[1316] 【1332回 バスウオークに行ってきました】 2007-06-18 (Mon)

詳しいコースの説明は「ウオークレポート」に書き込みました。そちらも併せて覗いていただければと思います。お馴染みさんも新しい方も同じバスに乗り合わせたら「み〜んなお友達」そんな気持ちで心ひとつにして出発しました。今回は見どころが沢山あり、あちこちに散在しているということでバスに乗ったり降りたりで忙しく感じましたが一度に波賀と若桜の町を散策するにはこの方法がベストであったことでしょう。

梅雨だというのに天気は「降りもせず照りもせず」でウオークには最適な天候であったと思います(大阪は暑かったんだって)波賀城で昼食の時、石垣をみつけて思わずロッククライミングでよじ登っていました(岩を見るとほとんど病気)ポチにも勧めて石垣を登る途中に副会長に見つかりやむなく中断・・・ここだけの話しですが私は2回トライしましたよ。

ガイドもどきも久々で緊張しましたが、初めて参加のご婦人の方達の熱心な眼差しを感じ取ることができて気合いが入りました。資料を見る視力が段々老化していきガイドもどきもそろそろ世代交代の時期に入ってきたかなと感じるほどです(数年前は10.5ポイントだった文字の大きさも今では16ポイント) 若桜の町をもう少し進むと氷ノ山があります。氷ノ山は毎年プライベートでスノーシューを楽しむ馴染みの「ルート29」コースで道の駅も懐かしく感じ取ることが出来ました。

宍粟「よい温泉」へ通じる道はことの他狭く大型バスがやっとのことで通れるかどうかの道幅です。大重ドライバーさんはドアを開けて車輪が溝に落ちないようにハンドルを廻します「ヨッシャー」あの自信に満ちたなんともたくましい声を聞き車内は難所を無事通過したことに大きな拍手がわき起こります。(ごめんね)

車内はドライバーさんも含めて雰囲気が良ければとても楽しいバス旅行になります。昔大歩協の夜行バスの帰り××○○観光(ヤサカさんではありません)の交代ドライバーが苦虫つぶした顔で前の席に座っており、その顔を見ているとガイドもどきも歌もクイズもする気を失い、きまづいまま戻ったことがあります。観光バスのガイドさんの指名は多いらしいですがドライバーさんを指名をするのは大阪府歩け歩け協会だけかも知れませんね。「旅は信用と信頼とおもいやりの心から」そんな気持ちがします。

大阪駅到着後、この日は「父の日」と重なり嫁達を家で待たせていたのでヤサカさんのバスで四貫島まで同乗させていただき何とか約束の時間までに帰宅することができました。


[1315] 【1331回 今日は零くんの3歳の誕生日】 2007-06-15 (Fri)

「三つ子の魂百まで」という言葉があるとおり、3歳までに教えておきたいことは山ほどあり、今覚えたことは将来大きく役立つと思い、果たして自分の子育ての時はどうであったか遠い昔を振り返っています。その頃はまだ若く、子育てもまったく素人で、ある時は自分の感情で子供を叱ったことも度々ありました。その都度、おばあちゃんが「よしよし」と助け船を出してくれたものです。その「よしよし」も気に入らないときもありました。「躾のために叱っているんだから!」と喉から何度も出かかった言葉をぐっと飲み込んだ日々。なつかしいなぁ。

そんな体験から孫や嫁にはある程度の距離を保ち、寄ってくれば歓迎し、自分からはイソイソと通わないでおこうと決め、自分の趣味をもち「年寄りの自立」を目指しています。今日6月15日は零くんの3歳の誕生日なんです。今はおおきくなって保育所に元気に通っています。5月5日のこどもの日に、ももちゃんも合流して我が家で食事会をしましたが男の子、女の子と自我の目覚めを覚えてきました。遊ぶオモチャも違ってきました。同じ物を2個用意してもひとつの物を奪い合います。ここがババ様のつらいところです。そんなババの心を察してか、いつの間にか「ジュンバン、ジュンバン」と二人で納得して仲良く遊ぶ今日この頃です。

仕事を終えてケーキを持参し、近くにある踏切に電車を見に行くことにしました。ママもついてきましたが零が「ママはおルスバン!」と追い返してしまいました。近くの氏子である神社までいき、ちいちゃな手で上手に手を合わせていました。病気も成長の過程かも知れませんが、どうぞ元気で病気をしないように大きくなって欲しいと心から願わずにはいられません。




[1314] 【1330回 漫才師島田洋七さんの講演を聴いて】 2007-06-14 (Thu)

「佐賀のがばいばあちゃん」で大ブレーク中の漫才師B&Bの太った方の洋七さんの講演を聴くチャンスに恵まれて行ってきました。詳しい内容は17日のバスウオークの時にお話しようと原稿をまとめ上げました。まず島田洋七さんは人を引きつける魅力を持っています。何年か前にハマコーさんの講演を聴きに行ったときは最前列で居眠りをしてしまいました。(きっと人をひきつける力が弱っていたのかな?)今回は500〜600人はいたと思いますが最初から最後まで大爆笑の連続でした。「大阪の人は反応がエエから好きや」といいながら我々おばちゃん族を笑いの土壷にはめ込んでいきます。そして最後はしんみりとホロリと心をくすぐります。真似はできなくても「いいもの」を聞くことで次ぎなる自分への勉強になります。バスウオークでどのくらい忠実に伝達できるかわかりませんが頑張ってきます。

どの式典に出席しても話し下手の挨拶の時は「絶対自分はああならないでおこう」と思い上手な人の挨拶の時は参考にしたいと思います。挨拶は3分まで、それ以上長いと聞いてもらえません。声にメリハリをつけて1本調子にならないで、相手の顔を時々見ながらゆっくりと話す。そんなことに気を付けながら挨拶をすると、素敵なスピーチになると思いますよ。原稿を見てもいいけど「読まないで語る」こうありたいですよね。

秋になると老人会で警察の交通課の人達と一緒にお話をする機会をいただく予定が入っています。私は「足をあげて歩く」ことの大切さを話し、実践し楽しいウオークを体験してもらおうと思っています。先週、ポチが行動食が少なすぎてへばった時、足が思うように上がっていませんでした、一歩の踏み込みが大きすぎるのです。「足が長いから」とすぐ反論しますが登りは歩幅を少なめに取り、進むことで体力を使わないで前進することができます。お年寄りの「つまずき」はすり足状態で歩くことが原因ではなかろうかと考えます。高齢者の転倒による骨折は3ケ月入院すると完璧に「ぼける」そうです。骨折が完治した頃には、おもいがけないおまけがついて来て人生くら〜い毎日を送らないように、しっかりと足をあげで元気に生きてほしいものです。




[1313] 【1329回 やさしい水道局の対応】 2007-06-13 (Wed)

会社の水道の検針時に異常に使用量が増えていることを水道局の検診で判明し教えて貰いました。そう言えば4月の運動会の頃に6階フロアー(行事で使用する以外は無人)の男子トイレの水が流れっぱなしになっていたのに気が付き修理したことがありました。原因はそこかも知れませんと答えると、修理したと言う請求書等で確認できる書類があれば減免処置ができますよと、何と親切なお言葉でありました。

すぐ手続きに行くと、去年の同時期に使用した使用量から推定し、今回洩れてた量を算出し、その半分を減免してくださるそうです。家庭用と違い300立方メートルと量も多く「ン万円」の節約をしたことになります。

お役所仕事は不親切だと言われる昨今ではありますが、何とも親切な話しだと思いませんか?そう言えば大阪府歩け歩け協会の会長も理事の○西さんも水道局出身でしたね(何の関連があるんじゃー!)いやいや、やさしいと言う意味です。

皆様のお家でも、水道の使用量がいつもより多いなぁと思えば、お家のどこかで水漏れがしているかもしれません。自動引き落としですと、余計に真剣に前回と比べたりしませんので一度しっかりとチェックしてみてはいかがでしょうか。

それよりも何よりも大切な水をわけもなく無駄遣いしていたことになりますので今からの水不足や渇水にむけて充分注意致します。庭の植木の水まきもそんなことを考えながら大切に使わせていただきましょう。そうそうプランターに植えたナスビに紫の花っ子が咲き、3個も実のっています。焼きナスにしようか、漬け物にしようか、それとも孫達にむしり取られてしまうか、たった3個で想像力たくましく収穫が楽しみです。



[1312] 【1328回 44日ぶりの釈放】 2007-06-11 (Mon)

「うおーっ!」思わず叫びました。6月8日に入院中の上司の退院が決定したのです。お昼休みを利用して迎えに行くとうれしそうに待っておられました。高熱が続きゴールデンウイークだけ入院すればいいかなと軽〜い気持ちで受診すると菌血症という病気で「即入院」と宣告されました。それから44日、長かったなぁ!途中私がへばりかけて「もう限界〜」と書き込むと大手術をしたばかりの仲間から「がんばって!」と逆に励まされました。ハッと気が付き病人に心配かけたらあかんと思わず反省しました。それからは弱音はいたらアカン、病室で仕事させてるのに、元気な者が何言うてる!そう思って毎日業務連絡に通いました。しかし正直44日間はきつかったです。仕事をしていても時間ばかり気になりました。病院に行くのに、往復抜けた時間が「仕事残 」としてのしかかりました。それが今日から釈放されます。やった〜!本日11日より職場復帰をされました。!

44日間病院に通っている間に色々な人々に出会いました。エレベーターに病人を差し置いて無神経に乗り込む健常者。障害を持つ小さな子供さんをかかえての治療中の若いお母さん。やっとの思いで不自由な足で歩行中の高齢者の・・・・いつも私にできることはないかとアンテナを張り巡らせて病院へ通いました。健常者である我々は何ができるか問われる毎日でした。

バスの中や電車の中でうるさい会話をし続けている人(特におばはん)ひょっとして体調不良の人が乗っているかもしれませんよ。静かにしてあげて!昨日の東西線の電車の中でのこと。10人ばかりの小学生の子供達が乗り込んで来ました。引率者は20代の女性。子供達の年齢もさまざまです。(何の団体かなぁ)大きな声でさわいだり、つり革をもったり椅子に寝たりしています。引率者が「ここは家の中ではありません」と諭していましたが聞くはずもありません。あまりのお行儀に引率者が席を立ち「静かにしなさい」と注意をしました。そこで姫婆が「貴方が真ん中に座り子供達の群れを引き裂く方法しかありませんよ」と促したらその通りにされ電車の中は、もとの静けさにもどりました。

子供の躾も、大人のマナーも「それが他人に迷惑なんや」と言う自覚がない限りなおりませ〜ん。



[1311] 【1327回 雨の中の行動食】 2007-06-10 (Sun)

大阪坂めぐけで雨の昼食となったことは昨日書きました。「行動食」の説明をしましたがみなさん「何やそれ?」と思っていたことと思います。私がためしに「行動食」なるものを実験して皆さんにご報告しようとリュックを背負い出かけることにしました。坂めぐりで雨合羽を濡らしたためベランダに干して出かけました(持たずにという意味)そのため今日はズブ濡れになりました。仕方がないので救護用のシートを頭からスッポリかぶりまるで「夜桜お七」キャハハハ

昼食時間をとらずに50分歩いて10分休むという訓練です。この10分の間に「行動食」を少しずつ食べてまた歩き続きます。最初はバナナ。次は小さなパンと食べていきます。ウオークでも雨の昼食時がないとは限りませんので参考にしていただければと思います。ちなみに今日の私の行動食

@ バナナ1本
A パン(ホットケーキ調)
B 魚肉ソーセージ
C くずきり(プリン)
D おまんじゅう1個

家に帰りリュックの中の残った行動食を見てみたらCの「くずきり(プリン)」が残っていました。これは不向きということになります。片手で食べれるものはすべて完食しましたが両手で食べる物は持って行かない方がいいと思います。

ポチはこの行動食を少なめに食べたため体力不足でへばってしまいました。何を食べたかと聞くと「バナナを一口、またつぎに一口」らしいです。こりゃあへばるわけですよ!「オレ・・槍ケ岳に行くのよそうかな」そこで松山恵子が歌いました。(♪弱音はいちゃダメさ〜♪)

教訓です。
(その1)行動食は「適切な量をしっかりと食べる」こと。バナナを2回〜3回に分けて食べるなら2〜3本持つ。1回の量は1本食べる。次に食べる行動食はポケットなどにいれて、雨が降ってもリュックを降ろさずに食べられる様に工夫をして下さい。

(その2)雨具は必ず携行する。特に山の天気は変わりやすいです。リーダーの合羽を借りて、リーダーが夜桜お七になるのは、もっての他です。(合羽を持たない私の様なバカが2名いたとしたらどうする?)自己責任で濡れて、風邪をひいて反省の材料にし、二度とこのようなことの無いようにしなければと痛感しました。

(おまけ)20gのリュックの底上げにペットボトルに包装用材(傷付き防止によく入っている)を巻きリュックの底にいれました。長く歩く時は一番下に重い物を入れすぎると歩行しにくいためです。ペットボトルの中は空洞ですので、その中に着替え用のくつした、タオルなどを詰め、無駄の無いように工夫しました。20リットルのリュックを背負っている時をみたら「見せて〜」と言って下さればお見せしますよ

(おまけのおまけ)
歩行中はげしい足の攣りを感じました。疲労ではなく不用意な足の動きをしたために膝から太股にかけて電気が走り、その場にしゃがみ込みました。こんな時、そばにいる誰もが攣った足の手当を出来る様な訓練も必要だと痛感しました。近くを歩いていた人に助けてもらい携行していたお助け薬に助けてもらいました。「ツムラ68君あんたはえらいっ!」




[1310] 【1326回 6/9大阪の坂めぐりは雨のシャワーと雷太鼓で】 2007-06-09 (Sat)

二日酔いの朝(私は二日酔いの経験は無い)の様なドンヨリとした厚い雲が頭の上にドカりと乗っかり集合時間の10時を迎えた頃にはポツリポツリと降り始めました。JR掲載コースだけあって初参加の方達が多いように思います。300人は軽く越えています。

コース説明、ストレツチの後10時20分スタート(この時間が長いという参加者がいるらしいですがこれは必要最低時間のためご容赦のほどを)大阪坂めぐりコースは大阪府歩け歩け協会の独自のご自慢コースということで、「坂」毎に案内板を持ったスタツフが立ちます。

法円坂、ほくちゃ坂、かぎや坂、あいどり坂、どんどろ坂とおもろい名前の坂が続きます。ここに全部紹介すると大阪府歩け歩け協会の地図に「無断複写禁止」とあるのでおしかりがあるかもしれませんのでここらへんで省略。

心眼寺坂を過ぎた頃の途中のトイレ休憩の公園でいきなり大雨と雷が鳴り始めました。避難するにも雨宿りする建物がありません。子供達の参加もあるし、いくらゴアテックスの靴でも靴の中は浸水状態です。子供が雨具も持たずに参加なので私のポンチョを貸したのですが「おひこずり」になってしまい、おばあちゃんが「ありがとうございます。途中から帰りますから」と礼を述べてくれました。

私の担当は「相合坂」この坂は石段が「三下り半」になっていたところから「三下り半坂」「離縁坂」といわれていたらしいです。高津神社で雨の昼食タイム。山ならば行動食と言って歩きながら、雨の中でも昼食を食べるのですがウオークでは初体験のことなのでみんなオドロオドロ・・・・・

幸いなことに小雨になりましたので「うた」に突入しました。(笑)♪夏の思い出♪大阪ラプソディーの2曲です。当初は坂めぐりにちなんで「♪この坂を越えたならしあ〜わ〜せが待っている〜」にしようと思っていたのですが変更しました〜!

午後には太陽があがりはじめました。靴の中の浸水も乾き始めました。ポンチョも脱ぎ快適なウオークに変身した頃には四天王寺のゴールが近くなっていました。「おつかれさま。雨でごめんなさいね」とお別れの言葉をかけると「姫がたまに参加するからじゃ〜」というおじさん。「雨は誰の精でもありません。又参加します」というおばさん。

その後、私とポチは舅と姑に会いに一心寺に参り、元気で暮らしていること、ひ孫が3人に増えたことを報告して野田阪神で酒盛りをして家路につきました。


[1309] 【1325回 会員さんのつらい出来事】 2007-06-07 (Thu)

いいことばかりを書くのが「ひめのおうち」ではありません。歩けの仲間でご家族にご不幸があり、ウオークも田植えも、登山も、参加出来なくなっている大切な私の仲間がいます。突然雲の如く消え、風のように空気の様に私達の前から消えました。心配で心配で何度もしつこくメールをし続けました。

そんなつらい出来事があったとはつゆ知らず・・そっとしててと言われていたのに土足で心の中を踏みにじってしまいました。ご家族のご病気、そしてつらい野辺の別れ。身を切るような日々であったと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。

私の人生の中での一番つらい別れは姑との別れでした。21歳で嫁ぎイロハのイから手をとり足をとり家事一切、育児一切、おまけに和裁まで教えてもらいました。実母の死は12歳と言う幼さから悲しみの記憶はありません。しかし夏の暑い日、冷蔵庫のない時代、母の看病のために魚屋に氷を買いに自転車で行くのですが、かなりの距離があり戻ると氷が半分に溶けていて姉に、こっぴどく叱られた記憶は残っています。そうや、お母ちゃんが死んだのは暑い7月の夏の日やったなぁ

姑は嫁の私に対して一切の小言、嫌事は言わず娘の様にかわいがってもらいました。ポチを今私が何とか大事(?)にしているのは姑が息を引き取るときに「頼むよ」と手を握り息を引き取ったからなんです(笑)そんな偉大な母を知ってもらおうと嫁姑を綴った「わすれな草をあなたに」を出版しました。いまでも「♪わすれな草をあなたに♪」の歌を歌うと姑を思い出し涙が出てきます。お友達は「千のかぜになって」を聞きながら涙しているそうです。ゆすら梅を見て妹さんを偲ぶ仲間もいます。みんなつらい別れを体験しているのですね。

私のお友達もいつか悲しみを乗り越え、浄土へ旅立ったお身内の方の分も元気をとりもどし、やさしい笑顔とユニークな心温まるメッセージで大歩協のホームページに復帰して頂きたいと思います。いますぐにとは言いませんがウオークにも復帰して下さい。悲しみを乗り越えるまでいついつまでも待っています。

心よりご冥福をお祈り申し上げます       (合掌)


[1308] 【1324回 ホワイトフェースのお助け棒】 2007-06-05 (Tue)

ホワイトフェースのお助け棒は私も時々利用していましたが、うららちゃんが落下させてくださったことで危険回避ができました。ありがとうございました。簡単に落下するということは根元も朽ちて怪我人が出るやも知れないところでした。次回からは岩の割れ目にしっかりと手を置きクライミングを楽しみたいと思います。

それにしても有馬半返し大変でしたね。「ツムラ68君」が同行していなかった様子で、これまた今後の教訓になります。ポチも両足をよく攣らせていますのでいつも携帯しています。お声をかけて下さいね。ポチは役立たずでもツムラ君は役にたちますからね。

人を上手く使える人は、最初は厳しく、少し上手くなったら褒め殺し、その後はきっちりと自分のパートナーとして仕上げていく。ビレイが上達した奥様を間髪入れずに上手に使うてはる。まあサスケ先生はりっぱな管理職いえいえ経営者でごわす。

これからのウオークでは予期せぬ出来事が勃発することがあります。十分な水分や足攣り回復剤、危険箇所通過の「カラビナとシュリンゲ」はいつもリュックの中にいれておきましょう。そうそうこれからは蜂刺され対策も必要となってきます。

大阪府歩け歩け協会にも沢山のスタツフがいます。みんな手弁当でボランティアで快くお手伝いをして下さっています。何が明日の輝きかというと「ごくろうさん」そう管理職である会長、副会長からねぎらいの声をかけて頂いた時だと思います。酒も肴もいらん、声掛けだけやなんてやす〜いこったす!。何回でも言うてや!よう働きまっせ〜。


[1307] 【1323回 此花が生んだ民謡歌手】 2007-06-03 (Sun)

大阪府歩け歩け協会の白馬岳登山の時に参加者の中に「進藤茂さん」と言う方がいました。会長さん!副会長さん忘れてはいませんよね!体調不良の方を救護するときに重いリュックを肩代わりしてくれ救護班として活躍してくれた方です。

この方の娘さんが民謡歌手としてデビュー5周年のパーティをするという話を聞きまして、白馬岳でのご恩返しをと思い二匹の番犬ともどもショーに参加させていただきました。ショーに参加と言うよりも「司会役」を仰せつかり慣れないスポツトを浴び緊張しました(ほんまかいなぁ!ほんまはうれしいんちゃうの?!)

急遽の話でホームページから民謡歌手「進藤聖子」さんの資料を探し何とか形になり、本番を迎えました。顔ぶれの中には此花の議員さん達もプライベートタイムで参加されており緊張に拍車をかけます。開始寸前に何と大事な音響にトラブルがあり曲が流れないというハプニングが起こりました。日常ハプニングには慣れていますので「人生長く生きていればハプニングが常の世の中、まして音楽の世界にもハプニングはつきものでございます。何と申し上げましてもご本人が一番あせって居ることでしょう。ここは心穏やかにしばらくの間お待ちください・・・・」とペラペラとしゃべりお客様からの笑いを頂きながら何とか乗り切ることができました。

その後も何度かトラブルが発生し父上の進藤茂さんを「製造元であるお父様が登場でごさいます。一言みなさまにお礼を」と言うとお客様から「いよ〜っ!いいぞ〜製造元!」と野次やら拍手やらが起こり和やかなパーティは無事終了致しました。

私は身の程知らずの事柄でも自分の肥やしになればと安請け合いをする傾向があります(どおりで肥やしが効いとるわい)予期せぬアクシデントにどのように対応できるかは自分の経験の積み重ねだと思っています。失敗して頭を打てば次に成功すればいいと呑気にかまえています。

私に頂いた花束は二人の嫁にわけてやりました。「生花はいつも買いたいと思っているけど高くてなかなか買えません」と喜んでくれました。それ!それ!その節約が大事なのよと息子達の安月給に耐えて、やりくりしてくれている嫁達に心の中で感謝をした次第であります。


[1306] 【1322回 今夜は大歩協の運営会議です】 2007-05-31 (Thu)

毎月最終の木曜日を大阪府歩け歩け協会の会議の日と決まっています。場所は第二ビルの5階の会議室。今日も業務連絡の病院から帰り書類を片づけて時計を見ると5時30分を過ぎています。やばい!会議に遅刻や!バスで行っても、タクシー飛ばしても間に合いません。バイクですっ飛ばしてセーフ!私は会議でも、遊びでも最初から遅刻するとわかっている場合は欠席と決めています。会議の始まっている所に遅れて入るバツの悪さ、遊びの会で盛り上がっている時に遅れて入る間抜けは私の性格に合いません。

例会での問題点、これからの例会について、バスウオークについて来年の予定についてと白熱した会議が続きます。会議が終わり帰る途中私のバイクの横に「日本タクシー」と書いた赤い車と並びました。次の信号でもまた真横です。そしてまた出入橋の信号でも一緒になり、お互いが大声で笑ってしまいました。人の良さそうなドライバーさんで、その後もずーっと同じ道を走りました。と言うことはバイクの私がスビードを出し過ぎなのか、いやいやドライバーさんがきっと、ゆっくり運転なんやなぁ(笑)

疲れて帰宅すると、嫁の洋子ちゃんの実家から百合の鉢が2鉢届いていました。ほのかな香りが部屋中に漂い心も体も癒してくれます。昔、会社の周年パーティで歌手を呼んだところ会場に設営された百合の花を全部撤去してほしいとクレームがありました。理由を聞くと歌手が「百合アレルギー」で歌が歌えないとのことでした。なんとわがままな・・・主役の百合を撤去すると脇役ばかりの花となり貧祖になると言うことで譲らず、結局舞台に近いところだけ抜いたことがあります。百合もカサブランカも花の中では女王で私は大好きです。(有名な歌手さんよ!百合アレルギーならば最初の打ち合わせ時に申告すべし!)


[1305] 【1321回 もう・・・・限界です】 2007-05-29 (Tue)

4月26日から入院中の取締役(直属の上司)への業務連絡に土、日を除いて毎日通い続けています。ベットの上で重要書類を処置し、そのおかげで体制に影響はなく1ケ月が過ぎました。「もうそろそろ退院できそう」となってからが何だかとても疲れてしましました。トンネルの出口付近で渋滞にひっかかった状態です。日曜日にストレスを解消したのでなんとかあと少しばかり頑張れるかなと思いつつも上司が必死で病気と闘っている姿を見ると「上司も大事、会社も大事。ここは姫が犠牲になるしかないか〜」と気をとりなおしてハンドルを握り続けています。

それにしても梅田の第2ビル近辺は何故にあないに混み混みするのでしょうか。信号が何度も変わります。横から突っ込んでくる車は、きまってタクシーです。絶対入れてやるまいと必死です(笑)ウインカをつけて申し訳なさそうにしている車は「おたがいさま」と譲り合う心は持っていますが「当然だ」といわんばかりのタクシーには閉口してしまいます。造幣局前を通過するあたりではス〜イス〜イとスムーズです。環状線ウオークの時に「寒桜」が満開の都島区役所前を通過しあとは道なりに10分ほど走ります。

病室に行くと「待ってました」とばかりに書類に目を通す上司を見て「元気な者がグチをこぼしたらいかんいかん」心でそうつぶやきつつ、今日も安全運転で事故もなく帰ってきました。病院から戻り仕事を片づけますのでいつも帰宅は7時を過ぎています。昨日はイライラしてポチと喧嘩をしてしまいました。今朝はお互いに無言の朝を迎えました。今夕は、ちょっとバツの悪い夕食タイムとなりそうなので、ももちゃんを借りに行こうっと!


[1304] 【1320回 紫外線対策は万全ですか】 2007-05-28 (Mon)

「紫外線対策は女性だけ」とお思いの男性諸君はいませんか。紫外線は「皮膚癌」を引き起こします。これからの野外活動、特にウオーキングは充分な水分は勿論ですが紫外線対策をなさって下さい。

帽子=当然です。かぶって下さい。日射病になりますよ
手袋=紫外線対応品あり。手の甲のシミを防ぎます。
かお=日焼け止めは必ず塗る。昼食後に塗り直す。
衣服=紫外線カットの物を着用する。
日傘=ウオークに日傘はいりません。日傘をさして歩くのなら団体歩行ではない時にして下さい。

それでも日焼けをして頬が赤い時はキューリパックが安上がりです。輪切りにしたキュウリを赤く日焼けした部分に貼って下さい。(使用後に酢の物などには決して使用しないで下さいよ。)日焼けは軽度の火傷ですから放置しないで手当をして下さいね。

(便利グッズ)
今までは首の日焼けを予防するためにウオーク用のタオルを首に掛けていましたがロッククライミングを始めてからロープへ巻き付くために危険であると指摘をされました。(なるほど)かと言って「ツキノワグマ」状態になるのをさけるため工夫していましたら、何と「首だけ洋服」を見つけました。とってつけた様な不思議な服ですが全然暑くなく快適であると言うことが実験済みです。値段は1980円。これで「ツキノワグマ」状態が解消できれば安い買い物と思い清水の舞台から飛び降りた気で購入しました。


[1303] 【1319回 こんにゃくゼリーで窒息死】 2007-05-24 (Thu)

こんにゃくゼリーを食べた7歳の男児がゼリーをのどに詰まらせて死亡したとのニュースが載っていました。どこにでもあるおやつ。お餅なら「のどに詰めんように気を付けてたべや」と言い、食べる側もよく噛んで飲み込む。それでものどに詰まらせることがある。

ダイエツトと称して愛用する女性も多いかと思いますが高齢者と子供には「こんにゃくゼリー」は勧めない方がいいみたいですね。

ウオークの途中でもよく冷えたゼリーを頂くことがあります。私は必ず「原料」のところを熟読して、こんにゃくゼリーならポケットに仕舞いこみ家に戻ってからポチに差し上げることにしています。何とやさしい奥様なんでしょうかと思う人(いないか・・・)がいるかも知れませんが私はコンニャクが苦手です。だからのどに詰める心配はありません。

棚田のすき焼きで私は糸こんにゃくを持参しました。前の晩に湯通しして、あの独特の臭いを消し、お友達と材料を合流させました。お友達は「姫がコンニャク苦手だから持ってこなかったよ」とやさしいお言葉。そうなんです。すき焼きに混ざった糸コンニャクをより分けるの大変なんですよ。そんな心遣いがうれしかったです。すき焼きが完成したとき「コンニャクは入れないで!」と哀願すると「姫の器には入れてません!」

ちらし寿司の中のコンニャクも、すき焼きの中の糸コンニャクも、おからの中のコンニャクも、より分けるのは得意です。コンニャクが嫌いなのではなくて身体が反応し、即、下痢をし翌日はじんま疹が全身にお目見えする病的症状なんです。

ウオークの途中で「こんにゃくゼリー」を食べる時はよ〜く噛んでから飲み込みましょう。お孫ちゃんのいる方は嫁や息子に「こどもにこんにゃくゼリーは食べさせないように」とご一報しましょう!

と言うことで早速我が家の嫁達にも発信しました。ももママからの返信です。「わかりました。ハイムリック法ですね」そうや。嫁は看護師やったんやと墓穴を掘り、姫婆は辞書を引きました。

ハイムリック法とは
●指でかきだす(指拭法)
 顔を横にむける
 指にハンカチ・ガーゼ等を巻きつけ、異物をかきだす
 血液やだ液などがある場合は、口の中をよくふき取る

●背中を叩く(背部叩打法)
体を自分の方へ向ける
手のひらで肩甲骨の間を力強く4〜5回叩く


[1302] 【1318回 「600円なら禁煙します」だって】 2007-05-22 (Tue)

たばこの価格が現在の2倍の600円になれば、多くの喫煙者が禁煙する。こんな結果が大学の研究でわかったそうです。調査はインターネットに登録している喫煙者616人を対象に実施し、喫煙による死亡リスク、公共の場での罰金などを聞いたそうです。その結果たばこの価格が600円になればヘビースモーカー(高度)を除く中度、低度の喫煙者はたばこをやめるというデーター結果がでたそうです。ヘビースモーカー達にとって健康リスクは馬耳東風らしいです。新幹線の席の確保で喫煙者の人達も「禁煙車両」を希望するらしいです。自分の煙はよくて人の煙はけむたいと言う事なんでしょうか?

近頃の女子の面接で「職場内に喫煙者がいるかどうか」をたずねるケースがあります。吸わない人にも言い分はあるけれど吸う人にも言い分はあると思います。人体の展示会がスカイビルで開催されていたとき本物のミイラや、喫煙者の肺を展示していました。真っ黒にニコチンで侵されていました。同室で仕事をしている私も同じ肺の色をしているかと思うとゾッとします。ウオーカーの人達の中で休憩中に喫煙を見かけることはほとんどありません。今まで吸っていて身体を壊して辞めたのか、健康のために最初から吸わないのかわかりませんがバスウオークの中での「禁煙」を守っていただけるのがとても助かります。

むかし乗った事のあるバスは喫煙OKのために車内は煙がもうもうとして、目がしょぼしょぼしてつらいバスの旅となったことがあります。大阪府歩け歩け協会のバスウオークは「禁煙」ですので安心してご乗車下さい。喫煙される方はトイレ休憩の時に、まとめて吸ってくださいね。6月17日(日)は若桜方面のバスウオークが予定されています。みなさん〜!ご参加お待ちしています〜!

(参考)何の参考になるかわからんけど(笑)姫は生まれてから一度も煙草を吸ったことはありません。子供の頃母親が「あれは不良の吸うもんや。特におなごはいかん。おばあちやんになってからの一服はエエ」とキセルの先に「ききょう」という銘柄のキザミタバコを美味しそうに吸うおばあちゃんを指さして言われたことを守ったのかも知れません。ちなみにポチは心臓病になるまでは口、鼻、耳と穴という穴から吸うほどのヘビースモーカーでした。


[1301] 【1317回 田植え】 2007-05-21 (Mon)

日本棚田百選の「長谷の棚田」に今年も田植えの時期がやってきました。田植え日は指定で、しばしば例会とぶつかり、今年もまたお休みさせていただく不良スタッフの姫ですが貴重な体験と思い孫や嫁に美しい日本の伝統が大阪のこんなに近場にあると言うことをぜひ知ってもらいたい、そんな思いでした(今年は突然息子まで参加)零くんはお熱が出ていたためお休み。

棚田にはすでに田植えを終えた水田があちこちに見受けられます。山々は新緑がまぶしく、時折降る春雨がとても冷たく感じます。まずタープを張り巡らせ、お昼のパーティの準備をします。大人12人、子供5人、赤ちゃん2人の団体です。

あぜ道にはすでに苗箱が置かれています。水田の中を見るとオタマジャクシが泳いでいます。雨蛙もピョンピョン。子供達がおっかなびっくりで後を追います。レンゲの花を摘みに満奈ちゃん(3歳)とももちゃん(2歳)をつれて歩いていると栗のイガを見つけました。満奈ちゃんが「これはチクチクと痛いよ」とももちゃんに教えてくれます。1歳の差は大きく、人見知りするももちゃんは黙ってついていくだけです。

履き捨ての靴下を履き、いざ田圃に入ることにしました。「ヌルッ」この感触は何度入っても「不気味」です。慣れるしかありません。去年よりも水が冷たくて「ヒャーッ!」と思わず声があがります。息子夫婦が気合いをいれて田圃に入りました。夫婦仲良く苗を手にしてうまく(曲がってるよ〜)植え始めました。他のみんなもあぜ道から苗を投げる役、子守りをする役、写真を撮る役とそれぞれがポジションに付き、みるみる間に苗が植わっていきます。「おかん、最後僕らどうして田圃から出たらいいの?」と聞かれ、地下鉄の電車はどうやって入れたのかの漫才を思い出しました。

「みんな〜反対から植えよう!田圃から出られなくなるから!」全員納得して今度は反対側から植えて行きます。大阪の市街地よりも3度は温度も低く更に春雨が体温を奪って行きます。

さあ「めしや、めしや」お互いの家族がすき焼きの材料を持ち寄り大鍋ですき焼きをはじめました。途中を通る子供達が「ええ臭いしてるわ〜」とうらめしそうに眺めて通ります。「美味しい!」自然の中で、大勢で食べると美味しいです。ももちゃんも食欲大盛で姫婆ちゃんが食べさせすぎて「ゲロゲロ」と蛙状態になり「ごちそうさま」をしました。その後家で焼くことはご法度の「へしこ」を焼き、美しい棚田にく〜さ〜い臭いをさせてしまいました。夕食のお茶漬けにするために持ち帰るのですが途中あまりの臭さに車から掘り出されドアにくっつけられてしまった「へしこ」でした。(笑)

午後はサツマイモの植え付けが待っていました。イモの畝に蛙がピョンピョン、おけらも見つけました。満奈パパがミミズを手のひらに載せて子供達に見せてくれます。6月はホタルの鑑賞会があり稲の成長を見がてらまた多くの棚田ファンが訪れることでしょう。

こうして田植えを終えた早乙女達は初夏を迎える準備に入ることができました。


[1300] 【1316回 驚き桃の木山椒の木のつづき】 2007-05-19 (Sat)

知人から靴をもらったお話はすでに「予告編」で見ていただいたことでしょう。映画館の「予告編」が一度やってみたくて、手の込んだ書き方をしました。ごめんなさい。では続きをば。

22.0センチのかわいい靴で、美空ひばりちゃんが好んで履きそうな薄紫の色でした。5/17日にパクッパクッと前が剥がれそうになっているのでポンドで修理をしようと会社に履いていきました。

駐車場にバイクを置き、少し歩いた所で体が異様に揺れるのです。右肩が下がり少しビッコを引いたような感じです。「アレッ変だなぁ」と振り向くと何と靴底が落ちているではありませんか。右足の裏を見るとまさしく私の持ち物です。

大山スノーシューに行ったとき雪の中でスノーシューが抜けて、それでも気が付かずに後ろの人に「ポチさ〜んスノーシューの忘れ物ですよ!」と叫ばれたことがありました。それも両足!(夫婦で同じことするかっ!)

★教訓です
新しいからと言って油断しない。会社だったからよかったものの外出中だったら不便で靴屋に飛び込み新しい靴を購入せねばならなくなります。履かない靴がいつまでも新品だと思わない。靴も生きているのです。履かないまま年をとっているのです。登山靴は特に注意しましょう。この間サスケ先生のホームページで剥離された登山靴を拝見していたので身に浸みました。

靴箱にある若かりし頃のハイヒールは無用の長物となりました。外反母趾になってからはローヒールも履けなくなりました。いま私が履けるのは「ウオーカーシューズ」「登山靴」「クライミングシュース」だけです。目的に合わして履き替えています。

子供の頃は「ゴム草履」なるものがありました。靴下もはかずゴム草履だけで野山を駆けめぐるので足は傷だらけになりながらも、高価で大切な履き物でしたね。ゴム草履の買えない子は「わら草履」でしたが、時々交換してあげてみんな仲良く遊んだものです。ガキ大将はいましたがいじめはありませんでした。自然が私を非行から救ってくれたと思っています。だから「田植え」も「稲刈り」も孫達に自然を味わわせてやりたいのです。お友達の虫も蛙も田圃には待っていてくれます。

あっそうそう嫁が買ってくれた「わら草履」室内履きにして快適です。スリッパよりも涼しくていい感じです。旅先でよくおみやげに売っていますが裏面に布で巻いているものでないとフローリングを痛めますのでご用心を!





[1299] 【1315回 水芭蕉の花はどれ?】 2007-05-17 (Thu)

5月6日、生駒からくろんど池に抜ける「落羽松群生地」の木道の下の水芭蕉はもう見ごろを迎えたのでしょうか。夏には燧ヶ岳に行きたいと切望していたのですがそれも叶わずとなりました。水芭蕉と聞くと多くの人は「尾瀬」をイメージするのではないでしょうか。「夏の思い出」の愛唱歌により尾瀬と水芭蕉の名前は全国に広まりました。さまざまな花が咲く湿原、尾瀬沼に颯爽と映える燧ヶ岳。尾瀬の魅力を凝縮した風景であります。

尾瀬の玄関口は群馬県と福島県にあります。書物によると燧ヶ岳には檜枝岐(ひのえまた)の御池からが早いと言います。急な坂が続きますが広沢田代と熊沢田代で一息つけるそうです。湿原を抜け、ガレ場やハイマツ帯を一気に登れば燧ヶ岳の俎ー(まないたぐら)に到着。標高2356メートルの最高峰、柴安ー(しばやすぐら)へは一度下ってから登り返すそうです。山頂からの尾瀬ヶ原、至仏山は素晴らしい展望だそうです。

下山は俎ーへと戻り、長英新道で尾瀬沼へ。途中浅湖(あざみ)湿原をへて尾瀬沼まで2時間、御池からは6時間コースだそうです。(私でも行けるね)尾瀬の山小屋に泊まり「尾瀬檜枝岐温泉に入ってみたい!」5月には残雪もあり朝夕は寒いのでダウンジャケットや軽アイゼンなどを用意して行ってくださいと書いてありました。ご参考までに。私は至仏山には登ったことがあります。その時、燧ヶ岳に向かって「また来るからね」とつぶやいたまま実現していません。行きたいなぁ〜。

檜枝岐村内には2つの公衆浴場があります。「燧の湯」「駒ノ湯」どちらも露天風呂があり今の季節は新緑の緑が眩しいことでしょう。ところで水芭蕉の白い部分が「花」ではないことを知っていましたか?花は真ん中にある黄色い部分に密集して咲いているのだそうです。

え〜い!もう説明できへんからついて来て〜!尾瀬で実物を見ながら説明するからね!

