高野七口 その1  高野七口 その2 高野七口 その3   高野七口 その4 高野七口 その5  高野七口 その6 高野七口 その7 
2020..2.17
第1回目は妙寺駅から丹生都比売神社~六本杉~雨引山分岐~慈尊院~九度山駅
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 を歩くきっかけとなったのは2011年の東北地方太平洋沖地震で亡くなられた多くの方達の追悼をしようと言うことでスタートしました。あれから2019年までの8年と言う年月をかけて78コースを歩きました。春を待ち、残る高野七口を歩き始めることにしました。 
 弘法大師空海により開創されて以降1200年間、和歌山県の高野山は多くの人々の信仰を集め、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産へも登録されました。弘法大師空海入定以来、大師信仰の広まりとともに、人々の参拝が盛んになり、高野山へ通じる七つの道が高野七口と呼ばれました。 明治5年(1872年)まで高野山は女人禁制であったため、女性は高野山へ入れず、七口の各入口にはお籠り堂として女人堂が建てられていました。七つの女人堂を結ぶ道は高野山女人道と言われ、八葉蓮華の峰々をめぐりながら、女性たちは大師御廟に手を合わせたと言われています。
 南海難波駅7時48分と早いですが妙寺駅到着が9時を過ぎますので、うかうかしていると日暮れになってしまいます。色々コースを短くしたり長くしたりしましたが過去にゴールが遅れてバスに乗り遅れ泣いたことも度々ありましたのでゴールは安全な九度山駅と二転三転致しました。いつものことながらコース選びは難しいです。7時48分発車間際になっても正ちゃんの姿がありません。乗り遅れないように電車のドアに足を掛け改札口を覗いているとラインが届き「1本早い電車に乗りました・・・」まっ、遅れるよりええかな(笑)
今回はJR和歌山線の妙寺駅からスタートします 
歩きだしてすぐ モズくんがお見送りをしてくれました  スズメくんもいました…
午前9時20分、妙寺駅をスタートして紀の川を渡ります。紀の川は奈良県と三重県の県境に跨がり全国的にも有数な多雨地帯として知られている大台ヶ原を源流とし、紀伊山地を北西へと流れ、高見川と合流後西へと曲がり、中央構造線の南側に沿って、竜門山地、金剛山、和泉山脈を北に見ながら西流し、和歌山市で紀伊水道に注いでいます。
 歩いていると公園の真中に大きな平和祈念像が建っていました。この像は万国戦没者の精霊を供養し、世界平和を祈念して昭和34年に着工、59年に完成したそうです。和歌山県を代表する彫刻家、保田龍門氏の設計によるもので、胎内には世界各国から贈られた由緒ある小石を納めています。高さ18mで奈良の大仏よりも高いです。
 紀ノ川を渡って 紀ノ川の側に酒殿神社の案内碑 幼稚園の壁面 酒殿神社参道
突き当りにはよくわかるように「三谷坂トレッキング」と明記したステッカーが進行方向である矢印を指していました。
紀の川に掛かる三谷橋を渡るのですが橋の上は風も強く帽子が飛ばされそうになりました。この日は今年一番の寒波と言われるだけのことはあり「さぶっ!」と思わず亀のように首をすくめて歩きました。橋を渡り右に折れると丹生酒殿神社の碑があり道標に従って歩いていきました。近くで元気な子供たちの声が聞こえてきました。小学校があるみたいです。「子どもは風の子」と言いますが寒空の下にも関わらず外で元気に駆け回っていました。かつらぎ町立三谷小学校の壁には魚や昆虫のイラストが描いてあります1枚づつ写真を撮っていると 「そんなとこで時間かけたら暗くなるぞ~!」 と促され急ぎ足で追いつくと、坂の上に大きな鳥居がありました。
丹生酒殿神社
 妙寺駅から歩き始めて30分ほどで丹生酒殿神社に到着です。境内社の鎌八幡宮は、御神木に鎌を奉献(刺し)し、願掛けをしていた事で知られています。
ここで「高野七口押印帳」に最初のスタンプを押しました。結構スタンプゲットも楽しいものです。
神木 イチイガシの大木…5人でやっとでした 一周7m50cmは有りそうでした
 休憩の後、午前10時に丹生酒殿神社を出発し、右に曲がりしばらく歩くと宮滝に到着です。滝がよく見えないのでジョンに「代表で下に降りて撮影してくれば?」と言ったものの「怖い最近なんか知らんけど怖いんや」との返事、足場が悪くロープも無いし宮滝に降りるのはあきらめました。
登るほどに谷の向こうが美しく見えてきます
 宮滝を過ぎると急な登坂にさしかかりました。資料にも急な登坂と書いてはありますがこんなに急坂なの?と悲鳴を上げるほどでした。しかも谷の水で登山道は漏れており滑りやすく「おっ、おっ」と誰かれとなく、足を滑らせている様子です。ジョンは「歩き方が悪いから」と言いますが本人は「靴が悪いのだ」と譲りません(大笑)
