紀伊山地の霊場と参詣道:大辺地 2 草堂寺~周参見 2018.03.03

 
 
第2日目 3月3日(土) 晴れ 34,854歩 「 草堂寺~安居の渡し~仏坂~入谷橋~ 周参見駅 23km 」
草堂寺7:50富田坂➡安居辻松峠10:14➡安居の渡し12:50―13:20(昼食)➡仏坂16:00➡入谷橋➡周参見駅 周参見の宿 温泉民宿 かわべ泊 
2日目は草堂寺からスタートです。このお寺の裏手から熊野古道・大辺路ルートの富田坂が始まっています。熊野古道は田辺市から始まり山の中を通る中辺路ルートと、このお寺の裏から始まる海沿いの大辺路ルートの二つのルートがあります。
JR白浜駅近くの民宿 inn しらはま駅の店で美味しい朝食をいただき、前日お願いしていたタクシーで草堂寺へ向かいました
▲草堂寺 本堂 ▲熊野曼陀羅 第三十二番
草堂寺は、もと真言宗の円光寺といい、慶安元年(1648)に再興された際、臨済宗に改宗し、寺号も草堂寺と改められました。
18世紀末、京都の著名な絵師円山応挙の高弟、長沢芦雪は大辺路富田坂の登山口にあたるこの寺院に招かれ、襖絵や屏風絵(県指定重要文化財)を数多く描きました。
 