♪夏がくれば 思い出す
 はるかな尾瀬 遠い空
 霧のなかに うかびくる
 やさしい影 野の小径
 水芭蕉の花が 咲いている
 夢見て咲いている水のほとり
 石楠花色に たそがれる
 はるかな尾瀬 遠い空♪





[1298] 【1314回 春の全国交通安全週間】 2007-05-16 (Wed)

本年度は選挙の関係で「春の全国交通安全週間」が1ケ月遅れて(5/11〜5/20)スタート致しました。期間中は毎朝、会社で昔のうぐいす嬢が交通安全をよびかけています。今日は此花署と協力をして街頭啓発に行ってきました。通行者に安全を呼びかけチッシュをお渡しするのです。ウオークをするようになってからこの街頭で配布されるチィッシュが重宝されるのは私だけでしょうか。ポケットに気軽に入れてウオーク中に何かと役にたちます。京橋界隈のチィッシュ配りの人は我々おばさんには手を出してもくれません。なんか秘密のチィッシュぽい気がします。

ところでこのチィッシュは登山の時の用足しには使わないで下さい。環境にやさしくないのです。みなさんは登山中にもよおしたとき(通称お花畑)使用したチィッシュはどのように処理をされていますか?我々の仲間うちでは「トイレットペーパー」の携帯を徹底しています。1回分ずつを分けてリュックあるいはポケットに入れておいて使います。トイレットペーパーは水に溶けて、自然に返る環境にやさしいアイテムなんです。芯を抜いて携行している仲間もいます。

「大」の方はできるだけ家で済ませて行きますが、それでも体調によっては山中でという場合があります。人に迷惑をかけない方法、つまり自分がその場に遭遇した時に不快感を持たない処理の方法を話し合って工夫しましょう。私は大自然の四万十川で育ちました。子供の頃、夏になると一日中、川の中で遊びます。友達の唇の色を見て自分の唇の色を判断し紫色なら、大きな石を見つけて甲羅干しをします。勿論すっぽんぽんですよ。何と言っても自然児ですからね。みんながそうなんですから水着なんて来たら仲間はずれにされますよ。ほんま。温まったら又水の中に入ります。夕暮れまでこれの繰り返しです。

そんな幼い時でも環境の事を考えて川原にするよりも水の中にすれば魚が(ギョッ!〜)つっついてくれると何せ自然児ですからね。紙なんて貴重な時代ですからイタドリの葉っ葉はトイレットペーパーの代用品、他はトゲがあり痛いなどと子供ながらに学習したものです。 交通安全のチィッシュ配りからえらい脱線しましたが脱線はJRだけにしといて、今回は「自転車の安全利用の推進」も大きなテーマとなっています。こうして街頭啓発に出かけていても恐ろしいくらいのスピードで走ってきます。片手でメールを打ちながら、また自転車に日傘を固定して後ろに子供を乗せている人もいました。「あんたのその顔、日に灼けても灼けんでもあんまり変わらんで〜」と突っ込みたくなります。

自転車は「車」の扱いです。ウオークをしているときチリンチリンと鳴らしてくる自転車にムカッと来るときもありますが、自転車の方も「鳴らさんとあかん様な歩き方すなっ!」と言い分があると思います。だってあれだけ「道を半分は空けて歩きましょう」と叫んでもすぐまた横に広がるんですもん。ほんま「蟹さん歩き」とよう似ちょら〜よ〜

自転車も、人も、車もみんなご安全にお願いします。



[1297] 【1313回 健脚は宝物】 2007-05-16 (Wed)

此花区内の会議に出席をしての帰り道、同じ会議に出席した知り合いの方がタクシーを探していました。「西九条から四貫島まで一緒に歩きませんか?」と同じ道すがらなので声をかけました。しかし立っているのがやっとの様子。つらそうな顔をされるのでタクシーを見つけてチャッカリ私も便乗させてもらいました(なんじゃそりゃ〜)

それにしても使い切れない程のお金を持っていても「健脚」と言う宝物には恵まれず歩くことに不自由している人もおれば、私の様に金品には恵まれずとも「健脚」の宝物の持ち合わせがある者もいます。私は歩ける足があることにいつも両親へ感謝をしています。病気をしてみて初めて2本の足への感謝、愛おしさがわかると思います。我れ先に、早く歩くよりも一歩、一歩楽しんで歩き「太く短く」ではなくて「細く長く」歩けることの方がよいのではないかと思う今日この頃です。車椅子の人と出会う機会が多いので最近特にそう感じています。

今年のサラリーマン川柳の人気第1位は

「脳年齢 年金すでに もらえます」

だそうです。ゲーム機で脳年齢を試した人がいるかとは思いますが「こんな器械あてになるか!」と怒った人は脳年金もらえるのではないでしょうか。手続きしてみてはいかがですか(笑)

遊びの中でも、吸収の早い人と遅い人、得意な人と不得意な人がいると思います。だから差が出て当然ではありますが「楽しく参加」が基本ですから少しは本人に「努力」もしてもらい足並みを揃えてもらいたいと思っています。そんなわけで我が家にはロープが張り巡らされチェストとカラビナとシュリンゲが出されポチのための「楽しい特訓」がはじまりました。

これがまた、しごきごたえがあるので〜す。


[1296] 【1312回 病院の中のエレベーター】 2007-05-15 (Tue)

入院中の上司への業務連絡のために毎日都島の病院に通っているのですが昨日の出来事です。首にコルセットをはめ補助歩行器を押しながら患者さんがエレベーターを待っていました。ドアがあいた途端に後ろで待っていたおばさん2人が我れ先に乗り込みました。すでに地下からの乗車の人もおり、患者さんが器具を装着しているため乗り込むスペースがあるかないかためらっています。

私はムカッと来て「ちょっと!そこのお二人さん!患者さんが先に乗るのが当然と違うの!」声も多分顔もひきつっていたと思います(普段もひきつってる〜ってか!)患者さんは「すみません助かります」と私に礼を言ってくれましたが、こんな非常識な事がまかり通っていることに怒りを覚えます。ちなみにこのおばさん達は別のエレベーターに乗った様子。

また別の日には車椅子の方がエレベーターに乗り込み、私が11階、その方が13階を押しました。(2人だけ)エレベーターに乗り込むと、車椅子は降りるときはバックで降りなくてはなりません。「お一人で大丈夫ですか?」11階のドアが開きかけた時に訪ねると「何とかなるでしょう」と心細い声でしたので私も13階まで行き、車椅子がエレベーターから降りるお手伝いをしました。後で思ったのですが乗り込む時に少しお手伝いをして正面向きに乗っていれば、一人で13階で降りることができたのになぁと考えさせられました。

病院のエレベーターと言う特殊な環境の中で我々健常者が何ができるか毎日勉強になります。大きな声で見舞客らしい人同士がいま見舞ってきた患者の事を話しています「えらい痩せてて老けてたなぁ」その時は我慢しましたがエレベーターを降りてから「患者さんが乗っているエレベーターの中での会話じゃないですよ」と言ってしまいました。あ〜あ。上司さんよ〜早く退院してくれないかなぁ。

話は別になりますがビールのピッチャーを3杯頼み、2杯がなかなか届きません。乾杯もできないので店員の方を見るとピツチャーには満タンのビールが注がれているのに他の客と話をしているのを見てプッチーン!「温るなるやろ!はよ〜持ってきて!」私がイライラしているのか、店員が非常識なのかわかりませんが何か世の中少しづつ歯車狂いかけていませんか?


[1295] 【1311回 母の日のプレゼント】 2007-05-14 (Mon)

「日曜日が母の日なので私達からです」と休み前に女子社員一同からカーネーションのプレゼントを頂きました。日頃、躾だのマナーだのと口うるさく言ってばかりで申し訳ない気持ちでいっぱいです。(めっちゃうれしい!)バレンタインは商売人がチョコレートを売りたいがために、母の日はカーネーションやプレゼントを売りたいがためにと囁かれることもありますが、心のこもった贈り物は価格ではなくて商売人の介入できない「真心」が必要なんですよね。

二人の嫁も外出中にそっと贈り物を届けてくれていました。息子達が「どうせ、おかんはどっか山でも行ってるから、玄関に置いとけばいい」と言ったのでしょう。その通り!不良婆は爺やと共に、母の日であってもでかけたので〜す。

それぞれの嫁達には「私の娘でいてくれてありがとう」とメッセージをつけてお礼の言葉を書いて用意していたのですが渡すチャンスを逃してしまいました。田植えの日にでも渡したいと思っています。函館出身の嫁も、大阪出身の嫁も田植えは未知の世界です。グニュグニュのあの足の感覚をどう感じるのでしょうか・・・

私は母を幼くして亡くしていますので、一度も母の日にカーネーションを贈ったことがありません。その頃、田舎には花屋さんもなく、「母の日」そのものが今ほど流行していませんでした。テレビもまだ各家庭に普及してなくて「母の日」を知らせるメディアも普及していませんでした。母の日を知っていたら、野に咲く一輪の花でも摘み取り渡すことができたでしょうに、姉の子も私の子も誰一人の孫を見ることなく逝った母がいまさらの様に可哀想に思えてなりません。

私の母には「元気にしてるよ」と、姑さんには「色々教えてくれてありがとう」と、天国にむけて、遺影にむけて感謝の言葉を言い私の母の日を送りました。


[1294] 【1310回 まるで夏日!田植えだよ〜ん】 2007-05-10 (Thu)

暖房が終了したかと思えば「はっはっ早く冷房に切り替えして!」お〜い家なら窓を開けるとか、スダレを掛けるとか、ちょっとは工夫をするのではありますまいか?

頑なに冷房への切り替えをしないで「送風」にしていたところサーバ室が高温度になりパニックになりました。仕方がないので機械のためにビル全館を冷房にしました。まぁ今はコンピューターがなければ二進も三進もいかない時代ですが人間様は我慢しても機械は我慢をしてくれません。

能勢の棚田の田植えの案内がきました。この棚田を借りて、もう3年が経ちます。幼き時代の母との思い出や、孫達に土いじりをさせてやりたい、棚田の美しい風景を嫁に見せてやりたいと借り続けていますが、いままで孫が小さかったこともあり一緒に棚田に行くことが実現しませんでした。ところが今年は「行きま〜す」と嫁からの返事がありました。

あの美しい棚田に手植えした稲が青々と育ち、やがて稲穂が垂れ、また刈り取りの季節がやってくるのです。1年の季節の移り変わりを身体で感じ取れることの幸せを味わいたいと思います。

幼き頃、田植えシーズンになると母はよその田圃に手伝いに行き、日当のかわりに米や野菜をもらって帰っていました。私は母が田植えを手伝っている家の子供の子守りをして、お駄賃に「びわ」をもらって帰りました。今、自分の職業を聞かれたら「ニート」「フリーター」などと堂々と答える若者が多くなっていますが「働かざるして食うべからず」の私の母の教えは化石のような話になってしまったのでしょうか。

この棚田のオーナーの山には「蕗」の群生があり自由に採らせていただけるのも楽しみの一つです。秋の刈り入れ時には芋掘り、栗拾いも楽しみのひとつです。そして「はるかちゃんのひまわり」もこの地で大きく咲きました。今年は管理人のくろねこかあさんが不在のため、ひまわりの種はあきらめました。くろねこかあさんが戻ってきたらまた新幹線さんに頼んでひまわりの種を頂こうと思っています。


[1293] 【1309回 病院の食器】 2007-05-08 (Tue)

私の誕生日の日から入院中の上司の指示により仕事を病室に持ち込み、ああだこうだと都島区と此花区を往来する日々が続いています。昨日は大切な事項が発生し夕方の呼び出し(月曜日は2回目)がありました。

丁度、夕食の時間と重なり「食事取ってきましょうか」と聞くと食堂まで行って食べるシステムだと言います。点滴を引きずりながらレストランの様な食堂に行きました。点滴保持者の席だけ真ん中に座らなくてもいいように指定されており「なぁるほど」と感心させられました。食事もさることながら、食器がすべて美しい器なのにびっくりしました。食欲も沸いてくるはずです。

私の記憶ではアルミのような学校給食のようなプラスチックのような(この日本語ちょっとへんかしら?)イメージでしたのでとても驚きました。煮物と酢の物と茄子のあんかけとメロンまで付いていて、我が家のメニューより豪華だと言うと病人が大きな声をたてて笑いました。笑うことが一番の良薬なんです。

今日もひとつ良いことをしたような気分でした。


[1292] 【1308回 ゴールデンウイークはあっと言う間に終了】 2007-05-07 (Mon)

4月28日からの9連休のお休みも「あっ」と言う間に過ぎてしまいました。来年からは毎日がゴールデンウイークなのかと、ほくそ笑んだりもしています。3日、4日、5日と思い出に残る日々を過ごしましたが5日のこどもの日の出来事を。

長男が北海道の大学に行ってから5月の連休は息子の帰りを待つ習慣になっていました。せっかく戻るのに母親が留守をしたらかわいそう(息子がどう思っていたかは知らん)と思い旅行することもありませんでした。やがて嫁をもらい孫が出来ると「初節句」だのこどもの日だからと爺婆の家へ集合さす習慣に変わりました。今年は2月に生まれたかー君の初節句も一緒にします。

私の母は日本の風習を大切に幼かった私に教えました。季節ごとの行事は、ささやかでも家でご馳走を作り、その意味を話してくれました。今は私が記憶のある範囲で嫁と孫に伝えたいと思っています。5月5日までに到着するように「ジャングルジム」を購入しました。荷物は届いたものの爺婆の手には負えません。5日の息子達の到着を待つしかありません。

長男、次男一家が集まり2階の部屋はおもちゃ売り場の組み立て工場に変身しました。部品の数が半端ではありません。長男と次男が仲良く「ああでもない、こうでもない」と言いながら自分たちの子供のためとあって額に汗して頑張ります。その中を零くんとももちゃんが部品を持って走るのでなかなか完成までにこぎつけません。この品物はすべてダンボールで出来ており環境にやさしく、安全玩具となっています。そして先端になが〜いすべり台が取り付く様になっています。「先に乾杯しよう!」案外時間のかかる作業にご馳走が先と判断した様子です「かんぱ〜い」

やっとジャングルジムが出来上がり零くんも、ももちゃんも大喜びです。順番を守らないで二人でけんかをしたり、譲り合ったりで賑やかです。かー君は眠りたいのにお姉ちゃん達がうるさくて全然眠れません。「り〜ん、り〜ん」電話が鳴りました。姪達がやってくると言うのです。しかも2家族6人です。「ここに来ればご馳走にありつけると思ってん」と姪が笑います。にぎやかで、ほのぼののこどもの日はかー君達が帰り、零君達が帰り、寂しいくらい静かになりました。

その後は夜の更けるまで義兄一刀水の思い出話に花が咲きました。


[1291] 【1307回 サンセットの下見】 2007-05-02 (Wed)

♪聞け万国の労働者〜とどろきわたるメーデーの♪と若かりし頃メーデーの行進に情熱を注いだ日を思い出しながら5月1日メーデー行進ならぬスタッフによるサンセツトの下見ウオークとなりました。

JR東西線「御幣島駅」午後4時集合で行ってみれば、ほとんどのスタツフがもう集合しており、「遅くなってすみませ〜ん」と平謝りの挨拶から。それもそのはず今日のコースは私とポチの担当なんです。(コース設定は大の苦手なのにネ)

集合場所までが遠いため歩きながらスタッフの配置を決め参加者が迷わないようにみんなで確認しながら、集合場所の公園に到着しました。いよいよスタートです。コース設定の苦手な姫でも前日に歩いているのだから大丈夫、みんなを案内しながらトイレの場所、時間、速度などを確認します。緑道を抜けると見晴らしがよく「福漁港」から対岸をみれば見覚えのあるユニバーサルや派手なゴミ焼却場と此花の建物を一望することができます。頬を伝わる潮風が心地よく足もリズミカルです。

寸前まで降っていた雨は止み「サンセットは雨」の不吉な予想もどこかへ消えてしまいました。矢倉緑地でサンセツトのビュースポットとなります。つい先ほどまで雨が降っていた関係で夕日は諦めていたのですが「下見情報に載せる写真に夕日がないのは寂しいのぉ」の一声で瞬間だけ夕日のサービスをうけ11名のスタツフが太陽に拍手を送りました。歌も決まりました「ゆうやけぞらが真っ赤っか〜」鼻歌まじりで折り返します。

本番は夕日が沈むまでは折り返しできませんので待ち時間が長く、何かおやつがいるかも知れません。途中のコンビニ前で本番は案内しようと思っています。(アルコールはいかんよ!)

帰りのコースも快適に戻り、何とか下見のお役目を終えることができました。しかし私は1回限りの担当なんですが、他のスタッフのみなさんは例会の回数だけ下見、本番を繰り返していらっしゃることに、気力体力ともに脱帽致しました。ハイ。


[1290] 【1306回 サンセットウオークの下見の下見】 2007-04-30 (Mon)

午前中は洗車をし(ポチの彼女の「なびちゃん」が乗っているから気合いの入っていることと言ったらありゃあしない)午後からはサンセットウオークの下見の下見に出かけました。明日はスタツフの方達との下見なんですが、私がコースを提供したとあって昨年の9月に下見の矢印を貼ってきたので剥がれていないかの確認です。大丈夫!全部くっついていました。コースの緑道に入ると1本道なので楽に歩けるのですが集合場所の公園までのとりつきがかなりの距離があるのです。しかしスタツフを配置することで参加者の皆様には此花区の対岸から夕日の沈むのを堪能していただけるのではないでしょうか。

帰りは阪神電車「福駅」からの乗車です。西九条へ出て環状線にのるコースと尼崎に出て本線で梅田へ出る方法があることを参加者の皆様にご案内して混雑を避けたいと考えています。福駅はちっちゃな駅なんですよ。


[1289] 【1305回 ポチの新しい「彼女」】 2007-04-30 (Mon)

ポチに彼女ができました。名前は「なびちゃん」と言います。妻に内緒で家の中にかくまっていましたが、ふとした拍子に見つかって大騒動になりました。「妻に内緒で!」と姫はえらい剣幕でした。「言うと反対されると思って。。」と言い訳がましいセリフです。「なびちゃん」連れてどこへでも行けばいいとあきれてしまった妻でした。

ポチも開き直ったのか、家の中で大切にしていた「なびちゃん」を岡山行きのドライブに連れ出しました。この彼女は、まぁ親切で「合流車両に気をつけて」「まもなく到着しますよ」と言葉をかけてくれます。ジョンも姫もあまりの出来の良い彼女に脱帽してしまいました。

私達が山登りをしている間は、文句も言わず車の中で待機。帰り道もまた「合流車両に気をつけて」と声をかけてくれ交通渋滞のない道へ誘導までしてくれてス〜イスイとスムーズに帰宅することができました。

この夜を境にポチは「なびちゃん」を自室に連れ込むこともなくなりました。


[1288] 【1304回 今日からゴールデンウイークに突入しました。】 2007-04-28 (Sat)

4月28日から5月6日までゴールデンウイークで会社がお休みとなります。正月休みより、盆休みより長い休暇です。4月に新入社員として入社した者には帰郷を勧め、故郷のある者は親元に帰ることを勧めます。ある人は入院して原因不明の高熱と戦っています。ある人はキャンプにいくんだとバカンスを楽しんだり、またある人は転勤のために書類の残務整理をするために出勤したり「正ちゃ〜ん」さまざまに休暇を有効活用します。

私も旅に出る予定はありませんが(どこへ出かけても混雑するのでゴールデンウイークは近場と決めています)家事、買い物などで貴重な9日間を有意義に使いたいと思っています。来年は退職していますので毎日が「ゴールデン」なんですね。きっと。そして働けるということの有り難さをしみじみと味わっていることでしょう。今夜は、ももちゃんちでバースディパーティです。5月1日はサンセットの下見です。4月30日はそのサンセットの下見の下見に行ってきます。明日は岡山へイタドリ採り(ちゃうちゃう別の用事やろ?)(なんやかんや言うて予定詰まってるじゃん)

ということで、「ひめのおうち」もゴールデンウイークに突入します。時々は書き込むと思いますが決して病気ではありませんので、ご心配なくね。


[1287] 【1303回 新聞に載った「行ってみたい山」】 2007-04-27 (Fri)

「産経新聞の山シリーズから抜粋」
●孤高の槍
長野と岐阜の県境に伸びるアルプスの標高3000メートル級の山々は下界が新緑の季節を迎える今も雪をまとい、厳しい表情を見せている。真っ白な世界に黒い岩肌をさらし、ひときわ目立つ岩峰が「槍ヶ岳3180メートル」やりの穂先のような急峻な斜面と強風で雪を寄せ付けない孤高の山。春が待ち遠しい。

●前穂高
前穂高3090.2メートル 直下の急斜面に、幾筋もの「くもの糸」ができていた。固く締まった古い雪の上を、新たに積もった雪が転がり落ちた自然のオブジェ「雪俵」や「雪まくり」と呼ばれている。前穂高から奥穂高、北穂高と南北に連なり穂高連峰に囲まれる涸沢は、氷河の浸食によってできた椀状の谷。厳冬期には雪が吹きだまり、春を迎えた今も雪崩の多発地帯となっている。

去年の夏の大阪府歩け歩け協会の白馬岳登山で体験した教訓をムダにせず、いつでも参加できる体力作りを日々しておきたいと思っています。私は荷物を背負うことが大の苦手で「歩荷さんを雇いたい」とバカな事を言っています。まず2泊3日山の上で過ごすだけの荷物に耐えられるかの訓練、体力の維持、協調性など、中高年の山の事故の多い中「山がそこにあるから登るんだ」では楽しい登山はできないように思います。一にも二にもトレーニングだと痛感しています。

大阪府歩け歩け協会は長年夏山登山を体験してきて多くの参加者から「次はどこに連れて行ってくれるの?」と熱いエールをもらう。今年の夏は伊豆方面「天城越え」のウオーク中心の企画を発表致しました。山を愛する皆様も箸休めとお考え頂きご参加をお待ちしています。


[1286] 【1302回 誕生日】 2007-04-26 (Thu)

「みっちゃんの誕生秘話」
「お前はあそこにある大きな紅葉の木の枝にひっかかって泣いていたので拾ってきた」義兄は大きくなった私に向かっていつもこのように囁いて楽しんでいました。田舎育ちの純情無垢な頃の私は、すっかり信じ切ってシクシクと紅葉の木の下で泣いたこともありました。「お母ちゃんがうちを怒るのは、うちが捨て子やからや」そんな思いでした。いたずらをすると裏庭にあるガマガエルの住み着いている「防空壕」の中に入れられるので、いたずらもそこそこにしていました。大人になっても、何故か紅葉の木が母の様になつかしく故郷へ帰った時はいつも見上げては通りました。

現代の子供達にこの話しをすると「ダサ〜イ話」と一笑されてしまうことでしょう。「おまわりさんに言うよ!」「お医者さんに注射打ってもらうよ!」現代版はこうかな?

私は母親が44歳の時の子供らしく幹の枯れたキューリのうらなりに例えられたこともありました。くやし涙も、悲しい涙も58年間で幾度も流しましたがぜ〜んぶ忘れてしまいました。いまは感動のむせび泣きが多いように思います。

私が産まれた年の出来事
●美空ひばりさんが歌手としてデビューしました
●皇居二重橋前が開放され一般参賀が許可されました
●「湯の町エレジー」「君待てど」「憧れのハワイ航路」の歌が流行しました。
●物価は食パン一斤6円24銭、コーヒー一杯20円、味噌1キロ13円47銭、映画館40円、
 銭湯10円

私が10歳の時の出来事
●関門トンネル開通
●10,000円札が発行されました
●正田美智子さんが皇太子妃に決定。このことから「みっちゃんみちみち♪」のいじめの歌は消えた

今夜は長男の嫁が手作り料理でバースディを祝ってくれました。バス停までパパを迎えに行くと犬のマークのバスが6台連なって車庫入りのために目の前を走ります。すると零が「あのバシュどこへ行くんだろう?お〜いバシュ〜乗せてよ〜どこ行くのー?」零くんの仕草から成長ぶりを伺えます。零からプレゼントをもらった気分です。


[1285] 【1301回 追 悼】 2007-04-25 (Wed)

2年前の4月25日、丁度第8回の運動会を終え、トラックにレンタル品を積み返却のために福島区までトラックで走る道すがらラジオで「尼崎で脱線事故」のニュースを聞きました。そうなんや転覆かぁと聞いていると死者がいる模様とのアナウンサーの絶叫に近い報道でした。会社に戻りテレビをつけると半端じゃない死者数が画面いっぱいに映し出されていました。お亡くなりになった人に心よりのご冥福を申し上げ、現在もリハビリに通っている人にも心からお見舞い申し上げたいと思います。

今日朝から上司を都島の市立総合医療センターに車で送り診察に付き添っていきました。椎間板ヘルニアで治療中で今まであちこちの病院をかけまわりましたが、やっとこの病院で納得して治療が受けられると判断した模様です。今日は椎間板ヘルニアの治療ではなくて、1週間以上も原因不明の微熱が続き苦しんでいたのを強引に、無理矢理に内科受診を勧めたんです。普通の風邪とも思えません(結果は入院。私の強引さの勝ちでした)

受付での事、本当は引かなくてよかった「番号カード」を引いてしまいました。すると初診担当の看護婦(あえて婦)が眉間にシワを寄せて番号カードを引いたことへの注意を受けました(引かなくてもよかったみたい)「わからない人のためにあんたがおるんちゃうの?眉間のシワは不愉快よ」と思い少し気分を害していましたが「それを言っちゃあおしまいよ〜」で我慢、我慢。

内科受診の順番を待つ間、2階の整形外科でレントゲンフィルムの返却をしてもらうため用件を伝えました。すると先ほどの看護婦とは違い「雨に濡れてはいけませんので」とナイロン袋を差し出してくれました。駐車券にスタンプを押してもらうとスタンプについた余分なインクをチィッシュでふき取ってくれました。「ご親切にありがとうございます」思わず心からそうお礼を申し上げました。私も事務員としてあと1年ですが今日の対照的な看護婦を脳裏に浮かべながら事務員としての最後を全うしていきたいと思います。

追伸)昔、三日月お月様のような吸い取り器がありましたが、最近見なくなりましたね。余分なインクをふき取ったりペンで書いた字の上をお船のように左右に動かして使いました。そういえばインク壷もみないなぁ(今うなづいた人は、ちょっと古い人ね〜)それから役場のおじさんがする黒の腕カバーしている人見なくなりましたね(うん。うん)


[1284] 【1300回 4月26日は私の生誕の日】 2007-04-25 (Wed)

1300回の書き込みです。何かゴロがいいでしょ?

4月26日誕生日がきたとしてもそう胸がときめく年でもなく、さりとて忘れられるとそれはそれで寂しいものがあります。ケーキに立つローソクの火に息を吹きかけるのも59本ともなると息切れがし、扇風機の強風を送りこまないと、到底一度に消えるはずもない。それくらい年を重ねてきたと言うことでしょうか。これからは最後の50代を謳歌して定年退職へのカウントダウンに入ります。

子供時代、誕生日を祝ってもらった記憶はありません。そう言う風習、時代ではなかったと思います。七夕と村祭りと正月はご馳走が並びうれしかったことを覚えています。昔は学校の出席簿の順位は4月1日生まれを基準にしていました。今のようにアイウエオ順ではありません。4月生まれは私だけなのでいつも一番のはずが 「愛ちゃん」という子がいつも私の前にいます。なんでなのか先生に聞くと「愛ちゃんは22年生まれ」で病気で私達と同じクラスになったと説明をしてもらいました。(納〜得)

いまはチビですが小学6年生の時は一番大きくて(小学6年生から身長が伸びてないの)運動会の時は大きい子が一番前に並びます。何でも一番と名の付くことが大好き人間の私はここぞとばかり最前列に並びました。しかし中学に入ると友達みんなが竹の子の様に大きくなり「チビ」のグループに追いやられてしまいました。足のサイズも22.0センチと間抜けの小足で上半身だけがジャンボとなり「その足でそんなデッカイ体を、よく支えているなぁ」と言われている今日この頃です。(ほっといて〜)

姑と舅をあの世へ送り出してからは「自由」を褒美にもらいました。きっとやさしかった姑からのプレゼントだと思っています。誕生日にはいつも「お義母さんありがとう」と姑の写真に手を合わします。だからこうしてウオークに行けたり、山に行けたり、岩に登れて楽しんでいられるのだと思います。

介護を必要とするご家族をお持ちの方もいらっしゃると思いますが私からの提案です。介護も大変だと思いますが、時々「自由な時間」を自分自身で作ってください。そうすることによって介護される側も「申し訳ない」と心に負担を追わなくて済むのではないでしょうか。今は介護センターだとか、デイサービスだとか介護を支援してくれる専門の機関があり上手に利用すればいいと思っています。私が姑と住んでいた長屋あたりでは「まぁ!お姑さんを放っておいて遊びに出かけてからに!」という人達ばかりでした。だからお姑さんが元気な時も結構、遠慮がありました。お姑さんは理解のある人でしたが長屋の周りの年寄り達がピーピー言うのです。

60歳になって「年寄りの仲間」に入ったらサスケ先生の書き込んでおられた「それを言っちゃあおしまいよ〜!」と言うことにならぬように気をつけたいと思います。「言わぬが花、大和撫子を忘れるべからず」(守れるかなぁ)で60歳へのステップを歩み出したいと思います。

明日26日と明後日27日は、それぞれの嫁から夕食の招待を受けています。うれしい限りです。


[1283] 【1299回 ストレス】 2007-04-24 (Tue)

「季節限定いたどり姫」が今年は収穫がなく、喘いでいます。ストレスがたまりにたまっています。イタドリがないのではなくて、その場所に出向くチャンスがないのです。この間パイロットMさんが「姫さんウイークデーで沢山見ましたよ。今日、姫さんが参加していたら大騒ぎしてるだろうとみんな噂してましたよ」とやさしくほほえんで話して下さいました。

過日、急な斜面にりっぱなイタドリを見つけて採りに行こうとして仲間に止められました。「ロープがないと危ない」「ほんなら採ってきて!私より腕がいいはずだから!」と無茶を言って困らせたことがありました。氷上のヒミツの場所は去年の水害で堤防が改良され土の丘と化されていました。

幼き日、塩をランドセルに入れて登校し、帰りは必ず「水分補給」のためのイタドリを剥き食べるのです。美味しいのではありませんが「♪おさななじみの思い出は青いレモンの味がす〜る〜♪」の歌みたいな郷愁を誘うのです。恩師が家庭訪問をしたら、どの家も「何もありませんがイタドリでもどうぞ」とみやげに持たせてくれた話、都会育ちの恩師にとってはイタドリは「雑草」であったことなどが懐かしく思い出されてきます。連休に岡山にいく用事があります。途中で見つけたら急ブレーキをかけてでも採るぞ〜!

急ブレーキで思い出しましたが昨日駐車場から出る車と、子供を乗せた自転車との接触事故の現場に居合わせました。見通しのよい駐車場ですが自転車が倒れ子供が大泣きしています。泣いたということは大丈夫やなと一安心しましたがその次にものすごい声で「あんた!どこ見て運転してんの!どうしてくれるの!」と母親が叫びます。どう見ても五分五分の事故です。倒れたわが子を起こし大丈夫やったんかと声をかけるでなく私が自転車を起こしてやりました。車には自転車の転倒時についた大きな傷がついています。この母親、叫ぶ前に我が子を起こしてやったらどうやと腹立たしく思いました。ドライバーは剣幕に押され「すみません、すみません」を連発します。そっと耳元でドライバーに入れ知恵しました。「五分五分やで〜こんなおばちゃんの亭主だと、もっと大変な人格かもしれないので警察への連絡と病院へは連れて行ってた方がいいよ」というと青ざめた顔がやっともとにもどり「ありがとうございます」と頭をさげてくれました。会社に戻り数分後にパトカーの音と救急車のサイレンの音がしたのでホッとした次第です。

歩行者と車の事故の場合、歩行者が100%悪くても「痛い、痛い」とうずくまれれば車が悪者になります。黄色の点滅、赤の信号で平気でスタッフがいなければ(いてても)渡るウオーカーがいますが大変危険です。小さな子供は大人を見て育ちます。「今時の若者は!」と言うまえに「いまどきの年寄りは!」といわれないように気を付けましょうね。


[1282] 【1298回 ナンバ歩きとは何ぞいなぁ】 2007-04-20 (Fri)

「ナンバ歩き」について
ミナミの難波をブラリと歩くのとは、ちと違います。「難場」の字のごとく難ぎな場所でおおきな力を発揮する歩き方を「ナンバ」歩きと言います。私は山を歩くとき、この歩き方の改良型「ローリングステップまたは腰回転歩行」の訓練を受けており幟や階段ではよく使います。

大阪府歩け歩け協会でも、この「ナンバ歩き」の講習を実施しました。平日のために我々労働者は受講することができませんでした。しかし受講したスタツフが大勢いると聞きましたので今後のウオークでお昼時間を利用してお披露目して頂き参加者に教えてもらいたいと思っています。

ここからの原稿はホームページからの抜粋です。
「アテネオリンピック前後から、トップアスリートたちの間で話題になっている「ナンバ」という動きをご存知ですか?陸上・サッカー・ゴルフに野球など、様々なジャンルの一流選手たちがこの動き方を取り入れて好成績を残したことで、一躍注目を集めることとなりました。古来、日本人の歩き方はこのナンバであったといわれています。歩く、走る、作業をするなど、あらゆる動きに際して着物が乱れない身体の動かし方で、現代の歩行に比べてより無駄のない動きであったようです。

例えば東海道五十三次に登場する主人公たちは、ごく普通の町人でありながら、江戸から京都までを約二週間で踏破していました。着物にわらじ履きという簡素な装備で一日に40キロ程度の距離を歩いていたことになります。もちろん彼らに限らず、この当事の人々は日常的に現代人の何十倍も歩いていました。そのパワーとスピードの秘密がナンバを用いた歩き方、「ナンバ歩き」にあったと考えられているのです。 詳
しい情報は下記アドレスからお入り下さい。

http://www.mizuno.co.jp/walking/namba/vol_1/

上記のアドレスはみなさまもご存じの上野敏文氏(1952年生まれ。大阪出身。日本ウオーキング協会専門講師。ミズノ株式会社ウエルネス事業部勤務。各地でウォーキング講座の講師や大会の企画運営を担当)

上野氏はもともとエクササイズウォークをやっていましたが、昨夏ナンバ歩きに出会い、3ヶ月でその魅力のとりこに。長時間歩き続けても疲れにくいその魅力に取り付かれ、現在では日常生活でも常にナンバ歩きを実践しているそうです。趣味の山歩き(金剛山登頂700回以上)で感覚を磨く。長時間歩行、上り下りの快適さの魅力に取り付かれ、現在では日常生活も常にナンバ歩きになっているといいます。



[1281] 【1297回 自分の足で歩きたい】 2007-04-17 (Tue)

健康な人なら当たり前のこと。寝ている時以外は歩いたり走ったり、座ったりと自分の自由自在になる健康な足があります。だからウオークに参加もできるのです。
ところがなんです・・・・
以前、バスウオークの時のガイドもどきを聞いて下さった方なら、ああ、あの人かとすぐに理解して頂けると思います。JR福知山線脱線事故の時に2両目の車両に乗り「死」を宣告された鈴木順子さん(32歳)ガラスの破片が口の中いっぱいに入り医師がボールペンでほじりだした話しをしたかと思います。

事故の日、現場近くの学校の校庭に救命用のヘリコプターが舞い降りました。事故車両から救出された順子さんを乗せて大阪市立総合医療センターのヘリポートに到着し医師はまず口の中のガラス破片を取り出すためにボールペン2本(1本は口を開けておくため、あとの1本はガラス破片を掻き出すため)でガラスの破片を取り出す手当をしました。

その頃母親のもも子さんは携帯に連絡しても通じない順子さんを探すために死体安置所を探し続けたそうです。夜の8時過ぎになってやっと大阪市都島区の市立総合医療センターで意識不明の順子さんと再会できたそうです。医師は母親を呼び、いずれやってくる「死」を宣告したそうです。

苦しくて厳しい月日が経ちましたが家族の看護のおかげで回復のきざしを見せてくれたそうです。事故の年の秋のある日、母親のもも子さんが「順ちゃん、あ〜言うて見て!」とのよびかけに何と順子さんが「あ〜」と言ってくれたそうです。「もう一回あ〜言うてみて!」すると順子さんは「お・か・あ・さ・ん」って言ってくれました。この日からお母さんは以前よりも希望を持って「絶対もとの体にしてあげる」と言い、献身的な看護を続けました。しかし意識のない中でもガラスの破片を飲み込んではダメだと言う事故の恐ろしい出来事が口の中を通る食べ物全てをガラスの破片だと思い、シャットアウトしたのだそうです。「順ちゃん食べてー食べんと死ぬよ〜」

それから順子さんは「お・か・あ・さ・ん」の言葉の次ぎに声に出したのは「何で!?何で!?」と言う言葉だったそうです。何で自分の体がこうなったのか、何で自分の乗った電車が脱線したのか、そんな全ての意味を込めての「何で?!」だったのではないでしょうか。2年経過した平成19年4月25日に初めて事故現場に車椅子で行き、献花をする順子さんの姿がありました。現実から逃げないでまっすぐに生きて行こうと決心したそうです。そしてもう一箇所、順子さんの希望で大阪の市立医療センターの担当医師を訪ねました。「助けてくれてありがとう」順子さんは素直に先生にそう言いました。お母さんは「この病院も、この先生も嫌い」とその当時を振り返り寂しく笑います。先生も「そうやね。いつも、もうあかん、諦めなさいばっかり言うてたもんね」さらに言葉を続けます。「私達も医療にたずさわる者として奇跡が起こると言うことを教えてもらいました。今後も静かに見守りたいと思います」

4月17日産経新聞朝刊にこの記事が載っていました。「体の不自由な娘を持ってつらいなぁ」と世間は言うが家族のきずなという幸せを教えてもらって幸せですと母親のももこさんは語っておられました。少し前の見聞したことが思い出せない記憶障害が残っていますが序々に回復を見せ始めていると言います。4月12日に32歳の誕生日を迎えた順子さんが自分の年齢をよく母親に尋ねるので、手の平に「32」と書いてあげたそうです。その後手の平の「32」の文字は消えてしまいましたが、今でははっきりと「32歳」と言えるまでに回復しているそうです。

順子さんの32歳のメッセージです「32歳になりました。とうとう32歳。私のイメージでは32歳という年では、私の才能を活かして働いているイメージです」いま順子さんはリハビリに励み社会復帰を目指決して諦めず前向きに生きる娘の希望を母親のもも子さんはかなえさせたいと思っています。


[1280] 【1296回 終わった〜!】 2007-04-17 (Tue)

企業のイベントを天気に任すというほどしんどいことはない・・・毎年そう言いながら18年間続けてきました。手作り運動会は「晴天」のうちに無事終了しました。晴天すぎて「熱中症」で倒れた人がいましたが日頃、社員教育で救命救急の講習をしていたため、私がかけつけた時はシートで日陰を作り、ベルトをゆるめ額にはつめたいタオルがのっかっていました。救急車を要請した者がいましたが、意識もあるし大事には至らないと判断したためすぐに救急車要請を中止させ、しばらく日陰で寝てもらいました。観客の中に嫁の「洋子看護師」もいて脈拍をとり、患者自身が安心したのか大事には至りませんでした。3分間運動会は中断しましたがその後、最後まで楽しいイベントは続きました。しかし日頃の訓練は必要ですね〜!

ウオークで気分が悪くなった人がいた場合「○○さ〜ん」と救護係を無線で呼ぶスタツフの声を聞きますが、そうではなくてスタツフ全員が手当のできる体制が望ましいと今回の運動会で実感しました。手当をした社員を褒めると「いや〜いつも久田さんが講習していた時の事を思い出してみんなでああだ、こうだとしたまでです」と謙虚な答弁が清々しかったです。

前日の夜中まで雨がふり、どうなることかと悩みつつ当日の朝5時を迎えました。「んっ?雨はどこかへ行ったな!」ダッシュで会社へ行きトラック2台、ワゴン車1台を出してドライバー担当係を待ちます。彼もまた天気が気になるのか足早に到着してきました。二日酔い丸出しの顔です。それもそのはず、私も一緒に「運動会を成功さすための前夜祭」と銘打って居酒屋で12時まで飲んでいたのです。会社の事、今までの運動会の歴史、青春の話など盛りだくさんの話題で閉店後は店主までもがグラスを持って座り込んでの酒盛りです。

第9回(2年に1度開催)ともなると手際よく準備が進みます。テントを張る係、ラインを整備する係、本部を立ち上げる係、朝食を買う係とみんなよく働きます。屋台の人達も登場、氷上工場のスタツフも登場、のぼり旗も風にはためき運動会らしくなってきました。まもなく大型バスが氷上工場の社員を乗せて登場しました。お客様も続々登場。OBの顔も見えます。勿論零ちっちも、ももちゃんも参加です。

開会宣言、理事長挨拶、社長挨拶と続き、女学生の制服をきた新人女子社員が元気よく選手宣誓です。前回は関取の格好、前々回はバイクに乗っかりスーパーマン登場と毎回、伝統ある選手宣誓スタイルなんです。プログラムに沿ってスムーズに進行していきます。大人向け、やや年寄り向け、子供向け、若者向けとバランスよく出場できるように工夫しています。

燃えて、燃えて燃え尽きて閉会式を迎えました。私にとってこれが最後の運動会となるため「持続こそ力なり」を守りみんなで力を合わせて続けて行ってほしいとはなむけの言葉を残し終了しました。飲み放題、食い放題、おみやげ付きは観客に好評でした。グランドの隅をねぐらにしていたおじさんもカレーライスを食べていたという話を後で聞きました。(笑)並んでカレーをもらったのか、誰かが持って行ってあげたのかわかりませんが観客の一人だったんでしょうか。

その後片づけを終了し、慰労会会場へ移動です。2時間なんてアッという間です。まだ飲み足りない若者が「次へ行こう!久田さん最後まで帰ったらあきませんよ!」エレベーターで2階の居酒屋へ移動。そのスキをついて非常階段から脱出しやっと釈放されました。運動会の余韻はまだまだ続き17日は「優勝祝賀パーテイ」が開催されます(いち抜けたー!)


[1279] 【1295回 気 合 い】 2007-04-13 (Fri)

バスウオーク「淡路島・海と花ウオーク」と時を同じくして会社行事が重なりバスウオークは欠席させてもらいます。胃痛も、あとしばらくの辛抱です。雨?大丈夫です。前の晩に降る雨は庭にまく「まき水」みたいなもんや。運動会の日は雨は降らへん。勿論、淡路のバスウオークも大丈夫です。

「怨念やなぁ」と苦笑する仲間もいます。降ってみぃ!たたりが来るで〜。(どんなたたりやろか)グランドを駆け回るチビッコ達、仕事を忘れて競技に燃える仲間達、事情があって退社した人達も、そしてお友達、家族もみんなみんなあつまれ〜


[1278] 【1294回 胃痛とともに一週間】 2007-04-10 (Tue)

これからの一週間、胃の痛む毎日が続きます。それもそのはず会社で「運動会」を実施するのです。天気を気にして胃が痛くなる毎日が続きます(神経は、ず太いけどネ)今年で第9回ということは2年に1回ですから18年続いているというわけです。最初は私がまだ「青年部」に所属していた時でした。「運動会をしよう」と提案しても誰も「うん」と言ってはくれませんでした。「失敗するし〜」「雨降ったらどうするの?」「トイレもないし〜」「せっかくの休みを返上してまで〜」とマイナスの声ばかりが大きく戻ってきました。私は逆風が好きなのか俄然ファイトが湧いてきました。「運動会やろう!」最初は30人ばかりでスタートしました。

第2回目、第3回目と回数を重ねていくうちにハチマキやバトン等のレンタル代が、やけに勿体なくなり「よっしゃ!みんなで作ろう!」と言うことになり会社にミシンを持ち込みハチマキや「赤ずきんちゃん」の洋服などを縫い上げ、「実施するぞ」と旗揚げしたその瞬間から運動会はすでに始まっていたのです。みんな力を合わせて遅くまでわいわいがやがや。

ある時は前日にドシャブリの雨が降り鉄棒をグランドに持ち込み、地面に水抜きの穴をあけた年もありました。またある時は運動会の最中にドシャブリの雨が降り「15分間待ってください」とアナウンスすると15分後には太陽が出たことがありました。お弁当の手配も最初は人数分を注文していましたが追加追加で運動会どころではありません。「よっしゃ!グランドに屋台を呼ぼう!」いまでは屋台付き運動会が恒例となりました。

実績が認められ「共済会」から予算を貰えることになりました。労働組合も快く賛助金を出してくれるようになりました。おかげさまで、りっぱな運動会を実施することができるようになりました。大手企業ではイベント会社に依頼して運動会を外注すると聞いています。我々は手作り運動会で盛り上げていきます。おいで頂いたお客様にも楽しんでいただこうと「GESTチーム」をご用意しています。

「じゃんけん大会」「100メートル競争」「チャリ輪競争」「おこさまかけっこ」「玉入れ」「コーラ早飲みパン食い競争」「廻って廻ってどこいくの」「おこさまキャタピラー」勿論「綱引き」もあるよ。そんなわけで私にとって勤続38年目の最後の運動会なんです。だから雨に降られると困るんです!お願いだから降らないで!

テルテル坊主を3体作りました。本社と氷上工場で飾ります。晴天とまでは欲張りません「降らないで」の祈りのをこめて・・・・


[1277] 【1293回 桜・さくら・サクラ・三昧ウオーク】 2007-04-08 (Sun)

土曜日の雨も上がり日曜日はポカポカ陽気で花見ウオークに最適の満点日和。地下鉄で野田阪神からなんばで乗り換え、御堂筋線の終点 中百舌鳥駅へ。泉北鉄道に乗り換え「栂・美木多駅」でおりたのが8時40分(10時集合)すでにスタツフが大勢集合していました。集合場所の西原公園は桜の名所で地元の人達が早朝にもかかわらずゾロゾロと花見にやってきています。近くでは屋台のテントの中で忙しそうに働く業者の人達の姿、あと30分もすればイカ焼き、焼きそば、タコ焼きなどの良い臭いが漂うでしょう。(何でここをゴールにせんのや!)顔見知りのおじさんが挨拶がわりに言葉をかけてくれます。

今日は同じ泉北鉄道の「深井駅」で他の協会もウオークをやっており参加者が分散した様子です。歌集も400部用意してきましたが半分は廃棄処分となりました。集合場所でひとりの女性が私に握手を求めてきました。「いつも聴いてますよ〜豊島美雪さん!」おっと何か勘違いをしてるぞー。

今日の私の仕事はストレツチの担当と中間スタツフ。西原公園を出発して泉北高速「栂・美木多駅」を通り、たまむし橋、ひぐらし橋を通り「御池公園」でトイレ休憩となりました。道中は桜並木とサクラのトンネルでヒラヒラと舞い落ちる花びらに日本人でよかったとサクラ酔いをし感傷的になりました。

トイレ休憩の時に、私を豊島美雪さんと勘違いした方を見つけましたので事情を説明し理解してもらいました。そばにいた○△ライダーさん曰く「年は似てるけど顔は全然ちゃうし〜」とつっこまれてしまいました。

トイレ休憩を終えふたたびスタートして田圃の中を歩いていると初いたどり(直径1.8p×20p)を見つけました。常々ポチが「団体歩行の時にはイタドリは採ってはならん」と言っていましたので近くを歩いていた方が事情を察知して下さり「わしが採ってやろう!季節限定イタドリ姫さん!」と採って下さいました。ホームページ読んでくれてるんやとうれしくなりました。(イタドリ採りに私は決して手を汚していません!)副会長も後ろで苦笑いしていましたが今年初めての対面です。胸がワクワクし、それからは「サクラ半分、イタドリ半分」で歩いていたと思います。そばを歩いていた80歳の男性の方と「イタドリ談義」に花が咲き、やがて昼食場所の「堺自然ふれあいの森」に到着しました。○△ライダーさんにイタドリの撮影をして頂きましたので乞うご期待!(4/29〜5月の連休は採取どきですよ〜)

お昼の歌は「春の小川」と「からたち日記」です。からたちの花には大きなトゲがあり防犯効果が抜群である話などをしました。たまには歌謡曲をいれてもみなさんの反応があって楽しいですね。午後の出発後も鼻歌で「♪からたち〜からたち〜♪」と歌っている人もみうけられました。100日間かけて世界一周をされた80歳(?)のDENちゃんとも久々にゆっくりと話ながら歩きました。総費用は教えてもらいましたがここでは(ヒ・ミ・ツ)自分へのご褒美だそうです。すごいねっ!

午後からは日蓮宗の神社である感應寺、無形文化財となっている桜井神社と由緒ある場所を廻り(詳しくは歌集の裏面に書いています)大連池の桜並木を通り「もうサクラはええで」と言うほどのさくら三昧ウオークも終盤にさしかかりました。途中ですれ違った孫連れのおじさんに「コンニチワ」とお互いに挨拶をすると孫が「おじいちゃん今のおばちゃんと友達なんか?」と質問をしており「山で会う人はみ〜ん〜な友達なんや」と答えていたのが印象的でした。この子はきっとええ子に育つで〜。

こうしてさくら三昧ウオークは泉北鉄道「泉ケ尾駅」でゴールとなり反省会もそこそこに、選挙もあることからと、足早に家路に着きました。参加者の中にウオーク初めてのご婦人がおり、酒の肴にもならん足豆を作り難儀されていましたがウオークを続けるならばスニーカーを購入してほしいです。今日の靴では15キロは無理です!


[1276] 【1292回 入社式と入園式】 2007-04-02 (Mon)

今日は我が社は「入社式」、零ちっちは「入園式」と新しい息吹を感じることができます。私の入社は昭和44年10月5日。右も左も解らなかった頃、役員さんの湯呑みのフタを割って先輩おばさんに怒られたこと、それを謝りに行くと「形のある物は壊れるよ」とやさしく言って下さったこと。ホッとして真珠の様な涙を流したことなどを思い出しました。

新入社員教育担当としては「仕事に慣れるよりまず人に慣れる」「おはようございます」「お先に失礼します」「昨日はお休みをしてすみませんでした」呼ばれたら返事をして呼んだ上司のところまで行く、座ったままで応対しない、解らないことは聞き、自分勝手な判断をしない。などの当たり前の事から説明します。お茶の入れ方、立ち振る舞い、電話の取り方と実務をしながら手取り足取りと指導します。3ケ月もすれば、りっぱな女子社員の完成です。うれしくなっちゃいます。親しき仲にも礼儀あり。初心わすれずなど、ほどよい緊張を保ちながら社風になじんでもらいたいと願っています。

今日から保育所に入園の喜びを零はピョンピョン跳んで表現します。「きりんぐみ」の名札をつけて昼休みに報告に寄ってくれました。泣きさけぶ児童も多い中、とてもスムーズに集団の中にとけ込んでいったそうです。生まれた時は超ちっちゃかったけれど・・・と思うと、愛おしく感じます。

ウオークに一人で参加の方もゴールでは電話番号の交換をされている光景をよくみます。岩山を羨望の眼差しでながめていた見知らぬ青年に「やってみるかい?」と声かけをし、仲良しになった人もいます。同じ趣味を持つと言うことは年齢の差は関係ないのですね。

ウオークに参加してて、自分から進んでいく性格、声をかけてくれることを待っている性格、単独歩行が好きな性格とさまざまですが、楽しく歩けてもらえればうれしいです。先日一緒に歩いたラジオ番組のプロジューサーさんも「みなさんお元気ですねぇ」とついて歩くのに必死の様子でした。今からは紫外線がきつくなりますので男性も女性も「日焼け止めクリーム」を塗ってください。水分は早い目に補給してください。体に無理のないウオークをしましょうね。


[1275] 【1291回 ラジオの影響もあり500人を越える参加者あり】 2007-03-31 (Sat)

3月31日悠遊例会「芦屋の伝説・打出の小槌を訪ねて」

天気予報では午後から雨模様とありましたがポカポカ陽気でコースが近場ということもあり、予想を超える参加者で集合場所の芦屋の上宮川公園は人であふれました。チャンネル1179毎日放送ラジオ「朝いちばん豊島美雪です」の番組スタツフもインタビューに来るということで快い緊張感が走ります。前日に打出の小槌を作ろうとハンマープライス用に使っている「カナヅチ」に金のスプレーをかけました。しかし「恥ずかしくて誰が持って歩くねん」という出来映えに、急遽、幟旗を作ってもらうことにしました。

【幟はかなりいい出来映え!】

芦屋駅に到着するやいなや副会長の目にとまり「ええなぁ、ここで参加者への目印に貸したってー」と言うことになりケンちゃんに貸与。公園の中は受付の列が長く延び「会員窓口」「一般窓口と他協会窓口」を分ける手段に成功しました。駅前では「ラジオを聞いて参加しました」と言うかたもけっこう多かったです。

10時前にラジオの若者スタツフ4名がお見えになり、打ち合わせ。その後、番組宣伝用の幟の組み立てをはじめました。「あのぉ駅で見たあの幟いいっすねぇ。僕たちもあんなの欲しいです」と気に入ってもらった様子でしたので「帰りに豊島美雪さんにプレゼントしますよ」と言うと大喜びしていました。インタビュー、受付風景、出発前風景と手順よく番組作成が進んでいる様子です。私の担当はストレツチですが公園の中が参加者が多いため狭くていつもの手を伸ばしたり横に伸びたりのストレツチは無理と判断しました。それとラジオの収録と言うことも計算にいれて「365歩のマーチ体操」をしました。みんなの手応えがうれしいです。

10時30分にスタートをして業平の祠、歌碑、芦屋公園の「ぬえ塚」でトイレ休憩です。「ぬえ塚」の説明を人数が多いため、3回にわけて説明をすると「親切でありがたい」と喜んでもらえました。谷崎潤一郎記念館前を通過しまもなく昼食場所の芦屋公園南端に到着です。場所が広いので500人いても平気です。

少し早めに「テーピングのお話」をさせていただきました。「痛くなって飲むのはセデ○、痛くなる前にするのがテーピング!」と皆さんを引きつけてひっぱつてきました。みんな膝のこととなると関心があるのですね。熱心に聞いてくれました。お膝の提供はツルミちゃんが快く引き受けてくれました。お昼の歌は「花」「春のうた」です。うら〜ら♪うら〜ら♪・・・(そう言えば、うららちゃん見えてないなぁ)歌集の裏には打出の小槌の説明を書いています。みんなとても喜んでくださり作る甲斐があるというものです。そうそう今日で歌集100回記念だったんです。

午後からはあゆみ橋でトイレ休憩です。ラジオのスタツフの方達とはここでお別れです。500人の拍手に見送られ「記念の幟」をプレゼントして豊島美雪さんに渡していただくことにしました。きっとこの事も番組の中で触れていただけると楽しみにしています。それから、さらに進み名前の通り浜風に当たりながら「浜風大橋」、ヨットハーバー(正式には県立海洋体育館ところ変われば名前かわるのですね)、打出神社、宮内庁管理の阿保親王墓を見てゴールの芦屋駅に戻ってきました。子供の参加も多かったし、チャーミー坂のコマーシャルに出て来るような、上品な71歳というご夫婦もいて幅広い参加者にスタッフ一同感謝感謝の一日でした。何よりもお天気に恵まれたことに感謝したいと思います。

今日のリーダーは胡内スタッフ、サブリーダーは戸高スタツフでした。胡内スタッフは初めてのリーダー役に緊張されつつも張り切って500人をまとめて事故もなく終了さすことが出来ました。ゴール後の反省会では感激で涙ぐんでいて、思わずもらい泣きしちゃいました。この純真な心、見習わないといかんなぁ!拍手〜!

本日収録の放送は4月5日の木曜日、午前5時すぎからだそうです。チャンネルは「1179」番組名は「朝一番豊島美雪です」です。どうぞお聞き下さい。


[1274] 【1290回 特別例会は、おいらは山へいきたのよ〜!】 2007-03-29 (Thu)

月に1度スタツフが集まって「運営委員会」を開催しています。下見報告、例会報告、新しいスタツフの斡旋、日本ウオーキング協会及び近畿ウオーキング協会の連絡事項などと、その他の問題提起して話し合います。事務所が狭いので場所は大阪駅前第2ビルの中にあるレンタル会議室を使用させていただいています。

今日の大きな議題は「夏の特別例会の行き先について」でした。スタッフのみなさんに一人一点の提案場所を事前にお願いしており「白川郷、天城越え」などが候補に挙がりました。私が大阪府歩け歩け協会の会員になろうと決心したのは歩けの会なのに「立山に連れて行ってあげる、毎年夏には山登りを予定しています」と間見会長がおっしゃったから決心した次第です。そうそう、それは平成10年8月のことでした。間見会長も私も若かったです〜。

立山登山の夜行バス待合所で、どの人に言えばいいのか、誰が責任者なのかわかりません。それもそのはず「乗り合いバス」でよその人達と混合なんです。夜行バスということもあってサンダル履きにムームーの出で立ちに責任者らしき人、ツカツカと寄ってきて「登山靴は持っていますか?」って質問されました。それが間見会長との出会いです。それからは大台ヶ原、乗鞍と上高地、御岳山と中仙道から妻籠、馬籠を合羽からげて三度笠で歩き通しました。平成14年には尾瀬沼、木曽駒、再び尾瀬沼、八ヶ岳、富士山のお中道、石鎚山、そして去年の夏には、あこがれの白馬岳も行くことができました。特別例会は「皆勤賞」なんです。間見会長は私の入会の時の約束を破らずに現在に至っています。

平成13年には4月に四万十川196キロメートルの旅もありましたね。同じ年の8月には御岳山も実行してみんな若かったんですね。今年の予定表には特別例会はありませんでしたが理事会でやっぱり実施しようということになりました。但し、行き先は「山以外」という条件付きです。う〜んこれも何か淋しいですよね。

それで私は初心を貫くべしと却下されるのを覚悟で尾瀬沼「燧ケ岳」を希望地として用意していきましたが民主主義の世の中ですから多数決には負けました。決まったからには全力投球をとココロの入れ替え作業に入ることにしました(複雑〜)こうなりゃあプライベートで行くしかないかな?至仏山と燧ケ岳にオイラを連れてってく〜れ〜

★★山にこだわり、山でおわりたいなぁ★★


[1273] 【1289回 インフルエンザウオーク】 2007-03-27 (Tue)

3月15日確定申告の最後の追い込みの時、零パパはインフルエンザでダウン。例のタミフルとやらを処方してもらい零に移して回復。零も純ママとともにインフルエンザでダウン。そして3月25日こんどは保育所でももちゃんがインフルエンザに感染し、洋子ママに移してしまいました。洋子ママは母乳の関係で「自力で治して下さい」と言われSOS発信があり、ここ2日間ほど通っています。食欲がないので、かわいい弁当箱にかわいいおにぎりを作り「たべてみようかなぁ」と言う雰囲気作りに必死です。そう言えば、ポチの母親があの世へ旅立つ時小さな小さなおにぎりと小さな卵焼きを作った覚えがあります。ほとんど何も食べられなかったんですが自然と手が出て食べてくれたことがありました。

「お母さんにインフルエンザが移りませんか」と嫁が私のことを心配してくれます。「59年間の免疫があるから大丈夫よ」そう言いながらも帰ったら手洗いとうがいを念入りにします。春だというのに風邪が流行しているようですよ。皆様気をつけてくださいね。背中にカイロなんて背負わなかったのに60歳の声を聞くと、用心深くなるのか、加齢とともに体力が落ちるのかわかりませんが、とにかくインフルエンザをもらわないようにしま〜す。

しかしウオークに来られている人で「風邪ひいてまんねん」と言う人は滅多にいません。いかにウオークが体にいいのかの証明ですな。みなさん健康なんですね。(あっそうか風邪ひいてたらウオーク休むから来てらっしゃらないのかなヘヘヘ)

追伸)ももちゃんに薬を飲ますのにママは必死のパッチです。粉薬を水に溶き、無理矢理押さえて飲ませるとプーッと吹き出してほとんど飲んでいない状態です。ここでババ様の出番です。絵本に「とん とん とん」と言う本があり、カバさん先生が森に住む動物達の病気を治してくれるのです。「とんとんとん、はぁい、ももちゃんはおかぜかな。お薬飲もうかな。あ〜よい子だね」と絵本からカバ先生がももちゃんの家に来たかの様に言うと粉のまま、ちゃ〜んと飲んでくれました。おかげでお熱もさがったとメールがありホッとしています。


[1272] 【1288回 春の雨】 2007-03-24 (Sat)

天気予報では土曜日と日曜日は「雨模様」とあります。ウオークにお出かけの皆様は風邪をひかないように暖かくしてお出かけ下さい。私も今日は車でおでかけ。昨夜バッテリーがあがっている車に気が付きバツテリーの充電に大あわてしました。そう言えばいつ乗ったのかなぁ??どうも半ドアーが原因の様です。朝の約束時間に何とか間に合い午前中はおでかけをしました。昼迄は何とか雨も待ってくれそうです。

しかし無情の雨は10時過ぎにはポツポツと降ってきました。甲子園の野球はどうなるのかと心配しながら、強い風と冷たい雨に遭い、車の中でコンロに火をつけトン汁を温めます。ガスが充満して私が一番にゲェーゲェーと気分が悪くなりました。窓をあけ、冷たい風を車内へ入れ、大事に至らずに、死なずに済みました。豆ごはん弁当を車の中で頂きました。花見の予定の人は雨と寒さに震えていることでしょう。

帰りに念願の「ハーネス&シューズ諸々」のお買い物!私は衝動買いをすることは決してなく、考えに考えてから、買う時は惜しみなく買うタイプです。「平素はつつましく必要な時はドッと」ハーネスはスポーツ店の天井に取り付けているロープにぶら下がり試着しました。ぶら下がってみるものです。メーカーによって体にそぐわない物もあります。間抜けの小足22.5pのシューズも買っちゃいました。ハハハハ

あっけにとられる付き添い者を尻目に再び阪急イングスへ移動します。ここには膝を保護してくれるサポーターが販売されており、サイズをきちんと測定してくれるそうです。最近、左膝が痛くて(かれこれ1ケ月ほど)テーピングでは間に合わなくなって来ました。ウオークでも登山でも会社にでも履いていくことができて正しい膝と腰のサポートをしてくれると言う優れものです。

機会があればウオークで「膝のテーピングの仕方」をお話し実際にテープを貼ってお話したいと思っています。「膝は第二の心臓」大事に仲良くつき合いましょうね。


[1271] 【1287回 リュックサックの中身】 2007-03-23 (Fri)

山へ行くときの注意事項の中に「必要最小限」の荷物をするようにと書いてあります。必要最小限の荷物とは一体何を指すのでしょうか。「人によって違う」なるほど、そうかも知れません。しかしウオーク途中で体力の限界が近づいたとき「リュックの重み」がとても大切になってきます。私はアバラ骨の事故の後、右肩にブラジャーの紐も、リュックの紐も、重くて痛くて仕方がなかった事があります(今は全快)。コースの長い時や山がらみの時は朝から膝にテーピングをして行きます。痛くなってから貼るよりも「予防」のつもりでテーピングをして出かけます。おっと忘れちゃいけない、外反母趾のテーピングもして行くよ。(外反母趾のテープは時々忘れるので最近は、履いて出かける靴の中に入れて置くことにしています)

背中のリュックは限りなく小さく、軽くします。家を出るとき「幼稚園の遠足じゃあるまいし」とポチが嫌みタラタラと言いますが「人に迷惑をかけない」ことが先決だと思っています。朝の天気予報を聞き「全国的に晴」と言う時は雨具を置いていきます。但し登山の時は別です。雨具は山では防寒着もなるので天候に関係なく絶対必要です。弁当と飲み物と少しばかりのおやつ。現金も少し。これだけあれば町中のウオークでは充分ではないでしょうか。一度リュックの中味を全部出して不要な物を持ち歩いてないか調べて見て下さい。永年重たいリュックを背負いウオークを続けていると足がわん曲になり歩行がしづらくなりつつある人を見かけます。あればリュックの重みで足の骨が曲がってしまったのでしょう。「快適なウオークは軽いリュックから」そんな標語を作りたいで〜す。

目的が違えばリュックの中味も違ってきます。必要な物まで出して「姫が軽くせー言うたから!」と責任転嫁しないで下さいね。おやつも一人では食べづらいと一袋持参してお友達に配ってくれる人がいますが(もらう方はうれしいのよ!)人の事は心配ご無用。ご自分だけ食べる習慣を身につけて下さい。この事を習慣づけるために同じおやつを全員が持ち、好きな時に好きな物を食べる訓練をした事があります。あめ玉なら3粒もあれば充分です。家に帰り、リュックの整理をしているとポチがチョコレートの箱を出します「いつ買ったのか」と聞くと駅で買ったといいます。残して持って帰るくらいなら女房に「喰うか?」と聞けばいいものをと思いつつ、自分のおやつは自分でと訓練を受けた手前小言は控えることにした。(ワン!)


[1270] 【1286回 春分の日のお見舞いウオーク】 2007-03-22 (Thu)

春分の日の21日、かねてより約束をしていた神戸の従兄弟(一刀水の弟)の病気見舞いに行くことにしました。肝硬変と肝臓癌を患っており元気なうちに会っておきたいと思っていました。しかし日頃、行き来があまりない親類が病気と知り、あわてて見舞いに伺うと病人の神経を刺激することもあり、どうしたものかと思案していました。姉にもこのことは知らせていません。姉が「どうしているかな、元気にしてるかな、ほな電話でもしてみよか」と自分自身で病気のことを知り見舞いに行くことが真の見舞いだと思っています。姉妹揃って尋ねると「わしゃもうあかんのかいなぁ?」と思われる恐れがあります。病人の神経はとてもデリケートなんです。

そんな時、いい事を思いついたんです。ウオークの恰好をして「近くまでウオークで来たので寄ってもいいかな」と言うことにしました。グッドアイデアでしょ?。訪問する前に電話をすると奥さんが出て「楽しみに待っていたのだけど、昨日具合が悪くなり入院しました」との事。あっちゃあ!ウオークスタイルで病院か・・・と随分悩みましたが「自然が一番」を選択し病院に行くことにしました。背中にはリュックを背負い靴も歩き疲れて汚れ、どこから見てもウオーク帰りの恰好です。これでよし。

「学園都市駅」前からタクシーに乗り「済生会病院か液生会病院へ」と言うと「お客さん、私はどちらの病院へでも送りますが一方は1万円、もう一方は1500円コースです。もう一度確かめた方がいいのでは」と親切に言って頂きました。家族に問い合わせてみると「神戸掖生会病院」で1500円コースでした(ホッ!)

病室で従兄弟は驚きの顔をしましたがウオークで神戸まで来たのでと言うと、こわばった顔から笑みがこぼれました。昔、私が姉の結婚で大阪で生活をするために若かかりし頃の今、入院中の従兄弟の家に立ち寄ったこと、八伏山に連れて行って貰ったことなど桜の開花に先駆けて思い出話に花が咲きました。(満開〜!)従兄弟が病気のために「目がこんなに落ち込んでしもうた」と言います。私はすかさず「病気の精やあらへん。入鷹兄ちゃんは昔から奥目やったやんか」ここで大爆笑が起こりました。

「みっちゃん!わしはもうあかんぞ。棺桶に片足つっこんでしもうた」と言います。私は否定せず「うん。ほんまやな。でも片足つっこんでからが長いから安心して。病気を嫌がらず仲良く付き合うことも大事」と言うと美智子にあげたい壷があると言います。奥さんと何やら相談しています。どこにあるのかと尋ねると、故郷の鹿児島県坊津の生家にあるといいます。「 ほんなら退院して元気になったら私のためにその壷を鹿児島に取りに行ってな」と約束をしました。近い将来に希望がもてたらとそんな思いです。

「奥さんにも感謝の言葉言わなあかんで。ありがとうとか愛してるとか言うた事あるの?」と聞くと「いっぺんも言うたことがない」と自慢げにいいます。「ほんなら今、私の前で練習してみて」と言うと「考えとくわ」と笑いながらエレベーターホールまで送ってくれました。エレベーターのドアの閉まる悲しいこと・・・・。

今度会うときはどのように容態が変化しているかわかりません。エレベータホールまで見送ってもらう事は不可能になっていると思います。しかし大丈夫!治るから!と白々しい慰めの言葉より、現実を認めた上で残された命を、どの位明るい灯に出来るのか本人も家族も病気に負けないでほしいと願わずにはいられませんでした。

一刀水が元気だった頃のビデオテープ(余命を宣告されてから取り続けた物)2本みやげに持っていきました。兄と弟がビデオを通じて再会してくれればと言う私のメッセージなんです。


[1269] 【1285回 電車の中でのリュックの対応】 2007-03-20 (Tue)

「ひめのおうち1284回」でスポーツ店の店員の態度の悪さを書きました。では私達ウオーカーはどうなんだろうと自問自答しました。まず目的地へ行くため或いは帰りの電車の中で、リュックはどうしていますか。空席がなかった場合、まさか背負ったままでつり革にぶらさがってはいませんよね。いくらコンパクトなリュックであっても電車の中では胸にかかえるか足下において他の人の迷惑にならないようにしましょう。網棚も勿論利用して下さい。但し私のようなチビは網棚に乗せられないことがありますので背の高い人は「こんな時に役に立たないと」と思って仲間同士、声かけをしてください。背負っていると二人分のスペースをとります。ストックをリュックにさし、背負ったままで電車の中で後ろの人と話をする人を見かけますが、振り向きざまにあれは凶器となります。

ウオークをスタートをして道いっぱいになって歩いていませんか。18日の例会は山間部が多かったため道路いっぱいになることも、自転車も心配ありませんでした。お昼のお弁当の空箱もみなさんご自宅に持ち帰ってくださいました。私達が山に入ったときは、人が落としたゴミまでも拾って帰ります。マナーだと教えられました。その通りです。ウオーキングシューズで買い物に立ち寄る時はくつの泥も充分に落としてから。(ダスキンマット等を利用する前にあらかじめ軽く掃除をしましょう)基本は「自分がされて嫌なことはしない」です。だって泥だらけの靴で自宅にお客様がやって来たらどうしますか?すまなさそうに入ってくるなら、まだしも平気な顔してドカドカと来られては嫌ですよね。山を下りて山小屋の入り口に水道の用意してある所もあります。ホッとしますよね。

近鉄電車奈良駅から鶴橋に帰る時、電車の中でみつけた標語です。おもわず手のひらにメモっちゃいました。

「背中のリュックとかけてお茶碗ととく(そのココロは?)かけてない方がいいね」


[1268] 【1284回 販売員の不親切】 2007-03-19 (Mon)

昨日ウオークの帰りに立ち寄ったスポーツ店「好日山荘、石井、ロッジ、モンベル」に共通して言えることがあることに気が付きました。それは「不親切である」と言うことです。こちらが適切に商品名、用途等を説明しきれないこともあります。まずその時に店員は「顔」に出ます。イヤな顔をされると客は一瞬怯みます。その次ぎは専門用語を矢継ぎ早に出して来て客を狼狽えさせます。「そんなにまでして買う必要があるか!」とポチの様に立腹して帰る客もいます。もう少し丁寧に「どのような時に使いますか?」「それはどんな形ですか?」と聞いてはもらえまいかと思う。ギギだろうがジジだろうが使用目的を伝えメモに形まで書いて示しても「こいつらは素人だな」とそんな対応すら感じます。あまり対応の悪い時は「店長を呼んで下さい」そういいたいです。

そんな中でモンベルに好青年を見つけました。もう今日は何も買わないと決めてからリュック売り場を物色していると「吉永」と名札の付いた学生風(学生さんでなかったらごめん童顔だったので)の店員さんが「リュックをお探しですか?」と声をかけてくれて世間話をしました。「あなた吉永小百合さんの息子さん?」と尋ねると「よくみなさんにそう言われます」と清々しい笑顔。私達が岩を楽しみ始めたことを言うと敬意を表してくれて「ぼくは苦手なんですが登山をする上において必要ですよね。どこか良い登山教室を知りませんか?」と質問をうけました。もう少し早ければ私達の教室に一緒に参加し、美里ちゃんのよい話し相手になったのになぁと思いました。あっちこっちで不愉快な思いをしましたが、こんな好青年もいるのね。

日進月歩でどんどん新しい素材に変わっていること、ATCひとつを取ってみても新製品が沢山出ていることがわかりました。スポーツ店が同じビルの同じフロアーに横並びしてくれないものかと(これはわがままかな)つくづく思います。師匠は言いいました「山の道具屋にプロの販売員はいない。山の経験者だからと言ってプロの販売員ではない。何十年も山をやっている人がベテランの登山者かと言うとそんなことはない」なるほどなるほど、そう言われれば店員の態度にカリカリすることはないかも知れません。


[1267] 【1283回 環状線ウオーク以来のウオークに復帰】 2007-03-18 (Sun)

3月18日は奈良行き。いやいやちゃうちゃう「奈良は雪」です。午前8時奈良公園の鹿もびっくり!桜のつぼみもふくらみかけてまた硬くしぼんでしまいました。粉雪なんてものではありません。鹿が雪で白くなっています。

公園までの道すがら「お迎えスタッフ」を買い出て皆様に朝の挨拶をします。「久しぶり!もう治ったのか!」と声をかけてくれる人「元気になったんかいなぁ」みんなやさしく声をかけてくれます。近鉄奈良駅方面から15人ばかり団体で近づいてきます。「おっとごちになります」そんな気分でしたが「ひ〜め〜お久しぶり〜」宇治市歩け協会のトンコちゃん達も同じコースでのウオークの様子です。別行動、別団体。

もうひとり奈良出身のスタツフで加齢に伴い引退された「十河さん」という方が「やあやあ」と笑顔で近づいてきます。聞くと去年心臓手術をし、ペースメーカーをはめて健康を回復したそうです。今日は懐かしい顔ぶれに出会い、行けるところまでついて行きたいと言われ本体とは別に同行して行かれることになりました。

鹿のせんべいは買いません。いつも大群に押し寄せられて怖い思いをしていますから今日はおとなしく見ているだけにしました。9時の出発時間が来て恒例のコース説明、ベストウオーカー賞の表彰、ストレッチと続きます。福岡県と福井県から参加の方の紹介もして、雪の中の出発となりました。

春日大社、白毫寺、大文字火床で休憩です。以前ここで夏に気分の悪くなった女性を介抱したことを思い出しました。高円山ホテルの下を通り昼食場所の首切り地蔵の場所に到着しました。今日の私の担当はアンカーです。雪は止み木漏れ日でポカポカと暖かい。荒木又右衛門のおかげか?

白装束の集団が先客として昼食弁当を食べており、場所を譲り合いながらお昼の歌も一緒に歌ってもらうことにしました。「みどりのそよ風」と「おぼろ月夜」歌集の裏面を利用して「首切り地蔵のいわれ」を書いています。今年の新しい試みで見所をひとつ紹介しょうと思いつきました。トイレを待つ列に「先に行っちょってよ」と連れの人に話をしている高知弁のおばちゃんがおり「高知の方ですね?」と聞くと「なんでわかるが?」と不思議な顔。そうそう、そのアクセントが高知ながよ〜と仲良く話す。これもまた自然のなせる技。人の出会いは海を越え、山の中で故郷の会話。

午後は春日原始林の中を快適に歩きます。奈良奥山ドライブウェイを通り若草山頂上に登ります。眼下に広がる奈良の町は歴史ある古都のおもかげを優雅に映してくれました。

3時アンカーのゴールで本日のウオークはおしまい。スタッフ反省会ではスタート時点で参加はしてもらったものの「今日のコースを歩くのは無理だろう」と判断した人への声かけの方法を討議し、新しいスタッフ「宇佐見さん」と「朝日さん」の紹介がありました。

その後、梅田に立ち寄って「ハーネス」と「GIGI(ギギではなくジジ)だそうです」を買いに好日山荘、モンベル、石井、ロッジと見て回るがGIGIはどの店も在庫なし、ハーネスは種類が多く、とうとう購入することができませんでした。ストレスの残る買い物でした。買い物って言ったって何も買ってないのだから、こんな疲れた事は久々です。ポチはスポーツ店のハシゴで疲れたのか「ワシはもうハーネスはいらん」と言いだし険悪な空気のまま自宅にもどりました。せっかく昨夜の家族会議で「買う」と言う結果でしたのに、足並みが揃わずもうハーネスは諦めました。買う時は「姫のハーネスのみ」あ〜あしんどかった。左足がパンパンに腫れて夕食を食べる元気もなく入浴後ベットに入りました。


[1266] 【1282回 や。く。そ。く】 2007-03-16 (Fri)

私は約束を破ることも破られることも嫌い。(当たり前や!好きな奴なんかおるかい!)二人だけの約束なら二人で解決すればいいことなので、腹の立ちようが「並み」程度で済む。しかし二人の約束の向こうに日程を調整してくれた係の人、会社に休みを取り、段取りをした人、現地で待ち受ける人と多くの人々がこの約束のために動いています。それを前日の夜になって「あす行けません」だけで済ませることができることが腹立たしい。それでもぐっと怒りを堪え、諭し、笑顔で見送る自分が腹立たしい。かなりのストレスが残る。ポチはそんな空気を読んで私の目に触れる範囲から逃げた。それはそれで腹立たしい。何故、事前に「都合が悪くなった」ことを連絡できないのでしょうかねぇ。

「会社を休む」と言って届けを出しているのだから「エエーイッ今日はこのまま休んで掃除洗濯と家事を」すればいいものの、それが出来ず、馬鹿正直に、のこのこと出勤し「お休みの予定が変更になりました〜」と朝の挨拶に付け加えてまわる自分が、とてもこっけいに見える。

約束とは形のない信頼関係で成り立っていると思います。(当たり前)平気で約束を破れる人は人に約束を破られても「あっそうなんだ」ぐらいにしか思っていないような気がします。ウオークで出発前に「道路イッパイに歩かない、信号は守る」と約束をしていても約束を守らない人が多い様 に思います。信頼関係が成り立っていないというか「私ひとりぐらいならいいじゃん」が集団歩行の時は大きなブレーキになります。スタツフの帽子をかぶっていると「責任者はあんたか!?」とえらい勢いで怒鳴られることも度々なんですが「私ひとりぐらい」さんにはわかってもらえないのが現状です。「後ろから自転車で〜す」と金切り声をあげていますが、せめて自転車が平気で通れるスペースを確保しながら歩いてもらえないのだろうかと思う。

山の中でも岩場でも、ちょっとした心遣いがあればお互いが気持ちよく使える場所であっても「早いもん勝ちや」という気持ちで場所とりをされると私の怒りに触れるところとなります。過日も私の前を横切る学生に「黙って通らないで声をかけて通りなさい」と叱った。彼らには悪気はなくて、そう言う指導をうけていないのだろうと思います。会社の中でクレーン操作をしている後ろを黙って通り怪我をした事例があります。一言「後ろ通っていいですか?」と声をかければ痛い思いをせずに済んだのにと思います。

いまから花見のシーズンで新入社員の初仕事「場所取り」があろうかと思いますが、公共の場所であるということを肝に命じて一組でも多くの人が日本の名花を心ゆくまで楽しんで頂けたらと思います。我が隣町「伝法公園」も、大阪城顔負けのお花見スポットですよ。ぜひどうぞ!


[1265] 【1281回 今日はももちゃん2歳の誕生日】 2007-03-15 (Thu)

次男の娘「百恵」が今日2歳を迎えます。すでにかー君のお姉ちゃんになっており夏にはオムツが取れることを期待しつつ、昼間は保育所に通っています。かー君が生まれてから1ケ月ほど保育所のお迎えやら夕食の用意やらを手伝いましたので、ももちゃんとの距離がグーンと縮まりました。チャイムが鳴ると宅配便であろうと郵便屋であろうと「あっ!ばあちゃんやー」と廊下を走り出ていくそうです。この頃は帰り支度をすると「ばあちゃん帰ったらダメ」と言うようになりました。

ヘルメットを見ると笑顔いっぱいで(保育所のお迎えにバイクを使ってから)婆ちゃんのお株が上昇したみたいです。この頃はママのお迎えになりましたが「ばあちゃんは?」と毎日聞くそうです。そんな話しをきくと「かわいい」と思ってしまいます。零くんもいま保育所の申し込みをしていますが順番待ちの様子で世の中、少子化と言えども、なかなか入園までにたどり着きません。

零とももを預かった日の我が家の2階は、さながら保育所のグランドです。最初は二人がけん制しながら持ってるオモチャを同時に欲しがります。同じものが2個あっても相手がいま持っているものがほしいのです。そのうちお互いが譲り合い、滑り台も「じゅんばん、じゅんばん」と仲良く滑ります。食事も上手に食べる子を誉めると、それを見習ってうまくたべてくれます。

うららちゃんちがお孫さんが帰ったあとは「台風の去ったあとの静けさ」と書いておられましたが本当にその通りだと思います。しばらくすると台風の来るのを心待ちしたりして・・・・ 爺様の姿が見えないと思う方がいるかと思いますが、ポチ爺は孫達が来てもすぐに横になって寝るクセがあり「爺ちゃんお〜き〜て〜」と零に起こされ、ももちゃんには何故か「爺ちゃんイヤ!」と言われています。何故だかわかりませんが男の人が嫌いなのでしょうか?

