紀伊山地の霊場と参詣道:大辺地 3 周参見~江住 2018.03.04

 
 
 第3日目 3月4日(日) 周参見~江住駅 15.3km 31,179歩
周参見7:30➡君嶋組生コンクリートブロック➡馬転坂➡国道➡タオの峠9:28➡和深川王子神社10:08➡
➡長井坂13:15➡見老津駅➡エビとカニの水族館14:30(昼食)➡江住駅ゴール
宿のおかみさんと記念撮影を済ませ、お見送りを受けて馬転坂に向けてスタートしました。宿のすぐ前が熊野古道のため民宿・かわべ さんは最高に良い立地です。歩き始めて僅かで国道42号と合流しました。。
 ▲串の戸石碑群  ▲近畿大学すさみ分室  ▲野口雨情作 周参見小唄 歌碑
串の戸石碑群
国道42号線に出てすぐの国道沿いに9基の石碑が建っています。このあたりは半島が2ヶ所入り組んで「団子」のようになっていることから昔から「串」と呼ばれていました。
江戸中期に周参見下部の海岸に防潮堤を築いた「谷 三郎左衛門」の墓碑などが並んでいます。これらは国道の建設の時、旧道近くの海岸や丘陵の上にあったものを昭和46年(1971年)にこの地に移したものです。
▲ 周参見は磯釣りの盛んなところです
コンクリート会社の敷地内(公道らしい。「ここは公道です」の看板があったらしいが私は見落としている)を潜り抜け、馬転坂へと進みました。階段を登ってすぐに右折するとフィックスロープを張り崖に沿って2枚の板を足場にした危険個所を通過します。
「こんなにきつい坂だと馬も転び落ちるわなぁ」と名前の由来を話しながら、登っていきます。まだ朝なのにもう汗ばんでいます。この日は気温20度と暑かったのです。 
 ▲馬転坂
馬転峠の観音様
 馬転峠の草原を行く
長井坂西登り口から国道を離れ山へと入っていきます。JRのトンネルの上部を通過したあたりから道を左に分けタオの峠へと入っていきます。
長井坂は、一名長柄坂とも呼ばれ、和深川集落の奥から見老津長井谷の谷口に至る延長4.5キロメートルの大辺路街道の峠道で、国の史跡に指定されているとともに世界遺産にも登録されています。
▲「西の庚申さん」 ▲JR・紀勢線 ▲お地蔵さん
▲明治43年の「境目石」
▲タオの峠 
タオの峠にさしかかりました。「タオ」とは「たわむ」ということをこの地方では「たおる」と言い「なだらかに湾曲した峠」であることを意味しています。
▲イルカの形をした家
集落の中を歩いていくと、イルカの格好をした珍しい家がありました。このイルカの家を目印に山手に熊野古道があるはずだとジョンが下見に行きましたが行き止まりで引き返してきました。しかし、しばらく歩いていると「大辺路」の看板を上の方に見つけました。あの看板は登り口に必要なのではないでしょうか?
▲JONが古道の探索へ ▲モチツツジ ▲JONのいない間は列車見物 ▲アッJONが戻ってきた…ダメか!
国道歩きの後時々やってくる紀勢本線の列車を見ながら歩いているとミカン畑にミカンが沢山落ちています。腐るのを待つだけの様なので2個だけいただきました。
大阪から移住して来たと言うおじさんが「もっと持って行きなさい」と言ってくれましたが重たいでしょ?