草堂寺の石垣はお城と同じような石積みがされており、江戸中期の古刹だった面影が残っていました。
南側の石垣沿いに、延びる苔むした石段を熊野古道大辺地は登っていきます。
 ▲一里松跡
草堂寺の石段を上がると一里松跡があります。これは、紀州藩が整備したもので、和歌山から22里を示しています。まずはスタンプ押印。
紀州藩は、特に道を大切にしていて、よく整備したそうです。そして、距離が分かるように、一里ごとに 「 松 」 を植えたそうです。それで 「 一里松 」 と言われるようになったとのことです。「 一里松跡 」 の所に、4基の石碑があります。その内の1基は、1647年銘の板碑で、「 南無阿弥陀仏 」 と彫られています。
大辺路の最初の難所と言われている険しい登りの富田坂は、白浜町富田から安居(あご)を結んでいます。
 ▲一里松跡    ▲馬谷城跡
▲大辺地 富田坂を行く
▲富田坂 七曲りの杉木立
▲白浜空港方面の景色が楽しめました
林道を抜けると、七曲りの急坂がはじまり、これが難所と言われる富田坂なのだと肌で実感せずにはいられません。みんな無口になり必死で高度を上げて行きます。富田平野や白浜から田辺湾にかけての海を横目に、坂を登り切ると、なだらかな起伏の尾根道に出て峠の茶屋跡を過ぎ、安居辻松峠(あごつじまつとうげ)に到着しました。
▲富田坂 茶屋跡
▲安居辻松峠には、舟形光背の地蔵立像が祀られていて、その台石部には、「 安居村 」 と彫られています。
ここらあたりで登山中の女性と出合い、私達と同じルートを歩く様子でした。この女性は安居の渡しの予約をしていなかったのですが幸運なことに私達が予約済みと聞き安堵した様子でした。「祝の滝」に行くと言うので「資料によると往復30分かけて行くほどではない。期待しないでと書いてありますよ」と余計な情報を入れるも「やっぱり行ってきます」と足早に消えて行きました。
この峠は白浜町富田と、現在は合併したので、日置川町ではなく白浜町になりますが、日置川の安居の境界にあたります。
また、草堂寺から安居辻松峠までを 「 富田坂」 と言い、安居辻松峠から三ヶ川までを 「 安居坂 」 と言います。
「 安居辻松峠 」 は、和歌山から23里(約92キロ)の地点にあり、富田と安居の境界であったことから、昔は、その両側に塚が築かれ、そこには松が植えられていたそうですが、昭和18年の山火事で焼けてしまったそうです。
安居辻松峠からは林道を下っていきます。ところどころ古道に入り、いにしえを感じますが、またすぐに林道に引き戻されます。御車などは通れませんが文人墨客は楽しみながら旅をすることが出来たのではないかと思いました。
▲安居辻松峠から三ヶ川バス停までの間の大辺地はこんなところを歩きます
▲庚申塔 
 ▲姶良火山灰層  
▲三ヶ川梵字塔
 大阪の信太からお越しの田代さん、祝の滝を見物して再び合流、いかに我々が遅いのかわかります。「三ケ川バス停」から船着き場まで同行しました。
▲安居の集落から安居の渡しへ
▲大辺路 唯一の舟渡し   安居の渡し
「安居の渡し」は、熊野古道大辺路「富田坂」を下った「安居」の集落から「仏坂」へ、日置川を渡る渡し船です。大辺路街道では唯一、舟でわたる熊野古道です。
既に船頭さんは待機済みで、わずか5分ほどの乗船時間ではありますが風流な時間を過ごすことができました。本来ならば水底が透き通っているらしいのですが前日の雨で残念ながら見ることは出来ませんでした。対岸に渡して貰った後は、長めの昼食タイムを取りました。今からまた仏坂が待っているのです。足を休め、腹を肥やし、仏坂の登りへと進みました。
このページを見ることが出来るURLを書いた名刺を お渡ししておきました。田代さぁ-ん楽しんでいただいてますかあ
▲仏坂を登ります
▲桂松跡
仏坂は、かなりの急坂です。「登ると言うことはまた下りがあると言う事やな」と自分に言い聞かせるように、とにかく足を前に運ばねばなりません。
 「仏坂茶屋跡」があり、江戸時代は臨時的な設営だったそうですが、明治以降人の往来が多くなって常設されたそうです。大正3年から昭和10年までの間、「安宅牛」と呼ばれる地元の牛の売買の市が開かれていたそうです。
仏坂を上ってきて林道を越えます 林道を左にとって周参見駅を目指すコースを和歌山県街道マップでは勧めていますが 私たちはこのまま旧道に沿って進んでいきます。 かつて林道の無いときはそのまま直進して行ったのでしょう。林道が出来た為に古道が分断された形の様です。
 ▲急な仏坂を下ります
▲不動尊
▲熊野古道 大辺路 仏坂登山口と近くの地主神社
やっと林道に出て喜びも束の間、また山道へはいりました。仏坂登山口(私達にとっては下山口)で一応ゴールの撮影会。みんな疲れた顔してるなぁ・・・。今回はジョンが、ドえらい元気でした。白内障の手術をすると、あんなに元気になる?(関係ないよなぁ!)
入谷バス停で時計を見ると午後4時を過ぎていました。やばっ、まだ5キロは残ってる。このまま歩いて行ったら5時に宿に到底、間に合わないよ!」今夜の民宿は食事付きで5時にはチェックインしますと連絡していました。誰ともなく「タクシーもいいよね~」「だよね~!」と言うことになりタクシーを呼ぶことにしました。タクシーは2台しかおらず5時になったら帰ってしまうところだったそうでグットタイミングでした。
▲仏坂登山口から ぶらぶらと周参見の町を目指します 
周参見王子神社
 途中にある周参見王子神社に立ち寄ってもらいお詣りとスタンプの押印を済ませました。「周参見王子神社」は、名前に王子と付きますが、熊野九十九王子には入っていません。主神は天照大神で、江戸時代末期から明治時代にかけて、千石船や運搬船を所有していた氏子が、海上交通の安全と家業の繁栄を祈願した大きな絵馬が数十点奉納されています。中でも当時の様子を伺うことができるという船絵馬は、周参見に船の出入りが多かったことを伝え、歴史的に貴重な絵馬として町文化財に指定されています。
民宿の前で下車16時58分、約束の2分前に到着できました。立派な温泉があり効能は写真に撮りました。この日は私達だけの貸し切りです。ゆっくりとお風呂に入り疲れを取ることができました。料理も食べきれないほどのご馳走で、食べきれず乙女たちから回って来る料理にジョンのお腹はパンクしそうでした。おかみの手作りの品が多く、利用客は、ほとんどがリピーターの方達だそうで「なるほど、この料理に魅かれてくるんですね」とうなづけます。
まだ最終日が残っています。早寝、早起き・・・最後までがんばりましょう!
民宿・かわべ   〒649-2621 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見4483-5   TEL 0739-55-3356   FAX 0739-55-3860  
旅の感想文
 ●JON
草堂寺の石垣と大辺路の石段は見ごたえがありました。なんと言っても日置川を渡る安居の渡しは熊野古道の良い思い出です この日の乗船客は私たち4名と単独行の男性1名そして単独行の女性1名の計6名でした 安居の渡し保存会の方は船頭さん2名と船を引き上げるための重機スタッフ1名の計3名携わっておられました。
2005年10月に、50年ぶりに「安居の渡し」を復活。渡し舟の復活のきっかけは、すさみ町の「かつら木材商店」さんから旧日置川町に舟をご寄贈いただいたことから復活できたそうです。
寄贈いただいた舟は全長7.5メートル、幅1.6メートルの美しい伝統の形をした川舟です。この舟を有効に利用し、熊野古道を歩く方々に利用して頂こうと渡し船を運用する体制を整え、「安居の渡し保存会」を結成され、現在は会員7名で、予約に応じて交代で渡し船の船頭を務めておられるようです。
これからも安居の渡しを継続していくためには、熊野古道を多くの方々が訪れてくださることを切に望んでおられました。
 ● ひ め
熊野川を下る「日足」から「新宮」への渡し舟は時間も乗船時間も長かったのですが安居の渡しは、日置川を横断するだけですので、わずか5分足らずで対岸に着いてしましました。しかしわずか5分であっても地元の保存会の人達が大切に守って維持されており人情と風情を楽しむことができました。峠越えの多いコースで登ったかと思えば下り、下ったと思えば登りと、かなりきつかったです。稜線で吹く風が心地よく元気をもらいました。
 文:美智子姫 
 
     ページの上部に戻る    
は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう