような優しい笑顔の写真ができました。毎日私達家族を見守ってくれています。お舅さんの時も、義兄の時も生前に「遺影用」として撮影してもらいました。お参りにくる方がみんな「良い写真ですね。とても自然です」そう言って下さった
方には理由を説明して「自分の遺影も撮って欲しい」と言う方の注文を聞いてジョンさんに恩返しをしているのです。(但しまだ1件しかないよ)私の遺影は四万十川をバックにして心おだやかな顔をした写真がいいなあ(ずーと川の中にはまっておれってか?)
            
「1000回まであと1回」


[979] 「1000回まであと2回」 【998回 「お金は持って死ねません」】 2006-03-09 (Thu)

今までのバスウオーク、特別例会に参加した費用の合計を算出してみました。平成16年度の4回を除く全てに参加していますので、何と夫婦で87万6800円となりました。軽自動車が買える金額です。チリも積もれば山と申しますがほんまですね。しかし軽自動車を買ったとしても病気ばかりして出かけるのも、歩くのも困難になっていたとしたら「宝の持ち腐れ」になってしまいます。健康で愉快な人生への投資だと思えば惜しくはありません(ちょっと惜しいかナ)

わずかな小銭を残したばかりに我々が亡くなった後に息子達の醜い相続争いがあってはなりませぬ。(我が家だけはそうはならないと思っている人が一番危険ですぞ)家人に迷惑をかけない生き方さえしていれば、こんな人生もまた楽しいではありませんか。ウオークに、はまる前には冥土のみやげにとお姑さんの温泉行きに家族旅行を頻繁にしました。その費用にほとんどへそくりも使い果たしました。でも今、後悔の念はありません。その場その場で必要な「生きたお金」を使いたいと思います。(ポチのへそくりの隠し場所知っていますからイザと言うときは安心です・・ヘヘヘ)

日本ウオーキング協会の全国ツーデーマーチなどへ参加をされる方は交通費、宿泊滞在費、参加費など私の支出額など雀の涙ほどだと思います。「そんなにまでして行くの?」と言う方もいるかも知れません。しかし日本全国から集まった趣味を同じくした仲間との再会、季節にあわせた日本の美しい風景など、きっと一度体験したら、「じゃあ次のマーチでね」と夢を追うのでしょうね。

旅の思い出に旅行先で「ちょうちん」を買い集めました。300個近く飾られています。これもお金に換算すると、だいたい1個800円くらいですから24万円かかったことになります。いまは掛ける場所がなくなり「ストップ・ザ・ちょうちん」になりました。年末の大掃除の時全てのちょうちんに「ハタキ」をかけるんです。この時はジョンもかり出されて楽しい大掃除となります(?)

特別例会に出かけるたびに、のどから手がでるほど「ちょうちん」が欲しかった時期がありましたがスタッフをしていますと忙しすぎて、ゆっくりおみやげを見る時間もありません。(無駄遣いせんでよろしいがナ)シビアなのが温泉入浴代で、入浴代は800円までと厳しい線引きしています。名湯はよくわかります。しかし私達が入ろうと入るまいとお湯に影響は、そう無いはずです。温泉好きの私でも許容範囲は300円〜800円です。

「1000回まであと2回」


[978] 「1000回まであと3回」 【997回 未来のバスウオーク】 2006-03-08 (Wed)

季節によってバスの料金が高い時、安い時があり実施日をきめるのに「行き先が先なのか」「季節が先なのか」と言うことをで今までは大層悩んでいました。しかし現在は「バス委員」という専任スタッフが参加者の皆様に喜んで頂くために日夜努力をし ています。

●2月の雪の中を 白川郷散策ウオーク 凍結で中止の危険性有りますが行きたいです
●4月、岐阜の淡墨桜と坂尾断層見学ウオーク
●季節にこだわらず金華山と長良川ウオーク
●紅葉の御在所岳山頂ウオーク(往復ロープウエイ利用で山頂を歩きます)
●秋の曽爾高原ススキウオークも素敵です。
●吉野古道ウオーク(吉野〜洞川)みんな熊野古道に目を向けていますがあえて吉野です

以上が私の行ってみたい、そして皆様をご案内したい箇所です。バス委員さんよろしくね。以前、白川郷は、ふらりと出かけて、あまりの町並みの美しさに「泊まって帰ろう」と言うことになりました。観光協会に相談に行くと、合掌作りの宿を紹介してくれました。その宿の客室に通されポチの父上とポチで、昼寝をしようと枕を探すべく押し入れを開けましたら、何と押し入れ一杯に、凄く大きく超豪華な金の仏壇が備えてあり、爺やが腰を抜かしたことがありました。
そして爺やとポチで合掌している姿を見て「これがほんまもんの合掌作りや」と笑ったことがありました。

参加費ですが個人で行くと、多額の費用がかかります。バスウオークですと往復の電車代よりも安く、しかも楽しく参加することができます。まだまだ狭い日本と言えども素晴らしい場所が沢山あります。補助席まで満員という、嬉しい悲鳴でみなさまと一緒に楽しいバスウオークができますように祈っています。私の行きたいところは、季節とバッチリあったところのようですね。

でも、これは結構企画者泣かせです。


「1000回まであと3回」


[977] 「1000回まであと4回」 【996回 これからの私】 2006-03-08 (Wed)

1000回に向けて過去の想い出を走馬燈のように振り返ってきました。58歳をまもなく迎えようとする現在、いまからどう生きていくのか(大げさかな)考えてみました。幸いに二人の息子達も独立し親の役目から卒業しました。舅、姑も世間並みに見送りました。配偶者ポチも今のところ心臓の故障もなく(頭脳破壊がING)日々の生活は送れています。いまからは自分自身に磨きをかけて「お前のとこのおかんは気
が若いな」と息子の友人から言われる年相応の若さを保ちたいです。

私の仲間に「よし枝ちゃん」と言う女性がいます。実年齢を聞くと目を廻すほど若々しいです。肌つやもいいし出で立ちも粋でいつもご夫婦で仲良く歩いています。なにがそんなに若々しいのかと思うに「趣味を持つ」ことなのではないかと結論に至りました。歩くこと、手芸、ボランティア、それでいてお孫さんの世話もきちんとされている。
「婆よし、母よし、妻よし」だから「よし枝ちゃん」なのです。

2年後に定年を迎えたら、百名山の登り切れなかった山々の制覇(体力と資金が続く限り)もしてみたいし、季節にあった日本の地を温泉めぐりをしながら歩いてみたい。ポンコツのワゴン車でも買って番犬二匹と寝袋乗せて、風の吹くまま、気の向くままの旅を楽しみたいです。宿も頼まず、行き着いた場所でテントを張り、温泉に浸かり食材は町にでかけて調達する。まるでフーテンの寅さんのように。そして我が家に戻った頃には、もう一人孫が産まれてて「あんただ〜れ」なんてことになると愉快ですね。

故郷にいる恩師も気にかかります。何と言っても「親代わり」なんですから。「恩師孝行」もしてみたいのですが、恩師の中では私はいつまでも「幸せ薄い子」だから太刀打ちができないのです。今年の夏に「滑床渓谷」での再会を約束しました。私の年に20歳を加えれば恩師の年齢になると言う。ほな68歳?ちゃうちゃう78歳ですわ。

「1000回まであと4回」


[976] 「1000回まであと5回」 【995回 大歩協名物スノーシューウオーク】 2006-03-06 (Mon)

「平成15年3月上高地スノーシューウオーク」 これが大歩協で初めて試みた雪の上を歩くウオークのはじまりでした。最初は「そんな寒い目に遭いたくない」とか「雪は苦手」という人達の声の方が大きかったのですが「上高地」という場所選びがよかったのか90名満席で夜行バスで出発しました。この日はお天気にも恵まれ、一冬に一度か二度しかない好天気。西穂高岳から北に延びる穂高連峰や吊尾根から明神岳までくっきりと見えました。この時参加された方はスノーシューの醍醐味を満喫して頂けたと思います。

スノーシューって何のこっちゃ?そう思われる方がいても不思議ではありません。雪深い地方ではカンジキを履くのですが、その西洋版と思っていただければと思います。このスノーシューを履けば、どんな雪深いところでも簡単に歩けるのです。とても神秘的で楽しいアイテムなのですが「雪=寒い」というイメージから、いまいち抜け切れていないのが現状です。 「レンタル料」の相場はどこの施設でも2000円です。最初はレンタルで借りていましたが、装着がその都度違うということ、回数を重ねるとスノーシューが優に買えるということもあって「マイスノーシュー」を持つことにしました。マイスノーシューの元祖1号はジョン、2号はアドベンチャーさん、そして3号、4号はポチと姫となったわけです。

そして16年度の特別例会は蒜山高原へ行きました。13年の秋にはバスウオークで訪れた場所ですが牧場も雪で覆い被さっており、その上を歩くことの不思議さに酔いしびれました。そして1年に1回では物足りなくなり「雪が降った、積もった」と聞くと車ででかけては雪歩きを楽しみました。

時折小動物の足跡を見つけては「うさぎ?キツネ?いやいや狸!」と森のおとぎの国に入っていく楽しみも覚えました。冬眠をしている木立に虫眼鏡をあてると、新芽が春を待っている様子も伺うことができます。雪が風に乗り太陽の光を浴びて七色に輝いたりもします。普段のウオークでは絶対に見ることのできない光景ばかりです。

以前、2120メートル地点にある麦草ヒュッテに大阪府歩け歩け協会の特別例会で訪れたことがあります。「冬も訪れてみたいなぁ」と思っていましたら、少し訓練をすればスノーシューを履いて氷結した白駒池の上や雨池の上を歩くことができることを知りました。まるで白鳥の様でしょ。行くしかないでしょ、これは!

車で小牧インターから諏訪湖を通り、奥蓼科温泉郷の最も奥にある、渋ノ湯というところから歩き始めます。すでにここは標高1850メートルあります。ゆっくりと2時間かけて2270メートル地点にある高見石小屋まで歩きます。勿論地面は凍結しているところもあれば、ずぼっと膝上まではまりこむほどの積雪があります。しかしここはトレース(踏み跡)が細いためスノーシューでは時間がかかり、「アイゼン」を利用して、山小屋までたどりつくことにしました。歩き始めて1時間半、樹林帯を抜けて景色が広がります。「賽の河原」です。振り返れば乗鞍岳や御岳がくっきりと浮かんでいます。青い空と白い雪のコントラストに目を奪われながら、高見石小屋に到着。

その夜は満点の星空にオリオン座、北斗七星と手を伸ばせば届きそうなほどのダイヤモンドの輝きです。麦草ヒュッテに泊まったときは雨のため星を観測することが出来ませんでしたが、今回は夜空の銀座に散歩に出た気分です。興奮でなかなか寝付くことができません。そうこうしているうちに夜明けが近づいて、今度はご来光を見に行くことになりました。午前5時30分に小屋を抜け出し丸山の山頂でご来光を待ちます。太陽は東の空を赤く染め今日も私達に微笑みを授けてくれました。「今日も良い天気になりそうです」

小屋に帰って朝食、身支度を整えて、さあこれからがスノーシューの出番です。私はソリ遊びをするために背中にソリを背負い、「アイゼン」で歩くことにしました。しかし雪が深く思った様にあるけません。「10回ズボッとはまったらスノーシューに履き替えるように」とリーダーの言葉通りスノーシューはリュックに括り付けアイゼンでスタートしました。スタート直後の高見石のうえはアイゼンの方が快適でしたが、岩場を過ぎて樹林帯に入ると、ズボッ!ズボッ!ズボッ!膝上まで雪に埋まります。アイゼンではどうにもならなくなり、スノーシューに履き替えます。うってかわって快適!快適!氷結した白駒池の上も快適に歩けます。
白銀の中の麦草ヒュッテが近づいたころ、冬季閉鎖の国道筋で車両のエンジン音を聞いたときは「何じゃ」って思いましたが確認するとスノーモビルが追い越していきました。あれもいいなぁ。4年ほど前、岡山の奥津温泉近くの泉源で乗ったことがあったスノーモビルを思い出しました。
シラビソの樹林の中を雨池へ、そして雨池から背中に浅間山を感じながら雨ケ峠にあがり、突風の洗礼を受けながら青い屋根の縞枯山荘へ。坪庭の出合いをすぎ、五辻の分岐過ぎるとピラタス蓼科ロープウエイの山頂駅です。ここがゴールです。ゴールをした時は感動の涙を流すこととなりました。

教訓です
「アイゼンはスノーシューの代わりはできませんがスノーシューはアイゼンのかわりができる優れものです」冬の山々に足を踏み入れるとき、スノーシューは必需品であることを体験することができました。

「1000回まであと5回」


[975] 「1000回まであと6回」 【994回 急性アルコール中毒】 2006-03-05 (Sun)

春先は急性アルコール中毒にご用心を(えっもう慢性中毒でっか?)
3月、4月は送別会、歓迎会、花見など宴会続きの季節です。命を落とす危険性もあり「飲まない、飲ませない」以外に緊急時の処置を知っておくこともリーダーとして幹事として必要となってきます。

急性アルコール中毒は、アルコールの大量摂取により、一時的に中枢神経の働きが抑制され、意識の混濁、昏睡などの症状を起こすことをいいます。「イッキ飲み」などによるトラブルもアルコール中毒の原因です。イッキ飲みを断ったら人間関係が壊れてしまうので断りきれないと思っている若者が多いといいます。飲み会の席で無理に飲ませたり、嫌がらせをしたりする「アルコールハラスメント(アルハラ)」防止のシールなども出回っているらしいです。零ちっちのパパは就職したその日に急性アルコール中毒になり救急車で病院に運ばれました(親の顔みたいわ!ポチやがなぁ)

私が書きたいのは応急処置についてです。最悪の事態となり、飲み過ぎて動けなくなった「緊急時」にはどう対処したらいいと思いますか?大切なつぎの2つを覚えて下さい。

●気道の確保
●上を向かせないこと

救命救急の講習の時に上向けにして気道確保しましたね。あの姿勢をとると嘔吐物で気道が詰まってしまいます。「回復体位」って説明しましたが覚えていますか?うつぶせに寝かせ、肩に頭を乗せることで、上を向かせず、気道を確保する事が出来ます。このような「回復体位」をとった上で救急車の到着を待ってください。

最近は酔って動けない人を放置することが多くなったそうです。これで死に至った場合は主催者、幹事が「保護責任者遺棄致死罪」に問われることになります。飲む人は自分の適量を把握し、同席した人に迷惑を掛けないように気を付けましょう。「からみ酒、文句たれ酒」の人は仲間と飲む資格はありません。家に帰って「ひとり酒」を楽しんで下さい

私はこの嘔吐物の処理が大の苦手です(誰だって好きなもんおらんわぃ!)子供がミルクを吐いたり、口から物をだしたりすると一緒になってゲェーゲェーします。ももちゃんが手でクチャクチャとごはんを食べますがババ様は耐えて耐えて耐え抜いています。トイレが汚かったら「オエッオエッ」と戻してしまいます。朽木村にソリ遊びに行ったとき、姪の子供が「便所に熊がおる」とこわがったくらいです。ガイドもどきでありながら、バス酔いの人の介抱もできません。悪しからずお許し下さい。

しかし病人の汚物は気になりません。

「1000回まであと6回」


[974] 「1000回まであと7回」 【993 くつが鳴る】 2006-03-03 (Fri)

大府歩け歩け協会は「すこぶるウオーカー」という靴のCMに出演し、何と1年以上の放映で、すっかりお茶の間でお馴染みとなりました。テレビの影響は大きく、ウオーカーの皆様からも「テレビ見たでー」と声をかけて頂くようになりました。会社でも「テレビ見ました」、そして遥か遠くの高知県の従姉妹からは「みっちゃん、 あの靴ほしいから買うて」「あんたを通したら、なんぼ安くなるの?」 とさまざまな 反響がありました。 中でも一番の驚きはマラソンウオークで枚方の折り返し点に向かって淀川の河川敷を歩いているときでした。 もうすぐ枚方大橋と言うとき、前から自転車で来た10人ほどの女子中学生とであいました。
「大阪府・歩け・歩け・協会、歩けの人たちなんや」旗の文字を読みながらすれ違っていきます。その時その中の一人が、私の靴を見ながら「その靴知ってる」「テレビでコマーシャルしてる」そう言いながら目線をあげてきた女学生は「あっ、この人知ってる、テレビに出ている人や」「きゃー、嬉しい、テレビの人と出会ったわー」「頑張ってください」 そう言いながら去っていきました。
テレビの力って凄いんや、そう実感した一瞬でした。

テレビ収録の朝、大阪城公園に集合したスタツフは、ディレクターとの打ち合わせで緊張し「普段と同じように歩いて下さい」「はいもう一度」「顔がひきつっています。笑顔でおねがいします」 何度も何度も取り直し、やっとOKがでた時は20qを歩き終えたような安堵感と疲労感が交差しました。

私達スタツフは靴の宣伝のために出演をOKしたのではなく「みんなで楽しく歩いています。みなさんも歩きません?」とウオーク人工増加に一役買ったつもりでした。「出演料はなんぼもろたのか?」と聞く人もいましたが謝礼として「すこぶるウオーカー」両足分頂きました。それからはこの靴を履いて例会に参加しました。靴の 履き心地、効果については、人それぞれに受け止め方がちがいます。ご自身で履いて ためしてください。

靴は足を護ってくれます。はじめて登山靴を買う時に「えっこんなに高い靴を買うの?もっと安いバーゲン品はない?」と最初はためらいました。登山での命は靴であることを聞き、清水の舞台から飛 び降りた気分で、短靴はLOWA(ローバー)製・メイドイン(GERMANY )、世界で最も寒冷な気候に耐ええるブーツと言われヒマラヤ登山のアルピニストに重宝されている靴を買いました。

ハイカツトは、RAICHLE(ライケル)製・メイドイン(SWITZERLANDO)スイス。アルプスという厳しい環境の中でも自在に動ける登山靴、それがスイスで生まれたライケル。高性能フットウェアとして、スイスアーミーや山岳ガイドなどプロフェッショナルたちから圧倒的な評価を獲得している靴で、スイス軍のオフィシャルシューズに指定されています。高価であった分だけ愛着もひとしおで、それ はもう大切に履いています。 一度靴底の張り替えもしてもらい蘇りました。

燕岳の燕山荘でのこと。ライケルの靴を履き間違えたことがあります。私の足は「間抜けの小足22.0p」なんですが、なんとその方も同じサイズだったんです。私は何の違和感もなく履いていたのですが相手の方から異議申し立てを受けたことがありました。今はお洒落アイテム「くつピアス」の様な小物を靴ヒモに通して目印にする方もいます。私はこのことがあってから油性マジックで「姫」と書きました。自分が間違わなくても人が間違うこともありますので皆様もお気をつけくださいね。

ちなみにライケルの靴は歩く度に「キュッキュッ」と音がします。これが「靴が鳴る」ということなのでしょうか。それとも手入れ不足ということでしょうか?チャンチャン!

「1000回まであと7回」


[973] 「1000回まであと8回」 【992回 ジョンさんのレスキューとしての活躍】 2006-03-02 (Thu)

大阪府歩け歩け協会のウオークで「ジョンさんを見つけたら何があっても助けてくれるので安心だわ」と言うご婦人がいます。ウオークなのに必要以上の大きなリュックを背負って歩いているのを見たことがあると思います。とくに山間部でのウオークではそうでした。
特別例会で八ヶ岳の北横岳に登り、麦草ヒュッテに宿泊した時のことでした。どしゃぶりの雨で散歩コースも断念せねばならなくなりました。時間を有効に使うために、救護や救助の話をすることになりジョンさんがご自分のリュックを持ってきて中味をみせてくれました。「カラビナ、シュリンゲ、ロープ、簡易担架、簡易テント、寝袋、レスキューシート、救急用品、コンロ、燃料、鍋類」数え上げればキリがありませんが、団体装備と呼ばれ、全体で使うものばかりで、自分の荷物は皆無だったことにおどろきました。本来は分担して持ち一人にかかる負担を少しでも軽くするのが常ですが「自分自身への訓練だから」と参加者のために惜しみない協力をしてくれています。「ヘリコプターは何処へでも来てくれません、悪天候では飛んでくれません、山に入る以上何事が起こりうるか解りません。3日ぐらいはしのげるだけの装備が必要のようです」

しかし、この時「役員でもないのに何でそこまでするん!?」という言葉がジョンの耳に入ってきました。役員でなかったら人助けはしたらあかんのか!じゃあ役員はみんなジョンと同じ装備を持つのですか、装備が有れば救助できるのでしょうか。こんな中傷にひどく傷ついたこともありました。しかしそのことをきっかけに更に自分を磨こうと消防署の講習、赤十字の講習、山岳訓練と訓練にはげんでくれています。いまは仕事の都合上役員ではありませんが「レスキューアドバイザー」という肩書きで大阪府歩け歩け協会の特別例会・白馬岳登山をサポートしていただけることになっています。

燕岳の下りでご婦人がうずくまっていました。ご主人もオロオロして途方にくれているところにジョンと仲間が通りかかり、「どうしたのですか」と尋ねると両足がつって歩けず困っているとのことでしたので救急用品をだしてマッサージと薬を散布してどうにか回復させ、帰ったこともあります。
ウオークの途中では目の前でバタンと突然倒れた男性がいました。これも足のつりが原因でした。舞鶴ウオークの時は山の中で足がつった老人がいて、手当をしていたら、他のスタッフが横から正反対のことを言います。(このスタッフは今は大歩協にはいませんが)ジョンは「じゃあ貴方が代わって手当をして下さい」と言うと「それはできません」と言うのです。間違ったことをしている時は指摘が必要ですがスタッフが一生懸命手当をしている時は応援こそすれ、邪魔をしないことが大切だと痛感しました。

夏の暑い日日射病で気分が悪くなったり、大文字山の上で苦しそうにしていて「体を締め付けているブラジャーをはずして!」と言いましたが、手当とは言え、ジョンもさすがブラジャーまでははずせませんでした。だから私達は「2個1」なんです。自分の足らないところは補って貰い、安全で楽しいウオークにしたいものです。

「1000回まであと8回」


[972] 「1000回まであと9回」 【991回 自宅のガレージに旅役者の衣装置き場あり】 2006-03-01 (Wed)

いまではバスウオークも大歩協の目玉商品となり定着してまいりました。「一人で参加しても決してたいくつしません」と言うキャッチフレーズでお誘いしていますので看板に偽りがあってはいけません。行き先にちなんだ衣装で歩いてはどうかと、ひらめきました。平成13年特別例会「御岳山と中山道」で妻籠宿から馬籠を歩くには合羽からげて三度笠しかないと決め、へそくりをはたいて「ん万円」で揃えました。言っておきますが協会からは衣装代は頂いておりませんのでね(笑)一人で歩くには勇気がいります。三浦泰平さんにお願いして快諾を得ることができました。夜の宴会で「中仙道」を歌って頂くために練習用のテープを渡し何十回も練習されたそうです。奥様に「やかましい」と叱られ車の中で総仕上げをしたそうです。(笑)

木曽福島の宿「つたやグランドホテル」を合羽からげて三度笠で歩くには「素」では到底歩けないと三浦泰平さんと意見が一致しビールを一杯ひっかけてから出発することにしました。しかし朝はすでに冷蔵庫には鍵がかかり、ビールを出すことが出来ません。私がフロントに電話をし「常備薬を冷蔵庫に忘れました。開けて下さい」 ということで二人でビールを飲み気合いをかけてバスに乗り込みました。あの時の拍手喝采は忘れません。(交渉上手でしょ)

観光客が沢山行き交う妻籠宿と馬籠宿では観光協会の回し者と間違われ記念撮影の嵐に巻き込まれました。最初は恥ずかしかった二人でしたが、ギャラリーの多さに気をよくして三浦さんをふりかえると木の枝が口に格好よくくわえられていました(さまになってるやん!)もうあとは留まるところを知りません。13年12月の「鈴鹿峠越え」の時は三浦泰平さんの合羽からげて三度笠姿と鳥追いの姫と山賊の堀場忠清さんと役者もだんだんに増えていきました。日帰りバスウオークの伊勢街道のゴールでは三浦泰平さんの協力を得て弥次喜多道中の弥次さん、喜多さんに扮して伊勢神宮を参拝しました。通行人が「ほらほら見てみい、映画村をクビになったんかいなあ」とか「昔の人が歩いてる」とかいろいろな反響がありました。