あまり孫ベッタリではなく、時々会って必要であれば行ったり来たりの適当な距離をおき、爺婆も自分達の趣味を優先する生活がいいように思います。ウオークに行ったり、岩にかじりついたりと元気な年寄りやっています。何処にいても携帯電話と言う文明の利器がありますので安心で〜す。

★今日はひさびさのババ様通信となりました。


[1264] 【1280回 街にあふれる何とも奇怪な中学生集団」】 2007-03-14 (Wed)

今日は全国的に小、中学校の卒業式ではあるまいか。中学校を卒業した男子生徒(あれは高校生ではないはず・・・)がたむろして「○○命」だの、派手な刺繍をほどこした上下つなぎの服を着て肩で風をきって集団で歩いている子供達を見ました。場所は我が町のジャスコの前。騒動を起こさなければいいが、もめなければいいがと、祈るような気持ちで交番へ立ち寄り巡回をしっかりするように頼んできました。威嚇するのではなく「ほどほどでやめとけよ」と無言で言い聞かせるには警察官の制服が効果的であります。

しかしあの服はどこで誂えてくるのだろうか。親は知っているのだろうか。ふと心配になります。今まで同じ教室で勉強してきた学友も、ある者は高校進学、ある者は定時制に通いながら働き、またある者はプータローになったりと進路は、さまざまである。この時期に道をはずさなければ夏休みまで大丈夫。夏休みが大丈夫なら冬休みまでは大丈夫と気をもんでいます。「友達のところで泊まる」これは最初の危険信号です。

春休みにはおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にウオークに参加されてはいかがですか。日に焼けながら汗をかいていると「つなぎの服」がちゃんちゃらおかしくなるはずです。また非行に走ることもありません。たったひとにぎりですが甲子園への道を目の前にして特訓に励んでいる球児達もいます。

事故を起こす前に夜間の「おばちゃんパトロール」に出かけてきます。「早く帰りなさい」と言うと反発してきますが「あんたら何してんの?楽しそうなぁ。だけどよその店の前にゴミ散らかしたらあかんよ」とゴミ拾いのお手本を見せてやるとみんな、けだるそうではありますがゴミを拾います。この子達にもいいとこあるんですよ。


[1263] 【1279回 舞い戻った寒さにブルブル】 2007-03-13 (Tue)

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
雪が降ってきた ほんの少しだけど
私の胸の中に 積りそうな雪だった
幸せをなくした 暗い心の中に
冷たくさびしい 白い手がしのびよる

これは「白い想い出」と言う歌の歌詞ですが12日は、ほんの少し雪が降っていました。氷上の工場は雪景色だといいます。桜が言います「何じゃこりゃ?蕾でいいのか、咲いていいのか戸惑うゾ!」ほんと真冬を思わせるほどの寒さとなりました。春分の日が来るというのに「寒の戻り」ですね。。私、少し鼻風邪引いちゃいました。(コホン♪コホン)

大阪府歩け歩け協会の予定表を、まじまじと見つめています。4月8日は観桜コースとなっています。満開だといいですね。私は桜の花が満開の時より散りゆく花ビラが好きです。どこかで絶対一度は花びらを集めて人の頭の上にパラパラと掛けて戯れます。毛虫に似た木の枝を見つけておどろかしてやろうと目の前に落とします「ウワッ!」期待通りに驚いてくれたときの嬉しいこと。「お前は、としなんぼや!?」時々おまけがかえってきます

ある人が病院で癌の闘病生活を余儀なくされ、やっと退院(退院と言ってもホスピス病棟に勧められた状態)し我が家に戻ってみると庭先の大木が枝を切り落とされ、幹だけの状態であることに気が付きました。「なんで?」と家族に詰め寄ると「お隣さんが葉っ葉が落ちると苦情を言ってきたから思い切って切り落とした」と言います。「木にも命があるんよー、春になると芽が出るのよー生きてるんだから!勝手なことしないでー!」自分の散りゆく命と庭の木の運命が一緒だと嘆き泣き続けます。何日が経ってまた庭先に出てみると幹の横から小さな新芽がでてきました。その新芽を見て最後まで病気にまけない事を誓ったと言うお話です。

従兄弟(一刀水の弟)が癌で闘病生活を送っていて私に会いたいと言ってると手紙をもらいました。飛んでいきたいのは山々なれど「近くまでウオークできたから寄り道したよ」とさりげなく伺おうと思っています。普段出入りがあまりない親戚が突然訪問すると刺激が強すぎるためリュック背負って神戸まで来たのよと行くつもりにしています。一刀水のビデオテープを持参して思い出を語ろうと思っています。



[1262] 【1278回 迷惑の基準はどこに?】 2007-03-12 (Mon)

人によって迷惑の基準が違うといいます。私は自分がされて腹立たしい行為は「迷惑」だと線引きをします。携帯電話で「人に迷惑をかけない」というラインが年代によって違うと言うことがわかりました。若者は携帯電話はメールが基準と思っているので若者の中では「迷惑ではない」と思っているそうです。歩道での携帯電話は「奈良の騒音おばさん」と同じレベルだそうです。歩きながらのメールは危険です。自転車に乗りながらのメールは論外です。電車の中でのメールは「操作ボタンの音は消す」映画館ではマナーモードのバイブレーターの音も迷惑です。欠勤のお知らせをメールでしてくるのも論外、人物を撮影する時は相手の了解を取ってから撮影しましょう。

以上のことを携帯電話を使うにあたって、みんなが守ればこんな便利なものはありません。例えばこんなことがありました。待ち合わせ場所を「○分発のバスの中」として、車内で合流することにしました。行き先を確認してバスに乗りお友達を待つ間に、何故かバスが発車してしまったのです。あれよあれよと言う間に停車場を後にしました。待ち合わせのバスの1本前のバスに乗ってしまったのです。買い物に行ってた友達に「バスが動いても〜た」の連絡をするのに携帯電話で無事連絡がつきました。携帯がなかったらと思うとゾッとします。「先のバスに乗ってしまったのでバス降車場所で待つ」「先に行って準備してて」そんなやりとりが携帯ですることができます。待ち合わせの時でも「いまどこ?」と確認することができます。

昔、夏休みに戻っていた長男が北海道に友達を連れていく時、旭屋書店入り口で待ち合わせをしたらしいです。待てども待てども合流できず2時間が経過しました。「別の入り口を探そうとは思わなかったのか?」と尋ねると「万一移動した時、友達も移動したらまた合流できないから」なるほど、なるほど。相手はA出口で、息子はB出口でお互いが2時間も待っていたことがあります。携帯電話の普及が今ほどでなかった時代の話しです。

マナーの話しに戻りますがウオークの途中、特に山行途中で行き交う人々に「コンニチワ」の挨拶を交わすと清々しい気分になり細い通路を開けてくれたりすると「お先に」とか「ありがとう」とか言い、お互いのマナーが感じ取れて気持ちのいいものです。ところが過日大学生を30人ばかり連れて広場を我が物顔に占領した人達がいました。私の前を平気で無言で通ります。(人の前を通らず後ろを通らんかい!)リーダーらしき人が来て「リュックを置いてある場所を移動してくれ」との申し入れに思わず(団体名とお前の名前を名乗ってから依頼事項を言うのが筋ちゃうんけー!)
それでも帰りに嫌味をこめて「お先に失礼します」と大きな声で言ったにも拘わらず学生を指導する「爺さん軍団」からの返事はありません(やまびこでも返事するぞ!)

デモストレーションのためにお昼に使った割り箸で「葉っ葉を除く人為的なゴミ」集め運動をしましたが、学生達は勿論のこと「爺さん軍団」に理解を示すレベルの人はいませんでした。(こんな爺達に指導してもらう学生は気の毒やなぁ!)我々ウオークの時は「大阪府歩け歩け協会」と言う看板を背負って歩いています。立ちションをしたり、果実をもぎとったりする個人の行動は「大阪府歩け歩け協会」の看板に傷がつきます。どうぞマナーを守って地域の人達から「体にいいことやってるね羨ましい〜」と思われるウオークをしたいものです。休憩場所ゃ昼食場所に利用する公園からゴミ箱が消えつつあります。あれは家庭ゴミを捨てたり団体歩行する人が弁当の殻を一斉に捨てたりするので撤収されてしまったのです。


[1261] 【1277回 お〜おさぶー!】 2007-03-09 (Fri)

一体どうなってんのでしょうか、この寒さ!。冬の気温が舞い戻り、仕舞いかけたオーバー、コートを「クリーニング行き」の場所からまた取り戻してきました。バイクに乗る手もいままでこんなに寒いと思ったことはありませんでしたが凍えるほどに冷たいです。お〜お寒こ寒です。

ウオーカーの皆様、風邪をひいてはいませんか?当社ではいま「インフルエンザ」が流行っています。一人が治り出勤してくるとバトンタッチした様に次の人がインフルエンザで休みます。まるで「インフルエンザリレー」の様です。

そうそうリレーと言えば、4月になると会社で運動会をするんです。企業の運動会と言えばイベント会社に丸投げするケースが多い中、我々はハチマキから手作りで作ります。第9回目のいまではりっぱな「運動会道具入れ」の倉庫まで持っているんですよ。当日の参加だけでなく「実施する」と決定した時から運動会は始まったと思っています。私にとって定年を迎えるため、今回が最後の運動会となります。後輩にしっかりと「バトンタッチ」をしておきたいと思います。(以前は大歩協のスタッフの皆様も参加されたことがあったんですよ)

バスウオークなどでもそうですがチラシを配った時からすでにスタートしています。下見、バスの席順、ガイドもどきの資料など結構な仕事でした。でも「しんどい」と思ったことはありません。何故かと言いますとバスの座席から帰ってくる皆様の笑顔を想像していると、とてもいい気分になるんです。(私がバスを乗り換えた途端に寝たふりする狸も一匹いるよハハハ)

過日バス会社の事故があり新聞紙上を騒がしましたね(過労で居眠りして事故)大歩協が頼んでいるバス会社はこんなことは絶対にありません。しかしこの事故の波紋を受けて「ガイドさん不要です」と申し上げてても「安全上」ということでガイドさんが付いてくることがあるそうです。「頼んでないのに!」なんて言わないで、やさしく受け入れてくださいね。プロのガイドさんは若くてトンネルの中でもガイドができま〜す(このギャグバスウオークに参加された方は理解して頂けますよね)

アバラ骨の修理完了で18日のウオークから復帰します。よろしく!


[1260] 【1276回 乳ガンにご注意を】 2007-03-07 (Wed)

♪ふたあつ ふたあつ なんでしょね 
 お目々がいちに ふたつでしょ
 お耳もほらね ふたつでしょ

♪ふたあつ ふたあつ まだあって
 お手々がいちに ふたつでしょ
 あんよもほらね ふたつでしょ

♪まだまだいいもの なんでしょか
 まあるいあれよ かあさんの
 おっぱいほらね ふたつでしょ

これは「ふたあつ」と言う童謡の歌詞なんですが「おっぱいほらねふたつでしょ」今このおっぱいに異変が起こりつつあります。そうです今日は乳ガンのお話です。乳ガンになりやすい体質は@未出産、A初潮が早い、B身長の高い人だそうです。つまり体格が良く女性ホルモンの分泌期間が長い人がかかりやすいと統計に出ているそうです。がん系統の家族は2倍、 30歳後半から50歳にかけて乳ガンにかかりやすいそうです。(結婚するのが遅い、産む人数が少ないも原因)

乳ガンは発見しやすく自分で「セルフチェック」をして見つける事ができます。見つける方法ですが、まず寝て片方の手を頭の下に置きます。もう片方の手で絞り出すようにさすってみて下さい。脇の下にも手をあててしこりのチェックをして下さい。しこりが見つかったからと言って、すべて乳ガンとは限りません。乳腺症、乳腺繊維腺腫の良質の場合もあります。しこりのないガン(非浸潤がん)はこわいです。乳ガンの検診率は10%と低く、(そう言えば私も検診受けたことがなかったなぁ)もう60歳が来るから大丈夫かしら?

乳ガンになったからと言って、今は昔と違っておっぱいを根こそぎ切除することはなく「乳房温存手術」がありますので安心してください。とにかく「セルフチェックを!」「検診を!」お勧めします。お風呂から出たら鏡の前で左右の大きさに異変がないかチェックするのも方法です。


[1259] 【1275回 へんてこりんな魚の名前】 2007-03-06 (Tue)

鳥取県岩美郡の民宿「岩見」に並べられた料理の名前がおもしろい。さて貴方は何種類わかりますか?
●ババちゃん
●おとく
●どぎ
●もさエビ
●ぴんダコ
何となく食べて見たい気になりますか?私は「おはぎ」か「ケーキ」の方がいいです。これらの食材は鮮度を保つために「門外不出」で地元の高級料亭でに納入されているそうです。

この岩見郡という場所は海水浴の出来る場所で、子供達が小さかった頃、3家族で行きました。途中の海で寄り道している時に車上荒らしに遭遇し「夏休みのとも」まで盗まれて宿題をしなくて済むと子供達が喜んだことが思い出されます。折角泳ぎに来たのに台風がやって来て足止めを喰い、民宿の2階でピラミッドを作って遊びました。子供6人、大人3人そりゃあ素晴らしいピラミッドですわ。しかしバランスをくずして倒れてしまい、また作り、また倒れとキャッキャッと台風であることも忘れるほどはしゃいでいました。

その時です。階下からおばちゃんの叫び声が聞こえました「天上が抜けるーっ!」ハッと我にかえり反省!。それから雨上がりの海辺の散歩となりました。子供達は海を見て我慢の限界です。水中メガネを持ち出してモリ(魚をつく道具)を持ち波打ち際であそびます。こんなモヤシっ子に突かれるような魚なんていないだろうと思っていたら「お母さん見てーっ魚を突いたよー」長男の得意げの顔。台風のあとなので波も荒く水中メガネが波にさらわれる一幕もありましたが楽しい夏の思い出です。今はホテルだのペンションだのと利用する人が多くなりましたが、夜は蚊張を吊り夜風を子守歌にして地元の人とのふれあいのある民宿は故郷に戻った気にさせてくれます。

民宿と言えば、世界遺産の白川郷の合掌造りの民宿に泊まったときのご馳走もすごかったです。豪華と言うのではなくて故郷の味満載と言う豪華さです。囲炉裏で夕食をとり、朝はおかみさんが採ってきたよもぎで餅をつき、五平餅も作ってもらい、付き出しに「イタドリの酢の物」がでました。「ウワーッイタドリや」と喜ぶと「これをわかってくれる人は滅多にいないよ」と私のところだけ山盛り入れてくれました。また行ってみたい民宿のひとつです。

人と人のふれあいはウオークでもあります。スタッフに感謝の言葉をかけて下さる人、大声で文句を言う人、さまざまですが出会いは大切にしたいと思います。しばらく見かけなくなったウオーカーの人がいれば住所がわかる範囲でお手紙を出します。するとお返事が来て必ず「病気をしててね」と書いてあります。それから文通がはじまり回復してウオークで再会した時の喜びは大きいです。ウオークはそんな素晴らしい人と人との出会いがあります

そしてまもなく「季節限定いたどり姫」の登場です。わくわく!どきどき!


[1258] 【1274回 春の嵐】 2007-03-06 (Tue)

5日は雨となりました。梅や桜の花便りが聞こえるころは不思議と雨が多いですね。去年の背割り堤ウオークも、えらい雨でした。そうそうあの日「ひめのおうち」書き込み1000回記念の表彰式をしてもらったんです。去年の背割りの桜は硬いつぼみで残念な思いをしたことがあります。花ごよみで行事を決めるには少々の狂いがあることを覚悟しておかなければなりませんね。

3/3で、ももちゃんの保育所のお迎えは終了したのですが雨のため臨時お迎えをかってでました。(生後30日そこそこの赤ん坊を連れてのお迎えはかわいそうすぎる)低気圧が接近していて6日明け方にかけ広範囲で暴風や高波が見込まれると言うことで、気象庁は5日、警戒を呼びかけていました。ウワーッ!公園ウオークの日でなくて良かったね。バーベキューパーティ終わっていてよかったね。勿論お宮参りもおだやかな日和でよかったです。お宮参りはウオーカーの皆様が伝法大橋を渡る頃に始まりました。大阪市のマークの発祥の地でもある「澪標住吉神社」に到着するとむずかってオギャーオギャー泣きさけんでいました孫のかー君は、宮司さんの祝詞がはじまるとピタッと泣きやみました(何の効果なんやろ)お陰様で「これにて終了」と言うまでスヤスヤと眠ってくれて大助かりでした。

それからカメラマンによる撮影会が始まりました。「こっち向いて〜」なかなか焦点が定まりません。いいえ、ももちゃんではなくて爺婆がキョロキョロするからなんです。自宅に帰ってからも宮参りのおべべを広げ記念撮影です。今日の写真は3冊の写真本にしてもらい両家の爺婆と本人宅で大切に保管します。写真館で写す写真もいいですが、オリジナルでなかなかいいものですよ。

天気の話しに戻りますが、低気圧は5日、発達しながら日本海を北東に進み、低気圧の南に伸びる寒冷前線が同日夜にかけて本州付近を通過する見込み。6日午前6時までの予想24時間雨量は多い所で100ミリと予想されているそうです。北海道ではリラの花の咲く頃に雨が降り寒くなることを「リラ冷え」と言うのだそうです。


[1257] 【1273回 ひなまつり、ひなかざり】 2007-03-05 (Mon)

私には女の子がいなかったので「雛人形」の思い出はありません。姪の子供「ともちゃん」が生まれてから雛人形がぐ〜んと身近になりました。3/3日にともちゃんに会いましたので「雛飾り出してる?」と聞くと「うう〜ん」と・・・・ともちゃんは既に中学2年生ですが母親が多忙で出す暇がないのかも知れません。しかし節分の日から数えてずーっと多忙続きということもあるまいに、ずぼらをせずに出してあげてよ〜(雛飾りの期間は節分の翌日から3月3日までといいます)

■ひな祭りのはじまり
ひな人形を飾り、祭ることは、室町時代に始まりました。中国の行事と日本に古くから伝わる、人形(ひとがた)で体をなでて穢れをはらおうとする考え、子供の人形遊びがひとつになったものといわれています。

●ひな人形
平安時代には、紙人形で遊ぶ「ひいな遊び」がありました。ひな人形を飾ることが盛んになったのは江戸中期で、末期には現在のような段飾りが登場しました。

●桃
桃の節句ともいうように、旧暦では桃の花の季節にあたります。中国で桃は「生命力」「不老」の象徴です。

●菱餅
かつては正月のお餅だったものが、ひな祭りに使われるようになったといわれています。緑の部分はよもぎ餅になっている場合もあります。よもぎには邪気を払うという意味もあります。

●引千切(ひちぎり)
餅の先端を引き千切ったところから、この名前がついた和菓子で、京都のひな祭りには欠かせません。子沢山を意味し、子供の成長を願うものです。真珠貝に形が似ているところから、あこや餅とも呼ばれます。

●はまぐり
一対の貝殻は、それ以外の貝と合わないことから、結婚の縁起物に使われます。はまぐりなど、貝類がおいしい季節でもあります。



[1256] 【1272回 ババ様奮闘記】 2007-03-04 (Sun)

かー君が退院した日からババ様奮闘記がはじまりました。

2月 6日(火) 肉じゃが、胡瓜酢の物 鯛 みそ汁
2月 7日(水) 野菜のあんかけ、ハンバーグ、みそ汁
2月 8日(木) カレー魚煮付け、サラダ、みそ汁
2月 9日(金) オムレツ、かぼちゃ煮物、天ぷら、みそ汁
2月10日(土) 「 嫁の母親担当 」
2月11日(日)  おでん、ほうれん草とじゃこの和え物、みそ汁
2月12日(月) シチュー、春ごぼう、ブロッコリー、みそ汁
2月13日(火) 焼きうどん、魚の煮付け、みそ汁
2月14日(水) 肉じゃが、魚のムニエル、切干大根、みそ汁
2月15日(木) 家にあるものを食べるらしい(メニュー不要)
2月16日(金) 鳥の唐揚げ、三度豆と肉炒め、みそ汁
2月17日(土) 鍋物、酢の物
2月18日(日) 白身魚のフライ、ニラレバ炒め、みそ汁
2月19日(月) 大根煮物、ブリの塩焼き、かぼちゃ、みそ汁
2月20日(火) うなぎ丼、サラダ、みそ汁
2月21日(水) カレーライス、ナスビの肉詰め、みそ汁
2月22日(木) 八宝菜、イカと大根の煮物、焼き魚、みそ汁
2月23日(金) 息子が休みのため、すき焼き
2月24日(土) 焼きそば、ブリの塩焼き、サラダ、みそ汁
2月25日(日) 炊き込みご飯、チンゲン菜、みそ汁
2月26日(月) ビーフシチュー、ほうれん草白和え、スチック野菜、みそ汁
2月27日(火) えんどう豆の卵とじ、魚とトーフの煮物、春ごぼう、みそ汁
2月28日(水)  小海老天ぷら、豚肉とかぶら煮、ニラレバ炒め、みそ汁
3月 1日(木)  太刀魚の塩焼き、きぬさやの卵とじ、ぬた和え、みそ汁
3月 2日(金)  オムレツ、煮しめ、胡瓜酢の物、みそ汁
3月 3日(土) お雛様メニュー、ちらし寿司、はまぐりの吸い物
3月 4日 (日) お宮参り膳(釈放!開放!無罪放免!アバヨ!)料理するのが嫌なのではなく「メニュー」を考える事から釈放された喜びですので念のため!主婦なら判ってもらえるよネ

★こうして書きだしてみるとレパートリーが貧祖であることが判明しました。オッパイが出るため(姫のオッパイではない)、2歳の子供も食べれる食事、帰宅の遅い息子も手間なく食べられる、この3通りを満足させるために毎日献立を考えます。自宅で作りバイクで5分の息子宅へ午後7時を目途に走ります。嫁が喜んで食べてくれる姿を見るとババ様業も繁盛してるなぁと嬉しくなります。食事の間は、かー君の子守りをし、終わり次第、もも姐を連れて帰り、風呂にいれ午後9時を目途に送っていきます。爺ちゃんはももちゃんに「おじいちゃんイヤ!」と拒否されて近寄れません。お宮参りまでこの連続で、さすがの姫も少々くたびれました。しかし1ケ月の間に、かー君は1000cも大きくなっていました。すごいでしょ!今後は必要最小限に手助けをしたいと思っております。子育て中の若いママさん!疲れたらSOSして、一人で悩まないで下さいね。誰か手助けしてくれるはずですよ!

★★でも明日からちょっぴり寂しいかなぁ!何なと理由つけて差し入れ持って行こうっと★★


[1255] 【1271回 見かけなくなった新聞少年】 2007-03-02 (Fri)

♪♪●ぼくのアダナを 知ってるかい 朝刊太郎と いうんだぜ 新聞くばって もう三月雨や嵐にゃ 慣れたけど やっぱり夜明けは 眠たいなァ

(セリフ)「母ちゃん 早く元気になっておくれ 俺らやっと新聞配達になれたんだでもやっぱり夜明けは眠たいなァ ヨーシ 俺らひとっ走り行ってくらァ帰ってきたらあったかいみそ汁作ってやるからなァ」 

●今朝も出がけに 母さんが 苦労をかけると 泣いたっけ 病気でやつれた 横顔を思い出すたび この胸に 小ちゃな闘志を 燃やすんだ

●たとえ父さん いなくても ひがみはしないさ 負けないさ 新聞配達 つらいけどきっといつかは この腕で つかんでみせるよ でかい夢

これは「新聞少年」と言う歌で山田太郎が歌った我々の青春時代の歌なんですが、そう言えば、この頃新聞配達をする少年が姿を消したと思いませんか?朝刊も夕刊も年配のおじさんやおばさんが配達している姿しか目に入ってきません。病気の親のために新聞を配って家計を助けなくても行政が援助してくれているのでしょうか。1ケ月にかかる携帯代2万円を親が払っている世の中ですから新聞少年の姿が減っても不思議ではないのでしょうか(2万円分も何を話すの?!)もし現在も親のために、あるいは学費捻出のために新聞配達をしている少年がいるかも知れません。ガンバレ!声は届かないかも知れませんが見守っているよ。
 


[1254] 【1270回 老後を楽しく暮らすには】 2007-03-01 (Thu)

「老後を楽しく暮らすには」そんなタイトルが朝のテレビで目に入ってきました。1分1秒を争って朝の支度をしているのですが気になり、メモとペンを出して「どっこらしょ」と座り直しました。団魂の世代に生きてきた人達が定年を迎えて「夫と24時間居てるとストレスになる」と妻が訴えているそうです。ひとごととは思えません。

団魂の世代に生きた夫達に聞きました。「定年後はどのように暮らしたいですか?」
●新しい仕事を見つけて働きたい(フツー)
●田舎にこもりたい(甘いぞ!妻は付いていかんしスナックもカラオケもないぞ!)
●農業をやってみたい(甘いぞ!妻は付いていかんしそんなに簡単に農業はできんぞ!)
( )の部分は私がテレビに向かって発した言葉です。

現役時代は会社の上下関係、縦社会に生きてきましたが、そのプライドをきっぱりと捨てて「妻の部下になる」心がけが必要だそうです。今まで家事一切を妻任せにしていたことから改めていかなければなりません。家事の分担をしてもらわなければなりません。仕事を覚えるより家事ってほんと大変なんですから。

ポチが定年になったら(幸いに雇用継続できましたが)「男の料理学校へ行け」と口癖にしていましたが、何とこの男の料理学校が大流行しているのだそうです。料理教室では、せめて1日の食事で1回くらいは作れる様に日々努力していて、生徒の中には「楽しい」とさえ思える様になったといいます。(キャーッ!作ってる所を見たら食べられへ〜ん)

番組は仲良く暮らそうと思うと共通の趣味を持ち二人で一緒に楽しまないといけないと締めくくっていました。ウオークにお見えになるご夫婦も、今まで夫はゴルフ三昧であったり、単身赴任であったりして、いまは共通の時間を精一杯楽しく過ごしているとおっしゃるほほえましいご夫婦もいらっしゃいます。そうかと思うとスタッフと同じ様に1時間も早く来られて「お早いですねぇ」と声をかけると「お母ちゃんが早う出ていけ言いまんねん」と明るく笑うウオーカーもいます。我が家ですか?我が家は番犬につきいつも飼い主にくっついていないと房総(ちゃうちゃう)暴走しまんねん。


[1253] 【1269回 思いがけない訪問者】 2007-02-28 (Wed)

冬も終わりに近づいた2月27日の夜、雨と風の吹く中、思いがけない訪問者がありました。そうです。2年ほど前に付き合っていた(?)ボーイフレンドだったんです。無事、高校を卒業出来たこと、クラスメイトが受験のためにクラブ活動を辞めていく中で最後まで部活に励み文武両道の約束を守ったことの報告を受けました。背丈も伸び、顔立ちも少年から青年へと変貌し胸がときめきました。(いやらしく考えないでね)この青年が高校入学の時、会社を休んで出席したことが懐かしく思い出されました。いましかお手伝い出来ないことがあれば少しばかりの犠牲を払ってでもしててよかったと思っています。東大を受験したのですが1点の差で惜しくも浪人生活となりました。この1点で泣いた受験生達は何十人、何百人と言う数字なんです。しかしトントン拍子で登り詰めるより「試練」と受け止めて自分を磨くよいチャンスだと思います。そしてすでに次なる挑戦がはじまっています。来春は東大の入学式に参列することを約束し指切りをして青年は雨の中へ消えて行きました。

「冬も終わりに近づいて」と書きだしましたが2月28日は気象庁が定義する「冬の最後」だって知っていましたか?気象庁では季節を3か月単位で区切っているそうです。
「冬」は12月〜2月
「春」は 3月〜5月
「夏」は 6月〜8月
「秋」は 9月〜11月なのでしょうねぇ。
今年は異常気象と言われ、「雪がない」1年でしたね。スノーシューも、とうとう物置から出すこともなく春になってしまいました。しかしご心配することなかれ。春スキーがあるように春スノーシューもどこかできっと出来るはずです。ババ様業から解き放たれたら温泉にもつかりたい、夕食作りからも開放されたい、スノーシューも行きたいと夢ふくらませている今日この頃であります。


[1252] 【1268回 春を告げる花・マンサク】 2007-02-26 (Mon)

高野山に春を告げるマンサクの花が咲いたと報じられていました。黄色の可憐な花で青い空によく似合います。開花時期は、1月の下旬から3月の下旬頃、春に他の花に先駆けて咲くので ”まず咲く花”ということでだんだんと ”まんさく”になっていったらしいです。細長いひも状のちぢれた花で黄色が鮮やか赤い種類のものもあるらしいですが見たことはありません。ひも状の花弁が、陽気な踊り子の手足のようでおもしろいことから好まれて植えられています。

これからのウオークは梅や桜、藤の花と楽しみも多くなります。花博士も忙しくなることでしょう。季節限定の「いたどり姫」ももうすぐ騒ぎ出すことでしょう。今年は意外な場所に見つけました。腕がムズムズします。今度からは採った場所で助っ人も巻き込んで皮むきをして塩漬け状態で帰宅すれば楽チンでしょうね。

何となく春めいてはいるもののここ2〜3日は粉雪が舞うくらい冷たく寒いです。こんな時に風邪をひくのです。インフルエンザの予防注射をちゃ〜んと済ませている人以外は、ご用心!花粉症の人はご注意を!(商店街の文具屋の奥さんが言います「久田さん、昔はひどい花粉症で大変だったのに・・・どうして治ったのか教えて!」と)この奥さんも、この時期になるとひどい花粉症で悩んでおられます。

ウオークが私の花粉症を変えてくれたのです。ウオークが私の人生に、良くも悪くもメリハリをつけてくれたんです。ポチを無理矢理引きずり込みましたが「これでよかったんだ」とつくづくそう思います。家に置いていたら犬小屋を飛び出して本宅をメチャクチャに改造されていると思います。ハイ!

(マンサク情報)
河内長野市高向「府立花の文化園」ではマンサクの花が見ごろを迎えているそうです。入園料は大人500円、高校生300円、中学生以下は無料。毎週月曜日が休園です。お近くにお住まいの方は、一足早く「春」を味わいにお出かけしてはいかがですか?


[1251] 【1267回 宮参りの準備】 2007-02-25 (Sun)

3月4日に行われる宮参りの準備をすることにしました。準備すると大袈裟ですが、宮参りのおべべを出してしわ伸ばしをするだけです。この着物は亡き姑(ポチの母)が私の長男のために買ってくれた大切な着物です。そして次男が着て、孫の零ちっちが着ました。そして今回は、もうひとりの孫「かー君」が着て神社に参ります。

親子二代4人目となりますと少々くたびれたヨダレ掛けが気になります。金箔なのかシミなりかわかりませんので今回はヨダレ掛けを新調します。着物の後ろに付けるガラガラも親子二代で使います。玉串料も用意できました。さああとは3月4日がポカポカ陽気でありますように!と祈るだけです。

大阪府歩け歩け協会は公園シリーズの特別例会の日なのですがごめんなさいね〜次のウオークまでに腫れ上がった左足を治しておかなければと思っています。


[1250] 【1266回 土佐文旦について】 2007-02-23 (Fri)

「ピ〜ン〜ポ〜ン」22日の夜も九時を回った頃玄関のチャイムが鳴りました。「お荷物で〜す」(見たらわかるちゅうねん)

「土佐分担と聞いたら黙っちゅうわけにはいかんぜよ! ... 土佐のくだもんの代表は一に土佐分担、二に新高梨、三に小夏じゃとおもうけんど、そうそう土佐の県果はヤマモモながやけんど近頃は滅多に見ることも無うなったがねぇ。土佐分担の時期じゃけん食べたや〜」

そんな恩師からの手紙を期待して荷物をほどくも、どこにも手紙は入っていませんでした。その代わりに箱いっぱいから溢れる柑橘の香りは故郷の山々を思い浮かべます。宇和島での待ちぼうけにもかかわらず「幸せ薄い子じゃったきに」が口癖でいつもの恩師からの故郷宅配便が届きました。特大、大玉、中玉、小玉と種類がありますが今回は小玉の様です。まもなく従姉妹から届くのは特大!です

土佐分担について文旦「姫」博士が語ります。
文旦(ぶんたん)とは元々、南方系の柑橘類でザボンも仲間です。大きなみかんの半分は白い皮で覆われ剥くと中味は半分ほどに小さくなってしまいます。果肉は一袋の中でひとつぶづつ分かれみずみずしく美味しいです。嫁の純ちゃんは「美味しいけど剥くのが苦手〜」と悲鳴をあげるほど堅い皮に覆われています。北海道にはない美味だそうです。

「グレープフルーツみたい」と言いますが、味、食べ方は全く違います。土佐文旦の人気の秘密は、甘すぎず、酸っぱすぎない上品で爽やかな甘さです。プリプリとした実の食感が何とも言えません。収穫したばかりの土佐文旦は、酸味と甘みが互いに主張しあっていますので、それを追熟させることによってバランスのとれたマイルドな味の美味しい土佐文旦に仕上げることができます。子供の頃は地面に穴を掘りワラで囲って芋や文旦を保存します。「今はたべられん」と母はよく言うてましたが、きっと追熟方法のために貯蔵していたと思われます。この時期高知へ旅行をすると道路脇のパラソルの下でバケツに山盛りの文旦が売られています。丁度、丹波篠山の「黒豆のえだ豆」売りと同じ風景で春の風物詩です。

(あ〜!みかんひとつでこんだけ語れたら値打ちあるけんねぇ)




 


[1249] 【1265回 東京マラソンとAED】 2007-02-20 (Tue)

18日の総会に参加された方で会場の「中鴻池リージョンセンター」にりっぱなAED器が設置されていたのをご覧頂けましたでしょうか。多目的ホールとしての活用があり当たり前と言えば当たり前ですが会場を借用するにあたり、とても安心しました。駅構内の「SOS」表示も電車待ち時間を利用して確認しておいてくださいね。

時を同じくして東京では「東京マラソン」が行われていました。全国から集まった3万人のランナーの方達が雨にもかかわらず東京のど真ん中を走ることに情熱を注ぎ完走された方、リタイヤした方、バスで強制搬送された方と色々なドラマがあったようです。途中で手渡すバナナも不足し、後から来た人はコンビニで食料調達を余儀なくされたそうです。70歳のおじいちゃんはコースを間違えて13q走ったものの参加賞のメダルはもらえなかったと悔しがっていました。「東京マラソンは成功」と報道されていました。そんな中で交通規制をされ、人の流れをとめられたために商売上がったりの商店街もあったそうです。続投するならコースを工夫する必要があるかも知れませんね

そんな中でもうひとつのドラマがありました。ゴール直前の路上で倒れ、一時心肺停止状態になった2人のランナー(59歳男性、58歳男性)がボランティアの奔走により一命をとりとめました。 現場に駆けつけたのは国土館大の学生とOBの方達でした。救急車で病院に運ぶ間に失われる命を減らすために救命救急師制度ができてすでに16年になります。いまでは救命救急士の資格がなくてもAEDは利用することができるようになりました。国土館大学では救急救命士の専門養成コースを設置したことで知られています。大阪府歩け歩け協会でも納会時に講習を行っています。

国土館大学では今回ボランティアとして参加した学生は救命救急士養成コースの学生70人。AEDを背負って自転車などで巡回したそうです。心肺停止になっても3分以内ならAEDを使えば8割が助かります。しかし10分経つと難しいと言われています。救護所に頼るよりもチームに分けて機動力を持たせた方が効果的と考え背負って自転車での巡回となったそうです(あっぱれ)

将来は、ウオークでもスタッフがAEDを背負って歩かなければならないかも知れませんね 。そのためにも、消防署に出向きしっかり救命救急の研修を積み重ねて下さいよ。


[1248] 【1264回 シャンシャンシャンと第15回総会無事終了致しました】 2007-02-19 (Mon)

2/18日、前夜からの雨も上がり19日には「雨水」を迎える季節のためかなんとなく春めいています。今日は会員だけの総会ウオークが実施されます。鴻池新田にある「中鴻池リージョンセンター」ここが総会会場です。リージョンセンターのスタッフの方達が大勢でお手伝いに出て下さりフロアーの敷物からテーブル、椅子、マイクの手配と手際よくお手伝い頂きました。おかげさまでりっぱな総会会場と変身致しました。

この地は私にとっては懐かしい第二の故郷の様なものです。姉夫婦の家に居候しながら通学していました。今は学研都市線と名前も電車もハイカラになっていますが、私が港区の高校に通う頃は(ごめん越境入学でんねん)片町線と言われてて徳庵駅あたりで単線のためにいつも電車がなが〜く停車中でした。夏は蚊が入ってきて「電車に乗って蚊に刺される」ことなんて度々でした。

中鴻池リージョンセンターに「久田はいますか?」と尋ね人あり。姉が今日のイベントの情報を聞きつけてたずねてきました。帰りに家に立ち寄れるかとの事でしたがゴール後は婆業が忙しくお宮参りまでは自由な時間がないと断り、今日は会員だけのウオークだからと丁寧に追い返しました(ひょっとして一緒に歩くつもりだったかな?)

設営が終わり開催間近になり、リージョンの方が「大きな看板作ってあげようか」という事になり、せっかくのお言葉でしたのでご好意に甘えました。しかし「今頃看板つけて段取りが悪い!」と言ったスタッフがおり、リージョンの方がカンカンにご立腹。平謝りに謝りどうにか気を取り直してもらいました。謝るのが得意の私でも肝を冷やしましたよ!
総会途中で中2階にあるミキサールームを見たらリージョンの方達が見学されていましたので、先ほどの事もあるので「ご好意に感謝してリージョン様に拍手〜!」と申し上げ参加者全員で拍手のご協力を頂きました。帽子を持ち上げてペコリとして下さったので失礼に対しては水に流して貰えたと思っています。(ホッ)

出席予定人数は125名と多く、ほとんど席が満杯状態で総会がスタートいたしました。総会スタイルはどことも同じく活動報告、会計報告、活動案、予算案で皆様にご審議いただきます。2、3質問を受けましたが素早く回答をして全議案ともに拍手でもって承認されました。その他の議案(報告)で新しい参事「浅野泰政氏」が誕生いたしました。今後ともよろしく。そしてベストウォーカー賞の表彰も行われその後は「総会の歌」をリージョンの中で歌っていただきました。

昼食後「中鴻池リージョンセンター」向かいの「寺嶋公園」でコース説明、ストレッチの後、いよいよウォークスタートです。今日の私の担当はアンカーです。会員のみのウオークですので「矢印」は貼ってないものの下見シールの剥がす作業があり、ポチを従えながら珍しく一緒に歩きます。宇波神社を経て、緩衝緑地公園から阪神高速東大阪線下を歩きます。公園では梅が色づき無線で思わず「♪梅は〜咲いたか桜はまだかいな〜♪」と歌っちゃいました。おっとっと業務連絡以外に無線を使用してごめんなさいよ。

恩智川沿いを歩き、花園中央公園前を通り、「近鉄花園ラグビー場」に到着。アンカー到着まで列詰め休憩。総会の席で本日は2時から試合があること、4000円から2000円の入場料であることをご案内しておりましたので「わし、ちょっと見て来るわ!」と決断も早くラグビー場に消えていかれたサスケ先生、高校時代にラグビーの選手だったそうで血が騒いだのでしょうか。

ゴールでは納会の時にハンマープライスで得た、貴重なお金で「花ラグ饅頭」「花ラグサブレー」をおみやげに持って帰っていただきました。若山牧水の酒もゴールで振る舞われ、量的にはほんの少しではありましたが気持ちは伝わったのではないでしょうか。

こうして第15回の総会も滞りなく終了致しました。皆様のご協力のおかげとスタツフ一同感謝致しております。何かと不行き届きの点もございますが、ご指摘頂きましたことは精一杯善処してまいります。今回は「中鴻池リージョンセンター」様の皆様には会場の無料提供、お茶、紙コップの差し入れと真心のこもった接待を受けました。心よりお礼申し上げたいと思っています。ありがとうございました。


[1247] 【1263回 春一番の後のウイークデーおつかれさま】 2007-02-17 (Sat)

春一番が吹き荒れ、海上や山の遭難などの事故が相次ぐ中、大阪府下の自動車死亡事故の緊急警戒態勢だけは解除されました。ウイークデーも風が強くて大変だったのではないでしょうか 。当方は仕事中につき失礼しました。そして3月4日も「宮参り」で欠席となり申し訳ないことです。しかしウオークのスタツフの代わりはいても婆様の代わりはいてませんので風習にのっとって、厳かに執り行いたいと思います。

いま流行の映画情報
1位 どろろ
2位 幸せのちから
3位 守護神
4位 バブルへGO
5位 マリーアントワネット

歌については
1位 空が泣くから
2位 千の風になって
3位 野に咲く花のように
4位 yena
5位 天国は待ってくれる

さて皆様は何本映画鑑賞を済ませ、何曲くちずさめますか?私はゼロです。映画は少し待てばテレビでと安易に考えています。しかし映画館の迫力はテレビでは伝わってきませんよね。歌も新曲を覚えるためには脳みその中に入っている古い歌を捨ててからでないと覚えることができません。そう言えば故郷の恩師の奥様も物忘れが病的で困っていると言うておられました。せちがらい世の中について行こうとすると、古きよき時代のことを忘れなければなりません。私は恩師に言いました。「来年定年になったら、ゆっくり帰るから待ってて下さい」と言うと「生きていたらね」と笑います。以前は「ま〜た〜そんな冗談言うて」と笑い飛ばしていましたが私の年齢に20歳を加算すれば恩師の年ですから、冗談で笑い飛ばすこともできないせっぱ詰まった話しになってきました。親孝行ならぬ恩師孝行をしなくてはと思っています。

去年の夏に滑床渓谷から薬師谷渓谷にコース変更になり、宇和島で待ちぼうけさせたお詫びもまだしていませんし・・・


[1246] 【1262回 春一番】 2007-02-14 (Wed)

春一番について
冬も終わり頃になると冬型の気圧配置は長続きせず、低気圧が通るようになり、各地に雨を降らせ、関東や内陸部では雪になることもあります。更に季節が進むと、低気圧の進路はもっと北に移り、低気圧に向かって温かい南風が吹き込むような気圧配置になります。このような冬から春へ移り変わる時季に、初めて吹く南よりの強い風を、気象庁では、「春一番」として発表しています。

春一番の4つの条件
  @ 発表する期間は立春から春分までのあいだ
  A 日本海に低気圧があること
  B 強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで、風速8m/s以上)が吹く
  C 気温が上昇すること
すでに気象の用語となっいる「春一番」ですが、その語源については、長崎県郷ノ浦町では、1859年3月17日に長崎県五島沖に出漁した漁師53人が、春の強い突風にあい全員遭難しました。このときから郷ノ浦の元居地区では、春の初めの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったそうで、いまでは町内の岬に「春一番の塔」が建てられています。 「春一番」が吹くのは、日本海で低気圧が発達しながら北東に進むときなどで、強い南風の後には強い北風が吹いて、突風を伴うこともめずらしくありません。このため、「春一番」のお知らせは季節の便りであると共に災害予防の情報でもあります。

商店街近くでは自転車やバイクまでもが倒れています。体重の軽い人は吹き飛ばされてしまいそうです。気をつけてくださいね。

♪もうすぐ春ですねぇ
雪が溶けて川になって 流れてゆきます
つくしの子がはずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか
風が吹いて暖かさを 運んで来ました
どこかの子が隣りの子を 迎えに来ました
もうすぐ春ですね 彼を誘ってみませんか
泣いてばかりいたって 幸福(しあわせ)は来ないから
重いコート脱いで 出かけませんか
もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか〜♪


[1245] 【1261回 ポチの病気とアバラ骨効果】 2007-02-13 (Tue)

日頃見た目には「元気、健常者」なので気が付かないこともあります。家族であっても亡くなった一刀水兄貴に言わせると「バッキャローお前のどこが身体障害者やねん!儂より元気やないか」と口ぐせの様にからかっていました。しかし「大動脈弁閉鎖症」これが正式の病名で一生ついてまわります。ところが人間、元気になると、本人も周りの者も健常者として扱い、勘違いをすることがあります。

いまポチはウオークのお休みの日を利用して岩登りの特訓中でありますが、そろそろ限界かなぁ、これ以上するとパーティに迷惑かけるなぁと、しみじみと珍しく二人で語り合いました。ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんがポチの右手は心臓の手術の時の後遺症で寝ている時以外は小刻みに震えます。ビールを持ってお酌をしようものなら更に泡立つくらい揺れます(震度3)なんなら試して見て下さい。(笑)

ただ病人の様にじっとしていては心までもが病気になりますので、一度甦った命ですから、家族としては存分に悔いのないように生きて行ってほしいと思っています。だからついついハードなことをさせてしまいがちですが、私があばら骨の骨折で1ケ月苦しい思いをしてきました。(ing)その時に初めて「身体に不自由な箇所がある人の痛み」がわかったような気がします。だから「もうこれ以上は無理や」と言った時、いままでなら「そんな弱音でどうすんの!」とか「やる気がないからや!」とかきつい一言二言(三言かな)が飛んでいましたが「そうか無理なんや。じゃ今日はここまでにしようか」と思える様になりました。これは夫婦だからとか、愛情だからとかではありません。何を隠そう、あばら骨のおかげです。

人がサッとロープを結べても、ポチがモタモタしているのは右手の麻痺の精なんです。わかってやってください。この後遺症が左手であればと何度も思ったことがあります。しかしそれは贅沢と言うものです。命を助けてもらったのですから右手が動きにくいくらい辛抱をしなくてはなりません。この頃、私は珍しく、そばで手助けをすることが多くなりました。アバラ骨の骨折でリュックの紐が肩に食い込んだだけで右手が自由にならない痛みと闘っているからなんです。「もう限界や」と言うポチをなだめすかして連れ回すのも「もう限界かな」と感じる今日この頃であります。

(そりゃないぜパートT)
線路に入った女性を制止しようとした交番勤務の宮本邦彦巡査部長53歳。死にたいと列車にはねられ意識不明の無責任な女性は生きて、職務を全うし、必死でこの女性を助けなければと自らを顧みず助け出したおまわりさんは亡くなられてしまった。心からご冥福をお祈りしたい。しかし弔問に訪れた安倍総理がインタビューに応えて「ミヤジさん」と間違えて連呼して語っていた。そりゃあないだろう。弔問に行くなら、しっかりと宮本邦彦巡査部長の名前や経歴をしらべて、ご家族に心のこもった弔問をしてほしいものです。安倍総理!アイムソーリでは許されないよ!

(そりゃないぜパートU)
お祝いの席で司会者の方が「それでは各方面から頂戴致しました、ご弔電をご披露したいと・・・・」と言った時、瞬間に「エッ?」と私だけ反応しました。私の反応に間違いの気づいた司会者が舞い上がっていましたが、そりゃあないぜ!お祝事なんだからサ

(そりゃないぜパートV)
告別式の葬儀委員長の弔辞がやたらめったら長くて、一体自分が今どの部分を読んでいるのか頭の中が真っ白になっていた。長すぎるちゅうねん。どんな挨拶でも挨拶は3分まで長くても許せるのは5分まで。このために出棺が遅れて焼き場の時間が遅れたそうで、閻魔様も待ちくたびれて、おおあくび。そりゃないぜ


[1244] 【1260回 温泉行きたいなぁ〜】 2007-02-10 (Sat)

お昼のテレビを見ていたら熱海の温泉や群馬県水上温泉の貴賓室が何と5000円で利用できる話を報道していました。「あるある・・・」の様に過大広告かとも思えるのですが理由を聞けば納得できました。

熱海の温泉で温泉離れというか熱海の温泉人気は急降下で以前私達が行ったときにも「さびれたなぁ」と感じるくらいでした。お宮貫一の像の前のでっかいホテルも不況で閉鎖していたことを思い出しました。そこで温泉診断師の人に依頼して何が原因なのか診断してもらうことになったそうです。まず案内されるのがどこの温泉宿も「当店ご自慢の貴賓室」だそうです。なるほどリッパ!皇室の方達が泊まりそうな豪華な調度品と広さで普段の利用額が安いところでお一人様5万円以上だそうです(新婚旅行でも再婚旅行でも勿体ないわ)

「一番効率の悪い部屋はどれですか?」とたずねると「貴賓室です」と、どの宿のおかみさんも答えるそうです。ではその効率の悪い部屋を激安にすることによって効率アツプにつながり、口コミで熱海の温泉に客が戻ってくる傾向になっていくのだそうです。

でもこの激安宿の情報は関東圏ばかり、有馬、白浜などの関西圏の情報を書きとめるために紙とエンピツを用意して聞いていましたがとうとう番組は終わってしまいました。有馬も白浜も激安にしなくても、お客様がひっきりなしなのかも知れませんね。有馬の街の人混みはすごいですものね。振り返ればゆっくりと温泉に浸かっていないなぁ。白馬岳の帰りの「蓮華温泉」もポチャッ!篠山バスウオークの「ささやま莊」もポチャッ!み〜んなポチャッばかりです

「ウオーカーのウオーカーによるウオーカーのための」温泉旅行がゆっくりとしてみたいですね。もう随分と昔ですが警察関係の研修先で昼食時に「温泉にも入れます」という場所がありました。みなさんは酒に浸かっていますので私はお湯に浸かろうとゆっくり温泉を楽しんでいました。すると仲居さんが来て「バスが出ますので早くして下さいと言ってます」と湯舟の中まで呼びに来られ、あわててバスに乗りましたら、み〜んなクスクスと笑っていて恥ずかしかったことがあります。(湯舟の中の時計って大切ですねぇ)。あの時は出発時間などの案内はなく「ゆっくり入って来てくださいやぁ」の言葉を真に受けたんですね。激安のお勧めの温泉があればぜひ具体的に教えて下さいね。


[1243] 【1259回 雨の日のお迎え】 2007-02-09 (Fri)

今日は雨が降ったり止んだりで保育所のお迎えにバイクと言うわけには、いかなくなりました。どうしたものかと思案の結果、リュックの中からハーネスの代用品として使用している長めのテープシュリンゲとカラビナを出して車でお迎えに行くことにしました。チャイルドシートの代用品です。これが違反であると言うことは百も承知です。朝、息子から「毎日ありがとう。今日は天気が悪いけどよろしく」とメールが入っていましたので安全に送り迎えをしなければなりません。

お家に帰ってどうママに説明するのかサスケ先生ちの詩人のようなわけにはいきませんのでちょっと心配です。そこで小さな「メルちゃん」という人形を一緒に乗せて「メルちゃんをおんぶしようね」と行ってテープシュリンゲでグルグル巻きにして雨をしのぎました。ヤレヤレです。

話は変わって・・
私の姪の子供達を連れて夏はキャンプが恒例行事となっていました。しかし一刀水があの世とやらに行ってからは中断してしまいました。ある夏のキャンプ場でのことです。スイカ割りを楽しみ、みんなでスイカを食べることになりました。何でも真似をしたい年齢で、子供達に屋外ならではの遊び「スイカの種飛ばし」を見せてあげました。♪飛んで〜飛んで〜飛んで♪子供達は喜んで真似をし種も実もペッペッペと飛び散らしキャンプ場には3人の子供とみっちゃんのおばちゃんの愉快な笑い声が鳴り響き楽しい思い出となりました。私が子供の頃は遊びの中で「アケビ」の種と実を上手に飛ばし分ける競争もありましたよ。これがまたむずかしい(笑)

さてさて、その後、各自の家でスイカを食べる機会がありましたそうな。子供達がキャンプ場でしたと同じ様に、種も実もペッペッペ と室内に飛ばしたそうです。親達が叱ったところ「みっちゃんのおばちゃんが・・・・」と言い訳をしたらしいです。後日親から「あんまり変なこと教えんといて!」と言われたことがあります。(笑)

ウオークも一緒なんですが最近ウオークが「はじめて」と言う方の参加が多いと聞いています。スイカの話しではありませんが「歩けの基本」については、最初が肝心です。会員の皆様や先輩ウオーカーの皆様にも、ぜひお力をお借りしたいと思います。まず道路いっぱいに歩かない。「車道側の半分は対向者用に空けて歩く」。「点滅信号は渡らない」「ゴミは持ち帰る」このことが守れていない人を見つけたら、どうぞスタッフに成り変わって注意をしていただきたいと思います。そのことでトラブルが発生するようなことがあれば、会長、副会長に声をかけて下さい。善処致します。

美川憲一のCMにもありましたが「もっと端っこを歩きなさいよ!」と言われて気分を悪くするよりは、初めの一歩からきちんと半分あけて歩けば爽快なウオークになりますよ(そうかい。そうかい)まずは総会ウオークで会員様のウオークのお手本を示して頂きましょう。総会ウオークはスタッフも会員の一人として楽しいウオークをさせて下さい。


[1242] 【1258回 痛ましい板橋の踏切事故】 2007-02-08 (Thu)

●7日の帰宅時間頃、火災のためJR環状線が動かなくて大変だったと女子更衣室の朝の会話を耳にしました。私は徒歩通勤なので電車が遅れようと、発車しなかろうと通勤時間に影響はありませんが電車を利用の方達にとっては一大事なんですね。

もうひとつの一大事、踏切事故
●東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日夜、自殺を図ろうとした無職女性(39歳)と、救おうとした警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53歳)が急行電車にひかれた事故で、ホームにあった非常通報装置を誰も押さないまま、2人は1分間ももみ合いを続けていたことが報道されていました。「野次馬の中からの第一歩」、自分がその場にいなかったのがとても悔しい!ホームに駅員がいないこともさることながら誰か一人ぐらい通報にかけつけても良かったんじゃあありませんか?テレビのインタビューに一部始終を話していた野次馬がいましたがどこか間違っていませんか!

重体の宮本巡査部長は「正義感の強いお巡りさん」と評判。一夜明けた7日、回復を祈る人が交番を訪れ、小学校から折り鶴が届いたそうです。このことを教訓にウオークのゴール後、駅を利用するときは駅のどの辺りに設置されているのか確かめようではありませんか。ウオーカーの皆さんなら人力作戦で「警報機を探す人」「駅員に通報に行く人」「遠くから来る電車にハンカチ等を振って知らせる人」と何か出来るはずです。但し、自分の身に危険をさらしてまでの救出は二次災害の原因になりますので気をつけてください。
救命救急の講習時でも「二次災害の危険なし」と判断してから救助に向かうことになっています。危険を知らせるための方法をみなさんで話し合いたいですね。きっといい智恵がでるはずです。

重体の宮本巡査部長さんが回復され、いつもの通りまた交番の玄関先で「おはよう!気をつけて!」と元気に声をかけて下さる日が一日も早く来るといいですね。心よりお見舞い申し上げます。


[1241] 【1257回 Uターン禁止区域でUターン】 2007-02-06 (Tue)

月曜日、Uターン禁止区域をUターンしてしまいました。これは交通違反のことではありません。アバラ骨の続きです。完治と喜ぶのもつかの間、骨はなるほどくっついたのですがリハビリが必要とのことで、またまた病院通いのユーターンとなりました。どんまい。どんまい。

今日から「ももちやん」の保育所のお迎え担当となりました。保育所の運動会の草むしり奉仕で、炎天下の中を、妊娠中の嫁の代わりに黙々と草むしりして保育所の先生に褒められた実績があり「もも婆」と認知してもらっているので顔パスです。「ももちゃ〜んお迎えですよ」と先生が言うと元気な足音がして、飛びついてきました(これで誘拐犯ではないことが証明されました)

時間の都合上、バイクで行ったので前に、ももちゃんを乗せヘルメットもかぶせて押して家まで連れて帰ります。エンジンがかからないのが不思議なのか鍵を何度もカチャカチャさせます。「ブーンって言わないねぇ」と不思議がりますが道路交通法違反になりますからね。

自宅に着くなり、早速ママに報告です。「ももちゃんバイクに乗ってん!」その瞬間、嫁の顔が引きつりました。いやいやあのその誤解ですって・・エンジンはかけてませんてー。

赤ちゃんの名前は「和慶かずよし」と命名しました。愛称は「かーくん」と私と、ももちやんの間でそう呼ぶことに決めました。今は右手がうずくので抱っこはしないことにしています。


[1240] 【1256回 体力の低下】 2007-02-04 (Sun)

1月7日の骨折以来、ほぼ1ケ月間、右胸、右腕をかばっての生活を余儀なくされてきました。たかが1ケ月でガタガタ言うな!とおっしゃる方もいるかと思います。しかし使わない筋肉の低下は恐ろしいくらい体力を衰えさせていました。ウオークの復帰に向けて少し歩きを試みましたがショックでした。息切れと動悸がして、いつもの様に歩けません。

「待ってー!」そんな必死の叫びも通じないで、さっさと進んで姿が見えなくなりました。悔しいのと、空しいのと、いっそこのまま姿を消して困らせてやろうかと天の邪鬼がささやきましたが何とか耐えて動悸だけは治まりました。「そんなにしてまでも歩かなくても!」そんな笑いに似た言葉を耳にしたようで抗議をしました。

今日はやっぱり無理だったんですね。孫の子守りか、犬の散歩程度のウオークから始まって、序々に体力を取り戻すべきだったんです。体が自由で無いときは心まで歪んでしまいます。悔しいけど何の役にも立たないときは耐えるしかないんです。1ケ月、ほとんど固定していた右手に激痛が走ります。途中ゴムで三角巾仕様にして吊ってみたり、ポケットを利用したりして右手をかばいました。でも「かばわないで大きく手を振り上げなさい!兵隊さんの様にね!」と教えてくれました。

あ〜あ今夜は、うずいて寝れないだろうなぁ。自信の無い時は、あっさりと休むことにします。だって何の役にも立たないのにじゃまなだけだもんな。そんな重い足と心をひきずってリハビリ生活を送っています。

●私の貴重な体験から、体調不良でウオークに参加しようかどうか迷った時は「自宅休養」をお勧めします。よしんば参加されて途中で更に体調不良になった場合でも、本人に「大丈夫、歩けます」と言われるとスタツフは、それでも参加者の方に帰れとは言えません。しかし、どうしても無理でスタツフから「電車に乗ったらどうですか?」と肩をたたかれたら指示に従って下さい。それが安全で楽しいウオークの基本です。お願いします。


[1239] 【1255回 大台ヶ原入山待った!」】 2007-02-03 (Sat)

奈良県大台ヶ原の豊かな自然を守るため、入山規制をするという。入山者は最も多いときで1日100人までに限られ入山前にレクチャー(講義、講習)を受けることが義務づけられる。今春からの予定でしたが規制をする体制が間に合わず延期となり、年内のスタートを目指しているといいます。

計画によると入山規制は吉野熊野国立公園の特別保護地区「西大台ヶ原」で、経ヶ峰の南側の逆峠ーシオカラ谷つり橋ー大台教会を結んだ一帯450f。観光客の多い大蛇ーや、主峰・日出ケ岳など、東大台地区は外れているそうです(何で?自然を守るためやったら西も東もせなあかんのんとちゃうの?は姫の声)

規制は大台ヶ原ドライブウエーの開通期間(4月〜11月)。ハイシーズンの土日と祝日は1日100人。平日は50人。それ以外の土日と祝日は1日50人。平日は30人に利用者を制限するそうです。また1グループ辺りの人数の上限は10人までとするとあります(何で?15人で行ったらどうなるの?10人と5人に分れされてもあとで合流すれば意味ないじゃん?)

入山は環境省の指定認定期間に申し込み、先着順で認定証が交付されるそうです。認定証の交付をうけていない「密入山」は巡回するパトロール隊に取り締まられることになるそうです。勿論レクチャーの受講を終了した後の入山となります。

大台ヶ原は国内有数の多雨地帯で、コケの林床にウラジロモミやブナの群落が残る貴重な森林として知られています。ところが昭和36年のドライブウエーの開通依頼アクセスが容易になったため観光客が急増。登山道以外を踏み荒らすことによる植生の破壊が進んでいます。紅葉シーズンは交通渋滞も発生し大気汚染などによる森林衰退も心配されています。

「規制が実施されれば逆に入山希望者は増える。レクチャーの内容が不十分で、認定証なしでも入り放題、と言った具合に規制が有名無実化すれば全く無意味でやらない方がましだ。」と言う声もあがっているそうです。自然を守るには一人一人がもっと気配りをしなければ西も東も大台ヶ原そのものへの立ち入りがキンしされる日がそう遠くはないように危機感を感じています。

★ちなみに大阪府歩け歩け協会の初代のバスツアーは「大台ヶ原」でした。


[1238] 【1254回 吉報その1&その2】 2007-02-02 (Fri)

●「吉報その1」
あばら骨の修理完了しました!本日診察を受け、レントゲンを撮り、再び診察室へ入りました「うん。完璧!」太鼓判が整形外科の廊下に鳴り響きました。(ちょっと大袈裟かな)ヤッターこれでコルセットから開放されブラジャーが装着できます(♪あげて〜寄せて〜♪)もうクシャミなんか恐くないよ!ハッハッハッハック・ショーン!

待合室の椅子で長〜い時間待って退屈をしていると、女子高生らしき2人が一人は左手の中指にギブスを巻き、もう一人は左足にギブスを巻いて松葉杖の調整待ちをしていました。「あなた達〜!足の骨折と手の骨折の様だけど二人でけんかしたの?」って聞くと大声でキャッキャッと笑い出しました。これで距離がぐ〜と縮み「おばさんはどこの骨?」って聞くので「アバラ!」と言うとまたキャッキャッと笑う。(多分アバラ骨がどこにあるかわかってない様子)バスケットの授業中の怪我らしいけれど、診察待ちをするのには退屈しないで済み、とにかく明るいお嬢さん達でした

皆様から、暖かいお見舞いのお言葉を頂戴したり、電話やメールを頂いたり、自宅にあったと言う高価なコルセットを持参して下さり「こっちの方が早くよくなるよ」と借して下さいました。今回の骨折事件で人の温もりを感じ取ることができました。私の不注意でご迷惑をかけました。しかしいつも「先頭旗とアンカー旗の間は保険に入っていますから安心して歩いて下さ〜い」と広報係として叫んでいる手前、本当に保険が下りるのだと言うことを実体験しました。金儲けではありませんので金額は微々たるものかも知れませんが「安心保険」だということを身をもって体験致しました。

「吉報その2」
2月1日午前10時すぎ2592グラムの男子誕生です。母子ともに元気で初抱っこしてきました。お産には息子も、ももちゃんも立ち会ったそうです。ママの苦しそうな顔を見て「ガンバレーガンバレー」と手を握ってくれたそうです。「オギャーッ!」突然の泣き声に、ももちゃんが大泣きをして嘔吐してしまい息子は産まれた赤ちゃんよりも「もも姉ちゃん」に気を取られてしまったと喜びを語っていました。

名前ですか?まだ決まっていません。


[1237] 【1253回 気分もあらたに如月(きさらぎ】 2007-02-02 (Fri)

今日から新しい月2月。月の初め、週のはじめは何か希望が持てそうで好き。月末になると、まだ3日も4日も有るというのに我が家のカレンダーと会社の私の部屋のカレンダーは新しい月にされてしまう。上司が「30日がかわいそうやがな!」と苦笑いを浮かべる。

2月3日は節分。節分は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことを言います。特に、立春の前日のことを指す場合が多いと言われています。
節分当日の夕暮れは、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりするようになりました。 これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためであると言われます。

豆撒きは炒った大豆を撒き、蒔かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べます。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。(落花生などをまく所もあります)

豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」を2回言って撒きましょう。痴呆によってかけ声もさまざまでおもしろいですね。
●京都府福知山市三和町の大原神社は「鬼は内、福は外」
●千葉県成田市の成田山新勝寺は「福は内」
●奈良県の蔵王寺は「福は内、鬼も内」
●岐阜県可児郡御嵩町の鬼岩福鬼まつりでは「鬼は内」
●埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社では「福は内、鬼は内、悪魔は外」 などです。ま
た「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家で「鬼は内」の掛け声が多いそうです。

節分の季節になると、多くのスーパーマーケットでは節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆として売られていて私も「鬼」のお面ではなくて「おかめ」の面を買いまし

恵方巻
誰が考えたのか知りませんが、いつしか節分には巻きずしを食べる習慣になりました。節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、太巻き寿司をまるかぶりする。誰が考えたかと言うと、1974年に大阪市で海苔店経営者等が節分のイベントで海苔巻きの早食い競争を始めたことや、1977年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で、復活したそうです。

今年の恵方は「北北西」を向き、しかも笑いながら食べて不況、不幸せ、不健康、不摂生など「不」のつくものを全部吹っ飛ばしましょう


[1236] 【1252回 起こしちゃならぬが、起こしたときは】 2007-01-31 (Wed)

自動車を運転される人は自分だけは事故を起こさないと考えて、安全運転をされていると思います。奈良県の土砂災害の様な痛ましい事故もあります。事故現場の2台目の車は思わずバックをして難を逃れたと言います。山歩きでも(白馬岳で体験済み)音もなく、もしくはパラパラと小さな音から大きな惨事につながります。左右前後そして上下にしっかりと注意をしながら、あまり必要のないおしゃべりはしないで安全なウオーク、登山を楽しみましょう。

@もし事故を起こせば
まずは負傷者の救護が第一です。救急車を要請し病院に搬送して下さい。軽い怪我でも受診を勧めましょう。

A二次事故の防止
事故を起こした車両で、二次の交通事故が起こる可能性があります。事故車両を安全な位置に移動させましょう。ただし高速道路上の場合はガードレール外への避難をしましょう。

B相手方の確認
事故の相手方の住所、氏名、勤務先などを聞きメモをしておきましょう。

C目撃者の確保
現場で目撃者がいれば、その人の住所、氏名、勤務先などを聞き、メモしておきましょう。

D警察への届け出
交通事故は必ず警察に届けて下さい。法律で交通事故を起こしたものは警察への届け出義務が課されています。時には相手方がもう良いと言って立ち去ったり、相手が子供の場合は怖がって現場から走り去ってしますケースもあるそうです。そんな時に限って、後で親が警察に交通事故の届け出を出して大騒ぎになり、届けなかったばかりに、ひき逃げ事件容疑者として扱われることもあります

E保険会社への届け出
任意保険に入っていると思いますので警察への届けでが終わった段階で保険会社への連絡をしましょう。保険会社では「事故受付センター」が24時間体制で受け付けているはずです

私の知人で信号待ちで停車している車に子供が自転車で突っ込んできて交通事故扱いになりました。その時、野次馬のおばはんが「子供がかわいそうに!車がかなりのスピードで・・・・」とニセの目撃情報をそこらへんにいる野次馬に話しをしはじめました。運転席からおりた知人は「おばさん!今あんたが言うたこと警察がきても言えますね!」と念をおしたらしいです。警察が到着したときには、おばはんの姿はどこにもなかったそうです。現場検証の結果ブレーキ跡、自転車の破損状況等を調べ自転車のひとり事故と理解してもらえたそうですが、それでも車両側に責任が覆い被さってきて、自転車を弁償したと聞いています。

救命救急講習の時に「野次馬の中から、まず1歩前に足を踏み出してが大切です」と言ってると思いますが、ただの野次馬にならないように注意して下さいね。


[1235] 【1251回 ラジオ出演無事終了しました】 2007-01-30 (Tue)

「たかが10分ほどの緊張、されど10分間の緊張」

おわった〜!何とか役目を果たしましたぁ!結果はどうあれ緊張感から解放されました。しかしこの緊張感は背筋が伸びる心地よい目覚ましです。お聞きいただきました皆様、早朝からお騒がせ致しました。「環状線ウオーク」、いまから始まる「公園シリーズ」、大歩協名物「真夏のクリスマス」をPRさせて頂きました。噛み噛みと言うか、適切な言葉がすぐに出てこなくて、でも「あの〜」とか「そうですねぇ〜」などのつなぎの言葉は言わないように自分自身に言い聞かせました。

30日午前5時丁度、プロジューサーから電話が入ります。本人であること、起きて居ることを確認してテレビ、ラジオ、携帯などの音の出る物の排除をするように依頼があります。そして一旦電話は切れます。再び5時10分過ぎに「スタンバイOKでしょうか」とプロジューサーから電話がかかり、つないだまま、本番中の豊島美雪さんとの会話がはしまります。

相手はプロですから、私が話しやすい様に聞き出して下さいます。環状線はラジオの番組収録で、夜中に歩いたことがあると言うことで話しが弾みます。何年も前から知り合いの様な気もしてくるのです。今年の特徴を聞かれました。そうや2月4日からスタートする「公園シリーズ」を紹介しようと思い、年間予定表を横に置き少し具体的に話しを進めました。「それ以外の目玉ウオークは?」と聞かれ、思わずトンネルウオークを紹介しました。たった一人のスタツフが1年かけてペツトポトルを工夫し、中にローソクを立てる、その数200本とも400本ともあり暗闇のトンネルの中に、ほのぼのとした癒しの灯をともしてくれます(今年は土曜日のため仕事と重なっていて残念!)

このラジオ出演がきっかけで「豊島美雪さん」が大歩協のウオークに参加してくれるかもしれません。決定したら、またご案内しますね。まぁ何にしても慣れないことは肩も凝り、準備した資料も相手次第で使用しない場合もあり骨折り損(もうすでにアバラ骨、折ってるやんかー!)の時もありますが、それはそれで楽しいですね。

ラジオ対談が終わるとすぐ「聞いたよ」メールが入り、ここで初めて緊張から解きほぐされました。そして私の得意技「瞬間的睡眠」を取り元気に仕事に出かけることができました。応援ありがとうございました。

●ラジオ放送後の影響はすごいらしく、事務所には、遠くは愛媛県からも問い合わせがあったり、今日はひっきりなしに事務所の電話が鳴ったそうです。「ホームページを見ました。日本語で検索できてよかったですぅ」そう言って電話をかけてこられたそうです。ホームページの価値観がアップしたかな!


[1234] 【1250回 1万円の化粧品より、たっぷりの野菜!」】 2007-01-29 (Mon)

女性ホルモンの分泌がなくなった(閉経)あたりから女性の体には変化が起きてくるらしいです。(らしいと書くところがミソ。自分は違うと言う書き方ですね)筋腫、更年期、甲状腺と女性特有の病気も出てきます。「今までお嬢様で生きていて、さあ今日からは家も無くなり、一人で生きていきなさいと言われたと同じ」と、女性ホルモンの有る、無しを説明していました。東京大学美人女医さんの朝ご飯はおみそ汁の代わりに野菜たっぷりの鍋を囲みます。「1本1万円の高い化粧品を買うのであれば、生産者のわかる、体にいい野菜をたべることです」う〜ん。朝から鍋は真似が出来そうもありませんが白菜もキャベツも大根も安いですからしっかりと食べて体の中から美人になりましょうだって。これなら真似が出来るかもしれません。テレビの受け売りではなく自分流に納得して真似ることを忘れないで下さいね。

土曜日は、もうすぐ出産の嫁を少しでも楽に過ごしてもらおうと、ももちゃんを預かりました。おきまりの「交通科学館詣で」です。外は寒く風邪でもひかしては大変です。交通科学館の中は暖房完備でお守りする方もらくちんです。「お手々が痛いから、だっ子はできないよ」と言い聞かせ中に入ります。土曜日で学校が休みなのでしょう見学者でいっぱいです。80分の1の模型電車を使って夜明けから夜の車庫入れまでを列車を走らせながら説明をしてくれます。新幹線やトワエライトエキスプレスにサンダーバード、オーシャンアローにコンテナー列車と大人でも結構楽しいかも知れません。暇と金に余裕が出来たら、一度はトワエライトにも乗ってみたいですね。

この日のももちゃんは、疲れたのでしょうか、いつもの3倍もの長い時間お昼寝をしたと嫁が驚いていました。零ちっちが函館から戻ったら、また行きたいと思っています。


[1233] 【1249回 まぬけ物語】 2007-01-26 (Fri)

1月25日丹波の里に雪と凍結のないのを確認し氷上工場へ向かいました。運動会をする話しの「決起大会」と退職する社員への手続きを兼ねて、夕方は大阪府歩け歩け協会の会議があるために渋滞に巻き込まれることなく戻らねばなりません。今日のお供は「1本のカセットテープ」です。高速道路に入るまでは自転車と人に注意するためラジオやテープは一切使用しないのですが今回はどうしても覚えたい歌があるのです。

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」をサザンの桑田佳祐がカバーしているテープを入手しました。何度も何度も聞き、歌詞を頭に入れ込みます。物語になっていますので小学校時代が過ぎれば次ぎは高校そして次は仕事をする青年へと変化していきます。

いつもの休憩地「上荒川」です。誰もいないので少し声に出して歌ってみました。いい〜感じです。上荒川から春日インターまでは桑田圭祐と私のデュエットみたいなものです。「♪ヨイトマケの子供 汚い子供 いじめ抜かれて はやされて 泣いて帰った道すがら 母ちゃんの働くとこを見た〜♪」なんかフロントガラスが見にくくなりウオッシャーで洗浄しワイパーをかけましたが一向にきれいになりません。そうやッ!私の目から涙が出てたんや〜 ワイパーかけるんやったら私の目や!

工場までの2時間の所要時間を同じ曲をかけ、口ずさみ、ある時は熱唱し、ある時は泣きと一人でもぜ〜んぜん退屈をしないで到着することができました。帰り道ですか?も〜ち〜ろ〜ん同じことをして戻りました。おかげで睡魔に襲われることなく、帰りも上荒川でトイレ休憩をして渋滞に巻き込まれることなく安全運転で戻って参りました。


[1232] 【1248回 家事腰痛】 2007-01-25 (Thu)

家事腰痛
掃除、洗濯、洗い物と世の男性諸君は家事労働をなめてはいませぬか?この家事労働が腰痛の原因となり「治った」と勘違いし、またもとの生活に戻るとギックリ腰、椎間板ヘルニアそして、とうとう歩くことすら出来なくなるそうです。これを解消するのには「ホスト座り」が最適だそうです。悲しいかな私はホストクラブへ行った経験がありません。ご主人様!ホスト座りとはどんな座り方か奥様に教えてさしあげてください。

人間が2足歩行をするようになって腰の負担がかかるようになりました。腰の筋肉、関節、椎間板に炎症が起こり、加齢とともに骨密度が低下していきます。前屈みになると後ろの筋肉が張り、腰に負担がかかり血流不全になります。

では予防方法です。
●台所の「流し台」に立つ時は足もとに雑誌などを置き、片足を乗せてみてください。乗せた方の足に体重を移動させるのです。腰にかかる力を分散さすことによって腰に負担をかけずに済みます。

●床のふき掃除をするときも片方の膝を床につけてすると楽です。
●重い物を持つ時は「ホスト座り」です。いっきにヨッコラショと持ち上げない事です。
● 物干し竿が肩の位置より高い場合は、腰をそるのでこれも踏み台などを利用して下さい

私の様にもともと太っている人は問題ないのですが20歳を過ぎてから急に太った人(10s太った人は、倍の20s腰に負担がかかる)は注意をしてください。

(予告編のはなし)
1月30日毎日ラジオ「1179KHZ」午前4時30分からの「朝一番豊島美雪おしゃべりいちばん」の番組のおおむね5時頃、大阪府歩け歩け協会を代表して姫が出演します。早起きのできる人は聞いてね。


[1231] 【1247回 杏林の意味ってそうなんや・・・】 2007-01-24 (Wed)

朝、昔の警察関係つながりの仲間からファックスが入りました。私のホームページを見て頂いているということにまず感謝。そして「杏林」について資料を送ってくれました。

そしてウオーカー広場では、サスケ先生がわかりやすく説明をして下さっていました。よ〜くわかりました。今までは何気なく「杏林」の文字の看板をみていましたがこれからは奥深い意味があることを忘れないでおこうと思いました。教えていただいてありがとうございました。感謝です。

中国では杏が沢山とれるので杏で治療をし、日本では枇杷が多くとれるので杏にかわって枇杷葉の治療が有名です。杏や枇杷にはアミグダリンという成分が多く含まれこれが効くのだそうです。この仲間には梅、プルーン等もあり、すべて身体に良いのです。意味もなく病院の周りに植えたのではなかったんですね。すごいっ!


ところで皆様は朝の5時ってもうお目覚めですか?夏の朝は日の出とともに起きていても、冬はお布団が恋しい季節ですから無理かしらね?今日は予告だけにしておいてお楽しみは明日お知らせ致します。


[1230] 【1246回 知ってたら教えてくださ〜い】 2007-01-23 (Tue)

節分(せつぶん)は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことを言います。特に、立春の前日(2月3日ごろ)のことを指す場合が多いそうです。以下、立春の前日の節分について述べてみましょうかね。 節分とは「季節を分ける」ことをも意味しているといいます。節分が過ぎたら「おひなさま」を出して飾ってもいいそうです。我が家は私も子供達も(男の子なので)雛飾りなんて関係がなく無縁の風習でしたが孫のももちゃんには買っちゃいました。節分が過ぎたら一緒に飾りたいと思います。そして3月3日には遅れることなく片づけたいと思っています。いまでも私専用の雛飾りがほしいくらいです。

教えてほしいのはここからの話です。この話しが本当なのかどうか調べたいと思いますが、ご存じの方がいらっしゃったら教えて下さい。昔、中国での話しらしいです。病院に診察にきたものの貧しさ故に治療費が払えずに困っていたところ、お医者さんが治療費のかわりに杏(あんず)の苗を病院の周りに植えて下さいといったそうです。それを聞いた貧しい村人達は診察の度に杏の苗を持参し、1本、2本と増え続け、いつしか病院の周りは杏の木が沢山生えたといいます。日本の「赤髭先生」のような話しですよね。病院の名前に「杏林」と言う名前が多いのはその話しからだそうですが、本当かどうか、誰か詳しく教えて下さいませんか。


[1229] 【1245回 テレビの影響は恐ろしい】 2007-01-22 (Mon)

テレビ番組「発掘!○○大事典X」が放送した「納豆ダイエット」の内容がデタラメだったと物議を醸し出しています。うそはいかん。うそは!このテレビを真に受けた視聴者がスーパーで納豆を買いあさり売り切れが続出して、大生産地の茨城県の納豆製造業者は増産体制に入ったといいます。ところが21日に「ねつ造」の謝罪をしたものだから、納豆業者が頭を抱えているそうです。増産態勢をとっていた業者は「このままでは廃棄処分が出るかもしれない」と話しています。ペコちゃんじゃないけど賞味期限や消費期限をよ〜く見てから買い物しないとね。

水戸の納豆で有名な茨城県日立市の小規模業者は「7日の番組放映後、スーパーの注文が通常の1.5倍以上に増えたが、今日から注文が、ぱたっと止まった」と話しています。発酵で作る納豆は出荷2〜3日前に、発注量を予測して製造を始める。「納豆の容器や出荷用段ボールも大量に発注してしまった。倉庫に入らないかもしれない。テレビ局はスーパー、業者、消費者ら大勢の人に迷惑をかけた。影響力が大きいことを認識してほしい」と憤る。

ただ謝罪すればいいと言う問題ではないと言うことがこれを見てもよく分かるし、消費者も、いたずらにテレビの言う事を鵜呑みにしないで、根拠があるかどうか調べてから買ってほしいですね。納豆を食べてダイエットにつながるかもしれませんが一番良いのは「ウオーキング」じゃあないでしょうか。ほどよい食事と、ほどよいウオーキングが健康を維持してくれます。但し落下して肋骨などを折らぬように気をつけてくださいね。


[1228] 【1244回 置いてけぼりの日曜日にシュン!】 2007-01-21 (Sun)

肋骨骨折の痛みが取れず、ましてや医者の許可がおりずで自宅待機。今日は雪山に行くポチを大阪駅まで送ることにしました。久しぶりに家の掃除を時間をかけてしたのですが狭い我が家、そう時間がかかるはずもありません。チョロっとして終了。高い所へ手を伸ばしたり、重たい物も持てないと言う制限付きの生活は結構ストレスが残ります。

白銀の世界を想像するだけでテレビを見てもつまらないし「ロッククライミング」の本を出して勉強したり、階段にロープを張り「エイトノット」結びの練習をしたりしていると姪っ子が「行ってもいいか」と打診をしてきました。正月に体調を崩して年始の挨拶がまだのため来るといいます。固定電話にかかったので居留守もつけず夕食を一緒にする約束をしました。「今蓬莱駅、今から電車に乗る」とメールが届きましたが来客があるためお迎えはなし。

今夜のメニュー(そんな大層なものかょ!)は「おでん」です。昼過ぎからじっくり煮込みうまく完成です。これを「八丁味噌」をつけて頂きます。関西はおでんと言えば「からし」と定番ですがね、これがなかなかどうして八丁味噌で頂くとフランス料理の味がします。(笑)姪っ子が明日の息子の弁当に「おでん」が欲しいとタツパーに詰めて帰りました。片づけの時に気が付いたのですが八丁味噌も持ち帰ったのかありませんでした。スーパの味噌コーナーでチュウブ式でお手軽価格で販売しています。ぜひお試し下さい。栄養価については「ないない大辞典」の様に問題になってはいけませんので述べませんが「おいしい」です

ポチが戻り風呂に入り、さあ夕食と言う時にポチの箸がすすみません。いつも食欲旺盛なのに、よほど疲れているのかと姪っ子に訊ねられ「途中でラーメンとビールを一杯・・・・」なんだか、おいてけぼりの日曜日が更に空しく感じました。


[1227] (1243回 あなたの足は何タイプ?) 2007-01-20 (Sat)

「靴の減り方でわかる歩きかたチェック」
●かかとだけが極端に減っている→「ノシノシがに股タイプ」
(NG!)このままの歩き方では筋肉が疲れやすく腰痛になることがあります
(ポイント)かかとから着地して、つま先を蹴り出すことを意識しながら歩く習慣をつけましょう。歩き方については特に問題がなくても、靴のサイズが大きい場合があります。靴を履いた時につま先に5o〜1p程度の余りは必要です。それ以上であればサイズが大きい可能性が大です。ご確認下さい。

●つま先が極端に減っている→「勢いツンのめのタイプ」
(NG!)このままの歩き方では、つま先に体重がかかるため外反母趾になることがある
(ポイント)猫背や前のめりになって歩いていませんか。胸を張って歩くようにすれば自然と前のめりも緩和されるはず。この際、歩幅を今までよりもやや広めにすることをこころがけて下さい。

●内側が極端に減っている→「しっとりウチ股タイプ」
(NG!)このままの歩き方では、膝への負担が大きく変形性膝関節症になることがある
(ポイント)膝を伸ばしてまっすぐ前方に踏みだすことを意識して下さい。歩き方に特に問題がない場合は、×脚(足を揃えて立った状態で膝ではなく内くるぶしが離れた状態)である可能性があります。×脚の場合はインソールを入れて靴の内側などを高くする方法もあります。医師や専門家と相談してみて下さい

●外側が極端に減っている→「ノシノシがに股タイプ」
(NG!)このままの歩き方では、筋肉が疲れやすく、腰痛になることがあります。
(ポイント)かかとから着地し、つま先で蹴り出すことを意識して下さい。歩き方に問題がない場合は、O脚(足のつま先・内くるぶしをつけた状態で立ち、膝の内側に指が2本以上はいる場合)であることが原因の可能性があります。O脚の場合はインソールを入れて靴の内側などを高くする方法もあります。医師や専門家と相談してみて下さい

さて貴方は何型でしょうか?私は「しっとり内股タイプ」だと思います。子供の頃、ゲタを履くと決まって内側だけが異様に減り歩きにくく子供の智を絞り出して左右を反対に履き替えるのですが一度減ったゲタは歩きにくくて、かと言って新しいゲタを買ってもらえずでした。ゴム草履(ご存知ですか)も内側が、ちびてくるのです。ショウウインドーなどを利用して、絶えず歩き方をチェックするようにしています。


[1226] 【1242回ポカポカ陽気のウイークデー】 2007-01-18 (Thu)

今日は「京都初詣ウイーク」稲荷駅からの出発です。ポカポカ陽気できっと賑わっていたことでしょう「こいつは春から縁起がいいや〜!」

今日は此花区自衛消防の出初め式です。昨日の雨でグランドは少々ぬかるんでいますが比較的暖かで風も凪ぎ、グランド内に車も入れられて助かりました。(最初は隊員を送ったら会社まで車を停めに帰れとの発言に姫が噛みつき対処してもらった経緯あり。だって戻ってみたら式典終了してたなんてことあるよね。やれば出来るじゃ〜ん)式典には此花区の名士が、そぞろ集まり、ヘリコプターが飛来し見学に来ていた幼稚園児達も大喜びです。テントの中でおりこうさんにしていますが「ご来賓挨拶」はながくて退屈ですよね。大阪市消防音楽隊の「ゴリエちゃんソング」が始まると園児達の顔が輝きました。かわいいお手々で拍手をしたり、歓声をあげたりと式典に花を添えてくれます。

出初め式に並ぶのは大企業の自衛消防車。訓練中に本物の火災が起きては大変ですから消防署所有の消防車は出動していません。企業での維持費が大変だろうなぁと思うのは私だけでしょうか。「一斉放水!」のかけ声でいよいよ放水となりました。例年は凍てつく様な寒空なのですが今日は隊員達も引率者達もとても助かります。

火災は自分自身が火元にならないという事が原則ですが隣同志にも声を掛け合って日頃から防災について危機感を持つことが大切だと痛感しました。「マッチ1本火事のもと」と昔から言われていましたがウオークにお出かけの時には「ストーブは消したか」「コタツのスイッチは切ったか」「エアコンは切ったか」「ガスの元栓切ったか」と声に出して確認する習慣をつけましょう。お二人で手掛けるときは一人が声を出し、一人が点検者となる工夫をしてから安心してお出かけ下さい。私の隣の独り暮らしのおばあちゃんが住んでいたときは毎日、声掛けして、おかずの差し入れをして、出来ればスーパで「おかずの完成品」を買ってきて「チ〜ンするだけ」を勧めていました。

「親切に、おおきに」と言うてもらっていましたが「私の家を守るためだから気にしなくていいよ」と笑っておしゃべりをしたこともありました。あれから息子さんに引き取られて行き、となりの家は解体され新しい家が建ち、買い手を探しています。

追伸)
今日の幼稚園児を見ていて思い出したんですが、私の友人に
長女が4月から小学校に入学する子がいてるんです。ピンク色のランドセルを購入し長女がとても喜んで「ねぇねぇママ!このランドセル天使の羽根?」と尋ねたそうです。ママは「いいや〜悪魔の羽根やで〜」とこたえたそうです。次の日、幼稚園に行き園の先生に「私のランドセルは悪魔の羽根やって」と訴えたそうです。

6歳児にギャグは通じません。(やっぱ私の友人だけのことはあるわ〜)



[1225] 【1241回 12年前の今日】 2007-01-17 (Wed)

阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火)の午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生した直下型の大地震による災害でありました。6434人の犠牲者と今も復興住宅を何度も移転を余儀なくされ「震災から4回目の引っ越しです」と年賀状に書いてあった知人もいました。

翌日、神戸市中央区国香通りに住む社員の行方がわからなくなりました。いてもたってもおれず上司に「神戸に行かせてください!」と申し出ましたが危険が多すぎるということで許可がおりず「では知らなかったことにしてください。休暇を頂きます」とミニバイクに帰りのガソリンを積み、リュックにインスタントラーメン、パン、生理用品、水、カイロなど積めるだけ積み国道2号線を走りました。

昭和23年生まれの私は戦時中の焼け跡は知りませんが、さながら目の前の光景のようであったろうと思います。信号は消え、道路は陥没し、崩壊した建物や、煙の出ている今にも倒れそうな建物の横をすり抜け、芦屋辺りに来たとき「これは何じゃ!?」と叫びました。何と高速道路が落ちて目の前にセンターラインが見えるのです。神戸に着くと学校の校庭には死体が並びブルーシートで覆われていました。

何とか学校に避難している社員を捜し、荷物を渡そうとバイクに戻ると酔っ払いのおじさんが荷物を物色していました。「こんな一大事に酒なんか飲んでる場合か!」と一喝しましたが今振り返ると酒でも飲まないと悲しみを癒せなかったのかもしれません。悪いことをしました。

あれから12年、その社員も退職を迎え最後の日に1通の手紙をくれました。「いろいろお世話になりました」ではじまり「震災の時はありがとうございました。危ない中、神戸まできて頂いた事は、一生忘れません」と結んでいていました。

あの日のことは忘れません。忘れられません。忘れてはいけません


[1224] 【1240回 ヨイトマケの唄を聞いて】 2007-01-16 (Tue)

昨晩、ふと回したテレビのチャンネル、美輪明宏が6分間、生で歌う「ヨイトマケの唄」が聞けるチャンスに恵まれました。以前に聞いて鳥肌の立つような感動をおぼえたことを思い出しました。♪父ちゃんのためなら〜エンヤコラ♪で始まり最後は涙でグショグショになっていました。この唄は私の母の姿とダブリ悲しくて、切なくて、それでいて勇気の出る唄なんです。見てた方いらっしゃいますか?戦友にも教えて一緒に聞こうとメールをすれどもまだ10時というのに「夢の中」。カセットをだして録音すれども失敗。

地面の中から絞り出すような声で「今も聞こえる〜ヨイトマケのうた〜今も聞こえるあの子守歌〜工事現場の昼休み〜♪」天に届くようなうねりもあり、またまた鳥肌が立って眠れなくなりました。セピア色したアルバムを出して工事現場での記念写真をなつかしく見て久しぶりに母親のことを思い出しました。

私の母も同じ様に男の人に混じって道路工事の仕事をした時期がありました。単発仕事でその工事が終わると主婦に戻り、田植えの手伝いやら何かと現金収入を探して生計をたてていました。仕事先では幼かった私を現場監督さんに預け(よく預かってくれたものですよね。かわいかったからかしら?)採石した石をモッコに入れて天秤棒で前と後ろに担ぎ指定場所まで担いでいく、それを一日中繰り返すのです。このヨイトマケの唄には学校で「お前の母ちゃんは汚い!」といじめられる歌詞があるのですが私には幼すぎてその記憶はありません。それどころか現場監督さんに「白飯」をごちそうしていただいた良い思い出しかありません。母親のつらさを知るには幼すぎたのでしょう。

何とかこの唄をマスターしたいと思っています。そしていつか、どこかでご披露できるように練習したいと思います。幸いなことに10時に夢の中だった戦友が「ビデオ」を取っていたのです。


[1223] 【1239回 スノーシューの季節だなや・・・】 2007-01-15 (Mon)

「どの山と比べても良し、比良の山・・・」そんな意味があるのだろうか比良の山。琵琶湖の西にひろがる比良山系は魅力が山盛りだそうです。シャクナゲの春、万緑の夏、紅葉の秋、いまからは何と言っても「スノーシュー」の到来です。比良の最高峰である武奈ガ岳は、標高1214m。展望は360度。晴れた日は近江平野から木曽岳、白山まで望めると資料に書いてありました。

私がスノーシューの「とりこ」になったのは朽木村にソリ遊びに行ったときのことです。無料でカンジキを貸してくれる施設があり、姪っこ達と雪の山歩きを楽しみました。毎年朽木村にでかけてはカンジキや、ソリ遊びや、かまくら作りをして楽しみました。雪の上での「おでん」「ぜんざい」「カレー」と寒さも気になりません。かまくらを作って遊び終えた頃「帰りたくない〜」と泣いた子供達もいまでは中学2年生になりました。

それから後に「スノーシュー」なるものが流行してきて毎回2千円のレンタル料を払って利用していましたが装着部分が好ましくなくそのうちマイスノーシューが欲しくなりました。北八ヶ岳の高見石小屋(2300b)で買った携帯ストラップはいまも勲章のように携帯にくっついています。あの小屋で食べた一列300円の「つるし柿」もう一度たべたいよ〜。ストーブのそばで飲んだ「地酒」おいしかったよ〜

マイスノーシューがあればどこでも雪を見つけては楽しむことができます。大阪府歩け歩け協会からは「晴天の上高地」に行きましたよね。しかし今年は肋骨事故があり「見送りの三振」状態です。残念でたまりません。せめて温泉につかり傷を癒しながら待っていたい!雪情報を聞くたびに「朝起きたら日本中の雪が溶けていればいいのに」なんていじわるばあさん的な発想をしてニタリニタリとしている今日この頃でございます。ハイ。


[1222] 【1238回 総会の下見】 2007-01-14 (Sun)

胸の痛みが落ち着いた14日の日曜日、この怪我の前から約束をしていましたので「総会の下見」に出かけることにしました。総会会議場所は「リージョンセンター」です。具体的には後日お知らせと言うことで。

この地は私の実家です。姉の家に居候して狭い住宅の押入をベットにしていたほろ苦い思い出の地なんです。このリージョンセンターの設立には姉達地域の住民が住民のコミュニケーションを取るための場所として建設当時から、たずさわってきました。姪っ子の手作り結婚式も開設当初に挙行しました。2階の和室では義兄の還暦パーティとして借用したこともある懐かしい古巣です。「美智子!何しに来たんじゃ!」どこからか一刀水の声が聞こえてきそうです。

建物の前にある公園は私の息子が姉の家に訪れる度に遊んだ懐かしい場所です。甥っ子が空瓶に石灰をつめて遊んでいた時に爆発して怪我をした水道も昔のままでした。遊具もずいぶん減り「大人の憩い場」のようでした。それだけ子供が減ったんでしょうか。

せせらぎの遊歩道と改名していますが私が住んでいた時はドブ川で臭くて臭くてたまりませんでした。魚釣りの「ミジンコ」も沢山いて、アミを持参してよく取りにいきました。しかし今は透き通るような流れる川として生まれ変わっています。これも住民の血のにじみ出るような行政への働きかけがありました。

「そんな体で止めとけ!」と出かけにストツプがかかったんですが、懐かしい地であると言うことと、飛んだり、跳ねたりしなければ大丈夫だと自分自身に言い聞かせコースを歩きました。ポチには「ところどころ歩いただけ」と報告していますが、いずれここを読むとバレることでしょう(笑)

ということで総会場所は私が娘時代を過ごしたレモン味の様な青春の地です。会社を終え、お茶にお華に、和裁にと花嫁修業を積み、1日も早く居候生活から脱出しようとがむしゃらに生きていた時代のことがなつかしく思い出されて、胸の痛みも、さほど気にかかりませんでした。

(がむしゃらの結果がポチなんや・・・ショボン)


[1221] 【1237回 あ・うん】 2007-01-12 (Fri)

「あうん」
二人以上で何かひとつのことをする時、微妙なタイミングも多くを語らずピタリと決 まること、気持ちが一致している関係を「あうんの呼吸」と表現します。この「あうん」とはどういう意味なのでしょうか。皆様もご存じとは思いますが今日は詳しく掘り下げて見たいと思います。

辞書で「あうん」を引くと「阿吽」と書きます。口を開いて出す音(開声)と閉じて出す音(合声)の組み合わせにより、呼気と吸気という意味も持つのだそうです。五十音の最初の音の「あ」と五十音の最後の音の「ん」ということにもなります。神社の狛犬・獅子や寺の仁王像のコンビは、一方は口を開けた阿(像)で、もう一方は口を閉じた吽(像)となっています。これは阿と吽で万物の始まりから終わりまでを象徴したもの。つまり「あうんの呼吸」と言えば、最初から最後まで全てにおいて呼吸の合う、心の通じ合った関係というわけである。

一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は開いています。そして、向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の角があり口を閉じている。両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、1対で「獅子狛犬」と称するのが正しいとされている。昭和時代以降に作られた物は、左右共に角が無い物が多く、これらは本来は「獅子」と呼ぶべきものである。

ウオークで神社の立ち寄ることが多々ありますので、意識して「あうん」の狛犬を見物してみませんか。色々な素材(石材、木材)や表情も違うそうです。


[1220] 【1236回 子供が育つ魔法の言葉】 2007-01-11 (Thu)

●誉めてあげれば 子供は 明るい子に育つ
●愛してあげれば 子供は 人を愛することを学ぶ
●認めてあげれば 子供は 自分が好きになる
●見つめてあげれば 子供は 頑張り屋になる
●分かち合うことを教えれば 子供は 思いやりを学ぶ
●親が正直であれば 子供は 正直であることの大切さを知る
●子供に公平であれば 子供は 正義感のある子に育つ
●やさしく、思いやりを以て育てれば 子供は優しい子に育つ
●和気あいあいとした家庭で育てば 子供はこの世は いいところだと思えるようになる

以上は「子供が育つ魔法の言葉」という書物より抜粋引用させていただきました。死体を切り刻んだり、家庭という小さなハコの中で、おぞましい出来事が多すぎます。自分が子育ての時は一生懸命さだけは誰にも負けなかったと思っていますが30歳を越えた息子達に「子供の頃お母さんにもっと甘えたかったと言うてました」と嫁からそっと教えられショックを受けたこともありました。確かに「誉める」が足りなかったかな?檄を飛ばすことで子供が伸びるなら甘い顔せんとこなんて「若気の至り」だつたと思います。

私の母親としての未熟さはお姑さんが全てカバーしてくれました。だから非行に走らずに真っ直ぐに育ったんだと天国に住むお姑さんに感謝の手を合わせます。どうぞ子育ての疲れたら、そこいらへんにいるオバチャンをつかまえて相談してほしいと思います。大阪のおばちゃんて誰でもやさしいよ。何かいい智恵を貸してくれますよ。感情にまかせて児童虐待なんてしないでほしいです。再婚するのに子供が邪魔ならば再婚しないで母親業に専念してよ。子供が独立してからでも素敵な出会いがありますよ。

誰に言うでもないのですが新聞見てたら、いつの間にか大阪のオバチャンに変身してました


[1219] 【1235回 宵えべっさん】 2007-01-09 (Tue)

♪着てゆく服が まだ決まらない〜いらだたしさに 唇かんで〜私ほんのり 涙ぐむ♪
これは私のおハコの「夢一夜」の一節ですがコルセットを巻いたおかげで着てゆく服が決まらないのです。ジャージにすっか〜!今日は外注先との互礼会の大事な日。休むわけに行かないので何とかダブついた服を引っ張りだして着ました。

ご心配かけておりますが右の腕の付け根あたりを動かさなければ日常生活に支障はきたしておりません。まことにドジなことて相済みません。しかし怪我をしてみると人の温もりを感じます。決して強がりではなく健康な時には気が付かない「相手の立場に立つ」ことも大事だと痛感しております。朽木あたりはもう雪景色と聞きました。

    く〜や〜し〜い!

年末にスノーシューと、ソリを一番出やすい所に入れ替、いつお呼びがかかってもOKの様に準備したばかりだと言うのにこの有様です。大阪府歩け歩け協会は今年はスノーシューはお休みと言うことで計画表に載っていません。「毎年スノーウオークあるから!」とマイスノーシューの購入を勧めてごめんなさいね。まもなく雪便りが届くと思います。早く肋骨を元通りにしてソリ担いで出かけたいなぁ。

雪の中へは単独で行かないでくださいね。つい昨日も山スキーを楽しんでいたご夫婦が道に迷い自力で脱出されたニュースが報道されていました。雪の中では方向を見失います。私が北海道の大雪山に行ったときの事です。尿意に誘われグループから離れました。用を済ませて進もうとしたのですが方向が全くわかりません。1メートル先、いいえ50センチ先が見えないのです。「お〜い、お〜い」と声のする方へ軌道修正しましたがおっかなかったです。折りたたみ傘を利用するといいとのアドバイスですよ。

今夜は宵えべすですね。えべっさんに行って「豆板」買おうと張り切っていたのになぁ。豆板ちゅうたかて白い豆やら、青い豆が混ざっているのはあかん。黒い豆だけを選別して売ってくれるお店をさがさんといかんよ。これもまた楽しいですよ。


[1218] 【1234回 環状線一周ウオークを終えてパートU】 2007-01-08 (Mon)

(パートU)町の人との出会い
環状線ウオークで午後の立ち番のスタツフの中に体調不良の人が出ました。寒空に気の毒だと言うことになり眼鏡ライダーさんと私が交代することになりました。天満駅と大阪駅の中間地点で信号のない交差点です。車の量が以外に多く2人で両方の車を止めるのに苦労しました。人の流れの切れた頃老婆が私に歩み寄り「白いご飯が買いたい。どこに売っていますか」と尋ねられました。と、聞かれても私も知らない土地です。しかしこの老婆の様子がおかしいのです。どうもアルツハイマー症を患っているようです。

眼鏡ライダーさんには「職場放棄だ」と笑われましたが、老婆と一緒に「白いご飯」を買いに行きました。帰る家がわからないと言うので私と出会った場所まで見送りました。もしもあの老婆が自分の母親であったらと思うと気になって放っておけませんでした。

同じ場所でのできごとです。近くに駐車場があり満杯の車が停まっています。おまわりさんが車に何か貼り付けて車の番号を手帳に書き留めています。駐車場で駐車違反・・?また気になり始めました。そりゃあ動物園にイノシシのおっぱいの数を聞くために電話をする姫ですから、目の前のおまわりさんを見逃すはずがありません。「ちょっとー!何していらっしゃるですか?」何と民間人が警察官に職務質問です。「車上ねらいに注意と言うシールを貼っているのです。車の番号は自分の本日の職務日誌に書き込むのです」ときちんと答えてくれました。若いおまわりさんの地道な職務の様です。ごくろうさん。

そんな、こんなで、立ち番のスタツフは大変だと思いますが、こうして町の人達と、また町の風景を楽しむこともできます。通り過ぎる参加者の人達とも親しくお話することが出来ます。そう思うと寒さもあまり気にならない助っ人立ち番でした。

(おまけ)

出発式の時、忘れ物の手袋、ゼッケン等があり、より多くの皆様に掲示しなければと思い、勢いあまってお立ち台の「空中」を踏み外してしまいました。落ちたのではなくて思い切り踏み外したのです。その時は出発式を無事終わらせなくてはという思いから痛みに耐えて最後まで全うしました。その後のスタツフとしての仕事も最後まで成し遂げました。張りつめていた気持ちが終わった途端に、息苦しくなり自宅近くの救急病院の診察をうけた結果「肋骨の骨折」が判明されコルセットを巻かれて2〜3週間は静かにするように言い渡されました。太い胴体がまた太くなりショックです「先生!寝る時息苦しいのでコルセットはずしていいですか?」と聞くと「入浴以外は付けっぱなし」といわれてしまいました。骨折は59年生きてきて始めてのこと故にショックを受けて落ち込んでいます。ハイ。


[1217] 【1233回 環状線一周ウオークを終えてパートT】 2007-01-08 (Mon)

(パートT)
大阪府歩け歩け協会の大イベントである「環状線一周ウオーク」は皆様のご参加のご協力を終えて無事終了致しました。スタッフ一同心より感謝申し上げております。念には念をいれて何度も何度も打ち合わせをしても、皆様からご指摘頂くことは沢山ございます。「次回への成功」という謙虚な気持ちでお気付きの点がございましたら、事務所あるいは「ウオーカー広場」へのご投稿をお願い申し上げます。

朝6時、自宅を出る時の強風に「あ〜あ今日の参加者は少ないだろうなぁ」と足取りも重く集合場所に行きました。ビル風に落ち葉が渦を巻き、さながらミニ台風の様な天候でした。7時からスタツフの準備が始まり8時の受付時刻には、続々と参加者の皆様が集まってこられます。スカイビルのご好意で受け付け、待合い等、すべてビルの中でOKが出てありがたかったです。過去の受付は「大阪城からでないと環状線一周ウオークにふさわしくない」と頑なに大阪城を利用していましたが、今から思いますと昨日の様な悪天候であれば凍えてしまいます。「スカイビル様様」であります。

参加人数1400人を数えました。勿論スタツフも含む数字でございます。9時の出発式には雪が舞い、風が吹き我々ウオーカーの心意気を試されている気が致しました。「ストレッチをはじめま〜す。広場に集合してくださ〜い」大阪体育大学の生徒さん達が雪の中で戸惑っています。どうしたのかと尋ねると広場には誰もいません。寒さのために受付の西棟から東棟に移動しただけでした。「大丈夫。皆さんがストレツチ始めると集まってくれるから。サァ始めて!」そう背中を押して♪あんたがたどこさ〜肥後さ〜♪とストレツチが始まると、自分たちだけ雪を避けている場合ではないと感じて下さったのか広場に集合して下さいました。

開会宣言、来賓挨拶、会長挨拶、注意事項、コース説明、檄と寒空ではありましたが出発式を滞りなく終了することができました。いざ出発です。★ところがここで大アクシデント★(このことは後で述べます)

福島の歩道橋までは団体歩行のため例年のように出発式を待たずして歩きはじめた人達は少なかったようです。広報車は眼鏡ライダーさんの協力で「バイク」です。寒さは皆様と共有です。時々エンジンをとめて、また西九条側の隧道では誘導スタッフに早変わりしてアンカーまで待ちました。昼の四天王寺でのお出迎え隊、午後のスタツフとの交代と、ライダー号は小回りよく働き、ついにはゴールでのお迎え隊となりました。「寒さ共有」これが今回の私のテーマ故にビルの外で出迎えます。皆様は頬を赤く染め完歩の満足感でキラキラと輝いていました。「おつかれさま」「歩けると思っていなかった」とそれぞれの感想を述べて下さいました。ビルの中では大阪体育学OBの皆様と現役の生徒さん達による「拍手お出迎え隊」が待ち受けています。感動の一瞬です。

大阪府歩け歩け協会は今年も元気に皆様と歩きます。どうか無理のない、楽しいウオークをお願いします。予定表に沿ってカレンダーに「大歩協参加」とご記入いただき、またお目にかかれることをスタツフ一同お待ち致しております。ありがとうございました。





[1216] 【1232回 正月名物福袋】 2007-01-06 (Sat)

キタと呼ばれる大阪の玄関口梅田には大丸、阪急、阪神の3デパートがしのぎを削っています。この3つのデパートで1万円の福袋の中身で競って並んで、もみくちゃにされて、(いいえ行ったんとちゃいます。テレビで見物しただけです。)中味に何が入っているかわからない買い物は私は苦手です。衝動買いの福袋の中身は私には向きません。サイズが合わなかったり、色が好みでなかったりと考えると手が出ません。

しかし毎年命をかけて何十万円も買い物をされる主婦もいます。福袋以外は1年間デパートには行かないそうです。今着用している服も靴も去年の福袋でゲットしましたとインタビューに応えていた人がいました。

●トラのマークのデパート編
大阪にしかない独特の特徴が赤い袋。これって大阪のオバハン対策?チャック式になってて中を開けて見れるようになってる。福袋って上をテープとかで止めてて中は見れないようになってるのが普通ですが、大阪のオバハンは中を見ようと上のテープを破ってまう。テープが破れて見栄えが悪くなる心配なし。店側も開きなおってて店員も「中を見てお買い求めください」とか言ってるし、さらには中から取り出して鏡の前で試着までしてるオバハンも。福袋の中を試着してから買えるのはこのデパートだけかも。「福袋て何が入ってるか分からんから」と私の様に躊躇する人にはいいかも知れません。何が入っているかわからんからいい。と言う方にお叱りを受けそうですね。どこが得か損かって話になりますが、ブランドも知らんし(笑)。だいたい服もあんまり買わない方(サイズ変更が激しいので)ですから興味薄です。但し、登山用品を扱う店の福袋なら行くかも知れませんが、並んでまでは行きません。(どっちやねんナ!)

開店2時間前から並んで、シャッターが開くと走り出して、我先に商品をワシづかみし、持ちきれなくなると店員さんに「ダンポール頂戴!」とせがみカートをひこずり満足げに帰る後ろ姿を見ると福袋は買ってみたい気がしますが、さすがの私でも、あそこまでたくましく立ち振る舞いはできません。ロックガーデンで岩登りしている方が、お金もかからんし健康にも良いしで一石二鳥です。


[1215] 【1231回 今年の干支イノシシのおっぱい】 2007-01-05 (Fri)

「いのししのオッパイ」
今年の干支はイノシシと言うことで少しイノシシについてお話したいと思います。まず「サスケとうららのテクテク日記」を拝読して、天王寺動物園に電話をしました。
「何と言うて?」ですって?「イノシシのメスの乳房は何個ですか」って聞いたんですね(笑)「一度に5〜6頭の子供を産みますので、それ以上あると思いますがちょっと待って下さいネ」と調べてくれました。答えは「8〜12個」あるそうです。種類によって外国産等によって違うそうです。猫のおっぱいも種類によって違うそうです。

イノシシは夏の終わりと合わせて2回お産をします。 一度に3〜5頭の子が生まれ、体表に茶と黄の瓜の種のような縦縞様があるところから「うり坊」と呼ばれ、3〜4ヵ月すると牙が大きくなって母猪の乳房を傷つける頃まで母猪の後をついて回るそうです。芦屋ロックガーデンでよく目にするイノシシもいつもお母さんに寄り添っているウリ坊を見ることができます。

今年は亥年ということもあって年末から年始にかけて天王寺動物園に猪やイノブタの取材や見学に見えられる人が多いらしいですがオッパイの数を質問されたのは初めてだと笑って答えてくれました。イノシシは、猪突猛進・猪武者・西遊記の猪八戒等々、マイナスイメージの形容が付きまとうことが多いようです。でも現実の猪はなかなかどうして、注意深く智恵のある動物で十二支の「とり」として数えられるものも当然かなと思われます。

このようにして、子孫の繁栄を図っているイノシシも人間様の手にかかると、毎年11月からの猟期ともなれば最大の目標とされ鉄砲の的となり、敢えなく牡丹鍋にされてしまいます。牡丹鍋は冬の名物で山合いの旅館などでの売りものですが、山で射ってきた猪はなかなか美味しいものに出合うことができません。 肉としていちばん美味しいのは鶏でも豚でも牛でもおよそ性成熟が完全になった頃の日齢といわれています。鶏ではうたい初め産み初めと言われていますが、私はもう少し年齢の進んだ頃の方が美味しいのではないかと感じています。

★あ〜あ丹波篠山〜ボタン鍋が恋しいよ〜★


[1214] 【1230回 新年あけましておめでとうございます】 2007-01-04 (Thu)

皆様!新年あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

今年の大厄は男性女性ともに「昭和22年生まれ」の方です。厄年とは人間の一生のうち苦しみとか、災いなどの厄難に遭遇する恐れの多い年のことを言います。厄年になると肉体的、精神的、社会的になんらかの異変が起こり、ただ単純に迷信として片づけられないものがあります。人生精一杯生き抜くことは結構なことですが、電車にも駅があるように、時々立ち止まり、人生を振り返り、反省感謝と次へ進むべき方向を余裕があってもいいのではないでしょうか。
「厄年は人生の充電期間」とお考えいただけたらと思います。

多くの仲間に厄を分散して取ってもらい、ご本人に災いがふりかからぬようにこの1年を乗り切りましょう。この大厄を乗り切れば生涯大厄は巡ってこないでしょう

正月3ケ日が厳粛に多忙に過ぎて明日からは初出勤となります。今日は正月に鈍った体に気合いを入れるため、一人で「地獄谷」に出向きました。うららちゃんとサスケ先生と合流出来るかも知れないと言う期待を持ちながら「地獄谷」8時30分にスタートしました。小便小僧9時00分通過、ジョン蜂刺されの場所9時10分、ここで少々休憩です。人っ子ひとり出会いません。キャッスルウオールの端っこを登りと下りの練習を3往復ほど致しました。足を滑らせたら大変と言う不安に常にさらされながら神経を集中させて真剣に取り組みました。

頂上に出て奥高座の滝方面への道をとり食事もせずに正午には滝の茶屋に戻り着いていました。地獄谷は何度訪れてもおもしろいコースです。今年の干支のイノシシが登山道に2匹出迎えてくれました。出迎えてくれたと言っても、ひとりだと怖くて怖くて刺激をしないように、目を合わさぬ様にその場を去りました。


[1213] 【1229回 ことし1年の書き納め】 2006-12-28 (Thu)

「1年を振り返って」
皆様のご協力を得て、大阪府歩け歩け協会は大きな事故もなく納会を以て全ての行事を終了させていただきました。その後も2007年の環状線ウオークの下見、事務所では準備のために毎日スタッフが出て作業をしています。すでに2007年がスタートしたと言っても過言ではありません。

参加者の皆様のそれぞれに思い出のウオークはあったかと思います。例会、悠々、ウイークデー、バスウオーク等々、人と人の出会い、自然とのふれあい、スタッフのご苦労もあったと思います。下見を入れますと例会回数の倍を歩いていることになります。私は仕事がありますので下見には行くことが出来ませんが下見スタツフには本当に頭の下がる思いです。

お昼の歌も沢山歌いましたね。季節の歌、懐かしい歌、ご協力頂きありがとうございました。時々「王将」「壷坂情話」などご当地ソングの演歌も交えましたっけ。皆様の中で、「去年は楽々歩けたのに今年はしんどかった〜。」その反対に「去年はフーフー言いながら歩いたけど今年は余裕に歩けたわ〜」と言う方もいらっしゃると思います。基本は「無理をしない」ことです。無理をしないことが楽しいウオークを持続することができるのです。「無理せず途中で中止」将来は加齢に向かうため「リタイヤ」も選択のひとつに入れておいて下さい。

私の中の思い出は何と言っても「白馬岳登山」です。会議に使用した石井スポーツの壁に貼られた白馬岳のポスターを眺め、いつか登りたいと思い続けて2年、トレーニングを重ね、やっと希望が叶いました。アクシデントもありましたが、それもひっくるめての「白馬岳の思い出」なんです。SOSを求めたとき、「よっしゃ!」の力強い応援隊を参加者の中から見つけた時は涙が出るほどうれしかったです。高山植物も、雪渓も山小屋も生涯忘れることはないでしょう。感動をありがとう。

そんなこんなではありますが「姫のおうち」のご愛読もありがとうございました。他愛もない書き込みではありますが皆様の温かいご支援を得て来年も書き続ける所存でございます。ありがとう。ありがとう。心から感謝申し上げます。どうぞみなさまお揃いで輝かしい新年をお迎えくださいませ。

本日が仕事納めということで2006年の「姫のおうち」をおひらきとさせて頂きます。では来春1月5日が仕事始め「初書き込み」と言うことで、ごきげんよう〜


[1212] 【1228回 私は弥生系】 2006-12-26 (Tue)

「弥生系?何のこっちゃ?」そう思われる方はサスケとうららのテクテク日記を読んでみて下さい。耳あかの種類分けをしています。ジクジク型は縄文系、カサカサ型は弥生系とおもしろい分類をされています。さてさて皆様は何系ですかな?じつは私も毎日耳あかを掃除しないと気の済まない性格で耳掻きが必需品なのです。

姪と甥が小さいころ私の家にお泊まりをしていました。(3人)家につくと3人の耳あかを掃除するのが楽しみで楽しみで、あまり耳あかをためていないときはガッカリするのです。ゴソッととれた時の気持ちの良いこと!(変な趣味でしょ)子供達も観念してお泊まりに来るとすぐ膝枕をして耳あか掃除をさせてくれます。それからでないと遊ばせてもらえないからです。どの子も弥生系でした。では自分の孫にもするかと言うと、いえいえ恐ろしくてできません。暴れられて鼓膜でも突き刺したらと思うのとね。昔は若かったし目も良かったんですが今は老眼で、それに嫁がそんな危ないことさせてくれるはずがありません。

ほらほら、耳がムズムズしてきました。会社の机の中にも2本愛用の耳かきが入っているのですよ。でも爪楊枝でほじくったことはありません。

縄文系の皆様!綿棒は耳の中に蓄積しますよ。充分に注意して下さいね。私は冗談で「目は悪いが耳は聖徳太子や」とよく話をすることがあります。得意先と電話で話をしていても隣で間違った回答をして居るときは自分の電話を中断して訂正します。

聴力検査の時も「本当にこの音が聞こえるのですか?」と疑われることがあります。キーンというかすかな金属音もちゃ〜んと聞こえるのです。私の周りでヒソヒソ話しは通用しませんよ。毎日耳あかを掃除しているおかげでしょうか何でも聞こえる地獄耳なんですよ。


[1211] 【1227回 環状線一周ウオークの下見】 2006-12-25 (Mon)

来春の1月7日に実施される環状線一周ウオークの下見に参加しました。下見はほとんど平日に行われるために参加できないのですが、たってのお願いを聞き入れて頂き、日頃参加することの出来ない我々も下見に参加することができました。

過去の環状線一周ウオークと違って今回は逆周りとなっており、風景が全然違って新鮮です。いままでは通天閣を背中に背負い歩いていましたが、今回は大阪のシンボルの通天閣が迫り来る感じです。出発式を待たずにドンドコドンドコ行く人もいることから途中まではミステリアスなコースもあり、なかなかおもしろく感じてもらえるのではないでしょうか。都島区役所前の名物「寒桜」は今が満開です。1月7日まで待っててくれるでしょうか。

商店街のトラブルを避けるため回避した場所や誘導スタッフの立ち位置などを念入りに打ち合わせながら午後5時すぎにはスカイビルに戻り着きました。スカイビルの広場はクリスマス一色に変身しにぎやかでしたが我々の年代のおじさんおばさんには無用のイベントの様です。

♪真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜いつもみんなの笑い者〜♪と大声で歌ってみても雑踏の方がボリュームが大きくて盛り上がりに欠けました。義兄が生きていた頃クリスマスパーティをしようと持ちかけたら「ワシは日本人じゃ。仏教じゃ」と訳のわからぬ事を言っていたことが懐かしく思い出されたクリスマスイヴでした。


[1210] 【1226回 ポチの還暦パーティ朝から晩まで】 2006-12-23 (Sat)

ウオークの納会も終わり、今日は仲間達に「ポチの還暦パーティ」をしてもらえることになりました。ポチはうれしそうに尾をフリフリです。お昼はビール片手にタコ焼きと焼きそばをみんなでワイワイガヤガヤと言いながら自分たちで作り、ほおばりました。なかなかの味です。私が定年になったら「焼きそば&タコ焼き」の屋台でも出そうかと言いながら楽しいひとときを過ごしました。これは昼の部です。漫才で言うならば「前座」です。「本番」は夜の部なんですが今度はミナミの町へ移動して「カラオケレストラン」で3時間ぶっちぎりで「食べる」「歌う」「食べる」「踊る」を繰り返しました。

「あと10分で終了となりま〜す」とカラオケレストランのスタツフの予告電話があり、楽しい時間の経つのは早く「1本締め」で名残惜しくもおひらきと致しました。まんべんなくみんなで歌うことができて有意義な時間だったと満足しています。元気印の私でも「元気が無いとき」、「仕事がハードで書き込みが出来ない時」メールで励ましてもらいながら無事乗り切れました。仲間とはうれしくて、ありがたいものです。また別の戦友とは来年はもっと密に行動が共に出来るように離れた心がもとに戻れるようにと1年を振り返りました。

おかげさまで良い新年が迎えられそうです。

それにしてもカラオケレストラン1時間の延長料金をとりながらきちんと時間で終わっているはずなのに「0.5H」割り増しがついているのは解せない話です。月曜日に決着をつけなければ・・・・・


[1209] 【1225回 西紀サービスエリアのご馳走】 2006-12-21 (Thu)

急遽、氷上工場へ出向く急用ができて昼食もとらずに12時丁度に会社を出ました。西紀のサービスエリアで1時でしたのでここで空腹を満たすために売店に立ち寄りました。左側はレストラン右側は休憩所のブースです。なにげなくレストランのウインドーを覗くと「平成16年度料理開発研究会最優秀賞受賞」のお弁当が目にとまりました。おしながきは
●野生の猪肉(備長炭炭火焼き)
●百日地鶏の照り焼き
●ワカサギの南蛮漬け
●市島桜卵と桜エビの彩り焼き(市島は地名)
●今田のこだわり揚げの稲荷仕立
●干しえびと春菊のサクサク揚げ
●丹波篠山黒豆コロッケ
●栗のロースト、菊花蕪
●柿、黒豆笹麸
●福住 幻の銀シャリ(福住は地名)
●丹波篠山地豆腐
●柚子釜仕立てムース詰め黒豆餡仕立て

以上942カロリーのメニューです。「能書きはエエからなんぼや?」よう聞いてくれました。これで消費税入れて千円です。一人でレストランなんて滅多に利用しないのですが幻の銀シャリの暖かくて美味しかったこと・・・

大阪から福知山方面に向かってのサービスエリアです。反対側にもあるかどうかわかりませんがお近くに行かれた時はぜひ、ご賞味ください。コウノトリウオークで利用しているはずですが「おしっこタイム」だけでは利用できませんね。ヤナギゴオリ弁当に入り、おしながきまで添えてありおいしかったです。

ヤナギゴオリ弁当と言えば、母が土方の人夫として男の人達に混じり働いていたことがありました。唯一の現金収入で道路の修理などの仕事です。現場監督さんが大きなヤナギゴオリ弁当に銀シャリをフタが閉まらないほどにいれて持ってきていました。幼稚園前でしたので母のそばで時間を費やすのですが、その監督さんの銀シャリがうらやましくてたまりません。(三食麦飯時代)視線を感じたのか、監督さんがフタの方に銀シャリをいれて「ホラっ」と差し出してくれました。あのときと同じ味で思い出しても涙が出て来そうです。その監督さんと撮った防空ずきんをかぶっている写真がいまではセピア色になってはいますが私の大切な宝物です。(防空頭巾は防寒用です!)


