01:京都~天満  02:天満~浅香山  03:浅香山~久米田  04:久米田~和泉鳥取  05:和泉鳥取~布施屋  06:布施屋~海南
 07:海南~紀伊宮原   8: 紀伊宮原~湯浅  09:湯浅~御坊   10:御坊~印南  11:印南~芳養   12:芳養~稲葉根
 13:稲葉根~滝尻  14:滝尻~継桜  15:継桜~熊野本宮  16:大門坂  17:かけぬけ道  18:大雲取越え
 19:小雲取越え  20:那智~那智山  21:速玉大社~那智  22:長尾坂・潮見峠  23:赤木越え  24:大日越え
 25:川の参詣道     姫のリベンジ      ウッチーの補行     那智勝浦散策    みんなの感想      編集後記
 
  【編集後記・・・ひ め】
 今迄の山行でこんなにも長いシリーズは初めてでした。みんなよく頑張ったと思います。
私の役割は宿の手配、バスの手配などの渉外担当とレポート作成担当でした。
歩きながらタイムの記入や、見たもの、感じたものをメモるのは、なかなか大変でした。書き上げたレポートが時々「順番が違うぞ!」と言われたこともありましたが今となってはそれもまた良い思いでです。

まずは和歌山観光協会などに電話をして資料集めから。資料送付の依頼をしたものの「うちの管轄ではありません」と断られて別の観光協会に電話をしたり宿の手配は限りなく熊野古道に近い宿を探したばっかりに失敗の宿もありました。(苦笑) 言うなぁぁぁナイショ。(影の声)

日帰りコースは悪天候ならば前日に延期が出来ましたが宿泊を伴う場合は悪天候でも出発をしなくてはならず同行者に申し訳なく感じたこともありました。しかし全体を通して雨に遭うことは少なかったように思います。

(大雲取越え・小雲取越えはひどい雨に遭いました。しかし雨だったからこそ苔の美しさに出合えたと思っています)

運よく「青春18切符」や「湯快リゾート格安バス」などを見つけて経費を安くするのも私の役目。
タクシー利用が5人ならばバスより安く非常に有効に利用しました。何度も利用しているうちにドライバーさんと仲良くなり随分便宜を図ってもらいました。

地元の人たちは、熊野古道を歩く者達を、とてもやさしく受け入れてくれました。
特に純粋な子供たちとの会話は心が和みました。出会った子供たちが素直で元気で大きくなって欲しいと願っています。
都会の雑踏の中で生きていると忘れかけた温もりを草や花や潮騒で甦えらせてもらった気がします。

長い行程でしたので心の不具合もあったかも知れません。しかし些細な事で心を尖がらせていては折角貴重な体験をしたことが水の泡となります。心穏やかに次のステップが踏めたらと願っています。

私事になりますが病のため、2年前から山歩きを断念した配偶者がいます。歩きたくても歩けない配偶者が、私達の紀行文を首を長くして待ってくれています。

時には「面倒くさい!しんどい!書けない」と思ったことも何度かありました。写真やレポートを楽しみにしている人がいると言うことも励みになっています。
今回のシリーズは「どこに出しても恥ずかしくない熊野古道集」だと自負しております。これから熊野古道を歩く人の道標になればこんなうれしいことはありません。 
 ▲八咫烏・熊野古道の笠と一緒に旅ができたのも良い思い出です 
 
  
  【プランニングとマップ制作】   
企画を立てるにあたって「道迷いは極力避ける」のと「熊野古道に関している霊場や神社仏閣は訪ねる」をモットーにプランニングをしました。
・大阪府下においては街道マップをインターネットからダウンロードします。
・和歌山県の街道マップは各観光協会さんから取り寄せました
・これらを参考に国土地理院の地形図上にコース引きをします。
・都市部においてはマピオン地図の距離側上に線引きします。こちらの方が建物や公共施設などが明確に記されています。
・畑の中の道を歩いたり、山道を歩いたりしますのでコース引きした地図を参考にグーグルマップのストリートビューで写真を見ながら入り口出口を探していきます。
 熊野古道の案内板も確認することができます。ただボカシを入れていることもありますので注意をして見ることが大切です。
・おおよその構想が決まったら、これを文書化していきます。「郵便局のところを南東にいき三本目の辻を南へ下る」というように細かく書いておきトップ、セカンドのメンバーが読みながら歩きます。
これでほとんど迷うことはなく歩くことができました。しかし、道成寺あたりで30分ロスするミスをやってしまいました。ここで迷う人はまずいないと思いますが。
そのほかはどうにか行き過ぎても直ぐに修正できました。
 ▲和歌山県の街道マップ   ▲国土地理院 地形図
  ▲マピオン距離測定  ▲グーグル・ストリートビュー
  