平成14年3月「童謡の郷 龍野」に行ったときです。工事現場用のヘルメットの上に発砲スチロールで赤とんぼをくっつけました。一人でするのにはまだまだ恥じらいというものがあり、堀場忠清さんを巻き込み、二人で先頭を歩きました。たったこれだけの出で立ちでしたが参加者の方達が大層喜んで下さり、記念写真のフラッシュ責めにあうほどでした。中には「ヘルメット貸して下さい」とご自分がかぶって記念撮影する方もいました。この感触はのちのちの「鯖を頭につけて・・」の元祖となるわけです。

納会の時のお楽しみショーにも時々登場致します。今年は箕面スパーガーデンの舞台で「月がとっても青いから」用のドレスを作りました。三浦泰平さんは、だしものもぐっと変わり沖縄民謡「花」の熱唱です。頭につけたラメ入りのバンダナは姫のドレスの余り布でしたが、とてもよく似合っていました。ドレスと言ってもカーテン生地を買って縫ったものでしたが、あとで「改造の余地あり」と会員さんの一人が自宅に持ち帰り改造して下さいました。このドレスどこでご披露目できるのでしょうか。

まだまだありますが省略させていただきます。まだ皆様の記憶に新しいのが「鯖街道のサバのオブジェ」ではないでしょうか。1号車のバスの中で配り2号車から無線を通じて「まだ鯖をもらってない」と嬉しい抗議を受けたりもしました。鯖の絵柄を1枚1枚ハサミで切り「みんながつけてくれなかったらどうしょう?」と心配しましたが全員の方が鯖街道を鯖つけて歩いて頂くことができました。あの時はうれしかったです。地元の鯖売りのおばちゃんに「その鯖おくれーなっ」と言われて反対に鯖を置いてきたりもしました。どれもこれも楽しい思い出ばかりです。

「1000回まであと9回」             


[971] 「1000回まであと10回」 【990回 バスウオーク履歴 】 2006-02-28 (Tue)

バスウオーク履歴
●バス 平成17年 12月 鯖街道・熊川宿を歩く
●バス 平成17年  9月 吹屋ふるさと村散策
●バス 平成17年  5月 大峯の霊場と御手洗渓谷散策
●バス 平成17年  3月 中仙道の宿場町 番場宿を歩く
欠席●バス 平成16年 12月 牛窓潮騒ウオーク
欠席●バス 平成16年  9月 秋の神鍋高原散策
欠席●バス 平成16年  7月 芦生原生林 と かやぶきの里
欠席●バス 平成16年  6月 信楽の里散策
●バス 平成15年 12月 東尋坊と越前松島海岸ウオーク
●バス 平成15年 10月 天ノ橋立と舟屋の里・伊根ウオー
●バス 平成15年  4月 志摩半島 英虞湾展望と雑ノ浦
●バス 平成15年  2月 越前岬・水仙の郷ウオーク
●バス 平成14年 12月 剣聖・宮本武蔵の里を歩く
●バス 平成14年 10月 鳥取砂丘・ラッキョウ花鑑賞ウオ
●バス 平成14年  7月 揖斐川・長良川・木曽川の三川
●バス 平成14年  3月 赤とんぼの里・龍野歴史ウオーク
●バス 平成13年 12月 旧東海道・鈴鹿峠越えから関宿へ
●バス 平成13年 10月 晩秋の蒜山ウオーク
●バス 平成13年  7月 日吉ダムと天若湖ウオーク
●バス 平成13年  3月 尾張富士参詣登山
●バス 平成12年 12月 坂越・赤穂歴史の道ウオーク
●バス 平成12年 11月 孝子伝説の里・養老ノ滝ウオーク
●バス 平成12年  7月 兵共が夢の跡天下分け目の関ヶ原
●バス 平成12年  5月 名曲『岸壁の母』の舞台・舞鶴

この中で平成16年度の4回については、退会された「O」副会長と見解の相違が発生し、あえてジョン、ポチ、姫は欠席致しました。これ以外は全部参加しています。

「1000回まであと10回」


[970] 「1000回まであと11回」 【989 なぜガイドもどきを引き受けたのか 】 2006-02-28 (Tue)

特別例会の大台ヶ原ウオークでのことです。小型バス4台の中にはガイドさんが乗っていませんでした。仕方がないので業務連絡兼点呼係として怪我ほやほやのジョンと私が1台づつ担当させられた(させられたがピッタリ)とお話しましたね。私達のバスに乗っていて、今は病気で退会された副会長が「掘り出し物を見つけた」と言ったそうです。

それから何回かバスウオークがあり、この頃は必ずガイドさんが乗っておられました。忘れもしません。2000年、平成12年12月「赤穂坂越バスウオーク」を実施した時ことです。勿論、赤穂と言えば「人情松の廊下」、ガイドさんが「ヨシラ」「ヨシラ」と多分、人名であろうと想像できるのですが何のことがさっぱりわかりません。人の名前になるとうまく言えないのです。見かねて退会された副会長が、テキストを覗くと何と「吉良上野介」が「ヨシラさん」だったのです。浅野内匠儀は「浅野えーとえーと」です。ひとつやふたつは可愛いから許してもらっていたのですが、歴史に詳しい参加者が、とうとう切れてしまいました「読まれへんかったらカナを打て!」

そんなことがあってからガイドを付けないと料金も安いしガイド含まず」になってしまったのです。ガイドさんによっては、「さすがプロ」と素晴らしい口調でご案内してくださる方も沢山います。赤穂と言えば「人情松の廊下」の大切な時に「ヨシラさん」とガイドさんが、たまたま勉強不足であったことが、後々まで響いてしまいました。そして「掘り出し物」扱いの私が道中をご案内することになった次第です。しかし私とジョンのセットでないと、とても皆様の前には立てないことから我々のことを「2個1」と呼ぶ人が出てきましたし、自分達でもそう思っています。ハイ。

しかし歳月というものは恐ろしく早く、当初はガイドもどきのシナリオ「10.5ポイント」の文字が今では「15.0ポイント」と老眼になり、おまけにトンネルの中では無口になるという、(だって資料が暗くて読めないんですもの)お粗末さで配偶者のポチからは「マンネリでおもろうない。工夫が足らん」とまで言われるようになりました。(こわ〜)

大阪府歩け歩け協会だから任してもらえてると、そう言う環境を与えて下さることに感謝しています。コースのことを少し調べて皆様にご案内し、少し歌も交えて、また扮装も協力してもらい「大歩協のバスはおもろい」と言って頂ける様に頑張りたいと思います。一人では頑張りきれません。やはり良き理解者がいてこそだと襟を正して謙虚に参加して行こうと決意を新たにしている今日この頃であります。

「1000回まであと11回」


[969] 「1000回まであと12回」 【988回  なぜウオークで歌を歌い始めたか】 2006-02-27 (Mon)

かれこれもう4年〜5年前になるでしょうか。山裾が紅く染まる「有馬富士ウオーク」の休憩中のことです。絵にも描けない美しい紅葉ではありませんか。丁度子供達が広場で遊んでいて「もみじの歌うたえる?」と聞くと「歌えるよ」と答えてくれました。「じゃあみんなで一緒に歌おうか」と一般の子供達を交えて「♪秋の夕日に照る山もみじ♪」と歌ったんです。素晴らしい歌声でした。もしあの時のウオークに参加した方がいらしたら「うん、うん、そうだったネ」と頷いてくれることでしょう。

歌詞ですか?勿論ありません。歌い出しを一小節ずつ私が先にリードすることで歌詞は必要なかったんです(これ結構むずかしいんです。でも労働組合の労働歌の歌詞指導をしていたのでなんとか・・・・)参加者の反応がよかったので次のウオークでも同じように実行しました。この頃のウオークと言えば、どの協会でも、弁当を食べるやいなやスタンプを押してもらうのに長蛇の列で、昼休みの過ごし方といえば列に並ぶしかなかったんです。この行列の待ち時間を利用して皆様から不満の出ないように工夫致しました。それが「懐かしの唱歌」のはじまりだったんです。(このごろでは行列でスタンプを押してもらうかわりにIVVはシールに進化しました)

季節に合った歌、山や川のコースに合った歌を選び歌っていましたら「歌詞がほしい」と言うことになりました。それもそうだと歌詞を用意することになりました。それでも全員が賛成してくれたわけではありません。カラオケの嫌いな人がいらっしゃるように唱歌もまた嫌いな方もいます。歌詞カードを「ふん」と言いながら突っ返されることもありました「決して強制ではありませんので」と言い訳をしながら心で泣いて、顔で笑っての日々が続きました。4年も経つと「今日の歌はなに?」「お昼のお楽しみ!」「家で孫に聞かすんや」「母ちゃんが楽しみに待ってるんや」とうれしいことばをかけて頂くようになりました。

会社でも行事を企画しても「30%の人が楽しかったと言えば成功や。全員を満足さそうなんて欲張りのするこっちゃ」との温かい励ましを得て現在の私がいます。私の歌を聞いてもらうのではありません。みなさんと歌うのです。私は、あくまでも「せーのーっ」の役割をしているだけですからね。大きな声を出して歌う素晴らしさ、忘れかけていた懐かしい唱歌をみんなと歌うことの喜びを味わって下さるとうれしいです。

ちなみに私の孫の零とももは「ことりのうた」「どんぐりころころ」「ふたあつふたあつ」などババ様がいつも歌う歌がCDで流れるとお尻フリフリしてリズムをとり楽しそうに宇宙語で歌います。

「1000回まであと12回」


[968] 「1000回まであと13回」 【987回  特別例会全部制覇】 2006-02-26 (Sun)

特別例会のはなし
平成10年 8月 立山登山・浄土山、雄山を行く
平成11年 8月 近畿の屋根・大台ケ原逍遥
平成12年 8月 乗鞍岳登山と上高地・氷壁の宿 「徳沢園」
平成13年 4月 四万十川全流路・196kmの旅
平成13年 8月 御岳山登山と中仙道・妻籠宿から馬籠宿
平成14年 6月 尾瀬ヶ原散策・大清水、尾瀬沼
平成14年 9月 錦秋の木曽駒ケ岳登山
平成15年 3月 上高地スノーシューウオーク
平成15年 6月 水芭蕉咲く尾瀬ヶ原散策
平成15年 8月 八ヶ岳・北横岳登山と横谷渓谷散
平成16年 2月 蒜山スノーシューウオーク
平成16年 5月 富士山・青木ヶ原樹海・忍野八海散策
平成17年 1月 『蒜山スノーシューウオーク
平成17年 7月 石鎚山登山・面河渓谷 と 道後温泉

以上、これがいままでに実施された特別例会です。なんと全て制覇しています。参加者リストを調べてみますと全部制覇したのはジョンとポチと私だけでした。みなさんどれか時々抜けているのです。帰るときは山に向かって「また来るからね」と声をかけて帰ります。そりゃ雪山で見かけた狛犬にも「おにぎり食べますか?」と聞くぐらいだから山に挨拶するのは当然でしょう。

それぞれに想い出がありますが平成13年4月の 四万十川全流路・196kmの旅は忘れることができません。高知県中村市(現在は四万十市)産まれの私にとって100人のウオーク仲間を連れて帰ることは「故郷に錦を飾る」状態です。親戚縁者に電話をしまくり、それぞれの場所で再会を約束します。特に義兄一刀水にとって元気な姿の最後となるかもしれません。宴会の隅を借りて「従妹会」を実施させて頂けました。あの時のお許しはありがたかったです。沈下橋を歩こうということで「勝間沈下橋」では恩師が救護車を出してくれました。従妹達も歓迎のために橋のたもとに集合してくれていました。

四万十川を「日本のチベツト」と会社の人は言います。それくらい遠いと言うことらしいです。同じ年の8月には御岳山登山が決まっていたのですが、ほとんどおなじメンバーの方が参加して下さいました。中村ではホテルを借り切り楽しい宴となりました。宴会は、そりゃすごいことでした。役者揃いの大歩協に負けてはならぬと従妹まで飛び入り参加をして楽しませてくれました。 翌日、会う時は胸がはずみますが別れはつろうございます。恩師が参加者全員に冷たい飲み物を差し入れてくれました。いよいよお別れです。山にむかっては「さようなら。また来るね」って言えるのに恩師には言葉がでません。小さくなっていく恩師に別れを告げてもバスの中で悲しくて立ち直ることができませんでした。見るに見かねたジョンが「ガイドもどき」を代わってくれました。

バスで移動後窪川の駅で電車を待つために休憩していた時、ジョンがカメラを狙われて「あわや」と言うところで置き引きに遭うところでした。(高知には悪い人はおらんのじゃけんどなあ)このときのカメラは盗まれずに済みましたが、その後「生瀬駅集合武庫川渓谷・トンネルウオーク」ではリュックの上に置いていたカメラを盗まれてしまいました。公園の中で通行人のいない参加者だけのスペースでです。こんなショックにも遭遇しましたが、めげずに頑張っています。

「1000回まであと13回」


[967] 「1000回まであと14回」 【986回  六甲山地獄谷トレーニング】 2006-02-25 (Sat)

名前の通りほんま地獄のようなコースです。阪急芦屋川で電車を降り六甲山地獄谷へと入ります。この地獄谷は日本の山で起こりうるであろう様々な地形(岩場、ザレ場)を持ち、ここでトレーニングすることにより、自信をつけて日本のどの山にも楽しみながら登ることができるという説明をうけました。ロープの使い方、救助する側、救助される側と真剣なトレーニングを繰り返します。歩けの会なのにそこまでしなくてもと言う人もいますがウオークも結構な山に登っていませんか?ポンポン山で救助の必要な人が出たときはシュリンゲとロープが早速役立ちました。それから私のリュックにはロープをぶらさげて歩くようにしています。

知らないより、知ってるほうが良いということでトレーニングを繰り返しているうちに最初はおっかなびっくりであっても回数を重ねて行くうちにロープを使わなくても岩によじ登ることができるようになりました。ポチの別名は「へっぴり君」といいます。下山時になると何故かへっぴり腰になり歩行ペースを乱します。ジョンの気の遠くなるような指導のおかげで腕をあげてきました。腕をあげたと言っても、救助側にまわることが出来なくても「迷惑をかけない」レベルに達したということです。これはとても必要な事です。

蜂にさされる訓練もし、(というか勝手に飛んできてリーダーを刺したんですが)実際に刺されて「あわや」と言うことになりかけたこともありました。納会の時に「エビペン」の説明をサスケ先生にして頂いた事覚えて下さっていますでしょうか。

大阪府歩け歩け協会は「ウオーク」だけではなく三角巾の使い方、救命救急の講習などを手掛けてきました。手掛けるにあたっては「日本赤十字社・救急法救命員講習」「消防署・救命救急普及員講習」等も積極的に受講してまいりました。人のためではなくて自分のために、自分が救助してもらうためには人に知ってもらう必要があるというところから納会時には蘇生人形を使って講習をしています。去年は「除細動器(AED)」を使用して最新の講習会も実施いたしました。

今後も受講した人が忘れないために、私自身も忘れないために今後も機会があれば、どこででも救命救急の話をし、救命救急普及員の名に恥じない活動をしていきたいと思っています。それにはスタッフがこのことに関心を持つことが大切です。「大歩協さんのスタッフは素晴らしい」と参加者の方に言っていただけるようにスタツフ一同頑張りたいと思っています。どうぞよろしく。

「1000回まであと14回」


[966] 「1000回まであと15回」 【985回  初めての高峰、立山・雄山登山の話】 2006-02-24 (Fri)

「けんぽれん100キロ歩こう」どしゃぶり箕面ウオークを終えた日「立山へいきませんか?」のチラシを受け取りました。大阪府歩け歩け協会5周年記念と銘打っています。文字は雨でぼやけていましたが「目標百名山」と決意したばかりでしたので、すぐに申し込みました。今の特別例会のハシリだったように思います。入金はしたものの今ほどに丁寧に連絡もなく集合場所だけをたよりに出発当日を迎えました。しかしどの人達が参加するのか顔もわからず旗もなく、案内もなく、荷物を見てそれらしいと憶測するしかないそんな不安な待ち時間を過ごしました。

「立山登山へ行く人!こちらへ集合してください」やっと声がかかり26名の参加者が一堂に会することとなりました。リーダーが私の服装を見て「あんた登山靴持ってまっか?」と、けげんな顔で問うてきます。それもそのはず、夜行バスなのでリラックススタイル「ムームーにサンダル」にリュックなのです。(ちょっとリラックスしすぎちゃいました)26人の参加者は「乗り合いバス」で出発です。これが間見会長との最初の出会いです

就寝時間を過ぎてもバスの中で一人だけ騒ぐ参加者がいて、注意しても、わぁわぁと大きな声をだして迷惑行為にたまりかねた間見リーダーが、とうとう切れました。「山を甘くみないでください。私をなめないで下さい」おっと格好いいじゃありま〜せんか。医療班で参加していた荒木さんという方に、何かと声をかけて頂き初参加の不安から解消されました。松任谷さんという品の良い紳士(今でもメル友)とも知り合い、山の楽しさを存分に味わうこととなりました。この紳士は今でも立山繋がりの仲間です。あのペテン師じゃなかったベテランのジョンがなぜかこの時は高山病でヘロヘロで夕食も食べれず介抱することとなりました。
あとで知ったのですが、この時なんと、 メンバーの中に「くろねこかあさん」が参加していたのですが、その時は知るよしもありませんでした。

その次のバスは大台ヶ原に小型バス4台に分け、なぜか新米の私とジョンが1台ずつバスを担当させられることとなりました。立山で医療班の荒木さんに、どうも目を付けられていたようです。大台ヶ原に出発する前日ジョンが仕事中に右手か左手(当たり前や!2本しか手はないがな!)に大怪我をしてしまいました。まだ麻酔も覚めやらぬその日の夕方、荒木さんに連れられてカニを食べにいくことになっていましたので大きな包帯を巻いてそれでもカニを食べに行きました。

そしてバスの当日、勿論ジョンさんは参加しましたよ。姫に「カニ喰いにいけるんだからバスにも乗れる。家にいてたら痛みが増すし、気分転換に行こう行こう」と脅されたのです。このへんの痛さ具合はこれを読んでジョンが書き込みをしてくれることを期待しています。

「1000回まであと15回」


[965] 「1000回まであと16回」 【984回  配偶者へのマインドコントロール】 2006-02-23 (Thu)

「歩こう」という姿勢が決まり、「出で立ち」もそこそこ整ったら、さあ次は配偶者への理解を求めなくてはいけません「あ・うん」の呼吸とは、ほど遠いものがあります。「お前だけ行けばいい」と理解度を示している様に見えますが「ワシの飯はどうしてくれる?」「遅いなあ!」「また出かけるのか!」とトラブルが発生すること間違いなしと悟り「一緒に行くしかない」と健康について、余生の趣味についてとあらゆる方向からマインドコントロールをかけていきました。

そもそも配偶者(通称ポチ、本名もポチ)は出不精で電話にもでない、ピンポーンと呼び鈴がなっても出ない性格でした。亡き姑が区民祭りの日に子供会の付き添いをしてパレードに参加している我が息子を見て、気絶しかけたほどですから、いかに出不精であったかわかっていただけると思います。ジョンという悪友の協力も得て、まずは百名山を目標に山登りをしようと言うことに方向がきまりました(シメシメあと一息)

丁度このころ癌を宣告され余命3年という義兄(私にとっては父親代わり)を抱えていましたので、この世の想い出作りの旅が始まりました。義兄は温泉で待機したり車を回したりと、阿蘇山、開聞岳、韓国岳、祖母山、久住山、大雪旭岳と息つく暇もないほどあわてて登りました。だってあと3年しか生きられないのですから・・・

中高年の山登りが活発になる一方で、登山の事故も比例して多くなりました。まず体力作りをしないことには話になりません。ポチは心臓の大手術をしており戸惑いがなかったわけではありませんが、手術の時に失った命と思えば、何も恐いものがなくなりました。息子達も今の親父のままではいかんと言うことで応援してくれ、登山のための体力作りということで「ウオーク」に一緒に出かけてくれるようになりました。

ウオーク人工の多いことに、まず驚きを感じました。健康のため、自然を観察するためと、目的はそれぞれ違いますが仲間意識が芽生え、私を通じてではなく独自で仲間を作りウオークの楽しさにはまっていきました(ヨッシャこれで完壁!)

「1000回まであと16回」
             


[964] 「1000回まであと17回」 【983回 服装へのこだわり 】 2006-02-22 (Wed)

何故ウオークをはじめたかを昨日書きましたね。その次は参加するときの服装にこだわりました。「どうせ長続きしないであろう」と自信の無いときは投資すると「せっかく買って勿体ないから続けよう」ということになると思います。ある時、大山登山をしたときに雨に濡れるより合羽と衣服の間、つまり中の方が汗でずぶ濡れだったことがありました。(その時の合羽は5000円位のバーゲン品でした)その時初めてゴアテックスという優れものの存在をしりました。それからリュック、靴、ズボンにシャツと揃えて行きました。もうこれで後戻りはできないというほど投資してしまったのです。

それまでは、子育て真っ最中でしたので、自分の物を買うのは、とてもつつましくしていました。気に入った洋服があれば何年着ても平気で、人が新調しても「我れ関せず」だったんですが会社で取引先の方が「体型が変わってないみたいやなぁ。去年着てた服が着れるじゃないか」と言われました。これ絶対セクハラですよね。それしか服はないのかと言われてるみたいでしょ。でもめげないのが私なんですよ。そんなこんなで互礼会の司会をしていると同じ服を2年続けて着れなくなってしまいました。そんな時でも上下を工夫する、アクセントでごまかす等、あの手この手でごまかしてつつましく生きてまいりました。
そのかわり「要るときは要る」の方針で、栗焼酎を樽で買ったり、田圃を借りたりと夢に注ぎ込むお金は惜しみなく使います。あの世へは持っていけませんし、残すと息子達の争いの原因になりますし。ポチが「後添え」なんてもらった、あかつきには腹立たしいですし、だから今、山登りに熱中しているのです。遅ればせの、ささやかな私の青春です

このころラジオ大阪「桂九雀のわいわいじゃーなる(秋こそ歩け歩け)」のコメンテーターとしてラジオ出演、翌年には同番組で「環状線ウオーク」の電話トークに出演したりしました。姑とのめぐりあいを「仰げば尊し」文芸社より出版し此花区でベストセラーとなる(そらそーやろ顔見知りに全部、押し売りしとんやさかいナ)

「1000回まであと17回」             


[963] 「1000回まであと18回」 【982回 なぜウオークをはじめたのか 】 2006-02-21 (Tue)

平成10年の4月、健康保険組合の事務説明会の時、1枚のチラシをもらいました。主催は「けんぽれん」100キロ歩こうのスタートの案内です。自分の会社に持ち帰り、健康保険をつかわない健康な身体作りをしよう。そのために歩きませんかという案内でした。120名の社員に呼びかけましたが関心度ゼロ。

健康保険組合から「では担当者の久田さんが責任を取って参加してください。その代わり箕面温泉の入浴が半額です」この温泉半額につられてポチとジョンと3人でドシャ降りの雨の中、車で行ったんです。温泉の駐車場から下を見ると、アリンコの様にゾロゾロ雨に濡れながら歩いていました。「雨の中、ようやるわ!」

それがウオークとの最初の出会いです。いまでは「雨もまた自然」と平気で言えるようになりました。(ハハハ)雨で濡れた身体を温泉で温め、なぜか次の予定が気になりはじめました。痩せるという目的もありましたが(ぜーんぜん効果なし)楽しくてウオークに、はまって行きました。けんぽれんの「歩くことは健康の第一歩」と題して機関誌デビュー、そののち建設省の公報誌にもデビュューしました。(http://www.pump.or.jp/pump/kiji-29-01.html

そして多くの仲間が増え、バスウオークのガイドもどきや、お昼のコーラス担当と、皆様のご協力を得て楽しく今日をむかえることとなりました。いやなこと、つらいこともありますが、皆様の笑顔と、励ましが私の宝物です(本当です)

「1000回まであと18回」


[962] 「1000回まであと19回」 【981回 大歩協の総会にむけて】 2006-02-21 (Tue)

20日は大阪府歩け歩け協会の理事会のため会議場所であるナンバの石井スポーツまで行ってきました。いつもならバイクで野田阪神までぶっ飛ばしていき、6時00分の開催時間に何とか間に合うのですが、昨日は雨のため野田阪神までバスの移動となりました。5時の就業を終え、着替えて6時に難波着は、結構きついのです。何とか滑り込みセーフ!

総会に向けての最終チェックとスタッフの再任、新任等の確認を無事終えてあとは本番の26日を待つのみとなりました。バスウオーク「4/30石楠花と日野商人」も下見もバッチリして頂き、間もなくご案内ができると思っています。あとは石楠花の開花がバスウオークに合わせて咲いてくれることを祈っています。ご参加よろしく。

★困ったことがひとつ
大山スノーウオークの人数がいまいち、いまに、いまさん・・・で集まりません。倉敷ツーデーマーチと重なっていて、すでに予定が埋まっているとか・・・総会の日に、もう一度時間を頂き、未知への世界へご案内とお誘いをしたいと思います。ウオーカー広場にアドベンチャーさんとサスケ先生がスノーシューの楽しさを書き込んで下さいました。もう一度読んでいただき、ぜひチャレンジして下さい。

人数集まらず企画倒れということが最悪起きたとしたら、来年の行事への復活はむずかしくなるかも知れません。
そうだ!空席に総会で再任、新任を得たスタッフ全員連れて行くけば満席になるかもね。雪道の歩き方、雪の中での救助の仕方などの貴重な体験もできるかも知れませんよ。

私はスノーシューウオークで「ソリ遊び」にはまっています。スノーシューをはいてエッチラオッチラ登り、斜面を見つけたら「どいてーあぶないよー」と叫びながらソリ遊びもしたいです。子供の頃ミカンの箱を利用して遊んだ頃を思い出して、大山でも滑ろうっと!

「1000回まであと19回」


[961] 【980回 いよいよ1000回にむけてカウントダウンです】 2006-02-19 (Sun)

な〜んてことはない。1000回書き込みをしたからどうだと言うのか。支離滅裂なテーマで、風の向くまま、気の向くままに書き続けてきました。いよいよ今日から、自分自身のカウントダウンにはいることにしました。

話は変わりますが
♪おいら岬の 燈台守が 妻とふたりで〜♪の歌をさがしていました。「燈台守」でさがしたのですが探しきれません。「歌いだしで検索」でさがすと「喜びも悲しみも幾く年月」と出てきました。今度機会があったら、みなさんで歌いたいと思います。練習しててくださいね。(大山スノーシューの歌集で準備します)

「1000回まであと20回」


[960] 【979回 天然のヘッドライトではいかんのかいな?】 2006-02-19 (Sun)

ポチが「軽くて明るいヘツドライトを買いに行こう」と言います。「自分の頭を光らせればいいのでは?」と言うと「ワシの頭は夜間は光らんのや、何か買うたるから行こう」と言います。そやそや、この間の「マンネリ」の落とし前まだつけていなかったと好日山荘までついていきました。

「80グラムこれが一番軽くて明るいです」と薦められるままに購入してきました。なるほど明るいわ。闇夜のカラスウオッチングできそうや。あっそうか、くろねこさん情報によるとカラスは今「トリノオリンピック」に行って留守の様ですね。

さあ山登りの荷物もできたし、いつでも出かけることができます。誰か誘ってくださいね。


[959] 【978回 我が家で迎える久しぶりの朝日】 2006-02-18 (Sat)

♪アサヒが昇る頃 社長さんが帰る あ〜あ♪と言う懐メロを口ずさみたくなるように、燦燦と太陽が部屋に入る。久しぶりだぁ

♪朝日が昇る頃 山登りにでかけ あ〜あ♪の生活が連続していて、家で朝日なんてみたことがありません。ダスキンのおばちゃんの嫌味「あら奥さん今月もきれいですね使ってはりますの?」にめげないように、朝からダスキン使いまくっています。掃除の途中、思い出したように本棚の書物や写真に手がとまり、なかなかスムーズに進みません。

今日は赤ちゃん本舗の大売出し日とか・・・・なんでお知らせがババ様のところへ来るんやろ?

大山スノーシューに行くためにマイスノーシューの手入れをしたり、メールやお手紙でスノーシューをお誘いしたり、ご近所の井戸端会議に参加したりと普通の主婦を味わっています。それにしても、いい天気ですこと。

みなさんは、どこかへお出かけですか?


[958] 【977回 恩師からの電話】 2006-02-15 (Wed)

高知県四万十市に在住する恩師(小学6年の担任)から電話がありました。「美智子さん?柳川です。ぽんかんを送りました。食べて下さい」と電報のような電話です。
「先生今日も山に行っちょったが?」と聞くと「山の猟は今日でおしまい。歩くことが苦痛になってきちょった」と言うので「先生、なんぼになったが?」と聞くと「美智子さんに20歳を足した年になりましたハイ」とおどけて言う。79歳かぁ

「夏に栗焼酎のイベントに帰るけん大正町まで来てや」と言うと「う〜ん。滑床で待っちょるけん」と大正町でのキャンプはあっさり断られてしまいました。故郷には、もう親はいませんが、この恩師が生きている間は、私にも帰るところがあると思っています。サスケ先生の師匠のお話を時々バスの中でお聞きしますが、そのたびにこの恩師に想いをだぶらせています。また今度聞かせてもらおうっと。


[957] 【976回 今日はバレンタインデー】 2006-02-14 (Tue)

バレンタインの由来は以前に書き込み終了していますが商店街はどの店もチョコレート商戦真っ直中です。今日は嫁の純ちゃんが爺やへのチョコレートを届けに零ちっちをつれてお昼休みめがけて会社にやってきました。嫁と零ちっちの弁当を作って来ていましたので女子社員の皆さんと一緒にお昼をいただくはずだったんですが・・・

うれしくって6階のフロアーを走り回り、じっとしていません。見る者全てが遊び道具となり丸椅子を電車の様に引き回します。カセットの取り出し口が手前に倒れると「おーっ」と言いながら体もカセットにあわせて後ろに傾きます。

ホワイトボードにピカソ顔負けのお絵かきをして、お手々はマジックで真っ黒になりました。風邪もひかず元気に走り回っています。今週末から函館入りだったんですが、あまりの寒さに函館から「マッタ!」がかかったそうです(よかった淋しくなくて)

子供の成長は楽しみなんですが我々が年老いていくのは悲しみですね。近くに熟年離婚をされた方がいまして男性の方が会社の前をよく通ります。「お元気にしていますか」と声をかけると「この年になって放り出されるとは思わなんだ」と淋しげです。後ろ姿がひとまわり小さくなったような気がします。男の一人暮らしはつらそうです。

よその話ばかりしてはおれません。今朝、ポチと喧嘩をしました(一方的にポチからの攻撃)ポチ曰く「バスの中のガイドもどきがマンネリ化してきておもろない!工夫が足らん」と言うのです。「ほんならポチがしたらエエ!」「出来んこと言うな」と出勤前の出来事で、後味が悪い一日でした。ポチの言う通りマンネリ化しているかも知れません。しかし共同生活をするポチから、そんな言葉は聞きたくありませんでした。強がりに見えても、とても傷ついてしまいました。

熟年離婚はよそ様の話ではなくて、もっと身近な問題かも知れません。お昼に零ちっちの顔を見なかったら夕食後に喧嘩の続きをしていたと思います。


[956] 【975回 ウオークでの出会い】 2006-02-13 (Mon)

300人近い参加者の中で(noix)木の実さん、サイコロさん(昨日はご挨拶できずですみません)、沢山の方との出会いがウオークでの楽しみです。そんな中であれ?知ってる人だと思うのだけど?違うかなあと思いながら歩いていました。どうしても気になって信号待ちでひょんなことで思い出しました。そうだ!昔私がジャズダンス習いに行ってた時!(効果の無いことすなってか?)同じレッスンを受けていた人だとわかりました。

「あのーっ間違ったらゴメンナサイね。もしかして此花区の方ですか?」「そうです」「ひょっとして○○ジャズダンス教室に通っていませんでしたか?」「通ってました」ということでお名前は存じ上げませんが同じ区民であることがわかりました。あ〜あスッキリしました。

サイコロさんも四天王寺で自己紹介していただいたのですが、昨日はわかりませんでした。今度お会いしたら、ぜひねしばらく一緒にくっついて歩こうと思います。
リュックサックの写真見ました。私のリュックもありました。ポチのリュックも見つけました。「このリュックだ〜れ」クイズしたら楽しいでしょうねえ。それにしてもすごい量のリュックサックですこと!(6×30 )

昨日歩いている途中、田圃の近くで異様に犬が吠えていました。どうしたのかと覗いてみますと男性の参加者が立ちション(立ちションやから男やろ!)をしていました。昨日のコーストイレ沢山あったよ〜ワンちゃんごめんねっ!

昨日の私の持ち場は「中間スタッフ」でしたがスノーシューのお誘いでゴールまで到着したという感じです。出発までに50人の参加者が集まりますように!

昨日の様子は「ウオークレポート」のコーナーに書き込み完了いたしました。


[955] 【974回 へんてこりんのドライブ】 2006-02-10 (Fri)

「へんてこりんのドライブ」

高速道路での出来事です。追い越し車線が、はるか彼方まで空いています。走行車線はなぜか制限速度を、どの車も守っています。う〜ん!今が追い越しのチャンスかと「アクセル加速せよ」と脳からの指令が飛びます。

いやいや待てよ。むか〜し、教習所で習ったとき、「前の車がブレーキを踏んだら踏む、前の車が大きく車線をはみ出し落下物を除けたような時は、同じ行動をする」とチェンジは生卵だと指導して下さった教官(故人)の言葉を思い出し、トロトロと前の車とおなじように80キロで走行しました。

次の瞬間、かなりの速度で追い越し車線を通過した車の後を赤いライトがクルクルと回り始めました。そうなんや〜!前にはパトカーが!しかも3台も連なって! 私も、もう少しで同じ目に遭うところでした。(決して加速違反をしようと言うのではなく追い越し車線が空いていて、走行車線が詰まっていたら誰でも考えることなんですハイ)

クラウンの大きな車を運転していて普段より慎重になっていたおかげで難をのがれることができました。地域の交通安全に携わっている手前、違反はご法度なんです。1台は違反車の処置で遅れましたが残りの2台は私とならんで仲良く島屋出口までご一緒しました。

★ ウオークの時でもそうなんですが、前の人を追い越そうなんて思わないで流れに沿って歩いて頂けると安全に楽しく歩けますよ。どうしても追い越しを掛けるときは「お先に」なんてさわやかに一声かけて追い越していただくと、とてもすがすがしい気分になるのですけどね。

大阪全体のイベントウオークで先頭を歩いていた参加者がウオークの途中でトイレへ行き、用を済ませると平然と元の場所に割り込み歩いていました。連れがいるならともかく「ここはワシの場所だぞ」と言わんばかり・・・もうイヤ!
             


[954] 【973回 初午】 2006-02-10 (Fri)

2月10日は初午ですね。会社には、お稲荷様を祭っているので今日は屋上に上がり「二礼二拍手一礼」をして社業発展を祈ってきました。(但しわたし一人だけで)
屋上からの景色は寒々とし、冷え込んだ景気回復には、まだまだ遠い気が致しました。地元の商店街の活気を取り戻さないと此花の町はよくなりません。パチンコ屋ばかりの商店街ではどうもね・・・・・

●初午(はつうま)
一般に稲荷の祭日として知られる初午。旧暦二月の最初の午の日を言い、京都深草の伏見稲荷をはじめ大阪の玉造、愛知県の豊川稲荷、また神戸の摩耶参など、各地の稲荷神社で盛大に祭がとり行われます。

稲荷神の信仰は、農耕を司る倉稲魂神(うがのみたまのかみ〜宇迦之御霊神とも表記)を祀って五穀豊穣や福徳を祈願するものですが、キツネを稲荷神の使いとして油揚げを供えたり、初午団子などを作る風習もあります。江戸時代には最も盛んな信仰となり、俗に数が多くて目につくものを『伊勢屋稲荷と犬の糞』などと皮肉ったりしました(資料より抜粋)


[953] 【972回 おひなさま】 2006-02-07 (Tue)

私の幼少時代には貧しくて「お雛様」なんて雲の上の話。お雛様を飾っている家も自慢じゃないけど一軒もありませんでした。(と言うか、お雛様を持っている子とは遊ばなかったのかも知れません)だから羨ましいとも思ったことはありませんでした。

しかしこの年になって、無性にお雛様を飾りたい衝動にかりたてられます。次男の娘の「ももちゃん」が3月に初節句と満1歳のお誕生日を迎えるのを良いことに、喜び勇んでお雛様を買いに行きました。「人形は顔が大事」と見てきたような講談師のような口調でお雛様を選びます。そんな私に息子が「おかんは、ももを見てて。決まったら教えるから」ふうんそれって金は出しても口出すなちゅうことかいなぁと思いながらも間近で見るひな壇に心が弾みます。♪あかりをつけましょぼんぼりに〜♪と、ももちゃんと歌っていると「おかん決まったでー」そんなわけで昨日お雛様が到着しました。

息子の家に行くとぼんぼりに灯りがともり華やいで見えます。ももちゃんが「抱っこ」をせがみかわいい手でお雛様を指さします。ひな壇の近くへ連れて行けという合図らしいです。組み立てる間に、かんだり、なめたりするので叱られて、手の届かない処へ飾られてしまったらしいです。ババ様が来ると少しだけ触らせてやるので味をしめたらしいです。

「3月4日か5日に実家の親も呼んで初節句をしたいのですが都合はどうですか」って聞かれて「あかん、あかん、おひな祭りは3月3日までにしないとお嫁に行き遅れるらしいよ」と言うと慌てて予定変更してくれました。2月26日、大歩協の総会ウオーク終了後 ということでき〜ま〜り〜。

(ここだけの話)
3月4日は雪山登山に行くからなの・・・ももちゃんのママに内緒ね。
             


[952] 【971回 バレンタインについて そのU】 2006-02-06 (Mon)

「どうしてチョコレートをあげるの?」
実は女性が男性にチョコレートを贈るのは日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束などを贈ります。ではチョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールでチョコレート業者が行ったキャンペーンがはじまりだそうです。今ではチョコレートと言えばバレンタインデーの象徴のようになっています。自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝えたバレンタイン。バレンタインデーの時は、そんな彼のことを思い出してください。

「バレンタイン・カードの始まりは?」
バレンタインは、獄中でも恐れず看守たちに引き続き神の愛を語り始めました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がいてバレンタインと親しくなりました。そして バレンタインが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきつかけとなり、バレンタインは処刑されてしまうのですが死ぬ前に「あなたのバレンタインより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。
そのうち若い男性が自分の好きな女性に愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになりこれが次第に広まっていきました。現存する最古のものは1400年代にロンドン搭に幽門されていたフランスの詩人が妻に掻いたもので、大英博物館に保存されているそうです。現在アメリカではクリスマスカードの次に多く交換されているといいます。

注釈)ローマ読みではバレンチノ英語読みではバレンタイン


おまけの話「ホワイトデーの由来」
ホワイトデーもどうやら、日本独自のイベントのようです。日本では1ケ月後の3月14日をホワイトデーと呼び、この日に主に男性から女性へ返礼のプレゼントをする習慣になりました。代表的な贈り物はクッキーですがバレンタインデーのチョコトほど画一的ではないようです。また近年では4月14日をオレンジデーと呼び、恋人同士でオレンジを贈りあい、愛情の確認をする習慣も生み出されているようですが、まだ一般的ではないようです。
「ホワイトは純潔のシンボル。ティーンのさわやかな愛にぴったりとの考えのもとに「ホワイトデー」と名付けたそうですまたホワイトデーを3月14日に定めたのは、3世紀のローマで恋愛結婚の禁止令に触れた若い男女がバレンタインに救われ、新婦が順境した1ケ月後のこの日に、男女は永遠の愛を誓いあったことに由来しています。


[951] 【970回 バレンタインについて そのT】 2006-02-05 (Sun)

「バレンタインって何のこと?」
バレンタインデーは英語を訳せば「「聖バレンタインの日」という意味です。つまりバレンタインというのは人の名前なのです。どんな人だったかというと、西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世は若者達が、なかなか戦争に出たがらないので手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者達と離れたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまいました。

ところがインテラムナ(イタリア中部にある現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチタインは、かわいそうな兵士達をみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝はバレンタインに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたがバレンタインはそれを拒否したがために投獄され、ついには西暦270年2月14日に処刑されてしまったのです。

「バレンタインデーはどのようにしてはじまった?」
ローマではルペルクスという豊穣の神のためにルペルカーリアという祭りが何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると若い未婚の女性達の名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭りが始まる15日には男性達が、その紙を引いて、あたった娘と祭りの間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になるとまた同じようにクジを引きます。496年になって、若者達の風紀の乱れを憂えた当時のゲラシウス一世はルペルカーリア祭を禁じました。かわりに違ったくじ引を始めました。それは女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするよう励ますものです。

そして200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンタインを、新しい行事の守護聖人としたのです。この日に恋人達が贈り物やカードを交換するようになってきました

(あすにつづく)


[950] 【969回 今日は節分。貴方は豆まき派それとも恵方巻き派?】 2006-02-03 (Fri)

今日は節分です。今日を過ぎると「おひなさま」を飾ってもいいそうです。ももちゃんのおひなさまも、もうすぐ到着です。
さて豆まきの仕方については「963回」の書き込みを参照してくださいね。

昨日それぞれの孫の家に行き、差し入れの中に豆まきの豆と鬼の面を持っていきました。生後9ケ月のももちゃんは恐れることなく鬼のお面をクチャクチャにして食べようとしています。一方、1歳と7ケ月の零くんは鬼の面を見つけ涙目になってしまいました。あわてて裏返しましたが鬼の顔は1歳7ケ月過ぎると恐いのですね。

「鬼のお面より恐い物があるよ。ほ〜ら」と純ママが目玉のイラスト入りのアイマスクをかけると、またまた泣いてしまいました。なんだか私が泣かせたみたいで後味の悪いこと・・・東北地方に伝わる「悪い子はおらんか〜」と鬼に扮した大人達がと子供の家を廻る豆まきの風習で今夜も多くの子供達が泣き叫ぶのでしょう。

どうぞ、このコーナーを訪れて下さる皆様には災いが降り掛かりませんように!!


[949] 【968回 余呉湖のワカサギ釣り】 2006-02-03 (Fri)

余呉湖ってどこにあるんやろぅと地図を見ました。だいたいはわかっていても「ガイドもどき
としては再確認です。滋賀県北部の小さな湖です。ここはワカサギ釣りで有名なところで連日大勢の人でにぎわっているそうです。湖面にズラリと釣竿が突き出た光景は冬の風物詩となっています。山に囲まれた街には1メートルを超える積雪で白一色となっているのですが湖面だけは熱気があふれています。

寒くて水温の低いほうがよく釣れるといわれ、1日に200〜300匹も釣る人がいるといいます。糸を垂らした途端に食いつき、釣り人たちは携帯コンロや鍋を持参し釣りたてのワカサギをてんぷらにして雪が舞う中でアツアツをほおばるのだそうです(う〜ん美味しそう!)

過疎化と高齢化に悩む余呉町にとってワカサギは貴重な観光資源だともいえます。1メートルも積雪があれば、ひよっとしてスノーシューを履いて湖を一周し、あわよくば「一匹いかが?」なんてワカサギの天ぷらもいただけたりして(ハハハ)

残念なことに、ここはレンタルの施設がなくマイスノーシューの人しか利用できないのですわ


[948] 【967回 新型インフルエンザ】 2006-02-03 (Fri)

我が社のインフルエンザ流行はやっと下火になりつつあります。新型インフルエンザは鳥インフルエンザで人間には感染しにくいと言われて来ましたがここに来て「突然変異」で感染することがわかったそうです。新しいワクチンの製造が間に合わない間にどんどん感染者が広まっていって行きます。救世主として使われるのが「タミフル」という薬だそうです(薬名間違っていたら知ってる人訂正して教えてね)
しかしこの「タミフル」も不足状態なので国で保蓄していかないといけない様です。

現在のインフルエンザを1〜6で表すと現在は「3」だそうです。
「4」になると入院、家族も外出禁止、出勤停止となります
「5」になると集団感染、臨時休業が告げられるそうです
「6」になるとスペイン風邪状態となり、非常事態宣言となり、死に至ることもあります日本にいるとインフルエンザにかかるので海外へ脱出しようという人が出てきても、国外脱出も自粛処置がとられる事となります。

では対策はというと
●うがい、手洗い(かならず石鹸使用)
●マスクを使用して保湿を保つ
●充分な睡眠、休養をとる
●外出を自粛する

インフルエンザ対策は「治療」ではなくて「予防」することが大切です。いま風邪にかかって苦しんでいる方には心よりお見舞い申し上げます
             


[947] 【966回 アエちゃんの入院】 2006-02-02 (Thu)

大歩協の会員さんで我々ウオーカーの仲間の「アエちゃん」が転倒して背骨を圧迫骨折したと聞き病院に行って来ました。またこの病院がやけに大きくて病室にたどり着くのに院内で20分迷いました。1/25頃に連絡を頂いたと思うのですが孫の大ちゃんを幼稚園に送っていった先でのことらしいです。ご主人の運転する車の行く先に自転車が1台邪魔をしており、それをアエちゃんが移動する時、足もとのブロックに、ひっかかり転倒し起き上がることもできず救急車となったらしいです。

昨日は、すでに歩行訓練に入っており、「しばらくウオークは無理ですね」と寂しげに笑うアエちゃんですが、「歩きたい」という希望がある限り早い回復ではないかと安堵しています。アエちゃんをご存じの方、そんなわけでしばらくウオークには参加できませんが再会を楽しみに待っててあげてください。家族の方達も「主婦不在」の大変さを学び、さらに家族愛が深まるのではないでしょうか。

アエちゃんの病室は何故か「小児病棟」で入り口のドアがなかなか開きません。看護師さんが出てきて、「子供達が病室から出て行かないように仕掛けがしてあります。ここをこうして、ああして下さい」なるほど。なるほど。面会の子供達も雑菌を病室に持ち込むことが懸念されるので入室禁止となっています。小さな子供の入院生活は痛ましく、「早くよくなってね」と祈らずにはおれませんでした。

そんなわけで、しばらくアエちゃんは静養タイムに入っていることをお知らせ致しました


[946] 【965回 noix(木の実)さんから届いた「四万十川」の写真】 2006-02-01 (Wed)

私の故郷が四万十だと覚えていて下さってnoix(木の実)さんが四万十を旅行した写真を送っていただきました。心よりお礼申し上げます。
思い起こせば2001年8月に「御嶽山登山」を特別例会として企画しているにもかかわらず「四万十川にいこう」と提案すると何とOKが出たのであります。4月と8月に特別例会とは異例の行事でした。源流から河口までの196キロメートルをバスとウオークで行くこととなりました。中型バス4台で参加者数108人、往路のフェリーの中でトラブルがあったものの、「最後の清流」に会いたくて、会いたくて全員興奮状態でした。

noix(木の実)さんの送って下さった写真は「佐田の沈下橋」だと思うのですが、空の青、水の蒼の違いがよくわかります。いつも夏場に帰郷するので春先の風景はとても新鮮です。まだこのころは私のガイドもどきもヒヨコ状態で、しどろもどろであったように記憶しています(今もあんまり変わらんわぃ) 。マイコップをさげて108人で源流の水を飲んだこと、勝間の沈下橋で恩師が出迎えてくれたこと、従兄弟が「土佐文旦」をウオーカーの皆さんにプレゼントしてくれた事、宴会では異様な盛り上がりで終わりが無かったこと、ホテルを借り切ってはいるものの部屋が足りずにポチとジョンと私で宴会場の舞台の上に蒲団を敷き寝たこと、朝は配膳のカチャカチャと茶碗の音で目が覚めた事などがなつかしく思い出されました。

この旅行に病魔と闘う義兄の一刀水を連れて行き、「最後の晩餐」だということで中村にいる従兄弟達全部を呼んで一緒に食事をしました。結局その通りとなりましたが・・・

忘れてはならないのが「幻の栗焼酎」との出会いです。平成13年3月に注文をし、17年の7月に蔵出し、4万十時間熟成させ、それを美味しくいただいたのが「石鎚山登山」での栗焼酎だったのです。そして再び平成17年の納会で西田郁男さんに栗焼酎の寄付をしていただきました。平成21年には、いずこの宴会場で乾杯ができるのやらと夢を大きく持っています。夏に栗焼酎に会いに行ってきます。

四万十にちなんで4月10日付近の日曜日(今年は4/8と4/9)四万十川ウオークが開催されます


[945] 【964回 くろねこさんに負けず姪たちと雪遊び】 2006-01-31 (Tue)

くろねこかあさんの「ウオーカー広場」楽しく読ませて頂きました。じつは私もね、一刀水の孫達を連れてソリ遊びに行きました。ほんと、くろねこかあさんの言うとおり豪雪地方の皆様には申し訳ない気がしますが、せっかく買ったマイスノーシュー、毎年使うことを条件にしてたのにと少しさびしかったんです。

智ちゃんと 晟くんと、やっくんとそのファミリーでスキー場がはるか向こうに見える場所で子供達はソリ遊び、大人達はスノーシューを楽しみました。到着するまでは「えらい出費やなぁ」と心の中でぼやいていましたが子供達の歓声を聞くと、幼い頃から毎年、朽木村にでかけて、雪遊びと雪中おでんと天狗温泉が我々ファミリーの伝統行事だったことを思い出しました。いつかお話したかもしれませんが「山女魚」の焼きを串だけにして頭も骨もぜ〜んぶ食べたのは、この晟くんだったんです。

眠っているはずの木立に虫眼鏡をあてると春を待つ小さな芽が動物の形をしていました。「あっウサギのうんこ」その先にはピョンピョンと跳ねたであろう野兎の足跡が無限に続いていました。滅多に人間の前に姿を現さないと言う野兎が目の前を走ります。幸運と感動で声も出ません。凍てついた水面には「てん」の足跡がてんてんと続きます(シャレかいなぁ)

スノーシューをはいて、ソリを背負って山の中に入ります。時々、ドサッドサッと杉の枝から雪が落ちてきます。キャー!(大きな声出すと表層雪崩が起きるよ!)そんなことはおかまいなしに子供みたいにはしゃいでしまいました。下りは勿論ソリで下りるのです。どいてーっ!危ないよー!危険よーっ!と叫ぶうちに自分自身が危険にさらされてドッスーン!右足と左足の間に大きな木の幹を挟んだときは(想像しちゃイヤよ)、もう一巻の終わりかと思いましたがハチキン美智子は逆風に強く、何とか打撲する寸前に惨事から免れました。(ほんまやでー!打撲してへんからな!)

