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 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
 2017
熊野古道 紀伊路 
京の都、城南宮に参詣祈念後、旧小枝橋辺りから船に乗って淀川を下り、八幡八幡宮に参詣、その後再び淀川を下り天満の八軒屋船着き場に到着した。当時の淀川は現在の新淀川の流れではなく、現毛馬閘門から南に下り、桜ノ宮、天満と流れ堂島川、安治川と三角州の中を流れ大阪湾に出ていた。
八軒屋船着場に上陸した御幸一行は最初の船窪王子に参詣後九十九王子を訪ねながら熊野本宮大社を目指していく。因みに九十九王子とは99箇所の王子があるというわけではなく、それほどに多くの王子を訪ねるという意味のようで、実際は99箇所を大きく超える王子が祀られていた。
京から船に乗る箇所も何か所かあったようですが、中でも賑わっていたのは、桂川、淀川、宇治川の三川合流の地「淀」の町にあった「宮の渡し」だったようです。
「淀(古くは輿等・与等)」は、三川の水がこの地で流れがとどこおり止まる「淀む」ことから生まれた地名だと考えられています。
▲ 城南宮 ▲ 石清水八幡宮
 ▲ 毛馬閘門の上流側水路 ▲ 淀川堤防から淀川を望む
 ▲ 毛馬閘門 ▲  めがね橋
 ▲ 春風や 堤(つつみ)長うして 家遠し     与謝蕪村の歌碑 ▲ 毛馬閘門界隈の景色 
 ▲ 毛馬の残念石が放置されている  ▲ 三体地蔵 ▲  毛馬閘門の下流側水路  ▲ 毛馬橋より天満方面を望む
夏河を
越すうれしさよ
手に草履
かなしさや
釣りの糸ふく
秋の風
閻王の
口や牡丹を
吐かんとす
鳥羽殿へ
五六騎いそぐ
野分哉
▲ 毛馬橋東詰にある蕪村公園に立つ 与謝蕪村の歌碑
 ▲現在の八軒屋浜船着き場の残る大阪府作成のモニュメント
▲現在の八軒屋浜船着き場
  
 
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