大日越え 川の参詣道   其の1
 01:京都~天満  01-2:八幡~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取布施屋
 06:布施屋~海南  07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養 
 12:芳養~稲葉根  13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道
 18:大雲取越え  19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え
 24:大日越え  25:川の参詣道     姫のリベンジ     ウッチーの補行     那智勝浦散策  感想 & 編集後記
新宮 (8:40)~バス移動~日足(9:16)熊野川行政局で受付後センターの車で乗船場へ
ホテル越の湯で朝食を済ませ不要な荷物はロッカーに預けJR紀伊勝浦駅までウオーキングです。
紀伊勝浦駅から新宮駅まで迄、JR紀勢本線を利用、先日歩いた大狗子峠や高野坂はトンネルで一潜りです。
新宮駅前で35分待ち、川丈線のバスに乗り換えて熊野川行政局のある日足バス停に向かいます。
紀伊那智駅も新宮駅も熊野古道・熊野三山ムードいっぱいでーす
新宮駅前からはバスで神倉神社の下を通って熊野川沿いに走り日足バス停で下車です。先日土砂崩れのために中止にせざるを得なかった土砂崩れの現場も片側通行で通ることができました。雨粒がバスの窓ガラスを叩き始めましたので車内で合羽装着。準備万端整えて日足バス停に到着、バス停には語り部さんが出迎えにきてくれていました。先ほどから降り始めた雨は本降りの様相です。 
熊野川行政局で乗船手続きと大切なスタンプの押印を済ませ、見渡すと外国の人たちばかりでした。やはり日本人は私達だけみたいです。外国の人たちは雨具を持っておらず簡易合羽の購入に時間がかかり(大きいだの小さいだの・・・)出発が少し遅れましたが2台のワゴン車に分乗し乗船場まで移動しました。
一艘は8名ですべて外国のお客さま、もう一層は2名の外国からのお客様と私たち5名です。
「世界文化遺産に登録されている川の参詣道」の舟は「那智号、八咫烏号、本宮号、速玉号」の4艘で、どの舟に乗るかは選べませんが私達の舟は「速玉号」です。和傘とオレンジ色の救命胴衣を着用します。勿論船頭さん付き、語り部付きです。全長16Km、約90分の旅の始まりです。前回は国道の崩落で無念の中止でしたのでワクワク感満載です。進行方向の右側が和歌山県、左側が三重県、県境の熊野川を下っていきます。
世界文化遺産に登録されている川の参詣道。昔の熊野詣では、庶民は歩き、高貴な方々は舟で川を下ったそうです。と言うことは私達はいま「高貴なお方コース」を体験できるということなんですね。(笑)今の舟はエンジンが付いていますが昔は手漕ぎの舟で何日もかかり、晴れの日もあれば、時には雨の日もあったため、運行時間は様々だったようです。現在でも雨天であっても川下りは中止せず、昔と同じように体験してもらうのだそうです。(ただ水量によって危険な場合は勿論中止)
▲川の参詣道 乗船場に到着です
▲いよいよ出航です
▲今日の語り部さんです 英語と日本語で案内してくださいます
▲ドライバーさんは出航を見送ると新宮の権現河原にひとっ走り、私たちを出迎えてくれます…ザックは車で運んでくれます
▲蛇和田の滝
▲熊野川左岸 川丈街道 比丘尼転び あたり
 「比丘尼(びくに)転び」という場所も通過しました。崖が垂直なため、その昔、熊野詣でに歩いていた比丘尼さんたちが転んでしまったというほど険しい道だそうです。
▲たたみ屏風岩             「イヌ・キジ・サルに見えますか auの桃ちゃん来ないかなあ」…語り部さんがおっしゃってました。▲ 
 ▲霧の中を行く参詣船
▲ 陽   石 陰   石
   ▲熊野川を越える渡り鳥
▲骨  嶋
▲釣鐘岩
 釣鐘形の岩の割れ目が、今にも川に落ちそうに立ちます。この石が崩落するとこの世が滅ぶともいわれています
昼嶋です
昼嶋の上部の岩は、碁盤の目になっているそうですが今回の上陸は雨のために通過。昼嶋は熊野権現が降り立って昼食を楽しみ天照大神と碁を打ったという伝説がある島です。