笠 石
10時35分、笠石に到着です。昔弘法大師が高野山へ登る途中の山道で、かぶっていた笠がにわかに吹いて来た強い風に飛ばされて行方が分からなくなりました。そこで里人があちこち探した所、石に引っ掛かっているのが見つかり笠石と呼ばれるようになったそうです。その雰囲気を出すために姫がかぶっていた笠をかけて記念撮影です。一人の男性が下りて来ました。この日に出会った登山者はこの人だけでした。
軽四の傍にお爺さんが野良作業をしており「こんにちは!」と言うと「丹生都比売神社までは遠いぞぉ、それに道も悪いしのぉ」気を付けて行ってきますと挨拶をして上り坂を黙々と歩いているとフキノトウの大群を見つけました。見逃すはずがありません。有難く春の惠を頂いて歩き始めると次は鋒立て岩(ほこたていわ)経文岩などがありました。
家に持ち帰り息を吹き返した フキノトウ ちょっと休憩 鋒立岩(ほこたていわ)
紀ノ川の流れと橋本の町
わずかな距離に涙岩がありました。昔から水が枯れたことがないそうで、この日も途切れることの無い清水がまるで涙のように流れていました
遍路道
頬切地蔵
30分程で頬切地蔵(ほきれじぞう)に到着です。「頬切地蔵」 は、地元でもよく知られている石造物で、北面が大日如来、西面が阿弥陀如来、 東面が釈迦如来で、 蓮華座と後背が丁寧に彫られていました。 「頬切地蔵」 の呼び名は、 一仏が頬を斜めに切られているように見えるからだそうです。 
まっとう岩
  少しルートから外れたところに、まっとう岩があるという事で姫以外はみんなで訪れました。姫はまっとう岩には立ち寄らずそのまま、ゆっくりと高度を上げて歩いていきました。(ちゃんとリーダーには許可取ったよ!)
まっとうの意味は定かではありませんが、麓から三谷坂を登る目印にした岩だとか。
笠松峠
 「車道に出たよ~!」姫が上から叫んでいます。車道を歩いて行くと笠松峠の看板が見えました。笠松峠で記念写真を撮り、再び山の中の道へと入りました。間もなく丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)に到着するはずです。お腹も空いてきました。時間は既に正午を過ぎています。
駐車場の看板があり赤い鳥居も見えてきました。太鼓橋も見えてきました。丹生都比売神社に到着です。私は一度バスで訪れ団体でお祓いをして貰ったことがあります。こんな山の中にこんな立派な神社が・・・と驚いたことが思い出されました。立派なはずです。高野山と深いつながりがあるのですから・・・。 
丹生都比売神社
神社境内の中に入った途端、寒さが急に増してきました。境内には焚火があり思わず近寄りましたが煙っているだけで暖を取るほどではありませんでした。スタンプを押し、寒さをこらえて昼食タイムです(昼食風景の写真無いよ・・・いつもの事だけどね!)

丹生都比売神社は、空海が金剛峯寺を建立するにあたって丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い関係にある神社です。神社背後の尾根上には高野山への表参道である高野山町石道が通り、丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝する習わしであったといいます。
午後出発の時 見送りをしてくれたツグミくん 貧女の一燈お照の墓の分岐とそこに立つ碑
寒さで震えながらの昼食後は六本杉に向かいます。車道を横断して山道に入ると、またまた急な登りとなりました。「きっついなぁ!」食後の満腹状態からの急登にあえぎながら30分ほどで六本杉に到着です。「どこに杉の木があるの?ヒノキばっかりやんか~」大きな看板のあたりは、かなり広い場所になっており、昔は杉の木が6本あったのだろうと想像することができました。正ちゃんが学者的な発言で「町石道を(まちいしみち)ではなく(ちょういしみち)と読むのはこれいかに?
六本杉は町石道の要衝で136番町石のあるところです
榧蒔石
銭壺石
町石「156」のところに銭壷石がありました。20年と言う長い年月をかけて町石道が整備されたそうです。整備作業の際、この石の上に置いた壷に給金を入れ、作業員につかみ取りをさせたそうです。銭壷は上がくびれているため欲を出して、たくさん銭をつかんでも手がひっかかって取り出すことができません。そのため大きな手の者も、小さな手の者も、つかめる銭の量は大差なかったと言われています。 
果樹園沿いにあった 100円の無人販売
柿の木のだんだん畑を見下ろしながらかなり高度を下げてきました。途中にミカンの無人販売の小屋がありみんなの足がピタリと足が止まりました。有料のミカンと無料のミカンが区別されており、まずは無料のミカンを頂きました。100円で色々な種類のミカンをゲットしリュックの中にはミカンがいっぱいとなりました。(重たっ!)
下りなので楽ちんなはずなんですが、これがまたクセモノで登山道は水が常に流れており、苔むした道は滑りやすく一歩一歩注意しながら下っていきました。目の前で正ちゃんがドスンッと言う音を立てて尻餅を付きました。おまけに斜面を滑っていく姿を・・・やっぱり靴が悪いのか?(後で聞いたのですが右足の筋がやられてる~って・・・笑)
空を見上げると何と雪が降ってきました。寒いはずです。空はどんより曇っています。「雨より雪が好き~」と言いながら「雪の降る街を」など鼻歌まじりで足取りも軽かったのですが期待したほどの雪にはなりませんでした。
ゴール近くでヒヨドリくんやメジロくんがお出迎えをしてくれました
丹生官省符神社
六本杉の「136」の町石を確認し慈尊院までの町石「180」を数えながら下り坂を楽しみました。ここが180町石です
 慈尊院に到着です
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、816年、弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。弘法大師は月に九度(9回)、高野山からお母様に会いに来られました。そうしたことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。「180」の町石でゴール!です。
しかし慈尊院から駅まではまだ30分程歩かなくてはなりません。陽が落ちてくると気が焦るのでしょうか、疲れもドッと押し寄せてくる気がしました。
 ● ひめの感想 
いやぁ寒かったなぁ!長かったなぁ!リュックが重かったなぁ!山で19㎞ってか? しかも急な登りと急な下りでまるで修行やな。
これこそが世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道・熊野古道なのかも知れません。次回からは荷物を軽量化し、すべり症の負担を軽減しないと皆さんについていけない気がします。まぁjunkoちゃんと靖ちゃんの元気なこと!脱帽です。写真を1枚とっている間にアッという間に距離が離れてしまいます。急ぎ足で追いつこうと言う気が無いので、だんだん距離が開いて行きました。荷物の軽減方法は「米よりもパン」「合羽よりもボンチョ」「おやつは飴3つ」「お茶は1本」とし、足らずは途中の自販機で補給したいと思います。今回は慈尊院から九度山駅までの30分のアスファルト歩きがとても辛かったです。バスかタクシーはないのかと何度思ったことでしょうか。
いただいた山の幸「フキノトウ」は天婦羅にして美味しくいただきました
● 靖ちゃん
 町石を数えながら六本杉から慈尊院まで下ったのが楽しかったです。路傍の一袋100円みかんも美味しかったです。
フキノトウはお味噌汁に入れました 美味しかったです
● 留守番ポッチーさんの感想
おはようございます。皆さん楽しんできて下さい。いつも道中の写真ありがとうございます。留守番しながら参加した気分で楽しませて貰っています。寒くなってきたけど皆さん風邪ひかないように気をつけて帰ってきて下さい。ご安全に!!
● junkoちゃんの感想
登りは何とか登って行けるけど下りが辛いです。十年ほど前に町石道は下ったことがあったんですが ほとんど思い出せませんでした。果樹園の中から紀ノ川を見た時、この景色は何となく見覚えがあると思いました。 しっかり頑張って高野七口すべて踏破したいです。
フキノトウはきざんで きつねうどんにトッピングしました 美味春だあ
● 正ちゃんの感想
通勤客と反対のほうに移動することに何やら良いことがありそうと思いました。列車は空いているし、山間部では人とほとんど会うこともなく 楽しく風景を満喫できました。
● JONの感想
皆さんお疲れ様でした。オイラは今回も疲れました。どうにかだましだまし登ったものの、まっとう岩から笠松峠にかけてはダウン寸前どうにか丹生都比売神社に到着です。過去4回歩いている町石道ですが二ッ鳥居を通過するたびに丹生都比売神社を撮影したいと思っていました。この日念願かなって参詣、荘厳な楼門は重要文化財でありその奥の四殿も素晴らしい佇まいを見せていました。
帰路は上天野の集落から八町坂を登り 二ツ鳥居から古峠、六本杉を経て町石道を慈尊院に下る予定でしたが、私の体力が不安になり直接六本杉に上がるルートをとりました。
それが功を奏し あわや遭難という寸前で慈尊院に到着しました。二ツ鳥居を回ると一時間半余分にかかるので良い選択だったと言うか怪我の功名というか… です
姫からフキノトウのてんぷらを差し入れていただきました 生まれて初めて口にしました うまッ!
 
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