そんな素敵な雪山なのにスキー場からは大きな音で音楽が流れてきます。森の動物たちの身になると、あの音楽は無用のものに思えてなりません。くろねこさんが書いておられました「ダイヤモンドの輝き」私も体感しました。枝についた雪ん子が太陽とジャンケンをして負け水滴となり木の枝から落ちるとき「じゃあね」と神秘的な輝きを放ちます。その輝きがダイヤモンドの様にキラリと光ります。

子供達が作った「雪だるま」は現代的で朽木村で作った雪ダルマとは少し違っていましたが、せっかくなので、とりあえず記念写真を撮りました。帰りは待ちに待った温泉入浴です。幼かった智ちゃんも少女の体つきになっていました。二人の姪が私の背中を流してくれるといいます。妹の方が「おばちゃんの背中は面積が広いなあ」とクスッと笑います。姉の方は「あんたは右、私は左」と姉妹の間で話が出来ており、背骨を中心に二人の姪に背中を流してもらいました。「寝込んだら私が面倒見たるわ」と看護師の姪がいいます。しかし続きがありました「しゃあけどトシのおっちゃんは嫌やでー」

(誰か「ポチのおっちゃん」と聞き間違えていましたが姪達はポチを「トシのおっちゃんと」呼んでいます)


[944] 【963回 節分の豆まきについて】 2006-01-30 (Mon)

「鬼は外」「福は内」
もうすぐ節分です。鬼を追い出すのになぜ豆をまくのでしょうか。それは災いを鬼に見立てて「魔の目をつぶす」ことから「魔の目」→「魔目」→「豆」となり豆を鬼になげつけて災いを払うという習慣に至っています。

今年の恵方は「南南東」生の豆をまくと、家の中で拾いきれない豆が芽を出し、災いが芽を出すということから豆まきには、かならず煎った豆を使ってください。そして家族全員が揃って豆まきをしましょう。一人でも欠けると欠けた人に災いがかかると言われています。

豆のまき方は家の窓という窓を全部開放してから行います。外に出て「鬼は外」と2回言った後、すぐ家に入りすばやく玄関を閉めてください。災いがついてこないためです。そして家の中で「福はうち」を2回言って、年の数だけ豆を拾い食べると、その年は災いから逃れることができるそうです。

節分の巻きずしは「海苔業界」が不況から脱出するために考案したものです。食べ方は恵方の方角を向き、目を閉じて、食べ終わるまでは喋ってはいけません。「水をくれ〜」とか「あ〜食べ切れない」とか独り言もダメです。

さあ古式にのっとり豆まきを楽しみましょう。加齢の方は年の数だけ食べ過ぎてお腹を壊さないでくださいね。


[943] 【962回 みんな病気と闘い勝ったんやなぁ】 2006-01-30 (Mon)

「第5第6頚椎化膿性椎体椎間板炎」これはサスケ先生の病名、「脊椎管狭窄症」これは、みのもんたさんとn-24さんの病名。ポチは「大動脈弁閉鎖不全症と網膜はく離とetc」、それから忠太郎さんの病名、正式には知りませんが大変な手術だったと聞きます。サスケ先生の病室に伺った日の夜、今だからお話しますがまんじりもせず朝を迎えました。こわかったんです。とても。

でも今はサスケ先生も、n-24さんも、ポチも忠太郎さんも元気にウオークに参加されています。生きてるって素晴らしいね。幸せだね。泣いたり、怒ったり、腹の立つことも多いけど、くろねこさんの癒しの書き込み読んだら涙が出てきました。サスケ先生がベットにロープをかけて必死に起き上がろうとしていたことを思い出しました。

いまが青春!(65歳までは青春と言う。その証拠に青春キップで電車乗れるもんなぁ)。私は幼いときに両親に早く死に別れ、姉と二人で経済的に苦労しましたが、「親のある子に負けてなるものか」という高知の女独特の「ハチキン魂」がいまの幸せを運んでくれました。素敵なウオークがあればお誘いください。キラキラと輝く雪景色、私も見てみたいよ〜!!


[942] 【961回 首はたてに振るためにある】 2006-01-27 (Fri)

首は横に振るためにあるのではなく縦に振るためにあるって知ってましたか?へぇボタンがあれば連続で押していたい気持ちがします。ちょうど零ちっちが自分の意思に反することは首を横に振ることを覚えています。そう「イヤイヤ」のしぐさです。

「定年リハビリ講座」という文字に興味をひかれて読んでみました。ポチが11月に定年を迎え「熟年離婚」を回避するために「役割を持たせる」「仲間・友人を作る」「感動ある生活を自分で探す」会社のことしか知らない人間からの脱皮を、どううまくさせるか頭が痛いです。定年までの労働時間と定年後の自由時間は、約10万時間とほぼ同じだそうです(へぇボタン押中)

収入が途絶えるのが、まず大きな問題ですが、これはいずれやって来るであろうと想定して年金をかけているのですから、例えわずかでも「年金生活者」としてリズムよく生きていかなければなりません。(ライブドアの株なんか買ってる場合ちゃうでー!こんなに身近にいるとは想定外でした トホホ )

将来的に住みたい街を「都心」「郊外」「田舎」に分けた場合4にんに1人が「都心」と答えたそうです。
女性の都心志向は29%
男性の都心志向は20%
男性の田舎暮らし志向は27%
女性の田舎暮らし志向は16%
定年後、夫婦のんびり田舎暮らしと思うのは男性の幻想でしょうか。ここからも「熟年離婚」の芽が伸びてきそうです。田舎暮らしが悪いといってるのではありません。
加齢になると病院だのデイサービスだのと都会に住んでいる方が何かと迷惑をかけずにくらしていけます。ウオーカーの皆様!どうぞお出かけの際には「ポチ」という番犬を連れてお出かけ下さいませんか。ペットには向かず、かと言ってドロポーよけにもなりませんが気分がムシャクシャするときはシッポでも踏むと元気回復しますよ〜

(へぇ〜)

陰の声)いままで長い間、散々我慢してきたのに、いまさら熟年離婚して夫の生命保険パァにするのはアホらしい。愛とか恋とかではなくて妻に対する慰謝料みたいなもんですわ(へぇ〜)


[941] 【960回 脊椎管狭窄症】 2006-01-26 (Thu)

脊椎管狭窄症(せきついかんきょうさくしょう)この病気は「みのもんた」さんが、耐えて、耐えて、耐え抜いていたのですが、もうどうしょうもない痛みに耐えかねて手術をされた病気です。
手術の後、腰の痛みがなくなってうれしさに男泣きしたと言います。そう言えば番組中、どれを見てもひじを机に寄りかかっていたように今になって思いますね。

この病気は中高年の方には身近な病気で、日常生活にも支障をきたします。背骨から足にかけてのシビレはありませんか? 下記項目に該当する方は座骨神経痛かも知れません。
医師の診察を受けて下さい

(  )長時間立っていると歩けなくなり、しゃがむと楽になる
(  )5分位で歩けなくなり、自転車だと楽に行動できる
(  )よく、つまづいたり、スリッパが抜ける
(  )買い物に行き、カゴを持つのがつらいので、すぐカートを利用する
(  )仰向けで膝を伸ばして眠れない

さて皆様は何項目○がつきましたか。腰椎の老化現象で脊椎管狭窄症になるそうです。しかしこれに適格な予防法は見あたらず自分の病気を知ることが大事だといいます。
(軽症)何分歩いても平気で30分歩ける(ウオーカーの皆様は全員合格ですね)
(重症)安静にしていても痛い。
(危険)スリッパが抜ける。排尿が困難
●無意識に腰をひねる運動はしてはいけません
●体重が増えると腰にかかる負担が大きく注意が必要
●背もたれのある椅子に座る。
●寝るときは仰向けに寝る(膝下にザブトンをおくと効果的)
●あおむけが辛いときはエビの姿勢のようにまあるくなって寝るのも効果的


[940] 【959回 みかんの花咲く丘】 2006-01-25 (Wed)

  「みかんの花咲く丘」
作詞 加藤省吾、作曲 海沼実 歌 川田正子

♪みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える 青い海 お船が遠く かすんでる

♪♪ 黒い煙を はきながら お船は どこへ行くのでしょう波に揺られて 島のかげ 汽笛がぼうと鳴りました
 
♪♪♪何時か来た丘 母さんと 一緒にながめた あの島よ今日も一人で 見ていると やさしい母さん思われる

澄んだ声でこの歌を歌っていた、歌手の川田正子さんが死去されました。

この歌の生い立ちについては、次のようなおもしろいエピソードが語り継がれています。
作曲家・海沼実さんは、「静岡にふさわしい童謡を作ってほしい」という突然の依頼をうけました。ところが、長野県出身の海沼実さんは、なかなかイメージが浮かばなかったそうです。そこへ、たまたま雑誌記者・加藤省吾さんが取材に訪れました。加藤省吾は静岡県出身で『かわいい魚屋さん』の作詞者でもあり、作詞を依頼したところ、短時間でできあがったそうです。その詩をもって放送局に向かう列車の中で海沼は一気に作曲したそうです。

ヴェルディのオペラ『椿姫』の一節から着想を得てこのメロディーを生み出したともいわれています。放送終了後、この歌は大反響を呼びました。初夏の素朴な情景を表現した詩のイメージと、 のびやかな8分の6拍子のリズムにのった親しみやすい旋律とが、 童謡歌手・川田正子の澄んだ歌声に見事に溶け合って、敗戦に打ちひしがれた人々の耳に、心に、忘れがたい印象を刻み込んだのだろう。 重苦しい時間から解き放たれたあとの自然と人間とのみずみずしいふれあいを、人々はこの歌を通して満喫できたのかも知れませんね。

ところで「みかんの花」っていつ咲くのでしょうか?都会に住んでいるいると花で季節を感じるのはむずかしいですね。そうだサスケっちの庭には実のなる木が沢山植えてあるらしいです。うららちゃん!みかんの花が咲いたら教えてね。資料によると初夏って書いてあるんですが何月頃なのかサッパリわかりません。


[939] 【958回 便利なおんぶ紐】 2006-01-24 (Tue)

寒い日の夕方、ママチャリに乗っけた「ももちゃん」が我が家にきました。温かい時はまだしも寒かろうと抱きしめたが大人の思うほど寒くはなさそうです。ママチャリの前には風よけのフードもついているし防寒も万全だし・・とももちゃんのママは説明してくれました

帰りはババ様がおんぶ紐をだしてももちゃんをおんぶして自宅まで送っていきました。おんぶ紐の長所は
●背中の赤ん坊が大人と同じ目線になること
●ババさまが転倒しても背中の方が安全
●何よりもぬくもりが伝わる

ほどよい振動とババ様の肉布団のクッションが心地よいのか自宅につくまでに背中で眠ってしまいました。昔々、ポチの母上様が私の息子をおんぶして市場にいつも出かけてくれました。「ネンネコ」から足が出るほどに成長すれば「ネンネコ」を自分で仕立て直し(姑は和裁のプロ)まだおぶってくれました。背中のぬくもりは生涯わすれないと思います。


[938] 【957回 コウノトリ大空のウオーク】 2006-01-24 (Tue)

出石そばで有名な兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷公園で昨年の9月に放鳥されたコウノトリのうちの一羽が京都・宮津へ行き、さらに福井県高浜町から宝塚市、神戸市などを経て再び宮津に舞い降りました。4日間をかけて日本海や市街地を飛び延べ350キロの大飛行を経験したそうです

「野生に匹敵する飛行能力で合格点を与えたい」と関係者は語っています。大阪府歩け歩け協会も「完歩証」を12月10日バスウオークの時に持参したいと考えます(ほんまに持っていく気やで・・・笑)

大空に舞うコウノトリが見られるのでしょうかねぇ。


[937] 【956回 小学生のお年玉の集計はいくら?】 2006-01-22 (Sun)

今年のお正月に小学生がもらったお年玉の平均は2万4千5百27円だと小学館の調査でわかったと報じておりました。「景気回復と少子化で一人当たりの額がふえているそうです。

使い道はとアンケートで尋ねると
●ゲームソフトを買う(33.6%)
●すべて貯金(33.1%)
●本を買う(28.7%)
●すべて家の人に預ける(28.2%)
●使い道が無い(1.8%)

私は親類の子供たちへのお年玉を渡す基準を決めています。
●小学生低学年は「本」「かるた」「トランプ」の現金以外
●小学高学年は3000円
●中学生は5000円
●大学生は1万円
とかなりの出費ですが、まあ息子達が大きくなるまでずーっともらっていたので、その分のお返しでしょうか。お正月、お客様を招きたくても、うかつに声をかけられません。こちらに子供がいる場合はお年玉の気苦労をさせることになります。ポチの父上が11月に死亡した年は「喪中」をいいことに徳島で3泊4日したことがあります。まだ孫も生まれていなかつたので自由の身で、あの年はらくちんでしたよ。


[936] 【955回 志村動物園のパン君とジェームス君】 2006-01-21 (Sat)

私は「志村動物園」のパン君(猿)とジェームス君(犬)の大ファンで、いつも感動の涙を流しています。子供さん用のガイドもどきでこの話をして、こちらに集中させることが出来るかどうか腕を磨きたいと思います(たいそうな・・・)

●パン君とジェームス君は旅館のお手伝いをすることになりました。お部屋の掃除をしたりお布団をたたんだりと、とてもおりこうさんです。旅館のお姉さんが「麩」を2袋買ってきてとパン君に2千円を渡しました。お店で困らないように「見本の麩」をカバンに入れてくれました。

パン君とジェームス君は元気よくお使いに出かけます。途中で温泉饅頭のおいしそうな湯気をみつけ寄り道をしましたが、すぐに、またおつかいの道に戻りテクテクとお店に到着です。お店の陳列には「麩」が4〜5種類ありパン君は困ってしまいました。すると旅館のお姉さんにもらった「見本の麩」を思い出してカバンから取り出して同じ品物を見事に探して1600円支払いました。

パン君はお店の外で待っているジェームス君にも「麩」を持たせるために背中のカバンに1袋いれて仲良く帰ることになりました。おつかいの帰り道に「犬専用の温泉」をみつけました。そこには気持ちよく温泉に入っている別の犬が、もうそろそろお湯からでるところです。それを見ていたパン君
はこの温泉にジェームス君をいれることにしました。でもジェームス君はお風呂が大嫌いなんです。「入れよ〜」「やだよ〜」そんなやりとりが多分あって、賢いパン君はお風呂の反対側にまわりジェームス君をお湯の中に引っ張り込もうとします。湯舟をはさんでパン君とジェームス君の綱引きがはじまりましたがジェームス君が負けてしまって温泉の中にチャポーンと入ってしまいました。おいおい背中に「麩」がはいってるよ!思わず画面に向かって叫んでしまいました。またご丁寧に湯桶にお湯を汲み背中にたっぷりとお湯をかけています。「どう気持ちいいだろう?」「まあね」こんな会話ではなかったかと思います。

ハッと気が付きました。大変だ〜ジェームス君の背中には「麩」が乗っかっていたんだと気が付きバックから取り出してみたら、水を含んだ「麩」は2倍にふくらんでいました。どうしょう・・・とうなだれるパン君とジェームス君であります。仕方ないからトボトボと旅館に帰り着きました。するとお姉さんが待っていてくれてジェームス君のふくれあがった「麩」とパン君が持ち帰った無事の「麩」を見てお姉さんはこう言いました。

「ありがとう。今日は、この一袋があるから大丈夫よ。おりこうさんでした。ありがとう」
             


[935] 【954回 雪山に黄色いじゅうたんだって】 2006-01-20 (Fri)

滋賀県守山市の琵琶湖岸にある第一なぎさ公園では、約1万2千本の「カンザキハナナ」が見ごろを迎えているそうです。寒さに強い菜の花で、真っ白な雪に覆われた比良山系を背景に、黄色いじゅうたんのように咲き誇り、訪れた人達を、一足早い春の気分でたのしませているそうです。守山市は「冬でも花のある町づくり」を推進しており、委託を受けたシルバー人材センターの人達が、昨秋に種を蒔き育ててきたそうです。菜の花と雪山の風景は2月ごろまで楽しめるそうです。

菜の花は4月頃かというイメージだったんですが出かけてみたくなりますね。もう春がすぐそこまで来ているのでしょうか。雪遊びもしたいし、春も待ち遠しいしと言った今日この頃です。


[934] 【953回 消防署の出初め式】 2006-01-18 (Wed)

今日は消防署の出初め式。月曜、火曜のポカポカ陽気が水曜日まで続いてくれることを祈っていました。しかし思い通りにはいかず今日は寒波が戻ってきてしまいました。
当社からも自衛消防隊を編成してパレードに参加します。私は引率なので、我慢のできる寒さですが隊員達はグラウンドの寒風吹き荒れる中でのパレードとなので震えていることと思います(ごくろうさま)

招待をうけた此花区の多くの園児達はテントの中で、膝小僧を毛布にくるめて消防自動車のパレードをよろこんで見ている様子です。ミニ消防車の中には「れんげ保育園」の園児が格好良く乗っています。「○○ちゃ〜ん!」同じ保育所の園児達から声援の声が飛び交います。

我が社の自衛消防旗には表彰リボンが輝いています。
自衛消防隊の数多い中で「消火活動」を実施して表彰をしてもらったのは此花区では我が社だけです。風に吹かれて誇らしげになびいています。

昭和45年12月工場の裏の民家から出火しました。発見が早かったこともあり、消防車到着の前に我が社の社員達が工場の屋根の上にのぼりバケツリレーをして消し止めましたあの時の感動は忘れません。私もバケツリレーの一員だったんですよ。(22歳のピチピチギャルだった)
今ほどに化学的な建築素材も使われていませんでしたので有毒ガスなど吸うこともなく消火活動をすることができました。後日、消防署からの感謝状を貰ったときの事を自衛消防隊員に話をすることができました。会社の歴史は古い者が新しい者へ伝達をしていく義務があると私は思っています。「それがなんぼのもんじゃ?」中にはそのように言う者もいるかもしれませんが、とにかく定年までに時間がありません。

式典では、震える自衛消防隊員を横目に長々とお偉い方達のご挨拶があり、やっと放水式がはじまりました。どよめいていた園児達の声が歓声に切り替わりました。消防局のヘリコプターのセレモニーが終わり水色、赤色、黄色、紫色、みどり色の5色の放水が大空を彩ります。園児達はこれを楽しみに参加しているのですね。もっと長時間できればいいね。あっと言う間に終わりました。

そうそう、「君が代」ってすぐ口ずさめますか?式典の中で「国歌斉唱」ってくだりがあったのですが半分くらいの方達がだまっていました。知ってて歌わないのか、知らないから歌わないのかわかりません。オリンピックで外国の方達が胸に手をあてて熱く国歌を斉唱しているのを聞くとジーンと心打つものがあります。

此花区から火事がゼロでありますように!!


[933] 【952回 台風・風水害対策】 2006-01-17 (Tue)

最近は都市部でも1時間に100ミリを越えるようなゲリラ的な集中豪雨による床下・床上浸水の被害が増えています。
台風、豪雨による河川や上下水道の氾濫、崖崩れや年や災害から逃れるためにも普段から気象情報をチェックし準備や対策をしておきましょう。
浸水のあるおそれのあるところは早い目に畳を机や椅子の上に上げ、濡らしたくない物はその上にのせるか押入の上段を利用します。2階のある人は2階へあげましょう。

★避難警報・避難勧告には速やかに従う
台風や豪雨などの時は戸締まり、風雨対策をし、自治体の防災情報を必ず聞き、目的もなく外へ出ないようにします。避難警報や勧告が発令されたら速やかに指示に従います。地下室がある家は浸水の危険があるので、絶対立ち入らないようにします。また海の近くの場合は津波警報(地震の場合も)が出たら速やかに高台へ避難して下さい。崖や山のそばにある家は土砂崩れの危険があるので早めの避難が重要です。

★地震保険・火災保険に加入していますか
地震保険は火災保険とセットで加入できるもので火災保険のみでは地震保険の補償が受けられません。

強 風とは風速13.9〜17.1m/s(風に向かってあるくのが困難)
大強風とは風速20.4〜24.4m/s(簡単な構造物が倒壊する)
暴 風とは風速24.5〜28.4m/s(立木が倒れ大きな被害がでる)
烈 風とは風速28.5〜32.6m/s(被害が甚大)

●防災準備品は(消火器)(消火バケツ)(スコップ・バール・のこぎり)(防水シート)
●防災持ち出し品は
(飲料水、ラジオ、食料品、マッチ、ライター、携帯コンロ、貴重品、懐中電灯、救急セット、多機能ナイフ、雨具、防寒着、新聞紙、トイレットペーパー、軍手、タオル、下着靴下、筆記用具、ポリ袋など)
●貴重品とは預金通帳、現金、印鑑、健康保険証のことを言います
●地震の大きさ
震度 3(ほとんどの人が揺れを感じ棚の食器などが音をたてる)
震度 4(かなり揺れ歩いていても揺れを感じる)
震度5弱(恐怖を感じ身を守ろうとする棚の食器や本が少し落ちる)
震度5強(行動に支障をきたし棚から多くの者が落ちる)
震度 6(たっていられない。固定している家具などが転倒。移動。塀が倒れる)
震度6強(はわないと動けない。重い家具が転倒、飛び出す)
震度 7(自分の意思で行動できない。ほとんどの家具が転倒、落下ガラスが割れ崩壊)


[932] 【951回 癒しの雪だるま】 2006-01-16 (Mon)

新潟では異常な積雪で交通マヒや雪下ろしなどで大変なご苦労をされています。何とか皆様で力を合わせて苦境を乗り切って頂きたいと見守るしかありませんが祈るような気持ちでいます。

雪と言えば、子供の頃、故郷南国高知にも1年に1度ドカ雪が降ることがあります。雪のためにバスが走らず中村市から通勤する教師の足が学校に来れずに休校となったことがあります。「♪犬は喜び庭〜駆け回る♪」ではありませんが寒さも気にせずミカン箱を探してきて堰堤の斜面を上手に利用してソリ遊びをしたものです。

遊んでいるときは夢中で手袋などしていないので、後であかぎれで泣くことになります。父親が火鉢の火箸を熱しその先にメンソレタームを溶かすようにしてあかぎれに擦り込みます(私の白魚の様な手はこのころから変形しました)

雪だるまは近所のおじさんの家から炭を黙って拝借して太くておおきな眉や目や鼻に使います。南天の実をみつけたらくちもとを赤く彩ります。

そんな昔を思い出して雪だるまを作りました。木の枝で眉を作り、目は青い葉っぱを利用します。そうそうもっと愛らしくと松葉でマツゲまでつけちゃいました。口元は南天の実が見つかりませんでしたので蛍光ペンのピンクを利用しました。お友達が雪だるまが寒そうだと、ご自分がはめていた手袋を雪だるまにはめてくれました。帽子もかぶりました。後から通過する人の反応を楽しみながら戻ってきましたが、雪だるまに頬ずりをしてくれたとか・・・魂込もっているもんねぇ。

記者が吉永小百合に質問したそうです「小百合さんあなたは何故いつまでも若々しいのですか?」すると吉永小百合は応えました。「いつまでもおてんばな心を失わないことよ」えっ私合格なのに吉永小百合と距離ありすぎる〜よっ!


[931] 【950回 知ってると便利。ぜひ試してみて】 2006-01-16 (Mon)

●結露対策
窓の結露を拭き取るとき、新聞紙を使うととても便利です。窓の表面に貼り付けたり、桟の隙間にねじこんだりするだけで、簡単に水分を吸収できます。

●魚のウロコ取り
魚の美味しい季節ですがウロコを下ろすのはなかなか大変す。そんな時にペットポトルのふたを使うと、飛び散ることもなくとても便利です

●洗濯機を除菌
水で満たした洗濯槽に100CCの酢を注ぎ、5〜6分まわして放置します。排水後すすげば、酢の抗菌、抗カビ効果で汚れがきれいにおとせます。

●冬の観葉植物
観葉植物は寒さが大のにがてです。昼間は日当たりの良い窓際に置いてても、冷え込む夜には部屋の暖かい場所に移動してあげましょう

私は母の日に嫁から「パキラ」という観葉植物をプレゼントしてもらいました。大事に育てすぎてすぐ枯らしてしまいます。そっと同じものを買ってきて何事も無かったように置いて育てていましたが、そうですねぇ・・もう3鉢は買い換えたでしょうか。聞くところによると、あまりかわいがらず水もやらず、ほどほどに育てるといいと聞きました。人間も植物も愛情の注ぎすぎはダメなんですね。


[930] 【949回 自然災害から身を守る】 2006-01-14 (Sat)

昨日は震災に遭った方のお話をしました。今日は災害から身を守る方法です。知っているとは思いますが、もう一度確認していただきたいと思います。

近年、相次いで発生した大地震や大型台風によって日本列島は大きな被害をこうむりました。特に今まで元気だった人が死亡したり負傷したりする災害は、予測がつかないだけに病気以上に心配です。これからは病気の予防と同時に災害から身を守るための備えを日頃から心がけましょう。

(地震対策シリーズ)ぐらっときた時慌てないために
● 「自宅にいた場合」
地震が発生したら、揺れの大きさに関係なくすぐに火やガスの始末をします。次に玄関や窓などを開けっ放しにして脱出口を確保します。特に中高層マンションは玄関ドアーが開かないと逃げ場を失ってしまいます。揺れが非常に大きい場合は机などの下に隠れ、ザブトンなどで頭部を守り家具の落下や転倒に注意して様子を見ます。むやみに外へ飛び出すと瓦やガラスが落ちてきて危険なので発生直後には決して戸外へ出ないで下さい。火災がおきたらOA機器は有毒ガスを発生するので近づかないようにしましょう。

●「外出先にいた場合」
★会社やビルの中にいた場合は太い柱に身を寄せて低い姿勢でカバンや衣類などで頭部を守ります。近くに机があればすぐに下に入り身を守ります。ビルの外に出る場合は揺れが収まり、安全が確認されてからにし、足もとや落下物に充分注意して行動します。

★地下にいたときは停電することもありますが、すぐに復旧します。あわてて外へ出ると群衆パニックになり危険ですので壁や太い柱に身を寄せて姿勢を低くして様子を見ます。地震が収まったらあわてず出口を確認し避難しましょう

★戸外を歩いていたら建物や塀、自動販売機などのそばを離れ頭を保護しながら安全そうな空き地を探し、低い姿勢で身を守ります。垂れ下がった伝染は非常に危険なので絶対に近づかないで下さい。

★電車や車に乗っていたときは駅では係員の指示に従います。車の運転をしていた時は、ゆっくりと速度を落とし安全な路肩や空き地に駐車しカーラジオなどで情報を確
認し状況に応じて行動するようにします。地震後の車での移動は危険なので、その場にキーをさしたまま置き、徒歩で避難しましょう。

★エレベーターに閉じこめられたときは地震時管制運転装置なるものがあり最寄りの階に停止しドアが開くか1階など避難階に直行しドアが開きます。しかし古いタイプはそうでないタイプもありますので揺れを感じたら全ての階を押し、止まった階で速やかに降ります。あせって天上から脱出を試みるのは危険です。辛抱強く非常用電話か携帯電話で助けを呼びましょう

★火事が発生したら建物からの脱出を考えます。この時火傷よりも気を付けたいのが煙に巻かれること。濡れたハンカチなどで口と鼻を覆い煙りを吸わないようにして低い姿勢(床から20〜30センチが煙りが薄い)で火もとから離れます。火傷をしたら冷水で15分以上冷やしタオルなどで患部を保護しできるだけ早く手当を受けます。

●離ればなれの家族と連絡をとる方法
家族がバラバラの時に大地震が発生した時は家族の安否をいちはやく確認する必要があります。しかし発生直後は安否確認のрェ卒倒して利用できなくなる可能性が高いのでNTTなどの伝言ダイヤルサービスを利用するのが賢明です。(NTTの固定電話の場合は震度6以上の地震発生時のみ伝言ダイヤル「171」が利用できます)なお携帯電話りメールでのやりとりもできる場合がありますのでрェダメならメール機能でも試してみましょう。

(次回は台風、風水害対策です)


[929] 【948回 またあの震災の日がやってくる】 2006-01-13 (Fri)

平成7年1月17日・・・またあの日がやってきます。
阪神大震災の朝、聴覚の不自由なご夫婦がいました。ご主人は早朝から山歩きにいくために階下へ、奥さんは2階で寝ていたそうです。グラグラと揺れを感じて暗闇の中でご主人は奥様を捜しに2階へ上がり暗闇の中で手と手がふれあったそうです。手の平に「大丈夫?」ガラスで怪我をしていた夫は「ガラス注意」と書いたそうです。自宅駐車場の車が被害に遭ってなかったため3日間車内でくらしたそうです。そこへ見知らぬ男性が大声で近寄ってきました。「聞こえません」聴覚障害を伝えると、身振り手振りで「ガスタンクが爆発するかも知れないので逃げろ」と教えてくれました。広報車が何度も往来していたのですが聞こえないために伝わりませんでした。

やっとの思いで近くの小学校に避難しましたが被災者であふれており二人の居場所はなく何カ所か避難所を廻って、やっと座る場所だけのスペースを見つけ避難生活がはじまりました。お互いの会話もなく、避難所の連絡の基本は校内放送であることから、校庭に出ますと、炊き出しの温かい食べ物を配っていたこともしばしばだつたそうです。しばらくして「神戸ろうあハウス」に聴覚障害者を対象の救護対策本部があることを知り、やっと居場所を見つけたそうです。

私達健常者では、計り知ることの出来ない二重、三重のご苦労をされた様子です。こんな場合どうすればよかったのか、それぞれに考えてみる必要があると思います。まずこの地域に聴力障害の夫婦が居住しているという事を知っている行政が何故駆けつけてあげれなかったのか。学校の避難場所でも会話がないため聴力障害と気づかずに隣り合わせていたのではないか。ならば自分から「私達は耳が不自由です」と意思表示をする方法はなかったのかと思ったりします。

私は白い杖をつく視力障害の方に町や駅で出会ったら「何かお手伝いしましょうか」と声をかけます。「結構です」という方も沢山いらっしゃいます。そんな時は静かに見守ればいいのであって親切の押し売りは迷惑になります。手話ができなくても両手と顔の表情を利用すれば何とか相手に通じるものです。心の温もりさえあれば同じ日本人なんですもの。

震災の翌日、現場を訪れたとき、私のバイクの周りをウロウロする酔っ払いがいました。バイクに積んだ救護品を取られそうな気配もしましたが、こんな時に酔っぱらって不謹慎なと立腹しましたが、ひょっとして「飲まずにはいられないほどの心の痛み」だったのかも知れません。「こんなときに酒飲んで酔っ払っている場合か!」と怒鳴りつけたりして・・。


[928] 【947回 栗焼酎ものがたり】 2006-01-11 (Wed)

栗焼酎の郷
4万10時間、熟成させて飲む「ミステリアスな幻の栗焼酎」を納会の席上で会員さんに寄付をしていただきました。と言っても納会の日から4年も先の話です。壷の焼き入れが完成したら証明書が送ってきますので西田郁男さんにご披露したいと思っています。ちなみにポチも株主になっている関係上(たった1株だけど)何かと交流があり、今年も栗焼酎の会社社長と年賀状の交換をしました。

その年賀状に「総会には来たや!(おいでの意味)」と追伸してありました。行く行く行くとも!思わず年賀状に返事をしました。四万十川の河原で夏の夜「火振り漁」を楽しみ「鮎の塩焼き、栗焼酎飲み放題」のイベントが村を挙げて行われます。去年はあいにくの雨で河原でのイベントは中止、イベントは公民館の中で行われましたが地元の酒屋がここまで華々しくやるのかと思うほど大がかりな夏祭りです。

8月には栗焼酎の樽(還暦 歩けるしあわせ 姫)(感謝の一雫 郁ちゃん)の2樽がトンネルの中で熟成中かどうか確認に行ってきます。ついでと言っては何ですが少し足を延ばし勝間の沈下橋のたもとから「屋形船」に乗り四万十名産の手長海老のごちそうも食べてみたいと欲張っています。

あ〜待ち遠しいなあ。

年賀状に返事をした話のついでにおもしろいお話を一席。
●先日、カーナビのついた車に乗せてもらいました。行き先の道案内は当たり前なんですが「もう2時間も運転をしています。休憩しませんか?」だって。何と優れものなんでしょう。ジョンが居眠り運転に近い状態になりハンドルが左へ左へ(やっばっー)ペットポトルパンチで励ましていたのですがカーナビさんも気が付いたのでしょうか。

車内は大笑いとなりジョンさんも目が覚めたようです。ほんま感激しましたわ。
             


[927] 【946回 環状線半周&一周ウオークを終えた感動】 2006-01-10 (Tue)

万全の準備をし、それでもまだなにか見落としがないか実行委員長以下関係者は気が気ではありませんでした。「よっしゃ!」とサインが出たら、今度は天気予報とにらめっこがはじまります。環状線ウオークで、あの人とも、この人とも会えるかな、そんなかすかな期待も胸をときめかしはじめる。すでに11回も実施しているのだから大丈夫だろうと思ってもみるが、なかなかどうして毎回アクシデントに振り廻されることが多いのです。

会場で環状線ウオークの横断幕も準備ができたころチラホラと参加者の姿が見え始めました。新年の挨拶もそこそこに受付開始です。「出発式の時間を早めるぞ!」そんな叫び声がきこえて来て「来たぞ!来たぞ!大歩協名物アクシデントそのT」それでも流れに沿って動くしかなく指令どおり、早めの出発式となりました。

今日は、ことのほか温かくウオーク日和の様です。環状線の19駅を体調に合わせて自分の速度で歩いていただきます。あっくろねこさん見っけ!。あっよし枝ちゃん!京都のトンコちゃんや!他沢山の方達との出会いを楽しみました。埼玉県から参加したと言う方は雑誌の切り抜きを手に「これは貴方ですねっ」見れば、本日のスポンサー「すこぶるウオーカー様」のチラシを握りしめていました。

そうそう今回の抽選はご自分で抽選箱にいれてもらい参加意欲を高めようという方式をとりました。その成果あって10足のすこぶるウオーカー全部参加者の皆様にお渡しできることができました。(引換証は商品到着まで大切に保管下さい)

広報車&救護車も皆様と一緒に走りましたがスタート時間が大幅に変更になったため、四天王寺までスムーズに応援することができませんでした。「いつもならこの当たりで姫が声をかけてくれるはずなのに・・」とゴールしてからそんな声を聞きました(ごめんなさいね)

安治川隧道西九条側ではアンカー到着までお出迎えをして、見送った後に、急いでスカイビルへと戻ってまいりました。どのお顔も「完歩」の満足な笑顔で満ち溢れつぎの例会での再会を約束をしてお別れしました。南大阪歩け歩け協会スタッフの皆様、大阪体育大OBの皆様のご協力と大阪府歩け歩け協会のスタッフのチームワークで無事終了することができました。
ありがとうございました。今年も頑張りましょう。但し無理はいけません。しんどいときは早い目に意思表示をしましょう(あ〜しんど。ちょっと早すぎたかな)


[926] 【945回 お雑煮談義】 2006-01-06 (Fri)

歴史をたどると、おモチは平安時代に登場したそうですが、お雑煮が食べられ始めたのは室町時代の京都とのことです。食文化の違う北海道と沖縄を除き、全国的にお雑煮で正月を祝うのが習慣となりました。丸餅と角餅、味噌と醤油など東西の違いは、江戸時代からあった様です。

お雑煮は、それぞれの家庭の物語がぎっしり詰まっているのではないでしょうか。お椀に盛られた中味をみれば、その人の出身地はもとより、土地の産物や食文化、家の歴史や食い道楽派か倹約派ということまでわかってしまうと書いてありました。だからこそ「うちの雑煮が一番」と主婦は自慢します。味噌仕立ての雑煮は「味噌が付く」のでよろしくないと醤油派は言います。「家庭が円満に丸く暮らせるように、餅
は丸餅、野菜は輪切り」とこだわる人も多いようです。

お雑煮で必ず話題になるのが、お餅は丸か四角か、焼いてから入れるか、焼かずに煮るかということです。東日本は焼いた角餅、西日本は焼かない丸餅と大きく分かれています。関西は正当派の古風な丸餅、寒冷地や関東地方は保存に便利な略式の角餅を使っていたそうです。関ヶ原のバスウオークに行った時、ガイドもどきが関ヶ原の合戦の影響で岐阜県関ヶ原を境に丸派と角派と分かれたと説明しましたが、きちんと根拠があったようですね(覚えておいでの方はいないかもね)

餅と並んで好みが分かれるのが、汁の味付け。関西風のお雑煮と言えば白味噌仕立てが連想されますが福井県と近畿、四国の東部以外の西日本は醤油味が優勢。味噌味を好む地方でも福井県の赤味噌派と、それ以外の白味噌派に区別されます。汁の具にはお国自慢の産物が多く、ダイゴン、ニンジン、ネギなどの野菜の他に東北なら山菜やキノコ、新潟はサケやイクラ。、千葉なら海苔、島根はハマグリ、広島はカキなどが加えられると言います。

昭和44年にポチ家に嫁いだ初めての正月、お姑さんが「美智子さんに任せる」ということになり白味噌仕立ての雑煮を作ると、誰も好んで食べてくれなかった苦い思いが蘇ります。それからは姑の味を盗み、受け継ぎ現在に至ります。いまでは息子の嫁達にも、この味を伝授し(と言うか作って差し入れ)新年の行事としています。みなさまのお雑煮談義は「ウオーカー広場」にてご紹介下さい。楽しみにしています


[925] 【944回 新年明けましておめでとうございます】 2006-01-02 (Mon)

旧年中はお世話になりました。暖かい応援もいただきました。ありがとうございます。新年も私なりにコツコツではありますが前進していく所存でございます。迷路に突入したり、後進するようなときはどうぞ愛のムチをお願いします。

今年はポチの定年を迎えることで我が家に重大な危機が訪れないために次の4ケ条を考えなければなりません。

@ 買い物には一人で行くべし(時々はいいけどベタベタくっついて来ないで)
A 夫を子ども扱いすべし(誉めておだてて)
B 先輩になるべし(企業から地域社会に変更するため地域 をよく知る妻が先輩である)
C 夫婦げんかをすべし(会話をする)

上記はテレビの受け売りでありますが11月までにじっくりと「我が家の4ケ条」を作成したいと思います。
●こんな話がありました。
「離婚か病気になるしかないと昭和46年に結婚し31年間働き定年になった夫婦がいました。夫は定年後、家事を手伝うこともなく3年間「ミノムシゴロゴロ生活」を楽しみ、それをみる妻は血圧が上がる一方でイライラの毎日であったといいます。

夫が突然「与論島に住もう」と言い出し、妻は今までの不満を夫にぶちまけました。そんなに妻が悩んでいたことを初めて認識し反省しました。妻も今の生活を断ち切るために、神戸の家を売り、与論島で月3万8000円の賃貸住宅で生活をはじめました。与論島での生活では夫は妻に感謝の気持ちを伝え、家事も手伝い、洗濯物の取入れまでするようになり、地元の人たちとも打ち解け、家にとじこもっていた夫が変わりました。

「働いていた時間」と「定年後の時間」は同じだと言います。これからが我が家の一大事かも知れません。年頭にあたり、しっかりと決意した次第です。

今年もよろしくお願いします。


[924] 【943回 2005年ありがとう】 2005-12-31 (Sat)

1年間の出来事として
@ 郵政改革で解散、小泉チルドレン誕生
A 尼崎脱線事故107人死亡 
B 耐震偽装発覚
C 子供標的、悲惨な事件相次ぐ
D 小泉首相靖国参拝で中韓の摩擦
E ライブドア・楽天等がメディア買収に挑戦
F アスベスト被害深刻
G 紀宮さまご結婚
H 景気踊り場脱却宣言、株価も回復
I NHk不払い激増

この10点が今年のニュースだとサンケイ新聞は発表しておりました。この中で明るい話題は紀宮さまご結婚の話題だけかと思うほど、暗く悲惨なニュースが多かった様に思います。

大阪府歩け歩け協会の1年を振り返りまして、大きな事故や怪我も無く36回の例会とバスウオーク、特別例会の幕が無事下ろせたことに感動しております。健康な限り、無理のない、楽しい歩きを続けていけたらと1年間をふりかえり、また新しい年への豊富としたいと思います。

「ひめのおうち」ご愛読いただきましてありがとうございます。新年のどこかで「1000回」の書き込みとなります。それがどうしたんやと言う方もいるかも知れませんが、全てプラス思考で自分にとって悔いの無い日々を送りたいと思っています。

どうぞ皆様お揃いでよいお年をお迎えくださいませ。新しい年もどうぞよろしくお付き合いください。


[923] 【942回 うれしい零くんの後追い】 2005-12-30 (Fri)

息子達に用事があり孫の零ちっちとももちゃんちに行くことになりました。まず零ちっちの家から訪問です。私を見るとすぐ絵本を出してきてリズムにあわせて踊ってくれます。「飛び出す絵本」の披露やらとてもうれしそうですが年末の多忙期のため、そこそこに帰ることにしましたら、何とジジババについて行くということで零ちっちが後追いをしてくれました。

そのまま零ちっちを預かり、ももちゃんの家にいきました。ももちゃんのパパとママが零ちっちを抱っこした途端、ももちゃんが泣き出してしまいました。どうもママを取られたと思い「嫉妬泣き」のようです。ジジババ宅へもどり、しばし零ちっちのお守です。夕方、ジョンさんがカメラを持ってきてくれましたので撮影会となりました。できばえが楽しみです

お帰りの支度をして、零ちっちを送り届けました。また後追いをしましたが心を鬼にして戻りジョンとポチと1年間を振り返り「忘年会」をし、二次会は此花銀座のスナックで盛り上がりつつ、2005年の労に感謝を2006年への不調和音のなきように誓い、たがいの家路へと帰りました。明日は「おせち」の総仕上げです(そんな大層なものではありませんが)


[922] 【941回 丹波の黒豆炊き】 2005-12-29 (Thu)

圧力鍋があってもコトコトと時間をかけて煮るのが好きな、ため今日は一日黒豆炊きの「火の守」をしていました

●黒豆を水洗いしザルにとります
●鍋に水をいれ沸騰したら砂糖、しょうゆ、塩、重曹をいれて火を消してから黒豆をいれて5時間漬け置きします
●5時間ご中火でコトコト炊き泡を2度ほど取りのぞきます。差し水もいるよ。
●泡取りが終わったら、落し蓋をして弱火で5〜6時間じっくり炊きます。このとき蓋を取ると豆にシワが行くので絶対蓋はとらないでね。
●炊き終わったら煮汁の中に一昼夜つけておくと、艶のあるふっくらの黒豆の出来上がりです。

「マメに暮らせますように」そんな気持ちで食べてください


[921] 【940回 けいさつの封筒】 2005-12-28 (Wed)

ちょっとお茶目で、こだわりで警察の封筒でラブレターを投函しました。出勤してきた同期の桜の「正ちゃん」が「警察から手紙が来てびっくりしたわ、何の悪いことをしたのかとビビったわ?」と白い歯を(姉歯ではありません)みせて笑った。

ひょっとして同じ様なお手紙が舞い込んだ方はいませんか(笑)名は体を表すという言葉があります。封筒のイメージって効果抜群なんですねキャハハ

ラブレターもらった人、びっくりさせてごめんなさいね。

人は、これを悪いイメージで見ると「悪ふざけ」と取るかも知れない。良いイメージで見ると「ユーモアがある」と笑って対応してくれる。見方に寄ってはまったく正反対の場合があるということです。

●おせっかい→世話ずき
●ガンコもの→意思が強い
●引っ込み思案→つつましい
●あらっぽい→元気がよい
●おくびょう→慎重
●口ベタ→じっくりと考える
●おしゃべり→誰とでも仲良くなれる
●でしゃばり→まえむき
●しつこい→根気がよい

まだまだありますが見方次第で短所が長所としてみられるというお話です
           


[920] 【939回 1年を振り返って】 2005-12-27 (Tue)

この1年、悲しいこともいや〜なことも沢山あったはずなのに、なぜか回想には楽しい思い出しか浮かんできません。5月には田植えをしました。故郷で母が田植えのパート(パートとは言わないかな日雇いかな)に行き、田圃の畝でじっと待っていた幼き頃を懐かしみ棚田に田圃を借りたりもした。田植えを終えた母からもらったビワの実のおしいかったこと・・・

山もよく行ったなぁ。上司がいつも「無事に帰って来いよ、死ぬなよ」と冗談めいて声をかけてくれる。息子達にはいつも内緒で、戻ってから報告したりする(登山計画書はきちんと自宅に添付しています)山へ行くための訓練もかなり身についてきた。(おまけにぜい肉までついてきたわ)

舅、姑のために、子供のために生きてきた今までと違って、私はいま自分のために生きていると言う実感が湧いてきます。仲間と二人三脚で残りの人生を「自分のために」楽しみたいと思います。

ゆうべ恩師から贈り物がとどきました。本当は教え子の私から恩師に贈り物をするのが常なのですが「幸せ薄い子じゃったきに」いまだに恩師に心配をしてもらえることを幸せに感じています。お礼の電話をし、夏には帰郷することを告げる

ひめ「先生、夏には四万十に帰りますけん」
恩師「生きていたら会えるね」
ひめ「先生が死んだら、もう私には帰るとこがないよ」
恩師「そんなら夏まで頑張って生きてみるよ」

もう80歳が来るのではないでしょうか。


[918] 【938回 塩田温泉で忘年会】 2005-12-25 (Sun)

近畿圏内が、こないに雪が積もるとは思ってもみませんでした。そんな中、かねてより楽しみにしていました「雪彦山&笠形山&忘年会」にでかけてきました。お友達の一人がおばあちゃんを「特老施設」に預けて一緒にいくはずでしたが、積雪のためお迎えの車がストップをして、キャンセルするしかないと電話がかかりました。せっかく一緒に行こうと楽しみにしていましたので、「よっしゃ!迎えに来られへんのやったら送っていこやないか」ということになり宝塚までタイヤチェーンを積み込み出発しました。池田まではスーイスイ15分ほどでいきました(雪のため車での外出を控えたため、とてもすいていました)

さあ、池田からが大変です。中国自動車道は閉鎖になっているため、沿道には「鳥取、島根、岡山、山口」ナンバーの車が閉鎖解除になるのを待っているため渋滞の渦の中にスッポリとはまってしまいました。施設への約束時間もありますが、ノロノロどころがピタリと止まってしまい、信号だけがむなしく変わります。どうも前方でタイヤチェーンの規制がかかっているに違いありません。

友達から「いまどこ?」の電話が度々なりますが答えは同じ場所しかこたえることができません。ジョンが「あんたはフツトワークが軽いの〜」と誉めてくれましたが、どうもフツトワークの軽さが友達にかすかな期待を持たせる裏目に出たようです。

決断をしなければなりません。友達の家に到着して、おばあちゃんを乗せたとしても施設に何時に到着するやもわかりません。「ごめんなさい」ウオークで申し上げるならゴールを目前にして骨折したみたいなショックが走ります。渋滞の中に身をさらし、Uターンすることにしました。みんな同じ境遇に置かれていますので、どのドライバーも親切に協力してくれました。

疲労感とむなしさだけが残りますがどうしょうもない自然の壁の積雪に遭い断念しての雪彦山行きでしたが、現地に行きさらに登山を断念するというアクシデントに見舞われました。膝上までの雪をかきわけての登山は危険を伴います。ルート変更を余儀なくされましたが、仲間からの抗議もなく、おだやかに塩田温泉で忘年会を楽しむことができました。

人の心の余裕とやさしさを頂いた一泊二日の忘年会でした。また行きたいなぁ!また行こな!


[917] 【937回 冬 至 】 2005-12-22 (Thu)

12/22は「冬至」です。太陽の黄経が270度に達し、冬至線の上に直射するときだそうです。
この日、北半球では太陽の高さが1年中で最も低くなります。そのため昼が1年中で1番短く、夜が長くなります。この日を境に、日脚は徐々にのびていきます。
この日は冬至かぼちゃを食べて金運を祈り、冬至風呂(柚子湯)に入って無病息災を祈る行事を各家庭で行います。

うららちゃんの庭先でとれた柚子でサスケ先生は冬至風呂でしょうねぇ「お〜い紙じゃなかったタオル持ってきてくれぃ〜」

◆ゆず湯
ゆず湯に入ると肌がスベスベになる美肌効果があったり、冷え性やリュウマチにも効くし、体が温まってカゼをひかないとも言われています。また、ゆずにも含まれているビタミンCが肌にいいことは広く知られており、リモネンは皮膚に膜を作って、肌の水分を逃がさないようになっています。みかんの汁が目に染(し)みた!という経験が誰にも少なからずあると思いますが、実はこのリモネンが原因です。他にも香りのいいゆず湯はアロマテラピーのリラックス効果も期待できます。

でも、ちょっと待ってください、何故、冬至に風呂なのでしょうか。 この答えは「とうじ」という言葉にあるのです。
冬至の読みは「とうじ」。というわけで、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけています。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているのです。

5月5日に「菖蒲(しょうぶ)湯」に入るのも、「(我が子が)勝負強くなりますように」という、ゆず湯と同じ「願かけ」なのです。

◆かぼちゃ
現在は野菜が季節に関係なく供給されていますが、西洋野菜が日本に入るまでこの時期に取れる野菜は少なく、保存できる野菜も少なかったのです。かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ない。そのため、冬至の時期の貴重な栄養源だったのです。かぼちゃの栄養成分の特徴は、なんといってもカロチンを多く含んでいることです。カロチンは、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれます。「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれるのはそのためです


[916] 【雪景色の中の赤い炎】 2005-12-22 (Thu)

「雪景色ブルルッ!」
きゃー!見て!見て!雪が降ってきたよ〜!ホワイトクリスマスだよ〜!なんて喜んでばかりはいられません。オリオンさんは今朝、通勤時、駐輪場のコンクリートが凍っていて、ハンドルを切ったとたんにスッテンだそうですよ。氷上の社員もメタンコ雪のため遅刻者が続出しているそうです。明日は雪彦山に行こうとしているのですが・・・・
吹雪でなければ雪の上を歩く、凍り付いた道をアイゼンを装着して歩くは、大丈夫なんですが、目的地までの「アシ」が心配です。

今日10時頃、消防車のサイレンの音が、けたたましく鳴り響いており、窓の外に目をやると赤い炎がメラメラと上がっているではありませんか「火事や!」当社には自衛消防隊があるのですが、すでに消防車も到着しており、ただ見守るだけではありましたが、隣のマンションの方達は、さぞ恐かったことでしょう。新建材の炎で阪神電車の鉄橋も煙だらけです。昨日は伝法町の火事で焼け死んだ方の葬式が、執り行われておりました。帰宅して夕刊を見ると87歳の独り暮らしのおばあちゃんが玄関付近で焼け死んでいたそうです。合掌

出かけるときは声に出して「指さし点呼」を致しましょう。お二人で出かける時は
●「ガスの元栓は閉めましたか」→しめたかどうか確認係が  見る
●コタツの電源は抜いたかな→コンセントを手にもって抜け  ていることを確認する
●戸締まりはしたかな→閉めたドアは一度引っ張って施錠さ  れていることを確認する
●石油ストーブの給油は日を消してから→万一火の点いたま まで給油しているところをみた時はストーブの使用を禁止 する
もし、ご両親(高齢者だけのお住まい)だけで住んでいればガスコンロから電気コンロに交換すると、より安全だそうですよ。ポチの爺ちゃんが生前に、鍋という鍋を全部焦がしていました。温めるだけでいい様に料理を作り、電子レンジも買っていましが、それでも、自分で台所に立って何かしていました。「火事になると危ないから」と言っても「ハイハイ」とは言いますが、また同じことを繰り返していました。
鍋を火にかけた事を忘れてしまうらしいです。「鍋をかけたら側を離れない。家が燃えて困るのはお爺ちゃんではなく私です!」ときつく言って、やっと鍋を焦がさなくなりました。命に関わることは優しく言っても聞き入れてもらえませんねぇ


[915] 【935回 JR加茂駅からの連絡】 2005-12-21 (Wed)

10/29日当尾の里石仏と史跡(定例会ウオーク) を覚えておいででしょうか。 朝から鈍い雨。300人分の資料を用意して参加者を待つが激しい雨のため、やっぱりの結果。

JR加茂駅をスタートして、また加茂駅でゴールのコースのために残った資料をコインロッカーに預けるべく探すも見当たらない。仕方ないので駅員さんに頼んで預かってもらう交渉をするも返事は「NО」営利目的ではない団体であり、個人の荷物でもないと説明しても「NО」。仕方が無いので雨の中10キロあまりをスタッフが手分けして持ち歩きました。

このことでスタツフの間でトラブル発生。少しの言葉の行き違い、ボタンの掛け違いで不愉快な思いをしたことがある。帰りに加茂駅に立ち寄り駅員に朝の出来事を話すと「コインロッカー言うても、ここは田舎だから」と鼻であしらわれた気がして、どうにも気分が収まらない。何故なら下見の時に、この駅に荷物を預かってもらった事実があるからだ。日によって、駅員によってサービスが日替わりということは納得いかない話である。

JRの各駅に「みんなの声」と言うボックスがあり象のマークが書いてある。大きな耳で聞きますよと言う意味らしい。用紙を家に持ち帰り(加茂駅で投函すればもみけされる恐れがあるため)大阪駅で投函した。

そして今夜、電話のベルが鳴る。「加茂駅の責任者」と名乗る方から丁重な侘びの電話である。我々のウオークはJR加茂駅にも経済効果を落としていること、状況を見て臨機応変に対応をして欲しいことをお願いした。電話の向こうでは実施日が知りたいらしく、理由を尋ねるとその日の当番に注意をするとの事「個人攻撃は問題解決にならない」と一喝して電話を切りました。

私が言いたいのは、駅員の気分で預かったり、断ったりではなく「臨機応変」ができないのならコインロッカーの設置に努力せよということである。ポチは返事があっただけでも、ええやないかと言うがそれはそれでまた腹立たしい限りである。


[914] 【934回 クリスマスイヴは雪彦山で】 2005-12-21 (Wed)

12/23、兵庫県夢前町にある雪彦山に行ってきます。ここは「登りの鎖場を石鎚山」で表せば、「下りの鎖場雪彦山」として楽しめるところです。本年度のウオークの行事を終了しましたので、来夏の白馬岳登山に向けてのジョンによる訓練登山です。

雪彦山は英彦山.弥彦山とともに、日本3彦山として古くから修験者の道場で知られています。現在では四季を通じたハイキング、岩登りなど多くの登山者に親しまれています.
大阪から近いということもあって「ああ行った事あるよ」という人が多い山です。昨日夢前町の観光協会に電話をして雪の状況を尋ねてみましたが街の中は積雪ゼロだそうです。但し、お山のてっぺんは白〜くなっているそうですから「アイゼン」を大探ししてリュックに入れました。使うか使わないかは別として持っていけばいいのではと考えています。

以前に六甲山で「藪漕ぎ」した時に、真新しいアイゼンの装着がうまく行かず列から遅れるため手に持っておっかなびっくりで下山したことがありました。来年は白馬岳に参加したいので、アイゼンの装着を使い慣れておきたいと思います。

ウオーカーの皆様!これからの冬場はポンポン山とか○○山とか山のつく場所へ行く時は「アイゼン」を持参する習慣にしておけば安全ですよ。私はスノーシューに行ったとき、スノーシューを足からはずした途端にスッテンコロリンしたことがあります。それまではポチが「ここは危ないですよ、滑りますよ」と声かけをしていた場所らしいですが私の姿を見て「あ〜アイツは大丈夫だろう」と声かけを中止した途端の出来事です。気を抜くということはこういうことなんですね。

帰りは勿論「雪彦山温泉」です


[913] 【933回 納会ウオークを無事終えて】 2005-12-19 (Mon)

沢山の方達の納会ウオークの書き込みを拝読させていただきながら、先日の鯖ウオークでの「noix(木の実)」様の辛口のご指導を謙虚に受け止めさせていただきながらの1年を無事終えることができました。納会ウオークの詳細は「ウオークレポート」に書き込ませていただきましたのでよろしく。

「列島に大寒波、19日にかけ、さらに大雪の恐れ」と言うニュースを聞き箕面ウオークも大変心配していましたが尻餅つく人もなくゴールできたことにホッとしています。日本海側を中心に12月としては記録的な大雪が続いています。鳥取砂丘も雪で真っ白だそうです。気象庁によると、17日から日本列島の上空約5000メートルを氷点下42度以下の猛烈な寒気が覆う影響で、18〜19日をピークとして各地で記録的な大雪となる見込みだと言うてました。

そんな中19日は丹波篠山に出張してきました。最初は車でいく予定でしたが丹南篠山口でタイヤチェーンの規制がかかっていると聞き、電車に切り替えました。大阪駅で、雪のためすでに10〜20分おくれです。私は仕事だと言うのにみんな「城之崎温泉」へでかけるカニツアーの列であふれかえっています。どうにか座れて柏原駅に到着。迎えを頼んでいましたので工場に到着すると30センチの積雪で3棟の見回りを終えるとブーツの中が水没状態・・・

柏原発5時の列車は更に遅れて特急電車なのか普通電車なのかわかりません。大阪駅に到着したのは8時前でした。後でわかったのですがそのあとすぐ三田と福知山間が不通になったそうでクワバラクワバラでした。




[912] 【932回 土曜日だというのに・・・】 2005-12-18 (Sun)

今日は土曜日だと言うのに「出勤日」となっており蒲団の温もりと大格闘しながらやっと出てまいりました。明日は納会ですが、かなり寒くなりそうです。紅葉と雪景色なんて美しいかも知れませんね。みなさま。暖かくしてからお出かけ下さい。そして街はクリスマスモードで、一般家庭でもクリスマスの電飾を外壁に飾り賑々しい気分であります。

午後からは此花保護司会会長様が栄光の「瑞宝雙光章」を受賞され保護司会主催の祝賀会があります。新参ものなので参加するだけと思いきや、急遽連絡があり「受付係」を仰せつかりました。突然のことなので、なごり雪の一小節が思い浮かびました

「♪着ていく服が まだ決まらない♪〜」

何とかそれらしい服があり大きく息を吐かなければボタンが飛ぶことはあるまい。クシャミだけは気をつけよう。そんな緊張が朝から張りつめています。

月曜日は氷上工場行きですがマイナス43度寒気団到来とのことで様子を伺いながらでかけることに致します。では会員の皆様!明日おめにかかりましょう


[911] 【931回 此花漁港の存在】 2005-12-17 (Sat)

会員さんのリンク「サスケとうららのほのぼの日記」をのぞいたら此花漁港の話が書いてありました。

サンセットウオーク、ウイークデーの「舞洲ゴミ処理場見学」の時に、スーパー堤防を通過すれば「此花漁港」という看板と言うより河豚のヒレを天日干ししているのに気がつかれるのではないでしょうか。何とここに河豚専門店があり、トレトレピチピチを食べさせてくれる店があるのです。私はウオークをしている途中、天日干しのフグヒレと出会い店の存在をしりました。

さてさて今日はフグの宣伝ではなく、サスケ先生が漁港の存在に驚かれていましたので下記のアドレスをご紹介しておきます。
http://www.city.osaka.jp/konohana/spot/konnan/konnan10.html

このコーナーの下欄に「こんなん知ってはりまっか」というのもおもしろいのでぜひクリックしてお楽しみ下さい。ちなみに伝法水門には当社の製品が設置されています。ハイ。

この漁港に停泊中の漁船は「伝法水門」を出て大阪湾にでて行きます。そして漁を終え水門の閉まる時間までに戻ってくるという仕組みなのです。

ここからはおまけです。此花漁港のトレトレピチピチ店や此花についてのアドレスです。
http://www.katumasa.co.jp/shop.html

http://www.konohanaweb.com/konohana_all.html




[910] 【930回 防犯診断カルテ】 2005-12-15 (Thu)

歳末防犯取り締まりが強化される中で今はりっぱに更正した昔空き巣に入ったという人物から、どんな家が狙われやすいかを聞き出してサンケイ新聞に発表していました。

●庭のスリッパが乱雑な家庭は居住者に心のスキがある
●外部に警報機電源があると安心感を逆手にとられるのだそうです
●趣味の道具が芽を引く家庭は経済的に余裕があると見られるそうです

「防犯自己診断カルテ」いっしょにやってみましょう
( )騒音地域に自宅がある
( )外部から住人のルーズさがうかがえる
( )ゴルフバッグや釣り具、趣味の道具が目につく
( )高級車が停めてある
( )庭木がうっそうとして手入れされていない
( )高齢者あるいは若い女性だけの居住
( )建物が老巧化している
( )警備会社のステッカーが貼ってある
( )警報装置の電源が外部から見える
( )薄暗くなっているのに電気がついてない
( )隠しカギを置いてでかけている

Y・Hちゃ〜んチェック完了しましたか〜!

(診断結果)
騒音地域だとガラスを割って入りやすいく、子供のオモチャやスリッパが散乱している家はルーズな家で入りやすく、ゴルフバックや高級車があると経済的な余裕があり金があると判断し、警備会社の装置は電源を切断することで安心感を逆手にとる、灯りのついてない家は留守の証拠・・・などなどひとつでも改善できるといいですね。

(おまけ)我が家はゴルフも高級車もなく経済的な余裕があるとは「空き巣」も思わないのですが、うちの番犬「ポチ」はこれを読んで、早速昼間から電気をつけて出勤しそうです。電気代は誰が払うと思ってるのでしょうか。


[909] 【929回 カニの思い出】 2005-12-14 (Wed)

日本列島は冬型の気圧配置で1月中旬から2月上旬の冷え込みだそうです。城崎温泉街は大雪に見舞われ30センチの積雪となったそうです。ポチの父上が生きていた頃、冥土のみやげにカニを死ぬほど食べさせてあげようと吉永小百合が撮影中に定宿にしていたという湯村温泉「A 旅館」に宿泊しました。

この宿を選んだのには理由があり、テレビの特別番組で「かに三昧の旅」という内容でこの宿の夕食が紹介されており、それを見た94歳の爺ちゃんが「エエのぉ儂も死ぬ前にいっぺん喰うて見たいわ」とテレビに向かってつぶやいていたのを嫁である私が聞いてしまったのです。そう言うことで義兄とジョンさんを連れもうての旅となった次第です

宿に着いて、お風呂を楽しみ、お殿様モードの丹前を着せてもらいお爺ちゃんは満足げです。さて、いよいよカニの登場となりましたが?????が続きます。カニは足3本だけ!何じゃこりゃ!値切ってへんでーと思いながら、ちょっとテレビと内容が違うよなぁとブツブツ文句のアワを吹きながら、爺ちゃんには冥土へ行くことを少し延ばしてもらいました。

大阪に戻っても腹の虫が収まりません。「A 旅館」へ、こうこうしかじかで年寄りの夢を壊さないで下さいと手紙を書きました。すると社長とおっしゃる方から後日、電話を頂き陳謝され、じつはあれはテレビの撮影用に出した料理で特別注文を頂かないといけない料理だというのです。それならそうと初めから「これはテレビ用で実際お出しする料理とは異なります」とテロップで流す必要があるのではと抗議しました。

翌朝、外の景色をみてびっくり!外は真っ白な雪景色!美しいとか、素敵とかではなくて「タイヤチェーン」の装備がなくおっかなびっくりで蛇行運転しながら帰ってきた思い出があります。その後同じメンバーで北海道まで「カニ三昧」の旅をし、花咲ガニという世にも珍しく美味しいカニを食べ、念願の冥土のみやげを爺ちゃんに持たしてあげることができました          (ナンマイダ〜ナンマイダ)


[908] 【928回 童謡のもつ素敵な夢】 2005-12-13 (Tue)

うららちゃんちの2歳の満奈ちゃんは、お歌が大好きだそうです。(将来は大歩協の歌姫)いろんな歌を片言で楽しげに口ずさむ光景が浮かんできます。

最近どんぐりころころを覚えたそうですが「♪ドングリコロコロどんぶりこお池にはまってさあ大変、おっちゃん一緒に遊びましょ」と聞こえるらしいですが(正しくは「ぼっちゃん」)、同じような話がありました。

一刀水の娘婿が
「♪ヨコハマの波止場から船に乗って〜異人さんにつれられて 行っちゃった〜♪」を
「♪ヨコハマの波止場から船に乗って〜いい爺さんにつれられて 行っちゃった〜♪」と歌っていたそうです。私が子供達にこの歌を口ずさんでいると「美智子おばちゃん間違っているヨ」と指摘をうけました。しかし間違っていたのは私ではなく娘婿さんの方でした。(少々天然です)
良いおじいさんが、何故連れ去るのかと子供の時から不思議に思っていたそうです(笑)

ちなみに零ちっちもお尻ふりふり、足トントンとリズムに合わせて踊ります。音楽付きの絵本を頂いて、その絵本が大のお気に入りで自分でボタンを押して踊ります。どの曲をかけても同じ踊りです。ももちゃんも同じ絵本をいただいたのですが、この子は絵本をかじります(笑)

私の子供のころはゴム飛び、お手玉、あやとりと全て主題歌があり、みんなで「わらべうた」を口ずさんでいました。ゴム飛びのゴムを集めるのが大変で、お買い物に行くとき母親について行ってはゴムを集めました。魚のニオイがしたり、薬屋のニオイがしたりのゴム飛びのヒモが出来ると、「飛ぶ人」「ゴムを持つ人」と仲良く役割分担して交代しながら、順序よく並びます。待つ間に仲間意識が芽生え、帰りは必ず「また明日遊ぼうね」と別れます。
雨が降ったらお手玉か、着せ替え人形で遊びます。ウオークの途中で河原で見つけた懐かしい黒いお手玉の実(名前は忘れましたがオジャミの実かな)真ん中に穴があいているので腕輪にしたり、首飾りにしたりして遊びました。見つけると懐かしいので、思わず立ち止まってしまいます。ウオークをしていると、そんな喜びも味わうことが出来ます。しかし、男の子の遊びのビー玉もペッタン遊びも、缶けり遊びも・・
今の子供達は一体何で遊んでいるのか知りたいです。

昨今、塾の講師(アルバイト)が気に入らない子供だからと殺してしまう恐ろしい事件が発覚しましたが、地域ぐるみで他人の子供も叱り合える環境を作りたいと、作らねばと思います。「どんぐりころころ」のお歌を歌う純水無垢な少女がいたら、命に替えても守らねばと思います。

ほんと恐い世の中になりました。


[907] 【927回 年賀状書かなくっちゃあネ】 2005-12-12 (Mon)

「あ〜あ もらってうれしい年賀状 あ〜あ 書くのは苦手年賀状」

12月15日から年賀状の受付となります。皆さんはもう書かれましたか?元旦の朝、郵便屋のバイクの音に耳を澄ませて待っているドキドキわくわくの年賀状も、まとめて書くとなったら、つい「よっしゃ明日からにしよう」そして明日が来ると「よっしゃキリのいいところで月曜から書き始めよう」と後へ後へ廻してしまうのが年賀状・・・・

表も裏も印刷をした年賀状よりも、汚い字でも「あっ姫から来たぞ」とわかってもらえるようにと時代に逆流して手書きをモットーにしているのですが、こう寒いと、なかなかはかどりません。なにかいい方法はありませんか〜?

それにしても「喪中ハガキ」の舞い込みが今年は多いこと。私達の年代になるとご両親のどちらかを見送る年代になってきたのですね。私も今、親を見送ることができたら、後悔なんてしなかったでしょうに10歳では何もしてあげることができなかったと今になって残念に思います。認知症であっても、逆らわず「その通りよ!」と聞いてあげてほしいです

「生あらば死ありアーメン」クリスマスが近いので、この「アーメン」の意味ですが後輩の結婚式に出席した時の牧師さんの話によりますと「アーメン」とは、聖書に書いてあることが「まったく、その通りだ」というときに「アーメン」と言うらしいです。


本日の年賀状の先送りの言い訳は「あっ、もう11時早く寝ないと明日の仕事に差し障る・・・」ということで、また明日!


[906] 【926回 砂糖情報】 2005-12-10 (Sat)

砂糖の袋を何気なく見ていたら、いろいろ書いてありましたので、思わずメモりました。
「脳のエネルギー源はお砂糖に含まれているブドウ糖だけです」ブドウ糖と果糖で出来ている砂糖は、消化吸収が早いため、仕事や勉強で疲れた脳にすばやくエネルギー補給ができます。

お料理上手の基本
味付けのコツは「さ(砂糖)、し(塩)、す(酢)せ(醤油)そ(その他)の順番で使いましょう。砂糖の分子は大きく、しょうゆや塩の分子は小さいため、しょうゆや塩を先に入れると砂糖が素材にしみこみにくくなってしまいます。

私が子供の頃は、ごはんに砂糖をかけていました。夏休みに親戚の家に泊まりに行くときには、母親が新聞紙に白砂糖を包んでもたせてくれました。サトウキビから黒砂糖を作ったりしたこともあります。「お菓子」というものがない時代(田舎だからかな)に指を口の中にいれて濡らし、砂糖の壷の中にいれて指にくっついた砂糖を舐めていませんでしたか。

そんなわけで虫歯だらけとなり、サスケ先生と知り合いました。知りあつたというか助けて頂きました。


[905] 【925回 おぉ寒っの合言葉】 2005-12-08 (Thu)

「おぉ寒!おはようございます」いつしか「おはよう」の枕詞になってしまいました。室内温度20度設定もプラス1度、2度と見回るたびにどのフロアーも上昇しています。まっ風邪ひかれて休まれるよりはいいかっ。おぉ寒っ!

奈良公園に白シカ一家がいるのを見たことがありますか?(私は見たことない)この白シカ一家が携帯の写メールで追いかけまわされた事が原因でストレスを感じたり、あげくの果てに毒物を食べさせられて死亡、また写メールで追い掛け回されて道路に逃げた子ジカが交通事故で死んだそうです。

「追いかけないで」という看板をかけて観光客のマナー向上を呼びかけているらしいですが効果は薄いそうです。そもそも写メールが普及しなかった頃は、のどかに奈良公園の中を歩く白シカ一家と、それを見守る観光客が共存していたはずです。

「シカが生活している奈良公園へ人間がお邪魔をしている」ということを忘れないでほしい。よそのおうちへお邪魔して勝手に冷蔵庫あけたり、茶ダンスあけたりしないでしょ!?
ウオークで奈良公園を通るときは勿論のこと、よその子供たちへも、自分の孫へも教えてほしいです。

何者かが施設内に投げ入れた食べ物を食べてシカが死ぬという事件がありました。シカを解剖してみたら毒物が検出されたということもあったらしいです。これは犯罪です。許せません!


[904] 【924回 おぉ寒っ!】 2005-12-05 (Mon)

おぉ寒っ!
大阪と奈良の府県境にある金剛山(1,125メートル)で4日初冠雪を観測し8合目から頂上まで、うっすらと雪化粧をしたと報道されていました。去年より3週間も早い初冠雪だそうです。サスケ先生のテクテク日誌にも大山の雪景色が登場して「スノーシューにおいでよ」とお誘いを受けている気分でした。

コタツとぬくぬくのお布団から出られなくなりそうです。会社の制服はスカートなのですが年には勝てずでスラックスに切り替えました。もう格好より防衛です。常識の範囲内で他の社員達も自衛してもらえばいいかと思っています。

こんな寒い夜は「かす汁」か「シチュー」でしょうね。貴方のお家の今夜のメニューは何ですか?戻ってきたら秋桜が寒そうなので家の中に入れてやりました。

(久々の婆様通信)
★零くん(1歳5ケ月)の場合
「パパ、ママ、おいしい」などの言葉を覚えました。純ママに似て、おっとりと良い子に育っていることを嫁に感謝したいと思います。チョコチョコと走り回り特にコンセントが好きで何でも突っ込みそうで、我が家でも対策を練らねばと考えています。

★ももちゃん(8ケ月)の場合
おすわりができ器用にコロンコロンと転んで移動できます。ハイハイはまだです。 どんぐりころころの歌が大好きで婆様がマインドコントロールの様に歌っています
女の子なので愛嬌がよく、道行く人々に癒しをふりまいています。この前初めておんぶしたら、すぐ背中で眠ってしまいました。赤子の温もりを感じます


[903] 【923回 鯖街道無事に終わったよ】 2005-12-05 (Mon)

小雨と粉雪の舞い散る中の鯖街道バスウオークは無事終了致しました。ウオークの始まる頃は小雨も粉雪も、どこかへ行き少々風がありましたが、事故もなく楽しく終了することができました。

バスウオークの報告書は原稿をジョンさんに送信しました。あとは写真をセットして頂き、まもなくデビューします。「バスウオーク」のコーナーで登場しますので乞うご期待!!

鯖売りの行商人に扮しての珍道中、ご参加の皆様にも全員鯖のオブジェ付きでご協力頂きましたことを厚くお礼申し上げます。地元の人とのふれあいも、バスウオークでしか味わえない参加者同士の親睦も充分であったのではと自己満足しています。パソコンをお持ちの参加者の皆様、ぜひ感想を「ウオーカー広場」に書き込んで下さい。私は勿論のことスタッフ一同、何よりの励みとなることでしょう。


[902] 【922回 こわ〜!高速バス、SAで休憩中に無人バック…サイド不十分?】 2005-12-03 (Sat)

JR西日本の子会社「西日本ジェイアールバス」(大阪市)の2階建て高速バスが、サービスエリアで休憩中に無人でバックし、トラックに衝突する事故を起こしていたことが3日、わかりました。トイレ休憩時なにげなくバスの前後を通過していますが、こっわーっ!またまたJR関連会社かって感じですね。

バスはバンパーが破損したが、乗客13人は降車中だったため無事で、トラック運転手にもけがはなかった。バスの男性運転手(30)のサイドブレーキのかけ方が不十分だったとみられます。(大型バスの運転手さんて30歳でOKなの?経験年数はクリアしているの?)

西日本ジェイアールバスによると、11月30日午後4時ごろ、JR東京駅発大阪駅行き「東海道大阪3号」が、トイレ休憩のため岐阜県養老町橋爪の名神高速道下り線養老サービスエリアに停車。乗客全員が降りた後、運転手もエンジンをかけたままバスを離れた数分間に、バスが約10メートルバックし、サービスエリア内の車道を横切ってトラック助手席側にぶつかったそうです。物損事故で済んでよかったですがバ
スウオークでいつこんな目に遭遇するかわかりません。バスや乗用車の前後を通過するときは充分気を付けて渡りましょうね。


[901] 【921回 環状線ウオーク下見のスタッフの皆様ごくろうさま】 2005-12-03 (Sat)

12月3日スカイビル8時30分に下見スタッフは出発したことでしょう。出発時点の天候は晴時々曇り。ごくろうさまです。ポチも参加です。
私は今日は労働日となっており仕事をしています。おまけに夕方はお通夜となっています。おりから年末調整の最終日で、てんやわんやしております。

1月8日に行われます大歩協名物「環状線ウオーク」はフリーウオークのためスタツフも総出で、おまけに南大阪歩け歩け協会のスタッフの応援も頂いております。ありがたいことです。1月8日と言えば寒さに震えながら通過していく方の安全を確認し、ご挨拶を交わします。新しい年の歩き始めは「環状線ウオーク」からと言ってくださる会員の皆様や、一般の方々と、お会いできるのが私の楽しみともなってきまし
た。

私がウオークを始めた頃の方が現在も元気満々で歩いている方もいますし、お姿を見ることもなくなった人もいらっしゃいます。加齢とともに世代交代なのでしょうか。環状線ウオークは無理をせずお助けマンの電車も利用しながら楽しく歩いて頂きたいと思っています。

下見のスタツフの皆様が、今日歩き終えて打ち合わせし、よりよい環状線ウオークにすること間違いなし!です。どうぞご近所お誘い合わせのうえご参加下さい。お待ち致しております


[900] 【920回 いってきま〜す鯖街道】 2005-12-02 (Fri)

今夜はジョンを迎えて「牡蠣&タラ鍋」を囲みました。鍋奉行は四貫島の診察を終えて豊中の彼女のもとへ・・・
食事を終えて衣装の用意です。三浦事務局長と2人分、ビンゴの景品を加えて大きな荷物が6個です。お〜いヤサカのバスよ〜我が家を経由して大阪駅へ行ってくれはすまいかのぉ

●「京は遠ても十八里」と言われております小浜では京都はとても身近に感じていたようです。そんな盛んな行き来を物語るように、山々を縫って若狭と京の都とを結ぶ多くの道が通じました。その代表的なのが「鯖街道」で、ここを歩こうというウオークです

その昔、若狭湾の幸を京の都にもたらした若狭街道は「鯖街道」とも呼ばれ大勢の行商人たちが往来しました。浜塩をした鯖は運ばれるうちに、塩がまわって、うまさを増し、鯖ずしという食文化を生み出しました。

鯖街道というぐらいですから鯖を運んでいたのは間違いありませんが(イカやカレイやグジその他多種の海産物など)を北前船から陸揚げされた物資も、盛んに輸送されました。

鯖は今と全く比較にならず沢山捕れ、体型も大きく、一般庶民に喜ばれ、待ち望まれたために、これを運ぶ道にさえ、いつしか鯖街道の名前がつけられたといいます。いわば、鯖街道とはその代表作にほかなりません。

「うの瀬」というところを通りまして、(この「うの瀬」は奈良のお水取りの水を、水送りをしている場所)。「瓜割の滝」を見学して、いよいよ歩き始めます。・・・とまあこんなことをご説明しながら、トンネルが来たら無言になるガイドもどきに皆様ご辛抱頂きながらの旅になるかと思います。後はお買い物や温泉に浸かって戻って参ります。今回はオブジェに鯖のモチーフを全員にお配り致します。鯖でジンマシンの出る方以外は全員にご協力をして頂きたいと思います。

ではいってまいります。


[899] 【919回 きんかんの甘露煮】 2005-12-01 (Thu)

市場で大粒のきんかんを見つけて買ってきました。ポチが「小さなみかんじゃなあー」と90歳のじいさんの様なことを申しております。みかんもきんかんも区別がつかないようです。「虫さされの時に使うキンカンや」と言うと「アホ」って・・どっちがアホやねん。

子供の頃、風邪を引いてのどが痛いというと、お母ちゃん(キャ久しぶりに言ってみました。懐かしい響きですこと)が庭先のきんかんを摘んで甘く炊いてくれました。「きんかんの煎じ薬」だそうです。のどの痛みが治ったかどうか、記憶が定かではありませんが、妙に甘く酢っぱかったです。

(きんかんの甘露煮)
@きんかんのヘタをきれいに掃除する。
A洗って水分を取り除き、爪楊枝で適当に穴をあける
B鍋にいれて弱火でコトコト煮る
C一度煮汁を捨てる(酸味がきつすぎるので)
Dきんかんがたっぷり浸かるくらいの水に砂糖を入れて時間をかけて煮る

シワにならないようにふっくらと煮れれば成功です。作る前に姫の試供品を食べてからにしてくださいね。好みがあるようですから。煮汁も一緒に飲むと風邪薬になるようです。但しインフルエンザには効果はありませんのでお医者さんにかかって下さい。


[898] 【918回 年末を元気に過ごしましょう!】 2005-12-01 (Thu)

12月に突入いたしました。年末年始は忙しさもあって体調を崩しやすく、また空気も乾燥していることからインフルエンザが流行しやすい時期となります。

●普通の風邪→せきやくしゃみ、のどの痛み、鼻水などが中心で熱はあまり高くなりません

●インフルエンザ→38度以上の発熱や、せきくしゃみ、のどの痛み、鼻水などの症状のほか、頭痛、関節痛、筋肉痛などの症状があります。

●もしインフルエンザに感染したら→幼児や高齢者などが感染すると重症化する恐れがあります。最悪の場合「死」に至る場合もあるので充分な注意が必要です。

●予防はどうする→うがいや手洗いをしてください。室内では乾燥しすぎないように加湿器をつかって湿度(50〜60%)を保ってください。流行時は人ごみを避け、外出時にはマスクをしましょう。栄養、睡眠も充分に!

●忘年会のシーズンとなりました。会社関係では不景気で、とーんとお誘いがなくなりました。宴会で「いっき飲み」の光景を見ることがあると思いますが急性アルコール中毒になる危険性がありますので先輩諸君!後輩いじめの「いっき飲み」はやめましょう

●いつも此花のウオークをして通過する「此花漁港」にトレトレピチピチの河豚を食べさせてくれるところがあります。この間、舞洲に行く時、所狭しと干してあった「ヒレ」が目にとまり空席状況を調べましたら、年内の金土日は満杯だそうです。月〜木の間に来て下さいだって・・・・
てっちりコースを頼んでお皿の上に切り身になって出た河豚がまだピクピクと動いているんです。新鮮、安価は姫お墨付きです。


[897] 【917回 鯖90匹の買出し】 2005-11-29 (Tue)

バスウオークの時に使う鯖90匹の買出し(?)に忙しく2日留守にしました。ひめのおしろにきて下さった皆様ごめんなさいね。

この間の休日に公園で落ち葉を拾い集めて掃除をする少年に出会いました。多分小学校2年生くらいでしょうか。掃いても掃いても舞い落ちる、落ち葉をほうきでかき集めています。塵取りに集めているのですが風がふぁーっと吹いてくると、せっかく集めた塵取りの中の落ち葉は、また地面に舞い落ちてしまいます。

とても情緒的で見とれてしまいました。まだこんな純真な少年もいるのだと、うれしくなり声をかけました。「風がやむといいのにね。おばちゃんも手伝おうか?」「いいよボク遊んでいるだけだから」とあどけなく笑う少年が心を癒してくれました。


[896] 【916回 ダツチオーブンのお誘いを受けて】 2005-11-27 (Sun)

うららかな日曜日(まさか雨に遭うとは思っていない朝の段階)、サスケ歯科医院のスタッフの皆様が舞洲のバーベキューサイトで「ダッチオーブン」を楽しむと言い、良かったらどうですかとお誘いを受けました。これは「卵が先か鶏が先か」になるのですが今回のダッチオーブン企画は、過日、生駒山麓で訓練合宿をした時、私達が遅れ組みとなり、このダツチオーブンを食べていないので再び企画をして招待しようと言う配慮があったと有難く思っています。

はじめての、手ぶらです。会社でも歩きの会でも山の仲間でも準備には何らかの形で携わっているのですが、今回だけはほんまに手ぶらです。うららちゃんが揃えてくれた数々の道具、小物、お手製の品々がバーベキューサイトに並びます。

しかしポツポツと無情の雨が落ちてきて、止むどころか「アラレ、ミゾレ」混じりで更に強く降ります。しかし誰一人雨宿りするものもなく、ずぶぬれ状態で炭火をおこします。みんな初めてのダッチオーブン料理を想像して、待ち遠しくて雨なんてなんのそのです。炭火がいこり、みなさん限りなく火に近寄り暖を取ります。幸いなことに雨、アラレは遠い彼方に去って行ってくれました。「さあ出来上がり」サスケ先生のドラの音が鳴り響きます。

みんな出来上がりの料理にハイエナ状態で群がります。にんにく丸々1個を始めて食べました。おいしい!鶏肉の香ばしい焼き具合とにんじんの甘さ、じゃがいものほこほこさがたまりません。あ〜これで生駒合宿の取り残された寂しさから解放されるぞ。

炭火の残りを利用して焼き芋、メザシ、アジの開きとまだお腹に入ります(別腹とはこのことかな)デザート、コーヒーまで出て、そこらへんのレストラン料理より豪華です。サスケ先生のベンツを見送り、此花組はフラリフラリと酔っ払いのいい気分で戻ってきました。途中で大阪市市長選挙もちゃーんと行きましたよ。

ポチは焼酎が効いたのかポテチン!私は自分の部屋で、納会の衣装の最終チェック。ジョンは「ぎっくり腰」に見舞われ70歳のおじいさんモードで帰っていきました。

サスケ&うららちゃんのおかげで、ストレスのない、おだやかな日曜日を過すことができました。感謝です。


[895] 【915回 納会での余興】 2005-11-26 (Sat)

会員の皆様を対象に「納会ウオーク」が繰り広げられようとしています。今回の会場が人気なら毎年同じ場所での納会というのも味があっていいかも知れません。ウオークの時間には都合がつかないがお食事会には、間に合うという方も、今後いらっしゃるかも知れません。晩秋の紅葉を楽しんで、食事して、温泉に入ってシャンシャンシャンと手打ち式を終え17年度は幕を下ろします。

大阪府歩け歩け協会では「救命救急講習」に力を入れており今回の納会でも取り組んでいます。ただ参加者全員の皆様に受講して頂くには時間に限りがあります「知らないより知ってた方がお得」と最初は軽い気持ちからスタートして頂いてもいいかと思います。「そんなエエ加減な!」とお叱りの声もあるかも知れません。しかし「はじめの一歩」はそれでいいのです。

それから「よっしゃ自分も覚えてみようか」と進展して頂ければ納会の意味は大きいです。まあ会員相互の親睦会ですから、楽しい部分も必要です。さてさて、そんなわけで余興・・・・の部です!
お食事の時間を利用して「ダックスフンド」によるコーラス部隊をお願いしています。あとは今、私の部屋は「ドサ周りの楽屋」モードになっています。花笠、刀、地下足袋、モンペ、今夜はドレスも完成します。ウエスト○p、ヒップ○p(個人情報保護法により姫のサイズは守られています)材料費請求?どこからも出ませんのでポチのタンス貯金から失敬しました(本人は多分このページを見て驚くと思います。)
楽しかったらお慰みというところで納会の予告編でした。

バスウオークの途中で声かけした合唱団「ダックスフンド」の皆さん、忘れてはいないでしょうねぇ。当日しらばっくれたりはしないでしょうねぇ。みなさんのお揃いの衣装も完成して楽譜も用意しました。あとは当日を待つばかりです


[894] 【914回 体力の衰え】 2005-11-24 (Thu)

病名としては非常にむずかしく、非常に苦痛の伴う闘病生活にピリオドを打ち、体力低下を取り戻そうと、涙ぐましい努力をされている。会員のサスケ先生。
23日の「サスケとうららのテクテク日誌」を拝見して六甲の行者の滝から風吹き岩、雨ケ峠、七曲、 凌雲台へとリハビリにでかけたそうです。なんと荒行!

「病癒え 足を踏みしめ 秋の山 抜き去られつつ 後追いつかず」と詠んでおられましたが何かジーンとくるものがあります。医者である故にご自分に厳しいのか、足の衰えは鍛えなければと自分に言い聞かせていらっしゃるのか・・・・

私達がウオークの最初のきっかけとなったのは「医者から勧められて」「病気を克服するために」という方が80%以上いらっしゃるのではないでしょうか。ウオークのベテランになってくると「我先に押し退けウオーク」に走る人も少なくありません。
そんな歩き方をしていると、身体を壊しますよ。この詩の中に「抜き去られつつ 後追いつかず」とありますが抜き去られても「ドンマイ、ドンマイ」で行きましょうよ。この詩のいいところは「後追いつけず」ではなく「後追いつかず」というところです。あせりがなく、自分の体調に合わせて自然を相手にリハビリをしている様子が伺えます。

歩けるということは素晴らしいことです。病院の窓越しに、歩いている人を見ながら、うらやましく思っている人は沢山いると思います。

過日雪彦山に訓練に行ったときのことです。広島から来たパーティ15人が岩をロープ掛けして上るところに遭遇しました。リーダー(旅行会社の人)が細い細いロープを出してカラビナを用意して15人を引き揚げていました。下りの我々は待ち時間を利用してジョンリーダーがリュックからおもむろにロープ、カラビナ等の道具を出し「俺たちもホラこんなに道具の装備があるのだ」と無言の宣伝をしていたのが少年っぽくて笑えました。

来年の夏は白馬岳に参加をしようと思っていますので、機会があれば訓練とレスキューの積み重ねをしていきたいと思っています。連れてってねぇ!


[893] 【913回 晩秋の風に乗り喪中ハガキの舞い込み】 2005-11-22 (Tue)

この時期「喪中ハガキ」がポストに何枚も入っています。そんな中の1枚に市岡教習所時代の教官の奥様からのお知らせで、ご主人を亡くされたと書いてありました。昭和60年頃、仕事上どうしても必要ということになり教習所通いを始めました。40歳を過ぎて運転技術の飲み込みの早いはずがありません。年齢と同じくらい授業料がいると脅されました。

いけずな教官もいました。若い女性には結構やさしいが我々おばさんには「そんなこともわからないのか!」と顔に出す教官もいました。そんな中で村木教官は、とても親切で40歳でなんでいまさら免許がいるのか聞いてくれました。仕事上のこと、ポチが網膜剥離で入院しており、病院への送り迎えにバイクではどうしょうも無いことなどを話ました。

1段階、2段階と進んで行き、教官なりに私が「坂道発進」が苦手なのを悟った様子で「チェンジは生卵だと思え。強く握ると割れるよ」と言われました。坂道発進がうまくいかず半分ほどズズッと下がったこともありました。S字走行の時は、ポールを全部倒して、「今日はここでやめようか」とあきれらた事もあります。あわてて次に進まずに、苦手なコースは復習をしてくれ、補習授業なしで見事卒業となりました。

ポチの大きな車を一人で運転して市岡教習所の教官に会いに行った時のことです。教習所近くのガソリンスタンドのところで通行人が窓ガラスをたたきます。「一方通行を逆走してますよ」って教えてくれました。運悪く、前から車がきたのでサイドブレーキをひいて「この通り若葉マークをつけていてバックが苦手です。すみませんがあなたのほうがバックしてもらえませんか?」と言うとこころよくバックしてもらったこともありました。千鳥橋の交差点でゆる〜い坂道の発信がうまくいかず2回も信号がかわりましたが後ろの車の葬式屋のおっちゃん(ちなみに知り合い)は同じように待ってくれたこともありました。そのご縁でポチの両親は、この葬式屋さんで頼みました(笑)この時代、いまほどオートマの車は出回っていなかったのです。

教官が此花から一人で運転してきたことをとても誉めてくれ20年もの間、年賀状のやりとりは続いていました。現在の私がハンドルを握れるようになったのは、この教官のおかげです。心からご冥福をお祈り申し上げます。

(おまけ)
そのあと腕を磨くために高速道路を走って料金所のおじさんに「すみませんが料金取りに近ずいてください」とか三速で発進してターンしたり、後ろのダンプカーが赤信号なのに前進せよとクラクションを鳴らすので、またまた玉川の大きな交差点でサイドを引いて「何でクラクション鳴らすの?信号は赤やし、若葉マークいじめしたらあかんで!」とお話し合いをしたり色々ありました。助手席で指導をしてくれたのはポチではなくジョンでした。ポチは私の運転を恐がって、しばらくは乗ろうとはしませんでした。

今は腕前はポチよりもキャハハです。試しに乗ってみませんか?


[892] 【912回 今秋一番の冷え込みで暖房解禁しました。】 2005-11-21 (Mon)

12月1日の暖房開始日を待てず、とうとう近畿今秋一番の冷え込みの今日、暖房を解禁と致しました。場内アナウンスで「暖房に切り替えましたが室内温度の設定は20度です。日中暖かくなったら切りましょう!」と節電省エネを訴えることを忘れません。つい先日ISO14001の審査があったばかりですから環境にやさしい企業でなくっちゃあね。

21日の朝、奈良では最低気温が0.3度(平年だと5.0度)を記録したそうです。奈良公園では鹿がはむ草も霜がおりて真っ白だったといいます。大阪は5.1度、京都2.5度、彦根1.2度
とやっぱり奈良公園が一番寒いのですね。

ちなみに夏の冷房適切温度は28度、冬の冷房は20.0度です。外気温との差を、あまり大きくすると風邪ひきの原因になります。湿度もほどよく補給してくださいね。湿度を保つためには脱水したバスタオルを部屋の中に吊るしておくと、丁度いい具合だと言われています。(決して部屋の中にババシャツを干さないでね)


[891] 【911回 ババシャツウオークの失敗】 2005-11-20 (Sun)

週末から、アレルギー性鼻炎にかかり、中国の「何たら薬」を飲まされても、まだ少々風邪気味でしたので何年かぶりにタンスから「ババシャツ」を引っ張り出して着ました。私は1年中シャツは着ないので、昔に隣のおばちゃんが元気だった頃、お歳暮で頂いたシャツがあったのです。
「おニューか。いよいよ名実ともにババか」とニタニタしながら着込み出発しました。

歩き始めるとポカポカどころか、汗がにじみ出てきます。「早い目に脱いだり着たり出来る服装」とジョン師匠に教わっていましたのに今日は悲しいかな脱ぐことができません。そのままで昼食場所に着いたときにはリュックを背負っている部分はおネショの跡のように濡れています。

そして食事の跡は、濡れた部分が寒くてやりきれなくなりました。結局ババシャツを着たまま濡れたままで家に戻り、すぐお風呂に入りぬくもりました。今のところハクション大魔王様も大丈夫の様です。ウオークレポートとひめのおうちの書き込みで、かれこれ1時間以上パソコンに向かっています。

やばーっ!

皆様への教訓です。これからのウオークは重ね着をして脱げる衣服にしてください。薄手の前開きブラウスをババシャツの代わりにしたら、人前でも平気で脱げます。汗をかいたら、早い目に脱げる服装をしてご参加くださいね。


[890] 【910回 暖房の入らないビルは寒すぎてまた風邪ぶりかえしたよ〜】 2005-11-19 (Sat)

冬の風物詩のアレルギー性鼻炎到来で「クション!ハッハッハックション!」昨日1日で何十回クシャミが出たのでしょうか。総務室を訪れた取締役が見るに見かねて「これ飲め!」と、500円玉ほどあるえらい大きな薬をくれました。

「同仁牛黄清心丸」どうも中国の風邪薬のようです。「えっ?日本人にも効くのですか?」500円玉というか大粒の梅干しほどあります。飲むと言うより噛んで飲むのです。私が飲み終えるまで帰ろうとしません。どうしょう・・・飲んだ振りして家にある「だらにすけ」飲みたいのですが。本当に大きいんだから。今度バスウオークに行くとき空箱をご披露しましょうか?

のうがきが書いてあります。牛黄、羚羊角、人参、白朮、紫胡、干姜、桔梗、など27味なんですと・・・・。注意事項のところに丸のまま飲み込まないことと書いてあります。こんなもん飲み込めるかっちゅうねん。あ〜あ♪ぐ♪る♪じ♪い♪よ〜!

「日本で買うたら1粒3000円」と聞き、3000円もの高価な薬なら効くやろ・・・とにかく清水の舞台から飛んだつもりで噛み噛みごっくんしました。そのあと「しゃあけど中国では20円くらいや」と捨てぜりふを残して退出されました。20円だったら無理して噛み噛みごっくんしなかったのに!