川の途中には和歌山県と三重県の県境の場所があり船頭さんは和歌山県と三重県それぞれに住んでいます。この川辺まで車で来て、ここに止めてある川舟に乗り換えて、いざ「出勤」するのだそうです。(増水チェックポイントでもあります)車が駐車して要る時は船頭さんが出勤しているということです。そういえば軽トラが2台あったよね。
▲畳   岩 御船島(みふねじま)をグルリと1周。この島は神事を行う場所なので入れないそうです。御船まつりの時には島の周りを9隻の舟がまわるのだとか。
上の写真をクリックしていただきますと動画が再生されます  
語り部さんが篠笛を吹いてくれました。
動画でご覧いただけます。この時ばかりはエンジンを止めて静寂の中で笛の音が響き渡ります。
昔は手漕ぎで、何日もかかった川下り、高貴なお方を退屈させないよう、付き人が歌や笛などを披露して楽しませた様子が目に浮かんできて心が癒されます。
「来て良かった!」と思う一瞬です。25回の熊野古道の中で雨の大雲取越えと雨の川の参詣道は甲乙つけがたい最高の思い出となりました。
千穂ケ峰 この山懐の南側に 神倉神社ごとびき岩があります
熊野川には橋が無く速玉大社近くにある橋が初めての橋となりました。アーチの掛かっている方が三重県、右の何もない方が和歌山県。その先は太平洋です。
船を降りて熊野速玉大社へ向かって歩くと川原家横丁があります。川原家横丁には熊野比丘尼の絵解きがあり昔は比丘尼(びくに)さんが、熊野曼荼羅で絵解きをしながら熊野信仰を広めたそうです。
昨夜、予約していたタクシーの出迎えを受け湯快リゾート越乃湯に辿り着きました。充分時間があるため温泉にジャボンと浸かり汗を流しました。
大阪行きのバスは午後2時前に出発です。あとは眠りについて大阪まで・・・なんと豪華な旅なのでしょうか。
『熊野比丘尼(くまのびくに)とは』
熊野三山に属した有髪の女性仏教信者のことです。熊野比丘尼が活動したのは戦国時代の頃から江戸時代にかけて。荘園を失い、参詣者も減り、経済基盤が揺るぎだした熊野三山の運営資金を集めるために熊野比丘尼は諸国を巡り歩きました。毎年年末から正月にかけて熊野に年籠りし、伊勢に詣でたあと、諸国を巡り、熊野信仰を布教し、熊野牛玉符(くまのごおうふ)や梛(なぎ)の葉を配って、熊野三山への喜捨を集めました。熊野三山のために勧進(かんじん)。社殿などの造営修復のために寄付を求めて歩くこと)したので勧進比丘尼とも呼ばれ、「熊野勧心十界曼陀羅」などの「熊野の絵」を持ち歩き、その絵解きをして熊野権現の慈悲を説いたので絵解き比丘尼とも呼ばれ、また、ささら(竹を細かく割って束ねて作った楽器)を摺りながら歌念仏や流行唄をうたって人々を引き付けもしたので歌比丘尼とも呼ばれました。
 【MEMO】
JR勝浦から新宮 240 円
新宮~日足までバス料金1080 円
乗船代3900円
新宮権現浜下船後、速玉大社前からタクシーで腰の湯5500円(ひとり1100円)
 (姫の感想)
これで中辺路すべて終わりました。終わってみると寂しいような、よく続いたものだとの思いが頭の中を交差します。「これにて一見落着~」と思いきや・・奥の深い熊野古道は未知の世界の大辺路、伊勢路と続きます。さてどうしたものかと思案のしどころ、懐具合と相談となります。企画者をウッチー会長にバトンタッチし、また秋から新たなる「大辺路・伊勢路」コースが始まるかも知れません。いつお誘いが掛かっても歩ける体力作りをしておきたいと考えています。一番の悩みは「どこで区切るか」「どこで泊まるか」どのコースも、これに尽きます。距離ばかり気にしていると駅から遠かったり、宿が無かったり、バスが無かったりと大変な思いをしたこともありました。これほどまでにして平安時代の熊野詣に近い状態で歩いたのですから「熊野古道ぜ~んぶ歩いたよ」と豪語してもいいのではないでしょうか。長い間ご一緒して頂きありがとうございました。おかげで楽しい熊野古道、紀伊路&中辺路でした。振り返って「もう一度歩きたいコースは?」と聞かれたら迷わず「雨の大雲取越え」と答えます。でも、きつくて、長くて、辛かったなぁ。途中、地蔵堂辺りに宿があれば、ゆっくり雨の日を狙って歩いてみたい気がします。
 文:美智子姫  
 
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