姫の還暦記念山行 ・ 北鎌尾根から穂高縦走
平成20年8月6日(水)〜平成20年8月12日(火) 車中1泊・小屋3泊・テント1泊・旅館1泊  6泊7日の山旅
中房温泉〜合戦小屋〜燕山荘〜蛙岩〜喜作レリーフ〜切通岩〜大天井ヒュッテ〜貧乏沢〜天丈沢出合〜北鎌沢出合〜北鎌沢右俣〜北鎌のコル〜天狗の腰掛〜北鎌独標〜北鎌平〜槍ヶ岳山頂〜槍ヶ岳山荘〜飛騨乗越〜大喰岳〜中岳〜南岳〜南岳小屋〜大キレット〜長谷川ピーク〜A沢のコル〜飛騨泣き〜北穂高小屋〜北穂高北峰〜最低のコル〜涸沢岳〜穂高岳山荘〜奥穂高岳〜馬ノ背〜ジャンダルム〜天狗の頭〜間ノ岳〜赤石岳〜西穂高岳〜ピラミッドピーク〜西穂独標〜丸山〜西穂山荘〜千石平園地〜西穂高口駅〜(新穂高ロープウェイ)〜新穂高温泉駅

昨年9月、やまたび倶楽部の槍ヶ岳山行時、大槍の穂先で出会った北鎌尾根からの登攀者の姿に惹かれ感動。我が還暦の記念に北鎌尾根から槍ヶ岳に登りたい。あの感動を自分自身で味わいたいとトレーニングを積み重ねてまいりました。北鎌尾根を体験された人の話では「50歳を過ぎてから登る山ではない」とアドバイスを受けましたが「ならば60歳ではどや?」…そんな熱い思いでチャレンジしました。
北鎌尾根は想像を絶する山であっことは言うまでもありません。これはその記録と感想です。

タイムスケジュール
8月6日(水)
21:30 新大阪発
8月6日(木)
4:30 穂高駅前着
5:05 穂高駅前発
6:00 中房温泉着
朝食
6:45 登山開始
7:25 第一ベンチ通過
7:55 第二ベンチ通過
8:35 第三ベンチ通過
9:20 富士見ベンチ通過
9:55 合戦小屋到着
スイカを食べて休憩
10:10 合戦小屋出発
10:22 初めて槍の穂先が見える
10:33 合戦ノ頭通過
11:17 燕山荘到着
いちごミルクを飲んで休憩
11:45 燕山荘出発
12:15 蛙岩通過
12:38 大下りの頭通過
14:00 為衛門ノ吊り岩通過
14:22 小林喜作レリーフ
14:30 切通し岩分岐
15:20 大天井ヒュッテ到着
●8月6日(水) 曇り
夜、さわやか信州号で大阪を出発しました。お盆前とはいえ長期休暇に入っている人も多いせいか車内は満員。座席間も狭く少々うんざり。夜行バスは疲労感が残りますが、時間のタイミングが良いのと乗換えが無いのが最高。途中多賀SA、恵那峡SA、緑湖SAで休憩をとり翌朝、穂高神社・穂高御舟会館前へ。

●8月7日(木) 晴れ
穂高神社・穂高御舟会館前で下車。辺りはまだ暗く夜は明けていない。30分の待合時間で中房温泉までの乗合バスに乗車するために、JR大糸線・穂高駅前に歩を進めると中房温泉行のバスが待っていた。車中には既に2名の登山者が乗車していた。
「案外空いているんだなあ」
と思ったのも束の間。発車時間が近づくと何処からとなく、ゾロゾロと登山者が集まってくる。大糸線の松本駅方面からの列車が到着するとザックを担いだ大勢の登山者がホームに降り立つ。あるグループはタクシーのりばへ、その他のグループはバス乗り場へと向かってくる。
たちまち車内は満員に、後方に増車されているバスもたちまち満員に。
午前6時。凡そ1時間で中房温泉到着です。
朝食を済ませ身支度を整えていると品の良いご老人が
「おはようございます。登山ご苦労様です。後かたづけよろしくお願いしますね」
と丁寧に挨拶を受けました。他の方達はおむすびやパンを食べている中、鍋釜を広げていたのでそんな言葉がでたのでしょうか。
午前6時45分いよいよ合戦小屋に向けて出発します。合戦小屋では美味しいスイカが待っています。しかし合戦小屋までの道のりは日本三急登の一つといわれるほど登りがきつく、夜行バスの疲れも重なり思うように足が動きません。ただひたすらに登る苦しい道のりが始まりました。第一ペンチ、第二ベンチと給水のための休
憩を取りながら、明日から始まる北鎌尾根の苦しさを予告するかの如くつらい3時間でした。
 