口の中は仁丹と正露丸とにんにくを一度に食べたような匂いが残りました。おまけに寝る前に飲めと「人参牛黄」のカプセルまで置いていかれました。人の善意はありがたく頂きたいのですが良薬は口に苦しというけれども、見るだけで苦い薬なんです。あ〜あ甘くて美味しい「善哉」がたべたいよ〜

しかし夕方にはたいしたものでクシャミは止まり悪寒は消えました。しかし今後は、取締役の前では絶対にクシャミや咳は、せんとこ。


[889] 【909回 熊野古道の三軒茶屋のおばちゃん】 2005-11-18 (Fri)

5月の連休にプライベートで熊野古道「滝尻王子」から2日間かけて「熊野本宮大社」までを歩いたことは、すでにレポート済みですよね。ゴールの「熊野本宮大社」と「伏拝王子」の間に三軒茶屋という茶店があります。その茶店付近で、体調不良をおこし、動けなくなった仲間がいました。その時おばちゃんに車で熊野本宮大社まで乗せて貰い、助けていただいたのです。その三軒茶屋のおばちゃんが此花区春日出という町にきて私に会いたいと人を介して伝言がありました。人を介してというのは、近くのおじさんに私の会社が近くかどうか尋ねたらしいです。よくよく話を聞きますと、何と取引先の木型屋のおじさんでした「ワシのよう知っている会社のお局さんや」と言うことになり電話をかけてきてくれました。

お世話になったのは我々の方なのでバイクをすっ飛ばしての再会となりました。「あの時はどうも」と懐かしそうに手を握り手作りという「蜂蜜」をおみやげに頂きました。「あんたに会いたかったんよーっ!」車も無い、電話も通じない山ん中でお世話になり、大阪に戻り過少の礼を包んでお手紙を出しただけなんですが、沢山の旅行客があるけれども、いくら世話をしても、後々まできちんとしてくれる人はいない、またおいでとの事でした。

ウオークで嫌な思いをすることもありますが、素敵な出会いもあることを今日はあらためて感じ取ることができました。三軒茶屋から、病人を車に乗せてもらってから、私は山道を走りながら駆け下りたパワーを今思いだしてもすごかったと思っています。1時間かかるところを30分くらいの時間で追いつき、遅れを取り戻したことを懐かしく、たくましく思い出しました。

熊野古道を日帰りのウオークで実施の話があっても私が賛成できないのは、思っている以上にアツプダウンがきついこと、泊まりでないと制覇できないことなどを体験しているので募集を掛けるときは「健脚者のみ参加可能」と明記しなければ三軒茶屋騒動パートUになります。ちなみにその時は「ガイドもどき」を悪用しバスとともに先回りして露天風呂の湯船の中で待っていたいと思っています。

「たかが世界遺産、されど世界遺産です。」
             


[888] 【908回 皇室を離れる娘へ母の愛】 2005-11-17 (Thu)

平成17年11月15日(大安)の良き日に日本全国が注目した天皇家と黒田家の結婚式がとどこおりなく行われました。おめでとうございます。    

結婚式の朝、父である天皇陛下は、清子さんに「家族の絆は変わらない。公的な仕事を共にすることはなくなるが、家族の絆は変わらないので、折々にいらっしゃい」と声をかけられたそうです。母である皇后さまは、ご自身が嫁ぐ朝、母親がそうしたように、清子さんをしっかりと抱きしめられ「大丈夫よ」と何度もおっしゃったそうです。この「大丈夫よ」の言葉の意味の深さと広さに胸の熱くなる思いがしました。

披露宴の模様もニュースで流れていましたが、美智子皇后が身につけた着物を借りて、質素で、それでいて気高く好感のもてる様子を垣間見ることができました。

(話はガラリと変わりますが)
私の父は道義と言い、この「道」の響きから「美智子」と名付けられたと聞いております。幼少の頃は「♪みっちゃん、みちみち○○○して紙がないので△△△♪」とみっちゃんという名前だけで冷やかされた記憶があります。ひ弱な子なら、これがいじめとなっていたことでしょう。しかし私は、そんなことでへこたれず、この「はやり歌」を歌った子を残らず追いかけ回し謝らしたものです。「親がつけてくれた名前を、てがう(高知弁で冷やかすという意味)とは許さん!」と。

ところが、46年前、正田美智子さまが天皇家にお嫁入りするということで「美智子」という名前が格上げとなりました。えらいもので、それから「みっちゃんの歌」は誰も歌わなくなりました。「ミッチー」なんて愛称が流行ましたが、私には残念ながら似合わず、呼ばれても、振り向くことはありませんでした。(ハハハ)


[887] 【907回それでいいのかコウノトリの郷、豊岡市】 2005-11-16 (Wed)

「園児の慰問に個人情報の壁」

11/15産経新聞で兵庫県豊岡市の幼稚園児らが独居の高齢者宅を訪問して手作りクッキーを手渡す恒例の敬老の日の行事(奉仕活動)が個人名簿を提出してもらえず中止になったとの記事を報道されていました。

この行事、お年寄り達からは「子供に接する機会が少ないのでうれしい」と喜ばれていたといいます。また幼稚園側も核家族化が進み、高齢者と接する機会が減っていることから、よい教育材料となっていたといいます。しかし個人情報保護法が施行されたことから役所の方から名簿の情報提出を断ったと言います。

この地区の対象者は30人から40人。名簿の提出ができないなら役所の担当者が園児達に付き添って高齢者のお家をまわれば済むことではありませんか。コウノトリの郷として有名になったわりには行政は人間に対しての処置には、ちと寂しいですね。
園児達は高齢者の自宅訪問をディサービスセンターに切り替えたといいますがディサービスを受けられず自宅で生活している者の身になると、暖かい交流行事まで摘み取ってしまうのは残念で仕方がありません。

私の隣にも85歳すぎのおばあさんがいましたが(今は息子さんの家に同居)毎朝、毎晩ピンポーンを押して尋ねてきます。一人でいると誰とも話しをしなくて不安だと言っていました。幼稚園児のかわいい声や、いでたちを見るだけで「元気」をもらえるのではないでしょうか。敬老の日だけのサービスだけではなくて持続できる行政のフォローを期待したいです。

とにかく我々は元気で、仲間と楽しく歩けて家族や行政に迷惑をかけない健康作りをめざして今日も一日頑張りましょう!
             


[886] 【906回 1年ぶりに戻ってきたハガキ】 2005-11-15 (Tue)

平成17年1月15日の幕の内が過ぎた日、ポチのパパが亡くなった為、喪中(寒中)ハガキを投函しました。平成17年11月12日、我が家のポストに付箋の付いた見覚えのあるハガキが舞い戻っていました。不思議、納得のいかない事は調べるのが私の性格ですので早速、宛名ちかくの千葉県八千代市村上郵便局に電話をして調査依頼をしました。

とにかく対応がいい。丁寧。こんな印象で1回目の電話を切りました。2回目は村上郵便局からの電話で「いま調べております」との中間報告。3回目は郵便を持ち帰った局員に事情を聞きましたという報告。とにかく間髪いれない対応の良さ。

原因は相手さんが1年もの間、団地の郵便ポストを見ず、ポストから郵便があふれており防犯上危険と察知し持ち帰りましたとのことでした。

事情が飲み込めたこと、対応の良かったことに納得をしました。更に「相手様にも電話をしまして、こうこうしかじかと報告をしておきました。今後はポストの管理もよろしく」との連絡をいれたそうです。完璧!あっぱれ!大阪のおばちゃんが、こうも誉めることは滅多とないよ〜!

仕事でも、ウオークでもそうですが、起きてしまったトラブルよりも、いかに早く対応をするかだと思います。今回「中間報告」をくれたことが非常に良かったと思っています。今後このことをマスターしたい、とても良い勉強になりました。


[885] 【905回 急にコタツが恋しくて】 2005-11-14 (Mon)

朝夕めっきりと寒くなりましたね。今日は仕事場で震えていました。つい最近まで「冷房」をかけていましたのに「送風」の期間がなく即暖房となります。しかし当社は製造業ですから、工場にストーブが出るまで事務所では、じっと寒さに耐えるのであります。気合が入ってよろしい!

工場のある丹波篠山では、もうすでに朝霜がおりているらしいです。篠山では黒豆の枝豆の時期が過ぎボタン鍋の季節となります。六甲の地獄谷で出合った瓜坊は、ボタン鍋の中に入れられるのでしょうか。

♪雪がチラチラ丹波の宿に(ヨイヨイ) シシが飛び込む ボタン鍋(ヨーイヨーイデッカンショ)♪

春日のインターをおりるとすぐの所に剥製のイノシシ肉屋があり、肉と味噌を売っています。家で上手に味噌が作れますという方もいますが、せっかくの美味しい肉ですから味噌も一緒に買ったって!黒川温泉でお湯につかり、近くの食堂でボタン鍋をたべたけど美味しかったなあ・・・・

11月17日には篠山市旅館組合が、秘伝の味を競う「ボタン鍋まつり」が開催されるそうです。行って見っか?


[884] 【904回応急処置検証の番組があるよ】 2005-11-13 (Sun)

大阪府歩け歩け協会の納会時には「会員の方のみ参加可」ではありますが応急処置を一人でも多くの方にマスターして頂く為に救命講習をしています。今年も予定しています。

そんな矢先にテレビで取り上げると言うことを知りましたのでご案内しておきたいと思います。ぜひご家族でごらん下さい。

11月15日(火)午後7時からABC系たけしの本当は怖い家庭の医学「知らないと助からない、応急処置スペシャル」です。人が倒れたときの応急処置を検証し、脳梗塞や、やけど、ぎっくり腰などへの対処法を紹介してくれるそうです。

さしずめ応急処置についてはウオークの途中で必ず役立つのではないかと思います。「あ〜あそんな事知ってるわ」という方も居るかもしれませんが、その知ってる療法が正しいかどうか確かめるためにもお勧めしたいです。

いつも申し上げますが一人の人が、最初から最後まで理解できていなくても、ほかの方の助けを得て救命救急を成し遂げることもあるはずです。私はウオークの皆様に、一人でも多くの方にマスターして頂きたいです。なぜならば万一、私が応急処置が必要となった場合、みなさんに助けてもらえる確立が多くなるということですから。

11月15日(火)午後7時からABC系です。どうぞお見逃しなく。


[883] 【903回 33歳の別れから42歳の別れ】 2005-11-12 (Sat)

過日33歳の女性の方の野辺の送りのことを書きました。昨日は42歳の男性の野辺の送りに東京まで行ってきました。3人のご子息の一番したの子供は、まだ3歳です。勤務中に突然のクモ膜下出血で倒れ意識不明のままなくなられてしまいました。少年野球のコーチをしていたということでユニホームを着用した子供たちが何列にも並びます。「コーチに黙祷!、」しばらくして「なおれ」の合図のあと「ありがとうございました!」と全員頭を下げます。参列者全員むせび泣きました。人との出会いはうれしく心弾みますが、別れはつらく悲しいです。少し早すぎる一生ではありますが、精一杯生き抜いた故人に拍手を送りたいと思います。

この告別式の中で、お一人だけ知り合いがいました。(?)そばにいらっしゃいましたので「どこかでお会いしましたよね?」と言葉をかけましたが、やさしく笑っているだけ。この笑いが「オレの事、思い出してくれ〜よ」と言わんばかりで、どうしても思い出すことが出来ません。ノドに詰まったモチの様に、すっきりせずにいました。祭壇の前に「宇都木員夫」と生花が飾られており、妙に気にかかりました。なぜ気にかかったのかはわかりませんが。
そして今朝のテレビで「朝パラ」という番組の画面をみて、のどにひっかかっていたモチが胃の中にストーンと収まった気分です。

そうなんです。私が、どこかで知り会ったと思っていたのは、芸能コメンテーターの「宇都木員夫さん」だったのです。知り合いではなく一方的に画面で見たことのある人だっただけです。あ〜あスッキリした!

新幹線「のぞみ」の予約列車に乗り遅れ、最終まで指定席はないとの案内板で、仕方なく東京ー大阪間を各駅停車「こだま」に乗りそれでも熱海までは立ち席で、単身赴任者の移動の多さにびっくりしました。三河安城を過ぎたあたりでは車両の中は、マバラの人となりました。しかし「こだま」でないと帰宅できない駅の人たちにとっては貴重な列車です。頑張れ「こだま」のぞみにはない味わいがありますぞ


新幹線をウオークに置き換えたら、のぞみは確かに早い。急いでいる時には利用価値は充分あります。しかし情緒も風情も何ない。ウオークでも「早く歩くだけ」では同じことがいえるのではないでしょうか。この「こだま」のように行く先々で立ち止まり、草花を見ながら、ゆっくり歩くことも、なかなか乙なものではないでしょうか。

かげの声)しゃーけど各駅停車は特徴として認めるが、停車駅での待ち時間が長すぎはしないかー


[882] 【902回 避雷信仰の神社に落雷】 2005-11-10 (Thu)

青森県平内町というところに雷電宮という神社があるそうです。その神社に9日午前11時半ごろ、樹齢350年の杉の大木に雷が落ち、杉や社務所の壁を焦がしたそうです。
この雷電宮は「雷などの災害を避け、住民を救う」という避雷信仰が名前の由来だそうです。約400年の歴史があるといい、「避雷の神社に雷が落ちては……」と宮司は苦笑。それでも「民家などに落ちるよりは良かった。けが人もなく、不幸中の幸いというか、これも御利益かな」と話していたといいます。

幸いを与えるという別の話ですが「信楽高原鐡道」って言えばみなさま何を想像されますか?「信楽焼き」「列車事故」などが浮かぶと思います。私は「信楽親子きっぷ」を思い浮かべます。これは亡き一刀水の誘いで信楽に行った際に駅長室前で「信楽焼き親子きっぷ」なるものを販売していました。新しい干支を信楽焼にして、しかも実際に電車に乗れるのです。有効期限が1年間もあり、次の年の干支を購入の際に、このお皿のような大きな切符で親子で仲良く買いに来ると言うなんとも、ユニークなきっぷです。

ウサギ年からスタートして、巳年、辰年、午年、未年、申年、酉年と、すでに7枚集まっています。昨日信楽高原鐡道から案内が来ていましたので早速注文しました(郵送でも取り扱い中)

ジョンの店にも「福」が来るよう、同じように毎年プレゼントしているのですが夕食の焼き魚でものっかっていそうな気配です。12枚揃うのを楽しみにしています。


[881] 【901回 突然のかわいい訪問者】 2005-11-09 (Wed)

姪が中学1年生の女の子を連れてやってきました。手には自家製の赤飯・・・
「おめでとう???かな???」というと、嬉しそうにはにかんでいました。小さい頃から我が家の孫のようにお泊まりしたり、キャンプや雪遊びに連れ回った一刀水の孫です。

「まあ、お上がり」と雑談をしながら「お祝い」の用意をしました。そう「初潮」がやってきたのです。我々にとって気絶する程昔々の思い出です。
姪が初潮を迎えた時は母親が無関心であったので(話づらいわなぁ)私が手紙にしたためて赤ちゃんの産める身体になったこと、人前でみだりに足を開げないなど(大きなおせわ語録)をしたためました。昨日、その手紙を子供に見せたそうです。残してくれてたのですね。

医学用語では、生理のことを月経、初潮のことを初経とよびます。初潮の前にはおっぱいがふくらみはじめたりして身体に変化が出てきます。体重が43sに達するころに初潮をみるものが多いといわれています。生理がはじまったということは、大人の女性への仲間入りです。そんな当たり前の話を夜の更けるのも忘れて話し込んでいました。

私の時は母親が「生理バンド」なるものを買ってくれて決してこのパンツは表に干してはいけないよと教えてくれたことがありました。母とは10年間しか一緒に暮らすことがなかったけれども大切なことは全て教えて、あの世に旅立った気がします。



[880] 【900、900、900、900回目の書き込みだよ〜ん】 2005-11-08 (Tue)

「鬼のかく乱」と「ババ様」3日ぶりのパソコン電源ONです。何と900回目となりました。よくまあ続いていますこと。

11月6日の朝、不覚にも高熱付き鼻炎にかかってしまい、せっかくの休日を不意にしました。何を考えるのも、何をするのもおっくうで起きていることができませんでした。休日で病院もなく薬局でアンプルを買い求めベットにはいりましたが耳鳴りはするし、めまいはするし、悪寒はするし、さすがの姫も「ひめい」をあげてしまいました。(元気あるじゃん)

お昼にカレーを食べ損ねましたが、家に戻っても台所に立つ元気もなく、仲間が握ってくれたおにぎりだけ食べて薬を飲むこととなりました。私の中に「遊びに行った翌日は這ってでも出勤しろ」という言葉を常々申しておりますので休むわけにもいかず、鼻ズルズル状態で出勤した次第です。

77日ぶりに戻ってくる零ちっちのこともお見舞いメールを頂いたお友達の「零くんに会えましたか?」の内容で、ああそうか今日が戻って来る日だったのかと、その事さえも、うわの空でした。人はこんな時「鬼のかく乱」だと笑います。しかし今回だけは笑い飛ばす元気もありませんでした。

月曜日、嫁の純ちゃんから「帰りましたコール」があり夕方零ちっちとのご対面となりました。しかし赤ん坊の77日間というのはババ様の顔も忘れるくらい長い月日だったのです。ママの足もとにチョコチョコとしがみつき「おいで」と手を出しても泣きべそをかかれてしまいました。頭にガーンと大きな石が落ちてきたようなショックを受け、気持ち的には「当たり前や77日間やでー」と自分で自分に言い聞かせてはいましたが、ブルーの心は更にブルーになり、重い足をひきずりながら家路につきました。ポチが矢継ぎ早に零のことを聞きますので「知らん!自分で確かめたらエエ!もう寝る!」と風呂も入らず3階にかけあがりました。

「ピンポーン!」

インターホンの音がしましたが出る気もしません。ポチが対応していましたら、何と純ちゃんが零ちっちを連れて来てくれました。何事かと聞くと「あまりにもババ様が寂しげで可愛そうだったから来たよ。あの時は零も寝起きだったから機嫌悪くてゴメンね」
なんと天使の様な純ちゃんなのでしょう。バジャマのまま再び、ご対面となりました。2階を走り回る零ちっちをみながら、うれし涙がとまりませんでした。おもちゃを「はい」とババ様に運んでくれます。小さな滑り台をすべらせると「じょうず、じょうず」が出来るようになっていました。バイバイをするころは「すこぶる元気」のババ様でした。
さすが「すこぶるタレント!!」

純ちゃんがポロリと言いました「函館のババは零が大阪に帰るといつも忘れられて、函館に来るとまた思い出してもらえての繰り返しですヨ」そうか・・・・ ごめん
             


[879] 【899回 ハイキングの出で立ちで出勤】 2005-11-05 (Sat)

今日は土曜日ですが我が社は出勤日となっています。おまけに「大阪市クリーン作戦」企業での参加日であります。我が社は環境問題に取り組む「ISO14001認証」ということで白羽の矢が立ったのでしょうか。女子社員総出で四貫島の目抜き通りから此花警察署の前までの往復を、またまた「米つきバッタ」でゴミの回収にあたります。

やはり服装、装備は大切で、大阪府歩け歩け協会で借りたタスキと火バサミ、軍手の出で立ちでスタートすると「おはようさん」「ごくろうさん」「若いのに感心やなあ」「美女隊てか?」と口々に声をかけてくれました。タスキには「美女隊」ではなく「美化隊」と書いてあるのですがご高齢のため素敵な読み違いをしてくれた様子です。不思議と空き缶はゼロでした。やはりタバコの吸い殻はダントツです。女子社員は地域のボランティア活動にとても感動していました。いい体験をしてもらえたと思います。企業のイメージもドーンとアツプしました。

お天気は上々です。一方仲間達は生駒の紅葉を求めてハイキングに出発の予定です。く〜や〜し〜い!「なるかわの森」でバンガローを全棟借り切り、ロープワークや緊急搬送等の勉強会を生駒の山々を相手に実践教育がなされるはずで、夕方、合流します。

しかし会社にズボンにリュックにジャンバーのウオークの格好で出勤すると、まず守衛室で「?」そしてエレベーターの中で「?」、更衣室で「?」と相成りました。そんなに場違いなのかしら???


[878] 【898回 カサブランカの甘い香りと送り狼】 2005-11-04 (Fri)

素敵なタイトルにニンマリとする姫。さあ、どう話を展開していこうかと胸わくわくしながら書き込みをスタートしました。

ゴミ清掃ウオークのことは「ウオークレポート」でごらん頂きましたね。その帰りにジョンにメールをして「今夜のご希望のメニューは?」と聞きましたら、即「カニチリか鱈チリ」と返事がありました。これが「鱈チリか、カニチリ」だったら、きっと鱈を買っていましたがカニチリが先に書き込んでありましたので今夜は「カニチリ」です。

今日は私の冷蔵庫のJスコではなく「オアシス」というお店で材料調達です。勿論カニを買いました。だってポチの中途半端な59歳のバースデーですから、奮発しました。

ジョンを迎えに行き、お友達と合流し、楽しい宴のスタートです。ウオークのスタート時には「コース説明、ストレッチ」等がありますが、我が家ではすでに箸をもって待っていて、主の挨拶も来賓の挨拶もなく、鍋のカニを狙うのみのスタートです。

おなかは張り裂けそうになっていてもケーキは「別腹」。場所を他の部屋に移しケーキの、おでましです。(ほらあのワンちゃんのお誕生日の)電気を消し「♪リンドン、リンドン聞こえる幸せの鐘〜ハッピバースディツーユーおめでとう♪」の歌を歌いご入刀です(結婚式と違うって!)

時は楽しく、早く進み、お友達が持ってきてくれたカサブランカが、おしゃべりしている間に開花していい香りを出しています。時間を見たら何と11時です。こりゃいかんということで「おひらき」となりました。みんな、お酒が入っているのでタクシーでジョンが途中までお友達を送ってくれることになりました。何十年の付き合いですが「到着コール」なんて今まで一度もありません。なのに今夜は「到着。今帰ったコール」が鳴り響きました

ハハーン。送り狼しなかったぞという合図だなと、ほくそ笑みベットにはいりました。

★ちなみに阪神デパートの美味しいケーキ屋さんは「ヴィタメール」です。


[877] (897回 中途半端なポチの59歳) 2005-11-02 (Wed)

来年の今月今夜は盛大に皆様をどこかの豪華な「お好み焼き屋」へご招待して、還暦祝いをしたいとは考えていますが、今年59歳なんて中途半端な年なので、知らないふりをしておきましょうと思っていたら、ももちゃんのママが「お父さんの誕生日なので赤飯作っていきま〜す」ってメールが入りました。

こりゃいかん。熊の出没なら「死んだ振り」をしますが「知らない振り」でどうも済みそうにないなあと思い直し、超ささやかな夕食会をももちゃん一家とすることになりました。

そうそう久々のババ様通信してもいいですかぁ。あのね、零ちっちがね11月6日に大阪に戻ってきます!何と77日ぶりですぞ!どれほどに淋しかったか・・とも函館のババ様のことを思うと言ってられませんね。函ババは、やっと退院しました「一言さん」へのお願いが聞き入れられたようです。うれしいです。待ち遠しいです。しかし息子はいじわるなのでしばらくは我が家に連れてこないで親子3人水入らずを通すと思います。

ジジの何よりの誕生日プレゼントです。ももちゃんは、絵本の音楽に合わせて「う〜う〜きゃあきゃあ」叫んでいます。きっと歌っているつもりなのでしょうか。ポタンを押すと音楽が流れてくね絵本です。自分の子育ての時には、お目見えしなかったシロモノです。


[876] 【896回 ジャングル生活30年の小野田寛郎さん秋の褒章受賞】 2005-11-02 (Wed)

「恥ずかしながら戻ってまいりました!」中野陸軍学校卒小野田さんが凛とした姿でタラップを降りる姿は今も瞼に残っています。
終戦を信じず戦後約30年、ジャングルで生活を送った元陸軍少尉。この経験を生かして子供たちが、たくましく生きられるようにと福島県で「小野田自然塾」を開き、ロープの結び方、火のおこし方、沢登りなど野外活動の指導をされているそうです。

各地の講演活動も立ったままこなす「お元気ですねぇ」と言うと「外見ではわからないが金属疲労の状態です」と笑って応えてくれたという。褒章を頂いたところでやめると「食い逃げ」になる。嘱望されれば死ぬまでやらねばと決意を新たにしたといいます。

現在83歳いつまでもお元気で。30年の空白を埋めるには、あと30年は現役で頑張って頂かないとと思っています。

★大阪の福島なら、すぐにでも塾生として申し込みするのですが・・・・


[875] 【895回 梅干ドロボー】 2005-11-01 (Tue)

梅干ドロボーが最近、和歌山県みなべ町で多発しているそうです。私は梅干の中でこのみなべ町の「南高梅」を愛好しています。自分自身もですが贈答用、記念品等にも銘柄指定で注文します。時々「南高梅の在庫がないので別の品でいかがですか」と問い合わせされるときがありますが「南高梅以外はいらない」とまで言います。

もらった人に喜んでもらうには、自分が食べて美味しいと思ったものを薦めるのが私なりの約束事です。

この梅干ドロボーは「白干梅」と呼ばれる一次加工品で、しかも一級品ばかり狙うプロの手口で、盗まれた白干梅は二次加工業者に売却された可能性が強いとの話です。みなべ町では同様の手口で被害が相次いでおり警察は犯人探しに懸命になっているといいます。

子供が小さいころ出勤するために夏休みになると門のところに「今でかけています」と勉強時間に子供が遊びにくるのを避けるための看板をだしていました。「留守だよ」と宣伝しているみたいで今思い返すと恐ろしい話ですね。でも今ほど世間が荒れてはいなかったですよ。玄関の施錠は朝と夕方だけしかしていませんでした。

みなさんもウオークにでかける前には「ガスの元栓」「コンセントにアイロン等ないか」「電気」「戸締り」の指差しチェックをお勧めします。声に出して指差して・・ホラJRの運転手さんが、よくやってるでしょ。あれあれ!