[1208] 【1224回 アッチャーッ!】 2006-12-19 (Tue)

今夜は会社の人のお通夜があり(最近多いでしょ)東大阪の荒本まで車で行くことにしました。阪神高速の長田までは義兄一刀水の家がある場所ですので目をつむっていてもわかります。荒本は「長田」と「中野」の中間にあると教えてもらいました。よっしゃ!

阪神高速の本田まで行くと何と赤いバッテン印が見えます。片方がしまっている時はありますが両方とも通行止めは初めての体験です。一般道路を走って荒本まで行ける自信はありません。こんな時に限って〜と一人でブツブツ言いながら流れに逆らわずに本町あたりまで走りました。この道は森ノ宮の国立がんセンターへ毎日通った馴染みの道です。「森ノ宮」から阪神高速に乗ることにしました。

無事、東大阪線に乗ることができました。もうしめたものです。7時からの通夜に何とか間に合いそうです。長田を過ぎてまっすぐと思いこんでいたら左に大きく「近畿自動車道」と書いてあります。これに乗ったらあかん言うてたなぁと思ってみたものの「近畿自動車道、東大阪荒本」と同じ方向に矢印が出ています。

イチがバチか左に大きく反った登りの道へハンドルを切りました。それでよかったんです。7時からの通夜にも間に合い明日の告別式にも余裕で行く自信がつきました。喪主の短い挨拶ではありましたが「母は子供達にも、お友達にも誰にもサヨウナラを言わずに逝ってしまいました」と突然死を悲しむ挨拶が涙を誘いました。

私のミニカーにカーナビは似合いませんが、あると便利だろうと帰り道ひとりでまたブツブツ。

それにしても今年の「喪中ハガキ」の多いこと。何十枚も舞い込んできています。びっくりです。今夜の通夜で遺影を見て思ったんですが、自分の一番良い時の顔を遺影用に、生きているときから決めておきたいと痛切に感じました。小さな写真を無理矢理引き伸ばしたら粒子も粗く死後に飾るにはふさわしくありません。皆さん!お気に入りの服を身にまとい、薄化粧をし、背景の良いところへ行き記念撮影しませんか?考えておいてくださいね。


[1207] 【1223回 無事納会ウオークを終えて】 2006-12-18 (Mon)

昨日と、うってかわって今日は冷えること冷えること!思わず肩をすくめてブルブルッと震えてしまいました。平成18年度、大阪府歩け歩け協会の最後の行事であります「納会ウオーク」が12月17日無事終了致しました。ご参加いただきました皆様のおかげと感謝しております。(去年はH,17,12,18実施)は箕面駅前から道路が凍り、車がまるでスベリ台の上を滑るようでこわかった記憶があります。でも今年は暖冬で氷結の心配もなく、ウオーカーの方達も安心して歩けるのではないかと集合場所で待つことにしました。出店がボツボツ出始めた8時20分に到着、渋滞もなく自宅から40分ほどで到着です。会員さんの集いとあって受付業務もリラックス、まだ紅葉もあちこちに残っています。

出発時間の10時になりました。一部のスタッフは会場の設営準備のために見送隊となり、みなさまの出発を確認してから会場へいきました。看板の取り付け、皆様から頂いた善意のオークションの品々、マイクテスト、衣装の確認、弁当追加の折衝(当日の追加は大変です・・・・)そうこうしているうちに「滝に到着!」携帯に連絡が入りました。「早いなぁ」最終チェックを終えて入り口のお迎え隊の配置につき皆様をお迎えします。落ち葉のジュータンが敷かれ、滝には虹がかかりとても美しかったと!去年も滝にツララが張り美しかったと!歩かなかったことを残念に言って下さる声が多く聞かれました。

荷物を会場に置いて、まずはお風呂です。今年は凍てつく寒さはありませんが、温泉ですから入りたいですよね。でも体調の悪い人は無理をしないでください。オークションの品々に目をやり楽しんでいただいているうちに開宴時間となりました。プログラムに沿って会長挨拶、乾杯の発声、すぐに余興の時間がやってきました。

「待ってました旅芸人」の登場です。何度もやっていますので手っ甲脚絆の装着も早いです。アンコールもありなかなか賑やかです。「旅姿三人男」と「旅笠道中」を歌って頂きました。次ぎは金髪のメリーさん(?)の登場です。本当は「銀座カンカン娘」が歌いたかったのですが曲がないため急遽、別のうたに変更した模様です。おそろしいもので金髪のカツラをつけると「ハロー」とか「へいッベイビー」とか口からアドリブが出るのには本人も驚いていたようです。(笑)

時は金なりと申します。次ぎは救命救急の変更箇所を全員に説明し、いきなりではありましたがサスケ講師による「事例発表」をしていただきました。交通事故を目の当たりにして自らが心肺蘇生法をすべく現場に立ち合った話し(ウオーカー広場に投稿済み)をして頂きました。突然にもかかわらず快く引き受けていただいて感謝しています。

さあお次はオークションです。スタートの前にご婦人4〜5人に詰め寄られオークションの「ゆず」が欲しいので小分けしろと言うことで2個ずつにわけて出品しました。すぐ完売です。インスタントコーヒーやシャツやカバンや様々な品が競り落とされていきます。ハンマー係に「ハンマーを叩くのが私の時だけ遅い!」と黄色い声をあげる一幕もあり愉快な時間をすごすことができました。この売り上げは「総会」の時に使わせて頂くと副会長の説明がありましたね。

3時になり「カラオケ派」と「講習派」に分かれました。カラオケも盛り上がっている様子、講習も最初は廊下で行う予定でしたが、隣にりっぱな空き部屋があり私の独断で内緒で使わせて頂きました(ゴメン)人工呼吸2:心臓マッサージ30×5サイクルがいかに大変か体験して頂き、息の吹き込み、力の入れ具合を真剣に体験して頂き、みなさん汗だくで終了いたしました。

中締めの頃、講習が丁度中断したのでカラオケ会場に来てみましたら、ほとんどの会員さんが途中で帰ってしまわれていました。ど、ど、どうしたこっちゃ!来年の課題として最後に「お楽しみ抽選会」をすればみなさん最後まで残っていただけるかなと、うららちゃんの書き込みを参考にして研究したいと考えています。「当日の申し込みは弁当の手配ができません」これも書き添えておかねばと痛感した次第です。

最後に皆様と一緒に「替え歌」を歌おうとプログラムに歌詞を用意していましたのに、すっかり忘れていました(ゴメン)中締めの声「イヨーッ」の声が会場からまるで歌舞伎の世界、お能の世界から聞こえてきたようなハリのある声がとても印象的で無事納会の幕が引けたことに安堵しました。

蘇生人形2体、AED2個、三度笠に刀(銃刀法違反で呼び止められたらどうしょう)衣装ケースと沢山の荷物を積み込み家路につくのですがポチが酔っ払いのため帰りは私が運転するハメになりました。ゲートのところで駐車料金を払うのですが 朝 10時からの駐車のために利用料金が高額で何とか交渉をしなくてはと「私達ホラ荷物見て下さい、この荷物・・・上でイベントがあってね、何とか割引はないのかしら?」とやさしく言うと、利用したと言う領収書がいると言うのです。「今日は買い掛けにしているので支払っていません」と言うと「カ、カ、カイカケ?」意味不明のようです。理解できにくくするために言うたのですから・・・(計画犯)すったもんだ言うてるうちに後続車がつながり「はよーせんと後ろの車が怒ってくるでー。ほんなら支払うから1万円札で釣り頂戴!」と語気を強めると何と何とゲートがスーッとあいて「ごくろうさまでした」だって。最初からそうしてくれれば良かったものを!!(エッ1万円札の持ち合わせはウソやろって?ハイ!)


[1206] 【1222回 ミニバイクのヘルメットを買いました】 2006-12-16 (Sat)

サスケ先生のバイク事故の話もあって、かねてより新調したかったヘルメットをやっと買いました。私は幼少の頃の貧しかった生活習慣からか「有る物は壊れてからしか買わない」性格のようです。人にケチと言われようが言われまいが「物を大切」にする習慣が肌にしみついているようです。この間から探し続けている赤い救急ポーチも「落としたんやでー。エエ加減買えば!」と呆れられていますが、ひょっとして以外なところから出て来るかも知れない。その時、新調していたら古い救急ポーチに申し訳ないと思いなかなか買えません。でもヘルメットだけは(賞味期間とは言わないか・・・有効期間かな)があり落下も時々させているので、思い切って買い換えました。本当はフルフェイスが安全上から一番いいのですが、あれは脱着、装着にやけに手間がかかりヘヤースタルも乱れる(それ以上乱れないってか)今のヘルメットは買い物に行くときにロックせずとも誰も盗んで行かないというシロモノです。ネンゴロに葬ってやろうと思います。

夕方、消防署へ出向き納会で使う「蘇生人形」を借りました。勿論AEDも借りました。今までの人形は全身人形でしたが、西消防署で見たのは上半身人形でした。私が興味を示していると「此花でもありますよ。半身人形と指定したらいい」とアドバイスをして暮れました。コンパクトだし講習をするときに手を置く位置が正しければ音がするんです。まあ明日のお楽しみということで。


[1205] 【1221回 サスケ先生のお手柄】 2006-12-15 (Fri)

小雨の降る中、サスケ先生が車で帰宅途中、前の車がバイクと衝突したお話が「テクテク日誌」に載っていました。私はバイクも車も利用しますので人事とは思えず何度も読み返しました。車をとめて、意識がなければ心肺蘇生法をするつもりで負傷者に接近されたそうです。意識の確認で負傷者に声をかけます。「痛い」と答えたそうです。意識ありで心臓マッサージの必要性はなくなりました。あとは負傷者の勇気づけと救急車到着までを負傷者のそばにいてあげたそうです。当事者の運転手が怪我の様子を聞かれている時、サスケ先生は「意識あり、出血なし、左手を負傷、ショックの模様」と大声で教えてあげたそうです。

サスケ先生は、医師という立場から、わかりきっていても、知り尽くしていても、いつも我々の救命救急講習にも関心を向け、白馬岳でも負傷者の診察をして頂いたりして心強く思っています。いまはロッククライマーとして華々しくデビューされましたが(キャッ!)、地獄谷でも「負傷者発見」をされています。今回のこの事故の場合、雨が降っていて自分と関係なければ、たいがいの人は他人事として「通過」します。「一歩足をふみだして下さい」といつもお願いしていますが、車を停めて、自分にできることはないかと立ち止まることも大切なことなのだと教えてもらいました。

「私は心肺蘇生できますよ」という意思表示をして頂くと、協力してもらいやすいと思います。特に雨の日のバイクは視界も悪くタイヤもスリップします。雨だとスピートも出ています。車と違い、体を全面危険にさらしています。車両と並列して信号待ちをする時は少し前のラインまで出てバイクの位置を車のドライバーに「ここにおるでー」と認識してもらうようにしています。私は教習所で習ったとおり、道路の左端しか走行しません。よく蛇行運転して車の隙間をぬって走るバイクがいますが「事故にあってもかまいません」と言ってるようなものです。そんな人達のために「バイクの奴はマナーが悪い」と言われてしまうのです。きちんと法規を守って走っているライダーもいます。しかし充分きをつけなければと思った次第です。

機会があれば二人で交互にする心肺蘇生法をみなさまにお伝えしたいと思います。


[1204] 【1220回 救急件数が増加しています】 2006-12-14 (Thu)

先日の心肺蘇生法の3時間の講習の間に西区管内で何度も火災の連絡や救急車の要請が入りました。講習会場の講堂の室内にもアナウンスが入り、受講しながら、救急車が本当に必要な人ばかりなのだろうかと考えさせられました。救急車が足りなくて管外からの出動になり到着が10分かかる場合もあるそうです。到着して「こんな軽症なら病院さえ知っていれば自家用車やタクシーで行けるのに」と思うケースも何度もあるそうです。本当に救急車を必要とする人のために使っていただくためには私達が考えを改めなければなりません。

大阪市では平成16年の救急件数が約20万件となっています。しかし、病院に搬送した方の60%以上が入院の必要のなかった軽症でその割合は年々増加しています。1分1秒を争う重症者を助けるために大阪市消防局ではみなさまのご協力を呼びかけています。大阪市消防局では、救急車をよぶほどでないが診てもらえる病院がわからない方のために救急病院の案内をしてくれるところがあります。24時間病院を案内しています

「6543−9999」です。

ここは大阪市救急情報サービスというところです。固定電話のそばにメモ書きしておいて下さい。私が子育て真っ盛りだった時のことです。長男が鼻に手を突っ込んでもがいています。最初は「鼻クソ」をほじっているのかと思っていたのですが長い時間同じ動作を続けていますので気になり始めました。遊んでいた周りをみるとミニのゴルフゲームが転がっています。母親の勘は鋭く、とっさにボールを鼻に突っ込んだことを察知しました。鼻血混じりになってきたので消防署へ電話をして「夜間診察してくれる耳鼻科」を教えてもらいたいと告げましたが耳鼻科や眼科の夜間はないと言われました。泣きさけぶ我が子を膝に寝かせ、耳かきでほじくり出しました。(ほじりだしたのではなく、ほじくり出したの表現がピッタリ)何と真っ赤に鼻血で染まったミニボール(枝豆くらい)が2個も出てきました。そのことがあってから長男はそのミニゲームで遊ばなくなりました。(笑)

今度は次男の話。ポチが網膜剥離を患ってから、いつも目薬をさす習慣があります。長男はその仕草をなにげなく見ていたと思います。鴻池新田の姉の家に行ったとき足踏みのミシンが珍しいのか兄弟でミシンの周りで遊んでいます。大人は話しに夢中になっていたその時次男の「ギャーッ!」と熱湯を浴びたような鳴き声で走り寄ると「あのね、マー君にパパと一緒のメグシュリをさしてあげたの」といいます。何と手にはミシン油を持っていました。すぐ洗面所へ行き流水で洗い昼間だったため近くの病院に走りましたが幸いにも目の中にはミシン油は入っていませんでした。冷静さを欠いていたら「救急車!」といずれの場合も呼んでいたかも知れません。


[1203] 【1219回 心肺蘇生法の講習を終えて思うこと】 2006-12-12 (Tue)

医療は日進月歩だといいますが心肺蘇生の講習も内容が大きく変更していたのには驚きました。納会で会員の皆様の講習をお手伝いするにあたり、予習をしておこうと此花消防署に講習会の有無を問い合わせましたら来年の3月までないと言うことでした。12/17まで時間がないので近くの消防署の予定を教えてもらい隣の西区消防署(四つ橋線四つ橋駅)で受講してきました。これでバッチリです。午後7時から10時までの3時間の講習でした。(本来の講習は3時間が基本)

明日レポートをまとめようと思いますが、2005年8月以前に受講された方はお近くの消防署の救命救急の講習会に行っておいた方がいいですよ。今までの感覚とは180度違います。変更箇所の詳しい内容は納会でお知らせ致します。

有効期間は残っていてもぜひ機会は自分でみつけて最新の知識と入れ替えてください。そしていくら自分が心肺蘇生が出来たとしても自分が倒れた時は誰かに心肺蘇生法を実施してもらわねばなりません。お友達をいっぱい巻き込んで講習会に行きましょう。そして自分が万が一蘇生法を受けなければならないとき周りに沢山の助けてくれる人がいる方が大変安心出来ると言うことです。

私もひとりでも多くの皆様に普及することで自分自身の自信につながります。消防署の方が「パーフェクトです。経験がありますか?」と尋ねられたんですが「ハイ救命普及員です」と言えば「なんやそれでそれくらいか!」と思われそうで初めての顔をして修了書をもらってきました。初心者にしてはまぁうまい方かな。ハハハ


[1202] 【1218回 焼き肉のタレで3週間?】 2006-12-12 (Tue)

我が町此花区の高見町に見事な黄色の銀杏のジュータンが延々と敷かれています。赤いジュータンならば国会へ通ずる道なんですがこの黄色いジュータンはいずこに通ずるのでしょうか。きっと「冬支度」へ通じているのではないでしょうか。

サンケイ新聞に六甲山でハイキング中に行方不明となった方が3週間ぶりに救出されたと記載されていました。持参していた焼き肉のタレと水で飢えをしのいでいたと言います。35歳と言う若さも命があった大きな原因です。これが60歳を過ぎていると「衰弱死」間違いなしです。私自身もいつか一人で地獄谷を歩いたことが無謀であったことを再認識しました。

しかし色々疑問点があり、お元気になられたらぜひ今後六甲を愛する登山者のために真相を話して頂けたらと思います。

1.14人で行ったのになぜ一人で下山したの?
2.救助を待ったとありますが残りの13人の仲間達よ!3週間って長すぎませんか?

生きていたから大事になりませんでしたが、14人でバーベキューを楽しんだのに何故一人で下山したのでしょうか、リーダーはそれをとめなかったのでしょうか、ここら辺をぜひ知りたいと思っています。私もグループで六甲山に入り、一人が道に迷った経験がありますがリーダーと二人で六甲山をかけずり回ったことがありました。すれ違う人ごとに服装や年のころを話し、みかけなかったか尋ねまわったことがあります。途中でイノシシに遭遇し、今は笑い話ですがイノシシにも尋ねてみましたよ。今回の「焼き肉のタレ遭難者」は携帯電話は雨に濡れて使えなかったとありますが電波状態が万全でない場合もあります。携帯電話は過信してはいけません。

幸いにも私の仲間は方位磁石を頼りに麓の茶店までたどりつき無事でした。原因は携帯電話で(電波状態良好箇所)話に夢中になり二差路にさしかかった時、別ルートに向いたのが仲間と分かれた原因でした。茶店で無事合流し、リーダーの雷を浴び仲間全員に「心配料」としてビールをご馳走になったことがあります。

どうぞ充分な装備(予備の食料、救急セット、笛、懐中電灯、方位磁石、カラビナ、シュリンゲ、赤いタオルなど目印になる布)あらゆることを想定して登山を楽しんでください。遭難された西宮の職員はいま歩行訓練をしながら職場復帰をめざしているそうです。民間会社だったら3週間も無断欠勤したらどうなるか・・・クワバラ、クワバラ


[1201] 【1217回 今日明日は会社の研修で留守します】 2006-12-08 (Fri)

今日と明日大阪の研修施設を利用して「宿泊研修」があるため書き込みお休みとなります。

御堂筋のイチョウ並木(雌木)が消える!?
そんな見出しの新聞に目がとまりました。我が町にも御堂筋ほどではありませんがイチョウ並木が美しく、ギンナンを拾う姿が「あ〜秋だね」と季節感がありました。靴の裏に踏んづけてトラブったこともありましたが腹立たしいことはありませんでした。

しかし市民に親しまれている「ギンナン落とし」も強烈な臭いが敬遠され、実のならない雄木に植え替えられつつあるといいます。ギンナンを踏んだ通行人や周辺の店舗から、においの苦情が絶えないのだそうです。たしかにくさい。しかし木を植え替えしなければならないほどの問題でしょうか。このままいけば将来は雌木はゼロになり、風情が無くなる日もそう遠くないのではありませんか?ギンナンの臭いもまた自然だと思いませんか?

いままで約400本あった雌木も1年に10本単位に植え替えが行われいまでは270本にまで減ったそうです。イチョウの雄雌は外観からはほとんど区別がなく市民はこのことに気付くことはないと言います。大阪市立自然史博物館の方は「ギンナンのにおいが嫌いだと言って雌木を取り除くのは、自然を楽しむ機会がうしなわれることになり、さびしい」と話しておられました。

人間も雄と雌があってこその調和がとれていると思います。誰が「臭い」という問題をとりあげて植え替えまでもっていったのか自然を愛する人達の声は聞かなかったのか知りたいですね。坂本スミ子の♪イチョウ並木の御堂筋は〜♪という歌がなつかしくてハミングしてしまいました。


[1200] 【1216回 家族の笑顔を作る家庭のまつり】 2006-12-07 (Thu)

「鏡開き」鏡餅は手か槌で開く  (シリーズ5 最終編)
鏡開きとは、鏡餅を吸い物や汁粉にして家族で頂く行事です。1月11日に行う地方が最も多く、歳神さまの宿られる鏡餅を手か槌で割り、縁起をかついで「開く」と言うことから鏡開きと言います。そのため「切る」に通じる刃物は用いません。

「小正月」どんど焼きの煙は歳神さまの旅立ちの印
小正月には各地方で「どんど焼き」をはじめ、さまざまな行事が行われています。どんど焼きは「左義長」「サイトー焼き」などともいい、1月15日を中心に行われるそうです。お正月の間飾っていた松飾りや注連飾り、書き初めなどを、神社の境内や広場に持ち寄ってお焚きあげする行事のことです。この「どんど焼き」の煙に乗って歳神さまがお帰りになると信じられています。

「お神札の受け方、納め方」
新年を迎えるにあたり、新しい伊勢の神宮のお神札(神宮大麻)や氏神さまのお神札をお受けして神棚にお祀りすることで、お力を新たにされた神さまから一層のご加護を授かることができます。1年間お祀りしてきた古いお神札は、感謝の気持ちをこめて、それぞれの神社(古神札納所)にお納めします。お神札やお守りを授かった神社が遠隔地であるなどのやむをえない事情がある場合には、併せて氏神様にお納めしてもよいでしょう。ただし1年間、ご加護をいただいたお神札やお守りですから、くれぐれも丁寧に扱うことが大切です。日々のお恵みに感謝し、家族みんなが清々しく幸福な生活を送れるように、お正月の期間だけでなく平素から神棚のお祀りをこころがけましょう

「家族の笑顔を作る家庭のまつり」
伝統的な「お正月」の行事について述べてきましたが日々の日本人の暮らしの中で守り伝えてきた「祈り」の姿があります。「節分」「節句」「お盆」など伝統的な行事の多くは神まつりを起源にしています。年中行事は家族の無事を神様に感謝し、一層のご加護を祈願する家庭のまつりです。季節ごとの家庭のまつりは、みんなの笑顔とともに家族一人ひとりの心に焼き付いてゆきます。子供達にとっては、かけがえのない想い出作りである素晴らしい「心の教育」にもなるのです親から子へと大切に受け継いできた家庭のまつりを、将来にわたって絶やすことなく変わらず守り続けていきたいものです。

              (シリーズはこれにて完結)


[1199] 【1215回 お正月を迎えるために】 2006-12-06 (Wed)

「初 詣」(シリーズ4)
「1年の計は元旦にあり」とよく言われますが、新しい年を迎えて旧年中のご加護に感謝し、これから1年、家族全員に幸多かれと神社にお参りすることを初詣と申します。私達の住む町や村には、そこに暮らす人々の氏子をお守り下さる氏神さまが祀られています。年があけて家族に「明けましておめでとう」と挨拶をするように、新年のご挨拶のために、ぜひお参りをしましょう。

「七草」邪気を祓う七草がゆ
1月7日は七草です。五節句のひとつである七草は「人日」「若菜の節」とも言われ、この日の朝、春の七草をいれた七草がゆをいただきます。これを食すると邪気が祓われ万病が除かれると伝えられてきました。春の七草は「1.せり、2.なずな、3ごぎょう(母子草)、4.はこべら(はこべ)、5、ほとけのざ(たびらこ)、6.すずな(かぶ)、7.すずしろ(大根)の七草の野草や野菜を言います。どれがどれかわからなくても大丈夫です「七草セット」なるものがちゃんとパックに入っています。ただどれが、はこべらで、どれがなずなかなと興味を持って頂くことは大切ではないでしょうか。

五節句と書きましたが
1.人日(じんじつ)の節句。(1月7日)
2.桃の節句(3月3日)
3.端午の節句 (5月5日)
4.七夕の節句 (7月7日)
5.重陽の節句 、 菊の節句(9月9日)
重陽の節句 は馴染みがないが、「九月九日は九という陽数が重なる(重陽)めでたい日として重んじた。この日には主に長寿を願う祓い事が催され、菊の花が邪気を払い長寿に効くと信じられていたので、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだそうです。
                 
                                        (明日につづく)


[1198] 【1214回 物忘れ症候群】 2006-12-05 (Tue)

私は子供の時から「忘れ物」はしたことがないと自負して生きて参りました。ところがまもなく還暦を迎える年頃になり、トーンと忘れ物が多く、しかも出てこないケースが多発しております。皆様はそんなご経験ございませんか?

★まだ症状の軽いケース
篠山バスウオークの時スパッツを持参しようとしてどこをさがしても見あたりません。山の小道具は決められたブースがあり使用済み後は必ずそこに収納していたハズなんです。でも見あたりません。連れ合いのおじさんが「最後はどこで使ったんや?」と聞きます。う〜ん。人がミスをした時はとても喜んで「今言わねばいつ言うねん!」と言うくらいたたみかけてきます。仕方がない新調すっか!と心の中ではそう思っていました。

ところが世にも不思議なことがあるのですが連れ合いのおじさんのリュックの中から出てきたんです。まさかの展開です。「なんでー?」私の中から被害者意識とやさしさ意識がふっ飛んでしまいました。まぁこの間、大バトルがありまして人の持ち物には触らないと言うことで決着がつきました。愛用の「姫」デザインのスパッツは無事持ち主に戻ってきて一件落着。

★そしてパート2
12/3の例会に行く朝になって気が付いてのですが赤いかわいい救急ポシェットが見あたりません。市販のものを改造して「姫」デザインをしてもらってお気に入りだったんです。11/23に岩山を登ったときは絶対にあったのです。なぜならば写真にオッパイよりも大きく胸にドカーンと装着されています。う〜ん。どんなに考えてみても11/23〜12/3の間にお出かけはしていませんので家の中でなくなったとしか考えられません。まてよ〜スパッツ事件のこともあるし、まともに聞くと「なんでワシが持っとるんじゃ!」と言うに決まっています。連れ合いのおじさんが出かけてからそっと部屋に忍び込み家捜ししましたがありません。一体どこへ行ったのでしょうか不思議でなりません。そう言えば、子供の頃母親が「便所の中で考えると忘れ物は出てくる」と言ったことを思い出し、トイレの中で長い時間考えましたが出てきません。お尻が風邪を引きそうなくらいでした。世にも不思議なことがあるものです。

★おまけのパート3
ポチが雨でドロドロになったスパッツをチャリ袋に入れてバスの中に忘れたことがありました。翌日バス会社へ電話したらゴミの袋に入って捨てる寸前で間に合ったことがありました。みなさまにもお伝えしておきたいと思います。バス会社は「エチケット袋」に入っている品物は持ち主にとって貴重品であっても乗務員は掃除の際に「ゴミ」と判断します。その日にゴミ回収予定日であったとしたら、(夜中に回収車がやって来るのだそうです)翌日忘れ物の連絡電話をしても「あとのまつり」となります。大切にビニール袋に仕舞うより裸のままで網ポケットにいれてる方が「うん?忘れ物かな?」とドライバーさんは思うのだそうです。忘れ物をしないにこした事はありませんがバス車内規定でチャリ袋の中は全てゴミだと判断されることを知っておきましょう。

だれか私の救急ポシェット知りませんか〜(知るはずないやろ!)


[1197] 【1213回 1年の計は元旦にあり】 2006-12-04 (Mon)

「元旦 1年の始まりは家族揃っての挨拶から」(シリーズ3)

元旦には家族揃って挨拶を交わし、おとそやおせち料理、お雑煮などをいただいて新年の訪れを寿ぎます。神棚や御霊舎に若水(元旦の朝早くに汲んで用いる水)とともに正月料理を添えて、神様やご先祖さまと一緒に家族全員で食するとともに、元旦の大切な行事のひとつです。

「さまざまな祈りが込められた正月料理」
お正月の料理には、それぞれに祈りが込められています。例えばおとそには山椒、桔梗などの薬草が含まれており、これをいただくことで1年の邪気が祓われ寿命を延ばすことが出来ると考えています。本来おせち料理とは、正月や節句に神様にお供えするご馳走のことをいいました。またお雑煮はお供え物のおさがりをごった煮にしていただいたのがはじまりだと言われています。

●黒豆やごまめ(田作り)は、くろぐろとまめに働き、田を作るとの縁起をかつぎます
●数の子には子孫繁栄の願いが込められています
●昆布巻きには”よろこぶ”という意味があります

「お年玉」歳神さまからの贈り物
古くは今日のようにお金ではなくて、丸いお餅をお年玉として贈ったそうです。私達の祖先は魂は丸い形をしていると考えていたので、年頭に子供達の健やかな成長を願い、健全な魂を身につけ鎮めさせるために、神前に供えた丸餅を贈る習慣が生まれたようです。今も昔も子供達が胸躍らせるお年玉ですが、まずは神棚にお供えして祈りをこめてから神前でひとりひとりに手渡しできるといいですね。

孫ができて感じるようになりましたが昔お年玉をもらうとすぐその場であけて中味を確認する子供がいました。また、もらっても平気でそこらここらに無頓着に置く子もいました。「躾がわる〜い」なんて思っていましたが、もうその子供達も春がきたら中学生になります。我が孫達が、よそ様に行き、そのようなことの無いように躾ておかなければなりません。2歳ですので「ありがとう」そう言ってパパかママに持っていかしたいですね。

                 (明日につづく)


[1196] 【1212回 歳神さまをお迎えするために】 2006-12-03 (Sun)

歳神さまをお迎えするために(シリーズ2)
歳の暮れになると、どこの家庭でも大掃除をし、お正月を迎える準備をします。大掃除の時には、神棚や御霊舎をきれいにし、御神札も新しくします。玄関に注連飾りや門松を飾るのは、そこが清浄な場所であることをしめすとともに、歳神さまが家にいらっしゃるときの目印とするためです。そして床の間には鏡餅を飾って歳神さまにお供えします。マンションなどでは「門松を飾る場所がない。床の間がない」と言う方も多いのではないでしょうか。こんなときは市販の正月飾りを用いたりタンスや飾り棚の上に鏡餅をお供えしてもいいでしょう。大切なのは、清々しい気持ちで迎春準備もを整えながら、真心を尽くして神様をお迎えするということだと思います。

「 門松、注連飾りは清浄をしめす歳神さまの目印です」
門松や注連飾りの飾り付けは年末に行いますが31日に飾るのは「一夜飾り」といって避ける地方が多く、30日までに準備を済ませる方が良いとされています。門松には、松の他に楢、柳、栗、樫、榊、竹なども使われるそうです。これは古来、神様は緑豊かな常緑樹に宿られると信じられてきたからだそうです。

「鏡餅は歳神さまの依り代(よりしろ)」
鏡餅は歳神さまがお宿りになる依り代でもあります。鏡餅の飾り付けは地方によって様々ですが、三方の上に半紙を置き、裏白とゆずり葉、昆布を置いて餅を重ね、一番上に橙を置きます。鏡餅の形は神鏡を型どったものともいわれています。餅を重ねるのは「年」を重ねるという意味からのようです。

(明日につづく)


[1195] 【1211回 お正月を迎えるこころがまえ】 2006-12-02 (Sat)

お正月を迎えるこころがまえ(シリーズ1)

「明けましておめでとうございます」年があけますと日本中がこの言葉に包まれます。そして「おめでとう」と挨拶されると、誰もが「おめでとう」と答えます。これはお正月だけに見られる光景です。お正月と言う時季が、私達の暮らしの中でどれほど特別な時であるのか、こうした習慣からも伺うことができます。

古くから日本人は、稲作を中心とした生活を営んできました。春に蒔かれたモミは若々しい苗となり、初夏の田植えを経て力強く成長し、秋には黄金色の稲穂をたわわに実らせます。そして冬になると米の一粒一粒に新しい命を貯えて、やがて巡り来る春を待つのです。私達の祖先は、いつしかこの流れを「歳」と呼ぶようになりました。お正月は単に一年という時の流れの始まりではなく、農事を始める前に、その年
が豊作でありますようにと神様に祈願し、すべてのものを育むお力を授かることを祝う大切な神まつりでありました。今日では本来の意味は忘れられがちですが、お正月は神様と人とを結びつけ、家庭の輪を生み出す大切な伝統行事のひとつなのです。

●お正月は歳神さまをお祀りする神事
「お正月がござった、どこまでござった、」というわらべ歌があります。この歌にはお正月の訪れをまだかまだかと指折り数えて待つ、心弾む思いがこめられています。いまでもお正月は、子供達にとって大きな楽しみのひとつでしょう。ここに出てくる「お正月さま」とは「歳神さま」のことで年の初めに家を訪れ、家族の幸福を授けてくださる神様です。歳神さまは稲の魂であるとともに、祖先の御霊とともに一体であるとの信仰があります。お正月にはご先祖さまが、私達に幸を授けに来て下さるという意味もあります。年末から正月にかけて行われるさまざまな行事は、すべてこの歳神さまをお迎えし、お祀りするためのものです

(明日につづく)


[1194] 【1210回 飲酒運転へ誘う「悪魔のささやき」】 2006-12-01 (Fri)

暖冬の師走にはいりました。忘年会も景気の精で省略、縮小の傾向が見受けられます。飲酒の取り締まりも強化される師走月であります。今日は「悪魔のささやき」に「NO」と言える自分でありますように本人も、まわりの人も、家族も注意しましょう。どこかの警察の様に上司が部下を居酒屋に誘い、部下が帰りに飲酒で捕まり、上司に迷惑のかかるのを恐れて「友人と飲んだ」と虚をつき、上司は「部下が車で来てるとは知らなかった」と言い、挙げ句の果てにこの部下は依願退職をしました。(新聞紙上からの情報)

@居酒屋は家のすぐそばだから乗って行っても大丈夫(距離の問題ではありません)
Aちょっと飲んだだけだから大丈夫 (少量のアルコールでも判断力は低下)
B自分は酒に強いから大丈夫(酔っていないと思うのは自分だけ)
C自宅周辺は足の便が悪いから (不便は理由になりません)
D警察の検問にかからなければいいから(事故は検問よりも恐ろしい)
E明日仕事で直行しなければならないから (ほな飲むな!得意先も迷惑)
F酒を飲み、ちょっと寝れば酔いも醒めるやろ (短時間で大量のアルコールは消えません)
Gみんな飲酒運転しているから、ほんなら私も (自分だけ「NO」と言おう)

これだけ悲惨な飲酒運転による事故が報道されているのに、他人事のようにいまだに飲酒運転をしている人がたえません。ウオーカーの皆様はりっぱな足をお持ちですので飲酒運転とは無縁であると思いますが家族の方に「12月に入ったので気を付けや!」と愛の警告をしてあげてください。奈良漬けで酔っぱらう人も検問にひっかかって「奈良漬けだから」と言っても0.15r以上あれば、りっぱな飲酒になりますよ。気をつけて下さいね


[1193] 【1209回 炭坑の町、メロンの町、夕張がいま大変だって】 2006-11-30 (Thu)

1960年代12万人もの人で賑わった炭坑の待ちが人工1万2千969人人まで減り日本一貧困の町といううれしくない話題でクローズアップされています。炭坑の閉鎖で何とか町の活性化をと夕張市が進めた計画が(遊園地、ロボツト科学館、豪華ホテル、メロン城、炭坑科学館等々)ことごとく失敗し360億円(360円置くんとちゃうよ)の大赤字で1世帯の負担額に換算すると1世帯540万円の借金を背負わされていることになります。失敗の原因は1年の半分は寒さのために営業にならず(そんなもん、最初から決まってるやろ)観光客を誘致出来なかったこと、施設に驚くほどの大金を投じ、必要以上の豪華な施設を作りすぎたこと、銀行の融資の方法も悪いと評論家は言っておられました。

市民へのしわ寄せ
@老人ホームの廃止(入居者47人はいずこへ?)
A保育園料が年間12万6千円の値上げ
B公衆トイレ(7ケ所)閉鎖
C市営プール閉鎖
D公衆浴場の閉鎖(家に風呂つくると20万の出費)
E市民会館閉鎖(映画を鑑賞できる唯一の施設)
F図書館、野球場の閉鎖
G老人パスの廃止(病院へ行くことも出来ない)
H学校の統廃合(小学校7→1、中学校4→1)

市民達は「ジジババに死ねと言うのか!」と怒りに体を震わせております。1万2千969人いる住民も、10年先には6千270人まで減ると予想されています。まだ余裕のある人は隣町へと引っ越ししていけますが、どうしても動けない事情の方達は取り残されてしまいます。これからやってくる寒さに耐えられるのでしょうか。いずれ夕張市はなくなるかも知れません。

私達は「夕張メロン」のイメージしかありませんでしたが大変なことになっていました。


[1192] 【1208回 いってらっしゃいは三つ指ついて】 2006-11-30 (Thu)

11月30日永年勤めた会社とも今日でお別れ。「今日が最後やなぁ行ってくるヨ」と出かけるポチに最初で最後の三つ指ついていってらっしゃいをしました。(この異変に玄関先でつまずいているでしょうキャハハ)帰ってきたらテーブルの上に「三行半」が載っているとも知らずに・・・

まあこれはテレビドラマの世界ですが、日頃けんかをしていても今日という節目の日は格別です。女性なら化粧をいつもより念入りにするでしょう。

明日からはもう12月です。12月の例会からは2007年の「年間予定表」を配布する予定です。どうぞみなさまご参加頂きまして、お手元に届きましたらまずカレンダーに予定を書き込んでください。「大歩協ウオーク」と書き込んで頂くと重複しないで済みます。距離認定を急ぐあまりに膝を痛めて歩行困難になってウオークを断念しなければならなかった仲間を沢山知っています。2007年を迎えたら「ひとつ年を重ねた」ことを自覚していただき無理のないウオークを楽しんで頂きたいと思います。距離の長いコースは体調と相談しながら途中で「自分のゴール」を決めることも楽しく歩く方法だと思います。それがつぎなるウオークにつながります。

盛りだくさんの行事に腰をぬかさないで1年またおつきあいよろしくお願い致します。


[1191] 【1207回 高齢者が狙われる】 2006-11-29 (Wed)

重たい荷物をもちフーフーと言いながら歩いているお年寄りを見かけて「お持ちしましょう」と親切に声をかけてくれました。これが犯罪の始まりなのです。年配の夫婦だけで生活、あるいは独り暮らしを狙った犯罪は去年より25%も増えています。

@「ひったくり」人情の町と言われる関西方面に多い
A「無関心」世間に振り込み詐欺が多発していることを知らない
B 「親切詐欺」孤独な年寄りに声をかけ親切心がアダになります。

悪質リフォーム、催眠商法で「今回かぎり」「貴方だけの特典」などの甘い言葉にだまされやすいので同居していなくても家族で声をかけてあげることが被害に遭わない手段となります。
●現金は家の中におかない
●被害に遭うかも知れない
と思うことが大切です。こう思っていれば被害に遭わないですむそうです。知人の母も九州で独り暮らしをしていました。年に1度くらいしか実家に帰ることはなかったそうです。ところが、いままでにないパターンで息子に金の無心をしてくるようになったそうです。軍事恩給があり充分なお金はあるはずと息子が不思議に思い帰ってみると座敷にりっぱな桐のタンスが鎮座していたそうです。中を開けてみると高級着物がザクザクと収納されており、収納しきれない着物は押入に入っていたそうです。理由を聞くと「やさしく声をかけてくれて、まるでお前(息子)と話しをしているようでうれしかったとよ」と泣く母親をそれ以上責めることはできなかったそうです。裁判をかけて着物を引き取らせ弁償金を勝ち取ったようで一件落着したそうです。それからは暇をつくり度々母親のもとに足を運ぶようにしていると話してくれました。

着物の販売をした業者とタンス業者は連携プレーをとっており着物がある程度たまった時点で「おばあちゃん大切な着物が虫食いになるといけんから知ってるタンス屋に来てもらってあげるよ」と言葉巧みに入れ替わり立ち替わりカモにされた様です。

その母親も今は認知症が進み息子の名前も思い出せない状態で入院生活を送っているそうです。故郷にご両親だけで住んでいる方、たえず電話で声かけしてあげてください。時々は様子を見に帰ってあげてください。明日は我が身と思い生きている間にできる親孝行をしてあげて下さい。お願いします。


[1190] 【1206回 足の攣りによく効く薬】 2006-11-28 (Tue)

私は滅多に経験がありませんが「アイタタタッ」とウオークの途中や登山の途中でしゃがみこむ人がいます。筋肉のけいれん、つまり足の攣りです。ひどい人は両足一度に攣り、目の前でバタッと倒れ介抱したこともあります。「あかん・・・攣りそうや」そんな時に一服飲めば即効性のある薬を紹介しましょう。白馬岳で山岳救助隊の方にいただいたのも貴重な一服でしたが、ご紹介する薬はもっと早く効きます。別の病気で病院にかかっている方はこの薬の名前を言えば処方箋で出して頂けるところもあるそうです「ダメもと」で一度交渉する価値はありますよ。ポチは断られたらしいですが。

1箱の値段が消費税込みで2480円です。高いとおっしゃらないで下さい。42包も入ってのお値段ですからね。1袋59円となります。さあ次ぎはお薬の名前ですね。

「68 ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒 医療用」 効能書きには「急激に起こる筋肉のけいれんを伴う疼痛」と書いています。この薬の中には日局カンゾウ6.0cと日局シャクヤク6.0c つまり漢方薬の仲間のようです。リュックに1包お守りのつもりで足の攣りを経験された方は持ってはいかがですか。私は薬局で取り寄せてもらってポチ用に買いました。いつもサスケ先生が「どうぞ」と下さるのですが大勢の方に「どうぞどうぞ」と気前よく差し上げていらっしゃいますので、これまた薬代金も馬鹿になりません。好意に甘え頂いて効果ありと判断すれば、やはり自分で持つことが人に迷惑をかけなくて済むなぁと思います。

「68 ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒 医療用」さあ足の攣りを経験された方、お家がスタートで薬局がゴールのウオークをなさいませ。


[1189] 【1205回 死者への報告】 2006-11-26 (Sun)

とりたてて予定のない日曜日。雲行きもあまりよろしくなく地獄谷へは出かけるのを中止しました(サスケー先生行ってたんですね!)