 
「スイカが見えました!」正確には「合戦小屋が見えました」なのですが私には小屋全体がス イカに見えたのです。合戦小屋のスイカは有名で一切れ800円、疲れた身体にはたまりません。スイカを食べた後は元気も出て足取りはうその様に快適に動きます。合戦ノ頭の近くで初めて槍ヶ岳の穂先が小さく見えます。これからあの穂先を越えていくのです。1時間ほどで燕山荘に到着。ここで昼食をとることにし、「イチゴミルク」の看板に惹かれ注文をしました。かき氷を想像していたのですが出てきたのはミルクの中にイチゴのシャーベットが入っているものでした。少しガッカリしましたが食パンとジャムの昼食にはこれがまたよく合っていておいしくいただきました。
長めの休憩を取り終えると、あとは大天井ヒュッテにむけて進みます。尾根筋に入ってしばらく行くとコマクサが沢山咲いていました。朝から9時間の道のりを歩き続けて疲労もピークになっていた頃、為衛門ノ吊り岩辺りで日本ザルの親子に出合いました。10匹以上が群れをなして住んでいるようです。うれしい出迎えに重たかった足が心なしか軽やかになります。小林喜作が切り拓いたという大天井岳をトラバースする喜作新道は、まるで開けても開けても同じ箱が出てくるびっくり箱のようです。次から次から同じような切り通した道が出てくるのです。ええ加減嫌になった頃、大天井ヒュッテの赤い屋根が見えました。やっと天井ヒュッテに到着です。
大天井ヒュッテのオーナーはDVD「北鎌尾根」のナレーションをされた方で北鎌尾根を熟知されており我々に「北鎌を目指すのは大変ですよ。バリエーションルートのために道も無い、標識もない。気をつけて行きなさい」と檄を飛ばしてくれました。山荘の夕食では珍しい「トンカツ」が出て美味しく頂くことができました。消灯8時おやすみなさい。
【パートナー・JONの声】
北アルプスの一般ルートはほとんど経験していたが、バリエーションルートである北鎌尾根は経験が無かった。それがなぜ北鎌に入ることになったのか。50歳で登山を再開して十二年、岩も雪も沢も十分やってきた。一般登山では毎年のように白馬岳や白山、御岳山など二十数人の参加者を連れて登ってきた。ぼちぼちプライベートで前穂高岳の北尾根や北穂高岳東陵をやってみたいと思うようになってきていた。
昨年9月。やまたび倶楽部で槍ヶ岳に登山したときのことだった。槍の穂先に登頂し、何も見えない周囲に目をやって感慨に耽っているときだった。濃霧の中、祠の横から2人のクライマーがアンザイレンで姿を現した。一人は山岳ガイドもう一人は中年女性のクライアントのように受け止めた。
「こんにちは。どこから上がってこられたのですか」と姫。
「北鎌からです」とクライマーの声。
全てはそれに始まった。普通、北鎌尾根がどんなところか認識をしていれば、そのような質問はしないものだが、知らないが故に出た質問だった。祠の横に出るのは殆ど北鎌尾根を登り切った場合である。そこに姿があると言うことは北鎌尾根登攀者ということである。ただ希に、子槍、孫槍、曾孫槍を登ったクライマーがその辺りに登り切ることがあるらしi。
「来年は還暦を記念して北鎌から槍に登りたい。登れるかなあ」 その言葉に対し、「ああ、登れる」私は、そう応えたようだ。
そう応えたようだが、応えた本人は全く忘れてしまっていた。