▲地元の方と談笑しながら行きます ▲古道は集落の上を通っています
和深王子神社は大辺路二つ目の王子社
ここは寛永2年(1625)に松本四郎大夫広正によって創建されたもので、王子神社と春日神社を併せて祀られている。宮の森にはナギやムクといった古木、大木が立っている。和深川王子神社でトイレ休憩をして、ミカンを食べているとバイクに乗ったおじさんが「熊野古道」と書いた笠が物珍しかったのかバイクをUターンして話しかけてきました。和歌山弁訛りが心を癒してくれます。とにかく長井坂はきつい坂だから頑張れよと励まして帰って行かれました。
▲丸山の掘割
その昔、大辺路はこの丸山の掘割を通っていたようですが JR紀勢線によって分断されています。
▲徳本上人名号碑 ちょっと書体が違うような気もするが… ▲野に咲くスミレ
▲和深川登山口から、いよいよ大辺路の難所の一つ、長井坂に入っていきます
長井坂は別名長柄坂とも呼ばれ、見老津長井谷の谷口までの全長4.9kmの峠道です。
小さな沢に架かる鉄製の小橋を渡ると長井坂の登りにかかる。この辺りには住居があったのか綺麗な石積みが残されている。ここから尾根筋まで杉木立の中をおよそ30分の急坂歩きがはじまります。
▲急坂が終わると緩やかなアップダウンの尾根道が続きます
世界遺産の熊野古道「長井坂」の「版築(はんちく)」(幅約1メートル、延長約60メートル)がシカやイノシシの横断により部分的に損壊する被害が出ている。このため、長井坂を管理しているすさみ町教育委員会がこのほど、周囲に防護柵を設置する応急措置を施した。町教委は県世界遺産センターと協議し、近く損壊部分を修復する予定。
古道語り部などの関係者は「版築の表面のあちらこちらに木の根が露出しているが、世界遺産に登録される前はいまほどではなかった。人の往来が増えたり、イノシシやシカの通るルートが変わって頻繁に横切るようになったりした上、雨で土が流されるなどして傷みが急速に進んだのではないか」と話していました。
▲江住海岸 江須崎方面を望む ▲長井坂ももうすぐ終わりです
 ▲茶屋の段
長井坂を下る途中車道に出ました。電波塔や建物がありました。
道の傍らに「石の道標」が立っており、「みぎハやまみ?」「ひだりハくまの??」と読むことが出来ます。下の文字は土に埋まっていて読むことが出来なかったです。
▲無事に長井坂を下り長井坂東登り口に到着です
 ▲江須崎方面を望む
車道歩きをしていると見老津駅が見えてきました。もう体力的にも限界が近いため電車に乗ろうと時間を見たら2時間ほど待たないと来ないため「もう少し頑張って一駅歩こうと言うことになり海を見ながら重い足を引きずり歩きました。「スリの浜」の入口がわかりません。それらしい踏み跡があるのですがロープ無しでは行けそうもないのです。帰宅してから資料を読むと誰しもがここは諦めていることがわかりました。 
浜辺歩きを諦めて「エビとカニの水族館」の建物が見えてきました。「道の駅・すさみ」に到着です。時間は2時30分を過ぎていました。「何か食べよう」とレストランに腰を下ろし遅い昼食タイムです。さほど空腹は感じませんが、長めの休憩のためにカレーライスやうどんを注文しました。 
「道の駅・すさみ」から5分ほどで、この日のゴール江住駅に到着です。1時間待てば電車がやってきます。特急「くろしお」に乗車する予定を急きょ高速バスに乗り換えて経費節減~。次回の宿泊費に回せま~す。紀伊田辺の駅でバスの切符を購入し「閉店ガラガラ」寸前の店に強引に入り、みかん、絹サヤ、ブロッコリー、(何故か、誰かさんが甘酒購入)などを買い込み、駅構内で酒と肴を買い占めてバスの中で美味しく頂きました。車内では足のケアをする人、グースカピーと爆睡する人と様々でした。コース設定のジョンさん、参加してくれた乙女たち、留守番隊のポッチーすべてに感謝です。無事計画通り「第1回目」の幕を閉じることができました。
「タクシー利用について」
熊野古道を歩くとき、タクシー利用が度々出てきますが、私達は山の中、土の上を歩くことには快適さを覚えますが、アスファルト歩きになると何故か苦痛を感じ膝痛を心配しはじめます。4人もいれば、どんなに遠い距離でも一人の負担は少ないです。アスファルト歩きになるとタクシーを便利に使うのも楽しく歩く秘訣ではないかと考えています。大阪だと迎車依頼した途端に料金が発生しますが、和歌山は客を乗せてから料金が発生する、とても良心的なシステムです。タクシーの中で宿の情報や美味しい店、見どころなどの情報収集も出来て一石二鳥!

「さすが!のどかな紀勢線!」
江住駅から田辺駅に向かうワンマンカーの電車に揺られていた時、突如、ブー・ブー・ブーと警笛音が鳴り響きブレーキが掛かりました。
「何か事故やなっ!」と直感しました。窓の外を見ると何やら黒い影がチラッと走り去っていくのが見えました。
電車は何事もなかったように春の風を受け走りはじめました。
紀伊田辺駅に到着して運転手さんに「さっきの警笛とブレーキは何だったんですか?」と質問すると「鹿ですよ、シカも3頭もね」と笑顔で答えてくれました。
都会では線路に小石を置いたり、自転車を置き去りにしたりと悪質なイタズラが多い中、鹿のおでましは日常茶飯の様で、事故になるかも知れない出来事なのに、
何故か微笑ましかったです。
旅の感想文
 ●留守番隊ポッチーの感想
みなさんお疲れ様でした。無事に予定が終えられたことは毎日の下山報告書が送信されてきますので確認できて安心できました。みなさんからの随時のラインで楽しさが伝わってきました。写真も送信して頂き、私自身も一緒に参加している気分になれました。ご配慮ありがとうございました。私も治験の成果が夏ごろには出ると思います。結果良ければ、少しづつ里山歩きを始めたいと思っています。その時はどうぞよろしくお願いいたします。次回も頑張って完歩して下さい。
 ●JON
歩き始めて最初の難所はコンクリートブロック製造会社の構内を通過することだった。色々下調べは済ませていたのですが、現場の従業員さんに「何処歩いてんや」と言われはしないかとヒヤヒヤもの。生来の気弱さが出てきた次第です。日曜日ということもあり、人に会うこともなく難なく通過、過ぎてしまえば良い思い出の一コマになりました。馬転峠は戦後開発が行われたようですが途中で開発をあきらめ、今は草原の中に観音様が一体太平洋に向かって海の安全を祈っているようにでした。
この日の難所は長井坂上りも下りも急傾斜の中を歩いたが尾根歩きは快適でした。
前日周参見に入り、民宿・かわべさんで一泊、次の日、周参見~見老津間の馬転坂➡タオの峠➡長井坂➡見老津駅をハイキングされるのはいかがでしょうか。
    民宿・かわべ   〒649-2621 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見4483-5   TEL 0739-55-3356   FAX 0739-55-3860 
 ●靖っちゃん
熊野古道大辺路、今回も天候にも恵まれ、見所も数多く、お陰様で最高の熊野詣でとなりました。梅の香薫る街道を進み、幾つもの峠を越える度に太平洋の絶景が広がり、感動でした。又海岸沿いに進むと、磯の香りが漂い、民宿の温泉に癒やされ、3日間完歩する事が出来ました。
 ●junko
回、大辺路の紀伊田辺から江住まで。まず富田川、この川は昨年歩いた熊野古道中辺路(稲葉根王子から滝尻)を並走していて、今回大辺路の下流部上富田で2011.9.23の台風で流失した赤い橋、山王橋(潜水橋、全長135m)を渡った。幅は狭く欄干がない、風でもあったらもっと怖いなーと思いながら進み、もうチョットで着く、向こうから郵便局のバイク、止まりもせず進んでくる、我々が立ちすくみ通り過ぎるのを待つ恐怖(?)を味わった。
次に日置川(安居の渡し)、往事の姿そのものの渡し舟に乗るのだが、利用日3日前までに予約しないと乗船出来ない。途中出会った若い女性は我々が幸運の女神チャッカリと一緒に乗船した。
最後はいずれも長~い、富田坂、仏坂、長い坂、特に長い坂は雄大な枯木灘海岸を望みながら南下する山道でしたが、いずれもき~つい。
付録は和歌山弁、宿の女将と浪速の姫さんの掛け合いを楽しんだ。和歌山出身の知人を久し振りに懐かしく思い出した。
 ● ひ め
中辺路コースに比べて大辺路は道標がありませんでした。有ったとしても木製のため文字は消えて道標の役割を果たしていませんでした。世界遺産と豪語するならば、観光協会や役所はきちんとメンテナンスをする必要があるのではないかと痛感しました。予定のコースを疲労具合いに応じて臨機応変に変更して頂き助かりました。「楽しかったね!」「気持ちよく歩けたね!」と喜び会えるのは20kmまでだと痛感しています。
 文:美智子姫 
 
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は平成12年(2000)に完成した東横堀川水門は、道頓堀 川水門と対になっている閘門です。①門の前後で水面の 高さが違う時に水門内で水位の調整を行い船舶を航行さ せる、②大雨や高潮で水位が上昇する時は水門を閉めて 浸水被害を防ぐ、③潮の干満を活かして門を開閉して水 質をきれいにする、という役割があります。水門が開閉す るときに船の信号がわりに出る噴水は、大阪市章「みお つくし」のかたちをイメージしてつくられたそう