ポチが還暦を迎えたことの報告を、一心寺に眠る両親に知らせるためにお参りに行こうということになりました。足をのばして貝塚に眠る義兄一刀水の墓前にも報告をすることとなりました。振り返りますとポチの母は生まれつき「リュウマチ」で苦しむ我が子を背負って(背丈よりも大かったそうです)「千鳥橋」の駅から尼崎の県立病院まで通ったそうです。家に車もなく、タクシーを呼ぶ余裕もなく、ひたすら母の背中のぬくもりを独り占めした様です。

体育の授業は受けたことがありません。遠足も過激なコースはいつもお休みしていた様です。太陽に当たることも、ままならなかった様です。しかし、しかしです。心臓の入れ替え(?)をしてからと言うものはウオークへの参加、山登り、岩登りと誰が見ても「ひ弱さ」はありません。家族でさえも「健常者」と勘違いをするくらいです。

そんなこんなを手を合わしながら一心寺で両親と向き合い報告をしてきました。義兄一刀水はあの世から「お前が60歳まで生きるとはワシャ思いもしなかった」と言っているように聞こえました。帰りは奥水間の道を通り今年最後の紅葉を名残惜しげに楽しんできました。もう今日の雨で紅葉は
★オ★シ★マ★イ


[1188] 【1204回 こどもをいじめから守る5つのヒント】 2006-11-25 (Sat)

●その1「じっくりと話を聞く」
何があったのか、じっくりと耳を傾ける。わが子がいじめにあっていると知ると、動揺してしまうかもしれませんが、まずは親自身が落ち着いて、じっくりと話を聞くことが大切です。「何があったの?」と質問攻めにせずに、子どもの心に寄り添って話を聞きましょう。

●その2「子どもの安全が最優先と考えること」
何よりも子どもの命と心を優先する。心と体が深く傷つけられているなら、場合によって命をすり減らしてまで、学校に行くことがないと子どもに話すことも必要。

●その3「学校や地域で味方を見つける」
学校は対立関係になるより、協力して解決にあたりたい。学校の先生、保護者など学校を取り巻く人と協力を求めていくようにしましょう。日頃から、何かあったときに相談できる関係を地域に築いていくことも心がけておきたいものです。

●その4 「味方がいなくても1人で悩まない」
学校の中に協力者がいないときや、対応に納得ができないときは、学校の外に相談をしていきましょう。ひとりで結論を出さないこと。

●その5「継続して見守っていく」
“何があっても子どもを守る”強い気持ちを持ち続け、継続的に見守っていくことが大切。親や教師などの大人が介入することで、一時的にはいじめや暴力が落ち着いても、その後の状況を注意深く見守り続けます。いじめは、静まった頃に再発することが多いのも特徴なのです。内容はもっとエスカレートし、隠そうとする行動も巧妙になり、問題がさらに深刻になっていきます。

いずれにしてもいまは事故が起きてから騒いでいます。いじめた側が保護されすぎています。いじめた側にもっと罪の意識を認めささねば同じことは何度も繰り返されます。私たちに出来ることは「じっくりと話を聞いてやる」ことはできると思います。近所の子供に声をかけることは出来ると思います。近所のスーパーへ行く途中「悪ふざけ」と思われる少年が二人笑いながらじゃれていました。買い物が済み帰るときも同じことが続いています。一人の少年の顔から「笑い」が無くなっていました。

「遊んでいるの?いじめているの?どっち?」と声をかけると「遊んでる」といいます。「おばちゃんにはそうは見えないよ。もうやめて家に帰りなさい」反撃をくらったら完全に私が殴られるような大きな男の子ですが大人が声をかけることもなくなりつつあります。地域のみんなで見守って子供を育ててやりたいと思っています。


[1187] 【1203回 とんでもない失敗】 2006-11-24 (Fri)

♪♪お酒はぬるめの燗がいい〜女は無口な人がいい〜♪♪と歌にありますが私はお酒を焼酎と間違えてお湯わりを作り差し出してしまいました。受け取った方が「うん??水で割ったかな??」そんなやさしい言葉にハッと気が付き一升パックを見ました。「清酒」と大きな字で書いてあります。アッチャーです。すぐに回収に行きましたが「いいから、いいから」と一杯目は「酒の水割り」を飲んで下さいました。猫に小判と申しますが酒を飲まない私にとって焼酎も酒も「アルコール」と言う認識しかありませんでした。これからはちゃーんと確認してからお出しすることにします。ごめんなさいね。

私の父親は日本酒が大好きで「写真を撮ろう」と言うと、きまって一升瓶をさげてきます。夏ならばフンドシに一升瓶これが父親のトレードマークでした。静かに飲む酒ではありましたが時々田圃の畦道で眠りこけて「おんちゃんが道端で寝ちょるけん迎え行っちゃってや」と知り合いの人が連絡してきてくれます。そんな時決まって私が行かされるのです。母親が行くとけんかになるし、姉だと乙女心に傷がつく、幼い私が最適だったようです。

酔っ払いの相手が上手と言われる理由には、こうした幼い時の父親との思いでが重なり「怒らせるとしつこい」ことを体で覚えて居るのかも知れませんね。私は酒はあまり強くありませんが酒を飲んで愉快になる人達の輪の中に入っていくのは好きですよ。もうすぐ忘年会の季節となりますが飲酒運転は人生が暗転します。家族が泣きます。絶対に気をつけましょうね。12月に入りますと飲酒検問の強化月間がやって参ります。

「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」い〜い標語ですね。


[1186] 【1202回 一條神社の開きの大祭】 2006-11-22 (Wed)

過日サスケ先生が土佐の一条教房のことを教えてくださいました。11月23日は一條神社(地元では一条さん)の秋祭りがあります。「あんた誰?」の同窓会の時もたしか一条さんの春の藤まつりがあり、中村市長さんが馬に乗って行列に参加されており笑いました(でも似合っていなかったんだもん)

土佐の小京都と言われる高知県の四万十中村市の商店街のド真ん中に一條神社は位置し、市民のみなさんを見守っています。稚児行列、烏帽子姿の男の子、女の子は赤の装束で街を練り歩きます。地方に働きに行った人や地方に嫁に行ってる人もみんな集合します。

このまつりは江戸時代にさかのぼり応仁の乱を避けて京都から移り住んだ関白の一条教房公は、みやびやかな京文化を中村の人々に伝えました。碁盤の目のような町並みや八幡宮の御輿洗い、大文字山の送り火、京都を思わせるものがあちこちにあります。

まつりの時はサーカスの一団がやってきて学校から見物に行かせてもらいました。サーカスの中で「ろくろく首」が不思議で、あの人の首は一体どうなっているのだろうと夢にまで見たものです。「再び町を活性化させることが、産業を盛んにした一条家への恩返しになる」と宮司さんは意気込んでいるそうです。

話はかわります。

童謡コンサートがあるそうです。由紀さおり、安田祥子姉妹による20周年2000回コンサートだそうです。12月6日梅田芸術劇場で。詳しくは03-3351-2891へお問い合わせ下さいとのことです。


[1185] 【1201回 おんなの化粧】 2006-11-22 (Wed)

女が化粧をするということはいつの頃からはじまったのでしょうか。京の都の麿の時代には男性も白塗りにしている様子も見受けられます。「塗っても塗らんでも一緒や」とよく冷やかされますが女の化粧には奥深いものがございます。ハイ。

気分が優れないとき化粧をして最後に口紅を引くと漫才師の「いくよ、くるよ」ではありませんがお腹をポンと叩いて「よっしゃー今日も気合いいれていこか!」そんな気分になります。見た目も勿論ですが紫外線の予防にはかかせないのが化粧です。生まれてお宮参りの時に、おでこにちょこっと化粧をし、3才の七五三できれいに塗ってもらい、学生時代は「化粧禁止」であっても校則を犯してでも化粧に力が入ります。就職前になると学校に化粧品メーカーがお化粧の講習にやってきます。つらいのは入院している時です。救急車で運ばれた時一番先にすることは「口紅を落として下さい」そうです。顔色をみるのに化粧をしていてはわからないからです。闘病生活の間は「スッピン」で過ごさねばなりません。退院の日ベットに腰掛けて念入りにする化粧は「健康になった証」です。
死出の旅の際も念入りに死に化粧をしてあの世へ旅立ちます。女性にとって三途の川を渡るとき閻魔様に対してスッピンでは失礼なのでしょうか。

むかし鳥取へ海水浴にいく途中の浜辺で休憩中に車両強盗に出合いました。車の中にいれていた荷物すべて盗まれたのです。まだ小さかった息子は「夏休みの友」が盗まれたことがとてもうれしくて「やったー!夏休みの宿題をしないで済む」と大喜びしていました。その荷物の中で化粧品一式を盗まれた時のくやしかったこと・・・つらかったこと。化粧水3000円、乳液3000円、口紅3000円とすべて揃えると「ン万円」の出費でした。何よりも休み明けの朝、スッピンで会社に出向かなければならないことが一番つらく「休もうか」とさえ思いました。

薄化粧、厚化粧、寝化粧といろいろありますが「相手が不快感を感じない」ことがマナーだと思っています。さて今日も気合いを入れて、お腹をポンと叩いていってき〜ま〜す

♪♪化粧の後の かがみの前で いつも貴方の 手を借りた
背中のボタンが とめにくい 一人ぼっちの部屋で 
今は居ない貴方に そっとそっと おやすみなさい♪♪


[1184] 【1200回 例会お休みしてゴメンナサイ】 2006-11-19 (Sun)

ポチが11月2日に還暦を迎え、プライベートの行事が多く例会をお休みさせて頂きました。皆様!雨の中のウオークごくろうさまでした。小雨からのスタート、途中雨が止んだとは思いますがまた午後からは大粒の雨でゴールであったことと思います。ごくろうさまでした。どうぞお風邪などひかれませんようにお願いします。

私の家の近くに銀杏並木があり、ぎんなんが沢山落ちていた時期がありました。な〜が〜い棒を持参して木をつっつく人、下に落ちたぎんなんをひたすら拾う人とさまざまでしたが、ほほえましく眺めながらジャスコで買い物を終え車に戻りました。車の中が異様な臭いがします。狭い車の中でおナラをするとはとポチを叱責しました。ポチもまた「お前は!」と同じことを言います。お互いが罪をなすり合いながら家に戻りました。玄関先が先ほどと同じ臭いがします。これはおナラではないと思い犯人探しをしました。

なんと靴の裏側に「ぎんなん」がくっついていてその臭いだつたんです。誰の靴の裏かですって?私の足は22.5p、ポチは26.0p、犯人は地面に着地する面積の多い方にきまってますやろ・・

話は変わって「男性更年期障害」について
「更年期障害」は女性だけだと思っていませんか? 疲れやすい、寝付けないといった症状には「男性更年期」の可能性あり。悩みを一人で抱え込まず、どうして乗り越えたか仲間に相談する必要があるのではないでしょうか。

■男性の更年期障害は、女性よりも「長くゆるやか」に続きます。だるい、いつも疲れた感じがする、寝付きが悪い、何をするにも集中力が続かない……。こんな不調が思い当たったら、「男性更年期障害」かもしれません。「更年期」というと閉経前後の女性特有の症状と考えられがちですが、最近は男性の更年期が注目されるようになってきました。男性で中高年以降に増えるうつ病やED(勃起障害)も、更年期と深くかかわりがあります。あなたにはこんな症状、ありませんか?

体の不調、心の不調、性機能障害と男性更年期は、男性ホルモン(テストステロン)の減少が引き金となって起こります。男性ホルモンは、性機能だけでなく、脳や筋肉の働きとも深くかかわっているため、男性ホルモンが減少すると全身の不調につながります。男性ホルモンの変化はゆるやかで個人差が大きく、50〜70代にかけて長期間続くこともあります。「ホルモンの減少」という身体的要因に、ストレスなどの心理的要因が加わり、疲労感や不眠など、心の変調が強く出る人が多いにもかかわらず、周囲の理解を得られず一人で悩む人も多いようです。心の症状が強ければ、心療内科や神経精神科、泌尿器の症状が強ければ、泌尿器科に相談してみましょう。 ついて行ってあげるよ〜


[1183] 【1199回 季節はすでに秋真っ盛り】 2006-11-16 (Thu)

11/16、今日は氷上工場勤務です。高速から見る山々は、もうすっかり色づいています。鮮やかな色ではありませんか、ほんのりと赤く染まる山々が美しいです。大根の白い肌と頬を柿の赤で染め緑の野菜で引き締めます。そんな光景が工場の事務所の窓から見えて季節感をたっぷりと味わうことができます。まぼろしの滝は見えません(大雨が降った時だけに見える、ほんに幻)筱見四十八滝のあたりは美しい紅葉に違いありません。

春日のインター付近に道の駅「おばあちゃんの店」と言うのがあります。まだ一度も立ち寄ったことはありませんが、懐かしい「ばんぼ」でも売っていそうな気がします。いままでは春日インターから高速に乗っていましたが、いまは氷上まで高速が延長になり立ち寄ることもなくなりましたが(この道はコウノトリのバスウオークの時に通るよ)お店の名前に心惹かれます。

ペンション「いのしし」これは私が名付けた娯楽施設です。この名前が定着すればくわしい説明を書き込みたいと思います(フフフ)


[1182] 【1198回 ナビと後部座席の無情のため息】 2006-11-15 (Wed)

先般、当社の社員が亡くなり今日は、ご遺族との手続きのために、堺まで車で出かけることとなりました。ナビをセットし阪神高速道路「堺出口」を出て国道310号線に乗っかかるところで失敗して、もう一度乗り直しました。この間「たったの5分」です。しかし後部座席からため息が何度も何度も聞こえます。「道に迷ったのは同乗者3人の連帯責任ですから、ため息はつかないで下さい」と私は後部座席に向かって言いました。310号線をご存じの方は狭くて渋滞のする道路だと知っているかと思います。やっと目的地に近づいた途端にナビは途中で「これで案内を終わらせて頂きます」とプッツリと案内を終了してしまいました。私の知っているナビは2時間運転したら「少し休憩しませんか」とか、到着したら「お疲れ様でした」と言ってくれました。中途半端なナビよりも自分で調べて行く方が、ずっと気楽です。戻ってきたらドッと疲れが出て何をする気力も残っていません。

ウオークの時でも車でもそうですが老眼鏡がなければ何にも見えないのでとっさに地図を見るときはとても不便です。地図を運転中に見られないので、知らない土地へ行くときはあらかじめ高速の出口から主たる交差点の名前を列記しておき「あった、あったもうすぐやヨッシャー」と一人で気合いを入れることにしています。ナビも慣れると便利なお友達なんでしょうが今の私には無用の長物の様な気がします。

道を聞くときはガソリンスタンドの店員さんがやさしいです。ガソリン満タンでもあつかましく聞いてもやさしく身を乗り出して教えてくれます。知らない土地での親切は身にしみます。


[1181] 【1197回 環状線ウオーク名物゛安治川河底トンネル゛】 2006-11-15 (Wed)

環状線ウオークで名物と言うか、必ずコースの中に組み込まれている「安治川トンネル」に異変がおきました。大阪市は改修工事だといいますが地元住民にとっては「現状維持」を希望しており、川の底から荒波で揺れております。

安治川トンネルのエレベーターは、昭和19年9月の開始後すでに61年が経過しており老朽化が進んでいます。市民のみなさんに安心して利用していただくために昇降機器設備の入れ替えによる設備更新を行いますと「このはな広報誌」に掲載されていました。

工事期間のエレベーターは休止し階段利用となります。改修期間ですが平成19年1月〜2月となり環状線ウオークの時は、いまの工程でいけばエレベーターは動いておらず階段を利用していただくことになりそうです。また改修後の平成19年3月からは利用者自身によるボタン操作(つまり無人化となるわけです)することになります。有人の場合は22時まででしたが無人化になると24時まで利用できるそうです。(時間が長ければエエと言う問題ちゃうやろ!)

問題点は、エレベーター休止中の車椅子の方達の利用はどうするのか、無人化によって朝夕のラッシュ時に影響しないか、犯罪が起きるのではないかと心配の声が多数あがっています。

私達にとっては環状線ウオークのイベント時だけの問題ですが生活の一部にしている区民にとっては頭の痛い問題です。詳しくは建設局のホームページに掲載されています。建設局HPアドレスは www.city.osaka.jp/kensetsu/です

『安治川トンネル』

安治川と木津川は、ともに船の運航のため架橋困難な川でしたが、明治6年安治川に川口居留地交通の便を図るため鉄橋がかけられました。高いマストの船が航行できるように橋桁が旋回する可動橋で磁石橋とも言われ大阪名物となりました。また、木津川には船の通行時に床が跳ね上がる跳開式可動橋が架けられたましたが、この二つの橋は明治18年の大洪水の時に崩壊しました。

明治30年には、もと西九条側で施設の渡しを行っていた源兵衛という人が、九条新道の西端に渡しをつくりました。「安治川の源兵衛渡し」と呼ばれ、両岸の商人に大いに喜ばれました。この頃安治川には、現西区内に七ヵ所の渡しがありましたが、源兵衛渡しはもっとも利用者が多く、西九条の人々が楽に九条へ来ることができるようになり、九条発展の一因となりました。

昭和に入って市中の交通量は増すばかりでしたので、同10年には安治川隧道が計画され、同19年9月15日、俗にいう安治川トンネルが完成しました。西区側にも此花区側にもエレベ-タ-で約17メ-トルの河底に降り、通路を通って対岸で地上に出るようになっていました。当時は車両用と歩行者用のトンネルがありましたが、昭和52年に車両用が閉鎖されました。

しかし、歩行者用トンネルは利用頻度が高まり、トンネルとともに西大阪の名物の一つとして今も市民に利用されています。


[1180] 【1196回 パソコンの迷惑メールの往診】 2006-11-12 (Sun)

かねてより皆様に相談していました迷惑メール「Hメール」の対処についていろいろアドバイスを書き込んで頂きました。その節はありがとうございました。アドレスを変えることも抵抗があったりなんかしてそのままにしていましたが、昨日は息子達がやってきて、ついでにパソコンの往診をしてくれました。「あかん。62の病魔に襲われている!」そう言って長い時間バソコンと戦ってくれました。嫁の純ちゃんは階下から「パパま〜だ〜?」と帰宅を促しますが、一端修理にかかるとなかなか途中でやめられないらしいです。

その間2階では零が暴れまくり、ひっちゃかめっちゃかです。聞けば近江方面に出かけての帰りとかですが「疲れ知らず」の様子です。往診のおかげて今朝はHメール1件もなく清々しい画面との対面です。息子が帰りに「今日の診察代は高いよ」脅しにもにた得意げな後ろ姿でした。

おかげでなじみのアドレスも変えることもしなくて済みました。いろいろ相談に乗って頂いてありがとうございました。

今朝は肌寒く、山々の紅葉が美しいだろうと想像しています。今朝は地獄谷に出かけるポチのリュック姿を見送りました。私はいまから研修のために外出です。あ〜あ「♪秋の夕日に照るやまもみじ♪」は今年はどこで歌えるのでしょうか。


[1179] 【1195回 夜中の雷よりもうるさい目覚まし】 2006-11-11 (Sat)

「よ〜し明日の朝はゆっくり寝坊するぞ!起こさんといてな!」そう言い置いて昨夜ベットに入りました。疲れがたまつていたのか夜中のドシャブリも雷も気が付きませんでした。平日と同じ、いつもの時間に隣のポチの部屋から「リ〜ンリ〜ン」とけたたましい目覚ましの音で目が覚めました。まだ6時前です。あまりに腹立たしいので階下にいるポチに内線電話をかけ目覚ましの音を聞かせました。おどろいてすっ飛んで上がってきましたが、後の祭りでもう二度寝はできません。

主婦と言うのは貧乏性なもので朝の6時前から押し入れの片づけや日頃の手抜きの場所を見つけてはゴソゴソと動き始めました。9時になったら、ももちゃんの「参観日」にババ様だけお呼ばれしているので1時間ばかりでかけます。保育所の参観って何するのかなぁ?

明日は零のパパとママが「木婚式」を迎えるために今日のうちにお祝いの言葉をかけてあげたいと考えています。結婚5年目は木婚式で「結婚5年目にして二人でやっと1本の木の幹となれた」そう言う意味があるそうです。自分の時はそんなのしなかったし、知らなかったし・・・男性なんて「記念日」はほとんど無頓着。息子もポチの血筋からいけば無頓着だと思うので嫁に感謝の意味をこめて記念日は大切にしたいと思っています。


[1178] 【1194回 しばらくご無沙汰でした】 2006-11-08 (Wed)

木枯らし一番が1ケ月も早く吹き荒れ、北海道では「竜巻」が発生し死者までも出したと言うではありませんか。人間は自然災害の前に立たされては何と無力なんでしょうか。1分という短い時間に家も車も人間も吹き飛ばされてしまいました。恐ろしいことです。突然の木枯らし1号の到来で我が家は掘りコタツに模様替えです。

しばらく「ひめのおうち」をお休みさせて頂きました。風邪を引いたわけでもないのですが会社の雑用に追われ色々あって何か気合いが入りません。孫のことも考える余裕がありません。そんな中にあって、サンセットの仕上げをすべく「下見の矢印」を作りました。赤いビニールテープで矢印の形に切っていき、剥がしやすい台紙の上に貼っていくのです。地味〜な作業ですが下見のスタツフのご苦労を体感しました。まだ半年も先だというのに・・と思うでしょうが、予定表が完成するまでにどうしても確認しなければならない箇所があるのです。不揃いの矢印ですが役割を果たせば何ということはありません。ただベタベタと貼りすぎると本番の時のアンカーが面倒になるために「ここ」という箇所だけでいいのです。

なるべく真っ直ぐな道で、手間いらずで、それでいて夕日の美しいところにと考えていますが「雨」が降れば残念なことに夕日が沈む様子は見ることができません。去年の「夕日の丘」も曇り空でみんなで「裕次郎の夕日の丘」を大合唱しましたよね。でもね・・・コーラスも少し食傷気味なのかしら?私にはわからない事務処理で忙しいのかも知れませんがスタツフの皆さんがあまり協力してくれないのがとても悲しいです。歌っていてもむなしいです。寂しくなっちゃいます。でも朝から「今日は何の歌かな?」と楽しみにしていただいているお客様がいると悲しさも、むなしさも、寂しさもふっ飛んでまた元気がでるから不思議です。


[1177] 【1193回 赤バスのおもろい話】 2006-11-04 (Sat)

みなさんは「赤バス」に乗ったことありますか。料金が100円でふつうの市バスのルートではないところを走ってくれます。我が町此花の高見銀座にもようやく赤バスが走るようになりました。サンセットの下見の下見を終えて、ちょこっと一杯気分で、既に歩く元気もなく西九条駅から「赤バス」に飛び乗りました。高見方面だと信じて疑いません。千鳥橋をすぎて「つぎは〜春日出」?アレアレ?えらいところを走っています。春日出をぐるりと廻ったところで以前はまた西九条に引き返したことを思い出しました。またもとに戻っては大変と次の停留所「千鳥橋」で下車しました。行き先表示を確認すると「此花ループ」となっています。

信号を渡り高見方面のバス停に着くとまた赤バスが来たので 再び飛び乗りました。これは間違いなく「高見方面」です。ドライバーがマイク越しに「お客さん!先ほど乗ってましたよね。一体どこへ行くのですか?」と尋ねられました。「高見3丁目」と答えると「このバスは高見3丁目には行きません次の停留所で降りて下さい」中途半端な赤バスですこと。

な〜る〜ほ〜ど病院や役所などに行くお年寄りにとっては赤バスは便利かも知れませんが赤バスは決して直行しないバスだと言うことを知った上で乗らなければ時間ばかり大幅にかかります。このドライバーさん言っちゃあ何だけど、急ブレーキは踏むし、踏切では行きすぎてバックするし、停留所で降りたときには、恐怖でもう酔いも冷めていました。

なんですか?歩けの会の人は歩けですって?つかれてまんねん。今日ミミ日曜でんねん。


[1176] 【1192回 ポチ還暦とサンセットの下見の下見】 2006-11-04 (Sat)

ポチが満60歳を無事迎えました。頭だけみていると70歳かと思いきや、ほんまは60歳だったのです。息子夫婦2組が寄ってくれて賑やかなバースディでした。嫁の純ちゃんと洋子ちゃんから「リュック」と「赤いジャンパー」をもらってご機嫌です。久々の零くんとももちゃんが一緒になって大騒ぎです。自我がめざめて、いままでになかった光景です。ひとつのおもちゃをめぐって「ももたんのんッ!」すべり台も「ももたんのんっ!」おっととっ女は強しはすでにこの頃からなのでしょうか!ババ様は黙って見るしかありません。そのうちどちらからともなく「順番」ということを悟り仲良く遊んでいました。

話は変わって、私が来年のサンセットのコースを担当しているらしくコースを歩くことにしました。JR加島駅からスタートして「福漁港」で夕日の沈むのを鑑賞するのですが対岸には此花漁港や舞洲や去年歩いたサンセットのコースが見えます。いつも右手に海を見ながら歩いていましたが来年のコースは全く反対のコースとなりそうです。問題点も少しありますので微調整をしてみなさまに喜んでもらえるサンセットにしたいです。夏場と違って今の季節の夕日は心にしみる美しさがあります。帰りの電車の中からも美しい夕日が追っかけてきます。「うわーっきれい!」を連発していたら向かい側に座っていた仕事帰りのおじさんまで声につられて眺めていました。


[1175] 【1191回 大山の紅葉】 2006-11-01 (Wed)

♪秋の夕日に照る山紅葉、濃いも薄いも数ある中に、
松をいろどる楓や蔦は、山のふもとの裾模様

たにの流れに散り浮く紅葉、波にゆられて離れて寄って、
赤や黄色の色様々に 水の上にも織る錦♪

中国地方の最高峰大山(1709b)は山陰線の車窓から米子に近づくにつれ「伯耆富士」と呼ばれる大山が見えてくるそうな。「紅葉を見にきんさい。」地元のおばあちゃんが腰をトントンと叩きながら大山を見て声をかけてくれそうな、そんな光景が目に浮かびます。

スノーシューの帰りに見た大山がまたまた私を呼んでいるようだ。頂上すこし手前ではTシャツで汗を流していても、頂上に近づくとガタガタと寒さに震える。ほんに大山は男性的で気象も荒い。隠岐の島へいく途中で大山の麓で朝食の飯盒を炊いた思い出があります。その時は登ってみたいなあとは思わなかったけれど(96歳の爺やが同行していたので)いつか来るぜと大山に挨拶をした記憶がある。

今は赤はカエデ、黄色はブナ、茶色はミズナラなど大山の紅葉は、いろいろな色が混じる錦織だそうです。やっぱり「もみじ」の歌を歌いたくなりました。2月の大山スノーシューは2メートルの雪の中アクシデントも含めていい思い出となりました。来年の2月は、孫がもう一人増えて「おかん!遊びに行くなら、ももちゃん連れて行け!」って言われそうです(クワバラクワバラ)

私と姉は7才歳が離れているため姉が遊びに行くときはいつも「ミチコ」を連れて行くことが条件だつたそうです。昔はどこでも上の者は下の子を子守りしてましたよね。父親の兵児帯の先に私をくくりつけ、もう片方は大きな木にくくりつけ姉は遊びに夢中になり、つい山に「ミチコ」を置いて帰り母親に目から火が出るくらい叱られたそうです。母親の見ていない時に「ミチコがおるけん叱られるがじゃろ」とまたいじめられました。痛くはなかったのですが「痛いよ〜痛い〜お姉ちゃんにたたかれた〜!」と泣き叫び敵討ちをされたと姉が話していました(私の記憶の中にはない)

いまだったら「いじめ」として警察に通報され、姉は補導されるのじゃろうか?その姉ももうすぐ70歳に手が届きそうです。ちょっとやさしくしたろうかな!

            ↓
偶然にこの後、姉から電話がかかって来て「電話でけんか」しちゃいました(ハハハ)思うようにいかんもんやなぁ原因?長電話の中のささいなことだったと思いますョ


[1174] 【1190回 新しい月に期待】 2006-11-01 (Wed)

今日から11月。会社も新しい体制で、新しい気持ちで、気をひきしめてスタートの一歩を踏み出しました。屋上のお稲荷様がすこしくたびれていましたので私の定年前までに塗り替えておきたいとお願いをしていたら、11月1日に間に合いました。今日は榊を取り替えて二礼二拍手一礼を此花四貫島の空に響かせましょう。お灸の煙に手を合わすけなげな坊やを見習って今いきていることに感謝の気持ちで手を合わせたい、祈りたい、新しい月はとても新鮮に思えてなりません。

少し肌寒くなりましたのでお布団も衣替えをしました。(タオルケットは寒いよ〜)この季節の変わり目が風邪をひく瞬間なのです。みなさまも気をつけてくださいね。

子供達の自殺があちこちで連鎖しています。校長先生までもが自らの命を絶ち生徒に動揺を与えています。子供の頃に亡き母は言いました「お母ちゃんが死んでもお母ちゃんが蒔いた種はどこかで生えて育っているはず。お天道様は悪いことさえしなければ見捨てはしない。誰か助けてくれる。強く生きよ!」その言葉を信じて親戚、恩師、仲間に助けてもらいながらの今の私がいます。誰かにSOS出せば必ず受け止めてくれるよ。自殺するなんて考えずいじめた奴らをいじめ返すくらいの元気で乗り切ってほしい。何ならこのおばちゃんが応援に行ったるで!!ほんまやで!!


[1173] 【1189回 お見舞いマナー】 2006-10-31 (Tue)

最近お見舞いに行くことが頻繁になってきてお見舞いのマナーも気になるところです

●お見舞いにふさわしい時間は?
病院によって色々違いますが午前中は検査などがあるため2時から4時のあたりが適当な時間ではないでしょうか

●胃が悪くて入院している人へのお見舞い品は?
百合の花は「葬式花」だから気を付けて下さい
ニオイのきつい花、花粉の多い花は避けましょう
ミネラルウオーター、レターセット、缶詰スープなどが喜ばれるのではないでしょうか

●見舞いに行ったら患者が眠っていました。どうしますか
起こさないで出直して下さい。お見舞い金など枕の下に置かないで出直しましょう。

お見舞いにいったら、まず付き添いの人に挨拶をしましょう。髪の毛の長い人は束ねて行きましょう。仕事の話しはしない。病気の事は詳しく聞かない。病室ではしゃがない。
すべて「プラス」の言葉をかけてあげることが大切です。入院の経験のある人は理解できると思いますが手術後あまり日数が経って居ないときはお見舞い客が負担になります。退院前だと人恋しくてお見舞いに行っても喜ばれます。タイミングよくお見舞いしましょうね


[1172] 【1188回 書き込みの反応があると元気モリモリ!】 2006-10-31 (Tue)

柴籬神社のいわれを調べて投稿すると、やっぱりサスケ先生が書き込みをして下さっていた。しかも専門的見解(ほんまか?)でおかしくて笑いがとまらずパソコンに思わず「ザブトン2枚やな」と話しかけてもうた。

自分の書き込んだ文章に、たとえ一行でも「見てるでー」の反応があれば励みにもなります。眼鏡ライダーさんも「百タタキの刑」を覚悟で電車の中の私の失敗談を書き込んでいました。私のやさしさ(空席を確保して眼鏡ライダーさんを労る気持ち)が伝わります(何〜ちゃって♪)
柴籬神社の「歯磨き面」に話しは戻りますが「乳首を噛み切るには上下に歯が生えてないと無理や」説も「赤ちゃんを落としたらあかんと思うてそのまま固まったんや」説も母性愛が伝わってこの解説は今度の機会に話題にとりあげたいと楽しみにしています。

しかし「前の晩にお父ちゃん噛んだんとちゃうかー」は世の中の男性諸君がみんな「うんうん」とうなずきながら読んだと思います。あんまりうなづきすぎて「首の病気」には注意が必要です。


[1171] 【1187回 歩いてみたろか「南河内」で調べたかったこと】 2006-10-29 (Sun)

ゴールにちかい場所にある「柴籬神社しばがきじんじゃ」の境内の中に「歯の神様面」がありました。サスケ先生が来ていたら説明してもらえたかも知れませんが私なりに調べました。

●柴籬神社に合祀された歯神社前に「歯磨き面」が設置され、さわると歯痛にならないと言われ、人々に信仰されている。愛児に乳を含ませたまま絶命した母の悲しい伝説上田1丁目の松原郵便局前に、正面には「ちちかみはし」、両側面に「長尾街道」、裏面に「明治四十三年二月修繕、大阪府」と彫られた道標があります。堺と大和を結ぶ長尾街道に建てられたモニュメントですが、「ちちかみはし」の名に興味をそそられる人も多いのではないでしょうか。「ちちかみはし」には、次のような悲しい伝説が残されています。

●「遠い昔、京から来た高貴な身分の母親が愛児に乳房を含ませていました。子どもは母親の乳に満足してスヤスヤと眠っていましたが、急にむずかり、口に含んでいた乳房を歯でかみきってしまいました。このため、母親は愛児を抱いたまま亡くなったのです」

「中門」から西へ200メートル進むと先の道標があり、ここに「ちちかみはし」が架けられていたのです。愛児が母親の乳房を歯でかみきった所でしたので、橋の名となりました。「ちちかみはし」の悲しい伝承は、のち人々の哀れをさそいました。「ちちかみはし」と「中門」の真ん中、街道の南側に住吉神社が祀られていました。同社は、上田村反正山地区の氏神ですが、村人は祭神の住吉大神と共に、亡くなった母親や乳をかみきった愛児を歯神として同社に合祀したのです。このため、住吉神社は歯神社ともよばれるようになりました。

 なお、「中門」の名は五世紀前半、反正天皇が都とした丹比柴籬宮(「歴史ウォーク」7)の中門があったという伝承からつけられました。柴籬宮の推定地である柴籬神社に合祀された歯神社では、歯(は)にちなみ、毎年八月八日八時八分から祭礼が行われています。

柴籬神社に合祀された歯神社では、歯(は)にちなみ、毎年八月八日八時八分から祭礼が行われています。



[1170] 【1186回 信楽焼の干支作り】 2006-10-27 (Fri)

狸の陶器で知られる信楽焼。窯元が集まる滋賀県甲賀市信楽町では、本格的な冬の到来を前に来年の干支「亥」の置物作りがピークを迎えているそうです。山深い信楽焼きの里は、ほおを切る着る風がぐっと冷たくなったそうです。「毎年、この時期は干支の製作で大忙し。これが終われば雛人形に取りかかりますよ」と窯元は言います。

平成11年の年末も押し迫った頃、まだ元気だった一刀水兄貴の誘いで信楽にドライブに行きました。信楽高原鐵道の信楽駅でふと目に入った「信楽焼きキップ」を買い求めました。平成11年は「うさぎ」のキップです。キップと言っても20センチ四方もある大きなキップです。乗車期間は何と1年間あり年末にはそのキップを使ってまた翌年の干支キップを買いに行けるシステムになっています。我が家には「卯」「巳」「辰」「午」「未」「申」「酉」「戌」の8枚が順序よく並べて飾っています。3年前からは一刀水兄貴が亡くなったこともあって買い求めに行くことはせず郵送で取り寄せています。電車大好きの孫の零ちゃんが、もうすこし大きくなったらこのキップを使って「貴生川〜信楽」までの旅をしたいと期待しています。零ちゃんは電車のトーマスシリーズが大好きで全種類の名前がスラスラと言えます(ちょっとババ馬鹿モードかな)環状線も大好きで桜島駅から西九条まで時々乗るのですが西九条が来て「さあ降りるよ」と言っても「ヤダ!」「オリナイ!」「カンジョウシェン〜カンジョウシェン!」と電車の後追いをします。ももちゃんはお人形さんの洋服を脱がせたり髪の毛をいじったりと女の子の遊びがすきです。蝉爺はそんな二人の恰好のオモチャで、息子達の子供の頃には見せたことのない笑顔をふりまいている還暦前の爺でありんす。(見るだけにしときや〜)