     
  【写真撮影と選択】
 月日の経つのは早いものです。熊野古道 紀伊路・中辺路 を歩くにあたって6月中に終わらせたかったのですが7月半ばまでかかってしまいました。
ダウンジャケットやオーバーヤッケでスタートしましたが終わってみれば半袖のTシャツでも大汗をかいている時期になっていました。
無駄な写真も多いと思っておられる方々も多いと思いますが、「写真は旅の領収書」です。
平均すれば毎回100枚くらいの写真を掲載しています。天候が悪かったりコースの短かった所などは50枚前後のページもあります。また多いところでは140枚を超えるページもあります。よく撮ったものだと思いますがいつものようにシャッターを押しているだけです。25ページの連作ですので数えてみますと2600枚以上の写真を掲載していることになります。スナップなどは必ず2カット撮りますし目つぶりなど感じたらさらに1~2枚撮ります。風景は立ち位置を代えて数枚とることもあります。一つの被写体に対して1カットのみということは少ないです。三脚・ストロボを携行していませんのでカメラブレも発生しますし遠くの物を撮るときなどはオートフォーカスとはいえピンボケも発生します。
たぶん使用枚数の3倍。8000枚近くは撮影しています。これはフィルムでは経済面で無理なことです、デジタルの時代だからできたことです
中でもグループ写真の撮影は大変なものがあります。それは目つぶりと人の重なりと動きでしょうか。時間をかけてはいられないので、ほどほどに写して後で後悔する始末です。

大変なのはこの数の中から不要なカットを捨てることです。数カット撮影した中から探してもすべて使い物にならないカット。またどれも捨てたくないカットなどあります。
集合もどのカットも全員きれいに映っていて掲載に迷うこともありますし、どのカットも横向き、下向き、目つぶりがあり直していくのに大変なこともあります。

遡って写真を振り返って見るとこの半年の間に老けてしまったことがわかります。老いの速度は速いのかなあ。
   
  
  【ホームページの編集】
常々ホームページはナマ物と言っていますので少しでも早く掲載したいという思いから帰ってきた翌日から制作に入ります。百名山の時などは帰りの車中やバスの中で構想を練りながら帰ります。時によってはMEMOに書き起こしました。
出来上がってみて案外多いのが変換ミス、文章の重なり、句読点などはゴメンの一言でスルーしていきます。これではいけないのですが…
時々は古いページを読み返しておりその段階で気が付いた時は訂正しております。
ホームページを制作することでいつまでも記憶に留めることができます。もう少し時を経て動くことが出来なくなった時には良い思い出を振り返ることが出来ると思っております。
 
 
  【次なる熊野古道は】
今回の熊野古道でリーダーの難しさを思い知りました。高齢になってからリーダーをするのはすごく大変なことだと感じています。高齢の登山者に単独行が多いのも何となく頷けます。
熊野古道はまだ半分も終わっていませんが今後歩き通すことは出来ないと思っています。しかし熊野古道は魅力あるコースですので写真は撮り続けたいと思っています。若いリーダーを探して少しづつでも続けていくか、それとも旅行社のツアー企画や地元山岳会や諸団体の開催するツアーがあるようなのでそれに便乗しても良いかなと考えています。
いずれにしても、何らかの形で熊野古道の写真とレポートは続けていきます。それを制作するのが熊野古道に行く主たる目的ですから。
楽しみにお待ちください。